やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇
鬼火へ

河童 附草稿  芥川龍之介

         《附やぶちゃんマニアック注釈(別ページ掲載)》

[やぶちゃん注:昭和2(1927)年3月発行の『改造』に発表された。底本は岩波版旧全集を用いたが、その加工用電子テクストとして2010年4月22日作成の「青空文庫」の新字旧仮名版「河童」(青空文庫作品ID45761)を使用させて頂いたことをお断りしておく。青空文庫使用規定に則り、ここにその原テクストのデータを記し、先の通り、リンクも張っておいた。該当テクストは底本として平成8(1996)年129日発行「芥川龍之介全集 第十四巻」岩波書店(新字正仮名採用の岩波版新全集)を用いており、入力者は五十嵐仁氏、校正は小林繁雄氏である。何よりも私の限られた時間を救ってくれたこの電子テクストに感謝の意を表する。なお、一箇所だけ、底本(初出)に拠らず原稿に拠った箇所がある(注釈の「」の「」を附したものを参照のこと)。但し、私が底本とした旧全集版は総ルビで五月蠅いため、読みが振れると私が判断したもののみのパラルビとしてある(最初に施したものは後で同じものが出ても省略してあるものが多いが、一部は繰り返し示してある部分もある。これは朗読する際の便宜を考えたものである)。傍点「ヽ」は下線に代えた。草稿は該当決定稿である「十三」及び「十七」の末に配した(底本の草稿「Ⅰ―a」「Ⅰ―b」「Ⅱ」をそれぞれ【草稿1】【草稿2】【草稿3】とし、原稿改頁記号は排除した。それぞれの草稿の終わりは断ち切れているので【草稿○終】と入れた)。草稿底本は新全集の第二十一巻所収のものを用いたが、私のポリシーに則り、正字正仮名に恣意的に変換してある。私の、河童の毒消しならぬ、河童の致命的粘液毒に富んだオリジナルな芥川龍之介「河童」やぶちゃんマニアック注釈』は別ページで用意したので、別ウィンドウで開いて、御毒味あれ。なお、本ページは私のブログ260000アクセス記念として上記注釈とともにセットで公開したものである。【2010年12月16日】]

 

河童

        どうか Kappa と發音して下さい。

 

 

 

       序

 

 これは或精神病院の患者、――第二十三號が誰(たれ)にでもしやべる話である。彼はもう三十を越してゐるであらう。が、一見した所は如何にも若々しい狂人である。彼の半生の經驗は、――いや、そんなことはどうでも善(よ)い。彼は唯ぢつと兩膝をかかへ、時々窓の外へ目をやりながら、(鐵格子(てつかうし)をはめた窓の外には枯れ葉さへ見えない樫の木が一本、雪曇(ゆきくも)りの空に枝を張つてゐた。)院長のS博士(はかせ)や僕を相手に長々とこの話をしやべりつづけた。尤も身ぶりはしなかつた訣ではない。彼はたとへば「驚いた」と言ふ時には急に顏をのけ反(そ)らせたりした。……

 僕はかう云ふ彼の話を可なり正確に寫したつもりである。若し又誰か僕の筆記に飽き足りない人があるとすれば、東京市外××村のS精神病院を尋ねて見るが善い。年よりも若い第二十三號はまづ丁寧に頭を下げ、蒲團のない椅子を指さすであらう。それから憂欝な微笑を浮かべ、靜かにこの話を繰り返すであらう。最後に、――僕はこの話を終つた時の彼の顏色(かほいろ)を覺えてゐる。彼は最後に身を起すが早いか、忽ち拳骨をふりまはしながら、誰にでもかう怒鳴りつけるであらう。――「出て行(い)け! この惡黨めが! 貴樣も莫迦な、嫉妬深い、猥褻な、圖々しい、うぬ惚れきつた、殘酷な、蟲の善(よ)い動物なんだらう。出て行け! この惡黨めが!」

 

       

 

 三年前の夏のことです。僕は人並みにリユツク・サツクを背負ひ、あの上高地の温泉宿から穗高山(ほたかやま)へ登らうとしました。穗高山へ登るのには御承知の通り梓川(あづさがは)を溯る外はありません。僕は前に穗高山は勿論、槍ケ岳にも登つてゐましたから、朝霧の下りた梓川の谷を案内者もつれずに登つて行(い)きました。朝霧の下りた梓川の谷を――しかしその霧はいつまでたつても晴れる氣色は見えません。のみならず反つて深くなるのです。僕は一時間ばかり歩いた後(のち)、一度は上高地の温泉宿へ引き返すことにしようかと思ひました。けれども上高地へ引き返すにしても、兎に角霧の晴れるのを待つた上にしなければなりません。と云つて霧は一刻毎にずんずん深くなるばかりなのです。「ええ、一そ登つてしまへ。」――僕はかう考へましたから、梓川の谷を離れないやうに熊笹の中を分けて行きました。

 しかし僕の目を遮るものはやはり深い霧ばかりです。尤も時々霧の中から太い毛生欅(ぶな)や樅(もみ)の枝が靑あをと葉を垂らしたのも見えなかつた訣ではありません。それから又放牧の馬や牛も突然僕の前へ顏を出しました。けれどもそれ等は見えたと思ふと、忽ち又濛々とした霧の中に隱れてしまふのです。そのうちに足もくたびれて來れば、腹もだんだん減りはじめる、――おまけに霧に濡れ透つた登山服や毛布なども並み大抵の重さではありません。僕はとうとう我(が)を折りましたから、岩にせかれてゐる水の音を便りに梓川の谷へ下りることにしました。

 僕は水ぎはの岩に腰かけ、とりあへず食事にとりかかりました。コオンド・ビイフの罐(くわん)を切つたり、枯れ枝を集めて火をつけたり、――そんなことをしてゐるうちに彼是十分はたつたでせう。その間にどこまでも意地の惡い霧はいつかほのぼのと晴れかかりました。僕はパンを嚙ぢりながら、ちよつと腕時計を覗いて見ました。時刻はもう一時二十分過ぎです。が、それよりも驚いたのは何か氣味の惡い顏が一つ、圓い腕時計の硝子(がらす)の上へちらりと影を落したことです。僕は驚いてふり返りました。すると、――僕が河童と云ふものを見たのは實にこの時が始めてだつたのです。僕の後ろにある岩の上には畫にある通りの河童が一匹、片手は白樺の幹を抱へ、片手は目の上にかざしたなり、珍らしさうに僕を見おろしてゐました。

 僕は呆(あ)つ氣にとられたまま、暫くは身動きもしずにゐました。河童もやはり驚いたと見え、目の上の手さへ動かしません。そのうちに僕は飛び立つが早いか、岩の上の河童へ躍りかかりました。同時に又河童も逃げ出しました。いや、恐らくは逃げ出したのでせう。實はひらりと身を反(かへ)したと思ふと、忽ちどこかへ消えてしまつたのです。僕は愈(いよ/\)驚きながら、熊笹の中を見まはしました。すると河童は逃げ腰をしたなり、二三メエトル隔つた向うに僕を振り返つて見てゐるのです。それは不思議でも何でもありません。しかし僕に意外だつたのは河童の體(からだ)の色のことです。岩の上に僕を見てゐた河童は一面に灰色を帶びてゐました。けれども今は體中すつかり綠いろに變つてゐるのです。僕は「畜生!」とおほ聲を擧げ、もう一度河童へ飛びかかりました。河童が逃げ出したのは勿論です。それから僕は三十分ばかり、熊笹を突きぬけ、岩を飛び越え、遮二無二河童を追ひつづけました。

 河童も亦足の早いことは決して猿などに劣りません。僕は夢中になつて追ひかける間に何度もその姿を見失はうとしました。のみならず足を辷(すべ)らして轉がつたことも度たびです。が、大きい橡(とち)の木が一本、太ぶとと枝を張つた下へ來ると、幸ひにも放牧の牛が一匹、河童の往(ゆ)く先へ立ち塞がりました。しかもそれは角の太い、目を血走らせた牡牛なのです。河童はこの牡牛を見ると、何か悲鳴を擧げながら、一きは高い熊笹の中へもんどりを打つやうに飛び込みました。僕は、――僕も「しめた」と思ひましたから、いきなりそのあとへ追ひすがりました。するとそこには僕の知らない穴でもあいてゐたのでせう。僕は滑(なめら)かな河童の背中にやつと指先がさはつたと思ふと、忽ち深い闇の中へまつ逆さまに轉げ落ちました。が、我々人間の心はかう云ふ危機一髮の際にも途方もないことを考へるものです。僕は「あつ」と思ふ拍子にあの上高地の温泉宿の側に「河童橋(かつぱはし)」と云ふ橋があるのを思ひ出しました。それから、――それから先のことは覺えてゐません。僕は唯目の前に稻妻に似たものを感じたぎり、いつの間にか正氣を失つてゐました。

 

       

 

 そのうちにやつと氣がついて見ると、僕は仰向けに倒れたまま、大勢の河童にとり圍まれてゐました。のみならず太い嘴(くちばし)の上に鼻眼鏡(はなめがね)をかけた河童が一匹、僕の側へ跪(ひざまづ)きながら、僕の胸へ聽信器を當ててゐました。その河童は僕が目をあいたのを見ると、僕に「靜かに」と云ふ手眞似をし、それから誰(たれ)か後ろにゐる河童へ Quax quax と聲をかけました。するとどこからか河童が二匹、擔架(たんか)を持つて歩いて來ました。僕はこの擔架にのせられたまま、大勢の河童の群がつた中を靜かに何町か進んで行(い)きました。僕の兩側に並んでゐる町は少しも銀座通りと違ひありません。やはり毛生欅(ぶな)の並み木のかげにいろいろの店が日除けを並べ、その又並み木に挾まれた道を自動車が何臺も走つてゐるのです。

 やがて僕を載せた擔架は細い横町を曲つたと思ふと、或家(うち)の中へ舁(かつ)ぎこまれました。それは後(のち)に知つた所によれば、あの鼻眼鏡をかけた河童の家(うち)、――チヤツクと云ふ醫者の家だつたのです。チヤツクは僕を小綺麗なベツドの上へ寢かせました。それから何か透明な水藥(みづぐすり)を一杯飮ませました。僕はベツドの上に横たはたつたなり、チヤツクのするままになつてゐました。實際又僕の體は碌(ろく)に身動きも出來ないほど、節々が痛んでゐたのですから。

 チヤツクは一日に二三度は必ず僕を診察に來ました。又三日に一度位(ぐらゐ)は僕の最初に見かけた河童、――バツグと云ふ漁師も尋ねて來ました。河童は我々人間が河童のことを知つてゐるよりも遙かに人間のことを知つてゐます。それは我々人間が河童を捕獲することよりもずつと河童が人間を捕獲することが多い爲でせう。捕獲と云ふのは當らないまでも、我々人間は僕の前にも度々河童の國へ來てゐるのです。のみならず一生河童の國に住んでゐたものも多かつたのです。なぜと言つて御覽なさい。僕等は唯河童ではない、人間であると云ふ特權の爲に働かずに食つてゐられるのです。現にバツグの話によれば、或若い道路工夫などはやはり偶然この國へ來た後(のち)、雌の河童を妻に娶(めと)り、死ぬまで住んでゐたと云ふことです。尤もその又雌の河童はこの國第一の美人だつた上、夫の道路工夫を誤魔化すのにも妙を極めてゐたと云ふことです。

 僕は一週間ばかりたつた後、この國の法律の定める所により、「特別保護住民」としてチヤツクの隣に住むことになりました。僕の家(うち)は小さい割に如何にも瀟洒と出來上つてゐました。勿論この國の文明は我々人間の國の文明――少くとも日本の文明などと餘り大差はありません。往來に面した客間の隅には小さいピアノが一臺あり、それから又壁には額縁へ入れたエツテイングなども懸つてゐました。唯肝腎の家をはじめ、テエブルや椅子の寸法も河童の身長に合はせてありますから、子供の部屋に入れられたやうにそれだけは不便に思ひました。

 僕はいつも日暮(ひく)れがたになると、この部屋にチヤツクやバツグを迎へ、河童の言葉を習ひました。いや、彼等ばかりではありません。特別保護住民だつた僕に誰(たれ)も皆好奇心を持つてゐましたから、毎日血壓を調べて貰ひに、わざわざチヤツクを呼び寄せるゲエルと云ふ硝子會社(がらすくわいしや)の社長などもやはりこの部屋へ顏を出したものです。しかし最初の半月ほどの間に一番僕と親しくしたのはやはりあのバツグと云ふ漁夫(れふふ)だつたのです。

 或生暖かい日の暮です。僕はこの部屋のテエブルを中に漁夫のバツグと向ひ合つてゐました。するとバツグはどう思つたか、急に默つてしまつた上、大きい目を一層大きくしてぢつと僕を見つめました。僕は勿論妙に思ひましたから、「Quax, Bag, quo quel quan?」と言ひました。これは日本語に飜譯すれば、「おい、バツグ、どうしたんだ?」と云ふことです。が、バツグは返事をしません。のみならずいきなり立ち上ると、べろりと舌を出したなり、丁度蛙の刎(は)ねるやうに飛びかかる氣色さへ示しました。僕は愈(いよ/\)無氣味になり、そつと椅子から立ち上ると、一足飛びに戸口へ飛び出さうとしました。丁度そこへ顏を出したのは幸ひにも醫者のチヤツクです。

 「こら、バツグ、何をしてゐるのだ?」

 チヤツクは鼻眼鏡をかけたまま、かう云ふバツグを睨みつけました。するとバツグは恐れ入つたと見え、何度も頭へ手をやりながら、かう言つてチヤツクにあやまるのです。

 「どうもまことに相すみません。實はこの旦那の氣味惡がるのが面白かつたものですから、つい調子に乘つて惡戲(いたづら)をしたのです。どうか旦那も堪忍して下さい。」

 

       

 

 僕はこの先を話す前にちよつと河童と云ふものを説明して置かなければなりません。河童は未だに實在するかどうかも疑問になつてゐる動物です。が、それは僕自身が彼等の間に住んでゐた以上、少しも疑ふ餘地はない筈です。では又どう云ふ動物かと云へば、頭に短い毛のあるのは勿論、手足に水搔きのついてゐることも「水虎考略」などに出てゐるのと著しい違ひはありません。身長もざつと一メエトルを越えるか越えぬ位(くらゐ)でせう。體重は醫者のチヤツクによれば、二十ポンドから三十ポンドまで、――稀には五十何ポンド位の大河童(おほかつぱ)もゐると言つてゐました。それから頭のまん中には楕圓形の皿があり、その又皿は年齡により、だんだん固さを加へるやうです。現に年をとつたバツグの皿は若いチヤツクの皿などとは全然手ざはりも違ふのです。しかし一番不思議なのは河童の皮膚の色のことでせう。河童は我々人間のやうに一定の皮膚の色を持つてゐません。何でもその周圍の色と同じ色に變つてしまふ、――たとへば草の中にゐる時には草のやうに綠色に變り、岩の上にゐる時には岩のやうに灰色に變るのです。これは勿論河童に限らず、カメレオンにもあることです。或は河童は皮膚組織の上に何かカメレオンに近い所を持つてゐるのかも知れません。僕はこの事實を發見した時、西國の河童は綠色であり、東北の河童は赤いと云ふ民俗學上の記錄を思ひ出しました。のみならずバツグを追ひかける時、突然どこへ行つたのか、見えなくなつたことを思ひ出しました。しかも河童は皮膚の下に餘程厚い脂肪を持つてゐると見え、この地下の國の温度は比較的低いのにも關らず、(平均華氏五十度前後です。)着物と云ふものを知らずにゐるのです。勿論どの河童も目金(めがね)をかけたり、卷煙草の箱を携へたり、金入れを持つたりはしてゐるのでせう。しかし河童はカンガルウのやうに腹に袋を持つてゐますから、それ等のものをしまふ時にも格別不便はしないのです。唯僕に可笑しかつたのは腰のまはりさへ蔽(おほ)はないことです。僕は或時この習慣をなぜかとバツグに尋ねて見ました。するとバツグはのけぞつたまま、いつまでもげらげら笑つてゐました。おまけに「わたしはお前さんの隱してゐるのが可笑しい」と返事をしました。

 

       

 

 僕はだんだん河童の使ふ日常の言葉を覺えて來ました。從つて河童の風俗や習慣ものみこめるやうになつて來ました。その中でも一番不思議だつたのは河童は我々人間の眞面目に思ふことを可笑しがる、同時に我々人間の可笑しがることを眞面目に思ふ――かう云ふとんちんかんな習慣です。たとえば我々人間は正義とか人道とか云ふことを眞面目に思ふ、しかし河童はそんなことを聞くと、腹をかかへて笑ひ出すのです。つまり彼等の滑稽と云ふ觀念は我々の滑稽と云ふ觀念と全然標準を異(こと)にしてゐるのでせう。僕は或時醫者のチヤツクと産兒制限の話をしてゐました。するとチヤツクは大口をあいて、鼻眼鏡の落ちるほど笑ひ出しました。僕は勿論腹が立ちましたから、何が可笑しいかと詰問しました。何でもチヤツクの返答は大體かうだつたやうに覺えてゐます。尤も多少細かい所は間違つてゐるかも知れません。何しろまだその頃は僕も河童の使ふ言葉をすつかり理解してゐなかつたのですから。

 「しかし兩親の都合ばかり考へてゐるのは可笑しいですからね。どうも餘り手前勝手ですからね。」

 その代りに我々人間から見れば、實際又河童のお産位(ぐらゐ)、可笑しいものはありません。現に僕は暫くたつてから、バツグの細君のお産をする所をバツグの小屋へ見物に行(ゆ)きました。河童もお産をする時には我々人間と同じことです。やはり醫者や産婆などの助けを借りてお産をするのです。けれどもお産をするとなると、父親は電話でもかけるやうに母親の生殖器に口をつけ、「お前はこの世界へ生れて來るかどうか、よく考へた上で返事をしろ。」と大きな聲で尋ねるのです。バツグもやはり膝をつきながら、何度も繰り返してかう言ひました。それからテエブルの上にあつた消毒用の水藥(すゐやく)で嗽(うが)ひをしました。すると細君の腹の中の子は多少氣兼でもしてゐると見え、かう小聲に返事をしました。

 「僕は生れたくはありません。第一僕のお父さんの遺傳は精神病だけでも大へんです。その上僕は河童的存在を惡いと信じてゐますから。」

 バツグはこの返事を聞いた時、てれたやうに頭を搔いてゐました。が、そこにゐ合せた産婆は忽ち細君の生殖器へ太い硝子(がらす)の管(くわん)を突きこみ、何か液體を注射しました。すると細君はほつとしたやうに太い息を洩らしました。同時に又今まで大きかつた腹は水素瓦斯(がす)を拔いた風船のやうにへたへたと縮んでしまひました。

 かう云ふ返事をする位(くらゐ)ですから、河童の子供は生れるが早いか、勿論歩いたりしやべつたりするのです。何でもチヤツクの話では出産後二十六日目に神の有無に就いて講演をした子供もあつたとか云ふことです。尤もその子供は二月目には死んでしまつたと云ふことですが。

 お産の話をした次手(ついで)ですから、僕がこの國へ來た三月目に偶然或街の角で見かけた、大きいポスタアの話をしませう。その大きいポスタアの下には喇叭(らつぱ)を吹いてゐる河童だの劍(けん)を持つてゐる河童だのが十二三匹描いてありました。それから又上には河童の使ふ、丁度時計のゼンマイに似た螺旋文字(らせんもじ)が一面に並べてありました。この螺旋文字を飜譯すると、大體かう云ふ意味になるのです。これも或は細かい所は間違つてゐるかも知れません。が、兎に角僕としては僕と一しよに歩いてゐた、ラツプと云ふ河童の學生が大聲に讀み上げてくれる言葉を一々ノオトにとつて置いたのです。

 遺傳的義勇隊を募る!!!

 健全なる男女の河童よ!!!

 惡遺傳を撲滅する爲に

 不健全なる男女の河童と結婚せよ!!!

 僕は勿論その時にもそんなことの行はれないことをラツプに話して聞かせました。するとラツプばかりではない、ポスタアの近所にゐた河童は悉くげらげら笑ひ出しました。

 「行はれない? だつてあなたの話ではあなたがたもやはり我々のやうに行つてゐると思ひますがね。あなたは令息が女中に惚れたり、令孃が運轉手に惚れたりするのは何の爲だと思つてゐるのです? あれは皆無意識的に惡遺傳を撲滅してゐるのですよ。第一この間あなたの話したあなたがた人間の義勇隊よりも、――一本の鐵道を奪ふ爲に互に殺し合ふ義勇隊ですね、――ああ云ふ義勇隊に比べれば、ずつと僕たちの義勇隊は高尚ではないかと思ひますがね。」

 ラツプは眞面目にかう言ひながら、しかも太い腹だけは可笑しさうに絶えず浪立(なみだ)たせてゐました。が、僕は笑ふどころか、慌てて或河童を摑まへようとしました。それは僕の油斷を見すまし、その河童が僕の萬年筆を盜んだことに氣がついたからです。しかし皮膚の滑かな河童は容易に我々には摑まりません。その河童もぬらりと辷(すべ)り拔けるが早いか一散に逃げ出してしまひました。丁度蚊のやうに瘦せた體を倒れるかと思ふ位(くらゐ)のめらせながら。

 

       

 

 僕はこのラツプと云ふ河童にバツグにも劣らぬ世話になりました。が、その中でも忘れられないのはトツクと云ふ河童に紹介されたことです。トツクは河童仲間の詩人です。詩人が髮を長くしてゐることは我々人間と變りません。僕は時々トツクの家へ退屈凌ぎに遊びに行(ゆ)きました。トツクはいつも狹い部屋に高山植物の鉢植ゑを並べ、詩を書いたり煙草をのんだり、如何にも氣樂さうに暮らしてゐました。その又部屋の隅には雌の河童が一匹、(トツクは自由戀愛家ですから、細君と云ふものは持たないのです。)編み物か何かをしてゐました。トツクは僕の顏を見ると、いつも微笑してかう言ふのです。(尤も河童の微笑するのは餘り好(い)いものではありません。少くとも僕は最初のうちは寧ろ無氣味に感じたものです。)

 「やあ、よく來たね。まあ、その椅子にかけ給へ。」

 トツクはよく河童の生活だの河童の藝術だのの話をしました。トツクの信ずる所によれば、當り前の河童の生活位(くらゐ)、莫迦げてゐるものはありません。親子夫婦兄弟などと云ふのは悉く互に苦しめ合ふことを唯一の樂しみにして暮らしてゐるのです。殊に家族制度と云ふものは莫迦げてゐる以上にも莫迦げてゐるのです。トツクは或時窓の外を指さし、「見給へ。あの莫迦げさ加減を!」と吐き出すやうに言ひました。窓の外の往來にはまだ年の若い河童が一匹、兩親らしい河童を始め、七八匹の雌雄の河童を頸のまはりへぶら下げながら、息も絶え絶えに歩いてゐました。しかし僕は年の若い河童の犧牲的精神に感心しましたから、反つてその健氣(けなげ)さを褒め立てました。

 「ふん、君はこの國でも市民になる資格を持つてゐる。……時に君は社會主義者かね?」

 僕は勿論 qua(これは河童の使ふ言葉では「然り」と云ふ意味を現すのです。)と答へました。

 「では百人の凡人の爲に甘んじて一人の天才を犧牲にすることも顧みない筈だ。」

 「では君は何主義者だ? 誰(たれ)かトツク君の信條は無政府主義だと言つてゐたが、……」

 「僕か? 僕は超人(直譯すれば超河童です。)だ。」

 トツクは昂然と言ひ放ちました。かう云ふトツクは藝術の上にも獨特な考へを持つてゐます。トツクの信ずる所によれば、藝術は何ものの支配をも受けない、藝術の爲の藝術である、從つて藝術家たるものは何よりも先に善惡を絶した超人でなければならぬと云ふのです。尤もこれは必しもトツク一匹の意見ではありません。トツクの仲間の詩人たちは大抵同意見を持つてゐるやうです。現に僕はトツクと一しよに度たび超人倶樂部(てうじんくらぶ)へ遊びに行きました。超人倶樂部に集まつて來るのは詩人、小説家、戲曲家、批評家、畫家、音樂家、彫刻家、藝術上の素人等(ら)です。しかしいづれも超人です。彼等は電燈の明るいサロンにいつも快活に話し合つてゐました。のみならず時には得々と彼等の超人ぶりを示し合つてゐました。たとへば或彫刻家などは大きい鬼羊齒(おにしだ)の鉢植ゑの間に年の若い河童をつかまへながら、頻に男色を弄んでゐました。又或雌の小説家などはテエブルの上に立ち上つたなり、アブサントを六十本飮んで見せました。尤もこれは六十本目にテエブルの下へ轉げ落ちるが早いか、忽ち往生してしまひましたが。

 僕は或月の好(よ)い晩、詩人のトツクと肘を組んだまま、超人倶樂部から歸つて來ました。トツクはいつになく沈みこんで一ことも口を利かずにゐました。そのうちに僕等は火(ほ)かげのさした、小さい窓の前を通りかかりました。その又窓の向うには夫婦らしい雌雄(めすをす)の河童が二匹、三匹の子供の河童と一しよに晩餐のテエブルに向つてゐるのです。するとトツクはため息をしながら、突然かう僕に話しかけました。

 「僕は超人的戀愛家だと思つてゐるがね、ああ云ふ家庭の容子を見ると、やはり羨しさを感じるんだよ。」

 「しかしそれはどう考へても、矛盾してゐるとは思はないかね?」

 けれどもトツクは月明りの下にぢつと腕を組んだまま、あの小さい窓の向うを、――平和な五匹の河童たちの晩餐のテエブルを見守つてゐました。それから暫くしてかう答へました。

 「あすこにある玉子燒は何と言つても、戀愛などよりも衞生的だからね。」

 

       

 

 實際又河童の戀愛は我々人間の戀愛とは餘程趣を異(こと)にしてゐます。雌の河童はこれぞと云ふ雄の河童を見つけるが早いか、雄の河童を捉へるのに如何なる手段も顧みません。一番正直な雌の河童は遮二無二雄の河童を追ひかけるのです。現に僕は氣違ひのやうに雄の河童を追ひかけてゐる雌の河童を見かけました。いや、そればかりではありません。若い雌の河童は勿論、その河童の兩親や兄弟まで一しよになつて追ひかけるのです。雄の河童こそ見(み)じめです。何しろさんざん逃げまはつた揚句、運好くつかまらずにすんだとしても、二三箇月は床(とこ)についてしまふのですから。僕は或時僕の家にトツクの詩集を讀んでゐました。するとそこへ駈けこんで來たのはあのラツプと云ふ學生です。ラツプは僕の家へ轉げこむと、床(ゆか)の上へ倒れたなり、息も切れ切れにかう言ふのです。

 「大變だ! とうとう僕は抱きつかれてしまつた!」

 僕は咄嗟に詩集を投げ出し、戸口の錠(ぢやう)をおろしてしまひました。しかし鍵穴から覗いて見ると、硫黄の粉末を顏に塗つた、背の低い雌の河童が一匹、まだ戸口にうろついてゐるのです。ラツプはその日から何週間か僕の床(とこ)の上に寢てゐました。のみならずいつかラツプの嘴(くちばし)はすつかり腐つて落ちてしまひました。

 尤も又時には雌の河童を一生懸命に追ひかける雄の河童もないわけではありません。しかしそれもほんたうの所は追ひかけずにはゐられないやうに雌の河童が仕向けるのです。僕はやはり氣違ひのやうに雌の河童を追ひかけてゐる雄の河童も見かけました。雌の河童は逃げて行(ゆ)くうちにも、時々わざと立ち止まつて見たり、四つん這ひになつたりして見せるのです。おまけに丁度好(い)い時分になると、さもがつかりしたやうに樂々とつかまつてしまふのです。僕の見かけた雄の河童は雌の河童を抱いたなり、暫くそこに轉がつてゐました。が、やつと起き上つたのを見ると、失望と云ふか、後悔と云ふか、兎に角何とも形容出來ない、氣の毒な顏をしてゐました。しかしそれはまだ好いのです。これも僕の見かけた中に小さい雄の河童が一匹、雌の河童を追ひかけてゐました。雌の河童は例の通り、誘惑的遁走をしてゐるのです。するとそこへ向うの街から大きい雄の河童が一匹、鼻息を鳴らせて歩いて來ました。雌の河童は何かの拍子にふとこの雄の河童を見ると、「大變です! 助けて下さい! あの河童はわたしを殺さうとするのです!」と金切り聲を出して叫びました。勿論大きい雄の河童は忽ち小さい河童をつかまへ、往來のまん中へねぢ伏せました。小さい河童は水搔きのある手に二三度空を摑んだなり、とうとう死んでしまひました。けれどももうその時には雌の河童はにやにやしながら、大きい河童の頸つ玉へしつかりしがみついてしまつてゐたのです。

 僕の知つてゐた雄の河童は誰(たれ)も皆言ひ合はせたやうに雌の河童に追ひかけられました。勿論妻子を持つてゐるバツグでもやはり追ひかけられたのです。のみならず二三度はつかまつたのです。唯マツグと云ふ哲學者だけは(これはあのトツクと云ふ詩人の隣にゐる河童です。)一度もつかまつたことはありません。これは一つにはマツグ位(ぐらゐ)、醜い河童も少ない爲でせう。しかし又一つにはマツグだけは餘り往來へ顏を出さずに家にばかりゐる爲です。僕はこのマツグの家へも時々話しに出かけました。マツグはいつも薄暗い部屋に七色の色硝子(いろがらす)のランタアンをともし、脚(あし)の高い机に向ひながら、厚い本ばかり讀んでゐるのです。僕は或時かう云ふマツグと河童の戀愛を論じ合ひました。

 「なぜ政府は雌の河童が雄の河童を追ひかけるのをもつと嚴重に取り締らないのです?」

 「それは一つには官吏の中に雌の河童の少ない爲ですよ。雌の河童は雄の河童よりも一層嫉妬心は強いものですからね。雌の河童の官吏さへ殖ゑれば、きつと今よりも雄の河童は追ひかけられずに暮せるでせう。しかしその效力も知れたものですね。なぜと言つて御覽なさい。官吏同志でも雌の河童は雄の河童を追ひかけますからね。」

 「ぢやあなたのやうに暮してゐるのは一番幸福な訣ですね。」

 するとマツグは椅子を離れ、僕の兩手を握つたまま、ため息と一しよにかう言ひました。

 「あなたは我々河童ではありませんから、おわかりにならないのも尤もです。しかしわたしもどうかすると、あの恐ろしい雌の河童に追ひかけられたい氣も起(おこ)るのですよ。」

 

       

 

 僕は又詩人のトツクと度たび音樂會へも出かけました。が、未だに忘れられないのは三度目に聽きに行つた音樂會のことです。尤も會場の容子などは餘り日本と變つてゐません。やはりだんだんせり上つた席に雌雄(めすをす)の河童が三四百匹、いづれもプログラムを手にしながら、一心に耳を澄ませてゐるのです。僕はこの三度目の音樂會の時にはトツクやトツクの雌の河童の外にも哲學者のマツグと一しよになり、一番前の席に坐つてゐました。するとセロの獨奏が終つた後(のち)、妙に目の細い河童が一匹、無造作に譜本を抱へたまま、壇の上へ上つて來ました。この河童はプログラムの教へる通り、名高いクラバツクと云ふ作曲家です。プログラムの教へる通り、――いや、プログラムを見るまでもありません。クラバツクはトツクが屬してゐる超人倶樂部の會員ですから、僕も亦顏だけは知つてゐるのです。

 「Lied――Craback」(この國のプログラムも大抵は獨逸語(ドイツご)を並べてゐました。)

 クラバツクは盛んな拍手の中にちよつと我々へ一禮した後、靜にピアノの前へ歩み寄りました。それからやはり無造作に自作のリイドを彈きはじめました。クラバツクはトツクの言葉によれば、この國の生んだ音樂家中、前後に比類のない天才ださうです。僕はクラバツクの音樂は勿論、その又餘技の抒情詩(ぢよじやうし)にも興味を持つてゐましたから、大きい弓なりのピアノの音に熱心に耳を傾けてゐました。トツクやマツグも恍惚(うつとり)としてゐたことは或は僕よりも勝(まさ)つてゐたでせう。が、あの美しい(少くとも河童たちの話によれば)雌の河童だけはしつかりプログラムを握つたなり、時々さも苛ら立たしさうに長い舌をべろべろ出してゐました。これはマツグの話によれば、何でも彼是十年前にクラバツクを摑まへそこなつたものですから、未だにこの音樂家を目の敵にしてゐるのだとか云ふことです。

 クラバツクは全身に情熱をこめ、戰ふやうにピアノを彈きつづけました。すると突然會場の中に神鳴りのやうに響渡つたのは「演奏禁止」と云ふ聲です。僕はこの聲にびつくりし、思はず後(うしろ)をふり返りました。聲の主は紛れもない、一番後の席にゐる身の丈拔群の巡査です。巡査は僕がふり向いた時、悠然と腰をおろしたまま、もう一度前よりもおほ聲に「演奏禁止」と怒鳴りました。それから、――

 それから先は大混亂です。「警官横暴!」「クラバツク、彈け! 彈け!」「莫迦!」「畜生!」「ひつこめ!」「負けるな!」――かう云ふ聲の湧き上つた中に椅子は倒れる、プログラムは飛ぶ、おまけに誰(たれ)が投げるのか、サイダアの空罎や石ころや嚙ぢりかけの胡瓜(きうり)さへ降つて來るのです。僕は呆つ氣にとられましたから、トツクにその理由を尋ねようとしました。が、トツクも興奮したと見え、椅子の上に突つ立ちながら、「クラバツク、彈け! 彈け!」と喚(わめ)きつづけてゐます。のみならずトツクの雌の河童もいつの間に敵意を忘れたのか、「警官横暴」と叫んでゐることは少しもトツクに變りません。僕はやむを得ずマツグに向かひ、「どうしたのです?」と尋ねて見ました。

 「これですか? これはこの國ではよくあることですよ。元來畫だの文藝だのは……」

 マツグは何か飛んで來る度にちよつと頸を縮めながら、不相變靜に説明しました。

 「元來畫だの文藝だのは誰の目にも何を表はしてゐるかは兎に角ちやんとわかる筈ですから、この國では決して發賣禁止や展覽禁止は行はれません。その代りにあるのが演奏禁止です。何しろ音樂と云ふものだけはどんなに風俗を壞亂する曲でも、耳のない河童にはわかりませんからね。」

 「しかしあの巡査は耳があるのですか?」

 「さあ、それは疑問ですね。多分今の旋律を聞いてゐるうちに細君と一しよに寢てゐる時の心臟の鼓動でも思ひ出したのでせう。」

 かう云ふ間にも大騷ぎは愈(いよ/\)盛んになるばかりです。クラバツクはピアノに向つたまま、傲然と我々をふり返つてゐました。が、いくら傲然としてゐても、いろいろのものの飛んで來るのはよけない訣(わけ)に行(い)きません。從つてつまり二三秒置きに折角の態度も變つた訣です。しかし兎に角大體としては大音樂家の威嚴を保ちながら、細い目を凄(すさ)まじく赫(かが)やかせてゐました。僕は――僕も勿論危險を避ける爲にトツクを小楯(こだて)にとつてゐたものです。が、やはり好奇心に驅られ、熱心にマツグと話しつづけました。

 「そんな檢閲は亂暴ぢやありませんか?」

 「何、どの國の檢閲よりも却つて進歩してゐる位(くらゐ)ですよ。たとへば日本を御覽なさい。現につひ一月ばかり前にも、……」

 丁度かう言ひかけた途端です。マツグは生憎腦天に空罎が落ちたものですから、quack(これは唯間投詞です)と一聲叫んだぎり、とうとう氣を失つてしまひました。

 

       

 

 僕は硝子會社(がらすくわいしや)の社長のゲエルに不思議にも好意を持つてゐました。ゲエルは資本家中の資本家です。恐らくはこの國の河童の中でも、ゲエルほど大きい腹をした河童は一匹もゐなかつたのに違ひありません。しかし茘枝(れいし)に似た細君や胡瓜に似た子供を左右にしながら、安樂椅子に坐つてゐる所は殆ど幸福そのものです。僕は時々裁判官のペツプや醫者のチヤツクにつれられてゲエル家の晩餐へ出かけました。又ゲエルの紹介状を持つてゲエルやゲエルの友人たちが多少の關係を持つてゐるいろいろの工場も見て歩きました。そのいろいろの工場の中でも殊に僕に面白かつたのは書籍製造會社の工場です。僕は年の若い河童の技師とこの工場の中へはいり、水力電氣を動力にした、大きい機械を眺めた時、今更のやうに河童の國の機械工業の進歩に驚嘆しました。何でもそこでは一年間に七百萬部の本を製造するさうです。が、僕を驚かしたのは本の部數ではありません。それだけの本を製造するのに少しも手數(てすう)のかからないことです。何しろこの國では本を造るのに唯機械の漏斗形(ろうとがた)の口へ紙とインクと灰色をした粉末とを入れるだけなのですから。それ等の原料は機械の中へはいると、殆ど五分とたたないうちに菊版、四六版、菊半截版(きくはんさいばん)などの無數の本になつて出て來るのです。僕は瀑(たき)のやうに流れ落ちるいろいろの本を眺めながら、反り身になつた河童の技師にその灰色の粉末は何と云ふものかと尋ねて見ました。すると技師は黑光りに光つた機械の前に佇んだまま、つまらなさうにかう返事をしました。

 「これですか? これは驢馬の腦髓ですよ。ええ、一度乾燥させてから、ざつと粉末にしただけのものです。時價は一噸(とん)二三錢ですがね。」

 勿論かう云ふ工業上の奇蹟は書籍製造會社にばかり起つてゐる訣ではありません。繪畫製造會社にも、音樂製造會社にも、同じやうに起つてゐるのです。實際又ゲエルの話によれば、この國では平均一箇月に七八百種の機械が新案され、何でもずんずん人手を待たずに大量生産が行はれるさうです。從つて又職工の解雇されるのも四五萬匹を下らないさうです。その癖まだこの國では毎朝新聞を讀んでゐても、一度も罷業と云ふ字に出會ひません。僕はこれを妙に思ひましたから、或時又ペツプやチヤツクとゲエル家の晩餐に招かれた機會にこのことをなぜかと尋ねて見ました。

 「それはみんな食つてしまふのですよ。」

 食後の葉卷を啣(くは)へたゲエルは如何にも無造作にかう言ひました。しかし「食つてしまふ」と云ふのは何のことだかわかりません。すると鼻眼金をかけたチヤツクは僕の不審を察したと見え、横あひから説明を加へてくれました。

 「その職工をみんな殺してしまつて、肉を食料に使ふのです。ここにある新聞を御覽なさい。今月は丁度六萬四千七百六十九匹の職工が解雇されましたから、それだけ肉の價段(ねだん)も下つた訣ですよ。」

 「職工は默つて殺されるのですか?」

 「それは騷いでも仕かたはありません。職工屠殺法があるのですから。」

 これは山桃の鉢植ゑを後(うしろ)に苦い顏をしてゐたペツプの言葉です。僕は勿論不快を感じました。しかし主人公のゲエルは勿論、ペツプやチヤツクもそんなことは當然と思つてゐるらしいのです。現にチヤツクは笑ひながら、嘲るやうに僕に話しかけました。

 「つまり餓死したり自殺したりする手數を國家的に省略してやるのですね。ちよつと有毒瓦斯(いうどくがす)を嗅がせるだけですから、大した苦痛はありませんよ。」

「けれどもその肉を食ふと云ふのは、…………」

「常談(じやうだん)を言つてはいけません。あのマツグに聞かせたら、さぞ大笑ひに笑ふでせう。あなたの國でも第四階級の娘たちは賣笑婦になつてゐるではありませんか? 職工の肉を食ふことなどに憤慨したりするのは感傷主義ですよ。」

 かう云ふ問答を聞いてゐたゲエルは手近いテエブルの上にあつたサンド・ウイツチの皿を勸めながら、恬然と僕にかう言ひました。

 「どうです? 一つとりませんか? これも職工の肉ですがね。」

 僕は勿論辟易しました。いや、そればかりではありません。ペツプやチヤツクの笑ひ聲を後(うしろ)にゲエル家の客間を飛び出しました。それは丁度家々の空に星明りも見えない荒れ模樣の夜です。僕はその闇の中を僕の住居へ歸りながら、のべつ幕なしに嘔吐(へど)を吐きました。夜目にも白じらと流れる嘔吐を。

 

       

 

 しかし硝子會社の社長のゲエルは人懷こい河童だつたのに違ひありません。僕は度たびゲエルと一しよにゲエルの屬してゐる倶樂部(くらぶ)へ行(い)き、愉快に一晩を暮らしました。それは一つにはその倶樂部はトツクの屬してゐる超人倶樂部よりも遙かに居心の善かつた爲です。のみならず又ゲエルの話は哲學者のマツグの話のやうに深みを持つてゐなかつたにせよ、僕には全然新らしい世界を、――廣い世界を覗かせました。ゲエルは、いつもの純金の匙に珈琲(カツフエ)の茶碗をかきまはしながら、快活にいろいろの話をしたものです。

 何でも或霧の深い晩、僕は冬薔薇を盛つた花瓶を中にゲエルの話を聞いてゐました。それは確か部屋全體は勿論、椅子やテエブルも白い上に細い金の縁をとつたセセツシヨン風の部屋だつたやうに覺えてゐます。ゲエルはふだんよりも得意さうに顏中に微笑を漲(みなぎ)らせたまま、丁度その頃天下を取つてゐた Quorax 黨内閣のことなどを話しました。クオラツクスと云ふ言葉は唯意味のない間投詞ですから、「おや」とでも譯す外はありません。が、兎に角何よりも先に「河童全體の利益」と云ふことを標榜してゐた政黨だつたのです。

 「クオラツクス黨を支配してゐるものは名高い政治家のロツペです。『正直は最良の外交である』とはビスマルクの言つた言葉でせう。しかしロツペは正直を内治(ないぢ)の上にも及ぼしてゐるのです。……」

 「けれどもロツペの演説は……」

 「まあ、わたしの言ふことをお聞きなさい。あの演説は勿論悉く譃です。が、譃と云ふことは誰(たれ)でも知つてゐますから、畢竟正直と變らないでせう、それを一概に譃と云ふのはあなたがただけの偏見ですよ。我々河童はあなたがたのやうに、……しかしそれはどうでもよろしい。わたしの話したいのはロツペのことです。ロツペはクオラツクス黨を支配してゐる、その又ロツペを支配してゐるものは Pou-Fou 新聞の(この『プウ・フウ』と云ふ言葉もやはり意味のない間投詞です。若し強いて譯すれば、『ああ』とでも云ふ外はありません。)社長のクイクイです。が、クイクイも彼自身の主人と云ふ訣には行きません。クイクイを支配してゐるものはあなたの前にゐるゲエルです。」

 「けれども――これは失禮かも知れませんけれども、プウ・フウ新聞は勞働者の味かたをする新聞でせう。その社長のクイクイもあなたの支配を受けてゐると云ふのは、……」

 「プウ・フウ新聞の記者たちは勿論勞働者の味かたです。しかし記者たちを支配するものはクイクイの外はありますまい。しかもクイクイはこのゲエルの後援を受けずにはゐられないのです。」

 ゲエルは不相變微笑しながら、純金の匙をおもちやにしてゐます。僕はかう云ふゲエルを見ると、ゲエル自身を憎むよりも、プウ・フウ新聞の記者たちに同情の起るのを感じました。するとゲエルは僕の無言に忽ちこの同情を感じたと見え、大きい腹を膨ませてかう言ふのです。

 「何、プウ・フウ新聞の記者たちも全部勞働者の味かたではありませんよ。少くとも我々河童と云ふものは誰の味かたをするよりも先に我々自身の味かたをしますからね。……しかし更に厄介なことにはこのゲエル自身さへやはり他人の支配を受けてゐるのです。あなたはそれを誰だと思ひますか? それはわたしの妻ですよ。美しいゲエル夫人ですよ。」

 ゲエルはおほ聲に笑ひました。

 「それは寧ろ仕合せでせう。」

 「兎に角わたしは滿足してゐます。しかしこれもあなたの前だけに、――河童でないあなたの前だけに手放しで吹聽出來るのです。」

 「するとつまりクオラツクス内閣はゲエル夫人が支配してゐるのですね。」

 「さあ、さうも言はれますかね。……しかし七年前の戰爭などは確かに或雌の河童の爲に始まつたものに違ひありません。」

 「戰爭? この國にも戰爭はあつたのですか?」

 「ありましたとも。將來もいつあるかわかりません。何しろ隣國のある限りは、……」

 僕は實際この時始めて河童の國も國家的に孤立してゐないことを知りました。ゲエルの説明する所によれば、河童はいつも獺(かはうそ)を假設敵(かせつてき)にしてゐると云ふことです。しかも獺は河童に負けない軍備を具へてゐると云ふことです。僕はこの獺を相手に河童の戰爭した話に少からず興味を感じました。(何しろ河童の強敵に獺のゐるなどと云ふことは「水虎考略」の著者は勿論、「山島民譚集」の著者柳田國男(やなぎだくにを)さんさへ知らずにゐたらしい新事實ですから。)

 「あの戰爭の起る前には勿論兩國とも油斷せずにぢつと相手を窺つてゐました。と云ふのはどちらも同じやうに相手を恐怖してゐたからです。そこへこの國にゐた獺が一匹、或河童の夫婦を訪問しました。その又雌の河童と云ふのは亭主を殺すつもりでゐたのです。何しろ亭主は道樂者でしたからね。おまけに生命保險のついてゐたことも多少の誘惑になつたかも知れません。」

 「あなたはその夫婦を御存じですか?」

 「ええ、――いや、雄の河童だけは知つてゐます。わたしの妻などはこの河童を惡人のやうに言つてゐますがね。しかしわたしに言はせれば、惡人よりも寧ろ雌の河童に摑まることを恐れてゐる被害妄想の多い狂人です。……そこでその雌の河童は亭主のココアの茶碗の中へ靑化加里(せいくわかり)を入れて置いたのです。それを又どう間違へたか、客の獺に飮ませてしまつたのです。獺は勿論死んでしまひました。それから……」

 「それから戰爭になつたのですか?」

 「ええ、生憎その獺は勳章を持つてゐたものですからね。」

 「戰爭はどちらの勝になつたのですか?」

 「勿論この國の勝になつたのです。三十六萬九千五百匹の河童たちはその爲に健氣にも戰死しました。しかし敵國に比べれば、その位(くらゐ)の損害は何ともありません。この國にある毛皮と云ふ毛皮は大抵獺の毛皮です。わたしもあの戰爭の時には硝子を製造する外にも石炭殼を戰地へ送りました。」

 「石炭殼を何にするのですか?」

 「勿論食糧にするのです。我々河童は腹さへ減れば、何でも食ふにきまつてゐますからね。」

 「それは――どうか怒(おこ)らずに下さい。それは戰地にゐる河童たちには……我々の國では醜聞ですがね。」

 「この國でも醜聞には違ひありません。しかしわたし自身かう言つてゐれば、誰も醜聞にはしないものです。哲學者のマツグも言つてゐるでせう。『汝の惡は汝自ら言へ。惡はおのづから消滅すべし。』……しかもわたしは利益の外にも愛國心に燃え立つてゐたのですからね。」

 丁度そこへはひつて來たのはこの倶樂部の給仕です。給仕はゲエルにお時宜をした後(のち)、朗讀でもするやうにかう言ひました。

 「お宅のお隣に火事がございます。」

 「火――火事!」

 ゲエルは驚いて立ち上りました。僕も立ち上つたのは勿論です。が、給仕は落ち着き拂つて次の言葉をつけ加へました。

 「しかしもう消し止めました。」

 ゲエルは給仕を見送りながら、泣き笑ひに近い表情をしました。僕はかう云ふ顏を見ると、いつかこの硝子會社の社長を憎んでゐたことに氣づきました。が、ゲエルはもう今では大資本家でも何でもない唯の河童になつて立つてゐるのです。僕は花瓶の中の冬薔薇の花を拔き、ゲエルの手へ渡しました。

 「しかし火事は消えたと云つても、奧さんはさぞお驚きでせう。さあ、これを持つてお歸りなさい。」

 「難有う。」

 ゲエルは僕の手を握りました。それから急ににやりと笑ひ、小聲にかう僕に話しかけました。

 「隣はわたしの家作ですからね。火災保險の金だけはとれるのですよ。」

 僕はこの時のゲエルの微笑を――輕蔑することも出來なければ、憎惡することも出來ないゲエルの微笑を未だにありありと覺えてゐます。

 

       

 

 「どうしたね? けふは又妙にふさいでゐるぢやないか?」

 その火事のあつた翌日です。僕は卷煙草を啣(くは)へながら、僕の客間の椅子に腰をおろした學生のラツプにかう言ひました。實際又ラツプは右の脚の上へ左の脚をのせたまま、腐つた嘴も見えないほど、ぼんやり床の上ばかり見てゐたのです。

 「ラツプ君、どうしたねと言へば。」

 「いや、何、つまらないことなのですよ。――」

 ラツプはやつと頭を擧げ、悲しい鼻聲を出しました。

 「僕はけふ窓の外を見ながら、『おや蟲取り菫が咲いた』と何氣なしに呟いたのです。すると僕の妹は急に顏色を變へたと思ふと、『どうせわたしは蟲取り菫よ』と當り散らすぢやありませんか? おまけに又僕のおふくろも大の妹贔屓(いもうとびいき)ですから、やはり僕に食つてかかるのです。」

 「蟲取り菫が咲いたと云ふことはどうして妹さんには不快なのだね?」

 「さあ、多分雄の河童を摑まへると云ふ意味にでもとつたのでせう。そこへおふくろと仲惡い叔母も喧嘩の仲間入りをしたのですから、愈(いよ/\)大騷動になつてしまひました。しかも年中醉つ拂つてゐるおやぢはこの喧嘩を聞きつけると、誰彼(たれかれ)の差別なしに毆(なぐ)り出したのです。それだけでも始末のつかない所へ僕の弟はその間におふくろの財布を盜むが早いか、キネマか何かを見に行つてしまひました。僕は……ほんたうに僕はもう、……」

 ラツプは兩手に顏を埋め、何も言はずに泣いてしまひました。僕の同情したのは勿論です。同時に又家族制度に對する詩人のトツクの輕蔑を思ひ出したのも勿論です。僕はラツプの肩を叩き、一生懸命に慰めました。

 「そんなことはどこでもあり勝ちだよ。まあ勇氣を出し給へ。」

 「しかし……しかし嘴でも腐つてゐなければ、……」

 「それはあきらめる外はないさ。さあ、トツク君の家へでも行(い)かう。」

 「トツクさんは僕を輕蔑してゐます。僕はトツクさんのやうに大膽に家族を捨てることが出來ませんから。」

 「ぢやクラバツク君の家へ行かう。」

 僕はあの音樂會以來、クラバツクとも友だちになつてゐましたから、兎に角この大音樂家の家へラツプをつれ出すことにしました。クラバツクはトツクに比べれば、遙かに贅澤に暮らしてゐます。と云ふのは資本家のゲエルのやうに暮らしてゐると云ふ意味ではありません。唯いろいろの骨董を、――タナグラの人形やペルシアの陶器を部屋一ぱいに並べた中にトルコ風の長椅子を据ゑ、クラバツク自身の肖像畫の下にいつも子供たちと遊んでゐるのです。が、けふはどうしたのか兩腕を胸へ組んだまま、苦い顏をして坐つてゐました。のみならずその又足もとには紙屑が一面に散らばつてゐました。ラツプも詩人のトツクと一しよに度たびクラバツクには會つてゐる筈です。しかしこの容子に恐れたと見え、けふは丁寧にお時宜をしたなり、默つて部屋の隅に腰をおろしました。

 「どうしたね? クラバツク君。」

 僕は殆ど挨拶の代りにかう大音樂家へ問かけました。

 「どうするものか? 批評家の阿呆(あほう)め! 僕の抒情詩はトツクの抒情詩と比べものにならないと言やがるんだ。」

 「しかし君は音樂家だし、……」

 「それだけならば我慢も出來る。僕はロツクに比べれば、音樂家の名に價しないと言やがるぢやないか?」

 ロツクと云ふのはクラバツクと度たび比べられる音樂家です。が、生憎超人倶樂部の會員になつてゐない關係上、僕は一度も話したことはありません。尤も嘴の反り上つた、一癖あるらしい顏だけは度たび寫眞でも見かけてゐました。

 「ロツクも天才には違ひない。しかしロツクの音樂は君の音樂に溢れてゐる近代的情熱を持つてゐない。」

 「君はほんたうにさう思ふか?」

 「さう思ふとも。」

 するとクラバツクは立ち上るが早いか、タナグラの人形をひつ摑み、いきなり床の上に叩きつけました。ラツプは餘程驚いたと見え、何か聲を擧げて逃げようとしました。が、クラバツクはラツプや僕にちよつと「驚くな」と云ふ手眞似をした上、今度は冷やかにかう言ふのです。

 「それは君も亦俗人のやうに耳を持つてゐないからだ。僕はロツクを恐れてゐる。……」

 「君が? 謙遜家を氣どるのはやめ給へ。」

 「誰(たれ)が謙遜家を氣どるものか? 第一君たちに氣どつて見せる位(くらゐ)ならば、批評家たちの前に氣どつて見せてゐる。僕は――クラバツクは天才だ。その點ではロツクを恐れてゐない。」

 「では何を恐れてゐるのだ?」

 「何か正體の知れないものを、――言はばロツクを支配してゐる星を。」

 「どうも僕には腑に落ちないがね。」

 「ではかう言へばわかるだらう。ロツクは僕の影響を受けない。が、僕はいつの間にかロツクの影響を受けてしまふのだ。」

 「それは君の感受性の……。」

 「まあ、聞き給へ。感受性などの問題ではない。ロツクはいつも安んじてあいつだけに出來る仕事をしてゐる。しかし僕は苛(い)ら々々するのだ。それはロツクの目から見れば、或は一歩の差かも知れない。けれども僕には十哩(マイル)も違ふのだ。」

 「しかし先生の英雄曲は……」

 クラバツクは細い目を一層細め、忌々しさうにラツプを睨みつけました。

 「默り給へ。君などに何がわかる? 僕はロツクを知つてゐるのだ。ロツクに平身低頭する犬どもよりもロツクを知つてゐるのだ。」

 「まあ少し靜かにし給へ。」

 「若し靜かにしてゐられるならば、……僕はいつもかう思つてゐる。――僕等の知らない何ものかは僕を、――クラバツクを嘲る爲にロツクを僕の前に立たせたのだ。哲學者のマツグはかう云ふことを何も彼も承知してゐる。いつもあの色硝子(いろがらす)のランタアンの下に古ぼけた本ばかり讀んでゐる癖に。」

 「どうして?」

 「この近頃マツグの書いた『阿呆の言葉』と云ふ本を見給へ。――」

 クラバツクは僕に一册の本を渡す――と云ふよりも投げつけました。それから又腕を組んだまま、突けんどんにかう言ひ放ちました。

 「ぢやけふは失敬しよう。」

 僕は悄氣返(しよげかへ)つたラツプと一しよにもう一度往來へ出ることにしました。人通りの多い往來は不相變毛生欅(ぶな)の並み木のかげにいろいろの店を並べてゐます。僕等は何と云ふこともなしに默つて歩いて行(ゆ)きました。するとそこへ通りかかつたのは髮の長い詩人のトツクです。トツクは僕等の顏を見ると、腹の袋から手巾(ハンケチ)を出し、何度も額を拭ひました。

 「やあ、暫らく會はなかつたね。僕はけふは久しぶりにクラバツクを尋ねようと思ふのだが、……」

 僕はこの藝術家たちを喧嘩させては惡いと思ひ、クラバツクの如何にも不機嫌だつたことを婉曲にトツクに話しました。

 「さうか。ぢややめにしよう。何しろクラバツクは神經衰弱だからね。……僕もこの二三週間は眠られないのに弱つてゐるのだ。」

 「どうだね、僕等と一しよに散歩をしては?」

 「いや、けふはやめにしよう。おや!」

 トツクはかう叫ぶが早いか、しつかり僕の腕を摑みました。しかもいつか體中に冷や汗を流してゐるのです。

 「どうしたのだ?」

 「どうしたのです?」

 「何、あの自動車の窓の中から綠いろの猿が一匹首を出したやうに見えたのだよ。」

 僕は多少心配になり、兎に角あの醫者のチヤツクに診察して貰ふやうに勸めました。しかしトツクは何と言つても、承知する氣色さへ見せません。のみならず何か疑はしさうに僕等の顏を見比べながら、こんなことさへ言ひ出すのです。

 「僕は決して無政府主義者ではないよ。それだけはきつと忘れずにゐてくれ給へ。――ではさやうなら。チヤツクなどは眞平御免だ。」

 僕等はぼんやり佇んだまま、トツクの後ろ姿を見送つてゐました。僕等は――いや、「僕等」ではありません。學生のラツプはいつの間にか往來のまん中に脚をひろげ、しつきりない自動車や人通りを股目金(まためがね)に覗いてゐるのです。僕はこの河童も發狂したかと思ひ、驚いてラツプを引き起しました。

 「常談ぢやない。何をしてゐる?」

 しかしラツプは目をこすりながら、意外にも落ち着いて返事をしました。

 「いえ、餘り憂欝ですから、逆(さかさ)まに世の中を眺めて見たのです。けれどもやはり同じことですね。」

 

       十一

 

 これは哲學者のマツグの書いた「阿呆の言葉」の中の何章かです。――

         *

 阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じてゐる。

         *

 我々の自然を愛するのは自然は我々を憎んだり嫉妬したりしない爲もないことはない。

         *

 最も賢い生活は一時代の習慣を輕蔑しながら、しかもその又習慣を少しも破らないやうに暮らすことである。

         *

 我々の最も誇りたいものは我々の持つてゐないものだけである。

         *

 何びとも偶像を破壞することに異存(いぞん)を持つてゐるものはない。同時に又何びとも偶像になることに異存を持つてゐるものはない。しかし偶像の臺座の上に安んじて坐つてゐられるものは最も神々に惠まれたもの、――阿呆か、惡人か、英雄かである。(クラバツクはこの章の上へ爪の痕をつけてゐました。)

         *

 我々の生活に必要な思想は三千年前に盡きたかも知れない。我々は唯古い薪(たきぎ)に新らしい炎を加へるだけであらう。

         *

 我々の特色は我々自身の意識を超越するのを常としてゐる。

         *

 幸福は苦痛を伴ひ、平和は倦怠を伴ふとすれば、――?

         *

 自己を辯護することは他人を辯護することよりも困難である。疑ふものは辯護士を見よ。

         *

 矜誇(きんこ)、愛慾、疑惑――あらゆる罪は三千年來、この三者から發してゐる。同時に又恐らくはあらゆる德も。

         *

 物質的欲望を減ずることは必しも平和を齎(もたら)さない。我々は平和を得る爲には精神的欲望も減じなければならぬ。(クラバツクはこの章の上にも爪の痕を殘してゐました。)

         *

 我々は人間よりも不幸である。人間は河童ほど進化してゐない。(僕はこの章を讀んだ時思はず笑つてしまひました。)

         *

 成すことは成し得ることであり、成し得ることは成すことである。畢竟我々の生活はかう云ふ循環論法を脱することは出來ない。――即ち不合理に終始してゐる。

         *

 ボオドレエルは白痴になつた後(のち)、彼の人生觀をたつた一語に、――女陰(ぢよいん)の一語に表白した。しかし彼自身を語るものは必しもかう言つたことではない。寧ろ彼の天才に、――彼の生活を維持するに足る詩的天才に信賴した爲に胃袋の一語を忘れたことである。(この章にもやはりクラバツクの爪の痕は殘つてゐました。)

         *

 若し理性に終始するとすれば、我々は當然我々自身の存在を否定しなければならぬ。理性を神にしたヴオルテエルの幸福に一生を了つたのは即ち人間の河童よりも進化してゐないことを示すものである。

 

       十二

 

 或割り合に寒い午後です。僕は「阿呆の言葉」も讀み飽きましたから、哲學者のマツグを尋ねに出かけました。すると或寂しい町の角(かど)に蚊のやうに瘦せた河童が一匹、ぼんやり壁によりかかつてゐました。しかもそれは紛れもない、いつか僕の萬年筆を盜んで行つた河童なのです。僕はしめたと思ひましたから、丁度そこへ通りかかつた、逞しい巡査を呼びとめました。

 「ちよつとあの河童を取り調べて下さい。あの河童は丁度一月ばかり前にわたしの萬年筆を盜んだのですから。」

 巡査は右手の棒をあげ、(この國の巡査は劍(けん)の代りに水松(いちゐ)の棒を持つてゐるのです。)「おい、君」とその河童へ聲をかけました。僕は或はその河童は逃げ出しはしないかと思つてゐました。が、存外落ち着き拂つて巡査の前へ歩み寄りました。のみならず腕を組んだまま、如何にも傲然と僕の顏や巡査の顏をじろじろ見てゐるのです。しかし巡査は怒りもせず、腹の袋から手帳を出して早速尋問にとりかかりました。

 「お前の名は?」

 「グルツク。」

 「職業は?」

 「つひ二三日前までは郵便配達夫をしてゐました。」

 「よろしい。そこでこの人の申し立てによれば、君はこの人の萬年筆を盜んで行つたと云ふことだがね。」

 「ええ、一月ばかり前に盜みました。」

 「何の爲に?」

 「子供の玩具(おもちや)にしようと思つたのです。」

 「その子供は?」

 巡査は始めて相手の河童へ鋭い目を注ぎました。

 「一週間前に死んでしまひました。」

 「死亡證明書を持つてゐるかね?」

 瘦せた河童は腹の袋から一枚の紙をとり出しました。巡査はその紙へ目を通すと、急ににやにや笑ひながら、相手の肩を叩きました。

 「よろしい。どうも御苦勞だつたね。」

 僕は呆氣にとられたまま、巡査の顏を眺めてゐました。しかもそのうちに瘦せた河童は何かぶつぶつ呟きながら、僕等を後ろにして行つてしまふのです。僕はやつと氣をとり直し、かう巡査に尋ねて見ました。

 「どうしてあの河童を摑まへないのです?」

 「あの河童は無罪ですよ。」

 「しかし僕の萬年筆を盜んだのは……」

 「子供の玩具にする爲だつたのでせう。けれどもその子供は死んでゐるのです。若し何か御不審だつたら、刑法千二百八十五條をお調べなさい。」

 巡査はかう言ひすてたなり、さつさとどこかへ行つてしまひました。僕は仕かたがありませんから、「刑法千二百八十五條」を口の中に繰り返し、マツグの家へ急いで行(い)きました。哲學者のマツグは客好きです。現にけふも薄暗い部屋には裁判官のペツプや醫者のチヤツクや硝子會社(がらすくわいしや)の社長のゲエルなどが集り、七色の色硝子(いろがらす)のランタアンの下に煙草の煙を立ち昇らせてゐました。そこに裁判官のペツプが來てゐたのは何よりも僕には好都合です。僕は椅子にかけるが早いか、刑法第千二百八十五條を檢(しら)べる代りに早速ペツプへ問ひかけました。

 「ペツプ君、甚だ失禮ですが、この國では罪人を罰しないのですか?」

 ペツプは金口の煙草の煙をまづ悠々と吹き上げてから、如何にもつまらなさうに返事をしました。

 「罰しますとも。死刑さへ行はれる位(ぐらゐ)ですからね。」

 「しかし僕は一月ばかり前に、……」

 僕は委細を話した後(のち)、例の刑法千二百八十五條のことを尋ねて見ました。

 「ふむ、それはかう云ふのです。――『如何なる犯罪を行ひたりと雖も、該犯罪を行はしめたる事情の消失したる後は該犯罪者を處罰することを得ず』つまりあなたの場合で言へば、その河童は嘗ては親だつたのですが、今はもう親ではありませんから、犯罪も自然と消滅するのです。」

 「それはどうも不合理ですね。」

 「常談を言つてはいけません。親だつた河童も親である河童も同一に見るのこそ不合理です。さうさう、日本の法律では同一に見ることになつてゐるのですね。それはどうも我々には滑稽です。ふふふふふ、ふふふふふ。」

 ペツプは卷煙草を抛り出しながら、氣のない薄笑ひを洩らしてゐました。そこへ口を出したのは法律には縁の遠いチヤツクです。チヤツクはちよつと鼻眼金を直し、かう僕に質問しました。

 「日本にも死刑はありますか?」

 「ありますとも。日本では絞罪です。」

 僕は冷然と構えこんだペツプに多少反感を感じてゐましたから、この機會に皮肉を浴せてやりました。

 「この國の死刑は日本よりも文明的に出來てゐるでせうね?」

 「それは勿論文明的です。」

 ペツプはやはり落ち着いてゐました。

 「この國では絞罪などは用ひません。稀には電氣を用ひることもあります。しかし大抵は電氣も用ひません。唯その犯罪の名を言つて聞かせるだけです。」

 「それだけで河童は死ぬのですか?」

 「死にますとも。我々河童の神經作用はあなたがたのよりも微妙ですからね。」

 「それは死刑ばかりではありません。殺人にもその手を使ふのがあります。――」

 社長のゲエルは色硝子の光に顏中紫に染りながら、人懷つこい笑顏をして見せました。

 「わたしはこの間も或社會主義者に『貴樣は盜人だ』と言はれた爲に心臟痲痺を起しかかつたものです。」

 「それは案外多いやうですね。わたしの知つてゐた或辯護士などはやはりその爲に死んでしまつたのですからね。」

 僕はかう口を入れた河童、――哲學者のマツグをふりかへりました。マツグはやはりいつものやうに皮肉な微笑を浮かべたまま、誰(たれ)の顏も見ずにしやべつてゐるのです。

 「その河童は誰かに蛙だと言はれ、――勿論あなたも御承知でせう、この國で蛙だと言はれるのは人非人と云ふ意味になること位(ぐらゐ)は。――己(おのれ)は蛙かな? 蛙ではないかな? と毎日考へてゐるうちにとうとう死んでしまつたものです。」

 「それはつまり自殺ですね。」

 「尤もその河童を蛙だと言つたやつは殺すつもりで言つたのですがね。あなたがたの目から見れば、やはりそれも自殺と云ふ……」

 丁度マツグがかう云つた時です。突然その部屋の壁の向うに、――確かに詩人のトツクの家に鋭いピストルの音が一發、空氣を反ね返へすやうに響き渡りました。

 

       十三

 

 僕等はトツクの家へ駈けつけました。トツクは右の手にピストルを握り、頭の皿から血を出したまま、高山植物の鉢植ゑの中に仰向けになつて倒れてゐました。その又側には雌の河童が一匹、トツクの胸に顏を埋(うづ)め、大聲を擧げて泣いてゐました。僕は雌の河童を抱き起しながら、(一體僕はぬらぬらする河童の皮膚に手を觸れることを餘り好んではゐないのですが。)「どうしたのです?」と尋ねました。

 「どうしたのだか、わかりません。唯何か書いてゐたと思ふと、いきなりピストルで頭を打つたのです。ああ、わたしはどうしませう? qur-r-r-r-r, qur-r-r-r-r」(これは河童の泣き聲です。)

 「何しろトツク君は我儘だつたからね。」

 硝子會社の社長のゲエルは悲しさうに頭を振りながら、裁判官のペツプにかう言ひました。しかしペツプは何も言はずに金口(きんぐち)の卷煙草に火をつけてゐました。すると今まで跪いて、トツクの創口(きずぐち)などを調べてゐたチヤツクは如何にも醫者らしい態度をしたまま、僕等五人に宣言しました。(實は一人と四匹とです。)

 「もう駄目です。トツク君は元來胃病でしたから、それだけでも憂欝(いううつ)になり易かつたのです。」

 「何か書いてゐたと云ふことですが。」

 哲學者のマツグは辯解するやうにかう獨り語を洩らしながら、机の上の紙をとり上げました。僕等は皆頸をのばし、(尤も僕だけは例外です。)幅の廣いマツグの肩越しに一枚の紙を覗きこみました。

 「いざ、立ちて行(ゆ)かん。娑婆界を隔つる谷へ。

  岩むらはこごしく、やま水は淸く、

  藥草の花はにほへる谷へ。」

 マツグは僕等をふり返りながら、微苦笑と一しよにかう言ひました。

 「これはゲエテの『ミニヨンの歌』の剽竊(へうせつ)ですよ。するとトツク君の自殺したのは詩人としても疲れてゐたのですね。」

 そこへ偶然自動車を乘りつけたのはあの音樂家のクラバツクです。クラバツクはかう云ふ光景を見ると、暫く戸口に佇んでゐました。が、僕等の前へ歩み寄ると、怒鳴りつけるやうにマツグに話しかけました。

 「それはトツクの遺言状ですか?」

 「いや、最後に書いてゐた詩です。」

 「詩?」

 やはり少しも騷がないマツグは髮を逆立てたクラバツクにトツクの詩稿を渡しました。クラバツクはあたりには目もやらずに熱心にその詩稿を讀み出しました。しかもマツグの言葉には殆ど返事さへしないのです。

 「あなたはトツク君の死をどう思ひますか?」

 「いざ、立ちて、……僕も亦いつ死ぬかわかりません。……娑婆界を隔つる谷へ。……」

 「しかしあなたはトツク君とはやはり親友の一人だつたのでせう?」

 「親友? トツクはいつも孤獨だつたのです。……娑婆界を隔つる谷へ、……唯トツクは不幸にも、……岩むらはこごしく……」

 「不幸にも?」

 「やま水は淸く、……あなたがたは幸福です。……岩むらはこごしく。……」

 僕は未だに泣き聲を絶たない雌の河童に同情しましたから、そつと肩を抱へるやうにし、部屋の隅の長椅子へつれて行(ゆ)きました。そこには二歳か三歳かの河童が一匹、何も知らずに笑つてゐるのです。僕は雌の河童の代りに子供の河童をあやしてやりました。するといつか僕の目にも涙のたまるのを感じました。僕が河童の國に住んでゐるうちに涙と云ふものをこぼしたのは前にも後にもこの時だけです。

 「しかしかう云ふ我儘な河童と一しよになつた家族は氣の毒ですね。」

 「何しろあとのことも考へないのですから。」

 裁判官のペツプは不相變、新しい卷煙草に火をつけながら、資本家のゲエルに返事をしてゐました。すると僕等を驚かせたのは音樂家のクラバツクのおほ聲です。クラバツクは詩稿を握つたまま、誰(たれ)にともなしに呼びかけました。

 「しめた! すばらしい葬送曲が出來るぞ。」

 クラバツクは細い目を赫(かが)やかせたまま、ちよつとマツグの手を握ると、いきなり戸口へ飛んで行(ゆ)きました。勿論もうこの時には隣近所の河童が大勢、トツクの家の戸口に集まり、珍らしさうに家の中を覗いてゐるのです。しかしクラバツクはこの河童たちを遮二無二左右へ押しのけるが早いか、ひらりと自動車へ飛び乘りました。同時に又自動車は爆音を立てて忽ちどこかへ行つてしまひました。

 「こら、こら、さう覗いてはいかん。」

 裁判官のペツプは巡査の代りに大勢の河童を押し出した後(のち)、トツクの家の戸をしめてしまひました。部屋の中はそのせゐか急にひつそりなつたものです。僕等はかう云ふ靜かさの中に――高山植物の花の香に交つたトツクの血の匂の中に後始末のことなどを相談しました。しかしあの哲學者のマツグだけはトツクの死骸を眺めたまま、ぼんやり何か考へてゐます。僕はマツグの肩を叩き、「何を考へてゐるのです?」と尋ねました。

 「河童の生活と云ふものをね。」

 「河童の生活がどうなのです?」

 「我々河童は何と云つても、河童の生活を完うする爲には、……」

 マツグは多少羞しさうにかう小聲でつけ加へました。

 「兎に角我々河童以外の何ものかの力を信ずることですね。」

 

草稿1

 

 「しかしかう云ふ我儘な河童と一しよになつた家族こそ氣の毒ですね。」

 社長のゲエルは嘆息した後、早速藥の罎をとり出し、何か錠劑を嚙みはじめました。僕は未だに泣き聲を絶たない雌の河童に同情しましたから、そつと彼女の肩を抱へ、部屋の隅の長椅子へつれて行きました。そこには新しい搖藍の中に二歳か三歳の河童が一匹、何も知らずに笑つてゐるのです。僕は雌の河童の代りに子供の河童をあやしてやりもした。するといつか僕の目にも涙のたまるのを感じました。僕が河童の國に住んでゐるうちに涙と云ふものをこぼしたのは前にも後にもこの時ばかりです。

 勿論もうこの時には隣近所の河童が大勢トツクの家の戸口に集まり。珍らしさうに中を覗いてゐました。舌を出してゐる河童もあれば、目を圓くしてゐる河童もある、――その夥しい河童の群に狹い戸口を塞がれてゐるのは何とも言はれない無氣味さ加減です。【草稿1終】

 

 

草稿2

 

もやらずに熱心にその詩を讀んでゐるのです。

 「しかしかう云ふ我儀な河童と一しょになつた家は氣の毒ですね。」

 「何しろあとのことも考へないのですから。」

 裁判官のペツプは不相變新らしい卷煙草に火をつけながら、ゲエルの言葉に答へてゐました。すると僕等(ら)を驚かせたのは音樂家のクラバツクのおほ聲です。クラバツクは詩稿を握つたまま、誰にともなしに呼びかけました。

 「しめた! すばらしい葬送曲(さうさうきやく)が出來るぞ!」

 クラバツクは細い目(め)を赫(かが)かせたまま、ちょつとマツグの手を握ると、いきなり戸口ヘ飛んで行きました。のみならずもう一二分の後には自動車の音も聞え出したのです。僕hかう云ふクラバツクに勿論不快を感じました。が、それよりも泣き聲を絶たない雌の河童に同情しましたから、そつと彼女(かのじよ)の肩を抱へ、部屋の隅の長椅子へつれて行きました。そこには二歳か三歳かの河童が一匹、何も知ら【草稿2終】

 

[やぶちゃん注:底本後記によれば、この2種は字体が大きく異なっており、執筆の時期に隔たりがあると考えられる旨、記載がある。短期決戦型で驚くべ最速で書かれたと推定されている「河童」にしては興味深い推定である。]

 

       十四

 

 僕に宗教と云ふものを思ひ出させたのはかう云ふマツグの言葉です。僕は勿論物質主義者ですから、眞面目に宗教を考へたことは一度もなかつたのに違ひありません。が、この時はトツクの死に或感動を受けてゐた爲に一體河童の宗教は何であるかと考へ出したのです。僕は早速學生のラツプにこの問題を尋ねて見ました。

 「それは基督教(キリストけう)、佛教、モハメツト教、拜火教なども行はれてゐます。まづ一番勢力のあるものは何と言つても近代教でせう。生活教とも言ひますがね。」(「生活教」と云ふ譯語は當つてゐないかも知れません。この原語は Quemoocha です。cha は英吉利語(イギリスご)の ism と云ふ意味に當るでせう。quemoo の原形 quemal の譯は單に「生きる」と云ふよりも「飯を食つたり、酒を飮んだり、交合を行つたり」する意味です。)

 「ぢやこの國にも教會だの寺院だのはある訣なのだね?」

 「常談を言つてはいけません。近代教の大寺院などはこの國第一の大建築ですよ。どうです、ちよつと見物に行つては?」

 或生温い曇天の午後、ラツプは得々と僕と一しよにこの大寺院へ出かけました。成程それはニコライ堂の十倍もある大建築です。のみならずあらゆる建築樣式を一つに組み上げた大建築です。僕はこの大寺院の前に立ち、高い塔や圓屋根(まるやね)を眺めた時、何か無氣味にさへ感じました。實際それ等は天に向つて伸びた無數の觸手のやうに見えたものです。僕等は玄關の前に佇んだまま、(その又玄關に比べて見ても、どの位(くらゐ)僕等は小さかつたでせう!)暫らくこの建築よりも寧ろ途方もない怪物に近い稀代(きだい)の大寺院を見上げてゐました。

 大寺院の内部も亦廣大です。そのコリント風の圓柱の立つた中には參詣人が何人も歩いてゐました。しかしそれ等は僕等のやうに非常に小さく見えたものです。そのうちに僕等は腰の曲つた一匹の河童に出合ひました。するとラツプはこの河童にちよつと頭を下げた上、丁寧にかう話しかけました。

 「長老、御達者なのは何よりもです。」

 相手の河童もお時宜をした後、やはり丁寧に返事をしました。

 「これはラツプさんですか? あなたも不相變、――(と言ひかけながら、ちよつと言葉をつがなかつたのはラツプの嘴の腐つてゐるのにやつと氣がついた爲だつたでせう。)――ああ、兎に角御丈夫らしいやうですね。が、けふはどうして又……」

 「けふはこの方のお伴をして來たのです。この方は多分御承知の通り、――」

 それからラツプは滔々と僕のことを話しました。どうも又それはこの大寺院へラツプが滅多に來ないことの辯解にもなつてゐたらしいのです。

 「就いてはどうかこの方の御案内を願ひたいと思ふのですが。」

 長老は大樣(おほやう)に微笑しながら、まづ僕に挨拶をし、靜かに正面の祭壇を指さしました。

 「御案内と申しても、何も御役に立つことは出來ません。我々信徒の禮拜(らいはい)するのは正面の祭壇にある『生命の樹(き)』です。『生命の樹』には御覽の通り、金と綠との果(み)がなつてゐます。あの金の果を『善の果(み)』と云ひ、あの綠の果を『惡の果』と云ひます。……」

 僕はかう云ふ説明のうちにもう退屈を感じ出しました。それは折角の長老の言葉も古い比喩のやうに聞えたからです。僕は勿論熱心に聞いてゐる容子を裝つてゐました。が、時々は大寺院の内部へそつと目をやるのを忘れずにゐました。

 コリント風の柱、ゴシク風の穹窿(きうりう)、アラビアじみた市松模樣の床(ゆか)、セセツシヨン紛ひの祈禱机(きたうづくゑ)、――かう云ふものの作つてゐる調和は妙に野蠻な美を具へてゐました。しかし僕の目を惹いたのは何よりも兩側の龕(がん)の中にある大理石の半身像です。僕は何かそれ等の像を見知つてゐるやうに思ひました。それも亦不思議ではありません。あの腰の曲つた河童は「生命の樹」の説明を了(をは)ると、今度は僕やラツプと一しよに右側の龕の前へ歩み寄り、その龕の中の半身像にかう云ふ説明を加へ出しました。

 「これは我々の聖徒(せいと)の一人、――あらゆるものに反逆した聖徒ストリントベリイです。この聖徒はさんざん苦しんだ揚句、スウエデンボルグの哲學の爲に救はれたやうに言はれてゐます。が、實は救はれなかつたのです。この聖徒は唯我々のやうに生活教を信じてゐました。――と云ふよりも信じる外はなかつたのでせう。この聖徒の我々に殘した『傳説』と云ふ本を讀んで御覽なさい。この聖徒も自殺未遂者だつたことは聖徒自身告白してゐます。」

 僕はちよつと憂欝(いううつ)になり、次の龕へ目をやりました。次の龕にある半身像は口髭の太い獨逸人(ドイツじん)です。

 「これはツアラトストラの詩人ニイチエです。その聖徒は聖徒自身の造つた超人に救ひを求めました。が、やはり救はれずに氣違ひになつてしまつたのです。若し氣違ひにならなかつたとすれば、或は聖徒の數へはひることも出來なかつたかも知れません。……」

 長老はちよつと默つた後(のち)、第三の龕の前へ案内しました。

 「三番目にあるのはトルストイです。この聖徒は誰(たれ)よりも苦行をしました。それは元來貴族だつた爲に好奇心の多い公衆に苦しみを見せることを嫌つたからです。この聖徒は事實上信ぜられない基督(キリスト)を信じようと努力しました。いや、信じてゐるやうにさへ公言したこともあつたのです。しかしとうとう晩年には悲壯な譃つきだつたことに堪へられないやうになりました。この聖徒も時々書齋の梁(はり)に恐怖を感じたのは有名です。けれども聖徒の數にははひつてゐる位(くらゐ)ですから、勿論自殺したのではありません。」

 第四の龕の中の半身像は我々日本人の一人です。僕はこの日本人の顏を見た時、さすがに懷しさを感じました。

 「これは國木田獨歩です。轢死する人足の心もちをはつきり知つてゐた詩人です。しかしそれ以上の説明はあなたには不必要に違ひありません。では五番目の龕の中を御覽下さい。――」

 「これはワグネルではありませんか?」

 「さうです。國王の友だちだつた革命家です。聖徒ワグネルは晩年には食前の祈禱さへしてゐました。しかし勿論基督教(キリストけう)よりも生活教の信徒の一人だつたのです。ワグネルの殘した手紙によれば、娑婆苦は何度この聖徒を死の前に驅(か)りやつたかわかりません。」

 僕等はもうその時には第六の龕の前に立つてゐました。

 「これは聖徒ストリントベリイの友だちです。子供の大勢ある細君の代りに十三四のタイテイの女を娶つた商賣人上りの佛蘭西(フランス)の畫家です。この聖徒は太い血管の中に水夫の血を流してゐました。が、唇を御覽なさい。砒素か何かの痕が殘つてゐます。第七の龕の中にあるのは……もうあなたはお疲れでせう。ではどうかこちらへお出で下さい。」

 僕は實際疲れてゐましたから、ラツプと一しよに長老に從ひ、香の匂のする廊下傳ひに或部屋へはひりました。その又小さい部屋の隅には黑いヴエヌスの像の下に山葡萄が一ふさ獻じてあるのです。僕は何の裝飾もない僧房を想像してゐただけにちよつと意外に感じました。すると長老は僕の容子にかう云ふ氣もちを感じたと見え、僕等に椅子を薦める前に半ば氣の毒さうに説明しました。

 「どうか我々の宗教の生活教であることを忘れずに下さい。我々の神、――『生命の樹』の教へは『旺盛に生きよ』と云ふのですから。……ラツプさん、あなたはこのかたに我々の聖書を御覽に入れましたか?」

 「いえ、……實はわたし自身も殆ど讀んだことはないのです。」

 ラツプは頭の皿を搔きながら、正直にかう返事をしました。が、長老は不相變靜かに微笑して話しつづけました。

 「それではおわかりなりますまい。我々の神は一日のうちにこの世界を造りました。(『生命の樹』は樹と云ふものの、成し能(あた)はないことはないのです。)のみならず雌の河童を造りました。すると雌の河童は退屈の餘り、雄の河童を求めました。我々の神はこの歎きを憐み、雌の河童の腦髓を取り、雄の河童を造りました。我々の神はこの二匹の河童に『食へよ、交合せよ、旺盛に生きよ』と云ふ祝福を與へました。………」

 僕は長老の言葉のうちに詩人のトツクを思ひ出しました。詩人のトツクは不幸にも僕のやうに無神論者です。僕は河童ではありませんから、生活教を知らなかつたのも無理はありません。けれども河童の國に生まれたトツクは勿論「生命の樹」を知つてゐた筈です。僕はこの教へに從はなかつたトツクの最後を憐みましたから、長老の言葉を遮るやうにトツクのことを話し出しました。

 「ああ、あの氣の毒な詩人ですね。」

 長老は僕の話を聞き、深い息を洩らしました。

 「我々の運命を定めるものは信仰と境遇と偶然とだけです。(尤もあなたがたはその外に遺傳をお數へなさるでせう。)トツクさんは不幸にも信仰をお持ちにならなかつたのです。」

 「トツク君はあなたを羨んでゐたでせう。いや、僕も羨んでゐます。ラツプ君などは年も若いし、……」

 「僕も嘴さへちやんとしてゐれば或は樂天的だつたかも知れません。」

 長老は僕等にかう言はれると、もう一度深い息を洩らしました。しかもその目は涙ぐんだまま、ぢつと黑いヴエヌスを見つめてゐるのです。

 「わたしも實は、――これはわたしの祕密ですから、どうか誰にも仰有らずに下さい。――わたしも實は我々の神を信ずる訣に行(い)かないのです。しかしいつかわたしの祈禱は、――」

 丁度長老のかう言つた時です。突然部屋の戸があいたと思ふと、大きい雌の河童が一匹、いきなり長老へ飛びかかりました。僕等がこの雌の河童を抱きとめようとしたのは勿論です。が、雌の河童は咄嗟の間に床(ゆか)の上へ長老を投げ倒しました。

 「この爺め! けふも又わたしの財布から一杯やる金を盜んで行つたな!」

 十分ばかりたつた後(のち)、僕等は實際逃げ出さないばかりに長老夫婦をあとに殘し、大寺院の玄關を下りて行(い)きました。

 「あれではあの長老も『生命の樹』を信じない筈ですね。」

 暫く默つて歩いた後、ラツプは僕にかう言ひました。が、僕は返事をするよりも思はず大寺院を振り返りました。大寺院はどんより曇つた空にやはり高い塔や圓屋根を無數の觸手のやうに伸ばしてゐます。何か沙漠の空に見える蜃氣樓の無氣味さを漂はせたまま。……

 

       十五

 

 それから彼是一週間の後(のち)、僕はふと醫者のチヤツクに珍らしい話を聞きました。と云ふのはあのトツクの家に幽靈の出ると云ふ話なのです。その頃にはもう雌の河童はどこか外(ほか)へ行(い)つてしまひ、僕等の友だちの詩人の家も寫眞師のステユデイオに變つてゐました。何でもチヤツクの話によれば、このステユデイオでは寫眞をとると、トツクの姿もいつの間にか必ず朦朧と客の後ろに映つてゐるとか云ふことです。尤もチヤツクは物質主義者ですから、死後の生命などを信じてゐません。現にその話をした時にも惡意のある微笑を浮べながら、「やはり靈魂と云ふものも物質的存在と見えますね」などと註釋めいたことをつけ加へてゐました。僕も幽靈を信じないことはチヤツクと餘り變りません。けれども詩人のトツクには親しみを感じてゐましたから、早速本屋の店へ駈けつけ、トツクの幽靈に關する記事やトツクの幽靈の寫眞の出てゐる新聞や雜誌を買つて來ました。成程それ等の寫眞を見ると、どこかトツクらしい河童が一匹、老若男女(らうにやくなんによ)の河童の後ろにぼんやりと姿を現してゐました。しかし僕を驚かせたのはトツクの幽靈の寫眞よりもトツクの幽靈に關する記事、――殊にトツクの幽靈に關する心靈學協會の報告です。僕は可也逐語的にその報告を譯して置きましたから、下(しも)に大略を掲げることにしませう。但し括弧の中にあるのは僕自身の加へた註釋なのです。――

   詩人トツク君の幽靈に關する報告。(心靈學協會雜誌第八千二百七十四號所載)

 わが心靈學協會は先般自殺したる詩人トツク君の舊居にして現在は××寫眞師のステユデイオなる□□街第二百五十一號に臨時調査會を開催せり。列席せる會員は下の如し。(氏名を略す。)

 我等十七名の會員は心靈學協會々長ペツク氏と共に九月十七日午前十時三十分、我等の最も信賴するメデイアム、ホツプ夫人を同伴し、該ステユデイオの一室に參集せり。ホツプ夫人は該ステユデイオに入るや、既に心靈的空氣を感じ、全身に痙攣を催しつつ、嘔吐すること數囘に及べり。夫人の語る所によれば、こは詩人トツク君の強烈なる煙草を愛したる結果、その心靈的空氣も亦ニコテインを含有する爲なりと云ふ。

 我等會員はホツプ夫人と共に圓卓を繞(めぐ)りて默坐したり。夫人は三分二十五秒の後(のち)、極めて急劇なる夢遊状態に陷り、且詩人トツク君の心靈の憑依する所となれり。我等會員は年齡順に從ひ、夫人に憑依せるトツク君の心靈と左の如き問答を開始したり。

 問(とひ) 君は何故に幽靈に出づるか?

 答(こたへ) 死後の名聲を知らんが爲なり。

 問 君――或は心靈諸君は死後も尚名聲を欲するや?

 答 少くとも予は欲せざる能はず。然れども予の邂逅したる日本の一詩人の如きは死後の名聲を輕蔑し居たり。

 問 君はその詩人の姓名を知れりや?

 答 予は不幸にも忘れたり。唯彼の好んで作れる十七字詩の一章を記憶するのみ。

 問 その詩は如何?

 答 「古池や蛙飛びこむ水の音」。

 問 君はその詩を佳作なりと做(な)すや?

 答 予は必しも惡作なりと做さず。唯「蛙」を「河童」とせん乎、更に光彩陸離(りくり)たるべし。

 問 然らばその理由は如何?

 答 我等河童は如何なる藝術にも河童を求むること痛切なればなり。

 會長ペツク氏はこの時に當り、我等十七名の會員にこは心靈學協會の臨時調査會にして合評會にあらざるを注意したり。

 問 心靈諸君の生活は如何?

 答 諸君の生活と異ること無し。

 問 然らば君は君自身の自殺せしを後悔するや?

 答 必しも後悔せず。予は心靈的生活に倦(う)まば、更にピストルを取りて自活すべし。

 問 自活するは容易なりや否や?

 トツク君の心靈はこの問に答ふるに更に問を以てしたり。こはトツク君を知れるものには頗る自然なる應酬なるべし。

 答 自殺するは容易なりや否や?

 問 諸君の生命は永遠なりや?

 答 我等の生命に關しては諸説紛々として信ずべからず。幸ひに我等の間にも基督教(キリストけう)、佛教、モハメツト教、拜火教等の諸宗あることを忘るる勿れ。

 問 君自身の信ずる所は?

 答 予は常に懷疑主義者なり。

 問 然れども君は少くとも心靈の存在を疑はざるべし?

 答 諸君の如く確信する能はず。

 問 君の交友の多少は如何?

 答 予の交友は古今東西に亙り、三百人を下らざるべし。その著名なるものを擧ぐれば、クライスト、マインレンデル、ワイニンゲル、……

 問 君の交友は自殺者のみなりや?

 答 必しも然りとせず。自殺を辯護せるモンテエニユの如きは予が畏友の一人なり。唯予は自殺せざりし厭世主義者、――シヨオペンハウエルの輩(はい)とは交際せず。

 問 シヨオペンハウエルは健在なりや?

 答 彼は目下心靈的厭世主義を樹立し、自活する可否を論じつつあり。然れどもコレラも黴菌病(ばいきんびやう)なりしを知り、頗る安堵せるものの如し。

 我等會員は相次いでナポレオン、孔子、ドストエフスキイ、ダアウイン、クレオパトラ、釋迦、デモステネス、ダンテ、千の利休等の心靈の消息を質問したり。然れどもトツク君は不幸にも詳細に答ふることを做(な)さず、反つてトツク君自身に關する種々のゴシツプを質問したり。

 問 予の死後の名聲は如何?

 答 或批評家は「群小詩人の一人」と言へり。

 問 彼は予が詩集を贈らざりしに怨恨を含める一人なるべし。予の全集は出版せられしや?

 答 君の全集は出版せられたれども、賣行甚だ振はざるが如し。

 問 予の全集は三百年の後、――即ち著作權の失はれたる後、萬人の購(あがな)ふ所となるべし。予の同棲せる女友だちは如何?

 答 彼女は書肆(しよし)ラツク君の夫人となれり。

 問 彼女は未だ不幸にもラツクの義眼なるを知らざるなるべし。予が子は如何?

 答 國立孤兒院にありと聞けり。

 トツク君は暫く沈默せる後(のち)、新たに質問を開始したり。

 問 予が家は如何?

 答 某寫眞師のステユデイオとなれり。

 問 予の机は如何になれるか?

 答 如何なれるかを知るものなし。

 問 予は予の机の抽斗(ひきだし)に予の祕藏せる一束(たば)の手紙を――然れどもこは幸ひにも多忙なる諸君の關する所にあらず。今やわが心靈界は徐(おもむろ)に薄暮に沈まんとす。予は諸君と訣別すべし。さらば。諸君。さらば。わが善良なる諸君。

 ホツプ夫人は最後の言葉と共に再び急劇に覺醒したり。我等十七名の會員はこの問答の眞(しん)なりしことを上天の神に誓つて保證せんとす。(尚又我等の信賴するホツプ夫人に對する報酬は嘗て夫人が女優たりし時の日當に從ひて支辨したり。)

 

       十六

 

 僕はかう云ふ記事を讀んだ後(のち)、だんだんこの國にゐることも憂欝になつて來ましたから、どうか我々人間の國へ歸ることにしたいと思ひました。しかしいくら探して歩いても、僕の落ちた穴は見つかりません。そのうちにあのバツグと云ふ漁師の河童の話には、何でもこの國の街はづれに或年をとつた河童が一匹、本を讀んだり、笛を吹いたり、靜かに暮らしてゐると云ふことです。僕はこの河童に尋ねて見れば、或はこの國を逃げ出す途もわかりはしないかと思ひましたから、早速街はづれへ出かけて行(ゆ)きました。しかしそこへ行つて見ると、如何にも小さい家の中に年をとつた河童どころか、頭の皿も固まらない、やつと十二三の河童が一匹、悠々と笛を吹いてゐました。僕は勿論間違つた家へはひつたではないかと思ひました。が、念の爲に名をきいて見ると、やはりバツグの教へてくれた年よりの河童に違ひないのです。

 「しかしあなたは子供のやうですが……」

 「お前さんはまだ知らないのかい? わたしはどう云ふ運命か、母親の腹を出た時には白髮頭をしてゐたのだよ。それからだんだん年が若くなり、今ではこんな子供になつたのだよ。けれども年を勘定すれば、生まれる前を六十としても、彼是百十五六にはなるかも知れない。」

 僕は部屋の中を見まはしました。そこには僕の氣のせゐか、質素な椅子やテエブルの間に何か淸らかな幸福が漂つてゐるやうに見えるのです。

 「あなたはどうもほかの河童よりも仕合せに暮らしてゐるやうですね?」

 「さあ、それはさうかも知れない。わたしは若い時は年よりだつたし、年をとつた時は若いものになつてゐる。從つて年よりのやうに慾にも渇(かわ)かず、若いもののやうに色にも溺れない。兎に角わたしの生涯はたとひ仕合せではないにもしろ、安らかだつたのには違ひあるまい。」

 「成程それでは安らかでせう。」

 「いや、まだそれだけでは安らかにはならない。わたしは體も丈夫だつたし、一生食ふに困らぬ位(くらゐ)の財産を持つてゐたのだよ。しかし一番仕合せだつたのはやはり生まれて來た時に年よりだつたことだと思つてゐる。」

 僕は暫くこの河童と自殺したトツクの話だの毎日醫者に見て貰つてゐるゲエルの話だのをしてゐました。が、なぜか年をとつた河童は餘り僕の話などに興味のないやうな顏をしてゐました。

 「ではあなたはほかの河童のやうに格別生きてゐることに執着を持つてはゐないのですね?」

 年をとつた河童は僕の顏を見ながら、靜かにかう返事をしました。

 「わたしもほかの河童のやうにこの國へ生まれて來るかどうか、一應父親に尋ねられてから母親の胎内を離れたのだよ。」

 「しかし僕はふとした拍子に、この國へ轉げ落ちてしまつたのです。どうか僕にこの國から出て行(ゆ)かれる路を教へて下さい。」

 「出て行かれる路は一つしかない。」

 「と云ふのは?」

 「それはお前さんのここへ來た路だ。」

 僕はこの答を聞いた時になぜか身の毛がよだちました。

 「その路が生憎見つからないのです。」

 年をとつた河童は水々しい目にぢつと僕の顏を見つめました。それからやつと體を起し、部屋の隅へ歩み寄ると、天井からそこに下つてゐた一本の綱を引きました。すると今まで氣のつかなかつた天窓が一つ開きました。その又圓い天窓の外には松や檜が枝を張つた向うに大空が靑あをと晴れ渡つてゐます。いや、大きい鏃(やじり)に似た槍ヶ岳の峯も聳えてゐます。僕は飛行機を見た子供のやうに實際飛び上つて喜びました。

 「さあ、あすこから出て行くが好(い)い。」

 年をとつた河童はかう言ひながら、さつきの綱を指さしました。今まで僕の綱と思つてゐたのは實は綱梯子(つなばしご)に出來てゐたのです。

 「ではあすこから出さして貰ひます。」

 「唯わたしは前以て言ふがね。出て行つて後悔しないやうに。」

 「大丈夫です。僕は後悔などはしません。」

 僕はかう返事をするが早いか、もう綱梯子を攀ぢ登つてゐました。年をとつた河童の頭の皿を遙か下に眺めながら。

 

       十七

 

 僕は河童の國から歸つて來た後(のち)、暫くは我々人間の皮膚の匂に閉口しました。我々人間に比べれば、河童は實に淸潔なものです。のみならず我々人間の頭は河童ばかり見てゐた僕には如何にも氣味の惡いものに見えました。これは或はあなたにはおわかりにならないかも知れません。しかし目や口は兎も角も、この鼻と云ふものは妙に恐しい氣を起させるものです。僕は勿論出來るだけ、誰(たれ)にも會はない算段をしました。が、我々人間にもいつか次第に慣れ出したと見え、半年ばかりたつうちにどこへでも出るやうになりました。唯それでも困つたことは何か話をしてゐるうちにうつかり河童の國の言葉を口に出してしまふことです。

 「君はあしたは家にゐるかね?」

 「Qua

 「何だつて?」

 「いや、ゐると云ふことだよ。」

 大體かう云ふ調子だつたものです。

 しかし河童の國から歸つて來た後、丁度一年ほどたつた時、僕は或事業の失敗した爲に…………

(S博士は彼がかう言つた時、「その話はおよしなさい」と注意をした。何でも博士の話によれば、彼はこの話をする度に看護人の手にも了へない位(くらゐ)、亂暴になるとか云ふことである。)

 ではその話はやめませう。しかし或事業の失敗した爲に僕は又河童の國へ歸りたいと思ひ出しました。さうです。「行(ゆ)きたい」のではありません。「歸りたい」と思ひ出したのです。河童の國は當時の僕には故郷のやうに感ぜられましたから。

 僕はそつと家を脱け出し、中央線の汽車へ乘らうとしました。そこを生憎巡査につかまり、とうとう病院へ入れられたのです。僕はこの病院へはひつた當座も河童の國のことを想ひつづけました。醫者のチヤツクはどうしてゐるでせう? 哲學者のマツグも不相變七色の色硝子(いろがらす)のランタアンの下に何か考へてゐるかも知れません。殊に僕の親友だつた、嘴の腐つた學生のラツプは、――或けふのやうに曇つた午後です。こんな追憶に耽つてゐた僕は思はず聲を擧げようとしました。それはいつの間にはひつて來たか、バツグと云ふ漁師の河童が一匹、僕の前に佇みながら、何度も頭を下げてゐたからです。僕は心をとり直した後(のち)、――泣いたか笑つたかも覺えてゐません。が、兎に角久しぶりに河童の國の言葉を使ふことに感動してゐたことは確かです。

 「おい、バツグ、どうして來た?」

 「へい、お見舞ひに上つたのです。何でも御病氣だとか云ふことですから。」

 「どうしてそんなことを知つてゐる?」

 「ラデイオのニウスで知つたのです。」

 バツグは得意さうに笑つてゐるのです。

 「それにしてもよく來られたね?」

 「何、造作はありません。東京の川や堀割りは河童には往來も同樣ですから。」

 僕は河童も蛙のやうに水陸兩棲の動物だつたことに今更のやうに氣がつきました。

 「しかしこの邊には川はないがね。」

 「いえ、こちらへ上つたのは水道の鐵管を拔けて來たのです。それからちよつと消火栓をあけて…………」

 「消火栓をあけて?」

 「檀那はお忘れなすつたのですか? 河童にも機械屋のゐると云ふことを。」

 それから僕は二三日毎にいろいろの河童の訪問を受けました。僕の病はS博士によれば早發性痴呆症と云ふことです。しかしあの醫者のチヤツクは(これは甚だあなたにも失禮に當るのに違ひありません。)僕は早發性痴呆症患者ではない、早發性痴呆症患者はS博士を始め、あなたがた自身だと言つてゐました。醫者のチヤツクも來る位(くらゐ)ですから、學生のラツプや哲學者のマツグの見舞ひに來たことは勿論です。が、あの漁師のバツグの外に晝間は誰も尋ねて來ません。殊に二三匹一しよに來るのは夜(よる)、――それも月のある夜です。僕はゆうべも月明りの中に硝子會社(がらすくわいしや)の社長のゲエルや哲學者のマツグと話をしました。のみならず音樂家のクラバツクにもヴアイオリンを一曲彈いて貰ひました。そら、向うの机の上に黑百合の花束がのつてゐるでせう? あれもゆうべクラバツクが土産に持つて來てくれたものです。…………

 (僕は後を振り返つて見た。が、勿論机の上には花束も何ものつてゐなかつた。)

 それからこの本も哲學者のマツグがわざわざ持つて來てくれたものです。ちよつと最初の詩を讀んで御覽なさい。いや、あなたは河童の國の言葉を御存知になる筈はありません。では代りに讀んで見ませう。これは近頃出版になつたトツクの全集の一册です。――

 (彼は古い電話帳をひろげ、かう云ふ詩をおほ聲に讀みはじめた。)

 ――椰子(やし)の花や竹の中に

   佛陀(ぶつだ)はとうに眠つてゐる。

 

   路(みち)ばたに枯れた無花果(いちゞく)と一しよに

   基督(キリスト)ももう死んだらしい。

 

   しかし我々は休まなければならぬ

   たとひ芝居の背景の前にも。

 

 (その又背景の裏(うら)を見れば、繼ぎはぎだらけのカンヴアスばかりだ。!)――

 けれども僕はこの詩人のやうに厭世的ではありません。河童たちの時々來てくれる限りは、――ああ、このことは忘れてゐました。あなたは僕の友だちだつた裁判官のペツプを覺えてゐるでせう。あの河童は職を失つた後(のち)、ほんたうに發狂してしまひました。何でも今は河童の國の精神病院にゐると云ふことです。僕はS博士さへ承知してくれれば、見舞ひに行つてやりたいのですがね………… (昭和二・二・十一)

 

草稿3

 

 「Qua

 「何だつて?」

 「いや 見たと云ふことだよ。」

大體かう云ふ調子だつたものです。

しかしそれはもう昔のことです。僕は人並みに大學を出、人並みに又會社員になり、人【草稿3終】

 

[やぶちゃん注:底本では全行が行頭から始まっているが、本文に合わせて直接話法部分は一字下げとした。この末尾部分は、現在の「河童」の最終章該当箇所とは異なった前後の流れを感じさせるものである。]

 

河童 附草稿  芥川龍之介 完