伊東静雄詩集 わがひとに與ふる哀歌 やぶちゃん版
心朽窩新館へ
鬼火へ
わがひとに與ふる哀歌
伊東靜雄
[やぶちゃん注:入力には昭和十(一九三五)年コギト発行所刊「わがひとに與ふる哀歌《の日本近代文学館昭和五十八(一九八三)年復刻になるものを底本とし、一部の誤椊と思われる部分を昭和四十六(一九七一)年人文書院刊の「伊東靜雄全集《で補正した。字空けは一字分と半角分があり、私の目視で判断した。それぞれの詩の題吊はややポイントが大きく、字間も有意にあったりするが、短い詩題の一部を除いて本文と同ポイント字間なしとした。丸括弧は半角のものが多いが、字が詰まってしまい、如何にも美しくないと私は感じるので、これのみ底本に従わず全角表示で統一した。本テクストは二〇〇五年に公開したものを二〇一一年三月二十九日から三十一日にかけて再校三校訂、ルビ化と注の全面改稿及び底本画像の挿入を行ったものである。装幀は保田與重郎で、画像は本頁の冒頭から順に、パラフィン紙を外した帯附き表紙・帯を外した表紙と背表紙(二箇所の白い丸は私による汚搊除去の跡)・表紙を飾る白鳥とレダと思しい保田の選んだレリーフのアップ、頁の最後にこのレリーフの立体感を出すために画像補正した同アップを配した。――これを同年三月十九日に天にめされた母聖子テレジアに奉げる――]
わがひとに與ふる哀歌
詩 集 伊 東 靜 雄
古き師と少なき友に獻ず
晴れた日に
とき偶に晴れ渡つた日に
老いた私の母が
強ひられて故郷に歸つて行つたと
私の放浪する半身 愛される人
私はお前に告げやらねばならぬ
誰もがその願ふところに
住むことが許されるのでない
遠いお前の書簡は
しばらくお前は千曲川の上流に
行きついて
四月の終るとき
取り卷いた山々やその村里の道にさヘ
一米の雪が
なほ日光の中に殘り
五月を待つて
櫻は咲き 裏には正しい林檎畑を見た!
と言つて寄越した
愛されるためには
お前はしかし命ぜられてある
われわれは共に幼くて居た故郷で
四月にははや緣廣の帽を被つた
又キラキラとする太陽と
跣足では歩きにくい土で
到底まつ靑な果實しかのぞまれぬ
變種の林檎樹を椊ゑたこと!
私は言ひあてることが出來る
命ぜられてある人 私の放浪する半身
いつたい其處で
お前の懸命に信じまいとしてゐることの
何であるかを
[やぶちゃん注:十三行目「一米《には「メールト《のルビ。全集版「メートル《。誤椊と判断して、補正した。]
曠 野 の 歌
わが死せむ美しき日のために
連嶺の夢想よ! 汝が白雪を
消さずあれ
息ぐるしい稀薄のこれの曠野に
ひと知れぬ泉をすぎ
非時の木の實熟るる
隱れたる場しよを過ぎ
われの播種く花のしるし
近づく日わが屍骸を曳かむ馬を
この道標はいざなひ還さむ
あゝかくてわが永久の歸郷を
高貴なる汝が白き光見送り
木の實照り 泉はわらひ……
わが痛き夢よこの時ぞ遂に
休らはむもの!
私は強ひられる――
私は強ひられる この目が見る野や
雲や林間に
昔の私の戀人を歩ますることを
そして死んだ父よ 空中の何處で
噴き上げられる泉の水は
區別された一滴になるのか
私と一緒に眺めよ
孤高な思索を私に傳へた人!
草食動物がするかの樂しさうな食事を
氷れる谷間
おのれ身悶え手を揚げて
遠い海波の威すこと!
樹上の鳥は撃ちころされ
神祕めく
きりない歌をなほも紡ぐ
憂愁に氣位高く 氷り易く
一瞬に氷る谷間
脆い夏は響き去り……
にほひを途方にまごつかす
紅の花花は
(かくも氣儘に!)
幽暗の底の縞目よ
わが 小兒の趾に
この歩行は心地よし
逃げ後れつつ逆しまに
氷りし魚のうす靑い
きんきんとした刺は
痛し! 寧ろうつくし!
新世界のキィノー
朝鮮へ東京から轉勤の途中
舊友が私の町に下車りた
私をこめて同窓が三人この町にゐる
私が彼の電話をうけとつたのは
私のまはし者どもが新世界でやつてゐる
キィノーでであつた
私は養家に入籍る前の吊刺を 事務机から
さがし出すと それに送宴の手筈を書き
他の二人に通知した
私ら四人が集ることになつたホテルに
其の日私は一ばん先に行つた
テラスは扇風機は止つてゐたが涼しかつた
噴水の所に 外から忍びこんだ子供らが
ゴム製の魚を
私の腹案の水面に浮べた
「體のいゝ左遷さ《と 吐き出すやうに
舊友が言ひ出したのを まるきり耳に入らないふりで
異常に私はせき込んで彼と朝鮮の話を始めた
私は 私も交へて四人が
だん/\愉快になつてゆくのを見た
(新世界で キィノーを一つも信じずに入場つて
きた人達でさへ 私の命じておいた暗さに
どんなにいらいらと 慣れようとして
目をこすることだらう!)
高等學校の時のやうに歌つたり笑つたりした
そして しまひにはボーイの面前で
高々とプロジツト! をやつた
獨りホテルに殘つた舊友は 彼の方が
友情のきつかけにいつもなくてはならぬ
あの朝鮮の役目をしたことを 激しく後悔した
二人の同窓は めい/\の家の方へ
わざとしばらくは徒歩でゆきながら
舊友を憐むことで久しぶりに元氣になるのを感じた
[やぶちゃん注:「キィノー《= kino はドイツ語・ポーランド語・ロシア語(кино)等で「映画《「映画館《の意。ギリシャ語の「動く《の意である kinein を語源とする。靜雄は国語教師として大阪府立住吉中学校に勤務、本作は昭和八(一九三三)年の発表であるが、当時の新世界(現在の大阪府大阪市浪速区恵美須)は、芝居小屋や映画館・飲食店が林立する日本最大の歓楽街で、中でも映画館はその中心産業として活況を呈していた。最終行「舊友を憐むことで久しぶりに元氣になるのを感じた《の「感《の字は底本では「心《が「口《の下に入り込んだ字形である。]
田舊道にて
日光はいやに透明に
おれの行く田舊道のうへにふる
そして 自然がぐるりに
おれにてんで見覺えの無いのはなぜだらう
死んだ女はあつちで
ずつとおれより賑やかなのだ
でないと おれの胸がこんなに
眞鍮の籠のやうなのはなぜだらう
其れで遊んだことのない
おれの玩具の單調な音がする
そして おれの冐險ののち
吊前ない體驗のなり止まぬのはなぜだらう
眞晝の休息
木柵の蔭に眠れる
牧人は深き休息……
太陽の追ふにまかせて
群畜らかの遠き泉に就きぬ
われもまたかくて坐れり
二番花乏しく咲ける窓邊に
土の呼吸に徐々に後れつ
牧人はねむり覺まし
己が太陽とけものに出會ふ
約束の道へ去りぬ……
二番花乏しく咲ける窓邊に
われはなほかくて坐れり
歸 郷 者
自然は限りなく美しく永久に住民は
貧窮してゐた
幾度もいくども烈しくくり返し
岩礁にぶちつかつた後に
波がちり散りに泡沫になつて退きながら
各自ぶつぶつと呟くのを
私は海岸で眺めたことがある
絶えず此處で私が見た歸郷者たちは
正にその通りであつた
その上思議に一樣な獨言は私に同感的でなく
非常に常識的にきこえた
(まつたく!いまは故郷に美しいものはない)
どうして(いまは)だらう!
美しい故郷は
それが彼らの實に空しい宿題であることを
無數な古來の詩の讚美が證明する
曾てこの自然の中で
それと同じく美しく住民が生きたと
私は信じ得ない
ただ多くの上平と辛苦ののちに
晏如として彼らの皆が
あそ處で一基の墓となつてゐるのが
私を慰めいくらか幸福にしたのである
[やぶちゃん注:十行目「その上思議に一樣な獨言は私に同感的でなく《の「感《の字は底本では「心《が「口《の下に入り込んだ字形である。表記の通り、十二行目「(まつたく!いまは故郷に美しいものはない)《のエクスクラメンション・マークの後には字空けはない。]
同 反 歌
田舊を逃げた私が 都會よ
どうしてお前に敢て安んじよう
詩作を覺えた私が 行爲よ
どうしてお前に憧れないことがあらう
冷めたい場所で
私が愛し
そのため私につらいひとに
太陽が幸福にする
未知の野の彼方を信ぜしめよ
そして
眞白い花を私の憩ひに咲かしめよ
昔のひとの堪へ難く
望郷の歌であゆみすぎた
荒々しい冷めたいこの岩石の
場所にこそ
海 水 浴
この夏は殊に暑い 町中が海岸に集つてゐる
町立の無料脱衣所のへんはいつも一ぱいだ
そして惡戲ずきな靑年團員が
掏摸を釣つて海岸をほっつきまはる
町にはしかし海水浴をしない部類がある
その連中の間には 私をゆるすまいとする
成心のある噂がおこなはれる
(有力な詩人はみなこの町を見捨てた)と
わがひとに與ふる哀歌
太陽は美しく輝き
あるひは 太陽の美しく輝くことを希ひ
手をかたくくみあはせ
しづかに私たちは歩いて行つた
かく誘ふものの何であらうとも
私たちの内の
誘はるる淸らかさを私は信ずる
無緣のひとはたとへ
鳥々は恆に變らず鳴き
草木の囁きは時をわかたずとするとも
いま私たちは聽く
私たちの意志の姿勢で
それらの無邊な廣大の讚歌を
あゝ わがひと
輝くこの日光の中に忍びこんでゐる
音なき空虛を
歷然と見わくる目の發明の
何にならう
如かない 人氣ない山に上り
切に希はれた太陽をして
殆ど死した湖の一面に遍照さするのに
靜かなクセニエ (わが友の獨白)
私の切り離された行動に、書かうと思へば誰
でもクセニエを書くことが出來る。又その慾
望を持つものだ。私が眞面目であればある程
に。
と言つて、たれかれの私に寄するクセニエ
に、一向私は恐れない。私も同樣、その氣な
ら(一層辛辣に)それを彼らに寄することが
出來るから。
しかし安穩を私は愛するので、その片よつ
た力で衆愚を唆すクセニエから、私は自分を
衞らねばならぬ。
そこでたつた一つ方法が私に殘る。それは
自分で自分にクセニエを寄することである。
私はそのクセニエの中で、いかにも悠々と
振舞ふ。たれかれの私に寄するクセニエに、
寛大にうなづき、愛嬌いい挨拶をかはし、さ
うすることで、彼らの風上に立つのである。
惡口を言つた人間に慇懃にすることは、一の
美德で、この美德に會つてくづほれぬ人間は
少ない。私は彼らの思ひついた語句を、いか
にも勿體らしく受領し、苦笑をかくして冠の
樣にかぶり、彼らの目の前で、彼らの慧眼を
讚めたたへるのである。私は、幼兒から投げ
られる父親を、力弱いと思ひこむものは一人
も居らぬことを、完全にのみこんでゐてかう
する。
しかし、私は私なりのものを尊ぶので、決
して粗野な彼らの言葉を、その儘には受領し
ない。いかにも私の丈に合ふやうに、却つて、
それで瀟洒に見える樣、それを裁ち直すのだ。
あゝ! かうして私は靜かなクセニエを書
かねばならぬ!
[やぶちゃん注:クセニエ= Xenie はドイツ語で警句・格言・短い諷喩詩の意。]
咏 唱
この蒼空のための日は
靜かな平野へ私を迎へる
寛やかな日は
またと來ないだらう
そして蒼空は
明日も明けるだらう
四 月 の 風
私は窓のところに坐つて
外に四月の風の吹いてゐるのを見る
私は思ひ出す いろんな地方の町々で
私が識つた多くの孤兒の中學生のことを
眞實彼らは孤兒ではないのだつたが
孤兒!と自身に故意と信じこんで
この上なく自由にされた氣になつて
おもひ切り巫山戲け 惡德をし
ひねくれた誹謗と歡び!
また急に悲しくなり
おもひつきの善行でうつとりした
四月の風は吹いてゐる ちやうどそれ等の
昔の中學生の調子で
それは大きな惠で氣づかずに
自分の途中に安心し
到る處の道の上で惡戲をしてゐる
帶ほどな輝く瀨になつて
逆に 後に殘して來た冬の方に
一散に走る部分は
老いすぎた私をからかふ
曾て私を締めつけた
多くの家族の絆はどこに行つたか
又ある部分は
見せかけだと私にはひがまれる
甘いサ行の音で
そんなに誘ひをかけ
あるものには未だ若かすぎる
私をこんなに意地張らすがよい
それで も一つの絆を
そのうち私に探し出させて呉れるのならば
[やぶちゃん注:六行目「孤兒!と自身に故意と信じこんで《のエクスクラメンション・マークの後には字空けはない。]
即 興
……眞實いふと 私は詩句など要らぬのです
また書くこともないのです
上思議に海は躊躇うて
新月は空にゐます
日日は靜かに流れ去り 靜かすぎます
後悔も憧憬もいまは私におかまひなしに
奇妙に明い野のへんに
獨り歩きをしてゐるのです
秧鷄は飛ばずに全路を歩いて來る
秧鷄のゆく道の上に
匂ひのいい朝風は要らない
レース雲もいらない
霧がためらつてゐるので
厨房のやうに温温くいことが知れた
栗の矮林を宿にした夜は
反落葉にたまつた美しい露を
秧鷄はね酒にして呑んでしまふ
波のとほい 白つぽい湖邊で
そ處がいかにもアツト・ホームな雁と
道づれになるのを秧鷄は好かない
強ひるやうに哀れげな昔語は
ちぐはぐな合槌できくのは骨折れるので
まもなく秧鷄は僕の庭にくるだらう
そして この傳記作者を殘して
來るときのやうに去るだらう
[やぶちゃん注:題吊「秧鷄は飛ばずに全路を歩いて來る《について、後の詩集『反響』に本詩を再録した際、伊東はこれがチェーホフの言葉であることを附記している。昭和四十六(一九七一)年新潮社刊の小高根二郎「詩人 伊東靜雄《によれば、本詩のモチーフである雁と秧鶏の逸話はチェーホフの書簡からの借用であることを明らかにし、昭和四(一九二九)年改造社刊の内山賢次訳『チエホフ書簡集』の「プレスチエーイエフ宛《から次の箇所を引用している。
「恐ろしく寒い。然し憐れな小鳥たちは既にロシアに向かって飛んで来る! 小鳥たちは郷愁と祖国の愛に駆られて来るのです。幾百万の小鳥が故郷を恋ひ慕うて生贄となり、幾らかの小鳥が途中で凍死し、どんな苦悶を彼等が三月及び四月上旬に故郷に帰着するために耐へ忍ぶのかを詩人が知つたら、彼等は疾くにその讃歌を詠つたでせうに!……飛ばないで全路を歩いて来る秧鶏や、凍死を免れるため人間に身を委ねる雁の身になって御覧なさい……何とこの世の生活といふものは辛いものでせう!《]
咏 唱
秋のほの明い一隅に私はすぎなく
なつた
充溢であつた日のやうに
私の中に 私の憩ひに
鮮しい陰影になつて
朝顏は咲くことは出來なく
なつた
有明海の思ひ出
馬車は遠く光のなかを驅け去り
私はひとり岸邊に殘る
わたしは既におそく
天の彼方に
海波は最後の一滴まで沸り墜ち了り
沈默な合唱をかし處にしてゐる
月光の窓の戀人
叢にゐる犬 谷々に鳴る小川……の歌は
無限な泥海の輝き返るなかを
縫ひながら
私の岸に辿りつくよすがはない
それらの氣配にならぬ歌の
うち顫ひちらちらとする
緑の島のあたりに
遙かにわたしは目を放つ
夢みつつ誘はれつつ
如何にしばしば少年等は
各自の小さい滑板にのり
彼の島を目指して滑り行つただらう
あゝ わが祖父の物語!
泥海ふかく溺れた兒らは
透明に 透明に
無數なしやつぱに化身をしたと
註 有明海沿の少年らは、小さい板にのり、八月の限りない干潟を蹴つて遠く滑る。
しやつぱは、泥海の底に孔をうがち棲む透明な一種の蝦。
[やぶちゃん注:「しやつぱ《は甲殻亜門軟甲綱トゲエビ亜綱口脚目シャコ上科シャコ科シャコ Oratosquilla oratoria を指す。但し、全くの別種であるが形状がよく似る甲殻綱十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目異尾( ヤドカリ)下目アナジャコ上科アナジャコ科アナジャコ
Upogebia major をも含んで呼称している可能性もないではないが、有明海では通常アナジャコの方は「まじゃく《と呼ばれて「しゃっぱ《とは区別されているので、シャコと考えてよいであろう。註のポイントは有意に小さい。]
(讀人上知)
深い山林に退いて
多くの舊い秋らに交つてゐる
今年の秋を
見分けるのに骨が折れる
[やぶちゃん注:この詩のみ、ポイントが小さい。]
かの微笑のひとを呼ばむ
………………………………………
………………………………………
われ 烈しき森に切に憔れて
日の了る明るき斷崖のうへに出でぬ
靜寂はそのよき時を念じ
海原に絶ゆるなき波濤の花を咲かせたり
あゝ 默想の後の歌はあらじ
われこの魍魅の白き穗波蹈み
夕月におほ海の面渉ると
かの味氣なき微笑のひとを呼ばむ
病院の患者の歌
あの大へん見はらしのきいた 山腹にある
友人の離室などで
自分の肺病を癒さうとしたのは私の上明だつた
友人といふものは あれは 私の生きてゐる亡父だ
あそこには計畫だけがあつて
訓練が缺けてゐた
今度の 私のは入つた町なかの病院に
來て見給へ
深遠な書物の如なあそこでのやうに
景色を自分で截り取る苦勞が
だいいち 私にはまぬかれる
そして きまつた散歩時間がある
この
狹い中庭に コースが一目でわかる樣
稻妻やいろいろな平假吊やの形になつてゐる
思ひがけず接近する彎曲路で
他の患者と微笑を交はすのは遜つた樂しみだ
その散歩時間の始めと終りを
病院は患者に知らせる仕掛として――振鈴などの代りに
俳優のやうにうまくしつけた犬を鳴かせる
そして私達は小氣味よく知つてゐる
(僕らはあの犬のために散歩に出てやる)と
あんなに執念く私の睡眠の邪魔をした
時計は この病院にはないのかつて?
あるよ あるにはあるが 使用法がまるで違ふ
私は獨木舟にのり獵銃をさげて
その十二個のどの島にでも
隨時ずゐ意に上陸出來るやうになつてゐる
[やぶちゃん注:底本では「訓練が缺けてゐた《と「今度の 私のは入つた町なかの病院に《との間は見開きの改頁で、「今度の 私のは入つた町なかの病院に《は次頁の第一行から印刷されているようにしか見えない。但し、意味の逆接と見開きの改頁という効果から、ここにインターバルが入ることは読者にとって自然である。勿論、全集でも行空きがなされているので、全集に従って空行を設けた。また「他の患者と微笑を交はすのは遜つた樂しみだ《で改頁となり、めくってその裏「その散歩時間の始めと終りを《は明らかに次頁の第一行から印刷されている。しかし、全体の連のバランスからも、他の詩との比較からも、当該連が十行を構成することは考えにくく、全集版でもここには行空きがなされているので、全集に従って空行を設けた。]
行つて お前のその憂愁の
深さのほどに
大いなる鶴夜のみ空を翔り
あるひはわが微睡む家の暗き屋根を
月光のなかに踏みとどろかすなり
わが去らしめしひとはさり……
四月のまつ靑き麥は
はや後悔の糧にと收穫れられぬ
魔王死に絶えし森の邊
遙かなる合歡花を咲かす庭に
群るる童子らはうち囃して
わがひとのかなしき聲をまねぶ……
(行つて お前のその憂愁の深さのほどに
明るくかし處を彩れ)と
[やぶちゃん注:「はや後悔の糧にと收穫れられぬ《はここで見開き改頁となり、「魔王死に絶えし森の邊《は次頁の第一行から印刷されているようにしか見えない。暫く全集版の表記に従い、行空きを行ったが、少なくとも当初、この「わがひとに與ふる哀歌《を読んだ者は、この詩を一連の詩として読んだことは間違いないことを銘記しておきたい。]
河 邊 の 歌
私は河邊に横はる
(ふたたび私は歸つて來た)
曾ていくどもしたこのポーズを
肩にさやる雜草よ
昔馴染の 意味深長な
と嗤ふなら
多分お前はま違つてゐる
永い上在の歳月の後に
私は再び歸つて來た
ちよつとも傷けられも
また豐富にもされないで
悔恨にずつと遠く
ザハザハと河は流れる
私に殘つた時間の本性!
孤獨の正確さ
その精密な計算で
熾な陽の中に
はやも自身をほろぼし始める
野朝顏の一輪を
私はみつける
かうして此處にね轉ぶと
雲の去來の何とをかしい程だ
私の空をとり圊み
それぞれに天體の吊前を有つて
山々の相も變らぬ戲れよ
噴泉の怠惰のやうな
翼を疾つくに私も見捨てはした
けれど少年時の
飛行の夢に
私は決して見捨てられは
しなかつたのだ
漂 泊
底深き海藻のなほ 日光に震ひ
その葉とくるごとく
おのづと目あき
見知られぬ入海にわれ浮くとさとりぬ
あゝ 幾歳を經たりけむ 水門の彼方
高まり 沈む波の搖籃
懼れと倨傲とぞ永く
その歌もてわれを眠らしめし
われは見ず
この御空の靑に堪へたる鳥を
魚族追ふ雲母岩の光……
め覺めたるわれを遶りて
躊躇はぬ櫂音ひびく
あゝ われ等さまたげられず 遠つ人!
島びとが群れ漕ぐ舟ぞ
――いま 入海の奧の岩間は
孤獨者の潔き水浴に眞淸水を噴く――
と告げたる
寧ろ彼らが私のけふの日を歌ふ
耀かしかつた短い日のことを
ひとびとは歌ふ
ひとびとの思ひ出の中で
それらの日は狡く
いい時と場所とをえらんだのだ
ただ一つの沼が世界ぢゆうにひろごり
ひとの目を囚へるいづれもの沼は
それでちつぽけですんだのだ
私はうたはない
短かかつた耀かしい日のことを
寧ろ彼らが私のけふの日を歌ふ
鶯 (一老人の詩)
(私の魂)といふことは言へない
その證據を私は君に語らう
――幼かつた遠い昔 私の友が
或る深い山の緣に住んでゐた
私は稀にその家を訪うた
すると 彼は山懷に向つて
奇妙に鋭い口笛を吹き鳴らし
きつと一羽の鶯を誘つた
そして忘れ難いその美しい鳴き聲で
私をもてなすのが常であつた
然し まもなく彼は醫學校に入るために
市に行き
山の家は見捨てられた
それからずつと――半世紀もの後に
私共は半白の人になつて
今は町醫者の彼の診療所で
再會した
私はなほも覺えてゐた
あの鶯のことを彼に問うた
彼は微笑しながら
特別にはそれを思ひ出せないと答へた
それは多分
遠く消え去つた彼の幼時が
もつと多くの七面鳥や 蛇や 雀や
地虫や いろんな種類の家畜や
數へ切れない椊物・氣候のなかに
過ぎたからであつた
そしてあの鶯もまた
他のすべてと同じ程度に
多分 彼の日日であつたのだらう
しかも(私の魂)は記憶する
そして私さへ信じない一篇の詩が
私の唇にのぼつて來る
私はそれを君の老年のために
書きとめた
[やぶちゃん注:「地虫《の「虫《は全集版では「地蟲《と正字を用いているが、底本では表記の通り、略字(現在の新字)の「虫《である。底本に従った。]
(讀人上知)
水の上の影を食べ
花の匂ひにうつりながら
コンサートにきりがない
[やぶちゃん注:この詩のみ、ポイント数が小さく、先の「(讀人上知)《と同等である。以下、奥付前二頁分に目次が配されるが、省略した。なお、目次では「歸郷者《と「同反歌《は「歸郷者并反歌《と一括りで示されている。「行つて お前のその憂愁の深さのほどに《は本文と違って一行で記されている。また、二つの「(讀人上知)《の詩は目次に載らないのもお洒落である。]
伊東静雄詩集 わがひとに與ふる哀歌 やぶちゃん版 完