「こゝろ」マニアックス
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朝日新聞連載「心」(「上 先生と私」パート初出)

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やぶちゃん贋作「こゝろ佚文」

やぶちゃんの教え子のマニアック「こゝろ」小論文


「私は淋しい人間ですが、ことによると貴方も淋しい人間ぢやないですか。……

……淋しい人間は時に斯んな事を爲るものなのです。」


 Edwin McClellan の “Kokoro”(TUT BOOKS版) に対する疑義〈未完〉(copyright 2005 Yabtyan)

(注:以下の和訳は筆者が訳したもので、重大な誤訳が含まれている可能性がある。必ず示した原文を御自身で訳さられよ。Web上でも全文が公開されている。とりあえず対象としたのは原作の「上 先生と私」総てと「中 兩親と私」の「二」迄である。)

1《“Kokoro”ページNo》ー1《左ページ内の疑問箇所No》
I cannot bring myself to write of him in any other way.
彼のことをこれ以外の呼び方をする気にはなれない。
1ー1-原文(上一)
餘所々々しい頭文字抔はとても使ふ氣にならない。

◎欧米においては、イニシャルは必ずしもよそよそしい印象を与えないからであろう。



3-1
I was in a relaxed frame of mind, and there was such a crowd on the beach that I should never have noticed him had he not been accompanied by a Westerner.
私の頭は放漫で、浜は大層混雑していたので、西洋人を連れていなかったら、私が彼に気付くことはなかっただろう。
3-1-原文(上二)
それ程濱邊が混雑し、それ程私の頭が放漫であつたにも拘わらず、私がすぐ先生を見付出したのは、先生が一人の西洋人を伴れてゐたからである。



5-1
however, he made his way back to the beach in a sort of arc, rather than in a straight line. I was further disappointed when I returned, dripping wet, to the tea house: he had already dressed, and was on his way out.
しかしながら、私の予想に反して、彼は直線ではなく一種の弧線を描いて浜へ帰り始めた。雫を垂らしながら掛け茶屋へ戻ると、私は更に失望した。先生はもう着物を着て、出て行くところだったのだ。
5-1ー原文(上二)
すると先生は昨日と違つて、一種の弧線を描いて、妙な方向から岸の方へ歸り始めた。それで私は目的を遂に達せられなかつた。私が陸へ上がつて雫の垂れる手を振りながら掛茶屋に入ると、先生はもうちやんと着物を着て入違に外へ出て行った。

☆私が大いに期待を裏切られたことを示し、また先生の不可思議さを暗示するところの「妙な方向から」が訳出されていない。また、原文では表れない直截的表現「失望した」が用いられている。



7-1
And I was filled with a new and deep sense of disappointment.
と言ったので、私は新たな深い失望を感じた。
7-1-原文(上三)
と云つたので私は變に一種の失望を感じた。

☆“strangely”として問題はないところ。この場合の「一種の」は、「變な」と同義の(どことなく普通の失望と異なったところの)の意味である。この失望は、それ以前の私の感懐の中にあった失望様のものに対して、“new”であり“deep”であったわけではない。デジャ・ヴそのものが共有されていないことへの限定された内的な「失望」である。



8-1
Indeed, each time I suffered a rebuff, I wished more than ever to push our friendship further.
むしろ、挫折する度に、前にも増して、友情を更に進展させたいと思った。
8ー1-原文(上四)
寧ろそれとは反對に、不安に搖かされる度に、もつと前へ進みたくなつた。

☆“rebuff”は多出する“disappointoment”を受けているものと思われるが、訳者は私の感情を直截的に捉え過ぎている感がある。私は先生に肩透かしを受けることを「挫折」とは捉えていない。



9-1
Remembering this,I felt an unreasonable resentment at having twice failed to find him.
この言葉を思い出して、二度彼に会えなかったことに、理由のない不快を感じていた。
9-1-原文(上四)
二度來て二度とも會へなかつた私は、其言葉を思ひ出して、理由もない不滿を何處かに感じた。

☆“resentment”=「不快」≠「不満」=“discontent”



11-1
"A friend of mine happens to be buried there."
「あそこにはたまたま私の友達の墓があるんです。」
11-1-原文(上五)
「あすこには私の友達の墓があるんです」

☆先生は、私にこの墓参の意味を隠したいという感情と同時に、この墓参の隠された重みを感じて欲しい(故にこそ自己の心中に立ち入って欲しくないという警告を交えた)という感情のアンビバレントを持っている。そういうニュアンスを、“happens to”は伝えていない。



12-1
I felt from the start his strangely unapproachable quality.
私は最初から先生には変に近づき難いところがあるように思っていた。
12-1-原文(上六)
私は最初から先生には近づき難い不思議があるように思つてゐた。

☆私が先生に感じる「不思議」とは理解し難い精神的な謎の影であり、“quality”という単に先生の性格や人柄に備わったものではない。



12-2
Some might say that I was being foolish and naive. But even now, I feel a certain pride and happiness in the fact that my intuitive fondness for Sensei was later shown to have not been in vain.
馬鹿気ているとか、うぶだとか言う人もいるかもしれないが、先生に対する直感的な好意が無駄ではなかったことが後に立証されたことに、私は今でもある種の誇りと幸福を感じている。
12-2-原文(上六)
然し其私丈には此直感がのちになつて事實の上に證據立てられたのだから、私は若々しいと云はれても、馬鹿氣ゐると笑はれても、それを見越した自分の直覺をとにかく賴もしく又嬉しく思つてゐる。



12-3
I remember that I felt then, though only for a passing moment, a strange weight on my heart.
そのとき、ほんの一瞬ではあったが、心臓の上に妙な重圧がかかるのを感じたことを私は覚えている。
12-3-原文(上六)
私は其異様の瞬間に、今迄快く流れていた心臟の潮流を一寸鈍らせた。

☆私にとって最も不可解であることを示す「異様の」が訳出されていない。



13ー1
But whatever it was, there was beneath it, I felt, a gnawing anxiety.
彼の表情の中に私が見たのは迷惑であったか、嫌悪あるいは畏怖であったのかは分からないが、それが何であるにせよ、その下には、さいなまれるような不安があった。
13-1-原文(上六)
それは迷惑とも嫌惡とも畏怖とも片付けられない微かな不安らしいものであつた。

☆“gnawing”=「責めさいなまれるような」≠「微かな」=“vague”



14ー1
I
hate to think what might have happened had I acted differently.
もし異なった行動をとっていたら、どんなことが起こっていたか、私は考えるのも嫌だ。
14-1-原文(上七)
(若い私は全く自分の態度を自覺していなかつた。)それだから尊いのかも知れないが、もし間違へて裏へ出たら、何んな結果が二人の仲に落ちて來たらう。私は想像してもぞつとする。

☆“hate to think”≠「想像してもぞつとする」 私はこの小説の中で、このような直截的好悪感情の表現を殆どしない。



14-2
"And so I am glad that you come to see me. But I am also a melancholy man, and so I asked you why you should wish to visit me so often."
「だから貴方の来て下さることを喜んでいます。しかし私は憂鬱な人間でもあるのです。だから、何故貴方がそんなに度々来たがるのかと聞いたのです。」
14-2-原文(上七)
「だから貴方の來て下さる事を喜んでゐます。だから何故さう度々來るのかと云つて聞いたのです。」

☆訳者は先生の台詞に、無理やり論理性を持たせてしまった。以下の14-3-原文で私がこの先生の言葉を「頗る不得要領のもの」と捉えたのは、[淋しい人間→(だから)①→貴方の来訪を喜ぶ→(だから)②→何故そう度々来るのかと聞いた]という論理の②の部分の矛盾を受けたものであることは明白である。先生のアンビバレントがここでもかき消されてしまっている。



14ー3
The conversation seemed to me to be rather purposeless. Without pursuing it any further, I left.
その会話は多少無意味なもののように私には思えた。(それ以上追求しないで私は帰って来た。)
14ー3-原文(上七)
此問答は私にとつて頗る不得要領のものであったが、私は其時底迄押さずに歸つて仕舞つた。

☆“rather”=「幾分」「やや」≠「頗る」=“exceedly”



15ー1
But I am an older man, and I can live with my loneliness, quietly. You are young, and it must be difficult to accept your loneliness. You must sometimes want to fight it."
(私は淋しくっても年を取っているから静かに淋しく暮らしていられるのです。あなたは若いから、自分の淋しさを受け入れるのは難しいに違いない。)時には、その淋しさと戦いたいに違いありません。」
15ー1-原文(上七)
(私は淋しくつても年を取つてゐるから、動かずにゐられるが、若いあなたは左右はゆかないのでせう。)動ける丈動きたいのでせう。動いて何かに打つかりたいのでせう。……」
☆淋しさのために、ある代償効果を求めて「動いて何か打つかりたい」という原文の表現が、“your loneliness”と“fight”するという直截的心理感情にすり変わっている。



18ー1
There was, however, one incident that marred my general impression of their married life.
しかしながら、先生と奥さんの結婚生活について私が漠然と抱いていた印象をぶち壊すようなある出来事があった。
18-1-原文(上九)
當時の私の眼に映つた先生と奥さんの間柄はまづ斯んなものであつた。其のうちにたつた一つの例外があつた。

☆“marred”では強すぎ、続く私の先生夫婦の前印象への復帰が阻害される。



21-1
But I do remember that his manner at the time was serious, and that he was calm.
けれども、その時の先生の態度が真面目であったことと、彼が冷静であったことは良く覚えている。
21ー1-原文(上十)
けれども先生の態度の眞面目であつたのと、調子の沈んでゐたのとは、今だに記憶に殘つてゐる。

☆“calm”=「落ち着いた」≠「調子の沈んでゐた」=“melancholy” ,“depressd”
この台詞はある種の暗さを持ったものであり、「冷静で」は不適である。



22-2
"You see, there is nothing we can do about it. I do not have the right to expect anything from the world."
「それは仕方がないことなのですよ。私には世間から何かを期待する資格はないのです。」22-2-原文(上十一)
「何うしても私は世間に向つて働き掛ける資格のない男だから仕方がありません」

☆仮に「世間に働き掛け」たとしても、それによって認められ「何かを」得られることはないし、それを望む「資格はない」という論理だろうが、先生は「働き掛ける」自分という起点を否定している以上、おかしな読み替えである。訳文では「働き掛ける」自分については肯定されるが、何かを求めてはいけないのだとも読める。



24-1
I was inclined, sometimes, to regard this reserve on Sensei's part in a favorable light. After all, I would tell myself, he quite naturally would consider it indiscreet and in bad taste to speak of his early courtship to a youth such as myself. But sometimes I was inclined to regard his reserve unfavorably. I liked then to think that his reluctance to discuss such a matter was due to timidity born of the conventions of a generation ago.
私は時として、この先生の慎みを善意に解釈したがった。結局、私は自分でこう思ったのだ。先生が、自分の若いころの求愛について、私のような若い者に話すのは、軽率で悪趣味だと考えたのは全く当然なことだと。しかし時には、私は彼の慎みを悪く取ったりした。その時、私は彼がそのようなことを話したがらないのは、一世代前の因習から生まれた臆病のせいだと考えることにしたのだ。
24-1-原文(上十二)
私は時によると、それを善意に解釋しても見た。年配の先生の事だから、艶めかしい回想などを若いものに聞かせるのはわざと愼んでゐるのだろうと思った。時によると、又それを惡くも取つた。先生に限らず、奥さんに限らず、二人とも私に比べると、一時代前の因襲のうちに成人したために、さういふ艶つぽい問題になると、正直に自分を開放する丈の勇氣がないのだらうと考へた。

☆“indiscreet”は良いとしても、“in bad taste”は如何か。ここで言う「慎み」とは未経験な若者への大人の思いやりといった程度のものであろう。そうでないと、後段の悪意に取った品性と潔癖の「因襲」の部分と重複する嫌いが出てくる。



25-2
They seem to be pretty fond of each other, don't they?" I said, in an amused tone of voice.
「とても仲が好さそうですね。」と私は面白がっているような口調で言った。
25-2-原文(上十二)
「仲が好ささうですね」と私が答へた。

☆訳文の方が、後への意味の通りが良くなるが、続く台詞を検討すれば、私は決して意識的に「面白がっているような口調」をしてはいないことが分かる。先生は私の口調の中に無意識に近いある表現を聞いたのである。



26-2
Vainly, I searched my heart for an answer.
私は自分の胸の中を調べてみたが、答えは見つからなかった。
26-2-原文(上十三)
私は一應自分の胸の中を調べて見た。けれども其所は案外に空虚であつた。思ひ中たるやうなものは何もなかつた。



26-3
You are restless because your love has no object. If you could fall in love with some particular person, you wouldn't be so restless."
「あなたの愛には対象がないから、あなたは落ち着きがないのです。誰か特定の人と恋に落ちることができれば、あなたは落ち着けるでしょうが。」
26-3-原文(上十三)
「目的物がないから動くのです。あれば落ち付けるだらうと思つて動きたくなるのです」

☆「動く」という対象への恋の力動の意味を含む語が、“restless”という単語を通して、「落ち着きがない」と言う意味にすり変わってしまっている。



30-1
The memory that you once sat at my feet will begin to haunt you and, in bitterness and shame, you will want to degrade me. I do not want your admiration now, because I do not want your insults in the future. I bear with my loneliness now, in order to avoid greater loneliness in the years ahead. You see, loneliness is the price we have to pay for being born in this modern age, so full of freedom, independence, and our own egotistical selves." I could not think of anything to say.
「かつては私の足元に跪いたという記憶があなたを悩まし始めるでしょう。そして、苦々しく、恥ずかしく思いながら、あなたは私を貶めたいと思うでしょう。将来あなたの侮辱を受けたくないために、私は今あなたから尊敬されたくないのです。将来私がもっと淋しい思いをするのを避けるために私は今の淋しさを我慢するのです。淋しさは、自由と独立と自我に満ちた現代に生まれた私達が払わなくてはならない代償なのです。」
私は言うべき言葉が思い浮かばなかった。
30-1-原文(上十四)
「かつては其人の膝の前に跪づいたといふ記憶が、今度は其人の頭の上に足を載せさせやうとするのです。私は未來の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥けたいと思ふのです。私は今より一層淋しい未來の自分を我慢する代りに、淋しい今の自分を我慢したいのです。自由と獨立と己とに滿ちた現代に生まれた我々は、其犠牲としてみんな此淋しみを味はなくてはならないでせう」
私はかういう覺悟を持つてゐる先生に對して、云ふべき言葉を知らなかつた。

☆原文が普遍的演繹的な叙述であるのに、訳文は個別的帰納的。どちらがよりインパクトが強いかは一概に言えないが、「こゝろ」の主題に関わる重要な台詞だけに忠実な訳が望まれる。のちのキーワード「覺悟」が落ちているのも気になる。



31-1
After that day, I used to wonder each time I saw Sensei's wife whether Sensei's attitude towards her reflected his inner thoughts and, if so, whether she could be satisfied with her condition.
その日から、先生の奥さんの顔を見るたびに、先生の奥さんに対する態度は、先生の内的な思考を反映しているのかどうか、また、そうなら、奥さんは自分の状況に満足しているのかどうか疑問に思ったものだ。
31-1-原文(上十五)
其後私は奥さんの顔を見るたびに氣になった。先生は奥さんに對しても始終斯ういふ態度に出るのだらうか。若しそうだとすれば、奥さんはそれで滿足なのだらうか。



31-2
Sensei's opinions, it seemed to me, were not merely the result of cloistered reflection.
先生の意見は、単に隠遁者が思索の結果得たものではなかったように思えた。
31-2-原文(上十五 )
先生の覺悟は生きた覺悟らしかつた。



31-3
And this sense of reality did not come so much from observation of the experience of others removed from himself, as from his own experience. Such speculations, however, added little to my understanding of Sensei. Sensei, as a matter of fact, had already given me reason to believe that his thoughts were indeed forced upon him by the nature of his experience. But he had hinted only, and his hints were to me like a vast threatening cloud hanging over my head, vague in outline and yet frightening. The fear within me, nevertheless, was very real.
そしてこの現実に対する所感は、先生自身から切り離された他人の経験を観察した結果からではなく、むしろ、先生自信の経験から来ていた。
 しかしながら、そのような考察は殆ど先生に対する私の理解の足しにはならなかった。実は、先生の考えは自分の経験の性質〔道理〕によって押し付けられたものだと信じるに足る理由を、先生は既に私に告げていたのだ。しかしかれは、単に暗示しただけで、その暗示は私には頭の上に覆い被さっている大きな恐ろしい雲のようで、輪郭はぼんやりとしているが恐ろしいものであった。それにも拘わらず、私の中の恐怖は、まさに本物であった。
31-3ー原文(上十五)
自分と切り離された他人の事實ではなくて、自分自身が痛切に味はつた事實、血が熱くなつて脉が止まつたりする程の事實が、疊み込まれてゐるらしかつた。
 是は私の胸で推測するがものはない。先生自身既にさうだと告白してゐた。たゞ其告白が雲の峯のやうであつた。私の頭の上に正軆の知れない恐ろしいものを蔽ひ被せた。さうして何故それが恐ろしいか私にも解からなかつた。告白はぼうとしていた。それでゐて明らかに私の神經を震わせた。

☆先生の「事實」が訳文では妙に観念的で原文以上に理解しづらい。“nature”という単語がよく分からない。



32-1
I tried to explain to myself Sensei's view of life by imagining a love affair in his youth--between Sensei and his wife, of course--involving violent passion at first, and perhaps regret later.
先生の若いころの恋愛(無論先生と奥さんとの間の)――最初は激しい情熱を感じ、その後におそらく後悔することになったのだろう――を想像することで、先生の人生観を自分に説明しようとした。
32-1-原文(上十五)
私は先生の此人生観の基點に、或強烈な戀愛事件を假定して見た。(無論先生と奥さんとの間に起こつた)。

◎続く論理から言えば、訳文の方が多少理解しやすいか。



41-1
On the other hand, when one remembers that the change came after the death, one wonders if Sensei really doesn't know."
でもその一方で、先生がその人の死後に変わったということを思い起こすと、先生は本当にその人が死んだ理由を知らないのかしらと疑ってしまうのよ。」
41-1-原文(上十九)
けれども夫から先生が變つて來たと思へば、さう思はれない事もないのよ」

☆奥さんが先生の人格の厭世的な変化の動機の一つを、友人の死に求めていることは事実であるが、それと友人の死の原因を知っていることとは同義ではないし、こうした先読みした暗示は「上」全体の流れから言うと好ましいものとは思われない。



49-1
And it seemed that with each heartbeat, the yearning within me for action increased. In a strange way, I felt as if Sensei was by my side, encouraging me to get up and
go.
そして心臓の鼓動の度に、私の中にある活動に対する憧れが増していったようだ。不思議なことに、私は先生が傍らにいて、私に立ち上がって進めと励ましてような気がした。
49-1-原文(上二十三)
さうして漲る心臟の血潮の奥に、活動々々と打ちつゞける鼓動を聞いた。不思議にも其鼓動の音が、ある微妙な意識状態から、先生の力で強められてゐるやうに感じた。

☆後半はかなりはっきりとした意識化による意訳というべきだが、実は私は「不思議にも」「ある微妙な意識状態」という原文に見るように自分自身はっきり説明のつかない状態で先生の影響を強く受けているのであって、訳にはあからさまな臭みが生じてしまっているように思われる。



61-1
But tempt them, and they may suddenly change. That is what is so frightening about men. One must always be on one's guard."
でも、誘惑してご覧なさい。そうすれば、みんな突然変わってしまうでしょう。だから、人間は恐いんです。常に人間は警戒していなければならないのです。」
61-1-原文(上二十八)
(平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。) それが、いざといふ間際に、急に惡人に變わるんだから恐ろしいのです。(だから油斷が出來ないんです。)」

☆“tempt”とはキリスト教的に理解し易くさせる配慮からか?



68-2
I returned to my lodgings with an oppressive feeling--like a sense of doom--inside me.
私は、心のなかに罪の意識のような圧迫感を感じながら、下宿へ帰った。
68-2-原文(上三十一)
私は下宿へ歸つてからも一種の壓迫を感じた。

☆私は先生の過去へ触れることの恐ろしいまでの厳粛さに「壓迫」を感じている。それを比喩的にも“a sense of doom”と言って良いか。タブーに抵触することへの、やはりキリスト教的解釈を持った訳語のように感じられる。



80-1
I felt then the helplessness of man, and the vanity of his life.
私はその時、人間の儚さ、人生の空しさを感じた。
80-1-原文(上二十六)
私は人間を果敢ないものに觀じた。人間の何する事も出來ない持つてうまれた輕薄を果敢ないものに觀じた。

☆「人間の何する事も出來ない持つてうまれた輕薄」は“the vanity of his life”と同様、何も言っていないのと同じかもしれない。しかし、人生の空しさや儚さの中でも、主題のエゴイズムとの絡みの中にあって、「人間の何する事も出來ない持つてうまれた」という生得の限定性と「軽薄」という具体的言辞は是非訳文に欲しいものだ。この言葉が「こゝろ」のキーワードの一つであることは言うまでもないのだから。

                      《以上、「こゝろ 上 先生と私」より》



85-1
What would my mother do?
母はどうするだろうか。
85-1-原文(中二)
兄は何うするだろうか。

☆これが単純な誤訳でないとすれば、納得できない。兄の存在は(上二十二)で明示されており、この後の相続の問題とも拘わる以上、理解し難い改変である。

                     《以上、「こゝろ 中 兩親と私」より》



 秘密を共有することの痛み-「こゝろ」考 書き捨て(copyright 2005 Yabtyan 2010 一部改)

 まず、最近のテキスト論に於ける、作家秦恒平の私と奥さんとの結婚説や、国文学者小森陽一の告白共生説が成立し得るかどうかの、まさに『テキストとしての』最重要ポイントを片付けておきたい。
 上十二を素直に読む限り、この「先生と私」を記述している時点に於いて、私は奥さんに先生の秘密をその約束通り、告白していない。而して、それではこの告白後に私が奥さんに秘密を告白する可能性はあるのか?
 そもそも、ある程度の時間経過を経て記述されているこの「先生と私」「両親と私」以降に、更なる時間経過を仮定する事自体が、テキスト論を遥かに逸脱した別世界観の提示に過ぎず、そこで「私」が奥さんに告白するというコペルニクス的転換を位置付けることは最も可能性の薄い排除可能な一解釈と言わざるを得ない。最低限の論議の土俵として、この「先生と私」記述時に「私」が現に秘密を守っていることを事実としてしっかり把握すべきである。そして、それはとりも直さず、付帯する「両親と私」「先生と遺書」の時間的連続性、即ちそもそもこの小説には、時制的には「遺書」以降の時間は、「先生と私」へとメビウスの帯のようにリンクしているのである。「私」にとっては、「遺書」は読まれた『最新の』過去の事実として『ある』ように巧妙に仕組まれているということを認識しなければならないのである。「こゝろ その後」を議論するのは一つのゲームとして正しい。しかし、私はそれはまさに「続こゝろ」というバーチャルな体験をすること、即ち続編を書くに及ぶものではない、と思うのである。それは最早、論ずるものではなく、創作すべきものである(しかし、その創作物は自ずと「こゝろ」とは別物である。「原作 夏目漱石」なんどというキャッチ・コピーでおぞましくも客寄せすることは、厳に慎まなくてはならぬ。これは勿論、自戒でもある)。「私」は先生の約束を守る。「私」は靜が生きている限り、彼一人の秘密として先生の過去を胸奥にしまっておく。「私」は靜をその最期まで看取るであろう(「老少不定」であるから「私」が靜よりも長生きするとは限らないから断定は出来ない。先に彼が逝くならば、完璧に先生の秘密は葬られる。いや、靜が死んだからと言って「私」は先生の秘密を暴露はしないと私は考えている。するとあなたはこう問うかも知れない――それじゃ、この「こゝろ」って作品は何よ?――それについてはこの小論の最後に示す)。そして「私」は小森氏の『共生』と言う語で表現してよいような関係を持ち続けると言って間違いない(但し、言っておくが私は小森陽一氏に「こゝろ」を語る資格はないと感じている。彼が講演会で「こゝろ」について冗談交じりに「あんな何言ってんだかよく分からない出来損ないの、気持ち悪い同性愛小説を、高校生に授業するのはどうかと思いますよ」と直に言うのを聴いた。冗談であっても「こゝろ」をそう軽く蹴って見せた彼とは同じ空の下に私はいたくない)。従って――この「従って」が何故「従って」なのか分からない人間には私は「こゝろ」は分からないと断言する――「私」は靜と結婚するなどというおぞましい(ここは小森氏に激しく共感する)解釈は絶対に成り立たぬのである。
   * * *
 それでは、試験にも出した、田舎に一度帰った私が、先生と父を心内で比較するシーン、「上」の二十三章から復習しよう。ここでは、先生の遺書の冒頭の語句「鼓動」や「血」との相同性に注意する必要がある。勿論、これは遺書の読後に記載されたものであり、それに合わせた意識的な記載の相同性があるのは当然と言えば当然であるが、しかし、「私」が明確にここでそのように、遺書を執筆する直前の「先生」と、共時的に感じ合っていた――シンクロニティを感じていたことも動かしがたい事実なのである。それはまさに先生が遺書で望んだ先生の霊と私の肉の一致の予兆の場面なのではあるまいか。
 そして、卒業式の後、「中」の冒頭にかかる一連のエピソードである。遠眼鏡のシーンは極めて象徴的印象的なシークエンスである。私自身のモラトリアムな感覚、及び社会的有適格者というものへの不信、それに対峙する形でダブる高等遊民としての先生。さらにすぐ後に来る両親の卒業証書への反応との激しい落差――その根底には『明治の知識人』たる先生と、両親の属する旧世代との、明確な精神的断絶を認識させる場面群でもある。
   * * *
 「先生の遺書」を考えよう。授業でも述べた通り、まずはその形態的特性に着目すべきであろう。この「先生と遺書」の冒頭は「……」で始まる。また、各章はすべて引用符の二重鍵括弧で始まるにも拘わらず、最終章を除いて章末には引用符の二重鍵括弧閉じる、がない。更に、中十七の肝心の先生の遺書冒頭は、下では繰り返されてはいない。即ち、中十七の冒頭とされるものは、必ずしも、下一の「……」に直結するものではない可能性があり、更に言えば、下全体が先生の遺書のすべてではない可能性(少なくとも冒頭を欠いている点においてそうであるし、それはそれ以外にも省略された箇所がある可能性を容易に示唆するものでもある)を孕んでいるということである。冒頭批判したような時間軸での未定の推論を行うよりも、テキストの丁寧な読解による批判的視線を養うこと――そこから導かれる先生の遺書の完全な復元――の方が、「こゝろ」を豊かに論じることができる一歩であると私は思う。
 まず、先生の人生を変調させる叔父の財産横領についてであるが、これはやはり本当にあったのかどうか(先生の思い過ごしや拡大解釈、さらには関係妄想の可能性)という根本に関わる提示がなされてしかるべきであろう。また、仮にそうした横領の事実があったとしても、この叔父が置かれた財産管理や社会的立場から言って、彼の行為に当時として破廉恥な要素がどれほどあったかを考える必要がある。管理を任された財産の一部を経済効率のために流用すること、一族の者として、家の存続と経済の最大限の合一性を図るための、自分の娘との婚姻は決して異例のこととは言えない。そうなるとここは、先生の極度の潔癖性や、独りよがりな世間知らずの一面を逆に印象付ける場面なのではないかとも思われてくる。しかし、統合失調症に罹患した経験を持つと思われる漱石が、そこまで確信犯的な錯綜解釈(病的先生像)を意図したとも思えない。とりあえずは先生の内実における真実という前提で、読みを継続するべきではあろう。
   * * *
 Kの心性について。彼がその生家の宗旨である浄土真宗と反した人生観を形成してきたことは、やはり下二十一で先生が分析するように、父・継母と、健全な愛情関係になかったことと無縁ではあるまい。そもそも、この作品に於いて、Kは顕在的な肉親愛を示さないのである(神経衰弱の様態の淵源にはそれがあるとも言えようが、ここではやはり嘘をついている養父母への罪障感の方が、その原因としてはより強い)。加えてここで面白いと思われるのは、宮澤賢治の父子関係との類似点であろう。賢治の父親は、信者を集めて講話会を開く等の、花巻でも顕著な真宗布教の活動を行なっていたが、彼と激しく対立し続けた賢治は、終生、ファンダメンタリストと言っても過言ではない法華経の信者であった。日蓮に惹かれるKと賢治(Kenji)の比較研究は、私にはあながち的外れなものとは思われないのである。
 下四十一で繰り返えされる彼のこの精神構造は、彼がもともと父母から愛情面において遮断されてきた(と自身が思い込んでいる)という仮説に基づけば、今度は彼が自分自身で愛欲に繋がる性欲を遮断し、孤立化させられた自己世界という『裏切られた世界』から、逆に自己拘束による、その『彼自身を愛さなかった世俗界』からの積極的な離脱を図ったとも言えるのである。しかし、彼の世界は一つ、先生にだけは開かれて『しまっていた』のである。それは膨張するKの「肉」としての内実のはけ口としての――逆説的であるが――禁欲を保持した「パイドロス」的なる純粋な同性愛的信頼とも言えるかも知れない。私はこの小説を、『真面目な』同性愛の視点抜きで考えることは、現在、ほとんど不可能であると強く感じている。
 * * *
 さて、本作には随所で先生の不思議な円運動が示される。鎌倉海岸での出会いの直前に於ける円弧を書いて海岸に戻る先生、郊外の植木屋で忌まわしい過去の一部を開陳する時、杖で円を描き、その真ん中に杖を立てる先生、そして極め付けが、プロポーズ後の場面での、下宿を中心にして、いびつな(当時の地図を参考に考察すれば、道路の都合上、綺麗な円が描けないのは当然であることが確認出来るので、この「いびつ」にこだわる必要はないと思われる)円を描いて歩き続ける先生である。
 円運動とは即ち、求心力と遠心力の拮抗である。ここには、他者に対する先生の極めてアンビバレントな力学が隠されていると言えるのではないか。
 学生の「私」に対して、常にある距離を持ちながら[=遠心性]、同時に唯一の理解者としての存在を求める[=求心性]のである。同様に、Kは先生にとって劣等感を抱かせる畏敬すべき[=遠ざけながら敬すべき遠心性]の持ち主であると同時に、一面では共に道の為に精進したいと渇望する[=『同行二人(どうぎょうににん)』としての求心性]人物でもあった。そして、靜は、結婚前にあっては、乗せられることを拒否すべき策略家としての遠心性を胚胎するものであると同時に、神聖不可侵なる愛の極点を捉えた存在としてのマリア的求心性を、そして婚姻後は、忌むべきKの亡霊を不断に示す無意識的糾弾者としての遠心性と、絶対的美を依然保持し続けている相愛者としての求心性を、それぞれ引き受けるのである。
 言わば、この先生の円運動は、先生自身が無意識のうちに示す、自己存在の表象であり、人は誰もが、そうした拮抗する精神の力学の危ういバランスの中間点に立ち尽くさざるを得ない、とも言えるのではないか。この円運動は、ウロボロスの輪のような単純なバランスの取れた理想の象徴ではない(そのように解釈出来る部分はあるにしても)。まさに「自由と独立と己れに満ちた現代」人の「淋しみ」に満ちた『事実』を厳然と象徴するものなのではあるまいか。
 * * *
 Kの遺書について。一つだけ言っておこう。
 あなた。あなたは、Kの遺書の最後には「墨の余りで」『もつと早く死ぬべきだのに何故今まで生きてゐたのだらう』と書いてあると思っていないですか?
 そんな文字列は遺書には書いてありませんよ! Kの遺書には!
 ――いいですか、「といふ意味の文句」なのですよ、そこに書いてあったのは、ね――
「最後に墨の餘りで書き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだのに何故今まで生きてゐたのだらうといふ意味の文句でした」
と先生の遺書には書いてあるのです。私は大真面目に思う。Kの遺書の最後に書いてあったのは――「もっと早く死ぬべきだのに何故今まで生きてゐたのだらうといふ意味の」漢詩文ではなかったか? と――
 ――そうだ。我々は先生の遺書の完全な復元を目指す中で、問題の核心にあるところの、Kの遺書の復元、と言う難関を突破しなくてはならないのである――。
 * * *
 Kの自殺後の奥さん(勿論、靜の母のことである)の対応について、多くの研究者があまり突っ込んだ見解を示していないのは大いに不満である。この奥さんは、先生がKを下宿に連れて来ることを提案した際、理由なしに反対している。ここでは女の直感と呼ぶに相応しい予感が働いていることは明確な事実であり、私が度々遭遇するKとお嬢さんの怪しげな動向の場面に於いても、(子細な描写はないものの)微妙な大人の女としての気遣いを見せているように感じられるのである。Kにプロポーズを伝えたときの鮮やかな奥さんの会話は、Kの内実を承知していながら、無知を演技しているようにも思えるのである。
 そう考えた時、奥さんには、旧世代の女としてのシステムが発動されていると言えないだろうか。ここでの、軍人の妻として、武士めいた果敢な判断と行動の裏に、すべてを見通しながら、娘とその婿になるべき男の未来を、まるごと無知の演技に引き受けたものと見ることが出来ると思うのである。奥さんは全てを察していたが故に、全てを知らないものとして生きることを、この家、そして先生と靜、ひいては自分のために、まさにこの時、「覚悟」したのだと言えるのではないか。そうである。――「こゝろ」の中で『総てを予見し、総てを知っている人』が唯一いるのだ――それはこの奥さんに他ならないのである。
 * * *
 江藤淳の、先生が「乃木大将のように、明治大帝のみあとをしたおうともした。」という前提はとんでもない誤読である。「先生」は乃木さんの死んだ理由が分からないと言っており、また〈明治の精神に殉死する〉ということ自体が、明治天皇に殉死することとは同義でないことは高校生にだって自明である。
 私も授業の最後にそのレジュメを配ってしまうように、江藤の如何にも分かり易く飛びつきたくなる二項対立構造の論展開を、しかし素直に読んで見ると、そうした乱暴で到底肯んじ得ない括りが目立つことに気づく。例えば、元来、純粋な〈儒学的世界像〉を完結するために自決したと思われる乃木と、その死の意味が分からないと言っている「先生」を、〈明治の知識人〉(!?)という共通項で括って良いものだろうかという素朴な疑問が湧いてくるのである。それは前提としての、〈明治の知識人〉=〈儒学的世界像〉という等式、〈明治の知識人〉対〈西欧近代的個人〉の対立項の設定自体に破綻があるからであるように思われる。
 敢えて彼の言い回しを遣って言うならば、「先生」は〈西欧的個人〉の洗礼を受けた〈儒学的世界像〉の持ち主であり、その中に生じざるをえない二律背反を止揚(アウフヘーベン)することが出来ず、そこで苦悩せざるを得ない、いや苦悩する存在だったからこその〈明治の知識人〉であったと言うべきである。そういう存在として〈明治の知識人〉は『在った』のである。従って、大江健三郎が江藤に鮮やかに反論したように、その苦悩する者としての、唯一の確かな存在証明(レゾン・デトール)こそが〈明治の精神に殉死する〉こと、すなわち、友と自分の――忌まわしく血塗られた――同時に――生き生きとした暖かな血を共有した「明治と言う名の舟」=〈時代精神〉という全的存在とのアイデンティティの合一であったのではあるまいか。
 その意味に於いて〈「先生」の自殺〉は、江藤の言うような、自我の暴威に対する〈自己処罰の欲求〉の実行でもあると同時に、明治という時代にかく「私」は存在したという、確固たる存在証明(レゾン・デトール)としての〈自己救済の表現〉でもあったのだという、大江の言うところの、主体的な意義をも持っているのである。大江の爽やかな先生の末期の笑顔を髣髴とさせる解釈(というより、最終章の先生は必ず爽やかに笑っていなくてはならぬ)は、極めて私には自然なものとして受け入れられるのである。
 「古い不要な言葉に新らしい意義を盛り得たやうな心持」は、明らかに、遺書を学生に与える理由として提示した「私の鼓動が停つた時、あなたの胸に新しい命が宿る事」と対峙している叙述である。明治の精神への「殉死」という鼓動の停止が、ここで新しい意味[=命]を付与された[=宿った]ということにほかならない。ということは、学生の「私」は先生の殉死の核心にある意味を――現象としての論理的理由等ではなく、精神的な積極的有意味性を――理解する、理解しなければならない、のである。
 すなわち、次の「貴方にも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが」と言う叙述に、我々は騙されてはいけないのである。彼はここで、学生に次のように述べているのである。『私の殉死の真意はあなたにちゃんと分かるはずだ、「(論理的に完全に)明らかに(は)」わからないかもしれないが、「全く分からない」というような絶望的事態は(遺書を書いている私自身にとって)あり得ないのだ』と。そうでなければ、先生が、この遺書を与える相手として私を選んだ意味は完全に無化されてしまうだろう。そこにあるのは、最早、底の見えない深い淵によって隔てられた断絶でしかない。――どこぞの研究者は鬼の首を取ったように、近代の明るい側面しか理解しない学生の「私」には、遂に先生の自死の真意は摑めないなんどと恥ずかしげもなく書いているが――そんな断絶を示すために、漱石はこの小説を書いたのでは、決して、ない!
 * * *
 「こゝろ」は、秘密の共有という入子構造としての小説である。一人称「私」で語りかける先生の秘密としての「遺書」を読む「私」(学生)は、その『秘密としての』小説「こゝろ」を読む、先生の、そして学生の『秘密を唯一知っている』あなた独り(単体としての読者である「私」=あなた独りだ!)へと重ね合わされてゆく。そしてそれを担うことの痛みをも、同時に読者『一人独り』(「一人ひとり」では断じてない)に強いるのである。
 私(先生)は死ぬことによって生きる。私(学生)の中に。――読み手である、それを唯一知っている私(あなた)だけの中に。――大いなる「己れ」の永遠の円環的謎と共に――。




 やぶちゃんのマニアック「こゝろ」年表1 (copyright 2005 Yabtyan)

〔以下、3つの年表総てに於いて理解し易くするために表中人物の年齢は数えではなく、満年齢とした。推定年は「こゝろ」を楽しむための恣意的なものであって、確証に基づくものではないことをお断りしておく。曜日については万年カレンダーを用いて確認してある。〕

●「先生」の時系列の推定年表
〔「先生」を明治45年当時、満35~36歳と推定、〕

明治10(1877)年前後
新潟に生まれる。

明治28(1895)年(又は前年)  17歳
両親、腸チフスのため病死。秋、東京の第一高等學校に入学(注1)。上京。
この前後に幼馴染みのKも入学、上京。先生と共に下宿。

明治29(1895)年  18歳
夏、帰省すると叔父が結婚を勧める。

明治30(1897)年  19歳
夏、帰省。叔父は従妹との結婚を強要するも、断わる。

明治31(1898)年  20歳
叔父が財産を胡麻化していたことを知り、残った財産を換金、故郷を捨てて上京。
東京帝國大學に入学(注2)。軍人の未亡人の素人下宿に移る。この夏、Kは復籍、実家から勘当。

明治32(1899)年  21歳
12月(もしくは翌年の始め頃)、Kを自分の下宿に引き取る。

明治33(1900)年  22歳
夏、Kと房州旅行。
7月、御嬢さん、女学校を卒業(御嬢さん17歳 注3)。 
9月、Kと共に3年に進級。

明治34(1901)年  23歳
2月中下旬頃、K自殺。
5月、奥さんとお嬢さんと共に現在の家に転居。
7月、大学を卒業(注2)。
暮れ頃、御嬢さん(18歳)と結婚。

明治36(1903)年  25歳
奥さん、腎臓病のため死去。

【この間、推定5年経過】

明治41(1908)年  31歳
8月、鎌倉海岸にて語り手「私」と出会う。*奥さん26歳。

【この間、推定4年経過】

明治45(1912)年  35歳
7月30日(火) 明治天皇崩御。
9月13日(金) 乃木大将殉死の報に触れる。同日、私へ電報を打つ。
          「チヨツトアヒタイガコラレルカ」
9月14日か15日(日) 私からの電報を受け取る。同日、再び私へ電報を打つ。  
          「コナイデモヨロシイ」
9月16日か17日(火) 自殺を決意、遺書の執筆を始める。
9月25日~26日(木) 遺書を書き上げる。
9月26日~27日(金) この間に遺書郵送。 
9月26日~28日(土) この間に自殺。

○注1:高等学校が明治の学制の中に置かれるのは明治27(1894)年6月の高等学校令公布によってである。従って、先生の出生は明治8(1875)年が限界値で、それ以前には遡ることは出来ない(尋常中学校での留年等を想定すれば可能だが、先生とKは同級生で大学も同時に入学している。Kも先生も相当に優秀であったと考えてよいし、先生は至って健康体であることもよく語られる。従って留年の可能性は消去される)。
○注2:この大学入学・卒業の年齢も、「三四郎」の小川三四郎が熊本から上京して来た際、宿帳に『二三年』(満22歳)と記入した例や、夏目漱石自身の東京帝國大學卒業が26歳であった点などから(統計資料によると、この頃の東京帝國大學入学・卒業時の平均年齢は入学が22~23歳で、卒業が25~26歳であった)、留年の可能性が指摘されるが、注1と同様、秀才である先生とKが同じように留年したとは考え難く、下二十七で『我々が首尾よく試験を済ましました時、二人とももう後一年だと云つて奥さん』が喜ぶというシーンは彼らが極めて順調な進級をしていることの証左である。
注3:注2の引用部に続く下二十七の『御嬢さんの卒業も、間もなく來る順になつてゐた」という叙述から。御嬢さんがどのような女学校に通っていたかは不明であるが(当時最も多かった女学校はキリスト教系のものであった)、一応、当時の改正中学校令に沿った学校と考えるならば、尋常小学校4年・高等小学校2年・女学校5年終了で、通常、17歳という年齢になる。従って、御嬢さんの出生は、明治14(1881)年かその翌年辺りと推定し得る。
○補足:上十の駄菓子屋の上さんの言葉通り、御嬢さんの父親が日清戦争で亡くなったとすれば(特にその後にこれは補正されないから事実と認識してよい)、御嬢さんは明治27(1894)年後半から翌年初めまで間、13か14歳の時に父を亡くし、市ケ谷の「厩などがあつて」「広過ぎる」邸宅を「売り払つて」、この小石川に移って来たということになる。それは、先生が下宿する約1年前という叙述があるから、明治30(1897)年の半ば頃という計算になって、やはりここでの推定上に矛盾を生じない。



 やぶちゃんのマニアック「こゝろ」年表2 (copyright 2005 Yabtyan)


●「Kと御嬢さんと私《=先生》」の時系列の推定年表
〔Kの自殺を明治34(1901)年の2月下旬と仮定〕

明治32(1899)年
十二月(もしくは翌年の始め頃)、Kを自分の下宿に引き取る。

明治33(1900)年
5月下旬か6月上旬、奥さんも下女も不在の下宿で、Kの部屋でKと御嬢さんが二人でいる所に出くわす。
1週間後、又、Kの部屋でKと御嬢さんが二人でいる所に出くわす。晩、Kを散歩に連れ出す。
7月下旬か8月、Kと房州旅行。
保田→(船)→富浦→〈徒歩(以下同じ)〉那古(K「丁度好い、遣つてくれ」)→房州の鼻→小湊/鯛の浦/誕生寺(K「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」)→銚子→両国(軍鶏を食う)→小石川
9月中旬、Kと共に3年に進級、大学が始まる。
10月中旬、帰宅すると、Kの部屋から御嬢さんの笑い声が聞こえ、立ち去る御嬢さんの後ろ姿を認める。
11月、帰宅すると、無人のKの部屋の火鉢には炭がついであるにもかかわらず、自分の部屋のは冷たくなっているのに不愉快になり、外出する。途中で、Kと御嬢さんに行き会う。

明治34(1901)年
1月3日(木)前後、歌留多取りをする。Kに加勢する御嬢さんを不快に思う。
1月5日(土)前後、奥さんと御嬢さん、市ヶ谷の親類へ年始に行く。Kは御嬢さんへの思いを私に告白する。夜、私はKに声をかけるが、Kは生返事しかしない。1月10日(木)頃、大学が始まる。
1月中旬頃、私は突然Kに路上で肉薄する。
1月下旬か2月上旬、図書館でKに声をかけられ、上野まで歩く。私は恋を断念させようとする(私「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」)。その晩、Kに呼び起こされる。
その1週間後の2月、私はKを出し抜いて奥さんから結婚の承諾を得る。
その2~3日後、奥さんはKに私と御嬢さんとの婚約を話す。
その5~6日後、私は、奥さんからKに婚約の話をしたことを聞く。
その2~3日後の土曜の晩(2月16日か2月23日)、K、頸動脈を切って、自殺。



 やぶちゃんのマニアック「こゝろ」年表3 (copyright 2005 Yabtyan)

●「私」《=学生》の時系列の推定年表
〔「私」を明治45(1912)年当時、満23~24歳と推定。電文等は推測。〕

明治21(1888)年
中部内陸地方辺りに生まれる。

明治39(1906)年  17歳
第一高等學校入学。

明治41(1908)年  19歳
7月下旬か8月、第2学年終了後の暑中休暇に、鎌倉海岸で先生と出会う。
9月11日頃、高校(第3学年)が始まる。
10月4日(日)か10月11日(日)、先生の家を初めて訪問するが、留守。
10月11日(日)か10月18日(日)、先生の家を再び訪問。留守。靜(当時26歳)の言葉で、雑司ヶ谷墓地で先生と再会する。
11月下旬(?)、先生に雑司ヶ谷の墓参の同行を望むも、断られる。

明治42(1909)年  20歳
7月、第一高等學校卒業。
9月、東京帝國大學入学。奥さんとの会話。 


某年春、桜の上野公園の散歩。先生の「恋は罪悪」の言葉。
某年夏、先生から「自由と獨立と己れ」の覚悟を聞く。


明治44(1911)年  22歳
晩秋(10月下旬か)、先生の家の留守番を頼まれる。奥さんと会話。
11月下旬(?)、父の病状が思わしくないとの母からの手紙で、先生に旅費を借り、帰郷。
12月、先生への御礼の手紙に対して、先生より手紙。

明治45(1912)年  23歳
1月上旬(7日以降)、上京。先生宅訪問。借金返済と礼。
1月中旬、先生に助言を頼み、卒業論文を書き始める(以降、先生宅を訪問せず)。
4月下旬、卒業論文提出。
4月上旬、先生と郊外へ散策。植木屋で会話。
7月1日~3日(水)頃、東京帝國大學を卒業。卒業式(事実は7月10日(水)に行われた)の晩、先生宅に招待される。
その3日後、7月4日~6日(土)頃、帰郷。
7月12~13日(土)頃、父母、卒業の祝いのため客を呼ぼうと言い出す。
7月20日(土)、明治天皇御違例の報知。父母、私の祝いを断念。
7月30日(火)、明治天皇崩御。先生に手紙を書こうとするも、やめる。
8月中旬、朋友より、中学教員の斡旋あるも、断わる。
8月中旬か下旬、両親の言を入れて、先生へ、しぶしぶ仕事の斡旋依頼の手紙を出す。
9月上旬、上京を決意する。
その上京予定の2日前、父、倒れる。
その2~3日後、父、再び卒倒。この後、一週間病状変わらず。
この1週間の間で、兄へ手紙を書く。母、先生への仕事斡旋の再依頼の手紙を書くよう勧めるが、書かない。
9月10日(火)前後、兄、帰郷。
9月13日(金)、乃木大将殉死。
9月14日(日)、新聞で乃木夫妻の写真を見る(実際の近々の写真による乃木殉死の新聞報道は9月30日(月)で(『朝日新聞』)、それも東京版のみであった)。
先生より「チヨツトアヒタヒガコラレルカ」との電報。「チチヤマヒオモシユカレヌ」との返電を打ち、併せてその委細事情を述べた手紙を郵送。
9月16日(火)、先生より「コナイデモヨロシイ」との返電。
9月28日(土)~30日(月)頃、先生より遺書届く。東京へ立つ(昼頃か)。

補足:「私」のモデルの有力候補の一人とされる和辻哲郎に漱石は「先生」を思わせるような手紙を書いている[大正2(1913)年10月5日付]。彼は明治22(1889)年3月1日生れで、明治45(1912)年に23歳で帝大を卒業している。



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朝日新聞連載「心」(「上 先生と私」パート初出)

朝日新聞連載「心」(「中 兩親と私」パート初出)

朝日新聞連載「心」(「下 先生と遺書」パート初出)

やぶちゃん贋作「こゝろ佚文」