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やぶちゃん版芥川龍之介句集 五

 手帳及びノート・断片・日録・遺漏
       
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[やぶちゃん注:本ページの底本の詳細はそれぞれの句注に譲るが、一九七八年刊岩波版旧全集第十二巻、一九九八年刊岩波版新全集第二十三巻及び一九九二年蝸牛社刊の中田雅敏編著になる蝸牛俳句文庫「芥川龍之介」、昭和五十三(一九七八)年九月一日芸術新聞社発行の雑誌「墨 十四 特集 芥川龍之介」、一九九二~一九九三年産経新聞社発行の関口安義他監修「もうひとりの芥川龍之介――生誕百年記念展――」図録の他、小穴隆一著「二つの繪」「芥川龍之介遺墨」、佐野花子・山田芳子「芥川龍之介の思い出」等の諸作品を引用元・参考にしている。但し、俳句の引用元が新字表記の場合は、その殆んどの部分を恣意的に正字に変えてある。ノート・パートについては摘録の遺漏を恐れて、「やぶちゃん版芥川龍之介句集」の一~四に同一句があっても、すべて採った。またノートという性質上、句と関係のあると思われる語句断片や部分改案列記と思われるもの及び周辺的記載も可能な限り、付随して採った。新傾向俳句や自由律俳句であるのか、それとも短歌や定型詩の断片、小説の表現の走り書きなのかの区別が迷うものも、『[やぶちゃん注:*句?]』を附して採った。手帳類の『〔 〕』は芥川自身による抹消された部分であることを示している。各引用群の間には『*   *   *』を挟んだ。注記には、昭和四十六(一九七一)年刊の筑摩書房全集類聚版脚注、一九九二年河出書房新社刊の鷺只雄編著「年表作家読本 芥川龍之介」等を参考にした。頁の最後に、本全句集作成に於いて最も御世話になった平成三年永田書房刊の新装版村山古郷編「芥川龍之介句集 我鬼全句」と本「やぶちゃん版芥川龍之介全句集」の全句を校合、同書に所収し乍ら、私が遂に渉猟し得なかった句について『村山古郷編「芥川龍之介句集 我鬼全句」に現われたる句』として掲げた。]



  細田枯萍へ送るの句
惜め君南京酒に盡くる春

[やぶちゃん注:「我鬼窟日録」大正八(一九一九)年六月四日。「我鬼句抄」大正八年に「醉ひ足らぬ南京酒や盡くる春(細田枯萍を訪ふ)」の類型句。細田枯萍とは長崎在、バーナード・ショーの「人と超人」の翻訳本があるので、英文学者であると思われる。この前月の五月三日から十八日迄、長崎に旅している。]



掻けば何時も片目鰻や五月雨     我 鬼

[「我鬼窟日録」大正八年(一九一九)九月二十四日。「夜伊香保で久米、成瀨とジヨオンズの爲に別宴を開く。ジヨオンズに畫を書かせ久米と二人で贊をする。」とあり、この句の前に久米正雄の「一もとの桔梗ゆらぐや風の中」(署名三汀)の句がある。トーマス・ジョーンズはロイターの通信記者で、大正五(一九一六)年初頭に知り合ったものと思われるが、その彼が特派員として上海に赴任することとなり、その送別会での作である。この「伊香保」というのは茶屋の名で、鶯谷にあった。ジョーンズを語った「彼 第二」は美しくも哀しいオードである。ちなみに、俳句とは無縁ながら「我鬼窟日録」には、この十二日前の九月十二日の条に「愁人」が現れる。「愁人亦この雨聲を聞くべしなどと思ふ。」とあり、九月十五日の条には、「始めて愁人と會す。夜に入りて歸る。/心緒も亂れて止まず。自ら悲喜を知らざるなり。」と書き、九月十七日の条でも「不忍池の夜色愁人を憶はしむる事切なり。」と綴り、九月二十二日の条に「無月秋風。臥榻に横たはつて頻に愁人を憶ふ。」とある。「臥榻」(がとう)は寝椅子。そうして、ジョーンズの送別会の翌日、九月二十五日の条には「愁人と再會す。/夜歸。失ふ所ある如き心地なり。」、九月二十九日の条、「芝に行つて泊まる事にする。愁人今如何。」と記すのである。「愁人」とは龍之介のファム・ファータル、『狂人の娘』、遺書にその名が実名で記される秀しげ子である。先立つ九月十日の条に「夕方から十日會に行く。/夜眠られず。」とある。「十日會」とは岩野泡鳴が中心になった若手文学者の会で、先立つ同年六月十日のこの会で太田水穂主催の「潮音」の歌人秀しげ子を知り、広津和郎に紹介を頼んでいる。彼女は、芥川より一つ年上、帝劇の電気技師と結婚し、一児があった。九月十日は、秀しげ子との久し振りの再会であったか。この九月十五日と二十五日が芥川にとって、死へのの勾配を上げることとなってしまった運命の邂逅でもあった訳である。それにしても芥川がその遺書で、その利己主義や動物的本能を忌まわしいまでに語った彼女ではあるが、ここには寧ろ、その愁人に強烈に吸引され、囚われて気づかぬ芥川の姿が見える。それが又、切なく哀しい。]

*俳句関連資料
[やぶちゃん注:「我鬼窟日録」大正八(一九一九)年十月一日付末尾には以下の句と語句(俳句断片)が記載されている(傍線も芥川のもの)。当初、全集からの拾い出しに於いて、芥川の句と無批判に信じて掲載していたが、この完全な発句の体を成している四句については、村山古郷編「芥川龍之介句集」解題に、いずれも古俳諧で芥川の句でない旨が記されていた。以下に、村山氏の同定された作者を各発句の後に【 】で明記した。

時鳥雨のかしらを鳴いて來る   【浪化】

山亢として(五月雨の)

日の暑さ

照り曇る十方くれの暑さかな   【毛紈】

蒸しのぼす堤の息や

葉の動き(止)

入道のよゝと參りぬ納豆汁    【蕪村】

埋火に我夜計るや枕上      【召波】

白鷺曇る

夏にふたする

淋しさ凝りて

一応、この注冒頭日付を示しておくが、これらは「我鬼窟日録」の末尾にある記載で、その余白にもっとずっと後になってから備忘録風に書き記したものとも考えられる。さて、これらは芥川の自句ではないが(前後途中に現われる単独語句群も極めて高い確率で古俳諧からの引用の可能性が疑われる)、村山氏の推測されているように、何らかの作句の参考にしようと書きとめたものと思われ(傍線などはない単独語句もあって、その意味は必ずしも判然としないが、単に面白い表現と思ったものか)、芥川の俳句創作資料としては十分価値のあるものと判断して、あえて注として残すことにした。なお、全集類聚版では「亢」に「こつ」というルビが振られているが、これは「かう(こう)」で、高く聳えるの意である。類聚版編者は「兀」と見誤ってルビを振ったものと思われる。「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「我鬼句抄補遺」に「亢として柚味噌靜かや膳の上」の用例がある。]



   *   *   *



春雨や檜は霜に焦げながら

  一游亭の下宿を訪ひて、
枝炭の火もほのめけや燒りんご

[「澄江堂日録」大正十四(一九二五)年二月四日。「春雨や」の句は「發句」に所収。この時、芥川は風邪をひいていた。]



おぎろなき海の光り

えやし人妻

うきくさの〔戀の〕ゆくさためぬしられも

あぢさひの色さだめるやされど

〔あやめ〕

人妻のあはれはあ〔は〕や

いちはつの水につれなき戀なれど

〔人妻となりて三とせや衣更へ〕

人妻のあはれや〔春の葱〕

〔萍や行く方さだめぬ戀なれど〕

かきつばた



〔燒〔一字不明〕や中に〕

靑蓮院の梅白し

〔落葉〕

〔泰山の〕

日にかすむ水や

雲か山か日にかすみけり〔比良地〕琵琶の瀧

日が※すむ

〔かすみつつ〕

妻ぶりに葱切る支那の女かな

〔白梅や靑蓮院の屋根くもり〕

〔春〕

[やぶちゃん注:底本は新全集「手帳(1)」から。新全集は、山梨県立文学館蔵の手帳から新たに起こしたもので、以上の部分は旧全集「手帳(一)」には欠けていた部分から採った。但し、最初の注で述べた通り、新字を正字に改めてある。三行空きは間に別なメモが入っていることを示す。前半部分には採録に異論があるものがあると思うが、それについては後述する、旧全集「手帳(六)」のやぶちゃん注記を参照されたい。簡潔に述べると、採録時の判断としては、それが一見、語句断片や表現の走り書きのように見えても、積極的に新傾向・自由律の俳句として採っておこうというコンセプトである。なお、以下の手帳でもそうだが、底本には「○」が頭についた部分が夥しくあるが、これは後記によると単に編者が柱として打ったものであるから総て省略した(新全集でも同方針であるため、編者の恣意を排する目的で省略した。本全集頁の編者である私の判断も勿論、恣意ということになるが、私は芥川龍之介の元の記載に戻すことを優先して不要と判断したということである。これについても以下の「手帳(六)」の同やぶちゃん注記を参照されたい)。終わりから五句目の「※」は、底本では本文よりポイント落ちで「〔一字不明〕」とあるものである。これは芥川龍之介による抹消の字が判読不能という意味ではなく、抹消されていないが判読不能という意味であろうと判断されることから、混乱を避けるために以上のような表記に変えたものである。この手帳は大正六年三月脱稿の「偸盗」の関連記載が多い。大正五(一九一六)年、第一銀行横浜支店発行の皮製手帳。新全集後記では、使用時期を大正五(一九一六)年から大正七(一九一八)頃と推定している。なお、旧全集「手帳(一)」の末尾にある俳句(様?)句群については、新全集によってこの「手帳(一)」とは異なる手帳からの抜粋であることが判明しているので、後掲する「手帳(12)」で掲げた。]



   *   *   *



朝寒や寐れば音する藁蒲團

病室の膳朝寒し生玉子

身熱のうつらうつらと夜長かな

熱の夜の長さに伯母を思ひけり

〔秋蚊帳の中に咳する病者かな〕

氷嚢や秋の氷のゆるゝ音

頓服の新藥白し今朝の秋

秋立てばまづ咳をする病者かな


冬空や二階に拂きかくる音


鳥と胡瓜と白味噌のぬた

日ざかりや靑杉こぞる山の峽

瓦屋根にも毛氈干して御虫干

群れ渡る海豚の聲や梅雨の海

烏鷺交々落ちて餘寒の碁盤かな

春日さす海の中にも世界かな

冴え返る魚の背砂にまがひりけり

〔石稀に更けて餘寒の碁盤かな〕

井目に餘寒の碁盤畫しけり

寺の春暮れて蘇鐵の若葉かな

群れ渡る海豚の聲や大南風

黑南風の沖啼き渡る海豚かな

黑南風の沖群れ渡る海豚かな

白南風の沖に群れ鳴く海豚かな

笹原や笹の匀も日の盛

黄昏るゝる榾に木の葉や榾焚けば

夏山や空にむら立つ嵐雲

〔日は天に夏山の木々熔けんとす〕

〔雲荒れるゝ下に畠のキヤベツかな〕
[やぶちゃん注:「荒れるゝ」はママ。]

〔まばら咲く桃や〕

ぢりぢりと向日葵枯るる殘暑かな

初虹や屋根の菖蒲の靑む頃

夕立に鬼菱せめぐ水の面かな

五月雨の川に何やら簀巻きかな

〔秋の空後架の窓に竹二本〕

〔孟竹の一竿高し秋動く〕

炎天や切れても動く蜥蜴の尾

一鉤の月に一羽の雁落ちぬ

〔夕立や大銀杏ある城下口〕

掻けば何時も片目鰻〔殘る月〕や五月雨

夏山や峯押し  嵐雲

夏山の空荒れぬべきけはひかな

夏山や嵐〔や來〕

夏山の空や小暗き嵐雲

夏山や空〔に怪しき〕は小暗き嵐雲

日は天に夏山の樹々熔けぬべし

溯る

〔夏山の下行く路や〕

〔油照り〕夏山の樹々や熔けなん

〔夏山の尾の上〕の

〔朝燒くる夏山松や〕

〔夏山〕

夏山や空はむら立つ嵐雲



爪とらむその鋏かせ宵の春

春風にひき倒されな雛仔ども

島ぶりの簪は貝や春の風

脚立して刈りこむ黄楊や春の風

魚の眼を箸でつつくや冴返る

二階から簪落して冴返る

春寒くすり下したる山葵かな

靑蛙おのれもペンキぬり立てか

瓦色黄昏岩蓮華ところどころ

秋風や水干し足らぬ木綿糸

松二本芒一むら曼珠沙華

[やぶちゃん注:旧全集「手帳(二)」を新全集「手帳(2)」で補正(いちいち注しないが、旧全集との位置の移動が甚だしくあり、新全集はそれを注記していない)。三行空きは間に別なメモが入っていることを示す。「魚の眼を箸でつつくや冴返る」が大正六(一九一七)年八月二十九日付三一四書簡に現れており(但し、この季題は春なのでそれ以前に遡る可能性が大である)、「靑蛙おのれもペンキぬり立てか」が大正八(一九一九)年三月の『ホトトギス』雑詠二句の一句で、「朝寒や寐れば音する藁蒲團」と「病室の膳朝寒し生玉子」は、同年八月二十三日五六七書簡に載る。「掻けば何時も片目鰻や五月雨」は先の「我鬼日録」同年九月二十四日にある。「黄昏るゝる榾に木の葉や榾焚けば」や「秋風や水干し足らぬ木綿糸」等、同大正八年十月の「サンエス」掲載句、また手帳の他の記事内に、大正八~九年に脱稿・連載する小説、「路上」「妖婆」「素戔鳴尊」等のメモ書きの後に、大正六年の「偸盗」の人物関係記載などもある。「海豚」の一連の句は大正十年の上海行の嘱目吟と推定される。概ね、俳句については大正八~十年の作を中心として、それ以前の大正六年まで遡る旧作の推敲改作をもまとめ書きしたものかと推測はされる。旧全集は昭和二(一九二七)~四(一九二九)刊の元版全集の引き写しのため、「手帳」については年代順に並べたものの、その手帳の使用年代は明記されていない。元版全集の注記を見ると、その手帳の暦の該当年以降にも書き込んだ跡があるからとしており、この手帳も実際、大正六年から八年にかけて使用されたものであるらしい。この後の手帳も、年次に並べたとあるが、「三」の中にも「偸盗」の沙金の描写の断片や、大正七年の「袈裟と盛遠」の発想を思わせる英文もあり、特定は困難である。新全集によると、手帳そのものは大正六(一九一七)年、丸善株式会社発行の手帳。新全集後記では、使用時期を大正七(一九一八)年から大正八(一九一九)年頃と推定している。【二〇一一年二月十一日追記】「鳥と胡瓜と白味噌のぬた」を追加した。ただのメモと判断して省略していたが、新傾向俳句の可能性も排除出来ないからである。]



   *   *   *



月九分あれ野の薔薇よ花一つ(前書アリ) 荒野カ九分アルカ

[やぶちゃん注:旧全集では「薔薇」は「蕎麦」とある。旧全集の誤植か。また、旧全集では「荒野」の前に一字空けはない。「(前書アリ)」は芥川龍之介全集元版編者の注で、判読不能の意であり、「荒野」か「九分ある」という詞書が書かれている、ということであろうかと以前は思っていたのだが、新全集を見るにそうでないことが判明した。これはすべて、芥川の記載である。後の三句が素堂の句であることを考えると、これは詞書を忘れた他者の句の備忘録であって、中七が「荒野」かはたまた上五の字余りで「九分ある」の意か、という意味であろうか? ともかく芥川龍之介の句でない可能性が極めて高い感じがする。一応、採っておく。それにしてもこの句は芥川のものでないとすれば、古俳諧でもない。読みによっては如何にも斬新な新傾向にも見える。]

*俳句関連資料
[やぶちゃん注:「月九分」の句の直後に、以下の三句が続くが、これについては、村山古郷編「芥川龍之介句集」解題に、いずれも古俳諧で、芥川の句はでなく、三句共に山口素堂の旨が記されていた。以下に、村山氏の同定された【素堂】明記で記載しておく。

雲なかに岩を殘して紅葉けり    【素堂】

和布刈遠し王子の狐見に行かん   【素堂】

朝顏よおもはし鶴と鴨のあし    【素堂】

素堂の「雲なかに」の句の「紅葉けり」の傍線は新全集では二重線である。]



窓べに煤煙の火の子見えそむる日暮

日暮るゝ大根畠ひ〔と〕ろし土を掘る一人



漬物にまぢる竹の枯葉なり含みたり

年のくれこの夜うどんをたべ疲れがでる

我が厭や厭やお飾りこしらへてをる也

お飾りをしとる俺をいふ妻のこゑ

[やぶちゃん注:旧全集「手帳(三)」を、新全集「手帳(3)」で補正。三行空きは間に別なメモが入っていることを示す。他の記載メモの関連作品が大正九年以降のものが多いことと、新傾向を一時期好んで作った点から、これらの句の記載は大正十年前後か。ただ彼は新傾向俳句をその後も結構創作しているので断定はできない。新全集によると、手帳は大正八(一九一九)年、大阪毎日新聞社発行の手帳で、扉に「職員所持之証」「NO.623」と印が押されてある。新全集後記では、使用時期を大正八(一九一九)年から大正十二(一九二三)年頃と推定している。]



   *   *   *



よく見ればゐる〔竹籔〕かや葺の雀かな

白壁や芭蕉玉巻く南京寺

〔白壁に芭蕉若葉や南京寺〕

〔白壁に蘇鐵若葉や南京寺〕

〔南海に秋立つ竹〕

篁に天下の秋や鳳飢ゆる

〔さんたまりあ 鱶〕

飢ゆる鳳や天下の竹の秋

〔鳳飢ゆる天下の竹〔の〕や秋となり〕

石頑は秋立つ竹や〔二三竿〕與可の印

〔湯筆や頑石〕

〔竹の秋〕

炎天にはたと打つたる根つ木かな

〔竹〕鳳飢ゆる天下の竹

〔板や竹〕

〔竹の秋魚板 支那寺の赤き魚〕

〔磬打てば山房や磬打てば立つ竹の秋〕

〔蕭々と〕渇筆は秋立つ竹〔や〕か石頑に

亞字欄の外や秋立つ竹〔無〕二本

酒前茶後秋立つ竹を寫しけり

〔菩薩名は心王と申す春の風〕

亞字欄の外や秋立つ竹二本

〔石頑〕蕭々と秋立つ竹や石頑に

酒前茶後秋立つ竹を寫しけり

一むら〔の秋〕ニ

[やぶちゃん注:旧全集「手帳(四)」を、新全集「手帳(4)」で補正。「石頑」というのは、菊寿石(頑火輝石)のことか。御教授を乞う。概ね、長崎行の嘱目吟を含む、大正七~八年前半の記載か。新全集によると、手帳は丸善株式会社発行の手帳で、年次不詳。記載内容の関連作品から推測すると、この手帳の使用時期の凡その上限は「偸盗」関連で大正五(一九一六)年頃、「おぎん」の脱稿で凡その下限は大正十一(一九二二)年八月頃となるか。しかし、私は本手帳の最終ページの記載にある、「末法の世は世なれども仏たち白蓮夫人に冥加あらませたまへ」という短歌から、心中未遂の昭和二(一九二七)年四月以降、自死まで下限を伸ばしたい。この「白蓮夫人」とは恐らくその心中未遂の際に関係する柳原白蓮を指すであろうからである。]



   *   *   *



コツプを買ふ食卓に向かひて疲れ

[やぶちゃん注:この間には七言絶句一首と五言絶句二首が入る。]

  射鴉
皿鉢の赤畫も古し今年竹

金網の中に鷺ゐる寒さかな

白鷺は後姿も寒さかな

茶のけむりなびきゆくへや東山

霧雨や鬼灯殘る草の中

冬瓜にこほろぎ來るや朝まだき

道ふるひ砲車すぎゆけり馬の汗

小春日のけふも暮れけり古障子

小春日に産湯の盥干しにけり

小春日を夕鳥なかぬ軒ばかな

道ばたの穗麥も赤み行春や

麓より匀ふ落葉や月ほがら

黑南風のうみ吹き凪げるたまゆらや

凩のうみ吹きなげるたまゆらや

かげろふや影ばかりなる佛たち

大うみや黑南風落つる朝ぼらけ

苔づける百日紅や秋どなり

花のこる軒ばの山や茶のけむり

さきそむる軒ばの花や茶のけむり

さきのこる軒ばの花や茶のけむり

小春日や暮るゝも早き古障子

甘皮に火もほのめけや燒林ご

秋風に立ちてかなしや骨の灰

黑ぐろと八つ手も實のり行春や

塗り膳の秋となりけり蟹の殻

乳垂るる妻となりけり草の餅

風光る穗麥の果や煤ぐもり

[やぶちゃん注:旧全集「手帳(五)」を、新全集「手帳(5)」で補正。大正十三(一九二四)年の句、それ以前の句の改案と思しきものがある。最初の句は、新傾向と認識して採用した。新全集によると、原資料の所在不明のため、手帳の詳細不明。]



   *   *   *



庭の空に蟬一聲や月明り



船室のリンネルの窓かけに入日

水夫らが甲板を拭ふ椰子の實よ海よ

海上のサルーンに常磐木の鉢ある

支那人のボイが入日を見る額の廣さ

アメリカ人がうつタイプライタアに荒るる

荒るゝ海に鷗とび甲板のラシヤメン

星影に船員が仰ぐ六分儀

水平の赭水紫立つ朝なり

ジヤンクの帆煙るブイの緑靑色

川の病む黄疸、舟の帆の日陰蝶

アンペラ、布帆、丹色の赤、緑、コバルト、藍[やぶちゃん注:*句?]

藍衣黑衣の支那人、倭寇[やぶちゃん注:*句?]

船尾に煤けたる日章旗[やぶちゃん注:*句?]

黄旗、赤布包の棺、ジャンク四五人、葬をおくる舟[やぶちゃん注:*句?]

柳、山羊、アンペラ屋根、菜[やぶちゃん注:*句?]

鴨群、四つ手網(大)[やぶちゃん注:*句?]

ゴルフ人に芝生靑々

春日に飛ぶ首白がらす

花菜畑に灰色煉瓦の墓二つ

紅桃の中に西洋館ある啼鴉



能成に似る印度人の巡査

アカシアの芽匀ふ路ばたのアマ

馭者の一人は眠る白馬なり麥畠

クーリーの背中の赤十字に雨ふる

緋の幕に金字けむる

赤面の官人の木像かなし錫箔

燈籠ならび線香長し

鼠色の長褂兒[やぶちゃん注:*句?]

黑色の馬褂兒[やぶちゃん注:*句?]

雪毬にうす日さす竹林の前

三階なれば櫻しらじらと(日本よりの)

老爺が火をすりくるる小説の話

世界戰爭後の改造文學の超國家性

黑き門に眞鍮の鐶ある午後

卍字欄に干し物のひるがへる靑空

わが友が小便する石だたみの黑み草疎

雅敍園の茶に玖瑰の花の匀

杏の種をわりて食ふ三人

時事新報社の暗き壁に世界圖

白キ驢馬ころがる一匹は行キ(痒いんだよ――M氏)[やぶちゃん注:*句?]

桃色の寶づくしの緞子。黑の緞子、織紋。[やぶちゃん注:*句?]



酒染みの畳に蚊たかり居る暗き間。[やぶちゃん注:*句?]

[やぶちゃん注:旧全集「手帳(六)」を、新全集「手帳(6)」で補正。三行空きは間に別なメモが入っていることを示す。すべて大正十(一九二一)年三月下旬から七月中旬の中国行の嘱目吟。恐らくこれらの多くを俳句と捉える方は少ないと思われるが、極めて強い自信を持って、私は新傾向俳句に数えるものである。芥川自身もそのような自覚のもとに詠んでいると断言できる。尾崎放哉に私淑し、若い頃、「層雲」に属した私も、かつて、このような句を屑(己に対して失礼か)のように製造した。やや、句ではなくただの覚書かと迷うのは、私が「*句?」と注した十一句ぐらいである。
 中間部の「アンペラ、布帆、丹色の赤、緑、コバルト、藍」から「鴨群、四つ手網(大)」は、単語羅列に近いこと、最後の「(大)」の表記がメモ然としているからだが、この前後はほぼ明白に新傾向である。
  「鼠色の長褂兒」「黑色の馬褂兒」であるが、「長褂兒」と「馬褂兒」は、前者が「タァクヮル」“tàiguàér”で、男物の単衣ひとえの裾が足首まである長い中国服のこと。後者は「マァクヮル」“măguàér”で、日本の羽織に相当する中国服の上衣で対襟のもの。何れも実は「上海游記」の「十一 章炳麟氏」にズバリ、『しかし章太炎先生は、鼠色の大掛兒タアクワルに、厚い毛皮の裏のついた、黑い馬掛兒マアクワルを一着してゐる』と登場するのである。従ってこれはその時の章炳麟の着衣の覚書きと考えられるのであるが、こうした自由律がしばしばあることも厳然たる事実ではあるのである。芥川が覚書きとしつつ、それを(特に中国音の面白さを)自由律の句と捉えていた可能性も全くないとは、言えない気がするのである。
 「白キ驢馬ころがる一匹は行キ(痒いんだよ――M氏)」は、「時事新報社の暗き壁に世界圖」の次に明白なメモランダ「千坎堂」ときての一行であり、次の「桃色の寶づくしの緞子。黑の緞子、織紋。」も迷うところである。それでも「(痒いんだよ――M氏)」は排除しても(これを前書の一種と見なして)、やはり句と読みたい。
 逆に、「桃色の寶づくしの緞子。黑の緞子、織紋。」は単なるメモランダの可能性が大きい。底本では「黑の緞子」の前に「○」が打たれており、これは、岩波元版全集編者が、上の「桃色の寶づくしの緞子。」と切れたものと判じて打ったものと考えられるからである。この後のこの手帳の記載方法はがらりと変わって、中国旅行の「○」が入る延々と続くメモランダと化しており、確かに一線を画しているのである(手帳末尾には印象的な定型文語詩が置かれているが、これはどう見ても「詩」であって俳句ではない)。これらは次の一つの例外を除いて、句としては全く認識出来ないものばかりである。
 最後に採録した「酒染みの畳に蚊たかり居る暗き間。」はそのメモランダの後文の中に埋もれた一行であるが、私には句の可能性を排除できない。
 「能成に似る印度人の巡査」の「能成」は芥川の友人で哲学者の阿部能成のこと。
 「雅敍園の茶に玖瑰の花の匀」の「玖瑰」はハマナス。
 くれぐれも申し上げるが、こうした仕儀によって村山古郷の「我鬼全句」の句数を安易に越えようとしている訳ではさらさらない。これらは龍之介の新傾向の実験として、積極的に採用すべきであると私は真剣に思っているのである(既に申し上げた通り、私自身、自由律俳句からこの世界に入った)。なお、新全集によると、手帳は大正十(一九二一)年、大阪毎日新聞社発行の手帳。なお、手帳全文は私の作成した「芥川龍之介中国旅行関連(『支那游記』関連)手帳(計2冊)」を御覧戴きたい。]

   *   *   *

一籃の暑さ照りけり巴旦杏

  薄埃り立つから梅雨の風
若竹のいつか垣穗を打ちこして

  大盃によよと酒もる
燈臺の丁子落ちたるはなやかさ

[やぶちゃん注:旧全集「手帳(七)」から。中国行の膨大なメモランダの末尾にある。手帳の新全集と校合するも異同なし。大正十年の中国行嘱目の連句。「發句」の「一籃の」の句前書に従えば、五月下旬から六月上旬の漢口の作か。新全集によると、原資料は破損の度合い甚だしく、手帳の詳細は不明の由である。なお、手帳全文は私の作成した「芥川龍之介中国旅行関連(『支那游記』関連)手帳(計2冊)」を御覧戴きたい。]



   *   *   *



棚梨の莟靑める餘寒かな

地堺に針金張れる餘寒かな



干草もしめつてゐるや蓮の花



更くる夜を上ぬるみけり鰌汁



梨の花カクラが門の古びかな



〔〔庭〕木石も庭もせに見る夜寒かな〕

〔秋風や甲羅をあます膳の蟹〕

〔わが庭の雪をかがるや木々の枝〕

〔明星のちろりに響けほととぎす〕

〔入日さす豐旗雲やほととぎす〕

〔日盛りや梢は曲る木の茂り〕

〔乳垂るる妻となりつも草の餅〕

〔凩や木々の根しばる岨の上〕

〔春雨や霜に焦げたる杉の杪〕

〔苔じめる百日紅や秋どなり〕

〔あらはるる木々の根寒し山の隈〕

〔日盛りや靑杉こぞる山の峽〕

〔夕顏や淺間が岳を棚の下〕
   久米
   三兎
〔しらじらと菊をうつすや〔屋根に沈みて朧月〕絹帽子〕

〔熊笹にのまるる馬よ〕

〔日盛や馬ものまるる笹の丈〕

〔沼べりの木々もぞろりと霞かな〕

〔切支丹坂は急なる若葉かな〕

〔薄雪をうち透かしけり枳殻垣〕

〔小春日や耳木兎とまる竹の枝〕

〔時雨るゝや峯はあけぼのの東山〕

〔あけぼのや軒ばの山を初時雨〕

〔からたちの打ちすかしけり春の雪〕

〔山川の瀨はあけぼのの河鹿かな〕

〔茅屋根に垂るる曇りや春どなり〕

〔庭芝も茜さしたる彼岸かな〕

〔雪うちすかす靑茨〕

〔尻立てて這ふてゐるかや雉子車〕

〔夕鳥も小春はなかぬ〔あはれさよ〕軒ばかな〕

〔薄雪もうちすかしけり靑茨〕

〔夕鳥の聲もしづまる小春かな〕

〔からたちや雪うちすかす庭まはり〕

〔あけぼのや鳥立ち騒ぐ〔片〕村時雨〕

〔庭石に殘れる苔も小春かな〕

〔小春日や梟とまる竹の枝〕

〔小春日の塒とふらしむら雀〕

〔塒とふ鳥も小春の日あしかな〕

ぞろぞろと白楊(どろ)の並木も霞みけり

この村の白楊もそろり



山峽の杉冴え返る谺かな

土用浪砂吸ひ上ぐるたまゆらや

蒲の穗はほほけそめつつ蓮の花

水をとる根岸の糸瓜ありやなし

枝豆をうけとるものや澁團扇

初霜の金柑のこる葉越しかな

菜の花は雨によごれぬ育ちかな

三月や茜さしたる萱の山

線香を干したところへ桐一葉

山茶花の莟こぼるる〔餘〕寒さかな



山岨に滴る水も霞みけり

藤の花軒端の苔の老いにけり



まんまろに入日かかるや野路の杉

鶯や茜さしたる雜木山

[やぶちゃん注:旧全集「手帳(八)」を新全集「手帳(8)」で補正(旧全集との位置の移動が甚だしくあり、新全集はそれを注記していない。また、新全集後記には現存する「手帳(八)」原資料には末尾の二句がない旨、記載がある)。三行空きは間に別なメモが入っていることを示す。「久米」は久米正雄のことであるから、その後の不詳の「三兎」とは、久米が「三汀」と号したことから、久米の別号とも考えられる。するとこの前後の句は芥川のものではなく久米正雄の句である可能性が浮上してくる。暫く、置く。「岨」は、「そば」と読み、岩が重畳して険しいことを指す。「塒」は、「ねぐら」。「どろ」とルビの振られた「白楊」は寒地に自生するドロヤナギのこと。以上は概ね、大正十一年から十四年にかけての句か。新全集によると、手帳は大正十一(一九二二)年、大阪毎日新聞社発行の手帳で、新全集後記では、使用時期を大正十三(一九二四)年から晩年にかけてと推定している。]



   *   *   *



庭つちに皐月の蠅のしたしさよ



この寺はただ木石の夜寒かな



東雲の煤降る中や下の關

桑ボヤに日かげ移りぬ午の鐘

[やぶちゃん注:旧全集「手帳(九)」から。新全集と校合するも異同なし。前二句は手帳冒頭部分、後二句は手帳末尾に記載。「庭つちに」の句は大正十四(一九二五)年十月二十四日一三八四書簡に初出し、「この寺は」が清光寺の「木石の軒ばに迫る夜寒かな」の句の句案であるとするならば大正十三(一九二四)年、「東雲の」の句は大正十(一九二一)年三月の中国行の際の句であるから、如何に手帳の記載年次が錯綜しているかがよく分かる。新全集によると、原資料の所在不明のため、手帳の詳細不明。記載内容の関連作品から推測すると、この手帳の使用時期の凡その上限は「侏儒の言葉」関連の記載から大正十一(一九二七)年頃から、「齒車」の関係記事もあるので自死までと考えてよいか。なお、以下、旧全集は「手帳(十)」「手帳(十一)」「手帳補遺」、新全集は「手帳(10)」「手帳(11)」と続くが、元自由律系の私でも、それぞれに句と認めうるもの、悩むものは、全くない。]

   *   *   *

紺蛇目傘〔の〕をもれる光とおしろいをつけた顏[やぶちゃん注:*句?]

二枚爪のはへたごとく不安[やぶちゃん注:*句?]

耳に水のはいつたやうなもどかしさ[やぶちゃん注:*句?]

磨くものもない石臼をひく

陶器のやうな白眼[やぶちゃん注:*句?]

心は鼠花火の如く廻轉した[やぶちゃん注:*句?]

巻〔艸〕莨の灰が〔いつ迄〕長くたまつたやうな不安[やぶちゃん注:*句?]

キスしてさうして敷物のすみをなほす[やぶちゃん注:*句?]

菊のやうな白さ[やぶちゃん注:*句?]

雨と机の上のカルタ[やぶちゃん注:*句?]



とほどおによする波〔の音〕より[やぶちゃん注:*句?]

〔夕渚しらじらとして暮るる〕

〔大風は空を吹きて〕[やぶちゃん注:*句?]



〔梨の実をまさくさくさく〕

〔朝顏の花をあけさびしみ〕



〔酋長の笛吹く春の日なかかな〕

〔海なるや長谷は菜の花花大根〕

〔雲ひくし風呂の窓より瓜の花〕

〔海〕

[やぶちゃん注:新全集新資料「手帳(12)」から。三行空きは間に別なメモが入っていることを示す。旧全集ではその一部が「手帳(一)」末尾に紹介されていた。旧全集を参照しつつ、殆んどを正字に直した。「磨くものもない石臼をひく」が如何にも新傾向、というか明治末年から大正にかけて流行した自由律俳句然としているので、その前後を提示しておく。これと後半の抹消句以外は、一見、単なる表現メモ集とも取れる。手帳は大正四(一九一五)年、東京電力株式会社発行の手帳で、新全集後記では、使用時期を大正五(一九一六)年から大正七(一九一八)年にかけてと推定している。]



   *   *   *



遺漏・揮毫・作品内俳句・疑義句等

[やぶちゃん注:以下には、今までの「やぶちゃん版芥川龍之介句集」に現われていない句について、疑義句も含めて提示する。表記違いについても煩を厭わず掲げてある。なお、冒頭に掲げた一九九二年蝸牛社刊中田雅敏編著になる蝸牛俳句文庫「芥川龍之介」よりの六句については、既出句とはかなり異なる、遺漏句である確実度が極めて高い句には「◎」を、逆に私が芥川の句でないと判断したものや、誤植と判断されるものには「×」を附し、更に、私の未確認の資料に、そのような単純な表記違いで存在したとしても特に未発表句とは言えないと考えられるものは「△」を、如何ともし難いものに「?」を附した。]



△夕闇にめぐる怪體や扇風機

[やぶちゃん注:一九九二年蝸牛社刊中田雅敏編著になる蝸牛俳句文庫「芥川龍之介」より(但し、正字に直してある。以下、同じ)。引用元明示されず。「我鬼句抄補遺」に「夕闇にめぐる怪體や煽風機」とある。「我鬼全句」になし。単なる漢字表記の誤記と思われる。暫らく掲載する。]



×行水の捨場蛙を殺したり

[やぶちゃん注:一九九二年蝸牛社刊中田雅敏編著になる蝸牛俳句文庫「芥川龍之介」より。引用元明示されず。 恐らく「我鬼句抄補遺」の「行水の捨湯蛙を殺したり」の誤植かと思われるが、「すてば」とルビまで振られてある以上、類型句として存在するのか。「我鬼全句」になく、「捨場」は如何にも風流を欠く。私は断然、誤植と見たい。暫らく掲載する。]



◎花散るやまぼしさうなる菊池寛

[やぶちゃん注:一九九二年蝸牛社刊中田雅敏編著になる蝸牛俳句文庫「芥川龍之介」より。引用元明示されず。「芥川龍之介未定稿集」の「花散るやまぶしさうなる菊池寛」とある。当該表記で「我鬼全句」にあり。後述する、昭和五十三(一九七八)年九月一日発行の雑誌「墨 十四 特集 芥川龍之介」に所収する短冊に、同じ「まぼしさうなる」の表記のものがある。『物類称呼』に「まばゆしといふ事を、中国にて、まぼそしと云。江戸にて、まぼしいと云。東奥にて、まじぽひと云。」とあり、用法としては問題がない。後に挙げる短冊からの「花ちるやまぼしそうなる菊池寛」の項参照。]



△海鳴るや長谷は菜の花花大根

[やぶちゃん注:一九九二年蝸牛社刊中田雅敏編著になる蝸牛俳句文庫「芥川龍之介」より。引用元明示されず。「芥川龍之介未定稿集」及び新全集「手帳(12)」に「海なるや長谷は菜の花花大根」で所収。「我鬼全句」になし。暫らく掲載する。]



×鈴懸の花咲く下に珈琲店カツフエかな

[やぶちゃん注:一九九二年蝸牛社刊中田雅敏編著になる蝸牛俳句文庫「芥川龍之介」より。引用元明示されず。「我鬼句抄補遺」に「篠懸の花咲く下に珈琲店カツフエかな」とある。「我鬼全句」になし。誤植であろう。暫らく掲載する。]



?白梅や莟うるめる枝の反り

[やぶちゃん注:一九九二年蝸牛社刊中田雅敏編著になる蝸牛俳句文庫「芥川龍之介」より。これは「白桃や莟うるめる枝の反り」の鑑賞文中に『別案に「白梅や」の句があるが、座五の「枝の反り」を強調するには桃の枝が良いであろう』と出現するもの。その肝心な「白梅や」の句の引用元は明示されていない。この叙述から一応、復元して示した。「我鬼全句」になし。中田氏の推敲過程の記述は、如何にも自信に満ちておられるのだが――。引用元を御存知の方は御教授を乞うものである。]



   *   *   *



お神輿の渡るを見るや爪立ちて

[やぶちゃん注:大正十五(一九二六)年十一月一日発行の雑誌「婦人公論」に掲載された、小品「夢」より。以下に全文を掲載する。

   夢
 夢の中に色彩を見るのは神經の疲れてゐる證據であると云ふ。が、僕は子供の時からずつと色彩のある夢を見てゐる。いや、色彩のない夢などと云ふものはあることも殆ど信ぜられない。現に僕はこの間も夢の中の海水浴場に詩人のH・K君とめぐり合つた。H・K君は麥藁帽をかぶり、美しい紺色のマントを着てゐた。僕はその色に感心したから、「何色ですか?」と尋ねて見た。すると詩人は砂を見たまま、極めて無造作に返事をした。――「これですか? これは札幌色ですよ。」
 それから又夢の中には嗅覺は決して現れないと云ふ。しかし僕は夢の中にゴムか何か燃やしてゐるらしい惡臭を感じたのを覺えてゐる。それは何でも川の見える、日の暮らしい場末の町を歩いてゐる時の出來事だつた。その又川にはどう云ふ譯か、材木のやうに大きい鰐が何匹も泳いでゐたものである。僕はこの町を歩きながら、「ははあ、これはスウエズの運河の入り口だな」などと考へてゐた。(尤も嗅覺のある夢を見たのは前後を通じてこの時だけである。)
 最後に僕は夢の中でも歌だの發句だのを作つてゐる。が、名歌や名句は勿論、體を成したものさへ出來たことはない。その癖いつも夢の中では駄作ではないやうに信じてゐる。僕はこれも四五日前に夢の中の野道に佇んでゐた。そこにはいづれも田舍じみた男女が大勢佇んでをり、その中を小さいお神輿が一台ワツシヨワツシヨとかつがれて行つた。僕はかう云ふ景色を見ながら、一生懸命に發句を作り、大いに得意になつたりした。しかし後に思ひ出して見ると、それは無殘にもこんなものだつた。――「お神輿の渡るを見るや爪立ちて。」

句として掲げるに際しては、原文の最後の句点は排除した。世にも稀なる夢の中の句である。]



   *   *   *










霜のふる

夜を

菅笠の

ゆく

へ哉

   龍之介

一游亭先生正


[やぶちゃん注:昭和五十三(一九七八)年九月一日発行の雑誌「墨 十四 特集 芥川龍之介」に所収する半紙(? 色紙という記載を見かけたが、これは紙質からして色紙ではない)揮毫より。既出句であるが、解説の情報が興味深いのと、絵として書かれた北斗七星を、この編者は詞書として判読採用(私も賛同する)している点、ここに採る。但し、文字として記しているわけではないので、ここでは括弧書きとした。原資料を画像で上に示した(原画像は二〇〇九年二玄社刊日本近代文学館編「芥川龍之介の書画」所収のものを用いた。平面画像の単なる撮影物に著作権は生じないという文化庁の見解があるため、本複製は著作権法違反ではない。なお、この解題の書誌と引用底本の以下の書誌記載は微妙に異なるが、間違いなく同一物である)。紙のサイズは二四九×三三八、ほぼ半紙と同型。但し、横に使っている。句の下に星宿風に北斗七星の形が描かれているのだが、星は六つである。以下に解説文を全文引用する(漢字表記はママ・記号の一部を変更した)。

 句は大正十一年の晩秋、龍之介が最も親しくしていた画家小穴隆一(一游亭)が脱疽を病み、足の痛みで伊香保に赴くことにした折、餞別として龍之介が送ったもの。ここに挙げたものについては後に小穴氏がこう語っている。「芥川は縁側に上つてたが、めづらしくきまつてでるいつもの死の話もせずに、硯箱を引きよせ、この図と同じものを描いていた。これはなんだかわかるかねえ、と言っているので、北斗七星だろうが星がひとつ飛んで落ちていると言うと、にやっと笑って、うむ、ひとつ飛んじゃったと言い、菅笠の句を書き添えてていた。そうして一寸眺めていたが、紙をあらためて、それと同じ物をもう一枚畫いてたたんで座布団の下にはさんで帰っていった。大正十五年鵠沼も夏の終りの宵のことであった。」

大正十一(一九二二)年の下りは、「やぶちゃん版芥川龍之介俳句集三 書簡俳句」の小穴隆(一游亭)宛一〇八二書簡参照。更に、この句についての小穴の叙述を、昭和三十一(一九五六)年一月中央公論社刊の小穴隆一著「二つの繪」の小見出し「二つの繪」十五ページより引用する。

 芥川は十五年の四月十五日に自決することを僕に告げた。さうしてその後しばらく僕らは鵠沼で暮らしたが、その鵠沼で芥川は星が一つ足りない北斗七星を畫いて、それに、霜のふる夜を菅笠のゆくへ哉、と書いて「君、これがわかるか、」と言ふので「わかるよ、」と言ふと、畫いたものを座布團の下にさしいれていつた。墨一つ落としてゐるのは、この世から消えゆくことを言つてゐるのだが、霜のふる夜を菅笠のゆくへ哉といふ句は、十一年の晩秋、僕の足の痛みがリウマチといふ下島のみたてでもあつたので、しばらく伊香保にいつてゐることになつたときに、芥川が留別の句として示したものであつた。
 芥川は、僕が足を病み隻脚となる、さうして、義足で一人歩きができるやうになるのを待つてやうやく心の底を告げた。
 芥川は退院してからの僕に、「僕はあのとき、どうしようかと思つたよ、」と言つてゐたが、あのときといふのは、芥川が留別の句を僕に示してゐたときのことで、芥川は僕に先に死なれたらどうしようと思つたと言ふのであつた。

ちなみに、小穴の脱疽は手遅れで、大正十二年一月四日の再手術(芥川は二度の手術に立ち会っている)で右足首から切断、この句を受け取った時は、既に義足であった。最後に、これは私の感じであるが、ご覧の通り「菅笠の」の「の」が、恰もその「ひとつ飛んじゃった」星の魂の昇天の如くに見えるのである――。]



花ちるやまぼしさうなる菊池寛

[やぶちゃん注:昭和五十三(一九七八)年九月一日発行の雑誌「墨 十四 特集 芥川龍之介」に所収する短冊より。中田雅敏編著になる蝸牛俳句文庫「芥川龍之介」とは「散るや」の表記違い。短冊のサイズは三五六×五八。]



藤の花軒はの苔の老いにけり

[やぶちゃん注:昭和五十三(一九七八)年九月一日発行の雑誌「墨 十四 特集 芥川龍之介」に所収する短冊より。「軒は」の清音表記で一応、採っておく。解説では、『大正十年の晩秋、龍之介は湯河原に湯治に行く前、小穴氏の許に立ち寄って、「しらじらと蜜甘花咲く山畠/輕便鉄道の歩みのろしも/菊池寛」と伊豆で詠んだ菊池寛の歌を笑いながら書いて紹介している。おそらく、この句もその時に出来たものだと思われる』(漢字表記はママ。記号の一部を変更した)と記す。短冊のサイズは三六〇×六〇。]



   *   *   *









[やぶちゃん注:画像は既出であるが、詳細データとともにここに配しておく。私の所蔵する巧芸色紙より。「哉」が漢字表記。セットで出版されたものながら、私は古書店のバラ売りで購入したため、出版元や監修者は不明。包の印刷表書きは「芥川龍之介 書」で、復刻色紙二枚組。解説のチラシ一枚、それに『木の/枝の瓦/にさはる/暑さ哉/大正十一年長崎再遊の際につくった五句中の一つで画帖に書き残されていたもの。/芥川比呂志氏蔵』と記す。短冊のサイズは三七〇×二四〇。因みに、セットのもう一枚は、漢詩『不見萬里道/唯見萬里天/大正四年五月』(この「木の枝」の色紙裏には『巧藝画』『不許複製』の文字を刻印する。これは昭和三五(一九六〇)年中央公論社より刊行された小穴隆一「芥川龍之介遺墨」に句帖六として所収するものの、三句目にある句で、本来は色紙に書かれたものではない。当該句帖全文を小穴隆一「芥川龍之介遺墨」の画像をもとに、字配も可能な限り再現して、以下にテクスト化しておく。



元日や
手を洗ひ

をる
  夕こころ
   
龍之介


草の家
の柱半

はに  
龍之介
 春日かな


木の   
龍之介
枝の瓦
にさはる
  暑さ哉


秋の日や竹の
實垂るゝ

垣の外
  澄江堂

初霜
や薮にと

なれる 
龍之介
 住みこころ



これら六句の創作時期は書簡等から類推すると、それぞれ、
  「元日や手を洗ひを夕こころ」  大正 十(一九二一)年十二月
  「草の家の柱半ばに春日かな」  大正十一(一九二二)年前後
  「木の枝の瓦にさはる暑さ哉」  大正十一(一九二二)年 七月
  「秋の日や竹の實たるゝ垣の外」 大正 九(一九二〇)年
  「初霜や薮にとなれる住みこころ」大正十一(一九二二)年十一月末
となり、本句帖への揮毫は大正十一(一九二二)年十一月末以降となる。なお、これは二〇〇九年二玄社刊日本近代文学館編「芥川龍之介の書画」に『句帖「新年春夏秋冬」五句』とする美麗に装丁されたものと同一物である。]



   *   *   *



時雨るゝや堀江の茶屋に客ひとり

[やぶちゃん注:一九九二~一九九三年産経新聞社発行の関口安義他監修「もうひとりの芥川龍之介――生誕百年記念展――」図録三十三ページより。三枚ある閉じた蛇の目の絵を中心にする「傘の図」すべてに同一の表記で揮毫、三枚共に下の句が「ひとり」とあり、「蕩々帖」の「一人」という表記と有意に異なるので(「ひとり」ならば「独り」の意ともなる)、採る。]



野茨にからまるはきのさかり哉

[やぶちゃん注:一九九二~一九九三年産経新聞社発行の関口安義他監修「もうひとりの芥川龍之介――生誕百年記念展――」図録三十三ページより。一九二五(大正十四)年軽井沢滞在中、堀辰雄に与えた色紙で、右に蜻蛉の絵を配す。この句自体は、長崎再遊(大正十一年)の作である。中七下五の表記が異なるので、採る。]



苔づける百日紅や秋となり

[やぶちゃん注:一九九二~一九九三年産経新聞社発行の関口安義他監修「もうひとりの芥川龍之介――生誕百年記念展――」図録三十四ページより。一九二七(昭和二)年の短冊で、玉版箋半切。久保田万太郎箱書付。なお、この句について、同図録解説者は『句そのものは一九二四(大正十三)六月二十六日、新潮社版「黄雀風」の装丁作業中の小穴宛書簡に見えるもの。』とあるが、これは誤りである。同小穴隆一宛一二〇六書簡に記されているのは、「苔ばめる百日紅や秋どなり」であり、異句である。ちなみに、その三日前の六月二十三日付小澤忠兵衛宛一二〇五書簡に「苔じめる百日紅や秋どなり」が載る。この「苔づける」は「發句」や「手帳」等に見られるが、下五が清音なので、採る。]



餅花を今戸の祢こにささげばや

[やぶちゃん注:一九九二~一九九三年産経新聞社発行の関口安義他監修「もうひとりの芥川龍之介――生誕百年記念展――」図録三十四ページより。短冊。解説に作年不明とある。東京都近代文学博物館蔵。「猫」を「祢こ」と記す点、既出と異なる。]



山茶花の莟こぼるゝさむさかな

[やぶちゃん注:一九九二~一九九三年産経新聞社発行の関口安義他監修「もうひとりの芥川龍之介――生誕百年記念展――」図録三十五ページより。以下に解説を引用する。『一九二六・一九二七(昭和元・二)頃、懐紙に書かれたもの。小穴隆一は「わたしは水洟の芥川よりこの句のほうの芥川をみているのだ」と言い、第一回岩波全集(菊版)別冊の見返しに「山茶花」を描き、一九四二(昭和十七)年四月、岩波版「或阿呆の一生」の箱にこの句を使用した。』。繰返し記号と下五の仮名表記の違いがあるので、採る。]



   *   *   *



小兎も片耳垂るる大暑かな

[やぶちゃん注:小島政二郎「俳句の天才――久保田万太郎」(彌生書房)に所収する句。但し、私はこの当該書を所持していない。これは一九八六年踏青社刊の諏訪優「芥川龍之介の俳句を歩く」八十一ページからの孫引きである。その当該書引用部を全部引く。

彼の『句集』を見ると、
       破調
 兎も片耳垂るる大暑かな
というのがあるが、丁度私が田端の芥川の書斎に行くと、この句のことで佐佐木茂索と盛んに論判中だった。芥川の原作は
 小兎も片耳垂るる大暑かな
 というのだったが、佐佐木は『小兎』では弱い、じかに『兎も』あからさまに云った方が強くていい。しかし、一字足りないのが僕には物足らない。『小兎も』の方が可愛いじゃないか。いや、この場合、可愛いなんか問題ではない。強い弱いが問題だ。
 二人はかなり長く闘争っていたが、結局、芥川が遠慮して、佐佐木が自説を通したことになった。しかし、芥川の修辞学から云って、一字足りないのが気になって仕方がなかったのだと思う。最後に『破調』とことわらずにいられなかった。

なるほど――芥川にして如何にもありそうなシチュエーションではある。]



   *   *   *



午もはやするめ燒かせよ藤の花

[やぶちゃん注:昭和二(一九二七)年八月一日発行の雑誌『改造』に「日本周游」の大見出しのもとに「東北・北海道・新潟」の題で掲載の中の一句。本文はアフォリズム、総ルビで、通常の散文風に句読点が用いられており、この句も「ひるもはやするめかせよふじはな。」とルビ表記、句点付きであるが、掲げるに際しては排除し、「我鬼全句」とのルビなし及び句点なしの相違も、ここでは本随筆表記上の単純な統御として問題にせず、同一句と見なす。]



   *   *   *



   即興
この家や火事にもあはで庭の苔

[やぶちゃん注:昭和二(一九二七)年四月一日発行の雑誌『アララギ』に掲載された『「庭苔」讀後』の末尾の一句。これは歌人岡麓の「庭苔」についての批評である。後半部分を引用する。

僕は今大阪にゐます。大阪に?――しかし近年の東京は餘り大阪と變りません。東京の料理を滅ぼした大阪は東京の建築さへ滅ぼしてゐます。今日の東京に二十年前の東京らしい、――或は明治時代の東京らしい、落着いた町々を求めるとすれば、あの大地震の火事を免れた山の手の町々の裏通りヽヽヽだけでせう。僕は「庭苔」を讀んでゐるうちに度たびこの東京を感じました。殊に「しもたや」の塀の外に黄ばんだ梧桐の落葉などの風に吹かれてゐる町々の景色を、それから又塀の中に傳統的な喜劇や悲劇を靜かに演じてゐる人々の姿を。
 これは或は「庭苔」の批評にはならないものかも知れません。が、その邊は門外漢の言葉として大目に見て頂ければ幸甚です。

岡麓はアララギ派の歌人。「庭苔」は作者四十九歳の時の第一歌集、大正十五(一九二六)年十月刊行。]



   *   *   *



赤ときやいとど鳴きやむ屋根の裏

[やぶちゃん注:小説冬心とうしんに所収する。「いとど」のルビはこれのみにある。なお、旧全集の後記によれば、この作品は昭和二(一九二七)年の「冬と手紙と」の草稿との判断が記載されてあるが、私はそうは思わない。]



   *   *   *



しぐるゝや堀江の茶屋に客の

[やぶちゃん注:河出書房新社一九九二年刊の鷺只雄編著「年表作家読本 芥川龍之介」一八六ページ(但し、当該ページにノンブルなし)の「句・歌・書・画」(但し、目次にのみこの小見出し表題はあり、当該ページにはない)の短冊写真より。これは「しぐるゝや堀江の茶屋に客ひとり」の書き損じであろうとも思われるが、しっかりと揮毫されたものではある。ちなみに号はない。]



元日や手を洗ひをる夕こゝろ

[やぶちゃん注:同前の河出書房新社一九九二年刊の鷺只雄編著「年表作家読本 芥川龍之介」一八六ページの「句・歌・書・画」の写真より。「夕ごころ」が「夕こゝろ」と清音繰り返し記号で違う。ちなみに号は「龍之介」。]



草の家の柱半はに春日かな

[やぶちゃん注:同前の河出書房新社一九九二年刊の鷺只雄編著「年表作家読本 芥川龍之介」一八六ページの「句・歌・書・画」の写真より。「半ば」が「半は」と清音で違う。ちなみに号は「龍之介」。]



秋の日や竹の実垂るゝ垣の外

[やぶちゃん注:同前の河出書房新社一九九二年刊 鷺只雄編著「年表作家読本 芥川龍之介」一八六ページの「句・歌・書・画」の写真より。「實」が「実」と略字で、「垂るる」が繰り返し記号で違う。ちなみに号は「澄江堂」。]



初霜や薮にとなれる住みこころ

[やぶちゃん注:同前の河出書房新社一九九二年刊 鷺只雄編著「年表作家読本 芥川龍之介」一八六ページの「句・歌・書・画」の写真より。「鄰れる」がひらがな表記、「住み心」が「住みこゝろ」清音ひらがな表記。ちなみに号は「龍之介」。]



   *   *   *



松風に火だねたやすなひとりもの

[やぶちゃん注:昭和三十一(一九五六)年一月中央公論社刊 小穴隆一著「二つの繪」の「二つの繪 鵠沼」より。以下のような本文の中で現れる。

 芥川が書いた年譜によると(現代小説全集、第一卷、芥川龍之介全集、大正十年四月、新潮社版)大正四年十二月夏目漱石の門に入る。林原耕三の紹介に據る。五年十二月夏目漱石の訃に接すとなつてゐるが、芥川はその僅か一年の間の夏目漱石のことを死ぬまで口にしてゐた。十年もゐた氣がするが、僕の僅か半年にも滿たなかつた鵠沼のその生活は所詮(芥川の姉の夫の西川氏が鐵道自殺をしたので、芥川は一寸東京に戻つたのがそのままになつて、僕もまた東京に歸つて田端の下宿にはいつた。)
  松風に火だねたやすなひとりもの
と芥川が僕に書きのこしてゐるこの句の如きものではあらう。

また、同じ「二つの繪」の「鵠沼・鎌倉のころ」の「鵠沼」(これは前出の「鵠沼」の章とは別)では、この句を冒頭に掲げた後、

 まことに、ひとりものであつた私は、貰つた一と切れの西瓜がすぐには食へず、臺輪を縁側に持ちだして泥釜をのせ、その釜蓋の上に西瓜を置いて、半紙に寫してゐたのだ。
 畫は、鍋釜を自分で洗つてゐたひとりものの墨じるのいたづらがきで、みすぼらしいが、句のはうは、書いてゐた時に、芥川が勝手口からはいつてきて、(鵠沼生活の時、芥川は玄關からも縁側の方からも入つてきたことはなく、窓からか、勝手口からかに限つてゐた。)一寸僕に塗らせろよといひこんで、そばにあつたクレイヨン色をつけてから、松風にと書添へてゐたものだ。

とも記している。類型句はない。]



   *   *   *



うしろの松

朝寒や

松をよろへる

蔦うるし這はせて寒し庭の松

飛行機も東下りや朝ぐもり

[やぶちゃん注:昭和三十一(一九五六)年一月中央公論社刊 小穴隆一著「二つの繪」の「鵠沼」より。以下のような本文の中で現れる。これは前掲句「松風に火だねたやすなひとりもの」の注に引いた部分のすぐ後に、「○」を介して続いている。

 ――嵐の中に僕は互ひの空いろが出るのを待つてゐた。
 槻を句にしたがつてゐたがなあ、高槻や、高槻やと、置いてゐたがなあ、
「君は僕の女房にどうしてあんなにわからずやになつたのかつて言つたさうだね、女房もほんとにどうしてかうわけがわからなくなつたのかと言つてゐたよ。ほんとうに君、僕はそんなにわからずやになつてしまつたのかね、女房は言つてたよ、小穴さんはどうしてあんなにわからずやになつたのかつて僕のことを言つてたつて、君ほんとに僕はさうかね、」
 僕は僕の家に這入つてくるといふよりはいつももぐつてくるといふ恰好の不氣味を忘れないよ。
 うしろの松にしろ、朝寒や、松をよろへる、蔦うるし這はせて寒し庭の松、仕舞ひには、飛行機も東下りや朝ぐもりなんて、僕のところの唐紙のきれつぱしに書いてゐたではないか。
「女房は僕に、僕に君の癖がすつかりうつつちやつたつて言つてたよ、うつつちやつたつてね、」
 ああ、アハッハッッ――、
 さういふげらげら笑ひは僕にうつつた。

この文中の「うしろの松」「朝寒や」「松をよろへる」も芥川の句の断片として掲げた。]



落栗や山路は遠き月明り

[やぶちゃん注:小穴隆一「二つの繪」の「游心帳」より。「游心帳」とは小穴が当時常時所懐していた手製の雑記帳の名で、小穴自身の詩歌のみならず、芥川、小澤碧童、久米正雄等の折々の詩歌、雑文、絵を各自の直筆で載せるものであるらしい(複数冊ある)。但し、これは「游心帳」についての思いを引用によって記したもので、「游心帳」本体全部ではない。従って、この小穴隆一の「游心帳」原本に当たると、芥川の未発表句が多数見つかる可能性があるのである。類型句なし。]



爐の灰のこぼるる榾の木の葉かな

[やぶちゃん注:小穴隆一「二つの繪」の「游心帳」より。大正九(一九二〇)年十月二十四日付小澤忠兵衛(碧童)宛七八九書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」参照)等に「爐の灰のこぼるゝ榾の木の葉かな」の踊り字で現れる。]



草靑む土手の枯草日影

曼珠沙華むれ立ち土濕りの吹く

[やぶちゃん注:小穴隆一「二つの繪」の「游心帳」及び小穴隆一著「芥川龍之介遺墨」一一七ページ下段参考写真より(参考資料として写真版が掲載されてある「游心帖」の中の一頁)。前者の文章によると「大正十年秋湯河原ニテ」との注記があるとあるが、「湯河原所見」の見出しで、署名は「我鬼」である。前者は「我鬼句抄」(『中央公論』大正十一年三月)に「草萌ゆる土手の枯草日かげかな」の類型句があるが、後者は初見。しかしこれ、間違いなく芥川龍之介の句である。]



家鴨眞白に倚る石垣の乾き

[やぶちゃん注:小穴隆一「二つの繪」の「游心帳」より。前の二句と共に載る。大正十(一九二一)年十月八日付瀧井折柴(孝作)宛九五四書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」参照)に「家鴨ま白に倚る石垣の乾き」の漢字表記で現れるもの。]



たかむら夕べの澄み峽路透る

[やぶちゃん注:小穴隆一「二つの繪」の「游心帳」より。前の二句と共に載る。大正十(一九二一)年十月八日付瀧井折柴(孝作)宛九五四書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」参照)に「竹むら夕べの澄み峽路透る」の漢字表記で現れるもの。]



    一游亭の足の指を切る
人も病み我も病む意太蕭條

[やぶちゃん注:小穴隆一「二つの繪」の「訪問録」より。これは小穴の複数冊の雑記帳「游心帳」の掉尾となった「訪問録」にある、とある。「訪問録」は小穴が脱疽のために順天堂病院に入院中のゲストブックである。なお、この二句は、「十八日(大正十一年十二月)」の柱で、この句と次に挙げる「冬霜よ」の間に「初霜や藪に鄰れる住み心」(既出)が入った三句立てとなっている。類型句なし。「意太」の読みが難であるが、「はなはだ」と読むか。]



   (一游亭の足の指を切る)
冬霜よ心して置け今日あした

[やぶちゃん注:同前。三句立(前句注参照)てなので、本来は、詞書は前句のみに付いているが、前書も有効と判断し、( )書きで付した。類型句なし。]



   *   *   *



凌霄や長者のあとのやれ築土

藁屋根に百合の花咲く小家かな

海鳴るや秋の夕日の黍畑

[やぶちゃん注:「芥川龍之介未定稿集」所収の「槍ヶ岳紀行」の末尾に現れる三句。但し、葛巻義敏氏が編註で述べるように、この句が「槍ヶ岳紀行」と関連のあるものとは思いにくい。葛巻氏は、これが記されている所蔵の草稿ノートの感じから、これらの句を、「槍ヶ岳紀行」執筆よりは一、二年後のものと推測されている。従って「槍ヶ岳紀行」の執筆時ならば、「我鬼全句」がクレジットするように大正九(一九二〇)年の作、葛巻氏の説をとるならば、翌大正十、十一年頃の作となる。なお、一句目の「凌霄」は「のうぜん」と読み、双子葉植物綱ゴマノハグサ目ノウゼンカズラ科ノウゼンカズラ属ノウゼンカズラ
Campsis grandiflora。和名凌霄花(のうぜんかずら)のこと。オレンジ色の派手な花を咲かせる。三句目は加藤郁乎編「芥川竜之介句集」の自筆資料表記では、

海なるや秋の夕日の黍畑

である。]



   *   *   *



干草に熊手かけたりほととぎす   龍之介

[やぶちゃん注:昭和四十八(一九七三)年短歌新聞社刊佐野花子・山田芳子「芥川龍之介の思い出」の佐野花子による「芥川龍之介の思い出」より。佐野花子は、芥川龍之介が海軍機関学校に嘱託教官として勤務していた折りの同僚である、物理教官、佐野慶造の妻である。彼女が芥川から受け取った初版本「羅生門」の扉に記された句。類型句はない。作句推定は、五月二十三日の「羅生門」上梓の直後の、この献本が行われたであろう大正六(一九一七)年半ば辺りより以前で、純粋な花子への贈答句の可能性の高さと考えると、大正六年四月より前には遡らない。それは、芥川の海軍機関学校への就任が大正五年十二月三日であり、佐野花子が夫によって芥川に紹介されたのが、「大正六年の四月のある土曜日」と記されているからである。「羅生門」の献本が、その後の佐野夫妻との交友が深まった後のことと考えられ、また献本の叙述に直後に「あの頃の新居」という表現が現れていることから、これが佐野夫妻の結婚からさほど隔たった時期ではないと推測する故である。]



麗らかやげに鴛鴦の一つがひ   龍之介

[やぶちゃん注:昭和四十八(一九七三)年短歌新聞社刊佐野花子・山田芳子「芥川龍之介の思い出」の佐野花子による「芥川龍之介の思い出」より。「この一句は上機嫌の彼の唇から洩れたものでした」とあるので、口誦記録の句で、文字化されていない可能性も孕む、極めて稀な新発見句といえる。類型句はない。芥川と文の結婚話の以前のエピソードであり、純粋な花子への贈答句の可能性の高さと佐野花子の直前の叙述等から考えると、大正六(一九一七)年の五、六月辺りではないかと推測される。]



切りなづむ新妻ぶりや春の葱   龍之介

[やぶちゃん注:昭和四十八(一九七三)年短歌新聞社刊佐野花子・山田芳子「芥川龍之介の思い出」の佐野花子による「芥川龍之介の思い出」より。佐野慶造・花子夫妻の結婚写真を時事新聞に芥川が、夫妻に無断で掲載したことを詫びにきた芥川が、慶造に贈った句とある。「手帳(1)」に「人妻のあはれや〔春の葱〕」(〔 〕は芥川による末梢)及び「妻ぶりに葱切る支那の女かな」のやや類似した断片及び句がある。「結婚写真」のエピソードであることから、大正六(一九一七)年中の句であろうと推測する。]



   即興にて
銀漢の瀨音聞ゆる夜もあらん   龍之介

[やぶちゃん注:昭和四十八(一九七三)年短歌新聞社刊佐野花子・山田芳子「芥川龍之介の思い出」の佐野花子による「芥川龍之介の思い出」より。これは大正六(一九一七)年八月二十九日付佐野慶造宛三一三書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」参照)に相当する手紙文として紹介されているのであるが、旧全集の該当書簡と比すと前書が「即興」となっている点、下五が「あらむ」という表記になっている点が異なっている。実際の来信者である佐野花子の叙述であることを考慮して、掲げておくことにする。]



紫は君が日傘や暮れやすき   龍之介

[やぶちゃん注:昭和四十八(一九七三)年短歌新聞社刊佐野花子・山田芳子「芥川龍之介の思い出」の佐野花子による「芥川龍之介の思い出」より。「彼から書いて貰った俳句の数々を書き並べて見ましょう。」として掲げられている句。既出句にあるが、「紫」が「むらさき」と、ひらがな表記である。
 この句について、佐野花子は印象的な感想を綴っている。それは大正六(一九一七)年か七年の夏のことと推定され、文中の「彼」は芥川龍之介である。
「暑熱の海岸を三人が歩いたこともございました。浴衣がけの夫も彼も大きな麦藁帽をかぶり、私は紫の日傘をさし、博多の夏帯を締めていました。彼は一人、泳ぎが得意で抜き手を切って遊泳して見せました。もぐって、しばらく海面にいないこともありました。海だけがきらきらかがやいて、もう、どこからも彼は出てこないように思えました。が、突如、浮かび上がって、笑顔に白波をあびながら近づいて来るのでした。岩の上には脱ぎ捨てた浴衣と麦藁帽子が風のない日中に灼けつくような形で投げ出されています。水泳の特技を見ることができたのも、私どもには意外なたまものでした。何につけても彼は特別な姿態をもって私たちの眼をよろこばせたのでございます。」
との叙述を受けて、この句が提示されており、句の後には、
「これは確かにあの夏の海べの印象になっております。日傘を紫と覚えてくれた懐かしさ。私にとりましてまことに得がたい一句なのでございます。」
と記す。――この夏の海の描写――それは、夫を前にしての、美事に、密かな恋人たちの映像ではあるまいか――]



靑簾裏畑の花をかすかにす   龍之介

[やぶちゃん注:昭和四十八(一九七三)年短歌新聞社刊佐野花子・山田芳子「芥川龍之介の思い出」の佐野花子による「芥川龍之介の思い出」より。「彼から書いて貰った俳句の数々を書き並べて見ましょう。」として掲げられている句。既出句にあるが、「かすかにす」が「幽かにす」と、漢字表記である。]



讀み足らぬじゃがたら文や明けやすき   龍之介

[やぶちゃん注:昭和四十八(一九七三)年短歌新聞社刊佐野花子・山田芳子「芥川龍之介の思い出」の佐野花子による「芥川龍之介の思い出」より。「彼から書いて貰った俳句の数々を書き並べて見ましょう。」として掲げられている句。既出句「よみたらぬじやがたら文や明易き」と幾つかの表記が異なる。



天には傘地に砂文字の異草奇花   龍之介

[やぶちゃん注:昭和四十八(一九七三)年短歌新聞社刊佐野花子・山田芳子「芥川龍之介の思い出」の佐野花子による「芥川龍之介の思い出」より。「彼から書いて貰った俳句の数々を書き並べて見ましょう。」として掲げられている句。既出句に酷似する「天に日傘に砂文字の異艸奇花」があるが、「草」の字体(これは佐野花子が活字にする際、直した可能性がある)、何より「天には」の係助詞「は」の挿入による確信犯的字余りが決定的に異なる。]



花笠の牡丹にみしれ祭びと   龍之介

[やぶちゃん注:昭和四十八(一九七三)年短歌新聞社刊佐野花子・山田芳子「芥川龍之介の思い出」の佐野花子による「芥川龍之介の思い出」より。「彼から書いて貰った俳句の数々を書き並べて見ましょう。」として掲げられている句。既出句にあるが、「祭人」と漢字表記である。]



廢刀會出でて種なき黄惟子   龍之介

昭和四十八(一九七三)年短歌新聞社刊佐野花子・山田芳子「芥川龍之介の思い出」の佐野花子による「芥川龍之介の思い出」より。「彼から書いて貰った俳句の数々を書き並べて見ましょう。」として掲げられている句。佐野は「このことはよく解しかねますが。」と記すが、尤もなことで、これは既出句である「廢刀令出でて程なき黄帷子」の佐野の判読の誤りであろう。私のコンセプト上、正字に直してあるが、原文の「會」は、「会」であり、草書体若しくは略字体で書かれていた場合、「令」の字と見誤りやすい。「種」と「程」も同様である。暫く掲げておく。]



毒だみの花の暑さや總後架   龍之介

[やぶちゃん注:昭和四十八(一九七三)年短歌新聞社刊佐野花子・山田芳子「芥川龍之介の思い出」の佐野花子による「芥川龍之介の思い出」より。「彼から書いて貰った俳句の数々を書き並べて見ましょう。」として掲げられている句。既出句にあるが、「どくだみ」とひらがな表記である。]



   土曜日には奥さんがおしろひをつけて
   お出でのさうですね そこで句を作りました
   但甚不出來です
秋立つて白粉うすし※夫人   龍之介

[やぶちゃん注:昭和四十八(一九七三)年短歌新聞社刊佐野花子・山田芳子「芥川龍之介の思い出」の佐野花子による「芥川龍之介の思い出」より。冒頭写真版から、活字に起こした。類型句なし。「※」は「郛-(おおざと)+虎」。但し、このような漢字は、「大漢和辭典」にも存在せず、「虢夫人」と誤記で、芥川自身の誤字である。「虢夫人」は楊貴妃の姉で、正しくは虢國夫人と呼ばれた美女である。
 さて、佐野は、この句と次に掲げる「白粉の水捨てしより芙蓉なる」及び「妻ぶりや襟白粉も夜は寒き」の句と共に、芥川から直接もらった句であるとし(このエピソードは夫佐野慶造が不在の折に、芥川が尋ねて来、そこで詩歌談義となり、芥川の「花曇り捨てて悔いなき古戀や」にまつわる、やや危うい会話の後、「その折に下さった」と記している)、芥川が説明をつけたと書いている。これは、佐野の原本を仔細に検討すると、この日に芥川は大正六(一九一七)十一月十日に上梓された題二短編集「煙草と悪魔」を佐野花子に献本しており(前書からみると形式上は佐野慶造への献本である)、その本の見返しに献句したものであることが、原本の冒頭写真版によって分かる。
 佐野は更に「私は大体、白粉をつけることが嫌いで、余りお化粧をしなかったものですから、それを材になさったのでございました。それも、夫に注意されて、たまに刷く程度なので、かえって目立ったことになりましょうか。虢夫人とは中国の昔、蛾のような眉をわずかに指で払うのみで君前にまみえた麗人のことを申します。白粉をつけない私の気概を高くお汲みになったような句と思います。」と記している。]



白粉の水捨てしより芙蓉なる

[やぶちゃん注:昭和四十八(一九七三)年短歌新聞社刊佐野花子・山田芳子「芥川龍之介の思い出」の佐野花子による「芥川龍之介の思い出」より。冒頭写真版から、活字に起こした。類型句なし。前掲句「秋立つて白粉うすし※夫人」の注を参照のこと。]


    追加
妻ぶりや襟白粉も夜は寒き

[やぶちゃん注:昭和四十八(一九七三)年短歌新聞社刊佐野花子・山田芳子「芥川龍之介の思い出」の佐野花子による「芥川龍之介の思い出」より。冒頭写真版から、活字に起こした。類型句なし。「追加」の前書は、前掲二句に対しての「追加」の意である。先の「秋立つて白粉うすし※夫人」の注を参照のこと。なお、佐野の原本の文中の活字では「妻振りや」となっているが、写真版真筆の方を選んだ。]



   横須賀を去らんとして
歸らなんいざ草の庵は春の風

[やぶちゃん注:昭和四十八(一九七三)年短歌新聞社刊佐野花子・山田芳子「芥川龍之介の思い出」の佐野花子による「芥川龍之介の思い出」より。冒頭写真版から、活字に起こした。既出句であるが、このような前書は初見。これは、海軍機関学校を辞めて、横須賀を去るに際して、佐野花子に芥川から直接、手渡された大正八(一九一九)年一月に上梓された第三短編集「傀儡師」の見返しに献句されたものである。なお、佐野の原本の文中の活字では「歸らなんいさ」と清音になっているが、写真版真筆の方を選んだ。]



   *   *   *



黑ばえや黄昏るる矢帆赤かりし   龍之介

[やぶちゃん注:昭和六十三(一九八八)年落合書店刊の江口渙「晩年の芥川龍之介」の中の「私の歩いた途――プロレタリア作家になるまで――」より。大正八(一九一九)年七月二日付江口渙宛五四七書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」参照)にある既出句であるが、「黑ばえやたそがるゝ矢帆赤かりし」と表記が異なる。また、同書の中にある、「私の処女作「かかり船」(大正元年)」にもこの句が引かれているが、「黑ばえや黄昏る矢帆赤かりし」となっており、「る」が脱落しているものでが、これは誤植と思われるので、挙げない。]



   *   *   *



秋風やもみあげ長き宇野浩二

[やぶちゃん注:昭和二十六(一九五一)年から翌年にかけて「文学界」に連載された宇野浩二の「芥川龍之介」より。底本には昭和五十(一九七五)年刊の中公文庫版を用いた(同書上巻二六九ページ所収)。アナトール・フランスの「神々は渇く」の訳者である水野成夫と執筆時の十五六年前(昭和十年前後)に話していた際に、水野が宇野に向かって、宇野のことを思い出すと、すぐ、「芥川さんの『秋風やもみあげ長き宇野浩二』という句を思い出します、」(読点は原文のママ。以下の引用も同じ)と言ったとし、以下のように叙述している(文中の長沼は同席していた元大蔵次官長沼弘毅。ルビは排除した)。

 『そこで、私は、こんな話をそらすために、俳句に薀蓄の深い長沼に「まずいですなあ、」といった――
 この『秋風やもみあげ長き宇野浩二』という句は、芥川が、中央線の汽車が木曾の谷あいを走りつづけている時、その汽車のなかで、私の方をむいて、例の笑いを目と頬にうかべながら、私によんで聞かせたものである。つまり、このような句でも、また、さきに引いた、十一月の二十四日に、諏訪から、佐佐木茂索にあてた書翰のなかにある『白玉のゆめ子を見むと足びきの山の岩みちなづみてぞ来し』などという作り事のような歌でも、みな、この時の芥川の諏訪ゆきの半分ふざけたような気もちの一端があらわれているのである。(ここで、私は、かりに生きているとして、芥川よ、「君がときどき持ちだした、万葉集のなかに、『しろたへににほふまつちの山川にわが馬なづむ家恋ふらしも』というのがあるね、」と、いってみたい。)』

作家名を座五におく、芥川龍之介の一連の挨拶句の一つである。類型句はない。
 盟友「小説の鬼」宇野浩二について、大正十三(一九二四)年八月発行の『新潮』に大見出し「人間随筆(其九)――最近の宇野浩二氏――」の下に芥川龍之介の他、久米正雄ら十人の文章と岡本一平のスケッチを載せたものの一篇の末尾に附されている芥川龍之介の文章がある。短いので全篇を以下に示す。

格さんと食慾
    ――最近の宇野浩二氏――
 宇野浩二は聡明の人である。同時に又多感の人である。尤も本來の喜劇的精神は人を欺くことがあるかも知れない。が、己を欺くことは極めて稀にしかない人である。
 のみならず、又宇野浩二は喜劇的精神を發揮しないにもしろ、あらゆる多感と聡明とを二つとも兼ね具へた人のやうに滅多にムキにはならない人である。喜劇的精神を發揮することそのことにもムキにはならない人である。これは時には宇野浩二に怪物の看を與へるかも知れない。しかし其處に獨特のシヤルム――たとへば精神的カメレオンに對するシヤルムの存することも事實である。
 宇野浩二は本名格二(或は次)郎である。あの色の淺黑い顏は正に格二郎に違ひない。殊に三味線を彈いてゐる宇野は浩さん離れのした格さんである。
 次手に顏のことを少し書けば、わたしは宇野の顏を見る度に必ず多少の食慾を感じた。あの顏は頰から耳のあたりをコオルド・ビフのやうに料理するが好い。皿に載せた一片の肉はほんのりと赤い所どころに白い脂肪を交へてゐる。が、ちよつと裏返して見ると、鳥膚になつた頰の皮はもぢやもぢやした揉み上げを殘してゐる。――と云ふ空想をしたこともあつた。尤も實際口へ入れて見たら、豫期通り一杯やれるかどうか、その邊は頗る疑問である。多分はいくら香料をかけても、揉み上げにしみこんだ煙草の匂は羊肉の匂のやうにぷんと來るであらう。
   いざ子ども利鎌とがまとりもち宇野麻呂が揉み上げ草を刈りて馬飼へ

「シヤルム」は“charme”フランス語で「魅力」の意。「コオルド・ビフ」は“cold beaf”でローストビーフの冷製。なお、ここで芥川が想定している「格さん」とは、我々にも馴染みの深い講談「水戸黄門漫遊記」中の架空の人物である渥美格之進、格さんであろうか? 因みに筑摩全集類聚版脚注には、この歌は「万葉集」巻十六の第三八四二番歌、
  平群朝臣へぐりのあそみわらへる歌一首
小兒わはらども草はな刈りそ八穗蓼やほたでを穗積の朝臣が腋草わきくさを刈れ
○やぶちゃん現代語訳
――餓鬼ども! 草なんど刈ったらあかん! 穂積の朝臣あそんの、あの――臭い脇毛を刈ったりや!――
のパロディとする。「八穗蓼」とは沢山の穂がついたたでの意味であるが、ここでは「八穗蓼を」で「穗」を導くための枕詞として機能している。また「腋草」は勿論、生い茂った腋毛の謂いであるが、同時に腋臭わきがの臭さを「草」に掛けてある(芥川はこの手のヘンな万葉の歌が殊の外好きならしい)。この一文と短歌と本句は美事に照応している。]



   *   *   *



    自嘲
元日や手を洗いをる夕ごころ

[やぶちゃん注:昭和二十六(一九五一)年から翌年にかけて「文学界」に連載された宇野浩二の「芥川龍之介」より。底本には昭和五十(一九七五)年刊の中公文庫版を用いた(同書下巻二七〇ページ所収)。既出句であるが、彼の芥川龍之介辞世の句の「水涕や鼻の先だけ暮れ殘る」の後記という形で、

おなじ「自嘲」という題で、おなじ頃、『元日や手を洗いをる夕ごころ』」という句がある。

と記している。「自嘲」の前書を持つこの句はない。「發句」でのこの句は、「自嘲」という前書を持つ「水涕や」の句のすぐ後に記されており、それを敷衍して勘違いしたととるのが自然かも知れないが、宇野宛の書簡にそうした記載がなかったとは断言できない。また、もし芥川がこの句に「自嘲」という前書を付けていたとしたら、この句の印象は相当に異なったものになる(少なくとも宇野はそのようなものとして受け取っているという点を重く見る)。暫く、挙げておく。]



   *   *   *



梅散りかゝる葱畑

[やぶちゃん注:昭和三(一九二八)年七月号『改造』所収の佐藤春夫「芥川龍之介を憶ふ」より。但し、筑摩書房版芥川龍之介全集別巻からの孫引きである。この句断片については佐藤は次のように述べている。

二月の末に我我は改造社の講演の為に大阪へ一緒に行つた。岡本の谷崎の家で一晩泊つた。岡本の梅林の中で彼は、
   梅散りかゝる葱畑
と、云ふ句の上五字を案じわづらふてゐた。

と唐突に書かれ、これ以降に、この句案についての記載はない。類型句はない。佐藤の叙述から、これは昭和二(一九二七)年二月二十八日のことであることが分かる。]



   *   *   *



晝の月霍亂人くわくらんびとの眼ざしよな

[やぶちゃん注:岩波版旧全集第九巻に挟まれた一九七八年四月クレジットの「芥川龍之介全集月報9」の「資料紹介」の中にある、大正八(一九一九)年八月発行の『文章倶樂部』第四年第八号所収とするMS生記「我鬼窟百鬼會」の文章中に芥川龍之介(我鬼)の句として現れる句。MS生なる筆者が大正八(一九一九)年六月二十九日午後二時より田端の芥川邸で催された「俳三昧修行」と称す運座に呼ばれて行ってみると『座敷には三汀さんや我鬼さんの筆に成る團扇が幾本も散らばつてゐ』て、そこに書き殴ってあった句として紹介されている(「三汀」は久米正雄の俳号)。「我鬼窟句抄」の大正七年等に見られる「晝の月霍亂人が眼ざしやな」の類型句であるが、MS生の見間違いの可能性もある。]



下駄正しく傍にむざと杜若かきつばた

[やぶちゃん注:前掲句と同様、岩波版旧全集第九巻に挟まれた一九七八年四月クレジットの「芥川龍之介全集月報9」の「資料紹介」の中にある、大正八(一九一九)年八月発行の『文章倶樂部』第四年第八号所収とするMS生記「我鬼窟百鬼會」の文章中に芥川龍之介(我鬼)の句として現れる句。類型句はない。その運座で作句された一句として掲げられているので、信憑性の極めて高い未発表句である。この時の運座は久米正雄(三汀)・室生犀星・瀧井孝作(折柴)・石川勢以子(谷崎潤一郎の当時の妻千代子の妹。谷崎の「痴人の愛」のナオミのモデル)や大学生風の者(「大学の制服をつけた人」とあるので必ずしも大学生かどうかは不明であるが、複数人居た模様)らで(MS生も当然参加していると考えてよい)、『座敷に溢れる盛況』と記している。更に運坐が終わるころに菊池寛、夕食後、夜更けてから江口渙が来窟、まさに「百鬼會」と称するに相応しい体をなしている(小島政二郎が来ないのを不審がる芥川が描かれているが、小島の到来は本文には記されていない。この深夜には短歌の運座が行われたと当該文書は終わる。「短歌の運座」という謂いは原文のママ)。運座の詠題は「梅雨及其他」で真っ先に芥川が捻出したとあるが、『苦吟一時間ののち互選する』とあって読み上げられた句を掲げている中に出現する。一応、以下に掲げられた句を全て示す(芥川の句の「かきつばた」の読みは省略した)。

   梅雨の頃灰汁の重さ母の手に (三汀)

   屋根草にりゆうとあぐ旗冷やし物 (犀星)

   下駄正しく傍にむざと杜若 (我鬼)

   玉手捲く夕月の影薄うなりぬ (猛者)

   吾は夏の袴をはきつめられてる (折柴)

この猛者という俳号は不明である。ちなみにこの運座の最後に来た菊池寛が、そこに詠まれた、

   絽の乳は透き夏の夜の東京の電車が蒸れ

という句に対して「これは君非常に猥雑だよ」と言ったというエピソードが綴られるが、この句が私は好きでたまらない。しかし、この自由律は、芥川では、多分、あるまい、残念ながら(だったら芥川の句として素晴らしいとお思うのだけれども)。]



定齋賣橋一ぱいに通りけり

浮き沈む脾腹の肉や昼寢女郎

空に知る海のけはひや花芒

睫きもせぬに鬼氣あり菊人形

思ひ出や蜻蛉の眼玉商ひし

松二本出水に枯れて曼珠沙華

花火より遠き人ありと思ひけり

ぎやまんの燈籠ともせ海の秋

今朝秋や寢癖も寒き齒のきしみ

[やぶちゃん注:岩波版旧全集第九巻に挟まれた一九七八年四月クレジットの「芥川龍之介全集月報9」の「編集室より」に該当巻の芥川龍之介の俳句には異型句が数多く見られることを言い、『本全集に収めることを躊躇した句に左のようなものがあります。今後の検討を俟ちたいと思います。』として、『昭和五十一年五月の『書林会主催西部古書展示即売会目録』に掲げられた影印のうち、本全集不載の句』とする九句である。しかし、この内、「花火より遠き人ありと思ひけり」「ぎやまんの燈籠ともせ海の秋」の二句は、前者「花火より遠き人ありと思ひけり」は新全集の後記に大正五(一九一六)年頃の作として掲げられているものであり(「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」参照)、芥川龍之介の作品として確定でき、更に後者「ぎやまんの燈籠ともせ海の秋」は同じく「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」に掲載した「松江連句(仮)」の一句である。これらの影印なるものが如何なるものであるか分からないが、一連の筆記であり、芥川龍之介の自筆であることが確認されれば、間違いなく芥川龍之介の句であると言ってよいであろう。上記以外のどの句も、あくまで私の感触であるが、高い確率で芥川龍之介の句であると感じられるる。「今後の検討」は三十年誰にもなされていないのである。識者の御意見を是非、求めたいものである。一句目の「定齋賣」は「じやうさいうり」若しくは「じよさいうり」と読む。安土桃山時代、おおさかの薬種問屋であった定齋が売り出したという煎薬を商う売薬行商人。定齋屋。この薬は中国の明の薬法に従って作られたと伝えられ、特に夏場の諸病に効くとされた。定齋屋は一対の薬箱を天秤棒で前後に振り分け、その薬箱の引出しに附いている鐶(かん:金属で出来た取っ手。)を鳴らしながら行商したので、この句にはその音をも聴き取るべきであろう。]



杉凍てゝ聲あらんとす峽間哉

葱に似て指の白さも惣嫁かな

大いなる手つと來て茨の實を摘めり

[やぶちゃん注:岩波版旧全集第九巻に挟まれた一九七八年四月クレジットの「芥川龍之介全集月報9」の「編集室より」に該当巻の芥川龍之介の俳句には異型句が数多く見られることを言い、『本全集に収めることを躊躇した句に左のようなものがあります。今後の検討を俟ちたいと思います。』として、『大正七年十二月三日の『読売新聞』に「雑咏 我鬼」として掲載された七句中本全集不載の三句』とある。続いて『読売掲載の七句について芥川は同年十二月八日付下島勲宛書簡に「読売の句は小生の出したものではなく誰かが好い加減に句屑を集めて勝手に発表したものであります」と記してい』ることを根拠として全集に採録しなかったらしい。しかし、この芥川の書簡中の語『誰かが好い加減に句屑を集めて勝手に発表した』という言い方は、句が自分のものではない贋作だというのではなく、発表が自分の本意ではなかったということへの不満の表現ととれないだろうか。少なくとも二句目は「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「我鬼窟句抄」にある「惣嫁指の白きも葱に似たりけり」の別稿と考えられるではないか。そう考えると、これら三句もないがしろには出来ない句であるというべきである。]



   *   *   *



凧三角、四角、六角、空、硝子

[やぶちゃん注:芥川龍之介は、大正五(一九一六)年八月一七日から九月二日にかけて、千葉県一宮町の一宮館に久米正雄と滞在した(この滞在は後の芥川の小説「海のほとり」や、その間の八月二十五日に芥川が出した塚本文へのプロポーズの手紙で知られている)。この時の芥川が漱石に出した手紙は有名なものであるが、一九九七年刊行の岩波版新全集第十八巻では、その大正五(一九一六)年八月二十八日附夏目漱石宛書簡(新全集書簡番号245・旧全集書簡番号二二三)に対して、関口安義氏が注解で、同じ日に久米が認めた漱石宛書簡の全文を掲げている(昭和女子大学図書館蔵になるもの)。その中に表記の、極めて特異にして魅力的な芥川龍之介の句が出現する。著作権上の問題があるので全文は遠慮し、少し前の部分から最後まで引用する(例によって恣意的に多くを正字に直し、拗音も全角表示とした)。

此頃の海は至つて靜かです。靜かだと云つても泳ぎのうまくない僕は、時々浪に浚はれて死にさうになります。泳ぎの少しできる芥川は、時々遠くへ出て大川で錬つた腕を雙手ぬきで示し乍ら、僕らを尻目に見渡すのださうです。併し海で死ぬとすれば、芥川の方がきつと早く死ぬでせう。今死ぬと天才になるから死ねと云つても、彼はなか/\死にません。
立體派の俳句を作るのは僕ではなくて芥です。「凧三角、四角、六角、空、硝子」と云ふのが彼の代表作です。僕のには 秋天や崖より落ちて僧微塵 といふ名句があります。これは決して新しくないが僕としては中々自信があります。
長くなりますから今日はこれで止めます。
追伸。僕らの生活は芥ので尽きてゐますから、此邊で充分だと思ひます。それに此前のは長すぎて先生の處で不足税を取られやしなかつたかと心配して居る仕末ですから。

久米の茶化しが強い文体ではあるが、ここに嘘はない。この句は、確かな芥川龍之介の句である。]



   *   *   *



  尻立てゝ這ふ子思ふや雉子ぐるま

[やぶちゃん注:本句は昭和二(一九二七)年六月号の『新潮』に掲載された室生犀星「芥川龍之介氏の人と作」の第二章「文人」の中の芥川龍之介の発句を評する、
彼のねらふ漂渺は彼の凝りすぎる證據には「尻立てゝ這ふ子思ふや雉子ぐるま」の即吟を彼は隨筆集に訂塗再考して「ひたすらに這ふ子おもふや笹ちまき」としてゐる。彼は三日後には原句を動かして持つて付け、付けては動かしてゐる。
という文脈の中で現れる。これと近似した句は、『改造』大正十四年九月発表の「鄰の笛――大正九年より同十四年に至る年代順――」の中の、
    寄内
  臀立てて這ふ子おもふや笹ちまき
と載るものだが、下五が大きく異なる。そして龍之介はこれを、大正一五(一九二六)年十二月二十五日新潮社刊の作品集『梅・馬・鶯』の「發句」には、
    寄内
  ひと向きに這ふ子おもふや笹ちまき
としていて、室生が引く、
  ひたすらに這ふ子おもふや笹ちまき
という句形は、少なくとも現在の知見では芥川龍之介没後の昭和二(一九二七)年九月自家版として刊行された「澄江堂句集」で初めて我々の目に触れた句形である。
 この評論は芥川龍之介が実見し、その後に室生は龍之介と本作について話しており、万一、句が誤りであれば、龍之介がそこを指摘した可能性は高いから、本句が新発見句である可能性は頗る高いものと私は判断する。更に付言すれば、芥川龍之介は生前には公開されていなかった本句の決定稿である、
  ひたすらに這ふ子おもふや笹ちまき
を昭和二(一九二七)年五月以前のどこかで室生に見せており、それを室生は『梅・馬・鶯』に載った句と勘違いしているという事実もここで判明する。ともかくもこれは芥川龍之介発句の中では頗る話題を提供している文章と言えるのである。]



     *     *     *



 二〇〇九年十月二玄社刊「芥川龍之介の書画」に現われたる句

[やぶちゃん注:以下は二〇〇九年十月二十日発行の二玄社刊財団法人日本近代文学館編石割透解題解説になる「芥川龍之介の書画」に現われた新発見句並びに異同句である。【二〇一〇年四月二十五日】]



餅花を今戸の猫にかささはや 龍之介

[やぶちゃん注:類型異同句。同書資料番号六十四の短冊。解題によれば墨書で短冊は三十六×六センチ。同書資料番号六十五の別短冊も同表記(こちらは署名なし)。これ以外に解題解説に書誌記載なし。これは「餅花を今戸の猫にかざさばや」の濁音表記を省略した形で、「澄江堂雑詠」他の知られた既出形は「餅花を今戸のねこにさゝげばや」であるから有意に異なる。]



摺古木に山椒伐られぬ秋の風 龍之介

[やぶちゃん注:新発見句。同書資料番号七十七の短冊。解題によれば墨書で短冊は三十六×六センチ。これ以外に解題解説書誌記載なし。類型句はない。]



赤時や蛼なきやむ屋根のうら

[やぶちゃん注:既出であるが表記が特異。同書資料番号八十三の短冊。解題によれば墨書で短冊は三十六×六センチ。「あかつきや蛼鳴きやむ屋根のうら」の形で「我鬼抄」等に載り、「發句」「我鬼句抄」にほぼ相同の「「赤ときや蛼鳴きやむ屋根の裏」「赤ときや蛼鳴きやむ屋根のうら」(詞書はそれぞれ「病あり」「病中」)が載るが、「赤時」という表記初見である。「蛼」は「いとど」。]



迎火の
 宙歩み
   ゆく
  竜之介

[やぶちゃん注:新発見句。同書資料番号九〇の色紙。解題によれば墨書で色紙は二十七×二十四センチ。これ以外に解題解説書誌記載なし。色紙左下に朱の落款があるが、篆書で私には読めない(「火」の字形を上部左には見る)。類型句はない。「龍之介」自体が署名でなく、第三句そのものである可能性も捨てきれない。さすれば鬼気迫る句柄と言えるが、新傾向俳句で「迎火の宙歩みゆく」で完結しているようにも見える。「竜之介」の筆致が明らかに前三行(これらは微妙に全体に右に傾斜している)とは一線を画して左に傾いているからである。何れにせよ、これは驚天動地、芥川俳句中、未踏の新発見句と言える。]



     *     *     *



 村山古郷編「芥川龍之介句集 我鬼全句」に現われたる句

[やぶちゃん注:以下は、村山古郷編「芥川龍之介句集 我鬼全句」(以下、「我鬼全句」と呼称する)による校合過程で見出した、全く未掲示の句及び表記違い(詞書を含む)の句を掲げた。村山氏は私が使用した資料以外に、芥川の真蹟とその他を蒐集出典一覧の中に入れているので、当然未掲載句が生じてくる。掲示するに際しては、「我鬼全句」の作句年代の表示を後に附した(記載のないものもある)。向後の識者の判断を待つ。但し、芥川の句と詞書の新字体はその殆んどを今迄通り、芥川の癖を考えての正字表記に直した。校合過程で分かったことであるが、村山氏は書簡俳句の直前にある手紙文の最後を、前書として句によって採用しているケースが多い。私はそれを肯じ得ない。何故なら、それでは、手紙文と詞書の明確な区切りが不可能であるからである。その辺を、以下の詞書異同については考慮されたい。なお、既出句とはかなり異なる、遺漏句である確実度が極めて高い句には「◎」を、逆に芥川の句でないと判断したものや、誤植と判断されるものには「×」を附し、更に、私の未確認の資料に、そのような単純な表記違いで存在したとしても特に未発表句とは言えまいと考えられるものには「△」を、どうしても判断に迷うものには「?」を附した。
 村山古郷氏は「我鬼全句」の解題で、使用資料を列挙しているが、それは全て初出一次資料の明記となっており、使用されたに違いない昭和九(一九三四)年から十年にかけて発行された岩波普及版全集(実はこの本が出版された二年後に出た一九七八年版の旧全集を用いて、この「我鬼全句」は必ず改訂されねばならなかったのである。言わば、それを私がここで非力にもやっているということになるのである)及び筑摩全集類聚版のさえその使用資料一覧には載っていない。失礼ながら、村山氏は本当に全ての原資料に当たられたというのであろうか(所在不明の資料が既に多数あり、実際にそれは不可能であることは言うまでもない)。こう苦言を申すのも、引用元が示されていないこの本の場合、最早それが単純な誤植か、それとも真蹟等からの新発見句であるかが不分明となってしまっている遺恨が残るのである。]



△冴え返る隣の屋根や夜半よはの月   昭和二

[やぶちゃん注:これは書簡一五九二(「やぶちゃん版芥川龍之介俳句集四 続 書簡俳句」参照)に現れるが、そこでは「隣」は「鄰」と表記している。「我鬼全句」ではこの後の句で、この「鄰」が使われている別句がある。従ってこれは書簡一五九二とは別資料からの採句と捉えて、採っておく。]



    伊勢長
×竹の根の土うち越せる餘寒かな   大正九~十二

[やぶちゃん注:前書の異同。この直後に「我鬼全句」では、前書なしで「鱧の皮水切りたらぬ餘寒かな」を掲載するが、「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「蕩々帖補遺」では、この「伊勢長」という前書はこの「鱧の皮」のものであり、恐らくこれはそれを位置誤植したものと思われる。暫く、掲げておく。]



△欝として黑松に春の朝日せる   大正七

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「未定稿集」所収のものであるが、「鬱」を異体字表記しているので、暫く、掲げておく。]



×春雨や枯笹ぬるゝ庭の隅   大正六~八

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「我鬼句抄補遺」に「春雨や枯笹ぬるゝ庭の隈」がある。「我鬼全句」はこちらを所収していない。]



    河内の國金剛山を望みつつ
△荒あらし霞の中の山の襞   大正十

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句」の「發句」他に所収。句に異同はないが、このような前書は初見である。]



×ぞろぞろと白楊とろの並木も霞みけり

[やぶちゃん注:本頁で採録した旧全集「手帳(八)」及び新全集「手帳(8)」でも、白楊どろとあり、ルビの誤植と思われるが、暫く、掲げておく。]



△塩釜のけぶりをおもへ春のうみ   大正十三

[やぶちゃん注:一一八〇書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介俳句集四 続 書簡俳句」参照)では「けふり」とある。なお、「我鬼全句」では編者により「盬釜にて焼きたる鯛をお裾分けして 香取秀真へ」という詞書がある。]



    傘雨亭の運座に
△初午の祠ともりぬ雨の中   大正一四

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句」の「發句」他に所収。句に異同はないが、このような前書は初見である。傘雨亭は久保田万太郎の居宅。]



    「解放」の寄稿を斷る
△沈む日や畑打ちやめば海の音   大正九

[やぶちゃん注:句に異同はないが、書簡七〇一(「やぶちゃん版芥川龍之介俳句集四 続 書簡俳句」参照)の前書には「解放」の鍵括弧はない。]



    旅中寄内
△乳垂るる妻となりけり草の餅   大正十三

[やぶちゃん注:句に異同はないが、既出の「發句」及び一一九六書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介俳句集四 続 書簡俳句」参照)、また本頁で採録した旧全集「手帳(五)」及び新全集「手帳(5)」のこの句には前書はない。]



×花のころ軒ばの山や茶のけむり

[やぶちゃん注:本頁で採録した旧全集「手帳(五)」及び新全集「手帳(5)」では、「花のこる軒ばの山や茶のけむり」。誤植と思われるが、暫く、掲げておく。]



△花を持ちて荷蘭陀オランダこちを向きにけり   大正十一

[やぶちゃん注:「花を持ちて」と字余りとなるのは、一〇四七書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」参照)に現われる句であるが、ルビはない。]



?東虹や東京の日のありどころ   大正十年頃

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「未定稿集」には「東紅や」とある。しかし、「我鬼全句」では夏の「虹」の句の筆頭として挙げられている以上、誤植とも思われない。暫く、掲げておく。]



    農家のいとなみのミレエの畫めきたるを見、
    句にせばやと思ひしがいまだ鎌倉に住みし頃なり
△炎天にあがりて消えぬ箕のほこり   大正十

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」に句は既出であるが、このような前書は初見である。]



   與茂平さんに代りておたまさんに
△夕立やわれは眞鶴君は鷺   大正六~八

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「蕩々帖補遺」にあるが、前書中の「△茂平さん」の「さん」という敬称はない。]



◎夏山や松を襲へる嵐雲   大正八

[やぶちゃん注:類型句なし。岩波版新全集第十八巻月報一八(第二次)に所載する「資料紹介(三)」の原月舟「久米正雄氏との対話」(『ホトトギス』第二十三巻第二号一九一九年十一月一日)の中で、久米正雄が『芥川はこんな句を書いて寄越しました。』として紹介(句の下に「我鬼」のクレジットがある)、更に

先生得意がつてるんです。それがをかしいぢやありませんか、あとで芭蕉の句に
  六月や峰に雲置く嵐山        芭蕉
と云ふのがあつたのが判つて、とてもこの句には遠く及ばないつて悲観して居ましたよ

とあり、それに月舟が「それは大変面白いですね」と返している。これは芥川龍之介の真作と見てよい。]



◎綱に干すホワイトシヤツや桐の花   大正六

[やぶちゃん注:類型句なし。]



◎しやつ幾つ綱に干す日や桐の花   大正六

[やぶちゃん注:類型句なし。]



◎カステラの燒けの遅さよ桐の花

[やぶちゃん注:類型句なし。]



◎合歡咲くや雨にみごもる蛇女   大正六

[やぶちゃん注:三〇五書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」参照)に現れる「蛇女みごもる雨や合歡の花」の類型句であるが、初見。]



    再び長崎に遊び、隠元木庵の昔を問はんと寺寺をめぐりける折に
唐寺からでらの玉卷芭蕉肥りけり   大正十一

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句」の「發句」他に所収するが、このような長い前書は初見である。]



×諭して白牡丹を以て貢せよ   大正六

[やぶちゃん注:三一四書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」参照)では「諭して曰牡丹を以て貢せよ」で、「白」ではなく、「曰」である。音律からも「曰」が自然である。誤植と思われるが、暫く、掲げておく。]



△蒲の穗はほほけそめつつ蓮の花   大正十二

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句」の「その後製造した句(『ホトトギス』大正十二年六月)」にあるが、「そめつつ」は「そめつゝ」の表記。]



△病間のダリヤを見るや久米正雄   大正六~八

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「我鬼句抄補遺」あるが、「ダリア」と表記が異なる。]



    老人不相變
△幾秋を古盃や酒のいろ   大正十三

[やぶちゃん注:一二七三書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介俳句集四 続 書簡俳句」参照)からと思われるが、前書は「老人相不變なり」で微妙に違う。]



×酒前茶後秋立つ石を寫しけり

[やぶちゃん注:本頁で採録した旧全集「手帳(四)」及び新全集「手帳(4)」に「酒前茶後秋立つ竹を寫しけり」はある。暫く、掲げておく。]



△みかへればわが身の綺羅も冷ややかに   大正六

[やぶちゃん注:三三五書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」参照)に現われるが、「綺羅」にルビがある。]



   即景
△朝寒や鬼灯垂るる草の中

[やぶちゃん注:一二四八書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介俳句集四 続 書簡俳句」参照)にあるこの句は前書が「即景口占」であり、句も「垂るゝ」と踊り字を使用している。]



×行秋やくらやみになる庭の内   大正十五

[やぶちゃん注:「未定稿集」の「行秋やくらやみとなる庭の内」の類型句に見え、この「行く秋やくらやみとなる庭の内」の句が「我鬼全句」では直前に挙がっているが、掲げた句は大正十五年十一月二十八日付齋藤茂吉宛一五三〇書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介俳句集四 続 書簡俳句」参照)に現れる小澤碧童の句である。以下にその書簡の全文を引く。

御手紙ならびにオピアムありがたく頂戴仕り候。胃腸は畧々舊に復し候へども神經は中々さうは參らず先夜も徃來にて死にし母に出合ひ、(實は他人に候ひしも)びつくりしてつれの腕を捉へなど致し候。「無用のもの入るべからず」などと申す標札を見ると未だに行手を塞がれしやうな氣のすること少なからず、世にかかる苦しみ有之べきやな思ひをり候。小説はやつと一つ書き上げ唯今もう一つにとりかかり居り、それを終らばもう一つと存じ候へども如何なる事やらこの不安も亦少なからず候。なほ又お金の儀お知らせ下され候やう無躾ながら願上げ候。數日前小澤碧童、遠藤古原艸など參り候その節碧童老人の句にかう云ふ作有之候。頓首
   行秋やくらやみになる庭の内

「オピアム」は “opium”。 阿片。遠藤古原艸は河東碧梧桐門下の俳人、遠藤淸平。さすれば、「未定稿集」の「行秋やくらやみとなる庭の内」という句は、碧童の句の覚書の記載ミスでないとすれば、これは芥川龍之介が碧童の句の助詞一字をいじった剽窃ともいわれることにでもなるのであろうか。この書簡を見ても、そんなことはあり得ない。本句は芥川龍之介の句では、ない。]



    田端の小路にはいまもなほかかる景あり
△秋の日や竹の實垂るる垣の外   大正九

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句」の「發句」他に多出するが、この詞書は初見。]



△秋風や黑子に生えし生えし毛一根   大正八

[やぶちゃん注:五八二書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」参照)に現われるが、「毛一根」の「根」に「コン」のカタカナのルビがある。]



◎稻妻や消えてあとなき戀ながら   大正六

[やぶちゃん注:類型句なし。]



   即興
×銀漢に瀨音聞ゆる夜もあらむ   大正六

[やぶちゃん注:前書から三一三書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」参照)からと思われるが、それも「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「蝙蝠や(仮)」所収句も、共に「銀漢の瀨音聞ゆる夜もあらむ」である。「我鬼全句」はこちらを所収していないので、誤植と思われる。暫く、掲げておく。]



   ひとり一游亭より歸る
△冷えびえと曇り立ちけり星月夜   大正十三

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句」の「發句」他に多出するが、この詞書は初見。]



×夕燒や小田に下り來る雁の數   大正六~八

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「我鬼句抄補遺」に「夕燒や小田にり來る雁の數」とあるが、これは「我鬼全句」になく、表記も異なり、ルビもない。暫く、掲げておく。]



    病ありし時、眠り藥を用ふれども、夜あけぬまに目ざむること多かりければ
△赤ときや蛼なきやむ屋根のうら   大正十一

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」以下に他出するが、この詞書は初見。]



×灰捨つる路に槐の莢ばかり   大正十五

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の『驢馬「近詠」欄(『驢馬』大正十五年四月―十一月)』には「灰捨つる路は槐の莢ばかり」があるが、これは「我鬼全句」にない。暫く、掲げておく。]



    相模驛にただ見るままを
△野茨にからまる萩のさかりかな   大正十二

[やぶちゃん注:前書、句共に表示字に異同はないが、「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「澄江堂句抄(『にひはり』大正十二年十二月―大正十三年五月)」では前書の最後に「見るままを。」と句点がある。]



×龍膽の風落ち來る空深し   大正八

[やぶちゃん注:六三一書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」参照)に現れるが、「龍膽や風落ち來る空深し」である。これは「我鬼全句」にない。暫く、掲げておく。]



    鎌倉なる三汀を訪ふ。庭は何の風情もなけれど、
    庭の外なる砂畠の秋の色のおもしろかりければ、
△唐黍やほどろと枯れし日のにほひ   大正十二~十三

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「澄江堂句抄(『にひはり』大正十二年十二月―大正十三年五月)」に所収するが、詞書が違う。「鎌倉なる三汀を訪ふ。夜は何の風情もなけれど、(以下同文)」で「庭」ではない。暫く、掲げておく。]



×よく見ればゐるかや茸の雀かな

[やぶちゃん注:旧全集の「手帳(四)」ではこうなっているが、本頁で補正採録した「手帳(4)」に「よく見ればゐる〔竹籔〕かや葺の雀かな」とある。句意から見ても、これは旧全集の判読ミスをそのまま古郷が採録したものである。]



×あらはるる木々の根寒し山の隅

[やぶちゃん注:本頁で採録した旧全集「手帳(八)」及び新全集「手帳(8)」に「〔あらはるる木々の根寒し山の隈〕」とあるが、「我鬼全句」にはない。これはその誤植と思われる。暫く、掲げておく。]



    淺草に住める久保田傘雨、この頃田端に移り住みて、
    朝あさの寒さをかこつこそおかしけれ
△山茶花の莟こぼるる寒さかな   大正十一

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句」の「發句」他に多出するが、前書は初見。なお、前書中の「おかしけれ」はママ。]



×影多し師走河原の砂の隅   大正十

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の『雜』の『「布佐行絵卷」より』に所収するものは、「影多し師走河原の砂の隈」で、「我鬼全句」にはない。誤植と思われる。暫く、掲げておく。]



△簇がれる小枝や雪のひと積り

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「未定稿集」には「蔟がれる」で所載。「蔟がれる」の句は「我鬼全句」にはない。読み意味ともに問題はない。]



    湯河原の温泉にて
△初霜の金柑見ゆる葉越しかな   大正十二~十三

[やぶちゃん注:句は「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「澄江堂句抄(『にひはり』大正十二年十二月―大正十三年五月)」の岩波普及版全集の句形。詞書が旧全集では「湯河原の温泉にて。」と句点がある。暫く、掲げておく。]



×霜どけにあり哨兵と龍舌蘭   大正六

[やぶちゃん注:二六三書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」参照)に現われるが、句は「霜どけにあり哨兵と龍舌蘭と」である。これは「我鬼全句」にはない。暫く、掲げておく。]



    路上即景
×霜解けや竹むら黄ばむ路の隅   大正九

[やぶちゃん注:前書ともに七〇一書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」参照)に現われるが、句は「霜解けや竹むら黄ばむ路の隈」である。これは「我鬼全句」にはない。暫く、掲げておく。]



    閑庭にはことなる木も少し
△霜どけの葉を垂らしたり大八つ手

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句」の「發句」他に多出するが、このような詞書は初見。]



△霜どけに葉を垂らしたる八つ手かな   大正十一

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「我鬼句抄(『中央公論』大正十一年三月)」に登場する句であるが、「霜解けに葉を垂らしたる八つ手かな」で表記が異なる。]



    後期印象派の肖像畫などを喜び見しころ、或ひとの姿の目に殘れるを
△癆咳の頰美しや冬帽子   大正七

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句」の「發句」他に多出するが、このような詞書は初見。]



×燭臺や小さん鍋燒仕る   大正七

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」のホトトギス「雜詠」欄(大正七年六月―九年一月『ホトトギス』)に載るこの句は「燭臺や小さん鍋燒を仕る」で違う。これは「我鬼全句」にはない。暫く、掲げておく。]



    即景
△臘梅や枝まばらなる時雨ぞら   大正八

[やぶちゃん注:句に異同なし。この前書は六五九書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」参照)にあるが、そこでは「時雨空」と漢字表記。]



    第一高等學校の動物學教室の外を通りつつ
△桐の葉は枝の向き向き枯れにけり   大正九~十一

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句」の「發句」他に多出するが、この前書は初見。]



△三門や落葉ふみ行く紫衣の僧   明治四十二

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「未定稿集」に所収する句であるが、「三門や落葉ふみゆく紫衣の僧」で表記が違う。]



    調は虚栗の佶屈を喜び、意は言水の幻怪を好める年少時代のさかしらなり
△惣嫁指の白きも葱に似たりけり   大正七

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「澄江堂句抄(『にひはり』大正十二年十二月―大正十三年五月)」の句で、異同なし。詞書が旧全集では「さかしらなり。」と句点がある。暫く、掲げておく。]



×秋海棠が簇つてゐる竹縁の傾き

[やぶちゃん注:八七〇書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」参照)の句であるが、「秋海棠が簇つてゐる竹椽の傾き」である。意味から言っても誤植と思われる。暫く、掲げておく。]



×山に雲下りぬ赤らみ垂るる柿の葉

[やぶちゃん注:九五四書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」参照)の句であるが、「山に雲下りゐ赤らみ垂るる柿の葉」である。誤植と思われる。暫く、掲げておく。]



×船空のリンネルの窓かけに入日

[やぶちゃん注:本頁で採録した旧全集「手帳(六)」及び新全集「手帳(6)」の句であるが、「船室のリンネルの窓かけに入日」である。意味から言っても誤植と思われる。暫く、掲げておく。]



  極月に取急ぎたる婚儀哉   碧堂

△襖つくろふ俳諧の反故     我鬼

              (大正八年十二月十七日)

[やぶちゃん注:「碧堂」の「堂」の字の右に編者による〔ママ〕がある。しかし、旧全集六二七書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」参照)では、ちゃんと
   極月に取急ぎたる婚儀哉      碧童
   襖つくらふ俳諧の反古       我鬼
となっている。「碧童」は表記正しく、付句は「つくらふ」「反古」の異なる表記である。岩波普及版の誤植であると思われるが、暫く、掲げておく。]

× 短夜や稿料盜む計
    洩れて危し××の首
  川風や菖蒲の假名はしやうぶ也
    などゝほゝゑむ小島先生
  あら可笑し白檀匀ふ枕紙
    寐顏見たきは赤風盧アカブロの戀
                          (大正九年四月十三日)

[やぶちゃん注:大正九年三月十三日付六六三書簡(「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」参照)では、以下のようになっている。

   短夜や稿料盜む計
    洩れて危し邦枝の首
   川風や菖蒲の假名はしやぶ也
    などとほゝえむ小島先生
   あら可笑し白檀匀ふ枕紙
    寐顏見たきは赤風盧アカブロの戀

「邦枝」の伏字については、凡例その他に言及がない。これは村山氏の底本としたものが、そうした「××」の記載になっていると考えるのが自然である。また、「しやぶ」や「などとほゝえむ小島先生」と異同多く(実は歴史的仮名遣では「しやうぶ」「ほゝゑむ」の方が正しい)、更に、日付けが異なる。底本相違として挙げておく。ちなみに、この表記は筑摩全集類聚版(親本は岩波普及版全集)と全く同一である。これは岩波普及版全集の編者が芥川龍之介の誤使用を『教育的』(?)に補正したものである可能性が高い。従って芥川龍之介の実際の表記の句とは言えないという意味での「×」を冒頭に附したのである。]



△ 與茂平と試みし連句

   良寛樣も炭火もるなり      龍

 小屏風のうしろに猫は生まれつゝ   庫

   木の芽ふくらむ枝の向き々々   龍

 日南ぼこ面影見えて靜かなる     庫

   棚に裾ひく女人形        龍

 三日目もあはずに歸る夕霞      庫

     ○

 花を持ち荷蘭陀こちを向きにけり   龍

   空はすかひに落つる凧あり    庫

     ○

 麥藁の家に小人の夫婦住み      龍

   煙管持つ手ものばしかねたり   庫

     ○

   茶筌さばきもなれた涵九     庫

 花鳥の一間に風は吹きかよひ     龍

   つき合ひさけて禁書ひもとく   庫

     ○

 白鷺の聲たのめなや初時雨      庫

   藪は透きたる枯木一もと     龍
                  (大正十一年―大正十二年)

[やぶちゃん注:これを「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「蕩々帖」掲載句と比較すると、題名の後の「○」がなく、五巡目の庫輔の句の「煙管」が「煙草」になっている(これは誤植の可能性が高い)。芥川の句には異同は認められないが、掲げておく。]



×一籃の曇さ照りけり巴旦杏
   薄埃り立つから梅雨の風
 若竹のいつか垣穗を打ちこして
   大盃によよと酒もる
 燈臺の丁子落ちたるはなやかさ

[やぶちゃん注:発句の「曇さ」の「曇」の字の右に編者による〔ママ〕がある。しかし本頁で採録した旧全集「手帳(七)」及び新全集「手帳(7)」では「一籃の暑さ照りけり巴旦杏」とあり問題がない。ちなみに、この表記は筑摩全集類聚版(親本は岩波普及版全集)と全く同一である。暫く、掲げておく。]



             *      *      *





二〇一〇年八月岩波書店刊「芥川竜之介句集」に採句されたる五十六句



[やぶちゃん注:以下は、二〇一〇年八月岩波書店刊加藤郁乎編「芥川竜之介句集」(この句集は自社の新全集及び信頼に足るとする資料のみを底本としており、例えば葛巻義敏編の「芥川龍之介未定稿集」や村山故郷編「我鬼全句」等にあっても原資料の確認出来ないものは素材としていない上に、私が新傾向・自由律として採句したものを採っていない箇所が散見するので自ずと私の「芥川龍之介全句集」全五巻よりも句数は少ない。いや、そもそもこの底本は選句集であることを表明してもいる)を底本とし、当該書が従来の岩波版新旧「芥川龍之介全集」に未収録の山梨県立文学館蔵の自筆資料の写真版「芥川龍之介資料集 図版1・2」から採句されたものの中で、私の本「芥川龍之介全句集」全五巻に完全相同句のない、相似句(漢字かな表記の違いを含む)及び新発見句五十三、及び当該書が大正八(一九一九)年八月一日発行の雑誌『文芸倶楽部』に載った「我鬼窟百鬼会」の中から採句した芥川龍之介の句三句の内、既出にない二句、更に書林会主催『西武古書展示即売会目録』(一九七九年)中の図版に載る一句、実に総数五十六句を底本通り、編年順に選び出したものである(作句年次未詳とある「一一四三」番句は私の判断で冒頭に移行した)。句の前の漢数字番号は底本の通し番号(原本ではアラビア数字)を示す。但し、私のポリシーに則り、原本の新字表記の殆んどを恣意的に正字に直してある。山梨県立文学館蔵自筆資料(以下、注では「原典」と呼称する)には、『「○○○」未定稿』若しくは『「○○○」草稿』(「○○○」には概ね同時に作句された句群の冒頭の句の初句が示されているものと思われる)といったような標題が附され、原本の「出典一覧」にはそれが示されている。それも参考にしながら(幾分、首を傾げる標題のものもあり、無視してオリジナルに解析した箇所もある)、各句の注を附した(注の中の「未定稿集」とは葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」からの引用を指す)。ルビについては当該書の編者が附したものが多く、概ね省略したが、難読と思われる一部はそのルビを参照しながら注記で示した。完全な新発見句については、番号の頭に◎を、類型句乍らも新味があると判断されるものには△を附した。なお、五十六句もの膨大な新発見句を明らかにされた同書の博捜の労苦には深い敬意を払うものではあるが、千八十五番句として芥川龍之介の「雜信一束」に所収するアフォリズム「高梁カオリヤンの根を匍ふ一匹の百足」を俳句として掲げているのは大きな誤りであり、言わば捏造とさえ言ってよい仕儀である。これについては私のブログ『岩波文庫「芥川竜之介句集」に所載せる不当に捏造された句を告発すること』に詳細を記載しているので、必ずご覧戴きたい。]





   大正四(一九一五)年





一一四三

   牡丹

札白し牡丹畑の夕あかり

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「松江連句(仮)」の中の「大根島」の前書を持つものと、ほぼ相同句。「畠」の表記違い。底本では「年未詳」とするが、明らかに大正四(一九一五)年と同定してよいものであるので、ここへ置いた。]





   大正六(一九一七)年





◎一九五

政苛き國にも梅咲くや

[やぶちゃん注:底本では「政」に「まつりごと」、「苛き」を「かたき」とルビを振っている。原典には「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「我鬼句抄補遺」にある「牛に積む御料檜や梅の花」の同時期句未定稿とする。相同句なし。]





二〇〇

辻君の眇なれども蛇食鳥

[やぶちゃん注:「蝙蝠や(仮)」句群の「辻君は眇と見ゆれ蛇喰鳥」の相似句。既に「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の該当句群の注した通り、この「蛇食鳥」は「蚊食鳥」(蝙蝠のこと)の芥川の誤字である可能性が高い。]





二〇二

蝙蝠や辻君どのはすがめなる

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「蝙蝠や(仮)」句群の「蝙蝠やこの辻君どのはすがめなる。」の極めて近似した相似句。]





△二三九

蝙蝠や靑紙の柳燈入りの月

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「蝙蝠や(仮)」句群の「蝙蝠や燈入りの月に人ふたり」の類型句。既に注した通り、この「蛇食鳥」は「蚊食鳥」(蝙蝠のこと)の芥川の誤字である可能性が高い。]





二四〇

蝙蝠や隱亡堀の水あかり

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「蝙蝠や(仮)」句群の「夕燒くる隱亡堀や蛇食鳥」の類型句。]





   大正七(一九一八)年





◎四一八

蝙蝠の國にも毛黴は櫻なる

[やぶちゃん注:年を跨いでいるが、「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「蝙蝠や(仮)」句群の未定稿である。但し、類型句はない。]





   大正八(一九一九)年





◎四五四

   三汀詞兄案下

阿羅漢の肋けはしき餘寒かな

[やぶちゃん注:一九一九年八月一日発行の雑誌『文芸倶楽部』に載った「我鬼窟百鬼会」より。「肋」は「あばら」とルビを振る。「出典一覧」に以下のような俳句末にあったと思しい註記が記されている(恣意的に正字に直した)。



三月十七日夜 我鬼居士拜おやぢの御通夜に隨筆を書した この圖を作る料にしたが病牀の無聊を慰むるを得ば幸甚



とある。これは三月十六日にスペイン風邪で亡くなった芥川龍之介の実父新原敏三の通夜のことを言うのであるが、文中の「隨筆」とか、「この圖」(阿羅漢の図? それとも前の「隨筆」の構想・デッサンのためにこの句を素材としたが、という比喩的意?)、「病牀」とは誰の病床か、一切不明である。これは「我鬼窟百鬼会」の全体像を披見出来れば大分、分かると思われるのであるが、残念ながら未見である。何か御存知の方は、御教授を願う。この芥川龍之介の随筆なるものは現在調査中であるが、この時期の前後に所謂、随筆に相当するものは見当たらない。]





◎四七九

蓄音機鳴りやむ眼前の古葭戸

[やぶちゃん注:一九一九年八月一日発行の雑誌『文芸倶楽部』に載った「我鬼窟百鬼会」より。「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「我鬼句抄補遺」に収載する「蓄音機するや煤けし葭戸越し」の別稿である。]





四八七

赤百合の蕊先で暑さ極まりぬ

[やぶちゃん注:書林会主催『西武古書展示即売会目録』より。「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「我鬼窟句抄」に載る、

赤百合の蕋黑む暑さ極まりぬ

の草稿。]





五三九

風光る杉山かひに村ひとつ

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「未定稿集」に、ほぼ相同句あり。「一つ」の表記違い。]





五五九

靑蘆や虹うちすかす五六尺

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集一 発句」の『雑誌「文芸倶楽部」の「文壇眞珠抄」に掲載された句』にある、

水蘆や虹打ち透かす五六尺

の草稿。]



◎五八六

ふりつもる雪吹き上げぬ小夜

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「未定稿集」にある「風すぢの雪吹きあぐる夜みちかな」の未定稿か。新発見句。]





   大正九(一九二〇)年





六七一

炎天や蝶をとめたる馬の糞

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「未定稿集」の「炎天に」の相似句。てにをは違いではあるが、切れ字「や」によって大きく印象は異なる。勿論、この「や」に軍配が挙がると私は思う。]





◎六七二

夏蝶のひしと群れたる馬糞かな

[やぶちゃん注:以下、本句を含めた「夏蝶」四句は先の六七一の未定稿と思われる。但し、「夏蝶」で始まる推敲句は過去に知られている我鬼の句にはないので、総てが新発見句である。]





◎六七三

夏蝶やひしと群れたる糞の上





◎六七四

夏蝶のひしと群るるや馬の糞





◎六七五

夏蝶やひとつとまれる馬の糞





   大正十(一九一一)年





◎七二六

炭の火も息するさまよ夕まぐれ

[やぶちゃん注:原典は「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「未定稿集」に載る「莊嚴の甍に暮れよ合歡の花」と同時期の未定稿とする。確かに類型句はなく、新発見句。]



◎七二七

炭の火も息をするかよ夕まぐれ

[やぶちゃん注:原典は「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「未定稿集」に載る「莊嚴の甍に暮れよ合歡の花」と同時期の未定稿とする。確かに類型句はなく、新発見句。前句の推敲形。]





◎七二八

百年の柳落葉に今朝の霜

[やぶちゃん注:原典では「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「未定稿集」に載る「喇嘛寺のさびしさつげよ合歡の花」句群の草稿とするが、類型句を見ない。「喇嘛」は「ラマ」と読ませるのであろう。ラマ教の寺院のことである。この「喇嘛」の句は、恐らく前年の中国特派の際の嘱目回想吟であろう。新発見句。]





△八四六

黑南風の吹き平めたる大うみや

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「未定稿集」に所収する「黑南風の天斜なる大ぞらや」に始まる「黑南風」句群等の同時期類型句ではあるが、中七の「吹き平めたる」は特異的。「黑南風のうみ吹き凪げるたまゆらや」が情景としては最も近似する。]





◎八四七

尊しや若葉を盛れる東山

[やぶちゃん注:新発見句。原典はこれと次の八四八の句を、八四六「黑南風の」句群草稿とするが、寧ろ、これらは手帳五の「茶のけむりなびきゆくへや東山」や手帳八の抹消句「時雨るゝや峯はあけぼのの東山」などの草稿というべきであろう。]





◎八四八

風光る若葉は盛りぬ東山





   大正十二(一九一三)年





八六一

生け垣に山茶花まじる片かげり

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「未定稿集」の「生垣に」の相似句。初句の「に」の送り仮名なし。]





   大正十三(一九一四)年





九三三

市うらの穗麥も赤み行春ぞ

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介俳句集四 続 書簡俳句」の同年四月十日附一一七〇番小澤忠兵衛宛書簡に、

  南京

市なかの穗麥も赤み行春ぞ

とあるものの草稿と思われる。]





◎九七九

矛杉や霜に焦げつつ春の雨

[やぶちゃん注:本句はやぶちゃん版芥川龍之介句集一 発句の「春雨や檜は霜に焦げながら」以下、数多く見られる相似句の草稿の一つと思われるが、語句の用い方や組み合わせから新発見句としてよい。]





◎九八二

秋もや茜の産衣ぬひけらし

[やぶちゃん注:底本では、

秋もはや茜の産衣ぬひけらし

と底本編者による「〔は〕」の補正字がなされている(ここでは括弧を外した)。但し、私はこの「は」が絶対に正しいとは言い切れぬ気がしている。これは「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「未定稿集」に載る以下の三句、

竹の秋茜の産衣ぬひけらし

麥秋の茜の産衣縫ひけらし

妻のぬふ産衣や秋の茜染め

の草稿と思われるが、詩想や季節を変化させており、新発見句とすべきものである。]





◎九八四

鉢前の著莪もしどろや別れ霜

[やぶちゃん注:「著莪」は「しやが」で、隠花植物の単子葉植物綱アヤメ科アヤメ属シャガ Iris japonica。新発見句。「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「未定稿集」の「鉢前の葉蘭も今や別れ霜」の草稿か異稿である。]





△九九六

黑南風に浪吹き凪げる大うみ

[やぶちゃん注:「黑南風」の句は多数あるが、特に「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「未定稿集」の「黑南風のうみ吹き凪げるたまゆらや」は類型句とは言える。但し、こちらは下五が字足らず若しくは新傾向自由律風で印象が全く異なる。しかし、これは例えば次の九九九のように、

黑南風に浪吹き凪げる大うみや

と切れ字を打とうとして、打たずに捨てた句ともとれる。]





九九九

黑南風の天斜めなる大ぞらや

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「未定稿集」に送り仮名「め」がないものがあり、ほぼ相同句。]





◎一〇〇一

赤根さす晝や若葉の木の曲り

[やぶちゃん注:「赤根さす」は「日」「照る」「昼」「紫」などの枕詞。類型句なし。新発見句。原典では九九九「黑南風の」句群を含む草稿とある。]





◎一〇〇三

むざんやな穗麥ぬぐふ馬の汗

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「未定稿集」の次の二句、

赤光や砲車ひきゆく馬の汗

夕かへる砲兵隊や馬の汗

の同句群の草稿と思われるも、新発見句とすべきである。但し、これ見よがしな芭蕉の「むざんやな甲の下のきりぎりす」のインスパイアで、芥川自身が採らなかったのも肯ける句ではある。原典には「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「澄江堂句抄」の『草稿(裏)』とあり、これは後に掲げる一〇五四句稿の裏に記されていることを意味するものと思われる。]





△一〇〇六

   旅中

麥あらしすさびそめけり暮れにけり

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「未定稿集」に、

   旅中

日の暮をすさびそめけり麥あらし

とあるものの草稿であろう。以降、一〇一〇までは同一の原稿群にある(原典には『「旅中」未定稿(α)』と呼称している)。]





◎一〇〇八

野を横に吹かるる箸鷹や麥あらし

[やぶちゃん注:「箸鷹」は「はしたか」或いは「はいたか」と読み、鳥のハイタカのこと。タカ目タカ科オオタカ属ハイタカ Accipiter nisus。類型句なし。芭蕉の「野を横に馬牽むけよほとゝぎす」のインスパイアである。やはり芥川自身採らなかったのも肯ける句ではある。新発見句。]





◎一〇〇九

峯の雪のうつろふ田や麥あらし

[やぶちゃん注:個々の語句には近似性が認められる先行句はあるが、全体の詩想としては新発見句である。]





◎一〇一〇

七寶の鐸を軒ばや麥あらし

[やぶちゃん注:底本では「鐸」を「すず」と訓じているが、「りん」ではまずいか? 類型句なし。新発見句。]





△一〇一一

木石の庭に横たふ夜寒かな

[やぶちゃん注:「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「未定稿集」に載る「木石の軒ばにせまる夜寒かな」の草稿であろう。]





一〇一三

紙卷の煙の垂るる夜長かな

[やぶちゃん注:以下一〇一五まで、「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「未定稿集」に載る「たばこすふ煙の垂るる夜長かな」の草稿であろう。]





一〇一四

多葉粉すふけむりの垂るる夜長かな





一〇一五

多葉粉すふけむりも垂れし夜長かな





◎一〇一八

庭もせににほふ落葉や月ほがら

[やぶちゃん注:「ほがら」は「朗(ほが)ら」で月が上がって鮮やかに光り輝くさまを言う。但し一般には「ほがら」は「ほがらほがらと」で朝日に用いる古語ではある。類型句なし。新発見句。原典では次の句とともに九九九「黑南風の」句群を含む草稿とある。]





◎一〇一九

にほへる落葉に月のぼがらかな

[やぶちゃん注:この濁点は芥川の誤字か。一〇一八の推敲形であるが、破調甚だしい。新発見句。]





一〇二七

卷煙草夜長の煙垂るるかな

[やぶちゃん注:一〇一三同様、「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「未定稿集」に載る「たばこすふ煙の垂るる夜長かな」の草稿の一つであろう。]





   作句年未詳句





◎一一四六

   芥子

ほそぼそと芥子はあやふし麥畑

[やぶちゃん注:類型句なし。新発見句。原点の標題から「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「松江連句(仮)」の中の「札白し牡丹畠の夕あかり」句群未定稿に入るとすれば、大正四(一九一五)年頃のものと推測し得るが、底本と同様にここに置いておく。]





◎一一四七

   時鳥

光氏のきぬぎぬさむしほとゝぎす

[やぶちゃん注:「きぬぎぬ」の「ぎぬ」は繰り返し記号「/\」の濁点であるが正字に直した。類型句なし。新発見句。原点の標題から「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「松江連句(仮)」の中の「札白し牡丹畠の夕あかり」句群未定稿に入るとすれば、大正四(一九一五)年頃のものと推測し得るが、底本と同様にここに置いておく。]





◎一一四八

なく聲と雨とふりくるほとゝぎす

[やぶちゃん注:類型句なし。新発見句。原点の標題から「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「松江連句(仮)」の中の「札白し牡丹畠の夕あかり」句群未定稿に入るとすれば、大正四(一九一五)年頃のものと推測し得るが、底本と同様にここに置いておく。]





◎一一五一

秋鯖やあだ鹽とくる一日干し

[やぶちゃん注:「鹽」の底本表記は「塩」であるが恣意的に変えた。類型句なし。新発見句。]





◎一一五二

   晝中の砧に

一人子の草履干ばや今年藁

[やぶちゃん注:原典は一一五一「秋鯖や」句群未定稿とする。類型句なし。新発見句。]





◎一一五三

いろ鳥やあだ鹽とくる鰯かな

[やぶちゃん注:「鹽」の底本表記は「塩」であるが恣意的に変えた。原典は一一五一「秋鯖や」句群未定稿とする。確かに一一五一句との近似性を感じさせる。類型句はない。新発見句。]





◎一〇五四

藪かげの道のわだちも冬日かな

[やぶちゃん注:従来知られている我鬼句には下五を「冬日かな」とする句はない。「わだち」の素材からも新発見句である。原典には「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「澄江堂句抄」の草稿とある。「藪かげ」は他の我鬼句に用例を見ない特異な語である。]





◎一〇五五

藪かげのわだちもさらに冬日かな

[やぶちゃん注:前句の異稿。新発見句。原典には「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「澄江堂句抄」の草稿とある。]





◎一〇五七

さみだれの煙草のけむり垂るるかな

[やぶちゃん注:先行する一〇一三以下の句群などと共通性が認められるが、季節が異なり、五月雨と煙草の組み合わせは、既出句にはない。新発見句。原典には「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「澄江堂句抄」の『草稿(裏)』とあり、これは一〇五四句稿の裏に記されていることを意味するものと思われる。]





◎一〇五九

靑うみの潮騒落つる午さがり

[やぶちゃん注:新発見句。原典では九九九「黑南風の」句群を含む草稿とある。]





◎一一四四

足音をまづききゝ知るかちる牡丹

[やぶちゃん注:類型句なし。新発見句。]





◎一一四五

初袷きたり二の宮金次郎

[やぶちゃん注:類型句なし。新発見句。一一四四と同一の句群とする。]









             *      *      *



□やぶちゃん最終補記
 最後に辛いことを、しかし、どうしても申し上げておかねばならない。
 「我鬼全句」の最後には村山古郷氏の「解題」がある。永年に亙って一心に芥川の俳句に拘ってこられた村山氏の素直なお気持ちが伝わってくる文章だ。我鬼の全句を渉猟し得たという感慨も感じられる文章である。
 しかし、ここには虫唾の走る誤植があるのである。
 それは芥川の辞世句が実は再案に過ぎないという興味深い下りで、辞世句を、

水洟や鼻の下だけ暮れ残る

と記し、初案を

土雛や鼻の下だけ暮れ残る

と記されているのである。
 私は「鼻の下」等という表記は初見である。本全句集作成中にも見たことがない。更に両句は、「我鬼全句」本文には――ないのである。これは開いた鼻の穴が――少なくとも僕の鼻の穴は、塞がらぬ――のである。
 この著作で校訂することよって私は本句集を最終的に完成し得た。
 故に村山氏には心から感謝している――しているのであるが、この「解題」の瑕疵は余りに酷い。
 この本は一九七六年に出て、一九九一年に新装版が出ているにも拘らず、何故三十年に渡って、この人を食ったような誤植が訂正されないのか? 筆者にとって恥ずかしいのは、正されることなく、これが書物として残され続けることである。これは村山氏の不名誉というより、村山氏の弟子の方々の不肖を物語るものと私には思われてならない。――方々、このページを御覧になることがあらば、猛省されるがよい。
 更に、やはり主に私の注記でお世話になった中田雅敏氏の二つの著作にも戸惑いを感じる箇所があるのである。
 幾つかの「澄江堂句集」の句を引く際に、中田氏は詞書があるとして引用されているのだが、そのような詞書は、実は「澄江堂句集」にはなく、まさに上に掲げた――この「我鬼全句」に所載する詞書――なのである。私は二度に亙って「澄江堂句集」による校訂をしたが、自家版にはそのような詞書の記載は、ない。しかし、「我鬼全句」に引かれる詞書は如何にも芥川自身の口吻で書かれている。「澄江堂句集」には、自家版以外の詞書の附いた別な版があるのであろうか? しかし、それならば岩波旧全集はそれを注記していないのが不審である。何方か、是非とも御教授を願うものである。
 更に――そして中田氏も――またしても「鼻の下」――なのである。中田氏の蝸牛文庫の末尾にある「解 我鬼俳句」(ちなみにこの表題の下には「中田雅敏」ではなく「雅俊」とある)では、村山古郷氏と同じく、辞世の句の再案過程について考察されているのであるが、そこで氏は、芥川は大正十五年に『「土雛や鼻の先だけ暮れ残る」の句を得て、挨拶句として書簡に記し、諸方に配する度に』『措辞の置き換えをして』おり、その点に於いて辞世とされるこの句も、『シニカルな機知に富んだ滑稽句になる』と述べられている。この芥川の句は、実は正岡子規の「雛の俳句」で紹介された蕪村の、

たらちねの抓までありや雛の鼻

と秋左の、

土雛や鼻の先だけ日の暮るる

に基づくという目から鱗の、誠に興味深い考察をなさっている。
 ちなみに前者は『ぽっちりともしないで低い鼻のお雛さん、世のお母さまは子の鼻が高くなるようにとつまんでは引っ張ると言うのに、あなたはつままれなかったのね、お可哀想!』といった、少女の気持ちになり代わった如何にも微笑ましい小品である。中七「つまゝずありや」の句形もある。――素晴らしい推理である――
 ――だが――中田氏は、それを芥川龍之介が置き換えた句が、

土雛や鼻の下だけ暮れ残る

であると、やはり「鼻の下」の句形を挙げておられるのである。御二人もの芥川俳句の碩学が提示されている以上、この「土雛や鼻の下だけ暮れ残る」という句は何処かに確かに実は存在するのではないかとさえ思えてくるのである。
 もしそうならば、本HPでもって正式に発表したい。せねばならぬ。
 知られる方々、是非とも私に御教授あれかし!]




――我、今こそ我鬼となれり――では、みなさん、ごきげんよう!……



やぶちゃん版芥川龍之介全句集 全巻完結