鬼火へ

たらちね抄  母の歌集から ⇒ 縦書版へ

[やぶちゃん注:母の「聖子テレジア歌集」から私藪野唯至が選した。但し、推敲されたものは私の感覚で推敲案を選択してある。また、歴史的仮名遣いや送り仮名の一部を補正(拗音の正字化を含む)、漢字表記を恣意的に正字にしてある。本選歌集を「たらちね抄」としたのは、病床の母が天に召される二週間ほど前、歌を作ろうと思うと母が言い、妻が電子手帳を買ったのであったが、その時、母がそれで引こうとしたのが「たらちね」であったことに由来する。しかし、病勢は急で、遂に母は新たな短歌を創り得なかったことが惜しまれる。【二〇一一年十月二十五日】]



 郭公の 初鳴き聞けば
    良きことあるかに 心浮き起つ

 鳥よけの 風車は やさし峽田はざまだ
    朝毎に見る 鴨の睦むを

 けしの花 音もなく散り ニユース告ぐ
    昭和を生きし 女優の死去を

 二上に 共にのぼりて 弟の
    再起をかけし 鐘よひびけと

 初夏の風 早苗くすぐり 過ぎゆけば
    おたまじやくしの 動きにぎはふ

 五十路越えて 犬との散歩 田園の
    移り變はりの 機微に親しむ

 スカンポの ほのくれなゐに 風吹けば
    遠き記憶の 甘ずつぱき日

 雨さけて 大木のもと 寄る二人
    雨打つ葉音 それぞれに聞く

 雨はれて 明けし窓あり 庭先の
    合歡の花の香 ねやに入り來る

 新緑の もとに廣がる つめ草を
    花かんざしに 少女たはむる

 公園は 梅雨の晴れ間の 光滿つ
    眺望臺に 初老の夫婦

 落花せし 花を惜しみて
    柿の實を 數ふる我を 夫は笑ひぬ

 わが所作を 笑ひし夫も
    き實を 數へゐるらし 柿の木のもと

 廢されし 鐵道線路は 夏草に
    おほはれてをり 陽炎燒えて

 文明は 都會に厚く 郷里は
    汽車は廢線 學舍も無し

 この町の 醫業にかけし 父永眠る
    故里の岡 三年とせぶり佇つ

 子等はみな 都會に出でて 故里の
    岡に淋しく 墓殘るのみ

 やりどなき 想ひを抱きて 來し濱邊
    波のしぶきに 夕暮は來る

 ついと飛ぶ 背Kせきれい 葉にふれて
    蓮の玉露 光こぼれり

 山ぎはの 一もと合歡の 花の群
    夕風立ちて ひぐらしの鳴く

 雨あがりて 開けし窓より 合歡の花
    あはきかをりの 閨に流るる

 新しき 糠を買ひ來て 糠床に
    手を加へをり 子の歸省待つ

 夜嵐に 散りこぼれたる 葛の花
    あはき香をりを 踏まず通りぬ

 炎天下 生まれし子犬 みな去りて
    荒らせし 庭に 白萩の散る

 目を病むと 姉の電話の 切れし夜
    しまひ忘れし 風鈴の音

 歸省する 車窓に見ゆる 高千穗に
    父と登りし 若き日かへる

 もずの聲 靜寂破ぶり 鳴きゆきぬ
    遠き友逝く 知らせ受けし日

 柿の葉を はききよめゆく 音のみに
    虚しき裡を いやされる朝

 竹とんぼ 子等の歡聲 夢のせて
    吸ひ込まれゆく 秋空の中

 冬の夜の 裸木に光る ネオン星
    眠れる木々の 悲しみ聞こゆ

 降りつもる 雪の形のふくらみ 母の胸
    しのばせそつと 掌をあててみる
[やぶちゃん注:本歌は上句二句目を恣意的に操作してある。]

 庭石に 積りし雪の ふくらみに
    母を想ひぬ やはらかき胸

 一鉢の 梅の香りは 室に滿つ
    外は二尺の 雪降り積るなり

 鈍き陽を 受けて地藏の よだれかけ
    わづかにあせて 雪を吸ひ込む

 畦道の 雪をかきわけ 摘みし芹
    夫との膳に 春を語らふ

 雪殘る 谷の斜面を うめつくし
    雪割草も 今はまぼろし

 マスカツト 見れば偲ばるる 亡き姉の
    象の涙と 言ひつつ食みしを