やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇
鬼火へ

おき忘れた帽子 (全一幕)
 ロード・ダンセイニ 松村みね子(片山廣子)訳

                      附やぶちゃん注
                          ⇒ 同縦書版へ
[やぶちゃん注:本戯曲
“The Lost Silk Hat” はロード・ダンセイニ(Lord Dunsany 一八七八年~一九五七年)が一九一二年十一月十日に執筆、翌一九一三年八月四日にイギリスのマンチェスター(Manchester)にあるゲイエティ劇場(Gaiety Theatre)で初演された。底本は一九九一年沖積舎刊松村みね子訳「ダンセイニ戯曲集」を用いたが、底本ではト書きが原則、三字下げのポイント落ちで(会話中のものはポイント落ち丸括弧で挿入)、台詞が二行以上に亙る場合は二行目以降は一字下げとなっているが、本テクストではこれらの字下げを行っていない。最後にオリジナル注を附した。
 本テクストは私藪野直史のブログ・アクセス三八〇〇〇〇突破記念として公開した。【二〇一二年七月四日】]


おき忘れた帽子


 客
  労働者
  店員
  詩人
  巡査

 ロンドンのはいからな街


ある家の入口に一人の客が立っている、客は、流行の粋を極めた服装をしているが、帽子を被っていない。はじめは大へんに困った様子であったが、ふいと新しい考を思いついた様子。
 労働者がやって来る


 君、ちょっと。ちょっと――まことに何だが――ちょっと、その――ちょっと手を貸してくれないか――実は、手を貸して貰えると好都合なんだが――
労働者 どんな御用なんです?
 実は、君に頼みたいと云うのは、唯ちょいと其ベルを鳴らして、取次に――言うんだ――ええ――なんとでも云うんだ、下水を見に来たとか、なんとか、君の云いたいことを云って、僕の帽子を取って来て、貰いたいんだ。
労働者 帽子を取って来るんですって!
 うん、此とおり、僕は運悪く帽子を置いて来てしまった。客間にあるんだ(窓を指して)あすこの座敷だ、座敷のずうっと向うの隅の、長いソファの隅のところにある。もし君がはいって行って其帽子を取って来てくれれば、まったく僕は――(労働者の表情変る)おや、君どうかしたのか?
労働者 (断然と)そういう仕事はわしゃきれえだ。
 こういう仕事が嫌いだって! だって君、そんな馬鹿な事を云って、なんにも悪いことはあるまいじゃないか?
労働者 そこんとこは、わしにも分かりません。
 だけど、こんなつまらない事を頼んで、何も悪いことがあるわけじゃあるまい? 何か悪いことがあると思うのか?
労働者 なあに、大丈夫らしゅうござんすがね。
 じゃあ、いいじゃないか。
労働者 斯ういうやま仕事と云うものは、みんな大丈夫らしく見えるもんです。
 併し僕は君に此家へ泥棒しにはいってくれと頼んでるんじゃない。
労働者 そりゃ、たしかに、そうは見えませんよ、併し、なにしろ、どうも不気味だ。もし万一、わしがうちん中へ這入ってから、何か欲しい物があったら、どうしたもんでしょう?
 僕は帽子さえあればいいんだ――おい、これ、これ、まあ逃げないでくれ――此処に一サバレンある、ほんの二三分間の仕事だよ。
労働者 わしがあんたに聞きてえのは――
 うん?
労働者 ――その帽子の中に何があるんです?
 帽子の中に何がある?
労働者 ええ、そいつが聞きたいんで。
 帽子の中に何があるって?
労働者 そうです、まさかあなたも、ただで一サバレン下さる筈はありますまい?
 二サバレンやってもよろしい。
労働者 あなただって、一サバレンを二サバレンまで競り上げてわしに下さりはしますまい、ただのからっぽの帽子じゃあ?
 だって、僕は帽子が入用なんだから。此様子で往来が歩けるかい? 帽子の中には何もないんだ。何が帽子の中にはいってると君は思うんだ?
労働者 なあに、わしはそれを云い当てるほど器用じゃないんですがね、まあ云わば、何か書類みてえな物が帽子ん中にはいってるかと思うんで。
 書類が?
労働者 へえ、その書類はね、もしそれがあなたの手にあれば、あなたが此大きな家の相続人あととりになれて、何処かほかの罪もない善人が追っ払われると云うような筋なんでしょう。
 おい、おい、帽子はまったく空虚からっぽなんだよ。僕は是非その帽子が入用なんだ。もし万一その中に何かあれば、それは約束の二ポンドと一緒に君にやってよろしい、ただ僕の帽子さえ持って来てくれれば。
労働者 へえ、そいつあ全く大丈夫そうだ。
 そんなら、ちょっと行って、取って来てくれるか?
労働者 わしにも、あなたにも、大丈夫そうに見えますが、ここで二人で考えなくっちゃならないのは警察ですよ。警察にも大丈夫に見えますかね?
 おい、後生だ――
労働者 分かりましたよ!
 お前はから馬鹿だ。
労働者 分かってます。
 おい、おい。
労働者 分かってますよ、旦那、だめです。
 これ、これ、まあ逃げないでくれ。
労働者 だめですよ!(去る)
   
(店員来る)
 ちょっと、君。君にお願いするのは失礼ですが、しかし、ごらんの通り、僕は帽子がないのです。それで、何とも恐縮ですが、一寸取って来て頂けないでしょうか。時計を直しに来たとか、何とか云って、ごまかして下さらないでしょうか。僕は此家の客間の、向うの隅の長椅子の隅に置いて来たんです。
店員 はあ、それは――よろしゅうござんすが、ただ――
 ありがとう、どうも何とも恐縮です。時計を直しに来たとか何とか云って下さい。
店員 私は――ええ――実は時計を直すことがあんまり上手ではないんでして。
 なあに、それは構いません、ただ時計の前に立っていい加減にいじっていればいいんです。もともと、みんな、そうなのですから。それから君に一寸注意して置きますが、客間には婦人が一人います。
店員 へえ!
 しかし、なあに、それは差支ありません、ずうっと前を通って時計のところへ行けばようござんす。
店員 しかし、お言葉ですが、その部屋にどなたかおいでだとしますと――
 なあに、その人は、まだ若い、非常に、非常に美しい人なんです。
店員 なぜ、御自分で取っていらっしゃらないんです?
 それが出来ない事なので。
店員 出来ない事で?
 僕は足くびを挫いてしまって。
店員 それは! ひどくいけませんか?
 ええ、ずいぶんひどくやったんです。
店員 手を引いて上げてもようござんすが。
 いや、それはなおたまりません。僕は是非どうしても足を地べたにつけていなければならないんです。
店員 しかし、どういうあんばいにしてお家へお帰りになります?
 平地なら、歩いて何ともないんです。
店員 それでは、これで御免を蒙りましょう。大分時間が遅くなったようです。
 併しどうかお願いですから、待って下さい。此通り僕帽子なしで捨てて行かれては困るんです。
店員 折角ですが、大分遅くなりましたから。(店員去る)
   
(詩人来る)
 失礼ですが、お呼び止めして失礼ですが、誠に恐縮ですが、一つお願いを聞いて下さらんでしょうか。僕はこの家を訪問に来て、あいにく帽子を置き忘れて来たんです。向うの隅の長椅子の下にあるのですが、もしあなたがピヤノを直しに来たとか何とかおっしゃって、其帽子を取って来て頂ければ幸ですが。
詩人 併し、どうしてあなたが自分で取りに行かれないんです?
 それが出来ないのです。
詩人 その理由わけをお聞かせなされば、僕もお助けしないものでもありません。
 それは申上げられません。私はもう二度と此家にはいれないのです。
詩人 もしあなたが人殺しをやったとしても、隠さずおっしゃい。僕はあんまり道徳の方は構わない方だから、あなたをその為に絞罪にしようとも思いませんから。
 僕が殺人者ひとごろしのように見えますか?
詩人 いや、もちろん、そうは見えません。ただ、あなたが十分僕を信用なすってもいいと云うだけの意味です。法律とか刑法とかいうものは僕には少しの興味もありません。むしろ殺人それ自身が僕に取ってはある魅力を持っています。僕はやさしい神経質な詩はかし書いていますが、不思議なことには、殺人犯の公判といえば、洩さず読みます、そして僕はいつでも罪人の方に同情するんです。
 しかし僕は殺人者ではありませんから。
詩人 そんなら、何をしたんです?
 僕はこの家の婦人と喧嘩をやってしまったんです。それでボスニヤ人と一緒になってアフリカで死のうと決心したところなんです。
詩人 実にうつくしいですな。
 あいにく僕は帽子を忘れて来たんです。
詩人 あなたは望みのない恋のために、遠くの方の国で死のうとなさる、それは昔の古詩人のやったことです。
 しかし、あなたは僕の帽子を取って来て下さるか?
詩人 それは無論、悦んで取って来て上げます。併し我々は此家にはいる相当な口実を見つけなければ。
 ピヤノを直しに来たと云ったらいいでしょう。
詩人 あいにく、それは出来ません。不器用にピヤノをいじる音といったら、何処かの国に、頭の或一部分に冷水をポツリポツリきりなしに落としかける刑罰があるそうですが、ちょうど僕にはそれと同じぐらいの苦痛です。それは、その――
 併し、それではどうしましょう?
詩人 ある家で、親切な友人たちが僕に詩人として必要な生活の保証と、慰安とを与えてくれたのでしたが、其家に一人の婦人の家庭教師がいて、ピヤノがあったのです。もう其時から何年にもなりますが、いまだに僕は内心恐怖なしで其友人たちの顔を見に行くことが出来ないんです。
 それでは、何か別の事を考えましょう。
詩人 あなたは、むかしの詩にある、時としては国王が鎧も着ずに、その恋する貴婦人の肌着だけを身に着けて戦ったというような、ロマンスの時代を此の不幸な現代に持って来たのです。
 そうです、併し何しろ先ず帽子を取って来なければ。
詩人 なぜです?
 帽子を被らずに往来を歩くことは出来ません。
詩人 なぜ、いけません?
 それは出来ません。
詩人 しかしあなたは外形的うわつらのことと人世の大事とを混同していらっしゃる。
 あなたが人世の大事とおっしゃるのは、どういう意味か知りませんが、ロンドンで身給麗な風をしているということは、私に取ては可なり大事なんです。
詩人 帽子は人生の大事ではありません。
 僕は失礼な事をいいたくありませんが、僕の帽子はあなたの帽子と少し違います。
詩人 まず腰をかけて、もう少しつまる事に就いて話しましょう、百年後になっても記憶されるような事に就いて話しましょう。(二人腰かける)そういう見地からいうと、帽子なんぞのつまらなさが直ぐ分かります。しかし、死ぬということ、望みのない恋の為に美しく死ぬということは、それは詩になります。つまり事の大小の区別ですね――試みに詩の中に入れて想像して見るのです。帽子では詩は作れません。
 僕の帽子であなたが詩が作れようと作れまいと、僕は一向構いません。ただ僕は、帽子を被らずにロンドンの市街まちを歩いて自分を見っともない恰好にしたくないだけの事です。だから、あなたが帽子を取って来て下さるんですか、下さらないんですか?
詩人 ピヤノを一寸でもいじるという事は僕にはとても出来ない。
 それでは暖房器を見に来たと云って下さい。此処の家では窓の下に一つあります、それが漏れるということを僕は知ってるんです。
詩人 それには何か美術的の装飾があるんでしょう?
 ええ、あったようです。
詩人 それでは僕はそれを見るのも、側へ行くのも、まっぴらです。ああいう鋳物の装飾を僕はよく知ってます。徳利のようなはらをした埃及の神のビースというやつを或ところで見たことがありますが、その神はもともと不様ぶざまに見えるように出来てるんですが、いくら其ぶざまな神だって二十世紀が機械で造り出すああいう装飾ほどに不様ではありません。鉛工ぶりきやが芸術に何の関係があって装飾に手を出すんでしょう?
 それでは僕を助けてはくださらないんですね?
詩人 僕は不様な物を見たくなし、いやな音を聞きたくありませんが、何かほかに相当な工夫をあなたが考え出せば、助けて上げて宜しい。
 僕はほかに何も考えられません。あなたは鉛工ぶりきやにも見えず時計直しにも見えませんが、もう其はかには何も工夫が出ません。僕は恐ろしい試練に会って、静かに物を考えてる境遇ではないのです。
詩人 それなら、あなたの帽子は今の新しい運命に捨てて置くことです。
 なぜあなたが何か考えて下さらない? 詩人なら、考えることはあなたの専門です。
詩人 もし僕が帽子なんぞというそんな馬鹿げた問題を少しの間でも考えて見ようとしたら、勿論僕にも工夫が出るに相違ない、しかし其問題の馬鹿らしさが、僕の考を逐い払ってしまうんです。
 (立上がる)それでは僕が自分で取って来ます。
詩人 お願いだ、それは止めて下さい! それがどういうことか考えて下さい。
 それは、おかしいのは分かってますが、帽子なしでロンドンを歩くほどおかしくはありますまい。
詩人 僕はそんな意味ではない。あなたは仲直りしてしまうでしょう? あなた方二人は互に許し合って、結婚をして、ほかの誰でものように騒々しいできものだらけの子供が沢山できて、それっきりロマンスは死んでしまうんです。いけません、そのベルを鳴らしてはいけません。それよりは銃剣でも何でも、人の買う物を買って、ボスニヤ人の軍にはいって下さい。
 帽子がなくっては駄目です。
詩人 帽子が何ですか! あなたは帽子の為に美しい運命を犠牲にするんですか? 失恋のために死んだあなたの骨が果てしもない黄金の沙漠の上に人知れず捨てられて、見る人もなく忘れられているのを考えて御らんなさい。キイツが云ったように「人知れず捨てられる」んです。何という言葉でしょう! 人しれずアフリカに捨てられて、ひるは呑気なべドイン人がその辺を往ったり来たりして、よるは獅子の唸り声が沙漠のかなしみの声とも聞えるでしょう。
 実際の事をいえば、あなたがアフリカのことを沙漠というのは違っています。つまり、アフリカが世界中でいちばん豊饒な土地だというので、ボスニヤ人がそれを取ろうとしているのでしょう。
詩人 そんなことが何ですか? あなたの名は地理や統計学に依って記憶されるのではないのです、ただ、金の言葉のロマンスに依ってです。ロマンスは、僕が今いったようにアフリカを見ているんです。
 まあとにかく、帽子を取って来ます。
詩人 考えて下さい! 考えて下さい! もしあなたが其戸口を入れば、あなたが最も勇敢なボスニヤ人の中で死ぬことはもう出来なくなります。あなたが遠い寂しい国で死んで無限に広いサハラに横たわることはもう出来なくなります。そしてあの婦人があなたの美しい運命のために泣いて、自分の無情だったことを自ら責めることも出来なくなります。
 お聞きなさい! あの人がピヤノを弾いている。僕はあの人が此事のために何年となく不幸な思いをしやしないかと思うんです。それが望ましいことだとは思われません。
詩人 そうです。併し僕があの人を慰めてあげましょう。
 とんでもない! 君が! ほんとうに、とんでもないことだ。
詩人 まあ落ついて、落ついて。僕はそんな意味ではないんです。
 それでは、ぜんたい、どういう意味です?
詩人 僕はあなたの美しい死に就いて、歓びの歌や悲しみの歌を作る。古詩人トルバドールの貴い伝説を再びくり返すから、歓びの歌だ、君の悲しい運命と悲しい恋を唄うから、悲しみの歌だ。僕は君の孤独な骨についての伝説を作る。どこかのアラビヤ人が戦争で名高い沙漠の中の沃地オーシスで君の骨を見つけ出して、誰が此骨のぬしを愛したかと語り合う筋にする。それから、僕があの人にそれを読んで聞かせる、あの人が少し泣くかも知れない、そうすると僕がその代りに勇士の光栄を読んで聞かせる、いかにそれが我等のまぼろしの間の恋に優って――
 お待ちなさい、あなたはまだあの人に紹介されたことはない筈ですが。
詩人 そんなことは些細なこと、些細なことです。
 どうもあなたは僕の軀に敵の槍が突っ通されるのを馬鹿に急いで待ってるように思われる。しかし、何にしても、先ず帽子を取って来ます。
詩人 君にお願いする、美しい戦争と貴い行為と遂げられない目的との名に依ってお願いする、無情な処女に聞かしても聞かされ甲斐もない恋物語の名に依ってお願いする。美しい琴糸が切れたように傷つき破れた心の名に依って、君にお願いする。ロマンスの古めかしい聖い名に依って君にお願いする。そのベルを鳴らしなさるな。
   
(客、ベルを鳴らす)
詩人 (がっかりして腰かける)君は結婚する。君は時々妻君とパリイぐらいまで遊山に出かける、カンヌぐらいまで行くかも知れぬ。それから家族が殖える。それがだんだん大きくなって、末は眼も届かないように殖え拡がって行く――僕は誇張法ハイパアポリィで云ってるのだ――君は金をもうけて家族を養って、それで一般の世間とおんなじになる。君の記念には何の碑も立てられない、その代り――
   
(僕一人戸口に出てくる。客小声で何か云う。戸口から内に入る)
詩人 (立ち上がり、手を挙げて)その代り此家の上に、其鏡板に刻りつけて置くことだ「此処にも時満ちてロマンス生れしが、若くして死す」と。(詩人腰かける)
   
(労働者と店員及び巡査来る。ピヤノの音止む)
巡査
 何かまちがいがありましたか?
詩人 何もかも間違っている。ロマンスを殺そうとしている。
巡査 (労働者に)此紳士はどこかちいっと変だね。
労働者 今日はみんなが変なのだ。
   
(音楽再び聞える)
詩人 ああしまった! 二人奏曲ジュエットだ。
巡査 どこか変だね。
労働者 もう一人の方も見せて上げたかったよ。

(幕)

□やぶちゃん注
●本文中に「サバレン」という通貨が現われるが、これはイギリスの貨幣
“sovereign”、新ソブリン金貨のことで、一ポンドに相当する金貨の名称。邦訳では「ソベリン」「ソヴァリン」「ソボレン」など多様。一九一七年まで国内流通用の本位貨幣(金純度九一・六七%の標準金)として発行された。表に国王の横顔(初演当時はジョージ五世)、裏に竜を退治するセント・ジョージの図案。額面はない。使用枚数などの制限のない完全な無制限通用力を有している唯一の無制限法貨であった。なお、二〇一二年七月現在の一ポンドは、凡そ日本円で一二五円であるが、この金貨の価値は製造当初の金の公定価格である標準金一オンス=三ポンド一七シリング一〇ペンス半に相当し、初演当時は相当な価値を持っていたと考えられる。因みに、本金貨は年号により非常に希少なものもあって、特にこの当時のジョージ五世一九一七年銘は最も高額で取引されているそうである(以上は主にウィキの「ソブリン金貨」に拠った)。

●最後まで読むと謂わんとするところは十全に分かるのであるが、冒頭の労働者の立ち去る前の客とのやりとりの部分の「分かりましたよ!」「分かってます。」「分かってますよ、」「だめですよ!」という多様に訳されている台詞(下線はやぶちゃん)、

客 そんなら、ちょっと行って、取って来てくれるか?
労働者 わしにも、あなたにも、大丈夫そうに見えますが、ここで二人で考えなくっちゃならないのは警察ですよ。警察にも大丈夫に見えますかね?
客 おい、後生だ――
労働者 分かりましたよ!
客 お前はから馬鹿だ。
労働者 分かってます。
客 おい、おい。
労働者 分かってますよ、旦那、だめです。
客 これ、これ、まあ逃げないでくれ。
労働者 だめですよ!(去る)

の部分は、英文原作(HTMLはロシアのサイトのここに英文版が、PDFならばここ。登場人物が台詞の話者が明記された後者の方が読み易い。引用は後者を用いた)では実は、

CALLER
That's right, then you'll run up and get it?
LABORER
Seems all right to me and seems all right to you. But it's
the police what you and I have got to think of. Will it seem
all right to them?
CALLER
Oh, for heaven's sake --
LABORER
Ah!
CALLER
What a hopeless fool you are.
LABORER
Ah!
CALLER
Look here.
LABORER
Ah, I got you there, mister.
CALLER
Look here, for goodness sake don't go.
LABORER
Ah!
(Exit)


と総てが“
Ah!”で、全般的には否認を示しながら、客の台詞や態度に対する微妙は個別的ニュアンスを含む点で、廣子は「分かる」という訳語を最初の三箇所で用いたものと思われる。特に二つ目の「分かってます。」は脅迫的な“What a hopeless fool you are.”の罵詈を軽くいなして小気味よい。三番目の「分かってますよ」は、即座に「だめです」の意の反転として落ちる台詞も上手い。ただ、最初の「分かりましたよ!」は日本語の舞台の台詞としては、労働者を演じる役者には、ちょっと扱い難い台詞であるように思われる。この台詞だけは、元の英語と同じ間投詞「ア、ハッー!……」の方がよいように思われる。

●「何処かの国に、頭の或一部分に冷水をポツリポツリきりなしに落としかける刑罰がある」私も小学生の頃に聴いた拷問法で、固定された額(一説に頭頂部)に一定間隔をおいて水滴が落ちるというシンプルにして猟奇的なもので、数日で発狂するというもの。ネット上で検索をかけると、中国の処刑をルーツとするという記載が多く、近世と思われる日本では目に滴らせるものがあったともあるが、これらの記載の弱点は出典が述べられていない点である。確たる出典を御存知の方は是非、御教授願いたい。

●「徳利のような腹をした埃及の神のビース」の「ビース」は原作では“
Bes”。古代エジプト神話の舞踊と戦闘の神ベスのこと。以下、ウィキの「ベス」から引用する。『本来は羊と羊飼いの守護神とされていた。豹の毛皮(ベス)をつけ、大頭で短躯、舌を出した大口の異様な姿をもつ。また、酒宴や婚礼をも司り、出産・病気から女性や子供を守るという。タウエレトを相棒としている。ヌビア(スーダン)起源とされ、古王国時代のエジプト南部にベスに関する記述が確認されているが、信仰はさほど広まらなかった』。引用元に画像があり、荘厳とは言い難い姿が、よく分かる。

●「古詩人トルバドール」原典では“
troubadours”。狭義の Troubadour(トルバドゥール)は十一世紀から十三世紀頃にフランス南部・イタリアやスペインの北部などで活躍した抒情詩人を指す(そのルーツはイスラム文化圏にあるとも言われる)。主に様式美を主とした宮廷・騎士道の貴族階級の恋愛詩の他、十字軍をテーマとする持ち歌などを持って各地の宮廷を遍歴した芸能者。彼ら自身、元城主や騎士といった王侯貴族や騎士階級出身の者が多かった。後に、この前期のトルバドゥールが北フランスを経てイギリスに伝播し、十二世紀後半には“Trouvère”(トルヴェール)と呼ばれる別種の吟遊詩人が生まれた。当時のフランス宮廷にアーサー王伝説や聖杯伝説などの騎士道物語を広め定着させた、中世ヨーロッパ文学の最良の成果を齎したとされるフランスのクレティアン・ド・トロワ(Chrétien de Troyes 生没年未詳)などが知られる。以下、参照したウィキの「トルヴェール」から引用しておく。『トルバドゥールやトルヴェールというと一般的なイメージは、弦楽器を背に、町から町へとさすらう放浪の楽師というものである。確かにそのような人々はいたのだが、彼らはジョングルールやミンストレルと呼ばれ、社会の底辺に属する男女の貧しい芸人であった。トルバドゥールやトルヴェールは、対照的に、貴族階級の音楽の担い手だった。こちらは詩人兼作曲家であり、貴族階級の庇護を受けたか、しばしば自ら貴族ないしは騎士であった。トルバドゥールやトルヴェールは、貴族のために創作や演奏を行い、伝統ある宮廷文化の一環を担っていた。その担い手には、王侯貴族だけでなく、その妃も含まれていた。トルバドゥールやトルヴェールの歌詞は、それを生み出した社交界を自然に反映し、「宮廷の愛」や宗教的情熱といった理想の扱い方を軸に動いている。しかしながら、多くの場合に見出されるのは、恋愛についての世俗的な眼差しである』とし、最後に、現存する当時の曲の演奏法について、『この種の音楽は、楽譜の解読をめぐってしばしば演奏様式が議論の的となる。(とりわけテクストが高邁な場合には)自由なリズム法によって楽器伴奏を控えめに用いるのがよいとする研究者がいる一方、楽器伴奏もリズムの解釈も同じように固定すべきだとする研究者もおり、演奏界からは後者の説が支持されている』とある。

●『キイツが云ったように「人知れず捨てられる」』原文“
"Lying forlorn!" as Keats said.”。簡単なネット検索では当該文字列をイギリスのロマン派詩人ジョン・キーツ(John Keats 一七九五年~一八二一年)の詩の中に見出すことは出来なかったが、“forlorn!”のみならば、知られる一八一九年作の“Ode To A Nightingale”「ナイチンゲールに寄せて」の最終連、冒頭に現れる。

  Forlorn! the very word is like a bell
  To toll me back from thee to my sole self!
  Adieu! the fancy cannot cheat so well
  As she is fam'd to do, deceiving elf.
  Adieu! adieu! thy plaintive anthem fades
  Past the near meadows, over the still stream,
  Up the hill-side; and now 'tis buried deep
  In the next valley-glades:
  Was it a vision, or a waking dream?
  Fled is that music:--Do I wake or sleep?


訳はこちらに引地博信氏の訳がある。それにしても――二十六歳で夭折したキーツの、その結核菌にまみれた人生は(これは冗談で言っているのでは無論、ない。私も結核性カリエスを患ったことのある人間である)文字通り――“
Lying forlorn”――「寂寥の中に久遠とわに眠る」――であったように――外見上は――見える……ローマにある彼の墓碑には“Here lies one whose name was writ in water”――「その名を水に書かれし者、ここに眠る」――とあるそうである……。

●「誇張法ハイパアポリィ 」原文“
hyperbole”。詩語としての誇張法。ネィテイヴの発音を音写するなら「ハイパバァリィ」と聴こえる。