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詩集  白鳥   増田 晃

                                        注記 copyright 2007 Yabtyan
[やぶちゃん注:増田晃 ますだあきら 大正4(1915)年1121日、東京府に生まれる。東京帝国大学法学部入学後、彼が中心となって創刊した詩誌「狼煙」に作品を発表、田中克己等と親交を結ぶ。昭和161941)年刊の詩集「白鳥」で詩壇の脚光を浴びるも、直後の同年3月21日出兵、翌昭和17(1942)年3月陸軍経理学校入学のため一時帰還、8月卒業。同月22日結婚。9月9日再び戦場へ復帰。昭和181943)年7月5日午前1時30分、河北省承徳市隆化県石灰窯にて戦死。28歳であった。
 本復刻に当たっては、岐阜女子大学図書館の中嶋康博氏による「四季・コギト・詩集ホームぺージ」「明治.大正.昭和初期 詩集目録」の増田晃のページからリンクされた『増田晃第一詩集「白鳥」』の表紙等を含む全ページの全写真版を底本として用いた(私は原本もその復刻本も所持していない)。以下に当該サイトに示された書誌を記す
 増田晃第一詩集「白鳥」 昭和
161941)年3月15日 小山書店刊行

          22.0cm×15.0cm 232p 上製カバー ¥4.80 刊行数不明

 構成上、底本では本文最後、「覺書」の前に配されている「目次」を冒頭へ移した(ここでは字配りポイントを無視し、リーダーと頁数は省略した)。本詩集の原本の表紙・見返し・扉・挿版画及び卷末の挿絵等は上記のページで写真版を御覧頂きたい(該当サイトは画像や各個ページへの直リンクを禁じているため)。傍点「丶」は下線に代え、踊り字「/\」に濁点が付いたものは、正字に直した。底本のルビは( )で表記し、読みの振れるものは原詩の印象を損なわないようすべて後注で判断を示した。それらの読みは本文表記に則して歴史的仮名遣いを示した。同後注では、それ以外の内容や語句について私の注を附した。特に必要と思われる部分以外は、活字のポイントの大きさの違いを無視し、また注記もしていない(たとえばそれぞれの詩題のポイントは大きい)。最後に、「増田晃」の名前の漢字表記であるが、扉の手書き風標題(彼自身の筆跡かどうかは不明)は「増」であり、奥付の著者名は「增」、「版権所有」者印も「增」であるが、私は自筆の可能性が高い標題の「増」の字を採用した。
 最後に、本翻刻に際して、縮刷版復刻本を所持する私の知人“こるじせぷす”女史(彼女は私にこのPuer Eternus増田晃を教えてくれるという貧しい僕の人生に彩りを添えてくれた感謝に足る人物でもある)による一部の本文翻刻の協力(電子テクスト化)及び私の不明点への照会の労を得た。ここに記して、深く謝意を表す。]

 

目次

 

序詩

白鳥

桃の樹のうたへる

 

春の雲

新緑の誘惑

安息

セレナーデ

春の雲

その日

バルコン

炎暑を待つ

 

鷄肋集

宣敍調

彈曲

鷄肋集

碑銘三章

 

こひびと

こひびと

雪國のクリスマス

水の反映

ゆめ

田園讃歌1

田園讃歌2

淺草

 

哀歌

おもひで

哀歌拾遺

哀歌

公園の哀歌

孤涯の許婚が戰死せる夫に殉ぜしをききて歌へるばらあど

 

薔薇

冬近し

ばら

杉木立

かげろふ

パイプ

海の鳴る春

山の少女

つゆのはれま

巴旦杏

われは知る

口占

笛歌

法隆寺金堂天蓋天女に寄す

こひびと

 

新樹

野にいでて

爪を染める

汝は活ける水の井

火の鳥

夜曲

伽藍

鎭魂歌

南佐久の夜の壽歌

月光の幻影

西田明史に與ふ

 

讃歌

日光尊者

赤光

雪の山

ゴツホ

創る

牧野のダビデ

母の需めにより光明皇后のおおどをなさんとして作りたる小さきおおど

長詩 飛鳥寧樂のための序歌1

長詩 飛鳥寧樂のための序歌2

城山燃ゆ

日光尊者 再讃

日輪の語れる

 

[やぶちゃん注:以上の目次の底本の字間はすべて無視して詰めた。また、「長詩 飛鳥寧樂のための序歌」の1・2は、この目次ではアラビア数字が用いられており、「母の需めにより光明皇后のおおどをなさんとして作りたる小さきおおど」には傍点「丶」がない点、本文と異なる。]

 

 

 

詩集  白 鳥   増 田  晃 著

 

[やぶちゃん注:以上の総題は手書き。次頁に西田明史氏の挿版画が入る。]

 

装釘   西 田  明 史

 

 

 

     序詩

 

 

 

[やぶちゃん注:この版画と思われるパートごとの一頁分の標題は左右に軸を持った中に文字が彫られている独特のものである(底本写真版で確認されたい)。以下、注は省略する。]

 

白  鳥

 

しづかにゆるく

薔薇色の酒をながすやうに

いつか消えいるそのおもひ

白鳥がすべつてゆく………

 

あつい火の接吻(くちづけ)のあとの

おきどころないこころとアンジェリュスが

やさしい祈りをうたふとき

白鳥がすべつてゆく………

 

雪よりもはかなくとけやすく

藍いかがみにうつるその白

その白をなげくやうに夢みるやうに

白鳥がすべつてゆく………

 

その胸よりわかれるウエーヴのしわは

亂されたとも見えぬばかりに

いつか練絹のあはい疲れとなり

白鳥がすべつてゆく………

 

その白いまろい胸にわかれるなみは

ルビーのさざめきをこぼしうつし

白い手に消えてゆくまどろみのひとときを

白鳥がすべつてゆく………

 

夢によくみるこのひととき

夢のなかからみえてくる幾羽かの白鳥

ただすべつてゆくばかりで

白鳥がすべつてゆく………

 

[やぶちゃん注:「アンジェリュス」の拗音表記はママ(以下、個々の提示は省略するが本詩集では外来語についてのみ、かなりの拗音・促音の小文字表記が見られる)。“Angelus”アンジェラス。カトリックのお告げの祈り。天使(“Angelus”はラテン語で天使の意)によって聖母マリアに受胎告知がなされたことを祝す祈り(朝・正午・夕べの三度、鐘の音とともに行う)。また、この時を告げる鐘の音をも指す。名は、この祈文の初めにある「主の御使(みつかい)」“Angelus Domini”に由来する。]

 

 

 

     桃の樹のうたへる

 

八千年の昔 私はまだ

道のべのたおやかな桃の樹にすぎなかつた。………

 

とある日 比良坂のかなたより

時ならぬ喚聲のあがりくるを聞いた。

かなた咫尺も辨ぜぬ常世の闇のなかより

轟然たる稻妻が八百折に折れつつ

蛇のごと天に走りあがり谺するを聞いた。

その閃きのあひだに 走る大森林のごとく

見た事もない形相の軍が蒼白に現れる。

あたりの草木は逃れんとして髪を振亂し

大地を掃きつつしきりに身悶えて泣きおびえた。

私は多くの黄金(きん)より重い桃子をかかへ、

神に祈りこの鶸なす若枝をさしのべた。………

 

しかしその時汚れた見すぼらしい小男が

息も切れぎれに何度も轉んで膝をすりむぎ

私のもとに走りすがり夢中に實を捩ぎとり

迫りくる黄泉の兵らに恐ろしい力で投げ始めた。

一町と離れぬところで先鋒がそれにたぢろぎ

互いに仆しあひ頭蓋を割られて逃げるのを私は見た。

かの雷神には己の大いなる落雷よりも

赤と緑に熟(う)れたこの小さな桃子がこはかつたのか。………

 

八千年の昔 私はまだ

道のべのたをやかな桃の樹にすぎなかつた。………

 

その男は彈息抑へきれず歡喜し

踊り上つて泣狂ひながら私を抱いた。

「助かつたぞ、みんなおまへのお蔭だぞ、

熟(う)れたみづ/\しい實の唯一つのなかにも

あの黄泉(よみ)の全軍より勁い力があるぞ。

もし私の子孫が危く死にゆかんとする時は

その蜜になまめく一つの實で助けてくれ。

飢餓にくるしみ 親しき友に背かれ

子を失ひ妻に去られ希みなき日あらば、

微風が孕んだ一つの實で助けてやつてくれ。

けふこそおまへを意富加牟豆美(おほかみづみ)命と名づけ

蘇生の神となし大地に祝さう。」………

 

その男は語り乍ら見る見る中に大きくなり、

衣の穢れは落ちてざらめ雪となり晃めき初(そ)め、

その帶はかはつて白桃の虹となり朱の羞らひ、

その髪は山をゆるくつたひくる緑の露のごとく、

その炯々たる眼光は鳥刺に放つ矢のごとく、

そのたくましき腕(かひな)は花の蕋に濡れて大空にうごき、

全身からは白金の日光したゝりて雲つく大祖伊邪那岐命(おほおやいざなぎのみこと)となり

のつしのつしと歩きながら立去り玉ふた。………

 

[やぶちゃん注:本詩は「古事記」に現れるイサナキの呪的逃走神話のエンディング部分をモチーフとする。但し、最終連はイサナキの日向での禊シーンを用いながら、自由に構成したもののように見受けられる。

・「比良坂」は黄泉津良坂(ヨモツヒラサカ)。黄泉の国と現世を繋ぐ坂で、出雲国の伊賦夜(いふや)坂とする。現在の島根県八束郡東出雲町揖屋(現在は「いや」と読む)。

・「かなた咫尺も辨ぜぬ」の「咫尺」は「しせき」で、極めて短い距離を指すが、ここは「かなた咫尺」の合成語で、遠近も判別できぬ程の遠い、或は不思議な常世と黄泉の距離感を示している。

・「八百折」は「やほをれ」。幾重にも折れ曲がったの意。

・「軍」は「つはもの」か「いさ」か「むれ」と読むか。音読の感触からいうと「むれ」が良いか。イサナミが率いてきたヨモツシコメ・イカヅチ等、黄泉の国の軍団。

・「鶸」は「ひわ」で、スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科アトリ科アトリ亜科ヒワ族 Cardueliniの鳥の総称。カナリアSerinusやヒワCarduelis、イスカLoxia、ウソPyrrhula等を含む。一般に狭義ではマヒワCarduelis spinusを指している。

・「汚れた見すぼらしい小男」はイサナキ。

・「すりむぎ」はママ。

・「捩ぎとり」は「(も)ぎとり」と読ませているのであろうが、「捩」は「捩(ねじ)る・(よじ)る・(もじ)る」であって、「もぎとり」ならば「捥ぎとり」が正しい。

・「仆しあひ」は「仆(たふ)しあひ」と読ませて、「倒し合う」の意であろう。音読みして「仆(ふ)しあひ」と読む可能性もあるか。なお、「仆」には「仆死」(ふし)のように「死ぬ・滅ぶ」の意味があるが、続く「頭蓋を割られて逃げる」には続かない。

・「雷神」は「らいじん」とも「いかづち」とも。「古事記」の本文に即すならば、後者であろうが、私は素直に前者で良いと感じている。イサナキの身に纏わるイサナキの体が産んだ八体の雷神(いかづちがみ)を言う。

・「桃子」は「もものみ」か「たうし」であるが、前者を取りたい。

・「勁い」は「勁(つよ)い」。

・「希み」は「希(のぞ)み」。

・「微風」は「そよかぜ」と読ませるのであろう。

・「炯々たる」は「炯々(けいけい)たる」で眼光の鋭いさま。

・「意富加牟豆美命」はオホカムズミノミコトで、「大神の実」の意。

・「晃めき」は「晃(きら)めき」。増田の名でもある。

・「白桃の虹となり」は読解できず。虹を桃の外皮の色のグラデーション部分に喩えて言うか。後の「鷄肋集」の「玖」にも「野牛の群れのかけのぼりし 緑の草原の白桃の虹を忘れず」と現れる。識者のご教授を乞う。「虹」という語は増田晃の詩語の中でもその最も核心にあるシンボルである。

・「朱」は「しゆ」とも「あけ」とも読まれるが、感覚的には「あけ」をとる。

・「白金」は「しろがね」とする。]

 

 

     春の雲







新緑の誘惑

 

鶯でもなくやうに晩春がふるへてゐる。

明るい障子は南京の扇をひろげて

一すじのけむりをうすくみだしてゐる。

 

五月雨のさなか、和やかな眼に映るものは、

すみ切つた淺瀨をさかのぼる鮎のやうな

明るさを籠めた柿であり、楓のかげである。

 

また朝燒をながれる鶸(ひわ)のやうに、

また桃の實のみづ/\しい新しさで、

すべての嫩葉にすきとほる微風である。

 

ああ まだ絹糸草のやうな晩春がかすかにふるへてゐる。

いつとなくぬれてゆく私のこころにも

白い草苺の花がさびしくゆれてゐる。

 

ああ さうだ、私もつめたいゑりの袷を重ねよう。

そして膚にしみる樟腦のかんばしい匂に包まれながら

少女のやうにつつましく傘(かさ)をかたむけて

あの楓と柿のつくる明るい晩春をあるいてゆかう。

 

[やぶちゃん注:動植物を効果的散ちりばめた印象的な春へのオード。

・「鶸」は「ひわ」で、スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科アトリ科アトリ亜科ヒワ族 Cardueliniの鳥の総称。カナリアSerinusやヒワCarduelis、イスカLoxia、ウソPyrrhula等を含む。一般に狭義ではマヒワCarduelis spinusを指している。

・「嫩葉」は「わかば」と読む。

・「微風」は「そよかぜ」と読ませるのであろう。

・「絹糸草」カモガヤDactylis glomerata。北米産のイネ科の多年草。英名をオーチャードグラス“orchard grass”と言い、代表的牧草の一。

・「草苺」クサイチゴRubus hirsutus。バラ科の落葉低木。春、直径4㎝程の白い花をつける。

・「樟腦」は「しやうのう」と読ませるか、「くすのき」「くす」と読ませるかは判断不能。単に「樟」とせず「樟腦」と表記した点や、続く「膚にしみる」「匂」という表現からは、前者の読みかとも思われるが、実際には「樟腦」で「くす」と読ませて、文字のイメージからその「しょうのう」の香を読者に導こうとしているようにも思われる。クスノキCinnamomum camphoraはクスノキ科ニッケイ属の常緑高木。枝や葉に樟脳(しょうのう)の香りがある。樟脳(カンフル)はクスノキから得られる無色透明の固体成分で、防虫剤・医薬品等に利用される。]

 

 

     安  息

 

水は水晶を削つた線に

架る虹のやうに光ることもある。

朝霜をふむ淋しい月のやうにけはひかすけく花になることもある。

 

ああ その冷い泡の一つ一つにも

消えいらで 消えいるごとき

たましひの安息日がある。

 

 

 

     セレナーデ

 

郊外電車のまどぎはに

疲れてよりかかつてゐると、

すぐそばに優しい歌聲が聞えた。

女の子が三人肩をよせて、

窓からふきこむ春めいた風に

愛くるしい髪をふかせながら、

たのしさうにセレナーデを口ずさんでゐた。

 

その愛らしい心になごむ春風、

マリアよ、三人の少女(をとめ)のうへに光あれ。

私はなみだぐみながら

いつまでも寂しい曲をきいてゐた。

そしていつとなく微笑みつつ

明るいのぞみを抱きしめてゐた。

 

 

 

春 の 雲

 

蠟雪がまだらに殘つてゐます

どうだんの赤い芽が

灯(ひ)を点じたといつても

春の寂しいためいきは硝子窓にくもります

 

こひびとよ あの蠟色の空に

ほら さびしい雲が浮いてます

 

[やぶちゃん注:・「蠟雪」は「らうせつ」と読み、本来は中国で陰暦12月に降る雪を言う。漢方では万能の解毒剤とし、これで茶を煎じたり粥を煮れば解熱や喉の渇きを止め、これに食物を浸して貯蔵すると虫害を防ぐともいう。日陰で密封し保存すれば数十年間使用可能とする。ここはしかし、降って残っている雪の表面が解けてまた凍り、見た目が蝋が溶けたような状態になったものを言うのであろう。後の「蠟色の空」(夕暮れの焼けた紅い空を「紅蠟」=赤い蝋燭に比したか。なお「紅蠟」については、次の詩「その日」の注を参照されたい)でも用いられるように、増田は「蠟」という語自体を自身の詩語として好んだように思われる。

・「どうだん」はツツジ科のドウダンツツジEnkianthus perulatus。]

 

 

 

     そ の 日

 

紅蠟の春のなかで

 鶴にでもなりたいその日でした

風は幸福の漣のなかに微笑み

 ヒヤシンスはそのかげに匂ひました

 

ああ あの日は――そう 復活祭

 私たちは白い翅をもつた天使でした

そしてかすかに嘆く讃美歌の咽泣きに

 あの雲の和いだ匂にとけこんでゆきました

 

ああ あのころの二人は

 あの赤い卵のやうでしたものねえ

そしてからだもこころも

 花でつくられてましたものねえ

 

こひする少女(をとめ)よ

 いつしれず匂ひつつ惱(なやま)しいけふもゆく

せめては春の絹雨にけふもお歌ひ

 あの日のなつかしい糸車のうたを

 

[やぶちゃん注:・「紅蠟」は赤い蝋燭。「紅蠟の春」で、後に掲げられる「復活祭」「讃美歌」のキリスト教的縁語イメージを狙った感覚語か。次項に記すように「赤」は「復活」の色である。また一般に紅蝋は点したそこから垂れる蝋を涙に喩えることが多く、後述される春に恋する少女の思いと連動させる意味も含まれるか。読みは「こうらふ」で良いであろう。

・「漣」は「さざなみ」。増田の好んだ詩語。多出するので、以下、注しない。

・「咽泣き」は「咽(むせび)泣(な)き」。

・「赤い卵」 復活祭では赤く染めた卵を飾り食べる。一説には、マグダラのマリアが、ローマ皇帝にキリストの復活を告げるに赤い卵を差し出したことに由来するという。しかし、そもそも「レビ記」1711に「血は生命である」とあるように、血は、赤=生=死=生命=復活をも象徴する。

・「絹雨」は小糠雨。しかし、読みは「こぬかあめ」では無粋。素直に「きぬあめ・きぬさめ」、それが一般的でないと言うのであれば小糠雨=霧雨であるから「きりさめ」と当て読みでもよいか。」

 


 

     雲

 

重い洋書を閉ぢるやうに

 薄暮がただよつてくれば

夕濕りの竹の葉かげにたたずんで

 青い網を重ねる雲を見よう

 

殘り明らむひかりのなかに

 雲のしづかな漣は重なりあふ

そして鳩の翅のやうに細(こま)かくふるふ

 寂しい魚のやうに影を曳く………

 

青靄がひんやりと冠毛をひいて

 灯(ともしび)がその列になつかしくにぢむとき

 

私の心はゆゑわかぬなみだにふるへて

 細かい竹のくらくなつてゆくままに

淡い影をこころ深くうつして

 ひつそりとそれにとけあひつつ暗んでゆく………

 

 

 

     バ ル コ ン

 

海のみえるバルコン

 しつとり青む高麗芝のうへ

けふも快い壓迫がわが八月をたたへる。

 透きとほつた朝の清いめぐみは

ちらちら葡萄の葉蔭に明んでゐる。

 

私は夏の白磁の花瓶を見つめながら

 けふもくる白いレエスの少女を思ひつづける。

明るいあさの野菜のやうに

 夏の日光がきらきらその髪にかゞやく。

「海にゆきませうよ」

 ああやがて健康な微笑が幸福な一日を迎へにくるのだ。

 

眞紅や黄に盲ひたカンナの炎を

 芭蕉の卷葉にうつして潮風がかよふ。

そして私は晴れがましい胸の日光をかきわける。

 ああ紺青の海につづく空の爽かさよ。

私は魚のやうな少女と一しよに

 沖遠く幸を求めつつ泳いでゆかう。

 

[やぶちゃん注:「高麗芝」はコウライシバZoysia pacifica。シバZoysia japonicaと共に芝に利用される代表種。シバに比して葉が細く、更に管状に巻く。]

 

 

 

     春

 

朱い花が光る春! 春!

あたりは太陽の和いだ光に匂ひつつ

微笑むやうにたつぷり搖ぐ。

私のこころは霞む風車になり

くるくる乳色の空を廻しつつ

たのしい春の愛のなかに光を曳く。

 

青く二三寸の麥 微風(そよかぜ)、

たつぷりと流れる春 田川、

なんでもかんでも幻を重ねるやうに

つぎ/\にかすんでゆく春。

 

私はその心を野に投出す。

そして堪へきれない花の朱にもえて

傷んだ胸に太陽を抱きこむ。

なつかしい匂が地上にみちるとき

私のすがたは影となつてしまふ。

 

そのとき明るい素足をみせて

また新しい唄をはこんで來た春!

細い金の素絹を曳いて

春の蜜蜂の羽音です。

ふるえる胸にもえだす春の芽を

南國の小歌で匂はせるために!

 

[やぶちゃん注:・「朱」は「しゆ」とも「あけ」とも読まれるが、感覚的には「あけ」をとる。

・「素絹」は文字通りなら「そけん」で、練っていない生糸で織った絹、織文のない生絹(すずし)の意であるが、そのままここは「すずし」または「きぎぬ」(生絹)と当て読みしている可能性もある。私は感覚的には「すずし」または「きぎぬ」のいずれかを取りたい。

・「小歌」は「こうた」では邦楽のイメージが付随してしまうので、「せうか」と読みたい。]

 

 

 

     炎暑を待つ

 

青鳶色の梅雨あがりの空を壓する

熟した麥の黄金色の匂ひよ

それはながらく見なかつた七月の太陽が

處女の胸になげる最初の接吻である

 

初夏の薔薇いろの土壤に

いま烈しい息づかひはみちる

それはかゞやかしい愛人の髪にきらめく

うす赤い天鵞絨のやうな七月である

 

そのとき熟れ麥の匂は胸をいため

いたむ胸はうれた杏のやうにふるへ

私たちはだまつて手に手を重ねたまゝ

炎暑の快い鞭を待つてゐるのだ

 

[やぶちゃん注:・「黄金色」は「こがねいろ」と読みたい。

・「天鵞絨」の読みは「ビロード(びろうど)」。Veludo(ポルトガル語)。]

 

 

         

      鷄肋集






     宣 敍 調

 

田鶴がはぐれて秋の澤べを鳴き落ちゆくごとく

海へ去りし友のうへをわれら寂しみて暮しぬ

 

籔鶯がさゝやかな願ひを口籠る間に捕はるるごとく

遠く嫁したる乙女のうへをわれら寂しみて暮しぬ

 

落ちし葉ならば掃くべきに芙蓉の薄紅き花びらなれば

捕もちさへ知らぬ小鳥なればわれら寂しみて暮らしぬ

 

[やぶちゃん注:題名の「宣敍調」とは激情を込めた表現の意。

・「田鶴」は「たづ」と読み、ツル(ツル科Gruidae)を指す。歌語。

・「籔鶯」は、種としてはスズメ目ウグイス科のウグイスCettia diphoneを指す。ウグイスは秋から春にかけて平地や低山で過し、チャチャという独特の「笹鳴き」をしながら、藪を伝って飛翔するため、この時期、この名を戴く。なお、この「籔」を「やぶ」の意味とするのは、国訓であって、本来は「籔」は米を揚げるザル、もしくは計量の単位で、十六斗を言う漢字である。断じて「藪」ではない。]

 

 

 

     彈  曲

 

そのかみ愛の女神(めがみ)は二羽の鵠(くぐひ)をいとしみぬ。

大空に漉されし二重(ふたへ)の虹のごとく

つねに竝び飛びきよき思ひを語らひぬ。

ああされど妬みの神ぞ呪はしき。

ひと日かれら夕まけてたかき御空に歸るとき、

俄に霧をしてその路を横切らしめ、

 つひに誓はれしその仲をさきたり。

年經たる二十年後(のち) この世の隅にて、

偶然は二羽にかなしき運合(めぐりあはせ)を惠みぬ。

かれら相抱き嬉しみ泣きて盲へども

されど女神の叫ぶらく、「噫かなし かなし!

汝らに罪ありや 汝らに裏切りありや、

見よ はや一羽の鷹は爪とぎぬ。

 ああわが子らがこの膝に戻りくる日は既になし。」

 

[やぶちゃん注:・「漉されし」は「漉(すか)されし」と読んで、空を大きな紙に比喩し、そこに虹が漉き込まれたと読みたい。「漉(こ)されし」という訓も在り得るが私はとらない。

・「鵠」の「くぐひ」(くぐい)はカモ科ハクチョウ亜科のハクチョウCygnus(総称)の古名。本詩集の題名は「白鳥」である。

・「盲へども」は「盲(めし)へども」。

・「噫」は感動詞「ああ」。]

 

 

 

     鷄  肋  集

 

    壹

 

柘榴をとりてわがうたひたる歌ひとつ、「おお神よ、かく柘榴の自(みずか)ら割りてかゞやきいづるは、御身がうるはしの業(わざ)のあらはれなり。御身は石塊ともおぼしき堅きものに、かへりてうるはしき欲念をあたへたまふ。」

 

[やぶちゃん注:以上の「壹」から「拾貳」の標題は、底本ではすべてポイント落ち。私はこの「壹」の柘榴への偏愛に激しく共感できる。

・「柘榴」は「ざくろ」で、フトモモ目ザクロ科ザクロPunica granatum。]

 

    貳

 

鑷子(けぬき)をとりてわが悔みたる、「神よ、たとへ世のひとすべてわれを拒むも、もし鑷子もて鬚ぬくをりに わが屈托を得ぬき玉はば…」

 

[やぶちゃん注:・「屈托」=「屈託」。増田は好んでこの表記を用いる。以下、注は省略する。

・この最後の部分の「得」は動詞ではなく、上代に動詞「得」の連用形から派生した副詞の「え」で、首尾よく~できる、という可能を表わす。従って本来ならば「え」と平仮名表記すべきところである。]

 

    參

 

薔薇のかをりをうたふわが歌、「薔薇よ、薔薇よ、汝(な)がかをりはわが愛しきの くちに醸(か)めるわづかの酒を、身震ひつ羞らひしつつ くち移さして飮ましむごとし。」

 

    肆

 

 飴をなめてわがうたひたる一息の歌、「神よ、われにあらゆる蘇生をきたらしめたまへ、わが渇きをば生ける水の井より 愛するものの撓む脣より醫さしめたまへ。神よ、われを生かさしめたまへ、牧野の牛とともに水を吸ひ、獅子らとともにおとがひをば濡らさしめたまへ。」

 

[やぶちゃん注:・「撓む」は「撓(たは)む」、「脣」は「くちびる」であるが「くち」と読ませているかもしれない。

・「醫さし」は「醫(いや)さし」と読んで、癒すの意味で用いているのであろう。]

 

    伍

 

椿を見つつわがうたへる一息の歌、「汝は生ける炬火(たいまつ)なり。神はあめなる聖き火より盡きざるのあぶらを汝(な)にそそぎぬ。」

 

    陸

 

 第一の詩章をなさんとしてわが祈るいのり、「われに第一の詩章をなさしめたまへ。われをして天平の光明のみ后(きさき)をば頌さしめ、春の宴げに燦めく宵をかなしましめたまへ。若草のべに春山の霞み壯夫(をとこ)をして、藤を咲かしむの歌をうたはさしめ、愛すべき口ひろき邪鬼をしては、一ふしのセレナアドをも聞かさしめたまへ。われらのいにしへの相聞の歌をば、ふたゝびわが口よりなさしめたまへ。」

 

[やぶちゃん注:・「頌」は「しよう」で、人の徳や物の美などをほめたたえることを言う。仏教では「じゆ」とも読むが、増田はすべて「しよう」であろう。

・「燦めく」は「燦(きら)めく」。]

 

    漆

 

 あはれ必ずや猪(しし)きたりわれを刺さむ。伏すむくろよりくれなゐの花びら散らむ。あねもねよ、あねもねよ、汝こそあはれわが願ふたゞ一つの喜びはた哀しみなれば………

 

    捌

 

 第二の詩章をなさんとしてわが祈るいのり、「われに第二の詩章をなさしめたまへ。われをして緑の蘆をきらしめ、笛吹きて姫君をたゝへまつる歌をなさしめたまへ。月のほてりに臈たけたるその面(おも)ざしを仰見しつつ 幸(さち)うすきわが來し方をうたはんとするその果敢(はかな)さよ。また百鬼つどふ夜々(よるよる)には、われをしてかれを護るうたをなさしめたまへ。有明しのかげに忍ぶ物怪(もののけ)には、はやく護法童子きたらしめたまへ。われらのいにしへの相聞のうたをば ふたゝびわが口よりなさしめたまへ。」

 

[やぶちゃん注:・「臈」は底本では(くさかんむり)が全体にかかる字体。

・「有明し」は古語の「有明(ありあか)し」で、夜遅くまで点している行灯を言う。]

 

    玖

 

 目刺をとりてうたへる。「神よ、かく目刺の眼の青く澄めるは、いたく賤しめられ日に干さるるも、なほ大海の荒々しきを忘れざるがゆゑなり。わが魂けふ虐げられ踏みしだかれて、なほ野牛の群のかけのぼりし 緑の草原の白桃の虹を忘れず。」

 

[やぶちゃん注:本詩は、私には芥川龍之介の「木がらしや目刺にのこる海のいろ」という大正十(1921)年発表の句を強く意識させる。

・「白桃の虹」は不明。虹を桃の外皮の色のグラデーション部分に喩えて言うか。ただこれは地名のようにも思われる。「白桃」を含む地名は和歌山県海草郡美里町の「白桃峠」(しらももとうげ)を見出したに過ぎない。識者のご教授を乞う。前掲の「桃の樹のうたへる」にも現れる。該当注も参照のこと。]

 

    拾

 

 神よこよひ、われは御身が水沫(みなわ)なり、砂まきおこし靜かにふきいで、己(おの)があはれさへ知らざる身なり………

 

    拾壹

 

 神は長き梭(をさ)もてアラクネを打ち、蜘蛛となし永らはしめぬ。われ今宵憤(いきどほ)りあり、にごれる村肝をおさへかねつつ、自ら縊るをさへ許さざりし 神が呪ひをうるはしと思へり。

 

[やぶちゃん注:ギリシア神話のアテナとアラクネの話をモチーフとする。

・「梭」のルビは厳密には誤りである。これは「ひ」もしくは「さ」と読んで、機織で横糸を巻き収めた管を入れる船形木製の道具で、縦糸の間を左右に潜らせて横糸を配するシャトルを言う。対して「をさ=おさ」は「筬」で、竹または金属の薄片を櫛の歯のように並べて木製の枠をつけたもので、縦糸を整え、横糸を打ち込む道具。但し、この辺の呼称は増田が誤まったように、一般には混同・誤解されて用いられていたようである。

・「村肝」は「群肝(むらぎも)」。

・「縊る」は「縊(くびくく)る」。ギリシア神話ではアラクネは縊死し、アテナはトリカブトの汁を用いて彼女を蜘蛛に転生させる。]

 

    拾貳

 

 鷄の肋骨の一筋を洗ひてうたふ、「神よ、人われを賤みて踏みにぢれども、われそを苦しみとせざれば、何の甲斐のあらむや。たとへけふ冬の泥濘にまみれて行方わかずとも、わが夢は霧を瀘(こ)す虹なればなり。」

 

[やぶちゃん注:以上で「鷄肋集」は終わるが、この標題の「鷄肋」については、末尾の「覺書」の「五」も参照されたい。

・「瀘」は誤字(これは中国の河川名を示すのみ)。「濾」が正しい。]

 

 

 

    碑 銘 三 章

 

   ○自爆三勇士の碑銘

 

日の御(み)いくさが進むべき路ひらかんと

自らを爆せしそのかみの勇士らここに眠る。

櫨こぼる久留米に産れ、仆れて神となりき。

 

[やぶちゃん注:標題中の「自爆三勇士」は上海事変中の昭和7(1932)年2月、中国軍が上海郊外の廟行鎮に築いた陣地鉄条網に対し、点火した破壊筒をもって突入し、自らも爆死した独立工兵第十八大隊(久留米)の三名の一等兵を指す。「肉弾三勇士」とも。なお、以下、これを含む三篇の「○」を附した題は、すべて底本ではポイント落ち。

・「櫨」は「はぜ」と読み、バラ亜綱ムクロジ目ウルシ科ヌルデ属ハゼノキRhus succedaneaを指す。日本には、その果実から木蝋(もくろう)を採取する目的で江戸期に琉球から持ち込まれた。秋に直径515㎜の扁平な球形の果実が熟す。]

 

   ○行方わかぬ戰死者の碑銘

 

行人よ、心してふるさとの人人に傳へよ。

わが雄々しきいくさ跡には彼岸花朱(あか)く咲きしも、

むくろは掘割(クリーク)の水に奪はれ神となれば、

つひに再びふるさとの門を見ることなし。

 

[やぶちゃん注:昭和181943)年、河北省承徳市隆化県石灰窯にて戦死した28歳の増田晃の遺骨がどうなったか――私は知らない……]

 

   ○いまだ少年なる兵士らのための碑銘

道ゆく人よ、未(いま)だ妻もなきこの若さにして

勇み仆れし神々のために泪せよ。

二百十日の風やみて夕空晴るるも

あやまちて折りし椎の若木はかへらず。

 

[やぶちゃん注:文句なしに、誰(たれ)もがこの時に言うべきことだった、そうして誰(たれ)も言い得なかったオードではないか! この四行詩を僕は稀有の反戦歌と鮮やかに言いたいのだ。]

 

 

         

     こひびと

 

 

 

     虹

 

朝顔のきよき赤は

ささやかなるランプの笠を縁どるなり

 

熟れすぎし枇杷のいろは

あたたかき鶉を巣に眠らす

 

棕梠の花のさびしき黄

懷しき母のゑまひに絶えつづくなり

 

するどき砥草の緑は

異端者のかなしき眼(まなこ)にうつる

 

にがくしぼりし藍のいろは

水引草を入日よりぬく

 

硯(しじみ)のうちらを染めし菫は

息子の墓を抱く老婆の脣(くち)なり

 

哀しみに堪へて野邊をふりむく

その野のきはみに虹たちぬ

 

[やぶちゃん注:後ろから二つ目の連の真ん中が、48から49ページの見開き改ページになっているが、「息子の墓を抱く老婆の脣なり」と最終連「哀しみに堪へて野邊をふりむく/その野のきはみに虹たちぬ」はすべて二字半下げになっているが、これは製版上のミスと判断されるので、通常に表記した。

・「鶉」は「うづら」でキジ目キジ科のウズラCoturnix japonica

・「棕梠」は通常の表記は「棕櫚」で、ヤシ科シュロ属 Trachycarpusの常緑高木。ここではワジュロ(和棕櫚)Trachycarpus fortuneiとトウジュロ(唐棕櫚)Trachycarpus wagnerianusの両方を挙げておく(両者は前者が葉が折れて垂れるのに対して、後者は優位に葉柄が短く、葉が折れず垂れない点で区別できる)。

・「ゑまひ」は「笑まひ」で、頰笑み、笑顔を意味し、ここで比喩するように花は咲き開くことをも意味する。

・「砥草」は「木賊」でトクサ植物門トクサEquisetum hyemale。珪酸を含有するため、古くから研磨に用いられたところから表記の名がある。

・「水引草」はタデ科ミズヒキAntenoron filiforme。紅白の花序が祝いの水引に似ることからの命名。ただ、この続く「入日よりぬく」は意味がとれない。何方か、ご教授を乞う。

・「硯」は「蜆」の誤字。マルスダレガイ目シジミ科Corbiculidaeの貝の総称。

・「うちら」は「内裏」で、シジミの生貝の両殻の内側を彩る紫色を指しているのであろう。]

 

 

 

     こ ひ び と

 

美しきあぶらしたたり

金のあぶらしたたりおつるごとく

きみをあらしめたまへ

 

百合の花のつゆに垂れしなひ

ましろの百合匂ひたかきごとく

きみをあらしめたまへ

 

いろ紅き薔薇雨に濡れ

濡れし蕾やはらふふめるごとく

きみをあらしめたまへ

 

つめたき御空(みそら)のいろ水にうつり

御空(みそら)のいろの暮れゆくごとく

きみをあらしめたまへ

 

ましろの雪のひややけく

ましろの雪の柔らかきごとく

きみをあらしめたまへ

 

[やぶちゃん注:「やはらふふめるごとく」は「柔ら含む」という動詞と捉える。「柔らかくそっと口の中に含んでいるかのように」の意であろう。]

 

 

 

     雪國のクリスマス

 

娘のマツチが燃えつきたときに

暖い手は娘の冷えたからだを抱いた

煖爐の火や七面鳥は消えたけれど

ちらちらはてしもない歎きは

娘の珊瑚の脣を顫はせてゐた

 

かげもないあたたかい手に

娘はやさしいその魂を手渡したのであつた

                   ――アンデルセンをよんだ後で

 

[やぶちゃん注:題名の「クリスマス」の「ス」は痕跡だけで字を成していない。底本としたページの目次で補正した。

・「煖爐」は暖炉。

・「脣」は「くち」か「くちびる」であるが、ここは後者で読みたい。

・「顫はせて」は「顫(ふる)はせて」。]

 

 

 

     手

 

そのころ私はあなたに捧げる

あかるい曙のささやきをもつてゐた。

金箔のやうにほの明るい

夕もやの小徑をあゆみ、

まだ開いたばかりの赤い罌粟をつみ、

その甘いめしべに

爽やかな匂ひをうつされた手で

あなたの白い手をとつた。

 

まだうすく煙りこむ雪の

ほそい炎の重なりあふなかを

夢みるやうに眠るやうにあるくとき、

かたくとりあつたあのやさしい手、

母らしいやさしいその手は今どこにあるのか。

 

そのころ私はあなたに捧げる

明るいゆらめく光のささやきをもつてゐた。

あなたのその手は

まどやかなきよい夢をゆすぶり、

ほそい愛憐の炎をみだし、

柔かいアンジェリュスの夕べを祈り、苦しみの扉をしづかに開く。

 

そしてつつましい祈りのときに

あなたのルビイの脣からこぼれでた

愛の證しさへいつか薄れようとするのに、

誰も氣にとめないあの小さな手ばかりが

私の消えいる思ひを呼戻さうとする。

 

[やぶちゃん注:・「罌粟」は「けし」。「芥子」とも書く。ケシ科ケシ属ケシPapaver somniferumに属する一年草。これを現実の景とするならば、鴉片(アヘン)を含まない観賞用のボタンゲシであるから、Papaver somniferum var paeoniflorum Papaver somniferum var laciniatumとせねばならないが、その必要はあるまい。

・「アンジェリュス」は冒頭の詩「白鳥」の注を参照。

・「脣」は「くち」か「くちびる」であるが、ここは後者で読みたい。]

 

 

 

水 の 反 映

 

黄いろい月がかたぶきながら

赤紫の貝やぐらを薫らすやうに

 水がかがやく かがやきながら………

 

日に燃える灼金のはちすに

神々の讃へのうたが匂ふやうに

             水がかがやく

 

黒水晶を撒くアコーデイオンの音いろ

青い薄荷のにほひ ゆめの螢

 水がかがやく かがやきながら………

 

若草のやうにふるへる睫毛を

まぶしさうに伏せて羞かみながら

             水がかがやく

 

水がかがやく 漣がうつる

見のこした夢を思ひだしたやうに

かすかな笑ひ聲をたてて漣がうつる

 

枯くさがほつかり積んであるあたりで

櫻草の戀のうたがまどろむやうに

水がうたふ うたひながら………

 

ピアノの白いキイを走る指が

みだれてほぐれて吹雪のやうに

             水がうたふ

 

幼いころほのぼの聞いたあの子守歌

桃太郎のもつてゐた白い旗印を

 水がうたふ うたひながら………

 

お母さん 白金の螢 螢のやうな私

さういひながらも ついうとうととして

             水がうたふ

 

水がかがやく 漣がうつる

見のこした夢を思ひだしたやうに

かすかな笑ひ聲をたてて漣がうつる

 

[やぶちゃん注:私の好きなペーター・フーヘルの「葦間のニンフ」を思い出させる。

・「貝やぐら」は蜃気楼。

・「薫らす」は「薫(くゆ)らす」で、煙を立たせる、くすべる、いぶらす、といった意味であるが、ここでは「ゆらめく蜃気楼を更にゆらゆらとぼんやりさせたかのように」といった意味であろう。

・「灼金」の読みは不明。音ならば「しやくきん」、訓ずるとすれば「やきがね」「やけがね」。ちなみに暗闇で刀が合して擦れ合う際に流れ下る火花をこのように表現するようでもある。ともかくも、ここは焼いて赤くなった鉄を言い、蓮の枯れた葉茎部を言うか。枯れては居らず、単にまぶしい陽光を反射している蓮の葉をこのように描写したとも取れる。

・「白金」は「螢」のみの形容とすると「はくきん」も悪くないが、ここまでの「白」は「しろ」の読みできており、「しろがね」で読む。]

 

 

 

     ゆ     め

 

白ペンキを塗った柵がくづれて

そのあひだから栗若葉の一枝が

寂しい魚のやうに細かく顫へてゐる。

 

牧場は小鹿の背中に似て

ほそい毛で蔽はれてゐる。

そのなかを一筋道が食鹽の白さを綴る。

 

私には誰も愛してくれるものがなかつた。

私はまるで木槿のやうにひとりぼつちだつた。

そしてげんげの冠を頭につないだ少女に逢つたとき

私はその子を孤兒(みなしご)と思つて悲しかつた。

 

おど/\した眼の 脣のすこし反つた

そして胸のあたりの柔かさうな少女だつた。

 

げんげは花筵のうへに咲いてゐる。

黒土のやはらかい匂を口にふくんでゐる。

ときどき傳説の咽び泣きに目をさます。

 

私はその子にげんげを摘んでやり

指をきり結んでゐるうちに婚約を交してゐた。

 

そこは沼の近くで蛙がしきりと騒ぎたてる。

私はみにくい屈托多い孤獨を捨てて

その子と一しよに跪いて祈つた。

 

私はその脣のわづかな反りをかわいいと思つた。

そして鴨などが浮いてる沼のおもてに

ふしぎな艶をした夕方が辷つてゐるのにも氣づかなかつた。

 

[やぶちゃん注:・「木槿」は「むくげ」で、アオイ科フヨウ属ムクゲHibiscus syriacus。落葉低木。花期は7~10月で、10㎝程の花が次々と咲くことから朝鮮語では「無窮花」と呼ばれ、ムクゲという和名もその音に基づくものと思われる。しかし、一個の花は朝方に開き、夕方には凋む一日花でもあり、増田はその儚さを「ひとりぼつち」と言ったか。

・「げんげ」はマメ科ゲンゲ属ゲンゲAstragalus sinicus。レンゲソウ(蓮華草)、レンゲ(蓮華)とも。――レンゲの冠(かんむり)を作れる少女も、めっきり減ったな……。

・「脣」以下、当然、読みは「くちびる」。

・「花筵」(はなむしろ)は、草花が一面に咲き揃っているさまを言う。ゲンゲの葉が、少し飛びだした花の下に広く生い茂っていることを指して言っている。

・「辷つて」は「辷(すべ)つて」。個人的には、この最後の一行が、取り分け、印象鮮明で好きだ。]

 

 

 

     田 園 讃 歌 1

 

青いハコベの花は

田のくろにリボンをつなぐ

鐡氣をふくんだ水の淀みは

人蔘の匂がする

 

蕎麥いろの穗は

土のくちづけにむせかへり

果もないその湖のむかふに

鳩ほどの小ささの藁葺が光る

 

麥の醸しだすあつい息は

まるでカルメラのやうに泡立ちふくれる

遠くの方で稻びかりが閃く

私のうでは膏肉のやうに顫へる

 

ああ たくさんのこの大根の花の

戀に醉ひきつたまぶしい歌は

目にみえぬ細い鞭で打たれて

びちびち鳴つてゐるやうだ

 

そして私にもやさしいひとがゐたならば

この麥畑の穗のなかに跳びこんで

てうど兎のやうにかたく抱きあつて

おもひきり驚いて跳び出してみよう

 

そしてやがて襲ひかかる夕立に打たれ

大粒の寒天のやうな雨つぶに打たれて

私たちは默つて抱きあつて

そのはげしい苛責にあへぐだらう

 

[やぶちゃん注:・「ハコベ」は春の七草の一つであるが、十数種存在するナデシコ科ハコベ属Stellariaの植物の総称。繁縷、蘩蔞。ハコベラとも言う。代表種として三種を掲げる。ハコベ(コハコベ)Stellaria media、ミドリハコベStellaria neglecta、ウシハコベ Stellaria aquatica

・「くろ」は畦(あぜ)。

・「鐡氣」は「かなけ」もしくは「かなつけ」。

・「人蔘」は人参。

・「蕎麥」は「そば」であるが、「蕎麥いろの穗」であるから、後連から麦の穂の色の形容。

・「藁葺」は「わらぶき」。藁葺き屋根の家。

・「カルメラのやうに泡立ちふくれる」は、私には直ぐ後にある「淺草」の詩から引かれる連想で、テキヤのカルメラ焼き(カルメ焼きとも)を連想させる。私の記憶にあるカルメラ焼きは、まさに浅草の景色なのだ。これは読者である私の個別的解釈に過ぎないことは分かっているが、私にはひどく懐かしい連想なのである。私はこの部分を恐らく他者よりも比較的豊かにイメージできると自負するものである。

・「膏肉」は音は「かうにく」であるが私は「あぶらみ」と当て読みしたい。

・「苛責」は「呵責」であるが、このように「苛責」とも「呵嘖」とも書く。厳しい責め。]

 

 

     田 園 讃 歌 2

 

ぼくらは走つた

青い母胎の

光る小蒲團(クツシヨン)をふんで!

渦卷く乳房の

ふくらむ大地をふんで!

 

ほくらは醉つた

咽ぶ罌粟の花の

したたる甘い蜜に

あらはなその両脛を

憑かれたやうに火傷して!

 

ああ 日の祭典の

とめどもない哄笑の

紫水晶(アメチスト)をあびて!

花にあふれた大空に

野生の骰子筒(さいころ)を投げて!

 

めくるめく日の酒の

この靈感にぼくらは醉はう

薔薇や白金や青の花蕋の

ちひさな戀人たちに

ぼくらの狂喜を告げよう

 

そして明るい喜劇の

くるほしい幕間のうちに

ぼくらは拔足で逃げてゆかう

ぼくらの愛をあの木蔭の

涼しい青玉(サフアイア)で飾るために!

 

[やぶちゃん注:・「罌粟」は「けし」。「芥子」とも書く。ケシ科ケシ属ケシPapaver somniferumに属する一年草。これを現実の景とするならば、鴉片(アヘン)を含まない観賞用のボタンゲシであるから、Papaver somniferum var paeoniflorum Papaver somniferum var laciniatumとせねばならないが、その必要はあるまい。増田の好む花である。

・「小蒲團(クツシヨン)」の「クツシヨン」は当時のルビ活字の限界から「クッション」であった可能性も考えられる。以下の「サフアイア」等も同様に「サファイア」であった可能性もある。

・「紫水晶(アメチスト)」の「アメチスト」は当時のルビ活字の限界から「ヂ」であった可能性も考えられる。

・「骰子筒」を「さいころ」と読ませるのは、異例と思われる。骰子を振るための「さいづつ」を指す語の敷衍的用法か。関連があるかないかは分からないが、古書店目録に昭和4(1929)年3月発行の雑誌「詩と詩論」3号に「『マックス・ジャコブ「骰子筒」詩』川冬彦訳」の目次を見る(詩の内容や「骰子筒」を「さいころ」と読ませるかどうかは不明)。

・「霊感」の「感」の活字は「心」「口」の下に入り込んでいる。以下、同様の活字が用いられるが、注は省略する。

・「薔薇」は可愛らしい野生のノイバラRosa multiflora等の花を想起するべきであろう。

・「白金」は「しろかね」もしくは「しろかねそう」を指すと思われる。 キンポウゲ科シロカネソウ属で、正式和名ツルシロカネソウIsopyrum stoloniferum。4~5月にかけて、可憐な白い小さな花をつける。

・「青の花蕋」は、これだけが植物の「花蕋」、かずい=しべを提示し、またそれが青いというのは、不自然な気がする。ここには是非、ノイバラ・シロカネソウに並ぶ花がこなくてはおかしい。私の勝手な想像であるが、これは「青の花韮」の誤植ではなかろうか。ユリ科イフェイオン属のハナニラIpheion uniflorumは、青い星型の妖精のような花を咲かす。私見へのご意見を是非乞う。]

 


 

     淺     草

           ――中學三年のころの私だつた

 

金平糖のやうな星がたくさんきらきらする空、鋼いろの空、そこに大きな輪を描く光の風車、果物のやうにひやひやする風車!

 

私は鞄をかかへたまま夜の町を歩いてゐた、たくさんのひとに責められた私にはこの群集がしたはしい、私に罵言も皮肉もいはないで默つてすぎてゆくこの人人、そして時にはやさしい言葉もかけてくれる彼等、

 

そこには澤山の不幸な娘がゐた、あの娘たちのうへに神樣はやさしい腕を擴げたまふだらう、てうど雨に打たれて鈴懸の嫩枝がしなふやうに!

 

私はこの娘たちをしめつたマツチとおもつた、このマツチは! このマツチは! 私はしひたげられたものの味方にならう、大地に身をうちつけて土くれをつかんで號泣するものの! そうではない! 泣くことさへできないものの!

 

私はよくビスケツトをもつてゐた、犬にあふと口をつぼめてみせる、首をちぢめてよつてくる犬、私はそいつを抱上げるのだ、このおとなしい眼、この細い鬚、こんなものをどこからおまへは貰つてきたの?

 

シネマの窓に私はよりかかつてゐた、薄荷水のやうな灯(あかり)だ、そこにメリーゴーラゥンドのジヤズが 針金と秋雨のやうに聞えてくる、私はあの灯のうちにひとつの生活を想像するのだつた、

 

アパートの窓なんだ、僕はワンピースの少女と同棲しよう、そしてその子の小麥いろのうではぽちや/\して抓つてみたいほどなんだ、そしてその子の弱い肩、私はそれを抱いておどおどした黑い眼に見入つてみよう、そのなかにはきつと僕がゐる、それでぢきに僕は不思議に思ふんだ、なぜあなたは眼でものを見てるんだらう、視るといふことはどんなことかしら!

 

[やぶちゃん注:題名の添え書「――中學三年のころの私だつた」はポイント落ち。私はこの詩が如何にも好きである。芥川龍之介の「淺草公園――或シナリオ――」が長歌とすれば、これはその短歌である。私はこれを読むに容易に本詩の作中の「私」になれる。見上げたアパートの裸電球、私に凭れかかるワンピースの小麦色の肌をした少女、その最終連は、私の何より愛する萩原朔太郎の「さびしい人格」(詩集「月に吠える」所収)のように、『ああ、その言葉は秋の落葉のやうに、そうそうとして膝の上にも散つてくるではないか。』!

・「罵言」はこのままなら「ばげん」であるが、詩語としてはしっくりこない。「ののしり」と当て読みしたい。

・「鈴懸」は マンサク目スズカケノキ科スズカケノキ属スズカケノキPlatanus orientalis。プラタナス。

・「嫩枝」は「わかえだ」。

・「マツチ」は前の「雪國のクリスマス」の詩の「マッチ売りの少女」の面影である。

・「薄荷水」は「はつかすゐ」で、ニホンハッカMentha arvensis var. piperascens等から生成された薄荷油を水で薄めた、テキヤの定番商品である。

・「針金と秋雨のやうに聞えてくる」というイメージは私には大正141925)年1月発表の梶井基次郎「檸檬」の果物屋を描写した一節、『さう周圍が眞暗なため、店頭に點けられた幾つもの電燈が驟雨のやうに浴びせかける絢爛は、周圍の何者にも奪はれることなく、肆(ほしいまま)にも美しい眺めが照らし出されてゐるのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒をきりきり眼の中へ刺し込んでくる往來に立つて、また近所にある鎰屋(かぎや)の二階の硝子*[やぶちゃん注:*は「窗」の異体字で(窗+心)]をすかして眺めた此の果物店の眺め程、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも稀だつた。』の描写を思わせる。]

 

 

 

     お も ひ で

          ――それはまだ小學校にあがりたての頃

 

遠く近く

雨の日の公園の木馬場のオルガン………

 

幼い頃手をつなぎ赤錢もつて

ともに木馬に通(かよ)つたあのむすめ

面長のおきやんなその子とともに

樂(がく)のはやしに迴つた淺草六區の

ポプラの鳴る下の木馬場の秋よいづこ!

とあれ青き大月血ぬられし九月一日

裂けちる大梁(はり) 雪崩るる橋より

一せいに立つ火けむりと人靈のなかを

線香のごとたち盡きし昔はいづこ!

見よ 極みなき燒野原のかしこにありて

空にかゞやく眞紅の國技館(ドーム)

折竹の十二階くづす音わたる下

道のべに燒けふくれたる銅の手足、

またそを取運びゆく車輪のきしみ!

かかるとき生殘れるものかすかに集(つど)ひ

藁敷きて恐怖の鮮人にわななけども

かの黑塀うちに既に滅びし

うるし葉の秋の光はいづこぞ!

まこと今その正午にして別れしままの

その娘!また遊ばうと指切りし

南京玉の指輪くれたるその子!

嚙みかけの干肉をわたしにあたへ

みそかごと戸を閉ざしたる娘はいづこ!

いま黑塀の住居しあとをふとよぎりつつ

樣かはりたる柳並木をすぎゆけば

玉ほぐしゆく赤毛糸のごとくいと遠く

かはたれの鶴の胡弓は昔にかよふ………

 

   か へ し

 

 まこといまも眼を閉ぢて聞入れば

 遠く近く雨の日の淺草六區の

 古雅なるオルガンはそらに嘆き

 花みだれたる噴水 藍色の鳴きつぐ蛙

 雨の日の胡弓はいと遠い昔にかよふ……

 

[やぶちゃん注:題名の添え書「――それはまだ小學校にあがりたての頃」及び最後の「かへし」の本文はポイント落ち。言うまでもなく関東大震災直後の切ない記憶。

・「赤錢」は銅貨。一厘か五厘、あるいは一銭銅貨。

・「國技館」のルビの「ドーム」は底本の縮小画像で見る限り、「アーム」にしか見えなかった。これは勿論、旧両国国技館で、震災で全焼した。形状から「ドーム」だろうと思いつつ、底本画像を拡大するとドー見ても「ド」ではなく「ア」だ、と確信した。「アーム」というルビだと思い込んでの推理は(今も近眼老眼だが、そうにしか見えないんだ)、これは全焼して鉄骨のアームだけになった様の比喩表現かと、かなり自信を持って合点していた(今も捨てきれない。残酷で素敵に洒落たルビじゃあないか。なお、もう一つの推理は国技→戦い→兵器→アームなのだが、英語教師によると、だったら複数形アームズでないとおかしいとのこと)のだが、この公開を見た復刻版を所持する知人“こるじせぷす”から急遽、メールが入り、「ドーム」とあるとする。やっぱり、なんだ、つまんないな、ちぇ……でも、いいや……ふふふ♪

・「折竹の」は意味不明。「折柄の」か「折節の」の誤字の可能性も排除できない気がするが、ここは、崩れ折れた浅草十二階の比喩表現で、「おれだけの」と読ませるか。識者の見解を乞う。

・「恐怖の鮮人」という差別的叙述(「鮮人」という略語は立派な差別語である)では、震災直後、朝鮮人による井戸等への毒物投入という流言により、悲惨な虐殺があったことを忘れずいてもらいたい。この以下の情緒に流れた(それは個人的には文句なしに切なく素敵である)叙述からは、残念ながら増田のそのような人権意識の深みを十分に読み取ることは出来難い。しかし、少年の彼がその流言蜚語を信じ恐怖したことは事実であり、それ自体は批難される筋合いではないことは勿論である。

・「黑塀」や「うるし葉」、「みそかごと戸を閉ざしたる」には、この中国系と思しき少女に関わる何か特別な意味が示されているようであるが、不学不識にして推理不能である。「黒塀」は、即物的には焼き杉板に灰渋(縄の灰を柿渋で溶いた塗料)を塗装した粋な黒板塀で、下町でもちょっと洒落た感じを与える板塀である。

・「鶴の胡弓」は意味不明。胡弓の音を鶴声に喩えたものか。「黑塀」以下の前項と共に、識者の教えを乞う。]

 

 

 

     哀 歌 拾 遺

 

       あべ海の星

       さうびのみ母

 

御身!御身!今は亡きその名を呼べば胸やぶる。かたへに添ひて夜露にぬれし きみを思へばわが胸やぶる。慰めを、かりそめの慰めごとをわれにな告げそ。おつる泪を、その眞珠母を恥ぢよといふな。つねに晨夕(あさゆふ)ひそかに呼びし きみが名なくて何のうたぞも。まこと草雨にふふめる紅薔薇 君ぞと詠みしは昔なりき。百合をだまきとたたへしうたも、捧ぐるきみのありしが故ぞ。いまみまかれる御身のそばに、額支へてまどろみすれば、はるかかなた、あけぼのの水(み)ぎわに近く 田螺のほろほろながしゆく 哀訴のうたのみ絶えつづく………

 

   ★

 

虹のふきあげは風になびき、末廣となつてひた落ちぬ。おもひくづるるわがこころ、その聲にまぢりいたく泣くなり。ここに優しきその瞳(め)をもとめ、くづるる肩えを支へしに、夕べ近きふきあげのみ、失意にないてくらく呼べり。薔薇や紫のわすれなぐさは 鈴(りん)を振りつつ亂れゆくに、かの四阿(あづまや)に待たれしひとは、そのひとは亡し。秋のうるし葉の夕日はあれど、はやきみは亡し。

 

   か へ し

 

 秋のうるし葉の夕日はあれど、はやきみは亡し。いかのぼり下(お)りゆく空に たちのぼる夕映蜻蛉(ゆふばへあきつ)。蒲の穗のうすきうれひに 雅(はな)やげる岡を越えつつ 歌ひゆく夕映蜻蛉。

 

   か へ し

 

 かなしきひとのやみてより、日月はしづかにきたり、

 かなしきひとのゆきてより、日月はしづかにしづむ。

 

   ★

 

まりあよ、堪へがたいこの哀しみに やすらぎの御(み)手をおかせたまへ。みまかりしこひびとに 夜ごとの枕は濡れ、たちがたき愛欲に夜ごとのうめきは洩る。すでにかなた、曙の水ぎわに近く 白い鷺草のわななきそよぐ 哀訴のうたのみ絶えつづく………

 

   ★

 

まりあよ わがいたみをば醫(いや)したまへ。けふかなしさに露臺にたてば、ありし昔のかげはよろめく。泣かむといひて誘はれゆきし 白き露臺におもて掩へば、秋のうるし葉の夕日のごとく はかなごとむかしは消えぬ。いくたびか君ここに身をなげ、母のごと姉のごとやはらかく わが震ふ肩を撫でなだめしに、けふありあけの白むをみれば、遣る方なくて握りしその手の その稚さのあきらめがたく、名をば呼びつつとどまらざるなり。まこといつ日かかくも果敢(はかな)く契りそめしとひた泣きをれば。

 

  か へ し

 

 まこといつ日かかくも果敢く 契りそめしとひた泣きをれば、赤き拍子木の鳳仙花 胡弓の糸に弱く散るなり。すでに夏星は白く綴れて ありあけぞらに藍揚げすれば、散り果つものはかなしみなり。

 

   ★

 

あべ海の星 さゆりの御(み)母、力なきわれをすくひたまへ。すでにけふわれは獨りにて歩むあたはず、獨りにて立つことあたはず。雪に凹めるのどより湧ける このあべをもて聞入れたまへ。すでにけふわれ獨りにて諦むることあたはず。

 

[やぶちゃん注:副題の「あべ海の星/さうびのみ母」の「あべ」は“Ave Maria”の“Ave”で、ラテン語で「こんにちは」「おめでとう」を言い、聖母マリアへの祈禱の語。「海の星」は船乗りにとって命を護る航行の導べとなる星のように、正しき人生への水先案内人たるマリアを意味する。「さうび」は「薔薇」で、「気高い天国の花」を意味する(その場合のバラには棘はない。4世紀の聖人アンブロシウスによれば「棘」は楽園の原罪を忘れさせぬために神が加えたものとする)キリスト教にあっては、赤いバラは殉教者の血を、白バラは聖母マリアの純潔の象徴となり、特にアリア信仰ではバラは重要なアイテムとなり、ノートルダム大聖堂等に見られるステンドグラスのバラ窓となって現れる。また、ロザリオは「バラの輪」の意味を持つともされる(以上のバラと聖母マリアとの関わりは「中國新聞」社のサイトの「ばらの来た道」を参照した)。受胎告知では後述するユリに次いで描かれることが多い。なお、「かへし」の本文はポイント落ちで、総て一字下げであるが、一部の詩については、明らかに連続した行となっているため、その連続性を優先し、2行目以下を一字下げにしなかった。

・「眞珠母」は、一般に真珠母貝でアコヤガイPinctada fucata martensii等の真珠を生成する貝類を指すが、ここはそれらの貝類の内面の真珠質の光沢から、純真なる発露たる涙を形容している語であろう。

・「草雨にふふめる紅薔薇」の「草雨」は恐らく「むらさめ」と読ませて、「叢雨」、驟雨・にわか雨のことを言う。「ふふむ」は「含む」で蕾(つぼみ)がまだ開かない状態にあることを言う古語。

・「おだまき」(ママ。歴史的仮名遣いでは「をだまき」)はキンポウゲ目キンポウゲ科オダマキ属Aquilegiaの花の総称。 苧環(おだまき)とは、本来は機織の際に麻糸を内側を空にして卷いたもののことを指す。オダマキのその可憐な花の形からの命名である。

・「田螺のほろほろながしゆく」というのは、私には卵胎生のタニシ(腹足綱原始紐舌目タニシ科Viviparidae)が稚貝を放出する様から、「田螺がはらはらと頑是ない子を産み流し苦しむように私は哀訴の歌を歌い続ける」という表現のように思えてならない。

・「わすれなぐさ」はシソ目ムラサキ科ワスレナグサ属Myosotis。園芸用に他種が移入されたが、日本在来種はエゾムラサキMyosotis sylvatica一種のみである(北海道根室付近と長野県松本盆地を自生地とした)。以下、中世ドイツの騎士の悲恋説話に纏わる名前の通称の「勿忘草」の由来を「ウィキペディア」より引用する。『昔、騎士ルドルフは、ドナウ川の岸辺に咲くこの花を、恋人ベルタのために摘もうと岸を降りたが、誤って川の流れに飲まれてしまう。ルドルフは最後の力を尽くして花を岸に投げ、「Vergiss-mein-nicht!((僕を)忘れないで)」という言葉を残して死んだ。残されたベルタはルドルフの墓にその花を供え、彼の最期の言葉を花の名にした。』ちなみに、学名Myosotisにはそのような意味はなく、ギリシャ語myos(ハツカネズミ)+ギリシャ語otis(耳)の語源である古代ギリシア名myosotisの合成。本種の葉の形態が「ネズミの耳」に似て、小さく柔らかく鼠色の毛が生えていることによると言われる。

・「いかのぼり」は「凧」。季節は秋であるが、これは俳句ではない。

・「夕映蜻蛉」を一語の「ゆうばへあきつ」という固有名詞としてとった。即ち、これは通称及び狭義の赤トンボであるトンボ目(蜻蛉目)トンボ亜目(不均翅亜目)トンボ科アカネ属アキアカネSympetrum frequens若しくは同属の種ととる。

・「鷺草」はラン目ラン科ミズトンボ属サギソウHabenaria radiata。七月から九月にかけて白い花を咲かせるが、その花の唇弁が幅広い上にその周辺部が細く糸状に裂ける。それを白鷺が翼を広げたさまに喩えて命名。

・「日月」は、音読すると分かるが「ひつき」と読みたい。

・「赤い拍子木の鳳仙花」の鳳仙花はフウロソウ目ツリフネソウ科ツリフネソウ属ホウセンカImpatiens balsaminaで、夏、赤い花を付ける。「拍子木」というのはホウセンカの実が弾けることを指すか。

・「夏星は白く綴れて」の「綴れて」は「綴(つづら)れて」と読ませるか。やや語調が停滞するが、意味上はそう読んで、「有明の空が白んできて、薄明の白さにに夏の星々は滲み合わされて光を失ってゆく」と解釈すべきであろう。

・「藍揚げ」は曙の空が濃い藍色を天空へと後退させてゆくことを言うのであろうか。聞いたことのない語ではある。

・「さゆり」はユリ目ユリ科ユリ属Liliumのユリ、百合(「さ」は美称の接頭語)。キリスト教においては白ユリの花(マドンナ・リリー)が純潔の象徴とされ、やはり聖母マリアのシンボルとなる。受胎告知ではまずこのユリが描かれる。]

 

 

 

哀  歌

 

肌さむの秋ゆふぐれの日のほてり

星うつる水ほどの蕭やぎに

身をよせて大いなるピアノによれば

その頃なりし はや葡萄(えび)の實も

紅(くれなゐ)ふかき頃にしてわがひとの

いまだ世に健やけきその頃なりし

薔薇いろおぼろの秋のゆふぐれ

くろき鏡のピアノにゆびふれ

シヨパンがワルツ三番を彈きたまへる

きみがうしろに寄りそひしまま

胡蝶の肩に手をうちかけて

泣かましと誘(さそ)ひしはその頃なりし

されどそれより幾年(いくとせ)經けむ

冷ききみの指(および)を撫でつつ

通夜する身ぞと思はざりし

かの噴水(ふきあげ)のかげ 白き露臺

きみが情けに泣きし日はあれど

その日はや鋭(と)き爪の死の病ひは

おそろしき青藥瓶の匂ひとともに

きみが肉身を蝕みゐしにあらずや

われらが戀はかのうるし葉の秋の光に

うすく散り果つ柳葉(やなぎ)に如かず

復讐とがらんどうの死の病ひは

われを遠ざけし小さき胸に

鋭きあきらめとあざけりを浴せ

また寢ねず夜に衰へたるわが體には

恐しき釘を當てしにあらずや

けふわれピアノにワルツを彈けば

わが背にかげのごと寄りて泣くもの

肌さむの秋ゆふぐれの入日ぐも

鷄頭にさえて冷えまさるなり

 

    か へ し

 

 われもし逝かば花ちる下の

 ゆきし人のやすらき眠りに

 添ひてねむらん

 かかる折なほ優しき鳥よ

 わが嘆きをば歌はざる……

 

[やぶちゃん注:「哀歌拾遺」と「哀歌」の順はママである。同一の女性への「哀歌」と思われ、不審な順であるが、その時間的逆行を感覚の遡行として試したとも言えるかも知れない。「かへし」の本文はポイント落ち。

・「蕭やぎ」は「蕭(しづ)やぎ」と読ませるか。「蕭」(しょう)には、さびしい形容、ひっそりとしている形容の用法があり、「~やぎ」という送り仮名は「~やか」という形容詞の動詞化から名詞化させた語の語尾と似ている。そうして、静謐微動だにしない水面の如き形容とすれば、「静やか」→「静やぐ」→「静やぎ」→同義の漢字である「蕭」を当て読みさせる、というのは無理がない気がするが、何如?

・「葡萄」を「えび」と訓ずるのは、「えび」がブドウの古名であるからである。イサナキの呪的逃走(偶然であるが桃の樹のうたへるに前述)でもヨモツシコメに投げつけるものの中に「クロミカヅラ」(葡萄の蔓で出来た髪飾り)があり、それは地に落ちて「エビカヅラノミ」(葡萄)となったとある。葡萄を「エビ」と呼称したのは、本邦に自生し、実が食用となったまさに現在の和名エビヅルVitis ficifolia(ブドウ科)の若い茎葉が赤紫色であったことからそれを蝦(エビ)の色に喩えたからである。後に「エビ」は、ブドウ全体の通称となったのである(但し、エビヅルは現在の食用のブドウとは別種)。

・「シヨパンがワルツ三番」“Chopin-Waltz No.3 a-moll op.34-2”イ短調。沈鬱な一聴忘れ難い曲である。

・「青藥瓶」の読みに悩む。「あおくすりびん」が自然であろうが、いかにも朗誦停滞。「あおきやくびん」とするならば増田は必ずルビを振ったであろう。さればやや不自然ながら、死の不吉なトーンを感じさせる「せいやくびん」では何如であろうか? ご意見を問う。

・「肉身」は「にくみ」。

・「鷄頭にさえて」はナデシコ目ヒユ科ケイトウ属ケイトウCelosia argenteaの花穂の鮮やかな赤い色が夕日に更に鮮やかに映えて、と言う意味と共に、続く言葉と同じ、しんしんと冷え込んでゆく(それは魂の温度である)の意をも掛けていると、私には感じられる。]

 

 

 

     公園の哀歌

 

美しいおぼろげな女の息の

秋の夕もやを鳴きあひながら

紺の小鳥はかげをひそめる。

秋のものの音(ね)は靜かにめざめ、

神よ 私の胸にアンジェリュスをたまへ、

黄金(きん)とオパアルの日の暮れどきの

なみだに滿つた煙のなかを

敗者のやうに人はよろめく。

神よ 私の胸に祈りをたまへ、

冬となりゆく私のこころに

その火の虹をかけてたまへ。

されど冬となる噴水のおと

まどろむ落葉をひた打つあたり、

ニツッアの神使の入江を夢みて

眼を輝かせしアンネツト今はいづこに。

まことその少女(をとめ)みまかりてのち

復讐の女神のひややかな笑ひに

いつかその生涯を沈ましてゆく

才ある少年樂人ゲザはいかに。

むしろ破(やれ)風琴の寂しく鳴れる

追憶の公園をやつれさまよふ

その成れ果てはいかに、傷手はいかに。

神よ とるこ玉のはだへの艶の

もろい黄薔薇のもやがこもる。

もやにまどろむ風見の鷄(とり)は

いつか私の冬のいたるを思はしめる。

神よ 私はやつれ且敗れたものです、

哀れな小鳥らにあはれみあるとともに

いま私の瞼にも希(のぞ)みをたまへ。

逝きしアンネツトに その追憶に

くらむ胸にも火焔をたまへ。

やつれさまよふこの傷手(いたで)おふ身に

ああ その虹をたまへ………

 

 〔註〕ゲザ、アンネツト共に鷗外漁史「埋れ木」に出づ

 

[やぶちゃん注:最後の「註」の〔 〕は横向き。ここで増田が重要な背景とするのは森鷗外の翻訳小説オシップ・シュービンの「埋木」であるが、不学にして私は本作を所持しておらず、未見である。従って本件についての多くの注は「埋木」の読後に回すこととする。但し、私は元来、鷗外という作家をどこか好きになれずにいる(だから大学時分、岩波の選集しか買わなかった。それでも貧乏学生の僕には高かった。そうして選集には悲しいことに「埋木」は所載しない)。それは今後も変わらない。従ってそれがいつになるかは判らぬ。作品としての「埋木」はものの本によれば、才能を持ちながら芽が出ない芸術家の物語であるという。ともかく、その作品を知らない以上、この詩に対する一切の解釈は禁じられてある(教え子の一人は、鷗外の研究者として著名になったが、このように周辺的な事項では、その手を煩わすのも気が引けるのである)。

・「アンジェリュス」は冒頭の詩「白鳥」の注を参照。

・「火焔」の「焔」の字は(つくり)の上部が「稻」の「臼」の上の部分を用いているが、「焔」と改めた。]

 

 

 

     孤涯の許嫁が戰死せる夫(つま)に殉ぜしをききて歌へるばらあど

 

耳をつんざく砲火のなかを

送りもどされる途中一人の傷兵は

炎天に照りつく酷熱のもとで息絶えゆく。

かれは祖國にのこしたその許嫁さへ

 そのゐることさへ思ふ氣なく死んだだらう。

 神よ そしてそれは立派なことだ。

 

そのしらせは幾月もたつてから

故郷の優しい娘のもとに届いてくる。

娘は聞いて目まひしつつも取亂しはしない。

生きてると思つて祈り捧げた昨日までの

 不安のうちに樂しい希みだけが眼の前を

 切り落ちる眞紅のフイルムとなり映つてゆく。

 

しかし神よ、その夜更けてこぼれる娘の泪のうちより、

ただ一人の賴りが、二人でゐた時の些少のことが、

二度ともどらない幸ひが溢れてくる。

そしてその幸ひは二人の愛情よりもつと大きな

 嵐と誕生に捧げられ また二人の約束が

 新しい神々に生まれかはるのを體にかんずる。

 

娘の耳には恐ろしい迫撃砲がきこえてくる。

かなた城門に揚るひらめきに續く雷鳴と

そして火線から送られる傷いた祖國兵が見えてくる。

それを見るなり彼女は止める手もふりきり

 赤い花の足で彈丸の下をくぐり

 息絶えかけた一人の男にたどり寄り抱きすがる。

 

その男はもう眼も利かないで(たとへ利いても

戀人の抱く手なぞ見むきもしまい)

野天の狂はんばかりの酷熱に息絶えゆく。

そのたまゆら流れ彈のひとつは戀人を

 抱きしめてゐる娘の熱もつ心臓を射ぬき

 折かさなしたまゝ殺してしまふ。

 

翌朝人人は冷いその娘をかかへ深い沈黙にしづむ。

しかし人人よ 悲しむなかれ この戀人らは

不思議な逢會に抱きあひむしろ嬉(うれ)しんで

大空に諸手ひらく父なる神へと翔りゆく。

 神のわれらを召し玉ふ、愛のこの世に果されし時なり、

 されば愛の如何を知る者こそ必ずやここに至るであらう。

 

[やぶちゃん注:・「逢會」は「ほうくわい」。」

 

 

       

     薔薇

 

 

 

冬  近  し

 

おもひしずかな朝燒に

銀のナイフを研がしめよ

冬待つ雲のほの明み………

 

 

 

     雪

 

清楚な枇杷の花のにほひが

街いつぱいにあふれる朝である。

 

 

 

     ば    ら

 

はんなりと鴨の胸毛を重ねて

月を病む紅(あか)き薔薇は

キリストのたまひしパンよ。………

 

 

 

杉  木  立

 

まだ雪がふりしきつてゐた。

黄昏も淋しい杉の木立で

私は友達の沈んだ姿とわかれた。

遠い灰色の吹雪がその姿を烟らしてゐた。

私はぢつと見送り乍ら

友の貧しい外套の肩の雪を氣づかつてゐた。………

 

 

 

     か げ ろ ふ

 

お母さんのやうにさかんなかげろふよ

やはらかい心をだきしめて

はりものでもしてゐて下さい。

 

 

 

     パ   イ   プ

 

マドロスパイプのゆめは

 埃及のふかい夜

黄昏の烟草の輪にひそむ

 樺色の頰紅のごとき

 

[やぶちゃん注:・「埃及」は「エジプト」。

・「樺色」は「かばいろ」で、ガマの穂に似た色。赤みのふかい黄赤。この色。]

 

 

 

     春

 

青木のある庭にかんな屑が雪解で色づいてゐる。

深い轍が柔かく春さきの蜜柑の皮などひいてゐる。

ああ春だ、湧上る幸福に泪ぐみつつ私は頭をたれてゐた。

 

[やぶちゃん注:私には昭和5(1930)年刊の三好達治「測量船」に載る以下の詩の二連目に似たモンタージュが感じられる。

 

   村

鹿は麻縄にしばられて、暗い物置小屋にいれられてゐた。何も見えないところで、その青い眼はすみ、きちんと風雅に坐つてゐた。芋が一つころがつてゐた。

 

そとでは桜の花が散り、山の方から、ひとすぢそれを自転車がしいていつた。背中を見せて、少女は藪を眺めてゐた。羽織の肩に、黒いリボンをとめて。

 

・「轍」は、「わだち」。]

 

 

     海の鳴る春

 

ああ もう春だ。

私はたつぷり溢れる小川のやうに

胸一ぱいの感謝にみちてゐた。

そして山のあなたの春を思ひつつ

湧出る幸福の漣をこらへかねて

ぢつと金色の日ざしに涙ぐんでゐた。

 

 

 

     山 の 少 女

 

朝燒に薪をわる山の少女

そして茅を刈りながら椿の實を捩ぐ山の少女

杉のやうなこころに秋雨がしみて

燒栗を嚙む山の少女

 

 

 

つゆのはれま

 

少女がなくした手毬(まり)は紫陽花になつてゐた

 

あさ 誰もゐないのに

濤のやうな障子が音もなく明いていつた。

 

 

 

     巴   旦   杏

 

その母は紅い柘榴の一粒を

あやまつて雪にこぼし急に産氣づいた。

かすかな震へが冷いその額に上(のぼ)つたときには

その母はもうあはい瞼に覆はれてゐた。

 

白い骨になつて埋(う)められたその母のやうに

巴旦杏の實はいつになつても哀しく青かつた。

 

[やぶちゃん注:本詩の故事を不学にして知らない。ご教授を乞う。

・「柘榴」は「ざくろ」で、フトモモ目ザクロ科ザクロPunica granatum

・「巴旦杏」は本来、中国語ではバラ目バラ科サクラ属ヘントウPrunus dulcis、アーモンドのことを言う。しかし、中国から所謂スモモが入って来てから(奈良時代と推測される)、本邦では「李」以外に、「牡丹杏」(ぼたんきょう)、「巴旦杏」(はたんきょう)という字が当てられてきた。従って、ここでもバラ目バラ科サクラ属スモモ(トガリスモモ)Prunus salicinaの意でこれを用いていると考える。]

 

 

われは知る

 

いま散らんとする雛罌栗の花辨(くわべん)に

われは知る アルテミスのこひ

 

ただとどむすべもなく散りゆくものに

ただとこしへの若さはあれ

 

ただたよりなく散りゆくものに

ただとこしへの眠りはあらむ

 

[やぶちゃん注:・「雛罌粟」はケシ目ケシ科ケシ属ヒナゲシPapaver rhoeas

・「アルテミス」はギリシャ神話の狩猟と純潔を支配し、産婦や子供の守護をする処女神。生贄としての人身御供を求める神としても知られる。ここで言うアルテミスの恋とは、処女神であるべきアルテミスが愛してしまった羊飼いエンデュミオンとの恋物語を指していると思われる。人間であるエンデュミオンの老いと死の不安に対して、アルテミスは永遠の若さと引き換えに、ゼウスに頼んで彼を永遠の夢の世界に生きさせることとなる。エンデュミオンは永遠に眠りにつきながら、永遠にアルテミスの伴侶となったのである。]

 

 

     口    占

 

あ    さ

 

桝の白魚をならしてみせる女のほそいゆびさき

 

       行    春

 

朱に明む小鳥の脚の細らひを見ればかそけし春たけにけり

 

       五  日  月

 

さざなみ眞紅(あか)き入日ぐも かへりみしつつわがゆけば、ふうわり黄いろの五日月 浮草めいて水離る

 

汝(な)が 髪

 

汝(な)が纖き髪すべる香油にキプルの女鳩ら鳴きぞほめき

汝(な)が乳(ちち)首にさしぐむ朱(あけ)にレスボスの乙女らこころ蕩(とろ)けて………

 

[やぶちゃん注:「あさ」から「汝が髪」までの小題は七字下げでポイント落ちである。総題の「口占」は「こうせん」と読めば、腹案の詩文を人に口授(くじゅ)すること、また、詩を文字に書かず浮かんだ際に直ちに口ずさむこと、またはその詩を指す。中国では本来は口をついて自然に詩が出来たことを言い、10世紀以降、詩題のことを指すようになり、清代には「○○口占」という風に題そのものに用いるようになった。しかし、これを「くちうら」と読むと、(1)人の言葉で吉凶を占うこと。(2)言葉つきでその人の心を察すること。(3)それとなく言うそぶり、「口裏を合わせる」の「口裏」と同義の意となる。私は実は一読(というよりこの文字を見た瞬間)、言占(ことうら)の意と思い込んだ(そうしたらもう払拭できない性である)。私は言占という呪術そのものに民俗学的にも精神的にも強い関心と魅力を持っており(文学を愛好するものは多かれ少なかれみな言占の信者であるとさえ思う)、これは強烈なバイアスなのである。従って贅沢にいこう。これは増田の、口をついて出た詩というさりげない総題でありながら、実はそこに神秘的な言占のニュアンスを潜ませながら、そこに「誰か」の心を察し暗示し、それとなく「誰か」に言いかけた詩、という題名である、と。

・「白魚」は、キュウリウオ目シラウオ科シラウオSalangichthys microdonと同定してよいであろう。比喩としての以下の女の指や増田の居住地であった東京から、霞ヶ浦か利根川産の同種と推定してよいか。

・「朱に明む」は、私は「朱(あけ)に明(あきら)む」と読む。

・「五日月」は旧暦5日の上弦の月。三日月よりやや膨らんでいる。

・「眞紅」の(あか)のルビは二字合わせてのルビである。

・「纖き」は「纖(ほそ)き」。「纖」は「繊」の正字で、細い、の意。

・「キプル」は、ユダヤ教に於いて最も重要な贖罪日である「ヨム・キプール」と関わると思われる。この時、断食はもとより、入浴や性行為も禁じられる。が、「キプール」そのものの意味を現在探りえていないし(幾つかのリンクを辿るとそれとなく宗教的な邪悪な存在との関わりを感じさせはする)、「鳩」との関連も不明(ヨム・キプールを含むヤミーム・ノライーム「畏れの日々」に行われる贖罪の儀式カパロットでは贖罪の身代わりとしてニワトリが用いられるが、ハトではない)。ユダヤ教に詳しい方のご教授を求む。しかし、誤読を覚悟で以下のように解釈は出来る(なお、次の注も参照のこと)。――本来、精進潔斎すべきヨム・キプールの日、同性の女達だけでなく畜生であるハトさえもあなたの美しい細い髪の毛の香油の香をかいだだけですっかり恋焦がれて参ってしまう――。

・「レスボス」の同性愛の由来は良く知らなかったが、そうかサッフォーがらみか、以下のページで眼からレスボス(石垣由美子女史の「レズビアンの語源となった文人島」)! そこにはオルフェウスの呪いの暗示もあって、いいじゃない! この二行詩が純然たる対句表現である以上、「レスボス」に対する地名として「キプール」はある必要を感じる。フランスの詩人ピエール・ルイスの「ビリティス」に「キプル島の短詩」というのがあるが、所持しない。この架空の女流詩人の作には「恋の島レスボス」というのもあるので、恐らく彼の詩が増田の本詩のもとネタであろう。ピエール・ルイスを知る人には分かりきった詩なのであろうか。愛好家の方の、ご教授を乞う。正直、これからルイスを紐解くのは、精神的に少々(いや大いに)億劫である。今からルイスを好きになるには、少々、違ったベクトルに年を取り過ぎた。]

 

 

 

     笛    歌

 

蒲の穗の穗さきがくれに

二日月うすくかすめば

おもふことあはれ遙けし

野のはての群れ鶸どりの

おちおちてけふも旅ゆく

         ――野邊山牧場にて

 

[やぶちゃん注:・「二日月」は旧暦2日の、三日月よりも細い上弦の月。

・「鶸」は「ひわ」で、スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科アトリ科アトリ亜科ヒワ族 Cardueliniの鳥の総称。カナリアSerinusやヒワCarduelis、イスカLoxia、ウソPyrrhula等を含む。一般に狭義ではマヒワCarduelis spinusを指している。

・「野邊山」長野県南佐久郡南牧村。彼の立ったその牧場は何処だったか。ちょっと知りたい気もする。]

 

 

     息

 

香袋の緒をゆるめて

おまへがつく重い太息は

カテドラルの燒硝子をぬけて

日が聖體を盗むやうに

私の心を掠ふ。

 

    ま た

 

ゆるいおまへの息は

カトリツク寺院の中庭の池へ

斷崖のやうに切落ちる鐘樓の尖を

ものうく食べてゐる鯉の鰭の

波紋をいくつもかける。

 

[やぶちゃん注:・「太息」は一応、「ためいき」と読んでおく。

・「掠ふ」は「掠(さら)ふ」と読ませているか。

・「尖」は「とがり」。]

 

 

 

     法隆寺金堂天蓋天女に寄す

 

花と葉の板のほのほに

口長くむすぶ天人あはれ

唐(から)の琵琶小さく掻き寄せ

眉たかく絶えいるばかり

飛鳥は朱にさびつつ………

 

[やぶちゃん注:これは例の飛天だ。古い教え子よ、思い出すね、現代国語の教科書の、ほら、福永武彦の「飛天」。

・「朱」は「あけ」と訓じたい。」

 

 

こ ひ び と

 

きみの額にかゝる美垂穗

赤き螢のともしを擧げてにこやかに

 その美垂穗にくゆりもいらむ

 

きみの瞳にもゆる雛罌粟

鳶いろの涙にしめりておもく

 その雛罌粟に咽びもいらむ

 

[やぶちゃん注:・「額」は韻律から言うと「ぬか」と読ませたい。

・「美垂穗」は「みたりほ」か。額にかかった髪の隠喩。

・「くゆりもいらむ」は、私は烟となってそのあなたの額にかかった髪の中へ入って染み入ってしまおうといった意であろうか。

・「雛罌粟」はケシ目ケシ科ケシ属ヒナゲシPapaver rhoeas。瞳の隠喩。

・「鳶いろ」は暗い赤みがかったブラウン、私のHP「鬼火」の背景色をやや薄くした感じである。

・「咽びもいらむ」は、私はむせび泣きつつ、その涙となってそのあなたの瞳の中に沁み入ってしまおうといった意であろうか。]

 

 

       

     新樹

 

 

 

野にいでて

 

やさしい巣のやうに

萌えだした緑や罌粟は私をゆする。

戀人よ おまへは匂はしすぎる、

アネモネや菫をつんで、

てうど花の蕊になつて戻つてくる。

わたしらはこの祭に放たれて

何の逡巡もなく。………

 

五月の野のはげしい息が

わたしらの胸に四肢に氣魄を噴き

戀人よ おまへは息切つて笑ふ。

わたしは花もろとものおまへを

ここに咲かせようと おまへの全心身に

わたしの血をはげしく舞踏させる。

上昇させる。………

 

戀人よ けふわたしらには

何の制止もなく後悔もない。

花のなかに身を投げはるか遠く

沈んだ鐘のけはひを聞く幸ひよ。

自由と渇きはおまへの瞳を

天のやうに狂ほしく明るくさせ

わたしの瞳に涵(ひた)させる。………

 

[やぶちゃん注:奔放にして鮮烈な性=生のエクスタシーである。

・「罌粟」は「けし」。「芥子」とも書く。ケシ科ケシ属ケシPapaver somniferumに属する一年草。これを現実の景とするならば、鴉片(アヘン)を含まない観賞用のボタンゲシであるから、Papaver somniferum var paeoniflorum Papaver somniferum var laciniatumとせねばならないが、その必要はあるまい。増田の好きなギリシャ神話ではケシはゼウスの姉、豊饒の女神デメセルのシンボルで、一般に知られる花言葉は、「恋の予感」である。その娘ペルセポネの冥界の王ハデスによる略奪婚の話の中で、娘を探すデメセルが三途の川レーテ畔で出会う眠りの神ピュプノスとのエピソードにも現れ、そこでは人の夜に儚い夢を与える(アヘンの効用)ものとしても登場し、そこから「忘却」という花言葉も持つ。

・「アネモネ」はモクレン亜綱キンポウゲ目キンポウゲ科イチリンソウ属アネモネAnemone coronaria。ギリシャ神話では美少年アドニスの血から生じたとする。またアネモネは花の女神フローラの寵愛したニンフであったが、フローラの夫である西風の神ゼビュロスが恋慕したため、嫉妬に狂ったフローラによってこの花に変えられたともあり、そこから、「儚い恋」や「孤独」の花言葉を持つ。

・「菫」は「すみれ」で、スミレ目スミレ科スミレ属Violaの総称。女神ディアナがイオの姿をすみれに変えてアポロンからの横恋慕を守ったことから「真実の愛」という花言葉を持つ。

・「蕊」は「しべ」。雄しべと雌しべ。

・「涵」は「浸」と同義。

・「沈んだ鐘」は鷗外が絶賛したハウプトマンの戯曲「沈鐘」のイメージ。]

 

 

     爪を染める

 

大川のほとり七月の夜氣のものうきおもひの

鳩尾(みぞおち)にしむそのやるせなさ もの秘めたさの戲れごころ………

つれづれに爪染めかはし身近きゆゑのそなたの髪の

ほのけき炭火であぶられる息ぐるしさ………

こひびとよ お見せ 螢よりもいぢらしいおぼろげな爪を

いま爪紅(つまくれ)で薔薇いろに染めたばかりの爪をお見せ………

 

(玉虫の緑金の繻子より脆く

 朱(あけ)の小箱のほつくよりやわく

赤いぼんねの紐よりうすく

すうぷにとけゆく麭麺よりかたい

おまへの光つた爪を見せて………)

 

こひびとよ 文月の夜(よ)の七夕すぎの

物干に涼むこころのその稚さ その哀れさ………

身近に匂ふ甘酸いそなたの髪に醉ひながら

かなたに光沸く街のどよもしを聞くその切なさ………

こひびとよ 夏の夜氣のたのしい戲れごころに

お見せ 今染めた可愛い爪 爪紅(つまくれ)に濡れたるこころを………

 

[やぶちゃん注:・「爪紅」はフウロソウ目ツリフネソウ科ツリフネソウ属ホウセンカImpatiens balsaminaのこと。「つまくれ」は「つまくれなゐ」の略で、「つまべに」とも読む(沖繩方言で「てぃんさぐ」)。本格的には、花びらに明礬(ミョウバン)を加えて磨り潰したものを用い、女性の爪を染めた。

・「緑金」は「りよくきん」もしくは「りよくこん」で、古く玉虫自体を緑金蝉(りょくきんせん)等と称していたようである(津市サイト「反古塚の由来」)。ここは甲虫目カブトムシ亜目タマムシ上科タマムシ科タマムシBuprestidae Leachの全体に緑の金属光沢に加えた赤褐色と緑色の縦縞の色彩を表現した語であろう。

・「繻子」は「しゆす」で、独特の光沢を持った生地、サテンのこと。以下の三行の外来語もしかすると増田はこれで「さてん」と読ませたかったのかも知れない。

・「ほつく」は“hook”で、留め金。

・「ぼんね」はフランス語の男性の帽子を言う“bonnet”由来で、本来は帽子(顎の下で紐結びする子供・女性用の帽子)であるが、現在(そうした呼称が何時ごろから日本で一般化したかは確認できないので、ここに示すのにはやや躊躇するが)、花嫁のヘッド・ドレスの一種、柔らかい布や毛糸で作られたツバのない婦人用のヘア・キャップを総称して言う語でもある。

・「麭麺」は「パン」。一般的な表記は「麺麭」。]

 

 

 

汝は活ける水の井

 

朱と褐色のざらざら光る砂のうへで

わたしは裸のこひびとを見つけた。

彼女は身籠りのからだを砂に置き

移り香ほどに濡れた瑠璃の瞳を

天になげてうつつに夢みながら

その珊瑚の脣(くち)のあはい微笑を

安らかなためいきで濡らしてゐた。

乳のしたには手毬でも抱くやうに

赤い素燒の水瓶をかゝへ抱き、

そしてその口からは絶えず狂ほしく

牛乳のごとく香ばしい水が溢れ落ち、

放恣の時のもの哀しさを踏みながら

若々しいよろこびに雪を沸かせた。

その聖い水をてのひらに享けながら

わたしの胸はふしぎな思ひにふさがり

うみぬくむ白飯のやうに震へだした。

 

彼女の大きな眼は聖母のやうに私を見つめた。

やがて水はその眼からも珊々と晶めき落ちた。

 

[やぶちゃん注:本詩の題名の「井」は「せい」と音読みしたい。それは単に「精」=ニンフとの音通の快い響きからである。「汝」な「な」でよいであろう。

・「放恣」は「はうし」で、勝手気ままでだらしがないさま。

・「うみぬくむ白飯」という語句は意味不明。識者のご教授を乞う。

・「珊々と」は「珊々(さんさん)と」できらきらと美しく輝くさま。

・「晶めき」は「晶」(きら)めき]と読ませている。]

 

 

 

     火  の  鳥

 

曙ちかく

まどろむ葉かげに

金箔かさねて

虹がむれたつ、

そのかげで

色硝子浴びながら

麗しい雨こぼす火の鳥!

やさしい娘のやうに

口紅さす娘のやうに

ひとり金の胸濡らす鳥!

曙の火搖れに

身を投げた牝鹿が

歌ひのこした戀のうたを

緑玉の露の梢に

彼女がうたふ!

歌ひゆくその聲聞けば

さしのぼる火の葦に

月のかけらはこぼれ

怖しいそのほてりは

くれなゐの胸毛に亂る!

亂れ胸毛の一枚ごとは

いつか語る筈でしかも

折をなくしてしまつた

低い愛のさゝやきであるのか、

その歎きがいつか

珊瑚の紋をひろげて

暗い額に香をゆするのか、

そしてこの歎きが

蝶々はためく蘭を灼き

火に煽りたて眼に火を滿たせ

この娘(こ)の肩をぐらぐらさせて

天頂の日の炎を指(さ)すのだ!

――やがて狂へるフエートンのせて

緑の車は轍をはづれ

低く豹のごと下り來れば

天上の蝎(さそり)惡寒にめざめ

獅子たちは鬛みだし

雷獸は火を蹴ちらして

海の緑も白く泡立つ!

見よ そのとき

その火のかたへいま

火の鳥は鋭く鳴きたち

磁石にむかふ鐵片なして

ひとへに鳴立ち昇りゆく!

火に戀狂ひ 火に憑かれ

天頂さして飛びゆくものを

やがて凋むためいきのごと

西夕ぞらへ月は缺け

花火散つて聲はかすれ

宙を縫つてほどもなく

かなしき鳥は下りきたる!

緑草に溺れ 胸毛うすれ

金の棗はこまかく崩れ

そして火! 火!

鋭くさけぶその舌は

ほそく赤くちらちらし

それも日と共に傾きゆく、

とほくで

巴旦杏の熟れる匂がする

たそがれが來たのだ、

むらがる靄のひとむれは

庇髪をくらくかざす、

そして傷(いた)めるこの娘(こ)は

木魂や蜘蛛にとりまかれ

そこにゐるのは夜ばかりだ、

けれどいつか木の間には

金明りするけはひが動く、

紫の葉つたふ夜露は

そこだけ水晶の籠になる、

かくて希みはねむるこの娘(こ)の

この火の鳥のふしぎなさだめ

賴りないその行く方に

白いあはい手をおくのだ、

ああ といつて眼に

接吻をふりそそぐ、

――けれど而し 夜更けてふと

彼女はかつと眼を見開くことがある、

どこか彼女を呼ぶ聲がする、

誰だ! 亡者どもか!

いつも晝ひなか

彼女を狂はす天上の

火の彼方に叫び呼ぶ姉妹か戀人か?

火!

火!

彼女はかつと眼を見開き

銀の翼を打ちあはせ

汗ちらしながら

鋭く叫ぶ!

そして彼女が人間だつた頃

姫だつた頃

深く戀しあつた王子が

神の怒に觸れ地獄に落され

火の淵にあへぎ

その戀人だつた姫が

いまは鳥とされて

ふしぎな耳もつ火の鳥とされて

いまだ息ある王子の

やかれる叫びだけを

あのもえさかる天の炎の

ゆくへもわかぬ深いところに

たゞ聞いてゐる、

そしてその聲を聞くたびにいまも

昔のやうにいまも彼女は

賴りない女の聲で泣沈むのだ………

 

[やぶちゃん注:フェニックスの神話は世界各地に存在するが、増田が基底とした神話がその中の何であるか、不学にして私は知らない。後半の姫や王子のモチーフには具体的な「火の鳥」伝承が背景にあろうかとも思われる。当初はロシアの「火の鳥」伝説を用いた著名なストラビンスキーのバレエ「火の鳥」かとも思ったがストーリーが全く異なる。識者のご教授を願う。

・「火搖れ」は「火搖(ほゆ)れ」であろう。

・「火の葦」とは火の鳥によって発火した葦が燃えながら天空へと火の粉となって舞い上がり立ち登ってゆくイメージか。

・「香をゆするのか」は、「くゆらせるのか」の意味で、嘆きがその額あたりに嘆きの香りを揺らめかすのか、という表現か。

・「フエートン」はギリシャ神話の太陽神ヘリオスの子、パエトーン。ウィキペデイアによれば『パエトーンは、友人達からヘリオスの子ではないと言われたため、自分が太陽神の息子であることを証明しようと太陽の戦車を操縦した。しかし、御すのが難しい太陽の戦車はたちまち軌道をはずれ、大地を焼いたためゼウスによって雷を打たれ最後を迎えた』とする。

・「鬛」は「たてがみ」。

・「金の棗」の「棗」は「なつめ」で、バラ亜綱クロウメモドキ目クロウメモドキ科のナツメZiziphus jujubaを言うが、ここは「金棗」で金柑、バラ亜綱ムクロジ目ミカン科のキンカンFortunella japonicaの実を意味しているように思われる。所謂、金色の実ということであれば、断然、後者がぴったり来るからである。

・「巴旦杏」は「はたんけう」で、バラ目バラ科サクラ属ヘントウPrunus dulcis、アーモンドである。]

 

 

 

     夜     曲

 

きみの膝におもて伏せて生薑水のやうに辛(から)い夜露に濡れてゐたい。

この木蔭に隱れてゐるわれらを月が除虫菊のあかりで探出すまで

きみの膝におもて伏せて緑の滿ちた苗代のやうに泣戰ぎたい。………

 

やがて月のまぶしさに醒されてうすく發電するきみの瞳が

極光の襞あげてかゞやく日輪のごとく仰ぐわが眼に注がれるとき

われらこの森を捨ててかげ遠く霞み集る髪座の方へ昇りゆかう。………

 

(舳に篝火たき心なめて下りきたる 大銀河のみぎはのコーラスを 遣りすごして・・・・・・)

 

[やぶちゃん注:・「生薑水」は「しやうがすゐ」。

・「除虫菊のあかり」とは、一読当初は、電照菊の実際の明りのことを指すかと考えたが、電照菊は花を季節はずれに花を得るために昭和12年に豊橋で始まったのが最初であるとされ、更に除虫菊とは無縁であろうと考えられる。従って、この「除虫菊」は除虫成分ピレスロイドpyrethroidを得るために栽培されるシロバナジョチュウギクChrysanthemum cinerarifoliumの白い花を、「あかり」と比喩したものであろう。

・「戰ぎ」は「戰(そよ)ぎ」。

・「極光」はオーロラのこと。増田が「オーロラ」と読ませるつもりならば、ルビを振ったはずなので、ここは素直に「きよくくわう」と読む。増田の好んだ詩語である。

・「髪座」は星座名。「かみのけざ」ととりあえず読んでおく。かみのけ座Coma Berenices。本星座は数少ない史実に基づく伝説を持つ。以下、ウィキペディアより引用する。『古代エジプトの王で、アレキサンドリアを文化中心都市にしたプトレマイオス3Euergetes(在位紀元前246年-紀元前221年)とその妻で王妃のベレニケ(Berenice2世)が主な登場人物である。紀元前243年ごろ、プトレマイオス3世王は、自分の姉妹を殺したアッシリアを攻めた。ペレニケは、夫が無事に戻ったならば、美しく、かつ美しいゆえに有名であった自分の髪を女神アプロディテに捧げると誓った。夫が戻ると、王妃は髪を切り、女神の神殿に供えた。翌朝までに、髪の毛は消えていた。王と王妃は大変に怒り、神官たちは死刑を覚悟した。このとき、宮廷天文学者コノン(Conon)は、神は王妃の行いが大変に気に入り、かつ、髪が美しいので大変に喜び、空に上げて星座にした、と王と王妃に告げ、しし座の尾の部分を指し示した。そして、その場所はこれ以後、Bereniceのかみのけ座と呼ばれることになった。コノンのこのとっさの知恵により、神官たちの命は救われた。』。

・「舳」は「とも」(船尾)か「へさき」(船首)の両方の読みと意味があるが、後者ととっておく。

・「篝火」は「かがりび」。]

 

 

 

     伽     藍

 

曙のほのかな太息(ためいき)がもれるころだ。………

 

眠りとろんだ若い男のやうに 湖はまだ身動きもしない。白花彩のうすれた朝空には にこやかな赤い螢ほどの 寂しい月のきぬずれが消えてゆく。………

 

わたしは湖のほとりに寢て 澄んだ翡翠のひかりのおくがの かすかな谺のまじらひに耳をすました。それはまた水の精となつたアリエルの 嘆きのやうに涯しない。………

 

しだいに白花彩が消えてゆき 眞紅の力ある膚をもつ 火山が湖より立上るころは 水のおもては一面の玻璃、ただ雪のひらめきに輝くにすぎなくなつた。………

 

その透通つた湖の底に わたしは散り集る伽藍を見た、その寺は大きな玄武石の石材を きりぎしのやうに水底に搖めきいらせ、清らかな泡で銀をかぶされて輝いた。そのはるか底には大きな鐘がゆれ、その伽藍は静かに深みに沈んでゆくのであつた。そしてその反映ばかりが漣なして 全水面に光りはじめた。………

 

たとへどんな高い聲で呼ばれても わたしは自らの聲しか聞かないのだ。わたしは放恣に疲れた心に 白粥でも啜らせるやうに 暖い聲をかける、わたしは曙の凡てと同じ肺から 仄かな太息(といき)をついたのである。………

 

[やぶちゃん注:・「白花彩」は、朝焼けの空に起こる雲か光の何らかの天文現象を言っているようであるが、お手上げである。

・「おくが」は一読「屋瓦」であろうと思ったが、であれば歴史的仮名遣いの表記は「をくぐわ」で大きく異なる。増田にはやや仮名遣いを誤る(口語化する)傾向が見られるので、一概に否定は出来ない。主人公の幻想の館の翡翠の屋根瓦は、私には自然に連想出来る。

・「アリエル」はイギリス民話に登場する優雅な翼を持った妖精(ニンフ)というが、特に知られるのはシェークスピアの「テンペスト」やゲーテの「ファウスト」に登場する大気の精。しかし、「水の精」「嘆き」としっくりこない。現在、妖精学の研究者の青年に調査を依頼中。]

 

 

 

     鎭   魂   歌

 

わが魂よやすらへ

伽藍のかねのものうい餘韻に

凋む秋薔薇のたましひよやすらへ………

林は濕(しめ)やぎ 空はわすれ

名も明さない山山はめぐり

否んで答へぬ海にぞやすらへ………

曉夕(あさゆふ)くもは地平をつつみ

無心の獸(けもの)は自らの息をきく

その儚いうつろひのうちにぞやすらへ………

 

わが魂よやすらへ

大海のほとり轟(とどろ)なる怒號の絶間

天地(あめつち)の沈默のあひだにぞやすらへ………

 

 

 

     南佐久の夜の壽歌

 

女山のやすらかな裾原の

 夜(よ)をひびきゆく瀨音、

その水音に耳澄ますものは

 月光の銀の鬚研ぐ男山、

また曙がたいつも霧を孕む

 優しく煙りこむ深い谷々、

また答へさへなき木魂(エコオ)

 妻を呼んで寂しく鳴く梟ら

また夜露に濡れた丹や紫の躑躅(つつじ)に

 踊りつかれた仙女の一むれ………

 

[やぶちゃん注:「南佐久」は現在の長野県南佐久郡。「壽歌」は「ほきうた」。「ほぎうた」と濁るのは近世以降で、他の詩にも通底する原初的な増田のイメージを尊重するならば、私は是非「ほきうた」と清音で読みたい。

・「女山」は「おんなやま」で、南佐久郡川上村にある。標高1734m。同村の千曲川を挟んだ北の標高1851mの男山と対をなす。

・「梟」はフクロウ目フクロウ科フクロウStrix uralensis。彼らは原則的に一夫一婦制である。]

 

 

 

     月 光 の 幻 影

 

夢殿のちかく 恐らくは若草伽藍のなごり

大きな礎石に肘ついたまま長く

うつむいて私(わたし)はゐたやうだ。

あたりいみぢくも香煙のぼり

しかもこころ中太くふくらみながら

丹柱とさだまるのを見てゐたやうだ。

強ひられて私(わたし)の魂は肉體(からだ)をすて

おぼろな長石の葛石になげられよれば

雲斗は音なく渦まきながら

花忍冬こづゑにあるごとく

しかもしわしわ私(わたし)の腦髄(なづき)を皺よらせた。

ねむる私(わたし)の腦髄(なづき)のなぞへのきざはしに

わが涙の珠の紗かけて一人の姫はたたし、

幾たびか砂にくはれた私(わたし)のむくろの

朱(あけ)の燐々のなみだを振りこぼした。

緑のみぐしに橘の花

手になめらけき琥珀の横笛

姫よ それはいつの遠い測りあへぬ御世(みよ)であらう。

入鹿の反逆に自經(わな)きたまうた大兄につぎ

さだかならぬ野に露と御果(は)てし

貴き姫の御(おん)歎かひ、

または白鳥と化(な)りてもどりたまひし

その御靈(たま)のみふれぞとも。

私(わたし)の影は葛石より額あげ

雪煙のごと御(み)足がかたに打ちあがり、

極光の襞あげてかゞやく日輪ともみゆる

ひかりある御(み)瞳をば仰ぎつづける。

姫よ まこと御身がために斑鳩(いかるが)まもり

血の噴霧器(きりふき)となつたる舍人(とねり)らの

名もつたはらぬ一人(いちにん)こそ私(わたくし)か。

または長い失踪のはて前世の記憶に歸る

唯(たゞ)一人(いちにん)の悔あらぬ戰慄。

なべての怺へかねたる悲願より

私は仰いだまま うつむいたまま

とめどもない身震ひにさめたやうだ。

諸人(もろびと)ら滅びゆきし無明のさかひより

瞼の透きとほるほど泣いたやうだ。

夢殿のちかく 恐らくは若草伽藍のなごり

ななめに月光がこぼれてゐる………

 

法隆寺夢殿ちかくに今の法隆寺より大きな建築が予想される、その礎石は大阪の物持ちが庭石にしてゐるさうである。山背大兄御自害の跡か、否か、勿論文献にない。この建築が若草伽藍と名づけられるといふのは、故原田亨一先生の持説であつた。その名のあはれなるままに記してかなしい記念とする。

 

[やぶちゃん注:ここで舞台となる若草伽藍とは法隆寺西院伽藍南東部の境内から発見された寺院跡で、原法隆寺と言うべき斑鳩寺の遺構とされるもの。考古学的にはその創立年代を含めて、現在も多くの議論がなされている。

・「いみぢく」はママ。

・「葛石」寺社の建物に於いて基礎や壇などの最上部の縁で縁石(へりいし)を兼ねる長方形の石。

・「雲斗」は「くもと」と読み、和様建築(平安期に中国伝来の様式を日本的に改変し建築様式)でも特に飛鳥時代に特徴的(まさに法隆寺に代表される)な柱の上の大斗・肘木(ひじき)・小斗から構成される装飾部分「斗栱」(ときょう)の一様式。雲を象ったような意匠を持つ。

・「花忍」は狭義ならばナス目のハナシノブPolemonium haydeniiである。これは現在、阿蘇にのみ自生するレッドデータブック絶滅危惧ⅠA類である。比喩であるので、これでとっておくが、増田が実際にイメージしたのは同科のシバザクラPhlox subulata等ではなかったろうか。

・「腦髄」の「なづき」の読みは、古語。「脳髄」の音「なうずい」から派生したのであろうか。

・「なぞへ」は「準(なぞ)ふ」という動詞の名詞化したしたものか。「準ふ」は或るものに等しいものと見なす、擬す、の意であるから、私の脳になぞらへた階段に、の意味か。

・「紗」は「しや」で、薄衣。

・「姫はたたし」は、やや文法的に無理があるように思われるが、「姫は立たし」で、私の幻想の脳の階(きざはし)に私の涙の薄絹を纏わせた幻想の姫君を立たせ、の意ととる。

・「燐々」は、玉のように光り輝くの意の「磷々」(りんりん)の誤植か、鬼火の如く爛爛と燃えるような、という意味の増田の造語である。

・「なよらけき」は「なよびかなり」の意味の「なよらかなり」という形容動詞を形容詞化(やや無理がある気がする)ものか。手に柔らかい、しなやかな印象を与えるという意であろう。

・「入鹿」は蘇我入鹿。以下は、彼が実権を握るために古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)擁立しようとし、その際に邪魔となった聖徳太子の皇子である山背大兄王(やましろのおおえのみこ)を襲撃、山背大兄王は逃走先の本作の舞台、斑鳩寺で自死した史実を指す。

・「自經」の「わなく」は「罠」(紐を輪状にしたもの)で、自身の首をくくる。縊死する。

・「大兄」は山背大兄王。

・「姫」は、山背大兄王の妻である舂米王か、または、その間に生まれた皇女である佐々女王、三嶋女王のいずれかを指すか。狭義に考えれれば後者の娘たちか。

・「白鳥と化りてもどりたまひし」はヤマトタケルのことを指すのであろう。しかし、そうすると「みふれ」が分からぬ。白鳥と化して大和を指して飛んだヤマトタケルの魂が流す痛恨の涙、それを「みふれ」=「御降れ」と言ったものか。しかし、それが何故山背大兄王の「姫」の嘆きと並列できるのか、私には説明できない。

・「極光」はオーロラ。

・「斑鳩」は法隆寺の前身とされる斑鳩寺。「入鹿」の注参照。

・「舍人」は、天皇や皇族に近侍し雑務を司った者。

・「怺へ」は「怺(こら)へ」で、我慢する。

・「原田亨一」は「近世日本演劇の源流」「平安時代の芸術」「伎楽雑考」及び正倉院関連の論文等の著者である原田亨一教授と同一人物か。氏の経歴について御存知の方はお教え願いたい。]

 

 

 

     西田明史に與ふ

 

藥師寺聖觀音のうでを撫でて

私は秘かに日本のいにしへの乙女を慕つた。

昔、まだアモールが眠りこまなかつたとき

美はいかに生ける炬火をかゝげてゐたことか。

しかしけふ天禀ある若き造型の友よ、

君の温い木彫(くるみ)の乙女の肌に手あてて

また流れる編まない髪をゆめみ乍ら

私は初めてけふの日本の乙女らに驚愕する。

さうだ、君の温い木彫(くるみ)の乙女を知つてから、

月が若葉を透かして絹糸を繰(あや)る宵ごと

私は窓を明放ち 戀人と指からませながら

愛の囁きに醉ひながら 優しい背中を撫でながら

また脣を脣でおさへながら をさない乳をにぎりながら

君の敎へる相聞牧歌に感動するを常とする。

神は在り! 私は君の敎へる日本のみを愛する。

(われら知る、多く人の説く日本の貧しさよ。)

ある人人は愛を失ひ既に人間でなく、

また云ふことなくしてしかも云ひ張り、

時たま饗宴に列(つら)なる人はただ己が脈膊を聞かぬ。

しかし君は日本のリズムを敎へ誇りを告げ、

かくも節奏を彩り  夢を櫛(くしけづ)つた。

だが君よ、それにもまして輝かしい事は、

今迄ただ愛してばかり來た乙女に翼をあたへ

はじめて白鳳の昔に眠りこんだアモールが

死んだのではないと私に語らせたことだ。

 

[やぶちゃん注:私は如何なる彫刻作品も建築作品も触れることが出来ないものは、作品として真の価値を認知できない人間である。冒頭から「藥師寺聖觀音のうでを撫で」る増田は私の盟友である。西田明史氏の履歴については、残念ながらその仔細を知ることが出来ない。彼が作った著名人の銅像等はネット上で見ることが出来るが、さし当たって私にはこの詩集の表紙を含めた4枚の絵(見返しも含め)にのみ好ましい興味があるだけである(彼の没年を御存知の方はお教え頂きたい。彼のこれらの絵が最早、著作権侵害に抵触しないとなれば、これは是非、一緒にアップしたいほどに、素晴らしい絵であるからに他ならない)。そうして、詩集一巻を飾ってくれた芸術家に一篇の讃歌の詩を忘れない増田という詩人の真心に打たれるのである。……しかし、それはこれが増田にとって、たった一度きりの讃歌であることが分かっていたからでもあった。……そうしてそれは、皮肉にも二重の意味に於いて。詩人が詩人の現実の死を眼前に見据えたという意味に於いて。そうして……その後の西田氏の創作活動は、果たして遠い白鳳の昔に眠りこんでいた愛の実相を現代に美事に復活させたかという意味に於いて……である。

・「炬火」は「きよくわ」又は「こくわ」又は「たいまつ」。かがり火のこと。前掲の「鷄肋集」の「伍」では「たいまつ」と読んでいるが、私はこの詩の歯切れのよい男性性からは前者で読むのがよいように感じている。

・「天禀は、一般的には「天稟」と書き、「てんぴん」又は「「てんりん」と読む。生まれつきの才能。天性の才。

・「木彫」を「くるみ」と読むことは不学にして初耳であった。「刳る身」の転でであろうか。不明。

・「脣」は「くちびる」と読みたい。

・「節奏」は「せつそう」で、リズム・律動の意。]

 

 

     讃歌

 

 

 

日 光 尊 者

          ――三月堂佛像 天平時代

 

日光があなたのあしもとにかがよふた

低い聲があなたの耳もとでかうささやいた

「おまへは日光尊者と名のるがいい

おまへは私の息吹によつてかがやくであらう」

 

そのときからあなたの眼は

ふしぎな氣魄にらんらんとしてきた

天上の炎があなたに宿つたのだ

 

あなたの夢はやがて天馬にうちのり

星の群林をとびこえ

白い旗印をはためかせて天へかけのぼつた

 

それゆゑあなたのまへに立つと

ひとは身ぶるひを覺え

日に灼かれるやうな觀喜と

衝動と磁力とをかんじたのだ

 

あなたの脣は

赤いくすんだ色をのこし

大日輪のめぐみをたたへて

豊かに綻びかけてゐた

 

その脣をみてゐると

ひとは艶々した栗のまろみを思浮べたり

いま開いたばかりの花をおもつたりした

 

そして自分たちの犯したつみも

自分たちを傷けるものとはならないで

その思想にますます厚みを加へ

花のやうなナイーヴさを增させるものと感じた

 

あなたのもろ手は

若草のやうにやんわりあつてゐた

その合掌は未來への大道を示してゐた

 

ひとはその合掌をみて

天地の上も下もない燐光のあひだに

一つの大いなるものの出現を直感した

 

そして一日つひにあなたの夢は

龍のしるしの日の車をかつて

突如 天上の崖頭にあらはれた

 

ある日 三月堂の大扉が左右にひらかれ

日光のかがよひはあなたの足もとに雪崩れ寄つた

 

「おまへはもはや佛像でなない

おまへのゆめはおまへ自らの姿だ

おまへはまさに天日 そして既に私だ」

かう低い聲があなたの耳もとで囁いた

 

[やぶちゃん注:東大寺三月堂に安置される日光菩薩をモチーフとする。日光菩薩は一般には月光(がっこう)菩薩と共に薬師如来の脇侍として薬師三尊の一部をなす。正式には日光遍照菩薩と言い、発するところの一千光明によって遍く世界を照らし、それによって諸苦の根源たる無明の闇を滅尽するとする。但し、三月同の本尊は不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)であり、この仏像は客仏(仏像が他の寺から移されること)された際に「日光菩薩」と呼ばれるようなったとされる。確かにその姿態は一般的な日光菩薩のポーズとは異なる。それが如何なる仏像であるか等、そのような考証はしかし、増田にとって何の意味もなさない。

・「脣」は「くちびる」と読みたい。]

 


 

     赤     光

 

噴き井の水があふれるやうに

愛はひとのむねにもりあがる。

息をつめてふくらむむねから

珊瑚をならして愛はこぼれ、

この優しいエンゼルのうたは

雪崩百合のやうに胸よりおちる。

 

 ああ 愛あるものにのみ

 自然は若さをおくる。

 ラトモスの頂にねむる童子(わらべ)は

 やがて赤光の若さに目醒める!

 

この世にもしつみびとがあれば

それはこの白樺を折るものだ。

愛は無言のこころにもえだし、

無言のくちびるを結びあはせ、

山かけすのやうにかたいむねを

切なくよせて歎かすのだ。

 

 ああ愛よ屈托あるな、

 白菜のごとく卒直にあれ、

 愛するものよ君らのうたには

 アモールの白酒が滿ちんことを!

 

二人の眼がはじめて會つたとき

炭火のやうにはげしいおもひが

かれらを小鹿のやうにするなら

二人は思はないであらうか、

遠い昔神の御手にそだつた

二羽の銀鳩はこのわれらなのだと。

 

 ああ この世の愛はすべて

 いつかは天上に約された。

 この世にあることはもう既に

 その約束を移すばかりなのだ!

 

驢馬にくはれたちひさな木槿は

いつも微風とほゝゑみかはし、

やはい頰をしたましろの雪は

裸岩をやさしく抱いてゐた。

すべての調和には善も惡もない!

ただ嫩枝のやうにのびあがる愛情!

 

 ああ 私はこの一粒の苺にも

 妹にむかふやうに話しかける

 友よ そしてどんなに澤山

 愛するものを知らずに來たか!

 

[やぶちゃん注:「赤光」(しやくくわう)とは何か? この語は大正2年刊行の齋藤茂吉の歌集「赤光」によって人口に膾炙した造語と思われるが、これは「赤光のなかに浮びて棺ひとつ行き遥けかり野は涯ならん」という彼の短歌に基づくもので、而してその赤い光とは茂吉が母の野辺の送りの夜空に見た光なのである。では、それをここに援用できるかというと、明らかに無理がある。そうして「ラトモスの頂にねむる童子は/やがて赤光の若さに目醒める!」という詩句は、これを自然に旭日の光若しくは開明する鮮烈な日光と結びつかせるように感ずるが、何如であろう。

・「雪崩百合」は不明。全くの直感ながら雪崩しやすい地形斜面に群生するクルマユリ(ユリ目ユリ科ユリ属クルマユリLilium medeoloidesのことを指すように思われた。それとも、雪崩の如く不思議なスローモーションのように永久落下する幻想の白いユリのイメージか。

・「ラトモス」は山の名。直後のその山の「頂にねむる童子」とは、ゼウスの子(若しくは孫)とされる美少年エンデュミオン。月の女神セレネとの悲恋で知られる。以下にウィキペディアの記載を引用する。『ある日、山の頂で寝ていたエンデュミオンを見たセレネは、恋に落ちた。自分とは違い、老いていくエンデュミオンに耐えきれなくなった彼女は、ゼウスに彼を不死にするように頼んだ。ゼウスはその願いを聞き入れ、彼を永遠の眠りにつかせた。一説によればセレネ自身が行ったともされる。以降、毎夜セレネは地上に降り、眠るエンデュミオンのそばに寄り添っているという。エンデュミオンが眠る場所は通常ペロポネソスとされるが、一説によればカリアのラトモス山とされる。そのため、エンデュミオンの墓はエリスとラトモスの両方にあった。カリアのヘラクレス山の人々は、彼のためにラトモス山に神殿を建てた。また、セレネとアルテミスが同一視されるようになってからは、恋の相手はアルテミスとされるようにもなった。』

・「山かけす」はスズメ目カラス科カケス属ミヤマカケスGarrulus glandarius brandtiiを指していよう。

・「銀鳩」はジュズカケバトStreptopelia roseogrisea var. domestica。よくマジックに用いられる白いハトである。

・「遠い昔神の御手にそだつた/二羽の銀鳩」の因るところの神話は不学にして知らない。ご教授を乞う。

・「木槿」は「むくげ」で、アオイ科フヨウ属ムクゲHibiscus syriacus。落葉低木。花期は7~10月で、10㎝程の花が次々と咲くことから朝鮮語では「無窮花」と呼ばれ、ムクゲという和名もその音に基づくものと思われる。しかし、一個の花は朝方に開き、夕方には凋む一日花である。増田は「ゆめ」で孤独な存在としてこれを比喩に用いている。

・「微風」は「そよかぜ」と読みたい。

・「嫩枝」は「わかえだ」。]

 

 

 

雪   の   山

 

あさ!

南佐久の巨人たちの

天上にめざめる譚詩をきけ!

 

たちのぼるきよい息に

大きな額をぬらしながら

山山は歡喜にむせぶ

白金に赤に黄に金に

立上る峯 ひかりあふ峯々

天空の大きな伽藍たちは

いまレースに飾られてゆく

 

すばらしい刺繡にかざられて

傳説と星座をささげる山山!

かれらはいただきにひかり受けて

胎兒のうごきのなかから

しづかに眉をひらいて祈り

すでに母の優しい聲につつまれる

 

その聲にうたれていまいただきは

原始の彌撒にかがやき

歡喜と動搖にうづまき

天の新酒はその赤の

酸い赤の泡立ちを

谷そこの湯氣のなかへ落してゆく

 

谷そこより立ちのぼる靄のうへに

山山のかゞやきは火となり

陶醉し 祈り 祝福し

朱丹にきらめく額をあげ

頂から谷そこへ 深い湯氣のなかへ

春の若駒の馳け下りるやうに

新酒は一度に濫入する

 

見よ 全貌をかゞやかしかける山山

かれらは今すでに新しい肉身である

新しい未來であり 聖母である

かれらは産聲と抱擁

そして祝福と復活!

 

新しい活動と肯定の展ける直前

この偉大なる敍事詩を見よ!

いまここに住む人の悲慘も寂莫も

そこに棲む動物の凍死も屈從も

しづめられたままの呪も木魂も

すべて報ひられ 新しい肉を享け

抱擁に醉ひ 今日を信じ

諸手をあげて立ち上るとき

總身水晶にかがやく山山は

すべてを抱き擁へうづくまり

あたらしい未來を指して啜泣いた

 

[やぶちゃん注:・「南佐久」は現在の長野県南佐久郡。

・「譚詩」はバラード(仏語“ballade”)。

・「額」は「ぬか」と読みたい。以下も同じ。

・「彌撒」は「ミサ」と読む。ローマ・カトリックに於ける祈りの儀式。

・「酸い」は「酸(す)い」。]

 

 

 

ゴ   ツ   ホ

 

神のみの持つ健康を知れる聖きゴツホよ

 

炎天下を急ぎ刈りゆく草刈人のごとく

一切を聖化し炎となして過去つた人よ。

御身はありとある健康のうち最高の健康をもち、

それ故に悲しみの終ることなき生涯を送つた。

そして自らの血をもつてつくつた眞實のため

クリストの末子となつて仆れていつた。………

 

神のみの持つ健康を知れる聖きゴツホよ。

 

青年の日既にクリストを説いて炭坑に赴(ゆ)く運命にあつた。

御身は常に慘めなもの歎けるものの見方だつた。

そして薄暗い坑夫町の餓えたる若い女の手に

その一日の糧はいつもそのまま手渡されてゆくのだつた。………

 

ゴツホよ 御身には初から逡巡や拘束はなかつた。

御身は激しいその内の炎のまま神に一切を委ねた。

坑夫宿で坑夫より貧しい生活をおくりながら

行商人のごとく聖書をかかへて放浪(さまよひ)つづけた。

しかし一日初めて繪筆に身をもやす心を決めたとき、

内なる炎はかよわい人工の獸の毛を燃(も)しつくした。

御身は蘆を折り造物主のごとく創造せねばならなかつた。………

 

眞紅の雲の帶の映える白い杏のかげで

制作は鬪ふごとく煌(かゞや)くごとく進んだ。

水を渡りくるイエスのごとく歩む御身は、

苦しめる人類を慰安せんとして描くのだと語る。………

 

その後激しい制作はやがて南フランスの

アルルの夏の炎天下を待つて絶頂に達した。………

 

神は炎天下の末子を狂はさぬため自らを發散する術を教えた。

御身は揮發油にも似て自らを放電し天に凱歌をあげる。………

 

たとへば金と黄の梅酒をふりはらつてをののく向日葵を見よ。

蒼白い炎の息をはいて或る一瞬が待つてゐる。

火神となつて緋と青の空を慕ふその花辨の一枚ごとに

たえざる放電のひびきが鳴つてゐる。………

 

また煮え返つて天に噴騰る黒き糸杉(サイプレス)を見よ。

どうどうと地鳴りする大地の橙と黄の叫びが草となる。

桃色と青の渦卷き上る雲の下に山嶽が蒸上る。

その一切を包む白金の眩きのなかに放電する糸杉(サイプレス)を聞け。

そこに御身に宿つた神がきこえる。………

 

自然がすべて脈動であるごとく御身も脈動した。

自然がすべて人知に動かぬごとく御身も人知に動かない。

自然がすべて不秩序の秩序であるごとく御身も然り、

自然がすべて愛にみてるごとく御身も愛にかゞやいた。

 

その愛は次第に御身を悲劇に誘つていつた。

何人もの女が御身を拒んだ上に友人たちも御身を捨てた。

しかし御身は彼等を憎んだか? 否、大いに否!

御身は愛さずに措けぬ樣に運命づけられてゐたのだ。

 

しかし人々よ 二百十日の疾風(はやち)の残り風に

扇の尾をしぼつて翔る小鳥らを見送る時、

哀しき人よ、神はいかなる憤怒より

大空に覆面をなげうつて狼煙(のろし)を擧げたのか。

櫛のごと雲を梳く塔のもと異教の薫香が焚かれたる故か。

また槍ぶすま眞紅の旌旗を蝟集させて天を射る反逆の王の故か。

また憎惡に黄獨せる大河より魔王が勝利の叫びを擧げたる故か。

 

まだ擲彈と慘殺のうちにひしめき寄る好戰の民の故か。

否! 否! 神は地上の確信と傲岸を窺ひ見たる時、

抑へ難き孤獨の羨望と絶望に諸手をわななかし、

狂へるごとく雷神をひきおこし雲を稻妻の矢で裂落したのだ。

 

ああ冬近く月桂樹の花さく青い夜氣のもとで、

ゴツホよ、御身は鋭い剃刀をかざしてポオルに迫る。

しかし御身は急に踵をかへして數重なる悲しみを爆發させて狂ふ。

その剃刀で自らの耳を切つてたふれる。………

 

しかし神のみのもつ健康が ゴツホよ 御身のうちにあつた。

再び狂ほしく制作にむかひながら

友情ほど深いまことがあるかと言つて強くうなづく。

動哭しつゝ御身は詫びる、そしてやはりポオルを愛してゐる。

それに又癲狂院の患者たちの深い友情に立ちまぢつて

こゝにもまた神のひかりが見えると喜ぶのだ。

 

しかしくはへたパイプからはいつも火の煙が蒼白にあがり續ける。

それは測りしれぬ火山のごとく 又硫黄をかくした花の深淵の樣だ。

自ら削ぎとつた耳に纒帶して落込んだ眼光をよせてゐる。

 

おおゴツホよ その先の御身は私の想像を許さない!

絶作「三本の樹」の枝葉は魔女の指のごと天をよろめかし、

迫りくるハデスの世界の壁面なして絶えずゆらめき、

悲慘と狂苦に神となるひとつの靈を高く捧げて

白百合の天使の腕を待ちうけるのではないか。………

 

ああその後直に御身はわが身に彈丸(たま)を打ちこんだ。

刻々近づく死に向つて御身は何を語つたのであるか。

御身の語つたごとく悲しみは生きてる間は續いてゐたのだ。

 

ゴツホよ 悲しみは生きてる間は續いてゐた。

御身には愛される妻もなく又守るべき家庭もなかつた。

しかし御身は絶間なく愛する、それが大きな傷みだつた。

 

神のみのもつ健康を知れる聖きゴツホよ。

すべてのものを白金の後光をもつて燃やしたゴツホよ。

ありとあらゆる麺麭のうち唯一の麺麭を知れるゴツホよ。

御身は自らの血をそゝいでひとつの眞實をつくつた。

その眞實のためけふ黒檞の十字架を負ふ。

おお それこそ地の鹽とならむとして燃上りつゝ

御身のうちにかがやく休みなき愛のしるしだつた。

そしてその愛故に御身は滯まる時を知らず

クリストの末子となつて仆れていつたのだ。………

 

[やぶちゃん注:炎の人Vincent van Goghへの紀伝的叙事形式の悲憤慷慨激烈なオードである。

・「過去つた」は「過去(い)つた」で、逝ったの意。

・「噴騰る」は「噴騰(ふきあが)る」。

・「糸杉」ゴッホの描いたのは地中海沿岸に植生するマツ綱マツ目ヒノキ科イトスギ属ホソイトスギ(イタリアイトスギ) Cupressus sempervirensであろう。

・「眩き」は「眩(くらめ)き」。

・「旌旗」は「せいき」。軍隊のはたさしもの。

・「黄獨」は「黄濁」の誤植ではあるまいか(ちなみに、「黄獨」は漢方薬に用いられるヤマノイモ属ニガカシュウDioscorea bulbiferaの漢名としてはある)。

・「ポオル」は、ゴッホの盟友にして画家のEugène Henri Paul Gauguin

・「纒帶」は「てんたい」=包帯。

・『「三本の樹」』は少なくとも絶筆と目されるものにはないと思う。1997年のパリ時代の作に三本の樹を描いたものは発見したが、この増田の叙述からは明白に最晩年のオーヴェール時代の作でなくてはなるまい。探索を継続する。

・「ハデス」はギリシャ神話の冥界の王。またはその冥界そのもの。

・「麺麭」は「パン」。

「黒檞」はブナ科コナラ属シラカシQuercus myrsinaefolia。不思議なことに樹皮が黒いことからクロカシとも呼ばれるのである。]

 

 

 

     創     る

 

薔薇の重なりあふ灼金のおもひに

聖い膏はよろめいて香りかはす。

そのかげでアダムはあふむきながら

白砂のさざめくおほぞらの光に醉ひ

全身をとろかして水母のやうに

いつか深い眠りにおちていつた。

冬をねむり明す蛇のねむりのごとく

手をなげ足をなげ大地のぬくみに

 

マカロニの汗にぬるんで眠つたころ、

人間を孤獨より救はんとし

神はアダムのそばに忍び寄つた。

はじめ彼は粘土をこねて同しやうに

今一人の人を創るつもりだつた。

しかしアダムの訴へる寂しさはいつも

自らの息を息づくものが持てないからだ。

この溜息をきいたとき神は默つて

掌に叩いてゐた粘土をなげすてた。

そしてこの寂しい人聞はどうしたら歡喜するか

どうしたら救はれるかを神は覺つた。

神はそのときアダムを熱く扇ぎ

眠りおちた彼を抱きかかへその肩の

熱い麺麭のゆたかさに足をかけた。

そして魚の骨をぬくやうに胸の傍(そば)の

一本の肋骨を力こめてぬきとり

緑草をひたす赤い傷口に

いそいで肉をうめて癒しあげた。

神はその骨に土をぬりぬりあげ

やさしいふくらみを重ねて乳をつくり

息をふきかけて新しいいのちを與へた。

そして薔薇のかげにみちびき その膏の

金のしたたりを爪先まで流させた。

また茂みのなかの銀の百合をつたふ

流星のやうなすずしさを啜らせた。

またその額に束なす美垂穗をかけ

にこやかな赤い螢を宿らせた。

そして手をひいてアダムの傍に立たせ

まどろみとろんでゐる彼を指(さ)して、

おまへはつい今この男より分れ

新しい肉を享けたばかりだと教へた。

その新しい人はアダムを眺めわけもなく

震へながら悦びに聲をあげた。

しかし大きな手にゆすられてアダムが醒めたとき

神のすがたはもうそこには見えなかつた。

そのとき遠くの雲の白い翼のうへより

聖らかな聲がアダムの體をわなゝかせた。

「そこに立つ人はおまへの分身だ、

おまへはもう孤獨より救はれた、

その人はおまへの魂をわけ血をわけ

おまへの言葉をわけ息をわけた。

おまへはもう孤獨に苦しむことはない、

今おまへの得た唯ひとりの肉身の人は

永しへにおまへの息を息づくために創られた………」

 

[やぶちゃん注:・「灼金」の読みは不明。音ならば「しやくきん」、訓ずるとすれば「やきがね」「やけがね」。ちなみに暗闇で刀が合して擦れ合う際に流れ下る火花をこのように表現する語でもある。ここはやや黄みがかったバラの花の重層する花びらの間の醸し出す黄金色の空間を言うように私には感じられる。ちなみに言っておくが、私は薔薇が好きなことに於いて人後に落ちない。薔薇の好きな人にしか分からない、あるエクスタシーを、私は分かる。

・「膏」は「あぶら」。

・「水母」は「くらげ」。

・「麺麭」は「パン」。

・「美垂穗」は「みたりほ」か。額にかかった髪の隠喩。]

 

 

 

牧野のダビデ

 

 エホバのことばうけしサムエル、エサイにいひけるは、汝の男(を)の子(こ)は皆ここにをるや、エサイいひけるは、尚末の子のこれり、彼は羊を牧ひをるなりと

                           サムエル前書

 

五月の曠野の緑の息吹に

クリイム色の仄かな月はゆめもふるへ、

遙かをわたる風は飛越え乘あがり

遠く野の果(はて)におちて鳥を立たす。

立つ鳥の遠い野の果よりいま

見よ その背に白い山羊の仔をいだき

ひとりの神のごとき青年は歩みきたる。

その山羊の仔は幼い金の眼をかがやかし

その柔毛(にこげ)は日をうけてしろがねに溢れ

聖寵のごとく青年の額にかがやく。

見よ その額を その額は膏にきよく

流れすべる百合の露にかこまれ

エホバの擇べる薄紅(うすべに)の琴のごとく

神のみのもつ階調に晴れわたる!

見よ その眼を その眼は天の碧を

細くぬいてつくりたる蘆笛のごとく

飾りなく 曇りなく ただ未來のみを

その珊瑚鳴らすまたたきのうちに創る!

見よ その肩を その肩は隆く日に濡れ

雄叫び唸る牡牛のちからをうけて

山上の大岩の鹽ふいてゆらぐごとく

太陽の庶子の名あげて高まりゆれる!

見よ その足を その足は大樫さながら

天の炬火の力なして大地を斷定し

また 水あげて若やぎに露ふりこぼす

嫩枝のしなふ力で草を踏みゆく!

この草原の果をくぎる香りの森は

組みなづむ腕を縒(よ)らせて朱の息となり、

そのうへにかげろふ紫の山は

いただきに雪握(つか)んで日にくゆる。

見よ ふたたび この五月のうちを歩むものを!

エホバに擇ばれし青年は今歩みゆく。

見よ 三たび この神に擇ばれしものを!

神に擇ばれしこの人を、世にただひとつ

めぐる心臟を見よ、かがやく光源を見よ!

しばし今 野を歩みゆく人ダビデを指して、

萬物の耳は寄り その精はつどひ、

たとへば宇内の力凝つて人化(な)するごとく、

たとへば巖ふかくひそむ大いなるダイアモンドの

射通す光によつて星にまたゝきあるごとく、

山羊抱いて緑野をゆくダビデとともに

萬象宇宙の焦點は移りゆく………

 

[やぶちゃん注:聖書の注を附けるほど、私は不遜ではない(というより無学である)。ダビデについては、たとえば以下、サムエル書についてはたとえば以下を参照されたい(そのリンク先の叙述が最善であるかどうかはあなたが判断されたい。不服なれば自ずから学ぶがよい)。詞書中の「牧ひ」は「牧(やしな)ひ」。

・「膏」は「あぶら」と読んでよいか。若さの象徴としての肌の脂ぎった感じを示すか。私のような多脂症の人間には不審不快のべたつく表現であるが。

・「擇べる」は「擇(えら)べる」。

・「碧」は「みどり」と訓ずるべきであろう。

・「大樫」はブナ目ブナ科コナラ属の常緑高木を総称する「カシ」の中でも、アカガシQuercus acutaを特定する呼称。樹高は20mを超え、幹の直径も2m前後に達する巨木に生長する。材は強靭で赤味を帯びる。

・「炬火」は「きよくわ」又は「こくわ」又は「たいまつ」で、かがり火。前掲の「鷄肋集」の「伍」では「たいまつ」と読んでいるが、私はこの詩の歯切れのよい男性性からは前者で読むのがよいように感じている。

・「嫩枝」は「わかえだ」。

・「組みなづむ腕」の「なづむ」は恐らく、組むことが出来にくい、それほどに腕の力が満ち満ちていることを言っていると思われる(他に思い悩む、思いに打ち込むの義があるが前段からの流れの中で、その意をとらない)。

・「巖」は「いはほ」。

・「宇内」は「うだい」で、世界、天下。]

 

 

 

母の需めにより光明皇后のおおど

なさんとして作りたる小さきおおど

 

かがやく安宿媛(あすかのひめ)

三千代夫人の御(み)子

いかにセント・アンヌの御(み)子にもまして

無垢に憐れみ深くいつの世までも

哀しみまどふわれらの歎きを

いつくしみ見守りたまふか?

かの赤光にもたぐふべき

優しさに御(み)手とりて涙ながし

誰か御后(みきさき)を戀はざるものありや?

われけふ蛙なく佐保の川ぢを

奈良坂を秋篠をい行きさまよひ

行きたどり 行き止まり 心天(あま)飛び

日(ひ)月も知らにいにしへ戀へども

あはれわが絃(いと)弱し もろし

わが器(うつは)病む しらべ副(そ)はず

おお 願はくは御后よ

かの法華尼寺の天才に

御像つくる悦び與へ玉ひしごとく

わが絃にも感ありたまへ。

戰ひに勇みゆく子らのため

またそを送る母らのため 妻らのため

たとへわが絃切るるとも 花ある頌を

讃への對句を大いなる詩章を

祈りのうたをなさしめたまへ。

たとへわが名かの彫師(ほりし)のごと

消えゆくとも 亡びゆくとも

誤られゆくとも、變りゆくとも

天下の御(おん)國母

藤三孃の御后

われに第一の頌をゆるしたまへ。

 

[やぶちゃん注:光明皇后に注を附けるほど、私は半端に不遜ではない(というより興味が湧かない)。光明皇后については、たとえば以下を参照されたい(そのリンク先の叙述が最善であるかどうかはあなたが判断されたい。不服なれば自ずから学ぶがよかろう。多分、光明皇后についての百科事典的な付け焼刃でもこの詩は充分に味わえると思っている)。即ち私は十全に不遜である。それでも最低の注は、必要である。聖武天皇の皇后で安宿媛(あすかべひめ)、藤三娘(とうさんじょう)とも言う。父は藤原不比等で、母は本文に現れる県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ。別名、橘三千代。一階の命婦から後宮の実権者に成り上がった烈女である)。仏教に深く帰依、東大寺・国分寺の設立を夫に進言したとされ、貧者のための福祉施設に相当する悲田院や医療施設としての施薬院を設置、興福寺・法華寺・新薬師寺といった多くの寺院の建立や修復を行った人物として仏教史に刻まれる(聖武天皇の死後にはその遺品を東大寺に寄進、その宝物を収蔵するために正倉院が作られた)。

・題名中の「おおど」はオード“ode”。 崇高な主題を、不特定多数の対象に呼びかける形で歌う自由形式の叙情詩。頌歌(しょうか)。

・題名中の「需めは「需(もと)め」。

……さて、以上の叙述からお分かりの如く、ここに至って、どうもこの詩は、素直に読んですんなり好きにはなれぬのだ。読後の感触もなんだかごそごそして悪い。それはこの詩が「母の需めによ」るもので、ちゃんとしたオードを作るつもりが、ちっぽけなものしか出来なかったという題名の歯切れの悪さが、まず第一にある。また、詩の最後までその絶世の美貌の面影は、増田や我々の前に遂に姿を示さぬではないか……増田よ、我は君の反語の「戀はざるもの」の一人なのだ……増田よ、しかし……君はあの時、君の「絃切るる」時、彼女の「花ある頌」故に戦場に向うことが潔く出来たと、言うのか!?

・「安宿媛」の「あすかのひめ」という増田のルビは誤りで、上に記した如く、「あすかべひめ」とすべき。一見、どうでもいいように見えるが、実は「あすかのひめ」は明日香皇女(あしかのひめみこ)を指す訓で、こちらは天智天皇の皇女にして、有間皇子の母方の従兄妹、高松塚古墳の被葬者に擬せられる忍壁皇子(おさかべのみこ)の妻と目される人物を指す。以下のウィキペディアの記述等を参照されたい(ちなみに彼女も抹香臭い事績が多い)。

・「セント・アンヌ」は聖アンナで、マリアの母(キリストの祖母)とされる人物。以下のウィキペディアの記述等を参照されたい。

・「赤光」は前掲詩「赤光」の注を参照。

・「佐保の川ぢ」の「川ぢ」は「川路」(川の流れ)。佐保川は『若草山東麓を走る柳生街道の石切峠付近に発し、若草山北側を回り込むようにして奈良盆地へ出、奈良市街北部を潤す。奈良市新大宮付近から南流に転じ、奈良市と大和郡山市との境で秋篠川を併せる。大和郡山市街東部を南流し、同市南端付近の額田部で大和川(初瀬川)に注ぐ。』(ウィキペディアより引用)。

・「奈良坂」はかつての京から南都に向かう古道京街道の途中にあり、東すれば伊勢,南に下れば奈良という古代からの交通の要衝であった。

・「秋篠」は奈良県奈良市秋篠町秋篠寺周辺、もしくは寺そのものを指している。秋篠寺は奈良時代の創建、伎芸天像と国宝の本堂で知られる(但し、平安末に焼失、鎌倉期に再建されたもの)。

・「知らに」の「に」は打消の助動詞「ず」の連用形の古い形。知らずに。

・「法華尼寺」は法華寺で、奈良県奈良市法華寺町にある。真言律宗、奈良時代には日本の総国分尼寺とされた。本尊は十一面観音、開基が光明皇后である。

・「法華尼寺の天才」は以下に記すガンダーラ国の彫刻師文答師(もんどうし)。この名前、とても本名とは思われない。まさに増田の言うように本名は失われてしまって、ニックネームのようなこの名のみが残ったのであろう。

・「御像」は法華寺本尊の十一面観音を指す。この仏像については、北天竺の乾陀羅国(ケンダラコク=ガンダーラ)の王が、遥に日本国の光明皇后の美貌を伝へ聞き、彫刻家文答師を派遣、請いて光明皇后を写生して作らしめたる三体の肖像彫刻の内、一体は本国に持ち帰り、他の二体はこの国に留め、この法華寺と施眼寺とに安置したという記載が「興福寺流記」「興福寺濫觴記」等にあるとする(會津八一「南都新唱」注より)。

・「藤三孃」は「とうさんじやう」で光明皇后の別名。「藤三娘」と同じ。]

 

 

 

     長詩 飛鳥寧樂のための序歌(一)

 

乙女らが糸紡ぐをききつつ

長きかなしみにわれは浸りつ。

おお わがうちにある偉大なる詩人らよ!

夜沈々 御身らわれを飛鳥にみちびき

二十三才のこの開花に變貌のきざしを來し、

ゆくべき大道を遠く示したまへり。

しばし今宵、糸下り來る蜘蛛拂ひつつ

御身らがために讃歌し ここにわれ

あたらしき靈異記と相聞がために立たんとす。………

………………………………………………

まこと常春藤(きづた)に祝されしプラトオよ。

御身が産れながらに妊娠せるたましひは

その分娩を美はしき魂のうちになしたり。

さなり、わが飛鳥もまたかくのごとくなり。………

またわが歌調(アリア)なる御身バツハよ、

沈みゆく悲しみと抑へがたき欣びは、

開きゆく花のごとく タぐれの燕のごとく

美はしき收穫を神の御(み)倉にたたふ。

さなり、わが飛鳥もまたかくのごとくなり。………

 

更にまた羅馬女神と同衾せしゲエテよ、

御身はドロテアにつよき開眼をあたへ、

また西風の翼にズライカを扇ぎ、

美はしき欲念を神のみ業となしぬ。

さなり、わが飛鳥もまたかくのごとくなり。………

さればけふわれこの歡喜の遺産を相續し、

魂はかゝるエロスによりて生計をたて、

いつか希薄となる大氣はわれを放たず。

まことわれらがいにしへの旅する詩人が、

杜甫樂天の森をぬけ初めてかれらと語りしごとく、

われまた西歐が大いなる魂の森を

たゞ若き喜びにふるへ歩みゆくべし。………

…………………………………

乙女らが糸紡ぐをききつつ

長きかなしみにわれは浸りつ。

髪なしてけぶる雨は香を焚けば、

おお わがうちにある偉大なる詩人らよ。

日に灼かるるごとき磁力と愛溺!

また影響と共に見出されゆく自己よ。

願はくは御身らこの若き詩人によりて

飛鳥天平のいにしへに祝福せられよ。

 

 

 

     長詩 飛鳥寧樂のための序歌(二)

 

いくたびかわれ古都の長道をあゆむは

物語のゆゑならず 考證にもあらず。

たゞここにして東大寺の杜よりひびく

おもひしづめる梵音にふかく太息し、

ぐづれかけたる築地に沿はむうれしさに

藥師寺より招提寺へと往來(ゆきき)せんがためなり。

されば共に佇むものよ 夢にみよ、

夢にみよ 今斑鳩の白きあぶら壁に

姉のごと聖く腕(うで)まげし勢至を。

また戀人の露(あら)はのかひなを伸べつつ

薔薇に飾られてふくらむ柱を。

また懷しや 若き尼は金泥の経文に醉ひ

牝丹雌蕋のごと雄蕋にまみれたれぱ、

水滸傳にも見まはほし 帝(みかど)が御(み)子も

ちまたの酒肆をみそなはし車止めたまひぬ。

戸を開(あ)けよ 戸を開けよ 三條にちかく

朱雀大路を今し歌垣は下りゆくなり。

輪髪の乙女よ、共に來れ、こなた

伎樂のしらべほの聞ゆ内裏にそひて

かの群に加はらむ、共に速く!

………………………………………

共に速(と)く! 共に佇むものよ、

くづれかけたる飴いろの築地を沿はめ。

歌垣は了りぬ、大いなる高塔はもえぬ、

佛らの脣あせゆき 赤きかゞやきはきえ

斑鳩の壁画はその崩れを硝子もて支へらる。

飛烏は去りつ 飛島は去りつ

しかも天平のパルテノンなる招提寺の朱さヘ

日とともに寂び 雨とともに流れ

つひに秋篠のながれも田川となりぬ、

 

夢みつ醒めつ 大極殿の御跡をよぎり

後宮のみち芝にふしておもへば、

かつて橘の三千代夫人 また燦やかし

藤三孃安宿媛の春の宴はいづこに。

泣かまほし物偲べば青摺の歌垣乙女

またありや 誘ひつれし愛の言葉よ!

 

けふまたもわれ古都の長道を下るは、

物語のゆゑならず、考證にもあらず。

ただ失はれたる飛烏寧樂の夢に現(うつつ)に見えかくれ、

赤きひかりを放たむを慕はむがためなり。

おお愛と力にみちし日日よ、われ弱ければ、

愛人を慕ふごと昔をこがれ泣沈むなり。

 

[やぶちゃん注:標題の「飛鳥寧樂」は「あすかなら」で、「寧樂」は奈良の古称。底本では「長詩」はややポイント落ち。(一)及び(二)の括弧は横。

・「夜沈々」は「よしんしん」又は「よちんちん」で、静まりかえった夜のさま。

・「二十三才」は増田自身の本詩を創作した際の年齢を指していると考えられる。後掲する詩集末尾の「覺書」の「八」で、増田は『卷初には序詩として、やうやく詩が書けはじめた頃の作「白鳥」(一九三二)と、集中最近の詠草に属する「桃の樹のうたへる」(一九三九)を竝べた。』と記している。1989年より後の作品が含まれていないとは言えないが、この叙述を素直に読むならば、1989年前に創作されたものと読んでよく、1989年当時、増田は24歳である。

・「來し」は「來(きた)し」。

・「靈異記」は「りやういき」(「れいいき」とも読むが前者で読みたい)で、通常は「日本国現報善悪霊異記」を指す。しかし、ここは一般名詞として、人知でははかりしれない神聖にして不思議な、「日本国現報善悪霊異記」に次ぐ物語の創造という意味で用いている。

・「プラトオ」は“Plato”で、哲学者プラトン。

・「常春藤」は、画像を見る限り、ルビは「さづた」のように見えるが、これは「きづた」の誤植と判断し、読みは「きずた」とした。ギリシャであるからセイヨウキヅタHedera helixであるが、ここに記されたキヅタに祝された(?)という事蹟については、不学にして知らない。以下に続く部分も意味不明であるが、プラトンが創始したイデアの認識とそこから生じるエロスの誕生を意味しているか。倫理社会の貧しい知識の牽強付会である。すべてに亙って識者の御教授を乞う。

・「羅馬女神」は「ローマぢよしん」で、ゲーテが自室にその胸像を飾っていたユノを指すか。彼女は結婚と出産、既婚女性の守護神にして神々の女王である。

・「ドロテア」は、ゲーテの不滅の愛を描いた「ヘルマンとドロテア」のヒロイン。

・「ズライカ」はゲーテの「西東詩集」に載る詩で、シューベルトやシューマンの歌曲で有名。本来、「ズライカ」とはイスラムの文学にあって才媛を意味する語。但し、この詩はゲーテの作ではなく、彼の恋人であったマリアンネ・フォン・ヴィレマーの作であることが分かっている。「ズライカ(西風)」の詩は以下を参照。

・「梵音」は「ぼんおん」で、鐘の音。

・「築地」は「ついぢ」。

・「招提寺」は唐招提寺。

・「あぶら壁」は「油壁」で、築地塀の一種。砂・粘土・餅米の汁を用いて塗り固めたもので、高い強度を持つ。

・「勢至」は勢至菩薩。阿弥陀三尊の右脇侍。この像の特定については、薬師寺等にある実際には勢至菩薩でない別な仏像等の幾つかの可能性を考えたが、ネット上での貧困な推理に過ぎない(親しく実見したものでなく、薬師寺から唐招提寺に至るどこか、或いはその周辺の寺院の勢至菩薩像である可能性も否定できない)ので、考察結果は控えたい。奈良に詳しい方の、御教授を乞う。

・「水滸傳にも見まはほし」は意味が取れない。「見まはほし」は「見まほし」で(そのような語はないが)、「水滸伝」に登場させたいような」という意味か。識者の御教授を乞う。

・「酒肆」は「しゆし」で、酒屋。

・「みそなはし」は「見る」の尊敬語。

・「歌垣」は、一般には、男女が春と秋に集まって歌い踊り合って互いに求愛を表現した行事。東国では歌(かがい)と言った。なお、「歌垣」には狭義に踏歌(とうか)の意味がある。踏歌は中国伝来の男女別の集団歌舞で、足を踏み鳴らして歌い舞うものであるが、女踏歌は紫宸殿の南庭でのみ行われ、市中には出てゆかなかった(男踏歌は市中に出る)ことから、前者としてよいであろう。但し、これは増田の奔放な幻想であり、彼自身が詩中で言う如く、そのような『考證』にこだわる必要はない。

・「輪髪」は、一応、「りんぱつ」と読んでおくが、「わがみ」という発音が今ひとつピンとこないだけで根拠はない。以下に記すような理由から、「わげ」と読ませているのかも知れない。そもそもこの髪型がどのようなものを指しているか分からないのであるが、言葉や推定される形状からは頭上に輪の形に神を結う結い方で、唐子髷(からこわげ)・唐輪(からわ)と言うものを指すように感じられる。但し、これは鎌倉時代末期から室町時代初期に結われた髪型の一種であり、更に当時は男子の髷(年少の武家や寺院の稚児)の髪型で稚児輪(ちごわ)とも言った。後にこれは兵庫髷というものに変化し、江戸期の遊女間にも流行したというが、奈良期の少女の幻影には合わぬ気がする。眼から鱗の解釈のあられる方は、お教え願いたい。それとも、ここも増田の自由な幻想、『考證』にこだわる必要はないか。

・「伎樂」は「ぎがく」で日本最初の外来の楽舞、無言の仮面劇を言う。推古20612)年に百済(くだら)の味摩之(みまし)なる人物が中国の呉の国で学び日本に伝えたとする。飛鳥奈良朝に最盛期を迎えた芸能。

・「脣」は「くち」であろう。

・「斑鳩の壁画」は昭和241949)年に焼失した法隆寺金堂内の壁画を指すか。それ以前の状態が増田の言うようなガラスによる支持保護であったかどうかは不明であるが。

・「秋篠」は秋篠川。奈良県北部を流れる佐保川の支流で、西ノ京辺りでは薬師寺や唐招提寺や薬師寺のそばを流れる。

・「大極殿」は「だいごくでん」で、大内裏の朝堂院の中の、北部中央にあった正殿。南面して中央に高御座(たかみくら)があり、天皇が政務や、即位の大礼等を行う際に用いた。

・「みち芝」は一般名詞として道ばたに生えている芝草、雑草でよいと思われるが、一応、イネ科ヒゲシバ亜科のミチシバEragrostis ferrugineaという種があることは掲げておく。

・「橘の三千代夫人」とは県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ)、橘三千代(たちばなのみちよ)とも言う。軽皇子(文武天皇)の乳母。敏達天皇の第一皇子難波皇子の孫である美努王(みぬおう)の妻となるが、藤原不比等が恋慕、三千代は夫を捨てて、不比等の後妻となり、光明皇后を産む。その後、軽皇子は祖母である持統天皇の後見によって皇位に就き、三千代は後宮に絶大なる権勢を有し、同時にこれが藤原時代の幕開けともなった。

・「燦やかし」は「燦(はなや)やかし」と読むか。

・「藤三孃安宿媛」は「とうさんじやうあすかべひめ」で、三千代の娘、光明皇后。「橘の三千代夫人」の県犬養三千代と合わせて、前掲の詩「母の需めにより光明皇后のおおどをなさんとして作りたる小さきおおど」の注を参照されたい。

・「青摺」は「あをずり」と読んだ場合、青摺衣(あおずりごろも)という古服を指す。原義的には「青葉で摺り染めされた着物」で、カワセミ(ブッポウソウ目カワセミ科カワセミ亜科Alcedo atthis)の羽のような色を指す。但し、これを「あゐずり」と読んだ場合は儀式用の青摺衣(あいずりころも)を指し、これは山藍摺りされた藍色の衣を指すという。山藍摺りとはトウダイグサ科ヤマアイ属ヤマアイMercurialis leiocarpaの葉を搗いて出る汁によって青磁色に染められたものを言う。前者でよかろう。

・「考證にもあらず」……されば、さることなり、私の付け焼刃の注釈など、総て考證にもあらざる無用のものと言ふべし……]

 

 

 

     城 山 燃 ゆ

 

乞食は山上で乾いた一箱の燐寸を拾つた。

 彼は寒さにうづくまりながら、

  城門のかげの落葉に火を放ち眠りおちる。

 

冬の夜ふけ羅卒のすがたも消え

堀には鴨が生乍ら氷るおびえに叫ぶとき、

       ふと山上の城にかすか明りがゆれはじめ

       廣い城下町が時ならず白んできてゐる。

 

       人一人住まない城山のいただきの

      城壁がいくども火に鏝あてられる。

   それを見つけた夜番は思はず立すくんだ。

  そして櫓にかけのぼると花札をきるほど早く

惡鬼の甲をつりあげたる半鐘を亂打する。

そのあわただしい息は城下町の甍を鰓にかヘ

 その動く一つ一つをはや火照りが縁どりそめる。

 

 

人一人住まない城山のいただきの

    火を吸入れんとする大城門は

   紅玉の顎なしていくどかうごき

  天主閣はそのおくに身がまへる。

 群集はくるへるやうに城山の火柱をあふぎ

古き時代の番人を打たふす破城槌のひひぎが

無數の揚物をしてはじき飛ぶのを聞く。

    彼等の舌はしびれて昨日までの言葉を忘れる。

 

(石を運びあげ息ついた折穴に突落された人柱、

また背後から飛ついた通り魔にたふれた戀人たち

さては宴げの呼子の鳴る夜、土窂に餓死した最後の人)

     亡靈はかの開かれざる城門の敷石の下にあつた。

 しかし見よ、燃ゆる薪の雨にその錠は容易(たやす)く落ち、

彼等は故わかぬ幾百年の血だらけの足跡を迫り寄り

敷石をさしあげて神に祈つたとき

          それはむしろ奔る楯であつた。

 

火は美人を抱あげるやうに四方から天主閣に殺到した。

巨大なる材とともに舞へる蜘蛛はその眼のまへを

鎧と私通にみちた幾世紀が走馬燈のごとく飛ぶのを見た。

昔からこの甍に棲んできた蝙蝠は火に自らを投じて叫ぶ。

「おゝ古き城よ、われらはただ古きが故にのみ亡さる。

われら今日何の惡事をなし、何の犯罪をなすであらう!」

 

しかし見よ、天主閣は火に撫廻されて身悶えた末、

身を任すのを恐れてくづ折れる女王のやうに

   大きく搖ぐとみると雪崩こんでいづこへか溺れていつた。

 

     その火明りで雪と泥の平野は祭になつて彩られる。

     人々は胸そこから夥しい歡呼のわくのを覺えた。

     かれらは故もなく大聲で泣き叫び笑ひながら

     眞紅の櫨にそまり城下町へ津浪のごとく押寄せる。

 

   そのとき乞食は既に逃げる力を失つた。

  われら知る曉をみちびくものは賢者にあらず

   王者にあらず 豫言者にあらず、そは唯失火のみ。

  唯失火のみ 浮浪者のみ 言葉穿つ方言のみ。

 しばしかの泉のほとりで渇せしもの貧しき殉死者を見よ。

かれがいまはの息をわれらは産聲ときくその一瞬を見よ。

 おお われらが求愛する新生、若さと無謀にみちた未來よ。

 いまや一たびつむじ風が城山の一切を卷上げたとき、

  かれは常に落葉よりかるく吹上げられて散華する。

   そしてそれはこの癈城の道伴になる唯一の人間であり、

    このエピタフを身をもつて草する昨日の詩人であり、

     彼はその悲劇的陶醉的なる一夜を心ならず

         曉の弓弦に張つたのだ。

 

城下町は晝のやうに明るくなつた。

火の先發隊はすでに城山をめぐる濠にせまり、

無數の柳は濠に身を投げんと絶叫した。

火は大包圍戰を構成して堀にうつり映え、

水底からも金の鯉の群の火はなだれ上つてきて

津波のやうに

       轟然たる人々の聲に和した。

 

[やぶちゃん注:本詩の取材する城は何処のものなるか知らず。私は自然、架空幻想の城ととるのであるが、万一、増田がイメージのモデルとした城をご存知の方はご一報願いたい。黒澤明が撮影しているような幻暈を憶える慄っとする素敵な詩だ。

・「燐寸」は「マツチ」。

・「鏝」は「こて」。

・「鰓」は「えら」か「あぎと」であるが、炎の比喩とすれば「えら」の方が、鋭角的で良いように私には思われる。

・「破城槌」は「はじやうつい」で、城門を突破するために使用される兵器。元禄忠臣蔵の巨大な槌(つち)や、丸太を支持枠に吊るした遊動円木のようなものを想起すればよい。

・「揚物」は「あげもの」で、兵器としての投石機を言うのであろう。ここの部分、「群集は」「ひびきが」「はじき飛ぶの聞く」という構文は、やや無理があるように思われる。

・「土窂」=土牢。

・「撫廻されて」は「撫廻(なでまは)されて」。

・「櫨」は「はぜ」で、バラ亜綱ムクロジ目ウルシ科ヌルデ属ハゼノキRhus succedaneaで、その赤い葉を隠喩に用いた。

・「エピタフ」は“epitaph”で、墓碑銘。]

 

 

 

     日光尊者再讃

       ―天平時代・三月堂佛像

 

一、月も日もすがたなき 夏のあかつきの空を見れば、一抹の薔薇油のみその束の間の うす赤きちぎれ雲よりしづくせり、日はまこと黑く艷ある夜空にやをら 瀧なす産湯おとして捧げられしか。われいま三月堂大扉の前に在りて、ただ聖き磁力にうたれをののけるなり。

 

二、闇より産れ 闇を知り いま闇を拂はんとする日輪よ。いつかわれ御身を拒みしことありや。否! 否! されど われ哀れなる靴工のごとく、弱き寡婦の母さへ忘れ、ゴルゴタの夜にさまよひ、極光の襞(ひだ)をつたひて、今このアジアの渚にむせびなくなり。いつかわれ御身を呪ひしことありや。否! 否! されど われ哀れなる釘工のごとくわが工場に鐵滓あるなく、わがパン皿に白鳥の羽ちり、わが肌着はや釦なければ、この露はなる胸 雪に洗はれ凹みはてぬ。

 

三、されど見よ百合を! 夏に濯がれしかの白百合は、火なき光なき闇に在れども、おのがほのけき熱によりて 聖きその存在を語る。されどこの可憐なる手巾(ナフキン)の 盬ひかるごと白く薫るは、自らを誇りてかくあるにはあらず。たゞ日輪よ、御身のみ待ち御身のみ讃へ、電光相うつ嚝野にあるとも、掠奪に人絶えし國境にあるとも、空に浪うつ御身の出現を たゞ信じゐたればなり。われこの世にいのち亨けしより以來、御身が名もてわが名とすれども、いまだ御身のほのほを知らず。たゞ語れ、日はいづくにありや、曉はすでに始まりしや、すでにこの大扉よりわが足もとに 雪崩しひかりを明したまへ。

 

四、雪崩よるそのひかりを! 大いなる炬火を! 開かれたるこの大扉のおくに いま動く衝動と啓示を! 鳴きつぐ鶯にみちびかれつつ ベテレヘムへ急ぐナオミのごとく われこの啓示を早く知れり。朱の麥さして燻りたるその脣をあふぎみれば、また群がる闇を見貫(みつらぬ)くその眼をみれば、われすでにかの聖きひかりの如何(いかん)を曉る。草の杪(こづえ)を脈うたす柔き諸手をあふぎ、その合掌に遠き過去を知り未來を曉り、そを合はす優しく且は強き力に、創造の息吹の通ふを見れば、やがて御身天に立ち すべてを領ずる眞晝の時を信ぜずんばあらず。まこと燃ゆる雨ふらす日輪よ! すでに日輪は御身尊者の謂なりや。オーロラを赤めしは御身なりや。群れゆく黒鹿に丹塗矢放つは 御身が夏の弓なりや。

 

五、御身尊者もし天日にあらば、わが賤しきからだこころを濯ぎたまへ。わが古き血をなべて落し、わが萎えし舌を切りとり、のちわが全身を鮫のごと、白きタイルのうへに濯ぎたまへ。鉛色のわが血管を刄もて裂き、腦膸より青葱のごとき蕊をぬき、疲れたる振袖の肺臟をゆすぎ、古き記憶を落さしめよ。天日よ、わが唾は疲れ、わが精液は穢れたり。そをただ水もて流し、わが狂ひたるピアノの簾(すだれ)を寸斷せよ。かくてわれを立たしめ われに新しき血を與へよ。われに新しき言葉を與へ、われに新しき聽力を與へよ。われに正しき歩行を教へ、のちかくてわが全心身を灼きたまヘ!

 

六、御身尊者もし天日にあらば、わが全心身を灼きたまへ。魔藥くゆらす青き髪のうちに わが潔き齒ははや穢るることなし。屈辱と冷罵と拒絶のうちに わが頸(くび)ははや折らるることなし。蒼白に稻光する市街のうちに わが肺臟ははや蝕さるることなし。國境に硝煙たち戰あるとも、もしそれ歴史を展く力あらば、わが新しき血そこにもえよ。歴史を進ましむるもののみに、わが全心身を犠牲(にへ)とせよ。御身尊者もし天日にあらば、わが血管に御身の新酒をそそぎ、御身の言葉のみたゞ語らしめよ。わがうちに白金のピアノの簾をかけ、火の鍵盤をそろへよ。また燃ゆる七絃琴(リイル)をめざましめ、のちかくて御身が指を、その輝ける絃のうへに馳らせたまヘ! この輝ける絃をしてただ、御身が歌に共嗚せしめよ!

 

七、はや火の絨毯の朝燒は、東の方に展けそめたり。見よ 麺麭のごと赤く湧き立つ かしこ貫(ぬ)かんとする第一の矢は、波を切りゆく弾丸(たま)のごとく 速さゆるめつつ中天に屆き、そを追はんとする第二の矢は、白馬の曳ける日の車の 行くべきみちに射上げられたり。かゝるときわが白金の絃のうへに、はじめなる共鳴は合唱す!「われを見よ、われは正しく天日にして 汝の仰ぎし尊者なり。わが合掌既に天に生き、わが大道に雨あることなし。わが新酒既に汝に宿りたれば、汝の歌わが夏の弓に晴れん! 汝既に無力と屈托のときを歌ふなかれ。懶惰と夢のときをおもふなかれ。ただ未來なる開港に、工場に田園に、また戰鬪に愛撫に沈默に、わが息吹あるところにのみ汝の讃歌を在らしめよ! そは汝のなせし祈禱の聲既に果されたればなり。」

 

[やぶちゃん注:まずは前掲の詩「日光尊者」の注を参照されたい。

・「薔薇油」はナラから蒸留して得られる高級香料であるが、ここは朝焼けのイメージの隠喩。なお、以下の「一抹の薔薇油のみその束の間の」を私は「一抹の/薔薇油のみ/その/束の間の」と文節を切って、朝焼けの空の色彩の隠喩としての薔薇油のイメージを、そしてそれを限定の副助詞「のみ」で先鋭化している句法(やや無理があるのだが)と読む。疑義のある方は、眼から鱗の解説をお願いしたい。

・「極光」はオーロラ。

・「鐵滓」は本来は「てつし」と読むべきだが、慣用読みで「てつさい」と多くの文献が読んでおり、増田もそう読んでいるかもしれない。これは鉄の精錬の際にこぼれ落ちる鉄屑で、金糞(かなくそ)とも言う。卑しい釘職人にさえ、僅かの劣悪な鉄滓さえないように、という意味か。

・「炬火」は「きよくわ」又は「こくわ」又は「たいまつ」で、かがり火。前掲の「鷄肋集」の「伍」では「たいまつ」と読んでいるが、私はこの詩の歯切れのよい男性性からは前者で読むのがよいように感じている。

・「ベテレヘムへ急ぐナオミ」は旧約聖書の「ルツ記」に登場する女性。HP「大分聖公会」の「聖書の人物(20)ナオミとルツ(ルツ記より)」の叙述が分かりやすい。この日本人の名前のようなナオミとはヘブライ語で「快い」という意。

・「燻り」は「燻(ふすぶ)り」で、遠い日に脣(くち)に引いた麦の穂のような朱が長い年月の中でいぶされて古色を成していることを指しているか。

・「曉る」は「曉(し)る」=知る、と読んでいる。

・「杪(こづえ)」のルビはママ。正しくは「こづゑ」。

・「刄」は「やいば」。

・「ピアノの簾」とは、グランドピアノの内部の平行に走るスチールの弦のことを言っているか。

・「蝕さるる」は「蝕(おか)さるる」。

・「七絃琴」は和琴としては古琴の一種(平安時代に流行したが現存する完品は少ない)であるが、ここでは「リイル」のルビがあるので“lyre”(リラ・リュラー・ライアー・リール等と発音)と称する洋琴、7弦の竪琴を指すと考えるべきであろう。

・「麺麭」は、「パン」。]

 

 

 

     日輪の語れる

 

人々よ われは來るべき人間を信ず。わが夏の弓はその人の花の腕(かひな)に引きしぼられむ。人々よ われは日輪なり、すべて哀れなる處刑囚の解放者なり、教育者なり。

人々よ 野菜や魚を商へる市場に、煤煙いぶりたる工場に 土の見えざる石疊の廣場に、汝らは歩み佇み激昂すれども、絶えて己が囚人なるを 悲しみの徒弟なるを知らざるなり。

かつて人間は過ぎし日と來る日を知る時ありて鳥獸に打克ちぬ。されど見よ、汝らは今日復讐と危惧にもえつつかくも流浪す。汝ら嬉び悲しみ怒り怖れつつ歩めども、見よ その影は極めて薄し。そは汝ら既に命了へしものか或は流産せるものなるが故なり。

人々よ 嬰兒は長じて成人となれども、成人の長じて再び嬰兒となるは稀なり。かれらは中途にして事きるるか、或は老人となりて生存す。われまこと汝らに告ぐ、汝ら昨日を患ふなかれ 明日に惑ふなかれ。われと共に脈搏し 呼吸し 歩行せよ。

人々よ、今日汝が法馬(ふんどう)を※ち、汝が卷尺を捨てよ。己が血と肉もて箴言せよ、己が呼吸と聲帶もて作歌せよ。かくて産れ更るべき人間は再び嬰兒なり、かかる生命の肯定者なり、新しき精神なり 肉體なり。

われは常に驚愕せるものを愛す、そは生命はたえず瞎目するもののみに與へらるゝが故なり。驚愕せざるものは自ら萎えて死せり。

われは常に肯定せるものを愛す、そは自ら切捨てし爪をさへ蘇生しうべけばなり。否定せるものは自ら萎えて死せり。

われは常に報酬を求めざるものを愛す、そは自らよりも自らの純潔を愛するが故なり。報酬を求むるものは自ら萎えて死せり。

われは常に恐怖を知らざるものを愛す、そはあらゆる奇術を一瞬に果てしうべけばなり。恐怖するものは自ら萎えて死せり。

われは常に掘下げざるものを愛す、掘下ぐるものはその穴の底に全身の自由を失ふ故なり。土を掘るものは自ら萎えて死せり。

われは常に規定せざるものを愛す、そは溢れ泡立つ春の土壤と共なればなり。規定するものは自ら萎えて死せり。

人々よ われは紅(くれなゐ)の罌粟と薊(あざみ)を愛す、戰鬪と愛撫と沈默を愛す、ざわめく緑草に身をうづめる嬰兒を愛す、われは湖に張りたる氷を裂きて渡るごとき跫音を信ず。

人々よ 心ふかき夫にまもらるる妻のごとく、飾りなき微笑もちてわれと共に來れ、見よ われは日輪なり、われは雛の軸ほどく筈なり、産屋をきづぐ鳶師なり。見よ われは汝ら處刑囚の解放者なり、教育者なり。われは汝らを新しきかなてこに横ふ鍜冶工なり。鞴(ふいご)なり。

 

[やぶちゃん注:「※」={(てへん)+「放」}で、「抛」と同義で「(なげう)ち」と読ませるのであろうか。不明。

・「釦」は、「ボタン」。

・「法馬」は、秤の分銅。地図上の銀行の印である繭型のものを言う。語源は不明であるが、全体が馬の顔のようにも、馬の鞍のようにも見えないことはない。法は標準・制度・規範の意である。

・「更る」は「更(かは)る」。

・「瞎目」は「かつもく」であるが、誤字ではなかろうか。「瞎目」では片目で見ることから、はっきり見えない、正確に見えない、全く見えないという意味で詩句として通じないように感じられる(牽強付会的に説明出来ないことはないがやる気はない)。これは同音の「刮目」(かつもく)で、目をこすって対象をよく見ること、注意して見ること、ではなかろうか。そうしてこそ、新鮮な驚愕は、ある。ご意見を乞う。

・「うべけばなり」はこの後ももう一箇所現れるが、文法的に不審。「うべければなり」の誤りではなかろうか。ご意見を乞う。

・「罌粟」は「けし」。「芥子」とも書く。ケシ科ケシ属ケシPapaver somniferumに属する一年草。鴉片(アヘン)採取の出来るケシは殆んどが白花であるので、ここは観賞用の鮮烈な赤い花をつけるボタンゲシPapaver somniferum var paeoniflorum Papaver somniferum var laciniatum等であろう。

・「薊」はキク科アザミ属Cirsium

・「雛の軸ほどく筈」の「雛の軸」雛祭りの人形を描いた軸絵(掛け軸)で、それを飾るために上部の紐に引っ掛けて持ち上げる道具を、弓矢の筈に引っ掛けて「矢筈」と称する。

・最終連の「われは汝ら處刑囚の解放者なり、教育者なり。」は底本では「われは汝ら處刑囚の解放者なり」で改行し、空欄なしに「教育者なり。」と続くが、冒頭一連から推測して私の判断で読点を打った。一字空としてもよい。]

 

[やぶちゃん注:次の「をはり」は一頁の中央にある。]

 

 

 

             を は り

 

 

 

[やぶちゃん注:次ページに西田明史氏の挿絵が入る。]

 

[やぶちゃん注:以下の「覺書」は227ページから232ページまで及ぶ。それぞれのページ内は四方が罫線で囲まれている。底本の雰囲気を出すために、底本通りの一行字数で改行した。]

 

 

 

      覺 書

 

一、蜜蜂が古い桶に年々新な花の蜜を集めるやうに、私もいろい

 ろの花心から絶えず蜜を運んだ。ためられた蜜がいつか桶の縁

 を越すやうに、いつか私の歌誦も文筐を溢れてしまつてから久

 しい。最近移居を折に昔の歌を誦みかへしながら、なほ自ら捨

 てがたい數々があるのを知りひそかに上梓を志した。

 

二、この詩集中最も稚い「春の雲」を書いてゐたころ既に、日本

 にけふの夜明けが來てゐたのを知る。私は未だ少年であつたが

 既に日本の古代の藝術に身を涵しうる樣な幸な時代に惠まれ

 た。飛鳥奈良の佛教に私らは讃仰といはんより、寧ろ懸想し迷

 うたのである。

 

三、私は聖德太子の在せるが故に、飛鳥を世界で一とう美しく尊

 い時代だと思つてゐる。太子の犠牲の大精神があつてはじめて、

 夢殿觀音も、玉虫厨子も、百濟觀音も生れた。この作者らは太

 子の御精神を服するだけで、かゝる佛像や佛画をつくり、又己

 がつくつた尊像のまへに自ら額づく歡喜もあつたのである。藝

 術なぞという名がつくられ、作者の署名があらはれる末世を思

 ふまい。私らはすでに返るよしもない昔を思ひ、幾分なりとそ

 の御精神に身を涵したいと希ふのである。

 

四、宗教のない時代は、藝術するものには最も悲慘な時代である。

 しかしこの悲慘な現代に生れたればこそ古い尊い時代を知り、

 藝術家の本質を知り、又私ら青年の目標も自ら明になる幸が存

 する。現代に果して宗教がないか、私らが死にゆく以上有る筈

 である。しかしその生死にむかふ私らの悲願と克服と蘇生のみ

 が、また私らの宗教を自らつくるであらう。かつて聖德太子御

 一人のあらはし玉ふた御精神は、また陛下の萬歳を絶叫して仆

 れてゆく名なき兵士の精神に通ふのである。

 

五、詩を書きはじめてから今日に至る年月のあひだに、私は徐々

 と自分のゐる時代に目をひらいた。そしてかうした混亂せる時

 代、眞と僞が紙一重で見分けがたい時代に生き乍ら、私らのも

 のする新詩の分野に於ていつも鷗外、柳村、晶子、荷風のなが

 れを、菲才ながらうけて末席に加りたいと念じて來た。取るに

 足らぬ私の詩に何らかの野心があればこの操のみであり、私の

 鷄肋に何らか煮るに足る肉がついてゐたとすればこの志だけで

 ある。

 

六、詩は神的なものである。私は昔からさういふ信仰をもつてゐ

 た。その意味で私は祈禱と禮讃と感謝の詩形を採るを常とし、

 この歌唱法のみが私の思ふところを最も自然にあらはしてくれ

 たのである。詩はつねに生命の驚愕であり、さういふ原始の體

 驗である。そして又それは日本民族が本來もつてゐた詩歌であ

 り、將來の日本民族はかかる詩歌の韻律のうちにのみ、自らを

 發見するであらう。この信條に於て私は自ら所謂現代の詩人で

 ないことを言明せねばならぬ。ひととき私はそれを寂しく思つ

 たが、今日むしろそれを喜悦とし光榮とする。

 

七、私はこの一集を自ら閲し乍ら、哀しみに堪へきれない折々に

 この詩章の多くが記された事を思出づる。あるときは開かれた

 傷口から呻いて流れでることもあつたし、又もう癒えたと思つ

 た傷がかすかに疼くこともあつた。そのたびに私はこれらの詩

 を自ら歌つてきかせて感情の危機を救つた。時にはひとり言で

 そのまゝ忘れられることもあつた。しかし偶々記されたものの

 うち、何度も自分に云つてきかせたいものがいくらかある。し

 かも悲しいことに、私らの綴るものが韻文といへるであらうか。

 けふさういふ羞恥と自棄の下心から、この一卷を編まうとする

 のである。

 

八、卷初には序詩として、やうやく詩が書けはじめた頃の作「白

 鳥」(一九三二)と、集中最近の詠草に屬する「桃の樹のうたへ

 る」(一九三九)を竝べた。その間には八年の徑庭があり、暖い

 多くの師友の御指南に惠れた幸福な日々が思出さる。入營をあ

 すに控へた今日、この些々たる一卷を以て御恩報じの幾分かで

 も爲し得たであらうかとひとり思佗びるのである。

 装丁は木彫の西田明史氏に御願ひした。數々の我儘を快く容れ

 て下さつた事に深く感謝する。

        昭和十六年一月豪德寺小房にて晃誌す

 

[やぶちゃん注:これは遺書として読まねばならぬ。

・「文筐」は「ふみばこ」と訓じたい。

・「涵し」は「涵(ひた)し」。

・「柳村」は上田柳村。詩人、上田敏の号である。

・「菲才」は「ひさい」で、劣った才能という自身の才能を言う際の謙称。]

 

 

 

[やぶちゃん注:以下に底本では冒頭に示した「目次」が入る。四方を罫線で囲む。ここからノンブルを新たに「1」から起している。]

 

 

 

[やぶちゃん注:以下、奥付。四方を罫線で囲む。]

 

   詩集 白鳥 奥附

著作者 東京市世田谷區世田谷二丁目一二六八番地 增田晃

發行人 東京市牛込區新小川町二丁目一〇番地 小山久二郎

印刷人 東京市豐島區高松二丁目一四番地 高瀨清吉

發行人 東京市牛込區新小川町二丁目一〇番地 小山書店

印刷所 東京市豐島區高松二丁目一四番地 不二印刷所

  昭和十六年三月 日印刷

  昭和十六年三月十五日發行

    定價 四 圓 八 拾 錢

  版権所有   ○[やぶちゃん注:○は「增田」(旧字体である)の印。]