『家蔵版「富永太郎詩集」第三部 翻訳詩異同(やぶちゃん版)』へ
やぶちゃん注:以下「目次」であるが、リーダとページ数は省略した。「ヸナス」の「ヸ」の字体は、「井」の字に濁点であるが、通常の字体「ヸ」を用いた。
富永太郞詩集目次
表紙版畫(クリスマスローズ)
素挿寫眞版(自畫像)
第 一 部
橋の上の自畫像
秋の悲歎
鳥獸剝製所
四行詩(琺瑯の野外の空に)
四行詩(靑鈍たおまへの聲の森に)
頌 歌
恥の歌
無題(富倉次郞に)
焦躁
斷片
遺產分配書
第 二 部
油繪寫眞版(小使さん)
手
橫臥合掌
原始林の緣邊に於ける探檢者
癲狂院外景
熱情的なフーガ
COLLOQUE MOQUEUR
卽興
俯瞰景
美しき敵
警戒
忠告
ゆふべみた夢
無題(幾日幾夜の)
影繪
第 三 部
油繪寫眞版(上海の想ひ出)
或る
藝術家の告白祈禱(ボオドレエル)
道化とヸナス(ボオドレエル)
午前一時に(ボオドレエル)
計畫(ボオドレエル)
醉へ!(ボオドレエル)
窓 (ボオドレエル)
港 (ボオドレエル)
射的場と墓地(ボオドレエル)
(ボオドレエル)
饑餓の饗宴(アルチウル、ランボオ)
ANYWHERE OUT OF THE WORLD
AU RIMBAUD
ランボオへ
第 一 部
橋の上の自畫像
今宵私のパイプは橋の上で
凶暴に煙を上昇させる。
今宵あれらの水びたしの
すべて昇天しなければならぬ、
頰被りした船頭たちを載せて。
電車らは
音もなく
(靴穿きで
私は明滅する「仁丹」の廣告塔を憎む。
またすべての
哀れな欲望過多症患者が
人類撲滅の大志を抱いて
最後を遂げるに間近い
蛾よ、蛾よ、
ガードの鐵柱にとまつて、震へて
夥しく產卵して死ぬべし、死ぬべし。
咲き出でた交番の赤ランプは
おまへの
やぶちゃん注:「木橋」の歴史的仮名遣のルビは正しくは「もくけう」。
私はその建物を、壓しつけるやうな午後の雪空の下にしか見たことがない。また、私がそれに近づくのは、あらゆる追憶が、それの齎す嫌惡を以て、私の肉體を飽和してしまつたときに限つてゐた。私は褐色の唾液を滿載して自分の部屋を見棄てる、どこへ行くのかも知らずに………
煤けた板壁に、痴呆のやうな口を開いた硝子窓。空のどこから落ちてくるのか知ることの出來ぬ光が、安硝子の雲形の
私はその部屋の中で蛇を見た。鷺と、猿と、鳩とを見た。それから日本の動物分布圖に載つてゐる、さまざまの兩生類と、爬蟲類と、鳥類と、哺乳類とを見た。
彼らはみんな剝製されてゐた。
去勢された惡意に、鈍く輝く硝子の眼球。虹彩の表面に塗つてあるのは、褐色の彩料である――無感覺によつて人を嚙む傷心の酵母。これら、動物の物狂ほしい固定表情、怨恨に滿ちた無能の表白。白い塵は、ベスビオの灰のやうに、毛皮の上に、羽毛の上に、鱗の上に積もつてゐた。
私は、この建物に近づかうか、近づくまいかといふ逡巡に、私自身の手で賽を投げなかつたことを心から悔いた。が、すべては遲かつた。怖ろしい牽引であつた。私を牽くのは、過ぎ去つた動物らの靈だと知つた。牽かれるのは、過ぎ去つた私の靈だと知つた。私はあらゆる世紀の堆積が私に敎へた感情を憎惡した。が、すべては遲かつた。
私は動物らの靈と共にする薔薇色の墮獄を知つてゐた。私は未來を恐怖した。
さはれ
さはれ去年の雪いづくにありや、
さはれ去年の雪いづくにありや、
……………………………………意味のない
一つの闇が來た。それから、一つの明るみが來た。動物らは、潤つたおのおのの淚腺を持つて再生した。かれらは近寄つて來た。步み、這ひ、飛び、跳り、卷き付き、呻き、叫び、歌つた。すべての動物が、かれらの野性的の
このとき、私は、下の方に、浚渫船の機關の騷音のやうな、また、幾分、夏の午後の遠雷に似た響を聞いた――私のために淚を流した女らの追憶が、私の魂の最低音部を亂打した。私は、私が、鮮かな、または、朧ろな光と影との沸騰の中を潜つて、私の歲月を航海して來た間、つねに、かの女らが私の燈臺であつたことを思ひ出した。私は、かの女らが、或るものは濃綠色の霧に腦漿のあひまあひまを冐されて死んでしまつたり、或るものは手術臺から手術臺へと移つた後に、爆竹が夜の虹のやうに榮える都會の中で、靑い靜脈の見える腕を嬌飾に滿ちた惡意を含めて、近々と私の鋪石の上に延ばして斃死したり、または、かの女らが一人一人發見した、暗い、跡づけがたい道を通つて、大都會や小都會の波の中へ沒してしまつたことを思ひ出した。殊に、私が弱くされた肉體を曳いて、この世界の緣邊を步んでいるやうに感じ出してこのかた、かの女らは、私の載つてゐるのとはちがつた平面の上に在つて(それが私の上にあるのか、下にあるのか、私は知ることが出來ない)、つねにその不動の
私は努力して、私が、日本の首府の暗い郊外にある、或るうらぶれた鳥獸剝製所の一室にあることを思ひ返した。私は、この
動物らに至つては、もう私は何ともすることが出來なかつた。かれらは、蜜蜂の唸りのやうな饗宴の度を高めて、私のまはりに蝟集した。私は、彼らが剝製されてゐるのでなく、天然の背景の中で、生きた眼を持つて活動してゐるのだつたら、こんなことにはならなかつたらうと考へた。私は剝製術といふ惡德を呪つて身を悶えた。が、何も變らなかつた。私はもうすべてを變改しがたいものと諦めた。そして、自分の身を、この音と光と熱との過度の狂亂の中に投げ出した。
私は、先刻からの追憶が、みんな、この動物らの燥宴の中で見續けられて來たことをもう一度考へた……ああ、ここにもまた、そこにも、熱の無い炎のやうなかの女らの
かう考へたとき、私は腹立たしく、狂暴になつて、かの女らの眼に一つ一つ唾を吐きかけた。さうして、新しく泣いた。なにもかも消えた――或は、闇が來たのだつたかも知れない。燥宴はすべての光と熱と音とを失つた。が、あれらのすさまじい搖蕩の一々は、空氣分子の動搖として、私の皮膚に、そのありのままなる消息を傳へた。私は、溫泉場の浴場の周圍を流れるやうな、生暖い、硫黃の臭氣を持つた液體が、この私の居る建物の周圍を流れるやうに感じた。また、それは、私の皮膚のまはりを流れてゐるやうでもあつた。私はそれを辨別しようと努力したがどうしてもわからなかつた。私は黑い眩暈の中に、更に一つの薔薇色の眩暈を認めた………
……流氷よ、おんみの悲哀は祝福されてあれ! 倦怠に惱む夕陽の中を散りゆくもみぢ葉よ、おんみの熱を病む諦念は祝福されてあれ! あらゆる古日本の詞華集よ、おんみの上に、
さはれ
さはれ去年の雪……いづくに……
さはれ去年の……Hannii―hannii―hannii―i―i―i―i………
bidn! bidn! bidn!
私は手を擧げて眼の前で搖り動かした。そして、生きることと、黃色
やぶちゃん注:原本では、同じく後から六連目の「なんといふすばらしい
四 行 詩
琺瑯の野外の空に 明けの鳥一つ
阿爾加里性水溶液にて この身を洗へ
蟷螂は
わが手は 綠玉製
四 行 詩
柔く柔く 毛細管よりも貞順に
オーボアよ胸を踏め睫毛に縋れ
やぶちゃん注:オーボア=Hautbois=Oboe
頌 歌
アベラール沈み
船の
エロイーズ浮む
骸炭は
直立する彼岸花を捧げて走り
『死』は半ば
また
すべては 綠礬のみづ底に息をつく
象牙
恥 の 歌
眼玉の
眼玉の
わが身を
わが身を
燃え立つ
わが身を 焦がせ
わが身を 鎔かせ
わが身を 涸らせ
わが身を 曝らせ
おまへは
泥だ!
やぶちゃん注:思潮社版では最終行の前の一行空きはない。
無 題 京都
富倉次郎に
おまへの齒は よく切れるさうな
山々の皮膚が あんなに赤く
おまへはもう 暗い部屋へ歸つておくれ
おまへの顎が
友禪染を
產卵を終へた
おまへはもう 暗い部屋へ歸つておくれ
色褪せた造りものの おまへの
貧血の柳らを飾つてやることはない
コンクリートの護岸堤は 思ひのままに
おまへはもう 暗い部屋へ歸つておくれ
ああ おまへの齒は よく切れるさうな
焦 燥
母親は煎藥を煎じに行つた
枯れた葦の葉が短かいので。
ひかりが掛布の皺を打つたとき
寢臺はあまりに金の唸きであつた
寢臺は
いきれたつ犬の巢箱の罪をのり超え
大空の堅い眼の下に
幅びろの靑葉をあつめ
棄てられた藁の熱を吸ひ
たちのぼる巷の中に
靑ぐろい額の上に
むらがる蠅のうなりの中に
寢臺はのど渇き
求めたのに求めたのに
枯れた葦の葉が短かいので
母親は煎藥を煎じに行つた。
斷 片
私には群衆が絕對に必要であつた。徐々に來る私の肉體の破壊を賭けても、必要以上の群衆を喚び起すことが必要であつた。さういふ日々の禁厭が私の上に立てる音は不吉であつた。
私は幾日も悲しい夢を見つづけながら街を步いた。濃い群衆は常に私の頭の上で蠢めいてゐた。時々、飾窓の中にある駝鳥の羽根附のボンネツトや、洋服屋の店先にせり出してゐる、髮の毛や睫毛を植ゑられた蝋人形や、人間の手で造られてはならないほど滑らかに磨かれた象牙細工や、紅く彩られた巨大な豚の丸焼きなどが無作法に私を呼び覺ました。私は目醒め、それから、また無抵抗に濃綠色の夢の中に墜ちて行つた。
⁂
私は夢の中で或る失格をした。――-私は人生の中に劇を見る熱情を急激に失つた。從つてさういふ能力をも。――居職人らしい繊細な手をした若い男が、華車に組み合はされた膝の上に立てた胡弓を彈いてゐるのが硝子戸越しに見える。傍に坐つて、こまつちやくれた顔をして竹の鼓で合の手を入れてゐる病弱らしい男の兒は、私がこの店の前を通る一瞬前に美しい川獺を母親として生れた。そして私がここを通り過ぎるや否や、二人とも昇天する。――あそこの乾物店の店先で、大聲に喚きながら
私はただもの倦い步行の方向を變へた。そして、燃えるエデンのやうに超自然的な觀喜を夢みながら、悲しんで步んだ。
⁂
夜、私は、古着の競賣場、茶館漢、最も雜踏の街衢、または居酒屋にあつて、未知の鼻音の狂熱的な蒐集者であつた。不潔な燈火の下を飛び交ふこれらの新奇な鼻音と、交流する世界の諸潮流の海鳴りとが、私の頭蓋中で互の協和音を發見し合ひ、響かせ合つた。――私は誇りを以て沈默した。そして、花のやうに衰弱を受けた。
夜、最も忌はしい酒亭が辛うじて私を固定させた。最も卑しい欲望らの浮動するさまざまの顏面の線の上に、やつと引掛つて支へられてゐる私自身を見出すことがしばしばであつた。私は、額の皺や鼻の小皺の上を、血に足をとられて這ひまはる一匹の蠅であつた。(何と充分に、君たちの顏は腐つてゐたことか!)――ああ、さまざまの日に、指先によつて加へられた
⁂
又、――衰弱の一形式。
厭はしい、涯の無い灰色の鋪石の上に並んで叫ぶかたゐの群が、眼を持たぬ蠕蟲の黑い眠りのやうに、無限の羨望を以て私を牽いた。しかし、私の眼は、缺け朽ちた小兒の二の腕に、陽に光る新鮮な
やぶちゃん注:パート間の三点アステリスクは、原本では、上に頂点一つを向けた正三角形配置。
遺產分配書
わが女王へ。決して穢れなかつた私の魂よりも、
更に清淨な私の兩眼の眞珠を。おんみの不思議な
夜宴の觴に投げ入れられようために。
善意ある港の朝の微風へ。昨夜の酒に濡れた柔
かい私の髮を。――蠟燭を消せば、海の旗、陸の
旗。人間は惱まないやうに造られてある。
わが友M * * * へ。君がしばしば快く客となつ
てくれた私のSabbatの洞穴の記念に、一本の蜥蜴
の脚を、すなはち蠢めく私の小指を。――君の安
らかならんことを。今日もまた、
を燃やす。
シエヘラザートへ。鳥肌よりもみじめな一夜分
の私の歷史を。
S港の
肩からこれを生やしたまへ。私の血は想像し得ら
れる限り不純だから、もしそれが新月の夜ならば、
君は壁を攀ぢて天に昇ることが出來る。
* * * 孃へ。私の悲しみを。
賣笑婦T * * * へ。おまへがどれほど笑ひを愛
する被造物であるかを確かめるために、兩
間に蠍のやうな接吻を。
巖頭に立つて黃銅のホルンを吹く者へ。私の夢
を。――紫の雨、螢光する泥の大陸。――ヸオロ
ンは夜鳥の夢に花を咲かす。
母上へ。私の骸は、やつぱりあなたの豚小屋へ
返す。幼年時を被ふかずかずの
やうな記憶と共に。
泡立つ春へ。pang !
pang !
やぶちゃん注:思潮社版では、後ろから3連目の「ヸオロン」が「ギオロン」の表記。
第 二 部
手
おまへの手はもの悲しい、
酒びたしのテーブルの上に。
おまへの手は息づいてゐる、
たつた一つ、私の前に。
おまへの手を風がわたる、
枝の靑虫を吹くやうに。
私は疲れた、靴は破れた。
やぶちゃん注:思潮社版では一行目「もの悲しい」の後に読点なし。
橫臥合掌
病みさらぼへたこの肉身を
濕りたるわくら葉に橫たへよう
わがまはりにはすくすくと
節の
冬の夜の黑い疾い風ゆゑに
莖は戛々の音を立てる
節の間長き竹の莖は
我が頭上に黑々と天蓋を捧げ
網目なすそのひと葉ひと葉は
夜半の白い霜を帶び
いとも鋭い葉先をさし延べ
わが力ない心臟の
(未定稿)
やぶちゃん注:思潮社版には末尾の「(未定稿)」なし。
原始林の緣邊に於ける探險者
――Une Ode
Ⅰ
幾日幾夜の旅の間
わたくし 熟練な未知境の探險者は
たゞふかぶかと頭上に生ひ伏した濶葉の
思ひつめた吐息を聽いたのみだ。
ただ
ひたむきな情慾を感じたのみだ。
Ⅱ
まことに原始林は
光なき黃金の水蒸氣に氾濫し
夏の日の大いなる堆肥の内部さながらに
エネルギーの無言の大饗宴であつた。
ああ嘗て私の狂愚と慚羞とを照した太陽は
この探險の最初の日
さりげなく だが 赤々とその身を萎み
私をこの植物の大穹窿の中へと解き放つた。
その日から私に與へられたのは
獸類の眠りのやうな漆黑の忘却であつた………
それを思へば
今もなほ あゝ 喜びに身が慄ふ!
Ⅲ
毛並さはやかな仔豹のやうに しづしづと
また輕捷に
私は怪奇な木賊族の夢を貪婪に搔き分けた――
何ものの惡意も知らず 怖れもなくて
强靱な植物らの絕え間なく發汗する
强酒のやうな露を身に浴び
誇りかに たゞ誇りかに
鼻孔をひらき かぐろいエーテルを分けて進み行くわが身は
心樂しく闇と海とに裂傷をつくる
春の夜の無心の帆船であつた。
だが ときをりは
嘗て見た何かの
巨大な濶葉の披針形が
月光のやうに私の心臟に射し入つてゐたこともあつたが………
Ⅳ
恥らひを知らぬ
ある日(呪はれた日)
私の暴戾な肉體は
大森林の暗黑の赤道を航過した!
盲ひたる 醉ひしれたる一塊の肉 私の存在は
何ごともなかつたもののやうに
やはり得々と 彈力に滿ちて
さまざまの樹幹の膚の畏怖の中を
輕々と摺り拔けて進んでは行つたが、
しかし
喩へば肉身を喰む白浪の咆吼を
砂丘のかなたに豫感する旅人のやうに
心はひそやかな傷感に衝き入られ
何のためとも知らぬ身支度に
おのが外殼の硬度を驗めす日もあつたのだ!
Ⅴ
(未完)
やぶちゃん注:「Ⅲ」の三行目「貪婪」の「婪」の字体は、上部の林の間に奇妙な字形が入り込んでいる。「広漢和辞典」を調べたが、該当する字はなく、暫く「婪」の植字の不具合と判断しておく。
癲狂院外景
夕暮の癲狂院は
苔ばんだ石塀を圍らしてゐます。
中には誰も生きてはゐないのかもしれません。
看護人の白服が一つ
暗い玄關に吸ひ込まれました。
むかふの丘の櫟林の上に
赤い月が義理で
(ごくありきたりの仕掛です)。
靑い肩掛のお孃さんが一人
坂を
ほの白いあごを襟にうづめて
唇の
――お孃さん、行きずりのかたではありますが、
誇らしい石の臺座からよほど以前にずり落ちた
わたしの魂が跪いてさう申します。
――さて、坂を下りてどこへ行かうか………
やつぱり酒場か。
これも、何不足ないわたしの魂の申したことです。
やぶちゃん注:思潮社版では二連目の「暗い玄關に吸ひ込まれました。」の後が一行空き。
熱情的なフーガ
七月の日光の
多彩なるアラベスク。
七月の日光の
白晝の星より
このロココ宮殿の
脚を斷て。
宙宇に
脣を嚙め。
多彩なるアラベスク。
覆された坩堝。
立ちならぶ電柱は
火を發す。
やぶちゃん注:思潮社版では第7連2行目「坩堝」の後に句点はない。
COLLOQUE MOQUEUR
Depuis que Maria m'a quitté
pour aller dans une autre
étoile
――Mallarmé
立ち去つた私のマリアの記念にと
友と二人のアプサントを飮んだ歸るさ
星空の下をよろめいて
互の肩をつかまりあつた。
――もうあの
泣いたせゐで、俺は結膜炎に罹つたつけ。
――さうさう、すると、眼を泣き
まんざら嘘ぢやないかもしれない。
さるいかめしい黑塀の角を曲がつたとき
球をつくキユーの花やいだ響きに
見上げる眼にふと入つた
薔薇色の天井に張りわたした蜘蛛手の萬國旗………
卽 興
古池の上に
ぬっと突き出たマドロスパイプ。
下ではあめんぼが
番つたまますつと走る。
しやがんだ散策者の吐き出す
池の中で夕焼雲に追ひすがる。
俯 瞰 景
美しき敵
私はその頃不眠症に惱んで居た。
かなり多くの人々が私の病氣を知つてしまつて、それに対する忠告を與へてくれる人も少くなかつた。
気輕な或る大學生は言つた。「運動が足りないんだね。君みたいに一日中室の中に居て煙草を吸つてる男に安眠の出來るわけはないさ。ちつと學校のコートへやつて來たまへ。晝休みにお對手しよう。」
肥滿した或る若い會社員は言った。「君、誰か見付けて早速結婚したまへ。すぐ癒るよ。君みたいな男がその
その外、まだ數多くあつたが、私は今それらを列擧する煩に堪へない。勿論忘れてしまつたものもある。
私はそれらの親切な忠告のいづれにも反對しはしなかつた。といふのは、睡眠不足の爲に著しく明晰を缺いていた私の頭には、それらのどの忠告の根據も、皆私の症狀の中に見出されるやうに感ぜられたからである。それにも拘らず、私の從つた忠告は、結局一つも無かつた。恐らくこの怖るべき病氣が、その徴候の一つとして、私の意志を根こそぎ奪ひ去つてしまつたためなのであらう。いや、眞實を言ふと、これらの忠告は、それが與へられた次の瞬間には、私にとつて實にくだらなく、ばかばかしく見えて、ただそれらの忠告者に対する私の輕蔑の念を强めるに役立つにすぎなかつたのだ。
一日、堪へがたく永い時間を消すために、私は私の敬愛するマギステルを、かれのデユーラー風の書齋に訪うた。かれは、久しく會はなかつた私の顔を見ると、心から心配げに私が健康を害して居はしないかと尋ねた。この白髮の老人の、子供らしい眞實が、私をして今までにない率直さで私の症狀を答へさせた、一體私は、私に向つて容態を問ふ人には、恰も私の病氣が、他人に談つてしまふにはあまりに
私の答を聞き終つたかのマギステルは、もの悲しげな色をかれの大きな眼鏡の奥にただよはせながら、ゆつくりと言つた。
「私はあなたを苦ませて眠を妨げる
私はかれのテユートン民族的の氣質から生れる言說を聞くたびに、其思想のゴテイク風の効果から快い壓迫を感ずると同時に、その單純な壯重さにはやや滑稽な感じを見出さずには居られないのを常とした(その故にこそ、私はこの老人を心から敬愛するのだ)。このときもまたさうであった。然し、この日は、なほその上に、かれの言說の中に私が怖れを以て見出さなければならぬあるものがあつた。さうだ、夜每に、私の心臓を、私自身の肉體の組織を破壞するまでに燃え立たせるあの毒々しい感情が、復讐の感情でなくて何だらう。夜每に私の大腦に忍び入つて、私を絕對に抗しがたい畏怖の下に壓しつけるものが、私の敵でなくて何だらう。しかも、あゝ! あまりに無感覺な、男性的の興奮を知らぬ、燐のやうに冷い、薄暮の空のやうに深い
* * *
これはよほど以前のことである。(あの敬愛するマギステルが死んでからも、もはや幾年經つたろう。)そして今は――今もなほ、私は朝每に、決して勝を得ることのない戰に疲れ果てゝ、ぶちのめされた犬のやうに床の上に橫たはる私自身を、太陽の光に照らされて見出すのである。
やぶちゃん注1:後ろから二つ目の段落の「ゴテイク」は、思潮社版では「ゴテイツク」とある。
やぶちゃん注2:後ろから二つ目の段落の末一文中の「あゝ!」は、原本では、行末にあり、勿論、次行の冒頭はスペースになっていないが、他の作品から判断し、エクスクラメンション・マークの後ろということで、一字空けとした。
警 戒
C・M・に
醉ひ
* Voici mes mains qui n'ont pas travaillé. Verlaine,Sagesse,Ⅱ,1
やぶちゃん注:思潮社版では副題が「C・Mに」となっている。
ゆふべみた夢(Etude)
花の散つてゐる街中の櫻並木を通つてゐた。灯ともし頃であつた。妙な侘しさに追ひ立てられるやうな氣持で、足早に步いてゐたやうだつた。
道の左手に明るいカフエが口を開いてゐた。人口に立つて覗くと、酒を飮んでしやべつてゐる群の中に知つた顔が二三人見えた。あまり會ひたくもない人たちだつたので、僕はしばらくそこに立つたままでゐた。
そのとき奥の勘定臺のわきの壁に倚りかゝつてゐるNが眼に入つた。中學のとき同級で、海軍兵學校に入つてゐるうちに肺炎か何かで死んだ男だ。むかふでも僕をみつけたものと見えて、むかしした通りに、頑丈なからだを少し前のめりにし、新兵のやうに二の腕をぶらぶら振りながら、うれしさうにこつちへやつて來た。僕もへんにうきうきした氣持になつて、いきなりその胸の厚いからだを抱きしめて額に接吻した………
突然、豫期しない不快な感覺を顔面に覺えて手を放してみると、Nの半面は、髮の毛から眼の下にかけて一面に褐色のどろどろした液體で被はれてゐる。しかしその液體の不快な觸感を顔に感じてゐるものはたしかに僕である。夢の中ではこのことが少しも不自然ではなかつた。Nは僕の顔にその液體を吐きかけたのでもなければ、僕の口から出たその液體を吐きかけられたのでもないやうに、平靜な顔に、うれしさうなうす笑ひを浮べてやつぱり僕をみつめてゐる。しかし僕はもう一度彼を抱きしめる氣になれずに、ぼんやりそこに立つたまま、よごれた彼の顔を眺めてゐた。
無 題
濠端のあさあけを讃ふ。
琥珀の雲 溶けて
覺めやらで水を眺むる柳の
もやひたるボートの 赤き三角
密閉せる閨房の
曉の冷氣をよろこび甜むる男の舌なり。
朝なれば風は
通學する十三歲の女學生の
白き靴下とスカートのあはひなる
ひかがみの靑き血管に接吻す。
朝なれば風は起ちて 濕りたる柳の葉末をなぶり、
花を捧げて足
その白足袋の 快き哄笑を聽きしか。
ああ 夥しき欲情は空にあり。
わが
陽光はほの
やぶちゃん注:後ろから二行目の「肉身」は、二語で「み」と読んでいる。
影 繪
半缺けの
一寸法師の夫婦が急ぐ。
二人ながらに 思ひつめたる前かがみ、
さても毒々しい二つの鼻のシルヱツト。
柳並木の影を踏んで、
せかせかと――何に追はれる、
揃はぬがちのその足どりは?
手をひきあつた影の道化は
あれもうそこな遠見の橋の
黑い擬寶珠の下を通る。
冷飯草履の地を掃く音は
もはや聞えぬ。
半缺の月は、今宵、柳との
逢引の
第 三 部
やぶちゃん注1:以下の詩については、思潮社版では各詩の原作者の表記が、括弧ではなく、題名行末に寄せて記載されており、表記法も「ボードレール」及び単に「ランボー」とある。これは編者による記載の可能性が高いと思われる。
やぶちゃん注2:以下の翻訳詩については、思潮社版との異同が大きいので、その異同を別途掲載した。
家蔵版「富永太郎詩集」第三部 翻訳詩異同
或る
西班牙風の奉納物
わたくしのつかへまつる聖母さま、おんみの爲に、わたくしの悲しみの奧深く、地下の神壇を
わたくしの心のいと黑い片隅に、俗世の願ひ、また嘲けりの
懇ろに寶石の韻をちりばめた、純金屬の格子細工のやうに、
またわたくしの嫉妬の
おんみの
わたくしは神々しいへりくだつた
丹精こめた
處女たちの
わたくしの内なるものは、なべておんみを慈しみ、讚めたたへまする故、なべては安息香となり、沈香となり、乳香、沒藥となるでござりませう。
また、
さておんみが瑪利亞の役を完うし、かつはまた、おんみかぐろい
藝術家の
秋の日の暮方は何と身に沁み入ることだ。苦しいまでに身に沁みる。何故と言つて、朧ろげではあるが强さには事缺かぬえも言はれぬ或る感覺があるものだから。また、「無窮」の刄くらゐ鋭い刄はないものだから。
空と海との無限の中にわが眼を滴らせる味ひ! 孤獨、沈默、蒼空の類ない純潔! 地平線上にぶるぶる顫へてゐる小さな白帆、その微小と孤獨とでもはや如何ともしがたい私の生活をかたどつてゐる白帆、また、波の單調な旋律、これらすべてのものは私に依つて思考してゐる。もしくは、私がそれらのものに依つて思考してゐる(といふのは、夢想の宏大さの中では、「われ」は速かに消失するからだ!)。かれらは思考する、と私は云ふ、それは音樂的に、繪畫的に、理屈拔きに、三段論法も、演繹法も無しにだ。
これらの想念は、私から生ずるか、もしくは物象から逸出するや否や、必ず、あまりに强烈になる。快樂中に存するエネルギーが、一種の不快、一種の確實な苦惱を創り出す。あまりに張りきつた私の神經は、かん高い、苦しげな顫動をするのみだ。
今や空の深さが私を自失せしめる。空の透明さが私をいら立たせる。海の無感覺、風景の不動が私を裏切る。ああ、いつまでも惱まなければならぬのか。いつまでも美から逃れなければならぬのか。自然よ、無情の魔女よ、恒に勝ちほこつた敵よ、私を放してくれ! 私の願望と私の誇りとを唆かすのを止めてくれ! 美の硏究は一つの決鬪だ、そこに藝術家は、打ち敗かされる前に怖れの叫びを擧げてゐるのだ。
道化とヸナス(ボオドレエル)
何といふすばらしい日だ! 廣大な公園は、
なべての物にあまねき此の有頂天を示す物音とてはない。河の水さへ眠つたやうである。ここには人の世の祭とは遙かに事かはつた、靜寂の大饗宴があるのだ。
不斷に增しつゝある光はますます物象を輝かせてゐるやうだ。上氣した花は、其の色の勢力を、空の瑠璃色と競はうとする欲望に燃えてゐる。そして熱は、
とはいへ、私はこの萬有の快樂の中に、一つの悲しんでゐる存在のあるのを知つてゐる。
巨大な井゛ナスの足許に、王達が「悔恨」や「倦怠」に惱まされるとき、彼等を笑はせるのを務めとする、かの人工の馬鹿、故意の道化の一人が、けばけばしい馬鹿げた
かくて、彼の
しかし假借することを知らぬ井゛ナスは、その大理石の眼で、私にはどことも知れぬ遠い
やぶちゃん注1:題名を除き、本文内の二箇所では、御覧の通り、「井」の字に濁点である。半角で濁点を打ったが、それでも、後に不自然な半角空間が生じているが、これ以上は補正が出来ないので、悪しからず。
やぶちゃん注2:「香」のルビ「かほり」はママ。
午前一時に(ボオドレエル)
やつと獨りになれた! 聞えるものはのろくさい疲れきつた辻馬車の響ばかり。暫くは靜寂が得られるのだ、安息とは行かないまでも。暴虐をほしいままにした人間の顔もとうとう消え失せた、俺を惱ますものはもう俺自身ばかりだ。
やつと俺にも闇に浸つて疲を休めることが許されたのだ! まづ、扉の鍵を二度まはす。かうして鍵をまはすと、俺の孤獨が增すやうだ。現在この世から俺を隔ててゐる城壁が固くなるやうだ。
怖ろしい生活だ! 怖ろしい都會だ! 今日一日にしたことを數へ上げてみようか。五六人の文士に會つた。その一人は俺に陸路を通つてロシアへ行けるだらうかと訊くんだ、(あの男はきつとロシアを島だと思つてゐたにちがひない)。或る新聞の主筆を手ひどくやつつけた。あいつはいひわけをするたんびに一々「何しろここは立派な人たちがやつてゐるのですから」と言つたつけ。ほかの新聞はみんなならずものがやつてゐるといふつもりなのだ。二十人ばかりの人にお辭儀をした。そのうち十五人は知らない人だ。同じくらゐの割合で萬遍なく握手をした。それも、手袋を買ふときほども身を入れないで。
何人にも滿足のできない、自分にも滿足のできない俺は、夜の靜寂と孤獨の中ですつかり自分のからだになつて少しいい氣になりたいのだ。俺の愛した奴らの魂よ、俺の歌つたやつらの魂よ、俺を護つてくれ。俺を支へてくれ、いつはりと此の世の瘴氣とを俺から遠ざけてくれ。それから、あなたは、あゝ神よ、私が一ばん劣等な人間でないことを
やぶちゃん注1:第一段落「とうとう」はママ。
やぶちゃん注2:第二段落の「その一人は俺に陸路を通つてロシアへ行けるだらうかと訊くんだ、(あの男はきつとロシアを島だと思つてゐたにちがひない)。」の読点はママ。後の句点だけでよいはずである。
やぶちゃん注3:原本では、三段落目の「ぐづ」に傍点「丶」があるが、ここでは下線とした。
計畫(ボオドレエル)
彼は淋しい大きな公園を散步しながら獨言つた、「あの女が襞の一杯ついてゐる贅を盡した宮廷服を着て、美しい
少し經つて或る
そして、その版畫の細部を仔細に檢べながら心の中でかう續けた、「
それから大きな並木道を步いて行くと、一軒の小奇麗な旅籠屋が眼についた。印度模樣の窓掛で飾つたそこの窓に二つの頭が笑ひながらよりかかつてゐる。忽ち彼は獨言つた、「こんな近くにあるものを、あんなに遠くまで探しに行くなんて、私の考へはよほどごろつき
かくて、「智慧」の忠言がもはや外面の生活のざわめきに壓へつけられなくなつた頃、彼はただ獨り家に歸つて獨言つた、「私は
やぶちゃん注:二段落目「育てやう」はママ。
醉へ!(ボオドレエル)
常に醉つてゐなければならない。ほかのことはどうでもよい――ただそれだけが問題なのだ。君の肩を疲らせ、君の
しかし何で醉ふのだ? 酒でも、詩でも、道德でも、何でも君のすきなもので。が、とにかく醉ひたまへ。もしどうかいふことで王宮の階段の上や、堀端の靑草の上や、君の室の陰慘な孤獨の中で、既に君の醉ひが覺めかゝるか、覺めきるかして、目が覺めるやうなことがあつたら、そのときは風にでも、波にでも、星にでも、鳥にでも、時計にでも、すべての飛び行くものにでも、すべての唸くものにでも、すべての廻轉するものにでも、すべての歌ふものにでも、すべての話すものにでも、今は何時だときいてみたまへ。風も、波も、星も、鳥も、時計も君に答へるだらう、「今は醉ふべき時です! 『時』に虐げられる奴隷になりたくないなら、絕え間なくお醉なさい! 酒でも、詩でも、道德でも、何でもおすきなもので。」
窓(ボオドレエル)
開いた窓の外からのぞき込む人は決して閉ざされた窓を眺める人ほど多くのものを見るものではない。蠟燭の火に照らされた窓にもまして深い、神祕的な、豐かな、陰鬱な、人の眼を奪ふやうなものがまたとあらうか。日光の
波のやうに起伏した屋根の向ふに一人の女が見える。盛りをすぎて既に皺のよつた、貧しい女である。いつも何かに寄りかゝつてゐて、決して外へ出掛けることがない。私は此の女の顏から、衣物から、
これが若し憐れな年とつた男であつたとしても、私は全く同じ位容易に彼の傳說を造りあげたであらう。
それから私は他人の身になつて生活し、苦しんだことを誇りに思ひながら床に就くのである。
諸君はかう云ふかも知れない、「その話しが事實だといふことは確かかね?」私の
港(ボオドレエル)
港は人生の鬪に疲れた魂には快い
射的場と墓地(ボオドレエル)
墓地見晴し
彼は入つて行つて、基地に向つて一杯のビールをのみ、それからゆつくりとシガーを一本吸つた。すると、幻想が彼を驅つて墓地の中へと降りて行かせた。そこの草は、そんなに丈が高く、そんなに人を誘ふやうだつたのだ、そこには、そんなに豐滿な太陽が權威を振つてゐたのだ。
實際光と熱とは猛烈を極めたものであつた。まるで陶醉した太陽が、破壞作用の爲に肥え太つた太陽が、すばらしい花の絨氈の上をのたうち廻つてゐるやうであつた。おびただしい生命の囁きが――限りなく微細なものの生命の囁きが空中を滿たしてゐた――ひそやかシンフォニーのざわめきの中に、丁度シヤンパンの栓が拔けるやうな音をたてて、隣りの射的場から響いて來る小銃の音が、一定の合ひ間ごとにそれを斷ち切つてゐた。
忽ち、彼は彼の腦髓を燃え立たせてゐる太陽の下に、燒けつくやうな「死」の臭ひに滿ちてゐる大氣の中に、彼の坐つてゐる墓の下でさゝやく聲を聞いた。その聲は云つた、「お前達の
ANY WHERE OUT OF THE WORLD(ボオドレエル)
人生は一つの病院である。そこに居る患者はみんな寢臺を換へようと夢中になつてゐる。或るものはどうせ苦しむにしても、せめて暖爐の側でと思つてゐる。また或るものは、窓際へ行けばきつとよくなると信じてゐる。
私はどこか他の處へ行つたらいつも幸福でゐられさうな氣がする。この轉居の問題こそ、私が年中自分の魂と談し合つて居る問題の一つなのである。
「ねえ、私の魂さん、可哀さうな、かじかんだ魂さん、リスボンに住んだら何うだと思ふね? あそこはきつと暖かいから、お前は蜥蜴みたように元氣になるよ。あの町は
私の魂は答へない。
「お前は活動してゐるものを見ながら靜かにしてゐるのが好きなんだから、オランダへ――あの幸福な國へ行つて住まうとは思はないかい。畫堂にある繪でよくほめてゐたあの國へ行つたら、きつと氣が晴々するよ。ロツテルダムはどうだね。何しろお前は
私の魂はやつぱり默つてゐる。
「バタビヤの方が氣に入るかも知れない。その上あそこには熱帶の美と結婚したヨーロツパの美があるよ。」
一
「ぢあお前は
遂に、突然私の魂は口を切つた、そして賢くもかう叫んだのである、「どこでもいいわ! 此の世の外なら!」
饑餓の饗宴(アルチウル・ランボオ)
俺の
驢馬に乘つて 逃げろ。
俺に
食ひたいものは、土と石。
ヂヌ、ヂヌ、ヂヌ、ヂヌ、空氣を食はう、
岩を、火を、鐵を。
俺の
毒を吸へ。
貧者の碎いた 礫を啖へ、
敎會堂の 古びた石を、
洪水の子なる
くすんだ谷に 臥てゐる
俺のは、黑い空氣のどんづまり、
鳴り響く蒼空!
――俺を牽くのは 胃の腑ばかり、
それが不幸だ。
地の上に 葉が現はれた。
饐えた果實の 肉へ行かう。
俺の饑よ、アヌ、アヌ、
驢馬に乘つて逃げろ。
AU
RIMBAUD
(未定稿)
Ⅰ
Kiosque
au Rimbaud
“Manila”á la main,
Le
ciel est beau,
Eh! tout le sang est Pain.
Ⅱ
Ne
voici le poète,
Mille
familles dans le même toit
Revoici le poète:
On
ne fait que le droit.
Ⅲ
Que Dieu le luise et le pose!
Qu'il
ne voie pas ouvrir
Les parasols bleus et rose.
Parmi les flots : les martyrs!
ランボオへ(未定稿)
Ⅰ
キオスクにランボオ
手にはマニラ
空は美しい
えゝ 血はみなパンだ
Ⅱ
詩人が御不在になると
千家族が一家で軋めく
またおいでになると
Ⅲ
神樣があいつを光らして、橫にして下さるやうに!
それからあれが靑や薔薇色の
パラソルを見ないやうに!
波の中は殉敎者でうようよですよ
やぶちゃん注:以下に編者村井泰男氏による「富永太郎遺稿詩編集後記」があるが、著作権上の問題を確認できないため、書誌として必須の冒頭の「作年年表」のみを示し、以下は省略した。
作 詩 年 表
一九二二年三 月 影 繪
十一月 無曉(幾日幾夜の)
不 詳 ゆふべみた夢
一九二三年四 月 卽 興
四 月 COLLOQUE MOQUEUR
五 月 熱情的なフーガ
五 月 警 戒
六 月 美しき敵
七 月 俯瞰景
五 月 癲狂院外景
一九二四年四 月 原始林の緣邊に於ける探險者
不 詳 橫臥合掌
七 月 手
七 月 橋の上の自雀像 雜誌「山繭」創刊號に發表す
十 月 秋の悲歎 「山繭」創刊號に發表す
一九二五年一 月 鳥獸剝製所 「山繭」第三號に發表す
二 月 四行詩(斑璃の埜外の空に)「山繭」第四貌に脅表す
二 月 四行詩(靑鈍たお前の聲の森に)
二 月 唄歌 [山繭]第四號に發表す
二 月 無題(富倉に) ″
二 月 恥の歌 ″
二 月 焦 燥
四 月 斷 片 「山繭」第六號に發表す
四 月 遺產分配書
七月頃 AU RIMBAUD
ランボオヘ