鬼火へ

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[やぶちゃん注:本年三月十九日に筋萎縮性側索硬化症で天に召された私の母聖子テレジアの歌稿を、父が昨日、母の八箇月目の命日である十月十九日に偶然、発見した。それをテクスト化する。KOKUYO製A5版ノート、表紙に「短歌」「聖子」「平成二年四月初」と記す。本文は黒ボールペンを使用、一部に鉛筆書きの部分があり、それについては必要に応じて注を附した。短歌書式はすべて二行分かち書きであるが、必ずしも上の句と下の句で分かっているわけではない。そこは再現してあるが、分かち書きの二行目は原則、前の行の三字下げで統一した。判読不能の字は□で、抹消された字で元が判読出来ないものは■で示し、分かるものは一本線取り消し線で示した。〔 〕は私の推定による補字である。歴史的仮名遣の誤りは一切正さず、ママ注記も原則、していない。字空けについては底本では歌により様々なのであるが、読み易さを考え、各句一字空けで統一した。母が自分で附した圏点のような「△」「◯」も再現した。――母さん、これで――よかったかな?――【二〇一一年十月二十日】]

六月

 二上の 麓に住みて 二十年
    アカシヤ咲けば 郭公の声待つ
[やぶちゃん注:「二上」は富山県高岡市及び氷見市に跨がる標高二七四メートルの山。「万葉集」で越中に赴任した大友家持が詠んだ歌枕である。私の実家はこの頃、この二上山ふたがみさんの麓、高岡市伏木矢田新町にあった。]

 郭公の 初鳴き聞けば
    良きことあるかに 心浮き起つ

ハザマ田の 澄みたる朝は かるがもの
    つがひ睦みて 風車やさしく
            風車はのやさし

△鳥よけの 風車は やさし峽田に
    朝毎に見る 鴨の睦むを

 けしの花 音もなく散り ニュース告ぐ
    昭和を生きし 女優の死去を
[やぶちゃん注:この女優とは、平成二(一九九〇)年六月十三日に享年七十三歳で心不全のために亡くなった木暮美千代のことと思われる。]

◯二上に 共にのぼりて 弟の
    再起をかけし 鐘よひびけと

 再起かけ 二上山の 大梵鐘
    弟姉で撞く 五月雨さみだれの中
[やぶちゃん注:この一首、「再起かけ」及び全体を鉛筆で丸を囲んでいる。「五月雨」の「雨」は「五月さみだれ」と書いた左下に鉛筆で書き足してある。この叔父は母に先立つこと、凡そ一ヶ月程前、二〇一一年一月三十一日に肺炎のために亡くなっている。母が愛した弟であった。]

 初夏の風 早苗くすぐり 過きゆけば
    おたまじゃく〔し〕の 動きにぎおう
[やぶちゃん注:「過き」及び「にぎおう」はママ。それぞれ、「過ぎ」「にぎはふ」。]

 五十路越えて 犬との散歩 田園の
    移り変りの 機微に親しむ
[やぶちゃん注:「五十路越えて」は「五十路越え」が初期形、「て」は右に鉛筆書き。この犬は私の次女で先代のビーグル犬のアリスである。

彼女も、母より一足先に天国へ行った。]

 田園と 山に圍まる この土地を
    愛しく想ふ 住みて二十年
[やぶちゃん注:「圍」は明らかに「囲」ではなく「圍」と記す。「この土地を」は「この地■■」が初期形で、「土」を「地」の右上に書き入れ、下の二字を抹消してある。]

[やぶちゃん注:この間に有意に下がった位置に、
      □□  群れ風に ■■初夏となり 夏となり
       たつ
       風にふかれたる 遠き日の■■
          □□     □る
という次の一首の初期歌稿と思われるものが記されてある。これには一部傍線様のものも附されており、抹消も複雑で判読が極めて困難である。]

 スカンポの ほのくれないに 風吹けば
    遠き記憶の 甘ずっぱき日
[やぶちゃん注:「甘ず」の右にルビのように「幼なき日」と記し、抹消していない。また、この歌の左の下がった位置に、更にやはり本首の推敲の跡が以下のようにある。
                 ゆく
    甘ずっぱき日に たちかえりつ
     幼き頃の 甘すっぱき たちかえり来る
本歌に母は相当にこだわっていることが窺がわれる。私は個人的には上記の表記でいいと思う。]

 雨さけて 大木のもと 寄る二人
    雨打つ葉音 それぞれに聞く
[やぶちゃん注:「それぞれ」の「ぞれ」は原本では「〲」を用いている。]

 雨あがり 北の窓辺に ほんのりと
    紅さして咲ける 合歓の花むれ

 雨はれて 明けし窓あり 庭先の
    臥に入り来る あわき合歓の花の香
    合歓の花の香 臥に入り来る
[やぶちゃん注:「臥に入り来る あわき」は原本では「あわき」の取消線が三重で、これは当初、この「あわき」だけを二重線で抹消したものを、後から「臥に入り来る」とともに抹消したものと推定される。なお「臥」は「ふしど」ではなく「ねや」と読ませたい。]

 新緑の もとに広がる つめ草を
    花かんざしに 少女たわむる

 公園は 梅雨の晴れ間の 光滿つ
    眺望台に 初老の夫婦
[やぶちゃん注:「滿つ」の正字はママ。]

 折り合わず 夫婦分かれて 空家なる
    庭のあじさい 雨に色冴ゆ

 抗える 夫婦は出でて 空家なる
    庭のあじさい 雨に色冴ゆ
[やぶちゃん注:本首は前の歌の後、やや高めの位置に鉛筆で記す。「抗える」は「はりあえる」と読ませるか。ならば、正しくは「抗へる」である。]

 落花せし 花を惜しみて
    柿の実を 数うる我を 夫は笑いぬ
[やぶちゃん注:申年生まれの私の母は柿が大好物であった。]

 わが所作を 笑いし夫も
    青き実を 数えいるらし 柿の木のもと

 廃されし 鉄道線路は 夏草に
    おおわれており 陽炎燒えて
[やぶちゃん注:「燒えて」は「もえて」と読ませるのであろう。この一首は母の故郷、鹿児島県囎唹郡大隅町岩川での嘱目吟。ここを通っていた日本国有鉄道志布志線は、この歌の作られる三年前の昭和六十二(一九八七)年三月に廃線になっている。]

 文明は 都会に厚く 郷里は
    汽車は廃線 学舍も無し
[やぶちゃん注:正字「舍」はママ。]

 裏切に会い 奪われし 郷里の
    我生れし家や 駐車場と化す
[やぶちゃん注:「奪われし」は抹消線が引かれているのみ。次の一首の草稿である。]

              故里の
 裏切りに 会いて取られし 郷里の
    我の生家は 駐車場と化す
[やぶちゃん注:「我の」の「の」は、「が」とした上をなぞって「の」にしたようにも見える。]

          撫でやる
   日に幾度 犬を愛でやる
[やぶちゃん注:以上は、作歌のための句屑と思われる。]

 ふとさめて 鷺の声聞き とお病める
    母を偲びて 夜の白みゆく

◯この町の 医業にかけし 父永眠る
    故里の岡 三とせぶり佇つ
[やぶちゃん注:「永眠る」は「ねむる」、「佇つ」は「たつ」と読ませるのであろう。]

 子等はみな 都会に出でて 故里の
    岡の墓吹く 秋風寒し
    岡に淋しく 墓残るのみ
[やぶちゃん注:「子等はみな」の右に「みなすべて、重複」(「みな」と「すべて」別々に傍線を附す)と記す。これは初期形の初句を「みなすべて」としようとしたところを、これは意味の「重複」になると自身で注したものかも知れない。「岡に淋しく 墓残るのみ」は鉛筆で書いたものを、更に黒ボールペンでなぞっている。従って、この歌の決定稿は、
 子等はみな 都会に出でて 故里の
    岡に淋しく 墓残るのみ
であると考えてよい。]

 姉と来し 故里の墓
    幼日の 想いはめぐり 語りはつき
                   ぬ
[やぶちゃん注:「ぬ」の左添書きは鉛筆。]

 やりどなき 想いを抱きて 来し浜辺
    波のしぶきに 夕暮は来る

七月3 つと飛びし     □過去型
七月  ついと飛ぶ 背黒せきれい 葉にふれて
    蓮の玉露 光こぼれり
[やぶちゃん注:ここは改ページ冒頭で、何故か二回、◯の中に「七月」と書いた字が並んでいる。最初の「七月」の下の「3」は七月三日の謂いか。「3」ではないのかも知れない。その下方にある「□過去型」の「□」は、原本では丸の中に「よ」のような「しか」のような判読不能の字が記されている。「しか」ならば下の過去型の意とは繋がる。]

季節感を考へる                 初秋と梅雨あがりの異和感
[やぶちゃん注:詩想のメモらしい。次の一首の右脇に書かれているが、独立させた。]

 山ぎわの ひともと合歓の 花の群
    夕風立ちて ひぐらしの鳴く
[やぶちゃん注:「群」は原本では「郡」。訂した。]

 いせいよく 魚売り来る 軽四車の
    今日は音聞けず ひぐらしの鳴く
         かず
[やぶちゃん注:「軽四車」は「けいよん」と当て読みするか。]

 雨あがりて 開けし窓より 合歓の花
    あわきかをりの 閨に流るる
          を  に流しぬ
[やぶちゃん注:下の句の「を」「に流しぬ」の二箇所の左側添削は鉛筆書き。]

 雨あがり けし窓より 庭の合歓
    花のかおりの 閨に流るる
[やぶちゃん注:この一首には、右上から左下への大きな斜線を鉛筆で上下二箇所に引き、全歌削除している。この全削除は、この歌のみに見られる消去方法である。]

 古床に 生糠を加え 朝夕に
    かきまわしつゝ 子の帰省待

 新しき 糠を買い来て 糠床に
    手を加えおり 子の帰省待つ
[やぶちゃん注:この「子」とは私である。私はこの年の五月に結婚、この夏の帰省は新妻と二人の初めての帰省であった。私たちが帰ったのは八月上旬の私の初めての海外旅行であったペルーから帰ってからの、八月中旬のことと記憶している。]

 夜嵐に 散りこぼれたる 葛の花
    あわき香おりを 踏まず通りぬ

 夜嵐に 葛花散り敷く 散歩道
    あわきかおりに 踏まず通りぬ

◯暑き日に
  炎天下 生まれし子犬 みな去りて
    荒らせし 庭に 白萩の散る
[やぶちゃん注:先に示した私の次女アリスはこの年の初夏、野良犬との間に六匹の子を産んだが、彼らはこの年の初秋までに、それぞれの飼い主のもとへと去ったのであった。この歌、表記通り、初句で改行し、三行分かち書きとなっている。]

◯去年訪ひし 故里の 墓に咲きていし
    まんじゅしゃげの花 今年ももえるか
                 炎しか

 去年コゾの秋 たづねし故郷コキョウの 墓に咲く
    まんじゅしゃげの花 今はもえしか
               (さかりか)
    まんじゅしゃげの花 今年ももえるか
[やぶちゃん注:最後の「まんじゅしゃげの花 今年ももえるか」は鉛筆書き。以上の推敲過程から、本歌の決定稿は、
 去年コゾの秋 たづねし故郷コキョウの 墓に咲く
    まんじゅしゃげの花 今年ももえるか
であると私は解釈する。]

 目を病むと 姉の電話の切れし夜
    しまい忘れし 風鈴〔の〕音

九月

 帰省する 白磁車窓に見ゆる 高千穂に
    父と登りし 若き日かえる
[やぶちゃん注:抹消された「白磁」は次の歌の素材となる。]

          壺
 形見なる 白磁のつぼに コスモスを
    入れて□びぬ  秋逝ける姉
[やぶちゃん注:「□」は「凌」か。「偲びぬ」とするところ、「しのぶ」に音が近い「しのぐ」と勘違いして「凌」としたか。]

 山あいを 白敷きつめる そばの花
    赤とんぼの群 輝きめぐる
[やぶちゃん注:この一首は、次の一首との行間に後から書き入れられたように感じられることから、実は次の歌の推敲最終形の可能性がある。]

              そばの花に
 山あいを 敷き染めて咲く そばの花
    赤きとんぼの しばしやすろう

十一月
[やぶちゃん注:「十一」は原本ではアラビア数字。]

 晩秋の 夕べ眺める 柿色の
    月如何に見ん 遠病める母

    虚しき胸を いやされる朝
                 に
 柿の葉を はききよめゆく 音のみ
    虚 空しき胸を しずめゆく朝
      虚しき 裡を いやされる朝
[やぶちゃん注:四行目の頭の「虚」は孤立して鉛筆で書いて丸で囲ったものを、更にボールペン書きにしてある。その下の黒ボールペンの「空しき」の「空」にも鉛筆で丸。五行目は「虚しき」がボールペン、「裡を いやされる朝」が鉛筆書きをボールペンでなぞっている。本首の決定稿は、次の次に示される。]

 もずの声 靜寂破ぶり 鳴きゆきぬ
    遠き友逝く 知らせ受けし日
               たり
[やぶちゃん注:「し日」は鉛筆で、抹消して左に「たり」と書いてある。それを再度ボールペンで上からなぞっている。]

 柿の葉を はききよめゆく 音のみに
    虚しきを いやされる朝
       裡を
[やぶちゃん注:この最終稿に至っても最初に「胸」としていることから、母は最後まで、この「胸」にこだわったことが分かる。]



[やぶちゃん注:ここは改ページ冒頭で、上記のような意味不明の記号が書かれている。やはりこれは「3」ではないように思われる。]

 窓越しの じょうび◯◯◯◯たき見ゆ つがいらし
    むらさきしきぶの 実をついばめる
[やぶちゃん注:この歌は、三句目の右に鉛筆で「郡なして」、そのすぐ上に斜めに黒ボールペンで同じく「郡なして」と記し(母は前にも「群」を「郡」と誤記している)、最終句「実をついばめる」には鉛筆で傍線を引き、左側にボールペンで「にすがりいる」とし、その更に左側に鉛筆で同じく「にすがりいる」とある。以上から、
 窓越しの じょうび◯◯◯◯たき見ゆ 群れ
    むらさきしきぶの 実にすがりいる
が、決定稿と考えてよい。]

 病院の 窓より望む 立山の
    雪はればれと 退院に朝
[やぶちゃん注:母はこの時、大腸癌切除により人工肛門となった。]

 冬の陽を あびて木守る 柿の実の
    ひとつは鳥に 日日食れゆく
    ひとつはついに~
[やぶちゃん注:「ひとつはついに~」は鉛筆書き。この「~」は最終句のことと考えられ、從って本歌の決定稿は、
 冬の陽を あびて木守る 柿の実の
    ひとつはついに 日日食れゆく
であると考えてよい。]

 晩秋の 落花近きに ひおうぎの
    ぬば玉の玉の実は しかと抱きあう
[やぶちゃん注:下の句の「ぬば玉の玉の実は」は「ぬば玉の実は」の衍字と思われる。]

◯作りに□□
[やぶちゃん注:ここには二行分かち書きの鉛筆による一首が存在したものと思われるが、辛うじて筆跡が透かされるのみで、判読は不能。上記はその歌に黒ボールペンで加えた添削らしく、それだけが残ったものと思われる。]

 暖冬の 師走の町に ふりあおぐ
    北アルプスの 雪の山脈

 竹とんぼ 子等の歓声 夢のせて
    吸い込まれゆく 空の中
            碧ぞらの中

 青春の ページを共に かけ抜けし
    君は三人ミタリの 子を残し逝く

読者
 内容の理解にて
 冬の夜の 裸木に光る ネオン星
    眠れる木々の 悲しみ聞こゆ
[やぶちゃん注:前書の意味不明。一首の解釈は読者にお任せします、ということか?]

 夕ぐれの 電柱の灯 ポットつき
    ボタン雪照らす 道をいそぎぬ

気づかい不足
[やぶちゃん注:「気づかい」に傍線。以下の和歌の詩想のメモであるが、「不足」の意味は深く、容易に理解は出来ない。]

 酷寒に 旧友来たり ひさびさ
    釣にいでゆく 夫づかう

          かふ
          かふ
 雪国の われを気づかふ 母の文
    誤字多くなり 老い深まり
    たどたどしげに 誤字多くなり
        しげに
[やぶちゃん注:「かふ」は鉛筆・ボールペンで何度も書き直してあり、抹消がない。二回書いてある「しげに」もそのままで、尚且つ、何故か両方ともボールペンである。以上から、
 雪国の われを気づかふ 母の文
    たどたどしげに 誤字多くなり
を私は決定稿と見る。]

 降りつもる 雪の形のふくらみ 母の胸
    しのばせそっと 掌をあててみる
[やぶちゃん注:二句目は「雪の形の」の「形の」の右に「ふくらみ」と記す(訂した?)のを、ルビ形式で示してみたものである。]

 庭石に 積りし雪の ふくらみに
    母を想いぬ やはらかき胸

◯降りやまぬ 北陸の雪 故里の
    青空想ひ 今朝も道開く
↓↑→
◯南国に 生まれしわれの 脳裏には
    ぬける青空 雪降り続く日
[やぶちゃん注:]この前の歌との間にある一見、不思議な矢印は、恐らく前の歌とこの歌を合わせて止揚(アウフヘーベン)するような歌を母が求めていたことを意味しているものと思われる。しかし、残念ながら間の下向きの矢印の下には筆跡は見られない。]

         あける
 降る度に 道の雪開く 北国の
               つ
    習いに慣れて 二十年経ち

            雪の道
 陽光を 受けて下りぬ 凍るの道
    勇み足なる ボランティアの朝

 庭の梅 ほころび初めて 陽の光
    僅にまぶし 陽の光立春の朝

 一輪の 梅のほころび 陽光の
    僅にまぶし 立春の
[やぶちゃん注:「庭」の上に鉛筆で「朝」と訂している。]

 一鉢の 梅の香りは 室に滿つ
              り
    外は二尺の 雪降り積る
[やぶちゃん注:正字「滿」はママ。この歌、初句の「一鉢」の「一」と、最終句の「降り積る」の「降り」を鉛筆で抹消、最後の「り」の添削をやはり鉛筆で抹消の後、下に「なり」と加えている。即ち、
 一鉢の 梅の香りは 室に滿つ
    外は二尺の 雪降り積るなり
が決定稿である。]

◯春の夜に 降りたる積りたる 屋根の雪
    陽ざしをあびて 音たてて落つ
[やぶちゃん注:この圏点「◯」は実は一句目の「夜」の左側辺りにあり、これはこの歌の圏点ではない可能性もあるが、一応、附した。]

 夜さに 降り積りたる 屋根の雪
    春の陽あびて 音立てて落つ
[やぶちゃん注:この歌、鉛筆で初句の「一夜」の「一夜さ」を削除して右に「春の夜に」と記し、第四句の「春の陽」の左に「陽ざし」と書いて「あびて」の「て」を削除している。即ち、
 春の夜に 降り積りたる 屋根の雪
    陽ざしあび 音立てて落つ
が決定稿となるのであるが、第四句が字足らずになってしまう。例えば母は、最終的には「陽ざしをあびて」とした積りではなかったかと私は思う。]

 鈍き陽を 受けて地蔵の よだれかけ
    わずかにあせて 雪を吸い込む
[やぶちゃん注:「地蔵」は原本では「地像」。訂した。「雪を吸い込む」に鉛筆で傍線が引かれている。]

 畦道の 雪をかきわけ 摘みし芹
    夫との膳に 春を語ろう
          春をは〔こ〕びくる
[やぶちゃん注:「語ろう」は「語らふ」。推敲の私の「〔こ〕」の補字はあまり自信がない。]

 雪残る 田の陽だまりに いぬふぐり
    群れ咲く苑 春をうたいぬ
          春のきらめき
         の りのきらめき
           るり
[やぶちゃん注:最終句の推敲に混乱が見られるが、
 雪残る 田の陽だまりに いぬふぐり
    群れ咲く苑の るりのきらめき
が最終形であると考えてよい。]

    に
 谷あいの 雪の残れる 北斜面
    雪割草の 寒風に咲く

 雪残る 谷の斜面を うめつくし
             □□くし
    雪割草も 今はまぼろし
[やぶちゃん注:「□□くし」は時制から「尽くしける」辺りにしたいところであるが、そうは読めない。]

[やぶちゃん注:以上を以て本文は終わるが、本冊の最終頁には「広川親義様」という名とその方の住所が記されている。この方は歌人で、ネット上の情報では北日本新聞魚津支社長・短歌時代社主宰とある。また、その次の頁には、鉛筆で、

明け方の氷見の沖にて釣られしや
抜かむ烏賊の目蒼深かく澄む

という非常に筆圧の強い、はっきりとした鉛筆による一首が記されているが、これは同原稿の母の筆跡とはかなり異なる気がし、また歌柄からも母の短歌であるかどうか、疑問がある。一応、掲げておく。
 その後ろから次の次の頁には、「弾丸たまのあと」「つ」「生活タツキ」「かつぎて」など、和歌に用いようと備忘したものと思われる単語集が凡そ一頁分に亙って存在するが、短歌ではないので省略する。]

[やぶちゃん注:以下は、底本に挟まれていた「伏木短歌会(十一月)」という、母が当時参加していたと思われる結社のコピーの巻頭に載るものである。記載はダブりがなく、全十六人十六首。末尾に「連絡先」として高橋与一という方の住所電話番号が載る。果たしてこれが、本原本と同じ平成二年(一九九〇)年の「十一月」であるかどうかは確認出来なかった。この一首については私のブログとそのリンク先(私の過去のブログ記載)を参照されたい。選句結果の数字が手書きで歌の頭にあり、それは「4」である。「5」とある歌が他に二つあるが、私は母の歌こそが圧倒的にいいと思う。これは決して手前味噌ではない。でなければ、歌稿の巻頭には配されなかったであろうと思うからである。]

 マスカット見れば偲ばるる亡き姉の象の涙と言ひつつ食みしを   藪野 聖子



聖子テレジア藪野 歌集 完