鬼火へ

無門関 全 淵藪野狐禅師訳注版


(訓読訳注 
copyright 2009 Yabtyan

[淵藪野狐禪師注:「無門關」は宋代の僧無門慧開(11831260)が編んだ公案集であるが、その商量(公案の分析と考察)がぶっ飛んでいることで有名である。それを私、淵藪(えんそう)野狐(やこ)が野狐禪訳しようというのだから、触れるな危険、危険がアブナイというもんだ。特に無門慧開の商量部分の訳の殆んどは、絶対零度、素手で触れるとビタっとくっつき、肌ごとベロリと剥けるので、必ずや事前に柔(やわ)な優しい魂には是非とも防寒具を用意されたい。

 本訳は2009年3月24日より私のブログで逐次行ってきたが、その一括掲載版である(本頁公開に際して、訳注にあってはブラッシュ・アップした部分がある。これが淵藪野狐禪師訳になる最新の決定版である)。

 なお、原文は
1994年岩波文庫に西村恵信訳注「無門関」の正字表記のものを用いた。但し、底本では商量(「無門曰、……」)及び「頌」(じゅ)が有意に字下げを行っているが、ブラウザの不具合を考え、独断で本則・商量・頌の頭の一字下げも排除して、原則、綺麗に左で揃えた。ちなみに底本の親本は、応永121405)年の刊本を祖本とする宝暦2(1752)年重彫になる流布本である。

 訓読には正字体・歴史的仮名遣を用いた。難読語と判断したものには歴史的仮名遣で読みを示した(原文の底本の西村版の訓読及びルビは新字体・現代仮名遣)。また、一部の熟語の訓読みが分かりにくい場合に限って、漢字間に「-」の熟語であることを示すハイフンを附した。但し、必ずしも一般的な禅家で通用している癖読みや訓読法(例えば原文の底本の西村氏の訓読)に束縛されず(伝統的な読みを軽んずるが故にも野狐禅訳である)、無知ながら、私、淵藪野狐の乏しい漢文の知見の範囲内で(それは高校生にとって達意と思われる程度のものであろうとはした)訓読を行ってある。それは「漢文」なるものが中国語を無理矢理読んでいるとんでもないもの(私は常に漢文の『句法』なるものに一種の嫌悪さえ感じ続けている)であり、従って自律的に訓読すること(その実、手前勝手に訓読することも当然含まれるからして野狐禅訳である)自身が禅的なる、基、野狐禅的なる読み方であると私は都合よく信じているからである。個人的には、本邦に於ける仏教用語の一部に、当該漢字の中国音でさえないような、符牒めいた仲間内の読みをするものがあるのには、逆に俗臭芬々たる異口泥臭味さえ感じるのである(勿論、そうしたものの一部は私の訓の中でも用いてはいるけれども)。

 細かな注は、私、淵藪野狐の能力を遙かに超えるので、なるべく訳の中で意味が通るように努めたが、どうしても必要と判断した語句(高校生にとって難解と思われる程度の語句や、マニアックな訳語)や、該当則や訳に対してのある種の思い入れがあった場合には、当該語句の直後に(:)を附して短い語注を示したり、[淵藪野狐禪師注:]として末尾に注した。学術的な語句の意味については、当該の詳細な西村氏の注等を読まれることをお薦めする。

 勿論、私、淵藪野狐の訳には、西村氏の訳や注も一部参考にさせて戴いてはいるが(検索をかけると、ネット上には「無門関」の和訳英訳などが数多く散見されるが、無門が後記で『不從佗覓』と言うのを守って、それらは敢えて全く参考にしなかったこと――実際に西村訳以外は殆んど全くと言ってよいほど読んでいないこと――を誓っておく)、あくまでオリジナルである。お手軽に誰かの訳をいじったマガイものではない。相似形があったとしてもそれは偶然である(翻案を含む私のアブナさでは相似形さえ出来にくい)。従って、私はこの猥褻なる本翻訳に著作権を主張するものである。繰り返すが、この淵藪野狐の訳は、自在勝手場外乱闘何でもありのオリジナル野狐禪訳である――これは確かに私(わたくし)の、超々アブナイとんでもナイ、穢ないお下劣噴飯モノ、唾棄破棄慙愧陰摩羅鬼(おんもらき)、真面目なあなたに確実に、腹を立たせてみしゃんしょう! 糞も硬くなる程に、真面目にこいつを読みたけりゃ、ここから先にゃ、オフ・リミット!――てな感じだ。西村恵信氏他、ネット上には専門家や好事家の「無門関」の正統的学術的創造的名訳群がある。『真面目に本書を学ばんとする方』は、ここまでにして、請う、そちらで学ばれんことを。

 なお、前後に、私、淵藪野狐の不潔汚穢秩序壊乱の「序」と天罰覿面賭博露見の「跋」を附してある。

*  *  *

 最後に。この電子テクストを以下のお二人に捧げたい。

 一人めである。
 私の訳、特に商量のそれを「抱腹絶倒!」と好意的に面白がって戴き、終始、エールを送ってくださることを惜しまなかったマイミクの karakara_ko 姐(あねえ)に本作を捧げる。
「最後の難関四篇の独立峰に何とか登頂出来たのは、ひとえに姐(ねえ)さんの励ましのお蔭です。ありがとう、からからこ姐(あねえ)!」

 二人めである。

 晩年の岡潔先生の講義を受けられ、多変数関数論や岡先生の禅問答のような興味深いお話を三年間、沢山楽しく聞かせて下さった、尊敬する先輩数学教師 T. Sugiyama 先生に本作を捧げる。退職直前であられた今年の三月末、不遜にも、最初に訳した本篇の「達磨安心」を印刷して無理矢理差し上げてしまった。
「先生がお教え下さった慧可になぞらえるわけではありませんが、右腕の致命的骨折後、どこか投げやりだったこの私の三年間に、少しでも慰藉が感じられた瞬間があったとすれば、それ偏えに先生のお蔭であります。数学は須らく哲学であり禅であるべきです――その難解な面白さが人を生かすのであろう、ということを教えて戴きました。ありがたく存知ます、杉山先生! 最後に――あなたに数学を教わっていたら――確実に僕は理系に進み、今頃は水族館でホヤを飼育していたと確信するのです――」

 なお、Unicode導入以前の古い記事であるので正字が不全である。修正するのには時間がかかりやりきれないでいる。悪しからず)

*  *  *

二〇〇九年五月五日端午吉日荽擥山疆生光背寺飯臺看淵藪野狐禪師書于鎌倉心朽窩]




無門關  無門慧開




無門關 全 危險即危險譯註淵藪野狐禪師

 釋淵藪野狐禪師瀉痢便序


淵藪野狐禪師云、入無門、作麼生、外耶裏耶。



淵藪野狐禪師書き下し文:

 

「無門關」 全 危險即ち危-險(あぶなし)譯註 淵藪野狐禪師

 

  釋 淵藪(えんそう)野狐(やこ)禪師 瀉痢便序(しやりべんじよ)

 

淵藪の野狐禪師云く、

「無門に入る、作麼生(そもさん)、外か裏(うち)か。」

と。

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

「無門關」 全 淵藪野狐禪師による危険がアブナイ訳注

 

  訳注者淵藪野狐禪師の下痢便序(=下痢便所)

 

淵藪の野狐禪師、日々の事ながら飲み過ぎで腹が下り、尻(けつ)の穴を押さえながら便所に走り込むと、中から呻(うな)るように、叫ぶ。

「門の無い門に入(い)るうッ!――その入った先は、外か……ウッ……中(うち)かあッ?……」

――ビイーッ!……

 

 

 

*  *  *

 

無門關

 

  (習庵序)

 

説道無門、盡大地人得入。説道有門、無阿師分。第一強添幾箇注脚、大似笠上頂笠。硬要習翁贊揚。又是乾竹絞汁。著得這些哮本。不消習翁一擲一擲。莫教一滴落江湖。千里烏騅追不得。

 紹定改元七月晦、習庵陳塤寫

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  (習庵が序)

 

 道は無門と説けば、盡(じん)大地の人、得入せん。道は有門と説けば、阿師(あし)の分(ぶん)、無けん。第一、強いて幾箇の注脚を添ふるは、大いに笠上(りふじやう)に笠を頂くに似たり。硬く習翁が贊揚せんことを要す。又、是れ、乾竹に汁を絞るなり。這些(しやさ)の哮本(かうほん)を著得(ぢやくとく)す。習翁が一擲、一擲するを消(も)ちひず。一滴をして江湖に落さしむること莫かれ。千里の烏騅(うすゐ)も追ふを得ず。

 紹定(ぜうてい)改元七月晦(みそか) 習庵陳塤(ちんけん)寫す

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  習庵陳塤(ちんけん)による序文

 

 仏門に入る門は『ない』という謂いをすれば、このあらゆる大地の在りと在る全ての人々は、既にその門に残らず入っている、ということになる。逆に、入るべき門は『ある』という謂いをすれば、門に入(い)っているはずの僧も、悉く門を入(い)っていないということになり、尊(たっと)い禅師も形無しだ。何より、無門慧開という生臭坊主如きが、得体の知れない公案に、無理をして幾つもの注釈・商量を附けるということからしてが、被った笠の上に笠を被るようなものじゃ。それに加えて、笠の上の笠の笠、この有名無能の習庵陳塤糞進士に、讃仰した序文を書けとやかましくもほざきおる。その事自体が、無理の無理、すっかり乾いたかりかりの竹を絞って、汁を出そうとするようなもんじゃ。さても、こげなそれなりの冊子の本が出来上がって手にしてみた――いや、この俺だって投げ捨てる――いやいや、投げ捨てるほどの価値もねえ――いやいやいやいや、何より、穢れ汚れたこの一滴の序文さえ、この澄み渡った美しい世間の水面に落としてはならぬ!……もしもこれが公になれば、この世の道理は悉く壊滅へと向かうのである――その瞬時刹那の崩壊には、一瀉千里の項羽の愛した、あの駿馬の誉れ高い烏騅でさえ、追いつくことはできまいよ――。

 紹定改元の年(:西暦1228年。)七月三十日 習庵陳塤 寫す

 

[淵藪野狐禪師注:西村注によると、この「陳塤」なる人物は、号は習庵、『陳は姓、塤は名、字は和仲。宋の寧宗年間(一二〇八―一二二四)の進士。累官して太常博士・枢密院編集官・国司司業に至る。』とある。「国司司業」は現在の国立大学教授に相当する。寧宗は次の「表文」で讃えられる南宋の今上皇帝の先代第4代皇帝である。但し、次の理宗、本名・趙昀(ちょういん)は、北宋の太祖趙匡胤(きょういん)の長子趙徳昭8代の孫の子であって、寧宗の子ではない。]

 

 

 

*  *  *

 

  (表文)

 

紹定二年正月初五日、恭遇天基聖節。臣僧慧開、預於元年十二月初五日、印行拈提佛祖機縁四十八則、祝延今上皇帝聖躬萬歳萬歳萬萬歳。皇帝陛下、恭願、聖明齊日月、叡算等乾坤、八方歌有道之君、四海樂無爲之化。

慈懿皇后功德報因佑慈禪寺前住持 傳法臣僧 慧開 謹言

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  (表文(ひやうもん))

 

 紹定(ぜうてい)二年正月初(しよ)五日、恭しく天基聖節に遇ふ。臣僧、慧開、預(あらかじ)め元年十二月初五日に於いて、佛祖機縁四十八則を印行・拈提し、今上皇帝聖躬(せいきゆう)の萬歳萬歳萬萬歳を祝延す。皇帝陛下、恭しく願はくは、聖明(せいめい)、日月(じつげつ)に齊(ひと)しく、叡算(えいさん)、乾坤に等しく、八方、有道(いうだう)の君を歌ひ、四海、無爲の化(け)を樂しまんことを。

 慈懿(じい)皇后 功德報因 佑慈(いうず)禪寺前住持 傳法臣僧慧開 謹んで言(まう)す

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  表文

 

 紹定(じょうてい)二年(:西暦1229年。)一月五日、恐れ多くも本日、皇帝陛下の神聖なる御誕生の日をお迎え致しましたことを慶賀申し上げ奉りまする。臣たる僧、私め、慧開、このよき日に合わせ、予(あらかじ)め、昨年十二月の同じ五日、仏祖師弟の機縁に関わる縁起の話譚を四十八則、愚案を呈して整え、印刷・刊行に及び、以って今上皇帝陛下の御聖体の御安寧をお祈り申し上げ、その御命が万年、十万年、百万年の先までお続きになりますよう、御言祝ぎ申し上げ奉りまする。皇帝陛下におかれましては、どうかその汲めども尽きぬ神聖なる知性が、日月(じつげつ)の如く、永遠に明晰であられんことを。また、その御寿命が、悠久の天地の如く、永遠に持続されんことを。そうして、全ての衆生が、正しき仏法の道に在られる皇帝陛下を讃えて歌い、この世界中が、皇帝陛下の教化(きょうげ)によって自然のうちに至福に至らんことを、心より祈念申し上げ奉りまする。

 慈懿皇后の功德と報恩のために建立されし佑慈(ゆうず)禪寺の前(さき)の住持たる 伝法の臣僧 無門慧開 謹んで申し上げ奉る

 

[淵藪野狐禪師注:「表文」とは君王及び役所へ奉る文書を言う。本篇の編著者である南宋の禅僧無門慧開(11831260)は、臨済宗柳岐(ようぎ)派に属し、最終的には杭州にあった護国仁王寺の住職となった(淳祐6(1246)年)。当時の今上皇帝は理宗(在位12241264)で、慧開は彼から仏眼禅師の号を賜っている。最後にある「慈懿皇后」は理宗の生母のこと。西村注によると、この寺の名「佑慈寺」というのは理宗が母親の追善供養のために建てた因縁を名としたもの、とある。]

 

 

*  *  *

 

  禪宗無門關

 

佛語心爲宗、無門爲法門。既是無門、且作麼生透。豈不見道、從門入者不是家珍、從縁得者始終成壞。恁麼説話、大似無風起浪好肉抉瘡。何況滯言句覓解會。 掉棒打月、隔靴爬痒、有甚交渉。慧開、紹定戊子夏、首衆于東嘉龍翔。因納子請益、遂將古人公案作敲門瓦子、隨機引導學者。竟爾抄録、不覺成集。初不以前後敍列、共成四十八則。通曰無門關。若是箇漢、不顧危亡單刀直入。八臂那※、擱他不住。縦使西天四七、東土二三、只得望風乞命。設或躊躇、也似隔窓看馬騎、貶得眼來、早已蹉過。

[淵藪野狐禪師字注:「※」=「口」+(「托」-「扌」)。]

 

頌曰

 

大道無門

千差有路

透得此關

乾坤獨歩

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  禪宗 無門關

 

 佛語心(ぶつごしん)、宗と爲し、無門、法門と爲す。

 既に是れ、無門ならば、且らく作麼生(そもさん)か透(とほ)らん。

 豈に道(い)はれざらんや、『門より入る者は、是れ家珍ならず、縁より得る者は、始終成壞(じやうゑ)す。』と。

 恁麼(いんも)の説話、大いに風無きに浪を起こし、好肉に瘡(きず)を抉るに似たり。何ぞ況んや、言句(ごんく)に滯りて解會(げゑ)を覓(もと)むるをや。 棒を掉(ふる)ひて月を打ち、靴を隔てて痒(やう)を爬(か)く、甚(なん)の交渉か有らん。

 慧開、紹定(ぜうてい)戊子(つちのえね)の夏(げ)、東嘉(とうか)の龍翔(りゆうしやう)に首衆たり。納子(のつす)の請益に因みて、遂に古人の公案を將(も)つて、門を敲く瓦子(がす)と作(な)し、機に隨ひて、學者を引導す。爾(ここ)に抄録を竟(を)はるに、覺へず、集を成す。初めより前後を以って敍列せず、共(あは)せて四十八則と成る。通じて「無門關」と曰ふ。

 若し是れ、箇(こ)の漢ならば、危亡を顧みず、單刀直入せん。八臂(はつぴん)の那※(なた)、他(かれ)を攔(さへ)ぎれども、住(とど)まらず。縦-使(たと)ひ、西天の四七、東土の二三も、只だ風を望みて命を乞ふを得るのみ。設(も)し或ひは躊躇せば、也(ま)た窓を隔てて馬騎を看るに似て、眼(まなこ)を貶得(さつとく)し來らば、早くも已に蹉過(さか)せん。

[淵藪野狐禪師字注:「※」=「口」+(「托」-「扌」)。]

 

頌(じゆ)して曰く、

 

大道 無門

千差(せんさ) 路有り

此の關を透得(とうとく)せば

乾坤に獨歩せん

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  禅宗「無門関」――禅僧無門慧開自序

 

 仏の説くその心、それのみを肝要とし、入る門はない、ということを禅宗は法門とする。

 ではまさに、既に入る門がないことを法門とするならば、どのようにしてその門を通過すればよいか?

 ある法語にも『門から入って来るような者は、家の宝となるような人では毛頭なく、ろくな奴じゃあない。ある機縁から生じた現象には、必ず始めと終わりが在り、容易に創成完成したり、反対にあっけなく消滅崩壊したりもするものだ。』と言うじゃないか。

 ここに記した以下の説話にしてからが、全く風がないのにあたら物騒ぎな波を立てたり、美しい肌(はだえ)を抉って醜く消えない瘡(きず)をつけるような厄介なものなんである。ましてや、その言葉尻に乗っかって、何かを会得したいなんぞと期待するのはもってのほかじゃ!  棒を振り回して月を打ち落とそうとしてみたり、靴の上から痒いところを掻いてみたところで、何で真理(まこと)と交渉を持つことが出来ようか、いや、出来ぬ。

 拙者無門慧開は、紹定(じょうてい)戊子(つちのえね)の夏安居(げあんご)を温州(:現・浙江省。)永嘉郡にある名刹江心山龍翔寺(りゅうしょうじ)で過したが、拙僧はまた、そこでの修行者達の束ね役でもあった。修行僧達は、一度教えを請うた後も、不分明な点について再び教えを請うてくることが多く、そこで思い余って古人の公案を示して、無門を敲く瓦(かわらけ)となし、それぞれの学生の禅機の段階に応じた教導をした。その際の公案と教導の幾つかを抄録し終えたところが、思いがけないことに、相応の分量とは成った。当初より、順序を考えて書き記した訳ではないが、都合、四十八則と成った。これを称して「無門關」と言う。

 もしも本気で禅と組み合おうと覚悟した好漢であったなら、必ずや不惜身命、単刀直入にこの無門に飛び込むはずである。その時は、喧嘩っ早くて怪力の、八本腕の那※(なた)太子と雖も、ザッと進み入らんとする彼を遮ろうとしても、押し留めることは出来ない。たとえ釈尊から達磨大師に至る西来二十八人の伝灯祖師と雖も、本邦の達磨大師から六祖慧能に至る六人の禅の祖師と雖も、その彼の暴風のようなまっしぐらの覚悟にかかっては、ただひたすら命乞いをするばかり。しかし! もし、万が一、この無門に入ることを少しでも躊躇したならば、それはまた、窓越しに白楽が跨った駿馬が過ぎ去るのを見ようとするのと同じで、おろかに瞬いたその瞬間にも、早くも真理(まこと)はお前の前を擦れ違って遠く去ってしまっているであろう。

[淵藪野狐禪師字注:「※」=「口」+(「托」-「扌」)。]

 

 次いで囃して言う。

 

大きな道には 門はない

無数の道がぴったり並び どこもかしこも道だらけ

ここに在る 無門の関所を抜けられりゃ

乾坤一擲 天上天下 唯我独尊 独立独歩

 

[淵藪野狐禪師注:

・「門を敲く瓦子」は、敲いて門を入れば不要となる「かわらけ」に過ぎないという意を込める。

・「商量」以下、訳で用いたこれは、いろいろ考えて推し量ることを言う。

・「頌」(じゅ)やはり以下、原文で繰り返されるこれは、仏教用語で、古代サンスクリット語(梵語)の“gāthā”の漢訳語。偈(げ)と同じで、仏法の徳やその教理を賛美する詩のことを指す。

那※(なた)」[「※」=「口」+(「托」-「扌」)]は道教の神仙の一人。“nalakuubara”ナラクーバラで、本来はインドの神話の神。後に仏教の主護神として中国に伝えられ、更に道教に取り入れられて那※三太子等とも呼ばれる。中国に於ける毘沙門天信仰が高まると、毘沙門天は唐代初期の武将李靖と同一視され、道教でも托塔李天王の名で崇められる様になった。それに伴い、その第三太子という設定で那※太子も道教に取り入れられた。現在は「西遊記」「封神演義」などの登場人物として人口に膾炙する。分りやすい「西遊記」の出自では托塔天王の第三太子(「封神演義」では陳塘関の、後に托塔天王となる李靖将軍の第三太子)。生後三日で海中の水晶宮で蛟龍の背筋を抜く凄まじい臂力の持ち主であったが、その非道ゆえに父が彼に殺意を抱いたため、自ら身体を切り刻み、その肉を父に、骨を母に返したとする。後、その魂はその行為に感じた仏性により再生し、父とも釈迦如来の慈悲により和解したという設定で、例の天界で大暴れする孫悟空の討伐に出陣するが敗れる。後半の三蔵法師取経の旅にあっては、悟空の仲間・取経の守護神に一変、何度か見舞われる危機を救う好漢として登場する。

 

 

 

*  *  *

 

無門關

 

參學比丘 彌衍 宗紹編

 

  一 趙州狗子

 

趙州和尚、因僧問、狗子還有佛性也無。州云、無。

 

無門曰、參禪須透祖師關、妙悟要窮心路絶。祖關不透心路不絶、盡是依草附木精靈。且道、如何是祖師關。只者一箇無字、乃宗門一關也。遂目之曰禪宗無門關。透得過者、非但親見趙州、便可與歴代祖師把手共行、眉毛厮結同一眼見、同一耳聞。豈不慶快。莫有要透關底麼。將三百六十骨節、八萬四千毫竅、通身起箇疑團參箇無字。晝夜提撕、莫作虚無會、莫作有無會。如呑了箇熱鐵丸相似、吐又吐不出。蕩盡從 前惡知惡覚、久久純熟自然内外打成—片、如啞子得夢、只許自知。驀然打發、驚天動地。如奪得關將軍大刀入手、逢佛殺佛、逢祖殺祖、於生死岸頭得大自在、向六道四生中遊戲三昧。且作麼生提撕。盡平生氣力擧箇無字、若不間斷、好似法燭一點便著。

 

頌曰

 

狗子佛性

全提正令

纔渉有無

喪身失命

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

無門關

 

參學の比丘 彌衍(みえん) 宗紹 編

 

  一 趙州の狗子(くす)

 

 趙州和尚、因(ちな)みに僧、問ふ。

「狗子に、還りて、佛性有りや無しや。」

と。

 州云く、

「無。」

と。

 

 無門曰く、

「參禪は須らく祖師の關を透るべし。妙悟は心路を窮めて絶せんことを要す。祖關透らず、心路絶せずんば、盡く是れ、依草附木(えさうふぼく)の精靈(せいれい)ならん。且らく道(い)はん、如何が是れ、祖師の關。只だ者(こ)の一箇の『無』の字、乃ち宗門の一關なり。遂に之を目(なづ)けて『禪宗無門關』と曰ふ。透得過(たうとくか)する者は、但だ親しく趙州に見(まみ)ゆるのみならず、便ち歴代の祖師と手を把(と)りて共に行き、眉毛(びまう)厮(たが)ひに結びて、同一眼に見、同一耳(に)に聞くべし。豈に慶快ならざらんや。透關を要する底(てい)有ること莫しや。三百六十の骨節、八萬四千の毫竅(がうけう)を將(も)つて、通身に箇の疑團(ぎだん)を起こして、箇の無の字に參ぜよ。晝夜に提撕(ていぜい)して、虚無(きよむ)の會(ゑ)を作(な)すこと莫かれ。有無の會を作すこと莫なれ。箇の熱鐵丸を呑了するがごとくに相似て、吐けども又た吐き出ださず、從前の惡知惡覺を蕩盡して、久久に純熟して、自然(じねん)に内外打成(ないげだじやう)して一片ならば、啞子(あし)の夢を得るがごとく、只だ自知することを許す。驀然(まくねん)として打發(だはつ)せば、天を驚かし、地を動ぜん。關將軍の大刀を奪ひ得て手に入るるがごとく、佛(ぶつ)に逢ふては佛を殺し、祖に逢ふては祖を殺し、生死岸頭(しやうじがんたう)に於いて大自在を得、六道四生(ろくだうししやう)の中に向かひて遊戲三昧(ゆげさんまい)ならん。且らく作麼生(そもさん)か提撕せん。平生(へいぜい)の氣力を盡くして、箇の『無』の字を擧(こ)せよ。若し間斷(けんだん)せずんば、好(はなは)だ法燭(はふしよく)の一點すれば、便ち著(つ)くるに似る。」

と。

 

 頌(じゆ)して曰く、

 

狗子の佛性

全て正令(しやうれい)として提(あ)ぐ

纔(わづ)かに有無に渉れば

喪身失命せん

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

無門關

 

無門慧開禅師の下(もと)に参禅修行する僧 彌衍及び宗紹 編

 

  一 趙州和尚の「犬ころ」

 

 趙州和尚が、機縁の中で、ある僧に問われた。

「犬ころ如きに、仏性、有るや!? 無しや!?」

 ――実は、この僧、嘗てこの公案に対して趙州和尚が既に、「有(ある)」という答えを得ていることを、ある人の伝手(つて)でもって事前に知っていた。――だから、その「有(ある)」という答えを既に知っている点に於いて、その公案を提示した自分は、趙州和尚よりもこの瞬間の禅機に於いて明らかな優位に立っており、その和尚が、「有(ある)」という答えや、それに類した誤魔化しでも口にしようものなら、この超然と構えている和尚を、逆にねじ込んでやろうぐらいな気持ちでいたのである――ところが――

 趙州和尚は、暫くして、おもむろに応えた――

「無。」

 

 無門、商量して言う。

「参禅しようと思うなら、嫌でも昔の年寄りの、ゴタク並べた意地悪な、ブービー・トラップいっぱいの、関所を抜けて、行かなきゃならぬ。言葉で言えない妙(たえ)なる悟り、そいつに辿り着きたけりゃ、心の底の底の底、そこまでごっそりテッテ的、総てそっくり空(から)にしな! 老人ホームも行くの厭(いや)、心底絶滅収容所、そこもとっても入れない、なんてゼイタク言ってるうちは、おめえ、どこぞの草木に憑いた、松本零士のフェアリーと、ちっとも変わらぬ、ホリエモン、基い、タワケモン!

 さて、それじゃ、ちょっくら一発オッ始(ぱじ)めるか、カタリ爺いの関門たあ、どんなもんかということを!

 チョロイぜ! ただホレ、この『無』の字、コイツが儂らの宗門の、後生大事の一(いち)の関。そんでもってダ、終(しま)いにゃ、コイツを名づけて禪宗の、『無門の関(セキ)』と申しやす!

 ここんとこ、T-1000みたいに、スゥーイっとね、スルーできたら、二百年、遙か昔の趙州ゾンビ――草履を頭に載せたまま、マイケルみたよなムーン・ウォーク、やっちゃう趙(ジョウ)に逢えちゃうし、校長室の歴代の、先生の眼が動き出し、貞子(さだこ)よろしく額縁の、外に出てきて、おめえと一緒、お手手つないで行(い)きませう、いやいや、手と手じゃ手ぬるいゼ、一緒に眉毛(まゆげ)も結んじゃエ! そしたらだって、一緒にサ、同(おんな)じ一つの眼で見てサ、同(おんな)じ耳で聴けるべサ! なんてったて、痛快じゃん!

 こんなに楽しい関門だモン、どうして通らぬ法がある? さっきの心、だけじゃなく、全身三百六十の、骨・関節もバラしてサ、全身八万四千を、数える毛穴全開し、総身(そうみ)を一己の『疑いの、塊り』のみに成し上げて、一個の『無』の字に参禅せ! 昼夜(ちゅうや)の区別捨て去って、お前の真実(まこと)の魂(たましい)の、ファルスをニョキっと、おっ立てろ! 虚無だの有無だのセコイこと、一切合財、思慮するな! あのドラゴンだって言ってるゼ、『考えるな! 感じるんだ!』――

 さてもさて、そいつを喩えてみるならば、真っ赤に燃える砲丸を、ゴクンと呑んだ、ようなもの、呑み下そうにも呑み下せず、吐き出そうにも吐き出せぬ――そうするうちに昔から、おめえがずっと持っていた、『知覚』ちゅう名の元凶が、口からずいっとおいどの穴、そこまで綺麗に焼き尽くされ、消毒完了、マムシ酒、時間をかければ、熟成し、自然(おのず)と、己(おのれ)と世界とが、渾然一体、あい成って、お前だ俺だの差も消えて、一つのものとなった日にゃ、それはあたかも喋れぬ人が、夢を見ているようなもの、その醸(かみな)した古酒(クース)もて、その雰囲気をしみじみと、知って確かに味わえる!

 次いでさらに、いっさんに、そこんところを バラリ! ズン! 未練無用と斬り捨てて、天幕縦に切り裂けば、きっとそこには生れるゼ、バッキンバッキン! バッキバキ! 驚天動地の精力が! そん時きゃ猛将関羽さま、あの将軍の引っさげた、大刀奪って取ったるを、思うがままにブンブンと、振り回すのと同じこと! 仏に逢うたら仏を殺し、師匠に逢うたら師匠を殺せ! さすればおめえがさっきまで、とり憑かれていた生と死の、現に此岸(しがん)に立ちながら、すべてがOK! 大自在! 六道四生(ろくどうししょう)にありながら、桃源遊興、三昧境!

 さてもおめえは、どうやって、この『無』の一字を弱腰に、どういう風に引っさげる!? 凡庸杜撰なその無能、無能ながらのその力、使い尽くしてこの『無』の字、がっぷり四つに組んでみよ! もしも不断にその努力、惜しまず巧まず続けたら、ちっちゃな灯(ともしび)、ちょと寄せて、豪華な法灯、ボボン! ボン!」

 

 次いで囃して言う。

 

犬の仏性 『有る無し』が

校長仏陀の命令一過 不条理なのに必履修

うっかりそいつを『有る無し』の 話と思い込んだれば

懲戒停学原級留置 在籍したまま あの世行き

 

[淵藪野狐禪師注:超短篇の本篇の主人公、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん 778897)は、恐らくその登場回数に於いて『無門關』中、群を抜いているものと思われる。これが初則となっていること、それは勿論、無門が師月林師観(げつりんしかん 11431217)に参じた際に、最初に与えられた公案が、この「趙州狗子」であったことを直接の理由としているのではあろう。岩波文庫版の西村恵信氏の解説によれば、慧開はこの公案に苦しみ、『六年経っても全く見当もつかない有り様であった。そこでいよい勇気を奮い起こし、居眠りをしているようでは我が根性は腐るばかりと、眠気を催すと廊下を歩き、露柱に頭を叩きつけた』とある、いわくつきの公案なのである。しかし、そういう慧開の思い入れを知らなくても、本『無門關』では彼は、以下、「七 趙州洗鉢」「十一 州勘庵主」「十四 南泉斬猫」「十九 平常是道」「三十一 趙州勘婆」「三十七 庭前栢樹」と、多出し、且つ殆んどの話にあって、彼は彼ならではの個性を以って、話の展開に極めて重要な役割を果たしているのである。無門慧開は間違いなく、この趙州従諗が好きだったのだと私は思うのである。因みに、私も好きである。

・「彌衍 宗紹」西村注によると、二人とも伝不詳。架空の人物で無門慧開の偽名とも言われる。

・「仏性」は、「仏心」「覚性(かくしょう)」とも言い、衆生(この世のすべての生きとし生けるもの)が生得のものとして持っている仏となることの出来る性質を言う。「大般涅槃経」には「一切衆生悉有仏性」(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)とはっきり説かれている。従って、禅宗も含まれる大乗仏教にあっては、この質問への教理的正答、『答え』は(『応え』ではない)、「有」である。

・「テッテ的」とは、「徹底的」とするより強い、というニュアンスで私は用いている(「三 倶胝竪指」の「頌」の訳でもそのように使用した)。ご存知でない方のために言っておくと、これはつげ義春が自身の見た夢を漫画にした「ねじ式」の中で、メメクラゲ(本当は××クラゲの誤植なのだが)に嚙まれた主人公が、架空の村の中で必死に医者を探すシーンのモノローグとして現れる。即ち、彼のその時ののっぴきならない気持ちを示すには「徹底的」という漢字ではなく、「この場合、テッテ的が正しい文法だ」という風に、極めて印象的に用いられているのである。私の中の辞書には「徹底的」と「テッテ的」、二種類の見出しで別個に載っているのである。

・「依草附木の精靈」について、西村注では本義を『人の死後、中有(ちゅうう)の状態で浮遊する霊魂が、次の生縁(しょうえん)を求めて草木に憑(よ)りつくことこと』しているので、厳密には訳のような西洋の妖精とは異なるものである。「中有」とは、中陰とも言い、人が死んで次の生を受けるまでの期間を言う。七日間を一期として、第七期までの四十九日。後に地獄の裁判の十王信仰がこれに対応した。

・「T-1000」は、「ターミネーター2」に登場する、未来世界からやってきた液体金属で出来たアンドロイドの名称。鉄格子をも難なく『透過』する。

・「草履を頭に載せたまま」は、「十四 南泉斬猫」を参照。

・「佛に逢ふては佛を殺し、祖に逢ふては祖を殺し」は、「臨済録」示衆に現れる、私の大好きな一節である。原文は以下の通り(「臨済録」は原典を持たないので、複数の中文サイトを確認して整文した)。

 

道流、爾欲得如法見解、但莫受人惑。向裏向外、逢著便殺。逢佛殺佛、逢祖殺祖、逢羅漢殺羅漢、逢父母殺父母、逢親眷殺親眷、始得解脱、不與物拘、透脱自在。

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 道流、爾、如法の見解を得んと欲さば、但だ人の惑はしを受くること莫かれ。裏(うち)に向かひ外に向かひ、逢著せば便ち殺せ。佛に逢ふては佛を殺し、祖に逢ふては祖を殺し、羅漢に逢ふては羅漢を殺し、父母に逢ふては父母を殺し、親眷(しんけん)に逢ふては親眷を殺して、始めて解脱を得。物と拘らず、透脱して自在なり。

 

淵藪野狐禪師訳:

 お前たち、真実(まこと)の『見方』というものを得ようと思うのなら、まずは何より人に惑わされてはならぬ。己(おのれ)の内に向っても己の外に向っても、逢うたものは、皆、殺せ。仏に逢うたら仏を殺し、祖師に逢うたら祖師を殺し、羅漢に逢うたら羅漢を殺し、父母に逢うたら父母を殺し、親族縁者に逢うたら親族縁者を殺して、始めて解脱することが出来る。その時、お前たちは、何ものにも束縛されることのない、完全なる透過、完全なる解脱、完全なる活殺自在の境地に在るのだ。

 

実を言うと、私はいつもこの中間部のところに、一句を付け加えたくなる衝動をいつも抑えきれない。即ち、「逢佛殺佛、逢祖殺祖、逢羅漢殺羅漢、逢父母殺父母、逢親眷殺親眷、逢己殺己」と。と言うより、私はついこの間まで、「逢己殺己」と入っているものと誤認して、生徒たちに話していた――己(おのれ)に逢うたら己を殺せ――須らく、衝動殺人を望む者や無差別殺人を企まんとする者は、何よりここから始めるがよい。

 

・「六道四生」の「六道」は煩悩を持った衆生が輪廻転生を繰り返すところの世界を言う。天上道(天道とも)・人間(じんかん)道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の六つ。前の三つを三善道(私は「修羅道」を善とするところにこの思想の巧妙な生き残り戦略を感ずる)、後の三つを三悪道と呼称する。間違えてはいけないのは、我々の居る人間道の上の天上道は極楽浄土とは違うことである。ここは言わば天人(てんにん)や仏教以前の伝来により取り込まれた下級神、仙人など居住する世界である。勿論、彼らは人間に比べれば遙かに優れた存在で、寿命が異常に長く、肉体的なものはもとより精神的な苦痛も殆んど感じない。空中を飛翔したり、数々の呪法を駆使することも出来るわけだが、煩悩から完全に解き放たれているわけではなく、やはり死を免れずに死を迎え、再び六道を輪廻するのである。因みに彼らが死を迎える際には独特の変化が現れるとする。それは衣裳垢膩(えふくこうあい:衣服が垢で油染みてくること)・身体臭穢(しんたいしゅうあい:体が薄汚れて悪臭を放つようになること)・脇下汗出(えきかかんりゅう:脇の下から汗が流れ出ること)・不楽本座(ふらくほんざ:自分の居所に凝っとしていられなくなること)・頭上華萎(ずしょうかい:頭上にかざしている花が萎むこと)の五つで、これを天人五衰と言う。即ち、六道はその総体が煩悩の世界なのであり、そこから解脱し、悟達して初めて、極楽浄土に往生出来るのである。「四生」の方は、この六道に於ける胎生・卵生・湿生・化生の四種の出生の仕方を言う。「湿生」とは湿った気から生ずると考えられた生物で、魚・蛇・両生類などを含む。「化生」は「その他の生まれ方」みたいないい加減なもので、その空間に忽然と生ずるものとする。目に見えない卵から発生するものや、生態の不明であった生物、天上界の神仙や地獄の亡者の類を十把一絡げにして都合よく説明するためのものである。]

 

 

 

*  *  *

 

    二 百丈野狐

 

百丈和尚、凡參次、有一老人常隨衆聽法。衆人退、老人亦退。忽一日不退。師遂問、面前立者復是何人。老人云、諾。某甲非人也。於過去迦葉佛時曾住此山。因學人問、大修行底人還落因果也無。某甲對云、不落因果。五百生墮野狐身。今請、和尚代一轉語貴脱野狐。遂問、大修行底人、還落因果也無。師云、不昧因果。老人於言下大悟。作禮云、某甲、已脱野狐身住在山後。敢告和尚。乞、依亡僧事例。師、令維那白槌告衆、食後送亡僧。大衆言議、一衆皆安、涅槃堂又無人病。何故如是。食後只見師領衆至山後嵒下、以杖挑出一死野狐、乃依火葬。師、至晩上堂、擧前因縁。黄蘗便問、古人錯祗對一轉語、墮五百生野狐身、轉轉不錯合作箇甚麼。師云、近前來與伊道。黄蘗遂近前、與師一掌。師拍手笑云、將謂、胡鬚赤。 更有赤鬚胡。

 

無門曰、不落因果、爲甚墮野狐。不昧因果、爲甚脱野狐。若向者裏著得一隻眼、便知得前百丈贏得風流五百生。

 

頌曰

 

不落不昧

兩采一賽

不昧不落

千錯萬錯

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

    二 百丈野狐

 

 百丈和尚、凡そ參(さん)の次(ついで)、一老人有りて、常に衆に隨ひて法を聽く。衆人退けば、老人、亦、退く。忽ち一日退かず。

 師、遂に問ふ、

「面前に立つ者、復た是れ何人(なんぴと)ぞ。」

と。老人云く、

「諾(だく)。某-甲(それがし)は人に非ざるなり。過去の迦葉佛の時に於いて、曾て此山に住む。因みに學人問ふ、

『大修行の底(てい)の人、還りて因果に落ちるや無(いな)や。』

と。某-甲、對へて云く、

「因果に落ちず。」

と。五百生(しやう)、野狐の身に墮す。今、請ふ、和尚、一轉語を代りて、貴(ひと)へに野狐を脱せしめんことを。」

と。

 遂に問ふ、

「大修行の底の人、還りて因果に落ちるや無や。」

と。

 師云く、

「因果に昧(くら)まされず。」

と。

 老人言下に於いて大悟す。作禮(されい)して云く、

「某甲、已に野狐の身を脱し、山後に住在す。敢へて和尚に告ぐ。乞ふ、亡僧の事例に依られんことを。」

と。

 師、維那(いなう)をして白槌(びやくつい)せしめ、衆に告げしめて、

「食後(じきご)、亡僧を送らん。」

と。大衆言議(ごんぎ)すらく、

「一衆、皆、安し、涅槃堂に又、人、病む無し。何故に是くのごとくなる。」

と。

 食後、只だ師、衆を領(りやう)して山後の嵒下(がんか)に至りて、杖を以て一(いつ)の死せる野狐を挑(か)き出だし、乃ち火葬に依らしむるを見る。

 師、晩に至りて上堂し、前(さき)の因縁を擧(こ)す。黄蘗(わうばく)便ち問ふ、

「古人、錯(あやま)りて一轉語を祇對(しつい)し、五百生の野狐の身に墮す。轉轉、錯らざらば、合(まさ)に箇(こ)の甚麼(なに)にか作(な)るべき。」

と。

 師云く、

「近う前へ、伊(かれ)が與(ため)に道(い)はん。」

と。

 黄蘗、遂に近前(きんぜん)して、師に一掌を與ふ。

 師、手を拍(う)ちて笑ひて云く、

「將に謂へり、胡鬚赤(こしゆしやく)。更に赤鬚胡(しやくしゆこ)有り。」

と。

 

 無門曰く、

「因果に落ちず、甚(なん)と爲(し)てか野狐に墮す。因果に昧まさず、甚と爲てか野狐を脱す。若し者裏(しやり)に向ひて一隻眼(げん)を著得(じやくとく)せば、便ち、前百丈の、風流五百生を贏(か)ち得たることを知り得ん。」

と。

 

頌して曰く、

 

不落(ふらく)   不昧(ふまい)

兩采(りやうさい) 一賽(いつさい)

不昧        不落

千錯(せんしやく) 萬錯(ばんしやく)

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

    二 百丈和尚と野狐

 

 百丈懐海(えかい)和尚さまの説法がある時には、いつも、一人の老人が会衆の背後で聴聞をしていました。説法が終わり、会衆が道場を出て行くと、その老人も、また、道場を出て行きます。

 

 ところが、ある日のこと、いつものようにすべての会衆が出て行ってしまったのに、その老人だけは、一向に出て行こうとしません。広い道場にたった一人、ただ黙ってぽつんと座っているのでした。

 百丈さまは、そこで、お訊ねになりました。

「我が面前に居る、さてもお前は誰か。」

老人が答えます。

「はい……既にお察しの通り……私めは人間では御座りませぬ……遠いと~おい……釈迦もこの世におられぬ昔……いや、その釈尊の前身であられた過去世六仏の、あの迦葉仏(かしょうぶつ)さまの御時に……この山に住んでおりました、僧にて御座います……さてもある時、機縁の中で、弟子の一人が私に訊ねたので御座います……

『仏道修行を極め尽くした人であっても、因果応報・輪廻転生の道に落ちるということがありましょうか?』

……私は答えました……

『因果の道に落ちることは、ない。』

と……

……それ以来……私めは……五百年の永きに亙って……野狐(やこ)の身に墮ちてしまったので御座います……どうか、今……お願いで御座いまする……和尚さま……どうか、私めに代わって……転迷悔悟の一句をお挙げになって……切に、切にお願い致しまする……この哀れな……野狐の身から……どうか、私めをお救い下されい……」

――そう言って老人は、正しく向き直ると鮮やかに和尚さまに訊ねました。

「仏道修行を極め尽くした人であっても、因果応報・輪廻転生の道に落ちるということがありましょうか?」

 和尚さまは、即座に、鮮やかに澄んだ声で、ゆっくりと静かに応えました。

「因果の道に犯されることは、ない。」

 ――その発語の瞬間、老人は最早、すっかり悟り切っていたのでした。

 老人は和尚さまにうやうやしく礼拝すると、

「……私めは、すでに野狐の身を脱し、その脱け殻のみが、この裏山に在りまする……敢えて、百丈和尚、あなたに、告げましょうぞ……どうか、その私めの死を、人並みの僧の葬送の礼をもって送られんことを――」

と、言うが早いか、老人の姿は、和尚さまの前からふっと消えてしまっていたのでした――。

 

 その日の昼前、和尚さまは、一山を取り仕切る役僧に白槌(びゃくつい)を高らかに打たせて、一山の衆僧をことごとく呼び集め、次のように告げました。

「斎(とき:午前中の昼食。禅家では午後は食事を摂らない。)の後(のち)、亡なった僧を送ろう。」

と。

 聴いた会衆は、内心、不思議に思って、寺のあちこちで、ひそひそこそこそ、語り合うたのでした。

「誰もみんな、元気じゃて……。涅槃堂(:病気の僧を収容する病室。延寿堂。)で病いに臥せってる者も、一人もおらんし……。どうしてあんなことをおっしゃったんじゃろうのう……。」

と。

 

 斎を終えると、和尚さまは、衆僧を引き連れて、裏山にあった岩穴へと赴き、お持ちになっていた杖で、その穴から一匹の死んだ野狐(のぎつね)の骸(むくろ)を引き出されると、ただちに丁重に荼毘に附されたので御座いました。――

 

 ――さて、その日の晩方のことで御座います。和尚さまは、厳かな僧衣に身をお包みになられ、法堂(はっとう)に上られると、今朝の因縁の一切をお示しになられました。

 それを聴いていた、未だ若き弟子の一人であった黄蘗(おうばく)さまが、即座に、和尚さまに訊ねました。

「その老人は、遠い昔、ただ、その弟子に示すに、その転迷悔悟の一句を、たかだかちょっと誤った――そうですね、誤ったのですね――誤ったばかりに、五百年の永きに亙って野狐(やこ)の身に墮ちてしまった。――では、却ってまさしく、その一句を、誤らなかったとしたら――正しい答えをしていたとしたら――さても一体、その人は何に『成って』いたのでしょうか?」

と。

 それを聴いた和尚さまは、徐ろに

「近う前へ。あの老人のために、お前に言うてやろう。」

と黄蘗を招きました。

 ――黄蘗は、素直に和尚さまの傍に進み寄ります――と――そのとたん、なんと! いきなり、黄蘗は、和尚さまの横っ面を、その拳(こぶし)でもって、がんと、一撃にしてしまったので御座います――

 殴られた和尚様はといえば――ところが、大きく手を打ち鳴らされると、大笑いなさって、

「昔から、達磨大師の鬚は赤い、とは聴いておったが、その通りじゃった! ここにも赤鬚の達磨大師が居られるわ! ワハハハハ!」

と如何にも嬉しげにおっしゃったので御座いました――。

 

 無門、商量して言う。

「『因果に落ちず』と言うたなら、どうして野狐(やこ)に墮ちるのか? ところが却って言うことに、『因果に昧まされず』なら、どうして野狐からエクソダス? もしもこの、事態に向かって、チャクラもて、ずいっと底まで見通さば、そこではっきり分かるじゃろ、あの老人が百丈の、山の中にぞ住み果てて、その五百年の一時が、風流無尽の中なるを。」

 

 次いで囃して言う。

 

『落ちない』――『犯されない』――

骸子(さいころ)振ったら『目』が二つ!

『犯されない』――『落ちない』――

悉皆(しっかい)錯誤!

 

[淵藪野狐禪師注:私はこの則が殊の外に好きである。それは恐らく、「無門関」の中にあって、最も文学的な面白さを湛えているからであろう(それは恐らく異例であり、文学性は実は禅が最も警戒する部分であるように私は思えるのだが)。多くの人々は、最後の黄蘗の意想外の行動に度肝を抜かれ、また魅力を覚えるのであろうが、私はこの百丈と老狐の対話の中の「山」に惹かれるのである。百丈という名は馬祖道一(ばそどういつ)から法灯を嗣いだ彼が、師の没後、現在の江西省洪州にある百丈山に住し、そこで全く新しい禅院を建立したことによるのであるが、当たり前のことながら、百丈山和尚の居る裏山は百丈山であり、五百年の齢を生きた風流の野狐はその百丈山に『在った』のである。次いでに言えば、黄蘗の問いは、ある意味で、真実の答えを求めんとする、かつての老人に最初の問いを発した弟子の僧と完全に同じい。――これ以上は、奇体な私の幻像域に入ることになるので、これ以上は言うまい。しかし、これだけは、言っておこう。私の名は淵藪野狐禅師、この則の野狐は私の祖先――同じ魂を持つ者だけが、その魂を真に理解出来る――

・「白槌」とは、説法や問答の開始を告げるために、木槌を鳴らすこと。「白」=「申」の意。

・「エクソダス」は“exodus”。名詞。①(大多数の多量の成員が)出てゆくこと、退去。(移民団等の有意な数の集団的)出国、移住。②“Eexodus”旧約聖書出エジプト記。③“the Eexodus”イスラエルの民のエジプト脱出。語源はギリシャ語の“xodos”で、“ex-”(外へ)+“hods”(道)がラテン語化したものである。

・「チャクラ」は“cakra”で、本来は、サンスクリット語で「車輪・円」を意味し、人体の7つの精神的中枢を言う。ヨーガではその中の眉間にあるものを“Ajna cakra”アージュニャー・チャクラと称し、俗に第三の眼等と呼ぶ。仏教ではそれは頭頂にあるとも言うようである。]

 

 

 

*  *  *

 

  三 倶胝竪指

 

倶胝和尚、凡有詰問、唯擧一指。後有童子。因外人問、和尚説何法要。童子亦竪指頭。胝聞遂以刃斷其指。童子、負痛號哭而去。胝復召之。童子廻首。胝却竪起指。童子忽然領悟。

胝將順世、謂衆曰、吾得天龍一指頭禪、一生受用不盡。言訖示滅。

 

無門曰、倶胝并童子悟處、不在指頭上。若向者裏見得、天龍同倶胝并童子與自己一串穿却。

 

頌曰

 

倶胝鈍置老天龍

利刃單提勘小童

巨靈擡手無多子

分破華山千万重

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  三 倶胝(ぐてい)、指を竪(た)つ

 

 倶胝和尚、凡そ詰問有らば、唯一指を擧ぐ。

 後、童子有り。因みに外人(がいにん)問ふ、

「和尚、何の法要をか説く。」

と。

童子も亦、指頭を竪つ。

 胝、聞きて、遂に刃(やいば)を以て其の指を斷つ。童子、痛みを負(お)ひ、號哭して去る。胝、復た之を召す。 童子、首(かうべ)を廻らす。 胝、却りて指を竪起(じゆき)す。童子、忽然(こつねん)と領悟す。

 胝、將に順世(じゆんせ)せんとするに、衆に謂ひて曰く、

「吾、天龍一指頭の禪を得るも、一生、受用して盡きざる。」

と。言ひ訖(をは)りて、滅を示す。

 

 無門曰く、

「倶胝并びに童子の悟處(ごしよ)、指頭上に在らず。若し者裏(しやり)に向ひて見得せば、天龍、同じく倶胝、并びに童子、自己と一串(いつせん)に穿却(せんきやく)せん。」

と。

 

 頌して曰く、

 

倶胝 鈍置す老天龍

利刃 單提して小童を勘す

巨靈 手を擡(もた)ぐるに多子無し

分破す 華山の千万重(ばんちやう)

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  三 倶胝、指を立てる

 

 倶胝和尚は、何かを問われた時、だいたいは、ただ人差し指を一本突き立てるのみであった。

 ある時、和尚に仕えている童子が、機縁の中で、寺にやってきた客に問われた。

「お前の和尚は、お前にどうやって仏法を説いているんじゃ?」

そこで、童子も和尚同様、人差し指をピンと突き立てた。

 倶胝は、それを聞きつけると、童子を呼び寄せるや、即座に刃(やいば)を抜くとその人差し指をスッパリと切り落としてしまった。童子は、その余りの痛さにを泣き喚いて逃げ去ろうとした。その時、倶胝は、再び童子に声をかけた。―― 呼ばれた童子が、振り返る。―― 倶胝は、また人差し指をツン! と突き立てる。――その瞬間、童子は、忽ちの内に悟ったのであった。

 さて、倶胝は、遷化せんとするその間際、寂滅を拝まんと集まってきた大衆に向かって説かれた。

「我は師天龍和尚から一指頭の禅を得たのだったが、やれやれ、一生かかっても、その有り難く授かったイッポン指を使い切ることは遂に出来なんだわい。」

そう言い終わるや、美事に示寂されたのであった。

 

 無門、商量して言う。

「倶胝と童子、二人の悟り、イッポン指の『上』には無いぞ! もしも二人のこの話、この理(ことわり)をスッパリと、刃(やいば)如く切り去って、それでズイッと先まで見れりゃ、➳天龍➳倶胝➳この童子➳、三兄弟と諸共に、➳お前➳も一緒にグッサリだ! 言わば団子の四兄弟(しきょうだい)! まとめて全部一串じゃ!」

 

 次いで囃して歌う。

 

愚劣卑劣な倶胝さま 老いぼれ特養天龍を テッテ的に虚仮(こけ)して

切れ味するどい小刀で がんぜない子を脅かす

ナウシカの 庵野もビックリ! 巨霊神

峨々たる華山も 真っ二つ!

 

 

 

*  *  *

 

  四 胡子無髭

 

或庵曰、西天胡子、因甚無髭。

 

無門曰、參須實參、悟須實悟。者箇胡子、直須親見一回始得。説親見、早成兩箇。

 

頌曰

 

癡人面前

不可説夢

胡子無髭

惺惺添※

[淵藪野狐禪師字注:「※」=「懜」-「夕」+(同位置に)「目」。]

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  四 胡子(こす)、髭(ひげ)無し

 

 或庵(わくあん)曰く、

「西天(せいてん)の胡子、甚(なん)に因りてか髭無き。」

と。

 

 無門曰く、

「參は須らく實參なるべし、悟は須らく實悟なるべし。者箇(しやこ)の胡子、直(ぢき)に須らく親しく見ること一回にして始めて得べし。親しく見ると説くも、早(つと)に兩箇と成る。」

と。

 

 頌して曰く、

 

癡人が面前にては

夢を説くべからず

胡子の髭無き

惺惺(せいせい)に ※(もう)を添ふ

[淵藪野狐禪師字注:「※」=「懜」-「夕」+(同位置に)「目」。]

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  四 達磨大師にゃ髭がない

 

 或庵禅師が言う。

「西天から到来された達磨大師、どうして彼には髭がない?」

 

 無門、商量して言う。

「『参禅するということ』は、真実(まこと)の『参禅する』でなくてはならず、『悟るということ』、真実(まこと)の『悟る』でなくてはならぬ。このような、鬚なきゃ恥の西戎(せいじゅう)の、野郎についての話なら、一目親しく対面(たいめ)して、初めてはっきり分かること――『一目親しく対面す』と、謂うたとたんに、はや、お主、達磨と分かれて二人となって、『参』もなければ、『悟』も遠し。」

 

 次いで囃して言う。

 

馬鹿な野郎の目の前で

夢を説いてはいけないね

――都市伝説(アーバン・レジェンド)――『達磨大師にゃ髭がない』――

それを聴いているうちに 悟ったはずのこの頭 何だかすっかりぼんやりし 眠たくなってきたわいな

 

[淵藪野狐禪師注:当時のインド人男性にとって口髭頰髭は男性性の象徴であり、ないということ自体が考えられないことである。]

 

 

 

*  *  *

 

  五 香嚴上樹

 

香嚴和尚云、如人上樹、口啣樹枝、手不攀枝、脚不踏樹。樹下有人問西來意、不對即違他所問、若對又喪身失命。正恁麼時、作麼生對。

 

無門曰、縱有懸河之辨、惣用不著。説得一大藏教、亦用不著。若向者裏對得著、活却從前死路頭、死却從前活路頭。其或未然、直待當來問彌勒。

 

頌曰

 

香嚴眞杜撰

惡毒無盡限

唖却納僧口

通身迸鬼眼

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  五 香嚴(きやうげん)、樹に上る

 

 香嚴和尚云ふ。

「如し、人、樹に上らんに、口に樹の枝を啣(ふく)むのみにて、手に枝をしては攀(よ)ぢず、脚は樹を踏まずとす。樹下に人有りて、西來の意を問はんに、對へずんば、即ち他(かれ)が所問に違(そむ)く、若し對へなば、又、喪身失命(しつみやう)せん。正に恁麼(いんも)時、作麼生(そもさん)か對へん。」

 

 無門曰く、

「縱ひ懸河の辨有るも、惣(そう)に用不著(ゆふぢやく)。一大藏教を説き得るも、亦、用不著。若し者裏(しやり)に向ひて對得著(たいとくぢやく)せば、從前の死路頭(しろとう)を活却し、從前の活路頭を死却せん。其れ或ひは未だ然らずんば、直ちに當來を待ちて彌勒に問へ。」

と。

 

 頌して曰く、

 

香嚴 眞(まこと)に杜撰

惡毒 無盡限(むじんげん)

納僧(なつそう)が口を唖却(あきやく)して

通身 鬼眼を迸(ほと)ばしらしむ

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  五 香嚴和尚の「樹に上る」の公案

 

 香厳和尚が言う。

「人が高い樹に上ったとしよう。――彼は口に樹の枝を銜え、両手では枝を持たず、脚も樹からを離して頂点に攀じ登った。さて、その時、樹下に人が在って、『達磨は何故(なぜ)西に向ったか?』と禅の本義を問い掛けたとしたら、――お前は、どうする? 我等にとって大切な真意を尋ねているのあればこそ、答えぬとすれば、もう、その人の誠心の問いに対して何の立場もなくなってしまう。――されど、もし答えるとすれば、真っ逆様に九天を堕ち、地に叩きつけられてぺしゃんこ、あの世行きは必定じゃ。――さあ! 正にそういう時、お前は、どう応えるか!」

 

 無門、商量して言う。

「たとえ瀑布の水の如、立て板磨り減る能弁も、ここじゃ全く役立たず。経・律・論の三蔵を、お釈迦様から損料し、説いてみたとて、おたんちん。――もしも絶体絶命の、こげな窮地にどっしりと、美事太刀打ち出来たなら、永き地獄の路頭に迷う、亡者も奇瑞の蘇生劇、活てるつもりの半可通、アッという間にお陀仏じゃ。――活殺自在のこの理(ことわり)、そいつは出来んとゴネるなら、五十六億七千万、年を重ねた将来に、弥勒菩薩の到来を、待って訊ぬる他はなし!」

 

 次いで囃して歌う。

 

香嚴 狂言 まことに杜撰

悪性 毒性 超猛毒

禅者の口を塞ぎ置き

おのれは 悪趣味 猟奇 地獄三昧

 腐臭 骸(むくろ)の 目ん玉 抉り

 眼光 炯炯(けいけい) 致死量 放射

 

 

 

*  *  *

 

  六 世尊拈花

 

世尊、昔、在靈山會上拈花示衆。是時、衆皆默然。惟迦葉尊者破顔微笑。世尊云、吾有正法眼藏、涅槃妙心、實相無相、微妙法門、不立文字、教外別傳、付囑摩訶迦葉。

 

無門曰、黄面瞿曇、傍若無人。壓良爲賤、懸羊頭賣狗肉。將謂、多少奇特。只如當時大衆都笑、正法眼藏、作麼生傳。設使迦葉不笑、正法眼藏又作麼生傳。若道正法眼藏有傳授、黄面老子、誑謼閭閻。若道無傳授、爲甚麼獨許迦葉。

 

頌曰

 

拈起花來

尾巴已露

迦葉破顔

人天罔措

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  六 世尊拈花(ねんげ)

 

 世尊、昔、靈山(りやうぜん)の會上(ゑじやう)に在りて、花を拈じて衆に示す。是の時、衆、皆、默然たり。

 惟だ迦葉尊者のみ、破顔微笑(みしやう)す。

 世尊云く、

「吾に、正法眼藏(しやうぱふげんざう)、涅槃妙心、實相無相、微妙法門有り、不立文字、教外別傳、摩訶迦葉(まかかせふ)に付囑(ふしよく)す。」

と。

 

 無門曰く、

「黄面(わうめん)の瞿曇(ぐどん)、傍若無人。良を壓して賤と爲し、羊頭を懸げて狗肉を賣る。將に謂はんとす、多少の奇特、と。只だ、當時の大衆、都てが笑ふごとくんば、正法眼藏、作麼生(そもさん)か傳へん。設(も)し迦葉をして笑はざらしめば、正法眼藏、又、作麼生(そもさん)か傳へん。若し正法眼藏に傳授有りと道(い)はば、黄面の老子、閭閻(りよえん)を誑謼(かうこ)す。若し傳授なしと道(い)はば、甚麼(なん)と爲(し)てか獨り迦葉を許す。」

と。

 

 頌して曰く、

 

花を拈起して

尾巴(びは)已に露はる

迦葉破顔

人天措(お)く罔(な)し

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  六 世尊、蓮を捻(ひね)る

 

 世尊が、昔、霊鷲山(りょうしゅうざん)での説法の際、そこにあった一本の蓮の花を手にとると、黙ったまま、その茎をそっと捻って面前に示した。この時、会衆は皆、理由(わけ)が分からず、ただ默っているばかりであった。

 しかし、ただ迦葉尊者だけが、相好を崩して、にっこりと微笑んだ。

 それを見た世尊は、即座に言った。

「私には、深く秘められた不可思議不可得の真理(まこと)に透徹する眼、瞬時に迷いの火を吹き消す不可思議不可説の悟りの心、その実体実相が無体無相であるところの真実在、摩訶不思議の微妙玄妙なるまことの仏の道へと入る門が、確かに在(あ)るのだが――その不立文字、教外別傳のすべてを、この摩訶迦葉に委ねることとしよう。」

 

 無門、商量して言う。

「金色(きんじき)、ゴータマ、傍若無人。良民捕囚し、奴隷と成し、羊頭懸げて、狗肉を売る――そのありがたい悪どさを、褒めて言うなら、ご自身の、『あ、お釈迦様でも~、あ、御存知あるめえ~!』ほどの奇特殊勝じゃ!――

 閑話休題。

 だか、もし、世尊が拈花した際、当時の霊鷲山上の会衆全員が、一斉に破顔微笑(みしょう)したとしたら――世尊は、一体、その『正法眼藏』を、どのように伝えたというのであろうか?

 逆に、もし、世尊が拈花した際、そこにいたあの、摩訶迦葉を破顔微笑させることが出来なかったとしたら――世尊は、一体、その『正法眼藏』を、どのように伝えたというのであろうか?

 いや、そもそも、その『正法眼藏』が、伝授可能なものであるとするならば、金色のゴーダマは衆生を誑(たぶら)かしたことになる。

 いや、また逆に、その『正法眼藏』が伝授不可能なものであるとするならば、どうして迦葉だけに伝授することを許す、などということが出来るのであろうか?」

 

 次いで囃して言う。

 

flower クニャット ヒネッタラ

hipノアナマデ マルダシネ!

カショウニイサン smile good

nobody テダシハ サ・セ・ナ・イ・ワ!

 

[淵藪野狐禪師注:「頌」の起句の末にある「來」の字は、文末にあって語勢を強める助字=置字と判断して読まなかった。]

 

 

 

*  *  *

 

  七 趙州洗鉢

 

趙州、因僧問、其甲乍入叢林。乞師指示。州云、喫粥了也未。僧云、喫粥了也。州云、洗鉢盂去。其僧有省。

 

無門曰、趙州開口見膽、露出心肝。者僧聽事不眞、喚鐘作甕。

 

頌曰

 

只爲分明極

翻令所得遲

早知燈是火

飯熟已多時

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  七 趙州の洗鉢(せんぱつ)

 

 趙州、因みに僧、問ふ、

「其甲(それがし)、乍入(さにふ)叢林。師に指示を乞ふ。」

と。

 州云く、

「喫粥(きつしゆく)し了るや、未だしや。」

と。

 僧云ふ、

「喫粥し了んぬ。」

と。

 州云く、

「鉢盂(はつう)を洗ひ去れ。」

と。

 其の僧、省(せい)有り。

 

 無門曰く、

「趙州開口して膽(きも)を見(あらは)し、心肝を露出す。者(こ)の僧、事を聽きて眞ならずんば、鐘を喚(よ)びて甕と作(な)さん。」

と。

 

 頌して曰く、

 

只だ分明に極まれるが爲に

翻りて所得をして遲からしむ

早(つと)に燈(ともしび)の 是れ火なるを知らば

飯(はん)熟(じゆく)すること 已に多時なりしに

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  七 趙州和尚の「鉢、洗っとけ」

 

 趙州和尚が、ある時、機縁の中で、僧に問われた。

「私めは本道場新入りの修行僧に御座います。どうか、お師匠さま、有り難い御教示を一言お願い致します。」

と。

 すると趙州は言った。

「朝粥は済んだか?」

 僧は答えて言った。

「はい。朝粥を頂きまして御座います。」

 趙州は言った。

「使ったその鉢を綺麗に洗っておきなさい。」

 その僧は、その瞬間、一遍に悟ってしまった。

 

 無門、商量して言う。

「あったら趙州、軽口叩き、強力(ごうりき)吃驚(びっく)り勧進帳――肝・心・腸も丸出しだ。だのに新米、この小僧、その『丸出し』の『在(あ)ること』を、そのまま前に出された故に、そこに響いた『真実(まこと)』が聴けず、麗しき音(ね)の真実(まこと)の鐘(かね)を、呼んで瓦の甕(かめ)となす。」

 

 次いで囃して言う。

 

あんまりはっきりしたことじゃから

かえって悟るにゃ時がいる

もっと早くに「燈(ともしび)」が 「燃えてる火」だと分かってりゃ

飯(めし)はとっくに 炊けてたはずじゃ

 

[淵藪野狐禪師注:言わずもがなであるが、若い読者のために。淵藪野狐禪師訳の『強力吃驚り勧進帳』は、僕が最も好きな黒澤作品「虎の尾を踏む男達」(1945)が元ネタである。あのエノケン演じた強力は、黒澤の創作、美事に魅力的なキャラクターである。]

 

 

 

*  *  *

 

  八 奚仲造車

 

月庵和尚問僧、奚仲造車一百輻。拈却兩頭、去却輻、明甚麼邊事。

 

無門曰、若也直下明得、眼、似流星、機、如掣電。

 

頌曰

 

機輪轉處

達者猶迷

四維上下

南北東西

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  八 奚仲(けいちう)、車を造る

 

 月庵(げつたん)和尚、僧、問ふ、

「奚仲、車を造ること、一百輻(ぷく)。両頭を拈却(ねんきやく)し、輻(ふく)を去却(こきやく)す、と。甚--辺(なへん)の事を明らむや。」

と。

 

 無門曰く、「若し也(ま)た、直下(ぢきげ)に明らめ得ば、眼(まなこ)、流星に似、機は、掣電(せいでん)のごとし。」

と。

 

 頌して曰く、

 

機輪(きりん)轉ずる處

達者も猶ほ迷ふがごとし

四維(しゐ)上下

南北東西

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  八 奚仲(けいちゅう)、車を造る

 

 月庵(げったん)和尚は、ある時、機縁の中で、僧に問われた。

「古え、奚仲は人として初めて車を造り、その造った数は百両に及んだと聞いてます。ところが、それらの車が完成するそばから、彼は速やかに、どの車からも両輪を外し、車軸も完全に取り去ってしまったと言います。このことは一体、ごと何なる真実(まこと)を明らかにしているのでしょうか。」

 

 無門、商量して言う。

「もしもまた、この不条理な問いかけに、ずばりとはっきり言えたなら、お前の眼(まなこ)は、流れ星! その切先(きっさき)は、稲光り!」

 

 次いで囃して言う。

 

機先の輪転 流星! 雷(らい)!

達人とても追いつけぬ

E=mc²

∞→0

 

[淵藪野狐禪師注:西村注によれば、この話は「五灯会元」月庵伝に見られる。そこでは、

上堂、奚仲車を造ること一百輻。両頭を拈却し軸を除却す。拄杖を以て一円相を打して曰く、且(しば)らく錯って定盤星(じょうばんせい)を認むる莫れ。卓一卓して下座す。

とある、とする。この月庵の言に現れる「定盤星」とは、三十六・四十六則等にも現れるように、天秤の棹の起点にある星の印を言う。これは完全な均衡を示す、即ち秤という物の軽重を計るべきものでありながら、その軽重に関わりのない中点、無意味な点である。その意味のない目盛りに眼を「認むる」=釘付けとなるというのは、錯誤して無用のものへと執着することを比喩して言うのである。

・「奚仲」は、周の国であった薛(せつ)の始祖。黄帝の子孫とされ、夏(か)の聖王禹(う)の車正(天子の乗物に関わる長官)に命ぜられ、人類として初めて馬に引かせる車を創造したとされる。「呂氏春秋」君守篇に『奚仲作車、蒼頡作書、后稷作稼、皋陶作刑、昆吾作陶、夏鯀作城。』(奚仲は車を作り、蒼頡(そうきつ)は書を作り、后稷(こうしょく)は稼(か:穀物の栽培。)を作り、皋陶(こうよう)は刑を作り、昆吾(こんご)は陶(:陶器。冶金の始祖とも。)を作り、夏鯀(かこん:夏の国の鯀の意。)は城を作る。)、「墨子」巻九の非儒下篇三十九にも『古者羿作弓、杼作甲、奚仲作車、巧垂作舟。」(古(いにし)へは、羿(げい)は弓を作り、杼(ちょ)は甲を作り、奚仲は車を作り、巧垂は舟を作る。』等とあるが、本文の「両頭を拈却し、輻を去却」したという話は、不学にして知らない。公案としての創作かと思われる。識者の御教授を乞う。

・「四維」とは天地の四つの隅を言う。それぞれ乾(いぬい:北西)・坤(ひつじさる:南西)・巽(たつみ:南東)・艮(うしとら:北東)の四方。それに以下の上・下と東・西・南・北の六つを加えて、「十方(じっぽう)」と呼び、これらを世界の総体とする。]

 

 

 

*  *  *

 

  九 大通智勝

 

興陽讓和尚、因僧問、大通智勝佛、十劫坐道場、佛法不現前、不得成佛道時如何。讓曰、其問甚諦當。僧云、既是坐道場、爲甚麼不得成佛道。讓曰、爲伊不成佛。

 

無門曰、只許老胡知、不許老胡會。凡夫若知、既是聖人。聖人若會、既是凡夫。

 

頌曰

 

了身何似了心休

了得心兮身不愁

若也身心倶了了

神仙何必更封候

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  九 大通智勝(だいつうちしやう)

 

 興陽(こうやう)の讓(じやう)和尚、因みに僧、問ふ、

「大通智勝佛、十劫(ごふ)、道場に坐すも、佛法現前せず、成佛道(じやうぶつだう)を得ざるの時、如何。」

と。

 讓曰く、

「其の問ひ、甚(はなは)だ諦當(たいたう)なり。」

と。

 僧曰く、

「既に是れ、道場に坐し、甚麼(なん)と爲(し)てか成佛道を得ざる。」

と。

 讓曰く、

「伊(かれ)が不成佛(ふぢやうぶつ)なるが爲なり。」

と。

 

 無門曰く、

「只だ老胡の知を許して、老胡の會(ゑ)を許さず。凡夫、若し知らば、既ち是れ、聖人。聖人、若し會せば、既ち是れ、凡夫。」

と。

 

 頌して曰く、

 

身を了ずるは心を了じて休するに何-似(いづれ)ぞ

心を了得すれば身は愁へず

若(も)し身心倶(とも)に了了ならば

神仙何ぞ必ずしも更に候に封(ほう)ぜん

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  九 大通智勝仏

 

 興陽清譲(せいじょう)和尚は、ある時、機縁の中で、ある僧に問われた。

「大通智勝仏は、十劫の永きに亙って、遠い彼方の道場にあって座禅を続けておられるにも拘わらず、未だに大通智勝仏御自身には、真実(まこと)の仏法は現れず、また真実(まこと)の仏道を成し得ておられないというのは、一体、どういうことなのですか?」

 清譲和尚が応えて言う。

「その問い、正鵠を得ておる。」

 そこで更にその僧が問う。

「そもそも、道場に座禅し乍ら、何故に、成仏しないのか!?」

 清譲和尚が応えて言う。

「彼は『仏にならない仏』だからだ。」

 

 無門、商量して言う。

「釈迦や達磨の老毛唐、きゃつらが持ってる悟りのための、たかだか『智慧』と言うならば、そんなところとしておこう。されどきゃつらの悟ったあとの、その明悟の中で『得たもの』は、オフ・リミットの門外不出。凡夫にとっちゃ『智慧』あれば、それでそのまま聖人さ。ところがどっこい聖人は、真実一路で『得たもの』で、美事、『凡夫に成仏』出来る。」

と。

 

 次いで囃して言う。

 

身体(からだ)と心と どっちが大事?

心分かれば 身も軽(かろ)し

もしも あなたの身も心も すっかりハッピーだったなら

 ――“Body and Saul”――

  ♪私の恋に 背を向けないで 私と向き合って 身も心も あなたに捧げる♪

神・仙人が この世の爵位 なんどを受けて 一体何の価値があろ 「仏」が「成仏」 するわきゃねえよ!

 

[淵藪野狐禪師注:

・「大通智勝佛」とは、三千塵点劫という想像絶した遙かな過去世に於いて出家し、八千劫の間、法華経を説いた仏とされる。この仏は更に16人の仏を生み、阿弥陀や釈迦は、その中の一人であるとする。

・「劫」前注にも本文にも現れるとは、インド哲学や仏教で、極めて長い宇宙的時間単位を言う。サンスクリット語の“kalpa”カルパの音写漢訳「劫波(劫簸)」が元。仏教では特に定量が決められているわけではないが、同じルーツであるヒンドゥー教では1劫=432000万年としている。一説には1劫は天女が100年に一度来臨し、その羽衣で7k㎥の石を一度だけ擦り、その石が完全に摩滅し尽す時間よりもまだ余りある時間とし(これを磐石劫(ばんじゃくこう)とも呼ぶ)、或いは、同じく7k㎥の箱に芥子の種子を詰め込み、百年に一度、その中の一粒だけを取り出して行き、そのすべてを取り出し尽す時間よりもまだ余りある時間を言う、ともする(これを芥子劫(けしこう)と呼称する)。

・「“Body and Saul”」はジャズのスタンダード・ナンバー。印象的なラヴ・ソングながら、転調が二回ある難曲である。私が中学三年の時、ジャズに目覚めた大好きな Coalman Hawkins の、(ts)による超有名な名演がお薦めである。]

 

 

 

*  *  *

 

  十 清税弧貧

 

曹山和尚、因僧問云、清税弧貧。乞、師賑濟。山云、税闍梨。税、應諾。山曰、青原白家酒、三盞喫了、猶道未沾唇。

 

無門曰、清税輸機、是何心行。曹山具眼、深辨來機。然雖如是、且道、那裏是税闍梨、喫酒處。

 

頌曰

 

貧似范丹

氣如項羽

活計雖無

敢與鬪富

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  十 清税(せいぜい)孤貧

 

 曹山(さうざん)和尚、因みに僧、問ふて云く、

「清税孤貧、乞う、師、賑濟(しんさい)したまへ。」

と。

 山云く、

「税闍梨(ぜいじやり)。」

と。

 税、應諾す。

 山曰く、

「青原白家(せいげんはつか)の酒、三盞(さんさん)喫し了りて、猶ほ道(い)ふや、未だ唇を沾(うるほ)さず、と。」

と。

 

 無門曰く、

「清税の輸機、是れ、何の心行(しんぎやう)ぞ。曹山の具眼、深く來機を辨ず。是くのごとく然ると雖も、且らく道(い)へ、那裏(なり)か是れ、税闍梨の酒を喫する處。」

と。

 

 頌して曰く、

  

貧は范丹(はんたん)に似

氣は項羽のごとし

活計(かつけい)無しと雖も

敢えて與(とも)に富を鬪はしむ

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  十 天涯孤独の貧者清税

 

 曹山和尚は、ある時、機縁の中で、清税という僧に乞われた。

「私、清税、天涯孤独の貧者、どうか、師よ、私にお恵みを。」

と。

 すると曹山和尚が、

「税闍梨!」

と呼ぶ。

 清税が、

「はい。」

と応える。

 曹山和尚は、言った。

「青原の白家の美(う)ま酒を、たっぷり飲みおってからに! よく言いおるわ! 水一滴も飲まず、喉がカラカラだ、なんぞと!」

 

 無門、商量して言う。

「名前は清税、借りてきた、猫のようにぞ、ちんまりしてる、だけど、何だか怪しき振る舞い、腹に一モツ、ありそうじゃ。されど曹山、一枚上手、その眼力で、このありさまをドバッと見抜いて、ゴクゴクと、清税自身を呑み下す――さてもまた、このようであったとしても、さあ! 言うて見よ! 極道税闍梨、一体、何処で、青原白家の美ま酒飲んだ?」

 

 次いで囃して言う。

 

范丹みたいに貧乏なのに

「気」は世を蔽う項羽と同じ

生きる手だてがまるでない と口では言って おきながら

ほんとはやりたい 金くらべ

 

[淵藪野狐禪師注:

・「清税」という人物は不詳であるが、通常の「僧」という一般名詞で出さず、敢えて名前を用いたことにこそ、本則のヒントがありそうな気がする。「税」には「解く」「捨てる」「放つ」の意がある。

・「青原白家」の「青原」は、銘酒の産地名と思われるが、不詳。本話の主人公である曹山本寂(そうざんほんじゃく 840901)は、曹洞宗の宗祖である洞山良价(とうざんりょうかい)禅師の法を嗣いだ人物で、洞山の元を辞して後、現在の江西省中部撫州にある曹山に住して宗風を挙揚(こよう)したことからの号である。そこから推すと、現在の江西省吉安市に青原区という場所があり、そこが一つの候補地にはなるか。「白家」は、西村注によれば、『古注では百軒の家、また白氏の家ともいう』とある。中国の酒というと、私は一番にコウリャンを主原料とした高級酒としての白酒(パイチュウ)を思い浮かべ、ここでも「白」に引かれて、それをイメージしてしまうのだが、無縁であろうか。識者の御教授を乞う。

・「范丹」伝説的な貧窮の学者・政治家。「范冉」(はんぜん)とするのが一般的。後漢の人で、頑固で短気、清節にして泰然自若、あまりに貧乏であったために甑(こしき)に塵が生じていたという「范冉生塵」の故事で知られる。]

 

 

 

*  *  *

 

  十一 州勘庵主

 

趙州、到一庵主處問、有麼有麼。主、竪起拳頭。州云、水淺不是泊舡處。便行。又到一庵主處云、有麼有麼。主亦竪起拳頭。州云、能縱能奪、能殺能活。便作禮。

 

無門曰、一般竪起拳頭、爲甚麼肯一箇、不肯一箇。且道、※訛在甚處。若向者裏下得一轉語、便見趙州舌頭無骨、扶起放倒、得大自在。雖然如是爭奈、趙州却被二庵主勘破。若道二庵主有優劣、未具參學眼。若道無優劣、亦未具參 學眼。

[淵藪野狐禪師字注:「※」=「言」+「肴」。]

 

頌曰

 

眼流星

機掣電

殺人刀

活人劍

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  十一 州、庵主(あんじゆ)を勘す

 

趙州(でうしう)、一庵主の處に到りて問ふ、

「有りや、有りや。」

と。

主、拳頭を竪起(じゆき)す。

州云く、

「水淺くして是れ舡(ふね)を泊する處にあらず。」

と。

便ち行く。

又、一庵主の處に到りて云く、

「有りや、有りや。」

と。

主、拳頭を竪起(じゆき)す。

州云く、

「能縱能奪(のうじゆうのうだつ)、能殺能活(のうさつのうかつ)。」

と。

便ち禮を作(な)す。

 

無門曰く、

「一般に拳頭を竪起(じゆき)するに、甚麼(なん)と爲(し)てか一箇を肯ひ、一箇を肯はざる。且らく道(い)へ、※訛(かうか)、甚(いづ)れの處にか在る。若し者裏(しやり)に向かひて一轉語を下し得ば、便ち趙州の舌頭に骨無きを見て、扶起し放倒すること、大自在なることを得ん。(か)是く然ると雖へども、爭-奈(いかん)せん、趙州、却りて二庵主に勘破せらるることを。若し二庵主に優劣有りと道はば、未だ參學の眼(まなこ)を具せず。若し優劣無しと道ふも、亦、未だ參學の眼を具せず。」

と。

[淵藪野狐禪師字注:「※」=「言」+「肴」。]

 

 頌に曰く、

 

眼(まなこ) 流星

機 掣電(せいでん)

殺人刀(せつにんたう)

活人劍(かつにんけん)

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  十一 趙州和尚、二庵主(あんじゅ)を校勘(こうかん)する

 

趙州(じょうしゅう)和尚が、とある庵主の元を訪れて、訊ねた。

「お前! 確かに、ここに『在(い)る』か!? 確かに、ここに『在(あ)る』!か?」

その庵主は、鮮やかに握り拳を突き立てた(:自己の至っている禅境を示すポーズ。)。

すると趙州は、

「――何とまあ、ひどい浅瀬じゃ、こんなところに舟泊りは出来ぬわい。」

と一人ごつと、ずんずん先へ行ってしまった。

趙州、暫く行く。

すると、また別なひとりの庵主の元に辿りついて、即座に訊ねた。

「お前! 確かに、ここに『在(い)る』か!? 確かに、ここに『在(あ)る』か!?」

その庵主も、先の庵主と全く同様、鮮やかに握り拳を突き立てた。

すると趙州は、

「――解き放つことも、奪い去ることも、殺すも、生かすも、自由自在じゃ!」

と讃するや、この庵主に低頭した。

 

無門、商量して言う。

「どっちの庵主も、ゲンコツ挙げた――だのに如何(どう)して応えが違う? 如何してあっちがバッチリで、如何してこっちはボロクソか?――己(おのれ)ら! 暫く言うてみよ!――この詭弁、この逆説、何処に一体、『キモ』は『在る』!?――もしもコイツの鼻面に、ガツン! と一発、ゴッツいゲンコ、間髪入れずに喰らわせられりゃ、舌先三寸中身無き、『騙りの趙(ジョウ)』の面(つら)引ん剥き、骨抜き、タマ抜き、牛蒡抜き。――それを見抜けたその日にやぁ、ヨロぼう弱きを支えもし、エバる輩はブッとばす、あんたは大した自由人(クール・ガイ)。――ところがよ、話の本(もと)に戻って見れば、何のことはありゃせんゼ! 智謀術数齢(よわい)を重ね、奸智に長けた『騙りの趙(ジョウ)』が、ここじゃ、二人の庵(いおり)の主(ぬし)に、ケツの穴まで見抜かれたぁ!――さてももし、お前が二人の庵の主(しゅ)に、「優劣あり」とのたもうならば、お前の振った骸子(さいころ)の、目に禅の機は、ゼンゼンない!――さてももし、お前が二人の庵の主に、「優劣なし」とのたもうとても、お前の振った骸子の、目に禅の機は、ゼンゼンない!」

 

次いで囃して歌う。

 

眼(まなこ)に 光る マークは流星

自慢の機(ジェット)で 敵を撃つ

怪獣 退治の 専門家

来たぞ 我らの ウルトラマン!

 

[淵藪野狐禪師注:言っておくが、私はおちゃらけて等、全くいない。淵藪野狐禪師は淵藪野狐禪師なりの覚悟を持った真剣さで、この訳を真面目に何時間もかけて呻吟した。今回の「頌」も、勿論、当初はスマートに原文をそのままにして格好良く訳すつもりであった。しかし、まず、この趙州の公案を最初に読んだ14年前を私は思い出したのである。14年前のその時、僕が真っ先に髣髴としたのは、ジャズ・ファンなら知る人ぞ知るブッ飛んだ珍名盤“Monk's Music”であった。お経のアドリブの小節を勘違いした和尚の「喝!(コルトレーン!)」の叫び声――ひたすらオロオロしてアセりまくる他のサイドメンを尻目に、冷静にテナーのコブシを正確に吹き「挙げる」高弟の、あの一瞬である――僧(モンク=セロニアス・モンク)と機(トレーン=ジョン・コルトレーン)――。そうして、もう一つ、この公案の答えを導くものは間違いなく、ジャズのアドリブの真髄たる、「呼びかけと応答」(コール・アンド・レスポンス)に他ならない、という直覚に近い印象であった。趙州和尚の「有りや、有りや」の言い方でも、その拳の挙げ方でも、その庵主の実際の禅境でも、趙州の答えでも、ない――これはそれらすべての「呼びかけと応答」(コール・アンド・レスポンス)の一体の『在り方』、その『機』なのではないかという直感である。何はともあれ、私は愚かな僕のその愚かな早合点に、聊かのエクスタシーを覚えたことは確かであり、それは14年を経た今も全く変わらないということである(それは「未だ參學の眼を具せず」ということでもあろう)。それを思い出したら、「頌」はすっかり分かりやすいウルトラマンの響きになっていたのである。スペシウム光線も八つ裂き光輪も文字通り「殺人刀」であった(歌詞自体の「怪獣退治の専門家」は勿論、歌詞の上では一義的には科学特捜隊のことを言うのであってこの解釈は牽強付会とも謗られよう。いや、であるからこそただの引用ではないのである)。その「殺人刀」を持つウルトラマンが人類の真の平和のためにM78星雲から遙々やってきた、弥勒のように、我らを真に生かすためにやってきた。それは「活人劍」であったではないか!(成田亨のウルトラマン原型造形には明らかに仏教的なアルカイック・スマイルが示唆されている)従って私にとってのこの訳は、かくして極めて自然である。だから私はいっこうに誤訳とも不敬とも思ってはいない――趙州和尚には、きっと指の一本どころか二三本をスッパリ切られるであろうが、私はそれでよい――いや、切られてこそのあの童子である。]

 

 

 

*  *  *

 

     十二 巖喚主人

 

瑞巖彦和尚、毎日自喚主人公、復自應諾。乃云、惺惺着。喏。他時異日、莫受人瞞。喏喏。

 

無門曰、瑞巖老子、自買自賣、弄出許多神頭鬼面。何故。※。一箇喚底、一箇應底。一箇惺惺底、一箇不受人瞞底。認着依前還不是。若也傚他、惣是野狐見解。

[淵藪野狐禪師字注:「※」=(上)「漸」+(下)「耳」。物を指差す形容。また、仏書にあって語調を整える助辞。]

 

頌曰

 

學道之人不識眞

只爲從前認識神

無量劫來生死本

癡人喚作本來人

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  十二 巖(がん)、主人を喚ぶ

 

 瑞巖彦(ずいがんげん)和尚、毎日自ら「主人公」と喚び、復た自ら應諾す。乃ち云く、

「『惺惺着(せいせいぢやく)。』

『喏(だく)。』

『他時異日、人の瞞(まん)を受くること莫(なか)れ。』

『喏喏(だくだく)。』」

と。

 

 無門曰く、「瑞巖老子、自ら買ひ自ら賣りて、許多(そこばく)の神頭(しんづ)鬼面を弄出す。何故ぞ。※(にい)。一箇の喚ぶ底(てい)、一箇の應ずる底。一箇の惺惺たる底、一箇の人の瞞を受けざる底。認着(にんじやく)せば、依前として還りて是(ぜ)ならず。若し他(かれ)に傚(なら)はば、惣(すべ)て是れ、野狐の見解(けんげ)ならん。」

と。

[淵藪野狐禪師字注:「※」=(上)「漸」+(下)「耳」。]

 

 頌して曰く、

 

學道の人眞を識らざるは

只だ從前より識神(しきしん)を認(と)むるが爲なり

無量劫來(ごふらい)生死の本(もと)

癡人喚んで本來人と作(な)す

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  十二 瑞巖彦(ずいがんげん)和尚、自分を「主人公」と呼ぶ

 

 瑞巖彦和尚は、毎日、自分自身に対して「主人公!」と声をかけ、そうしてまた、自分自身でそれに「はい」と返事をする。例えば、こんな風に――

瑞巖彦和尚「おい! 主人公! 心静かに醒めておれ!」

瑞巖彦和尚「はい。」

瑞巖彦和尚「おい! 主人公! どんな時でも人に騙されちゃあ、いかんぞ!」

瑞巖彦和尚「はい、はい。」

瑞巖彦和尚「おい! 主人公! 返事は一度でよい!」

瑞巖彦和尚「はい、はい。」

 

 無門、商量して言う。

「瑞巖老爺(ラオイエ)、千両役者、人身売買、一人芝居、無数の変臉(へんめん)、鬼神の宴(うたげ)、マスカレードじゃあるめえに。爺さん、何が言いたいの?――おい! 主人公! どうだ? 一己の『呼ぶ存在』、一己の『応える存在』――一己の『醒めている存在』、一己の『絶対に他者に騙されることがない存在』――おい! 主人公! このいずれかの『存在』を、ただ識(し)るのでは、まるで駄目! それならいっそと、彦(げん)の真似、大根役者がしてみても、徹頭徹尾の野狐の禅!」

 

 次いで囃して言う。

 

修行行う者にして 少しも真実(まこと)を知らぬのは

お前の意識そのものに 誑(たぶら)かされているんだよ

♂ ♀ * † ∞ ―― あらゆる業(ごう)の積み重ね(=罪重ね)

その存在を馬鹿どもは 愚かに本来 「人」と呼ぶ

 

[淵藪野狐禪師注:実は、私は、この則、「無門関」の中で、唯一、好きでない。敢えて分析すると、この瑞巖の「主人公!」という呼びかけの言葉が、もの凄く厭なのだとまず思う。また、それに答える瑞巖の「喏」「喏喏」の文字が如何にも気持ちが悪いからだとも思う。そうしてこの一人芝居が如何にも死臭芬々たるものだからである、とも思う――ということは――多分、ここに「私」が「いる」のだろう――この則こそが私の「無門關」なのかも知れない――

・「♂ ♀ * † ∞」は私の世代から上にしか分からないであろう。これは、1962年にTBS系列で放送され、大ヒットを記録した外科医を主人公にした医療ドラマ「ベン・ケーシー(Ben Casey)」(アメリカABC:19611966)のオープニング、医師が「♂ ♀ * † ∞」を黒板にチョークで記しながら、日本語吹き替えで「男 女 誕生 死亡 そして無限」と語るシーンからとった。]

 

 

 

*  *  *

 

   十三 徳山托鉢

 

徳山、一日托鉢下堂。見雪峰問者老漢鐘未鳴鼓未響、托鉢向甚處去、山便回方丈。峰擧似巖頭。 頭云、大小徳山未會末後句。山聞令侍者喚巖頭來、問曰、汝不肯老僧那。巖頭密啓其意。山乃休去。明日陞座、果與尋常不同。巖頭至僧堂前、拊掌大笑云、且喜得老漢會末後句。他後天下人、不奈伊何。

 

無門曰、若是未後句、巖頭徳山倶未夢見在。撿點將來、好似一棚傀儡。

 

頌曰

 

識得最初句

便會末後句

末後與最初

不是者一句

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  十三 徳山の托鉢(たくはつ)

 

 徳山、一日托鉢して堂に下る。雪峰(せつぽう)に、

「者(こ)の老漢、鐘も未だ鳴らず、鼓も未だ響かざるに、托鉢して甚(いづれ)の處に向かひてか去る。」

と問はれて、山、便ち方丈に囘(かへ)る。

 峰、巖頭に擧似(こじ)す。

 頭云く、

「大小の徳山、未だ末後(まつご)の句を會(ゑ)せず。」

と。

 山、聞いて、侍者(じしや)をして巖頭を喚び來らしめ、問ふて曰く、

「汝、老僧を肯(うけが)はざるか。」

と。

 巖頭、密(ひそか)に其の意を啓(もら)す。

 山、乃ち休し去る。

 明日(みやうにち)、陞座(しんぞ)、果して尋常(よのつね)と同じからず。

 巖頭、僧堂の前に至り、掌(たなごころ)を拊(ふ)し、大笑して云く、

「且らく喜び得たり、老漢、末後の句を會せしことを。他後(ただ)、天下の人、伊(かれ)を奈何(いかん)ともせず。」

と。

 

 無門曰く、

「若し是れ、末後の句ならば、巖頭、徳山、倶(とも)に未だ夢にも見ざる在り。點撿(てんけん)し將(も)ち來たれば、好(はなは)だ一棚(いつぱう)の傀儡(かいらい)に似たり。」

と。

 

 頌して曰く、

 

最初の句を識得すれば

便ち末後の句を會す

末後と最初と

是れ 者(こ)の一句にあらず

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  十三 徳山和尚の托鉢

 

 ある日の午前のことである。

 徳山和尚は、とんでもない時間に、ご自身の鉢を擁して食堂(じきどう)へとやって来られた。食堂で、斎(とき)の準備のために机を拭いていた飯台看(はんだいかん)の雪峰が、

「御老師、斎を告げる鐘の音(ね)も太鼓の音(おと)も、未だに鳴らず、未だに響いておりませんに、鉢を携えて、一体、何処(どこ)へ向かうおつもりか?」

と問うた。徳山和尚は、それを聴くや、ぷいっと、ご自身の庵室(あんじつ)へと帰ってしまわれた。

 その後姿を如何にも面白そうに眺めていた雪峰は、ぷっと吹き出すと、奥の厨(くりや)へと行き、そこに居た看頭(かんとう)の巖頭に、今の一部始終を話して聞かせた。

 それを聴いた巖頭は、おもむろに言った。

「徳山和尚ともあろうお人が、未だに肝心要めの末後の一句には会(かい)しておられぬな。」

 雪峰はそれを聴くと、――内心、普段からその聡明さ故に、彼に対して劣等感ばかり抱いてきた雪峰は――この、自分よりも更に和尚を蔑(さげす)んだような言葉を吐いた兄弟弟子を――常日頃、快からず思っていた兄弟弟子の――このことを、一つ、和尚に告げ口してやろうと企んだ。

 そこで小用に出るふりをして、途中から駆け足になって、徳山和尚の庵室へと飛び込むと、そこに控えていた和尚の侍者に巖頭の言葉そのままに耳打ちした。

 徳山和尚は、侍者からそれを聞くや、さもあらんか、鋭い目を侍者に向けると、

「直ちにここに巖頭を喚べ!」

と何時にない、とんでもない大声で一喝した。

 侍者は恐れ戦き、泡を食って駆け出してゆく。ほくそ笑んでぷらぷら歩いている雪峰も目に入らぬように、韋駄天の如く走って走って、厨に飛び込むと、

「徳山和尚さまのお呼びじゃ!」

と真っ青な顔で、声を震わせながら巖頭に伝えた。ところが、

「そうか。そうくるとは思っておったが、少しばかり早いな――」

と落ち着き払ってつぶやいた巖頭は、食堂を出ると、和尚の庵室へとまこと、ゆっくりと歩いて行く。路端の木蔭では、隠れて、こっそりとそれを雪峰が眺めていた。

『……ざまあみろ……今度の「徳山の棒」、こいつは半端ねえぞ!……』

と思いつつ、笑みを洩らした。

 巖頭が和尚に対峙してみると、果たして目をつぶった和尚の両手には、すでに極太の樫で出来た拄杖(ちゅうじょう)がしっかと握られていた。

 徳山和尚は、静かに、しかし、きっぱりと言う。

「お前、儂を、なめてるな!?」

 巖頭は、間髪を入れず、一挙に和尚の右手にすり寄ると、

「……………。」

と、何やらん、こっそりと耳打ちした。

 すると、徳山和尚は、ぱーんと拄杖を前へ抛り出すと、莞爾として笑い、すっかり安心なさったのであった――。

 

 翌日、いつも通り、法堂(はっとう)で徳山和尚の説法がなされたのだが、果して、その日の説法に限っては、何やらん、尋常のものではなく、会衆は一人残らず、慄っとしながらも、心の底から深い感銘受けて法堂を後にしたのであった――法堂を最後に出た巖頭は、堂の前まで来ると、空を見上げ、両手をぱぱんと打ち鳴らしながら、永い間、大笑いをした後(あと)、数十里の彼方に響き渡るような澄んだ大声で、叫んだ。

「なんと嬉しいことか! 老師は末後の一句を握られた! 本日只今以後、天下の者、誰一人として、この一己の徳山宣鑑(せんかん)を、どうすることも出来はせぬ!」

 

――それから直ぐのことであった、徳山和尚がその法灯を、巖頭全豁(ぜんかつ)に譲ったのは――

 

 無門、商量して言う。

「ちょっと待て! もしもこいつが本当に、最後の最期のぎりぎりの、真実(まこと)に末後の句だとすりゃ、巖頭、徳山、一蓮托生、揺り籠の中、双子の子、一緒に仲良く夢見てるだけ。幽霊の正体見たり枯れ尾花! 世の中は箱に入れたり傀儡師(かいらいし)!」

 

 次いで囃して言う。

 

最初の一句が啓(ひら)ければ

最期の一句に出逢えます

末期の言葉と最初の産声

そんなもん 最初の一句でも最後の一句でも「無(ない)」!

 

[淵藪野狐禪師注:本篇の訳は映像的にリアルに見えるように意識的な小説仕立てにして翻案してある。人物の設定や動き、心理描写などの一切は私の創作なのでご注意あれ。以下の注は、主に、その淵藪野狐禪師訳のオリジナルな部分へのものである。特に悪役に徹してもらった雪峰義存禅師には三頓食らって背骨が折れそうになるやも知れぬ。雪峰禅師に深く謝す。そしてこのような仕儀を訳で行った理由は、本則が私にとって難題だからである。恐らく、この「応え」には、まだこれから数年はかかりそうだ。その時には、違った訳でまた、お目にかかろう。

・「雪峰」は雪峰義存(せっぽうぎぞん 822908)。唐末から五代の禅僧。実際には巖頭全豁と一緒に徳山宣鑑の法を嗣いでいる。巖頭とは兄弟弟子で、実際には仲が良かったとされる。雪峰の方が年上であったが、明悟した早さやこの雪峰自身を鰲山(ごうざん)で大悟させた点から見ても、巖頭の方が上であるので、訳ではそのような役職に設定した。実際の雪峰義存はその後、出身地であった福建に戻り、雪峰山に住して、四十有年余の間、教導と説法に励んだ。その結果、多くの政治的有力者の帰依を受けることとなり、結果的に各地に広がる五代最大の仏教教団を形成することとなった。雪峰寺には常時1,500人からの修行僧が住み、首座であった玄沙師備(げんしゃしび:「無門關」の後序に登場している。)を始めとして、本「無門關」の第十五則・第二十一則に登場する雲門文偃(ぶんえん)・長慶慧稜(えりょう)・鼓山神晏(くざんしんあん)・保福従展(ほふくじゅうてん)等の禅語や公案で知られる第一級の優れた禅師を輩出している(この注は、主に、ウィの「雪峰義存」を参照にさせて頂いている)。

・「巖頭」は巖頭全豁(828887)。以下、その凄絶な最期について記す。彼はその後、徳山の元を辞して、洞庭湖畔の臥竜山(別名を巖頭と言う)を拠点に宗風をふるったが、887年に中原(ちゅうげん)に盗賊が起こり、庶民はおろか、会衆もみな恐れて逃げ出してしまった。ところが巖頭禅師だけは、ただ一人『平然と端坐していた。四月八日、盗賊たちがやってきて大いに責めたてたが、彼は何も贈り物を出さなかったので、ついに刀で』首を切られて殺されてしまった。しかし、その際にも巖頭禅師は『神色自若として、一声大きく叫んで終わった。その声は数十里先まで聞こえた』と伝えられる。(この注は、主に、福井県小浜市の臨済宗南禅寺派瑞雲院のHP中の、「景徳伝灯録巻十六 鄂(がく)州巖頭全豁禅師」を参考にして書かれたとする「岩頭全豁禅師話」を参照にさせて頂いている)。

・「擧似」という原文の語は、西村注によれば、禅家では『過去の問答や商量の内容を他人に提示すること』を言う特別な意味を持っている。とすれば、雪峰は、一見、呆けた徳山が食事の時間の前に食堂へ来たことや、それに対して自身が言った言葉を含め――確信犯的に――その総体を公案として認識していたのであり、極めて真面目な意味で、この場面に機縁し、その出来事を真面目に巖頭に語ったのだと言える。実際の雪峰義存の事蹟から見れば、それが真実であるし、雪峰が良友巖頭を売るというシチュエーションも実際には考えにくい気もする。しかし、それでは面白くない。少なくとも私は全然面白いと思わぬ。そこで訳では、一見、冒頭の徳山をもうろく爺いのボケとして描き、雪峰を話柄の傀儡役、トリック・スターとして不良の弟子に仕立てさせてもらったのである。

・「ご自身の鉢」禅者は本来、托鉢用の鉢を以って普通の食事の食器とする。

・「斎」仏教では、本来、僧は午前中にしか食事をしない。朝は「粥」(しゅく)、午前中に済ませる早い昼食を「斎」と呼ぶ。勿論、ここでの「斎」という設定は私の勝手なものである。これは「粥」なのかも知れない。

・「飯台看」禅寺の給仕係。私の勝手な設定である。

・「看頭」禅寺で食事の際の礼法を指導する者を言い、飯台看の長である。私の勝手な設定である。

・「世の中は箱に入れたり傀儡師」は芥川龍之介の俳句。大正八(1919)年、27歳の時の作。「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句(明治十三年~大正十一年迄)」の「四七四 一月四日 南部修太郎宛」書簡からの引用句を参照。因みに西村氏はここを『二人ともお粗末なからくり人形じゃないか』と訳しておられる。]

 

 

 

*  *  *

 

  十四 南泉斬猫

 

南泉和尚因東西堂爭猫兒。泉乃提起云、大衆道得即救、道不得即斬却也。衆無對。泉遂斬之。晩趙州外歸。泉擧似州。州乃脱履安頭上而出。泉云、子若在即救得猫兒。

 

無門曰、且道、趙州頂草鞋意作麼生。若向者裏下得一轉語、便見南泉令不虚行。其或未然險。

 

頌曰

 

趙州若在

倒行此令

奪却刀子

南泉乞命

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  十四 南泉、猫を斬る

 

 南泉和尚、因みに、東西の堂、猫兒(みやうじ)を爭ふ。

 泉、乃ち提起して云く、

「大衆、道(い)ひ得ば、即ち救はん、道ひ得ずんば、即ち斬却(ざんきやく)せん。」

と。

 衆、對(たい)無し。

 泉、遂に之を斬る。

 晩、趙州(でうしふ)、外より歸る。泉、州に擧似(こじ)す。州、乃ち履(り)を脱ぎて頭上に安じて而して出づ。

 泉云く、

「子(なんぢ)、若し在らましかば、即ち猫兒を救ひ得んに。」

と。

 

 無門曰く、

「且らく道(い)へ、趙州が草鞋(ざうり)を頂く意、作麼生(そもさん)。若し者裏(しやり)に向ひて一轉語を下し得ば、便ち、南泉の令、虚しき行ひにあらざるを見ん。或いは其れ、未だ然らずんば、險(あやふ)し。」

と。

 

 頌して曰く、

 

趙州若し在らば

倒(さかしま)に此の令を行はん

刀子(たうす)を奪却して

南泉 命を乞ふ

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  十四 南泉和尚、猫を斬る

 

 南泉和尚が、ある時、機縁の中で、自身の道場の東と西の禅堂の者達が、一匹の猫の子を巡って争いをしているところに出くわした。

 南泉和尚は、その中に割り込むと、直ちにその子猫を摑み挙げ、

「貴様ら! うまく何とか言い得たなら、救うてやる! 言い得ることが出来んとすれば、有無を言わさず、斬り捨つる!」

と言い放った。

 その場に居た僧たちは、その剣幕に恐れをなして、誰一人として応えることが出来なかった。

 すると南泉和尚は、即座に懐から小刀(さすが)を抜くや、その子猫をばっさり斬り殺してしまった――

 

 さて、その日の晩のことである。

 ――昼間、外出していたためにその場に居なかった弟子の趙州が、道場へと帰って来た。

 南泉和尚は、趙州を呼び出すと、昼間の子猫の出来事を話して趙州に示された。

 すると趙州は、話を聞くやいなや、履いていた草履をさっと脱ぐと、自分の頭の上に両足を載せ、さっさと南泉の部屋を出て行ってしまったのだった――

 

 ――それを見た南泉和尚は、如何にも淋しそうに独り呟いた。

「……お前が、あの場に居たなら……美事にあの子猫を救ってやることが出来たものを――」

 

 無門、商量して言う。

「さあ! 答えよ! 趙州が草鞋(ぞうり)を頭の上に頂いた意味は! 何か! もしこのような様態の総てに向かって、美事に転迷悔悟の一言をずばりと言い放つことが出来たとすれば、その時は、子猫を斬った一見惨(むご)たらしい南泉の行為も、決して非道なことではなかったということが分かるはずだ――だが――もし、お前にそれが出来ぬとなれば――お前さん、よ――今、この瞬間――命の危険が、アブナいゼ!――」

 

 次いで囃して言う。

 

不良少年趙州が もしもその場に居たとせば

極道和尚の公案に 真逆の勝負を仕掛けたり

ばらりと振り上ぐその小刀 咄嗟に素早く奪い去り

南泉先生 顔面蒼白 趙州膝下に命乞い

 

[淵藪野狐禪師注:私がしばしば使う「危険が、アブナイ」といったフレーズ、若い方にはもう分からないようだ。これは松田優作主演の村川透監督の「処刑遊戯」のエンディングの印象的な台詞である。]

 

 

 

*  *  *

 

  十五 洞山三頓

 

雲門、因洞山參次、門問曰、近離甚處。山云、査渡。門曰、夏在甚處。山云、湖南報慈。門曰、幾時離彼。山云、八月二十五。門曰、放汝三頓棒。山至明日却上問訊。昨日蒙和尚放三頓棒。不知過在甚麼處。門曰、飯袋子、江西湖南便恁麼去。山於此大悟。

 

無門曰、雲門、當時便與本分草料、使洞山別有生機一路、家門不致寂寥。一夜在是非海裏著到、直待天明再來、又與他注破。洞山直下悟去、未是性燥。且問諸人、洞山三頓棒、合喫不合喫。若道合喫、草木叢林皆合喫棒。若道不合喫、雲門又成誑語。向者裏明得、方與洞山出一口氣。

 

頌曰

 

獅子教兒迷子訣

擬前跳躑早翻身

無端再敍當頭著

前箭猶輕後箭深

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  十五 洞山の三頓(さんとん)

 

 雲門、因みに洞山の參ずる次(つい)で、門、問ふて曰く、

「近離、甚(いづ)れの處ぞ。」

と。山云く、

「査渡(さと)。」

と。門曰く、

「夏(げ)、甚れの處にか在る。」

と。山云く、

「湖南の報慈(はうず)。」

と。門曰く、

「幾時(いつ)か彼(かしこ)を離る。」

と。山云く、

「八月二十五。」

と。

 門曰く、

「汝に三頓の棒を放(ゆる)す。」

と。

 山、明日に至りて却りて上り、問訊す。

「昨日、和尚、三頓の棒を放すことを蒙る。知らず、過(とが)、甚麼(いずれ)の處にか在る。」

と。

 門曰く、

「飯袋子(はんたいす)、江西湖南(こうぜいこなん)、便ち恁麼(いんも)にし去るか。」

と。

 山、此に於いて大悟す。

 

 無門曰く、

「雲門、當時(そのかみ)、便ち本分の草料を與へて、洞山をして別に生機(さんき)の一路ありて、家門をして寂寥を致さざらしむ。一夜是非海裏(かいり)に在りて著倒(じやくたう)し、直(ぢき)に天明を待ちて再來するや、又た、他(かれ)の與(ため)に注破す。洞山、直下(ぢきげ)に悟り去るも、未だ是れ、性(しやう)、燥(さう)ならず。且らく諸人に問ふ、洞山三頓の棒、喫すべきか、喫すべからざるべきか。若し、喫すべしと道(い)はば、草木叢林、皆な、棒を喫すべし。若し、喫すべからずと道はば、雲門、又た、誑語(かうご)を成すなり。者裏(しやり)に向かひて明らめ得ば、方(まさ)に洞山の與(とも)に一口(いつく)の氣を出さん。」

と。

 

 頌して曰く、

 

獅子 兒を教ふ 迷子(めいし)の訣(けつ)

前(すす)まんと擬して 跳躑(てうちやく)して早(つと)に翻身(ほんしん)す

端(はし)無く再び敍(の)ぶ 當頭著(たうとうぢやく)

前箭(ぜんせん)は猶ほ輕きがごとくして 後箭(こうせん)は深し

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  十五 洞山和尚の六十棒

 

 雲門和尚は、機縁の中で、後の洞山守初が行者(あんじゃ)として初めて参禅しに来た際、開口一番、

「何処から来た。」

とぶしつけに訊く。洞山は答える。

「査渡から。」

雲門は続けざまに訊く。

「この夏安居(げあんご)は、何処に居た。」

洞山は答える。

「湖南の報慈(ほうず)で。」

雲門は畳み掛けて訊く。

「何時(いつ)そこを出た。」

洞山は答える。

「八月二十五。」

すると、雲門は吐き捨てて言った。

「貴様、三頓六十棒の値打ちもネエ、奴だ。」

 

 洞山は、その後(あと)、ずっと座禅を組んで考えてみたが、和尚の最後の言葉の意味が分からず、翌日、夜が明けるとすぐに雲門和尚の室(へや)に上(のぼ)り、訊ねた。

「昨日(さくじつ)、和尚さまは、私めを、六十棒を加える値打ちもない輩である、と断ぜられた。しかし、どう考えてみても、分かりませぬ、その咎(とが)は、一体、何処(いずこ)に在るのか?」

と。

 雲門、一喝して言う。

「この大飯喰(おおめしぐ)らいの、飯袋(めしぶくろ)の、糞袋(くそぶくろ)が! 江西だ、湖南だと、貴様は一体、何処(どこ)をうろうろしておった!!」

 洞山は、その瞬間、そこで、大悟した。

 

 無門、商量して言う。

「そん時その場の、馬飼い雲門、洞山馬(どさんこ)守初に極上の、飼い葉与えて洞山を、サラブレッドに、俄かに仕立て、子種断つのをER。昼夜兼行、七転八倒、疾風怒濤の一夜明け、東天紅のその朝(あした)、直ちに膝下に寄り来れば、また駄馬撫でて、優しく調教。確かに洞山、悟ったと言えぬわけではあるまいが、まだまだ鋭利な才とは言えぬ。

 

――それでは、次の問を諸君に示そう!

『洞山は三頓六十棒を喰らった方がよかったのか? それとも、喰らわずに済んでよかったのか?』

――もしも、喰らうべきだと言うならば、その時は、ありとあらゆる修行者は、皆、三頓六十棒を喰らわねばならない。

――もしも、喰らう必要も義務もないと言うならば、その時は、雲門文偃(ぶんえん)という大騙(おおかた)りが、またとんでもない流言蜚語を吐いたということになる。

 

――さあて、この、どんよりとしたありさまを、ぱっと明るく晴らせたならば、洞山父さん、あなたのために、文偃煤煙一吹きで、飛ばして心も、青い空!」

 

 次いで囃して言う。

 

獅子は子を 谷に堕(お)として教導す

その子また 堕ちると見せて絶壁に とんぼを打つて 身を翻(かえ)す

はしなくも 今 第二問 バスンと正鵠!

一の矢 するりと皮を剥ぎ 二の矢で ブっすり心の臓

 

[淵藪野狐禪師注:

・「三頓」一頓は警策・拄杖(しゅじょう)で二十回叩かれることを言う。「査渡」及び「報慈」の地名は不詳。識者の御教授を乞う。

・「江西湖南」はそのまま訳したが、西村注によれば『略して江湖とも。江西には馬祖(ばそ)、江南には石頭(せきとう)というごとく、唐代の中国で禅の盛んであった地方。転じて天下の意。』とあり、そのようなスケールでの謂いと、確かにとるべきところである。但し、西村氏も該当箇所は『江西だの湖南だのと』と訳しておられる。

・「草木叢林」は大小の禅林、すべての禅寺、すべての禅者の意。]

 

 

 

*  *  *

 

  十六 鐘聲七條

 

雲門曰、世界恁麼廣闊。因甚向鐘聲裏披七條。

 

無門曰、大凡參禪學道、切忌、隨聲遂色。縱使聞聲悟道、見色明心也是尋常。殊不知、納僧家、騎聲蓋色、頭頭上明、著著上妙。然雖如是。 且道、聲來耳畔、耳往聲邊。直饒響寂雙忘、到此如何話會。若將耳聽應難會、眼處聞聲方始親。

 

頌曰

 

會則事同一家

不會萬別千差

不會事同一家

會則萬別千差

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  十六 鐘聲七条

 

 雲門曰く、

「世界、恁麼(いんも)に廣闊たり。甚(なん)に因りてか、鐘聲裏(しやうせいり)に向かひて、七條を披(き)る。」

と。

 

 無門曰く、

「大-凡(おほよ)そ參禪學道、切に忌(ゐ)む、聲に隨ひ、色を逐ふことを。縱-使(たと)ひ聞聲悟道(もんしやうごだう)、見色明心(けんしきみやうしん)なるも也(ま)た是れ、尋常なり。殊に知らず、納僧家(なうさうけ)、聲に騎(の)り、色を蓋ひ、頭頭上(づづじやう)に明らかに、著著上(じやくじやくじやう)に妙なることを。是くのごとく然ると雖も、且らく道(い)へ、聲、耳畔(にはん)に來たるか、耳、聲邊に往くか。直-饒(たと)ひ響と寂と、雙(なら)び忘(ばう)ぜんとも、此に到りて如何んが話會(わゑ)せん。若し耳を將(も)つて聽かば、應(まさ)に會(ゑ)すこと難かるべし。眼處(げんしよ)に聲を聞きて、方(まさ)に始めて親し。」

と。

 

 頌して曰く、

 

會(ゑ)せば則ち 事(じ) 同一家(だういつけ)

會せざらば    事    萬別千差(ばんべつせんしや)

會せざらば    事    同一家

會せば則ち    事    萬別千差

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  十六 雲門和尚の「鐘が鳴ったら、おめかしかい?」

 

 雲門和尚が言う。

「世界は、こんなにも果てしなく、こんなにも気持ちよく広々としているではないか! だのに、どうして、お前たちは、起床の鐘が鳴ったと言うては、めかし込むんじゃ?」

 

 無門、商量して言う。

「……だいだいやね、参禅修学しょちゅう奴はやね、いっとう気いつけなあかんのはやね、周りの音やらやね、眼に見える形や色やらやね、そういったものにやね、引きずられんことやね……

……だいたいやね、昔の人はやね、『聞声悟道』やら『見色明心』やらやね、一見やね、ありがたい感じでやね、ごっついこと言うとんみたいやけどね、まあまやね、そないなこつはやね、実はやね、誰にでもやね、普通にあることやね……

……だいたいやね、禅の坊主さえやね、分かっとらんのとちゃうやろかね……

……だいたいやね、外から入ってくる声にやね、がっつり馬乗りしてやね、形あるもんにはやね、女抱くようにしてやね、がばっと両手でかかえてやらにゃあかんのやね……

……だいたいやね、そうしてやね、一つ一つをやね、しっかりとやね、受け取るわけやね……

……だいたいやね、そうしてやね、一手一手がやね、どんなに大事かちゅうことをやね、分かるわけやね……

……だいたいやね、こないやと言うてもやね

 

――どこぞの、けたくそ悪い、教授まがいの茶番は、終わりじゃ!

 

 さあ、以下の問いに答えてみよ!

『音が耳に対してやってくるのか? 耳が音に対して行くのか? 耳か!? 音か!?』

――たとえ阿鼻叫喚の大音声(だいおんじょう)と絶対零度の静寂の、両極を超越した時空間に存在する者であったとしても、この微妙な様態に対し、如何なる説明を啓示し得るであろうか?

――もしも、ここで『耳で音を聞く』というのであれば、とても『ここ』を解明することは出来ない。

――ここは、まさに『眼で音を聞く』という命題にして初めて、『音』と一体になれるのである。」

 

 次いで囃して言う。

 

『分かった』と思ってしまえば 皆 のっぺり

『分からん』と思ってしまえば 皆 バラバラ

ほんとうに『分からん』時くれば すべては美事 ただ一つ

ほんとうに『分かった』時くれば すべては美事 千の風!

 

[淵藪野狐禪師注:

・「七條」は僧侶の三衣(さんえ/さんね)一つ、普段着である鬱多羅僧(うったらそう)の別名。三衣とは、僧が着る袈裟の三種類を言い、正装たる僧伽梨(そうぎゃり)=大衣=九条、普段着に相当する鬱多羅僧=上衣=七条、作業服に相当する安陀会(あんだえ)=中衣=五条の三種。ここで言う条とは、一般に連想されるような襞ではなく、小さな布を縦に繋いだものを横に何本か繋いだものを示す語で、御覧の通り、多い方がより正式・高位を示す。

・「聞聲悟道、見色明心」について、西村注は『竹を撃つ石の音を聞いて悟った香厳智閑(きょうげんちかん)(?―八九八)や。満開の桃の花を一見して悟った霊雲志勤(れいいいうんしごん)(生没年未詳)などを指す。』という文字通り、打って響いた素晴らしい注を附しておられる。私はこういう注がよい注であると思う。

・「頌」の訓読について言えば、西村氏は

  会(え)するときんば、事(じ)、同一家(どういつけ)。

  会せざるときは、事、万別千差(ばんべつせんしゃ)。

  会せざるときも、事、同一家。

  会するときんば、事、万別千差。

と訓読されている。これが禅家での本則の標準的な読みなのであろうが、どうも私にはしっくりこない。そもそも、西村氏はこの「頌」に対して、『前の二句は迷いの立場(悟れば一切平等であるが、悟らないと一切が統一を失う)、あとの二句は悟りの立場(悟らなくてさえ一妻平等なのだから、悟れば一切がそれぞれに光を放つ)。』という注を附しておられる。ここで、承句と起句が構造上、二元論的に切れている以上、起句で累加を感じさせてしまう日本語の係助詞「も」を持ってくるのは訓読として相応しいとは思われない(私には「も」という日本語の姑息な助詞をわざと意地悪く用いて訓読し、誤読するようにしむけているようにしか思われないのである)。恐らくこれは『会せざる』という軽いものを挙げて、結句の『会するとき』の重さに対応させているのであろうが、如何にも嫌味である。中国語として、私の訓読に大きな誤りありとせば、是非とも御教授を願いたい。]

 

 

 

*  *  *

 

  十七 國師三喚

 

國師三喚侍者。侍者三應。國師云、將謂吾辜負汝、元來却是汝辜負吾。

 

無門曰、國師三喚、舌頭墮地。侍者三應、和光吐出。國師年老心孤、按牛頭喫草。侍者未肯承當。美食不中飽人※、且道、那裏是他辜負處。國淨才子貴、家富小兒嬌。

[淵藪野狐禪師字注:「※」=「氵」+「食」。「餐」と同字。]

 

頌曰

 

鉄枷無孔要人擔

累及兒孫不等閑

欲得撐門并拄戸

更須赤脚上刀山

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  十七 國師(こくし)、三たび喚(よ)ぶ

 

 國師、三たび、侍者を喚ぶ。侍者、三たび應ず。國師曰く、

「將に謂(おも)えり、吾れ汝に辜負(こぶ)すと。元來却りて、是れ、汝、吾れに辜負す。」

と。

 

 無門曰く、

「國師三喚、舌頭(ぜつたう)地に墮つ。侍者三應(さんおう)、光に和して吐出す。國師年老い、心、孤にして、牛頭(ごづ)を按(あん)じて草を喫せしむ。侍者、未だ肯(あへ)て承當(じようたう)せず。美食も飽人(はうじん)の※(さん)に中(あた)らず。且らく道(い)へ、那裏(なり)か是れ、他(かれ)が辜負の處ぞ。國淨くして、才子貴(たふと)く、家富んで小兒嬌る。」

と。

[淵藪野狐禪師字注:「※」=「氵」+「食」。「餐」と同字。]

 

 頌して曰く、

 

鐵枷(てつか)無孔(むく) 人の擔(にな)はんことを要す

累(わざはひ) 兒孫に及びて等閑ならず

門を撐(ささ)へ并びに戸を拄(ささ)へんと欲-得(ほつ)せば

更に須らく赤脚にして刀山(たうざん)に上(のぼ)るべし

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  十七 慧忠国師、三度、弟子を喚ぶ

 

 ある日、南陽の慧忠国師は、三度、親しく用いている弟子の名を呼んだ。弟子は、

「はい。」

「はい。」

「はい。」

と、呼ばれるつど、三度とも確かに応えた。しかし、二度とも、師はそのまま何も命ずることなく黙っていた。三度目の呼びかけと応答の後、暫くの沈黙の末に、師は言った。

「ずっと今まで、儂(わし)は、儂がお前の志しを台無しにしているために、お前が悟れぬのじゃろうとばかり思い込んでおった――じゃが、今、やっと分ったわ――何のことはない、お前が儂の志しを無にしてきたからに、お前が悟れぬのじゃということが、の。」

 

 無門、商量して言う。

「国師無双は名ばかりで、三度も弟子に、呼びかけて、語るに堕ちたぁ、このことよ。三度応えたお弟子の方が、和光同塵、両腕でガバと懐(ふところ)押し開き、その腸(はらわた)までも、ガバリとベロリ! 国師国立特養ホーム、すっかり淋しくなっちゃって、牛の頭を撫ぜ撫ぜし、手ずから草を差し上げる。だのにボンクラ、鈍い弟子、訳も分らず、ただ、おろおろ。どんなに豪華な食事でも、お腹(なか)がくちくなってれば、そんな奴には意味がない。さても、ここでズバリ、言え! さても一体、この話、何処(どこ)でお弟子は、先生の『お志しを無にしてる』? こんな諺、知ってるか?――国が半端な平和に在れば、小賢しい奴、お高くとまり、ちょいとお金が溜まった家じゃ、我儘勝手なガキが出る――と。どっかの国と、こりゃ、同じ。」

 

 次いで囃して言う。

 

人は皆 見えもしないし取れもしない 窮極にして極上の お仕置き道具の首枷(くびかせ)を しっかと嵌めていることを 肚に命じておくがよい

そのことを知らねば 禍(わざわ)いは 半端じゃないよ 迷惑至極 遙かに遠く子々孫々 この世の果てまでご同伴

それでも国旗だ国家だの 人類皆(みな)兄弟だのとほざきおる 「地球に優しく」真綿で締める それですっかり満足してりゃ

そんときゃあの世で 単独登攀 それも裸足で 針の山

 

[淵藪野狐禪師注:「和光同塵」は本来は、「老子」四章「和其光、同其塵」を故事とする語で、高貴な光を和らげて、俗界の塵埃に交わるという意味で、自己の才能を包み隠し、俗世間に交わることを言う。これが仏教用語となると、仏や菩薩が本来の無量の威光を減衰させて、一切の衆生を救うために、わざわざ塵埃に満ち溢れた現世に垂迹し、顕現することを言う。]

 

 

 

*  *  *

 

  十八 洞山三斤

 

洞山和尚、因僧問、如何是佛。山云、麻三斤。

 

無門曰、洞山老人、參得些蚌蛤禪、纔開兩片露出肝腸。然雖如是、且道、向甚處見洞山。

 

頌曰

 

突出麻三斤

言親意更親

來説是非者

便是是非人

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  十八 洞山の三斤(さんぎん)

 

 洞山和尚、因みに僧、問ふ、

「如何か、是れ、佛。」

と。

山云ふ、

「麻(ま)三斤。」

と。

 

 無門曰く、

「洞山老人、些(いささ)か蚌蛤(ばうかふ)禪に參得し、纔(わづ)かに兩片を開き、肝腸露はに出だす。是くの如ごと然ると雖も、且(しばら)く道(い)へ、『甚(いか)なる處に向ひてか洞山を見ん。』。」

と。

 

 頌して曰く、

 

突出す 麻三斤

言 親にして 意 更に親なり

來つて是非を説く者

便ち是れ 是非の人

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  十八 洞山和尚の「麻三斤(まさんぎん)」

 

 洞山和尚は、ある時、機縁の中で、ある僧から問われた。

「仏とは如何なるものですか。」

洞山、言う。

「僧衣一着麻(あさ)三斤。」

 

 無門、商量して言う。

「ヨイヨイ洞山老いぼれた。野狐禅飽いたと思うたら、ドブガイ禅をチト齧る。チビっと口を開(あ)くだけで、生の肝胆(かんたん)デロリ丸出し。さればこそ、こげな始末とあいなった、あ、あいなった、あん? あいなったと雖も、さればこそ! 己(おのれ)ら! 暫く言うてみよ!――一体、この中の、何処で、お前は洞山の、露わなキモを、真っ向、見据えたか!――さあ! さ! さぁ、言うみよ!」

 

 次いで囃して歌う。

 

ぶっとんでるゼ! 「麻(ま)三斤(さんぎん)」!

誰でも分かる! 「麻三斤」! 心にやさしい! 「麻三斤」!

鵜の目鷹の目 寄って来ちゃ ああだこうだと云う奴は

悟りの「さ」の字も舐められぬ 呼んで嘲(ちょう)して『是非の人』!

 

 

 

*  *  *

 

  十九 平常是道

 

南泉、因趙州問、如何是道。泉云、平常心是道。州云、還可趣向否。泉云、擬向即乖。州云、不擬爭知是道。泉云、道不屬知、不屬不知。知是妄覺、不知是無記。若眞達不擬之道、猶如太虚廓然洞豁。豈可強是非也。州於言下頓悟。

 

無門曰、南泉被趙州發問、直得瓦解氷消、分疎不下。趙州縱饒悟去、更參三十年始得。

 

頌曰

 

春有百花秋有月

夏有涼風冬有雪

若無閑事挂心頭

更是人間好時節

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  十九 平常(びやうじやう)、是れ、道(だう)

 

 南泉、因みに趙州(じやうしふ)、問ふ、

「如何なるか、是れ、道。」

と。

 泉曰く、

「平常心、是れ、道。」

と。

 州云く、

「還りて趣向すべきや。」

と。

 泉曰く、

「向はんと擬すれば、即ち乖(そむ)く。」

と。

 州云く、

「擬せずんば、爭(いか)でか是れ、道なることを知らん。」

と。

 泉曰く、

「道は知にも屬せず、不知にも屬せず。知は是れ、妄覺、不知は是れ、無記。若し眞に不疑の道に達せば、猶ほ太虚の廓然(かくねん)として洞豁(たうかつ)なるがごとし。豈に強いて是非すべけんや。」

と。

 州、言下(ごんか)に頓吾(とんご)す。

 

 無門曰く、

「南泉、趙州に發問せられて、直(ぢき)に得たり、瓦解氷消(がげひやうせう)、分疎不下(ぶんそふげ)なることを。趙州、縱-饒(たと)ひ悟り去るも、更に參ずること、三十年にして始めて得ん。」

と。

 

 頌して曰く、

 

春に百花有り 秋に月有り

夏に涼風有り 冬に雪有り

若し閑事(かんじ)の心頭に挂(か)くる無くんば

便ち是れ 人間の好時節

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  十九 平常心、これぞ道

 

 南泉和尚は、ある時、機縁の中で、弟子であった後の趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)に問われた。

「『道』とは?!」

 南泉、言う。

「平常心、これぞ『道』。」

趙州、重ねて問う。

「やはりそのために努力すべきや?!」

と。

 南泉、言う。

「『道』を求めんとして努力せんとせば、道から乖(はな)る。」

趙州、また重ねて問う。

「何もせずんば、何故(なにゆえ)に、その『道』なるを知らん?!」

 ――すると、南泉和尚は、黙ったまま、従諗を促して、法堂(はっとう)の外に出た。そうして、両手で如何にも気持ちよさそうに伸びをして、おもむろに言った。

「よく聞くがいい、従諗(じゅうしん)よ……『道』とは『知』に属するものではなく、『不知』に属するものでもない――『知る』とか『知らない』とかいう次元を、既に已に完全に超越したものなのじゃ――言い換えれば、『知』という『様』そのものが『妄想・錯覚』以外の何ものでもなく、『不知』という『様』そのものが『無意味な白紙の「無」』以外の何ものでもないのということじゃ。……従諗よ、考えてもみよ、如何なるものにも『そのようにしようとする』意識が全く働かなくなる『不擬』の道――そこに達して、のびのびと生きることが出来たら、……ほれ、従諗よ、見上げて見い、このからりと晴れ渡った今日の美しい深く澄んだ青い空を……そうなんじゃ、『それ』はきっと、『このようなもの』に違いない……それだのに、どうしてお前は、肩肘張っては何だかんだと、もの謂いをするかのぅ……」

 ――という、南泉のその言葉が終わらぬうちに、趙州はすっかり悟っていたのであった。

 

 無門、商量して言う。

「【暗號電信飜譯文】南泉正規軍ハ本日未明趙州ゲリラニ急襲サレ虜囚トナリテ想像ヲ絶スル拷問ヲ受ク/我軍将兵ハ徹底的ニ瓦解シ去リ漸次皆殲滅サル/我モ無數ノ「ト」連送ヲマサシク受信セリ/本作戰ノ失敗ニ附キテハ南泉將軍最早申シ開キスベキ事能ハザルベシト推察ス/然レド完全ナル勝利ヲ收メ得タルト思ヒシナラン敵趙州ゲリラ部隊ト雖ヘドモ本戰線ニ於ケル戰鬪ハ爾後三十有餘年ノ繼續ヲバ必須トセンコト必定ナラント我最期ニ認メ得タリ/トトトトトトトトトトトトトトト」

 

 次いで囃して言う。

 

春ニ百花ノ美シキ 秋ニ月夜ノ麗シキ

夏ニ涼シキ風ノ吹キ 冬ニ雪見ノ好マシキ

コノ世ノツマラヌアラユル事ニ スッキリアッサリ サヨナラスレバ

コノオゾマシキ人ノ世モ 年ガ年中 シャングリ・ラ!

 

[淵藪野狐禪師注:

・「不疑」は訳では「不擬」とした。これは原文底本の西村注で、本公案を収録する別本「祖堂集」では『「不擬」となっていて、より意味が通じる』とあるのを受けた。この注は、「擬」には、~しようと欲する・~しようとする、の意があることを指すのであろう。

・『「ト」連送』とは、文末にある通り、特攻する際、「我突撃ス」の暗号電文として、特攻機から連打される「ト」を連打した電信を言う。それが途切れた時が、特攻の瞬間であった。ちなみに私の父は少年航空兵として特攻隊を志願していた。待っているうちに、敗戦が来たのであった。即ち、彼がその志し通りに生きたとすれば、私はこの世に存在しないというわけである。この辺りのことについては、以下の私のブログ「僕が教師を辞めたい理由」を御笑覧下されば幸いである。

・「シャングリ・ラ」Shangri-Laは、イギリスの作家James Hiltonジェームズ・ヒルトン(19001954)が1933年に出版した小説「失われた地平線」に出てくるユートピアの名。小説中の設定ではヒマラヤ山脈近辺に位置し、実際にはチベットのシャンバラをモデルとしている。]

 

 

 

*  *  *

 

  二十 大力量人

 

松源和尚云、大力量人、因甚擡脚不起。又云、開口不在舌頭上。

 

無門曰、松源可謂、傾腸倒腹。只是欠人承當。縱饒直下承當、正好來無門處喫痛棒。何故。※。要識眞金、火裏看。

[淵藪野狐禪師字注:「※」=(上)「漸」+(下)「耳」。物を指差す形容。また、仏書にあって語調を整える助辞。]

 

頌曰

 

擡脚踏翻香水海

低頭俯視四禪天

一箇渾身無處著

 

請、續一句

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  二十 大力量の人

 

 松源和尚云く、

「大力量の人、甚(なん)に因りてか脚を擡(もた)げて起きざる。」

と。

 又、云ふ、

「口を開くこと、舌頭上に在らざる。」

と。

 

無門曰く、

「松源、謂(い)ひつべし、腸を傾け、腹を倒す、と。只だ是れ、人の承當(じようたう)するを欠くのみ。縱-饒(たと)ひ直下(ぢきげ)に承當すとも、正に好し、無門が處に來りて痛棒を喫せんに。何が故ぞ。※(にい)。眞金を識らんと要(ほつ)せば、火裏にして、看よ。」

と。

[淵藪野狐禪師字注:「※」=(上)「漸」+(下)「耳」。]

 

頌して曰く、

 

脚を擡(もた)げて踏翻す 香水海(かうずいかい)

頭を低(た)れて俯視す 四禪天

一箇の渾身 著くるに處無し

 

請ふ、一句を續(つ)げ。

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  二十 大力量の人

 

 松源和尚は言う。

「一瞬にして悟りを開き得る力量の者が、どうして何時までも座禅から立ち上がらぬ!」

又、こうも言った。

「一瞬にして悟りを開き得る力量の者が、どうして口を開くに、舌を用いて話さぬのか!」

 

無門、商量して言う。

「松源和尚め、何とまあ、腹を横たえざっくりと、開いた上に腸(はらわた)まで、べろりとすっかり掻き出しやがった、と言う感じじゃが――こいつは単に、奴(きゃつ)の言葉を受け止める、大力量が居ないだけ――いやたとえ、受け止める者がおったとて、それでも無門がもとへ来るがよい! びしっと一発、痛棒せんに!――何故? だ、とぉ!? 純金か紛(まが)いものかを知りたけりゃ、あっさり火中に投げ入れて、見る以外には、法はねえんじゃ!」

と。

 

 次いで囃して言う。

 

脚上げてぽんと蹴飛ばせ 香水海(こうずいかい)

見下ろしてねめつけてやれ 四禅天

この世に受けたこの体(からだ) 何処にも置き場がありんせん

…………………………………

 

【無門慧開が読者であるあなたの耳元で囁く】「結句は、お前に――任せたゼ!」――

 

[淵藪野狐禪師注:

・「香水海」は古代インド及び仏教的世界観の中のある海の名。「阿含経」等によれば、虚空無限の中に風輪が浮かび、その上層に金輪がある。その金輪の中心に須弥山(しゅみせん)と言われる高い山が聳え立ち、これを海と山が交互に八周して囲んでいる。七周する海は香水海と呼ばれ、八周目の最後の海を鹹海(かんかい)と呼び、この海の外側を鉄囲山(てっちせん)という山脈が更に廻っている。この鹹海には東西南北の四方に四つの大陸があって、それを四大洲という。そのうち、南にある大陸を閻浮提(えんぶだい)と呼び、そこが我々人間が住む世界であるとする。ちなみに、これら総てを合わせて九山八海(くせんはっかい)と呼ぶ。

・「四禅天」は、欲界に於いて禅を修することで生まれかわるとされる、色界の四天のこと。初禅天・第二禅天・第三禅天・第四禅天の総称。淫欲・食欲は消し去られるが、色=物質への執着は残存する世界であるとする。]

 

 

 

*  *  *

 

  二十一 雲門屎橛

 

雲門、因僧問、如何是佛。

門云、乾屎橛。

 

無門曰、雲門可謂、家貧難辨素食、事忙不及草書。

動便將屎橛來、撐門挂戸。

佛法興衰可見。

 

頌曰

 

閃電光

撃石化

貶得眼

巳蹉過

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  二十一 雲門の屎橛(しけつ)

 

 雲門、因みに僧、問ふ。

「如何ぞ是れ佛(ほとけ)。」

門云ふ。

「乾屎橛(かんしけつ)。」

 

 無門曰く、

「雲門謂ひつべう、家、貧にして、素食(そじき)さへ辨じ難く、事(じ)、忙にして、草書するに及ばず。動(やや)もすれば便ち、屎橛將(も)ち來つて、門を撐(ささ)へ、戸を挂(ささ)ふ。佛法の興衰、見るべし。」

と。

 

 頌に曰く、

 

閃電光

撃石化

眼を貶得(さふとく)せば

巳に蹉過(さか)たり

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  二十一 雲門和尚のカチ糞

 

 雲門文偃(ぶんえん)は、ある時、機縁の中で、ある僧から問われた。

「仏とは如何なるものですか。」

 雲門、言う。

「乾いたカチ糞の棒。」

 

 無門、商量して言う。

「雲門文偃ちゅう奴は、家は貧しく、菜飯(なめし)さえ、味わうことも出来なんだ。年がら年中、他事多忙、小洒落た消息(たより)の一筆も、ものす暇さえあらなんだ。ともすりゃ、じきにカチ糞の、長~い奴を持って来ちゃ、門や戸ぼそへつっ支(か)い棒。『仏法ノ興廃此ノ「一線」ニ有リ!』 見るべし! 打つべし! 堅糞(けんぷん)の一警策!」

 

 次いで囃して歌う。

 

ピカッ! と 一閃 稲光り

ガキッ! と 一撃 火打石

瞬きなんぞ した日にゃ

気づいた時には 大誤算

 

 

 

*  *  *

 

  二十二 迦葉刹竿

 

迦葉、因阿難問云、世尊傳金襴袈裟外、別傳何物。葉喚云、阿難。難、應諾。葉云、倒却門前刹竿著。

 

無門曰、若向者裏下得一轉語親切、便見靈山一會儼然未散。其或未然、毘婆尸佛、早留心、直至而今不得妙。

 

頌曰

 

問處何如答處親

幾人於此眼生筋

兄呼弟應揚家醜

不屬陰陽別是春

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  二十二 迦葉(かせふ)の刹竿(せつかん)

 

 迦葉、因みに阿難、問ふて云く、

「世尊、金襴の袈裟を傳ふるの外、別に何物をか傳ふや。」

と。

 葉、喚びて云く、

「阿難。」

難、應諾す。

 葉、云ふ。

「門前の刹竿、倒却著(たうきやくぢやく)せよ。」

 

無門曰く、

「若し者裏(しやり)に向ひて一轉語を下し得て親切ならば、便ち、靈山一會、儼然(げんぜん)として未だ散せざるを見ん。其れ、或ひは未だ然らずんば、毘婆尸佛(びばしぶつ)、早く心を留むるも、直(た)だ、而-今(いま)に至るまで妙を得ず。」

と。

 

頌に曰く、

 

問處(もんしよ)は答處(たつしよ)に親しきに何如

幾人か此に於いて眼に筋を生ず

兄(けい)呼べば弟(てい)應じて家醜を揚ぐ

陰陽に屬せず別に是れ春

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  二十二 迦葉の旗竿(はたざお)

 

 迦葉は、ある時、機縁の中で、阿難に問われた。

「御釈迦様は金襴の袈裟以外、他に何をあなた様にお伝え下すったのですか?」

 すると迦葉は、

「阿難。」

と、お声をかけられた。阿難は、すかさず、

「はい。」

と答えた。

 迦葉尊者は言う。

「門前にある説法の旗竿、あれはもう、降ろしておくれ。」

 

 無門、商量して言う。

「もしも二人のこの話、この理(ことわり)に、ざっくりと、迷悟一転言い得て妙の、一句ものして美事ならば、一期一会の霊鷲(りょうしゅう)山、かの有り難き釈迦説法、その肉声も朗々と、未だお開きの気配なし。――されどそれ、片言双句の一言(ひとこと)も、吐くに及ばず候へば、釈迦に先立つ過去七仏、その第一の毘婆尸仏、その遙か昔の大昔、とっくのとうに心定め、ずうーっと修行をなされしが、ただただ只今に至るまで、一度もピンとくることなし、という体たらく。」

 

 次いで囃して歌う。

 

――問題と解答。この二つには、本来的に二分法は使えない。されば、それはどのようなものか?――

――無数の挑戦者が、この地点で眼球を筋肉に変性させて苦悩した事実ばかりが存在する――

……因みに、ここで先達迦葉が「阿難。」と呼びかけたこと、それに弟子阿難が「はい。」と応答したこと、これらは確かに禅家にとって美事に醜陋な恥そのものであることは記憶せねばならない……

――されば言おう――他愛ない物化に過ぎぬ陰と陽――その相対認識から脱却したところに――この世界とは全く別個の『永遠に春である世界』が――確かに存在する、と――

 

[やぶちゃん注:「過去七仏」とは、釈迦以前に存在した7人の仏陀(修行の果てに悟道に達した人)をいう。我々の一般的な歴史認識は釈迦を仏教の始点とするために奇異な感覚が生じるが、仏法は普遍の真理として当然それ以前から、否、時空を超えて永劫に『在る』わけであり、この過去仏が居なければ、逆に論理的でないとも言えよう。最も古い過去世の仏はここに示された「毘婆尸仏」で、以下順に尸棄仏(しきぶつ)・毘舎浮仏(びしゃふぶつ)・倶留孫仏(くるそんぶつ)・倶那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)・迦葉仏(かしょうぶつ)、そして釈迦仏である。]

 

 

 

*  *  *

 

  二十三 不思善惡

 

六祖、因明上座、趁至大庾嶺。祖見明至、即擲衣鉢於石上云、此衣表信。 可力爭耶、任君將去。明遂擧之如山不動、踟蹰悚慄。 明白、我來 求法、非爲衣也。願行者開示。祖云、不思善、不思惡、正與麼時、那箇是明上座本來面目。明當下大悟、遍體汗流。泣涙作禮、問曰、上來密語密意外、還更有意旨否。祖曰、我今爲汝説者、即非密也。汝若返照自己面目、密却在汝邊。明云、某甲雖在黄梅隨衆、實未省自己面目。今蒙指授入處、如人飲水冷暖自知。今行者即是某甲師也。祖云、汝若如是則吾與汝同師黄梅。善自護持。

 

無問曰、六祖可謂、是事出急家老婆心切。譬如新茘支剥了殻去了核、送在你口裏、只要你嚥一嚥。

 

頌曰

 

描不成兮畫不就

贊不及兮休生受

本來面目没處藏

世界壞時渠不朽

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  二十三 善惡を思はず

 

 六祖、因みに明(みやう)上座、趁(お)ふて、大庾嶺(だいゆれい)に至る。

 祖、明の至るを見て、即ち衣鉢を石上に擲(な)げて云く、

「此の衣(え)は信を表す。力をもちて爭ふべけんや、君が將(も)ち去るに任す。」

と。

 明、遂に之れを擧ぐるに、山のごとくに動ぜず、踟蹰(ちちう)悚慄(しやうりつ)す。

 明曰く、

「我は來たりて法を求む、衣の爲にするに非ず。願はくは行者(あんじや)、開示したまへ。」

と。

 祖云く、

「不思善、不思惡、正與麼(しやうよも)の時、那箇(なこ)か是れ、明上座が本來の面目。」

と。

 明、當下(たうげ)に大悟、遍體、汗、流る。泣涙(きふるい)作禮(されい)し、問ふて曰く、

「上來(じやうらい)の密語密意の外、還りて更に意旨(いし)有りや。」

と。

 祖曰く、

「我れ今、汝が爲に説く者は、即ち密に非ず。汝、若し自己の面目を返照(はんせう)せば、密は却りて汝が邊(へん)に在らん。」

と。

 明云く、

「某-甲(それがし)、黄梅(わうばい)に在りて衆に隨ふと雖も、實に未だ自己の面目を省(せい)せず。今、入處(につしよ)を指授(しじゆ)することを蒙(かうむ)りて、人の水を飮みて冷暖自知するがごとし。今、行者は、即ち是れ、某甲の師なり。」

と。

 祖云く、

「汝、若し是くのごとくならば、則ち吾と汝と同じく黄梅を師とせん。善く自(おのづ)から護持せよ。」

と。

 

 無門曰く、

「六祖、謂ひつべし、是の事は急家(きふけ)より出でて老婆心切なり、と。譬へば、新しき茘支(れいし)の殼を剥ぎ了(をは)り、核を去り了りて、你(なんぢ)が口裏(くり)に送在して、只だ你(なんぢ)が嚥一嚥(えんいちえん)せんことを要するがごとし。」

と。

 

 頌して曰く、

 

描(ゑが)けども成らず 畫(ゑが)けども就(な)らず

贊するも及ばず 生受(さんじゆ)することを休(や)めよ

本來の面目 藏(かく)すに處(ところ)沒(な)し

世界の壞時(えじ) 渠(かれ) 朽ちず

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  二十三 善惡を思わない

 

 六祖慧能が、慧能自身が五祖弘忍から嗣(つ)いだ法灯をそのままに、蒙山恵明(けいみょう)に嗣いだ時の話である。

 慧能は、ある日、ぷいと自分がそれまでいた寺を出てしまった。

 当時、未だその同じ寺で上座を勤めていた恵明は、機縁の中で、慧能の後を追いかけて行き、遂に大庾嶺(だいゆれい)の山中で追いついたのであった。

 慧能は、恵明の姿が見えるや、即座にその袈裟を脱ぎ、鉢(はつ)もろともに、傍にあった岩の上にぽんと投げて、

「この袈裟は、拙僧が五祖弘忍さまから真実(まこと)の伝法を受けた証しとして、受け嗣いだもの――臂力権力を以って、争い奪い去る如きものでは、ない――あなたが、勝手に持ってゆかれるがよろしいかろう。」

と言って、穏やかな表情で恵明に対した。

 恵明は、形ばかりの礼を示して、慧能の膝下に跪いていたが、その言葉を聞くや、かっと見開いた鋭い眼を上げると、慧能を凝っと見据えた。そうして、即座に躍り上がるや、慧能を見つめたまま、すぐ脇の石の上の衣鉢(いはつ)に手を伸ばして、荒々しくそれを取り挙げようした。

 ――動かない!?

恵明は恐懼(きょうく)して、黙ったまま、思わず衣鉢をきっと見つめるや、今度は両手でそれをぐいと摑むと、渾身の力を込めて持ち上げようとした。

 ――動かぬ!

薄くぼろぼろになった袈裟と粗末な鉢と――それが、如何にしても、山の如く微動だにせぬのであった。

 恵明は、諦めて手を離すと、再び、慧能の前に土下座し、余りの恥かしさから、とまどい、また、恐れ戦(おのの)き、へどもどしながらも弁解して言った。

「……私めが、ここまで行者(ぎょうじゃ)を追いかけて参りましたのは、その『法』そのものを求めんがため……袈裟のためにしたことでは、御座らぬ……どうか、行者! 私めのために、悟りの真実(まこと)を開示して下されい!……」

 すると慧能は、優しい声で問いかけた。

「遠く遙かに善悪の彼岸へ至り得た、まさにその時、何がこれ、明上座、そなたの本来の姿であるか?」

 ――その言葉を聴いた刹那、恵明は正に大悟していた。

 恵明の体じゅうから汗が噴き出したかと思うと、瀧のように下り、涙はとめどなく流れ落ちた――暫らくして、身を正した恵明は、慧能にうやうやしく礼拝すると、謹んで誠意を込めて訊ねた。

「只今、頂戴し、確かに私めのものとし得た密かな呪言、聖なる秘蹟以外に、もっと別の『何か深き秘儀』は御座いませぬか?」

 慧能は、ゆっくりと首を横に振りながら、穏やかに答えた。

「拙僧が今、あなたのために示し得たものは、総てが、秘儀でも、何でもない。あなたが、自分自身の本来の姿を正しく振り返って見たならば、きっとその『秘儀なるもの』は、かえって、あなたの中にこそ、あるであろう。」

 恵明は、莞爾として笑うと、

「拙者は、黄梅(おうばい)山にあって、かの五祖弘忍さまの下(もと)、多くの会衆とともにその教えに従い、修行に励んで参りました――しかし、実のところ、一度として、己(おのれ)の本来の姿を『知る』ということは、出来ませなんだ――ところが今、あなたさまから『ここぞ!』というお示しを頂戴し――丁度、人が生れて初めて水を飮んでみて、初めてその『冷たい!』ということ、また、『暖かい!』ということを、自(おの)ずから知ることが出来た――それと全く同じで御座いました――今、行者さま! あなたはまさしく、拙者の師で御座いまする。」

と言って、地に頭をすりつけた。

 すると慧能は、ゆっくりとしゃがんむと、その両手で、土に汚れた恵明の両手をとり、諭すように言った。

「あなたが、もし言われた通りであられるなら、則ち私とあなたと――この二人は、共に黄梅の五祖弘忍さまを師としようとする者――どうか心からその法灯を堅くお守りあられよ。」

 ――恵明には、その慧能の声が、あたかも大庾嶺の峨々たる峰々に木霊しながら、遠く遙かな彼岸から聞こえてくる鐘の音(ね)のようにも思われたのであった――

 

 無門、商量して言う。

「ヒップな六祖、言うならば、『やっちまたぜ! 老婆心! 有難迷惑! 至極千万! 小ずるい恵明に法灯を、渡してどないするんじゃい!』。喩えて言えば、新しい、茘支(ライチ)の殼を、剥(む)き剥きし、核(たね)までしっかり取り去って――『坊ちゃん、お口を、はい、ア~ン! 後は、自分でゴックン、ヨ』――」

 

 次いで囃して言う。

 

描(か)いても描いても成りませぬ 彩(いろど)ってみても落ち着きませぬ

当然 画讃も書けませぬ だから礼には及びませぬ

生れたマンマのスッポンポン

壊劫(えこう)にあっても朽ちませぬ

 

[淵藪野狐禪師注:

・「大庾嶺」は、現在の江西省贛州(かんしゅう)市大余県と広東省韶関(しょうかん)市南雄市区梅嶺にまたがる山。

・「壊劫」は、仏教で言う四劫(しこう)の第三期。四劫とは仏教での一つの世界の成立から存在の消失後までの時間を四期に分けたもので、その世界の成立とそこに生きる一切衆生(生きとし生ける総ての生物)が生成出現する第一期を成劫(じょうごう)、その世界の存続と人間が種を保存して生存している第二期を住劫、世界が崩壊へと向かい完全に潰滅するまでの第三期を壊劫、その後の空無の最終期を空劫(くうこう)と呼ぶ。この四劫全部の時間を合わせたものを一大劫(いちたいこう)と呼ぶ。

・「渠」について西村注は『第三人称の代名詞。「伊」(かれ)に同じ。禅者が真実の事故を指していう語。』とある。]

 

 

 

*  *  *

 

  二十四 離却語言

 

風穴和尚、因僧問、語默渉離微、如何通不犯。穴云、長憶江南三月裏、鷓鴣啼處百花香。

 

無門曰、風穴機如掣電得路便行。爭奈坐前人舌頭不斷。若向者裏見得親切、自有出身之路。且離却語言三昧、道將一句來。

 

頌曰

 

不露風骨句

未語先分付

進歩口喃喃

知君大罔措

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  二十四 離却語言(りきやくごげん)

 

 風穴和尚、因みに僧、問ふ、

「語默離微に渉るに、如何にせば通じて不犯なる。」

と。

 穴云く、

「長(とこしな)へに憶ふ 江南三月の裏(うち)

 鷓鴣(しやこ)啼く處  百花香んばし」

と。

 

 無門曰く、

「風穴、機、掣電(せいでん)のごとく、路(みち)を得て、便ち行く。爭-奈(いかん)せん、前人の舌頭を坐して不斷なることを。若し者裏(しやり)に向かひて見得して親切ならば、自(お)づから出身の路、有らん。且らく語言三昧を離却して、一句を道(い)ひ、將(も)ち來たれ。」

と。

 

 頌して曰く、

 

風骨の句を露さず

未だ語らざるに先ず分付(ぶんぷ)す

歩を進めて口喃喃(くちなんなん)

知んぬ君が大いに措(を)くこと罔(な)きを

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  二十四 言葉を離れた言語(げんご)

 

 風穴延沼(ふううけつえんしょう)和尚が、ある時、機縁の中で、ある衒学的な僧に、

「僧肇(そうじょう)はその著『宝蔵論』の離微体浄品第二で『其れ入れるときは離、其れ出づるときは微』『謂ひつべし、本浄の体(てい)、離微なりと。入るに拠るが故に離と名づけ、用(ゆう)に約するが故に微と名づく。混じて一と為す』とありますが、これは、全一なる絶対的実存の本質であるところのものが『離』であり、その『離』が無限に働くところの多様な現象の様態なるものが『微』である、ということを述べております。さて、本来の清浄な真実(まこと)というものの存在は、この『離』と『微』とが渾然と一体になったものであるわけですが、しかし乍ら、ここに於いて、本来の清浄な真実について、『語ること』を以ってすれば、それは『微』に陥ることとなり、また、逆に、それを避けるために『沈黙すること』を以ってすれば、今度は『離』に陥ってしまうこととなります。では一体、どのようにしたら、そのような過ちを犯すことなくいられるのでしょうか?」

と問われた。

 すると、風穴和尚は、如何にも大仰に深呼吸すると、おもむろに詩を嘯かれた。

「何時の日も 懐かしく思い出すのは

 江南の春……春三月ともなると

 鷓鴣の『シン ブゥ デェ イェ グー グー! 行不得也哥哥(シン ブゥ デェ イェ グー グー)! シン ブゥ デェ イェ グー グー!(行かないで、兄さん!)』という鳴き声がし 百花咲き乱れ えも言われぬ芳しい香がただよう……」

 

 無門、商量して言う。

「雷神風穴(ふうけつ)、その働き、ピカッ! と一閃、行先へ、ズズン! と風穴(かざあな)、刳(く)り開けた。されど残念! 不二の風穴(ふうけつ)! 先人の『詩の一句』をも吹っ切ることで、真実(まこと)を示し得なかったとは!――さても、もし、この壺(こ)の穴の中にある、桃花咲き添う江南の、景色の天へとすんなりと、入(はい)れたならば、おのずから、見えもしようよ、出離するべき、お前の行くべき、その道が。さあさ、言葉を離れた処(とこ)で、そこのところを一言(ひとこと)に、一句ものして、持っといで。」

 

 次いで囃して言う。

 

……詩情なんか 示さない――

……僕は歌う前から とっくに君に 僕のこの魂を 分けてあげていたんだよ――

……だのに君たちは 不潔な蠅となり下がり 僕の心に群がって

 ……わんわんと 唸りたてている――

……ああっ! 心がただ一筋に打ち込める

 ……そんな時代は 再び来ないものか……

 

[淵藪野狐禪師注:西村注によれば、本則は『杜甫の詩を借りて語黙を越えた世界を示す。『無門關』の『西柏抄』に「長えに憶うは黙、鷓鴣啼くは語」という。『人天眼目』巻一の臨済四料揀の項に「如何なるか人境倶不奪。穴云く、常に憶う江南三月の裏、鷓鴣啼く処百花香し」と見える。』とあるのだが、この『杜甫の詩』なるものが、私には見つからない。私が馬鹿なのか、インターネットがおかしいのか。検索をかけても詩聖杜甫の詩のはずなのに、全然、引っ掛かってこない。いろいろな「無門關」のサイトも調べてみたが、杜甫の詩とするばかりで、よく見ると、どの注にも詩題が示されていない。「長憶江南三月裏 鷓鴣啼處百花香」この幻の詩は、一体、何処(いずこ)? ご存知の方、御教授を乞う。もじっているのであろうが、かなり絞った単語の検索でも、相似形の詩は見つからないのだが……。如何にも気持ちが悪い。だから、私も「頌」の訳には、僕の好きな『先人』ランボーの『詩の一節』を『借りて』復讐してみた。不親切な多くの注釈者のように、敢えて私も、その詩の題は言わぬことにしておこう(しかし、余りに著名な詩だからすぐ分かっちゃうかな。でもこのエッチ大好きだった人の訳は訳じゃなくて翻案だよな、原詩と比べると全く別の詩だぜ)。なお、僧の台詞のくだくだしい訳は、この「離微」に附された詳細な西村注を参照にして、ぶくぶくに膨らましてメタボリックにデッチ上げたものである。原文は御覧の通り、この僧の台詞は、実際には簡潔明瞭で、衒学的というのも当らないかもしれない。とりあえず、この僧に対しては、ここで謝罪をしておく。

・「僧肇」(374414)は東晋の僧。鳩摩羅什(くまらじゅう:(344413)僧・仏典翻訳家。中央アジア出身、父はインド人。長安で訳経に従事し、その訳業は「法華経」「阿弥陀経」など35300巻に及ぶ)の門下にあって、彼の仏典漢訳を助け、弟子中、理解第一と讃えられた。「宝蔵論」は彼の代表的著作である。

・「鷓鴣」はキジ目キジ科コモンシャコFrancolinus pintadeanusを指す。正式中文名は中華鷓鴣であるがが、単に鷓鴣“zhègū”(チョークー)と呼ばれる事が多い。別名、越雉(えっち)、懐南など。中国南部・東南アジア・インドに分布し、灌木林・低地に棲むが、食用家禽として飼育もされている。地上を走行するのは得意だが、飛行は苦手である(以上はウィキの「コモンシャコ」を参照した)。

・「シン ブゥ デェ イェ グー グー! 行不得也哥哥(シン ブゥ デェ イェ グー グー)! シン ブゥ デェ イェ グー グー!(行かないで、兄さん!)」は中国音で“xíng     ”。中国人はこの鷓鴣の鳴き声に、このような人語を聴き、如何にもの哀しいものを感じるという(ということは、この鷓鴣の鳴き声に限っては、中国人は日本人と同じように左脳で聴いているのかも知れない!)。「鳥類在唐詩中的文學運用」という中文ページに鷓鴣について『代表思郷愁緒:鷓鴣為南方特有的鳥類,故離郷背井的南人最怕聽到』とある。ただ、そのような雰囲気をこの詩自体が、この鷓鴣の鳴き声で出そうとしているかどうかは、定かではない。]

 

 

 

*  *  *

 

  二十五 三座説法

 

仰山和尚、夢見往彌勒所、安第三座。有一尊者、白槌云、今日當第三座説法。山乃起白槌云、摩訶衍法離四句、絶百非。諦聽、諦聽。

 

無門曰、且道、是説法不説法。開口即失、閉口又喪。不開不閉、十万八千。

 

頌曰

 

白日晴天

夢中説夢

捏怪捏怪

誑謼一衆

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  二十五 三座の説法

 

 仰山(ぎやうさん)和尚、夢に彌勒の所に往きて、第三座に安ぜらるるを見る。

 一尊者有り、白槌(びやくつい)して云く、

「今日、第三座の説法に當る。」

と。

 山乃ち起ち、白槌して云く、

「摩訶衍(まかえん)の法、四句(しく)を離れ、百非を絶す。諦聽(たいちやう)、諦聽。」

と。

 

 無門曰く、

「且らく道(い)へ、是れ説法するか、説法せざるか。口を開けば、即ち失し、口を閉ずれば、又、喪す。開かざる、閉じざる、十万八千。」

と。

 

 頌して曰く、

 

白日晴天

夢中に夢を説く

捏怪(ねつかい)捏怪

一衆を誑謼(かうこ)す

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  二十五 第三座の説法

 

 仰山慧寂(ぎょうざんえじゃく)和尚は、ある日、兜率天で説法修行をしている弥勒菩薩の元に行き、その会堂の空いていた第三座に座らせられた夢を見た。

 暫くすると、一人の高僧が会堂に進み出て、説法の始まりを知らせる清浄な槌を打ち鳴らして言った。

「東西東西(とざいとーざい)――本日の説法ぅ――相勤めまするぅ太夫ぅ――第三座の説法ぅ――」

 すると仰山はすくっと立ち上がり、その同じ白槌を執って、鮮やかに打ち鳴らすと、次のように言った。

「東西東西――大乗の仏法ぅ――相対を離れぇ――全ての非の彼方にありぃ――心して聴かれぃ――審らかにも聴かれよぉ――」

 

 無門、商量して言う。

「さあ! 言うてみよ! 仰山慧寂、説法するか? 説法せぬか? 口を開(ひら)くと大間違い! 黙ったままじゃ、分からねえ! そうかと言うて――口開(あ)けないで、口閉じない――それじゃ、尊い仏の教え、十万八千、虚空の彼方、飛び消え去って悟達なし!」

と。

 

 次いで囃して歌う。

 

幻日のハレーション 慄っとするほど青い空

夢 見つつ 夢 語る

奇怪怪怪 鬼気怪怪

会衆 ぎょうさん 騙されよった

 

[淵藪野狐禪師注:

・「四句」は「四句分別」のことを指す。これは、ある一つの基準(若しくは二つの基準)に基づき、この世界の存在の在り方を四種の句=命題に分類することを言う。例えば、善(若しくは善と悪)の基準を例にとれば、

 第一命題=善なり         =非善に非ず     =善

 第二命題=非善なり        =善に非ず      =悪

 第三命題=善にして亦非善なり   =善にして悪なり   =善而悪

 第四命題=善にも非ず非善にもあらず=善にも非ず悪にも非ず=非善非悪

の四種を引き出すこと。基本的には相対性に縛られた論理と言える。西村恵信氏の注では、ここから100句に至る計算が示されているが、馬鹿な私にはこれはよく分からん。

・「百非」は徹底的に否定し尽くすことを言う。古代インドのウパニシャド哲学では、全非定に徹することで相対認識を超えた絶対認識に到達できると考えたが、仏教ではそれを受けて龍樹が、有無の相対性を、弁証法のように止揚(アウフヘーベン)するように非定に非定を重ねた論法で「空(くう)」の真意を説いたとする(以上の二つの注は、1988年平凡社刊の岩本裕著「日本佛教語大辞典」のそれぞれの記載を参照にした)。

・「摩訶衍」本来は8世紀の中国の禅僧摩訶衍(マハヤーナ)を指し、チベットに無念・無想・無作意の悟入を説いた禅を伝えた人物として知られるが、西村恵信氏の注によれば、これは大いなる乗物、という意味で「大乗」と意訳する、とある。]

 

 

 

*  *  *

 

  二十六 二僧卷簾

 

清涼大法眼、因僧齋前上參。 眼以手指簾。時有二僧、同去卷簾。眼曰、一得一失。

 

無門曰、且道、是誰得誰失。若向者裏著得一隻眼、便知清涼國師敗闕處。然雖如是、切忌向得失裏商量。

 

頌曰

 

卷起明明徹太空

太空猶未合吾宗

爭似從空都放下

綿綿密密不通風

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  二十六 二僧、簾(すだれ)を卷く

 

 清涼大法眼(しやうりやうだいはふげん)、因みに、齋前に、僧、上參す。 眼(げん)、手を以て簾を指す。時に二僧有り、同じく去つて簾を卷く。

 眼曰く、

「一得、一失。」

と。

 

 無門曰く、

「且らく道(い)へ、是れ、誰(たれ)か得(とく)、誰か失。若し者裏(しやり)に向ひて一隻眼(いつせきげん)を著(つ)け得ば、便ち清涼國師敗闕(はいけつ)の處を知らん。是くのごとく然ると雖ども、切に忌(い)む、得失裏(とくしつり)に向ひて商量せんことを。」

と。

 

 頌して曰く、

 

卷起(けんき)すれば 明明として太空に徹す

太空すら 猶ほ未だ吾が宗(しゆう)に合はざるがごとし

爭(いかい)でか似る 空より都(すべ)て放下して

綿綿密密 風を通さざらんには

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  二十六 二人の僧が簾を巻き上げる

 

 清涼院大法眼の話である。

 ある時、機縁の中で、弟子の僧らが斎(とき:午前中に済ます昼食。仏家にあっては本来、午後は食事を摂らない。)の前の参禅にやってきた。大法眼は、黙ってその手で簾を指さした。その時、二人の僧が、揃って座を立ち、同じようにそれぞれ簾を卷き上げた。すると大法眼は言った。

「一人はよい。一人はまるで駄目じゃ。」

と。

 

 無門、商量して言う。

「さあ、言え! 『誰』がよくて、『誰』が駄目か! もしもかような事態に向いて、さてもたった一つの眼(まなこ)もて、真理(まこと)を見抜いて美事ならば、お前にゃ瞬時に分かるじゃろ! このおぞましき、はったりの、極地に居ます清涼院、大法眼の文益の、大智蔵だか大導だか、騙り国師の糞坊主、その徹頭徹尾の完敗が!――いや――このようであるにしたとて、お前らは、重々避けねばならぬのじゃ! 何を? じゃと?――『よい』とか『駄目』とか分かったような、認識・分析・統合・止揚……ええぃ、儂(わし)のこの、くだくだしいも程にせいちゅう、こげな商量の如きもんじゃが!」

と。

 

 次いで囃して歌う。

 

巻き上げて 見上げりゃ 遙かな 青い空

その天空の 更なる彼方に 禅の空

青い空など 見放して 誠の空(くう)にあれぞかし

風も通らぬ部屋こそが 我等がいます空(くう)の空(そら)

 

[淵藪野狐禪師注:この無門の「頌」はGeorge Whitingの“My Blue Heaven”の盗作である。そうして、この「頌」を美事に歌えるのは、エノケンをおいてほかには、ない。

 

My Blue Heaven

 

When whippoorwills call and evening is nigh,

I hurry to my Blue Heaven.

A turn to the right, a little white light,

Will lead me to my Blue Heaven.

 

I'll see a smiling face, a fireplace, a cosy room,

A little nest that nestles where the roses bloom;

Just Molly and me, and baby makes three,

We're happy in my Blue Heaven.

 

夕暮れに仰ぎ見る 輝く青空

日暮れて辿(たど)るは わが家の細道

 

 せまいながらも 楽しい我家

 愛の灯影(ほかげ)の さすところ

 恋しい家こそ 私の青空

 

因み云ふ、作曲Walter Donaldson、訳詞堀内敬三なり。]

 

 

 

*  *  *

 

  二十七 不是心佛

 

南泉和尚、因僧問云、還有不與人説底法麼。泉云、有。僧云、如何是不與人説底法。泉云、不是心、不是佛、不是物。

 

無門曰、南泉被者一問、直得揣盡家私、郎當不少。

 

頌曰

 

叮嚀損君徳

無言眞有功

任從滄海變

終不爲君通

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  二十七 是れ、心、佛にあらず

 

 南泉和尚、因みに僧、問ふて云く、

「還りて人の與(ため)に説かざる底(てい)の法、有りや。」

と。

 泉云く、

「有り。」

と。僧云く、

「如何なるか是れ、人の與に説かざる底の法。」

と。

 泉云く、

「不是心(ふぜしん)、不是佛(ふぜぶつ)、不是物(ふぜもつ)。」

と。

 

 無門曰く、

「南泉、者(こ)の一問を被(かうむ)りて、直(ぢき)に家私(かし)を揣盡(しじん)し、郎當(らうたう)少なからざるを得んとは。」

と。

 

 頌して曰く、

 

叮嚀(ていねい) 君德を損す

無言 眞(まこと)に功有り

-從(たと)ひ滄海變ずるも

終(つひ)に君が爲には通ぜず

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  二十七 心は仏ではない

 

 南泉和尚は、ある時、機縁の中で、ある僧に問われた。

「今まで、誰一人として説いたことがない仏法というものがありますか。」

 南泉和尚は答える。

「ある。」

そこで、僧は更に訊ねた。

「それ、『誰一人として説いたことがない仏法』とは、何か?!」

 南泉和尚が言う。

「心でなく、仏でなく、一切衆生でないもの。」

 

 無門、商量して言う。

「南泉とあろうお方が何故(なにゆえ)に、奇体な問いをふっかけられ、一家の大事な財産を、すっかり根こそぎ抛り出し、あっという間に、へとへとの、如何にも惨めな体たらく。馬祖の法灯、趙州が師、聞いてあきれた、不甲斐(ふがい)ない南泉普願(ふがん)たぁ、よく言った!」

 

 次いで囃して言う。

 

懇切丁寧 有り難迷惑

無言黙々 沈黙は金

滄海変じて桑田となるも

決してあんたにや語るまい

 

[淵藪野狐禪師注:第三十則・第三十三則・第三十四則をも参照。]

 

 

 

*  *  *

 

  二十八 久嚮龍潭

 

龍潭、因徳山請益抵夜。潭云、夜深。子何不下去。山遂珍重掲簾而出。 見外面黑却回云、外面黑。潭乃點紙燭度與。山擬接。潭便吹滅。山於此忽然有省。 便作禮。潭云、子見箇甚麼道理。山云、某甲從今日去不疑天下老和尚舌頭也。至明日、龍潭陞堂云、可中有箇漢、牙如劍樹、口似血盆。一棒打不回頭。他時異日、向孤峰頂上立君道在。山遂取疏抄於法堂前、將一炬火提起云、窮諸玄辨、若一毫致於太虚、竭世樞機似一滴投於巨壑。將疏抄便燒。於是禮辭。

 

無門曰、徳山未出關時、心憤憤、口悱悱、得得來南方要滅却教外別傳之旨。及到澧州路上問婆子買點心。婆云、大徳車子内是甚麼文字。山云、金剛經疏抄。婆云、只如經中道、過去心不可得、見在心不可得、未來心不可得。大徳、要點那箇心。徳山被者一問、直得口似匾檐。然雖如是、未肯向婆子句下死却。遂問婆子、近處有甚麼宗師。婆云、五里外有龍潭和尚。及到龍潭納盡敗闕。可謂是前言不應後語。龍潭大似憐兒不覺醜。見他有些子火種、郎忙將惡水驀頭一澆澆殺。冷地看來、一場好笑。

 

頌曰

 

聞名不如見面

見面不如聞名

雖然救得鼻孔

爭奈瞎却眼晴

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  二十八 久しく龍潭に嚮(きやう)さる

 

 龍潭、因みに徳山請益(しんえき)して夜に抵(いた)る。

 潭云く、

「夜深(ふ)けぬ。子(なんじ)、何ぞ下り去らざる。」

と。

 山、遂に珍重して簾(すだれ)を掲げて出ず。外面の黑きを見て却囘(きやくうい)して云く、

「外面黑し。」

と。

 潭、乃ち紙燭(しそく)を點じて度與(どよ)す。山、接せんと擬す。

 潭、便ち吹滅(すいめつ)す。

 山、此に於いて、忽然として省(せい)有り。便ち作禮(されい)す。

 潭云く、

「子、箇の甚麼(なん)の道理をか見る。」

と。

 山云く、

「某-甲(それがし)、今日より去りて天下の老和尚の舌頭を疑はず。」

と。

 

 明日(みやうにち)に至りて、龍潭、陞堂(しんだう)して云く、

「可-中(も)し箇の漢有り、牙(げ)は劍樹のごとく、口は血盆(けつぽん)に似、一棒に打てども頭を囘(めぐ)らさざらば、他時異日、孤峰頂上に向かひて君が道を立(りつ)する在(な)らん。」

と。

 山、遂に疏抄(そしやう)を取りて、法堂(はつとう)の前に於いて、一炬火(こか)を將(も)て提起して云く、

「諸(もろもろ)の玄辨を窮むるも、一毫を太虚に致(を)くがごとく、世の樞機を竭(つく)すも、一滴を巨壑(こがく)に投ずるに似たり。」

と。

 疏抄を將(も)て、便ち燒く。是に於いて禮辭(らいじ)す。

 

 無門曰く、

「徳山未だ關を出でざる時、心、憤憤、口、悱悱(ひひ)たり。得得として南方に來たりて、教外別傳(けうげべつでん)の旨を滅却せんと要す。澧州(れいしう)の路上に到るに及びて、婆子(ばす)に問ふて、點心を買はんとす。

 婆(ば)云く、

『大徳(だいとこ)の車子(しやす)の内は是れ、甚麼(なん)の文字ぞ。』

と。山云く、

『金剛經の疏抄。』

と。

 婆云く、

『只だ經中に道(い)ふがごときんば、過去心、不可得(ふかとく)、見在心、不可得、未來心、不可得と。大徳、那箇(なこ)の心をか點ぜんと要す』。

 徳山、者(こ)の一問を被りて、直(じき)に得たり、口、匾檐(へんたん)に似たることを。是くのごとく然ると雖も、未だ肯(あへ)て婆子の句下(くか)に向かひて死却せず。遂に婆子に問ふ、

『近處に甚麼(なん)の宗師(しふし)か有る。』

と。婆云く、

『五里の外に龍潭和尚有り。』

と。

 龍潭に到るに及びて敗闕(はいけつ)を納(い)れ盡くす。謂ひつべし、是れ、前言後語(ぜんげんごご)に應ぜずと。龍潭、大いに兒を憐れんで、醜きことを覺えざるに似たり。他の些子(さし)の火種有るを見て、郎忙(らうばう)して惡水(おすい)を將(も)ちて驀頭(まくたう)に一澆(いちぎやう)に澆殺(ぎやうさつ)す。冷地に看(み)來らば、一場の好笑なり。」

と。

 

 頌して曰く、

 

名を聞かんよりは面を見んに如(し)かじ

面を見んよりは名を聞かんに如かじ

鼻孔(びくう)を救ひ得て然ると雖も

-奈(いかん)せん 眼晴(がんぜい)を瞎却(かつきやく)することを

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  二十八 永く龍潭にもてなしを受ける

 

 龍潭和尚の話である。

 ある時、機縁の中で、徳山宣鑑(せんかん)が教えを乞いに、はるばる和尚の元を訪ねて来た。あれこれと矢継ぎ早に問われ、問われるままに答える――そのうちに、気がつけば、もう、すっかり夜になっておった。

 和尚が言う。

「夜も更けた。お前さん、そろそろ山を下りるがよかろう。」

 徳山は、未だ聴き足りぬこと、答えに不満なことも数多あったのだが、仕方なく、

「有り難く存じました――」

と別れの言葉を述べると、庵室(あんじつ)の簾を巻き上げ、外へ出ようとした。

 外は、遅い月も昇らず、雲に星も隠れた漆黒の闇夜であった。余りの暗さに、足元もおぼつかぬ徳山は、和尚の庵室へととって返し、

「外は真っ暗闇で御座れば。」

と申して、暗に灯明(とうみょう)を求めんとした。

 和尚は、おもむろに手ずから提灯を引き出すと、火を点(とも)し、徳山の目の前にそれをゆっくりと差し出した。

 徳山が、それを受け取ろうとする。

 その時、和尚はその提灯の火を

――フッ――

と吹き消した。

 ――徳山は、その刹那に、忽然と、悟ったのであった。

 そうして黙ったまま、龍潭和尚にうやうやしく礼拝した。

 それを見た龍潭和尚は、訳が分からぬといった気のない風情で、

「お前さん、一体、何が『在った』んじゃ?」

と問いかけた。

 徳山が応える。

「拙者、本日、只今を以って、如何なる仏道の尊者老師と雖も、その言葉に昧(くら)まされることは御座らぬ!」

 それを聞いた龍潭和尚は、小さく欠伸をすると、弟子の者を呼び、徳山に寝所を供するようにと言いつけた。徳山が再礼(さいらい)して頭を上げた頃には、龍潭和尚とっくのとうに、御自身の眼蔵(めんぞう:僧の寝所。)へとお下がりになっていたのであった――

 

 ――翌朝になって、龍潭和尚は法堂(はっとう)の須弥檀(しゅみだん)に颯爽と登ると、普段にも増した力強い声で、

「もしも、一人の男が在って、その鋭い牙(きば)は劍樹地獄のそれの如くし、その大きく開いた口は血を山のように盛った盆に似、一刀両断、激烈なる一撃を身に受けても、一顧だにせぬような者であったなら、何時の日か、人跡未踏の独立峰の、その絶壁の頂きに、その男自らの真実(まこと)の仏の正しき道を、必ずや、うち立てることであろ!」

と、高らかに宣言された。

 会衆の中にあってそれを聴いていた徳山は、聴き終わるや、即座に、横に据えていた引き車の中から、自分が長年かけて熟考編纂した分厚い「金剛経」の注釈の束を、右手でむんずと摑み出すと、法堂の前へと出て行き、左手に火の点いた松明(たいまつ)を振りかざして、

「如何に諸々(もろもろ)の仏法の玄妙微妙を究めたしても、それは、一本の細い細い獣の毛を虚空へと投げ揚げたも同じこと――また、如何にこの世を亙って行くための処世の術に長けたとしても、それは、一雫(しずく)の水を大渓谷へと投げ入れたのと違(たが)わぬ!」

と、叫ぶが早いか、その手にした自らの書に火を放って、焼き捨て、再び、龍潭和尚にうやうやしく礼拝して、山を――下りた。

 

 無門、商量して言う。

「徳山宣鑑は、まだ故郷を出る前には、ありとあらゆることに対して憤慨し、最早、それを口に出して叫ぶことさえも出来ぬ程に憤慨し尽くしていた。それでも、一面では、強烈な自負心を抱いており、禅の盛んな南方へと向かって、「教外別伝」(きょうげべつでん)なんどとたわけたことをほざいている邪(よこしま)なる禅宗とやらを、とことん滅ぼし去ってやろうと、手に唾していた。

 そんな彼が、澧州(れいしゅう:現在の湖南省澧県。)まで辿り着いた時のこと、腹の減った徳山はそれほどの金もなし、とりあえず軽いものでも食って誤魔化そうと思い、路端の茶館に寄ると、そのまかない婆(ばば)に点心を注文をした。

 すると、そのまかない婆が訊ねた。

『大徳(だいとこ)、お前さんの引き車の中の、そいつは一体、何の書物じゃ?』

徳山は、まかない婆と見くびって、婆の方へ顏も向けず、

『「金剛經」の注釈じゃ。』

と乱暴に答えた。

 ――すると婆が聴いた。

『その経典の中に書かれているように「過去心は得るべからず、見在(=現在)心は得るべからず、未來心は得るべからず」というようなもんであるんじゃとすれば――大徳、お前さんは、そのどの心に点心しようと、なさっておるんじゃ?』

 徳山は、この一言を受けるや、すっかり詰まってしまい、口を「へ」の字に曲げたまま、暫らく黙っていた。大汗をかいて、真っ赤になりながらも、そうはいっても後に『徳山の棒・臨済の喝』と呼ばれた無双の彼のこと、さすがにまかない婆如きの言葉に降(くだ)って、あたら死に体(てい)を晒すような真似だけはしない。心を落ち着かせると、婆に訊ねた。

『この近在に、如何なる貴き尊者が居(お)る?』

婆が答えた。

『五里の先に、龍潭和尚が居(お)るわ。』

 

――さてもそうした、なれ初めで、粘着質の徳山が、龍潭くんだり、やって来て、大敗北を喫したり――だけど何だかおかしいぞ? ぶいぶいいわした故郷の彼が、どうしてここでは素直なの?――龍潭じいちゃん、名前の割に、何だかすっかり優しくて、不肖息子の徳山を、見抜く力もありゃせんね?――ちょいとばっかり、焼けぼっくいに、起せる火種があると見て、やっちゃったんだな、慌ててね、泥水、ガバとぶっかけて、ジュっと消えたよ、その火種――面白い、話だからと騙されず、頭冷やしてよく見てみれば、肥やしが臭う田舎の芝居、とんだお笑い草、だぁな。」

 次いで囃して言う。

 

「百聞は一見に若かず」たぁよく言った 数多の話聴くよりは まんずその面(つら)見るに若くなし ってか!

「一見は百聞に若かず」たぁ誰(たれ)も言わんがよく言った 腐った面を見るよりも まんず数多の噂聞け ってか!

人の面(つら) その『面目』の鼻の穴 そいつをお前が失わずとも

両の目しっかり抉られりゃ これは「どうにもなりゃせんが」 ってか!?

 

[淵藪野狐禪師注:西村氏の本則の表題の書き下しは「久しく龍潭を嚮(した)ふ」となっている。この表題に西村氏は注して、『この話(わ)は、『景徳伝灯録』巻十四、龍潭崇信(りゅうたんそうしん)章にわずかに、また『五台会元』巻七、徳山宣鑑(せんかん)章に見える。ともに「響」は「嚮」(したう)となっているので、今回嚮に改めた。』とある。即ち、「無門關」原本ではこの則の題名は「久響龍潭」となっていることを意味する。私はまず、この「嚮(した)ふ」の、慕う、という訓がどうもしっくり来ないのである。本来、本字は動詞としては①向かう・向く、②受ける・もてなす・もてなしを受ける、という意味を持つこと(勿論、向き合うということは、味方であり、その意に賛同して従うことから、慕うという意味が生じるであろうことは分からぬではない。「嚮慕」という熟語ならば確かにそうである)、また、今見たように「嚮」が「響」と同義で、実際に「嚮景」「嚮応」という熟語があり、「嚮景」が、音声に響きが伴い、形と影が伴うように、応ずることの素早いことを言い、「嚮応」の方も、響きが音声に応ずる、転じて、人の成すことに即座に応ずることを意味するものであること等を読むにますます、「したう」はおかしい読みではないかと思われてくるのである。ただ「久しく」の意が、どのような訳し方をした場合にも、不自然に響くことは事実である。いや、「久しく慕う」が、その動作の形容としては最もマッチするとも言えるようには思える。しかし、それでも私は「慕う」を採らない。私はまず、本話で最も印象的な部分はどこかと言えば、それはあの、龍潭和尚が提灯の火を指し出して、即座に吹き消す、その禅機に若くはないと考えるのである(翌日のパフォーマンスは一見スペクタクルが感じられ、面白いように見えるが、その実、やらずもがなのシーンであり、前夜の提灯の火のエピソードの鮮やかさに比して、その印象は――無門ではないが――まさしく田舎芝居も甚だしいと感じられ、あらずもがな、逆に残念な印象さえ残ってしまうのである)。とすれば、その表題は提灯を差し出したこと、徳山が龍潭和尚から「もてなしを受け」たことにこそあるのではないか? そうして、そのもてなしは徳山の確信的悟達の境地を支えつづける「もてなし」であった訳だから、それは「久し」い永遠のものであったのではなかったか? また、実はやはり「嚮」は「響」であったのであり、龍潭の「もてなし」に声に響くように対した徳山、龍潭と徳山が形影相和するように描かれていることを意味するともとれるのではあるまいか。以上の観点から私は敢えて、不自然な現代語であるが「永く龍潭和尚にもてなしを受ける」と訳した。実は、龍潭という「龍の住む淵」という名には、心情的には「向かう」「対する」を続けて文学的に訳したい欲求に駆られたことも告白しておく。もしも決定的な語訓誤訳とするならば、是非、御教授を願いたい。]

 

 

 

*  *  *

 

  二十九 非風非幡

 

六祖、因風颺刹幡。有二僧、對論。一云、幡動。一云、風動。往復曾未契理。祖云、不是風動、不是幡動、仁者心動。二僧悚然。

 

無門曰、不是風動、不是幡動、不是心動、甚處見祖師。若向者裏見得親切、方知二僧買鐵得金。祖師忍俊不禁、一場漏逗。

 

頌曰

 

風幡心動

一狀領過

只知開口

不覺話墮

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  二十九 風に非ず、幡(はた)に非ず

 

 六祖。因みに風、刹幡(せつばん)を颺(あ)ぐ。二僧有り、對論す。一(いつ)は云く、

「幡(はた)、動く。」

と。一は云く、

「風、動く。」

と。往復して曾て未だに理に契(かな)はず。

 祖云く、

「是れ、風、動くにあらず、是れ、幡、動くにあらず、仁者(じんしや)が心、動くなり。」

と。

 二僧、悚然(しようぜん)とす。

 

 無門曰く、

「是れ、風、動くにあらず、是れ、幡、動くにあらず、是れ、心、動くにあらず、甚(いづ)れの處にか祖師を見ん。若し者裏(しやり)に向ひて見得して親切ならば、方に二僧、鐵を買ひて金を得たるを知らん。祖師、忍俊(にんしゆん)不禁(ふきん)して、一場の漏逗(ろうとう)たり。」

と。

 

 頌して曰く、

 

風(ふう) 幡(はん) 心(しん) 動ずるに

一狀 領過(れうか)す

只だ 知りて口を開き

話墮するを覺えず

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  二十九 風ではない、幡(はた)ではない

 

 六祖慧能の話である。

 ある時、機縁の中で、風が、寺の門前の竿の上の、説法を告げる旗をばたばたと靡かせていた。

 その時、二人の僧がおって、言い争っている。一人は、

「あれは旗が動くのだ。」

と言うが、一人は、

「いいや、あれは風が動くのだ。」

と言い張る。互いに自分の主張を譲らず、決着がつかない。

 すると、それを見ていた祖師が言い放った。

「これ、風、動くにあらず――これ、旗、動くにあらず――そなたたちの心、これが動くのじゃ――」

 それを聴いたとたん、二人の僧は心底、慄っとした。

 

 無門、商量して言う。

「これ、風、動くにあらず――これ、旗、動くにあらず――これ、心、動くにもあらず――じゃて! さても、お前ら! この屁理屈、ハッタリかました、六祖の慧能、その恐ろしき正体、見たか! 六祖や二僧は言わずもがな、風・旗・心も一からげ、もしも一気に包み上げ、虚空彼方へ放下(ほうげ)せば、二人の糞の坊主ども、鉄を買(こ)うたに手中に金、そうした事実に気づくはず。さればとよ、六祖慧能とあろう方が、思わず優しい笑み洩らし、一場一幕大失態!」

 

 次いで囃して歌う。

 

《訳1――現代詩バージョン》

風も幡も心もどれも 大揺れ揺れの大激震

風も幡も心もどれも 同罪なれば一蓮托生

六祖の爺さん 良かれと思い

口を開いて語るに墜ちた

 

《訳2――判決文バージョン》

謀議をした被告人僧甲及び被告人乙並びに事件当事者である被告人風及び被告人幡及び被告人心は刑法一〇六条騒乱罪に抵触し

全員が共同実行の意思(又は意思の連絡)及び共同実行の事実がある共同正犯と認定することに異論はなく全員を懲役十年に処す

ただ被告人六祖慧能については主として被告人僧甲及び被告人乙の共同謀議による慫慂に釣られて思わず意思の連絡をしたという点を考慮に入れればそこに情状酌量の余地が生じそれを以って本裁判所は被告人六祖慧能を懲役二年執行猶予三年六箇月に処するものとする

裁判長「被告人六祖慧能、前へ出なさい。――さて、『語るに墜ちる』とはこのことを言うのです。どうか保護観察中も身を正し、また出しゃばらず、安静な老後を送ることを願います。」

 

[淵藪野狐禪師注:《訳2――判決文バージョン》は、原詩の承句「一狀領過」が、一通の令状を以って複数犯を総て同罪として拘引することを言うことから、創作してみたものである。]

 

 

 

*  *  *

 

  三十 即心即佛

 

馬祖、因大梅問、如何是佛。祖云、即心是佛。

 

無門曰、若能直下領略得去、著佛衣、喫佛飯、説佛話、行佛行、即是佛也。然雖如是、大梅引多少人、錯認定盤星。爭知道説箇佛字、三日漱口。若是箇漢、見説即心是佛、掩耳便走。

 

頌曰

 

青天白日

切忌尋覓

更問如何

抱贓叫屈

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  三十 即心即佛

 

 馬祖、因みに大梅(だいばい)、問ふ、

「如何なるか、是れ、佛。」

 祖云く、

「即心是佛。」

と。

 

 無門曰く、

「若し能く、直下(ぢきげ)に領略して得、去らば、佛衣(ぶつえ)を著(き)、佛飯を喫し、佛話を説き、佛行を行ふ、即ち是れ、佛なり。是(かく)のごとく然ると雖も、大梅、多少の人を引きて、錯(あやま)りもて定盤星(ぢやうばんじやう)を認めしむ。爭(いか)でか知-道(し)らん、箇(こ)の佛の字を説かば、三日は口を漱がんことを。若し是れ、箇の漢ならば、即心是佛と説くを見るや、耳を掩ひて便ち走る。」

と。

 

頌して曰く、

 

青天白日

切に忌む 尋ね覓(もと)めんことを

更に問ふ 如何と

贓を抱きて 屈と叫(よ)ぶ

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  三十 心こそが、これ仏

 

 馬祖道一は、ある時、機縁の中で、大梅法常に問われた。

「仏とは如何なるものですか。」

 馬祖、言う。

「心こそが、これ仏。」

 

 無門、商量して言う。

「もしもだが、ヒヒンとお馬の一鳴きが、貴様にすっかり分かったら、墨染めを着て、仏飯(ぶっぱん)喰らい、法話を聴いて、修行する、お前は確かに仏さま。そうは言っても、大梅法常、多くの会衆呼び込んで、見当違いの無駄説法。ちょいとお梅(うめ)よ、知らないか? 『仏』ちゅう、如何にも穢いこの言葉、口出したら三日の間(かん)、絶えず隈なく口漱げ、ってね! もしもこれ、真実(まこと)を知って一己なる、ちょいと気の利く野郎なら、『即心是佛』と説いたを聴くや、耳を塞いで、韋駄天走り。」

 

 次いで囃して歌う。

 

見上げてごらんなさいませ――青い空 澄んだ光

おやめなさいな――何かを尋ねてお求めになるのなんか

だのにあなたは――

 いつまでもいつまでも そうして求めもとめて――

 その上に 『仏さまとは何か?』 ですって?

それはね あなた――

 どろぼうさんが盗んだものを 後生大事に抱えつつ それでも

 『僕には身に覚えはない! 冤罪だ!』

 と叫んでいるのと 同じなのですよ――

 

[淵藪野狐禪師注:

・「大梅法常」は、六祖慧能の下三世たる馬祖道一の法灯を嗣いだ禅僧。無門の商量の大梅への謂いは、大梅がこの師との対話を自身の説法に頻繁に用いたことを指してのことである。

・「定盤星」は、ただ天秤の棹の起点にある星の印を言う。これは完全な均衡を示す、即ち秤という物の軽重を計るべきものでありながら、その軽重に関わりのない中点、無意味な点である。その意味のない目盛りに眼が釘付けとなるというのは、錯誤して無用のものへと執着することを比喩して言う謂いとなった。

 なお、第二十七則・第三十三則・第三十四則をも参照。]

 

 

 

*  *  *

 

  三十一 趙州勘婆

 

趙州、因僧問婆子、臺山路向甚處去。婆云、驀直去。僧纔行三五歩。 婆云、好箇師僧、又恁麼去。後有僧擧似州。州云、待我去與你勘過這婆子。明日便去亦如是問。婆亦如是答。州歸謂衆曰、臺山婆子、我與你勘破了也。

 

無門曰、婆子只解坐籌帷幄、要且著賊不知。趙州老人、善用偸營劫塞乃機、又且無大人相。撿點將來、二倶有過。且道、那裏是趙州、勘破婆子處。

 

頌曰

 

問既一般

答亦相似

飯裏有砂

泥中有刺

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  三十一 趙州の勘婆(かんば)

 

 趙州。因みに僧、婆子(ばす)に問ふ、

「臺山の路、甚れの處に向かひて去る。」

と。婆云く、

「驀直去(まくぢきこ)。」

と。

 僧、纔(わづか)に行くこと、三五歩。婆云く、

「好箇の師僧、又た、恁麼(いんも)にして去る。」

と。

 後に僧有って州に擧似(こじ)す。州云く、

「我、去つて、你(なんぢ)が與(ため)に這(こ)の婆子を勘過するを、待て。」

と。

 明日、便ち去りて、亦た、是のごとく問ふ。

 婆も亦た、是のごとく答ふ。

 州歸りて衆に謂ひて曰く、

「臺山の婆子、我れ、你(なんぢ)が與(ため)に勘破し了(をは)れり。」

と。

 

 無門曰く、

「婆子、只だ坐(ゐ)ながらに帷幄(ゐあく)に籌(はか)ることを解(げ)して、要、且つ賊に著(つ)くことを知らず。趙州老人は、善く營を偸(ぬす)み、塞を劫(おびや)かすの機を用ゐるも、又た且つ、大人(だいじん)の相(さう)無し。撿點(けんてん)し將(も)ち來たれば、二(ふた)り倶に過(とが)有り。且らく道(い)へ、那裏(なり)か是れ、趙州、婆子を勘破する處。」

と。

 

 頌して曰く、

 

問既に一般なれば

答へも亦た相似たり

飯裏(はんり) 砂有り

泥中 刺(し)有り

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  三十一 趙州和尚、婆(ばば)あを見破る

 

 趙州和尚の話である。

 

 ある時、機縁の中で、和尚の修行僧が、路傍に佇んでいる婆さんに道を訊ねた。

「五台山へ向かう路は、どちらでしょうか?」

すると、婆さんが答えた。

「このまま真直ぐ行きな。」

 それを聞いた僧が謝して、わずかに三歩か五歩ばかり行った時のことである。

 背後で、婆さんの声がした。

「見込みのありそうな坊さんじゃと思うたが、やっぱり、同(おんな)じように行くだけじゃな。」

 

 後日、その僧が直接、趙州和尚にその折の話をした。和尚は、

「俺が行って、一つ、お前のために、その怪しげな婆さんの正体を見極めてやろうではないか!」

と言った。

 その翌日、趙州和尚は早速、出かけて行くと、話通り、同じ場所に佇んでいる婆さんに出逢った。そうして、あの修行僧と同じように、道を訊ねた。

「五台山へ向かう路は、どちらでしょうか?」

すると、婆さんが答えた。

「このまま真直ぐ行きな。」

 それを聞いた和尚は、やはり同じように謝すと、わずかに三歩か五歩ばかり、歩む。

 背後で、婆さんの声がした。

「見込みのありそうな坊さんじゃと思うたが、やっぱり、同じように行くだけじゃな。」

と婆さんも、また同じように呟いたのであった。

 

 趙州和尚は寺に帰ってくると、直ちに会衆を集めて、きっぱりと宣言した。

「五台山の婆さんを、俺は、お前らのため、すっかり見切ってしもうたわ!」

 

 無門、商量して言う。

「〈前文欠〉……この“Heroine Bass”は、ただ本陣の幕営の中にあって、巧緻な戦術を回(めぐ)らし、千里の外に展開している戦闘に圧倒的な勝利を収めるという、かの「史記」に記された戦略については熟知しているが、肝心の、後衛にある自軍の要塞が、本戦闘とは全く無縁な野盗の群れに押し入られているという事実を知らずにいるという点が重要である。

 翻って“Reverend Joe”はと言えば、巧妙に敵陣深く密かに潜入して流言蜚語を流し、その生命線たる要塞を、言わば内部から攻略するという奇策を立てて、それを極めて有効な実戦に用いることが出来たとはいえ、これも連戦連勝無敵の大将軍という正式な評価を下し得る程度のものとは言えない。

 ここで、各個に行われた本戦線での実際の戦闘と、外見上の勝敗及びその戦後処理の様態までも射程に入れて、その検討・分析・総合を精密に行い、その核心にある哲学的な意味に於いての軍政原理の認識に到達した時、この二人の両雄には、実は何れにも致命的な誤算があるということが明白となるのである。

――しかし、そうした本質的戦争論はさて置き――まずは応えて見給え。

――無敵を誇る、

Dog Killer”『犬殺し』 Colonel Joe コーネル・ジョー

が、その戦闘に於いて見破ったというのは、

Eagle of Mt.Godai”『ゴダイの荒鷲』と異名された General Bass ジェネラル・バース

 の、一体、何処(どこ)であったのかを。〈以下、余白〉」

【淵藪野狐禪師附注:以上の本文は、本戦線を実地に視察し、後に“Buttle M-31 Case”の暗号名を以って、その出身校ウエストポイント陸軍士官学校に於いて講義を行ったGeorge Smith Patton, Jr.ジョージ・スミス・パットン将軍のメモを、無門慧開が剽窃したものであることが早くから知られていた。今回、そのメモの原本(英文)が発見されたため、淵藪野狐禪師が邦訳し、世界に先駆けてここに公開するものである。】

 

 次いで囃して言う。

 

呼びかけた 一つの言葉 それはいつも 同じ――だから

それに答えた 一つの言葉 それもいつも そっくりなの

ほら! その口にした ご飯!――「ジャリ!」……砂が交じってるから お気をつけ遊ばせ!

ほら! 泥濘(どろ)だらけの道よ! 茨の刺が沈んでるわ!――「ブッス!」……だから……言ったのに……

 

[淵藪野狐禪師注:

・「五台山」は、中国山西省東北部五台県にある霊山(3,058m)。別名、清涼山。「華厳経」菩薩住処品に「東北方有菩薩住処、名清涼山」とありことから、ここで文殊菩薩が説法をしていると考え、聖地として古くから信仰された。主人公の趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん 778897)は60歳で遊学の旅に出、80歳以降は現在の河北省趙州の観音院に住するようになったとあるので、このエピソードはその遊学の時代のものか。

・「ジョージ・スミス・パットン将軍」(18851945)は著名な米軍人。歴史上の戦史研究についての造形も深く、輪廻転生の熱心な信者でもあった。映画『パットン大戦車軍団』でも印象的に描写されるように、自分はカルタゴの将軍Hannibal Barca ハンニバル・バルカ(B.C.247B.C.183)の再生した者と本気で信じていた節がある。であればこそ、唐代にも転生して、本則の商量の原文を記していたとしても強ち、噴飯ものとは言えまい。]

 

 

 

*  *  *

 

  三十二 外道問佛

 

世尊、因外道問、不問有言、不問無言。世尊據座。外道贊歎云、世尊大慈大悲、開我迷雲令我得入。乃具禮而去。阿難尋問佛、外道有何所證贊歎而去。世尊云、如世良馬見鞭影而行。

 

無門曰、阿難乃佛弟子、宛不如外道見解、且道、外道與佛弟子相去多少。

 

頌曰

 

劍刃上行

氷稜上走

不渉階梯

懸崖撒手

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  三十二 外道、佛に問ふ

 

 世尊、因みに外道、問ふ、

「有言(うごん)を問はず、無言を問はず。」

と。

 世尊、據座(こざ)す。

 外道、贊歎して云く、

「世尊の大慈大悲、我が迷雲を開いて我をして得入せしむ。」

と。乃ち具さに禮して去る。

 阿難、尋(つい)で佛に問ふ、

「外道、何の所證有りてか贊歎して去る。」

と。

 世尊云く、

「世の良馬(りやうめ)、鞭影(べんえい)を見て行くがごとし。」

と。

 

 無門曰く、

「阿難、乃ち佛弟子、宛(あたか)も外道の見解(けんげ)に如かず、且らく道(い)へ、外道と佛弟子と相去ること、多少ぞ。」

と。

 

 頌して曰く、

 

劍刃上(けんじんじやう) 行き

氷稜上(ひようりようじやう) 走る

階梯に渉らずして

懸崖 手を撒(てつ)す

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  三十二 異教徒、仏陀に問う

 

 仏陀が、ある時、機縁の中で、異教徒から問われた。

「言示でもなく、無言でもないもの――とは?」

 仏陀は、沈黙の中、少し居ずまいを正すと、また、じっと座り続けるのみであった。

 すると、その異教徒は激しく心打たれ、賛辞を述べるに、

「あなたさまの大慈大悲は、私の迷いの暗雲をからりと晴らして、私を悟りの境地に導いて下さいました。」

と言うや、懇ろに礼をして去って行った。

 それを見ていた阿難は、即座に仏陀に尋ねた。

「あの異教徒は、一体、何の悟りの確信があって、あのように感激して去ったのですか?」

 仏陀は答えた。

「駿馬が鞭の影を見ただけで颯爽と走るのと同じだ。」

 

 無門、商量して言う。

「言わずもがな、阿難は仏陀の大事なお弟子、ところがここじゃ、その阿難、外道の見識にさえ、劣ると見える――さあ、言うてみよ! 外道と仏弟子、どこにどれほど差があるものか!」

 

 次いで囃して歌う。

 

触れなば切れん刃(やいば)の上を 渡らんとするその時は

冷たく鋭利な氷の上を 走ってゆかんとする時は

ひちめんどくさい階段を 馬鹿正直に昇らずに

断崖絶壁ぶら下がる その手離して とんぼ打て!

 

 

 

*  *  *

 

  三十三 非心非佛

 

馬祖、因僧問、如何是佛。祖曰、非心非佛。

 

無門曰、若向者裏見得、參學事畢。

 

頌曰

 

路逢劍客須呈

不遇詩人莫獻

逢人且説三分

未可全施一片

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  三十三 非心非佛

 

 馬祖、因みに僧、問ふ。

「如何なるか、是れ、佛。」

 祖曰く、

「非心非佛。」

と。

 

 無門曰く、

「若し者裏(しやり)に向かひて見得せば、參學の事(じ)、畢(をは)んぬ。」

と。

 

 頌して曰く、

 

路(みち)して 劍客に逢はば 須らく呈すべし

詩人に逢はずんば 獻ずること莫かれ

人に逢ふては 且らく三分(さんぶ)を説け

未だ全く一片を施すべからず

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  三十三 心ではなく、仏でもない

 

 馬祖道一は、ある時、機縁の中で、僧に問われた。

「仏とは、如何なるものか。」

と。

 馬祖、言う。

「心ではなく、仏でもない。」

 

 無門、商量して言う。

「もしもこの、二人の問答、見切れたら、禅の修行は、おしまいだ。」

 

 次いで囃して歌う。

 

道を行き

 剣の達人に出逢ったら――迷わず己が剣を抜け

道を行き

 ほんとの詩人に出逢わぬ限り――己が詩歌を嘯(うそぶ)くな

人に逢うたら 且らく 話は三分で切り上げよ

決して全てを施すな

 

[淵藪野狐禪師注:第二十七則・第三十則・第三十四則をも参照。]

 

 

 

*  *  *

 

  三十四 智不是道

 

南泉云、心不是佛、智不是道。

 

無門曰、南泉可謂、老不識羞。纔開臭口、家醜外揚。然雖如是、知恩者少。

 

頌曰

 

天晴日頭出

雨下地上濕

盡情都説了

只恐信不及

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  三十四 智、是れ、道にあらず

 

 南泉云く、

「心、是れ佛にあらず、智、是れ、道にあらず。」

と。

 

 無門曰く、

「南泉、謂ひつべし、老いて羞(はぢ)を識らず、と。纔(わづ)かに臭口を開けば、家醜(かしう)、外(よそ)にして揚ぐるなり。是くのごとく然ると雖ども、恩を知る者は少なし。」

と。

 

 頌して曰く、

 

天晴れて 日頭(につとう)出づ

雨下りて 地上濕(うるほ)ふ

情を盡して 都(すべ)て説き了(を)はんぬるに

只だ恐る 信 及ばざるを

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  三十四 智は道ではない

 

 南泉和尚は言う。

「『心』は『仏』ではない。『智』は『道』ではない。」

 

 無門、商量して言う。

「南泉和尚も年取った、敢えて言わせてもらうなら、恥を恥とも思わぬ無様。ちょっと開いたそのお口、口臭俗臭芬々で、一家の恥を晒しつつ、禅家の本領、発揮した――だが、しかし、このようであるにしたとて、この南泉、普願(ふがん)禅師の尊(たっと)い恩を、知ってる奴は、少ないね。」

 

 次いで囃して言う。

 

天晴(あっぱ)れ晴天 陽の光り

慈雨降り注ぎ 地 潤う

語り尽くした 思いのたけを

信じきれぬは 無惨やな

 

[淵藪野狐禪師注:第二十七則・第三十則・第三十三則をも参照。]

 

 

 

*  *  *

 

  三十五 倩女離魂

 

五祖問僧云、倩女離魂、那箇是眞底。

 

無門曰、若向者裏悟得眞底、便知出殻入殻如宿旅舎。其或未然、切莫亂走。驀然地水火風一散、如落湯螃蟹七手八脚。那時莫言、不道。

 

頌曰

 

雲月是同

渓山各異

萬福萬福

是一是二

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  三十五 倩女離魂(せんぢよりこん)

 

 五祖、僧に問ふて云く、

「倩女離魂、那箇(なこ)か是れ、眞底。」

と。

 

 無門曰く、

「若し者裏(しやり)に向かひて眞底を悟り得ば、便ち知らん、殼を出て殼に入ること、旅舍に宿するがごとくなるを。其れ或ひは未だ然らずんば、切に亂走すること莫かれ。驀然(まくねん)として地水火風一散せば、湯に落つる螃蟹(ばうかい)の七手八脚なるがごとくならん。那時(なじ)、言ふこと莫かれ、道(い)はず、と。」

と。

 

 頌して曰く、

 

雲月 是れ同じ

溪山 各々異なれり

萬福 萬福

是れ一か 是れ二か

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  三十五 倩(せん)ちゃんの幽体離脱

 

 五祖慧能が、僧に対して、問うて言う。

「倩(せん)ち女子(おなご)ん、そん離れた『倩』、そん魂(たま)が『倩』、どっちが本物(ほんもん)じゃ?。」

 

 無門、商量して言う。

「もし、こげなこつ、底んとこ、ばしっと分っとりゃ、何でん、分っとるち、の! とんでんなか殼出てよ、とんでんなか殼に入るちこつはよ、旅籠(はたご)に宿るちこつと、おんなじ、じゃけ! そんでん、また、分らんちこつ、言うか? さったら、まんず、走ったら、あかんぜよ! さったら、じき、死(い)ぬじゃて! そったら、煮えたぎっちょる湯ん中へ、蟹(がに)っ子入れて、足ば、バタバタさせちょんがと、何あんも、変わらんが!――おまんさ、そん時、なって、言わんぜよ! 『聞いとりゃせん!』ち!」

 

 次いで囃して言う。

 

(黒板。左から現れた後姿の白衣の女がチョークをとると、書く)

「雲=月→アンドロイド=人」

(F..

(黒板。右から現れた後姿の白衣の女がチョークをとると、書く)

「溪≠山→電気羊≠羊」

(F..

(オフで)「ヨクデキマシタ!」「ヨクデキマシタ!」……(パソコンが壊れたらしい雰囲気で、デジタル音声でリピート。何回でもよい。)

(黒板。左右から現れた白衣の二人の全く同じに見える後姿の女が一人に重なってチョークをとると、書く)

「α=1 β=2 α=β」

(艶めかしい女の声。オフで。「以上が真であることを証明せよ」。)

 

[淵藪野狐禪師注:本則は人口に膾炙した唐代伝奇、陳玄祐(ちんげんゆう)の「離魂記」を正面切って素材とした公案である。勿論、五祖慧能の意図は文学的鑑賞という那辺に留まるものではないにしても、その幽体離脱の如きドッペールゲンガーの解釈、というよりも原作のクライマックスに現れる真正の二重身、その存在様態に対する厳粛なここでの問題提起は、民俗学や心霊学のみならず、心理学的にも哲学的にも、更に、ここから引き出されるところの「一転語」なるものを考えた際にも、私は甚だ興味をそそられるのである。

 そこで、以下、その陳玄祐作「離魂記」の原典・書き下し文・拙訳を掲げる。これは私が二十年程前、本作を授業で講義した際に作成した授業案を一部手直ししたものである。原文は明治書院新釈漢文大系44「唐代伝奇」所収のものを用い、訓読及び現代語訳についても不審な箇所は当該書の訓読・訳注を一部参照させて頂いた。

 ちなみにこの原文底本の編者の一人、乾一夫先生には三十二年前、大学二年の時に「詩経」の講義を受けた。その頃、現代文学にしか色気のなかった私は、自主休講を積み重ね(実際には先生が当時の学生運動を殊更に『嫌悪』し、最初の授業の際に、数分の発言を謙虚に求めた核マル派の女子学生を暴力的に教室から排除した姿に私が『嫌悪』したことがその最たる理由であるのだが)、美事に『不可』を頂戴した。実はこれは、私が四年間の大学生活でもらった二つの『不可』の一つであった(もう一つの『不可』は、その再履修であった。それは、かの、その人の『不可』で退学者・留年者続出、もらえても『可』という恐怖が伝説的な吹野安先生の「楽府」の講義であった。しかし、更にその翌年の同じ吹野先生の「唐詩」による再々履修で、好きな李賀の詩で食い下がり、奇蹟的に『良』を頂戴したので、私は吹野先生を勝手に師と仰いでいるのである)。今は、その両先生の、その優しき警策が懐かしく思い出されるのである。

 

天授三年、清河張鎰、因官家于衡州。性簡靜、寡知友。無子有女二人。其長早亡、幼女倩娘、端妍絶倫。鎰外甥太原王宙、幼聰悟、美容範。鎰常器重、毎曰、他時當以倩娘妻之。

後各長成。宙與倩娘常私感想於寤寐、家人莫知其狀。後有賓寮之選者求之、鎰許焉。女聞而鬱抑。宙亦深恚恨、託以當調請赴京、止之不可。遂厚遣之。宙陰恨悲慟、決別上船。日暮、至山郭數里。夜方半、宙不寐。忽聞岸上有一人行聲甚速、須臾至船。問之、乃倩娘徒行跣足而至。宙驚喜發狂、執手問其從來。泣曰、君厚意如此、寢夢相感。今將

奪我此志。又知君深情不易、思將殺身奉報。是以亡命來奔。宙非意所望、欣躍特甚。遂匿倩娘于船、連夜遁去。倍道兼行、數月至蜀。

凡五年、生兩子、與鎰絶信。其妻常思父母、涕泣言曰、吾曩日不能相負、棄大義而來奔君。向今五年、恩慈閒阻。覆載之下、胡顏獨存也。宙哀之曰、將歸、無苦。遂倶歸衡州。既至、宙獨身先至鎰家、首謝其事。鎰曰、倩娘病在閨中數年。何其詭説也。宙曰、見在舟中。鎰大驚、促使人驗之。果見倩娘在船中。顏色怡暢、訊使者曰、大人安否。家人異之、疾走報鎰。室中女聞喜而起、飾粧更衣。笑而不語、出與相迎、翕然而合爲一體、其衣裳皆重。其家以事不正、祕之。惟親戚閒有潛知之者。後四十年間、夫妻皆喪。二男並孝廉擢第、至丞・尉。玄祐少常聞此説、而多異同、或謂其虚。大暦末、遇莱萊蕪縣令張仲※。因備述其本末。鎰則仲※堂叔、而説極備悉。故記之。

[淵藪野狐禪師字注:「※」=「先」+「見」。]

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

 天授三年、清河の張鎰(ちやういつ)は、官に因りて衡州(かうしう)に家す。性、簡靜にして、知友寡(すくな)し。子(し)無く、女(ぢよ)二人有り。其の長は早くに亡じ、幼女倩娘(せんぢやう)、端・妍(けん)、倫を絶す。鎰の外甥(ぐわいせい)、太原(たいげん)の王宙、幼くして聰悟、容範美し。鎰、常に器重し、毎(つね)に曰く、

「他時、當に倩娘を以つて之を妻(めあは)すべし。」

と。

 後、各々長成す。宙と倩娘とは、常に私(ひそ)かに寤寐(ごび)に感想するも、家人、其の狀を知ること莫し。

 後、賓寮の選者に、之を求むるもの有りて、鎰、許す。女、聞きて鬱抑す。宙も亦、深く恚恨(いこん)し、託するに當調(たうてう)を以て、京に赴かんことを請へば、之を止(とど)むれども可(き)かず。遂に厚くして之を遣る。

 宙、陰(ひそ)かに恨み、悲慟し、訣別して船に上(の)る。日暮、山郭の數里なるに至る。夜は方に半ばなるも、宙、寐(い)ねられず。

 忽ち聞く、岸上、一人行く聲、甚だ速やかなる有るを、須臾(しゆゆ)にして船に至る。之を問へば、乃ち倩娘の徒行跣足(せんそく)して至りしなり。宙、驚喜發狂し、手を執りて其の從來を問ふ。泣きて曰く、

「君の厚意、此くのごときは、寢夢(しんぼう)にも相感ず。今、將に我が此の志を奪はれんとす。又、君の深情の易(かは)らざるを知り、將に身を殺しても奉報せんとするを思ふ。是(ここ)を以て亡命來奔す。」

と。

 宙、意の望みし所に非ざれば、欣躍(きんやく)すること、特(こと)に甚だし。遂に倩娘を船に匿し、連夜して遁れ去る。道を倍して兼行するに、數月にして蜀に至る。

 凡そ五年、兩子を生むも、鎰とは信を絶つ。其の妻、常に父母を思ひ涕泣して言ひて曰く、

「吾、曩日(なうじつ)、相負(そむ)くこと能はずして、大義を棄てて君がもとへ來奔す。向今(かうこん)、五年、恩慈、間阻たり。覆載(ふさい)の下(もと)、胡(なん)の顏もて獨り存せんや。」

と。

宙、之を哀しんで曰く、

「將に歸らんとす、苦しむこと無かれ。」

と。

 遂に倶に衡州に歸る。既に至り、宙、獨り、身(み)、先づ鎰の家に至り、首(はじめ)に其の事を謝す。

 鎰曰く、

「倩娘は病みて閨中に在ること數年、何ぞ、其れ、詭説するや。」

と。

 宙曰く、

「見(げん)に舟中(しうちゆう)に在り。」

と。

 鎰、大いに驚き、促(すみや)かに人をして之を驗(けみ)せしむ。

 果して倩娘の船中に在るを見る。

 顏色怡暢(いちやう)して、使者に訊きて曰く、

「大人(たいじん)は安きや否や。」

と。

 家人、之を異とし、疾く走りて鎰に報ず。

 室中の女(ぢよ)は、聞きて喜びて起ち、飾粧・更衣す。笑ひて語らず。

 與(とも)に出でて相迎へ、翕然(きふぜん)として合ひて一體と爲り、其の衣裳も皆、重なれり。

 

 其の家、事の不正なる以て、之を祕(かく)す。惟だ親戚の間、潛かに之を知る者有り。後、四十年の間、夫妻、皆、喪す。二男、並びに孝廉に擢第(てきだい)し、丞・尉に至る。

 

 玄祐、少(わか)くして常に此の説を聞くに、異同多く、或ひは謂つべし、其れ、虚と。大暦の末、莱蕪(らいぶ)縣令張仲※(ちゆうせん)に遇ふ。因つて其の本末を備(つぶさ)に述ぶ。鎰は、則ち仲※の堂叔にして、説くこと、極めて備悉(びしつ)なり。故に之に記す。

[淵藪野狐禪師字注:「※」=「先」+「見」。]

 

淵藪野狐禪師訳:

 

 則天武后の天授三年(:西暦692年。)のことである。

 清河(:現在の河北省清河県。)の張鎰(ちょういつ)は、役人であったため、赴任して衡州(:現在の湖南省衡陽県。)に居を構えていた。彼はもの静かな性格だったので、友も少なかった。息子はなく、娘が二人あった。長女の方は早くに亡くなったのだが、下の娘の倩娘(せんじょう)は、容姿端麗、たおたおとして、その美しさは喩えようもないほどであった。

 さて、鎰の甥に、太原(:現在の山西省太原県。)の王宙(おうちゅう)という者がいたが、彼も小さな頃から聡明で、端正な美少年であった。鎰は、たまたま身近にいたこの甥を、常日頃から優れた才力の持ち主としてかっており、しばしば、

「いずれ、この倩娘を、お主の妻として、やろう。」

と言うほどであった。

 

 その後、二人はそれぞれにまたとなく美しく成長した。宙と倩娘とは、実は、密かに寝ても覚めても思いを寄せ合っていたのだが、それはそれは、本当に人知れずのものであったので、それぞれの家人はそのことに全く気づいてはおらなかった。

 ところが、その後、鎰の勤める役所の同僚で、相応の才能と地位を持ち合わせた男が、この倩娘を妻に、と切に願い出てきたため、鎰は軽率にもこれを許してしまった。

 倩娘はこれを聞いて、すっかりふさぎ込んでしまう。宙もまた内心、深く恨み憤り、半ば自棄(やけ)になって、偶々、自身に京師(けいじ)への転任の話が持ち上がっていたのにかこつけ、都へ上りたいと申し出てしまった。鎰はといえば、彼の才能をかっていただけに、いろいろ慰留しては見たものの、宙の頑なな決心を変えられず――いや、その真意が倩娘にあることを鎰が全くもって知らなかったが故に――その上洛をとどめることは出来なかったのであった。ついに鎰は、仕方なく宙のために、手厚い旅支度を整えてやると、衡州から送り出すこととなった。

 ここに至っても宙の内心は、倩娘との別れという一時に対してのみの、恨みつらみに打ちひしがれており、その哀しみの故にこそ、本当は泣き悲しんだ涙の中で、張家の人々に別れを告げ、舟に乗ったのであった――

 

 ――その日の日暮れ時のこととなる。

 宙の船は、既に衡州から数里離れた山辺の村に着いていた。

 もう真夜中になろうという頃になっても、倩娘を思うあまり、宙はまるで眠れないのであった。

 と、その時である――岸辺の遙か向こうの方から、誰かが――たった、たった――と急いで走って来る不思議に柔らかな足音が――だんだんと速くなって――だんだんと大きくなって――だんだんと近づいてくるのが――聞える――かと思ったら――その足音が船のすぐそばに来て――とん――と止まる――

 宙は船中から、その影に向かって問いかける。

「誰(たれ)か!?」

灯りをかかげてその顔を見れば――

 何と倩娘ではないか!――

 そうして、また驚いたことに、彼女は裸足で走ってきたのであった――

 宙は驚きつつも、気が狂わんばかりに喜んで、彼女と手を取り合い、どうしてこんな! とその経緯(いきさつ)を尋ねた。倩娘は泣きながら答えた。

「あなたさまの私(わたくし)への熱い思い! それはね! ほら! 見ての通り! それを私、寝ても醒めても忘れたことは御座いません! 今、許し難い何ものかがこの私の誠心を奪い去ろうとしました! でもまた、あなたさまの深いお情けが、今も少しも変わらないということ! それも確かに知ったのです! だから、死んでもそのあなたの真心に報いねばと、とるものもとりあえず、着の身着のまま、我が家を出奔して参ったので御座います!」

 宙は思いもよらぬうれしさに、また、躍り上がって喜んだのであった――

 かくして倩娘を船に匿(かくま)うと、宙は、夜通し、逃げた。昼も夜も、普通の速さの倍で漕がせ、逃げた。数ヶ月の後、彼らは蜀に着いていた――

 

 ――それから五年の月日が経つ――二人には可愛い二人の子供さえ産まれたのだが、倩の父、鎰とは、全くもって音信不通のままであった。

 ――そんなある日のこと、倩は、いつものように父や母を思い出しては、涙ぐむと、

「――わたしはあの時、あなたの思いに背くことが出来ずに、――いいえ、でも、それはその時の確かな私の思いそのものでもありましたし、今もそのものであるのに違いは御座いません――そう、父や母の大きな恩を捨ててまでも、あなたの元へ参ったのでしたわ――そう、今まで、もう五年――かたや、私の親子の縁は、すっかり隔たれたたままで御座います――それを思うと、どうしてこの世にあって、どんな顔をして、どんな『私ひとり』が、生きておられましょう!――」

と言った。宙も可愛そうに思い、

「帰ろう! くよくよするのはもう、やめだ。」

と言った。

 かくして二人は手をとり合って一緒に衡州へ帰った。

 着くと、ことがことだけに、とり敢えず宙だけが、単身、鎰の家へと赴き、先ず初めにこれまでの経緯(いきさつ)を事細かに話して謝罪をしたのであった――

 ところが鎰は、

「おい! うちの倩娘は、数年の間、病いで寝室に臥したままだ。どうしてそんな嘘を言うか!」

と、けんもほろろ。

 宙は、吃驚りしながらも、

「いえ、だって、今、現に……私の舟の中に彼女はおりますが……。」

と応える。

 鎰は大層、驚くと、まずはとり敢えず、家の者を使いにたてて、調べさせる。

 すると、確かに、船の中に倩娘が居る――顔色も良く、楽しそう――それどころか、その使いに、

「お父さまは、ご達者ですか?」

とさえ尋ねるのである。

 使いの者は吃驚り仰天、飛んで帰ると鎰に告げる――

 ――その時である――

 ――奥の部屋に臥せっていた倩娘は、これを聞いて、喜ばんか、すくっと起きあがると、すっかり元気になったかのように、化粧を整え、衣を着替える――そうして、ただ、笑みを浮かべたまま、何も言わずに立っている――

 ――そうして、頃合いを見計らったように、家を出て行く

 ――出てゆく倩娘

 ――船からやって来る倩娘

 ――その二人は互いに迎え合った

かと思うと

 ――二人は、そのまま

 ――ぴたりと合って一つの身体(からだ)となり

 ――その着ている衣までもが皆、ぴたりと重なったのであった……

 

 ……さても……その家では、その出来事があまりのも摩訶不思議なことでもあり、世間体を考えて、これをずっと匿しておったのじゃが……ただ、な、鎰の親戚の中には、やはり、このことを知っておる者がおったのじゃな……その後(のち)、四十年程して、この宙と倩は……その不思議な縁(えにし)の夫婦は共に、とっくに亡くなったというんじゃが……言うておくと、な、その間に出来た二人の息子ちゅうのは、揃って美事、科挙の孝廉科に及第んさってじゃ、それぞれ、県丞(けんじょう)さまと県尉(けんじょう)さまにまでなったということなんじゃ……

 

 さて、私、玄祐(げんゆう)は、若い頃に、しばしばこの話を聴いたのであるが、その聴く話ごとに、どうも細かな部分に異同があったために、実は、内心、これは下らぬ作り話であろうぐらいにしか、思っていなかったのであった。しかし、代宗の大暦年間(:西暦766779年。)の末のこと、莱蕪(さいぶ)県(:現在の山東省。)の県令であった張仲※(ちょうちゅうせん)なる者に、機縁の中で、出会った。その時、実は、この話の一部始終を、彼が私に語ってくれたのであった。この話に出てくる張鎰なる人物は、実に、実在したこの仲※の父方の叔父に当たる者であり、そこで語られた話は、真実(まこと)に、詳しいしっかりしたものであったのである。従って、私、玄祐は、今、確かに、これを真実(まこと)の話として、ここに記すものである。

[淵藪野狐禪師字注:「※」=「先」+「見」。]]

 

 

 

*  *  *

 

  三十六 路逢達道

 

五祖曰、路逢達道人、不將語默對、且道、將甚麼對。

 

無門曰、若向者裏對得親切、不妨慶快。其或未然、也須一切處著眼。

 

頌曰

 

路逢達道人

不將語默對

攔腮劈面拳

直下會便會

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  三十六 路に達道に逢ふ

 

 五祖曰く、

「路に達道の人に逢ふ、將に語默をもつては對さざらんとす、且らく道(い)へ、將に甚麼(なに)をもつてか對せんとする。」

と。

 

 無門曰く、

「若し者裏(しやり)に向ひて對得して親切ならば、妨げず、慶快なることを。其れ、或ひは未だ然らずんば、也(ま)た、須らく一切の處に眼を著(つ)くべし。」

と。

 

 頌して曰く、

 

路に達道の人に逢はば

將に語默をもつては對せんとせざれ

攔腮(らんさい)劈面(へきめん) 拳(けん)せば

直下(ぢきげ)に會(ゑ)するものは 便ち會(ゑ)す

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  三十六 路に達人に逢う

 

 五祖慧能が言う。

「さて、お前が路で禅を究めた人に逢った。まさに、お前は言葉で対話することも出来ず、黙っているわけにもいかぬのだ! さあ、答えよ! まさに何をもってその人に対するや!」

 

 無門、商量して言う。

「もしもこの、シークエンスの、核心の、テーマをそっくり、スカルプティング、更にザクっとディグ出来りゃ、そいつはベリィ・ハッピーさ! バット、うまくいかなけりゃ、エニタイム、エニホェア、オープン! ユア アイ!」

 

 次いで囃して言う。

 

あんさんの行く道で その道究めはった人に 逢わはったとおしやしたら

喋らはっていても 黙らはっていても あきまへん

そん人のおとがいの辺りをおつかみやす したら面(おもて)をおなぐりおし

 かなしゅうおすなら ほれ この小刀(さすが) これで面(おもて)をお斬りやす

道を究めはった人やったら どなたはんでも 分かるんとちゃいますやろか

 

[淵藪野狐禪師訳注:商量の訳の最後は敢えて『第三の眼』を意識して、「アイズ」ではなく、「アイ」と単数形にした。]

 

 

 

*  *  *

 

  三十七 庭前栢樹

 

趙州、因僧問、如何是祖師西來意。州云、庭前栢樹子。

 

無門曰、若向趙州答處見得親切、前無釋迦後無彌勒。

 

頌曰

 

言無展事

語不投機

承言者喪

滯句者迷

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  三十七 庭前の栢樹(はくじゆ)

 

 趙州、因みに、僧、問ふ、

「如何なるか是れ、祖師西來(せいらい)の意。」

と。

 州云く、

「庭前の栢樹子(はくじゆし) 。」

と。

 

無門曰く、

「若し趙州の答處(たつしよ)に向かひて見得して親切なれば、前に釋迦無く、後(しりへ)に彌勒無し。」

と。

 

 頌して曰く、

 

言 事を展ぶること無く

語 機に投ぜず

言を承くる者は 喪し

句に滯(とどこほ)る者は 迷ふ

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  三十七 庭の柏(かしわ)の樹(き)

 

 趙州和尚は、ある時、機縁の中で、僧に問われた。

「達磨大師は何故西に行ったか?――禅とは何か?」

 趙州和尚は言った。

「あの庭の柏の樹。」

 

 無門、商量して言う。

「もし、趙州の、応えた答えのその核心、ズバっと一徹、見抜いたならば、お前の前に釈迦はなく、お前の後に弥勒なし。」

と。

 

 次いで囃して歌う。

 

理論解析不全

言語心徹不能

言葉で納得 本質喪失

記述に執着 道理混迷

 

 

 

*  *  *

 

  三十八 牛過窓櫺

 

五祖曰、譬如水牯牛過窓櫺、頭角四蹄都過了、因甚麼尾巴過不得。

 

無門曰、若 向者裏顛倒、著得一隻眼、下得一轉語、可以上報四恩下資三有。其或未然、更須照顧尾巴始得。

 

頌曰

 

過去墮抗塹

回來却被壞

者些尾巴子

直是甚奇怪

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  三十八 牛、窓櫺(さうれい)を過ぐ

 

 五祖曰く、

「譬へば、水牯牛(すいこぎう)の窓櫺を過ぐるがごとし、頭角四蹄(ずかくしたい)、都(すべ)て過ぎ了(をは)んぬに、甚麼(なん)に因りてか尾巴(びは)過ぐることを得ざる。」

と。

 

 無門曰く、

「若し者裏に向ひて顛倒して、一隻眼を著(つ)け得、一轉語を下し得ば、以て上(かみ)は四恩に報じ、下(しも)は三有(さんぬ)を資(たす)くべし。其れ、或ひは未だ然らずんば、更に須らく尾巴を照顧して始めて得べし。」

と。

 

 頌して曰く、

 

過ぎ去れば 抗壍(こうざん)に墮(お)ち

回り來れば 却りて壞(やぶ)らる

者些(しやさ)の尾巴子(びはす)

直(まさ)に是れ 甚だ奇怪

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  三十八 牛が、連子窓の向こうを過ぎる

 

 五祖慧能が言う。

「例えば、水牛が連子窓の向うを過ぎて行くのを室内から見ているとしよう。――牛の頭が見えた、次に角、そして二本の前足、ずーと胴体が続き、二本の後ろ足、が見えるな――さて、『牛』の全てはそこを過ぎ去った――それなのに、どうして尻尾が通り過ぎるのが見えぬのじゃ!?」

 

 無門、商量して言う。

「もしもこの、様(さま)に向かって、さかしまに、独眼一徹、見切ってしまい、転迷開悟の一言を、牛糞のごと、ポンとコロっと吐き出せたなら、この世に中で、父母(ちちはは)仏(ほとけ)王様衆生、そこから受ける貴い恩に、すっかりすっきり報いてしまい、この世の苦しむ、ありとある、衆生凡夫も、救い済み。――さても、勿論、そんなことが出来んとなれば、まず何よりも須らく、この『しっぽ』をば見届けよ、それがお前の生きる道!」

 

 次いで囃して言う。

 

通り過ぎれば 落とし穴

戻るとなれば 粉微塵

そもそも『ここ』の「しっぽ」こそ

まさしく 真正大妖怪!

 

[淵藪野狐禪師注:「三有」は広義には、欲界・色界・無色界の三界の生存領域に於ける生存様態である欲有・色有・無色有を指す。輪廻のシステムの中では現在の生存である本有、未来の当有、その中間の生存である中有を指す。ここでは、漠然と生死輪廻の反復であるこの世のことを言っている。]

 

 

 

*  *  *

 

  三十九 雲門話墮

 

雲門、因僧問、光明寂照遍河沙。一句未絶、門遽曰、豈不是張拙秀才語。僧云、是。門云、話墮也。後來、死心拈云、且道、那裏是者僧話墮處。

 

無門曰、若向者裏見得雲門用處孤危、者僧因甚話墮、堪與人天爲師。若也未明、自救不了。

 

頌曰

 

急流垂釣

貪餌者著

口縫纔開

性命喪却

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  三十九 雲門の話墮(わだ)

 

 雲門、因みに僧、問ひて、

「光明寂照遍河沙(こうみやうじやくしやうへんがしや)」

の一句未だ絶えざるに、門遽(には)かに曰く、

「豈に是れ、張拙(ちやうせつ)秀才の語にあらずや。」

と。

 僧云く、

「是。」

と。

 門云く、

「話墮せり。」

と。

 後來、死心(ししん)、拈(ねん)じて云く、

「且らく道(い)へ、那裏(なり)か是れ、者(こ)の僧が話墮(わだ)の處。」

と。

 

 無門曰く、

「若し者裏(しやり)に向かひて雲門の用處孤危(ゆうじよこき)、者の僧、甚(なん)に因りてか話墮すと見得せば、人天(にんでん)の與(ため)に師と爲(な)るに堪えん。若し未だ明らめずんば、自救不了(じぐふりやう)。」

と。

 

 頌して曰く、

 

急流に釣(はり)を垂る

餌を貪る者は著(つ)く

口縫(かうばう)纔(わづ)かに開かば

性命(しやうみやう) 喪却せん

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  三十九 雲門和尚の『「語るに堕(お)ちた」語り』

 

 雲門和尚の話である。

 ある時、機縁の中で、ある僧が雲門和尚に問いかけて、

「光明寂照河沙(がさ)に遍(あまね)……」

と言いかける、僧のその問いの、その初めの一句が未だ終らぬうちに、雲門和尚は、即座に、

「おい、そりゃ、張拙秀才の偈(げ)じゃ、ネエか?」

と言った。

 僧は答えた。

「はい、そうです。」

 雲門和尚が言う。

「ヘッ! 語るに堕ちたゼ!」

 

 それから百数十年後のことである。黄龍死心(こうりょうししん)和尚は、この話を思いだされ、確かに昨日のことのように、言ったのであった。

「オリャ! 言うてみイ! 何処(どこ)が、これ! この坊主の『語るに墮ちた』ところ、な! ん! じゃ! い!?」

 

無門、商量して言う。

「もしもこの、様(さま)に向かって雲門の、寄り付くことも不可能な、悟りの真実(まこと)の智慧そのものに、ぴたりとその肌寄せられたなら、はたまた同時に、この僧の、何処(どこ)が如何(どう)して『語るに墮ちた』、そこのところを見抜けたならば、この世あの世で『先生』と、呼ばれる程の大馬鹿に、なるに堪えたる人となる。だけど、そこのところをば、見抜けないとするならば、己(おの)が一人の命さえ、救えぬままに、グッド・バイ!」

と。

 

 次いで囃して言う。

 

早瀬に向かって 釣糸垂らす

餌を貪る雑魚どもが ワンサと喰らいついてくる

わずかに口を開いただけで あいつももこいつも そら! お前も!

気がつきゃどいつも あの世行き!

 

[淵藪野狐禪師注:本則に用いられているのは、石頭(せきとう)下四世である石霜慶緒(せきそうけいしょ)の弟子であった秀才(科挙に及第した人物の呼称)張公拙の悟道の偈として有名なものである。以下に、本文に準じて示す(原文は中文サイトにあったものを用いた)。

 

光明寂照遍河沙

凡聖含靈共我家

一念不生全體現

六根纔動被雲遮

斷除煩惱重増病

趣向眞如亦是邪

隨順世縁無罣礙

涅槃生死是空華

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

光明寂照 河沙(がさ)に遍(あまね)し

凡聖含靈(ぼんせいがんりやう) 共に我が家

一念不生にして 全體を現ず

六根纔(わづ)かに動ずれば 雲に遮(さへぎ)らる

煩惱を斷除すれば 重ねて病を増す

眞如(しんによ)に趣向するも亦 是れ 邪(よこしま)なり

世に隨順して 罣礙(しゆぎ)無し

涅槃と生死と 是れ 空華

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

かの仏法光明の輝きが、静かに、河の砂の一粒一粒まであまねく、照らしだしている――

凡夫から聖賢、霊的玄妙なるもの、総て、それらが満ち満ちたもの、それが我が家なのである――

人が愚かな考えに囚われさえしなければ、今、この瞬間、眼前に、この世界の総体は現に現れているのである――

あらゆる感覚のわずかな動きで、あっという間に真実(まこと)の心は雲に遮られてしまうし――

本質を見ず、闇雲に煩悩を断ち切ろう、取り除こうとばかり勇み立っていると、かえって世界の様態は悪く重くなるばかり――

殊更に『本当の真実(まこと)』なんどというものを掲げて、無理に努力しようとすること、それ自体が、大きな誤りなのである――

この俗世の機縁や道理に従って生きていても、そこには何ら、真実(まこと)の自由をはばむものは、ないのである――

『涅槃』と言い、『生死』と言うも、所詮、それらも虚空に浮ぶ花のような幻なのである――]

 

 

 

*  *  *

 

  四十 趯倒淨瓶

 

潙山和尚、始在百丈會中充典座。百丈、將選大潙主人。 乃請同首座對衆下語、出格者可往。百丈遂拈淨瓶、置地上設問云、不得喚作淨瓶、汝喚作甚麼。首座乃云、不可喚作木※1也。百丈却問於山。山乃趯倒淨瓶而去。百丈笑云、第一座輸却山子也。因命之開爲山。

[淵藪野狐禪師字注:「※1」=「木」+「突」。]

 

無門曰、潙山一期之勇、爭奈跳百丈圈圚不出。撿點將來、便重不便輕。何故。※2。脱得盤頭、擔起鐵枷。

[淵藪野狐禪師字注:「※2」=(上)「漸」+(下)「耳」。物を指差す形容。また、仏書にあって語調を整える助辞。]

 

頌曰

 

颺下笊籬并木杓

當陽一突絶周遮

百丈重關欄不住

脚尖趯出佛如麻

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  四十 淨瓶を趯倒(てきたう)す

 

 潙山(ゐさん)和尚、始め百丈の會中(ゑちう)に在りて典座(てんぞ)に充(あ)たれり。

 百丈、將に大潙の主人を選(えら)まんとす。乃ち請じて首座(しゆそ)と同じく衆に對して下語(あぎよ)せしめ、

「出格の者、往くべし。」

と。

 百丈、遂に淨瓶(じんびん)を拈じて、地上に置きて、問ひを設けて云く、

「喚(よ)びて淨瓶と作(な)すことを得ず、汝、喚んで甚麼(なん)と作す。」

と。

 首座、乃ち云く、

「喚んで木※1(ぼくとつ)と作すべからずや。」

と。

 百丈、却りて山に問ふ。

 山、乃ち淨瓶を趯倒して去る。

 百丈、笑ひて云く、

「第一座(ぞ)、山子(さんす)に輸却(ゆきやく)せらる。」

と。

 因りて之に命じて開山と爲す。

[淵藪野狐禪師字注:「※1」=「木」+「突」。]

 

 無門曰く、

「潙山一期の勇、爭-奈(いかん)せん、百丈の圈圚(けんき)を跳り出でざることを。撿點(けんてん)し將(も)ち來らば、重きに便りして、輕きを便りせず。何故ぞ。※2(にい)。盤頭(ばんづ)を脱得して、鐵枷(てつか)を擔起す。」

と。

[淵藪野狐禪師字注:「※2」=(上)「漸」+(下)「耳」。]

 

 頌して曰く、

 

笊籬(さうり)并びに木杓(もくしやく)を颺下(やうげ)して

當陽(たうやう)の一突 周遮(しうしや)を絶す

百丈の重關も欄(さへぎ)り住(とど)めず

脚尖(きやくせん) 趯出(てきしゆつ)して 佛(ほとけ) 麻(あさ)のごとし

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  四十 浄瓶(じんびん)を蹴っ飛ばす

 

 今の潙山霊祐(いさんれいゆう)和尚は、若き日、百丈懐海(えかい)和尚の道場に在って、典座(てんぞ:厨房係。)を作務(さむ)としていた。

 ある日、百丈和尚は、自分の後継者となる、次の大潙山総本山総住持を選ぼうとした。 そこで、高い地位に当る首座(しゅそ)の者だけでなく、道場の会衆すべてを呼び集めて、一言、言った。

「力量の抜きん出た者は、推挙する。」

 すると百丈和尚は、やおら懐(ふところ)から浄瓶(じんびん:禅僧必携の手を清めるために清浄な水を入れた携帯瓶。)をつまみ出すと、地べたに、とん、と置き、会衆に問いかけた。

「これを『浄瓶(じんびん)』と呼んではならぬ。さあ、お前は、何と呼ぶか?」

 首座にあった華林善覚(かりんぜんかく)が即座に応える。

「まさか木っ端切れと呼ぶわけにもいきますまいの。」

 百丈和尚は、その答えを無視すると、さっと、典座であった端に居た霊祐に向き直り、

「作麼生(そもさん)、お前は!?」

と問うた。

 すると霊祐は黙ったまま、ぱっと立ち上がり、その浄瓶を、ぽんと蹴飛ばして、さっさと会堂から出て行ってしまった。

 百丈和尚は大笑いして、言った。

「首座よ、お前は潙山のガキに負かされた。」

 こうして百丈懐海は、霊祐に命じて大潙山総本山総住持潙山としたのであった。

 

 無門、商量して言う。

「潙山、一期の大芝居、打ってはみたが、惜しいかな、百丈敷の檻の中(うち)、そこから一歩も跳び出せず。よーく見てみな、この潙山、先(せん)から住持になりたくて、炊事の仕事は興味なし――

 ♪どうして潙山は~~♪

 ♪檻の中にぃ~居るのか~♪

 ♪な~んでか♪

 ♪な~んでか♪

 それはね――自分から厨(くりや)の楽な鉢巻外して、重くて痛い鉄の輪を、自分の頭に嵌めちゃって――ね

 ♪潙山はぁ~百丈に~♪

 『鉄輪』(かなわ)なかったの――」

 

 次いで囃して言う。

 

浄瓶(じんびん) 尿瓶(しびん) 何でもよし 典座(てんぞ)だったら 笊(ざる) 杓文字(しゃもじ) どんなもんでも 蹴り散らし

正面からの一突きで 下らぬゴタクも吹き飛ばせ!

音に聞えた百丈の 厳しい関所があったとて 遮ったりは出来やせん!

頼みとす 貴い仏の御(おん)足も 麻(あさ)の如くに ふらふらと 心もとない ものとなり――後はさて お前一人が 仏様! 

 

 

 

*  *  *

 

     四十一 達磨安心

 

達磨面壁。二祖立雪。斷臂云、弟子心未安、乞師安心。磨云、將心來爲汝安。祖云、覓心了不可得。磨云、爲汝安心竟。

 

無門曰、鈌齒老胡、十万里航海特特而來。可謂是無風起浪。末後接得一箇門人、又却六根不具。咦、謝三郎不識四字。

 

頌曰

 

西來直指

事因囑起

撓聒叢林

元來是你

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

     四十一 達磨の安心(あんじん)

 

 達磨、面壁す。

 二祖、雪に立つ。斷臂(だんぴ)して云く、

「弟子、心、未だ安んぜず、乞う、師、安心せしめよ。」

と。

 磨云く、

「心を將(も)ち來れ、汝の爲に安(やす)んぜん。」

と。

祖云く、

「心を覓(もと)むるも了(つひ)に得べからず。」

と。

 磨云く、

「汝の爲に、安心、竟(をは)んぬ。」

と。

 

 無門曰く、

「鈌齒(けつし)の老胡、十万里の航海、特特として來(きた)る。是れ、風無くして、浪、起こすと謂ひつべし。末後にして一箇の門人を接得するも、又、却(かへ)りて六根不具。咦(いい)、謝三郎、四字(しじ)さへ識らず。」

と。

 

 頌(じゆ)に曰く、

 

西來(せいらい)の直指(ぢきし)

事(じ)は囑(しよく)するに因りて起く

叢林を撓聒(ねうかつ)するは

元來 是れ 你(なんぢ)

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

     四十一 達磨の安心(あんしん)

 

 達磨が、嵩山(すうざん)の少林寺で九年、面壁(めんぺき)していた。

 弟子入りを求めながら得られない神光(慧可=後の二祖)は、雪中に立ち竦んでいた――が、意を決して、自らの左腕を肘から先、すっぱりと切り落として面壁する達磨に献じて言った。

「私め、実はかくしても未だに心が不安に満ちて居ります。どうか、師よ、私に安心をお与え下され。」

達磨が言う。

「お前の心をここに持って来い。さすれば、お前のために『安心』させてやる。」

神光が答えて言う。

「いえ、私めは、ずっとその『心』を求めて参ったのですが、遂にその『心』を摑むことが出来ませなんだ。」

達磨が言う。

「お前のために、私はもうとっくの昔に『安心』した。」

 

 無門、商量して言う。

「歯抜け南蛮達磨爺い、船ではろばろ十万里、わざわざこっちへ来たもんだ。さてもこいつは、有難迷惑、風もねえのに波立てる奴、と言うが如何にもぴったりだ。棺桶片脚突っ込んで、やっとこ、とぼけた弟子一人、出来たそいつも、唐変木、片腕どころか、目も鼻も、耳口舌も肉もなし。序でに最後にゃ思慮もねえ。神光の糞坊主、いやサア、謝三郎! 錢に書かれた四つの文字、それせえ読めねえたぁ~、聞いてあきれるぜェ~。」

 

 次いで囃して歌う。

 

にしからきたきた だるまさん ずばりとゆびさす だるまさん

そのだるまさんにたよるから だるまさんころんだ だるまさんころんだ

うぞうむぞうの くそぼうず うえへしたへのおおさわぎ

もとはといやぁ だるまさん みんな あんたがわるいのよ

 

 

 

*  *  *

 

  四十二 女子出定

 

世尊、昔、因文殊、至諸佛集處値諸佛各還本處。惟有一女人近彼佛坐入於三昧。文殊乃白佛、云何女人得近佛坐而我不得。佛告文殊、汝但覺此女、令從三昧起、汝自問之。文殊遶女人三帀、鳴指一下、乃托至梵天盡其神力而不能出。世尊云、假使百千文殊亦出此女人定不得。下方過一十二億河沙國土有罔明菩薩。能出此女人定。須臾罔明大士、從地湧出禮拜世尊。世尊敕罔明。却至女人前鳴指一下。女人於是從定而出。

 

無門曰、釋迦老子、做者一場雜劇、不通小小。且道、文殊是七佛之師、因甚出 女人定不得。罔明初地菩薩、爲甚却出得。若向者裏見得親切、業識忙忙那伽大定。

 

頌曰

 

出得出不得

渠儂得自由

神頭并鬼面

敗闕當風流

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  四十二 女子の出定(しゆつじやう)

 

 世尊。昔、因みに文殊、諸佛の集まる處に至りて、諸佛各々本處(ほんじよ)に還るに値(あ)ふ。惟(た)だ一の女人有りて、彼の佛座に近づいて三昧に入る。

 文殊、乃ち佛に白(まう)さく、

「云-何(いかん)ぞ、女人(によにん)は佛座に近づくことを得て、我は得ざる。」

と。

 佛、文殊に告ぐ、

「汝、但だ此の女を覺(さま)して、三昧より起たしめて、汝自から之れを問へ。」

と。

 文殊、女人を遶(めぐ)ること三帀(さんさう)、指を鳴らすこと一下(いちげ)して、乃ち托(たく)して、梵天に至りて、其の神力(じんりき)を盡くすも、出だすこと能はず。

 世尊云く、

「假-使(たと)ひ百千の文殊も亦た、此の女人を定(じやう)より出すことを得ず。下方一十二億河沙(がしや)の國土を過ぎて、罔明(まうみやう)菩薩有り。能く此の女人を定より出ださん。」

と。

 須臾(しゆゆ)に罔明大士、地より湧出して世尊を禮拜す。世尊、罔明に勅す。

 却りて女人の前に至りて指を鳴らすこと、一下す。女人、是に於いて、定より出ず。

 

 無門曰く、

「釋迦老子、者(こ)の一場の雜劇を做(な)す、小小を通ぜず。且らく道(い)へ、文殊は是れ、七佛の師、甚(なん)に因りてか、女人を定より出だすことを得ざる。罔明は初地(しよぢ)の菩薩、甚としてか、却りて出だし得る。若し者裏(しやり)に向かひて見得して親切ならば、業識忙忙(ごふしきばうばう)として那伽大定(ながだいじやう)ならん。」

と。

 

 頌して曰く、

 

出得するも出不得なるも

渠(かれ)と儂(われ)と自由を得たり

神頭(しんづ)并びに鬼面

敗闕(はいけつ) 當に風流たるべし

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  四十二 女の覚(めざ)め

 

 昔、お釈迦さまが説法を開いておられた。機縁の中で、文殊菩薩は、その説法が終わってから、諸仏が集まっていたその会堂に辿り着いたのであったが、諸仏は続々とそれぞれの在るべき本来の居所へと還ってゆく。言わば、その時に文殊は逆に会堂へと入ったのであった。

 ところが、ふと見ると、ただ一人の女人がそこに未だ居て、それも、あろうことか、お釈迦さまのすぐ近くに座を占めて、完全な深い三昧(さんまい)境に入っているのであった。

 文殊菩薩は、即座に、お釈迦さまに申し上げた。

「どうしてこの、穢れた女人如きがあなたのご尊座に近づくことが出来、私には出来ないのですか!」

その口吻は、如何にもな不服の意を含んでいた。

 お釈迦さまは、文殊に命じて言った。

「我が智慧第一たる文殊菩薩よ、そなたがその無上の智を持って、ただ、その三昧からこの女を目覚めさせ、そなた自身が、直接、女にそれを訊ねてみるがよかろう。」

 そこで文殊菩薩は、女の周囲を右回りに三度巡って、指をパツンと鳴らすやいなや、忽ちのうちに、巨大になり、その女を掌の上に載せると、欲界を遠く離れた梵天の高みにまで至って無類の清浄の気を女に含ませることに始めて、その智慧の、ありとあらゆる神通力を使い尽くして、女の覚醒を試みたのであった――ところが、である――女は三昧から、いっこうに抜け出る気配がない――いや、文殊菩薩とあろう者が、卑しい女一人をその定(じょう)から抜け出させることさえ、出来ないのであった。

 途方に暮れている文殊を尻目に、お釈迦さまは、おもむろに言った。

「たとえ百人の文殊菩薩――いやいや、千人の文殊菩薩が総手で取り掛かったとしても、この女人をこの恐ろしく深い定から目覚めさせることは――出来ぬ――しかし、この極楽の遙か下(しも)つ方(かた)、十二億恒河沙(こうがしゃ)の距離を数える、遠く、暗い地に、罔明(もうみょう)菩薩という修行者がおる――この男ならば――いや、この男だけが、この女人を、この恐ろしい定から目覚めさせることが出来るであろう。」

 すると、言うが早いか、あっという間に、今、名を呼ばれた壮士罔明が、颯爽と、十二億恒河沙の地の果てより湧き出でたかのように現れ、お釈迦さまに、うやうやしく礼拝した。

 お釈迦さまは、罔明菩薩に、黙って女人を指し示された。

 罔明菩薩は、すぐに女人の前に進み出、指をただ一度だけ、パツンと鳴らした――ただ、一度、ただそれだけ――女人は、その時、已に恐ろしいその定から救い出されていたのであった――

 

 無門、商量して言う。

「老いぼれてオシャカになったか、お釋迦さま? 衣装は無花果(いちじく)、葉が一枚、キャスト・スタッフ、総勢一名、一人芝居もいいところ、幼稚園児の学芸会、言葉に出来ない、低次元、大根役者も中毒死。――《お釈迦さま》「プロンプター! ちょっと台詞言ってみて!?」《お釈迦さまの独白》『あっ、そうか、俺一人しかいないんだった……』――ともかく、何とか言ってみな! 文殊菩薩と言うた日にゃ、過去七仏の一人だぜ!? 文殊の知恵だぜ!? 何たって! そいつがどうして変生男子(へんじょうなんし)、女如きを三昧から、救い出すこと出来ないの!? 罔明何て名前から、してから如何にも、どんクサク、ね? こいつは罔(くら)いどころじゃない、この「罔」の字は「無」の意だぜ! おいおい聞いたことがねえ! 無明菩薩たぁ、何の謂いじゃい? ドン暗、盆暗、ドン底の、菩薩のケツのその下(げ)ケツ、得体の知れぬ菩薩の骨、名前ばかりの菩薩じゃん!? ソイツがどうして女など、救えたのかをシャウトしろ! もしこの、クライ・マックス、バッチリと、スポット・ライトで照らせたら――そん時ゃ外見(そとみ)は、前世の、業(ごう)に縛られ、あちこちと、引き回されて、いっかな惨め、だけどその実内実は、清浄寂滅、透明の、ホントにホントの三昧境。」

 

 次いで囃して言う。

 

『出せる』様(さま)にあることも 『出せない』様にあることも

どちらも自由のただ中に 活殺自在の中に『在る』

思い出すのは あのお面

 ――笑っちゃいけない九品仏(くほんぶつ) 来迎(らいごう)してきた菩薩面

 ――息がつまって慄っとする 能「道成寺」般若面

舞台復帰大記念! 喜劇「エノケンの文殊菩薩危機一髪!」――『満員御礼』!

 

[淵藪野狐禪師注:この公案には、以下の注で記した以外にも、私には多くの、一見、杜撰な設定が見られるように思われる。それは確信犯なのかのしれないし、そうではなく、ただ創作者の力不足の故なのかも知れない。それ自体が、公案のブービー・トラップなのかも知れない。

・「出定」の「定」は、精神を集中して心を乱さない精神状態を言う。三昧・禅定に同じ。

・「文殊」文殊師利(もんじゅしゅり)菩薩のこと。通称の文殊菩薩は略称である。梵語(サンスクリット語)の“maJjuzrii”マンジュシュリーの漢訳。一般には菩薩中の智慧第一、釈迦(仏法)の智慧そのものを象徴する存在である。

・「文殊、諸佛の集まる處に至りて諸佛各々本處に還るに値ふ」この前提そのものが、如何にも意味深長ではなかろうか。その辺りを、私なりの解釈で、現代語訳してある。これはこの公案の一つの鍵ではなかろうか。

・「女人を遶ること三帀」の「三帀」は正しくは「右繞三帀(うにょうさんそう)」という最高の礼法。仏や神聖な対象に一礼、右側回りに三回巡る。ここで文殊がこの女人に対して、いくら釈迦の傍に居られるからといって、その作法を行っているのは、異例なことではなかろうか。これもこの公案の一つの鍵か。

・「梵天」梵語(サンスクリット語)“Brahman”の漢訳。本来は古代インドの世界観の中で創造主・宇宙的原理の根源とされたブラフマンの神格化されたもの。仏教に取り入れられて仏法を護持する仏となり、色界の初禅天の王を言う。そこから、その色界の空間である初禅天そのものを指すようにもなった。初禅天(梵天)自体は更に大梵天・梵輔天・梵衆天の三天からなるが、特に「梵天」と言った場合は大梵天をさす。色界十八天の中の下から第三番目の天に当たるが、そもそもがこの色界に住む天人自体が、食欲・淫欲・性別がなく、光明を食べ物としている(但し、情欲・色欲はあるとする)、極めて清浄な天である。

・「罔明」は、まさに超マイナーな菩薩らしい。いくら調べても、正体が分らない。筋書きから見ても、とりあえずは最下級の菩薩ととってよかろう。

・「恒河沙」数の単位。一般的には10⁵²(または10⁵⁶)とする。「恒河」はガンジス川を示す梵語(サンスクリット語)“Ganga”の漢訳。ガンジス川にある総ての砂の数を言う。本来は、無限を意味するものとして古くから仏典で用いられた。

・「雜劇」とは、中国の宋代に始まる演劇の一種。宋代にあっては主に滑稽な風刺劇という内容、元代にあっては「元曲」とも呼ばれる、高度な音楽性を持った歌劇風のものを言った。「頌」に現れる「神頭」及び「鬼面」というのは、そうした宋代の雜劇の演目に登場する神仙鬼神の面を指している。

・「変生男子」とは、仏教に於いて、現世で女である場合は成仏することが出来ず、後世(ごぜ)で男に生まれ変わることで、成仏が可能となるという女性差別思想。「法華経」の提婆達多品(だいばだったぼん)に由来とすると言われるが、実際には釈迦の思想自体には、このようなはっきりした体系(業の意識)はなかったと思われる。

・「過去七仏」とは、釈迦以前に存在した7人の仏陀(修行の果てに悟道に達した人)をいう。我々の一般的な歴史認識は釈迦を仏教の始点とするために奇異な感覚が生じるが、仏法は普遍の真理として当然それ以前から、否、時空を超えて永劫に『在る』わけであり、この過去仏が居なければ、逆に論理的でないとも言えよう。最も古い過去世の仏を毘婆尸仏(びばしぶつ)と呼び、以下順に尸棄仏(しきぶつ)・毘舎浮仏(びしゃふぶつ)・倶留孫仏(くるそんぶつ)・倶那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)・迦葉仏(かしょうぶつ)、そして釈迦仏である。

・「業識忙忙」は、幾つかの注釈を参考にして総合的に考えると、『前世の業によって、永劫、六道を輪廻転生せねばならないのか』という認識に人が囚われてしまうことを言う語と思われる。

・「那伽大定」の「那伽」は梵語(サンスクリット語)の“Nāga”で、本来はインドの神話上の蛇神であったが、釈迦が菩提を得た際に守護したとされることから、仏教では中国の竜王に習合し、仏法の守護神となった。また、龍は常に空に静止し、そこで深い思慮に入っているという伝説からであろうか、先に注した三昧・禅定と同義的となり、僧が悟道に達することを「那伽大定」と呼ぶようになった。従って、ここの「業識忙忙として那伽大定ならん」は極めて逆説的なことを、圧縮して表現していることに注意しなくてはならない。西村注ではここに『苦しみの真っ只中にいて、しかも寂滅の心境に住すること』とある。

・「九品仏」「来迎してきた菩薩面」というのは、浄真寺二十五菩薩来迎会(らいごうえ)の私の印象である。浄真寺は東京都世田谷区奥沢にある浄土宗の寺。東急大井町線の駅名「九品仏」は本寺の通称である。上品上生(じょうぼんじょうしょう)から下品下生までの九品(くぼん)往生の印を結んだ阿弥陀仏九体を祀る(但し、この印は手印ではなく、唇の端の部分で示しているため、視認による判別は至難)。この寺には通称『お面かぶり』、二十五菩薩来迎会という祭儀がある。三年に一度行われるもので、本堂と上品堂との間の空中に渡された橋を、阿弥陀如来を先頭に、二十五菩薩が渡御するものである。この如来・菩薩面はフル・フェイス・マスクで、実際の僧侶らが被って行う。ご存じない方は、「NPO法人無形民俗文化財アーカイブズ」の「浄真寺の二十五菩薩練供養 東京都指定無形民俗文化財」の動画を是非、ご覧あれ。稚児達は可愛いいんだけど……。

・「エノケン復活」小さな頃、私はエノケン、榎本健一(19041970)が大好きだった(すでに本『無門關』では、第七則と第二十六則に登場しているのだが)。1962年に再発した脱疽のために彼は右足を大腿部から切断した。私はその後、奇跡の復活を果たして、当たり役「エノケンの孫悟空」の舞台に復活登場した彼を映像で見たことがある。涙が止まらなかった――「エノケンの文殊菩薩危機一髪!」――そんなエノケンで、こんなのがあったら見てみたいと思った、これは勿論、架空の演題である。因みに、私の一番好きなエノケンの主演映画は1954年佐藤武監督の「エノケンの天国と地獄」に止めを刺す。笑えて泣ける!]

 

 

 

*  *  *

 

  四十三 首山竹篦

 

首山和尚、拈竹篦示衆云、汝等諸人、若喚作竹篦則觸。不喚作竹篦則背。汝諸人、且道、喚作甚麼。

 

無門曰、喚作竹篦則觸。不喚作竹篦則背。不得有語、不得無語。速道、速道。

 

頌曰

 

拈起竹篦

行殺活令

背觸交馳

佛祖乞命

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  四十三 首山の竹篦(しつぺい)

 

 首山和尚、竹篦を拈じて衆に示して云く、

「汝等諸人、若し竹篦と作(し)て喚ばば、則ち觸(ふ)る。竹篦と作て喚ばざれば、則ち背く。汝諸人、且らく道(い)へ、喚んで甚麼(なん)とか作(な)す。」

と。

 

無門曰く、

「竹篦と作(し)て喚ばば、則ち觸る。竹篦と作て喚ばざれば、則ち背く。語ること有るを得ず、語ること無きを得ず。速(すみや)かに道へ、速かに道へ。」

と。

 

頌して曰く、

 

竹篦を拈起して

殺活令(さつかつれい)を行ふ

背觸(はいそく) 交馳(かうち)して

佛祖も命を乞ふ

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  四十三 首山和尚の竹篦(しっぺい)

 

 首山和尚が、接心に用いる竹篦を、おもむろに指でつまみ上げて、会衆の者に示して言った。

「お前ら、もしこれを『竹篦』と呼んだなら、それは『もの』に附き過ぎる。しかし、『竹篦』と呼ばなければ、『名指す』ことに背く。さあ! お前ら! まさに答えよ! 何と呼ぶか!」

 

 無門、商量して言う。

「もしこれを、『ちくひ』『ちくへい』、『しっぺい』『しっぺ』、まんまに呼ばば、物に執着、真実(まこと)の禁忌に抵触だ。されどこいつを『竹篦』と、呼ばないことにゃ、名指すに背く。呼んじゃいけねえ、呼んでもいけねえ――さあさ! 答えろ! 答えろ! 早ウ!」

 

 次いで囃して歌う。

 

竹篦一本抓み出し

殺すの生かすのと アレ 御無体な!

背くことと執(つ)くことが グルになって 竹篦(しっぺ)を返す

お釈迦様でも命乞い!

 

[淵藪野狐禪師注:「竹篦」は禅家で師が修学僧を教導する際に用いる道具。西村注によれば『長さ六十センチから一メートル。割竹を弓状に曲げ籐を巻き漆を塗って作』ったもの、とある。――さても私はこの時、この会衆の中にウィトゲンシュタインが居て、黙ったまま進み出ると、あの少年のような笑顔を浮かべて、首山からこの竹篦を奪い取り、その場でクニャリと捻り上げ、メビウスの帯を作る――その姿が見える。]

 

 

 

*  *  *

 

   四十四 芭蕉拄杖

 

芭蕉和尚示衆云、你有拄杖子、我與你拄杖子。你無拄杖子、我奪你拄杖子。

 

無門曰、扶過斷橋水、伴歸無月村、若喚作拄杖、入地獄如箭。

 

頌曰

 

諸方深與淺

都在掌握中

撐天并拄地

隨處振宗風

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

   四十四 芭蕉の拄杖(しゆぢやう)

 

 芭蕉和尚、衆に示して云く、

「你(なんぢ)、拄杖子(しゆぢやうす)有らば、我你に拄杖子を與へん。你、拄杖子無くんば、我、你が拄杖子を奪はん。」

と。

 

 無門曰く、

「斷橋の水を過ぐるを扶ける、無月の村に歸るに伴ふ、若し拄杖と作(な)して喚ばば、地獄に入ること、箭(や)のごとし。」

と。

 

 頌して曰く、

 

諸方の深と淺と

都(すべ)ては掌握の中に在り

天を撐(ささ)へ并びに地を拄(ささ)ふ

隨處に宗風(しゆうふう)を振るふ

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

   四十四 芭蕉和尚の拄杖(しゅじょう)

 

 芭蕉慧清(えしょう)和尚が、会衆に示して言う。

「お前が、『拄杖子(しゅじょうす:接心行脚の際の禅者の必携アイテム。)を持っている』とならば、私は、お前に拄杖子を与えよう。お前が、『拄杖子を持っていない』とならば、私は、お前の拄杖子を奪ってやる。」

 

 無門、商量して言う。

「橋のない、川渡るとき、差し渡し、月のない、夜道の帰り、探るのを、もしも『拄杖』と呼んだらば、地獄に入ること、矢の如し。」

 

 次いで囃して歌う。

 

芭蕉和尚の杖(つえ)挿し入れて 何処(いずこ)が淵か はたまた瀬か――

過(あやま)るな! その答えは 杖を握っている その掌中にこそ在る――

天空を グイと差し上げるかと 思うやいなや 大地をドンと支えもする――

乾坤随所 神出鬼没 脅威自在に振るう杖! たかが杖!――されど杖!――

 

 

 

*  *  *

 

  四十五 他是阿誰

 

東山演師祖曰、釋迦彌勒猶是他奴。且道、他是阿誰。

 

無門曰、若也見得他分曉、譬如十字街頭撞見親爺相似。更不須問別人道是與不是。

 

頌曰

 

他弓莫挽

他馬莫騎

他非莫辨

他事莫知

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  四十五 他(かれ)は是れ、阿誰(あた)ぞ

 

 東山演師祖(しそ)曰く、

「釋迦・彌勒、猶ほ是れ、他(かれ)の奴(ぬ)なり。且く道(い)へ、他は、是れ、阿誰ぞ。」

と。

 

 無門曰く、

「若し、他を見得して分曉(ぶんげう)ならば、譬(たと)ふれば、十字街頭に親爺を撞見(たうけん)するがごとくに相似たり。更に別人に問ふて、是と不是とを道(い)ふを須ひず。」

と。

 

 頌して曰く、

 

他(かれ)の弓 挽くこと莫かれ

他の馬 騎すこと莫かれ

他の非 辨ずること莫かれ

他の事 知ること莫かれ

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  四十五 彼とは、一体、誰か!?

 

 東山の五祖法演禅師が言う。

「釈迦如来や弥勒菩薩なんどと言うても、きゃつらは皆、まだ『彼』の奴隷に過ぎん。さあ、己(おのれ)ら! 言うてみよ! 『彼』とは、一体。誰か!?」

 

 無門、商量して言う。

「若し『彼』を、はっきり見届け得たならば、譬えて言はば、十字路の、ごった返した街角で、てめえの親父(おやじ)にばったり出逢う、そんな機縁と変わりはない。どこのどいつが今更に、そいつが本当にこの俺の、親父かちゃうかと誰彼に、聞くはずないこと、確かなことじゃ!」

 

 次いで囃して歌う。

 

彼の弓 それは引いてはいけない

彼の馬 それは乗ってはならない

彼の非 それは云々してはならない

彼の事 それは知ってはならない

 

[淵藪野狐禪師注:「他」は、西村注によれば、『口語第三人称代名詞。彼、彼女、それ、単複両用。禅者はこれによって真実の自己を指す。「渠」に同じ。』とする。また、「阿」については、『接頭語。疑問詞の前に付いて「阿誰」「阿那」「阿那箇」。親しみをこめて、「阿婆」「阿郎」「阿爺」など。』とある。]

 

 

 

*  *  *

 

  四十六 竿頭進歩

 

石霜和尚云、百尺竿頭、如何進歩。又古徳云、百尺竿頭坐底人、雖然得入未爲眞。百尺竿頭、須進歩十方世界現全身。

 

無門曰、進得歩、翻得身、更嫌何處不稱尊。然雖如是、且道、百尺竿頭、如何進歩。嗄。

 

頌曰

 

瞎却頂門眼

錯認定盤星

拌身能捨命

一盲引衆盲

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  四十六 竿頭(かんとう)、歩を進む

 

 石霜和尚云く、

「百尺の竿頭、如何が歩を進めん。」

と。

 又、古徳云く、

「百尺の竿頭、坐して底(てい)する人、入り得て然ると雖ども、未だ眞と爲さず。百尺の竿頭、須らく歩を進めて、十方(じつぽう)世界に全身を現ずべし。」

と。

 

 無門曰く、

「歩を進み得て、身を翻へし得ば、更に何(いづ)れの處を嫌ひてか、尊と稱せざる。是くのごとく然ると雖ども、且らく道(い)へ、百尺の竿頭、如何が歩を進めんか。嗄(さ)。」

と。

 

 頌して曰く、

 

頂門の眼(まなこ)を瞎却(かつきやく)して

錯(あやま)ちて定盤星(ぢやうばんじやう)を認む

身を拌(す)てて能く命も捨ててぞ

一盲衆盲を引かん

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  四十六 竿の頭から、一歩を踏み出す

 

 石霜楚円和尚が言う。

「百尺の竿の先にお前は居る。さて、どのようにして更に一歩を踏み出すか。」

 又、それに先立つこと百数十年前、古德長沙景岑(けいしん)禅師も次のように言う。

「百尺の竿の先、そこの座り込んでいる人は、とりあえず、機縁によってそこまで辿り着くことが出来たとはいえ、未だにそこに辿り着いたことが真実(まこと)であるのではない。百尺の竿の先から更に一歩を踏み出して、あらゆる世界に『在るところの存在の総体』を現出させねばならぬ。」

 

 無門、商量して言う。

「竿の先、そこから一歩を踏み出すことが出来、ありとある、世界すべてにその身をば、現ぜしめたとするならば、――ここは嫌(や)な処(とこ)、尊(たっと)からず、穢(よご)れ汚(けが)れた浮世かな――なんぞとほざく、こともなし。そうであるとは言うものの、さればよ! 己(おのれ)ら! 暫く言うてみよ!――一体、どうやって百尺の竿の先へ一足を踏み出すか! あ、さあさあさあ、サ!……」

 

 次いで囃して歌う。

 

頭頂に在る第三の眼が光を失うと

澱んだ眼は ただ天秤の中点の目盛りに釘付けとなるばかり……錯誤して無用のものへと執着するようになるばかりである

さあ 身をも捨て よく命をも捨ててこそ

一人の盲人(めしい)である汝なれど 群盲を導く人となれるであろう

 

[淵藪野狐禪師注:「嗄」について、西村注は『シャッ、という声。ああ、という感嘆の声。判断停止して声が掠(かす)れること。』とある。]

 

 

 

*  *  *

 

  四十七 兜率三關

 

兜率悦和尚、設三關問學者、撥草參玄只圖見性。即今上人性在甚處。識得自性方脱生死。眼光落時、作麼生脱。脱得生死便知去處、四大分離向甚處去。

 

無門曰、若能下得此三轉語、便可以隨處作主遇縁即宗。其或未然、麁※易飽、細嚼難飢。

[淵藪野狐禪師字注:「※」=「氵」+「食」。]

 

頌曰

 

一念普觀無量劫

無量劫事即如今

如今覰破箇一念

覰破如今覰底人

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  四十七 兜率の三關

 

 兜率悦和尚、三關を設けて學者に問ふ、

「撥草參玄(はつさうさんげん)は、只だ見性(けんしやう)を圖る。即今(そつこん)、上人の性(しやう)、甚(いづ)れの處にか在る。」

と。

「自性を識得すれば、方に生死を脱す。眼光落つる時、作麼生(そもさん)か脱せん。」

と。

「生死を脱得すれば、便ち去處を知る。四大分離して、甚(いづ)れの處に向かひてか去る。」

と。

 

 無門曰く、

「若し能く、此の三轉語を下し得ば、便ち以て隨處に主(しゆ)と作(な)り、縁に遇ひて、即ち宗(しふ)なるべし。其れ、或ひは未だ然らずんば、麁※(さん)は飽き易く、細嚼(さいしやく)は飢え難し。」

と。

[淵藪野狐禪師字注:「※」=「氵」+「食」。]

 

 頌に曰く、

 

一念普(あまね)く觀ず 無量劫(がふ)

無量劫の事 即ち如今(によこん)

如今 箇の一念を覰破(しよは)すれば

如今 覰(み)る底(てい)の人を覰破す

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  四十七 門番兜率の三つの関所

 

 兜率従悦(じゅうえつ)和尚は、自ら三つの関門としての公案を設け、彼に参学する者に問うのを常とした。

〈第一公案〉

「草の根を分けるようにこの世界を遍歴遊学し、真実(まこと)を明らかにしてくれる師を探し出して参禅し、その玄妙なる法を究めようとするのは、ただ真実(まこと)の自己存在――自ずからなる本性を正しく見極めるためだけにある。本日只今! 貴殿の自(おの)ずからなる本性は何処(いずこ)にか在る!?」

〈第二公案〉

「自ずからなる本性を、すっかり体得し得たとすると、その瞬間、当然のこととして、生・死などという下らぬ晦冥から解き放たれている。では、聞く! 貴殿の眼光が遂に現世に於いて消滅する、その死の瞬間、貴殿は一体、どのようにして、この『身体(からだ)』から脱するか!?」

〈最終公案〉

「生・死などという下らぬ晦冥から解き放たれたとすると、その瞬間、当然のこととして、自分が何処へ行くかを知っている。では、聞く! 地・水・火・風の四大元素が解き放たれ、貴殿の肉体が完全に粉微塵となった、その瞬間、貴殿は一体、何処(いづこ)へ向かって、去ろうとするか!?」

と。

 

 無門、商量して言う。

「もしもこの、三題話に座布団十枚、こ洒落た落ちを附けられりゃ、何処にいようと御主人さまよ、どんな輩と皮つるんでも、それがそのまま即菩提――だけど、そう、うまくはいかぬが、世の定め、そんときゃ、ガツガツもの食うな、直(じき)に腹減り、元の木阿弥。少しばかりの糧をもて、大事大事にするためにゃ、ちっちゃな頃に母さんが、優しく言ったあの言葉、思い出したら、それでいい――『たーちゃん、よ~く嚙んで食べるのよ』。」

 

 次いで囃して言う。

 

〈第一命題〉

一刹那の思念の中で『無限』という時間を内観して『見る』ことが可能である

〈第二命題〉

第一命題によって

『無限』という時間は現在のこの一刹那に『現に存在している』ということが真であると証明される

〈最終命題〉

∴ 第一命題と第二命題より

今のこの一刹那にあってその一刹那の思念の存在様態を見破ることが可能である時は

今のこの一刹那にあってその一刹那の思念の存在様態を見破ることが可能な人間を見破ることが可能である

ということが真であることが証明される

 

[淵藪野狐禪師注:「たーちゃん」とは、私の小さな頃の愛称である。]

 

 

 

*  *  *

 

  四十八 乾峰一路

 

乾峰和尚、因僧問、十方薄伽梵、一路涅槃門。未審路頭在甚麼處。峰拈起拄杖、劃一劃云、在者裏。後僧請益雲門。門拈起扇子云、扇子※跳上三 十三天、築著帝釋鼻孔。東海鯉魚、打一棒雨似盆傾。[淵藪野狐禪師字注:「※」=「忄」+「孛」。]

 

無門曰、一人向深深海底行、簸土揚塵、一人於高高山頂、白浪滔天。把定放行、各出一隻手扶竪宗乗。大似兩箇馳子相撞著。世上應無直底人。正眼觀來二大老惣未識路頭在。

 

頌曰

 

未擧歩時先已到

未動舌時先説了

直饒著著在機先

更須知有向上竅

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  四十八 乾峰(けんぽう)の一路

 

 乾峰和尚、因みに僧、問ふ、

「十方薄伽梵(じつぱうばぎやぼん)、一路涅槃門。未-審(いぶか)し、路頭、甚麼(いづれ)の處にか在る。」

と。

 峰、拄杖(しゆじよう)を拈起(ねんき)し、劃(かく)一劃して云く、

「者裏(しやり)に在り。」

と。

 後に僧、雲門に請益(しんえき)す。

 門、扇子を拈起して云く、

「扇子、※跳(ぼつてう)して三十三天に上りて、帝釋の鼻孔(びく)を築著(ちくぢやく)す。東海の鯉魚、打つこと一棒すれば、雨盆を傾くるに似たり。」

と。

[淵藪野狐禪師字注:「※」=「忄」+「孛」。]

 

 無門曰く、

「一人は深深たる海底に向かひて行ひ、簸土揚塵(ひどやうぢん)し、一人は高高(かうかう)たる山頂に立ちて、白浪滔天(はくらうたうてん)す。把定放行(はぢやうはうぎやう)、各々一隻手を出だして、宗乘(さうじよう)を扶豎(ふじゆ)す。大いに兩箇(りやうこ)の馳子(だす)、相撞著(だうぢやく)するに似たり。世上、應に直底(ぢきてい)の人無かるべし。正眼(しやうげん)に觀(み)來れば、二大老、惣(さう)に未だ路頭を識らざる在り。」

と。

 

 頌して曰く、

 

未だ歩を擧(こ)せざる時 先づ已に到る

未だ舌を動ぜざる時 先づ説き了(をは)る

-饒(たと)ひ著著(ぢやくぢやく) 機先に在るも

更に須らく向上の竅(きやう)有ることを知るべし

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  四十八 乾峰和尚の一本道

 

 乾峰和尚は、ある時、機縁の中で僧に問われた。

「『首楞厳経(しゅりょうごんきょう)』に『十方の諸仏は、たった一つの道を通って涅槃へと入った』とありますが、はて、その道の入り口とは、一体、何処(いずこ)にあるのですか?」

と。

 すると、乾峰和尚は、やおら拄杖(しゅじょう)をとって持ち上げ、それで空に一つの直線を描いて、

「ここに『在る』。」

と言われた。

 後のこと、この問うた僧は、納得が出来ず、今度は雲門和尚に参じると、同じ質問をして教えを請うた。

 すると、雲門和尚は、やおら扇子をとって持ち上げて、

「この扇子は、ちょう! と飛び揚がって、遙か三十三天にまで軽々と昇り、帝釈天の鼻の穴を、ぐいっ! と突き上げる。東海にいる一匹の鯉魚は、この扇子で、はっし! とただ一度打っただけで、盆を引っ繰り返したように、どっ! と雨を降らせるぞ!」

と言われた。

 

 無門、商量して言う。

「一人の意識は深海へ、チャレンジャー海淵深く沈み入り、マリン・スノーを巻き上げる。一人の意識は、絶巓(ぜってん)へ、チョモランマの頂上で、海水総て引上げて、そこから天下に漲(みなぎ)らす――一人は総てを、摑んでる、一人は総てを、抛り出す――互いに片手を出し合って、禅の世界を支えてる――危険がアブナイ、喩えれば、二匹の駱駝が真っ向から、互いの頭ぶつけ合う――哀しいかな! 世間にゃこいつに真っ向から、ぶつかって行く無頼漢、たった一人もありゃせんが!――されども、ようく、眼据えて見よ! はすっ葉二人のこの爺い! 未だに涅槃の入り口を、ちっとも知っちゃ、いやせんが!」

 

 次いで囃して言う。

 

歩かずに 真っ先に辿り着く

喋らずに 真っ先に説き終る

一手一手の機先は在るが そんな細部に拘われば 勝負はすっかりついちまう

ブラック・ホールは須らく ホワイト・ホールと見つけたり!

 

[淵藪野狐禪注:

・「薄伽梵」梵語(サンスクリット語)“Bhagavat”の漢訳。狭義には、釈迦個人を指すが、広義には仏・如来一般を言う。私はこの語を知った中学一年生の時、幼稚園の時からシャンソンで馴れ親しんだフランス語の“vagabond”という発音と、完全に合一してしまい、今に至るまで、私の諸仏の映像は、漂泊者・流れ者・浮浪者等々のイメージとなってしまった。これは恐ろしい刷り込み効果である。

・「東海の鯉魚、打つこと一棒すれば、雨盆を傾くる」は、鯉が中国に於いて淡水魚の中で特別な存在であり、龍に変化するような超自然の能力があるという伝承(私はこれはチョウザメの誤伝と考えているが)を受けたもの。私の「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」より「鯉」の一部を引用しておく。以下の文中の各語の意味については、該当テクストの私の注を参照されたい。

 

こひ

鯉   【和名、古比。】

唐音

リイ

「本草綱目」に云ふ、『鯉は、魚品の上と爲す。而して陰魚なり。故に六六の陰數有りて、其の脇、一道、頭より尾に至りて、大小と無く、皆、三十六の鱗あり。毎鱗、小黑點有り、鱗に十字の文理有り。故に鯉と名づく。困死(こんし)すと雖も、鱗、反りて白からず。能く神變して江湖を飛び越ゆるに至る。

肉【甘、平。膾に作りて、則ち性、温。】 主治は小便を利し、腫脹を消す。其の眼、之を飲めば、能く乳汁を通ず。但し山上の水中に生ずる者は毒有り【天行病〔:流行病。〕の後、忌む。此れを食ひて再發すれば必ず死す。天門冬(てんもんどう)・硃砂(しゆしや)を服して、人、合食すべからず。】。鯉の脊上の兩筯及び黑血、毒有り【鯉を灸るに、烔(とう)を使ふべからず。目に入らば目の光を損ふ。】。』と。

「三才圖會」に云ふ、『鯉は相食はず。故に其の種、蕃(しげ)り易し。陶朱公、魚を畜(か)ふ。毎歳、雌雄を計するに、二十四頭、子を生むこと、七万枚、此れ其の験(しるし)なり、と。』と。

「五雜俎」に云ふ、『俗言、鯉、龍に化す、と。此れ必ずしも然からず。其の性、靈に通じ、能く江湖を飛び越ゆ。龍門の水は險急千仭(けんきふせんじん)なるがごとくにして、凡(なべ)ての魚、能く越ゆる者無し。獨り鯉のみ、能く之を登る。故に龍と成るの説有るのみ。』と。(以下略)

 

・「チャレンジャー海淵」現在知られる海洋の最深部。1957年のソヴィエト連邦のビチャーシ号による測深では、水深11,034m、1976年のアメリカのトーマス・ワシントン号による測深では、10,933m。 

・「チョモランマ」中国チベットとネパール国境にある世界最高峰。チベット名“Chomolungma”(“Qomolangma”とも綴る)・ネパール名“Sagarmatha”。古来、サンスクリット語では“Devgiri”デヴギリ(“Dhaulagiri”ダウラギリと発音が似るが、別。ダウラギリはネパール北部の同じヒマラヤ山脈にある世界7番目の高峰。ダウラギリの方は、サンスクリット語で「白い山」の意味)、「神聖なる山」とも呼ばれた。一般に知られる“Everest”という英語名は、1865年に当時の英国インド測量局長官によって前長官Colonel Sir George Everestサー・ジョージ・エベレスト大佐に因んで命名されたもの。2005年中国国家測量局発表の標高では、8,844.43m3.5mの氷雪があるがそれは標高に含まない)。ネパール政府は中国の測定値を認めず、8,848mとする。]

 

 

 

*  *  *

 

  (後序)

 

從上佛祖垂示機縁、據款結案、初無剰語。掲翻腦蓋、露出眼睛。肯要諸人直下承當、不從佗覓。若是通方上士、纔聞擧著、便知落處。了無門戸可入、亦無階級可升。掉臂度關不問關吏。豈不見玄沙道、無門解脱之門、無意道人之意。又白雲道、明明知道只是者箇、爲甚麼透不過。恁麼説話、也是赤土搽牛嬭。若透得無門關、早是鈍置無門。若透不得無門關、亦乃辜負自己。所謂、涅槃心易曉、差別智難明。明得差別智、家國自安寧。

 時紹定改元 解制前五日 楊岐八世孫 無門比丘慧開 謹識。

 

無門關 巻終

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  (後序)

 

 從上(じゆうじやう)の佛祖垂示(すいじ)の機縁、款に據りて案に結し、初めより剰語無し。腦蓋を掲翻し、眼睛(がんぜい)を露出す。肯(あ)へて諸人の直下(じきげ)に承當して、佗(た)に從ひては覓(もと)めざらんことを要す。若し是れ、通方の上士ならば、 纔(わづ)かに擧著(こぢやく)するを聞きて、便ち落處するを知る。了(つひ)に門戸の入るべき無く、亦、階級の升(のぼ)るべき無し。臂(ひぢ)を掉(ふる)ひて關を度(わた)り、關吏を問はず。豈に見ずや、玄沙(げんしや)が道(い)ふ、『無門は解脱の門、無意は道人の意。』と。又、白雲が道ふ、『明明として知-道(し)るに、只だ是れ、者箇(しやこ)、甚-麼(なん)としてか透不過(とうふか)爲(な)る。』と。恁麼(いんも)の説話、也(ま)た是れ、赤土牛嬭(ごねい)を搽(ぬ)る。若し無門關を透得せば、早(つと)に是れ、無門を鈍置す。若し無門關を透り得ずんば、亦、乃ち自己を辜負(こぶ)す。所謂、涅槃心は曉(あき)らめ易く、差別智は明らめ難し。差別智を明らめ得ば、家國自づから安寧ならん。

 時に紹定(ぜうてい)改元 解制の前五日 楊岐(やうぎ)八世の孫(そん) 無門比丘慧開 謹んで識(しる)す。

 

無門關 巻終

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  後序

 

 以上、仏祖らが示した四十八則の機縁は、世の中に、勘案して必ずはっきりとした判決を下すための法律が在るのと同様、そこにはもとより不必要な語句は一語たりとも存在しはしない。それらは総て、悟りを求めんとする者の、その頭蓋を粉砕して脳髄を剥き出しにさせた上でべろりと反転させ、その眼球をぐいっと丸ごと抉り出す。各人は敢えて、異なった自分の個性に合わせてそれらにぶつかって行き、決して他人の答えに追従して、自身の答えを求めるなどということは出来ないように、ちゃんと配慮されているのである。従って、もし全ての『識(しき)』に通暁している――通暁し得る機縁を持っている――人であれば、どの則であれ、一を聞けば、その至るべき究極のところを瞬時に透徹して見抜いてしまうのである。そのような人にとっては、『ここから』といった『門』や『扉』は存在せず、登らねばならない『階梯』自体が存在しないのである。そうして、大手を振って関所を通り、公案を出だした関所役人のことなんぞは全く問題にする必要もないのである。玄沙師備禅師も言っているのを、知らないか? 『無門はそれこそ解脱門、無意はそれこそ悟道の人。』と。また、白雲守端禅師も言っている、『すっかりはっきりしておるに、これがどうして、なかなかに、透徹出来ぬは何故(なにゆえ)か!?』と。――そもそもが、こうした儂の話にしてからが、赤土に牛乳を練りこむような、訳の分からん、言わずもがなの屋上屋なのだ――もしこの『無門関』を透過することが出来たとあらば、それは同時に、とっくの昔に『無門』を越えて、「たかが」の『無門』を虚仮(こけ)にしているということである。しかし逆に、もしこの「たかが/されど」であるところの『無門関』を、通過さえ出来ないとなれば、それは、お前! お前自身への裏切りなのだ! 謂うところの――菩提心、即ち悟りの心は思いの外、明悟しやすいもの――差別智、即ち、煩悩に満ちたこの世にあって、それを認知し、正しく活かすこと、それは至難の業――ということなのだ。しかしまた、この差別智、即ち、煩悩に満ちたこの世にあって、それを認知し、正しく活かすこと、を明悟し実践し得たならば、一家も国家も、自ずと、安泰となるはずである。

 時に紹定(じょうてい)改元の年(:西暦1228年。)、解制(:三箇月九十日分の夏安居(げあんご)が満了する日のこと。)の前五日である七月十日、北宋の臨済宗楊岐方会(ようぎほうえ:9931046)門の八世の法孫、無門比丘慧開、謹んでこれを識(しる)す。

 

無門關 巻終

 

 

 

*  *  *

 

  禪箴

 

循規守矩無繩自縛。縱橫無礙外道魔軍。存心澄寂默照邪禪。恣意忘録墮落深坑。惺惺不昧帶鎖擔枷。思善思惡地獄天堂。佛見法見二銕圍山。念起即覺弄精魂漢。兀然習定鬼家活計。進則迷理退則乖宗。不進不退有氣死人。且道、如何履踐。努力今生須了却。莫教永劫受餘殃。

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  禪箴(ぜんしん)

 

 規に循(したが)ひて矩を守るは、無繩(むじやう)の自縛。縱橫にして無礙(むげ)なるは、外道魔軍。存心して澄寂(ちようじやく)するは、默照(もくせう)の邪禪。恣意して忘縁なるは深坑に墮落す。惺惺(せいせい)にして不昧なるは鎖を帶び枷(かせ)を擔ふ。思善思惡は地獄天堂。佛見法見は二(に)鐵圍山(てつちせん)。念起こりて即ち覺むものは精魂を弄するの漢。兀然(ごつぜん)して習定するものは鬼家(きか)の活計(かつけい)たり。進まば則ち理に迷い、退かば則ち宗に乖(そむ)く。進まずして退かずんば、有氣の死人(しびと)。且らく道(い)へ、如何にして履踐(りせん)せんか。努力して今生(こんじやう)に、須らく了却すべし。永劫に餘殃(よあう)を受けしむること莫かれ。

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  禅の鍼(はり)

 

 規律遵守し 型守る 見えない繩で自繩自縛――

 自由奔放 手前勝手 気儘な好きのやり放題 外道や悪魔に異ならず――

 心を平らか平らかに 澄ませ澄ませて ちゅう奴は ただ沈黙のただ静寂 照らし出したるものなき 邪禅(じゃぜん)野狐禅愕然憮然――

 傍若無人の忘八は 深い穴底ころげ堕つ――

 年が年中 醒めてる奴は 鎖と枷(かせ)のマゾヒスト――

 善いの悪いの言う奴は 地獄と天上行ったり来たり 六道輪廻の旅ばかり――

 仏だ法だとこだわる奴は 二重に阻む鉄の山――

 念起こっても はっきりと 自覚するのを のんびりと 待ってる輩は 精魂を ただ弄ぶ馬鹿な奴――

 ただじっと ひたすら座禅組む輩 鬼の穴蔵 四畳半 衾の下張り 猥褻罪――

 

 ――さてもそのように誰もが、進もうとすれば、すなわち仏法の真実(まこと)の理を見失いがちとなるのだが、では後退しようとするば、すなわちそれはそもそもの宗旨に背くことになる。かといって、進まず退かずでは、息をしている死人(しびと)と変わらない――

 

 さあ、言うてみよ! どうしたら、それを実践出来るか?

 努力して、今生のうちに、何としても答えを出さねばならぬ。永久にこの世に憂いを残して永劫の後悔に身を苛ませること、莫かれ!

 

[淵藪野狐禪師注:題の「禪箴」とは、禅にあって誡めのために注意すること、またはそれを記した附文。鍼灸治療の鍼に喩えた謂い。勿論、無門慧開によるもの。

・「默照の邪禪」について、西村注は、『「黙」は寂然、黙々として座禅すること。「照」は照る用、心性の霊妙なハタラキ。ここでは黙と照が相即するような只観打坐(しかんたざ)を行じる曹洞禅の禅者を指す。公案によって悟りを得ることを求める看話禅(かんなぜん)の立場から、黙照の禅を批判した語。』と、極めて簡潔にして明瞭な注を附す。

・「鐵圍山」(鉄囲山:てっちせん)は、本来は古代インド及び仏教的世界観の中のある山脈の名。「阿含経」等によれば、虚空無限の中に風輪が浮かび、その上層に金輪がある。その金輪の中心に須弥山(しゅみせん)と言われる高い山が聳え立ち、これを海と山が交互に八周して囲んでいる。七周する海は香水海と呼ばれ、八周目の最後の海を鹹海(かんかい)と呼び、この海には東西南北の四方に四つの大陸があって、それを四大洲という。そのうち、南にある大陸を閻浮提(えんぶだい)と呼び、そこが我々人間が住む世界であるとする。この海の外側を経巡っているのが鉄囲山(てっちせん)という山脈であるとする。ここではその金輪の果ての、虚空=真理としての無と我々を隔てる障害としての鉄のように頑丈堅固な山脈、それが二重にあるようなものだ、という意味で一般名詞的に訳したが、無門の意図は恐らく間違いなく固有名詞としての鉄囲山のダブルである。

・「鬼家の活計」は、西村注によれば、「碧巖録」二十五の「本則評唱」に「鬼窟裏(きくつり)に活計を作(な)す」と出ているのと同じで、『禅者の独りよがりな生き方を批判する語』とある。]

 

 

 

*  *  *

 

  黄龍三關

 

我手何似佛手。摸得枕頭背後。不覺大笑呵呵。元來通身是手。

我脚何似驢脚。未舉歩時踏著。一任四海橫行。倒跨楊岐三脚。

人人有箇生縁。各各透徹機先。那※折骨還父。五祖豈藉爺縁。

佛手驢脚生縁。非佛非道非禪。莫怪無門關險。結盡衲子深冤。

瑞巖近日有無門。掇向繩床判古今。凡聖路頭倶截斷。幾多蟠蟄起雷音。

[淵藪野狐禪師字注:「※」=「口」+(「托」-「扌」)。]

 

 請無門首座立僧。山偈奉謝。

 紹定庚寅季春。無量宗壽書。

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  黄龍(をうりやう)の三關

 

 我が手(しゆ)、佛手(ぶつしゆ)と何-似(いづ)れぞ。枕頭の背後を摸(さぐ)り得たり。覺えず、大笑す、呵呵(かか)。元來、通身、是れ手(しゆ)なり。

 我が脚(きやく)、驢脚(ろきやく)と何似れぞ。未だ歩(ほ)を舉(こ)せざる時、踏著(たふぢやく)す。四海に橫行するに一任す。倒(さか)しまに楊岐が三脚に跨(また)がる。

 人人、箇の生縁(しやうえん)有り。各各、機先を透徹す。那※(なた)、骨を折(さ)きて父に還す。五祖、豈に爺(や)の縁に藉(よ)らんや。

 佛手と驢脚と生縁と。佛にあらず、道に非ず、禪に非ず。怪しむこと莫かれ、無門關の險なることを。衲子(のつす)の深冤(じんゑん)を結盡す。

 瑞巖、近日、無門有り。繩床(じやうしやう)に掇向(てつかう)して古今を判ず。凡聖(ぼんしやう)の路頭、倶に截斷(せつだん)す。幾多の蟠蟄(ばんちつ)、雷音を起こす。

[淵藪野狐禪師字注:「※」=「口」+(「托」-「扌」)。]

 

 無門首座(しゆそ)を請じて立僧とす。山偈(さんげ)をもつて謝し奉る。

 紹定(じやうてい)庚寅(かのえとら)季春。無量宗壽書す。

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  黄龍禅師の三つの難関

 

 私の手は仏の手と比して、どうか?――私は枕の後ろを手探りして分かった。思わずカッカッと大笑いをしてしまった――もともと、体自体が手そのもの。

 我の脚(あし)は、驢馬の脚と比して、どうか?――それを見比べるための上げ脚を未だにちっともしていないうちに、最早、ど~んと大地を踏み据えてしまっていた――この世界を股にかけて余すところなく歩く。そのためには、かえって楊岐禅師の三本脚の驢馬に跨るのが何より。

 人にはそれぞれ、生れついての因縁がある。そのそれぞれが、鮮やかな機先の働きへと玄妙に通底している。――那※(なた)太子は、己が肉体の骨を抜き取って元の父に還(かえ)したというではないか。どうして今更、わざわざ老爺(ラオイエ)五祖大満の、生まれ変わりの迂遠な縁(えにし)をわざわざ必要とすることがあるであろうか、いや、全く以って無用である。

 黄龍慧南禅師が示した、仏の手と、驢馬の脚と、生れつきの縁(えにし)と――それらは、「仏ではなく」、「道ではなく」、「禅ではない」――咎めてはいけない――『無門関』が険しいことを――また、その険しさ故に、多くの修行者が、深い恨みを、収縮したブラック・ホールのように、『無門関』の空間に出現させていることを。

 私の居るこの瑞巖寺には、最近、無門和尚が来て居る。繩で編んだ説法の腰掛けに、どん、と座り込んで、真っ向を向くと、今は昔のエピソードを、一つ一つ、商量している。商量とは言うものの、その実、それがたとえ凡であろうが聖であろうが、一刀両断にしてしまうのがその施術なのであるが――さても……それを聴いて、どれだけのトグロを巻いた有象無象の蛇ぐさどもが、美事、昇龍となって、天空に雷音を轟かすことが出来るか……

[淵藪野狐禪師字注:「※」=「口」+(「托」-「扌」)。]

 

 無門慧開禅師をお招きして会衆に法を説く立僧首座(:当該の寺の僧ではないが、人徳修学が優れているため、特に招かれて会衆に説法する僧の、形式上の役僧の位。「首座」と言っても客員教授・名誉教授のようなものであって、通常の最高位の弟子の意ではない。)となって頂いた。その御礼にこの如何にも田舎臭い偈(げ)を以って感謝の意を表し、奉りまする。

 紹定(じょうてい)庚寅(かのえとら:西暦1230年。)三月 無量宗寿書

 

[淵藪野狐禪師注:以上は、最後に記されているように、当時の宋の名刹、浙江省丹丘にあった瑞巖寺の僧、臨済宗大慧派無量宗壽(むりょうそうじゅ:生没年未詳)の偈である。ここにしめされた「黄龍の三關」という公案は、北宋の禅者、臨済宗黄龍派始祖黄龍慧南(おうりょうえなん:10021069)が常に参禅した会衆に出したものとして有名なものである。

・「楊岐禅師の三本脚の驢馬」と訳した部分は、北宋の臨済宗楊岐派の始祖(無門もこの派)楊岐方会(9931046)の公案に基づく。西村注によれば、『僧が楊岐方会(ようぎほうえ)に「如何なるかこれ仏」と問うたのに対し、楊岐が「三脚の驢子、踵を弄して行く」と答えた(『古尊宿語録』楊岐方会章、『卍続蔵』一一八―三九八下)ことから、楊岐の宗風を三脚の驢子と称する。』とある。

・「五祖大満の、生まれ変わりの迂遠な縁」の「五祖大満」とは禅宗第五祖弘忍大満(602675)で、西村注によれば『前世に栽松道者という老人であったが、四祖道信の法を聴くためにみずから死んで一女の胎内に入り、この世に生まれて五祖となったという』、ここはその故事に引っ掛けたもの謂いである。

・「紹定庚寅三月」とあるが、無門慧開が先の後序を書いたのが、紹定改元の1228年の7月であるから、それより1年8箇月後のこととなる。

那※(なた)」[「※」=「口」+(「托」-「扌」)]は道教の神仙の一人。“nalakuubara”ナラクーバラで、本来はインドの神話の神。後に仏教の主護神として中国に伝えられ、更に道教に取り入れられて那※三太子等とも呼ばれる。中国に於ける毘沙門天信仰が高まると、毘沙門天は唐代初期の武将李靖と同一視され、道教でも托塔李天王の名で崇められる様になった。それに伴い、その第三太子という設定で那※太子も道教に取り入れられた。現在は「西遊記」「封神演義」などの登場人物として人口に膾炙する。分りやすい「西遊記」の出自では托塔天王の第三太子(「封神演義」では陳塘関の、後に托塔天王となる李靖将軍の第三太子)。生後三日で海中の水晶宮で蛟龍の背筋を抜く凄まじい臂力の持ち主であったが、その非道ゆえに父が彼に殺意を抱いたため、自ら身体を切り刻み、その肉を父に、骨を母に返したとする。後、その魂はその行為に感じた仏性により再生し、父とも釈迦如来の慈悲により和解したという設定で、例の天界で大暴れする孫悟空の討伐に出陣するが敗れる。後半の三蔵法師取経の旅にあっては、悟空の仲間・取経の守護神に一変、何度か見舞われる危機を救う好漢として登場する。

 

 

 

*  *  *

 

  (孟珙跋)

 

達磨西來不執文字。直指人心見性成佛。説箇直指已是迂曲。更言成佛郎當不少。既是無門因甚有關。老婆心切惡聲流布。無庵欲贅一語又成四十九則。其間些子※訛、剔起眉毛薦取。淳祐乙巳夏重刊。

 檢校少保寧武軍節度使、京湖安撫制置大使兼屯田大使、兼夔路策應大使、兼知江陵府漢東郡開國公、食邑二千一百戸、食實封陸佰戸、孟珙跋

[淵藪野狐禪師字注:「※」=「言」+(「淆」-「氵」)。]

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  (孟珙(まうきやう)の跋)

 

 達磨、西來して、文字を執らず。人心(にんしん)を直指(ぢきし)して、見性(けんしよう)して成佛す、と。箇(こ)の直指と説くも、已に是れ、迂曲なり。更に、成佛と言ふも、郎當(らうだう)少なからず。既に是れ、無門、甚(なん)に因りてか關有る。老婆心切にして、惡聲(あくせい)流布す。無庵、一語を贅(ぜい)せんと欲して、又、四十九則と成す。其の間、些子(さし)の※訛(がうか)あらば、眉毛を剔起(てきき)して薦取せよ。淳祐(じゆんいう)乙巳(きのとみ)の夏、重刊す。

 檢校少保寧武軍節度使、京湖安撫制置大使 兼 屯田大使、兼 夔路(きろ)策應大使、兼 知江陵府漢東郡開國公、食邑(しよくいふ)二千一百戸、食實封(しよくじつふう)陸佰戸、孟珙、跋す。

[淵藪野狐禪師字注:「※」=「言」+(「淆」-「氵」)。]

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  孟珙(もうきょう)の跋

 

 達磨大師が、西來して、彼は文字を用いることなく法を説いた。それは――人の心そのものを直(じか)に指さし、それで、己にもともと備わっている真実(まこと)の本性をその人自らに見究めさせて、自ら煩悩を解き放ち、自ら無上の悟りを開く――というものであった、という。しかし、考えてもみるがいい! この『直指――直に指さす』というもの謂いそのものが、既に已に、まわりくどいではないか! 更に、『成仏――煩悩を解き放って、無上の悟りを開く』などと『言うこと』自体が、如何にもだらしがない! だいたいがだ、無門と言っているのに、どうして関所がある? 関所など、あるはずがない! 無門慧開め、いらぬ老婆心でおせっかいをしよったからに、今ではすっかり悪名が高まっておる。拙者無庵の、この一言も、その「いらぬ老婆心のおせっかい」に加えた、疣(いぼ)のような無駄な一言(ひとこと)くっつけてしまったな、そうして、はてさて、新たにこの、「いらぬ老婆心のおせっかい」の『無門関』を、この疣で、更なる「いらぬ老婆心のおせっかい四十九則」と成してしまうこととはあいなった。……この拙者の謂いの裏(うち)に、もしも僅かでも誤りがあったならば、その時は、眉毛を逆立て、眼を抉り出さんがばかりに見開き、声も高らかに『孟珙野郎が間違った!』と、どうか厳しく「ご推挙」のほど、願いたいものである――それが私の最後の肩書きとも、なろうほどに――。

淳祐乙巳(きのとみ:淳祐五(1245)年。)の夏、「無門関」再刊に際して。

 檢校少保寧武軍節度使

 京湖安撫制置大使 兼 屯田大使

 兼 夔路(きろ)策応大使

 兼 知江陵府漢東郡開国公

 食邑(しょくゆう)2100戸 しかし

 食実封は600戸でしかない

孟珙が跋を記す

 

[淵藪野狐禪師注:この時、未だ無門慧開は63歳、孟珙が節度使をしていた建康府保寧寺住持として在世していた。

・「孟珙」(11951246)は南宋の武将で、列強の隣国金及びモンゴル帝国を相手に劣勢の南宋を美事に守り通した名将である。字は璞玉(ぼくぎょく)、号は無庵居士、諡(おくりな 諡号)は忠襄公。1234年に江陵府副制置使となり、1232年の三峰山の戦いではモンゴル軍と共闘し、金を滅ぼした。その後、協定を破ってモンゴルに背信した南宋に対し、モンゴルは南伐を開始、一時期、宋は窮地に陥るが、ここでも孟珙の働きにより、防衛される。この功により彼は京西湖北路安撫制置使(京湖方面に於ける方面軍総司令官)に昇進、以後も巧妙な戦略により戦線を安定させ、遂にはモンゴルのオゴタイをして南伐を諦めさせた。一方、戦乱で荒れ果てた四川や京湖に屯田を導入、難民対策と生産力回復にも心を砕き、国境守備軍の再編成による各戦区の相互支援システムを確立する等、極めて優れた戦略家であった。晩年は民衆はもとより、皇帝からも国家守護神の崇敬を受けたとされる。孟珙は易経や仏典にも通じており、「警心易賛」という自書もある(以上はウィキペディアの「孟珙」の内容と西村注を参照にして略述した)。本跋は孟珙が亡くなる前年のものであるが、激戦の勇士、狡猾たる戦略、累々たる屍を見てきた末の彼の言葉として考えた時、この跋は決して軽くない。

・「薦取」の部分を西村氏は『おおいに目くじらを立てて捉えて頂きたい』と、「捉える」と訳しておられるのであるが、私には日本語としてすんなり落ちてはこない。通常この「薦取」なる語は、優れた人材を推挙することをではないかと思われる。ここは所謂、禅語の皮肉めいた逆説的用法の部分ではなかろうか。とりあえず私はそのようなものとして一部の表現を補って訳してみた。識者の御批評を乞う。

・「少保」は官位。

・「寧武」は地名と思われる。現在の山西省の忻州(きんしゅう)市にこの地方名がある。

・「夔路」現在の四川省の地域名。現在、四川と呼んでいる地域は、最初、この宋代に川峡路(路は道と同じく方面・地方の意)という地域呼称がなされ、それが西川路・峡西路に分轄、後、更に西川路が益州路(成都)と利州路(漢中)に、峡西路が梓州路(三台)と夔州(奉節)に分轄された。この益・利・梓・夔の4つの路を「川峡四路」と呼び、それが簡略化されて「四川」という呼称になったとされる(以上は、「中国情報交換広場」の「四川の名前の由来について」の書き込み(投稿者SixiangBaniu 時間04-07-28 4:42)を参照にした。該当頁は掲示板なのでリンクは広域別情報交換のトップのみとした)。

・「開國公」は爵位。正二品の極めて高い位である。

・「食邑」は治めている領地のこと。平均的には太守や将軍は1000戸であるから、孟珙の評価の高さが知られるが、これは公称であって、次に「食實封」(これは実際の「食封」はという意味で、「食封」は「食邑」と同義である)とあるので、実際に所行していた領地は600戸分の土地しか実封されていなかったことが知れる。中国に於いて、このような公称と実数の数値を示すのが文書において普通だったものかどうか、私は不学にして知らないが(日本では有り得ない)、皮肉めいた暴露署名として読むと如何にも面白い。そのようなものとして訳してみた。識者の御教授を乞う。]

 

 

 

*  *  *

 

  (安晩跋)

 

無門老禪、作四十八則語判斷古德公案。大似賣油餠人、令買家開口接了、更呑吐不得。然雖如是、安晩欲就渠熱爐熬上、再打一枚足成大衍之數、却仍前送似。未知老師從何處下牙。如一口喫得、放光動地。若猶未也、連見在四十八箇、都成熱沙去。速道、速道。

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  (安晩の跋)

 

 無門老禪、四十八則の語を作(な)して古德の公案を判斷す。大いに似たり、油餠(ゆべい)を賣る人、買家をして口を開かせて接し了(をは)り、更に呑吐とすることを得ざるに。是くのごとく然ると雖も、安晩、渠(か)の熱爐熬上(がうじやう)に就き、再び一枚を打ちて、大衍(だいえん)の數を足し成し、却りて前に仍(よ)りて送似(さうじ)せんと欲す。未だ知らず、老師、何れの處より牙(は)を下さんかは。如(も)し一口(いつく)に喫(きつ)し得ば、光を放ちて、地、動く。若し猶ほ未だせざるがごとくんば、見在の四十八箇を連ねて、都(すべ)て熱沙と成し去らん。速やかに道(い)へ、速やかに道へ。

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  安晩の跋

 

 無門慧開老禅師は、四十八則の話を編集され、古えの幾多の優れた禅師の公案について商量なされた。それはあたかも、油餠(ユウピン)を売る人が、突如、目の前の買い手の口を無理矢理こじ開けて、今、揚げたての、それこそ油がジュウジュウ撥ねているそれを、ぐいと突っ込み、そうしたその上に、それを呑み込むことも、吐き出すことも出来ないようにさせるのと、極めてよく似ている。このように私はこの『無門關』の持つ一筋縄ではいかない性質を、充分に理解しているつもりではある――それでも、私、安晩は、かの熱くカンカンに灼(や)けている鍋を用いて、もう一枚の油餠(ユウピン)をパパンとうち焼いて、これに一(いち)足(た)し、「易経」で言うところの神聖なる大衍(だいえん)の数、即ち四十九則に足し成した上で、無門禅師の最初の版行にならって、再び同様に新生『無門關』として世に送り出そうと思う。――勿論、皆目分からぬことは言うまでもない、無門老師が、この私の新しいアツアツの油餠(ユウピン)を瞬時に嚙み裂いてしまう時、一体どこに、その最初の鋭い牙(きば)をお下しになるかは――

 さて、この私のアツアツの油餠(ユウピン)一枚――

 お前!

 もしこれを、一口で喰らうことが出来たなら、天は眩しく輝き、地も激しく鳴動する――

 しかし、もし一嚙みすることも出来なんだら、これまでの四十八枚の油餠(ユウピン)総てが、カンカンの鍋の中で、虚しく雁首揃えて炒り込まれ、すっかり細かな熱い粒子と化してしまうであろう――

 さあ、早く、答えよ! さあ、さっさと答えんか!

 

[淵藪野狐禪師注:この筆者である安晩は本名、鄭清之(11761251)と言い、南宋の政治家である。1217年に進士に及第、峡州教授、1223年には国子学録となる。史弥遠(しびえん:11641233。南宋の政治家。南宋の第四代皇帝寧宗の礼部侍郎として実権を伸ばし、1208年に宰相に就任、寧宗の死後は理宗を擁立して、権力を恣にした。しかし民衆には重税が課せられ、表向きの文治主義が重んじられる一方、軍事力が著しく低下、南宋滅亡の遠因を作ったとされる)らによる理宗擁立工作に協力したため、順調に昇進し、紹定三(1230)年には参知政事(参政とも。宰相職である同中書門下平章事の補佐に当たる副宰相)に昇る。史弥遠の死去後も、右丞相兼枢密使・左丞相となり、申国公・衛国公に封ぜられている。淳祐七(1247)年に越国公に封ぜられたが、まもなく辞任して湖山を流浪、僧寺に寓居した。その後、淳佑九(1249)年には、再び左丞相として復帰している。著作に『安晩堂集』がある(以上は主に「中国史人物事典」の記載を参考にした)。その経歴を見ると、エリート・コースを順調に登り詰めて、怜悧な知性で権力闘争をも難なく渡って来た、なかなかの海千山千の男の姿が髣髴としてくる。それでも、次の「第四十九則語」の最後のクレジットを見ると、本跋の執筆は淳祐六(1246)年6月、西湖の畔でのことであることが分かる。少しばかり世渡りに飽いた彼の視線の彼方には、最早、美しい西湖の映像ではなく、すでにその後に流浪することとなる幾山河の幻が掠めてでもいたのかも知れない。

・「油餠」は中国音“youbing”ユウピンで、揚げパンのような感じの食物を言う。

・「大衍の數」とあるが、西村注では「易経」の『繫辞伝上に「大衍の数五十、其の用四十九」とあり、五十は天の数と地の数の合計。この天地の数からあらゆる天地間の万象が演出せられるので、これを大衍五十という。そのうえさらに用四十九という意味については古来異説多し。』とのみ記されている。私は馬鹿なのか、この注の説明が腑に落ちない。識者の御教授を乞うものである。

・「老師、何れの處より牙を下さんかは」とあるが、無門慧開は景定元(1260)年4月7日78歳で遷化している。即ちこの時、未だ無門慧開は64歳、護国仁王寺住持として在世していたのである。]

 

 

 

*  *  *

 

  第四十九則語

 

經云、止、止、不須説。我法妙難思。安晩曰、法從何來、妙從何有。説時又作麼生。豈但豐干饒舌。元是釋迦多口。這老子造作妖怪、令千百代兒孫被葛藤纏倒未得頭出。似這般奇特話靶、匙挑不上、甑蒸不熟。有多少錯認底。傍人問云、畢竟作如何結斷。安晩合十指爪曰、止、止、不須説。我法妙難思。却急去難思兩字上、打箇小圓相子、指示衆人、大藏五千卷、維摩不二門、總在裏許。

 

頌曰

 

語火是燈

掉頭弗譍

惟賊識賊

一問即承

 

淳祐丙午季夏初吉 安晩居士書于西湖漁莊。

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  第四十九則の語(こと)

 

 「經」に云く、

「止みなん、止みなん、須らく説くべからず。我が法、妙にして難思(なんし)。」

と。

 安晩曰く、

「法は何れより來たる、妙は何れより有(う)なる。説く時、又、作麼生(そもさん)。豈に但だ豐干(ぶかん)のみ饒舌ならんや。元、是れ、釋迦、口多し。這(こ)の老子、妖怪を造作して、千百代の兒孫をして葛藤に纏倒(てんたう)せられて、未だ頭出することを得ざらしむ。這般(しやはん)の奇特の話靶(わは)、匙(さじ)、挑(たう)せんとするも上(のぼ)らず、甑(こしき)、蒸さんとするも熟せざるに似たり。多少、錯認するの底(てい)、有り。」

と。

 傍らの人、問ふて云く、

「畢竟、如何にしてか結斷を作(な)さんや。」

と。

 安晩、十指の爪を合せて曰く、

「止みなん、止みなん、須らく説くべからず。我が法、妙にして難思。」

と。

 却(かへ)りて急に『難思』の兩字の上に去りて、箇(こ)の小圓の相子を打ちて、衆人に指し示して、

「大藏五千卷、維摩(ゆいま)不二の門、總て裏許(りこ)に在り。」

と。

 

 頌して曰く、

 

火は是れ燈(ひ)なるを語らば

頭を掉(ふる)ひて譍(こた)へず

惟(こ)れ 賊のみ賊を識る

一問 即ち 承(しやう)

 

淳祐(じゆんいう)丙午(ひのえうま)季夏初吉(しよきつ) 安晩居士 西湖(せいこ)の漁莊にて書す

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  第四十九則めの話

 

 「法華経」に言う。

「やめなさい。やめるのだ。説いてはいけない。私の法は、玄妙にして微妙で、全く思惟を超えたものである。」

 

 安晩、商量して言う。

「仏の法は一体、どこに『在る』?

 それが『玄妙微妙』である、というのは一体、どのような『在り方』で『在る』?

 それを『説く』とするならば、それはまた、どのような『在り方』で『説く』という行為が『在る』?――

 豊干ばかりがお喋りなわけではない。もとはと言えば、釋迦自身が余りにもお喋りではないか。だから、この無門老爺(ラオイエ)までが、奇怪至極な『無門関』なんどというものを捏造し、末代までの数多(あまた)の真摯な修行者を葛(かずら)と藤の蔓で雁字搦めに縛りつけて投げ転がし、簀巻きの中から未だに頭さえ出せないようにさせているのである。さあ、お食べなさいと、四十八種を記した豪華なディナー・メニューを出されても、匙で掬うことも出来なければ、甑(こしき)で蒸そうにも、何時まで待っても蒸しあがらず、口に入らず、ただただ飢えているだけ、というのと全く変わりがない。だのに、これらを満漢全席大御馳走だと大間違いをして、何もないテーブルにただちょこんと座り、呆けて待っているだけの大阿呆が、数多、おる。」

 

 ――ある時、安晩が、実際に口に出してこう言ってみたところ、傍らに居た人が、次のように訊ねた。

「それでは、結局のところ、あなたの言いたいところは何なのか?」

と。

 安晩は、おもむろに十本の指の爪を合わせて合掌すると、言った。

「やめなさい。やめるのだ。説いてはいけない。私の法は、玄妙にして微妙で、全く思惟を超えたものである。」

 そう言い終るや、即座に目の前に書いた「法華経」のあの『止止不須説我法妙難思』の中の、その『難思』の二文字を囲むようにして、一つの円を描いた。そうして、そこにいた他の人々にもその一つの円を指し示して、言った。

「仏の説いた大蔵経五千巻も、維摩居士が沈黙をもって答えた不二の教えも、みな、総て、『この中に在る』。」

 

 次いで囃して言う。

 

あらゆる総てを灼(や)き尽くし あらゆる総てを創り出す

 その大元の『火』はここの 『一つの灯(ともし)』そのものと

  言うてみたとて御主らは

頭(かぶり)を振って 肯んずることなし

これぞこれ ホントのホントのワルだけが ホントのワルを分かるよに

 孤独な真実(まこと)の魂だけが 孤独な真実(まこと)の魂を

  理解することが出来るのだ

コール・アンド・レスポンス――呼びかけることと応えること――

 ――問いと答えは 全く同じい

 

淳祐丙午(ひのえうま:淳祐6(1246)年。)季夏六月初旬の吉日 安晩居士 西湖の畔(ほとり)の漁師小屋にて書く

 

[淵藪野狐禪師注:この則については、前出「安晩跋」及びその注をも参照のこと。

・「豐干」は唐代の禅僧。生没年未詳。天台山国清寺で寒山・拾得を養い、後世併せて三聖と称せられる。虎に乗って会衆を驚かすなどの奇行でも知られる。この「お喋り」という表現は、森鷗外の「寒山拾得」のエンディングの寒山の印象的な台詞「豐干がしやべつたな」を想起させて面白い。]

 

 

 

*  *  *

 

  釋淵藪野狐禪師侮通跋

 

淵藪野狐禪師云、請振出骸子七目。

 

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  釋 淵藪(えんそう)野狐(やこ)禪師 侮通跋(ぶつばつ)

 

淵藪の野狐禪師云く、

「請ふ、骸子(さいころ)の七の目を振り出ださんことを。」

と。

 

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  訳注者淵藪野狐禪師の仏跋(=仏罰)

 

淵藪の野狐禪師が、毘婆尸仏以下釈尊までの過去七仏との賭場でイカサマを見破られ、子分の文殊菩薩に簀巻きにされた上、罔明菩薩に抱えられて恒河に投げ込まれんとする時、ここに至ってもビートたけし風に虚勢を張って、叫ぶ。

「てめぇ、この野郎(ヤロ)! 悔しかったら、サイコロの七の目、振り出してみぃ!」

 

 

 

「無門關」全 危險即危險譯註淵藪野狐禪師 了