やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇
鬼火へ

芥川龍之介「河童」決定稿原稿の全電子化と評釈
                     藪野直史
                                 ☞ 縦書版へ
[やぶちゃん注:私は既に2010年12月に昭和2(1927)年3月発行の『改造』に発表された「河童 附草稿」及び『芥川龍之介「河童」やぶちゃんマニアック注釈』の電子化を行っているが、本頁は「国立国会図書館デジタル化資料」にある国立国会図書館蔵の芥川龍之介「河童」自筆原稿(和装。末尾に永見徳太郎筆になる「河童原稿縁起記」一枚を貼付)を独自に視認した電子化テクストであり、ここでは芥川龍之介の表現上の書き癖なども可能な限り、再現したつもりである。これは当初、2013年6月9日に私のブログのカテゴリ「芥川龍之介「河童」決定稿原稿」で開始し、永見徳太郎「河童原稿縁起記」を含め、2013年7月7日に終了したものを、再度、冒頭から作成し直したものである(私のHPビルダーはワードから取消線その他を含んだものを直接コピーすると、HTML構文が恐ろしく複雑になるため)。従って内容的にはブログ版よりもブラッシュ・アップしてある。
 判読に際しては、既に『芥川龍之介「河童」やぶちゃんマニアック注釈』にも主要部分を注記引用した岩波書店刊一九七八年刊「芥川龍之介全集 第八巻」の後記に示された異同を一部参考にしたが、あくまで私の視認を原則とした。同校異に疑義のある場合は逐一補注してある。なお、岩波版の校異は底本とした『改造』初出と決定稿の成文との異同に限られたものであって、例えば今回最初に手掛けた「序」の削除部分などは、無論、載っていない。

 使用原稿用紙は松屋製の20×20=200字詰原稿用紙。25×17・5センチメートル(底本画像下のスケールで確認)。
罫の色はやや明るいロイヤル・ブルー。右下罫外に、
 
(SM印  B…1)  10…20
という規格表示があり、左罫外下方に、
 
松屋製
と同じ色で印刷されている。因みに、この原稿用紙は芥川龍之介の遺書に用いられたものと同一会社の同一仕様のものである。
 各原稿の左罫外の上方に原稿の通し番号(既成アラビア数字のゴム印)が打たれているが、位置は一定していない(例えば「1」は左罫外の上から4マス目左辺り、「2」は1マスマス目左辺り、「4」は原稿用紙の左罫外上の罫の上方)。なお、この数字を電子化では冒頭に「■原稿1」という風に示した(なお、59枚目まではこれと同じ数字が対角線の位置、右罫外下方に外に類を見ない普通の鉛筆による手書きで加えられている。60枚目以降はそこで詳述する)。
 更にこの数字の左横若しくは上辺りに、青スタンプで小さく、
 
改造よ印
とある(この位置も一定しない)。「よ印」の意味は不明。識者の御教授を乞うものである。
 以上はどの原稿にも共通するので、極めて特異な場合や変化が生じた箇所を除いて、原則として注記はしないこととした。

 以下、凡例を示す。

一、底本とした画像と照応し易くするため、原稿に合わせて1行20字を原則とした。なお、芥川は鍵括弧や丸括弧及び促音表記を1マスとらない癖があったりするため、訂正のない箇所であっても単純に20字には一致しない。
二、漢字のうち、明らかに別字若しくは現在の新字と全く同様と判断したもののみ、新字で示した。少しでも迷ったものは総て正字で示しておいた(同一漢字でも必ずしもその統一は図っていない)。従ってそれだけでも現在知られている「河童」の正字版乃至は新字版の校訂本文とは異なる箇所がある。例えば芥川は、原稿では、
 「號」「氣」「國」「多」
等は概ね、
 「号」「気」(但し、最終画がない特殊なもの)「国」「夛」
と書いているのでそれに従い、
 「來」「爲」
等は「来」「為」に極めて近くても崩し字と判断して、
 「來」「爲」
で示している(但し例えば、明確に「来」としか見えない確信犯の字は「来」としてある)。これらは機械的統一を敢えてとってはおらず、私の判断がぶれている箇所もあろうかとは思われるが、生原稿の雰囲気を再現する一方途と考えた仕儀であるので悪しからず。また、芥川の書き癖による表記不能な異体字(概ね存在しない嘘字の類)は正字で示した。
三、〈 〉は抹消を示す。抹消が数行に続いてなされていると判断される場合は、その初めから最後までを〈 〉で括った。その下に改稿を示してあるので、そこでも見た目、20字にはならない箇所が当然、発生する。
二、〈 〉の抹消部の中でも、部分的に先立って推敲抹消された箇所は《 》で括った。因みに面白いことに、書き換えはあっても、この単純先行削除箇所は思ったよりも少ない。
三、〈 ⇒ 〉は、ある語句の明らかな書き換えが、ともに末梢されたことを示す。
四、ある語句を消去して書き換え、それが決定稿の生きている部分に繋がっている場合、その書き換えた生きている〈吹き出し等で加えられた推敲の新しいパート〉(若しくは削除部の代わりに書かれたと判断される続く本文パート)については、それがなるべく分かるように、その語句を「*」で挟んだ。それが入れ子構造になってしまう場合には、「**」のようにアスタリスクを増やしたもので対応させて挟んで区別した。これは、箇所によっては判断が難しかったので、その範囲について疑義があられる場合は、必ず原本画像を確認されるよう、お願いする。但し、判読不能の場合や、明らかにその削除内容が決定稿の続く成文とは続かない別表現(形容削除など)であったと思われる箇所については、敢えて「*」を附さずにおいた箇所もある(この判断は微妙であり、そう判断した私の中でも完全に統一のとれたルールによってアスタリスクを附さなかった訳ではないから、やはり必ず原本画像を確認されるよう、お願いする)。
五、〔 〕は、原則、本文原稿マスへ書かれた初筆に後から欄外に吹き出し挿入されたものを示すが、推敲過程で推敲訂正文に更に挿入している箇所についても同様に使用した箇所がある。やはり必ず原本画像を確認されるよう、お願いする。
六、判読不能の抹消字は「」で示した。識者の御教授を乞うものである。
七、私が判読に迷ったものには直後に半角(本文中の全角の「?」と区別するため)の疑問符「?」を附し、判読出来なかった字は抹消字でない場合(無論、活字となっている決定本文のみではなく、その他原稿用紙全面に存在している(していたと思われる)書き入れの判読を指している)は「□」で示した。これも切に識者の御教授を乞うものである。
八、以上の抹消その他の方法に特異な点や複雑な過程があると認められる箇所(概ね記号類では説明し切れていないと判断される箇所)は、なるべく原稿画像を見なくても分るようにその状態を注で解説した。
九、原稿には種々の校正による書き入れや各種指示があるが、これについても可能な限り、当該箇所と書き入れ指示内容を適当と思われる位置に注を挿入して示した。
十、標題や章番号の後及び注の後は原則、一行空けた。その他にブラウザ上での見易さで行空けした箇所については、注で指示した。

 国立国会図書館の蔵書印等は再現していない。因みに「1」にあるそれは、3~4行目欄外から2マス目にかけて、
 方形朱印の、
 
國立國會圖書冠舘藏書
という蔵書印があり、原稿内右下端1~2行目の19~20マス目には、丸型の、上部・中段(年月日)・下段の順に、
  国立国会
 26.3.12
   図書館

という青い受入印が打たれてある。これは末尾の永見徳太郎「河童原稿縁起記」のクレジットが「昭和二六年春の花咲く頃」とあることからも、
 昭和二六(一九五一)年三月十二日受入
を指すものと考えてよい。

 細かな注で文章が分断されるため、全文を総覧するには向かないので、煩瑣な私の神経症的注をほぼ完全に除去した、通読閲覧用の、
 『「河童」決定稿原稿(電子化本文版) 藪野直史』同縦書版
をも同時に作成したので、そちらも用途に併せてご利用戴ければ幸いである。
 なお、本頁は私のブログ490000アクセス突破記念として作成した。藪野直史【2013年8月16日】]



芥川龍之介「河童」決定稿原稿

■原稿1

  
河  童
     どうか Kappa と發音して下さい。
           芥川龍之介

[やぶちゃん注:以下、標題と副題及び署名の周辺部の校正記載を示す。
●右罫外1マス目と同位置から赤インクで、
 
總八ポ二段廿一行 ルビツキ
とあり、罫外上部右角に同じく赤インクで、
 
⎿望
とあり(表記通り、鍵括弧状の記号が左下にある)、その左に大きく、右から左に向かって赤インクで、
 
カット
とあり、その左には至急の謂いと思われる「
」の赤印が、その左に「黒屋」という校正者と思しい人物の朱の捺印がそれぞれある。この「カット」の文字は左右下を箱型に赤インクで囲まれており、上部はこの箱型の赤い左右の縦棒の上を、ブルー(青鉛筆と思われる)で音楽記号のスラーのように左右に繋げて、その上に右から左に、
 
三寸五分
と書き、同じく箱型の右外に、
 
二寸二分
また、箱型の左外上方に
 
よ印
とある(三つともすべて青鉛筆手書き)。
また、左上方20行目真上罫外から左罫外に赤インクで、
 
□で
   二通

とある(□は判読出来なかった。「で」も何かの漢字かも知れない)。
ここにある「望」はカット希望の意味なのかどうかは不明。「よ印」の意味は不明。校正に詳しい方の御教授を乞う。
●「河童」二字下げ行間。字はほぼ行間を含む2行分の4マスを1スペースとしてやや左寄りに大きく書かれている。「童」の字の上部は「立」ではなく、「大」で。「﨑」と「崎」の(つくり)の上部の違いと同様の書き癖で、本文でも拡大して見ると「大」としていることが分かる。左に赤インクで
 
――一――
のポイント指示(校正の決まり。縦書原稿でアラビア数字で「1」と書くと範囲表示のダッシュと判別がつかなくなるため)。
●「どうか Kappa と發音して下さい。」は5字下げ。「Kappa」は3マスに筆記体風(但し、“K”はイタリックで、二つの“p”の間が切れている)で、表記のように前後に半角ほどの余裕を入れて記す。右に、赤インクで、
 
――4――
のポイント指示。これは但し、一回目「4」として抹消、右に「3」として再び抹消して、さらに右に再び「4」とポイントとしてある。
●「芥川龍之介」は11字下げ。右に、
 
――3――
のポイント指示。これは但し、一回目「
」としたものを、抹消して「」と訂してある。]

     序

[やぶちゃん注:「序」の字は5行目5字下げ。以下の本文は6行目から始まる。]

 これは或精神病院の患者、―――㐧二十三号
が誰にでもしやべる話である。彼はもう三十
を越してゐるであらう。が、一見した所は如
〈何にも若々しい狂人である。《彼の⇒僕は》彼と向《ひ》かひ
合ったまま、愉快に《夏⇒夏⇒初冬》の半日を暮ら〔し〕た。  〉

■原稿2
何にも若々しい狂人である。彼の半生の經驗
は、―――いや、そんなことはどうでも〔善〕い。唯彼
〈僕〉*唯*ぢつと兩膝をかかへ、時々窓の外へ目を
やりながら、(鐵格子をはめた窓の外には枯れ
葉さへ見えない樫の木が一本、雪曇りの空に
枝を張つてゐた。)院長のS博士や僕を相手に
長々とこの話をしやべりつづけた。尤も身ぶ
りはしなかつた訣ではない。彼はたとへば「驚
いた」と*言*ふ時には急に顏をのけ反らせたりし
た。………
[やぶちゃん注:
●芥川は原稿ではダッシュやリーダは概ね3マス、「―――」・「………」で用いている(以下、総て再現してある)。但し、リーダの数は必ずしも一定せず、例えばこの最後のものは13点リーダであるが、「■原稿43」に現われるものは3マス10点リーダである(以下、リーダ数の変化までは述べず、リーダはマス数のみ一致させ、1マスのリーダ数は原稿に関係なく3点リーダとする)。
●多量の抹消部(原稿は波線)を確認出来る。「■原稿1」末の行は残った2マスにも抹消が及んでいることから、当初はここで終えて改行しようとした可能性がすこぶる高いものと考えられる。ところが、ここまで書いてみて、後半が気に入らなくなった。そこで削除が入ったのだが、この削除方法から、また、芥川の極めて緻密な、ある意味ではすこぶる節約的な推敲方法が見えてくるのである。彼は三行目末から始まる「如何にも」の「如」を残して、「■原稿2」の書き出し「何にも……」と絶妙に繋げて訂している点に着目されたいのである。彼は書き出した冒頭の勢いを大事にしたのであろう、原稿を反故にせずに、かくしているものと私は判断するものである。恐らく私を含めて殆んどの人間は、まず原稿用紙廃棄して改めて書き直すであろう。このまま書き直す場合でも、推敲直後に「如」を残して2枚目に繫げるという技は普通はなかなか出来ないことである。なぜなら通常人の推敲は派気に入らない部分はまず先に抹消してしまうことから始めてしまう――ものだからである。芥川は(少なくともここでは)不服な後半を凝っと見つめながら、頭の中で推敲し出来上がった段階で、おもむろに抹消し、冷徹に書き入れているという点に気づいて戴きたいのである。また、この抹消部は
 「夏」⇒「夏」⇒「初冬」
とエピローグの風景に腐心した跡が見える。決定稿は季節を言わず、直ぐ後の「鐵格子をはめた窓の外には枯れ葉さへ見えない樫の木が一本、雪曇りの空に枝を張つてゐた」として美事な荒涼感を演出した。抹消部のような形で夏、しかも「愉快に夏の半日を暮らした」という話者の何となく悪意に満ちた皮肉が示されていたとしたら、読者の、不思議な主人公(河童国へ行った主人公)へのシンパサイズは、私は著しく低減させられていまい、イントロダクションとしては失敗していただろうとさえ思うのである。
●実は、最後のリーダの2マス目(上から3マス目)には書きかけて消した跡がある。これは彼の癖からいって、改行せず文章を続けようとしたことが明白である。抹消した字は判読出来ないが、明らかに次の「■原稿3」段落冒頭の「僕」の字では、ない、と断言出来る。]

■原稿3
 僕はかう云ふ彼の話を可〈也■〉*なり*正確に寫した
つもりである。若し又誰か僕の筆記に飽き足
りない人があるとすれば、東京市外××村の
S精神病院を尋ねて見るが善い。年よりも若
い㐧二十三号はまづ丁寧に頭〈を〉*を*下げ、〈木製の〉*蒲團の*ない
椅子を指さすであらう。それから憂欝な微笑
を浮かべ、〈靜〉*靜*かにこの話を繰り返すで〈■〉あら
う。最後に、―――僕は〈最後に〉*この話*を終つた時の彼
の顏色を覺えてゐる。彼は最後に身を起すが
早いか、忽ち拳骨をふりまはしながら、誰〈に〉*に*

■原稿4
でもかう怒鳴りつけるで〈せ?〉*あ*らう。―――「出て行
け! この惡黨めが〔!〕。 貴樣も莫迦な、嫉妬深
い、猥褻な、圖々しい、うぬ惚れきった、〈險⇒隱險?〉*残*
〈險〉*酷*な、蟲の善い動物なんだらう。出て行
! この惡黨めが!」
[やぶちゃん注:
●「隱險」の字は一字が重なったように圧縮されており、私の判読には疑義を持たれる向きも多いかも知れない。芥川がここで、謂わば――陰険で残酷な人間全般の――形容部分に相当拘ったことが窺われるのである。
●以下、5行余白。]





■原稿5
      二

[やぶちゃん注:
●1行目6字下げ。実は「■原稿15」の次の章は「三」と書いたものを「二」に訂している。芥川は当初「序」を一章分と数えてナンバーを打ち始めたが、後に、「一」がなくなる違和感からか、章番号を訂したものと思われる(但し、「四」から「六」まで続く章番号の異様なまでの複雑な変更を見ると、この見解は寧ろ単純過ぎるようにも思われる。ここでの錯誤が後々まで芥川を悩ませたか、若しくは実は下書きを元に清書した結果、つい、誤り続けてしまたものかとも思われる。何か、ここには重大な隠されたある事実があるように思われるのである)。従ってここは校正漏れとなる。但し、『改造』初出では無論、正しく「一」となっている。以下、本文は2行目から。]

 二三年前の夏のことです。僕は人並みにリ
ユツク・サツクを背負ひ、あの上髙地かみかうちの温泉宿
から〈※〉*穗*高山ほたかやまへ登らうとしました。〈※〉*穗*高山へ登
るのには御承知の通り梓川を溯る外はありま
せん。僕は前に〈※〉*穗*高山は勿論、槍ケ岳にも登
つてゐましたから、〈案内者もつれずにたつた
一人、〉
**朝霧の下りた梓川の〈岸〉*谷*を案内**者もつれずに登つて行きました。朝霧の
下りた梓川の〈岸〉*谷*を―――しかし〈朝?〉*そ*の霧はいつ
までたつても晴れる〈景〉*気*色けしきは見えません。のみ
[やぶちゃん注:
●「二三年前の夏」この冒頭は何故か、初出では「三年前の夏」になっている。現行の「河童」は総てこの全集に倣っているから、総て「三年前の夏」であるが、私は原稿通り、「二三年前の夏」とするのが正しい「河童」である、と思うのである。既にしてこの主人公の中では、現実の人間界の時間は有意性を持たないことの証左となるからである。この私の見解には大方の御批判を俟つものであるが、私は「河童」をそのようなものとして読み続けてきたのである。
●「※」は「禾」(へん)に、(つくり)は高い確率で「方」である。無論、こんな漢字はない。]

■原稿6
ならず反つて深くなるのです。僕は一時間ば
かり歩いた後、〈一そ⇒ちよつともう一度〉*一は*上髙地かみかうち〔の温泉宿〕へ引き返
すことにしようかと思ひました。〈しかし〉*けれど*もかみ
上髙地かうちへ引き返すにしても、兎に角霧の晴れる
のを待つた上にしなければなりません。と云
つて霧は一刻毎にずんずん深くなるばかりな
のです。〈僕は〉「ええ、一そ登つてしまへ。」―――
僕はかう考へましたから、梓川の〈岸〉*谷*を離れな
いやうに熊笹の中を分けて行きました。
 〈僕がせつせと歩んいてゐるのは毛生欅ぶなもみ
[やぶちゃん注:
●最後の「の」には抹消線は伸びていない。抹消洩れである。決定稿では無論、存在しない。]

■原稿7
 しかし僕の目を遮るものはやはり深い霧ば
かりです。尤も時々霧の中から太い毛生欅ぶな
もみえだあをあをと〈枝〉*葉*を垂らしたのも見えなか
つた訣ではありません。それから又放牧ほうぼくの馬
や牛も突然僕の前へ顏を出しました。けれど
もそれは見えたと思ふと、忽ち又濛々とし
た霧のなかに隱れてしまふのです。そのうちに
〈足〉*足*もくたびれて來れば、はらもだんだんりは
じめる、―――おまけに霧にとほつた登山服
〈マント〉*毛布*なども並み大抵の重さではありませ
[やぶちゃん注:
●「〈足〉*足*」既にしばしば見られた現象だが、やや崩れた「足」(特に五・六画目を略している感じ。それでも判読出来ないことはない)を再度正確な画数で「足」と書き直している。芥川は書いた字の形が気に入らないと書き直す癖があったように見受けられる。妙な律儀さとも見られるのだが、しかし後文を見ると、まさにそのひどい崩し方の「足」を平気で用いている箇所も散見されること、どうみても非常に綺麗な同字を消してまた繰り返している箇所も多いことからは、実はこれは、字が気に入らないからではなく――芥川の推敲の立ち止まりをこそ示していると、とるのが正しいようにも思われるのである。]

■原稿8
ん。僕はとうとうを折りましたから、岩に
せかれてゐる水の音を便りに梓川の谷へ下り
ることにしました。
 僕は水ぎはの岩に腰かけ、とりあへず食事
にとりかかりました。コオンド・ビイフの罐を
切つたり、枯れ枝を集めて火をつけたり、――
―そんなことをしてゐるうちに彼是十分はた
つたでせう。〈すると〉*そのあひだに*どこまでも意地の惡い霧
はいつかほのぼのと晴れかかりました。僕は
パンを嚙ぢりながら、ちよつと腕時計を覗い

■原稿9
て見ました。時刻はもう一時二十分過〈ぎ〉*ぎ*で
す。が、それよりも驚いたのは何か気味の惡
い顏が一つ、圓い腕時計の硝子の上へちらり
と影を落したことです。僕は驚いてふり返り
ました。すると、―――僕が河童と云ふものを
見たのは實にこの時が始めてだつた■■ので
す。僕の後ろにある〈崖〉*岩*の上には画にある通り
の河童が一匹、片手は白樺の幹をかかへ、片手
は目の上にかざした〈まま〉*なり*、珍らしさうに僕を
見おろしてゐました。
[やぶちゃん注:
●「■■」は抹消線を用いず、ぐりぐりと字を潰している。小さいので平仮名と考えられる。拡大してみると、「から」と書かれているようにも見える。
●この原稿の右下の手書き鉛筆の通し番号のすぐ右上(原稿の殆んど右端)には、ゴム印と思われる編集者か校正者かの人名ゴム印の一部(?)かとも思われる、
 

のやや斜めになったと朱判がある。]

■原稿10
 僕は呆つ気にとられたまま、暫くは身動き
もしずにゐました。〈河⇒しかし河童〉*河童もやは*り驚いたと見
え、目の上の手さへ動かしません。そのうち
に僕は飛び立つが早いか、〈崖〉*岩*の上の河童へ躍
りかかりました。〈河童も〉*同時に*又〈河〉*河*童も逃げ出し
ました。いや、恐らくは逃げ出したの〈で〉*で*せ
う。実はひらりとかへしたと思ふと、忽ち
どこかへ消えてしまつたのです。僕は愈驚き
ながら、熊笹の中を見まはしました。すると
河童は〈二〉逃げ腰をしたなり、二〔三〕メエトル〈はかり〉*隔つた*
[やぶちゃん注:
●最終行「はかり」はママ。]

■原稿11
向うに僕を振り返つて見てゐるのです。それ
は不思議でも何でもありません。しかし僕に
意外だつたのは河童のからだの色のことです。〈河
童は〉
*岩の上*に僕を見てゐた河童は一面に灰色を帶び
てゐました。けれども今は体中からだぢうすつか〈り〉*り*みどり
ろに変つてゐるのです。僕は「畜生!」とおほ声
を挙げ、もう一度河童へ飛びかかりま〔し〕た。河
童が逃げ出したのは勿論です。〈■〉それから僕〈等〉
は三十分ばかり、熊笹を〈探して〉*突きぬ*け、〈毛生〉*岩を*飛び
越え、遮二無二河童を追ひつづけました。
[やぶちゃん注:
●「すつか〈り〉り」の「り」の抹消再記は、「り」の右部分がインクがかすれて出なかったことによると推定される。
●「〈探して〉突きぬけ」の訂正は複雑である。まず「探して」と書いたものを、「探し」を抹消して右に「突き」と直し、「て」を単独にぐるぐると潰して左に「ぬ」として以下「け、」と続く。これはここで芥川龍之介が書き淀み、まず「突き」と直した後にまた、考え込んで、「ぬけ、」続けたことを示している。彼の一語一句の産みの苦しみが分かる部分である。その結滞は、直下で「長生欅」(ぶな)と書こうとしてやめて、「岩を飛び越え」と続けていることからも分かる。このさりげない対句表現を生み出すのにも、これだけの苦労が芥川にはあったという事実は、凡庸な私などにはすこぶる新鮮な驚きなのである。]

■原稿12
 河童も亦足の早いことは決してさるなどに劣
りません。僕は〈何度も〉*夢中に*なつて追ひかけるあひだ
何度もその姿を見失はうとしました。のみな
らず足を辷らして轉がつたことも度た〈び〉*び*で
す。が、大きいとちの木が一本、ふとぶとと枝を
張つたしたへ來ると、幸ひにも放牧ほうぼくの牛〈か〉*が*一
匹、河童のさきへ立ち塞がりました。しか
〈も〉*も*それは角のふとい、目を血走らせた牛なの
です。河童はこの牡牛を見ると、何か悲鳴を
擧げながら、〈熊笹〉*一き*は髙い熊笹の中へもんどり
[やぶちゃん注:
●「椽」はママ。初出は「橡」である。校正者によって直されたものであろう。芥川はこの「椽」という字を好んで「緣側」の「緣」の代わりに用いる(これは慣用として他の作家でも見られる)。「橡」と書いたつもりの誤字と推測される。
●「〈熊笹〉」の「笹」の字は七画目まで書いて抹消している。]

■原稿13
を打つやうに飛び〈こみ〉*こみ*ました。僕は、―――僕
も「しめた」と思ひましたから、いきなりそのあ
とへ追ひすがりました。するとそこには僕の
知らない穴でもあいてゐたので〈あ〉*せ*う。僕は滑
かな河童の背中にやつと指先がさはつたと思
ふと、忽ち深い闇の中へまつ逆さまに轉げ落
ちました。が、我々人間の心はかう云ふ〈急〉*危*機
一髮の際にも途方もないことを考へるもので
す。僕は「あつ」と思ふ拍子にあの上髙地かみかうちの温泉
宿のそばに「河童𣘺」と云ふ𣘺があるのを思ひ出し
[やぶちゃん注:
●一行目「飛びこみ」の平仮名はママ。ところが初出は「込み」で、現行の「河童」は総て「込み」と漢字表記になっている。つまらないことではあるが、芥川が書き淀んでいるところでもあり、特に指摘しておきたい。下らぬ拘り――であろうか?――因みに、「河童」ではその他の部分で「込む」という動詞に漢字は一箇所も使われていないのである。私はこの現行流布の「河童」の、――ここの「込み」は「こむ」と『訂正』されねばならない――と考えているのである。大方の御批判を俟つ。]

■原稿14
た。それから、―――それからさきのことは覚え
てゐません。僕は唯目の前に稲妻に似たもの
を感じたぎり、いつ〈か〉*の*間にか正気を失つてゐ
ました。
[やぶちゃん注:
●前の原稿からの続きの部分である「思ひ出した。」はママ。初出もこうなっているが、岩波の最初の全集(一般に「元版全集」と呼ぶ)の編纂時に「思ひ出しました。」と変えられた。これは岩波版旧全集(一九七八年刊)でも同じであるが、この改変は実は、現在、日本近代文学館が所蔵する芥川龍之介自身による初出『改造』書き入れにも拠っているので、問題のない正当にして正統な改訂である。
●以下、6行余白。]






■原稿15
       〈三〉*二*

[やぶちゃん注:「二」は一行目5字下げ。今回気がついたのが、こうした字下げが各章で一定していないという意外な事実であった。前回では6字下げ、例えば次の「三」では4字下げである。文豪(少なくとも芥川龍之介は)はこうい形式的統一という些末な部分には意を解さないということが分かる(私のような小人はつい気にかかってしまうのである)。以下、本文は2行目から。]

 〈僕は〉*そのうちに*やつと気〈づいつ〉*がつい*て見ると、僕は仰向け
に倒れたまま、大勢の河童にとり圍まれてゐ
ました。のみならず〈目の大きな⇒目金をかけた〉*太い嘴の上に鼻眼金をかけた*〈河〉*河*童が一匹、
〈僕〉*僕*の側へ跪きながら、僕の胸へ聽信噐を当て
てゐました。その河童は僕が目をあいたのを
見ると、〈そ〉僕に「靜かに」と云ふ手眞似をし、それ
から誰か後ろにゐる河童へ 〈q〉* Q *uax quax と声を
かけました。するとどこからか河童が二匹、
擔架を持つて歩いて來ました。僕はこの擔架
[やぶちゃん注:
●「のみならず〈目の大きな⇒目金をかけた〉*太い嘴の上に鼻眼金をかけた*〈河〉*河*童が一匹」の部分は極めて複雑である。初筆のインクの濃さの同一感から、芥川は恐らく、この原稿をある程度まで書いた後から推敲しているように思われる。ここは朦朧としながらもある意味、初めて主人公の眼に近距離の河童が映ずる重要なシーンである。芥川が殊の外拘ったと考えて間違いない。以下は一つのシチュエーションの可能性である。……
……筆を止めた龍之介の目に、
 のみならず目の大きな河童が一匹、
の部分が留まった。
 芥川はこの「目の大きな」の部分に河童間の個性が十全に表われてないと考えて抹消し、
 のみならず目金をかけた大きな河童が一匹、
と変えて右に書いてみた。ところが、どうも納得出来ない。これでは読者は、眼鏡をかけた人間の顔を想起してしまうだけではないか? そこで、それを直ぐにまた抹消し(抹消線のリズムが「のみならず目の大きな」のものとほぼ共時的である)、今度は左に、
 太い嘴の上に鼻眼金をかけた大きな河童が一匹、
とした。一応、腑に落ちた。すぐに吹き出し挿入の枠を囲ったが、その時、誤って「……鼻眼金を」の下で吹き出しを閉じてしまった。そこで、その吹き出しの誤った箇所にぐりぐりをした上で、「かけた」に追加の吹き出しを附した。
 さて、相当にごちゃごちゃになってしまった原稿を見るうちに、その下の「河童」の「河」の字の崩し方が、何だか神経に触った。
 執筆のリズムを取り戻す意味もあって、「河」をしっかりした(さんずい)で書き直した(彼のそれは前後を見てもこんなにしっかり点を打ってはいないのである)。――
 芥川は徐ろに次の行にとりかかる。リズムのブレイクが彼を苛立たせる。「僕」と書こうとして、途中で何か苛立って消し、右にしっかりとした「僕」の字を書いた(実際に一回目の抹消された「僕」の字は9画ほどまで書いてあるのに抹消されている。特に崩れているわけでもないのに、である)……
……書斎……河童の嘴ならぬ……龍之介の鼻の先……そこに夕日が、暮れ残っている……
 なお、初出では「鼻目金」は「鼻眼鏡」である。この表記は芥川の中では揺れている。旧全集後記にそのブレが示されているが、特にここでは問題にせず、問題の箇所で注記することとする。
●「〈q〉* Q *uax quax」ここで芥川は、河童語の言語体系や文法を構築するという発想を想起したのではなかったか? 単なる発音やアルファベット表記ではなく、その最初の文字を大文字に変えることで、である。]

■原稿16
にのせられたまま、大勢の河童の群がつた中
を靜かに何町か進んで行きました。僕の兩側
に並んでゐる町は少しも銀座通りと違ひあり
ません。やはり毛生欅ぶなの並み木のかげにいろ
いろの店が日除けを並べ、その又並み木に挾
まれた道を自動車が何台も走つてゐる〈で〉*で*
のです。
 やがて僕を載せた擔架は細い横町を曲つた
と思ふと、或家の中へ舁ぎこまれました。そ
れはのちに知つた所によれば、あの鼻眼金を〔かけ〕た

■原稿17
河童のうち、――チヤツクと云ふ医者の家だつ
たのです。チヤツクは僕を小綺麗なベツドの
上へ寐かせました。それから何か透明な水藥
を一杯飮ませました。僕はベツドの上に横た
はたつたなり、チヤツクのするままになつてゐ
ました。實際又僕の〈体〉*体*は碌に身動きも出〈來〉*來*な
いほど、節々ふしぶしが痛んでゐたのですから。
 チヤツクは一日に二三度は必ず僕を診察に
來ました。又三日に一度位は僕の最初に見か
けた河童、――バツグと云ふ漁師も尋ねて來

■原稿18
ました。河童は我々人間が河童のことを知つ
てゐるよりも遙かに人間のことを知つてゐま
す。それは我々人間が河童を捕〈獲〉*獲*することよ
りもずつと河童が人間を捕獲することが夛い
爲でせう。捕獲と云ふのは当らないまでも、
我々人間は僕の前にも度々河童の国へ來てゐ
るのです。のみならず一生河童の国に住んで
ゐたものも夛かつたのです。なぜと言つて御
覽なさい。僕等は唯河童ではない、人間であ
ると云ふ特権の爲に働かずに食〈ふことも出來〉*つてゐられる*
[やぶちゃん注:
●「夛」は「多」の異体字。無論、現行はすべて「多」に直されている。
●「〈獲〉*獲*」の最初の「獲」はこの通りの字体であるが6画ほどまで書いて抹消、決定した「獲」の字体は(くさかんむり)が全体に掛かっている。次の「捕獲」の「獲」も全体に掛かっている字体で、この誤った字体を芥川は好んだものらしい。]

■原稿19
のです。現に〈河童の言葉⇒マツ〉*バツグの話*によれば、或若い道
路工夫などはやはり偶然この国へ來た〈ぎり〉*後*、
〈死ぬ⇒雌の〉*雌の*河童を妻に娵り、死ぬまで住んでゐたと
云ふことです。尤もその〔又〕雌の河童は〈大へんに⇒この国㐧一〉*この国第一の*
美人だつた〈と〉*上*、夫の道路工夫を〈瞞〉誤魔化すの
〈に妙を得てゐ〉*にも妙を極め*てゐた〈さうですが〉*と云ふこと*です。
 僕は一週間ばかりたつた後、この国の法律
の定める所により、「特別保護住民」としてチヤ
ツクの鄰に住むことになりました。僕の家は
小さい割に如何にも瀟洒と出來上つてゐまし
[やぶちゃん注:
●「〈河童の言葉⇒マツ〉」この書き換え抹消は非常に興味深い。何故なら、ここまででは河童は「チヤツク」と「バツク」しか登場していないからである。「マツ」という抹消は明らかにずっと後の「六」に登場する哲学者「マツグ」としか考えられず、これが「バツク」の単なる書き間違いでないとすれば(ない、と私は思うのであるが)、芥川はここで既に、後に続く河童人間関係図を既に構築していたと考えられる。さらに言えば、この道路工夫とその妻の雌河童のなかなかにディグされているゴシップは、身分の低い、素朴な漁師バックの話す内容というより、寧ろ、哲学者で、河童は勿論、「僕」から見ても非常に醜くい形相をしている醜河童ぶかっぱで独身のマッグが語るに確かに相応しいと言えるであろう。ただ、この文脈では唐突過ぎるので、仕方なくバックの台詞に変えたものと私は推理するのである。
●「〈瞞〉」は「目」ではなく「口」に見える。「だます」としようとしたか。]

■原稿20
た。勿論この国の文明は我々人間の国の文明
―――少くとも日本の文明などと余り大差は
ありません。〈客間の隅には⇒絨氈を敷いた〉*往來に面した*客間の隅には小さ
いピアノが一台あり、〈壁にはエツチングだの
水彩画だのが⇒椽へ入れた河童〉
*それから又壁には〈小〉額椽へ入れたエツ*ティングなども懸つてゐまし
た。唯肝腎の家をはじめ、テエブルや椅子の
寸法も河童の身長に合はせてありますから、
子供の部屋に入れられたやうにそれだけは不
便に思ひました。
 僕はいつも日暮れがたになると、〈窓の側の〉*この部屋*
[やぶちゃん注:
●「〈壁にはエツチングだの水彩画だのが⇒椽へ入れた河童〉*それから又壁には〈小〉額椽へ入れたエツ*」の推敲過程は極めて複雑で説明を要する。
まず芥川は、
 壁にはエツチングだの水彩画だのが
というところまで書いた。しかし気に入らず、決定稿に残るところの、
 それから又壁には小額椽へ入れた河童
と左側に訂正した(何故に左側かというと、前行の「往來に面した」という左に記した訂正本文が「壁に」辺りまで掛かってしまっていたからである)。ところが「小額椽」(本文の「椽」は以前に述べた通りの芥川の「緣」の慣用誤字)という熟語が、如何にもリズムが悪いと感じたものか(私はそう感じる)、ここで「小」を抹消してみた。しかし、それでもしっくりこなかった芥川は、この後半部の五行目訂正行頭の6文字と正規のマスに書き入れた「童」の字を含む、都合「椽へ入れた河童」7文字をさらに抹消して、
 椽へ入れたエツ[やぶちゃん注:ここまで7文字。]ティングなども……
と続けたのである。
 こここそ、芥川マジックたる原稿用紙上での実に緻密にして、すこぶる倹約的な推敲戦法が鮮やかに学べるパートなのである。]

■原稿21
にチヤツクやバツグを迎へ、河童の言葉を習
ひました。いや、彼等ばかりではありませ
ん。特別保護住民だつた僕〈は〉*に*誰も皆好奇心
を持つてゐましたから、〈《毌》⇒*毎*日チヤツクに來て貰つては血壓を調べて貰つ〉*毎日血壓を調べて貰ひにわざわざチヤツクを*呼び寄せる、ゲエ
ルと云ふ硝子會社の社長などもやはりこの部
屋へ顏を出したものです。しかし最初の半月
ほどの間に一番僕と親しくしたのはやはりあ
のバツグと云ふ漁夫だつたのです。
 或生暖かい日の暮です。僕はこの部屋のテ
[やぶちゃん注:
●「*毎*」としたが、この右側の訂正は最終的に削除線をし忘れている。
●ここでは決定稿の校正上のミスが発見された。現行の「河童」では、原稿の3行目以降の一文が次のようになっている。
   *
★現行「河童」(下線やぶちゃん)
特別保護住民だつた僕に誰も皆好奇心を持つてゐましたから、毎日血壓を調べて貰ひにわざわざチヤツクを呼び寄せるゲエルと云ふ硝子會社の社長などもやはりこの部屋へ顏を出したものです。
   *
原稿を削除部分その他記号を除去して繋げてみよう。
   *
★決定稿「河童」(下線やぶちゃん)
特別保護住民だつた僕に誰も皆好奇心を持つてゐましたから、毎日血壓を調べて貰ひにわざわざチヤツクを呼び寄せる、ゲエルと云ふ硝子會社の社長などもやはりこの部屋へ顏を出したものです。
   *
読点が二箇所で異なっているのである。平仮名続きを読み易くするという点では、現行の読点は『普通に正当』ではあるが、私は現行より芥川の決定稿の方が、よりよい読点――ゲエルという新登場の河童を引き立てる点に於いて――であると思うのであるが、如何か?]

■原稿22
エブルを中に漁夫のバツグと向ひ合つてゐま
した。するとバツグはどう思ふ〈た〉*つ*たか、急に
默つてしまつた上、大きい目を一層大きくし
てぢつと僕を見つめました。〈のみならず〉*僕は勿論妙*に思
ひましたから、「Quax, Bag, 〈Q〉*q*uo 〈Q〉*q*uel 〈Q〉*q*uan ?」と言
ひました。これは〈我々〉*日本*語に飜訳すれば、〈「〉*「*お
い、バツグ、どうしたんだ?」と云ふこ〈と〉*と*で
す。が、バツグは返事をしません。のみなら
ずいきなり立ち上ると、べろりと舌を出した
〈まま〉*なり*、丁度蛙の刎ねるやうに〈僕〉飛びかかる気色けしき
[やぶちゃん注:
●「〈のみならず〉」としたが抹消線は「ず」まで延びていない。
●「〈Q〉*q*」の訂正も、先とは逆に文頭と固有名詞でない構文の綴りを英語やフランス語のように、小文字化して正規文法を意図したニュアンスが感じられる。]

■原稿23
さへ示しました。僕は〈た〉*愈*無気味になり、そつ
と椅子から立ち上ると、一足飛びに戸口へ飛
び出さうとしました。丁度そこへ顏を出した
のは幸ひにも医者のチヤツクです。
 「こら、バツグ、何をしてゐるのだ?」
 チヤツクは鼻眼金をかけたまま、かう云ふ
バツグを睨みつけました。〈バツクは〉*するとバ*ツグは〈驚〉*恐*
れ入つたと見え、何度も頭へ手をやり〈な〉*な*が
ら、かう言つてチヤツクにあやまるのです。
 「どうも〔まことに相〕すみません。実はこの旦那の気味悪
[やぶちゃん注:
●チャックの台詞の鉤括弧の初めの括弧に「こら、」までかかる大きな赤インクと思われる朱の鉤括弧が入っている。意味不明。校正にお詳しい方の御教授を乞うものである。]

■原稿24
がるのが面白かつたものですから、つい調子
に乘つて悪戯をしたのです。どうか旦那も堪
忍して下さい。」
[やぶちゃん注:以下、7行余白。]







■原稿25
       三

[やぶちゃん注:「三」は4字下げ。本文は2行目から。]

 僕はこの先を話す前にちよつと河童と云ふ
ものを説明して置かなければなりません。河
童は未だに実在するかどうかも疑問になつて
ゐる動物です。が、それは僕自身が彼等の間
に住んでゐた以上、〔少しも〕疑ふ余地〈など〉はない筈で
す。では又どう云ふ動物かと云へば、〈大体は古來
画に描いてあ〉
**頭に短い毛のあるのは勿論、手足に水掻きの
〈ついてゐる〉*ついてゐる*ことも「水虎考畧」などに出てゐ**るのと〈大した〉*著しい*違ひはありま
せん。身長もざつと一メエトルを越えるか越えるか越
えぬ位で〈■〉せう。体重は医者のチヤツクによ
[やぶちゃん注:
●「〈ついてゐる〉」とダブって抹消しているのは、恐らく最初に、出来上がっていた、
 では又どう云ふ動物かと云へば、大体は古來画に描いてあるのと大した違ひはありません。
の一文を推敲した際、長くなり、当初「ついてある」の改稿部分を8行目真上の罫外に書いてしまい、続く改稿文が書けなくなってしまった上に、校正者や文選工・植字工の読み違えの虞れをも考慮し、削除、新たに8行目右に書き直したと考えてよいと思われる。この辺りは、校正者への配慮が行き届いている箇所であると私は思う。]

■原稿26
〈長椅子に坐り、悠々と巻煙草をふかせ⇒*し*な〔が〕ら、
往來の河童を眺めてゐました。河童は身長一メエトルを越えるか越えぬ位でせう。体《長》重は
チヤツクの話によ〉
れば、二十ポンドから三十
ポンドまで、―――稀には〈四〉*五*十何ポンド位の大
河童もゐると言つてゐました。それから頭の
まん中には楕円形のさらがあり、その又さらは年
齢により、だんだん固さを加へる〈■■〉やうで
す。現に年をとつたバツグの皿は若いチヤツ
クの皿などとは全然手ざはりも違ふ〈■■〉ので
[やぶちゃん注:
●冒頭の長い削除部分は、既に「■原稿26」に示されたシーンの別ヴァージョンの続きであることが分かる。これによって我々は失われた「■原稿26プロトタイプ」の存在を知るのである。芥川は恐らく、「僕」の河童概説的な導入である現在のものとはかなり違う、チャックとの会話によって河童の外的形相を叙述しようとしていたに違いない。私などは何か、その幻の別稿を無性に夢想してみたくて、たまらなくなってしまうのである。]

■原稿27
〈《バツクの皿は若いバ》⇒*チ*ヤツクの皿などとは全然
手ざはりも違ふので〉
す。)しかし一番不思議な
〈ことは〉*のは河*童の皮膚の色のことで〈《す》⇒せう〉*せう*。河童は我々
人間のやうに一定の皮膚の色を持つてゐませ
ん。何でもその周囲の色と同じ色に変つてし
まふ、―――たとへば艸の中にゐる時には草の
やうに緑色みどりいろに変り、岩の上にゐる時には岩の
やうに灰色に変るのです。これは勿論河童に
限らず、カメレオンにもあることです。或は
河童は〈カメレオン〉*皮膚組織の*上に何かカメレオンに近い
[やぶちゃん注:
●2行目の「す。)」の丸括弧閉じは抹消し忘れである。この丸括弧の始まりはこれ以前にはない。初出には無論、校正者によって除去されている。
●この冒頭の抹消本文も前の「■26」末尾とダブっていておかしい。前伊に注した丸括弧の始まりがないのも不審である。芥川はもしかすると、前の「■25」「■26」のプロトタイプ原稿をそのまま草稿としていたのかも知れないという気がしてくる。その場合、丸括弧の始まりは失われた「■25」の幻の稿にあったのかも知れない。この「■27」も従ってそれらに続く草稿としてあった、それを安易に反故にせず、決定稿に巧みに構成して入れ込んだのかも知れないという気さえしてくるのである。芥川龍之介は、僕らが安易に思い浮かべるところの――原稿用紙を書いては、くしゃくしゃと丸めて抛り投げ、それが書斎を埋め尽くしているような陳腐な小説家のイメージ――とは全く異なった、恐ろしいまでに巧緻な原稿用紙の倹約家ででもあったような気がしてくるのである。]

■原稿28
所を持つてゐるのかも知れません。僕はこの
〈事実〉*事実*を発見した時、西国の河童は〈色〉*色*みどり〈いろ〉*いろ*であ
り、東北の河童は赤いと云ふ民俗〈学〉*学*上の記録
を思ひ出しました。のみならずバツグを追ひ
かける時〈に〉、突然どこへ行つたのか、見えな
くなつたことを思ひ出しました。しかも河童
は皮膚の下に餘程厚い〈■〉*脂*肪を持つてゐると見
え、この地下の国の温度〈の〉*は*比較的低いのにも
関らず、(平均華氏五十度前後です。)着物と云
ふものを知らずにゐるのです。勿論〈チヤツク〉*どの河童*

■原稿29
も目金をかけたり、卷煙草の箱を携へたり、
金入れを持つたりはしてゐるのでせう。しかし
河童はカンガルウのやうに腹に袋を持つてゐ
ますから、それ等のものをしまふ時にも格別
不便はしないのです。唯僕に可笑しかつたの
は腰のまはりさへ蔽はないことです。僕は或
時この習慣をなぜかとバツグに尋ねて見まし
た。するとバツグはのけぞつたまま、いつま
でもげらげら笑つてゐました。おまけに
「わたしは〔お前さんの隱してゐるのが〕可笑しい」と返事をしました。
[やぶちゃん注:
●最終行の原型が「わたしは可笑しい」というものであったのは、意味の分かる目的語を必要としない河童語の本質を知る上では面白いと私は勝手に思っている。本原稿は丁度、10行目で終っているため、行の残しはない。]

■原稿30
       〈三〉*四*

[やぶちゃん注:「四」は5字下げ。本文は2行目から。]

 僕はだんだん河童の使ふ日常の言葉を覚え
〔て來〕ました。〈実は〉*從つ*て河童の風俗や習慣も〈会得〉*のみ*こめ
〈と〉*や*うになつて來ました。その中でも一番不
思議だつたのは〈何で〉*河童*は我々人間の眞面目に思
〈もの〉*こと*を可笑しがる、同時に我々人間の可笑
しがる〈もの〉*こと*を眞面目に思ふ―――かう云ふと
んちんかんな習慣です。たとえば我々人間は
正義とか人道とか云ふことを眞面目に思ふ、
しかし河童はそんなことを聞くと、腹をかか
[やぶちゃん注:
●「〔て來〕」この3行目の挿入は律儀に3行目の上部罫外に縦長の一マスを書いて原稿本文と同じ大きさで「て來」と綺麗に書き入れている。]

■原稿31
へて笑ひ出すのです。つまり彼等の滑稽と云
ふ觀念は〈全然〉我々の滑稽と云ふ観念と全然標
準を異にしてゐるの〈せ〉*で*せう。僕は或時〈一匹の
河童と、―――《バツクと云ふ名の⇒僕の最初に會つた》バツクと云ふ
《やつと⇒河童と》〉
*醫者のチヤツクと〈孝行〉*産児制限*の話をしてゐました。すると〈バツ
ク〉
*チヤツク*は〈《びつくりするほど》⇒のけぞつたまま、〉*大口をあいて、〈大きい口をあいて〉*鼻眼金の落ちるほど、*笑
ひ出しました。僕は勿論腹が立ちました〈か〉*か*
ら、何が可笑しいかと詰問しました。何でも
〈バツク〉*チヤツク*の返答は大體かうだつたやうに〈記?〉*覺*えて
ゐます。〈何しろまだその頃は僕も河童の使ふ〉*尤も夛少細かい所は間違つてゐるか*
[やぶちゃん注:
●この原稿の右下の手書き鉛筆の右罫外の右端には、ゴム印と思われる編集者か校正者かの人名ゴム印の一部(?)かとも思われる、
 

の朱判がある。「■原稿9」のそれは「
」だった――これは何だろう?――この原稿までは私が見たというサインの一部か? それとも版組や印刷に関わる何らかの記号か? 気になって仕方がない。よろしく識者の御教授を乞うものである。
●「河童と、―――」本テクストでは抹消線を直線としたために分からなくなってしまったが、「河童と、―――」を抹消しているのである。
●ここで我々は意外な事実を知ることになる。この、現行の「河童」で、医師チャックと「僕」によって議論される「産児制限」問題は、プロトタイプは、チャックではなくバックが相手で、しかもそれは「産児制限」問題ではなく、親子の「孝行」の問題であった意実である。確認しよう。初期の成形を成した文章は以下と推定出来るのである(一部の読点は私の判断で打った)。
 僕は或時、僕の最初に會つたバツクと云ふ河童と孝行の話をしてゐました。するとバツクはのけぞつたまま、大きい口をあいて笑ひ出しました。僕は勿論腹が立ちましたから、何が可笑しいかと詰問しました。何でもバツクの返答は大體かうだつたやうに覺えてゐます。
「孝行」ならばまだ漁師のバックが相手でも遜色ないが、「産児制限」となると医師のチャックの方が専門性が高く、議論の昂まりが自然に想起出来る。「産児制限」議論ならばもうチャックを相手とするのが至当であろう。しかもこの「産児」に密接に関わる形で直後にまさにバックの妻の出産シーンが用意されており、しかもそこではバックという河童が自分の息子(胎児)にさえ父として拒否されるような情けない一面を持っていることが暴露されてしまうことを考えると、その直前に「産児制限」を議論する相手が、他ならぬそのバックであるというのでは、語るに落ちた馬鹿話になってしまうのである。ただ、ここで我々は原型の『バック』とのそれが「孝行」の議論であったことを記憶しておかなくてはならない。これについては次の原稿「■32」の台詞と相俟って、深い別な意味を持ってくるからである。]

■原稿32
も知れません。何しろまだその頃は僕も河童
の使ふ言葉をすつかり理解してゐなかつた
のですから。
 「しかし〔兩〕親の都合ばかり考へてゐるのは可笑
しいですからね。〈」〉どう〈《考へ》⇒も滑稽〉*も餘り手前*勝手です〔から〕ね。」
 その代りに我々人間から見れば、實際又河
童のお産位、可笑しい〔もの〕はありません。現に僕
〈バツクの細〉暫くたつてから、バツグの細君のお産をす
る所を〈わざわざ見物に出かけ〉*バツグの小屋へ見物に行き*ました。河童も
〔お産をする時〔に〕は我々人間と〕〈お?〉*同*じことです。やはり医者や産婆などの助け
[やぶちゃん注:
●台詞とその直後の部分の最初期の芥川の脳内の原型を復元してみる。
 「しかし親の都合ばかり考へてゐるのは可笑しいですからね。」
 その代りに我々人間から見れば、實際又河童のお産位、可笑しいものはありません。現に僕はバツクの細君のお産をする所をわざわざ見物に出かけました。
私は何故、この原型を示したのか? それは、この台詞なら、当初、芥川が想定していたバック(チャックとではない!)との「孝行」の問題(産児制限のではない!)の議論の果てのバックのチャックのではない!答えとして、おかしくないからである! その証拠に直後で、この原型案ではバック自身は、その台詞通りの、子の都合から考えた新しい「孝行」の形を一つの理由として掲げているのである、と私は思うのである。何故、誕生拒否が「孝行」と言い得るか? 簡単である。胎児が語るように、彼に遺伝性の精神病発症や胎児性梅毒感染のリスクがあったとすれば、もしかすると生まれてから親に迷惑をかけるかも知れない。従って「産児制限」という純然たる「滑稽」で「餘り手前勝手な」「親の都合」とい短期的観点からではなく、「孝行」という中長期的観点から言えば、誕生を拒否することは、これ――立派な河童世界的「孝行」――と言えるではないか! この牽強付会的な私のトンデモ説、大方の御批判を俟つものではあるが、私は万事が人間世界とは反定立的で天邪鬼な論理から出来上がっている『河童世界の哲学』に則って考えていることもお忘れになられぬように――。
●「〔お産をする時〔に〕は我々人間と〕」これは実は10行目の左罫外に吹き出しで挿入されているものである。実は今回、本原稿をざっと管見した際、大きな疑問が一つあった。それは、岩波旧全集版の「河童」の「後記」にある異同表との大きな齟齬であった。そこではこの部分について、
   《引用開始》
・三一五頁4行 河童もお産をする時には我々人間と同じことです。――(原)河童も同じことです。
   《引用終了》
これは見てお分かり頂けるものと思うが、岩波旧全集は初出の『改造』を底本として、本国立国会図書館蔵の自筆原稿(但し、現物ではなく昭和四七(一九七二)年中央公論社発行の複製版らしい)と『改造』切抜への著者訂正書入れを参照して校訂本文が作られてある(初出+自筆決定原稿+初出公開後の著者による更なる訂正書入れというのは殆んど望みえない至高の校訂素材であると言える)のだが、この異同注記は、
『改造』初出には、『河童もお産をする時には我々人間と同じことです。』とあるが、自筆原稿は、ただ、『河童も同じことです。』とあるだけである
と言っているのである。
 これは頗るおかしいのだ。
 国立図書館蔵の「国立国会図書館デジタル化資料」の自筆原稿の国立国会図書館デジタルライブラリーのコマ番号「18」コマ目を視認して戴きたい。ちゃんと左上罫外のナンバリング「32」の直下に、
『お産をする時には我々人間と』
はあるのである。
 どういうことか?
 以下は、私の推理である。
 この国会図書館蔵の原稿をよく見て戴きたい。
 現行の左(右頁では右)に6つもの穴が開いているのが分かる(撮影時の平面化のために綴じ紐は外され、散佚の危険を避けるために一番上の穴一箇所に緩く綴じ紐が通されてあるだけである)。同資料を「1」コマ目に移して戴くと分かるが、表紙には和装用の穴は通常通り4つしか開いていない。ところが本文原稿用紙には総て6つの穴が開いている。この穴の内、上から1番目と3・4・6番目が和装用の表紙の穴である。ということは、この原稿はもしかすると残る2・5番目の穴部分に綴じ紐が通されて本体原稿総て(105コマ目の最後の原稿用紙に書かれた永見の「縁起」というのは、画像を見る限りでは本体とは別で、和装の裏表紙の右手に台紙を設け、そのそれと裏表紙の上に原稿を張り付ているように見える)が閉じられていた可能性を示唆する。仮にそうだとすると、それに加えて表紙の通常の4箇所の穴を用いた和綴じがなされていた場合、この「18」コマ目の左側の罫外挿入の部分は、このデジタルライブラリー版のように総ての綴じ紐を外さないと読めないことが分かる。私は旧全集編者が参照したという中央公論社発行の複製版を見たことがないが、それはもしかすると、和装で閉じられたままのものを画像化したのではなかったか? その結果、原稿「32」と「33」の『のど』の部分(本の各頁が背に接する部分)が殆んど全く開かず、「32」の左罫外の挿入吹き出しが全く写っていなかったのではなかろうか? 中央公論社発行複製版を所持される方、是非、ここの部分を現認して頂き、出来れば画像を私宛に送って下さると、恩幸、これに過ぎたるはない。よろしくお願い申し上げる次第である(もし複製版のここがちゃんとなっていたとしたら……これはもう、岩波版旧全集の編者の致命的なミステイクということなってしまう。岩波版旧全集を愛する私にとってはあっては欲しくないケースである)。]

■原稿33
を借りてお産をするのです。けれどもお産を
するとなると、父親は電話でもかけるやうに
母親の生殖噐に口をつけ、「お前はこの世界へ
生れて來るかどうか、よく考へた上で返事
をしろ。」と大きな聲で尋ねるのです。バツグも
やはり膝をつきながら、何度も繰り返してか
う言ひました。それからテエブルの上にあつ
た消毒〈剤〉*用*の水藥で嗽ひをしました。すると
細君の腹の中の子は〈■〉夛少気兼〈をするやうに
かう言つ〉
*でもしてゐると見え、*かう小聲に返事をしました。
[やぶちゃん注:
●「母親の生殖噐に口をつけ、」は初出『改造』では、
  母親……………つけ、
と五文字分が15点リーダの伏字になっている(因みに、当時の検閲官が律儀に伏字にした文字数が何字であるかわかるように伏字にしているところが、実は検閲者の検閲への後ろめたさを如実に示しているようでとても面白いと思う。否――これはよく言われることであるが――寧ろ、伏せることによって性的妄想が異常に拡張され、猥雑性が倍加するとも言えるのだと私は確信している。検閲者とはまさに真正の性的倒錯者なのである。]

■原稿34
 「僕は生れたくはありません。〈元?〉*第*一僕のお
父さんの遺傳は〈黴毒〉*精神病*だけでも大へんです。そ
の上僕は河童的存在を惡いと信じてゐますか
ら。」
 バツグはこの返事を聞いた時、てれたやう
に頭を搔いてゐました。が、そこにゐ合せた
産婆は忽ち細君の生殖噐へ太い硝子の管を突
きこみ、何か液体を注射しました。すると〈忽
ち細君の原は水素瓦斯を拔いた風船のやうに
へたへたと縮んでしまひました。     〉

[やぶちゃん注:
●「〈元?〉*第*」抹消字を「元」としたが、「第」の略字である「㐧」かも知れない。
●「僕は生れたくはありません。〈元?〉*第*一僕のお父さんの遺傳は〈黴毒〉*精神病*だけでも大へんです。その上僕は河童的存在を惡いと信じてゐますから」私は既に『芥川龍之介「河童」やぶちゃんマニアック注釈』でこの胎児の台詞について注釈を施している。特に原稿上で「黴毒」から「精神病」へと変えられている点について考察しているので、ここにそれをそのまま引用しておくのが最も相応しいと思う。
   《引用開始》
芥川龍之介が養子に出された原因でもある実母フクの精神異常は頓に知られ、芥川龍之介の自殺の原因の一つに遺伝による精神病発症(発狂)恐怖が挙げられるほどである。私は実は、フクの病状は遺伝が疑われるような精神病であったとは思われず、芥川のそれは所謂、精神病に対するフォビアに起因するノイローゼであったと考えている。「點鬼簿」の「一」の冒頭及び「序」の注に引用した「或阿呆の一生」の「母」等を参照されたい。但し、この部分、原稿では「黴毒」としたものを「精神病」と訂しているとあり、そうすると胎児が言う精神病は先天性梅毒による進行麻痺(麻痺性痴呆)のリスクを言っており、バックは梅毒に罹患していることを意味する。それが真相だと考えた時、私はバックが「てれてように頭を掻いてゐ」た理由が腑に落ちるのである(若き日に「河童」を読んだ時から、私は遺伝性精神病を言われて照れるバックが如何にも変に感じられたのである)。ここで彼が梅毒を書き換えたのは、芥川自身のフォビアの規制であると私は思う。だからおかしなままに残ってしまったのだと思う。これは「五」の注で、後に明らかにする。ともかくもこの胎児は真正の厭世主義者である。胎内性先天性梅毒に罹患していた場合、胎児梅毒では当初から奇形であったり、母体内で胎児水腫を発症、死産・流産・生後早期の死亡の可能性が高い。出産後の発症となる乳児梅毒では生後一ヶ月頃に鼻炎や皮膚発疹が始まって骨変形が出現、四肢運動の有意な低下が見られるようになる。それよりも後になって発現するタイプ(遅延梅毒)では学童・思春期に発症が始まり、骨・皮膚・粘膜・内臓等広範囲に病変が認められるようになる。かつては罪なき多数のこうした悲惨な子供たちがこの世に生を受けた。
   《引用終了》
『「五」の注で、後に明らかにする』というのは詳しくは『芥川龍之介「河童」やぶちゃんマニアック注釈』の「五」の当該注(「僕は超人(直譯すれば超河童です。)だ」の注)を読んで頂きたいが、簡潔に述べると、芥川には、哲学者ニーチェに強い関心のあったのは、その超人哲学もさることながら、その狂気、ニーチェ自身の梅毒による早発性痴呆による発狂をも含む興味であったこと、そして私は芥川の最大の関心――恐怖(フォビア)――こそ、この梅毒による発狂にこそあったと睨んでいることを指す。
●「細君の生殖噐へ」は初出『改造』では、
  細君の………へ
と三文字分が9点リーダの伏字になっている。]

■原稿35
細君はほつとしたやうに太い息を洩らしまし
た。同時に又〈《細君》⇒盛り上つてゐ〉*今まで大きかつ*た腹は水素瓦斯を
拔いた風船のやうにへたへたと縮んでしまひ
ました。
 かう云ふ返事をする位ですから、〈勿論〉河童の子
供は生れるが早いか、勿論歩いたりしやべつたりするのです。何でも〈バツク〉*チヤツク*の話では出
産後二十六日目に神の有無に就いて講演をし
た子供もあ〈る〉*つ*たとか云ふことです。尤もその
〈供〉*供*は二月目には〈自殺し〉*死ん*で〔し〕まつたと云ふこと
[やぶちゃん注:
●芥川は現行の「四」章の前半シークエンスを、当初、殆んど完全にバックと掛け合いとしようとしていたことが分かる。「僕」の(芥川の)バックへの親近感は我々が想像する以上に深いのである。此のバックが誰をモデルにしているのか、未だに私は推理出来ずにいる(「河童」の登場人物及び登場河童のモデル同定に興味のある方は私の『芥川龍之介「河童」やぶちゃんマニアック注釈』の冒頭に配した「登場河童一覧〈例外として獺一匹を含む。「登場人物」も前に附した〉」を参照されたい)。]

■原稿36
ですが。
 お産の話をした次手ですから、僕がこの国
へ來た三月目に偶然或街のかどで見かけた、大
きいポスタアの話をしませう。その大きいポ
スタアの下には喇叭を吹いてゐる河童だの劍
を持つてゐる河童だのが十二三匹描いてあり
ました。それから又上には河童の使ふ、丁度
時計のゼンマイに似た螺旋文字が一面に並べ
てありました。この螺旋文字を飜訳すると、
大体かう云ふ意味になるのです。これ〈《は》⇒も〉*も*或は
細かい所は間違つてゐるかも

■原稿37
知れません。が、兎に角僕としては僕と一し
よに歩いてゐた、ラツプと云ふ河童の学生が
大聲おほごゑに読み上げてくれる〈の〉*言葉*を〈そのまま〉一々ノオトにと
つて置いたのです。

 遺傳的義勇隊を募る!!!


 健全なる男女の河童よ!!!


 悪遺傳を撲滅する爲に


 不健全なる男女の河童と結婚せよ!!!

 僕は勿論その時〔に〕もそんなことの行はれない
ことをラツプに話して聞かせました。〈ラツプ〉すると
[やぶちゃん注:
●「遺傳的義勇隊を募る!!!/健全なる男女の河童よ!!!/悪遺傳を撲滅する爲に/不健全なる男女の河童と結婚せよ!!!」の全四行が長方形の枠で囲まれている。実際には上辺は1マス目の下線部で4と5行目の及び8と9行目の行間部を含み、同じ範囲で下辺が18下マス目下線(下から2マス目の上線)――8行目の「……結婚せよ!!!」の一字下である――に、その左右を立てに降ろして繋げた長方形の枠である。なお、「!!!」は無論、一マスに入れてある。]

■原稿38
ラツプばかりでは〈あ?〉ない、ポスタアの近所にゐ
た河童は悉くげらげら笑ひ出しました。
 「行はれない? だつてあなたの話ではあな
たがたもやはり我々のやうに行つてゐると思
ひますがね。あなたは令息が女中に惚〈れ〉*れ*た
り、令孃が運轉手に惚れた〈り〉*り*するのは何の爲
だと思つてゐるのです? あれは皆無意識的
に惡遺傳を撲滅してゐるのですよ。第一この
間あなたの話したあなたがた人間の義勇隊よ
りも、―――一本の鐵道を奪ふ爲に互に殺し合
ふ義勇隊ですね、―――ああ云ふ義勇隊に比べ
れば、ずつと〈髙〉僕たちの義勇隊は髙尚では
ないかと思ひますがね。」
 ラツプは眞面目にかう言ひながら、しかも
太い腹だけは可笑しさうに絶えず浪立たせて
ゐました。〈が、僕〉*が、僕*は笑ふどころか、慌
てて或河童を摑まへようとしました。それは
僕の油斷を見すまし、その河童〈が〉*が*僕の〈銀時計〉*萬年筆*
を盜んだことに気がついたからです。しかし
〈滑かな河童の皮膚に〉*皮膚の滑かな河童*は容易に我々には摑まり
[やぶちゃん注:
●「萬年筆」ここで「銀時計」としたのを訂して以降、この盗まれたものは総て原稿では「銀時計」を「萬年筆」と訂されている(最終登場は「十二」章「■原稿124」)。少なくともそこまで書いた後にこの改訂を行っていることが分かる。何故、「萬年筆」を「銀時計」としたのか? 盗んだ河童は「十二」の警察官の訊問で盗品を「子供の玩具にしようと思つたのです。」と述べている。万年筆より銀時計の方が圧倒的に子どもは喜ぶであろうとは思う。ただ、そうした論理性よりも、「僕」がまさに人間界の時間を忘れ去って、河童世界の時間の中に生きるためには、この人間界の拘束を象徴するところの「時計」は盗まれなくてはならなかったのではないか? と私は考えたりするのである。大方の御批判を俟つものである。]

■原稿40
ません。その河童もぬらりと辷り〈拔と〉*拔*けるが
早いか一散に逃げ出してしまひました。丁
度蚊のやうに瘦せた体を〈ちらり〉*倒れる*かと思ふ位の
めらせながら。
[やぶちゃん注:以下、6行空白。]






■原稿39
       〈四〉*五*

[やぶちゃん注:5字下げ。本文は2行目から。]

 僕はこのラツプと云ふ河童にバツグにも劣
らぬ世話になりました。が、その中でも忘れ
られないのはトツクと云ふ河童に紹介された
ことです。トツクは河童仲間の詩人です。詩
人が髮を長くしてゐることは我々人間と変り
ません。僕は時々トツクの家へ退屈凌ぎに遊
びに行きました。トツクはいつも狭い部屋に
髙山植物の鉢植ゑを並べ、〈■〉*詩*を書いたり煙草
をのんだり、如何にも、〈■〉*気*樂さうに暮らしてゐ
[やぶちゃん注:
●「〈■〉*詩*」この抹消字は「詩」ではない。(へん)が「月」であることが判読出来るから、ここは何かトックの別内容の紹介描写を続けようとしたのかも知れないと思わせる。]

■原稿42
ました。その又部屋の隅には〈女〉*雌*の河童が一〈匹〉
*匹*、(トツクは自由〈■〉*戀*愛家ですから、細君と云
ふものは持たないのです。)編み物か何かをしてゐ
ました。トツクは僕の顏を見ると、いつも微
笑してかう言ふのです。(尤も河童の微笑する
のは餘り好いものではありません。少くとも
僕は最初のうちは寧ろ無気味に感じた〈■〉*も*ので
す。)
 「やあ、よく來たね。まあ、その椅子にかけ
給へ。」

■原稿43
 トツクはよく河童の生活だの河童の藝術だ
〈■〉*の*話をしました。〈我々人間の言葉を使う〔へ〕ば、〉*トツクの信ずる所によれ
〈ト〉ば、*当り前の河童の生活位、莫迦げてゐるも
のはありません。〈《殊に》⇒夫婦〉*親子*夫婦兄弟などと云ふの
は悉く互に苦しめ合ふことを唯一の樂しみに
して暮らしてゐるのです。殊に家族制度と云
ふもの〈ほど〉*は莫*迦げてゐる以上に〈恐しいもの〉*も莫迦げてゐ*るの
です。トツクは或時窓の外を指さし、「見給〈へ〉
*へ*。あの莫迦げさ加減を!」と吐き出すやうに
言ひま〈■〉した。窓の外の往来にはまだ年の若
[やぶちゃん注:
●「〈我々人間の言葉を使〔へ〕ば、〉*トツクの信ずる所によれ〈ト〉ば、当り前の河童の生活位……」の部分の改稿は興味深い。芥川は最初、
 我々人間の言葉を使ば、トツク
と書きかけて「ト」で止め、脱字に気づいて、
 我々人間の言葉を使へば、ト
と訂したものの、どうも気に入らず、「我々人間の言葉を使う〔へ〕ば、ト」をすべて削除するつもりで、
 トツクの信ずる所によれば、
と訂したのだが、抹消した2行目最後の後の空欄(芥川は句読点を前のマスの中に打って直下のマスを空ける癖があり、この最終20マス目は空いていた)に、この「よれば」の「れ」を書いたため、見かけ上、表記のような複雑な形になったものである。空欄1マスさえ無駄にしない倹約家芥川の一面が見て取れるのである。]

■原稿44
い河童が一匹、両親らしい河童を始め、〈十三〉*七八*
匹の〈男女〉*雌雄*の河童を頸のまはりへぶら下〈け〉*げ*な
がら、息も絶え絶えに歩いてゐました。しか
し僕は〈その《若》⇒河〉*年の若い河*童の犠牲的精神に感心しました
から、反つてその健気けなげさを褒め立てました。
 「ふん、君は〈善良なる〉*この国でも*市民になる資格を持つ
てゐる。………時に君は〈〔民主的〕《社會》〉社會〈的民主〉主義者かね?」
 僕は勿論〈ク〉 qua(これは河童の使ふ言葉では
「然り」と云ふ意味を現すのです。)と荅へました。
 「では百人の〈《阿呆》⇒莫迦〉*凡人*の爲に甘んじて一人〈賢人〉
[やぶちゃん注:
●「〈十三〉」の「三」はやや自信がないが、これが「十三」だとすれば、恐らく芥川にとって何らかの意味のある数字であった可能性が極めて高い。芥川は映像的に無理があるから減らしたのであろうが、それにしても「七八匹」でも想像しにくい。私は「河童」を初読した高校時代から、ずっとここには違和感を持っている。だからこそ最初の「十三」という限定数には意味がある、と感じてしまうのである。
●「〈ク〉 qua」「ク」は判読に迷ったが、間違いない気がする。これは当初、河童語の“Oui”(フランス語「ウィ」)“Yes”“Ja”(ドイツ語「ヤ」)“Да”(ロシア語「ダ」)に当たる、“qua”「クヮ」とでも表記しようとしたものであろう。河童語については多少、『芥川龍之介「河童」やぶちゃんマニアック注釈』で解析を試みているので(いや、「多少」でしかない。期待はされぬように)、興味のある方はそちらを管見されたい。
●「〈〔民主的〕《社會》〉社會〈的民主〉主義者」の推敲過程も相当に苦労の跡が認められる。まず、最初は実は、決定稿の、
 社會主義者
としているのである。それに
 民主的社會主義者
と右に挿入したものの、気に入らず、「民主的社会」を総て抹消し、左に、
 社會的民主
としたのだが、結局、「的民主」をまた抹消して、
 社會主義者
の最初に回帰したのである。
 ここには一種の芥川自身の、当時のリベラリストの思潮潮流、プロレタリアや芸術派の文壇の喧騒、日本のファシズムへの傾斜などによる、芥川の抱いたバイアスが感電的に加わっているように思われるが、如何であろう。]

■原稿45
天才を犧牲にすることも顧みない筈だ。」
 「では君は何主義者だ? たれかトツク君の信
條は無政府主義だと言つてゐたが、………」
 「僕か? 僕は超人(直訳すれば〔超河童〕です。)だ。」
 トツクは昂然と言ひ放ちました。かう云ふ
トツクは藝術の上にも独特な考へを持つてゐ
ます。トツクの信ずる所によれば、藝術は何
〈とも〉*もの*の支配をも受けない、藝術の爲の藝術で
ある、從つて藝術家たるものは何よりも先に善悪を絶した超人でなければならぬと云ふの
[やぶちゃん注:
●「超河童」が後からの挿入であることに注目されたい。即ちここは元、
 「僕か? 僕は超人(直譯すればです。)だ。」
であったのだ。我々は永くここに芥川の理知的なユーモアを嗅いできたし、確かにそれは正当なのであるが、実は当初、芥川は河童語の一般代名詞としての、河童世界に於ける至高の「河童」という生物集団を包括する単語は『直訳』したとしたら、寧ろそれは、正しく実は「超人」となるはずである。「超河童」というのは『直訳』ではなくて、人間、それも日本語を母語とする日本人から表現した場合に限って、人間ではない妖怪として「河童」の中の超越した河童、「超河童」となるのである。従って、ここは実は芥川が愚昧な読者をくすぐるために挿入した、如何にもな下らない洒落に過ぎないのだということに気づくのである。馬鹿にされていたのは、かく言われた超河童本人ではなくて、実は安楽椅子に座って「河童」を読んで分かったように笑みを浮かべている有象無象の読者どもであったのである。――]

■原稿46
す。尤もこれは必しもトツク一匹の意見では
ありません。トツクの仲間の詩人たちは大抵
同意〈見〉*見*を持つてゐるやうです。現に僕はトツ
クと一しよにたびたび超人倶樂部へ遊びに行き
ました。超人倶樂部に集まつて來るの〈は〉*は*詩
人、小説家、戯曲家、批評家、〔画家、音樂家、彫刻家、〕〈文藝〉*藝術*上の素人
とうです。しかしいづれも超人です。彼等は電
燈の明るいサロンにいつも快活に話し合つてゐま
した。のみならず時には得々と彼等の超人ぶ
りを示し合つてゐました。たとへば或〈《河童》⇒批評家〉*彫刻家*な
[やぶちゃん注:
●冒頭「す。」はママ。「■原稿45」の末尾は
 藝術家たるものは何よりも先に善悪を絶した超人でなければならぬと云ふの
であるから、ここは、
 です。
で始まらなければおかしいのである。珍しい芥川の「で」の脱字である。無論、初出は「です。」となっている。これは恐らく文選工か植字工・ゲラ校正者が補正して呉れたものであろう。
●「超人倶樂部に集まつて來るの〈は〉*は*詩人、小説家、戯曲家、批評家、〔画家、音樂家、彫刻家―〕〈文藝〉*藝術*上の素人とうです。」の箇所は校正上、大きな疑義がある。初出の「河童」では末尾は、
 ……畫家、音樂家、彫刻家、藝術上の素人です。
なのである。滅多にルビを振っていない芥川がここでわざわざ「とう」とルビしているのに、「ら」としているのは、どう考えても文選工・植字工・ゲラ校正者の誤りとしか思われない。まあ、冒頭の「で」を補正して呉れたから痛み分けというところか。なお、挿入部分の末尾であるが、底本とした国立図書館蔵の「国立国会図書館デジタル化資料」の自筆原稿のコマ番号「25」コマ目の6行目の右側の吹き出しを視認して見ると、その「彫刻家」の後は一見、「―」のように見え、とても読点には見えないものである。ただ、芥川は今まで見てきたようにダッシュには有意に長いもの(通常3マス分)を用いるので、これは短いダッシュでもないから(そんなものは今まで用いていない)、読点と判読する外はないであろう。]

■原稿47
どは大きい鬼羊歯の鉢植ゑの間に年の若い河
童をつかまへながら、頻に男色を弄んでゐま
した。又或雌の小説家などはテエブルの上に
立ち上つた〈まま〉*なり*、アブサントを六十〈杯?〉*本*飮んで
見せました。尤もこれは六十本目にテエブル
の下へ轉げ落ちるが早いか、忽ち〈死んで〉*往生し*てし
まひましたが。
 僕は或月の好い晩、詩人のトツクと肘を組
〈みながら〉*んだまま*、超人倶樂部から歸つて來ま〔し〕た。ト
ツクはいつになく沈みこんで一ことも口を

■原稿48
利かずにゐました。そのうちに僕等は火かげ
のさした、小さい窓の前を通りかか〈〔り〕ま〉りまし
た。その又窓の向うには夫婦らしい雌雄めすをすの河
童が二匹、〈《小さ》⇒三匹の子供の河童と一しよに〉*三匹の子供の河童と一しよに*晩餐のテエブルに向つてゐるのです。するとトツ
クはため息をしながら、突然かう僕に話しか
けました。
 「僕は超人〔的戀愛家〕だと思つてゐるがね、ああ云ふ家
庭の容子を見ると、やはり〈羨し⇒羨ま〉*羨ま*しさを感
〈ず〉*じ*るんだよ。」
[やぶちゃん注:
●「〈羨し⇒羨ま〉*羨ま*しさを」この部分は最初に、
 羨し
としたが送り仮名を「ま」から振ろうとして、「羨」という漢字の書体が気に入らなかったものか、「羨」を右に書き直し、「し」を「ま」にしたものの、周辺がすっかり汚くなったのが今度は気に障ったのか、結局、それらも総て抹消して、新たに新しいマスから、
 羨ましさを
と続けたものと思われる。ところが、初出では何と、
 羨しさを
と――「ま」がない――のである。現在、例えば今この瞬間に用いているマイクロソフトのオフィス2010の場合、「うらやむ」を変換すると「羨む」であり、「うらやましい」の場合は「羨ましい」と送り仮名が出るからこれが標準の送り仮名であろう(因みに何故「ま」から送るかというと、「羨しい」は「ともしい」(乏しいと羨ましいの両義を持つ)と「うらやましい」の二様の訓読みがあることによるものと思われる)。芥川は正当であったのだ! ところが、ここも勝手に文選工・植字工・ゲラ校正者がかくしてしまったものと思われる。芥川の繊細な書き換えは、それによって全く無化されてしまったのである。
●「夫婦らしい雌雄めすをすの河童が二匹、〈《小さ》⇒三匹の子供の河童と一しよに〉*三匹の子供の河童と一しよに*晩餐のテエブルに向つてゐる」今回、如何にも鈍感な私はやっと気づいた。この三人の子供と夫婦とは、芥川の三人の子らと龍之介と文以外の何者でもなかったのである……]

■原稿49
 「しかしそれはどう考へても、矛盾してゐる
とは思はないかね?」
 けれどもトツクは月明あか〈の〉*り*のしたにぢつと腕を
組んだまま、あの小さい窓の向うを、―――平
和な五匹の河童たちの晩餐のテエブルを見守
つてゐました。それから暫くしてかう荅へま
した。
 「あすこにある〈オムレツ〉*玉子燒*は何と言つても、〈超〉*恋*
〈《人》⇒愛〉*愛など*よりも〈現実〉*衛生*的だからね。」 〈《少なくと恋愛》⇒或〉
[やぶちゃん注:
●掉尾に着目されたい。もともと終わりの鉤括弧を打たず、実は芥川はこのトックの台詞をもっと続けようと一瞬考えたことが分かるのである。以下、1行余白。]

■原稿50
     〈《五》⇒《六》⇒七〉*六*

[やぶちゃん注:5字下げ。本文は2行目から。]

 實際又河童の〈■〉*恋*愛は我々人間の恋愛とは余
程趣を異にしてゐます。〈女〉*雌*の河童はこれぞと
云ふ〈男〉*雄*の河童を見つけるが早いか、〈男〉*雄*の河童
を捉へるのに如何なる手段も顧〈り■〉*みま*せん。一
番正直な〈女〉*雌*の河童は遮二無二〈《女》⇒男〉*雄*の河童を追ひ
かけ〈ま〉*るので*す。現に僕は気違ひのやうに〈男〉*雄*の河童
を追ひかけてゐる〈女〉*雌*の河童を見かけま〔し〕た。い
や、そればかりではありません。〈《女の河童 》⇒若い女の河〉*若い雌の女河*
童は勿論、その河童の〈《両》⇒女〉*兩*親や兄弟まで一しよ
[やぶちゃん注:
●「〈《女の河童 》⇒若い女の河〉*若い雌の女河*童」の箇所は説明を要する。その複雑な推敲過程を記号では示し切れていないからである。芥川はまず、
 女の河童
まで書いて筆を留めた。これは9行目19字目で下の20マス目が空いた状態であった(先んじて抹消された「女河童」の下に一字空けしたのはその意味を示そうとしたもの)。そして、
 若い女の河童
と右に訂したが、その時6字目の「河童」の「河」の字は空いていた20マス目に入れたのである。
ところが後に河童の性別表記を「男」「女」から「雄」「雌」に書き換える際(この大きな全体に関わる改変をどこまで書いた時点で行ったものかは未だ判然としないが、管見によれば原稿の「九」に訂正無しの「雌」が現われるところから、それ以前の「七」「八」辺りでかとも思われる。この考察は続行中である)、ここを更に訂して、左側に、
 若い雌の女河童
としようとした。その際、既に正規にマスに入れていた9行目20マス目の「河」を生かして続けたのである(即ち、私が便宜上「若い女の河」として削除に入れてある「河」の字は字としては削除されずに生きてるのである)。美事な節約術であると言えよう。
 さらに実は大きな問題点がここにはある。御覧の通り、ここは原稿通りならば、「若い雌の女河童は勿論」と植字しなくてはならないという点である。この左の挿入箇所ははっきりと「若い雌の女」と書いてあり、「女」は抹消されていないという事実である。しかし、初出も現行の「河童」も、ここは、
 若い雌の河童は勿論、その河童の兩親や兄弟まで一しよになつて追ひかけるのです。
なのである。「雌の女河童」というのは、確かに屋上屋ではある。実際にこの「五」の掉尾では、芥川自身が「女河童」の「女」を抹消しているのである。ではここは文選工・植字工・ゲラ校正者によって排除されたものか? そんなことが許されるのか?……これが許される――というか――実際に起こるという事実をお話ししよう。
 私は最初に勤務した学校でずっと学校新聞の顧問を担当していたが、その際、担当の印刷会社の文選・植字担当(校正も総て兼務)の方が、社会科の先輩教師の書いた当時の中国関連の記事の中の「首相」の文字を、勝手に「主席」に変えてしまい、困った記憶がある。今でこそ中国に首相がいるのは万民の知るところだが、その担当者は頑なな思い込みがあり、「中国に首相はいない。主席だよ。こんな間違いは社会科の教師として恥ずかしいよ。」と言ってなかなか譲らず、板挟みとなって閉口した覚えがあるのである(最後にはしぶしぶ印刷所の担当者が折れた。牛乳瓶の底の様な分厚い眼鏡越しに「馬鹿にされても知らないよ。」と怨み節を利かせて、である。それ以外では、とてもよくしてくれた担当者ではあったのだが。……「柏陽新聞」――今となっては私の若き日の懐かしい思い出ではある)。学校新聞と芥川龍之介では比較にはなるまいが、文選・植字・ゲラ校正者担当者によって実際にそうしたことが行われていた可能性が、このトラウマのような経験から私にはどうしても否定出来ないのである(そもそも総ルビというのは、この「河童」のようなルビの殆んどない原稿の場合は、実は彼らの裁量になったものであった――今もある――はずである。具体な実態は不学にして知らないが、この総ルビ作品の実態について御存知の識者の御教授を是非とも乞うものである)。
 ただ、ここまでこの原稿を見てきて、一つ、大きな疑問が生じている。――この自筆決定原稿は綺麗過ぎる――のだ。冒頭の一枚には明らかに赤字のポイント指示やカット挿入の校正が行われている様子なのに、本文には一切、そうした校正の手入れがなされていないというのは如何にも変だ。考えにくいことであるが、実は校正上の問題箇所は別紙にでも記されていったものなのではないか、という気がしてきてもいるのである(無論、普通はそんなことはしないが、芥川龍之介のような流行作家の原稿である。綺麗に保存しておけば、想像を絶する値段で取引された可能性がある――実際、されている――のは周知の事実であろう)。これについてもその方面(校正業の方及び直筆原稿を売買される業者の方)の識者の御意見を乞うものである。]

■原稿51
になつて追ひかけるのです。〈男〉*雄*の河童こそ見
じめです。何しろさんざん逃げまはつ〈た〉*た*揚
句、運〈《よ》⇒好〉*好*くつかまらずにすんだとしても、二
三箇月はとこについてしまふのですから〈。〉。僕は
或時僕の〈部屋〉*家*にトツクの詩集を讀んでゐまし
た。するとそこへ駈けこんで來たのはあの〈《勢》⇒勢〉
〈《ツプと云ふ学生》⇒の好いラツプ〉*ツプと云ふ学生*です。ラツプは僕の〈部屋〉*家*へ〈は
ひる〉
*轉げこむ*と、床の上へ倒れたなり、息も切れ切れ
にかう言ふのです。
 「大変だ、! とうとう僕は〈つかまつ〉*抱きつかれ*てしまつ
[やぶちゃん注:
●「あの〈《勢》⇒勢〉*ラ*〈《ツプと云ふ学生》⇒の好いラツプ〉*ツプと云ふ学生*です。」という箇所については途中で次行に移っていることからやや分かり難いかもしれない。最初の抹消の「勢」の字は左上の8画目まで書いて抹消しているが、ここは当初、芥川は、
 あの勢の好いラツプと云ふ学生です。
としたものと思われる。しかしこの「いきほひの好い」という形容が気に入らず(私もこなれていない形容と感じる)、抹消してシンプルに、
 あのラツプと云ふ学生です。
としたに過ぎないのである。]

■原稿52
た!」
 僕は〈早速戸口へ飛び出〉*咄嗟に詩集を投げ出*し、〈しつか〉*戸口の*錠を〈下〉*お*ろ
〔して〕しまひました。〈その時〉*しかし*鍵穴から覗い〈て〉*て*見る
と、硫黄の粉末を顏に塗つた、背の低い〈女〉*雌*の
河童が一匹、まだ〈《残念さうにうろつゐてゐました》⇒戸口に立つてゐます〉*戸口にうろついてゐるのです*。〈ト〉*ラ*ツプはその日から何週間か僕の床の
上に寐て〈■〉ゐました。のみならずいつか〈嘴が〉*ラツプの嘴は*す
つかり腐つて落ちてしまひました。
 〈しかし〉*尤も*又時には〈女〉*雌*の河童を一生懸命に追ひ
かける〈男〉*雄*の河童も〈ゐ〉ないわけではありません。し
[やぶちゃん注:
●「まだ〈《残念さうにうろつゐてゐました》⇒戸口に立つてゐます〉*戸口にうろついてゐるのです*。」これも複雑で記号では示し得ない。推敲過程を推理する。当初、芥川は、
 まだ残念さうにうろつゐてゐました。
とした。その後、「残念さうにうろつゐてゐ」及び次行上の「した」を抹消、「ま」だけを残して、右に、
 戸口に立つてゐます。
としたと思われる。それでも不服で、さらに「戸口に立つて」を削除、「ゐ」だけを残して、
 戸口にゐます。
とシンプルにしてみた。しかし、今度は削ぎ落とし過ぎたのが逆に不満になったものか、今度は左側に、マスに最後まで残っていた初筆の「ま」も抹消し(この抹消は明白なものではなく、吹き出し線の最後を「ま」の上に延ばすことで示されている)、
 戸口にうろついてゐるのです。
という決定稿になったものであろう。]

■原稿53
かしそれ〈《は■》⇒《もと■》⇒も事実上〉*もほんたうの所は*追ひかけずにはゐられない
やうに〈女〉*雌*の河童が〈し?〉*仕*向けるのです。僕はやは
り気違ひのやうに〈女〉*雌*の河童を追ひかけてゐる
〈男〉*雄*の河童〈を見〉*も見*かけました。〈女〉*雌*の河童は逃げて
行くうちにも、時々わざと立ち止まつた見た
り、〈生殖噐を見せ〉*四つん這ひに*なつ〈《たり》⇒て見た〉*たりし*て見せ〔るので〕す。お
〈■〉*け*に丁度好い時分になると、さもがつかり
したやうに〈わざ〉*樂々*とつかまつてしまふの〔で〕す。僕
の見かけた〈男〉*雄*の河童は〈女〉*雌*の河童を抱いた〔〈■〉な〕り、
暫くそこに轉がつてゐました。が、やつと起
[やぶちゃん注:
●「時々わざと立ち止まつた見たり、」はママ。勿論、初出は「時々わざと立ち止まつて見たり、と訂されてある。文選工・植字工・ゲラ校正者によるものであろう。
●「〈生殖噐を見せ〉*四つん這ひに*なつ〈《たり》⇒て見た〉*たりし*て見せ〔るので〕す。」芥川は恐らく「四」での伏字は予期した確信犯であろうと私は踏んでいるのであるが、逆にここでは伏字を期した意識的な書き換えに苦労している様子が窺われて面白い(と私は思っている)。
●「樂々とつかまつてしまふの〔で〕す。」ここは初出及び現行「河童」では、
 樂々とつかませてしまふのです。
となっている。これは並べてみると、どう見てもこの決定稿の「つかまつてしまふのです」の方が自然ではあるまいか?]

■原稿54
き上つたのを見ると、失望と云ふか、後悔と
云ふか、兎に角何とも形容出來ない、気の毒
な顏をしてゐました。しかしそれはまだ好い
のです。これも〈見かけ〉*僕の見か*けた中に小さい〈男〉*雄*の
河童が一匹、〈女〉*雌*の河童を追ひかけてゐ〈ま〉*ま*し
た。〈女〉*雌*の河童は例の通り、誘惑的遁走をして
ゐるのです。するとそ〈のうちに向う〉*こへ向うの街*から大き
〈男〉*雄*の河童が一匹、鼻息を鳴らせて歩いて來
ました。〈女〉*雌*の河童は何かの拍子にふとこの〈男〉*雄*
の河童を見ると、「大変です! 助けて〈下〉*下*さ

■原稿55
い! あの河童はわたしを殺さうとするので
す!」と金切り聲を出して叫びました。勿論大
きい〈男〉*雄*の河童は忽ち小さい河童をつかまへ、
往來のまん中へねぢ伏せました。小さい河童
は水搔きのある手に二三度空を摑んだなり、
とうとう死んでしまひました。けれどももう
その時には〈女〉*雌*の河童はにやにやしながら、大
きい河童の頸つ玉へしつかりしがみついてし
まつてゐ〈《■》⇒る〉*た*のです。
 僕の知つてゐた〈男〉*雄*の河童は誰も皆言ひ合は

■原稿56
せたやうに〈女〉*雌*の河童に追ひかけられま〔し〕た。勿
論妻子を持つてゐるバツグでもやはり追ひか
けられたのです。のみならず二三度〈つ〉*は*つかま
つたのです。唯マツグと云ふ〔哲〕学者だけは(これ
はあのトツクと云ふ詩人の鄰に〈住ん〉*ゐる*河童です。)
一度もつかまつたことはありません。これは
一つには〈トツ〉*マツグ*位、醜い河童も少ない爲でせ
う。しかし又一つにはマツグ〔だけ〕は餘り往來へ〔顏を〕出
〔さ〕ずにうちにばかりゐる爲です。僕はこのマツグ
の家へも時々〈話〉*話*しに出かけました。マツグは
[やぶちゃん注:
●「しかし又一つにはマツグ〔だけ〕は餘り往來へ〔顏を〕出〔さ〕ずにうちにばかりゐる爲です。」に着目してもらいたい。特に「さ」などは特異的に9行目の罫外に手書きで罫を引いて挿入してある。これは実は挿入箇所を外して(ルビも一緒に外しておく)みると、
 しかし又一つにはマツグは餘り往來へ出ずに家にばかりゐる爲です。
というシンプルな表現への手入れであったことが分かるのである。]

■原稿57
〈《狭い家の中に》⇒いつも奥深い〉*いつも薄暗い*部屋に〈小さい〉*七色の*色硝子のランタア
ンをともし、脚の高い机に向ひながら、〈何か〉
厚い本〔ばかり〕を讀んでゐるのです。僕は或時かう云
ふマツグと河童の戀愛を論じ合ひました。
 〈《■》⇒僕?〉 「なぜ〈君?〉政府は〈女〉*雌*の河童が〈男〉*雄*の河童を追ひ
かけるのをもつと嚴重に取り締らない〈かね?〉*のです
?*」
 〈マツグ〉 「それは〈政府の役人に〉*一つには官吏*の中に〈女〉*雌*の河
童の少ない爲ですよ。〈女〉*雌*の河童〈も〉*は*〈男〉*雄*の河童よ
りも一層嫉妬心は強いものですからね。〈《もう》⇒女の〉*雌の*
[やぶちゃん注:
●二つの台詞の前の削除はお分かりの通り、話者を示すためのものであったことが分かる。それぞれの台詞「僕」のそれが3字下げ、マッグのそれが5字下げの位置から始まっており、活字化されたとすると、却って見にくいものではある。なお、芥川は鍵括弧を一マス取らないのでそれぞれ4マス目・5マス目の右肩に鍵括弧が入り、当該マスから字を書き始めている。
●「厚い本〔ばかり〕を讀んでゐるのです。」ここは初出及び現行「河童」では、格助詞「を」がなく、
 厚い本ばかり讀んでゐるのです。
となっている。一般には目的格「を」がなくてもよいが、私は芥川の文体からして、「を」がある方が彼らしいと感じている。]

■58
河童の官吏さへ殖ゑれば、きつと今よりも〈男〉*雄*
の河童は追ひかけられずに〈すむ〉*暮らせるでせう。し
かしそ〈れも〉*の効*力も知れたものですね。なぜと言
つて御覽なさい。官吏〈で〉同志でも〈女〉*雌*の河童は〈男〉*雄*
の河童を追ひかけますからね。」
〈僕〉 「ぢやあなたのやうに暮ら〈す外には必ず
つかまつてしまふ訣です〉
*してゐるのは一番幸福な訣ですね。*」
 するとマツグは椅子を離れ、〈《二三度部屋の》⇒僕の肩へ手を
置い〉
*僕の兩手を握つ*たまま、ため息と一しよにかう言ひまし
た。
[やぶちゃん注:
二箇所に現われる「暮らせる」「暮らして」は、孰れも初出では「暮せる」「暮して」になっている。これはその当時の一般通念若しくは当時の改造社の校正担当者の統一原則(筆者の各個同意を必要としない)ででもあったものか?
 しかし、残念ながら、そうではないのである。
「五」には二箇所「如何にも、気樂さうに暮らしてゐました」「親子夫婦兄弟などと云ふのは悉く互に苦しめ合ふことを唯一の樂しみにして暮らしてゐるのです。」と現われるが、ここは原稿通り、初出も孰れも「暮らし」と送っているのである。
 最早、ここで声を大にして言いたいのである。
「河童」の『改造』初出及びそれを底本としている現行の「河童」は、再度、この芥川龍之介自筆原稿を底本として初出と校合し、正しく校訂されなければならないという気が、ここにきて既に、今の私には強くしてきていることを告白する。私は本テクストの冒頭注で「細かな注で文章が分断されるため、最終的には別に、煩瑣な神経症的注を除去した読み易い通読閲覧用原稿準拠版も供したいと考えている」と記したが、ここで更に、
 芥川龍之介「河童」最終原稿完全準拠版「河童」
を最終的にもう一つ、作成する決心をしていることをここに掲げておきたい。
 ただ、それでもまだ「河童」の真の決定稿の探索は不十分であると言わざるを得ない。
 何故なら、今一つの芥川龍之介自筆の『改造』切抜への著者訂正書入れ(日本近代文学館蔵)が存在するからである。これは恐らく在野の一介の好事家でしかない私などには近代文学館は見せて呉れまい。
 しかし、それをこれに校合出来れば、最も芥川龍之介が望んだであろう決定版「河童」の最も完全に近いテクストを復元出来るはずである。
……まあ、何れは、どこかの芥川龍之介研究者を自称するアカデミストが、それをやっては呉れるのであろうが……少しばかり、悔しいが、ね――]

■原稿59
 「あなたは我々河童ではありませんから、お
わかりにならないのも尤もです。しかしわた
しもどうかすると、〈《追ひかけられたい気も》⇒あの恐しい女の河童に〉*あの恐ろしい雌の〈女〉河童に*追
ひかけられたい気も起るのですよ。」
[やぶちゃん注:
●「〈《追ひかけられたい気も》⇒あの恐しい女の河童に〉」の二度目の大きな書き換えは単に、「女の河童に」を「雌の女河童に」に書き換えるためだけのものである。ここで「女」を芥川が自分で抹消している点、先に述べたが、注意されたい。以下、6行余白。なお、頁ナンバリング「59」の下に大きな黑インクで大きな「ㇾ」点が入っているが、意味は不明。筆者によるものかどうかも分からないが、少なくとも本文使用のものと同系のインクではある。更にこの原稿には裏から滲んだと思しい赤インクの滲みがあるが、それについては次の原稿の冒頭で考証する。]





■原稿60
     七

[やぶちゃん注:5字下げ。本文は2行目から。
●この原稿には右罫外上方に赤インクで、
 
芥川氏つづき
とあり、更にほぼ7~8行目の間の上方罫外に、
 
60
という左上方のナンバリングと同じ数字(ノンブル)が手書きで赤インクで記されている。この数字は「■原稿78」まで、だいたい同じ位置に「
78」まで同様に記されている(それぞれの数字の近くには幽かな数箇所の赤い滲み痕があるが、これは後ろに重ねた原稿の数字から裏側から滲み移ったものと思われる)。また、この原稿には6行目19マス及び7行目18マスと20マス、8行目17マスに赤インクの染みが認められるが(一部行間に掛かる。国立図書館蔵の「国立国会図書館デジタル化資料」の自筆原稿のコマ番号「32」右)、一部字のように見える箇所もあるが、これは校正痕ではなく、単なる汚れと思われる。実は前の「■原稿59」のここより高い位置(2行目7・8マスと11・12マス、3行目6・7マスと12・13マス及びそれらの行間部)に裏側からの赤インクの滲み痕が認められるのであるが(国立図書館蔵の「国立国会図書館デジタル化資料」の自筆原稿のコマ番号「31」左)、これらはそのままの位置では、この「■原稿60」の赤インク染みとは一致しないものの、「■原稿59」の裏からの滲みのうち、下部(2行目11・12マス、3行目12・13マス及びそれらの行間部)のインク滲み痕は、この「■原稿60」の下部のインク染み(6行目19マス及び7行目18マスと20マス及びその行間部)を反転させたものと対応したよく似た形状を示しているように見受けられる。これは当該原稿同士が重ねられていた状態(和装冊子化される以前)で、「■原稿60」の「芥川氏つづき」以下の手書きノンブルを赤インクで書いた際、うっかり汚したものの上に、まだ乾かないうちに「■原稿59」を不揃いに重ねた結果、その裏側に赤インクが附着して表へ現れたもののように見受けられる。]

 僕は又詩人のトツク〈学生のトツ〉*と度たび音樂*会へも出
かけました。が、未だに忘れられないのは〈二〉*三*
度目に聽きに行つた音樂会のことです。〈会場の
容子は〉
*尤も會場の容*子などは余り日本と変つてゐま〈せ〉*せ*
ん。やはりだんだんせり上つた席に男女の河
童が三〈百匹〉*四百*匹、いづれもプログラムを手にし
ながら、〈熱心〉*一心*に耳を澄ませてゐるのです。僕
はこの三度目の音樂会の時には〈髮の毛の長い詩人〉*トツクやトツクの雌河童*の外にも〈哲学者のマツグ〉*哲学者のマツグ*と一しよ〈に〉*に*な
[やぶちゃん注:この部分、二箇所に初出や現行と異なる箇所がある。
●「男女の河童」初出や現行「河童」では、
 雌雄の河童
となっている。大々的に後から行われた書き換えコンセプトとしては正しい。
●「トツクの雌河童」初出や現行「河童」では、
 トツクの雌の河童
となっており、以下、次の「■原稿63」及び「■原稿66」に現われる「雌河童」も皆、「雌の河童」となっている。現行の「河童」には外で「雌河童」という語は用いられておらず、総て「雌の河童」であるから、統一はとれた書き換えではある。しかし、私はここが、
――トックの女――
という限定的謂いを含んだ表現であることに注目したいのである(自由恋愛家であるトックは正妻を持たない)。ここは、
――トックの愛人であるところの雌の河童――
なのである。その場合、
――トックの女の河童――
や、
――トックの雌の河童――
という表現が如何にもお洒落じゃないとは感じないだろうか? 私には、寧ろ、同格の「の」を排した、
――トックの女河童――
若しくは、
――トックの雌河童――
の方が如何にもしっくりと『愛人』のニュアンスを伝えると思うのである。私は、芥川が男女という表現で書いて来たものを何故、一律に雌雄としてしまったのか、今一つ、腑に落ちないでいる。河童という異生物体としての印象を大事にしたかったのか? 河童世界が明白な現実の当時の日本・人間社会のカリカチャア(但し、それは正立像であったり倒立像であったりする)であることは読者の誰もが理解したはずであるから、そこに「異界」性を持ち込むことのファンタジアが「雌雄」の意味であったものか? いや、寧ろ、芥川は人間社会の「男女」という語に付与されるところの甘いロマンティシズムなぞは、所詮、幻想であり、種の保存とニンフォマニア的神経症的性欲充足が「男女」というものの真相である、ヒトの男女も所詮、動物の雄雌以外の何ものでもないということを表現したかったのではなかったか? 大方の識者の御意見を俟つものである。]

■原稿61
り、一番前の席に坐つてゐました。するとセ
ロの獨奏が終つた後、妙に目の細い河童が一
匹、無造作に譜本を抱へたまま、壇の上へ上
つて來ました。こ〈れは〉*の河*童はプログラム〈によれ
ば〉
*の教へる通り*、名高いクラバツクと云ふ作曲家です。プ
ログラムの教へる通り、――いや、プログラ
ムを見るまでもありません。クラバツクはト
ツクが〈属〉*属*してゐる超人倶樂部の會員〈中でも〉*ですから*、
〈《最も》⇒超人ぶりを発揮する上には最も大膽な河童な
のですから。              〉

[やぶちゃん注:は最終行残り14マス余白を抹消している。]

■原稿62
僕も亦顏だけは知つてゐるのです。
 「Lied ――― Craback 」(この国の音樂会のプ
ログラムも大抵は獨逸語を並べてゐました。)
 クラバツクは盛んな拍手の中にちよつと我
々へ一礼した後、靜かにピアノの前へ歩み寄
りました。それからやはり無造作に自作のリ
イドを彈きはじめました。クラバツクはトツ
クの言葉によれば、この国の生んだ音樂〈家〉*家*
中、前後に比類のない天才ださうです。僕は
クラバツクの音樂は勿論、〈クラツ〉*その又*余の抒情
[やぶちゃん注:「Craback」の綴りは「Lied」同様に筆記体であるが、「Cra」「ba」「c」「k」は続かずに切れている。なお、この部分にも、二箇所に初出や現行と有意に異なる箇所がある。
●「この国の音樂会のプログラム」初出や現行「河童」では、
 この國のプログラム
となっており、「音樂会」がない。除去する必然性が感じられない。私は校正時の脱落で芥川はゲラ校で見落とした可能性を考えている
●「靜かにピアノの前へ」初出や現行「河童」では、
 靜にピアノの前へ
となっており、送り仮名「か」がない。続く「■原稿67」の同様のミスを除くと、他にある「河童」の中の10箇所は、総てが「靜か」と「か」を送っているのである。これは明白にして単純な植字ミスとしか言いようがない。私も個人的に「か」から送りたい人間である。しかも、この原稿との異同は旧全集校異表の中にはない。余りに些末と思ったものか。しかしであれば、何故、初出でなく、原稿に従ってここと次に「か」を送って統一した定本本文としなかったのか? いろいろな点で不思議と言わざるを得ないのである。]

■原稿63
詩にも興味を持つてゐましたから、大きい弓
なりのピアノの音に熱心に耳を傾けてゐまし
た。〈トツクや〉*トツクや*マツグも恍惚としてゐたことは
或は僕よりも勝つてゐたでせう。が、あの
美しい(少くとも〈トツク〉*河童た*ちの話によれば)雌河童だ
けはしつかりプログラムを握つた〈まま〉*なり*、時々
さも苛ら立たしさうに長い舌をべろべろ出し
てゐました。これは〈■〉マツグの話によれば、〈《何》⇒前
《度か》⇒《でも、》《クラバツクを摑まへかかつ》た《ところ、》⇒前に一度クラバツクを摑まへるばかりになつたところ、生憎往來に落ちてゐた、     〉

[やぶちゃん注:
●最後の部分の書き換えは非常に複雑である(国立図書館蔵の「国立国会図書館デジタル化資料」の自筆原稿のコマ番号「33」左)。推定してみる(あくまで取消線の切れ目などからの私の推定である)。まず芥川は、
 何度かクラバツクを摑まへかかつたところ、
までを一気に書いたが、そこを、
 何でも、クラバツクを摑まへかかつたところ、
としたのではなかったかと思われ、しかも、それをさらに、
 何でも、クラバツクを摑まへたところ、
と更に切り詰めた。しかし、どうも気に入らず、頭から、
 前に一度クラバツクを摑まへるばかりになつたところ、生憎往來に落ちてゐた、
までを一気に書いた。しかし、最終的に気に入らない。ところが最早、推敲訂正する余地が原稿用紙になくなってしまったため、総てを削除した。実は削除線をし忘れているのが、
 9行目頭の「でも、」
なのであるが、これを消し忘れたのは、実は彼の頭の中に次の原稿冒頭にある通り、最終決稿をまさにこの、
 何でも
で始めることが頭にあったからではなかったか、と私は推理するものである。]

■原稿64
何でも彼是十年前にクラバツクを摑まへそこ
なつたものですから、未だにこの音樂家を目
かたきにしてゐるのだとか云ふことです。
 クラバツクは全身に情熱をこめ、戰ふやう
にピアノを彈きつづけました。すると突然會
場の中に神鳴りのやうに〈鳴り〉*響き*渡つたのは「演奏
禁止」と云ふ声です。僕は〈前〉*こ*の声にびつくり
し、思はず後ろをふり返りました。声の主は
紛れもない、一番後ろの席にゐる〈、小肥りに〉*身の丈拔群*
の巡査です。巡査は僕がふり向いた時、〈もう〉*悠然*
[やぶちゃん注:二箇所の校正ミス。
●「〈鳴り〉*響き*渡つたのは」またしても校正ミスである。初出及び現行「河童」では、
 響渡つたのは
送り仮名「き」が送られていない
●「〈前〉*こ*」恐らく「前」で間違いない。後の「後ろ」に対応した表現をしようとしたものであろう。
●「思はず後ろを」「一番後ろの」またしても二箇所の校正ミスである。初出及び現行「河童」では、二箇所とも、
 後
と、送り仮名「ろ」が送られていない。この校正ミスは最早、文選工・植字工・ゲラ校正者の確信犯としか思われない。総ルビ指示があるから「ろ」を送らずともよいと判断したものか? しかし、他では「後ろ」とちゃんと原稿通り送って植字している箇所がこれ以前(「一」の「僕の後ろにある岩の上には畫にある通りの河童が一匹」、「二」の「それから誰か後ろにゐる河童へ Quax quax」)にも以後(「十」の「トツクの後ろ姿を見送つてゐました」、「しかもそのうちに瘦せた河童は何かぶつぶつ呟きながら、僕等を後ろにして行つてしまふのです」等4箇所)にもあるのであるから、これどう考えてみてもすこぶるおかしい。やったりやらなかったりする文選工・植字工・ゲラ校正者の移り気な恣意的校正はどう考えても許されるものではない。このミスは後の「八」などでも現われるのである。]

■原稿65
と腰をおろしたまま、もう一度前よりもおほ
声に「演奏禁止」と怒鳴りました。それから、――

 それから先は大混亂です。「警官横暴!」「ク
ラバツク、彈け! 彈け!」「莫迦!」〈「〉*「*畜生
!」「ひつこめ!」「負けるな!」―――かう云
ふ聲の湧き上つた中に椅子は倒れる、プログ
ラムは飛ぶ、おまけに誰が投げるのか、サイ
ダアの空罎や〈馬胡瓜さへ〉*石ころや噛*ぢりかけの胡瓜さへ
〈飛〉*降*つて來るのです。僕は呆つ気にとられまし
〔たから、トツクにその理由を尋ねようとしました。が、トツクも〕
[やぶちゃん注:
●「〈馬胡瓜さへ〉」ここは芥川の茶目っ気が出ている面白いところである。お盆の精霊馬しょうりょううまが投げられるのはすこぶる附きで面白いのだが、「サイダアの空罎」「石ころ」と並列させるには戯画的過ぎて齟齬を感じたものか? 私は如何にも切り捨てるには勿体ない気がしてならないのであるが。
●最終行は左罫外に大枠のみを一行分手書きで増補した長方形の枠(上の罫から「松屋製」の上まで)に読点も含めて29字分が書かれている。しかし、この挿入も異例な上に、かなり不審である。何故なら、本来の20行目が次の「■原稿66」の冒頭とは全く以って続いていないからである。これはこの自筆原稿以外に下書きがあり、それを写した際、改頁となるここで「たから、トツクにその理由を尋ねようとしました。が、トツクも興奮し」の計32字分を誤って飛ばして写し、慌てて挿入したのではないか、という推理が立てられなくはない。そういう観点から見ると、挿入箇所の冒頭と「■原稿66」の冒頭は、
 たから、
 たと見え、
と同じ「た」から始まっているやや似た句末で、幻の下書き転写を疑おうと思えば疑えるとは言えまいか?]

■原稿66
〔興奮し〕たと見え、椅子の上に突つ立ちながら、「クラ
バツク、彈け! 彈け!」と〈叫び〉*喚き*つづけてゐま
す。〈それから〉*のみなら*ずトツクの雌河童もいつ〈か〉*のに*敵意
を忘れた〈と見〉*のか*、「警官横暴」と叫んでゐることは
少しもトツクに変りません。僕はやむを得ず
マツグに向かひ、「どうしたのです?」と尋ねて
見ました。
 「これですか? これは〈よくあ〉この国ではよくある
ことですよ。 〈」〉〈■〉*元*來画だの文藝だのは………」
 〈《マツグはかう言》⇒*マツグは空き罎の*雨の下に時々に〉*マツグは何か飛んで來る度に*ちよつと
[やぶちゃん注:
●「雌河童」先に示した通り、初出及び現行「河童」では、「雌の河童」。
●「〈■〉」この抹消字、読めそうで読めない。何かピンとこられた方の御教授を乞う。]

■原稿67
頸を縮め〔ながら〕、不相変靜かに説明しました。
 「元來画だの文藝だのは誰の目にも何を表は
してゐるかは兎に角ちやんとわか〈ります■〉*る筈です*か
ら、この国では决して發賣禁止や展覽禁止には
〈あはせ〉*行はれ*ません。その代りにあるのが演奏禁
止です。〈音樂だけは〉*何しろ音樂*と云ふものだけはどんな
に風俗〔を〕壞亂する〈もの〉*曲*でも、耳のない河童には
わかりませんからね。」
 「しかしあの巡査は〈音樂家〉*耳があ*るのですか?」
 「さあ、それは疑問ですね。多分〈あ〉*今*の旋律を
[やぶちゃん注:
●「靜かに」先に示した通り。初出の校正ミスであるにも拘わらず、現行「河童」も「靜に」である。
●「〈ります■〉*る筈です*」ここは取消線の相違からの推測であるが、「ります」と最初に書き、「りま」を傍線で抹消、「る筈」と書いて、すでに書いた「す」を「です」で使おうとしたが、マスがずれるのを嫌って「す」をぐりぐりと消し、「で」を書いた。その下のマスに「す」を二画目の頭まで書きかけて(確定は出来なかったので「■」としてある)、やはり綺麗に改訂した部分を右側に並べようと、それを消して「る筈です」と記したのではあるまいか。
●「展覽禁止には〈あはせ〉*行はれ*ません」ここは初出以降、
 展覽禁止は行はれません
で、「に」は削除し忘れ。逆に文選工・植字工・ゲラ校正者に救われたものかも知れない。]

■原稿68[やぶちゃん注:「★」部分は原稿にない箇所が現行「河童」にはあることを示す。]
聞いてゐるうちに細君と一しよに寢てゐる時
の心臟の鼓動でも思ひ出したのでせう。」

 「〈その国〉*そんな*檢閲は亂暴〈すぎますね。」〉*ぢやありま*せんか?」
 「何、どの国の檢閲〈も大抵これと〉*よりも却つて*進歩してゐ
る位ですよ。〈」〉たとへば日本を御覽なさい。現
につひ一月ばかり前にも、………」
 〈マツグはかう言ひかけた途端、〉*丁度かう言ひかけた途端です。マツグは生憎*腦天に空罎が落ちたものですから、〈あつと云つて■〉*quack(これは唯*間
投詞です)と一こゑ叫んだぎり、とうとう気を失
つてしまひました。
[やぶちゃん注:
★以下に、ここに挿入される原稿にない初出及び現行「河童」に現われる段落を岩波旧全集から引用して示す。底本は総ルビであるが五月蠅いので私が振れないと判断する読みは排除してある。「いよいよ」の読みの後半は底本では踊り字「〱」である。

 かう云ふ間にも大騷ぎはいよいよ盛んになるばかりです。クラバツクはピアノに向つたまま、傲然と我々をふり返つてゐました。が、いくら傲然としてゐても、いろいろのものの飛んで來るのはよけないわけきません。從つてつまり二三秒置きに折角の態度も變つた訣です。しかし兎に角大體としては大音樂家の威嚴を保ちながら、細い目をすさまじくかがやかせてゐました。僕は――僕も勿論危險を避ける爲にトツクを小楯こだてにとつてゐたものです。が、やはり好奇心に驅られ、熱心にマツグと話しつづけました。

本原稿には挿入を示すような記号も何もない。従って、これは、この決定稿の改造社への送付後からゲラ校正終了迄の間に、芥川龍之介から、この箇所への追加挿入原稿が示されたか、ゲラ校正に張り付けられたか、何れかである。総字数288字(ダッシュは芥川の癖で3字とるから一字加えてある)であるから、当該使用原稿用紙で一枚と約一行半(総22行分)である。この挿入指示に関わる書簡などが残っていれば嬉しいところだが、残念ながら、ない。彼が最後にここを挿入したくなった理由はいろいろ考えられよう。ここで壇上の傲然たるクラバックを描かぬのは、如何にも舞台として淋しいことは勿論である。しかし、他に何かある。それが何であるか、今のところ私には判然としない。ただ、この著名な作曲家にして詩人で芸術至上主義者であるクラバックは私のモデル推定ではすこぶる同定し難いハイブリッドなのである。私は当初その原型を、実際の作曲家山田耕筰辺りに求めたが、実はこのキャラクターはダブル・キャストで音楽もよくした萩原朔太郎を感じさせ、後半では、かなり明らかに、自死する詩人トックと同じく、『萩原朔太郎や志賀直哉』に比定されような、しかも『芥川龍之介自身の相互互換的モデル』としても機能しているように感じられるのである。ここで示した傲然たるクラバックは、もしかすると芥川龍之介自身の当時の文壇や現実社会への態度のカリカチャアであった可能性を私は嗅ぎつけている、とだけ申し添えておきたい。
●「反つて」初出及び現行は「却つて」。芥川自身のゲラ校での変更によるか。
●「〈あつと云つて■〉」この最後の判読不能字の(へん)は「糸」(いとへん)である。余りの行はない。]

■原稿69
       〈七〉*八*

[やぶちゃん注:「八」は五字下げ。
●一行目の罫外上方やや右寄りから、四マス目にかけて赤インクで、
 
芥川氏つづき
とあり、同じく赤インクで「八」の右手に
 
2ポ
の校正指示がある。また、この頁の左罫外ナンバリング・ノンブル「69」は20行目7マスの左側と、やけに低い位置にあって、その上に本文とは微妙に異なるインクによる
 ך
型のチェック(?)が入っており、その上には左上方の斜めになった「改造よ印」のゴム印のすぐ下に大書した同じ、
 改造よ印
の手書き文字がごく薄く読み取れる(鉛筆書きのものを消しゴムで消したようにも見えるが、字の続き方から見るとペン書きのものが薄くなったものらしい)。なお、
最初の赤インクによるものと思われる汚損が、3~4行め中間に有意に濃く左上から右下へ向かって直線状に約二センチメートルあり、また4~5行目の行間を中心に上下合わせて9箇所近く、さらに原稿罫外左下方にも認められる。]

 僕は硝子會社の社長のゲエルに〈勿論反感〉*不思議にも好意*を
持つてゐました。ゲエルは資本家中の資本家
です。恐らくはこの国の河童の中でも、ゲエ
ルほど大きい腹をした河童は一匹もゐなかつ
たのに違ひありません。しかし茘枝に似た細
君や胡瓜に似た子供を〈ひきつれ〉*左右にし*ながら、〈にこ
にこ笑つて散歩し〉
*安樂椅子に坐つ*てゐる所は殆ど幸福そのも
のです。僕は時々〈■〉*裁*判官のペツプや〈医者のチヤツクにつれられて〉医者のチヤツクにつれられてゲエル〈の〉の晩餐へ出か
[やぶちゃん注:当初、芥川が、
 僕は硝子會社の社長のゲエルに勿論反感を持つてゐました。
としていた事実に着目すべきであろう。確かに実は、続く逆接の
 しかし茘枝に似た細君や胡瓜に似た子供をひきつれながら、にこにこ笑つて散歩してゐる所は殆ど幸福そのものです。
という叙述は、ここが「反感」であってこそ自然であったことに気づくのである。そうして資本家であるゲエルへ「勿論反感」を持っていたと突如切り出すところに、芥川龍之介の当時の赤裸々な立ち位置が明瞭にみて取れたはずであったのだ。そこを結局、芥川はお茶濁ししていることに着目したい。しかし同時に、「僕は硝子會社の社長のゲエルに勿論反感を持つてゐました」という謂いは、これ、如何にもな食えない自己主張であって、芥川的ではない――龍之介が嫌った直情径行的表現――であることも、これまた、事実なのである。]

■原稿70
[やぶちゃん注:以下の3行目と4行目の「
」記号部分(目立つように便宜上ピンクとした)は行を繫げる「⤴」の校正指示があることを元の空マスの数分で示した私の記号である。]
けました。又ゲエルの紹介状を持つてゲエル
やゲエルの友人たちが多少の関係を持つてゐ
るいろいろの工場〈を〉*も*見て歩きました。〈その〉
++++
そのいろいろの工場の中でも殊に僕に面白
かつたのは書籍製造会社の工場です。僕は〈まだ年
の若い〉
*年の若い*河童の技師とこの工場の中へはいり、水力電
気を〈利用した〉*動力にし*た〈無数〉*、大きい*機械を眺めた時、今更
のやうに河童の国の機械工業の進歩に驚嘆し
ました。何でもそこでは一年間に七百萬部の
本を製造するさうです。が、僕を驚かしたの
[やぶちゃん注:
●4行目は当初、推敲で改行して新しい段落を作っていたものを、また元通りに続けたことを意味している。]

■原稿71
は本の部数ではありません。それだけの本を
製造するのに少しも手数のかからないことで
す。何しろこの国では本を造るのに唯〈大きな〉
機械の〈中へ〉漏斗形の口へ紙とインクと灰色をした
粉末〔と〕を入れるだけなのですから。〈《機械はそ
れ》⇒無数の機械は〉
*それ等の原料*は機械の中へはいると、〈まだ〉*殆ど*五分とたたな
いうちに菊版、四六版、菊半截版〈等の〉*など*の無数
の本になつて出て來るのです。僕は〈《その無数
の本が》《中に》⇒《瀑の》やうに流れ落ちるの〉
*瀑のやうに流れ落ちるいろいろの本*を眺め〈て〉*な*が
ら、〈《ちよつとした》⇒僕を案内した〉*反り身になつた*河童の技師にその灰色の粉

■原稿72
末は何と云ふものかと尋ねて見ました。する
と技師は黒光りに光つた機械の前に佇んだま
ま、つまらなさうにかう返事をしました。
 「これですか? これは馿馬の腦髓で〔す〕よ。え
え、一度乾燥させてから、ざつと粉末にした
だけのものです。時價は一噸二三戔ですがね。」
 〈《僕は》⇒それはほんの一例です。〉*〈しかし〉**勿論**かう云ふ工業上*の奇蹟は〈製〉書籍製造会
社にばかり起つてゐる訣ではありません。繪
畫製造會社にも、音樂製造會社にも、同じや
うに起つてゐるのです。實際又〈■〉*ゲエルの話*によれば、こ

■原稿73
の国では平均一箇月に七八百種の機械が新案
され、何でもずんずん人手を待たずに大量生
産が行はれるさうです。從つて又職工の〈■〉*解*雇
されるのも四五萬匹を下らないさうです。〈僕〉
の癖まだこの国では〈罷業があつたと云ふこと
を聞きません〉
*毎朝新聞を讀んでゐても、一度も罷*業と云ふ字に出會ひません。僕
はこれを妙に思ひ〈■〉*ま*したから、或時又〈チ〉*ペ*ツプ
やチヤツクとゲエル〔家〕の晩餐に招かれた機会に
このことをなぜかと尋ねて見ました。
 「それはみんな食つてしまふのですよ。」

■原稿74
 〈ゲエルは〉食後の葉卷を啣へたゲエルは如何にも無造
作にかう言ひました。しかし「食つてしまふ」と
云ふのは何のことだかわかりません。すると
〈チヤツクは〉鼻眼鏡をかけたチヤツクは僕の不審を察した
と見え、横あひから説明を加へてくれました。
 「その職工を〈皆〉みんな殺してしまつてね、肉を
食料に〈する〉*使ふ*のです。 〈よ。〉〈今朝けさの〉*ここにある*新聞を御覽なさ
い。今月は〔丁度〕六萬四千七百六十九匹の職工が解
雇されましたから、それだけ肉の價段も下つ
た訣です〈。」〉よ。」〈そら、さつき我々の食べた燒き〉
[やぶちゃん注:ここには、2箇所の初出・現行との有意な相違がある。
●「鼻眼鏡」初出及び現行「河童」では、「鼻眼金」。
●「殺してしまつてね、」初出及び現行「河童」では、
 殺してしまつて、
「ね」がない。]

■原稿75
 「職工は默つて殺されるのですか?」
 「それは騷いでも仕かたはありません。職工
屠殺法があるのですから。」
 これは山桃の鉢植ゑを後ろににがい顏をして
ゐたペツプの言葉です。僕は勿論不快を感じ
ました。しかし主人公のゲエルは勿論、ペツ
プやチヤツクもそんなことは當然と思つてゐ
るらしいのです。現にチヤツクは笑ひなが
ら、嘲るやうに僕に話しかけました。
 「つまり餓死したり自殺したりする手数〈は〉*を*国
[やぶちゃん注:
●私は実は昔から、ここで「當然と思つてゐるらしい」ペップが何故、「苦い顏をしてゐた」のか腑に落ちないでいるのである。読者諸士は如何?]

■原稿76
家的に省略〈するので〉*してやる*のですね。ちよつと有毒
〈斯〉*斯*を嗅がせるだけですから、大した苦痛
はありませんよ。」
「けれどもその肉を食ふと云ふのは、………」
「常談を言つ〈ちや〉*ては*いけません。あのマツグに
聞かせたら、さぞ大笑ひに笑ふでせう。あな
たの国で㐧四階級の娘たちは賣笑婦になつ
てゐるではありませんか? 職工の肉を食ふ
ことなど〈を〉*に*憤慨〈するのは〉*したりす*るのは感傷主義です
よ。」
[やぶちゃん注:
●「〈斯〉*斯*」の訂正元の字は(つくり)「斤」になっていない。誤字訂正である。]

■原稿77
 かう云ふ問答を聞いてゐたゲエルは手近い
テエブルの上にあつたサンド・ウィツチの皿を
勸めながら、恬然と僕にかう言ひました。
 「どうです? 一つとりませんか? これも
職工の肉ですがね。」
 僕は勿論辟易しました。いや、そればかり
ではありません。〈ベ〉*ペ*ツプやチヤツクの笑ひ声
を後にゲエル家の客間を飛び出しました。そ
れは丁度家々の空に星明りも見えない荒れ模
樣の夜です。僕はその闇の中を僕の住居へ帰
[やぶちゃん注:ここには、次の2箇所の初出・現行との相違がある、と私は思う。
●「サンド・ウィツチ」この促音「ィ」は明らかに他に比して小さく書かれている。従って、初出及び現行もそうなってよいはずであるが、実際には初出も現行も、
 サンド・ウイツチ
である。促音表記をしないという改造社編集者の統一規制が勝手に働いたものか
●「笑ひ声を後に」私はこれは「わらひこゑをあとに」と素直に読む。ところが、初出及び現行では、なんと、
 笑ひ聲をうしろ
とルビが振られているのである(下線部やぶちゃん)。芥川は、ここより前で、これを「うしろ」と読ませる場合には、通常は「後ろ」と、「ろ」を送っているのである(芥川に限らず、現在の標準的な送り仮名でもそうである)。私はこれは文選工・植字工・ゲラ校正担当者のミスであり、芥川自身もそれに気づかなかったのではあるまいか、と考えている。これはもう、ルビの誤りとしか、私には言いようがないのである!
●「〈ベ〉ペ」便宜上、かく標記したが、実際には「べ」と濁点「゛」を打ったその濁点のみをペンで修正して、半濁音「ぺ」の記号「゜」にしている。]

■原稿78
りながら、〈《■》⇒苦?〉*の*べつ幕なしに嘔吐へどを吐〈き〉*き*まし
た。夜目にも白じらと流れる嘔吐を。
[やぶちゃん注:この原稿の右罫外上には薄い1センチ5ミリ程の
赤インクのやや薄い縦筋の跡が見える。但し、これは原稿用紙の裏側に附着した赤インクの透過した滲みのようにも見える。以下、8行余白。]








■原稿79
       九

[やぶちゃん注:「九」は5字下げ。本文は2行目から。
●この原稿には前章冒頭「■原稿69」同様、右罫外上方に赤インクで、
 
芥川氏つづき
とある。また、6行目上方罫外に、
 80
という左上方のナンバリングと同じ数字(ノンブル)があるが、これは赤インクでなく本文とは微妙に異なるインクで書かれており、しかもそれが抹消線で消されて右(4~5行目上方罫外)に、
 79
と訂されてある。このナンバリングと同じ手書き数字は、
 109
まで続く。また、この頁の罫外ナンバリング・ノンブル「79」は20行目真上罫外上方と、やけに高い位置にあって、
  ך
型のチェック(?)が右肩に入っている。その左に「改造よ印」のゴム印が打たれ、その直下(罫外左)に本文とは異なるインクによる、
 改造よ印 79 より
と手書きで大書した文字が、ここははっきりと読み取れる(「■原稿69」の様態とコンセプトは似ている)。]

 しかし硝子會社の社長のゲエルは人懷こい
河童だつたのに違ひありません。僕は度たび
ゲエルと一しよにゲエルの属してゐる倶樂部
へ行き、愉快に一ばんを暮らしました。それは
一つにはその倶樂部はトツクの属してゐる超
人倶樂部よりも遙かに居心いごころの善かつた爲〈で〉*で*
す。のみならず又ゲエルの話は哲学者のマツ
グの話のやうに深みを持つてゐなかつたにせ
よ、僕には全然新らしい世界を、―――廣い世

■原稿80
界を覗かせました。ゲエルは、いつもの純金じゆんきんの匙
珈琲カッフエ〈コツプ〉*茶碗*をかきまはしながら、快活に
いろいろの話をしたものです。〈僕は〉
 〈殊に〉*何でも*或霧の深いばん、僕は冬薔薇ふゆばらつたくわ
びんなかにゲエル〈と〉*の*話を聞いてゐました。それ
は確か〈《天井も壁も》⇒室〉*部屋全體は*勿論、椅子やテエブルも白
うへきん*細*い金のふちをとつたセセツシヨン風の
部屋だつたやうに覺えてゐます。ゲエルはふ
だんよりも得意さうに顏中かほじうに微笑を漲らせた
まま、〈《五六年前にこの国》⇒丁度その頃 Quorax 〉*丁度その頃天下を取つてゐた Quorax *黨内閣のことなどを
[やぶちゃん注:この頁、異様に芥川自身によるルビが多い。
●「珈琲カッフエ」のルビの「ッ」は明らかに促音表記で有意に小さいが、無論、初出のルビは同大である。現行新字新仮名表記では「カッフェ」である。]

■原稿81
話しました。クォラツクス〈黨と〉*と云*ふ言葉は唯意味
のない〈奇〉間投詞かんたうしですから、「おや」とでも〈譯〉*譯*す外
はありません。が、兎に角〈自由主義を〉*何よりも先*に「河童
全体の利益」と云ふことを〈振〉標榜へうばうしてゐた政黨だ
つたのです。
 「クオラツクス黨〈か〉*を*支配してゐるものは〈あの〉
名高い〈ロツペ■〉政治家のロツペです。〈《ロツペは》⇒ビスマルクは〉*『正直は*最良の外交である』とはビスマルク〈■〉*の*言つた言〈葉〉*葉*でせ
う。しかしロツペは正直を内治の上にも及ぼし
てゐるのです。………」
[やぶちゃん注:
●1行目の「クォラツクス」の「ォ」は「ク」と同じマスの右下に有意に小さく書いているので、かくしたが、実際には6行目で普通に「クオラツクス」と表記しており、この1行目のそれはもしかすると「クラツクス」と脱字したのに挿入表記したものともとれる。]

■原稿82
 「けれどもロツペの演説は……」
 「まあ、わたしの言ふことをお聞きな〈■〉〔さ〕い。あ
の演説〈の譃〉は勿論悉く譃です。が、譃と云ふこと
〈を〉*は*誰でも知つてゐますから、畢竟正直と〈同?〉*変*ら
ないでせう。それを一概に譃と云ふのはあな
〈方〉*がた*だけの偏見へんけんですよ。我々河童かつぱはあなた
〈《がた》⇒方〉*がた*のやうに、………しかしそれはどうでもよ
ろしい。わたしの話したいのはロツペのこと
です。ロツペはクオラツクス黨を支配してゐ
る、その又ロツペを支配してゐるものは〈フ?■〉
[やぶちゃん注:
●「畢竟正直と〈同?〉*変*らないでせう。」初出及び現行は、
 畢竟正直と變はらないでせう、
と読点である。これは、当然、この原稿通り、句点でよいこれは明らかに校正漏れの亡霊が今日まで生き続けている証しである!
●末尾の抹消2字「〈フ?■〉」の最初は、恐らく「フ」と思われ、「プウ・フウ」という新聞名(若しくはそれに類した名)を当初カタカナ表記しようとしたものと推測される。]

■原稿83
Pou-Fou 新聞の(この『プウ・フウ』と云ふ言葉もやは
り意味のない間投詞です。〈或は〉*若し*強いてやくすとすれば、『ああ』とでも云ふ外はありません。)社長
のクイクイです。が、クイクイも彼自身の主
人と云ふ訣には行きません。クイクイを支配
してゐるものはあなたの前にゐるゲエルです。」
〈 「それは《―――どう失礼》⇒《僕には意外です。失礼      〉
 「けれども―――これは失禮かも知れ〈ま?〉ませ
ん。けれども〈『〉プウ・フウ新聞は勞動者の味かた
をする新聞でせう。その社長のクイクイも
[やぶちゃん注:
●「やくすとすれば」初出及び現行は、
 やくすれば、
である。これは、当然、この原稿通りでよい! これもまた明らかに校正漏れの亡霊が今日まで生き続けているおぞましき証しの一例ではないか!
●「けれども―――これは失禮かも知れ〈ま?〉ません。けれども〈『〉プウ・フウ新聞は勞動者の味かたをする新聞でせう。」特に指示しないが、ここ以下の三箇所は「勞動者」となっている(初出及び現行は「勞働者」に訂されている)。それよりもこの部分、初出及び現行は、
 けれども――これは失禮かも知れませんけれども、プウ・フウ新聞は勞働者の味かたをする新聞でせう。
である。2箇所の相違に着目されたい。初出及び現行は原稿が二文であるのに、「これは失禮かも知れませんけれども」と一続きで「知れません」の後の句点が、ない! また、「けれども」の後の読点は原稿には、ない! 再度、台詞を総て整序して示そう。
【原稿の「僕」の台詞】
 「けれども―――これは失禮かも知れません。けれどもプウ・フウ新聞は勞動者の味かたをする新聞でせう。その社長のクイクイもあなたの支配を受けてゐると云ふのは、………」
【初出及び現行の「僕」の台詞】
 「けれども――これは失禮かも知れませんけれども、プウ・フウ新聞は勞働者の味かたをする新聞でせう。その社長のクイクイもあなたの支配を受けてゐると云ふのは、……」
一目瞭然! 否! 朗読してみたまえ! 極めて自然なのはどう考えても、『定本』の初出や現行の「河童」ではない! この原稿の台詞こそ、極めて自然な応答の台詞であることは言を俟たぬ! またしても校正漏れの亡霊の痙攣的な呪い以外の何ものでもない!

■原稿84
あなたの支配を受けてゐると云ふのは、……」
 「プウ・フウ新聞の記者たちは勿論勞動者の味
かたです。しかし記者たちを支配するものは
クイクイの外はありますまい。しかもクイク
イはこのゲエルの後援を受けずにはゐられ
ないのです。」
 〈僕は〉*ゲエ*ルは〈不相変〉*不相変*微笑しながら、純金の匙を
おもちやにしてゐます。僕はかう云ふゲエル
を見ると、ゲエル自身を憎むよりも、プウフ
ウ新聞の記者たちに〈何か〉同情の起るのを感じまし
[やぶちゃん注:
●「プウフウ新聞の記者たちに」はママ。「プウフウ」の間の「・」は、ない。校正で附されたものであろう。]

■原稿85
た。するとゲエルは僕の無言むごんに忽ちこの同情
を感じたと見え、〈前よりも快活に〉*大きいはらふくらませて*かう言ふの
です。
 「何、プウフウ新聞の記者たちも全部勞動者
の味かたではありませんよ。少くと〈も〉*も*我々河
童と云ふものは誰の味かたをするよりも先に
我々自身の味かたをしますからね。………しか
し更に厄介なことに〈も〉*は*このゲエル自身さへ
やはり他人の支配を受けてゐるのです。あな
たはそれを誰だと思ひますか? それはわた
●「何、プウフウ新聞の記者たちも」はママ。「プウフウ」の間の「・」は、ない。ここも校正で臥されたものであろう。]

■原稿86
しの妻ですよ。美しいゲエル夫人ですよ。」
 ゲエルはおほ声に笑ひました。
 「〈さう云ふ〉*それは寧*ろ仕合せで〈すね。」〉*せう。」*
 「〈《仕合》⇒《或は》仕合せかも知れません〉*兎に角わたしは滿足してゐます〈よ〉*。しかしこれも
あなたの前だけに、―――河童でないあなたの
前だけに手放しで吹聽出來るのです。」
 「するとつまりクォラ〈ク〉ツクス内閣はゲエル夫人
が支配〈のもとに〉*してゐる*のですね。」
 「さあ、さうも言はれますかね。………しかし
七年前の戰爭などは確かに或雌の河童の爲に
[やぶちゃん注:
●「クォラ〈ク〉ツクス」の「ォ」は前の「ク」と同マスの右下にある。脱字に気づいて後から書き入れた可能性もある。]

■原稿87
始まつたものに違ひありません。」
 「戰爭? この国にも戰爭はあつたのです〈か〉
*か*?」
 「ありましたとも。将來もいつあるかわかり
ません。何しろ鄰国のある限りは、………」
 〈《僕は》⇒鄰国と云ふ〉僕は実際この時始めて河童の国〈に〉*も*国家的〈に〉
立してゐないことを知りました。〈■〉ゲエルの説
明するところによれば、河童はいつもかはうそ〈と〉*を*假設
敵にしてゐると云ふことです。しかも獺は河
童に負けない軍備を具へてゐると云ふことで

■原稿88
す。僕はこの獺を相手に河童の戰爭した話に
少からず興味を感じました。(何しろ河童の強
敵にかはうそのゐるなどと云ふことは「〈考〉虎考畧すゐここうりやく」の著
者は勿論、「山島民譚志さんたうみんたんし」の著者柳田国男さんさ
へ知らずにゐたらしい新事実ですから。)
 「あの戰爭の起る前には勿論両国とも油断せ
ずに〈相手〉ぢつと相手を窺つてゐました。と云ふの
はどちらも同じやうに相手を恐怖してゐたか
らです。そこへ〈或雌の河童が一ぴき*この国にゐた獺が*一ぴき、或河
童の夫婦を訪問しました。その又〔雌の〕河童〈の雌〉
[やぶちゃん注:
●「山島民譚志」はママ。「譚」は「集」の誤り。校正で訂されたものであろう。]

■原稿89
云ふのは亭主を殺すつもりでゐたのです。何
しろ亭主は道樂者でしたからね。おまけに生
命保險のついてゐたことも多少の誘惑になつ
たかも知れません。」
 「あなたはその夫婦を御存じですか?」
 「ええ、――いや、〈雄〉*雄*の河童だけは知つてゐ
ます。〈その〉わたしの妻などはこの河童〈を〉*を*惡人のや
うに言つてゐますがね。しかしわたしに言は
せれば、〈寧ろ〉悪人よりも寧ろ雌の河童に摑まるこ
とを恐れてゐる被害妄想の多い狂人です。……

■原稿90
…そこでその〈獺は〉雌の河童は亭主のココアの
茶碗の中へ靑化加里を入れて置いたの〈で〉です。そ
れを又どう間違へたか、客の獺に飮ませてし
まつたのです。獺は勿論死んでしまひま〈■〉
た。それから………」
 「〔それから〕戰爭になつたのですか?」
 「ええ、生憎その獺は勳章を持つてゐたもの
ですからね。」
 「戰爭はどちらの勝になつたのですか?」
 「勿論この国の勝になつたのです。三十六萬

■原稿91
九千五百匹の河童〔たち〕はその爲に健気にも戰死し
ました。しかし敵国に比べれば、その位の損
害は何ともありません。〈獺は〉*この*国にある毛皮〈の〉*と*
云ふ毛皮は大抵獺の毛皮です〈よ。〉。わたしも〈こ〉*あ*
の戰爭の時には硝子を製造する外にも〈《盛に《石》⇒消〉石炭殼
を戰地へ送りました。」
 「石炭殼を何にするのですか?」
 「勿論食糧にするのです。〈我々〉河童は腹さへ減れ
ば、何でも食ふにきまつてゐますからね。」
 「それは―――どうか怒らずに下さい。それ
[やぶちゃん注:
●「〈《盛に《石》⇒消〉石炭殼」この部分は、「石」を消して書いた「消」の字が実際には抹消されていない。これは推測であるが、当初、芥川は決定稿の「石炭殼」をまず想起し、それを「消(し)炭」と書こうとしたのではなかったろうか?]

■原稿92
は戰地にゐる河童〈には〉たちには………〈《第一醜》⇒この国では〉*我々の国*で
醜聞ですがね。」
 「この国でも醜聞には違ひありません。しか
しわたし自身かう言つてゐれば、誰も醜聞に
はしないものです。哲学者のマツグ〈が〉*も*言つて
ゐるでせう。『汝の悪は汝自ら言へ。悪はおの
づから消滅すべし。』………しかもわたしは利益
の外にも愛国心に燃え立つてゐたのですから
ね。」
 丁度そこへはひつて來たのはこの倶樂部の

■原稿93
給仕です。給仕はゲエルにお時宜をした後、
朗読でもするやうにかう言ひました。
 「お宅のお鄰に火事がございます。」
 「火―――火事!」
 〈マツグ〉*ゲエル*は驚いて立ち
上りました。僕も立ち上つたのは勿論です。が、給仕は落ち着き拂
つて次の言葉をつけ加へました。
 「しかしもう消〈え〉し止めました。」
 ゲエルは給仕を見送りながら、泣き笑ひに
近い表情をしました。僕は〈その顏〉*かう云*ふ顏を見る

■原稿94
と、いつかこの硝子會社の社長を憎んでゐた
ことに気づきました。が、〈今は   ゲエル〉*ゲエルはもう今で*
〈もう〉大資本家でも何でもない唯の河童にな
つて立つてゐるのです。僕は花瓶くわびんなかの〔ふゆ薔薇ばら
の花を拔き、ゲエルのへ渡しました。
 「しかし火事は消えたと云つても、奧さんは
さぞお驚きでせう。さあ、これを持つてお帰
りなさい。」
 「難有う。」
 ゲエルは僕の手をにぎりました。それから急〔に〕
[やぶちゃん注:
●「〈今は   ゲエル〉」ここ空欄3マス。ダッシュを引くつもりだったか?]

■原稿95
にやりと笑ひ、小声こごゑにかう僕に話しかけまし
た。
 「となり〈僕の〉*わたしの*家作かさくですからね。〈保〉火災保險の
金だけはとれるのですよ。」
 〈僕はこの時のゲエルの腹の満月のやうに張〉
 僕は〈未だにこの時〉*この時のゲエル*の〈ゲエルの  〉*微笑を―――*輕蔑する
ことも出來なければ、憎惡〈を?〉*す*ることも出來な
いゲエルの微笑を未だにありありと覚えてゐます。
[やぶちゃん注:以下、1行余白。
●「〈ゲエルの  〉」空欄2マス。奇妙な線が抹消の波線の下に認められるが、芥川はダッシュは3マスであり、有意に反った奇妙な線でダッシュとは思われない。]

■原稿96
       十

[やぶちゃん注:「十」は4字下げ。本文は2行目から。]

 「どうしたね? けふは又妙にふさいでゐるぢ
やないか?」
 〈或〉*その*火事のあつた翌日よくじつです。僕は〈僕の家の長椅子に〉*卷煙草を
くはへなが*ら、僕のいへの〉客間きやくま〔の〈長〉椅子〕に〈尻〉こしおろおろした学生
のラツプにかう言ひました。實際又ラツプは
右の脚の上へ左の脚をのせたまま、腐つたくちばし
も見えないほど、〈ぢつと〉*ぼんやり*ゆかの上〈を〉*ばかり*見てゐたの
です。
〈 「どうしたと《云》⇒言ふのに。         〉

■原稿97
 「ラツプ君、どうしたねと言へば。」
 「いや、何、つまらないことな〈《んだよ》⇒のだよ〉*のですよ*。―――」
 ラツプはやつとあたまを擧げ、〈鼻〉かなしい鼻聲はなごゑを出
しました。
 「僕はけふ窓の外を見ながら、『おや虫取り
すみれが咲いた』と〔何気なにげなしに〕呟いたのです。すると僕の妹は
急に顏色かほいろを變へたと思ふと、『どうせわたしは
〈と〉*取*り菫よ』とあたり散らすぢやありま〈せ〉*せ*んか
? 〈《そこへ》⇒そこへ〉*おまけに*又僕のおふくろもだい妹贔屓いもうとびいき
すから、やはり僕に食つてかかるのです。」
[やぶちゃん注:
●「〈《んだよ》⇒のだよ〉*のですよ*」の部分は便宜上、かく表示したが、実際には二度目の書き換えの状態の「のだよ」の「の」はそのまま生かしておいて「のですよ」と最終的に丁寧表現に改めてある。]

■原稿98
 「虫取り菫が咲いたと云ふことはどうして妹
さんには不快なのだね?」
 「さあ、夛分雄の河童を〈追つかけ〉*摑まへ*ると云ふ意味
にでもとつた〈ん〉*の*でせう。そこへお〈く〉*ふ*くろ〈の〉*と*なか
悪い叔母おばも喧嘩の仲間入りをしたの〈で〉*で*すか
ら、愈大騷動になつてしまひました。〈それ〉*しか*も
年中ねんぢう醉つ〔拂つ〕てゐるおやぢはこの喧嘩を聞きつけ
ると、誰彼の差別なしに毆り出したので〈す。〉
*す。*それだけでも〈弱つてゐる〉*始末のつか*ないところへ僕の弟
はそのあひだにおふくろの〈財〉*財*布を盜む〈が〉*が*早い

■原稿99
か、キネマか何かを見に行つてしまひまし〈た。〉
た。僕は………ほんたうに僕はもう、………」
 ラツプは兩手れうてかほうづめ、何も言はずに泣
いてしまひました。僕の同情したのは勿論で
す。〈が、〉同時に又家族〈主義〉*制度*に對する詩人のトツク
の輕蔑〈を思ひ出〉したのも勿論です。僕はラツプの肩を
叩き、一生懸命に慰めました。
「そんなことはどこでもあり勝ちだよ。〈■〉
あ勇気を出し給へ。」
「しかし………しかし嘴でも腐つてゐなけれ

■原稿100
ば、……」
〈そんな〉*それは*あきらめる外はないさ。さあ、トツ
〈君〉の家へでも行かう。」
「トツクさんは僕を軽蔑してゐます。〈」〉僕はト
ツクさんのやうに〈奔放〉*大膽*に家族を捨てることが
出來ませんから。」
「ぢやクラバツク君の家へ行かう。」
 僕はあの音樂會以來、クラバツクとも友だ
ちになつてゐましたから、兎に角この大音樂
〈の〉*の*家へラツプをつれ出すことにしま〔し〕た。ク

■原稿101
ラバツクはトツクに比べ〈ると〉*れば*、〈常人に近い暮らしを〉*遙かに贅澤に暮ら*してゐます。〈僕〉と云ふのは〈《何も会社の》⇒硝子〉*資本家のゲ*エ
ルのやうに暮らしてゐると云ふ意味ではあり
ません。唯いろいろの骨董を、―――タナグラ
の人形やペルシアの陶噐〈や〉*を*部屋一ぱいに並べ
なかにトルコふうの長椅子を据ゑ、クラバツク
自身の肖像畫のしたにいつも子供たちと遊んで
ゐるのです。が、けふはどうしたのか両腕
を胸へ組んだまま、にがい顏をして坐つてゐま
した。のみならずその又足もとには紙屑が一

■原稿102
めんに散〈つて〉*らばつ*てゐました。ラツプ〈はクラバツクとは〉*も詩人のトツク*と一しよに度たびクラバツクには會つて
ゐる筈です。しかしこの容子に恐れた〈と〉*と*見
え、けふは丁寧にお時宜をしたなり、默つて
部屋の隅に腰をおろし〉*おろし*ました。
「どうしたね? クラバツク君。」
 僕は殆ど挨拶の代りにかう大音樂家へ問〈ひ〉
かけました〈。〉
「どうするものか? 批評家の阿呆め! 僕
の抒情詩はトツクの抒情詩と比べものになら

■原稿102
ないと言やがるんだ。」
「しかし君は音樂家だし、………」
「それだけならば我慢も出來る。僕〈のリイド
やシムフォニイは通俗〉
*はロツクに比べれば、〈音〉*音樂家の名に價しないと
言やがるぢやないか?」
 ロツクと云ふのはクラバツクと度たび比べ
られる音樂家です。が、生憎超人倶樂部の会
員に〈は〉なつてゐ〈ませんから〉*ない関係上*、僕〈と〉は一度〔も〕はな
たことはありません。〈も〉尤も〈反〉嘴の反り〈上〉*あが*つ
た、一癖あるらしい顏だけは度たび寫眞でも

■原稿104
見かけてゐました。
「ロツクも天才には違ひない。しかしロツク
の音樂〈は〉*は*君の〔音樂に溢れてゐる〕近代的情熱〈がない。」〉*を持つ*てゐない。」
「君はほんたうにさう思ふか?」
「さう思ふとも。」
 するとクラバツクは立ちあがるが早いか、タ
ナグラ〔の〕人形をひつ摑み、いきなりゆかうへたた
きつけました。ラツプは余程驚いたと見え、
何か声を擧げて〈立ち〉*逃げ*ようとしました。が、ク
ラバツクは〈僕〉ラツプや僕にちよつと「驚くな」と云

■原稿105
ふ手眞似をしたうへ、今度は冷かにかう言ふの
です。
 「それは君も亦俗人のやうに耳を持つてゐな
いからだ。僕はロツクを恐れてゐる。………」
 「君が? 〈それは空〉*謙遜家を*気どるのはやめ給へ。」
 「誰が謙遜家を気どるものか? 㐧一君たち
に気どつて見せ〈ても〉*る位ならば*、〈何の役にも立たないぢ
やないか?〉
*批評家たちのまへに気どつて見せて*ゐる。僕は―――クラバツクは天
才だ。〈ロツク〉その点ではロツク〈恐〉を恐れてゐない。」
 「では何を恐れてゐるのだ?」
[やぶちゃん注:
●「冷か」は初出及び現行では、
 冷やか
である。
●「君が? 〈それは空〉*謙遜家を*気どるのはやめ給へ。」というクラバックの辛辣な台詞、元は
 君が? それは空気
と書いた可能性を示唆する。即ち、現在の形とは全く違ったものが龍之介の脳内の最初の台詞だった可能性があるということである。]

■原稿106
 「何か正体の知れないものを、―――言はばロ
ツクを支配してゐるほしを。」
 「どうも僕にはに落ちないがね。」
 「ではかう言へばわかるだらう。ロツクは僕
の影響を受けない。が、僕はいつのにかロ
ツクの影響を受けてしまふのだ。」
 「それは君の感受性の………。」
 「まあ、聞き給へ。感受性などの問題ではな
い。ロツクはいつも安んじて〔あいつだけに出來る仕事をして〕ゐる。しかし僕
〈苛〉*々*々するのだ。それはロツクの目から

■原稿107
見れば、或は一歩の差かも知れない。けれど
も僕には十〈■〉イルも違ふのだ。」
 「〈そんな〉*しかし*先生の英雄曲えいゆうき〔よ〕くは………」
 クラバツクは〔ほそい目を一層細め、忌々しさうに〕ラツプを睨みつけました。
 「默り給へ。君などに何がわかる? 〈ロツク
は僕の〉
*僕はロツクを*知つてゐるのだ。ロツクに平身低頭へいしんていたう
いぬどもよりもロツクを知つてゐるのだ。」
 「まあ少し靜かにし給へ。」
 「若し靜かにしてゐられるならば、………僕は
いつもかう思つてゐる。―――僕等の知らない

■原稿108
何ものかは僕を、――クラバツクを嘲る爲に
ロツクを僕のまへに立たせたのだ。〈《マツグはか
う?》⇒不思議にも〉
*哲学者のマツグは*かう云ふことを何も彼も承知してゐ
る。いつもあの色硝子のランタアンのしたに古
ぼけた本ばかり讀んでゐる癖に。」
 「どうして?」
 「この〈マツグの〉近頃マツグの書いた『阿呆の言葉』と云ふ
本を見給へ。―――」
 クラバツクは僕に一册の本を渡す―――と
云ふよりも投げつけました。それから又腕を

■原稿109
組んだまま、つつけんどんにかう言ひ〔放ち〕ました。
 「ぢやけふは失敬しよう。」
 僕は〈やはり〉悄気返つたラツプと一しよにも
う一度往來へ出ることにしました。〈往來は不〉*人通りの*
夛い往來は不相變毛生欅ぶなの並み木のかげにい
ろいろの店を並べてゐます。僕等は何と云ふ
こともなしに默つて歩いて行きました。する
とそこへ通りかかつたのは髮の長い詩人のト
ツクです。トツクは僕等の顏を見ると、腹の
袋から手巾ハンケチを出し、何度もひたひぬぐひました。

■原稿109下(110)[やぶちゃん注:後注参照。]
 「やあ、暫〈く〉らく會はなかつたね。僕はけふは
〔久しぶりに〕クラバツクを尋ね〔よ〕うと思ふのだが、………」
 僕はこの藝術家たちを喧嘩させては悪いと
思ひ、クラバツクの如何にも不機嫌だつたこ
とを婉曲えんきよくにトツクに話しました。
 「さうか。ぢややめにしよう。何しろクラバ
ツクは神経衰弱だからね。………僕もこの二三
週間は眠られないのに弱つてゐるのだ。」
 「どうだね、〈僕等〉*僕等*と一しよに散歩をしては?」
 「いや、けふはやめにしよう。おや!」
[やぶちゃん注:この原稿は左にナンバリングがなく、手書き鉛筆で、
 109下
とあり、ところがここまで振られている中央罫外の鉛筆書き通し番号が、
 110
となってズレ始める。ここ以下、表記のように標題を表示することとする。]

■原稿110(111)
 トツクはかう叫ぶが早いか、しつかり僕の
腕を〈つか〉*摑み*ました。しかもいつか体中からだぢうや汗
を流してゐるのです。〈僕は〉
 「どうしたのだ?」
 「どうしたのです?」
 「なに、あの毛生欅ぶなえだなかに〉*自動車の窓のなかか*らみどりいろのさる
一匹首を〈見〉*出*したやうに見えたのだよ。」
 僕は夛少心配になり、兎に角あの醫者のチ
ヤツクに〈トツク〉診察して貰ふやうに勸めました。し
かしトツクは何と言つても、承知する気色けしき

■原稿111(112)
へ見せません。のみならず何か疑はしさうに
僕等の顏を見比べながら、こんなことさへ言
ひ出すのです。
 「僕は決して無政府主義者ではないよ。それ
だけは〔きつと〕忘れずにゐてくれ給へ。………ではさや
うなら。〈」〉チヤツクなどは眞平御免まつぴらごめんだ。」
 僕等は〈思はず〉*ぼんやり*佇んだまま、トツクの後ろ姿
を見送つてゐました。僕等は―――いや、「僕
等は」ではありません。学生のラツプはいつの
にか往來のまんなかあしをひろげ、〈股〉しつきり
[やぶちゃん注:
●「忘れずにゐてくれ給へ。………」のリーダは、初出及び現行では、
 忘れずにゐてくれ給へ。――
とダッシュになっている。細かいようだが、私はここはやはり原稿通り、「……」とすべきところと思う。何故か? ここの、最早、狂気に傾斜しているトックの他の台詞は、皆、リーダだからである! このリーダこそが、トックを摑まえてしまった狂気の標記そのものなのだと私は思うからである!
●『「僕等は」ではありません。』初出及び現行は、
「僕等」ではありません。
である。細かいようだが、これも私は原稿通り、「僕等は」であるべきだと思う。これはまさに芥川龍之介の龍之介らしい書き癖なのである!]

■原稿112(113)
〈自〉ない自動車や人通りを股目金まためがねに覗いてゐるの
です。僕は〈ラツプ〉*この河童*も發狂したかと思ひ、驚い
てラツプを引き〈立て〉*起し*ました。
 「〈何をしてゐる?〉*常談ぢやない。*何をしてゐる?」
 しかしラツプは〈意外にも〉目をこすりながら、意外いぐわい
も落ち着いて返事をしました。
 「いえ、余り憂欝ですから、〈股〉さかさまに世の中を
眺めて見たのです。〈しかし〉*けれど*もやはり同じこと
ですね。」
[やぶちゃん注:以下、1行余白。]

■原稿113(114)
    十一

[やぶちゃん注:「十一」は4字下げ。本文は2行目から。以下の「×」(初出及び現行では「*」である)は5字下げ。]

 これは哲学者のマツグの書いた「阿呆の言葉」
の中の〈数節〉*何章なんしやう*かです。――
     ×
 阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じてゐる。
     ×
 我々の〈天〉*自*然を愛するのは自然は我々を憎ん
だり嫉妬したりしない爲もないことはない。

■原稿114(115)
     ×
 最も賢い生活は一時代の習慣を軽蔑しなが
ら、しかもその〔又〕習慣を〔少しも〕破らないやうに暮らす
ことである。
     ×
 我々の最も誇りたいものは我々の持つてゐ
ないものだけである。
     ×
 何びとも偶像を破壞することに異存いぞんを持つ
てゐるものはない。同時に又何びとも偶像に
なることに異存を持つてゐるものはない。し

■原稿115(116)
偶像の台座のうへに安んじて〈ゐられ〉*坐つて*ゐられるも
のは最も神々に惠ま〈ま〉れたもの、―――阿呆か、
悪人か、英雄かである。(クラバツクはこの章
の上へつめあとをつけてゐました。)
     ×
 我々の生活に必要な思想は三千年前に盡き
たかも知れない。我々は唯古い〈《思想》⇒薪〉*たきぎ*に新らし
ほのほを加へるだけであ〈る。〉*らう。*
     ×
 我々の特色は我々自身の意識を超越するの
[やぶちゃん注:前の原稿と繋がらない。初出及び現行は、前の「■原稿114(115)」の「し」を受けて、
 しかし偶像の……
と続く。ゲラ校で訂されたものか。]

■原稿116(117)
を常としてゐる。
     ×
 幸福は苦痛を伴ひ、平和は倦怠を伴ふとす
れば、―――?
     ×
 自己を弁護することは他人を弁護すること
よりも困難である。疑ふものは弁護士を見よ。
     ×
 矜誇ぎんこ、愛慾、疑惑―――あらゆる罪は三千
年來、この三者から発してゐる。同時に又〔恐らくは〕あ
[やぶちゃん注:「矜誇ぎんこ」の読みはママ。初出及び現行は、
 矜誇きんこ
である。「矜」の音は「キヨウ(キョウ)/キン・ゴン/クワン(カン)」であり、「ギン」という音はないから芥川の誤記と考えてよい。しかしこの初出と現行の読みも実は一般的ではないのである。これは辞書を見ても「きようこ(きょうこ)」か「きようくわ(きょうか)」(「か」は「誇」の漢音)であって「きんこ」ではない(意味は「矜」「誇」ともに、ほこる、で、誇ること、自慢すること、いばることの意である)。私は秘かに――これは芥川龍之介のみならず、驚くべきことに文選工も植字工もゲラ校正担当者も全員、「矜」という字を「衿」という字と誤って「きん」「ぎん」(但し、「衿」も「キン・コン」で「ギン」という音はない)と読んでいるのではないか?――と疑っているのである。大方の御批判を俟つものであるが、いずれにせよ、ここの読みは「きようこ」とするべきであると私は思う。]

■原稿117(118)
らゆる德も。
     ×
 〈平和は〉物質的欲望を〈■〉*減*ずることは必しも平
和を齎さない。〔我々は〕平和を得る爲には精神的欲望
も減じなければならぬ。(クラバツクはこの章
の上にも爪の痕を殘してゐました。)
     ×
 我々は人間よりも不幸である。人間は〈我々〉*河童*
ほど進〈歩〉*化*してゐない。(僕はこの〈一〉章を讀んだ
時、〈笑〉*思*はず〈微〉*笑*つてしまひました。)
[やぶちゃん注:
●「物質的欲望を〈■〉*減*ずることは」この抹消字は(てへん)である。これを「持」と措定して推測するなら、芥川はもしかすると、最初、
 平和は物質的欲望を持つ
或いは、
 平和は物質的欲望を持たない
といったコンセプトで書こうとしたのではなかったか?
●「僕はこの〈一〉章を讀んだ時、〈笑〉*思*はず」は初出及び現行では、
 僕はこの章を讀んだ時思はず
と、読点がない。ここは原稿通りに読点を打つべきである。]

■原稿118(119)
    ×
 成すことは成し得ることであ〈る。〉*り、*成し得る
ことは成すことである。〔畢竟〕我々の生活はかう云
〈盾〉*循*環論法を脱することは出來ない。―――
即ち不合理に終始してゐる。
     ×
 ボオドレエルは〈彼の人生観を〉*白痴になつた*後、彼の人生
観をたつた一語に、―――女陰の一語に表〈■〉*白*し
た。〈それは〉*しかし*彼自身を語るものは必しもかう言
つたことではない。寧ろ彼の天才に、―――彼

■原稿119(120)
の生活を維〈持〉*持*するに足る詩的天才に信賴した爲
に胃袋の一語を忘れたことである。(この章に
もやはりクラバツクの爪の痕は残つてゐまし
た。)
     ×
 若し理性に終始するとすれば、我々は〔当然〕我々
〔自身〕の存在を否定しなければならぬ。〈ヴォ〉理性を神
にしたヴォルテェエルの幸福に一生を了つたのは
即ち人間の河童よりも進化してゐないことを
示すものである。
[やぶちゃん注:余りの行なしで本章終わり。
●「〈ヴォ〉」促音表記はママ。
●「ヴォルテェエル」はママ。初出及び現行は普通に、
 ヴオルテエル
である。本来の原語音からは原稿の表記を正しいとすべきである。]

■原稿120(121)
       〈《九》⇒十〉*十二*

[やぶちゃん注:「十二」は5字下げ。本文は2行目から。
●この原稿には右罫外上方から14マスほどまで赤インクで、
 
改造 三月号 芥川川氏つゞき
と大書してある(かなり滲んでおり、「つゞき」の周囲にはかなりの
赤インクによる汚損がある)。また、「十二」に右には普通の鉛筆書きで、
 5で
とある。活字ポイントの校正指示のように見える。更に、この原稿ではナンバリングの直下に手書きの「121」が書かれているが、それはこれまでの黒鉛筆ではなく、青鉛筆による手書きで、これ以降の手書き番号もその青鉛筆によっている。ただ特異なのは、その右手、8行目罫外上方に、
 
よ印120
赤鉛筆で記されている点と、ナンバリング「120」の右肩に赤インクで、
 
ך
大型のチェック(?)が入っている点である。]

 或割り合に寒い午後です。僕は〈《あ》⇒余り退屈で〉*「阿呆の言葉」も讀み*
〔飽きま〕したから、哲学者のマツグを尋ねに出かけま
した。すると或〔寂しい〕町の角に〈背〉蚊のやうに瘦せた河
童が一匹、ぼんやり壁によりかかつ〈て〉*て*ゐま
した。しかもそれは紛れもない、いつか僕の
〈銀時計〉*萬年筆*を盜んで行つた河童なのです。僕はし
めたと思ひましたから、〈早速〉*丁度*そこへ通りかか
つた、逞しい巡査を呼びとめました。
 「ちよつとあの河童を取り調べて下さい。あ

■原稿121(122)
の河童は丁度一月ばかり前にわたしの〈銀時計〉*萬年筆*
を盜んだのですから。」
 巡査は右手の棒をあげ、(〈河童〉*この国*の巡査は劍
の代りに水松の棒を持つてゐるのです。)〈「〉*「*お
い、〈こら〉*君*」とその河童へ聲をかけました。〈その〉*僕は*
或はその河童〈が〉*は*逃げ出しはしないかと思つて
ゐました。が、存外落ち着き拂つて巡査の前
へ歩み寄りました。のみならず腕を組んだま
ま、〈《如何にも傲然》⇒巡査の顏や僕の〉*如何にも傲然と僕の顏や巡査の顏*をじろじろ見〈比べ〉てゐるのです。しかし巡査は怒りもせず、〈叮嚀に〉*腹の袋*

■原稿122(123)
から手帳を出して〈叮〉早速尋問にとりかかりまし
た。
 「〈君〉*お前*の名は?」
 「グルツク?」
 「職業は?」
 「つひ二三日前までは郵便配達夫をしてゐま
した。」
 「よろしい。そこで〈■〉*こ*の人の申し立てによれ
ば、君はこの〈時〉*人*の〈銀時計〉*萬年筆*を盜んで行つたと
云ふことだがね。」
[やぶちゃん注:
●「グルツク?」の「?」はママ。初出及び現行では、
 「グルツク。」
である。確かに不要である。ゲラ校で除去したか。]

■原稿123(124)
 「ええ、一月ばかり前に盜みました。」
 「何の爲に?」
 「子供の玩具にしようと思つたのです。」
 「その子供は?」
 巡査は始めて相手の河童へ鋭い目を注ぎま
した。
 「一週間前に死んでしまひました。」
 「死亡證明書を持つてゐるかね?」
 瘦せた河童は腹の袋から一枚の紙をとり出
しました。巡査はその紙へ目を通すと、急に

■原稿124(125)
にやにや笑ひながら、相手の肩を叩きました。
 「よろしい。どうも御苦勞だつたね。」
 僕は呆気にとられたまま、巡査の顏を〈■〉*眺*め
てゐました。〔しかも〕そのうちに〈もう〉瘦せた河童は何
かぶつぶつ呟きながら、僕等〈を〉*を*後ろに〔して〕行つて
しまふのです。僕はやつと気をとり直し、か
う巡査に尋ねて見ました。
 「どうしてあの河童を摑まへない〈ん〉*の*です?」
 「あの河〈■〉*童*は無罪ですよ。」
 「しかし僕の〈銀時計〉*萬年筆*を盜んだのは………」

■原稿125(126)
 「子供の玩具にする爲だつたのでせう。〔〈しかも〉*けれども*〕その
子供は〈もう〉死んでゐるのです。若し何か御不
審だつたら、刑法千二百八十五條をお調べな
さい。」
 巡査はかう言〈つ〉*ひ*すてたなり、さつさとどこ
かへ行つてしまひました。〈僕は〉*僕は*仕かたがあり
ませんから、「刑法千二百八十五條」を〈繰り返し〉口の中に
繰り返し、マツグの家へ急いできま〔し〕た。哲
学者のマツグは〈不相変古色の色硝子のランタ〉*客好きです。現にけふも薄暗*
い部屋には裁判官のペツプ〈だの〉*や*医者のチヤツク

■原稿126(127)
や硝子会社の社〈会〉長のゲエルなどが集り、〈例
の〉
*七色の*色硝子のランタアンの下に煙草の煙を立
ち昇らせてゐました。〈僕は〉そこに裁判官のペツプ
が來〈た〉てゐたのは何よりも僕には好都合〔で〕す。僕
は椅子にかけるが早いか、〈早速にペツプに〉刑法㐧千二百八十
五條を檢べる代りに早速ペツプへ問ひかけま
した。
 「ペツプ君、甚だ失礼ですが〔ね〕、この国では罪
人を罰しないのですか?」
 ペツプは金口の煙草の煙を〈悠々〉まづ悠々と吹き
[やぶちゃん注:
●「甚だ失礼ですが〔ね〕、」初出及び現行は、この「ね」の挿入を無視して、
 甚だ失礼ですが、
となっている。]

■原稿127(128)
〔上〕げ〈た後〉*てから*、〈つ〉如何にもつまらなさうに返事をしま
した。
 「罰しますとも。死刑さへ〈あ〉*行はれ*る位ですからね。」
 「しかし僕は一月ばかり前に、………」
 僕は委細を話した後、〔例の〕刑法千二百八十五條
のことを尋ねて見ました。
 「ふむ、それはかう云ふのです。〈■〉 ―――『如何な
る〔犯〕罪を〈犯し〉*行ひ*たりと雖も、〈その〉*該犯*罪を〈《行せるに至り
し》⇒行ひたるに〉
*行はしめたる*〔相当の〕事情の消失したる後は該犯罪者を〈罰〉*處罰*す
ることを得ず』つまりあなたの場合〈で〉*で*言へ
[やぶちゃん注:
●「それはかう云ふのです。〈■〉」「す。」の句点は特に後から書いたようには見えないから(インクの色から)、この直下の抹消は字でない可能性が高い。芥川は句点を最終字と同じマスに打ち、その下のマスを空ける癖があるから、ここに字は書かないのである。ダッシュを引こうとしてペンがやや左寄りに入ってしまい、しかもそこで止めたペン先が右上へ少し跳ね上がってしまったため、抹消して仕切り直しのダッシュを引いたのではなかろうか。
●『如何なる〔犯〕罪を〈犯し〉*行ひ*たりと雖も、〈その〉*該犯*罪を〈《行せるに至り
し》⇒行ひたるに〉
*行はしめたる*〔相当の〕事情の消失したる後は該犯罪者を〈罰〉*處罰*することを得ず』という刑法1285条の成文過程を見よう。当初のそれは、
 『如何なる罪を犯したりと雖も、その罪を行せるに至りし事情の消失したる後は該犯罪者を罰することを得ず』
であった。それを、
 『如何なる犯罪を行ひたりと雖も、該犯罪を行ひたるに至りし事情の消失したる後は該犯罪者を處罰することを得ず』
としいった感じに直し、最終的に、
 『如何なる犯罪を行ひたりと雖も、該犯罪を行はしめたる相当の事情の消失したる後は該犯罪者を處罰することを得ず』
と成文している(下線やぶちゃん)。ところが実は、初出及び現行の刑法1285条は、
 『如何なる犯罪を行ひたりと雖も、該犯罪を行はしめたる事情の消失したる後は該犯罪者を處罰することを得ず』
なのである。即ち、芥川がわざわざ挿入指示をしてある「相当の」が脱落しているのである。これは実は旧全集後記の異同でも指摘はされているのである。が、しかし旧全集編集者は遂に初出を採って、現在まで河童国刑法1285条はこの誤りのままなのである。私にはその初出表現不採択理由の正統性が全く分からない。私はこの河童国刑法条文の誤りを今こそ正すべき時がきたと思っている。再度正字で示す。
 『如何なる犯罪を行ひたりと雖も、該犯罪を行はしめたる相當の事情の消失したる後は該犯罪者を處罰することを得ず』
これこそが正しい「河童國刑法千二百八十五條」である!]

■原稿128(129)
ば、その河童は嘗〈て〉*て*は親だつたのですが、今
は〔もう〕親ではありませんから、犯罪も自然と消滅
するのです。」
 「それはどうも不合理ですね。」
 「常談を言つてはいけません。〈我々は刻々
変〉
親だつた河童も親である河童も同一に見るのこそ不合理で
す。さうさう、日本の法律では同一に見るこ
とになつてゐるのですね。それはどうも我々
には滑稽です。ふふふふふ〈」〉、ふふふふふ。」
 ペツプは卷煙草を抛り出しながら、気のな
[やぶちゃん注:太字「だつた」及び「である」は底本では傍点「ヽ」。]

■原稿129(130)
い薄笑ひを洩らしてゐました。そこへ口を出
したのは法律には緣の遠い〈ヤ〉*チ*
ヤツクです。チヤツクはちよつと鼻眼〈鏡〉金を直し、〈「日本に〉*かう僕*に〈尋
ねました〉
*質問しました*。
 「日本にも死刑〔は〕ありますか?」
 「ありますとも。日本では絞罪です。」
 僕は〈如何〉冷然と構えこんだペツプに多少〈の〉反感
〈持つ〉*感じ*てゐましたから、この機會に〈早速〉皮肉を浴
せてやりました。
 「この国の死刑は日本よりも文明的に出來て

■原稿130(131)
ゐるでせうね?」
 「それは勿論文明的です。」
 ペツプはやはり落ち着いてゐました。
 「この国では絞罪などは用ひません。〈大抵〉*稀に*は
電気を用ひ〈《ます》⇒てゐ〉ることもあります。しかし大抵は
電気も用ひません。唯その犯罪の名を言つて
聞かせるだけです。」
 「それ〔だけ〕で河童は死ぬのですか?」
 「死にますとも。我々河童の神經作用はあな
たがたのよりも微妙ですからね。」

■原稿131(132)
 「〈さう〉*それ*は死刑ばかりではありません〈。〉よ。殺人
にもその手を使ふの〈です〉*があります*。―――」
 社長のゲエルは色硝子の光に顏中紫に染ま
りながら、人つこい笑顏ゑがほをして見せました。
 「わ〈し〉たしはこの〈間〉*間*も或社會主義者に『貴樣は
〈泥坊〉*盜人ぬすびと*だ』と言はれた爲に〈もう少しで息が〉*心臟痲痺を起し*かかつ
たものです。」
 「それは案外多いやうですね。わたしの知つ
てゐた或〈《画家》⇒小説家〉*辯護士*などは〈その男〉*やはり*その爲に死んで
しまつたのですからね。」
[やぶちゃん注:2箇所の現行と違う問題点がある。
●「〈さう〉*それ*は死刑ばかりではありません〈。〉よ。」この「よ」は、芥川がわざわざ前の句点を抹消して推敲した結果
 それは死刑ばかりではありませんよ。
訂したのである。にも拘らず、初出及び現行は、
 それは死刑ばかりではありません。
である。ゲラ校正でまたも芥川が「よ」を削除指示したとは、私には思われないのである、これは校正ミスである可能性がすこぶる大きいと私は考えている。
●「染まりながら、」は初出及び現行は、
 そまりながら、
で、「ま」を送っていない。これは校正ミスと断じてよいと私には思われるのである。]

■原稿132(133)
 僕はかう口を入れた河童、―――哲学者の〈ゲエル〉*マ
ツグ*をふりかへりました。マツグはやはりい
つものやうに皮肉な微笑を浮かべたまま、〈僕〉*誰*
の顏も見ずにしやべつてゐるのです。
 「その〈男は〉*河童は*誰かに蛙だと言はれ、―――勿論
あなたも御承知でせう、この国で蛙〈と〉だと言
〈《る位甚しい侮辱のないこと》⇒るのは人非人の意味と云ふこと〉*れるのは人非人と云ふ意味になること位*は。―――
〈■〉*己*は蛙かな? 蛙ではないかな?と毎日考へ
てゐるうちにとうとう死んでしまつたもので
す。」
[やぶちゃん注:
●「蛙ではないかな?と毎日考へてゐるうちに」は初出及び現行では、無論、
 蛙ではないかな? と毎日考へてゐるうちに
である。]

■原稿133(134)
 「それはつまり自殺ですね。」
 「〈ええ、つまり自殺〉*尤もその河童を蛙*だと言つたやつは殺すつ
もりで言つたのですがね。〈やはり〉あなたがたの〈国〉*目*か
ら見れば、やはり〈自殺〉それも自殺と云ふ………」
 丁度マツグがかう云つた時です。突然その
部屋の壁の向うに、―――確かに詩人のトツク
の家に鋭いピストルの音が一発、〈何?〉空気〈の〉*を*〈■〉*反*
ね返へすやうに響き渡りました。
[やぶちゃん注:以下、2行余白。
●「空気〈の〉*を*〈■〉*反*」の判読不能字は漢字で「勹」まで書いて抹消している。何と書こうとしたのか? 「空気の」に続くのであるが、想起出来ない。判読及び推定の出来た方は是非、御一報あれかし。]


■原稿134(135)
     〈《六》⇒《九》⇒《八》⇒九〉*十三*

[やぶちゃん注:「十三」は5字下げに相当。御覧の通り、訂正が甚だしいが、これは何を意味するものか、以下、三箇所連続で「トツク」を「ラツプ」と書き間違えて訂している点も含めて今一つ、不審である。本文は2行目から。]

 僕等は〈ラツプ〉*トツク*の家へ駈〈つ?〉*け*つけました。〈ラツ
プ〉
*トツク*は右の手にピストルを握り、〈血だらけにな〉*頭のさらから血*
を出したまま、〈す?〉*髙*山植物の鉢植ゑの中に仰向
けになつて倒れてゐました。その又側には雌
の河童が一匹、〈ラツプ〉*トツク*の胸に顏を埋め、大声おほこゑ
を擧げて泣いてゐました。僕は雌の河童を抱
き起しながら、(一體僕は〈《皮》⇒河童の皮膚〉*ぬらぬらす*る河童の
皮膚に手を触れること〈は〉*を*余り好んではゐない
のですが。)「どうしたのです?」と尋ね〈ま〉*ま*した。

■原稿135(136)
 「どうしたのだか、わかりません。〈唯〉*唯*何か書
いてゐたと思ふと、いきなりピストルで頭を
打つたのです。ああ、わたしはどうしま〈せ〉*せ*
う? qur-r-r-r-r qur-r-r-r-r」(これは河童の
泣き聲です。)
 「何しろトツク君は〈胃病〉*我儘*だつたからね。」
 〈医者のチヤツクは〉*硝子会社の社長の*ゲエルは〔悲しさうに〕あたまを振〈り〉*り*ながら、〈かう言ひました。〉*裁判官のペツプ*にかう言ひました。〈ペツ
プは〉
*しかしペ*ツプは何も言はずに金口の巻〈草〉煙草に火を
つけてゐました。すると今まで跪いて〈、〉トツ
[やぶちゃん注:
●「qur-r-r-r-r qur-r-r-r-r」は初出及び現行では、
 qur-r-r-r-r, qur-r-r-r-r
とコンマが入る。現行は筆記体であるが、「r-」の「-」は同様にあって繋がっていない。
●「すると今まで跪いて〈、〉トツクの創口などを調べてゐたチヤツクは」この部分、ちょっと見ると、読点の下のマスに何かを書いて消したようにも見える。校正者もそう思ったものか、ここは初出及び現行では、
 すると今まで跪いて、トツクの創口などを調べてゐたチヤツクは
読点が生きている。しかし、よくここを読んでみて頂きたい。この読点は不要である(寧ろ、読点を打つならば「今まで、跪いてトツクの創口などを調べてゐたチヤツクは」とした方がよい)。即ち、この芥川のぐるぐると書いた抹消線の意味が分かってくる。これは、この読点を不要と判断して抹消したのである! その証拠に抹消線は有意に読点にかかっているのである。芥川はこの読点を抹消するに際し、下手に小さな抹消をすると、抹消に見えないことを虞れ、わざわざ大きなぐるぐるを下のマスまで延ばし、『この読点は抹消』という意志を校正者に伝えようとしたのだ! 従って、この読点は現行『定本』からは抹消されてしかるべきである、というのが私の判断である。大方の御批判を俟つものである。]

■原稿136(137)
クの創口などを調べてゐたチヤツクは如何に
も醫者らし〈く〉*い*態度をしたまま、僕等五人に宣
言しました。(實は一人と四匹とです。)
 「もう駄目です。トツク君は元來胃病でした
から、それだけでも憂欝になり易かつたので
す。」
 「何か書いてゐたと云ふことですが。」
 哲学者のマツグは弁解するやうにかう独り
語を洩らしながら、机の上の紙をとり上げま
した。僕等は皆頸をのばし、(尤も僕だけは例

■原稿137(138)
外です。)幅の廣いマツグの肩越しに一枚の紙
を覗きこみました。
 「〈岩〉いざ、立ちて行かん。娑婆界を隔つる谷へ。
  岩むらはこごしく、やま水は淸く、
  やく〈草〉*さう*の花はにほへる谷へ。」
 マツグは僕等をふり返りながら、微苦笑と
一しよにかう言ひました。
 「これはゲエテの『ミニヨンの歌』の剽竊〈を〉です
よ。するとトツク君の自殺したのは詩人とし
ても疲れてゐたのですね。」

■原稿138(139)
 〈そ〉*そ*こへ偶然ぐうぜん自動車を乗りつけたのはあの音
〈の〉家のクラバツクです。クラバツクはかう
云ふ光景くわいけいを見ると、暫く〈茫然と〉*戸口とぐちに*佇ん〈で〉*で*ゐま
した。が、〈マツグの〉*僕まへ*へ歩み寄ると、怒鳴りつ
けるやうにマツグに話しかけました。
 「それはトツク〈〔君〕〉の遺言状ですか?」
 「いや、最後に書いてゐた詩です。」
 「詩?」
 マツグは〔やはり騷がずに〕かみ逆立さかだてた〈マ〉クラバツクに〈一枚〉*トツク*の
〈紙〉*詩稿*を渡しました。クラバツクは〈トツク〉*あたり*には
[やぶちゃん注:
●「マツグは〔やはり騷がずに〕かみ逆立さかだてた〈マ〉クラバツクに〈一枚〉*トツク*の〈紙〉*詩稿*を渡しました。」初出及び現行と異なる。まず、この原稿部分を整序してみると、
 マツグはやはり騷がずに髮を逆立てたクラバツクにトツクの詩稿を渡しました。
となるが、実際には初出及び現行は、
 やはり少しも騷がないマツグは髮を逆立てたクラバツクにトツクの詩稿を渡しました。
である。これは最終ゲラ校正で芥川が変更したもののように私には思われる。]

■原稿139(140)
もやらずに熱心にその詩〔稿〕を読み出し〈ま〉*ま*し〈た〉
*た*。しかもマツグの言葉には殆ど返事さへし
ないのです。
 「あなたはトツク君の死をどう思ひますか?」
 「いざ、立ちて、………僕も亦いつ死ぬかわか
りません。………娑婆界を隔つる谷へ。………」
 「しかしあなたはトツク君とは〈藝術上の〉*やはり*親友
〔の〈お〉一人ひとり〕だつたのでせう?」
 「親友? トツクはいつも〈孤〉*孤*独〔だつたの〕です。………娑
婆界を隔つる谷へ、………〈」〉唯トツクは不幸にも、

■原稿140(141)
………岩むらはこごしく………」
 「不幸にも?」
 「やま水は〈水〉きよく、………あなたがたは幸福です。
………岩むらはこごしく。………」
 僕は未だに泣き声を絶たない雌の河童に同
情しましたから、そつとかたを抱へるやう〈にゆ〉*にし*、
部屋の隅の長椅子へつれて行きました。そこ
には二歳か三歳かの河童が一匹、何も知らず
に笑つてゐるのです。僕は雌の河童のかはりに
子供の河童をあやしてやりました。するとい

■原稿141(142)
つか僕の目にも涙のたまるのを感じ〈まま〉まし
た。僕が河童の国に住んでゐるうちに涙と云
ふものをこぼしたのはまへにもあとにもこの時だ
けです。
 「しかしかう云ふ我侭な河童と一しよになつ
た家族は気の毒ですね。」
 「何しろあとのこと〈を〉*も*考へないのですから。」
 裁判官のペツプは不相変新しい〈葉〉巻〔煙草〕に火を
つけながら、資本家のゲエルに返事を〈《し》⇒しま〉*してゐ
〔ま〕した。すると〈僕〉僕等を驚かせたのは音樂家のク
[やぶちゃん注:
●「何しろあとのこと〈を〉*も*考へないのですから。」岩波旧全集後記校異には、ここは原稿では、
 何しろあとのことを考へないのですから。
となっている旨の記載があるのだが、明らかに視認する限り、芥川は「も」に訂していて、不審である
●「裁判官のペツプは不相変新しい〈葉〉巻〔煙草〕に火をつけながら」の部分、初出及び現行は、
 裁判官のペツプは不相変、新しい卷煙草に火をつけながら
と読点が入る。無論、読点があった方がよい。]

■原稿142(143)
ラバツクのおほ声です。クラバツクは詩稿を
握つたまま、誰にともなしに呼びかけました。
 「しめた! すばらしい葬送曲そうそうきよくが出來るぞ。」
 クラバツクは細いかが〈や〉やかせたまま、ち
よつとマツグの手を握ると、いきなり戸口へ
飛んで行きました。〈のみならずもう〉*勿論もうこの時*には鄰近
所の河童が大勢、トツクのうちの戸口に集〈ま〉*ま*
り、珍らしさうにうちの中を覗いてゐるの〈で〉*で*
す。しかしクラバツクは〈かう云〉*この河*童たちをしや
〈押〉左右へ押しのけるが早〈か〉いか、ひらりと自

■原稿143(144)
動車へ飛び乗りました。〈と〉同時に又自動車は
爆音ばくおんを立てて忽ちどこかへ行つてしまひまし
た。
 「こら、こら、さう覗いてはいかん。」
 裁判官のペツプは巡査の代りに大勢の河童
を押し出したのち、トツクの家の戸をしめてし
まひました。部屋の中はそのせゐか急にひつ
そりなつたものです。僕〔等〕はかう云ふ靜かさの
なかに〔―――〕高山植物の花のに交つたトツクの
にほひ〈を感じました。が、〉*のなか後始末あとしまつのこ*となどを相談しま〔し〕た。し

■原稿144(145)
かしあの哲学者のマツグだけはトツクの死骸
を眺めたまま、ぼんやり何か考へてゐ〈ま〉ます。僕
はマツグの肩を叩き、「何を考へてゐるのです
?」と尋ねました。
 「河童の生活と云ふものをね。」
 「河童の生活がどうなのです?」
 「我々河童は何と云つても、河童の生活を完
うする爲には、………」
 マツグは多少はづかしさうにかう小声こごゑでつけ加
へました。

■原稿145(146)
 「兎に角我々河童以外の何ものかの力を信ず
ることですね。」

[やぶちゃん注:以下、8行余白。]








■原稿146(147)
       十四

[やぶちゃん注:「十四」は4字下げ。本文は2行目から。]

 僕に宗教と云ふものを思ひ出させたのはか
う云ふマツグの言葉です。僕は勿論物質主義
者ですから、〈宗教《的》⇒《にはさ?》⇒などと云ふこと〉*眞面目に宗教を考へ*たことは一
度もなかつたのに違ひありません。が、この
時はトツクの死に或感動を受けてゐた爲に一
体河童の宗教は何であるかと考へ出したので
す。僕は早速学生のラツプにこの問題を尋ね
て見ました。
 「〈基〉それは基督教、佛教、モハメツト教、拜火

■原稿147(148)
教なども行はれてゐます。まづ一番勢〈■〉力のあ〈る〉*る*
のは何と言つても〈近〉*近*代教でせう。生活教と
も言ひますがね。」(「生活教」と云ふ訳語は当つて
ゐないかも知れません。〔この〕原語は Quemoocha で
す。cha は英吉利語の ism と云ふ意味に〈とれば
よろしい〉
*当るでせう*。quemoo 〈は「生きる」と《訳》⇒訳するもの〉*の原形げんけい quemal は單に「生きる」
と云ふよりも「飯を食つたり〔、〕酒を飮んだり、交合を行つたり」する意味です。)
 「ぢやこの国にも教会だの〈てら〉〔院〕だのは〈ない〉*ある*わけ〈ではない〉*な*のだね?」
[やぶちゃん注:
●「まづ一番勢〈■〉力のあ〈る〉*る*のは」は初出及び現行では、
 まづ一番勢力のあるものは
となっている。
●quemoo 〈は「生きる」と《訳》⇒訳するもの〉*の原形げんけい quemal は單に「生きる」と云ふよりも「飯を食つたり〔、〕酒を飮んだり、交合を行つたり」する意味です。)
』は整序すると(読みは除去する)、
 quemoo の原形 quemalは單に「生きる」と云ふよりも「飯を食つたり、酒を飮んだり、交合を行つたり」する意味です。
とある。しかし現行では(初出は「交合」が「……」になっているので問題にしないが、恐らくは初出もそこを除けば以下と同じと推測される)、
 quemoo の原形 quemal の譯は單に「生きる」と云ふよりも「飯を食つたり、酒を飮んだり、交合を行つたり」する意味です。
と、「譯は」が入っている。これはゲラ校正での芥川の追加指示の可能性が高い。]

■原稿148(149)
 「常談を言つてはいけません。近代教のだい
院などはこの国㐧一の大建築で〈よ〉すよ。どうで
す、ちよつと見物に行つては?」
 或〈妙に〉生温なまあたたか曇天どんてんの午後、ラツプは得々と僕と
一しよにこの大寺院へ出かけました。成程そ
れは〈《その国でも》⇒■■〉*ニコライ堂*の十倍もあるだい〈健〉〔建〕築けんちくです。のみ
ならずあらゆる建築樣式を一つに組み上げた
大建築です。僕はこの大寺院の前に立ち、髙
い塔や円屋根まるやねを眺めた時、何か無気味にさへ
感じました。實際それてんに向つて伸びた
[やぶちゃん注:
●「〈《その国でも》⇒■■〉*ニコライ堂*」非常に悔しいのであるが、抹消字が判読出来ない。最初の字はカタカナの「コ」のようにも見えるが……(当初、「ヨーロ(ツパ)」と書こうとしたのかとも考えたが、拡大して見ると「ヨ」ではなく、その下の縦線を長音記号と採るのにも無理があり、何より「ロ」では書き順がおかしくなる)。どなたか推理を試みてみて戴きたい。芥川は何と書き換えようとしたのか?]

■原稿149(150)
〈にさへ感じました。実際それは天に向つて
伸びた〉
無数むすう觸手しよくしゆのやうに見えたもの〔で〕す。僕
等は玄関の前に佇んだまま、(〈その又僕《は》⇒等〉*その又玄関*に比
べて見ても、どの位僕等は小さかつたでせう
!)暫らくこの〈健〉*建*築よりも寧ろ途方とはう)ない怪
物に近い稀代きだいの大寺院を見上げてゐました。
 大寺院のなか*内部*も亦廣大です。〈《美》⇒コ〉*そのコ*リント風の
円柱ゑんちうの立つたなかに〔は〕參詣人さんけいにんが何人も歩いてゐま
した。しかしそれ等は僕のやうに非常に小
さく見えたものです。〈《僕》⇒ラツプは〉*そのうち*に僕等はくちばしの〉*腰の*
[やぶちゃん注:
●この原稿の冒頭にはやや不審がある。前の原稿末から単純に続けてみると(ルビは除去し、抹消線のみ省略した)、
 實際それ等は天に向つて伸びた〈にさへ感じました。実際それ等は天に向つて伸びた〉無數の觸手のやうに見えたもの〔で〕す。
となるのであるが、さらにこれを単純に整序して初期原稿状態に復元してみると、
 實際それ等は天に向つて伸びたにさへ感じました。
がそれとなる。しかし「伸びたにさへ感じました」というのは如何にも芥川らしからぬ、おかしな謂いである。もしかすると、芥川は単に頁替えの際に書き損じただけなのかも知れない。ただこの箇所は、極めて類似した書き換えを正式マス上で立て続けにしているという点でも、やはり普通ではない。]

■原稿150(151)
*まが*つた一匹の河童に出合ひました。するとラ
ツプはこの〈前?〉河童にちよつとあたまげたうへ、丁
寧にかう話しかけ〈たのです。〉*ました。*
 「ちやう老、不相変御〈がま〉*達者*な〈い?〉のは何より〈も〉*も*で
す。」
 相手の河童〈は〉*も*お時宜をしたのち、やはり丁寧に
返事をしました。
 「これはラツプさんですか? あなたも不相
変、―――(と言ひかけ〈な〉*な*がら、ちよつと〈狼狽〉言葉を
つがなかつたのはラツプのくちばしの腐つてゐるの
[やぶちゃん注:
ちやう老、不相変御〈がま〉*達者*な〈い?〉のは何より〈も〉*も*です。」この部分、初出及び現行は、
 「長老ちやうらう御達者ごたつしやなのは何よりもです。」
で、「不相變」がない。ゲラ校正で芥川が削ったものか?
 さて、私は何故、芥川がこれを削ったのかを推理してみたくなった。何故ならこの原型を見ると、以下のように別なラップの挨拶の台詞が立ち現われてくるように思われたからである(判読不審の「い」を「い」と確定する)。それは
 「長老、不相変御がまないのは何よりも」
という始まりを持つ台詞である。そうしてこれを凝っと見ていると、この章の後文の(現行本文から引用)、
   《引用開始》
それからラツプは滔々と僕のことを話しました。どうも又それはこの大寺院へラツプが滅多に來ないことの辯解にもなつてゐたらしいのです。
   《引用終了》
という箇所、また、ラップが長老から「僕」に生活教の聖書を見せて差し上げたか、と問われたのに対して、ラップが(現行本文から引用)、
   《引用開始》
 「いえ、……實はわたし自身も殆ど讀んだことはないのです。」
 ラツプは頭の皿を搔きながら、正直にかう返事をしました。が、長老は不相變靜かに微笑して話しつづけました。
   《引用終了》
と答えるシーンの描写などが思い出されて来るからである。即ち、ラップは上辺では生活教の信者ではあるものの、聖書さえ碌に読んだことのない、すこぶる附きの不勉強で不信心な信徒であることが暴露されるのである。とすれば、このラップの最初の挨拶の原型は、現行のような長老の長寿の言祝ぎなどではなく、ラップ自身の不信心、具体的には教会に永く参っていないことを詫びる
 「長老、不相變拜まないのは何よりもお詫び申し上げます。」
といった台詞ででもあったのではあるまいか? 長老の彼の台詞に対する「これはラツプさんですか?」やその末尾の「が、けふはどうして又……」といった応答(特にそのクエスチョンマークに)も、実は当初の、この滅多に礼拝しに来ないラップが来たことを詫びたことを受けての、やや意外な印象が決定稿の長老の台詞に残存したたもののように私には読めるのである。但し、「御がまない」という表記は芥川らしくない、稚拙な表記のようには思われる。が、そもそもこれは、河童青年ラップの台詞なのであるから、私はそれもアリか、とも思うのである。――大方の御批判を俟つものである。]

■原稿151(152)
にやつと気がついた爲だつたでせう。)――― 〈兎〉
あ、兎に角御丈夫〈と見〉らしいやうですね。が、け
ふはどうして又………」
 「けふはこのかた〈を案内〉*のお伴を*して來たのです。この
方は多分御承知の通り、――」
 〈ラツプ〉それからラツプは滔々とうとうと僕のことを話しま
した。どうも又それはこの大寺院へラツプが
〈「〉多に來ないこと〈を〉*の*弁解にもなつてゐたら
しいのです。
 「就いてはどうかこのかた〈に〉*の*御案内を願ひたい
[やぶちゃん注:「〈「〉」この8行目の2マス目の鉤括弧の消去は、次のような推理を可能にする。即ち、7行目で終る一文、
 それからラツプは滔々と僕のことを話しました。
の後、芥川は改行し、8行目に鍵括弧を打ってラップの台詞を入れようとした。しかし、考え直して、更なるラップの内実の暴露となる、
 どうも又それはこの大寺院へラツプが滅多に來ないことを
と続けたことを意味しているのではあるまいか?]

■原稿152(153)
〔と思ふ〕のですが。」
 長老は大樣おほやうに微笑しながら、まづ僕に〈挨〉*挨*拶
をし、靜かに〈大寺院の中を見まは〉*正面の祭壇を指さ*ししました。
 「御案内と申しても、何も御役に立つことは
出來ません。〈■■〉*我々*〈の〉信徒の例拝するのは〈■〉正面
の祭壇にある『生命の』です。『生命の樹』には御
覽の通り、きんみどりとのがなつてゐます。あ
きんを『善の』と云ひ、あの綠のを『惡の
果』と云ひます。………」
 僕はかう云ふ説明の〈中に〉*うち*にもう退屈を感じ
[やぶちゃん注:「靜かに〈大寺院の中を見まは〉*正面の祭壇を指さ*ししました」の部分はママ。「し」がダブっている。勿論、初出及び現行ではダブりはない。]

■原稿153(154)
出しました。それは折角の長老の言葉も古い
〈喩〉*比喩ひゆ*のやうに聞えたからです。〈《僕はし》⇒しかし〉*僕は*〔勿論〕熱
心に聞いてゐる容子を裝つてゐました。が、
時々〈大〉大寺院だいじいんなか*内部*へそつと目をやるのを忘れ
ずにゐました。〈大寺院の内部は畧図りやくづに《す》*す*ると、大体下だいたいしもに掲げる通りです。―――〉



[やぶちゃん注:ここ(7行目から8行目の3マス目以下8マス目まで)に以上のような教会内部の簡単な図が描かれている(若しくは描きかけた状態)が、前の抹消と同時に絵全体にも、ぐちゃぐちゃに抹消線が引かれている。無論、初出及び現行にはない(当該画像は底本としている国立図書館蔵の「国立国会図書館デジタル化資料」の自筆原稿より挿絵部分のみをトリミングしたものである。原稿153(154)及び154(155)の全体画像は後注に掲載する。なお、これらの画像転載については国立国会図書館から正式な使用許諾を受けている。転載許可書(PDFファイル)はこちら。]

 コリントふうの柱、ゴシクふう〈フ〉*穹窿きうりう*、〈セセツ
[やぶちゃん注:
●「〈フ〉*穹窿きうりう*」「フ」と判読したのは、芥川はここで「フアサード」と書こうとしたものと推定したからである。しかし、ファサード(façade)とは建築物の外装正面(側面・背面を指すことも可能であり、若しくはそのデザインを謂う場合もある)を指すものであって内部構造の謂いではないことから(実際にファサードと内部構造は一致すする場合もあれば、全く異なる場合もある)、芥川は止めて、かくしたのではなかったかと私は推理するものである。これは英語の碩学たる芥川龍之介に対しては失礼な推理であろうか?]

■原稿154(155)
シヨン風の祈〉*アラビアじみた市松いちまつ*模樣のゆか、セセツシヨンまがひの
祈禱机きたうづくゑ、―――かう云ふものの作つてゐる調和
〈何か〉*妙に*野蛮やばんそなへてゐま〈す〉*した*。しかし僕の
目を惹いたのは何よりも両側のがん〈にある〉*の中に*ある
〈十〉大理石の半身像です。〈それ等は何か〉*僕は何かそれ*等の像を
見知つてゐるやうに思ひました。それも亦不
思議〔で〕はありません。あのくちばしの反〉*腰のまが*つた河童は「生
〈命〉せいめいの樹」の説明をおはると、今は僕やラツプ
と一しよに右側のがんの前へ歩み寄り、〈かう云〉そのがん
なかの半身像にかう云ふ説明を加へ出しまし
[やぶちゃん注:以下に底本としている国立図書館蔵の「国立国会図書館デジタル化資料」の自筆原稿より原稿153(154)及び154(155)の全体画像を掲げる(この画像転載については国立国会図書館から正式な使用許諾を受けている。転載許可書(PDFファイル)はこちら)。これによって、私が記号を附す基準や、私がどれだけ細かに原稿を再現し、注釈を加えているかということなども、国立国会図書館ホームページの底本画像を見ないでも比較出来るので、是非比較してご覧戴きたいと思う



●「目を惹いたのは何よりも両側のがん〈にある〉*の中に*ある〈十〉大理石の半身像です。」この抹消は興味深い。この生活教の大教会の聖徒を、芥川が「十」人以上想定していたことが、ここで明らかになるからである。実際に語られる聖徒の数は7人但し、7人目が誰かは語られない。因みに、この7人目を私は夏目漱石であったと推理している。それについて興味のあられる御仁は私の『芥川龍之介「河童」やぶちゃんマニアック注釈』の当該注『✞7「第七の龕の中にあるのは……」』をお楽しみあれかし)。
●「〈それ等は何か〉*僕は何かそれ*等」画像と比較されると分かると思うが、実際には「〈それ等は何か〉」で、最後の「か」は抹消線が延びていない。それでも補正した「僕は何かそれ」の「れ」が「か」のマスの相当位置に字数も一致して右書きされているので、文選工は過たず、「か」も外したはずである。
●「〈命〉せいめいの樹」は私の誤りではない。この「せい」のルビは、前行末の「生」にではなく、抹消した直前の「命」の字に「せい」と附されているのである。
●「おはる」ルビの「お」はママ。明らかに「お」で「を」ではない。無論、初出及び現行は正しく「をはる」とルビされてある。]

■原稿155(156)
た。
 「これは我々の聖徒せいと一人ひとり、―――〔あらゆるものに反逆はんぎやくした〕聖徒ストリ
ントベリイです。この聖徒はさんざん苦しん
揚句あげく、スウェデンボルグの哲学の爲に〈哲〉救はれ
たやうに言はれてゐます。が、実は救はれな
かつたのです。この聖徒は唯我々のやうに生
〈宗〉*教*を信じてゐました。―――と云ふよりも信
じる外はなかつたので〈す。〉*せう。*〈《勿論たは》⇒かな〉*この聖徒の*我々
に殘した「傳説」と云ふ本を讀んで御覽な〔さ〕い。こ
の聖徒も自殺未遂者じさつみすゐしやだつたことは聖徒自身告
[やぶちゃん注:
●「スウェデンボルグ」「ェ」は明らかな促音表記。初出及び歴史的仮名遣版では、「スウエデンボルグ」。
●「傳説」の鉤括弧は初出及び現行では
 『傳説』
と二十鉤括弧である。]

■原稿156(157)
白してゐます。」
 僕はちよつと憂欝になり、次の龕へ目を〈■〉
りました。次のがんにある半身像は口髭のふと
独逸人です。
 「これはツァラトストラ〈を〉の詩人ニイチエです。そ
聖徒せいとは聖徒自身の造つた超人に救ひを求め
ました。が、やはり救はれずに気違ひになつ
てしまつたのです。若し気違ひにならなかつ
たとすれば、或は聖徒の数へはひることも出
來なかつたかも知れません。〈」〉………」
[やぶちゃん注:
●「ツァラトストラ」「ァ」は明らかな促音表記。初出及び歴史的仮名遣版では、「ツアラトストラ」。]

■原稿157(158)
 長老はちよつと默つたのち、第三の龕〈へ移り
ました。〉
*の前へ案内し*ました。
 「三番目〈は〉*に*あるのはトルストイです。この聖
徒はたれよりも苦行をしました。それは元來貴
族だつた爲に〈苦しみを見せ〉*好奇心の多い公衆に苦しみを見
せ*ることを嫌つたからです。この聖徒は事実
上信ぜられない基督を信じようと努力しまし
た。〈が、とうとう最後には如何に〉*いや、信じてゐるやうにさへ*公言こうげんした〈の〉
〔ともあつたの〕です。しかしとうとう晩年には悲壯な譃つき
だつた〈こ?〉*こ*と〈が?〉*に*堪へられないやうになり〈ま?〉*ま*し
[やぶちゃん注:
●「〈が、とうとう最後には如何に〉*いや、信じてゐるやうにさへ*公言こうげんした〈の〉こ〔ともあつたの〕です。」この一文は、芥川の脳内にあった最初の表現からの推敲過程で、非常に呻吟している様子が窺える。そしてそれはトルストイがというよりも、芥川龍之介自身が最後の救いとして求め、そして放棄したキリスト教への(「キリストへの」では断じてない!)アンビバレントな感情が私には窺われてならないのである。]

■原稿158(159)
た。この聖徒も時々書斎のはりに恐怖を感じた
のは有名です。〈しかし〉*けれども*聖徒の數にははひつて
ゐるくらゐですから、勿論自殺したのではありま
せん。」
 〈僕は㐧四の龕を見ると、〉*第四の龕の中の半身像*は〈意外に《は》⇒も〉*我々日本人*の一人ひとり
です。僕はこの〈■?〉*日*本人の顏を見た時、〈意外の感に堪〉*さすがに懷し*さを感じました。
 「これは国木田独歩です。〈鐡道〉轢死する人足にんそくの心
もちをはつきり知つてゐた詩人です。しかし
〈あなたには〉*それ以上の*説明は〈勿論〉あなたには不必要〈でせ
[やぶちゃん注:
●「この〈■?〉*日*本人」抹消字は「亻」(にんべん)である。全くの勘であるが、「作」ではあるまいか? 芥川は国木田独歩であるから「この作家」と書こうとしたのではなかったか?]

■原稿159(160)
ね。〉*に違ひあ〈■〉*り*ません。*では〈六番目〉*五番目*のがんの中を御覽下
さい。―――」
 「これはワ〈ア〉グネルではありませんか?」
 「さうです。国王の友だちだつた革命〈家〉*家*で
す。聖徒ワグネルは晩年には食前しよくぜん祈禱きたうさへ
してゐました。しかし勿論基督教〈〔徒〕〉よりも〈我々の
教徒〉
*生活教の信*徒の一人ひとりだつたのです。 〈」〉 〈その聖徒〉*ワグネル*の残
〈僕らはもうその〉*た手紙によれば、〈死は何度なんど*娑婆苦は*何度なんど〈死の〉*この*聖徒を
死のまへ〈へ立たせ〉*に驅りやつ*たかわかりません。」
 僕はもうその時には㐧六の龕の前に立つ
[やぶちゃん注:
●「生活教の信徒の一人だつたのです。〈」〉」当初は長老のワグネルの解説はここで終って、次の行が一字空けて現在の次の段落の頭、「僕等はもうその」まで書かれてあったのである。ところが、ここで芥川は鍵括弧を抹消し、ワーグナーの自死願望をわざわざ附け加えたのだということが分かるのである。私は、生活教の「聖徒」に選ばれるためには、狂的な生活史の体験者であること加えて、『自殺したかったにも拘わらず、しかも自殺出来なかった(断固として「しなかった」ではない)男』である必要があるのだと考えている(その論証は『芥川龍之介「河童」やぶちゃんマニアック注釈』に詳しく記したので参照されたい)。この部分はここまでだと、ルートヴィヒ二世の「狂王」の方の印象が強過ぎて、ワーグナーが聖徒セイントに選ばれるための必要絶対条件が示されていない嫌いがあるのである。]

■原稿160(161)
てゐました。
 「これは聖徒ストリントベリイの友だち〔で〕す。子
供の大勢ある細君さいくんかはりに十三四の〈黑人の女〉*タイテイの*
女をめと〈つ〉つた〈株屋〉*商賣人*上りの佛蘭西の画家です。こ
の聖徒は太い血管けつくわんなか水夫すゐふを流してゐ
ました。が、唇を御覽なさい。砒素ヒソか何かの
あとが殘つてゐます。〈」〉第七のがんなかにあるのは
………〈あとは〉もうあなたはお疲れでせう。ではどう
かこちらへおで下さい。」
 僕は實際疲れてゐましたから、〈ラツプと一〉*ラツプ〈の〉**と**一*

■原稿161(162)
しよに長老に從ひ、香のにほひのする廊下傳ひに
或部屋へはひりました。〈それはヴェヌスの像の
前に〉
*その又小さい部屋の隅には*黒いヴェヌスの像の下に山葡萄やまぶだうが一ふさ〈■〉*獻*じてあるので〈す〉*す*。僕は何の裝飾もない僧房
を想像してゐただけにちよつと意外に感じま
した。すると長老は僕の容子にかう云ふ気も
ちを感じたと見え、僕に椅子を薦めるまへ
半ば気の毒さうに説明しました。
 「どうか我々の宗教の生活教であることを忘
〈れずに下さい。我            〉
[やぶちゃん注:
●「ヴェヌス」抹消部も含めて二箇所とも「ェ」は有意な促音表記である。初出及び歴史的仮名遣の現行では「ヴエヌス」である。
●「〈■〉*獻*じてある」の抹消字は「扌」(てへん)であるから、「捧げてある」としようとした可能性がある。
●最終行の抹消は特異である。「れずに下さい。我」まで書いて(これは次の通り、復元されるのだが)、まず、その「れずに下さい。我」に薄い先行抹消の波線が認められる。その後、「さ」の位置から濃い抹消の波線がさらに加えられている。ところが、その下部「我」以下の空欄に伸びる、ほぼ中心をうねる抹消の波線以外に5箇所ほど、違う短い曲線抹消線断片が重なって記されている。こういう神経症的な抹消線はこれまでには殆んど見られない。これはその短いものが全体を抹消する前になされたものだったのか、同時だったのか、はたまた(考えにくいが)後になされたものだったのかは判然としないが、何か芥川の非常な逡巡苦吟の跡のように見えるのである。]

■原稿162(163)
れずに下さい。我々〈は〉*の*神、―――『生命の樹』の教
へは『旺盛わうせいに生きよ』と云ふのですから。〈」〉………ラ
ツプさん、あなたはこの〈方〉*かた*に我々の聖書をお
覽に入れましたか?」
 「いえ、………実はわたし自身も殆ど讀んだこ
とはないのです。」
 ラツプは〔かしらの〉あたまの〕さらを搔きながら、正直にかう返事
をしました。が、長老は不相変靜かに微笑し
て話しつづけました。
 「〈ではでは〉*それでは*おわかりなりますまい。我々の
[やぶちゃん注:
●「我々の聖書をお覽に入れましたか?」ここは無論、初出及び現行では「御覽に」となっている。しかしここはどうみても真正のひらがなの「お」である。校正のどこかで直されたものかとも思われるが、このミスは実は芥川が当初、「聖書を御覽に入れしたか?」ではなく、「お見せしましたか?」と考えていた痕跡のようにも思われる。]

■原稿163(164)
神は一にちのうちにこの世界を造りました。(『生
命の樹』は樹と云ふものの、成し能はないこ
とはないのです。)のみならず〈《■》⇒■〉*めす*の河童かつぱを造り
ました。〈《雌の河童》⇒しかし〉*すると雌の*河童は退屈の余り、雄の
河童を求めました。我々の神は〈《雌の》⇒この願ひ〉*この歎き*を憐
み、雌の河童の腦髓を取り、雄の河童を造り
ました。我々〈《の》⇒は皆〉の神はこの二匹の河童に『〈生《■》き〉*へ*
よ、交〈尾〉*合*せよ、旺盛わうせいきよ』と云ふ祝福をあた
へました。…………」
 僕は〈かう云ふ言〉*長老の言葉*のうちに詩人のトツクを思
[やぶちゃん注:
●「のみならず〈《■》⇒■〉*めす*の河童かつぱを造りました。」この抹消字が判別出来ないのは、芥川がどのように河童の国の生活教に於ける創世神話を構築しようとしたかが窺える部分であるだけに、残念である。敢えて記すと、「〈《■》⇒■〉雌」の最初の抹消字は「又」若しくは「女」、次に書き変えて抹消した字は「男」の書きかけのようにも見える。]

■原稿164(165)
ひ出しました。詩人のトツクは不幸にも僕の
やうに無神論者です。僕は河童ではありませ
んから、生活教を知らなかつたのも無理はあ
りません。けれども〈トツクは河童でもあり、
生に〉
*河童の國に生まれたト*ツクは勿論「生命の樹」を知つてゐた筈です〈。〉*。*僕は
この教へに從はなかつたトツクの最後を憐み
ましたから、〈手短かにトツクの話をした上、〉*長老の言葉を遮るやうにト*ツ
クのことを話し出しました。
 「ああ、あの気の毒な詩人ですね。」
 長老は〈唯歎息〉僕の話を聞き、深い息を洩らしまし

■原稿165(167)
た。
 「〈《■》⇒トツクさん〉*我々の運命*を〈■〉定めるものは〔〈神意〉信仰と〕境遇と偶然と〈の〉
〈よる〉だけです。(尤もあなたがた*がた*はそのほかに遺傳
をお数へなさるでせう。)トツクさんは不幸に
も信仰をお持ちにならなかつたのです。」
 「トツク〔君〕はあなたを羨ん〈だ〉*でゐた*でせう。いや、僕
〈《も》⇒さへ〉*も*羨んでゐます。〈」〉ラツプ君などは年も若〈い〉*い*
し、………」
 「僕もくちばしさへちやんとしてゐれば或は樂天的
だつたかも知れません。」
[やぶちゃん注:「トツク〔君〕」この「君」は初出及び現行にはないわざわざ後から芥川は挿入しており、後に「ラツプ」にも「君」が附いている。自殺者だから長老への会話では憚って外したというのは苦しい主張だ。ここには「君」があるのが正しいと私は思う。それが主人公「僕」の優しさに他ならないからである。]

■原稿166(167)
 〈「〉長老は僕等にかう言はれると、もう一度深
いきらしました。しかもその目は涙ぐん
だまま、ぢつと〈《壁懸け》⇒燭台〉*黒いヴエヌス*を見〔つめ〕てゐるのです。
 「わたし〈は〉*も*実は、―――これはわたしの秘密で
すから、どうか誰にも仰有らずに下さい。―――
わたしも実は我々の神を信ずる訣に行かな
いのです。しかし〈今度〉*いつ*かわたしの祈禱は、〈――〉*―――
―*」
 丁度長老のかう言つた時です。突然部屋の
戸があいたと思ふと、大きい雌の河童〈か?〉*が*一
[やぶちゃん注:
●「〈――〉」分かり難くて申し訳ないが、これは2字分のダッシュを波線で抹消してあることを示している。2字分ダッシュというのは芥川にしては珍しい。だから実は、定規通り、実は抹消していない次の行の冒頭まで引いたのではなかったか? その後に、芥川は長老の台詞をもう少し書こうとして、この2字分のダッシュを抹消したものの、やはり、やめた、という推理も成り立つように思われる。]

■原稿167(168)
匹、いきなり長老へ飛びかかりました。〈《僕や》⇒ラツ
プや僕〉
*僕等*がこの〔雌の〕河童を〈《押》⇒*お*さへや〉*抱きとめよ*うとしたのは勿
論です。が、雌の河童は咄嗟のあひだ〈■〉*ゆか*のうへ
長老を投げ倒しました。
 「この爺め! 〔けふも〕又〈《けふも酒を》⇒わたしを欺して行つ
たな〉
*わたしの財布から一ぱいやるかねを*盜んで行つたな!」
 十分ばかりたつたのち、僕〈は〉*等*は〈殆ど〉*實際*逃げ出さ
ないばかりに〔長老夫婦をあとにのこし、〕大寺院の玄関を〈あと《に》⇒*に*し〉*りて行き*まし
た。
 「あれ〈は〉*で*はあの長老も『生命の樹』を信じない〈で〉*筈*

■原稿168(169)
です〈。」〉ね。」
 暫く默つて歩いたのち、ラツプは僕にかう言
ひました。が、僕は返事をするよりも思はず
大寺院を振り返りました。大寺院はどんより
曇つたそらにやはり髙い塔や円屋根まるやねを無数のしよく
しゆのやうに伸ばしてゐます。〈建〉何か沙漠の空に
見える蜃気楼の無気味さを漂はせたまま。……

[やぶちゃん注:以下、2行余白。
●この原稿の罫外左上方の5~6行の上部及び7~8行の上部には、非常に大きな
赤インクの、手書きの文字か記号のようなものがある。一見すると前者には、
□の上にT字型若しくは「正」の字のようなものが突出して見え、□の中には何か下部が「士」のような漢字みたようなもの
が見える。また、後者には、
〇の中に左に「忄」のような、右に下部が「士」のような漢字みたようなもの
が見える。この二つは一見異なったもののように見えるが、拡大してよく見ると、
前者の□と後者の〇の中にある文字か記号はどうも同じ、右下部が「士」のような形の文字か記号
であることが分かる。特殊な校正記号か若しくは校正者の校了・再校(要再校)又はその担当者の名前のサインかなどとも考えたが、不思議なことにどうしても判読出来ない(画像を回転させたりしてみたがどうしてもだめである)。校正経験者の御教授を乞うものである。]


□原稿169(170)
      〈九〉*十五*

[やぶちゃん注:「十五」は形の上では「九」を抹消しているので5字下げ(実際には6~7マス目に記載)。本文は2行目から。]

 それから彼是一週間の後、僕はふと醫者の
チヤツクに珍らしい話を聞きました。と云ふ
のはあのトツクの家に幽靈の出ると云ふ話な
のです。その頃〔に〕はもう雌の河童〈も〉*は*ど〈■〉*こ*かほか
行つてしまひ、〈トツクの家は〉僕等の友だちの詩人の家も〈■〉
〔或〕寫眞〈屋〉*師*のステュディオに變つてゐました。何でも
チヤツクの話によれば、このステュディオでは寫
眞をとると、〈必ず〉トツクの姿もいつの間にか必ず
〔朦〕朧と〈寫?〉*客*の後ろに映つてゐると〔か〕云ふこと〔《〔で〕》⇒〈なの〉で〕です。尤
[やぶちゃん注:
●「〔或〕寫眞〈屋〉*師*のステュディオに變つてゐました。」初出及び現行では、
 寫眞師のステユデイオに變つてゐました。
で、促音は措くとしても「或」の脱落は見逃せない。個人的な文体への趣味の物問題であるが、私は――私も――そして普段の芥川龍之介ならば高い確率で――ここには「或」を入れたくなるはずである。私は入っているのが正しいと思うし、芥川龍之介にとってもそれが彼の真意であると思う。そもそもこの「或」は推敲の末に7行目上罫外に、わざわざ手書きで綺麗に罫を拵えて、そこに「或」と記しているのである。――ゲラ校正段階で最終的に龍之介自身が削除した――などということは、以上から私には絶対にあり得ないことだと直感されるのである。これは総ての校正から漏れたものと私は断ずるものである。]

■原稿170(171)
〈《チヤツク》⇒ゲエル〉*チヤツク*は物質主義者ですから、死後の生命
などを信じて〈は〉*ゐ*ません。現に〈《こ》⇒こ〉*そ*の話をした時
にも〈目にた〉*悪意の*ある微笑を浮べながら、「〈《「幽靈》⇒「靈魂〉やは
り靈魂と云ふものも物質的存在と見えます
ね」などと註釈めいたことをつけ加へてゐまし
た。僕も幽靈を信じないことはチヤツクと余
〈《り》⇒《しかしこの国の心靈学協会は》⇒僕も幽靈を信じないことは〉*り変りません。けれども詩人の*トツクには親しみを感じてゐましたから、早速本屋の店へ
〈か〉*駈*けつけ、〈新聞や雑誌掲げられた■〉*トツクの幽靈に関する記事*やトツ
クの幽靈の〈寫〉*寫*眞の出てゐる新聞や雑誌を買つ

■原稿171(172)
て來ました。成程それ等の〈寫〉*寫*眞を〈見〉*見*ると、ど
こかトツクらしい河童が一匹、老若男女の河
童の後ろにぼんやりと姿を現してゐま〔し〕た。し
かし僕を驚かせたのは〈かう云ふ〉*トツクの*幽靈の寫眞よ
りもトツクの幽靈に關する記事、―――殊にト
ツクの幽靈に關する心靈学協会の報告〔で〕す。僕
は可也逐語的にその報告を訳して置きました
から、に大畧を掲げることにしませう。〈若し
この〉
*但し括弧*の中にあるのは僕自身の加へた註釈な
のです。――
[やぶちゃん注:この原稿用紙には右下方罫外右の、13~14マス位置に斜めに、赤いゴム印で、
 

の字が押されている。意味は不明。これは次の原稿にもある。
●「に」は初出及び現行は、
 しも
である。校正過程で変更されたものであろう。]

■原稿172(173)
   詩人トツク〔君〕の幽靈に關する報告。(心靈
学協会雑誌第八千二百七十〈五〉*四*号所載)
 わが心靈〈協〉學協会は先般自殺したる詩人トック
君の舊居にして〈《、》⇒■〉現在は××寫眞師のステュディ
オなる□□街第二百五十一号に臨時調査会を
開催せり。列席せる会員は下の如し。(氏名を畧す。)
 〈上記〉*我等*十七名の会員は〔心靈〔学〕協会々長ペツク氏と共に〕九月十七日午〈後十《二》⇒二
時〉
*前十時三十分*、〈同ステュディオに参集せり。〉*我等の最も信賴するメ*ディアム、ホツプ夫人
を同伴し、該ステュディオの一室に參集〔せ〕り。ホ
[やぶちゃん注:前原稿注で示した通り、この原稿にも右下方罫外右の、14マス位置と、その斜めやや左下に、前原稿と全く同じ赤いゴム印で、
 

の字が2箇所に押されている。
●「心靈学協会雑誌第八千二百七十〈五〉*四*号」この変更は妙に気になる。この号数では不都合な理由が、芥川龍之介には何かあったのではあるまいか? 神経症的な意味で、である。
●「トック」及び抹消も含めて3箇所の「ステュディオ」、「メディアム」の促音表記は総てママである。勿論、総て初出及び現行歴史的仮名遣版では促音表記されていない。]

■原稿173(174)
ツプ夫人は該ステュディオに入るや、既に心靈的
空気を感じ、全身に痙攣を催しつつ、嘔吐す
ること数囘に及べり。夫人の語る所〈に〉*に*よれ
ば、こは詩人トツク君の強烈なる煙草を愛し
たる結果、その心靈的空気も亦ニコティンを含
有する爲なりと云ふ。
 我等会員〈《は》⇒も〉*は*ホツプ夫人と共に圓卓を繞りて
〈《坐せることは定例》⇒言を費するを待たざる可し。〉*默坐したり。*夫人
は三分二十五秒の後、極めて急劇〈に〉*なる*夢遊状態
に陷り、且詩人トツク君の〈靈魂〉*心靈*の憑依する所
[やぶちゃん注:
●「ステュディオ」「ニコティン」の促音はママ。初出及び現行歴史的仮名遣版では促音表記されていない。
●「三分二十五秒」初出及び現行は、
 十分二十五秒
となっている。ゲラ校正での改訂か。トランス状態に陥るまでには確かに、3分25秒よりは10分25秒の方が「リアル」とは言えるように私には思われる。]

■原稿174(175)
となれり。我等会員は年齡順に從ひ、夫人に
憑依せるトツク君の心靈と左の如き問答を開
始したり。
 問 君は何〈を〉故に幽靈に出づるか?
 荅 死後の名声を知らんが爲なり。
 問 〈死後■ 〉君――或は〈君等〉心靈〔諸君〕は死後も尚名声
を欲するや?
 荅 少くとも予は欲せざる能はず。然れど
も予の邂逅したる日本の〈或〉*一*詩人の如きは死後
の名声を輕蔑し居たり。

■原稿175(176)
 問 〈その詩人の名は〉*君はその詩人の姓*名を知れりや?
 荅 〈彼《は》⇒の名は〉*予は不幸*にも忘れたり。唯彼の好んで
作れる十七字詩の一章を記憶〈す〉*す*るのみ。
 問 その詩は如何
 荅 「古池や蛙飛びこむ水の音」
 問 君はその詩を佳作〈とする〉*なりと做す*や?
 荅 〈《必しも悪作ならざるべし。》〉*予は必しも惡作なりと做さず。*唯「蛙」を「河童」
とせん乎、〈一層佳作〉*更に光彩*陸離たるべし。
 問 〈その理由は如何?〉*然らばその理由は*如何?
 荅 我等河童は〈蛙よりも河童〉*如何なる藝術*にも河童を求
[やぶちゃん注:
●「知れりや?」の「や」の右下には読点に近い有意に意志的に打たれたペンの跡が原稿にはある。
●「その詩は如何」はママ。初出及び現行は、
 その詩は如何?
と「?」がある。ゲラ校での補正か。
●「古池や蛙飛びこむ水の音」初出及び現行では、
 「古池や蛙飛びこむ水の音」。
と句点がある。]

■原稿176(177)
むること痛切なればなり。
 〈座〉*會*長ペツク氏はこの〈当〉時に當り、我等十七名
の会員にこは心靈学協会の臨〈■〉*時*調査会にし
て合評会にあらざるを注意したり。
 問 〈《君等心靈》⇒諸君〉*〈唯〉心靈諸君*〈の如何に生活するか?〉*の生活は如何?*
 荅 〈無爲にして消光〉*諸君の生活と異*なること無し。
 〈荅〉*問* 然らば君は君自身の自殺せ〈る〉*し*を後悔す
るや?
 荅 必しも後悔せず。予は心靈的生活に倦
まば、更にピストルを取りて自活ヽヽすべし。
[やぶちゃん注:
●「異なること無し」初出及び現行は、
 ことなること
と、「な」を送っていない
●「後悔するや?」の「や」の右下には読点に近い有意に意志的に打たれたペンの跡が原稿にはある。]

■原稿177(178)
 問 自活ヽヽ〈は〉するは容易〈■〉なりや否や?
 トツク君の心靈はこの問に荅ふるに更に問
を以てしたり。こはトツク君を知れるものに
〈荅〉頗る自然なる應酬なるべし。
 荅 自殺するは容易なりや否や?
 問 〈君等〉*諸君*〈心靈〉の生命は永遠なりや?
 荅 我等〈心靈〉*の生命*に関しては諸説紛々として
〈解〉信ずべからず。幸ひに我等の間にも基督教、
佛教、モハメツド教、拜火教、等〈儒教、〉*の諸*宗あるこ
とを忘るる勿れ。
[やぶちゃん注:
●「モハメツド教」初出及び現行は、
 モハメツト教
である。
●「拜火教、等」はママ。初出及び現行には読点はない。]

■原稿178(179)
 問 君自身の信ずる所は如何?
 荅 予は常に懷〈義〉*疑*主義者なり。
 問 然れども君は少くとも心靈の存在を疑
はざるべし?
 荅 〈《諸君の》⇒余は不幸にも諸君の如く〉*諸君の如く確信する能は*ず。
 問 君の交友の多少は如何?
 荅 〔予の交友は〕古今東西に亘り、〈無慮〉三百人を下らざるべ
し。その著名なるものを挙ぐれば、クライス
ト、マインレンデル、ワイニンゲル、………
 〈荅〉*問* 君〈は自殺者〉*の交友は*自殺者のみなりや?
[やぶちゃん注:
●この原稿には右上罫外に鉛筆書きで、
 棒組
という大書がある。棒組とは、活字組版に於いて版下を作成する際、レイアウトを無視して本文を決められた組み体裁でまず最初に全部組んでしまうことをいう校正用語。組んだものが棒のように細長くなるのでこの名がある。文字校正(棒組みのゲラは棒ゲラという)を済ませてから改めて正式なレイアウト通りに配置する。レイアウトが複雑且つ文字の直しによる大幅な組み替えが予測される場合に、この棒組みにすることが多い(以上は株式会社イーストウエストコーポレーションの「図解DTP用語辞典」の「棒組み」の記載に拠った)。ここは問答形式で問と答が一字下げで、台詞がそこからまた一字下げとなり、それがまた2行に及ぶ場合の字下げなどの問題があったからであろうか(実際には、2行目以降は字下げ無しで1マス目まで上がっている)。しかし、であれば、この問答が始まる「■原稿174(175)」にこそ、これは附されていなくてはならないように思われ、不審である。識者の御教授を乞うものである。
●「君自身の信ずる所は如何?」初出及び現行は、
 君自身の信ずる所は?
である。前後の問の表現表記形式から判断して、原稿が正しいと断言出来る。]

■原稿179(180)
 荅 必しも然りとせず。自殺を弁護せるモ
ンテェ〈■〉*ニ*ユの如きは予が畏友の一人なり。唯予
〈自殺せざり〉*自殺せざり*し厭世主義者、―――シヨオペン
ハウエルの輩とは交際せず。
 問 シヨオペンハウエル〈の〉*は*健在なりや?
 荅 彼は〔目下〕心靈的厭世主義を〈講じ〉*樹立し*、自活ヽヽする
可否を論じつつあり。然れどもコレラも黴菌
病なりしを知り、頗る安堵せるものの如し。
 我等会員は相次いでナポレオン、孔子、ド
ストエフスキイ、ダアウィン、クレオパトラ、
[やぶちゃん注:
●「モンテェ〈■〉*ニ*ユ」「ダアウィン」の促音表記はママ。初出及び現行歴史的仮名遣版では促音表記されていない。]

■原稿180(181)
釈迦、〈ダンテ、〉デモステネス、ダンテ、千の
利休等の心靈の消息を質問したり。然れどもト
ツク君は不幸にも詳細に荅ふることを〈做〉*做*さ
ず、反つてトツク君自身に關する種々の〈消〉*ゴシ
ツプ*を質問したり。
 問 予の死後の名声は如何?
 荅 〈群小詩人の一人〉或批評家〈曰?〉は「群小詩人の一人」と言へり。
 問 彼は予が詩集を贈らざりしに怨恨を含
める一人なるべし。予の全集は出版せられしや


■原稿181(182)
 荅 君の全集は出版せられたれども、賣行
甚だ振はざるが如し。
 問 予の全集は三百年の後、―――即ち著作
權の失はれたる後、万人の購ふ所となるべ
し。予の同棲せる〈友〉女友だちは如何?
 荅 彼女は〈《目下弁護士のラツク君》⇒弁護士ラツク君の夫人と〉*書肆ラツク君の夫人と*なれり。
 問 彼女は〔未だ不幸にも〕ラツクの〈眼?〉義眼なるを知らざる
なるべし。予が子は如何?
 荅 國立孤兒院にありと聞けり。
 〈問〉トツク君は暫く沈默せる後、新たに質問を

■原稿182(183)
開始したり。
 問 予が家は如何?
 荅 某寫眞〈《師》⇒家〉*師*のステュデイオとなれり。
 問 予の机は如何になれ〈りや?〉*るか?*
 荅 如何なれるかを知るものなし。
 問 予は予の机の抽斗に予の祕藏せる一束
の手紙を―――然れども〈こは〉*こは*幸ひにも多忙な
る諸君の関する所にあらず。今やわが心靈界
〈の空には万朶の《黒?墨?》雲⇒《黒》⇒の〉*は〈徐〉**おも**ろに薄暮に沈ま*んとす。予は諸君と訣別
すべし。さらば。諸君。さらば。わが善良な
[やぶちゃん注:
●「ステュデイオ」の促音表記はママ。初出及び現行歴史的仮名遣版では促音表記されていない。
●「今やわが心靈界〈の空には万朶の《黒?墨?》雲⇒《黒》⇒の〉*は〈徐〉**おも**ろに薄暮に沈ま*んとす。」の部分は複雑で記号で総てを示し得ていない。ここで改めて推敲過程の推定を説明したい。因みに「おもろ」というルビはママである。
 まず、芥川は、
 今やわが心靈界の空には万朶の
まで書いて、次に、
 黒
若しくは、その「黒」の(れっか)の下部に有意な横画らしきものが認められる点や「黒」の字がやや上部に書かれているところからは、
 墨
と書いた。恐らくは
 黒雲
のつもりであろう。ともかく気に入らなかった「黒」の字か、誤った「墨」の字を、
 黒
と訂したのである。しかし、結局、この表現全体が気に入らなくなって、
 今やわが心靈界の空には万朶の黒雲
の総て抹消し、9行目1マス目右に、
 の
から始まる訂正を施そうとした。ところが、この「の」がまた気に入らずに再び抹消した。仕切り直しのためか、今度は改めて9行目左側冒頭から、
 は徐ろに薄暮に沈まんとす。
と続けたのであった。ところが、今度はこの「徐」の字が何故か気に入らなくなった(最終画辺りで文字が汚く潰れたためか?)。ところが、訂する余白がない。そこで、この字を潰した後、右上へと線を伸ばし、7~8行目上方罫外の余白に、
 徐
と吹き出しのようにして訂正し。ルビを振った。ところがそのルビは、
 おも

「む」がなかった。本文訂正部分は「ろ」しか送っていないから、原稿を見るとこれは、私が示した通り、
 おもろに
となってしまうのである。初出及び現行では、
 おもむろ
と「ろ」も吸収されている。恐らく校正過程で訂せられたものであろう。因みに、私の印象では芥川は、「おもむろ」は「徐ろ」と送る傾向が強かったように思われる。されば芥川としてはこの原稿通りの「徐ろ」としたかったものと判断するものである。]

■原稿183(184)
る諸君。
 ホツプ夫人は最後の言葉と共に再び急劇に
覚醒したり。我等十七名の会員はこの問荅の
眞なりしことを上天の神に誓つて保證せんと
す。(尚又我等の〈賴〉信賴するホツプ夫人に對す
る報酬は嘗て夫人が女優たりし時の日当に從
ひて支弁したり。)
[やぶちゃん注:以下、3行余白。]



■原稿184(185)
     十〈一〉*六*

[やぶちゃん注:「十六」は5字下げ。抹消数字は例えば「七」には見えない。有意に一画で強く横に引いている。「一」と考えて間違いない。本文は2行目から。]

 僕は〈トツクの自殺し〉*かう云ふ記事を讀ん*だ後、だんだんこの国
にゐることも憂欝になつて來ましたから、ど
うか我々人間の国へ歸ることにしたいと思ひ
ました。しかしいくら探して歩いても、僕の
落ちた穴は見つかりません。そのうちにあの
バツグと云ふ漁師の〈河〉*河*童の話には〔、〕何でもこの
国の街はづれに或年をとつた河童が一匹、本
を讀んだり、笛を吹いたり、〈靜〉*靜*かに暮らし
てゐると云ふことです。僕はこの河童に尋ね

■原稿185(186)
〈童《河》⇒に尋ね〉て見れば、或はこの国を逃げ出す途
もわかりはしないかと思ひましたから、早速
街はづれへ出かけて行きました。しかしそこ
へ行つて見ると、如何にも小さい家の中に〈や〉
をとつた河童どころか、あたまの皿も固ま〈ら〉*ら*な
い、やつと十二三の河童が一匹、悠々と笛を
吹いてゐました。僕は〈最初は間〉*勿論間違*つた家へはひ
つたではないかと思ひました。が、念の爲に
〈前を尋ね〉*をきいて見*ると、やはりバツグの教へ〈れ〉てくれ
た年よりの河童に違ひないのです。

■原稿186(187)
 「しかしあなたは子供のやうですが〈。〉………」
 「〈そ〉お前さんはまだ知らないのかい? わたし
はどう云ふ運命か、母〈親〉*親*の腹を出た時には〈■〉しら
髮頭があたまをしてゐたのだよ。それからだんだん年
が若くなり、〈■〉今ではこんな子供になつたのだ
よ。〈」〉けれども年を勘定すれば、生まれる前を
〈四〉*六*十〈年〉としても、彼是〈百〉*百*十五六にはなるかも
知れない。」
 僕は〈狭い〉部屋の中を見まはしました。そこ
には僕の気のせゐ〈や〉*か*、質素な椅子やテエブル

■原稿187(189)
〈や〉*の*間に何か淸らかな幸福が漂つてゐるやうに
見えるのです。
 「あなたは〈《誰よりもの》⇒どうも外の〉*どうもほか*の河童よりも仕合せに
暮らしてゐるやうですね?」
 「さあ、それはさうかも知れない。わたしは
若い時は年〈と〉*よ*りだつたし、〈年をとつた時は〉*年をとつた時は*若
いものになつてゐる。從つて〈《■》⇒年〉*年*よりのやうに
慾にも渇かず、若いもののやうに色にも〈漁〉*溺*
れない。兎に角わたしの生涯は〔たとひ〕仕合せではな
〈までも、安らかだらう。〉*にもしろ、*安らかだつたのに〔は〕違

■原稿188(189)
〈ないよ。」〉*あるまい。*」
 「成程それでは安らかでせう。」
 「いや、まだそれだけでは〈明〉*安*らか〈では〉*には*ならな
い。わたしは体も丈夫だつたし、一生食ふに
困らぬ位の財産を持つてゐたのだよ。〈」〉しかし
一番仕合せだつたのはやはり生まれて來た時
に年〈と〉*よ*りだつたことだと思つてゐる。」
 僕は暫くこの河童と自殺した〈ラツプ〉*トツク*の話だ
の毎日醫者に見て貰つてゐる〈《タツパ》⇒ドツク〉*ゲエル*の話だの
をしてゐました。が、なぜか年とつた河童は
[やぶちゃん注:
●「《タツパ》」ここで芥川は「毎日醫者に見て貰つて」生にすこぶる執着しているところの、今まで全く登場していない「タツパ」という新手河童を登場させようとしていたことが分かる(次の「■原稿189(190)」の3行目の抹消をご覧あれ)。
●「年とつた河童」初出及び現行は、
 年をとつた河童
である。この後、これ以外に同じ表現が4箇所出現するが、いずれも同様の異同が認められるので、ゲラ校正での芥川自身による改訂と思われる。]

■原稿189(190)
余り僕の話などに興味のないやうな〈顏〉*顏*をし
てゐました。〈僕は〉
 「ではあなたは〈《ほかの河童》⇒タツ〉*ほかの河童*のやうに格別生き
てゐることに執着を持つてはゐないのですね
?」
 年とつた河童は僕の顏を見ながら、靜かに
かう返事をしました。
 「わたしもほかの河童のやうにこの国へ生ま
れて來るかどうか、一應父親に尋ねられてか
ら母〈親〉*親*の胎内を離れたのだよ。」
[やぶちゃん注:前注通り、「年とつた河童」は初出及び現行では「年をとつた河童」。]

■原稿190(191)
 「しかし僕はふとした拍子に、この国へ轉げ落
ちてしまつたのです。どうか僕にこの国から
出てかれる路を教へて下さい。」
 「出て行かれる路は一つしかない。」
 「と云ふのは?」
 「それはお前さんのここへ來た路だ。」
 僕はこの荅を聞いた時になぜか身の毛がよ
だちました。
 「その路が生憎見つからないのです。」
 年をとつた河童は水々しい目にぢつと僕の顏
[やぶちゃん注:前注通り、「年とつた河童」は初出及び現行では「年をとつた河童」。]

■原稿191(192)
を見つめました。それからやつと體を起し、
部屋の隅へ歩み寄ると、天井からそこに下
つてゐた一本の綱を引きました。すると今まで
気のつかなかつた天窓てんまどが一つ開きました。そ
の又円い天窓の外には松や檜が枝を張つた向
うに大空おほぞらが靑あをと晴れ渡つてゐます。〈■〉
や、大きいやじりに似た槍ヶ岳の峯も聳えてゐま
す。僕は飛行機を見た子供のやうに実際飛び
上つて㐂びました。
 「さあ、あすこから出て行くが好い。」

■原稿192(193)
 年をとつた河童はかう言ひながら、さつき
の綱を指さしました。今まで僕の綱〈■〉*と*思つてゐ
たのは実は綱梯子に出來てゐたのです。
 「ではあすこから出さして貰ひます。」
 「唯わたしは前以て言ふが〈、〉〔ね〕。〈■〉出て行つて後悔
しないやうに。」
 「大丈夫です。〔僕は〕後悔などはしません。」
 僕はかう返事をするが早いか、もう綱梯子
を攀ぢ登つてゐました。年をとつた河童のあたま
さらを遙か下に眺めながら。
[やぶちゃん注:前注通り、二箇所の「年とつた河童」は初出及び現行では「年をとつた河童」。以上の最終行は20行目で余白なし。
●「唯わたしは前以て言ふが〈、〉〔ね〕。〈■〉出て行つて後悔しないやうに。」この台詞の推敲は、当初恐らくは、
 唯わたしは前以て言ふが、
まで書いて、読点を抹消して次のマスから何か書こうとした(判読不能。マスの有意な左部分に強い縦の一画がある)が、やめて抹消、
 唯わたしは前以て言ふが、出て行つて後悔しないやうに。
その後、かなり後になってから「ね。」を挿入して、
 唯わたしは前以て言ふがね。出て行つて後悔しないやうに。
としたのではないかと思われる。何故かというと、この
右吹き出しの挿入記号を含めて、この
 
ね。
だけが
原稿及び推敲に用いられたブラックではなく、かなり明るいブルー・ブラック系によるものであるからである。]

■原稿193(194)
     十七

[やぶちゃん注:5字下げ。「河童」最終章。本文は2行目から。]

 僕は河童の国から帰つて來た後、〈《暫くは》⇒いつも〉*暫くは*我
々人間の皮膚の匀に閉口しました。我々人間
に比べれば、河童は実に淸潔なものです。の
みならず我々人間の頭は河童ばかり見てゐた
僕には如何にも気〈■〉*味*の悪いものに見えまし
た。これは或はあなたにはおわかりにならな
いかも知れません。しかし目や口は兎〈も〉*も*角
も、この鼻と云ふものは妙に恐しい気を起さ
せるものです。僕は勿論出來るだけ、誰にも
[やぶちゃん注:最後の20行目20マス目に大きなインクの滴の痕がマス目中央にあり、そこから10行目20マス目下方へ向かって、滴の痕よりはっきり区別出来る薄さで有意に太いインク擦過痕が延びる。この汚損はこの9~10行目が書かれる以前の汚損と思われる。それぞれ、9行目末の「さ」も、また10行目末の「も」も、これらの汚損を避けるように書かれているように見受けられるからである。]

■原稿194(195)
會はない算段をしました。が、〈いつか我〉*我々人間*にも
いつか次第に慣れ出したと見え、〈一年〉*半年はんとし*ばかり
たつうちにどこへでも出るやうになり〈ま〉*ま*〈し〉*し*
た。唯それでも困つたことは〈何〉*何*か話をしてゐ
るうちにうつかり河童の国の言葉を口に出し
てしまふことです。
 「君はあしたはうちにゐるかね?」
 「Qua」
 「何だつて?」
 「いや、ゐると云ふことだよ。」
[やぶちゃん注:
●「〈ま〉*ま*〈し〉*し*た」この2字の書き変えは明らかにインクの滲み(手か何かに附着した半乾きのインクが点々と附着したようなもの)による汚損を訂したものである。この原稿の特に5行目までの下半分の部分には同様の汚損が十数ヶ所見受けられる。]

■原稿195(196)
 大體かう云ふ調子だつたものです。
 しかし河童の国から帰つて來た後、丁度一
年ほどたつた時、僕は或〈《負債》⇒事■〉*事業*の〔失敗した〕爲に………
(S博士は彼がかう言つた時、「その話はおよ
しなさい」と注意をした。何でもS博士の〈話に〉*話〈に〉*
よれば、彼はこの話をする度に看護人の手に
へない位、亂暴になるとか云ふことであ
る。)
 ではその話はやめませう。しかし或事業の
失敗した〈後〉爲に僕は又河童の国へ〈行き〉*帰り*たいと思ひ出
[やぶちゃん注:
●「〔失敗した〕爲に………」この部分、初出及び現行では何故かリーダが4マスに亙っており、
 失敗した爲に…………
となっている。原稿のそれは『今までと全く変わらない3マスを塞ぐリーダ』であるのにも拘わらず、である。ここは統一を図る原則から言えば、初出は『通常の3点リーダの2マス』とするべきではある。但し、それを芥川が敢えてゲラ校で、特にこの「十七」章のみ、「僕」の精神病による狂気世界との懸隔を読者に暗示させる一方途として、「3点リーダの4マス・リーダ」を指定した、という可能性を完全には排除することは出来ない。その有力な証左と思しいのは、この後の部分に出現する3箇所のリーダが総てこの『奇体な4マス・リーダ』である点である。
●「何でもS博士の」初出及び現行では、
 何でも博士の
で「S」はない。
●「〈話に〉*話〈に〉*よれば、」の記号は間違いではない。ここは最初に、
 話は
と書いた。ところがどうも、そこの二字の上を下方向に何かで擦ってしまった結果、字が汚れた。それが気に入らなかったのか、抹消して右に吹き出しで「話に」と訂したのだが、またしても「に」の字を書き損なった。そこで芥川はそれをまた抹消し、そこからこの5行目下方罫外に向かって線を引いた。そこに「に」と訂そうとして書き損じたものらしい。校正過程で誰かが訂したものと思われ、初出及び現行は、
 話によれば、
と普通になっている。
●「河童の国へ〈行き〉*帰り*たい」は書いた直後に変更したものである。何故なら、次の原稿の一文以降では、この謂い方が問題とされているにも拘わらず、修正が全くないからである。]

■原稿196(197)
しました。さうです〈、〉*。*「行きたい」のではありま
せん。「歸りたい」と思ひ出したのです。河童の
国は当時の僕には故郷のやうに感ぜられまし
たから。
 僕はそつとうちを脱け出し、中央線の汽車へ
乘らうとしました。そこを生憎巡査に〈つ〉*つ*か
まり、とうとうこの病院へ入れられた〈の〉*の*で
す。僕はこの病院へはひつた当座も〈マツグやチヤツクのことを考〉*河童の国のことを〈考へ〉*思ひ*つづけました。医者のチヤツクはどうしてゐるでせう〈。〉? 哲学者のマツグ〈は〉*も*
[やぶちゃん注:
●「とうとうこの病院へ」は初出及び現行は、
 とうとう病院へ
である。「この」があった方が自然ではあるが、直後にも「この病院へはひつた当座も」とあり、ゲラ校で芥川自身が五月蠅いと判断して削った可能性がある。そもそも最初に強制入院させられたところから転院したと考えてもすこぶる『自然』であり、とすればこの方が正しい謂いともなろう。
●「思ひつづけました。」は初出及び現行は、
 想ひつづけました。
である。個人的趣味から言うと「想」でよいと思う。芥川がゲラ校で訂した可能性も否定出来ないし、芥川の用字法としても無理がない。]

■原稿197(198)
不相変七色の色硝子のランタアンの下に何か
考へてゐるかも知れません。殊に僕の親友だ
つた、嘴の腐つた学生のラツプは、―――或
けふのやうに曇つた午後です。〈僕はこんなこと〉*こんな追憶に耽*
つてゐた僕は思はず声を挙げようとしま〈し〉*し*
た。それはいつのにはひつて來たか、バツ
グと云ふ漁師の河童が一匹、僕の前に佇みな
がら、何度なんどあたまげてゐたからです。僕は
心をとりなほしたのち、―――泣いたか笑つたかも
覚えてゐません。が、兎に角久しぶりに河童

■原稿198(199)
の国の言葉を使ふこと〈を?〉*に*感動してゐたことは
確かです。
 「おい、バツグ、どうして來た?」
 「へい、お見舞ひに上つたのです。何でも御
病気だとか云ふことですから。」
 「どうしてそんなことを知つてゐる?」
 「ラディオのニウス〈を〉*で*知つたのです。」
 バツグは得意さうに笑つてゐ〈ました。〉*るのです。*
 「それにしてもよく來られたね?」
 「何、造作ざうさはありません。〔東京の〕〈河〉*川*や堀割りは河童
[やぶちゃん注:
●「ラディオ」の促音はママ。初出及び歴史的仮名遣版では、
 ラデイオ
である。]

■原稿199(200)
には往來も同樣ですから。」
 僕は河童も蛙のやうに水陸兩棲の動物だつ
たことに今更のやうに気がつきました。
 「しかしこのへんには川はないがね。」
 「いえ、こちらへ上つたのは水道の鐵管を拔
けて來たのです。〈」〉それからちよつと消火せん
あけて………」
 「消火栓をあけて?」
 「檀那はお忘れなすつたのですか? 河童〔に〕も
機械のゐると云ふことを。」
[やぶちゃん注:
●「消火栓をあけて………」前注で示した通り、初出及び現行は、
 消火栓をあけて…………
『奇体な4マス・リーダ』である。]

■原稿200(201)
 それから僕は二三日毎にいろいろの河童〈か?〉*の*
訪問を受けました。僕のやまひはS博士によれば
早発性痴呆〔症〕と云ふことです。しかしあの医者
のチヤツクは(〈甚だ〉これは甚だあなたにも失礼に当
〈かも知れ〉*のに違ひあり*ません。)僕は早発性痴呆症〔患者〕ではない、
〈あなたがた〉早発性痴呆症患者はS博士を始め、あなたがた
だと言つてゐ〈るのです。〉*ました。*医者の〈ヤ〉チヤツクも來
る位ですから、〈硝子会社〉学生のラツプや哲学者のマツ
グの〈尋ねて〉*見舞ひに*來たことは勿論です。が、あの漁
師のバツグの外に晝間は誰も尋ねて來ませ
[やぶちゃん注:
●「あなたがた」初出及び現行は、
 あなたがた自身
である。「自身」が入った方がよい。ゲラ校で芥川自身が挿入したものであろう。]

■原稿201(202)
ん。〈二三〉殊に二三匹一しよに來るのはよる、―――そ
れも月のあるよるです。僕はゆうべも月明りの
なか〈硝子会社の〉*硝子会社の*社長のゲエルや哲学者のマツ
グと話をしました。のみならず音樂家のクラ
バツク〈《の》⇒は〉*にも*ヴァイオリンを一曲いて貰ひま〈し〉*し*
た。そ〈れは〉ら、向うの机の上に黒百合くろゆり花束はなたば
〈ある〉*のつてゐる*でせう? あれもゆうべクラバ
ツクが土産に持つて來てくれたものです。……

 (僕はうしろを振り返つて見た。が、勿論机の
[やぶちゃん注:
●「ヴァイオリン」の促音はママ。初出及び歴史的仮名遣版では、
 ヴアイオリン
である。
●「持つて來てくれたものです。………」前注で示した通り、初出及び現行は、
 持つて來てくれたものです。…………
『奇体な4マス・リーダ』である。]

■原稿202(203)
うへ〈それ〉には花束はなたばも何ものつてゐなかつた。)
 それからこの本も哲学者のマツグがわざわ
ざ持つて來てくれたものです。ちよつと最初
の詩を讀んで〈■〉*御*覽なさい。いや、あなたは河
童の国の言葉を御存知になる筈はあ〈り〉*り*〈ま〉*ま*せ
ん。〈しか?〉*では*代りに讀んで見ませう。これは〈あの
悲しい詩人の〉
*近頃出版になつた*トツクの全集の一册です。―――
 (彼は古い電話帳をひろげ、かう云ふ詩をお
ほ声に読みはじめた。)
――― 〈熱帯〉*椰子*の花や竹の中に
[やぶちゃん注:
●「うへ〈それ〉には」この部分、見ていると、芥川は前の原稿の続きがあることを忘れて、次の2行目の内容を書きかけて、気がつき、1マス目に「上」を入れて「それ」を抹消して続けたという事実が判明する。この部分、別に存在した河童の下書稿から筆写していた可能性を示唆するものではなかろうか?
●「――― 〈熱帶〉*椰子*の花や竹の中に」の冒頭のダッシュ「―――」は後から挿入したものである。その証拠に芥川の癖で3文字分のダッシュを引いた結果、実はその頭が(詩は2字下げにしかしていなかったために)、10行目上方罫外へと一字分、はみ出しているのである。また、抹消の「熱帶」であるが、実際には「帶」の字は第一画の横棒しかマスには書かれていない。しかし、文脈と「椰子」の書き換えからも、間違いないと判断して敢えて「帶」と入れたものである。大方の御批判を俟つものである。]

■原稿203(204)
  佛陀はとうに眠つてゐる。

  〈基督も〉路ばたに枯れた無花果と一しよに
  基督ももう死んだらしい。

  しかし我々は〈休〉*休*まなければならぬ、
  たとひ芝居の背景の前にも。

――(その又背景も裏を見れば、継ぎはぎだら
けのカンヴアスばかりだ。!)―――
[やぶちゃん注:
●「しかし我々は〈休〉*休*まなければならぬ、」この最後の読点は、初出及び現行では
 しかし我々は休まなければならぬ
存在しない。私は私の考えるこの詩の詩想からいって、この読点は打たれねばならないと考えている。読点があるのが『唯一正当なトックの詩である』と、私は信じて疑わないのである。これは我鬼となった私の拘りであると言える。
●「――(その又背景も裏を見れば、継ぎはぎだらけのカンヴァスばかりだ。!)―――」この部分は非常に大きな問題点がある
 一つは、初出及び現行では、「背景も裏を見れば」が
 その又背景の裏を見れば、継ぎはぎだらけのカンヴァスばかりだ。!
大きな相違を示している点である。これは芥川龍之介自身がゲラ校正でそうしたものとは思いたいのであるが、私は個人的にここは、
× 背景の裏を見れば
ではなく、
〇 背景も裏を見れば
の方が詩想としてしっくりくるように思われるのである。大方の御批判を俟つが、私は勝手にそれが『唯一正当なトックの詩である』と思えてならないのである。
 次いで、「カンヴァス」の促音はママ。初出及び現行は「カンヴアス」である。
 さて次に、ここも前後を挟むダッシュは後から加えられたものであって、しかも表記のように、最初のダッシュは2字下げの分にしか附されていない。ところが、実は初出には、これはおろか、詩の前後のダッシュも存在しない(と後記には書かれている)。岩波旧全集はこの部分を底本(初出『改造』版)によらず、この原稿と芥川龍之介自身の『改造』書入れに従って(と言っている)、「――」2マスダッシュを最後にのみ入れて
  (その又背景の裏を見れば、継ぎはぎだらけのカンヴアスばかりだ。!)―――
としているのである。則ち、頭のダッシュはなしで、前と同じ2字下げでとなっているのである。そして無論、これが現行の「河童」の正しいテクストとされている。しかし! 私はこれは大きな誤りであると考えている
 トックのこの詩は、実はこの最後が散文調の( )附記のようになっているのだと私は思うのである。
 そしてその詩形こそが『唯一正当なトックの詩である』と私は信じて疑わないのである。
 試みに以下に現行のそれと、私の考える『唯一正当なトックの詩』を示す。但し、ダッシュは一般的表記の二マス・ダッシュとし、ルビは排除するものとする。
   *   *   *
【歴史的仮名遣準拠現行版】

――椰子の花や竹の中に
  佛陀はとうに眠つてゐる。

  路ばたに枯れた無花果と一しよに
  基督ももう死んだらしい。

  しかし我々は休まなければならぬ
  たとひ芝居の背景の前にも。

――(その又背景の裏を見れば、繼ぎはぎだらけのカンヴアスばかりだ。!)――

【私藪野直史が唯一正当と考える詩形】

――椰子の花や竹の中に
  佛陀はとうに眠つてゐる。

  路ばたに枯れた無花果と一しよに
  基督ももう死んだらしい。

  しかし我々は休まなければならぬ、
  たとひ芝居の背景の前にも。

――(その又背景も裏を見れば、繼ぎはぎだらけのカンヴァスばかりだ。!)――

   *   *   *
 大方の御批判を俟つ。]

■原稿204(205)
 〈しかし〉*けれども*僕はこの詩人のやうに厭世的ではあ
りません。河童たち〈は〉*の*時々來てくれる限りは、
―――ああ、このことは忘れてゐました。あ
なたは僕の友だちだつた裁判官のペツプを覚
えてゐるでせう。あの〈■〉河童は職を失つたのち
ほんたうに発狂してしまひました。何でも今
は河童の国の精神病院にゐると云ふこ〈と〉*と*で
す。僕はS博士さへ承知してくれれば、見舞
ひに行つてやりたいのですがね………(昭和二・
二・十一)
[やぶちゃん注:「河童」自筆原稿の最後である。この原稿に限って、ナンバリングが左端罫罫外上方(但し以下に示すように不完全)と左罫外3マス目左方と二箇所に打たれている。これは上のものがあまりに左側に寄せ過ぎて打ち損ねて「04」となって、3ケタ目の「2」がなくなってしまったため、改めて下方に「204」と打ち直したものと考えてよい。最終行は10行目で、余白はない。実に無駄のない、芥川龍之介らしい掉尾の原稿ではある。
●「あの〈■〉河童は」この抹消字は「男」と書きかけたようにも見える。
●「行つてやりたいのですがね………」先に述べた通り、現行及び初出は、
 行つてやりたいのですがね…………
『奇体な4マス・リーダ』である。
●「行つてやりたいのですがね………(昭和二・二・十一)」初出及び現行では、
 行つてやりたいのですがね………… (昭和二・二・十一)
とリーダの後に1マス空けてクレジットとなっている。最後まで拘るが、ここは、空けたい。]



■芥川龍之介「河童」決定稿原稿の最後に附せられた旧所蔵者永見徳太郎氏の「河童現行縁起記」復刻

[やぶちゃん注:永見徳太郎ながみとくたろう(明治二三(一八九〇)年~昭和二五(一九五〇)年)は劇作家・美術研究家。長崎市立商業学校卒。生家長崎の永見家は貿易商・諸藩への大名貸・大地主として巨万の富を築いた豪商で、その六代目として倉庫業を営む一方、写真・絵画に親しみ、俳句・小説などもものした。長崎を訪れた芥川龍之介や菊池寛、竹久夢二ら文人墨客と交遊、長崎では『銅座の殿様』(銅座町は思案橋と並ぶ長崎の歓楽街)と呼称された。長崎の紹介に努め、南蛮美術品の収集・研究家としても知られた(講談社「日本人名大辞典」及びウィキの「永見徳太郎」、長崎ウエブ・マガジン「ナガジン」の「真昼の銅座巡遊記」を参照した)。
 見開きの四〇〇字詰原稿用紙(罫色は
橙色。但し、左下罫外には「10×20」とある。しかし、これは半ページの仕様を示すものと思われ、上方罫外にあるノンブル用の位置が左右孰れも中央に寄っていることからも、二〇〇字詰を張り合わせたものではない。謂わずもがなであるが、芥川龍之介の原稿とは全く無縁な、寧ろ私も使用したことがあるような現在もよく見かける通常の原稿用紙の体裁である(但し、左面の左罫外下方19マス辺りに「原稿用紙」と印刷されているものの、商標・社名等はない)。一行字数を原稿に合わせた。〔 〕は挿入を示す。一部の読点は一字分をとらずに前の字の同一マスに打たれてある。署名の下に「德見」という落款で押されている。]

 河童原稿縁起記
昭和二年七月十五日の朝芥川龍之介〔氏〕スグ
コイの電報が届けられた。田端の澄江堂の二
階にて雑談する前、是を永見氏に進呈しやう
と差出されたのが、この河童原稿であつた。そ
の日二人は夜おそくまで散歩して或一軒の甘い
物屋に入つた。その十日目が、彼氏のパライ
ソ昇天であつた。
歳月は二十数年が過ぎ、昨年の祥月命日、私
は君を偲び、とある店にて二椀のおしるこを
注文し、一ツは君の霊にとさゝげた。その時
たはむれの作歌を胸に染めた。
 ぱらいそに 河童聖人 おはすかや
  椀に汁粉盛り たてまつりてむ

    昭和三年春の花さく日
            德 見 記 
(落款)

[やぶちゃん注:岩波新全集の宮坂覺氏の年譜によれば、この日の夜、芥川は徳見に加えて、小穴隆一と沖本常吉(明治三五(一九〇二)年~平成七(一九九五)年)は郷土史研究家。島根県生。小説家協会・劇作家協会の書記を経て、昭和元・大正十五(一九二六)年に東京日日新聞社に入社、昭和一〇(一九三五)年に郷里津和野に移り、昭和四四(一九六九)年には柳田国男賞を受賞、と新全集人名解説索引の記載にある)と四人で亀戸に遊んだ、とある。]


芥川龍之介「河童」決定稿原稿の全電子化と評釈  藪野直史 完