やぶちゃんの電子テクスト:心朽窩旧館へ

鬼火へ



女誡扇綺譚   佐藤春夫

[やぶちゃん注:「女誡扇綺譚」(ぢよかいせんきたん(じょかいせんきたん))は大正一四(一九二五)年『女性』に発表された、彼の怪奇小説中、傑作の呼び名高い一篇である。作者自身が、浪漫的作品の最後のものと評し、その自作中でも五指に入るであろうと言ったほど、愛着を示したいわくつきの幻想作品である。
 底本は昭和四(一九二九)年改造社刊の「日本探偵小説全集」の「第二十篇 佐藤春夫・芥川龍之介集」所収のものを国立国会図書館デジタルコレクションの画像で視認した(活字本を持っているはずなのだが、数ヶ月かけても見出せない。書庫の奈落で妖怪あやかしの餌食にでもなったものか?)。
 本篇は既にブログ版(カテゴリ「佐藤春夫」)で最小限の注を附したものを分割(全十回)公開済みである。このサイト版はその注を、原則、除去した一括版である(表記上の疑義注記その他どうしても必要と思ったものは残した)。是非、ブログ版の私の語注群も参照して戴ければ幸いである。
 そう言っている傍からであるが、冒頭に出る「赤嵌城シヤカムシヤ址」は注が必要であろう。これは「赤崁楼せきかんろう」の別名で「紅毛楼」とも称し、台湾台南市中西区に位置する、オランダ人によって築城された旧跡である。原名は「プロヴィンティア」(Provintia:普羅民遮城)と称し、一六五三年に、前年に起ったオランダ人と漢人の衝突事件である「郭懐一事件」後に築城された。鄭成功が台湾を占拠すると、「プロヴィンティア」は「東都承天府」と改められ、台湾全島の最高行政機関となった。佐藤は本文でこれを「TE CASTLE ZEELANDIA」(“TE”は“THE”の脱字か?)と記しているが、これは厳密には別な城で、参照したウィキの「赤崁楼」によれば、一六二四年、『澎湖を拠点に明と争っていたオランダと明の間に講和が成立し、オランダは澎湖の経営を放棄し、その代替地として台湾南部に上陸し』、『商館や砲台を築城した。台江西岸の一鯤鯓沙洲』(いちこんしんさす)『(今の安平)には「ゼーランディア」(Zeelandia、熱蘭遮城、現・安平古堡)が築城され、台湾統治の中心となり、城砦東側には「台湾街」(現在の延平街一帯)と「普羅民遮街」(現在の民権路)が建築された。前者は台湾で最も繁栄した商業地として「台湾第一街」と呼ばれるようになり、校舎は台湾で初めて計画されたヨーロッパ式都市計画であった』。『オランダ人による台湾統治では漢族移民や平埔族に対し』、『厳しい統治方式を採用した。そのため』、『漢人の不満が爆発』、『「郭懷一事件」が発生した。この事件は間もなく鎮圧されたが、オランダ人は事件の再発を防止するために「普羅民遮街」の北方』地区に新たな『「プロヴィンティア」を建築した。周囲約』百四十一メートル、城壁の高さ十・五メートルの『城砦には』、『水源が確保され、食料が備蓄されるなど、有事の際の防衛拠点都として準備され、漢人はこの城砦を赤崁楼或いは紅毛楼と称した』とあるように、「プロヴィンティア」の前にあった別な要塞が「THE CASTLE ZEELANDIA」(安平古堡)である。『オランダの投降後、鄭成功はゼーランディアを「安平鎮」と改称』、『鄭氏の居城とし、既に東都承天府と改名されたプロヴィンティアと共に、台湾の最高業機構を構成した。しかし半年後に鄭成功が病没すると、世子鄭経は』一六六四『年に東都を廃し、「東寧」と改称』、『「東寧国王」を自称するようになった。承天府が廃止されると、赤崁楼は火薬貯蔵庫として用いられるようになった』。一七二一『年、朱一貴が清朝に対して反乱を起こすと、赤崁楼の鉄製門額が武器鋳造の材料とされた。その後も人為的な破壊、風雨による侵食、地震による被害を受け』、『赤崁楼は周囲の城壁を残すのみにまで荒廃した』。十九『世紀後半、大士殿、海神廟、蓬壷書院、文昌閣、五子祠などが赤崁楼の跡地に再建され』、『昔日の様子を取り戻すようになった。日本統治時代には海神廟と文昌閣、五子祠は病院及び医学生の宿舎として利用されている』とある。その他、多数の現地の地名が出るが、注は省略する。ともかくも舞台は現在の中華民国台南市(ここ(グーグル・マップ・データ)である。ただ、どうも佐藤春夫のロケーション設定にはかなり問題があるらしい。それについては黒羽夏彦氏の「台湾史を知るためのブックガイド#21」が詳しいので、参照されたい。また、海王星氏のブログ記事「女誡扇綺譚に見る往時の台南」(全三回)も大いに参考になるので、必見。
 その他の特異な語句等の意味は、概ね、ブログ版で各段落末に私が附しているので、参照されたい
 また、底本は総ルビであるが、サイト版は読みを一部の中国音の箇所、及び難読字や判読が無暗に振れると私が考えたもの(但し、初回出現部に限ったものも多い)を除き、総て除去した(単にルビ・タグ処理が面倒なためである。厳密には、私のHTML作成ソフトがボロく、自動修正をオフにしているにも拘わらず、多くのルビ・タグを振ると、勝手におかしなタグに変更してしまい、一からやり直さねばならくなり、今回もそれを三度もやられてしまい、どうにも堪忍ならなくなったからである。追加訂正もそのソフトを用いずに、メモ帳で開いて訂正している始末である)。読みが不安な箇所は、私のブログ版或いは上記底本画像を確認されたい。【2017年10月23日公開 藪野直史――三女アリスのために――】]


     
女誡扇綺譚


        
 赤嵌城シヤカムシヤ

 クツタウカン――字でかけば禿頭港クツタウカン。すべて禿頭クツタウといふのは、面白い言葉だが物事の行きづまりを意味する俗語だから、禿頭港クツタウカンとはやがて安平港アンピンカンの最も奧のみなとといふことであるらしい。臺南たいなん市の西はづれで安平アンピンの廢港に接するあたりではあるが、さうして名前だけの説明を聞けばなるほどと思ふかも知れないが、その場所を事實目前に見た人は、寧ろ却つてそんなところにカンと名づけてゐるのを訝しく感ずるに違ひない。それはただ低い濕つぽい蘆荻ろてきの多い泥沼に沿うた貧民窟みたやうなところで、しかも海からは殆んど一里も距つてゐる。沼を埋め立てた塵塚の臭ひが暑さに蒸せ返つて鼻をつく厭な場末で、そんなところに土着の臺灣人のせせこましい家が、不行儀に、それもぎつしりと立竝んでゐる。土人街のなかでもここらは最も用もない邊なのだが、私はその日、友人の世外民せいがいみんに誘はれるがままに、安平港アンピンカンの廢市を見物に行つてのかへり路を、世外民が參考のために持つて來た臺灣府古圖の導くがままに、ひよつくりこんなところへ來てゐた。

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 人はよく荒廢の美を説く。亦その概念だけなら私にもある。しかし私はまだそれを痛切に實感した事はなかつた。安平アンピンへ行つてみて私はやつとそれが判りかかつたやうな氣がした。そこにはさまで古くないとは言へ、さまざさの歷史がある。この島の主要な歷史と言へば、蘭人の壯圖さうと、鄭成功の雄志、新しくはまた劉永福の野望の末路も皆この一港市に關聯してゐると言つても差支ないのだが、私はここでそれを説かうとも思はないし、また好古家でかつ詩人たる世外民なら知らないこと、私には出來さうもない。私が安平アンピンで荒廢の美に打たれたといふのは、又必ずしもその史的知識の爲めではないのである。だからたれでもいい、何も知らずにでもいい。ただ一度そこヘ足を踏み込んでみさへすれば、そこの衰頽した市街は直ぐに目に映る。さうして若し心ある人ならば、そのなかから悽然たる美を感じさうなものだと思ふのである。
[やぶちゃん注:「また好古家で且詩人たる世外民なら知らないこと、私には出來さうもない」文の繋がりが悪いが、ママ。「また好古家で」あり、「且」つ「詩人たる世外民なら知らないこと」などないから、「私には」うまくそれを説くことは「出來さうもない」といった意味であろう。]
 臺南から四十分ほどの間を、土か石かになつたつもりでトロツコで運ばれなければならない。坦坦たる殆んど一直線の道の兩側は、安平魚アンピンヒイの養魚場なのだが、見た目には、田圃ともつかず沼ともつかぬ。海であつたものがうづまつてしまつた――といふより埋まりつつあるのだが、古圖によるともともと遠淺であつたものと見えて、名所圖繪式のこの地圖に水牛を曳かせた車のが半分以上も水に漬かつてゐるのは、このあたりの方角でもあらう。しかし今はたとひ田圃のやうではあつても陸地には違ひない。さうしてそこの、變化もとりとめもない道をトロツコが滑走して行く熱國のいつも靑靑として草いきれのする場所でありながら、荒野のやうな印象のせゐか、思ひ出すと、草が枯れてゐたやうな氣持さへする。これが安平アンピンの情調の序曲である。
」「は」は誤ったルビで、歴史的仮名遣で「わ」でよい。「輪」の訓を当てたもの。 「おほわ(おおわ=大輪)」とも訓ずる。厳密には昔の馬車や牛車や農耕車輛の大きな車輪の外周を包むたがの部分を指した。]
 トロツコの着いたところから、むかし和蘭人オランダじんが築いたといふ TE CASTLE ZEELANDIA 所謂土人の赤嵌城シヤカムシヤを目あてに步いて行く道では、目につく家といふ家は悉く荒れ果てたままの無住である。あまりふるくない以前に外國人が經營してゐた製糖會社の社宅であるが、その會社が解散すると同時に空屋になつてしまつた。何れも立派な煉瓦づくりの相當な構への洋館で、ちよつとした前栽さへ型ばかりは殘つてゐる。しかし砂ばかりの土には雜草もあまりはびこつてはゐない。その竝び立つた空屋の窓といふ窓のガラスは、子供たちがいたづらに投げた石のためででもあらうか、れて穴があいてないものはなく、その軒には巣でもつくつてゐるのか驚くほどたくさんな雀が、黑く集合して喋りつづけてゐる。
[やぶちゃん注:「蔓つてはゐない。」の末尾は行末で句点がないが、補った。]
 私たちは試みにその一軒のなかへ這入はいつてみた。内にはこなごなに散ばつて光つてゐるガラスの破片と壞れた窓枠とが塵埃に埋まつてゐるよりほかに何もなかつた。しかし二階で人の話聲がするので上つてみると、そこのベランダに乞食ではないかと思へるやうな裝ひをした老人が、これでも使へるのだらうかと思はれるぼろぼろになつた魚網をつくろつてゐるかたはらに、このおやじの孫ででもあるか、五つ六つの男の子がしきりにひとり言を喋りながら、手であたりのごみを搔き集めて遊んでゐたらしいのが、我我の足音に驚いて闖入者を見上げた。老漁夫も我我を怖れてゐるやうな目つきをした。彼等はどこか近所の者であらうが、暑さをこの廢屋の二階に避けてゐたのであらう。ともかくもこれほど立派な廢屋が軒を連ねて立つてゐる市街は、私にとつては空想も出來なかつた事實である。(この二三年後に臺灣の行政制度が變つて臺南の官衙くわんがでも急に增員する必要が生じた時、これらの安平アンピンの廢屋を一、官舍にしたらよからうといふ説があつたが尤もなことである)。
 赤嵌城址シヤカムシヤしに登つてみた。たゞ名ばかりが殘つてゐるので、コンクリートで築かれた古いいしずゑのあとがあるといふけれども、どれがどれだかさすがの世外民もそれを知らなかつた。今は税關俱樂部の一部分になつてゐる小高い丘の上である。私の友、世外民はその丘の上で例の古圖を取ひろげながら、所謂安平港外アンピンかうぐわいの七鯤身こんしんのあとを指さし、又古書に見えてゐるといふ鬼工奇絶と評せられる赤嵌城の建築などに就て詳しく説明をしてくれたものであるが、私は生憎と皆忘れてしまつた。さうして私の驚いたことといふのは、むかし安平アンピンの内港と稱したところのものは、今は全く埋沒してしまつてゐるのだといふだけの事であつた――全くあまり單純すぎた話ではあるが事實、私は歷史なんてものにはてんで興味がないほど若かつた。さうしてもし世外民の影響がなかつたならば、安平アンピンなどといふ愚にもつかないところへ來てみるやうな心掛さへなかつたらう。さういふ程度の私だから、同じやうな若い身空で世外民がしきりと過去を述べたてて咏嘆えいたんめいた口をきくのを、さすがに支那人の血をうけた詩人は違つたものだくらゐにしか思つてゐなかつたのである。そのやうな私ではあり、またいくら蘭人壯圖のあとと言つたところで、その古を偲ぶよすがになるやうなものとても見當らないのだから一向仕方がなかつたけれども、それでもその丘の眺望そのものは人の情感を唆らずにはゐないものであつた。單に景色としてみても私はあれほど荒凉たる自然がさう澤山あらうとは思はない。私にもし、エドガア・アラン・ポオの筆力があつたとしたら、私は恐らく、この景を描き出して、彼の「アツシヤ家の崩壞」の冒頭に對抗することが出來るだらうに。
 私の目の前に廣がつたのは一面の泥の海であつた。黃ばんだ褐色をして、それがしかもせせつこましい波の穗を無數にあとからあとか飜して來る、十二十重といふ言葉はあるが、あのやうに重ねがさねに打ち返す波を描く言葉は我我の語彙にはないであらう。その浪は水平線までつづいて、それがみな一樣に我我の立つてゐる方向へ押寄せて來るのである。昔は赤嵌城の眞下まで海であつたといふが、今はこの丘からまだ二三町も海濱がある。その遠さの爲めに浪の音も聞えない程である。それほどに安平アンピンの外港も埋まつてしまつたけれども、しかしその無限に重なりつづく濁浪は生溫い風と極度の遠殘の砂に煽られて、今にも丘の脚下まで押寄せて來るやうに感ぜられる。その濁り切つた浪のおもてには、熱帶の正午に近い太陽さへ、その光を反射させることが出來ないと見える。光のないこの奇怪な海――といふよりも水の枯野原の眞中まんなかに、無邊際に重りつづく浪と間斷なく鬪ひながら一えふ舢舨サンパンが、何を目的にか、ひたすらに沖へ沖へと急いでゐる。
 白く灼けた眞晝のもと。光を全く吸ひ込んでしまつてゐる海。水平線まで重なり重なる小さな浪頭。洪水を思はせるその色。翩飜と漂うてゐる小舟。激しい活動的な景色のなかにげきとして何の物音もひびかない。時折にマラリヤ患者の息吹のやうに蒸れたのろい微風が動いて來る。それらすべてが一種内面的な風景を形成して、象徴めいて、惡夢のやうな不氣味さをさへ私に與へたのである。いや、形容だけではない、この景色に接してからのち、私は亂醉の後の日などに、ここによく似た殺風景な海濱を惡夢に見て怯かされたことが二三度あつた。――このやうな海を私がしばらく見入つてゐる間、世外民もまた私と同じやうな感銘を持つたかも知れない、――このよく喋る男もたうとう押默つてしまつてゐた。私は目を低く垂れて思はず溜息を洩らした。尤も多少は感慨のせゐもあつたかも知れないが、大部分は炎天の暑さに喘いだのである。今更だが、かういふ厚さは蝙蝠傘などのかげで防げるものではない。
「ウ、ウ、ウ、ウ――」
 不意に微かに、たとへばこの景色全體が呻くやうな音が響き渡つた、見ると、水平線の上に一隻の蒸汽船が黑く小さく、その煙筒や檣などが僅かに見える程の遠さに浮んでゐた。沿岸航路の舟らしい。さうしてさつきから浪に搖れてゐる舢舨はそれのはしけで、間もなく本船の來ることを豫想して急いでゐたものらしい。
「あの蒸汽はどこへ着くのだい」
 私が世外民に尋ねると、我我の案内について來たトロツコ運搬夫が代つて答へをした――
「もう着いてゐる。今の汽笛は着いた合圖です」
「あそこへか。――あんな遠くへか」
「さうです。あれより内へは來ません」
 私はもう一ぺん沖の方を念の爲めに見てから呟いた――
「フム、これが港か!」
「さうだ!」世外民は私の聲に應じた。「港だ。昔は、臺灣第一の港だ!」
「昔は……」私は思は無意味に繰返した。それが多少感動的でいやだつたと氣がついた時、私は輕く虛無的に言ひ直した。「昔は……か」
 丘を下りて我我の出たところは、もと來た路ではなかつた。ここは比較的舊い町筋であると見えて、一たいが古びてゐた。あたりの支那風の家屋はみんな貧しい漁夫などのものと見えて、あのヹランダのある二階建の堂堂たる空屋にくらべるまでもなく、小さくて哀れであつた。さうしてもともと所謂鯤身たる出島の一つであつたと見えて、地質は自から變つてゐた。砂ではなくもつと輕い、步く度に足もとからひどい塵が舞ひ立つ白茶けた土であつた。但、來たときと一向變らないことは、そのあたりで私は全く人間のかげを見かけなかつた事である。通筋とほりすぢの家家は必ずしも皆空屋でもないであらうのに、どこの門口にも出入する人はなく、又話聲さへ洩れなかつた。私たちが町を一巡した間に逢つた人間といふのはただあの廢屋のヹランダにゐた漁夫と小兒とだけである。行人に出逢ふやうなことなどは一度もなかつた。深夜の街とてもこれほどに人氣が絶えてゐることはないと言ひたい。しかも眩しい太陽が照りつけてゐるのだから、さびしさは一種別樣の深さを帶びてゐた。我我は默默と步いた。不意にあたりの家竝やなみのどこかから、日ざかりのつれづれを慰めようとでもいふのか、ヒエンと呼ばれてゐる胡弓をならし出した者があつた。
「月下の吹笛よりも更に悲しい」
 詩人世外民は、早くも耳にとめて私にさう言ふのであつた。月下の吹笛を聯想するところに彼の例のマンネリズムとセンチメンタリズムとがあるが、でも彼の感じ方には賛成していい。
 私たちは再び養魚場の土堤の路をトロツコで歸つたが、それの歸り着いたところ、臺南市の西郊が、私のこれから言はうとする禿頭港クツタウカンなのである.安平アンピン見物を完うするためにこのあたりをも一巡しようと世外民が言ひ出した時、時刻が過ぎてしまつてひどく空服くうふくを覺えてゐながらも私が別に、もう澤山だと言はなかつたところを見ても、私がこの半日のうちに安平アンピンに對して多少の興味を持つやうになつてゐたことは判るだらう。
[やぶちゃん注:「空服」はママ。]
 しかしトロツコから下りて一町とは步かないうちに、私は禿頭港クツタウカンなどは蛇足だつたと、思ひ始めたのである。ただ水溜みづたまりの多い、不潔な入組んだ場末といふより外には、一向何の奇もありさうには見えなかつた。

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 禿頭港クツタウカンの廢屋

 道を左に折れると私たちはまた泥水のあるところへ出た。片側町で、路に沿うたところには石垣があつて、その垣の向うから大きな榕樹ようじゆが枝を路まで突き出してゐた。私たちはそのかげへぐつたりして立ちどまつた。上衣を脱いで煙草へ火をつけて、さて改めてあたりを見まはすと、今出て來たこの路は、今までのせせつこましい貧民區よりはよほど町らしかつた。現に私たちが背を倚せてゐる石垣も古くこそはなつてゐるけれども相當な家でなければ、このあたりでこれほどの石垣を外圍ひにしたのはあまり見かけない。さう思つてあたりを見渡すと、この一廓は非常にふんだんに石を用ゐてゐる。みな古色を帶びてそれ故目立たないけれども、このあたりが今まで步いて來たすべての場所とその氣持が全く違つて、汚いながらにも妙にゆたかに感ぜられるといふのも、どうやら石が澤山に用ゐてあることがその理由であるらしい。
 この町筋――と云つても一町足らずで盡きてしまふが、この片側町の私たちの立つてゐるはうは、それぞれに石圍ひをした五六軒の住宅であるが、その別の側、卽ち私たちが向つて立つた前方は例によつて、惡臭を發する泥水である。黑い土の上には少しばかりの水が漂うてゐて、淺いところには泥をこねくり步きながら豚が五六疋遊んでゐるし、稍深さうなところには油のやうなどろどろの水に波紋をゑがきながら家鴨が群れて浮んでゐる。この水溜の普通のものと違ふところは、これはほりの底に涸れ殘つたものであることである。大きな切石がこの泥池のぐるりを御丁寧に取り圍んでゐる。しかも幅は七八間もあり、長さはと言へばこの町全體に沿うてゐる。深さは少くも十尺はある。この濠の向うには汀からすぐに立つた高い石圍ひがある。長い石垣のちやうど中ほどがすつかり瓦解してしまつてゐる。いや悉く崩れたのではないらしい。もともとその部分がわざと石垣をしてなかつたらしい。その角であつた一角がくづれたのに違ひない。落ち崩れた石が幾塊か亂れ重なつて、うづめ殘された角角を泥の中から現してゐる。その大きな石と言ひ巨溝と言ひ、恰も小規模な古城の廢墟を見るやうな感じである。いや、事實、城なのかも知れないのだ――崩れた石垣の向うのはづれに遠く、一本の竜眼肉ゲンゲンの大樹が黑いまでにまるく、靑空へ枝を茂らせてゐて、そのかげに灰白色の高い建物たてものがあるのは、ごく小型でこそはあれ、どうしたつて銃樓でなければならない。圓い建物でその平な屋根のふちには規則正しい凹凸をした砦があり、その下にはまた眞四角な銃眼窓がある。
「君!」
 私は、またしても古圖をひらいてゐる世外民の肩をゆすぶつて彼の注意を呼ぶと同時に、今發見したものを指さした――
「ね、何だらう、あれは?」
 さう言つて私は步き出した、その小さな櫓の砦の方へ。――屋敷のなかには、氣がつくとほかにも屋根が見える。それの長さで家は大きなかまへだといふことがわかる。その屋敷を私は見たいと思つた。石圍ひの崩れたところからきつと見えると思つた。何でもいい、少しは變つたものを見なければ、禿頭港クツタウカンはあまり忌忌いまいましすぎる。
 石垣のとぎれた前まで來ると、それを通して案の定、家がしかも的面まともに見えた。いや、偶然にさう見るやうな意向によつて造られてゐたのである。また石圍ひの中絶してゐるのはやはりただ崩れ果てたのではなく、もとからそこが特にあけてあつた跡がある。水門としてであらう。何故かといふのに濠はずつとこの屋敷の庭の中まで喰入つてゐて、崩れた石圍ひの彼方も亦、正しい長方形の小さい濠である。十艘の舢舨を竝べて繫ぐだけの廣さは確にある。さうしてその汀に下りるために、そこには正面に石段が三級ある。――しかもその水はかわき切つてしまつて、露はな底から石段まではどう見ても七尺以上の高さがある。――もしこの石段にすれすれになるほど水があつたならば、今は豚と家鴨との遊び場所であるこの大きな空しい濠も一面に水になるであらう。それにしてもこれ程の濠を庭園の内と外に築いた家は、その正面からの外觀は、三つの棟によつて凹字形をしてゐる。凸字形の濠に對して、それに沿うて建てられてゐる。正面に長くひろがつた軒は五間もあり、またその左右に翼をなして切妻を見せてゐる出屋だしやの屋根はおのおの四間はあらう。それがそう二階なのである。――一たいが小造りな平家を幾つも竝べて建てる習慣のある支那住宅の原則から見て、これは甚だ大きな住居と言へるであらう。私はくたびれた足を休める意味でしやがんだ序に、土の上へこの家の見取圖をかき、それから目分量で測つた間數けんすうによつて、この建物は延坪百五十坪は優にあると計算した。一たい私は必要な是非ともしなければならない事に對してはこの上なくづぼらヽヽヽなくせに、無用なことにかけては妙に熱中する性癖が、その頃最もひどかつた。
「何をしてゐるんだい?」
 世外民の聲がして、彼は私のうしろに突立つてゐた。私は何故かいたづらを見つけられた小兒のやうにばつの惡いのを感じたので、立つて土の上の圖線を踏みにじりながら、
「何でもない……。――大きな家だね」
「さう。やつぱり廢屋だね」
 彼から言はれるまでもなく私もそれは看て取つてゐた。理由は何もないが、誰の目に見てもあまりに荒れ果ててゐる。澤山の窓は殘らずしまつてゐるが、さうでないものは戸そのものがもう朽ちて、なくなつてしまつたに相違ない。
「全く豪華な家だな。二階の亞字欄を見給へ。實に細かな細工だ。またあの壁をごらん。あの家は裸の煉瓦造りではないのだ。美しい色ですつかり化粧してゐる。一帶に淡い紅色の漆喰で塗つてある。そのぐるりはまたくつきりと空色のほそい輪廓だらう。色が褪せて白ちやけてしまつてゐるところが、却つて夢幻的ではないか。走馬樓ツアウベラウの軒下の雨に打たれないあたりには、まだ色彩がほんのりと殘つてゐる」
 私が延坪を考へてゐる間に、同じ家に就て世外民には彼の觀方みかたがあつたのだ。彼の注意によつて私はもう一ぺん仔細に眺め出した。なるほど、二階の走馬樓ツアウベラウ――ヹランダの奥の壁には、淡いながらに鮮かな色がしつとり、時代を帶びてゐた。事實この廢屋は見てゐるほど、その隅隅から素晴らしい豪華が滾々と湧き出して來るのを感じた。たとへばその礎である。普通土間のなかに住んでゐる支那人の家は、その礎は一般にごく低い。地面よりただ一足だけ高くつくられてゐる。それだのに今我我の目の前にあるこの廢屋の礎は、高さ三尺ぐらゐはあり、やはり汀に揃つた切石で積み疊んであつた。もつと注意すると、水門の突當りにあたる場所には、その汀に三級の石段があることはもう知つてゐるが、その奧の家の高い礎にもやはり二三級の石段がある。その間口二間ほどの石段の兩側に、二本の圓柱があつて、それが二階の走馬樓ツアウベラウを支へてゐるのだが、この圓柱は、……どうも少し遠すぎてはつきりとはわからないけれども、普通のそとの柱よりも壯麗である。上の方には何やらごちやごちやと彫刻でもしてあるらしい。その根元にあたるあたり、地上にはやはり石の細工で出來た大きな水盤らしいのが、左右相對シンメトリイをして据ゑつけてある。――これらの事物がこの正面を特別に堂堂たるものにしてゐるのが私の注意を惹いた。私には、そこはこの家の玄關口ではないかと思はれて來た。
 そこで私は自分の疑問を世外民に話した――
「君、ここが正面、――玄關だらうかね」
「さうだらうよ」
「濠の方に向いて?」
「濠? ――この港へ面してね」
 世外民の「港」といふ一ごんが自分をハツヽヽと思はせた。さうして私は口のなかで禿頭港クツタウカンと呼んでみた。私は禿頭港クツタウカンを見に來てゐながら、ここが港であつたことは、いつの間にやらつい忘却してゐたのである。一つには私は、この目の前の數奇すきな廢屋に見とれてゐたのと、もう一つにはあたりの變遷にどこにも海のやうな、港のやうな名殘を搜し出すことが出來なかつたからである。この點に於ては世外民は、殊に私とは異つてゐる。彼はこの港と興亡を共にした種族でこの土地にとつては私のやうな無關心者ストレンヂアではなく、またそんな理窟よりも彼は今のさつき古圖を披いてしみじみと見入つてゐるうちに、このあたりの往時の有樣を腦裡に描いてゐたのであらう。「港」の一語は私に對して一種靈感的なものであつた。今まで死んでゐたこの廢屋がやつと靈を得たのを私は感じた。泥水の濠ではないのだ。この廢渠はいきよこそむかし、朝夕てうせきの滿潮があの石段をひたひたと浸した。走馬樓ツアウベラウはきららかに波の光る港に面して展かれてあつた。さうして海を玄關にしてこの家は在つたのか。――してみれば、何をする家だかは知らないけれども、この家こそ盛時の安平アンピンの絶好な片身かたみではなかつたか。私はこの家の大きさと古さと美しさとだけを見て、その意味を今まで全く氣づかずにゐたのだ。
 今まで氣づかなかつただけに、私の興味と好奇とが相縺れて一たかまつた。
「這入つてみようぢやないか。――だれも住んではゐないのだらう」私は息込んでさう言つたものの、濠をへだてまた高い石圍ひをめぐらしてゐるこの屋敷へはどこから這入れるのだか、ちよつと見當がつかなかつた――道ばたの廢屋なら、さつき安平アンピンでやつたやうについ、つかつかと這入り込んでみたいのだが。のちに考へ合せた事だが、入口が直ぐにわからないといふこの同じ理由が、この廢屋を、その情趣の上でも事實の上でも、陰氣な別天地として保存するのに有力であつたのであらう。
 その家のなかへ這入つてみたいといふ考へが、世外民に同感でない筈はない。世外民はきよろきよろヽヽヽヽヽヽとあたりを見廻してゐたが、我我が背をよせて立つてゐた石圍ひの奧に、家の日かげに臺灣人の老婆がひとり、棕櫚の葉の團扇に風を求めて小さな木の椅子に腰かけてゐるのを彼は見つけた。彼は直ぐにそこヘ步いて行つて、何か話をしてゐた。向側の廢屋を指さしたりしてゐる樣子で、そのふたりの對話の題目はおのづと知れる。
 世外民はすぐに私の方へ向つて歸つて來た。「わかつたよ、君。あの道を行つて」彼は言ひながら濠のわきにある道を指さして「向うに裏門があるさうだ。少し入組んでゐるやうだが、行けば解るとさ。――やつぱり廢屋だ。もう永いこと誰も住んでゐないさうだ。もとはシンといふ臺灣南部では第一の富豪のやしきだつたのださうだ。立派な筈さ」
 話しながら私たちはその裏門を搜した。世外民が不確な聽き方をして來てゐたので、私たちはちつとまごついた。こせこせした家の間へ入り込んでしまつた。尋ねようにもあたりに人は見當らなかつた。このあたりは割に繁華なところらしいのだが、人氣のないのは、今が午後二時頃の日盛りで、彼等の風習でこの時刻には大抵の人間が午睡を貪つてゐるのである。私たちは仕方なしにいい加減に步いたが、もともと近いところまで來てゐた事ではあり、また目ざす家は聳えてゐたから自とわかつた。但、その家はあの濠のあちらから見た時には、ただ一つの高樓であつたが、裏へ來て見ると、その樓のうしろには低い屋根が二三重もつながつてゐた。所謂五落の家といふのはこんなのであらうが、大家族の住居すまゐだといふことが一層はつきりすると同時に、あの正面の二階建が主要な部屋だといふことは確かだ。私たちはの場所よりも、あの走馬樓ツアウベラウのある二階や圓柱のあつた玄關が第一に見たかつた。それ故、私たちは裏門を入るとすぐに、低い建物はその外側を廻つて、表へ出た。
 圓柱はやはり石造りであつた。遠くから、上部にごちやごちやあると見たものは果して彫刻で、二本の柱ともそこに纏つてゐる龍を形取つたものであつたが、一つは上に昇つてゐたし、一つは下に降りようとしてゐた。雨に打たれない部分の凹みのあたりには、それを彩つた朱や金が黑みながらもくつきりと殘つてゐた。割合から言つて模樣の部分が多すぎて、全體として柱が低く感ぜられたし、また家のの部分にくらべて多少古風で莊重すぎるやうに私は感じた。しかし私と世外民とは、この二つの柱をてんでに撫でて見ながら、この家が遠見よりも、ここに來て見れば近まさりして贅沢なのを知つた、細部が自と目についたからである。尤も、もし私に眞の美術的見識があつたならば、たかヽヽが殖民地の暴富者の似而非えせ趣味を嘲笑つたかも知れないが、それにしても、風雨に曝されて物每にさびれてゐる事が厭味と野卑とを救ひ、それにやつとその一部分だけが殘されてあるといふことは却つて人に空想の自由をも與へたし、また哀れむべきさまざまな不調和を見出すより前にただその異國情緒を先づ喜ぶといふこともあり得る。況んや、私は美的鑑識にかけては單なるイカモノ喰ひなことは自ら心得てゐる。
 紬長い石を網代に組み竝べたゆかえんは幅四尺ぐらゐ、その上が二階の走馬樓ツアウベラウである。私たちはそこへ上つてみたいのだ。觀音開きになつた玄關の木扉もくひは、一枚はもうこぼれて外れてしまつてゐた。殘つてゐるとびらに手をかけて、私は部屋のなかを覗いた。――二階へ上る階段がどこにあるだらうかと思つて。支那家屋に住み慣れてゐる世外民には大たいの見當が判ると見えて、彼はすぐづかづかと二三步廣間のなかへ步み込んだ。
「××××、××××!」
 不意にその時、二階から聲がした。低いが透きとほつやうな聲であつた。誰も居ないと思つてゐた折りから、ことにそれが私のそこに這入らうとする瞬間であつただけに、その呼吸が私をひどく不意打した。ことに私には判らない言葉で、だから鳥の叫ぶやうな聲に思へたのは一層へんであつた。思ひがけなかつたのは、しかし、私ひとりではない。世外民も踏み込んだ足をぴたヽヽと留めて、疑ふやうに二階の方を見上げた。それから彼は答へるが如くまた、問ふが如く叫んだ――
「××!?」
「××!?」
――世代民の聲は、廣間のなかで反響して鳴つた。世外民と私とは互に顏を見合せながら再び二階からの聲を待つたけれども、聲はそれつきり、もう何もなかつた。世代民は足音を竊んで私のところへ出て來た。
「二階から何か言つたらう」
「うん」
「人が住んでゐるんだね」
 私たちは聲をしのばせてこれだけのことを言ふと、這入つてくる時とは變つた步調で――つまり遠慮がちに、默つて裏門から出た。しばらく沈默したが出てしまつてからやつと私は言つた。
「女の聲だつたね。一たい何を言つたのだい? はつきり聞えたのに何だかわからなかつた」
「さうだらう。あれや泉州人ツヱンチヤオナンの言葉だものね」
 普通に、この島で全く廣く用ゐられるのは廈門エイムンの言葉で、それならば私も三年ここにゐる間に多少覺えてゐた――尤も今は大部分忘れたが、泉州ツヱンチヤオの言葉は無論私に解らう筈はなかつたのである。
「で、何と言つたの――泉州ツヱンチヤオ言葉で」
「さ、僕にもはつきりと解らないが。『どうしたの? なぜもつと早くいらつしやらない。……』――と、何だか……」
「へえ、そんな事かい。で、君は何と言つたの」
「いや、わからないから、もう一度聞き返しただけだ」
 私たちはきよとんとしたまま、疲勞と不審と空腹とをごつちやに感じながら、自然の筋道として再び先刻さつきの濠に沿うた道に出て來た。ふと先方を見渡すと、自分たちが先刻そこから初めてあの廢屋を注視したその同じ場所に、老婆がひとり立つて、ぢつと我我がしたと同じやうに濠を越してあの廢屋をもの珍しげに見入つてゐるのであつた。それが、近づくに從つて、今のさつき世外民に裏門への道を教へた同じ老婆だといふことが分かつた。
「お婆さん」その前まで來た時に世外民は無愛想に呼びかけた。「噓を教へてくれましたね」
「道はわかりませんでしたか」
「いいや。……でも人が住んでゐるぢやありませんか」
「人が? へえ? どんな人が? 見えましたか?」
 この老婆は、我我も意外に思ふほど熱心な目つきで私たちの返事を待つらしい。
「見やしませんよ。這入つて行かうとしたら二階から聲をかけられたのさ」
「どんなぬ聲? 女ですか?」
「女だよ」
泉州ツヱンチヤオ言葉で?」
「さうだ! どうして?」
「まあ! 何と言つたのです!?」
「よくわからないが、『なぜもつと早く來ないのだ?』と言つたと思ふのです」
「本當ですか? 本當ですか! 本當に、貴方がた、お聞きになつたのですか! 泉州ツヱンチヤオ言葉で『なぜもつと早く來ないのだ?』つて!?」
「おお!」
 臺灣人の古い人には男にも女にも、歐洲人などと同じく演劇的な誇張の巧みな表情術がある。その老婆は今それを見せてゐるが、彼女のそれはただの身振りではなく眞情が溢れ出てゐる。恐怖に似た目つきになり、氣のせゐか顏色まで靑くなつた。この突然な變化が寧ろ私たちの方を不氣味にした位である。彼女はその感動が少し鎭まるのを待ちでもするやうに沈默して、しかし私たちに注いだ凝視をつづけながら、最後に言つた――
「早く緣起直しをしておいでさい。――貴方がたは、貴方がたは死靈しりやうの聲を聞いたのです!」


        
 戰慄


 老婆は改めてやつと語り出した、初めはひとり言めいた口調で……
「……さういふ噂は長いこと聞いてはゐました。けれどもその聲を本當に、自分が本當に聞いたといふ人を――見るのは初めてです。若い男の人たちは、一たいそこへ近づいてはいけなかつたのです。貴方がたは最初、私にその裏口をおききになつた時に、私はほんたうはお留めしたいと思つたのですが、それには長い話がいるし、また昔ものが何をいふかとお笑ひになると思つたものですから……。それに今はもう月日も經つたことではあり、私もまさかそんなことがあらうと信じなかつたものだから……。でも、私は何か惡い事が起らねばいいと氣がかりになつて、實は貴方がたの樣子をこちらから見守つてゐたところです。――あれは昔から幽靈屋敷だといふので、この邊では誰も近づく人のなかつたところなのです。――ごらんなさい。あそこの大きな龍眼肉ゲンゲンの樹には見事な實が鈴生りにみのるのですが、それだつて採りに行く人もない程です……」
 彼女は向うに見える大樹を指さし、自とその下の銃樓が目についたのであらう――
「昔はあの家は、海賊がねらつて來るといふので、あの櫓の上に每晩鐡砲をもつて不寢番が立つた程の金持でした。北方のリンに對抗して南方のシンと言へば、誰ひとり知らぬ人はなかつたのです。いいえ、まだつい六十年になるかならぬぐらゐの事です。大きな戒克船ジヤンクを五十艘も持つて、泉州ツヱンチヤオ漳州チンチヤオ福州チウチヤオはもとより廣東カントンの方まで取引をしたといふ大商人で船問屋ふなどんやを兼ねてゐました。『安平港アンピンカンシンか、シン安平港アンピンカンか』とみんな唄つたものです。――御存じの通りそのころの安平港アンピンカンはまだ立派な港で、そのなかでも禿頭港クツタウカンと言へば安平アンピンと臺南の市街とのつづくところで、港内でも第一の船着ふなつきでした。これほど賑やかなところは臺南にもなかつた程だといひます。――シンは本當に安平港アンピンカンぬしだつたと見える。――沈家シンけが沒落すると一緒に、安平港アンピンカンは急に火が消えたやうになりました。シンのゐない安平港アンピンカンへは用がないと言つて來なくなつた船が澤山あるさうです。それに海はだんだん淺くなるばかりで、しかもいつの間にか氣がついた頃にはすつかりうづまつてゐたのですよ。この急な變り方までが、まるで沈家シンけにそつくりだと、今もよくみんなして年寄たちは話し合ひますよ。……シンの家ですか? それがまた不思議なほど急に、一度に、唯の一夏ひとなつの、しかも只の一晩のうちに急に沒落したのです。百萬長者が目を開けて見ると乞食になつてゐたのです。夢でもかうは急に變るまい。他人事ひとごとながら考へれば人間が味氣あぢきなくなる――と、家の父はこの話が出るとよくさう言ひました。何でもシンの家ではその時、盛りの絶頂だつたのです。今の普請ふしんもついその三四年前に出來上つたばかりで、その普請がまた大したもので、石でも木でもみんな漳州チンチヤオ泉州ツヱンチヤオから運んだので、五十艘の持船がみんな、その爲めに二度づつ、そればかりに通うたといふ程ですよ。それといふのも沈家シンけには、この子の爲めなら、双親ふたおやとも目がないという可愛い、ひとり娘があつて、それの婿取りの用意にこんな大がかりな普請をしたものださうです。それに美しい娘だつたさうです――私が見た時には、もう四十ぐらゐになつてもゐたし、落ぶれてれてへんヽヽになつてはゐましたが、それでもさう聞けばなるほどと思ふやうなところはありました……」
「そんなにまた、急に、どうしてシンの家が沒落したのです?」世外民は、性急に話の重大な點をとらへてたづねた。
「ごめんなさい、私は年寄で話が下手で」――聞いてゐるうちに解つて來たが、この老婆は上品な中流の老婦人であつた。「怖ろしい海の颶風はやてだつたのです。をかでも崩れた家が澤山あつたさうです。それはさうでせう。――ごらんなさい、あのシンの家の水門の石垣でさへあのかどが吹き崩されたのださうです。さうしてそれを直すことさへもう出來なかつたので、今もそのままに殘つてゐるのですが、が明けてみてその石垣――そのころはまだ築いたばかりの新しい石垣の、あんな大きな石が崩れ落ちてゐるのを見て、シンの主人は心配さうにそれを見てゐたさうです。運の惡い事に、その晩、宵のうちは靜かな滿月の夜でもあつたさうだし、シンの五十艘の船はみんな海に出てゐたのださうです。シンの主人は――五十位の人だつたさうですが、崩れた石垣を見るにつけても、海に出てゐた持船が心配だつたのでせう。船の便りは容易に知れなかつたさうですが、五經つても十日經つても歸る船はなかつたさうです。ただ人間だけが、それも船出した時の十分の一ぐらゐの人數にんずがぽつぽつと病み呆けて歸つて來て、それぞれに難船の話を傳へただけでした。無事に歸つた船は只の一艘もなかつたさうです。尤も、人の噂では、港にゐて颶風はやてに出會はなかつた船も三艘や五艘あつたに相違ないが、友船ともぶねが本當に難船したことから惡企わるだくみを思ひついて、自分達の船も難船して自分は死んだやうな顏をして、船も荷物も橫領したまま遠くへ行つてしまつて歸つて來なかつたものも、どうやらあるらしいと言ひます。現に何處とかのたれは廣東で、死んだ筈の何のなにがしに逢つたの、名前と色どりとこそ變つてゐたがシンの船の『躑躅てきちよく』とそつくりのものを廈門ヱイムンで見かけたなどと、言ふ人もあつたさうです。何にしても一杯に荷物を積み込んだ大船おほふねが五十艘歸つて來なかつたのです。その騷ぎはどんなだつたか判るではありませんか。なかにはシン自身の荷物ではないものも半分以上あつて、荷主にぬしは、みんなシンの家へ申し合せて押かけて、その償ひを持つて歸つたさうです。普請や娘の支度などで金をつかつたあとではあり、それに派手な人で商ひも大きかつただけに、手許には案外、金も銀も少かつたと言ひます。人の心といふものは怖ろしいもので、かうなつて仕舞ふと、取るものは殘らず取立てても、拂つて貰へる可きものは何も取れない。そればかりか殆んど日どりまできまつてゐた娘の養子は斷つて來たさうです。もともと金持のシンと緣組をする筈で貧乏人のシンと緣を結ぶつもりではなかつたからでせう。……おお、、あそこに、いい日蔭が出來ました。あそこへ行つてまあ腰でもお掛けなさい」
[やぶちゃん注:「躑躅てきちよく」「ち」はママ。「し」の誤植か。]
 老婆は、ちやうど前栽に一本だけあつた榕樹が、少し西に傾いた日ざしによつてやや廣い影を造つたのを見つけて、さう言ひながら自分がさきに立つて小さな足でよちよちと步いた。今まで別に氣がつかずにゐたが、この老婆の家といふのも大したことはないが一とほりの家で、昔の繁華の地に殘つてゐるだけの事はあつた。
 樹かげで老婆は更に話しつづけた。彼女はよほど話好きと見えて、また上手でもある。ただ小さい聲で早口で、それが私にとつては外國語だけに聽きとりにくい場合や、判らない言葉などもある。私はのちに世外民にも改めて聞き返したりしたが、更に老婆の説きつづけたことは次のやうである――
 前述のやうな具合でシンの家が沒落し出すと、それがいとぐちで主人のシンは病氣になりそれが間もなく死ぬと同時に、緣談の破れたことを悲しんでゐた娘は重なる新しい歎きのために鬱鬱としてゐた擧句、たうとう狂氣してしまふ。その娘を不憫に思つてゐるうちにその母親も病氣で死んでしまふ。全く、作り話のやうに、不運はくさりになつてつづいた。
 一たいこのシンといふ家に就て世間ではいろいろなことを言ふ。

          *        *        *        *
               *        *        *

 その四代ほど前といふのは、何でも泉州ツヱンチヤオから臺灣中部の胡蘆屯コロトンの附近へ來た人で、もともと多少の資産はあつたさうだが、一代のうちにそれほどの大富豪になつたに就ては、何かにつけて隨分と非常なやり口があつたらしい。虛構か事實かは知らないけれどもこんなことを言ふ――例へば、或時の如き隣接した四邊あたりの田畑の境界標を、その收穫が近づいたところを見計つて、よるのうちに出來るだけ四方へ遠くまで動かして置く。その石標をいて手下の男が幾人も一晩のうちに建てなほして置くのだ。次の日になると平氣な顏をして、その他人の田畑を非常な多人數たにんずで一に刈入れにかかつた。所有者達が驚いて抗議をすると、その石標を楯に逆に公事くじを起した。その前にはずつと以前から、その道の役人とは十分結託してゐたから、彼の公事は負ける筈はなかつた。彼は惡い役人に扶けられまた扶けて、臺灣の中部の廣い土地は數年のうちに彼のものになり、そこのどの役人達だつて彼のおとがひの動くままに動かなければならないやうになつた、惡い國を一つこしらへた程のいきほひであつた。一たいこの頃、シンは兄弟でそんなことをしてゐたのだが、兄の方は鹿港ロツカンの役所の役人と口論の末に、役人を斬らうとして却つて殺されてしまつた。これだつても、どうやら弟のシンが仕組んで兄を殺させたのだといふ噂さへある程で、兄弟のうちでも弟の方に一層惡性がある。實際、兄の方はいくらかはよかつたらしい。ある時、彼等のいつもの策で、隣の畑へからすきを入れようとしたのだ。その時にはその畑に持主が這入つてゐるのを眼の前に見ながら、最も圖太くやりだしたのだ。といふのはその畑の持主といふのは七十程の寡婦だつた。だから何の怖れることもなかつたのだ。しかし第一のからすきをその畑に入れようとすると、場にあつたこの年とつた女は急に走つて來て、そのからすきの前の地面へ小さなからだを投げ出した。――
「助けて下さい。これは私の命なのです。私の夫と息子とがむかし汗を流した土地です。今は私がかうして少しばかりの自分の食ひしろを作り出す土地です。――この土地を取り上げる程なら、この老ぼれの命をとつて下さい!」
 シンの手下に働くだけに惡い者どもばかりではあつたけれども、さすがにからすきをとめたまま、土をさへ突かうとする者もなかつた。男どもは歸つてこの事を兄のシンに話すと、彼は苦笑をして「仕方がない」と答へたさうだ。弟のシンはその時は何も知らなかつた。しかし、その二三日して見廻りに來て、馬上から見渡すと彼等の畑のなかにひどく荒れてゐるところがあるので作男どもを叱つた。するとそれが例の寡婦の畑だと判つて、初めてその事情を聞いた。なるほど、今もひとり老ぼれの婆さんがそこにゐるのを見ると、彼は馬を進めた。さうして近くに働いてゐた自分の作男に、言つた――
からすきを持つて來い」
 主人の氣質を知つてゐるから作男は拒むことが出來なかつた。主人は再び言つた――
「ここの荒れてゐる畑ヘ、からすきを入れろ。こら! いつもいふ通り、おれは自分の地所の近所に手のとどかない畑があるのは、氣に入らないのだ」
 老寡婦はこの前と同じ方法を取つて哀願した。作男が主人の命令とこの命懸けの懇願との板挾みになつて躊躇してゐるのを見ると、シンは馬から下りた。畑のなかへ步み入りながら、
「婆さん。さあ退いた。畑といふものは荒して置くものぢやない」
 さう言ひながら、大きなからすきを引いてゐる水牛の尻に鞭をかざした。婆さんはシンの顏を見上げたきり動かうとはしたかつた。
「本當に死にたいんだな。もう死んでもいい年だ」
 言つたかと思ふと、ふり上げてゐた鞭をしたゝかに水牛の尻に當てた。水牛が急に步き出した。無論、婆さんは轢殺ひきころされた。
「さあぐづぐづせずに、あとを早くやれ――。こんな老ぼれのために廣い地面を遊ばして置いてなるものか」
 いつもと大して變らない聲でさう言ひながら、この男は馬に乘つて歸つてしまつた。これほどの男だからこそ、その兄があんな死に方をした時にも、世間では弟のおとしあなに落ちたのだと言つて、でも自分の手に懸けないだけがまだしも兄弟のじやうだ、などと噂したさうである。何にしても、兄が死んでしまつてから弟がその管理を一切ひとりでやつた。その、その家は一層榮えるし、彼は七十近くまで生きてゐて――惡い事をしても報いはないものかと思ふやうな生涯を終る時に、彼は一つの遺言をしたのだ。その遺言は甚だ注意すべきものである。
「今からのち、三十年經つたら我我の家族は、田地をすつかり賣り拂つて仕舞はなけりやならない。それから南部の安平アンピンへ行つてそこで舟を持つて本國の對岸地方と商賣をするのだ」
[やぶちゃん注:「仕舞はなけりやならない」は底本では「仕舞はなけやならない」であるが、読めないので、脱字と断じて特異的に「り」を挿入した。]
 その理由を尋ねようと思ふともう昏睡してしまつてゐた。しかし子供はその遺言を守つて、安平アンピン禿頭港クツタウカンへ出て來たのだと言ふ。――この遺言の話はやつぱりシンの一族からずつとのちに洩れたといふので皆知つてゐたが、あの一晩の颶風はやてが基で、それこそ颶風はやてのやうに沈家シンけに吹き寄せた不幸の折から、世間の人人は沈家シンけの祖先の遺言から、またその祖先のした惡行をさまざまに思ひ出して、因果は應報でさすがに天上聖母はシンの持舟を守らない。――あの遺言こそまるで子孫に今日けふの天罰を受けさせようと思つて、老寡婦の死靈しりやうが臨終の仇敵に乘り移つたのだとか、あの颶風はやてはその老寡婦がからすきで殺されてから何十年目の祥月命日であるとか、人人は沈家シンけの悲運を同情しながらもそんなことを噂した。何にしても、大きな不運のあとであとからあとから一に皆、死に絶えてしまつて、遺つた人といふのは年若い娘ひとりで、それさへ氣が狂つて生きてゐた。
[やぶちゃん注:「天上聖母」道教の女神媽祖まその別称。航海・漁業の守護神として中国沿海部を中心に、特に台湾・福建省・潮州で強い信仰を集める。「天后」「天妃」「娘媽」とも呼ばれ、一部では道教で最も地位の高い神の一人ともされるようである。]
 祖先にたとひどんな噂があらうとも、かうして生きてゐる纖弱かよわい女をほつて置くわけにはいかないといふので、近隣の人人は、いつも食事くらゐは運んでやつた。それが永い間絶えなかつたといふのも、いはば金持の餘德とも言へよう。といふのは食事を運んでやる人たちは、その都度何かしら、その家のそこらに飾つてある品物の手輕なものを、一つ二づつこつそりと持つて來る者があるらしかつた。部屋にあつたものは自と少くなり、さうなると近隣でも相當な家の人達はもうそこへ行かなくなつた――他人のものを少しづつ掠めてくるやうな人たちの一人と思はれたくないと思つて、自と控へるやうになつたのである。その代りにはまた、厚かましい人があつて、當然のやうな顏をして品物を持つて來てそれを賣拂つたりするやうな人も出て來た。下さいと言つて賴むと氣の違つてゐる人は、極く大樣おほやうにくれるといふことであつた。――「さあ、お祝ひに何なりと持つておいで」高價なものをさういふ風に奪はれて、やつぱりあの家では昔の年貢を今收めゐてゐるのだよなどと、口さがない人人は言つた。
 どういふ風に、娘は氣が違つてゐるのかといふのに、娘は刻刻に人の――恐らくは彼女の夫の、來るのを待つてゐるらしかつた。人の足音が來さへすれば叫ぶのだ――泉州ツヱンチヤオ言葉で、
「どうしたのです。なぜもつと早く來て下さらない?」
 ――つまり、我我が聞いたのと全く同じやうな言葉なのだ。彼女は姿こそ年とつたがその聲は、いつまでも若く美しかつた! ――我我が聞いたその聲のやうに?
 その聲を聞いて、人人は深い哀れに打たれながら、その部屋へ這入つて行くと、彼女は人人を先づ凝視して、それからさめざめと泣くのだ。待つてゐた人でなかつた事を怨むのだ。そこで人人は明日こそその當の人が來るだらうと言つて慰める。彼女はまた新しい希望を湧き起す。彼女はいつも美しい着物を着て人を待つ用意をしてゐた。たしかに海を越えて來るその夫を待つてゐるのだといふことは疑ひなかつた。さういふ風にして彼女は二十年以上も生きてゐたのだらう―
[やぶちゃん注:ダッシュ一字分はママ。ここは行末であるが、私はここで改行と読んだ。]
「私が十七の年に、初めてこの家へ來たころには、その人はまだ生きてゐたものです」と、この長話を我我に語つた禿頭港クツタウカンの老婦人は言つた。――この婦人ももう六十に近いであらうが四十年位前にこの家へ嫁に來たものと見える。「私は近づいてその人を見た事はありませんけれども、天氣の靜な日などには、よくみんなが『またお孃さんが出てゐるよ』といふものだから、見ると走馬樓ツアウベラウの欄干によりかかつて、ずつと遠い海の方を長いこと――半日も立つて見てゐるらしいやうなことがよくありました。夫を乘せた舟の帆でも見えるやうに思つたものですかねえ。いづれやつぱりその海が見えるからでせう、お孃さんのゐる部屋といふのは、あの二階ばかりで、外の部屋ヘは一足ひとあしも出なかつたさうです。みんなはお孃さん、お孃さんと呼び慣はしてはゐましたが、その頃はもうやがて四十ぐらゐにはなつてゐるだらうといふ事でした。それが、何日いつからかお孃さんの姿をまるで見かけなくなつたのです。病氣ででもあらうかと思つて人が行つてみると、お孃さんはそこの寢牀ねどこのなかでもう腐りかからうとしてゐたさうです。金簪きんさんを飾つて花嫁姿をしてゐたと言ひますよ。――それが不思議な事に、それだのに、その人が二階へ上らうとすると、やつぱりお孃さんが生きてゐた時と同じやうに、凉しい聲でいつもの言葉を呼びかけたさうです。ね! 貴方がたの聞いたのと少しも違はない言葉ですよ! だから死んでゐようなどとはつゆ思はなかつただけにその人は一層びつくりしたとの事です。それからのちにも、その聲をそこで聞いたといふ人は時時あつたのです。――お孃さんは病氣といふよりは、もしや飢ゑて死んだのではあるまいかと云ふ人もあります。といふのはその家のなかには、昔こここにあつた見事な樣々の品物が、もうに何一つ殘つてゐなかつたさうですから。さうして死骸に附いてゐた金簪はとむらひの費用になつたと言ひます」


   四 怪傑シン

 この風變りな一にちの終りに私と世外民とは醉仙閣ツイツエンコにゐた。――私たちのよく出かける旗亭である。
 これが若し私が入社した當時のやうな熱心な新聞記者だつたら、趣味的ないい特種とくだねでも拾つた氣になつて、早速「廢港ローマンス」とか何とか割註をして、さぞセンセイショナルな文字を罹列することを胸中に企ててゐただらうが、その頃は私はもう自分の新聞を上等にしてやらうなどといふ考へは毛頭なかつた。每日の出社さへ滿足には勤めずにわが酒徒世外民とばかり飮み暮してゐた。諸君はさだめし私の文章のなかに、さまざまな蕪雜ぶざつを發見することだらうと覺悟はしてゐるが、それこそ私がそのころ飮んだ酒と書き飛ばした文字との覿面てきめんの報いであらう……。
 ――で、私たちは醉仙閣ツイツエンコで飮んでゐた。
 世外民は、禿頭港クツタウカンの廢屋に對して心から怪異の思ひがしてゐるらしい。さう言へばあの話はいかに支那風に出來てゐる。廢屋や廢址に美女の靈が遺つてゐるのは、支那文學の一つの定型である。それだけにこの民族にとつてはよく共感できるらしい。しかし、私はといふとどうもさうは行かない。私がそのうちで少しばかり氣に人つた點と言へば、その道具立が總て大きくその色彩が惡くアクどい事にあつた。もしこれを本當に表現することさへ出來れば、浮世繪師芳年よしとしの狂想などはアマイものにして仕舞ふことが出來るかも知れない。そのなかにある人物は根強く大陸的で、話柄の美としてはそれが醜と同居してゐるところの野蠻のなかに近代的なところがある。幽靈話とすればそれが夜陰や月明ではなしに、明るさもこの上ない烈日のさなかなのが取柄だが、總じてこの話は怪異譚くわいいだんとしては一番價値に乏しい。それだのに世外民などは專らそこに興味を繫いでゐるらしい。いや、むしろ恐怖してさへゐる。彼は自分が幽靈と對話したと思つてゐるかも知れない。
 私は世外民の荒唐無稽好きを笑つてゐる。――といふのはそれに對しては私はもうとつくに思ひ當つたことがあるからだ。なぜ私はあの時すぐ引返して、あの廢屋の聲のところへ入込いりこんでゐなかつたらうか。さうすれば世外民に今かうは頑張らせはしないのだ。それをしなかつたといふのも世外民があまり厭がるのと、それよりも空腹であつたのと、また億劫な思ひをして行つてみるまでもなく解つてゐると信じたからだ。それもすぐに、さうと氣がついたのならよかつたのに、あんな判りきつた事が、なぜ一時間も經つてからやつと氣がついたといふのだらう。多分、あまりに思ひがけなく踏込まうとするその刹那であつた爲めと、二階から響いて來た言葉が外國語だつたのと、それにつづいてあの老婦人の大袈裟な戰慄の身振りやら、ちよつと異樣な話やらで、全くくやしい事だが私も暫くの間は、多少驚かされたものと見える。本當に理智の働く餘裕はなかつたらしい。――廢屋だと確めて置いた家の中から人聲ひとごゑがしたのであつてみれば、それはその家の住人でないたれかが、そこにゐたのにきまつてゐる。その人のために我我は這入つて行くことを遠慮する理由は少しもなかつた筈だ。現に安平アンピンの家のなかにだつて網を繕つてゐた人間の聲がしても我我は平氣で闖入して行つた程だ。何のために我々は躊躇したか。世外民が「人が住んでゐるんだね」と言つたからだ。世外民は何故そんなことを言つたか。それはその時の彼の心理を考へなければならない。多分、聲が我我の踏み込んだ瞬間に恰もそれを咎めるがごとく響いた事が一つ――しかも、その言葉の意味は、あとで聞けば全く反對のものであるが。またあの廢屋は安平アンピンのものよりも數十倍も堂堂としてゐて荒れながらにもなほ犯しがたい權威を具へてゐた事。最後に一番おもなる理由としてはそれが單に、女の若さうな玲瓏れいろうたる聲であつたが爲めに、若い男である世外民も私も無意識のうちに妙にひるんでゐたのである。さうして、その聲に就ては何の考へることをもせずに、ただびつくりして歸つて來てしまつたのである。
「何にしても這入つて見さへすればよかつたのになあ。馬鹿馬鹿しい、だれが幽靈の聲などを聞くものか。生きて心臟のドキドキしてゐる若い女――多分、若くて美しいだらうよ、そんな氣がするな――それがそこにゐただけの事さ。――生きてゐればこそものも言ふのさ……」
「でも、むかしから傳はつてゐるのと同じ言葉を、しかも泉州ツヱンチヤオ言葉を、それもそのたつた一言を、その女が何故なぜ我我に向つて言ふのだ」
 世外民は抗議した。
泉州ツヱンチヤオ言葉は幽靈の專用語ではあるまいぜ。泉州人ツヱンチヤオナンなら生きた人間の方がどうも普通に使ふらしいぜ。アハ、ハハ。それが偶然、幽靈が言ひ慣れた言葉と同じだつたのは不思議と言へば不思議さね。――でもたつたそれだけの事だ。君はあの言葉が我我に向つて言はれたと思ひ込むから、幽靈の正體がわからないのだよ。――ほかの人間に向つて言つた言葉が偶然我我に聞かれたのだ。いや。我我を外の人間と間違へて、その女が言ひかけたのさ。さうと氣がついたから、たつた一言ひとことしか言はなかつたのだ。君、何でもないよくある幽靈だぜ、あれや……」
「それぢや、昔からその同じ言葉を聞いたといふその人達はどうしたのだ」
「知らない」私は言つた。「それや僕が聞いたのぢやないのだからね。――ただ、多分は君のやうな、幽靈好きが聞いたのだらうよ。だから僕は自分の關係しない昔のことは一切知らないのだ。ただ今日の聲なら、あれはまさしく生きてる若い女の聲だよ! 世外民君、君は一たいあまり詩人過ぎる。舊い傳統がしみ込んでゐるのは、結構ではあるが、月の光では、ものごとはぼんやりしか見えないぜ。美しいか汚いかは知らないが、ともかく太陽の光の方がはつきりと見えるからね」
「比喩など言はずに、はつきり言つてくれ給へ」一本氣な世外民は少々おこつてゐるらしい。
「では言ふがね、亡びたものの荒廢のなかにむかしの靈が生き殘つてゐるといふ美觀は、――これや支那の傳統的なものだが、僕に言はせると、……君、憤つてはいかんよ――どうも亡國的趣味だね。亡びたものがどうしていつまでもあるものか。無ければこそ亡びたといふのぢやないか」
「君!」世外民は大きな聲を出した。「亡びたものと、荒廢とは違ふだらう。――亡びたものはなるほど無くなつたものかも知れない。しかし荒廢とは無くならうとしつつある者のなかに、まだ生きた精神が殘つてゐるといふことぢやないか」
「なるほど。これは君のいふとほりであつた。しかしともかくも荒廢は本當に生きてゐることとは違ふね。だらう? 荒廢の解釋はまあ僕が間違つたとしてもいいが、そこにはいつまでもその靈が橫溢しはしないのだ。むしろ、一つのものが廢れようとしてゐるその蔭からは、もつと力のある潑剌はつらつとした生きたものがその廢朽を利用して生れるのだよ。ね、君! くちた木にだつてさまざまなきのこむらがるではないか。我我は荒廢の美に囚はれて歎くよりも、そこから新しく誕生するものを讃美しようぢやないか――なんて、柄にないことを言つてゐら。さういふ人生觀が、腹の底にちやんとしまつてある程なら、僕だつて臺灣三がいでこんなだらしない酒飮みになれやしないだらうがね。だからさ、僕がさういふ生き方をしてゐるかどうかは先づ二の次にしてさ」
「成程。――ところがそれが禿頭港クツタウカンの幽靈――でないといふならば、その生きた女の聲と何の關係があるんだらう?」
「下らない理窟を言つたが僕のいふのは簡單なことなのだ。ね、我我の聞いたあの聲の言つたのは『どうしたの? なぜもつと早くいらつしやらない。……』云云といふのだつたさうだね。それや無論たれが聞いても人を待つてゐる言葉さ。で、あの場所の傳説のことは後にして、虛心に考へると、若い女が――生きた女がだよ、人に氣づかれないやうな場所にたつたひとりでゐて、人の足音を聞きつけて、今の一言を言つたとすれば、これは男を待つてゐるのぢやないだらうかといふ疑ひは、だれにでも起る。あたりまへの順序だ。我我があの際、すぐさう感じなかつたのが反つて不思議だ。あの際、僕があれを日本語で聞いたのだつたら一瞬間にさう感附くよ。そこであの場所だが、氣味の惡い噂があつて人の絶對に立ち寄らない場所だ。しかも時刻はといふと近所の人人がみな午睡をする頃だ。戀人たちが人に隱れて逢ふには絶好の時と所ではないか。――それも互によほど愛してゐると僕が考へるのは、それはいづれあそこからさう遠いところに住んでゐる人ではなからうが、それならあの家に纏はる不氣味千萬な噂はもとより知つてゐるのだらうから、迷信深い臺灣人がその恐ろしさにめげずに、あの場所を擇ぶといふところに、その戀人たちの熱烈が現れてゐる。それから、また僕は考へるね。そのふたりは大部以前から、あの時刻とあの場所とを利用することに慣れてゐるのだ。でない位なら、そんないやな場所へ、女が先に來て待つ度胸も珍しいし、男だつてそれぢやあまり不人情さ。――君が、あの聲を聞いて咄嗟にそれをその住人のものと斷定してしまつたのも無理はないよ。彼等はそこをもう自分たちふたりの場所と信じ切つてゐるほど、その場所に安心し慣れ切つてゐるのだ。それならばこそ我我の足音聞いただけで輕輕しく、あんな聲をかけたりしたのだ。――あそこへは全く近よる人もないと見えるね。そのくせあの家は、女ひとりで這入つて行つても何の怖ろしい事もないほど、異變のない場所なのさ。若い美しい女――藝者ゲイチア五葉仔ゲフユアのやうな奴かな。いや、若い女ではなくつて―――」
[やぶちゃん注:「藝者ゲイチア」「チ」の部分は実はかすれて縦棒一本とそこから右に直角に突き出た一本しか判読出来ない。現代の中国音の音写だと「者」は「ヂゥーア」であることから、取り敢えず「チ」で補っておいた。
「―――」(三字分)はママ。但し、頭の一字分で改行であることから、植字工のミスかも知れない。]
「聲は若かつたがな」
「さ、聲は若くつても、事實は圖太い年增女かも知れないな。でなけりや、やつぱり必ず若い熱烈なる少女か。――それはどうでもいい。判らない。しかし兎も角もさ、今日のあの聲は不埓かは知らないが不思議は何もない生きた女のもので、あそこが逢曳あひびきの場所に擇ばれてゐたといふ事と、又それだから、あそこにはほんの噂だけで何の怪異もない事は、おのづと明瞭さ。僕は疑はない――ああ、這入つて見れやよかつたのになあ」
「例によつてそろそろ理窟つぽくなつたぞ。――理窟には合つてゐさうだよ。ただね、それが僕の神經を鎭めるには何の役にもたたない」
[やぶちゃん注:「立」のルビは「た」しかないが、特異的に補った。]
「さうかい。困つたね」
 世外民はやつぱりに私に同感しようとはしない。私は少しばかり、ほんの少しだが、忌忌しかつた。私は酒を飮めば飮むほど、奇妙に理窟つぽくなる。人を説き伏せたくなる。そこでお喋りになるといふごく好くない癖があつた。自分では頭が冴えてゐるやうな氣がするんだが、それは醉つぱらひの己惚うぬぼれではたで聞いたらさぞをかしいのだらう。私はつづけた。
「仕方がない。君は何とでも思ひ給へ。だが、今日の事實は怪異譚くわいいだんとしてはまるで何の値打もないのだがなあ。禿頭港クツタウカンで聞いた話にしたつて、因緣話にはなつてゐるものか。――そんな見方をすれや、せいぜい三面特種の値打だ。寧ろ面白いのは、あんな荒つぽいいやな話のなかに案外、支那人といふものの性格や生活といふものの現はれてゐることだ。……」
夜中やちうに境界標の石を四方へ擴げる話か。――あれや、君、臺灣の大地主おほぢぬしのことなら、みんなあんな風に言ふんだ。あれこそ臺灣共通の傳説だよ。――現に」と世外民は酒で蒼くなつた顏を苦笑させて、
「僕の家のことだつてもさう言つてらあ!」
「へえ? これはなほ面白い。いづれはどこかに本當の例が、事實あつたのだらうがね。多分、あの沈家シンけが本當だらう。それにしてもそいつをどこの大地主にも應用するところはえらい。實際、あの話はあらゆる富豪といふものを簡單明瞭に説明するからね。ふむ。さうかね。だがそれよりも僕にもつと面白いのはからすきでよぼよぼの老寡婦を突き殺す話だ。――僕はそのシンの祖先といふのは粗野な惡黨でこそあるがなかなかの人傑だつたやうな氣がするのだ。ね、さうでなければ道理に合はない。いかに淸朝の末期に近い政府だつて、またさきが植民地の臺灣だからと言つて、さうさう腐敗した碌でなしの役人ばかりをあとへあとへ派遣したわけではあるまい。それがみんな丸められるのだ。單にかねの力だけではあるまい。シンにはきつと役人たちよりもえらい經營の才があつたのだ――まあ聞きたまへ、僕の幻想だから。胡蘆屯コロトン附近と言へば、君、この島でも最もよく開墾された農業地だらう。『……いつもいふ通り、おれは自分の地所の近所に手のとどかない畑があるのは、氣に入らないのだ。……婆さん。さあどいた。畑といふものは荒して置くものぢやない。……本當に死にたいんだな。もう死んでもいい年だ』か。さう言つてひらりと馬を下りて自分の手で突き殺したと言つたね。僕には強い實行力のある男の橫顏が見えるやうな氣がするんだ。さういふ男の手によつてこそ、未開の山も野も開墾出來るのだ。草創時代の植民地はさういふ人間を必要としたのだ。役人たちの目の利いたものは、彼の事業を、政府自身の爲めに樂しみにしてゐたかも知れないのだ。その報酬に惡德を見逃すばかりか、暗には奬勵してゐたかも知れないのだ。その男はちやんとそれを心得てゐた。その遺言が更に面白いではないか。『三十年すれば』いかに植民地政治でもだんだん行屆いて整つて來た擧句には、彼が折角開拓した廣大な土地を、今度は彼よりももつと大きい暴虐者が出て左右することを見拔いてゐたのだ。何と怖ろしい識見ではないか――彼は政治といふものの根本義を、まるで社會學者みたいに知つてゐて、それを利用したのだ。人のものを掠奪してそれへすつかり仕上げをかけて、やれ田だのと畑だのと鍍金めつきをするのさ、そいつを賣拂つて金に代へる。それから商賣をするんだね。全く商賣といふものは世が開化したのちの唯一の戰爭だからね。しかも安全な戰爭だ――元手の多い奴ほど勝つにきまつてゐる。彼は自分の子孫たちに必勝の戰術を傳授して置いたのさ。奴の仕事は何もかも生きる力に滿ちてゐる。萬歳だ。ところでさ、そのやうな先見のある男でも、自然が不意に何をするかは知らなかつたのが、人間の淺ましさだ。繁茂してゐた自然を永い間かかつて斬り苛んだ結果にち得た富を、一晩の颶風はやてでやつぱりもとの自然に返上したといふのだからいな。ざまを見やがれさ。――するとやつぱり因果應報といふことになるのかな。僕はそんなことを説教するつもりではなかつたつけな……」
 私はいつの間にかひど醉つて來て、舌も纏れては來るし、段段冴えて來ると己惚うぬぼれてゐた頭がへんにとりとめがなくなり、ふと口走つた――「花嫁の姿をして腐つてゐたつて? よくある奴さ。花嫁の姿をして死ぬ。それがだんだん腐つてくる、か。生きてゐる奴で冷たくなつて、だんだん腐つてくるのもある。金簪で飾つてさ、ウム」
 世外民はこれも亦いつもの癖で、深淵のやうに沈默したまま、私のをかしな言葉などは聞き咎めるどころか、てんで耳にはいらぬらしく、老酒ラウチユウさかづきを持ち上げたままで中空を凝視してゐた。
「世外民、世外民。この男の盃を持つてゐるところには少々魔氣まきがあるて」

          *        *        *        *
               *        *        *

 世外民といふ風變りな名を、私はこの話の當初から何の説明もなしに連發してゐることに氣がついたが、これは私の臺灣時代の殆んど唯一の友人である。この妙な名前はもとより匿名である。彼のペンネームである。彼の投稿したものを見て私はそれを新聞に採錄した。私は彼の詩――無論、漢詩であるが、その文才を十分解したといふわけではないが、寧ろその反抗の氣概を喜んだのである。しかし、その詩は一度採錄したきりだつた。當局から注意があつて、私は呼び出されて統治上有害だと言ふのでその非常識を咎められた。再度の投稿に對しては、私は正直にその旨を附記して返送した。すると、世外民は私を訪ねて遊びに來た。見かけは優雅な若者であつたが、案外な酒徒で、盃盤が私たちを深い友達にした。彼は臺南から汽車で一時間行程の龜山クウソアムの麓の豪家がうかしゆつであつた。家は代代秀才を出したといふので知られてゐた。その頃の私は、つまらない話だが或る失戀事件によつて自暴自棄に堕つて、世上のすべてのものを否定した態度で、だから世外民が友達になつたのだ。この頃の私にいつも酒に不自由させなかつたのがこの世外民だ。だが私が世外民の幇間ほうかんをつとめたとたれも思ふまい。第一に世外民は友をこそ求めたが幇間などを必要とする男ではなかつた。私はその點を敬してゐた。――この話として何の用もあることではないが、私の交遊錄を抄錄したまでである。彼が私との訣別を惜んで私に與へた一詩を私は覺えてゐる。――あまり上手な詩でもないさうだが、私にはそんなことはどうでもいい。

    登彼高岡空夕曛
    斷雲孤鵠嘆離群
    溫盟何不必杯酒
    君夢我時我夢君

[やぶちゃん注:最後の漢詩は底本では総ルビで縦に二句で二行であるが、前を一行空けで、かく、示した。漢詩をルビに従って漢字仮名交りで書き下してみる。

 高岡かうかうに登れば 空しく夕曛せきくん
 斷雲だんうん孤鵠ここう 離群りぐんを嘆く
 溫盟をんめい 何ぞ杯酒をひつとせんや
 きみ 我を夢みむ時 我 君を夢みむ

起句の「夕曛」は落日の余光をいう。「鵠」は大型の白い水鳥。白鳥や鸛こうのとりに相当。「溫盟」は心の籠った暖かな友情の契り。
「堕つて」はママ。何故か「堕」にはルビがない。「おちいつて」。]



          
 女誡扇


 私がいやがる世外民を無理に強いて、禿頭港クツタウカンの廢屋の中へ、今度こそ這入はいつて行つたのは彼がその次に臺南へ出て來た時であつた。多分最初にあの家を發見してから五日とは經てゐなかつたらう――世外民は當時少くとも週に二度は私を訪れたものなのだから。
「さあ。今日こそ僕の想像の的確なことを見せる。運がよければ、君がそれほど氣に病む幽靈の正體が見られるかも知れないよ」
 私はかう宣言して、この前の機會と同じ時刻を撰んだ。そこに幽靈のゐないことを信じてゐる私は、しかし、自分の事を、高い雕欄てうらんのいい窪みを見つけて巣を營んでゐる双燕を驚愕させる蛇ではないかと思つて、最初は考へたのだが構はないと思つた。といふのはもしそこに一對の男女がゐるやうならば、自分はその時の相手の風態ふうていによつては、わざと氣がつかないふりをして、彼等をその家の居住者のやうに扱つて、自分達が無法にも闖入したのを謝罪しようと用意したからである。私たちはそれだからごく普通の足音をさせて、あの石の圓柱のある表からこの前の日のとほりに入口を這入つた。その時、さすがに私もちよつと立止つて聞き耳を立ててはみた。勿論どんな泉州ツヱンチヤオ言葉も聞かれはしなかつた。それだのに困つた事に、世外民は氣味惡がつて先に這入らないのだ。表の廣間のなかはうす暗くて、またこんな家のどこに二階への階段があるか、私には見當がつきにくい。しかし世外民は口で案内して、表扉を這入つて廣間の左或は右の小扉ことびらを開いてみたら、そこから上るやうになつてゐるだらう、といふのである。その廣間といふのは二十疊以上はあるだらう。四つの閉めた窓の破れた隙間からの光で見ると、には何一つないらしい。私は這入つて行つた。その時、思はず私が呻つたのは、例の聲を聞いたからではないのだ。ただの閉め切つた部屋の臭ひである。どんな臭ひとも言へない。ただ蒸れるやうなやつで、それがしかし建物たてものがいいから熱いのではない。割に冷たくつてゐて蒸れるとでもいふより外には言ひ方がない。この臭ひを、世外民は案外平氣らしかつた。天井を見ると眞白にがふいて黴がはえてゐる。その黴の臭ひだつたかも知れない。私たちは先づ右の扉を開けた。――果してすぐそこが階段であつた。幅二尺位の細いのが一直線に少し急な傾斜で立つてゐる。それが上からの光で割に明るい。何も怖氣おぢけがさすやうなものは一つもないが、また私は傳説をさう眼中におかないが、それでもやはりさう明るい心持にはなれないことは確だ。氣味が惡いと言つては言ひすぎるが、私はよく世外民をひつぱつて來たと思つた。私はひとりででも一度來てみる意志はあつたのだが、もしもひとりだつたらあまり落着いて見物はしにくいかと思ふ。それにしてもあんな傳説を迷信深くいだいてゐる人人が、たとひそれは二人連れであつた事が確でも、第一にちによくまあここへ來たものだと言へる。いや、よくもここを撰ぶ氣になつたものだ。私はこの細い階段を戀人たちが互に寄りそひながらおづおづして、のぼつて行つた時を想像してみた。
 私は世外民を振り返つて促しながら、階段を昇り出した。そこには私の想像を滿足させることには、ごく稀にではあるがこのごろでもそこを昇降する人間があることは疑へなかつた。といふのは、それは何も鮮かな足跡はないのだが、寧ろ譬へば冬原たうげんの草の上におのづと出來た小徑こみちといふ具合に、そこだけはの部分より黑くなつて、白い塵埃のなかから、階段の板の色がぼんやり見えてゐるのであつた。二階には人のけはひはない。私は幽靈の正體は先づ見られさうにもないと思つた。二階ヘ出た。
 案外にそこは明るかつた。その代りどうしてだか急に暑くムツとした。人影のやうなものは何もなかつた。氣が落着いて來たので私は何もかも注意して見ることが出來たが、床の上にもまた人が步いたあとがあつて、それがまた一筋の道になつて殘つてゐる。L形エルがたになつた部屋の壁のかげから、光が帶になつて流れて來る。この部屋へ澤山の明るさを供給してゐるのは、その窓で、人の步いたあともまたその窓の方へ行つてゐる。壁のかげに誰かがピツタリと身をよせて隱れてゐるやうな氣もする。私はその窓の方へおのづと步いて行つた。我我の足元から立つ塵は、光の帶のなかで舞ひ立つた。顏に珍しく風が當つて、明るい窓といふのがいてゐること、その壁に沿うて一つの臺があることが、一に私の目についた。臺といふのはごく厚く黑檀こくたんで出來たもので、四方には五尺ほどの高さの細い柱が、その上にはやはり黑檀の屋根を支へてゐる。その大きさから言つて寢牀ねどこのやうに思はれた。
寢牀ねどこだね」
「さうだ」
 これが私と世外民とが、この家へ這入つてからやつと第一に取交した會話であつた。寢牀ねどこには塵は積つてはゐなかつた――少くとも輕い塵より外には。さうして黑檀は落着いた調子で冷冷と底光りがしてゐた。私は世外民を顧みながら、その寢牀ねどこの上を指さした。私の指が黑檀の厚板あついたおもてへ白くうつつた。
 世外民は頷いた。
 その寢牀ねどこの外には家具と言へば、目立つものも目立たないものも文字通りに一つもなかつた。話に聞いたあの金簪を飾った花嫁姿の狂女は、この寢牀ねどこの上で腐りつつあつたのではないだらうか。それにしてはこれだけの立派な檀木たんぼくの家具を、今だにここに遺してあるのは、憐憫によつてではなく、やはり恐怖からであらう。
 寢牀ねどこのうしろの壁の上には大小幾疋かの壁虎やもりが、時時のつそりと動く。尤もこれは珍しい事ではない。この地方では、どこの家の天井にだつて多少は動いてゐる。内地に於ける蜘蛛ぐらゐの資格である。ただこの壁の上には、廣さの割合から言つて少少多すぎるだけだ。六坪ほどの壁に三四十疋はゐた。
 世外民はどうだか知らないが、私はもう充分に自分の見たところのもので滿足であつた。歸らうと思つて、歸りがけにもう一度窓外のあをい天を見た。そのの場所はあまりに氣を沈ませたからだ。歸らうとして私はふと自分の足もとへ目を落すと、そこに、ちやうど寢牀ねどこのすぐ下に扇子せんす見たやうなものがある――骨が四五本ひらいたままで。私は身をかがめて拾つた。そのままハンケチと一緒に自分のポケツトのなかへ入れた。なぜかといふのに世外民はいつの間にか歸るために、私に世を向けて四五步も步き出してゐたからだ。
 世外民も私も下りる時には何だかひどく急いだ。表の入口を出る時には今まで壓へてゐた不氣味が爆發したのを感じて、我我は無意識に早足で出た。さうして無言をつづけてその屋敷の裏門を出た。
「どうだい。世外民君。別に幽靈もゐなかつたね。」
「うむ」世外民は不承不承に承認しはしたが「しかし、君、あの黑檀の寢臺の上へ今出て來た大きな紅い蛾を見なかつたかね。まるで掌ほどもあるのだ。それがどこからか出て來て、あの黑光りのいたの上を這つてゐるのを一目は美しいと思つたが、見てゐるうちに、僕はへんに氣味が惡くなつて、出たくなつたのだ」
「へえ。そんなものが出て來たか。僕は知らなかつた。僕はただ壁虎を見ただけだ。君、君の詩ではないのか。幻想ではないのか」
 ――私は世外民があの寢牀ねどこの上で死んだ狂女のことをさう美化してゐるのだらうと思つた。
「いいや、本當だとも。あんな大きな赤い蛾を、僕は初めてだ」
 私は步きながら、思ひ出してさつきのあふぎをとり出してみた。さうして豫想外に立派なのに驚き、また困りもした。
 その女持をんなもちの扇子といふのは親骨おやぼねは象牙で、そこへもつて來て水仙が薄肉うすにくに彫つてある。その花と蕾との部分は透彫すかしぼりになつてゐる。それだけでも立派な細工らしいのに、けてみると甚だ凝つたものであつた。表には殆んど一面に紅白のはすゑがいてゐる。裏は象牙の骨が見えて――表一枚だけしか紙を貼つてゐないので、裏からは骨があらはれるやうに出來てゐたのだが、その象牙の骨の上には金泥で何か文章が書いてある。
「君」私はもう一度表を見返しながら世外民に呼びかけた。「玉秋豐ぎよくしうほうといふのは名のある畫家かね」
「玉秋豐? さ。聞かないがね。なぜ」
 私は默つてその扇子を渡した。世外民が訝しがつたのは言ふまでもない。私もちよつと何と言つていいかわからなかつた――私は無賴兒ではあつたが、盜んで來たやうな氣がしていけないのだ。私はそのままの話をすると、世外民は案外何でもないやうな顏をして、それよりも仔細にその扇をしらべながら步いてゐた――
「玉秋豐? 大した人のではないが職人でもないな。不蔓不枝ふまんふし」彼はその畫賛を讀んだのだ。「愛蓮説のうちの一句だね、不蔓不枝。――だが女の扇にしちや不吉な言葉ぢやないか。つるせず枝せざるほど婦女にとつて悲しい事はあるまいよ。どうしてまた富貴多子ふうきたしにでもしないのだらう――平凡すぎると思つたのかな」
「一たい幸福といふのは平凡だね。で、その富貴多子とかいふのは何だい」
「牡丹が富貴、柘榴が多子さ」世外民は扇のうらを返して見て、口のなかで讀みつづけながら「おや、これは曹大家さうたいか女誡ぢよかいの一節か。專心章だから、なるほど、不蔓不枝を選んだかな……」
 扇は案外に世外民の興味をひいたと見える。それを吟味して彼がそんなことを言つてゐる間に、私はまた私で同じ扇に就て全く別のことを考へてゐた。
 その扇はうち見たところ、少くとも現代の製作ではない。さうしてその凝つた意匠は、その親が、愛する娘が人妻にならうとする時に與へるものに相當してゐる。――恐らく沈家シンけのものに相違ないであらう。昔、狂女がそれを手に持つて死んでゐなかつたとも限らない。その扇だ。更に私は假りに、禿頭港クツタウカンの細民區の奔放無智な娘をひとり空想する。彼女は本能の導くがままに悽慘な傳説の家をも怖れない。また昔、それの上でどんな人がどんな死をしたかを忘れ果ててあの豪華な寢牀ねどこの上に、その手には婦女の道德に就て明記しまた暗示したこの扇を、それが何であるかを知らずに且つ弄び且つ飜して、彼女の汗にまみれた情夫に凉風を贈つてゐる……。彼女は生きた命の氾濫にまかせて一切を無視する。――私はその善惡を説くのではない。「善惡の彼岸」を言ふのだ……


        
 ヱピロオグ


 あの廢屋はさういふわけで私の感興を多少惹いた。何ごとにもさう興味を見出さなかつたその頃の私としては、ほんの當座だけにしろそんな氣持になつたのは珍しいのだが、それらすべての話をとほして、私は主として三個の人物を幻想した。市井の英雄兒ともいふべきシンの祖先、狂念によつて永遠に明日みやうにちを見出してゐる女、野性によつて習俗を超えた少女、――とでもいふ、ともかく、そんな人物が跳梁するのが私には愉快であつた。そいつを活動のシネリオにでもしてみる氣があつて、私は「死の花嫁」だとか「くれなゐの蛾」などといふ題などを考へてみたりしたほどであつた。しかしさう思つてみるだけで、やらないと言ふかやれないと言ふか、ともかく實行力のないのが私なので、その私が前述の三人物の空想をしたのだからをかしい。意味がそこにあるかも知れない。さうして私自身はといふと、いかなる方法でも世の中を征服するどころか、世の力によつて刻刻に壓しつぶされ、見放されつつあつた。尤も私は何の力もないくせに精一杯の我儘をふるまつて、それで或程度だけのことなら押し通してもゐたのだ。それでは何によつて私がやつとそれだけでも強かつたか。自暴自棄。この哀れむべき強さが、のものと違ふところは、第一自分自身がそれによつて決して愉快ではないといふことにある。私は事實、刻刻を甚だ不愉快に送つてゐた。それといふのも私は當然、早く忘れてしまふべき或る女の面影を、私の眼底にいつまでも持つてゐすぎたからである。
 私は先づ第一に酒を飮むことをやめなければならない。何故かといふのに私は自分に快適だから酒を飮むのではない。自分に快適でないことをしてゐるのはよくない。無論、新聞社などは酒よりもさきにやめたい程だ。で、すると結局は或は生きることが快適でなくなるかも知れない惧れがある。だが、若しさうならば生きることそのものをも、やめるのが寧ろ正しいかも知れない。……
 柄になく、と思ふかも知れないが、私は時折にそんなことをひどく考へ込む事があつた。その日もちやうどさうであつた。折から世外民が訪れた。
「君」世外民はいきなり非常な興奮を以て叫んだ。「君、知つてゐる?――禿頭港クツタウカンの首くくりはね……」
「え?」私はごく輕くではあるが死に就て考へてゐた折からだつたから少しへんヽヽな氣がした。
「首くくり? 何の首くくりだ?」
「知らないのか? 新聞にも出てゐるのに」
「私は新聞は讀まない。それに今日で四日社か しやを休んでゐる」
禿頭港クツタウカンで首くくりがあつたのだよ。――あの我我がいつか見た家さ。――たれも行かない家さ。あそこで若い男が縊死してゐたのだ。新聞には尤も十行ばかりしか出ない。僕は今、用があつて行つたさきでその噂を聞いて來たのだからよく知つてゐるが、あの黑檀の寢牀ねどこを足場にしてやつたらしいのだ。美しい若い男ださうだよ、それがね、口元に微笑をふくんでゐたといふので、やつぱり例の聲でおびき寄せられたのだ、『花嫁もたうとう婿をとつた』と言つてゐるよ――みんなは。それがさ、やつぱりもう腐敗して少しくさいぐらゐになつてゐたのださうだ。僕は聞いてゐてゾクツとした。我我が聞いたあの聲やそれに紅い蛾なぞを思ひ出してね」
 私もふつと死の惡臭が鼻をかすめるやうな氣がした――あの黴くさい廣間の空氣を鼻に追想したのだらう。世外民はその家の怪異を又新らしく言ひ出して、私がそこで拾つた扇を氣味惡がり私にそれを捨ててしまふやうに説くのであつた。――この間はあんなに興味を持つて、自分でも欲しいやうなことを言つた癖に。尤も私がやらうと言つた時にはやはり、今と同じく不氣味がつて、結局いらないとは言つたが。私としてはまた世外民にやらうと思つた程だから、捨ててしまつても惜しいとも思はないが、私はその理由を認めなかつた。また、いざ捨てよと言はれると、勿體ないほど珍奇な細工にも思へた。私は世外民の迷信を笑つた。
「大通りの眞中まんなか縊死人いしにんがあつてそれが腐るまで氣がつかない、といふのなら不思議はあるだらうが、人の行かないところで自殺したり逢曳したりするのは、一向當り前ぢやないか。――ただあんな淋しいところが市街のなかにあるのは、何かとよくないね」
 私はその家の内部の記憶をはつきり目前に浮べてさう言つた。
 同時に私にはこの縊死の發見に就て一つの疑問が起つた。といふのは、あの部屋のなかで起つた事はたれもそこに這入つて行かない以上は、一切發見される筈がない。あそこにはひらいた窓が一つあるにはあつたが、そこには靑い天より外には何も見えない――つまり天以外からは覗けない。もし臭氣が四邊あたりにもれるにしては、あの家の周圍があまりに廣すぎる。さう考へてゐるうちに、私は大して興味のなかつたこの話が又面白くなつて來るのを感じながら言つた。
「出鱈目さね。いや、死人しにんはあつたらう。若い美しい男だなんて。もう美しいか醜いか年とつたか若いかも見分けがつくものか」
「いや、でもみんなさう言つてゐる」
「それぢやだれがその死人を發見したのだ? あそこならどこからも見えず、誰も偶然行つてみるわけはないがな」ふと、私は場所が同じだといふことから考へて、この縊死人――年若く美しいと傳へられる者と、いつか私が空想し獨斷したあの逢曳とがどうも關係ありさうに思へて來た。そこで私は世外民に言つた。「いつでもいいが今度序に、その死人を發見したのはどんな人だか聞いてきてもらひたいものだ。それがもし泉州ツヱンチヤオ生れの若い女だつたらもう何もかもわかるのだよ。――いつか我我が聞いたあの廢屋の聲のぬしも。それから今度の縊死人の原因も。――本當に若い男だつたといふのなら、それや失戀の結果だらう。――幽靈の聲にまどはされて死ぬより失戀で死ぬ方がよくある事實だものね。尤も二つとも自分から生んだ幻影だといふ點は同じだが」
 私は大して興味はなかつた。しかし世外民が大へん面白がつた。罪を人に着せるのではない。これは本當だ。事實、世外民は先づ興味をもちすぎた。さうしてそれが私に傳染したのだ。世外民は私の觀察に同感すると早速、その場を立つて發見者を調べるために出かけた程なのだ。近所行つて聞けばわかるだらうといふので。
 間もなく、世外民は歸つて來たが、その答を聞いて私は、臺灣人といふものの無邪氣なのに、今更ながら驚いたのである。彼等の噂するところによると、それはくわうといふ姓の穀物問屋の娘が――家は禿頭港クツタウカンから少し遠いところにあるさうだが――彼女が偶然に夢で見たといふその男がどうやら死んだ若者だし、それが這入つて行つた大きな不思議な家といふのが、どうも禿頭港クツタウカンのあの廢屋らしい。その暗示によつて、なくなつた男の行方を搜してゐた人人はやつと發見することが出來たといふのである。靈感を持つた女だといふ風に人人が傳へてゐると言ふ。
 私は無智な人人がを信ずることの篤いのに一驚すると同時に、そんな事を言つてうまうまと人をたぶらかすやうな少女ならば、いづれは圖圖づうづうしい奴だらうと思ふと、何もかもあばいてやれといふ氣になつた。私はまだ年が若かつたから人情を知らずに、思へば、若い女が智慧に餘つていた馬鹿馬鹿しい噓を、同情をもつて見てやれなかつたのだ。
「世外民君。來て一役ひとやく持つてくれ給へ」
 私は例の扇をポケツトに入れ、それから新聞記者の肩書のある名刺がまだ殘つてゐるかどうかを確めた上で外へ出た。無論、その穀物問屋へ行かうと思ひ立つたからである。さうして娘に逢へば扇を突きつけて詰問しさへすれば判るが、ただその親が新聞記者などに娘を會はせるかどうかはむづかしい。會はせるにしてもその對話を監視するかもしれない。世外民がうまくその間で計らつてくれる手筈ではあるが、それにしてもその娘が泉州ツヱンチヤオの言葉しか知らなかつたらそれつきりだがなどと思つてゐるうちに、私はもうさつき勢ひ込んだことなどはどうでもなくなつた。自分に何の役にも立たない事に興味を持つた自分を、私は自分でをかしくなつた。
「つまらない。もうよさう」
世外民はしかし折角來たのだからといふ。それに穀物問屋はすぐ二三軒さきの家だつた。それからのちの出來事はすべて私の考へどほりと言ひたい所だが、事實は私の空想より少しは思ひがけない。
 まづ第一にその穀屋といふのは思つたより大問屋であつた。又、主人といふのは寧ろ私の訪問を觀迎した位だ。この男は臺灣人の相當な商人によくある奴で内地人とつきあふことが好きらしく、ことに今日は娘がそんな靈感を持つてゐる噂が高まつて、新聞記者の來るのがうれしいと言ふのであつた。さうして店からずつと奥の方へ通してくれた。
汝來仔請坐ニイライアチンツオ
 と叫んだのは娘ではなく、そこに、籠の中ではなくて裸の留木とまりぎにゐた鸚鵡ある。
 娘は、しかし、我我の訪れを見てびつくりしたらしく、私の名刺を受取つた手がふるへ、顏は蒼白になつた。それをつつみ匿すのは空しい努力であつた。彼女は年は十八ぐらゐで、美しくない事はない。私はまづ彼女の態度を默つて見てゐた。
「あ、よくいらつしやいました」
 思ひがけなくも娘は日本語で、それも流麗な口調であつた。椅子にかけながら私は言つた――
「お孃さん。あなたは泉州語ツヱンチヤオごをごぞんじですか?」
「いいえ!」
 娘は不意に奇妙なことを問はれたのを疑ふやうに、私を見上げたが、その好もしい瞳のなかに噓はなかつた。私はポケツトから扇をとり出した。それを半ばひろげて卓子テーブルの上に置きながら私はまた言つた――
「この扇を御存じでせう」
「まあ」娘は手にとつてみて「美しい扇ですこと」物珍らしさうに扇のおもてを見つめてゐた。
「あなたはその扇を御存じない筈はないのです」私は試みに少しおこつたやうに言つてみた。
「ケ、ケ、ケツ、ケ、ケ」
 鸚鵡が私の言葉に反抗して一度にかんむりを立てた。
 みんなが默つてゐるなかに、不意に激しく啜泣く聲がして、それは鸚鵡の背景をなすとばりの陰から聞えて來たのだ。淚をすすり上げる聲とともに言葉が聞えてきた――
「みんなおつしやつて下さいまし、お孃さま。もう構ひませんわ。その代りにその扇は私にいただかしてください」
「………………」
 誰も何と答へていいかわからなかつた。世外民と私とは目を見合した。
 姿の見えない女はむせび泣きながら更に言つた。「誰方どなただか存じませんが、お孃さまは少しも知らない事なのです。わたしの苦しみ見兼ねて下さつただけなのです。ただあなたが拾つておいでになつたその扇――蓮の花の扇を私に下さい。その代りには何でもみんな申します」
「いいえ。それには及びません」私はその聲に向つて答へた。「私はもう何も聞きたくない。扇もお返ししますよ」
「私のでもありませんが」推測しがたい女は口ごもりながら「ただ私の思ひ出ではあります」
「さよなら」私たちは立ちあがつた。私は卓上の扇を一度とり上げてから、置き直した。「この扇はあの奧にゐる人にあげて下さい。どういふ人かは知らないが、あなたからよく慰めておあげなさい。私は新聞などへは書きも何もしやしないのです」
「有難うございます。有難うございます」黃孃くわうぢやうの目には淚があふれ出た。

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 幾日目かで社へ出てみると、同僚の一人が警察から採つて來たたねのなかに、穀商くわう氏の下婢かひ十七になる女が主人の世話した内地人に嫁することを嫌つて、罌粟けしの實を多量に食つて死んだといふのがあつた。彼女は幼くして孤兒になり、この隣人に拾はれて養育されてゐたのだといふ。この記事を書く男は、臺灣人が内地人に嫁することを嫌つたといふところに焦點を置いて、それが不都合であるかの如き口吻の記事を作つてゐた。――あの廢屋の逢曳の女、――不思議な因緣によつて、私がその聲だけは二度も聞きながら、姿はつひに一瞥することも出來なかつたあの少女は、事實に於ては、自分の幻想の人物と大變違つたもののやうに私は今は感ずる。