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2024年 12/25 「和漢三才圖會卷第八十七 山果類 櫻」を公開。四日半掛かって、総字数三万三千七百字を越えた。今年、最大の作品となった。 『私は……思えば……ずっと漂泊者だった。しかし、もし漂泊が出来ないとなれば、辛抱強く死なんて待てるもんじゃない』 12/5 昨日夜、二〇〇六年五月十八日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来(このブログ「Blog鬼火~日々の迷走」開始自体はその前年の二〇〇五年七月六日)、私の「Blog鬼火~日々の迷走」が★2,300,000★を突破した。キリ番テクストは永らく已めて久しいが、取り敢えず、御報告のみ。臘月に喜ばしい。 『「他の女を愛してるのさ」/こんな白状をすること自体、さして難しいことではないのである/寧ろ、誰も愛してなんかいないことを忘れるために、である』 12/2 ★最大作業時間(五日)にして、プロジェクト以来、最長記事となった、「和漢三才圖會卷第八十六 果部 五果類 梅」を公開。 『人間の呪文で、神は死に、そして再生する。逆に、その神は人間に、永遠の再生なるもの、又は死後の生なんてものを約束するわけだ』 11/23 『ブログ・カテゴリ「西尾正」創始・「海蛇」やぶちゃん版校訂本文+オリジナル注附』を公開。 『金?――金ならあるさ、ポケットいっぱい』 11/22 「和漢三才圖會卷第八十五 寓木類 附 苞木類 樹竹之用 節 / 卷第八十五~了」。 『大事なのは優しい感情なんかじゃあない、欲求だ』 11/14 延べ七十時間超をかけて、書き上げた「和漢三才圖會卷第八十五 寓木類 附 苞木類 竹」を公開。 『僕はナイフの切っ先を手探りすると、上着とシャツの間をはだけ、心臓の脇にそいつを当てがった。その時さ、僕が心臓ってものを発見したのは。以前、ズボンのボタンを外して、その引き出した己の肉体の一部を、これが性器なんだ、って見つめた時だって、これほどに切迫した感情は胸を走らなかったな』 11/1 「和漢三才圖會」植物部 卷第八十四 灌木類 䑕取樹 / 卷第八十四 灌木類~了。 『人生は僕たちを辱めることがなんてうまいんだろう!』 10/23 カテゴリ「怪奇談集Ⅱ」で「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十七」を完遂。 『稲妻がその醜さを撃った、完璧なる殲滅、それがトドメの一撃だ』 10/18 特異的に長篇である『「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十七」 吉良左京進亡霊』を公開。 『私はあなた方の言う「正義」を認めない』 10/14 『山之口貘の処女詩集「詩集 思辨の苑」の「序文」の『佐藤春夫「山之口貘の詩稿に題す」』(初版・正規表現版)』をブログで公開すると同時に、ブログ・カテゴリ「山之口貘」で二〇一四年に行った私の恣意的正字化版であった同詩集の全篇を正規表現に修正する作業を開始(同年11/6【第二詩集の新作十二篇を含め、総て正字表現に訂正を完了した。】 。 『俺は二階で、二人の部屋で、彼女を、待った――一晩――丸一日――一年…彼女はそれっきり、戻っては、来なかったんだ』 9/26 カテゴリ「怪奇談集Ⅱ」で「神威怪異竒談」の「南路志巻三十六」分を完遂。 『帰って呉れ。僕はね――女を待ってるんだ』 9/25 カテゴリ「葡萄畑の葡萄作り ジユウル・ルナアル 岸田國士譯( LE VIGNERON DANS SA VIGNE 1894 Jule Renard) 戦前初版」を完遂。 『友達も女と同じだ。僕が出てゆくのを黙って見ている』 9/14 テツテ的に注をやり直した、『葡萄畑の葡萄作り ジユウル・ルナアル 岸田國士譯( LE VIGNERON DANS SA VIGNE 1894 Jule Renard) 戦前初版 囁き』を公開。 『僕はね、ずっと先(せん)から僕自身を――兎の心――と呼んできたのさ』 9/11 実働十四時間かけて、『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十四 灌木類 枸𣏌』を公開。 『私はあなた方よりも遙かに私のことが嫌いなんです』 9/2 カテゴリ「葡萄畑の葡萄作り ジユウル・ルナアル 岸田國士譯( LE VIGNERON DANS SA VIGNE 1894 Jule Renard) 戦前初版」を始動。 『自分の中にある重要なものというのは、自分でないものであり、自分の中にありながらも自分以外のものに係わるもの、いや、それどころか自分とは全く無縁な、全く反対のものなのだ』 8/24 久々に驚くべき超リアルな怪奇談(実話)『「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 濱田吉平幽霊』を公開。 『熊みたように尊大に構えてるのが「男」ってもんだ、そう、不作法者、支配者ってもんはそういうもんだ』 8/17 『「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注 始動 / 「巻三十六」「目録」・「御城内蚊柱嘉瑞」』を公開。 『「カラマーゾフの兄弟」はもう三度か四度目だ。今回はその形而上学的な性質に少しばかりがっかりした。ゾシマ長老――ちょっと聖品収納室と信者の臭いがきつ過ぎる。――イワンの異端審問官の話――これは短か過ぎる』 8/10 『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十四 灌木類 目録・桑』をブログ公開。現在までの百十七項の内、注に最も時間がかかった。 『よくいる知ったかぶりの賛同者に気をつけろ。あいつらは油断すると忽ちお前を殺すぜ』 8/7 『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 榕 / 卷第八十三 喬木類~了』。 『その浜辺で僕は腕時計に砂を零しては惨めな「僕の青春」とか言う下らぬものを懸命に計測していたんだ』 7/29 ブログ・カテゴリ「怪奇談集Ⅱ」にて平仮名本「因果物語」(抄) 正規表現・電子化注を完遂。 『僕は何を期待していたというのか? 凝っと女を見つめることで、彼女のことが、いや、僕自身のことが、何かふと腑に落ちてくるとでも思っているのか?』 7/24 ブログ・カテゴリ「怪奇談集Ⅱ」にて平仮名本「因果物語」(抄) 正規表現・電子化注を始動。 『人間は闘争の中にしか存在しない。人間は死の危険を冒すことによってのみ、真に生きる。如何なる思考も――如何なる感情も――死の危険に晒されない限り、リアリティを持つことは出来ない』 7/21 ブログ・カテゴリ「怪奇談集Ⅱ」にて「疑殘後覺」(抄)を完遂。 『何もかもがウンザリだ! 慄(ぞ)っとするんだ! お前だけじゃない!……何もかもなんだ! 特に色恋ってやつがな!……』 7/20 良安の最大最悪の李時珍勘違い大批判の一項、『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 檉柳』を公開。 『その公園のベンチで私の膝で、その少女は子兎のように眠っていた――兎? そうさ、私はその後に何が起きるかも知らずに、だ』 7/16 『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 櫸』を公開。良安の最大最悪の誤比定同定であった。 『生というものの底層には沈黙が満ちている』 7/14 ブログ・カテゴリ「怪奇談集Ⅱ」にて「疑殘後覺」(抄)を始動。 『しかし、恐らくはあの時以来、不吉なものとなってしまった彼女の「影」が、僕の周りをいつも彷徨っていたのだ』 7/13 ブログ・カテゴリ「怪奇談集Ⅱ」にて「善惡報はなし」正規表現オリジナル注を完遂。 『哲学や芸術、そうして政治とか道徳とか――全ての体系と称するものは、とんでもなく馬鹿げた幻想に過ぎない』 7/1 『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 槐』を延べ二十時間以上をかけて作製、やっと公開した。 『彼女と、その公園を横切った時、僕に「もう我慢出来ない!」と言って、キスをした。――私はその瞬間――『この女が、私の最後に愛する女なのだ』と確信した――』 6/23 ブログ・カテゴリ「怪奇談集Ⅱ」にて『「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 始動 / 序・「卷一 目錄」・「卷一 㐧一 前世にて人の物をかりかへさゞる報(むくひ)により子生れ來て取りてかへる事」』を公開。 『私の孤独と死の属性たる荘厳さ――愛してやまぬ孤独――それはとっくに知っている死の味だ――枝にあるうちに舌で味わい――そして手中にストンと墜ちる果実のように――』 6/20 柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注を完遂。 『俺が見ていたもの――それは単に自然の冬なんかじゃなくて、ずっと持久力があり脅威も含んでいるもの――恐らくは「不治のもの」――「もう一つの冬」――「もう一つの死」だった。即ち――「社会と歴史の冬」――「一民族の冬」だったのだ』 6/19 ウルシカブレ男として渾身の電子化注『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 目録・喬木類 𣾰』を公開。 『女はホルマリン漬になった僕自身の標本を掌に載せて眺め入っていた』 6/13 『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 目録・黃蘗』を公開。 『いつも言葉に騙されている。人が騙されることが一つだけあるとすれば、それは、彼等の職業に於いてなのだ』 6/12 『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 瑞香 / 卷第八十二 木部 香木類~了』を公開。 『夜がまったりとおさまりかえっていた』 6/3 「《芥川龍之介未電子化掌品抄》(ブログ版) 一茶句集の後に」を公開。 『僕は宗教上の結婚をしたくなかった――何れ、本気の結婚が出来るようにするために』 5/30 「譚海」を九年四ヶ月を経て全電子化注終了。 『お前は悪い奴だな? 如何にも小洒落た「勇士」のなりじゃあないか?!』 5/19 『ブログ2,160,000アクセス突破記念 故父藪野豊昭所蔵 川路柳虹詩集「波」(初版・限定五百部・並製版) 藪野直史全電子化注(注©) PDFルビ附縦書一括版』(1.71MB)を「心朽窩新館」に公開。 『こんな男に何が分かるってんだ! あたいの頭ん中にあんたは入ってみたことがあるのかい?!』 5/17 『故藪野豊昭所蔵 川路柳虹詩集「波」(初版・限定五百部・並製) / 川路柳虹の詩「火の頌歌」・深沢幸雄画・「あとがき」・奥附 / 川路柳虹詩集「波」電子化注~了』をブログで完遂。 『god nat(ゴス・ナート)!』(デンマーク語:「おやすみ」) 5/16 ブログ2,160,000アクセス突破記念『故藪野豊昭所蔵 川路柳虹詩集「波」(初版・限定五百部・並製)始動 / 表紙・背・扉標題・「内容」(目次)・深沢幸雄画「波」・川路柳虹の詩「波」』を始動(二回でブログ版は完結させる予定)。 『ずうずうしく、な!……何だって引き受けてやるぜ!』 5/4 三日半かかって、『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 松』の電子化注を完成・公開。 『彼は金で買える女たちを求めていた。破滅したひとりの男のための女たち――一孤独な兵士のための娼婦たち』 4/27 ブログ2,150,000アクセス突破記念としてブログ・カテゴリ『「和漢三才圖會」植物部(全)』を始動し、「卷第八十二 木部 香木類 目録・柏」を公開。 『あんな猥雑な我楽多(がらくた)をか? あんなもんは文学とは言えねえよ!』 4/25 ブログ・カテゴリ『津村淙庵「譚海」』で第十四卷を完遂。 『僕はこれまで、どんなことについても、一度たりとも、学があるなんてところを、見せたためしはない』 4/21 南方熊楠「江ノ島記行」(正規表現版・オリジナル注附き・PDF縦書一括ルビ版・5.68MB)を「心朽窩旧館」に公開。 『男は喋るために生まれる。女は男のお喋りを聴くために生まれる。――そうして殊に――男は女を黙らせるために――生まれる』 4/20 ブログ・カテゴリ「南方熊楠」にて、南方熊楠「江ノ島記行」(正規表現版・オリジナル注附き)を八回分割で完遂。 『生涯、耐えられるってことはさ! よっぽど、「健康」だってことだ、この糞馬鹿ガ!』 4/17 南方熊楠 「蟹と蛇」 (正規表現版・オリジナル注附き(指示された古文の電子化注を可能な限り行った結果、注が超長大になった))を公開。 『声――それは空しく木霊する運命にある』 4/14 ブログ・カテゴリ『津村淙庵「譚海」』で第十三卷を完遂。 『僕があなたの行為を立派だとおもうのは、あなたがそれを全く信じていないからですよ』 4/11 ブログ・アクセス2,140,000突破記念として『柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「春」(23) /「春」の部~了』を公開。 『僕は誰にも好かれているし、同時に、誰にも好かれていない』 4/6 「南方熊楠「鰻」(正規表現版・オリジナル注附き)を公開。 『謂わば「死」って奴は「結婚」みたようなもんさ』 4/2 父の「自筆年譜」 (1987年7月15日筆)をブログで公開。 『世界が神から生ずるなんてことは――金輪際――ない』 3/29 ブログ・アクセス2,130,000突破記念として『柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 始動 / 表紙・扉・「はじめに」・「新年」』を公開。また、その二時間後、『南方熊楠「赤沼の鴛鴦」(正規表現版・オリジナル注附き)』を公開。これを以ってブログは通常仕儀に戻った。 『僕はここに残る――でも同時に出かけるのさ』 3/27 ブログ・カテゴリ『津村淙庵「譚海」』で第十二卷を完遂。 『諸君は何の拠りどころもないくせに、互いに互いを信頼し合い、笑い合いつつ生きて、しかもいつも全く場違いに笑っているのだ』 3/21 父 藪野豊昭は本日午後九時二十八分に逝去致しました―― 3/19 母テレジア聖子十三年忌―― 3/17 ブログ・アクセス2,120,000突破記念としてブログ・カテゴリ『津村淙庵「譚海」』で第十一卷を完遂。 『老人は最後に言った。「その女のランプを灯してやること――」』 3/10 ブログ・カテゴリ『津村淙庵「譚海」』で第十卷を完遂。 『――僕が――あらゆる女に用意していた陰鬱なる眼ざし――』 3/2 ブログ・カテゴリ『津村淙庵「譚海」』で第九卷を完遂。 『友達は「僕」を探してなんかいなかった、ただ「僕」を待っていただけなんだ』 2/20 ブログ・カテゴリ『津村淙庵「譚海」』で第八卷を完遂。 『その時、彼女は目をつぶって、吸い込まれていったのだ――何処に? いや、それは彼女自身の中にか?』 2/16 ブログ・カテゴリ『津村淙庵「譚海」』で第七卷を完遂。 『子どもの中に潜んでいる芸術家を殺すには「指導要領」で武装した教師どもが長い年月かけて不惜身命にならなきゃ達成出来ないものだ。「学校」とはそのために機能する機関で、無垢の無邪気さを、自然に溢れ出る喜びを拷問に掛ける施設なのだ』 2/12 ブログで『南方熊楠「守宮もて女の貞を試む」(正規表現版・オリジナル詳細注附き)』を公開。夕刻、ブログ・カテゴリ『津村淙庵「譚海」』で第六卷を完遂。 『女どもにとって僕は死者だった』 2/11 ブログで『南方熊楠発信「今井三子」宛昭和十年十八日朝五時起筆書簡(サイト版『(Phalloideae の一品)』の正規表現版)』を公開。 『「答えがない」という者は、己の非を認めたことになるのだ。答えようとしない者どもは賭けから手を引くがいい。まだ答えを見つけていない者にこそ、賭けは残されているからだ。』 2/10 ブログで、ブログ2,100,000アクセス突破記念として『南方熊楠「大きな蟹の話」(正規表現版・オリジナル詳細注附き)』を公開。 『私も亡霊――だから死ぬのさ』 2/9 ブログ・カテゴリ「怪奇談集Ⅱ」で、「蘆江怪談集」を完遂。 『僕には必要だったのさ――僕自身の心臓の鼓動だけに耳傾け、死が生に齎すところの、この絶え間ないうち明け話を聴くという喜びが、ね』 2/8 ブログにて「芥川龍之介 二つの手紙 (オリジナル強力詳注附き)」を公開。 『諸君は何の拠りどころもないくせに、互いに互いを信頼し合い、笑い合いつつ生きて、しかもいつも全く場違いに笑っているのだ』 1/30 ブログ・カテゴリ「怪奇談集Ⅱ」で、ブログ2,090,000アクセス突破記念として、『「蘆江怪談集」始動 / 表紙・裏表紙・背・「妖怪七首 ――序にかへて――」・「お岩伊右衞門」』を公開。 『始まりというものの、不可解さ。そこから来る、円いものへの愛着。始まりのないものに、人は完全性を見ようとする。』 1/25 未明、ブログ・カテゴリ「柴田宵曲」・「柴田宵曲Ⅱ」で柴田宵曲編「随筆辞典 奇談異聞篇」を完遂。 『僕は辛抱強いたちだ。今までただ待ち続ける人生だった。一生、ただ何かが起こるのを待った……何が起こるかも知らずに……』 1/17 ブログ・カテゴリ「柴田宵曲」がバック・ナンバーの表示上限の1000件に近づいたので、ブログ・カテゴリ「柴田宵曲Ⅱ」を新規作成した。 『僕のこの手記は、見た通り、透明に近い蒼白さを帯びているが、しかし、純然たる極私的な覚え書きに他ならない』 1/6 同前で、二十四篇を公開、ルーティンに戻る。 『獄屋の窓を開けてやることなんだ、裏切るってことはな。誰もがやりたがってるがな、滅多に出来るこっちゃねえんだ。』 1/5 国立国会図書館デジタルコレクションのリニューアル終了を受けて、ブログ・カテゴリ「柴田宵曲」の柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」を再開、ストック準備稿を元に、十九篇を公開。 『ニーチェじゃない奴は誰?――ニーチェ――さ』 1/1 「譚海 卷十二 大黑天緣起の事(フライング公開) // 謹賀新年」。 『黙ってろ!……太古のガレー船だってな、漕ぎ手の十人に一人は「志願者」だったんだぜ。お前さんだってな、そのお仲間さ!』 2023年(抜粋) 12/29 ブログ・アクセス2,060,000アクセス突破記念として、ブログ・カテゴリ「只野真葛」で「むかしばなし」(正字表現・オリジナル注附)を完遂。 『私は死ぬ前には冗談は言わないことにしてるんだ』 12/12 ブログ・アクセス2,050,000アクセス突破記念として、ブログ・カテゴリ『「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文)』に於いて、『「にんじんのアルバム」+訳者岸田國士氏の「譯稿を終へて」(挾込)+本書書誌及び限定出版の記載+奥附』を公開、同正規表現・新補注・原文附きブログ版を完遂。 『片手に oui、もう片方の手に non …oui と non …この双生児…』 11/22 ★ブログ・カテゴリ『「博物誌」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文」』を完遂。 『ベベールは何だって知ってる、いい加減な口実は、これ、お得意さ、何処でだって、な』 10/26 三女アリス六周忌――2,020,000ブログ・アクセス突破記念として、おぞましい『南方熊楠「平家蟹の話」(正字正仮名版・非決定トンデモ版――恣意的な致命的大改竄(多量の削除を含む)による捏造あること、及び、挿絵がないことに拠る――)』を公開。なお、ブログ・アクセス切番テクストは向後は、余程、たまたま相応な物がない限りは、作製しないことにした。自働作用のようで、「厭な感じ」が自身にするようになったからである。 『その浜辺で僕は腕時計に砂を零しては惨めな「僕の青春」とか言う下らぬものを懸命に計測していたんだ』 10/15 「南方閑話 大岡越前守子裁判の話 下」を以って★南方熊楠「南方閑話」・「南方隨筆」・「續南方隨筆」全オリジナル電子化注を完遂。 『ニルヴァーナというのも――いや、その体系は他のどの宗教よりも精巧に組み立てられており、それ故に魅力的なものではあるが――それもやっぱりユートピアの夢に過ぎぬのではないか?』 10/9 「寺島良安和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔類」の全名改訂を終り、私の同書の水族部プロジェクトの大改訂完遂。 『女達のこの不在、女達のこの沈黙、それは決定的だ。友達に又逢うことはできない。奴等が同じことを繰り返すのを聞きながら、奴等の前で僕も同じことを繰り返すなんて、とても出来ない相談だ』 7/23 ブログ開設十八周年記念として始めた梅崎春生の「つむじ風」電子化注を、ブログ・カテゴリ「梅崎春生」で十九回分割で完遂。私の中の二〇一六年一月一日に始まった《梅崎春生の季節》はこれを以って一区切りとする。 『自由と孤独と怠惰そして憂鬱――それが僕の全財産だった』 7/14 ブログ・カテゴリ「南方熊楠」にて「續南方隨筆」(正規表現版・オリジナル注附)の全電子化注を漸く完遂。 『そうだ、神の母、人におなりになられた神の母。創造し、その創造の中で苦しみ、死に、そして蘇る神。こうして僕は何時も異端の教祖になるに違いない。死んで蘇る神々。ディオニソス、キリスト。如何なるものも血の中でしか成就はしないのだ。絶えることなく蘇るためには絶えることなく死ななければならないのだ。カテドラルのキリスト』 6/24 ブログ1,970,000アクセス突破記念として梅崎春生の『文芸時評』昭和三十二年十二月分をブログ公開。これを以って梅崎春生の「文芸時評」を完遂。 『サルトルの「出口なし」――佳品? いや。それほどでもないか――こいつは、あらゆる本物の別名、シュールレアリスム(Surréalisme:超現実主義)なんかではない――所詮、こいつはスーレアリスム(Sousréalisme:卑俗現実主義)である』 6/23 サイト開設十八年記念(三日フライング)としてサイトの私の偏愛する『松村みね子名義/片山廣子「芥川さんの囘想(わたくしのルカ傳)」』を全面改訂。 『人をつかまえておきたい。手放したくない。釘付けにしておきたいんだ。だけど、皆逃げてしまう』 6/12 「心朽窩旧館」に☆南方熊楠「鷲石考」(「續南方隨筆」正規表現版・オリジナル注附・PDF一括版・2.86MB)を公開。 『まず夜を終わらせねばならない。夜とは、端から端まで歩かなければならない道なのだ』 6/11 ブログ・カテゴリ「南方熊楠」にて「續南方隨筆」の「鷲石考」を全五回分割で漸く完遂。 『ニーチェはキリスト教の諸価値に完全には無関心でいられなかったから、ある日、狂人を宣言したのだ――それはランボーが私は商人だと言ったのと、また、イジドール・デュカスがロートレアモンを演じた一年後に早々に反ロートレアモンをぶちあげたのとおんなじさ』 5/26 ブログ・カテゴリ「室生犀星」にて、随筆集「天馬の脚」正規表現版を完遂。午後、ブログ1,960,000アクセス突破記念として「梅崎春生 文芸時評 昭和三十年十二月」を公開。 『私は昔――おぞましいことに――世界が不動であるという事実を、心底、嘆いていたことを思い出すのさ』 5/19 ブログ・カテゴリ「大手拓次」で岩波文庫原子朗編「大手拓次詩集」からチョイスした電子化注を完遂。 『俺の幻し! 俺の魂! 俺の夢! ドキドキするぜ! 奮えるね!』 5/9 ★『永見徳太郎「芥川龍之介氏と河童」に見出したる龍之介の未知の俳句「向扇や永見夏汀の手の肥り」「蘭館に賣られて來たる瓢かな 我鬼」二句/永見徳太郎「芥川龍之介氏と河童」全本文附』を公開。 『私の二十四時間、私の七十本の皺、私の三十年の年月、私の将来への期待、私の情事、私の借金、私の孤独、私の交際、それらについて、私は多少なりとも答えを出そうと試みる。問いを発したり、止めたりすることは問題ではない。』 4/8 ブログ・カテゴリ『早川孝太郎「猪・鹿・狸」【完】+「三州橫山話」』にて早川孝太郞「三州橫山話」正規表現オリジナル注附を完遂。 『楽園? そりゃあると思いたいね。だって、その証拠に、誰一人としてそこに行きついた奴はいないからさね!』 4/7 ★大手拓次譯詩集「異國の香」一括オリジナル電子化注(PDF縦書版)、及び、一部の注で示した原詩を読み易くするために、同横書版も合せて「心朽窩新館」に公開した。午後二時過ぎ、ブログ・カテゴリ「怪奇談集Ⅱ」にて「曾呂利物語」正規表現版電子化注を完遂。 『裏切り――それは自分自身に対して。――何故かって? 人は自分自身しか裏切らないからさ――』 4/4 ブログ・カテゴリ「大手拓次」にて、譯詩集「異國の香」を完遂。 『あいつは君なんか愛してはいないんだ。芝居をしているだけさ』 3/19 母十二周忌―― 3/7 ブログ・カテゴリ「柳田國男」にて『柳田國男「妖怪談義」(全)正規表現版電子化注』を完遂。夜、ブログ・カテゴリ『早川孝太郎「猪・鹿・狸」【完】+「三州橫山話」』(標題追記)で待望だった『早川孝太郞「三州橫山話」正規表現版を始動。 『少女とともに夜の鞦韆に坐る。その少女は「私を裏切ったら、怨みます。」と言った。私は黙った儘、一心に鞦韆を漕いだのだった』 2/20 サイト版坂口安吾「ふるさとに寄する讃歌」を正規表現版へ完全リニューアルし、★縦書PDFも公開。 『そういったとき――彼女たちは思いっきり懐旧の情のこもった飛びっきりの溜息をつくだろうさ…そうして、それは彼女たちをいっそう魅力的にするもんだ』 2/13 ブログ分割公開終了を経て、★大手拓次詩畫集「蛇の花嫁」(正規表現版PDF縦書ルビオリジナル注附一括版1.9MB)を心朽窩新館に公開。 『時代というものが与えて呉れる様々な型枠に忠実であるということは、観察者の持っている何よりの美徳であり、その時代や環境が悲惨であればあるほど、最早、それだけが唯一無二の美徳であるのかも知れない』 2/9 ★堀辰雄「曠野」やぶちゃんオリジナル原典訳注附(再校正・訳注改稿・PDF縦書ルビ化版・1.35MB)を心朽窩旧館に公開。 (シャンゼリゼ・ガブルエル通りの角で老売春婦「無宿のマリー」がアランに掛ける別れの台詞)『ボードレールに逢ったら、よろしく言っといて、ね』 2/8 ★『改作「田園の憂鬱 或は 病める薔薇」』(改造社「佐藤春夫全集」版・ブログ未定稿マニアック注附きリンク対応・PDF縦書ルビ版・2.72MB)を公開。 『地球は回転している! 其処には善より惡が、さわにある! 勝負は合っちまってる!』 2/7 ブログ・カテゴリ「佐藤春夫」にて決定稿「改作 田園の憂鬱 或は病める薔薇」の正規表現版を完遂。 『危険――それは成功にうんざりすることだ』 2/3 既公開の堀辰雄「十月 附やぶちゃん注」の正字化不全と誤字があったので、再度、校正し直し、ブログ版(全十三分割)を総て再校正し、公開していたWord縦書版も全改訂して、PDF縦書ルビ化版にリニューアル変更した。 『僕はちゃんと約束を守る男だ』 1/26 心朽窩旧館に★恒藤恭「旧友芥川龍之介」(全)原本準拠正規表現+藪野直史オリジナル電子化注(一括縦書PDF版・4.8MB弱・全198ページ/内容は「友人芥川の追憶」・「芥川龍之介」・「芥川龍之介のことなど」・「赤城山のつつじ」・「芥川書簡集」から成る)を公開。 『俺の水銀!』 1/18 ブログ・カテゴリ「芥川龍之介」で恒藤恭の「旧友芥川龍之介」の全電子化注を完遂。 『僕はアンニュイから遁れようとはしない。アンニュイ――それが/それこそが/それのみが真実であり、完全なる状態なのだ』 1/12 ブログ・カテゴリ「芥川龍之介」で『恒藤恭「旧友芥川龍之介」の「芥川龍之介のことなど」』(全四十章)の全電子化注を完遂。 『大統領 これ以上グロテスクなものがあろうか?(ガランのデザインしたポスターの下絵に書かれたコピー)』 2022年(抜粋) 12/31 ブログの御歳暮に『恒藤恭 「旧友芥川龍之介」の「芥川龍之介」(全)』が間に合った。 『作家はいつも言葉に騙されている。人が騙されることが一つだけあるとすれば、それは、彼等の職業に於いてなのだ』 12/30 ブログ1,890,000アクセス突破記念として、『恒藤恭「旧友芥川龍之介」全電子化始動 / 序・目次・「友人芥川の追憶」(全)』をブログで公開。 『何故、子どもと大人と老人を対比したりする? 子どもと老人は混在したものであり、大人という奴はごくまれにしか、この世界に姿を見せぬ孤独な存在であるに過ぎぬのに、だ!』 12/28 今年最後の大物電子化注として、尾形龜之助詩集「障子のある家」原本(昭和二三(一九四八)年再版本)準拠正規表現版・藪野直史作製・注附き(1.82MB)を「心朽窩新館」に決定版として公開。 『奴等は何も真剣なものなどあり得ないことを知っていながら、思想だの文学だのを話している。それこそ最下劣だ』 12/17 ブログ・ カテゴリ「兎園小説」にて「兎園小説」本篇・「兎園小説外集」・「兎園小説別集」「兎園小説余禄」・「兎園小説拾遺」全篇電子化注完遂。兎園小説全集大団円。 『夜の背後には静寂が共犯者の罠を拡げていた』 12/6 ブログ・カテゴリ「萩原朔太郎」及び「萩原朔太郎Ⅱ」にて筑摩版「萩原朔太郞全集」初版第一卷・第二卷・第三卷所収詩篇(正規表現版)電子化注をほぼ完遂。 『僕は二度結婚するも、子供は出来ず、金持ちになって五十で死ぬ、あらゆる幸福を手に入れるが、最後は恐るべき疫病に罹って死ぬ、と占ったアメリカ人の預言を取り敢えず頭にしっかと刻み込んでおいたものだ』 11/24 ブログ・カテゴリ「南方熊楠」にて「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「話俗隨筆」パートの「蛇を引出す法」を公開。熊楠の致命的な経典引用の誤りを発見し、補正した。 『要するに、あなたには女がいる。でも、僕には、何も、ない。何も、手に入れることができないということが、どんなことか、あなたには、分からない』 10/26 三女アリス五周忌――ブログ・アクセス1,840,000突破記念として梅崎春生「青春」をブログ公開。 9/11 「富永太郎拾遺詩集及び断片(やぶちゃん版)」を完全リニューアル。 『一番いいのは街に出ることなんだ、つまりは〈小さな自殺〉さ』 9/10 ブログ・アクセス1,810,000突破記念として梅崎春生「山名の場合」をブログ公開。午後、「富永太郎詩集 第三部 翻訳詩異同(やぶちゃん版)」を完全リニューアル。 『「馬鹿者であるということ」は必然的に「性質(たち)が悪くなること」だ』 9/8 十七年前にサイト創始の三ヶ月後、右腕首の骨を事故で粉砕した中で公開した家蔵版「富永太郎詩集」を完全にリニューアルし、表紙絵や挿入作品三点も追加した。 『「悪の華」も再読――詩人は愛人ジャンヌとシファリスで結ばれていたが、この病い故にこそ、彼はジャンヌの腕に抱かれていながら不能だったのだ』 8/10 ブログ・アクセス1,790,000突破記念として梅崎春生の「雨女」と「雨男」(正続篇)をカップリングしてブログ公開。午後、★泉鏡花の「唄」(鏡花自作の童謡・民謡・端唄風の唄集成:正規表現版・一部オリジナル注附・PDF縦書版)を公開。 『――それは――悔恨だけによって一つの神話が積み重ねられつつある暗闇だ』 7/16 泉鏡花の生前最後の発表作となった「縷紅新草」(正規表現版・オリジナル注附・PDF縦書版)を「心朽窩旧館」に公開。 『僕たちは、ここで送っている陰気な生活に全く馴らされてしまい、僕は憂鬱を刻印されてしまったのだ。ちょうど、鳥が空を翔けるように、魚が水中を泳ぐように、僕はその憂鬱の中をうろついているのだ』 7/5 ブログ始動十六周年記念として梅崎春生「飢えの季節」をブログ公開。 『白か黒か、若し、私に選ぶことができるとなら、若し、好き嫌いがあるとなら、私は最早、死に対するほどに、生に、執着を持っていない。即ち、私が選択しようと、しまいと、死は、私を決定づけているからである。』 6/26 二〇〇五年六月二十六日のサイト「鬼火」開設の十七周年記念テクストとして泉鏡花「繪本の春」(正規表現版・オリジナル注附・PDF縦書版)を「心朽窩旧館」に公開。 『生きていること――それが、若し――気分次第のものであり、礼儀上の表向きのとり繕いだけを意味しているとなら――「私は生きている」と言える』 6/19 ブログ・アクセス1,760,000突破記念として泉鏡花「茸の舞姬」(正規表現版・オリジナル注附・PDF縦書版)を「心朽窩旧館」に公開。 『絶望――かつてそれは私が喜ぶものを齎した。が、しかし、この世界に「使命」などと言うものを見出すのは、これ、あまりにも危険である。何ものにも拠りどころを見出しならぬ――倦怠に対してさえ――』 6/13 ★泉鏡花「蓑谷」(正規表現版・オリジナル注附・PDF縦書版)を「心朽窩旧館」に公開。 『…骨の髄まで満足したいのなら――君、その衣装と、ごたごたしたくだらない君の引き出しを弄(いじく)るのを、やめたまえ』 6/7 ★泉鏡花「海の使者」(正規表現版・オリジナル注附・PDF縦書版)を「心朽窩旧館」に公開。 『僕の人生というもの――そのものが無駄な時間に過ぎない――』 6/4 満を持して泉鏡花「春晝」+「春晝後刻」(正規表現カップリング版・オリジナル注附・PDF縦書版・3.04MB)を「心朽窩旧館」に公開。 『人生の歩みは僕には緩慢過ぎる。もっとスピードを速めよう、まっしぐらに。』 5/25 2013年5月1日に公開した萩原朔太郎「小泉八雲の家庭生活」(正字正仮名版)に、小泉八雲の玄孫の方の御協力により、注を追加した。萩原朔太郎の誤りを指摘してあるので、再度、読まれたい。なお、それに際し、私のタイプ・ミスや正字不全も同時に訂した。「あゆこ」さんに御礼申し上げるものである。 『私宛の手紙――宛先が記されていないものこそ――間違いなく、私に宛てられたものだ。』 5/16 ★南方熊楠『山神「ヲコゼ魚」を好むと云ふ事』(「南方隨筆」底本正規表現版・全オリジナル注附・一括縦書ルビ化PDF版・1.85MB・28頁)を「心朽窩旧館」に公開。 『そいつらは偉そうな面をしてお為ごかしの御布施を垂れて満足していたに過ぎなかった』 5/15 ★泉鏡花「高棧敷」(正規表現版・オリジナル注附・PDF縦書版)を「心朽窩旧館」に公開。 『同(おんな)じところに永く住んでると、人も物も、すっかり慎みを亡くして、腐りきって、臭い出す』 5/13 現在、人口に膾炙していない泉鏡花の芥川龍之介の葬儀に於ける弔辞の原形を復元し、PDF縦書版も公開した。また、ブログ・カテゴリ「柳田國男」にて柳田國男「後狩詞記 日向國奈須の山村に於て今も行はるゝ猪狩の故實」のオリジナル注附きを完遂。 『女達のこの不在、女達のこの沈黙、それは決定的だ。友達に又逢うことはできない。奴等が同じことを繰り返すのを聞きながら、奴等の前で僕も同じことを繰り返すなんて、とても出来ない相談だ』 5/11 ★泉鏡花「星あかり」(正規表現・オリジナル注附・PDF縦書版)を満を持して「心朽窩旧館」に公開。 『少女が傍を通る老女を指して「あんじゅはんです。」と言った。私は、その時、私を怨んで、生涯、尼となっている彼女を心に浮かべていたのだった』 5/7 ★泉鏡花「怪談女の輪」を正規表現PDF縦書版で「心朽窩旧館」に公開。 『僕はみんなに気に入られたかったんだが、器用さを欠いていた。尤も、この器用さという奴に僕は同時に嫌悪を感じているがね』 4/29 ★南方熊楠「今昔物語の硏究」(「南方隨筆」底本正規表現版・全オリジナル注附・一括縦書ルビ化PDF版・2.63MB・49頁)を「心朽窩旧館」に公開。 『私はその女の語るのを正面から眺めていた。すると――その眼や鼻や口が――全く別々のものに分離して、奇体な分離した集合体として感知された』 4/12 ★泉鏡花 (遺稿) 正規表現版 オリジナル注附」PDF縦書版及びブログ横書版を公開。 『恐怖なんてものは「癒しうるもの」なんかじゃあ、ない』 4/4 萩原朔太郎の未発表詩篇(正規表現)の草稿を含む全電子化注を完遂。これを以って詩稿ノートを除く彼の全詩篇の電子化注を終った。 『「あの時、彼女と大観覧車に乗っていたなら、世界は或いは全く変わっていたかも知れない。」と、僕は、時々、思うのだった』 2/17 ブログ・カテゴリ「梅園介譜」にて二日に亙っての『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 石决明雌貝(アワビノメガイ)・石决明雄貝(アワビノヲカイ) / クロアワビの個体変異の著しい二個体 或いは メガイアワビとクロアワビ 或いは メガタワビとマダカアワビ』の電子化注を完成。同定比定部分は三度も全面的に書き変えた相応の自信作。 『破壊こそ/だけが、未知の素晴らしい場所に到達出来る唯一の手段なのだ』 2/6 ブログ・カテゴリ「萩原朔太郎Ⅱ」にて萩原朔太郎詩集「定本 靑猫」正規表現版を完遂。これを以って、★萩原朔太郎の再録を除く詩篇の殆んどを正規表現版として電子化注を終えた。 『たった一枚の札を投げ捨てること――それは死と同じだ。浪費家の幻想――それは守銭奴のそれに等しい』 2021年(抜粋) 12/27 本年最後の大物として「心朽窩旧館」に南方熊楠「牛王の名義と烏の俗信」(「南方隨筆」底本正規表現版・全オリジナル注附・一括縦書ルビ化PDF版・3.7MB・89頁)を公開。 『僕はつきあった女の体を思い出すことに飽きたことがない。そいつらの乳房のかたちはいつでもはっきりと思い出せる。全くもってそれしか目に入らなかったから』 10/16 ブログ・カテゴリ「兎園小説」で、曲亭馬琴の涙物(実際に馬琴が泣くシークエンスが出る)の「眞葛の老女」の電子化注を公開。 『私は若い頃よりずっと情熱的だ――そして若い頃よりずっとその情熱から自由である』 7/19 ブログ『「南方隨筆」版 南方熊楠「詛言に就て」 オリジナル注附 (3)』にて、執筆されてから百年以上、誤字そのままに「ママ」表記で残って、注さえもされていない奇体な「罕」の字について、原拠の英文初版に当たることで、「羊」の誤字であることを証明した。 『「馴れますよ!」だって?!?』 6/15 ブログ・カテゴリ『貝原益軒「大和本草」より水族の部』を今度こそ完璧に完遂した。 『意志を伴わぬ愛には何の価値もない』 1/23 ブログで『芥川龍之介が自身のドッペルゲンガーを見たと発言した原拠の座談会記録「芥川龍之介氏の座談」(葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」版)』を公開、また、夜、只野真葛「影の病」の電子化注を公開し、本年最初の会心の電子化注を完遂。 『全く以って僕が未だに死んでいないというのは、ただ、偶然に過ぎないのだ』 2020年(抜粋) 12/31 今年最後の完全電子化注テクストとして「南方隨筆」の「本邦に於ける動物崇拜」のオリジナル電子化注一括縦書ルビ化PDF版(5MB・191頁)を「心朽窩旧館」に公開。 『さよならは――結局――言わず仕舞い』 11/27 四年足らずもの間の懸案であった「新版 片山廣子 芥川龍之介宛書簡(六通+歌稿)」及び同縦書PDF版を遂に「心朽窩旧館」に公開した。今年の電子化テクストの最後の特異点である。 『若くてものを知らないうちは、何だってかんだって恋の哀しみになっちまうんだ……』 11/23 ブログ・カテゴリ「北原白秋」にて「邪宗門」正規表現版完遂、同時に「心朽窩新館」で北原白秋「邪宗門」表現オリジナル注ルビ附PDF縦書一括版も公開。 『一人の女を所有するただ一つの方法――それは彼女を苦しめることである』 11/22 心朽窩旧館の梅崎春生の「桜島 附やぶちゃん注」(PDF縦書版)及び梅崎春生の「幻化 附やぶちゃん注」(PDF縦書版)を孰れも決定版としてリロード。 『僕は一個の人間だ。自分の命をちゃんと操縦していることを証明しよう』 10/2 ブログ・カテゴリ『畔田翠山「水族志」』にて『畔田翠山「水族志」 序・自叙・例言・凡例・著作目録・第一編 有鱗魚類 (一) タヒ (マダイ)』の電子化注を公開。実働三十時間、延べ三日半をこのためだけに費やした。作業上の今年の特異点であった。 『多くの男性(例えばボードレール)に於けるレズビアンへの強迫観念を研究することが肝要だ――そこには欲望と自然とを目の当たりにした男どもの恐怖と感慨がある――そして自然の猛威が自然を苦しめれば苦しめるほど――その時ほど、男の眼に自然が美しく映ずることはないのだ』 9/16 満を持して直江木導の遺稿句集である「水の音」をPDF縦書版で「やぶちゃんの電子テクスト集:俳句篇」に公開。今年の私の特異点。 『死は仮面である――仮面に過ぎない』 9/10 サイトの「心朽窩旧館 やぶちゃんの電子テクスト集:俳句篇」に「丈草發句集」をPDF縦書版で公開。私の愛する丈草―― 『友の僕への行為――それが死に赴こうとする私を後押しするものでないのなら――それらは総て空しい愚行に過ぎぬ』 8/15 近代日本文学研究者の河野龍也先生からの御指摘を受け、三年前の佐藤春夫「女誡扇綺譚」の注の誤りを、ブログ・カテゴリ「佐藤春夫」版(十回分割)及びサイト一括版ともに修正した。 『戦争が長引けば長引くほど……「殉教者」の選び方が底抜けに寛大になるんだ!――「祖国」ってところではな!……』 7/24 心朽窩旧館に★梅崎春生の長編「砂時計」(全29章)の全電子化注一括縦書版をPDFで公開。 『「思想」を使ってお掃除ときたね』 7/22 ブログ・カテゴリ「梅崎春生」にて★長編「砂時計」(全29章)の全電子化注(26回分割)を完遂。 『今の世紀は「法の世紀」であって「教義の世紀」なんかじゃあ――ない』 7/17 ブログ・アクセス1390000突破記念として『芥川龍之介「Karl Schatzmeyer と自分」(未定稿)/「ERNST MÜLERと自分」(未定稿) / ■《参考》葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」所収「Karl Schatzmeyer と自分」後半部 附・藪野直史注』をブログ公開。 『総ての発育成長の究極の形態――それは――死――である』 6/29 ブログ・カテゴリ「北原白秋」にて詩集「おもひで」(初版準拠版)オリジナル電子化注を完遂。 『女が男から――「自我(モワ)」が「超越した自我(ソワ)」から――生ずるはずは――ない』 6/5 ブログ・カテゴリ「石川啄木」にて処女詩集「あこがれ」初版準拠版オリジナル電子化注を完遂。 『ふん、美しい女(ひと)だね――夜(ノワール)のように』 6/1 ブログ・カテゴリ「萩原朔太郎」に於いて萩原朔太郎詩集「氷島」(初版本原拠版 附・初出形)を完遂。 『僕は――僕が信じてもいない仏教で言うところの因果応報=業=カルマの連鎖に巻き込まれることを恐れるんだ――』 4/12 ブログ・カテゴリ『早川孝太郎 「猪・鹿・狸」』でオリジナル電子化注を完遂。 『僕の狂乱は彼女の冷たさへの抗議であった』 4/10-11 芥川龍之介の「白 □旧全集版及び■作品集『三つの寶』版二種」を全面的に厳密に再校閲、加えて作品集『三つの寶』に載る小穴隆一の挿絵を挿入、佐藤春夫の序文と小穴の跋文を恣意的に「作品集『三つの寶』版」の前後に挿入。 『僕の周りに女性がいたことは一度たりともなかった』 3/11 ブログ・カテゴリ「石川啄木」にて遺稿歌文集「悲しき玩具」初版準拠版オリジナル電子化注を完遂。 『三十年掃除人夫をやってて覚えた英語は二つきり。“Ezit”と“Lavatory”だ』 2/26 ブログ・カテゴリ「小泉八雲」に於いてラフカディオ・ハーンの作品集「支那怪談」(第一書房家庭版「小泉八雲全集」第一巻所収)の全電子化注を完遂。 『取るに足らないことを長々と自慢している、あの脆弱で、貧しいインテリども』 2/24 ブログ・カテゴリ「石川啄木」にて歌集「一握の砂」初版準拠版オリジナル電子化注を完遂。 『要は情熱を実践することだけが問題なんだよ! 後のことはどうでもいいことなんだ! 理性とやらに照らし合わせるなら、結果は明白――常に――惨憺たるもんだ!』 2/4 ブログ1320000アクセス突破記念として、ブログ・カテゴリ「小泉八雲」に於いてラフカディオ・ハーンの作品集「支那怪談」(第一書房家庭版「小泉八雲全集」第一巻所収)の「茶樹の縁起」の電子化注を公開。 『行動出来るのは僕だけ――僕だけなんだ――総ては僕次第――お前さんがご存じかどうかは問題じゃない――だって、僕はもう既に世界をひっくり返したからね』 1/15 ブログ・カテゴリ「小泉八雲」に於いてラフカディオ・ハーン(小泉八雲)作品集「東の国から」(第一書房家庭版「小泉八雲全集」第五巻底本。正字正仮名・オリジナル注附き)の全電子化注を終わった。これを以って★小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の来日後の作品集全十二冊総ての電子化注を完遂した。 『もう僕は女を好きになるわけにはいかないんだ。もうじき、旅に出るんだからね』 2019年(抜粋) 12/24 ブログ・カテゴリ「小泉八雲」に於いて小泉八雲の作品集「心」(第一書房家庭版「小泉八雲全集」第五巻所収)の全電子化注を完遂。 『恋人同士の情愛それが何よりも偉大であるためには、その当事者たちが情愛以外の情熱を共有している場合にだけ真である』 12/7 ブログ・カテゴリ「小泉八雲」に於いて小泉八雲の作品集「佛の國の落穗」(第一書房家庭版「小泉八雲全集」第六巻所収)の全電子化注を完遂。 『老人カランタンの言葉――「木々の中に永遠がある如く、人の中にも永遠が――ある――」』 11/23 ブログ・カテゴリ「小泉八雲」に於いて小泉八雲の「ちりめん本」の「日本お伽噺」(第一書房家庭版「小泉八雲全集」第六巻所収の全四篇)の全電子化注を完了。 『過去が歴史を化粧する――今より生き生きと――コケティシュに』 11/22 ブログ・カテゴリ「小泉八雲」に於いて小泉八雲作品集「異國情趣と囘顧」(第一書房家庭版「小泉八雲全集」第六巻底本)の全電子化注を完遂。 『死者というのは、僕らに、ただただ欺くような様相を見せるものなんだ。死は仮面なのさ。死は仮面だということを、僕はよく知っている』 11/7 ブログ・カテゴリ「小泉八雲」に於いて小泉八雲作品集「靈の日本」(第一書房家庭版「小泉八雲全集」第七巻底本)の全電子化注を完遂。 『あらゆる動物は芸術家である』 11/1 ブログ・カテゴリ「小泉八雲」に於いて小泉八雲作品集「影」(第一書房家庭版「小泉八雲全集」第七巻底本)の全電子化注を完遂。 『幕切れで地獄の釜の扉が開く――キリスト教徒の「地獄」に向かって――ところがだ、登場人物はこの地獄を拒否しているんだ――さりながら、だ――その実在を信じてもいるわけさ(うん? この俺もか?)――そうして彼等の地獄は、「もう一つの地獄」というのが、何処にも存在しないという点にこそ、存在するんだぜ?!――キリスト教を否定し、拒否するのは――お笑いだね――とりもなおさず、絶望した「キリスト教徒」(!)に過ぎないってことなんだ』 10/23 ブログ・カテゴリ「小泉八雲」に於いて小泉八雲作品集「日本雜録」(第一書房家庭版「小泉八雲全集」第七巻底本)の全電子化注を完遂。 『後、夜になってからのこと、彼女は自分が「アリス」という名であることをジルに告げた』 10/18 ブログ・カテゴリ「小泉八雲」に於いて小泉八雲「佛教に緣のある動植物」(大谷正信訳)の電子化注を完遂(三分割)。かなり入れ込んだオリジナル注となった。 『都会――それは孤独では――ない。何故なら、都会は孤独を充実させるところの総てのものを消去させているから。都会とは空虚であり、まことの孤独とは充足である。この世に於ける孤独とは――人が、富と空と土地と魂とただ一つの富裕の苛烈さと飢えと渇きとあらん限りの声を張り上げた祈りと――ともに――ある――ことなんだ』 10/8 ブログ・アクセス1270000突破記念としてブログ・カテゴリ「小泉八雲」に於いて小泉八雲作品集「天の河緣起そのほか」(第一書房家庭版「小泉八雲全集」第八巻底本)の全電子化注+底本同巻の田部隆次と大谷正信の「あとがき」を完遂。 『男と女は互いが互いに醜くしがみついている――人間――この何と言う畜生さ加減!』 9/27 ブログ・カテゴリ「小泉八雲」に於いて小泉八雲作品集「怪談」(第一書房家庭版「小泉八雲全集」第八巻底本)の全電子化注を完遂。 『私は老いさらばえ、もう心を豊かに育てることも出来ない――少なくとも誰かを際立って愛することなど、もう出来ない相談だ』 9/15 ブログ・カテゴリ「小泉八雲」に於いて小泉八雲作品集「骨董」(第一書房家庭版「小泉八雲全集」第八巻底本)の全電子化注を完遂。続いて、同じく小泉八雲作品集「怪談」の全電子化注を始動。 『悔恨が一つの神話を現に積み重ねつつあるその暗闇に向って、ジルは凝っと独り、目を凝らしていた』 9/6 ブログ・アクセス1260000突破記念として梅崎春生「偽卵」と、『小泉八雲 おかめのはなし(田部隆次訳)/附・原拠「新撰百物語」巻二「嫉妬にまさる梵字の功力」(オリジナル翻刻・完全版)』をブログ公開。 『何処へ行ったって俺は裏切られっぱなしだったんだ。女にも金にも思想にもな。裏切られっぱなしの恨みっぱなしだったって訳さ』 9/2 ブログ・カテゴリ「小泉八雲」に於いて偏愛する「小泉八雲 蟬 (大谷正信訳) 全四章」のオリジナル電子化注を完遂。 『宇宙はそう容易く自己存在と折り合いをつけて呉れるもんじゃあない。宇宙が予定調和として幸福なる一致を遂げたがっているなんていうのは事実じゃあ、ない。宇宙は分裂し、それを構成する部分は互いに対立し続けてる――宇宙の内の二つのある部分が結合し、調性が整除され、調和するなんてことはない――そのように事象は万事、配列されているのだ――ああっ! 調和よ! お前は、どこに「在る」というのか?!』 8/1 ブログ・カテゴリ『ソヴィエト映画グレゴーリー・チュフライ監督作品「誓いの休暇」論 或いは 待つ母というオマージュ」』を六年と半年余りで完遂。これで私は概ねやりたいことは終わった気がしている。 (ラ・バルビネ医師の「人生はいいものだよ」という台詞に対して)『何にいいって言うんです!』 7/22 ブログにて芥川龍之介「義仲論」藪野直史全注釈/「三 最後」を公開。これを以ってブログ・カテゴリ「芥川龍之介」にて芥川龍之介の「義仲論」(正字正仮名正規表現・オリジナル注釈附)を完遂。 『僕は「マダム・バタフライ」そのものだぜ』 7/9 ブログ・カテゴリ「小泉八雲」に於いて小泉八雲「神國日本」(原題:Japan: An Attempt at Interpretation)戸川明三訳 附やぶちゃん注を三年半(実動二年半)かけて全100回で完遂した。 『書物とは、一つの行為でなくてはならぬ』 7/5 「Blog鬼火~日々の迷走」開設十四周年記念として、芥川龍之介の中学校時代の文章「(私は十八年目の誕生日をむかへました。……)」及び「小說を書き出したのは友人の煽動に負ふ所が多い」をブログ公開。 『私は母が亡くなって以来、生への執着が全く無くなっている』 6/30 ブログ・カテゴリ「伊良子清白」にて全詩篇のオリジナル電子化注を完遂。 『国民とは単一の声ではない。それは合唱だ。独唱者は必ず要る。それが私や私に類する少数の人々だった。私たちは負け、「裏切り者」の宣告を受けた。全く以って異存はない――もしあなた方の「大義」が敗れていたなら、あなた方が「裏切り者」だったのだから――』 6/28 ブログ・カテゴリ「柳田國男」にて柳田國男「山島民譚集」(河童駒引・馬蹄石)原文・訓読・附オリジナル注を完遂。 『僕には自分の内部にも外部にも、何一つ障害になるものがない。何故なら、僕は、現象を食い飽きてしまって本質に餓えており、そうしてその本質の彼岸の語りえぬものをこそ求めているからだ』 6/26 サイト「鬼火」開設十四周年記念として「伊良子清白句集」(縦書版も有り)を「やぶちゃんの電子テクスト集:俳句篇」に公開した。 『僕はあるがままのものが好きだ。それは激しいもので、それ故に僕の心は引き裂かれるのだ。これは永遠なんだ』 5/29 ブログ・カテゴリ「和漢三才図会巻第三十九 鼠類」で卷第四十の末尾の「獣の用」を終え、十二年半かけた「和漢三才図会」動物パート全十八巻のオリジナル電子化注を完遂、感慨無量也。 『都会――それは孤独では――ない。何故なら、都会は孤独を充実させるところの総てのものを消去させているから。都会とは空虚であり、まことの孤独とは充足である。この世に於ける孤独とは――人が、富と空と土地と魂とただ一つの富裕の苛烈さと飢えと渇きとあらん限りの声を張り上げた祈りと――ともに――ある――ことなんだ』 4/11 ブログ・アクセス1210000突破記念として原民喜の二篇「華燭」と「沈丁花」を公開。 『生ける木乃伊の横で目覚めた私は奇体な叫び声を聴いた――それは隣りにある海獣園の膃肭臍の叫び声だった』 3/28 ブログ・カテゴリ「国木田独歩」の詩歌群正規表現版を完遂。 『世の中の言いなりになるのが金輪際厭な人間の成れの果てはこんなもんさ! 若い間は蝶々でクタバる寸前は芋虫って寸法さ!』 3/7 ブログ・アクセス1200000突破記念として原民喜「面影」を公開。 『早朝、彼女は私の下宿屋の近くの電信柱の蔭で私を待っていた――手作りの弁当を持って』 3/6 ブログ・カテゴリ「蒲原有明」にて「有明集(初版・正規表現版)」(附オリジナル注)完遂。 『頭が痛くてたまらないんだ、分析なんぞ糞喰らえ!』 2/11 三日間(実働二十四時間)かけて「和漢三才圖會卷第三十七 畜類 狗(ゑぬ いぬ) (イヌ)」の三万三千字超の電子化注を完遂――亡き三女アリスに捧ぐ―― 『君は奇跡だ。その手で僕というレプラにお触わり!』 2/6 ブログ・アクセス1190000突破記念としてブログ・カテゴリ「和漢三才圖會 禽類」を完遂。 『その時、私の前に座ってしみじみと自分を語っている女の顔の目・鼻・口」・眉が、それぞれに分離して、宙に浮んでいるのを――確かに見た』 1/29 『和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 治鳥(ぢちやう) (実は妖鳥「冶鳥(やちょう)」だ!)』をブログ公開。李時珍の大変な誤字を発見! 『あの頃、この世で持っていられた富といえば――五十サンチームのパスカルの本一冊――ナイフ一丁――時計一つ――二、三枚のハンカチーフだけ……加えて手紙一つ来る訳でもなく……それは一見、ひどくみじめなもんだったが……でも、その時ぐらい、幸福だったことは、ないね』 1/20 ブログ・カテゴリ「萩原朔太郎」にて萩原朔太郎詩集「靑猫」ヴァーチャル正規表現版を完遂。 『率直且つ粗暴な対話を――しよう――』 1/1 著作權延長されし望まぬ迎春 ブログ・カテゴリ「柳田國男」にて『佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版)』を完遂。 『祭りは――終わった』 2018年(抜粋) 12/13 ブログ・カテゴリ「宮澤賢治」にて今年最後の私の大仕事となった宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」ヴァーチャル正規表現版・附全注釈を完遂。 『我々が「過去」の内に探し求めている、あの日々が現われるところの「その時」を待とうじゃないか』 12/11 ブログ・アクセス1170000突破記念として原民喜「手紙」をブログ公開。 『僕はその場を支配しているらしいマナーみたいなものにはまるで合わせられないんだが、かといってそこで我を通してグラスを粉々に叩き割るなんていうポーズをして見せられるわけでもないんだ』 11/4 ブログ・カテゴリ「怪奇談集」にて山岡元隣「古今百物語評判」(全五巻)の全電子化注を完遂。夕刻、ブログ・カテゴリ「萩原朔太郎」にて萩原朔太郎詩集「月に吠える」ヴァーチャル正規表現版を完遂。 『つまり、あなたは本当に、あの世を信じている、というわけだ』 10/22 ブログ・アクセス1150000突破記念として《芥川龍之介未電子化掌品抄》 「對米問題」・「梅花」・「菊」の三篇をブログ公開。 『国家ってものは「権利」でケリがつくのさ、「最高の権利」、「下劣な権利」、「総てに対する権利」、「嫉妬の権利」、「餓えの権利」、「ひられた屁の権利」』 8/28 昨日に続く形で、ブログ・アクセス1130000突破記念として芥川龍之介の第一高等学校時代の作文「ロレンゾオの戀物語」及び第三中学時代と推定される作文「寒夜」をブログ公開。 『思春期の頃、僕は僕の若さに忠実であろうと心に決めていたんだ。だから、ある日のこと、僕はその誓約を実行に移そうとしたんだ』 8/27 ブログ・アクセス1130000突破記念として芥川龍之介の第一高等学校時代の作文「菩提樹」をブログ公開。 『烈しい悲鳴を表わす事の出来る言葉は――ない。それにそれを表現し得る挙止動作も――ない。人というもの自身の空恐ろしい虚無感を表現することが出来るだろうか?――出来っこ――ない。』 7/31 ブログ・カテゴリ『「進化論講話」丘淺次郎』(附[やぶちゃん注)を完遂。二年五ヶ月かかった。感慨無量。 『その男の女の履歴書は惨憺たる業火に爛れた黙示録そのものだった』 7/5 ブログ「鬼火~日々の迷走」十三周年記念として、ブログ・カテゴリ「柴田宵曲」にて柴田宵曲「子規居士(「評伝 正岡子規」原題)」のブログでの全オリジナル電子化オリジナル注を完遂。 『哲学するというのはやはり単に別の怖がり方をするというだけのことだ。それで気が済むという輩はもともと逃げ腰だった屁理屈たらたら野郎ばっかりさ』 6/26 「心朽窩旧館」に本サイト「鬼火」開設十三周年記念として「槍ヶ岳紀行 芥川龍之介」(芥川龍之介満十七歳の明治四二(一九〇九)年八月の槍ヶ岳山行記録)を公開。 『なんてったってな、世の中これ、みんな、芝居だらけなんだから、こちとらも、芝居をしなきゃなんねえのさ』 6/21 ブログ・カテゴリ「北條九代記」に於いて同作全12巻全篇の電子化注を5年半余りかかって完遂! 感慨無量也! 『我々は「痴識」に呑まれ、そうして溺れてしまうものさ』 4/27 心朽窩旧館に栗本丹洲(「栗氏千蟲譜」巻六より)『文化十二年乙亥 冬十月 豊前國小倉中津口村と荻﨑村の際小流に生ぜる奇蟲「豐年蟲」』を公開。久々のサイト版ページの本格的増設。 『若くてものを知らないうちは、何だってかんだって恋の哀しみになっちまうんだ……』 4/17 ブログ・カテゴリ「柳田國男」にて単行本「一目小僧その他」の正規表現全電子化注を完遂。二年二ヶ月かかった。 『豚みたいに卑猥で不平たらたらの神』 4/8 ブログ・カテゴリ「栗本丹洲」にて自筆本「翻車考」のオリジナル電子化注を完遂。私の今年最初の力作と自負するものである。 『老人はジルに言う。「間違ってる、お前は。オイディプスを無意識な人間だと思っているな――一人の男を殺し、その未亡人であり自分の母である女と寝る――それは、急激であろうが緩慢であろうが――それはな――ある種の燐光を放つような――もの凄いことなのだ――」』 2/17 ブログ・カテゴリ「芥川龍之介 手帳」で「手帳補遺」の電子化注を終わった。以上で2014年3月7日より足掛け4年かかった仕儀を完遂した。 『自分らしい生き方をしないわけにはいかないさ、しみったれてなんかいられないからね』 2/11 ブログ・カテゴリ「北條九代記」に於いて「卷第十一」の電子化注を完遂。残すは最終巻のみ。遂に鎌倉幕府滅亡のカウント・ダウンが始まる。なお、☆労多くして、讃辞のない本「北條九代記」サイト版ほか、「耳囊」・「生物學講話」(後者二本はブログ版は完成済み)のサイト版は既公開分は残すが、以降の版は作成をしないことに決した。悪しからず。☆ 『パスカルの謂いは正しかったのさ。――宗教の精髄が我々の胸(うち)に降りてくるためには、宗教の「身振り」をしなけりゃ、ならないんだ』 1/21 ブログ・カテゴリ「芥川龍之介」にて、芥川龍之介畏友井川恭著「翡翠記」(芥川龍之介「日記より」含む)の全電子化注を完遂。それを記念して、芥川龍之介『日記より(一)(二)(三)=(「松江印象記」初出形)』に草稿二種を追加。 『「愛」という言葉――それは一生のうちに三度か四度だけたち現われくるだけで充分なはずなのに――それは――ひっきりになしに人の口の端(は)にのぼってるじゃないか』 1/2 本年のパブリック・ドメイン記念テクスト第二弾として「心朽窩旧館」に芥川龍之介の畏友恒藤恭の手になる「友人芥川の追憶」を公開。 『俺んとこは、大真面目なんだ、はっきりしてる! 「謎」は、なし、さ』 2018/1/1 迎春 今年最初の、私が満を持して作成した元日パブリック・ドメイン記念テクストとして「心朽窩旧館」に「ウルトラQ バルンガ(虎見邦男脚本 ベタ・テクスト・データ)」HTML横書版及び同PDF縦書版・「ウルトラQ バルンガ 虎見邦男 附 放映版校合によるやぶちゃん注」HTML横書版及び同PDF縦書版の二篇四種を公開。 『恐らくヒトは他の力と同じように、奇蹟を起こし奇蹟を受け取る力も失ってしまっているんだ。ヒトはこの力を他の遙かに劣った力と取り替えっこしちまったんだ』 2017年(抜粋) 2017/12/31 ブログにて今年最後の私の電子テクスト「《芥川龍之介未電子化掌品抄》(ブログ版) 明治四一(一九〇八)年東京府立第三中学校第四学年夏季休暇中の七月二十一日から八月三十一日までの芥川龍之介満十六歳の日誌」を公開。 『しかし一匹の蠅じゃ六頭のがっしりした馬を殺すことなんか出来やしない』 12/13 ブログ・カテゴリ『夢野久作』に於いて二年半余りかかったが、完全オリジナルの電子化注「夢野久作日記内詩歌集成」を完遂。 『君らの話はどれもこれもスパイの話さ』 12/10 ブログ・カテゴリ「原民喜」にて、ジョナサン・スイフト原作 原民喜譯 「ガリヴァー旅行記」(やぶちゃん自筆原稿復元版)の「あとがき」を以って、全電子化注を完遂。 『思春期の頃、僕は僕の若さに忠実であろうと心に決めていたんだ。だから、ある日のこと、僕はその誓約を実行に移そうとしたんだ』 11/16 ブログ・カテゴリ「江戸川乱歩 孤島の鬼」(全電子化オリジナル注附)を完遂。 『あちらこちらで人々は恐怖と共犯関係にあって、ある悪臭を放っている。僕は立派に、これ見よがしに死ぬ必要がある。それでこそ復讐と言える』 11/6 ブログ・カテゴリ「柴田宵曲」に於いて「妖異博物館」及び「續妖異博物館」の全電子化オリジナル注を完遂。 『そうじゃない。ただね、女というのは新しい愛人が出来るたんびに、他の男どもへの激烈な威力を美事に更新する、と言いたいだけのことだ』 10/31 ブログ・カテゴリ「 Иван Сергеевич Тургенев」にてトゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(改訳)の電子化注を完遂 。 『遠くから見ていると君は蜃気楼――だけど、近くで見れば、ただの一匹の小鼠――だから僕は馬鹿馬鹿しい恐怖心にかられ、テーブルの上に這い上がりたくなる――もう、いいよ――さっさと、帰れ』 10/29 教え子の考察を受けて、恐らくは芥川龍之介の研究者の誰も気づいていない真相を、ブログに『芥川龍之介が中国旅行で「黄鶴楼」として登ったのは「黄鶴楼」ではなく「奥略楼」である』として公開、合わせてサイト内の芥川龍之介「雜信一束」の注に同様の追記を施した。また、今日、ブログ・カテゴリ「和漢三才圖會 蟲類」を一年半で完結させた! 『ありとあらゆるイデオロギーという奴はみな、恐怖心から生まれたものだと、君は疑ってみたことはないかね?』 10/26 私の愛する三女アリスは 今日 天国に召されました――ブログ記事 10/23 心朽窩旧館の「佐藤春夫」に「女誡扇綺譚」本文版を公開――三女アリスのために――。 『絶望した神』 9/16 ブログ1000000アクセス突破記念としてブログ・カテゴリ『火野葦平「河童曼荼羅」』を取り敢えず(敘・目録を除いた本文・後書)完遂。 『自殺とは太古から行われ、そうして、永遠に行われるであろう復讐の行為である。それは戦いに敗れた者が、傷口から迸り出た血を勝った者に向けて浴びせかけ、それによってそいつの品性を貶めんとする行為である』 9/14 ブログ・カテゴリ「怪奇談集」で「北越奇談」の全電子化注を完遂。 『常に自我から非自我へと道を歩む者にあっては、「糧」となる対象が恐ろしく純粋な者へと変化してゆくのである』 9/12 ブログ・カテゴリ「鎌倉紀行・地誌」で「新編相模國風土記稿卷之九十八」の電子化注を完遂。 『総てが成就されていた……そうして……何一つとして成就されていなかった』 8/24 ★2017年8月18日発行の岩波文庫・山田俊治編「芥川竜之介紀行文集」の解説の末尾、参考先行文献の最後に、『藪野直史「Blog鬼火~日々の迷走」』と記載された。詳しくは、ブログの「岩波文庫ニ我ガ名ト此ノぶろぐノ名ノ記サレシ語(コト)」を参照されたい。凡愚の私の仕儀を認めて下さった山田先生に心から謝意を表するものである。 『旅ってもんは役には立つ。想像力を働かす。その他は総て幻滅の草臥れ儲け』 8/1 ブログ・カテゴリ「怪奇談集」にて荻田安靜編著「宿直草(御伽物語)〔大洲本全篇〕」附やぶちゃん注を完遂。 『女神たちは一体どうやって人間の女になるんだ?』――唯一の女神ジャンヌ・モローの私の思い出に―― 7/7 私の偏愛する小泉八雲「茶碗の中」の原典及び八雲の“In a Cup of Tea”原文+田部隆次譯を『柴田宵曲 續妖異博物館 「茶碗の中」』の注で電子化。 『僕は世界だろうが魂だろうが――無から――創造されたなんどというキリスト者の考え方とは、自分は無縁だということを常に感じていた』 6/26 サイト「鬼火」開設十一周年記念として心朽窩旧館の「佐藤春夫」に[未定稿『病める 『孤独とは既にして、世界に対し、僕らが――はぐれてゆく――斜面――なんだ』 6/19 ブログ・カテゴリ「怪奇談集」にて「想山著聞奇集」の序・目録・跋を含む全電子化注を完遂。本当に僕は終わりたくなかったのだ。 『「平穏」なんてものは、凡庸な輩、群衆の中に埋没しちまう連中のものに過ぎない』 5/30 ブログ・カテゴリ「南方熊楠」にて「履歴書」電子化注終了。 『金の翼を持ったブタ野郎』 5/8 ブログ・カテゴリ「佐藤春夫」にて「未定稿『病める薔薇(さうび) 或は「田園の憂鬱」』」(天佑社初版版)の電子化注を完遂。 『孤独の中では、他の如何なる手だてのよるよりも遙かに人生を享受することが出来る。外にどうしたら、切実に――一本の花を――一本の木を――動物を――彼方を過ぎて行く男たちを――そして女たちを、味わい尽くすことが出来るというんだ?』 5/6 ブログ・カテゴリ「山村暮鳥全詩」にて、改版「風は草木にささやいた」異同検証を完遂、以上を以って「山村暮鳥全詩」を私なりの完遂とする。――この仕儀総てを亡き母聖子テレジアに捧げる―― 『炎(ほのお)には生命(いのち)が、ない』 4/4 ブログ・カテゴリ「山村暮鳥全詩」にて詩群「月夜の牡丹」の電子化注を完遂、山村暮鳥の全詩の電子化注を終わった――母聖テレジア聖子の七回忌に捧ぐ―― 『……永遠が瞬間の中に入り込む……』 3/15 母七回忌を前に、またブログ920000アクセス突破記念として、ブログ・カテゴリ「山村暮鳥全詩」(編年版・正字正仮名)を始動。 『お馴染みの「平和」って奴が、もう、戦争の中で種蒔きを始めていやがったんだ』 2/22 ブログ・カテゴリ「芥川龍之介盟友 小穴隆一」にて小穴隆一「鯨のお詣り」(附やぶちゃん注)を完遂。 『現代とは、とてつもなく大きな「烏合の衆」に、「使命感」とやらを、たきつけてくるもんなんだぜ』 2/15 完全還暦記念として田中純の芥川龍之介を扱った実名小説「二本のステッキ」(附 佐藤泰治・画)をブログ版及びHTML版で公開。 『――アフリカだ!……そうだ!……遠けりゃ、遠いほど――いい!』 2/2 ブログ・カテゴリ「芥川龍之介盟友 小穴隆一」にて小穴隆一「二つの繪」(附やぶちゃん注)を完遂。 『生贄! この俺が……それだったんだ!』 1/24 ブログ・カテゴリ「芥川龍之介盟友 小穴隆一」にて『小穴隆一「二つの繪」(44) 「河郎之舍」(3) 「河童の宿」』を公開、そこに現われる「提燈のやうな鬼灯岸に生へ」を芥川龍之介の自筆自作の★新発見句と断定。 『知性的自惚れなんてものは存在しない。そいつは本能だ』 2017/1/8 『中島敦「山月記」授業ノート 藪野直史』に李徴が作中で詠ずる即興詩の★教え子に拠る中国語読み音声データ★(ダウンロード形式 9.78MB)を追加。 『ソランジュは僕を求めてはいない。ソランジュは僕を愛してはいない。ソランジュは、今、ドロティに代わって答えた。これですっかり終わったのだ』 2016年(抜粋) 2016/12/27 ブログ・カテゴリ『村山槐多』にて「やぶちゃん版村山槐多短歌集成」を完成、また、梅崎春生「炎天」及び「モデル」をブログ・カテゴリ「梅崎春生」にて公開。 『一番いい方法は、どうよ、この世界からさっさと逃げ出すことじゃねえか? キチガイだろうと、なかろうと。腰抜けだろうと、なかろうと』 12/14 ブログ・カテゴリ「芥川龍之介」にて「アリス物語 ルウヰス・カロル作 菊池寛・芥川龍之介共譯」電子化を完遂。 『私は赴くべき場所を示しながら、いつもよりは気品のある裸体をしている』 12/7 ブログ・カテゴリ「怪奇談集」にて「谷の響」の全電子化注を完遂。 『あいつらは剣のない糞人間どもだ』 11/16 ブログ・カテゴリ「甲子夜話」にて「卷之二」の正字電子化注を完遂、また、サイト版の尾形龜之助第二詩集「雨になる朝」〈恣意的正字化版(附 初出稿・第二次稿復元)〉及び尾形龜之助第三詩集「障子のある家」〈恣意的正字化版(附 初出稿復元)〉を「心朽窩新館」に公開。 『僕の狂乱は彼女の冷たさへの抗議であった』 11/15 ブログ・カテゴリ「尾形龜之助」にて第三詩集「障子のある家」恣意的正字化版(一部初出稿等復元)を完了。 『少し前から僕は内面のロマン主義が大嫌いになっていた』 11/14 ブログ・カテゴリ「尾形龜之助」にて第二詩集「雨になる朝」恣意的正字化版(一部初出稿・第二次稿復元)を完了、続いて第三詩集「障子のある家」恣意的正字化版(一部初出稿等復元)始動。 『未だに僕は走っている。――いや――寧ろ、もう走っていないのか?……』 11/10 ブログ・カテゴリ「芥川龍之介」にて佐野花子「芥川龍之介の思い出」の全電子化注を完遂。今年の電子化注の特異点と自負する。 『彼女を前にして僕が途方に暮れた理由は、何を隠そう、まさに彼女に魂があるからだった』 10/6 ブログ・カテゴリ「怪奇談集」にて「佐渡怪談藻鹽草」の全電子化注を完遂。 『行動を使命とする者どもの預言者の如き沈黙には、僕も敬意を表しよう』 9/18 『黃粱夢 芥川龍之介 附 やぶちゃん注 附 原典 沈既濟「枕中記」全評釈 /附 同原典沈既濟「枕中記」やぶちゃん翻案「枕の中」他』をブログ版及びサイト版の二本で公開。 『君は今までにあの気違いの老婆――自由思想という――に逢ったことがあるんだね?』 7/16 ブログ840000アクセス突破記念として火野葦平「羅生門」及び、ウヰリヤム・ジエイコツブス作・菊池寛譯「猿の手」(後者は私の偏愛する怪談)の二電子テクストをブログ掲載。 『僕は思ったもんだ――僕のあのアメリカ人の友は、平和な時代の言語では、あんな風にしか僕の運命を預言出来なかったんだなってね』 7/6 ブログ創設11年記念としてブログ・カテゴリ「梅崎春生」でエッセイ集の電子化を起動する。まず「仰げば尊し」。 『甘受するだけじゃ、不十分だ――待っているだけじゃ、いい加減だ――僕はね、先手を取ることに、したのさ』 6/26 サイト「鬼火」開設11周年記念として、『芥川龍之介「奉教人の死」(自筆原稿復元版)』と別立ての『芥川龍之介「奉教人の死」自筆原稿やぶちゃん注 附・岩波旧全集版との比較』を公開。 『歴史の悪戯!……死滅したいろいろな言語の中にあって、私だけは「解読」される機会もあろうってもの』 5/4 先延ばしにしていたサイト(ホームページ)移行を本日、実行した。本トップ・ページやテクスト総目次のある「心朽窩新館」「心朽旧館」などのサイト内リンクのURLの変更はほぼ完全に行ったが、ブログ過去記事のリンク修正は、現在の無料契約コースでは気づいたものを各個的に修正する以外は不可能である。旧ブログ記事でリンクをクリックして「ページ移転のお知らせ」が出た場合には、戻ってリンク部分で右クリックしてアドレスをコピーして戴き、その頭の「http://homepage2.nifty.com/onibi」の部分を「http://yab.o.oo7.jp」に変えて戴くと、表示出来るはずである。不便をお掛けするが、悪しからず。 『僕は思想の中でしか闘うことの情熱を感じない。個々の人を嫌いになることは、まずもってないし、稀にあっても長続きはしない。僕には血縁者や仲間もいない。だから、どんな奴だろうと知ってる顔を見るのは快よいもんさ。まずは、共感――そして、理解――そうして、好奇心……そう、随分、後になってから、気づくんだよ、何だこいつは、下心も見え透いた如何にも愚劣な奴じゃないか、っていう悔いにね……いや、そういう風に気づくように自分を仕向けるのさ』 4/15 ブログ・カテゴリ「原民喜」にて、渾身の電子化、原民喜「永遠のみどり」(原稿復元版)及び『原民喜自筆原稿「永遠のみどり」と現行通行の「永遠のみどり」の異同その他についての注 藪野直史』を公開。 『息吹と生気と、詩と祈りと――そのただ中に生きながら――騒がず死に備える。もう演説も、批評も、説得も「なし」だ。ピュアな情熱としての思索……だめだ――遅過ぎる――恐らくは手遅れ――』 3/21 ブログにて満を持して江戸川乱歩「蟲」(全・正字正仮名横書版・附やぶちゃんマニアック注)及び 『ああっ! お願いだ! 貴女の声は大好きだ――だけれど――今は黙っていて呉れ!』 3/19 ――母聖子テレジア五周忌の母の御霊に――ツルゲーネフの「猟人日記」より、正字正仮名で米川正夫譯「生きた御遺骸」の PDF縦書版を「心朽窩新館」に、同ブログ横書一括版を公開。午後、ブログ・カテゴリ「甲子夜話」にて「卷之一」を終わり、「卷之二」に入る。夜、原民喜「小さな庭」をブログに公開。 『芸術家とは如何に内に籠っていたとしても無意識のうちに客観的な見方をするものである』 3/3 ブログ・カテゴリ『「生物學講話」丘淺次郎』にて3年8ヶ月かかって全電子化注を完結! 『神々は人間の生み出したひ弱な子供である。 私は圧殺するであろう、その神々を。 (ボニフェス・サン=ボニフェンスの詩篇より)』 2/24 ブログ・カテゴリ「博物学」にて『「いとめ」の生活と月齢との関係――附・「いとめ」精虫及び卵、并びに人類の精虫電気実験に就きて――新田清三郎 附やぶちゃん注』を完遂。 『僕はただ見せかけの行為に身を任せているだけである』 2/13 ブログ・カテゴリ「柳田國男」にて「蝸牛考」初版の附録として、改訂版の柳田國男「蝸牛考」昭和一八(一九四三)年創元社版「改訂版の序」及び同巻末の「蝸牛異名分布表」をブログに公開、これを以って昨年の二月に始動した柳田國男「蝸牛考」初版電子化プロジェクトを終了。同様に、ブログ・カテゴリ「日本その日その日 E.S.モース 石川欣一訳」に石川千代松の邦訳本の「序――モース先生」 及び底本東洋文庫版「凡例」を引用、2年8ヶ月に及んだこちらのプロジェクトも終了。感慨無量也。 『私は、自分が存在していないと感じる瞬間にのみ「生」を感じる。私が生き続けていくためには、「自分が存在していないこと」を信じていくしかないのだ。』 1/24 昨年末の村山槐多の「深夜の耳」に続き、「どうぞ裸になって下さい 村山槐多 (自筆草稿断片より やぶちゃん完全復元版)」を公開、またまた驚愕の伏字復元と現行テクストの誤りを発見! また、ブログ・カテゴリ「小泉八雲」にて戸川明三訳「神國日本」の第三章「古代の祭祀」を公開。 『僕は一つのことだけは判っている。それは、どんなに僕の中で死への願望が強かったとはいっても、僕はある一つの悔い、ただ一つきりの悔恨とだけはこれ、戦わなければならなかったということだ。しかし、生きたいという本能のその総体が、その悔恨の中に変容して現われていなかったなどとは一体、、誰が言えるというんだ?! 僕はまだ死ぬには十全に成熟し切ってはいない、事実、自分は未だ十全には解脱し切ってなんぞいやしない、僕の思想は、これ、解放への道には、未だ以って、十全に踏み込んでなんかいやしない、と僕は呟くばかりだったのだ』 1/9 ブログにて『梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注』を完遂、最後に私の小攷を附す。 『孤独とは自殺への道程、少なくとも死への道程である』 1/6 ブログにて『梅崎春生「桜島」附やぶちゃん注』を完遂、最後に私の小攷を附す。 『僕は何時だって、孤独に対する嗜好とそれを求める気持ちを実に豊かに持っていたじゃないか』 2016/1/1 謹賀新年 本日、0:01より01:10までの間に梅崎春生の以下のテクストを公開した。 「猫の話」(「心朽窩旧館」配置のPDF縦書版はこちら)及びその私の高校教師時代の授業案の完全版(「心朽窩旧館」配置のPDF縦書版はこちら)、 また、それを含む「輪唱」の他の二篇「いなびかり」及び「午砲」(無論、やぶちゃん注附き。なお、「輪唱」全篇「心朽窩旧館」配置のPDF縦書版はこちら)と、 『梅崎春生「桜島」附やぶちゃん注』の(1)~(3)〈同時にブログ・カテゴリ『「梅崎春生「桜島」附やぶちゃん注」』を始動。前のリンクはそれ〉並びに、 『梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注』の第一章に当たる「同行者」(全)〈同時にブログ・カテゴリ『「梅崎春生「桜島」附やぶちゃん注」』を始動。前のリンクはそれ〉、 「やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」=「心朽窩旧館」にも梅崎春生を新設。 『僕は少年時代、時に――死んでいる人間――の真似をすることを好んだ』 2015年(抜粋) 2015/12/23 ブログ・カテゴリ「小泉八雲」にて落合貞三郎他訳「知られぬ日本の面影」の最終章「第二十七章 サヤウナラ」を完遂、これを以って Lafcadio Hearn の“Glimpses of Unfamiliar Japan”、落合貞三郎他訳「知られぬ日本の面影」の本文は、その全篇を終わった。 『僕は五十になる前には死なねばならないとずっと考えていたんだ』 11/23 ブログ740000+750000アクセス突破記念としてブログ・カテゴリ「橋本多佳子」に於いて「橋本多佳子全句集 附やぶちゃん注」完結。ブログ・カテゴリ「小泉八雲」にて落合貞三郎他訳「知られぬ日本の面影」の「第二十章 二つの珍しい祭日」を完遂、「第二十一章 日本海に沿うて」に入る。 『若造の頃、僕は友情は恋愛を超えるものだと信じていた。持続するものこそが友情だと信じていたから』 10/1 ブログ・カテゴリ「鎌倉紀行・地誌」にて『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江の島名所圖會」を完結。2013年7月に、後に刊行された『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」を始めてから全電子化オリジナル附注に実に2年余りかかった。また、夜、ブログ・カテゴリ「橋本多佳子」に於いて多佳子の遺構句集「命終」を公開し終り、「命終」と生前の全定稿句集の電子化注を完遂。 『さあ、イタリアに行こうぜ』 8/15 8日夜、転倒、後頭部を強打した結果、外傷性クモ膜下出血のため聖路加国際病院に緊急搬送されて緊急入院、安静三日、一週間後の本日夕刻、脳前頭葉の一部挫滅によって嗅覚を喪失したが(二〇二二年追記:後年、二〇二〇年辺りから、右鼻腔は七、八割方、復活した)、自宅へは取り敢えず無事帰還。お騒がせ申し上げた。各方面の方に御迷惑をおかけしたことを心よりお詫び申し上げる。 『何と! 見栄えの悪いことだ! この上、病院だってっえか?! 沢山だ!! 言わずと知れたことさ!!!』 8/5 ブログ・カテゴリ「小泉八雲」にて初考証「教え子の情報から再考証!――小泉八雲が来日最初に訪れた寺は横浜市神奈川区高島台にある旧アメリカ領事館が置かれた本覚寺ではなかったか?!」を公開。 『金は手の届くところにある――しかし――何で金が必要なんだ? そうさ、分かってる。喰らい、呑み、体を洗い、動き回り、立ち止まるために――就中――女どものためにだ』 8/3 ブログ・カテゴリ「小泉八雲」にて初考証『落合貞三郎訳「知られぬ日本の面影」第一章 私の極東に於ける第一日(六) ――ハーンが最初に行った寺を推定同定する――』を、また、「雨ふり 村山槐多 (決定版) ――国立国会図書館の差替画像によってまたしても彌生書房版全集の誤りを発見――」をブログで公開。 『何をしたいかだって?! ありとあらゆるレッテルを裏切るような何かさ!』 7/23 ブログにて初電子化と思われる「三重県立美術館蔵 村山槐多 新発見詩篇 紫の天の戰慄」の注附き電子テクストを公開。 『彼女は僕の看護婦だったのさ。退屈な女さ――ベッドの中以外ではね』 7/21 ブログにて「死の遊び 村山槐多 /附 やぶちゃん版――定本 村山槐多第二の遺書―― 今まで我々が読んでいた彼の遺書は正確ではなかった ――」を公開、ブログ・カテゴリ『村山槐多』に於いて現在知られる村山槐多の詩篇の殆んどの電子化注を終了。 『帰るぜ! お前らにはウンザリだ!』 7/6 ブログ「鬼火~日々の迷走」開設10周年記念としてブログ・カテゴリ『夢野久作』に於いて夢野久作「氷の涯」電子化注を完遂、同時に「心朽窩旧館」にPDF縦書版(全挿絵・オリジナルやぶちゃん注附)を公開。 『発作的には獣染みていても――しばしば私は所有されつつも、所有を夢見ているナルシスだった』 6/26 サイト「鬼火」開設十周年記念「尾形龜之助詩抄Ⅰ(中国語訳)」(訳注/心朽窩主人・矢口七十七 写真/矢口七十七(PDF横書版・11MB)を「心朽窩新館」に公開。 『夜でない夜、星のない夜、神々のいない夜、一度も陽を廻らさずに、陽を夢にさえ見たこともない、そもそも太陽を生成したこともない夜、不動にして沈黙の、無垢の夜、一度として夜であったこともなく、未来永劫、夜でない夜、私はそこに戻りたいのだ。アーメン』 6/7 ブログに博物学古記録翻刻訳注第16弾『滝澤馬琴「燕石雑志」及び「烹雑の記」に現われたる佐渡の異魚三十種に就いての記載』を公開。 『人間は様々な考えより一つの態度に忠実なものである』 6/1 ブログに渾身の――人魚の憂鬱――毛利梅園の「梅園魚譜」の「人魚」を公開。 『多くの女を手に入れ、望むなら総てを我がものに出来たはずの僕――但し、少しでも障害が見えたり、何より無駄に時間がかかると分かった時にはさっさと諦めた。だから実際に手を出した女は僅かしかいない――愛した女について言うなら、僕は愛したとたんに被害妄想の虜となった――恋のその始めっから、実は、僕は愛されてなんかいないんだ――この女に欺されてるんだ――この女にとっちゃ僕なんか取るに足らない気紛れの腰掛け程度のものでしかないんだ――と考えていた。嫉妬だってそんな被害妄想の産物だったのかも知れない』 5/4 二日半かかって完成させたコダワリの「本朝食鑑」の「烏賊魚」原文電子化訳注附をブログ公開、それに合わせて博物学古記録翻刻訳注第15弾として『栗本丹洲筆自筆本「蛸水月烏賊類図巻」に現われたる「舩頭烏賊 タチイカ」の図』も公開して花を添えた。夜、ブログ・カテゴリ「堀辰雄」にて「十月」正字正仮名版 附やぶちゃん注を完遂。 『疲労は、至高に蠱惑的なしかめっ面を創って呉れるものさ』 4/23 ブログ・カテゴリ「耳嚢」にて志賀理斎「耳嚢副言」附やぶちゃん訳注を完遂、これを以って「耳嚢」マイ・ブーム――延べ5年と213日――取り敢えず、大団円也! 午後、ブログに博物学古記録翻刻訳注第14弾『「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海月の記載』を公開。 『害虫は産みつけられ、物蔭のぬくぬくしたとこで培養され、そうして、きゃつは蔓延る、これは幸せってもんだ』 4/20 ブログに博物学古記録翻刻訳注第13弾『「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる老海鼠(ほや)の記載』を公開。 『「僕という存在」を――「僕の話」と――いっしょくたにしないで呉れ給え!』 4/19 ブログに博物学古記録翻刻訳注第12弾『「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海鼠の記載』を公開。 『……髄の髄まで満足したいと思うなら――君は君の衣装戸棚をいじくり回すのをやめたがいい』 4/16 ブログに博物学古記録翻刻訳注第11弾『 「尾張名所図会 附録巻四」に現われたる海鼠腸(このわた)の記載』を公開。 『私が女体に次いで愛したもの――樹木――そして建物――建築は音楽の代わりだ』 4/7 五年半かけた「耳嚢」全十巻1000話の原文電子化附オリジナル訳注をブログ・カテゴリ「耳嚢」で完遂! 感慨無量! 『私が最初に性的不能に陥ったのは処女が相手だった――処女と性交不能――私は貞節な女であればあるほど、そのあの時の、インポテンツに陥った処女とのことに怯えた――しかもその女が夫や愛人との間で性行為を行うことで「穢されたのだ」と考えただけで胸糞が悪くなった――そうして――そうして私は完璧な穢れ故に心休まる娼婦を買って、そこに逃げ帰ったのだった』 3/19 母聖子テレジア4周忌――4年目にして初めて多磨霊園の母と僕と連れ合いの墓――慶應義塾大学医学部納骨堂――に墓参りした―― 2/18 ツイッターのFeldlein氏のドイツ語訳の御協力を受けて『「いとめ」の生活と月齢との関係――附・「いとめ」精虫及び卵、并びに人類の精虫電気実験に就きて―― 新田清三郎 (Ⅶ)』をブログ公開。午後、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、8年9ヶ月で660000アクセスを突破した記念に火野葦平「あひびき」をブログで公開。 『宇宙の二つの部分が結合し、同調し、調和することが「ないように」事象というものは配列あるのだ――ああっ、調和よ! お前はどこに「ある」という言うのか?』 1/24 ブログ記事「日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十七章 南方の旅 モースが発掘したのは「当尾貝塚」ではなく「大野貝塚」であった!」を公開。 『老人はジルに言う。「罪は避けようのない体験なのだ――罪とはオイディプスの物語だ――」』 1/19 ブログ記事「日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十七章 南方の旅 貝塚発掘 ――切に考古学者の見解を乞う! モースが発掘したのは「当尾貝塚」だったのか? それとも「大野貝塚」だったのか?――」にて疑義生ず。識者の御教授を乞う。 『老人はジルに言う。「キリスト教?――そいつはありとある宗教の寄せ集めさ!』 1/9 ブログ・アクセス650000突破記念として「心朽窩旧館」に佐藤春夫「魔のもの Folk Tale」(PDF縦書版)と堀辰雄「淨瑠璃寺の春」(正字正仮名PDF縦書版)(後者は私の偏愛する小品)を公開。 『老人はジルに言う。「お前――罪というものは観念ではないのだ――宗教には観念はない――体験的事実があるだけだ――」』 1/5 ブログで公開した『やぶちゃん版「澄江堂遺珠」関係原資料集成Ⅵ ■4 推定「第二號册子」(Ⅲ) 頁3』の中に、今度は佐藤春夫による「澄江堂遺珠」に於ける捏造の痕跡を発見。夕刻、ブログ・カテゴリ「佐藤春夫」を始動。まずは「車塵集」から。 『哀願は無為よりマシだ。真の哀願には想像を絶するパワーが潜んでいると言えないか?』 1/4 ブログで公開した『やぶちゃん版「澄江堂遺珠」関係原資料集成Ⅴ ■4 推定「第三號册子」(Ⅰ) 頁1~2』の中に、遂に堀辰雄による旧岩波版全集「未定詩稿」内の全抹消詩の恣意的復元という捏造の痕跡を発見。 『みんなは、あまりにも嘘が好きなんだ』 2015/1/1 謹賀新年 芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠」PDF縦書版及び同「澄江堂遺珠」HTML縦横書版を「心朽窩新館」に公開、ブログ・カテゴリ芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯『「澄江堂遺珠」という夢魔』でも「澄江堂遺珠」全テクストと画像を同時公開。 『――レジスタンス――老いさらばえた民主主義の信望者――そして共産主義者……「少数派」はこんなにいる……私はこうした少数派の知識人であったことを誇りに思う。いつか人々は興味ありげに、この少数派の我々の前に屈みこんで、互いに通ずる音と、そして異なった音を聴くことであろう。そしてその微かな音が必ずや増幅されるのだ』 2014年(抜粋) 12/30 ブログ・カテゴリ「橋本多佳子」にて生前の四冊の句集総ての電子化注を終了。 『現代人は恐ろしく頽廃的なんだ。戦争する力さえ失ってしまった。現代人には出来なくなってしまったことが他にもごまんとある。だのに、無智な者としての自惚れと傲慢とを以って現代人は、もう自分には出来なくなってしまったことを、耐え切れなくなってしまったことを断罪してるんだ。芸術? 芸術だって同じことさ! 現代人は最早、芸術家にはなれない。だからみんな、科学者になっちまったのさ』 12/28 「やぶちゃんの電子テクスト集:俳句篇」に「杉田久女全句集 附やぶちゃん注」(PDF縦書版)を公開。 『私は、その朝、女とともに女の家の中庭の木を眺めていた。私はそこに巣箱を作って、二人して眺めようと思った。――しかし、それは叶わなかった』 12/20 ブログ・カテゴリ芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯『「澄江堂遺珠」という夢魔』を始動、手始めに驚天動地の「澄江堂遺珠」の「麥秀」のとんでもない誤り」を公開。 『彼女の不器用な芸のない口――それは僕の好み通りの厚い唇をしているけれど――それだって僕のに比べれば薄く見える――』 12/18 「心朽窩旧館」に、「やぶちゃん版萩原朔太郎全歌集 附やぶちゃん注」(PDF縦書版)を公開。 『今、私は何処までやって来てしまったのだろう?』 12/15 心朽窩新館の「やぶちゃん版芥川龍之介詩集」を改訂し、注も増補、更に新たに同PDF縦書版も同時に公開。 『僕は汚らわしい男で、腸(はらわた)みたような穢いものが大好きなんだ』 12/4 萩原朔太郎青春歌集「ソライロノハナ 附やぶちゃん注」(PDF縦書版)を「心朽窩旧館」に公開。また、ブログ・カテゴリ「北條九代記」は巻第七に入る。 『デカダンな人間にとって目前のディナーはスカトロジーの対象でしかない』 12/1 ブログ・カテゴリ「萩原朔太郎」に於いて、現在知られる限りの萩原朔太郎の全短歌の電子化を終了。 『僕は君らの――最も現実的であると同時に最も非現実的な――そうしてまた――存在していると同時に非在でもある証人なのだ』 11/28 芭蕉忌及びブログ・アクセス640000突破記念として芥川龍之介「枯野抄」の私のオリジナル授業ノートをブラッシュ・アップして新版として大改稿、HTML横書版の他、芥川龍之介の「枯野抄」本文と合体させたPDF縦書版としても公開。 『彼のヒューマニズムの証(あかし)のようにも見えるアイロニー故にこそ、僕は彼を愛していた』 11/26 「やぶちゃんの電子テクスト集:俳句篇」に「芭蕉臨終前後関連書」として、「前後日記」各務支考(「笈日記」より)・「芭蕉翁終焉記」宝井其角(「枯尾花集」より)・「芭蕉臨終記 花屋日記」文曉(偽書) の三篇を総てPDF縦書版で公開。――芭蕉が遺書を書いた日に―― 『今じゃオカルティズムなんぞ糞食らえだ、何のエクスタシーも感じない。あれも所詮、デジャ・ヴュさ――』 11/6 「心朽窩 新館」に偏愛するガルシンの「信号」(神西清訳)を HTML横書版 及び PDF縦書版 の二種で公開。 『野心とか勝利とか――要するにそれは――一個の彫像――一編の楽曲――一篇の小説――それに就いての僕の夢想飾っていた主題にしか過ぎなかったのだ! 芸術は遂に僕に何ものをももたらさなかったんだ!』 11/5 「心朽窩 新館」にイワン・ツルゲーネフ「猟人日記」中山省三郎訳「生神様」のPDF縦書版を公開――母の思い出に―― 『あの男は毎朝早々にミサにゆく。だがそこで、あの男の心は必ず抉られるんだ』 11/2 結果的に今年最大の大仕事となった『二〇一四年「奥の細道」シンクロニティの記録 注・藪野唯至』(2.41MB・416頁・PDF縦書版)を「やぶちゃんの電子テクスト集:俳句篇」に公開。 『僕の趣味?――それはね――自分から総てを剥奪して――そうして――総てから遠く離れ去ってしまいたいという悍ましい趣味だ』 10/22 ブログ・アクセス630000突破記念第一弾として「芭蕉、杜国を伊良湖に訪ねる(「笈の小文」より 藪野唯至附注)PDF版」を「やぶちゃんの電子テクスト:俳句篇」に公開、また、ブログ・アクセス630000突破記念第二弾として、「心朽窩旧館」の栗本丹洲「栗氏千蟲譜」巻九(全)――原色原画画像完備・やぶちゃん翻刻・訓読・詳細補注附――を強力リニューアル。 『その純真そうな美しい女の結婚式に招かれた彼は、その女が嘗つて今と同じ表情で連れていた複数の男たちを思い出し、その男たちの方に、秘かに祝福を表していた』 9/16 ブログ・アクセス620000突破記念として「定本 やぶちゃん版芥川龍之介全句集」全五巻のPDF縦書版の「一 発句」・「二 発句拾遺」・「三 書簡俳句」・「四 続 書簡俳句 附 辞世」・「五 手帳及びノート・断片・日録・遺漏」を「やぶちゃんの電子テクスト:俳句篇」に公開。 『破壊とは、命に対する裏返しの信頼なのだ』 8/13 ブログ・アクセス610000突破記念として「篠原鳳作全句集」縦書PDFファイル版を「やぶちゃんの電子テクスト:俳句篇」に公開、及び私の句集「鬼火」の縦書PDFファイル版をもトップ(上欄)に公開。 『僕は独房に追い詰められた。嫌悪と軽蔑という道徳の、当然の帰着というものさ』 8/1 ブログ・カテゴリ『山之口貘』にて、現在、知られる山之口貘の全詩篇(準定稿を含み、草稿は除く)の電子化注釈を完遂。 『アーティストとは自己を疑っている人種であり、同時に自己に確信を持っている人種である』 7/5 ブログ「鬼火~日々の迷走」開設9周年記念として八木重吉処女詩集「秋の瞳」〈初版復刻サイト一括版〉を「心朽窩 新館」に公開。 『読書は生命のあらゆる魅力を奪い去ってしまう麻薬と同じだ』 6/26 本サイト「鬼火」開設9周年記念として「鬼城句集」(+縦書版)を「やぶちゃんの電子テクスト:俳句篇」に公開。 『君は――戦争には反対、革命には賛成――だがね、革命だって戦争だぜ』 5/12 私の愛する義父慈覚禅喜居士(俗名長谷川世喜男)は今日、天に召されました――直史ルカ記 4/6 山之口貘の詩「告別式」を自筆原稿17枚オリジナル電子化評釈附きでブログ公開。 『一本の木、一本の石、それは恋人の肉体より暗示的だ』 1/27 ブログ・アクセス540000突破記念としてサイト完全版・大手拓次詩集「藍色の蟇」(やぶちゃん注附初版再現版)+縦書版を「心朽窩 新館」に公開。 『沢山の鍵がある――しかしその多くは当てにはならない』 1/8 博物学古記録翻刻訳注第10弾「鈴木経勲「南洋探検実記」に現われたるパロロ Palola siciliensis の記載」を公開。 『ある敵の前で糞をしている夢を見た――夢判断のキーを用いたら、さて? どんな解釈だい?』 2013年(抜粋) 12/12 シンクロニティ芭蕉「芭蕉、杜国を伊良湖に訪ねる」 (ハマりにハマって16700字、分量膨大に附き、ご覚悟あれかし)を公開。八木重吉「大和行」を暗愚にして迂闊迂遠なる注釈附で公開。 『私は無限に弱い――そして同時に強靭だ――そう感じている――丸腰にしてフルメタル・ジャケット――あらゆる事象の核に居る隠遁者――無益にして必須の存在――私は本能の声だけを聴いているのだ』 10/15 昨日のブログ510000アクセス突破記念の「やぶちゃん版中島敦短歌全集 附やぶちゃん注」にも大きく関わるところの「中島敦 昭和十一(一九三六)年 手帳 附やぶちゃん注」を「心朽窩旧館」に公開、是非とも併せてお読み戴きたい。 『率直且つ粗暴な対話を俺は欲している』 10/14 ブログ510000アクセス突破記念として「心朽窩旧館」に、、「やぶちゃん版中島敦短歌全集 附やぶちゃん注」(+同縦書版)を公開。 『神とは、鼓動し、触覚し得る残忍なる秘蹟であって、それは天上にではなく――地上に在る』 9/26 渾身の劇評『平成25(2013)年9月文楽公演 竹本義太夫三〇〇回忌記念 通し狂言「伊賀越道中双六」劇評 或いは 「義死」の「死の舞踏」が絶対ルールとなる武士道スプラッター満載の究極の「人生ゲーム」の蠱惑 或いは 心朽窩主人謹製「伊賀越道中飛び双六」』をブログにて公開。 『女たちから人生を教えて貰いたいとは思ったが――女たちによって人生を決定されたくはなかった――』 9/12 博物学古記録翻刻訳注第9弾「 “JAPAN DAY BY DAY” BY EDWARD S. MORSE の “CHAPTER XII YEZO, THE NORTHERN ISLAND” に現われたるエラコの記載 / モース先生が小樽で大皿山盛り一杯ペロリと平らげたゴカイ(!)を同定する!」をブログに記載。 『仲間だって?! 僕に仲間なんていやしない。僕は君が好きじゃない。君は生きて、そしてそれを楽しむことが出来るじゃないか。それはしかし、僕の知ったことじゃないのさ』 9/4 記念すべきブログ500000アクセス突破記念として、「心朽窩旧館」に芥川龍之介「龝夜讀書の記」(附やぶちゃん注)及び萩原朔太郎「芭蕉私見」(昭和一〇(一九三五)年十一月号『コギト』掲載初出形復元版 附やぶちゃん注)を公開。 『幸福とは、所詮、不幸と同義である。さあ、もう一方の頰を差し出し給え』 8/16 昨夜来の山本幡男氏の驚愕の爆発的ワード検索アクセス(12時間で3600超)の中で(このホーム・ページの来訪者のためにブログ・カテゴリ「山本幡男」及び「山本幡男遺稿抄 やぶちゃん編」(同縦書版)へのリンクを示しておく)、あっという間にブログ490000アクセスが突破されたその記念として芥川龍之介の『「河童」決定稿原稿の全電子化と評釈 藪野直史』(+縦書版)及び通読用の『芥川龍之介「河童」決定稿原稿(電子化本文版)』(+縦書版)を公開。 『僕は所謂――死の荘厳――死の成果――死の誘惑――死の陶酔――死というものの持つとされる誇り……そうした死一切を――放棄する』 8/15 「やぶちゃんの電子テクスト:俳句篇」に私の拙攷「イコンとしての杖――富田木歩偶感――」(+縦書版)を公開。――母に捧ぐ――。また、「心朽窩旧館」の『中島敦「山月記」授業ノート 藪野直史』の「第二段 再会」の冒頭にT.S.君の考証になる「商於の同定について」を追加。 『この僕は、とうの昔から、何かを「しよう」と捜しあぐねてきたんだ! でも――何もすることがないんだ――全く何も――』 8/12 ブログに『教え子T.S.君の昨日の「山月記」の旅』を写真入りで掲載。李徴が虎になった汝墳訪問の記録。 『リアリズムから遙かに遠く離れた作家であっても――自身の記憶からは遁れられない』 8/8 「心朽窩旧館」の芥川龍之介「冬と手紙と」を再校訂リニューアルし、芥川龍之介と南方熊楠の接点を探る画期的な考察である metal_clarinet 氏のブログ記事「芥川龍之介と南方熊楠」を同氏の御許可を得て参考資料として追加させて戴いた。また、芥川龍之介「北京日記抄」に教え子T.S.君の探勝になる天寧寺及び東配殿の写真を注に追加。特に天寧寺のレリーフは慄っとするほど素晴らしい! 同じくT.S.君の探勝になる芥川龍之介「長江游記」の「一」の舞台である蕪湖の注にT.S.君の優れた紀行文と写真を追加。特にT.S.君のそれはすこぶる感慨深いものである。必読せずんばならず! 『眠りから覚醒すること――なんという不本意!』 7/6 ブログ開設8周年記念としてブログに「遍歴五十五首 中島敦連作 附やぶちゃん注」及び『自敍傳(「ソライロノハナ」より) 萩原朔太郎』を公開。深夜、芥川龍之介「河童」決定稿原稿の完全電子化をブログにて完遂。 『最高の破滅に予約をしておくこと』 7/2 ブログ・カテゴリ『鎌倉紀行・地誌』で明治三一(一八九八)年八月二十日発行『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より江の島の部の電子化を始動。博物学古記録翻刻訳注第8弾「蛸水月烏賊類図巻」に表われたるアカクラゲの記載をブログに記載。 『まずは話しかけてみることにしようか、愚劣なる紳士諸君に』 6/26 HP開設8周年記念として「心朽窩旧館」に芥川龍之介の初期文章「(我輩も犬である 名前は勿論ない……)」を公開、また同記念プロジェクトとしてブログにてカテゴリ「日本その日その日 E.S.モース 石川欣一訳」を創始し、「第五章 大学の教授職と江ノ島の実験所」からオリジナル注を附して始動。 『私は道徳的に生まれた人間です』 6/22 芥川龍之介「修學旅行の記」(ブログ版 芥川龍之介未電子化掌品抄)をブログ公開し、「心朽窩旧館」にもリンク。『芥川龍之介「河童」決定稿原稿 九』を公開、校正漏れの亡霊が無数に跳梁しているこの怪異を見よ! 『日は昇る、君はそれに気づくに違いない』 6/13 『芥川龍之介「河童」決定稿原稿 五』にて、『改造』初出(現行「河童」)の表記の勝手な変更を複数発見。 『情熱を実践することだけが問題だ。あとはどうでもいいのさ。理性で照らせば、どんなことも常に――結果は惨憺たるものに過ぎん』 6/12 『芥川龍之介「河童」決定稿原稿 四』にて、『改造』初出(現行「河童」)の表記の勝手な変更及び岩波版芥川龍之介旧全集の校異の誤りを発見。 『僕は君を愛していないと言おう――しかし――僕は他の誰をも皆、愛してなんか、いないんだ』 6/10 博物学古記録翻刻訳注第7弾「守貞謾稿」に表われたるナマコの記載をブログに記載。 『事実を改竄することは事実の精神を改竄することではない』 6/4 博物学古記録翻刻訳注第6弾『喜多村信節「嬉遊笑覧」に表われたるナマコの記載』をブログに記載。 『不正は堂々としていて、そして、いたって静かで、そして、いたるところに――在った』 5/29 「心朽窩旧館」に中島敦「山月記」及び私藪野直史の「山月記」授業ノートを特別公開。 『まだ一つだけ美しい階段がある。人生には美しい階段があるんだ――』 5/18 博物学古記録翻刻訳注第5弾『広瀬旭荘「九桂草堂随筆」に表われたるホヤの記載』をブログに記載。 『人に「何を考えている?」などと聴くだけ野暮な話さ』 5/15 博物学古記録翻刻訳注第4弾『後藤梨春「随観写真」に表われたるボウズボヤ及びホヤ類の記載』をブログに記載。 『私は「私たち」ではなく、「私」と言明しなくてはならない』 4/25 博物学古記録翻刻訳注第3弾『「蒹葭堂雑録」に表われたるスカシカシパンの記載』をブログに記載。 『リアリズムから遙かに遠く離れた作家であっても――自身の記憶からは遁れられない』 4/19 博物学古記録翻刻訳注第2弾『「筠庭雑録」に表われたるホヤの記載』をブログに記載。 『「レ・ミゼラブル」再読――何と言う脳天気と健康さ! 何とあの頃のフランスは、撓み傾ぎ壊れそうでいながら、どっこい丈夫だったことだろう! そして無邪気に己れの心に耳傾ける小説家こそが、同時に比類なき歴史家なのだ。この叙事詩がゾラの総てを生んだのだ。横倒しにされて果敢に抗う馬のような――都市に蝕まれた民衆の叙事詩だ』 4/18 博物学古記録翻刻訳注第1弾『「立路随筆」に表われたるカツオノエボシの記載』をブログに記載。 『ニーチェはキリスト教の諸価値に完全には無関心でいられなかったから、ある日、狂人を宣言したのだ――それはランボーが私は商人だと言ったのと、また、イジドール・デュカスがロートレアモンを演じた一年後に早々に反ロートレアモンをぶちあげたのとおんなじさ』 3/25 ブログ450000アクセス記念として「やぶちゃんの電子テクスト:俳句篇」に、「やぶちゃん正字化版西東三鬼句集 《西東三鬼全四句集『旗』・『夜の桃』・『今日』・『變身』(全)+「『變身』以後」(全)+やぶちゃん選拾遺抄Ⅰ~Ⅲ》」(+縦書版)、及び、室生犀星「あじゃり」を公開。 『私は君たちを憎まない――しかし――弾丸の尽きるまで君たちと戦おう』 2012年(抜粋) 12/31 今年最後で最大の仕儀、「芥川龍之介漢詩全集 附やぶちゃん訓読注+附やぶちゃんの教え子T・S・君による評釈」(+縦書版)を「心朽窩新館」に公開。これを以って一つの私の憂鬱は完成した。 『近頃の歴史家ときたら、技巧も文体も詩想も持たない――ただの「教師」――に成り下がってる』 11/7 芥川龍之介「江南游記」の「三 杭州の一夜(上)」の「新新旅館」注に、教え子のT.S.君が撮って呉れた写真と彼の解説他を挿入、「上海游記」の「十三 鄭孝胥氏」の注に鄭孝胥自邸玄関前での鄭・芥川らのスナップ写真を追加。 『――思い浮かべる――「神々は非情なり」――同時に、も一つ――「神は純粋精神なり」――』 11/4 「心朽窩旧館」の芥川龍之介「江南游記」の「九 西湖(四)」の「樓外樓」注に、驚天動地の「樓外樓」前共時写真及び教え子T.S.君の撮って呉れた検証写真と解説を挿入。 『歴史家でさえ小説家と違ったことが出来ている訳ではない』 10/25 私の愛する義母蓮臺淨喜大姉(俗名長谷川喜久子)は今朝、天に召されました――直史ルカ記 10/16 「心朽窩旧館」に我、我鬼となって、芥川龍之介「澄江堂日録」附やぶちゃんマニアック注釈+同縦書版を公開。 『私は常に国家主義者であり、同時に国際主義者であった』 10/7 「心朽窩旧館」に「鎌倉攬勝考總目録(やぶちゃん電子版)」を公開。検索の用に供するとともに、これを以って一年九ヶ月余を費やした「新編鎌倉志」「鎌倉攬勝考」本文の全テクスト化プロジェクトを完遂。 『少なくとも両足は穢さねばだめだ。しかし、手を穢してはいけない。私は決して手は穢さななかった。両足だけだ』 10/4 「心朽窩旧館」の芥川龍之介「子供の病氣」(附やぶちゃん詳細注)に現れた謎の言葉「しほむき」を「TINA」様という未知の女性の方からの情報によって解明! 注を補塡した。六年の電子テクスト作業の中で、数少ないわくわくする体験の場を与えて下さった、TINAさんへ――ありがとう! “Here's looking at you, kid!”――君の瞳に乾杯!――。 『作家はいつも言葉に騙されている。人が騙されることが一つだけあるとすれば、それは、彼等の職業に於いてなのだ』 9/20 ブログ400000アクセス記念として、「心朽窩旧館」に芥川龍之介「我鬼窟日録」附やぶちゃんマニアック注釈+同縦書版を公開。 『個々の対象に対する嫉妬は宿命にぶつかって砕け散る』 8/17 「心朽窩旧館」に畑耕一の「恐ろしき電話」(+同縦書版)を公開。「北京日記抄 芥川龍之介 附やぶちゃん注釈」の「二 辜鴻銘先生」の辜鴻銘の注に私の教え子で中国在住のT.S.君が探査した詳細な写真附き報告を追加。 『僕はヴェルダンの戦線で、降り注ぐ砲弾の中にあっても、弾帯に隠した安物の、パスカルの死についての書物を、形而上学的な努力を払って読もうとした』 8/12 ブログ390000アクセス記念として、「心朽窩旧館」に“OF A PROMISE BROKEN BY LAFCADIO HEARN”及び「破られし約束 小泉八雲原作 藪野直史現代語訳」(+同縦書版)を公開。 『少年時代、両親が居ないときは、僕は、自分の部屋のベッドの下や、誰もいない部屋の真ん中に寝そべって、そこは墓なんだ、と思い込んだ――そうしてそれにえもいわれぬ甘いエクスタシーを感じたものだった』 8/7 芥川龍之介「芥川龍之介中国旅行関連書簡群(全53通) 附やぶちゃん注釈」の六一四号書簡の注に、芥川が北京で泊まった「扶桑館」について、私の教え子で中国在住のT.S.君が探査した詳細な写真附き報告を追加。火野葦平「詫び證文」をブログ公開。 『それは彼方ではない、手前にある。私は私の核に触れたいのだ』 7/30 教え子T.S.君の上海追跡録の新情報を、芥川龍之介「上海游記」の「三 第一瞥(中)」のトーマス・ジョーンズ注、及び「十九 日本人」の「同文書院」、及び終章「二十一 最後の一瞥」に追加。 『力を観念としては愛していた――しかし目の当たりにすると――決まって辟易した』 7/20 私の教え子の手になる【二〇一二年T.S.君上海追跡録 第二】を「上海游記 芥川龍之介 附やぶちゃん注釈」の「十三 鄭孝胥氏」及び「十八 李人傑氏」に追加した。是非、御覧あれ。 『あんたのことだって、好きに、なるぜ……』 7/13 私の教え子が芥川龍之介の「北京日記抄」に現れる幻の「三門閣」を遂に発見! それを含む新知見と画像を「北京日記抄 芥川龍之介 附やぶちゃん注釈」の「窑臺」及び「三門閣下」の注に追加した。また、「心朽窩旧館」の「鎌倉攬勝考卷之二」全テクスト化と注釈を完了。 『戦争とは必竟肉体の試練である』 7/8 私の教え子が芥川龍之介の「北京日記抄」とそこに附した私の注を読みながら、北京の芥川龍之介の現在を追跡して呉れた手記と写真を「北京日記抄 芥川龍之介 附やぶちゃん注釈」の「謝文節公祠」及び「窑臺」の注に追加した。是非、御覧あれ。 『人生をやり直せるとしたら――哲学と宗教史だ――文学は天才にしか楽しむことは出来ないからね』 7/6 ブログ開設7周年記念として「心朽窩旧館」の泉鏡花「一葉の墓」をブログ記事からHPの正式ページ仕様に変更、総ルビ化してリニューアル、縦書版も附した。また、私の教え子が芥川龍之介の「上海游記」とそこに附した私の注を読みながら、上海の芥川龍之介の現在を追跡して呉れた手記と写真【二〇一二年T.S.君上海追跡録】を「上海游記 芥川龍之介 附やぶちゃん注釈」に多量に追加した。是非、御覧あれ。 『私は霊魂も神も信じない。私が信じるのは至上の完璧なる核心の力がただ永続することだけだ。そうして――そうして――この世界はその力学の空しい現象に過ぎないということだ』 7/4 ブログ380000アクセス記念として、「心朽窩 新館」(「心朽窩旧館」の片山廣子にも)に「おき忘れた帽子 (全一幕) ロード・ダンセイニ 松村みね子(片山廣子)訳」(附縦書版)を公開。 『何処へ行けばいい? 何処も! 世界中が頽廃してる!――「近代」――という名の汎世界的カタストロフ』 5/29 ブログ370000アクセス記念として、本トップからリンクの「――道成寺鐘中――Doujyou-ji Chronicle」を創始、既存の「謡曲 道成寺」の外、「紀伊國牟婁郡の惡しき女(「大日本國法華經驗記」より)」・「紀伊國道成寺僧寫法花救蛇語第三 (「今昔物語集 第卷十四」より)」・「紀州日高の女山伏をとり殺事(「古今辨惑實物語」より)」・浄瑠璃「日高川入相花王 眞那古庄司館の段 渡し場の段」の4作品(各篇縦書版附き)を一挙公開。 『男と女は互いが互いに醜くしがみついている――人間――この何と言う畜生さ加減!』 4/21 「心朽窩旧館」の「新編鎌倉志」に「新編鎌倉志總目録(やぶちゃん電子版) 」及び同縦書版を配す。検索の用に供するとともに、これを以って一年三ヶ月余を費やした「新編鎌倉志」本文テクスト化オリジナル注釈プロジェクトを完遂。夜、識者の御指摘を受けて、フイオナ・マクラオド・松村みね子訳「海豹」の底本編集者のミスによる脱落部分補正版をリニューアル公開。 『酒や麻薬と言うのはやはり、人生なのです。煩わしいものですよ、人生と同じでね』 4/15 「心朽窩旧館」に藪野直史野人化記念として『宇野浩二「芥川龍之介」上巻附やぶちゃん注』を公開。 『僕の関心――絵、パリの街並そして公園、書物、国際情勢、女の肉体、原初の宗教――』 4/9 「心朽窩 新館」にブログ360000アクセス及び藪野直史野人再生記念として『ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」第四部』(ウィリアム・バトラー・イェイツ挿絵 附やぶちゃん注)を公開。これを以ってシングの「アラン島」は完結した。――これが、すべての始まりである―― 『僕の人生というもの――そのものが無駄な時間に過ぎない――』 3/31 早期退職して完全なる「野人」となる――御挨拶はこちら――歸去來兮 田園將蕪胡不歸―― 『だけどもうすぐ出立(たびだち)だ――旅に出る――出発が送れてるんだ――気がつかなかったかい?――』 2/26 「心朽窩旧館」で最終巻「新編鎌倉志卷之八」テクスト化を終了、これを以て「新編鎌倉志」本文全巻のテクスト化を完遂した。またブログで完成したしづ子の全句からのオリジナル選句鑑賞を「鈴木しづ子句抄――雑誌発表句・未発表句を中心にしたやぶちゃん琴線句集」として、やぶちゃんの電子テクスト:俳句篇に同縦書版とともに公開。 『しかし、我々は賭けたのです。そして私は負けた。――私は死を要求します』 2/18 ブログ350000アクセス記念として「心朽窩 新館」に「みんなの怪談集――私の最後の教え子の手になる都市伝説――」を公開。 『「レ・ミゼラブル」再読――何と言う脳天気と健康さ! 何とあの頃のフランスは、撓み傾ぎ壊れそうでいながら、どっこい丈夫だったことだろう! そして無邪気に己れの心に耳傾ける小説家こそが、同時に比類なき歴史家なのだ。この叙事詩がゾラの総てを生んだのだ。横倒しにされて果敢に抗う馬のような――都市に蝕まれた民衆の叙事詩だ』 2011年(抜粋) 12/20 「心朽窩 新館」の『横光利一「蠅」の映像化に関わる覚書/シナリオ』の冒頭に、同作の「四」のシークエンスの、今年の私の教え子の手になる秀抜なる作品『横光利一「蠅」の「四」の生徒によるオリジナル・ピクトリアル・スケッチ』をリンク、公開。これは教師としての私の形見である。 『僕は何時だって夢と非現実を求めるんだ――二本しか脚がない椅子でバランスをとって座るのが――好きなんだ』 9/4 ブログ公開を終えた祖父藪野種雄の遺稿集である「落葉籠」(全)を本トップ・ページに「祖父遺稿」を創始して公開。また、同じくブログ連載を終えた「山本幡男遺稿抄――やぶちゃん編――」(全)を「心朽窩新館」の増田晃や森川義信の前に公開。 『私は「私たち」ではなく、「私」と言明しなくてはならない』 7/24 「心朽窩旧館」の「やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集 附やぶちゃん注」 《縦書版》を縦書完全版として公開、合わせて横書版も改訂。 『一枚岩の「多数派」なんてありはしない! 四十年の「多数派」はあっという間に消え去ったじゃないか。あなた方も、遠からずそうなるんだ――』 6/27 ブログ300000アクセス記念とHP開設6周年記念として「心朽窩旧館」の「鎌倉攬勝考卷之十一附録」に金沢八景の由来となった東皐心越の漢詩パートに私の書き下しと注を附して公開、ブログにも掲載。 『こいつは馬車馬に纏わりつく蠅みたいなおせっかいな奴だ――しかもだ――殺虫剤をぶっかけられた蠅なんだ』 6/21 ブログに「龍之介よ、スマトラのわすれな草の花、見つけたよ」を記載。――龍之介の漢詩に潜む彼の遺愛の異花―― 『必要なことしか言わないリディアが、僕は好きだった。尤も――必要ということはつまらないことなんだと僕には分かっていたが』 5/26 ブログ290000アクセス記念と僕の富田木歩論「イコンとしての杖」『俳句界』掲載記念としてやぶちゃんの電子テクスト:俳句篇に富田木歩随筆「初秋日記」及び同縦書版を公開。 『断頭台(guillotine)たぁ、「銀行の窓口」が産んだ娘さ』 5/20 ブログにアフォリズム「母」記載。 『それは彼方ではない、手前にある。私は私の核に触れたいのだ』 5/7 ブログに「芥川龍之介と李賀の第三種接近遭遇を遂に発見した」を記載。――我々は遂に芥川龍之介の直筆のラインに李賀を見出した―― 『最早、私の心は人間そのものの彼方へと向かっているんだ――しかしそこにこそ「人間的なもの」の最期の秘密の隠れ家の入り口が開いている――神々よ、主よ!』 4/25 ★本日発売の文學の森刊『俳句界』五月号に僕(ペンネーム藪野唯至名義)の富田木歩論「イコンとしての杖」が掲載(文學の森社からの依頼原稿)。――母に奉ぐ―― 『私は石橋を叩いて渡るような知識人にはなりたくなかった』 4/9 ブログ280000アクセスの記念に――「縄文の母子像」――遠い昔の記憶の中の母と僕の写真をブログに飾った。――母の形見として―― 『私は現象を食い飽きた――今、私は本質だけを希求している――いや、本質の彼方にある語りえぬものを求めている』 4/8 ブログに『筋萎縮性側索硬化症の母に「これで終わりです」という医師の直接告知は妥当であったと言えるか?』を掲載。――インフォームド・コンセントの在り方への警鐘として―― 『仏教徒にとって「解脱」とは人間としての「個の生」を絶滅することではない――現世の、この連綿と続いている無限の「永遠の生の連鎖」を完全に断ち切ることなのだ――彼等は「永遠の生」を、それが「個の生」なるものが、永遠に延びた飴のように繋がったものに過ぎない、という理由で絶滅しようとするのである』 3/31 心朽窩新館の「伊東静雄詩集 わがひとに與ふる哀歌 やぶちゃん版」(并びに同縦書版)を三校、注を更に補足、初版本(底本)画像を挿入。現在、ネット上で最も信頼するに足る「わがひとに與ふる哀歌」初版底本電子テクストであるという自負はある。母の逝った逝く三月に相応しい……「來るときのやうに去るだらう」……――母聖子テレジアに奉ぐ―― また、「ERIC DOLPHY-The Uppsala Concert Vol.2 の Interview with Eric Dolphy の邦訳」をブログに公開。――僕の盟友ジョン・O・ブラフマンと僕エリック・直史・ルカの共同訳―― 『楽天的で在るということは、俗物、そして偽善と、全く一つのものなのだ』 3/29 心朽窩新館の「伊東静雄詩集 わがひとに與ふる哀歌 やぶちゃん版」を再々度校訂し直し、ルビ化と注を全面改稿の上、縦書版をも公開。――母聖子テレジアに奉ぐ―― 『原初の人類にとって、そうして子供にとって、物は鼓動を打っている』 3/26 『二〇一〇年八月岩波書店刊「芥川竜之介句集」に採句されたる五十六句』を「やぶちゃん版芥川龍之介句集五 手帳及びノート・断片・日録・遺漏」に追加。本仕儀を以って名実ともに僕の「やぶちゃん版芥川龍之介句集」は如何なる現行の諸本よりも最多の芥川龍之介全句集となった。――これを一週間前に亡くなった愛する母聖子テレジアに奉ぐ―― 『僕は人を愛さなかった。愛したとしてもいつも遠くからでしかなかった』 3/19 私の愛する母聖子テレジアは今朝、天国に召されました――直史ルカ記 3/13 「心朽窩 新館」にイワン・ツルゲーネフ「猟人日記」の中山省三郎訳「生神様」縦書版を公開。――母に奉ぐ―― 『人はいつだって災厄を予言出来るのだ。所詮何時かは「予言」は現実になるように出来ている。何故なら、歴史は災厄に過ぎないから』 3/10 ブログ3000記事記載の記念に――れんげ畑の母と僕――母と僕のために――。「やぶちゃん版芥川龍之介全句集」に岩波文庫加藤郁乎編「芥川龍之介句集」で原本書簡に当たって訂正された書簡俳句の二句のてにをはを訂正、年次も変更されているので位置も変更。片山廣子歌集「翡翠」縦書版及び『片山廣子歌集「翡翠」抄――やぶちゃん琴線抄五十九首――』縦書版及び「片山廣子集《昭和六(一九三一)年九月改造社刊行『現代短歌全集』第十九巻版》 全」縦書版を「心朽窩旧館」に公開。――廣子と龍之介の愛に―― 『乳房――それは最早、僕の感性に於ける哲学的な主命題だ』 2/19 ブログ270000アクセス突破記念としてやぶちゃんの電子テクスト:俳句篇の「芥川龍之介句集 全5巻」総ての縦書版を一挙公開。 『世界は不完全ではない――善も悪もない――ただ神がいる――次に世界――それからまた新しい神……被創造物は馬鹿げていて、余りの不条理さに吃驚りさ――神と創造――こいつを一つ、楽しもうじゃないか』 1/8 ブログに「推理:芥川龍之介の死出の旅路の浴衣の背中の紋様は、これではないか?」を掲載。 『そうして、俺は、また、仕事に戻る……』 1/1 書初めとして拙作『Homo animalis sapiens から Homo animus sapiens へ――太田豊太郎という進化 或いは 茨冠せる巫女エリス――「舞姫」小攷』を「心朽窩旧館」に公開。――これが今年『最初』の『覚悟』のテクストである―― 『政治向きの話では、僕はよく予言者ぶったものだ――それは如何にも楽だったから――天文学者だって、頭から井戸に飛び込むぐらいの芸当は出来るもんさ』 2010年(抜粋) 12/19 「未公開片山廣子芥川龍之介宛書簡(計6通7種)のやぶちゃん推定不完全復元版」を「心朽窩旧館」に公開(本文は恣意的を正字変換版)。――これが今年『最後』の覚悟のテクストである―― 『たった一度だけ抱きしめた女のことを、僕は今もはっきりと思い出す。もっと僕のそばに釘付けにしておきたかった女たちを惨めったらしく想ったりもするさ――だがね、あられもない格好で鍵のかかった部屋に二人でいる時以外、僕は彼女たちを見るのが恐かった』 12/16 ブログ260000アクセス記念として芥川龍之介「河童」を正字正仮名で「心朽窩旧館」に公開、その『芥川龍之介「河童」やぶちゃんマニアック注釈』」も同じく「心朽窩旧館」に公開。 『累々たるシファリス! ボードレール、ヴェルレーヌ、ランボー(アフリカに行くまでは違ったが)、セバスチャン・シャンホール、ニーチェ――その教訓は? 何にもありゃしない!』 11/7 芥川龍之介「河童」(やぶちゃんによる芥川龍之介真原稿恣意的推定版)(又は やぶちゃん恣意的副題――どうかPrototype“Kappa”と讀んで下さい――)を正字正仮名で「心朽窩旧館」に公開。これは知られた晩年の名作「河童」とは同名異作の未完作であるから注意されたい。更に、これは僕の考えた現在、何処にも存在しないオリジナルな原稿推定版である点にも注意されたい。 『僕らは敏感だけれど、実は彼らの心を捉えたいなんて思っちゃいない。これさ。「僕は君らみんなの心を捉えたいと感じているんだ。」と彼らに印象付ける必要がある。「君らの心を摑んだら僕は君を決して手放さないよ。」という印象をだ』 10/17 ブログ250000アクセス突破記念として「やぶちゃん編 芥川龍之介片山廣子関連書簡16通 附やぶちゃん注」を、「心朽窩旧館」に公開。 『同じでいるためなんだ。僕は何時だって同なじだった』 8/29 ブログに『芥川龍之介が永遠に最愛の「越し人」片山廣子に逢った――その最後の日を同定する試み』を掲載。「耳嚢 巻之三」に「神明淳直を基とし給ふ事」を収載。 『僕はたった一人、本当に独りぼっちなんだ。食事をしたら出て行こう』 8/25 「やぶちゃん版新版 冨田木歩句集」をやぶちゃんの電子テクスト:俳句篇に公開。「耳嚢 巻之三」に「天作其理を極し事」を収載。 『我々は「聖」別されたんだ!』 8/16 ブログ240000アクセス記念テクストとして完全オリジナル編集によるオリジナル注を附した「やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集 附やぶちゃん注」を公開。本作は恐らく史上初の本格的な編年体芥川龍之介歌集である。「シリエトク日記 番外篇 知床の滝 或いは 亡き友人の母へのオード」をブログに掲載。シリエトクの滝を御堪能あれ。夜、「耳嚢 巻之三」に「高利を借すもの殘忍なる事」を収載。 『弟よ、心の底から、そうして存在の底から、君にキスをする――(8.10,1944)』 8/11 連載「心」(百十)――ありがたう! これで總ては終る。――あなたへの私の至上命令は唯一つ――「明治の精神」ヲ解キ明カセ!――今日は「心」連載完遂記念として多彩なテクストを公開する。「心」完全連載終了を受けて、知人が寿ぎの絵「Handcuffs」を贈って呉れた。さればこそ、満を持して朝日新聞連載 夏目漱石『心 先生の遺書(五十五)~ (百十)――(単行本「こゝろ」「上 先生と私」相当パート) 附♡やぶちゃんの摑み』を正字正仮名で「心朽窩旧館」に公開。この「やぶちゃんの摑み」は僕のライフ・ワークであり、今後も増殖してゆくが、現在只今、ネット上に存在する夏目漱石「こゝろ」の注釈としては最上の部類に属するものを提供出来たと自負するものである。次に、 『やぶちゃん版鈴木しづ子句集(旧「鈴木しづ子句集」改訂増補版) 抄出217句』を公開した。これはリニューアルではなく、厳密に校訂した新版である。旧の杜撰なバージョンを保存されている方は、必ず破棄し、こちらをダウンロードされたい。更に、芥川龍之介「彼」を正字正仮名で「心朽窩旧館」に公開。最後に「耳嚢 巻之三」に「不計の幸にて身を立し事」を収載。 『美は是が非でも滅ぼされねばならぬ』 8/1 連載「心」(百)、順調にカタストロフへ向けて進行中――いびつな円の出現――僕はこれを『第三象限上のデスティニィ曲線』(運命曲線)と呼称する―― 『僕は何時だって何も見ないで歩いていたんだ』 7/19 連載「心」(八十七)、順調に進行中、本日、遂にあの雨上がりの富坂下のシーンとなった。今回、参謀本部陸軍部測量局五千分一東京図測量原図「東京府武蔵国小石川区小石川表町近傍」によって、あの場面の最後で、先生は富坂を下っていたのではなく富坂下から柳町交差点へと『上っていた』という僕の発見した新事実を、是非、お確かめあれ! 『僕は如何にも滑稽なことに、自分が忌み嫌い、嫌悪し、だからこそまるで知っちゃいないはずのこの世のことだけを小説にしてきたんだ』 7/11「心朽窩旧館」に、「耳嚢 巻之三」の頁を創設、これより全10巻1000話全翻刻全訳注プロジェクト第3期を開始する。まずは第一話「聊の事より奇怪を談じそめる事」を収載した。「連載「心」(七十九)、順調に進行中、本日分では「先生=フランケンシュタイン」仮説を御披露した。 『僕はそれこそ陳腐なものに対する稀に見る偶像崇拝者なのだ』 7/5 ブログ開設5周年テクストとして「尾形亀之助就職時の仙台市役所提出に係るブッ飛ビの履歴書三通」をブログ及び「心朽窩 新館」に公開。「連載「心」(七十二)、順調に進行中、本日、遂にKが登場。 『歪んだ社会では事件が多い――なればこそ私は楽しむ、熱くなれる。人生の虚しさなんて、そこでは一度たりとも感じたことは、ない』 6/26 HP開設5周年記念テクストとして「尾形龜之助歌集」を「心朽窩 新館」に公開。連載「心」(六十四)、順調に進行中、遂に先生が下宿に引き移った。 『自殺とは僕にとって、数多の美徳を持った孤独に於いて成就する行為であるが故に、極めて魅力的である』 5/29 朝日新聞連載 夏目漱石『心 先生の遺書(一)~(三十六)――(単行本「こゝろ」「上 先生と私」相当パート) 附♡やぶちゃんの摑み』を正字正仮名で「心朽窩旧館」に公開、連載「心」(三十七)、順調に進行、「こゝろ」「兩親と私」相当パートに入る。更に「心」連載終了直後に書かれた芥川龍之介の「青年と死と」を正字正仮名で、同じく「心朽窩旧館」に公開。「耳嚢 巻之二」に「鼬の呪の事」及び「一休和尚道歌の事」を収載。 『生は動だ。静寂には、生命の源泉など、これっぽちもありはしない』 4/24 ブログ「夕顔へ――極私的通信」に「こゝろ」について、今までに公言したことのない見解を記したので、こちらにもリンクを張る。「こゝろ」は、「靜」を除く総て――先生・K・奥さん・学生の「私」そして筆者夏目漱石――が大きなPTSD(心的外傷後ストレス障害)を受けているために他者と乖離しているという見解である。御関心ある向きはお読みあれ。「耳嚢 巻之二」に「強勇の者御仕置を遁れし事」を収載。連載「心」(五)、順調に進行中。 『友達は「僕」を待ち過ぎて、そうして遂には「僕」を忘れてしまうのさ』 4/22 ブログ220000アクセス記念として「芥川龍之介関連昭和2(1927)年8月7日付片山廣子書簡(山川柳子宛)」を「心朽窩旧館」に公開。「耳嚢 巻之二」に「明君其情惡を咎給ふ事」を収載。連載「心」(三)、順調に進行中。 『貴方は美人で、優しくて、恋が好き――だのに、僕ら二人は、何も、することがない……』 3/20 片山廣子のアイルランド伝説集訳から「カッパのクー」――これは芥川龍之介の「河童」への密やかなオードである――を「心朽窩旧館」に公開。また、「耳嚢 巻之二」に「神道不思議の事」を収載。 『たった一つ悔やまれること――それは僕が、「僕は実はこうなんだ!」と告白し、即座に開き直る、ということをしないで、自分で自分の性格に判決を下してしまったことだ――』 3/10 Seki氏という未知の方から御教授を戴き、芥川龍之介「骨董羹」の「聊齋志異」の項に現れる「崑崙外史」の僕の注及び『芥川龍之介「骨董羹―寿陵余子の仮名のもとに筆を執れる戯文―」に基づくやぶちゃんという仮名のもとに勝手自在に現代語に翻案した「骨董羹(中華風ごった煮)―寿陵余子という仮名のもと筆を執った戯れごと―」という無謀不遜な試み やぶちゃん(copyright 2009 Yabtyan)』の注及び現代語訳を全面補正した(改訂した注に関わる部分のみをブログ『芥川龍之介「骨董羹」の「聊齋志異」に現れたる諸注『不詳』とせる「崑崙外史」は蒲松齡友人張篤慶なり!』にも置いた)。これは旧来の筑摩全集類聚版の脚注も、最新の岩波新芥川龍之介全集の注も伴に『不詳』としているものである。芥川龍之介が言った「崑崙外史」に関わるこの部分を、僕等の多くが、訳も分からず読んでいた、僕のように誤魔化して分かった積りでいた、という事実がはっきりした。必読せずんばあらず。Seki氏に心から感謝の意を表します。更に、南方熊楠「武辺手段の事」の「韃靼帝の子カッサン」の注を補正した。夕刻、「耳嚢 巻之二」に「孝子そのしるしを顯す事」及びその二である「又」を併載。 (アランの鞄の中に入っているぼろぼろになった告白録下書の一枚に記された言葉)『「切符のない旅行者」』 3/2 ブログ210000アクセス記念として「和漢三才圖會」の「巻第四十 寓類 恠類」を完成、公開した。また、「耳嚢 巻之二」に「戲藝侮るべからざる事」を収載し、ブログ・カテゴリ「芸術・文学」から新たに「Art」を分離した。 『血とインク――一滴、また一滴――落ちてゆくその音が聞こえる場所――僕が最初に果物ナイフで試したのは――6つか7つの時だった』 2009年(抜粋) 12/24 ブログ200000アクセス記念として「芥川龍之介遺書全6通 他 関連資料1通 ≪2008年に新たに見出されたる遺書原本やぶちゃん翻刻版 附やぶちゃん注≫」を「心朽窩旧館」に公開。 『貴方ほどじゃ御座いません、色男の君よ!』 12/18 僕の片山廣子論『片山廣子「五月と六月」を主題とした藪野唯至による七つの変奏曲』を「心朽窩旧館」に公開。 『怖れるということ――それが僕の唯一つの悦びである』 11/28 ブログに片山廣子の実質的な辞世の歌に関わる記載を三件続けて記載(ブログ・カテゴリ「片山廣子」)。「耳嚢」に「小刀銘の事」を収載。 『もう俺は彼女の虜……世界一綺麗な監獄の中で!……』 11/22 ブログに「片山廣子 しろき猫 或いは 「――廣子さん、狐になって、彼のところへお行きなさい――」を掲載。 「耳嚢」に「犬に位を給はりし事」を収載。 『アントワーヌ・ヴァトーの絵を見つつ、僕は悟った――そうなんだ! それが、総てであり、そうしてまた、それは無だった、ということを――』 10/29 ブログ190000アクセス記念としてИван Сергеевич Тургенев“Лес и степь”ツルゲーネフ作・中山省三郎訳「森と曠野」(「猟人日記」より)を正字正仮名で「心朽窩 新館」に公開。また、「耳嚢」に「金精神の事」及び「陽物を祭り富を得る事」を収載。 『しかし、僕が腹の中を打ち明けたら、君はもっとつらくなるだけだろう』 9/20 芥川龍之介「湖南の扇」に注を附し、正字正仮名で「心朽窩旧館」に公開。ブログに『無知も甚だしいエッセイ池内紀「作家の生きかた」への義憤が芥川龍之介の真理を導くというパラドクス』を掲載。 『扉と窓を開けても何にも、ない。鏡は僕にのみ開かれている』 9/17 尾形亀之助 詩集 「色ガラスの街」 〈初版本バーチャル復刻版〉を「心朽窩 新館」に公開。これは、20099/6で示した通りの現状にあって、現在、望み得る最良の『色ガラスの街』テクストであるという自負はある。 『僕は存在への愛着が希薄だ。だから存在も僕にそれ以上の愛着を示すはずがない。尤も最近は少しばかり涙もろくなったが、ね』 9/6 ブログに思潮社増補改訂版「尾形亀之助全集」及び、それを元にした尾形亀之助の詩集『色ガラスの街』についての18件に及ぶ疑義を連載した。ブログ・カテゴリ「尾形亀之助」でお読み戴きたい。これは全集の当該『色ガラスの街』詩集部分の再校訂が望まれる程の、重大な疑義である。 『僕は愛されたい。僕も人を愛していると思えるまで愛されたいんだ』 9/2 ブログ180000アクセス記念として「尾形亀之助拾遺 附やぶちゃん注」を「心朽窩 新館」に公開。 『僕は心の中に自分しか感じたことはありません』 8/30 夏の終わりに。芥川龍之介『支那游記』オリジナル参考資料として、「芥川龍之介中国旅行関連書簡群(全53通) 附やぶちゃん注釈」を正字正仮名で「心朽窩旧館」に公開。 『自殺者は「無」を信じていると思い込んでいる、そうして自らを「無」に差し出そうとする――だが、待て、この「無」という否定の言葉、それに近似値を示す言葉、その極限値としての言葉、それらのもとにあって、「何か」が自殺せんとする彼のために潜んでいるのだ』 8/9 ブログ記載2000記念として芥川龍之介「北京日記抄」やぶちゃん注釈附き完全版を正字正仮名で「心朽窩旧館」に公開。これを以てHPにやぶちゃん注釈附き芥川龍之介中国紀行文集『支那游記』の全篇を公開したこととなる。 『糞ったれ! 悪戯者にゃ、こっちとら、うんざりしてるんだ! こいつもかい?! 何処へ行っても悪戯けた野郎ばっかりだ!』 7/24 83年遠忌河童忌記念として芥川龍之介「江南游記」やぶちゃん注釈附き完全版を正字正仮名で「心朽窩旧館」に公開。続いて、ブログ・カテゴリ『芥川龍之介「長江游記」を創始、まずは冒頭に芥川龍之介「長江游記 前置き」を公開。 『あいつの忌々しい声が誘う……』 7/8 ブログに『プルートゥ又は「史上最大のロボット」とは誰か?』を記載し、今までの「プルートゥ」関連記事を纏めるためにブログ・カテゴリ「プルートゥ」を創始。同じく、ブログに芥川龍之介「江南游記 十 西湖(五)」を公開。 『ピストルは頑丈だ。鋼鉄で出来ている。それは物体だ。遂にその物体にぶつかるのだ』 7/6 ブログ170000アクセス記念として、芥川龍之介「雜信一束」を正字正仮名で「心朽窩旧館」に公開。また、ブログに芥川龍之介「江南游記 八 西湖(三)」を公開。 『愛してるさ! 愛し過ぎだって!』 6/2 ブログに芥川龍之介「上海游記 十 戲臺(下)」を公開。更に昨日の「上海游記 九 戲臺(上)」本文注の内容と今回のものについて、ブログに★「緑牡丹は白牡丹なり!――芥川龍之介「上海游記」の芸名の誤り」を掲載。 『私はTと一度だけコイツスした――そうして、それが私の人生のそれの最後だったのだ』 6/1 ブログに芥川龍之介「上海游記 九 戲臺(上)」を公開。本注に記した如く、文中の京劇俳優「緑牡丹」は別人の「白牡丹」であることが判明した。向後、「上海游記」のテクストの該当部分は総て初出通り、「白牡丹」に訂正注記されるべきである。 『僕は怠惰で浅薄で不注意な男だ。小説家になれる程、「自分」自身に、「自分」の世界に、「自分」の亡霊どもにとり憑かれちゃいないよ』 5/24 友人トーマス・ジョーンズへのオードにしてレクイエムたる芥川龍之介の「彼 第二」を、強力な注を附して正字正仮名で「心朽窩旧館」に公開した。また、ブログに芥川龍之介「上海游記 三 第一瞥(中)」を公開。 『何故、仏教徒は因果応報という無常の連続を通して、ある「生」から別なある「生」へと責任を負ったまま引き回されなくてはならないのか? 何故、その「永遠の生」の重みが、その重み故に崩壊してしまわないのだろう?』 5/16 『片山廣子歌集「野に住みて」 全 附やぶちゃん注 』を、正字正仮名で「心朽窩旧館」に公開。 『シャンゼリゼを歩くときも、僕は100の女の記憶に浸ったままだ――100の影――100のそそり立った脈打つ柱列――100匹の蛍――思えば僕は僕の全財産を教会の寄付受に入れちまったんだ』 5/6 『片山廣子集《昭和6(1931)年9月改造社刊行『現代短歌全集』第十九巻版》 全 』を、正字正仮名で「心朽窩旧館」に公開。 『金のためなら医者っていうやつはいつ何時だって〈偉く〉なれるのさ』 4/29 ブログ160000アクセス記念として、『片山廣子第一歌集 「翡翠」 全 』を正字正仮名で「心朽窩旧館」に公開。ブログに「無門關 二十三 不思善惡」及び「無門關 四十七 兜率三關」の二篇を公開。 『僕は、真剣になったことなんて、たったの一度だってない』 3/14 幻の芥川龍之介の評論「シング紹介」を正字正仮名で「心朽窩旧館」に公開。更に岩波新全集最終巻第二十四巻縦覧により、新発見句5句を含む連句等を、柱「2008年12月刊行の岩波版新全集第二十四巻〔第二次版〕に現れたる俳句(書簡を除く)」で「やぶちゃん版芥川龍之介全句集」に追加。その他にも注を追加した。また、同書補遺の書簡から新発見句3句他を追加し、これをもって新全集縦覧による改訂を全て終了した。現在只今、僕のこの「やぶちゃん版芥川龍之介全句集」は、如何なる著作、如何なるウェブ・ページよりも最多の芥川龍之介の俳句を公開しているという自負がある。 『笑いは愚者らに固有のものである。――ルネ・デカルト』 3/1 ブログに「プルートゥ」論覚書として『さりながら「プルートゥ」のボラーとはあの「巨人」なり 又は エプシロンの魂(フォトン)は死にかけた僕のパソコンの夢を見る』を記載。 『初め、僕は酒を浴びながら女や金を待ってたんだ。しかし突然、僕は自分が待つことで毎日を過ごしてきたんだと気づいた。しかし、その時には、僕はもう死ぬほど麻薬を打ちまってた、という訳さ』 2/15 僕の52歳の朝に尾形亀之助作品集『短編集』(未公刊作品集推定復元版 全22篇)・附やぶちゃん注を「心朽窩 新館」に公開。 『だけど、俺は四つん這いなんかにゃ、ならねぜ!』 2/11 ブログ150000アクセス記念として、ジョン・M・シング著松村みね子訳「聖者の泉」(三幕)を「心朽窩旧館」に公開。また、芥川龍之介「動物園」を削除部分補完・注追加をして大幅に改訂。 『「君の貧しさを人生のせいにするな」――それが僕を肩で押しやって、虚無の彼方へ、地獄へ突き落とすことだなんて、君は思ってやしないだろうね?』 1/31 『芥川龍之介「骨董羹―寿陵余子の仮名のもとに筆を執れる戯文―」に基づくやぶちゃんという仮名のもとに勝手自在に現代語に翻案した「骨董羹(中華風ごった煮)―寿陵余子という仮名のもと筆を執った戯れごと―」という無謀不遜な試み やぶちゃん翻案』を「心朽窩旧館」に公開。 『僕は訳知り顔の老人――未だに青春を忘れず、そうして、その青春を半生まの理想郷に変えてしまった老人――』 1/27 ブログに「尾形亀之助の不明の詩11篇について」及び「尾形亀之助「羽子板」「毒薬」について」を記載。 『自分を採るか、さもなきゃゼロだ! さあ、行こうぜ!』 2008年(抜粋) 12/23 パソコン奇蹟の復活記念として「尾形龜之助拾遺詩集 附やぶちゃん注」を「心朽窩 新館」に公開。 『若い時から僕は、死ぬのは50を過ぎてからではだめだ、と肝に銘じてきた』 11/29 ブログ140000アクセス記念として、Иван Сергеевич Тургенев“Стихотворение в прозе”ツルゲーネフ作中山省三郎訳「散文詩」(全83篇)を正字正仮名で「心朽窩 新館」に公開。 『僕は人を騙そうとする……出来ない……そうだ、いいかい? 騙されちゃ、いけないんだ。僕は独りぼっち、誰も相手がいない、そいつをひどく悔やんでいるさ。だが、僕は僕に相応しいものだけは確かに持っているんだ。ただ、それは手にとることも、触れることも出来ない……要はそれは心の問題だからだ』 10/4 ブログ130000アクセス記念として、Иван Сергеевич Тургенев“Касьян с Красивой мечи”ツルゲーネフ作・中山省三郎訳「クラシーワヤ・カーチャのカシヤン」(「猟人日記」より)を正字正仮名で「心朽窩 新館」に公開。また、寺島良安「和漢三才圖會 卷第九十七 水草類 藻類 苔類」に「龍鬚菜」(シラモ/コナハダ)及び「櫻苔」(サクラノリ/マツノリ)を追加。 『人類は疲れ切った眼を痛めつけられる太陽への信仰をいつか嫌悪するようになり、そいつに戦いを挑むために影に跪くようになった』 8/7 ブログ120000アクセス記念として、江川書房昭和7(1932)年刊行の堀辰雄「聖家族」限定版の〈限定初版本バーチャル復刻版〉を「心朽窩旧館」に公開。 『僕は植物と星についてまるで無知だった――知っている事と言ったら数人の人々の顔だけ――おまけに今はそいつらからさえ遠く離れたここで死にかけている様さ』 7/5 ブログ開設3周年及びHP開設3周年(失念していた6/26)を記念して、僕の愛読書から、プエル・エテルヌスたちの面影、Иван Сергеевич Тургенев“Бежин луг” ツルゲーネフ作・中山省三郎訳「ビェージンの草原」(「猟人日記」より)を正字正仮名で「心朽窩 新館」に公開。 『キリスト教の地平から遂に脱出できなかったドストエフスキイが、小説の中でキリスト教徒の「外部」に想像したもの――それは、信じてもいない神を逆説的に憎み、挑発し、その唯一の隠れ家である死にとうの神を追い込んでおき、それでいてやはりキリスト教徒であるような輩――その程度のもんじゃないか』 3/30 ブログ・アクセス100000突破記念としての「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン」の完全版を「心朽窩 新館」に公開。また、寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部」に「蝤蛑」(ガザミ/タカアシガニ)を追加。 『いつまでも可愛い女という彼女にしっくりする狭量なタイプに閉じこもったまま、愛することさえ知らない女でいて欲しい』 1/13 松村みね子「五月と六月」についての私の補注的解読『松村みね子「五月と六月」から読み取れるある事実』及び松村みね子「芥川さんの囘想(わたくしのルカ傳)」についての補注『松村みね子「芥川さんの囘想(わたくしのルカ傳)」イニシャル同定及び聊かの注記』をブログに記載。寺島良安「和漢三才圖會 巻第四十九 魚類 江海有鱗魚」に「鰣」(ヒラ)を追加。夜、みね子と龍之介のために芥川龍之介「越びと 旋頭歌二十五首」を正字正仮名で「心朽窩旧館」に公開。 『私の人生の恋愛双極性指数は、総てコミで、二十八だった』 2007年(抜粋) 10/20 ブログ記事記載1000件を記念して、増田晃詩集「白鳥」全篇を「心朽窩 新館」に公開した。 『将来、イギリスかドイツが公然と支配するヨーロッパ連合、それに国家という存在は飲み込まれてゆく――そしてこの超国家連邦にあっては、腐敗した官僚主義的社会主義と権『力による治安維持絶対主義が、完璧に遂行されるに違いない(4.29,1940)』 7/10 ブログに「ノース2号論ノート 教え子の疑問に答える」を記す。 『僕は神話として以外、偉人というものを信じないことにしている』 6/23 ブログに「ノース2号論ノート2 作品構造分析(完全版)」を記す。 『僕はもう終わったんです。とっくに小指を動かすことも出来ない』 6/19 教え子の写真作品をブログに公開(著作権者承認済)。『山田麻李安「羅漢」』、是非ご覧あれ! また、2年前にある別な教え子と約束していた浦沢直樹×手塚治虫「プルートゥ」の中の「Act.4-6 ノース2号の巻」についての論考のメモ「ノース2号はダンカンの夢に共感できるか?――ノース2号試論のための初期化注釈」と「ノース2号論ノート1 ダンカンの疾患及び特別出演ブラックジャックについての注釈」をブログに記す。 『世界は不完全であり、邪悪だ。僕はそれを批難する。僕は世界を弾劾し、世界を滅ぼす』 5/5 ブログに『芥川龍之介の幻の「佐野さん」についての一考察 最終章』を掲載。芥川龍之介の幻の作品「佐野さん」については僕の中ではこれで決着を得た。 『私が最初に性的不能に陥ったのは処女が相手だった――処女と性交不能――私は貞節な女であればあるほど、そのあの時の、インポテンツに陥った処女とのことに怯えた――しかもその女が夫や愛人との間で性行為を行うことで「穢されたのだ」と考えただけで胸糞が悪くなった――そうして――そうして私は完璧な穢れ故に心休まる娼婦を買って、そこに逃げ帰ったのだった』 3/17 節に殉じた我が兄井上英作の実録小説「フィリピーナ・ラプソディー」を「心朽窩旧館」に公開。 『僕は生まれて初めての聖体拝受に失望した。そして、初めて神へに祈った時にも、初めて女と寝た時にも、そうして戦場で初めて突撃した時にも――これがこの中では一番ましだったがね――、15分後にはすっかり失望してたし、初めて、やっと何か価値ある著作をものせたと思った時にも、初めて「世界一」と皆が呼ぶ「絶景」を見た時にも、15分だった――いや、待て、それは誇張に過ぎる――十二歳の時、弟が病気をした、その時の祈り、そしてシャルルッロワの突撃、最初に愛した女とのあの瞬間(最初に寝たこととこれは当然別ものだ)、何冊かの読書、パルテノン神殿――そうだな、結論から言えば、僕の人生の総ては、確かな充実した記憶に充満している――だから、永遠は瞬間の中にこそ宿る、と信じてるのさ』 3/16 教え子の美術秀作をブログに公開(著作権者承認済)。『相野谷由起「ゆきねえが来た!」』と「本間珠実 ゆき兎」。是非、御覧あれ! 『僕は画家になりたかったんだ――祖父さんが建築積算士だったからだろうか――画家っていうのは、裸婦を眺め、心ゆくまで裸婦を眺めて軽蔑し、老後を過せるからさ』 2/6 ブログに今日自身の節に殉じた我が兄への追悼「僕の兄は静岡空港建設反対に殉じた」と「井上英作兄へスメルジャコフの末裔より」を総身の現実世界への怒りと共に記す。 『自殺とは全ての行為と同じく一つの信条である。仲間達への信頼、仲間達というその存在、自我と他の幾多の自我との関係、そうした実在性への信頼なのだ』 2/1 ブログに『芥川龍之介の幻の「佐野さん」についての一考察』及び『芥川龍之介「或阿呆の一生」の「二十八 殺人」のロケ地同定その他についての一考察』を記す。 『「許す」と言ったその女の顔は決して忘れぬほどおぞましい鬼面そのものであった』 2006年(抜粋) 9/22 宮澤賢治忌。古い記事であるが「Blog鬼火~日々の迷走」の「宮澤トシについての忌々しき誤謬」は是非、多くの方に読んで頂きたい。賢治の妹トシの名誉の為に。芥川龍之介の「海のほとり」を正字正仮名で「心朽窩旧館」に公開。 『欺瞞から欺瞞への跳躍――それで人は人生経験なるものを積む』 6/16 「やぶちゃん版芥川龍之介句集五 手帳及びノート・断片・日録・遺漏」に純然たる新発見句6句を含む、15句を追加。ブログに芥川龍之介の幻の作品「佐野さん」に関わる論考「月光の女」を記す。 『社会は女のためにしか存在していない。女たちの営みが際限なく社会という織物を織り成す。女は社会の職工であり、王妃であり、怠けることのない門番である。 女たちさえいなかったら、その罠にはまってる男どもは、皆、とっくに天国に行っちまってる』 4/18 ブログ「亡き友へ」に「木蔭で――永野広務に」を記す。 『君は僕の友達か? だったら、このままの僕を愛してくれるはずじゃないか?』 4/15 芥川龍之介「或阿呆の一生」の注記に追加。ブログに「芥川龍之介の出生の秘密」を記す。 『18でも30でも、女は皆、優しいが、僕から逃げ出すか、僕を逃げさせる』 2/12 僕の梶井基次郎「檸檬」の授業が受けられなかった教え子たちへ、オリジナル授業ノートを「心朽窩旧館」からリンクさせた。ブログに僕の譲れないポリシー「注記とは何か」を記載。 『苦しみは感じません。僕は永遠の苦しみの中にいるのです』 2005年(抜粋) 9/25 「句集 鬼火」を独立。「僕との因縁のサイトへのリンク」に「沖縄が好きプラス」追加。「心朽窩」に1976年の旧稿を「旅芸人のスケッチ――29年前:舞踊家ギリヤーク尼ヶ崎」と題して、恥を忍んで追加。何が何でもギリヤークさんのことを載せたかった。 『その女は僕の子どもを孕むことで、僕を離すまいとした。だから、嫌いになったのだ』 7/25 「句集 鬼火」に「右腕を砕きて放つ鬼火かな」他2句を追加。 『僕は不器用だ。手が動かない。……本当に人を愛していれば全てを与えてくれるはずだ。僕は人を愛せない。愛せるはずがない。触れられない。捉えることができないんだ。心の問題なんだ!』 (注:これは、今の僕には切実な台詞となった。文字通りの、現実となったと言おう――Blog鬼火~日々の迷走2005/07/21以降へ訪れられたし……)。 2005/6/26開設――墳墓なき我が玄室に ようこそ。僕はやぶちゃん―― Aлaин Лэрoй Йaбунoвич Лука Taдaский ――俗名 藪野直史 筆名 藪野唯至――文理を問わぬ偏執狂的オリジナル電子テクスト及びオリジナル訳注・創作・俳句・怪談・芸術評論・古典研究……etc,……腐臭馥郁たる堆積――僕のプロフィル及びメール・アドレスはこちら―― 『あなたに申し上げよう。酔って墓の上に眠っても、何も面白くない。眠るのなら墓の中に寝るべきだ――』 ☆上記の日々の更新情報の末尾の台詞は、僕の言葉ではない。 作家 Drieu La Rochelle (ドリュウ・ラ・ロシェル)の諸作品、特に、 “JOURNAL” の日記本文の Drieu の言葉、及び、長篇小説“GILLES”の Gilles の、そして彼の原作になる Drieu La Rochelle/Louis Malle "LE FEU FOLLET" (邦訳題「消えゆく炎」=映画邦題「鬼火」)の Alain の原作本文の台詞・心内語、及び映画の台詞、さらにその Alain のモデルである Jacques Rigaut の "AGENCE GENERALE DU SUICIDE " や、今一人の偏愛する作家 Louis-Ferdinand Céline の諸作及び彼ら亡霊である或る男の遠い走り書きより、ランダムに、僕が自由に変形した訳や敷衍翻案したものを記載している。……そのセリフは、時々、消え……そうして、また、鬼火のように蘇ってくるであろう………… ★本HPの電子テクストは、他のサイトにもある同一のものは公開しないというコンセプトを死守する。即ち、僕の無益な自己満足のための二番煎じは作らないということである。本来、正字正仮名遣で書かれたものは該当底本を入手出来ればそれに従うことを原則としている。又、万一、一見、テクスト本文と同じものがWeb上にあるように見えても、それらは、既にあるものとは、違った校訂を施したものであったり、別底本のものであったり、更には僕のオリジナルな注釈や考証等を施してあるはずである。なお、電子テクスト中のPDF版以外の明記のない「縦書版」は一部のソフトでは機能しないので注意されたい。 ――私の不可視の玄室に初めて来られた方へ―― ★本サイト及び blog の文章及び画像は、藪野直史の創作及び叙述又は高等学校授業用に作成した授業案・補助プリントからの転載であり、電子テクスト翻刻本文・引用文及び引用注記のある画像を除く一切は、藪野直史の著作権に帰するものではある。しかし私は、私の著作物であることを明記される限りに於いて一切の制限を要求しない。即ち、電子テクスト翻刻本文のコピー・加工及び僕の文章や写真の引用に際しては、必ず本サイトのテクストを使用した旨明記されるか、または本サイトからの引用であることを分かるように、サイト名「鬼火」・ブログ名「鬼火~日々の迷走」等を表示して戴ければそれでよい(御連絡戴ければ有り難いが、特に要請するものではない)。リンク等を施される際には、下記の「心朽窩主人」の印影やバナーを張られるのも一興かと存ずる。私の呼称を記載される場合は、本名の藪野直史若しくは筆名藪野唯至若しくは通称の「やぶちゃん」の、何れを用いられても構わない。リンクは如何なる個別ページも総て自由にどうぞ(御連絡は不要である)。なお、僕の叙述への助言や疑義・テクストの誤植等については、こちらの僕のメール・アドレスを用いて、題名で内容が分かるように御連絡下されば、恩幸これに過ぎたるはない)。 |
★下のバナーは現代詩総合サイト POETICA IPSENON 様(2016年11月現在、閉鎖)にお創り頂いたもの(copyright 2005 POETICA IPSENON)。加工せずに使用されたい。 ☆ ブログ・カテゴリ ☆ 松尾芭蕉 §§§§ 「日本その日その日」E.S.モース 石川欣一訳【完】 §§§ 「進化論講話」丘淺次郎【完】 「生物學講話」丘淺次郎【完】 ★★★★ ジョン・ミリングトン・シング著 姉崎正見訳「アラン島」【完】 ★★★ 「博物誌」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文【完】 「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文)【完】 「葡萄畑の葡萄作り ジユウル・ルナアル 岸田國士譯( LE VIGNERON DANS SA VIGNE 1894 Jule Renard) 戦前初版」【完】 ΩΩΩΩΩ 小泉八雲 【「知られぬ日本の面影」・遺作「日本」及び作品集「骨董」・「怪談」・「天の河縁起そのほか」・「日本雑録」・「影」・「霊の日本」・「異国情趣と回顧」・「日本お伽噺」(五篇中四篇)・「仏の国の落穂」・「心」・「東の国から」の来日後の作品集全十二冊のオリジナル電子化注(正字正仮名版)を完遂し、来日前の作品集は「支那怪談」を終わった。】 γγγ 泉鏡花 ⦿ 夏目漱石「こゝろ」 ⦿ 南方熊楠【「履歴書」オリジナル注釈附及び「南方閑話」・「南方随筆」・「續南方隨筆」正規表現・オリジナル注附は完】 国木田独歩 § 柳田國男 【単行本「蝸牛考」(初版本)・「一つ目小僧その他」(初版本)・「遠野物語」(初版本)・「山島民譚集」(再版本)の単行本復元版「妖怪談義」全オリジナル注釈附電子化は完】 佐々木喜善【「聽耳草紙」正規表現版・オリジナル注は完遂】 § 萩原朔太郎・萩原朔太郎Ⅱ 夢野久作 小酒井不木 柴田宵曲・「柴田宵曲Ⅱ」 【「妖異博物館」及び「續妖異博物館」・「俳諧博物誌」(+その他)・「子規居士」・「蕉門の人々」・「随筆辞典 奇談異聞篇」・、「古句を觀る」の電子化注は完。】 △△△△△ 芥川龍之介 片山廣子 芥川龍之介盟友 小穴隆一 芥川龍之介「河童」決定稿原稿【完】 芥川龍之介『支那游記』「上海游記」・「江南游記」・「長江游記」・「北京日記抄」【総て完】 芥川龍之介 手帳【完】 芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈)【完】 芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠」という夢魔 芥川龍之介 書簡抄 * 『早川孝太郎 「猪・鹿・狸」』【完】+「三州橫山話」【完】 * 宇野浩二「芥川龍之介」【完】 芥川多加志 △△△△△ 佐藤春夫 ※※※ 江戸川乱歩 孤島の鬼【完】 ※ 堀辰雄 ※ 原民喜 ※ 中島敦 中島敦漢詩全集 附やぶちゃん+T.S.君共評釈 ☆☆☆ 梅崎春生「桜島」附やぶちゃん注【完】・梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注【完】・梅崎春生・「梅崎春生日記」【完】 ☆☆☆ 火野葦平「河童曼陀羅」【完】 §+§ 蒲原有明・伊良子清白・北原白秋 ・室生犀星・石川啄木・生田春月 ・宮澤賢治・村山槐多・富永太郎・尾形亀之助・山之口貘・伊東静雄・立原道造・増田晃・西尾正・村上昭夫・山本幡男・土岐仲男 § 山村暮鳥全詩【完】 * 大手拓次「藍色の蟇」【完】 「大手拓次」 * 八木重吉「秋の瞳」【完】 * 中原中也詩集「在りし日の歌」(正規表現復元版)【完】 § 「鬼城句集」【完】 * 畑耕一句集「蜘蛛うごく」【完】 * 飯田蛇笏・杉田久女・橋本多佳子・西東三鬼・篠原鳳作・鈴木しづ子 ★★★★★ 博物学 栗本丹洲 ★★★★ ★「和漢三才圖會」動物類全電子化注プロジェクト【完】★ 「和漢三才圖會」蟲類【完】 「和漢三才圖會」禽類【完】 「和漢三才圖會卷第三十七 畜類」【完】 「和漢三才圖會卷第三十八 獸類」【完】 「和漢三才圖會卷第三十九 鼠類」【完】 「和漢三才圖會」植物部(全) 「和漢三才図会抄」 人見必大「本朝食鑑」より水族の部 貝原益軒「大和本草」より水族の部【完】 神田玄泉「日東魚譜」 武蔵石寿「目八譜」 畔田翠山「水族志」 毛利梅園「梅園魚譜」 毛利梅園「梅園介譜」 「日本山海名産図会」【完】 ★ 海岸動物 ▽▽▽▽▽ 沢庵宗彭「鎌倉巡礼記」【完】 鎌倉古地誌「鎌倉日記」(德川光圀歴覽記)・「新編鎌倉志」・「鎌倉攬勝考」【三書総て完】 * 「北條九代記」【完】 * 十返舎一九「箱根山七温泉江之島鎌倉廻 金草鞋」第二十三編【完】 * 鎌倉紀行・地誌 △△△△ 柴田天馬訳 蒲松齢「聊斎志異」 §――§ 「今昔物語集」を読む 怪奇談集 【「佐渡怪談藻塩草」・「谷の響」・「想山著聞奇集」・「宿直草」・「北越奇談」・「老媼茶話」・「御伽百物語」・「諸国里人談」・「反古のうらがき」・「古今百物語評判」・「太平百物語」・「諸国因果物語」・「三州奇談」(正・続)・「万世百物語」・「金玉ねぢぶくさ」・「垣根草」・「信濃奇談」・「御伽比丘尼」・「怪談登志男」「怪談老の杖」の正字体電子化注を完遂。満杯超過のため、以下のカテゴリで継続。】 + 「怪奇談集Ⅱ」 【現在、「多滿寸太禮」・「新御伽婢子」・「因果物語」(片仮名本)・「大和怪異記」・「死靈解脫物語聞書」・「西播怪談實記」・「曾呂利物語」・「教訓百物語」・「近代百物語」・「新說百物語」・「奇異雜談集」・「怪異前席夜話」・「蘆江怪談集」(本カテゴリ初の近代怪談集)・「善惡報はなし」・「疑殘後覺」(抄)・「因果物語」』(抄)・「神威怪異竒談」の正規表現版電子化注を完遂。】 浅井了意「伽婢子」附やぶちゃん注【完】・浅井了意「狗張子」【完】 「諸國百物語」附やぶちゃん注【完】 「宗祇諸國物語」附やぶちゃん注【完】 津村淙庵「譚海」【完】 「耳嚢」【全電子化訳注・完】 「甲子夜話」 兎園小説【完】 只野真葛 ★★★★ 忘れ得ぬ人々 ★★★ アルバム ★★ 夢 ★ Capar David Friedrich **** Иван Сергеевич Тургенев *** 映画 ** ソヴィエト映画グレゴーリー・チュフライ監督作品「誓いの休暇」論 或いは 待つ母というオマージュ【完】 ### 芸術・文学 ## 詩歌俳諧俳句 ♪♪♪ 音楽 ●●●● 「無門關」【完】 ●●● 「栂尾明恵上人伝記」【完】・「明恵上人夢記」 ●● 「一言芳談」【完】 ◆◆◆ 「プルートゥ」 ∞∞∞∞∞ Art ∞∞∞∞ 藪野種雄 ∞∞∞ 肉体と心そして死 ∞∞ 由比北洲股旅帖 野人庵史元斎夜咄 「第一版新迷怪国語辞典」 ∞ ☆ ブログ・フォト ☆ The Picture of Dorian Gray (畢竟惨めなる自身の肖像) Alice's Adventures in Wonderland (僕の三女アリス) 僕の視線の中のCaspar David Friedrich (1996年ドイツにて) Exlibris Puer Eternus (僕が立ち止まって振り向いた君のArt) Pierre Bonnard Histoires Naturelles (僕の電子テキスト・ルナール「博物誌」からリンクせるボナールの全挿絵) シリエトク日記写真版 (2010年夏 知床) Air de Tasmania (2007年冬 タスマニア) 氷國絶佳 (2008年夏 アイスランド瀧紀行) SCULPTING IN TIME (写真帖とコレクションから) 忘れ得ぬ人々:写真版 (ブログ・カテゴリ「忘れ得ぬ人々」の写真版) 僕の見た三丁目の夕日 (遠き日の僕の絵日記から) 一人の妻帯者である僕によって忘れられた僕の古い写真帖、さえも (僕の古い写真帖から) |
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© 藪野直史(唯至) Tadashi Yabuno
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