初秋日記 富田木歩 同縦書版へ
[やぶちゃん注:本作は、大正八(一九一九)年十月『石楠』に掲載された木歩の随想である。底本は昭和三十九(一九六四)年世界文庫刊の新井声風編著「決定版富田木歩全集 全壱巻」を用いた。当該底本は基本的に新字現代仮名遣であるが、一部に正字が混在しており、拗音表記も不統一で仮名遣の誤りもあるが、全てママとした(例えば「人間の動作なら口えも出しかねること」の「口え」は「口へ」である。「どす黒い水袋の様なもとが出かゝっている」の「もと」の「と」は「と」の活字がずれて二重に印刷されており、深く「もと」ではなく「もの」の誤植を感じさせるが
初秋日記
何時までも暁の様な空気の冷やかさを感じる朝だ。窓の外の垣に十許り咲いた赤、紫、しぼり等の朝顔は、今朝上ったばかりの雨にすっかり濡れて、輪が皆凹字形にゆがんでいる。
「もう生れるのかね」と姉は箸を休めて言った。私達の話題は直ぐタマの上に移った。
昨日の暮方タマの人恋うさまが何うも只事でないので、私は予ねてタマの産褥に拵えておいた縁側の隅のビール箱に入れていたわってやったが、私が其処を去るとタマはじっとしていないで直ぐ出て来るので、仕方なく私の室の机の下へ置くことにした。今朝も私が机のそばにいないので、タマは家の中を頻りにさまよっているのである。
「タマやお前お産するのかい」姉は斯んなことを猫に云って面白そうに笑った。タマは物うげな顔して姉をみつめた。
「生れたって私は知らないよ。誰か見ておやり……」一人で姉はしゃべり続けている。毎日食事の仕度と、掃除と、それに御近所へでも遊びに行って話しこむより外に何んの
「訳あるものかね。猫が独りで始末するさ」は母歯の悪い口で納豆をもがもがさせ乍ら云った。
妹の留守の淋しい朝餉は、猫の話で意外に賑った。食後私は又タマを、手紙や雑誌で一杯散らかってる机の下の箱に押し込んだ。タマは嬉しそうにゴロゴロ咽喉を鳴らしてる。私はちょいちょい机の下を覗いて見た。
台所で朝餉の後始末をしてた姉もそわそわと私の室を出たり這入ったりした。そうして猫の一挙一動に頓狂な声を立てた。
「何うしても今日中には生れるね」幼い時から「取揚爺さん」など、家の者にからかわれて來た程、猫のお産にはよく腹をさすってやった私はさも自信ある様に云った。
「そうかい。じやお前お腹をさすっておやりな」姉は猫の箱を引出した。タマはさすられるのを喜んで、仰向になって腹を出した。腹は時々胸から扱き下して来る様に大きく波打った。浮かせてる後足は其の度に痙攣する。
「
友達の誰彼が己れのいやしい性慾上の興味から、交尾期の犬を捕えて来て妙な真似をさせるのを見たり聞いたりしてる私は、自分もそんなさもしい量見から猫のお産の世話をしている様に見られはしまいかと思った。で「始めから余り見てやると癖になるよ」と母が口を出したのを好い幸いにして私は箱の下へ押し込んで了った。私は猫のことを忘れて暫く新聞を読んでいた。
するとタマは急に鳴き出した。箱を引出して見ると
「あッ。出た出た」私は思わず声をあげた。タマの尻の方から、どす黒い水袋の様なもとが出かゝっている。私は周章てゝ、襤褸の嵩まっている方へ尻を向けさせて箱の中へ抱き入れた。タマは余程苦しいと見えて、直ぐ四肢を突張った。
どす黒い袋を被った仔猫が生まれた。親になってタマは、素早く其れをかくす様にして舐め始めた。袋は破れて仔猫は見る見る内に上半身を現わして動き出した。
すっかり袋を舐め取って了ってからも何か頻りと嚙んでいる。見ると其は臍の緒を嚙み切っているではないか。――親としての務めを発育と共に自覚する動物の神秘的な能力。私はさき不愉快な感じなぞ忘れて了って、たゞ其の驚異の眼を見張った。
「誰も教えないのに感心だねえ」
「ほんとに人間なら大騒ぎだよ」
何時の間にか母も姉も集って来て旺んにタマを賞めそやした。
隣の姉さんも帯を長くたれたしどけない姿で見に来た。そうして「お前たちが見ていると猫が怒って生まないよ」と窓にたかって来る近所の子供を叱った。
親猫は皆の顔を偸み見ては仔猫を舐めた。仔猫の赤くむけた様な濡れしょぼれた肌からは、親猫の一ト舐め毎に白粉刷毛を思わせる様な柔かな毛が立って行った。
間もなく二匹目が生まれた。続いて又一匹生まれた。私達はその度毎に驚異の叫びをあげた。
昼からは十五日なので徒弟奉公をしておる友達が遊びに来た。私は一々猫の産褥を見せた。猫の子は何時か五匹になっていた。もう皆生れたのであろう。タマはふくよかな腹毛に、鼻面と手先きの薄赤い仔猫を取りつかせている。
私は彼等より外に此可愛らしい仔猫を見せてやり度い友があった。それは俳人の一人の少女である。其少女も家が或る内職をやっているので、矢張り斯うした休日にはきまって訪ね来るのである。彼女はあの美しい声をあげてきっと喜ぶに違いない。そうして、二人で仔猫の前途を祝う句を作ってやろう。――私は斯んな他愛も無い空想に耽った。
曇り空の暮早に、はや鳴き初めた籠の鈴虫をじっと聴いていると、窓の簾越しに女にしては飾らない、髪もさばさばと総髪の銀杏返しに結んだ私の待つ少女が見えた。手には土産物らしい紙包を提げて、幼い妹を連れている。
「今日浅草へ行ったので、晩には来られないから一寸寄ったの」彼女は斯う云って微笑んだ。
幼い妹は語る間も惜しい様に彼女を急きたてた。彼女はじきに帰って了った。私は便り無い淋しさをしみじみと感じた。妙に感傷的な気分にそゝられて、句も作る気になれなかった。
夜、姉は妹の留守の淋しさに、又明るい灯の下へ猫の箱を引出した。仔猫の乳を吸う音は、桶の魚が水呑むそれの様にシチシチと鳴って秋の夜を深めた。 (大正八、八、二〇)
―大正八年十月「石楠」掲載―