やぶちゃん版芥川龍之介詩集 ☞PDF縦書版へ
(注 copyright 2007-2014 藪野直史)
[やぶちゃん注:本編は以下のような編集方針を採った。但し、
・各底本中の定型の短歌・旋頭歌(以上は書簡・手帳所収のものを除いて、私の「やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集 附やぶちゃん注」に収録)
・俳句形式のもの及び私が「やぶちゃん版芥川龍之介全句集」(全四巻)で自由律俳句と見なして収録したもの
は含まれていない(後者の全句集は「やぶちゃんの電子テクスト集:俳句篇」から赴かれたい)。
Ⅰ まず最初は底本として岩波版旧全集を用い、その第九巻巻末の「詩歌」の部の冒頭から「雜」迄、順次、定型非定型を問わず、韻文及び散文詩と思われるものを抽出して並べてみた。但し、「洞庭舟中」のみ特殊な採用をしたので、該当詩の後注を参照されたい。
Ⅱ 次に岩波版新全集第二十三巻を用い、その「詩歌未定稿」の「詩」の中で、旧全集の「詩歌」に所収していないものを抽出し、それらの二十数篇をすべて詩集前半に配した。これは該当詩の最後の二つ「〔わたしのしたことを〕」〔夜だけは僕を〕」を除いてそれらのほとんどが前記旧全集詩群より以前に創作された可能性が高いためである。但し、冒頭詩「われ目ざむ」の注でも述べた通り、漢字表記については岩波書店一九六八年刊葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」に所収するものはそれと校合し、正字若しくは正しいと判断される新全集が記すところの異体字を採用、それ以外の新全集のみのものは私のテクスト・ポリシーから恣意的に正字に直した。
Ⅲ 続いて、岩波書店一九六八年刊葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」の「詩」のパートに所収するもので、新旧全集の「詩歌」の部分に所収しない詩十五篇を採録した。これらは恐らく新旧全集の書簡及びノート類のパートにあるものと思われるが、現在、それを精査する時間がない。
客観的な不備や自身の不満もあるが、以上を以ってとりあえずの「やぶちゃん版芥川龍之介詩集」の体裁は整ったと考えている。
最後に申し述べておくと、これを「芥川龍之介全詩集」に近づけるためには、これから全作品中の詩(例えば「詩集」の中の「夢見つつ」の詩)及び書簡及びノートの総覧が不可欠(実際、ちょっと褄開いてみても多数散見される模様)であり、また佐藤春夫の「澄江堂遺珠」という労作もあり(このソースは旧全集「未定詩稿」底本と同じものでありながら、「澄江堂遺珠」と底本とを比較して頂ければ分かると思われるが、「澄江堂遺珠」の方が遥かに上質である。底本の未定稿編集ははっきり言ってやっつけ仕事としか思われず、杜撰の極みで、本文の欠字部分の指示さえもない。私は本資料は別個なものとして扱うべきと思っており、今後の増補の課題としている。「未定詩稿」冒頭注を参照のこと)、また新全集は新字採用ではあるものの、その「澄江堂遺珠」の関連資料を所載している(しかし資料であるため大変読みにくい)等々――であるからして、今のところ、この「やぶちゃん版芥川龍之介詩集」は「全詩集」では毛頭ないことを断っておく。
字のポイントの違いは一部を除いて無視した。一部の詩に注を附した。
【2014年12月15日追記】本ページは2007年12月9日に公開したものであるが、今回、全面的に改訂を施し、注も増補した。]
われ目ざむ
われ 目ざめて
わが周圍を顧る
忽 大いなる光あり
來りて われを打つ
われ 問ふ
誰ぞ 汝は
荅ふ
われ 常に 汝と共にあり
何故に 誰ぞと云ふ
われ 光と共に 歩し
光 われと共に 歩す
わが心 病み
わが足 疲れたり
われ 仆る
われ 死す
死して われ
光と共にあゆめる
[やぶちゃん注:底本は新全集に拠った。以下の新全集底本の部分は山梨県立文学館所蔵資料の出版物「芥川龍之介資料集・図版1・2」に基づいた詩群である。但し、冒頭注に述べた通り、漢字表記については岩波書店1968年刊葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」に所収するものはそれと校合し、正字若しくは正しいと判断される新全集が記すところの異体字(例えば本詩の7行目冒頭の「荅」は、「未定稿集」では「答」であるが、新全集の「荅」をとった)を採用、それ以外の新全集のみのものは私のテクスト・ポリシーから恣意的に正字に直した。以下、この注記は煩瑣なので略す。後記によると大正3~4(1914~1915)年頃の創作と推測される、とする。]
詩三篇
佐伯三郎
焚書坑儒
天が下の書を焚く煙
ひもすがら
たなびくなべに
咸陽の天日くらし
そを見ると
たたづみおはす
始皇帝 從ふは李斯
「いかなれば
書を焚き給ふ」
こと問へばうち笑ひ
「書の數ぞ
あまりに多き」
龍顏もはれやかなりや
時しもよ
煙にむせび
ひかれゆく囚人(めしうど)あまた
これやこの
坑せらるべき
天が下の儒とこそは知れ。
「などてかく
儒を埋めたまふ」
あながまと始皇帝
李斯に背を
見せつつ荅ふ
龍顏も今こそくもれ。
さればとよ
四海九州
EPIGONE あまりに多し」
尾生の信
たそがるる渭橋の下に
來む人を尾生ぞ待てる。
橋欄ははるかに黑し
そのほとりとぶは蝙蝠
いつか來むあはれ明眸
かくてまつ時のあゆみは
さす潮の早きにも似ず
さ靑なる水はしづかに
履(くつ)のへを今こそひたせ
いつか來むあはれ明眸
足ゆ腰 腰ゆふとはら
漫々と水は滿つれど
さりやらず尾生が信(まこと)
月しろも今こそせしか
いつか來むあはれ明眸
わが才(ざえ)をわれとたのみて
いたづらに來む日を待てる
われはげに尾生に似るか
よるべなき「生」の橋下に
いつか來むあはれ明眸
〔日の本の男の子〕
[やぶちゃん注:この題名は底本では下部に「(仮)」とあり、編者による仮題である。ないのも不自由なので〔 〕で括って示した。]
日(ひ)の本(もと)の男の子ぞわれは
上下(かみしも)に大小さして
靴もげにはきのよろしく
鼻眼鏡なこそ落ちねと
河船のもそろもそろに
練るや今 銀座の衢(ちまた)
「傳統」の敷石ふみて
月代(さかゆき)のあともつめたく
さしかざす日傘はあれど
くゆらすは埃及煙艸
[やぶちゃん注:底本は新全集に拠った。後記によると以上三篇は初期の創作と推測される、とする。「佐伯三郎」は芥川龍之介のペンネームであろう。底本には後記で記されているが、雰囲気を出すために標題の傍に掲げた。「焚書坑儒」の末尾の始まりの鍵括弧はない。「未定稿集」では脱落がある代わりに、最初の鍵括弧はある。即ち、
「さればとよ
EPIGONEN あまりに多し」
と「四海九州」の一行がなく、「さればとよ」の行頭に鍵括弧の始まりが附されている。「EPIGONEN」の綴りの違いがあるが、「EPIGONE」なら英語、「EPIGONEN」ならドイツ語として正しい綴りではある。
と「四海九州」の一行がなく、「さればとよ」の行頭に鍵括弧の始まりが附されている。
また、「尾生の信」の第三連冒頭は、「未定稿」では、
足ゆ腰ゆ ふとはら
であり、同じく第四連冒頭は、
わざ才(ざえ)をわれとたのみて
となっている。]
體 驗
かすかなる光と影とに
あふれたる海べにたちて
わが心 おののきつゝ 禮拜すれば
當來の期待にみちたる
風ありて わが周圍をながれ
生活は琥珀のごとく
かゞやきつゝ 空にのぼらむとす Ich
この時 わが心
神話のごとく 手をのばして
生活の日をとらへ
霧におゝはれたる 下界に
その光を與へむとすれども
はるかなる空より
禿鹿の聲おち來りて
わが心をおびやかせば
おのゝきて ふたゝび 禮拜し
わが心はおのゝきて たゝづむ
當來の期待にあふれ
かなたなる海をまもりて――
かすかなる輝きと
かすかなる影にみちたる
「生活」のあしたにたちて
ながれゆく「時」をわすれ
[やぶちゃん注:底本は新全集に拠った。7行目末に記されるドイツ語の“Ich”は右から左への横書である。後記によると初期の創作と推測される、とする。]
グレコ
燃え立ち
燃え立ち
クリストは 上りゆけり
見よ 手に 三角の旗
紅に 金を焦がせば
足を空に 空を頭に
暗に燃ゆる 肉身
下なる 人々の
立ち 俯し 禮拜する上に
爪立ちつつ
身ぢろぎつつ
クリストは 上りゆけり
浪はゆるる 孔雀の羽
光まばゆし
たたなはる 岩の鋼鐵
空にまく 銅の粉末
かたむく日に かがよふ
火龍を待つ 牲の女人は
白しとも 白し
浪はゆるる 孔雀の羽
たちまち
空間をまろびて
おとしくる 騎士あり
(聖なりや 愛慾)
馬は 溝泥(どぶどろ)の紫
肉紅の旗
ささげ持つらし
拍車にいま
きしめく風
光まばゆし
[やぶちゃん注:底本は新全集に拠った。後記によると初期の創作と推測される、とする。]
藝術の爲の藝術
空はいま繻子の靑みに
ほのかなる薔薇(さうび)の月を
かろがろとうかぶるけはひ
たそがれは指もつめたく
はるかなる人をおもふと
さしぐめばうすき光に
ものみなは耗繻子の靑みを
ほのかなる薔薇の月に
かろがろとしづむるけはひ
[やぶちゃん注:底本は新全集に拠った。後記によると初期の創作と推測される、とする。]
樹 木
あらゆる點と線と 而して面と
交錯し 散在し 集合する中に
樹木は ひとり顛動しつゝ
無窮に向つて
垂直なる幹を のばさんとす
動搖すれども 靜止し
流轉すれども 變ぜざる
一切を 輕蔑しつゝ
樹木はひとり 綠なる枝に
金(きん)の日を抱きて
限りなく 生長し
更に 限りなく 生長せんとす
[やぶちゃん注:底本は新全集に拠った。後記によると前の『「藝術の爲の藝術」と同じ用紙に、それに続く形で記されている。『資料集2』に「K.IKAWA1915」のサインで描かれている「スケッチブック8」の絵と関わる詩、とも見做される。』とする。『資料集2』とは、「われ目ざむ」の詩の注で示した山梨県立文学館所蔵資料の出版物であり、この絵は勿論、芥川龍之介の盟友、井川恭の描いたものであろう。]
海
窓の外の海では、
三角の波が、起伏してゐる。
己のおやぢを殺した海である。
そればかりではない。
己の兄も、己の弟も、
みんな、あの海で死んだ。
その仇(かたき)の海を、
己は、戀人のやうに愛してゐる。
何故か、それは知らない。
檣(ほばしら)の針を打たれて、つぶやいてゐる海を。
窓の外の海では、
三角の波が、起伏してゐる。
(一五・九・一六)
[やぶちゃん注:底本は新全集に拠った。後記によると『J・M・シング(一八七一-一九〇九年)の「海へ騎りゆく人々 Riders to sea」(一九〇四年)に基づいて創られた、と推測される。シングの同戯曲は、井川恭が「海への騎者」と題して一九一四(大正三)年の「新思潮」六月号に訳出している。』とする。]
情 話
おさんにすてられた茂兵エがね。
中折をまぶかにかぶりながら、
東洋の LONDON 東京の往來を、
ぶらぶら歩いて行つたとさ。
これが 雪の日でね。
飾り窓の中には、
XMAS-TREE に燈がついて、
ニコライの鐘が 鳴つてゐる。
茂兵エは 傘もささないで、
おさんのゐるレストランの、
硝子戸の前を 行つたり來たり、
何度となく 歩いてゐるとね。
中で球(たま)を撞いてゐたお客がね。
こんな事を云つたとさ。
「かう株引界の景氣がよくつちやあ……
ETC.ETC. ……」
諸君は その時おさんが、
何をしてゐたと思ふ。
それは 到底 諸君にはわからない。
何故と云へば 僕も知らないから。
唯 茂兵エは かう思つてゐる。
「おさんは 泣いてゐる。」とね。
――東洋の LONDON 東京の往來では
雪の中を 芝居の太鼓が鳴つてゐる――
(一五・九・一六)
[やぶちゃん注:底本は新全集に拠った。二箇所の「東洋の LONDON 」の後の有意な字空けはママ。後記によると、『「大経師昔曆」を現代に生かそうと試みた作品であろう。』とある。「大経師昔暦」は(だいきょうじむかしごよみ)と読む。近松門左衛門作の世話物の浄瑠璃。京都の大経師(表具師)以春の妻おさんが手代の茂兵衛とが通じ、二人で丹波に逃れたものの捕えられ、仲介をした下女お玉共々、処刑された事件を脚色した。劇では二人の不義を偶然の積み重ねとして描き、同情的で、結末も大団円とする。近松三大姦通劇の一つ。「おさん茂兵衛」の呼称で有名。]
戀 人 一九一五・一一・一四
夕は ほのかなる暗をうみ
暗は ものおもふ汝をうむ
汝の髮は 黑く
かざしたる花も
いつとなく 靑ざめたれど
何物か その中にいきづく
かすかに
されど やすみなく……
[やぶちゃん注:底本は新全集に拠った。旧全集の井川恭宛大正4(1915)年12月3日付の一八九書簡に、やや表記を変えてこの詩が現れるので、以下に引用する。こちらは無題である。井川との松江の思い出に深い懐旧の情を綴り、まず次に掲げてある詩作品「樹木」に相当する詩(やや表現に異同あり)を挙げ、自作の漢詩を記した後、「どうも出來上つた時の心もちが日本の詩よりいゝ 日本の詩も一つ今日つくつたのを書く 何だかさびしい氣がした時書いた詩だから」と記して、
夕は ほのかなる暗をうみ
暗は ものおもふ汝をうむ
汝の髮は 黑く
かざしたる花も
いろなく靑ざめたれど
何ものか その中にいきづく
かすかに
されど やすみなく――
夕はほのかなる暗をうみ
暗はものおもふ汝をうむ
その後にも松江への飛ぶような思いが語られ、六首の自作和歌が続く。この書簡は大変長く、芥川龍之介の感性的な書簡として一読忘れ難いものがある。]
樹 木 一九一五・一一・一六
樹木は 秋をいだきて
明るき 沈默にいざなふ
「黄」は 日の光にまどろみ
樹木は かすかなる呼吸を
日の光に とかさむとす
この時 人は 樹木と共に
秋の前に うなだれ
その中に 通へる
やさしき「死」を よろこぶ
[やぶちゃん注:底本は新全集に拠った。前の「戀人」の詩と同じく、旧全集の井川恭宛大正4(1915)年12月3日付の一八九書簡に、やや表記を変えてこの詩が現れるので、前後の消息文を含めて以下に部分引用する。こちらは無題である。本書簡については前の「戀人」の注を参照されたい。
田端はどこへ云つても黄色い木の葉ばかりだ 夜とほると秋の匀がする
樹木は 秋をいだきて
明るき 沈默にいざなふ
「黄」は 日の光にまどろみ
樹木は かすかなる呼吸を
日の光に とかさむとす
この時 人は 樹木と共に
秋の前に うなだれ
その中に 通へる
やさしき「死」を よろこぶ
子規の墓のある大龍寺にも銀杏の黄色くなつたのがある 生垣の要もち それから杉 それだけが暗い綠をしてゐる あとは黄いろばかり その路を大根をつんだ車がとほる 籠の中へ黄菊ばかり掬んだ入れた車が通る 車の輪の音 子供の赤蜻蛉をつる歌(氣をつけてきいてみると歌の語はちがふが節は出雲の何とか云ふ妙な歌〔あぶらやおこんにまけてにげるはぢぢじやないかいな〕と同じだ)百舌の聲(こいつは時によると馬鹿にたくさん來る)――あとは靜だ 時々王子へ散歩にゆく 小川、漆紅葉、家鴨、さうして柿をかつて來る
以下、先の詩の注に記したように、漢詩、「戀人」相当詩と続く(「冒頭の消息文中の「云つても」の「云」はママ。また後続の消息文の「籠の中へ黄菊ばかり掬んだ入れた車が通る」は、改行してすぐ「車の輪の音」に続いているが、私の判断で一字空けた。]
性 慾 一九一五・一一・一八
――金いろの三日月。
――高い森の木が 三角な 細い屋根を 空の下で 造つてゐる。森は 天鷲絨。空は黑繻子。その上に 金いろの三日月。
――その森の中で 踊りをおどる うつくしい女たち。女たちが踊れば 影も踊る その上に 金いろの三日月。
――誰だ。その時 森の奧から 魔の皮をかぶつて はつて來るのは。皮をぬげば
[やぶちゃん注:第二連めの最後は底本では「その上に」で改行され、「金いろの三日月。」が次の行頭にすぐ続いている。第一連から推測して一字空けとした。]
[やぶちゃん注:底本は新全集に拠った。]
ワグネル 一九一五・一一・一九
霧ふりて やまざれば
幽欝は 眼をとぢ
思想は 海のごとく
その聲をあげむとす
その時 霧よりも なほ
灰色なる 髮をみだし
海よりも なほ
靑き眼に
永劫の面を仰ぎ
たちのぼる 水けむりと
大いなる聲との中に
あへぎつゝ
また おののきつゝ
黄金(わうごん)の太陽を
抱(いだ)きて
さけばんとする 「神」あり
海は その「神」の胸に
くだけ
聲なきけむりとなりて
立上り
霧は その「神」の肩に
なだれ
色なき水となりて
あふれ
みなぎれる 霧と海とに
太陽も
その光を 失はんとす
その時 地は
この「神」の力を畏れ
老いたる 頭を垂れて
永劫の前に
ひれふせば
その響 ふるへ 動きて
火龍を その眠より醒まし
半人半馬神(ツエンタウル)を
その森より 逐ひ
妖女(ニクセ)を
その泉より 放ち
而して あゝ
大いなる 牧羊神(パン)をも
その谷より
逃(のが)れしめたり
見よ 天も
この「神」の前に おののき
さかしまに 身を傾くれば
なべての星
空を辷りて
たちのぼる霧と 海との中に
雹の如く そゝがんとす
「神」は なほ
その髮より
むらがれる 闇をふるひ
その眼に
永劫の面を仰ぎ
たへず 働きつゝ
忙しく
黄金の太陽を 抱きて
混沌の中より――
一切を
生み
育(はぐゝ)まんとする 苦痛の中より
その「世界」を
造り來れり
霧ふりて やまざれば
幽欝は 眼をとぢ
思想は 海の如く
その聲をあげむとす
[やぶちゃん注:底本は新全集に拠った。「半人半馬神(ツエンタウル)」のルビからはドイツ語のそれ「Zentaur」を、また「妖女(ニクセ)」もドイツ語で「女性の水の精」を表わす「Nixe」(ニックセ)であろう。「牧羊神(パン)」はドイツ語も英語も「Pan」であるが、ワグネルを詠ったものであるから、これもドイツ語である。]
仙 人
仙人は 丹爐の前に うづくまりて 石を點じて 金と なす術を學べるなり その傍に 虎はまどろみ やすみなき瞳に かなたなる夜を うかゞふ
火は丹爐に 燃えて やまざれど 石はなほ 石なり 梁(うつばり)にねむれる龍の 角よりもなほ いやしく みにくき 石なり
仙人は 安からず 太玄の書をよみ ひたすら 丹爐の火を 守れども かひなし たゞ 虎のみ やすみなき瞳に 仙人の肉をうかゞふ
[やぶちゃん注:底本は新全集に拠った。第二連目の「石はなほ 石なり」は底本では「石はなほ」で改行され、「石なり」が次の行頭にすぐ続いている。同連最後の「みにくき 石なり」の一字空けの強調表現から推測して一字空けとしたが、これは連続したものであるかも知れない。後記によると、大正15(1915)年頃の創作推測される、とする。]
山 上
雲は谷に沈み
夕暮の針葉樹は
ひつそりと枝を垂らしてゐる。
鳥ももう噂かない今
おれは岩に腰かけながら、
安らかに死を思ふ事が出來る。
[やぶちゃん注:底本は新全集に拠った。岩波書店刊葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」には、本詩は題が「山の上」とあり、『大正元年-大正三年頃』と記す。]
〔秋がすべての上にあつた〕
[やぶちゃん注:この題名は底本では下部に「(仮)」とあり、編者による仮題である。ないのも不自由なので〔 〕で括って示した。]
秋がすべての上にあつた
銀杏は 眼のさめるやうな鮮な黄いろい葉を 橡は底光りのする古い金(きん)のやうな黄いろい葉を 鈴懸はうすい漆をかけたやうな光澤(つや)のある黄いろい葉を それそれ ほのかな霧の下りた空につけて 靜に 眼に見えない何物かが來るのを待つてゐる それらの落葉樹がつくる明るい靜な團欒の中には 唯 ヒマラヤシイダアの暗い綠ばかりが かすかな反抗の氣はひをしめしてゐるが それさへ近づいて來る黄昏の兩手に抱かれて おぼつかない夕闇のかげに消えてしまひさうである。この中を一すぢ通つてゐる路は それでもまだ落葉にうづもれずに 木と木との並んだ足もとに つつましく濡れた砂利をならべてゐる。人の氣のつかない内に低い空から雨がふつて來て その雨が又 人の氣のつかない内に通りすぎてしまつたのであらう。
自分はその路をしづかに歩いてゆく。……すると自分の傍をやはりしづかに通りぬけてゆくものがある。形も影も自分の眼にははいらない。唯 路の兩側にある木が 動くともなく動きつぶやくともなくつぶやくやうに思はれる。木には自分の傍を通りぬける秋が見えるからであらう。いや、見えるのは木にばかりではない。その木の向ふにある他の中では蒼鷺がそれを見た。そして 鏽びある聲で二聲啼いた。
[やぶちゃん注:底本は新全集に拠った。二段落目の「それそれ」はママ。]
菊
ここでは すべてが明い。――その明い中に 雲とも霞ともつかないものが 遠くの方になびいてゐる。これにも 影と云ふものは まるでない。その向ふに 山があつて その山が又これに遮られてゐなかつたら 誰もさう云ふものが 搖曳してゐるとは思はない程の明さである。山は丁度 椀をふせたやうに 圓い。ここだけはあらはな光が和げられて、山全體がぼんやりした輪廓を 思ひ出したやうに無地の空へうき上らせてゐる。見た所では 山があると云ふ氣がしない。唯 どこかの山の影が 彷弗としてここへうつつて來たやうに思はれる。
その山からここまでは 十歩をへだてゐるか 十里をへだててゐるか それを知つてゐる者は一人もない。しかし ここには短い籬(かき)がある。さうして その籬の下には 黄菊が澤山さいてゐる。色は その香(かほり)のうすいやうに うすい。ほがらかにさす秋の日さへ 影をおとさない國では 菊もうすい黄を 簇る花の蕊に つつましくつつんでゐるからであらう しかし菊は 籬の下に 細い幾すぢの莖をみだしてゐるばかりではない。
[やぶちゃん注:底本は新全集に拠った。後記によると初期の創作と推測される、とする。]
金剛石
金剛石は晴天の水である。或は又瞬かない星である。産地は天竺が最も多い。天竺の山々の奧には、方一里の金剛石が、まるで天上の湖のやうに、横はつてゐると云はれてゐる。その金剛石の面を透かして見ると、灝氣の向うに住んでゐる無數の白象、無數の獅子、無數の孔雀、無數の天女が、鏡に映すよりもはつきりと彷弗されるとも云はれてゐる。金剛石はその上鐵よりも堅い。これを二つに切る事は、夜叉の牙にも不可能である。尤もまだ暖い水牛の血に浸しさへすれば、粉な々々に碎く事もむづかしくはない。金剛石を持つてゐるものは、肥り肉の女を自由にする事が出來る。脂のやうに色の白い、髮の毛がやや硬めな、脣のふつくりした、目なじりの切れの長い、鼻すぢの厚みがある、黑眼が漆のやうに粘(ねん)ばりした、大柄な女を誘はうとするものは、何よりもまづ金剛石を肌身につけてゐなければなるまい。
[やぶちゃん注:以下「顏」までの八篇(「古風二首」を一篇と数えた)の底本は新全集に拠った。底本はこれらをセットとして後記で纏めて注している。それによれば、総てが大正九(一九二〇)年の執筆と推定されてある。取り敢えず、標題と詩柄から最初の三篇は連作と採って並べることとした。]
眞 珠
眞珠は曇つた空、甕底(かめぞこ)の乳、凋れた百合、晝の月、或は霍亂の白眼である。産地は支那の海が最も多い。其處の暗い水底には、大きな蛤が澤山あつて、その蛤の口の中へ、墮落した天使の涙が落ちると、眞珠になるのだと云はれてゐる。眞珠を持つてゐさへすれば、背のすらりとした、痩せぎすの女を自由にする事はむづかしくない。この寶石
[やぶちゃん注:「この寶石」で稿は断たれている。]
紫水晶
紫水晶は日暮の空、葡萄酒の澱滓(おり)、摘んだ董、春さきの溝泥、牝豚の心臟、或は死人の脣である。産地は天竺が最も多い。其處の深い谷底には、舌を凍らせる泉が湧き出てゐて、その泉の溢れる中へ、墮落した天使の血が落ちると、紫水晶になるのだと云はれてゐる。
古風二首
一
さわなりや 醜(しこ)の批評家
立ち迷ふ狹霧の中に
怪形(けげう)めく蛾の群なして
かにかくに、さかしら云へど
わが戀ふる小説作者――
ぬば玉の夜空に澄める
金星のなどか落つべき
榮(はえ)ありや 一なる才子
わが戀ふる小説作者
二
肥らまし いでのまん
ソマトーゼ あるは次亞燐
されば今、あるにかひなし
一瓶の甘(うま)し三鞭、
かく云ひて人は捨てけん
癡れ人に心なとめそ
わが戀ふる小説作者
怪 談
午後十二時。
東京日本橋。……
醋の匀、飯の匀、魚の匀。
その中に動く二つの手。
汗ばむ飯。腐る魚(さかな)。
手は握り、又握る、
※の鮓、鮑の鮓、鮪の鮓、
穴子の鮓、比目の鮓、白魚の鮓。
伸びる指、縮まる指
飯は魚を抱き、魚は飯を蔽ふ、
鮓の吐息、鮓のぬめり、鮓の歎き、
鮓の光、鮓の呻き、鮓の身動(みぢろ)ぎ。
酢の匀、飯の匀、魚の匀、
何だ、此處に浮び上るのは?
番茶の煙に浮び上るのは?
無數の鮨の動き止んだ上に
何時か瞬かない顏が一つ……
[やぶちゃん注:第三連三行目の最初の「※」は、左側の「魚」(さかなへん)のみが記され、右の(つくり)が空白。「未定稿集」では普通に「魚」とあるが、恐らく何かの魚種を示す漢字を書こうとして、芥川が当該字が不明であるか、最初に持ってくる魚種を留保したのであろう。「身動」の(みぢろ)のルビはママ。「未定稿集」は正しく「みじろ」。後掲する「鮨 ballade」はこれを散文詩化したものである。
老婆心乍ら、「小鰭」は「こはだ」と読み、「しみらに」は「終(しみ)らに」という副詞で、一日中、間断なく。絶えずひっきりなしに、の意。]
〔われは愛づ〕
[やぶちゃん注:この題名は底本では下部に「(仮)」とあり、編者による仮題である。ないのも不自由なので〔 〕で括って示した。]
われは愛づ 古き鏡を
また紙の黄ばめる書(ふみ)を
蜘株の圍のかかれる破風を
水絶えし噴き井の石を
枯れ枯れに乾ける薔薇を
手ずれたる椅子を 卓(つくゑ)を
色褪せし更紗の布を
光なく錆びたる劍を
思ひ出も遙けき戀を
遠き世に廢れし歌を
さればわが詩集の中に
目ざましき「今日(けふ)」をな求(と)めそ
此處にあるものはことこど
骨董の店の挨に
忘られし「昨日」の紀念(かたみ)――
阿蘭陀の茶碗の花と
簡長きモーゼル銃と
朧めく司馬江漢が
銅版の森の下枝と
法朗西(フランス)は路易(ルヰ)の帝(みかど)の
知らしけん御世の曆と
燭臺と 切子硝子と
絃(いと)もなき胡弓と 笛と
羽蒲團に糸もほつれし繻子も
刺繡の百合と
硯屏と 五經や祕めし
漆さへ剝げたる書笥と
サムライの陣笠のみぞ
よし さらば聞きね 人々
をちかたの狹霧の中に
消(け)なんとす浪の歎かひ
あるはまた夕づく空に
缺けそめし月の寂しさ
此處にこそ昔心は
絶え絶えに哀れを語れ
よし、さらば聞きね 人々
中世の秋ゆとひ來し
かすかなる角笛の音……
春の夜
波白し
夜半の常磐木
春なれば
月も花やぐ
常磐木のしだるる陰に
女人われ
波音に知る
春の夜の佛陀の歎き
顏
わが顏は似たり 銀貨に
月よりも蒼む寂しさ
さて買ふは男爵夫人(バロネス)の名と
歎きつつ 鏡をとれば
月よりも蒼む寂しさ
わが顏は似たり 銀貨に
[やぶちゃん注:「男爵夫人(バロネス)」男爵に相当する爵位 ( baron )の女性形( baroness ) で、イギリスの制度では男爵の妻(男爵夫人)や男爵の爵位を 女性(女男爵)に用いる。ウィキの「男爵」によれば、本邦では明治以降の華族制度に於いて初めて創設された最下位の爵位で、旧公家や武家では分家などによって維新後に華族に列せられた者(武家華族に列される基準としては一万石以上の所領が基準とされたことから、旗本は最上位の高家を含めて、維新以降の国家勲功以外の理由では男爵に列される者はいなかった。対して維新の際の功績といった名目で大藩の家老職の内の有意な数が後掲される「国家に勲功ある者」として男爵を授けられている)、各地の神職及び僧職の中でも特に古い家柄の者の外、「新華族」と称した、国家に勲功ある政治家・官僚・軍人及びそれ以外の三井・住友・鴻池・岩崎家のといった実業家にも男爵が与えられた(但し、政治家の新華族は華族令当初に遅れた場合でも男爵を飛ばして子爵などから叙爵されたケースも多い)。その他、旧南朝の功臣の子孫などがいる。貴族院へは男爵中で互選した者が華族議員となった。『日本においては公爵、伯爵と並んで知名度の高い爵位であり、文学作品、漫画などにも多くの男爵が登場する。その多くは大礼服よりも伝統的なスーツや乗馬服をまとった紳士風の人物として描かれており、貴族というよりは上位の紳士の称号として認識されている感が強い』とある。]
〔わたしのしたことを〕
[やぶちゃん注:これは旧全集に「〔断片〕 ⅩⅢ」とするもので、新全集のこの題名は底本では下部に「(仮)」とあり、編者による仮題である。ないのも不自由なので〔 〕で括って示した。]
×
「わたしのしたことをするな、
わたしの言ふやうにしろ。」
あらゆる懺悔はかう云ふものだ。
×
前世に天國の幼稚園へはひり
(石鹼(シヤボン)の匀のする薔薇の花の
一ぱいになつた幼稚園だ。)
算術を習つて來た叔父さんたち。
君たちこそ現世の紳士だ。
[やぶちゃん注:「資料集2」を底本とする新全集に拠り、旧全集で漢字を正字に直した。また、以上の下線部は底本では傍点「丶」である。新全集後記によると、芥川龍之介晩年の創作と推測される、とする。]
〔夜だけは僕を〕
[やぶちゃん注:これは旧全集に「〔断片〕 ⅩⅣ」とするもので、新全集のこの題名は底本では下部に「(仮)」とあり、編者による仮題である。ないのも不自由なので〔 〕で括って示した。]
1
夜だけは僕を靜かにする。
僕は夜はダイアモンドを截り
僕のピンに嵌めようとしてゐる。
多角形に截つたダイアモンドを。
それもつまり考へて見れば、
氣違ひの息子に生まれたからだらう。
2
僕自身にも欺されない僕を
誰が欺してくれるものか?
僕は薔薇を食ふ犬たちではない。
晝まも目の見える金鍍金(きんめつき)の梟(ふくろ)だ。
3
僕はアラセイトウの花のやうに
僕自身を五つの花びらにしてゐる。
[やぶちゃん注:「資料集2」を底本とする新全集に拠り、旧全集で漢字を正字に直した。「梟」の「ふくろ」というルビはママ。旧全集では「ふくろふ」とあり、また、最後の行に十五字分中黒「・」(前行の「僕自身を五つの花びらにしてゐる」の文字相当分)が打たれている。新全集後記によると、芥川龍之介晩年の創作と推測される、とする。]
主ぶり
新むろの疊すがしみ、わがをれば
ここだ、ほづ枝の花ぞさきける、
ここだ、しづ枝の花ぞさきける。
[やぶちゃん注:「ここだ」は上代に使用された語で、「幾許」と書き、程度や量が甚だしくひどい、多い様を言う。こんなにも、沢山の意。「ほづ枝」は「上つ枝」(ほつえ・かみつえだ)=「梢」で、上方の枝、「しづ枝」は「下つ枝」(しもつえだ)で下方の枝の意。]
「となりのいもじ」より酒をたまはる
この酒はいづこの酒ぞ。
みこころを難波(ながた)の灘の
黑松の酒、
白鷹の酒。
[やぶちゃん注:「となりのいもじ」の「いもじ」とは「鋳物師」のこと。芥川龍之介の隣家であった鋳金工芸家で友人の香取秀眞(かとりほつま)を(明治7(1874)年~昭和29(1954)年)指す。「難波」の「ながた」という読みは不審。「難波潟(なにはがた)」を音数律に合わせて短縮し、音の面白さを狙ったものか。]
戀人ぶり
風にまひたるきぬ笠の
なにかは路に落ちざらむ。
わが名はいかで惜しむべき。
惜しむは君が名のみとよ。
[やぶちゃん注:底本後記によると、普及版全集では「相聞 二」として所収されており、多少の差異があるとして、普及版全集本文を掲げている。以下にそれを引用する(筑摩書房全集類聚版の「詩」ではこれを採用している)。
相聞 一
風にまひたるすげ笠の
なにかは路に落ちざらん。
わが名はいかで惜しむべき。
惜しむは君が名のみとよ。
また、後者は「或阿呆の一生」の「三十七 越し人」にも使用されているが、やはり微妙な表記の差異が認められるので、「三十七 越し人」全文を私のテクストより引用する。
三十七 越 し 人
彼は彼と才力(さいりよく)の上にも格鬪出來る女に遭遇した。が、「越し人(びと)」等の抒情詩を作り、僅かにこの危機を脱出した。それは何か木の幹に凍(こゞ)つた、かゞやかしい雪を落すやうに切ない心もちのするものだつた。
風に舞ひたるすげ笠の
何かは道に落ちざらん
わが名はいかで惜しむべき
惜しむは君が名のみとよ。
なお、普及版では「相聞 一」は、次の「同上」(=「戀人ぶり」)の詩、「相聞 三」として後掲する著名なあの「相聞」が配される。これらの「相聞」の相手「越し人」が松村みね子(片山広子)を指すことは周知の事実である。]
同上
あひ見ざりせばなかなかに
空に忘れてすぎむとや。
野べのけむりもひとすぢに
命を守(も)るはかなしとよ。
[やぶちゃん注:前の詩同様、底本後記によると、普及版全集では「相聞 一」として所収されており、多少の差異があるとして、普及版全集本文を掲げている。以下にそれを引用する(筑摩書房全集類聚版の「詩」ではこれを採用している。そこではこの「相聞」の後)。最終行は「多少の差異」とは言い難い別稿と捉えるべきものであると私は思う。
相聞 一
あひ見ざりせばなかなかに
そらに忘れてやまんとや。
野べのけむりも一すぢに
立ちての後はかなしとよ。
なお、普及版では「相聞 二」は、前の「戀人ぶり」の詩、「相聞 三」として後掲する著名なあの「相聞」が配される。]
父ぶり
庭んべは
淺黄んざくらもさいたるを、
わが子よ、這ひ來。
遊ばなん。
おもちやには何よけん。
風船、小鞠、笛よけん。
[やぶちゃん注:類聚版では副題として「――室生犀星に――」とある。編者注によると、これは催馬楽の形式を模しているとする。その注でも指摘されているが、「遊ばなん」の「なむ」は未然形接続であるため、あつらえ望む終助詞で「遊んで欲しい」の意となり、ややおかしい。強意の助動詞「ぬ」の未然形+意志の助動詞「む」の「遊びなん」の誤りかと思われる。]
百事新たならざるべからざるに似たり
な古りそねや。
さ公(きん)だちや。
新水干(にひすゐかん)に新草履(にひざうり)、
新(にひ)さび烏帽子ちやくと着なば、
新(にひ)はり道にやとかがみ、
新糞(にひぐそ)まれや。
さ公(きん)だちや。
[やぶちゃん注:以上、冒頭の「主ぶり」からこの詩までは、大正14(1925)年4月1日発行の雑誌『文藝日本』に掲載された「澄江堂雜詠」に所収する。底本の本文では「澄江堂雜詠」表題下に『(『文藝日本』大正十四年一月)』とあるが、この月の齟齬についての説明はない。]
棕櫚の葉に
風に吹かれてゐる棕櫚の葉よ
お前は全体もふるへながら、
縱に裂けた葉も一ひらづつ
絶えず細かにふるへてゐる。
棕櫚の葉よ。俺の神經よ。
[やぶちゃん注:大正15(1926)年7月刊の雑誌『詩歌時代』所収。]
風琴
風きほふ夕べをちかみ、
戸のかげに身をひそめつつ、
(いかばかりわれは羞ぢけむ。)
風琴(オルガン)をとどろとひける
女(め)わらべの君こそ見しか。
とし月の流るるままに
男(を)わらべのわれをも名をも
いまははた知りたまはずや。
いまもなほ知りたまへりや。
[やぶちゃん注:昭和2(1927)年8月刊の雑誌『手帖』所収。旧全集の佐藤春夫宛大正14(1925)年9月25日附の一三七七書簡にこの詩の初形と思われるものがあるので、以下に引用する。
風きほふゆふべなりけむ、
窓のとにのびあがりつつ
オルガンをとどろとひける
女わらべの君こそ見しか。
男わらべのわれをも名をも
年月の流るるままに
いまははた知りたまはずや。
いまもなほ知りたまへりや。
こちらは無題である。]
山吹
あはれ、あはれ、旅びとは
いつかはこころやすらはん。
垣ほを見れば「山吹や
笠にさすべき枝のなり。」
[やぶちゃん注:この最後の句は芭蕉のもの。
山吹や笠に挿すべき枝の形
元禄4(1691)年、江戸赤坂の庵にて。芭蕉四十七歳の作。底本後記によると、元版全集には文末に「(大正十一年五月)」とあるとする。とすれば、芥川龍之介は満三十歳であった。
この詩は自死後の昭和2(1927)年8月発行の『文藝春秋』に掲載された「東北・北海道・新潟」に以下のように示される。
羽越線の汽車中(ちゆう)――「改造社の宣傳班と別(わか)る。………」
あはれ、あはれ、旅びとは
いつかはこころやすらはん。
垣ほを見れば「山吹や
笠にさすべき枝のなり。」]
相聞
また立ちかへる水無月の
歎きを誰にかたるべき。
沙羅のみづ枝に花さけば、
かなしき人の目ぞ見ゆる。
[やぶちゃん注:旧全集の修善寺からの室生犀星宛大正14(1925)年4月17日附の一三〇六書簡に『又詩の如きものを二三篇作り候間お目にかけ候。よければ遠慮なくおほめ下され度候。原稿はそちらに置いて頂きいづれ歸京の上頂戴する事といたし度。』とし(この原稿とは以下の詩稿を指すと判断する)、次の二篇を記す。
歎きはよしやつきずとも
君につたへむすべもがな。
越(こし)のやまかぜふき晴るる
あまつそらには雲もなし。
また立ちかへる水無月の
歎きをたれにかたるべき
沙羅のみづ枝に花さけば、
かなしき人の目ぞ見ゆる。
詩の後に『但し誰にも見せぬように願上候(きまり惡ければ)尤も君の奥さんにだけはちよつと見てもらひたい氣もあり。感心しさうだつたら御見せ下され度候。』微妙な自負を記す。更に、龍之介の大正14(1925)6月1日発行の雑誌『新潮』に掲載された「澄江堂雑詠」の「六 沙羅の花」(私の抽出電子テクスト版を参照されたい)にも現われる。]
冬
まばゆしや君をし見れば
薄ら氷に朝日かがよふ
えふれじや君としをれば
臘梅の花ぞふるへる
冬こそはここにありけめ
[やぶちゃん注:小穴隆一の「二つの絵」等によれば、これは平松麻素子へ献じられた詩とされる。]
手袋
あなたはけふは鼠いろの
羊の皮の手袋をしてゐますね、
いつもほつそりとしなつた手に。
わたしはあなたの手袋の上に
針のやうに尖つた峯を見ました。
その峯は何かわたしの額(ひたひ)に
きらきらする雪(ゆき)を感じさせるのです。
どうか手袋をとらずに下さい。
わたしはここに腰かけたまま
ぢつとひとり感じてゐたいのです、
まつ直に天を指してゐる雪(ゆき)を。
[やぶちゃん注:小穴隆一の「二つの絵」等によれば、これは平松麻素子へ献じられた詩とされる。]
莟
さびしとも人こそ言はめ。
わが戀ふはいまだ見ねども
秋しぐれすぎゆくなべに
淸らなる濱木綿(はまゆふ)の花、……
鏡
丈(たけ)なせる鏡のまへに
ひもすがらひとりしをれば
かきつばたにほへるひとは
まみえじとつげこそ來(こ)しか。
すべなしと知りは知れども
おもかげをしばしうつせる
鏡にぞ言ふべかりける。――
ひもすがらひとりしをれば
わがともはわれのみぞとよ。
[やぶちゃん注:「かきつばた」は杜若のように美しく咲くの意から「につらふ」(美しい)に懸かる枕詞であるが、ここでは同義語の「にほへる」の枕詞として機能している。]
臘梅
臘梅の匀を知つてゐますか?
あの冷やかにしみ透る匀を。
わたしは――実に妙ですね、――
あの臘梅の匀さへかげば
あなたの黑子を思ひ出すのです。
[やぶちゃん注:小穴隆一の「二つの絵」等によれば、これは平松麻素子へ献じられた詩とされる。底本後記によると、先の「冬」からこの詩までは、元版全集には文末にすべて「(昭和二年)」とあるとする。]
修辭學
ひたぶるに耳傾けよ。
空みつ大和言葉に
こもらへる箜篌(くご)の音(と)ぞある。
[やぶちゃん注:底本後記によると、元版全集には「(大正十五年十一月)」とあるとする。「空みつ」は「大和」の枕詞。]
酒ほがひ
なさめそねや。
さ公だちや。
市に立ちたる磔(はた)ものに、
鴉はさはにむるるとも、
豐(とよ)の大御酒(おほみき)つきぬまは、
篳篥ふけや。
さ公(きん)だちや。
[やぶちゃん注:底本後記によると、元版全集には「(大正十四年一月)」とあるとする。「ほがひ」とは「寿(ほが)ふ」の名詞形で、祝う、ことほぐこと。「なさめそねや」は、酒の酔いから醒めてはならぬ、の意。類聚版編者注によると、「さ公だちや」等は催馬楽の囃言葉とする(但し、催馬楽では「公達」は原義を失っているが、ここでは原義を生かしている、とする)。]
洞庭舟中
しらべかなしき蛇皮線に、
小翠花(セウスヰホア)は歌ひけり。
耳輪は金にゆらげども、
君に似ざるを如何せむ。
[やぶちゃん注:これは底本の「詩歌一」にある。そこでは大正十二年九月の『明星』に掲載されたものとある。これは芥川の中国行の一篇であり、筑摩書房全集類従版の「詩」の中での同じ位置、次の中国旅行の同時期の作「劉園」の前に置くこととする。但し、この初出とする旧全集の與謝野寛・同晶子宛旧全集版九〇四書簡と全集類従版の表記を比べると異同があるため、同書簡を底本とした。なお、同書簡には大正十年五月三十日附の長沙からの絵葉書で、詩の後に「これは新體今樣であります長江洞庭の中はこんなものをつくらしめる程退屈だとお思ひ下さい 以上」とあり、「五月三十日 湖南長沙 我鬼」と記す。「小翠花」は別名于連泉(うれんせん)、龍之介の「上海游記」の「九 戲台(上)」「十 戲臺(下)」にも記される京劇の花旦“huādàn”(可愛い若い女性役の男優)の名優である。]
劉園
人なき院にただひとり
古りたる岩を見て立てば、
花木犀は見えねども
冷たき香こそ身にはしめ。
[やぶちゃん注:【二〇一四年十二月二十三日改稿】私は旧全集で初めて読んで以降、この「劉園」をずっと蘇州古城の西北にある明の嘉靖年間に徐時泰が建てた中国四大名園の一つである「留園」であると思い込んできた。それは「留園」は古えは「劉園」と書いたという事実、そして、芥川龍之介の「江南游記」の「二十 蘇州の水」の冒頭に、
*
主人。寒山寺だの虎邱(こきう)だのの外にも、蘇州には名高い庭がある。留園だとか、西園だとか。――
客。それも皆つまらないのぢやないか?
主人。まあ、格別敬服もしないね。唯(ただ)留園の廣いのには、――園その物が廣いのぢやない、屋敷全體の廣いのには、聊(いささか)妙な心もちになつた。つまり白壁の八幡知(やはたし)らずだね。どちらへ行つても同じやうに、廊下や座敷が續いてゐる。庭も大抵同じやうに、竹だの芭蕉だの太湖石だの、似たやうな物があるばかりだから、愈(いよいよ)迷子になりかねない。あんな屋敷へ誘拐された日には、ちよいと逃げる訣にも行かないだらう。
*
と述べていること(この詩の雰囲気とこの龍之介の述懐部が私には妙にしっくりと重なったのである)、そして何より実際に私も「留園」を訪れてその「漏窓」と言われる透かし窓や奇岩奇石の迷宮のような作りに素敵に異界を覚えたことによる鉄壁の確信なのであった。従って今までここには私の注で、
[やぶちゃん注:「劉園」明の嘉靖年間に徐時泰が建てた中国四大名園の一つ。私も行ったが「漏窓」と言われる透かし窓や奇岩奇石の迷宮のような作りに素敵に異界を覚えた。]
という注を附してきた。
ところが今回、来年元日公開予定の芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠」を電子化注釈する過程の中で、その確信が揺らいできたのである。
「澄江堂遺珠」初版の二十一頁には、実にこの「劉園」の一篇が引かれて佐藤の注が附されて、
《引用開始》
劉園
人なき院にただひとり
古りたる岩を見て立てば
花木犀は見えねども
冷たき香こそ身にはしめ
右「劉園」は西湖劉莊の園に於ての口吟か。
《引用終了》
とある(句読点がないのは佐藤による整序と推定される)。問題はこの佐藤の注であった。彼はこの「劉園」を蘇州古城の「留園」ではなく、『西湖劉莊の園』ではないかと注しているからであった。そこで中国滞在の長い教え子にこのことについて以下の質問を試みてみた。以下はその際の私の消息文の後半部分である。
《引用開始》
私が注で言っているのは現在の蘇州古城の西北にある「留園」(但し、昔は「劉園」という呼称であったといいます)ですが、実は「西湖劉莊」と佐藤が注している方は、現在の「杭州西湖国賓館」の別称「劉荘」なのだろうと遅まきながら気づきました。私は単純に自分が気に入ったあの庭園の記憶と、この詩の持つ雰囲気から「留園」と完全に思い込んで注していたのですが、これは西湖の「劉荘」でしょうか? 私は西湖に行っていないので判断がつきません。しかし中国の観光サイトには「杭州西湖国賓館」について、
*
西湖の西側にあって、三面が湖に臨んでいて、後ろが丁家山である。三十六万平米土地を占め、沿西湖の総長は二キロである。ホテルは緻密、調和、豪華な江南建築で有名になって、庭に小橋、水亭、古樹があり、建築物が緻密で、飾り付けが上品で、人文景勝もいっぱいあるので、「西湖第一の名園」という称号がある。
*
とあり、これはもしかすると、佐藤の言う、現在の「杭州西湖国賓館」=「劉園」での感懐吟の可能性が出てきたのです。あなたは何度も西湖を訪問されているので、出来ればご判断を仰げればと思っています。
《引用終了》
これに対する教え子の返事を引用する。
《引用開始》
西湖西岸の国賓館については、わたしもはっきりしたことは分かりません。西湖西岸にはここ数年の間に何度も足を運び、時には家族と、時には会社の同僚たちとゆっくり散策しました。ただし、国賓館そのものに入ったことがあったかどうか、定かに憶えていません。ただ、西湖のほとりと言えば、蘇州の、留園はもちろんいかなる庭園と比べてもスケールが断然異なります。西湖周辺というのは、まさに見はるかす限りの夢のような風景が広がり、私は何度訪れてもうっとりしてしまいます。そうですねえ、例えは悪いかもしれませんが、京都の庭園のせせこまさと、奈良の旧都跡との違いというのでしょうか(かなり偏見が入っています、すみません)。私は、留園の小世界で感慨にふける龍之介より、西湖畔の茫洋として天地の広がりに立ち尽くす龍之介の方が、今ありありと眼に浮かぶのです……
追伸 とりわけ西湖の西岸は、汀の線が入り組んでおり、波もほとんどなく鏡のようです。靄の立つ早朝や、霧雨に降り込められた風情など、まさしく絶品です。
《引用終了》
この文面を眺めながら、私はこの一篇への注は書き直さねばならぬと感じた。私の中では偏愛する「留園」であって欲しいという無意識の力が働いたのであるが、そもそも龍之介は「江南游記」の上記の引用で「留園」と記している。彼が同じ「留園」を詩に詠んだとすれば、そこでは標題を「劉園」とせずに「留園」としたに違いない。とすれば、これはやはり――佐藤が注で推測し、教え子が述べるように実体としては実はせせこましい(実際にそれは事実である)「留園」とは比較にならない広大広角の西湖の「劉園」こそが、本詩のロケーションであった――と推定するのが正しいという結論に至ったからである。大方の識者の御批判を俟つものである。]
不眠症
眞夜中の廊下の隅に
笠の靑い電燈のスタンドが一本
ひつそりと硝子戸に映つてゐる。
いつも頭の中を見つめる度に。
[やぶちゃん注:底本後記によると、元版全集には「(昭和二年)」とあるとする。]
Melancholia
この田舎路はどこへ行くのか?
唯憂鬱な畑の土に細い葱ばかり生えてゐる。
わたしは當どもなしに歩いて行く、
唯憂鬱な頭の中に剃刀の光りばかり感じながら
[やぶちゃん注:底本後記によると、元版全集には「(大正十二年十二月)」とあるとする。]
心境
廢れし路をさまよへば
光は草に消え行けり
けものめきたる欲念に
怯ぢしは何時の夢ならむ
時雨
西の田の面(も)にふる時雨
東に澄める町の空
二つ心のすべなさは
人間のみと思ひきや
[やぶちゃん注:旧全集の大正10(1921)年9月20日附佐々木茂索宛九四〇書簡にこの詩を記し(差異は「東に澄める町のそら」の「空」のみ)、その後に『これは三十男が斷腸の思を托せるものなり 一唱三嘆せられたし』と書いている。]
沙羅の花
沙羅のみづ枝に花さけば
うつつにあらぬ薄明り
消なば消ぬべきなか空に
かなしきひとの眼ぞ見ゆる
船乘りのざれ歌
この身は鱶の餌ともなれ
汝を賭け物に博打たむ
びるぜん・まりあも見そなはせ
汝に夫(つま)あるはたへがたし
[やぶちゃん注:「びるぜん・まりあ」はポルトガル語の“virgin maria”で聖処女マリア。]
船中
ゆふべとなれば海原も
遠島山も煙るなり
今は忘れぬおもかげも
老いては夢にまがふらん
雪
初夜の鐘の音聞ゆれば
雪は幽かにつもるなり
初夜の鐘の音消え行けば
汝はいまひとと眠るらむ
夏
微風は散らせ柚の花を
金魚は泳げ水の上を
汝は弄べ畫團扇を
虎疫(ころり)は殺せ汝が夫(つま)を
惡念
松葉牡丹をむしりつつ
ひと殺さむと思ひけり
光まばゆき昼なれど
女ゆゑにはすべもなや
曉
「ひとの音せぬ曉に
ほのかに夢に見え給ふ」
佛のみかは君もまた
「うつつならぬぞあはれなる」
[やぶちゃん注:これは「梁塵秘抄」巻二の法文歌(ほうもんのうた)に基づく。以下に引用する(底本は新潮日本古典集成版を用いた)。
ほとけは常にいませども
うつつならぬぞあはれなる
人のおとせぬあかつきに
ほのかに夢にみえたまふ
やぶちゃんの現代語訳:
み仏というものは常に我らがそばにいますと存じながら、愚かなる私の眼には拝み得ぬことの、何としても哀しく侘しく、故に、恋しく慕わしいもの……人声も物音も絶え果てたその暁の頃、幽かに私の夢の内にその影をお現わしになられた……
ここにあるのは言うまでもなく信仰の極限の仏身への恋着という特異点である。そして、そこにやはり「煩悩即菩提」を、我執とも言える恋着に悩む龍之介は見てとったに違いない、と私は思うのである。]
佛
涅槃のおん眼ほのぼのと
とざさせ給ふ夜半にも
かなしきものは釋迦如來
邪淫の戒を説き給ふ
戲れに(1)
汝と住むべくは下町の
水どろは靑き溝づたひ
汝が洗場往き來には
晝もなきづる蚊を聞かん
戲れに(2)
汝と住むべくは下町の
晝は寂しき露路の奥
古簾垂れたる窓の上に
鉢の雁皮も花さかむ
[やぶちゃん注:底本後記によると、「心境」から、この詩までは元版全集の「月報」第8号の「編輯者のノオト」に『「心境」以下の今樣風の詩は全部、一つの帳面に清書されてあったものである。それらは大正十年頃のやうに思はれる。』とある、とする。「雁皮」はフトモモ目ジンチョウゲ科ガンピDiplomorpha sikokiana。古く奈良時代から紙の原材料とされてきた。初夏に枝の端に黄色の小花を頭状花序に7から20、密生させる。グーグル画像検索「雁皮の花」。【2014年12月16日追記】この注、実は昨日、『あの地味な花「雁皮」のを鉢植えにするというのは、如何にも変わった趣味だなあ』と内心思いつつ、書いていた。それが今日、芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺株」の最後に附されてある、同書の校正者で「校正の神様」の異名をとる神代種亮(こうじろたねすけ)の「卷尾に」という文章の中に、この詩(この詩は「澄江堂遺珠」に採られている)の「雁皮」について、これ『は事實から看て明かに「眼皮」の誤書である。雁皮は製紙の原料とする灌木で、鉢植ゑとして花を賞することは殆ど罕な植物である。眼皮は多年生草本で、達磨大師が九年面壁の際に睡魔の侵すことを憂へて自ら上下の目葢を剪つて地に棄てたのが花に化したのだと傳へられてゐる。花瓣は肉赤色で細長い。』と記しているのを見つけて(「罕な」は「まれな」と読み、「稀」と同義。「目葢」は「まぶた」)、目から鱗が落ちたのだった! これはジンチョウゲ科のガンピではなく、中国原産で花卉観賞用に栽培されるナデシコ目ナデシコ科の多年草である別なガンピ(岩菲(がんぴ)) Lychnis coronata であったのである! 茎は数本叢生して高さは40~90センチメートル、卵状楕円形の葉を対生、初夏に上部の葉腋に五弁花を開くが、花の色は黄赤色や白色といった変化に富む。グーグル画像検索「Lychnis coronata」で花を見られたい。これは確かに神代の言う通り、「雁皮」ではなく「岩菲」に違いない!]
ひとりあるもののうたへる
Ⅰ
ちまたにさせる春の月
をぐらきみづのへをゆけば
かなしきものぞひとりなる
すがれし花のにほひより
Ⅱ
雨あがりなる靑いばら
ひとり徑(みち)ゆく朝かげの
こころは汝(なれ)に似るものか
いばらに懸るかたつむり
Ⅲ
おち葉をしける徑(みち)の奥
いのちの秋をかこちつつ
ひとり見しこそ忘られぬ
晴らにくもるひるの月
Ⅳ
雪にたわめるひともとの
竹のこころとなりにけり
ひとり世にある寂しさは
雪よりただに身にぞしむ
新今樣
人を佛とあがむれば
豆の畑に茨生ひ
粟の畑に薊生ひ
赤子は背むしと生るべし
凡夫のめづるみ佛は
圓光まどかにかけ給ふ
おきなのめづるみ佛は
柏の餠をくひ給ふ
[やぶちゃん注:底本後記によると、昭和4(1929)年7月1日発行の雑誌『相聞』に掲載され、同誌の「後記」に『「この號の卷頭に載せた芥川龍之介君の遺稿「新今樣」は、長崎の渡邊庫輔君が秘藏してゐたもの」とある。』とする。]
愛の詩集
室生君。
僕は今君の詩集を開いて、
あの頁の中に浮び上つた
薄暮の市街を眺めてゐる。
どんな惱ましい風景が其處にあつたか、
僕はその市街の空氣が
實際僕の額の上にこびりつくやうな心もちがした。
しかしふと眼をあげると、
市街は、――家々は、川は、人間は、――
みな薄暗く煙つてゐるが、
空には一すぢぼんやりと物凄い虹が立つてゐる。
僕は悲しいのだか嬉しいのだか自分にもよくわからなかつた。
室生君。
孤獨な君の魂はあの不思議な虹の上にある!
[やぶちゃん注:「愛の詩集」は室生犀星の処女詩集で大正7(1918)年1月に刊行された。その「定本 愛の詩集」が昭和3(1928)年1月に聚英閣から出版された際、その巻頭に(扉には「愛の詩集に」という献辞あり)掲げられた詩である。同詩集の「序」で犀星は『芥川君の詩を卷頭に掲げたのは同君が大正九年に自分に初めて書いた詩だと云ひ、自分に手交して見せたもので誠に同君の最初の詩作であるらあしかつた。』と記す(底本後記による)。旧全集の大正8(1919)年10月3日付室生犀星宛五八七書簡に
啓 高著難有く拝見あの詩集は大へん結構な出來だと思ひます私が今まで拝見した詩集の中でも一番私を動かしました昨夜は一晩あれを耽讀しました私の詩を贈ります私が一生に一つの詩になるかも知れない詩です下手でも笑つちやいけません「愛の詩集」はもつと度々讀んで見る心算です御禮まで 頓首
我 鬼
十月三日
室生犀星樣
として、その後にこの詩を記している(異同なし)。]
散文詩―― Oscar Wilde ――
師
今や闇路の上に來れり。
その時アリマシヤのジョセフは松の木の松明(たいまつ)を燃やし丘より下りて谷に入りぬ。
そは彼が家になすべき事ありし故なり。
「亡滅(ほろび)の谷」なる燵石のちりほへるに脆きて、彼は人の若者の裸にて泣けるを見たり。
其の髪は蜜の色をなし、
そが体は白き花の如くなりき。
されど彼荊もて體を傷け、
髪をも亦王冠の如く灰にまみらせたり。
家豐かなるアリマシヤは裸にて泣ける若者に云ふやう、
「我爾(いまし)が悲しみの大なるを怪しまず、そは眞に『彼』は義(ただ)しき人なりし故なり。」
若者答へけるは「我が嘆くは『彼』が爲ならず。我自らの爲なり。
われ亦水を化して葡萄酒となし、
われ亦癩を病む者の惱みを癒し、
われ亦盲(めしひ)し者の眼を開かしめ、
われ亦水の上を歩み、
われ亦塚大の中に住む者より惡鬼を逐ひ、
われ亦食なき砂漠に饑ゑたる者を飽かしめ、
われ亦死せる者をそが狹き家より立たしめ、
われ亦人みなの群れたる前に實なき無花果の木を呪ひして凋ましめつ、
されど人々のわれを十字架にかけんとせざるはいかに。」
弟 子
ナアシツサスのみまかりし時、
そが快樂(けらく)の泉は甘き水の杯(さかづき)より化して鹹き涙の杯となりぬ。
されば木精(こだま)ら森しげきあたりを嘆きもとほりぬ。
彼が潦の甘き水の杯より鹹き涙のさかづきに化せしを見て、
そが髪のみどりなる花たばをみだし、
泣く泣く云ひけるは
「うべ爾(いまし)がかくナアシツサスをいたむこと彼さこそ美しかりしか。」
「されどナアシツサスは芙しかりしや。」と潦云ふ。
木精ら答ふらく
「爾(いまし)にまして誰かよくそをわきまへん。
彼屢々われらが傍をよぎりつ、
されど爾がもとへは、
彼いましをもとめて來るなり。
彼爾(いまし)のきしに伏し、
爾(いまし)を見下ろし、
爾(いまし)の水の鏡に己が美しさをうつし見つ。」
潦の答へけるは
「さればわれナアシツサスを愛せしは、
彼がわがきしに伏し、
われを見下ろす時、
われ彼が眼の鏡にうつれる、
われみづからの美しさを見たればぞ、」とよ。
[やぶちゃん注:底本では「彼屢々われらが傍をよぎりつ、」の「屢」の繰り返し記号は漢文に用いられる「こ」の字型の右下ポイント落ちである。底本後記によると、元版・普及版全集には文末に「(大正九年十一月)」とあるとする。
この二篇は、オスカー・ワイルドが一八六四年に発表した六編から成る、「散文詩」(原題:Poems in Prose )の中の二篇を芥川龍之介が抽出して訳したものである。以下に原文を掲げる(引用は英文サイト「 Literature Network 」の「 Poems in Prose 」のものを、他の信頼し得るサイトのものをも参照にしつつ、整序して引用した)。
THE MASTER
Now when the darkness came over the earth Joseph of Arimathea, having lighted a torch of pinewood, passed down from the hill into the valley. For he had business in his own home.
And kneeling on the flint stones of the Valley of Desolation he saw a young man who was naked and weeping. His hair was the colour of honey, and his body was as a white flower, but he had wounded his body with thorns and on his hair had he set ashes as a crown.
And he who had great possessions said to the young man who was naked and weeping, 'I do not wonder that your sorrow is so great, for surely He was a just man.'
And the young man answered, 'It is not for Him that I am weeping, but for myself. I too have changed water into wine, and I have healed the leper and given sight to the blind. I have walked upon the waters, and from the dwellers in the tombs I have cast out devils. I have fed the hungry in the desert where there was no food, and I have raised the dead from their narrow houses, and at my bidding, and before a great multitude, of people, a barren fig-tree withered away. All things that this man has done I have done also. And yet they have not crucified me.'
*
THE DISCIPLE
When Narcissus died the pool of his pleasure changed from a cup of sweet waters into a cup of salt tears, and the Oreads came weeping through the woodland that they might sing to the pool and give it comfort.
And when they saw that the pool had changed from a cup of sweet waters into a cup of salt tears, they loosened the green tresses of their hair and cried to the pool and said, 'We do not wonder that you should mourn in this manner for Narcissus, so beautiful was he.'
'But was Narcissus beautiful?' said the pool.
'Who should know that better than you?' answered the Oreads. 'Us did he ever pass by, but you he sought for, and would lie on your banks and look down at you, and in the mirror of your waters he would mirror his own beauty.'
And the pool answered, 'But I loved Narcissus because, as he lay on my banks and looked down at me, in the mirror of his eyes I saw ever my own beauty mirrored.'
但し、本詩篇はワイルドが「 The Artist 」・「 The Doer of Good 」・「 The Disciple 」・「 The Master 」・「 The House of Judgment 」・「 The Teacher of Wisdom 」の順に編成した散文詩であって、芥川龍之介の二篇連奏の、このあたかも唱和的(この謂いが不穏当であるならば少なくとも「師」に対比された「弟子」としての対称的)な訳の示し方は順序を逆にしており、はなはだ恣意的ではある。
「アリマシヤのジョセフ」( Joseph of Arimathea )アリマタヤのヨセフ。新約聖書で弟子たちも逃げ去った中でイエスの遺体を引き取って埋葬したユダヤ人の義人。聖人の一人。
「弟子」の「ナアシツサス」は言わずもがな、ナルキッソス( Narcissus )。
「彼が家」類聚版脚注ではこの「彼」を「イエス・キリスト」とする。ここよりも後の「彼」がイエス・キリストであることは分かるが、ここもそうだろうか? 原詩の意味が半可通の私にはよく分からない。識者の御教授を乞う。
「弟子」の詩句中の「潦」は「にはたづみ」(にわたずみ)と読み、雨が降って地上に溜まり、またそこ流れる水を言う。ここは泉の意と解してよい。音数律から選んだものであろう。]
おれの詩
おれの頭の中にはいつも薄明い水たまりがある。
水たまりは滅多に動いたことはない。
おれはいく日もいく日も薄明い水光りを眺めてゐる。
と、突然空中からまつさかさまに飛びこんで來る、目玉ばかり大きい靑蛙!
おれの詩はお前だ。
おれの詩はお前だ。
[やぶちゃん注:底本後記によると、普及版全集には「(大正十二年十一月)」とあるとする。]
ロツプス(クロオド・バアル)
われは昨夜(よべ)「死」を見たり
街燈に氷雨降る
路狹く、人も無し。
唯一人わが前に
忘れんや、黑き裾、
帽子には枯れし薔薇、
弱腰もたをたをと
歩むなり、賣笑婦。
追ひすがり、呼べば、あゝ
街燈の光のもなか、
神の子よ、救はせ給へ。
見返りし髑髏の面(おもて)。
冷かに嘲笑ひつつ
云ひにしか、Bon Soir.
われは昨夜(よべ)「死」を見たり。
[やぶちゃん注:「ロツプス」は Félicien Rops(1833―1898 フェリシアン・ロップス)。ベルギーの画家であるが、パリをその本拠地とした。世紀末にあって多くの同時代の「呪われた作家達」ボードレールやマラルメの挿絵を描いて、悪魔主義を背負いながら、自身の個性的な世界を切り開いた。画像検索「Félicien Rops」。芥川龍之介関連では小説「路上」の最終章三十六章で主人公俊助が受け取った同人誌の目次の中に「獨逸文科學生」の同人である近藤が書いた「ロツプス論」と出るのと、遺稿類の手帳の「12」(新全集新発見追加分)の中に「○ Félicien Rops : Verlag von Maroquardt & Co. Belin 」と云う書誌情報らしきメモがあるのみである。如何にも龍之介好みの画家ではあるように思われる。
「クロオド・バアル」はこの詩の原詩の作者で、ロップスの絵に霊感を感じた詩人とも思われるのであるが、筑摩書房全集類聚版同様、かなりのワードの組み合わせで試みてみたが、私も遂に現在、知り得ない作家である。識者のご教授を乞う。]
僕の瑞威(スヰツツル)から
信 條
娑婆苦最小にしたいものは
アナアキストの爆彈を投げろ。
婆婆苦を婆婆苦だけにしたいものは
コンミュニストの棍棒をふりまはせ。
婆婆苦をすつかり失ひたいものは
ピストルで頭を撃ち拔いてしまへ。
レニン第一
君は僕等東洋人の一人だ。
君は僕等日本人の一人だ。
君は源の賴朝の息子だ。
君は――君は僕の中にもゐるのだ。
レニン第二
君は恐らくは知らずにゐるだらう、
君がミイラになつたことを?
しかし君は知つてゐるだらう、
誰も超人は君のやうにミイラにならなければならぬことを?
(僕等の仲間の天才さへエヂプトの王の屍骸のやうに美しいミイラに變つてゐる。)
君は恐らくあきらめたであらう、
兎に角あらゆるミイラの中でも正直なミイラになつたことを?
註 レニンの死体はミイラとなれり。
レニン第三
誰よりも十戒を守つた君は
誰よりも十戒を破つた君だ。
誰よりも民衆を愛した君は
誰よりも民衆を輕蔑した君だ。
誰よりも理想に燃え上つた君は
誰よりも現實を知つてゐた君だ。
君は僕等の東洋が生んだ
草花の匀のする電氣機関車だ。
[やぶちゃん注:この「レニン第三」は「或阿呆の一生」の「三十三 英雄」にも以下のように使用されている。
三十三 英 雄
彼はヴォルテエルの家の窓からいつか高い山を見上げてゐた。氷河の懸つた山の上には禿鷹の影さへ見えなかつた。が、背の低い露西亞人(ロシアじん)が一人、執拗に山道を登りゞけてゐた。
ヴォルテエルの家も夜になつた後(のち)、彼は明るいランプの下にかう云ふ傾向詩を書いたりした。あの山道を登つて行つた露西亞人の姿を思ひ出しながら。………
――誰(たれ)よりも十戒を守つた君は
誰よりも十戒を破つた君だ。
誰よりも民衆を愛した君は
誰よりも民衆を輕蔑した君だ。
誰よりも理想に燃え上つた君は
誰よりも現實を知つてゐた君だ。
君は僕等の東洋が生んだ
草花の匂のする電氣機關車だ。――
この詩部分は引用を示すダッシュと「匀」の字体相違を除けば(芥川龍之介は私の感触では「匀」という字体を好んだように思われる)、異同はない。]
カイゼル第一
君は碌に散歩も出來ない。
君は樂々と立ち小便も出來ない。
君は一行の詩も殘せない。
君は罷業も怠業も出來ない。
君は勝手に自殺も出來ない。
君は、――あらゆるカイゼルは最も割りに合はない職業に就いてゐる!
カイゼル第二
君を褒める言葉はこればかりだ――
君が賣る勲章は割に安い!
[やぶちゃん注:この「カイゼル」はドイツ語の「ドイツ皇帝」、一般には初代ドイツ皇帝ウィルヘルム二世を指すことが多い「 Kaiser 」であるが、ここで芥川龍之介は皇帝・天皇の一般名詞として確信犯で使用している。]
手
諸君は唯望んでゐる、
諸君の存在に都合の善い社会を。
この問題を解決するものは
諸君の力の外にある筈はない。
ブルジヨアは白い手に
プロレタリアは赤い手に
どちらも棍棒を握り給へ。
ではお前はどちらにする?
僕か? 僕は赤い手をしてゐる。
しかし僕はその外にも一本の手を見つめてゐる、
――あの遠國に餓ゑ死したドストエフスキイの子供の手を。
註 ドストエフスキイの遺族は餓死せり。
生存競爭
優勝劣敗の原則に從ひ、
狐は鷄を嚙み殺した。
さて、どちらが優者だつたかしら!
立ち見
薄暗い興奮に滿ちた三階の上から
無數の目が舞台へ注がれてゐる、
ずつと下にある、金色の舞台(こんじき)へ。
金色(こんじき)の舞台は封建時代を
長方形の窓に覗かせてゐる、
或は一度も存在しなかつた時代を。
薄暗い興奮に滿ちた三階の上から
彼の目も亦舞臺に注がれてゐる、
一日の勞働に疲れきつた十七歳の人夫の目さへ。
ああ、わが若いプロレタリアの一人も
やはり歌舞伎座の立ち見をしてゐる!
[やぶちゃん注:昭和3(1928)年2月1日発行の雑誌『驢馬』に「僕の瑞威から(遺稿)」として掲載された。
因みに、「瑞威」は永世中立国スイス(公式の英語表記 Swiss Confederation 及び Switzerland )
であるが、ドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語の4種を公用語を有するスイスでは単独公式表記として、世界的に珍しいラテン語による Confoederatio Helvetica という国名表記がある。龍之介のこの詩の思いを、私は汲んで、それを記すこととする。そうして――最後に「立ち見をしてゐる!」のは!――芥川龍之介よ!――誰あろう! 君の息子の多加志だとは、思っても見なかっただろう?――]
未定詩稿
[やぶちゃん注:これは、昭和6(1931)年9月発行の雑誌『古東多方』から翌7年1月発行の号まで、4回に亙って「佐藤春夫編・澄江堂遺珠」として掲載され、後、昭和8(1933)年3月岩波書店から芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠 Sois belle,sois triste.」に収められた。その後、昭和10(1935)年7月発行の「芥川龍之介全集」(それを普及版全集と称する)第9巻に「未定詩稿」の題で所収された。底本はその普及版全集本文を底本とした旧全集本文(★「澄江堂遺珠 Sois belle,sois triste.」ではない点に注意★)に拠った。〔 〕は編者によるものと思われる。
【二〇一四年十二月十五日追記】なお、私は二〇一五年一月一日以降の佐藤春夫の著作権満了を待って、近日中に「澄江堂遺珠 Sois belle,sois triste.」及び、現行通用しているこの旧全集版「未定詩稿」、そして新全集版の『「澄江堂遺珠」関連資料』の三種を総て合わせた電子テクストを公開する予定である。]
*
夜はの川べに來てみれば
水のもをこむる霧の中
花火は室に消えゆけり
われらが戀もかくやらむ
*
人を殺せどあきたらぬ
妬み心も今ぞ知る
赤き光にとぶ蠅も
日頃は打つにうきものを
*
ひるの曇りにしんしんと
石菖の葉はむらだてり
ひるの曇りにしんしんと
痛む心は堪へがたし
*
山べを行けば岩が根に
何時しか苔も靑みけり
日かげに煙る淸水にも
何かは人のなつかしき
*
かなしきものはほの暗き
月の中なる山の影
君が心のおとろへも
見じとはすれど見ゆるなる
*
雨にぬれたる曼珠沙華
ふみつつひとり思ひけり
天女にあらぬ人の上
――釋迦佛の世は遙なり
*
ひとを戀ひつつただひとり
踏むは濡れたる敷石に
誰がまきすてし曼珠沙華
――釋迦佛の世は遙なり
*
澄むことしらぬ濁り江に
かがやかなりや支那金魚
わが煩惱のもなかにも
さこそはすぐる彌陀ごころ
*
ひとをまつまのさびしさは
時雨かけたるアーク燈
まだくれはてぬ町ぞらに
こころはふるふ光かな
*
のみ忘れたるチヨコレエト
つめたき色に澄むときは
幽かにつもる雪の音も
君が吐息にまじるなり
*
まひるの月を仰ぎつつ
萩原をあゆむやさ男
あれは阿呆かもの狂ひ
いやいや深草の少將に候
*
遠田の蛙聲やめば
いくたびよはの汽車路に
命すてむと思ひけむ
わが夫(せ)はわれにうかりけり
*
心ふたつにまよひつつ
たどきも知らずわが來れば
まだ晴れやらぬ町ぞらに
怪しき虹ぞそびえたる
*
光はうすき橋がかり
靜はゆうに出でにけり
昔めきたるふりながら
君に似たるを如何にせむ
*
女ごころは夕明り
くるひやすきをなせめそ
きみをも罪に堕すべき
心強さはなきものを
*
紅蓮と見れば炎なり
炎と見れば紅蓮なり
安養淨土は何處やらむ
救はせ給へ技藝天
〔Sois belle,sois triste〕
*
何かはふとも口ごもりし
えやは忘れむ入日空
せんすべなげに仰ぎつつ
何かはふとも口ごもりし
その
入日の空を仰ぎつつ
何かはふとも口ごもりし
消えし言葉は如何なりし
*
「思ふはとほきひとの上」
波に音なきたそがれは
「思ふはとほき人の上」
船のサロンにただひとり
玫瑰の茶を畷りつつ
ふとつぶやきし寂しさは
[やぶちゃん注:「玫瑰」音は「まいくわい(まいかい)」訓じて「はまなす」と読むが、孰れとも考え得る。歌柄が芥川の中国行の際のイメージを思わせ、その場合は寧ろ、音「マイクワイ(マイカイ)」の可能性が高いと思うからである。中国原産のバラ亜綱バラ目バラ科バラ属ハマナス Rosa rugosa は、あちらでは普通に花を乾燥させて茶や酒の香料とする。]
*
水の上なる夕明り
畫舫にひとをおもほへば
たがすて行きし薔薇の花
白きばかりぞうつつなる
*
畫舫はゆるる水明り
はるけき人をおもほへば
わがかかぶれるヘルメツト
白きばかりぞうつつなる
〔欄外ニ〕sois belle, sois triste ト云フ
はるけき人を思ひつつ
わが急がする驢馬の上
穗麥がくれに朝燒けし
ひがしの空ぞ忘られね
*
みどりはくらき楢の葉に
ひるの光のしづむとき
つととびたてる大鴉
みどりは暗き楢の葉に
晝の光の沈むとき
ひとを殺せどなほあかぬ
妬み心も覺えしか
綠はくらき楢の葉に
晝の光の沈むとき
わが欲念はひとすぢに
をんなを得むと
みどりはくらき楢の葉に
晝の光のしずむとき
きみが心のおとろへぞ
ふとわが
*
ひとをころせどなほあかぬ
ねたみごころもいまぞ知る
垣にからめる薔薇の實も
いくつむしりてすてにけむ
垣にからめる薔薇の實も
いくつむしりて捨てにけむ
ひとを殺せどなほあかぬ
ねたみ心に堪ふる日は
*
ひとり葉卷をすひ居れば
雪は幽かにつもるなり
かなしきひともかかる夜は
かそかにひとりいねよかし
幽かに雪のつもる夜は
ひとり胡桃を剝きゐたり
こよひは君も冷やかに
ひとりいねよと祈りつつ
ひとり胡桃を剝き居れば
雪は幽かにつもるなり
ともに胡桃は剝かずとも
ひとりあるべき人ならば
*
ひとり山路を越え行けば
雪は幽かにつもるなり
ともに山路は越えずとも
ひとり眠(いぬ)べき君ならば
*
ひとり山路を越え行けば
月は幽かに照らすなり
ともに山路は越えずとも
ひとり眠ぬべき君ならば
*
夜毎にきみと眠るべき
男あらずばなぐさまむ
*
雲は幽かにきえゆけり
みれん
夕づく牧の水明り
花もつ草はゆらぎつつ
幽かに雲も消ゆるこそ
みれんの
水は明るき牧のへも
花もつ草のさゆらぎも
わすれがたきをいかにせむ
みれんは
みれんは牧の水明り
花もつ草の
*
いづことわかぬ靄の中
かそけき月によわよわと
啼きづる山羊の聲聞けば
遠き人こそ忘られね
何か寂しきはつ秋の
日かげうつろふ靄の中
茨ゆ立ちし鵲か
ふと思はるる人の顏
*
雨はけむれる午さがり
實梅の落つる音きけば
ひとを忘れむすべをなみ
老を待たむと思ひしが
谷に沈める雲見れば
ひとを忘れむすべもなみ
老を待たむと思ひしが
ひとを忘れむすべもがな
ある日は古き書のなか
匀も消ゆる白薔薇の
老を待たむと思ひしが
*
雨にぬれたる草紅葉
侘しき野路をわが行けば
片山かげにただふたり
住まむ藁家ぞ眼に見ゆる
*
われら老いなばもろともに
穗麥もさわに刈り干さむ
夢むはとほき野のほてに
穗麥刈り干す老ふたり
明るき雨のすぎ行かば
虹もまうへにかかれとぞ
夢むは遠き野のはてに
穗麥刈り干す老ふたり
仄けき雨の過ぎ行かば
虹もまうへにかかるらむ
たとへばとほき野のはてに
穗麥刈り干すわれらなり
われらは今日も野のはてに
穗麥刈るなる老ふたり
雨に濡るるはすべもなし
幽かにかかる虹もがな
*
ゆふべとなれば
物の象(かたち)はまぎれ
物の象のしづむごと
老さりくれば
牧の小川も草花も
夕となれば煙るなり
われらが戀も
牧の小川も草花も
夕となれば煙るなり
わが悲しみも
老いさりくれば消ゆるらむ
ゆふべとなれば草むらも
ゆふべとなれば海ばらも
……………………………
今は忘れぬおもかげも
老さりくれば消ゆるらむ
ゆふべとなれば波の穗も
遠島山も煙るなり
今は忘れぬおもかげも
老いさりくれば消ゆるらむ
夕となれば家々も
畑なか路も煙るなり
今は忘れぬおもかげも
老さり來れば消ゆるらむ
(大正十年)
[やぶちゃん注:底本では最後に編者による『(大正十年)』のクレジットがある。
「Sois belle,sois triste.」はフランス語で「より美しかれ、より悲しかれ」で、これはボードレール( Charles Baudelaire )が一八六一年五月に発表した「悲しいマドリガル(恋歌)」( Madrigal triste )――現在は「 悪の華」( Fleurs du mal )の続編・補遺に含まれる一篇――の一節である。以下に原詩総てを示しておく(英文サイト「 Charles Baudelaire's Fleurs du mal / Flowers of Evil 」のこちらより引用。リンク先原文下に英訳有り。翻訳例は注の最後にリンクした)。
Madrigal triste
I
Que m'importe que tu sois sage?
Sois belle! Et sois triste! Les pleurs
Ajoutent un charme au visage,
Comme le fleuve au paysage;
L'orage rajeunit les fleurs.
Je t'aime surtout quand la joie
S'enfuit de ton front terrassé;
Quand ton coeur dans l'horreur se noie;
Quand sur ton présent se déploie
Le nuage affreux du passé.
Je t'aime quand ton grand oeil verse
Une eau chaude comme le sang;
Quand, malgré ma main qui te berce,
Ton angoisse, trop lourde, perce
Comme un râle d'agonisant.
J'aspire, volupté divine!
Hymne profond, délicieux!
Tous les sanglots de ta poitrine,
Et crois que ton coeur s'illumine
Des perles que versent tes yeux.
II
Je sais que ton coeur, qui regorge
De vieux amours déracinés,
Flamboie encor comme une forge,
Et que tu couves sous ta gorge
Un peu de l'orgueil des damnés;
Mais tant, ma chère, que tes rêves
N'auront pas reflété l'Enfer,
Et qu'en un cauchemar sans trêves,
Songeant de poisons et de glaives,
Éprise de poudre et de fer,
N'ouvrant à chacun qu'avec crainte,
Déchiffrant le malheur partout,
Te convulsant quand l'heure tinte,
Tu n'auras pas senti l'étreinte
De l'irrésistible Dégoût,
Tu ne pourras, esclave reine
Qui ne m'aimes qu'avec effroi,
Dans l'horreur de la nuit malsaine
Me dire, l'âme de cris pleine:
«Je suis ton égale, ô mon Roi!»
廣田大地氏のボードレール研究サイト「 L'Invitation @ Baudelaire 」で廣田氏の個人邦訳「悲しみのマドリガル」が読める。参照されたい。]
岩波版新旧全集「詩」パート未収録の「芥川龍之介未定稿集」所収詩篇
[やぶちゃん注:以下の十五篇の詩篇(または詩篇断片)は、岩波書店一九六八年刊葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」の「詩」のパートに所収するもので、岩波版新旧全集の「詩歌」の「詩」の部分に所収しない詩を採録した。各詩の間の「○」は編者による挿入と思われるが、配しておいた。何故なら、詩篇の間には「○」のない箇所があり、これはその詩篇群が一つの纏まりであることを指すものとも思われるからである。
なお、これらの中には新旧全集の書簡及びノート類のパートに別載する可能性もあるかとも思われるのであるが、現在、それを精査する余裕がないので、かく標題した。重複するものを発見された方はご連絡戴けると、恩幸これに過ぎたるはない。]
○
zwi zwi zwi tsu zwi tsu zwitser zwi……
サモワルは暖し鈍銀に輝きて
我等の紅茶々碗もほのかなる
レモンのほめきにみちたり
ヴェランダの手すりにはえるばらは
よろこびにされど又微なる怖に
小さく紅き莟をふるへり
[やぶちゃん注:最初の英文文字列は不詳。オノマトペイアか?]
○
おれの想像
日光の中へ、高々と。
おれは蛾だ。燈火の戀人だ。
○
「わづらひはわが世に多し
いかにせむ うつし身のわれ。」
すべしらにかくこそ祈れ
夜のほどろ蠟をたきつつ
繪にしたるマリヤのみまへ。
うらわかきぬかをぬらせば
汗もげにくゆらむものか。
世にありてはたとせあまり
みつと云ふサンタマルガリタ
みだれたる髮のこがねに
おちし灯の光あはみ
裳(も)は紅き絹ささべり
ぬば玉の黑天鵞絨も
らうたげにひきはへたりや
うつつなき祈念のひとみ
ほのぼのと靑きもかなし
・・・・・・・・・・
[やぶちゃん注:この最後の一行空けの中黒列は未完を現わす編者葛巻の記号である可能性が高いように思われる。
「サンタマルガリタ」アンティオキアのマルガリタか? ウィキの「アンティオキアのマルガリタ」によれば、『マルガリタはアンティオキア(現在のトルコ共和国・アンタルヤ近郊にあった町)生まれで、父はアエデシウスという異教の祭司であった。彼女はキリスト教の信仰を持ったため、父からうとまれ、養母と共に羊飼いをしながら暮らすことになった。オリブリウスという名の地方高官からキリスト教信仰の放棄とひきかえに結婚を申し込まれた。しかし彼女がこれを拒んだことから捕らえられ、拷問を受けることになったが、そこで多くの奇跡が起こった。たとえばドラゴンの姿をした悪魔に飲み込まれたとき、彼女が持っていた十字架によってドラゴンの体内が傷つき、無事に出てくることができた。マルガリタは』紀元三〇四年に亡くなったとされるが、生年は未詳であるから、この詩の人物(「はたとせあまり」)の同定の根拠にはならない)。『聖マルガリタ(マーガレット)への信仰は特にイングランドで盛んで』、二百五十もの『教会が彼女に捧げられている。民衆信仰では彼女は妊婦の守護聖人とされている。絵画では彼女はしばしば竜から逃れる姿で描かれている』一九六九年の典礼改革によって実在性が疑われる彼女は典礼暦からは削られ、公的な信心は行われなくなったが、『それでも民衆の中に信心が生き続けている。彼女は十四救難聖人の一人であり、ジャンヌ・ダルクに幻で現れたことでも知られる』とある。]
斷 章
ひとりあればさびしかるらむ
ほの靑き空のかぎりを
しらじらと月こそあゆめ
ひとりなるわがさびしさ
ひとりあればはれるならん
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
[やぶちゃん注:この「斷章」という標題は編者葛巻の恣意的な標題である可能性が高いように思われ、また、この最後の一行空けの二行の中黒列も未完を現わす葛巻の記号である可能性が高いように思われる。それにしても、何故二行なのか? 訳あって示し得ない二行なのか? 判読出来ない二行なのか? ぐちゃぐちゃに潰した判読不能の潰しなのか? 昔から感じ続けていることであるが、葛巻のすることは不審なことが多いことは、残念ながら事実である。それが実にこの「未定稿集」全体の芥川龍之介文献の一次史料としての資料価値を著しく下げてしまっているといってよい。彼しか所持していなかった資料も多いというのに。誠に残念である。]
我が愛したるかの人のために
わが幸福なるおもひでのために
かのひと
われら 流れゆく「時」をしらず
たゞ 限りなき「愛」を呼吸す
麥の足穗は うなづき
おち方の 寺の鐘 鳴る
[やぶちゃん注:以上、最初の“zwi”で始まる詩から、この「かのひと」まで、編者は大正元(1912)年から大正3(1914)年頃の創作とし、「未發表」と記す。の年号は「かのひと」を絞るためには貴重である。]
遣羽子
夕けむる日かげを惜しみ
遣羽子に娘つどへる
簪の上(へ)はろばろと
とびかふは羽黑つくばね。
むくろじに泥(だ)みたる金か
中空(なかぞら)に舞ひつつ光り
羽子板へ
落ちやまず羽黑つくばね。
あが「生」の日かげを惜しみ
概念の遣羽子すなる
おろかさを哂ふがに
黄昏がるる羽黑つくばね。
つきそめていく時かへし
やちまたの雀色時
もとほればかなしもよ
ああ空に羽黑つくばね。
師走人ざはめきすぐる市中(いちなか)の
おうさくるさにたたずみて
言擧げすなる曆賣り
カンテラの煤け明りに高々と
から聲たてて呼ばふらく
「曆はよろし來年の
來年の曆はよろし曆召せ。」
されど人はとどまらず
白 癩
人心ほのかに明(あか)く
朝づきし昔かたりぞ
はれやらぬ霧もなびけば
去りがてぬ音もなづめば
ものみなの象(かたち)を分かず
うそぶくは淵のみずちか
[やぶちゃん注:「白癩」は「びやくらい(びゃくらい)」と読む。ハンセン病の一型の古称。身体の一部又は数箇所の皮膚が斑紋状に白くなるものを指す。]
白衣登料
かうかう澄める松の風
せんせん鳴れる瀑の音
峯のほそみち高だかと
のぼる白衣は誰ならむ
[やぶちゃん注:以上、「遣羽子」から、この「白衣登料」まで、編者は大正3~4(1914~1915)年から大正6~7(1917~1918)年頃の創作とし、「未發表」と記す。]
白 鳥
日は沈んだ。風とは云へぬ程かすかな風が、黄ばんだ木の葉を渡つて來る。その木のかげを一つ曲ると、公園の池のほとりへ出た。お前は他の夕明りの中に、白々と一羽浮んでゐる。それが水の上に病んでゐるのか、何時まで見てゐても動かない。その時おれの心の眼には、月よりもほのかに明るみ始める――あのマラルメの秋の夢が。
[やぶちゃん注:編者は大正8(1919)年頃の創作とし、「未發表」と記す。]
FANTASHA
一
みたりの黑衣のひとありてわが前にうかび出でぬ。
さきなるひとりは若き女にして、小さき機(はた)の上に座しつ、機には月の如く黄なると、日の如く紅なると、二すじの糸たれたり。
中なる老いたる女は、すでに織られたる布を双の手に捧げて、あまれるは長く地にひきつ。布は濃藍(こあゐ)と素(す)黑とにて描ける、渦輪なりき。
あとなるひとりは面をだに見せず、黑き衣を頭よりうちかづきて、唯めてのみを露しつ。其手にとられしは、しろがねの如く輝ける鋏なりき。
たちまち、風のふきわたるやうな聲して、――みたりは霧の如く消えぬ。
二
夏の夕なり。病める翁ありて、とある無花果のかげに座しつゝ、路ゆく人々に糧をもとめぬ。されど何人も此翁をかへりみざりき。
空は白き葡萄の酒をたゝへしやうにくれて、無花果の葉かげも暗うなりぬ。しかも翁はなほ座して人を待てり。たちまち、ひとりの女ありて、翁の前をよぎりぬ。
「我飢ゑぬ、物たびたまはずや。老いたる病う人の爲に。」 かすかなる聲して云ふ。
女は顧みつ、携へたる籠の中より、熟せる棗をとり出でゝ與へぬ。「しばらくの飢をしのがせ給はむ料にこそ。此外にものなければ。」
「かたじけなし。」翁はわづかに頭をさげぬ。
「われ渇きぬ。水くみてたまはずや。」 小さき、壺をとり出でつゝ、再かすかなる聲にて云ふ。
女は快よくいらへて、高き蘆と低き柳とをわけつゝ、淸き河の水を、あふるゝばかりにくみぬ。「干したまへいざ、」 壺を翁の手に與へて云ふ。
翁は靜に、立ち上りつ。歩して無花果の下を出でぬ。月のぼりて光、水の如く、其白き髯を、皺ばめる面を、長きにび色のきぬをぬらしたれども、翁の影はたえて地の上に落ちざりき。
「女よ、爾の上に榮あれ。」 翁の聲は遠なりのかみの如くびゞきぬ。女は驚きて翁の顔を仰ぎ見しが其火の如くびらめける眼に恐れて、あはたゞしく地にふしぬ。
「我爾につげむ。爾が老いたるかたいに與へたる、棗をはまば爾は、富と譽とを得む、爾が老いたるかたいにめぐみたる水をのまば、爾の子は多くの子の父とならむ、爾自ら選ぶにまかせよ。」
「願くは水をこそ。」 女の聲はやさしかりき。
翁、再びどよもし答ふ。「幸なるかな愛ある者、爾はSOLOMONが智を願びたる賢しきよりも賢し。爾が子は、爾が國の民の父とならむ。爾の子の上に賀(さかえ)あれ。」
女は漸、頭をあげぬ。而して翁のすでに去りて、唯、晶の如き水をたゝへたる壺のみ、無花果の下かげにのこれるをながめぬ。
かくして、わが ZOROASTER は生れぬ。
[やぶちゃん注:編者は大正4~5(1915~1916)年頃の創作とし、「未發表」と記す。]
その子うまれて三日の夜、……
その子うまれて三日の夜 母なる人のおこたり
戸をとざすをわすれて いねぬ 夜ふけて月の光窓よりしのび入りて 幼な兒の頰をぬらしつ 家のうちはなべてくらく まどろめるごとく かすかなりしが 幼な兒の白き褥のみは ほのかなる月の光に靑みて 夢もまた 琅玕の國にやさまよひけむ その夜より 幼な兒の頰は 月のかなしみをやどして なめ石の如く かくひやゝかになりまさりつ くちづけし月もさびしく 靑みけむ ――
うつむける 君が片頰(かたほ)の さびしくも 思はるゝかな 夕月の夜は
[やぶちゃん注:編者は大正3~4(1914~1915)年頃の創作と記す。]
涼 味
スフィンクスの頭上に腰をかけて、空を仰ぐ。雲はない。空は、澄みに澄ンで、深い碧瑠璃の樣。砂漠の末から歌の聲が起る。四方は靜だ。時々、椰木のさやさや月にさゝやく外に聲はない。歌の聲が折として、激調にふるえる。と、ナイルの流に浮でゐた、月影がくづれる。 歌が完る。月がやゝ傾く。 砂山のむこうで獅子が吼えた。
[やぶちゃん注:「さやさや」の後半は底本では踊り字「〱」。編者は大正元(1912)年頃の創作と記す。]
序(斷片)
おれは暮方の窓の側に、さつき一人空を仰いでゐた。仄かに靑く澄み渡つた空には、疎な星屑が光つてゐた。その空の下に起伏する、數限りもない瓦屋根――其處からかすかに立ち昇つて來るのは、運河が晝の熱を返す水蒸氣の影であらうか。それとも東京に住んでゐる無數の人間の吐息でもあらうか。さう云へばおれも空を見ながら、思はず長い吐息をした。微風に動いてゐるレエスの窓掛け、窓框に並べた忘れな草の匀、それから靄に沈んでゐる遠い寺々の梵鐘の音――すべてがおれと同じやうに、やはり吐息を洩らしてゐるらしい。
するとおれのすぐ側で、誰かが又長い吐息をした。部屋の中には夕闇が、とうに薄々と流れてゐる。壁に懸けたモナ・リサの畫も、あのほほ笑みは云ふまでもなく、顏貌(かほ)さへはつきりとは見分けられない。が、おれがあたりを見廻すと、おれの足もとの床の上には、雪のやうな毛を朧めかせた貘が一匹横はつてゐた。貘は前足を揃へた儘、石灰の火に似た眼を擧げて、窓側に立つたおれの顏をじつと見上げてゐるのである。おれは半ば身をかがめて、その頭を撫でながら、獨り言のやうにかう聲をかけた。
「貘よ。お前は何が欲しいのだ。お前の眼には何時になく、饑の焰が燃えてゐるぢやないか。」
貘は思ひがけなく人の如く、悲しさうにこんな返事をした。
「私は夢が欲しいのです。東京の町には何處へ行つても、小供の夢さへ見當りません。どうかあなたの夢を食べさせて下さい。さもないと私は今夜中に、翅を燒かれた蛾(ひとりむし)よりも、脆い死方をしてしまふでせう。」
おれは・・・
[やぶちゃん注:この「(斷片)」は勿論、編者のものであろうが、この「序」というのも何だか怪しい。とりあえずはそのままとしておく。編者は大正八(1919)年頃の創作とし、「未發表」と記す。]
鮨 ballade
空かきくもりそよ風に、埃たちまふ夏の夜半。闇とひとつに煙りつつ、ゆらぐともなき古暖簾、くぐれば暗き電燈に、あやしき鮨ぞならびたる。まぐろ海苔まき烏賊さより、小鰭しら魚鴉貝、あるは赤貝えびびらめ、みな酸の香にいきれつつ、吐息もすらむけはひあり。と見ればひとつ大いなる。手こそは來れ鮨の上に。鮨はしみらに蠢きつ。まぐろ海苔まき烏賊さより、小鰭しら魚鴉貝、あるは赤貝えびびらめ、ぬらめきわたり饐えわたり、燐の光ははなてども、手はつかみ去る鴉貝。ああここもとに死(しに)やある。鮨はしみらに悲しみぬ。まぐろ海苔まき烏賊さより、小鰭しら魚鴉貝、あるは赤貝えびびらめ、汗ばむ肌もふるへつつ、蛙めきたる音(ね)に泣けば、今ぞ見え來るそが上に、睫きしらぬ顏ひとつ、……
[やぶちゃん注:編者は大正8~9(1919~20)年頃の創作とし、「未發表」と記す。先に掲げた「怪談」は、これを分かち書きにし、口語風に現代詩化したものである。
老婆心乍ら、「小鰭」は「こはだ」と読み、「しみらに」は「終(しみ)らに」という副詞で、一日中、間断なく。絶えずひっきりなしに、の意。]
幽 靈
蒼白いお前のすがたは、何時となく私たちの部屋へはいつて來る
お前は何が欲しいのだ
私の愛か それとも又 妻の愛か
しかしお前は 私の問に答へない
さうして唯 部屋のすみにたたずみながら、おごそかな眼で しづかに私たちを星のいぶきのやうなお前のすがたの向うに 窓かけのわすれ草をちらつかせながら
(七月十一日)
[やぶちゃん注:編者は大正九(1920)年頃の創作とし、「未發表」と記す。]
やぶちゃん版芥川龍之介詩集 完