やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇
鬼火へ

中島敦「山月記」授業ノート 藪野直史

[やぶちゃん注:以下は私の教師時代の「こゝろ」全文授業(リンク先はその「こゝろ」の授業案を発展させた私の初出注釈附き電子テクストである)に次ぐライフ・ワークと言えた、中島敦の「山月記」の授業用ノートの最終案(電子化して残してあるもの)を、ほぼそのままに電子化したものである(一部表現を訂した箇所はあり、特に補注を加えた箇所もある)。
 私は三十四年の間、「山月記」の授業では一時間目に私の全文朗読、二時間目以降に、ほぼここに記したコンセプトで授業を進行させて板書もしてきた。最近、教師の渾名はとんと流行らぬようであるが、私は二十九歳で移ったとある高校で、初っ端からこの朗読をやらかし、美事に「李徴」という渾名を拝名したのが忘れられない。
 但し、「*」部分は私の授業内容への私にだけ分かる覚え書きであるので、やや不明な部分もあるかも知れない。ただ、私の「山月記」の授業を受け、それを奇特にも覚えて呉れている元教え子の方には思い出す懐かしい雑談もあろうかも知れぬと思い、そのままに示すこととした。
 李徴の漢詩を除く引用本文は教科書に準じてあるので私の「山月記」テクストとは異なるが、段数と記号は、この授業案公開のために作った私の「山月記」テクストに呼応させてある。
 公開する以上、自由に教案教材としてこれを用いることを許可するものである。使用の連絡等も一切不要である。但し、これら雑談部を含めて総て忠実に再現する場合は、最低でも五十分授業で十二時間以上(私は実際には十六時間ほどかけた時もあった)が必要であるし、またそれだけの時間を確保出来ないのならば、本作は授業すべきではないとさえ私は思っている。本作はそれだけの時間がかかる/かける価値のある作品であることは言を俟たないのである。【2013年5月29日 藪野直史】李徴の七言律詩の教え子に依る中国語読み音声データを追加。【2017年1月8日 藪野直史】]

山月記   中島敦

■導入
○変身譚
・マイナスの変身
 フランツ・カフカ(オーストリア)「変身」
*「審判」「城」「流刑地にて」「判決」等を解説
・プラスの変身
 変身願望/制服願望とは何か
 *「何に変身したいか」アンケートなど(ドラえもん・のび太etc.)
○原典
唐 李景亮「人虎傳」(伝本二冊~唐代叢書本・太平公記本)の翻案
(*翻訳と翻案の違い)
○「山月記」という題名
 作中の漢詩「此夕溪山對明月」
 実際に二回登場する月に咆哮する虎のイメージ



第一段 プロローグ
時代 唐(盛唐)
 *伝奇及び他の唐代伝奇小説の解説(「杜子春伝」・「枕中記」(邯鄲)・「離魂記」)

○李徴の人柄
・博学才穎(穎…稲穂がすっと伸びているさま)
・科挙試に首席合格
・狷介(自分の意志に固執し、他人と妥協しない)
・自尊心が強い
・詩家を志す
 *科挙についての解説
  学校試から殿試までの階梯(時代差有)
  貢院の構造と試験日程及び試験方法
  カンニング・発狂・死臭を嗅ぎながら受験
  四書五経(六十二万字)・「〇」の悪問etc.

○李徴の半生
若くして科挙に合格する(エリート)~自負の塊り
 ↓
江南尉(地方の軍司令官)となる~地位にすこぶる不満を持つ
 ↓
すぐに辞職し、故郷に引き籠もって詩作にふける~後世に名を残す詩人になりたいという強い野心を持つ
 ↓
詩は少しも評判にならない~激しい焦燥感を抱く
 ↓
生活は苦しくなる~既に一人前の大人(社会的ステイタス)としての妻子持ちであることの提示
 ↓
生活費を得るために、いやいや再び地方の役人となる~その今一つの理由は自分の才能に半ば絶望したため
 ↓
かつての後輩は上役になり、その命令に有無を言わさず従わなければならない~著しく自尊心を傷つけられる
 ↓
楽しくない~狂悖(狂気じみて我が儘になってくる)
 ↓
ついに発狂する
 ↓
失踪

○李徴の失踪に至る心理的推移

 狷介
  ↓
 自恃
  ↓
 焦燥
  ↓
 絶望
  ↓
 狂悖
  ↓
 発狂



第二段 再会
・商於の同定について【2013年8月15日追記】
  この「商於」ついては、例えば「新釈漢文大系 唐代伝奇」の注で乾一夫氏(私は大学時分、この人の「詩経」の講義を受けた。優れた先生ではあったが、生理的に合わず、数少ない履修放棄をしたが、そのお蔭で吹野安先生にめぐり逢え――当時の当該漢文学演習の再履修は先生のみが持っておられた。先生は、「鬼の吹野」と呼ばれた半ば伝説の漢文学者であられた――しごかれつつも、漢詩の醍醐味を御教授戴いた。懐かしい思い出である)は河南省浙川県の西とされるが、戦国時代の地図を見ると、韓の西南、武関(現在の陝西省武関鎮)の東広域一帯に名が記されている。中文サイト等の記載を見ると、現在の陝西省商洛市域内ともある。これでは最大百キロメートル近く隔たることになってしまい、如何にも不審であった。今回、中国在住の教え子T.S.君が、私のこの疑問について考証して呉れたので以下に示す。
   《引用開始》
  <結論>
・ほぼ現在の商洛市域にあたるが、河南省西部の淅川県を含むと考えて、必ずしも間違いではない。
  <確認したこと>
・商於いう名は、もと「商州」(現在の陝西省商洛の市街にあたる)と/<説一>河南省淅川県「柒於鎮」/もしくは<説二>「於」と呼ばれた楚の西北部(現在の河南省淅川および内郷付近)、が合体してできた、一定の対象面積を有する地域名である。
・ちなみに商州と楚の西北部を結ぶ街道は上記の理由から「商於古道」と呼ばれた。歴代王朝の都長安から華南方面に抜けていく際に用いる、交易・軍事・統治など、あらゆる意味で非常に重要な街道であった。とりわけその中間部、地勢が最も険しいとされる山間の武関鎮(広い商洛市域のやや東寄りにある)は、軍事上の要地であった。
 では袁傪が虎に変身した李徴と遭遇したのは、どこか。以下は勝手な考察です。
・「人虎伝」の『商於界(しやうをのさかひ)』も、「山月記」の『商於の地』も、陝西省商洛と河南省淅川を結ぶ街道を含む一帯を指すと考えてよい。対象地点は武関鎮を中心に、西北の陝西省商洛と東南の河南省淅川を結ぶ距離百キロ以上にわたる街道のいずれかの地点ということになる。
・長距離を移動し得る虎にとっては、既に平頂山を西に離れること約二百キロ以上であり、対象となる地域のいずれに出没しても、大きな不自然はない。
・ただし虎があまりにも繁華な人里に出没したと考えるのは不自然である。少なくとも次の宿場までは人煙稀な地帯が広がっていたはずである。従って、当時から一定の規模を誇ったであろう現在の商洛市の市街地近辺に場面を設定するのは無理がある。
・ただし、宿場を朝暗いうちに出立してまだ夜が明けぬうちに虎と遭遇したのであるし、おそらく駅吏が吹いたのであろう暁角が聞こえたのであるから、宿場から離れていてもせいぜい四、五キロだろう。
・主要な街道であったがゆえに、一定間隔で宿駅は設けられていたであろうから、長い街道のうちのいずれの宿場街であったのか特定するのは困難である。
・虎自身の言によれば、昨夕その地点から見える山の頂の巌に上り月に向かって吼えたこと、袁傪一行は当初残月の光を頼りに歩を進めたこと、明け方にも光を失った月影が見えていること、などを総合すると、月は夕べから明け方までひと晩を通して見えていなければならず、かつ月明かりをあてにできる程度の明るさであることがわかる。これらの条件を満たすためには、月は、満月かほぼ満月に近くなければならない。そうすると、満月は明け方には西の空にある。従って、この地点は明け方の満月が見えるよう西側が開けており、東南へ向かう袁傪の百歩前に小高い丘があるような、林間の草地である。しかも、そこからは虎が吼えたところの山が見えなければならない、ということになる……。
・勝手ついでに、衛星写真で街道に沿った地域の地勢を見ながら、明確な根拠なくもうひとつ勝手な想像をすれば、袁傪一行が宿ったのは……武関鎮、もしくは武関鎮から十キロ西の鉄峪鋪鎮。虎に遭ったのは……武関鎮から東へ四キロほどの地点か、もしくは鉄峪鋪鎮から東へ四キロほどの地点……。この辺が怪しい気がする。(参考:中文の当該地の地図を示します。縮尺を落とせば衛星写真を重ねることが出来、川や山岳の様子が分かって便利です)
   《引用終了》
これ以上の考証は恐らく誰も成し得ていないと思われる。是非、参考にされたい。

□作品全体の各種効果についての視点
◎会話記号(「 」)の有無の効果
〇李徴と袁傪の出会いの唐突さ、その驚き、お互いを認めあった時の心情を読者に印象付ける。
 ↓
×以降の部分には一切、「 」がついていない
 口語的な李徴の台詞と、やや文語的で漢文訓読調の文語に近い地の文を融和させて全体の調和を図るという文体上の問題に関わる。
☆「山月記」の文体上の特色
・(原典が中国語であるから当然のことながら)漢語・漢語法が多く用いられている。
・(漢語の特性である)表現が簡潔で、しかも幅広く重層的な意味を孕んでいる。
・(同じく漢語の特性である)強靭で強調的、頗る男性的である。
 *男しか登場しない物語りであることの確認。
 *李徴の妻の視点から本事件を考察してみることの面白さ。(森一生の戯曲「山月記異聞」紹介)
 *難解難読語の山でありながら、不思議に読み終わると李徴にシンパシーを抱く魔術的な文章であること。

◎月の効果
①時間の推移としての効果
 暁(真っ暗)から
 ↓
 曙(ほの明るい)まで
 *本話の会見時間は二時間程度に過ぎないことの確認。
②人間李徴の心の象徴としての月
「残月の光を頼りに」(第二段)
 ~虎登場の場面
 ☆襲いかかる瞬間に辛くも虎の中に人間李徴の心が生じたことに着目せよ!
   ↓
「時に、残月、光冷ややかに」(第四段)
 ~詩の伝録、自作の詩を詠じた直後
 ☆人間李徴の悲嘆=残月の最後の(=人間李徴の最期の)光の輝き
   ↓
「ようやく辺りの暗さが薄らいできた。」(第六段)
 ~《描写外に暗示される仄白い「残月」》
 ☆告白の終了とともに虎へ立ちもどる予感
   ↓
「既に白く光を失った月」(第七段)
 ~虎が咆哮し姿を消す(コーダ)
 ☆虎の中から人間李徴の心が消滅することを表現

③中国文学に於ける『明鏡の文学』のとしての「月」
 明鏡=真実を映し出すもの=月
  *張九齢「照鏡見白髪」
    宿昔青雲志
    蹉跎白髪年
    誰知明鏡裏
    形影自相憐
  *李白「静夜思」
    床前看月光
    疑是地上霜
    挙頭望山月
    低頭思故郷

◎泣き声の変化の効果
 李徴の心情を貫く嘆き~その起伏にふさわしい表現
「しのび泣きかと思われるかすかな声」
「慟哭の声」
「堪え得ざるがごとき悲泣の声」

◎声の効果
「低い声が答えた」(再会冒頭)
   ↓
   ↓☆袁傪は作中あくまで李徴の声のみと対峙することに注意!
   ↓ *虎が喋る映像はディズニーのアニメに堕する
   ↓
ラスト・シーン、袁傪一行が虎を遠望する

□作品全体の構造の視点
☆能楽(謡曲)との近似性
 *複式夢幻能の解説(「道成寺」を例に)
袁傪(ワキ僧)がその対照的存在(対話もしくは無言の法力――秩序世界の支持力――)によって李徴(シテ)の正体を示現(じげん)させてゆく複式夢幻能的手法

*李徴子~この時代の中国ではあり得ない呼称であること、諱(いみな)の神聖性(欠画など)、字(あざな)・排行などを解説
・旧闊を叙す…(長い間逢わず)久しぶりの挨拶をする。
・故人…①旧友。旧知。②死者。(*本来、中国語には②の意味はないことを確認)

□袁傪が不思議に思わなかったことがもたらす効果
 人虎に対して読者が持つであろう非現実的な違和感を、袁傪の受容的態度を媒介として完璧に和らげる。
   ↓
 だから怖くない
   ↓
 怖くない怪奇小説は失敗である
   ↓
 原典の「人虎伝」とは怪奇虎人間を主調とするホラーである(*伝奇には同時に道学的教訓性があることは附言しておく)
   ↓ということは?
 「山月記」は怪奇譚としては失敗作である
   ↓ということは確信犯
 「山月記」は怪談ではない
   ↓ではどう違うか?
   ↓
   ↓
◎「人虎伝」との対比(*別紙ダイジェスト及び対照表)
   別紙ダイジェスト「人虎傳」(1)〈画像〉
   別紙ダイジェスト「人虎傳」(2)〈画像〉
   別紙ダイジェスト「人虎傳」(3)〈画像〉
[やぶちゃん注1:別紙ダイジェストとは、私の全くのオリジナルで、その基本形は二十五歳の時に作成したものである。以下に教授用の私の汚い字の書き込み(弁解するとこれは右腕首を骨折した翌年のものであるため、なお、のこと汚い。但し、教授資料としてはそれなりに価値のある書き込みであるとは思っている)のあるものを画像(3枚)で示しておいた。私は早期退職をした一昨年、三十四年分の紙ベースの授業資料のほぼ総て(捨てがたい思い入れのある十数枚と生徒作品を除く)を廃棄したが、唯一、これだけは教師時代の形見として残してあったものである。その他、後、あるとすれば、物好きな教え子の残しているかも知れないノートの中にだけ、である。なお、教材プリントに使われる方のために、電子データ化したものが残っているので、以下に示しておく。なお、このダイジェスト「人虎伝」をちゃんと読む(私の場合はカニバリズムについての脱線などが入った)と最低でも二時間半分は有に必要である。なお、原文の雰囲気を味わうために最初の一行だけを正字白文で示してある。底本には何を選んだのか忘れてしまったが恐らくは国民文庫刊行会昭和一五(一九四〇)年刊の「國譯漢文大成」版ではないかと思われる。今見ていると省略箇所や幾つかの訳に問題があるが、形見なればそのままにしておくことにする。使用される方は、改めて原典と照合しながら、よりよいものをお作りあれ。私の訳部分は著作権を行使しない。]

   
人虎傳
                         
唐 李景亮 撰

隴西李徴、皇族子、家於虢略。徴少博學、善屬文、弱冠從州府貢焉。

天宝十五年の春には進士に登第し、江南尉となるが、「性疎逸にして、才を恃んで倨傲」という性格は、同僚との宴会の席上で、「生は乃ち君等と伍を為さんや」と言い放つほど、尊大で超然としていた。周囲に溶け込めない彼は、官を退いてしばらく閑適の生活を送るが、衣食に迫られて東呉楚の地方官吏となった。そこでは民に大いに歓迎され、多くの貢ぎ物も得た。

汝墳の逆旅の中に舎りて、忽ち疾を被りて発狂し、僕者を鞭捶つ。其の苦に勝へず。是に於いて旬余疾益々甚し。何くも無くして夜狂走し、其の適く所を知る莫し。家僮は其の去を跡ねて之を伺ふ。一月を尽くせども徴は竟に回らず。是に於いて僕者は其の嚢橐を挈へて遠く遁れ去れり。

明年、詔を奉じて嶺南に向かう監察御史、袁傪一行の前に虎が現われ、俄にして虎身を草中に匿し、

人声にて言ひて曰く、「異なるかな、幾んど我が故人を傷せんとせり」と。其の声を聆くに李徴なるものに似たり。(中略)遂に問ひて曰く、「子を誰とか為す。豈に故人の隴西子に非ずや。」と。

袁傪の現在の地位に対する祝辞の後、告白が始まる。

既にして渓に臨みて影を照らせば、已に虎と成れり。悲慟すること良久し。然れども尚ほ生物を攫りて食らふに忍びず。既に久しく飢ゑて忍ぶべからず。遂に山中の鹿豕獐兎を取りて食に充つ。又久しくして諸獣皆遠く避けて得る所無し。飢益々甚し。一日婦人の山上より過ぐる有り。時正に餒迫る。徘徊すること数四、自ら禁ずる能はず。遂に取りて食ふ。殊に甘美なるを覚ゆ。今其の首飾は尚ほ巌石の下に在り。これより生物、人間ことごとく襲って食べた。妻孥を念ひ、朋友を思はざるに非ざれども、直だ行ひの神に負けるを以つて、一旦化して異獣と為り、人に靦づる有り。故に分として見えず。(中略)曰く「君久しく飢うれば、我に余馬一疋有り。留めて以つて贈と為さば何如」と。虎曰く、「吾が故人の俊乗を食らふは、何ぞ吾が故人を傷つくるに異ならんや。願わくは此れを反さん」と。傪曰く、「食籃中に羊肉数斤有り。留めて以つて贈と為さば可ならんか」と。曰く、「吾方に故人と旧を言ふ。未だ食ふに暇あらず。君去るとき則ち之を留めよ」と。

虎は旧友の願いを一つ聞いてくれないかと、袁傪に言う。李徴の僕者は、彼が失踪した際、財産を奪って逃げてしまった……

吾が妻孥は尚ほ虢略に在り。豈に我が化して異類と為れるを知らんや。君南より回らば、為に書を齎して吾が妻子を訪ひ、但だ云へ、我已に死せりと。(中略)昔日の分、豈に他人能く右らんや。必ず望む、其の孤弱を念ひ、時に之を賑䘏し、道途に殍死せしむること無くんば、亦恩の大なる者なり」と。

二十章に近い詩を暗誦し、その伝録を依頼し、さらに即興の詩を吟じた虎は、自分が虎になった理由を語る(「行ひの神祇に負ける」ことの具的内容)。

南陽の郊外に於いて、嘗て一孀婦に私す。其の家竊に之を知り、常に我を害せんとする心あり。孀婦是れに由りて再び合ふを得ず。吾因りて風に乗じて火縦ち、一家数人尽く之を焚殺して去る。此れを恨みと為すのみ。

虎は最後に、帰路この道を通ることを禁じ、自己の醜悪な姿を袁傪に遠望させる。

行くこと数里にして嶺に登りて之を看れば、則ち虎林中より躍り出でて咆哮し、巌谷皆震ふ。

後南中より回る。乃ち他道を取りて復た此に由らず。使を遣はして書を及び賻贈の礼を持たしめ、徴の子に訃せしむ。月余にして徴の子虢略より京に入り、傪に詣りて先人の柩を求む。傪已むを得ず、具さに其の伝を疏し、遂に己が俸を以つて徴の妻子に均給し、飢凍を免れしむ。傪、後、官兵部侍郎に至る。

   *   *   *

[やぶちゃん注2:対照表は同じく二十五歳の時に、明治書院の授業案の中にあった対照表を参考に造ったものである。もとのベースが確か明治書院の指導書にあったものなので思い入れがなく、紙ベースは廃棄してしまって残っていない。上段に「山月記」を、下段「人虎伝」を配して、各段ごとに対照させたものだが、多くの箇所を空欄にして作り、そこを生徒に埋めさせる形式のものである(但し、実際には生徒に空欄部を答えさせるのは難しい。寧ろ、対照表を完成させながら両者の決定的違いを教授する資料として使用した)。電子データで文字だけ残っているものを元に今回新たに作りなおしたものを以下に示しておく(ブラウザの関係上、まず上段の「山月記」パートを、次に下段の「人虎伝」パートを示す。アラビア数字は段数(「人虎伝」では相当部分)で、改行ごとに上下で対応するが分かり難いのでアルファベットの大文字小文字で対応させた。プリントでは段落内では点線で区切っておいた方がよい)。対照表を御自身で作成される際の参考にされたい。対照表自体はこの授業に必須アイテムであると私は考えている。特に「人虎伝」の構成がホラー趣味満載であること、その伏線の張り方が正統的怪談の常套である点を指摘することが肝要である。変形のカニバリズム(虎であるが人間であるからかく言う)を味わうためにはカニバリズムの脱線が必要である。更にここでは「人虎伝」との決定的な差違として、原典では人間李徴の意識は虎の中に全的に覚醒しており、「山月記」のように(下記の〈M―m〉パート)獣としての虎だけの意識になることも、「虎」と「人間」の意識の交代的現出も、その「人間」の心の時間の短縮化も一切語られていないという決定的相違点にも、生徒に自律的に気づかせたい。また、妻子の依頼を最後に回した中島敦の改変意図をも問題提起すべきであろう。]

   
「山月記」と「人虎傳」の相違点

「山月記」


A 【なし】
B 詩家として死後百年に名を残したいという野心があった。
C 再就職するも、自尊心を傷付けられ、性格もさらにすさんでくる。
D 性格上の問題から発狂〔心因性精神病〕。
E 【なし】


F 李徴子
G 「温和な袁傪の性格が、峻峭な李徴の性情と衝突しなかったためであろう。」
H 「後で考えれば不思議だったが、その時、袁傪は、この超自然の怪異を、実に素直に受け入れて、少しも怪しもうとしなかった。」


I 「自分は初め目を信じなかった。……全く、どんなことでも起こり得るのだと思うて、……しかし、なぜこんな事になっのだろう。分からぬ。……自分はすぐに死を想うた。」
J 虎となり、たちまち兎を食う。「それ以来今までにどんな所行をし続けてきたかった。それは到底語るに忍びない。」〔カニバリズムの朧化〕
K 【なし】
L 【なし】
M 人間は何か他のものだったのではないかという、生の実体についての疑問や激しい虚無感と、「一日の中に必ず数時間は、人間の心が還(かえ)って来る。……しかし、その、人間にかえる数時間も、日を経るに従って次第に短くなって行く。……己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じている」という獣性と人間性との二重の恐怖に苦しむ李徴。
N 【妻子のことに関わる下記の「人虎伝」部分はここにはなく、第6段で最後に依頼されている】


O 「しかし、袁傪は感嘆しながらも……どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがあるのではないか、と。」


P 自己分析によって「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」という内面を制しきれず、ついに虎と化したのであるとする変身の理由を述べる。〔李徴の内面に変身の主因を求める〕


Q 別れに臨んで、妻子のことを依頼し、自省的告白をする。


R 「虎は、既に白く光を失った月を仰いで二声三声咆哮したかと思うと、またもとの叢に踊り入って再びその姿を見なかった。」
S 【なし】

   *

「人虎傳」

a 李徴は、皇族の子。
b 【なし】
c 再就職し、人民に歓迎されて、多くの貢ぎ物(賄賂)を得て裕福で幸福な生活を送る。
d 疾(やまい)のため発狂〔内因性精神病〕。
e 李徴の失踪後、僕者(家来)が彼の財産を奪って逃走。


f 隴西子
g 【なし】
h 【なし】


i 【なし】
j 虎となったが、初めは生肉を食うなど忌わしくて生き物を食わなかった。しかし飢えに耐えられず襲って食った。しばらくすると、獣たちが私を怖がって皆逃げてしまい、飢えが迫った。そんなある日、遂に一人の婦人を襲って、食ってしまった。その肉はすこぶる甘く美味しいものだった。その人の簪(なんざし)は今もねぐらの岩の下にある。その後はもう、多くの人を襲ってはことごとく食った〔メタフィジックなカニバリズムの恐怖Ⅰ〕。
k 虎になったのは、「行ひの神祇に背ける」がゆえである〔虎になった原因のほのめかし〕。
l 飢えに迫られた李徴(虎)に、馬や羊の肉を与えようかと袁傪が申し出る〔メタフィジックなカニバリズムの恐怖Ⅰ〕。
m 【なし】
n 最も気掛りなこととして、妻子のことを依頼する李徴。


o 【なし】


p かつて、一人の未亡人を愛し、その家の者に反対された結果、その家に火を放ち、家人は勿論、その未亡人さえもことごとく総て焼き殺した報いであろう。〔隠された放火惨殺事件の告白とそれに起因する仏教的因果応報に変身の主因を求める〕


q 【「人虎伝」では既に第3段相当部分、再会の冒頭に於いて〈一番気掛りなこと〉として依頼済】


r 「行くこと、数里にして嶺に登りて之を看れば、則ち虎林中より躍り出でて咆哮し、巌谷皆震ふ。」
s 都に帰った袁傪は李徴の死を家族に告げるが、その子に死体の引き渡しを迫られ、真実を語った上、自分の給与の一部を割いて遺った李徴の家族の生計を支えた。後に袁傪は兵部侍郎にまで上った。
   *   *   *


第三段 変身
□李徴の人生観・運命観
○「我々生き物のさだめ」
=「どんなことでも起こり得る」ということ
=「理由も分からずに……生きてゆかねばならぬ」ということ
=〈人間存在そのものの不条理性〉の告白
○「なにかほかのものだったんだろう」

輪廻転生(りんねてんしょう)

李徴の運命観に基づく変身の副次的理由?

「生」の実体に対する根本的疑義=「生」に対する絶対的ニヒリズムの表白

「いや」! 実は本作の基本主題から見れば、「そんな事はどうでもいい」ことなのかも知れない……

○食人の朧化(*原典対比を再度させて換骨奪胎による翻案であることをフィード・バックさせる)

○一人称に見られる自意識の明確な区別(*次のアンビバレンツと密接な関係性があることに気づかせる)
「自分」~人間
「おれ」~異類(虎)

○二重の恐怖心の告白~二律背反のディレンマ
①人間として虎の残酷な行為を悔いる倫理的苦悩への恐れ
②人間性の喪失に対する恐れ
*この苦悩が如何に凄絶であるかを十二分に理解させること。



第四段 詩
○李徴の芸術至上主義的心情
芸術は人生・社会・道徳など他の目的の「ために使われる」ものなのではなく、美の表現や創造という、芸術行為自身にこそ目的があり、「芸術という存在や概念にのみ絶対的価値が内在する」という芸術観。
*「宇治拾遺物語」絵仏師良秀・芥川龍之介「地獄変」・芸術的価値はしばしば反社会的である・
Lucy in the Sky with Diamonds・パフォーマンス(ダリのセーヌ川金塊投げ入れ/イヴ・クラインの「飛ぶ」とその結末)etc.

○自己の存在理由(レゾン・デトール 
raison d'êtreに求める

☆疑義1 李徴は詩人として名を残すという名誉欲を持っていなかったか?
「詩人面をしたいのではない」
~ここではあくまで〈存在理由(レゾン・デトール)〉であることを完全主張している
  ↑
 しかし
  ↓
「詩集が……夢に見ることがあるのだ」
~詩人の名声への無意識下の願望があった(*李徴のために、夢であるから「無意識下の」を挿入する)

・格調高雅…文章の調子が高く、優れている。
・意趣卓逸…詩の構想・心情がずば抜けて優れていること。

○第一流の作品となるには欠けているところがあるのはなぜか?
①言葉では表現できない芸術的霊感に欠けているからか?=〈才能不足〉
②李徴の内面の問題性があり、それが作品に表れたためか?=〈後段への伏線的要素〉
*所詮は①である/でしかない。
②は教師用指導書にしばしば書かれてあるが、如何にもな下らぬ言説であることを暴露しておくこと。
[やぶちゃん補注:実は私は四十代になるまで、①を示さず、教師用指導書を鵜呑みにして②を理由として板書し、平然としていたことを告白しておく。しかもご丁寧に私は、「山月記」の結末近くでは、その欠けていたものは「愛」であったのかも知れない、などと口頭で、まことしやかに述べていたことをも自白したいのである。私がこの②を否定するようになるためには、もう少し、私が無為に年をとり、私から創作者としての野心が微塵もなくなり、その結果として、私の中での「山月記」の私なりの素直な自律的な読みが熟成する必要であったということなのである。則ち、今、私は単に――李徴にミューズは霊感の桂冠を授けなかった――詩人の光栄は李徴に遂に訪れなかった――という世間的事実が、ここでは「山月記」の李徴という悲劇的存在を、さらに悲惨に駄目押しする効果を与えている、若しくは、与えているに過ぎない、と私は今は解釈している、ということなのである。――そもそも制御すべき「性情」を美事にコントロール出来、また世俗的な「愛」の形を十全に湛えた人間だけが――真の「第一流の」詩人になれるのだとしたら――だったら――ヴィヨンもボードレールもヴェルレーヌもランボーも、また藤村も白秋も朔太郎も拓次も槐多も亀之助も――そして私は特にここに龍之介をも加えたい――皆、彼らの詩は、それこそどこれもこれも――「第一流の作品となるのには、何處か(非常に微妙な點に於て)缺ける所があ」ったことになるはずであり――それはとりもなおさず彼らが「第一流の」詩人ではなかったのだ――ということになりかねないからである。これは明らかに命題として「偽」であるとしか、私には思われないのである。寧ろ、社会的人間の全一性と詩人とはしばしば相容れないと言ってさえよい。また、私が挙げたのが総て近代の詩人であることへの批判や、李徴は中国文学に於ける王道としての「仕官の文学」に於ける君子としての詩人を目指したのだという反論に対しては、後述するように「山月記」に於ける論点自身が近代人の心情としてのアンビバレンツを問題にしているように、議論自体の俎上が既に間違っている、とのみ言い添えておきたい。中島敦が「山月記」世界に於いてそのような往昔の君子論的詩人論を基本に置いているなどと考える方は、恐らく――少なくともこの私の注まで読み進めて来てくれた方には――一人としていないと私は確信しているものであるが――それでも承服出来ないとなれば――私の愛する詩仙李白や鬼才李賀を挙げれば、こと足りるとだけ最後に申し添えておこう。]

☆李徴の即興詩
  偶因狂疾成殊類

  災患相仍不可逃

  今日爪牙誰敢敵

  當時聲跡共相高

  我爲異物蓬茅下

  君已乘軺氣勢豪

  此夕溪山對明月

  不成長嘯但成嘷


偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃
(首聯訓読)
 たまたま狂疾に因りて殊類しゆるいと成る
 災患 相ひ仍つてのがるべからず
(首聯現代語訳)
 ふとしたことから精神を病み、狂気の結果、身は畜生となってしまった……
 災難が内からも外からも襲ってきて、この不幸な運命からもはや逃れるすべはない……

今日爪牙誰敢敵 當時聲跡共相高
(頷聯訓読)
 今日 爪牙さうが  たれか敢へて敵せんや
 當時は聲跡 共に相ひ高かりき
(頷聯現代語訳)
 虎の身となった今、俺のこの鋭い爪や牙に、誰があえて敵対することができようか、いや、だれにもできぬ……
 思えばかつて一緒に進士に登第したあの頃、俺も君もともに秀才と褒められもし、それだけの業績も残したものだった……

我爲異物蓬茅下 君已乘軺氣勢豪
(頸聯訓読)
 我れは異物と爲りて蓬茅ほうばうもとにあれども
 君は已にえうに乘りて氣勢 豪なり
(頸聯現代語訳)
 ところが今、俺はけだものとなって叢に隠れ、
 一方、君は出世し、立派な車に乗ってすばらしい勢いではないか。

此夕溪山對明月 不成長嘯但成嘷
(尾聯訓読)
 此の夕べ 溪山 明月に對し
 長嘯を成さずして但だかうを成すのみ
(尾聯現代語訳)
 この夕べ、渓谷や山々を照らす明月に対峙し、
 長く詩をうそぶくことも出来ず、ただただ、悲しみのあまり……短く、吠え叫ぶ、ばかりだ……。

【以下、2017年1月8日追加】

★私はこの詩を中国語で聴いたことがない。嘗て教師時代、教科書会社の教案附録等などでも目にしたことも聴いたこともなかった。そこで中国語に堪能な私の教え子に、これを朗読して貰い、音声データをかなり以前に送って貰ってあった。容量が大きいので仕舞っておいたのだが、サイト容量が大きくなったので、遅まきながら、今日、ここ

★李徴の詩中国語読み★(ダウンロード形式 9.78MB)

にアップする。李徴の「絶対のかなしみ」が生(なま)で伝わってくる…………。


第五段 虎
・郷党の鬼才…郷里の仲間達の中で極めて優れた才能の持ち主。
・切磋琢磨…「切」=(宝玉の原石を)岩塊から切り出すこと。
      「磋」=石でこすってみがくこと。
      「琢」=つちやのみで打ってみがくこと。(*ダイヤのカット)
      「磨」=石や砂でこすって滑らかに仕上げること
 ①知徳をみがく。
 ②友人などが励まし合い共に向上する。
 ☆ここでは両方の意味を合わせて用いている。

◎自己分析と自省~彼自身の内面の二律背反の冷徹にして凄絶な自己分析

①臆病な自尊心
自尊心が人一倍強いために、それが傷つけられることを極度に恐れ、そうした事態になることに対して異常に敏感になって、ちょっとした行動でも恐れを感じ、尻込みする心理。
(*プライドの高い奴に限ってつまらないことをいつまでも根に持って気にしているのは自尊心を傷つけられることに対して神経症的なフォビアがあるからである)

②尊大な羞恥心
羞恥心が人一倍強いために、羞恥心を抱く機会を持つまいと、わざと偉そうな態度をとって、殊更に他人を避けようとする心理。
(*如何にも偉そうにしていれば人は普通嫌がって寄って来なくなるから恥をかくことも当然の如くなくなる。地球上に君一人しかいなければ素っ裸でも恥ずかしくない)

但し!

☆臆病な自尊心=尊大な羞恥心
であり
同一の心理を言い換えたに過ぎない!
↓とすれば
[A]「進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。」
[B]「己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。」
の部分は①②の両方で説明出来るはずである
↓やってみよう!

[A]「師に就いたり」「詩友と交わっ」たりして、自分の詩が批判されたり、馬鹿にされたりしたら、
①才能があると思っている自分の自尊心が傷つけられるに違いないと極度に恐れた。
②恥ずかしくてたまらなくなるので、わざと偉そうな態度をとって人を遠ざけた。

[B]「俗物」連中の仲間になれば、
①そんな無能な奴らと一緒にいることで、自尊心が傷つけられるに違いないと恐れた。
②そんな下らない奴らと一緒にいれば、当然、自分自身が恥ずかしくてたまらなくなるに違いないので、わざと偉そうに振る舞って仲間にはならなかった。

☆「臆病な自尊心=尊大な羞恥心」である証左
「……ますます己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる……」と言っている文脈の後半では「……おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった、虎だったのだ。」と言っている点。

☆内面の二律背反の明示
「珠」~才人
「瓦」~無能な凡人

(ア)『自分が優れた才能の持ち主でなかったらどうしよう』という恐れから

(それが分かるのは怖いので)努力して勉強しようとはしなかった。

(イ)『自分は優れた才能の持ち主なのだ』と半ば信じる自負心があるから

(他人とは違うのだという強い自意識が働いて)何もせず、平凡でつまらない連中と仲間になることはできなかった。

○「性情」~ここでは限定的な意味
人間が生まれつき持っているところの性質と心情(これが本来の「性情」の意味)の中でも、問題性を孕むところの虚栄・自負・利己などの〈制御すべき心中の欲望〉

・警句を弄しながら…気の利いた奇抜な感想を簡単に述べた句をもてあそびながら。

◎李徴変身の主因
臆病な自尊心=尊大な羞恥心=(自意識の過剰+自信の欠如)の共存状態

   ↓
内なる「虎」=〈制御すべき心中の欲望〉たる「性情」を飼いふとらせてしまった~変身の主因
   ↓
☆その結果として残ったものは
『自分には詩人の才能が不足しているのかも知れない』と自分が内心思い続けているということが、人に知れてしまうのは嫌だ、という卑怯な恐れ
   +
努力して勉強することをいやがる怠惰
だけであった
↓これも
虎[=☆近代人の心情]
(*これが遍在的な近現代人の心情であるからこそ我々はこの奇天烈な虎人間の、一見、嫌な奴に見える李徴に、深く共感するのである!

☆虎に変身し、近い将来、人間の心を消失する(そこに至る漸近線的状況の地獄を感じよ!)李徴が、すこぶる「人間」的な近代的感性と近代的悟性とによって、過去の自らの内面にこそ猛獣「虎」としての畸形的な近代的人間の醜い願望と欲望を見出してゆくというパラドキシャル(逆説的)でアイロニカルな(皮肉な)語りとしての「山月記」

◎空谷に向かって吠える虎のイメージ映像のシンボルするもの
★不条理な「生」への虚無感
★「詩」への病的なまでの執着心
★誰にも理解されない内「心」の苦悩
に囚われた
★李徴の〈絶対の孤独〉の表出



第六段 愛
○人間性の根底にあるところの愛に目覚めた悲しい自嘲

もはや取り返しのつかない悲劇性が、無惨にもダメ押しで強調される効果を持つ。



第七段 エピローグ
咆哮する虎~「詩」と「友情」と「愛」を巡る芸術家の悲劇
☆映像的処理(ロング・ショット)
――丘と
――虎と
――白く光りを失った月


附記
◎作家論的作品論の視点~李徴に投影された作者中島敦の影(作品に現れる虚無的なイメージと作家の生活史の類似箇所)
【生涯を通じて見え隠れする愛の欠損と死の影】
・「母」が三人変わる。生母とは一歳前に生別。(*但し、継母との関係は良好であったと言われる。しかし寧ろ、良好に保とうとしたことによって生じたストレスが私にはあったやに感じられはする)
 しばらく父と別れ、祖母に育てられる。
 五歳で祖母、十四歳で継母が死に、さらに第三母(享年二七歳)も彼が十六歳のときに死んでいる。
・三人の弟妹の死
・自分の女児の死
・十九歳から発症した宿痾の喘息
・外圧としての暗い時代背景
大戦直前の日本の軍国主義化(*文学史年表を開かせ、第二次世界大戦中の文学的貧困を確認させる)

・内圧としての二律背反
小説家としての敦     ←→ 父・家計維持者としての敦
      ↓    〈二律背反〉    ↓
芸術至上主義者としての敦 ←→ 「より良き」社会的生活者としての敦

昭和十七(一九四二)年十二月喘息により死去、満三三歳。