やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇
鬼火へ

(我輩も犬である 名前は勿論ない……) 芥川龍之介

[やぶちゃん注:明治四一(一九〇八)年二月発行の芥川龍之介編集になる回覧雑誌『碧潮』(「へきちょう」と読む)に所載。龍之介満十六歳、東京府立第三中学校(現在の都立両国高等学校)第三学年の終わりの頃の作である。表題も署名もなく、句読点もない。山梨県立文学館蔵で『山梨県立文学館館報』第二号(一九九〇年三月発行)で初めて日の目を見た初期文章である。底本は岩波版新全集を用いたが、私のポリシーに随って恣意的に正字化した。踊り字「〱」「〲」は正字化した。最後に簡単な注を附した。底本にある原稿改頁記号は省略した。
 なお、本小説に出現する三句の俳句、
   秋になつて赤くなつたる紅葉かな
   あくる日は元日なれや大晦日
   八月の十五日の夜の月見かな
は芥川龍之介の初期俳句作品と数えてもよいかと思われるが、小説中に出現するという特異性、如何にも「小首を捻らせる樣な」「句をなしてゐない」ものなれば、河童国に現住せる龍之介自身が自作としては拒否をしそうであるからして、吾輩の「やぶちゃん版芥川龍之介俳句全集」への採録は暫く留保致そうと存ずる。
 本テクストはHP開設8周年記念として作成した。【藪野直史 二〇一三年六月二十六日】]


我輩も犬である 名前は勿論ない 何處で生れたか忘れて仕舞つた
主人は中學校の生徒である 神經衰弱とかで何一つ滿足に出來ない癖にいろンなものに手を出したがる男で 每朝鐵啞鈴をふつて一日をきに腕の寸法をはかつて見たり柔道を習つて女中を腰車にかけて抛り出したり時によるとワツトマンに畫具をなすつてアンドレアデルサルトをきめて見たり下手な短文を作つて「碧潮」に投書したり又は机をたゝいて「
home, home, sweet home,」と唸つたりするが氣の毒な事には何一つ物になつて居らん
此間も珍らしく机の前にちやンと座つて――我輩の主人は正座した事のない男である 飯を食ふ時を除いては殆ど終日寐ころむでゐると云つていゝ――日光羊羹を机の上にのせて茶をのみのみ右手の中指の關節をなめてゐるので我輩は又機械體操でやつて指にけがをしたンだらうと思つてゐたがよく聞いて見るとこれは紅葉の眞似なンださうだ つまらない事をやつたもンだ 所が二三週前の土曜日の晩彼は小形な新聞紙の包みを以ていそがしさうに歸つ來た 何を買て來たのかと思て見ると俳句作法と古句新註とホトヽギスと云ふ雜誌とで今日から人“
sweet home”や紅葉の眞似をやめて俳句をつくるつもりらしい
果して其翌日から主人は俳句に熱中し始めた 後架へはいるにも俳句作法をもつて行くし復習をしながらも古句新註をよンでゐる 從つてその製造總額は夥しいものである 中には芭蕉をしても小首を捻らせる樣な句も少くない
  秋になつて赤くなつたる紅葉かな
これが我輩の主人が始めて吐いた名句である中には「あくる日は元日なれや大晦日」「八月の十五日の夜の月見かな」と云ふのもある 三日ばかりたつと流石の我輩の主人も少しは自分ながら句をなしてゐないのに氣がついたと見えて主人の友達の獨逸語とかをやつてゐる眼鏡をかけた男が遊びに來た時にこンな事を云つてゐた「僕は此間から俳句をやり始めたンだがね 自分で句を作つて見るとつくづくそのムヅカシいのに驚く 所謂俳味と云ふ奴が中々備らむ[やぶちゃん注:ママ。]ものだ」これは本音である 慥に彼は俳味をとらへむとして此二三日と云ふものは苦でゐる 眼鏡は笑いながら「そりやァ急にァうまくならないさ 芭蕉の書簡に「俳諧御執心の由先は珍重 題を前に句をねらむよりは天地アメツチを題とする眞の俳諧肝要に御座候」と云ふのがある 正門一流の名言ぢやないか 天地を題とする其の俳譜をやる樣にし給へ」「さうかねえ 芭蕉がそンなことを云つたかい へえ こりや眞理だ實に尤だ」と主人が無暗に感心してゐるのを見て眼鏡は笑ひながら話を外へうつして仕舞た
(以下次號)

■やぶちゃん注
・「ワツトマン」ワットマン紙。一七六〇年に英国のワットマン(
J.Whatman)が麻のぼろ布を漉いて創り出した純白の厚地の高級水彩画用紙。
・「アンドレア・デル・サルト」ルネサンス期のイタリアの画家
Andrea del Sarto(一四八六年~一五三一年)。漱石の「吾輩は猫である」の冒頭「第一」に彼への言及がある。本作はそこを大幅にパロディ化しているので以下に示す(引用は岩波版旧全集を用いたが、読みは振れるもののみに限定し、踊り字「〱」は正字化した)。
   *
 我儘で思ひ出したから一寸吾輩の家の主人が此我儘で失敗した話をしやう。元來此主人は何といつて人に勝れて出來る事もないが、何にでもよく手を出したがる。俳句をやつてほとゝぎすヽヽヽヽヽへ投書をしたり、新體詩を明星ヽヽへ出したり、間違ひだらけの英文をかいたり、時によると弓に凝つたり、うたひを習つたり、又あるときはヷイオリン抔をブーブー鳴らしたりするが、氣の毒な事には、どれもこれも物になつて居らん。其癖やり出すと胃弱の癖にいやに熱心だ。後架の中で謠をうたつて、近所で後架先生と渾名をつけられて居るにも關せず一向平氣なもので、矢張是は平の宗盛にて候を繰返して居る。皆んながそら宗盛だと吹き出す位である。此主人がどういふかんがへになつたものか吾輩の住み込んでから一月許り後のある月の月給日に、大きな包みを提げてあはたゞしく歸つて來た。何を買つて來たのかと思ふと水彩繪具と毛筆とワツトマンといふ紙で今日から謠や俳句をやめて繪をかく决心と見えた。果して翌日から當分の間といふものは每日々々書齋で晝寐もしないで繪許りかいて居る。然し其かき上げたものを見ると何をかいたものやらだれにも鑑定がつかない。當人もあまりうまくないと思つたものか、ある日其友人で美學とかをやつて居る人が來た時に下の樣な話をして居るのを聞いた。
「どうも甘くかけないものだね。人のを見ると何でもない樣だが自ら筆をとつて見ると今更の樣に六づかしく感ずる」是は主人の述懷である。成程いつはりのない處だ。彼の友は金緣の眼鏡越に主人の顏を見ながら、「さう初めから上手にはかけないさ、第一室内の想像許りでがかける譯のものではない。昔し以太利の大家アンドレア、デルサルトが言つた事がある。畫をかくなら何でも自然其物を寫せ。天に星辰あり。地に露華ろくわあり。飛ぶにとりあり。走るにけものあり。池に金魚あり。枯木に寒鴉かんああり。自然は是一幅の大活畫だいかつぐわなりと。どうだ君もらしい畫をかゝうと思ふならちと寫生をしたら」
「へえアンドレア、デル、サルトがそんな事をいつた事があるかい。ちつとも知らなかつた。成程こりや尤もだ。實に其通りだ」と主人は無暗に感心して居る。金緣の裏には嘲ける樣な笑が見えた。
 其翌日吾輩は例の如く椽側えんがはに出て心持善く晝寐をして居たら、主人が例になく書齋から出て來て吾輩の後ろで何かしきりにやつて居る。不圖ふと眼が覺めて何をして居るかと一分許り細目に眼をあけて見ると、彼は餘念もなくアンドレア、デル、サルトを極め込んで居る。余は此有樣このありさまを見て覺えず失笑するのを禁じ得なかつた。彼は彼の友に揶揄せられたる結果として先づ手初めに吾輩を寫生しつゝあるのである。我輩は既に十分寐た。欠伸あくびがしたくて堪らない。然し切角主人が熱心に筆を執つて居るのを動いては氣の毒だと思ふて、ぢつと辛棒しんぼうしてつた。彼は今我輩の輪廓をかき上げて顏のあたりを色彩いろどつてる。我輩は自白する。我輩は猫として決して上乘の出來ではない。脊といひ毛並といひ顏の造作ざうさくといひ敢て他の猫に勝るとは決して思つて居らん。然しいくら不器量の我輩でも、今我輩の主人に描き出されつゝある樣な妙な姿とは、どうしても思はれない。第一色が違ふ。我輩は波斯產ペルシヤさんの猫の如く黃を含める淡灰色たんくわいしよくうるしの如き斑入ふいりの皮膚を有してる。是丈は誰が見ても疑ふべからざる事實と思ふ。然るに今主人の彩色を見ると、黃でもなければ黑でもない、灰色でもなければ褐色でもない、去ればとて是等を交ぜた色でもない。只一種の色であるといふより外に評し方のない色である。其上不思議な事は眼がない。尤も是は寐て居る所を寫生したのだから無理もないが眼らしい所さへ見えないから盲猫めくらだか寐て居る猫だか判然しないのである。吾輩は心中ひそかにいくらアンドレア、デル、サルトでも是では仕樣しやうがないと思つた。
   *
なお、「一」の末では、美学者がここで言ったアンドレア・デル・サルトの台詞は『實は君、あれは出鱈目だよ』と明かすオチが待っている。
・「(以下次號)」とあるが、続篇は書かなかったか、現存はしない。
・『芭蕉の書簡に「俳語御執心の由先は珍重……』引用元不詳。「只今天地俳諧にして萬代不易」(元禄三(一六九〇)年十二月二十三日附去来宛書簡)や「物しりにならんより心の俳諧肝要にござ候」(元禄年中、晩山宛書簡)若しくは弟子立花北枝の「山中問答」の「蕉門正風の俳道に志あらん人は、世上の得失是非に迷はず、烏鷺馬鹿の言語になづむべからず。天地を右にし、萬物山川草木人倫の本情を忘れず、飛花落葉に遊ぶべし。其姿に遊ぶ時は、道古今に通じ、不易の理を失はずして、流行の變に渡る」「虛に實あるを文章といひ、禮智といふ。虛に虛あるものは世にまれにして、又多かるべし。此の人をさして正風傳授の人とするとて、翁笑ひたまひき。私いはく、虛に虛なるものとは、儒に莊子、釋に達磨なるべし」や、図司呂丸の「聞書七日草」の「天地流行の俳諧あり、風俗流行の俳諧あり。只此道ハ、花のもとに、ほとゝぎすの窓に、上ハあたごの風味より、下は木曾路の績桶迄、歌にもれ行茶ごとをももらさゞるの歌なり」(「績桶」は「せきとう」又は「おごけ」と読み、細く裂いて長く紡いだ麻を入れておく檜で出来た円筒形の曲物桶)「花を見る、鳥を聞く、たとへ一句にむすびかね候とても、その心づかひ、その心ち、これまた天地流行のはいかいにておもひ邪(よこしま)なき物なり。しかもうち得ていふ人にいはば、この心とこしなへにたのしみ、南去北来、仁道の旅人となりて、起居言動に身治まるを、虛に居て實に遊ぶとも、虛に入りて實にいたるとも、うけたまはりはべる」等の「不易流行説」の原形、果ては後の蕪村の評言等を結合させたものか。ここは多分に前に引用したアンドレア・デル・サルトの捏造をパロディ化しているように思われるのであるが。識者の御教授を乞うものである(以上の記載の内、北枝と呂丸については「芭蕉庵ドットコム」の「芭蕉と呂丸の関わりについて」及び「もう一つの仏教学・禅学 新大乗―本来の仏教を考える会」の「禅と詩歌―松尾芭蕉」に載るものをから引用させて戴いたが、漢字は恣意的に正字化した)。