和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔類 寺島良安
書き下し及び注記 © 2008-2023 藪野直史
(原型最終校訂 2008年11月24日 午後 5:00)
(再校訂・修正・追補開始2023年10月 3日 午前 9:41)
(再校訂・修正・追補終了2023年10月 9日 午前11:09)
[やぶちゃん注:本ページは私の構想した「和漢三才圖會」中の水族部電子化プロジェクトの追加テクスト、淡水産及び海産の藻類の部である(「苔類」の部はその多くが蘚苔類であるが、冒頭の「陟釐(あをさ)」・「乾苔(あをのり)」・「井中苔(いどのこけ)」・「船底苔(ふねのこけ)」及び最後の「海人草(まくり)」が藻類と思われ、それらのみを抜書きするのは如何にも気が引けたので、「苔類」全てを翻刻することとした)。底本・凡例・電子化に際しての方針等々については、私の意識の中での水族部プロジェクトの冒頭とした「和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部 寺島良安」の冒頭注の凡例を参照されたい。
以下の目録は、底本では「卷之九十七」の冒頭に「水草」という大項目の下、「藻類」と「苔類」とが続けて掲載されている。以下、ここでは都合、その目録部の大項目・中項目及び各頁の柱、「藻類」と「苔類」の部分の目録のみを翻刻してある(冒頭の「水草」(水辺や水上の顕花植物群)と後部の「卷九十八」の「石草」(主に岩石や他の木本類の表層部等に生育する植物群)の目録は省略した)。目次の項目の読みはママ(該当項のルビ以外に下に書かれたものを一字空けで示した。なお本文との表記の異同も認められるが、原則、注記はしていない)。なお、原文では横に三列の罫があり、縦に以下の順番に書かれている。項目名の後に私の同定した和名等を[ ]で表示した。誤りを見つけた方・疑義のある方は、是非、御一報あれ。恩幸、之に過ぎたるはない。【二〇二三年十月三日追記】私のサイトの古層に属する十五、六年前の作品群で、当時はユニコードが使用出来ず、漢字の正字不全が多く、生物の学名を斜体にしていないなど、不満な箇所が多くある。今回、意を決して全面的に再校訂を行い、修正及び注の追加を行うこととした。幾つかのリンクは機能していないが、事実、そこにその記載や引用などがあったことの証しとして、一部は敢えて残すこととした。さても……サイト版九巻全部を終えるには、かなり、かかりそうである。]
■和漢三才圖會 水草石草 卷九十七之八 ○目録 一
[やぶちゃん字注:「目録」と「一」のスペースはママ。翻刻した他の水族の巻と比すと、「卷」の後の「ノ」がなかったり、「目録」の位置が異なって(巻数の末尾についている)いたりする。]
和漢三才圖會卷九十七之八目録
卷之九十七
水草【藻類・苔類】
藻類
藻(も) [淡水産藻類]
海藻(うみのも) [海藻類及び海草類]
莫鳴菜(なのりそ) ほだわら [ホンダワラ]
海髮(いぎす) [イギス]
石花菜(ところてん) [テングサ]
鷄冠菜(とさかのり)附〔(つけた)〕り陽梅苔(ヤマモヽノリ) [トサカノリ]
[やぶちゃん字注:「附り陽梅苔」は底本ではポイント落ちで、「り」はカタカナの漢文送り仮名で「リ」。また、「ヤマモヽノリ」のルビは他がすべて平仮名であるのに対し、ここのみカタカナである。読み難くなるだけなので、「附り」のみ上附きとした。以下、同じ。]
海蘊(もずく) [モズク]
於期菜(おごのり) [オゴノリ]
鹿角菜(ふのり) [フノリ]
十六島苔(うつぷるい) [ウルップイノリ/アマノリ]
龍鬚菜(しらも) [シラモ/コナハダ]
櫻苔(さくらのり)附り松苔 [サクラノリ/マツノリ]
紫菜(あまのり) [アサクサノリ/カワノリ/スイゼンジノリ]
石蓴(わかめ) [ワカメ]
海帶(あらめ) [アラメ]
[やぶちゃん字注:「帶」の字は、原本では、「廿」を横に三つ接続したような字(「帯」の一画目に縦画が四本入った字体)であるが、正字に直した。以下、本文にあっても、同様に処置したので、ここのみで注しておく。]
末滑海藻(かぢめ) さがらめ [カジメ/サガラメ]
昆布(こんぶ) [コンブ]
鹿角菜(ひじき) [ヒジキ]
《改ページ》
■和漢三才圖會 水草石草 卷九十七之八 ○目録二
水松(うみまつ) [ミル/刺胞動物のツノサンゴ類、又は、ヤギ類]
海索麺(うみさうめん) [ウミゾウメン]
苔類
陟釐(あをさ) [ミドロ類]
乾苔(あをのり) [アオノリ]
井中苔(いどのこけ) [ミドロ類他]
船底苔(ふねのこけ) [海産藻類]
地衣(こけ) [蘚苔類・地衣類]
石蕊(いしのこけ) [地衣類(ハナゴケ?・ウメノキゴケ?・ムシゴケ?)]
垣衣(かべのこけ) [コケ植物・地衣類・シダ植物]
瓦松(しのぶくさ) [イワレンゲ?・ツメレンゲ?]
屋遊(かはらこけ) [菌類・蘚苔類・地衣類・シダ類等]
烏韭(いはこけ) [蘚類(シノブ?・オドントソリア?・ホウオウゴケ?)]
百蘂草(ひやくずいさう) [カナビキソウ?]
卷柏(いはひば) [イワヒバ]
地柏(ぢはく) [イワヒバ科セラギネラ・クラウシアーナ]
玉柏(まんねんぐさ) [マンネンスギ]
艾納(まつのこけ) [ゼニゴケ]
馬勃(ぼうべいし) きつねのふくろ [オニフスベ・ホコリタケ類]
[やぶちゃん注:「きつねのふくろ」という呼称は本文に全く現われないが、本種と同定される茸、担子菌門ホコリタケ目ホコリタケ科の日本固有種であるオニフスベ Lanopila nipponica の別名には、「キツネノハイブクロ」「キツネノチャブクロ」という名が現存する。該当項の注を参照されたい。]
海人草(まくり) [マクリ]
□本文
■和漢三才圖會 水草藻類卷九十七 ○九
[やぶちゃん字注:底本では「藻類」はポイント落ちで右方に寄る。割注風であるが、標柱であるので上記のように示した(以下、すべての柱で同様なのでここに示し、以下では注しない)。以下、「水草」の部の最後の「水葵」が冒頭に入るが、省略した。]
藻類
も
藻【音早】
ツア゜ウ
馬藻 水薀
菹【音鮓】
【和名毛
一云毛波】
[やぶちゃん字注:以上四行は、前三行下に入る。「薀」の(くさかんむり)の下は「温」と略字であるが、正字を用いた。]
《改ページ》
本綱藻水草之有文者水中甚多有數種
馬藻 葉長二三寸兩兩對生入藥用之
水薀 【一名牛尾薀又名鰓草】葉細如絲及魚鰓狀節節連生
菹 水藻也農政全書云生陂塘及水泊中莖如麄線
長三四尺葉形似柳葉而狹長故名柳葉菹
氣味【甘大寒滑】凡天下極冷無過藻菜但有患熱毒腫丹毒者
搗傅之厚三分乾卽易其效無比
夫木 いつしかもけふを暮して阿須か川渡りて早く玉もかつかん 貫之
*
も
藻【音、早。】
ツア゜ウ
馬藻〔ばさう〕 水薀〔すゐうん〕
菹【音、鮓。】
【和名、「毛〔も〕」。一〔(いつ)〕に、「毛波〔もは〕と云ふ。】
「本綱」に、『藻は。水草の、文、有る者〔なり〕。水中に、甚だ、多し。數種〔(すしゆ)〕有り。
馬藻 葉の長さ、二、三寸。兩兩〔(ふた)つ〕づゝ、對生す。藥に入るるには之れを用ふ。
水薀 【一名、「牛尾薀」。又は、「鰓草〔(さいさう)〕」と名づく。】葉、細〔かな〕ること、𮈔〔=�絲=糸:後にも何度も出るが、繰り返さない。〕、及び、魚の鰓の狀〔(かたち)〕のごとくなる〔→なりて〕、節節に、連生す。』と。
菹は、水藻なり。「農政全書」に云はく、『陂塘〔はたう〕、及び、水泊の中に生ず。莖、麄〔=麤〕〔(あら)〕き線のごとし。長さ、三、四尺。葉の形、柳の葉に似て、狹長〔(さなが)〕し。故に「柳葉菹」と名づく。』と。
〔「本綱」に、〕『氣味【甘く、大寒、滑。】凡そ、天下に極冷〔(ごくれい)〕なるもの、藻菜に過ぎたるは、無し。但し、熱毒・腫・丹毒を〔→に〕患〔(かか)〕ること有らば、搗きて、之れを傅〔(つ)=貼〕く。厚さ三分〔:三ミリメートル。〕、乾かば、卽ち、易〔(か)=換〕ふ。其の效〔(かう)〕、比(たぐい[やぶちゃん字注:「い」はママ。])無し。』と。
「夫木」 いつしかもけふを暮してあすか川渡りて早く玉もかづかん 貫之
[やぶちゃん注:藻の総論部。但し、本記載、及び、続く「海藻」の呼称と、その記載から、ここでの「藻」は、淡水産藻類の総称として用いられている。対する、現在、我々が使用する「藻類」( algae )という呼称は、酸素発生型光合成を行う生物(光合成には、酸素非発生型光合成を行う真正細菌クロロビウム門クロロビウム綱クロロビウム目クロロビウム科 Chlorobiaceae の硫黄細菌等の光合成細菌がいるが、これは藻類に含まない)の内、主に地上に棲息するコケ植物・シダ植物・種子植物を除いたものの総称である。真正細菌 Bacteria である藍色植物門 Cyanophyta に属するシアノバクテリア(Cyanobacteria :藍藻)から、真核生物 Eukaryota の内の単細胞生物(原生生物界単細胞藻類の不等毛植物門珪藻綱 Bacillariophyceae に属する珪藻類・同門の黄緑藻綱 Xanthophyceae に属する黄緑藻類・渦鞭毛植物門 Dinophyta に属する渦鞭毛藻など)、及び、多細胞生物である海藻類(紅藻植物門 Rhodophyta に属する紅藻類・不等毛植物門褐藻綱 Phaeophyceae に属する褐藻類・ 緑色植物門緑藻綱 Chlorophyceae に属する緑藻類など)等を含む広範な生物群を含む。一見、相似・相同形であっても、種によっては、全く縁のない多様な進化の過程を経てきた生物群であり、そこで共通するのは――水中生活をすることと、葉緑素を持って、酸素発生型の光合成を行い、独立栄養を営む植物群――という点のみである。従って、「藻類」という呼称は、生物学的には、最早、特定の共通起源や、属性を持った分類とは、言えないのである(以上は主にウィキの「藻類」の記載に従った)。
・「菹【音、鮓。】」とあるが、「菹」は、音「ソ」又は「ショ」(現代仮名遣。以下同じ)、「鮓」は、音「サ」又は「シャ」で、音通では、ない。「菹」の字義については、後注を参照されたい。
・「毛波」は、古語辞典を見ると、「藻葉」と表記する。上代には、紅色植物門紅藻綱テングサ目テングサ科 Gelidiaceae のテングサ類(多様な種を含む)に「古留毛波」(こるもは)という名を与えていたようであり(「大宝律令」では『凝海藻(こるもは)』と記載する。後掲する「石花菜」を参照されたい)、「祝詞」(のりと)には、『中つ藻葉、邊(へ)つ藻葉に至るまでに』とある。また、「MANA事典」の「心太」の項に拠れば、『矢野憲一「神々と食事の知識」(『歴史読本 日本たべもの百科』昭和49年臨時増刊)に、神饌の品目としてあげた中に「海藻」として、「奥津藻葉(おきつもは)として昆布。若布云々」「辺津藻葉(へつもは)として、ヒジキ、アラメ、海苔云々」の記述あり』とある、とする。
・「馬藻」の「馬」は、次項の「海藻」の「馬尾藻」、「莫鳴草」の別名「神馬藻(じんばそう)」等から考えて、馬の鬣や尻尾との相似からの呼称であろうか。「長野電波研究所」の本草綱目リストでは、この「馬藻」に単子葉植物綱オモダカ目ヒルムシロ科ヒルムシロ属のエビモ Potamogeton crispus を同定している。止水域でのエビモは、春、茎の頭頂部分が肥厚し、殖芽(栄養体)を形成するため、もさもさした感じであるが、流水域に生育する緑色の濃い群落は、スマートで、馬の毛並みのように見えないこともない。なお、エビモには、他にエビクサやササモの別名がある。
・「水薀」の「薀」は、漢和辞典を引くと、この字自体に「水草」の意があり、マツモ・キンギョモを指すとある。マツモの通称が、キンギョモであるとする記載に従うならば、狭義には、双子葉植物綱スイレン目マツモ科マツモ属マツモ Ceratophyllum demersum var. demersum を指すということになるのだが、このマツモ科マツモ属 Ceratophyllum 自体が、ゴハリマツモ Ceratophyllum platyacanthum など、一属六種に分かれており、更に、現在、市場で、「金魚藻」とか「金魚草」と呼ばれるものには、極めて多様で、遠縁の観賞用水草群が含まれている。マツモ以外には、スイレン目ハゴロモモ科のフサジュンサイ(カボンバ)Cabomba caroliniana 、単子葉植物綱チカガミ目トチカガミ科オオカナダモ(アナカリス)Egeria densa (中文サイトでは、「水薀草」という中国名を本種に与えている)、フサモ Myriophyllum verticillatum に代表される双子葉植物綱アリノトウグサ目アリノトウグサ科フサモ属 Myriophyllum に、オオフサモ Myriophyllum aquatium (更に都合の悪いことに、この属には「キンギョモ」の和名を持つ Myriophyllum sspicatum がいる)等が挙げられる。
・「菹」という字は、本来は、「根菜類を酢で醗酵させた漬物」や、広く、「野菜や肉を塩漬けにした漬物」の意であるが、別に「草の生えている沢」という意味があり、そこから、藻類を指す意味に敷衍されたものと思われる。現在の中文サイトで「菹草」を調べると、既に「馬藻」に同定している「エビモ」としている。実際、この「菹」の「農政全書」の叙述内容は、エビモの記載として、決しておかしいとは思われない。「柳葉菹」(東洋文庫版の訳では『やなぎしよ』とルビする。根拠が判らない)は現在の呼称としては用いられていない模様である。なお、「本草綱目」の少なくとも「水藻」の項には、この記載内容は所収しない(そのため、異例に、引用の二重鍵括弧を排除した。続く「氣味」の記載は「本草綱目」の「水藻」にあるのである。但し、私は「本草綱目」の周辺項目全てを縦覧したわけではないので、別な箇所に在るのかもしれない)。そもそも、「菹」の右下に「ハ」の送り仮名が送られながら、スペースがあいているというのも、私が翻刻した水族の部の良安の記載方法から見るとかなり異例である。
・「農政全書」は明の徐光啓によってまとめられた中国史上、極めて優れた農学書(但し、出版は徐光啓の死後の一六三九年)。従来の伝統的な秦漢以来の農事の記載に加えて、イエズス会の宣教師によって齎された西洋の水力学や、アメリカ原産のサツマイモについての記載を加える等、農政・水利に関する最新の技術や思想をも集成している。
・「陂塘」川や池の堤。
・「水泊」は、東洋文庫版では『ぬま』とルビする。沼や、大きな沼沢地を言うのであろう。
・「麄〔=麤〕〔(あら)〕き」は「粗い」の意。
・「熱毒」漢方で、熱の勢いが強いために起こる発赤・腫脹・化膿・高熱等の症状を言う。
・「腫」腫物、又は、「腫毒」で、広く、「皮膚の炎症」を言う。東洋文庫版は『熱毒腫』という三字の熟語でとっている。熱毒による腫物という意味であるならば、特に問題はないように思われるが、ここは、「熱毒・腫毒・丹毒」の意味ではなかろうか。後続する項を見ると、藻類は、広く腫物への効用を持っているからである。これは必ずしも、熱毒による腫瘍に限定されるものではあるまい。私は独立させておく。
・「丹毒」溶血性連鎖球菌による急性皮膚感染症。突発性の高熱と悪寒から全身性の倦怠感に進み、真皮内感染によって皮膚に境界の明瞭な鮮紅色の腫脹が生じ、急速に周囲に拡大する。腫脹の表面は、光沢があり、硬く、熱を持っており、触れると、激痛が走る。頰や目・耳の周囲や、四肢に多く出現し、通常は、リンパ節の腫脹・疼痛を伴う。予後は必ずしも悪くないが、治療が不十分であると、敗血症・髄膜炎・腎炎などの、重い合併症を併発し、致命的になる場合もある。現在でも腫脹部には冷湿布を処方する。
・「夫木」延慶三(一三一〇)年頃に成立した藤原長清撰になる私撰和歌集。動植物を詠んだ珍しいタイプの和歌も多く採録されている。この和歌は巻二十八雑十に所収する。
いつしかも今日を暮して明日香川渡りて早く玉藻かづかむ
という紀貫之の歌は、「万葉集」第二巻(一九四・一九五番)の長歌附き反歌、
*
柹本朝臣人麻呂、泊瀨部皇女(はつせべのひめみこ)と
忍壁皇子(おさかべのみこ)とに獻(たてまつ)れる歌
一首幷(あは)せて短歌
飛ぶ鳥の 明日香の川の 上(かみ)つ瀨に 生ふる玉藻は
下(しも)つ瀨に 流れ觸らばふ
玉藻なす か寄りかく寄り 靡かひし
嬬(つま)の命(みこと)の たたなづく 柔膚(にきはだ)すらを
劍大刀(つるぎたち) 身に添へ寢ねば
ぬば玉の 夜床(よとこ)も荒るらむ
そこ故に 慰めかねて
けだしくも 逢ふやと思ひて
玉埀(たまだれ)の 越智の大野の
朝露に 玉裳は濕(ひ)づち
夕霧に 衣(ころも)は濡れて
草枕 旅寢かもする 逢はぬ君ゆゑ
反歌一首
敷栲(しきたへ)の袖交(か)へし君玉埀の越智野過ぎゆくまたも逢はめやも
右は、或本には、「河島皇子を越智野に葬りし時に、
泊瀨部皇女に獻る歌なり」といふ。日本紀には「朱
鳥の五年辛卯(かのとう)の秋九月、己巳(つちの
とみ)の朔の丁丑(ひのとうし)に、淨大參川島薨
ず」といふ。
○やぶちゃん訳:
柿本朝臣人麻呂が泊瀨部皇女と忍壁皇子の二人に献じた歌一首
并びに短歌
明日香の川の上(かみ)の瀬に生える玉藻は
下(しも)の瀬へと流れて行き その流れにも優しく触れ合います
その玉藻のように 睦まじく靡き合い 寄り添うた――
あなたの肌えに 最早 わたしの肌えを重ねて
あなたの剣や太刀のように その身に添え寝まることもできませぬゆえに
あなたの夜の臥し所(ど)は どんなにか荒(すさ)んでいらっしゃることでございましょう
それゆえ わたしは己れを慰めかね
或いは あなたに逢えるやも知れぬと
越智の大野の
朝露に私の玉の裳裾はしっとりと
夕べの霧に私の衣はすっかり濡れそぼち
旅寝をするのです――もう生きては逢えぬあなたゆえに――
反歌一首
袖を交わしたあなたの葬列が越智の野を過ぎて行く――また死した後もあなたと逢うことは……できるのでしょうか……
右の歌は、或る本には、「河島皇子を越智の野に葬った際に、
泊瀬部皇女に柿本人麻呂が献じた歌である。」という。「日
本書紀」には、「朱鳥五年辛卯の年の秋九月、己巳の朔の、
丁丑九日に、浄大参位であった川島皇子が薨じた。」と記す。
*
が、ルーツであろうか。以上の長歌は、通常、通しで記載されるが、意味をとり易くするため、私の判断で改行し、句間スペースを入れてある。なお、「朱鳥五年」は西暦六九一年である。前書に現われる忍壁皇子は、泊瀬部皇女の兄。但し、川島皇子の真の妻は別人(飛鳥皇女)であったとも言われる。さてもまた、それを受けたと思われる、以下の同じく「万葉集」の巻十三の三二六七番の「読人知らず」の恋歌(これは同様な影響下にある第三二六六番の長歌の反歌)の、
*
明日香川瀨々の玉藻のうちなびき心は妹に寄りにけるかも
○やぶちゃん訳
明日香川にある多くの瀬 そこに繁る豊かな玉藻 それが靡く――
そのように 私の心は すっかりあなたに靡いてしまったよことよ……
*
や、やはり「読人知らず」の「古今和歌集」第十八巻所収の(九三三番)、
世の中はなにか常なるあすか川昨日の淵ぞ今日は瀨になる
○やぶちゃん訳
世の中には 永遠(とわ)に変わらぬものなど 何もない――流れも早きあすか川――
昨日 深い淵であったところが 今日は最早 浅い瀬となっているではないか――
*
辺りのパロディであろうか? なお、この明日香川は、現在の飛鳥川で、高市郡高取山を源流とし、稲淵山の西を通って、「甘樫の丘」や藤原宮の辺り、まさに飛鳥の里を通って、大和川に注ぐ川である。「かづく」は、藻を「被(かづ)く」で、「被る」の意と思われる(「藻」であるから、水に潜る、「潜(かづ)く」の意味も掛けているかと思われる)が、和歌嫌いな私には、今一つ、この下の句の意味がよく分からない(パロディなのか、真剣なのかということが、分からないのである)。識者の評釈をお聞かせ頂ければ幸い。……ただ、こうして並べてみると、貫之の歌は、如何にもつまらぬ歌という気はしてくるんだな……]
***
[やぶちゃん注:上図の中の書入れは、
本草必讀
所ㇾ圖
大葉ノ藻
である。]
うみのも
海藻
ハイ ツア゜ウ
𧂇【音單】 落首
海蘿◦大葉藻
[やぶちゃん字注:以上二行は、前三行下に入る。また、「海蘿」の後の「◦」は下の「大葉藻」とは別語であることを示す区切り記号であるらしいが、今までの「和漢三才圖會」翻刻では、ちょっとお眼にかかったことのない、句点と著しく似た珍しい記号である。]
本綱海藻乃生海島之藻也黒色如亂髪而大少許葉大
都似藻葉也有二種生淺水中如短馬尾細黑色者馬尾
《改ページ》
■和漢三才圖會 水草藻類 卷九十七 ○十
藻也生深海中葉如水藻而大者大葉藻也海人以繩繫
腰没水取之
海藻【苦鹹寒】 氣味厚純陰而沉也【反甘艸】治癭瘤馬刀諸瘡
堅而不潰者利小便下水腫治五膈痰壅
【東垣散腫潰腫〔→堅〕湯海藻甘草兩用之蓋以堅積之
病非平和之藥所能取捷必令反奪以成其功也】
△按生海島水上者曰藻生海中石上者曰苔今藻苔共
通曰苔而海苔類以充食品者凡三四十種隨形色及
所出地立名不能悉記畧見于左
*
[やぶちゃん注:図の中の書入れを書き下すと『「本草必讀」に圖する所の大葉の藻。』となる。後注参照。]
うみのも
海藻
ハイ ツア゜ウ
𧂇【音、單。】 落首〔(らくしゆ)〕
海蘿〔(かいら)〕。大葉藻〔(だいえふさう)〕
[やぶちゃん字注:「海蘿。」の「。」は、翻刻の字注を参照のこと。]
「本綱」に、『海藻は、乃〔(すなは)〕ち、海島に生ずるの藻なり。黒色、亂〔れ〕髪のごとくにして、大(ふと)さ、少し許〔(ばかり)〕。葉〔(は)は〕、大〔にして〕、都〔(す)〕べて藻の葉に似たり。二種、有り。淺水の中に生じて、短かき馬の尾のごとく細く、黑色なる者、「馬尾藻」なり。深〔き〕海の中〔(うち)〕に生じて、葉、水藻のごとくには〔→ごとくにして〕、大なる者は、「大葉藻」なり。海人、繩を以つて、腰に繫ぎ、水に没して、之れを取る。
海藻【苦・鹹、寒。】 氣味、厚く、純陰にして、沈む【甘艸に反す。】。癭瘤(こぶ)・馬刀(るいれき)・諸瘡の、堅〔(けん)〕にして、潰れざる者を治す。小便を利し、水腫〔:浮腫。〕を下し、五膈痰壅〔(ごかくたんよう)〕を治す。
【東垣が「散腫潰堅湯」〔(さんしゆくわいけんたう)〕に、海藻と甘草と兩つともに、之れを用ふ。蓋し、以つて、堅積〔(けんしやく)〕の病〔ひには〕、平和の藥、能(よ)く捷(はやき)を取る所に非ず。必ず、反奪して、以つて、其の功を成さしむればなり。】』と。】
△按ずるに、海島の水上〔(すいしやう)〕に生ずる者を「藻」と曰ひ、海中の石上〔(せきしやう)〕に生ずる者を「苔〔(のり)〕」と曰ふ。今、藻・苔共に通じ、「苔(のり)」と曰ふ。而して、海-苔〔(のり)〕類、以つて、食品に充つる者、凡そ、三、四十種。形・色、及び、出づる所の地に隨ひて、名を立つ。悉く、記〔(しる)〕すこと、能はず、畧〔(ほぼ)〕左に見よ。
[やぶちゃん注:海産藻類の総論部。現在、「海藻」と書いた場合は、海産の藻類を指し、ここで私が一つの同定に当てたいところの、被子植物門単子葉植物綱オモダカ亜綱イバラモ目アマモ科リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ(アマモ)Zostera marina 等に代表される、種子植物は含まない。そうした種群を指す場合は、「海草類」と表記して区別する。読みも「かいそう」との誤解を避けるために、「うみくさ」と訓読するケースもあるほどである。生物学上の厳密な海産藻類の中には、広範な植物プランクトンや、褐虫藻( zooxanthell :ゾーザンテラ。サンゴ・クラゲ・イソギンチャク等の刺胞動物の体内や、斧足類のシャコガイ等の外套膜など、特に熱帯から亜熱帯にかけて棲息している海産無脊椎動物の細胞内に共生している、渦鞭毛植物門 Dinophyta の渦鞭毛藻類に属する Symbiodinium 属・ Amphidinium 属・ Gymnodinium 属等の単細胞藻類の総称)のような共生藻類等は、「海藻」の範疇には含まないのが、一般的である。
・『「本草必讀」に圖する所の大葉の藻』の「本草必讀」という書は、東洋文庫版の後注には、『「本草綱目類纂必読」か。十二巻。』とのみあるだけである。中国の爲何鎭(いかちん)なる人物の撰になる「本草綱目」の注釈書であるらしい。さて、この図中挿入文全体だが、まず、図の中の二種の海藻の内、どちらを指しているのやら分からない点が悩ましい。上方のものは、前項の淡水産の双子葉植物綱スイレン目マツモ科マツモ属 Ceratophyllum にかなり似ている(輪状葉に通常の葉状体が附随している点が異なる)が、「水上」に浮ぶ移動性のホンダワラには見えない。下部の髪状のものが、「大葉藻」で、後述する私の愛する被子植物門単子葉植物綱オモダカ亜綱イバラモ目アマモ科リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ(アマモ)Zostera marina である、と言われれば、上部のヘンテコな「海藻」よりは、アマモに似てはいると言えないわけではないが……。この絵と詞書は「だめだ、こりゃ!」のレベルであると思うのである――。なお、東洋文庫版の訳では、編者割注で「大葉藻」を『(アマモ)』としている。
・「𧂇【音、單。】」「𧂇」は「廣漢和辭典」には、音「シン」又は「ジン」としており、「單」の音「ゼン」・「タン」・「セン」とは音通しない。「𧂇」の字義には、カヤモノリ目カヤモノリ科の褐藻であるフクロノリ属フクロノリ Colpomenia sinuosa が挙げられている。同種は潮下帯下部から漸深帯の岩上や、他の海藻の上に定着する藻である。
・「落首」という呼称の「首」とは、首(かしら)=「頭の髪の毛」のことではあるまいか? それが束になって「落」ちたかのように見えるで、これは、まさに私が、その呼称を偏愛してやまないリュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ(アマモ)Zostera marina の「龍宮の乙姫の元結の切り外し」という意味にも美事に通底するように思われ、本文中の、「黑色」とは齟齬するものの(但し、成長してくると、アマモは鮮やかな緑色がくすんだ暗褐色になる)、「亂髮のごとくにして」との叙述とは一致するのではなかろうか。
・「海蘿」の「蘿」は、「蔦や蔓(かずら)」の意。
・「海島」とは、外洋や陸地や島嶼の岩礁・砂浜・干潟等の潮間帯から潮下帯を言う語であろうか。
・「大(ふと)さ、少しばかり」とは、「あまり太くはない」の意。アマモに相応しい。
・「大都〔(す)〕べて」東洋文庫版では、ここを『大体』と訳しており、良安も「大都」の二字で「すべて」と訓じているようにも思われなくはない。
・「馬尾藻」この字に当たる種は、本邦でも、不等毛植物門褐藻綱ヒバマタ目ホンダワラ科ホンダワラ属ホンダワラ Sargassum fulvellum である。ところが、良安は後掲するホンダワラに同定される「莫鳴菜 なのりそ ほだわら」の項に、この名を掲げず、その次の「海髪」の項、紅色植物門紅藻綱オゴノリ目オゴノリ Gracilaria vermiculophylla とおぼしいものに、別名として「馬尾藻」を挙げている。一方、東洋文庫版では、ここで、本種を編者割注でホンダワラに同定しているのであるが、「本草綱目」の、浅海域に棲息しており、短かい馬の尾のように細く、黒色のもの、という記述は、黒色(オゴノリは紅色で、これは暗みの強いホンダワラにふさわしい)を除くならば、髪の毛のようで、「馬尾藻」という名前ならば、むしろオゴノリや、褐藻綱ナガマツモ目 Chordariales に属するモズク類にマッチするように思われる。時珍の考えた「馬尾藻」とは、ホンダワラではなかったのではなかろうか? 次項「莫鳴菜」、及び、次々項「海髪」を参照のこと。
・「大葉藻」は、やっぱり、愛しの被子植物門単子葉植物綱オモダカ亜綱イバラモ目アマモ科のリュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ(アマモ)Zostera marina であると私は断定する。アマモは、注の冒頭で記したように、現在の呼称では、「海藻」ではなく、陸生の顕花植物と同じ「海草」である。雌雄同株の多年生で、メシベ・オシベだけになった花を咲かせ、米粒位の黒い果実を結実する。他に、地下茎による単為生殖も行う。前にも書いたように、正式和名は最も長い植物和名である。通称和名のアマモは、地下茎を嚙むと、仄かな甘さがあるからと言われるが、私は未だ実験していない(いや、愛する彼女を嚙むなどという無体なことが、どうしてできようか?!)この解説中の「水藻のごとくにして」というのは、本種が多くの淡水産藻類と同じく緑色をしていることを言っていることを示唆しているように私には見える。ただ、非常に気になるのは、アマモは水深一メートル、深くても数メートルの、河口近くにある(ライフ・サイクルに於いて種子は、一定期間、淡水に曝されることが成長の条件として知られている)沿岸砂泥地に自生しており、「海人」が腰繩の命綱まで付けて行くような「深海」には棲息しないことである。この採取風俗は、昆布等の他の海藻類の採取風景を見誤ったものではなかろうか?……それとも、もうこの愛すべき名前が、この海草には附いていて、良安先生、深海の底の乙姫のいる龍宮まで潜らないと採ってこれないんだよ、と洒落た……はず、は、ないよ、なぁ……。最後に、アマモ場が大切な海岸動物の豊穣の揺籃=龍宮であることは言うまでもない。
・「純陰にして、沈む」というのは、陽に全く接していない陰の性質を持ち、それは気となって、身体の肝や丹田等の下方に向かうという漢方の原理を言っているのであろうが……よく分からん!
・「甘艸に反す」の「甘艸」は甘草。マメ科カンゾウ属のウラルカンゾウ Glycyrrhiza eralensis 等の根や根茎から調剤した漢方薬。「反す」とは、「合わない」の意で、通常は、「相反する薬剤であって、一緒に用いるのはよくない。」という意味である。この場合、後述するように、「両用すると、激烈な現象(副作用)が生じるので、普通は共に処方してはいけない。」という意味と思われる。後に掲げる「蓋し、以つて堅積の病には、……」の注を参照のこと。
・「癭瘤」は「エイリュウ」(現代仮名遣)と音読みする。「癭」は、特に「頸部の腫瘤」を指し、「瘤」は、広く、「体表に現われるコブ状のブツブツ・腫瘍」を言うが、漢方では、一般に狭義の「癭」、甲状腺腫や、リンパ節腫を指すことが多い。その発症には、環境及び後述される「五膈痰壅」との関係があるとするようである(この注はサイト「家庭の中医学」の「癭瘤」を参照にした)。
・「馬刀」(まとう)は、良安がルビを振る「瘰癧」(るいれき)の一種である。「瘰癧」は核(根)のある塊で、耳の前後・顎部周辺、及び、頸部周囲に生ずる慢性のリンパ節腫脹を指すが、その中でも、頸部のリンパ節から胸の上部の脇に出現する長く夥しい腫大症状を「馬刀」と言う。
・「諸瘡の、堅にして、潰れざる者」上記の顕著な腫物の他、皮膚炎の中でも、その腫脹が核を持っていて、容易に潰れない難治性の腫大の症状を持つもの、の意。
・「五膈痰壅」は東洋文庫版割注によれば、『度を過ぎた思・憂・鬱・喜・怒・悲によって、隔膜の機能が失して痰がつまること』とある。
・「東垣」は李東垣(とうえん 一一八〇年~一二五一年)、金から元代にかけての医師。「内外傷辯惑論」・「脾胃論」・「醫學發明」「蘭室祕藏」「東垣試效方」等の優れた医書を著した。
・「散腫潰堅湯」良安は「本草綱目」からの引用時に「潰腫」と誤っている。さて、これに就いては、東洋医学誌の専門家でもある故石原明医師の優れた詳細な記載を以下に引用する(本来のページは消失しているようだが、インターネット「散腫潰堅湯」検索のキャッシュの中に残存しているのを見出した。キャッシュなのでリンクは張らない)。
《引用開始》
散腫潰堅湯(さんしゅかいけんとう)
〔出典〕万病回春(龔廷賢)[やぶちゃん字注:きょうていけん。引用元は「龔」が「キョウ」とカタカナ。正字で補正した。明代の医師で、「万病回春」は彼が金・元代の処方を集成した医書。]
〔処方〕黄柏、黄連、黄芩[やぶちゃん字注:引用元は「芩」が「ゴン」とカタカナ。中医学の中文サイトで処方を照合し、正字で補正した。]、芍薬、当帰、竜胆、柴胡、升麻、知母、葛根、桔梗、瓜呂根、三稜、我朮、連翹、昆布、海藻、生姜 各1.5
〔目標〕頸部腫瘍、続発性頸腺結核、穿破して排液の止まないもの。
〔かんどころ〕急性化膿性以外の慢性化した硬い大きな頸部の腫瘍に用いる。手術後の再発防止にも使うが、悪性腫瘍では一時の延命効果しか期待できない。
〔応用〕本方よりも少し薬味の少ない同名の処方が李東垣の創方の中にある。おそらく後世追加されて現行のような多種の処方になったものであろう。本方は連服しなければ効がなく、おもにリンパ腺腫瘍に用いるのであるが、結核性の小さなものである場合には小柴胡湯、加桔梗、石膏、夏枯草に適し、化膿菌による急性のものには托裏消毒飲または内托散がよい。梅毒に起因する腫瘤やガンの転移などは本方よりも紫根牡蛎湯を用いる機会が多い。甲状腺腫にはしばしば偉功を奏する。これはヨード分を含む海藻が配されているためであろうか。ただし、バセドー病には期待するほどの効果はない。あくまで硬きこと石の如く、巨大なること耳肩におよぶという原典の主治に従わなければならない。本方で問題なのは遠物(稀用生薬)の昆布と海藻である。現代の中国ではわが国と基原を異にするものを使用している。私は昆布は塩気のない板昆布(おでん用)を、海藻はホンダワラの乾燥したものを使用するが、なければ塩ぬきしたヒジキが最もよい。昆布はワカメに代えてもよい。
〔治験〕二十四才の未婚の女性、二十才の時から左右ともに頸腺結核におかされ、何回も切開手術を受けたが続発を繰り返し、患部は鶏卵数個を連ねた如く腫脹し、鎖骨窩部に硬く癒着していた。摘出標本では乾酪様変性と石灰化の傾向があり、全身の衰弱はそれほど顕著ではない。他にみるべき症状もないので本方を与え、約八ヶ月で腫瘤は半分ほどに小さくなってそれ以後続発はみられなかった。しかしその後も根気よく連用したのにもかかわらず、認むべき効果もなく一年間で服薬中止。三年後の遠隔成績では服薬当時のままで何らの変化もみられなかった。
《引用終了》
この漢方の名医の〔応用〕最後の、正に本頁に引用するに相応しい海藻類のオリジナル処方が素敵だ!
・「蓋し、以つて、堅積〔(けんしやく)〕の病〔ひには〕、平和の藥、能(よ)く捷(はやき)を取る所に非ず。必ず、反奪して、以つて、其の功を成さしむればなり。」の部分は、「恐らくは、大体に於いて、堅い核を持った腫物の症状に対しては、穏やかな反応を示す薬物では、速やかな回復を期待することが出来ず、そうした火急の際には、激烈な副作用の危険を恐れることなく、却って、その二物に激しい反応を起こさせて、その作用と反作用の相互作用によって、極めて有効な結果を生じさせることが出来るからに違いない。」という意味であろう。
・「苔(のり)」以下、「ウィキ」の「海苔」の記載を参照に纏める。現在、「海苔」(のり)というと、紅藻類・緑藻類・藍藻類(シアノバクテリア:cyanobacteria )等の広範な分類群を含む食用の藻類の総称として用いられるが、「のり」という呼称は、元来、淡水・海水を問わず(ここでは海産に限っているが)、岩石上に苔(こけ)の如く着生する藻類全般を表わす語であった。そのため、食用としない種の藻類にも、「~ノリ」という和名が付いているケースが多い。食用の海苔は、分類学的には以下の①以下ような、互いに、生物学的には疎遠なグループに分けられる。
①海藻:真核生物植物界紅色植物門紅藻亜門ウシケノリ綱ウシケノリ目ウシケノリ科アマノリ属 Porphyra に属するグループ。「岩海苔(いわのり)」とも呼ばれ、板海苔に加工される。アサクサノリ Porphyra tenera 、スサビノリ Porphyra yezoensis 、ウップルイノリ Porphyra pseudolinearis 、南ウェールズで食用にされる “ Laver ” Porphyra umbilcalis 等がこれに属す。近年、日本でもシェアが広がっている韓国海苔も、この属から作られている。
②海藻:緑色植物門緑藻亜門アオサ藻綱アオサ目アオサ科アオサ属 Ulva や、アオノリ属 Enteromorpha 、また、嘗つては、アオサ目に分類され、アオサの別名とさえされていた海苔の佃煮の原料にするアオサ藻綱ヒビミドロ目ヒトエグサ Monostroma nitidum 等。
③淡水藻:緑藻亜門トレボウクシア藻綱カワノリ目カワノリ科カワノリ属カワノリ Prasiola japonica 。静岡県・高知県・埼玉県などの山間の清流に棲息する。メジャーになった四万十川の海苔の佃煮の原料である。
④淡水産藍藻:真性細菌シアノバクテリア門ネンジュモ綱クロオコックス目クロオコッカス科スイゼンジノリ属スイゼンジノリ Aphanothece sacrum 。熊本市上江津湖、及び、甘木の黄金川に棲息。熊本市の水前寺成趣園の池で明治五(一八七二)年に発見された。「聖なる」を意味する学名の“ sacrum ”は発見者のオランダ人スリンガー(Willem Frederik Reinier Suringar)が、この本種の棲息環境の素晴らしさに驚嘆して命名したものという。将軍家への献上品で、現在も「水前寺苔」「寿泉苔」「紫金苔」「川茸」等の商品名で高級な食材として用いられている(この項、同じくウィキの「スイゼンジノリ」の記載を参照した)。
・「共に通じ」は「一緒くたにして」の意。ここには分類に厳密な良安先生の批判的な謂いを私は感じるところであるが、如何? と言っても、良安先生自身も、相当に迷走しておられるのだが……。]
***
なのりそ
莫鳴菜
ほだわ〔→は〕ら
莫鳴菜【本朝式
奈々里曽】
神馬藻【漢語抄
奈乃里曽】
俗云穗俵
【保太和良】
[やぶちゃん字注:以上六行は、前三行下に入る。]
倭名抄云本文未詳但神馬莫騎之義也
《改ページ》
△按此藻莖細扁長三四尺最長者丈許而有節小椏上有
細尖葉葉間結小圓子中空撚潰之有音出水初正青乾
則黑色西南海多有之冬取乾之以藁稈一握許折巻
束之豫作米俵形名穗俵爲正月蓬萊盤飾
定世〔→定通〕
夫木 なのりそをかりほすあまのあさ衣おのれしほ〔→を〕るゝ戀も
する哉
*
なのりそ
莫鳴菜
ほだはら
莫鳴菜【「本朝式」、奈々里曽。】
神馬藻【「漢語抄」、奈乃里曽。】
俗に「穗俵」と云ふ。【「保太和良」。】
「倭名抄」に云ふ、『本文、未だ、詳らかならず。但し、神馬は騎(の)ること莫しの義なり。』と。
△按ずるに、此の藻、莖、細く、扁たく、長さ三、四尺、最も長き者は、丈許〔(ばかり)〕にして、節、有り。小椏〔(こまた)〕の上に、細かに、尖〔(とが)〕れる葉、有りて、葉の間に小圓子〔しやうゑんし〕を結ぶ。中空にして、之れを撚(ひね)り潰(つぶ)せば、音、有り。水を出だす。初めは、正青、乾けば、則ち、黑色〔たり〕。西南海に、多く、之れ、有り。冬、之れを取り乾し、藁稈(わらしべ)を以つて、一握〔り〕許り、折〔り〕卷きて、之れを束(たば)ね、豫(あらかじ)め、米俵の形(なり)に作〔(な)〕し、「穗俵」と名づく。正月、蓬萊盤〔(はうらいばん)〕の飾〔(かざり)〕と爲す。
「夫木」 なのりそをかりほすあまのあさ衣おのれしをるゝ戀もする哉 定通
[やぶちゃん注:不等毛植物門褐藻綱ヒバマタ目ホンダワラ科ホンダワラ属ホンダワラ Sargassum fulvellum あるが、専門家の記載を読むと、この真正のホンダワラは日本近海では、実は、稀れであるとするので、ホンダワラ科のホンダワラ属 Sargassum に止めておいた方がよさそうだ。以下の注で記すように、「なのりそ」という名で「万葉集」の時代から知られた。本種が食用になることを知る人は少ない。本種の島根県隠岐知夫里島での食例の他、同科のアカモ Sargassum horneri に就いては、秋田・山形・新潟等で一般に食され、最近では、「ギバサ」という名称で、パック詰のそれを首都圏で食すことも出来る。私は、嘗つて、佐渡島で食し、大変なファンとなった。佐渡では「神馬藻(じんばそう)」・「銀葉藻(ぎんばそう)」と称するが、私が食したのは、アカモクであったと思う(料理として食べ、塩漬けを土産にした)。特に、すっかり馴染みになった両津の料理屋の女将さんが手作りしてくれた、海産物をたたき込んだそれは、粘りといい、歯応えといい、味わいといい、誠に美味なものであった。なお、生態系にあっての広義のホンダワラ科 Sargassaceae のホンダワラ類は、ウガノモク科 Cystoseiraceae 等の類型種とともに「ガラモ場」を形成し、「アマモ場」と同じような海の揺籃として知られる。因みに、私はこの学名には、限りない幻想の想いを抱いている。それは、直ちに、本サルガッスム類が繁茂することから命名されたメキシコ湾を中心とした「サルガッソ海」がまず、想起され、その名は、同時に私が小学生の時に読んで、魅了されると同時に、生涯続く原像的トラウマの一つとなった人を襲う海藻のイメージが、即座に脳裏に浮ぶからである。それは、私が偏愛するイギリスの小説家ウィリアム・ホープ・ホジスン(William Hope Hodgson 一八七七年~一九一八年)の海洋怪奇小説「夜の声」( The Voice in the Night :一九〇七年初出)が起原である。私の幻想文学への偏愛は、まず、小学校三年の時の小泉八雲体験であるが、西洋物のそれは、このホジスンの「夜の声」を嚆矢とするのである。則ち、この「サルガッスム」という属名は、まさに、私の、海産生物偏執と、幻想文学嗜好の、強烈な接点となっているのである。
・「本朝式」は「延喜式」のこと。「弘仁式」及び「貞観式」(本書と合わせて「三代格式」と呼ぶ)を承けて作られた平安中期の律令施行規則。延喜五(九〇五)年に、醍醐天皇の勅命で、藤原時平らが編纂を始め、延長五(九二七)年に完成、施行は実に半世紀後の康保四(九六七)年であった。平安初期の禁中の年中儀式や制度等を記す。三代格式の中では唯一、ほぼ完全に残っている。
・「漢語抄」は「楊氏漢語抄」で、柳梅(やまももの)大納言顕直撰になるもので、平安初期に完成し、漢語に相当する和語を示した一種の字書と思われるが、現存しない。良安が、よく引く源順の「和名抄」にはこれが頻繁に引用されており、ここも、その孫引きである。
・「穗俵」は、良安の叙述部分にあるように、ホンダワラを刈り取って乾かし、藁しべで束ねて米俵の形に作ったものを言うことから、逆に附いた呼称ではなかろうか。正月の飾りである「蓬莱飾り」に用いられる。現在でも、正月飾りでは全国的に、餅に巻きつけたり、垂らしたりするところから、これは同じ米との関連、ホンダワラの気胞体が稲穂に似るところから用いられる、豊穣祈念の祝祭の呪具と考えられる。
・「和名抄」は正しくは「倭(和とも表記)名類聚鈔(抄とも表記)」で、平安時代中期に源順(したごう)によって編せられた辞書。
・「本文、未だ、詳らかならず。但し、神馬は騎(の)ること莫しの義なり。』は『この「神馬藻」という漢名と「なのりそ」という和名は、その本文=出典はよく分からない。けれども、「神に捧げる神馬には、人は騎乗してはならない。」という意義を掛けた、当て読みである。』という意。高校の古典を思い出そう。「な」は呼応の副詞で、禁止の終助詞「そ」に呼応し、間に動詞の連用形(カ行変格活用及びサ行変格活用は未然形)を挟んで、その示す動作を禁止する。「莫告藻」(「莫」は漢文で「なかレ」と訓ずる否定詞)とも書く。因みに、折口信夫の「萬葉集辭典」によれば(昭和四七(一九七二)年中央公論社刊「折口信夫全集」第六巻を底本とし、太字は斜体に、傍点は下線に代えた)、
*
なのりそ‐の枕。なはのりてしを。允恭天皇紀に、濱藻を「なのりそ藻」と呼べとの勅があつたと言ふ記事がある。なのりそは穗俵(ホンダハラ)の別名と見るべきものである。さうして音ばかりではなく、其意味も相通ふ處からして名告るの枕詞とした。因に、上代、女が自分の名を男に告げるのは、やがて身を任せる事であつた。次條參照。
な‐のる【名宣る】 名を言ふ。自分の親族以外には、古くは名をあかさなかつた。他人に名をあかすのは、即、夫として許す訣なのである。後には、男も自分が愛する心のある事を示すために、自分の名をなのる樣になつた。霍公鳥が名宣ると言ふのは、戀人の門を、夜更けに己が名を言ひ乍ら通る樣に、霍公鳥が自分の名を名宣り顔に鳴いて通るのを言ふのである。幾分、滑稽味を持つて言ふのである。
*
とある。この允恭天皇(三七六年~四五三年)のエピソードは、「日本書紀」巻十三に載る。ダイジェストで導入を語り、「莫告藻」の登場部分を原典・書き下し文・私の訳文で見てみよう。
*
彼は皇后であった忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)命の妹である衣通郎姫(そとおしのいらつめ:「その美しさが衣服を透過する」の意。)を見初めるが、姉を思って衣通郎姫は、なかなか、靡かない。
それでも、熱心な帝のモーションに帯びを解き、帝は河内の茅渟(ちぬ:後の和泉国。現在の大阪市南西部。)に屋敷を建てて住まわせた。
姉皇后は、足繁く妹の所へ通う夫に対し、激しい嫉妬を繰り返したが、最後には、嫉妬しない代わりに、茅渟へ通う回数を控えるように懇願し、帝は、それを、受け入れる。
そんなある日、久し振りに尋ねてきた帝に、衣通郎姫が詠んだ歌、
とこしへに君も逢へやもいさな取り海の浜藻の寄る時々を
○やぶちゃん訳
いつまでも変わることなくあなたに逢いたいのに――
漁夫が拾う海藻が時たまにしか浜辺に寄せることがないように――
あなたにも時たまにしか逢えない……
*
その後に由来が現われる。
*
〈原文〉
時天皇、謂衣通郞姬曰、是歌不可聆他人。皇后聞必大恨。故時人號濱藻。謂奈能利曾毛也。
〈やぶちゃんの書き下し文〉
時に天皇、衣通郞姬に謂ひて曰はく、
「是の歌、他人に聆(き)かすべからず。皇后、聞かば、必ず、大いに恨むべし。」
と。
故に時の人は「濱藻」を號して、「奈能利曾毛(なのりそのも)」と謂ふなり。
〈やぶちゃん訳〉
これを聞いた帝は、衣通郎姫に言った。
「この歌は他の人に聞かせてはいけないよ。姉の皇后の耳に入ったら、それこそ、また、大いに恨まれることになろうからね。」
と。
故に、その時の人は、「浜藻」を呼ぶのに、「な告りその藻」と言うのである。
*
但し、「なのりそ」は、そのようなロマン的な意味合いの語源説よりも、食用にしていたことから、「菜海苔衣」であるとする説が、しっくりくる。因みに、「万葉集」に所収する、折口の解説する意味合いの「なのりそ」の和歌の幾つかを掲げると、まず、巻三の山部赤人の三六二番、
みさご居る磯𢌞(いそみ)に生ふるなのりその名は告らしてよ親は知るとも
○やぶちゃん訳
みさご鳥の飛ぶ磯の辺りに生えている莫告藻(なのりそ)の――
その名を名告ってはいけないという藻――
でも その その禁断のあなたの名を 教えて下さい――
こうして私があなたを求めたことを たとえあなたの親が知って咎めたとしても……
*
巻七の一二七九番の旋頭歌、
*
梓弓引津の辺(べ)なるなのりその花摘むまでに逢はずあらめやもなのりその花
○やぶちゃん訳
引津の海べに咲く あぁ その 「なのりそ」の花!
いつかきっと その花を摘める時まで
どうして片時も逢わずにいられよう!
あぁ 「なのりそ」の花!
*
「引津」は福岡県糸島郡志摩の入江で、遣新羅使の船の停泊所として知られたが、ここでは「引津の辺」で、その「なのりその花」(=名を告げて心許してくれない女)に、どうしようもなく強く惹かれている(ひきつけられている)さまを掛けているのであろう。ホンダワラは有性生殖をするが、春に雌株(ホンダワラは雌雄異株)に雌性生殖器床が形成され、豆の鞘のような卵胞を形成する。大潮の前後に、雄株が放出した精子によって卵が受精、その受精卵が房のように垂れ下がったさまを、これ、「なのりその花」と称するのである。そんな生態を知らずに、しかも、こうした歌を詠んだのは、素敵だ!
また、同巻の読人知らずの一三九五番及び一三九六番歌、
*
沖つ波寄する荒磯のなのりその心のうちに靡きあひにけり
○やぶちゃん訳
沖の強い波が寄せてくる荒磯の莫告藻の――
その名のように名を呼ばうことを禁じられても――
その互いの心は莫告藻が激しい波に靡くように 互いに強く惹かれあっているのです!
紫の名高の浦のなのりその磯に靡かむ時待つ吾(あれ)を
○やぶちゃん訳
高貴な色は紫――紫は名高い――
その名高いという名を冠した名高の浦辺に生える――
その莫告藻の名のように あなたは なかなか 名前を名告ってはくれない――
しかし 海に漂う莫告藻も いつかは必ず 磯浜に打ち上がるであろう――
その時を 待つ! 私は!
*
次は、読み人知らずの巻十二の三一七七番歌。
*
志賀の海人の磯に刈り乾すなのりその名は告りてしをなにか逢ひ難き
○やぶちゃん訳
志賀の漁夫(あま)が磯で刈って干す莫告藻――
その禁じられた「な告るな」というのを破って 私はあなたに名を告げたのに――
だのに どうして あなたと こんなにも 逢うことができないのだろう……
*
この「なのりそ」は、単に「名のる」の意味で、禁止の意を含まない掛詞ともとれる(そのような用法もある)が、それでは余りにストレートでつまらないように思われる。
・「小椏」木の枝の股(また)。小枝。但し、ホンダワラは、茎は分岐せず、枝のような葉状体や気胞体が分岐するので、厳密には生物学的に「小椏」は正しくないと思われる。蛇足ながら、和紙の原料にする陸産の双子葉植物綱フトモモ目ジンチョウゲ科ミツマタ Edgeworthia chrysantha は、その枝が三叉に分かれるため、「三椏」(みつまた)と言う。
・「小圓子」浮遊するための楕円形、及び、倒卵形の気胞体。
・「蓬萊盤」蓬莱台のこと。本来は正月に限らず、祝儀に用いたもので、神仙の住む架空の霊山蓬莱山(中国に於いて山東半島の東方海上に浮遊すると言われる)を象った山形の台盤。上に、松竹梅・鶴亀・翁と嫗の人形等を取り合わせたものを言った。近世以降は、専ら、関西に於いて、新年の飾り物を指す語である(江戸では「食い積み」「喰積」と呼んだが、これは正月料理を詰めた重箱の詰め合わせの呼称でもある)。三方(さんぼう)の盤上に白米を盛り、地域差はあるが、一般に共通するアイテムは熨斗鮑(のしあわび)・搗(か)ち栗・昆布・野老(ところ)・馬尾藻(ほんだわら)・橙(だいだい)・海老等で、それぞれに来福・長寿・豊作や、子孫繁栄の呪物である。「蓬莱飾」、単に「蓬莱」とも言う。
・「のりそをかりほすあまのあさ衣……」「夫木和歌抄」では、この和歌は巻二十八雑十に所収するが、下の句の上句の表記は本文で示した通り、
なのりそを刈り干す海人(あま)の麻衣(まのあさごろも)己(おのれ)しをるる戀もする哉
と「しをるる」が正しい。また、作者名も「夫木和歌抄」を確認すると、「定世」ではなく、「定通」である。この歌には「天仁三年四月師時卿家歌合、寄衣戀」の詞書がある。「定通」とは、藤原北家の藤原定通(応徳二(一〇八五)年~永久三(一一一五)年のことと思われる(他に、石見国国司として下向し、任期終了後も石見上府(現在の島根県浜田市)の御神本に土着し、御神本国兼と改名した益田氏始祖の人物に「藤原定通」という人物がいるが、別人と思われる)、因みに、天仁三年は西暦一一〇九年である。「しをる」は、「萎えさせる・しぼませる」という意味と、「(衣服等を)濡らす」という意味の掛詞ではないかと思われる。すると、上の句の「なのりそをかりほす」が前者と、ホンダワラを刈るために海に潜って濡れた「あまのあさ衣」が後者と対比されるように思われる。勝手な拙訳を示す。
○やぶちゃん訳
莫告藻を刈って浜に干している海人……
そのしおれてゆく莫告藻の如(ごと)――
その海人(あま)のすっかり濡れそぼった麻の粗末な衣の如――
その莫告藻という名の由来の如……
私は今 心 しおれ――
涙に衣をぬれそぼつ……
切ない切ない禁断の恋に 胸焦がしている!……。]
***
いぎす
海髪
小凝菜【漢語抄】
馬尾藻
【和名以木須】
[やぶちゃん字注:以上三行は、前二行下に入る。]
倭名抄引食經云海髪【鹹小冷】其色黒狀如亂髪
△按海髪本草所謂馬尾藻乎阿州淡州備州泉州有之
淡州者爲勝長尺餘青色而甚細纎也乾則紫黒色如
亂髪注水屢晒則潔白煑之則凝凍如石花菜菎〔=蒟〕蒻餅
之輩盛淺噐〔=器〕冷定而纎裁之和醋未醬食之味淡甘美
《改ページ》
■和漢三才圖會 水草藻類卷九十七 ○十一
最爲上品俗傳曰煑之者勿語如吐戲言則不成也漢
語抄謂之小凝菜以石花〔菜〕謂大凝菜者最當矣
*
いぎす
海髪
小凝菜【「漢語抄」。】
馬尾藻
【和名、「以木須」。】
「倭名抄」に「食經」を引きて云はく、『海髪【鹹、小冷。】は、其の色、黒く、狀〔(かたち)〕、亂髪のごとし。』と。
△按ずるに、海髪は、「本草〔綱目〕」に所謂〔(いはゆ)〕る、「馬尾藻」か。阿州〔=阿波〕・淡州〔=淡路〕・備州〔=備前・備中・備後〕・泉州〔=和泉〕に、之れ、有りて、淡州の者を勝れりとす。長さ、尺餘り、青色にして、甚だ、細-纎(ほそ)し。乾けば、則ち、紫黒色〔にして〕、亂髪〔(みだれがみ)〕のごとく、水に注〔ぎ〕て、屢々、晒せば、則ち、潔白なり。之れを煑れば、則ち、凝-凍(こ)りて、「石花菜」・「蒟蒻餅」の輩〔(うから)〕のごとし。淺き噐〔(うつは)〕に盛り、冷し定め、纎(ほそ)く、之れを裁〔(た)ち〕て、醋未醬〔(すみそ)〕に和して、之れを食ふ。味、淡く、甘く、美なり。最も上品と爲す。俗に傳へて曰はく、『之れを煑る者、語(ものがたり)すること勿かれ。如〔(も)〕し、戲言〔(ざれごと)〕を吐けば、則ち、成らず。』と。「漢語抄」に、之れを「小凝菜」と謂ふ。「石花菜(ところてん)」を以つて「大凝菜」と謂ふは、最も當れり。
[やぶちゃん注:現在、「イギス」と呼称する海藻は、紅藻綱スギノリ目イバラノリ科イバラノリ属の「鹿角茨」、カズノイバラ Hypnea cervicornis を指す。良安は本文で、これを「馬尾藻」と同種ではないかとするが、私は「馬尾藻」を既に不等毛植物門褐藻綱ヒバマタ目ホンダワラ科ホンダワラ属ホンダワラ Sargassum に同定しており(前掲「海藻」の項の「馬尾藻」の注を参照)、これを変えるつもりは、ない。良安は明らかに同定の混乱を呈しており、私は「海髪」を、このイバラノリ属、或いは、カズノイバラに同定してよいと思う。本種は記載の心太『の輩のごと』きものではなく、広く紅藻類が原材料となる心太の原料の一つとなるはずの種である。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページでは、心太の話は載らぬが、「イギス」を愛媛県今治市採取の地方異名の第一に挙げられ、『大豆粉を使って固めた郷土料理「いぎす豆腐」の材料。「いぎす」の「す」は草だと思う。今治ではイギスソウ(いぎす草)ともいう』とあった。
・「漢語抄」は「楊氏漢語抄」で、柳梅(やまももの)大納言顕直撰になる。平安初期に完成し、漢語に相当する和語を示した一種の字書と思われるが、現存しない。良安がよく引く源順の「和名抄」には、これがよく引用されており、ここもその孫引きであるう。
・「食經」は「崔禹錫食經」で、唐の崔禹錫撰になる食物本草書。前掲の「倭名類聚鈔」に多く引用されるが、現在は散佚。後代の引用から、時節の食の禁忌・食い合わせ・飲用水の選び方等を記した総論部と、一品ごとに味覚・毒の有無・主治や効能を記した各論部から構成されていたと推測される。
・「石花菜」は現代仮名遣で「せっかさい」と読み、紅色植物門紅藻綱テングサ目テングサ科 Gelidiaceae の海藻の中で心太・寒天の原料になるものの総称である。次項「石花菜」を参照されたい。
・「蒟蒻餅」とは、本来は、「水に一晩漬けた米に粒状の蒟蒻を入れて、蒸し、杵で搗いた餅」を指すが、ここでは単に「蒟蒻」を指しているように思われる。蒟蒻は、ご存知「こんにゃく」で、単子葉植物綱サトイモ目サトイモ科コンニャク属コンニャク Amorphophallus konjac の球茎を粉砕して、水で捏ね、石灰乳(水酸化カルシウム(消石灰)Ca(OH)2の水溶液)を混ぜて煮固めたもので、成品は、元来は灰白色である。我々が通常見る灰色の濃い黒斑のあるものは、ヒジキ(不等毛植物門褐藻綱ヒバマタ目ホンダワラ科ホンダワラ属ヒジキ Sargassum fusiforme )等が添加されたものである。当該ウィキによれば、『一般的な蒟蒻は、副素材としてひじきやアラメ、ヒトエグサなどの海藻粉末を加えて色をつける』。『江戸時代に』は、既に『製粉法が開発され』、『白い蒟蒻を作ることが可能になったが、蒟蒻らしくないと評判が悪かったため、意図的に色をつけるようになった』とある。
・「小凝菜」これを多くの記載は「いぎす」と訓じ、「てんぐさ」と附す。「石花菜」のように「こぎょうさい」と音読みしているとは思われないが、次項に示すように、「大凝菜」を「おほこるもは」と古くに訓じている可能性があることからから、これを「こるもは」、若しくは、「ここるもは」、又は、「こごりな」(江戸期にはテングサ類を一般に「粉凝草(こごりぐさ)」と呼称した)と訓ずる可能性を考えてよいのではなかろうかと強く思われる。私は、当て読みではなく、ここを「こごりな」と訓じたい気がしている。
「大凝菜」多くの記載がこれを「おごのり」と訓じている。これは「おほごりな」の転訛であろうと思われ、更に古くは、これを「おほこるもは」と訓じている可能性があり、前の「小凝菜」に合わせて、私は、ここは「おほごりな」と訓じたい。
・「最も當れり」とは、「最も適切な表現である」の意。]
***
ところてん
石花菜
シ ハアヽ
璚枝【本綱】
大凝菜【本朝式】
凝海藻【同】
【和名古留毛波】
俗云心太
【古々呂布止】
[やぶちゃん字注:以上六行は、前三行下に入る。]
本綱石花菜生南海沙石間高二三寸狀如珊瑚有紅白
二色枝上有細齒以沸湯泡去砂屑沃以薑醋食之甚脆
其根埋沙中可再生枝也
一種稍粗而似雞爪者謂之雞脚菜味更佳二物久浸皆
化成膠凍也並【甘鹹大寒滑】去上焦浮熱
△按石花菜今云止古呂低牟或云小凝草豫州宇和島
之產爲最勝相州鎌倉豊州佐賀關之產次之豆州海
濵紀州熊野浦亦多出之
《改ページ》
造法夏月能洗晒乾復又注水晒乾也十日許成白色水
煑冷定則凝凍如葛糊而不粘用薑酸〔→醋〕沙糖等食之能
避暑也冬月嚴寒夜煑之露宿則凝凍甚輕虛俗謂之
寒天或用蘇方木煎汁染之赤色最鮮可愛謂之色寒
天城州伏見里製之僧家爲調菜必用也又用其濃汁
塗于紙晒乾則如礬膠紙而久不損傷以飾團扇
*
ところてん
石花菜
シ ハアヽ
璚枝〔(けいし)〕【「本綱」。】
大凝菜〔(おほこるもは)〕【「本朝式」。】
凝海藻〔(こるもは)〕【同。】
【和名、「古留毛波〔こるもは〕」。】。
俗に「心太」と云ふ。
【「古々呂布止〔(こころぶと)〕」。】
「本綱」に、『石花菜〔(せつかさい)〕は、南海〔の〕沙石の間に生ず。高さ二、三寸。狀〔(かたち)〕、珊瑚のごとし。紅白の二色、有り。枝の上に、細かなる齒、有り。沸(に)ゑ湯を以つて、泡、〔→沸ゑ湯の泡を以つて、〕砂屑〔(ささう)〕を去る。沃〔(そそ)〕ぐに、薑醋〔(しやうがず):生姜酢。〕を以つて、之れを食ふ。甚だ、脆し。其の根、沙中に埋みて、再び、枝を生ずべし。
一種、稍(やゝ)、粗にして、雞〔(にはとり)〕の爪に似たる者、之れを「雞脚菜〔(けいきやくさい)〕」と謂ふ。味、更に佳し。二物、久しく浸せば、皆、化して膠凍〔(かうとう)〕と成るなり。並びに【甘鹹、大寒、滑。】、上焦〔(じやうしやう)〕の浮熱を去る。』と。
△按ずるに、石花菜は、今、云ふ、「止古呂低牟(〔ところ〕てん)」或いは、「小凝草〔(こごりぐさ)〕」を云ふ。豫州〔=伊予〕の宇和島の產、最勝と爲す。相州〔=相模〕鎌倉、豊州〔=豊前〕の佐賀關の產、之れに次ぐ。豆州〔=伊豆〕の海濵、紀州〔=紀伊〕の熊野浦にも亦、多く、之れを出だす。
造る法 夏月、能く洗ひ、晒〔し〕乾し、復又〔(またまた)〕、水を注ぎ、晒し乾す。十日ばかりにして、白色と成る。水煑〔(みづに)し〕て、冷し定むれば、則ち、凝凍〔(ぎようとう)〕して、葛-糊(のり)のごとくにして、粘(ねば)らず。薑醋・沙糖等を用ひて、之れを食へば、能く、暑を避くるなり。冬月嚴寒の夜、之れを煮て、露宿すれば、則ち、凝凍(こゞり)て、甚だ、輕虛〔たり〕。俗に之れを「寒天」と謂ふ。或いは、蘇方〔(すはう)〕の木の煎じ汁を用ひて、之れを赤色に染む。最も鮮(あざや)かにして、愛しつべし。之れを「色寒天」と謂ふ。城州〔=山城〕伏見の里にて、之れを製す。僧家、調菜の必用と爲すなり。又、其の濃〔き〕汁を用ひて、紙に塗り、晒し乾せば、則ち、礬膠紙のごとくにして、久しく損傷せず。以つてm團扇〔(うちは)〕を飾る。
[やぶちゃん注:紅色植物門紅藻綱テングサ目テングサ科 Gelidiaceae のテングサ類の中で、心太及・寒天の原材料と成り得るものすべての総称と言ってよい。多様な種を含むが、最も一般的な主原料種はテングサ属マクサ Gelidium elegans (別名トコロテングサであり、最も一般的な「天草(テングサ)」の代表種とされる。但し、本種は地域差や個体変異が激しく、他との種同定弁別自体も難しいとされる)、その他に、同属で、オオブサ Gelidium pacificum 、オニクサ Gelidium japonicum 、ヨレクサ Gelidium vagum 、ナンブグサ Gelidium subfastigiatum 、コヒラGelidium tenue、及び、オバクサ属オバクサPterocladiella capillacea や、ヒラクサ属ヒラクサ Ptilophora subcostata 等を含む。
・「璚枝」(けいし)の「璚」は、「瓊」(けい)と同字で、玉(ぎょく)の名が原義で、また、「帯玉」(おびだま)である「玉玦」(教え子の諸君、懐かしいじゃないか! 「鴻門之会」に出て、図を黒板に描いたぞ!)の意味があるとするが、この字には、もう一つ、『老いた鹿の角の中に生ずる玉。璚鹿。』(「廣漢和辭典」)とあり、テングサ類の葉状体の形状、及び、そこから生成される玉のような半透明のトコロテンから美事に連想されたネーミングではあるまいか。
・「本朝式」は「延喜式」のこと。「弘仁式」及び「貞観式」(本書と合わせて「三代格式」と呼ぶ)を承けて作られた平安中期の律令施行規則。延喜五(九〇五)年に醍醐天皇の勅命で、藤原時平らが編纂を始め、延長五(九二七)年に完成、施行は実に半世紀後の康保四(九六七)年であった。平安初期の禁中の年中儀式や制度等を記す。「三代格式」の中では、唯一、ほぼ完全に残っているものである。
・「古留毛波」の「毛波」は、古語辞典を見ると、「藻葉」と表記する。「大宝律令」では「凝海藻」(こるもは)という記載があるので、「こるもは」は「凝る藻葉」で、上代には、既に、このテングサ類等から、「心太」様(よう)の食品、若しくは、工業素材が精製されていたことが窺われる。
・「心太」ウィキの「ところてん」の記載によれば、『一説には、こころぶとと呼ばれ、心太の漢字があてられた。それがこころていと呼ばれるようになり、さらに転じてところてんとなったとされる』(太字を下線に代えた。以下同じ)と掲げながら、実際には、『正倉院の書物中に心天と記されている事から奈良時代には既にこころてんまたはところてんと呼ばれていたようである』と推定する。その正倉院文書であるが、朝廷への献上品を記した木簡に記されているとし、御食国(みけつくに:古代から平安期にかけて、主に海産、及び、水産物を贄(にえ)として献納した、特定の国を指す語と考えられており、現在のところ、若狭・志摩・淡路国等が比定されている)からのテングサ貢進の記録があるとする。
・「雞脚菜」は「鷄脚菜」で検索をかけると、個人サイト「道北の釣りと旅」の「知床の地名を巡る カシュニの滝から知床岬まで‼」のページの、知床半島の「アブラコ湾」(アイヌ語で「エタペイソ」。「トドがいる岩礁」の意)について、文久三(一八六三)年、探検家松浦武四郎の記した「知床日誌」から、『灣中今日は波靜にして長閑なれば數多浮寢しけるに一首の蜂腰を戲ける。浪枕うきともしらず浮寢して世渡るミちぞ心やすかる。此邊鷄脚菜岸を赤しと思ふ迄打上げ實に目覺敷ぞ見へたり』と引用されているのが、ヒットした。良安の記載から、極上のトコロテン材料ということであるから、テングサ科 Gelidiaceae であることは間違いない。東洋文庫版では、テングサ科ユイキリ属
ユイキリ Aconthopeltis japonica に同定している。ユイキリには、確かに「トリノアシ」の別名があり、現在もトコロテン原料として、それなりの価格で売買されているようである。
・「膠凍」直後の良安の叙述では、ここの「膠凍」を『こごりて』と訓じているが、ここは時珍の叙述であり、送り仮名から見て、音読みしていると判断した。東洋文庫版の訳は意味を分かりやすくするために、ここを『こごりにかわ』とルビを振っている。
・「上焦の浮熱」の「上焦」は「中焦」・「下焦」(かしょう)と合わせた「三焦」の一つで、漢方では五臓六腑の六腑の一つとされる。但し、六腑の内、胃・胆・小腸・大腸・膀胱は実際の臓腑として存在するが(但し、漢方のそれは我々の認識している内臓のそれらとは、かなり、いや、大きく異なっている)、この「三焦」は、機能や広範な身体部分を漠然と示すのみで実体がなく、古くから議論されてきた。一説に「上焦」は舌から胃の噴門部辺りまでの機能を司るとし、呼吸・循環機能全般を支える仮想器官(臓器)と思われる。
・「造る法」の下は、原文ではご覧のようにすぐに文が続くが、訓読では他の項に準じて一マス空けた。
・「復又」「繰返し、何度も」の意。
・「露宿して」深夜から翌朝まで外に晒して、或はそのまま冷たい朝露を受けさせると、という意味か。
・「蘇方」は「蘇芳」に同じ。バラ目ジャケツイバラ科ジャケツイバラ属スオウ Caesalpinia sappan 。心材や種子を包む莢から赤色の染料ブラジリン brazilin (この名の由来は、ポルトガル語の brasa (「燃えるように赤い」の意)基づくという)を採取する。当該色を「蘇芳」と称する(教え子諸君、懐かしいね! 「藪の中」の冒頭だ、武弘の遺体の下の笹の落ち葉は「蘇芳に染みたやう」のあの蘇芳だ! 僕の当時の授業案をテツテ的にブラッシュ・アップした『「藪の中」殺人事件公判記録』もあるでよ!)。
・「礬膠紙」平凡社東洋文庫版の人見必大著・島田勇雄訳注「本朝食鑑」には、これを『礬膠紙(どうさがみ)』と訓じている。「どうさ」は現在、「ドーサ」と呼ばれる日本画の具財で、薄い膠液に明礬を混ぜたものを言う。本来、滲み易い和紙を、特別に滲まないものに変えたい場合に用いる薬物である(完成画を保存するためにも用いたようである)。江戸時代に用いられた一種の撥水紙である。]
***
とさかのり 雞冠菜【漢語抄】
鳥坂苔【本朝式】
鷄冠菜 【和名止里佐加乃里】
正赤者名錦苔
△按雞冠菜處處海濵石上生之狀畧似雞冠而有細齒
有深刻深紅色味淡甘不美古者參河伊勢志摩紀伊
石見貢獻之如今肥州天草多出之伊豆次之志摩亦
少出之用薑醋食之又色相似而圓者名楊梅苔
《改ページ》
*
とさかのり 雞冠菜【「漢語抄」。】
鳥坂苔〔(とりさかのり)〕【「本朝式」。】
鷄冠菜 【和名、「止里佐加乃里」。】
正赤なる者を「錦苔(にしきのり)」と名づく。
△按ずるに、雞冠菜は、處處、海濵〔の〕石上〔(せきしやう)〕に、之れを生ず。狀〔(かたち)〕、畧〔(ほぼ)〕、雞〔(にはとり)〕の冠〔(とさか)〕に似て、細〔か〕なる齒、有り、深き刻〔(きざ)〕、有り、深紅色。味、淡く、甘く、美ならず。古-者(いにしへ)、參河〔=三河〕・伊勢・志摩・紀伊・石見、之れを貢獻す。如今〔(じよこん)〕は、肥州〔=肥後〕天草より、多く、之れを出だす。伊豆、之れに次ぐ。志摩にも亦、少し、之れを出だす。薑醋〔(しやうがず):生姜酢。〕を用ひて、之れを食ふ。又、色、相〔(あひ)〕似て、圓〔(まろ)〕き者を「楊梅苔(やまもゝのり)」と名づく。
[やぶちゃん注:紅藻綱スギノリ目ミリン科トサカノリ属トサカノリ Meristotheca papulosa 。刺身のツマや海藻サラダで、最近は、すっかりお馴染みとなった。「赤トサカ」・「白トサカ」・「青トサカ」等と流通では区別しているが、何れも処理を施した同一の本種である。生時は紅色であるが、湯通しすることで赤色色素が変質、葉緑素の色のみが残り、更にこれを水に晒すと、全色素が溶出して白色となるというマジックである。
・「鳥坂苔」は、「古事類苑」の三河・伊勢(本文にも記載にもされる通り)の貢献品として掲げられており、鳥坂の語源は不詳なものの、トサカノリの古称はトリサカノリであったと思われ、標準和名の先取権は、本当はこちらにありそうだ。
・「錦苔」ニシキノリという和名は存在せず、この呼称は現在、用いられていないと思われる。トサカノリに近似した海藻類は多くあるので、別種の可能性もあるが、トサカノリの強い鮮紅色の個体群と見ておく。
・「楊梅苔」前記「錦苔」と同じくヤマモモノリという和名は存在せず、この呼称は現在、用いられていないと思われる。同前により別種の可能性もあるが、トサカノリの幼体、若しくは、夏季に成熟するトサカノリの雌性配偶体が、葉の縁に持つ半球状・瘤状の嚢果を指して、こう呼称している可能性があるかも知れない。]
***
■和漢三才圖會 水草藻類卷九十七 ○十二
もづく
海蘊
パイ フヲン
水雲【倭名抄】
【和名毛豆久】
俗用海雲二字
[やぶちゃん字注:以上三行は、前三行下に入る。「蘊」の下部の「縕」の(つくり)は「温」の(つくり)と同字であるが、正字で示した。以下の本文での「縕」も同じ。]
本綱縕亂𮈔也其葉似之故名海蘊【鹹寒】治癭瘤結氣在
喉間能下水
△按海蘊狀如亂𮈔青黑色柔滑長數尺生石上浮水上
將採之而滑利難得仍用鮑空貝刮取之阿州鳴戸泉
州岸和田及對州之產肥大如索麪而有杈安房上總
下總備前亦多有之皆和薑醋食之微有海鼠膓氣而
能醒酒醉或未醬汁煑之粘滑似薯蕷汁而佳値温氣
則易敗也藏之用海蘊【一升去水】鹽【三合】密封則耐久用時
暫漬水出鹽食
《改ページ》
*
もづく
海蘊
パイ フヲン
水雲【「倭名抄」。】
【和名、毛豆久。】
俗に「海雲」の二字を用ふ。
「本綱」に、『縕〔(うん)〕は、亂れたる𮈔(いと)なり。其の葉、之れに似たる故に、「海蘊」と名づく【鹹、寒】。癭瘤・結氣の喉の間に在るを、治す。能く、水を下す。』と。
△按ずるに、海蘊は、狀〔(かたち)〕、亂〔れる〕𮈔のごとく、青黑色。柔らかに滑(ぬ)めり、長さ、數尺。石上〔(せきしやう)〕に生じて、水上〔(すいしやう)〕に浮かぶ。將に之れを採らんとするに、滑-利(ぬめ)りて、得難し。仍〔(より)〕て、鮑-空-貝(あはびがら)を用ひて、之れを刮〔(こそ)〕げ取る。阿州〔=阿波〕の鳴戸・泉州〔=和泉〕の岸の和田、及び、對州〔=対馬〕の產、肥-大(ふと)く、索麪(そうめん)のごとくにして、杈(また)、有り。安房・上總・下總・備前、亦、多く、之れ、有り。皆、薑醋〔(しやうがず):生姜酢。〕に和して、之れを食へば、微〔(わづ)かに〕「海鼠腸(このわた)」の氣(かざ)有りて、能く、酒〔の〕醉〔(ゑひ)〕を醒〔(さ)〕ます。或いは、未醬(みそ)汁にて、之れを煮れば、粘滑〔すること〕、薯蕷(やまのいも)の汁に似て、佳し。温氣に値〔(あ)〕へば、則ち、敗〔(くさ)り〕易し。之れを藏(をさむ)るに、海蘊【一升〔(ひとます)〕。水を去る。】・鹽【三合。】を用ひて、密封すれば、則ち、久〔(きう)〕に耐ふ。用ひる時、暫らく、水に漬け、鹽を出〔(い)だ〕して食ふ。
[やぶちゃん注:「モズク」は褐藻綱ナガマツモ目モズク科 Spermatochnaceae やナガマツモ科 Chordariaceae に属する海藻類の総称であるが、現在、本邦で食用として流通している「モズク」は、ナガマツモ科オキナワモズク属オキナワモズク Cladosiphon okamuranus と、同科イシモズク属イシモズク Sphaerotrichia divaricata が九割以上を占め、通常流通では、オキナワモズクが席巻していると言ってよい。しかし、私にとっては少なくとも一九八〇年代末頃までは、正統的な「モズク」とは、名にし負うナガマツモ目モズク科モズク属モズク Nemacystus decipiens が「モズク」であったように思われ、当時、今はなき大船の沖縄料理店「むんじゅる」でオキナワモズクを初めて食した際には、私は、心の中で、『このモズクでない、モズクに少し似た太い別種の海藻を、食品名としてこのように命名したのか?』と、長く思い込んでいたものである。また、これほど、オキナワモズクが「モズク」として席捲するとも思っていなかった(私は沖縄を愛することに於いて人後に落ちないつもりである。が、モズクに関してのみ言えば、あのオキナワモズクを「モズク」と呼称することについては、私の『味覚・食感記憶』が今も強い違和感を覚えさせるのである。但し、「唐揚げ」は許せる味である)。イシモズクも、いやに黒々して、歯応えも硬過ぎ、やはり「モズク」と呼称したくないのが、正直な気持ちである。但し、現在、沖縄に於いて、全国への流通量が少なくなっていた真正のモズク Nemacystus decipiens (奇怪なことに、「オキナワムズク」を「モズク」と呼称するようになってしまい、本来の真正の「モズク」は、「イトモズク」とか、「キヌモズク」とか、呼ばれるようになってしまったのは、和名の歴史に於いても、著しく不当であり、私は許されないことと思っている)の養殖が行われており、商品として沖縄産でありながら、『おや? これはあの、オキナワモズクではないぞ? 僕の大好きな懐かしい「モズク」だぞ!』と感じさせるものが出回るようになったのは、一応は、嬉しい限りである(それがまた、沖縄産であること自体は快哉を叫びたい)。一般にはモズク Nemacystus decipiens が、同じ褐藻綱のホンダワラ(ヒバマタ目ホンダワラ属 Sargassum の類)に附着することから、「藻に付く」から「もつく」「もづく」となったとされるが、実は、我々が多く見る上記のオキナワモズク・イシモズクは、他の藻に絡みつかず、岩石に着生する。なお、他に、食用種としては、モズク科フトモヅク属フトモズク Tinocladia crassa (岩石着生)や、オキナワモズク属キシュウモズク Cladosiphon umezakii 等が挙げられる。私は、こと、モズクに関しては、一家言ある人種なのである。さて、「海薀」の「薀」の「縕」は、以下では、「乱れた糸」の意と記すが、前掲の「藻」の項の注で説明した通り、この字自体に派生的な特定の水草を現わす意があり、それは、則ち、淡水生のマツモ・キンギョモを指すのである。以下、該当注を参照されたいが、この「マツモ」が、実は、狭義の双子葉植物綱スイレン目マツモ科マツモ Ceratophyllum demersum var. demersum に留まらず、また「金魚藻」と呼称される種も、極めて多種多様な水草群を含んでいることから、特に「モズク」と似て非なるものを特定することは、あまり、意味のあることとも思われないので、ここまでとしておく。なお、モズク Nemacystus decipiens の学名もギリシャ語の“ Nema ”=「糸」と“ cystus ”「嚢」、“ decipiens ”が「虚偽の・欺瞞の」という意味である。
・「海雲」は「水雲」とも記す。
・「癭瘤」は「エイリュウ」(現代仮名遣)と音読みする。「癭」は、特に「頸部の腫瘤」を指し、「瘤」は広く「体表に現われるこぶ」を言うが、漢方では一般に狭義の「癭」、甲状腺腫やリンパ節腫を指すことが多い。その発症には、環境。及び、後述される「五膈痰壅」との関係があるとするようである(この注はサイト「家庭の中医学」の「癭瘤」を参照にした)。
・「結氣」は、広く胸部や腹部(胃腸)に侵入した邪気と本来の身体の正気がぶつかり合って内部に結び固まり、病因となるものを指すが、ここは、直後に「喉の間」とあるので、喉や胸部の閉塞感や、圧迫痛・咽喉の異物感を言うのではなかろうかと思われる。
・「能く、水を下す」ここを東洋文庫版は上と続けて、『癭瘤(こぶ)や結気(気の固まり)が喉間(のど)にあるとき、よく水気を下す』と訳している。しかし、返り点からは、このようには読めないし、この「水気」とは「みずけ」ではなく「すいき」、五行の「水」で、その「水気」が身体の上部にあって、下へ下らないと、熱が出る、とする記載が、風水関連の記載にあるので、効果的に熱源となる水気を下すという意味であって、これは「癭瘤・結氣」への効能とは切り離されたもののように私には思われる。
・「鮑空貝」原始腹足目ミミガイ科アワビ属 Haliotis の貝殻。「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の「鮑」の項を参照されたい。
・「阿州の鳴戸」は現在の徳島県鳴門市。「鳴戸」とは鳴門海峡を瀬戸内海と太平洋を結ぶ「戸=門」に見立て、加えて、その渦潮の音の大きさから名づけられたものである。
・「泉州の岸の和田」は現在の大阪府岸和田市。
・「海鼠膓(このわた)」は棘皮動物門ナマコ綱のナマコの腸管を塩辛にした食品名である。主にお馴染みのクロナマコ科マナマコ Apostichopus japonicus を用いる。詳細は「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「海鼠」の項の「海鼠膓」の注を参照されたい。
・「粘滑」は二字で「ねばり」と訓じているか。
・「薯蕷」と書いた場合は、十七 世紀に日本に輸入された中国原産の単子葉植物綱ユリ目ヤマノイモ科ヤマノイモ属のナガイモ Dioscorea batatas を指す。「ヤマイモ」は別にヤマノイモ科ヤマノイモ Dioscorea japonica を指すこともあるが、これは、現行では、正しい用法ではない。この場合は、どちらとも言い難いが、ここは感覚的には、民俗社会的には後者を指すと考えたいが、良安は医師であるから、こうした混用は極力、避けるはずで、個人的には漢方由来の前者としたい。]
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おごのり 【和名於古乃里】
於期菜
【恐此龍鬚
菜也見後】
△按於期菜生海中石上如亂𮈔而青色長一二尺采之
過時變蒼黑色用銅鍋煮之色青如活東海諸州多有
之備前及淡州亦多晒乾爲白藻
*
おごのり 【和名、於古乃里。】
於期菜
【恐らくは、此れ、「龍-鬚-菜(しらも)」なり。後に見ゆ。】
△按ずるに、於期菜は、海中〔の〕石の上に生ず。亂れたる𮈔のごとくにして、青色、長さ一、二尺。之れを采りて、時を過ぐれば、蒼黑色に變ず。銅鍋を用ひて之れを煮れば、色、青くして、活するがごとし。東海諸州に、多く、之れ、有り。備前、及び、淡州〔=淡路〕、亦、多し。晒し乾し、白藻(しらも)と爲〔(な)〕る。
[やぶちゃん注:紅藻綱オゴノリ目オゴノリ科オゴノリ属オゴノリ Gracilaria vermiculophylla を初めとするとする同オゴノリ科 Gracilariaceae の紅藻類の総称。本邦では、同属のオオオゴノリ Gracilaria gigas ・ミゾオゴノリ Gracilaria incurvata ・フシクレオゴノリ Gracilaria salicornia ・シラモ Gracilaria bursa-pastoris ・カバノリ Gracilaria textorii ・シンカイカバノリ Gracilaria sublittoralis 等の二十種が知られる(なお、和名が似ていて「おきゅうと」「いごねり」などの加工品で知られる「エゴノリ」は、紅藻綱イギス目イギス科エゴノリ属エゴノリ Campylaephora hypnaeoides で、目のタクソンで異なる全く異なる種であるので注意)。さて、オゴノリと言えば、本邦では、オゴノリ類による中毒が数例報告されている(死亡者は血圧低下によるショック死で、総てが女性である)。それらの事例は、みな、オゴノリ類の生食(記載によっては、真水につけて刻んだともある)によるもので、この中毒の機序は、まず、オゴノリの脂質に含まれるPGE2(プロスタグランジンE2)、及び、このPGE2を更に増殖させる酵素の摂取、即ち、魚介類に多く含まれる不飽和脂肪酸であるアラキドン酸( Arachidonic acid )の摂取が重なり、PGE2が摂取者の体内で過剰に生成されたのが原因ではないかと疑われている。プロスタグランジン( prostaglandin )類は主に女性に対する特異な薬理作用を持ち、その子宮口軟化・子宮収縮作用から産婦人科で分娩促進剤として用いられており、更に、血圧低下・血管拡張作用等を持つ。低血圧症であったり、若しくは逆に、高血圧で降圧剤を服用していた被害者に、そうした複合的条件が多重に作用し、急激な低血圧症を惹起した結果ではないかという推定がなされている。但し、市販されているオゴノリは、青色を発色させるために石灰処理を行っており、その過程で、以上のような急性薬理活性は完全に消失しているので、全く危険はない。さて、そうした中毒原因の推理の一方、その後にハワイで発生したオゴノリ食中毒の要因研究の過程では、その原因の一つに、PGE2過剰などではなく、アプリシアトキシン aplysiatoxin という消化管出血を引き起こす自然毒の存在が浮かび上がってきている。これは単細胞藻類である真正細菌藍色植物門 Cyanophyta のラン藻(シアノバクテリア Cyanobacteria )が細胞内で生産する猛毒成分である。即ち、当該のオゴノリにアプリシアトキシンを生成蓄積したラン藻が附着しており、オゴノリと一緒に摂取してしまったとも考えられているのである。但し、ネット上の情報を縦覧する限り、本中毒症状は、未だ十全な解明には至っていないという印象を受ける。
・「龍鬚菜」(シラモ)現在、この「シラモ」と言う和名は、オゴノリ属のシラモ Gracilaria bursa-pastoris に与えられている。オゴノリと本種の区別は難しいので、良安の、今でいう「シノニム」(synonym:学名の異名)と思われるという記述も無理はないと言える。なお、後掲する「龍鬚菜」(シラモ)も参照されたい。
・「亂れたる𮈔のごとくにして」オゴノリ属の属名 Gracilaria は、ラテン語の「細い」の意“ gracilis ”に由来し、まさに細い糸が絡まった形状から、命名されている。
・「後に見ゆ」は後掲する「龍鬚菜」(シラモ)の項を指す。
・「青色」とあるが、生色はオゴノリ属の種は、これ、どれも、青くない。良安は生時の体色を実見していないことが判然とする。紅藻綱スギノリ目ミリン科トサカノリ属トサカノリ Meristotheca papulosa の注で述べたのと同様、オゴノリ類は茹でると、フィブリン系(fibrin:線維素。ヒトの血色素と同系)の赤色色素が変成し、葉緑素(同じく変成はするにはするのであるが)の色が緑色として残り、更に、これを水に晒すと、全色素が溶出して白色となるのである。「晒し乾し」と言う行程を加えているので、ここで良安が「白藻」と言うのは、言わずもがなであるが、種としてのシラモ Gracilaria bursa-pastoris ではなく、そうした処理によって脱色したオゴノリ類のことを指している。]
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ふのり
鹿角菜
猴葵【本綱】
海蘿【食經】
【和名不乃利】
俗用布苔二字
鹿角菜
【和名豆乃末太】
[やぶちゃん字注:以上六行は、前二行下に入る。]
本綱鹿角菜生東南海中石厓間長三四寸大如䥫〔=鐵〕線分
了如鹿角狀紫黃色土人采曝貨爲海錯以水洗醋拌則
《改ページ》
■和漢三才圖會 水草藻類卷九十七 ○十三
脹起如新味極滑美若久浸則化如膠狀女人以梳髪粘
而不亂
氣味【甘大寒滑微毒】 療小兒骨蒸熱勞【丈夫不可久服發癇疾損腰腎經絡血氣】
△按倭名抄載食經云海蘿【澁鹹大冷】其性滑滑然主九竅則
海蘿與鹿角菜一物也倭名抄以爲二物者非也
凡海蘿生者和醋未醬食之稱生海蘿【訓古不乃利】處處多
出之似石花菜而黃紫色肥州五島之産爲最上朝鮮
次之志摩伊豆對馬阿波肥州平戸紀州熊野之產爲
中奥州松前仙臺南部及防州土州之產爲下品但奥
州之產甚多曝乾用時煮之爲糊紙工土家用治紙或
和石灰爲堊塗城樓壁
産前催生及胞衣不下者用布苔煮汁服之又傅痔脫
肛卽平安皆取性滑利也婦人用洗髪則舊油不脫而
垢能去又織絺布者塗之則筬易行
造法洗水去砂擴于莚上以稈帚洒水晒乾則成裁爲方
《改ページ》
形販之其功用最多大致民之利
焼海蘿法 用乾海蘿漬水去塵握丸裹紙煨之擂爛和
柹漆爲糊最佳
*
ふのり
鹿角菜
猴葵〔(こうき)〕【「本綱」。】
海蘿〔(かいら)〕【「食經」。】
【和名、「不乃利」。】
俗に「布苔」の二字を用ふ。
鹿角菜〔(ろくかくさい)〕
【和名、「豆乃末太〔(つのまた)〕」。】
「本綱」に、『鹿角菜は、東南海中の石厓〔(がい):崖。〕の間に生ず。長さ三、四寸。大いさ、䥫線(はりがね)のごとく、分了、鹿角の狀のごとし。紫黃色。土人、采りて曝し、貨(う)〔=売〕り、海錯と爲す。水を以つて、洗ひ、醋に拌(かきま)ぜれば、則ち、脹〔(は)〕り起ちて、新しきがごとし。味、極めて滑美なり。若〔(も)〕し、久〔し〕く浸せば、則ち、化して、膠〔(にかは)〕の狀〔(かたち)〕のごとし。女人、以つて、髮を梳〔(す)〕き、粘(ねば)りて、亂れず。
氣味【甘、大寒、滑、微毒。】 小兒の骨蒸熱勞〔(こつじようねつらう)〕を療す【丈夫、久しく〔は〕服すべからず。癇疾を發す。腰・腎の經絡、血氣を損ず。】。』と。
△按ずるに、「倭名抄」に「食經」を載せて云はく、『海蘿は【澁・鹹、大冷。】、其の性、滑-滑-然(ぬめぬめ)として九竅〔(きうけう)〕を主〔(つかさど)〕る。』と云ふ時は、則ち、「海蘿」と「鹿角菜」と、一物なり。「倭名抄」に、以つて、二物と爲(す)るは、非なり。[やぶちゃん注:「と云ふ時は」の「云」「時」の漢字は送りがなにある。]
凡そ、海蘿の生なる者、醋未醬〔(すみそ)〕を和く〔→して〕、之れを食ふ。「生-海-蘿(こふのり)」と稱す【「古不乃利」と訓ず。】。處處、多く、之れを出だす。「石花菜(ところてん)」に似て、黃紫色。肥州五島の産、最上と爲す。朝鮮、之れに次ぐ。志摩・伊豆・對馬・阿波・肥州〔=肥前〕の平戸・紀州の熊野の產、中と爲す。奥州〔=陸奥〕松前・仙臺南部、及び、防州〔=周防〕・土州〔=土佐〕の產、下品と爲す。但し、奥州の產、甚だ、多し。曝し乾し用ふる時、之れを煮て、糊(のり)と爲し、紙工家、用ひて、紙を治〔(をさ)〕め、或いは、石灰に和して、堊(しらつち)と爲し、城樓の壁を塗る。
産前の催-生(はやめ)、及び、胞衣(ゑな)下らざる者、布苔(ふのり)の煮汁を用ひて、之れを服す。又、痔・脫肛に傅(つ)くれば、卽ち、平安なり。皆、性、滑利を取るなり。婦人、用ひて、髮を洗へば、則ち、舊油、脫けずして、垢、能く、去る。又、絺(さよみ)布を織る者、之れを塗れば、則ち、筬(をさ)、行き易し。
造る法 水に洗ひて砂を去り、莚の上に擴(ひろ)げ、稈帚(しべ〔(ははき)〕)を以つて、水を洒(そゝ)ぎ、晒し乾し、則ち、成る。裁(た)ちて、方形と爲して、之れを販〔(ひさ)〕ぐ。其の功用、最も多く、大いに、民の利を致す。[やぶちゃん字注:「造る法」の後は原文は続いているが、他の項に準じて一字空けとした。]
燒-海-蘿(やきふのり)の法 乾(ほし)海蘿を用ひ、水に漬け塵を去り、握り丸め、紙に裹〔(つつ)〕みて之を煨(う〔→わ〕い)して、擂き爛らし、柹-漆(しぶ)に和して糊(のり)と爲して最も佳し。
[やぶちゃん注:紅藻綱スギノリ目フノリ科フノリ属 Gloiopeltis に属するマフノリ Gloiopeltis tenax ・フクロフノリ Gloiopeltis furcata ・ハナフノリ Gloiopeltis complanata 等と、形状が類似するが、スギノリ目イトフノリ科イトフノリ属に分類されるイトフノリ Gloiosiphonia capillaris 等の俗称総称である。狭義には、食用に採取され、「ホンフノリ」の別名を持つイトフノリ属マフノリ Gloiopeltis tena 、及び、形状がマフノリに類似する、同じイトフノリ属フクロフノリ Gloiopeltis を指すと考えてもよい。この二種は、外見上、よく似ているが、両者ともに、日本各地の沿岸域に分布するものの、マフノリの方が、やや北方に偏ること(食感も大いに異なり、私は歯応えのある、ぐにゃぐにゃどろどろしない東北のマフノリの方を好む。私はフノリ類の嗜好者で、常時、食品として食しているほどである)、マフノリは、フクロノリに較べて、やや小形であること、マフノリは、枝が規則的に二叉分岐するのに対し、フクロノリは不規則であること、マフノリは、全草が中実であるのに対して、フクロノリは中空である点等から容易に判別出来る。「アバター」のネイティリ風に「マフノリ、サンキュー!!!」――
・「猴葵」の「猴」は「猿」の意で、フノリの赤さからの連想であろう。「葵」には、アオイやヒマワリの他に、まさにフノリに形状がそっくりな「帚木」(ははきぎ)、双子葉植物綱ナデシコ目アカザ科バッシア属ホウキギ Kochia scoparia を指す異名でもあり、且つ、中国では、ホウキギを「地葵」と言うことから、「猿のように赤い(海の)ホウキギ」というネーミングではなかろうか。
・「海蘿」の「蘿」は、やはり、フノリの形状に似るサルオガセ(サルオガセ科サルオガセ属 Usnea に属する地衣類の総称。一般には深山の針葉樹の枝や幹に着生して糸状に下垂する。本邦には約四十種が棲息するが、その中で、標準和名としてサルオガセの和名は、別名「長松蘿」(ちょうしょうら)とも呼ぶ、 Usnea longissima に与えられてあり、又は、やはり、形状が極似する蔓性の寄生植物であるキク亜綱ナス目ヒルガオ科(ネナシカズラ科とも呼ぶ)ネナシカズラ属の仲間ネナシカズラ属 Cuscuta をも指す。「海のサルオガセ」、「海のネナシカズラ」――どちらも言い得て妙であると私は思う。
・「食經」は「崔禹錫食經」で唐の崔禹錫撰になる食物本草書。前掲の「倭名類聚鈔」に多く引用されるが、現在は散佚。後代の引用から、時節の食の禁忌・食い合わせ・飲用水の選び方等を記した総論部と、一品ごとに味覚・毒の有無・主治や効能を記した各論部から構成されていたと推測される。
・「豆乃末太」(ツノマタ)は、少々、悩ましい記載である。紅藻綱スギノリ目スギノリ科ツノマタ属に標準和名ツノマタ Chondrus ocellatus がある。体色は紅藻類であるにも拘らず、個体変異が多く、紅・緑・青・紫と多彩。基本的には平たいもの、やや広い葉状体が二叉分岐するものの、これも鶏冠(とさか)状を呈するもの等が見られ、古くから、漆喰の材料として知られ、現在も寒天・汁の実・刺身のツマにも用いられている点からも、本種ツノマタをフノリ・グループと完全同一視していたとしても不自然ではない。
・「分了」とは「葉状体の分枝」を言う。ここでは「了」が、「はっきりと定め分かつ」の意を添えているとすれば、単に分岐することと訳さずに、東洋文庫版のように『二叉(ふたまた)は』と訳して相応しいと思われ、さすれば、その特徴から、ここでは、マフノリ Gloiopeltis tenax を記載基礎標本としているともとれる。
・「海錯」の「錯」は「混じる・乱れる」の意であるが、ここでは、「多くの種類が混交する豊かな海産物」という表象で、単に「海産物」と訳せばよい。
・「滑美」は、訓ずるならば、「なめらかにしてうまし」というところ。
・「小兒の骨蒸熱勞」の「熱勞」は肺結核等に依る発熱症状を言い、「骨蒸」は、その疾患の熱によって、あたかも「骨が蒸されるような感じ」や、炎症・腫脹により、外形・触診上、骨に変化を生じることを言うものと思われる。従って、この四字熟語はズバリ、私が一歳から四歳半まで、左肩関節に罹患した、小児性の結核性カリエスを指すと言ってよい。
・「丈夫、久しく、服すべからず。癇疾を發す。腰・腎の經絡、血氣を損ず」フノリの継続摂取による副作用を記載する。即ち、『健康な成人男子は、長期に亙ってこのフノリを服用してはいけない。ひきつけ(神経性癲癇発作)を起こすようになる、又、腰と腎の経絡及び循環器の血液・血管系を損なう。』という注意書きである。ちなみに漢方では、腰は「腎の府(みやこ)」と呼ばれ、腰痛と腎臓の関係は密接なものがあるとされるのである。
・「九竅」は、人の体にある九つの穴。口・両目・両耳・両鼻孔・尿道口・肛門。教え子諸君、思い出すね、「荘子」(そうじ)中の「混沌、死せり」の話だよ。
・「主る」はここでは、「統べる」という意味ではなく、「守る」という意味であろう。ただ、東洋文庫版の訳のように『九竅の病を治す』とまで、大上段に振りかぶってよいかどうかは疑問で、「九竅から侵入しようとする邪気から身を守る」ぐらいの意味であろう。因みに、直前では副作用が語られていたが、ここではその広範な効能が称揚されており(限定がなされていない)、これはまさに現在、フノリ類から抽出された、あの「ぬめり」成分である硫酸多糖類の一種フノラン funoran が、癌や高血圧・肝臓障害等の広範な症状に有効であるとして脚光を浴びていることと一致すると言える。
・「生海蘿」「コフノリ」という呼称(料理名)は現在は用いられていないと思われる。
・「石花菜」紅色植物門紅藻綱テングサ目テングサ科 Gelidiaceae のテングサ類の中で、心太、及び、寒天の原材料と成り得るものの総称である。前掲の「石花菜」を参照。
・「糊と爲し、紙工家、用ひて紙を治め、或いは、石灰に和して、堊(しらつち)と爲し、城樓の壁を塗る」とあるが、これに就いては、ウィキの「フノリ」の「利用」の項に誠に適切な解説があるので、そのまま引用する(改行を省略した)。『フノリは古くには食用よりも糊としての用途のほうが主であった。フノリをよく煮て溶かすと、細胞壁を構成する多糖類がゾル化してドロドロの糊状になる。これは、漆喰の材料の一つとして用いられ、強い壁を作るのに役立てられていた。また仏像を荘厳する伝統技法である截金の接着剤としても用いられた。ただし、フノリ液の接着力はあまり強くはない。このため、接着剤としての糊ではなく、織物の仕上げの糊付けに用いられる用途が多かった。「布糊」という名称はこれに由来するものと思われる。また、相撲力士の廻しの下につける下がりを糊付けするのに用いられたりもする。その他、フノリの粘液は洗髪に用いられたり、化粧品の付着剤としての用途もある。また、和紙に絵具や雲母などの装飾をつける時に用いられた。』。文中の「截金」は「切金」とも書き、「きりかね」と読む。七世紀頃に大陸より伝来した工芸技術で、金箔や銀箔を、細長い線状や、三角形・四角形等の截箔(きりはく)に截断し、これを、彫刻や絵画などに筆と接着剤を用いて貼る込むことで輪郭や衣褶の線の他、多様な文様を描いた。細金(ほそがね)とも言う。「紙工家」であるが、東洋文庫版では、『かみすき』とルビする。
・「産前の催生」母体や胎児の状況によって、出産を早めることを言う。これは、寧ろ、前掲の「於期菜」オゴノリの注で解説した PGE2(prostaglandinプロスタグランジンE2)が持つ薬理作用と美事に一致する。prostaglandin 類は、主に女性に対する特異な薬理作用を持ち、その子宮口軟化・子宮収縮作用から、産婦人科で分娩促進剤として用いられており、更に血圧低下・血管拡張作用等を持つ点は、以下の痔や脱肛の痛みを緩和させる効果でも一致すると言えよう。
・「胞衣」は「後産」(のちざん・こうさん)とも言い、出産後五~十分後に、胎児に附属していた胎盤・臍帯・卵膜が排出されるが、その総体或いは現象を指す。因みに二十分を経過しても胞衣が排出されず、出血が続く場合は、やはり、先に示したプロスタグランジン等を投与して後産を促す。
・「絺布」の「さよみ」は、「貲布」とも書く。「絺」は、中国では双子葉植物綱マメ目マメ科クズ属クズ Pueraria lobata に代表されるところの、クズの類の細い繊維で織った布の意であるが、本邦では、日本固有種である双子葉植物綱アオイ目シナノキ科シナノキ Tilia japonica の皮(シナ皮)を、細く紡いで織った布を指す。古くは、調として上納され、アイヌの工芸品として、現代にも伝わる。但し、後世には、粗く織った麻布を広く言うようになったので、ここでも「粗製の麻織り」を指すと考えてよいであろう。「さゆみ」「さいみ」とも言う。
・「筬」は、織機の経糸(たていと)を通す櫛状の道具を指す。昔の一般的な竹筬(たけおさ)は、竹で出来た薄い小片を櫛の歯のように列ね、長方形の框(わく)に入れたものであった。それに潤滑剤としてフノリ製剤が古くから用いられていたことを示している。
・「稈帚」の「稈」(しべ)は、一般に「わらしべ」(藁蕊。麦の穂の芯の部分)を言うので、それを束ねて作った細かい小さな箒を言うのであろう。
・「煨して」「灰の中に埋めて焼く」の意。底本及び明治一七(一九八四)年から~明治二一(一九八八)年かけて大阪中近堂から刊行された活字本「和漢三才圖會」でも『ウ井』とルビを振るが、このような音はないので、正音「ワイ」に直した。
・「擂き爛らし」東洋文庫版は『擂爛(ひきただら)し』というルビを打つが、如何? この「擂」には、「ひく」という訓も意味もない。ここは、「擂(たた)き爛(ただ)らし」と読んで、「叩き潰して、ただらかした状態=ペースト状にし、」という意味ではなかろうか。
・「柹漆」の「柹」は「柿」と同字(前者が基本字)で、双子葉植物綱カキノキ目カキノキ科カキノキ Diospyros kaki である。「柹漆」は「柿渋」を指し、未熟なカキの果実を、粉砕・圧搾して得られた汁液を発酵させたものを言う。可溶性で、強いタンパク質凝固作用を持つタンニン tannin(カキタンニン)や、同様な性質を持つタンニン性物質シブオール shibuol を多量に含み、更に発酵によって生じた酢酸や酪酸等によって独特の臭気を発する赤褐色の半透明の液である。ここに記されたように、古くから、布や紙の防腐・防水・耐久強化用の糊としたり、民間薬などに用いられてきた。嘗つては、和服や浴衣の洗い張りには、このような手間のかかった最上品が用いられたことを考えると、日本文化の奥深さを痛感する。]
***
うつふるいのり【宇豆布留伊】
附
十六島苔 雪苔
△按此苔出於雲州十六島故名附生于海中石上長二
三尺幅二寸許而細如髪紫黑色味【甘微鹹】極美也國守
使海人取之入海底採爲腰帶而上其所得賜三分一
於海人最爲苔中之珍品
ゆきのり
雪苔
△按雪苔雲州加加浦有之畧似十六島苔而短紫色冬
《改ページ》
■和漢三才圖會 水草藻類卷九十七 ○十四
〔雪〕降石靣〔=面〕乍變爲苔刮取之至夏則難貯丹後亦有之
[やぶちゃん注:「ゆきのり」の前には行空きはないが、私の判断で挿入した。]
*
うつぷるいのり
十六島苔
【宇豆布留伊。】
附〔(つけた)〕り
雪苔
△按ずるに、此の苔、雲州〔=出雲〕十-六-島(うつぷる〔いしま〕)より出づる。故に名づく。海中の石上〔(せきしやう)〕に附生す。長さ二、三尺、幅二寸許〔(ばかり)〕にして、細〔(さい)〕なること、髪のごとく、紫黑色。味【甘、微鹹。】、極美なり。國守、海人〔(あま)〕を〔して〕、之れを取らしめ、〔海人、〕海底に入り、採りて、腰帶〔(こしおび)〕と爲〔(な)〕し、上(あが)る。其の得る所の三分〔が〕一を、海人に賜ふ。最も苔中の珍品と爲す。
[やぶちゃん字注:「使海人取之」には、原本では「使乄二ㇾ海人ヲ取ヲ一ㇾ之」と、現在ではあり得ない掟破りの「二ㇾ」が使用されており、送りがなもおかしい。敢えて読むなら、「海人を之れを取らしめて」となるが、おかしいので、私が正しいと推定した訓読で示した。また、以下の「雪苔」の間は、一行空けた。]
ゆきのり
雪苔
△按ずるに、雪苔は、雲州〔:出雲〕加加〔(かが)〕浦に、之れ、有り。畧(ちと)、「十六島苔」に似て、短く、紫色。冬の石面〔(いしづら)〕に、降りて、乍〔(たちま)〕ち、變じて、苔〔(のり)〕と爲る。之れを、刮(こそ)げ取る。夏に至りては、則ち、貯(たくは)ひ難し。丹後にも亦、之れ、有り。
[やぶちゃん注:紅藻綱ウシケノリ目ウシケノリ科アマノリ属ウップルイノリ Porphyra pseudolinearis 。潮間帯上部に生育し、幅が、狭く、長い。成長したものは長さが約三十センチメートル、幅五センチメートルまで伸長するが、長さ二十センチメートル、幅一~二センチメートルが通常個体である(良安の叙述の長さは後述するように、有意に大き過ぎる)。雌雄異株で、秋から一月頃まで、岩礁に見られる。北方系の種である。
・「十六島」現在の島根県出雲市(以前は平田市であったが、二〇〇五年三月に旧出雲市・平田市・簸川郡佐田町・多伎町・湖陵町・大社町の二市四町が新設合併して新しい「出雲市」となった)十六島町(うっぷるいちょう)にある十六島湾(うっぷるいわん:グーグル・マップ・データ)を指す。「十六島」という単独の島の名ではない。航空写真で見ると、北の外洋に面した海岸には十六以上の大小様々な島が見える。一見、アイヌ語語源を感じさせる地名であるが、これに関しては、「日本古代史とアイヌ語」というサイトの「十六島」に実に緻密で詳細な考察がある。それによれば、アイヌ語で「松の木が多いところ」、若しくは、「穴や坂や崖の多いところ」という意味である可能性が高い、とある。このサイト、震えるほど素晴らしい! 是非、ご覧あれ。但し、他にも朝鮮語であるとする説もあり、古くは「於豆振(おつふるひ)」と称し、これは、「海藻を採って打ち振るって日に乾す」ことを意味する『打ち振り』が訛ったとする説もあり、「出雲国風土記」の「楯縫郡(たてぬひのこほり)」の条には、この地名に該当すると考えられる「彌豆島(みづしま)」の地名について、諸校訂や注釈では「於豆椎(おつふるひ)」「振畏濱(ふるひはま)」「於豆振畏(おつふるひ)」「許豆埼(こづのさき)」等の字や読みが与えられてある。
・「採りて、腰帶と爲し上る」とあるが、アマノリの類いは、上記通り、潮間帯上部に繁茂し、岩礁帯をちまちまと摘むように採取するものと思われる。このように海中に潜水して多量に採取し、更にそれを腰に帯のように巻いて浮上するというのは私には考え難いのである。挿絵から見ても、良安は、昆布類の採取と錯誤しているように思われるのだが、如何? 識者の意見を乞う。
・「雪苔」(ユキノリ)これは現在、佐渡島で「イワノリ」の呼称として用いられているのだが、「イワノリ」という呼称自体、広義のウシケノリ科アマノリ属 Porphyra 類の総称として用いられている感がある。なお、ここでの良安先生は「雪苔」の元となるものが、具体に示されていない。どうも、名前からは、雪の化生説を示唆しているようにも思われるのだが、他では、良安は、完全とは言えないものの、結構、批判的に一部の自然発生説への疑義を示されており、私は大いに心惹かれることがあるのであるが……未来の、この不肖の弟子としての私は、そうした匂わしは、大いに不服である。この巻の後でも、そのような良安先生の化生説への支持傾向が散見され、私としては、この時の良安先生は、精神上の何らかのコンプレクス(先鋭的になれない事情)があったのではなかろうかろうか? などと、不遜にも憶測する次第なのである。なお、私は、三度目の佐渡島で、自然の低い海食台上で、人工養殖されている同種を崖の上から見たことがある。
・「雲州加加浦」は、現在の島根県松江市(以前は八束郡であったが、既注の通り、「松江市」となった)島根町加賀の加賀漁港周辺地域を指すものと思われる。]
***
しらも 【俗云白藻】
龍鬚菜
未晒者俗呼曰
於期菜見于前
本綱龍鬚菜生東南海邊石上叢生無枝葉狀如柳根鬚
長者尺餘白色以醋浸食【甘寒】和肉蒸食亦佳
△按龍鬚菜多出於備前長一二尺有椏初淡紫色能晒
乾則白色形色彷彿紡苧𮈔
*
しらも 【俗に白藻と云ふ。】
龍鬚菜
未だ晒さざる者を、俗に呼びて「於期菜(をごのり)」と曰ふ。前を見よ。
「本綱」に、『龍鬚菜〔(りうしゆさい)〕は、東南海邊の石上に生ず。叢生して、枝葉、無く、狀〔(かたち)〕、柳の根鬚〔(ねひげ)〕のごとし。長き者、尺餘り、白色なり。醋を以つて、浸して、食ふ【甘、寒。】。肉に和して、蒸し食ふも亦、佳なり。』と。
△按ずるに、龍鬚菜は、多く、備前より出づ。長さ一、二尺、椏〔(また)〕、有り。初めは、淡紫色、能く晒し乾せば、則ち、白色。形・色、紡(つむ)ぎたる苧-𮈔(をいと)に彷-彿(さもに)たり。
[やぶちゃん注:良安は、これを、前掲の「於期菜」(オゴノリ)と完全同一種とし、「於期菜」を晒し干しの処理した加工品を言うとする。確かに、当時「シラモ」と呼ばれたものは、紅藻綱オゴノリ目オゴノリ科オゴノリ属オゴノリ Gracilaria vermiculophylla を初めとするとする同オゴノリ科 Gracilariaceae の紅藻類の総称であるオゴノリと同義的に用いられたと考えられ、「白藻」という呼称も、そのような加工処理後の藻体色を言っているように思われる。ただ、本邦では現在、オゴノリ属シラモ Gracilaria bursa-pastoris に「シラモ」の和名が与えられており、ここでは、やはり、標準和名の正統派ということで、シラモに同定しておく。現代中国でも「龍鬚菜」は「オゴノリ」を指すという記載を、また中文サイトでは、ユミガタオゴノリ Gracilaria arcuata を「龍鬚菜」とするものを発見した。しかしながら、「龍鬚菜」(ロンシュイツァイ)は、最近、見かけることが多くなった陸生のマメ科マメ亜科エンドウ属エンドウ Pisum sativum の若芽である豌豆苗(ワンドウミアオ)の中国名としての方が、通りが良いようである。但し、時珍の記載を読むと、これはどう転んでも、シラモ Gracilaria bursa-pastoris の記載ではない。「叢生」(群がって生える)はよいとして、『枝や葉に相当するものがなく、その形状は、柳の鬚根のようである』とあるが、シラモやオゴノリ類は枝状に複雑に分岐するか、葉状に広がる藻体を持っている(私の知る限りでは、そうである)。更に『白色である』とあり、これは海中での藻体が有意に白く見えることを指しているだけの意味としか読めない(良安先生は「於期菜」(オゴノリ)の脱色個体という当初からの思い込みで、この部分を都合よく加工後と解釈しているのであるが、それは、到底、承服出来ない。勿論、オゴノリ類でも、生体の中には、赤色色素が抜け、やや灰白色気味の個体も見られるが、それをきっぱりと「白色」とは言わないし、そのような個体群が叢生するほど優勢であるとは、私には思われないのである)。そうすると、分岐が殆んど見られないか、分岐していても、それが細長い鬚が、沢山、絡みあっているように見える、有意に白色の、岩礁上に生える種が同定候補となる。私が何冊か所持する内、最も信頼を置いている(ラテン語学名の意味が漏らさず書かれてるあるのが、超魅力的!)、二〇〇四年平凡社刊の田中二郎解説・中村庸夫写真の「基本284 日本の海藻」を縦覧したところ、目が止まったのは、紅藻綱ウミゾウメン目コナハダ科ヨゴレコナハダ属ヨゴレコナハダ Liagora japonica と、同科のヌルハダ属ヌルハダ Trichogloeopsis mucosissima の二枚の写真である。本邦では南西諸島に分布しており、時珍の言う「東南海邊」に一致、また、珊瑚礁域では、死んだ珊瑚にへばりつくように群がって生えるという点が、「石上に生」じて「叢生」するという点と一致し、写真を見ると、藻体は細い円柱状で、分岐は見られるが、短く、「枝葉」がない、と私には見える。また、その全体の形は、竹や「柳の鬚根」に、すこぶる似ているのである。更に、後者のヌルハダは、白色がかったピンク色、前者のヨゴレコナハダは基本色は赤褐色であるものの、石灰質を多く含む部分が藻体にあるため、白と混ざって、斑模様となるとあり、この図鑑の写真中で、ひげ根状で、有意に白い藻は、これしかない。以上から、私は、時珍の記載する種は、紅藻綱オゴノリ目オゴノリ科シラモではなく、紅藻綱ウミゾウメン目コナハダ科 Ligoraceae の仲間を、有力な同定第一候補としたい。
・「椏」葉状体に股(分岐)があることを言う。
・「苧𮈔」は「からむし織り」を言う。イラクサ科カラムシ属ナンバンカラムシ Boehmeria nivea 、別名「苧麻(ちょま)」で知られる植物の茎の皮(靭皮)から採取される繊維(これを「からむし」「青苧(あおそ)」と称する)を糸にして織られた織物のこと。灰汁(あく)に浸し、水洗と、雪の上への晒しを、繰り返すことで、光沢のある強靭な繊維がとれたことから、そうした行程と加工品との相似的連想が、良安先生には働いている気がする。]
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さくらのり 俗稱
櫻苔
《改ページ》
△按櫻苔紀州海濵出之色黃白或淡紫而似櫻花凋落
乾狀故名又有松苔黃白色大於櫻苔形微似松花
*
さくらのり 俗稱。
櫻苔
△按ずるに、櫻苔は、紀州〔=紀伊〕海濵に、之れ、出づ。色、黃白、或いは、淡紫にして、櫻花の凋(しぼ)み落ちて、乾(かは)ける狀〔(かたち)〕に似たる故に、名づく。又、「松苔〔(まつのり)〕」、有り、黃白色、「櫻苔」より、大にして、形、微〔(やや)〕、松の花に似る。
[やぶちゃん注:俗称とあるが、現在、本邦にあっては、紅藻綱カクレイト目カクレイト科ムカデノリ属サクラノリ Grateloupia imbricata が標準和名として持っている。形状は、ズバり、凋み落ちた桜の花、というより、私には、祝儀に用いる桜湯の塩漬けの桜花、若しくは、湯を入れて戻した直後のそれによく似ているように思われる。やや生体の色彩の記載が気にはなるが、通常の紅藻類には、ありがちな、乾燥後や、晒した後の色彩上の変異を記載しているように感じられる。
・「松苔」は紅藻綱マサゴシバリ亜綱イソノハナ目イソノハナ科マタボウ属マツノリ Carpopeltis affinis である。桜の花弁状の葉状体の下部の枝はサクラノリと異なり、細く円柱状を呈しており、葉状体が附く枝の先端部も尖っている点で識別出来る。
・「松花」とは、私は一般には秋の松かさ(松の実・マツボックリ)と思っていた(勿論、春に咲く松の花もあるが、私の意識では「松花」はそれではない)が、マツノリの葉状体がマツボックリに似ているかと聞かれると苦しむ(翻ってマツの雄花や雌花に似ているかといわれても同じである)。現在、金沢で正月の仏壇飾りや、正月の墓参りのお供えものとして、松・松かさ・南天・柳を束ねて藁(「コミ」と称する)で根元を覆った飾り物を「松花」と呼ぶが、例えば、良安の時代に、この「松花」の習慣があり、それを彼が指して言ったという捉え方も不可能ではない。ただ、生態写真や標本及び博物画を眺めてみると、これは枝振りが松にやや似ているから、マツノリなのではなかろうかと思われてくるのだが、如何? グーグル画像検索「マツノリ」をリンクさせておく。]
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あまのり
紫菜
紫䓴【音軟】
神仙菜
【和名阿末乃里】
俗用甘苔字
本綱紫菜生南海中附石正青色取而乾之則紫色大葉
而薄桵成餅狀晒乾貨之其色正紫
氣味【甘鹹寒】 病癭瘤積塊脚氣者宜食之
倭名抄載食經云紫菜狀如紫帛凝生石上是物有三四
種以紫色爲勝俗呼曰神仙菜
△按甘苔者總名而隨所出之地異名色味亦稍異也總
州之葛西苔武陽之淺草苔並紫蒼色而味甘美也紀
州之妹背苔次之武陽之品川苔不紫色味亦逈劣伊
《改ページ》
■和漢三才圖會 水草藻類卷九十七 ○十五
豆相模之海濵亦多出之只稱甘苔紫赤色而不細密
富士苔 富士山之麓精進川村出之形狀似紫菜青緑
色味極美
水善〔→前〕寺苔 出於肥後色似富士苔而方形煑之不亂味
甘美近頃不多出但一一如菜葉相粘作方形耳
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あまのり
紫菜
紫䓴〔(しなん)〕【音、軟。】
神仙菜
【和名、「阿末乃里」。】
俗に「甘苔」の字を用ふ。
「本綱」に、『紫菜は、南海の中に生ず。石に附き、正青色。取りて、之れを乾かせば、則ち、紫色〔たり〕。大葉にして、薄し。桵〔(も)〕んで、餅の状〔(かた)〕ちを成し、晒し乾して、之れを貨〔(う)る。〕其の色、正紫なり。
氣味【甘鹹、寒。】 癭瘤〔(こぶ)〕・積塊〔(しやくくわい)〕・脚氣〔(かつけ)〕を病む者、宜しく之れを食ふべし。
「倭名抄」に「食經」を載せて云はく、『紫菜は、狀〔(かた)〕ち、紫の帛(きぬ)のごとく、凝(こ)りて、石の上に生ず。是〔の〕物、三、四種、有り。紫色なるを以つて、勝れりと爲す。俗に呼んで「神仙菜」と曰ふ。』と。
△按ずるに、「甘苔」は總名にして、所出の地に隨ひて、名を異にして、色・味も亦、稍〔(やや)〕異なり。總州〔=下総〕の「葛西苔(かさいのり)」、武陽の「淺草苔」、並びに紫蒼色にして、味、甘美なり。紀州の「妹背(いもせ)苔」、之れに次ぐ。武陽の「品川苔」は紫色ならず、味、亦、逈(はる)かに劣れり。伊豆・相模の海濵にも亦、多く、之れを出〔(いだ)〕す。只、「甘苔」と稱して、紫赤色にして、細密ならず。』と。
富士苔は、富士山の麓(ふもと)精進(しやうじ)川村より、之れを出す。形狀、「紫菜」に似て、青緑色。味、極めて美なり。
水前寺苔(すいぜんじのり) 肥後より出づ。色、「富士苔」に似て、方形なり。之れを煑るに、亂れず。味、甘美なり。近頃、多く〔は〕出でず。但し、一一〔(いちいち)〕、菜の葉のごとく、相粘(〔あひ〕つ)きて、方形を作〔(な)〕すのみ。
[やぶちゃん注:現在、普通に「ノリ」(海苔)と言った場合、食用海藻の代表として、紅藻綱ウシケノリ目ウシケノリ科 Bangiaceae の内、膜状の葉状体を持つつ種群(非単系統群)の総称である。ウィキの「アマノリ」によれば、二〇〇一年までは、『ポルフィラ属 (』 Porphyra :『アマノリ属とよばれていた) にまとめられていた』。『また』、『同じウシケノリ科に属し、多列糸状の体をもつ種はウシケノリ属 (』 Bangia 『) にまとめられていた。しかし詳細な分子系統学的研究が行われることによって、この意味でのアマノリ属、ウシケノリ属は単系統群ではなく、系統的には両者が混ざった状態であることが示された』(以下に、「ウシケノリ綱内の系統仮説の一例」の表がある)。『そのため』、『古典的な意味でのアマノリ属は解体され』、二〇二〇『年現在では』、十四『属に分けられている』。但し、『この分類は主に分子形質に基づいており、分子情報が得られていない種については分類すべき属が明らかになっていない。このような種は暫定的にポルフィラ属に残されている』とある。因みに、「ノリ」の語源は、「ぬらぬらする」という「ヌラ」が訛ったものとする説が有力のようである。天然種としては、下記に記載したアサクサノリ Porphyra tenera の他、「岩海苔」という製品名でお馴染みのオニアマノリ Porphyra dentata 、スサビノリ Porphyra yezoensis を掲げておくが、上記ウィキの「食用種」の項には、それらを含め、十五種が掲げられてある。
・「紫䓴【音、軟。】この「䓴」の字は、菌界担子菌門異型担子菌綱キクラゲ目キクラゲ科キクラゲ属キクラゲ Auricularia auricula-judae を意味する漢字である。しかし乍ら、音は「ゼン」若しくは「ネン」であって、良安が示す音「軟」(ナン)とは違う。
・「桵んで」「桵」は音「ダ」又は「ズイ」で、「揉む・揉み合わす」の意。
・「癭瘤」は「エイリュウ」(現代仮名遣)と音読みする。「癭」は、特に「頸部の腫瘤」を指し、「瘤」は、広く「体表に現われるコブ」を言うが、漢方では一般に、狭義の「癭」、甲状腺腫やリンパ節腫を指すことが多い。(この注はサイト「家庭の中医学」の「癭瘤」を参照にした)。
・「積塊」とは、本来は「積聚」(しゃくじゅ)と言って、胸や腹部等に、急に激しい痛みを感じる症状の素因となる体内の塊状の異物を言うようであるが、ここでは、前の「癭瘤」からして、広く「しこり」の症状を指して言っていると思われる。
・「脚氣」ビタミンB1欠乏症の様態を指す。心不全と末梢神経障害を典型症状とする疾患。心不全が下肢のむくみ、神経障害が、同じく、下肢の痺れを惹起するという限定性から「脚気」と呼称される。重くなると、心機能低下や不全を併発することが多いため、「脚気衝心」(かっけしょうしん)とも呼ばれる。
・「食經」の「食經」は、「崔禹錫食經」で、唐の崔禹錫撰になる食物本草書。前掲の「倭名類聚鈔」に多く引用されるが、現在は散佚。後代の引用から、時節の食の禁忌・食い合わせ・飲用水の選び方等を記した総論部と、一品ごとに味覚・毒の有無・主治や効能を記した各論部から構成されていたと推測される。
・「神仙菜」これは中国由来の呼称であろう。所謂、不老不死の仙薬として、アマノリ類が重宝とされていたことが窺える。
・「葛西苔」(カサイノリ)種としては後掲するアマノリ属アサクサノリ Porphyra tenera と同種。ウィキの「葛西」の記載を参考にすると、「葛西」は現在の東京都江戸川区南部、旧東京府南葛飾郡葛西村の葛西浦周辺を指し、ここでの天然アサクサノリの採取は寛永頃に始まっており、「葛西苔」は江戸期の海苔の一大ブランドであったとする。但し、この記載では、別名を「浅草海苔」としており、良安が明確に区別して記載しているのとは、やや内容を異にする。この「別名」という記載では、「葛西海苔」も「浅草海苔」として混同して、区別されずに市場に出ていたことを意味することになるからである。近代には、一時、衰退したが、明治一四(一八八一)年頃、東宇喜田村の名主森興昌が海苔養殖技術の研究を行い復興、明治二四(一八九一)年には、深川大島町・浦安村等との共同開発によって、越中島沖合に十万坪の海苔養殖場が作られ、大正期まで活況を呈し、葛西浦での漁業が終焉を迎えた昭和三七(一九六二)まで続いた。
・「武陽」これは「武蔵国の南部」という意味で、江戸と読み替えてよいであろう。正規の日本史学では、使用例は少ない呼称である。
・「淺草苔」ズバり、同前の Porphyra tenera に同じ。以下、ウィキの「アサクサノリ」から引用する(一部改行を省略)。『海苔の種類の中では、味、香り共に一級品であるが、養殖に非常に手間がかかり、また、傷みやすく病気にもかかりやすいため養殖が難しく、希少であり、高級品』とされている。『日本では北海道から九州までに分布し、養殖されていた』一九六〇年代までは、『太平洋側各地の内湾に分布していた。その後』一九六二『年頃には愛媛県西條市玉津にてオオバアサクサノリ』( Neopyropia tenera var. tamatsuensis )が、一九七〇年頃(一説に一九六七年の選種とも)には、『千葉県袖ケ浦町奈良輪にてナラワスサビノリ』(Neopyropia yezoennsis f. narawaensis )『が、いずれも養殖漁業者の手で確立され、これらの病気に強く育てやすい養殖用変種や品種が普及することでアサクサノリ野生種の養殖がされなくなり、さらに干拓・埋立、水質汚染などで自生に適した環境が失われることにより』、『自生地が激減、レッドデータブック編纂時に行われた環境庁(当時)の調査では生育が確認された場所が全国四箇所の干潟のみとなっており、絶滅危惧I類(CR+EN)として記載された。なお、最近の調査では全国で八箇所の自生地が見つかっている』とある。なお、十七年前、多摩川河口の葦に自生しているアサクサノリが発見されたニュースを覚えている。二〇〇六年二月で、地元の漁師の間で、「ダイシノリ」と呼ばれていたものをDNA鑑定した結果、アサクサノリに同定された。その他の自生状況は千葉県立中央博物館分館の研究員菊池則雄氏の「絶滅危惧種アサクサノリの生育状況」を参照されたい。このサイトでは,アサクサノリのライフ・サイクルその他についての知見も得られ、必見である。さて、Wikippe の方の「アサクサノリ」によれば、歴史的には、アサクサノリは『江戸時代に隅田川下流域で養殖された江戸名産のひとつで、和名は岡村金太郎による。名の由来は、江戸の浅草で採取・販売・製造されたため、など諸説ある』。『採取年代は古く「元亀天正の頃」と記す書物もあるが、永禄から天正年間には浅草は海から遠ざかっており、徳川家康の入府』(一五八九年)『以後の江戸時代初期には』、『干拓により』、『海苔の採取が不可能になっている。下総国の葛西で採れた海苔などが加工されて販売されつづけ、消費地である江戸の市街地造成や隅田川の改修などにより浅草が市や門前町として発展すると評判が上がり、江戸の発展とともに「浅草」を冠せられるようになったと考えられている。寛永』一五(一六三八)年に『成立した松江頼重『毛吹草』には』、『諸国の名産が列記されており、浅草海苔は品川海苔とともに江戸名産のひとつにあげられている。また、江戸時代には高僧により食物の名が命名される伝承があるが、浅草海苔も精進物として諸寺に献上され、これが幕府の顧問僧で上野寛永寺を創建した天海の目に留まり』、『命名されたとする伝承がある。浅草は紙の産地としても知られ、享保年間には紙抄きの技術を取り入れた抄き海苔も生産されるようになった』とある。この後半の記載から、実際には、正真正銘の「浅草海苔」は江戸初期に早々と、一度、概ね、消滅しており、前掲の「葛西苔」の一部に、この名が流用されて販売されていたことが読み取れる。実は、良安の時代には、最早、「浅草苔」は幻しであったのである。また、「品川区環境情報活動センター」の「はるか江戸より品川を臨む」の「江戸的グルメ今昔」によれば(二〇二三年十月現在、消失)、『寛政七年(1795年)の随筆「譚海」巻十三に、浅草のり、江戸にて入梅の季節になれば、風味変じてまずくなる、春の初めに一年分の海苔を買い、残らず火であぶり、粉にして、ガラス瓶へ入れておき、必要なときに振りかけて使う、風味はそのままで変わらないとある、ふりかけ海苔の元祖である』とあり、こんなに早く「振りかけ」があったんだ! と目からノリであった。さて、ここで示された養殖種の内、ナラワスサビノリは学名でお判りの通り、スサビノリの改良品種で、アサクサノリに比して繁殖力が強く、生長も早く、養殖が、容易であることから、現在、全国的なノリ養殖品種となっており、養殖海苔での占める割合は実に九十九%に及ぶとも言われる。
・「妹背苔」(イモセノリ)本呼称は現在、生き残っていないものと思われる。風雅な名前だけに惜しい気がする。地理的に考えても、種もアサクサノリの変種の可能性がないとは言えない。
・「品川苔」(シナガワノリ)これもアサクサノリと考えてよい。但し、「葛西苔」や「淺草苔」が、江戸期に衰退へと傾いて行ったのに対し、こちらは周縁的場所柄だけに順調に繁栄していった海苔のようである。品川区文化財担当の区公式サイトの「東海道品川宿のはなし 第35回 名物品川海苔の販売」は詳細データに裏打ちされた極めた優れた記載である(二〇二三年十月現在、消失)。以下、引用する(表記の一部を変更、改行を省略した)。『品川にはじまった海苔養殖は、江戸時代中期以降、しだいに産地がひろがり、19世紀初頭には、大井村・大森村・糀谷 (こうじや)村そして羽田村にも及び、江戸内湾の対岸、上総国(千葉県)にも普及していきました。宝暦7(1757)年当時の記録によると、現在の品川区域には海苔養殖を稼ぎにしていた家は281軒あり、843人が従事していたと記されています。海苔養殖業は1軒あたり3人の労働力で営まれていました。この頃、海苔ひびを立てていたのは24箇所だったのですが、約50年後の文化10(1813)年になりますと145箇所に増え、海苔養殖業が急速に発展したことがわかります』。『宝暦7年の記録によると、南品川宿ほか3か村の干海苔は、浅草並木町の問屋四郎左衛門に売り渡し、100文につき2文の世話代を支払っていました。このように問屋に直接売り渡すほか、仲買(中買)のものへも売り、東海道の往還ばたの店先でも販売していました。海苔を仲買へ売り渡す方法は、江戸時代については記録が残っていませんが、明治期には仲買の主人や番頭が各家を回り、できあがった海苔をみて値を付けて入札し、次の家に行くという庭先入札の方式によっていました。大正時代にあった仲買は4軒程度で、南品川猟師町で庭先入札に加わることができるのは品川宿の仲買人に限られており、他の地域の仲買は参加できないしきたりでした。昭和にはいって仲買の数は増え、仲買の集めた海苔は日本橋の山本、山形屋などの海苔問屋に売り渡されたのです』とある。当該ページには、品川海苔の販売に関わる信州諏訪と品川周辺の海苔業者、諏訪大社との関係、江戸期の盛時を偲ばせる海苔店のかけ紙の絵もあり、必見である。
・「富士苔」(フジノリ)は、現在では、淡水藻のアオサ目カワノリ科カワノリ Prsiola japonica の地方名である。栃木県庁の「レッドデータブックとちぎ」の「カワノリ」の記載によれば、『長さ1~10cm、幅0.5~3cm。海産のアオサに似て小さな盤状付着部から直立し、くさび形、腎臓形、楕円形を呈し、鮮緑色である。体は1層の細胞からなり、顕微鏡での表面観は4個の細胞が一組に、あるいは4の倍数の細胞が整然と配列している。表面は艶やかな緑色の照りがあり、わずかに凹凸がある。細胞中に1個の緑色の星形葉緑体を持ち、その中央に1個のピレノイドを有する。年中生育するというが、7月から11月に多い。渓流中に生育する。』とある。説明中のピレノイド pyrenoid とは、藻類等の葉緑体に於いて、炭素固定機能を司る器官で、葉緑体の中にある。カワノリは別名「カワナ」、熊本県では「菊池海苔」と呼ぶともある。おお! 菊池彦か!
・「精進川村」は現在の静岡県富士宮市精進川(グーグル・マップ・データ。これは河川名ではなく、地名である)。
・「水前寺苔」スイゼンジノリ 原文はご覧の通り、表記を「水善寺」と誤っているため、補正した。淡水産藍藻。真性細菌シアノバクテリア門ネンジュモ綱クロオコックス目クロオコッカス科のスイゼンジノリ Aphanothece sacrum 。熊本市上江津湖、及び、甘木の黄金川にのみ自然棲息する。熊本市の水前寺成趣園の池で明治五(一八七二)年に発見された。「聖なる」を意味する種小名“ sacrum ”は発見者のオランダ人スリンガー Willem Frederik Reinier Suringar が、この本種の生息環境の素晴らしさに驚嘆して命名したものという。将軍家への献上品で、現在も「水前寺苔」「寿泉苔」「紫金苔」「川茸」等の商品名で高級な食材として用いられている(この項、同じくウィキの「スイゼンジノリ」の記載を参照した)。二〇二〇年現在では、自然個体は絶滅危惧Ⅰ類に指定されている。]
***
わかめ
石蓴
海藻【和名抄】
和名迩木米
俗用和布字
今云和加米
對麄布曰之弱布
[やぶちゃん字注:以上五行は、前二行下に入る。]
本綱石蓴生南海附石而生似紫菜色青
△按石蓴今云和布也蓋似紫菜而色青者富士苔水善〔→前〕
寺苔之類耳然以昆布謂似紫菜青苔亦共未精
和布乃昆布海帶之屬非苔之屬處處海中皆有之附
《改ページ》
生于石畧似昆布而薄狹短味亦相似而色青伊勢志
摩出雲多出之炙食又刻蘸醬油或入臛汁亦佳
加田布 紀州加田浦出之續擴乾之爲方形炙食之乃
和布之屬也甚鹹而宜僧家調菜
*
わかめ
石蓴
海藻【「和名抄」。】
和名、「迩木米〔(にぎめ)〕」、俗に「和布」の字を用ふ。
今、云ふ、「和加米」。「麄布(あらめ)」に對して、之れを「弱布〔(わかめ)〕」と曰ふ。
「本綱」に、『石蓴〔(せきじゆん)〕は、南海に生ず。石に附きて、生ず。紫菜(あまのり)に似て、色、青し。』と。
△按ずるに、石蓴は、今、云ふ、「和布」なり。蓋し、「紫菜(あまのり)」に似て、色、青き者は、「富士苔」・「水前寺苔」の類のみ。然るに、「昆布」を以つて、「紫菜」・「青苔」に似たりと謂ふも亦、共に、未だ、精(くは)しからず。
和布は、乃〔すなは)ち〕、「昆布」・「海帶(あらめ)」の屬にして、苔(のり)の屬に非ず。處處の海中、皆、之れ、有り。石に附生し、畧(ち)と、「昆布」に似て、薄く、狹く、短し。味〔も〕亦、相〔(あひ)〕似て、色、青し。伊勢・志摩・出雲より、多く、之れを出〔だす〕。炙り食ひ、又、刻みて、醬油に蘸〔(ひた)〕し、或いは、臛汁〔(あつもの)〕に入るるも、亦、佳し。
加田布 紀州〔=紀伊〕加田浦より、之れを、出だす。續け擴(ひろ)げて、之れを乾かす。方形と爲し、炙りて、之れを食ふ。乃ち、「和布」の屬なり。甚だ、鹹〔(かん)にして〕、僧家の調菜に宜〔(よろ)〕し。
[やぶちゃん注:褐藻綱コンブ目チガイソ科ワカメ属ワカメ Undaria pinnatifida をタイプ種とするグループ。ワカメの代用種として用いられるものとしては、他に、同属のヒロメ Undaria undarioides ・アオワカメ Undaria peterseniasa のほか、アイヌワカメ属アイヌワカメ Alaria praelonga ・同属チガイソ Alaria crassifolia ・ホソバワカメ Alaria angusta が挙げられるが、ワカメ・ヒロメ・アオワカメ以外は、棲息域が北方に限られている上、極めて限定された地域に限るため、その地方での消費に留まることが多い。ワカメ Undaria pinnatifida は、北海道東岸と南西諸島を除く、各地沿岸と朝鮮半島の特産であり、分類学的には、胞子葉と葉状体とが隔たっているか、近接してるかによって、前者をナンブワカメ Undaria pinnatifida form. Distans とし、後者をワカメ
Undaria pinnatifida form. Tipicao の二品種を挙げる場合もある。なお、ワカメ属の属名“ Undaria ”は「皺を持つ」、アイヌワカメ属の“ Alaria ”は「翼を持つ」の意である。更に伊豆半島以南の暖流域では、本来、天然のワカメ Undaria pinnatifida が、あまり採れないことから、コンブ科アントクメ属アントクメ Ecklominiopsis radicosa が代用品として用いられるので、これも掲げておく。なお、時珍の「石蓴」という漢名の「蓴」は、 多年生水生植物である双子葉植物綱スイレン目ハゴロモモ科ジュンサイ Brasenia schreberi を指す語である。ぬめりと水生である点は共通するが、とても似ているとは言い難い。寧ろ、動詞としての「蓴」の「草が群がり生ずるさま」という意味では、ぴったりくると言えるか。
・「迩木米」(ニギメ)正字では「邇木米」、又は「爾木米」で、読みは古くは「ニキメ」であろう。これは「ワカメ」の古称で、「ニギ」「ニキ」は漢字を当てると、「和」で、「柔らかな」「穏やかな」「細い」「なれた」という意味を添える古形の接頭語である。例えば、「和稲」(にきしね・にこしね:脱穀した米。)「和魂」「和御魂」(にきたま・にぎみたま:温和な神。)・「和幣」(にきて:神に祈る際に奉ずる御幣。)・「和ぶ」(にきぶ:動詞。親しみ慣れる。)。そこから、ここは「柔らかな海の布」の意である。
・「麄布」(アラメ)は褐藻類コンブ目コンブ科アラメ属アラメ Ecklonia bicyclis 。次項「海帶」を参照。
・「弱布」というワカメの別称は現在は聞かない。これは「アラメ」に対する以上、「ワカメ」ではなく、「ヨワメ」「ヤワメ」と読むのかも知れない。御意見を乞う。
・「紫菜」(アマノリ)紅藻綱ウシケノリ目ウシケノリ科アマノリ属 Porphyra sp. の総称。前掲「紫菜」の項を参照。
・「共に、未だ、精しからず」の部分は、やや分かりにくい。ここで良安は、時珍の叙述に異を唱えているのである。この部分を訳すと、『およそ紫菜(アマノリ)類に似ており、青色をしているのは富士苔(カワノリ)、及び、水善前寺苔(スイゼンジノリ:良安は「前」を「善」と誤記する。)の二類だけである。しかし、「本草綱目」で、この、昆布や海帯(アラメ)の類である和布を、紫菜・青苔(上記淡水藻二種)という海苔類に似ていると説明する点は、紫菜とは、色も形状も全く異なる点、富士苔、及び、水善前寺苔とは、形状も棲息域も全く異なる点で、孰れも、私には理解出来ないし、納得も不可能である。』と言って、次行の「和布は、乃ち、昆布・海帶の屬にして、苔の屬に非ず。」と、幾分、倒叙的手法を用いながら、批判しているのである。良安先生の批判精神、面目躍如!
・「海帶」(アラメ)注の前掲「麄布」に同じ。褐藻類コンブ目コンブ科アラメ属アラメ。次項「海帶」を参照。
・「臛汁」一般には「羹」を用い、「熱物」(あつもの)で魚や鳥の肉・野菜を入れた熱い吸い物を言う。
・「加田布」(カダメ)現在の和歌山市加太(かだ:グーグル・マップ・データ)の加太浦付近で採取されるワカメは「加太和布」(カモヂ)と呼ばれ、紀伊水道の荒波に揉まれたワカメは、古くより特産品として知られ、現在も主に京阪神の市場に出荷されている。
・「紀州加田浦」現在の和歌山県和歌山市加太の加太浦。和歌山市の北西端に位置する。
・「鹹にして」「天然の塩気があって」の意。]
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あらめ
海帶
ハイ タイ
滑海藻【和名抄】
【和名阿良女】
俗用荒布二字
本綱海帶出東海水中石上似海藻而粗柔靭而長今登
州人乾之以束噐物【本草必讀云海帶係散有成編者亦有結成繩者】
氣味【鹹寒】催生治婦人病及水病癭瘤醫家用以下水勝
於海藻昆布
△按海帶狀似昆布而狹黒色長者四五尺有縱皺文柔
《改ページ》
■和漢三才圖會 水草藻類卷九十七 ○十六
靭有株堅實也乾爲小刀欛其葉宜煮食此物難熟能
[やぶちゃん字注:「欛」の(つくり)は「覇」であるが、正字に直した。]
瀹之卽出黒汁漫於水細刻再和醬油煑之清油少許
傅於鍋底則易熟也西南海處處多出如饑年用充飯
凡海帶屑如遇雨滴久所漫則變成蛭株卽成馬蛭蓋
此非情化有情者矣以海帶渫汁灌竹木根則枯
かちめ
末滑海藻 【和名加知女
さがらめ 俗云相良布】
和名抄載本朝令云似海帶而細狹有皺文粗硬味劣故
食之者希矣 按遠州相良浦多出故稱相良布可炙食
*
あらめ
海帶
ハイ タイ
滑海藻【「和名抄」。】
【和名、阿良女。】
俗に「荒布(あらめ)」の二字を用ふ。
「本綱」に、『海帶は、東海水中の石上に出づ。海藻に似て、粗く、柔らかに、靭〔(しな)り〕て、長し。今、登州の人、之れを乾かして、以つて、噐物〔うつはもの)〕を束(たば)ねる【「本草必讀」に云はく、『海帶は、係〔(つな)ぎ〕散〔(ち)らして〕編〔(ひも)〕と成す者、有り。亦、結びて、繩と成す者、有り。』と。】
氣味【鹹、寒。】生〔(しやう)〕を催す。婦人病、及び、水病・癭瘤を治す。醫家、用ひて、以つて、水を下すこと、「海藻」・「昆布」より、勝れり。』と。
△按ずるに、海帶は、狀〔(かたち)〕、昆布に似て、狹〔(せば)〕く、黒色。長き者、四、五尺、縱の皺(しは)文、有りて、柔らかに靭(しな)へて、株〔(かぶ)〕、有り、堅實なり。乾かして、小刀の欛(つか)と爲す。其の葉、宜しく、煮て、食ふべし。此の物、熟し難し。能く、之れを瀹(ゆで)れば、卽ち、黒汁を出だす。水に漫(ほと)ばかし、細かく刻み、再び、醬油を和して、之れを煑る。清油、少ばかり、鍋底に傅〔(つ)〕くれば、則ち、熟し易し。西南海、處處に、多く出でて、饑年のごときは、用ひて、飯に充つ。凡そ、海帶の屑、如〔(も)〕し、雨滴に遇ひて、久しく漫(ほと)ばかさるれば、則ち、變じて、蛭と成り、株は、卽ち、馬蛭〔(うまびる)〕となる。蓋し、此れ、非情にして、有情と化する者〔なり〕。海帶の渫汁〔(さらひじる)〕を以つて、竹木の根に灌〔(そそ)〕げば、則ち、枯〔(か)〕るゝ。
かぢめ
末滑海藻 【和名、「加知女」。俗に「相良布(さがらめ)」と云ふ。】
さがらめ
「和名抄」に「本朝令」〔(ほんてうりやう)〕を載せて云ふ、『海帶(あらめ)に似て、細く狹く、皺の文有り。粗く硬く、味、劣れり。故に之を食ふ者、希なり。』と。
按ずるに、遠州〔=遠江〕相良浦〔(さがらのうら)〕より多く出づる。故に相良布と稱す。炙り食ふべし。
[やぶちゃん字注:本行は、本文では一字空けで行が続いているが、他項の同じ良安自身の記述に準じて、改行した。]
[やぶちゃん注:褐藻綱コンブ目コンブ科アラメ属アラメ Ecklonia bicyclis 。種小名の“ bicyclis ”は「二輪の」で、本種の特徴である茎部の二叉と、その先のハタキ状に広がる葉状体の形状からの命名である。記載にも現れる通り、小刀の柄に使用出来るほど、付着根と、そこから伸びる茎部は、極めて堅牢である。なお、中国では長い間、「海帯」がコンブ全般を指し、「昆布」は別な海藻を漠然と指していた節がある。その「海帯」と「昆布」の差別化を明確にしたのが、まさにこの「本草綱目」であった。詳しくは、次項「昆布」の注冒頭を参照のこと。なお、東洋文庫版では、これに被子植物門単子葉植物綱オモダカ亜綱イバラモ目アマモ科リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ(アマモ)Zostera marina に割注で同定しているが、全く以って、承服し難い。確かに、現今の中文サイトの中には、「海帶」を「アマモ」とする記載もないわけではなく、アマモの乾燥品が縄や紐にならないとも言えないが、強靭な縄や紐なら、アラメの方に遙かに分がある。更に、アマモに、以下のような海藻類を越える漢方上の特効性があるという記載も見当たらない。そもそも、そのように確信を以つて、良安の叙述とは、異種に同定するのであれば、東洋文庫の編者は、良安の叙述するアラメの致命的齟齬を注記する義務があるのに、良安の叙述部分でも、一切の割注が、ない。私はあくまで、時珍の叙述もアラメ(若しくはその仲間)で通しておく。
次に、後に附帯する形で示される(但し、目録では独立している)「末滑海藻」(かじめ)はコンブ科カジメ属カジメ Ecklonia cava である。カジメは、古くは消毒薬のヨードチンキの材料として知られ、現在はアラメよりも高価に取引される。但し、両者は極めて混同されており、名称の反転も稀れではなく、商品でも悪意のない誤表示も多いと聞く。なお、このカジメに類似しているのが、同属のクロメ Ecklonia kurome で、この三種は以下のような観察で区別出来る。
○太平洋沿岸北中部(茨城県~紀伊半島)に分布し、低潮線から水深五メートル程度までを垂直分布とする。茎が二叉に分かれ、葉状体表面に強い皺が寄る。=アラメ Ecklonia bicyclis
◎太平洋沿岸中南部に分布し、水深二~十メートルまでを垂直分布とする。茎は一本で、上部に十五~二十枚の帯状の葉状体が出るが、葉の表面には、皺が殆んどない。=カジメ Ecklonia cava
●カジメよりもやや南方に偏移する形で、太平洋沿岸中南部、及び、日本海南部に分布し、垂直分布はカジメよりも浅く、二種が共存する海域では、カジメよりも浅い部分に住み分けをする。茎は一本で上部に十五~二十枚の、帯状の葉状体が出るが、葉の表面には、強い皺が寄っている。また、乾燥時には、カジメよりも、より黒くなる。=クロメ Ecklonia kurome
但し、クロメは、内湾性のものは、葉部が著しく広くなる等の形態変異が極めて激しく、種の検討が必要な種とされてはいる。さて、ここで、注しなくてはならないのが、この「末滑海藻」に左に振られた「さがらめ」という読みで、これは結論から言うと、「末滑海藻」カジメ Ecklonia cava ではない。カジメの別名ではないのである。これは独立した「和名抄」が記す通りの、アラメ属のサガラメ Eisenia arborea を指している。それどころか、少なくとも、皺が寄っている点で、良安がカジメと同定して引用する「和名抄」の叙述は(但し、後の注で見るように、この叙述には不審点があるのだが)、正しくサガラメについての記載と読めるのである。三重大学藻類学研究室の「サガラメ」の記載を整理すると、太平洋岸の静岡県御前崎から紀伊半島にかけて産する「アラメ」と称している種は、アラメではなく、サガラメという同属の別種である、と記してあるのである。本種はアメリカ産のものと同一種で、アラメと形態が極似するものの、成長した大型個体のアラメでは側葉(上記ページより比較写真にリンク)がさらに枝分かれをして、二次側葉を持つことが多いのに対し、このサガラメは、二次側葉を持たない点、アラメの遊走子には眼点がないが、サガラメにある点等を掲げている。これも上記の三種の分類に加えて記憶しておく必要があろう。他には、クロメに似た日本海特産種であるツルアラメ Ecklonia stolonifera 等が挙げられる(以上の分類法等は二〇〇四年平凡社刊の田中二郎解説・中村庸夫写真の「基本284 日本の海藻」に依った)。
・「本草必讀」は、東洋文庫版の後注には『「本草綱目類纂必読」か。十二巻。』とのみあるだけである。中国の爲何鎭(いかちん)なる人物の撰になる「本草綱目」の注釈書であるらしい。
・「係ぎ散らして、編と成す」は良く意味が解らない(「散」を衍字ととったか)。東洋文庫版は「係散」を『つないで』と訳すが、「散」には「つなぐ」という意味はなく、畳語の扱いは不可能である。これは私の想像に過ぎないが、アラメの線維を、まず、「散」する、体側の縦方向に細かく捌(さば)き散らして、細い繊維状になったものを「係」(つな)いで=「複数本、繋いで」、「編」(ひも:書物の綴じ紐の意。)とする、の意味ではなかろうか。
・「生を催す」は、「出産を促す」の意。
・「水病」の「水」とは、漢方で一般に血管外の無色の体液を呼称する。その流れの沈滞や、欠損・過剰等に起因する様々な病状を指すものであろう。漢方の叙述によれば、水が過剰となると、体内で水の流れが停滞する。それを「痰飲」と称し、浮腫(むく)みが生じやすく、肥満傾向、身体が重くだるい、痰が出る等の症状を、逆に、水が不足した状態を「陰虚」と称し、口が渇く、熱(ほて)りや逆上(のぼ)せ、肌の乾燥、痩身傾向といった症状を呈するという。
・「癭瘤」は「エイリュウ」(現代仮名遣)と音読みする。「癭」は、特に「頸部の腫瘤」を指し、「瘤」は広く「体表に現われるコブ」を言うが、漢方では一般に狭義の「癭」、甲状腺腫やリンパ節腫を指すことが多い。(この注はサイト「家庭の中医学」の「癭瘤」を参照にした)。
・「海藻・昆布」この、海藻、及び、昆布は、それぞれの前掲(海藻:昆布を除く海産藻類)、及び、昆布(後掲:コンブ類)の項を参照にされてもいいと思うが、ここでの時珍(ひいては、引用者としての良安)の謂いは、逆に、他の如何なる海藻類よりも、本種が、という特異性を語っているものと思われる。
・「瀹れば」「瀹」は音「ヤク」で、「茹でる・煮る・湯引く」の意。
・「漫(ほと)ばかし」「漫」には、「水が物に入り込んでその物を破る」という意味があり、それを以って、古語の「潤(ほと)ぶ」(水分を含んでふくれる・ふやける)に訓じている。「伊勢物語」の「東下り」に出てきたぜ。
・「清油」これが「精油」(=芳香油)と同義とするならば、種々の植物の花・葉・果実・枝・幹・根等から得られる芳香のある揮発性の油分を言い、樟脳油・丁子油・薄荷油の類。所謂、“ essential oil ”のことを指すが、これでは匂いが移って食えなくなる気がする。ここは、広義に普通の植物性油ととるべきか。
・「凡そ、海帶の屑、如し、雨滴に遇ひて、久しく漫ばかさるれば、則ち變じて蛭と成り、株は、卽ち、馬蛭となる。蓋し、此れ、非情にして、有情と化する者なり。」あ~あ、良安先生、またやっちゃいましたね! 化生説!……暫くなりを潜めていたのに……。それに、ここでは、他のところのような懐疑精神が全く発揮されず、断定なさっちゃってますよね……。遥か未来の不詳の弟子の末席である私でにして、情けなや! しかし、粛々と注しましょう。最初の「蛭」は環形動物門ヒル綱 Hirudinea に属する小型のヒル類、著名なヒルド科チスイビル属チスイビル Hirudo nipponica 等を指し(体長は三~四センチメートル。但し、近年、同種は著しく減少している)、「馬蛭」はチスイビルより大きい(十~十五センチメートル)同ヒルド科 Whitmania 属ウマビル Whitmania pigra を指す。
・「渫汁」これを東洋文庫版は「すすぎじる」と訓じているが、そのような訓は「渫」にはない。これはアラメを砕いて水に漬け込み、(若しくは前出の茹でた液)を、底に溜まったアラメ屑を渫(さら)い捨てた後の汁液のことを指すのであろう。
・「本朝令」は日本古代の基本法典である「養老律令」の中の「令」の部を指す。「養老律令」は養老二(七一八)年に、自らが編纂した「大宝律令」の改修作業に藤原不比等が乗り出し、天平宝字元(七五七)年に藤原仲麻呂によって施行された。但し、「大宝律令」と大きな差異はなく、語句・表現・現実的側面からの法令不備の修正に留まっているとされる。中世に「律」の大半は散逸したが、「令」の方は、その殆んどが「令義解」(りょうのぎげ)や「令集解」(りょうのしゅうげ)等の注釈書に引用本文として残されている。
『「海帶」に似て、細く狹く、皺の文、有り。粗く、硬く、味、劣れり。故に之れを食ふ者、希れなり。』」とあるのだが、東洋文庫版注によれば、『「和名抄」滑海藻の項には、「〔未附〕本朝令云滑海藻〔阿良女。俗用荒布〕。未滑海藻〔加知女。俗用搗布。搗者搗末之義也〕」とだけある。』とする。これは国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年の版本のここであるが、無理矢理、訓読してみても、
滑海藻【未だ附(なづ)けず。】は、「本朝令」に云はく、『滑海藻【「阿良女(あらめ)」。俗に「荒布」を用ふ。】。未滑海藻【「加知女(かぢめ)」。俗に「搗布」を用ふ。「搗」とは「搗(かち)の末(すゑ)」の義なり。】。』と。
が私の限界で、正直、判ったような判らない記載である。ここまでだ。識者の御教授を願う。因みに、ある学術論文で「滑海藻」だけを「まなかし」と訓じているのを見つけはした(根拠不明)。
・「遠州相良浦」は現在の静岡県牧之原市相良の相良海岸。]
***
こんぶ
ゑびすめ
昆布
クン プウ
綸布【音關
綸青絲綬
也誤爲昆
耳】
【和名比呂米
一名衣比須女】
[やぶちゃん字注:以上六行は、前四行下に入る。]
本綱昆布生東海順流而生出髙麗新羅者葉細黃黒色
《改ページ》
柔靭可食胡人搓之爲索陰乾從舶上來中國出閩浙者
大葉似菜
氣味【鹹酸寒滑】 能治癭瘤結氣及十二種水腫與海藻同功
蓋下氣故久服瘦人無此疾者不可食海島人愛食之
爲無好菜只食此物服久相習病亦不生逐傳說其功
於北人北人食之皆生病是水土不宜耳凡是海中菜
皆損人不可多食
△按昆布生東海蝦夷松前及奥州海底附生於石蝦夷
島有號龜田之地凡三十余里海中寸地亦無不有之
其大者一株而成林葉長二三丈謂之長昆布大抵幅
四五寸長二三尺海人用鎌刈取之挾腰乃滿于身則
使繩挽浮却凡蝦夷松前之産黃赤色而味甚美爲最
上津輕之產厚而味不美但焙食或爲油熬卽佳也南
部産稍黒而味亦劣矣並傳送之若狹同州小濵市人
能調製之以送四方其製法以爲家秘今京師亦能之
《改ページ》
■和漢三才圖會 水草藻類卷九十七 ○十七
故京若狹共得名專爲嘉祝之物和名似嘉字訓故乎
昆布煑汁甚甜用可比於鰹煮汁凡得山椒卽味愈美用
銅鍋煮昆布成青綠色最美【海藻蕨狗脊亦皆如之】又製白昆布
凡昆布黑焼治口舌牙齒病與梅乾同功又水腫病人用
鯉與昆布水煑食其鯉則能通小便二物共以有治水
腫之功也
*
こんぶ
ゑびすめ
昆布
クン プウ
綸布【音、關。「綸」は「青絲の綬〔(くみひも)〕」なり。誤りて「昆」と爲〔(す)〕るのみ。】
【和名、比呂米〔(ひろめ)〕。一名、衣比須女〔(ゑびすめ)〕。】
「本綱」に、『昆布は、東海に生ず。流れに順ひて、生ず。髙麗・新羅に出づる者は、葉、細く、黃黒色、柔-靭(しな)へて、食ふべし。胡人、之れを搓〔(よぢ)り〕、索(なは)と爲す。陰乾しにして、舶上より、中國に來〔(きた)〕る。閩〔(びん)〕・浙〔(せつ)〕に出づる者、大葉〔(おほば)〕にして、菜に似たり。
氣味【鹹・酸、寒・滑。】 能く癭瘤・結氣、及び、十二種の水腫を治す。海藻と功を同じうす。蓋し、氣を下〔(くだ)〕す故、久しく服すれば、人を瘦(や)せさす。此の疾(やまひ)無き者は、食ふべからず。海島の人は、愛〔(この)み〕て之れを食ふも、好〔き〕菜〔(な)〕、無きが爲に、只だ、此の物を食ふ〔のみ〕。服すること久しく、相〔(あひ)〕習〔(な)れ〕て、病〔(やまひ)〕も亦、生ぜず。逐に、其の功を、北人に傳說す。北人、之れを食ひて、皆、病〔ひ〕を生ず。是れ、水土の宜〔(よ)〕からざるのみ。凡そ、是の海中の菜、皆、人を損ず。多く食ふべからず。』と。
△按ずるに、昆布は東海に生ず。蝦夷(えぞ)・松前、及び、奥州の海底の石に附生〔(ふせい)〕す。蝦夷が島龜田と號するの地(ところ)有り。凡そ、三十余里の海中、寸地も、亦、之れ、有らざると云ふ〔こと〕無し[やぶちゃん字注:「云」は送りがなにある。]。其の大なる者は、一株にして、林を成す。葉、長さ二、三丈。之れを、「長昆布」と謂ふ。大抵、幅四、五寸、長さ二、三尺。海人〔(あま)〕、鎌(かま)を用ひて、之れを刈り取り、腰に挾(〔は〕さ)み、乃〔(すなは)〕ち、身に滿つる時は、則ち、繩をして、挽〔(ひ)〕かしめて、浮〔(うか)〕み却〔(かへ)〕る[やぶちゃん字注:「時」は送りがなにある。]。凡そ、蝦夷松前の産は、黃赤色にして、味、甚だ、美にして、最上と爲す。津輕の產、厚〔く〕して、味、美ならず。但し、焙〔(あぶ)り〕食〔ひ〕、或いは、油熬(〔あぶら〕あげ)と爲〔(す)〕るには、卽ち、佳し。南部産、稍〔(やや)〕黑く、味、亦、劣れり。並〔び〕に、之れを、若狹に傳送す。同州小濵の市人〔(いちびと)〕、能く、之れを調製して、以つて、四方に送る。其の製法、以つて、家秘〔(かひ)〕と爲し、今、京師にも亦、之れを能くす。故に、京・若狹、共に名を得。專ら、嘉祝の物と爲す。和名、「嘉」(よろこぶ)〔の〕字の訓に似たる故か。
昆布の煑汁、甚だ、甜〔(あま)〕し。用ひて鰹の煮汁に比すべし。凡そ、山椒を得れば、卽ち、味、愈々、美なり。銅鍋を用ひて、昆布を煮れば、青綠色に成りて、最美なり【海藻・蕨〔(わらび)〕・狗脊〔(ぜんまい)〕も亦、皆、之〔(か)く〕のごとし。】。又、白き昆布を製(つく)る。
凡そ、昆布は黑燒にして、口・舌・牙齒の病〔(やまひ)〕を治す。梅乾〔:梅干。〕と功を同〔じう〕す。又、水腫〔:浮腫。〕の病人、鯉と昆布とを用ひて、水に煑て、其の鯉を食へば、則ち、能く、小便を通ず。二物、共に、水腫を治するの功、有るを以つてなり。
[やぶちゃん注:褐藻綱コンブ目コンブ科 Laminariaceae に属する海藻の総称。本邦には十四属四十五種を数える。但し、中国では長い間、「海帯」が「コンブ全般」を指し、「昆布」は別な海藻を漠然と指していた節(ふし)があるようだ。その「海帯」と「昆布」の差別化を明確にしたのが、まさに、この「本草綱目」であった。しかしながら、そこでも挿絵は、およそ昆布とは思われないもので、本草書で、まともな昆布の挿絵を見出せるのは、清代の一八四六年刊の「植物名實圖考」の「海帶」の項に、コンブ亜科カラフトコンブ属マコンブ Saccharina japonica に似たようなもの(マコンブは日本固有種であるから、同種そのものではないだろう)が描かれるのを待たねばならなかった。中国でのこうした混乱は、当時、中国本土では昆布が採取されず、専ら、琉球・長崎等から輸入される乾燥品・加工品しか目にすることがなかったからである。この頃、主に日本から輸入された「板昆布」を「海帯」と呼称し、「刻み昆布」を「帯絲」と呼称していた(以上は主に昆布企業サイト「昆布館」の「昆布の歴史 4.名の由来」の記載を参照させてもらった。二〇二三年十月現在、リンク先は消失)。属名は「長いもの」の意。本邦のコンブ各類については、以下の注を参照されたい。なお、言っておくと、私はコンブに対しては、異常な嗜好性を持っている。二十年前頃には、五、六種のコンブの乾燥品を常備し、細い小さな短冊に綺麗に切って、それらをしゃぶることを無上の喜びとしていた。以下の叙述が妙に細かいのは、私の趣味故なのである。
・「綸布」の読みは「くわんぷ」(かんぷ)。「綸」は、音「クワン(カン)」と発音する時、「青色の帯紐」を意味し、同時に単独でも「昆布」をも意味する(他に「綸巾」(かんきん)の意がある。隠者や風流人士が用いた頭巾で、諸葛孔明が用いたことから「諸葛巾」とも言う)。次行で言うように、「コンブ」はこの「カンプ」が転訛したものという語源説がある。
・「比呂米」(ヒロメ)これは「広布」で、これは次の「衣比須女」とともに「和名類聚抄」に載る万葉仮名である。コンブの異名として、形状からは、素直に認知できるものではあるが、この「ヒロメ」(「広布」)という呼称は、現在、コンブ目チガイソ科ワカメ属ヒロメ Undaria undariodes の標準和名である。しかし、もし、これも同種を指すとなると、問題が生じる。ヒロメは、グーグル画像検索「ヒロメ」を見て戴ければ判る通り、ヒロメは真正正統のコンブ類とはとても言い得ない形態であり、ワカメの類の代用品として認識されているからである。なお、「コンブ」という読みについては、このコンブの古称である「広布」の音「コウフ」が「コンブ」に転訛したという説がある。他にアイヌ語語源があり、アイヌ語の「コンプ」(若しくはクンプとも)は「水中の岩に生える草」と言う意味で、北海道には「コンプ・モイ」と呼ばれる地名があり、これが「昆布の採れる入り江」の意味と考えられている。但し、現在のヒロメに、その昆布由来説の「広布」が当てられてしまった経緯は不明である。
・「衣比須女」(エビスメ)この異名の由来は産地の蝦夷地由来であろうが、後に七福神の恵比寿に掛けて、福が授かる縁起物という付会が行われたものと思われる。
・「閩・浙」は、「閩」が福州・泉州・厦門等の現在の福建省辺りを、「浙」が杭州・寧波等の現在の浙江省辺りを指す。
・「大葉にして、菜に似たり」というのは、う~ん、如何にも前掲注のコンブ目チガイソ科ヒロメ Undaria undariodes を思わせる叙述ではあるだなもし。
・「癭瘤」は「エイリュウ」と音読みする。「癭」は特に頸部の腫瘤を指し、「瘤」は広く体表に現われるこぶを言うが、漢方では一般に狭義の「癭」、甲状腺腫やリンパ節腫を指すことが多い。その発症には、環境及び後述される「五膈痰壅」との関係があるとするようである(この注はサイト「家庭の中医学」の「癭瘤」を参照にした)。
・「結氣」は、広く「胸部や腹部(胃腸)に侵入した邪気と本来の身体の正気がぶつかり合って内部に結び固まって病因となるもの」を指すが、ここは、直後に「喉の間」とあるので、咽喉や胸部の閉塞感や、圧迫痛・咽喉の異物・違和感を言うのではなかろうかと思われる。
・「十二種の水腫」「水腫」は広く浮腫を指す。漢方では体内に水液が貯留・停滞することによって生ずる浮腫を伴う疾患全般を言う。東洋文庫版では「十二種」として『風水・皮水・正水・石水・黄汗・心水・肝水・脾水・肺水・腎水・陰水・陽水』を掲げているが、現在の臓器の水腫や黄疸症状と思しいものから、疾病分類の位相の異なるもの(陰水・陽水等)が混っており、逐一説明する価値を認めない。
・「氣を下す故、久しく服すれば、人を瘦せさす」漢方の「氣を下す」という意味は、西洋医学で言うところの、胃の停滞物や腸管内のガスを疎通することである。近年、脚光を浴びているサプリメントに、海藻類由来のフコイダン fukodain がある。コンブ・メカブ・モズク等を原材料とした製品化されており、所謂、海藻類の粘液成分の一つで、多糖類の水溶性食物繊維である。抗癌・抗菌作用・コレステロール値低下・肝機能強化・カルシウム補給等の有効性が認められている。適量が投与されれば、消化管内での炎症修復・保護効果もある。ところが、水溶性であるため、多量に摂取した場合、水分を吸収して便の量を増やし、加えて、便を軟らかくする作用をしっかり持っている。そうした便の醗酵が逆に腸を刺激してしまい、軟便・下痢の症状などを呈することがある(但し、個人差が大きい)。また、コンブに含まれるカリウム・アミノ酸のラミニン Laminaria (コンブの旧学名由来)・タウリン Taurine には、血圧降下作用が認められ、高血圧に効果があるが、多量の摂取は、逆に低血圧の人には有害である。実際に健康食品ということで、一日に三回以上、長期に渡ってコンブ粉やコンブ・エキスを摂取し続けた結果、慢性的な下痢で痩せてしまったり、低血圧で倒れたという事例がある。この時珍の叙述は、現在の医学的知見から見ても美事に真理を射抜いているのである。
・「蝦夷が島龜田」狭義には函館湾に面し、現在の函館港周辺に当たる北海道函館市亀田町があるが(グーグル・マップ・データ。以下同じ)、ここは広義の渡島半島の東方部分である現在の亀田半島を指していると言うべきであろう。実際に、この亀田半島全体が、現在でも高級なマコンブ Saccharina japonica の一大産地なのである(後掲の「蝦夷松前の産」の注を参照)。
・「長昆布」(ナガコンブ)コンブ属ナガコンブ。但し、良安の叙述に随うと、ナガコンブが函館で採れるように読めるが、ナガコンブの生育域は北海道日高地方から釧路にかけで、そちらからの加工品を誤って亀田産と記載したか、若しくは大型個体のコンブ属マコンブ Saccharina japonica を言っているものとも思われる。マコンブは、通常は長さ一~四メートル・幅三~十五センチメートル・厚さ三~五ミリメートルであるが、時には全長五~七メートル・幅五十センチメートル・厚さ一センチメートルにも及ぶものがあるという記載が見える。「大抵、幅四~五寸、長さ二~三尺」という記載は、寧ろ、この特徴にピッタリくるのである。
・「蝦夷松前の産」「松前」は狭義には、現在の北海道南部渡島半島南西部松前半島の南端に位置する松前町(グーグル・マップ・データ)を言う。江戸時代から松前藩の城下町として栄えた。しかし、この松前は、松前藩の渡島半島南部の直轄地(北方の「蝦夷地」に対して「和人地」と呼称した)を広く指すと考えれば、このコンブは高級品という点、主に津軽海峡~噴火湾沿岸を棲息域とする点から、道南産昆布であるコンブ属マコンブ Saccharina japonica と見てよい。白口浜(しろくちはま:函館市川汲町(かっくみちょう)周辺)が真昆布の最高級品とされ、中でも恵山岬寄りの函館市尾札部(おさつべ)産が天然一等の最上品とされる。恵山岬町(えさんみさきちょう)の恵山岬北側から汐首岬(しおくびみsき)突端の間で産する「黒口浜」、汐首岬突端から函館湾の湾奥の上磯(かみいそ)までの間で産する「本場折浜」、それ以外の海域からの産品を「場違折」と呼称する。なお、蝦夷地・和人地という江戸時代の呼称から、ここは「北海道の松前」の意味ではなく、広義の「蝦夷地+松前藩直轄地」という北海道全域を言うものとも取れなくはないが、それだと、コンブの種に混乱が生じるので取らない(本注最後に記載)。さらに付け加えておくと、この松前町、及び、少し東の白神岬(しらかみみさき)の北北西の福島町から、西方時計回りに、日本海側の北海道沿岸留萌支庁沖の天売(てうり)島・焼尻(やきじり)島までの広域を分布域とするのが、暖流系のコンブ属ホソメコンブ Saccharina japonica var. religiosa で、そういう意味では、「松前」を松前藩の実質的直轄地である松前という狭義にとることも、これ、出来ないのである。
ここで、マコンブ Saccharina japonica からホソメコンブ Saccharina japonica var. religiosa へ、時計回りに北海道の他のコンブ分布を総括する。
留萌支庁の北半分(礼文島・利尻島を含む)から知床半島西側知床岬までの宗谷海域を(主分布域は羽幌町から網走市沖まで)主分布とするのが、北海道特産のコンブ属リシリコンブ Saccharina japonica var. ochotensis である。形状はマコンブに類似するが、マコンブに比すと、色がより黒っぽく、長さが二~三メートルと短く、幅も十五~二十センチメートルと狭い。葉状体周縁部の波型の収縮も弱く、基部は広い楔形で、マコンブのように丸くはならない点で区別出来る。
次に、知床半島先端から東側の羅臼を中心とした沿岸・厚岸(あっけし)・根室周辺域を特産とするのが、リシリコンブの系統を引くコンブ属オニコンブ Saccharina japonica var. diabolica で、これは「ラウスコンブ」「リシリ系エナガオニコンブ」という別称を持つ。
次の、根室から納沙布岬(貝殻島を含む)を回って釧路周辺を中心に、太平洋側道南の十勝平野沿岸(十勝支庁沿岸部)中央付近には、ここを特産とするナガコンブ Saccharina longissima 、及び、ミスジコンブ属ガッガラコンブ Saccharina coriacea の二種が植生する。前者のナガコンブは、名の通り、本邦産コンブ類では最長で、通常は五メートル程度であるが、二十メートルに及ぶ個体もある。流通する製品としての昆布の主流を成す一種である。後者のガッガラコンブは通称の「アツバコンブ」(厚葉昆布)の名称の方が知られている。なお、「レッドデータブック」には、「アツバコンブ」として、ミスジコンブ属のCymathaere japonicaの学名を記載するが、これは「登録別名」としている「アツバミスジコンブ」が正式和名で、現行では学名 Saccharina kurilensis で、上記の学名はシノニムである。この「アツバミスジコンブ」は、通称を「シマコンブ」とも言い、オニコンブ Saccharina japonica var. diabolica と同じ知床半島東岸の羅臼町沿岸・歯舞諸島・国後島に分布する。ガッガラコンブは中帯部(葉状体の中央の肥厚した部分)が有意に広く、葉の六、七割を占める点が特徴である。ナガコンブと混生するが、ナガコンブよりも生育深度がやや深く、低潮線から七メートル程度までを分布域とする。奇妙な和名は、乾燥した際、革のように厚く硬くなり、その干したものが、ぶつかった時の音によるオノマトペイアである。
最後に、十勝平野沿岸(十勝支庁沿岸部)中央付近から室蘭(チキウ岬)までを主分布域とするミツイシコンブ Saccharina japonica var. diabolica がある。これは「日高昆布」の方が通りがいい。年間乾燥重量に換算して四千トンを北海道で生産しており、道産昆布総量の約三分の一を占めている。但し、本種は津軽海峡東側にも分布しており、北海道特産種ではない。
北海道特産種のコンブ属は、他に北海道西岸からオホーツク海沿岸に分布するチヂミコンブ Saccharina cichorioides 、神道で用いる御幣に似た釧路・根室の道東海域に分布するコンブ目ゴヘイコンブ科(暫定仮称)ゴヘイコンブ属ゴヘイコンブ Laminaria yezoensis は以上のコンブ類と混生し、採取後に硫酸を放出して甚大な被害を及ぼすウルシグサ目ウルシグサ科ウルシグサ属ウルシグサ Desmarestia japonica や、タバコグサ Desmarestia dudresnayi と同様、藻体内に特殊な成分を有し、葉の粘液により皮膚炎等のアレルギー症状を引き起こしたり、採取後の食用コンブ類に死んだ藻体が触れることでコンブを変色させてしまう厄介者である。また、やはり、北海道東部に特産するコンブ目ネコアシコンブ科(暫定仮称)ネコアシコンブ属ネコアシコンブ Arthrothamnus bifidus がいる。コンブ目アナメ科アナメ属アナメ Agarum clathratum は「コンブ」と称さないが、形態は立派なコンブで、成体は硬く、食用に向かないものの、若い個体は軟らかく食用に供されるので、掲げておくべきであろう。以上の科名・学名は本ページの原型から、著しく分類及び学名変更が行われており、特に、いつもお世話になる、私が海藻類のサイトとして最も信頼している鈴木雅大氏のサイト「生きもの好きの語る自然誌」の「コンブ目 Order LAMINARIALES Migula, 1909」を、大いに参考にさせて戴いた。
・「津輕の産」を私は当初、前注同様のコンブ属マコンブ Saccharina japonica であると考えていた。実際、現在でも青森県下北半島及び岩手県の沿岸でマコンブは採れる。但し、流通では品質は大きく劣るとされているからである。けれども、ここで気になるのが、「津輕」という地域で、これは、津軽藩、現在の津軽半島を特定するもので、下北半島は含まれない。そうなると、津軽半島にも有意に植生する種ならば、これは「籠目昆布(がこめこんぶ)」、コンブ目ネコアシコンブ科ガゴメコンブ/ガゴメ属(科・属ともに暫定仮称)ガゴメ Kjellmaniella crassifolia ではなかろうか。本種はマコンブの生息域と重なり、北海道函館市津軽海峡沿岸から亀田半島沿岸を経て、噴火湾を除く室蘭市周辺までと、津軽半島北方青森県三厩(みんまや)から同県下北郡東通村岩屋(尻崎岬中部西北の津軽海峡に面した地名)まで、岩手県宮古市重茂の他、サハリン南西部・沿海州・朝鮮半島東北部に植生する。和名は、葉状体の表面の「籠の編み目」状の模様(激しい凹凸がある)から。但し、乾燥品は凹凸が目立たず、他のコンブと見た目は変わらなくなるが、口に含んで噛むと独特の粘りが出るので、すぐに判別出来る。
・「南部産」「南部」が南部藩の全沿岸領域を指すとすれば、現在の青森県西部下北半島全域から岩手県太平洋沿岸となる。これは前掲注に記した通り、マコンブ Saccharina japonica と考えられる。
・『「嘉」の字の訓に似たる故か』コンブは、「嘉」=「喜」、「婚」、「子生」の字の音や訓に当て字されて、古くから、慶事の縁起物とされてきた。特に婚姻の風俗に関わりが深く、仲人の最初の新婦方訪問では、「結び昆布」の「昆布茶」が、結納では「子生婦」(こんぶ)の意で、何枚かのコンブを伸ばして張り合わせて折った「花折昆布」が、披露宴では「おひろめ」でコンブの古名「ヒロメ」に掛けて「昆布の煮物」などが用いられる。
・「鰹の煮汁」スズキ目サバ亜目サバ科カツオ属カツオ Katsuwonus pelamis であるが、これは勿論、鰹節の煮汁である。なお、「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鰹」の項も参照されたい。
・「山椒」双子葉植物綱ムクロジ目ミカン科サンショウ Zanthoxylum piperitum であるが、ここは「実山椒」ではなく、「木の芽山椒」又は「花山椒」かと思われる。
・「海藻」は前掲の「海藻」の項を参照。昆布を除く、他の海藻類を指しているが、前掲の「於期菜」オゴノリの注で説明したが、銅鍋でなくても、茹でることで普通に緑化するものもあるし、褐藻・紅藻類の中には、銅鍋で煮ても、緑色にはならないものもあるやに思われるが、如何?
・「蕨」シダ植物門シダ綱コバノイシカグマ科ワラビ属ワラビ Pteridium aquilinum subsp. japonicum 。
・「狗脊」シダ植物門ゼンマイ科ゼンマイ属ゼンマイ Osmunda japonica 。漢方薬剤の原料とする狭義の「狗脊」(くせき)は、正式名称を「金毛狗脊」(きんもうくせき)と言い、シダ植物門タカワラビ科タカワラビ Cibotium barometz を指すが、タカワラビは奄美諸島以南から台湾・中国南部・東南アジアにしか分布しないので、ここでは取らない。
・「白き昆布」とは「とろろ昆布用に表皮を削いだもの」、又は「とろろ昆布」そのものを言う。因みに、ここでしか言えそうもないので述べておくが、北海道特産のコンブ科コンブ属標準和名「トロロコンブ」 Saccharina gyrata は、名にし負わずで、「とろろ昆布」には、ならない。
・「鯉」コイ目コイ科コイ亜科コイ Cyprinus carpio 。漢方では、鯉(特に黒い鯉)は強い利尿作用を持ち、腎炎や脚気による浮腫、癌性の腹水等の対症療法に効果があるとする。なお、鯉については、「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の同項を参照されたい。]
***
ひじき
鹿尾菜
六味菜
【和名比須木毛
俗云比之木】
[やぶちゃん字注:以上三行は、前二行下に入る。]
△按鹿尾菜生海中石上長二三寸如鼠尾而蒼黒色煮
之正黑而縮味【甘鹹】似海帶而脆美出志摩者良出於
西海者長尺餘束出之
業平
思ひあらはむくらの宿にねもしなんひしきものには袖をしつゝも
《改ページ》
*
ひじき
鹿尾菜
六味菜
【和名、「比須木毛〔(ひずきも)〕」。俗に「比之木〔(ひじき)〕」と云ふ。】
△按ずるに、鹿尾菜は、海中の石上に生ず。長さ二、三寸。鼠の尾のごとくして、蒼黒色。之れを、煮れば、正黑にして、縮む。味【甘、鹹。】、「海帶(あらめ)」に似て、脆く、美なり。志摩より出づる者、良し。西海より出づる者は、長さ、尺餘り。束ねて、之れを出だす。
業平
思ひあらばむぐらの宿にねもしなんひじきものには袖をしつゝも
[やぶちゃん注:褐藻綱ヒバマタ目ホンダワラ科ホンダワラ属ヒジキ Sargassum fusiforme 。表記の「比須木毛」(ヒズキモ)というのが古称とされ、その転訛でヒジキとなったとするが、この「ひず」という如何にも厭な発音を含む語源は不詳である。
・「海帶」褐藻綱コンブ目コンブ科アラメ Eisenia bicyclis 。前掲の同項参照。にして、私はヒジキとアラメは、全然、同じには、見えませんて! 良安先生!
・「思ひあらばむぐらの宿にねもしなんひじきものには袖をしつゝも」は「伊勢物語」第三段に現れる歌。全文と現代語訳を示す。
*
昔、男ありけり。
懸想(けさう)しける女のもとに、ひじき藻といふものをやるとて、
思ひあらばむぐらの宿に寢もしなむひしきものには袖をしつつも
二条の后の、まだ、帝にも仕うまつりたまはで、ただ人(びと)にて、おはしましける時のことなり。
○やぶちゃん訳
昔、ある男がいた。
想いを懸けた女の元へ、「ひじき藻」という海藻を贈るのに添えて歌った歌、
あなたに私の真心に応えるだけのお心があるのならば
八重葎(むぐら)のあばら屋であってもあなたと共寝も致しましょう……
二人の褥(しとね)にはこの衣の袖をしてでも……
二条の后が、未だ、入内(じゅだい)申し上げなさらぬ前で、尋常の身分でいらっしゃった折のことである。
*
和歌中の「ひしきもの」は、「ひじき藻」と「引き敷き物」=「臥所の敷物」の掛詞である。「二条の后」とは、藤原高子(ふじわらのたかいこ)のことで、清和天皇皇太后にして、陽成天皇母。在原業平との恋愛は、「大和物語」にも示される有名な話である。
なお、かなり知られた話だが、ヒジキの危険性が国外では広まっている。当該ウィキによれば、二〇〇一年十月、『カナダ食品検査庁 (CFIA)』『は、発癌性のある無機ヒ素の含有率が、ヒジキにおいて他の海藻類よりも非常に高いという報告を発表し、消費をひかえるよう勧告した』。『これは複数の調査によって裏付けられ』、『イギリス』『・香港』『・ニュージーランドなどの食品安全関係当局も同様の勧告を発表した』。『一方、日本の厚生労働省は』、二〇〇四年七月、『調査結果のヒ素含有量からすると、継続的に毎週』三十三『グラム以上(水戻しした状態のヒジキであり、体重』五十『キログラムの成人の場合)を摂取しない限り』、『世界保健機関
(WHO) の暫定的耐容週間摂取量を上回ることはなく、現在の日本人の平均的摂取量に照らすと、通常の食べ方では』、『健康リスクが高まることはない、との見解を示した。また、海藻中のヒ素による健康被害があったとの報告はないとした』とある。私? 私はヒジキには殆んど食指が動かないから、関係ないね。]
***
うみまつ
水松
石帆 水松
【二物同類也
俗云海松】
[やぶちゃん字注:以上三行は、前二行下に入る。]
本綱水松狀如松石帆狀如栢生海嶼石上艸類也無葉
髙尺許其花離樓相貫連若死則浮水中人於海邊得之
稀有見其生者紫色而梗大者如筯見風漸硬色如漆至
稍上漸軟作交羅紋人以飾作珊瑚裝
*
うみまつ
水松
石帆〔(せきはん)〕 水松
【二物、同類なり。俗に「海松(うみまつ)」と云ふ。】
「本綱」に、『「水松」は、狀〔(かた)〕ち、松のごとく、「石帆」は、狀〔(かたち)〕、栢(からひば)のごとし。海〔の〕嶼(しま)〔の〕石上に生ず。艸類なり。葉、無く、髙さ、尺許〔(ばかり)〕。其の花、樓を離れ、相〔(あひ〕貫連〔(くわんれん)〕す。若〔(も)〕し、死(か)〔=枯〕るゝ時は[やぶちゃん字注:「時」は送りがなにある。]、則ち、水中に浮かぶ。人、海邊に於いて、之れを得。稀れに、其の生なる者を見ること、有り。紫色。梗〔(くき):茎。〕大なる者、筯(はし:箸。)のごとし。風を見〔れば〕、漸〔々〔(ぜんぜん)〕〕に硬くなりて、色、漆のごと〔くなるも〕、稍〔(やや)〕、上に至〔るに〕、漸〔々に〕軟らかに、交羅紋を作〔(な)〕す。人、以つて、珊瑚の裝〔(かざ)〕りを作〔(な)〕す。』と。
[やぶちゃん注:「水松」及び「海松」は現行通りならば、緑藻植物門アオサ藻綱イワズタ目ミル科ミル属ミル Codium fragile であるが、この時珍の「本草綱目」の叙述は殆んどミルの叙述ではないと思う。敢て言えば、海浜に流れ寄ったものの内、私の補足を加えて訳すと、『稀に生体の一部が損壊したものを見ることがあり、(その場合は)紫色を呈している』という点のみがミルであると言える。まず、大切な点は、ここで時珍は、「水松」と「石帆」の二種を類種としつつ、双方の属性について、「海の嶼の石上に生ず。艸類なり。葉、無く、髙さ、尺ばかり。其の花、樓を離れ、相貫連す。……」以下、全て共通することを言っている点に着目しなければならない。即ち、「水松」も「石帆」も、『水中の岩礁上に佇立する一見、植物のように見えるものであるが、葉はなく、高さは三十センチメートル程度で、花のように見える部分を持っている』(この間の省略部は以下の「花、樓を離れ、相貫連す」の注を参照されたい。これは、ポリプ、若(も)しくは、その骨格を指しているように思われる)、『死後は岩礁を離れて、水中に浮かび、我々が海辺で拾うことが出来、』(ここと、この間の省略部は前掲通り、「ミル」と解釈出来る)『茎の太い個体は、箸程もあり、風化すると、徐々に硬くなって、色は漆のような赤みを帯びてくるが、その先端部辺りは太い茎の部分に比して、徐々に柔らかく、脆くなっており、その先端部は、複雑な交羅紋(後注参照)を成している』(ミルは赤色色素を持ってはいるが、これはミルの乾燥標本というには苦しい気がする。箸のように太くはない。先端部に行くに従って柔らかくなるというのはミルにのみ言えそうでもあるが、死んだサンゴの細い先端部では骨格の間隙のために、当然、脆くなるとも思われる)ものなのである。私はこれらの属性を全てカバー出来る「水松」とは、通称「ウミマツ」、海藻ではない、刺胞動物門花虫綱六放サンゴ亜綱ツノサンゴ(黒珊瑚)目 Myriopathidae 科の仲間、例えば、 Myriopathes 属ウミカラマツ Myriopathes japonica 等ではないかと疑うのである。勿論、このウミカラマツ(海唐松)や、ウミカラマツ科 Cirrhipathes 属 Cirrhipathes anguina ムチカラマツと言った和名もさることながら、何より、「サンゴの飾りとする」という文末の記載からもそれが疑われるのである(ツノサンゴ類のブラック・コラールと呼称されるものは現在も装飾品とされる。何より、干乾びたミルでは飾りとしてしょぼ過ぎ、汚いと私は思うのである)。また、現代中国語で「石帆」は“ sea fan ”に英訳されるが、これは別名「海団扇」(うみうちわ)で、やはり、刺胞動物門花虫綱八放サンゴ亜綱ヤギ目角軸(全軸・フトヤギ)亜目トゲヤギ科ウミウチワ属ウミウチワ Anthogorgia bockiies を指すと思われる。同形態を示す同じ八放サンゴ亜綱ウミトサカ目石軸亜目イソバナ科イソバナ属イソバナ Melithaea flabellifera 等の仲間も同定候補となろうか。東洋文庫版では、これを同石灰軸亜目オオキンヤギ科オオキンヤギ Paracalyptrophora kerberti に同定している(但し、東洋文庫版は「水松」を、真っ正直にミル Codium fragile に同定してしまってもいる)。なお勿論、褐藻類アミジグサ目アミジグサ科ウミウチワ属ウミウチワ Padina arborescens があるが、これはどう考えても記載とは形状が全く異なるのでとらない。なお、最後に私は、何故、良安が「△」によって自注を附さなかったのかが気になるのである。敢て謂うと、良安の記載と思しいのは、冒頭の、『石帆・水松は同類であり、俗に海松と言う。』という部分である。ただ、その際、良安は「海松」が「みる」であり、現在のミル Codium fragile を指すということを認識していたはずなのある。何故なら、それほど、ミルは古典的な海藻だからである。「大宝律令」には既に「調」(正確には正規の税としての「正調」が納められない場合の雑物)として食用の「海松」が記載されており、その献納の事実を証明する木簡も出土している。即ち、ミルは飛鳥・奈良以前から食用とされた馴染み深い食用海藻であり、故にこそ、古くから「海松色(みるいろ)」という深緑色の呼称も知られ、「海松紋」という文様(後掲する「交羅紋」の注参照)も作られた。であれば、良安は、そうした故実を語らぬはずがないのである。にも拘わらず、彼が、ここで一言も附言しないのは、この「本草綱目」の叙述に、ミル Codium fragile でないものを嗅ぎ分けたからではあるまいか? その証拠に良安は、「和漢三才圖會 介貝部 四十七」の「海蜌」=ミルクイ Tresus keenae の項で、ここに全く登場しない「淡菜(みる)」「殻菜(みる)」という呼称を、すんなりと、ミル Codium fragilee に与えて述べているのである。その本文では『△按ずるに、「海蜌は蚌〔(どぶがひ)〕に似て、肥黑に、赤色を帶ぶ。毛有りて、畧ぼ鹿茸に比す。其の頭に菜生ず。初め微黄赤色、味、脆く甘美。老するときは則ち深青色なり。之を淡-菜(みる)と名づく。故に之を呼びて淡-菜-喰(みるくい[やぶちゃん字注:ママ。])と曰ふ。』と記している。良安は、「石帆」「水松」=「海松」としながらも、そこに大きな疑義を感じたのではなかったか。識者の御意見を乞う次第である。
・「栢」(カラヒバ)シダ植物の一種であるヒカゲノカズラ植物門ミズニラ綱イワヒバ科イワヒバ属イワヒバ Slaginella tamariscina の仲間(園芸品種?)と思われる。陸の岩場に植生する多年草で、見た目は、主幹の先端に葉を輪生したように見えるが、実際には、この幹状の部分は、根や担根体(茎が葉をつけるのに対して、葉を付けず、根のようなmのを生ずる、根相当の役割を担う器官ということから、特に区別して、かく、称する)が絡み合ったもので、「仮幹」と称する。仮幹は高さ二十センチメートルに達することもあり、分枝するものもある。後掲する「苔類」の「卷柏(いはひば)」の項を参照されたい。
・「花、樓を離れ、相貫連す」非常に読解し難い部分である。「樓」は主な支えとなる幹状部分を言うのであろう。そこから、分岐し、その分岐した枝状部分が、相互に貫通し、交差しているという複雑な形状を言うか。若しくは、生体のポリプが、硬い骨格から伸びだして、花を開いたようになる様(さま)、或いは、死後のポリプの骨格の襞状の複雑な立体構造を言うのではなかろうか。
・「交羅紋」の「羅」は元来、「網」の意味であるから、網目状のものが、更に複雑に交わるように見た目上、見えるのあろう。これも、枝状に発達したサンゴ類に相応しい。但し、私は、ここで、最後に、ミルが復活すると思いたい。日本では「海松紋」という紋が古くからあり、これはミルの葉状体を円形に広げた形を模しており、「小丸紋」とも言う。恐らく、良安は疑義を抱きながらも、ここを転記する際には、「海松」=ミルを鮮やかにイメージしていたものと思われるのである。]
***
うみそうめん 【俗稱】
海索麪
△按近世西海四國及因幡丹後多有之細長狀似索麪
《改ページ》
■和漢三才圖會 水草藻類 卷九十七 ○十八
而青緗色故名海索麪乾送于四方用時盛漆噐〔=器〕少時
漫水覆亦用漆噐則縮不敗用熬酒或醋食之味淡甘
脆若盛磁噐則潰爛而失味東海亦間有之
[やぶちゃん注:「うみそうめん」はママ。]
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うみぞうめん 【俗稱。】
海索麪
△按ずるに、近世、西海四國、及び、因幡・丹後、多く、之れ、有り。細長く、狀〔(かたち)〕、索麪〔(さうめん)〕に似て、青緗(〔あを〕もえぎ)色なり。故に「海索麪」と名づく。乾して、四方に送る。用ゐる時、漆噐に盛りて、少-時〔(しばら)〕く、水に漫(ほと)ばかす。覆(おほひ)にも亦、漆噐を用ひて、則ち、縮(ちぢ)みて、敗〔(くさ)〕れ〔→ら〕ず。熬酒〔(いりざけ)〕、或いは、醋〔(す)〕を用ひて、之れを食ふ。味、淡甘〔にして〕、脆し。若〔(も)〕し、磁器に盛れば、則ち、潰れ爛れて、味を失す。東海にも亦、間〔々〕(まゝ)、之れ、有り。
[やぶちゃん注:紅藻綱ウミゾウメン目ベニモヅク科ウミゾウメン属ウミゾウメン Namalion vermiculare 。私自身食したことがなく、残念なことに生体個体も見たことがない(二〇二三年追記:五年前、氷見に旅した際、生を売っているのは見た)。良安は調理法の注意を、縷々、記すが、この内容も真偽の程は不明である。二〇〇四年平凡社刊の田中二郎解説・中村庸夫写真の「基本284 日本の海藻」から引用する。『長さ10~15㎝、太さ2~3㎜』『ウミゾウメン属 Namalion は「糸のような」の意。日本には2種が知られる。本種は潮間帯の中部に生育し、岩上に数十本が並ぶ樣はまさしく太めのそうめんである。ただし乾燥すると干そうめんのように細くなる。付着部が岩の上につき、そこからあまり太さの変わらない分枝しない円柱状のからだをもつ。粘液質であり、大変にぬるぬるする。能登半島氷見(ひみ)では「ながらも」と呼ばれる珍味である。生品は熱湯をかけて、乾燥品は水にもどして、二倍酢、酢味噌、味噌汁にして食する。』……私がこうしてこの本を長々と引用するのは珍しいね……それはね、氷見は私がかつて愛した女の故郷だからだ……何冊にもなった交換日記……僕は高校時代、彼女を送った後、潮騒の音を聴きながら、夕暮の氷見駅から伏木までの有磯海を、車窓から何度も、何度も、薄っぺらいながらも、向後の「人生」を、漠然と感じながら、「旅」をしていた気がするのである……それはあたかも、詩歌の霊感を持たぬ家持の彷徨のようででもあったかも知れない……。ちなみに、軟体動物門腹足綱後鰓目無楯亜目アメフラシ科アメフラシ属アメフラシ Aplysia kurodai 等に代表される無楯亜目の仲間の、黄色やオレンジ色の卵塊(岩礁や海藻類に付着させる。こちらはカラフルで確かに素麺に似ている)を通称で同じく「ウミゾウメン」と呼ぶが、弱毒性が疑われ、実際に、栄養豊富なはずの卵塊であるのに捕食されることが少ない点や、下痢を症状を起こすとの報告からも食すのはやめたがよい。こちらは一度、口にしたことがあるが、確かにまずかった。
・「熬酒」とは、調味料の一種。一説に、酒・梅干・鰹節・味醂少々加えて煮詰めるといも言い、文化文政期の調合法として「酒二盃・醤油半盃・大梅五つ・鰹節沢山」ともある。醤油にとって代わられるまではかなりポピュラーな調味料であったらしい。]
***
こけのるい
苔類
本綱凡苔衣之類有五在水曰陟釐在石曰石濡在瓦曰
屋遊在墻曰垣衣在地曰地衣
其蒙翠而長數寸者亦有五在石曰烏韭在屋曰瓦松在
墻曰土馬騣在山曰卷柏在水曰藫也
*
こけのるい
苔類
「本綱」に、『凡そ、苔衣〔(たいい)〕の類〔(るゐ)〕、五つ、有り。水に在るを「陟釐〔(ちよくり)〕」と曰ふ。石に在るを「石濡〔(せきじゆ)〕」と曰ふ。瓦に在るを「屋遊」と曰ふ。墻〔(かき)〕に在るを「垣衣〔(ゑんい)〕」と曰ふ。地に在るを「地衣〔(ちい)〕」と曰ふ。
其の蒙翠にして、長さ數寸なる者も亦、五つ、有り。石に在るを「烏韭〔(うきう)〕」と曰ふ。屋に在るを「瓦松〔(がしよう)〕」と曰ふ。墻〔(かき)〕に在るを「土馬騣〔(どばそう)」〕と曰ふ。山に在るを「卷柏〔(けんぱく)〕」と曰ふ。水に在るを「藫〔(たん)〕」と曰ふなり。』と。
[やぶちゃん字注:「るい」の読みはママ。]
[やぶちゃん注:コケ植物の総論であるが、以下の各項に見る通り、現在、明白に藻類等に分類される水生のものが混在している。さて、コケ類の分類は、従来、コケ植物門 Bryophyta として、蘚(せん)綱 Bryopsida ・苔綱 Hepaticopsida ・ツノゴケ綱 Anthocerotopsida の三綱に分けられていたが、近年の分子生物学的系統分類では、苔綱がゼニゴケ植物門 Marchantiophyta とタクソンの格上げとなり、以下、ツノゴケ植物門 Anthocerotophyta ・蘚植物門 Bryophyta とすべてタクソンの格上げが行われている。私はコケ類への趣味もなく、その新分類には興味が起こらない。されば、ここでは、伝統的な旧分類法を用いて簡明に各類を説明しておく。新分類とそれに係わる新知見は、ウィキの「コケ植物」を見られたい。但し、種の学名を出す場合は、現行のそれを示す。旧蘚綱 Bryopsida 、英名 mosses は全世界で凡そ一万種が存在するとされ、コケ植物群中、最も繁栄しているグループである。双子葉植物の茎と葉に似た形状を持ち(「茎葉体」と呼ぶ)、発達した帽と軸柱を持つ胞子体は寿命が長く、胞子嚢も頑丈である。通常、葉状体に中肋を持つのが特徴となる。ミズゴケ亜綱 Sphagnidae・クロゴケ亜綱 Andreaeidae ・ナンジャモンジャゴケ亜綱 Takakiidae ・マゴケ亜綱 Bryidae の四綱に分類されたが、その殆んどは、よく知られたマゴケ植物門スギゴケ綱目スギゴケ目科スギゴケ科スギゴケ属スギゴケ Polytrichum juniperinum や、天然記念物指定されている、マゴケ亜綱シッポゴケ目ヒカリゴケ科ヒカリゴケ属ヒカリゴケ Schistostega pennata 等を含む旧マゴケ亜綱 Bryidae ・現マゴケ綱に属する。因みに、誤解されている向きがあるので、一言、付け加えておくと、ヒカリゴケの光は発光物質によるものではなく、原糸体(胞子から発芽した後の糸状体)が持つ直径約十五15μm(マイクロメートル)の球状レンズ体の細胞が、外光を反射している反射光である。旧苔綱 Hepaticopsida は、茎を持たない葉状体のものもあるが、多くの類は、蘚類と同じく、茎葉体の体制を持つ。但し、一般には、苔類は、葉が大きく裂けており、腹面と背面の裂片が区別でき、中肋がないことを特徴とし、胞子体は、軸柱を持たず、極く小さくて、胞子嚢も壊れ易い。現ゼニゴケ植物門ウロコゴケ綱ウロコゴケ亜綱Jungermannidae、及び、ゼニゴケ綱Marchantiopsida に分かれる。知られた種としては、ゼニゴケ植物門ゼニゴケ綱ゼニゴケ目ゼニゴケ科ゼニゴケ属ゼニゴケ Marchantia polymorpha や、蛇の鱗に似たゼニゴケ目ジャゴケ科ジャゴケ属ジャゴケ Conocephalum conicum 等、世界では約八千種が知られる。旧ツノゴケ綱 Anthocerotopsida は体制が円盤状の葉状体で、通常はシアノバクテリア Cyanobacteria (藍藻)を共生させている。細胞中の葉緑体にはピレノイド pyrenoidAnthocerotopsida (葉緑体中の細胞小器官でデンプン等の貯蔵物質に包まれた組織。炭素固定を与かる)があり、これは、ツノゴケ類にのみに見られる特徴である。胞子体は軸柱を持ち、一派には、全体が角状で、成熟すると、先端部が二つに裂ける。現在は、ツノゴケ植物門はスジツノゴケ綱 Leiosporocerotopsida とツノゴケ綱 Anthocerotopsida に分かれ、ツノゴケ綱はさらに三亜綱に分岐する。世界では約四百種が知られる。定式の体制通り、胞子体が直立するツノゴケモドキ亜綱ツノコゲモドキ目ツノゴケモドキ科ニワツノゴケ亜科ニワツノゴケ Phaeoceros laevis のようなタイプの他に、横に出るツノゴケモドキ科ツノゴケモドキ属 Notothylas のようなグループもある。
・「蒙翠」の「蒙」は「覆う・乱れ生ずる」の意味を持つので、「生き生きとした緑色に覆われた」の意であろう。]
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あをさ
陟釐
みづわた
チツ リイ
水綿 則梨
水苔 石髪
石衣 水衣
藫
【俗云阿乎左】
[やぶちゃん字注:以上五行は、前四行下に入る。]
本綱陟釐生池澤水中有水中石上生者蒙茸如髪有水
汚無石而自生者纏牽如𮈔綿之狀俗名水綿其性味皆
同乾之治爲苔脯堪㗖〔=啗〕
氣味【甘大温】 温中消穀強胃氣止洩痢
水苔作紙青緑色名苔紙晉武帝賜張華側理紙是也
[やぶちゃん注:「晉」の字は原本では「ムム」が「口口」であるが、異体字としても認められないので、正字で示した。]
*
あをさ
陟釐
みづわた
チツ リイ
水綿〔(すいめん)〕 則梨〔(そくり)〕
水苔〔(すいたい)〕 石髪〔(せきはつ)〕
石衣〔(せきい)〕 水衣〔(すゐい)〕
藫〔(たん)〕
【俗に「阿乎左」と云ふ。】
[やぶちゃん字注:以上五行は、前四行下に入る。]
「本綱」に、『陟釐〔(ちよくり)〕は、池澤〔の〕水中に生ず。水中、石の上に生ずる者、有り。蒙茸〔(もうじよう)〕にして、髪のごとし。水、汚れ、石無くして、自〔(おのづか)〕ら生ずる者、有り、 纏(まと)ひ牽(ひ)き、𮈔綿〔(いとわた)〕の狀〔(かたち)〕のごとし。俗に「水綿(みづわた」と名づく。其の性、味、皆、同じ。之れを、乾かし、治〔(をさ)〕め、苔脯〔(たいほ)〕と爲して、啗〔(くら)〕ふに堪へたり。
氣味【甘、大温。】。 中〔(ちゆう)〕を温め、穀を消し、胃の氣を強くし、洩痢〔(えいり/せつり):下痢。〕を止む。
水苔にて、紙を作る。青緑色。「苔紙」と名づく。晉の武帝、張華に賜ふ「側理紙〔(そくりし)〕」、是れなり。』と。
[やぶちゃん注:ここでの叙述に適合するものを考えると、緑色植物亜接合藻(ホシミドロ)綱ホシミドロ目ホシミドロ科アオミドロ属アオミドロ Spirogyra sp. やホシミドロ Zygnema sp. の仲間、それらに形状の似た綠藻綱サヤミドロ目サヤミドロ属 Oedogonium sp. の仲間や、緑色植物門アオサ藻綱シオグサ目シオグサ科ジュズモ属に属する汽水域に植生するジュズモ Chaetomorpha sp. 等が同定候補となろうか。但し、「正字通」に『釐、海藻本名陟釐。南越以海苔爲紙。其理倒側。故名側理紙。』とあり、ここに記す「側理紙」の話も出ていながら、ここでは、はっきりと「海藻」と記している。そこからは、文字通りの広範なアオサ属 Ulva の類を第一に挙げなければならないか。また、「陟釐」を「あをのり」訓じている記載も多く、そうなると、緑藻類アオサ科アオノリ属スジアオノリ Enteromorpha prolifera ・ウスバアオノリ Enteromorpha linza ・ヒラアオノリ Enteromorpha compress ・ボウアオノリ Enteromorpha intestinalis 等の食用にする、所謂、「青海苔」類の総称となるのである。しかし、次の「乾苔」(あをのり)の項で、良安は『「倭名抄」は、「陟釐」を以つて、「青苔」の訓と爲すは、非なり。』と明確に否定していることも踏まえ、私としては、ここでの記述の淡水・汽水産にこだわるとともに、他項との明確な差別化を考え、最初に掲げたミドロ類を第一同定候補とすることにした。しかし……ミドロ類では、紙は出来んやろ?!
・「蒙茸」は「草が乱れ生ずる」こと。「茸」は、ここでは「キノコ」の意ではなく、「草がさかんに茂る」意である。
・「纏ひ牽きて」は「多くの糸状のものが絡み合って」という意であろう。
・「絲綿」糸状の綿。東洋文庫版は『まわた』(真綿)とルビする。
・「水綿」は、現代中国語で、ホシミドロ科アオミドロ Spirogyra sp. を指す。
・「苔脯」は「干物・乾物」。
・「啗ふに堪へたり」とあるが、現在でも、ラオス中南部及びその周辺地域ではアオミドロを食用として利用していることが、ネット上の論文等から伺える。
・「中を温め」の「中」は、漢方で言う体内臓腑全体を指すが、狭義には、「中焦」、即ち、「脾」と「胃」を言う(但し、中医学のそれであるから、現在の脾臓や胃ではない)。ここでは後に「胃の氣を強くし」(胃の働きを活発させ)という叙述が続くので、後者であろう。
・「穀を消し」「穀類の消化を助け」の意であろう。
・「苔紙」韓紙(訓読みすれば「からかみ」で、狭義には、三韓時代以降に朝鮮半島で生産された紙を言う。主原料は、一般的に紙の原料として知られる「楮」、双子葉植物綱イラクサ目クワ科コウゾ Broussonetia × kazinoki の中に、現在でも、製紙業界で「苔紙」と呼ぶものがあり、それは、「毛のように細かい苔を混ぜて漉いた紙のこと」を言うそうである。但し、ここでの「苔紙」とは、正真正銘の「海苔」(のり)のことではないかと私は思っている(以下の「側理紙」の注を参照)。
・「晉の武帝」は西晋の初代皇帝司馬炎(二三六年~二九〇年)のこと。「武帝」は彼の諡(おくりな)。
・「張華」は司馬炎に仕えた重臣。博覧強記で、「竹林の七賢」の一人である阮籍に認められた詩才もあった。『博物志』の著者として著名。
・「側理紙」は、実際の板海苔のことを言っているのではあるまいか。先に引いた「正字通」の『釐、海藻、本名陟釐。南越以海苔爲紙、其理倒側。故名側理紙。』というのは、「釐は、海藻にして、本は『陟釐』と名づく。南越、海苔を以つて紙と爲す。其の理(きめ)は、倒側す。故に『側理紙』と名づく。」と読むか。「其の理は倒側す」とは中国語の出来る知人によれば、現代中国語の「其実是相反」の意と思われると教えを受け、そこで、『釐は海藻で、正しくは陟釐という。越南(現在の中国南部からベトナム北部)では海産の海苔から紙を作るのであるが、それ(海藻から紙を作るなどということ)は現実の道理に反している(が、事実である)。そこで(この紙状の海苔に)「側理紙(道理に反した紙)」という名がついた。』という意味ではあるまいかと考えた。大方の御叱正を俟つ。]
***
あをのり
乾苔
カン タイ
俗云青苔
【阿乎乃里】
倭名抄以陟釐
爲青苔之訓者
非也
[やぶちゃん注:以上五行は、前三行下に入る。]
本綱乾苔乃石髮生海中者故味鹹爲異其長尺餘大小
如韭葉乾之爲脯又以肉襍蒸食極美
氣味【鹹温】 治癭瘤及痔消茶積納木孔中殺蠹
多食發瘡疥有咳嗽人不可食
△按陟釐青苔形色一類而所出澤與海氣味亦淡與鹹
《改ページ》
■和漢三才圖會 水草苔類卷九十七 ○十九
逈異也售者混之但陟釐葉細密香鮮味不鹹可辨之
多出于南海而伊勢之產爲勝毎正月内膳浦取之者
殊良炙食之香味甚美
黃蜀葵汁 佛手蕷【擂爲糊】青苔【焙爲粉】和未醬温汁啜之粘
滑似黃蜀葵之滑故假名之
*
あをのり
乾苔
カン タイ
俗に「青苔」と云ふ。
【「阿乎乃里」。】
「倭名抄」は、「陟釐〔(ちよくり)〕」を以つて、「青苔」の訓と爲すは、非なり。
「本綱」に、『乾苔は、乃〔(すなは)〕ち、「石-髮(あをさ)」の海中に生ずる者なり。故に味の鹹〔(かん)〕を〔のみ〕異と爲〔(す)〕。其の長〔(た)〕け、尺餘、大小〔ありて〕、韭〔(にら)〕の葉のごとし。之れを乾かし脯〔(ほ)〕と爲す。又、肉を以つて、襍〔(ま)ぜ:混ぜる。〕、蒸し食ふ。極めて、美なり。
氣味【鹹、温。】 癭瘤、及び、痔を治し、茶積を消す。木の孔の中に納〔(をさ)む〕れば、蠹〔(きくひむし)〕を殺す。多く食へば、瘡疥〔(さうかい)〕を發す。咳嗽〔(がいそう)〕有る人、食ふべからず。
△按ずるに、陟-釐(あをさ)・青苔、形・色、一類にして、出づる所、澤と海と、氣味も亦、淡(みづくさ)き、と鹹(しはゝ→しほ)はゆきと、逈〔(はるか)=遙〕に、異なり。售〔(う)=賣〕る者、之れ〔らを〕、混ず。但〔だ〕、「陟-釐(あをさ)」の葉〔は〕、細密にして、香〔(かほり)〕、鮮〔(すく)な〕く、味、鹹〔(しほ)から〕ず。之れを辨ずべし。多く、南海より出〔づ〕。伊勢の產、勝れりと爲〔(す)〕。毎正月、内膳浦にて、之れを取る者、殊に、良し。炙りて、之れを食ふ。香・味、甚だ、美なり。
黃-蜀-葵-汁(とろゝじる) 「佛-手-蕷(つくねいも)」【擂〔(す)〕りて糊〔(のり)〕と爲す。】・青苔【焙りて、粉と爲す。】・未醬〔(みそ)〕の温汁に和して、之れを啜る。粘(ねば)り、滑(ぬめ)りて、「黃蜀葵」の滑りに似たり。故に假りて、之れを名づく。
[やぶちゃん注:アオノリ類に同定する。アオノリは緑色植物門アオサ藻綱アオサ科アオサ目アオノリ属 Enteromorpha のスジアオノリ Enteromorpha prolifera ・ウスバアオノリ Enteromorpha linza ・ヒラアオノリ Enteromorpha compress・ボウアオノリ Enteromorpha intestinalis 等の、食用にする、所謂、「青海苔」類の総称である。因みに、我々に馴染みのある呼称としての海産藻類の「アオサ」(近年、商品として多く見かける沖繩方言のアーサ、アーサーを含む)は、ヒトエグサをも指している場合が多いが、このヒトエグサは現在、アオサ目ではなく(嘗てはアオサ目に分類されていた)ヒビミドロ目ヒトエグサ科ヒトエグサ Monostroma nitidum (嘗つては別種としてヒロハノヒトエグサ Monostroma latissimum を立ていたが、一九八八年にヒトエグサと同一種とされ、シノニムとなった)である。
・「陟釐」「石髮」共に淡水産藻類のミドロ類。前項「陟釐」注を参照。
・「味の鹹をのみ、異と爲(す)。」「鹹」は、塩からいこと。即ち、それ以外、「その形状は、陟釐と全く同じである。」ということで、次で、ニラの葉にも似ていると述べており、これはやはり、葉状に広がる傾向のあるアオサ類ではなく、もっと細い糸状のアオノリ類である。
・「韭」単子葉植物綱ユリ目ユリ科ネギ属ニラ Allium tuberosum 。
・「苔脯」はノリの「干物・乾物」。
・「癭瘤」は「エイリュウ」(現代仮名遣)と音読みする。「癭」は、特に「頸部の腫瘤」を指し、「瘤」は広く「体表に現われるコブ」を言うが、漢方では一般に狭義の「癭」、甲状腺腫やリンパ節腫を指すことが多い。
・「茶積」は『抹茶による胸のつかえ』を言うと、東洋文庫版割注にはある。抹茶はカフェインの含有量が多いことが知られており、個人差があるが、飲み過ぎれば、不眠や胃炎を起こす。
・「蠹」キクイムシは鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目ゾウムシ上科キクイムシ科 Scolytidae に属する昆虫の総称。基本的には成虫・幼虫ともに、樹木の材を食害する。殆んどの種は、別に幼虫等の餌とする、ある種の菌類と共生しており(菌類は、種の移動手段として、逆に虫を利用している)、中には「アンブロシアビートル」と呼ばれる、食った材中の穴に、その共生菌類(代表種がアンブロシア属 Ambrosiella sp. の菌類)を植え込んで、繁殖させ、餌とする養菌性昆虫もいる。
・「瘡疥」は、広く、吹き出物から、発疹等の種々の皮膚疾患全般を言う。
・「咳嗽」は咳(せき)である。
・「内膳浦」なる地名は現在はないようである。東洋文庫版では、前の伊勢の記述を受けて、『内瀬か。三重県度会郡南勢町』という割注を附す。これは現在、住所表記が変更され、三重県度会郡南伊勢町(みなみいせちょう)内瀬(ないぜ)となっている(グーグル・マップ・データ)。ここは五ヶ所湾最奥部の伊勢路川河口に当たり、現在でも県内有数のアオノリ種網場(アオノリ類を網に付着させ、出芽させる養殖場)として知られ、この種網が、県内各地へ出荷される。また、スジアオノリ Enteromorpha prolifera の産地としても知られる。
・「黄蜀葵」(トロロ)これは双子葉植物綱アオイ目アオイ科トロロアオイ Abelmoschus manihot のことである。同属であるオクラ Abelmoschus esculentus に似た花が咲くことから、「ハナオクラ」(花秋葵)の別名も持つ。根を摩り下ろすと、強い粘り気が出るため、この名がある。これが、和紙の紙漉きの際の「つなぎ」として利用される。
・「佛手蕷」(ツクネイモ)これは単子葉植物綱ユリ目ヤマノイモ科ヤマノイモ属ナガイモ Dioscorea batatas 、又は、その交雑品種品種(必ずしも厳密な品種ではないようである)を指す。イチョウイモ群は芋が扁形で、下が広がった公孫樹や短く太い指掌に似る。通常のナガイモよりも粘りが強く、群馬県太田市等を主産地とする。但し、良安がここで同属のヤマノイモ Dioscorea japonica と区別して記載してるとは思われないので、こちらも当然、含まれるとせねばならない。]
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ゐどのこけ 井乃古介
井中苔
本綱廢井中多生苔萍及磚土間多生雜草既解毒療漆
瘡湯火傷瘡在井中者尤佳
△按井苔深青色如陟釐而短亦似板屋苔
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ゐどのこけ 井乃古介〔(ゐのこけ)〕
井中苔
「本綱」に、『廢井の中、多く、苔・萍〔(うきくさ)〕生〔じ〕、磚土〔(せんど)〕の間〔に〕及〔びては〕、多く雜草を生ず。既に毒を解し、漆-瘡(うるしまけ)・湯-火-傷-瘡(やけど)を療す。井の中に在る者、尤も佳なり。』と。
[やぶちゃん字注:この冒頭部分、底本の訓点に従って、その通りに読むと、「廢井の中、多く苔・萍及び磚土の間に生じ、多く雜草を生ず。」となり、意味が通らないので、私の判断で訓読した。]
△按ずるに、井〔の〕苔は、深青色、「陟釐」のごとくにして、短く、亦、板屋〔の〕苔〔(こけ)〕に似たり。
[やぶちゃん注:時珍は、井戸の中の水中・水上に棲息する淡水産藻類、及び、水生被子植物、井戸の内側の、通常、水面から上部に棲息する蘚苔類総てを総括しており、薬効を言う場合も、それらを十把一絡げにして、井戸の中の植物群全部が挙げるような薬効を持つという風に記載している。反して、良安の方は、明らかに水中の淡水産藻類のみについて附言しており、私もそれに限定して理解し、深い緑色で「陟釐」に似ていて、板葺きの屋根の上のコケのように短いという叙述から、とりあえずミドロ類他、としておく。
・「萍」(ウキクサ)現在、通常は単子葉植物綱サトイモ目ウキクサ科 Lemnaceae の浮遊性水草類(一部に沈水性のものを含む)の総称で、狭義にはウキクサ科ウキクサ Spirodela polyrhiza を指すが、ここでの時珍の謂いは、更にもっと広義の浮遊性水草類、例えば、単子葉植物綱ユリ目ミズアオイ科ホテイアオイ Eichhornia crassipes や、ウキクサに似て非なるシダ植物門シダ綱デンジソウ目サンショウモ科サンショウモ属サンショウモ Salvinia natans 等も含まれると考えるべきであろう。
・「磚土」の「磚」は「瓦・敷き瓦・煉瓦」のこと。井戸の内壁の煉瓦や瓦を組んだ間の土或いは詰め物を指す。
・「既に」は、ここでは「皆・悉く」の意味であり、私が冒頭注で「すべてを総括して」いると言ったのは、この語の用法による。
・「漆瘡」双子葉植物綱バラ亜綱ムクロジ目ウルシ科ウルシ属ウルシ Toxicodendron vernicifluum 、及び、その近縁種であるウルシ科ヌルデ属ヌルデ Rhus javanica や、ハゼノキ Rhus succedanea 等が成分として持つウルシオールによる、主に接触性皮膚炎を起こすアレルギー症状。私も二十一年程前に、初めて発症した。発症してしまうと花粉症と同じで、耐性は生じない。当時、私は市場に出始めた熟す前の青マンゴーが大好きだったが、マンゴー Mangifera indica
はウルシ科マンゴー属であり、今や私は、食べられなくなった。悲しい。
・「陟釐」は淡水産藻類のミドロ類。前項「陟釐」注を参照。
・「板屋の苔」は板葺きの屋根の上に生えるコケという意味であろうか。暫く後掲する「屋遊」(かわらごけ)と同義でとっておく。]
***
ふねのこけ 不奈古介
船底苔
本綱船底苔乃水之精氣漬船板木中累見風日久則變
爲青色葢因太陽晒之中感陰陽之氣故服之能分陰陽
去邪熱又治五淋【一團水煮飮之】
《改ページ》
*
ふねのこけ 不奈古介〔(ふなこけ)〕
船底苔
「本綱」に、『船底苔は、乃ち、水の精氣、船の板木の中〔を〕漬〔(みづづけ)〕す。累〔(かさ)ぬ〕るに、風・日〔を〕見〔るの〕久しき時は[やぶちゃん字注:「時」は送りがなにある。]、則ち、變じて青色と爲る。葢〔(けだ)〕し、太陽〔に〕、之れを晒す中〔(うち)〕、陰陽の氣に感ずるに因りてん、故、之れを服〔すに〕、能く、陰陽を分かち、邪熱を去る。又、五淋を治す【一團、水煮して、之を飮む。】。』と。
[やぶちゃん字注:この冒頭部分、底本の訓点に従って、その通りに読むと「船底苔は、乃ち、水の精氣、船を漬す。板木の中、累ぬるに、風・日を見るの久しき時は、則ち、變じて青色と爲る。」となり、意味が通らないので、私の判断で訓読した。]
[やぶちゃん注:これは極めて広範な海産藻類を指すことになる。成体のみならず、多様な種の配偶子も附着し、それらは、通常の葉状体を成したり、地上のコケのようにも見えるからである。
ここで一言。良安先生、珍しく漢文訓読で、これで二連発の訓点ミスを犯されている(他の水族では、このような連続ミスはない)。特に、この「船底苔」の訓読は、極めて杜撰であると言わざるを得ない。……どうもこの藻類・苔類を記載していた頃の良安先生は、本調子ではなかったのではあるまいかと思われるのである。その前兆が、藻類の「雪苔」(ゆきのり)と「末滑海藻」(かじめ)の項での無批判な化生説の連続採用であったように思われるのであるが、如何?
・「漬(みづづけ)す」は「浸透したものである」の謂いであろう。
・「累(かさ)ぬるに、風・日を見るの久しき時は」は、私の補足で「(船が陸揚げされたりして)何度も有意な時間、外気や日光に晒された場合は」の意味でとる。
・「蓋し、太陽に、之れを晒す中、陰陽の氣に感ずるに因りてん、故、之れを服すに、能く、陰陽を分かち、邪熱を去る。」は、「なお、更に太陽に、この苔(こけ)を曝すうちには、苔の陰気が、太陽の陽気に劇的に感応するために、大きな質の変化が苔の内部に生ずる。故に、そうした、この苔を薬物として服用すると、極めてバランスよく、体内の陰と陽の気を分配し、悪性の発熱を除去出来る。」といった意味であろうか。
・「五淋」とは、唐代に王燾(おうとう)の撰した「外臺祕要方」(げだいひようほう)によれば、「石淋・気淋・膏淋・労淋・熱淋」を指す。「淋」は泌尿器にカンジタ菌・淋菌・ブドウ球菌、連鎖球菌等が感染することによって生ずる、排尿困難・排尿痛・頻尿・尿量減少・残尿感等の症状、及び、腎臓結石・尿管結石等の症状を総括する謂いである。「石淋」は、激痛を伴う排尿困難・尿量減少があり、時に尿中に結石が排泄される症状。「気淋」は残尿感や尿漏れ、又は、神経性の頻尿。「膏淋」は排尿困難・尿量減少があり、尿の白濁が見られる症状をいい、「労淋」は肉体疲労・体力低下に伴う心身の衰弱に起因する排尿困難・尿量減少、ひいては、尿が出なくなる症状を指し、「熱淋」は尿道痛や灼熱感を主症状とし、血尿が稀れに見られるものをいう。
・「一團」団子状の一塊。]
***
こけ
地衣
デイ イヽ
仰天皮
掬天皮
[やぶちゃん字注:以上二行は、前三行下に入る。]
本綱地衣乃陰濕地被日晒起苔蘚如草狀者也
氣味【苦冷微毒】 取停水濕處乾卷皮爲末傅於陰上粟瘡治
之神効
*
こけ
地衣
デイ イヽ
仰天皮〔(ぎやうてんぴ/がうてんぴ)〕
掬天皮〔(きくてんぴ)〕
「本綱」に、『地衣は、乃〔(すなは)〕ち、陰濕の地、日に晒されて、苔蘚〔(たいせん)〕を起こし、草の狀のごとくなる者なり。
氣味【苦、冷。微毒。】 停水濕處の、乾き、皮を卷くを取り、末〔:粉末。〕と爲し、陰の上の粟瘡〔(ぞくさう)〕に傅〔(つ)〕く。之れを治す〔に〕神効あり。』と。
[やぶちゃん注:ここで言う「地衣」類は、広く、コケ及びコケ状の生物を包括した謂いであり、時珍や良安にとっては、至極最もな包括概念であったが、現在では、二つの大きく異なった分類群に属する生物を一つ合わせていることになり、そこは明確に区別しなくてはならない。一つとは、正真正銘の「コケ」の仲間である蘚苔類
植物界
コケ植物門 Bryophyta
蘚綱 Bryopsida
苔綱 Hepaticopsida
ツノゴケ綱 Anthocerotopsida
の多様な植物群を指す(各綱の解説は、前項「苔類」冒頭注を参照されたい)。
今一つは、一見、上記の「コケ」の仲間と似ており、また殆んどが「○○ゴケ」という和名を持つことから、同一「植物」と認識されがちな「菌類」――正確に言うと――菌類の作った構造物の内部に植物である共生藻類(ゴニジア gonidia と呼ぶ)を持つ複合生物体――であるところの
菌界Fungi
嚢菌門 Ascomycota に主に属する地衣類
である(因みに、菌類には、他に、ツボカビ門 Chytridiomycota ・接合菌門 Zygomycota がある)。地衣類は形態から大別して、以下の三グループに便宜上、分類する。
●葉状地衣類(薄い膜状で背腹性があり、裏面に偽根や臍状体(さいじょうたい)を有するもの)
子嚢菌門チャシブゴケ菌綱チャシブゴケ目ウメノキゴケ科ウメノキゴケ Parmelia tinctorum
チャシブゴケ目イワタケ科イワタケ Umbilicaria esculenta 等。
●痂状(かじょう)地衣類(地衣体全体が未分化で、基部に密着、若しくは、溶け込んで染みのようになって固着しているもの)
チャシブゴケ目ヘリトリゴケ科チズゴケ Rhizocarpon geographicum 等。
●樹状地衣類(枝状になって基質から立ち上がったり垂れ下がったり這い回るもの)
チャシブゴケ目ウメノキゴケ科サルオガセ属Usnea sp.
チャシブゴケ目ハナゴケ科ハナゴケ Cladonia rangiferina 等。
これらに共生している藻類は緑藻類及びラン藻類に属し、トレブクシア属 Trebouxia ・ネンジュモ属 Nostoc ・スミレモ属 Trentepohlia が多い。彼等は地衣類の体内にある水分を利用して、光合成を行い、同化産物は髄層部の菌糸から吸収されて、再び、共生菌の生活に利用される。なお、真正のコケ類との識別法であるが、緑藻をゴニジアとする地衣類は、銀白色を帯びた緑又は薄青緑を、藍藻類をゴニジアとする地衣類は青黒い色を呈するのに対し、コケ植物は、その殆んどが、深緑色か、黄緑色をなす。形の上では、葉状地衣類の仲間は、苔綱ゼニゴケ亜綱ゼニゴケ目ゼニゴケ科ゼニゴケ属ゼニゴケ Marchantia polymorpha に似るものの、殆んどの地衣類は、コケ類の葉状体に比して、ずっと薄く、葉状の全体が成長するため、葉状部の先端が、はっきりしない。更に、コケ植物の胞子は、柄のようになった突起上の袋の中に形成されるが、地衣類では、本体の表面、若しくは、内部に埋もれた子実体に形成される(以上は平凡社一九九八年刊「世界大百科事典」、及び、ウィキペディアの記載等を複合して作成した。分類法については、現在、別個な体系も存在している)。
・「粟瘡」所謂、蕁麻疹のことであろう。]
***
いしのこけ
石蕊
シツ シユイ
石濡 石芥
雲茶 蒙頂茶
[やぶちゃん注:以上二行は、前三行下に入る。「雲茶 蒙頂茶」は狭い字数で詰ったため、間に別単語であることを示す「◦」があるが、略した。]
本綱石蕊生太山石上乃煙熏霧染日久結成早春翠端
[やぶちゃん注:「熏」は(れっか)の上が「重」であるが、本字で示した。]
開四葉葢苔衣類也春初刮取曝乾謂之雲茶其狀白色
《改ページ》
■和漢三才圖會 水草苔類卷九十七 ○二十
輕薄如花蘂其氣香如蕈其味甘濇如茗不可煎飮止宜
咀嚼及浸湯啜清凉有味明目益精氣
*
いしのこけ
石蕊
シツ シユイ
石濡〔(せきじゆ)〕 石芥〔(せきかい)〕
雲茶〔(うんちや)〕 蒙頂茶〔(もうちやうちや)〕
[やぶちゃん注:以上二行は、前三行下に入る。]
「本綱」に、『石蕊〔(せきずい)〕は、太山〔(たいざん)の〕石の上に生ず。乃〔(すなは)〕ち、煙霧、熏染〔(くんせん)〕すること、日、久〔しくして〕、結成して、早春に、翠〔(みどり)〕〔の〕端、四葉、開く。葢し、苔衣〔(たいい)〕の類なり。春の初め、刮〔(こそ)げ〕取り、曝し乾して、之れを「雲茶」と謂ふ。其の狀〔(かたち)〕、白色、輕薄にして、花の蘂〔(ずゐ)〕のごとし。其の氣〔(かざ)〕の香〔(か)〕、蕈〔(きのこ)〕のごとく、其の味、甘濇〔(あましぶ):「濇」は「澁」に同じ。〕く、「茗〔(ちや)〕」のごとし。煎じて飮むべからず。止〔(た)〕だ、宜しく、咀嚼、及び、湯に浸し啜るべし。清凉にして、味、有り。目を明〔(あきらか)〕にし、精氣を益す。』と。
[やぶちゃん注:地衣類、「石蕊」は、現代中国語では、チャシブゴケ目ハナゴケ科ハナゴケ Cladonia rangiferina に同定される。採取して乾したものは、白色にして、軽く薄く、花の蘂ようであるというのは、確かに、ハナゴケの細かな草のような形状に一致している。しかし、「刮げ取」るような図の円盤状の形態や漢名からは、如何にも石に匍匐する感じがして、子嚢菌門チャシブゴケ菌綱チャシブゴケ目ウメノキゴケ科ウメノキゴケ属 Parmelia の仲間のようにも思える。また、末尾には、「茶として飲用する」とあるのが、大きな特徴であるが、これには、雲南省産の高山性地衣類であるチャシブゴケ目ムシゴケ科ムシゴケ属ムシゴケ Thamnolia vermicularis の乾燥品が、「雪茶」と称するダイエット茶として輸入されたり、チベットに於いて同じような地衣類が茶として飲用されている事実もある。同種は古くから炎症に効く漢方薬として知られてもいる。(なお、現在、本文に現われる「蒙頂茶」というのは、四川省の高級茶葉を言う語として通用しており、くれぐれも偽装などと早合点や誤解等なさらないように!)。暫く三者を並べ置く。
・「太山」一般名詞としての高山。
・「煙霧、熏染すること、日、久しくして、結成し」は「石蕊は、成長が遅く、長い年月、雨風雲霞に染まり、燻(いぶ)され続けることで、やっと生育して。」の意であろう。
・「蓋し、苔衣の類なり」は「思うにコケの類である」というのであるが、先般、「地衣」の注でも述べた通り、現在の知見から言えば、同定候補のハナゴケ・ウメノキゴケ・ムシゴケ、「コケ」とは言うものの、どれも地衣類であって、蘚苔類ではないし、コケでもない、ということになる。]
***
かべのこけ
垣衣
ユヱン イヽ
鼠韭 昔邪
垣贏 天韭
【和名之乃布久佐】
土馬騣
【乃木乃之能布】
[やぶちゃん注:以上五行は、前三行下に入る。]
本綱垣衣卽磚墻城垣上青苔衣也
氣味【酸冷】 擣汁服止衂血燒灰油和傅湯火傷
一種土馬騣 卽垣衣之長者故名馬騣共所在背陰古
墻垣上有之歳多雨則茂盛但以長短異名
俊賴
新古今 古鄕は散る紅葉に埋れて軒のしのふに秋風そふく
△按垣衣乃非草類只垣※〔=墻〕苔以字義可解也土馬騣乃
[やぶちゃん字注:「※」は「グリフウィキ」のこれで、「墻」の異体字。]
【俗云乃木乃之乃不】生古屋上及樹椏其葉二三寸𤄃二三分似
風蘭葉而色淡脊有筯不窄靣〔=面〕有細㸃脊色稍淺冬月
《改ページ》
亦不凋無花實
只有謂志乃不草者卽瓦松之類【見于後】
*
かべのこけ
垣衣
ユヱン イヽ
鼠韭〔(そきう)〕 昔邪〔(せきや)〕
垣贏〔(ゑんえい)〕 天韭〔(てんきう)〕
【和名、「之乃布久佐〔(しのぶぐさ)〕」。】
土馬騣〔(どばそう)〕
【乃木乃之能布〔(のきのしのぶ)〕。】
[やぶちゃん注:以上五行は、前三行下に入る。]
「本綱」に、『垣衣〔(ゑんい)〕は、卽ち、磚墻〔(せんしやう)〕・城垣〔(じやうゑん):石垣。〕の上の青き苔衣なり。
氣味【酸、冷。】 汁を擣〔(つ)〕きて服す。〔→擣きし汁を服す。〕衂-血〔(はなぢ)〕を止む。灰に燒き、油に和して、湯-火-傷(やけど)に傅〔(つ)〕く。
一種、「土-馬-騣(どばそう/のきしのぶ)」 卽ち、垣衣の長き者〔なり〕。故に「馬騣」と名づく。共に、所在、背陰〔(はいいん):日の当たらない。〕の古〔き〕墻垣〔(しやうゑん)」垣根。〕の上に、之れ、有り。歳〔(とし)〕、多く雨ふる時[やぶちゃん字注:「時」は送りがなにある。]、則ち、茂盛〔(もせい)〕す。但〔(ただ)〕、長短を以つて、名を異にす〔のみ〕。』
俊賴
「新古今」 古鄕は散る紅葉〔(もみぢば)〕に埋〔(うづ)〕もれて軒のしのぶに秋風ぞふく
△按ずるに、垣衣は、乃〔(すなは)〕ち、草類に非ず。只〔(ただ)〕、垣墻〔(ゑんしやう/かきね)〕の苔なり。字義を以つて解すべし。「土馬騣」は乃ち【俗に「乃木乃之乃不〔(のきのしのぶ)〕」と云ふ。】、古屋の上、及び、樹の椏(また)に生ず。其の葉、二、三寸、𤄃〔(ひろ)〕さ二、三分、「風蘭」の葉に似て、色、淡〔(あは)し〕。脊に、筯(すぢ)、有りて、窄(すぼ)まず。靣〔(おもて)〕に、細㸃、有〔り〕て、脊の色、稍〔(やや)〕、淺し。冬月、亦、凋〔(しぼ)〕まず、花・實、無し。只〔(ただ)〕、「志乃不草」と謂ふ者、有り。卽ち、瓦松〔(しのぶぐさ)〕の類なり【後を見よ。】。
[やぶちゃん注:築地・土塀・城の石垣に生える苔の謂い。「地衣」の注で述べたように、これは植物界コケ植物門 Bryophyta 及び菌界 Fungi 子嚢菌門 Ascomycota に主に属する地衣類(「地衣」注を参照されると分かるが、叙述中の青い色というのは、このグループの特色である)、更には、後の注で示すように植物界シダ植物門 Pteridophyta をも含む(図自体が、そうした複数種(確認に出来るのは二種)の多様な生物群を示している点に着目せられたい)。なお、後掲する「屋遊」(かわらごけ)も参照されたい。異名に用いられている「韭」は「韮」と同字で、単子葉植物綱ユリ目ユリ科ネギ属ニラ Allium tuberosum を示す字。葉体部の見た目の類似性に基づくものであろう。
・「昔邪」の語源は不詳。東洋文庫版のルビを踏襲したが、この「邪」を「じや」でなく、「や」と読む場合は、疑問詞である。私は、敢えて、それで読みたい。これは思いつきに過ぎないが、「昔」には「夕暮れ」の意があり、例えば、「白い壁に苔が生えて、日中でも日が翳ったように見え、もう夕暮れかしら? という錯覚に基づく謂い」という解釈は、如何であろう?
・「垣贏」の「贏」の字には、「儲け・利得」・「伸びる」・「満ちる・溢れる・「盛ん」・「包む」等の意があるが、語源は不明。どれも意味としては通りそうではある。
・「之乃布久佐」(シノブグサ)は「ノキシノブ」と同義。次注「乃木乃之能布」を参照のこと。
・「乃木乃之能布」(ノキノシノブ)はシダ植物門シダ綱ウラボシ目ウラボシ科ノキシノブ属ノキシノブ Lepisorus thunbergiana が知られる。但し、ノキシノブ属の種は本邦で約十種が知られ、ノキシノブ属の総称としても用いられる。ここでの良安の記載は、このノキシノブ属で留めるべきであろう。図の奥の家根上と樹木の間に生えたそれが相当しよう。
・「磚墻」の「磚」は「瓦や煉瓦」のことで、「墻」は築地・土塀であるから、「瓦や煉瓦を積み上げて固めた土塀」のことである。
・「土馬騣」の「馬騣」は「馬の鬣(たてがみ)」のことを言う。中文サイトに記載される「重編國語辭典修訂本」の「土馬騣」を見ると、注釈に『植物名。土馬騌科常綠苔蘚植物。莖細長而直立、高約十公分。葉呈披針形、邊縁有很粗的鋸齒、不向後反捲。雌雄異株、以胞子繁殖。在中藥裡常用為止血劑。或稱為「大金髮苔」・「獨根草」。』(一部記号を変更)とあり、東洋文庫版では、『スギゴケ科スギゴケか』と割注を附している。私も「ノキノシノブ」とか「ノキシノブ」という和訓や記載内容は無視して、「土馬騣」の形状から見て、コケ植物門蘚綱スギゴケ目スギゴケ科スギゴケ属スギゴケ Polytrichum juniperinum 、若しくはその仲間ではないかとは思っていたのだが、もっと厳密な記載がコケ類の研究社であられる上野健氏のブログ「コケの論理(ロジック)」の「銭コケ、杉コケ、萬年草(2)」の中に見出され、目から鱗のような苔が落ちた。以下に引用する。スギゴケという名称が最初に邦文献に登場するのは、本草家にして医師の松岡玄達が宝暦八(一七五八)年に撰した「怡顔斎苔品」(いがんさいたいひん)であるとされ、
《引用開始》
スギゴケは、水苔類、石苔類、樹苔類、地苔類のうち、地苔類のなかの「土馬騣」という苔を説明する際に、その俗称として出てくる。「土馬騣(土馬鬃、俗名杉コケ陰湿ノ地ニ生ス)」である。そして、これを起点に、漢語の土馬騣=スギゴケという図式が固まっていき、苔類を記載する本草書には必ずと言っていいほど登場するようになる。小野蘭山の「本草綱目啓蒙」(1803-6年)の苔類という項目を見ても、「土馬騣(スギゴケ、山中陰湿処ニ多ク生ジテ地ニ満。採テ茶室ノ庭ニウユ)」とある。茶室の庭に植えるとあるので、土馬騣(スギゴケ)というのは、一般的に苔庭に植えられるウマスギゴケやオオスギゴケを指しているのかもしれない。また、土馬騣という漢語のなかにある馬という字が気になる。明治以降に作られたウマスギゴケという和名はここから来ているのではないか。調べることは尽きない。ちなみに、広辞苑(第五版)でスギゴケを引くと、最後に土馬騌と記されている。騣と騌の字は同じ音をもっており、土馬騣および土馬騌はトマソウと読む。
《引用終わり》
ここで、上野氏が、「土馬騣および土馬騌はトマソウ」と読むとされているのは、「土馬騣」の中国音“tŭ mă tzōng”に忠実な読みである。また、厳密な同定候補として挙げられてあるのは、ウマスギゴケ Polytrichum commune 、オオスギゴケ Polytrichum formosum である。なお、私が「土馬騣」をスギゴケではないかと考えたのには、もう一つ理由がある。それは大きさは異なるが、スギゴケに形状の似たスギナ Equisetum arvense (トクサ植物門トクサ綱トクサ目トクサ科トクサ属)の学名である。この学名は“equus”「馬」+“seta”「鬣=騣」、種小名の元は“arvum”は「剛毛」で「硬い馬の騣」の意で、その連想一致が働いたからでもあるのである。ここは、良安の記載を誤りとし、まず、「土馬騣」はコケ植物門蘚綱スギゴケ目スギゴケ科スギゴケ属スギゴケ Polytrichum sp. とし(図の下方の壁の斑点状のものがそれであろう。スギゴケは土壁にも生える)、先の「ノキノシノブ」、及び、ルビに現れる「ノキシノブ」、及び、良安の記載内容の方は、先行注「乃木乃之能布」で同定したシダ植物門シダ綱ウラボシ目ウラボシ科ノキシノブ属 Lepisorus sp. と分けておく(後注「風蘭」を参照)。
・「新古今」「新古今和歌集」。勅撰和歌集。八代集の一つ。建仁元(一二〇一)年、源通具(みちとも)・藤原有家・藤原定家・藤原家隆・藤原雅経らが後鳥羽上皇の院宣をうけて和歌所を設け、元久二(一二〇五)年に完成させた。
・「古鄕は散る紅葉に埋もれて軒のしのぶに秋風ぞふく」は「新古今和歌集」五三三番歌。「障子の絵に、あれたる宿に紅葉ちりたる所をよめる」という詞書を持つ。
○やぶちゃん訳
古くなり 荒れ果ててしまった田舎 その旧家は 散りゆく紅葉にうずもれて行く……軒端の忍草(しのぶぐさ)に秋風が吹きつけている……私はその忍草のように……この孤独と淋しさの中……せつない貴方への恋を堪え忍んでいるのです……
この歌を藤原定家は「近代秀歌」で引き、『これは幽玄に面影かすかにさびしきさま也』と賞讃している。
・「俊賴」源俊頼(天喜三(一〇五五)年頃~大治四(一一二九)年)。平安後期の家人。当初、堀河天皇の近習の楽人であったが、後、和歌の才を顕わし、藤原基俊らとともに、堀河院歌壇の指導的立場にあった。「散木奇歌集」の撰や、歌論書「俊頼髄脳(としよりずいのう)」で知られる。
・「風蘭」は単子葉植物綱ラン目ラン科フウラン属フウラン Neofinetia falcata 。現在でも、所謂、「釣りしのぶ」=「しのぶ玉」に植え込んで、観賞される。その葉の形状は、先に示したノキシノブに似る。
・『只、「志乃不草」と謂ふ者有り。卽ち、「瓦松」の類なり【後を見よ。】』というのは、おかしい。良安は冒頭で「垣衣」の和名を「之乃布久佐」(しのぶぐさ)と明記しているにも拘わらず、ここでは、「単に忍草という別の植物があり、それは、すなわち、『瓦松』の一種である。次の項を参照せよ。」と言っている。良安先生、やっぱり、ヘン! 「瓦松」については次項を参照。]
***
しのぶぐさ
瓦松
昨葉何草
向天草 瓦花
赤者名鐵脚
【婆羅門草】
天王鐵塔草
[やぶちゃん注:以上五行は、前二行下に入る。]
本綱瓦松生年久瓦屋上如蓬初生髙尺餘遠望如松栽
又云瓦松生屋瓦上及深山石縫中莖如漆圓銳葉背有
白毛 仲務〔→宗尊親王〕
新葉〔→新後拾遺〕 古鄕の垣ね〔→ほ〕のつたも色付て瓦の松に秋風そふく
*
しのぶぐさ
瓦松
昨葉何草〔(さくえふかさう)〕
向天草〔(きやうてんさう)〕 瓦花〔(ぐわか)〕
赤き者を「鐵脚」と名づく。「婆羅門草〔(ばらもんさう)〕。
天王鐵塔草〔(てんわうてつたふさう)〕
「本綱」に、『瓦松〔(ぐわしやう)〕は、年久しき瓦屋〔(ぐわをく)〕の上に生ず。蓬(よもぎ)の初生のごとし。髙さ、尺餘り、「遠く望(み)れば、松を栽〔(うう)〕るがごとし。」と。又、云はく、「瓦松は屋瓦〔(をくぐわ)〕の上、及び、深山の石縫の中に生ず。莖、漆のごとく、圓〔(まろ)〕く、銳く、葉の背に、白毛、有り。」と。』と。
宗尊親王
「新後拾遺」 古鄕の垣ほのつたも色付けて瓦の松に秋風ぞふく
[やぶちゃん注:東洋文庫版では「ベンケイソウ科」と割注する。これは双子葉植物綱バラ亜綱バラ目ベンケイソウ科 Crassulaceae であるが、その種の中で、屋根の上にも植生するとなると、日本固有変種であるイワレンゲ属イワレンゲ Orostachys iwarenge が挙げられるか。ベンケイソウ(弁慶草)科は、多肉質の葉が特徴で、葉の内部に多量の水分を貯蔵出来るため、特に北半球と南アフリカ乾燥した地域に産する(分布は世界的)。特異な体制と乾燥に強いため、園芸種が多い。よく知られるクラッスラ属のカネノナルキ Crassula ovata や、カランコエ(リュウキュウベンケイ)属 Kalanchoe のカランコエ類も、この科に属する。イワレンゲは、通常は岩の上に生えるが、屋根の上に生えることもあるという記載も見つけた。「レンゲ」は「蓮華」で、重なり合った葉の形からの呼称である。――しかし、私は、やや、この同定にしっくりこなかった。まず、図の植物が、イワレンゲ、どころか、ベンケイソウ科のものでも、ない。イワレンゲは、どう転んでも、ヨモギの生え初めには、見えないし、叙述全体が、肉厚の多肉植物の記載しているとは思えなかったからである。しかし、イワレンゲが屋根に生えていたとして、その円錐状の花茎(九月から十一月に伸び上がる)を見て、松の新芽に似て見える。イワレンゲは、茎に相当するものは見えにくいし、況や、それがウルシのように紅く、丸く鋭い、なんて描写は逆立ちしても、出来ないと思う御仁もいよう。最初は私もそう思った。ところが、同属のツメレンゲOrostachys japonicus (爪蓮華)は茎が丸く、葉片は鋭く尖り、円錐状の花茎の、花粉を出す前の葯(やく)も紅色をしているのである。但し、葉の背に、白毛は、ない。しかし、円錐状の花茎に満開した花の蘂は、確かに「毛」のように見える。――而して、中文の「景天科」(=ベンケイソウ科)を見ると、しっかりイワレンゲ属 Orostachys に「瓦松属」が当てられているのである。「長野電波技術研究所」の本草綱目リストでは「昨葉何草」の項で、ベンケイソウ科コチレドン・スピノーサ Cotyledon spinosa(「トウツメレンゲ」という和名を示しているが、標準和名かどうか疑問。「唐爪蓮華」。)に同定している。しかし、である。私はこの図が示すものは、正しくシダ植物門 Pteridophyta の何物かに最も一致するのではなかろうかとは思うのである。その証拠に、良安は項目の和訓に「しのぶぐさ」としていることである。これは前項で述べた通り、「しのぶぐさ」はノキシノブと同じであろう。「ノキシノブ」は、シダ植物門シダ綱ウラボシ目ウラボシ科ノキシノブ属ノキシノブ Lepisorus thunbergiana の標準和名である。ノキシノブ属の種は本邦で約十種が知られ、ノキシノブ属の総称としても用いられる。少なくともここでの良安の示した図の方は、このノキシノブ類であろう。なお、後掲する「屋遊」(かわらごけ)も参照されたい。
・「蓬」(ヨモギ)キク目キク科キク亜科ヨモギ属変種ヨモギ Artemisia indica var. maximowiczii 。
・「石縫」いい言葉だ。「石の割れ目」のこと。
・「漆」(ウルシ)バラ亜綱ムクロジ目ウルシ科ウルシ属ウルシ Toxicodendron vernicifluum 、及び、その近縁種であるウルシ科ヌルデ Rhus javanica や、ヌルデ属ハゼノキ Rhus succedanea 等を含む。
・「新葉」良安は「新葉和歌集」とするが、これは「新後拾遺和歌集」の誤りである。「新葉和歌集」は弘和元(一三八一)年に成立した後醍醐天皇の皇子宗良親王撰になる準勅撰集で、元弘(一三三一)年から弘和年間(一三八一年~一三八四年)に至る、南朝方の歌を所収し、南朝君臣の悲憤慷慨を多く歌う。「新後拾遺和歌集」は至徳元(一三八四)年成立の勅撰和歌集。二十一代集の一つ。永和元(一三七五)年に、二条為遠が足利義満の執奏による後円融天皇の勅を受けて撰を始めるが、病没(余りの遅延に、為遠は義満から二度も蟄居処分を受けている)、その後は、為遠の父の従兄弟である二条為重が引き継いで完成させた。
・「古鄕の垣ほの蔦も色付きて瓦の松に秋風そふく」「新後拾遺和歌集」の「巻五 秋 下」に所収。良安は「垣ね」と誤っている(但し、以下に述べるように意味は同じ)。「垣ほ」とは「垣穗」で、本来は、「植え込んだ垣根の地上に現れている部分」(それが「穗」である)を言い、中世では「垣穗」を「かきお」と発音したらしい。広く「垣・垣根」の意。この「瓦の松」は、白居易の新楽府「驪宮高」の「牆有衣兮瓦有松」(牆に、衣、有り、瓦に、松、有り。)に基づき、古びた家の形容である。但し、原詩の白居易の「松」は、屋根瓦の上に生えた本物の松を指すとも、シダ類、又は、上述したツメレンゲ Orostachys japonicus とも言う。ここは中文記載の、ツメレンゲ同定決まりか?
・「仲務」は「なかつかさ」と読むが、この作者名は誤りである。本歌の作者は鎌倉幕府第六代将軍宗尊親王(後嵯峨天皇皇子)である。因みに、誤った「仲務」は、恐らく、平安中期の歌人の中務(延喜一二(九一二)年頃~正暦二(九九一)年)のことであろう。「三十六歌仙」の一人で、醍醐天皇の皇弟中務卿敦慶(あつよし)親王の王女。母は、かの歌人伊勢である。]
かはらこけ
屋遊
瓦衣 瓦苔 瓦蘚 傅邪
【和名夜乃倍乃古介】
[やぶちゃん注:以上二行は、前二行下に入る。]
本綱屋遊乃生古瓦屋上陰處苔衣也其長數寸者卽瓦
松也
《改ページ》
■和漢三才圖會 水草苔類卷九十七 ○二十一
△按屋遊卽如註也瓦松【之乃布草】卽土馬騣之類北靣〔=面〕屋瓦
及山中石土之際陰處生之莖葉似蕨苗而小一莖三
椏靣〔=面〕背共淺綠色春生苗冬枯七八月葉背稍有黃花
甚細小難見根有微白毛如鼠脚脛
凡屋瓦上所生之草亦不一二蓋烏雀啄菓實來遺糞再
生者故各有本物之形狀唯土馬騣瓦松之輩自苔變
成形者也
*
かはらごけ
屋遊
瓦衣〔(ぐわい)〕 瓦苔〔(ぐわたい)〕 瓦蘚〔(ぐわせん)〕 傅邪〔(てんや)〕
【和名、「夜乃倍乃古介〔(やのへのこけ)〕」。】
「本綱」に、『屋遊は、乃〔(すなは)〕ち、古き瓦屋〔(ぐわをく)〕の上の陰處に生ずる苔衣なり。其の長さ、數寸なる者は、即ち、「瓦松〔(ぐわしやう)〕」なり。』と。
△按ずるに、屋遊、卽ち、註のごとし。瓦松【「之乃布草〔(しのぶぐさ)〕」。】は、卽ち、「土馬騣」の類〔(るゐ)なり〕。北靣の屋瓦〔(をくぐわ)〕、及び、山中〔の〕石土の際(あいだ[やぶちゃん注:ママ。])・陰處に、之れ、生ず。莖・葉、「蕨」の苗に似て、小さく、一莖、三椏〔(また)〕、靣〔(おもて)〕・背、共に、淺綠色。春、苗を生ず。冬、枯れ、七、八月、葉〔の〕背の稍〔(さき):先。〕に、黃花、有り。甚だ細小にして、見難し。根に微〔(わづか)に〕、白毛、有り、鼠の脚〔の〕脛〔(はぎ)〕のごとし。
凡そ、屋瓦の上に生ずる所の草、亦、一、二ならず。蓋し、烏・雀、菓實を啄(つい)ばみ、來つて、糞を遺し、再たび、生ずる者なる故、各々、本物〔(ほんぶつ)〕の形狀、有り。唯、「土-馬-騣(のきのしのぶ)」・「瓦松」の輩〔(はい)〕は、苔より變じて、形を成す者なり。
[やぶちゃん注:屋根の上に植生する菌類・蘚苔類・地衣類・シダ類等、多様な生物群を含む。
・「傅邪」語源は不詳だが、考証したくなった。「垣衣(かべのこけ)」の項の「昔邪」に倣って、この「邪」を「じや」でなく、「や」と読みたい。さすれば、これは疑問詞となる。これは思いつきに過ぎないが、「傅」は「附着する」の意であるから、例えば、瓦に、苔や地衣類が生えているものの、それがチャシブゴケ目ヘリトリゴケ科チズゴケ Rhizocarpon geographicum 等のような痂状(かじょう)地衣類のように、全体が未分化で、瓦に密着、或いは、溶け込んで染みのようになって固着しているために、「くっ附いているのか、染みなのか、よく分からない。」という謂いという解釈は如何であろう?
・「夜乃倍乃古介」(ヤネノヘノコケ)この「へ」は「上」の意。
・「瓦松」前項「瓦松」冒頭注を参照のこと。
・「之乃布草」(シノブグサ)シダ植物門シダ綱ウラボシ目ウラボシ科ノキシノブ属ノキシノブ Lepisorus thunbergiana 。前項「垣衣」の「之乃布草」及び「乃木乃之能布」注を参照のこと。
・「土馬騣」前項「垣衣」の「土馬騣」注を参照のこと。
・「蕨」シダ綱コバノイシカグマ科ワラビ Pteridium aquilinum 。
・「一莖三椏」山地の湿った林の下に見られる常緑のシダ類で、基部で三岐する比較的一般的な種となると、シダ綱イノモトソウ科イノモトソウ属ナチシダ Pteris wallichiana であろうか。同種は、成長すると、葉身は長さ一メートル越える。和名は、和歌山県那智山で最初に発見されたことに由来するが、分布域は千葉以西の本州から沖繩に及ぶ。
・「黃花」シダ類の葉の裏面に生ずる胞子体には、やや黄色を帯びていて、胞子の並びが、微細な花のように見えるものがある。]
いわごけ
烏韭
[やぶちゃん字注:「いわごけ」はママ。]
石髪 石衣 石苔 石花 石馬騣 鬼麗
【垣衣亦名烏韭陟釐亦名石髪】同名異種也
[やぶちゃん字注:以上二行は、前二行の下に入る。]
本綱烏韭生大石及水間陰處青翠茸茸者似苔而非苔
此卽石衣也長者可四五寸蓋瓦松之生于石上者也
*
いわごけ
烏韭
石髪 石衣 石苔 石花 石馬騣〔(せきばそう)〕 鬼麗〔(きれい)〕
【「垣衣〔(ゑんい)〕」、亦、「烏韭〔(うきう)〕」と名づく。「陟釐〔(ちよくり)〕」、亦、「石髪」と名づく。】同名異種なり。
「本綱」に、『烏韭は、大石、及び、水間の陰處に生ず。青翠にて茸茸〔(じようじよう)〕たる者なり。苔に似て、苔に非ず。此れ、卽ち、「石衣〔(せきい)〕」なり。長き者、四、五寸ばかり。蓋し、「瓦松」の石の上に生ずる者なり。』と。
[やぶちゃん注:現在、イワゴケという異名を持つ種は菌界子嚢菌門チャシブゴケ菌綱チャシブゴケ目イワタケ科イワタケ属イワタケ Umbilicaria esculenta であるが、どうも記載の形状と合わない。これらの叙述は、真正のコケ類を思わせる。日本全国・アジアの温帯域から熱帯域、オセアニアに広く分布する蘚類という絞り込みを掛けるとすれば、コケ植物門蘚類ホウオウゴケ科ホウオウゴケ属ホウオウゴケ Fissidens japonicus は如何か。長さは数センチから九センチメートル程度まで成長する大形のコケで、和名は葉片が鳳凰の羽を連想させることに由来する。耐乾性は脆弱で、渓谷等の、常に水が染み出すような湿性斜面に生育する点でも一致する。ところが、中文サイトの貿易関連語彙を集めた中英単語一覧の中に、『鬼麗(綱目);烏韭(本經);石髮;石岩;石蘚;石馬騣 Davallia tenuifolia Sw.; Odontosoria tenuifoliia Sw.;』という記載を発見した。この Davallia は、コケ植物門蘚類シノブ科シノブ属の属名であり、また、 Odontosoria は、シダ綱ウラボシ目ウラボシ科 Polypodiaceae に属するオドントソリア属の属名である。錯綜しているが、同定候補としては、「シノブ属の一種?」・「オドントソリア属の一種?」・「ホウオウゴケ?」の順で提示しておきたい。
・「垣衣」前項「垣衣」冒頭注を参照のこと。但し、当該項には「鼠韭」(そきゅう)や「天韭」(てんきゅう)という異名は示されているが、「烏韭」は、ない。
・「陟釐」は淡水産藻類のミドロ類。前項「陟釐」注を参照。当該項には、確かに「石髪」の異名が示されてある。
・「茸茸」草が盛んに生い茂っているさま。なお、中国語の「茸」には、本来、「キノコ」の意はない。国訓である。
・「瓦松」前項「瓦松」冒頭注を参照のこと。]
ひやくすいさう
百蘂艸
本綱百蘂草形如瓦松莖葉俱靑有如松葉無花三月生
苗四月長及五六寸許根黃白色是瓦松之生于地者也
*
ひやくずいさう
百蘂艸
「本綱」に、『百蘂草は、形、「瓦松〔(ぐわしやう)〕」のごとく、莖・葉、俱に、青し。松葉のごとくなること、有り。花、無く、三月、苗を生ず。四月、長ずること、五、六寸許〔(ばかり)」に及び、根、黃白色。是れ、「瓦松」の地に生ずる者なり。』と。
[やぶちゃん注:東洋文庫版は割注で、双子葉植物綱ビャクダン目ビャクダン科カナビキソウ属カナビキソウ Thesium chinense に同定するが、如何? カナビキソウはm茎や葉が松葉のようになることがあるか?――松葉の様だと言えば、そうでないとは言えないが、「そのようになることがある」という謂いは、「松葉のようにならない個体もある」ということを示し、逆に矛盾を感じさせるのである。カナビキソウに、花は、ない?――いや、ある。三ミリメートル程度と小さいながら、先が四、五裂(三裂のものもある)した花らしい白い花が、葉腋に四月から六月に咲くのである。カナビキソウは、総体が「瓦松」=コケやシダの形状に似ている?――いや、見た目は、普通の草本類で、シダとは似ても似つかないぞ? というわけで、私はこの東洋文庫の同定には、甚だ、疑問を持っている。ところが、ネット検索で、ここに強力な資料が登場した。サイト「みやざきの自然」の同名機関誌の第十一号(一九九五年六月刊)所収の滝一郎氏の論文「「賀来飛霞 高千穂採藥記植物総目録」(現在、視認不能)に見出された。この「高千穂採藥記」なるものは、大分出身の植物学者である賀来飛霞(かくひか)が弘化二(一八四五)年に延岡内藤藩に招聘され、現在の延岡市・日向市・東西臼杵郡の薬草調査をした記録である。この論文の『(4)賀来飛霞 高千穂採薬記植物総目録』に、『277. ビャクダン科 カナビキソウ カナビキサウ 百蕋草 Thesium chinense 』とあるのである。「蕋」=「蘂」であるから、これはまさに「百蘂艸」である。滝氏の論文に拠って、「カナビキソウ」と同定しておく(但し、良安の叙述は、私は「カナビキソウ」の記載ではないと、今も、思っている。因みに、カナビキソウは、葉緑素を持つ普通の草本に見えるのであるが、実は他の植物の根から養分を吸収している半寄生性草本であるという。和名は「鉄引草」であるが、語源は不明とのことである。
・「瓦松」前項「瓦松」冒頭注を参照のこと。]
***
いわひば
卷柏
キユン ポツ
萬歳 豹足
長生不死草
求股 交時
【和名伊波久美
一云伊波古介】
今云岩檜葉
[やぶちゃん字注:以上六行は、前三行下に入る。「いわひば」はママ。]
本綱卷柏多生石上宿根紫色多鬚春生苗似柏葉而細
拳攣如雞足髙三五寸無花子以耐久也
氣味【辛平】治下血及脫肛通月經治百邪鬼魅【生用破血灸用止血】
△按卷柏生深谷石間人家陰處亦移栽之四時青翠色
似檜柏葉其大者髙尺餘
*
いわひば
卷柏
キユン ポツ
萬歳 豹足
長生不死草
求股〔(きうこ)〕 交時
【和名、「伊波久美〔(いはぐみ)〕」。一〔(いつ)に〕に「伊波古介〔(いはごけ)〕」と云ふ。】
今、「岩檜葉〔(いはひば)〕」と云ふ。
「本綱」に、『卷柏は、多く石上に生ず。宿根、紫色、鬚、多し。春、苗を生ず。柏の葉に似て、細く、拳-攣(まが)りて、雞〔(にはとり)〕の足のごとし。髙さ三、五寸。花・子〔み:=実〕、無く、以つて久〔(きう)〕に耐ふ。
氣味【辛、平。】下血、及び、脫肛を治し、月經を通じ、百邪鬼魅を治す【生〔(なま)〕を用ふれば、血を破り、灸りて、用ふれば、血を止む。】。』と。
△按ずるに、卷柏は、深谷〔の〕石間に生ず。人家〔の〕陰處にも亦、之れを移栽〔(いさい)〕す。四時、青翠色。「檜柏〔(かいはく)〕」の葉に似、其の大なる者、髙さ、尺餘り。
[やぶちゃん注:シダ植物であるヒカゲノカズラ植物門ミズニラ綱イワヒバ目イワヒバ科イワヒバ属イワヒバ科イワヒバ Selaginella tamariscina 。
・「宿根」古い根。紫色とあるが、イワヒバの根は、一般には褐色である。
・「柏」これは本邦では双子葉植物綱ブナ目ブナ科コナラ属コナラ亜属カシワ Quercus dentata を指すが、本来の中国語の「柏」は、裸子植物門マツ綱マツ目ヒノキ科 Cupressaceae に属する多様な針葉樹を総称する語で、現代中国語では「ヒノキ科」は「柏科」と表記する。これは「本草綱目」の記載であるから、当然、ヒノキ類を指す。
・「以つて、久に耐ふ」、「長く枯れることなく生え続けることが出来る」の意。盆栽のサイトなどを見ると、イワヒバは生長速度が極めて緩やかで、三十年を経ても、殆んど変化がなく、通常の寿命は五十年以上、百年を超えるという記載さえある。
・「百邪鬼魅」東洋文庫版は、これに『つきもの』とルビを振る。当て訓であるが、「憑きもの」、言い得て妙である。広く神経症や精神病疾患に効果があると考えられたようである。
・「血を破り」、効能の「月經を通」すに対応するので、「血液の流れをよくする」という意。
・「之を移栽す」は、本来は深山幽谷に植生するが、人為的に人里の日蔭に移植される、の意。
・「檜柏」これを良安が厳密な漢名として用いているならば、裸子植物門マツ亜門マツ綱マツ亜綱ヒノキ科ビャクシン属 Juniperus である。]
ぢはく 卷柏之生于地上者也
地柏
本綱地柏生蜀之山谷根黃狀状如𮈔莖細上有黃㸃子無
花葉三月生長四五寸許
治臟毒下血與黃茋等分爲末米飮毎服二錢【蜀人此方以爲神】
*
ぢはく 卷柏〔(いはひば)〕の地上に生ずる者なり。
地柏
「本綱」に、『地柏は、蜀の山谷に生ず。根、黃にして、状〔(かた)〕ち、𮈔〔(いと)〕のごとく、莖、細くして、上に、黃〔の〕㸃子〔(てんし)〕有り。花、無く、葉は、三月、生長すること、四、五寸許〔(ばかり)〕。
臟毒・下血を治す。黄茋〔(わうぎ)〕と等分し、末と爲し、米飮にて、毎服二錢【蜀の人、此の方、以つて「神」と爲す。】。』と。
[やぶちゃん注:イワヒバ科セラギネラ属セラギネラ・クラウシアーナ Selaginella kraussiana 。英名“ Gold Tips Spikemoss ”は「黄點子(黄色い小片)」という叙述に一致する。アフリカ原産であるが、非常に古い種であるから、中国に伝来していても、違和感はないと思う。但し、漢方調剤では、見当たらない。
・「蜀」現在の四川省の別称。
・「臓毒」は、内臓に後天的に蓄積した毒を言い、「風毒」・「食毒」・「水毒」・「血毒」の四種に分ける。「風毒」は外部から主に空気・接触感染による多臓器障害、「食毒」は飲食物の経口感染等による主に消化器系の障害、「血毒」は血液及び循環器系障害、「水毒」は泌尿器系障害を言う。
・「黃茋」は「黃耆」「黃蓍」とも書き、双子葉植物綱マメ目マメ科ゲンゲ属キバナオウギ Astragalus membranaceus の根から精製される漢方薬。利尿血圧下降・強壮作用・血管拡張・発汗抑制作用を示す。
・「米飮にて」「毎食事の際に」の意。
・「二錢」「錢」(せん)は重量単位。一錢は七・五グラム弱であるが、時珍の生きた明代の一錢は約三・七グラムである。
・「方」は処方。
・「神と爲す」は「『神効(素晴らしい効き目)を持ったもの』と高く評価している」の意。]
***
■和漢三才圖會 水草苔類卷九十七 ○二十二
まんねんぐさ
玉柏
ヨツ ポツ
玉遂千年柏
萬年松
【俗云萬年草】
[やぶちゃん字注:以上三行は、前三行下に入る。]
本綱玉柏生石上如松高五六寸紫花人皆置盆中養數
年不死呼爲千年柏萬年松即石松之小者也
氣味【酸温】輕身益氣止渇
石松 天台山及名山石上皆有之似松髙一二尺此卽
玉柏之長者也
五雜組云楚中有萬年松長二寸許葉似側柏藏筐笥中
或夾冊子内經歳不枯取置沙土中以水澆之俄頃復活
或云是老苔變成者然苔無莖根彼莖亦如松柏有根鬚
△按衡嶽志所謂萬年松之說亦粗與右同紀州吉野髙
野深谷石上多有之長二寸許無枝而梢有葉似松苗
《改ページ》
好事者採之藏鏡奩云靈草也欲知行人消息者投之
於盌水卜之葉開卽人存焉凋卽人亡也此言可大笑
不知性澆水能活也
古今 種しあれは岩にも松は生ひにけり戀をし戀はあはさらめやも
*
まんねんぐさ
玉柏
ヨツ ポツ
玉遂〔(ぎよくすい)〕 千年柏
萬年松
【俗に「萬年草」と云ふ。】
[やぶちゃん注:「玉遂」と「千年柏」の間は詰まって一続きの名称のように見えるが、良安はこの間に小さな「◦」印を打っており、これは字間を示すものであるので、一字空けとした。なお、漢方薬の中文サイトを検索した結果、「玉遂」と「千年柏」は一続きの名称でないことも確認出来た。]
「本綱」に、『玉柏は、石の上に生ず。松のごとく、高さ五、六寸、紫〔の〕花あり。人、皆、盆中に置く。養ひて、數年〔(すねん)〕、死(か)れず。呼んで「千年柏」・「萬年松」と爲す。卽ち、「石松」の小さき者なり。
氣味【酸、温。】身を輕くし、氣を益し、渇きを止む。
石松 天台山、及び、名山の石の上、皆、之れ、有り。松に似て、髙さ一、二尺。此れ、卽ち、「玉柏」の長き者なり。』と。
「五雜組」に云ふ、『楚中に、「萬年松」有り。長さ二寸許〔(ばかり)〕。葉は、「側柏〔(このてがしは)〕」に似て、筐笥〔(きやうし)〕の中に藏む〔→め〕、或いは、冊子の内に夾〔(はさ)〕み、歳を經て〔も〕、枯れず。取りて、沙土の中に置き、水を以つて、之れを澆〔(そそ)〕ふは〔→げば〕、俄-頃〔(にはかにして)〕、復た、活す。』『或る人、云はく[やぶちゃん字注:「人」は送りがなにある。]、「是れは、老〔いたる〕苔、變じて、成る者なり。」と。然れども、苔には、莖・根、無し。彼〔(かのもの)〕は、莖、亦、松柏のごとく、根鬚、有り。』と。
△按ずるに、「衡嶽志」に所謂る、「萬年松」の說も亦、粗〔(ほぼ)〕、右と同じ。紀州吉野・髙野の深谷の石上に、多く、之れ、有り。長さ二寸許〔(ばかり)〕。枝、無くして、梢に、葉、有りて、松の苗に似たり。好事(こんず)の者、之れを採りて、鏡の奩〔(はこ)〕すに〔→に〕藏めて、云はく、「靈草なり。行人〔:旅人。〕の消息(ありさま)を知らんと欲せば、之れを盌水〔(わんすゐ):小鉢。〕に投じて、之れを卜〔(うらな)〕ふ。葉、開けば、卽ち、人、存〔(そん)〕す。凋(しぼ)めば、卽ち、人、亡きなり。」と。此の言、大いに笑ふべし。性、水を澆げば、能く活することを、知ざればなり。
「古今」 種しあれば岩にも松は生ひにけり戀をし戀ひばあはざらめやも
[やぶちゃん注:シダ植物であるヒカゲノカズラ植物門ヒカゲノカズラ科ヒカゲノカズラ属マンネンスギ Lycopodium obscurum 。
・「石松」現代中国語では、ヒカゲノカズラ科ヒカゲノカズラ属 Lycopodium の分類名称として「石松科」の「石松属」として用いられている。代表種はヒカゲノカズラ Lycopodium clavatum 。
・「天台山」浙江省中部の台州にある霊山。最高峰は華頂峰(グーグル・マップ・データ)で千百三十八メートル。智顗(ちぎ:五三八年~五九七年)による中国天台宗開宗の地で、山麓に隋代の五九八年の建立になる国清寺がある。また、後漢以降は道教の聖地ともなった。
・「五雜組」は明の謝肇淛(しゃちょうせい)の十六巻からなる随筆集であるが、殆んど百科全書的内容を持ち、引用にあるような民俗伝承の記載も多い。日本では江戸時代に愛読された。書名は「五色の糸でよった組紐」のこと。
・「楚」現在の湖北省・湖南省辺りを指す。
・「側柏」裸子植物門マツ綱マツ目ヒノキ科コノテガシワ属コノテガシワ Platycladus orientalis 。
・「筐笥」は竹製の小箱・手文庫。
・「衡嶽志」宝永七(一七〇九)年刊になる貝原益軒の「大和本草」の「萬年松」の項にも、『一名は玉柏。「本草苔類」及び「衡嶽志」にのせたり。國俗、まんねんぐさと云ふ。鞍馬・高野山、所々にあり。とりて後、數年かれず。故に名づく。』と現われる書であるが、東洋文庫版書名注によれば、これは「衡岳志」か、とある。「衡岳志」は、明の彭簪(ほうしん)撰になる地方誌で、「衡岳」は湖南省衡山県にある山名・村名(グーグル・マップ・データ)である。中国で最も美しいとされる五山(南岳衡山・中岳嵩(すう)山・西岳華山・北岳恒山・東岳泰山)の一つに挙げられている。
・「好事の者」「物好きな人」の意であるが、私はこれを「こんず」(原本「コンス」)と読む読みを聞いたことがない。歴史的仮名遣ならば、「かうず」であるが、それとも違う。大阪言葉の辞書にも現われない。不詳。
・「奩すに」「奩」は音「レン」で、①香を入れる器。香奩。②鏡箱。化粧箱。鏡奩。③物を入れる箱の意である。②の化粧箱でよいのだが、送り仮名の「す」が不審。暫く衍字ととっておく。
・「古今」「古今和歌集」本邦最初の勅撰和歌集。八代集・二十一第集の第一。延喜五(九〇五)年に醍醐天皇の勅を受けて、紀貫之・紀友則(撰中の延喜七年に病没)・凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)・壬生忠岑(みぶのただみね)が撰した。完成は延喜一三(九一三)年頃。
・「種しあれば岩にも松は生ひにけり戀をし戀ひばあはざらめやも」「古今和歌集」五一二番歌。巻十一の「戀歌一」に「読人知らず」で所収する和歌であるが、藤原定家の奥書のある伊達家本では、下の句末尾が、
種しあれば岩にも松は生ひにけり戀をし戀ひばあはざらめやは
と、異なる。
○やぶちゃん訳
そこにこぼれ落ちた種子があったからこそ――岩にも松は立派に生えたのだから――私のこの秘かな恋だって――松の種がひとえに育まれて巨木と成ったように――一途に一途に――恋し――恋し続けたなら――きっと最後には恋するあの方と、結ばれる!]
***
まつのこけ
艾納
ガイ ナツ
松衣
【末豆乃古介】
桑蘚 桑花
桑錢
【久和乃木乃古介】
[やぶちゃん字注:以上五行は、前三行下に入る。]
本綱艾納乃生老松樹上綠苔衣也和合諸香焼之烟清
而聚不散【別有艾納香與此不同也】
桑蘚 生桑樹上白蘚也如地錢花樣刀刮取炒用【苦暖】
治腸風下血吐血
*
まつのこけ
艾納
ガイ ナツ
松衣
【「末豆乃古介」。】
桑蘚 桑花
桑錢
【久和乃木乃古介〔(くわのきのこけ)〕。】
「本綱」に、『艾納〔(がいなう)〕は、乃〔(すなは)〕ち、老松樹の上に生ず。綠〔の〕苔衣なり。諸香を和合し、之れを燒〔けば〕、烟、清す。〔→清(きよ)らにして、〕聚りて、散らず【別に「艾納香〔(がいなうかう)〕」有り。此れと同〔じな〕らざるなり。】。
桑-蘚(くわのきのこけ)[やぶちゃん注:「くわ」はママ。] 桑の樹の上に生ずる白蘚なり。「地錢花」の樣のごとし。刀にて、刮(こそ)げ取り、炒り用ふ【苦、暖。】腸風・下血・吐血を治す。』と。
[やぶちゃん注:松の木に着生するゼニゴケ植物門ゼニゴケ綱ゼニゴケ亜綱ゼニゴケ目ゼニゴケ科ゼニゴケ属ゼニゴケ Marchantia polymorpha 、或いは、同ゼニゴケ属の仲間を指す(松に特異的な種として時珍は記載しているので、そのような種が別にあるのかもしれない)。現代中国語ではゼニゴケ属は「地錢属」と表記する。
・「艾納香」双子葉植物綱キク目キク科ツルハグマ属タカサゴギク Blumea balsamifera 。中国南部から、ヒマラヤ・東南アジア・台湾に広く自生する。その茎・葉を「艾片」(がいへん)「艾納香」(がいのうこう)と称して、香の材料とし、また、食中毒や発汗・去痰の漢方薬としても用いる。ご覧の通り、全くの別種である。中文サイトで「艾納」で検索をかけると、殆んどが、こちらで挙がってくる。
・「桑蘚」解説の「地錢花」は、文字通り、地上性のゼニゴケ属 Marchantia を示しているが、ここでも、時珍は、桑の木に特異的なゼニゴケ類として記載している。同様にそのような種があるのかもしれない。
・「腸風」空気感染性の邪気が、皮膚を通して、腸に侵入して生ずる症状。現在で言う「感冒性の下痢」であろうか。]
***
■和漢三才圖會 水草苔類卷九十七 ○二十三終
おにふすべ
馬勃
ぼうべいし
マアゝ ボツ
馬鼻 馬𥧔
灰菰 牛屎菰
【俗云保宇倍以之】
[やぶちゃん字注:以上三行は、前四行下に入る。]
本綱馬勃生園中濕地及腐木上夏秋采之紫色虛軟狀
如狗肝大者有如斗者彈之粉出韓退之所謂牛溲馬勃
俱收並畜者是也
氣味【辛平】輕虛上焦肺經藥也故能清肺熱治欬嗽喉痺
衂血失音諸病傅諸瘡甚良
△按馬勃園中竹林荒野有之大如鳥卵團有薄皮灰白
色肉白頗似麥蕈煑食味淡甘既老則甚大形如死首
而醜其皮易裂中煤黒色虛軟如綿而粉出傅金瘡止
血有神効
《改ページ》
*
おにふすべ
馬勃
ぼうべいし
マアゝ ボツ
馬疕〔(ばひ)〕 馬𥧔
灰菰〔(くわいこ)〕 牛屎菰〔(ぎうしこ)〕
「本綱」に、『馬勃〔(ばぼつ)〕は、園中の濕地、及び、腐木の上に生ず。夏・秋、之れを采る。紫色、虛軟。狀〔(かた)〕ち、狗〔(いぬ)〕の肝〔(きも)〕のごとく、大なる者、斗〔(ます):枡。〕のごとくなる者、有り。之れを彈(はじ)けば、粉、出づ。韓退之〔(かんたいし)〕が所謂〔(いはゆ)〕る「牛溲〔(ぎうさう)〕・馬勃、俱に收め、並びに、畜(たくは)ふる。」と云ふは、是れなり。[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]
氣味【辛、平。】輕虛にして、上焦肺經〔(じやうせうはいけい)〕の藥なり。故に、能く、肺熱を清し、欬嗽〔(がいそう):咳。〕・喉痺〔(こうひ)〕・衂血〔(はなぢ)〕・失音〔の〕諸病を治す。諸瘡に傅〔(つ)けて〕甚だ良し。』と。
△按ずるに、馬勃は、園中・竹林・荒野に、之れ、有り。大いさ、鳥-卵(〔とりの〕たまご)のごとく、團〔(まろ)〕く、薄皮、有りて、灰白色。肉、白。頗る、「麥蕈(しやうろ)」に似る。煑て食ふ。味、淡〔(かすか)に〕甘し。既に老すれば、則ち、甚だ大きく、形、死首のごとくにして、醜(みにく)し。其の皮、裂け易く、中、煤黒色〔(すすぐろいろ)〕、虛軟、綿のごとくにして、粉、出づ。金瘡〔(きんさう):切り傷。刀傷。〕に傅〔(つ)け〕て、血を止む。神効、有り。
[やぶちゃん注:オニフスベ(鬼燻・鬼瘤)という和名は、菌界担子菌門菌蕈(きんじん)亜門真正担子菌綱ハラタケ目ハラタケ科ノウタケ属オニフスベ Calvatia nipponica に与えられている。良安の「竹林」の記載に呼応するかのようなヤブダマ(藪玉:何だか気になる名前じゃん!)という異名もあり、江戸時代には、他の旧ホコリタケ目 Lycoperdales =担子菌門ハラタケ科ホコリタケ属 Lycoperdon のホコリタケ類と一緒くたにされて「馬勃」(馬の勃起した陰茎)と呼ばれた。但し、本種は日本特産であるから、以下の引用記載からも、時珍の言う種は、ノウタケ属、又は、ホコリタケ属というに留めておく必要がある。以下、ウィキの「オニフスベ」から引用する(改行・注記番号は省略し、欧文フォントは私のものに代えた)。
《引用開始》
日本特産で、夏から秋、庭先や畑、雑木林、竹林などにの地上に大型の子実体を生じる。一夜にして発生するので驚かれるが珍しいものではない。子実体は白色の球状で、直径は20~50cmにも達し、あたかもバレーボールが転がっているように見える。幼菌の内部は白色で弾力があるが、次第に褐色の液を出して紫褐色の古綿状になる。これは弾糸と呼ばれる乾燥した菌糸組織(弾糸)と担子胞子から成る胞子塊である。成熟すると外皮がはがれて中の胞子塊があらわれ異様な臭いを発生する。胞子塊が風に吹かれると次第に弾糸がほぐれて胞子を飛ばし、跡形もなく消滅する。胞子は球状で突起がある。子実体は腐らずに残る事も多く、その場合、長期間に渡り胞子を放出し続ける。[やぶちゃん注:中略。]『和漢三才図会』には「煮て食べると味は淡く甘い」とあり、昔から食べる人はいたようである』、『肉が白い幼菌は皮をむいて調理すれば食用になる。柔らかいはんぺんのような食感とわずかな風味を持ち、美味ではないが不味でもない。成熟していると内部は黄褐色や紫褐色に変色しアンモニア臭がきつく、食用にはできない。また、馬勃の名前で漢方薬としても利用されている。[やぶちゃん注:以下、「近縁種」の項。]近縁種は地球上に広く分布するが、地域によって別の種に分かれる。オセアニア、ヨーロッパ、北米、中国に広く分布する種 C. gigantea は、ジャイアント・パフボール("Giant puffball"、「巨大なほこり玉」)と呼ばれる。実際、日本の Calvatia nipponica は同種と当初は混同されていた。Calvatia nipponica はアフリカ、インドに分布するLanopila wahlbergii Fr. に近縁との説もあったが、Lanopila がノウタケ属に編入された現在では、同属になると思われる。
《引用終了》
但し、本種は流石に海千山千種のキノコだけに一筋縄ではいかない。以下の注もお見逃しなく。
・「馬疕」の「疕」には、①頭部の出来物。②頭痛。③禿(はげ)。④瘡蓋(かさぶた)の意があるが、③か④の意か。和名風なら、「ウマノハゲ」・「ウマノカサブタか」?
・「馬𥧔」「𥧔」は「廣漢和辭典」には所収しない。ネットで調べると、「へ・おなら」(屁)の意とあった。東洋文庫版では『ばひ』とルビを振るのに従った。徹頭徹尾、エグいなあ!
・「灰菰」の「菰」は、「廣漢和辭典」によれば、「菰子」で「きのこの一種。ごもくだけ。土菌。」とあるのだが、このゴモクダケなるキノコは不詳である(ネット検索でも一件もヒットしない)。「灰菰」で和名風ならハイイロダケか?(ショボイ命名で御免なさい) ところが、「菰」には、実は、主意として被子植物門単子葉植物綱イネ目イネ科マコモ Zizania latifolia の意があり、そのマコモの新芽に、黒穂菌 Ustilago esculenta が寄生すると、茎が異様に肥厚する。それを「マコモタケ」と呼び、本邦でも古くから食用に供されてきた。――うん? この「マコモタケ」、「ゴモクダケ」と発音がちょっと似ていはしまいか?――しかし、なのである。ここで我々は本項目の種が見るからに正当なキノコに見えることに立ち戻ってみる必要があろう。そこで「本草綱目」の「菜部 芝栭類」にある「土菌」の項を見てみると、その異名として『杜蕈・地蕈・菰子・地雞・獐頭・鬼葢・地芩・鬼筆』を見る。これらは如何にもキノコ然としているではないか。この内、最後にある「鬼筆」を検索すると、中文サイトで「鬼筆科」が見出せる。これは菌界担子菌門菌蕈亜門同真正担子菌綱スッポンタケ目スッポンタケ科 Phallaceae に相当する現代中国語であることが判明した。但し、これによって「菰」がスッポンタケ科 Phallaceae であると言えるわけではないことは百も承知である。しかし、ゴモクダケ=マコモダケ仮説を提示しながら、その実、納得出来ない反面を持っていた私としては、一つの光明ではあったのだ。後は、キノコの御専門の方の御教授を俟つばかりである。
・「牛屎菰」の「屎」は「糞」。和名風なら「ウシノクソ」か?(クサイ命名で御免なさい)。
・「韓退之」中唐の政治家にして詩人、唐宋八大家に数えられる韓愈(七六八年~八二四年)の字(あざな)。
・「牛溲・馬勃、俱に收め、並びに、畜ふる。」は韓愈の「進學解」に現われる言。
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牛溲馬勃、敗鼓之皮、俱收並蓄。待用無遺者。
○やぶちゃんの書き下し文
牛溲・馬勃・敗鼓の皮、俱(とも)に收めて、並びに、蓄ふ。遺(のこ)すこと無く、待用(たいよう)す。
○やぶちゃんの現代語訳
優れた医師は「牛の小便」・「馬の糞」、「破れた太鼓の皮」でさえも、等しく採取して、薬籠中の物とする。取り残すことなく、くまなく取り集めて、全てに備える。
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但し、これ、実は、医薬の薬剤の語りではなく、人材の潜在能力を評価する文脈での、中国人が大好きな「比喩」なのである。さて、この部分、どこかで読んだなあと思ったら、我らが、南方熊楠大先生の「十二支考」に所収する「馬に関する民俗と伝説」だ。馬の糞の話から、フリークの菌類に大脱線するスリリングな一節であった。少し長くなるが、該当部分を引用する(「二 伝説(2)」より。底本は1984年平凡社刊の「南方熊楠選集 第一巻」を用いた。〔 〕の割注は編者によるもの)。
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韓退之がいわゆる、「牛溲馬勃(ぎゅうそうばぼつ)、ともに収め並びに蓄う」で、良医が用うれば馬糞も大功を奏し、不心得な奴が持てば金銭も馬糞同然だ。退之の件(くだん)の語中の馬勃は牛の小便に対して馬の糞を指したんだが、『本草』に掲げた馬勃は馬糞に似た担子菌リコベルドン、スクレロデルマ等諸属、邦俗チリタケ、ホコリタケなど呼ぶ物に当る(『本草図譜』三五巻末図見るべし)。
第一図〔写真不鮮明のため省略〕に示すは、これらに近縁あるポリサックム属の二種、いずれも田辺で採った。瞥見(ちょっとめ)にはこれも馬の糞生写しな菌である。今までおよそ二十種ばかり記載された事と思うが、予が知り及んだところ濠州に最(いと)多種あり、三十年ほど前欧州に四種、米国に二種、そのフロリダ州では予が初めて見出したらしく、今もその品を蔵し先年来訪されたスウィングル氏にも見せた。本邦では十八年前、予英国より帰著の翌朝、泉州谷川で初めて見出し、爾後紀州諸郡ことに温かな海浜の砂中に多く、従来西人の記載に随えば少なくとも三種は日本にありと知ったが、自分永年の観察を以てすれば、この三種は確乎たる別種でなく、どうもポリサックム・ピソカルピウムという一種の三態たるに過ぎぬごとし。よってこの一つの名もて、白井〔光太郎〕博士に報じ、その近出に係る『訂正増補日本菌類目録』四八五頁に録された。
さてこの菌は、米国植物興産局の当事者たるスウィングル氏(予と同時にフロリダにあって研究した人)も近年予に聞くまで気づかなんだらしいが、予は三十年前から気が付きおり、染料として効果著しきもので、貧民どもに教えて、見るに随って集め蓄えしめたら大いに生産の一助となることと思う。ただし予も今に余暇ごとに研究を続けおり、これより外に一言も洩らさぬゆえ、例の三銭の切手一枚封じ越したり、カステラ一箱持ってはるばる錦城館のお富(この艶婦の事は、昨年〔大正六年〕四月一日の『日本及日本人』に出でおり、艦長などがわざわざ面を見に来るとて当人鼻高し)を介して尋ね来ったりしたってだめだと述べ切っておく。欧米の人はかかる事をちょっと聞いたきり雀で、諄々(くどくど)枝葉の子細を問わず、力めて自ら研究してその説の真偽を明らめ、偽と知れたらすなわち止む。もしいささかも採るべきありと見れば、他の工夫処法の如何(いかん)を顧みず、奮うて自家独見の発明に従事する。前日ス氏来訪された時、予が従来与えた書信をことごとく写真して番号を打ち携えおった。その言寡(すくな)くて注意の深き、感歎の外なし。今のわが邦人の多くはこれに反し、自分に何たる精誠も熱心もなきに、水の分量から薬の手加減まで解りもせぬ事を根問いして、半信半疑で鼻唄半分取りかかるから到底物にならぬ。
予がこの菌を染料にと思い立ったは、フロリダで支那人の牛肉店に見世番を勤めておった時のことで、決して書籍で他様(ひとさま)の智慧を借りたのでないが、万事について、書籍を楯に取る日本の学者が、自分の卑劣根性より法螺(ほら)などと推量さるるも面白からぬから、その後知るに及んだ一八五七年板、バークレイの『隠花植物学入門(イントロダクション・ツー・クリプトガミク・ボタニー)』三四五頁に、ポリサックムは黄色の染料を出し、イタリアで多く用いらる。一八八三年四板、グリフィスとヘンフレイの『顕微鏡学字彙(ゼ・ミクログラフィク・ジクショナリー)』六二三頁に、英国にただ一種甚(いと)罕(まれ)に生ず、外国にはその一種を染料とす、とあると述べおく。ただし予が知るところ、邦産は三種にせよ三態にせよ、いずれも均しく役に立つ。初夏から初冬まで海より遠からぬ丘陵また殊に沙浜に少なからず、注意せば随分多く集まるものと思う。黄土や無名異(むみょうい)に似て見えるから鉄を含んだものと判る。鉄を言ったついでに今一つ国益になる事を教え遣わす。
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と、今度は更に「鉄」の話に脱線が引込線に突入する。ところが、これが読んでいて、ますます面白くなるという代物だから、クマグス・マジック・マッシュルームは、一度(ひとたび)知ると、致命的な中毒になるのである。
いかん! 熊楠先生に釣られて私も脱線しそうだ! 落ち着けば、ここで、また困った。熊楠先生が提示している『担子菌リコベルドン、スクレロデルマ等諸属、邦俗チリタケ、ホコリタケ』が、またまた、新たな同定候補に挙がってくるのである。まず『リコベルドン』属は、まさにホコリタケ属 Lycoperdon で、例えば「埃茸」、ズバり、ホコリタケ Lycoperdon perlatum 、別名はキツネノチャブクロ、若狭ではキツネノハイブクロ等とも言う(但し、これらは、ホコリタケ科のキノコ類に、種を越えて用いられていたようである)。近縁種に、タヌキノチャブクロ Lycoperdon pyriforme という妖獣絡みのお仲間もある。『スクレロデルマ』属は担子菌門菌蕈綱ニセショウロ目ニセショウロ科ニセショウロ属 Scleroderma で(熊楠先生に悪いけれど、チリタケは現行名では現われないです。埃は残りましたが塵は失せましたです)、形態は文字通り似ているものの、ショウロ類・セイヨウショウロ(トリュフ)類とは生物学的には殆んど無縁、おまけに「ニセ」という名に違わず、有毒種、多し、ときたもんだ。
ともかくも、ここいらで、オニフスベや、ホコリタケ・タヌキノチャブクロに代表されるホコリタケ科の同定でよかろうか……うん? しかし、この熊楠先生ブイブイの染料云々の話、何だか同なじ話を読んだぞ?……あちゃ! 亡霊が甦る! さっき書いたイネ科のマコモだ! 黒穂菌が寄生したあのマコモダケから採取した黒穂菌の胞子だって、「マコモズミ」と呼ばれて、漆器の顔料に使われていたぞ!!……いやはや、迷宮(ラビリンス)!!!……
・「上焦肺經」この四字熟語で検索しても、漢方サイトで説明されている内容はよく分からない。東洋文庫版では、ここに注して『上焦部と最も密接な関係にある経絡は、手の太陰肺経である。例えば温熱病などの場合、外邪はまず上焦の手の太陰肺経に侵入する。』とある。皆さんはこれでお分かりだろうか? 私はますます分からなくなる。頭が悪いのだろう。暫くこの注を掲げておくに留める。
・「喉痺」咽喉部の疼痛・麻痺・乾燥感、嚥下困難等の咽喉炎の症状。
・「衂血」鼻血。音読みは「ぢくけつ」であるが、既に「垣衣」の項で、「はなぢ」と訓読している。
・「失音」これは失語症ではなく、声を出そうとしても、うまく出ない極度の嗄れ声を言う。やはり「喉痺」同様、咽喉や咽頭の炎症、声帯の障害が疑われるものである。
・「諸瘡」通常は、種々の「できもの」の謂いであるが、後述の良安の記載には、「金瘡」(刃物による切り傷)が挙げられているので、外傷も含まれるか。
・「麥蕈」(ショウロ)菌界担子菌門ハラタケ亜門同ハラタケ綱イグチ目ヌメリイグチ亜目ショウロ科ショウロ属ショウロ Rhizopogon rubescens 。オニフスベの記載との類似がはっきりしているので、やはりウィキの「ショウロ」の記載から引用する。(改行を省略)。和名は松の木の根元に生育するからであるが、これは菌糸体が松の根に菌根を作って共生するためである(処置は同前。現在のウィキの本文は大きく書き変えられているあるが、原型の物の方が判り易いので、そちらを残した)。
《引用開始》
ユーラシアと北アメリカに分布し、ニュージーランドで栽培もされている。子実体は春と秋、海岸などの松林の地上に土に埋もれた状態で発生。半ば地上に現れることも多い。やや平たくゆがんだ球状ないし団子状で、属名 Rhizopogon はRhizo-「根」+pogon「ひげ」という意味であるとおり、子実体の下には根状菌糸束がある。白色後黄褐色となり傷つけると赤く変色する。地上に露出した部分は早く黄褐色になる。胞子の成熟前は食用。若い時期には独特の果物を思わせる芳香とサクサクとした歯ごたえがある。未熟で内部がまだ白いものはコメショウロ(米松露)と呼ばれ、吸い物の実や和え物、茶碗蒸しの具等として珍重されるが、胞子の成熟とともに内部がやや緑がかった黄褐色に変色してゆく。この時期のショウロはムギショウロ(麦松露)と呼ばれ、吸い物などにすると胞子が汁を濁らせてしまうので嫌われるが、まだ食用可能である。さらに成熟すると内部が自己分解して茶褐色の液状となり、エステル系の強い臭気(そのにおいはドリアンに似るという人もいる)を発し、もはや食用にはできない。この状態となったものをマツの根に与えて菌根を作らせることができる。生態的には先駆植物に類似した性格を持ち、強い攪乱を受けた場所に典型的な先駆植物であるクロマツやアカマツが定着するのに伴って現れたり、既存のマツ林に林道開設などで生じた撹乱地に現れたりするが、同一地点で長期にわたって発生することはなく、たいていは5年程度で発生しなくなる。
《引用終了》
この記載から、本種が同担子菌綱ハラタケ目キシメジ科キシメジ属キシメジ亜属ツタケ節マツタケ Tricholoma matsutake や、トリュフ Truffe として知られる菌界子嚢菌門盤菌綱カイキン目セイヨウショウロ科セイヨウショウロ属 Tuber と同一の生活史を持つことが知られるのである。
・「死首」死人の首。斬首に処して落ちた首を連想しているのであろう。最後の最後までテツテ的に「キモ!」。]
***
まくり 俗云末久利
海人草
△按海人草生琉球海邊藻花也多出於薩州販于四方
黃色微帶黯長一二寸有岐無根髭而有微毛茸輕虛
味甘微鹹能瀉胎毒【一夜浸水去土砂】小兒初生三日中先用
海人草甘草二味【或加蕗根】包帛浸湯令吃之呼曰甜物此
方不知始於何時本朝通俗必用之藥也吞之兒吐涎
沫謂之吐穢汁可以去膈上胎毒既及吃乳則不吐用
加味五香湯可下
*
まくり 俗に「末久利」と云ふ。
海人草
△按ずるに、海人草〔(かいにんさう)〕は、琉球の海邊に生ずる藻花なり。多く、薩州〔=薩摩〕より出でて、四方に販〔(ひさ)〕ぐ。黃色。微〔(かすか)に〕黯(くろみ)を帶ぶ。長さ一~、二寸、岐〔(また)〕、有り。根髭、無くして、微(すこ)し、毛茸〔(もうじよう)〕、有り。輕虛。味、甘く、微鹹。能く、胎毒を瀉す〔=下す。〕【一夜、浸水し、土砂を去る。】。小兒初生、三日の中〔(うち)〕、先の海人草・「甘草〔(かんざう)〕」、二味を用ふ【或いは、「蕗」の根を加ふ。】。帛(きぬ)に包み、湯に浸して、之れを吃〔(の)ま〕しむ。呼んで「甜物(あまもの)」と曰ふ。此の方、何れの時より始めると云ふことを知らず[やぶちゃん字注:「云」は送りがなにある。]。本朝、通俗〔の〕必用の藥なり。之れを吞みて、兒、涎-沫〔(よだれ)〕を吐く。之れを「穢-汁(きたなげ)を吐(は)く」と謂ふ。以つて、膈上〔の〕胎毒を去るべし。既に乳を吃むに及ばゝ、則ち、吐かず。加味五香湯を用ひて下すべし。
[やぶちゃん注:紅色植物門紅色植物亜門真正紅藻綱イギス目フジマツモ科マクリ Digenea simplex 。以下、私の愛してやまない二〇〇四年平凡社刊の田中二郎解説の「基本284 日本の海藻」の224p.から写真のキャプションを除いたテクストすべてを完全引用する。『イギス目フジマツモ科 Rhodomelaceae 』『[学名] Digenea simplex (WULFEN) C. AGARD [学名の由来]単条の』『【分布】太平洋沿岸南部、南西諸島』『【大きさ】高さ10~20㎝、枝の長さ2~6㎜』『【解説】マクリ属 Digenea は「2つの属」の意。日本には本種のみが知られる。カイニンソウ(海人藻)とも呼ばれ、虫下しの薬として、古くからよく知られた海藻である。岩や、サンゴ礁の死んだサンゴの上に生育する。タイドプールなどにも多い。円柱状のからだには多数の毛状の枝があって、それに小型の藻が、数多く付着することがあり、元の藻体の形状が想像できないほど太くなることがある。』。そして、その薬効成分はカイニン酸である。以下、ウィキの「カイニン酸」から構造式・関連項目・外部リンクを除き、完全引用する。『カイニン酸』『カイニン酸(Kainic acid)は、化学式C10H15NO4、分子量213.23のアミノ酸の一種。別名[2S-(2α,3β,4β)]-2-カルボキシ-4-(1-メチルエテニル)-3-ピリリジン酢酸。CAS登録番号は487-79-6(無水物)、58002-62-3(一水和物)。』『融点251℃の結晶性の固体で、水によく溶け有機溶媒には不溶。『1953年に竹本常松らにより、虫下しとして用いられていた紅藻のマクリ(海人草=カイニンソウともいう、学名 Digenea simplex )から発見・命名された。これは、カイニン酸が寄生虫の回虫やギョウチュウの運動を最初興奮させ、のち麻痺させることによる(なお、マクリも駆虫薬として流通している)』。『この作用は、ドウモイ酸同様にカイニン酸がアゴニスト』( Agonist :生体内の受容体分子に働いて神経伝達物質やホルモンなどと同様の機能を示す、本来、当該生物が体内に保持しない「作動薬」のこと。現実に生体内で働いている、特定の受容体に特異的に結合する物質の場合は、リガンド( ligand )と呼ぶ)『としてグルタミン酸受容体に強く結合し、神経を過剰に興奮させることによって起こる。このため、神経科学分野、特に神経細胞死の研究のために天然抽出物及び合成品が用いられている』。
・「毛茸」「茸」は「草が生い茂っているさま」。再三言うが、中国語の「茸」には、本邦のような「キノコ」の意はない。和訓である。
・「胎毒」サイト「e-kanpo」の「胎毒」(二〇二三年現在、消失)の解説によれば、『新生児・乳幼児の病気の原因の一つとして胎毒なる毒があると信じられていた。これは両親の毒が子に伝わったものとされ、現象的には、この時期の顔面・頭部などの湿疹を指す。これらの湿疹に対して、大黄や川キュウの入った内服薬が有効なことがあるので、俗間では毒が下って治ると考え、「胎毒下し」と呼んだ』とある。
・「甘草」ウィキの「カンゾウ属」によれば(処理は同前)、『日本薬局方においては、ウラルカンゾウ(別名東北甘草、学名 G. uralensis )または
G. glabra )の甘草が基原植物とされており、グリチルリチン(グリチルリチン酸)2.5%以上を含むと規定されている』。その『地中海地方、小アジア、ロシア南部、中央アジア、中国北部、北アメリカなどに自生するマメ科の多年草で、18種が知られている。薬用植物であり、根(一部の種類は根茎を含む)を乾燥させたものを生薬として用いる』。『庄屋ゝの甘草をそのまま、またはエキスや粉末を甘味料として用いる。甘味成分としては、グリチルリチン、ブドウ糖、ショ糖などが含まれる。醤油の甘味料として使われる』。『独特の薬臭い香気があるため、甘味料としては使い方に注意する必要があるが、欧米ではリコリス菓子やルートビアと呼ばれるソフトドリンク、リキュールの原料として盛んに利用されている。グリチルリチンの甘味は砂糖の150倍もあり低カロリーなため、欧米では甘草は健康的な食品添加物と認識されているが、偽アルドステロン症などの副作用を生じる事がある』。『現在』、日本では『ほぼ100%を中国・旧ソ連・アフガニスタンなど)からの輸入に頼っているが、グリチルリチンの含有量が一定でなく、乱獲による絶滅が懸念されているため、2008年度から佐賀県玄海町と九州大学の協力により栽培が試みられることになった』とある。
・「蕗の根」「蕗」はキク目キク科キク亜科フキ属フキ Petasites japonicus 。その根は、漢方では「款冬根」と称して、感冒・解毒・鎮咳・去痰効果があるとされるが、現在の各種の記述では有毒であるとされるので、使用しない方が無難である。
・「甜物」の「甜」は、「甘い・美味い」という意。
・「膈上」は大隔膜より上、所謂、漢方で言うところの「上焦」ということであろう。
・「加味五香湯」該当語の検索では、「古今方彙」という医書に記される小児漢方薬剤としての名称一件のみで、処方不明。]
これを以って私の企みは、一先ず、終わった。ここまでお付き合いして下さった、数少ないあなたに、私は心から私からの愛を告白する……
Here's looking at you, kid!
寺島良安先生著藪野直史校注 和漢三才圖會 水族之部プロジェクト 完結