やぶちゃん正字化版西東三鬼句集
《西東三鬼全四句集『旗』・『夜の桃』・『今日』・『變身』(全)+「『變身』以後」(全)+やぶちゃん選拾遺抄Ⅰ~Ⅲ》 ☞ 縦書版へ
[やぶちゃん注:これは西東三鬼(明治三三(一九〇)年~昭和三七(一九六二)年)の生前公刊分の句集総てと、第四句集後、昭和五五(一九八〇)年四月角川書店刊の「西東三鬼読本」に収載された句とを網羅し、それに雑誌等に発表されたものの抄出及び未発表句の一部(総てを提示したい思いはあるが、それはおぞましい編集権なるものを侵害するために涙を呑みつつ唾を吐いて断念した)を個人的に纏めたものである。
底本は、四句集については平成四(一九九二)年沖積舎刊の「西東三鬼全句集」を底本として、それぞれの句集に掲載された自序及び句を掲げた(当該底本は原形配列であるが、当該句の異同句をも網羅している。無論、異同句は示していない)。但し、私のポリシーに則り、恣意的に(私は西東三鬼の各句集原本は一冊も所持していないため)漢字を正字化した(この理由については俳句の場合、特に私には確信犯的意識がある。戦後の三鬼句集は新字採用のものもあるが、それについては、私の「やぶちゃん版鈴木しづ子句集」の冒頭注でこのポリシーに附き、私の拘りの考え方を示してある。疑義のある方は必ずお読み頂きたい)。踊り字「〱」「〲」を正字化したが、それについては総て補注した。なお、本文中の元号の西暦表記は、総ての親本(句集)にはない(その旨の注記が底本にある)が附したが、『夜の桃』には元号による製作年表記も実はない、と底本凡例にはあるが、編年を意図する底本を尊重して元号暦と西暦を併記した。『變身』のみ、底本通りの現代仮名遣としたため、現代仮名遣の正字表記という如何にも異様な形となったが、悪しからず。これについては、『變身』冒頭に附した私の注も参照されたい。
「『變身』以後」(全)については、朝日文庫「現代俳句の世界9 西東三鬼集」(昭和五九(一九八四)年刊)を用いた。これは、当該底本が歴史的仮名遣に準拠しているからである。一応、沖積舎刊「西東三鬼全句集」で全句を確認したが、仮名遣の異同以外の異同は認められなかった。
以上、全体を通して、一部に私の注を附した。
本頁はブログ・カテゴリ「西東三鬼」で二〇一三年一月七日始動し、同一月二十九日に終了したプロジェクトに、やや手を加えた完全版である。
――私は私なりに――西東三鬼という猥雑にして典雅なる思想の存在の――忠實な下僕である――と自認している。
――今、私のかくなる仕儀を憎む人々と――今、私のかくなる仕儀を愛する人々に――この句集を捧げるものである――
――藪野直史
本テクストは私のブログの四五〇〇〇〇アクセス突破記念として公開した。【二〇一三年三月日】]
■句集「旗」
(三省堂より昭和一五(一九四〇)年三月二十五日発行)
自序
或る人達は「新興俳句」の存在を悦ばないのだが、私はそれの初期以來、いつも忠實な下僕である。
前半は昭和十年以後の作品から採錄し、後半の「戰爭」は昭和十二年以後の作品である。
私の俳句を憎んだ人々に、愛した人々にこの句集を捧げる。
昭和十(一九三五)年
アヴェ・マリヤ
聖燭祭工人ヨセフ我が愛す
燭寒し屍にすがる聖母の圖
聖燭祭妊まぬ夫人をとめさび
聖燭祭娶らぬ教師老いにける
あきかぜ
あきかぜの草よりひくく白き塔
貝殼のみちなり黑き寡婦にあふ
ほそい靴貝殼をふむ音あゆむ
風とゆく白犬寡婦をはなれざり
砂白く寡婦のパラソル小さけれ
昭和十一(一九三六)年
魚と降誕祭
聖き夜の鐘なかぞらに魚玻璃に
東方の聖き星凍て魚ひかる
聖き魚はなびらさむき卓に生く
圓光も
聖き
三章
小腦をひやし小さき魚をみる
水枕ガバリと寒い海がある
不眠症魚は遠い海にゐる
病氣と軍艦
長病みの足の方向海さぶき
吹雪昏れ白き實彈射撃昏れ
水兵と砲彈の夜を熱たかし
砲音をかぞふ永片舌に溶き
アダリンが良き軍艦を白うせり
びつことなりぬ
春夕べあまたのびつこ跳ねゆけり
恢復期
松林の卓おむれつとわがひとり
黑馬に映るけしきの海が鳴る
園丁の望遠鏡の帆前船
微熱ありきのふの猫と沖をみる
肺おもたしばうばうとしてただに海
八章
右の眼に大河左の眼に騎兵
白馬を少女瀆れて下りにけむ
汽車と女ゆきて月蝕はじまりぬ
爪半月なき手を小公園に垂れ
手品師の指いきいきと地下の街
女學院燈ともり古き鴉達
ランチタイム禁苑の鶴天に浮き
フロリダ
運轉手地に群れタンゴ高上階に
ジャズの
三階ヘ靑きワルツをさかのぼる
花蝶
肩とがり月夜の蝶と花園に
花園の夜空に黑き鳥翔ける
花園にアダリンの息吐ける朝
喪章買ふ松の花散るひるさがり
松の花葬場の屋根濡れそぼち
松の花柩車の金の暮れのこる
黑蝶のめぐる銅像夕せまり
銅像の裏には靑き
銅像は地平に赤き雷をみる
季節と少年
靑き朝少年とほき城をみる
梅を嚙む少年の耳透きとほる
手の螢にほひ少年ねむる晝
夏瘦せて少年魚をのみゑがく
靑蚊帳に少年と魚の繪と靑き
六章
熱ひそかなり空中に蠅つるむ
熱さらず遠き花火は遠く咲け
算術の少年しのび泣けり夏
綠蔭に三人の老婆わらへりき
ハルポマルクス神の糞より生れたり
夏曉の子供よ地に馬を描き
鳳作の死
友はけさ死せり野良犬草を嚙む
笑はざりしひと日の終り葡萄食ふ
葡萄あまししづかに友の死をいかる
栗
別れきて栗燒く顏をほてらする
別れきて別れもたのし栗を食ふ
栗の皮プチプチつぶす別れ來ぬ
[やぶちゃん注:「プチプチ」の後半は底本では踊り字「〱」。]
サアカス
道化出でただにあゆめり子が笑ふ
道化師や大いに笑ふ馬より落ち
大辻司郎象の藝當みて笑ふ
暗き日
暗き日の議事堂とわが白く立ち
議事堂へ風吹き煙草火がつかぬ
議事堂の繪のこの煙草高くなりぬ
冬
水平線あるのみ靑い北風に
冬海へ體温計を振り又振り
ダグラス機冬天に消え微熱あり
顏つめたしにんにくの香の唾を吐き
黑き旗體温表に描きあそぶ
昭和十二(一九三七)年
空港
空港の靑き冬日に人あゆむ
滑走路黄なり冬海につきあたり
操縱士犬と枯草馳けまろぶ
冬天を
空港の硝子の部屋につめたき手
郵便車かへり空港さぶくなる
大森山王
ピアノ鳴りあなた聖なる冬木と日
雪よごれ獨逸學園の旗吹かれ
枯原に北風つのり子等は去り
冬草に黑きステッキ插し憩ふ
冬日地に燻り犬共疾走す
海濱ホテル
哭く女窓の寒潮縞をなし
園を打つ海の北風に鼻とがる
荒園のましろき犬に見つめらる
冬鷗黑き帽子の上に鳴く
冬の園女の指を血つたひたり
絶壁に寒き男女の顏ならぶ
留日學生
編隊機點心の茶に漣立て
王氏歌ふ招魂祭の花火鳴れば
鯉幟王氏の窓に泳ぎ連れ
厖大なる王氏の晝寢端午の日
五月の夜王氏の女友鼻低き
旦暮
祭典のよあけ雪嶺に眼を放つ
祭典のゆふべ烈風園を打つ
祭典の夜半にめざめて口渇く
誕生日
誕生日あかつきの雷顏の上に
誕生日街の鏡のわが眉目
誕生日美しき女見ずて暮れぬ
雷
昇降機しづかに雷の夜を昇る
屋上の高き女體に雷光る
雷とほく女ちかし硬き屋上に
黑
兵隊がゆくまつ黑い汽車に乘り
僧を乘せしづかに黑い艦が出る
黑雲を雷が裂く夜のをんな達
夏
巨き百合なり冷房の中心に
冷房の時計時計の時おなじ
冷房にて銀貨と換ふる靑林檎
昭和十四(一九三九)年
天路
空港に憲兵あゆむ寒き別離
機の車輪冬海の天に廻り止む
光る富士機の脇腹にあたらしき
冬天に大阪藝人嘔くはかなし
枯原を追へるわが機の影を愛す
寒き別離
滑走輪冬山の天になほ廻る
械の窓に富士の古雪吹き煙る
紅き林檎高度千米の天に嚙む
寒潮に雪降らす雲の上を飛ぶ
冬天に彼と我が翼を搖る挨拶
冬靑き天より降り影を得たり
わが來し天とほく凍れり煙草吸ふ
金錢
金錢の街の照り降り背に重し
金錢に怒れる汗を土に垂る
金錢の一片と裸婦ころがれる
數日
高原の向日葵の影われらの影
童子童女われらを笑ふ靑き湖畔
湖畔亭にヘヤピンこぼれ雷匂ふ
仰ぐ顏暗し靑葉宙にある
暗き湖のわれらに樺は星祭り
夜の湖あゝ白い手に燐寸の火
湖を去る家鴨の卵手に嘆き
雷と花
厭離早や秋の舖道に影を落す
顏丸き寡婦の曇天旗に滿つ
雷と花歸りし兵にわが訊かず
腹へりぬ深夜の喇叭霧の奧に
月夜少女小公園の木の股に
戦争
作品1
機關銃熱キ蛇腹ヲ震ハスル
機關銃地ニ雷管ヲ食ヒ散ラス
機關銃低キ月盤コダマスル
機關銃靑空翔ケリ黑光ル
機關銃翔ケリ短キ兵ヲ射ツ
機關銃天ニ群ガリ相對ス
機關銃一分間六百晴レ極ミ
機關銃眉間ニ赤キ花ガ咲ク
機關銃腹ニ糞便カタグナル
機關銃裂ケシ樹幹ニ肩アマル
機關銃彈道交叉シテ匂フ
機關銃黄土ノ闇ヲ這ヒ迫ル
機關銃闇ノ黄砂ヲ噴キ散ラス
機關銃闇ノ彈道香ヲ放ツ
機關銃機關銃ヲ射チ闇默ル
作品2
砲音に鳥獸魚介冷え曇る
血が冷ゆる夜の土から茸生え
丘にむらむら現る軍馬月歪み
作品3
――ニュース映畫――
悉く地べたに膝を抱けり捕虜
ぼうぼうたる地べたの捕虜を數へゐる
捕虜共の飯食へる顏顏
捕虜共の手足體操して撮られ
捕虜共に號令かける捕虜撮られ
作品4
機關銃蘇州河ヲ切り刻ム
彈道下裸體工兵立チ
一人ヅツ一人ヅツ敵前ノ橋タワム
作品5
逆襲ノ女兵士ヲ狙ヒ撃テ!
戰友ヲ葬リピストルヲ天ニ撃ツ
垂直降下仰ぐ老年の鬚を垂れ
垂直降下哄笑天に尾を引けり
垂直降下一頭の馬街つらぬき
垂直降下靑樓の午後花朱き
垂直降下地下に蠢き老婆ども
作品7
――敵軍――
パラシウト天地ノ機銃フト默ル
少年ノ單座戰鬪機血ヲ垂ラス
少年兵抱キ去ラレ機銃機ニ殘ル
作品8
泥濘に少尉倒れん倒れんとせしが
[やぶちゃん注:「倒れん倒れん」の後半は底本では踊り字「〱」。]
泥濘の死馬泥濘と噴きあがる
泥濘となり泥濘に撃ち進む
泥濘に生ける機銃を抱き撃つ
戰友よ泥濘の顏泣き笑ふ
作品9
塹壕に尊き認識票光る
塹壕の壁を上りし靴跡なり
塹壕を這ふ昆蟲を手にのせる
風匂ひ深き塹壕を吹き曲る
作品10
塹壕に蠍の雌雄追ひ追はる
機銃音蠍の腹をなみうたしめ
機銃音蠍の雌雄重なれり
作品11
禿山の砲口並びせり上る
禿山に彈道學と花黄なり
禿山に飢ゑ砲彈を愛撫する
作品12
靑き湖畔捕虜凸凹と地に眠る
捕虜の國の星座美し捕虜眠る
老少の捕虜そむき眠る靑き湖畔
作品13
――敗敵――
絶叫する高度一萬の若い戰死
黄土層天が一滴の血を垂らす
兵を乘せ黄土の起伏死面なす
黄土の機銃彈一箇行きて還る
一人の盲兵を行かしむる黄土
作品14
闇を馳け騎兵集團の馬の眼玉
風の闇馬の雙眼にある銃火
銃火去り盲馬地平に吹かれ佇つ
作品15
占領地區の牡蠣を將軍に奉る
兵隊に花が匂へば遠き顏
占領地區の丘の起伏に眼を細め
自傳
明治三十三年五月十五日、岡山縣津山市に生れた。私に流れた亡父の血が、今日、私に俳句を作らせてゐる。
新興俳句運動の初期から、横の連鎖を計って來た。
私の俳句に、直接、間接の指導を與えられた、先輩諸先生、僚友諸君に改めてお禮を申上げる。
[やぶちゃん注:「自傳」の促音「計って」と、「與え」は底本のママ。]
■句集「夜の桃」
(三洋社より昭和二三(一九四八)年九月五日発行)
自序
この句集の内容は次の通りである。
Ⅰ 戰前の二句集、三省堂刊「旗」河出書房刊「現代俳句」第三卷から選出した五十句。
Ⅱ 戰後の昭和二十年冬から、同二十二年秋までに發表したものから選出した二百五十句。
Ⅱの作品からは、今日の私から見て、既に削除したいものもあるが、句集は自分の歴史だから、一應殘存させることにした。
昭和二十三年夏
西東三鬼
[やぶちゃん注:底本に編者注として、『本「自序」中のⅡに記された「二百五十句」は誤り。実際は「二百四十七句」。』とある。]
Ⅰ
水枕ガバリと寒い海がある
長病みの足の方向海さぶき
右の眼に大河左の眼に騎兵
白馬を少女瀆れて下りにけむ
汽車と女ゆきて月蝕はじまりぬ
手品師の指いきいきと地下の街
ランチタイム禁苑の鶴天に浮き
熱ひそかなり空中に蠅つるむ
熱さらず遠き花火は遠く咲け
算術の少年しのび泣けり夏
綠蔭に三人の老婆わらへりき
夏曉の子供よ地に馬を措き
[やぶちゃん注:『旗』では、
夏曉の子供よ土に馬を措き
で異なる。底本によれば、この句形は『旗』刊行以前の昭和一二(一九三七)年十月号『俳句研究』発表のものである。三鬼は敢えて原型に戻している。]
冷房の時計時計の時おなじ
葡萄あまししづかに友の死をいかる
別れ來て粟燒く顏をほてらする
[やぶちゃん注:『旗』では、
別れきて粟燒く顏をほてらする
で表記が異なる。底本によれば、この句形は『旗』刊行以前の昭和一一(一九三六)年十二月号『俳句研究』発表のものである。三鬼は敢えて原型に戻している。]
道化出でただにあゆめり子が笑ふ
道化師や大いに笑ふ馬より落ち
大辻司郎象の藝當みて笑ふ
空港の靑き冬日に人あゆむ
操縱士犬と枯草馳けまろぶ
冬天を降り來て鐵の椅子に在り
[やぶちゃん注:『旗』では、
冬天を降り來て鐵の椅子にあり
で表記が異なる。底本によれば、この句形は本句集と別に全く同時に昭和二三(一九四八)年九月に出版された『自註句集・三鬼百句』所収されたものである。但し、この『自註句集・三鬼百句』の原形は前年の昭和二二(一九四七)年五月に新俳句人連盟総会に出席するために神戸より上京する車中で認められたものであるから、推敲の上、新たに「あり」を漢字化したものであることが分かる。]
空港の硝子の部屋につめたき手
郵便車かへり空港さむくなる
ピアノ鳴りあなた聖なる冬木と日
[やぶちゃん注:底本によれば、同時期出版の『自註句集・三鬼百句』では、
ピアノ鳴りあなた聖なる日と冬木
と下五の語句を反転させている。この「日と冬木」の句形の方が三鬼にとっては最終決定稿であったか。]
枯原に北風つのり子等去りぬ
[やぶちゃん注:『旗』では、
枯原に北風つのり子等は去り
で下五が異なる。底本によれば、この句形は昭和一五(一九四〇)年六月に出版された河出書房『現代俳句』第三巻に所収された三鬼の選句集『空港』に載るものである。(『旗』の刊行はこれに先立つ同年三月)因みに、この昭和一五(一九四〇)年二月から翌一六年二月にかけて『京大俳句』の関係者を含む新興俳句運動の面々が京都警察部や特別高等警察によって検挙される、所謂、京大俳句事件が起こって、三鬼も八月三十一日に特高によって一時検挙され、その後の執筆が禁じられた。]
冬草に黑きステッキ插し憩ふ
冬日地に燻り犬共疾走す
突く女窓の寒潮縞をなし
園を打つ海の北風に鼻とがる
荒園のましろき犬にみつめらる
冬鷗黑き帽子の上に鳴く
冬の園女の指を血つたひたり
絶壁に寒き男女の顏ならぶ
誕生日あかつきの雷顏の上に
昇降機しづかに雷の夜を昇る
機の車輪冬海の天に廻り止む
紅き林檎高度千米の天に嚙む
冬天に大阪蠻人嘔くはかなし
枯原を追へるわが機の影を愛す
[やぶちゃん注:『旗』では、
枯原を追へる我機の影を愛す
で表記が異なる。底本によれば、この句形は『自註句集・三鬼百句』所収のものとする。]
わが來し天とほく凍れり煙草吸ふ
高原の向日葵の影われらの影
童子童女われらを笑ふ靑き湖畔
湖畔亭にヘヤピンこぼれ雷匂ふ
仰ぐ顏くらし靑栗宙にある
暗き湖のわれらに岸は星祭
[やぶちゃん注:『旗』では、
暗き湖のわれらに岸は星祭り
で表記が異なる。底本によれば、この句形は選句集『空港』に載るものの再録とする。]
夜の湖ああ白い手に燐寸の火
[やぶちゃん注:『旗』では、
夜の湖あゝ白い手に燐寸の火
で踊り字が用いられている。]
湖を去る家鴨の卵手に歎き
[やぶちゃん注:『旗』では、
湖を去る家鴨の卵手に嘆き
で漢字表記が異なる。底本によれば、この句形は『旗』刊行以前の昭和十四(一九三九)年十月号『俳句研究』発表のものである。三鬼は敢えて原型に戻している。私も個人的にこの「歎」の方を支持するものである。]
空港なりライタア處女の手にともる
戀ふ寒し身は雪嶺の天に浮き
寒夜明るし別れて少女馳け出だす
Ⅱ
國飢ゑたりわれも立ち見る冬の虹
寒灯の一つ一つよ國敗れ
雪の町魚の大小血を垂るる
昭和二十二年元旦一句
降る雪の薄ら明りに夜の旗
中年や獨語おどろく冬の坂
美しき寒夜の影を別ちけり
春雷の下に氷塊來て並ぶ
曇日の毛蟲が道を横ぎると
大佛殿いでて櫻にあたたまる
志賀直哉あゆみし道の蛸牛
薔薇を剪り
梅雨ちかき奈良の佛の中に寢る
卓上にけしは實となる夜の顏
かくし子の父や蚊の聲來り去る
梅雨ふかしいづれ吾妹と呼び難く
梅雨の日のただよひありぬ油坂
塔中や額に靑き雨落つる
靑き奈良の佛に辿りつきにけり
梅の實の夜は月夜となりにけり
戀猫と語る女は憎むべし
人の影わらひ動けり梅雨の家
顏みつつ梅雨の鏡の中通る
おそるべき君等の乳房夏
茄子畑老いし從兄とうづくまり
汗し食ふパン有難し糞の如し
女の手に空蟬くだけゆきにけり
中年や遠くみのれる夜の桃
老年の口笛涼し靑三日月
顏近く蟬とび立てり
穀象の群を天より見るごとく
穀象を九天高く手の上に
數百と數ふ穀象くらがりへ
穀象に大小ありてああ急ぐ
穀象の逃ぐる板の間むずがゆし
穀象の一匹だにもふりむかず
穀象と生れしものを見つつ愛す
晝三日月蜥蜴もんどり打つて無し
夏荒れし菜圃女を待つとなく
中年やよろめき出づる晝寢覺
浮浪兒のみな遠き眼に夏の船
女立たせてゆまるや赤き
朝の飢ラヂオの琴の絶えしより
飢ゑてみな親しや野分遠くより
夜の秋缺伸のあとのまた暗く
狂院をめぐりて暗き盆踊
秋天をゆきにし鳥の跡のこる
男・女長良夜の水をとび越えし
燒跡に秋耕の顏みなおなじ
秋風や一本の燒-けし樹の遠さ
秋の暮遠きところにピアノ彈く
秋の暮彼小さし我小さからむ
靑柿の堅さ女の手にすわる
みな大き袋を負へり雁渡る
秋耕のおのれの影を掘起す
春日神社仲秋神事能 四句
老年や月下の森に面の舞
露暗き石の舞臺に老の舞
舞の面われに向くとき秋の夜
能の面秋の眞闇の方へ去る
雄鷄や落葉の下に何もなき
秋の巖稚き蜂を遊ばしむ
秋庭の闇見てあれば嚴浮かぶ
稻雀五重の塔を出發す
蝸牛秋より冬へ這ひすすむ
枯蓮のうごく時きてみなうごく
露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す
石榴の實露人の口に次ぎ次ぎ入る
耕すや小石つめたき火を發す
胡坐居て熟柿を啜る心の喪
柿むく手母のごとくに柿をむく
百舌の聲豆腐にひびくそれを切る
竹伐り置く唐招提寺門前に
落穗拾ふ顏を地に伏せ手を垂れて
倒れたる案山子の顏の上に天
月光の霧に
滝の水寒やぐづをれくづをれて
冬滝を日のしりぞけば音變る
滝爪立ち寒きみなかみ覗くなり
機關車が身もだへ過ぐる寒き天
藁塚の茫々たりや伊賀に入る
冬菜畑伊賀の驛夫は鍬を振る
冬耕のどの黑牛もみな動く
冬濱に老婆ちぢまりゆきて消ゆ
沖へ向き口あけ泣く子冬の濱
冬濱に沖を見る子のいつか無し
海苔粗朶もて男を打てり遠景に
干
冬の日は干甘藷のためあるごとし
干甘藷に昃り沖邊に日あたれり
干甘藷を取入れ燈下二人讀む
砂の庭干甘藷なくて月照らす
蜜柑山の雨や蜜柑が顏照らす
あからさまに蜜柑をちぎり且啖ふ
海峽の雨來て蜜柑しづく垂る
からかさを山の蜜柑がとんと打つ
樹の蜜柑愛撫す
まくなぎに幹の赤光うすれゆく
まくなぎの阿鼻叫喚を吹きさらう
[やぶちゃん注:底本「さらう」の「う」に『ママ』表記。]
まくなぎを無しと見て直ぐ有りと見る
まくなぎの中に夕星ひかり出づ
まくなぎの憂鬱をもて今日終る
木枯や馬の大きな眼に涙
木枯やがくりがくりと馬しざる
木枯は高ゆき瓦礫地に光る
燒けし樹に叫び木枯しがみつく
寒月に瓦礫の中の靑菜照る
寒月光電柱傳ひ地に流る
寐んとしてなほ寒月を離れ得ず
卵一つポケットの手にクリスマス
黑人の
寒卵累々たりや黑き市民
凍天へ脚ふみ上げて裸の鷄
破璃窓を鳥ゆがみゆく年の暮
年去れと鍵盤強く強く打つ
元日を白く寒しと晝寐たり
寒雀人の夜明けの輕からぬ
大寒の猫蹴つて出づ書を賣りに
枯れ果てし馬糞を踏んで書を賣りに
大寒の街に無數の拳ゆく
猫が人の聲して走る寒の闇
火事赤し一つの強き星の下
赤き火事哄笑せしが今日黑し
馬がみな寒の沒日に向き進む
寒の家爪とぐ猫に聲を發す
大寒の松を父とし歩み寄る
大寒や轉びて
われら滅びつつあり雪は天に滿つ
限りなく降る雪何をもたらすや
地に消ゆるまで一片の雪を見る
雪の上に雪降ることのやはらかく
天の雪地に移りたり星光る
左右の窓凍天二枚ありて病む
死にし人とこの寒潮を見下しき
大寒のトンネル老の眼をつむる
雜炊や猫に孤獨といふものなし
露人の歌みぞれは雪に變りつつ
夜の沼に雪亂れ降るかぎりなし
寒鮒を殺すも食ふも獨りかな
秒針の強さよ凍る沼の岸
靑沼に樹の影一本づつ凍る
凍る沼にわれも映れるかと覗く
凍る沼去るべき時を過ぎつつあり
凍る道凍れる沼を離れざり
沖遠しかがみて寒き貝を掘る
餓鬼となりしか大寒の松隆し
紅梅を去るや不幸に眞向ひて
竹林を童子と覗く春夕べ
寒明けの樹々の合掌聲もなし
動かぬ蝶前後左右に墓ありて
わが天に蝶昇りつめ消え去りし
花冷えの朝や岩鹽すりつぶす
櫻くもり鏡に寫す孤獨の舌
春菜を買ふべく鍵を鎖し出づ
春の馬よぎれば焦土また展く
春の夜の暗黑列車子がまたたく
斷層の夜明けを蝶が這ひのぼる
春山の路の牛糞友のごとし
うぐひすや子に靑年期ひらけつつ
子を思ひはじむ山中の春の沼
春草に伏し枯草をつけて立つ
黑蝶は何の天使ぞ誕生日
女遠しぐんぐん伸びる松の芯
蕗を煮る男に鴉三聲鳴く
ひげを剃り百足蟲を殺し外出す
夜が來る數かぎりなき葱坊主
五月闇汝歸りしには非ず
靑梅が闇にびつしり泣く嬰兒
少女二人五月の濡れし森に入る
月光の岩なり毛蟲めざめ居り
男立ち女かがめる蟻地獄
しやべる老婆靑野を電車疾走す
梅雨の馬いななく腦病院の裏
緑蔭より日向へ孤兒の眼が二點
蟻地獄暮れてしまへり立ち上る
地下を出て皆烈風の孤兒となる
一列の崖の孤兒から飛び出る尿
めつむりし孤兒に烈風砂を打つ
烈風の孤兒がナイフで壁に彫る
行列の頭は深く
行列の何か嚙みては嚥み下す
行列の嬰兒拳を立てて泣く
行列のみつむる土を風通る
行列に顏なし息をしつつ待つ
螢過ぎ海まつくらに荒れつのる
海道の夜明けを蟹が高走る
夏黑き船の何處かで爆笑す
炎天に鐵船叩くことを止めず
我と蚊帳吊るは海より來し靑年
眼中の蓮も搖れつつ夜歸る
亡びし樹にぞろぞろと羽蟻ぞろぞろと
混血の兒が樹を抱けば蟬とび立つ
星赤し翅うち交む油蟲
あひびきの少女とび出せり月夜の蟬
蚊帳の蚊を屠る女の拍手音
びびびびと死にゆく大蛾ジヤズ起る
天暑し孔雀が啼いてオペラめく
地からすぐ立てる夏の樹抱きつく少女
逃げても軍鷄に西日がべたべたと
大旱の赤牛となり聲となる
早天の鴉胸より飛び出しか
炎天の映る鏡に歸り來ず
何故か歸る雷が時々照らす道
靑蚊帳の男や寢ても躍る
爺婆の裸の胸にこぼれるパン
夏の闇火夫は火の色貨車通る
影のみがわが物炎天八方に
綠蔭に刈落されし髮のこる
稻妻に胸照らさるる時若し
旱星われを罵るすなはち妻
炎天を遠く遠く來て豚の前
炎天の少女の墓石手に熱く
墓の前強き蟻ゐて奔走す
墓の地に一滴の汗すぐ乾く
墓原に汗して老ひし獸めく
[やぶちゃん注:底本、「老ひし」の「ひ」の右に『ママ』注記。]
炎天に火を焚く墓と墓の間
墓に告ぐ汗していよよ瀆れむと
九十九里濱に白靴提げて立つ
熱砂來て沖も左右も限りなし
一荷づつ九十九里濱の汐を汲む
百姓の影大旱の田に倒る
牛の眼に大旱の土平らなり
旱天やうつうつ通る靑鴉
靑柿の下に悲しき事をいふ
月夜の蛾墓原を拔け來し我に
月夜の蛾男、女の中通る
炎天の人なき焚火ふりかへる
靑柿の夜の土から猫が去る
靑柿は落つる外なし燈火なし
しゆんぎくを播き水を飮みセロを彈く
灯を消せば我が體のみの秋の闇
秋濱に稚兒の泣聲なほ殘る
農婦來て秋のちまたに足強し
秋天にボールとどまる少女の上
稻妻に道眞向へば喜ぶ足
法師蟬遠ざかり行くわれも行く
ぼんやりと出で行く石榴割れし下
身を屈する禮いくたびも十五夜に
十五夜に手足ただしく眠らんと
夕燒へ群集だまり走り出す
百舌に顏切られて今日が始まるか
秋雨にうつむきし馬しづくする
靑年の大靴木の實地にめり込む
秋の森出で來て何かうしなへり
叫ぶ心百舌は梢に人は地に
こほろぎの溺れて行きし後知らず
蟷螂のひきづる影を見まじとす
[やぶちゃん注:底本、「ひきづる」の「づ」の右に『ママ』注記。]
■句集「今日」
(天狼俳句会より昭和二七(一九五二)年三月一日発行)
昭和二十三(一九四八)年 一二〇句
陳氏來て家去れといふクリスマス
クリスマス馬小屋ありて馬が住む
クリスマス藷一片を夜食とす
除夜眠れぬ佛人の猫露人の犬
猫が鷄殺すを除夜の月照らす
蠟涙の冷えゆく除夜の闇に寢る
切らざりし二十の爪と除夜眠る
朝の琴唄路に鼠が破裂して
うづたかき馬糞湯氣立つ朝の力
寒の夕燒雄鷄雌の上に乘る
老婆來て赤子を覗く寒の暮
木枯の眞下に赤子眼を見張る
百舌鳥に顏を切られて今日が始まるか
誰も見る焚火火柱直立つを
犬の蚤寒き砂丘に跳び出せり
北風に重たき雄牛一歩一歩
北風に
靜臥せり木枯に追ひすがりつつ
木枯過ぎ日暮れの赤き木となれり
燈火なき寒の夜顏を動かさず
寒の闇ほめくや赤子泣く度に
朝若し馬の鼻息二本白し
寒の地に太き鷄鳴林立す
寒の晝雄鷄いどみ許すなし
電柱の上下寒し工夫登る
寒の夕燒架線工夫に翼なし
電工が獨り罵る寒の空
寒星の辷るたちまち汝あり
數限りなき藁塚の一と化す
醉ひてぐらぐら枯野の道を父歸る
汽車全く雪原に入り人默る
雪原を山まで就かのしのし行け
波郷居
燒原の横飛ぶ雪の中に病む
マスク洩る愛の言葉の白き息
巨大なる蜂の巣割られ晦日午後
友搗きし異形の餅が腹中へ
女呉れし餠火の上に膨張す
膝そろへ伸びる餠食ふ女の前
餠食へば山の七星明瞭に
餠えお食ひ出でて深雪に脚を插す
暗闇に藁塚何を行ふや
春山を削りトロツコもて搬ぶ
雨の雲雀次ぎ次ぎわれを受渡す
祝福を雨の雲雀に返上す
雨の中雲雀ぶるぶる昇天す
梢には寒日輪根元伐られつつ
辨當を啖ひ居り寒木を伐り倒し
横たはる樹のそばにその枝を焚く
蓮池にて骨のごときを摑み出す
蓮池より入日の道へ這ひ上る
春の晝樹液したたり地を濡らす
麥の丘馬は輝き沒入す
暗闇に海あり櫻咲きつつあり
眞晝の湯子の陰毛の光るかな
靴の足濡れて大學生と父
靴の足濡れて大學生と父
不和の父母胸板厚き子の前に
體内に機銃彈あり卒業す
野遊びの皆伏し彼等兵たりき
靑年皆手をポケツトに櫻曇る
岩山に生れて岩の蝶黑し
粉黛を娯しむ蝌蚪の水の上
春に飽き眞黑き蝌蚪に飽き飽きす
[やぶちゃん注:「飽き飽き」の後の「飽き」は底本では踊り字「〱」。但し、初出である同年の『天狼』五月号の表記は上記の通りの正字表記である。]
天に鳴る春の烈風鷄よろめく
烈風の電柱に咲き春の里
冷血と思へばおぼろ野犬吠ゆる
蝌蚪曇るまなこ見ひらき見ひらけど
蝌蚪の上キューンキューンと戰鬪機
[やぶちゃん注:「キューンキューン」の後の「キューン」は底本では踊り字「〱」。]
一石を投じて蝌蚪をかへりみず
くらやみに蝌蚪の手足が生えつつあり
黑き蝶ひたすら昇る蝕の日へ
日蝕や鷄は内輪に足そろへ
日蝕下だましだまされ草の上に
鹽田や働く事は俯向く事
鹽田のかげろふ黑し蝶いそぐ
鹽田の足跡夜もそのままに
鹽田の黑砂
蚊の細聲牛の太聲誕生日
麥熟れてあたたかき闇充滿す
蟹が眼を立てて集る雷の下
梅雨の窓狂女跳び下りたるままに
梅雨の山立ち見る度に囚徒めく
ペコペコの三味線梅雨の月のぼる
ワルツ止み瓢簞光る黴の家
黴の家泥醉漢が泣き出だす
黴の家去るや濡れたる靴をはき
惡靈とありこがね蟲すがらしめ
滅びつつピアノ鳴る家蟹赤し
蟹と居て宙に切れたる虹仰ぐ
雲立てり水に死にゐて蟹赤し
かくさざる農夫が沖へ沖へあるく
海を出で鍬をかつぎて農夫去る
狂女死ぬを待たれ南瓜の花盛り
晩婚の友や氷菓をしたたらし
ごんごんと梅雨のトンネル闇屋の唄
枝豆の眞白き鹽に愁眉ひらく
枝豆やモーゼの戒に拘泥し
月の出の生々しさや涌き立つ蝗
こほろぎが女あるじの黑き侍童
假寓
炎天やけがれてよりの影が濃し
靑年に長く短く星飛ぶ空
炎天の墓原獨り子が通る
モナリザに假死いつまでもこがね蟲
秋雨の水の底なり蟹あゆむ
悼石橋辰之助二句
友の死の東の方へ歩き出す
涙出づ眼鏡のままに死にしかと
紅茸を怖れてわれを怖れずや
紅茸を打ちしステツキ街に振る
踏切に秋の氷塊ひびきて待つ
天井に大蛾張りつき假の家
耕せり大秋天を鏡とし
父と子の形同じく秋耕す
老農の鎌に切られて曼珠沙華
稻孕みつつあり夜間飛行の灯
赤蜻蛉分けて農夫の胸進む
豐年や松を輪切にして戻る
豐年や牛のごときは
昭和二十四(一九四九)年 八四句
照る沖へ馬にまたがり枯野進む
人が焚く火の色や野の隅々に
枯原を奔るや天使圖脇ばさみ
そのあたり明るく君が枯野來る
西赤し支離滅裂の枯蓮に
蜜柑地に落ちて腐りて友の戀
赤き肉煮て食ふ蜜柑山の上
姉の墓枯野明りに抱き起す
三輪車のみ枯原に日は雲に
柩車ならず枯野を行くはわが移轉
枯野行く貧しき移轉にも日洩れ
火の玉の日が落つ凍る田を殘し
枯野の木人の齒を拔くわが能事
かじかみて貧しき人の義齒作る
氷の月公病院の畑照らす
モナリザ常に硝子の中や冬つづく
掘り出され裸の根株雪が降る
煙突の煙あたらし亂舞の雪
過去そのまま氷柱直下に突刺さる
供華もなし故郷の霰額打つ
雪山に雪降り友の妻も老ゆ
垂れ髮に雪をちりばめ卒業す
崖下のかじかむ家に釘を打つ
枝噂らす枯木の家に倒れ寢る
いつまでも冬母子病棟の硝子鳴り
屋上に草も木もなし病者と蝶
日曜日わが來て惚るる大樹の根
遠く來てハンカチ大の芝火つくる
跳ねくだる坂の林檎や日向めざし
電柱が今建ち春の雲集ふ
春泥に影濡れ濡れて深夜の木
[やぶちゃん注:「濡れ濡れ」の後半は底本では踊り字「〱」。]
仰ぎ飮むラムネが天露さくら散る
一齊に土掘る虹が消えてより
頭惡き日やげんげ田に牛暴れ
メーデーの明るき河に何か落つ
新樹に鴉手術室より血が流れ
首太くなりし夜明の栗の花
犬も唸る新樹みなぎる闇の夜は
ほくろ美し靑大將はためらはず
女醫の戀梅雨の太陽見えず落つ
塔に眼を定めて黑き燒野ゆく
胸いづる口笛牛の流し目に
やはらかき紅毛の子に蛇くねる
わが家より旅へ雜草の花つづく
黄麥や惡夢背骨にとどこほり
喬木にやはらかき藤梟けられし
手を碗に孤兒が水飮む新樹の下
身に貯へん全山の蟬の聲
西日中肩で押す貨車動き出す
濁流や重き手を上げ藪蚊打つ
鐡棒に逆立つ裸雲走り
夕燒けの牛の全身息はづむ
[やぶちゃん注:底本では「はづむ」の「づ」の右にママ注記。]
爪立ちに雄鷄叫ぶひでり雲
大旱の田に百姓の靑不動
炎天の坂や怒を力とし
緑蔭にゲートル卷きし大き晝寢
生創に蠅を集めて馬歸る
翼あるもの先んじて誘蛾燈
きりぎりす夜中の崖のさむけ立つ
わが家の蠅野に出でゆけり朝のパン
颱風の最後の夜雲蛙の唄
横すべる
松の花粉吸ひて先生胡桃割る
鐡塊の疲れを白き蚊帳つつむ
耶蘇ならず靑田の海を踏み來るは
颱風の崖分けのぼる犬の體
山削る裸の唄に雷加はる
唄一節晩夏の蠅を家族とし
青葡萄つまむわが指と死者の指
眠おそろし急調の蟲の唄
海坂に日照るやここに孤絶の茸
仕事重し高木々々と百舌鳥移り
雲厚し自信を持ちて案山子立つ
汗のシヤツ夜も重たく體輕し
抱き寢る外の土中に芋太る
饅頭を夜霧が濡らす孤兒の通夜
初蝶や波郷に代り死にもせで
坂上の芋屋を過ぎて脱落す
大枯野壁なす前に齒をうがつ
女醫の手に拔かれし臟腑湯氣を立つ
死後も貧し人なき通夜の柿とがる
孤兒孤老手を打ち遊ぶ柿の種
昭和二十五(一九五〇)年 一〇〇句
冬の山虹に踏まれて彫探し
種痘かゆし枯木に赤きもの干され
電柱も枯木の仲間低日射す
滅びざる土やぎらりと柿の種
波郷へ
燒酎のつめたき醉や枯れゆく松
大いなる枯木を背に父吃る
寒き田へ馳くる地響牛と農夫
男の祈り夜明けの百舌鳥が錐をもむ
眞夜中の枯野つらぬく貨車一本
屋上に雙手はばたき醫師寒し
鯨食つて始まる孤兒と醫師の野球
飴赤しコンクリートの女醫私室
書を讀まず搗き立ての餠家にあれば
冬雲と電柱の他なきも罰
夜の雪ひとの愛人くちすすぐ
年新し狂院鐵の門ひらき
教師俳人かじかみライスカレーの膜
穴掘りの腦天が見え雪ちらつく
餠抱きし父の軒聲家に滿つ
寒明けの街や雄牛が聲押し出す
麥の芽が光る厚雲割れて直ぐ
雄鷄に寒の石ころ寒の土くれ
北陸一〇句
わが汽笛一寒燈を呼びて過ぐ
みどり兒も北ゆく冬の夜汽車にて
北國の地表のたうつ樹々の根よ
冬靑きからたちの雨學生濡れ
日本海の靑風桐の實を鳴らす
默々北の農婦よ鮭の頭買ふ
雪嶺やマラソン選手一人走る
冷灰の果雪嶺に雪降れり
雪國や女を買はず菓子買はず
いつまでも笑ふ枯野の遠くにて
寒の狂院兩眼黑く窓々に
人を燒く薪どさどさ地に落す
[やぶちゃん注:「どさどさ」の後半は底本では踊り字「〱」。]
修德學院 六句
[やぶちゃん注:戦前からあった非行や家庭環境・その他の理由によって生活指導を要する子どもたちに対して心身の健全な育成を図る児童自立支援施設(旧称は教護院)。もと修徳館と呼称したが、昭和九(一九三四)年に少年教護法の施行を機に大阪府立修徳学院と改称、現在に至る(柏原市大字高井田)。三鬼は四句目で「少年院」という語を用いているが、誤りである。少年院は法務省矯正局が管轄し、家庭裁判所の保護処分による入院しか行われないのに対し、児童自立支援施設は家庭裁判所の保護処分以外にも知事や児童相談所長といった児童福祉機関による児童福祉法上の措置として入所する場合がある。時代的背景があるとは言え、そこは批判的な読みをすることを望む。]
みかへりの塔涸川の底
院兒の糧大根土を躍り
菊咲かせどの孤兒も云ふコンニチハ
少年院の北風芋の山乾く
寒い教室盜兒自畫像黑一色
孤兒の園枯れたり汽車と顏過ぐる
春曉へ貧しき時計時きざむ
坂上に現じて春の馬高し
病者起ち冬が汚せる硝子拭く
病者の手窓より出でて春日受く
わらわらと日暮れの病者櫻滿つ
病廊にわれを呼び止め妊み猫
病廊を蜜柑馳けくる孤兒馳けくる
ボート同じ男女同じ春の河濁り
法隆寺出て苜蓿に苦の鼾
狂院の向日葵の種握りしめ
崖下に向日葵播きて何つぶやく
五月の地面犬はいよいよ犬臭く
コンクリート割れ目の草や雷の下
種痘のメス看護婦を刺し醫師を刺す
診療着干せば嘲る麥の風
うつくしき眼と會ふ次の雷待つ間
黄麥や渦卷く胸毛授けられ
梅雨の卵なまあたたかし手醜し
崖下へ歸る夕燒
荒繩や梅雨の雄山羊の聲切に
飛行音かぶさり夜の蠅狂ふ
肺強き夜の蛙の歌充ち滿つ
向日葵を降り來て蟻の黑さ增す
星中に向日葵が炎ゆ老い難し
日本の神信ぜず南瓜交配す
梅雨荒れの地に石多し種を播く
梅雨の坂人なきときは水流る
飴をなめまなこ見ひらく梅雨の家
音立てて蠅打つ虹を壁の外に
梅雨晴れたり蜂身をもつて硝子打つ
朝すでに砂にのたうつ蚯蚓またぐ
汗すべる黑衣聖母の齒うがてば
炎天の犬捕り低く唄ひ出す
晝寢の國蠅取りリボンぶら下り
夜となる大暑や
がつくりと祈る向日葵星曇る
唄きれぎれ裸の雲を雷照らす
敗戰日の水飮む犬よわれも飮む
歩く蟻飛ぶ蟻われは食事待つ
貧なる父玉葱嚙んで氣を鎭む
無花果をむくや病者の相對し
秋來たれ病院出づる肥車
滿月のかぼちやの花の惡靈達
落ちざりし靑柿躍る颱風後
脱糞して屋根に働く颱風後
卵白し天を仰ぎて羽拔鷄
何處へ行かむ地べたの大蛾つまみ上げ
病孤兒の輪がぐるぐると天高し
木犀一枝暗き病廊通るなり
秋の夜の浸才消えては拍手消ゆ
石の上に踊るかまきり風もなし
赤蜻蛉來て死の近き肩つかむ
[やぶちゃん注:「マメール」フランス語“Ma mere”は「私の母」の意で、「聖姉妹」にかく振ったのは、聖母マリアに連なるところの「聖女」というニュアンスか。しかし実はフランス語には今一つ“mamelle”“mamelé”という単語があり、
これは「乳房」「乳房のある」という意味で、これは両方の乳房を「姉妹」と隠喩した、グラマーな若い女性患者の換喩であるのかも知れない。]
わが惡しき犬なり女醫の
昭和二十六(一九五一)年七月まで 六〇句
頭覺めよ崖にまざまざ冬木の根
歩くのみの冬蠅ナイフあれば甜め
[やぶちゃん注:底本には「甜め「甜」の右に編者のママ表記がある。ここは「なめ」だから「舐め」とあるべきところ。朝日文庫「現代俳句の世界9 西東三鬼集」(昭和五九(一九八四)年刊)では「舐め」とする。]
煉炭の臭き火税の紙焦す
屋上を煤かけめぐる醫師の冬
冬耕をめぐり幼な子跳ね光る
冬日見え鴉かたまり首伸ばす
硝子戸が鳴り出す林檎食はれ消え
父掘るや芋以上のもの現れず
聲太き牛の訴へ寒靑空
對岸の人と寒風もてつながる
寒の重さ戰の重さ肢曲げ寢る
靜塔カトリツク使徒となる 四句
腦天に霰を溜めて耶蘇名ルカ
洗禮經し頭を垂れて炭火吹く
ルカの箸わが箸鍋の肉一片
同根の白菜食らひ友は使徒
わが天使なりやおののく寒雀
[やぶちゃん注:底本では「おののく」の「お」の右に編者のママ表記がある。]
鳶とわが相見うなづく寒の晝
遠く來し飛雪に額烙かれたり
寒中の金のたんぼぼ家人に見す
下界を吹くごとし火鉢を鷲摑み
戀猫の毛皮つめたし聖家族
寒入日背負ひて赤き崖削る
孤兒の獨樂立つ大寒の硬き地に
吹雪を行くこのため生れ來し如く
水飮みて激しき雪へ出で去れり
犬眠る深雪に骨をかくし來て
野を燒く火身の内側を燒き初む
たんぽぽ地に張りつき咲けり飛行音
血ぬれし手洗ふや朝の櫻幽か
夜の櫻滿ちて暗くて犬嚙み合ふ
春が來て電柱の體鳴りこもる
空中に電工が咳く朝の櫻
電工や雲雀の空に身を縛し
靑芽赤芽を煙硝臭き雨つつむ
菜種星をんなの眠り底知れず
ボートの腹眞赤に塗るは愉快ならむ
鐡路打つ工夫に菜種炎え上り
九州 一三句
若き蛇跨ぎかへりみ旅はじまる
黒く默り旅のここにも泥田の牛
ラムネ瓶太し九州の崖赤し
淸光園療養所 一句
肺癒えよ松の芯見て花粉吸ひて
[やぶちゃん注:「淸光園療養所」福岡県古賀市千鳥の千鳥ケ池周辺にあった国立清光園福岡県結核療養所。昭和三十七(一九六二)年に国立福岡東病院に統合され、現在は古賀市立千鳥小学校が建っている。]
沈みゆく炭田地帶雷わたる
風白き石灰臺地蠅飛び立つ
炭坑の蠅大々と地に交む
眞黑き汗帽灯の下塗りつぶす
塊炭をぶち割る女午後長し
神が火を放つ五月の
何か叫ぶ初夏硬山のてつぺんに
生きものの蜥蜴が光る硬山に
五月雨の
若者の頭が走る麥熟れゆく
麥藁の若き火の音水立ち飮む
胸毛の渦ラムネのノ瓶に玉躍る
横向きの三日月ツツと花火揚がる
忙しき蜘蛛や金星先づ懸る
田の上の濁流犬が骨嚙じる
[やぶちゃん注:底本では「嚙じる」の「嚙」の右に編者のママ表記があるが、これで「かじる」と訓読出来るのでおかしくない。]
梅雨はげし百足蟲殺せし女と寢る
棒立ちの銀河ひげざらざさ唄ふ
後記
この句集は戰前の「旗」戰後の「夜の桃」につづく私の第三句集である。
内容の作品は昭和二十三年一月から二十六年七月までの「天狼」に主として發表したもので、私はその間神戸市山本通、兵庫縣別府、大阪府寢屋川市と轉々と居を移した。その度に職を變じた。
既刊「夜の桃」の内容は、昭和十五年から二十年までの、強ひられた沈默の後であつたので、甚だ餞舌であつた。それに對して俳壇は拍手したのであつた。この句集の内容は、その同じ作者が、前著の態度を改めようとしつつ成したもので、それに對して俳壇は「三鬼は疲れてゐる」と評した。私自身はこの評に服しない。
俳句作家にも What is life? と How to live? の二つの態度がある。所謂進歩的態度は後者である事勿論であるが、私は前者に徹したいと思つてゐる。私には「生き方」のお手本を俳句をもつて指示する勇氣はない。前者に徹する事は後者に通じてゆくと思つてゐる。
二十年來の同行者平畑靜塔氏に序文といふものを書いて貰つた。も一人の同行者三谷常にも賴みたかつたが、忙しそうだから止めた。私が今日、俳句に熱情を持ち續けてゐるのは、良き、古き仲間があるからである。
西東三鬼
[やぶちゃん注:底本では「も一人」の「も」及び「忙しそうだから」「そ」の右にママ注記がある。]
■句集「變身」
(三省堂より昭和三七(一九六二)年二月二十八日発行)
[やぶちゃん注:写真で確認すると、句集題名は新字体で「変身」であるが、冒頭注で示したような私の拘りから、敢えて旧字表記とする。西東氏もお許し下さるであろう。なお、底本凡例によれば、この句集のみ、厳密でない現代仮名遣に拠っているとある。初出などによる歴史的仮名遣の復元も考えたが、やはり凡例に『著者が個々の作品発表に当たり、「現代かなづかい」に準拠するようになったのは昭和三十三年のはじめからである。しかし、以後も時々「歴史的仮名遣」を混淆させている』とあることから、句集全体の統一が徹底しない恨みがあるので今回は諦めた(実際、朝日文庫「現代俳句の世界9 西東三鬼集」(昭和五九(一九八四)年刊)の「変身」(抄録)では多くの箇所が歴史的仮名遣になっている)。]
昭和二十六(一九五一)年十月―十二月 一九句
夏涸れの河へ機關車湯を垂らす
病院の奧へ氷塊引きずり込む
男の顏なり炎天の遠き窓
働くや根のみの虹を地の上に
蚊の聲の糸引く聲が鐵壁へ
低き細き噴水見つつ狂者守る
松山七句
秋の航一尾の魚も現れず
月明の船中透る母呼ぶ聲
萩眞白海渡りきて子規拜む
ふるさとの草田男向うへ急ぐ秋
岩山に風ぶつかれり齒でむく栗
夜光蟲の水尾へ若者乙女の唄
飛行音に硝子よごるる北の風
靑年は井戸で水飮む百舌鳥叫ぶ
枯野の日職場出できし顏にさす
枯野の緣に熱きうどんを吹き啜る
蜘珠の糸の黄金消えし冬の暮
草枯るる眞夜中何を叫ぶ犬ぞ
昭和二十七(一九五二)年 一〇六句
荒壁を押し塗る男枯野の日
握りめし食う枯枝に帽子掛け
[やぶちゃん注:「食う」はママ。]
枯野の中獨樂宙とんで
壁透る男聲合唱蔦死なず
寒夜明け赤い造花が又も在る
北國六句
鐵道の大攣曲や横飛ぶ雪
吹雪く中北の呼ぶ聲汽車走る
墓の雪つかみ啖いて若者よ
鏡餠暗きところに割れて坐す
夜の馬俯向き眠る雪の
北海の星につながり氷柱太る
變な岩を霰が打つて薄日さす
寒の中コンクリートの中醫師走る
朝の氷が夕べの氷老太陽
女あたたか永柱の雫くぐり出で
硬き土みつめて寒の牛あるく
寢るに手をこまねく霜の聲の中
薄氷の裏を舐めては金魚沈む
寒明けぬ
獨りゆけば寒し春星あざむきし
病者等に雀みのらし四月の木
爪とぐ猶幹ひえびえと櫻咲く
いつまで何を指さす病者春夕べ
雲黑し土くれつかみ鳴く雲雀
クローバに靑年ならぬ寢型殘す
靑みどろ稚き娼婦の試歩ここまで
犬つるみ放れず晝三日月止る
鉢卷が日本の帽子麥熟れたり
燕の子眠し食ひたし雷起る
若者の汗が肥料やキャベツ卷く
翼なき鋤牛頭を振り力出す
おたまじやくし乾からびし路先細る
見事なる蚤の跳躍わが家にあり
葱坊主はじけてつよし雲下がる
七面鳥ぶるんと怒るサイレン鳴る
地より口へ苺運び働きに出る
夏はじまる原色べたと病者の畫
死にし人の金魚逆立つ夜の樂
排泄が牛の休息泥田照る
田を植える大股開き雲の下
植えて去る田に黑雲がべつたりと
南瓜の花破りて雷の逃ぐる音
梅雨明り黑く重たき鴉來る
蟻という字を生きて群がるパンの屑
止らず唸る夜の蠅友として仰ぐ
蚊帳を出で脱兎のごとく出勤す
波うつ麥垣穗に病者伸びあがる
鐵板に息やわらかき靑蛙
夜の蠅の大き眼玉にわれ一人
猫嫌いの不死男へ
關西逃れがたしや姙み猫とも寢る
やわらかき蟬生れきて岩つかむ
炎天の岩にまたがり待ちに待つ
鈍重な女の愛や蚊を連れて
暗く暑く大群集と花火待つ
群集のためよろよろと花火昇る
貧しき通夜アイスキャンデー嚙み舐めて
百合におう職場の汗は手もて拭く
蝙蝠仰ぐ善人の腕はばたきて
こがね蟲闇より來り蚊一帳つかむ
黑みつつ充實しつつ向日葵立つ
見おろしの
橋本多佳子邸
ばくと蚊を呑む蝦蟇お孃さんの留守
誓子海屋 二句
土用波地ひびき干飯少しばかり
女の笑い夕荒れ波の襞々に
入道雲あまたを友に職場の汗
崖下に極暑の息を唸り吐く
麥飯に拳に金の西日射す
荒き雲夜中も立てり嘔吐の聲
靑崖をむしり食ふ山羊繩短し
朝燒を外後架の蟻さまよう
木の無花果食ふや天雷遠き間に
電工の登り切つたる鰯雲
秋風の屋根に生き身の猫一匹
ばかりの朝顏おのれ卷きさがる
旱り田の濛々たるに折れ沈む
土用波へ腹の底より牛の聲
家中を淨む西日の隅にゐる
夕雲をつかみ歩きて蜘蛛定まる
蚊帳出でて蚊の密集の声に入る
黑人にわれに富士山なき秋雨
東京に駄馬の蹄鐵音さわやか
旅毎日芙蓉が落ちし紅き音
雲いでし滿月暗き沖のぞく
十五夜の舟にすつくと男立つ
菓子を食う月照るいわし雲の下
職場へ行く枯向日葵を火となして
病室の床に光りて蟻働く
硝子の窓羽音たしかに梅雨の鳥
恐るる人脅ゆる土に月あまねし
業火降るな今は月光地を
幼き蜂むらがり瓦舐め飽かず
柿轉ぶコンクリートの中死ぬまで病む
秋雨のぬかるみ探し笑みつつ來る
姿なく深き水田の稻を刈る
稻扱機高鳴る方へ犬跳びゆく
蓮掘りが手もておのれの脚を拔く
豐隆の胸へ舞獅子口ひらく
冬の蜂病舍の硝子拔けがたし
女が伐る枯向日葵の莖の棒
朝日さす焚火を育て影を育て
河豚啖いて
[やぶちゃん注:底本のルビは「デツキ」であるが、これは長く続いてきた出版物の促音ルビの同ポイント表記と見做し、促音化した。以下、『變身』内では促音については同様の処置を施した。以下、注を略す。]
昭和二十八(一九五三)年
電線がつなぐ電柱枯るる中
沖遠し靑年が釣り河豚鳴けり
皮のまま林檎食ひ缺く沖に船
孤兒癒え近しどんぐり踏みつぶし
犬の戀のせて夜明けの土寒し
蝮の子頭くだかれ尾で怒る
海峽に髮逆立てて釣るは河豚
雪山呼ぶ
月光に黑髮炎ゆる霜の草
落葉降る動かぬ雲より鐡道へ
共に寒き狂者非狂者手をつなぐ
月光と霜と荒野を電報來し
赤子泣き凍天切に降りいでぬ
黑き人々河原燒く火に手をかざす
大寒の電柱一本まつすぐ立つ
仁森啓之に
金屬の脚が零下の地を進む
[やぶちゃん注:「仁森啓之」不詳。識者の御教授を乞う。]
年新し頭がちの雀眼をつむる
餠ふくらむ荒野近づく聲ありて
日雇の焚火ぼうぼう崖こがす
裸田を眞直ぐに農夫風と來る
寒の水地より噴き出で血のごとし
空靑しかじかむ拳胸を打つ
老兄を見舞う 五句
癌の兄聲音しづかに受話器を來る
死病の兄眞向う囘轉椅子囘し
膝に菓子の粉こぼれ兄弟死が近し
昇降機に老いし兄弟顏近し
癌の兄と別れ直ぐ泣く群集裡
[やぶちゃん注:三鬼、本名斎藤
木枯も使徒の寢息もうらやまし
つらら太りほういほういと泣き男
ピアノ烈し氷の月は樹の股に
極寒の寢るほかなくて寢鎭まる
脱走せり林檎すかりと皿に置き
あとかたもなし雪白の田の
暗き春桃色くねるみみずの子
老人の小走り春の三日月へ
泥濘のつめたさ春の城ゆがむ
花冷えの城の石崖手で叩く
あかつきの鶯のあと雀たのし
春は君も鐡材叩き唄うかな
考えては走り出す蟻夜の卓
たんぽぽ莖短し天心に靑い穴
春園のホースむくむく水通す
重き夜の中さくら咲き犬走る
硝子割れ病者に春の雲ぢかに
さくら冷え老工石切る火花
ふるえ止まぬ車内の造花春の暮
五月の地表より光る釘拾い上ぐ
息せるや菜の花明り片頰に
病舍へ捧げゆく新しき金魚と水
戀過ぎし猫よとかげを食ひ太れ
葱の花黑き迅風に雲ちぎれ
[やぶちゃん注:「迅風」は「はやて」と読む。]
黄麥の上に雲雀の唄死なず
光つつ五月の坂を登りくる
濡れて貧しき土に鐵骨ある五月
みどり子の頰突く五月の波止場にて
頭暑し沖なき海の動かぬ船
畦塗るを鴉感心して眺む
靑崖の生創洗い梅雨ひそか
燕の巣に雀住みつき暑苦し
蛙の唄湧き滿ちて星なまぐさし
咆えてもみよ住きては復る泥田の牛
[やぶちゃん注:「住きては」は「ゆきては」で、「復る」は「かえる」であろう。「もどる」はどうも音が悪い。]
びしょ濡れの梅雨川切つて蛇すすむ
鐵の手に紙箱
黄麥につつたち咽喉に水注ぐ
栗の花われを見拔きし犬ほゆる
父のごとき夏雲立てり津山なり
[やぶちゃん注:三鬼は明治三三(一九〇〇)年五月十五日に岡山県苫田郡津山町大字南新座に生れた。]
平らなる大暑と靑田農夫小さし
湯原温泉
[やぶちゃん注:「湯原温泉」は「ゆばら」と読み、岡山県県北の真庭市湯原温泉
川湯柔か高くひぐらし低く河鹿
湯の岩を愛撫す天の川の下
室賀氏母堂獨り住む
靑谷に母うつくしく鯉ふとる
[やぶちゃん注:「室賀氏」三鬼は昭和二三(一九四八)年に山口誓子を擁して『天狼』を創刊して編集長となるが、同年、同時に「激浪」を主宰し、その発行所を津山市上之町の室賀達亀方に置いている。この人物であろう。]
老兄を見舞う 三句
徴の家跳びだし急行列車に乘る
梅雨富士の黑い三角兄死ぬか
梅雨烈し死病の兄を抱きもせず
梅雨去ると全き圓の茸立つ
揚羽となり裂けし大樹を離れたり
赤松の一本ごとの西日立つ
機關車の瘤灼け孤り野を走る
[やぶちゃん注:「孤り」は「ひとり」と読ませていよう。]
梅干舐む炎天遠く出でゆくと
炎天に聲なき叫び下駄割れて
猫に啼き歸るところあり天の川
合歡咲けりふるさと乙女下駄ちさし
荒園の力あつまり向日葵立つ
八方にスト雲までの草いきれ
基地臭し炎天の犬尾をはさみ
空手涼し三日月よりの風ひらひら
土ひややか空洞の松伐り倒され
秋滿つ寺蝶の行方に黑衣美女
吠える犬秋の濁流張り流れ
眼帶の内なる眼にも曼珠沙華
葉山、千賀夫人に
羊齒裏葉にぎやか弓子夫人癒えよ
[やぶちゃん注:「千賀夫人」は恐らく「弓子夫人」と同一人物と思われるが、不詳。]
片蔭の家の奧なる眼に刺さる
雷落ちしや美しき舌の先
秋風に光る根株へ磯づたう
ちちろ聲しぼり鐵塔冷えてゆく
憂し長し鰯雲への滑走路
濁流や秋の西日に蝶染まり
崖となりつつ秋の石塊個々光る
石工若し散る石片が秋の花
露乾き農の禿頭ゆらゆら行く
金蠅とかまきり招きわが燈火
稻雀笑いさざめく朝日の樹
梢さしひらめく鵙や土工掘る
秋の蜂若き石工の汗舐めに
案山子ならず拳で顏の汗ぬぐう
雌が雄食ふかまきりの影と形
長兄遂に死す 五句
通夜寒し居眠りて泣き覺めて食う
死顏や林檎硬くてうまくて泣く
兄葬る笙ひちりきや齒の根合はず
ごうごうと燒きつくす音兄も菊も
箸はさむ骨片の兄許し給え
昭和二十九(一九五四)年 一一一句
聲なり刈田の果に叫びおる
腰叩く刈田の農夫誰かの父
凶作の刈田電柱唸り立つ
木枯や晝の鷄鳴吹き倒され
默契の雄牛と我を霰打つ
滿天に不幸きらめく降誕祭
凶作の稻扱きの音入日枯れ
角砂糖前齒でかじる枯野の前
手を分つ石壁の角どこかに火事
生き馬のゆくに從い枯野うごく
霜柱兄の缺けたる地に光る
誓子山莊 二句
寒嚴に師の咳一度二度ひびく
荒れし谷底光りて寒の水流る
海鼠嚙む汝や戀を失いて
傍觀す女手に鏡餠割るを
しん底寒し基地に光の柱立つ
坂上げて枯野の雲を縱に裂く
鴉飛び立てり羽ばたく枯野男
姿なく寒明けの地を馳け過ぎし
太郎發病
寒星は天の空洞子の病氣
病む顏の前の硝子に雪張りつく
[やぶちゃん注:「太郎」は三鬼の長男(当時二五歳)。この一月に喀血した。後、昭和三十六(一九六一)年に彼は婚約しており(底本年譜に同年九月『二十三日、大森で長男太郎の婚約者』に初めて対面、『二十五日、角川源義に媒酌人を依頼』とあるから、予後はよかったものと思われる。知る人ぞ知るであるが、三鬼の女性遍歴は華やかで、この初婚の妻子の元からは昭和一七(一九四二)年十二月に出奔、同年の年譜には『再び妻子のもとに帰ることはなかった』とある。]
大阪造船所 九句
濕地帶寒打サイレン尾を曳きずる
黑き男鐵船へ入る寒の暮
船組むや大寒の沖細明り
造船所壁無し言葉の白き息
白息を交互に吐きて鐵板打つ
未完成の船の奧にて白息吐く
造船所寒燈も酸素の火も裸
雛の蹴爪ほどの薔薇の芽ただ恃む
紙の櫻黑人悲歌は地に沈む
大きかな師の體臭と木の葉髮
蜂は脚ぶら下げ主婦は手動かし
春の驛喫泉の穗のいとけなし
[やぶちゃん注:「喫泉」とは水飲み場の立位で啜るタイプの水道栓を言うものと思われる。]
死の灰や砂噴き上げて春の泉
櫻冷え看護婦白衣脱ぎて病む
土團子病孤兒の冬永かりし
向日葵播き雲の上なる日を探す
上向く芽洗濯の足袋みな破れ
ゆるやかに確かに雲と麥伸びる
肉煮る香羊齒はこぶしの指ひらく
死の灰雲春も農婦は小走りに
顏天使前向き耕人うしろ向き
[やぶちゃん注:底本に、親本の原注として、『「顔天使」とは中世の画家が、天使に首以下は無用として、顔に翼生えた天使を描きしを言う。』と脚下に附す。]
日の出前蝌蚪に
馬と人泥田に插さり勞働祭
がつくりと菜殼火消えて雨降り出す
黄麥滿ち聲應へつつ牛と牛
笑つている蜂にさされても主婦は
眼をあけて蝮の眠る薔薇の下
誕生日靑無花果に朝日照る
犬逸り五月乙女の腕伸び切る
母の腰最も太し麥を刈る
童女かがみ尿ほとばしる麥の秋
照る岩に刈麥干して山下る
物いはず筍をむく背おそろし
伊豆 五句
靑伊豆の鴉吹き上げ五月の風
海から無電うなずき歩む初夏の鳩
オートバイ照る燈臺へ岩坂跳ね
暮るる礁に羽根ひろげ待つ雄の鵜か
黑南風の岬に立ちて呼ぶ名なし
[やぶちゃん注:「黑南風」は「くろはえ」と読み、梅雨の初めに吹く南風のこと。]
胡瓜もぎ嚙みて何者かと語る
蛇の卵地上に並べ棒で打つ
いやな立雲樹の垂直を蟻走る
[やぶちゃん注:「立雲」は「たちぐも」で、入道雲の異称。]
蛙の大合唱くらやみの地を守る
赤羊羹皿に重たし梅雨三日月
金魚浮き時を吸いては泡を吐く
炎天や濡れて横切るどぶ鼠
西瓜切るや家の水氣と色あふれ
骨のみの工場を透きて盆踊
炎天勇まし砂利場に砂利滿てり
物が見え初めし赤子蠅飛び交う
颱風來つつあり大小の紙の鶴
よく遊べ月下出でゆく若衆猫
血ぶくれの蚊を打つ蚊帳の白世界
西日照る若き石崖颱風前
夏草にうめく鐡路の切れつぱじ
十五夜の怒濤へ若き踊りの手
つぎはぎの秋の國道乳房跳ね
滿月下ブリキの家を打ち鳴らす
暗き露へ頭中の女振り落す
剥製の雉子狂院の秋やすらか
秋風に岩もたれあい光りあう
みずすまし遊ばせ秋の水へこむ
のけぞる百舌鳥雲はことなくみゆれども
棒立ちの急所急所に百舌鳥ひびく
十月の雨粉炭の山に浸む
鷄頭の硬き地へ貧弱なる嚔
枝の蛇そのまた上の鰯雲
秋の蠅嚴につるめり沖昏む
秋草に寢れば鷄鳴「タチテユケ」
卵割りし一事確かに秋の朝
鷄頭の幹も鷄頭地に沈む
愛語通り過ぐ秋山の握り飯
樹々黑く唇赤し秋の暮
かまきり立つ若く貧しき山遊び
葉鷄頭食い荒したる日傾く
眼そらさず枯かまきりと猫と人
鳴き殘る蟲や滿員電車發つ
金の蠅枯野へ飛びぬ硝子戸閉ず
昭和三十(一九五五)年 一四三句
刈田照り赤き童女の一つまみ
藁塚作る朝日に笑ひまきちらし
荒るる潟鳰くつがへり冬日照る
つまずく山羊かえりみ走る枯野乙女
小赤旗ちぎれんばかり枯野工場
北國の意志の巖あり落葉す
聲なりし寒禽霧をつらぬき
冬潟の荒れにこぎ出で何を得る
冬日照農の埃のはげ頭
雪ちらほら古電柱は拔かず切る
風呂場寒し共に裸の油蟲
脚ちぢめ蠅死す人の大晦日
寒鮒黑し金魚昇天したるあと
眉と眼と間曇りて雪が降る
百の貧患者に寒のぼろ太陽
寒の星一點ひびく基地の上
霜燒けの薔薇の蕾に飛行音
枯山に日はじわじわと指えくぼ
地にころぶ黑寒雀今の友
枯土堤の山羊の白さに
少女舌出すごと頂上に雪すこし
島津亮を見舞う
君生きよ風船の笛枯野に鳴る
[やぶちゃん注:
かかわりなき賣地の霰こまかな粒
枯山に路あり赤き手の女中
寒雷やセメント袋石と化し
寒行の足音戰前戰後なし
ヘヤピンを前齒でひらく雪降り出す
寒嚴に乘る腹中に餠溶けて
寒肥まく貧の小走り小走りに
酸素の火みつめ寒夜の鐵假面
鐡色に戻る寒夜の燒爐出て
寒木が枝打ち鳴らす犬の戀
春の崖に黄金朝日バタなき麺麭
芽吹くもの風化の巖に根を下ろし
死の灰や戀のポートの尻沈み
冬越え得し金魚の新鮮なる欠伸
[やぶちゃん注:「欠」は私の恣意的な判断で正字化しなかった。]
春の沖へ叫ぶ根のある嚴に立ち
最高となり廿舊上の巖の林檎
蠅黑く生れ山中の嚴つかむ
極寒の病者の口をのぞき込む
寒燈を消し滅亡に驛眠る
病院の岩窪の霧夜光る
貧しき退院胸に霰をはじきつつ
踏切番の口笛寒夜の木割りつつ
浮き沈む雪片石切場の火花
無口の牛打ちては個々に死ぬ霰
卒業近し髮揚げ耳を掻く片眼
石炭にシャベル突つ立つ少女の死
木の芽山容漉き印度人の墓碑
鳥も死にしか春山墓地の片つばさ
春山に小市民と犬埴輪の顏
しやべる戀春もよごれて雀らは
羽ばたけり腐れ運河の春の家鴨
春山にひらく辨當こんにやく黑し
蠅生れ墓石を舐め羽づくろい
肉色の春月燃ゆる墓の上
春園の巖頭ゆで卵もて叩く
すみれに風一段高くボートの池
囘る木馬一頭赤し春の晝
子を追いて馳け拔ける犬夕櫻
春の洲に牛の重みの足の跡
この鐡路霞の奥にグヮンと打つ
農夫婦帽子あたらし麥あたらし
櫻ごし赤屋根ごしに屍室の扉
雨の珠耳朶にきらめく勞働祭
水ありて蛙天國星の闇
印旛沼 五句
――秋元不死男、石塚友二等と――
栗咲けりピストル型の犬の
黑蝶となり靑沼にくつがへる
靑沼ヘ音かたぶきて晝花火
腰以下を黑き沼田に
よしきりや石塚友二身を投げず
石の獅子五月の風に鼻孔ひらく
雌雀に乘り降り乘り降り
靑梅が瘦せてぎつしり夜の甕
皺だみし干梅嚙んで何なさむ
麥車曳きなし遂げし牛の顏
電報の文字は「ユルセヨ」梅雨の星
光る針縫ひただよへり黴の家
大野音次の死 八句
蚊帳よろけいで片假名の訃報よむ
彼の死へ夏河渡り夏山越え
炎天に體浮くごとし弟子の死へ
團扇動かす膝立てしなきがらへ
これは
手を振つて死顏の蠅拂うのみ
雷若し胎に動きてすでに遺兒
棺あまり小さし海南風に待つ
[やぶちゃん注:三鬼の愛弟子大野音次は同年六月二十六日に急逝した。編者注に『断崖』初出の原題は「弟子の死」とある。最後の句の「海南風」は「かいなんふう・かいなんぷう」と読み、夏の季語で、南の海方向から吹き寄せる季節風のこと。「うみみなみ」とも読むが、ここは「かいなん/ふう」であろう。因みに、恐らくは次の句の「彼」も音次と思われる。]
彼の亡き地上綠䕃日の模樣
發光する基地まで闇の萬の蛙
尺八細音暗き家出で炎天へ
片蔭にチンドン屋夫妻しつかな語
動くもの靑炎天の肥車
藥師寺
苗代の密なる綠いつまで
梅雨雀古代の塔を湧き立たす
梅雨荒れの砂利踏み天女像へゆく
佛見る間梅雨の野良犬そこに待てよ
天女の前ゴム長靴にほとびし足
泥鰌に泥鴉に暗綠大樹あり
淺井久子を見舞う
手鏡に梅雨の渦雲ひた寄する
[やぶちゃん注:俳人と思われる。塚本邦雄の「百句燦燦」(講談社一九七四年)の掲載俳人の中に彼女の名が認められる。]
朝蟬の摺り摺る聲と日の聲と
大旱の崖の赤土ゑぐる仕事
大旱の岩起す挺子弓反りに
大旱や子の泣聲の細く長く
一片の薔薇散る天地旱の中
下駄はきて星を探しに雷後雨後
廣島の忌や浮袋砂まぶれ
原爆の日の擴聲器沖へ向く
眼を張りて炎天いゆく心の喪
[やぶちゃん注:「いゆく」の「い」は接頭語で、行く、の意。万葉の時代から用いられた古語。]
天地旱トラックの尾の赤き布
土色ばつたのため平らかに白光土
大旱やトラック砂利をしたたらす
岡山縣
高原の蝶噴き上げて草いきれ
高原の靑栗小粒日の大聲
火山灰高地玉蟲のきりきり舞
高原の枯樹を離れざる蟬よ
死火山麓泉の聲の子守唄
今生の夏うぐひすや火山灰地
ダム厚く暑し水沒者という語あり
ダムの上灼けて土工の墓二十
仰向きて泳ぐ人造湖の隅に
[やぶちゃん注:「蒜山高原」「蒜山」は通常は「ひるぜん」と読み、岡山県真庭市と鳥取県関金町との境にある高原地。西から上蒜山・中蒜山・下蒜山の蒜山三座と呼ばれる峰が並び、その南に蒜山高原が広がる。これらの吟は同年八月に津山へ帰郷した際に、
切に濡らすわれより若き父母の墓
大旱の赤三日月の女憂し
銀河の下犬に信賴されて行く
晩夏の音鐵筋の端みな曲り
石山寺など 五句
廢兵の樂ぎざぎざの秋の巖へ
搖れていし岩間の曼珠沙華折らる
豐年や湖へ神輿の金すすむ
大いなる塵罐接收地區の秋
[やぶちゃん注:「塵罐」は恐らく、「ちりかん」と読み、駐留の米軍住宅か基地の中の大きな金属製の円筒型ゴミ入れと考えられる。]
義仲寺
秋日さす割られ繼がれし「芭蕉墓」
[やぶちゃん注:底本は表記通り、「義仲寺」の前書の高さは前の「石山寺など 五句」の前書と同じ。しかし、この句はこの「石山寺など」の中に含まれる「五句」であるから、この「義仲寺」の前書きは本来なら「石山寺など 五句」よりも一字下げでなくてはならない。]
松山 二句
秋の夜の海かき囘し出帆す
船欄に夜露べつとり逃げる旅
城山が透く法師蟬の聲の網
風化とまらぬ岩や舟蟲一族に
秋の男二人に化石個々白し
貧農の軒とうもろこし石の硬さ
頭上げ下げ叫ぶ晩夏のぼろ鴉
出勤の足は地を飛びばつた跳ぶ
愛撫する月下の犬に硬き骨
河ほとり人住む小箱聲なき百舌鳥
手にくだく落葉稻扱く場を過ぎて
野良犬よ落葉にうたれとび上り
大乳房ゆらゆら刈田より子等へ
ざぼん黄色三味たどたどと母遊ぶ
月下匂う殘業終えし少女の列
工場出る爪むらさきの秋の暮
豐年の黑き裸を
秋の夜の地下にうつむき皿洗う
鳶光る岩山の雲冷ゆる中
秋の河滿ちてつめたき花流る
昭和三十一(一九五六)年 一一四句
霧ひらく赤襟卷のわが行けば
枯樹鳴る石をたたみし道の上
老の仕事大根たばね木に掛けて
聖誕祭わが體出でし水光る
相寄りし枯野自轉車また左右へ
地下の街誰かの老婆熟柿賣る
相寄りし枯野自轉車また左右へ
寒夜の蜘蛛仮死をほどきて失せにけり
眼がさめてたぐる霜野の鷄鳴を
地下の街誰かの老婆熟柿賣る
機關車單車おのが白息踏み越えて
聖誕祭男が流す眞赤な血
靜塔へ
蟹の脚嚙み割る狂人守ルカは
悼日野草城先生 六句
寒き花白蠟草城先生の足へ
死者生者共にかじかみ合掌す
觸れざりき故草城先生の廣
師の柩車寒の砂塵に見失ふ
深く寒し草城先生燒かるる爐
寒の鳥樹にぶつかれり泣く涙
[やぶちゃん注:「ミヤコホテル論争」で知られた日野草城(明治三四(一九〇一)年~昭和三一(一九五六)年)は昭和二一(一九四六)年に肺結核を発症、以後十数年、病床にあった。心臓衰弱のためにこの年の一月二十九日に亡くなった。底本注に初出の『断崖』では前書は『悼舊師』とある(「旧」を正字化した)。]
初日さす蓮田無用の莖滿てり
走れずよ谷の飯場の春著の子
夜の吹雪オーデコロンの雫貰う
山の若者五人が搗きし餠伸びる
初釜のたぎちはげしや美女の前
寒きびし琴柱うごかす一つずつ
寒夜肉聲琴三味線の老姉妹
獅子頭背にがつくりと重荷なす
霰を撥ね石の柱のごとく待つ
雪晴れの船に乘るため散髮す
膝にあてへし折る枯枝女學生
卒業や尻こそばゆきバスに乘り
寒明けの水光り落つ駄金魚に
昭和穴居の煙出しより春の煙
襁褓はためき春の山脈大うねり
老殘の藁塚いそぐ陽炎よ
下萌えの崖を仰げば子のちんぽこ
紅梅の蕾を噴きて枯木ならず
薪能薪の火の粉上に昇る
火を焚くが仕丁の勤め薪能
中村丘の死
自息黑息骸の彼へひた急ぐ
髮黑々と若者の死の假面
死にたれば一段高し蠟涙ツツ
立ちて凍つ弟子の燒かるる穴の前
手の甲の雪舐む弟子を死なしめて
弟子葬り歸りし
亡者釆よ櫻の下の晝外燈
若者死に失せ春の石段折れ曲る
[やぶちゃん注:底本の編者注に、初出『断崖』の原題は『丘に捧ぐ』とする。中村丘は三鬼と同じ津山市出身で、三鬼門流の『断崖』に属していた若き俳人であったが、この年の二月十六日に自殺(短銃によるものとされる)した。享年二十一歳であったが、実はその背景には三鬼の愛人との三角関係があった。私も所持する沢木欣一・鈴木六林男共著「新訂俳句シリーズ・人と作品13 西東三鬼」(桜楓社昭和五四(一九七九)年刊)に詳しいが、「齋藤百鬼の俳句閑日」の「三鬼と若き俳人の自死」に上手く纏められているので参照されたい。]
汝も吠え責む春山霧の中の犬
うぐひすの夕べざくりと山の創
冷乳飮む下目使いに靑麥原
春のミサ雨着に生まの身を包み
道しるべ前うしろ指し山櫻
黑冷えの蓮掘りのため菜種炎ゆ
木の椿地の椿ひとのもの赤し
靑天へ口あけ餌待ち雀の子
一指彈松の花粉を滿月へ
遠くにも種播く拳閉ぢ開く
尺八の指撥ね春の三日月撥ね
牛の尾のおのれ鞭打ち耕せる
芽吹きつつ石より硬し樫大樹
代田出て泥の手袋草で脱ぐ
麥秋や若者の髮炎なす
今つぶすいちごや白き過去未來
吸殼を突きさし拾う聖五月
中村丘の墓
若者の木の墓ますぐ綠斜面
田掻馬棚田にそびえ人かがむ
田を出でて早乙女光る鯖買える
五月の風種牛腹をしぼり咆え
梅雨の崖屑屋の秤光り來る
下向きの月上向きの蛙の田
毛蟲燒く梯子の上の五十歳
茣蓙負ひて田搔きの腰をいつ伸ばす
若くして梅雨のプールに伸び進む
黴の家振子がうごき人うごく
旅の梅雨クレーン濡れつつ動きつつ
田を植うる無言や毒の雨しとしと
太郎病氣再發
鮮血噴く子の口邊の鬚ぬぐふ
[やぶちゃん注:底本年譜の同年六月の項に、『長男太郎、再喀血。入院手術のため上京。角川書店に就職のため』、勤務していた大阪女子医科大学(現在の関西医科大学)付属
眼を細め波郷狹庭の蠅叩く
犬にも死四方に四色の雲の峰
雷火野に立ち蟻共に羽根生える
[やぶちゃん注:「雷火野に」「らいか/のに」と読むか。]
失職の手足に羽蟻ねばりつく
艦に米旗西日の潮に下駄流れ
老いは黄色野太き胡瓜ぶらさがり
蚊帳の蚊も靑がみなりもわが家族
岩に爪たてて空蟬泥まみれ
靑萱につぶれず夫婦川渉る
炎天にもつこかつぎの彼が弟子
鰯雲小舟けなげの頭をもたげ
垂れし手に灼け石摑み貨車を押す
秋富士消え中まで石の獅子坐る
秋濱に描きし大魚へ潮さし來
子の手術
太郎に血賣りし君達秋の雨
乳われを見んと麻醉のまぶたもたぐ
津山、
龜の甲乾きてならぶ晩夏の城
今が永遠顏振り振つて晩夏の熊
赤かぼちや開拓小屋に人けなし
つめたき石背負ひ開拓者の名を背負う
痩せ陸稻へ死火山脈の吹きおろし
雨の粒冷泉うちて玉走る
老いし母怒濤を前に籾
冬海の巖も人型うるさしや
落葉して裸やすらか城の樹々
風よよと落穗拾いの横鬢に
赤黒き掛とうがらしそれも欲し
黄林に玉のごとしや握り飯
枯山の筑波を囘り呼ぶ名一つ
金の朝日流寓の寒き崖に洩る
北への旅夜明けの鵙に導かれ
城の濠涸れつつ草の紅炎えつつ
石の冬靑天に鵙さけび消え
汽車降りて落穗拾ひに並ばんかと
藷殼の黑塚群れてわれを待つ
冬耕の馬を日暮の鵙囃す
一切を見ず冬耕の腰曲げて
昭和三十二(一九五七)年 九七句
新年を見る薔薇色の富士にのみ
一波に消ゆる書初め砂濱に
初漁を待つや枕木に油さし
初日一さす畦老農の二本杖
刈株の鎌跡ななめ正月休み
熱湯を噴く巖天に初鴉
ばら色のままに富士凍て草城忌
[やぶちゃん注:「草城忌」一月二十九日。日野草城の一周忌。]
小鳥の巣ほどけ吹かれて寒深む
雪片をうけて童女の舌ひつこむ
北極星ひかり生きもの餠の黴
薔薇の芽のきびの如し寒日ざし
寒の雨東京に馬見ずなりぬ
鳴るポンプ病者養う寒の水
石橋に厚さ増しつつ雪輕し
凍り田に歸り忽ち鷺凍る
影過ぎてまたざらざらと寒の壁
老いの足小刻み麥と光踏み
耳に手を添え耕し同志遠い話
野良犬とわれに紅皿寒の濱
春山の氷柱みずから落ちし音
生ける枝杖とし春の尾根傳い
紅梅のみなぎる枝に死せる富士
斷層に蝶富士消えて我消えて
寒き江に顏を浮べて魚泳ぐ
弟子の忌や紙の櫻に小提灯
[やぶちゃん注:時系列から見て、前年二月十六日に自殺した中村丘の一周忌である。]
春晝の巖やしたたり絞りだし
うぐひすや巖の眠りの眞晝時
すみれ搖れ大鋸の急がぬ音
紋章の蝶消え春の巖のこる
日の遠さ撓めしばられて梨芽吹く
春濱に食えるもの
富士滿面櫻滿開きようも不漁か
ぼろの旗なして若布に東風荒し
網つくろう胡坐どつかと春の濱
荒れる海「わしらに花見はない」と漁夫
荒海や巖をあゆみて蝶倒る
斷崖下海足裏おどり母の海女
流木を火となし母の海女を待つ
太陽へ海女の太腕蚫さゝげ
浮くたびに磯笛はげし海中暗し
海女浮けよ焚火に石が爆ぜ跳べり
笑う漁夫怒る海蛇ともに裸
靑嵐滅びの砂岩砂こぼす
喫泉飮む疲れて黑き鳥となり
ふつふつと生きて夜中の梅雨運河
落梅は地にあり漁師海にあり
黴の家單音ひかり佛の具
荒梅雨の沖の汽笛や誰かの忌
梅雨赤日落つるを海が荒れて待つ
モナリザは夜も眠らず黴の花
かぼちや咲き眼立て爪立て蟹よろこぶ
やわらかき子等梅雨の間の岩礁に
花火見んとて土を踏み階を踏み
青森一〇句
舌重き若者林檎いまだ小粒
鐡球の硬さ靑空靑林檎
長柄大鎌夏草を薙ぐ惡を刈る
落林檎澁し阿呆もアダムの裔
横長き夕燒太宰の山黑し
乘らざりし連絡船
なお北へ船の半身夕燒けて
靑高原わが變身の裸馬逃げよ
炎天涼し山小屋に積む冬の薪
寡默の國童子童女に草いちご
港灣や靑森の蟬のけぞり鳴く
つつ立ちてゆがみゆく顏土用波
富士見ると船蟲集う秋の巖
笛吹き立ち太鼓打ち坐し秋の富士
漁夫の手に綿菓子の棒秋祭
濡れ紙で金魚すくうと泣きもせず
パシと鳴るグローブ晩夏の工場裏
長良川 一〇句
夜と晝
鵜舟曳く身を折り曲げて雇われて
火の粉吐き突つ立つ鵜匠はたらく鵜
早舟の火の粉鵜川の皮焦がす
はばたく鵜古代の川の鮎あたらし
潛り出て鮎を得ざりし鵜の顏よ
晝の鵜や
いわし雲細身の鵜舟ひる眠る
籠の鵜が飢えし河原の鳶をみる
鵜の糞の黄色鮮烈秋の風
晝の今淸しなまぐさかりし鵜川
枯れ星や人形芝居幕を引く
食えぬ茸光り獸の道せまし
ぅつむきて黑こほろぎの道一筋
立ちて逃ぐる力欲しくて芋食うよ
冬の蠅耳にささやく最後の語
こほろぎが暗闇の使者跳ねてくる
岐阜二句
秋の鳶城の森出て宙に遊ぶ
板垣銅像手上げて錆びて秋の森
冬怒る海へ靑年石投げ込む
曲る梃子霜もろともに巖もたげ
枯葉のため小鳥のために石の椅子
子の指先彌次郎兵衞立つ大枯野
安定所の冬石段のかかる磨滅
寒月下の戀雙頭の犬となりぬ
河豚鍋や愛憎の憎煮えたぎり
月枯れて漁夫の墓みな腕組める
昭和三十三(一九五八)年 八五句
個は全や落葉の道の大曲り
落葉して木りんりんと新しや
夜の別れ木枯炎ゆる梢あり
ネロの業火石燒芋の竈に燃ゆ
地に立つ木離れず鳥も切れ凧も
南伊豆一二句
枯廣き拓地の聲は岩起す
岩山の淺き地表に豆の花
餠燒けば谷間の鴉來よ來よと
鼻風邪や南面巨巖ありがたく
死顏の寒季の富士は夜光る
刈田靑み伊豆の重たき鴉とぶ
山畑のすみれや背負う肥一桶
老いて割る嚴や金柑鈴生りに
蕗の薹岩間の土にひきしまる
呼ぶ聲や寒嚴の胎深きより
岩山の北風靑し目白捕り
犬妊み寒潮に浮く島七つ
素手で搔く岩海苔富士と共に白髮
夜の吹雪言葉ごとく耳に入る
寒析に合せて生ける肌たたく
[やぶちゃん注:「寒析」は「かんたく」と読む。「析」とは拍子木のこと。冬の季語。]
黑き月のせて三日月いつまで冬
これが最後の枯木の踊一つ星
落椿かかる地上に菓子のごとし
花咲く樹人の別れは背を向け合い
岩傳う干潟の獨語誰も聞くな
うぐひすや死顏めきて嚴に寢て
絶壁の氷柱夜となる底びかり
永柱くわえ泣きの涙の犬走る
寒のビール狐の落ちし顏で飮む
吹雪く野に立ち太き棒細き棒
首かしげおのれついばみ寒鴉
天の國いよいよ遠し寒雀
犬を呼ぶ女の口笛雪降り出す
宙凍てて鐵骨林に火の鋲とぶ
降る雪を高階に見て地上に濡る
蠅生れ天使の翼ひろげたり
道場の雄叫び春の鳩接吻
忘却の靑い銅像春のデモ
櫻冷え遠方へ砂利踏みゆく音
老斑の月よりの風新樹光る
體ぬくし大綠䕃の綠の馬
まかげして五月えを待つよ光る沖
[やぶちゃん注:「まかげ」は「目陰・目蔭」で、遠くを見る際、光線を遮るために手を額に
誕生日五月の顏は犬にのみ
荒れ濁る海へ草笛鳴りそろう
分ち飮む冷乳蝕の風起る
[やぶちゃん注:同年四月十九日に日本で大きく欠ける日食があった。]
いま淸き麻醉の女體朝の月
緑蔭の累卵に立ち鹽の塔
[やぶちゃん注:「累卵」は卵を積み重ねること。また、「累卵の危うき」で、積み上げた卵のように、非常に不安定で危険な状態の譬えともなる(「史記」范雎伝に拠る故事成句)。実景にこの故事を利かせるか。]
光る森馬には馬の汗ながれ
荒地すすみ朝燒雀みな前向き
遁走の蟬の行手に落ちゆく日
耳立てて泳ぐや沖の聲なき聲
強き母弱き父田を植えすすむ
假住みのここの藪蚊も縞あざやか
大島・下賀茂 一二句
夜光蟲明日の火山へ船すすむ
知惠で臭い狐や夏の火山島
死者生者竜舌蘭に刻みし名
溶岩の谷間文字食う山羊の夏
靑バナナ逆立ち太る硝子の家
飛び込まず眼下巖嚙む夏潮へ
母音まるし海南風の
[やぶちゃん注:ルビの「らば」は日本語ではない。“lava”(ラヴァ)で英語で溶岩の意。元来はイタリア語の豪雨で突然発生した奔流の意の“lava”が語源。]
ラムネ瓶握りて太し見えぬ火山
聲涼しさぼてん村の呆け鴉
巖窟の泉水增えし一滴音
老いの手の線香花火山犬吠え
裸そのまま力士の泳ぎ秋祭
秋祭生きてこまごま光る
秋潮に神輿浮かべて富士に見す
天高しきちがいペンをもてあそぶ
石崖に嚙みつく蝮穴まどひ
梯子あり颱風の目の靑空へ
颱風の目の空氣中
新涼の咽喉透き通り水下る
つぶやく名良夜の蟲の光り過ぐ
眞つ向に名月照れり何はじまる
犬の戀の樂園苦園秋の風
男鹿半島と八郎潟 一〇句
生ける雉子火山半島の路はばむ
舊火山純なるものは暖かし
水飮みて醉ふ秋晴の燈臺下
若き漁夫の口笛千鳥從へて
白魚を潟に啜りて歎かんや
遠い女シベリヤの鴨潟に浮き
どぶろくや金切聲の鵙去りて
手をこすり血を呼ぶ深田晩稻刈
夕霧に冷えてかたまり農一家
稻積んで暮れる細舟女ばかり
昭和三十四(一九五九)年 九六句
宇都宮大谷採石場 五句
落葉しつかな木々石山に根を下ろし
遺愛山掘り掘つてどん底霧沈む
面壁の石に血が冷えたがねの香
巨大なる影も石切る地下の秋燈
切石負い地上の秋へ一歩一歩
木の林檎匂ひ火山に煙立つ
冬耕の短き鍬が老婆の手
冬に生ればつた遲すぎる早すぎる
けもの臭き手袋呉れて行方知れず
信濃 五句
黑天にあまる寒星信濃古し
個々に太陽ありて雪嶺全しや
地吹雪の果に池あり虹鱒あり
卵しごきて放つ虹鱒若者よ
月光のつらら折り持ち生き延びる
滿開の梅の空白まひる時
豐隆の胸の呼吸へ寒怒濤
霰うつ嚴に渇きて若い女
寒の濱婚期の焰焚火より
春の小鳥水浴び散らし弱い地震
世田谷ぼろ市 五句
寒星下賣る風船に息吹き込む
寒夜市目なし達磨が行列す
寒夜市餠臼買ひて餠つきたし
ぼろ市に新しきもの夜の霜
ぼろ市さらば精神ぼろの古男
[やぶちゃん注:「世田谷ボロ市」は、天正六(一五七八)年に小田原城主北条氏政がこの地に楽市を開いたのが始まりとされ、世田谷を代表する伝統行事として四百年以上の歴史を有し、現在も続いている。当初は古着や古道具・農産物などを持ち寄ったことから「ボロ市」という名前がついたとされてるが、現在では骨董品・日用雑貨・古本や中古ゲームソフトを売る露天もあり、代官屋敷のあるボロ市通りを中心に、約七百店の露天が所狭しと並び、毎年多くの人々で賑う。(
うぐひすや水を打擲する子等に
腰
[やぶちゃん注:「徒長」は「とちょう」と読み、日光不足(より強い光を求めて上へ上へと伸長する結果瘦せる)・水分過多(水太りのようになって急速な細胞分裂が生じ、縦に無意味に伸び、結果、各細胞の細胞壁が薄い状態が持続してしまう)・栄養不足(細胞壁の堅固な生成に必要な窒素を補給出来ず細胞壁が薄いまま分裂してしまう。但し、栄養不足で徒長が必ず植物に起こるという訳ではなく、各植物の性質に拠るが、徒長せずに普通に育つものでも、極度に脆いというケースの方が多い)・栄養過多(稀なケースで、窒素が過剰だと勢いよく生長し、結果として徒長してしまうことがある)などが原因で起こる植物の状態を指す語。株全体がヒョロヒョロと縦に長く生長し、正常に育った個体と比べると病弱虚弱で、野菜の場合は収穫量が減り、園芸植物の場合は花の数が極端に減る。生物学的には総じて細胞壁が薄くなるため、葉を食害する虫にとっては大変食べやすく、アブラムシなどの汁を吸う虫にとっても大変吸いやすい状態となる。また、ウィルス等から身を守る細胞壁の薄化は免疫力の低下を齎し、結果として病気にも罹患し易くなる。多くの場合は水分過多も平行して併発しているので、水分さえ適量ならば栄養過多で徒長することはあまりない(以上はサイト「園芸百科事典 おもしろ野菜」の「徒長」に拠った)。]
火の山のとどろく霞船着きぬ
生ぱんと女心やはらか春風
[やぶちゃん注:「生ぱん」生パン。焼いていないパン、また、パン作り工程上で焼く直前のパン生地状態のもの、あるいはトーストしていない食パンの謂いであるが、最後のものであろう。]
西方に春日紅玉死にゆく人
晝のおぼろ泉を出でて水奔る
舐め癒やす傷やぼうぼう木の芽山
黑眼ひたと萌ゆる林を出で來たる
椿ぽとりと落ちし暗さにかがむ女
男等萌え女等現れ春の丘
種まく手自由に振つて老農夫
筍の聲か月下の藪さわぐ
夜が明ける太筍の黑あたま
横濱 七句
巨大な棺五月プール乾燥し
光り飛ぶ矢新樹の谷に的ありて
沖に船氷菓舐め取る舌の先
眼鏡かけて刻む西曆椎の花
椎どつと花降らす下修道女
船の煙突に王冠三つ汗ばむ女
煙と排水ほそぼそ北歐船晝寢
新じゃがのえくぼ噴井に來て磨く
燕の巣いそがしデスマスクの埃
春畫に吹く煙草のけむり黴の家
岩沈むほかなし梅雨の女浪滿ち
犬も唸るあまり平らの梅雨の海
畑に光る露出玉葱生き延びよと
言葉要らぬ麥扱母子影重ね
麥ぽこり母に息子の臍探し
麥殼の柱竝み立て今も小作
踊の輪老婆眼さだめ口むすび
炎天の「考える人」火の熱さ
黑雲から風髮切蟲鳴かす猫
全き別離笛ひりひりと夏天の鳶
海溝の魚に手觸れて泡叫ぶ
蟹死にて仰向く海の底の墓
沖に群れ鳴る雷濱に花會
逃げ出す小鳥も銜える猫も晩夏一家
朝草の籠負い皺の手の長さ
蟲鳴いて萬の火花のしんの闇
蠅と遊ぶ石の唐獅子磯祭
棒に集る雲の綿菓子秋祭
波なき夜祭芝居は人を斬る
一夜、草田男氏笑っていう、
「一九〇〇年生まれの三鬼は一九世紀、
一九〇一年生まれの我は二〇世紀」と
汗舐めて十九世紀の母乳の香
象みずから靑草かずき人を見る
ゴリラ留守の炎天太きゴムタイヤ
死火山の美貌あきらか蚊帳透きて
秋滿ちて脱皮一片大榎
露の草嚙む猫ひろき地の隅に
昔々の墓より墓へもぐらの路
白濁は泉より出で天高し
秋の蜂群がり土藏龜裂せり
女顏蜘蛛の巣破り秋の森
學僧も架くる陸稻も蒼白し
草城先生遺宅 二句
實となりし草はら遺愛の猫瘦せて
死靈棲みひくひく秋の枝蛙
須磨水族館 三句
美女病みて水族館の鱶に笑む
新しき今日の噴水指あたたか
乾き並ぶ鯨の巨根秋の風
松山へ 三句
水漬くテープ月下地上の若者さらば
露の航ペンキ厚くて女多し
力士の臍眠りて探し秋の航
予志と八句
松山平らか歩きつつ食ふ柿いちじく
秋日ふんだん伊豫の鷄聲たくさん
あたたかし金魚病むは予志の一大事
赤き靑き生姜菓子賣る秋の暮
城高し刻み引き裂き點うつ百舌鳥
切れぬ山脈柿色の柿地に觸れて
小屋ありて爺婆ひそむ秋の暮
みどり子が奥深き秋の鏡舐め
[やぶちゃん注:
藤井未萌居 二句
文鳥の純白の秋老母のもの
旅ここまで月光に乾くヒトデあり
[やぶちゃん注:「藤井未萌」桜楓社「新訂俳句シリーズ・人と作品13 西東三鬼」の「三、松山行」の二八二~二八三頁によれば、『天狼』派の俳人で伊予市の内科医。]
昭和三十五(一九六〇)年 八九句
海越えて白富士も來る瘤から芽
木になれぬ
氣ままな鳶冬雲垂れて沖に垂れ
老斑の月より落葉一枚着く
丸い寒月泣かんばかりにドラム打つ
ひつそりと遠火事あくびする赤子
太陽や農夫葱さげ漁夫章魚さげ
凧揚げて膿の平を一歩踏む
巨犬起ち人の胸押す寒い漁港
廢船に天水すこしそれも寒し
晝月も寒月戀の猫跳べり
赤い女の絶壁寒い海その底
明日までは轉覆し置く寒暮のトロ
[やぶちゃん注:「トロ」はトロ箱であろう。鮮魚を入れて運ぶ箱で、トロはトロール網を語源とする。]
寒の入日へ
細き靴脱ぎ砂こぼす寒の濱
富士白し童子童女の砂の城
寒雀仰ぐ日の聲雲の聲
寒雀おろおろ赤子火の泣聲
髮長き女よ燒野匂い立つ
大寒の手紙「癒えたし子産みたし」
鐵路まで伊吹の雪の自厚し
深雪搔く家と家とをつながんと
黑谷忠居
一夜明け先づ京風の寒雀
[やぶちゃん注:「黑谷忠」は『天狼』同人。]
飢えの眠りの仔犬一塊梅咲けり
自由な鳶自由な春の濤つかみ
蛇出でて優しき小川這ひ渡る
もんぺの脚短く開き耕す母
耕しの母石ころを子に投げて
底は冥途の夜明けの沼に椿浮く
黑髮に戻る染め髮ひな祭
秩父長瀞 九句
風出でて野遊びの髮よき亂れ
鶯にくつくつ笑う泉あり
常にくつくつ笑ふ泉あり
春水の眠りを覺ます石投げて
一粒づずつ砂利確かめて河原の蝶
萬年の瀞の渦卷蝶溺れ
電球に晝の黄光ちる櫻
老眼や埃のごとく櫻ちる
花冷えをゆく灰色のはぐれ婆
草餠や太古の巖を撫でて來て
炎えている
黄金指輪三月重い身の端に
どくだみの十字に目覺め誕生日
薔薇に付け還曆の鼻うごめかす
五月の海へ手垂れ足垂れ誕生日
横濱ヨットレース 六句
ヨット出發女子大生のピストルに
潮垂らす後頭ヨットに弓反りに
大學生襤褸干す五月潮しぼり
大南風赤きヨットに集中す
女のヨット内灣に入り安定す
猫一族の音なき出入り黴の家
うつむく母あふむく赤子稻光
夏落葉亡ぶよ煙なき焰
熱砂に背を擦る犬天に四肢もだえ
暑き舌犬と垂らして言はず開かず
産みし子と肌密着し海に入る
老いざるは不具か礁に髮焦げて
炎天に一筋涼し猫の殺氣
晝寢覺凹凸おなじ顏洗ふ
近づく雷濤が若者さし上げる
海から誕生光る水着に肉つまり
夜の深さ風の果さに泳ぐ聲
暗い沖へ手あげ爪立ち盆踊
地を蹴つて摑む鐵棒歸燕あまた
東京タワーという昆蟲の灯の呼吸
洞窟に湛え忘却一の水澄めり
死火山麓かまきり顏をねぢむけて
妻、高血壓
草食の妻秋風に肥汲むや
手賀沼 一〇句
いわし雲人はどこでも土
麹干しつつ口にも運ぶ舊街道
陸稻刈るにも赤き帶紺がすり
臀丸き妻の脱穀ベルト張り
犬連れて沼田の稻架を裸にす
穭田の水の太陽げに圓し
[やぶちゃん注:「穭田」は「ひつじだ」と読む。秋の田の稲を刈った後のその切り株からまた新しい青い芽が出て茎が伸びている状態を「
東西より道來て消えし沼の秋
千の鴨木がくれ沼に曇りつつ
蜂に凴かれ赤シャツ逃げる枯蘆原
[やぶちゃん注:「凴かれ」の「凴」は「凭」と同字であるが、凭れるの意の「凭」はまた、「憑」と同字でもあるため、ここは「つかれ」と訓じているものと思われる。]
雲はずれしずかに明治芝居の野菊咲く
鳶ちぎれ飛ぶ逆撫での野分山
渚來る胸の豐隆秋の暮
秋の暮大魚の骨を海が引く
名古屋
大鐵塔の秋雨しつく首を打つ
田縣神社
木の男根鬱々秋の
[やぶちゃん注:「田縣神社」愛知県小牧市田県町にある
黑谷忠
神戸埠頭
病む美女に船みな消ゆる秋の暮
濃き汗を拭いて男の仮面剝げし
足跡燒く晩夏の濱に火を焚きて
沖へ歩け晩夏の濱の黑
吹く風に細き裸の狐花
昭和三十六(一九六一)年十月まで 一〇〇句
かかる仕事冬濱の砂
冬日あり老盲漁夫の棒ぎれ杖
沖まで冬雙肩高き岩の鳶
應えなき冬濱の砂貧漁夫
老婆來て魚の血流す冬の灣
冬霧の鉛の濱に日本の子等
駄犬駄人冬日わかちて濱に臥す
冬濱に死を嗅ぎつけて掘る犬か
北風吹けば砂粒うごく失語の濱
廣島より漬菜到來
廣島漬菜まつさおなるに戰慄す
死の階は夜が一段落葉降る
みつめられ汚る裸婦像暖房に
冬眠の畑土撫でて人も眠げ
霜ひびき犬の死神犬に來し
木の實添へ犬の埋葬木に
吹雪を行く呼吸の孔を二つ開け
霜燒けの薔薇の蕾は嚙みて呑む
元日の猫に幹ありよぢ登る
元日の地に書く文字鳩ついばむ
けもの裂き魚裂き寒の地を流す
姉呼んで馳ける弟麥の針芽
寒の空半分黄色働く唄
實に直線寒山のトンネルは
死の輕さ小鳥の骸手より穴へ
大寒の炎え雲仰ぎ龜乾く
折鶴千羽寒夜飛び去る少女の死
[やぶちゃん注:この少女は被爆した少女で、広島平和記念公園にある原爆の子の像のモデルともなっている佐々木禎子さん(一九四三年~一九五五年十月二十五日)であろうか。以下、ウィキの「佐々木禎子」から引用しておく(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略、読点を追加した)。
《引用開始》
名前は父、母が元気に育つようにと願いをこめて、店の客の姓名判断の先生に頼みつけてもらった。[やぶちゃん注:彼女(長女)の両親は
運動神経抜群で将来の夢は「中学校の体育の先生」になること。
一九四五年八月六日、二歳のときに広島市に投下された原子爆弾によって、爆心地から一・七キロメートルの自宅で黒い雨により被爆した。同時に被爆した母親は体の不調を訴えたが、禎子は不調を訴えることなく元気に成長した。一九五四年八月の検査では異常なかった。また小学六年生の秋の運動会ではチームを一位に導き、その日付は一九五四年十月二十五日と記録されており、偶然にも自身の命日となるちょうど一年前であった。しかし、十一月頃より首のまわりにシコリができはじめ、一九五五年一月にシコリがおたふく風邪のように顔が腫れ上がり始める。病院で調べるが原因が分からず、二月に大きい病院で調べたところ、白血病であることが判明。長くても一年の命と診断され、広島赤十字病院(現在の広島赤十字・原爆病院)に入院した。
一九五五年八月に名古屋の高校生からお見舞いとして折り鶴が送られ、折り始める。禎子だけではなく多くの入院患者が折り始めた。病院では折り紙で千羽鶴を折れば元気になると信じてツルを折りつづけた。八月の下旬に折った鶴は千羽を超える。その時、同じ部屋に入院していた人は「もう千羽折るわ」と聞いている。その後、折り鶴は小さい物になり、針を使って折るようになる。当時、折り紙は高価で、折り鶴は薬の包み紙のセロファンなどで折られた。千羽折ったものの病気が回復することはなく、同年十月二十五日に亜急性リンパ性白血病で死亡した。最後はお茶漬けを二口食べ「あー おいしかった」と言い残し亡くなった。
死後、禎子が折った鶴は葬儀の時に二、三羽ずつ参列者に配られ、棺に入れて欲しいと呼びかけられ、そして遺品として配られた。
禎子が生前、折った折り鶴の数は一三〇〇羽以上(広島平和記念資料館発表)とも、一五〇〇羽以上(「Hiroshima Starship」発表)とも言われ、甥でミュージシャンの佐々木祐滋は「二千以上のようです」と語っている(二〇一〇年二月二十二日朝日新聞)。実際の数については遺族も数えておらず、不明である。また、三角に折られた折りかけの鶴が十二羽有った。その後創られた、多くの創話により千羽未満の話が広められ、折った数に関して多くの説が出ている。
《引用終了》
因みに、本句との関係の有無は不詳であるが、オーストリアの児童文学作家カルル・ブルックナー(Karl Bruckner 一九〇六年~一九八六年)は一九六一年に佐々木禎子について描いた“Sadako
will leben”(サダコは生きる)を出版している。この本は二十二の言語に翻訳され、一二二以上の国々で出版されている(日本語への翻訳は一九六四年に片岡啓治訳で「サダコは生きる―ある原爆少女の物語」として学研新書から出版された)。広島平和記念資料館平成十三(二〇〇一)年度第二回企画展「サダコと折り鶴」も併せて御覧になられたい。]
霰降り夜も降り顏を笑わしむ
鳶の輪の上に鳶の輪冬に捲く
腦弱き子等手をつなぎ冬の道
全しや寒の太陽猫の交尾
老いの屁と汗大寒のごみ車
月あゆみ氷柱の國に人は死す
寒の眉下大粒なみだ湧く泉
落ちしところが鷗の墓場寒き砂
死にてからび羽毛吹かるる冬鷗
岩海苔の笊を貴重に礁跳ぶ
うぐいすや引潮川の水速く
虻が來る女の蜜柑三角波
豆腐屋の笛に長鳴き犬の春
大干潟小粒の牡蠣を割り啜る
新宿御苑 七句
[やぶちゃん注:底本編者注に、『原形の六句表示は誤り』とある。なお、同年譜によれば、これは二月十二日のことで、山一句会の吟行であった。]
美男美女に異常乾燥期の園
枯芝を燒きたくて燒くてのひらほど
少年を枝にとまらせ春待つ木
飛行機よ薔薇の木に薔薇の芽のうずき
サボテン愛す春曉のミサ修し來て
喇叭高鳴らせ温室の大サボテン
蘭の花幽かに搖れて人に見す
埼玉縣吉見百穴 一〇句
卒業の大靴づかと靑荒地
貞操や春田土うれくつがえり
かげろうに消防車解體中も赤
芽吹く樹の前後抱きしめ女二人
老婆出て霞む百穴ただ見つむ
古代墳墓暗し古代のすみれ搖れ
百穴百の顏ありて復活祭
[やぶちゃん注:「復活祭」キリストの復活祭は移動祝日で、元来、太陰暦に従って決められた日であるから、太陽暦では年によって日付が変わる。グレゴリオ暦を用いる西方教会では、復活祭は三月二十二日から四月二十五日の間のいずれかの日曜日(ユリウス暦を用いる東方教会ではグレゴリオ暦の四月四日から五月八日の間のいずれかの日曜日)に祝われる。西方教会の日本福音ルーテル板橋教会公式サイトの復活祭(イースター)一覧表に、この年一九六一年の復活祭はこの吟行(後注参照)の日、四月二日であった。]
聲のみの雲雀の天へ光る沼
みつまたの花嗅ぎ斷崖下の處女
春田深々刺して農夫を待てる鍬
[やぶちゃん注:底本の年譜によれば、同年四月二日、埼玉県吉見百穴へ『断崖』の吟行をし、帰途、新宿で数人と痛飲、とある。]
南多摩百草園 一〇句
婆手打つげんげ田あれば河あれば
ひげの鯉に噴出烈し五月の水
溝川に砂鐵きらめき五月來ぬ
青梅びつしり女と女手をつなぎ
初蟬の唄絶えしまま羊齒の國
熊ん蜂狂ひ藤房明日は果つ
峽畑に寸の農婦となり耕す
風靑し古うぐひすの歎きぶし
つつじ赤く白くて鳶の戀高し
初蟬や松を愛して雷死にし
椎匂う強烈な闇誰かを抱く
臀丸く葱坊主よりよるべなし
子が育つ靑蔦ひたと葉を重ね
薔薇の家犬が先づ死に老女死す
薔薇の家かつら
奈良 八句
飛ぶものは白くて強し柳絮と蝶
青野に吹く鹿寄せ喇叭貸し給へ
突き上げて仔鹿乳呑む綠の森
乳房吸う仔鹿せせらぎ吸う母鹿
幼き聲々大仏殿にこもる五月
遠足隊わめき五月の森とび出す
藥師寺の尻切れとかげ水飮むよ
白砂眩し盲鑑眞は奧の奧に
[やぶちゃん注:年譜によれば、この年五月に関西に旅して、二十五日に奈良着、当日、薬師寺・
出水後の日へ赤き蟹雙眼立て
子供の笛とろとろ炎天死の眠
日本の笑顏海にびつしり低空飛行
岩あれば濡れて原色の男女あり
岩礁の裸女よ血の一滴を舐め
飴ふくみ火山の方へ泳ぎ出す
魚ひそみ乳房あらはれ岩の島
市川流燈會 六句
[やぶちゃん注:これは千葉県市川市仏教連合会が毎年七月に催していた流燈会(灯籠流し)に寄せた句。底本年譜の七月二十九日の項に『市川に流灯会と花火を見に行く、夜「鶴」の句会に出る』とある。但し、その句会で作られた句かどうかは不明。]
流燈の夜も顏つけて印刻む
花火滅亡す七星ひややかに
遠雲の雷火に呼ばれ流燈達
流燈の列消しすすみ死の黑船
流燈の天愚かなる大花火
流燈の列へ拡聲器の濁み聲
松山 七句
呼吸合う五月の闇の燈臺光
船尾より日出船首に五月の闇
萬綠の上の吊り
城攻める濃綠の中鷄鳴けり
城古び五月の孔雀身がかゆし
天守閣の四望に四大黄麥原
麥刈りやハモニカへ幼女の肺活量
[やぶちゃん注:この句群は時間が巻き戻っている。先の関西行の一つで、例の奈良から神戸へ帰った五月二十六日夜、船で松山へ向かい、翌朝九時に松山着、その日の午後には『炎昼』の句会をこなし、二十八日
あとがき
この句集は前句集「今日」以後の一〇七三句から成り、昭和二十六年秋から昭和三十六年秋まで、紛十年間の作品である。この間に十數年を過した關西から神奈川縣葉山に移住した。職業も齒科醫をやめ、いわゆる專門俳人になった。背水の陣である。それにもかかわらず、作品に精彩を缺くとせば、ただ自らの才能貧しきが故とせねばならない。
この句集が突如刊行のはこびに至ったのは、昭和三十六年十月、私が胃癌の手術をうけ、餘病を發して危篤に陷った時、かけつけて來られた友人諸兄の協議によるのである。遺著にもなるべかりし句集を、命びろいして机上に置き得るのも運命というものであろう。
この句集刊行の事に當られた友人諸兄に、心からなるお禮を申上げる。
昭和三十六年歳晩
著者
[やぶちゃん注:底本年譜によれば、同年八月上旬から胃の具合が悪くなり、九月に入ってレントゲンや検査を複数回受け、十九日に横浜市立大学附属病院で胃癌の疑い濃厚で切開手術の要ありと診断された(この間もその後も各種俳句大会や会議、恒例になっていた少年院訪問、さらに評論執筆など、実に精力的に動いている)。十月二日、横浜市立大学附属病院入院、病名、胃癌。九日、術式(午前九時開始、午後一時半終了)。十一月九日、退院(この間、十一月四日の『天狼』名古屋大会の挨拶を録音している)。十二月十六日の退院後の初めての外出先は久里浜少年院であった。二十日、東京の山一句会に出席、俳人協会設立に参加、とある。]
■『變身』以後
(角川書店より昭和五五(一九八〇)年四月に刊行された「西東三鬼読本」収載分)
[やぶちゃん注:ここは底本に、歴史的仮名遣に準拠した朝日文庫「現代俳句の世界9 西東三鬼集」(昭和五九(一九八四)年刊)を用いた。]
昭和三十六(一九六一)年
蜂蜜に透く永片も今限り
耳嚙んで踊るや暑き死の
山口誓子先生還曆祝句
黑松の鳴り立つ十一月三日
奧の細道
福島、しのぶの里
深綠蔭の嚴男來る女來る
佐藤兄弟墓
燒石の忠義兄弟いまは涼し
[やぶちゃん注:福島県福島市医王寺にある源義経の忠臣であった佐藤継信・忠信兄弟の墓。]
作並温泉
爺と婆深靑谷の岩の湯に
多賀城址
哭きつつ消えし老人靑胡桃
夏草の今も細道俳句の徒
塩竈、佐藤鬼房と行を別つ
男の別れ貝殼山の冷ゆる夏
[やぶちゃん注:佐藤
松島
夏潮にほろびの小島舟蟲共
瑞巖寺
一僧を見ず夏霧に女濡れ
圓通院
蟬穴の暗き貫通ばらの寺
[やぶちゃん注:「圓通院」「えんつういん」と読む。宮城県宮城郡松島町にある臨済宗妙心寺派の寺院。瑞巌寺の南側に隣接している。十九歳で早世した伊達政宗の孫光宗の菩提寺。光宗の霊廟三慧殿の厨子には、慶長遣欧使節を率いた支倉常長がヨーロッパから持ち帰ったバラと、フィレンツェを象徴する水仙が描かれており、この厨子のバラをヒントに先代住職天野明道が、「白華峰西洋の庭」(六千平方メートル余)に色とりどりのバラを植え込んで開放したため、通称、薔薇寺と呼称される。但し、現在はバラの数は少なくなり、境内いたるところに苔を配し、苔の寺として知られるようである(以上はウィキの「円通院」その他を参照した)。]
信じつつ落ちつつ全圓海の秋日
颱風一過髮の先まで三つに編む
[やぶちゃん注:底本では「颱風」の表記は「台風」。過去の作例から「颱風」を採った。]
露けき夜喜劇と悲劇二本立
父と兄癌もて呼ぶか彼岸花
蟲の音に體漂へり死の病
海に足浸る三日月に首吊らば
入院や葉脈あざやかなる落葉
昭和三十七(一九六二)年
魔の病
入院車へ正坐犬猫秋の風
病院の中庭暗め秋の猫
手術前夜
剃毛の音も命もかそけし秋
手術後
赤き暗黑破れて秋の顏々あり
術後二週間一滴の水も與えられず
這ひ出でて夜露舐めたや魔の病
切り捨てし胃の腑かはいや秋の暮
[やぶちゃん注:前書の「與えられず」の「え」はママ。]
退院
煙立つ生きて歸りし落葉焚
[やぶちゃん注:ここまでの六句は沖積舎刊の「西東三鬼全句集」によれば、同年『天狼』一月号収載句で、手術から退院は先の句集『變身』の最後に注した、前年十月の出来事。吟詠も、即吟か、前年末にかけての作である。]
縱横の冬の蜜蜂足痿え立て
[やぶちゃん注:底本ではこの句の前に「*」を挟む。この句から「木枯に」までの七句は沖積舎刊の「西東三鬼全句集」によれば、『天狼』二月号収載句。]
降りつもる落葉肩まで頭上まで
病み枯れの手足に焚火付きたがる
犬猫と夜はめつむる落葉の家
枯るる中野鳩の聲の香生訓
ばら植ゑて手の泥まみれ病み上り
「體内の惡しきものきり捨つべし」靜塔の手紙
木枯にからだ吹き飛ぶ惡切り捨て
神の杉傳ひて下る天の寒氣
ひよどりのやくざ健やか朝日の樹
死後も犬霜夜の穴に全身黑
餠のかびいよいよ烈し夫婦和し
[やぶちゃん注:「いよいよ」の後半は、底本では踊り字「〱」。]
添伏しの陽氣な死神冬日の濱
木枯のひびく體中他人の血
ついばむや胃なし男と寒雀
大寒の富士なり天に楔打ち
寒鴉口あけて呼ぶ火山島
音こぼしこぼし寒析地の涯へ
[やぶちゃん注:「こぼしこぼし」の後半は底本では踊り字「〱」。]
聲要らぬ春の雀等光の子
地震來て冬眠の森ゆり覺ます
ぐつたりと鯛燒ぬくし春の星
春の海近しと野川鳴り流る
海南風女髮に靑き松葉降らす
靑天に紅梅晩年の仰ぎ癖
人遠く春三日月と死が近し
陽炎によごれ氣安し雀らは
鷄犬に春のあかつき猫には死
木瓜の朱へ這ひつつ寄れば家人泣く
春の入日へ豆腐屋喇叭息長し
春を病み松の根つ子も見あきたり
[やぶちゃん注:最後の句は下に『絶筆(三月七日作)』と附す。]
拾遺(やぶちゃん抄)Ⅰ
[やぶちゃん注:平成四(一九九二)年沖積舎刊の「西東三鬼全句集」を底本とし、私の琴線に触れるものを編年に選んで、恣意的に正字化して示した。]
昭和八(一九三三)年
寢がへれば骨の音する夜寒かな
秋風や五厘の笛を吹く子供
昭和九(一九三四)年
横濱風景
異人墓地梢の海も雪ぐもる
異人墓地雪むらさきに夕づける
*
草萌ゆるこみちのカタヒもの食へる
*
裸馬ぽくぽく畑は日闌けて葱坊主
裸馬ぽくぽく遠に櫟の芽が光り
[やぶちゃん注:二句ともに「ぽくぽく」の後半は底本では踊り字「〱」。]
裸婦の畫の美き丘と谷春の灯に
裸婦の畫の瞳妖しも春の灯に
裸婦の畫の薔薇匂ひけむ房に滿つ
椅子ふかく
眼に偸む裸婦の圖春の灯を吸へる
裸婦の圖の
裸婦の圖の美き丘と谷春の灯に
もり上りせまる裸婦の圖春の灯に
夜の春を裸婦の圖のふと息吹けむ
*
鞦韆の美き脚漕げりひたすらに
鞦韆に崎の巨船消えしてふ
鞦韆ゆ紅の靴降り吾がまへに
鞦韆の振子とまれり手をあたふ
*
夜の春をめぐる木馬は傷みたり
徒らにおほきく妻の石鹼玉
黄砂降るあかゞねの月鐡骨に
「にんじん」を詠む
[やぶちゃん注:ジュール・ルナールの「にんじん」であるが、これは恐らくジュリアン・デュヴィヴィエ監督のロベール・リナン主演になるフランス映画「にんじん」(一九三二年)の鑑賞吟と推定する。本邦では、この昭和九(一九三四)年に公開されている(リンク先は私の岸田国士訳の電子テクスト)。初出誌は『走馬燈』の同年六月号であり、「薄月や」までが同誌での同時発表である。ただ、どこまでが『「にんじん」を詠む』の連作かはっきりしないが、「月落ちぬ」の句までは「にんじん」の映像や原作と確かに合致すると私は判断する。]
春曉のシーツ濡れをりすべもなし
鷓鴣を締むおそるゝ眼かたく閉づ
牡丹蔓裾にひきて嫁あそび
葡萄呉るゝ大いなる掌の名附親
月落ちぬこゝろ觸れたる父と子と
蒼澄める朝の空へ松の芯
峽深き日はうつうつと杉の花
薄月や接木のいのちかよひそむ
疫病む子はまどろみ白蛾すでにあらぬ
熱を病む手足がへんに伸びてゆく
熱を病む骨がしだいにやはらかく
熱を病むおのれが鳴らす齒の音を
*
かのといきまつよひぐさにいまもきく
*
白芥子のひそかなる香に眼をつむる
疫病む子を窺ふ白蛾闇を負ふ
くちふれて新樹の闇に溺れゆく
海濱風景
惡童のみな貌美くて濱に古り
惡童に羞ぢらふ胸乳波に浸し
惡童のくち笛ひしと浪の娘に
惡童のコーラス沖に雲の下に
惡童らインクの色の沖に去る
白きもの海月となりてくつがへる
波を出て月光の襯衣ひたと着る
*
祭果てし廣場の芥風は秋
*
黑煙けふなき空へ踊りの手
*
東北凶作地を憶ふ
夜を飢えて覺むるに雪の海あらぶ
昭和十(一九三五)年
舗道の陽は遠退き卓の菊饐ゆる
朱蜻蛉浮きては風の色となる
花賣女
氷下魚釣る夜明けの
失へるナイフや錆びん靑の朝
地球儀を辷る蛾の影靑の夜の
空にごる街あゆみつかれ今日五、一五
道につぶれわが干支の鼠今日五、一五
[やぶちゃん注:同年『京大俳句』六月号所載。「誕生日」の四句連作の三・四句目。三鬼は明治三三(一九〇〇)年五月一五日生まれであった。昭和七(一九三二)年の五・一五事件の時は、満三十二歳、この年は三十五歳であった。]
栗の花けぶらひけもの夢を見る
玻璃天井高しこだまがあざわらふ
手がそよぐ憑かれ狂へる無數の手
[やぶちゃん注:同年『京大俳句』八月号所載。「東京株式取引所」の五句連作の二・三句目。]
行間の虛空に白き蝶滿てり
まなぞこに映るは父ぞ吾子生きよ
[やぶちゃん注:同年『京大俳句』十一月号所載。「Ⅰ ひとり子病篤し」の四句連作の最終句。この「ひとり子」とは前年に堀田きく枝との間に生れた次男直樹と思われる。]
紙芝居草の黄ろき陽と去りぬ
子のゑがく柩車に黑き人坐せり
[やぶちゃん注:同年『京大俳句』十二月号所載。「子を見舞ふ」の六句連作の四句目。]
昭和十一(一九三六)年
ボロの旗天から埀れて日が暮れる
[やぶちゃん注:『傘火』六月号所収の「戦死」連作八句の掉尾。]
靑子昇天
昇天せりてつぺん靑きマストより
昇天せり霧笛のこだま手にすくひ
昇天せりつばさに潮の香をひそめ
昇天せり穢土には凡愚詩をつくる
[やぶちゃん注:『旗艦』一月号。四句連作の
木馬館今もあり
さむき夜のおんがく褪せて木馬館
木馬めぐり星辰まどにふるびたる
くらき人木馬と老いてうづくまる
のがれゆく木馬の影を影が追へる
とこしへの木馬の輪廻凍てゆける
[やぶちゃん注:『京大俳句』一月号。五句連作。この「木馬館」とは、恐らく、浅草木馬館のことと思われる。ウィキの「通俗教育昆虫館」(木馬館の前身の旧正式名称)によれば、明治四〇(一九〇七)年に昆虫学者として有名な
銀簪を發止と星のその響き
[やぶちゃん注:『傘火』三月号の「星と或る家族」の連作五句の四句目。]
滿月できちがひどもは眠らない
月夜です閑雅な鳥は留守でした
僕は
盗汗ふくまつはる詩魔を惡みつゝ
[やぶちゃん注:「盗汗」は「ねあせ」で、寝汗のこと。『旗艦』三月号所収。]
絶對安靜
雪降れり妻いつしんに釘を打つ
小腦を冷やしちいさき猫とゐる
水枕がばりと寒い海がある
盗汗ふくまつはる詩魔を惡みつゝ
不眠症魚はとほい海にゐる
汽笛とべり窓の乳白曉ちかき
[やぶちゃん注:『京大俳句』三月号。知られた「旗」の句の初出形(四句目は既出であるが採録した)。表記やその他、有意な差がある(なお、以下の「磔刑の唄」の再校形も参照のこと)。前年昭和一〇(一九三五)年十一月、三鬼は胸部疾患で入院している(朝日文庫版三橋敏雄氏の解説には肺浸潤とある)。但し、発表一ヶ月後の四月には全治した旨の記載が底本の年譜にある。]
磔刑の唄
小腦を冷やしちいさき魚を見る
夕刊の來ぬ夜ましろき檢温器
水枕ガバリと寒い海がある
仰向の磔刑あをく夜を燃ゆ
不眠症魚はとほい海にゐる
汽笛とべり窓の乳白朝遠き
[やぶちゃん注:『天の川』三月号。前の「絶対安静」句群の再校形。]
レントゲン寫眞
肺臟
降る雪ぞ肺の
肋骨
雪つもる
坐骨
骨の像こゞし男根消えてあはれ
びつことなりぬ
春夕べあまたのびつこ跳ねゆけり
[やぶちゃん注:『京大俳句』四月号の連作四句。]
船めざめ月より蒼き日を航ける
[やぶちゃん注:『天の川』五月号の「北海」連作五句の巻頭。]
螢賣る少年森の坂上に
[やぶちゃん注:『京大俳句』五月号の「井の頭公園」連作五句の掉尾。]
議事堂を背に禁苑の兵を視る
昭和一二(一九三七)年
病再び發しぬ。眠れぬ夜々
わが胸を壓するはわが墓なり。
山の樹の靑きを樵れよわが墓に
わが墓の草實る頃骨朽ちむ
山の雷わが墓に來てうちくだけ
[やぶちゃん注:『傘火』二月号の連作三句。肺浸潤の再発らしいが、年譜には記載がない。]
黑
兵隊が征くまつ黑い汽車に乘り
黑い道喇叭鼓隊に灼け爛れ
僧を乘せしづかに黑い艦が出る
黑雲を雷が裂く夜のをんな達
眞夜中の黑い電柱抱いて嘔く
[やぶちゃん注:『京大俳句』八月号。「旗」の「黑」三句の初出形。]
昭和十三(一九三八)年
靑キ胎兒硝煙古ク地ニ積ル
胎兒蹴ル彈道街ノ空通ル
聽ク胎兒戰車ガアガアト闇ノ闇
胎兒痩セ荒野ニ鐵ノ花盛ル
胎兒老ケ無人地帶ハ犬ノ糞
[やぶちゃん注:ここまで『京大俳句』三月号。]
胎兒老ケ無人地帶ハ犬ノ夜
[やぶちゃん注:「現代俳句・第三巻」(昭和一五(一九四〇)年六月刊)の中の「西東三鬼集『空港』」所収の句形。]
敵空へ少年兵離陸速度百粁時
速力線射チツゝ天ニスレチガフ
[やぶちゃん注:「ゝ」はママ。]
砲彈裂け老兵が無し晴れたる日
機關銃花ヨリ赤ク闇ニ咲ク
大塊古き塹壕を覗き見る
塹壕に眼窩大きく殘されし
昭和十四(一九三九)年
走る軍馬闇の蹄鐵火を發す
馬走る闇の銃火を前に後に
砲音の壁を撫で落ち女の手
軍票を
腦底の銃彈が機體と落下した
肩章や眞鍮の數字拾はれた
戰場の空で天使や記者が泣いた
戰死記事の袋の中にみのる果實
[やぶちゃん注:以上の四句は同年『京大俳句』五月号掲載句。]
武器商人の聲なき笑富士の天に
武器商人の缺伸の顏が着陸す
武器商人醉はず造花の奧の奧に
[やぶちゃん注:以上の四句は『京大俳句』十月号掲載句。]
神戸の獅子
瀧の前處女青蜜柑吸ひ吸へといふ
瀧靑し合ひ離れ合ふ眼に落つる
神戸の獅子吠えたり別れ寢るホテル
神戸の獅子吠えて愛しき周期來る
訓練空襲しかし月夜の指を愛す
[やぶちゃん注:以上の四句は『京大俳句』十二月号掲載句。後の「現代俳句・第三巻」(昭和一五(一九四〇)年六月刊)の中の「西東三鬼集『空港』」に所収された。]
昭和十五(一九四〇)年
ともすれば寒夜わが口唾を吐く
獨樂
きちがひの少女なり獨樂廻り澄む
冬蓄薇きちがひの貌に向きひらく
冬の鏡にきちがひ少女のかくすところ
寒き窓きちがひ少女うしなはず
[やぶちゃん注:以上四句は同年『俳句研究』二月号。後の「現代俳句・第三巻」(昭和一五(一九四〇)年六月刊)の中の「西東三鬼集『空港』」に所収された。]
鴉よ
鵠よ荒園の風ふたりにも吹く
突く女冬の大腸を足元に
冬園に突けり十箇の爪光る
枯園に一滴の涙光り落つ
[やぶちゃん注:以上四句、『俳句研究』二月号所収のもの。]
牡蠣
空港なりライタア處女の手にともる
戀ふ寒し身は雪嶺の天に浮き
計算の
牡蠣に酢を喇叭隊來て消え行けば
牡蠣啜りをはり紙幣を數へゐる
[やぶちゃん注:以上五句は『天香』四月号所収のもの。]
鯉
地下室の鯉黑し見つゝ憂き男女
女の前に戻し冬の胡瓜嚙む
處女の背に雪降り硝子夜となる
手を別つ寒き竝木は根の如し
寒夜明るし別れて少女馳け出だす
冬景をまつすぐに女風と來る
寒い橋を幾つ渡りしと數ふ
人と並び落暉北風身にひびく
別離の顏冬の落曙に向き背く
夜間飛行
春のホテル夜間飛行に
空港に兄と花束夜明けくる
少女指せば晝月ありぬ春の終
中學生屋根に哄笑し春終る
初夏太陽點々道の鋲にある
[やぶちゃん注:以上十四句は昭和一五(一九四〇)年六月刊の「現代俳句・第三巻」の中の「西東三鬼集『空港』」に所収された昭和十五年分から。]
五月の河
半身に五月烈しく河臭ふ
河暑し油と友の顏流る
河黑し暑き群集に友を見ず
暑き河に憤怒の唾を吐き又吐く
唾滴れ怒れる汗は黑き河に
[やぶちゃん注:以上五句は『天香』六・七月合併号所収。]
戰中作品
中年や焚火育つる顏しかめ
[やぶちゃん注:底本に『「俳愚伝9」に初出。正確な製作年不明』とある。「俳愚伝」は昭和三四(一九五九)年四月から翌年三月まで『俳句』に連載したもの。底本全集中では、この一句のみが戦中作品である。沢木欣一・鈴木六林男共著「新訂俳句シリーズ・人と作品13 西東三鬼」(桜楓社昭和五四(一九七九)年刊)からの孫引き(同書六八頁)であるが、「凡愚伝 9 弾圧家族」(『俳句』昭和三四(一九五九)年十二月号に、この句『を得た時、私の新しい出発の、内心の芽が発見できたように思われた。「中年感情」を基盤としようと私はつぶやいた。戦争は終つた。いつの間にか私は俳句を作り始めていた』とある。戦中(厳密には昭和一五(一九四〇)年八月から昭和二〇(一九四五)年末までの空白期)の沈黙について、前掲書には、『三鬼は神戸に来てから〈防空壕の中に、一本の蠟燭と数冊の俳書を置き〉〈蕉門の古句を読み〉ながら、執念をもやしていたのであろう。それは〈私は昭和十五年以来俳句をお上から封じられて作らなかったのですが、内心では作ったし、書いてもおきました〉』と記す。三鬼は昭和十五年八月三十一日の所謂、「京大俳句」事件によって検挙されたが(二ヶ月の留置後、起訴猶予)、その二年後の昭和十七年十二月、突如、東京の妻子を捨てて出奔、神戸へ移住した。出奔の理由は不明であるが、一説に「京大俳句」事件の累が親族(特に二人の実兄)に及ぶことを恐れたことを一因とするかともされる。ただ三鬼が終生、遂に最初の妻子の家庭へは戻らなかった。これは三鬼という男の一種複雑奇怪な対人関係――特に女性との――の方にこそ、三鬼出奔という闇はあったようには思われる。なお、私は三鬼没後十六年後に発生した噴飯物のスキャンダル、作家小堺昭三による『「京大俳句」事件三鬼スパイ説』(昭和五八(一九八三)年に数少ない死者の名誉回復裁判で三鬼遺族側が勝訴している)は、少なくとも、私のこの「三鬼句集」で語る価値など全くない妄説と考えている。興味のあられる方は、例えば個人ブログ「昭和・平成の俳句(現代はどう詠まれたか)」の『「(七)没後二十年後の裁判」 没後二十年後の裁判』などを参照されたい。]
昭和二十一(一九四六)年
夕風や毛蟲たゆたふ道の上
[やぶちゃん注:同年『現代俳句』九月号所収。]
奈良の道白しとあゆむ夜の梅雨
夜の塔あるべき方や栗の花
ところてん濹東奇譚また讀まむ
嵯峨の道蜥蜴は失せてわが殘る
秋の梵鐘仰ぐや手紙まろめ捨て
魂迎ひひそかに待てる魂ありて
鳴きしざりつつ空蟬とならぶ蟬
夜の桃をひとの愛人指もてむく
奈良の坂暑しドラムを練習す
昭和二十二(一九四七)年
百姓のゆまりや寒の土ひびく
簑蟲や簑の中なる眞暗闇
簑蟲の簑の枯葉の枯れ極まる
簑蟲の簑を引きづる音の夜
[やぶちゃん注:「引きづる」はママ。]
簑蟲の眠りの長さ夜の長さ
寒淸き天より鳶の逆落す
有名なる街
廣島に尽きも星もなし地の硬さ
廣島の夜陰死にたる松立てり
廣島や石橋白きのみの夜
廣島や物を食ふ時口開く
廣島や卵食ふ時口ひらく
廣島の遠き聲どつと笑ふ
廣島が口紅黑き者立たす
廣島に黑馬通り闇うごく
廣島に林檎見しより息安し
廣島や林檎見しより息安し
[やぶちゃん注:「廣島や卵食ふ時口ひらく」及び「廣島や林檎見しより息安し」の改稿は自註句集「三鬼百句」(昭和二三(一九四八)年現代俳句社刊)のもので、その他の八句は同年の『俳句人』五月号「有名なる街」句群の総てである。]
砂曇り沖に冬日の柱斜め
きりぎりす空腹感に點を打つ
炎天の女の墓石手に熱く
墓地を出で西日べたつく街に入る
書を賣るは指切るごとし晩夏の坂
昭和二十三(一九四八)年
冬濱に老婆夜明けの火を燃やす
冬濱に犬の頭骨いつまである
死が近し端より端へ枯野汽車
誕生日眠れぬ貝が音を立つ
蛙田に蛙の祭日蝕下
[やぶちゃん注:『天狼』六月号所収。昭和二三(一九四八)年五月九日に日本では部分蝕が観測された(礼文島では金環蝕)。]
蠅しかと交むを待ちて一撃す
昭和二十四(一九四九)年
寢臺を鳴らし寢返り墓もなし
死者を夢み夜中の水に手をのばす
病廊を鼠逃るる老婆の死
嬰兒の死白衣を脱ぎて女醫歸る
降る雪を背に雪を這ふ龜なりき
颱風の街に血色の肉のみ賣る
昭和二十五(一九五〇)年
振り上ぐる鍬を北風來ては砥ぐ
夜の崖の大きさ暗さ蟲絶えて
しゆうしゆうと鉋屑大工透き通る
[やぶちゃん注:「しゆうしゆう」の後半は底本では踊り字「〱」。]
昭和二十六(一九五一)年
滿月の荒野ますぐに犬の戀
大旱のきりぎし海へ砂こぼす
産みが打揚げしもの焚く熱砂の上
旱り坂牛の圖體登り切る
月も旱り鎖の端の犬放つ
瀆れし夜明けゆく岬松の芯
麥秋や帽燈弱く集ひ來る
昭和二十七(一九五二)年
春の嵐枝折れ飛んで墓を打つ
柿を食ふ眞顏見てゐし夜の鏡
昭和二十八(一九五三)年
梅雨晴れ間をんな傾きくしけづる
鯉うねり池の夏雲成りがたし
昭和二十九(一九五四)年
枝々に燃ゆる寒星子守唄
雀の子裸で梅雨の溝流る
昭和三十(一九五五)年
秋山の石曳く蟻に聲あらば
みどり子を深き落葉の眠らしめ
鷄頭の十字架の
光るもの遠く小さし稻を刈る
雲に毒刈田に燃えて火が怒る
[やぶちゃん注:「雲に毒」とは多量の放射性物質、所謂、死の灰を含んだ雲の謂いであろう。第五福龍丸事件で知られるビキニ環礁での米軍の水爆実験は前年の一九五四年三月一日に行われた。以下の「雨に毒」の句ではっきりする。]
廻る寒し子の作品の地球儀は
[やぶちゃん注:「廻る」は手製の地球儀であるから「まわる」と読みたい気がする。韻律がぎくしゃくしているが、私は一読、忘れ難い。私には三鬼のかの名句「算術の少年しのび泣けり夏」が自動作用としてオーバー・ラップするからである。]
雨に毒拔け毛を木の葉髮などと
針金となり炎天のみゝず死す
炎天の暗き小家に琴の唄
向日葵の金の傲岸ちよんぎり插す
老斑の手を差し入れて泉犯す
昭和三十一(一九五六)年
種牛や腹に五月の土蹴上げ
月光を入れてピアノの第一音
肥後乙女まなこ黑々マスク白し
昭和三十二(一九五七)年
木枯の一夜明けたる道白し
冬耕の馬より低く入日炎ゆ
高岡城跡
大寒の小石かゞやき城古りぬ
枯蓮の夕べ秒針すこやかに
紅顏や石崖の根に雪のこり
松さかしま寒城の水
[やぶちゃん注:『週刊読売』同年二月十七日号の。私は若き日に高岡に住んだことがあり、これらの句は何故か不思議に極めてリアルな印象を受ける。因みに――私はこの年の二月十五日に生れた。]
華やかな木枯夜富士吹きとがる
道ありて歸る冬滿月正面に
ひとの子の紙鳶をさゝげて初濱に
正月の岸壁蔦の朱一枚
寒林を透りて誰を呼ぶ聲ぞ
海女の火の煙一炷蠅つるむ
[やぶちゃん注:『春光』六月号より。「一炷」音ならば「いつしゆ(いっしゅ)」、訓ならば「ひとたき」であるが、後者で読みたい。]
夏山へ古城へ双の鳶別れ
[やぶちゃん注:『週刊読売』(底本に月号表示なし)掲載の「淀城」の中の一句。淀城は現在の京都府京都市伏見区淀本町にある城跡のこと。本丸の石垣と堀の一部が残る。]
昭和三十三(一九五八)年
大魚跳ね彼方初富士ひゞきけり
紅梅や鋸ためす一指彈
春晝の生ける剝製となりて鰐
亡靈の外燈ともり朝ざくら
子が泣けば干潟いよいよ露はるる
斷層の目盛りがありて麥伸びる
昭和三十四(一九五九)年
鷹を賣り獅子賣る都會火星燃ゆ
昭和三十五(一九六〇)年
甘藷刺すごとく少年、党首刺せり
星赤し暗殺國の野分浪
[やぶちゃん注:二句ともに同年の『断崖』十月号所収。無論これは同年十月十二日に日比谷公会堂に於いて演説中の日本社会党委員長浅沼稲次郎が、十七歳の右翼少年山口
うちそとに蟲の音滿ちて家消えぬ
いわし雲折られきらら波女一人
昭和三十六(一九六一)年
網干して砂が疊の冬の濱
寒雷が滝のごとくに裸身打つ
睡蓮にひそみし緋鯉戀いわたる
[やぶちゃん注:「戀い」はママ。]
[やぶちゃん後注:底本の昭和三十七(一九六二)年分は、その総てが先にテクスト化した角川書店より昭和五五(一九八〇)年四月に刊行された「西東三鬼読本」収載分である「『變身』以後」に収録されており、その他の句は所載しない。但し――実は二千七百三十五句を載せる底本の平成四(一九九二)年沖積舎刊の「西東三鬼全句集」とは――三鬼の現存する全句を網羅したもの――ではない――のである。確かに三橋敏雄氏の凡例には『句帳・ノート・日記・色紙・短冊ほかに記されたいわゆる未発表作品は、収載を見合わせた。』とある。ここで申し添えておきたいのであるが――かくも本電子化に際し、お世話になった書物乍ら、しかし、敢えて言わせて戴くならば――例えば、本書以前に出た句と随筆の抄録集である同じ三橋敏雄氏の編になる朝日文庫「現代俳句の世界9 西東三鬼集」(昭和五九(一九八四)年刊)には、この「全句集」に所収しない拾遺が「拾遺二」と「拾遺三」だけでも百十一句載せられているのである(以下の「拾遺(やぶちゃん抄)Ⅱ」及び同「Ⅲ」を参照。なお、同朝日文庫版の都市出版社昭和四六(一九七一)年刊の大高弘達・鈴木六林男・三橋敏雄編「西東三鬼全句集」からの抄録である「拾遺一」所収の句は、その総てが沖積舎版に載っている)。こういう三鬼の句集類のこれまでの出版史の中で、果たして沖積舎版が『全句集』を名打つのは、果たして正しいと言えるであろうか? 私自身、沖積舎版を三鬼の「全句集」だと信じて買ったし、正直言えば、凡例部をちゃんと読んだつい先日前までの、実に本書を購入してから二十年余りずっと、私は書名から「全句集」と信じ続けてきたのである(――凡例を読まないお前が馬鹿である、他の購読者は皆、凡例を読んでから全句集かどうかを調べてちゃんと買うのだ――と言われるのであれば、そう言うあなたは、如何なる人をも言葉をも信じない真正懐疑主義者であるわけだから、『他の購読者がそう考える』と言うあなたの謂い自体が
拾遺(やぶちゃん抄)Ⅱ
[やぶちゃん注:これは朝日文庫「現代俳句の世界9 西東三鬼集」(昭和五九(一九八四)年刊)を底本とし、そこで都市出版社昭和四六(一九七一)年刊の大高弘達・鈴木六林男・三橋敏雄編「西東三鬼全句集」に載るところの色紙・短冊・その他からの抄出句を「拾遺二」として掲げたもの全十九句の中から、私の琴線に触れるものを抄出したが、本コンセプトに随い、恣意的に正字化した。]
昭和二十二(一九四七)年
葱坊主みな默り立つ朝の雨
昭和二十三(一九四八)年
蝶在れといへば蝶在る杖の先
炊煙に涙し逃れ夕櫻
昭和二十六(一九五一)年
虹消えし方へのそのそ歩き出す
[やぶちゃん注:「のそのそ」の後半は底本では踊り字「〱」。]
昭和三十(一九五五)年
ひらひらと春の夜氣入る首飾
[やぶちゃん注:「ひらひら」の後半は底本では踊り字「〱」。]
春の星恍惚の手を別ちけり
昭和三十六(一九六一)年
くちつけてくずれて死なむ天の川
昭和三十七(一九六二)年
元日の鳩桃色の脚いそがし
拾遺(やぶちゃん抄)Ⅲ
[やぶちゃん注:これは朝日文庫「現代俳句の世界9 西東三鬼集」(昭和五九(一九八四)年刊)を底本とし、そこで鈴木六林男編「『西東三鬼全句集』拾遺」(中央書院昭和四九(一九七四)年一月刊『季刊俳句』第二号所収)に載るところの拾遺句の抄出句を「拾遺三」として掲げたもの全九十二句の中から、私の琴線に触れる四十九句を抄出したが、本コンセプトに随い、恣意的に正字化した。]
鳩胸の誇冬霧わけ來たる
家々をつなぐ聖樂冬田晴れ
星さわぐ國の不安の除夜過ぎぬ
飛行音枯木にものる星さわぐ
耶蘇名ルカ霰はじきて友歸る
寒七日七夜の修道ルカの妻
[やぶちゃん注:「ルカ」は平畑静塔のクリスチャン・ネーム。彼は昭和二六(一九五一)年にカトリックの洗礼を受けているので、この二句は同年中の作と考えられる。関係ないが、私の勝手な洗礼名もルカである。]
狂女の手赤きもの乾す寒の窓
寒入日背につまらなく訓戒す
寒月の炎ゆるを窓に狂女眠る
寒曉や體温包み一農婦
半ば魔を恃む深雪に兩足消し
深雪踏む白き看護婦呼べばふり向く
寒の軍鷄猛るみどり子死にし家に
寒水の魚を見てゐて返事せず
雪しづか
[やぶちゃん注:「シヤクコウ」はママ。]
降る雪にサイレンの尾の細り消ゆ
いつまで平和春の卵に日を記す
病者等が指さし春の川光る
犬となり春の裸の月に吠ゆ
透明な氷の不安金魚浮く
不安の春花粉まみれの蜂しざり
戀猫のびしよ濡れの闇野につづく
つぶてめり込む雪達磨溶けはじむ
春土に糞まる猫の今安けし
菜の花遠し貧者に拔きし齒を返す
どの底の患者の血もてわが手染まる
土筆食ふ摘みたる人に見られつつ
看護婦の水蟲かなし春の雲
血に染む手硝子の外の朝櫻
一語のみ春の夜明けの人の聲
土堤に乾しボートの腹を赤く塗る
若者が遠野に笑ふ春の闇
泥炭の激しき流れ遠き雷
坑夫眞黑雨の地上に躍り出る
鴉騷ぎ翔ちてしづもる大新樹
毛蟲身を反らすよあけの半太陽
五月よあけの河の引き潮女眠れ
言葉なき夜汽車夏みかん晝の色
濁流の逆波燕自由なり
月光のレールが二本スト前夜
大旱の岩にかさりと蜻蛉交む
大旱の硝子戸ありて蠅唸る
働きし汗の胸板雷にさらす
曼珠沙華咲きけるわが家に旅終る
曼珠沙華最も赤し陸の果
海鳥の影過ぎしあと曼珠沙華
曼珠沙華海は怒濤となりて寄る
曼珠沙華のこして陸が海に入る
曼珠沙華より沖までの浪激し
やぶちゃん版西東三鬼句集 完