やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇へ
鬼火へ

和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類へ
和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部へ

和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚へ
和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚へ
和漢三才圖會 卷第五十  魚類 河湖無鱗魚へ
和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚へ
和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔類へ

和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部 龜類 鼈類 蟹類  寺島良安


        書き下し及び注記 
copyright 2008 Yabtyan

        (最終補正2008年4月20日 午後5:16)

 

[やぶちゃん注:本ページは以前にブログに記載した私の構想している「和漢三才圖會」中の水族の部分の電子化プロジェクトの最後の巻である。

 「和漢三才圖會」は江戸中期、大坂の医師寺島(てらじま)良安によって、明の王圻(おうき)の撰になる「三才圖會」に倣って編せられた百科事典である。全105巻81冊、約30年の歳月をかけて1712年(正徳2)頃(自序が「正徳二年」と記すことからの推測)完成、大坂杏林堂から出版された。

 本文テキストの底本は1998年刊の大空社版CD-ROM「和漢三才図会」を用いた。但し、本文中に用いた各項目の画像データは、当該底本に発行者による著作権主張表記があるので、平凡社1987年刊の東洋文庫訳注版「和漢三才図会」が所載している画像を取り込んだものを用いている(一部の汚損等に私の画像補正を行っている)。なお、これについては文化庁の著作権のQ&A等により、保護期間の過ぎた絵画作品の複製と見做され、著作権は認められないと判断するものである。

   *   *   *

【凡例】

・テクストは二部構成とし、次のような各項目内での連続二部構成をとった。

①前半:字配りを意識した、原則、本文漢字(項目頭の平仮名読みと中国名カタカナは例外)のみの「白文翻刻」で、②との間を * の記号で区切った。

②後半:良安の訓点に従いながら、オリジナルに補正を加えて読み易さを追求した「やぶちゃん読解版」。一部の字配りを無視し、文中文末に私の注を自在に附したもので、 *** の記号で次の新項目との間を区切った。

・②の訓読に際しては読み易さを考え、カタカナをすべて平仮名に改めた。①・②の本文で共通して唯一カタカナとしたのは中国音を示した部分のみである。訓読は漢文書下しの原則に則り、助詞・助動詞以外は漢字のままとした(但し、副詞「稍」は私が字面上、違和感を覚えるのでひらがなとした)。

・底本の中央にある柱(表題・巻数・帖数)は①の右頁に当たる部分の最初にのみ■を頭に附して表示した。②では省略した。なお、本巻の柱には巻数のみで、他巻にある「卷」の表記がない。

・底本でポイントが大きく示されている項目名のみはポイントをあげた。

・ポイント落ち二行で示された割注は【 】で本文同ポイントで示した。

・表示できない字は※を用い、近くの[やぶちゃん字注]で示した。通常は例えば、表示出来ない字が「鱈」ならば、「※1」とし[やぶちゃん注:=「虫」=「魚」+「雪」。]で示した。即ち、通常は(へん)+(つくり)の組み合わせで示してあるということである(それ以外の場合は、適宜、指示した)。

・底本の改頁は、「《改ページ》」で①に示したが、②では省略した。

・以下に示すような特異な字形例については通例字体を採用して、原側として注していない
(例:「蚌」→(つくり)が「半」・「腸」→(つくり)の「日」の上に(なべぶた)・「煮」→(れっか)が「火」等)。

・表記された正字を旨としたが、底本の字自体が明白に俗字と思われる場合、私の判断で当該俗字そのままの表記に従った部分もある。
(例:良安は「殼」を殆んど「殻」で書いている)。

・①・②を通して底本の誤字と思われるものについては〔→ 〕で、脱字と思われるものについて、〔 〕で示してある。

・①の白文中で極めて特異な古字・別字用法と思われるものにのみ〔= 〕で現在の通用字体を示した(うるさくなるので少数に留めた)。

・②では読解版という便を考えて、①で示した明白な誤字・脱字については、①で〔 〕内に示した補正字に代えて本文を訓読した。その際には、良安が引く「本草綱目」については、国立国会図書館蔵の金陵万暦18(1596)年刊『本草綱目』初版で確認した。

・②では、良安の振ったルビは( )で示したが、読みが不完全・不便なために追加した送り仮名及び濁点のかなりの部分(すべて歴史的仮名遣いを用いている)は、私の補正であることを原則として断っていない(記号等を用いることで逆に読み難くなることを避けるためである)。但し、どうしても私自身でオリジナルに大幅に補綴して読まざるを得ない部分や、読解に困難な難読字で私がルビを振ったものは、〔( )〕で示した。なお、中国語の該当名や、李時珍の「本草綱目」の場合、その名詞に読みを振ること自体、私は余り有用性を感じない(中国音で示すのならまだしも)ので、難読字等、必要最小限に留めている。

・②で、複数の漢字を合わせて特異な当て読みをしている場合、「如-今」のように「-」で当該漢字を連結し(ちなみに良安はこの記号を字間の左に好んで熟語記号として用いている)、その後ろに「(いま)」という風に読みを示した。

・②で、当該語句が後注を立てる必要性まで感じさせない字句について、本文中〔 〕内で理解しやすい別字を「=」を用いて示したり、さらに意味のとり難い字句には「:」で簡明な意味を施したりした。

・難解な語や注釈を必要とする語句などは原則として、該当部分に下線を引き、②の後ろに注としてまとめて出した(「三才圖會」及び良安が多用する「本草綱目」はこの注内での説明で終わりとし、以下、省略した)。

・判読不能の字は□で示した(□の直後に〔→ 〕表記がある場合は私の推定した字を示す)。判読に悩んだ字については、一部、大阪中近堂から明17(1884)年から21(1888)年にかけて刊行された「和漢三才圖會」(国立国会図書館画像PDF版)及び上記平凡社東洋文庫訳注版等を適宜参考にした。

・本文中、中国音を示した中に、「゜」の記号が用いられているが、これは中国音の三声であることを示す記号である。例えば「蓼螺」には「リヤ゜ウ ロウ」と振られているが、これは「蓼」の現在の拼音で示すところの、“liăo”の“ăo”に当る。

・各項目の後注冒頭では、原則として当該生物の同定(可能ならば種レベルまで、不可能なものは上位タクソンで)を行った。

   *   *   *

 ちなみに、本文中に頻繁に現われる漢方の四気五味(四性ともいう対象物の薬性を示す四つの性質「寒・熱・温・涼、及び平」と、味やその効能に基づく五つの性質「酸味・苦味・甘味・辛味・鹹味(かんみ=しおからい味)、及び淡味」)の意味については、例えば以下の鍼灸院のサイトの中医学理論による解説等を参照されたい。これについては一切注を加えていない。

 なお、凡例で述べた通り、手本となった「三才圖會」及び本文に多出する「本草綱目」については、ここに注し、以下全ての巻で省略する。同様に、頻繁に現れる幾つかの著作は最初に現れた注で、以降省略することを述べたものがある。

 「三才圖會」は明代の王圻(おうき)の著になる図解百科事典。万暦35(1607)年の序をもつ。王圻の子王思義の続集と合本すると106巻に及ぶ。天・地・人の三才(世界・宇宙に存在する万物)を、天文・地理・人物・時令・宮室・器用・身体・衣服・人事・儀制・珍宝・文史・鳥獣・草木の14門に分類して図版を添えて解説する。

 「本草綱目」は、明の李時珍の薬物書。
52巻。1596年頃の刊行。巻頭の巻一及び二は序例(総論)、巻三及び四は百病主治として各病症に合わせた薬を示し、巻五以降が薬物各論で、それぞれの起源に基づいた分類がなされている。収録薬種1892種、図版1109枚、処方11096種にのぼる。

 以下の目録は底本では「和漢三才圖會巻四十五之六目録」として「巻之四十五」の冒頭に、「龍蛇部」の後に掲載されている。ここでは都合、その柱と「巻之四十六」の「介甲部」の目録のみを翻刻してある。

 さて全体を通し、誤りを見つけた方・疑義のある方は、是非、御一報あれ。恩幸、之に過ぎたるはない。]

 

■和漢三才圖會 龍蛇介甲 巻ノ五十目録 ○ 一

[やぶちゃん字注:「龍蛇介甲」の下は空欄で「部」はない。「○ 一」の間、一字空け。]

 

和漢三才圖會卷第四十五之六目録

 

[やぶちゃん字注:「之六」は「四十の六」で四十六巻目の目録も兼ねている意味を示す。目録の項目の読みはママ(該当項のルビ以外に下に書かれたものを一字空けで示した。なお本文との表記の異同も認められるが、注記はしていない)。なお、原文では横に3列の罫があり、縦に以下の順番に書かれている。項目名の後に私の同定した和名等を[ ]で表示した。]

 

  卷之四十六

   介甲部【龜類 鼈類 蟹類】

[やぶちゃん注:良安の目録での「龜」の字は、これ以降、頭の「ク」が点状になっている上に、下部の右側の閉塞部分の中身が「※」でなく横画二本で中央部の右側の縦画に「目」を付着させたような字体であるが、全て正字に直した。]

水龜(みづがめ)         [ハナガメ]

秦龜(いしがめ)         [イシガメ]

蠵龜(うみがめ)         [アカウミガメ・アオウミガメ]

■和漢三才圖會 龍蛇 介甲 目録 ○ 一

[やぶちゃん字注:「龍蛇」と「介甲」の空欄はママ。巻数表示はなく、「○ 一」の間、一字空け。]

瑇瑁(たいまい)         [タイマイ]

綠毛龜(みのがめ)        [クサガメ?]

攝龜(へびくいがめ)       [ノコヘリマルガメ?]

[やぶちゃん注:「くい」はママ。]

賁龜(みつあしのかめ)      [欠損個体・奇形個体/アルビノ/ビルマムツアシガメ等]

鼈(すつぽん) かはかめ     [シナスッポン/ニホンスッポン]

納鼈(なふべつ)         [同定不能]

能鼈(みつあしのすつぽん)    [スッポン(欠損個体・奇形個体)]

珠鼈(たまがめ)         [同定不能]

黿(げん)            [マルスッポン]

和尚魚(おしやういを) 海坊主  [アシカ(鰭脚)亜目の水棲哺乳類]

蟹(かに)            [カニ/モクズガニ/チュウゴクモクズガニ]

※1※2(あしはらがに)     [アシハラガニ]

[やぶちゃん注:※1=「虫」+「彭」。※2=「虫」+「骨」。]

※1蜞(はうき) 沙狗蟹     [モクズガニ/チュウゴクモクズガニ]

望潮蟹(つまじろ)        [(ヒメ)ヤマトオサガニ]

石蟹(いしがに)         [サワガニ]

擁劔蟹(がざめ)         [同定不能]

[やぶちゃん注:ガザミとしない理由は注を参照のこと。]

蝤蛑(しまがに)         [ガザミ/タカアシガニ]

獨螯蟹(てぼうがに)       [ハクセンシオマネキ]

鱟(かぶとがに)         [カブトガニ]

鬼鱟(たけぶんがに) 島村蟹(しまむらがに)

                 [ヘイケガニ]

[やぶちゃん注:本件は異例に漢字で「島村蟹」という異名が記され、且つ異例にルビがある。]         

***

□本文

 

■和漢三才圖會 介甲部 四十六 ○一

[やぶちゃん字注:巻数表示はない。]

和漢三才圖會卷第五四十六

  介甲部【龜類 鼈類 蟹類】

[やぶちゃん注:ここ以降の「龜」の字は基本的に正字で記されている。]

***

みずがめ    玄衣督郵

水龜      【和名美

シユイ ツイ   豆加女】

 

本綱龜頭與蛇同故字上它從其下象甲足尾之形它古

蛇字也甲蟲三百六十而神龜爲之長其形象【離】其神

【坎】上隆而文以法天下平而理以法地背陰向陽蛇

頭龍頸外骨内肉腸屬於首能通任脉廣肩大腰卵生思

抱其息以耳雌雄尾交亦與蛇匹今人視其底甲以辨雌

雄秋冬藏穴導引春夏出蟄脱甲故靈而多壽也不可輕

《改ページ》

殺之龜老則神年至八百反大如錢夏則游香荷冬則藏

於藕節其息有黑氣如煤煙在荷心状甚分明或云龜聞

鐵聲則伏被蚊噆則死香油抹眼則入水不沈老桑煮之

則易爛皆物理之妙也

龜甲【神屋敗龜版敗將漏天機】 龜頭方脚短殻圓版白者雄也頭尖

 脚長版黃者雌也【陰人用雄陽人用雌】取之勿令中濕濕即有毒

 能補心腎血分治勞藥也龜鹿靈而有壽

 龜首常藏向腹能通任脉故取其甲【補心補腎補血皆以養陰也】

 鹿鼻常反向尾能通督脉故取其角【補命補精補氣皆以養陽也】

龜溺 治聾【滴耳】〔治〕中風不語【點於舌下】磨瓷噐能令軟磨墨書石

 能入數分也取溺法 取龜置瓦盆中以鑑照之龜見

 其影則淫發失尿急以物收取之又法以紙炷火點其

[やぶちゃん字注:「淫」の字は、(つくり)が「揺」の(つくり)部分であるが、正した。]

 尻亦致失尿但差緩耳或以松葉刺其鼻即尿出捷也

△按龜尿和墨書石及木則深染入或重紙押印一印而

 能透于下亦據此製矣蓋龜乃靈物非可輕殺者既知

《改ページ》

■和漢三才圖會 介甲部 四十六 ○二

 欲殺之情夢告折傷藥糟蒸法得免之類不少也

[やぶちゃん字注:「予」はポイント落ちで、底本では右半分にある。]

 池龜多有冬則蟄泥中春則出自有雌雄夏月掻沙地

 作窪坑生卵一巣五六箇大如鳩卵而孚初生一寸許

 暑日則上岸涯負子乾甲毎喜雨行草中食蚓未見與

 蛇交者若野池之龜然乎否

     新六 氷とけ春はのとけき池水に汀の龜も日影待けり 衣笠内大臣

みずがめ    玄衣督郵〔(げんいとくいう)〕

水龜      【和名、美豆加女。】

シユイ ツイ

 

「本綱」に『龜頭、蛇と同じ。故に字の上は「它」〔(た)〕に從ひ、其の下は、甲・足・尾の形に象どる。「它」は古へ「蛇」の字なり。甲蟲三百六十にして、神龜、之が長たり。其の形、【離。】に象どり、其の神は【坎〔(かん)〕。】に在り。上(うへ)、隆(たか)くして文あり、以て天に法(のつ)とり、下、平〔(たひら)〕にして理(すぢ)あり、以て地に法とる。陰に背き陽に向ふ。蛇頭・龍頸、骨を外にし、肉を内にす。腸、首に屬し、能く任脉に通ず。廣き肩に大なる腰、卵生し思抱す。其の息(いき)、耳を以てす。雌雄、尾にて交はる。亦、蛇と匹〔(ひつ)〕す。今の人、其の底の甲を視て以て雌雄を辨ず。秋冬、穴に藏(かく)れ、導引し、春夏、蟄を出でて甲を脱す。故ににして多壽なり。輕く之を殺すべからず。龜、老すれば則ち神あり。年、八百に至れば、反りて大いさ錢のごとし。夏、則ち-〔(はす)〕に游び、冬、則ち-節(はすの〔ふし〕)に藏〔(かく)〕る。其の息、黑氣有りて煤煙のごとく、荷心〔(はすのしん)〕に在り〔ても〕、状ち、甚だ分明なり。或は云ふ、龜、鐵の聲〔(おと)〕を聞けば、則ち伏し、蚊に噆(す)〔=吸〕はるれば、則ち死す。香油を眼に抹〔(ぬ)〕れば、則ち水に入りて沈まず老桑にて之を煮れば、則ち爛れ易し。皆、物理の妙なり。

龜の甲(かう)【神屋・敗龜版・敗將・漏天機。】 龜の頭、方にして、脚、短く、殻、圓く、版、白き者は雄なり。頭、尖り、脚、長く、版、黃なる者は雌なり【陰人〔=女〕は雄を用ひ、陽人〔=男〕は雌を用ふ。】之を取るに、濕〔:湿気〕に中(あて)ることなかれ。濕〔(うるほ)〕へば、即ち毒有り。能く心腎〔の〕血分を補ひ、を治〔(ち)〕する藥なり。龜・鹿、靈にして壽有り

龜は、首、常に藏(かく)れて腹に向かふ。能く任脉通ず。故に其の甲を取る【を補ひ、を補ひ、血を補ふ。皆、以て陰を養ふなり。】

鹿は、鼻、常に反して尾に向かふ。能く督脉に通ず。故に其の角を取る【を補ひ、を補ひ、氣を補ふ。皆、以て陽を養ふなり。】

龜の溺(いばり) 聾を治す【耳に滴〔(したた)〕る〔→らす〕。】。中風不語を治す【舌の下に點ず。】瓷噐〔(しき)〕=磁器〕を磨き、能くならしむ。墨を磨きて石に書(ものか)けば、能く入るる〔:浸透する。〕こと數分なり。[やぶちゃん注:空欄を改行とした。]

溺を取る法 龜を取りて瓦盆〔(かわらぼん)〕の中に置き、鑑(かゞみ)を以て之を照らせば、龜、其の影を見て、則ち淫を發して尿〔(いばり)〕を失す。急に物を以て之を收め之を取る。又の法、--火(しそく)を以て其の尻に點ずるも亦、失尿を致す。但し、差(やゝ)緩るきのみ。或は松葉を以て其の鼻を刺せば、即ち尿り出づること捷〔(はや)〕し。』と。

△按ずるに、龜の尿、墨に和して石及び木に書けば、則ち深く染(し)み入(こ)み、或は紙を重ねて印を押すに、一印にして能く下に透(とほ)るも亦、此の製に據る。蓋し、龜は乃ち靈物にして輕(かるがる)しく殺すべき者に非ず。既に殺さんと欲するの情を知りて、夢に折-傷(うちみ)の藥・糟蒸(かすむし)の法を告げて免るゝこと得るの類、少なからざるなり。予が蓮池、龜多く有りて、冬は則ち泥中に蟄〔(ちつ)〕し、春は則ち出づ。自ら雌雄有り。夏月、沙地を掻(か)きて窪坑〔(くぼあな)〕を作り、卵を生ず。一巣五~六箇、大いさ、鳩の卵のごとくにして孚(かへ)りて、初生、一寸ばかり。暑日、則ち岸-涯〔(きし)〕に上り、子を負ひ、甲を乾かす。毎〔(つね)〕に雨を喜び、草中を行きて蚓〔(みみず)〕を食ふ。未だ蛇と交(つる)む者を見ず。若〔(も)〕し野池の龜は然るや否や。

    「新六」氷とけ春はのどけき池水に汀の龜も日影待ちけり 衣笠内大臣

[やぶちゃん注:本種の同定には他の本草書の「玄衣督郵」「水龜」の記載や中文サイト及び亀愛好家のサイト等を総合した結果として、爬虫綱Reptiliaカメ目Testudines潜頸亜目Cryptodiraリクガメ上科 Testudinoideaイシガメ科Geoemydidaeハナガメ(シナガメ)Ocadia sinensisとする。なお、ミズガメという呼称は現在、亀の愛好家の間では淡水産カメ類の包括的呼称でしかない。しかし、時珍も良安もこの「水亀」での記述は陸ガメ水ガメの総論的記述ではある。

 「它」は、蛇が屈み曲って尾を垂れた形を象る「蛇」の原字。

 「其の形、【離。】に象どり、其の神は【坎〔(かん)〕。】に在り。」の八卦の意味は不学にして知らず、「形」や「神」が内卦なのか外卦なのか知らないが、単純に「形」が「外」形であり、「神」が内なる「心」であるならば、これは「☲☵」の、内卦(下)が坎、外卦(上)が離で構成される未済(みせい)であり、これは六十四卦の第64番目の卦として未完成・流動・新たな始動を意味する。但し、もしこの順が私の判断の誤りで逆であるとすると、この逆転した「☵☲」の組み合わせとなり、内卦(下)が離、外卦(上)が坎で構成される既済(きさい)、六十四卦の第63番目の卦で、全き状態・成就・完成を示す最高の卦であることになる。「神龜」とか、天地にのっとるとか、「陰に背き陽に向ふ」とか言っているところからは、全きものとしての後者の既済ように見える。まあ、前者だったら――そのカメをひっくり返せばヨイノダ。

 「骨を外にし」通常の脊椎動物は内骨格であるが、カメの甲羅は角質の皮骨とその下の骨板から形成された特殊なもので、外骨格と呼んでよい。

 「任脉」=任脈は、下唇の中心とあご先端の中間から体前面の正中線を通って会陰に至る経絡を言う。なお後掲の「督脉」の注も参照のこと。

 「思抱す」とは、実際には抱卵せず、遠く離れた場所から、思惟を卵に懸けて孵化させることを言う。中国の本草書を見ると龍が「思抱」するとする。

 「匹す」は「匹敵」の用字法と同じで、たぐう、合う、連れ添う、対になるという動詞である。ここでは、交尾することを言う。

 「其の底の甲を視て以て雌雄を辨ず」とあるが。正確には底の甲羅の後部(尾部)である。♂の尾は生殖器を格納するため、太くて長く出来ており、総排泄孔も縦長に♀に比して大きく割れている。対する♀の尾は短く、総排泄孔も縦には長くない。また、♂の腹部は、交尾の際、♀に乗り上げるという体位の関係上、有意に外形が凹んでいるが、♀は逆に卵を抱えるために腹腔内が大きくなっており、凹みはない。

 「導引」道家思想をルーツとし、道教で発達した長生術で、気を体内に導き入れるための呼吸及び運動術。

 「靈」は、神秘な力を持った存在という意。

 「多壽なり」は長寿を保つの意。後述の単独の「壽あり」も同じ。

 「神あり」は、霊妙で人知では計り知れない現象を起す力がある、という意。

 「香荷」「荷」のみでスイレン目ハス科ハスNelumbo nuciferaを指すのであるが、まさに叙述にある馥郁たる香を放つ花を八月に開くという美称の接頭語ととって二語で「はす」と読んだ。

 「藕節」の「藕」は音「ゴウ・グウ」で、ハスの意以外に、この字自体が「藕節」と同じく、ハスの根=蓮根の意を持っている。以下の「荷心」も蓮根を指すようだが、これらは実際に蓮根の茎(芯)の内部にカメが隠れるということではなくて、縦横に広がり群がった複数の根茎の内部にカメが隠れるという謂いであろうと思われる。

 「香油を眼に抹れば、則ち水に入りて沈まず」は、まず何の香油なのか? 亀自身がということであろうが(人間がわざわざ亀の眼に人工的な香油を塗り付ける必然性が文脈にはないから)、では、人工物ではない香油ということになる。それは何か? 何故亀は人工物でない香油を眼に塗るのか? それはそもそも本当に香油なのか? 何故、沈まないのか? そんなことをしなくてもカメは沈まないことは分かりきっているではないか!? これはカメの前肢で眼を拭うような仕草を民俗学的に解釈した(勿論、誤認の)叙述なのではないか? ……このスパイラルな疑問の連鎖!……誰か止めてくれ!

 「老桑にて之を煮れば、則ち爛れ易し。」は恐らく、「異苑」の以下の叙述に基づくものと考えられる(以下の「異苑」の原文は中文サイト「龜故事選」のものを用いたが、漢字と句読点等の記号の一部を正字その他に変更・削除した)。

 孫權時、永康有人入山、遇一大龜、即束之歸。龜便言曰、「遊不良時、爲君所得。」。人甚怪之、載出、欲上呉王。夜泊越里、纜船於大桑樹。霄中、樹呼龜曰、「勞乎元緒、奚事爾耶。」。龜曰、「我被拘縶、方見烹、雖盡南山之樵、不能潰我。」。樹曰、「諸葛元遜博識、必致相苦。令求如我之徒、計從安薄」。龜曰「子明、無多辭、禍將及爾。」樹寂而止。既至、權命煮之。焚柴萬車、語猶如故。諸葛恪曰、「燃以老桑乃熟。」。獻者仍説龜樹共言。權登使伐樹、煮龜立爛。今烹龜猶多用桑薪。野人故呼龜爲元緒。

やぶちゃんの書き下し文:

 孫權の時、永康に人有りて山に入り、一大龜に遇ひて、即ち之を束して歸る。龜、便ち言ひて曰く、「良からざる時に遊びて、君の得る所と爲る。」と。人、甚だ之を怪しみて、載出して、呉王に上せんと欲す。夜、越里に泊し、船を大桑の樹に纜ぐ。霄の中、樹、龜を呼びて曰く、「勞(いたは)らんや元緒、奚ぞ爾(しか)る事となるや。」と。龜曰く、「我、拘縶せられ、方に烹られんとするも、南山の樵を盡くすと雖へども、我を潰す能はず。」と。樹曰く、「諸葛元遜は博識なれば、必ず相苦しみても致す。如(なんぢ)と我の徒なるを求めしめん。計りて從れ、安んぞ簿(かろん)ずらんや。」龜曰く、「子明、多辭する無かれ、禍の將に爾に及ばんとす。」と。樹、寂して止む。既に建業に至り、權、命じて之を煮らしむるに、柴を萬車焚くも、語(こと)は猶ほ故のごとし。諸葛恪(しよかつかく)曰く、「老桑の樹を以て燃さば乃ち熟す。」と。獻者も乃ち龜と樹の共に言ふを説く。權、人をして桑樹を伐り之を煮らしめば、龜、乃ち立ちどころに爛す。今、龜を烹るに猶ほ桑の薪を多く用ふ。野人、故に龜を呼びて元緒と爲す。

やぶちゃんの現代語訳:

 孫権の時、永康県の人が山に入って、一匹の大亀に遭遇し、即座にこれを捕え、縛って持ち帰った。その時、その人の耳に、亀が、「いやはや、悪いときに気を許していたわい、迂闊にも私はあなたに捕えられてしまったな。」と呟くのが聞えた。彼はひどく神妙な出来事だと感じて呉王孫権に正式に献上しようと思った。(そこで都建業へと船で向った彼は)その夜、越里に停泊し、船を大きな桑の老木につないだ。その宵に、桑の樹は亀に声をかけて、「どうしたのだ、元緒よ、何故にこんな様になったのか?」と質した。亀は、「私はまずは縛られたままに煮られようとするのだが、ふん! 南山一山をそっくり薪にして、それを燃やし尽くしたって、私を煮熟すどころか、これっぽっち煮ることも出来はせぬわ。」と言った。しかし、樹はそれを受けて、「諸葛元遜〔:諸葛恪の字(あざな)〕は博識だから、必ずや苦慮しても答を出すぞ。よく考えてた方がいい、諸葛元遜を軽んじてはならぬ!」と警告した。すると亀は、「子明よ、御前こそ喋り過ぎだ! そんなことを言ったら、御前にも禍いが振りかかってしまうぞ!」と叱った。樹はそこで静かになり、すっかり黙ってしまった。(捕らえた人はこっそりとその会話を聞いていた。)さて建業に辿り着き、亀は上納の器に載せられて献上された。呉王孫権は、早速に命じてその亀を煮らせたのだが、車一万台分の柴を焚いても煮えないことは、(捕らえた人が聞いた)亀と桑の会話の通りであった。その時、近侍していた諸葛恪は即座に「老桑の木を燃やせばたちまち煮熟します。」と上奏した。直後に、亀を献上した者も亀と桑の会話の一部始終を申し上げた。孫権は、部下の者にその桑の老木を伐らさせ、それを薪として亀を煮たところ、亀はたちまちのうちに煮熟した。さて、そこで今も亀を煮るには桑の木を多く用いるのである。また、この故事ゆえに野夫(やぶ)は亀を元緒と呼ぶのである。

この桑の台詞の「諸葛元遜博識、必致相苦。令求如我之徒、計從安薄」の部分は、書き下しと訳に自信がない。識者の御指摘を俟つ。

 「物理の妙」の「物理」は万物の本性。「妙」は、人知では計り知れない自然の働きを言う。多分に道家的謂いである。

 「神屋・敗龜版・敗將・漏天機」は亀の甲羅の異名である。これらは全て所謂亀卜(きぼく)との関わりからの命名と考えてよい。言うまでもなく古代中国の祭儀にあって、亀の甲羅を焼いたり、もしくは焼いた金棒を当てたりして、その罅(これも御存知のように「卜」の字はその罅の象形)をもって占った。その神意を占った亀甲版(使用済のもの)を「敗亀」「敗龜版」と呼んだ(この場合の「敗」は、単に壊れるの意である。「敗將」も同語源と思われるが、「將」は率いる人であるから、神意に人を導き入れる者の謂いであろうか)。また、亀の甲羅の形状は家屋であり、それが神意を示すから「神屋」、さらに天意即ち天の計り知れぬ機知を漏らしてくれるものであるから「漏天機」という謂いなのであろう。

 「取る」は薬物として摂取すること。 

 「心腎の血分」の、「心」は主血と蔵神を司り、この働きが乱れると心臓機能と大脳の精神作用に関わる症状が現れ、「腎」は主水と蔵精を司り、この働きが乱れると排泄と内分泌ホルモンに関わる症状が現れる。「血分」とは熱病の症状の最も重篤なもので、出血や起立不全が二週間以上続く状態を言うので、熱病による全循環・泌尿器系の不全状態を言うか。この四字熟語で用いられることは殆んどないと思われるので、「の」を補った。

 「勞」か虚労で、心身の虚脱・過労による諸症状を指す。

 「龜は、首、常に藏れて腹に向かふ」とは、亀は首がいつでも腹の方に向かって、体内に隠れるようになっており、の意。

 「通ず」とは、その首から腹の繋がりが人の経絡である任脈と一致する、の意。機能的通底性を述べ、そこで亀の任脈的シンボルであるところの甲羅を任脈に益する薬に用いることを言うのである。以下の鹿の角の場合も、同じシステムに基づく類感的薬効論である。

 「心」及び「腎」は前注「心腎」参照。なお、この叙述から心・腎・血はすべて陰気に属するものであることが分かる。

 「命」は明白に「心」に対する概念として個別的事象として叙述されているが、よく分からない。身体的総括的生命作用を、即ち現今普通に言う「命」(いのち)を指していると解釈しておく。

 「精」は前注「心腎の血分」参照。

 「督脉」=督脈は尾骨末端と肛門の中間から背中の正中線及び後頭部の正中線を通って、脳天・眉間を経て上の歯茎の中央の上端に至る経絡を言う。先の任脈とこの督脈は、両端で絡(細い気の導管)を通して繋がっており、そこを通して気を任脈と督脈で周回させることが出来る。一種の天空の星宿の運動のシンボライズで、これを小周天と言い、気功内丹法の重要な一つとなっている。

 「鹿は、鼻、常に反して尾に向かふ」とは、鹿は鼻がいつでも尾の方に向かって、反り返るようになっており、の意。

 「溺」は尿のこと。「ばり」とも。「ゆまり」「ゆばり」の転。もとは「湯放(ま)る」で「放る」は排泄をするの意。

 「聾を治す【耳に滴らす。】。中風不語を治す【舌の下に點ず。】」=原文「治聾【滴耳】〔治〕中風不語【點於舌下】」の部分は、「本草綱目」では以下のようにもっと繊細に記されている(国立国会図書館画像より翻刻)。

(主治)滴耳治聾【藏噐】點於舌下治大人中風舌瘖小兒驚風不語摩胸背治龜胸龜背【時珍】

やぶちゃんの書き下し文:

(主治)耳に滴らせて、聾を治す【藏噐。】。舌の下に點じて、大人の中風舌瘖、小兒の驚風不語を治す。胸背を摩して、龜胸・龜背を治す【時珍。】。

この割注にある「藏噐」は人名で、唐代の本草学者、陳蔵器を指す。「本草拾遺」(人肉の薬効を記す文献として知られる)の撰で知られる。「瘖」は音「イン」で「唖」と同義、発声器官の障害を指すから、「大人の中風舌瘖」は脳卒中などによる成人の脳血管障害起因の言語障害を、「小兒の驚風不語」は小児の高熱による急性脳膜炎による言語障害を言うようである。「龜胸」は鳩胸は漏斗胸の反対で前胸壁がハトのように前方に突出した胸壁の先天性異常を言い、「龜背」は円背とも称し、農事等に従事する女性に多い症状で、脊柱骨が大きく曲り、特に腰椎部分が極端に飛び出している脊柱奇形を指す。亀胸・亀背への効能はもう類感呪術そのものである。

 「軟」はこの場合、柔らかな=滑らかな光沢を出すことの意であろう。

 「墨を磨きて石に書けば、能く入るること數分なり。」この部分を東洋文庫版では、「數分」を分量の意味に取り、「石に字を書くときは、これを數分、墨に入れて書くとよい。」と訳しているのは不審。「數分」は中国では量の単位ではない。ここは副詞的に「短い時間で」という意味であろう。その意味だけでなく、この訳文は全体が原文に忠実ではない。これは「亀の尿を用いて墨を磨り、それで石に字を書くと、瞬く間に墨が浸透する。」の意味で、それは良安の「龜の尿、墨に和して石及び木に書けば、則ち深く染み入み」の記載とも一致する。確かに「石に字を書くには速やかに浸透して消えにくい」という結果論では完全な誤訳とは言い難いが、不適切な意訳ではあると思われる。

 「瓦盆」=「缻」で、素焼きの器。

 「紙炷火」は見かけない熟語であるが、「炷」は音「シュ」で、燈油を浸して明かりを付ける燈芯、及びともし火を指す語で、動詞として灯すとも訓ずる。ルビの「しそく」は「紙燭」で、本邦にあっては松の枝を長さ50㎝程に削ったものの端を焦がし、紙を巻いて油を塗り灯をともす照明器具を言う。これは単純に紙縒りのようなものを指すか。

 「差緩るきのみ」というのは、強制失禁法にあっては、前者の鏡法と後者の紙炷火法では、前者に比して、尿の出方が少しゆっくりしている若しくは少ししか採取できないということを言うのであろう(後者の謂いが至当かも知れぬ)。

「紙を重ねて印を押すに、一印にして能く下に透る」とあるが、先の石への浸透と共にそのような事実があるかどうかは不明。ただ亀の尿酸値は高いようなことを聞いたことがある。それと関係するか? 亀にお詳しい方のご教授を願う。ただ、幸田露伴の「風流仏」の末尾、「下 恋恋恋(れんれんれん)、恋は金剛不壊(こんごうふえ)なるが聖」の冒頭に

 虚言(うそ)という者誰(たれ)吐(つき)そめて正直は馬鹿の如く、真実は間抜の様に扱わるゝ事あさましき世ぞかし。男女の間変らじと一言交せば一生変るまじきは素よりなるを、小賢(こさか)しき祈誓三昧(きしょうさんまい)、誠少き命毛(げ)に情は薄き墨含ませて、文句を飾り色めかす腹の中(うち)慨(なげ)かわしと昔の人の云たるが、夫(それ)も牛王(ごおう)を血に汚し神を証人とせしはまだゆかしき所ありしに、近来は熊野を茶にして罰(ばち)を恐れず、金銀を命と大切(だいじ)にして、一金千両也右借用仕候段実正(みぎしゃくようつかまつりそうろうだんじっしょう)なりと本式の証文遣り置き、変心の暁は是が口を利(きき)て必ず取立らるべしと汚き小判を枷(かせ)に約束を堅めけると、或書に見えしが、是も烏賊の墨で文字書き、亀の尿(いばり)を印肉に仕懸るなど巧み出(いだ)すより廃れて、当時は手早く女は男の公債証書を吾名(わがな)にして取り置、男は女の親を人質にして僕使(めしつか)うよし。(
青空文庫版より引用。但しルビはパラルビとした)

とあるのは、これを言っている。即ち証文に印を押す時に、朱肉に亀の尿を仕込んでおいて、証文の下に白紙の一枚を置いて、印を盗み取り、贋証文をでっち上げるとということであろう。亀をお飼いの方、試してみて結果を私にお伝え戴きたい。それを是非、この注にアップしたい。


 「糟蒸」とは主に中華料理(特に北京料理)に見られる酒糟(さけかす)を用いて蒸す調理法。酒糟の香りが生かされる。なお、この辺りの亀伝承(霊夢による亀のお告げ譚)は不学にして知らない。同様の類話なら河童(河伯)伝承の中に無数に見出せるのだが。それとも河童以前の古形が霊亀でもあったのだろうか。御存知の方は御一報を。その際は御記名入りでこの注にアップしたい。

 「蚓」は蚯蚓で、 環形動物門Annelida貧毛綱Oligochaetaのミミズである。

 「若し野池の龜は然るや否や。」は「もしや、普通の自然の池にいる野生の亀の場合は、蛇と交接するというようなことがあるのかないのか。」という意味で、例によって良安の口調は懐疑的である。それ以上に興味深いのは、ここで珍しく彼の自宅が描写されている点である。そうして彼は蓮と亀が好きだったという新発見である(生理的な亀嫌いならば自分の家の人工的に作った蓮池なのだから霊妙なるものとはいえ野池にでも放つはずである)。また「龜多く有り」という言い方、「沙地」「岸涯」「草中を行きて蚓を食ふ」という言い方からは砂地もあり、相応の岸(これはそれなりの高さのある池の岸を言う熟語である)もある非常に大きな蓮池であることも分かる。それを眺めることを好んだ寺島良安――私には何だか座敷に座って蓮池を眺める休日の良安の後姿が少し見えたような気がした。

 『「新六」』は、正式名称「新撰和歌六帖(新撰六帖題和歌)」で、仁治4・寛元元(1243)年成立。藤原家良・為家・知家・信実・光俊の五人の和歌を所載した類題和歌集。「衣笠内大臣」は衣笠(藤原)家良のこと(仁治元(1240)年10月に内大臣。但し翌二年の4月には上表して辞任している)。藤原定家の門弟。

 「日影待ちけり」の第五句は、原典では「日影待ちける」で連体中止法がとられている。勿論、この「日影」とは「日の光」のことである。]

***

いしかめ  筮龜  山龜

秦龜    【和名以之加米】

ツイン クイ

 

本綱秦龜處處山中有但秦地多老龜極大而壽故得名

冬月藏土中春夏秋即出游溪谷其大而可卜者曰靈龜

年至百歳能變化者曰筮龜或伏於蓍草之下或游於卷

耳芩葉之上近世知龜卜者稀故不貴也甲亦可飾噐物

《改ページ》

其頭或前臑骨【陰乾】佩之入山不迷

△按秦龜俗云石龜也采其尾陰乾※牙痛者嚙合痛處

[やぶちゃん字注:※=「齒」+「虫」。]

 則少頃痛止屢試有効

いしがめ  筮龜〔(ぜいき)〕  山龜

秦龜    【和名、以之加米。】

ツイン クイ

 

「本綱」に、『秦龜は處處の山中に有り。但し秦の地に老龜多し。極めて大にして壽(いのちなが)し。故に名を得。冬月、土中に藏(かく)れ、春・夏・秋に即ち溪谷に出でて游ぶ。其れ、大にして卜(うらな)ふべき者を靈龜と曰ふ。年、百歳に至れば能く變化する者を筮龜と曰ふ。或は蓍草(めどぐさ)の下に伏し、或は卷耳芩葉の上に游ぶ。近世、龜卜〔(きぼく)〕を知る者、稀なり。故に貴(たふと)まざるなり。甲も亦、噐物に飾るべし。其の頭或は前の臑〔(すね)〕骨【陰乾して。】、之を佩〔(は)き〕て山に入るに迷はず。』と。

△按ずるに、秦龜は俗に云ふ石龜なり。其の尾を采〔(と)〕りて陰乾しにして※-牙(むしくいば[やぶちゃん字注:ママ。])〔の〕痛む者、痛む處に嚙み合はすれば、則ち少-頃(しばらく)して痛み止む。屢々試むるに効有り。

[やぶちゃん字注:※=「齒」+「虫」。]

[やぶちゃん注:イシガメは潜頸亜目リクガメ上科イシガメ科Geoemydidaeのカメの総称。イシガメ属Mauremysがあるが、本科を生物学的に代表する模式属はオナガヤマガメ属Geoemydaである。但し、「長野電波研究所附属図書館 本草綱目 介部 龜亀類」では本種をオナガヤマガメ属に属するスペングラーヤマガメGeoemyda spengleriにまで同定している。スペングラーヤマガメ中国南部広西省(壮族自治区)・広東省・海南省(海南島)からベトナム・スマトラ島・ボルネオ島・沖縄に分布し、ほぼ陸棲ながら淡水河川沼地にも現れるところは本文の記載に一致する。しかし、この分布域は狭義の「秦」(現在の陝西省)とは一致しないので、私は留保したい。

 「蓍草」のメドグサはマメ科のメドハギLespedeza cineataのこと。「筮萩」と書くが、これは古代中国に於いて、占いに用いる筮竹の代用品としてこの草の葉を落とした枝を用いたことによるとされる。

 「卷耳」はキク亜綱キク目キク科のオナモミ(蒼耳・巻耳)Xanthium strumarium若しくはナデシコ科のミミナグサ(耳菜草・巻耳)Cerastium fontanumのいずれかである。どっちも知らない? いいや、前者はあなたはよくご存知のはずだ。ほら、小さな頃、トゲトゲのちっちゃな手榴弾を投げて友達の服に付けはしなかった? あれがオナモミの実だよ。ちなみに東洋文庫版では後者にとる。

袖につくめなもみの実に思ひいづ幼かりき貧しかりき 土屋文明

 「芩葉」はキク科ニガナ属のジシバリIxeris stoloniferaの葉、若しくはシソ科のコガネバナ(黄金花)Scutellaria baicalensisの葉(以上の場合は「きんよう」「ごんよう」「けんよう」「ごんよう」と読む)、又は種不明の水菜(「廣漢和辭典」に記す。)の葉(その場合は「ぎんよう」若しくは「ごんよう」と読む)の何れかを指す。

 「佩て」は身に着けるの意。]

***

うみかめ

蠵龜

イヽ クイ

 

蟕蠵【茲夷】靈蟕

屓贔 ※1※2

[やぶちゃん字注:※1=「句」(上)+「黽」(下)。※2=「辟」(上)+「黽」(下)。以上二行は前の「うみかめ」の下に入る。]

 

本綱蠵龜生於海邊山居水食瑇瑁之屬大如笠四足縵

[やぶちゃん字注:「瑁」の字は「冒」の上部が「田」となっているが、正字を用いた。]

胡無指爪鳴聲如茲夷故名之又云其大者曰蟕蠵小者

曰※1※2其甲名龜筒有黑珠文采斑似錦文但薄而色淺

不任作噐惟堪貼飾


[やぶちゃん注:ここに顕在的に有意な縱罫がある。]

※3※4【迷麻】鼂【音朝】 状似※1※2而甲薄肉味極美一枚有膏三

[やぶちゃん字注:※3=「兒」(上)+「黽」(下)。※4=「麻」(上)+「黽」(下)。]

 斛

うみがめ

蠵龜

イヽ クイ

 

蟕蠵〔(じい)〕【茲夷。】靈蟕〔(れいし)〕

屓贔〔(きい)〕 ※1※2〔(こうへき)〕

[やぶちゃん字注:※1=「句」(上)+「黽」(下)。※2=「辟」(上)+「黽」(下)。]

 

「本綱」に、『蠵龜は海邊に生ず。山居して水食す瑇瑁〔(たいまい)〕の屬なり。大いさ、笠のごとく、四足〔は〕縵〔(たる)める〕胡(ゑぶくろ)〔のごとくにして〕、指爪無し。鳴く聲、「茲夷(じい)」と云ふがごとし[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]。故に之を名づく。又た云ふ、其の大なる者を蟕蠵(じい)と曰ひ、小さき者を※1※2(こうへき)と曰ふ。其の甲を龜筒と名づく。黑珠有りて文采〔:文様。〕は斑にして錦文に似る。但し、薄くして色淺きは噐に作るに任〔(た)〕へず。惟だ貼り飾りするに堪〔ふのみ〕。


※3※4〔(べいば)〕【迷麻。】鼂〔(てう)〕【音、朝。】 状ち、※1※2(うみがめ)に似て、甲、薄く、肉の味、極めて美なり。一枚に膏有ること三斛〔:約320ℓ〕なり。』と。

[やぶちゃん字注:最初の行の「水食」の二字の間の中央には「」型の記号が入る。送り仮名ならば「こと」であるが、それでは意味不明であるし、良安が送り仮名を字間の中央に振ることはない。単なる熟語記号としても「水食」は和語としても異例であるし、良安は一般に熟語記号を短いダッシュで字と字の左側に引くから、違う。※3=「兒」(上)+「黽」(下)。※4=「麻」(上)+「黽」(下)。]

[やぶちゃん注:潜頸亜目ウミガメ上科ウミガメ科アカウミガメ亜科アカウミガメCaretta caretta。同定は現代中国にあって「綠蠵龜」に対して同じアカウミガメ亜科のアオウミガメChelonia mydasが当てられている点、及びアカウミガメを原料とする鼈甲製品の質が後掲するタイマイやアオウミガメに比して著しく劣り張甲製品に限る点(アオウミガメでも実際には事情は同じいがアカウミガメは有意に劣る)、後に掲げる「※3※4〔(べいば)〕」に対して食用の記述がない点(アカウミガメは肉の臭気が強く食用に適さない)等から綜合的に判断した。同亜科にはもう一種、アオウミガメ属の亜種としてクロウミガメChelonia mydas agassiziiもいるが、これは分布域が東太平洋の温・熱帯域(但し西表島での観察歴はある)で、時珍の記載に相応しいとは思われない。なお、以上の鼈甲製品については、HP「川口鼈甲装飾店」の渡辺庫輔・渡辺武彦 著「長崎の鼈甲細工について」(なんと! 渡辺庫輔とは芥川の弟子ですぞ! 例えば「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」の一〇四二書簡をご覧あれ! 彼の句があるよ!)の電子テクストの「鼈甲細工に用ひられる種類」から多大な知識を得た。

 「山居して水食す」は、陸に生活し、淡水域で捕食するということであろうが、不審。

 「瑇瑁」ウミガメ科タイマイEretmochelys imbricata。次項参照。

 「胡」は、そのルビから、牛や鵜等に見られる顎の下に垂れ下がった肉(それが捕食物を貯留する袋のように見えたことからの「餌袋」という当て読みであろう)のことを指す。

 「鳴く聲」ウミガメは発声器官は持たない(と思われる)。ただ春の季語として「亀鳴く」というのがあり、「増殖する俳句歳時記 February 21 2000の永井龍男の

   大丈夫づくめの話亀が鳴く

についての清水哲男氏の解によれば、春になって亀の雄が雌を慕って鳴くという俗説があるとし、その由来についての以下のような叙述がある。『浦島太郎に口をきいた亀は海亀(それも赤海亀の「雌」だろうという説あり・昨夜のNHKラジオ情報[やぶちゃん注:2000220日のラジオ放送ということ。聴いてみたかった。])だが、俳句の亀は川や湖沼に生息する小さな亀だ。どんな歳時記にも「川越のをちの田中の夕闇に何ぞと聞けば亀のなくなり」という藤原為家の歌が原点だと書いてある。』ある種のカエル等の鳴き声の誤認であろうが、ここで口を利いたのがアカウミガメであるというのは偶然の一致であろうか。面白い。

 「茲夷」この鳴き声には、意味があると思われるが(中文サイトの漢詩等に現れるので、いや、確かに意味がある)、「茲に夷あり」で、例えば「ここに正しい人の拠るべき道有り」か、はたまた「ここに君の友がいるよ」か――中国語に冥い私にはこれ以上の探求は不能である。

 「蟕蠵」は「廣漢和辭典」によれば、音「スイケイ」で、うみがめ、あおうみがめ、しょうがくぼう(正覚坊)とし、アオウミガメChelonia mydasに同定している(但し、私はこれに従わない)。ちなみに、この正覚坊は中国の謂いか、本邦の謂いか? 多分に後者っぽい気がするのだが。蛇足ながら、「正覚坊」は、私のような大酒呑みを指す語でもある。いいねえ! 酒飲んで正覚が得られるんなら!

 「※1※2」[※1=「句」(上)+「黽」(下)。※2=「辟」(上)+「黽」(下)。]は両字共に「廣漢和辭典」に親字として掲載せず、不明。こんな時、ケチらずに「大漢和辭典」を買わなかった若き日の自身を恨むこと頻り。トホホ……但し、ウミガメの類であることは間違いないことは(上記三種の幼亀・若亀か、それとも全くの別種かは不明)、以下の「鼂」の注を参照のこと。

 「龜筒」この語は最早、死語と思われる。

 「※3※4」[※3=「兒」(上)+「黽」(下)。※4=「麻」(上)+「黽」(下)。]は、まず割注の音ならば「メイマ」であろうが(東洋文庫版ではそうなっている)、「廣漢和辭典」によれば、表記の通り、「ベイバ」である。海産の亀の一種で、脂が多いという記載はここと同じである。私は、肉が旨い点、多量の脂肪が採取できる点等、本種がアオウミガメChelonia mydasではないかと思うのである(上記「鼈甲細工に用ひられる種類」を参照されたい)。

 「鼂」は「廣漢和辭典」に、うみがめ、とし、「晁」と同字とする(しかし「晁」を引くと虫の名とのみあってウミガメの意味記載はないんだけど……まあ古本草では確かに大雑把にいろんな動物をひっくるめて「蟲」って言ってるけどさ)。ところが、この「鼂」には王筠(おういん:清朝後期の学者。)の「説文句讀」の引用があって、『臨海水土異物志に、鼂は※1※2に似て、一名匽鼂、一枚に一枚に三斛膏有り。』(原文の漢文を書き下した)と、ここに例の奇体な字、※1※2が登場するのである。なお「匽鼂」の読みは現代仮名遣いでは「えんちょう」である。私の同定では先の通り、これもアオウミガメChelonia mydas。]

***

■和漢三才圖會 介甲部 四十六 ○三

たいまい

瑇瑁【代昧】

タイ ムイ

 

玳瑁

【俗以龜甲名

 鼈甲者甚誤】

[やぶちゃん注:以上三行は、前三行の下に入る。]

 

本綱瑇瑁生海洋深處似龜殻稍長背有甲十二片黑白

斑文相錯而成其※1邊缺如鋸齒無足有四鬛前長後短

[やぶちゃん字注:※1=「君」(上)+「巾」(下)。]

皆有鱗斑文如甲性不再交望卵影抱謂之護卵但老者

甲厚而色明小者甲薄而色暗其大者難得小者時時有

之取時必倒懸其身用滾醋潑之則甲逐片應手落下煮

柔作噐治以鮫魚皮瑩以枯木葉即光輝矣

甲【甘寒】解毒清熱之功同於犀角【入藥用生者性味全也既經湯火即不堪用】

 預解痘玳瑁犀角【各生磨汁一合】和匀温服半合日三服則未

 發者内消已發者稀少

撒八兒 乃瑇瑁遺精鮫魚呑食吐出年深結成者其價

《改ページ》

 貴如金僞作者乃犀牛糞也其眞者亦是瑇瑁遺精否

 無所詢證

△按玳瑁甲飾文匣香盒爲櫛笄※2子等黑紫色映日見

[やぶちゃん字注:※2=「竹」(上)+「息」(下)。]

 之有白赤黃橒文艶美可愛然脆易折損難繼補也近

 頃工人繼櫛齒折者聊不見其痕但炙温按之耳

たいまい

瑇瑁【代昧。】

タイ ムイ

 

玳瑁

俗に龜甲を以て鼈甲と名づくは甚だ誤りなり。】

 

「本綱」に、『瑇瑁は、海の洋(をき)深き處に生ず。龜に似て、殻、やや長く、背に甲十二片有り。黑白の斑〔(まだら)〕の文、相錯(まじは)りて成る。其の※1邊、缺(か)けて鋸齒のごとく、足無く四つの鬛(ひれ)有り。前、長く、後ろ、短し。皆、鱗〔に〕斑文有りて、甲のごとし。性、再たび交(つる)まず卵を望み、影抱す。之れを護卵と謂ふ。但し、老たる者は甲厚くして、色、明なり。小さき者の甲は、薄して、色、暗く、其の大なる者は、得難く、小さき者は、時時之有り。取る時、必ず倒〔(さかさま)〕に其の身を懸け、滾醋〔(こんさく)〕を用ひて之を潑(う)てば、則ち甲、逐(とみ)に片(へ)げて、手に應じて落下す。柔〔かに〕煮て、噐に作る。治〔するに〕鮫魚〔の〕皮を以て瑩〔(みが)き〕、枯木葉を以〔て更に瑩かば〕、即ち光輝(かゞや)く。

甲【甘、寒。】毒を解し、熱を清するの功、犀角に同じ【藥に入るるに、生なる者を用ふれば、性・味、全きなり。既に湯火を經るは、即ち用ふるに堪へず。】預(あらかじ)めを解す。玳瑁・犀角【各〔々〕生にて磨り、汁一合。】和し匀し温服すること半合、日に三服すれば則ち未だ〔痘を〕發をせざる者は、内消し、已に發する者は稀少なり

撒八兒(さ〔はち〕じ) 乃ち瑇瑁の遺精〔なり〕。蛟魚(さめ)、呑食し吐出し、年深く結成す〔る〕者、其の價、貴きこと、金のごとし。僞り作る者、乃ち犀牛の糞なり。其の眞なる者、亦、是れ、瑇瑁の遺精なるや否や、詢證する所なし。』と。

[やぶちゃん字注:※1=「君」(上)+「巾」(下)。]

△按ずるに、玳瑁の甲、文匣(ふみばこ)香盒(かうばこ)に飾り、櫛(くし)・笄(かふがい)・※2-子(みみかき)等に爲〔(つく)〕る。黑紫色にして、日に映じて之を見れば、白・赤・黃の橒-文(もくめ)〔:木目。〕有り。艶美〔にして〕愛すべし。然〔れども〕脆くして折れ損じ易く繼補し難し。近頃の工人、櫛齒の折れし者を繼ぐに、聊か〔も〕其の痕(きづ)を見ず。但、炙り温(あたゝ)め之を接(つ)ぐのみ。

[やぶちゃん字注:※2=「竹」(上)+「息」(下)。]

[やぶちゃん注:潜頸亜目ウミガメ上科ウミガメ科タイマイEretmochelys imbricata

 「俗に龜甲を以て鼈甲と名づくは甚だ誤りなり」は、私も何で「鼈」=スッポン(潜頸亜目スッポン上科スッポン科スッポン亜科Trionychinaeの仲間)の甲羅が鼈甲なの? と長く疑問であった。「鼈甲」は中国では確かに「スッポンの背甲」を指し、工芸品の「鼈甲」を指さないのである。真正の「鼈甲」は乾燥させて粉末にし、漢方で「土鼈甲」と呼んで、薬用とした。我々の知るタイマイの甲羅を煮詰めて作った材料からの工芸品としての「鼈甲」は、そもそも国字である訳だった。実は江戸時代、寛文8(1661)年の贅品輸入禁止令及び倹約令のお達しは、鼈甲の原料の玳瑁にも及んだが、それ以後も実際には取り引きされた。その際、これは瑇瑁ではなくスッポンの甲羅ですと言いくるめたところが、「鼈甲」の由来という。

ここで私は満を持して語りたいことがある。それは理不尽なワシントン条約による鼈甲細工の危機に対する怒りである。キューバではタイマイの科学的な飼育管理に成功しており、追従を許さない鼈甲技術を持つ日本の購買可能性を強く求めている。更に、そのような養殖成功を受けて、有意な数のウミガメの専門科学者による捕獲使用の好意的見解が示されてもいる。しかし、それを無視してアメリカは伝家の宝刀であるペリー修正法を適応して日本の鼈甲細工文化を破滅に導くことにほくそ笑んでいるのである。梅崎義人氏の1997年の「動物保護運動の虚像」(成山堂書店刊)によれば、鼈甲業界の本邦の従業員は当時約1500人、その内の凡そ1200人が古くからの名産地であった長崎の従事者であった。その内の歴史的職人である加工技術者の方の53人は下肢に障害を持った人々である。梅崎氏は言う。クジラやアザラシと全く同様に経済支配の白人優位を目論むアメリカの東部エシュタブリッシュメント集団によって生み出された偽善的戦略によって、科学的中立的な『正義を捨ててアメリカの圧力に屈し、小さな産業を見殺しにしようとしている政府[やぶちゃん注:アメリカの太鼓持ちと化した日本政府という謂いである。]は、転職のきかない障害技術者まで見殺しにしてはならない。』と。私は喜んでその独善的なアメリカ人に物言おう。私はヒトとしてクジラもアザラシもタイマイも「食う」。しかしそれは、君達が我々黄色人種を社会的に「食い尽くそう」とするような最下劣な目論見に比べれば、遥かにお前達の自然保護の『正当性』を凌駕している、と(但し、この鍵括弧は君等のようにおぞましい『地球にやさしい自然保護の正当性』等を豪語する程には生物的に傲慢ではないという謂いであることを忘れるな)。

 「背に甲十二片有り」は誤り。タイマイの甲羅は背甲が13枚、縁甲25枚、腹甲22枚の計59枚から成る。但し、大型の鼈甲の高級品は厚い背甲で作られるのが普通(縁甲はバラで、腹甲著しく薄い。前の「蠵龜」(アカウミガメ・アオウミガメ)の項で引いたHP「川口鼈甲装飾店」の渡辺庫輔・渡辺武彦 著「長崎の鼈甲細工について」の電子テクストの「鼈甲細工に用ひられる種類」等を参照した)。

 「※1邊」[※1=「君」(上)+「巾」(下)。]は音「クン」、襟当て、肩衣、裳、袴等を言う。背甲の周縁の襟飾りのような部分の端という意。

 「再たび交まず」とは、雌は(ということであろう)一度交尾をしたら、二度と雄と交尾をせず、の意。

 「卵を望み、影抱す」「影抱」とは「思抱」(遠く離れた場所から、思惟を卵に懸けて孵化させる)と同類で、実際には抱卵せず、こちらは近くでじっと卵を見守ることで孵化させることで、別名、護卵と言う、というのである。

 「滾醋」「滾」は、たぎる、水が沸き立つの意であるから、煮切った酢のこと。

 「潑てば」は、はねかける、そそぎ散らすの意。

 「治するに」は、整えるには、製品として仕上げるには、の意。

 「鮫魚」は、サメ。「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鮫」参照。

 「犀角」は哺乳綱獣亜綱奇蹄目サイ科 Rhinocerotidaeのサイの角を主成分とする漢方薬。サメの皮で粉末にし、ここに記すように日に数グラムを麻疹の解熱に用いるとされるが、実効力は疑わしい。

 「痘」は天然痘(痘瘡)。2005年刊行の「国際ウィルス分類委員会報告書 第8版」によると天然痘ウィルスは以下のように分類される。

 第1Group I2本鎖DNAを持つグループ

  ポックスウイルス科Poxviridae

   チョルドポックスウイルス亜科Chordopoxvirinae

    オルトポックスウイルス属ワクシニア亜群Orthopoxvirus, Vaccinia Subgroup

     痘瘡ウイルスVariola virus

但し、痘瘡ウィルスを示す場合、現在でもPoxvirus variolaeと示している記載も多い。Orthopoxvirusはオルソポックスウイルスと読むものもある。更に臨床的には2050%と比較的致死率の高いvariola major及び致死率1%以下のvariola minor にも分けられるが、この2タイプはその増殖時の温度差以外にウィルス学的な性状は区別できないとする。感染は飛沫感染及び接触感染により、1週間から2週間の潜伏期間を経て発症。病態は、40℃前後の高熱・頭痛・腰痛等の初期症状に始まり、発熱後3~4日目に一旦熱が下がるが、その後に頭部・顔面を中心に皮膚と同色若しくはやや白色の豆粒状の丘疹が生じ、全身に広がってゆく。1週間から9日目には再度40℃以上の高熱が起こり、呼吸困難等の重篤な症状を併発、発疹は膿疱に変質する。この時期に死亡率が最も高まる。一般的にはこの後23週目に膿疱は瘢痕となって治癒する(以上の病態の部分はウィキの「天然痘」を参考にした)。1980年5月8日、WHOは天然痘根絶宣言を行った(これは人類史上唯一の人為的な感染症撲滅の宣言でもある)(variola major及びvariola minorの記載については「健康NAVI質疑応答集」のこのページを参照した)。なお、天然痘は人類史上最初の生物兵器であったという話も読んだことがある。アレクサンダー大王の東方遠征で敵地に天然痘患者の着た衣服を送って戦わずして勝ったとか。

 「撒八兒」は正体不明。そもそもそのものの効用その他が記されることもなく、突如としてタイマイの遺精(霊的生物が死しても残す精気の凝集したものというような意味か)なんて、びっくりしちゃう! 思うにこれは龍涎香のことではあるまいかとまず考えた(龍涎香については「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鯨」の「糞」の注を参照)。他の可能性としては、カメの体内異物として(サメに食われて出来ると書かれているが)、数㎝の大きさの尿酸結石(但し、多くの叙述では陸棲のカメに顕著な症例。高タンパクの摂餌により血中の尿酸値が上昇し尿酸塩の結晶化が起こる)もあるが、違う感じがする。

 「汁一合」は、その粉末に水を加えて、液薬一合を作るということであろう。

 「和し匀し」は、均一になるように混ぜ合わせること。

 「温服すること半合、日に三服すれば」調合した汁一合を三分して、温かい湯を加えて半合に増やし、それ日に三回服用する、という意味であろう(そうでないと薬量が合わない)。

 「則ち未だ痘を發をせざる者は、内消し、已に發する者は稀少なり」は、天然痘独特の発疹が全く起こっていない状態で初期病変である高熱時に服用すれば、発疹が全く起こらずに完全治癒する、又、既に発疹が発症している場合は、それ以上悪化することはないことを言っている。しかしこのような、軽快は実は天然痘ではなく、初期病態が類似する麻疹・風疹の軽症のものが多かったのではあるまいか。識者の意見を俟つ。

 「蛟魚」は、原典の本来の意味は「蛟・魚」ではあるまいか。即ち、水中に住む「蛟」(みずち)や「大きい魚類」がタイマイを食物として飲み込んで吐き出した、という意でとる。何故なら「蛟」には鮫の意はなく、「蛟魚」は鮫ではなく「人魚」を指す語であるからである。しかし人魚がタイマイを好むという説は聞いたことがないからでもある。

 「年深く結成する者」とは、エイジングがかかって硬く結晶状になったもの、という意であろう。

 「其の眞なる者、亦、是れ、瑇瑁の遺精なるや否や、詢證する所なし。」の部分の原典は以下の通り。

切謂此物貴重如此必有功用亦不知[やぶちゃん注:明白な改行。]

果是玳瑁遣精否亦無所詢證姑附於此以挨博識

やぶちゃんによる書き下し文:

切に謂ふ、此の物、貴重なること此くのごとし。必ず功用有るも亦、知らず。

果して是れ玳瑁の遣精なるや否や、亦、詢證する所なし。姑(しば)らく此に附して以て博識を俟つ。

この「詢證」は、問い質す、であるから、「詢證する所なし」で、確かに明らかにする術、実証する方法はない、の意である。

 「文匣」音は「ぶんこう」、通常は厚紙に漆を塗って作った。書類・小物を入れる手文庫。

 「香盒」音は「こうごう」、香箱。香を入れる小型の容器で、通常は漆器・木地・蒔絵・陶磁器製で作る。

 「笄」は、女性の髷(まげ)に横に挿す髪飾り。金・銀・水晶・瑪瑙・鼈甲等を素材とする。]

***

みのかめ       綠衣使者

綠毛龜       【俗云蓑龜】

ロツ マ゜ウ クイ

 

本綱綠毛亀今惟蘄州以充方物養鬻者取自溪澗畜水

[やぶちゃん字注:底本では「蘄」の(くさかんむり)は(へん)の上のみであるが、正字とした。]

缸中飼以魚鰕冬則除水久久生毛長四五寸毛中有金

線脊骨有三稜底甲如象牙色其大如五銖錢者爲眞他

龜久養亦生毛但大而無金線底色黃黑爲異爾

△按太〔→大〕抵畫工所圖龜皆有長毛如綠毛龜而本朝希有

《改ページ》

■和漢三才圖會 介甲部 四十六 ○四

之者也稱光帝應永廿七年河州獻綠毛龜蓋久畜生

毛者非也尋常水龜冬藏泥中春出時甲上被藻苔青

綠色如毛捕之數撫而不脱經月則毛落如常

みのがめ       綠衣使者

綠毛龜       【俗に蓑龜と云ふ。】

ロツ マ゜ウ クイ

 

「本綱」に、『綠毛亀は、今、惟だ蘄州(きしう)より以て方物〔(はうもつ):特産品。〕に充つ。養ひて鬻ぐ者、溪澗より取りて水缸〔(すゐかう)〕の中に畜ふ。飼ふに魚-鰕(ゑび)を以てす。冬は則ち水を除く。久久にして毛を生ず。長さ四~五寸。毛の中に金線有り。脊骨に三稜有り。底甲、象牙の色のごとし。其の大いさ、五銖錢〔(ごしゆせん)〕の者を眞と爲す。他の龜も久しく養へば亦、毛を生ず。但し大にして金線無く、底色、黃黑なるを異と爲すのみ。』と。

△按ずるに、大抵、畫工の圖する所の龜、皆、長毛有りて綠毛龜のごとし。而も本朝希有の者なり。稱光帝の應永廿七年、河州〔=河内〕より綠毛龜を獻ず、と。蓋し久しく畜ひて毛を生ずるは非なり。尋常の水龜、冬、泥中に藏れ、春、出づる時、甲の上に藻苔を被(かつ)ぐ。青綠色にして毛のごとし。之を捕へて數(しば/\)撫ぜて脱け〔ざるも〕、月を經れば、則ち毛落ちて常のごとし。

[やぶちゃん注:これは広く淡水産のカメ類(潜頸亜目リクガメ上科イシガメ科Geoemydidaeの仲間等)に藻類が付着したものであろうと思われるが、「脊骨に三稜有り」という叙述は、椎甲板と肋甲板に3対の筋状隆起(キールと呼称する)を持っているイシガメ科のクサガメChinemys reevesii等を思わせる。なお、この如何にも日本人好みのウラシマタロウガメ(私の造和名・浦島太郎亀)が好きで好きで、遂に自分で拵えちゃった有名人をご存知だろうか。南方熊楠、その人なんである。今、それを読んだ確かな資料を思い出せないでいるが、南方熊楠邸保存顕彰会常任理事の中瀬喜陽氏による「南方熊楠と亀」にその事実記載があったと記憶する。熊楠の悪戯っぽい笑みが、私にはよく見える。

 「蘄州」は現在の湖北省蘄春県周辺。

 「水缸」の「缸」は十升は入るという素焼きの大きな甕(かめ)。もたい。「みずがめ」と訓じてもよい。

 「五銖錢」は中国古代の貨幣。前漢の武帝により鋳造されて以降、唐代に廃止されるまで中国史で最も長期に亙って流通した。私が実見したものは直径2.5㎝程のものであった(五銖錢は時代によって大きさも重量も著しく変化した)。実はアオイ科のゼニアオイMalva sylvestris var. mauritianaの花はこの五銖錢の大きさであるという。ゼニアオイの花は凡そ2.5~3㎝である。しかし、そうなると♂で20㎝、♀で30㎝となるクサガメChinemys reevesiiでは、その幼体と言って逃げるしかない苦しい状況に陥る。時珍の記述にある、この真の緑毛亀はかなり小さな個体群で、それはその大きさで成体であるように読める。クサガメ説はカメの首宜しく引っ込めた方がいいのかも知れない。

 「稱光帝の應永廿七年」の称光天皇は室町期、第101代天皇。武力でなく仁知によって国が治まる瑞兆とされる緑毛亀の効も空しく、病弱で、不和であった後小松天皇に院政を敷かれ、愛弟の小川宮との死別等も重なり、精神障害を患った幸薄い天皇である。応永27年は西暦1420年で、実権は将軍足利義持。義持はやはり不和であった父の義満の掣肘からやっと開放された後で(義満は応永15年死去)、応永231416)年の上杉禅秀の乱では、これに連座したとして弟の義嗣を幽閉した上、2年後に殺害し、それに関わって細川満元や斯波義重の義嗣への加担を疑うことで、有力守護への牽制を行う等、幕政の保守化を促進させた。

 「尋常の水龜」は「水龜」の項で同定したハナガメ(シナガメ)Ocadia sinensisではなく、特定種を指さない「普通の淡水産カメ類」の謂いととってよい。]

***

へびくいかめ[やぶちゃん字注:ママ。]

こかめ

攝龜

シツ クイ

 

呷蛇龜 陵龜

鴦龜  ※1龜

【和名古加米】

[やぶちゃん字注:※1=「虫」+「櫻」。以上三行は前三行の下に入る。]

 

本綱攝龜小龜也處處居丘陵狹小而長尾腹小中心横

折能自開闔見蛇則呷而食之故此肉不可食【甲亦不堪用】


鶚龜【一名水龜】 生南海状如龜長二三尺兩目在側如鶚【與前

 水龜同名而非一類】

旋龜 山海經云旋龜鳥首虺尾聲如破木佩之已聾亦

 此鶚龜之類也

△按右此等之龜本朝未聞有之

へびくいがめ[やぶちゃん字注:ママ。]

こがめ

攝龜

シツ クイ

 

呷蛇龜〔(かふだき)〕 陵龜

鴦龜〔(あうき)〕  ※1龜〔(えいき)〕

【和名、古加米。】

[やぶちゃん字注:※1=「虫」+「櫻」。]

 

「本綱」に、『攝龜、小龜なり。處處の丘陵に居る。狹小にして、長き尾、腹、小さく、中心、横に折れて能く自ら開闔〔(かいかふ)=開閉〕す。蛇を見る時は、則ち呷〔(かふ)〕して之を食ふ[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]。故に此の肉、食ふべからず【甲は亦、用ふるに堪へず。】。


鶚龜〔(がくき)〕【一名、水龜。】 南海に生ず。状、龜のごとく、長さ二~三尺。兩〔(ふた)〕つの目、側に在り。鶚〔(みさご)〕のごとし【前の水龜と名を同〔じくするも〕一類に非ず。】。

旋龜 「山海經」に云ふ、『旋龜は、鳥の首、虺(へび)の尾にして、聲、木を破(わ)るがごとし。之を佩〔(お)ぶ〕れば聾を已む。』と。亦、此れ、鶚龜の類なり。』と。

△按ずるに右、此れ等の龜、本朝に未だ之あることを聞かず。

[やぶちゃん注:本項の「腹、小さく、中心、横に折れて能く自ら開闔す」という記述が大きなポイントになる。平成十六年度茨城大学人文学科中国科学史真柳誠研究室の永谷恵という学生さんの卒業研究「亀の中国思想史――その起源をめぐって――」の「2.摂亀」の考察では、「爾雅」に記載される『腹甲曲折解、能自張閉』及び「爾雅翼」の『腹下横折』という記述にやはり注目している。以下、論文の該当部を引用する(但し記号の一部を変更した)。『これは、亀の腹甲が開閉できるようになっているハコガメ類を指している記述だと思われる。ハコガメ類は腹甲に蝶番がついており、頭・手・足・尾を引っ込めた後に蓋ができるようになっているのである。このハコガメ類というのは特定の科を指すものではなく、腹甲に上記のような特徴をもつカメを指している。ハコガメ類は曲頸下目のヨコクビガメ科や潜頸下目のスッポン科・スッポンモドキ科・ドロガメ科・リクガメ科・アジアガメ科に分類されている。[やぶちゃん注:引用元ではここで改行。]「爾雅」の『陵亀』という名称から、摂亀は陸棲のカメ、あるいは甲が盛り上がっているカメであることが推測される。「爾雅翼」には『多在陸地』という記述もあることから、陸生のカメと考えるのが妥当であろう。そうすると、リクガメ科・オオアタマガメ科・アジアガメ科に属するカメに該当するものと思われる。甲の盛り上がっているカメは、リクガメ科、一部のアジアガメ科である。一方、「小狭長尾」「亦能登木」という記述はオオアタマガメ科を思わせる。しかし、オオアタマガメの腹甲には蝶番はなく、頭を引っ込めることもできないことから、摂亀とされていたカメはこのリクガメ科かアジアガメ科のどちらかだと推測できる。』と、美事に漏れのない絞込みを行っている。補足するとこの「陵亀」という呼称は、もっと限定して背甲の筋状隆起(キール)を指しているのかも知れない。ここで言っているアジアガメ科とはイシガメ科の別名であるから、この方の見解に従えば「攝龜」の同定候補は潜頸亜目リクガメ上科リクガメ科Testudinidae又は同じリクガメ上科のイシガメ科Geoemydidaeのカメということになろう。なお、中文サイトを縦覧すると「鋸縁攝龜」「齒縁攝龜」という名を見かけるが、振られる学名は様々で分布域を調べると中国には生息しない種であったりする。同定候補の一例と思われるものを挙げておくとイシガメ科マルガメ属Cyclemysの仲間、又は同属のノコヘリマルガメCyclemys dentataである(但し、この種が腹甲を開閉できるタイプであるかどうかは確認していない)。

 「呷して」は、「呷」は音「コウ」で、①吸う。呑む。②大声。かまびすしい、(「呷呷」という熟語には「コウコウ」という擬音的な印象がある)といった意味がある。「吸って」とも訳し得るが(東洋文庫版もこれを「呷(の)んで」とルビするが)、私は「大声を挙げて」と訳したい。「呑み込んで」「之を食う」よりも、「コウコウと雄叫びを挙げて」「之を食う」方が私はしっくりくるのである。カメは鳴かないだろう? いや、前掲の「蠵龜」(ウミガメ)の項の注「鳴く聲」を御覧あれ。鳴くと信じられた時代の話なのである。更に、続く「旋龜」の記載を見られたい。ほれ、木を割った時のような鋭い声を挙げるんですよ!

 「故に此の肉、食ふべからず」現今、蛇料理は現地の中華料理でまま目にするが、ここではどのような蛇を捕食しているか分からないから、この亀の肉を食用としないということである。しかし、現在でも毒蛇も普通に食用としているし、実際に捕食者の体内で毒蛇の毒が食用毒として保存されることは稀であろうから説得力はないと私は思うのだが。

 「鶚龜」及び「旋龜」は、「本草綱目」の「攝龜」の直前に「鶚龜」を綱目として掲げ、その中の「(附録)」として「旋龜」が記されている。今まで、気づかなかったが、良安のこの巻によっては有意に多用される縱罫はそのような前後の引用変更を示すのであろうか(未検証の感想)。

 「鶚」は鳥綱タカ目ミサゴ科ミサゴPandion haliaetusを指す。ワシタカ類でミサゴの眼が優位に頭部の側面についているように見えるかどうかは、鳥類の苦手な私には分からない。

 『「山海經」』は、作者・成立年代未詳の中国古代の地理書。古い記述は秦・漢頃のものとされ、洛陽を中心としながら多分に幻想的な地誌が展開、神話や伝説等も抱え込んだ驚天動地の博物書である。晋の郭璞(かくはく)の注で著名。]

***

みつあしのかめ 三足龜

賁龜

フン タイ〔→クイ〕

 

山海經云狂水西注伊水中多三足龜

唐書有獻六眼龜 大明會典云暹羅國獻六足龜

宋史云獻兩頭龜此又前人所未知者也

△按日本紀天智帝九年邑中龜背書申字上黃下玄長

 六寸許 元明帝和銅八年獻靈龜【長七寸闊六寸左眼白右眼赤首著

 三台背負七星前脚有離卦後脚有一爻腹下赤白兩點相次八字】

 聖武皇帝天平元年獻異龜背有天王貴平知百年文

 字 光仁帝寶龜正親町院元龜之年號共據獻兩頭

 龜其余所載于史之靈異龜亦不少

 清和帝【貞觀十七年】自肥後國獻白龜在原行平及羣臣賀

《改ページ》

■和漢三才圖會 介甲部 四十六 ○五

 之帝曰禎符之降必應盛徳方今運非光華國多災異

 水府使孰爲來哉疑是青蓮之遊無心而出何偸天祉

 以爲己榮辭逐不受

みつあしのかめ 三足龜

賁龜

フン クイ

 

「山海經」に云ふ、『狂水は、西のかた、伊水の中に注ぐ。三足の龜、多し。』と。

「唐書」に、『六眼の龜、獻ずること有り。』と。

「大明會典」に云ふ、『暹羅(シヤム)國より六足の龜、獻ずる。』と。

「宋史」に云ふ、『兩頭龜を獻ずる。此れ又、前人の未だ知らざる所の者なり。』と。

△按ずるに、「日本紀〔=日本書紀〕」『天智帝九年、邑(むら)中の龜の背に「申」の字を書(しる)せり。上、黃、下、玄(くろ)し。長さ六寸ばかり。』と。

元明帝和銅八年、靈龜を獻ず【長さ七寸、闊さ六寸。左の眼、白く、右の眼、赤し。首に三台を著はし、背に七星を負ひ、前脚に離の卦有り、後脚に一爻有り、腹下〔に〕赤白の兩點、「八」〔の〕字を相次ぐ。】。

聖武皇帝天平元年、異龜を獻ず。背に「天王貴平知百年」と云ふ文字有り[やぶちゃん字注:「云」の字は送り仮名にある。]。

光仁帝寶龜・正親町〔(おほぎまち)〕院の元龜の年號、共に兩頭の龜を獻ずるに據る。其の余、史に載する所の靈異〔の〕龜、亦、少なからず。

清和帝【貞觀十七年。】肥後國より白龜を獻ずる。在原行平及び羣臣、之を賀す。帝曰〔(のたまは)〕く、「禎符の降〔(くだ)〕る〔は〕、必ず盛徳に應ず方〔(まさ)〕に今、運(とき)、光華に非ず。國に災異多し。水府の使孰〔(たれ)〕が爲に來るや疑ふらくは是れ、青蓮の遊び、心無くして出づるならん何ぞ天の祉(さひはひ)を偸(ぬす)んで、以て己が榮と爲〔(せ)〕ん。」と。辭して逐に受け玉はず[やぶちゃん字注:「玉」の字は送り仮名にある。]。

[やぶちゃん字注:以上の引用・記録列挙の一部は翻刻のように一字空欄で続くが、読みやすくするためにすべて改行した。]

[やぶちゃん注:何故かクレジットがないが、良安のこの「△」の前の引用は「本草綱目」からの孫引きである。多くは四肢の部分欠損の個体若しくは生物学的な奇形個体やアルビノである(以下の「六足亀」のような例外もある)。連続してはいないが「暹羅國」(タイの旧国名)そして「兩頭蛇」――私はここに不思議な偶然を感じる。それは1800年代中期にフリークスとして知られた腹部結合型双生児のチャン氏とエン氏を連想するからである。そしてそれは、チャン氏とエン氏に留まらずに、ベトちゃんドクちゃんに通ずる。しかし、私はベトちゃんドクちゃんに繋がるベトナムの多くの奇形児や引き起こしたものは、米軍によって用いられた枯葉剤に繋がる諸々の薬物であったことを信じて疑わぬ(ダイオキシンを始めとする使用された薬物には催奇性等なくベトナム戦争と奇形や障害は無縁だと豪語する方は二度と私のHPを訪れるな。不倶戴天とはまさにあなたのことである。議論をする気もない。あなたはベトナムの子らや障害者の前に行って平然とそれを語ってくるがいい。その厚顔無恥で)。エリアーデ風に言うならば、「聖痕(スティグマ)は俗の中に隠れている」と感じるのである。ちなみに結合双生児は英語では“conjoined twin brothers”であるが、私はこの日本語の「児」という呼称にある微妙なものを感じる。それはこの出生時の医学的観察に基づく呼称と思われる「児」に対して、「結合双生人」「双生人間」と言った場合のあるニュアンスとの違いとして認識されている。もし後者が用いられれば、それは批判されるべき差別感が伴われるように思われるが、かといって「結合双生児」が最も適切な表現であるとも断定しがたい]かつて一般に結合型双生児をシャム双生児と呼ぶのは、この二人がタイ出身で“The Siamese Twins”と称して興行したからである(この呼称は現在も通じるが、旧国名であっても特定の地域を含むこの呼称は解消されるべき差別語である)。諸本草書や史書には、ここに記される三足亀や両頭亀、左右の眼色の異なった亀の他にも、六目亀・十三支亀(尾部が13に分岐するという)等の霊異の亀を多く記す。千年を経た神亀は能言亀と言い、先の「水龜」の注に掲げた「異苑」の話のように人語を操るとする。

 『「山海經」』は、作者・成立年代未詳の中国古代の地理書。古い記述は秦・漢頃のものとされ、洛陽を中心としながら多分に幻想的な地誌が展開、神話や伝説等も抱え込んだ驚天動地の博物書である。晋の郭璞(かくはく)の注で著名。

 『「唐書」』は「新唐書」とも呼ぶ。北宋の欧陽脩等による奉勅撰の唐時代の正史(二十四史の一)。「旧唐書(くとうじょ)」を補正する目的で書かれた。仁宗の嘉祐6(1060)年成立。

 『「大明會典」』は明代の総合的法典。正徳4(1509)年に刊行。180巻。

 『「宋史」』二十四史の一。宋代(北宋・南宋)を扱った紀伝体の正史。元の脱脱(托克托=トクト)等による奉勅撰。1345年完成。二十四史の中、最大の496巻。

 「暹羅國より六足の龜」とあるのは、奇形個体ではない。潜頸亜目リクガメ上科リクガメ科ムツアシガメ属ビルマムツアシガメ(ビルマ六足亀)Manouria emys phayreiである。左右の後ろ足と尾の間に、刺状の大型の鱗が集合した突起部分が対で存在し、これが一見、小さな肢のように見えるためにこのように呼称するのである。

 「天智帝九年」の村中の亀の背に「申」の字の刻印が現れた事件は西暦670年6月のことである。

 「元明帝和銅八年」は西暦715年、本事件は「続日本紀」が出典。同年8月28日に、元明天皇に霊妙な亀が献上されたとする。表記のサイズ・左右の眼の色の相違を持ち、首に三台(後注参照)を著わす三つの星の印、背甲に北斗七星の印、前脚には易の「離」の卦の刻印、後脚には易の「爻」の卦の刻印(以上の二つの卦は亀の神聖な卦であることが冒頭の項の「水龜」に記されている。該当項の卦の注を参照)、腹の下には赤と白の二色の点が規則的に並んで、正しく「八」の字を呈していたとする。ちなみに、元明天皇はこの霊亀の出現を譲位を意味するものと判断し、氷高内親王に帝位を譲り、年号を霊亀に因んで「霊亀」と改元している。

 「三台」は星の名で「天柱」とも言う。本来、中国で紫微星(北極星を中心とした、小熊座・大熊座・竜座・カシオペヤ座などの星座群を指す。天帝の住居とされ、そこから天子を指す語ともなった)の周囲にある上台・中台・下台の三つの星。上台星は太尉に、中台星は司徒に、下台星は司空に当てて、「三公」の義とした。「三公」は「三槐」とも言い、天子を補佐する最高位の三つの官職の名を指す。時代によって変わるが、例えば周代は太師・太傅(たいふ)・太保を、前漢では大司徒・大司馬・大司空(又は丞相・太尉・御史大夫とも)を、後漢・唐では太尉・司徒・司空を、宋・元・明・清は周代に同じい。但し、日本では、中国に習って太政大臣・左大臣・右大臣(又は左大臣・右大臣・内大臣)を総称する語として用いたので、「続日本紀」が出典である以上、こちらの日本の官職の意で取るべきであろう。

 「聖武皇帝天平元年」以下の事件については、「全国公共図書館の横断検索(簡易総合目録)とレファレンスデータベース」以下のページに美事なレファレンス例として記載されている。以下、それを参照させてもらうと、徳川光圀の「大日本史」によって、本事件は西暦729年6月20日、左京職が「天王貴平知百年(てんわうきへいちひやくねん)」の文字を刻印した奇異なる亀を献上したことを指す。更に、それを瑞兆と見なして同年8月5日には「天平」と改元したとする(具体的な刻印の文字は記されないが祥瑞の亀出現による改元であることは「続日本紀」にあるとする。因みに、美事にこの前の元号は「神亀」である)。加えて、1974年小学館刊の「日本の歴史4 律令国家」の聖武天皇の天平期の記載(252p)によれば、本件の甲羅に刻印された文字については、「天王貴平知百年(すめらみことはたかくたいらけくももとせしろしめす)」と訓じている、とする。

 「光仁帝」光仁天皇の即位は宝亀元(770)年101日。その際、肥後国より相次いで白亀が献上されたとするが、良安の言うような両頭の亀の記載には行き当たらなかった。

 「正親町院」は正親町天皇。永正141517)年~文禄21593)年に生きた第106代天皇。在位の中で弘治→永禄→元亀→天正と改元している。前項同様、両頭の亀はもとより、亀に纏わる改元という記載には行き当たらなかった。

 「清和帝【貞觀十七年。】」貞觀十七年は西暦875年。以下の話はいい話であるが、出典不明。識者の御教授を俟つ。

 「在原行平」平安前期の歌人。平常天皇孫、在原業平の兄。この事件の当時は大宰権帥、後に中納言民部卿まで登る。七十にして致仕。最終官位は正三位で、関白藤原基経と対等に物言う硬骨の人でもあった。

「禎符の降るは、必ず盛徳に應ず」の「禎符」はめでたい印、前兆の意であるから、「天からのめでたい印というものの降臨は、必ずこの地上に優れた得が遍く行き渡っている折に応じて降りてくるものである」の意味。

「方に今、運、光華に非ず」は、前を受けて「(ところが)今現在の人の世の有様は、全く持って美しく輝いているとは言えぬ(ひどい有様である)」の意。

「水府の使」「水府」は深い海底にあるとされた水神の住む都。龍宮。亀はしばしばその使いとされる。

「孰が爲に來るや」は、東洋文庫版では『なんのためにやってきたのか』と訳しているが、この「孰」は明らかに人を問う疑問詞であるから、この訳はおかしい。ここは直ぐ下の「疑ふらくは是れ、青蓮の遊び、心無くして出づるならん」の部分がそれに対応していると考えて、私は「一体、誰の意を受けてここにやって来たのか」と訳す。以下の注を参照。

「疑ふらくは是れ、青蓮の遊び、心無くして出づるならん」清和天皇は強い疑義を持ったのである。即ち、世は災厄に乱れているにも関わらず、人徳に満ちた政がなされている証としての神亀白亀の出現は大いに解せぬ、一体、どの神仏がそのような意味合いを壽ほぐためにこの白亀を遣わしたというのか? 如何なる神仏の意を帯びてここにやって来たというのか? と反問するのである。そうして「疑うに恐らくこれは、青い蓮の根っこの中に籠もっていた亀が偶さか浮かれ遊びに出てきた、無心無意味に出現したに過ぎぬのであろう」と言っているのである。この「青蓮」はスイレン科ハスNelumbo nucifera。ハスはサンスクリット語ではパドマ padma(漢訳の「蓮華」の音の元の発音)と呼んで、その中にウトパラ utpala(青蓮華)以下の五種があるとしている。さて、東洋文庫版はこの「青蓮」に注して『千手観音が右手に持つ蓮華』とするのであるが、これは何を言いたいのであろうか。瑞兆を意図して白亀を送るとすれば、亀と神聖絡みから青蓮を手にした千手観音であろうが、そんな仏の意向は何等示されていない亀の遊びだと皮肉を言っているという意味の注あろうか。だとすれば、至って意地悪く不親切な注である。私はここでの解釈として是非とも千手観音を出す必要があるようには思われない。読者の意見を伺いたい。

「何ぞ天の祉を偸んで、以て己が榮と爲ん。」の「祉」は幸い、神から授かる幸福を言う。「榮」は抽象的な栄誉の意味とも、そうした誉れのシンボルとなる物としての飾りの双方に取れる。従って「世は乱れ悪しき様にあって、事実は違うのにも関わらず、どうして天の瑞兆たる白亀を盗み取って我が物とし、己の形ばかり虚しい栄誉の飾りとすることが出来ようか、いや、出来ぬ。」と帝は断じているのである。]

***

すつぽん

【鱉同】

ピイ

 

團魚 神守

河伯從事

【和名加波加米

 俗云須豆保牟】

[やぶちゃん字注:以上四行は、前三行下に入る。]

 

本綱鼈乃甲蟲水居陸生穹脊連脇與龜同類四縁有肉

裙故曰龜甲裏肉鼈肉裏甲無耳以目爲聽純雌無雄以

蛇及黿爲匹故燒黿脂可以致鼈也夏日孚乳其抱以影

卵生思抱其状隨日影而轉在水中上必有浮沫名鼈津

人以此知取之鼉一鳴而鼈伏性相制也又畏蚊生鼈過

蚊叮則死矣死鼈得蚊煮則爛而熏蚊者復用鼈甲物報

復如此異哉魚滿三千六百則蛟龍引之而飛納鼈守之

《改ページ》

則免故名神守

鼈甲【鹹平】厥陰肝經血分藥【以醋炙黃用】斷老瘧【研末酒服方寸匕隔夜早

朝臨時三度用之無不斷者入雄黃少許更佳也】婦人難産【方如上立生】癰一切瘡

 不斂【鼈甲燒存性糝之甚玅〔=妙〕】

肉【甘平】禮記云食鼈去醜【〔醜〕謂頸下有軟骨如龜形者食之令人患水病也】合鷄子

 合莧菜共不可食也剉鼈以赤莧同包置濕地經旬皆

 成生鼈 又忌猪兎鴨肉【損人】忌芥子【生惡瘡】

[やぶちゃん字注:「又忌猪兎鴨肉」の前は一字空き。]

爪 五月五日收藏衣領中令人不忘

凡異形之鼈皆有毒蓋鼈性本不熱食之者和以椒薑熱

物治虚勞及久痢婦人帶下益氣補不足

三才圖會云天地之性細腰者純雄大腰者純雌大腰龜

鱉之屬以蛇爲雄陸佃曰鶴影生鼈思生鼈伏于淵而卵

剖于陵此思化也

△按鼈皆自有雌雄生卵也非必以蛇爲雄有齒最強摧

 硬物夫蛇亦自有雌雄而好邪淫交石斑魚孔雀雉龜

《改ページ》

■和漢三才圖會 介甲部 四十六 ○六

 鼈等者皆蛇之所爲也九州人嗜鼈肥前特好之肉裙

 煮之則柔如鯨皮味甘美也【生則韌〔=靭〕如牛皮而不可食好事者賭食之爲大笑】

すつぽん

【鱉に同じ。】

ピイ

 

團魚 神守

河伯從事

【和名、加波加米〔(かはかめ)〕。俗に須豆保牟と云ふ。】

 

「本綱」に、『鼈は、乃ち甲蟲なり。水居し陸生す。穹(たか)き脊、脇に連なり、龜と類を同じふす[やぶちゃん字注:ママ。]。四〔方の〕縁(へり)に肉の裙〔(もすそ)〕有り。故に曰く、龜の甲は肉を裏にし、鼈の肉は、甲を裏にすと云ふ[やぶちゃん字注:「云」は送り仮名にある。]。耳無く、目を以て聽くを爲す。純雌にして雄無し。蛇及び黿〔(げん)〕を以て匹(ぬし)と爲す。故に黿の脂を燒きて、以て鼈を致すべし。夏日、-乳(たまごをかへ)す。其れ、抱(かへ)すこと、影を以てす。卵生にして思抱す。其の状、日の影に隨ひて轉ず。水中に在れば上に必ず浮-沫(あは)有り、鼈津〔(べつしん)〕と名づく。人、此れを以て知りて之を取る。鼉〔(だ)〕、一たび鳴きて、鼈、伏す。性、相制すればなり。又、蚊を畏る。生□〔→たる〕鼈、蚊に叮(く)は〔れ〕遇して、則ち死す。死したる鼈、蚊を得て煮る時は、則ち爛る[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]。蚊を熏ずるに、復た鼈甲を用ひてす。物、報-復(むく)ふこと此くのごとし。異なるかな。魚、三千六百に滿ちる時は、則ち蛟龍(みずち)、之を引きて飛ぶ。納鼈、之を守れば、則ち免る。故に神守と名づく。

鼈甲(べつかう)【鹹、平。】厥陰肝經〔(けついんかんけい)〕血分の藥【醋を以て炙り、黃〔(なりし)を〕用ふ。】老瘧〔(らうぎやく)〕を斷つ【研末を酒で方寸の匕〔(さじ)〕〔にて〕服し、夜を隔てて早朝〔と〕臨時〔の〕三度、之を用ふ。斷たずと云ふ者無し[やぶちゃん字注:「云」は送り仮名にある。]。雄黃少しばかりを入〔るれば〕、更に佳なり。】。婦人難産【方〔:処方。〕、上のごとし。立ち処に生ず〔:出産する。〕。[やぶちゃん注:「処」はこの字体で送り仮名にある。]】、癰〔(よう)の〕一切〔の〕瘡、斂〔(をさ)まら〕ざるに〔用ふ〕【鼈甲、燒〔くに〕、性を存し、之を糝〔(けずれ)〕る〔もの〕、甚だ妙〔なり〕。】。

肉【甘、平。】「禮記」に云ふ、『鼈を食ふに醜を去る。』と【〔醜とは、〕頸の下、軟かなる骨、龜〔(の)〕形のごとくなる者有るを謂ふ。之を食へば、人をして水病を患はしむるなり。】。鷄子〔:鶏卵。〕を合はせ、-菜(ひゆ)に合はせ〔ては〕、共に食ふべからざるなり。鼈を剉〔(きざ)み〕て、赤莧を以て同じく包み、濕地に置〔(くに)〕、旬〔:十日程。〕を經れば皆、生鼈と成る。 又、猪・兎・鴨肉を忌む。【人を損す。】芥子を忌む【惡瘡を生ず。】。

爪 五月五日、收めて衣領〔:衣服の襟。〕の中に藏めば、人をして忘れざらしむ

凡そ異形の鼈、皆、毒有り。蓋し、鼈の性、本、熱からず。之を食ふ者、和するに椒〔=山椒〕・薑〔=生姜〕〔てふ〕熱物を以てす。虚勞及び久痢・婦人の帶下〔(こしけ)〕を治す。氣を益し、不足を補ふ。』と。

「三才圖會」に云ふ、『天地の性、細腰なる者は純雄、大腰なる者は純雌。大腰は龜・鱉の屬、蛇を以て雄と爲す。』と。陸佃〔(りくでん)〕が曰ふ、『鶴は影生、鼈は思生す。鼈は淵に伏して、卵、陵〔:陸。〕に剖〔(ひら)〕く。此れ、思化なり。』と。

△按ずるに、鼈は皆、自から雌雄有りて卵を生ず。必ず蛇を以て雄と爲〔(す)〕るに非ず。齒有りて最も強く、硬き物を摧〔(くだ)〕く。夫れ、蛇も亦、自から雌雄有り。而も邪淫を好みて石斑魚孔雀・龜・鼈等に交(つる)む者、皆、蛇の所爲なり。九州の人、鼈を嗜(すく)〔→(この)〕む。肥前、特に之を好む。-裙(ゑ□□〔→んぺら?〕)、之を煮れば、則ち柔らかなること、鯨の皮のごとく、味、甘美なり【生〔(なま)は〕、則ち靭〔(かた)く〕、牛の皮のごとくして食ふべからず。好事の者、之を食ふを賭す〔は〕大笑を爲す。】。

[やぶちゃん注:潜頸亜目スッポン上科スッポン科スッポン亜科Trionychinaeに属するスッポン類で、世界的には約13属を数える。中国産では養殖食用種として著名なキョクトウスッポン属シナスッポンPelodiscus sinensisがまず挙げられる(本邦にも生息するが在来種ではないであろう)。本邦種は大陸にも生息する同属のニホンスッポンPelodiscus sinensis。但し、本邦種は在来個体群(大陸からの侵入・移入個体ではなく)のものとしてこれをPelodiscus sinensis japonicaとして亜種と見る向きもある。「鼈」及び「鱉」はどちらもスッポンを表わす字で、共に慣用音で「ベツ」。

 「河伯從事」の「河伯」は中国の河川(特に黄河に代表される)の神(本邦では河童と同義に用いられるが全く別物)で、これはその神聖なる神の執事といった感じであろう。

 「甲蟲」の「蟲」は、中国で動物の総称。「甲蟲」は昆虫のカブトムシではなくて甲羅を持った生物=カメ類を指す。現代語の語感と全く異なるので、「五虫」なる分類概念を挙げると、「羽虫」は鳥類、毛虫は獣類、「鱗虫」は龍や爬虫類や魚類、最後に「裸虫」は人類を言う。

 「肉の裙」これは他のカメにはないスッポンに独特な部位で、甲羅の周縁(シナスッポンでは特に後縁部位に発達)の側面との繋ぎとなっているコラーゲンの豊富な組織。イカの外套膜のヒレ(耳)と同じく「エンペラ」と呼んで、スッポン料理でも珍味とされる。実はこの後、もう一度、「肉裙」が出現するのだが、書き下し文で示したように「肉」の右中央に(ゑ)のルビが見えるだけで、下の「裙」の字の右側は(つくり)の「君」も含めて、白く擦れてしまい、ルビも消えている。但し、微かな残存部を見ると、「君」の右上手の方に「君」の字では出来ない点状のものが見える。これがルビとすれば「ゑへら」又は「ゑんへら」の可能性があるかも知れない(「ん」の脱落は必ずしも奇異ではない)。但し、「えんぺら」という語が江戸期に用いられていたかどうかは検証していない。因みに「エンペラ」はオランダ語か何かかと思っていたのだが、語源不詳であるらしい。ナポレオンの帽子由来というのは如何にも信じ難いあい、「縁」で「ぺらぺら」しているからという分かり易い(けれど故にこそ怪しい)説も紹介はしておこう。後者なら、江戸期にもこの呼称があっておかしくはない。

 「黿」マルスッポンPelochelys cantorii。後掲項目参照。

 「以て鼈を致すべし」の「致す」は誘う、来させるの意味で、黿の脂肪を焼くと、それでもって鼈をおびき寄せることが出来る、の意。

 「孚乳」は「ふにゅう」で、本来は鳥が卵を抱いて孵すことを示す。

 「影を以てす。卵生にして思抱す。」の「思抱」とは、遠く離れた場所から、思惟を卵に懸けて孵化させることを言う。私は「瑇瑁」の項の「影抱」に関わる注で、この「思抱」と「影抱」を、実際には抱卵せず、こちらは近くでじっと卵を見守ることで孵化させること、という風に距離的差異として区別した(実際、それを訂正するつもりはない)が、ここでは同じものとして扱っているようである。なおこの場合の「影を以てす」の「影」はどういう意味か判然としないが、私は思惟の投影という意味でとりたい。

 「日の影に隨ひて轉ず」とは、鼈の姿・形(というよりも続く部分を読むと広い意味での「鼈の生態」が正しい意味であるように思われる)は、太陽の日周運動に随って変化する、という意味。

 「鼈津」とは、その水泡を示すならば、鼈の体から染み出る体液(=津)を言うか。若しくは、その水泡の立つ鼈の必ず居る場所という意味で、鼈の拠るところを水にまつわるところから船着場や岸(=津)と呼んでいるのかも知れない。

 「鼉、一たび鳴きて」の「鼉」はワニ目正鰐亜目アリゲーター科アリゲーター亜科アリゲーター属ヨウスコウアリゲーター(ヨウスコウワニ)Alligator sinensis。ちなみにワニは実際に鳴くし、吠える。

 「相制すればなり」を東洋文庫版では「互いに制し合うものがあるのである」と訳すが、これでは意味が通じない。「相」は対象が存在することを示すために用いられるのであって、必ずしも「互いに」とは訳さないというのは高等学校漢文の鉄則である。ここは「鼉と鼈の間には、生まれつき、鼉は鼈を制するという関係が定められているからである」という意味である。

 「生たる鼈」と一応、訓じたが、原典を幾ら見ても「生」の右下には「タ」しか見えない。「生きた」と口語的に訓じているのであろうか?

 「叮はれ遇して」は訓読に悩んだ。底本では「叮」の横に「クハ」という明白なルビがあるが、「叮」は手厚いことを示す語で、懇ろに頼む、懇ろに言いつける、懇ろに諭す等、懇切丁寧なさまを謂い、「食う・咬う」の意を持たない。これは「可」の誤植であって「可(よ)く則ち死す」(だいたいのものはたちどころに死す)の意ではなかろうか? 識者の意見を俟つ。

 「爛る」は「(本来、煮ても硬いものが容易に)煮くずれる」の意。

 「物、報復ふこと」とは、蚊に刺されると死に、一緒に煮るとその体を解かすという、正に鼈の天敵である蚊に対して、死んだ鼈の甲羅が蚊を退治するための燻しに用いられるということは、本来、生時の一方向の「制」のベクトル(蚊が鼈を制する)でも、生死という位相が変じれば、逆のベクトルとしての「制」が発生するという、物質同士の互換性のある相互的因果応報があるということを指している。

 「魚、三千六百に滿ちる時は、則ち蛟龍(みずち)、之を引きて飛ぶ。納鼈、之を守れば、則ち免る。故に神守と名づく。」は、お分かりとは思うが、少し分かり易く説明したい。「蛟龍」とは龍の一種で、角がなく、四足があり、通常、地上の水中に棲む。それが己が眷属として三千六百の魚族を従えることが出来、雲気を得て昇龍する際、その魚族を全て随えて昇天するというのであろう。そうすると、その三千六百の魚は、文字通り「昇天」しちゃうんだろう。しかし、そこに一匹の納鼈(時珍が鼈の類としていると思われるところのカメで次項参照。現時点では私には同定不能)が魚族を守っておれば、そのポグロム(集団殺戮)は免れる、だから「魚を神のように守る」カメという別称を持っている、という意味であろう。

 「鼈甲」は「玳瑁」の項でも述べた通り、スッポンの甲羅を乾燥させて粉末にしたもので、漢方で「土鼈甲」と呼んで、薬用とした。

 「厥陰肝經」は「足厥陰肝経」で、足の主要な経絡系全体を言う。複数の経絡についての解説から総合すると、足の親指の叢毛部に始まり、胃のそばを通って肝臓までの間に全部で14箇所のツボを持つ。肝部からの支脈は横隔膜を通って上行し肺に入って「手太陰肺経」とつながり、また本脈はさらに上がって肋部から喉の後・鼻・咽喉部に入り、目系(目に関わる器官・組織)と接続、最後に額から出、「督脈」(体の後正中線を流れる経絡)と頭頂に会合するとする。

 「血分」とは熱病の症状の最も重篤なもので、出血や起立不全が二週間以上続く状態を言うので、熱病によって足厥陰肝経を冒された循環・呼吸器及び神経系不全を言うか。

 「老瘧」とは「ろうじゃく」と読むという記載もあるが、辞書に準じた。これは「労瘧」とも書き、マラリアもしくは慢性化したマラリア症状を言う。病原体は単細胞生物であるアピコンプレクサ門胞子虫綱コクシジウム目アルベオラータ系のマラリア原虫Plasmodium sp.で、昆虫綱ハエ目(双翅目)カ亜目(長角亜目・糸角亜目)カ下目カ上科カ科ハマダラカ亜科のハマダラカAnopheles sp.類が媒介する。ヒトに感染する病原体としては熱帯熱マラリア原虫Plasmodium falciparum、三日熱マラリア原虫Plasmodium vivax、四日熱マラリア原虫Plasmodium malariae、卵形マラリア原虫Plasmodium ovaleの4種が知られる。ここで、「蚊」が出てくるのも不思議な一致ではないか。私と同年で優れた社会科教師でもあった畏友永野広務は、2005年4月、草の根の識字運動の中、インドでマラリアに罹患し、斃れた。マラリアは今も、多くの地上の人々にとって脅威であることを、忘れてはならない。

 「方寸の匕」とは、漠然とした小さな匙のことで、茶さじのようなものを想起してよいであろう。

「夜を隔てて早朝〔と〕臨時〔の〕三度」服用の指示である。病人である以上、早くの就寝時、しっかり睡眠をとっての翌早朝、それからある程度の症状の様子を見ての適当な昼間の投薬の三度ということである。

「雄黃」はヒ素の硫化鉱物で「石黄」とも呼ばれる。化学式はAs2S3。漢方では解毒・抗炎症剤として用いられたが、強い毒性を持つ。

「癰の一切の瘡、斂まらざる」、「癰」は広く皮膚の化膿性の腫脹症状を言うが、ここではその腫脹が全身広汎性で、且つ慢性化して糜爛したり結節化したものを言うように読める。 

「鼈甲、燒くに、性を存し、之を糝るもの、甚だ妙なり。」は、東洋文庫版の訳を元に訓読を推定した(他でもそうだが、ポイントが落ちるために良安の割注には殆んど送り仮名がない)。そこでは『鼈甲を性質を損なわないように焼き、こまかく研(けず)ったものが、大へんききめがある。』と訳している。なお、「糝」は、本来は米を細かく砕いたもの、若しくはそれを混入した羹(あつもの)を言う語である。

「水病」とは、細胞の組織液が異常に多量にたまった水腫(皮下組織に生じた浮腫や体腔内の胸水・腹水等)の症状を言うと思われる。

「莧菜」はナデシコ目ヒユ科ヒユAmaranthus tricolor。莧菜“Een Choi”。日本では完全な雑草扱いであるが、中華料理には欠かせない食材で、私は好きである。

「赤莧」は前掲のヒユAmaranthus tricolorの茎の赤いもので、同種である。

「芥子」はフウチョウソウ目アブラナ科アブラナ属カラシナ(芥菜)Brassica junceaの種子から精製した生薬で「がいし」と読み、その粉末を微温湯で練った「芥子泥」(練辛子である)を神経痛・リューマチ・捻挫の患部に、肺炎・気管支炎の際は胸や背部に湿布し、鎮痛薬とする。

「人をして忘れざらしむ」は、精神障害としての物忘れを予防する、というのである。嘗て京都の有名なスッポン料理店の店長の話をTVで見た記憶がある。スッポンはその殆んど全てを食えるのだが、唯一、使い物にならない(勿論、食用という意味ではある)部分としてこの爪を挙げていたが、いやいや、ちゃんと「薬」効がある訳だ。

「凡そ異形の鼈、皆、毒有り。蓋し、鼈の性、本、熱からず。之を食ふ者、和するに椒〔=山椒〕・薑〔=生姜〕〔てふ〕熱物を以てす。虚勞及び久痢・婦人の帶下〔(こしけ)〕を治す。氣を益し、不足を補ふ」まず、以上の部分、とりあえず「本草綱目」からの引用のように訓読したが、私の精査不全か、「本草綱目」の「鼈」の条の中に未だ見出せないし、この部分には何か齟齬を感じる。例えば、「本、熱からず」とは、鼈の本来的な性質には熱の気はなく、故に山椒や生姜のような熱気を持つ(若しくは導く)食材を合わせてから食う、ということであるが、それ以下は明白な薬効――慢性疲労・慢性下痢・帯下(こしけ:トリコモナスやカンジダ及び細菌による膣感染症由来の膣内からの異常粘液浸出)――記載となり、前の「有毒」という一文と「蓋し(そもそも)」では接続しないように思われるのである。

「天地の性」とは、この世界の動物の普遍的本質的性質は、の意か。雌雄を語るから、性差に限定した「性」と考えることも可能であろうか。

「陸佃」(10421102)は北宋の王安石の影響を受けた政治家・学者。引用は、彼の博物的訓詁学書「埤雅」(ひが)より。

「影生」は「影抱」に同じ。ここでは、「思抱」と区別している。前掲の「影を以てす。卵生にして思抱す。」の注の「影抱」を参照。

「思生」は前掲の「影を以てす。卵生にして思抱す。」の注に記した「思抱」を参照。

「齒有りて最も強く、硬き物を摧〔(くだ)〕く。夫れ、蛇も亦、自から雌雄有り」の部分、東洋文庫版では『ただ、たまさかにはこういうこともあるかも知れない。そもそも蛇にはちゃんと雌雄がある。』と訳されている(「歯があって極めて強く、硬いものでも砕いてしまう」という部分がない代わりに、論理的なこの前の化生説への留保補足叙述+疑義叙述となっている。但し、それならば『がしかしやはり、そもそも蛇にもちゃんと雌雄があるのである』ぐらいに訳したい)。翻刻の底本が異なるらしい(ケチはつけたが実際、場違いな強力な歯の話の挿入より、東洋文庫の叙述の方が自然な流れには違いない)。注記しておく。

「石斑魚」はハゼ科ハゼ亜科のウキゴリChaenogobius urotaeniaか? これは同定に苦しんだ魚である。和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚の「石斑魚」をご覧あれ。

 「孔雀」良安がイメージしたのはキジ目キジ科クジャク属インドクジャク
Pavo cristatus若しくはマクジャク Pavo muticus(他にコンゴクジャク属のコンゴクジャク
Afropavo congolensisがいる)。

 「雉」
キジ目キジ科キジPhasianus versicolor(外国産のキジ属Phasianus colchicusの亜種としてPhasianus colchicus versicolorとする説もあり)。言わずと知れた日本の国鳥。

 「好事の者、之を食ふを賭すは大笑を爲す」とは、物好きな輩は、この食えぬ程に硬い生のエンペラを、実際に食えるか食えないかで賭けをして、食べるのを見聞きするが、全く大笑いしたくなるほどに馬鹿げて下劣なことである、というのである。]

***

なふへつ  ※1

納鼈

ナツ ピイ

[やぶちゃん字注:「魚」+「内」。]

 

本綱納鼈無裾而頭足不縮者也亦作納字有毒食之令

人昏塞陸佃云池魚満三千六百則蛟龍引之而飛納鼈

守之則免

なふべつ  ※1〔(なふ)〕

納鼈

ナツ ピイ

[やぶちゃん字注:「魚」+「内」。]

 

「本綱」に『納鼈は裙〔(もすそ)〕無くして、頭足、縮まざる者なり。亦、納の字に作る。毒有り、之を食へば、人をして昏塞〔(こんそく)〕せしむ。』と。陸佃が云く、『池に魚、三千六百に満ちれば、則ち蛟龍(みづち)之を引きて飛ぶ。納鼈、之を守れば則ち免る。』と。

[やぶちゃん注:本種は頭が縮まないという叙述から曲頸亜目Pleurodiraが疑われるのであるが、同亜目の二科、ヘビクビガメ科 Chelidae及びヨコクビガメ科Pelomedusidaeには中国に生息が確認されている種がないようである。インドネシアやパプアニューギニアに属するニューギニア島周辺の島嶼に生息する前者、ヘビクビガメ科が近距離ではあるが、これらを頭や四肢の甲腔に伸縮しないスッポンと表現しうるかどうかは不明。野電波研究所附属図書館本草綱目リストでは、Trionys steindachneriなる種に同定しているが、これは恐らくその属名からスッポン亜科Trionychinaeの一種と思われ、この同定には相応しいのかもしれない。但し、インターネット検索ではTrionys steindachneriという学名が殆んどヒットしないため、確認が出来ない。「※1」を「廣漢和辭典」で引くと、さんしょううお及び魚の名とし、後者に「廣韻」の引用を載せ、『納は、魚名。鼈に似て、甲無く尾有り、口腹下に在り。』とある。ここでは甲羅がなくて尾があり、口は腹部の下方に開く「魚」とし、これはカメ類とは全く異なった生物を指しているようにも読める。とりあえず同定不能としたい。それにしても首を収納出来ないのに、よりによって何故「納鼈」なの? 命名意味不明。

 「裙」は、前項「鼈」の「肉の裙」参照のこと。

 「昏塞」は「昏塞顚倒」の意であろう。視野が暗くなり、失神転倒することか。

 「陸佃」以下の叙述は前項「鼈」の「本草綱目」の叙述と全く同じ(というよりも「本草綱目」の「納鼈」の部分にはこの叙述はない)。即ち、良安は珍しく、同じことをくだくだしくもダブって記載しているのである。彼は「本草綱目」の記載を自由に取捨選択して選んでいるのであるから、「鼈」での記載からはずして、ここに置けばいいのである。どうしました? 良安先生?! 原稿催促でも受けてたのかなあ?]

***

みつあしのすつほん 三足鼈

能鼈

ネン ビ〔→ピ〕イ

《改ページ》

本綱能鼈三足也肉大寒有毒食之殺人昔有人得三足

鼈命婦烹食畢入臥少頃形化爲血水止存髪耳隣人疑

其婦謀害訟之官時知縣黃※〔→廷〕宣鞠問不决乃別取三足

[やぶちゃん字注:※=(しんにょう)+「手」。]

鼈令婦如前烹治取死囚食之入獄亦化如前人遂辨其

獄竊謂能〔鼈〕之有毒不應如此然理外之事亦未可以臆斷

也而山海經云從水多三足鼈食之無蠱近亦有人誤食

而無恙者何哉盖〔=蓋〕有毒人亦未必至於骨肉頓化也

みつあしのすつぽん 三足鼈

能鼈

ネン ピイ

 

「本綱」に『能鼈は、三足なり。肉、大寒、毒有り。之を食へば人を殺す。昔、人有り、三足の鼈を得、婦〔:妻。〕に命じて烹〔(に)〕さしめ、食ひ畢〔(おは)〕つて入りて臥す。少-頃(しばらくあ)りて、形、化して血水と爲る。止(た)だ髪を存するのみ。隣人、其の婦、謀りて害せると疑ひ、之を官に訟〔(うつた)〕ふ。時に知縣・黃廷宣-問(きく〔(もん)〕)〔するに〕、决〔=決〕せず。乃ち別に三足の鼈を取りて、婦を〔して〕前のごとく烹さしめ、治め取りて死囚(とがびと)に之を食はしめて獄に入るる。亦、化して前人のごとし。遂に其の獄(うつたへ)を辨じて、竊〔(ひそ)〕かに謂ふ、「能(みつあし)の鼈の毒有ること、此くのごとくなるべからず然るも理外の事も亦、未だ以て臆斷すべからざるなり。」と。「山海經」に云ふ、『從水に三足の鼈多し。之を食ひて蠱(わざ〔:災い。〕)無し。』と。近(ちかごろ)、亦、人、誤りて食ひて恙(つつが)無き者有るは、何ぞや。蓋し毒有りて、人、亦、未だ必ず、骨肉、頓〔(とみ)〕に化するに至るにあらず。』と。

[やぶちゃん注:潜頸亜目スッポン上科スッポン科スッポン亜科Trionychinaeに属するスッポン類の四肢の部分欠損の個体若しくは生物学的奇形個体。ちなみに「山海経動物記・三本足亀」というページでは、後脚を三本(両後肢+生殖器)とする解釈からマレーオオスッポンを、体型の後部が一本に見えることから鰭脚亜目のアザラシやオットセイを、同様な見方からヨウスコウカワイルカ(私見を述べるとこれはその吻部が如何にもスッポンに似ているように思われる)を同定候補とされており(以上は私の同定ではないので学名や分類タクソンは併記しない)、大変興味深い。偶然であるが、後掲する「和尚魚」の同定で、図らずも私はこの方と同じような見解に至っている。それにしても「能鼈」の「能」の意味は何? 「能」には三の意味はない。又しても命名意味不明。「廣漢和辭典」の「能」を引くと「三本足の亀」という意味を置く。それはないだろ!

 「知縣・黃廷宣」のエピソードは「庚巳集」なる書物にあるらしい。ネットで「黄廷宣」を検索すると中文サイトにこのエピソードを記したページが現れる(どれも残念ながら簡体字なので引用はしない)。「知縣」は「知県事」とも言い、中国の県の長官(県知事)に当たる。宋代に設置されて清代まで続いた。

 「鞠-問」の「鞠」は糺(ただ)す、責め糺すの意だから、問い糺す。

 「辨じて」は、判決を下して、の意。

 「此くのごとくなるべからず」とは、幾らなんでも、人体が完全に溶解し、血や水だけにあんるというような劇症を示すとはとても思われない、という意味。

 「然るも理外の事も亦、未だ以て臆斷すべからざるなり。」は、「しかし、いくら道理から全く外れているように見える事態に対しても、また、単なるそれまでの信じられてきた常識や当り前の判例のみをもとにして憶測し軽率に判定を下してはならないのである(実験例を見ても分かる通り、このような事が全くあり得ないということを、また、実証できなかった以上、『疑わしきは罰せず』の理に随うことも法を律する者の守らねばならない道である)。」いった意味であろう。

 『「山海經」』は、作者・成立年代未詳の中国古代の地理書。古い記述は秦・漢頃のものとされ、洛陽を中心としながら多分に幻想的な地誌が展開、神話や伝説等も抱え込んだ驚天動地の博物書である。晋の郭璞(かくはく)の注で著名。

 「骨肉、頓〔(とみ)〕に化する」は、骨や肉が一瞬にして血や水に液状化する、という現象を指す。時珍の叙述ではあるが、時珍にしては懐疑主義的な視点を有しており、良安もそこに惹かれて特に引用しているように思われる。]

***

たまかめ

珠鼈

チユイ ピイ

 

本綱珠鼈有澧水及髙州海中状如肺四目六足而有珠

其珠有足淮南子云蛤蟹珠鼈與月盛衰者是也

朱鼈 本綱朱鼈生南海大如錢腹赤如血浮波必有大

《改ページ》

■和漢三才圖會 介甲部 四十六 ○七

雨男佩之刀劍不能傷女佩之有媚色

たまがめ

珠鼈

チユイ ピイ

 

「本綱」に、『珠鼈は、澧水〔(れいすゐ)〕及び髙州の海中に有り。状、肺のごとく、四目・六足にして珠有り。其の珠、足に有り。「淮南子」に云ふ、『蛤・蟹・珠鼈、月と與(とも)に盛衰す。』とは是れなり。』と。

朱鼈 「本綱」に『朱鼈は、南海に生ず。大いさ、錢のごとく、腹、赤きこと、血のごとし。波に浮べば、必ず大雨有り。男、之を佩すれば、刀劍、傷〔(きずつく)〕ること能はず。女、之を佩すれば媚色有り。』と。

[やぶちゃん注:長野電波研究所附属図書館の「本草綱目」リストではスッポン亜科インドシナオオスッポン属Amyda sp.とするが、インドシナオオスッポン属Amyda は一属一種であるから、“sp.”はおかしい(十歩譲って同属の未発見種とするのなら、スッポン亜科Trionychinaeの一種とする方が正しいであろう)。インドシナオオスッポンAmyda cartilagineaは、しかし、淡水産である。形状は通常のスッポンと大きな変化はない(「肺」のような柔らかいものでもなく、「四目・六足」にも見えない)。敢えて言うなら、『幼体には明色で縁取られた黒い斑紋や黄色い斑点イボ状の突起があるが、成長に伴い消失する』ことと、『皮膚には黄色い斑点が点在する』(以上の引用はウィキの「インドシナオオスッポン」より)点が「珠」に見誤るかも知れない点で共通するのみである。私は同定不能とせざるを得ない。

 「澧水」湖南省の川。洞庭湖に注ぐ。

 「髙州」現在の広東省高州市付近。現在の広州市と雷州(レイチョウ)半島・海南(ハイナン)島との中間の南シナ海沿岸に位置する。

 『「淮南子」』は前漢の武帝の頃に淮南(わいなん)王であった劉安(高祖の孫)が学者達を集めて編纂させた一種の百科全書的性格を備えた道家をメインに据えた哲学書(日本では昔からの読み慣わしとして呉音で「えなんじ」と読む)。

 「月と與に盛衰す」とは、そのライフ・サイクルが月の満ち欠けに随うという意味。

 「朱鼈」長野電波研究所附属図書館の「本草綱目」リストではやはりスッポン亜科インドシナオオスッポン属Amyda sp.に同定。前記と全く同じ理由で、それに組できない。同定不能。でも、これ欲しくない? 貴方も貴女も。]

***

けん

黿【音元】

イユン

 

本綱甲蟲惟黿最大故字從元元者大也生南方江湖中

大者圍一二丈状如鼈而背有※1※2青黃色大頭黃頸腸

[やぶちゃん字注:※1=「月」+(「儡」-「イ」)。※2=「月」+「鬼」。]

屬於首肉有五色而白者多以鼈爲雌卵生思化故曰黿

鳴鼈應燒黿脂以致鼈皆氣類相感也其卵圓大如鷄鴨

子一産一二百枚人亦掘取以盬淹食此物老者能變爲

魅性至難死剔其肉盡口猶咬物用其脂摩鐵則明也

五雜組云殺黿割肉懸桁間見無人便自埀至地聞人聲

即縮其肉刲盡而留腸屬於首數日不死鳥攫之反爲所

[やぶちゃん字注:「齧」は上部の左側に「口」があるが、通用字体とした。]

《改ページ》

三才圖會云黿性好自曝其腹於江岸漁人伺其便接竹

以鈎倉卒不能反爲人所制

げん

黿【音、元。】

イユン

 

「本綱」に、『甲ある蟲、惟〔(ひと)〕り黿、最も大なり。故に字、元に從ふ。元は大なり。南方江湖の中に生ず。大なる者、圍り一~二丈。状〔(かた)〕ち、鼈のごとくして、背に※1-※2(ふくれ)有り。青黃色。大なる頭、黃なる頸、腸、首に屬す。肉、五色有り。而も白き者(ところ)多し。鼈を以て雌と爲し、卵生して思化す。故に曰く、『黿、鳴きて、鼈、應ず。』と。黿の脂を燒きて以て鼈を致す皆、氣類相感ずるなり。其の卵、圓大、鷄鴨子のごとく、一産、一~二百枚。人、亦、掘り取り、盬を以て淹〔じて〕食す。此の物の老いたる者、能く變じて魅〔(び)〕と爲る。性、至つて死に難し。其の肉を剔〔(ゑぐ)〕り盡しても、口、猶ほ物を咬〔(か)〕むがごとし。其の脂を用ひて鐵を摩(なづ)れば、則ちなり。』と。

「五雜組」に云ふ、『黿を殺し、肉を割き、の間に懸け、人無きを見れば、便ち自ら埀れて地に至る。人聲を聞かば、即ち縮む。其の肉、刲〔(えぐ)〕り盡くして而も腸を留め、首に屬〔(つづ)〕く。數日死せず。鳥、之を攫(つか)めば、反りて爲〔に〕齧(か)まるる。』と。

「三才圖會」に云ふ、『黿の性、好みて自ら其の腹を江岸に曝(ほ)す。漁人、其の便を伺ひて、竹を接(つな)いで以て鈎(つ)る。倉-卒(にはか)に能〔く〕せざれば、反りて、人、爲めに制せらる。』と。

[やぶちゃん字注:※1=「月」+(「儡」-「イ」)。※2=「月」+「鬼」。]

[やぶちゃん注:世界最大のスッポンとくればこれはもうスッポン亜科マルスッポン属マルスッポンPelochelys cantorii。甲長は最大のものでは1m30㎝にも及ぶ。

 「甲ある蟲」は、甲羅を持った動物の意。実はそもそも「虫」は「蟲」の新字体、ではない。「虫」と「蟲」は全くの別字であるが、偶々「蟲」の略字として「虫」が使われるようになった結果、同字になってしまったおである。「廣漢和辭典」によれば、

【蟲】①むし。昆虫の総称。②動物の総称。羽虫は鳥。毛虫は獣。甲虫は亀(かめ)の類。鱗(りん)虫は竜のようにうろこのある動物。裸虫は人類。③うじ虫。④字体の名。秦の八体書の一。虫や鳥の形に似た書体で、幡(はた)に書くのに用いる。⑤虫は俗字。⑥地名。春秋時代の邾(チユ)の邑。今の山東省済寧市の東。⑦姓。

【虫】①まむし。②動物の総称。○「蟲」の簡化字。

とある。

 「卵生して思化す」とは、「卵を生むが抱くことをせず思化で孵す」という意味。「思化」は今までの項にもしばしば現れた「思抱」と同義で、実際には抱卵せず、遠く離れた場所から、思惟を卵に懸けて孵化させることを言う。

 「黿の脂を燒きて以て鼈を致す」の「致す」は誘う、来させるの意味で、黿の脂肪を焼くと、それでもって鼈をおびき寄せることが出来る、の意。この辺りの叙述は「鼈」の項にもあるので、そちらも参照されたい。

 「皆、氣類相感ずるなり」は、「黿・鼈共に、持っている気のたぐいが同じで、相互に感応するからである」という意味であろう。

 「鷄鴨子」は、暫く東洋文庫版訳のように「ニワトリの卵かカモの卵」という意味でとっておくが、「鷄鴨」の二字で一種の鳥類を指しているようにも思われる。識者の御教授を乞う。

 「盬を以て淹じて」は塩漬けにして、の意。

「魅」は「魑魅」とも言い、自然界の物(森や石等の群体や無生物も含まれる)が年を経て怪異をなす化け物に変じたものを言う。物の怪。霊(すだま)。

 「明」は、光ってつやが出ることを言う。

 『「五雜組」』は、「五雜俎」とも書く。明の謝肇淛(しゃちょうせい)の16巻からなる随筆集であるが、ほとんど百科全書的内容を持ち、日本では江戸時代に愛読された。書名は五色の糸でよった組紐のこと。

 「桁」は、柱の上に架け渡した横木。

 「江岸」川岸。

「便」は機会の意。]

***

おしやういを

うみぼうず  【俗云海坊主】

和尚魚

ホウ シヤン イユイ

 

三才圖會云東洋大海中有和尚魚状如鱉其身紅赤色

從潮汐而至

△按西海大洋中有海坊主鱉身人靣〔=面〕頭無毛髪大者五

 六尺漁人見之則以爲不祥漁罟不利遇有捕得則將

 殺之時此物拱手落泪如乞救者因誥曰須免汝命以

 後不可讎我漁乎時向西仰天此其諾也乃扶放去矣

 所謂和尚魚是矣

おしやういを

うみぼうず  【俗に海坊主と云ふ。】

和尚魚

ホウ シヤン イユイ

 

「三才圖會」に云ふ、『東洋大海の中、和尚魚有り。状ち、鱉〔(べつ)=鼈〕其の身、紅赤色。潮汐に從つて至る。』と。

△按ずるに、西海大洋の中、海坊主と云ふもの有り[やぶちゃん字注:「云」は送り仮名にある。]。鱉(す□〔→本?〕)の身、人の面、頭に毛髪無く、大なる者は五~六尺、漁人、之を見つ時は、則ち以て不祥と爲す[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]。漁罟〔(こ)〕、利あらず。遇〔々〕(たま/\)捕り得ること有らば、則ち將み之を殺さんとする時、此の物、手を拱〔(こまぬ)き〕て泪を落とし、救ふ者〔(こと)〕を乞ふがごとし。因りて誥〔(つ)〕げて曰く、「須らく汝が命を免ずべし。以後、我が漁に讎(あだ)をすべからざるか。」と。時に、西に向かひて天を仰(あふ)むく。此れ其れ、諾なり。乃ち扶(たす)けて放ち去る。所謂る、和尚魚、是なり。

[やぶちゃん注:多くの資料がウミガメの誤認とするが、私は全く賛同できない。寧ろ、顔面が人の顔に似ている点、坊主のように頭部がつるんとしている点、1.5~2m弱という体長、魚網に被害をもたらす点、両手を胸の前で重ね合わせて涙を流しながら命を救ってくれることを乞うかのような動作や空を仰ぐような姿勢をする点(こんな仕草をする動物、水族館のショーで見たことがあるでしょう?)等を綜合すると、私にはこれは哺乳綱ネコ(食肉)目アシカ(鰭脚)亜目アザラシ科Phocidaeのアザラシ類か同じネコ(食肉)目アシカ(鰭脚)亜目アシカ科Otariidaeのアシカ類及びアシカ科オットセイ亜科Arctocephalinaeに属するオットセイ類等の誤認以外の何物でもないという気がする。スッポンに似ているという点で付図のような甲羅を背負ってしまう訳(それがウミガメ誤認説を導くのであろう)だが、これは断じてスッポンの甲羅では、ない。実際のスッポンの形状をよく思い出して頂きたい。甲羅は厚い皮膚に覆われており鱗板(りんばん。角質板とも言い、爬虫類の鱗が癒合して板状になったもの)がなく、つるんとして平たい。また多くの種は背甲と腹甲が固着することなく、側縁の部分は一種の結合組織で柔軟に結びついている。四肢を見ると、前肢は長く扁平なオール状を呈しており、後肢は短い。さて「この私のスッポンの叙述」は恰も上に上げた水生哺乳類のイメージとかけ離れているであろうか? 私にはよく似ているように思われるのである。ちなみに「山海経動物記・三足亀」には私と全く同じような見解からアザラシやオットセイ、ヨウスコウカワイルカを巨大なスッポンと誤認したのではないかという解釈が示されている(この「アザラシやオットセイ」の部分の同サイトのリンク先「鯥魚」(ろくぎょ)も必読である)。是非、お読みになることをお薦めする。

 「鱉」この字のルビは判読できない。「ス」は確かであるが、その下には「本」の字に似ていて、但し4画目の右払いの最後が優位に右方向へ真直ぐ意識的に流れているので、「本」の字ではないと思われる(良安はしばしば「時」「云」「子」等をルビとして用いるが、「本」という漢字を用いる用法は現在までの作業内では未見)が、「すほん」で「すつぽん」という訓には一番近いので、とりあえず「本?」としておく。

 「漁罟、利あらず」「漁罟」は魚を獲るための漁網のこと。東洋文庫版では「漁網も、役に立たない」と訳しているが、如何にも乱暴な訳である。ここは、和尚魚を見たり捕らえたりしたと時は、不吉とするのみならず、その和尚魚が漁網に入ると、網が破れたり流れて亡失したりして実利的にも被害がある、という意味である。だからこそ、漁師は殺そうとするのである。

 「手を拱き」の「拱く」は、実は本来「こまぬく」で、現在の「こまねく」はそれが変化したもの。意味は、両手を胸の前で重ね合わせる(腕を組む)ことを指し、これは中国では敬礼の動作に当たる。但し、現行の用法は異なり、何もしないで(する能力がなくて)手出しをせずに傍観している様を言う。

「誥げて曰く」の「誥」は、単に告げるという意味よりも、教え諭すとか、戒めるのニュアンスに加えて、命令を下すの意味も含まれる字である。

「須らく汝が命を免ずべし」の「すべかラク~すベシ。」は高校の漢文ではそれこそ「必須」暗記の再読文字の一つ。「きっと~しなければならない。」「是非~すべきだ。」等と訳す必須・義務・命令の用法ではある。しかし、時には臨機応変な訳が必要。「きっとお前の命を救ってやらねばならない」「是非ともお前の命を奪うことを免じてやるべきである」では如何にもおかしい。ここは本来の「須」の持っているところの、しばしとか、少しの間といった意味を利かせて、「暫く、お前の命を救ってやろうと思う」ぐらいがよかろう。

「此れ其れ、諾なり」の「其れ」は強意で指示語ではない。この和尚魚のする動作(西を向いて空を仰ぐこと。西方浄土にかけても約束を守るということであろう)こそが『分かりました』というしるしなのである、という意味。]

***

■和漢三才圖會 介甲部 四十六 ○八


かに

【※1同】

ヒヤイ

[やぶちゃん字注:※1=「魚」(左)+「解」(右)。]

 

螃※1  郭索

横行介士

無腸公子

【和名加仁】

 

本綱蟹生池澤諸水中此物亦如蝉秋初脱殻名蟹之意

取此義以其横行曰螃※1以其行聲曰郭索以其外骨曰

介士以其内空曰無腸公子有數種外剛内柔於卦象☲

離骨眼蜩腹蜼腦鱟足二螫【音敖大足】八足利鉗尖爪殻脆而

堅有十二星點雄者臍長曰蜋螘雌者臍圓曰慱帶腹中

黃應月盈※2〔→虧〕其性多躁引聲噀沫至死乃已生於流水者

[やぶちゃん字注:「虧」の(へん)を「虚」の旧字に換える。]

黃而腥生於止水者色紺而馨其散子後即自枯死霜前

食物故有毒霜後將蟄故味美今人以爲食品佳味

肉【鹹寒有小毒】 凡蟹生烹鹽藏糟收酒浸醬汁浸皆爲佳品

 見燈易沙得椒易※3得皀莢及蒜可免沙※3得白芷則

[やぶちゃん字注:※3=「月」+「直」。]

《改ページ》

黃不散得葱及五味子同煮則色不變

※4【加仁比之古】 盬藏者也凡蟹獨螫獨目六足四足腹下有

[やぶちゃん字注:※4=「虫」+(「婿」-「女」)。]

 毛頭背有星點足斑目赤者並有毒害人【冬瓜汁紫蘇汁蒜汁鼓汁

[やぶちゃん字注:「蘇」は(くさかんむり)の下の配置が左右逆転しているが、通用字で示した。]

 皆可解之】 不可同柿及荊芥食發霍亂動風【木香汁可解之】

蟹黃能化漆爲水故塗漆瘡用之其螫燒煙可集鼠於庭

 也食鱓中毒者食蟹則解

     夫木 横はしる芦間の蟹の雪降れはあなさむしとや急隠るゝ 仲正


有飛蟹能飛 有百足蟹 有紅蟹海中大蟹紅色

筆談云關中無蟹土人怪其形状收乾者懸門上辟瘧不

但人不識鬼亦不識也

かに

【※1、同じ。】

ヒヤイ

[やぶちゃん字注:※1=「魚」(左)+「解」(右)。]

 

螃※1  郭索

横行介士

無腸公子

【和名、加仁。】

 

「本綱」に、『蟹は池澤諸水の中に生ず。此の物、亦、蝉のごとく、秋の初め、殻(から)を脱(ぬ)ぐ。蟹と名づくの意、此の義を取る。其の横に行くを以て螃※1と曰ふ。其の行く聲を以て郭索と曰ふ。其の外骨を以て介士と曰ふ。其の内の空なるを以て無腸公子と曰ふ。數種有り。外、剛く、内、柔なり。卦に於ては形、☲、離に象〔(かた)〕る。骨の眼、蜩(せみ)の腹、蜼〔(をながざる)〕の腦、鱟(かぶとがに)の足、二つの螫(はさみ)【音、敖。大なる足。】。八つの足、利〔(と)〕き鉗〔(はさみ)〕、尖りたる爪、殻、脆くして堅く十二の星の點有り。雄は臍、長し。蜋螘(をがに)と曰ふ。雌は臍、圓〔(ゑん)〕なり。慱帶(めがに)と曰ふ。腹中の黃〔(かにのこ)〕月の盈虧〔(えいき):月の満ち欠け〕に應ず。其の性、多く〔:概ね。〕躁(さはが)し。聲を引きて、沫を噀(は)く。死に至れば乃ち已〔(や)〕む。流水に生ずる者、〔色、〕黃にして腥(なまぐさ)く、止水に生ずる者は、色、紺にして馨〔(かうばし)き〕なり。其の子を散じて後、即ち自〔(をのづか)〕ら枯死す。霜の前は物を食ふ。故に毒有り。霜の後は、將に蟄〔(かく)れ〕んとする故に、味、美なり。今の人、以て食品の佳味と爲す。

肉【鹹、寒。小毒有り。】 凡そ蟹は、生〔(なま)〕、烹〔(にやき)〕、鹽に藏け、糟に收め、酒に浸し、醬〔(ひしを)〕汁に浸す、皆、佳品と爲〔(す)〕。燈を見て沙(じやぎ)つき易く、椒〔:山椒。〕を得(え)ては※3(ねば)り易し。皀莢〔(さうけふ)〕及び蒜〔(ひる)〕を得て沙・※3を免る白芷〔(はくし)〕を得ては、則ち黃〔(かにのこ)〕散らず。葱及び五味子を得て同じく煮れば、則ち色、變ぜず。

[やぶちゃん字注:※3=「月」+「直」。]

※4(かにひしこ)【加仁比之古。】 盬藏せる者なり。凡そ蟹、獨(ひと)つ螫・獨目・六足・四足・腹の下に毛有り・頭背に星點有り・足斑・目赤き者、並びに毒有り、人を害す【冬瓜汁・紫蘇汁・蒜汁・鼓汁、皆、之を解すべし。】。 柿及び荊芥〔(けいがい)〕と同じく〔:一緒には。〕食すべからず。霍亂〔(かくらん)〕を發し、風を動かす【木香汁之を解すべし。】。

蟹の黃〔(こ)〕、能く漆を化して水と爲〔(す)〕る。故に漆-瘡(うるしまけ)に塗り、之を用ふ。其の螫(はさみ)、煙りに燒きて、庭に鼠を集むるべし。鱓〔(せん)〕を食ひて毒に中る者、蟹を食へば則ち解す。』と。

[やぶちゃん字注:※4=「虫」+(「婿」-「女」)。]

    「夫木」 横ばしる芦間の蟹の雪降ればあなさむしとや急〔ぎ〕隠るゝ 仲正


飛蟹有り、能く飛ぶ。 百足の蟹有り。 紅蟹有り、海中の大蟹、紅色なり。「〔無溪〕筆談」に云く、『關中に蟹無し。土人、其の形状を怪(あや)しみ、乾〔す〕者を收め、門上に懸け、瘧を辟く。但だ人の識らざるにあらず、鬼も亦、識らざるなり。』と。

[やぶちゃん注:節足動物門大顎亜門甲殻綱エビ亜綱エビ下綱ホンエビ上目エビ(十脚)エビ亜目カニ(短尾)下目及び現在の分類学上狭義にはカニ類に含まれないエビ目ヤドカリ(異尾)下目に属するタラバガニParalithodes camtschaticusやヤシガニBirgus latro、更に良安が後掲する鋏角亜門カブトガニ綱カブトガニ目カブトガニ科カブトガニ属Tachypleus tridentatusも含めたカニの総論である。但し、この項以降で、「蟹」を特定種として用いている(例えば次の次の「※1蜞」[※1=「虫」+「彭」。]等)から、これには種同定が必要である。長野電波研究所附属図書館の「本草綱目」リストでは、これをカニ(短尾)下目イワガニ科モクズガニEriocheir japonicaに同定している。しかし、これは「本草綱目」の叙述であるから、モクズガニ属の異種であるチュウゴクモクズガニEriocheir sinensisも当然、候補ということになる。勿論、前者も大陸に分布するが、古代に於いて、この二種を明確に区別していたとは思われないし、実際に上海蟹として食用にされる種として後者が掲げられる以上、両方を同定候補とすべきである。但し、まさにその「※1蜞」の項で、矛盾が生じる。当該項を参照されたい。

 「螃※1」[※1=「魚」(左)+「解」(右)。]

 「郭索」擬音語(オノマトペイア)である。

 「☲、離」は八卦の一つ。単独の爻辞としては「外は明るく内は暗い」又は「二物が一つのものを挟んで向かい合う」形。火・日・別離・対立・闘争・赤色(紫色)等が象徴される。方位は南に配する。硬い外骨格に対して内臓が空と捉えるところからか。なお、前項の「水龜」の注も参照されたい。

 「蜩」節足動物門昆虫綱カメムシ(半翅)目頚吻亜目セミ型下目セミ上科セミ科Cicadidaeのセミの総称。国字としてはヒグラシ属のヒグラシTanna japonensis及びその近縁種に当てるが、実はこちらはそう古い読みではないように思われる。

 「蜼」ルビを信じるならば、旧世界ザルに属する霊長目直鼻猿亜目高等猿下目狭鼻小目オナガザル上科オナガザル科オナガザル亜科 Cercopithecinaeのサルの仲間を言っている。オナガザル科 Cercopithecidaeとすると逆に限定されて分布域が中国南部に限られる。東洋文庫版では「くもざる」とルビを振るが、だとすると全く違う新世界ザルの真猿亜目広鼻下目オマキザル科クモザル亜科Atelinaeの仲間を指すが、分布域が適合しないので、これは誤りである。

 「鱟」本邦の代表種である鋏角亜門カブトガニ綱カブトガニ目カブトガニ科カブトガニ属Tachypleus tridentatusの他に、東南アジアに棲息域を持つミナミカブトガニTachypleus gigasとマルオカブトガニCarcinoscorpius rotundicaudaも挙げておくべきであろう。

 「脆くして堅く」の謂いがよく分からない。硬いことは硬いが、一度砕けると脆い、という意味であろうか。

 「十二の星」は陰陽五行説に基づく運命の強弱や一種のバイオリズムを示す象徴的な星で、生・衰・病・死等の十二種に分かれる。西洋の占星術に於ける十二宮に極めて類似するものの、あのような具体的な星座に割り当てる謂いとは異なるもののように思われる。

 「臍」は、現在で俗に言うところのフンドシを指している。カニは尾部に相当する部分が腹部側に大きく湾曲しており、これを腹蓋という。一般のカニでは♂の腹蓋が狭い。逆に♀では、抱卵の関係上、腹部全体の幅が♂に比して優位に広く、腹蓋も左右に広くなっており且つ丸味を帯びている。現在でも有効な雌雄の判別法として知られる。

 「雄は臍、長し。蜋螘と曰ふ。雌は臍、圓なり。慱帶と曰ふ。」これは「廣雅」(三国時代の魏の張揖(ちょうしゅう)の撰になる漢代の字書「爾雅」の増補版であるが、現在は散佚)の「蟹、#也。雄曰蜋螘、雌曰博帶。」[やぶちゃん字注:#=「虫」+「危」。]にフンドシによる識別法を入れ込んだものである。

 「黃」の字には、辞書の上では、三歳以下の幼児という意味はあるが、「かにのこ」(蟹の卵・卵巣)という意味はない。カニの卵巣の色からの当て読みである。

 「月の盈虧に應ず」これはよく知られるように、科学的な言いである。多くのカニ類が月の引力による潮汐現象に感応して旧暦の決まった日に大挙して産卵するさまをご覧になったことがあろう。

 「聲を引きて」勿論、発声器官を持たないが、「郭索」という名の通り、磯や砂浜で多数の個体が蠢く時には、確かにある種の気配や音がする。特に産卵時に膨大な数が移動する時には、その脚音や口器からの泡の音等が「声」として意識されても自然であるように思われる。

 「噀く」の「噀」は音「ソン」で、水などを噴く、吐くの意。

 「蟄れん」は動物が土中に穴籠もりをすることを言う。多くのカニは冬季に運動性能が落ちるが、これは冬眠と言えない。しかし、イワガニ上科イワガニ科ベンケイガニ亜科アカテガニ
Chiromantes haematocheir等は明白な冬眠を行うことが知られている。


 「沙つき」この訓は、カニの身が砂を含んだようにジャリジャリすることからの擬音語であろう。ただカニが灯火を見ると砂をかみやすいとか、身にそのような固形物が生じるというのはよく分からない。多くのカニ類が夜行性であること、夜に捕獲すると砂をまじる確率が高いということであろうか。

 「※3り」[※3=「月」+「直」。]

 「皀莢」はマメ目ジャケツイバラ科サイカチGleditsia japonica。豆はサポニンを含有し、去痰・利尿剤や洗剤として用いられ、新芽や若葉は食用とする。

 「蒜」はユリ目ユリ科ネギ属ノビル
Allium macrostemon。鱗茎部を食用とする。小さな頃、私はよく裏山の池塘に母とノビルやセリ採りに行った。懐かしい思い出である。もう、その池も野原も小川も住宅地に変貌してしまった。


 「沙・※3を免る」[※3=「月」+「直」。]サイカチ(の葉?)やノビルを一緒に調理すると、じゃりじゃり感や不快な粘り気が生じない、という意味。

 「白芷」はセリ科ヨロイグサAngelica dahurica又はその仲間の根を材料とする漢方薬の名。鎮痛・鎮静・皮膚掻痒感の除去・美肌効果等を持つとされる。

 「五味子」はモクレン科チョウセンゴミシ(北五味子)Schizandra Chinensisの果実を乾した漢方薬。鎮痛・鎮静作用を持つ。

 「冬瓜」スミレ目ウリ科トウガンBenincasa hispida。広東料理の大きなトウガンを刳り貫いた豪華な冬瓜のスープ「冬瓜盅(トンクワチョン)」は有名。

 「紫蘇」シソ目シソ科シソ属シソPerilla frutescensの葉を液浸させたものであろう。

 「鼓汁」は、恐らく豆鼓のスープである。豆鼓は、中国料理の炒め物に用いられる加工調味料の一種で、蒸した大豆を塩漬けにし、更にそれを発酵させて干したもの。一種の味噌汁であるが、やや苦味がある。

 「荊芥」は、シソ科のケイガイSchizonepeta tenuifoliaの花穂及びその茎枝で、漢方薬として風邪や出血性疾患や皮膚病に効果がある。

 「霍亂」夏季に発生し易い激しい嘔吐・下痢などを伴う急性症状を言う。

 「風を動かす」意味不明である。ここは思うに「霍亂・動風を發す」と訓読するのが正しいのではあるまいか。「動風」は漢方で激しい嘔吐や卒倒の症状を指すように見受けられるからである。識者の意見を乞う。

 「鱓」はとりあえず「和漢三才圖會 卷第五十 魚類 河湖無鱗魚」の該当項に随うならば、タウナギ目タウナギ科タウナギMonopterus aibusである。東洋文庫版ではこれを海産の「うみへび」と訓じている。但しこれは爬虫綱有鱗目Squamataヘビ亜目ウミヘビ科 Hydrophiidaeではあり得ず、ウナギ目アナゴ亜目ウミヘビ科Ophichthidaeの一種を指すか、又は現在、本字が一般的に支持するところのウナギ目ウツボ亜目ウツボ科 Muraenidaeのウツボ類の一種を指しているのであろうと思われる。私は、中国で、食ってあたると普通に言う場合の魚種としては、タウナギ以外には考えられない気がする。

 『「夫木」』は「夫木和歌抄」(1310年頃成立した藤原長清撰になる私撰和歌集)で、和歌の作者源仲正(仲政とも書く)は平安末期の武士、酒呑童子や土蜘蛛退治で有名なゴーストバスター源頼光の曾孫である。即ち、ひいじいさんの霊的パワーは彼の息子、鵺(ぬえ)退治の源頼政に隔世遺伝してしまい、仲正の存在はその狭間ですっかり忘れ去られている。当該の和歌は、下の句に異同があり、

   横走る蘆間の蟹の雪降ればあな寒げにや急ぎ隠るる

が正しい。

 「飛蟹」は恐らく天敵が襲ってきた際、水中を飛ぶように遊泳することからつけられた名称であろうと思われ、そこから私はワタリガニ科ガザミPortunus trituberculatus 等の仲間を想起する。

 「百足蟹」については、中文サイトで後漢の郭憲(かくけん)の著わした「洞冥記」という書物の中に漢武帝が食った蟹のエピソードを載せて「漢武帝時、善苑國曾貢一蟹。長九尺、有百足四螯、因名百足蟹。煮其殼謂之螯膏、勝於鳳喙之膏也。」という記載を見つけた。印象でしかないが、これは体表面及び脚に多数の棘状の突起を持ち(「百足」)、脚5対を所持するが、その第5歩脚は小さく鰓室に挿入されたままになっているため外見上、鋏と脚を合わせて4対しかないように見える(「四螯」)ところのエビ(抱卵)亜目ヤドカリ(異尾)下目ヤドカリ上科タラバガニ科タラバガニParalithodes camtschaticusではないかと思う。「九尺」は大きく見えるが、後漢の頃の度量衡では尺は約23㎝と短く、タラバガニは殻長は25㎝程であるが、脚を広げると1mを有に超える個体も珍しくないから妥当な線であると思う。勿論、ここに更に巨大な(3m超)カニ下目クモガニ科タカアシガニ属タカアシガニMacrocheira kaempferiを候補にすることも考えたが、どうもしっくりこない。

 「紅蟹」は「大蟹」とあるので、真っ先に浮かぶのはそれこそカニ下目クモガニ科タカアシガニ属タカアシガニMacrocheira kaempferiなのであるが、ここでもしっくりこない。私はこれはカニ下目アサヒガニ科のアサヒガニRanina raninaではないかと思う。甲幅は15㎝と、浅海域に生息するカニでは最大級、全身が正にあざやかな赤みがかった橙(だいだい)色をしている(茹でると正に紅色となる)。

 『「無溪筆談」』は東洋文庫版の書名注によれば、宋の沈括(しんかつ)の随筆で、故事・弁証・楽律等の17部門に分けた記載が、補巻を含め29巻に及ぶ。その博覧強記は中国の随筆類中、群を抜いているとされる。

 「關中に蟹無し。土人、其の形状を怪(あや)しみ、乾〔す〕者を收め、門上に懸け、瘧を辟く。但だ人の識らざるにあらず、鬼も亦、識らざるなり。」は面白い。なお、「關中」とは、授業の「項羽と劉邦」を思い出せ。そう、あの「関中」陝西省渭水盆地の西安(=秦の都であった咸陽)を中心とした一帯、函谷関の西側の肥沃にして要害の地である。また、「瘧」は、間欠的な発熱(「瘧」という字自体が隔日又は周期的に起こる症状を示す字)と悪感や震顫を呈する、主にマラリアの症状を言う。そら、今度は「若紫」だよ、「わらわやみ」だ。漢文では「鬼」は虎のパンツと牛のツノをイメージしちゃいけないと言ったのも思い出したか? 「鬼」は本来は死者・祖霊、ここでは人知を超えた力を持つ、不可視の物の怪・災厄をもたらす鬼神の意味だ。落ちが面白い私好みの話なので、訳しておこう。

やぶちゃん訳:
 関中の地方には、蟹が棲息していない。そこで土地の人々は地方からもたらされた蟹を見て、その(鬼神のような)禍々しい(甲羅にある醜い顔やそこから生えたおぞましい長い棘のような突起物=脚の)形状を惧れ怪しみ(て、これは異界の魔物の仲間だと思い)、干して乾燥させた上、門の上に懸けて、瘧封じとし(て、祀った。すると実際にそのように祀った家は瘧に罹らなかっ)たのである。さてもそれを考えうるに、これはただ、関中の人々のみが、これは(他の地域では普通に水に棲んでいる海老と同じような生き物である)蟹という生物である、ということを知らなかったことだけを意味するのではなく、実に(瘧をもたらすところの)鬼神も亦、(これがただの普通の生き物の蟹であることを)知らなかった(、恐るべき鬼神自身がこれを不気味な異怪と見た)ことをも指しているのである。]

***

あしはらかに   蟚※1

※2※3【彭越】 【別名蘆原蟹】

ポン ユヱッ

[やぶちゃん字注:※1=「虫」(へん)+「越」(つくり)。※2=「虫」(へん)+「彭」(つくり)。「蟚」と同字。※3=「虫」(へん)+「骨」(つくり)。「ユヱッ」の「ッ」は有意に小さい。]

《改ページ》

■和漢三才圖會 介甲部 四十六 ○九

本綱※2※3蟹之最小無毛者

あしはらがに   蟚※1〔(はうゑつ)〕

※2※3〔(はうゑつ)〕【〔音、〕彭越〔(はうゑつ)〕。】 【別名、蘆原蟹。】

ポン ユヱッ

[やぶちゃん字注:※1=「虫」(へん)+「越」(つくり)。※2=「虫」(へん)+「彭」(つくり)。「蟚」と同字。※3=「虫」(へん)+「骨」(つくり)。「ユヱッ」の「ッ」は有意に小さい。]

 

「本綱」に、『※2※3は、蟹の最小にして無毛の者なり。』と。

[やぶちゃん注:「※2※3」や「※3」は、エビ亜目ヤドカリ(異尾)下目ヤドカリ上科Paguroideaを指すのが一般的である。「廣井漢和辭典」の「※3」の意味の最後に「集韻」から以下を引く(一部省略)。「彭蛆、水蟲、似蟹而小。或作※3。」。そうしてこの引用に於いてのみ、「※3」は音が「コツ(クワツ)」ではなく、「ヱツ」であるとするのである(以下の「【彭越】」の注参照)。但し、その場合も、意味は同様にすべてヤドカリとある。しかし、「本草綱目」で時珍は「寄居虫」として別にヤドカリを挙げており、それはまた「和漢三才圖會 介貝部 四十七」の掉尾に配されている。その時珍の叙述を見ても、ここでヤドカリを別に語るとは到底思われない。一切の辞書的意味を廃して、なお且つ、「最小」と言っているのに全く反するのであるが、私は敢えて現行呼称通り、内湾の海岸線や河口付近の葦原に生息するカニでは中・大型種である短尾下目イワガニ科のアシハラガニHelice tridens(若しくはその同じイワガニ科Grapsidaeの仲間)に同定したい。良安は附説していないが、彼が認識し絵に描いたものは、私にはアシハラガニそのものであったと感じられる、ということである。

 「【音、彭越。】」東洋文庫版の字配りでは、明らかに、これを「※2※3」の別名と取り、「蟚※1」の前(右側)に並べて表記している。即ち、別名が誤まって割注で音のように示されてしまったものと判断しているのである。しかし、これは先に述べた通り、やはり明らかに標題の「※2※3」の「音」を示しているのであって、東洋文庫版の訳注者の解釈の誤りである。]

***

ほうき

※1蜞

ポン キイ

[やぶちゃん字注:※1=「虫」+「彭」。]

 

本綱※1蜞大於※1※2小於蟹生陂池田港中味鹹寒有毒

[やぶちゃん字注:※2=「虫」+「骨」。]

吐下也蔡謨初渡江不識※1蜞啖之幾死嘆口〔→曰〕讀爾雅不

熟爲學者所誤也

沙狗蟹 生沙穴中似※1蜞而見人便走不可食

ほうき

※1蜞

ポン キイ

[やぶちゃん字注:※1=「虫」+「彭」。]

 

本綱に、『※1蜞は※1※2より大きく、より小さし。陂池・田港の中に生ず。味、鹹、寒。有り、吐き下す。蔡謨〔(さいぼ)〕、初めて江を渡り、※1蜞を識らずして之を啖ふ。死に幾(なん〔/\〕)たり。嘆じて曰く、『「爾雅」を讀むこと、熟せず。學者の誤り所なりと爲すなり〔→學者の誤る所と爲すなり〕。』と。

沙狗蟹 沙穴の中に生ず。※1蜞に似て人を見〔れば〕便ち走る。食ふべからず。』と。

[やぶちゃん字注:※2=「虫」+「骨」。]

[やぶちゃん注:「廣漢和辭典」は「どろがに」とする。現在、ドロガニという呼称はカニ(短尾)下目イワガニ科モクズガニEriocheir japonica及びカニ(短尾)下目ガザミ科ノコギリガザミ属トゲノコギリガザミ(マングローブガニ)Scylla paramamosainに用いられる。とりあえず生息域から考えて(「陂池・田港」及び長江)、どちらかと言われれば、これはもう前者を指すとしか思われない。但し、これは「本草綱目」の叙述であるから、モクズガニ属の異種であるチュウゴクモクズガニEriocheir sinensisも掲げねばならぬ。しかし、これはまさしくお馴染みの上海蟹のことであり、そんなに古くから有毒とされていては、今に上海蟹は伝わらぬことになる。ここで問題になっているのは、まさに大きさだけで、他に特異的な差異が示されていない(棲息域も蟹は「池澤諸水」とし、本種も「陂池・田港」で差異はない)。微細な差異があるのかもしれないが、与えられていない以上、我々はその形状の相同と大きさの相違だけを問題にせざるを得ない。そうすると、この矛盾の中で導くしかない。両者の甲幅は、モクズガニEriocheir japonica(7~8㎝)、チュウゴクモクズガニEriocheir sinensis(8㎝)で優位な違いとは言えないが、ややちいさいのはモクズガニEriocheir japonicaの方である。特異的に異なるのは、分布域とDNAであるが、ウィキによると、モクズガニEriocheir japonicaは小笠原を除く日本全国・サハリン・ロシア沿海州・朝鮮半島東岸・済州島・台湾・香港周辺まで分布し、分布域はちょうど中国東岸部から東北部、朝鮮半島西岸にかけて分布するチュウゴクモクズガニを取り囲むようにあるとする。特異的にEriocheir japonicaと差別化し得たのは、もしかすると私の想像に反して明確な差異化がなされていたからではないのか? 科学的根拠は度外視して、Eriocheir japonicaは有毒で食用としてはならないという認識があったからかも知れない。しかし、やはりここでこちらをモクズガニEriocheir japonicaに、「蟹」をチュウゴクモクズガニEriocheir sinensisに同定することに、私は躊躇を感じる。それは馬鹿馬鹿しいナショナリズム等ではない。この大小をのみ、問題にしている点は、大小の意味をも私は無化させて考える方がいいように思われるのである。即ち、これは単に偶々食った中型のチュウゴクモクズガニかモクズガニから後述するハイキュウチュウParagonimusに感染したのであると考えるのが自然ではあるまいか。反論(但し、目から鱗ならぬ甲羅の)を俟つ。

 「※1※2」[※1=「虫」+「彭」。※2=「虫」+「骨」。]短尾下目イワガニ科のアシハラガニHelice tridensと思われる。前掲の「※1※2」(アシハラガニ)を参照。

 「陂池・田港」「陂池」は堤や溜池を言い、「田港」は初見であるが、耕作地に川水を引き入れる部分を言うか。

 「毒」とは、一見、単なる食中毒のように見える(実際にそうかもしれない。淡水なのでシガテラ毒等は考えにくい)が、これは現在明らかになっている寄生虫による症状を指すものではなかろうか。即ち、モクズガニに特異的に寄生するベルツハイキュウチュウParagonimus pulmonalis(Baelz, 1880) 及びアジアに分布するウエステルマン肺吸虫Paragonimus westermani・ヒロクチ肺吸虫Paragonimus heterotremus・宮崎肺吸虫Paragonimus miyazakii・スクリャービン肺吸虫Paragonimus skrjabiniによる肺結核様症状――やや苦しいが「吐き下し」=血痰及び以下の注で引く「世説新語」の「委頓」(全身虚脱)――である(ちなみに、このベルツハイキュウチュウ については長く(現在も)ウェステルマンハイキュウチュウ(肺臓ジストマ)の3倍体種とされてきた(現在もそう記述するものが多い)が、ここではモズクガニ研究者小林哲氏の見解に随い、ベルツ肺吸虫の名称を採用する)。さて、肺吸虫症は、生ガニやその粉砕片・汁等から生きたメタセルカリア幼生を経口摂取することで感染する。(残念ながら)目だった急性症状はない。人体内に入ったメタセルカリア幼生は腸壁・横隔膜等を突き破って肺の細気管支部分に移行し、感染2~3ヶ月後に成虫となって産卵を開始する。この時、寄生虫性嚢胞が形成される。臨床としては、中程度の胸痛・頭痛・悪寒・微熱・気分不良・皮下硬結・項部硬直・発作性咳嗽(がいそう=咳)喀痰・特有の錆色をした血痰(血液と赤味を帯びた虫卵が混じるため)、胸部レントゲン写真では気胸や胸膜炎による胸水貯留が認められることが多く、結核や肺癌との識別が肝要である。肺吸虫症はゆっくりとした慢性呼吸不全と心不全を、小児では身体及び精神発達障害を引き起こす。脳・腹壁・腹膜・肝臓・泌尿器・生殖器(特に子宮頸部の細胞)等の肺以外の異所への寄生も頻繁に生じ、時に重篤な症状となる(以上の肺吸虫症の病理・臨床は複数の信頼出来るネット情報を勘案綜合して作成した)。なお、最近の上海蟹の話題に登場する「毒蟹」というのは、養殖業者による抗生物質及びホルモン剤の投与されたものを言う。これとは、違うが、これも怖い(同様のホルモン剤投与については「和漢三才圖會 卷第五十 魚類 河湖無鱗魚」の「鱓」(タウナギ)「人の壽を損ず」の注を参照されたい)。

 「蔡謨」は東晉の重臣、司徒であった(司徒は太尉と司空と合わせて三公の一つで、天子を補佐する最高位の三つの官職の一つ)。「医心方」の「蟹」の条にも崔禹錫の「食経」からこれとほぼ同じ文章を引いて(以上の原文は茨城大学の学生のレポートのものを一部改変して引用した)、

 

蔡謨初渡江、不識而喫蟹、幾死。乃歎云、讀爾雅不熟、爲勸學所誤耳。

 

やぶちゃん書き下し文:

蔡謨初めて江を渡るに、識らずして蟹を喫(くら)ひ、幾(ほとん)ど死せんとす。乃ち歎じて云く、『「爾雅」を讀むに熟さず、「勸學」、誤る所と爲すのみ。』と。

 

とある。時珍のソースもこの「食経」と思われる。このエピソードは「世説新語」の「紕漏第三十四」(「紕漏」は間違いや落度の意味)にも現れるが、そこではシチュエーションがやや異なる(原文および訳については昭和531978)年明治書院刊の目加田誠「漢文大系78 世説新語 下」を一部参考にした)。

 

蔡司徒渡江、見彭蜞、大喜曰、蟹有八足、加以二螯。令烹之。既食、吐下委頓、方知非蟹。後向謝仁祖説此事。謝曰、卿讀爾雅不熟、幾爲勸學死。

大戴礼勸学篇曰、蟹二螯八足、非虵蟺之穴無以寄託者、用心躁也。故蔡邕勸學章取焉。

雅曰、※2※3小者勞。即彭蜞也。似蟹而小。今彭蜞小於蟹、而大于彭※2。即雅所謂※2※3也。然此三物、皆八足二螯、而状甚相。蔡不精其小大、食而致弊。故謂讀爾雅不熟也。

[やぶちゃん字注:※2=「虫」+「骨」。※3=「虫」+{「澤」-(さんずい)}。

 

やぶちゃん書き下し文:

蔡司徒、江を渡り、彭蜞を見て、大いに喜びて曰く、「蟹に八足有り、加ふるに二螯(がう)を以てす。」と。之を烹(に)しむ。既に食ひて、吐下して委頓し、方に蟹に非ざるを知る。後に謝仁祖に向ひて此の事を説く。謝曰く、『卿(けい)、「爾雅」を讀みて熟せず、幾んど「勸學」の爲に死せんとするなり。』と。

「大戴礼」勸学篇に曰く、『蟹は二螯八足、虵蟺の穴に非ざれば以て寄託すること無きは、心を用ふること躁なればなり。』と。故に蔡邕は「勸學章」の義を取る。

「爾雅」に曰く、『※2※3の小さき者は勞なり。即ち彭蜞なり。蟹に似るも小さし。』と。今、彭蜞は蟹よりも小さく、彭※2よりも大なり。即ち「雅」の所謂、※2※3なり。然れども此の三物、皆、八足二螯にして、而も状、甚だ相類す。蔡謨は其の小大不に精せず、食ひて弊を致す。故に「雅」を讀むに熟せざるとふなり。

 

やぶちゃん現代語訳:

 司徒であった蔡謨が長江を渡河したが、その際、彭蜞を発見して、大いに喜んで言った、「曽祖父の蔡邕が著した「勸學章」には『蟹には八本の足があって、加えて二本のはさみがある。』とあったな。」と。そこでこれを煮させた。食い終わったところが、吐き下してぐったりしてしまい、初めてこれは蟹ではないということに気づいた。後に謝仁祖(謝尚)に逢ってこの話をした。すると謝は言った、『君、「爾雅」をよく読んでいないな。危うく「勸學章」のために命を落とすところだったよ。』と。
 さて、以上の文章を補説すると、「大戴礼」勸学篇には確かに言う、『蟹には二本のはさみと八本の足があって、蛇や蚯蚓(みみず)の穴でないと住処としないという形状と属性は、蟹の性質がずる賢くて落ち着きがないからである。』と。故に蔡邕は、専らその蟹の性情を示す意味い於いて「大戴礼」の文に「勸學章」を書き加えたのである。
 翻って「爾雅」に言っている、『※2※3の小さいものを勞と言う。それは彭蜞と同種を指している。蟹に似ているが、小さい。(そして有毒である。)』と。さて今確かに、彭蜞は蟹よりも小さく、彭※2よりも大きい。即ち「雅」の所謂、※2※3なのである。然し此の三つの生物は、すべて八本足で二本のはさみを持っており、しかもその形状は極めて類似している。蔡謨はその形の大小に精通しておらず、食べて中毒し、身体に重篤な弊害をもたらしたのであった。故に「雅」を熟読精読していないと、謝仁祖は言ったのである。

 

なお、目加田氏の注によれば「即ち彭蜞なり。蟹に似るも小さし。」の部分は「爾雅」の郭璞(かくはく)の注であるとする。

 「幾」は、前注で訓読したように、今にも、ほとんどの意味。危うく、という意味にも用いるので、そちらでもよい。

 『「爾雅」』著者不詳の中国最古の類語・語釈辞典。春秋時代に原型があり、それを漢代初期の学者が整理補塡したものと考えられている。

 「學者の誤る所と爲すなり」本文はやや訓読に難があるので、以上のように訓読し直した。「学者たる者としてまことに恥ずべき所為であった」という意味。

 「沙狗蟹」名前やそそくさと消え去る逃走する行動からは、英名“Ghost crab”と呼ばれるスナガニ上科スナガニ科スナガニOcypode stimpsoni 等が想起されるのだけれども、これはもしかするとモクズガニの稚蟹ではなかろうか。モクズガニの成体は広く河川の上流の淡水域を生息地としているが、幼生は塩分濃度が高い場所でないと成長できないことが知られている。ウィキのモクズガニの生活史の記載によれば、甲幅10㎜大になると、上流域へと分布域を広げるとある。識者の御意見を伺いたいものである。唯の思いつきだから、何時でも訂正する。]

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つまじろ

望潮蟹 【俗云爪白蟹】

ワン ツヤ゜ウ キイ

《改ページ》

本綱望潮蟹生海中似※1蜞而潮至出穴望者可食

[やぶちゃん字注:※1=「虫」+「彭」。]

つまじろ

望潮蟹 【俗に爪白(つまじろ)蟹と云ふ。】

ワン ツヤ゜ウ ヒヤイ

 

「本綱」に『望潮蟹は海中に生ず。※1蜞に似て、潮(うしほ)至れば穴を出でて望〔(みあぐ)〕る者なり。食ふべし。』

[やぶちゃん字注:※1=「虫」+「彭」。]

[やぶちゃん注:まず、良安が付した「爪白蟹」ツマジロガニという呼称は、本邦に於いてカニ(短尾)下目ワタリガニ科ヒラツメガニOvalipes punctatusの異名として用いられている。甲幅は10㎝程度で波打ち際から水深20m程度までに多く棲息するが、夜行性である。現代中国語では「圓趾蟹」とする。良安がわざわざ俗称「爪白蟹」を示した以上、「望潮蟹」をヒラツメガニに同定した可能性が高いかも知れないのだが、どうも私には、この少ない記載の、「望潮」と「潮至れば穴を出でて望る者なり」が気になるなあ……一番に浮かぶのはスナガニ科スナガニ亜科ハクセンシオマネキ Uca lactea lacteaを初めとするシオマネキ(潮招き)属Ucaだけど、幾らなんでもだったら時珍だって絶対はさみの大小を言うはず。第一、良安が黙ってないし、……それに、何となくそれ(シオマネキ類)らしい奴が後の「獨螯蟹」で控えてるしね……う~む、困った時のネット頼み、サーフボードに載って蟹を探す、か……ところが見つかるんだな、これが! 「台灣省政府教育廳國教輔導團」(いやあ、凄いね、この繁体字の印象! 指導してるぞって感じ!)の「螃蟹名録」では、スナガニ上科スナガニ科オサガニ属に属するヒメヤマトオサガニMacrophthalmus banzaiの俗名として「望潮」を与えているのを発見した。うん、これだ! あの潜望鏡のような眼(と眼柄)と潮を望み招くような求愛行動(ウェーヴィング)! キマリ! 但し、このMacrophthalmus banzaiは、近年になって新種として分離されたものであるから、ここでは当然ヤマトオサガニMacrophthalmus japonicus及びそれらに類似した仲間(中文サイトを見るとうじゃうじゃ居る)も含まれると言わねばなるまいな。ちなみに、以下のヒメヤマトオサガニに関する個人のサイト(http://www7a.biglobe.ne.jp/~magokorogai/himeyamatoosa.htmlリンクを希望する場合は一報をと書かれているのでリンクは張らない。これは文句を言っているのではない。それに費やす初対面の相手との精神エネルギの消耗が私には苦痛なだけなのである。悪しからず)には『両種が混生している場所で観察していると、成長した個体では、ハサミの色がヤマトオサガニがやや黄色みがかった白色であるのに対して、本種は黄色みがからず、白っぽく見えます。』(下線部やぶちゃん)という記載がある。もしかしすると、これは本当に限定されたヒメヤマトオサガニMacrophthalmus banzaiかも?!

 「望る」の送り仮名は確かに「ル」であって「ム」では断じてない。勿論、「みる」という訓も考えたが、「見上げる」という意味が「望」にあり、ヤマトオサガニのウェーヴィング時の姿をイメージすると、「みあぐる」の訓が最適と判断した。

 「食ふべし」とあるが、食ったという人は聴かない。しかし、一匹40円(!)でクロダイ(タイ科ヘダイ亜科クロダイAcanthopagrus schlegelii)の餌にするくらいだから、十分、食えるであろう。]

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いしがに

石蟹  【和名似

      之加仁】

シツ ピヤイ

 

本綱石蟹生溪澗石穴中小而殻堅赤野人食之

蚌江 生海濵兩螫極小如石者不可食

いしがに

石蟹  【和名、以之加仁。】

シツ ピヤイ

 

「本綱」に、『石蟹は溪澗石穴の中に生ず。小にして、殻、堅く、赤し。野人、之を食ふ。

蚌江〔(ばうかう)〕 海濵に生ず。兩の螫、極めて小にして石のごとくなる者、食ふべからず。』と。

[やぶちゃん注:現在、イシガニと言えばカニ(短尾)下目ワタリガニ科イシガニ属Charybdisの多様な種を指し、また先の「台灣省政府教育廳國教輔導團」「螃蟹名録」には、俗名「石蟹」としてオウギガニ科オウギガニ亜科のムツハオウギガニLeptodius sanguineusを挙げるが、これらはおととい来い、である。一読、ぴんと来るのは本邦固有種のカニ(短尾)下目サワガニ上科サワガニ科サワガニGeothelphusa dehaani(国内には他にも南西島嶼地域を中心に限定地域での近縁種が多数いるが、その殆んどが絶滅危惧種である)である。中文の大陸の簡体字サイトを幾つか縦覧すると、Geothelphusa属に類する種が大陸にも棲息しているように思われるので、とりあえずサワガニに同定しておく。昔は、大船の私の家の近くにも一杯居た。玉縄城址に向うには幾つかの切通しルートがあるが(今、私のこの書斎正面に見えるのは「ふあん坂」という不思議な名だ)、その何処にもやや青白いのやら紫色のやら赤いのやらがゴマンといた。私が久し振りに見たのは、一昨年の夏、紀州の神社ゴトビキへの参道に沢山居たのを思い出す。なお、本種は野人ならずとも食用種であるが、ついては、やはりモクズガニ同様、肺吸虫による感染リスクの高い種であることを認識していないといけない。

 「蚌江」ナンタルチア! この「蚌江」で検索をかけると、日本語サイトじゃ、私の栗氏千蟲譜 巻十(全)しか挙がってこんがね! 中文サイトでひっかってるのも、こりゃ蟹の名前じゃあなくて、河川名ぽいな。トホホ、では、やぶちゃんはコブシガニ科Leucosiidaeの一種と考えているようです(但し、「栗氏千蟲譜」の方は絵があるのでコブシガニPhilyra sp.まで同定している)。]

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かさめ   桀歩 執火

擁劔蟹  【和名加散米】

ヨン ケン ヒヤイ

 

本綱擁劔蟹一螫大一螯小常以大螯闘小螯食物其螯

《改ページ》

■和漢三才圖會 介甲部 四十六 ○七

赤故名執火

△按擁劔蟹生江海大者味美用鹽水煮熟則變純赤色

 脱甲取白肉食其黃最甘美山州和州溪澗有之毎十

 月丑日必群出土人候此日多捕亦一異也

がさめ   桀歩〔(けつほ)〕 執火

擁劔蟹  【和名、加散米。】

ヨン ケン ヒヤイ

 

「本綱」に、『擁劔蟹〔(ようけんがに)〕は、一つの螫(はさみ)は大きく、一つの螯は小さし。常に大螯を以て闘ひ、小螯を以て物を食ふ[やぶちゃん字注:「小螯を以て物を食ふ」の「以」は、送り仮名にある。]。其の螯、赤き故、執火と名づく。』と。

△按ずるに、擁劔蟹は江海に生ず。大なる者、味、美なり。鹽水を用ひて煮熟すれば、則ち純赤色に變ず。甲を脱し、白肉を取り、食ふ。其の黃(こ)、最も甘く美なり。山州〔=山城〕・和州〔=大和〕の溪澗(たに〔ま〕)に之有り。毎十月丑の日、必ず群出す。土人此の日を候ひて、多く捕るも亦、一異なり。

[やぶちゃん注:良安の描くは所謂、「ワタリガニ」と呼ばれるカニ下目ワタリガニ科ガザミ属Portunusの特徴をはっきりと示している。まあ、茹でて赤くなるのは多くのカニ類の一般的特徴(甲に含まれている色素アスタキサンチンastaxanthinが蛋白質から分離し、本来の色を発色した結果。但し、オオエンコウガニ科オオエンコウガニChaceon granulatus等、一部のカニはアスタキサンチンを含まず、赤くならない種もある)であるから……。ところが、「本草綱目」の左右の鋏脚の大きさが有意に異なるというのは(勿論、厳密な意味でガザミの鋏脚が同じ大きさだとは思えないが、特徴として記すほどではあるまい)、ガザミではなくて、ヤドカリ(異尾)下目ヤドカリ上科タラバガニ科タラバガニParalithodes camtschaticus等に見られる特徴である(タラバガニでは右鋏脚が左よりも大きい)。更に当然、左右の鋏脚がそれこそ極端に異なった、真っ赤な奴で松明を持って火を振るかのように(「執火」)見えるとなれば、ウェーヴィングする、あれっきゃない! スナガニ上科スナガニ科スナガニ亜科シオマネキ属のベニシオマネキ Uca Amphiuca chlorophthalma crassipesだ!……しかしですよ、あれえ? 今度は良安の叙述部分を良く見てよ、始めは海産だと断っておきながら、現在の京都府と奈良県の渓谷域に棲息し……たあ、どういうことよ? 幾らなんでも、山間部の上流にはガザミは出現しないよ。えぇ? 海産の蟹が山に出るから「一異」(いつに不思議なこと)なの? いやいや、そうじゃないよねえ? 「一異」なのは、決まって十月の丑の日に大挙して出現するからでしょ?……さてもこれは当然の如く、淡水蟹、手が赤い、とくりゃ、これはもうイワガニ上科イワガニ科ベンケイガニ亜科アカテガニChiromantes haematocheir、いやいや、谷間と言うんだから、より水域に近く棲息するアカテガニ属のクロベンケイガニChiromantes dehaani、又はベンケイガニ亜科のベンケイガニSesarmops intermedium辺りってことカニ?……6種も挙がって同定不能だガニ。

 「山州・和州の溪澗に之有り。毎十月丑の日、必ず群出す。土人此の日を候ひて、多く捕る」大朏東華(おおでとうか)なる人物の筆になる「斉諧俗談」には、ここと「蟹」の最後にあった「無溪筆談」のエピソードを接合するという、やや狡い美味しいとこ取りの一章があるので、以下に紹介する(底本は吉川弘文館「日本随筆大成第一期」19巻を用いた)。

 

   ○擁劔蟹(がざめ)

相伝て云。山州、和州両国の渓間に擁劔蟹有り。然るに、この擁劔蟹は、毎年十月の丑の日に必ず群て出。土人、此の日をまちて多く是を捕ると云。いまだ其ゆへをしらず。

筆談に云。関中には蟹なし。因て土人、蟹の形状を怪しみ、乾たる蟹を門の上に掛て、瘧(おこり)を除(よけ)るの咒(まじない)とす。唯人而已、これを知らざるにあらず。鬼もまた、是を識らざるなりと云。

 

この話、国際日本文化センターの「怪異・妖怪伝承データベース」に「擁劔蟹」として、挙げられており(http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/3200031.shtmlリンクは必ず相談するようにと書かれているのでリンクしない)、そこでは何と! この大朏東華「斉諧俗談」を出典としている! 糾弾! これは明らかに「和漢三才図会」からの孫引きですぞ!]

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しまがに  蟳【音 】撥棹子

蝤蛑     【俗云島蟹】

ユウ メ゜ウ

[やぶちゃん字注:「蟳【音 】」の「音」は、欠字。]

 

本綱蝤蛑其殻扁最大後足闊而如棹故名撥棹子隨潮

退殻一退一長其大者如升小者如盞楪両螯如手所以

異於衆蟹也其力至強八月能與虎闘虎不如也

△按蝤蛑螯至強捕之者伸手搜石罅中爲其所鉗牢不

 可脱其小者亦鉗人出血


蟙 生南海中殻闊而多黃其螯最鋭斷物如芟刈

しまがに  蟳【音、 。】撥棹子〔(はつたうし)〕

蝤蛑     【俗に島蟹と云ふ。】

ユウ メ゜ウ

[やぶちゃん字注:「蟳【音 】」の「音」は、欠字。]

 

「本綱」に、『蝤蛑〔(しうばう)〕は、其の殻、扁たく最大なり。後足(うしろあし)、闊く棹のごとくなる故に撥棹子と名づく。潮に隨ひ、殻を退〔(ぬ)〕ぐに、一たび退〔(ぬ)ぐに〕一たび長ず。其の大なる者、升のごとく、小さき者、盞-楪(さかづき)のごとし。両螯〔(りやうがう)〕、手のごとし。衆蟹〔(しうかい)〕に異なる所以なり。其の力、至つて強く、八月、能く虎と闘ひて、虎、如かざるなり。』と。

△按ずるに、蝤蛑は、螯(はさみ)、至つて強く、之を捕ふる者は手を伸(の)べて石の罅(ひび)の中を搜し、其の爲に鉗(はさ)まれ、牢して脱すべからず。其の小さき者も亦、人を鉗(はさ)みて血を出だす。


蟙〔(しよくorしき)〕 南海の中に生ず。殻、闊くして、黃(かにのこ)、多し。其の螯、最も鋭く、物を斷つこと、芟刈〔(さんがい)〕のごとし。

[やぶちゃん注:世界最大の蟹、いや、最大の節足動物であるとすれば、これはもう、成熟した♂個体で鋏脚を広げるて3m超え、最大甲幅30㎝・甲長40㎝に達するカニ下目クモガニ科のタカアシガニMacrocheira kaempferiである。シマガニという別名も持っている……しかし、挿絵はどちらかというとヤドカリ(異尾)下目ヤドカリ上科タラバガニ科のタラバガニParalithodes camtschaticusに似てるし、……いや、何より、「蝤蛑」(しゅうぼう)という名は「廣漢和辭典」には「がざみ。わたりがに。」とあり、カニ下目ワタリガニ科ガザミ属Portunus指している。甲羅が平べったいことや鋏脚のはさみの力の強さ等は、まさにこっちにピッタリであるが……。じゃっどん! 虎と戦う? 虎も及ばない(勝てない)蟹? そんなもん、居たら、真珠湾攻撃は、「カニ!カニ!カニ!」になっとるわい!……連チャンの同定不能はどうも不愉快じゃけえ、ガザミにしとうごわした前項の仇ばここでとりもんす、とりあえずば、ガザミorタカアシガニでゆくでごわす!(仔細に読むと、ガザミの分がいい気がする)

 「撥棹子」とは、「撥」自体に舟に掉さすの意味があるので、タカアシガニの長い足、又はガザミの第5脚(先が櫂(かい)のようにオール状に平たく変形した遊泳脚となっており、素早く海中を泳ぐ)を、舟を動かすための棹(又は櫂)に見立てた名であろう。

 「牢して」の「牢」は堅牢の意味で、固くしっかりと閉じてしまい、の意。

 「蟙」同定不能。「廣漢和辭典」には、「蟹の一種。からが広く、黄色の肉の多い蟹。」とする、やっぱりガザミ類かなあ。

 「芟刈」は草を刈ることを示す一般名詞。草刈鎌のことを言うか。]

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《改ページ》

てぼうがに

獨螯蟹

 

【一手者俗呼

 名手亡此蟹

 一螯故名

 手保宇蟹】

[やぶちゃん注:以上四行は、前三行の下に入る。]

 

△按似小蟹而色白一螯者紀州和歌浦多有之見人則

 走入穴本艸獨螯者有毒不可食者是也

てぼうがに

獨螯蟹

 

【一(かた)手の者、俗に呼びて手亡と名づく。此の蟹、一螯なる故、手保宇蟹と名づく。】

 

△按ずるに、小蟹に似て、色、白く一螯なる者。紀州和歌の浦に多く之有り。人を見ては、則ち走りて穴に入る。「本艸〔=本草綱目〕」に獨螯なる者、毒有り、食ふべからずと云ふ者は是なり[やぶちゃん字注:「云」は、送り仮名にある。]。

[やぶちゃん注:「色、白く」及び「紀州和歌の浦」の記載から、スナガニ上科スナガニ科スナガニ亜科シオマネキ属ハクセンシオマネキUca lactea lacteaに同定出来る。

 「紀州和歌の浦」は現在の和歌山県和歌山市、紀ノ川河口の和歌の浦のこと。山部赤人の和歌によって美観を知られた歌枕の地である。神亀元(724)年、聖武天皇はその紀州行幸の際、この浦の景観に心打たれて地霊を祀った(現在の玉津島神社)。知られる赤人の和歌はその折の反歌の一首(巻六 919番歌)。

若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る

「潟をなみ」は「潟を無み」で、潟が寄せる波に水没してなくなってゆくので、の意味。また、菅原道真が太宰府に流される際、この和歌の浦に立ち寄ったともされ、和歌浦天満宮も建つ。]

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かぶとがに

【音后】

ヘ゜ウ

 

【俗云冑蟹

 又云宇無岐宇】

[やぶちゃん字注:以上二行は、前三行下に入る。]

 

本綱鱟生南海状如惠文冠尖頭廣尺餘其甲瑩滑青黑

色鏊背骨眼在背上口在腹下頭如蜣蜋十二足似蟹在

[やぶちゃん字注:「鏊」は、底本では{「金」《へん》+(「嗷」-「口」)《つくり》}である。]

腹兩旁長五六尺尾長一二尺有三稜如椶莖背上有骨

《改ページ》

■和漢三才圖會 介甲部 四十六 ○七

如角髙七八寸如石珊瑚状毎過海相負示背乘風而遊

俗呼鱟帆又曰鱟篺其血碧色腹有子如黍粟米可爲醯

醬尾有珠如粟其行也雌常負雄失其雌則雄即不動漁

人取之必得其雙雄小雌大置之水中雄浮雌沈故閩人

婚禮用之其〔→共〕藏伏沙上亦自飛躍皮殻甚堅可爲冠亦屈

爲杓入香中能發香氣尾可爲小如意脂燒之可集鼠其

性畏蚊螯之即死又畏隙光射之亦死而日中暴之徃徃

無恙也

肉【辛鹹平微毒】 南人以其肉作鮓醬

△按九州海中鱟有之状如兜鍪又似鬼靣〔=面〕而人以恐懼

かぶとがに

【音、后。】

ヘ゜ウ

 

【俗に冑蟹と云ふ。又、宇無岐宇〔(うむきう)〕と云ふ。】

 

「本綱」、『鱟は、南海に生ず。状ち、惠文冠のごとく、尖りたる頭、廣さ、尺餘り。其の甲、瑩滑〔(えいかつ or やうかつ)〕〔にして〕、青黑色。鏊〔(がう)〕の背。骨の眼、背の上に在り。口、腹の下に在り。頭、蜣蜋〔(きやうりやう)〕のごとく、十二足、蟹に似て腹の兩旁に在り。長さ五~六尺。尾の長さ一~二尺。三つ〔の〕稜有り。椶(しゆろ)の莖のごとく。背の上に骨有り、角のごとし。髙さ七~八寸、石珊瑚の状ちのごとし。海を過ぐる毎に、相負ひて背を示す。風に乘じて遊び、俗に鱟帆と呼び、又、鱟篺と曰ふ。其の血、碧色。腹に子有りて、黍・粟・米のごとし。醯醬〔(けいしやう)〕に爲〔(つく)〕るべし。尾に珠有り粟のごとし。其の行くや、雌、常に雄を負ふ。其の雌を失へば、則ち雄、即ち動かず。漁人、之を取るに必ず其の雙を得(う)。雄は小さく、雌は大、之を水中に置けば、雄は浮き、雌は沈む。故に閩〔(びん):福建。〕人、婚禮に之を用ふ。共に沙上に藏伏し亦、自から飛躍す。皮殻、甚だ堅し。冠と爲す。亦、屈して杓と爲す。香中に入るれば、能く香氣を發す。尾、小さき如意に爲〔(つく)〕るべし。脂、之を燒きて鼠を集むべし。其の性、蚊を畏る。之を螫(さ)せば、即ち死す。又、隙(ひま)の光(あか)りを畏れ、之を射れば亦、死す。而も日中に之を暴〔すも〕徃徃〔にして〕恙無きなり。

肉【辛、鹹。平、微毒あり。】 南人、其の肉以て鮓(すし)・醬(ひしほ〔:塩漬け。〕)を作る。』と。

△按ずるに、九州の海中に、鱟、之有り。状ち、-鍪(かぶと)のごとし。又、鬼面に似て、人以て恐懼す。

[やぶちゃん注:本邦の代表種である鋏角亜門カブトガニ綱カブトガニ目カブトガニ科カブトガニTachypleus tridentatusの他に、東南アジアに棲息域を持つミナミカブトガニTachypleus gigasとマルオカブトガニCarcinoscorpius rotundicaudaも挙げておくべきであろう。なお、御存知のように、カブトガニは甲殻類ではなく、従ってカニ類とは縁が遠い。呼吸器官や脱皮方法の類似から、現在は蛛形(クモ)類と近縁と考えられている。即ち、カブトガニの身体後部(後体と呼ぶ)にある薄いセロファンを重ねたような鰓があり、これを鰓書(えらしょ)と呼ぶが、これはクモ類の書肺と構造的には同じである点、また甲殻類の脱皮は頭胸部と腹部の境目から裂けるが、カブトガニはクモと同様、その前胸部に相当する前体前縁が横に避ける。なおこの脱皮方法の記載は1991年平凡社刊荒俣宏「世界代博物図鑑 1 蟲類」に記載している内容であるが、荒俣氏は「カブトガニはクモと同様頭胸部前縁が横に避ける」と記しており、これは厳密には正しくない。何故なら、関口晃一氏の「カブトガニの不思議」(岩波書店1991年刊)によれば、カブトガニにあっては第五歩脚の基部の後部に接して唇様肢(しんようし)という付属肢があり、これは発生学的には腹部体節由来のものである。従って、微妙な謂いであるが、カブトガニの場合は、頭胸部と腹部の体節の一部が繋がっているのである。従って、ここは「前体」と呼称しなければならない。なお、三葉虫とカブトガニの関係について幾つかの議論があるようであるが、この関口晃一氏の「カブトガニの不思議」を要約して、以下に述べておきたい。古生代カンブリア紀初期(6億年前)に、トリロバイトTrilobite(三葉虫。体節に縦に中葉〔=中軸〕とその両側葉の合わせて三葉の明確なパートを持つことからこう命名される)から、触角を持たず三葉の体節も持たないアグラスピスAglaspis類(=光楯〔こうじゅん〕類)が分かれ、カンブリア紀後期(5億年前)にそこからウミサソリEuryptterids類(=広翼類)と剣尾類Xiphosura生じた。但し、三葉虫類は古生代の終わりに、アグラスピス類は早くもオルドビス紀後期(4億年前)に絶滅した。分岐したウミサソリ類の一部がこの後、陸上動物へと進化し、蛛形類のルーツとなり、剣尾類がカブトガニの祖形となった。その形態が我々の現在のカブトガニのイメージとほぼ一致するのは、4億年前のデボン紀から3億年前の石炭紀に出現したベリヌルスBelinurus類やユープルプスEuproops類等によってである。そうして現生種と殆んど見分けがつかないメンソリムルスMesolimulus類は、2億年ジュラ紀の地層から多数出土する。従って、カブトガニ(及びその直接のルーツ)は2~3億年から、その体制を殆んど変えずに生き続けている、文字通りの「生きた化石」であり、想像を絶する地球の生物の歴史をずっとドライヴしてきた生物であると言ってよい。私がここで述べたいのは関口氏も仰っている通り、カブトガニの生きた歴史はその進化の位相をどう捉えるかによって4億年とも2億年と言い得るということである。そうして皮肉を言えば、ヒトというのは,高々数千年の文化をもって、鬼の首を取ったような不毛な議論を繰り返しながら、その実、その貴重な古生命体を致命的に汚染し、棲息環境を完膚なきまでに破壊し尽くして、絶滅を防ぐことも出来ない惨めな生き物であるということである。最後に又、関口氏はクモ・サソリ(蛛形類)以外に、カブトガニとのもう一つの近縁種として、鋏角亜門ウミグモ綱ウミグモ目Pantopodaのウミグモ類を挙げておられることも付記しておく。

 「宇無岐宇」の意味は不明であるが、「玉虫斎日乗」氏のブログ「ウンキュウ」によれば、古い博多弁でカブトガニのことを「ウンキュウ」という(ウンキュウという異名は荒俣宏の1991年平凡社刊「世界代博物図鑑 1 蟲類」等にも記載がある。1965年刊行の毎日新聞社編「日本の動物記」に、九州で夫婦仲がいいことを「ウンキュウのごと、仲がよか」と言うと記す)。そして、ウンキュウというのは、現在、イシガメとクサガメの種間雑種であり、『亀のウンキュウの甲羅はイシガメとクサガメの特徴を兼ね備えておりまして、イシガメのように茶色い甲羅にクサガメのように3本のキールと呼ばれる線状突起があります。実は、カブトガニの甲羅も茶色い上に3本のキールが入っておりまして、これと非常によく似ているのです。もしかしたら、「ウンキュウ」という雑種亀の名称の発祥の地は九州近辺で、カブトガニと甲羅の外見が似ているから命名されたのではないでしょうか。』と考察しておられる。私はこの「宇無岐宇」はどう見ても、音に漢字を当てたとしか思われず、ウンキュウの漢字表記を探査しておられる玉虫斎日乗のお力になれないのが残念である。

 「惠文冠」は漢代の侍中や武官が被った冠。後に、宦官の冠となった。「初学記」職官部に(引用文は複数の中文サイトに所収するものを比較して決めたもの)

侍中冠・武弁大冠、亦曰惠文冠。加金璫、附蝉爲文、貂尾爲飾、謂之貂蝉。

金の玉の冠の前飾り、金で出来た蝉の飾り(蝉は高潔の象徴)、貂の尾をつけたとする。

 「瑩滑」の「瑩」は本来、玉のつややかな形容であるから、つやがあって滑らかこと。

 「鏊」は、焼いたり煎ったりするのに用いる平たく円い鍋を言う。

 「蜣蜋」コウチュウ(鞘翅)目カブトムシ(多食)亜目コガネムシ上科センチコガネ科 Geotrupidaeに属する甲虫の総称。動物の糞や腐肉を餌とすることから、クソムシの通用名を持つ。コガネムシ同様、金属光沢を持つ種が多い。

 「長さ五~六尺。尾の長さ一~二尺」東洋文庫版では、この前半部分を前の叙述に組み入れて『長さ五~六尺の十二足が蟹に似て腹の両傍にある。』と訳すのであるが、そのような返り点は底本にはない。そもそも、カブトガニの足が1.5~2mもあるというのはとんでもない話である。これは全長と尾剣の長さを言ったものである。但し、それでも誇張に過ぎると思われる。最大種であるカブトガニTachypleus tridentatusでも平均体長は♀で約60㎝、♂で約50㎝である。

 「椶」単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科シュロ属ワジュロ(和棕櫚)Trachycarpus fortunei又は葉が下に下がらないトウジュロ(唐棕櫚)Trachycarpus wagnerianus。シュロは漢字で「棕梠・椶櫚」等とも表記する。

 「其の血、碧色」カブトガニの血液は、多くの海産無脊椎動物同様、ヘモシアニンHemocyaninを含む。従って、体内にあっては乳白色であるが、空気に触れると酸化して銅イオン由来の青色を帯びる。なお、現在、カブトガニの血液は医療薬として脚光を浴びている。その辺りを、荒俣宏の1991年平凡社刊「世界代博物図鑑 1 蟲類」から引用する(句読点を通常のものに直し、改行を省略した)。『カブトガニの白い血液は、体外から大腸菌などが混入してくると、凝固して菌を封じてしまう機能を持つ。このすぐれた凝固・殺菌作用に目をつけたアメリカ人は、アメリカカブトガニLimulus polyphemusの血液を利用した医薬品を開発した。たとえば人工心臓の弁がバクテリアに冒されていないかをこの薬で調べるのである。また日本では、カブトガニの血液成分を化学合成したタキプレシン(属名のTachypleusに由来)なる物質が今、医療業界の注目を浴びている。この物質にエイズウイルスの増殖を抑える効果があることがわかったためだ。はたしてここからエイズの特効薬が生まれるのだろうか?』実際に今、T22T134T140(タキレプシン自体は毒性が強いため高活性低毒性の研究が進んでいる)といった試薬が誕生している。関口氏の前掲書には、荒俣氏が前半部分述べている凝固タンパク質コアギュローゲンcoagulogen及びその凝固酵素前駆体についてかなり詳しい解説がなされ、更に、タキプレシンⅠ(TachyplesinⅠ)の他に、カブトガニの血漿中に含まれる細胞凝集素レクチンlectinによる癌細胞抑制の可能性等が述べられている。

 「醯醬」酢漬けの塩辛。「醯」という字は粥に酒を混ぜて発酵させたものを言う。

 「兜鍪」は音「トウボウ」で、どちらも首の鎧、即ち冑(かぶと)を意味する。ちなみに「廣漢和辭典」の挿絵で見る限り、中国のものは肩当て及び胸当てを含み、眼以外の部分を殆んど遮蔽するタイプのものである。]

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たけふんかに

しまむらかに

鬼鱟

クイ ヘ゜ウ

 

【俗云武文蟹

 其小者名

 島村蟹】

 

本綱云鱟之小者名鬼鱟食之害人

△按鬼鱟乃鱟之小者而亦有大小因所在之地好事者

 附會勇士戰死者名以爲其靈所化

 元弘之亂秦武文死于攝州兵庫海故兵庫及播州明

 石浦之鬼鱟俗呼曰武文蟹其大近尺而螯赤色有白

 紋

 享禄四年細川髙國與三好戰于攝陽細川家臣島村

 何某鋏敵二人没死尼崎水中故尼崎浦之小鬼鱟俗

 呼曰島村蟹其大一二寸圓而腹文如鬼靣〔=面〕

 出於讚州八島浦者名平家蟹出于賀越之海者名長

 田蟹亦皆後人以所附會也

筆談所謂關中人怪其形状懸門上辟瘧之蟹者乃此等

鬼鱟也

たけぶんがに

しまむらがに

鬼鱟

クイ ヘ゜ウ

 

【俗に武文蟹と云ふ。其の小さき者を島村蟹と名づく。】

 

「本綱」に云ふ、『鱟(かぶとがに)の小さき者、鬼鱟と名づく。之を食へば人を害す。』と。

△按ずるに、鬼鱟、乃ち鱟の小さき者にして亦た大小有り。所在の地に因りて好事(こんず)の者、勇士・戰死者の名に附會し、以て其の靈の化する所と爲す。

元弘の亂秦武文(はたのたけぶん)、攝州〔=摂津〕兵庫の海に死す。故に兵庫及び播州〔=播磨〕明石の浦の鬼鱟、俗に呼んで武文蟹と曰ふ。其の大いさ、尺に近く、螯(はさみ)、赤色、白紋有り。

 享禄四年、細川髙國三好攝陽に戰ふ。細川が家臣、島村何某(なにがし)、敵二人を鋏み、尼崎の水中に没死す。故に尼崎浦の小鬼鱟、俗に呼んで島村蟹と曰ふ。其の大いさ、一~二寸。圓く、腹の文、鬼面のごとし。讚州〔=讃岐〕八島の浦を出づる者、平家蟹と名づく。賀〔=加賀〕・越〔=越前・越中・越後〕の海に出づる者、長田蟹と名づく。亦、皆な、後人、以て附會する所なり。

「〔無溪〕筆談」に所謂る、關中の人、其の形状を怪しみ、門上に懸げ、瘧を辟(さ)くと云ふ蟹は、乃ち此等の鬼鱟なり。

[やぶちゃん注:本邦産では代表種であるカニ(短尾)下目ヘイケガニ上科ヘイケガニ科ヘイケガニHeikea japonica(シノニムDorippe japonicaNeodorippe japonicaNobilum japonicum)の他、近縁種であるサメハダヘイケガニ Paradorippe granulata、キメンガニ Dorippe sinica、カクヘイケガニ Ethusa quadrata、マルミヘイケガニ E. sexdentata、ヒラツメマルミヘイケガニ、Ethusa microphthalmaイズヘイケガニ E. izuensisを挙げておく。時珍の叙述分が果たして、ヘイケガニの仲間を示しているかどうかは甚だ疑問であるが、「台灣蟹類總名録」にあるヘイケガニ科のリストを掲げておく(すべてに中国名が附されているので全種が台湾及び中国の沿海域棲息するものと仮定しての話である。やや綴りに異同がある)。なお、平家蟹に関しては、私の電子テクストの南方熊楠「平家蟹の話」を一読されんことを望む。

關公蟹亞科Dorippinae

 四齒關公蟹Dorippe quadridens

 中華關公蟹Dorippe sinica=キメンガニ

 蛛形平家蟹Heikea arachnoides

 日本平家蟹Heikea japonicum=ヘイケガニ

 顆粒擬關公蟹Paradorippe granulata=サメハダヘイケガニ

四額蟹亞科Ethusinae

 六齒四額蟹 Ethusa sexdentata=マルミヘイケガニ

 阿氏仿四額蟹
Ethusina alcocki

 陳氏四額蟹Ethusina chenae

 雙葉四額蟹Ethusina dilobotus

 罕見四額蟹Ethusina insolita

 巨棘四額蟹Ethusina macrospina

 舞者四額蟹Ethusina saltator

 台灣四額蟹Ethusina taiwanensis

 「元弘の亂」は、元弘元(1331)年に勃発した後醍醐天皇を旗印とした勢力と鎌倉幕府軍との戦乱を言い、元弘3年・正慶2(1333)年の鎌倉幕府滅亡。建武政権の樹立に至る内乱を言う。

 「秦武文」この人物の事跡については、「太平記」に詳しい。但し、非常な長文であるので以下、それを元に伝承としての秦武文を綴った兵庫県南あわじ市の沼島(ぬしま)中学校ホームページの「総合学習のページ」の1)沼島の歴史から引用する。

 

この変で土佐へ流された尊良親王(後醍醐天皇の子)が[やぶちゃん注:読みは「たかなが」若しくは「たかよし」。元弘の乱(=変)で父と共に笠置山に挙兵するが、父と共に幕府軍に捕縛され、土佐国に配流された。]、京都に残してきた御息所(みやすどころ)[御匣殿(みくしげどの)]の身に思いをはせ、日夜お嘆きのありさま、まことに痛わしい限りであった。警固の武士もたまりかね、御息所をそっとお連れすることを黙認した。そこで随身の右衛門府生、秦武文を京へ上らせ、御息所をお連れさせた。ところがその途中で、筑紫の海賊、松浦五郎一族に御息所を奪われた。秦武文は責任をとって自決したが、怨霊となって鳴門の海上で松浦の船を悩ませた。やむなく松浦は、御息所に一人の童を付け、小舟にのせて放免した。その小舟は流れ流れて沼島、水の浦に漂着した。漁民の介抱で助かった御息所は、2年余りを近くの大寺で過ごした後、京都へお帰りになると『太平記』も伝えている。

 

素晴らしい総合学習の成果である。クソのような日の丸・君が代なんぞの指導をする暇があったら、このような自身に根ざした地方史の研究を各自に自律的にさせるべきである。そこから自然に郷土を愛する心持ちは生まれてくる。

 「細川髙國」室町幕府管領。養父細川政元の死後の幕政を握るが、政元の別な養子細川澄元の嫡男細川晴元に敗れた。

 「三好」細川晴元の重臣であった三好元長のこと。

 「攝陽」は摂津(現在の大阪府北西・南西部及び兵庫県東部を含む)の南。晴元に敗退した高国は享禄4(1531)年3月に三好元長の反撃を受け、摂津中島の戦いで大敗、続く6月には天王寺の戦いで同じく元長に敗れて尼崎に追い込まれて自害した。この戦闘を「大物崩(だいもつくず)れ」と称する(大物は高国が一度は攻略した摂津の城の名)。なお、寺島良安は大坂高津(こうづ)、「攝陽」の出身である。

 「尼崎浦」現在の兵庫県尼崎浦。

 「島村何某」底本では細川高国の家臣とあるが、実際には細川高国に味方した浦上村宗の家臣であった島村貴則を指す。「大物崩れ」の激戦地であった野里川(中津川)では五千人とも一万人ともいわれる溺死者・戦死者を出したが、特に島村貴則の奮戦ぶりは語り草となり、野里川には彼の恨みのこもった島村蟹が発生したという伝説が残ったとする(以上はWeb版尼崎地域史事典『apedia大物の知見による)。

 「讚州八島の浦を出づる者、平家蟹と名づく」良安がここで壇ノ浦を挙げないのは何故か? 西国方面からの情報伝達網が、実は良安には欠けていた可能性が疑えるのではなかろうか?

 「長田蟹」このオサダガニというのは、恐らく愛知県知多郡美浜町野間でのヘイケガニの呼称であろう。源頼朝の父である義朝は平治の乱に破れ、落ち延びた野間の長田忠致(おさだただむね)の館の浴室で、忠致の裏切りにあって殺された。鎌倉幕府開幕後、頼朝は既に自軍に寝返っていたこの長田父子を美濃で処刑したとする。その怨霊が蟹の甲羅に憑依したとするか。しかし、良安の言う地方が全く一致していない。識者の御教授を願う。

 『「無溪筆談」』は東洋文庫版の書名注によれば、宋の沈括(しんかつ)の随筆で、故事・弁証・楽律等の17部門に分けた記載が、補巻を含め29巻に及ぶ。その博覧強記は中国の随筆類中、群を抜いているとされる。以下の内容については、既に「蟹」の『「無溪筆談」』に掲載してあるので、参照されたい。]