イコンとしての杖――富田木歩偶感―― 藪野直史

やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇
鬼火へ


イコンとしての杖――富田木歩偶感――
           藪野直史


[やぶちゃん注:以下は、私の今までの生涯で唯一度、原稿依頼を受けて書いた富田木歩についての論考「イコンとしての杖」(『俳句界』第百七十八号二〇一一年五月号「魅惑の俳人㉜ 冨田木歩」所収・藪野唯至名義)の原型である(引用句などは正字化した)。字数制限があったため、同誌のそれはこれを極端に縮めた。そのため、十全に私の伝えたかったことが伝わらなかった嫌いがあった(発表直後に、この原型の稿を贈った知人は遙かにこちらの方に胸うたれたと述べて呉れた)。私は、この『俳句界』の論考を唯一人、母にのみ読んで貰いたかった。しかし、母は同年四月下旬の同誌の発売を待つことなく、二〇一一年の三月十九日に天に召された。だから私は今、もう一度、天国の母に私の言いたかったことを告げようと思う。【二〇一三年八月十五日 盆の中日に 藪野直史】]

   
イコンとしての杖――富田木歩偶感――
         ――母聖子テレジアに捧ぐ
                 藪野 直史

――一人の男の写真がある
――俯き加減の両目下部の白眼と双眸の怜悧にして鋭利な視線
――結んだ唇は或る憤懣を見せてやや左右に下がる
――その右端の延長線を辿ると彼の右肩の羽織の峰に至る
――ふと見るとそこに蜘蛛の糸が光って見える
――その蜘蛛の糸を私たちは辿る
――糸は一台の幻灯機のスイッチに結ぼれている
――男が上半身を動かした
――糸が引かれる
――カタカタとフィルムが回り出す
――壁に映し出されるのは関東大震災の惨状
――私たちはそれを見ている男の後姿を
――見ている……

   我が肩に蜘蛛の糸張る秋の暮

 明治三十(一八九七)年に生まれた木歩は、誕生の翌年、高熱を発して両足が麻痺、生涯、歩行不能となった。その彼の十八歳の折りの句、
   枸杞茂る中よ木歩の殘り居る
これが総ての始まりである。ただ歩くことを切望してきた少年の、絶望の眼が見つめる、兄の家の裏のクコの垣根に打ち捨てられて佇立する遂に使われなかった松葉杖。「枸杞」は春の季語であるから、そこにはクコの実はない。しかし、そのモノクロームの画面に喀血の色を予感させるそれを点綴させてはいけないだろうか?

 十九歳の木歩。何かを懸命に削っている後姿。彼は聾唖者であった弟利助の勤めていた玩具店から型取りした人形の縁に出たバリ(へち)を削り取る内職を回して貰って、辛うじて糊口を凌いでいる。へちを削る音。その手元。木歩の眼。細かな塵と成って濛々と漂うへち。咳き込む木歩。破れ障子の棧に積もったへちの粉。――
   春風や障子の棧の人形屑へち埃り

木歩は本所区向島小梅町で鰻屋を営む両親の次男として生まれた。兄弟の障碍を口さがない世間の者は鰻を売った祟りと陰口した。――
   鰻ともならである身や五月雨さつきあめ
ここで彼はいっそ鰻にでもなりたい、鰻にさえなれぬ、と諧謔の背後に悲痛な哀感を滲ませて呟く。鬱に籠もった雨音が我が身と世を覆う。

   妹もめしに戻らん夕蚊遣
印刷工場の女工をしている愛妹まき子が夕食に戻ってくる頃だ。内職の手をほんの少し休め、貧困の中に一時の団欒。蚊遣りを点す兄の優しさ。こもごもの交じり合った、もう、とっくに都会人の私たちが忘れてしまった、あの懐かしい夏の夕暮れの、暑さが幾分緩んだ、打水したような涼しい匂いが漂ってくる。そして下町の音――
   風鈴ふうりんや草匂ふほど水きけり
冬。内職をしながら小窓越しにふと見ると、隣家のおばさんが出かけてゆくのが見える。半玉になった娘の小鈴に持って行ってやるのであろう、綿子らしい包を抱えていた。
   夜寒さやひしと抱き行く小風呂敷
小鈴は木歩がすずという本名につけた愛称であった。木歩はこの娘を愛していた。――

 木歩の姉妹や周囲の女たちはその殆んどが、病を抱えていたか、また健康ならば身を売らねばならる境遇にあった。そもそも彼の姉久子が妾となった相手が須崎の芸妓屋の経営者であったから、そのルートはある意味、磐石でもあった。さっき飯を食いに帰ったまき子も、結局は後にそこで半玉となる。次姉久子も北海道の昆布商人の妾となっていた。

     啞の娘と語る
   うそ寒や疊にをどる影法師
この「啞の娘」もこの後、十代で亡くなった木歩の従妹である。いや、亡くなるのは女ばかりではない。「波王追憶」の前書を持つ句、
   稻妻や誰やら來そに思はるゝ
波王とは木歩の親友土手米吉の俳号。友禅の型紙彫刻師の徒弟であった木歩の兄弟子で、木歩のよき理解者であったと同時に介護者でもあったが、大正六(一九一七)年七月、隅田川小松島で遊泳中に溺死した。木歩の妹まき子は実に彼の恋人であった。死の知らせにまき子は半狂乱になった。この句の「誰やら」は勿論、波王の魂であるが、同時に過去そして未来に繋がる沢山の彼の前から消えていった/消えてゆく運命の愛する生者や死者たちである。そこには恐らく木歩自身も含まれていた。相対のもの淋しさは、次第に絶対の寂寥へと彼を導いてゆくことになる。
     今日も亦雨なるに、こゝ二三日見えぬ末の妹や小鈴を戀しむ。
     三味線きゝ度き心もをかし。
   泣きたさをふと歌ひけり秋の暮

 同じ頃、弟利助も結核で職を解雇され、闘病の末に翌大正七(一九一八)年二月に亡くなる。その直後、春陽の射す縁側に居て、木歩はもういないはずの利助の息遣いを幻聴する。そこには時空間を超えて見えぬものを見る聖痕スティグマを持った木歩がいる。
   鉢木ふと息づくけはひ暖き

 芸者に売られた妹まき子も、同じく肺を病んで帰ってくる。私がここで『文字通り身も心もぼろぼろになって』と叙述した時、読者はそこにある嫌悪を感じるであろう。私たちには、このまき子の悲惨な境涯を安易にかく言う権利も資格もないからである。それは正しい。しかし私は、七月末のまき子の死に至るまでの木歩の悲傷句群(それはマルチ・カメラによる組写真の技法とも言い得る)を木歩句中第一の絶唱と評するに躊躇しないことも事実ではある。
  和讚乞ふ妹いとほしむ夜短き
  今宵名殘りとなる祈りかも夏嵐
  妹さするひまの端居や靑嵐
  寢る妹に衣うちかけぬ花あやめ
  病む妹に夜氣忌みて鎖す花あやめ
  醫師の來て垣覗く子や黐の花
  咳恐れてもの言ひうとし蚊の出初む
  かそけくも咽喉鳴る妹よ鳳仙花
  死期近しと夕な愁ひぬ鳳仙花
  床ずれに白粉ぬりぬ鳳仙花
  涙湧く眼を追ひ移す朝顏に
  死裝束縫ひ寄る灯下秋めきぬ
  線香の火の穗浮く蚊帳更けにけり
  棺守る夜を涼み子のうかゞひぬ
  明けはずむ樹下に母立ち盡したり
  朝顏の薄色に咲く忌中かな

 そして、あなたの想像通り、病魔は木歩自身をも見逃さぬ。同年十二月、前書「喀血して」の句。
  鷄遠音とりとほねきこゆ北風ならひに病臥かな
北風ならひは東日本太平洋岸で用いられる冬に吹く東北の季節風を指す古語。寒風は木歩の肺と心に容赦なく吹き荒ぶ。

 それでも木歩の症状は翌大正八(一九一九)年頃から小康状態となり、貸本屋を営みつつ句作に精進、旧知の盟友新井声風の努力によって渡辺水巴主宰の『曲水』に纏まった句が掲載されて、漸く俳壇にその名も知られるようになった。女弟子も出来た。石川伽羅女という。
  行く年やわれにもひとり女弟子

しかし木歩の世界に取り付いた死は確実に順調に彼を苛む。この年の九月、母が脳溢血で他界、
  母のみとりに佛灯忘る宵の冬
そうして秘かに片思いしていた伽羅女も、大正十一(一九二二)年夏に結核で亡くなってしまう。彼の人生行路を見る時、そこには無数の瀕死の貧者、愛する者たちの累々とよこたわる屍の山、己自身の死の淵への急勾配が、我々の想像を絶して、確かに「在る」。

 大正十二(一九二三)年七月のこと、声風ら友人たちが木歩を慰藉せんと、一夕、隅田川で舟遊びを設けてくれた。その映像は限りなく透明で美しい川面を私たちに見せてくれる。――
  夜釣の灯なつかしく水の闇を過ぐ

 しかし、遂に悲劇のコーダがやってくる。同年九月一日、関東大震災。
 危急の中、駆けつけた声風が木歩を背負って業火の中を逃げる。
 しかし、隅田川支流源森川河口まで来た時、万事窮した。
 迫り来る火勢と叫喚の中、声風は木歩と堅い訣別の握手をし、独り、大川に飛び込んで難を逃れた――

 ――さても、これが木歩という二十六年の、謂うところの『境涯の俳人』の、『境涯の俳句』を連ねた、私の如何にも粗野にして恣意的な画素も荒いモンタージュ・フィルムである。

 それにしても『境涯の俳人』『境涯俳句』とは一体、何か? 私は兼ねてからこの謂いに強い違和感を持っている。「境涯」と言うなら、花鳥諷詠の権化と化して幾多の俳人を俳壇から葬った高浜虚子も、「虛子嫌ひ」と句に詠んで春の山に狂乱して消え入った杉田久女も、エリートの我意や恋情の齟齬を抱えて現実から逃避し消極的自死を選んだようにも見える尾崎放哉も、木歩が意識したルーツ『境涯俳人』として位置付けられる聴覚障碍を抱えた鬼城も、現代俳句の新しいシーンを嘱望されながら原因不明の病に冒されて青い海の彼方へと旅立った鳳作も、「みなさん、ごきげんよう、さようなら」と言い残して今も行方不明のままのしづ子も、姿ばかりかその句さえもファッション・モデルみたような軽快軽薄な現代女流俳人の誰それさえも、皆、その生きざまは、これ総て「境涯」である。境涯の謂いをネガティヴな極点の意でのみ恣意的に曲解して規定し、強引に『境涯の俳句』という忌まわしい『文学的』ジャンルを創り上げた上、それに類する多様な悲惨とレンジの異なる波乱万丈轗軻数奇の「境涯」を抱えた人々を『境涯の俳人』として十把一絡げに括り挙げて『風流をかこつ』――これこそが現代俳句の貧困の元凶に他ならないと私は断言する。それは歳時記を作って俳句の系統分類学を完成させたと思い込んでいる意識と同断である。世に『境涯の俳句』などというものは――ない。況や『境涯の俳人』など、――いない。いや、それぞれの個人には、確かにこれ以上、どうしたって凝っとしてはいられない、この人以上は数奇な『境涯』にあった俳人はいないのだ、と自律的に声高に叫びたい俳人は、確かにいるのだ。私にとって木歩は、正に、そう表現せよとならば確かに私の中の唯一無二の『境涯の俳人』ではある。しかし、それは飽くまで孤独な自身の世界の中で覚悟を以って対峙すべき存在として、である。私たちは私たちの孤独の中に於いてのみ、正しく『境涯の俳人』『境涯の俳句』を持つ。
 鬼城や木歩は所謂、健常者ではないと規定するとして、その「ない」という点に於いて、それを俳句世界の大系類別のタクソンとすること自体、私は誤りであると感じている。私たちにはそれぞれに差異がある。それを優位な多数者が正統の奥義を保持していると思うのは、幻想である。桑原武夫の中世ギルド的世界の亡霊は、残念ながら今も私たちの魂を呪縛している。この博物学的な分類学的手法は、『他者を征服するための』人類特有の誘惑的行為ではある。だが、この『境涯』は普遍的な謂いに於いて明白な誤使用であり、その『文学的な』オブラートにこそ明らかな差別的意識が潜り込んでいることは言を俟たない。『境涯』ならぬ『障碍』を持っている者たちの、鋭敏にして個性的な、「健常」であると無意識に誇っている自分に欠けているところの、しかし「欠けている」ことに於いて実は羨望するところの、即ち実は限りなく共感するところの『境涯』をそこに見ている、感じているのだ、ということを私たちは正直に告解すべきである。
 私たちは木歩の俳句を、自分も送ったかもしれない、否、明日から送るかも知れぬ共有される障碍の生涯として、言うなら、『共涯の俳句』(私はこんな括りを提唱するものではないことを注意されたい。そもそもその人に『共涯』を感じなければ、その俳人はあなたの人生にとって無価値であるからである。俳句とはそういうものである)として感ずるべきではなかろうか? そうして、そこには最後に、私たちとその『共涯の俳人』の意識がぴったりと一致する、新たな一句が生まれるはずである。

 冒頭の映像に戻ろう。

――壁に映し出されるのは関東大震災の惨状
――私たちはそれを見ている男の後姿を見ている
――いや、私たちはそのままフレーム・インしてその男の視線になる
――大川に飛び込んだ声風を見送る木歩の眼になる
――声風が水を飲みながら振り返って何か叫ぶのを見る
――阿鼻叫喚
――嘗め尽くす火焔
――カメラのフィルムも溶ける
――それは大正という近代という一つのエポックの終焉でもある
――しかし――木歩の――そして私たち眼はまだ幻灯機に映される更なる未来の映像を見る
――軍靴の音
――凄絶にして醜悪な戦禍
――チェレンコフの業火も
――そして――それらの歴史があったことをも鮮やかに忘れてゆく人々の群れ
――彼のような存在があったことも忘れて享楽を謳歌する人々の中には見ている私たちも映っている――F・O・
――F・I・
――一本の杖が中空に屹立している

――それは時空を超えた「木歩の杖」である。それは「木歩の杖」という一つの聖像(イコン)、私たちの「木歩」という霊感の表象である。さあ、その「木歩の杖」を手に執ろう! そこで私たちは出会うのだ!
――木歩が、あの、死の最期に詠んだに違いない、凄絶にして感動的な、木歩のまだ見ぬ、そして『私たち自身の木歩の一句』に
――それがあなたの明日の、会心の一句ともなる、のではあるまいか?


イコンとしての杖――富田木歩偶感―― 藪野直史 完