やぶちゃんの電子テクスト 心朽窩 新館へ
鬼火へ


――みんなの怪談集――

copyright 2012 Yabtyan-osiego


[やぶちゃん注本稿は、私の今年の国語表現の教え子(高校三年生)たちによる怪談集である。民俗学的上の都市伝説の分析授業の中で、一人ひとりに自分の知っている都市伝説(アーバン・レジェンド)を書いてもらった。読んで驚いたのは、そのすべてが本人若しくはごく近親者の体験であることである。これは正に授業でやった民俗学的な世間話の現代的特性と合致する。公開に当たっては彼等の許諾を受けているが、著作権は彼等個人にある。なお配列は順不同、一部の固有名詞や年月日は伏せてある。多少、表現や記号をいじったところもあるが、ストーリー自身はすべて各人のオリジナルなものであり(冒頭の一字字下げの部分は私が該当箇所を要約した部分である)、最後の★はやぶちゃんの素直な賛辞である。どれも御世辞抜きで本当に素晴らしい!!! 君たちと僕との「最後の授業」の思い出として――またブログ・アクセス二五〇〇〇〇突破記念としてここに公開する。――【二〇一二年二月十八日】]


●旅立つ前の合図


  中学生の時、私はハムスターを飼っていた。サンタと名付けて妹や弟と一緒
 になって可愛がっていたが、サンタは一度、体調を崩し、獣医に看てもらって
 元気を取り戻したと思った、そんなある日……
……いつものように学校に行き、部活をし、帰宅した時にはもう遅く、妹と母がヒーターの前で座って泣いており、手の中には少しだけ動いているサンタがいました。母に聞くと、突然の脳の病気だったと言っていました。いきなり過ぎて、何が何だか分からなくなってしまいました。そこに弟が帰って来て少し経った時に、旅立ってしまいました。みんなを待っていたかのように静かに眠りにつきました。
 翌日のことでした。母があるものを私達に見せました。
 それは白いガーゼでした。
 母に聞くと、
「……テレビの後ろに置いた仕事用の鞄の中に一昨日から入っていたんだけれど、……」
と呟きました。母にも、また家族の誰にも見覚えのないものでした。幼い妹が
「サンタからの合図だったんじゃない?」
と屈託なく笑いながら言ったのでした。
 結局、誰のものだったかも、そうして、どこから舞い込んだかも分からず仕舞いとなりました……
 他にも、かつて、母方の伯父が事故で亡くなってしまう前日にも、鍵をかけた家の中に、一枚の鳥の羽が落ちていたという不思議なことがありました。これは分かる人にだけ分かる旅立つ前の一つに合図ででもあったのでしょうか……

★この話のうまさは、サンタが家族が揃ってから逝ったという「いい話」としての前半部と、謎のガーゼと鳥の羽――それが死の予兆であったかも知れない――という「不思議な話」の後半部が、自然な形でジョイントされ、筆者の優しい気持ちが素直に伝わってくるところにある。妹が素朴に笑いながら言うところもかえって子供らしく、リアルである。


*   *   *

●消えた幼女


  春休みの終わり、帰宅が遅くなった私は、早歩きで近所の小学校の裏門に通
 りかかった。
  若者がたむろっていることがよくある場所だ。今日はどうだろう、と思いな
 がら門の方を見つめて歩く――静かだ。人気はない――と――かすかな耳鳴り
 が始まるのと同時に……
……視界に小さな子供の影が。
『こんな時間に女の子が一人で危ないなぁ……。親はどうしたんだろう。』
とぼんやり考えていたら、影は門の前で止まった。私は門の前、女の子の脇を通り過ぎて、ぼーっとしながらも
『いや、やっぱり声をかけた方がいい。』
と思い直して視線を返したところ、思わず「え?」と声を上げてしまいました。
 視界から外れたほんの数秒の間に、女の子はその場から消えていたのです。しばらく辺りを見回して見ましたが、影も形もないのです。複雑な気持ちで家に向かいながら、私はふと気づきました。
 この辺りは街灯も少なくて、『』でしか確認していないはずなのに、それが『女の子である』と、なぜ分かったのか?! そして、なぜ私は『見ていないはずの〝〟』を覚えているのか……?!
 しばらくの間、その〝顔〟が忘れられなくて怖かったのですが、今は何ともありません。なぜなら……今は思い出そうとしても……思い出すことが出来ないからなのです?!
 一体、なんだったのやら……。

★このつかみは一見、一瞬の幼女の消失の恐怖であるが、実際には、限られた光しかない闇の中で「女の子である」と分かったことと、その顔を「覚えている」ことの遅れてくる恐怖にこそ本当の恐怖の核心部分がある。そして何故か「今は思い出せない」ことの不思議さも含めての恐怖が襲ってくるのだ。


*   *   *

●振り返ると……


  私が小学生の時、実際に体験した話。お盆に家族で、お墓参りに行った。墓
 所のある山の上の方まで車を走らせ、墓参は滞りなく終えたのだが……
……また車に乗り、私は助手席の後部座席に座っていました。山を下っている時、なんとなく窓の外を眺めていると、とても長い黒髪で、顔はその髪で覆われていてほとんど見えず、真っ白なワンピースを着ている女の人が走っている一本道の脇の壁の所に立っていたのです。この場所は、ほとんど墓所への専用で人が歩くような所ではなかったので、私はとても驚き、怖くなって一瞬顔を伏せてしまいました。しかしまた、怖いもの見たさもあって恐る恐る顔を上げて、伸び上がって車の背後を振り返りました。――しかし、そこにはただ一筋の山道が伸びているだけ――誰も立っていなかったのです。
 家に帰るまでこのことは誰にも言えませんでした。夜、寝る時に、昼間、助手席に座っていた母に、この話を打ち明けたところ、母は「え? そんな人見なかったわよ。」とけんもほろろに否認されてしまったのを覚えています。私だけが見てしまった、あの女性は一体、何だったのでしょう……。

★行き過ぎた一瞬の面影――振り返った向こうに伸びる人気のない墓に通ずる道――彼女だけに見えた顔のない白いワンピースの黒髪の女――一瞬、一瞬の映像が鮮やかに蘇るようにセットされた――最後はベッドの彼女を寝かしつける優しい母――すこぶる映像的な怪談なのである。


*   *   *

●猫が消えた道


  私が小学校低学年の頃、猫が賑わう通りがあった。通学路ではなかったけれ
 ども、この道を通って猫に触れ合うのが私の楽しみだった。猫たちは人懐っこ
 く、その近所の人から餌をもらって生活していた。……
……ある時、その通りで猫が一匹、車に轢かれました。そしてその次の日にも、犬か猫かわからない動物が、猫がいる通りの近くで車に轢かれました。小さかった私は、二度目の事故現場の動物を垣間見て、家族に
「大きい犬の大きさの猫が轢かれた」
と言っていたそうです。
 その二つの事件を境に、あの通りに猫を見なくなりました。しかし、もちろん残りの猫が轢かれて亡くなったわけではありません。しかし確かに、文字通り、猫の子一匹いなくなり、猫は通りから完全に姿を消してしまったのです。……
 『猫は死期が近づくと姿を消す』と言いますが、その猫達は歳老いて姿を消したのか……それとも……死んだ仲間を見て、危険だと感じてそこを去ったのか……未だにその通りには猫を見ません。

★エンディング、「…未だにその通りには猫を見ません。」が不思議な話の締めくくりとしてよく効いている。猫は古来から人語を操ったりした。私の昔の教え子に、猫は異次元に住んでいて、目の前から消えてゆくのを確かに見たことがありますと真剣に語った女子高生のことを思い出す。


*   *   *

●猫に命を救われた話


  私の父は大の猫好きであった。幼い頃から野良猫を見つけると拾って飼うこ
 とを常としていたという。……
……その当時、父の家では二匹の猫を飼っていた。一匹は「モモ」という猫で、人間の言葉を喋ったという。鳴き声交じりで「ごはん」というはっきりとした言葉で言ったそうだ。それだけでも私は凄いと思ったが、もう一匹の猫の話には正直、驚いたものだ。
 その頃の父は寝る時も猫と一緒で、そのもう一匹の「こたろう」とは特別に仲良しだったという。
……ある日のこと、父が部屋の窓から手の届くところにある電線に誤って手が触れそうになった。すると、「こたろう」が父より先に電線に飛びついて先に触れ、感電して死んでまった。……父はまだ物心がついたかどうかという幼い自分のために、「こたろう」が犠牲となって、危険を知らせてくれたんだと、私に話した。……
 私は、猫や犬、人間以外の動物の能力を人よりずっと劣ると決めつけていたところがあったが、やはりどんな動物にも、鋭い感受性があるんだと、この父の話を聞いて何だか心温かくなったのを思い出す。

★二つ目の猫奇談であるが、この電線の話は強烈なインパクトがある。父親の幼い日の話であるが、彼が子に語るこの怪談は、怪談の体裁をとりながら、その実、最後に語られるように人と動物の、心温まる佳品となっているのである。


*   *   *

●笑い声


  小学校三、四年の頃の私の体験したことである。一緒に学校のトイレに行っ
 た。手前から二つ目の個室に私、友人はその隅の個室に入った……
……出ようとして私がドアノブに手をかけたその時です。奥の方から笑い声が聞こえました。慌てて出ると、友達は既に出ていました。私はその友達が笑ったのだと思い、
「今さっき笑ってたけど、何か面白いことでもあったの?」
と聞くと、
「えっ? 笑ってなんかいないよ?」
と言うのです。しかもその友達は笑い声なんて聞こえなかったと言うのです。
 ……あの時、トイレには私達二人だけで、誰も途中に入って来たりはしなかった……二人しかいなかったはずなのに……。しかしその日のことは気のせいかもしれないと思い、特に気にせずにしまいました。
 二週間後、その日私は委員会の仕事で遅くまで学校に残っていました。友達も先に帰ってしまっていました。例のトイレに入りました。もう四時を回っており、生徒用トイレはしーんとして誰もいません。その日は一番手前の個室を使いました。ドアの鍵をかけた、その時――またあの笑い声が聞こえてきました――。
 妙に怖くなって個室を出ようとしたとたん、
――!!!!!!!!!――
一番奥にある多機能トイレのブザーが鳴り響き始めました。個室を出たところで、ブザーを聞いた何人かの先生が駆けつけてくれました。
 後日、先生から聞いた話ですが、あの日鳴ったブザーは誤作動に過ぎないとのことでした。
 でも実は――後に私以外にも笑い声を聞いた人は何人もいたと聞きました。誰の笑い声なのか――それは誰も知りません……。

★いわゆる都市伝説「トイレの花子さん」タイプの話であるが、しかし、話者自身の実話として細かな描写部分にリアリティがあり、ブザーの誤作動という叙述なども(このブザーの音がショックとして利いている)かえって事実であったことを感じさせる。次の話柄も同じタイプであるが、何と! 本校の怪談である。


*   *   *

●一番手前の個室


 これは私が高校二年生の時に実際に体験したことである。
 ある日、私は友人と一緒に次の授業の教室に向かっていた。その教室は学校の東館二階にあり、教室の目の前にトイレがある。
 友人に「トイレに行くから先に行ってて」と言われたので、私は一人、教室で友人を待っていた。しばらくして友人はやって来たが、個室の扉を誰かに叩かれた、と言った。どうせ誰かのいたずらだろうと、私はたいして気にも留めずにいた。
 数日後、放課後、部活の前に、あまり人気のない校舎へ入り、トイレに入った。あの日、友人が扉を叩かれたと言っていたトイレであった。途中の廊下には誰一人としておらず、自分の足音以外は何も聞こえない。
 入ってすぐ、左側の一番手前の個室を使った。
 しばらくして、
コンッ……コンッ……」
と二回――扉がノックされる音が響いた。よく耳を澄ましていると、ノックされているのは間違いなく私が入っている個室の扉――。
 恐る恐る、私は扉の隙間から外をのぞいてみた――が――人影は全く見えない。その上、人がいる気配さえも感じられない。それもそのはず。そもそも私は、誰かがトイレに入ってくる音すら耳にしていなかったのだから――。
 不安はあったものの、私は思い切って個室から出、トイレを見渡した。
 ――それでもやはり人はいない。
 トイレの外の廊下を眺めたが、人の姿は見られなかった――。
 誰かがいたずらにトイレの扉を叩いたのか? わざわざ音を立てずに入ってきて、音も立てずに逃げ去った? いや、そもそもそれ以前に、生徒の下校した校内で、一切音を響かせずに歩くことなど出来るだろうか?
 ……私は、そんなことを考えるうちに、友人のあのノックの話が、恐ろしい真実であったことを悟ったのだった……。
 後日、複数の友人にこの話をしたところ、私と同じ体験をした人は他にも数人いることが分かった。その全員が一番手前左側の個室でのことであったという。
 あの個室には……「人ではない何か」が棲みついてでも、いるのだろうか……?
 学校に怪談は付き物である。私は今でも怪談などというものを信じるつもりはない。が、この学校の――東館二階トイレの左側一番手前の個室――ここにだけは、絶対に入らないと、決めているのである――。

★これは本校の怪談として活字化された初めてのものとなろう。そこで特にほぼ全文を掲載した。学校の怪談は進化し、伝承する。想像を遥かに超えて――数年後、数十年後、この話はどう変化してゆくか、楽しみである。


*   *   *

●螺旋階段


  心霊スポット好きの私の兄が実際に体験した話。兄が友達と訪れたのは……
……今は誰も住んでいない一軒家の廃屋だった。夜中、こっそりと入り込んでみた。懐中電灯で照らすと、床に写真が落ちていた。黄ばんで汚れた写真には父母と小さな女の子の三人が幸せそうな笑みを浮かべて写っていた。この家の家族のようだった。
……すると……何か音がした。
……何か物が落ちたのかと思ったが、よくみるとその家の二階に上る階段の辺りでしたのだった。そうしてそれは普通の家のものと違って、螺旋階段になっていた。
……単に物が落ちたのなら、その構造から見て、途中で止まるはずなのだが、
――トン――トン――トン――
と下まで、止まらなかった。それは何かものが「落ちる」というより――何者かが「降りる」――という感じだった。鼠のような動物が下りる音では決してなかった。
 その家に住んでいた家族は一家心中したと聞いている。
 もしかすると階段を下りていった音は……意味も分からずに亡くなった女の子の霊が、今もさまよっている、その足音だったのかも、知れない……

★幸せだった団欒の一時を切り取った汚れた写真が懐中電灯に照らされるシーンが映像として鮮やかで怖い。螺旋階段というものそれ自体が、何となく非日常的で神秘的で、そこに降りてくる音――螺旋に落ちてくる音がSE(サウンド・エフェクト)として恐怖を演出しているからだ。


*   *   *

●白い人形ひとがた

  

  夏休み、父の田舎での体験談。実家の周りには田圃が広がっていて、道には
 ろくに街灯もない。コンビニも家から一キロ以上離れていた。――その日は滞
 在五日目、田舎の夜長のつれづれに、父と兄と私で花札を始めたのだが……
……夜も更けてきて、つまんでいた菓子がすっかりなくなってしまったので、次に負けた者がコンビニまで買いに行くことになりました。
 コンビニまでは一本道なので道に迷ったりはしないのですが、この時は、なぜか不安な思いが胸をよぎりました。その一本道の途中には鬱蒼とした森を背後にした大きな神社があるのですが、正直そこは、夜には近づきたくなかったところだったからです。
 行きは、なるべく神社の方を見ないようにして急いで歩きました。
 その帰りのことです。
 神社の前まで来ると、思わず見てしまった神社の奥の方に――何か白いものが光って見えたのです。――
 私は目が悪いのですが、その白い光がはっきり見えるので、思わず気になってしまい、無意識のうちにそっちの方へと近づいてしまいました。
 近づくにつれてその白いものが人の形をしていることに気づきました。
……私は言葉に出来ない不安と恐怖を感じ、すぐにそこから逃げようとしたのです……が……体がどうしても動きません……
……そしてその白い人の形をしたものがだんだんと近づいて来ました……
……私は怖くなり目をつぶろうとしました……が……それさえも出来ないのです……
……目の前に「そのもの」が迫ってきました……
……その「顔」が見えました……私は泣き叫ばんばかりだったのです!……
――なぜなら――
その顔は血まみれで――それでいながら――にっこりと――笑っていたのです!……
 その瞬間、私の体が自由になりました。私は脱兎のごとく家に走り帰り、泡を食ったように父と兄やその他の家人に、今見たことを震える声で話しました。
 しかし父も兄もにやにやするばかり、誰一人信じてはくれませんでした。
 結局、私が見たものは何ものだったのか、未だに不思議なのです。……ですが、ここに限らず、私はあらゆる神社の前を、なるべく通らないようにしているのです……。

★本格的な霊異譚として、手堅い、なかなかよい怪談である。見ないようにしようとする心理が思わず見てしまう、そこから霊界への風穴が開き、目もつむることも出来ず、金縛りとなって、究極のショックが見せつけられる。闇の濃さが美事に感じられる話である。


*   *   *

●姉の夢?


……姉と私は独立した自分の部屋を持っている。その日は疲れから夜の八時頃から布団に横になっていたという。同じ時、私は居間で母と妹のなっちゃんとテレビを見ていた。すると突然、姉が起きてきて居間にやってきた。そうして妹に向かってこう言った。
「さっき、布団を掛けてくれたよね?」
みんなはきょとんとした顔になってしまった。なぜなら姉の部屋には妹はおろか、私も母も誰もここから出て行った者は一人もいなかったからだ。しかし、姉は真面目に言い張った。
「……さっき、ふと目が覚めてしまって……そうしたら金縛りになっちゃったの! 気づいたら近くになっちゃんがいて、ニコニコしながら布団掛けてくれて……そうしてなっちゃんが部屋を出てゆくのもはっきり見たし……何だか妙だな、と思って確かめにきたんだから!……」……
……結局、夢だったんだろうということになったけれども……姉は寝覚めの良い人である……彼女の中では本当に夢で片づけられるものだったのだろうか? 不思議に思う体験だった。

★金縛りは入眠時幻覚としては一般的ではあるのだが……妹のなっちゃんの行動が如何にもリアルだ。大人でも子供でもない境界的年齢の少女は昔も今も巫女である。もしかするとなっちゃんは自分でも知らないうちに幽体離脱していた……という解釈もありか?


*   *   *

●二週間で空く部屋


  友人の体験した話である。彼は大学に合格後、間もなく事故で両親を失っ
 た。勉学を続けたかった彼は両親と住んでいた家を売り、アパートに移った。
 部屋は階段を上がって一つ目の部屋だった……
……このアパートのこの部屋、当時としては破格に安かった。しかし、立地条件が悪いわけでもなく、その安さが不審だった彼は借りる前に、大家に正直にその理由を聞いてみた。すると大家は、如何にもばつがわるそうに、この部屋を借りた人は、何かの都合で二週間以内に出て行ったり、突然居なくなったり、言いにくいのだが、奇妙な亡くなり方をしたりなさる、と告白したという。
 ところが楽天的で根っから明るい友人は、これをいささかも気にせず、むしろ安くて静かで良かった、と思ったという。
 引っ越して初日、夜も遅く十一時にもなろうとした頃、友人はやっと荷物も片づけ終え、眠りについた。
 しかし夜中に目を覚ました。
――コツン――
という不思議な音が近くで聞こえた……が……疲労から、彼はまた眠ってしまった。
 ――この不思議な音は十日以上も続き、さすがに気になった彼はとある友人に相談した。この友人には霊感があるということで、相談したその日の夜、引っ越し祝いも兼ねて彼のアパートに来てもらうこととなった。
 七時頃、この友人が来訪し、部屋を見てもらった。するとこの友人は、特に問題はない、と請け合ってくれたのだった。それを聞いて安心した彼はその後、この友人と話をして帰ってもらい、結局、寝たのが十一時過ぎだった。
 ところが……この日も、音がした……しかしそれは……コツン……ではなかった。
――ドタドタ! ドタドタ!――
と階段を上り下りする、沢山の音だった……。
その音にびっくりした彼は、思わず起き上がって窓から外を見下ろした……
――階段の下に――沢山の子どもたちが――一斉に――その見下ろしている彼を見上げていた――
 彼が次の日、この部屋を解約したことは言うまでもない。
 部屋を去る時、ふとアパートの外階段を数えて降りた
 その階段は、十三だったそうだ。

★十三階段というのは絞首刑の階段数として西洋からもたらされたものであるが、キリストの処刑が十三日の金曜日であったとされる俗説(事実は違う)から生まれたもので、実際の絞首刑施設に十三階段はない。しかし、日本でも深く忌まれる数字として洋の東西を問わず、ホテルには⑬号室はないというのも事実である(ご存じのように「死」を連想させる④号室もない。因みに海外のホテルには普通に④号室はある)。この話、しかし、見上げる子どもたちの視線が、超コワイ! 恨みを語れぬ子どもは、実は最も怖いのだ!


*   *   *

●祖母の目に映っていた風景


  景色は人によって見え方が違う。見ている場所も見方が違えば違って見える。
 誰もいない教室を見ても、ある者は恐いと思い、ある者は侘しいと思い、はた
 またある者は美しいとも思うのである。それは人格やその時の心の在り方で決
 まる。……
……私はよく祖母と散歩をした。季節はちょうど冬だった。木々にはほとんど葉がついていなかった。私と祖母は枯葉が一枚だけ残っている木を眺めながら、少し世間話をしていた。すると、その時、その最後の一葉が――散った。私はそれを見て、少し淋しいような何とも言いようのない気持ちにはなった。しかし、それだけのことであって、すぐに横の祖母の方を向いた。祖母は――とても悲しい表情をして――まっすぐに私を――見ていた。
 私は祖母に「帰ろうか?」と言った。祖母は「帰ろうか」と返した。
 二人で家路についた。
 その途中、花屋の前を通りかかった。祖母は突然、
「……あたしゃ、もう、長くないね……」
と言って、花を買って、私に渡した。花に詳しくない私は、残念なことにその花が何という花だったか分からなかったけれども(今にして思えば、何の花だった分からなかったことが、また少し淋しい気がするのだが)、私はちょっと言葉に詰まって言った。
「ばあちゃんはまだまだ元気だよ」
すると祖母は、
「……切り花はあまりもたないから、しっかり花を見ていてやるんだよ……」
と私に言うと、そのままさっさと先に行ってしまった。私は慌てて追いかけた――。
 次の週、花びらがすべて散った時、祖母は天に召されて逝ってしまった――。
 ――祖母の目には、あの日あの時――どんな景色が映っていたんだろう。――
 私はそれが気になって仕方がない。

★個人的には非常に好きな一篇である。私にはこのおばあちゃんの悲しい顔が見える。それを見ている筆者の顔も心のスクリーンに浮かべることが出来るのだ。散りゆく最後の一葉さえスロー・モーションで見えるのである。「末期の眼」という語がある。死に行く者の眼には、平凡な風景も、一変して人生的哲学的なものとして見えてくるものなのである。


*   *   *

●私が思っていた不思議


  私の曾祖母は三年前三月二十一日に亡くなった。曽祖父は今年の三月に肺
 の病気で湘南の病院に入院した。……
……祖母が毎日お見舞いに行っていましたが、医師から残念ながらもう助かる見込みは少ないと告知されたそうです。祖母は、肺がやられて呼吸するのも苦しそうな曽祖父を見ていられなかったらしく、ある時、曾祖母の遺影に
「……もう連れていってあげて……」
と呟いたと言います。
 そして、祖母がそう呟いた翌日、曽祖父は亡くなりました。呼吸器不全でした。
 その日は二十一日、曾祖母が亡くなって三年三カ月後に曽祖父は亡くなりました。
 二十一日という日付けといい、祖母の呟いた言葉といい、すべてが重なってしまったように思えました。これは本当に、曾祖母が迎えにきてくれたのでしょうか……?

★数字の数奇な一致は私も体験した。母の死の午前五時二十一分と、一か月後の命日の朝の同時刻に、二度とも母が可愛がっていた愛犬が鳴いたことが、どうしても偶然とは思えなかった。母の弟の死の同時刻に私の家のチャイムが鳴ったのも……。何か、不思議な力がそこには働いているように思えて仕方がないのである……。


*   *   *

●自分の死を予兆した祖父


  父の祖父は私が四歳の時、友人と長野県に温泉旅行に行き、その旅先で亡く
 なった。その折りの話である。……
……祖父は旅館で倒れ、病院に搬送されましたが、なかなか意識が回復しませんでした。祖父が倒れたという連絡を受け、私たち家族は長野に向かいました。
 息せき切って病室に入ったその時、ずっと意識不明だった祖父は私達が着いたとたん、目を開いたのです。会話もしました。その様子を見て、私たちは『もう大丈夫だ』と思いました。
 次の日、安心して私たちは帰ると……祖父は……その直後に亡くなったのでした。
 まるで死を少しだけ引き延ばして……私たちが会いに来るのを待っていてくれたかのように。
 その後、父から聞いたのですが、祖父は旅行に行く前夜、父に電話をしてきたと言います。祖父は旅行好きでよく出かけており、今まで旅立つ前に電話をかけてきたことはありませんでした。それなのになぜ今回だけかけてきたのか、父は不思議に思ったそうです。下らない世間話をした後、電話の切り際に祖父は
「母さんを頼んだぞ。」
と言ったそうです。旅行に行くだけなのに大袈裟な話です。
 しかし、今思えば……祖父は自分の死が分かっていたのかも……知れません。

★死期を予兆するという話はしばしば聞かれる。この話はしかし、実際に「母さんを頼んだぞ。」と言われた実の父の話であり、その直前に意識不明からぱっと目を開いた祖父の筆者自身の事実の映像と相まって本当の話としての不思議さをうまく伝えているのである。


*   *   *

●淋しがり屋だった祖父


  去年の冬、母方の祖父が享年七十六歳で亡くなった。今の時代に少し早すぎ
 る死だと私は思う。初孫の私を祖父は溺愛し、剽軽で優しい、私とよく遊んで
 くれる祖父が私も大好きだった。彼は木工工芸作家だった――木彫りにガラス
 を嵌め、少し太めの糸を張って作った船や家――その出来栄えは誰もが感嘆す
 るものだった――そんな祖父に私は子供心にも何か誇らしいものを感じてもい
 た。……
……祖父はともかく楽しい性格の人だった。間違い電話が掛ってくれば、その相手と仲良くなるし、人類皆友達という考え方の持ち主だった。そんな祖父だったので葬式や告別式はあまりしんみりとしたものではなく、下手するとうっかりあの世から祖父も加わって一緒になって楽しむんじゃないかと思わせる雰囲気だった。――ただ、泣かない人が多かったのかと言えば、そうではなく、色々な人に慕われていたから、泣きながら焼香する方も多かった。やっぱり祖父は誇らしい人だった。
 ……その時の不思議な話である。
 告別式の前日、母の姉の一家は式が行われる会館に泊まっていた。
 通夜では蠟燭を必ず一本灯し続けることになっていた。ところが、それが皆が寝静まった真夜中に消えてしまった。……誰も気づかなかった……すると……明け方の四半時過ぎ、部屋に置かれていたテレビが
――!!!!!!――
突然点いた。母の姉がその音に驚いて起きた。……テレビにタイマー機能はない……寝床のそばにあったリモコンをうっかり押したのかと思ったが……裏蓋をとってみると、そもそも電池が入っていなかった……それを見て一同が一瞬、蒼ざめた……が、ふと、蠟燭が消えていることに皆が気づいた。
 姉一家はもしかしたら父(私の祖父)が
『おいおい――蠟燭、消えてるよ――忘れないでおくれよぉ――』
と茶目っ気を出してテレビを点けたものと思い至ったという……。
 ……祖父は普通の人以上に人と関わることが大好きだった。その分、淋しがり屋でもあったのだ。
 余談であるが、祖父は病室で家族と孫の皆に見守られながら息を引き取った。その時、祖父の最愛の妻、私の祖母が言った言葉が忘れられない。
「生まれ変わったら、またあなたと結婚する。」

★一読、怖さというよりも筆者や登場人物の温もりが伝わってくる。余談である最後の一言が、そうした流れを総て包み込んで、終わる。ちょっといい怪奇実話という噂話をしばしばネットでも見かけるが、これはそうした作り話っぽさを微塵も感じさせない優れた実話なのである。


*   *   *

●見知らぬ女性の横顔の写真


  父の実家の仏壇には、祖母や祖父、その兄といった亡くなった先祖代々の写
 真が上の方に飾ってある。ところが……
……そことは別に小さな机の上にお線香と供え物と一緒に斜めを向いて座っている女性の写真が置かれています。
 小さな頃は、別段気にしていなかったのですが、昨年の夏、お盆で実家に行った時に、気になって父に聴いてみました。すると……
……祖父がまだ生まれる前に、その女性は本家に嫁いできたのですが、何らかの理由で家を追い出されてしまったのでした。
何年か経った後、彼女は亡くなったのですが、本家のお墓には入れてもらえなかったそうです。
しかし……その日から本家では不思議なことが起こるようになりました。
 夜、決まった時刻になると家中の窓から
――バン! バン! バンッ!――
と、まるで人が叩くような音がするのです。……
飛び起きて見回ってみても、人の姿はありません。……
 困り果てた本家の人々は、菩提寺のお坊さんに家に来てもらいました。すると――お坊さんは家の敷地に入る前に、
「――家の周りを女性がぐるぐると回っておる……」
と呟かれました。慌てて例の女性の写真を見せたところ、
「この人に――間違いない――」
と静かにおっしゃったそうです。……
 そこで、お坊さんの言葉に従って写真を飾り、お供え物とお線香を焚き、供養してあげたところ、その日から謎の音はしなくなったと言います。
 ――そんな訳で――私の祖父の家には――今でも――彼女の写真が――飾ってあります。

★個人的には、この話が今回、私が最もぞっとした話である。それは恐らくこの女性の写真による。斜めを向いている写真は遺影としては普通でない。その斜めに構えているところに、既にしてあるリアルな彼女の無念さが伝わってくるではないか! 私も祖父の家で、明治の頃の本家の写真を見、そのある女性の顔だけがくり抜かれているのを見たことがある。私の祖母は後妻で、その顔のない人物は祖父の先妻なのであった――あの優しいおばあちゃんが……その時、私は、恐ろしいのは霊ではないんだ、生きた人間の恨みなんだ……と、子供ながらに思ったのを忘れられないんだ……