やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇へ
鬼火へ
あじゃり 室生犀星
[やぶちゃん注:本作は大正一五(一九二六)年の『週刊朝日』夏季特別号に発表された。底本は筑摩書房二〇〇八年刊のちくま文庫「文豪怪談傑作選 室生犀星集 童子」所収のものを用いた。底本の親本は新潮社版「室生犀星全集」・三弥井書店刊の「室生犀星未刊行作品集」・創林社刊の「室生犀星童話全集」の何れかであるが、残念ながら明記されていない。
ルビの内、促音や拗音は私の判断で小文字化した。一部の本文に疑義があるが、それはその部分を含む段落の最後に注として附した。
本作は私が偏愛してやまない、上田秋成の「雨月物語」の「青頭巾」のインスパイア作品であるが、その殆んどの部分を原話にない「菊世」という女性(原話の男性の「荘主」がモデル)の一人称で語り、また、かの怪しげな原話の快庵禅師(彼は全くのトリック・スターとして画面からは後退している)の公案の提示を欠いている点でも、極めて特殊なインスパイアであると言える。私は一読、犀星という詩人が、男性原理としての「直き心」を裏返して――女の眼――母なる者の「慈愛の視線」で――愛欲から、ふと鬼道に堕ちてしまった男としての「阿闍利」を――死んだ美童の――純粋な「直き心」としての童子の眼差しを交差させつつ、逆照射することによって描き上げた――稀有の作品として頗る気に入ったのであった。
本テクストは私のブログ・アクセス四五〇〇〇〇突破記念として公開した。藪野直史【二〇一三年三月二十五日】]
あじゃり
「わたくしが峯のお寺へ
峯の阿闍利さまは去る由緒ある
阿闍利さまはもう五十を出ていらっしゃいますが、見たところしっかりした
『阿閣利さまはこのような山寺にお住みなされてお寂しいことはございませんか。もし村へお住みになるお心がおありでございましたら、地面もありますこと故、庵を結びなされてはいかがでございます。』
わたくしはこういいまして、心の中で阿闍利さまが村へお下りになればよいと思うていたのです。
『わしはここで沢山です。わしは永い間ここにいるので村や町にいると一緒に思うている。こうして山百合の根を掘りあてるのが楽しみじゃ。』
そう申されて根を掘っては楽しそうでございました。
『けれども冬の間にもしもお風邪を召しても、それがわたくしどもに分らないといたしますと、誰も御介抱いたすものもございません。』
『いや、それなら御心配下さるな。わしは永い間からだを鍛えているので、風邪など引きそうもない……。』
そう笑いながら申され、白い山百合の
『これはわしの心じゃ。おもちかえり下され。』
といわれました。
阿闍利さまは秋には百合を埋め、山芋を埋めて置かれ、冬それを掘り上げてお
『米はあなたがお携ちくださるからその方の心配はなし。わしはこうして静かに暮しているのが何よりのたのしみじゃ。冬焚くものは夏の間に折り積んで、
なるほど阿闍利さまのそういうお暮しはまことに都合よくちゃんと決めて行われていますゆえ、見たからにわたくしどもと違った
阿闍利さまは申されました。
『わしがこうしていても、山々の姿や、木や岩石にいたるまで、やはり人間の顔のように見えてくるから不思議じゃ。わしら人間はどんな深山に分け入っても、一度人間として暮したことのあるものは、どこまでも人間を
阿闍利さまはそのように気楽な、いかつい御坊振りをなされぬ方でございます。そのためわたくしはどれだけお
『わしは説教なぞできぬから
なるほど、そう
或る冬の雪のひどい日でございました。わたくしの宅では毎年の餅を
そのうちお覚めになりわたくしに声をかけられました。
『ついうとうととしていたのです。よくこそ――』
阿闍利さまはわたくしを上へおあげになりましたが、わたくしは冬じゅうああいう姿で眠っておられる阿闍利さまを思いうかべました。乏しい榾火がちらついているばかりで、寒い風が吹き通しの部屋でございました。たとえば戸や障子の隙間には雪の粉がしらじらと板の間や畳の上に吹き込んでいますが、それが又何ともいえぬ清々した感じでございます。
『阿闍利さまはいつもそうしておやすみになりますか。』
わたくしはそうお尋ねしますと、笑われたまま、
『つイうたた寝をしていたのです。わしとても床をとって休みます。が、このごろ榾火を焚いてうたた寝するのが楽しみになりました。』
お寺のまわりは、荒い山の削り立った姿に包まれていますゆえ、わたくしは夜はあたたかにおやすみなさるようにいって山を下りました。」
菊世はそういって快庵禅師に茶をすすめ自分も茶をのみながら、「その阿闍利さまに一大事が起ったのでございます」といった。快庵禅師はこの菊世という女は人のよいものであることや、よく阿闍利の世話をしてくれたことを快く聞いていたが、ふと、今菊世が一大事が起ったといった瞬間から菊世の顔に
快庵はたずねた。
「そんな静かな暮しに何ごとが起るものぞ。わしの考えるところによると、その阿闍利こそ大徳の聖といってもよいくらいだ。名に走らず、
菊世は手を
「禅師さま、人間ほどわからぬものはございません。そのような阿闍利さまのお人がらが、にわかに
「どういう風に変化ったのじゃ。」
菊世は改まって、「禅師さまがこの話をおききになり、お気もちわるく
ちょうど春のお斎糧を持って上った時でございます。阿闍利さまは、こんど越中の或る坊の招きで、百日の
「阿闍利さまはいつお帰りでございます。一日も早くおかえりなさいまし。」
そうわたくしが申しますと、阿闍利さまはお笑いになり
「
そういわれて四月の終りころにお山をお立ちになりました。やっと、あざみの芽が吹いたばかりの、春浅い四方の景色でございました。
「わしのかえるころはもう夏の
「早くおかえりなされませ。」
わたくしを始め、村里のものはそういってお見送りをいたしました。
禅師さま、阿闍利さまは八月におかえりになりましたが、阿闍利さまのうしろに見なれぬ一人の童子が伴うておられました。その童子の美しさはこれまで見たこともない美しい方でした。
まるで女と申していいでしょうか、それとも童子といっていいでしょうか? お色の 白さは
「これはわしの弟子で
童子は紹介されて女のように顔をあからめ阿闍利さまの笈のかげに
「阿闍利さまもこれから後はすこしはお楽になりましょう。よい童子をお見つけになりました。」
と申しますと、阿闍利さまは常になくお喜びになり、いそいそとお山へおあがりになりました。わたくしはそのうしろ姿を見ていながら、世にも美しい童子のいることを始めて知りました。
阿闍利さまの童子をいとしがられることは一通りではございません。山へ上ったものは何時でも阿闍利さまのかたわらに、童子が坐っておられること、世にも類なくお仲のよいことをいっていました。そのうち童子は山住いしてから、日に焼けながら
「阿闍利さまはどうして童子をおつれにならぬのでございますか、路も遠くお不自由でございましょうに。」
しかし阿闍利さまは別に何ともお答えがなかったのでございます。お斎糧ものの重いものでも、御自身でかつぎなされ、童子に負わせられたことがございません。そればかりではなく、童子がお山へきてから、唯の一度も村里へ下りていらしったことがなく、見たものさえいないくらいでございました。それゆえ、わたくしもつい童子のことを尋ねることも
秋の終りころに例によってわたくしはお山へのぼりました。そして童子が僅かな間に見違えるくらい大きくなられたのに驚きました。足や手は大きく強そうでお顔の色も、始めて
いいえ、それはわたくしの気のせいではございません。物をおたずねしても何となくお返事が物憂そうに見受けられるのでございます。それ故、わたくしは何時もならばゆっくりとお話を伺いするのでございましたけれど、すぐ下山することに致しました。
それでも阿闍利さまは山の中腹まで見えられ、何か気にすまぬげな顔いろで、ふとこんなことをいわれました。
「何もおかまいしませんでした。来春はまた早くにおまちいたしております。」
そこでわたくしはこう申しました。
「阿闍利さま、ご機嫌よくお暮しなさいまし。」
しかし下山しましても、わたくしは童子のことは誰にもいいませんでした。が、そのころ気のついたことは、阿闍利さまは月の十五日になっても村々へ読経してお廻りになることがなくなったのでございます。雨風の烈しいときでも
わたくしは村のひと達にこういって置きました。
「来月こそはきっとお出でになるにちがいありません。」
しかしその年の冬じゅうは唯の一回も村へ下りて入らっしゃることがなかったのです。そればかりではなく、年のはじめに山へ上ったものの話では、お寺の中は荒れ次第で、仏具は錆び
わたくしはそのころ
村では童子だけをどこへか連れて行ったらいいだろうと寄り合うて話しましたけれど、わたくしはそれに反対をいたしましてそのままにして置いたらいいだろう、気のつくときがあるにちがいないからと、こう申していたのでございます。そのうち、寒い冬も過ぎ春になり、わたくしは小者一人を
わたくしはその童子の眼を見ているときに、童子がどんなに阿闍利さまを信じているかということを感じました。
「わしは
阿闇利さまは唯ひと言そう申されただけです。
「ちょうどまだ冬に入ったばかりから病みついて、
わたくしは阿闍利さまに物語って医者を迎えることを計りました。阿闇利さまは喜んでわたくしに
「お師僧さま、わたくしはお医者を迎えてほしくございません。唯、お師僧さまのおそばに凝乎としていたいのです。それにわたくしは自分で生きることを考えられません。きっと夏にならぬ間にわたくしはこの世にはいないだろうと思います。」
阿闍利さまはそういう童子のあたまを撫でながら、
「わしはお前のよくなることを考えている。そのような悲しいことをいうてはならぬ。昨日にくらぺると熟も下ったようではないか。」
そう申されましたが、童子は
「わたくしは何としても
「よろしい。」
阿闍利さまは立って谷川へ水をくみに行かれましたが、その間じゅう、童子は眼を閉じてじっとしていました。わたくしはふと童子にこう尋ねて見ました。
「童子さま、あなたは死にたいと思いますか、生きたいと考えますか、わたくしにそれを教えてくださいまし。」
童子は笑って答えました。
「わたくしはどちらも好きでございますが、このように、からだが弱りましては生きても
その静かになりたいという心が、わたくしには珍らしい童子だと思わせたのです。
「童子さま、あなたはお師僧さまをお慕いになりますか。」
わたくしがこう問ねましたとき、童子は
「お師僧さまはわたくしの父でございますもの。」
わたくしは余りのいとしさに童子の白い額をなでさすりました。童子はしずかに眼をとじて居られます。わたくしも女でございます、あのような年若な童子にああいう優しい心が、そなわって居ようとは思いませんでした。わたしは童子の胸のあたりをもさすってやりました。ふしぎにわたくしの心には何か母親のような気が起って来たのでございます。
「童子よ、あなたは仕合せになれますね、あなたは今よりももっとよいところへ行かれます。」
わたくしは童子が笑ってこたえるのを聞きました。
「
「本統ですとも……」
その内に阿闍利さまは谷川の水を汲んで来て、童子に器物にうつして与えました。童子はその新しい水をうまそうに喫み干して、長い呼吸をしました。あれほど谷川の水というものの、その清さ冷たさを感じたことがありません。
日ぐれにわたくしは下山をすることになりました。
「阿闍利さま、童子はきっと
わたくしがこういっても、阿闍利さまは重く頭をふっておられました。
「わしはもうなおらぬものと諦めております。」
「お気を強くおもちなさいまし。」
わたくしは童子にも別れを告げ、きっと快くなります。そしたらおばさんはそなたのすきな物を求め来て上げようぞといいますと、童子は細い手でわたくしの手を握り、美しい眼でわたくしを見詰めました。
「秋にまいりますまで、きっと快くなっていらっしゃい。」
わたくしが童子に声をかけたのが、これがおわりでございました。
まだ秋にならぬ間に童子は亡くなったのでございます。しかし阿闍利さまは村の人達へはそのことを知らさないでいたのを、山の者が見つけたのだそうでございます。
山の者のいうところをききますと、阿闍利さまは夜となく昼となく童子の死体のそばを離れず、
山樵はこう物語りました。
「わたしはお寺へいつもの薪を持ってまいりますと、奥から誰も答えてくれませんので、そっと奥の間を覗いて見たのでございます。すると阿闍利さまは童子の死骸に
[やぶちゃん注:「なかれて」はママ。これは「ながれて」の誤植ではなかろうか。識者の御教授を乞うものである。]
その時わたしは庫裏にあった火の番の鈴に頭をふれたので、驚いて戸のすき間から身をひこうとしましたときに、ちらりと阿闍利さまはわたしの方を見られました。その顔はこれまでの阿闍利さまとはまるで違った色蒼ざめ眼のくぼんだ青鬼のような顔に変化っておりました。しかも口のあたりには腫物ができているような、がさがさな色と
わたしの考えるところに
山樵はそういうと、眼に阿闍利さまの姿を思い浮べたように
山の上はもう秋風がざわめいて、いつもと違った何か陰気な寂しさがこめられているようで、草の穂のそよぎも何となく薄気味悪く思われました。寺をたずねますとわたくしは驚きと恐ろしさのために卒倒しそうだったのでございます。それは阿闍利さまが炉のほとりで骨だらけの瘦たお姿でじっと何か考えておられたのでございます。御衣も破れて、その衣の間に草のそよぎを感じるような気はいさえあったのでございます。童子はと見ますと、その姿はなく、蠅の飛びかう羽音のみが、あたりに
「阿闍利さま。」
わたくしはともあれそう呼びかけて見ました。
阿闍利さまはわたくしの方をふり返られましたが、その眼つきは山樵の申したように人間の眼つきのやさしさを持っていません。ましてこれまでの阿闍利さまの優しさはなかったのでございます。
こちらをお向きになり、
「何じゃ。」
とおいいになりました。
「わたくしでございます。お忘れでございますか?」
しかし阿闍利さまはそんなことは
「何用で来たか?」
そういって今にも飛びかかるような身がまえをなさいました。その姿は犬や狼のような身がまえでございましたから、わたくしは身をひきながら、こう尋ねてみたのでございます。
「童子はいかがなされたのでございます。」
と。すると阿闍利さまは急に気づいたように立ち上り、大声をあげてお泣きになり、そしてこんどは又わたくしへ先刻と同じい飛びかかる身がまえをせられて、
「童子はお前がつれて行ったのだろう。」
そういって急に飛びかかって来ましたがわたくしは気を失うばかり驚いて小者に背負われて下山いたしたのでございます。
それから今日まで村人は山へは近づこうとはいたしません。人さえ見ればそれに飛びかかり誰いうとなく人鬼だということをいい合いました。人間はどうかわるか分りません。そういう訳でございますから毎年のお斎糧もそれきりにして置いてあるのですが、いまは何を召し上っているかわたくしにもよく分りません。村人の話では、童子の可愛さのあまり、その内を食うたのだと申しております。
快庵禅師はその話を聞いて、しばらく目をつぶってから、実はわしはその阿闇利に会って来たのだ。阿闍利はもうとくに亡くなっているといった。菊世は驚いてどうしてお亡くなりになられたのですとたずねた。快庵禅師は笑いながらいった。
「この村へ着く前に山越えをして来ると、一軒の寺が見つかり日もくれていたゆえ、一夜の宿を乞うたのじゃ。すると阿闍利がいたがまるでそなたのいわれた通り、炉のそばに坐ったきり動きもしない。その膝の上に一つのしゃりこうべを持ちながら、生きているのか、死んでいるのか分らぬ風情であった。
そのとき、わしは
わしはこうたずねた。
『阿闍利よ、何を悲しんでいるのだ。』
しかし阿闍利はわしの声が耳に入らぬように、蚊のような細いこえで何かいっているように思われ、再びわしは阿闍利よ、迷うているなといった。
すると阿闍利はすこしばかり動いたようで、その眼にすこしばかりの生きた色が出て来て来たのじゃ。あたりは畳の上に
『………』
わしは
『女ごよ、もう阿闍利は亡くなっている。』」
禅師はそういって高々と笑い出した。菊世は始めて仏の間に灯をともした。