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尾崎放哉全句集(やぶちゃん版新版    

  尾崎放哉全句集(やぶちゃん版新版正字體版
   ⇒尾崎放哉全句集(やぶちゃん版新版正字體版縦書版

 ■句集新全句集最終校訂 2008年8月 3日
 ■句稿底本との最終校訂 2008年7月21日
 ■注他:最終追加・補正  2011年2月13日

[やぶちゃん注:【2008年8月2日:新版のための緒言】以下の一連の注記のように構築してきた不完全な「■句集」を、真に「全句集」と言い得るものへと大きく再編成・改造を行った。主にそれは、不完全なものを3年間垂れ流し続け、当初「校合するだけのパワーが、残念ながら今の僕にはない」と自己拘束を避け如何にも小賢しい逃げを打った自分自身にけりをつけなくてはならないという思いを遂げるためである。この作業によって、現在出版されている何れの尾崎放哉の句集よりも採録句数は多くなったはずである。
 手順は春秋社1993年刊の伊藤完吾・小玉石水編「決定版 尾崎放哉全句集」を底本にした元の本ページの記載と、2001年に筑摩書房から出た村上護・瓜生鐵二・小山貴子編になる全集版第一巻句集(以下、筑摩版と呼称)本文との校合を行い、年代順に記載された後者を尊重しつつも、長い間、私が本ページでお世話になった前者春秋版に敬意を表したものとした。そこで以下のような形で作業を進めた。

Ⅰ 時代区分と初出順が明確な後者に則って(春秋社版の最大の欠陥は当該句の出所が殆んど不明な点にある。特に過去知られなかった句が突如として出現するのだが、それがどのようなソースによるものか全く不明である)、時代を編年に細分し、再編化(新たに「社会人時代」という柱を作成)して句順をほぼ発表順に並べ替え、後者筑摩版に載る春秋社版全句集の未掲載句を採った。その際、それが筑摩版のみに所収することを示していない(示す必要を感じないからである。私にあるのはあくまで素朴に全句集を作る楽しみだけである。アカデミックな煩瑣退屈な作業をしているのでは全くない。それを知りたければ両底本をお買いになるに若くはないのである)。

Ⅱ 次に前者と本記載を校合して、筑摩版で少しでも表記が春秋社版と異なる句については、《 》で該当句の下方に記載した(「うつうつと」→「うつ/\と」のような繰り返し記号=踊り字の有無も有効とし、別掲した。但し、筑摩版は新字体採用を謳っているので、「佛」→「仏」のような単なる新字体表記変更のみと思われるものは異同と認めない。但し、逆に「藪」ではなく「籔」、「背」ではなく「脊」、「寝」ではなく「寐」を表記として用いているような(新字採用統一・異体字排除の方針ならば本来通用字体を用いるべきであるのに幾分不可解ではある)場合は、春秋社版と異なるものとして別掲した)。どちらも原形・初出形を示したとする(春秋社版は後記の註で『層雲』初掲の形に戻すべく心がけたと微妙な表現となっており、厳密には初出形でないものが含まれているニュアンスではある)が、公平を期するため参考までに、その異同句に関しては大正15(1926)年春秋社刊の「大空」初版(私の所持するものは昭和58(1083)年ほるぷ社復刻のもの)に所収するものに限り、その掲載表記を「大空」より旧字体で後注に加えた。

Ⅲ 更に、両者共に「大空」初版と異なる場合は、本文と同列にして該当句下に【大空】と記して旧字体で配した(但し、私は「大空」を決定稿と考えるものでは毛頭ない)。また、筑摩版になく、春秋社版にある句は、細分化した年の柱、若しくはその上部タクソンの長期年代の柱の後に掲げることとした(春秋社版は句の配列基準を示していないので、その部分は作句順ではない)。これは本ページがただの筑摩書房版全集第一巻句集本文の引き写しではないこと、春秋社版全句集+筑摩書房版全集第一巻句集との二種を底本としたハイブリッド構成であることを示すための仕儀でもある。

なお、筑摩版にある季題及び主に井泉水らが附したと推定される層雲掲載時の標題は、私としては作品鑑賞には不要と考え、原則として除去してある。

【2008年8月3日:新版のための追記】今回の最終作業として、筑摩版の解題を用いて、そこから拾い得る異形を〈  〉で挿入して注記を附し、更に本ページ末尾に「
■存疑の部」を設けた。但し、自由律の部の〈 〉の句の内、発表後に「層雲句集」や「作品選」等に再掲された句の、別句とも思えるような極端な変化は、井泉水の斧正(?)によるものが多いと思われ、放哉の真意を反映しているとは考えにくいことを述べておく(放哉自身はそのことへの抵抗を全くと言っていい程感じていなかったことは事実であろうが)。なお、筑摩版の解題の位置には何箇所かで錯誤があり、異同の疎漏が認められる(これだけ煩瑣であればそれは致し方ないとは言えるが、一応、私の注記で指示しておいた)。この解題は句本文ページとの対応が示されておらず、非常に使い勝手が悪い。将来の改良が望まれる。
 最後に。現在私は、如何なる結社流派にも属さず、師事している者もいない。もし属していれば、個人の趣味としてもこのような勝手な仕儀は許されないであろう。そもそも門外漢の方には、素朴な疑念が浮かばないか? 何故「全句集」が何種もあり、そこに句数や表記に戸惑うような有意な相違があるのか、それらが何故速やかに止揚されてより良い、より人々の渇望するところの瑕疵のない「全句集」が生まれないのか――それらは如何にも、今もなお俳壇を支配している、あの桑原武夫が痛烈に批判したところの『中世ギルド的』残滓が生きているということの証しではなかろうか。

【2008年8月6日:「尾崎放哉全句集(やぶちゃん版新版正字體版)」のための追記】私は、私の普遍的な翻刻ポリシーを抜きにしても、本来、放哉の句は新字体ではなく正字で読まれるべきものであると思う。今後も新知見や新たな句集が出現するであろうが、出版では最早望めなくなった、本ページの正字体版を多分に恣意的ではあるが作成してみた。ある種の句の鮮やかな相違を味わって頂ければ幸いである。

【2011年2月13日:「尾崎放哉全句集(やぶちゃん版新版正字體版)」縦書版のための追記】私のHP内の俳句ページの全縦書化の最終段階に、「尾崎放哉全句集(やぶちゃん版新版正字體版)」の縦書化を行った。その作業過程で何箇所かの誤植及び不整合を発見し、本ページの方にも手を入れた。私としては「尾崎放哉全句集(やぶちゃん版新版正字體版)」縦書版こそが真骨頂と自認している。どうかそちらも/で放哉俳句を賞味あられんことを切に願うものである。


□上記以前の注記及び注記追加(降順記載)

【2005年7月17日:原記載+後に追加補足】前半部「
■句集」は、春秋社1993年刊の伊藤完吾・小玉石水編「決定版 尾崎放哉全句集」によるが、時系列に入れ替え、ルビをすべて排除してある(以下の2008年7月19日追記参照)。踊り字「/\」の濁音は正字に直し(繰り返しが漢字の場合はひらがな濁音とした)、句の下にある詞書と思われるものは括弧を外して前に移した。
 後半部「
■句稿」は、萩原家所蔵の放哉句稿集で、1997年8月及び9月号「随雲」所収の小山貴子校訂のものを元に、井泉水の朱点を排除し、文字下げやスペースも底本には従っていない。

・「※」以下は井泉水によって「層雲」掲載時に附された題名であることを示す。
・〈 〉は井泉水の添削を受けたものを示す。
・放哉自身の書き換えと思われる部分は抹消部分の表記を取り消し線によるもので示した。
・■は抹消された不明の字を示した。

字の上の「(ママ)」表記は勿論、編者によるものである。底本にある句稿中の井泉水への通信文は、本来なら削除するところであるが、膨大な句稿を読む際の、一寸一息になるので、そのまま転載してある(以下の2008年7月21日追記参照)。
 本ページの原型は私がこの電子テキストを作った1997年の時点で知られていた放哉の「全句集」であり、この後、2001年に筑摩書房から村上護・瓜生鐵二・小山貴子編になる3巻全集が出て、勿論、そこでの知見が最新の完備した「全句集」ということに、今は、なる(以下の2008年7月21日追記参照)。筑摩版では幾つかの句の排除・追加・表記の訂正がなされているが、それと校合するだけのパワーが、残念ながら今の僕にはない(但し、その後、上記以外の底本――概ね筑摩版に拠った――から追補をその後に行っている。下記の追記を必ず参照されたい)。

【2008年7月19日:追記+同年7月23日:補足】閲覧された方からの誤植指摘を受けて2005年の極めて杜撰であった前半部「
■句集」を全面校訂して訂正し、且つ、「中学時代」から「小豆島時代」のルビを一箇所を除き、排除した。春秋社版「決定版 尾崎放哉全句集」のルビは弥生書房版及び筑摩版全集にはない。そもそもこの後二者全集には原則的にルビはない。而してその春秋社版句集の末尾には『ふりがなは、必ずしも拘束するものではない』という註記がある。更に、それに続いて「放哉句の読み方」という注記が続き、そこには『本書では、漢字のふりがなは大部分、編者の判断でつけたので、すべて新かなづかいとした。』という一文がある。従って、原型を優先して、ルビを排除することとした。但し、「うづまき流るゝ煤煙の中雨が光り降る」のみ、筑摩書房版全集第一巻の句集本文を縦覧すると、その中で唯一と思われる「スヽ」のルビが見られるので、これは残した。
 最後に、筑摩版についての違和感を述べておく。これには、下にある春秋社版の中学時代の冒頭の句「きれ凧の」が本文に所収されていない。これは筑摩版の解題の解説中に参考句として示されている。それによれば、昭和31(1956)年11月刊の『鳥取市七十年』に、鳥取第一中学校時代、放哉の一学年上であった吉村翠明氏の記憶によるものとして掲載された句であるとし、且つ、放哉の最初期の俳号である『「梅枝」「梅史」の号はこの句がもとと言われる。』とも記している。同様に、この解題には筑摩版本文にも、私の前半部の底本である春秋社1993年刊の「決定版 尾崎放哉全句集」にも所収しない定型句5句も示されている(その後の同書の増補改定版である2007年4月刊「増補決定版 尾崎放哉全句集」にも矢張り所収されていない)。これらは、短冊や放哉の知人から別人への書簡中に現れるために採用されていないのであるが、如何にも不思議な扱いである。同様に、自由律の句でも、春秋社1993年刊の「決定版 尾崎放哉全句集」に所収する、「層雲」に井泉水が記載したものや他者の著作の掲載句6句、鳥取県立図書館蔵の直筆2句、短冊3句の計11句を句集本文から排除して「解題」中に示している(他にも解題中には排除された伝播句が散見される)。一次資料として原本が知られないものは別としても、短冊や直筆までも除外するのは、如何なものか。いや、井泉水が記したものを除外するのであれば、放哉の井泉水に添削された決定稿も客観的には等価である。解題は2段組の小さな活字で、鳴り物入りの膨大な新発見句稿の掲載方法とこれらの句の扱いの違いに、私は大いに疑義を感じる。せめて近世俳人の句集のように、本文末に存疑として決定稿に準じた扱いをするのが妥当であるように私は思う(【2008年8月3日:補足】本ページではそのように「
■存疑の部」として以上の定型句5句他を配した)。また、本全集には先行する句集・全集についての書誌がないのも大きな瑕疵である。ともかく、俳句の世界にあって、初出の明確な活字となったものしか一次資料として認めないという姿勢は、如何にも未発達で非論理的である。筑摩版は総合的に見て現在望み得る、最も優れた放哉の書籍であることは言を俟たない。だからこそ、この決定稿や句稿の編集方針は変更されるべきであると私は思う。

【2008年7月21日:追記】後半部「
■句稿」の再度の全面校訂を行った。本来ならば、この底本の編者が後に関わった2001年刊の筑摩書房版「尾崎放哉全集 第一巻 句集」の「句稿」に依るのが正しいとも言われるのであろうが、この部分の句稿についての『全貌が明らかにされている』(筑摩版全集末尾の瓜生鐵二氏解説)のは底本とした「隨雲」であり、また、私の如何にも拙い乍ら1997年時点での「尾崎放哉全句集(やぶちゃん版)」としての思いを残すために(当時、決定稿と句稿を同等に並べた形態をとった放哉句集本はこの世にまだ存在しなかったのである)、当時私が作成に用いた1997年8月及び9月号「随雲」を用いた。但し、明らかな誤植と思われるものは筑摩版に当たった上、補正してある。今回、

・放哉が振ったとするルビ部分を底本通り表記した。
・傍点「ヽ」は「・」を用いた。
・題名の文字下げは底本に従い、スペースは原則、一字分とした。
・抹消部分の表記を、当初の( → )の方式から、取り消し線によるものに変更した。
・井泉水への通信文や詞書のようなものは改行を省略して一続きにした(その文中の傍点「ヽ」については、私のブラウザの好みの関係上、下線に代え、更に傍点「○」については斜体に代えた)。

一部に私の注を附した。また、ブラウザでの濁音や字の細部が見難くなるため、絣の背景(私は結構気に入っていたのであるが)をやめ、又、unicodeの字が拡大されずに醜くなるため、フォントを通常の明朝にした。
 なお、近年、浮気な私は放哉から離れていたため、迂闊にも無知であったが、春秋社の「決定版 尾崎放哉全句集」は新発見句や句稿を増補して、「増補決定版 尾崎放哉全句集」となって2007年4月に刊行されているし、2008年2月にはちくま文庫から筑摩書房版全集に編者として参加している村上護編になる「尾崎放哉全句集」なるものが出ている(【2008年7月30日追記】参照)。現在の放哉の最新の全句集はこれらの書籍ということになろう。

【2008年7月22日:追記】2001年筑摩書房刊の「尾崎放哉全集 第一巻 句集」には、「句稿Ⅰ」として先に示した萩原家所蔵の放哉句稿集が所載されているが、その後に、「句稿Ⅱ」として「句稿Ⅰ」以外の句稿を推測作句年代順に掲載してある。この句の中には本ページが底本とした春秋社1993年刊の「決定版 尾崎放哉全句集」に含まれない句が三十数句認められる。筑摩版の決定稿を校合せずに、これを採用するのは、アカデミズムからは到底許されないであろうが、ここは自在な「やぶちゃん版」、パワーがないと三年前に言った所に佇んだままでは進化しない。とりあえずの補遺として、それらを掲載順に抜き出して「
■拾遺句稿」の名で後半部の句稿の最後に列挙しておいた。その際、「増補決定版 尾崎放哉全句集」の表記違いに過ぎないものも、一応、〔 〕で括って示し、後注で「■句集」の句形を掲げた。極めて似ていると感じられる句には参考にその類型句を掲げた。これらはすべて大正14(1925)年から大正15(1926)年にかけての、小豆島での創作句稿と考えられる。

【2008年7月23日:追記】2001年筑摩書房刊の「尾崎放哉全集 第一巻 句集」には、定稿の「定型俳句時代」のパートの最後に「沢芳衛あて書簡中の句」という極めて特異な部立がなされている。彼女は放哉の従妹で、彼の悲恋の相手であった(↑ブログ・コメント参照)。私は個人的な感懐に於いてこの異例の部立、放哉恋愛句集が好きでたまらない。そうして、ここには十八句の春秋社1993年刊「決定版 尾崎放哉全句集」に所収しない句が認められる。そこでこの部分を全て「
■沢芳衛宛書簡中に現れる句」として「■句集」と「■句稿」の間に配した。その際、「■句集」に所収されている句も沢芳衛への句として鑑賞し直すことの妙味を考えて、敢えてそのまま重複させた。「うつむきてふくらむ一重桔硬哉」など、それが彼女へ寄せたもの、何より、その詞書のあるやなしやで、イメージは天地ほども異なるからである。重複である句は句の右に〔同〕とし、表記違いの場合は〔 〕内に「■句集」の句形を掲げた。なお、ルビは勿論、底本にあるものである。底本解題によれば、句順のほとんどは編者が便宜上並べたもので創作順ではないとする。

【2008年7月30日:追記】昨日仕事で山から帰った日、「
■句集」の底本とした1993年春秋社刊の「決定版 尾崎放哉全句集」の増補した2007年4月刊の「増補決定版 尾崎放哉全句集」が届いていた。陽に焼け爛れた手で縦覧したところ、本ページに所収しない句として、「新句補遺」として22句が追補されている。山の馴れで3時に起床してしまった今未明、また新たな放哉を迎えよう。「増補決定版 尾崎放哉全句集」ではこれらの新発見句が別立てで纏められているが、すべて制作年代が判明しており――大正7(1918)年19句、大正12(1923)年1句、大正13(1924)年2句――その内、前の20句(小山貴子氏発見句。彼女は筑摩書房版全集の編者の一人)は発表年代順に配列された2001年刊の筑摩書房版「尾崎放哉全集 第一巻 句集」に所収しているため、その該当位置に配した(この作業の中でやはり不思議なことに筑摩版に決定稿として所収されておりながら、この春秋社2007年刊「増補決定版 尾崎放哉全句集」に所収していない句を複数句見出す。まだまだ『全句集』の闇は深い)。残る大正13(1924)年の書簡からの2句(井上泰好氏発見句)は、「増補決定版 尾崎放哉全句集」の「新句補遺註記」に該当書簡の日時が記されていないため、「一燈園時代」と「須磨寺時代」の間に「大正13年」の部立を新たに設け、配した。なお、この大正13年の最初の句の「暗の底」の「暗」には「やみ」のルビがあるが、これは書簡中の句であり、放哉自身が振っている可能性も高く、難のない読みであると判断し、「■句集」の私の凡例から外してルビを残した。
 今日の午後、山の代休を貰ったので、職場帰りに本屋に立ち寄り、最新の放哉全句集である2008年筑摩書房刊の村上護編になる文庫版「尾崎放哉全句集」を購入し、帰宅の車中で縦覧した。この方は筑摩版全集の編者の一人であるから、6年後の文庫化に際し、新発見句を期待したが、これは今日アップした「増補決定版 尾崎放哉全句集」>に新発見句として掲げられている大正13(1924)年の書簡からの2句(井上泰好氏発見句)も所収しておらず、例の全集解題所収句も掲載していないし、筑摩版全集以降の新発見句を収録しているという記載もない。いや、何よりこの本、失礼ながら私には>如何にも奇妙な全句集に見えるのである。全句集ではない、というのでは更々、ない。そんなことを言ったら、筑摩書房版全集と校合せず、多量の未掲載句がある私の拙なるこのページは当然、今では最早、「全句集」ではない。この本は、確かに現在可能と思われる校合の末に完備した筑摩版全集を元にしており、これは「確かにすべてを載せてある」全句集ではある。そうではなく、私の強い違和感はこの本の構成にあるのである。本書は冒頭「Ⅰ 遁世以後」として一燈園時代以降の句を全句挙げながら、明治33(1900)年から大正12(1923)年の句については、村上氏が選句した「Ⅱ 俗世の時代」という選句集の体裁を採り、二段組の「Ⅲ 句稿」を挟んで、その後にやはり二段組にして「Ⅳ 俗世の時代・拾遺」というパートがあって、ここで村上氏曰く、『わたしが選した「Ⅱ 俗世の時代」からもれた句をここに所収し、放哉の全句を収録したわけだ。』と謂う。私は、作家村上護氏の選句眼を疑うものではない。しかし、選から外して小さな活字で狭苦しく組まれた、私に言わせれば「二流どころ」とする弁別的表示にはやはり同調出来ない。更にその選別は、百数句という如何にも切りのいい選句数の定型時代から自由律時代双方に及んでいるのであるが、やや定型志向の強い読者、自由律オンリーの方、双方向自在な方と、それぞれに選句基準は極めて激しく異なるであろうことは火を見るよりも明らかだ。定型派から見れば、評価が全く反転するものがあるのは元より、放哉という存在への各々の多変数関数的な捉え方によって、駄句も佳句となるのは、自由律の場合、定型よりも甚だしいとさえ思われるのである。私は現在、自身が創作上、結句、定型へと収斂するような傾向にあるので(言っておくが、私は自分が定型俳句に回帰しつつある等というような偉そうな物謂いをしているで決して、ない)、村上氏の放哉の定型俳句の選句にはやや違和感を感じるのである。村上氏は自身のオリジナリティを出したいと思われたのであろうが、このように編者による選句によって同時期の作品が恣意的に分断され、活字上卑小化されて分別表示されるというのは、私には、「全句集」としては、不適切であると思う。あくまで我々個々人の意識で、均一に表示された作品を自律的に選び取ることが出来るのが「全句集」の良さであると私は思うのである。編者は、それは購買する側の自己責任であると言うのであろうが、買う者は、全句集という言葉に矢張り強く惹かれてしまうものなのである。だから少なくとも、私の拙なる「全句集」は、総ての句がなるべくフラットであることを旨としたつもりである。]




■句集



   
中学時代   明治30(1897)年~明治35(1902)年


きれ凧の糸かかりけり梅の枝


  
明治33(1900)年


教場に机ばかりや冬休暇

穴蜂や別荘の花の下

蚊帳釣つて子に添乳する暑さかな

水打つて静かな家や夏やなぎ

《水打て静な家や夏やなぎ》

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年9月発行の『鳥城』第2号所収の表記とする。同解題に『鳥城』は明治33(1900)年6月に創刊された放哉の在籍した鳥取第一中学校の校友会雑誌の名とある。]

新らしき電信材や菜たね道

新らしき電信村も菜種道

よき人の机によりて昼ねかな

鯉のぼり下して居るやにはか雨

《鯉幟を下して居るやにはか雨》

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年9月発行の『鳥城』第2号所収の表記とする。]

古井戸や露に伏したる萩桔梗

刀師の刃ためすや朝寒み

露多き萩の小家や町はづれ


  
明治34(1901)年


虫送り鎮守の太鼓叩きけり

湯所は白足袋穿いて按摩かな

温泉所は白足袋穿いて按摩かな

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年3月発行の『鳥城』第4号の初出。「温泉所は」は、同解題によれば、放哉が参加した阪本四方太(鳥取出身の『ホトトギス』の俳人)を師事するグループ「卯の花会」の句会報告所収の表記とする。]

寒菊やころばしてある臼の下

寒菊や鶏を呼ぶ畑のすみ

門を入り門を入る日傘二つかな

旅僧の樹下に寝て居る清水哉

洞窟の頭にたるゝ清水かな

石に踞して薬とり出す清水哉

病いへずうつうつとして春くるる

《病いへずうつ/\として春くるゝ》

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年9月発行の『鳥城』第5号所収の表記とする。]

行春や母が遣愛の筑紫琴

行春の今道心を宿しけり

木の間より釣床見ゆる青葉かな

欄干に若葉のせまる二階かな

見ゆるかぎり皆若葉なり国境

別亭に火をともしたる若葉かな

夕立のすぎて若葉の戦ぎ哉

石階の半ばは見えて若葉かな

城廓の白壁残る若葉かな

《城廓の白壁残る若葉哉》

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年9月発行の『鳥城』第5号所収の表記とする。]

月代や廊下に若葉の影を印す

山茶花の根もとに雪を掃きよせぬ



   
一高時代   明治35(1902)年~明治38(1905)年


酒のまぬ身は葛水のつめたさよ


  
明治35(1902)年


元旦を初雪降るや二三寸


  
明治37(1904)年


雨はれてげんげ咲く野の夕日かな


  
明治38(1905)年


峠路や時雨晴れたり馬の声

《峠路や時雨はれたる馬の声》

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、第一高等学校校友会発行の雑誌『校友会雑誌』第一四三号(同年1月30日発行)の初出とする。]

しぐるゝや残菊白き傘の下

雨晴れてまた夕日すや鯔の飛ぶ

朝霧に戸をあくる音や芙蓉園

申し置いて門を出れば時雨哉

森の雪河原の雪や冬の月

鯛味噌に松山時雨きく夜かな

茶の花や庵さざめかす寒雀



   
大学時代   明治38(1905)年~明治42(1909)年


煮凝りの鍋を鳴らして佗びつくす

返り咲く園遅々と行く広さかな

[やぶちゃん注:以下、「春寒やそこそこにして銀閣寺」迄の句は、後掲の「
■沢芳衛宛書簡に現れる句」をも参照のこと。]

元日や餅二日餅三日餅

すき腹を鳴いて蚊がでるあくび哉

くづれては鴛鴦に波うつ松の雪

鶴を折る間に眠る児や宵の春

一斉に海に吹かるる芒かな

投げられて負けてもまけぬ相撲哉

大霧はるる百万石の城下哉

提灯が向ふから来る夜霧哉

提灯が火事にとぶ也河岸の霧

郷を去る一里朝霧はれにけり

四十雀五十雀よくシヤベル哉

姿見に灯うつる夜寒哉

鏡屋の鏡に今朝の秋立ちぬ

木犀に人を思ひて俳徊す

百文に売りとばす蚊帳の分れ哉

むかし寺のありたる町の夜寒哉

だらだらと要領を得ぬ糸瓜哉

我庭の露三升や月今宵

奈良に来て未だ日の入らぬ紅葉哉

自炊子の起きて又食ふ夜長哉

油尽きて寝てしまひたる夜長哉

火事の夢さめて火事ある夜長哉

白粉のとく澄み行くや秋の水

うつむきてふくらむ一重桔硬哉

寺多き谷中の鶏頭鶏頭哉

胡地の秋千里背水の陣をはる

烏瓜は短かく糸瓜長き哉

種瓢綽然として棚の月

籠の中に色々の茸集めけり

山火事を背戸に出て見る芒哉

夕ぐれや短冊を吹く萩の風

朝霧の凝りて蜜柑の千顆哉

圓橋や紅葉に白き蝙蝠傘

月出でぬ河南河北の砧哉

耳なれて妻の砧や夢に入る

雨三度降て長き夜あけにけり

遅速ある二つの廻り燈籠哉

廻燈籠まはらずなりぬ稚子ねたり

耶馬溪の山皆高き紅葉哉

秋の風我がひげを吹き残を吹く

秋の山幽なり水静かなり

稲妻や犬しきりなく椽の下

秋日和四国の山は皆ひくし

夕暮を綿吹きちぎる野分哉

手探りに芋やたら食ふ無月哉

秋の雨朝より障子しめきりつ

紅葉さげて汽車にのる人集いけり

急ぎ足に草履の人や後の月

滝途や冷やかにとぶ白き蝶

冷や/\と見え透く籔や白き蝶

松が根に春の雪かき集めけり

箱庭や寸人尺馬春の雪

行く秋を開ききつたる芙蓉哉

赤黒き迄谷底の紅葉哉

碧潭や紅葉ちりこみ吐き出す

初汐や空舟月に浮かびけり

蓮の実をとばし尽して野分哉

行き/\て鳩の宮ある花野哉

行く秋を人なつかしむ灯哉

撫子に遊び友達もなかりけり

水仙の百枚書きや春寒し

春寒や母のなりしを絹小袖

春寒や嵐雪の句を石にほる

春寒や小梅もどりのカラ車

春寒やそこそこにして銀閣寺


  
明治39(1906)年


井田の並木も霜の旦かな

冬ざれに黄な土吐けり古戦場

煮凝りや彷彿として物の味

煮凝や彷彿として物の味

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年2月10日発行の『ホトトギス』第九巻第五号所収の表記とする。]

泥沼の泥魚今宵孕むらむ

物種の百種に尽きず紙袋

開墾地種播く人に晴れにけり

春浅き恋もあるべし籠り堂

張り替へて障子閉づれば鵙が鳴く

百舌にあいて行けば餅つく小村哉

大江や月急ぎ落つ露の明け

霜踏むで指す方もなき花野哉

塗骨の扇子冷たき別れかな

行秋の居座り雲に夜明けけり

冬されて赤が褪めたるざれ絵哉

冬されの山畑掘れば芋が出る

光琳の偽筆に炭がはねる也

炭やたらはねて晴れける朝の空


  
明治40(1907)年


初冬の蘇鉄は庭の王者かな

いぬころの道忘れたる冬田かな

《いのころの路忘れたる冬田かな》

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、《 》は同年2月7日発行の『国民新聞』の初出で、「いぬころの道忘れたる」は同年5月1日発行の『ホトトギス』第九巻第八号所収の表記とする。]

椿咲く島の火山の日和かな

水汲みに来ては柳の影を乱す

春雨や磯分れ行く船と傘

春雨や磯を別るゝ行く船と傘

[やぶちゃん注:筑摩版によれば同年3月7日発行の『国民新聞』の初出で、「磯を別るゝ」は明治42(1909)年5月紫芳社刊の「現今俳家人名辞書」所収の表記とする。]

骨焼けて腸焦げよ二日灸

風は皆湖へ吹きけり凧

伊勢詣で凧の丸きを見てはやす

飯蛸や一銭に三つちゞかまる

曲水も暮れゆく猪口や草がくれ

船路来て繁華な町や凧

閨房に昼の日高し海棠花

桃の晴産屋の障子開きけり

山吹や皿をあやまつ池の底

山吹やほき/\折れて髄白し

鯛膾二舟相寄る朧かな

春水や泥深く居る烏貝

ふらここや人去つて鶴歩みよる

《ふらこゝや人去つて鶴歩みよる》

[やぶちゃん注:筑摩版は同年5月18日発行の『国民新聞』の初出表記とする。]

何処へやら月が出て居る青葉かな

何処へやら月が出て居る青葉哉

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年5月28日発行の『国民新聞』初出で、「青葉哉」は明治42(1909)年3月刊の松根東洋城撰「新春夏秋冬 夏之部」所収の表記とする。]

等閑に飛橋人行く青葉かな

滝つ瀬の川になり行く青葉かな

坊々は谿にのぞめる青葉かな

藻に深く金魚ほのかに泳ぎけり

別荘や牡丹の花に松の影

灌佛や美しと見る僧の袈裟

心太清水の中にちゞみけり

つめたさに金魚痩せたる清水哉

夏の月塔に上れば横に在り

舟中に雷を怖れぬ女かな

吹かれ鳴く蝉二つ三つ朝渡し

長櫃の帰りはかろき夏野かな

寝て聞けば遠き昔を鳴く蚊かな

卯の花の散り残りけるは鴨足草

夕立や渚晴れ行く波高し

百合咲くや朝ほがらかに藪の中

稲妻や豊年祭過ぎし空

紫陽花の花青がちや百日紅

象に乗て小さき月に歩みけり

《象に乗て小さき月に歩りきけり》

象に乗て小さき月に歩きけり

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、《 》は同年10月6日発行の『国民新聞』初出で、「歩きけり」は明治44(1911)年11月刊の松根東洋城撰「新春夏秋冬 秋之部」所収の表記とする。]

石塔にもたれて月を眺めけり

波際に霧晴るゝ迄佇みぬ

焚きつけて妻は何処へ朝寒し

轡虫籠ふるはして鳴きにけり

路傍の萩に祭の行燈かな

高野道御山蜻蛉の日和かな

山の墓燈籠ともして帰りけり

本堂に上る土足や秋の風

盗まれし菊をいよいよ惜みけり

《盗まれし菊をいよ/\惜みけり》

[やぶちゃん注:筑摩版は同年11月7日発行の『国民新聞』の初出表記とする。]

朝顔や金魚は白き秋となり

潮風に赤らむ柿の漁村かな

遅く著く船や夜寒の迎ひ人

堤歩りく提灯高き夜寒かな

去年行幸ありし紅葉の社かな

草に投ぐる餅にかけるや神の鹿

冷々と滝道飛ぶや秋の蝶

《冷や々々と滝路飛ぶや秋の蝶》

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、《 》は同年11月5日発行の一高の『校友会雑誌』初出で、「冷々と滝道飛ぶや」は同年12月1日発行の『ホトトギス』第十一巻第三号所収の表記とする。]

舟中に紅葉照り込む夕日哉

荷車を引き込む萩の無残かな

七つ池左右に見てゆく花野かな

七つ池左右に見て行く花野かな

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年12月4日発行の『国民新聞』初出で、「見て行く」は明治44(1911)年11月刊の松根東洋城撰「新春夏秋冬 秋之部」所収の表記とする。]

水辺に焼けし家あり暮の秋

暮るゝ日や落葉の上に塔の影

風邪に居て障子の内の小春かな

午過ぎに棒振るならひ冬籠

鶏頭や紺屋の庭に紅久し

鶏頭や紺屋の庭の紅久し

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年12月1日発行の『ホトトギス』第十一巻第三号初出で、「庭の」は明治44(1911)年11月刊の松根東洋城撰「新春夏秋冬 秋之部」所収の表記とする。]

団栗を呑んでや君の黙しぬる

《団栗を呑んでや君の黙したる》

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年12月1日発行の『ホトトギス』第十一巻第三号初出。]

雪の原何処まで見ゆる月の雪舟

七峠八坂に馴れぬ雪舟の棹

短日や已に灯して寄席のあり

長橋に暮れ早き日の移り哉

大船に小舟寄る火の寒さかな

あの僧があの庵へ去ぬ冬田かな

一つ家の窓明いて居る冬田かな


  明治41(1908)年


餌をやる人に鶴舞ふ初日かな

初日出て目出度く雲にかくれけり

浜社どんどの神事終りけり

お降や縁に縺れし凧の糸

草の家の屏風に張れり絵双六

奥の方幾間距てしかるたかな

奥の方幾間へだてしかるた哉

[やぶちゃん注:筑摩版によれば同年1月15日発行の『国民新聞』の初出で、「へだてしかるた哉」は明治42(1909)年5月紫芳社刊の「現今俳家人名辞書」所収の表記とする。]

近く来て城の大破や枯野原

御降りに新しき足袋ぬらしけり

《御降に新しき足袋ぬらしけり》

[やぶちゃん注:筑摩版は同年『趣味』1月号の初出表記とする。]

炭取りに土間に降りたる寒さかな

《炭取りに土間に降り立つ寒さ哉》

[やぶちゃん注:筑摩版は同年2月5日発行の『国民新聞』の初出表記とする。]

山茶花やいぬころ死んで庭淋し

白梅の広き構へや禰宜が家

闘牛の装ひなりぬ梅赤し

《闘牛の装なりぬ梅赤し》

[やぶちゃん注:筑摩版は同年2月11日発行の『国民新聞』の初出表記とする。]

探梅や曾遊の危橋眼前に

写生して人去る野路の梅淋し

榾下ろす馬の背骨の聳えけり

《榾下ろす馬の脊骨の聳えけり》

[やぶちゃん注:筑摩版は同年2月20日発行の『国民新聞』の初出表記とする。]

荒釜を煮馴らす冬の夜毎かな

返り花小鳥も鳴かぬ社頭かな

返り花あからさまなる梢かな

返り咲く馬場の桜や遠くより

別れ来て淋しさに折る野菊かな

君去つて椅子のさびしき暖炉哉

飛び込んで犬雪振ふ暖炉哉

雛三日見つつ馴れける読書かな

《雛三日見つゝ馴れける読書かな》

[やぶちゃん注:筑摩版は同年3月3日発行の『国民新聞』の初出表記とする。]

小弓引散りも初めぬ桜かな

   *

[やぶちゃん注:以下「あたたかき炬燵を出る別れ哉」迄は、筑摩版によれば明治41(1908)年3月1日発行の『ホトトギス』(第11巻第6号)に掲載されたもので、前年の明治40(1907)年の12月26日~28日の鳥取への帰郷の往路及び明治41年1月9日~11日の復路の両道中の俳文と推定されている。貴重な資料であるので例外的に全集版より俳文総てを起こした(春秋社版には俳文部分は所収しない)。私には個人的に、この「江ノ島は曾遊の地也。」の詞書を持つ枯野原見覚えのある一路哉」という句が、激しい痛みとなって迫ってくるのである。なお、最後の句のみ、筑摩版で表記違いがある。

十二月二十六日、郷里に向つて新橋を発す。

    箱根近傍

  水に遠き冬川堤の焚火哉

  冬の山神社に遠き鳥居哉

    大船近傍

江ノ島は曾遊の地也。

  枯野原見覚えのある一路哉

二十七日午後、上郡駅より下車して、北行三十里、中国山脈に向ふ。人力車あり。

    途中吟

  炬燵ありと障子に書きし茶店哉

  野のはての蛇飼ふ家の障子哉

  提灯を雪に置きけり草鞋はく

    駒帰り峠

山嶮なれば駒も帰るとて此称あり。山陰と山陽とを分つて、中天に聳ゆ。

  駒返り峠に向ふ霰哉

絶頂に地蔵あり、泣地蔵と云ふ。始めて郷関を辞する者皆こゝに来つて泣くが故也。

  大木にかくれて雪の地蔵かな

一月九日、郷里を発す。

  あたたかき炬燵を出る別れ哉

 《あたゝかき炬燵を出る別れ哉

   *

牡丹園狭く住へる母屋かな

今朝秋や庭を掃き居る陰陽師

筆筒にいつまで秋の扇かな

松原のあかるき砂に野菊かな

御輿の中に歌のある野菊かな


  
明治42(1909)年


冷かに居れば月さす後ろかな

冷かに居れば月さす後ろ哉

[やぶちゃん注:筑摩版によれば同年1月1日発行の『ホトトギス』第十二巻四号の初出で、「後ろ哉」は明治42(1909)年5月紫芳社刊の「現今俳家人名辞書」所収の表記とする。]

水仙のかたむく花や霜柱

火を焚いて居ればくづるゝ霜柱

水仙に降りにけり雪五六尺

松風が通ふ紙衣の穴目かな

松風が通ふ紙子の穴目哉


[やぶちゃん注:筑摩版によれば同年3月1日発行の『ホトトギス』第十二巻六号の初出で、「紙子の穴目哉」は明治42(1909)年5月紫芳社刊の「現今俳家人名辞書」所収の表記とする。]

風邪の神覗く障子の穴目かな

何処からも見ゆる東寺や草を摘む

朝の霧楠の雫となりにけり

杉苗の深山に入れば狭霧かな

揺ぎ岩揺ぐ波かや夏の月

青嵐綸を引き居る大魚かな

[やぶちゃん注:「綸」は釣り糸のことで、「いと」と読ませるのであろう。]

絶頂に登りつく池や青嵐

傾城の魂ぬけし昼寝かな

末法の遊女もすなる夏書かな

行水や祭の事で来る家主

本堂に遠き心や行水す

行水の家内少なに大家かな

紫陽花に松のしづくや水打てば

《紫陽花に松の雫や水打てば》

[やぶちゃん注:筑摩版は同年8月7日発行の『国民新聞』の初出表記とする。]

日傘さす人に栄えある渡船かな

水色を涼しきものに日傘かな

清水の舞台に動く日傘かな

獲物来る時色赤き火串かな

僧房の絵師を見知りし鹿の子かな

雪よけの長き廂や蚊喰鳥

蝉なくや草の中なる力石

数の中啞蝉もあるあはれかな

蛍飛ぶ門が嬉しき帰省かな

橋高し皆水に飛ぶ蛍かな

波高くなりて沙魚釣る危舟かな

鶏頭や犬の喧嘩に棒ちぎり

山門に日の当りたる芒かな



    
社会人時代   明治43(1910)年~大正12(1923)年



  
明治43(1910)年


路傍のはやらぬ神も恵方哉

焼印や金剛杖に立てる春

釣堀に傘の雫や春の雨

薔薇の雨けさに晴れたる木馬かな

鴨足草石の起伏に咲きにけり

木苺を貪り食へば山淋し

五六本折れば濃き黄や女郎花

一里来て疲るゝ足や女郎花

木犀や町はなれ来て三軒家


  明治44(1911)年


芋掘るは愚也金掘るは尚愚也

掛稲の石段登るみ寺かな

茸の毒に死に絶えし家のあるあはれ

只のやうな松露買ひけり峠茶屋


  大正3(1914)年


炉開いてはたと客なき一日かな


  
大正4(1915)年


常夏の真赤な二時の陽の底冷ゆる


  
大正5(1916)年


炭切る小僧と垣の野菊にうすき陽のあり

新聞のさし絵彩る児等秋日さす縁に

湖へ強く風吹き暮るゝとんぼとんぼ

冬田立木三本に青空晴れてあり

雪の上を匍へる蚯蚓に午後の日はあり

日ざしをりをり凩に暮るる鏡店

《日ざしをり/\凩に暮るゝ鏡店》

[やぶちゃん注:筑摩版は同年『層雲』3月号の初出表記とする。]

墓より墓へ鴉が黙つて飛びうつれり

川に漬けし障子に日毎降りやまず

葱青々と寒雨つゞくかな

雪晴れの昼静かさを高く泣く児かな

美しい子が椿照る夕日の中に立ちたれ

酒甕に鶯の藪もるゝ日ざし

花火の音近き夕雪駄ならし行く

ひねもす曇り居り浪音の力かな

《日ねもす曇り居り浪音の力かな》

日ねもす曇り浪音空にこもりたり

[やぶちゃん注:「大空」初版は「ひねもす曇り浪音の力かな」である。筑摩版は同年『層雲』5月号の初出表記とする。〈 〉は大正6(1917)年12月刊の「層雲第二句集」の句形。]

青空映す水たまり墓地の一隅に

湖の風にふるひ居る森の花草

おぼろ夜の灯を音を吸へる池なれ

剃り居る間鶯がだまり居れる朝

護岸あるる波に乏しくなりし花

《護岸あるゝ波に乏しくなりし花》

[やぶちゃん注:「大空」初版は「護岸あるる波に乏しくなりし花」である。筑摩版は同年『層雲』6月号の初出表記とする。]

陽炎へる縁に居り何も思はず

跣足の児がスタ/\と行けり柳暮る

草に残る風のみに月夜となれり

火が灰になり行く猫と静けさ

そこな土瓶に夕日集れり打つ田かな

土より暮るヽ墓に線香の火が赤けれ

海が明け居り窓一つ開かれたり

手紙つきし頃ならん宿の灯る見ゆ

椿が赤く咲き出でて井戸が深いかな

夏帽の静かさを降り来る松葉

雪の晴れ間のあかるさに光る牡鶏

菜の花に一日で出来上りし家

汽車慌しく過ぎし踏切を渡りゆく乞食

谷底に只白く見ゆる流れなる

水の闇が濃くなりゆけば赤い灯が

若葉を貫く光りにふくるゝ清水

雨が光り居り青空がひろがり行けり

絵馬堂にのびあがり見し海なりしが

漁師の太い声と夕日まんまろ

児等と行く足もと浪がころがれり

燈台守が培へる草花の赤さ

温泉が湧く音を聞きをりひたる一人なれ

温泉づかれの淋しき手足の白さ

寝転べる男に夕べの雲の色変る

橋を渡る時星が一斉に光れり

せわしき蟻のひとむれに蝉が死にゐたれ

あかつきの風が明け居れるお寺なれ

石積む船が曇れる川づらを下れり

馬の鈴音しやんしやんと急がるる町の灯

《馬の鈴音しやんしやんと急がるゝ町の灯》

[やぶちゃん注:「大空」初版は「馬の鈴音しやんしやんと急がるる町の灯」である。筑摩版は同年『層雲』10月号の初出表記とする。]

一心に物書く男に昼の蚊が鳴けり

稲妻はためき消えて青田の風なり

町を貫く川の橋々の夜の灯なれ

犬がのびあがる砂山のさきの海

笛吹き居れど動かぬ金魚昼深かし

麦のびたり郵便夫と話しゆく

馬倦まず歩みつゝ麦のいきれかな
       ス ヽ
うづまき流るゝ煤煙の中雨が光り降る

雨がやまず降り居り水は流れをる

煙草の煙を吹きちらす潮風なれ

月いよ/\あかるきに物思ひをる

あかつきの木々をぬらして過ぎし雨

夕焼け河原の撫子に花火筒を据う

格子戸の鈴が鳴る花火のあがる夕

酔がさめ行く虫の音の一人となりて

社をろがみまつるに木立日も漏れず

浜砂に根深く生ひし草花なれ

浜つたひ来て妻とへだたれる

とんぼ一つ風にさからふ水面なれ

郵書出しに行く夕つき来るか蜻蛉

虫高々と鳴き出でぬ遅く湯に行く

灯をともし来る女の瞳

秋らしき湖となり旅人帰る

筧の水音に咲き出でし草花

小さく生れて此の池にあそべる魚よ

並木がまつ直ぐに路はしろじろ

三日月が出て居る前の流れなり

道端の萩赤し足袋はたきけり

くれゆく水がたゞ見入らるゝ

よく笑ふ女と日まはりのあかるさ


  
大正6(1917)年

こんこんと棺の蓋こんこんと打ち終え

焼場の煙突の太くして空のうつろ

嵐に倒されし草花を持ちながら

[やぶちゃん注:筑摩版では本文にこの句を採用していない。但し、1964年刊の村尾草樹編「放哉」の中の座談会記録である「東洋生命時代の尾崎放哉」で、元同僚によって挙げられた句形として筑摩版解題が掲げるものと相同である。]

引越し車の鏡空をうつしおり

引越し車の鏡空をうつしをり

[やぶちゃん注:筑摩版では本文にこの句を採用していない。「うつしをり」は1964年刊の村尾草樹編「放哉」の中の座談会記録である「東洋生命時代の尾崎放哉」で、元同僚によって挙げられた句形として筑摩版解題が掲げるもので、春秋社版が掲げる句とほぼ相同である。仮名遣としては「をり」が正しいが、それを考えると逆に春秋社版のソースは別にあるとも考えられ、句の真作度は高まるとも言える。

松のむきむき空よく晴れたり

海は黒く眠りをり宿につきたり

銀杏吹散る風に傘おされ行く

飯粒がこぼれ居る草原の昼

物思ひつゝ来たり塔の真下なり

壁土に藁きざみこめば濃き朝日

銀杏まつ黄な家の昼鳴る時計

花屋のはさみの音朝寝してをる

《花屋のはさみの音朝寐してをる》

[やぶちゃん注:「大空」初版は「花屋のはさみの音朝寢してをる」である。筑摩版は同年『層雲』2月号の初出表記とする。]

日暮れ船が皆火をもやし下る

僧の袈裟が光れる渡しなり

椎の実が両のたもとにあまれる

草の中小鳥の身ぬくうにぎりけり

とつぷり暮れたる夜の灯が親し

朝の掃除が河の水面にひゞくなり

窓あけて居る朝の女にしじみ売

《窓あけて居る朝の女にしゞみ売》

[やぶちゃん注:「大空」初版は「窓あけて居る朝の女にしじみ賣」である。筑摩版は同年『層雲』3月号の初出表記とする。]

つと叫びつつかけ去りし人の真夜中

《つと叫びつゝかけ去りし人の真夜中》

つと叫びつつ駈け去りし人の眞夜中【大空】

〈叫びつつかけ去りし人の真夜中

[やぶちゃん注:「大空」初版は「駈け去りし」は上記何れとも異なる点に注意。筑摩版は同年『層雲』3月号の初出表記とする。〈 〉は、筑摩版解題によれば、昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]

霜が光れる二階の雨戸あけ居る

芝居町に灯がともれる雪晴れ

冬日さし居る土間の下駄の数

羽子つき居る青空よ粉雪をおとす

木の葉が舞ひ上る一日の朝

《木の葉が舞ひ上る一日の朝なれ》

[やぶちゃん注:筑摩版は同年『層雲』10月号の初出表記とする。]

草鞋はきしめてさヽやかな旅に立つ

《草鞋はきしめてさゝやかな旅に立つ》

[やぶちゃん注:筑摩版は同年『層雲』10月号の初出表記とする。]

米洗ひつヽあした下る舟

《米洗ひつゝあした下る舟》

[やぶちゃん注:筑摩版は同年『層雲』10月号の初出表記とする。]

雪晴れしみち停車場に着く車

たき火せる父に霜柱はかたし

渡し場へたら/\下りつ何か咲きをる

寒き窓に声かけて行く朝

今し夕やくる中の冬木

店の戸あくるや煙草買ひに来し

工場の大いなる音が暮れ行く

ふと消えたる足音に寝入られず

僧のゆく手野に立つ煙

しつとり濡れし橋を行く雨の明るさ

大声に鶏を追ふ裸の男

暖かき灯にかざす新海苔の青さ

大風の夜となれり二階住ひに

ふとん積みあげて朝を掃き出す

耳なれし潮音やすらかに寝まる

野路はろばろ人にも逢はず来し

[やぶちゃん注:上の句の「はろばろ」の部分は「ばろ」二文字分が春秋社版・筑摩版のいづれも踊り字「/\」の濁音である。]

つめたく咲き出でし花のその影

うららかな土の香にありく一日

《うらゝかな土の香にありく一日》

[やぶちゃん注:筑摩版は同年『層雲』6月号の初出表記とする。]

日がくるめきおつよ雲雀ひた落つ

手紙よみ居れる森の中の風

白い蝶ににぶき夕日を落とし居る

駅の草花が赤い雨の日なり

真黒き水の暮となり工場がともる

よちよち下りて歩りく児よ大地芽ぐめる

切り出す竹一本一本の青さ

休め田に星うつる夜の暖かさ

大戸あくればひとすじの朝日つばくら

《大戸あくればひとすぢの朝日つばくら》

[やぶちゃん注:筑摩版は同年『層雲』7月号の初出表記とする。歴史的仮名遣としては「すぢ」が正しい。]

ずゝだま冷え/\病む児が遊べり

砂山はろばろ浜人の墓に海が光れり

《砂山はろ/\浜人の墓に海が光れり》

[やぶちゃん注:春秋社版は実際には「ばろ」二文字分が踊り字「/\」の濁音である。同年の『層雲』七月号の初出表記とする筑摩版には、特に解題での濁点脱落等の注記はないので「はろはろ」と読ませるつもりであるらしい。ここはどう考えても「遥々」の「はろばろ」の意であるが、しかし、私は擬古文でも「はろはろ」という表記に出会ったことは不学にしてない。これは濁点の脱落とするに何の躊躇がいるのであろうか。]

浜砂とりにゆくあつき人等かな

大時計なほす足場夕日くるめく

船をあがれば桜ひと木が暮れゐたり

駈けざまにこけし児が泣かで又駈ける

児等が植ゑしへうたんの蔓がのびたり

電車待ち居る傘に柳がさはる

ある昼ほがらかに花が散りそめし

かすめる中に浪音はれ行く

とはに隔つ棺の釘を打ち終へたり

とはに隔つ棺の釘こんこんと打ち終へ

〈こんこんと棺のふたこんこんと打ち終え〉

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』9月号の初出で、異形の前者〈とはに隔つ棺の釘こんこんと打ち終へ〉は大正9(1920)年刊の「層雲第三句集」所収の、また、後者の〈こんこんと棺のふたこんこんと打ち終え〉は昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。「終え」は正仮名遣としては誤り。本句は同年6月25日に19歳で亡くなった放哉の姪、実姉である並(山口秀美妻)の長女初の追善句である。]

焼き場の煙突の大いさをあふぐ

焼き場の煙突の太くしてうつろ

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』9月号の初出で、異形の〈 〉は大正9(1920)年刊の「層雲第三句集」所収の表記とする。前句同様、姪の初への追善句である。]

裸の子が並び居り汽車に声はなつ

手をならし呼ぶ若葉ひつそり

位牌の影の濃さ蠟燭がもえしきる

火の見のかげ長う海はやすらか

お城へゆく路蓮の花ま白なり

山百合吹きをろす風寒み窓を閉づ

赤松下り上る蟻よ昼のしじま

《赤松下り上る蟻よ昼のしゞま》

[やぶちゃん注:筑摩版は同年『層雲』9月号の初出表記とする。]

海原漕ぎ出でし船端這ふ蟻

自動車とびしあとの風にもまるゝ

若葉の香ひの中焼場につきたり

御佛の黄な花に薫りもなくて

向日葵の昼鉦かん/\と叩き来る

手拭かはけり浴場の紫陽花

ポスト立ち居る坂道の夕焼静か

《ポスト立ち居る阪道の夕焼静か》

[やぶちゃん注:筑摩版は同年『層雲』10月号の初出表記とする。]


松の葉散れり泉水の青き空

両手にて蔽ひし其の顔のつめたき

みゝずのこゑすきとほる月夜ありけり

一軒の家に逢ひけり山路ふかみ行く

今日一日の終りの鐘をききつつあるく

《今日一日の終りの鐘をきゝつゝあるく》

[やぶちゃん注:「大空」初版は「今日一日の終りの鐘をききつつあるく」である。筑摩版は同年『層雲』11月号の初出表記とする。]

草花に淋しい顔をよする児よ

夜咲く花に稲妻ひらめく

はしご晴れたる柿の実赤し

金魚鉢に顔よせし姉妹の夕べ

金魚の赤をちらしては雨ふり止まず

青服の人等帰る日が落ちた町

軍艦のどれもより朝の喇叭が鳴れり

朝霧の町に兵隊並びたり

庭一面にしく松葉ふくよかな陽ざし

手ににぎりしめし汗やがて見つめたり


  
大正7(1918)年


かろい悔をもちてつとめに出てゆく

[やぶちゃん注:筑摩版は本句を本文に採用していない。同解題によれば、香風閣1935年刊の河本緑石著「大空放哉伝」に「朝鮮時代の作」として、挙げられているとする。]

霜ふる音の家が鳴る夜ぞ

妻が留守の障子ぽつとり暮れたり

障子いつぱいに山の陽さしたり

月は冴え/\人の世またく寝入りたり

本がすきな児に灯があかるし

鳩のうたうたひ居り陽はまんまろ

コスモスに大空の青さ暮れ初む

雪は晴れたる小供等の声に日が当る

眼をやめば片眼淋しく手紙かき居る

赤い房さげて重い車をひく馬よ

元日暮れたりあかりしづかに灯して

日が少し長くなり夕煙あかるく

島の女に汽笛鳴らして船来る

女乞食の大きな乳房かな

風の中ほう/\となにか追ひ居る

風寒み障子ま白くしめし家

笹舟流すに広々と風ありにけり

妻がもどりて火鉢の炭が起されたり

堤の上ふと顔出せし犬ありけり

線路工夫にのみ明けし朝の堅い土

小供等さけび居り夕日に押合へる家

児等叫びあふ夕日に押合へる家

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』4月号の初出で、〈 〉は大正9(1920)年刊の「層雲第三句集」所収の表記とする。]

宿を杉並木の雨となりけり

仏の灯じつとして凍る夜ぞ

仏の灯ぢつとして凍る夜ぞ

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『民衆芸術』4月号の初出。]

氷とけたり朝日あまねし

夢さめし眼をひたと闇にみひらけり

荷造り終えし家の中電燈あかるし

二人してもちし小さい店の灯なり

冷やかな灯ありけり朝の竹藪

冷やかな灯ありけり朝の竹籔【大空】

[やぶちゃん注:「大空」初版は表記が異なる。筑摩版によれば、同年『層雲』5月号の初出とするが、同解題には「大空」との異同の注記がない。]

流るる水にそれぞれの灯をもちて船船

《流るる水にそれ/゛\の灯をもちて船船》

[やぶちゃん注:私はこの、「/゛\」=ブラウザ上での踊り字濁音の処理記号の力技が虫唾が走る程嫌いである。しかし、ここではその差が春秋社と筑摩版で現われてしまったので例外的に使用する。「大空」初版は「流るる水にそれぞれの灯をもちて船船」である。筑摩版は同年『層雲』五月号の初出表記とする。]

篝地より炎ゆ空は真つ黒

篝焚きてぞ続く舟なり

闇の篝に浮くは人の顔顔

篝炎え立ち散り来る木の葉

骨拾ふべく其の箸がよごれ居り

はるばる来にける旅なりし山山

凪げる朝あけ青き島島すわる

夜店人通り犬が人をさがし居る

ただにうれしてぞ子馬とぶらし

児等が帰りしあとの机淋しや

肴屋が肴読みあぐる陽だまり

芽ぐめるもの見てありく土の香ひ

芽ぐめるもの見てありく土の匂【大空】

[やぶちゃん注:「大空」初版は表記が異なる。筑摩版によれば、同年『層雲』6月号の初出とする。]

わが肌をもむあんま何か思ひつつ

わが肌をもむあんま何を思ひつつ【大空】

わが肌をもむ按摩よ何か思ひつつ

わが肌をもむ按摩よ何か思いつつ

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』6月号の初出で、〈 〉の前者は大正9(1920)年刊の「層雲第三句集」所収の、また、〈 〉後者は昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。「思い」は正仮名遣としては誤り(前掲句でも同様のことがあったが、本作品選は当時としては珍しく現代仮名遣表記への変換を図った作品集ででもあったのだろうか。以後、この作品集の新仮名遣変更については注記しない)。非常に重要な点であるが、「大空」初版は「を」でてにをはの表記が異なる。但し、以上見たように、後世の再掲が初出同じく「何か」に戻っている以上、放哉の真意や井泉水の斧正も「何か」で一致を見たと考えてよいと思われる。]

チヤブ台に置かるる縁日の赤い花

雲雀雲雀暮れ行く土に吸はれけり

水瓶いつぱいに朝あけの水張れり

寝ころべる犬に椿の花が落つ

籠の鳥なかず雨の降る事よ

山深々と来て親しくはなす

ぢつと子の手を握る大きなわが手

土よりの緑二葉にわかれたり

庭の緑にことごとく風ふれて行く

緑の風みちてぞ籠の鳥鳴く

かめに水はりて厨片付きし

灯がもるる家ぬちのぬくもり

帰り来し人に灯かげをかざす

茎の一本一本がつくりつつある水の輪

いともつめたき水の輪一つひろごれり

曇れる日にて木々の葉ふくらめる

くもり来し湖水音ひつそり

時計唄ひ居れども児等は深きねむり

落つる日の方へ空ひとはけにはかれたり

佛の花に折れば咲きつづくけしの花

雨が晴れがまへ山の上の家

蔵戸あけられし海の風いつぱい

蔵の脊ならび立ち夕汐みちたり

売言葉買言葉桜咲ききれり

《うり言葉買ひ言葉桜咲ききれり》

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『民衆芸術』8月号の初出。

水の青さきはまれば桜ま白し

山懐ろの湖にて明けきりたり

《山懐の湖にて明けきりたり》

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年9月3日発行の『時事新報』の初出で、「山懐ろ」はそれが再録された同年『層雲』10月号所収の表記とする。]

湖深く喰ひ入りて古い色街

湖廻り静かに白い家たてる

松原平に波はしづもれり

漁夫等何か叫びつゝ強い風の中

風が落ちたる辻に立つポスト

松はあくまで光りて砂にならぶ墓

嵐の夜あけ朝顔一つ咲き居たり

機音なつかしむ山ふところにて

機音やみたり青葉陽にひつそり

青い息つく蛍一つ見つめ居り

芒光れるのみ船も来ぬ港

海近き駅にて芒光れり

[やぶちゃん注:以上の2句を春秋社版は大正8年のパートに所収するが、筑摩版によれば、本句は大正7年10月30日刊行の『時事新報』に所収するので、こちらに移行する。]

さやかにも朝の月あり芒光れり

一ツ足らぬ鶏を呼ぶ芒の風

箒目たてゝ森閑とした家

箒木のまはり綺麗にも草ぬかる

はたと倒れし箒の影の夕べ

大風の空の中にて鳴る鐘

マツチつかぬ夕風の涼しさに話す

海見えて砂山越せり続く砂山

静かにも暁の家の灯なりけり

《静にも暁の家の灯なりけり》

[やぶちゃん注:上記の句を春秋社版は大正8年のパートに所収するが、筑摩版によれば、本句は大正7年11月16日刊行の『時事新報』に所収するので、こちらに移行する。なお、同解題によれば、「静かにも」は大正8(1919)年1月発行の『層雲』新年号に再録された際の表記とする。]

銭が土の間に転りて音なし

夜中となり水の上灯更けたり

[やぶちゃん注:上記の句を春秋社版は大正8年のパートに所収するが、筑摩版によれば、本句は大正7年11月16日刊行の『時事新報』に所収するので、こちらに移行する。]

公園ぬけて雨の菊ありけり

硝子越し静にも菊が咲き居り

日まはりこちら向く夕べの机となれり

妻を叱りてぞ暑き陽に出て行く

道細細と山の深きへ続く

《道細々と山の深きへ続く》

[やぶちゃん注:上記の句を春秋社版は大正8年のパートに所収するが、筑摩版によれば、本句は大正7年12月14日刊行の『時事新報』に所収するので、こちらに移行する。なお、同解題によれば、「道細細と」は大正8(1919)年1月発行の『層雲』新年号に再録された際の表記とする。

旅館の朝の山の大きに向ひ

山に旭があたる頃の物音もせず

《山に旭が当たる頃の物音もせず》

[やぶちゃん注:上記の句を春秋社版は大正8年のパートに所収するが、筑摩版によれば、本句は大正7年12月14日刊行の『時事新報』に所収するので、こちらに移行する。なお、同解題によれば、「山に旭があたる」は大正8(1919)年1月発行の『層雲』新年号に再録された際の表記とする。]

降りつづく山山どつしり座れり

《降り続く山山どつしり座れり》

[やぶちゃん注:上記の句を春秋社版は大正8年のパートに所収するが、筑摩版によれば、本句は大正7年12月14日刊行の『時事新報』に所収するので、こちらに移行する。なお、同解題によれば、「降りつづく」は大正8(1919)年1月発行の『層雲』新年号に再録された際の表記とする。]

昼深深と病室の障子

真昼光りの中に物種子下す

田舎に帰りて昼深々と居り

《田舎に帰りて昼深深と居り》

[やぶちゃん注:上記の句を春秋社版は大正8年のパートに所収するが、筑摩版によれば、本句は大正7年12月20日刊行の『時事新報』に所収するので、こちらに移行する。同解題に異同の記載なし。]

山より夕煙上り旅人二人

《山より夕煙上り旅人ふたり》

[やぶちゃん注:上記の句を春秋社版は大正8年のパートに所収するが、筑摩版によれば本句は大正7年12月21日刊行の『時事新報』に所収するので、こちらに移行する。なお、同解題によれば、「二人」は大正8(1919)年1月発行の『層雲』新年号に再録された際の表記とする。

山の淋しさ児を抱きしめて行く

山登りきりて山の唄うたふ

古き神祭る島の女等

寺の屋根見つつ木の葉ふる山を下り行く

口笛吹かるる朝の森の青さは


  
大正8(1919)年


暮るる明りにて髪を結ひあぐ

《暮るゝ明りにて髪を結びあぐ》

暮るる明りにて髪を結びあぐ

[やぶちゃん注:「結ひ」と「結び」の違いに着目されたい。筑摩版は同年1月6日発行の『時事新報』の初出表記とし、同解題によれば、「暮るる明りにて髪を結びあぐ」の方は、同年の『層雲』新年号再録された際の表記とする。ということは春秋社版の「暮るる明りにて髪を結ひあぐ」と合わせて本句はバリエーションを含め三種が存在することになるが、これはどうもどちらかの全集編者の判読ミスである可能性が高いように思われる。

シーツの昼深々と黒髪なげて

《シーツの昼深深と黒髪なげて》

[やぶちゃん注:筑摩版は同年1月6日発行の『時事新報』の初出とする。]

静かにも黒髪ふるる湯槽に浸り

《静にも黒髪ふるゝ湯槽に浸り》

[やぶちゃん注:筑摩版は同年1月6日発行の『時事新報』の初出表記とし、解題によれば、「静かにも黒髪ふるる」の方は、同年『層雲』新年号再録された際の表記とする。]

街吹く風の家並疎らとなり

昼の街深深と物売の声通る

葬列足早やな足に暮色まつはり

亀を放ちやる昼深き水

新らしき本屋が出来た町の灯

犬が吠ゆる水打ぎわの月光

桃が熟れた香ひの木陰にたてり

晴れたる朝を冷やかな椅子の病人

焼跡黒黒と朝露の中

あか桶重たく朝露の中に置く

冷やかに患者が朝の眼を開き

冷たい水となり旅の朝な朝な

切りたほす木木の上の青空

嵐のまへんお蟻等せんねん

浪のうねりの大きく身ぬちにひびく

浪をかぶりては黒く据われる岩なり

流れゆく雲のはるかにも光る潮あり

とつぐべき其の夜の星空となり

しみじみ水をかけやる墓石

電車の終点下りて墓地への一人

埃立つ道を墓地へ行きつけり

雲が湧く湧く湖動かず

夕べ鐘が鳴る鳴る雲の色変る

井戸深深と暁を鳴く虫ありにけり

虫等鳴く闇の中にかがまる

水吸ひ上げては百合の花白く咲きつゞく

池のまわり百合皆くもり雷遠し

草の中より風起り百合白う咲けり

もぐらが持ちあげし土のその陽の色

杭打ちこみてゆすり見る土の力

涼しさの灯が吸はれたる庭のくらやみ

病める人に花の色色をゑらむ


  
大正 9(1920)年

  大正10(1921)年

[やぶちゃん注:現在までに、放哉の大正9(1920)年及び大正10(1921)年中の創作句は発見されいない。


  
大正11(1922)年


白きものうごめく停車場の夜あけにて

白いは人と鳥とにて青い畑よく鋤かれたり

汽車下りて船に乗る寝どこありにけり

火ばしさす火の無き灰の中ふかく

暮るれば教会の空ひろう鳴る鐘

オンドル月夜となれり巻煙草をさがす

廊へ急ぐ足音ぞオンドル更けたり

オンドル焚き捨てゝヨボ(鮮人)を叱るたそがれ

[やぶちゃん注:この「ヨボ」も「鮮人」は朝鮮人に対する忌まわしい蔑称である。以下にも用いられるが、放哉と当時の一般人が抱いていた差別意識に対しては批判的な読みを請うものである。本注はここに留め、以下は略す。]

オンドルに神棚も手近く祭りて

オンドル冷ゆる朝あけの電話鳴るかな

オンドルに病んで前住の人の跡をさがす

何に使ひしものか柱に錆びし五寸釘

熱の眼に色々のもの釘にぶら下る

電燈二つくつ付けてチヤブ台とり巻く

あはぬ襖が気になりて病む眼をとがらす

妻を叱る無理と知りつゝ淋しく

コスモスに朝の煙流れそめたり

コスモス抜きすてしあとに黒猫眼光らし

晴れつゞけばコスモスの花に血の気無く

台所のぞけば物皆の影と氷れる

鮮童石とばす、身を切るやうな風

焚火ごう/\事ともせずに氷る大地よ

   病中

氷れる硯に筆なげて布団にもぐる

曲がれる釘の影までが曲れり

半ば山をくづせる儘に冬となり行く

土運ぶ鮮人の群一人一人氷れる

石に腰かけて冷え行くよ背骨

大めし喰ふ下女の手足がうらやましく

コトとも音せぬ夜の足の節々が痛む

蜜柑山の路のどこ迄も海とはなれず

みかん山の道いつまでも海を離れず

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』新年号に初出。〈 〉の異形は1964年刊の村尾草樹編「放哉」の中の座談会記録である「東洋生命時代の尾崎放哉」で、元同僚によって挙げられた句形。単なる記憶とするならば、信憑性は低いか。]

たそがれの浪打ぎはをはるかに来にけり

《たそがれの浪打ぎはをはるかに来けり》

[やぶちゃん注:この大正11(1922)年の項は極めて異例で、最後の二句以外の29句は筑摩版に所収しない。解題もこれらの句に全く触れておらず、これは現状に於いては最も人々の目に触れにくい、春秋社版のみが収載する“放哉の幻の句群と言ってよい。例えば「大空」には大正11年の項自体が存在しない。これらの句群の確かな出所を知りたいものである。それは、もしかすると新たな放哉句の発見に繋がる重要な事実を我々に与えてくれるかも知れない。]


  
大正12(1923)年

鈴の音したしむ小さい馬車馬二つづつ

支那語で馬車をよぶ月の夜うれしく

月に二重戸おろし相子関と人すめり

青草限りなくのびたり夏の雲あばれり

支那の女美し巻煙草すひ馬車をかるべく

家路はるけく露のぼる草葉淋しき

土くれのやうに雀居り青草も無し

土くれのやうに雀居り青草もなし【大空】

[やぶちゃん注:「大空」初版では、表記が異なる。筑摩版によれば、同年『層雲』新年号に初出。

途に児等は泣くどの家にも燈火

途に児等はなくどの家にも燈火

[やぶちゃん注:「大空」初版では、「途に児等は泣くどの家にも燈火」。筑摩版によれば、「なく」は同年『層雲』新年号の初出とする。]

松の実ほつほつたべる燈下ぞ児無き夫婦ぞ

松の実ほつほつたべる顏寄せ児の無い夫婦

松の実ほりほりとたべ子のない夫婦で(朝鮮にて)〉

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』新年の初出で、〈 〉の前者は大正14(1925)年刊の『層雲第五句集』所収の、また、〈 〉後者は昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。なお、筑摩版解題には、「大空」初版では「松の實ほつほつたべる燈火の兒無き夫婦ぞ」とある旨の記載があるが、私の所持する復刻本「大空」初版では正しく「燈下」となっている。ただ、以前に「大空」には知られている初版以前に初販された小部数の版があるという話を聞いた記憶があり、それを言っているのであろうか。

風の中走り来て手の中のあつい銭

風の中走り来あつい銭握りゐし

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』新年の初出で、〈 〉は大正14(1925)年刊の『層雲第五句集』所収の表記とする。

四ツ手網をろされ夕の野面ひつそり

四ツ手網おろされ夕の野面ひつそり【大空】

[やぶちゃん注:「大空」初版では、表記が異なる。筑摩版によれば、同年『層雲』2月号に初出とするが、同解題には「大空」との異同注記がない。]

稲がかけてある野面に人をさがせども

何もかも死に尽したる野面にて我が足音

朝の街に来て既に汗流せる馬よ

氷穿ちては釣の糸深々と下ろす

氷れる路に頭を下げて引かるる馬よ

山ずそ親しく雪解水流れそめたり

田ずそ親しく雪解水流れそめたり【大空】

[やぶちゃん注:「大空」初版では大きく情景が異なる。筑摩版によれば、同年『層雲』新年号の初出。「大空」の句形は別句と言ってよいが、誤植の可能性が大きい。

海苔をあぶりては東京遠く来た顔ばかり

長雨あきる小窓であんず落つるばかり

《長雨あきる小窓であんづ落つるばかり》

長雨あまる小窓で杏落つるばかり

[やぶちゃん注:仮名遣として「あんづ」は誤りである。筑摩版は同年の『層雲』三月号の初出形とする。「大空」初版は表記が大きく異なるが、「あまる」は誤植であろう。]

あくまでもきたなき牛がまなこを見張れる

昼火事の煙遠くへ冬木つらなる

焼跡はるかなる橋を淋しく見通し

春日の中に泥厚く塗りて家つくる

いたくも狂へる馬ぞ一面の大霜

かぎりなく煙吐き散らし風やまぬ煙突

母の日ぬくとくさやえんどう出そめて

母の日ぬくとくさやゑんどう出そめて【大空】

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』新年の初出で、「さやゑんどう」は「大空」初版及び昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」所収の表記とする。「さやゑんどう」の方が仮名遣としては正しい。]

夏帽新しく睡蓮に昼の風あり

草に入る陽がよろしく満洲に住む気になる

朝からヨボが喧嘩して楽隊通る

犬が覗いて行く垣根にて何事もない昼

わが胸からとつた黄色い水がフラスコで鳴る

ここに死にかけた病人が居り演習の銃音をきく

小供等たくさん連れて海渡る女よ

遠く船見付けたる甲板の昼を人無く



   
一燈園時代   大正12(1923)年11月~大正13(1924)年3月


  
大正13年(1924)年

やみ

暗の底握りつめ我を忘れんとする

水音親しみ親しみ夕の橋を渡りきる

山水ちちろ茶椀真白く洗ひ去る

山水ちろろ茶碗真白く洗ひ去る【大空】

[やぶちゃん注:「大空」初版では二箇所で表記が異なる。単なる誤植と思われるが、「ちろろ」で人口に膾炙してしまっており、解釈に大きな差が生じることとなる。筑摩版によれば、同年『層雲』4月号の初出。]

ホツリホツリ闇に浸りて帰り来る人人

落葉掃き居る人の後ろの往来を知らず

牛の眼なつかしく堤の夕の行きずり

流るる風に押され行き海に出る

船は皆出てしまひ雪の山山なり

砂浜ヒヨツコリと人らしいもの出て来る

砂浜ヒヨコリと人らしいもの出て来る

[やぶちゃん注:「大空」初版では「砂浜ヒヨツコリと人らしいもの出て来る」。筑摩版によれば、「ヒヨコリ」は同年「層雲」5月号の初出。

つくづく淋しい我が影よ動かして見る

昼めし云ひに来て竹藪にわれを見透かす

《昼めし云ひに来て竹籔にわれを見透かす》

[やぶちゃん注:「大空」初版は「晝めし云ひに來て竹籔にわれを見透かす」。筑摩版によれば、同年『層雲』5月号の初出。

ねそべつて書いて居る手紙を鶏に覗かれる

皆働きに出てしまひ障子あけた儘の家

静かなるかげを動かし客に茶をつぐ

花あはただしさの古き橋かかれり

夕日の中ヘ力いつぱい馬を追ひかける

落葉へらへら顔をゆがめて笑ふ事

落葉へらへら顔をゆがめて笑う事

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』7月号の初出で、「笑う」は昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]

月夜戻り来て長い手紙を書き出す



   
須磨寺時代   大正13(1924)年6月~大正14(1925)年3月


寝ころんで白雲遠く蝶も見し

お地蔵様に灯をともす秋の花ばかり

寝そべつて草の青さに物云ふ

けものが歩く道をよける朝の畳

姉妹なりけり小さい手がつながれる

地蔵並び給ふ霧雨ふりてはやみ

もずが高啼く朝を昨日の首つりの話し

お金の事申しやる心を叱つて居る

又も夕べとなり粉雪降らし来ることか

宝物拝観五銭と大書してゐる

[やぶちゃん注:筑摩版はこの句を本文に採らない。筑摩版解題によれば、大正15(1926)年『層雲』6月号に書かれた荻原井泉水の「須磨寺」の中に現われるもの、とする。]

広場の風の中に小供等集めてる物売をやじ

あすは雨らしい青葉の中の堂を閉める

あすは雨らしい青葉の中の堂をしめる

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』8月号の初出で、「しめる」は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」所収の表記とする。]

一日物云はず蝶の影さす

友を送りて雨風に追はれてもどる

雨の日は御灯ともし一人居る

なぎざふりかへる我が足跡も無く

軽いたもとが嬉しい池のさざなみ

《軽いたもとが嬉しい池のささなみ》

[やぶちゃん注:「大空」初版は「輕いたもとが嬉しい池のさざなみ」。筑摩版解題によれば、「ささなみ」は同年の『層雲』八月号「俳句秀作」欄の初出表記とする。]

静もれる森の中をののける此の一葉

井戸の暗さにわが顔を見出す

雨の傘たてかけておみくぢをひく

雨の傘たてかけておみくじをひく

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』9月号の初出で、「おみくじ」は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」及び昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。仮名遣としては「おみくじ」が正しい。

沈黙の池に亀一つ浮き上る

鐘ついて去る鐘の余韻の中

炎天の底の蟻等ばかりの世となり

山の夕陽の墓地の空海へかたぶく

柘榴が口あけたたはけた恋だ

赤いたすきをかけて台所がせまい

佛飯ほの白く蚊がなき寄るばかり

たつた一人になり切つて夕空

たつた一人になりきつて夕空【大空】

[やぶちゃん注:「大空」初版では表記が異なる。筑摩版によれば、同年『層雲』10月号の初出。

墓原路とてもなく夕の漁村に下りる

墓原路とてもなく夕べの漁村に下りる

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』10月号の初出で、「夕べ」は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」所収の表記とする

高浪打ちかへす砂浜に一人を投げ出す

雨に降りつめられて暮るる外なし御堂

昼寝起きればつかれた物のかげばかり

げつそり痩せて竹の葉をはらつてゐる

御祭の夜明の提灯へたへたとたたまれる

月の出をそくなり松の木楠の木

月の出おそくなり松の木楠の木

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』10月号の初出で、〈 〉は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」及び昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。仮名遣としては「おそし」が正しい。

何も忘れた気で夏帽をかぶつて

ねむの花の昼すぎの釣鐘重たし

氷店がひよいと出来て白波

両手に清水をざげてくらい路を通る

両手に清水をざげてくらい途を通る

[やぶちゃん注:「大空」初版は「両手に清水をざげてくらい路を通る」。筑摩版によれば、同年『層雲』10月号の初出とする。なお、筑摩版の本句の解題の位置は誤りである。]

日まはり大きくまはりここは満洲

父子で住んで言葉少なく朝顔が咲いて

砂山赤い旗たてて海へ見せる

声かけて行く人に迎火の顔をあげる

蛇が殺されて居る炎天をまたいで通る

ほのかなる草花の香ひを嗅ぎ出さうとする

ほのかなる草花の匂を嗅ぎ出さうとする【大空】

[やぶちゃん注:「大空」初版では表記が異なる。筑摩版によれば、同年『層雲』10月号の初出。

潮満ち切つてなくはひぐらし

潮満ちきつてなくはひぐらし【大空】

[やぶちゃん注:「大空」初版では表記が異なる。筑摩版によれば、同年『層雲』10月号の初出。

わかれを云ひて幌をろす白いゆびさき

わかれを云いて幌おろす白いゆびさき

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』10月号の初出で、〈 〉は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」及び昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。仮名遣としては「おろし」が正しい。

茄子もいできてぎしぎし洗ふ

空に白い陽を置き火葬場の太い煙突

むつつり木槿が咲く夕べ他人の家にもどる

裏木戸出入りす朝顔実となる

朝顔の白が咲きつづくわりなし

いつ迄も忘れられた儘で黒い蝙蝠傘

陽がふる松葉の中で大きな竹かごをろす

蛙の子がふえたこと地べたのぬくとさ

何かしら児等は山から木の実見つけてくる

乞食の児が銀杏の実を袋からなんぼでも出す

船乗りと山の温泉に来て雨をきいてる

もやの中水音逢ひに行くなり

靄の中水音逢ひに行くなり

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』11月号の初出で、「靄」は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」所収の表記とする。]

あらしの闇を見つめるわが眼が灯もる

海のあけくれのなんにもない部屋

銅銭ばかりかぞえて夕べ事足りて居る

古き家のひと間灯されて客となり居る

夕べひよいと出た一本足の雀よ

たばこが消えて居る淋しさをなげすてる

をだやかに流るる水の橋長々と渡る

空暗く垂れ大きな蟻が畳をはつてる

蚊帳の釣手を高くして僧と二人寝る

蟻を殺す殺すつぎから出てくる

雨の幾日がつづき雀と見てゐる

雑巾しぼるペンだこが白たたけた手だ

友の夏帽が新らしい海に行かうか

氷がとける音がして病人と居る

すでにあかつき佛前に米こぼれあり

写真うつしたきりで夕風にわかれてしまつた

小さい時の自分が居つた写真を突き出される

血がにじむ手で泳ぎ出た草原

昼の蚊たたいて古新聞よんで

人をそしる心をすて豆の皮むく

人をそしる心を捨て豆の皮むく【大空】

[やぶちゃん注:「大空」初版では表記が異なる。筑摩版によれば、同年『層雲』11月号の初出。

はかなさは燈明の油が煮える

刈田で烏の顔をまぢかに見た

落葉木をふりおとして青空をはく

からかさ干して落葉ふらして居る

傘さしかけて心寄りそへる

傘さしかけて心寄り添へる【大空】

[やぶちゃん注:「大空」初版では表記が異なる。筑摩版によれば、同年『層雲』12月号の初出。

赤とんぼ夥しさの首塚ありけり

血汐湧き出で雑念なし

念彼観音力風音のまま夜となる

障子しめきつて淋しさをみたす

屋根の落葉をはきをろす事を考へてゐる

屋根の落葉を掃きおろす事を考へてゐる

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』12月号の初出で、「掃きおろす」は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」所収の表記とする。仮名遣としては「掃きおろす」が正しい。

水草ともしくなるままの小波よせる

庭石一つすゑられて夕暮が来る

わらじはきしめ一日の旅の川音はなれず

寒さころがる落葉が水ぎわでとまった

木槿が咲いて小学を読む自分であつた

木槿咲いて小学を読む自分であつた

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』12月号の初出で、「木槿咲いて」は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」所収の表記とする。]

墓石洗ひあげて扇子つかつてゐる

藁屋根草はへれば花さく

藁屋根草はえれば花さく

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』12月号の初出で、「はえれば」は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」所収の表記とする。仮名遣としては「はえれば」が正しい。

木魚ほんほんたたかれまるう暮れて居る

今朝の夢を忘れて草むしりをして居た

児に草履をはかせ秋空に放つ

ぶつりと鼻緒が切れた闇の中なる

ぶつりと鼻緒が切れた闇の中

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』12月号の初出で、「闇の中」は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」所収の表記とする。]

鳩がなくま昼の屋根が重たい

土運ぶ黙々とひかげをつくる

風船玉がおどるかげがおどる急いで通る

《風船玉がをどるかげがをどる急いで通る》

[やぶちゃん注:歴史的仮名遣では「をどる」が正しい。「大空」初版は「風船玉がをどるかげがをどる急いで通る」である。筑摩版によれば、同年『層雲』12月号の初出。

財布はたいてしまひつめたい鼻だ

マツチの棒で耳かいて暮れてる

わが足の格好の古足袋ぬぎすてる

生徒等が記念碑を取り巻いてしまつた陽の中

栗が落ちる音を児と聞いて居る夜

栗が落ちる音を児と聞いてゐる夜

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』12月号の初出で、「ゐる」は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」所収の表記とする。]

夕べ落葉たいて居る赤い舌出す

落葉燃え居る音のみ残して去る

自らをののしり尽きずあふむけに寝る

落葉へばりつく朝の草履干しをく

何か求むる心海へ放つ

波音正しく明けて居るなり

めつきり朝がつめたいお堂の戸をあける

青空ちらと見せ暮るるか

ばたばた暮れきる客がいんだ座ぶとん


  
大正14年(1925)年


戸口から顔出して児等の中のわが児見出す

こんなよい月の夜のひとり

[やぶちゃん注:筑摩版はこの句を本文に採らない。筑摩版解題によれば、大正15(1926)年『層雲』6月号に書かれた荻原井泉水の「放哉という男」の中に現われるもの、とする。]

虫があるく道をよける朝のたたみ

粉炭もたいなくほこほこおこして

一人つめたくいつ迄藪蚊出る事か

《一人つめたくいつ迄籔蚊出る事か》

[やぶちゃん注:「大空」初版は「一人つめたくいつ迄籔蚊出る事か」である。筑摩版によれば、同年『層雲』新年号の初出。

昼ふかぶか木魚ふいてやるはげてゐる

妹と夫婦めく秋草

鉛筆とがらして小さい生徒

お寺の秋は大松のふたまた

小さい火鉢でこの冬を越さうとする

心をまとめる鉛筆とがらす

松かさつぶてとしてかろし

朝々を掃く庭石のありどころ

お堂浅くて落葉ふりこむさへ

をん鶏気負ひしが風にわかれたり

草枯れ枯れて兵営

佛にひまをもらつて洗濯してゐる

大根が太つて来た朝ばん佛のお守りする

ただ風ばかり吹く日の雑念

かぎ穴暮れて居るがちがちあはす

二人よつて狐がばかす話をしてる

うそをついたやうな昼の月がある

うそついたやうな昼の月がある

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』新年号の初出で、「うそついた」は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」所収の表記とする。]

酔のさめかけの星が出てゐる

酔のさめかけの星が出ている

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』新年号の初出で、「いる」は昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]

考へ事して橋渡りきる

松原児等を帰らせて暮れ居る

おほらかに鶏なきて海空から晴れる

中庭の落葉となり部屋部屋のスリツパ

白い帯をまいてたまさかの客にあふ

山に家をくつつけて菊咲かせてる

しも肥わが肩の骨にかつぐ

板じきに夕餉の両ひざをそろへる

板じきに夕餉の両ひざをそろえる

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』新年号の初出で、「える」は昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]

わがからだ焚火にうらおもてあぶる

傘干して傘のかげある一日

こんなよい月を一人で見て寝る

とつぷり暮れて居る袴をはづす

夜中菊をぬすまれた土の穴ほつかりとある

便所の落書が秋となり居る

竹の葉さやさや人恋しくて居る

めしたべにおりるわが足音

小さい家をたてて居る風の中

大空のました帽子かぶらず

どつかの池が氷つて居さうな朝で居る

猿を鎖につないで冬となる茶店

児に木箱つくつてやる眼の前

ふくふく陽の中たまるのこくず

《ふくふく陽の中たまるのこくづ》

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』新年号の初出。「大空」初版は「ふくふく陽の中たまるのこくづ」である。仮名遣は「のこくづ」が正しい。

落葉たく煙の中の顔である

晩の煙りを出して居る古い窓だ

佛体にほられて石ありけり

《佛体にほられて石ありにけり》

[やぶちゃん注:「大空」初版は「佛體にほられて石ありけり」である。筑摩版によれば、同年の『層雲』新年号の初出表記とする。また、昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」でも「石ありけり」であるとする。

足音一つ来る小供の足音

足袋ぬいで石ころを捨てる

何かつかまへた顔で児が藪から出て来た

《何かつかまへた顔で児が籔から出て来た》

[やぶちゃん注:「大空」初版は「何かつかまへた顏で兒が籔から出て來た」である。筑摩版によれば、同年『層雲』新年号の初出。

一人のたもとがマツチを持つて居た

昼だけある茶屋で客がうたつてる

大根洗ひの手をかりに来られる

上天気の顔一つ置いてお堂

馬の大きな足が折りたたまれた

打ちそこねた釘が首を曲げた

とまつた汽車の雨の窓なり

烏がだまつてとんで行つた

鴉がだまつてとんで行つた

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年の『層雲』新年号の初出で、「鴉」は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」での表記とする。]

尻からげして葱ぬいて居る

しぐれますと尼僧にあいさつされて居る

人殺しありし夜の水の流るるさま

水たまりが光るひよろりと夕風

針に糸を通しあへず青空を見る

糸瓜が笑つたやうな圓右が死んだか

きたない下駄はいて白粉ぬることを知つてる

軍馬たくさんつながれ裸の木ばかり

片目の人に見つめられて居た

すでにすつ裸の柿の木に物干す

冬帽かぶつてだまりこくつて居る

紅葉あかるく手紙よむによし

襟巻長くたれ橋にかかるすでに凍てたり

公園冬の小径いづこへともなくある

写真とつて歩く少し風ある風景

児をおぶつてお嫁さんの顔見に出る

大地の苔の人間が帽子をかぶる

葱がよく出来てとつぷり暮れた家ある

病人よく寝て居る柱時計を巻く

お盆にのせて椎の実出されふるさと

姉妹椎の実たべて東京の雑誌よんでる

かへす傘又かりてかへる夕べの同じ道である

眼鼻くすぼらしてゐた風呂があつうなる

赤ン坊のなきごゑがする小さい庭を掃いてる

大松暮れてくるはだしを洗ふ頃となる

雀のあたたかさを握るはなしてやる

酒もうる煙草もうる店となじみになつた

灰の中から針一つ拾ひ出し話す人もなく

帆柱がならんでみんなとまる船ばかり

曇り日の落葉掃ききれぬ一人である

たくさんの児等を叱つて大根漬けて居る

門をしめる大きな音さしてお寺が寝る

うで卵子くるりとむいて児に持たせる

うで玉子くるりとむいて児に持たせる

うで玉子くるりとむいて児にもたせる

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』2月号の初出で、〈 〉の前者は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」の、〈 〉の後者は昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]

傘にばりばり雨音さして逢ひに来た

あるものみな着てしまひ風邪ひいてゐる

かまきりばたりと落ちて斧を忘れず

事実といふ事話しあつてる柿がころがつてゐる

黒い帯しつかりしめて寒い夜居る

囮のかごさげてだまつて山にはいる

淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る

淋しいぞ一人五本の指を開いてみる

淋しいぞひとり五本のゆびをひらいてみる

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』2月号の初出で、〈 〉の前者は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」の、〈 〉の後者は昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]

火ばしがそろはぬ儘の一冬なりけり

朝の白波高し漁師家に居る

草履が片つ方つくられたばこにする

むつきを干して小さい二階をもつ

島の女のはだしにはだしでよりそふ

わが顔ぶらさげてあやまりにゆく

葬式の幕をはづす四五人残つて居る

秋風のお堂で顔が一つ

菊の乱れは月が出てゐる夜中

菊の乱れは月が出ている夜中

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』2月号の初出で、「いる」は昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]

今日も生きて虫なきしみる倉の白壁

黒眼鏡かけた女が石に休んで居るばかり

釘に濡手拭かけて凍てる日である

つめたい風の耳二つかたくついてる

お堂しめて居る雀がたんともどつて来る

たんぼ風まともにうけとぼけた顔だ

蟻が出ぬやうになつた蟻の穴

庭を掃いて行く庭の隅なるけいとう

降る雨庭に流れをつくり佗び居る

のら犬の背の毛の秋風に立つさへ

《のら犬の脊の毛の秋風に立つさへ》

[やぶちゃん注:「大空」初版は「のら犬の脊の毛の秋風に立つさへ」である。筑摩版によれば、同年『層雲』2月号の初出。

雑草花つける強い夕風

あひる放たるる水底見ゆる

草のびのびししわぶきして窓ある

わが家のうしろで鍬ふるふあるじである

師走の夜の釣鐘ならす身となりて

《師走の夜の吊鐘ならす身となりて》

[やぶちゃん注:「大空」初版は「師走の夜の釣鐘ならす身となりて」である。筑摩版によれば、「吊鐘」は同年の『層雲』3月号「俳句秀作」欄の初出表記とし、昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」及び昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」共に「釣鐘」とするとある。]

師走の夜のつめたい寝床が一つあるきり

けもの等がなく師走の動物園のま下を通る

けもの等が鳴く師走の動物園のま下を通る【大空】

[やぶちゃん注:「大空」初版では表記が異なる。筑摩版によれば、同年『層雲』3月号の初出。昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」でも「鳴く」であるとする。]

雪を漕いで来た姿で朝の町に入る

大雪となる兎の赤い眼玉である

女と淋しい顔して温泉の村のお正月

破れた靴がぱくぱく口あけて今日も晴れる

榾火に見渡さるる調度である

小鳥がふみ落す葉を池に浮べて秋も深い

焚えさしに雪少し降り明け居る

焚えさしに雪すこし降り明け居る

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』3月号の初出。「すこし」は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」での表記とする。]

寒鮒をこごえた手で数へてくれた

落葉掃けばころころ木の実

柿の木を売つた銭を陽なたで勘定してる

反古を読み読み消し壺張りあげた

犬をかかへたわが肌には毛が無い

鞠がはずんで見えなくなつて暮れてしまつた

舟の帆が動いて居る身のまはりの草をむしる

かたい梨子をかぢつて議論してゐる

かたい梨子をかじつて議論してゐる

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』3月号の初出。「かじつて」は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」での表記とする。仮名遣としては「かじつて」が正しい。]

聞こえぬ耳をくつつけて年とつてる

たくさんある児がめいめいの本をよんでる

借家いつか出来て住む夫婦者の顔

草刈りに出る裏木戸あいたままある

曲がつた宿の下駄はいて秋の河原は石ばかり

病人らしう見て過ぐ秋草

吸取紙が字を吸ひとらぬやうになつた

漬物桶に塩ふれと母は産んだか

こんな処に卵子を産んでぬくとく拾ふ

吹けばころがる卵子からの卵子

溪深く入り来てあかるし

笑へば泣くやうに見える顔よりほかなかつた

池を干す水たまりとなれる寒月

雪解の一軒の家のまはり

蜜柑を焼いて喰ふ小供と二人で居る

がたびし戸をあけてをそい星空に出る

鉢の椿の蕾がかたくて白うなつて

馬が一疋走つて行つた日暮れる

池の氷の厚さを児等は知つてる

片つ方の耳にないしよ話しに来る

葬式のきものぬぐばたばたと日がくれる

葬式の着物ぬぐばたばたと日が暮れる

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』3月号の初出。〈 〉は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」での表記とする。]

汀にたまる霰見て温泉の村に入る

低い戸口をくぐつて出る残雪が堅い

波立つ船に船をよせようとする

波たつ船に船をよせようとする

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』3月号の初出。「たつ」は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」での表記とする。]

両手をいれものにして木の実をもらふ

すたすた行く旅人らしく晩の店をしまふ

夜中の襖遠くしめられたる

女に捨てられたうす雪の夜の街燈

なんにもたべるものがない冬の茶店の客となる

波へ乳の辺まではいつて女よ

山かげ残雪の家鶏もゐる

濠端犬つれて行く雪空となる

落葉拾うて棄てて別れたきり

行きては帰る病後の道に咲くもの

雪が消えこむ川波音もなく暮れる

雪の戸ひそひそ叩いて這入つてしまつた

こんな大きな石塔の下で死んでゐる

雪空火を焚きあげる雪散らす

さはればすぐあく落葉の戸にて

紺の香きつく着て冬空の下働く

紺の香きつく衣て冬空の下働く

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』4月号の初出。「着て」は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」での表記とする。]

あけた事がない扉の前で冬陽にあたつてゐる

水車まはつて居る山路にかかる

水車まはつてゐる山路にかかる

〈水車まわつている山路にかかる〉

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』4月号の初出で、〈 〉の前者は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」の、〈 〉の後者は昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]

椿にしざる陽の窓から白い顔出す

湖の家並ぶ寒の小魚とるいとなみ

湖は寒ンの小魚とるいとなみの二三軒

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』4月号の初出で、〈 〉は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」の表記とする。これは最早、全くの別句である。]

うす化粧して凍てた道をいそぐ

うす化粧して凍てた田道をいそぐ

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』4月号の初出で、「田道」は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」の表記とする。]


牛小舎の氷柱が太うなつてゆくこと

きたない下駄ぬいで法話の灯に遠く座る

雪解の山浅く枯枝あつめる

大きな木ばかりのお寺の朝夕である

島の残雪に果物船をよせる

動物園の雪の門があけてある

岩にはり付けた鰯がかはいて居る

岩にはり付けた鰯がかわいてゐる

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』4月号の初出で、〈 〉は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」の表記とする。「かはく」の仮名遣は誤りである。]


冬川にごみを流してもどる

かきぶねしつかりかけて霜夜だ

臼ひく女が自分にうたをきかせて居る

臼ひく女が自分にうたをきかせてゐる

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』4月号の初出で、「ゐる」は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」の表記とする。]


今逢ふて来た顔で炭火ををこす

夜明けの大浪の晴れがまへである

夜明けの大浪の晴れがまへである

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』4月号の初出で、「夜あけ」は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」及び昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]

藤棚枯れて居る下の椅子によつて話す

曇り日の儘に暮れ雀等も暮れる

堅い大地となり這ふ虫もなし

這ふ虫もなく堅い大地となり

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』4月号の初出で、〈 〉は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」の表記とする。句の前後が反転し、イメージが全く違ってしまっている。]

墓原雪晴れふむものとてなく

ゆるい鼻緒の下駄で雪道あるきつづける

ふところの焼芋のあたたかさである

霜がびつしり下りて居る朝犬を叱る

鳩に豆やる児が鳩にうづめらる

霰ふりやむ大地のでこぼこ

ひげがのびた顔を火鉢の上にのつける

高波曳網のつな張り切る

《高波引網のつな張り切る》

[やぶちゃん注:「大空」初版は「高波曳綱のつな張り切る」である。「綱」で「網」でない点に注意。春秋社版及び筑摩版双方が「網」とする以上、「綱」は誤植と考えてよいであろう。筑摩版解題によれば、「引網」は同年の『層雲』4月号「俳句秀作」欄の初出表記とする。]

ぽつかり鉢植の枯木がぬけた

宵祭の提灯ともしてだあれも居らぬ

ハンケチがまだ落ちて居る戻り道であつた

にくい顔思ひ出し石ころをける

にくい顔思い出し石ころをける

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』4月号の初出で、「思い出し」は昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]

たまたま蟻を見付け冬の庭を歩いて居る

天辺落とす一と葉にあたまを打たれた

底がぬけた杓で水を呑もうとした

底のぬけた柄杓で水を呑もうとした

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』4月号の初出で、〈 〉は昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]


池が氷つてしまつたお寺の境内

粉雪散らし来る大根洗ふ顔を上げず

雪空にじむ火事の火の遠く恋しく

雀がさわぐお堂で朝の粥腹をへらして居る

爪切るはさみさへ借りねばならぬ

なんにもない机の引き出しをあけて見る

犬よちぎれる程尾をふつてくれる

犬よちぎれるほど尾をふつてくれる

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』4月号の初出で、「ちぎれるほど」は昭和2(1927)年刊の「層雲第六句集」及び昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]


残雪の番ひのにはとりが居るばかり

寒に入る地蔵鼻かけ給ふ

松の葉をぬいて歯をせせる朝の道である

先生の家の古ぼけた門である

色鉛筆の青い色をひつそりけづつて居る

月の出の船は皆砂浜にある

節分の豆をだまつてたべて居る

刈田のなかで仲がよい二人の顔

雪空一羽の烏となりて暮れる

鶴鳴く霜夜の障子ま白くて寝る

《鶴なく霜夜の障子ま白くて寐る》

[やぶちゃん注:「大空」初版は「鶴鳴く霜夜の障子ま白くて寢る」である。筑摩版は同年『層雲』5月号の初出表記とする。]

花が咲いた顔のお湯からあがつてくる

歯をむき出した鯛を威張つて売る

人を待つ小さな座敷で海が見える

児をつれて小さい橋ある梅林

児をつれて小さい橋の梅林

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』5月号の初出で、「橋の」は昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]


入営を送つて来た旗をかついでゐる

ほつかり池ある夕べの小波

コスモスなんぼでも高うなる小さい家で

夕の鐘つき切つたぞみの虫

夕飯たべて猶陽をめぐまれてゐる

道いつぱいになつて来る牛と出逢つた



   
小浜時代   大正14(1925)年5月~同年8月


昼を草ひきつつ読んで居る本は「夢の破片」

[やぶちゃん注:「夢の破片」とは、大正14(1925)年4月刊の河本緑石の詩集。河本緑石は放哉と同郷にして同じく「層雲」に拠った、詩人・自由律俳人。陰に陽に放哉を支えた。放哉の死後、いち早く放哉の評論の構想を練るも、1933年、36歳の若さで事故死した。その原稿は1935年「大空放哉傳」(香風閣)として出版され、最初の纏まった放哉論となった。彼は宮沢賢治との交流もあり、もっと評価されて然るべき作家である。]

背を汽車通る草ひく顔をあげず

今日来たばかりで草ひいて居る道をとはれる

今日来たばかりで草ひいてゐる道をとはれる

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』7月号の初出で、〈 〉は昭和4(1929)年刊の『層雲第七句集』の表記とする。ただ、この筑摩版解題の表記法では『層雲第七句集』では今日来たばかりで草ひいてゐる」で、以下の「道をとはれる」がないというようにも取れてしまう。]


あたまをそつて帰る青梅たくさん落ちてる

そつたあたまが夜更けた枕で覚めて居る

剃つたあたまが夜更けた枕で覚めて居る【大空】

[やぶちゃん注:「大空」初版では表記が異なる。筑摩版によれば、同年『層雲』7月号の初出。

一人分の米白々と洗ひあげたる

時計が動いて居る寺の荒れてゐる

乞食に話しかける我となつて草もゆ

血豆をつぶさう松の葉がある

考へ事をしてゐる田にしが歩いて居る

風が落ちたままの駅であるたんぼの中

雪の戸をあけてしめた女の顔

するどい風の中で別れようとする

どんどん泣いてしまつた児の顔

新緑の山となり山の道となり

赤ン坊動いて居る一と間切りの住居

田舎の小さな新聞をすぐに読んでしまつた

どろぼう猫の眼と睨みあつてる自分であつた

留守番をして地震にふられて居る

臍に湯をかけて一人夜中の温泉である

病人らしう見て居る庭の雑草

浪音淋しく三味やめさせて居る

豆を水にふくらませて置く春ひと夜

かぎりなく蟻が出て来る穴の音なく

遠くへ返事して朝の味噌をすつて居る

手作りの吹竹で火が起きて来る

戻りは傘をかついて帰る橋であつた

笑ふ時の前歯がはえて来たは

笑う時の前歯がはえて来たは

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』8月号の初出で、「笑う」は昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]

眼の前筍が出てゐる下駄をなほして居る

百姓らしい顔が庫裡の戸をあけた

釘箱の釘がみんな曲つて居る

かたい机でうたた寝して居つた

お寺の灯遠くて淋しがられる

豆を煮つめる自分の一日だつた

二階から下りて来てひるめしにする

海がよく凪いで居る村の呉服屋

蜘珠がすうと下りて来た朝を眼の前にす

銅像に悪口ついて行つてしまつた

雨のあくる日の柔らかな草をひいて居る

きちんと座つて居る朝の竹四五本ある

とかげの美くしい色がある廃庭

蛙たくさんなかせ灯を消して寝る

蛙たくさん鳴かせ灯を消して寝る【大空】

[やぶちゃん注:「大空」初版では表記が異なる。筑摩版によれば、同年『層雲』8月号の初出。]

寺に来て居て青葉の大降りとなる

芹の水濁らすもの居て澄み来る

池の朝がはぢまる水すましである

土塀に突つかひ棒をしてオルガンひいてゐる学校

うつろの心に眼が二つあいてゐる

花火があがる音のたび聞いてゐる

母の無い児の父であつたよ

小さい橋に来て荒れる海が見える

淋しいからだから爪がのび出す

屋根草風ある田舎に来てゐる

ころりと横になる今日が終つて居る

一本のからかさを貸してしまつた

雨のわが家に妻は居りけり

海がまつ青な昼の床屋にはいる

瓜うりありくヨボの大きな瓜である

久しぶりのわが顔がうつる池に来てゐる

となりへだんご持つて行く藪の中

藪の中のわたしだちの道の筍

《籔の中のわたしだちの道の筍》

[やぶちゃん注:「大空」初版は「籔の中のわたしだちの道の筍」である。筑摩版によれば、同年『層雲』9月号の初出。

何やら鍋に煮えて居る僧をたづねる

蚤とぶ朝のよんでしまつた新聞

小芋ころころはかりをよくしてくれる

朝早い道のいぬころ



   
京都時代   大正14(1925)年7月~同年8月


山寺灯されて見て通る

昼寝の足のうらが見えてゐる訪ふ

宵のくちなしの花を嗅いで君に見せる

蜘蛛がとんぼをとつた軒の下で住んでる

筍ふみ折つて返事してゐる

逢ひに来たその顔が風呂を焚いてゐた

旧暦の節句の鯉がをどつて居る

[やぶちゃん注:以上は、筑摩版では『層雲』10月号の「人間好時節」という標題で、13句挙げられている。但し、その内の連続する6句は内容から明白に小豆島での作と判断出来、春秋社版の配置を採用して、次の「小豆島時代」の冒頭に配することにした。但し、以上の7句の中にも、「筍ふみ折つて返事してゐる」のように小浜時代の作と考えた方が自然なものもあり、またこの後「洋服の白い足折り曲げて話しこんでゐる」の句にしても小豆島での句ととれぬこともない。幾分、恣意的な配置とは思えるが、台湾行も覚悟した放哉宙ぶらりんの京都時代をどちらかに吸収させるのも違和感があるので、このようにした。]

洋服の白い足折り曲げて話しこんでゐる

打水落ちつく馬の長い顔だ

打ち水落つく馬の長い顔だ

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』10月号の初出で、〈 〉は同年『俳壇春秋』11月号所収の表記とする。この句は珍しく作句日時が判明している。同解題によると8月9日の「大阪俳壇会」(同書年譜では「港の会」とし、田中井児宅である)句会での作である。]



   
小豆島時代   大正14(1925)年8月~大正15(1926)年4月7日


眼の前魚がとんで見せる島の夕陽に来て居る

夜明けが早い浜で顔を合す

ここ迄来てしまつて急な手紙書いてゐる

いつしかついて来た犬と浜辺に居る

町の盆燈ろうたくさん見て船に乗る

島の小娘にお給仕されてゐる

夕汐みちくる松垂れにけり

[やぶちゃん注:筑摩版はこの句を本文に採らない。筑摩版解題に参考記載するが、そこでは「寝る」となっている。それによれば、短冊とする。直筆と思われる短冊なのに、句集にも句稿にも採られずに解題に示される――私はどう考えても納得がいかない。全集編者達は筆跡鑑定が必要だと言うのであろうか?

西瓜の青さごろごろとみて庵に入る

新緑を目に満たし橋を渡る

[やぶちゃん注:筑摩版はこの句を本文に採らない。筑摩版解題によれば、大正15(1926)年『俳壇春秋』7月号の竹林真吾という人物が記す「驚き」という文章の中に現われる、とする。この人物については不学にして知らない。弥生書房版旧全集の書簡宛名リストには所収していない。]

島から出たくも無いと云つて年をとつてゐる

[やぶちゃん注:
句稿(9)に「島から出たくも無いと云つて年をとつて居る」とある。]

お盆の墓原灯をつらね淋しやひとかたまり

[やぶちゃん注:
句稿(9)に相同句がある。]

追憶の夕べ庭先きを蟹がはつて見せる

[やぶちゃん注:
句稿(9)に相同句がある。]

ビクともしない大松一本と残暑に入る

[やぶちゃん注:
句稿(9)に「ビクともしない大松一本と残暑にはいる」とある。]
此の釘打つた人の力の執念を抜く

[やぶちゃん注:
句稿(9)に相同句がある。]

蚊帳のなか稲妻を感じ死ぬ事だけが残つてゐる

[やぶちゃん注:
句稿(9)に相同句がある。]

自分をなくしてしまつて探して居る

[やぶちゃん注:
句稿(7)に相同句がある。]

鼻緒たてた、いささかの指の泥をはらふ

[やぶちゃん注:
句稿(14)に「鼻緒しめていさゝかのゆびの泥をはらう」とある。]

なにがたのしみで生きて居るのかと問はれて居る

[やぶちゃん注:
句稿(13)に「何がたのしみに生きてると問はれて居る」とある。]

二人ではじめてあつて好きになつてゐる

さよならなんべんも云つてわかれる

[やぶちゃん注:
句稿(11)に「さよならなんべんも云つてわかれる」とある。]

蛇穴に入るや身にしみ透る酒の味

火の気のない火鉢を寝床から見て居る

[やぶちゃん注:本文に「火の無い火鉢が見えて居る寝床だ」、句稿(16)に「火の無い火鉢が見えて居る寐床だ」とある。]

一日風吹く松よお遍路の鈴が来る

[やぶちゃん注:
句稿(16)に相同句がある。]

蜜柑の皮をむいて咳いてしまつた

[やぶちゃん注:
句稿(16)に相同句がある。]

山の石、石さけて、飛ぶ海は青く

ふと顔見合せて妻と居つた

[やぶちゃん注:
句稿(22)に相同句がある。]

旅からもどつて妻の顔とブツカツタ

[やぶちゃん注:
句稿(22)に「旅からもどつた妻の顔とぶつかつた」とある。]

嬉しさが押へきれないで女よ

[やぶちゃん注:
句稿(22)に「嬉しさが押えきれないで女よ」とある。「押え」は仮名遣として誤り。]

ざんざん叱つた揚句の妻よ

[やぶちゃん注:
句稿(22)に相同句がある。]

町内の顔役に候蝙蝠

[やぶちゃん注:
句稿(22)に相同句がある。]

女の足が早くて穂芒

[やぶちゃん注:
句稿(22)に相同句がある。]

美しい女で菅笠をかむり

[やぶちゃん注:
句稿(22)に相同句がある。]

海風のなかで芋掘る

[やぶちゃん注:
句稿(22)に相同句がある。]

いつ迄も曲つて居る火箸で寒いな

[やぶちゃん注:
句稿(22)に「いつ迄も曲つて居る火ばしで寒いな」とある。]

蟹に小供が小便かけてるよい天気だ

[やぶちゃん注:この句は筑摩版全集書簡番号312島丁哉宛に現われる句である。これは実景ではなく、放哉が小豆島南郷庵(みなんごあん)で遺愛した、丁哉描くところの『子供三人で小サイ蟹小便カケテ居ル処』(書簡番号308飯尾星城子宛。斜体は底本では傍点「○」)の絵を句にしたもの。この絵は弥生書房版旧全集の附録で見ることが出来る。誠に俳味に富んだ佳作である。筑摩版では書簡中の句は解題で掲げると凡例に謳っているが、私が縦覧した限りでは、筑摩版解題にはこの句を所収していない。]

窓一つあいてゐる海の静けさ

夕陽舟を超え大松をこえ静かに行く

夕日大松をこえ山をこえ静かにゆく

[やぶちゃん注:上記二句は
句稿(21)に「夕日大松を越え山を越え静かに行く」とある。]

今朝俄かに冬の山となり

[やぶちゃん注:
句稿(20)に相同句がある。]

針の穴の青空に糸を通す

[やぶちゃん注:
句稿(19)に相同句がある。]

冬山人があがつて居る

[やぶちゃん注:
句稿(19)に相同句がある。]

秋山半分に切られた

[やぶちゃん注:
句稿(19)に相同句がある。]

白々あけて来る生きてゐた

[やぶちゃん注:
句稿(19)に「白々あけて来る生きて居つた」とある。]

けが人運び去られた日輪

[やぶちゃん注:
句稿(19)に「怪我人運び去られた日輪」とある。]

ベンチから歩き出したものがある

[やぶちゃん注:
句稿(19)に「ベンチから歩き出した者がある」とある。]

くりくり太つた児がようころぶ

[やぶちゃん注:
句稿(19)に「くりくりよく太つた児がようころぶ」とある。]

松山雪風をならしはじむ

[やぶちゃん注:
句稿(23)に「松山雪風をならしはぢむ」とある。「はぢむ」は仮名遣として誤り。]

一枚の舌を出して医者に見せる
[やぶちゃん注:
句稿(29)に相同句がある。]

朝の姿見からはなれる

[やぶちゃん注:
句稿(29)に相同句がある。]

淋しや壁はつてゐる

[やぶちゃん注:
句稿(29)に相同句がある。]

山から子供あづかつてきた

[やぶちゃん注:
句稿(29)に「山から子供あづかつて来た」とある。]

墓原小さい児が居る夕陽

[やぶちゃん注:
句稿(29)に相同句がある。]

嵐のふとんにもぐりこむ

月夜のかるい荷物だ

[やぶちゃん注:
句稿(29)に「月夜のかるい荷物」とある。筑摩版索引では「軽い」と漢字表記としているが、本文は平仮名である。]

粉炭ほこほこ顔一つあぶつて寝る

[やぶちゃん注:
句稿(28)に「粉炭ほこほこ顔一つあぶつて寐る」とある。]

今日も夕陽となり部屋に座つてゐる

[やぶちゃん注:
句稿(28)に「今日も夕陽となつて部屋に座つて居る」とある。]

赤ん坊ひと晩で死んでしまつた

[やぶちゃん注:
句稿(29)に「赤ン坊一と晩で死んでしまつた」とある。]

四角な庵の元日

[やぶちゃん注:
句稿(31)に相同句がある。]

大晦日暮れた掛取も来てくれぬ

[やぶちゃん注:
句稿(31)に相同句がある。]

元日のみんな達者馬も達者

[やぶちゃん注:
句稿(29)に相同句がある。]

元日の灯の家内中の顔がある

[やぶちゃん注:
句稿(29)に相同句がある。]

墨をつけた顔でもどつて来た

[やぶちゃん注:
句稿(30)に「墨つけた顔でもどつて来た」とある。]

満潮の橋長々とかかれり

[やぶちゃん注:
句稿(30)に「満潮の橋長々とかゝれり」とある。]

なにか、こはれた音もしてたそがれ

[やぶちゃん注:
句稿(30)に「なにかこわした音もしてたそがれ」とある。]

つきたての餅をもらつて庵主であつた

[やぶちゃん注:
句稿(31)に相同句がある。]

夜中の天井が落ちて来なんだ

[やぶちゃん注:
句稿(31)に相同句がある。]

上天気の顔が集まつて来る

夕空の下の夫婦

[やぶちゃん注:
句稿(31)に相同句がある。]

冬山こせばお城が見える

[やぶちゃん注:
句稿(31)に「冬山登ればお城が見える」とある。]

南瓜半分喰はれてゐる

[やぶちゃん注:
句稿(31)に「南瓜半分喰はれて居る」とある。]

お金ほしさうな顔して寒ン空

[やぶちゃん注:
句稿(31)に「お金ほしそうな顔して寒ン空」とある。]

山の匂ひかぎ行く犬の如く

[やぶちゃん注:
句稿(31)に「山の匂ひ嗅ぎ行く犬の如く」とある。]

手袋片つぽだけ拾つた

うらがれ山を下りる

子守唄に月が出た

[やぶちゃん注:
句稿(28)に「子守唄に月が出て来た」とある。]

胃袋の有るところも知らぬ女だ

[やぶちゃん注:
句稿(24)に相同句がある。]

わが家の雪ふりつもる

[やぶちゃん注:
句稿(31)に「わが夜の雪ふりつもる」とある。]

葱積んで行く朝の舟女漕ぎけり

[やぶちゃん注:筑摩版はこの句を本文に採らない。筑摩版解題によれば、放哉記念館蔵の短冊とする。想像であるが、これは半紙様のものに書かれた書かれた筑摩版全集第三巻遺墨のp233に写真版で示されているものであるらしい(筑摩版全集第三巻のこの遺墨については解題がなく、それぞれの遺墨の書誌がない)。記念館が所蔵し、直筆と思われる短冊なのに、句集にも句稿にも採られずに解題に示される――私はどう考えても納得がいかない。全集編者達は筆跡鑑定が必要だと言うのであろうか? 句稿(21)に「葱積んで行く舟女漕ぎけり」ともある。ここでは句の絶対性はどう考えても万全である。活字となったものしか認めないという、如何にも未発達で非論理的な筑摩版の編集方針は変更されないと良き全集としては後世に残らないと私は思う。]

師走の冷たい寝床にわがからだ一つ投げこむ

[やぶちゃん注:筑摩版はこの句を本文に採らない。筑摩版解題によれば、鳥取県立図書館蔵の直筆とする。想像であるが、これは半紙様のものに書かれた書かれた筑摩版全集第三巻遺墨のp230に写真版で示されているものであるらしい(筑摩版全集第三巻のこの遺墨については解題がなく、それぞれの遺墨の書誌がない)。直筆なのに、句集にも句稿にも採られずに解題に示される――私はどう考えても納得がいかない。全集編者達は筆跡鑑定が必要だと言うのであろうか?]

雀が背のびして覗く俺だよ

[やぶちゃん注:筑摩版はこの句を本文に採らない。筑摩版解題によれば、鳥取県立図書館蔵の直筆とする。想像であるが、これは半紙様のものに書かれた書かれた筑摩版全集第三巻遺墨のp230に写真版で示されているものであるらしい(このことへの不満は前句注を参照されたい)。しかしながら、この写真よく見ると、句頭に「夕の」という書き入れがある。同巻遺墨の最終ページにこれらの遺墨が翻刻されている(p234)のであるが、そこでは確かに「夕の雀が背のびして覗く俺だよ」と翻刻されている! これは如何なることであろうか? なお、私の本ページの上記句は春秋社版からの掲載(従って出所不詳)であるのでこのままとし、皮肉を込めて、「夕の雀が背のびして覗く俺だよ」を本ページの末尾「■存疑の部」に示しておいた。

梯子下りたり上つたり暖い

[やぶちゃん注:
句稿(31)に「梯子上つたり下りたり暖い」とある。]

友の絵がうまいんださうだ

[やぶちゃん注:
句稿(31)に相同句がある。]

娘等よ早く野に出よ

残雪に雪ふる

[やぶちゃん注:
句稿(23)に「残雪に雨ふる」とある。]

冬ばらに手をひつかかれた

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に「冬ばらに手をひつかゝれた」とある。]

大空、シヤッポは持たない

大空シヤッポは持たない

[やぶちゃん注:筑摩版はこの句を本文に採らない。筑摩版解題に参考記載されるが、そこでは上記のように「大空」の後に読点はない。それによれば、これは大正15(1926)年『層雲』6月号に書かれた荻原井泉水の「放哉を葬る(上)」の中に現われるもの、とする。]


これでもう外に動かないでも死なれる

いつも松風を屋根の上にをいてねる

〈いつも松風を屋根の上にをいて寝る〉

[やぶちゃん注:筑摩版はこの句を本文に採らない。筑摩版解題に参考記載するが、そこでは「寝る」となっている。それによれば、短冊とする。直筆と思われる短冊なのに、句集にも句稿にも採られずに解題に示される――私はどう考えても納得がいかない。全集編者達は筆跡鑑定が必要だと言うのであろうか?

雪やみし野にてたそがれ

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

一ケ所壁が新らしくて夕陽

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に「一と所壁が新らしくて夕陽」がある。しかし、これは大きく読みが変わる。]

よく降る枳殻の垣

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

枯草山辷る松原の朝陽

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

いつでも凧が泳いでゐる町の中の山

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に「いつでも凧が泳いで居る町の中の山」がある。]

ふるさと大きな星が出とる

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

一人豆を煮る夜のとろとろ火

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

曇り日の障子冬ざれ光れり

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

すり鉢が無いすりこ木が無い

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

箱の中のものを忘れてゐた

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

洗つた古下駄がかはいてゐる裏口

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

マツ赤になつて烏瓜踊つてるばかり

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

いつも来ては糞をする隣の鶏

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

雪道あけてある大きな石門

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

町中冬木ある古る家

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

一足さきに出る雪の山宿

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

妻はうす雪の朝の庭に立ち

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

ほん気で鶏を叱つて居る

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

ガタ馬車往来する道となり冬木

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

遅参した夜の梅の匂ひ

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

大河に立ち寄りて話す

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

身近く夜更けのペンを置く

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に「身近かく夜更けのペンを置く」がある。]

星が出た庭にうづくまつて居た

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

よい家が出来て浪寄せてゐる

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

雪とばす野茶屋酒にする

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

ぬくき限りの猫柳

やせた手のゆびの骨をならし

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

あすは元日の草履ぬぎそろへ

川のまん中を流れゆく草花

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

奥で笑ひ声がした落葉

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

水郷見るものに蘆枯れたり

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

いつも机の下の一本足である

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

死にもしないで風邪ひいてゐる

女中部屋の雪あかりに病んでゐる

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

石垣の穴に潮充ち梅咲き

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

また晩の雪となり寺町通り

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

小さい手で貝殻かぞへる

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

みんな葉を落し小さい銀杏である

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

いそがしさうな鳩の首だ

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

砂山児等の走るに任せ

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

おごそかなるものの冬田の水

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に「をごそかなるものゝ冬田の水」がある。「をごそかなる」の仮名遣は誤り。]

黒豆石の如しふた物

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

松の葉にさされな寝にくる雀

松の葉にさゝれな寝にくる雀

[やぶちゃん注:筑摩版はこの句を本文に採らない。解題での参考記載であるが、そこでは上記の通り「さゝれな」とある。それによれば、昭和48(1973)年『俳句研究』2月号に島通夫という人物が記す「尾崎放哉の一句」という文章の中に現われる、とする。この人物については不学にして知らない。当時知られていなかった句稿(13)に「松の葉に刺されな寐にくる雀」があるので、これは極めて信憑性の高い句であり、本文を読んでいないのでどのような経緯で記載されたものか判然としないが、凡そ「現在にあっては」真作とすべき句である。

秋風に吹かれ居るわれに母なし

四五日呑みなれた湯呑

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

カタリコトリ夜の風がは入つて居る

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

一つの湯呑の尻がどつしりと重たい

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

皺だらけの手のひらぱりぱりあける

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に「皺だらけの手のひらぱり/\あける」がある。]

窓の下に草履がぬいである

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

椽の下から猫が出て来た夜

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

ランプ身近く置き金米糖かじつて居る

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

机の上の少しの埃をたたく淋しく

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

木瓜の鉢も机にのせ

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

木瓜の鉢も湯呑も本も机にのせ

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

たいたことが無いくどが庭にくつ付いとる

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

お菓子のあき箱でおさい銭がたまつた

李が咲いた足が立たぬ

晩秋の庵は風吹き切花出してある

庵は腰ぬけの朝ばんの春

毎朝散る花ある庵の畳

[やぶちゃん注:筑摩版はこの句を本文に採らない。同解題によれば、大正15(1926)年『大空』8月号の荻原井泉水の「放哉を葬る(下)」の中に現われる、とする。]

手のゆびのほねがやせ出したよ

雪解の道行く急ぎの用をもち

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

烏にしては大きな晩のたんぼの鳥だ

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

いそいで立つた座布とんが曲つた

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

ホンの少しの間の淋しい気持であつた

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

めづらしい春の大雪

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

山に雪少しある朝のゐのり

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

かがやく雪景色の夢がさめた

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に「かゞやく雪景色の夢がさめた」がある。]

乳母が家は冬の大きな南天

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

雪解の海見える桑畑の大きな株

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

天気つづきの田舎の旧の正月

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に「天気つゞきの田舎の旧の正月」がある。]

雪中梅咲く田舎の正月

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

闇空金借りて戻る

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に「闇空金借りて戻る」がある。]

教へ子をもちいつもやせこけて居る

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

その辺のものがみんなにがい胃の薬

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

ねていてくゆらすうまいタバコだ

吸いつぐ紫の煙風無く

一日の終りの雀

[やぶちゃん注:
■拾遺句稿に相同句がある。]

山の和尚の酒の友とし丸い月ある

さはにある髪をすき居る月夜

潰物石になりすまし墓のかけである

すばらしい乳房だ蚊が居る

すばらしい乳房だ蚊がゐる

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲11月号の初出で、「ゐる」は昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]

あらしが一本の柳に夜明けの橋

あらしの中のばんめしにする母と子

あらしのあとの馬鹿がさかなうりに来る

足のうら洗へば白くなる

足のうら洗えば白くなる

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』11月号の初出で、「洗えば」は昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]

石山虫なく陽かげり

螢光らない堅くなつてゐる

大松一本雀に与へ庵ある

海が少し見える小さい窓一つもつ

わが顔があつた小さい鏡買うてもどる

ここから浪音きこえぬほどの海の青さの

わが庵とし鶏頭がたくさん赤うなつて居る

すさまじく蚊がなく夜の痩せたからだが一つ

とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた

四五人静かにはたらき塩浜くれる

夜更けの麦粉が畳にこぼれた

松かさも火にして豆が煮えた

井戸のほとりがぬれて居る夕風

なん本もマッチの棒を消し海風に話す

山に登れば淋しい村がみんな見える

雨の椿に下駄辷らしてたづねて来た

髪の美くしさもてあまして居る

叱ればすぐ泣く児だと云つて泣かせて居る

花がいろいろ咲いてみんな売られる

はく程もない朝朝の松の葉ばかり

掃く程もない朝朝の松の葉ばかり【大空】

[やぶちゃん注:「大空」初版では表記が異なる。筑摩版によれば、同年『層雲』11月号の初出。]

秋風の石が子を産む話し

投げ出されたやうな西瓜が太つて行く

壁の新聞の女はいつも泣いて居る

海風に筒抜けられて居るいつも一人

盆休み雨となつた島の小さい家家

風邪を引いてお経あげずに居ればしんかん

風音ばかりのなかの水扱む

鼠にジヤガ芋をたべられて寝て居た

たまらなく笑ひこける若い声よ

《たまらなく笑ひこける声若い声よ》

[やぶちゃん注:上記の句は春秋社版では京都時代に配されているが、筑摩版によれば、初出掲載は大正14(1925)年11月号の『俳壇春秋』であり、筑摩版に準じて小豆島時代に移した。]

盆燈籠の下ひと夜を過ごし古郷立つ

盆燈籠の下ひと夜を過ごし故里立つ

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』12月号の初出で、「故里」は昭和4(1929)年刊の『層雲第七句集』の表記とする。]


少し病む児に金魚買うてやる

風吹く家のまはり花無し

青田道もどる窓から見られる

山は海の夕陽をうけてかくすところ無し

家が建てこんで来た町の物売りの声

水を呑んでは小便しに出る雑草

船の中の御馳走の置きどころが無い

花火があがる空の方が町だよ

一疋の蚤をさがして居る夜中

木槿の花がおしまひになつて風吹く

追つかけて追ひ付いた風の中

追つかけて来て追い付いた風の中

追つかけて追い付いた風の中

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』12月号の初出。以下の二句は、筑摩版全集書簡番号200の10月2日附(解題には「十月三日」とあるが誤りである)井泉水宛書簡中の句記載表記(後者の〈追つかけて追い付いた風の中〉)及び、それに続く次の叙述から復元してみた。『追つかけて来て、……として居たのですが、(来て)ヲ、トリマシタ』。本来ならば、句稿とするところであろうが、作句経過がよく分かるので敢てここに並べてみた。]

ぴつたりしめた穴だらけの障子である

あけがたとろりした時の夢であつたよ

あけがたとろりした時の夢であつたか〉

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』11月号の初出で、「あつたか」は昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]


をそい月が町からしめ出されてゐる

障子張りかへて居る小さいナイフ一挺

思ひがけもないとこに出た道の秋草

わが肩につかまつて居る人に眼がない

蓮の葉押しわけて出て咲いた花の朝だ

切られる花を病人見てゐる

乞食日の丸の旗の風ろしきもつ

天気つづきのお祭がすんだ島の大松

卵子袂に一つづつ買うてもどる

お祭り赤ン坊寝てゐる

お祭赤ン坊寝させてゐる

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』12月号の初出で、〈 〉は昭和4(1929)年刊の『層雲第七句集』の表記とする。]


その手がいつ迄太鼓たたいて居るのか

陽が出る前の濡れた烏とんでる

夕立からりと晴れて大きな鯖をもらつた

蜥蜴の切れた尾がはねてゐる太陽

木槿一日うなづいて居て暮れた

お遍路木槿の花をほめる杖つく

葬式のもどりを少し濡れて来た

白い夾竹桃の花の下まいばん掃く

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』12月号の初出。同解題及び年譜によれば、本句も珍しく作句日時が判明している。8月14日、『層雲』丸亀支部の寸栗子宅を突然訪問した際の句会での作とする。]


  
大正15年(1926)年


道を教へてくれる煙管から煙が出てゐる

病人花活ける程になりし

朝靄豚が出て来る人が出て来る

迷つて来たまんまの犬で居る

山の芋掘りに行くスツトコ被り

人間並の風邪の熱出して居ることよ

さつさと大根の種子まいて行つてしまつた

夕靄溜らせて塩浜人居る

夕靄たまらせて塩浜人居る【大空】

[やぶちゃん注:「大空」初版では表記が異なる。筑摩版によれば、同年『層雲』新年号の初出。]

已に秋の山山となり机に追り来

蛙釣る児を見て居るお女郎だ

久し振りの雨の雨だれの音

久しぶりの雨の雨だれの音

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』新年号の初出で、「久しぶりの」は昭和4(1929)年刊の『層雲第七句集』及び昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]


都のはやりうたうたつて島のあめ売り

厚い藁屋根の下のボンボン時計

三味線が上手な島の夜のとしより

障子あけて置く海も暮れ切る

障子あけて置く海も暮れきる【大空】

[やぶちゃん注:「大空」初版では表記が異なる。筑摩版によれば、同年『層雲』新年号の初出。]

山に大きな牛追ひあげる朝靄

畑のなかの近か道戻つて来よる

畳を歩く雀の足音を知つて居る

あすのお天気をしやべる雀等と掃いてゐる

あらしがすつかり青空にしてしまつた

窓には朝風の鉢花

淋しきままに熱さめて居り

火の無い火鉢が見えて居る寝床だ

風にふかれ信心申して居る

小さい家で母と子とゐる

淋しい寝る本がない

竹藪に夕陽吹きつけて居る

《竹籔に夕陽吹きつけて居る》

[やぶちゃん注:「大空」初版は「竹籔に夕陽吹きつけて居る」である。筑摩版によれば、同年『層雲』新年号の初出。

月夜風ある一人咳して

お粥煮えてくる音の鍋ふた

一つ二つ螢見てたづぬる家

早さとぶ小鳥見て山路行く

咳込む日輪くらむ

《咳き入る日輪くらむ》

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』新年号の「通信」の「潮光社例会・丸亀支部報」に初出するとする。

雀等いちどきにいんでしまつた

草花たくさん咲いて児が留守番してゐる

爪切つたゆびが十本ある

来る船来る船に一つの島

漬物石がころがつて居た家を借りることにする

鳳仙花の実をはねさせて見ても淋しい

夜の木の肌に手を添へて待つ

秋日さす石の上に背の児を下ろす

《秋日さす石の上に脊の児を下ろす》

[やぶちゃん注:「大空」初版は「秋日さす石の上に脊の兒を下ろす」である。筑摩版によれば、同年『層雲』2月号の初出。]

浮草風に小さい花咲かせ

障子の穴から覗いて見ても留守である

朝がきれいで鈴を振るお遍路さん

入れものが無い両手で受ける

入れものがない両手で受ける

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』2月号の初出で、「ない」は昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]


朝月嵐となる

秋山広い道に出る

秋山、広い道に出る

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』2月号の初出で、「秋山、」は昭和4(1929)年刊の『層雲第七句集』及び所収の表記とする。]


口あけぬ蜆死んでゐる

口あけぬしじみ死んでいる

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』2月号の初出で、〈 〉は昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]


咳をしても一人

汽車が走る山火事

静かに撥が置かれた畳

菊枯れ尽したる海少し見ゆ

流れに沿うて歩いてとまる

海苔そだの風雪となる舟に人居る

とんぼの尾をつまみそこねた

麦がすつかり蒔かれた庵のぐるり

墓地からもどつて来ても一人

恋心四十にして穂芒

なんと丸い月が出たよ窓

ゆうべ底がぬけた柄杓で朝

風凪いでより落つる松の葉

雪の頭巾の眼を知つてる

自分が通つただけの冬ざれの石橋

藪のなかの紅葉見てたづねる

《籔のなかの紅葉見てたづねる》

[やぶちゃん注:「大空」初版は「籔のなかの紅葉見てたづねる」である。筑摩版によれば、同年『層雲』2月号の初出。

ひどい風だ、どこ迄も青空

大根ぬきに行く畑山にある

麦まいてしまひ風吹く日ばかり

今朝の霜濃し先生として行く

となりにも雨の葱畑

くるりと剃つてしまつた寒ン空

夜なべが始まる河音

よい処へ乞食が来た

雨萩に降りて流れ

寒なぎの帆を下ろし帆柱

庵の障子あけて小ざかな買つてる

師走の木魚たたいて居る

松かさそつくり火になつた

風吹きくたびれて居る青草

嵐が落ちた夜の白湯を呑んでゐる

鉄砲光つて居る深雪

霜濃し水汲んでは入つてしまつた

一人でそば刈つてしまつた

冬川せつせと洗濯してゐる

昔は海であつたと榾をくべる

寒ン空シヤツポがほしいな

蜜柑たべてよい火にあたつて居る

とつぷり暮れて足を洗つて居る

昼の鶏なく漁師の家ばかり

海凪げる日の大河を入れる

働きに行く人ばかりの電車

雪の宿屋の金屏風だ

わが家の冬木二三本

家のぐるり落葉にして顔出してゐる

墓原花無きこのごろ

山火事の北国の大空

月夜の葦が折れとる

墓のうらに廻る

あすは元日が来る佛とわたくし

掛取も来てくれぬ大晦日も独り

雪積もる夜のランプ

雨の舟岸により来る

山奥の木挽きと其男の子

夕空見てから夜食の箸とる

ひそかに波よせ明けてゐる

冬木の窓があちこちあいてる

窓あけた笑ひ顔だ

窓あけた笑い顔だ

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』4月号の初出で、「笑い」は昭和38(1963)年刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]


夜釣から明けてもどつた小さい舟だ

児を連れて城跡に来た

風吹く道のめくら

旅人夫婦で相談してゐる

ぬくい屋根で仕事してゐる

絵の書きたい児が遊びに来て居る

山風山を下りんとす

《山風山を下りるとす》

[やぶちゃん注:「大空」初版は「山風山を下りるとす」である。筑摩版によれば、同年『層雲』5月号の初出で、同解題にも春秋社版の「下りんとす」という表記が他にあるという注記はない。]

裸木春の雨雲行くや

をそくなつて月夜となつた庵

更けてから月夜となつた庵

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』5月号の初出で、「更けてから」は昭和4(1929)年刊の『層雲第七句集』及び所収の表記とする。これも全くの別句になってしまっている。]


松の根方が凍ててつはぶき

舟をからつぽにして上つてしまつた

小さい島にすみ島の雪

小さい島に住み島の雪【大空】

[やぶちゃん注:「大空」初版では表記が異なる。筑摩版によれば、同年『層雲』5月号の初出。]

名残の夕陽ある淋しさ山よ

故郷の冬空にもどつて来た

一日雪ふるとなりをもつ

みんなが夜の雪をふんでいんだ

山吹の花咲き尋ねて居る

春が来たと大きな新聞広告

雨の中泥手を洗ふ

枯枝ほきほき折るによし

静かなる一つのうきが引かれる

山畑麦が青くなる一本松

窓まで這つて来た顔出して青草

渚白い足出し

久し振りの太陽の下で働く

貧乏して植木鉢並べて居る

霜とけ鳥光る

久しぶりに片目が蜜柑うりに来た

障子に近く蘆枯るる風音

障子に近く蘆かれてゐる風音

風の音蘆枯るる障子にちかく

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』5月号の初出で、〈 〉の前者は死後、放哉の枕頭にあった雑記帳に記載されたものとする(弥生書房版「尾崎放哉全集」の記載による)。句稿にもこの句はない。〈 〉の後者は昭和38(1963)年層雲社刊の「層雲作品選第一」所収の表記とする。]

八ッ手の月夜もある恋猫

仕事探して歩く町中歩く人ばかり

舟から唄つてあがつて来る

《舟から唄つてあがつてくる》

元気な人ばかり海へ働きにゆく

[やぶちゃん注:本句は筑摩版の句集本文掉尾である。以下と同じ『層雲』六月号に掲載されているとする。私としては「春の山」を殊更に辞世とすることに拘りはないが、さりとも、この句を句集本文の最後に配する必然性を感じないことも事実である。そこで、敢て以下の9句の前に配することとした。さて以下の、「春の山のうしろから烟が出だした」迄の9句は同年の『層雲』六月号に「最後の手記より」という表題で掲載されたものである。また、「大空」の掉尾を飾るのもこの句群である。これをもって、辞世は「春の山」の句として意識されることとはなったのである。]

あついめしがたけた野茶屋

ぬくいめしが焚ケタ原茶ヤ

[やぶちゃん注:筑摩版によれば、同年『層雲』6月号初出で、〈 〉は筑摩版全集書簡番号597の4月4日附田中井児宛書簡の表記。本句の解題では「飯」とするが、同第二巻の書簡を見ると、「めし」であるので、そちらに従った。]

どつさり春の終りの雪ふり

森に近づき雪のある森

肉がやせてくる太い骨である

一つの湯呑を置いてむせてゐる

やせたからだを窓に置き船の汽笛

婆さんが寒夜の針箱おいて去んでる

すつかり病人になつて柳の糸が吹かれる

《すつかり病人になつて柳の糸が吹かれゐる》

[やぶちゃん注:「大空」初版は「すつかり病人になつて柳の糸が吹かれる」である。筑摩版は同年の『層雲』六月号の初出表記とする。]

春の山のうしろから烟が出だした

春の山のうしろから煙が出だした【大空】

[やぶちゃん注:「大空」初版では表記が異なる。筑摩版によれば、同年『層雲』6月号の初出。]



■沢芳衛宛書簡に現れる句 明治38(1905)年2月~明治41(1908)年頃



花白き春やむかしの夢さむし

絵にかきて、むかしむかしの話しかな

ともし火くらくはる雨のふる

狂気の、老女寐て居る座敷牢

大ろーそくに、春の夜を守る

紫の幔引きまはす桜狩

元日や餅、二日餅、三日餅      〔元日や餅二日餅三日餅

草摘で都ニ遠き一日、哉

ゆめの人ゆめの鳥夢の行かすや

すき腹を鳴いて蚊が出るあくび哉   〔すき腹を鳴いて蚊がでるあくび哉

判じ絵の中に秋草絵きけり

くずれては鴛鴦に波うつ松の雪    〔同〕

鶴を折る間に眠る児や宵の春     〔同〕
             
雛の頰の冷めたきに寄す我が頰哉

腹押せど啼かずなりたる雛かなし

小人島そこら明るし春ノ月

椿咲く島へ三里や浪高し

春雨ヤ岩ニ立ツ人見エズナル

一斉に海に吹かるゝ芒かな      〔一斉に海に吹かるる芒かな

投げられて負けても、まけぬ相撲哉  〔投げられて負けてもまけぬ相撲哉

大霧はるゝ百万石の城下哉      〔大霧はるる百万石の城下哉

提灯が向ふから来る夜霧哉      〔同〕
         カ シ
提灯が火事にとぶ也河岸の霧     〔同:但し、ルビはひらがな表記。〕

郷を去る一里朝霧はれにけり     〔同〕

四十雀五十雀よくシヤベル哉     〔同〕

姿見に灯うつる夜寒哉        〔同〕

鏡屋の鏡に今朝の秋立ちぬ      〔同〕

木犀に人を思ひて俳徊す       〔同〕

百文に売りとばす蚊帳の分れ哉    〔同〕

むかし寺のありたる町の夜寒哉    〔同〕

だら/\と要領を得ぬ糸瓜哉     〔だらだらと要領を得ぬ糸瓜哉

我庭の露三升や月今宵        〔同〕

奈良に来て未だ日の入らぬ紅葉哉   〔同〕

自炊子の起きて又食ふ夜長哉     〔同〕

油尽きててしまひたる夜長哉    〔油尽きて寝てしまひたる夜長哉

火事の夢さめて火事ある夜長哉    〔同〕

白粉のとく澄み行くや秋の水     〔同〕

   一人。愛妹をしのびて、

うつむきてふくらむ一重桔硬哉    〔同:但し、詞書はない。〕

寺多き谷中の鶏頭鶏頭哉       〔同〕

胡地の秋千里背水の陣をはる     〔同〕

烏瓜は短かく糸瓜長き哉       〔同〕

種瓢綽然として棚の月        〔同〕

籠の中に色々の茸集めけり      〔同〕

山火事を脊戸に出て見る芒哉     〔山火事を背戸に出て見る芒哉

夕ぐれや短冊を吹く萩の風      〔同〕

朝霧の凝りて蜜柑の千顆哉      〔同〕

円橋や紅葉に白き蝙蝠傘       〔同:「圓」を「円」とするのは筑摩版の編集方針。〕

月出でぬ河南河北の砧哉       〔同〕

耳なれて妻の砧や夢に入る      〔同〕

雨三度降て長き夜あけにけり     〔同〕

遅速ある二つの廻り燈籠哉      〔同〕

廻燈籠まはらずなりぬ稚子ねたり   〔同〕

耶馬溪の山皆高き紅葉哉       〔同〕

秋の風我がひげを吹き我を吹く

[やぶちゃん注:この句は「■句集」(春秋社1993年刊「決定版 尾崎放哉全句集」及びその2007年の増補決定版共に)では「秋の風我がひげを吹き残を吹く」である。両字の類似性からどちらかが誤植である可能性が高い。


秋の山幽なり水静なり        〔秋の山幽なり水静かなり

稲妻や犬しきりなく縁の下      〔稲妻や犬しきりなく椽の下

秋日和四国の山は皆ひくし      〔同〕

夕暮を綿吹きちぎる野分哉      〔同〕

手探りに芋矢たら食ふ無月哉     〔手探りに芋やたら食ふ無月哉

秋の雨朝より障子しめきりつ     〔同〕

紅葉さげて汽車にのる人集いけり   〔同〕

急ぎ足に草履の人や後の月      〔同〕

滝途や冷やかにとぶ白き蝶      〔同〕

冷や/\と見え透く籔や白き蝶    〔同〕

かきあげて、コスモスの花に眼晴れけり

春寒し、山の青きを見て居れば

松が根に春の雪かき集めけり     〔同〕

箱庭や寸人尺馬春の雪        〔同〕

行く秋を開ききつたる芙蓉哉     〔同〕

赤黒き迄谷底の紅葉哉        〔同〕

碧潭や紅葉ちりこみ吐き出す     〔同〕

初汐や空舟月に浮びけり       初汐や空舟月に浮かびけり

蓮の実をとばし尽して野分哉     〔同〕

行き/\て鳩の宮ある花野哉     〔同〕

行く秋を人なつかしむ灯哉      〔同〕

撫子に遊び友達も無かりけり     撫子に遊び友達もなかりけり

水仙の百枚書や春寒し        〔水仙の百枚書きや春寒し

春寒や母のなりしを絹小袖      〔同〕

春寒や嵐雪の句を石にほる      〔同〕

春寒や小梅もどりのカラ車
      〔同〕

春寒やそこ/\にして銀閣寺     春寒やそこそこにして銀閣寺

みゝずくの耳を打たれてねる夜かな

新内ヲ門ニ呼ビケリ宵ノ春



■句稿


  句稿(1)



  ※〇小浜ニ来て

  層雲雑吟   尾崎放哉

 〇小浜のオ寺で

今日来たばかりの土地の犬となじみになつてゐる

を世話になる寺をさがして歩くつゝじがまつ盛だ

竹の子竹になつて覗きに来る窓である

朝から十銭置いてある留守の長火鉢

其の儘はだしになつて庭の草ひきに下りる

和尚とたつた二人で呑んで酔つて来た

汽車通るま下た草ひく顔をあげず

〈背を汽車通る草ひく顔をあげず〉

あかるいうちに風呂をもらいに行く海が光る

カンヂキはいて草ひくかげが一日ある

重たい漬物石をくらがりであげとる

僧の白足袋ばかり見て草ひき話す

今日来たばかりで草ひいて居る道をとはれる

石だんあがつて行くたそがれの白足袋である

女枕をして兎ニ角寝てしまつた

雑草に海光るお寺のやけ跡

〈雑草に海光るやけ跡〉

くらい戸棚をあければ煮豆が腐つて居る居た

たきものたくさん割つて心よきくたびれ

竹の子の皮をむいてしまつてから淋しい

あたまをそつて帰る青梅たくさん落ちてる

そつたあたまが夜更けた枕で覚めて居る 放哉

脚気でふくれた足に指をつつこんで見る

手紙入れて来るに行く海風落ちた夕方

たつた一人分の米白々と洗ひあげたる

〈一人分の米白々と洗ひあげたる〉

草ひけばみゝず出て来る春日ゆるやか

青梅たくさん落ちて居るみどりのくらがり

石だん上る人あり草ひく旅人として

草をぬく泥手がかはく海風の光り

〈草をぬく泥手がかはく海風光り〉

障子切り張りしてゐるして留守番してゐる顔だ

火ばしを灰に突つこんでいんでしまつた

だれも居らぬ部屋に電気がついた 放哉

  雑吟 尾崎放哉

かまどが気持よく燃える春朝

時計が呼吸する音を忘れて居た

豆腐屋朝をならし来るよい男だ
    (ママ)
爪の土を堀つてから寝てしまう

時計が動いて居る寺の荒れてゐること

〈時計が動いて居る寺の荒れてゐる〉

万年筆がもたるゝ漬物臭い手である

和尚茶畑に居て返事するなり

あたへられたるわが机とていとしく

いつからか笑つたことの無い顔をもつて居る

洗いものしてしまつて自分のからだとなる

木の下掃きつゞけるよいお天気となる

下手な張りやうの儘で障子がかわいてしまつた

のびたあごひげなでてのみなつかしみ居る

月夜となつてしまつた遂に来る来ぬ人
           スベ
松葉数えて児等が遊べる術を知らず

乞食に話しかける心ある草もゆ

〈乞食に話しかける我となつて草もゆ〉

血豆をつぶす松の葉を得物とす

〈血豆をつぶさう松の葉がある〉

考え事をしてゐる田にしが歩いて居る

[やぶちゃん注:「考え」はママ。放哉はこの表記を多用するので、以下では指摘を省略する。]

風が落ちたまゝの駅であるたんぼの中

朝の青空のその底見せきれず 放哉

寒い顔して会釈し合つた

林檎の真ツ赤な皮が切れぎれにむかれた

さつきから晩の烏がないて居る草ひくうしろ

舟の灯を数えて数えてから寺の門をしめる

雪の戸をあけてしめた女の顔

蟻を見付けた大地に顔触れさせて居る

妻が留守の朝からの小雨よろし

障子に針がさしてあるさびた針

障子のひくい穴から可愛いゝ眼を見せる

児の対手をして絵本を面白がつてる 放哉

お山の晴れを松葉かき居り声あげんとす

米とぎ居るやあかつきの浪音

たくましい手できざみが上手にまるめられる

たつた一軒の町の本屋で寄らるゝれる

くるわの中の赤いポストの昼である

和尚が留守の豆をいつてるはぢける

するどい風の中で別れようとする

銃音がしてせつせと草をぬいて居る

どんどん泣いてしまつた児の顔

晴れて行く傘で肩に乗せられる 放哉

窓に迫り来る雑草の勢を見る

大根ぶらさげて橋を渡り切る一人

新緑の山となり山の道となり

ボストに落としたわが手紙の音ばかり

急いで行く径の筍が出て居る

鏡の底のわが顔ひげのばしたり

草花一つ置き夫婦のみの夜更けたる

地図を見て居る小さい島々ある

鶏小舎鶏居らず春なり

たつた一つ去年の炭団が残つて居る 放哉

怪しからず凍てる夜となり炭団火にして参らす

去年の炭団がいつまでも一つごろ/\して居る

夕べ煙らして居る家のなかから泣くよ赤ん坊

赤ン坊動いて居る一と間切りの住居

雑踏のなかでなんにも用の無い自分であつた

家をたてること話し雑草やかれる

みんな泣いて居る人等にランプが一つ

病人の蜜柑をみんなたべてしまつた

めし粒が堅くなつて襟に付いて居つた

淋しさ足らず求め足らず 放哉

  層雲雑吟 尾崎放哉生

樋のこわれをなほし水だらけになつてゐる

海いつぱいに尻を向け石だんの草をひいてる

田舎の小さな新聞をすぐに読んでしまつた

猫が斜に出て行つた庫裡の昼すぎである

あす朝の茶の芽をつむ約束をして和尚と寝てしまつた

フトつばくろを見し朝の一日家を出ず

畳のその焼け焦げの古びたるさへ

麦わら帽のかげの下一日草ひく

きせるがつまつてしまつたよい天気の一人である

毎朝ごみ捨てに来て若い藪の風に立つ

縁に腰かけて番茶呑む一人眺めらる

ひよいとさげた土瓶がかるかつた

若葉にむつとしてお寺をさがして居る

冷え切つたを茶をのんで別れよう

蚤がとんで見えなくなつた古い畳だ

夕陽の庫裡は茶漬をすゝる音ばかり
・・
ヘリが無い畳の淋しさが広がる

あすの米洗いあげて居る月の障子となる

頭をそつて出る小さい町の海風

花火をあげて海に沿ふて小さい町ある 放哉

  雑吟 尾崎放哉

ひねもすどこやら水音がして山寺なりけり

すゝけた障子にわがかげうつる夜となる

山ふところの水遠くひく太い青竹
            (ママ)
庫裡の大きな柱に古い五寸鉢が打つてある

土瓶がことこと音さして一人よ

どろぼう猫の眼と睨みあつてる自分であつた

番傘ひらいては干す新緑の寺のしゞま

雨があがつたらしい児等が遊んで居る声が近い

魚釣り見て居るわれに寄りそう人ある

寝ころぶ一人には高い天井がある 5/21

 ※○小浜に来て層雲雑吟 尾崎放哉

筍筍いそいで竹になつてしまつた

大きな古足袋もらつてはきなれて居る

白い衣物ばかりたゝんで居る夜である

小さい茶椀で何杯も清水を呑む

かん詰の缶を捨てる早春の藪

留守番をして地震にふられて居る

焼け跡已に芽ぐまぬ木とて無く

落ちそうな大岩の下で清水絶えず

木の芽かゞやきあつい茶を出される

雪ふるにまかせ赤い灯に集つてゐる

歯みがき粉こぼし朝の木の芽の道

バケツがころがつて泣く夕風

力いつぱいの二た葉持ちあげたり

夜通し水走る宿で夢を見てゐる

手を振り足を振り朝は新らしい空気

澄み切つた空で眼が覚め出す

青梅木の下すかせば見え来る

白たゝけた爪の色■を眼の前にしてゐる

かまどの暗い口に火をつけてやる

静な朝の雀をさがす一つ居る 放哉

せんベい布団にくるまつて居る剃り立ての頭である

腹の臍に湯をかけて一人夜中の温泉である

〈臍に湯をかけて一人夜中の温泉である〉

針の小さい光る穴に糸を通す

窓から女の白い手が切手を渡してくれた

病人らしう見て居る庭の雑草

浪音淋しく三味やめさせて居る

豆を水にふくらませて置く春ひと夜

姉妹仲よく針山をかれる 放哉


  
句稿(2)


  ※〇村の呉服屋

  層雲帷吟 尾崎放哉

古い汽車の時間表を見て居た二人であつた

石のぬく味を雑草に残して去る

蜘蛛が巣をつくつてる間に水を打つてしまつた

はぢめての道の寒夜足になじまず

橋に来てしまつて忘れ忘れたものがあつた

土瓶のどつかにひゞがあるらしい

お寺にすつこんでそれから死んでしまつた

豆ばかりたべて腹くだしをして居る

古椅子ひつぱり出して来て痩せこけた腰を下ろす

きせるのらをを代へるだけの用で出て行く

烏がひよいひよいとんで春の日暮れず

一文菓子屋の晩の小さい灯がともる

かぎりなく蟻が出てくる蟻の穴音なく
            アナ
〈かぎりなく蟻が出てくる穴の音なく〉

ネクタイが鏡のなかで結ばれる

いつしか曇る陽の草ひくかげが消えた

古くなつた石塔新らしい石塔

木の梅を売る双手を組む

人にだまされてばかり円い夕月ある

いち早く朝を出てしまつた船である

水引がたんとたまつた浅い箱で 放哉

れいめいの味噌すり鉢がをどること

すりこ木すり鉢にそへて庫裡の朝ある

遠くへ返事して朝の味噌をすつて居る

汐干の貝が台所でぶつぶつ云つてる

ほんの一ちようしで真ツ赤になつてるよ

熱のある手を其儘妻に渡す

ころころころがつて来た仁丹をたべてしまつた

あごひげをそる四角な鏡である

わが歳をかぞへて見る歳になつて居た

木の芽を盗みに来る窓からで叱らねばならぬ 放哉

柿若葉の頃の二階を人に貸してる

かまどちよろ/\赤い舌出し明けそむ

朝のかまどの前に白いあぐらをくんでる

地震の号外をたゝき付けてとんで行つた

読んだ手紙もくべて飯が煮えたつた

火消壺の暗に片手をつつこむ

猫に覗かれる朝の女気なし

豆腐をバケツに浮かべて庫裡の夕となる

大がまで煮て居る筍うらの筍

青梅ふみつぶして行く新らしい下駄

かまどが真ツ黒な口あけてるだけの庫裡 放哉

冷酒の酔のまはるをぢつと待つて居る

いつもうたつて居る竹藪の中の家

吹けど音せぬ尺八の穴が並んで居る

竹藪ほつたらかして障子が釘付けにしてある

米をはかる時竹藪の夕陽ある

お茶の葉をむす湯気の中の坊主頭である

老ひくちて居る耳の底の雷鳴

手作りの吹き竹で火を吹けばをこるは

〈手作りの吹き竹で火が起きてくる〉

茶わんのかけを気にして話しして居る

冷え切つた番茶の出がらしで話さう 放哉


  
句稿(3)


  雑吟 尾崎放哉

竹切る音の人が顔を見せない

遊びつかれた児に寝る灯がある

椿の墓道を毎朝掃くことがうれしい

釜の尻光らして春陽に居る

寺はがらんとして今日の落つる陽ある

車屋貧乏くさい自分を見て通つた

自分の母が死んで居たことを思ひ出してゐる思ひ出した

白い小犬がどこ迄も一疋ついてくる

たぎる陽の釜のふたをとつてやる

犬がもどつて来ない夕あかりに立つ 放哉

今朝の花のどの枝を切らう

暮れ切つた坊主頭で居る

戻りは傘をかついで帰る橋であつた

焼け跡一本の松の木に背をもたせる

蔵の横の残雪に痛む眼ある

時計がなりやむ遠くの時計がなり出す

月が出て居る障子あけんとす

菊の鉢買つて来て客とはなして居る

傘をくる/\まはして考え事してゐた

好きな花の椿に絶えず咲かれて住む 放哉

いちにち山椒煮る醬油の香にしみ込んで居る

貧乏徳利をどかりと畳に置く

寺の名大きく書いた傘ばりばり開いて出る

妻を風呂に入れて焚いてやる

雨を光らして提灯ぶらさげて出る

バラの垣が無雑作に咲き出した

桜が葉になつて小供が又ふえた

咲き切つた桜かな郊外に住む

花の雨つゞきのわらじが乾かぬ

山吹ホキと折れて白い 放哉

朝寝すごして早春の昼めしをたべとる

古本の町の埃をばたばたはたいてゐる

たつた一つ残つてゐる紙鳶に青空ある

うしろから襷をしめてもらう泥手である

うす陽一日くもらせて庭石ある

日曜日の庭を歩いてゐる蔓草

小さい布団で児がふか/\と寝てゐる

埃が立たぬ程の雨の女客ある

笑ふ時の前歯がはえて来たは

から車大きな音させて春夕べ 放哉

処女の手のひらのやうな柿若葉の下に立つてる

蟻にかまれたあとを思い出してはかいてゐる
(ママ)
筍堀つた穴にふつくり朝の陽がある
(ママ)
筍堀りに主人の尻について行く

眼の前筍が出てゐる下駄をなほして居る

ごみ捨場に行く道が雑草でいつぱいになつた

障子張りかへて若葉に押されてゐる

はでな浴衣きて番茶をほうじてゐる

妻の下駄ひつかけて肴屋の肴見に出る

漬物桶の石がぎつしり押して居る 放哉

お寺はひつそりして国旗出してゐる

みどりの下かげの若い人等の話し

お寺の青梅落ちる頃を児等は知つてゐる

ボタンが落ちた儘でシヤツを着てゐる

わが行く手の提灯一つ来るさま

いつぱいつまつてゐる汽車に乗りこんでしまつた

水の輪ひろがる山の池の出来事

空つ風の日の児等はどつかへとんで行つてしまつた

泥手で金勘定をしてゐる風の中

梅も咲いて居る小さい流れありけり 放哉


  
句稿(4)


  層雲雑吟 尾崎放哉

芭蕉の広い葉であふがれて居る蒼空

のびた爪切れば可愛いゝわがゆびである

暗がり砂糖をなめたわが舌のよろこび

犬が一生懸命にひく車に見とれる

干した茶を仕舞ふ黒雲に追つかけられる

百姓らしい顔が庫裡の戸をあけた

ごはんを黒焦にして恐縮して居る

味噌汁がだぶづく朝の腹をかゝへ込んでる

朝のごはんの大根一本をろしてしまつた

洗いものがまだ一つ残つて居つたは

晩をひつそり杓子を洗ふいろいろな杓子

眼鏡かけなれて青葉

ほつたらかしてある池で蛙児となる

板の間をふく朝の尻そばだてたり

漬物くさい手で□句を書いて

[やぶちゃん注:底本では□の後に「(一字不明)」とある。]

そろはぬ火ばしの儘で六月になつた

今日切りのわが茶椀に別れようとする

書きよい筆でいつも手にとられる

古下駄洗つて居るお寺はたれも来ぬ

針箱を片付けてから話す 放哉

暦が留守の畳にほり出してあるきりだ

暦をあけて梅雨の入りを知つた顔である

空家の前で長い立話しをして居た

児等が大きくなつて別荘守がぼけとる

釘箱の釘がみんな曲つて居る

水のつめたさに荷が下ろされて居る

夫婦でくしやめして笑つた

二人の親しみの長火鉢があるきり

青梅酢つぱい顔して落ちとる

道でもないところを歩いて居るすみれ 放哉

和尚の不自由な足が夜中の廊下で起きとる

一茎の草ひく蟻の城くづれたり

ひねもす草ひく晩の豆腐屋の声を身の廻りにして居る

草ひくことの毎日のお陽さんである

鳶ひよろひよろ草ひくばかり

一日歩きつゞける若葉ばかりの山道

そつとためいきして若葉に暮れて居る

かたい机でうたゝ寝して居つた

提灯と出逢つて居る知つた人である

蟻にたばこの煙りをふきつける 放哉

かくれたり見えたり山の一つ灯が消えてしまつた

送つて来てくれた提灯の灯にわかれる

わが眼の前を通る猫の足音無し

お寺の灯遠くて淋しがられる

昼寝起きの妻が留守にして居る

豆を煮つめる一日くつくつ煮つめる

〈豆を煮つめる自分の一日だつた〉

こんな山ふところで耕して居る

二階から下りて来てひるめしにする

火事があつた横丁を風呂屋に行く

鍋ずみが洗つても洗つてもとれぬ朝である 放哉

桜の実がにがいこと東京が遠い

煙管をぽんとはたいてよい知恵を出す

顔の紐をゆるめて留守番をしてゐる

淋しい池に来てごはん粒を投げてやる

葉になつた桜の下でたばこを吸はう

すねの毛を吹く風を感じ草原

蛙大きな腹を見せ月夜の後ろある

いり豆手づかみにしてこぼれる

蛙を釣つて歩るくとぼけた顔だ

花活けかへた日の午后の客あり 放哉


  
句稿(5)


  層雲雑吟 尾崎放哉

久々海へ出で見る風吹くばかり

半鐘ならされた事無き村のこの海

障子がしめてある海があれて居る

海がよく凪いで居る村の呉服屋

高下駄傘さして豆腐買ひに行くなり

よい月をほり出して村は寝て居る

池水しわよせて京に来て居る

マツチの棒を消す事をしてゐる海風

さんざん雨にふられてなじみになつてゐる 放哉

筍すくすくのび行く我が窓である

障子の穴から小さい筍盗人を叱る

餅を焼いて居る夜更の変な男である

古釘にいつからぶらさげてあるものを知らず

蜘蛛がすうと下りて来た朝を眼の前にす

銅像に悪口ついて行つてしまつたは

〈銅像に悪口ついて行つてしまつた〉

探し物に来て倉の中で読んで居る

雨のあくる日の柔らかな草をひいて居る

たもとから独楽出して児に廻して見せる

今日も一羽雀が砂あびて居るよ草ひく 放哉

とんぼが羽ふせる大地の静かさふせる

きちんと座つて居る朝の竹四五本ある

蛙ころころとなく火の用心をして寝る

破れうちはをはだかの斜にかまへる

所在不明の手紙がこつそり戻つて来て居る

◎只今居る常高寺といふオ寺は妙心寺派の禅寺で中々立派なものです(非常に荒廃して居ますが)淀君の末の妹(京極家ニ嫁して)が建立されたもの、問題にならぬ程あれはてゝ居るけれど、庭は実に見事なものです淀君の妹といヘば美人であつたろうと思います、-一人庭の草ムシリをしながら次の九句をつくつて見ました 放哉

『一と處つゝじが白う咲いて廃庭

[やぶちゃん注:この句、底本では冒頭の「『」は一字上にあり、句は他と同じ高さから始まっている。]


廃庭大きな蛙小さな蛙

蛙がとんだりはねたりはねたりして池の夜昼

とかげの美くしい色がある廃庭

廃亭に休らうわれは大昔しの人

昔しの朝の風吹かせ一本一石

女がたてた大きなお寺だ

廃庭雑草の儘の数奇を尽す

ホキと折る木の枝よい匂ひがする』

  〇以上、九句廃庭吟御叱正下さりませ
  (ママ)
青梅憂然と落ちて見せる

青梅かぢつて酒屋の御用きゝが来る

青梅白い歯に喰ひこまれる

節穴さし来る光り尊し

梅雨入りのからかさに竹の葉さはらせる

小供を抱いてお客と話してゐる

児の笑顔を抱いて向けて見せる

折れ釘も叩きこんで箱をつくつつてしまつた

佛のお菓子をもらう子供心子供心である

赤いお盆をまんまろくふいて居る 放哉

蛙たくさんないて居る夜の男と女

蛙たくさんなかせ灯を消して寝る

小鳥よくなれて居て首をかしげる

鳥籠下ろす二の腕の春だ

はつかしそうな鶯遠くへ逃げて逃げてはなく

下手くそな鶯よ山路急ぐとせず

雪国の長い家のひさしに逗留してゐる

はるか海を見下ろし茶屋の婆つんぼであつた

もるがまゝにつかつて居る一つの土瓶
       (ママ)
豆のやうな火を堀り出し寒夜もどつて居る 放哉


  
句稿(6)


  層雲雑吟 尾崎放哉

葉桜の暗夜となり蛍なりけり

木槿の垣に沿ふて行く先生の家がある

桜葉になつてしまつてまだあき家である

葉桜の下で遊びくたびれて居る

木槿の垣から小犬がころがり出す

木槿垣の上を豆腐屋の顔が行くよ

木槿の葉のかげで包丁といでいる

[やぶちゃん注:「いる」はママ。]

松山松のみどり春日ならざるなし

燃えさしに水かける晩の白い煙り

すくすく松のみどりの朝の庭掃く

竹の葉がふる窓で字を習つてゐる

底になつた炭俵の腹に手を突つ込む

豆腐屋の美くしい娘が早起きしてゐる

田舎の床屋で立派なひげをはやしてゐる

少し■の酒が徳利ふればなる

久し振りに英語の字引の重たさ手にする

池で米とぐかきつばたは紫

池一つ置いて静かなあけくれ

お池のなかの黒ン坊のゐもり

蠅が障子にぶつかる元気がよい 放哉

寺に来て居て青葉の大降りとなる

サツとかげる陽ある躑躅まつ盛り

物干で一日躍つて居る浴衣

汐ふくむ夕風に乳房垂れたり

砂山下りて海へ行く人消えたる

芹の水濁らかすもの居て澄み来る

〈芹の水濁らすもの居て澄み来る〉

桜咲き切つて青空風呼ぶさま

青葉は日かげの石段高々とある

桜ひとかたまりに咲き落ちて池水

軒の■しのぶが手をのばす夕月 放哉

借金とりを返して青梅かぢつて居る

落葉ふんで来る音が犬であつた

四角にかり込まれた躑躅がホツ/\花出す

池の朝がはぢまる水すましである

ぱく/\返事をして豆がいれる

落葉どつさり沈めて澄み切つた池だ

煙草のけむりが電線にひつかゝる野良は天気

煙草のけむりがひつかゝる高い鼻である

小米花数限りなく白くて白うて

池の冷めたさにごらす米のとぎ水 放哉

土塀に突つかい棒をしてオルガンひいてゐる学校

児にヨジユームを塗つてやる朝の空気だ

黒い衣ものきて後ろ姿を知らずに居た

夜の枕があたまにくつ付いて来る

今朝はどの金魚が死んで居るだらう

話しが問遠になつて町の灯を見る

言ふ事があまり多くてだまつて居る

小さな人形に小さいかげがある

鯖を一本持つて来て竹を切つていんだ

話しずきの方丈にとつつかまつて居る 放哉

梅雨晴れの七輪ばたばたあふいで居る

筍くるくるむいてはだかにしてやる

茱萸の小さい提灯が赤うなつて来た

石油かんを叩いてへこましてしまつた

茶の出がらしが冷えてゐる土瓶である

茶椀の欠けたのが気になつてゐる朝である

墨すり流しつゝ思はるゝこと

消し炭手づかみにしてもつて来る

たばこを買つてしまつて一銭しか残らぬ

山吹真ツ黄な蛇をかくしてゐる 放哉

口笛吹かるゝ四十男妻なし

うつろの心に眼が二つあいてゐる

花火があがる音のたび聞いてゐる

天幕がたゝまれて馬がひかれて行つた

一日曇つてゐる手習ひしてゐる

破れたまんまの障子で夏になつてゐる

夜がらすに啼かれても一人

淋しいからだから爪がのび出す

電燈が次の部屋にもつて行かれた

重たいこうこ石をあげる朝であつた 放哉

髪を切つてしまつた人の笑顔である

蛙が手足を張り切て死んでゐる

肉のすき間から風邪をひいてしまつた

裸の人等のなかの風呂からあがつてくる

屋根草風ある田舎に来てゐる

障子のなかに居る人を知つてゐる

赤ン坊火がついたやうに泣く裏口暮れとる

[やぶちゃん注:底本では「裏に暮れとる」とあるが、意味が通らない。筑摩版全集では表記の通り。それに従って補正した。]

寝そべつてゐる白い足のうらである

板の間光らせて冷ヘた茶を呑んでゐる

苔がはえて居る墓の字をよまんとす 放哉

襖あけひろげ牡丹生けられたる

たくさんの墓のなか花たてゝある墓

牡丹あかるくて読まるゝ手紙

山の茂りの人声下りて来る

人を乗せて来た戸板でさつさといんでしまつた

米粒一粒もたいなく若葉に居る

汽車でとんで来たばかりの顔である

痛い足をさすりさす今日もくれて来た

女房大きな腹をしてがぶ/\番茶を呑んで

物を乞はれて居るわれは乞食 放哉

何くれとなく母の手助けをして女の子である

なぜか一人居る子供見て涙ぐまるゝ

他人同志が二人で寝起きしてゐる

貧乏ばかりして歳頃となつてゐる

わが歳を児■のゆびが数へて見せる

橋までついて来た児がいんでしまつた

母の無い児の父であつたよ

牛乳コトコト煮て妻に病まれてゐる

卵子たくさんこわしてあいそしてくれる

今朝も町はづれの橋に来てゐる 放哉

裸ン坊がとんで出る漁師町の児等の昼

波音になれて住む若い夫婦である

渚消されずにある小さい児の足跡

小さい橋に来て荒れとる海が見える

〈小さい橋に来て荒れる海が見える〉

一本松とて海真ツ平らなり

海の旭日仰んをがんで二階から下りる

えぼし岩目がけて朝の釣舟をやる

ひとひらの舟に乗る深い海である

島に人住はせて海は波打つ

手からこぼれる砂の朝日 放哉


  
句稿(7)[やぶちゃん注:ここより小豆島時代のものと思われる。]


  層雲雑吟 尾崎放哉

  ※〇足のうら

妻楊枝嚙んでは捨てるなん本でもある

だんだん風が強くなつて来て泊る気になつて居る

煙草の煙りにごまかされて出て来た顔である

この蟹めと蟹に呼びかけて見る

かはいや小さくても赤い蟹の親ゆび

松かさぼんやりして居る庵にたゝき付けられる

雨のあくる日がよく晴れ松かさからりと落ちる

火が消えて居る火鉢をかきまはしてほり出す

呼び返して見たが話しも無い

海を前に広げて朝から小便ばかりして居る

あらしが一本の柳をもみくちやにする夜明けの橋

〈あらしが一本の柳に夜明けの橋〉
              
あらしの部屋にはランプが一つ灯いて居る

みんな寝込んで居る家並の上に赤い雲を流し嵐はぢまる

あらしの中のばんめしにする母と子

あらしのあとの馬鹿がさかなうりに来る

あらしのなかの虫一つなく一つなきけり

あらしの晩で椎拾ふ相談が出来た

あらしのあとの小さい鶏頭起してありく

風が落ちた神主の顔に夜があけて居る

よい凪の月無きかゝる夜島島生れし

波にかくれる島にて舟虫はひけり 放哉

芒がどんどんのびて行く島のお天気つゞき

雨の日は遠くから燈台見て居る

ゆつくり歩いても燈台に来てしまつた

旅人若く島の芒穂に出でず

風がどこに行つてしまつたか海

波のうねりのだんまつて居る力

島々皆白波の祠を抱き

白波打ちかへし渚秋なりけり

ひよいと呑んだ茶椀の茶が冷たかつた

朝のあついお茶をついで呑む 放哉

いつの問に風が落ちたか暮れとる

石油の匂ひが好きな女であつた

水平線をはなれ切つた白雲

石炭酸の匂ひがする裏町ぬける

砂山砂から顔出して石塔

道しるベ横さまに打ち込まいでもよさそう

小鳥飼ふ事が上手でだまりこんでゐる

うたが自慢でおばゞ酒をほしがる

朝皃の蔓のさきの命ふるはす

風の藤棚の下ベンチが無い

緋鯉がにじんだ儘で暮れる 放哉

大きな鯉も居る藤も垂れて居る

雨蛙がぴつたり手に吸ひ付いた朝風

なぜか逢ひともない人の顔だが

鳶だんだん大きな輪をかいて高いぞ

針箱しまつて晩のにぎやかさにかゝる

ボケの花が一番すきな木瓜の花

数えて居るうちに鳩の数がまぎれて来る
              
そうめん煮すぎて団子にしても喰ヘる

づいぶん強い風であつた柘榴が落ちない

庭下駄庭石にくつ付いた儘で□□くつ付いて居る 放哉

[やぶちゃん注:注によれば、抹消している末尾二字程は不明。]

もう汽車に乗つたかな土瓶がからつぽだ

焼米ゆびからこぼれる音を拾ふ

小包の紐をたんねんにほどいてたばねる

庭石格好よく据えてあすのことにする

風が落ちたやうだ小供の泣く声

ハンケチ洗つて干す秋陽となり

蝉がちつとも啼かぬやうになつた大松一本

歯みがき粉がこぼれて留守にして居る

墓へ行つた足音が今戻つて来る

藤棚洩れる秋陽を机の前にす 放哉

海辺の畑の垣とても無く夾竹桃真ツ盛り

石が火になつて炭とをこつて居る

血を吸ひ足つた蚊がころりと死んでしまつた

田を植えて行く村のお医者さんが通られる

こんな町中の三角の水田であつた

 (慥か大久保新田、辺りの記憶)

鎌を光らして朝の山にはいる

[やぶちゃん注:正しくは「はゐる」であるが、放哉は多くこの「はいる」を用いている。句稿のここでのみ注記し、以下は省略する。]

口をあけないでしまつた柘榴だ

洗濯竿にはわがさるまたが一つ

足のうら洗へば白くなる

すら/\書ける手紙で二三本書く 放哉

涼しさ担ひ来し荷を下ろす

石山虫なく陽かげり

石山雨をふるだけふらせて居る

青梅落として居る留守らしい

ざるから尾頭ぴんと出して秋風

自分をなくしてしまつて探して居る

帯のうしろに団扇をさしてお婆よく歩く

三味線の■稽古して御詠歌をしへて居る

帽子にとまつた蛍を知らない

蛍籠の蛍の匂ひ 放哉

河原の蛍が光る部屋に案内される

昼の蛍の襟が赤い兵隊さん

蛍すいすい橋は風ある

叱られた児の眼に蛍がとんで見せる

そんな遠方までとんでもよいか池の蛍

夜更かしてもどる蛍がよく光ること

どうせ濡れてしまつたざんざんぶりの草の蛍

〈どうせ濡れてしまつた夜空の草の蛍〉

風よ高々忘れたような蛍

光らぬやうになつた蛍寵吊るして居る

光ること忘れて死んでしまつた蛍 放哉

〈蛍光らない堅くなつてゐる〉

人一人焼いた煙突がぽかんとしてる夕空

はやり風邪で死ぬ人を焼く煙突がいそがしい

大松一本雀に与へ庵ある

大松によりかゝる蟻の音全く無し

根も葉も無い話しで田舎の夜が更ける

月の出がをそいからの庵にもどる

への字動かすきりの烏が遠くなつてしまつた

雨の烏がだまつて居て無精者で

蚤とり粉たくさんまいてくしやみして居た

堤へあがる海への道消えたり 放哉


  
句稿(8)


  層雲雑吟 尾崎放哉

海が少し見ヘる小さい窓一つもち事たる

〈海が少し見へる小さい窓一つもつ〉

わが顔があつた小さい鏡を買うてもどつて来る

〈わが顔があつた小さい鏡買うてもどる〉

こゝから浪音きこえぬほどの海の青さの

畳がえしてもらつた其の日から庵の主人で居る

わが庵とし鶏頭がたくさん赤うなつて居る

すさまじく蚊がなく夜の痩せたからだが一つ

久し振りに島の朝の木魚叩いて居りけり

人の親切に泣かされ今夜から一人で寝る

井戸水汲みに行くまつ昼西瓜がごろ/\寝てゐる

日が暮れゝば寝てしまうくせの窓一つ残し

わが手わが足の泥を洗ひ今日の終り

七輪あふいで居れば飯が出来汁が出来

とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた

どつと山風に消えたちよろ/\風呂の火

藁をたいた土の匂ひをふと嗅いで寝る

ほりかけの石塔の奥で晩酌やつて居る

■小さい窓から茶がらをこぼす新月

どうせ一人の一人の夕べ出て行くかんなくづの帽子

新らしい石塔がたつた夜のわれは寝るとす 放哉

をさな心のランプを灯し島の海風

島の墓にはお盆の夕空流れ

晩のかげがうつる頃となる二枚の障子

四五人静かにはたらき塩浜くれる

四五本ほちほちくゆらし蚊とり線香

夜更けの麦粉が畳にこぼれた

壁土が落ちること昼の虫なく

炭をもらつた夜の火鉢土瓶たぎらす

色々思はるゝ蚊帳のなか虫等と居る

今朝は松の青い葉がたくさんある掃く 放哉

いつも松風を屋根の上にをいて寝る

海辺はをなじなりはひの家々晩の煙りをあげ

洗濯竿をじやまにして立話して居る

夜中ひやひや起こされて居る窓の海風

船がはいつたぞと知らしてゐる窓一つ暮れとる

蚤とぶ朝の畳の裸一貫

店の灯が美くしくてしやぼん買ひにはいる

松かさも火にして豆が煮えた

屋根の上から見えてゐる山も島の山かな

女の笑ひ声もして盆の墓原 放哉

こんなところに打つてある釘を考えて居る

島人の訛りになれて木槿白き夜の

無暗に打つてある釘をぬく小さな住居とし

大声あげて呼ぶ野良はひろびろ

茄子をもいで来たあんまにもんでもらう

ひとばんでしぼんでしまつた白い木槿

御佛の灯を消して一人蚊帳にはいる

みんなで汲まれる井戸の水がうまくて真夏

井戸のほとりがぬれて居る夕風

西瓜がつけてある井戸水深々汲み去る 放哉

葬式のかねがなる昼月出て居り

さゝつたとげを一人でぬかねばならぬ

麦粉を鼠がねらう夜が長いぞ

わかれてから風邪薬をかつて寝にもどる

なん本もマッチの棒を消やし海風に話す

〈なん本もマッチの棒を消し海風に話す〉

新らしい釘を打つて夏帽をかける

松の葉風無くて淋しい朝よ

山に登れば淋しい村がみんな見える

もらつた新芋がある葱があるたべ尽くされず

横顔そつくりの顔がちがつて居つた 放哉

蚊帳の吊り手の朝風に用なくて居る

腰をろす石をさがす暮れちかく

待つて居る手紙が来ぬ炎天がつゞく

夜更けの舟をろす月にひそかなる

漕ぎもどす舟の月夜はなれず

お茶を呑むわが茶碗が一つ

よびとめられた晩の道茄子もいでもらう

片眼の女がうりに来る島のくだもの

ボラがたくさん釣れるこの頃の丸い月夜

まつくらなわが庵の中に吸はれる 放哉

夕べもどつて来る庵の障子があいて居つた

葡萄の種子を吐いて居るランプの下

梅干を大事にしてお粥をたべとる

人来る声してみんな墓場へまがる

土のほこりの窓低き鶏頭

半分よんだ本がなか/\読み切れぬ

畳はく風の針が光つて見せる

庭をはいてしまつてから海を見てゐる

半紙が二三枚とんで居る庵であつた

昼の蚊御佛を礼讃し刺すよ 放哉

白足袋がよくかはいて暮れてしまつた

天井のふし穴が一日わたしを覗いて居る

般若心経となへ去る朝の第一燈

海風たんとたもとに入れ晩を遊びに出る児等

恋を啼く虫等のなかでかゞまつて寝る

かりそめのたなを吊つて乗せるものがたんとある

障子の穴が大きうなつて朝晩涼しうて居る

裏山にあがつて朝の舟を見てこよう

土瓶の欠けた口に笑はれて居る

麦粉を口いつぱいに頰ばつても一人 放哉

燃えさしに水をかけて泣かせてしまつた

東京へ手紙かきあげて島の夜にだかれて寝る

石塔ほる前の家の女がめくらであつた

一銭置いてお茶をみんな呑まれてしまつた

妻楊子買つて来て一本もたいなく抜く

今ばん芋を煮ようか茄子を煮ようかとのみ

京の女を思ひ出す鏡見て居る

扇子を大事にし大事にし蠅を叩く

お経よむ気にもなれず米とぐ日ある

お光りに佛てらされ給ふ朝は 放哉


  
句稿(9)


  層雲雑吟 尾崎放哉

雨の椿に下駄辷らしてたずねて来た

〈雨と椿に下駄辷らしてたづねて来た〉

何かもの足らぬ晩の蛙がなかぬことであつた

 (此島米ヲ産セズ故、水田ナシ)

わが髪の美くしさもてあまして居る

〈髪の美くしさもてあまして居る〉

浴衣きて来た儘で島の秋となつとる

バケツ一杯の月光を汲み込んで置く
シキヰ
閾の溝に秋の襖をはめる

いつも淋しい村が見える入江の向ふ

障子の穴をさがして煙草の煙りが出て行つた

夏帽新らしくて初秋の風

鶏のぬけ毛がとんで来ても秋

藁ぐまにもたれて落ち込んでしまつた

波打際に来てゆつくり歩きつゞける

しとしとふる雨の石に字がほつてある

淋しくなれば木の葉が躍つて見せる

叱ればすぐ泣く児だと云つて泣かせて居る

窓いつぱいの旭日さしこむ眼の前蠅交る事

 今朝、五時頃ノ実景デ、ナンダカ馬鹿ニサレテ居ル様ナ気ガシマシタ、彼等、第一義諦ヲ知ル筈トデモ云ヒタイ様ナ気持デ、彼等ハ実ニ堂々タルモノデス、旭日直射シ来レバ彼等ハ即歓呼ヲ挙ゲテ交ル、
        
  秋風吹断一頭盧(?)

  旭暉眼前蒼蠅交

マヅイ偈デスカ、マダ死ネソヲニモアリマセンカ[やぶちゃん注:この通信文は底本では全体が一字下げとなっている。]

あく迄満月をむさぼり風邪をひきけり

さあ今日はどこへ行つて遊ばう雀等の朝

はちけそうな白いゆびで水蜜桃がむかれる

石のまんなかがほられ水をたゝえる

山ふところの風邪の饒舌

花がいろ/\咲いてみんな売られる花

〈花がいろ/\咲いてみんな売られる〉

青空の下梨子瓜一つもぐ

塩のからいに驚いて塩をなめて居る

はく程もない朝々の松の葉ばかり

盆芝居の太鼓が遠くで鳴る間がぬけて居てよし 放哉

落葉生きてるやうにとび廻つて見せる

枝をはなるゝや落葉行違も知らず

たまさか来るお遍路の笠が見送らるゝ秋は

追憶のタベ庭先き蟹がはつて見せる

今日はも一つお地蔵さまをこさえねばならぬと石ほる

障子の破れから昼のランプがのぞくも風景

なれてしまへば障子の破れから景色が見える

荒壁ほろ/\わが夜の底に落ちる

秋風の石が子を産む話し

投げ出されたやうな西瓜が太つて行く 放哉

忘れた頃を木槿又咲く島のよい日和

いつも泣いて居る女の絵が気になる壁の新聞

〈壁の新聞の女ハいつも泣いて居る〉

鴨居とて無暗に釘が釘打つてあるがいとほし

此の釘を釘打つた人の力の執念を抜く

われにも乏しき米の首がやせこけた雀よ

下手になく朝もよろし島の鶏

海風に筒抜けられて居るいつも一人

海風至らぬくまもなく一本の大黒柱

たまたま窓から顔出せば山羊が居りけり

海風ベう/\と町までの夜道 放哉

朝から曇れる日の白木槿に話しかける

うらの畑にはいつて盆花切つてもらう

アイスクリーンを売つて歩く島の昼は開けた

うつかり気が付かずに居た火鉢に模様があつた

お盆の年寄が休む処とし庵の海風

盆休み雨となりぬ島の小さい家々
        (ママ)
〈盆休み雨となりた島の小さい家々〉

島から出たくも無いと云つて年とつて居る

お盆の墓原灯をつらね淋しやひとかたまり

死ぬ事を忘れ月の舟漕いで居る

朝ばん牛乳を呑んでやせこけて居る 放哉

山々背中にあすの天気をさしあげて居る

ビクともしない大松一本と残暑にはいる

全く虫等の夜中となりをぢぎして出る

稲妻しきりにする窓焼米かぢる音のみ

蚊帳のなか稲妻を感じ死ぬだけが残つてゐる

屋根瓦すべり落ちんとし年ヘたるさま

アノ婆さんがまだ生きて居たお盆の墓道

島ではぢめての蛇を見て唾吐いてしまつた

女手でなんとも出来ない丸い漬物石

早起の島人に芝草をのゝき喜び 放哉

白い両手をついて晩の用をきゝに来て居る

やゝはなれてよくなく蝉が居る朝を高い木

焼米ほつりほつり水呑むわが歯強かりけり

壁にかさねた足の毛を風がゆさぶつて居る

すね小僧より下にしか毛が無い秋風

今日は浪音きこえる小窓はなれず

風邪を引いてお経あげずに居ればしんかん

ろうそく立てた跡がいくつも机に出来た

風音ばかりのなかの水汲む

よい墨をもらつて朝からうれしい 放哉

すつかりお盆の用意が出来た墓原海ヘ見せとる

鼠にジャガ芋をたべられて寝て居た

蚊帳の吊り手が一本短かくて辛抱してゐる

白木槿二つ咲きいつも二つ咲き

今日一日は七輪に火をせなんだまゝ

山のやうに芝草刈つて山に寝てゐる

草履をはたいてもはたいても浜砂が出る

魚釣りに行く約束をしたが金がなかつた

島人みんな寝てしまひ淋しい月だ

窓からさす月となり顔一つもち出す 放哉

友にもらつて来た歯磨粉が中々つきない

島の土となりてお盆に参られて居る

小さい船下りて島に来てしまつた

茄子を水に漬けて置く月夜であつた

墓近くなる盆花うる家家

萩かな桔梗かな美くしくなつた盆のわが庵

まつくらな戸に口をあけて秋山の家である

海人の親子が呼びかはし晩になつとる

[やぶちゃん注:「親子」は底本では「視子」となっているが、意味が通らない。本底本編者の手になる後の2001年刊筑摩版で確認し、補正した。

草履が一つきちんと暮れとる切りだ

犬が逃げて行くかげがチラと晩だ 放哉


  
句稿(10)


  層雲雑吟 尾崎放哉

  ※○島の祭

盆燈篭の下ひと夜を過ごし古郷立つ

うら盆の田舎の町となり逗留して居る

少し病む児に金魚買うてやる

夕陽松の葉をわけてさし込む

牀の木の水嵩に提灯一つ吊るされ

鶏頭切つてやる実をこぼし

下駄の鼻緒たてゝ揃へられたる

葡萄喰べあいたとハガキよこした

風吹く家のまはり花無し

年寄りに道を教え晩が来た 放哉

[やぶちゃん注:「教え」はママ。]

足袋が片ツ方どうしても見つからない

なんでもない事の人だかりであつた

どうかすると蜘蛛の糸が光る窓だ

線香が折れる音も立てない

藤棚から青空透かして一日居る

鬼灯がまつ赤な女の家に来て居る

これで葬式を二つ出した戸口だ

青田道もどる窓から見られる

芋が白い芽を出して居る土間だ

日なたに筵を持ち出して里の児がかたまつてゐる 放哉

山は海の夕陽をうけてかくすところ無し

家が建てこんで来た町の物売りの声

水を呑んでは小便しに出る雑草

障子を少しあけて見る雨がやみそうもない

とり籠餌を残して死んだ小鳥
      (ママ)
山かげの赤土堀つて居る一人

屋根の棟に雀が並ぶあちむくこちむく

棹を櫓に代ヘる広々と出にけり

船の中の御馳走の置きどころが無い

いやな雲が覗いて居る山のうしろ 放哉

しやぼん一つ置いて買え買え云はれてゐる

[やぶちゃん注:「買え」は二箇所ともママ。]

花火があがる空の方が町だよ

一本しかない足を虫等に投げ出してゐる

犬の顔つくづく見て居るひまがあつた

口もあけないあけびを一つもつて山から下りる

ふところ手して居る朝の山明けきつた

温泉の町煙りをあげて月夜

一疋の蚤をさがして居る夜中

祭の大太鼓がなる海風

なつかしい角帯をしめきちんと座つて見る 放哉

道を教えてくれる煙管から煙りが出てゐる

旧道静かなる家家人住み

をくれて来た一人を乗せて舟出す

君が呼ぶ声に障子をあける

梅の実拾つて子供になんべんとなんべんも通はせる

みんなが広ろ間で勝手に寝てしまつた

灰かぐらのなかからひげもぢやの顔が出た

海風に呼吸を押し込まれて歩く

散歩に出る杖かろく草ひく人居る

木槿の花がおしまひになつて風吹く 放哉

裏口からはいる気安さで来て居た

障子をしめてある縁に朝の日さし

わらじはきしめ四五人にまだ明けきらない

鵙がなくいつも見て居る大松

芝居のはねの雨の灯の町

傘をかついで行く広ろびろ虹たつ

雨の糸瓜見て家にばかり居る

熱をわが熱を見る君の脈を借りる

稲田みだれ伏す星が消え行く

朝起きた手のしびれが残つて居た 放哉


  
句稿(11)


  層雲雑吟 尾崎放哉

菊つくる小器用な若い夫婦

糸瓜の棚つくるすつ裸になつて居る

長雨のあと大きな夕陽の顔が一つ

返事を返してゐるひまに已に雲なし

橋の半分頃まで来て呼ばれて居る

三人で笑つてどれもよく呑む

花売り花こぼし遠く行きけり

今日も来てしまつた松の根もとにかゞまる

追つかけて■■追ひ付いた風の中

とうとう見えなくなつた一羽の烏見てゐた

なにくれとして居る窓でだまつて月が出てゐた

月がだんだん登つて行つて小さうなつた

海が入り込んで来て居る限り月に光り

ぴつたりしめた穴だらけの障子である

思つて居た通りの枝に烏がとまつた

一つたべてしまつた梨子の心がある

烏の羽音を間近かに聞いて暮れかける

ワイシヤツまくり上げて山ほど仕事がある

さよならなんべんも云つて別れる

あけがたとろりとした時の夢であつたよ 放哉

ばたりと風が落ちた夜の襖をあける

足のゆびばかり見て急いで歩く

案山子の顔をこう書いてやらう

路次の奥までさかなやの声が通るらしい

風呂しきのなかが御馳走らしい

をそい月が町からしめ出されてゐる

門を出てから右左にわかれた

巡査のうしろから蜻蛉がついて行つた

蜻蛉がみんなぱつと立つたいちどき

火鉢の上の小さい鍋で豆腐がことこと煮えてくれる 放哉

障子切り張りしたあとがきわ立つて晴れとる

洗つた障子の雫を大松に立てかける

障子張りかへてきたない顔をしてゐる

障子張りかへて居る小さいナイフ一挺

朝から石塔ほる音の一心にほる音

くたびれた足がちやんと二本ある

ぱつたり風が落ちた昼の銭湯に行く

思いがけもないとこに出た道の秋草

ちつとも風が無い道の郊外で児を連れ

淋しい顔した二人で道で逢つて居る 放哉

如何にも静かな一日の机であつた

みんながお山の冷たい水で顔洗つて来る

肩のこりを摑むわが手ある曲がらせ

わが肩につかまつて居る人に眼が無い

未だ明けきらぬ松原の神居ます

小さい臍が一つあつた赤ン坊の腹

豚がたかく売れた話しをしてゐる満月

低い土塀から首が一つ出た

大根大きく輪切りにする

旅立つ朝の妻の顔がある竃の火 放哉

静かなる日の名も知らぬ花咲きたり

朝顔べつたり咲かせて貧乏だ

一番遠くへ帰る自分が一人になつてしまつた

久し振りの顔がランプつけて来た

水車一つ廻らせて昔しのまんまだ

思ひ出せない顔に挨拶して居る

欠伸して昼の月見付けた

小供四五人で足音を揃へ

新聞ばかり勉強して電車に乗つてる

笑靨花こぼれないしよで来て居る 放哉

二人で泳ぎ出して遠く距たり

となりの藪から出て来た筍でぬかれる

遠く離れてしまつた島近くなる島

蠅とり紙をふんづけた大きな足だ

疲れたこんな重たい足があつた

テーブルの下で足がいたづらして居た

初夏の女の足が笑ひかける

切られた繩がだらりと地に垂れた

絹糸切つてくれた糸切歯

ポケツト探す手がなにかつかんで居た 放哉

月がさして来た窓に本がなげてある

小さい窓あけて宵月を探して居る

考へ考へ児が絵をかきつゞける

蓮の葉押しわけて出て咲いた花の朝だ

子供がはぢめてをぼえた唱歌だ

赤ン坊に邪魔されて新聞をよんで居る

昼の握りめしたべた軽いからだで歩かう

腰を下ろした石のまんまで暮れとる

屋根やが煙草を吸つて居る高い屋根だ

大きな蚤を押えたひとさしゆびだ 放哉

八月のあばれ蚊を叩きつぶしてゐる頭だ

松かさ一つでも落ちて居らぬ朝は無い

お客さんにこの風を御馳走しよう

松原松のなかから可愛いゝ児が出て来た

この辺で待ち合す約束であつた

今、夜あけた道自分が通る

コスモス折れたる立てゝ見る

大松腰を振つて秋空立つ

二人が手をひろげて大松だききれない

少し饐えた芋を捨てる犬が喰はない 放哉


  
句稿(12)


  層雲雑吟 尾崎放哉

町の黎明の鳩光り立ちをさまり

玄かん太陽さす埃りに訪ねて居る

切られる花を病人見てゐる

病人花活ける程になりし
          (ママ)
寝ようとするひと間だげ月あかり

青唐辛焼いて居る白い皿一枚置き

乞食日の丸の旗の風ろしきになんでもほりこむ
       ハタ
〈乞食日の丸の旗の風ろしきもつ〉

浜のコスモス短かくて風に赤くて

妙によう似た口もとで挨拶してくれた

新ぶんの広告らんばかりよんでる

○以下、島のオ祭雑吟です…島ノオ祭ニハ、御輿も無い 御榊も無い、只、大小無数の太鼓を皆で、かついでドン/\叩いて、海神を驚かすのです…太鼓の大なるものは、素破らしい物があります、…神戸の楠公サンのを買つて来たとか云ふ、履歴ツキのもあります……小サイのは小供が擔ぐ、東京の樽御輿のワッショイ/\と仝様……なか/\、よいのが出来ませんが、マア見て下さいませ、……(太鼓ハ人ガニ乗ツテ居テ叩クノデスヨ)

柿の核子吐き出して太鼓をかつぐ

天気つゞきのお祭すんだ島の大松

お祭のゴ馳走たベ■あいた顔で船に間にあつてる

梨子買ひに出て柿も買つて来た

卵子二つだけ買うてもどる両方のたもと

〈卵子袂に一つゞゝ買うでもどる〉
     イシヤ
ツイ前の石屋にもお祭が来てゐる

     ↑此句ハイケマセンカ?
      及第シマセンカ、呵々

[やぶちゃん注:底本では、矢印は斜め右上に向く。通信文二行は大きな丸括弧で上下を括られている。]

もらつたお祭の赤めしたべて居るわが口動くばかり

お祭り寝てゐる赤ン坊(此句、及第シマセンカナ?)

〈お祭り赤ン坊寝てゐる〉

その手がいつ迄大鼓たゝいて居るのか

茲に一人淋しい男が居つ島のお祭り

           ↑此の(た)ハ二三日考ヱマシタ

[やぶちゃん注:底本では、矢印は斜め右上に向き、「茲に」の「に」の字を指すが、全体に下げた。

お祭にあいて海に来て居る女だ

       ヒゲダラケノ 

[やぶちゃん注:この「ヒゲダラケノ」を囲み、下から線を出して左にカーブさせ、次の次の行の「女」の字の右下を双方向矢印で結んでいる。]

 ○オ祭五日モツゞクノデス

 ○しかし-クチナシの花ノ「女」イいネ呵々 放

[やぶちゃん注:この「クチナシ」の下線は、傍点ではなく、実際の傍線である。]


  
句稿(13)


  層雲雑吟 尾崎放哉

びつしより濡れた大松の幹で静かな朝だ

蠅の死骸一つ前に置いて考えて居る

蠅取紙で蚊がとれて居る

涼しうなつた蠅取紙に蠅が身を投げに来る

松風小寒う浴衣二枚きてゐる

さかなの匂ひがまだ残る手よ秋風

朝の静かな気持で墨をまつすぐにすらう

ホク吐いてケソとへる芋腹

炭の粉眼に入れて朝か■ら泣いてゐる

陽が出る前の山山濡れた烏をとばす

〈陽が出る前の濡れた烏とんでる〉

木槿の花と遊ぶ児よ手がかゆいぞ足がかゆいぞ

硯洗つて干す木槿の花に陽ある

足袋はいて朝の庭掃けば初秋らしう

夕立からりと晴れて大きな鯖をもらつた

暖簾から首の因業をつき出す

てんぐるまして児に葡萄をとらせる

ことこと小豆を煮て朝の手紙読んでゐる

米櫃に晩の首を落し込んでゐる

ひつそりさしてゐる児よいたづらしてゐるな 放哉

珍らしい客に訪はれて居るどしや降りの夾竹桃

ころりと横になれば蜘妹の巣が見える

時々とんぼに抜けられて涼しうなつたこと

秋山海が見えるところへ腰を下ろす

握り飯の竹の皮が吹かれて居る秋山

深夜のあたゝかさを感じ小さい火鉢

たまたまお客がある小さい火鉢だ

水をいつぱい張つてから朝めしにする

口あけぬ柘榴は枝に残され

知らぬあいだを阿呆と話して居つた 放哉

ぴしやりと児を叩く音も暮れてしまつた

母子で代る代るおぢぎしてお墓

嫁ツ子嫁ツ子向ふの山からとんで来た

藁屋根雨ふり足りて晩の煙りをあげる

納屋をごそごそ云はせて居たが灯して住んでる

鶏頭五六本ぬいてしまつたとも見えない

朝霧豚が出で来る人が出で来る

山は今日も暮れて人住むあかりが灯る

松の葉に刺されな寝に来る雀

二階の障子はりかへて海風の家あり 放哉

壁土もちあげる土の重たさ

とうからぶらさがつて居るからかさかへさねばならぬ

豆腐半丁水に浮かせたきりの台所

浴衣に足袋はいて居る庵の秋である

垣の竹に足袋干すたつた一足

手拭かける釘がきまつて居る

山の上は風が強い赤とんぼ

朝から四杯目の土瓶とだまりこんで居る

とうとうつまらしてしまつたきせるほり出す

箸が一本みぢかくてたべとる
               
 ゐほり
晩のお光りが消えてしまつただけの庵よ 放哉

蜥蜴の切れた尾がぴんぴんしてゐる太陽

〈蜥蜴の切れた尾がはねてゐる太陽〉

焼米一粒畳に落ちて居る口に入れて置く

風の格好の青い枝山から切つて来た儘をさす

葉蘭の葉ずれの音よ障子しめて居る

灯の下さらさら音させ小豆を袋から出す
             (ママ)
まつ先きに酔つてしまつた穂亡がうたつた

石が生きて居る話しを聞かされる石屋少し酔つてゐる

晩の少しの埃り掃き出す庵の音ある

蚊に喰はれた跡をかきかき書いてゐる

鐘がなる鐘がなる夜の風が持つて歩るく 放哉

お遍路の杖が新らしくて初秋

今朝は南風の庵のしつとり雨気ある

木槿一日うなづいて居て暮れた

お遍路木槿の花をほめる杖つく

線香立てる灰を乞はれて居る

眼がわるい人で佛の線香くゆらし

しとしと雨となる今頃京都で逢つて居るだらう

木魚ほんほん庵の蚊いつ迄出ることか

久しぶりに庵を出かける猫が見て居る

こつそり蚊が刺して行つたひつそり 放哉

灰に字を書いて線香が消えてしまつた

淋しさ松だけはやし小さい島ある

何がたのしみに生きてると問はれて居る

茸がはえぬ此の山風のこの山

起きあがつた枕がへつこんで居る

長雨でどこもかも濡れて庵

雀が啼かぬ日の庵の雨まつすぐに降る

朝から雨の海船一つ置いて居る

びつしより石塔濡れて秋雨よろし

セルの袴でやつで来たまつ黒な顔の兵隊さん

 (星城子来シトキ) 放哉

葬式のもどりを少し濡れて来た

晩の煙りがゆつくり逃げる山里は雨

朝露の草原歩るく痩せた脛をまくる

たつた一つ啼く虫地の底で啼く虫

庵をそつくり暗にあづけて出かける

鵙だな朝顔洗ふ水が冷たい

雨雲かさなりかさなり合歓の木

睡蓮夜中の池が眼をさましてゐる

青空みんな出してしまつた秋山

南瓜めいめいでぷくぷくふくれて 放哉

迷つて来たまんまの犬で居りけり

〈迷つて来たまんまの犬で居る〉

旅に立つ人と夜の銀座を歩く

晩の燕が白い腹を雛妓に見せる

病人長くなりにけり浪音

自分の本が包まれて出る行く古本やの風呂敷

思つたより大きな人と初対面申してゐる

始めて逢つた二人で好きになつて居る

堅い軍隊パンを嚙つて一時をきく

となりの鶏が産んだ卵子が御馳走

たつたひと晩でお別れか

 (以上五句、星城子来庵ノ際)放哉


  
句稿(14)


  ※○島の明けくれ 

  層雲雑吟 尾崎放哉

木槿いつまでも咲いてくれる白よ一重よ

すきな海を見ながら郵便入れに行く

すきな海が荒るればわが心痛む

舟が矢のように沖へ消えてしまつた

網干す炎天筋肉りう/\

いつも海にとりかこまれて居る島人の心
     (ママ)
山の上の芋堀りに行く朝のスツトコ被り
    (ママ)
〈山の芋堀りに行くスツトコ被り〉

下駄のまんまざぶざぶ海には入つて洗ふ
 (ママ)
芋堀つてしまヘば大根が太つてくれる

赤ン坊がほり出されたまんまで太つて行く

海風へだつ一枚の障子あるきり

水汲桶の底をぬいてしまつて笑つた

人間並の風邪の熱を出して居るよ

〈人間並の風邪の熱出して居ることよ〉

水吹けば光る蛍草蛍にやる

雑草朝の風の中蟹が眼を出す

突つかけ草履の冷たい鼻とがらす

きつくしめすぎた鼻緒がゆびのまたにあつた

鼻緒しめていさゝかのゆびの泥をはらう

[やぶちゃん注:「はらう」はママ。]

こんな屋根の下から人が出て来た

朝のうちにさつさと大根の種子をまいて行つてしまつた 放哉

〈さつさと大根の種子まいて行つてしまつた〉

夕靄溜まらせて塩浜人居る

已に秋の山山となり机に迫り来

裏山草の風あけがたの雨ありけらし

生ぬるいビールで西陽の蠅にたかられてゐる

芋喰つて生きて居るわれハ芋の化物

蜘蛛もだまつて居る私もだまつて居る

下り路となる海へお別れ

うたをうたつて洗濯してゐると手紙で知らせ来た(れうチヤン)

をそくなつてから出る月も見る窓である

国勢調査の通知をよく読んでから寝てしまつた 放哉

何やらふんづけた時蛙に笑はれる

蛙釣る児を見て居るお女郎だ

酒夜となる蛙等の夜となる

[やぶちゃん注:編者はこの「酒」について、『「酒」は「雨」の誤りか。』と注するが、次の井泉水の添削は誤記をまともにとったということになる。]

〈酒蛙等の夜となる〉

子供あやす顔で泣かれてしまつた

巻たばこ吸ふ乞食が反り身になる

久し振りの雨の雨だれの音よ

〈久し振りの雨の雨だれの音〉
              (ママ)
盆踊りにつかれた顔で芋堀つてゐる

雨空はりつめ昼も蚊やり線香をたく

長い釣竿一本のばす堤の風の中

障子の外からをとなはれて居るも秋 放哉

何かことこと音させて持たせてゐる

炭俵げそとヘらしてこわれた火鉢抱へこんでゐる

[やぶちゃん注:「抱へ」は底本では「抱え」となっているが、本底本編者の手になる後の2001年刊筑摩版では正しく「抱へ」となっており、補正した。]

庭先きの空逃■げて来る晩の煙りさへ

少し小さい足袋を無理や理にはいてしまつた

都のはやりうたうたつてあめ売りに来る

〈都のはやりうたうたつて島のあめ売り〉

かたづけかけた古い手紙をよんでゐる

厚い藁屋根の下のボンボン時計

すぐ死ぬくせにうるさい蠅だ

咲かねばならぬ命かな捨生えの朝顔

夜中の雨に眼覚め月に眼覚め 放哉

すつかり青田となつた夕べの虹が片足落とす

蚊帳のなかすね立てゝ居る外はまだ明るい

蚊帳のなか一人を入れ暮れ切る

昼も出て来てさす蚊よ一人者だ

昼便の手紙が無いときめて少し寝る

風が何やら耳に話して行く草枯れて山路

枯れた風の芒を折るばかり海を眼の下

漁船ちらばり昼の海動かず

焼いたばかりの枯れ草の朝の山路

釣ランプの下で親子が晩めしたべるのが見られる

海へ半分切り落とされた山の青空 放哉

一人の山路下りて来る庵の大松はなれず

瓜も茄子も山羊に喰はれてしまつて窓一つあいてる

瓜盗人の山羊のあごひげ石よあたれ

山羊ヘラヘラと笑ふ風の尻向けたる

さかなはよう売つてしまつてサツサと帰らんせ

西洋葡萄かついで来た片眼で押しうりする

島のポプラみんな大きくなり裸の児ばかり

月夜豆腐屋を尋ねて探してありく

庵の藤棚藤豆一つありけり

山からうんと青い枝折つて来る仏さまと二人分だよ 放哉

家家網を干しつらね夾竹桃赤かりけり

一人の机ひきよせごまの石をえる

梨子を一つあすの分に残して置かう

深々朝の海へ下ろす小さい島の根

いつも眼の前にある小さい島よ名があるのか

引き汐の島へつゞく道となれり

舟には誰も居らぬらしいあしがをぢぎして居る

三味線が上手な島の夜のとしより

たつた一つの窓東にもたされて太陽

提灯襟にさすことの知恵を出して居る 放哉

たれにも逢はで来し道の秋草

汐浜南船北馬と見る夕べもある

くどの火焚きつけるめくらに火がよく燃える
       
色が白うてエゝ娘になつたぞな

きざみたばこのなかから一銭出て来た

白黒まぜこぜの畳のヘリで夏がいんだらしい

アスピリンきらきら光る呑んで寝る

あれもいつ時これもいつ時鐘撞く

大松太くて子供がのぼられぬ

朝の机ふくやひや/\経文

いとも静かなる昼の半紙買ひに行く 放哉

橋まで来てから思ひ出したことであつた

郵便やが通つてそれから犬が通つて浜街道

いつも暗いうちに井戸水汲み去る足音がある

今夜も星がふるやうな佛さまと寝ませう

石に腰かけて居た尻がいつ迄も冷たい

洩るのかな土瓶すましこんで居る

鶏小屋半日でみんなこわしてしまつた

きせるにたばこつめる間を考えて居た

お茶がしやんしやんわいた音の筆をく

わが窓の秋は葉蘭二三枚の風


  
句稿(15)


  層雲雑吟 尾崎放哉

すつかり暮れ切るまで庵の障子あけて置く

〈障子あけて置く海も暮れ切る〉

沢庵のまつ黄な色を一本さげて来てくれた

寄席を出たすき腹の小さいかげが一つ

お互に知らぬ顔をして居たまでさ
    (ママ)
山に芋を堀りに行く犬がついて来る

満潮の島へ行かれない風吹く

縁の下から雀がひよんと出て来た

てんでに臭い物の匂ひを嗅いで見る

でこぼこの島の梨子売りつけられてゐる

あの海からとれたさかなを焼いてゐる 放哉

手が墨を逆さまにすつて居つた

海の青さが変る朝から庵に居る

アヅキ島らしいこのあの島に名があつたのか

島に居ればめづらしい支那人が物売る

あす朝満潮のときに手紙を入れに行かう

台所の障子を誰かあけそうな月あかりだ

砂いぢる児等の白砂糖も赤砂糖も暮れてしまつた

笑つて居るのだがうしろ向ひて居る

帽子を被るくせを忘れてしまつて禿げとる

ひとの袷をもらつて着て手が出足が出 放哉

夕空透かす松四五本むかしから四五本

神棚にのせて置いて忘れて居つた

島の夕陽は松一本

だまりこんで居る朝から蚊がさしに来る

芋ばかり喰つて月が太つて来る

なんでもない字を忘れて煙草吸つて居た

さつさと朝くらいうちの布団をたゝむ

電燈消してしまつてから思い出したことであつた

この頃鼠が静かな天井で寝る

産屋産室の灯が洩れる襖のそとはつめたい 放哉

切り張りして居る庵の障子が痩せてゐること

幾とせの月にさらされ庵に人居る

夫婦喧嘩して居るよい月夜だ

空模様晴れてきめた顔窓から入れる

熱いお茶こぼした膝小僧いたはる

寝るだけの火鉢にまた戻つて来た

ひよいと持ちあげた火鉢が軽かつた

軒の雫がま遠になり風来る

浜に出て来て海風にぶつかつて居る

障子だけしめて寝る月あかりで死んだやうな 放哉

夜中ひどい風のなか半弦の月はすゝむ

茸狩自分ばかりが男であつた

落葉ひとしきり古帽にたまつてくれる

はらりと出た落葉寝まきに着かへる

山に大きな牛追ひあげる朝靄

陽に焼けそめた海水浴の女等

畑のなかの近か道戻つて来よる

潮のしぶきに濡れた顔ハンケチでふく

みんなわしが産んだ児等を集めて居る

黒雲が早い夜中の星が出たりはいつたり 放哉

長雨の山山でめづらしい客がある

北を塞ぐ山の高低く秋来る

トロ押しては乗つて行く草限りなし(満州)

畳を歩く雀の足音を知つて居る

あすのお天気をしやべる雀等と掃いてゐる

山の赤土ほろほろとこぼれるばかり

尻からげして長い足だ

西の空見てから寝ることにして居る

台所の団扇を握つて朝がはぢまる

鶏頭少しの風でもたほれる 放哉

晴れになる風が変つた葉鶏頭二た株

あらしがすつかり青空にしてしまつた

窓の朝風と仲ようして居る鉢花

〈窓には朝風の鉢花〉

松の葉が暮れた地べたに突きさゝつてゐた

帆柱がみえるだけの帆柱がみんな動いて居る

こゝにはいつも陽がさゝぬ蟹の穴がある

だあれも来ぬ庵のよい秋のお天気

朝の畳を掃くとぶ蜘蛛が居たよ

落葉掃きよせていつぷく

葉鶏頭の美くしさに見られる顔だ 放哉


  
句稿(16)


 層雲雑吟 尾崎放哉

一日風吹く松よお遍路の鈴が来る

羽織を着ないで帯をきちんとして居る

羽織を着ずに居る顔に夕陽が落ちてしまつた

お粥の腹を重たくして座つて居る

静かなる日の藤の枯葉がよく落出したこと

長い着物をたくりあげてきて冬になる

朝赤い顔して大根をくれて行つた

大根が太つては朝々またれる

叩き落とした秋の蚊がなかない

麦がうれた道で先生を取巻いてもどる

朝湯あふれて居る硝子戸かちんとしめる

銭湯からもどる頃晴れてくれる

いつ迄もぢつとして居る雀だよ

ホキ/\朝の小菊を折つて来る
     (ママ)
芋がみんな堀られた大地の裸だ

霧に灯して浮きあがる船船

風の町のせわしい人ばかり

ハンケチを一寸たまとに入れて出る

[やぶちゃん注:編者注に「たまと」は井泉水により「たもと」に訂正されている、とある。

襟巻を取つた女の白い首だ 放哉

松の下掃く一厘落ちて居る

病床に居る晩の雀がもどつて来る

松の風音なき日の熱出して居る

ばけつで茶椀と箸を洗つておしまひ

魚焼く金網が蜘蛛の巣にとられて居る

薬瓶からにして右枕で寝る

水にかした豆がひと晩で太つた
         (ママ)
いつ迄もある歯磨紛の袋を覗く

忘れられた頃の風呂敷包みが釘にかゝつてゐる

蜜樹の皮をむいて咳いてしまつた 放哉

〇以下、二週間ノ病床雑吟感ジノ無クナラヌ内書イテ見マシタ

咳き入つた日輪暗らむ

熱の手に晩の郵便受けとる

今朝は熱が無くて豆菊折る

寝床から首あげて見る豆菊咲き出した

お粥ふつふつ煮える音の寝床に居る

寝床から首あげる暮れかけた障子がある

熱いお茶一杯呑みたくて寝てしまう

寝床のまはりの古新ぶんばかり音たて

寝床から返事してことわる

雨のふる日もある寝床出て見る 放哉

暮れ方の音の中の熱ある

海を見る熱の眼を伏せ

熱の眼に船の帆大きく動く

海見て咳いて寝てしまう

脈を数えることを止めよう

生卵子こつくり呑んだ

掃かねば埃だらけの手紙よんで置く

熱が出て来た鼠が騒ぐ

春菊の香ひがふと通つて行つた

熱の眼があいて居る柱のからかさ一本 放哉

熱が出る時刻となり出て来た

たばこ吸ひ度い気持ちを考えてゐる

いつしか夜中となつて居た寒い寝床だ

蠟燭一本立てに寝床から呼び起される

くらい寝床に病むからだほり込む

熱い小便をしに出る月夜

誰も病気のことたづねてくれぬ

ねむり薬の赤い包み紙をたゝんで置く

胸のどこに咳が居て咳くのか

朝の机の前に座つて見ればなかしなつかし 放哉

端書かきかけて出て来た熱だ

熱の鉢巻を坊主あたまにしめる

あたまの上に氷袋が下がつて居らぬ

売薬きかぬと思つて呑む

夢を見せてくれる熱よ熱恋し

妻の手を感じ熱が出てゐる夜中

寝床をぬけて出た穴がある

淋しきまゝ熱さめて居り

火の無い火鉢が見えて居る寝床だ

うれしい手紙が熱の手にある 放哉

がはりばかり呑んで居ても熱が出る

熱の手に持たれて持たされて居る三角な墨

朱筆を握つて居る熱の朝であつた

咳いては呑むやくわんの水がへる

郵便やさんから咳きこむ手紙受取る

御花の水かへて熱さめて居る

井戸水汲んで置くだけの寝床

風呂敷に豆かつて来た晩から熱出してゐる

豆菊咲けりなんぼでも黄に咲く

熱の眼に黄な花の朝よろしく」

 以上、病床ニテ 放哉

風のなかに立ち信心申して居る

〈風にふかれ信心申して居る〉

母子暮しの小さい家であつた

〈小さい家で母と子とゐる〉

藁屋根晩の煙りを静かにあげて居る

悲しいことばかり云ふ児である

淋しいから寝てしまをう

〈淋しい寝る本がない〉

山のだんだん畑を犬が走つてあがつてしまつた

向ふの岳の松に突つかい棒がしてある今日もしてある

塩浜行きかへりする人々と遠く座つてゐる

曇つたまんまで夕陽をかつと見せてくれた

夕陽かつと箒もつて立つ 放哉

よく灯つて居る蠟燭に心持ち風が出た

海が凪いだ小さい窓でよい線香くゆらす

火鉢でぐつ/\煮えて居る朝からをんなじものだ

巡査が晩の自分の家に戻つて居つた

破れ障子しめ切つたしめ切つた儘使はぬランプがある

一枚の端書受けとつて寝る

淋しいこゝ迄手紙をこしてくれる

こんなに早く菊の水が無くなつてゐた

薬呑むこと忘れてゐた薬瓶がある

小豆が一粒落ちて居た朝の小豆をたかう 放哉


  
句稿(17)


  層雲雑吟 尾崎放哉

なにごとも無くて陽がうつる一枚の障子

露けさ秋草咲かんとするあまたの蕾

蝉なく山の家に客あり

竹藪に夕陽吹きつけて居る

風に吹きとばされた紙が白くて一枚

芋畑朝の人一人立てり

椅子が一つこけて居る松風ばかり

葱を洗つて来て台所をぬらす

よく光るあの星見つけてから寝る

往復ハガキの半分が出て来た

薬瓶透き通つて居る薬を呑む

薬瓶たもとに落して朝出る

咳をして炭を吐いて今日も暮れた

薬瓶のわが名前を朝の机に置く

瓶からごくりと呑む水薬がつめたい

火ををこしてくれる人も無い寝て居る

一日火の気も無くて暮れてしまつた

月夜風ある一人咳して

佛の花をもらう朝の熱あり

熱の手に手紙受けとる 放哉

灯に遠く近くみんな寝てしまつた

どこまでもつゞくつゞく蟻の行列

蟻をたくさん這はせて大松根をはる

馬の大きな腹が起きられそうにもない

窓から手を出した切りで暮れとる

渚遠く走り行くわが児の夏帽

お粥をすゝる音のふたをする

〈お粥煮えてくる音の鍋ふた〉

一つ二つ蛍見てたずね来りし

〈一つ二つ蛍見てたづぬる家〉

ダリヤ手に持てば垂れる

朝学校へとんで行つた風の子 放哉

はげしく小鳥になかれ昼前熱が出て居る

はげしき小鳥になかれて秋朝居る

早さとぶ小鳥見て山路を行く

〈早さとぶ小鳥見て山路行く〉

ぎようさんな頭痛膏張つた宿の女だつた

雀等いちどきにゐんでしまつた

蟇あすこにも一つ動けり

蟇やがて少し右に向きたり

眼の前出て居つた蟇

草花たくさん咲いて児等が留守番してゐる

〈草花たくさん咲いて児が留守番してゐる〉

にぎやかにみんなが出て行つた麦秋 放哉

栗をむす湯気のなかの達者な顔だ

波音聞こえて来る日はかなしく

調法がつて使つてゐる一枚の風呂敷

名も無い犬ころ等に秋草咲き

山の絶頂のお寺に犬が居つた

夕陽いつぱいの旅舎で皆が草鞋をぬぐ

爪がかたくて切つてしまつた朝寒

[やぶちゃん注:編者はこの「爪」の字について、『放哉は「つめ」を「※」[やぶちゃん字注:「瓜」の「最終画のない字。]と書くため、井泉水によって「爪」と訂正されているが、「うり」は正確に「瓜」と書いているので、放哉の癖と考え、全て「爪」と表記した。』と注している。]

桐の葉が大きな田舎の町の朝を歩く

牛の一と足一と足がそのからだを支え

[やぶちゃん注:「支え」はママ。]

牛が横こ眼をした風吹く 放哉

午后の陽にまるまつて居る背中もたいなし

小さい座布団で秋の趺座がはみ出す
     クスリビン
爪切る音が薬瓶にあたつた

座布団かたくなるわが尻尖る

どれも汚ない足のゆびの爪だ

雀を摑まうとしたわが手であつたよ

左のゆびで煙草つめる癖を忘れてゐた

足袋から爪切る足を引つ張り出す

シヤツポから豆が一つころがり出した

爪切つたゆびが十本眼の前にある 放哉

〈爪切つたゆびが十本ある〉

箸を左手に持つ児であつたよ

月がまろくて児等に呼んで行かれる

墨をすつてもすつても水であつた夢

なんとよい夕焼の島で煙りをあげる

来る船来る船に島一つ座れり

〈来る船来る船に一つの島〉

葬式のかねがなつて近よつて来る

橋を渡るにも唱歌うたい連れる

朝の風雲の下火を焚きあげる

たもとのなかに紙切れも無し

秋の流れ幾つも渡りヨボの家ある 放哉

足もと灯を見せられる夜の青草

夜の青草提灯につけて来し

小さい落とし物ありけり夜の青草

いつ迄も灯をかゝげ見られ見送られ青草

手と手をつなぎ夜の青草

青い月ばかりなる夜の青草

更けて送り出される夜の青草

踏切番の顔ちらと見し夜の青草

見て居るうちに消えてしまいそうな月だ

タバコの煙り雲となり朝月 放哉

障子があいた音を葱畑で聞いて居た

釣人雨晴るゝを知る

今夜のことの魚籠をしつかり腰にくゝる

毛を切られた犬の尾がかなしく動く

残忍の人の眼の色を見まじ

漬物石がころがつて居た家を借りることにする

文身して見ようかと若い女の血が云ふ

若い女が小ゆびから少し血を出した

お椀を伏せたやうな乳房むくむくもり上る白雲

たゝけばなる筋肉の浴衣きる 放哉

舟は皆大松の下にかゝり

手を水になぶらせて舟静かに漕がるゝ

河はゞ広くなり行く蜩に別れる

舟つけてタバコ買ひに行つてしまつた

舟をしつかりくゝり付けて青草

ふなうた遠く茲にも聞いて居る一人

波のうねり大きく青い音をひそめ

舟からむくりとあたまあげたり

遠くへ広がつて行くばかり池の漣

はや魚籃にあまる魚白し漣尽きず 放哉


  
句稿(18)


  層雲句稿 尾崎放哉

櫓を漕ぐまねをして月夜の女

秋草のなかを濡れて来て訪はれし

家のすぐ前を汽車が通る裸で呑んでる

生れたばかりの壺である秋の陽さし

障子の桟が折れて居る張つてしまつた

大きなたんぼの夕陽で声かけられた

鳳仙花の実にはぢかれた長いたもとだ

鳳仙花の実をはねさせて見ても淋しい

今日も夕陽の大松が斜に出てゐる

夜の木の肌に手を添えて待つてゐる

〈夜の木の肌に手を添へて待つ〉

がらりとあけて訪はれた秋の障子である

踊り子障子にうつる夜の町の旅人とし

乞食が白いめしたべて居る石に腰かけ

高い石段をあがり切つた松風ばかり

風の道白々吹かるゝ墓道

犬がをそくもどつて来て寝たけはひ

縁の下一つ啼く虫ある今宵よ

鼻のさきの菊が咲き出した低い窓である

初秋の家の人等に交り新妻 放哉

ほのぼの明け行く昨夜の河広かりけり

大根ぶらさげて立つなんと大きな夕日だ

庭に水打つてしまつた尻からげ下ろす

ふところ手して稲の穂にふれ行く

秋陽さす石の上に脊の児を下ろす

〈秋日さす石の上に脊の子を下ろす〉

家うちに居て芒が枯れ行く

〈こもり居て芒が枯れ行く〉

浮草とて小さい風の花咲かせ

〈浮草風に小さい花咲かせ〉

小流れ足のほてりをさますお地蔵

宿屋の庭をひとまはりして来た無花果

姿見の前も考えて歩いて来た 放哉

朝晴れ晴れした顔を合はせて居る

障子の穴から覗いても見る留守である

〈障子の穴から覗いても留守である〉

風呂しきの小いさい穴が豆をこぼす

ごみを一つつまんで捨てる秋朝

菊を一株盗まれた穴に陽がさす

ごそ/\寝床の穴には入つておしまひ

どうどう火を焚く音の秋の障子

眼が覚めた寝床の上に天井が無い

青い蜜柑を朝からたくさんもらつた

水がめから芋の顔がはみ出してゐる 放哉

うんと松葉を散らして夜明の松風

足のわるい人が菊を提げて来た

猫を叱る声がする昼間寝て居る

立ち寄れば墓にわがかげうつり

蟹が顔出す顔出す引潮の石垣

海風に声からして居る

青空焚きあぐる焚火大きくて一人

島の巡査となじみになつた

ふところ手して忘れた事をして居た

いつ迄も赤い鶏頭で住みなれる 放哉

鏡を買つて来たが見たことが無かつた

あごにさわる手にひげがのびて居る

ぺたんと尻もちついて一人で起きあがる

ご馳走たべてしまつた白い皿がある

今朝顔を洗はなんだこと思い出してゐる

庵を尋ねると云ふハガキがとびこんだ

一粒一粒喰ひヘらす瓶の辣韮

手紙のしまひから赤い三銭切手が出て来た

朝が奇麗になつてるでせうお遍路さん

ゆびさきから血が出て居つた朝だ 放哉


  
句稿(19)


  層雲雑吟 尾崎放哉

  ※○野菜根抄

小さい朱の硯がかはきやすくて

鍋の底の穴を大空に探す

針の穴の青空に糸を通す

から車引いてもどる浜街道

曇る一日手紙来らず

夜中の冷えた足が曲つて居た

[やぶちゃん注:「居た」は底本では「いた」となっているが、本底本編者の手になる後の2001年刊筑摩版では「居た」となっており、補正した。]

秋の雲動くひろびろ

玉葱のきつい匂ひの台所

ボロ帯しつかりしめて出かける

いつ迄も若い気で銀杏落葉はく

山の蜜柑たべあいていんでしまつた

赤いインキが手についた朝

ベンチから歩き出した者がある

ペンサキ一本買うてもどる

冬空のお地蔵さんに参る

一人児として連れらる

塩からい井戸水で冬になつた

さんざん叱られていんだ

夕陽の山は淋しいな 放哉

死んだ真似した虫が歩き出した

入れものが無い両手で受ける

いつぱいの水をいたゞく

風の吹く方へ歩く草原

寝られぬ夜中の布団動かしてゐる

児に赤い足袋はかせ連れて出る

動物園からつかれて出た

朝月嵐となる

秋山広い道に出る

たくさん児を連れてブラ/\行く 放哉

いつも草履の足音が無い

水にうつるわが頰にひげがのびとる

いつもしめてある門の前を通る

絵を見て出る寒い風だ

青空のなかからふり来るもの

口あけぬ蜆淋しや

〈口あけぬ蜆死んでゐる〉

たしかに見た顔と船に乗つた

風吹けば少しある海光る

どこの屋根も冬になつとる

小さい帆をあげて暮れる 放哉

障子が一枚ふうわりたほれた

[やぶちゃん注:「たほれた」はママ。]

又風になる小さい窓をしめる

背が高い西洋人と出逢つた

注射する静脈ふくらせる

屋根にあがつた児が大声あげとる

葉のなかうれた蜜柑をさがす

あの足音がやつて来た

咳をしても一人

番小屋がもえてしまつただけさ

汽車が走る山火事 放哉

墓参りのついでに寄つて居る

自動車の砂煙りに歩き出した

さかな一疋釣れたばかりの水面

夕陽となり釣れ出す

とつぷり雨の夜となる

一番高い山から陽が出る

秋山半分に切られた

電柱どこまでも刈田

日の出合掌している葱畑

のびて来るひげが冷たい 放哉

怪我人運び去られた日輪

白々明けて来る生きて居つた

ちつともヘらぬ腹を山にもつて来た

一日晴れ曇り風

木の実落ちては池に沈む

冬山人があがつて居る

暗らい台所でたべとる

障子つぎ張りつぎ張りして雪来る

猫の大きな顔が窓から消えた

白帆人無きさま 放哉

どこへ行つてしまつたのか日曜の小供

朝々汲み代へて置くわがバケツの水一杯

唐辛しもらつて昼めしにする

傷口しみじみとわが血湧き出す

たのまれたかなしい手紙書いてあげる

どつかで猫が鳴いとる

大きな柳の葉が枯れ出した

土を運んで汗出す

粉炭掃きよせて置く土間のすみ

饅頭がまだ一つあつた 放哉

女達れに道をきかれた

夜の藁屋根の下から三味線がもれる

庫裡の灯一つの暗らさになれ

めくらが空見てうたふ

石佛の冷たい顔で休む

静かに撥が置かれた畳

うまい茶が出た茶わんを手にのせる

日暮れの畳を掃く

写真のなかの大きな犬だ

犬も入れて残らず写す 放哉

大きな切り株に腰を下ろす

奇れいな砂のなか蜆が居る

埃をいつぱいためて客と居る

くりくりよく太つた児がようころぶ

夜の波音のなかをもどる

風音の障子あけられず

いつも此の草山の高さに来る

山風下ろし来た一日の終り

砂糖なめた児が叱られた

波音ころがして蜜柑山うれとる 放哉


  
句稿(20)


  層雲雑吟 尾崎放哉

風が落ちた顔を窓から出す

はたりと風が落ちた障子たて切つて居る

かつと夕陽の風が落ちた障子

風が落ちた夜のあつい湯を呑む

短かい羽織きてちよこなんと家ぬち居りけり

風が落ちた夕べ訪はれて居る

風が落ちた晩の大根ぬいて来る

風音の夜中の柱にもたれ

風音のなかに寝る庵無し

大風のなかの手紙が来た

海を見に山に登る一人にして

少し見える海で鶏頭枯れ行く

船の笛を聞いておわかれにする

菊枯れ尽したる海少し見ゆ

朝の頰かむりして出るすゝき光らせ

葱畑のなかいとしき妻に声かけ

小供遊ばす蟹がたくさん居ること

石垣に夕汐たゝへ家深く灯せり

陽の入る山のなかから出て来た

海の青さのたのしみ尽きず 放哉

遠足の美くしき野の流れをこえ

鎌一挺腰にさして朝の山にはいる

秋雨の家を出で戻る道ひとすぢ

赤ン坊たらひの湯気を立てゝ泣いとる

朝の湖のさゝなみたち旅たち

いつしよに大根ぬきに行かう

朝から一日戻らぬ雀だ

冷たい手で手を握られた

雑誌をばらりとあけた朝

海行く幾く日海のなかのわれ 放哉

落葉水に流れ去る風の日つゞく

菓物たくさん買うて来た月夜だ

菓物たべて話す灯の下ナイフ光らせ

駅前の菓物屋が朝の戸をあけた

山の池の小さき魚泳げり

小供等がよつてお祭の提灯ともす

朝霧流るゝ湖の遠く水見え

藪に沿ひ行く道の大きな家の門がある

流れに沿ひ一日歩いてとまる

〈流れに沿うて歩いてとまる〉

風にたほれた藤の枯棚起す力無し 放哉

海苔そだの風雪となる舟に人居る

障子しめ切つて足に灸すえて居る

一日雨音しつとり咳をして居る

朝早き秋の灯に旅立ちて来し

茶わんのかけらがいつも見えて居る流れ

一枚のわが畑案山子立てるべし

萩の花咲く寺を覗いて行く半日

夕べそば畑の石ころを捨てる

児の小さい手に椎の実拾はれ

たれも畑に居らぬ見渡す 放哉

障子の外は雀等のよい天気

客が遠方にいんでしまつた朝だよ雀

今朝は雀が大勢で来てくれた

雀風に吹かれて並んで居る

いつ迄も動かぬ船を見て居つた

晩の白雲かさなりかさなり帆柱

夜中の大きな音が鼠であつた

今朝俄かに冬の山となり

あられいつ時の青空

風吹けば鳴るわが障子

きつとうまいぞ■泥だらけの大根

冷めたさ握つて居た手のひら

手のひらにゆびで字を書いて教ヘる

旅からもどつて来た人に灯りを見せる

ひと晩とまつたきりで船でいんでしまつた

山から下りて風ひいてしまつた

茶わんの湯気が朝の顔にかゝる

いツつも六畳じきのたゝみだ

蚊帳の吊り手が動いて居る冬らし

今日で三日の雨の大松立てり 放哉

乞食が寝て居る昼間見て通る

小雨の波打際をゆつくり歩く

吸がらポンとはたいてゐんだ

草原牛が寝て居つた

硯を洗つて書く

東京に来て夜の火事を見に出る

立ン坊朝の寒いかげくつきり持つ

一銭もつてかけ出した

とんぼの尾をつまみそこねた

赤とんぼ大勢でみんな小さいな 放哉

一日曇る日の花とて無し

曇り日の机窓によせてある

大きな栗を一つたもとから出してくれた

めくらの女に秋陽いつぱい流れ

だぶ/\川水呑んで行つた牛

消えかけた榾火に大きな足出して寝てゐる

風邪声で何か叱つて居る

一つ花咲き色色風吹く

垣をしつかりなほして寒うなつた

朝の一本の柱を拭く 放哉

坂道牛が辷つた大きな足跡

いつの間に出たのか一つ白雲

船の窓ことりとあいて小さい児顔出す

かたわの児は暗い部屋に居るらしい

晩のよごれた足を拭いてあがる

陽がさゝぬ庭の人住めり

冷え切つた握り飯のなかの梅干

一日雨ふる庭の水流れ去る

どの女が鬼灯ならすのか

藁屋横低く煙りあげる黒い口もつ 放哉


  
句稿(21)


  層雲雑吟 尾崎放哉

葱積んで行く舟の女漕ぎけり

青い葱ばりばかり島は秋雨

葱きざむ朝は葱がしむ眼の泣かるゝ

蜻蛉流るゝ風とて咲く花

のびあがつて見る海が広々見える

腰を下ろす痛い石ころがある

水を出れば直ぐに咲く花

水の上風吹き素足である

学校卒業した顔でやつて来た

見て居れば這ひ出した寒い虫よ

 コレ丈ケ句作ヲタメテ居タ処…二十六日北朝来リ、ソレヨリ、温泉気分ニナリ、両人共、一句モ出来ズ候…今日三十日、「北朗」丸亀ニ去ル アトデ、手紙類ヲ整理シ見ルニ、私ノ「句稿」ニ…鉛筆ニテ、チョイ/\句ノ上二アケ居り候――キタナクナツテ「業腹」故、…此儘送り申し候、…乞御許三十日放

[やぶちゃん注:底本では「アケ居り候――」のダッシュは波線、「…乞御許の下線部は傍点「ヽ」ではなく波線の傍線である。]

生れ出た虫よ風ある大地

木の葉まひ上りどんどん暮れる

くつきり夜の戸の灯が洩れ

胡座かいてゐる島の家の水兵さん

電柱斜に打ち込んである冬田

まつ赤になつたほゝづきが舌でならされる

屋根に秋草の花をのせ枯してゐる

麦がすつかり蒔かれた庵のぐるりは

〈麦がすつかり蒔かれた庵のぐるり〉

麦をすつかり蒔いて小便してゐる

もづがなく朝霧とぶ 放哉

入梅しんみり夕陽の小家いつも見て暮れる

舟が一つも居らぬ日よ夕陽よ入梅

夕陽大松を越え山を越え静かに行く

昼は小供が番をしてる島の雑貨屋

はるかなる畑のもみぢ一本明かるくて住む

ぢつと見て居る堤の帆が動いて居る

さんざん淋しい目をして来た顔が円るいとさ

さかな焼く晩の煙りの家が押し合ひ

昼月風少しある一人なりけり

墓地からもどつて来ても一人 放哉
  ・・・
 『亥ノ子』ノ日、新十一月二十三日、作、…コレカラ愈、寒クナツテ参ルソヲデス

 『亥ノ子』ナンテ言葉ハ久シ振リニキゝマシタヨ、難有/\

[やぶちゃん注:この通信文は上部が全体丸括弧で括られている。]

章魚をもらつた朝まつ赤に煮あげた

ころがつた林檎が落ち付いた灯のかげある

鰌きゆうきゆうなかせて割いとる

船が錨下ろす迄たばこ吸つて居た

風呂敷包み一つもつて艀にのる

船から上り陸の人となりて話す

こぼれこぼれるやうに人乗せて来る

をくれて一人艀に乗つた人で漕ぎ出す

島は紅葉を照らし舟から上る

艀人を盛りあげ小雨のなか 放哉

拭くあとから猫が泥足つけてくれる

猫の足跡に笑はれて居る

どつか近所に飼はれて居るらしい片眼の猫だ

なに気なく振りかへる猫が歩いて居た

山はなだらかに入江の青さに入り

畳の上の小さい紙切れに風ある

まつ黒い畳に机が一つ引つ付いてゐる

火が出来た朝霧吹きこむ窓

直ぐ灰になる火を大事にして夜

静かなる煙り煙りをあげ大きな藁屋根 放哉


  
句稿(22)


  層雲雑吟 尾崎放哉

小さい窓から首突き出して晩秋

ひどい風だどこ迄も青空

お遍路鈴音こぼし秋草の道

風なくて居る庵の上鳶なくらし

犬に覗かれた低い窓である
        (ママ)
海風のなかで芋堀る

砂に雨落ちはぢめ浪音はなく

浜の雨となり頰かむりしてもどる

出べその児も居てあつい浜砂

炭俵に突つ込むたびの黒い手だ

船の灯一つ安らかな窓あけて居る

家々夕べの煙りあげ旅人行くなり

禿げあたまを蠅に好かれて居る

子に手を引かれ母親眼が無い

霧雨の山に朝の煙りかゝり

青田ひろびろ冷豆腐たベて出る

落葉掃く方に夕風少しある

落葉掃きよせて暮れてしまつた

すつかり晴れ切つた空の山山並び

落葉焚きつけては入つてしまつた 放哉

 此ノ頃、「乳房」トカ、「髪」トカ「女」トカ…放哉此頃女ガ恋しくなつたかと冷笑スル人ガ有リマスガ、全く左ニ非ズ、此頃、新ぶんノ新らしい和歌を見て、ヒントを得て和歌なんか、アマイもんだ、俳句ノ方が今少し濃艶ダゾと、「試み」て見たワケデス、モノになりますかな、幸、「乳房」ト「髪」トハ十一月号ニ採ツテモラツタケレ共…

[やぶちゃん注:底本ではこの通信文は全体が一字下げで、「ヒント」の傍線は本当の傍線、「ダゾ」の部分は波線の傍線、他は傍点「ヽ」である。]

恋心四十にして穂芒

女の白い手が眼の前で消えた

女の足が早くて穂芒

美くしい女で菅笠をかむり

太つた女がたら/\汗ふくそばに居つた

ハンケチ忘れて行つた女であつた』

小さい手足を動かして眼を覚ました

帽子かぶつて出るくせの宵祭

島の人等に交り自分一人帽子かぶつて居つた

水がめのまろさころがし行く 放哉

なんと丸い月が出たよ窓

火事がおきすぐ消えてしまつた宵だ

町内の顔役に候蝙蝠

遠くから例の小供の納豆売が来るよ

舌出し面化の舌がとれてしまつた

落葉焚きあげた坊主頭だ

小坊主二ツ寄つて落葉焚いとる

羽織袴で墓場の夕陽から出る

ゆうべ杓の底がぬけた今朝になつて居た

〈ゆうべ底がぬけた柄杓で朝〉

猫の足音がしないのが淋しい 放哉

ふと顔見合せて妻と居つた

女よ女よ年とるな

たもとを短かく切りつめた我が妻とし

旅からもどつた妻の顔とぶつかつた

嬉しさが押え切れないで女よ

夫婦で見送られて一人であつたは

さんざん叱つた揚句の妻よ

みんな若い人だちに西瓜が切られる

風につぶされた家がいつ迄もある

駄菓子が好きな坊主を笑ひ給へ 放哉

海が荒れる日の漁師が酔つて居る

火の無い火鉢に手をかざし

ひどい風の中咲く花白し

藁灰焚き置き朝の裏口

がらり障子をあけた小供であつた

立話して居てめしを焦がした

朝の一枚の障子をあける海風

小ざかな生きて居る夕河岸

生きて居る蟹を買つてしまつた

お賽銭集めてハガキ買ひに出る 放哉

縁かわあたゝかくて居る木の葉が一枚とんで来た

犬がなく山の村の灯が見える

くらまぎれから犬が出て来た

落葉掃いて居る犬に嗅がれる

島のお天気は静かなる電線

裏の小供と仲よくなつて菊が咲いて

佛の灯が消えて居るのを知らずに居た

石油買つてもどるちよい/\紅葉しだした

堤の上から昼の帆柱がふらふら動いてゐる

あついお茶を呑んで落葉掃きに出る 放哉

一日障子を風にならして読んで居る

障子のつぎ張りも松風の景色

茶わんが白くてだまつて台所暮れとる

山に登る山の畑の牛なく

いつも洗濯してる女で色白で

柿の木一本赤くして洗濯してゐる

落葉掃きたくない晩もある

草履が古くなつて来た落葉はく草履

いつも草履をはいて暮してゐる

ぬれた草履をかはかすよい秋晴れだ 放哉

いつ迄も曲つてゐる火ばしで寒いな

犬が小供をうるさがつて居る

紅葉まつ赤な急流の舟を捨てる

流れがゆつくりして来た平かな石ある

温泉になんべんも出てははいつては青い急流

ホトトギスと云ふ茶屋で昼めしにしよう昼月

夕陽のなかの土瓶が一つ

夕陽海に親しみ暮れる

肩がこつたな松の葉を掃く

爪を切つてしまつたカツと夕陽 放哉


  
句稿(23)


  層雲雑吟 尾崎放哉

青空の下で話して別れた

草刈りあたまをあげた知らず

化粧が早い妻と連れ立つ散歩

つい銀座に来てしまつた

汽笛海へならし空へならし

風落ちしより落つる松の葉

〈風凪いでより落つる松の葉〉

障子の穴から太い手が出た夜話でもどる

もどる時の土間の下駄が見えない

山の上の人が何か話して居る

眇眼で見られて居るやうだ

雪の頭巾の眼を知つとる

〈雪の頭巾の眼を知つてる〉

神社の雪晴れの音をきく

一人二人の夜の雪道となり

小さい児が雪の小さい道つける

小さな島々雪を残し

はるかなる山の雪見て過ごし一と夏

雪道あけるあけぬの喧嘩

雪の町はづれとなりかなしく

雪の家を探しあてた

夜通し雪の街燈 放哉

霜夜の遠くの半鐘

暮れる雪ふる酒席となり

満天雪を散らしはぢむ

青空雪散らし街燈の群集

雪の下駄わが門に叩いてはいる

向うから来る人と近くなる雪道

湯気吹く雪夜の銕瓶

青空半天の雪を落とし来る

今夜は雪だと風呂での話し

雪道遥かなる原の小さい太陽 放哉

雪かく朝の小さい手もかりる

雪晴れ舟動く
       (ママ)
雪の中の庭石堀り出す

足もと降る雪の提灯

松山雪風鳴らしはぢむ

雪道銭を落とす

雪に杖たてる深し

雪のひと間を出でず

帽子の雪を座敷迄持つて来た

南天うつむかして夜の雪やむ 放哉

雪道まつすぐに下りる渡船場

たれも居らぬよ雪の渡船場

残雪に雨ふる

雪の藁屋根祝ひごとある

暮れニもどる雪あかり

池一つ雪をためず

外は雪となりしお芝居

雪に面形つける遊びを知つてる

雪の上焚火捨てゝある

夜の雪ふる音を見る 放哉

雪晴れのたんぼへ障子をあける

どこ迄も雪の一本道

雪の障子をあけた美くしい児だ

雪のお寺に美くしい児が居た

雪丸げ重たくなつて捨てる

町へ入れば雪無し

マツ赤な頰だまの雪晴れ

雪の湖から小海老がたくさんとれる

雪道奇麗な橋があつた

温泉の町の雪深し

寒鮒みんな子をいつぱい持つて 放哉

船の横腹に石炭つめこむ冬朝

月の光り母子でもどる

冬野大きな穴ある

立ち話しして居るわれ等のかげくもる

日曜秋晴れの道縦横

月の光り寝た家にもどる

あられがころがる牛の背中

提灯もどしに行く落葉ふる道

平かなる石の上風吹き出で

あかつきの風弱り朝月 放哉

自分ばかりの道の冬の石橋

〈自分が通つたゞけの冬ざれの石橋〉

いつしか雲が消えて居た窓の机

線日の坂道菊をかつぎ

焚火のうしろの暗さ

風の落ちぎわの犬の顔

霜朝一寸窓をあけた女

山宿朝霧流れあつい飯たべる

遠くの高い山へつゞく此の道

枯草たつぷりと冬陽ある

案山子の一本足が出て来た 放哉

灯を消して寝るわが寝床

雲吹き散らす風の雲のさま

はらりと落葉つながれた猿が見てゐる

玄関久しい菊の鉢持ち去る

豚が一疋逃げ出した裸か木

内庭の高い木が一本葉を落とす

門口に出て見るあすの天気

鶏頭引きぬく土少しついて来た

藪のなかの紅葉見てたづねる

太い桐の幹だけ見えて待たされて居る 放哉

遠くの渚に舟一つありけり

わが顔のまはり灯を置き縁日商人

杭を打ち込む音があとから聞こへる

小供が来る犬が来る町中のあき地

星のなかのなぢみがある星

紅葉あかるく小石を拾ふ

ぎし/\荷をしわらせて来た雪のさかなや

さかなやどんぶりがらざく/\銭出す

寒き日となりし生花かへる

今日の大地の仕事を終る 放哉


  
句稿(24)


  層雲雑吟 尾崎放哉

  ※○寒空

名も無き冬の山山並び

とつぷり暮れて雨を落とす

しやがめば顔に近きだりやの花

日曜はをそい朝めし

この木の花を見た事がない

大根ぬきに行く畑山にある

麦まいてしまひ風吹く日ばかリ

枯枝ぽき/\折つて焚く

低い山なれど海風強く

冬風に吹かれ働らきつめる

うしろから吹く風海風

人力のからをひいて戻るにあふ冬田

一日砂利運んで居る

雪あかり一日の小窓

もどさねばならぬ首巻が釘にかゝつてる

池の氷に穴をあけて去る

山茶花が咲いたのでよい庭だ

少し開きかけた椿をもらつた

冬の港にま白い蒸汽が来た

温泉の町を歩く朝の白雪 放哉

その夜の池が氷つて居た

やどかり畳に置いて見てゐる

ダリヤ畑の陽によつて来し

冬川雪にあけたるひとすじ

雀の軒を並べ郊外にすむ

公係樹が散る寺から使ひが来た

暮れてしまつた生垣なほしてゐる

山路花あればつむ小供

町を流るゝ大河の夜更け

むかし此の石落ちて来しより冬田 放哉

右手のゆびが下手くそな煙草をつめる

一人呑む夜のお茶あつし

戻つて来て土瓶の腹に手をあてる

軒を並べて昼の客引く家々寝たり

やつと間にあつた汽車が居てくれた

今朝の霜濃し先生として出かける

〈今朝の霜濃し先生として行く〉

板の間の霰音たてゝ消えたり

たつた一本の野の木を見上げる

煙りをどんどん青空へあげ消えた畑

冬空少しあかるくなりぼんやり居る 放哉

たらなくなつた葱をぬきに出る月夜

となりにも雨の葱畑

寒い手がたばこをつまむ

咳して出る寒ン空

長い橋のまんなかに来て休む

痩せた尻が座布団に突きさゝる

右の手の爪だけ切つて忘れて居た

土瓶わいて来た麦のよい匂ひを入れる

寝て居る顔に夜の壁土落とす

海風吸ひあき秋 放哉

つるりと辷つた白足袋

古畳どす/\歩く

足袋ぬぐ赤い鼻緒のあと

風が落ちた監獄

冷え切つた右手いとほし

火鉢の灰をへらす

蕗のとう見つけたある朝

故郷の道をまちがへず

医者の大きな門が無くなつてる

一寸窓をあけた寒ン空 放哉

朝の大波となり寒ン空

破れ切つた障子に手を突つ込む

お医者と考えとる

薬はきかぬときめ水仙が咲いたは

お医者は釣りに行つて居た

くづ湯がうまい風の無い夜

風が無い夜の粉炭がをこる

風が落ちた草履をはく

残雪の顔を剃る

くるりと剃つてしまつた寒ン空 放哉

用事の有りそうな犬が歩いてゐる

濡れて来た犬と眼をあはす

夜中のすき腹に焼餅一つ入れる

やんちやは隣りの医者の児だ

うんと足をのばして壁にさはる

女今日は犬を連れて来ない

電気がついても戻つて来ない

赤ン坊あまりよく寝る雪晴れ

胃袋の有るところも知らぬ女だ

遊びつかれた灯だ 放哉

三銭切手も張つてしまつて寝る

たもとについた灰を知らずに居た

夜中の痩せた骨にさわつて見る

鼠が嚙る夜のよい音だ

庵は静けさの小さい鼠大きな鼠

よい気持の腹が太つてゐた

机の下が奇麗な朝だ

夜なべが始まる河音

池は雪の動かぬベンチ

大松よいとひよいと風落ちた幹 放哉

雨のお医者に手紙もたせてやる

小料理屋には入る銭ある夕ベ

古新ぶんの音を踏んで起きる

下手くそな医者菊咲かせたり

爪のあかを見もしない

庵の春は書きとばす五色短冊

畳の焼け焦げがいつつも二つだ

今日がはぢまる机がまつ四角だ

乏しうなつた半紙折つて居る

よい処へ乞食が来た 放哉


  
句稿(25)


  層雲雑吟 尾崎放哉

とび出しそうな大根の出来だ

藤だな藤の骨からませて冬空

はだかで背なかから寝た児をはぎとる

寝てしまつた児を背中で渡す

風が落ちた庵をふらりと出る

をんなじ事を云つては泣いとる

晩の葱四五本洗ひあげて足りる

暗さ晩になつとる

寝る前の帯をたゝむ

かげのやうな気持ちが歩く

今朝掃いた松葉は煙にしてしまつた

お茶が煮える松葉の白い煙り

星がきらきらする夕べの煙り

山裾静かなる雨の煙りあり

バーのあかるい灯で落ち合つた

食パンが無い島は芋喰ふ

遠くても海辺をもどる

いつ見ても咲きかけて居る菊だ

この山の水をたゝへ一軒家とし

宵月の顔うすうす見ては話す

まつすぐに降る小雨はうれし 放哉

雨萩に降りて流れ

一本の洗濯竿の月夜

わが雨に濡れてつわ蕗

夜の青草にふる雨音知つとる

雨夜の灯をかぞヘる

やつぱり雨であつた水馬

雨の電燈が来た

犬が濡れてもどる垣の穴ある

寒なぎの船帆を下ろし帆柱

〈寒なぎの帆を下ろし帆柱〉

冬雨あかるい大きな柳が一本 放哉

枯れ草ぬかないで冬を越そう

奥から奥から山が顔出す

長いひさしの夕空が見にくい

眼玉菊足もとで咲く

小さい児が夜中一人でいんだ

浜には誰も居らぬ風吹き

糠雨となり居りし知らず

雨の夜の仕事がたくさんある

雨の窓で芸者はうたひ

朝方の雨を知らなんだ 放哉

一日歩いて来た山道の残雪もあつた

山の草原で木の実をわける

いつ迄も立つて居る畑の男

夕陽の山近し

留守番に来て居る夕陽の障子

ぬけ路次の旭日さすごみため

冬咲き残る花は黄にして

梨子のたな低く宵月

初霜旅の朝起き出でたり

大霜朝月ある 放哉

頰杖ついた窓さきさるまた海へ吹かれる

草履ぺたぺた晩の酒買ひに来る

浜に出て行つた人が中々もどらぬ

ふところ手出して火種ほじくる

とても深い谷で葉をふらし

いたちがかくれた早いこと

いつ折つたのか本のページ

状袋が一枚も無いあすにしよう

山からあがる陽が海から出だした

月夜歩く足駄の太い歯だ 放哉

また風が出かけたばけつに一杯くんで来る

また風だ大松の下の庵

また風の障子がしやべり出す

また風だよ裏のお婆さん

板塀ひつくりかへした夜中の風が笑ふ

水仙が炭俵の上に置いてあつた

庵の障子あけて小ざかな買つてる

握りめしを落した根上り松がある

寝てもさめても吹いとる

師走の木魚たゝいて居る 放哉

まだ咲いて居る佛の花を捨てる

禿山夕陽の大松をさゝげ

大風の夜の蜜柑の種子を呑んでしまつた

三度三度呑む風の丸薬

糊がかたくてつかない

フト大きな手のひらであつた

風の夜の麦粉二人でたべ

さした事が無いからかさ一本

毎朝風の墓石ならべり

遠方のわが下駄に乗つてもどる下宿屋 放哉

松かさそつくり火になつた冬朝

〈松かさそつくり火になつた〉

小供と落葉焚きあげる昼すぎ

小供と二人山の上でうたふ

黒い板塀の切戸があいた柘榴

柘榴口あけ皆が口あけ

柘榴佛に供へられ口をあけず

色街の灯の泥川泥動く

橋に来て下駄の音みだれ提灯

銀行から出て自転車かけらす

友の顔が居る銀行の窓口 放哉

また風音のねむり薬を呑み

あすは元日のお粥の残りがある

元日いつもの風吹き

元日の箸を山で揃へ折つて来る

とつくに明けて居る元日起きて来て座る

正月休みの旅の会社員たちよ

元口の朝の行火あたゝめる

元日の泥棒猫叱りとばす

元日の草履ぬぎ揃へ

風よ俺を呼んで居るな風よ 放哉


  
句稿(26)


  層雲雑吟 尾崎放哉

暗くなつて畳や片付けて居る

青空風吹きつのらせ

風吹きくたびれて居る青草

風音の布団にもぐり込む

郊外高い家建ちたり

今朝の太陽と話す

きたない畳によい冬陽さしこむ

いつも提灯張つてるお爺さん

机の足が一本短かい

ゆつくり暮れて行く籐椅子 放哉

群集のなかですぐ見付かつた

ストンストン大根輪切りにする暗い手元

障子あいた音が泥大根置いていつた

杉並木のまんなかを歩く

葬式のあとから来て路次に曲る

またあの東西屋にあつただまつて行く

たつた一人で活動館から出て来た

田舎の電気がついたり消えたりして寝る

銭湯出て電車道突つ切る

わが背中もたせる柱にえらまれ 放哉

犬のお椀に飯が残つて居る

更けて行く山の一つ灯消されず

鯊釣船を湯女の美くしい手で教えらる

病人ながらへて寒うなりけり

かけ出した児が蜻蛉見つけた

曼珠沙華がみんな踏み折つてある

柳散る陽の大地のしま目

眼の前糸瓜ぶらさがつてゐる座敷をかりた

朝顔嵐のなかでも小さく咲く

鶏頭たくさん枯らして住む 放哉

柳散る井戸に蓋がしてある

ひそかに散る柳眼が知つて居た

野に向けどんどん風呂たく

噴水風が強い公園に来た

噴水力のかぎりを登りつめる

糸瓜たくさんぶらさげていつも寝てゐる

児に乳呑ませて居る夜店の女だ

どこまでも土塀について曲るポスト

お盆の芋の湯気がたゝなくなつた

鶏毛を散らし散らし蹴合ひ 放哉

雨の高下駄久しぶりにはきたり

歯を入れかへた下駄で歩く雪よし

雪の素足でもどつて来た

つま皮新らしく白足袋を入れる

松たれさがる今し汐ひけり

妻の下駄に足を入れて見る

小さな帆かけ舟が見えなくなつた

春菊の花咲く春菊の花ばかり

嵐の松かさ叩きつけられて寝て居る

松かさたくさん土間にたまつた 放哉

嵐の犬の子一疋も居らぬ

青空ポツンとひたいにあたつたもの

講談をよむ嵐の炬燵

白砂糖こぼした嵐の夜

はや起きて居る宿の小娘

女よ新らしい下駄を泥にした

畳の黒いもの零余子であつた

枯草ぬく根を遠方に持つ

人肉の味の柘榴むさぼる夜の女で

嵐でたほれた家のとなりの台所だ 放哉

嵐が落ちた夜の白湯を呑んでゐる

嵐が落ちタ夜のなんにも無い机

嵐が落ちた障子あけあける遠方が見える
        
しろい
嵐が落ちた晩のお白粉つけてる

人の噂さして酒呑んで居る

カチ/\になつて居る蛙の死骸だ

手をついた蛙の腹に臍が無い

山の池晴れ蛙勇躍す

ゐもり冷やかな赤さひるがへす

蛙蛙にとび乗る 放哉

庵は青葉の昼の雨蛙なきて

雪凍てた夜の梟来てなく

梟なく夜の乳房与へる

熱い風呂に雪をうめる

赤ン坊行水させる雪の晴れ間

児等が登る風が落ちた松の木

風が落ちた板塀をなほす

風が落ちてしまつた庭石

寝た児を炬燵に置いて来る

障子あけて見た物音無し 放哉

雨の藁屋根の下の何年ぶりだらう

話す事も無くてやつて来た

嫁入りのお供が山みち酔つてもどる

買うた状袋が上等すぎた

原稿紙を売つてる家が町ぢうにない

師走の青草をふむ

郊外の電車に乗りかへた

となり合せに古く住みて木こり

顔から火が出たと女が云ふ

あの星を見付けて安心した 放哉

墓地の上は星ばかり

友の絵を壁に張りて師走

師走の島は松の木ばかり

犬がこつそりちんばをひいてもどつた

咳の薬がちつともきかぬきかない師走

めくらが兎の夫婦を飼ふて居る

小さい手から蜜柑をくれた

冬雨来たらしい音の枯草

月を見上げただけの心もち

山み■ち二つに分れ分れて細ぼそ 放哉


  
句稿(27)


  層雲雑吟 尾崎放哉

もらつた餅を数えて居る元日
    
松の実を破る音ばかり元日

海がなんぼでも見える今年の元日

お寺が賑かな日の烈風

一日庵の障子をならし人来ず

初旅の汽車で買つた弁当

松の内のバスケツト一つで旅立つ

吹けばとんでしまつた煙草の灰

石塔ほる音の年の暮迫り来

夕べ風落ち草少しみだれ

たゞに流るゝ大河橋かゝる

秋の港の船は皆灯し

美くしい小鳥よ山路かくれし

夕べのさかな焼くとなり同志

山の温泉の山に見あき

今日も夕陽となり卵子一つ吸ふ

今日も夕陽となり泣いてる児ども

こどもの赤い鉛筆で絵をかいてやる

わがかげ動く夜となりて座る

いつ迄も馴染が出来ない温泉の町 放哉

小さいわが庭の中の冬陽が動く

海から拾つて来た石だよ潮騒

銕砲光つて居る深雪

何か居り秋の樹の葉を散らす

遠くの船は動かず

風のあとの松原の砂のでこぼこ

浜砂かついでもどる風呂敷が重たうなつた

林檎の籠の到来物が置かれ灯の下

えりまきぐるぐる巻にした眼だ

あられたまる間を見て居る 放哉

内庭の空見上げては本読む

霜濃し水汲んでは入つてしまつた

痩せた手首をひら/\動かす

奇れいなあたまを寄せて村の娘たち

角力とりと峠茶屋で落ち合つた秋だ

太い桐の木の下草無し

芒光る野の若き心一つ

うす霜の朝背中ニ寒く

労働者らしく夜霧にかくれ

並んで通れぬ野の橋に来た 放哉

向ひ山陽照りてくらき窓もつ

空を見る事が好きな妻であつた

小供は小供同志のお祭

松ばかりの大寺の冬

水仙縁の陽に出して銭湯に行く

小さい月夜をもどる寒さ

藪を曲れば冬の大河

一人でそば刈つてしまつた

畑から暮れてもどる百姓

灰の中の釘が曲つて出て来る 放哉

お墓のばけつ幾つもあづけられてる

柱の水仙が咲いた咲いた咲いた

児が出来た話しをきゝ大根煮てゐる

かた炭一俵もらつた寒の入りよ来い

くもれる空動く池ありと云ふ

池をひとまはりしてかるきつかれ

妻がシヤがんでる柳已に散る葉ある

カフエーには入らうか夕陽

暮れかゝる旅の山かなしく

はるかに呼べど冬野聞こえず 放哉

もどつて来た児等がチヤブ台かつぎ出す

猫の首ぶらさげた格好

猫の眼がきらひだ

秋山よき家あり人住まぬ

足がだまつては入つて居た水たまり

大河流るゝよ海へ遠く

灯の街になつた東京に汽車がはいる

大きな陽を落とし片舟

庭石雀が一寸下りて見た

大きな石がある風の野 放哉

こはれた火鉢でも元日の餅がやける

〈こはれた火鉢で元日の餅がやける〉

粉炭はねるなよこわれた火鉢

手のひらあければ淋しや

死ぬ迄左に置く癖のこわれた火鉢

馬がをどれば馬車がをどる冬野
    イ キ
硝子窓に呼吸で書いた絵が消えた

石ころ幾つも海へ投げあきてもどる

砂山越えし人永久に見えず

ふるさとのやつぱり小さい馬だ

釘の着物が落ちた音だ 放哉

寺の大蘇銕いそいで見て出る星

踏みつけられた朽葉が氷りついた

すくすく桐の木太らせ百姓

すぐ灰になる一と抱への松の葉

いぶるものつまみ出す蜜柑の皮

落葉火になつて飛ぼうとする

掃きよせた落葉風に散らされ

二三日煮たきせぬ小さい台所

向ふの山に陽のあるうちを急ぐ

枯れはてた野山かな人住む 放哉

落葉つゝき出しかけひの水通る

坂道ころがり落ちて来た児よ落葉

夜の池水はま黒く

枯れ草に陽あたり牛喰む

枯れ木の中の人では無かりし

冬川せつせと洗濯しとる

〈冬川せつせと洗濯してゐる〉

渚残されし藻草つかんでかぐ

藁すべ一本落ちとる

麦藁吹いて遊ぶよ盲目の児

青い生垣に沿ひ行き気晴れ 放哉


  
句稿(28)


  層雲雑吟 尾崎放哉

  ※○佛とわたくし

粉炭ほこほこ顔一つあぶつて寝る

夜話しが出て来る煙管のがん首

夜中の漬物石が重たい

薬を呑んでも呑んでも痩せとる

いちばんこれが近か道だ

交番に巡査が居らぬ

古畳売り物に出してる

もらつた手拭に小さい役者の紋があつた

かけた盃ばかりだ

大きな門の表札が無い

落葉かさこそ夜となり

凍て切つた一本道を詣る

はやり唄うたつて児をそだてる
     (ママ)
郊外寒い家健ち

女世帯の奇麗にしてある

朝の水仙に水さしこぼし

今日も夕陽となつて座つて居る

いつも人が居たことが無い古道具屋だ

あの大きな机が売れたらしい

貧乏知りぬいた夫婦で 放哉

池にそつと浮いた葉だ

ほんの少しの赤さ見ゆる山茶花

下手医■者の門から出て来た

枯木を叩けば虫が喰つてる

きかぬ薬を酒にしよう

茶わんの好きな模様を買ふ

なんかは入つて居そうな壺だ

昔しは海であつたと榾をくべる

〈昔は海であつたと榾をくべる〉

半紙の皺をのばす

晩めしはやめて寝る 放哉

蜜柑一つで手紙入れて来てくれた

さんざん面白い眼をした皺よらしてゐる

かき餅半畳に干し足り

指輪が光る夜中のゆび

大きな番傘をあける

古足袋のみんな片足ばかり

朱筆もさしてある冬陽

曲りくねつた道が海に出た

次ぎ次ぎ咲いてしまつた花だ

宵月よ晩めし時 放哉

小便に起きて来る夜中の影だ

状袋にお銭をみんな入れとく

寒ン空シヤツポがほしいな

冬陽病んで寝て居る

饅頭をたべた大きな口だ

こんな町を電車が走つて居る

女が下りた銀座だ

遥か新道をつくつて居る

煙草店冬となり

工場の小さい裏門 放哉

布団のなかの肋骨がごろごろしとる

蜜柑たべてよい火にあたつて居る

六銭張つて小言云つてやる

泊り泊りの灯しつけて寝る

銭湯から神主が出て来た

飯前の手紙ポストに入れて来る

一日青空のまんまで暮れ切る

鍋釜つけてある冬の小流れ

とつぷり暮れて足を洗つて居る

蜜柑の皮が火鉢のそばに置いてある 放哉

昼の鶏なく漁師の家ばかり

あけがたの風強し水汲む音

洗つたテーブルかけのうすいしみ跡
  

いく度かだまされた夜中の足音

夕べの凍て風に雄ん鶏なかであり

気に入つた部屋に案内された

海凪げる日の大河を入れる

宿は暮れ切らぬ前の山見てる

粟のいが朝の下駄で踏みわる

雨になつたぬくい寝床だ 放哉

晩の灯を入れた雨の宿屋町

まつ白い午の乳をしぼる

読書す夜のうす霧

[やぶちゃん注:本句は底本で一字下げとなっているが、前句の続きでもなく、筑摩版でも並列しているので、私の判断で上げた。]

朝の白雪消えて大河

働きに行く人ばかりの電車

みんなが弁当箱をさげとる

日曜の洋服がぶら下がつてる

田舎の月が遅く出て来た

柚子をもいで一つもいで来るうす雪

煙草屋の娘のお白粉がはげてた 放哉

野道の風に立ち先生である

電柱突きさしてある山の畑

二度もなつたよ宵の半鐘

河原火を焚きあげる冬が来た

子守唄に月が出て来た

昼間猫の子を捨てに出かける

大きな冬木が切られて居る

炬燵によい火を入れてくれた

雪の宿屋の金屏風だ

夜あけし港の船船ある 放哉

わが家の前の冬木二三本

〈わが家の冬木二三本〉

ゆつくり歩いて行く夜霧の道

家鴨も女も太つて居る

家のぐるり落葉にして顔出してゐる

霜朝犬がくわへえくわえて来たもの
    (ママ)
父子で芋堀る

山茶花に今日も霰が来る

家たてる材木が置かれ山茶花

夜のコーヒーを呑む男と女ばかり

一人の道が暮れて来た 放哉


  
句稿(29)


  此ノ百句ハ非常二苦吟シマシタ、但、ホメテモラヱルノガ有ルカト心配シテマス

  層雲雑吟 尾崎放哉

墓原小さい児が居る夕陽

墓の前に女が引つ付いてしまつた

墓にもたれて居る背中がつめたい

墓原花無きこのごろ

墓原暮れて出る縁日

墓原昼の大きな提灯

赤ン坊ころがして大根が煮えた

ふた子かなし似て居る

泣いてるよ今朝生れた赤ン坊

赤ン坊一と晩で死んでしまつた

淋しや壁張つて居る

わが家近くなり児が駆け出す

兎を飼つて貧乏してる

葱畑の大きな足跡

寒ン空火事がうつる

藪のなかの凍てきつた路だ

朝眼がさめた児が唄つてる

暗い土間で足ふいてあがる

飯粒かたくなつて居た袖口

茶わんがこわれた音が窓から逃げた 放哉

暗らくてなんにも読めない机だ

曇る陽の庭石案内される

ハガキが一枚ほり込んであつた

山から小供あづかつて来た

日が落ちたペンサキ夜のペンサキ

夜釣からもどつたこんな小さい舟だ

〈夜釣から明けてもどつた小さい舟だ〉

曇り日の花切る忌日

夜の裏木戸ばたりばたりならし

手拭かたくしぼつた朝陽

よく吹く事だな又夜になる 放哉

となりは未だ起きぬ霜朝

水車廻らぬ冬の家あり

今朝は俺が早かつたぞ雀

おはぎを片寄らして児が提げて来た

柳散り散り尽したる小流れ

柳散りつくし風の日ばかり

朝々散る柳ある庭石

晩の小ざかな売りに来る女ばかり

一枚の舌を出して医者に見せる

行灯さげて来て二人の間に置く 放哉

この村で一人の兵隊さんだ

沈丁花の匂ひ夜中思ひ出してゐる

月夜のかるい荷物

よい凧一つ海にとられた

公園木枯の児等ばかり

児を連れて城跡に来た

城跡の大松吹き居り

大霜のわが家ばかり

朝の姿見からはなれる

大霜昼となるお針子 放哉

ばけつにいつぱい水汲めば足る

ていねいに読んで行く死亡広告

窓の下雨やどりして立ち去る

小窓の外から小供に呼ばれる

夕陽の座敷となる一本の柱

坊さんが奥の方から出て来た

橋もいつしよに渡つて来て別れる

小犬が鳴いて居る風の夜もある

女だけ助かつた朝の渚の話し

大浪晴るゝ朝なり

かたくり粉の湯がぬる過ぎた

少し風立ち晩の藁灰

いつもまつ黒い板の天井だ

インキ壺透かして見る

いやな手紙を嚙んで居る女だ

土瓶のふたに皿が乗つてる

風吹く道のめくらなりけり

〈風吹く道のめくら〉

まき割る風つのる

一丁の冷豆腐たベ残し

古道具やの店はかなしく 放哉

絵はがきばかり出て来るカバンだ

汽車走る間のをもちや売り去れり

餅を喰ひくたびれたよい火がをこつて居る

橋のきわのうまい寿司屋が無くなつた

もう川舟が下り始めたらしい

夫婦で相談してる旅人とし

〈旅人夫婦で相談してゐる〉

又一人雪の客が来た

風呂吹きをよばれに行くよい月だ

今夜の分を出して置く白い丸薬

元日の灯に家内中の顔がある

元日のみんな達者馬も達者 放哉

思ひ出したやうに火がはねる

まつてる蛙がこつそり出て来た顔だ

芸者の三味線かついで行く月夜

知つた芸者に逢つて煙草を捨てる

羽織を着ればひもがある

壁を張る新聞紙をわけてもらう

羽織のたもとには入つて居つた

漬物きざむ手で児を受取る

どかどか客が来たとなりの部屋

となりも静かな客だ 放哉

寝たがひの肩持ちて朝居る

朝の茶をつまみ風落ち

釘の手拭が氷つて居るさま

朝々の土瓶煮え立ち

お聟さんに夕月光り

婚礼の夜の提灯に雪ふらし

婚礼からもどつて少し酔つてる

カタクリ粉が落ちて居た朝の畳

女郎屋が一軒焼けの冬夜

鐘ついて来た顔で話す 放哉


  
句稿(30)


  層雲雑吟 尾崎放哉

すつかり明け切つて居る洗面器

嫁さんが来た淋しい町だ

ぬくい屋根で仕事して居る

佛に供える青い葉朝露にぬれ

となりの児にかきもち焼いて置く

墨つけた顔でもどつて来た

なにかこわした音もしてたそがれ

蛙をつぶし蟹を殺した児がくたびれて居る

そつと石を起すうす濁り

灰かけて置いた火が夜中夜中に出て来た 放哉

裸足に恋れたよ島の女

蜜柑を買わされ片眼を知らずに居た

赤インキを引つくれ引つくりかやして夜が明けた

何かいつぱい書いてある手帳だ

児等が未だ遊んで居る一つの窓

釘にかけ切れないで輪かざりの庵り

夜中の雨を話して居る逗留客だ

戻つたらすぐ竹馬に乗つて居る

絵のうまい児が遊びに来て居るよ

〈絵の書きたい児が遊びに来て居る〉

満潮の橋長々とかゝれり 放哉

ぶらぶら女と来た踏切り

暮れ方の裾に綿がついて居た

夕陽の小窓があけてある

見世物小屋がばた/\片付けとる

山風山を下りるとす

山火事の北国の大空

庭石皆少ししめりたる

新藁散らかして仕事してゐた

カ餅をたべて海を見てゐる

小さいランプで勉強してゐる 放哉

朝の高塀に沿ふて働きに出る

うす霜の朝の切戸があいてる

さめたコーヒー皿で待つてる

コゝア呑む腕がはち切れそうだ

ちらと見た知らぬ顔で過ぎた
       モヤ
朝の踏切のうす靄

踏切りどつかで鶯が啼いとる

雨の汽車路ばかり踏切

踏切に来れば浪音

大根ぶら下げて止められた踏切

まるい山の肩に宵月が乗つてる

山路はいろ/\の落葉

落葉焚きあげ呼ばれて居る

落葉焚きあげ大木

雪に小便する児等は並び

土間が奇れいに掃いてある

小さい銀杏の木が真ツ黄になり

帽子あみだにして陽にやけて居る

暗い土間で仕事して居た

落書が無くてお寺の白壁 放哉

一寸書き付けて置いた紙切れが無い

釘の手拭が一日乾かぬ

夜のお茶がぶがぶ呑むよく呑む

留守番の小供は寝とる

芽ぶくもの見てまはるある日

まだ明かるい空に親しみ

海見えはぢめ風吹くなり

一人住みてあけにくい戸ではある

夜中の蜜柑一つたべる

眼の前する/\と帆をあげた船 放哉

今年は雨風多し乞食

夜の襖があけてあつた

銀貨が一枚交つて居た

宵の口の喧嘩話しで銭湯

茶の花時雨れるのか

雀が来る木が切られてしまつた

大根畑から出た月だ

お医者の靴がよく光ること

橋を渡る提灯が一つ

山が冷えて来た凧下ろす 放哉

曇り日の鉛筆をけづる

さら/\浪よす渚薄氷

恋のうたばかり唄ひ里の遠い火

月夜の葦が折れとる

めざしを焦がしてしまつた

冬は白雲の光り

雪の山見ては書く手紙

あいてる椅子にかけてあついコーヒーだ

草に陽がはいる大きなタンク(満州長春)

やすい馬車の冬陽走らす(仝所) 放哉

大きな池の風に立ち地図をひろげる

静かなる鶴の一本の足

池に座敷を浮べ鯉をたべさせる

小さい池に出て弁当たべる

鯉がはねる音の貧厨

同じやうな沼の景色漕ぎ出で

大きな沼の枯れ葦

弟とふるさとの池の風に立つ

池のぐるりは白雲ばかり

鮒釣る池の風が強い 放哉

今朝の障子を郵便やがあけた

大霜月は雲となり

枯れ枝が動いて居る

鮒がたくさん釣れる雪風となり

どうしても動かぬ牛が小便した

一日森で遊んでしまつた

森をわけ入り小供になる

よどんで居るお椀を流してやる

意地悪るの児をにくむ心があつた

夜が明け切つて居る町の小流れ 放哉


  
句稿(31)


[やぶちゃん注:編者注によればここに「二月廿五日着」とあり、それは井泉水記入のもの、とする。]

  層雲雑吟 尾崎放哉

雀がたつた二つ居る夫婦らしい

雨水の流れ動く朝の庭

一日雪がふりつゞける障子

誰か居るらしいまつ白い障子

雪国の元気な小供等だ

牡丹雪となつたたそがれ

この宿鳩を飼つて居たのか

夕風葉と吹かるゝ虫あり

墓のうらに廻る

わが夜の雪ふりつもる

 アナタの(わらやね雪ふりつもる)‥が、常ニ思い出され、真似して見たのですが?

[やぶちゃん注:「アナタ」は傍点ではなく、本当の傍線。‥」は、表記通り、二点リーダーである。

四角な庵の元日

ことこと番茶を煮てもてなす

熱がまた出て来たな雪風

遠くの餅つく音で起こされて居る

つきたての餅をもらつて庵主であつた

夜中の天井が落ちて来なんだ

のびたあごひげのさきを焦がして居る

たもとになんにもは入つて居ない

星がふるやうな火の見やぐら

冬の海には遠く船一つ 放哉

大晦日皆松にとり変へて佛の花

あすは元日が来る佛とわたくし

餅をもらつた白砂糖ももらつた

どつから夜中の風がは入つて来るのか

和尚さん木鋏をならし訪ねて居る

大晦日暮れた掛取も来てくれぬ

〈掛取も来てくれぬ大晦日も独り〉

墓を拝む兄のうしろ

一番鶏がないたやうでもある欠伸をした

朝方の大雨を知らずよい晴れだ

お月さんもたつた一つよ 放哉

大いなる人この山奥にかくれしと

風烈しき夜々のランプ灯もされ

石油たつぷりついでランプの夜である

ランプ灯もす頃の船がは入つて来る

二三人にランプが灯もされる

ランプ掃除の油手をふく残雪

わがランプをかゝげ下宿をかはる

雪積もる夜の燃え座はるランプ

〈雪積もる夜のランプ〉

ランプの笠に粉雪の音するよ

ランプの笠がかしげとる 放哉

枯れあし明けて居るそれだけ

貸家気に入らないで出る秋草

いつもよい花活けて迎える

フト曇り来る部屋に居たり

窓に肱を置く大地の春

窓から手をのばして拾ふ

月光の井戸を覗いただけだ

さつき出て行つた音がした

不格好な石の冬

星がふるやうな山の道 放哉

神の朝の木木立ち

落ち葉曇り日をとべり

まつ黒な顔で惚れられた

坂の雨流れ青空

皿のお薬子が一つになつとる

夕づつ妻から児を抱きとる

手洗鉢の落葉かきわけ水

木の実ころころ見えなくなつた

雨の舟岸により来る

行き違ひの日曜を訪ね 放哉

網干す雫砂に落つ

木引きがとう/\引き切つた

山奥木引き男の子連れたり

〈山奥の木挽きと其男の子〉

山の木引きがこゝの生れでなかつた

夏の夜の茶わん音さして買ふ

白いめしほ気立てゝ朝の茶わん

[やぶちゃん注:底本は「白き」であるが、本底本編者の手になる後の2001年刊筑摩版では「白い」となっており、一応、補正したが、特に注もなく、不審。

いつしか自分の茶わんとなり

台所しまうをそい灯

友の絵がうまいんだそうだ

電気がぶら下がつて居た机にもどつた 放哉

手毬がとび込んで来た内庭しんかん

芝居の幕合に蚊にくはれた

貧乏の軒を押し並べ夕陽

南瓜半分喰はれて居る

雨に濡れ雨を流し冬木

背中で泣く児わが児よ

お金がほしそうな顔して寒ン空

足袋洗ふ朝の雪晴れ

落葉踏み来し宮のうしろ

山の匂ひ嘆ぎ行く犬の如く 放哉

夕空見てから晩めしにする

〈夕空見てから夜食の箸とる〉

行き止りの道なりき落ち葉

明け方ひそかなる波よせ

〈ひそかに波よせ明けてゐる〉

水たまりをとんで行つた児だ

名刺を張つてわが家とす

昼の波音になれたるさへ

冬木の窓があちこちあいてる

窓あけた笑ひ顔だ

櫓の音障子しめたる

潮くさい夫婦で児を太らせる 放哉

日が暮れても大根つけとる

硯の水がちんまり澄んで居た

芝居もどりがくしやみして通る

冬月外套のボタンをはめる

夕空の下の夫婦

冬山登ればお城が見える

船の待合所で呑んでる

西洋人の長い足が乗つてる人力だ

梯子上つたり下りたり暖い

白壁雨のあとある



■拾遺句稿


〔みんなが夜の雪をふんでゐんだ〕

[やぶちゃん注:「みんなが夜の雪をふんでいんだ」の表記違い。但し、歴史的仮名遣いとしては「ゐんだ」は誤りである。]

〔をごそかなるものゝ冬田の水〕

[やぶちゃん注:「おごそかなるものの冬田の水」の二箇所の表記違い。但し、歴史的仮名遣いとしては「をごそかなる」は誤りである。]

籠の鳥逃がした夕べとなり

どの小鳥の名も知らない

居るよと云つてる後架だ

畳に灰少しこぼし寐る時

灰ろの灰をこぼす火鉢のすみ

小さな球とし煙草の銀紙

耳の穴一日雨音ありし

糠雨寐てゐる大松

朝見れば矢ツ張り白い花だつた

〔冬ばらに手を引つかゝれた〕

[やぶちゃん注:「冬ばらに手を引つかかれた」の表記違い。]

今日も貧乏を夕陽に見せとる

酒屋の小僧が朝の雪はいてくれた

貧乏徳利がころがつてたまつて居る

足の踏みどころも無い座敷で貧乏してゐる

貧乏が立派なひげ生やして居る

〔川のまんなかを流れ行く草花〕

[やぶちゃん注:「川のまんなかを流れゆく草花」の表記違い。]

〔障子に近く芦枯るゝ風音〕

[やぶちゃん注:「障子に近く蘆枯るる風音」の表記違い。]

〔水郷見るものに芦枯れたり〕

[やぶちゃん注:「水郷見るものに蘆枯れたり」の表記違い。]

〔かゞやく雪景色の夢がさめた〕

[やぶちゃん注:「かがやく雪景色の夢がさめた」の表記違い。]

〔天気つゞきの田舎の旧の正月〕

[やぶちゃん注:「天気つづきの田舎の旧の正月」の表記違い。]

いつ迄も遠山雪ある一人暮しなり

水汲みに下りる籔の道梅の堅い蕾ある

鉢の梅の蕾堅くて青くて

[やぶちゃん注:須磨寺時代の句に「鉢の椿の蕾がかたくて白うなつて」という類型句がある。]

大風が吹いとる春のお彼岸

酔えば出て来る昔しの唄も忘れ

万年青の赤い実が余り大きくて

鐵瓶の湯気が少したち居り

釘の手拭に風ある野茶屋

山から下りて来る川に氷はりし町

森に近づき森に雪ある

[やぶちゃん注:小豆島時代の句に「森に近づき雪のある森」がある。]

汽車の窓からみんな顏出して梅林

池の氷が厚くて梅は匂ひ

昼空冴えたる音楽学校

橋の処の梅が早くて

油紙一枚背中に張つて春雨

海の宿屋に来てめづらしい大雪

お寺参りの春の雪散らす

大雪の春の河舟

〔ランプ身近かく置き金米糖かじつて居る〕

[やぶちゃん注:「ランプ身近く置き金米糖かじつて居る」の表記違い。]

一と所壁が新しくて夕陽

[やぶちゃん注:小豆島時代の句に「一ケ所壁が新しくて夕陽」があるが、これは読みが全く異なるので、表記違いとは見なさずに掲げた。]

一つの湯呑の尻がどつしり重たい

[やぶちゃん注:小豆島時代の句に「一つの湯呑の尻がどつしりと重たい」があるが、音数律が異なり、音読した際も大きく印象が違う。」

〔皺だらけの手のひらぱり/\あける〕

[やぶちゃん注:「皺だらけの手のひらぱりぱりあける」の表記違い。]

〔縁の下から猫が出て来た夜〕

[やぶちゃん注:「の下から猫が出て来た夜」の表記違い。]



■存疑の部


  
定型俳句


二ツ池鴦たえず通ひけり

[やぶちゃん注:筑摩版解題によれば、昭和50(1975)年4月号の『層雲』掲載の村尾草樹の論考「中学時代の放哉俳句」の中で、鳥取市内の個人蔵の短冊の句。村尾氏の編になる「放哉」に写真も残されており、真作の可能性が高いと思われる。]

波打つや山は遥に今年哉

[やぶちゃん注:筑摩版解題によれば、鳥取県立図書館蔵の短冊の句。真作の可能性が高いと思われる。

北窓に暮れ果つるまで見送らむ

[やぶちゃん注:筑摩版解題によれば、昭和28(1953)年9月22日付の伊東俊二宛の放哉従妹にして永遠の恋人であった沢芳衛書簡中に現われるとする(伊東俊二は『層雲』旧同人で、戦前・戦後の一時期、編集・発行名義人でもあったが、井泉水と対立し、昭和25(1950)年に追放されたとされる自由律俳人)。更に『芳衛が保管していた友人某氏宛放哉の書簡中の句』と記されており、真作の可能性が高いと思われる

桜散る散るや人行く桜かな

[やぶちゃん注:筑摩版解題によれば、大正15(1926)年7月28日付の『小泉一郎より井泉水あて書簡。』とある。小泉一郎なる人物については不学にして不詳。精査したわけではないが、放哉書簡の私信の宛名としてはないように思われる(弥生書房版旧全集初版の書簡宛名リストには少なくともない)。

萩桔梗たゞ愛らしく咲けとこそ

萩桔梗ただしををしく咲けとこそ

[やぶちゃん注:筑摩版解題によれば、大正15(1926)年7月28日付の『野沢留吉氏より井泉水あての書簡。東洋生命の同僚・野沢の息子誕生の祝いに贈った句。』とする。「ただしををしく」は昭和39(1964)年刊の村尾草樹編「放哉」の中の座談会記録である「東洋生命時代の尾崎放哉」での異形。座談会での発言ではあるが、誕生祝の贈答句という性質、その被贈答者本人の記述及び発言とすれば、どちらかが真作の可能性が高いと考えてよいであろう。


  
自由律俳句


湖へ湖へなびく旗日の漁村

[やぶちゃん注:筑摩版解題によれば、昭和39(1964)年刊村尾草樹編「放哉」中の座談会記録である「東洋生命時代の尾崎放哉」で、元同僚によって挙げられた句形。単なる記憶とするならば、信憑性は低いか。]


厠を出れば障子に影おれまがれり

[やぶちゃん注:筑摩版解題によれば、昭和39(1964)年刊村尾草樹編「放哉」中の座談会記録である「東洋生命時代の尾崎放哉」で、元同僚によって挙げられた句形。単なる記憶とするならば、信憑性は低いか。]

引越しの鏡に青空がうつる

[やぶちゃん注:筑摩版解題によれば、昭和39(1964)年刊村尾草樹編「放哉」中の座談会記録である「東洋生命時代の尾崎放哉」で、元同僚によって挙げられた句形。大正6年の句に「引越し車の鏡空をうつしおり」の類型句があるが、ここではまさにこの句と並べて「引越し車の鏡空をうつしをり」が挙げられており、別句を判断するのが自然である。逆にそうした差別化が働く程には、出席者の記憶に残っていたとすれば、逆に真作としての信憑性は高いとも言えるであろう。]

米の粉にまみれ今日ををはりし夕陽おろがむ

[やぶちゃん注:筑摩版解題によれば、1966年3月の『原始林』という雑誌の「尾崎放哉の舞鶴時代」(筆者の記載なし。後述の山崎久蔵という方か)の中に、『放哉が一灯園の奉仕で舞鶴市に滞在中、山崎久蔵氏に与えた句として』挙げられている三句の一。解題執筆者は大正13(1924)年初頭頃の事跡と推定されている。]

だんだら阪のぼれば上から鐘つきおろす

[やぶちゃん注:同前。]

力一ぱい石を海へなげてみる

[やぶちゃん注:同前。]

夕の雀が背のびして覗く俺だよ

[やぶちゃん注:筑摩書房版全集第三巻遺墨(p230)にある半紙と思しきもの(この遺墨パートについては不思議なことに解題の記載がなく、出所不明である)を翻刻したもの(同p234)。小豆島時代に類型句「雀が背伸びして覗く俺だよ」がある。なお、この半紙の右側には春秋社版の類型句の直前にある「師走の冷たい寝床にわがからだ一つ投げ込む」が記されており、且つ「夕の」の部分は、後から右上に挿入されている。]

元日の灯に家内中の顔がある

[やぶちゃん注:筑摩書房版全集第三巻遺墨(p231)にある短冊(この遺墨パートについては不思議なことに解題の記載がなく、出所不明である)を翻刻したもの(同p234)。小豆島時代に極めて類似した句「元日の灯の家内中の顔がある」がある。しかし、短冊の画像は私には素直に「に」ではなく「の」に見える。]

山は浜の夕陽をうけてかくす処無し

[やぶちゃん注:筑摩書房版全集第三巻遺墨(p232)にある短冊(この遺墨パートについては不思議なことに解題の記載がなく、出所不明である)を翻刻したもの(同p234)。小豆島時代に極めて類似した句「山は海の夕陽をうけてかくすところ無し」がある。短冊の画像の「浜」の部分は「海」にも見える。]


尾崎放哉全句集(やぶちゃん版新版) 完