やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇へ
鬼火へ
関連の私のブログへ(2007年2月6日より2月11日まで連続及び2月23日及び2月25日)
フィリピーナ・ラプソディー (全) 井上英作
■井上英作 略歴
1949年1月27日静岡市生。
静岡市立高校卒業。電気工事業を個人にて営む。
「清流ネット」事務局長・「ネットワーク地球村」村民・「静岡空港はいらない県民の会」会員として精力的に活動に従事。
2007年2月6日未明、自死。生涯独身。
[やぶちゃん注:本小説の作者、井上英作氏は2007年2月6日未明、この「フィリピーナ・ラプソディー」第二部を私に配信した凡そ30分後、静岡県庁前に於いてガソリンを煽り、不当な静岡空港建設、同県の産業廃棄物不法投棄及びイラク派兵反対等の抗議のために、自らの身に火を放ち、旅立った。
私は、あなたや私と同じ、「惨めな」、「みっともない」、「哀れで」、「滑稽で」、「愚か」な当り前の、煩悩に満ち、愛に飢えた、一人の『普通の男』の最後の、全く正気のつぶやきを、彼の望みに従って、永く記すこととする。
なお、公開に際し、私の責任に於いて、原作の一部の常体と敬体の混用を統一し(第一部にみられた現象であったが、第二部では美事な文体統一がなされていた)、読点改行一行空け等を大幅に削減して段落統合形成を行った。最も大きな変更点は、彼が全く用いていないダッシュ「――」及び六点リーダー「……」を極めて恣意的に多用にした点である。これは、彼の会話体の「間」の雰囲気を出すための私の仕儀であるが、必ずしも効果であったかどうかは疑わしい。また、個人のプライバシーに関わる一部の固有名詞の記号化を行い、先に示したような直接話法の告白体の雰囲気を出すために、一部の語尾・語調も口語的に装飾した(これは思われる程には多くない)。
叙述上の不分明な部分(時系列での齟齬・指示内容の曖昧さ等)については、生前の彼を直接よく知り、彼が心から敬愛し、第一部・第二部を配信した私以外の唯一人の人物であるところの、井上英作氏の友人A氏の確認を得て、叙述に不明や齟齬を生じないよう、表現を一部改め、追加補正した。
更に、第一部及び第二部の前後に存在する科白風の部分(「*」の前後のプロローグ及びエピローグ)は、彼が私やA氏に送ってきたこの小説の、その前後に存在した手紙文を組み合わせ(但し、ほとんど記述の順列は守っている)、私の恣意的な加筆も加わっているものであることを断っておく。即ち、これらは狭義の意味に於いて(というよりも真の意味に於いて)「フィリピーナ・ラプソディー」、ではない。が、これは是非、私が付帯させたい部分であったこともここに述べておく。それは、自ずとお読みになればお分かり頂けるものと思う。
が、以上の改変は筆者井上英作氏の表現意図を一分たりとも変質させていないことは、A氏の最終校正に於ける数度に及ぶ確認検証作業に於いて、確かに認めて頂いており、多少の小手先を加えた私が自身の責任に於いて自信を持って保証する。この作品に少しでも、「私の加えた手の臭さ」があるとしても、それは「――」と「……」、及び第一部第二部それぞれ前後のプロローグとエピローグのみであると言い切ってもよいと思っている。
以上、この公開は、何よりも井上英作氏本人の遺志を尊重し、私の責任に於いて公開するものあり、私以外の如何なる人物にも公開に関わる責任はないことを、ここに明確にしておく。即ち、私は本作及び本作公開に関してのすべての責務を負う(井上氏は差別語や差別表現を何箇所かで用いている。私の判断で変更したものもあるが、井上氏の屈折した愛情表現ともとれる部分であり、多くをそのまま残した。この作品総体の中で、それが差別を助長するとは、私は判断していないからである)。
なお、本作の公開権は、私及びA氏にのみ、最期のメールで井上英作氏本人より与えられているものである。本作全文についての印刷配布及び転載等については、私の許可を必ず受けて頂くことを条件とする。一部の引用の際には、本ページからの引用であることを必ず明記もしくはリンクで示されたい(但し、ことさらに私のハンドルネーム等を記載する必要はない)。また、本作の細部についての質問については、如何なる人物・如何なる目的であろうと、一切の返答を拒否する。それは、今、生きている人々に対する筆者井上英作氏の限りない優しさを、断固、永遠に守るために、である。
筆者は、この作品に登場する、正に、あらゆる人々を、愛している、今も。
あなたにもそれが分かって頂けること、それだけを私は、望む。]
フィリピーナ・ラプソディー 第一部 井上英作
……命拾いしてからの十年をどう過ごしたか、暫らく、聞いて頂けますか……この、愚かで、滑稽で、哀れで、みっともない、惨めな、恥ずかしい話を……けれども私は、自慢にさえしているんですよ……でも、書きながら、自分ながら、何と愚かであったか……出来上がって、読んでみても、まったく面白くもない文章で……それでも、よろしければ、はい――
*
……胃の手術から一年後、つまり失恋からほぼ四年後、それまでの勤めをやめ、自分で仕事を始めようと思いました。 その頃、しょうもない友人が電気屋を自営しているという話を聞いて、十何年ぶりに尋ねて見ました。彼のその後のことや仕事のことなどを話し、今度飲みに行こうと言うことになりました。
そして彼が連れて行ってくれたのがフィリピン・パブでした。
私はそこで見た女の子――ティナに一目ぼれしてしまいました。
その理由は彼女の瞳が、かつての『女』の人と、ちょっとだけ似ていた、それだけです。
とにかく、発情期だったのでどうにもなりませんでした。そこにはもう日本人には相手にされない、という浅ましい思いも当然ありました。
それでもしばらくは、その子を指名しないで、遠くから見ているだけでした。
ひと月ほどして、ティナが東京の店に移ってしまうと聞いて、あわてました。そして一気に気持ちが燃え上がりました。
彼女を始めて指名すると、五万円入った封筒を渡し、明日会って欲しいと電話番号を渡しました。
しかし連絡はありませんでした。――
二週間後の日曜、車で東京のティナのいる店に行きました。
――何でもいいから抱こう、抱いてしまおう。
過去うまくいかなかった恋の反省から、体の関係こそ恋を成就させる良策と、自分に言い聞かせていました。
ティナは、私を見て、うれしそうに笑顔を見せましたが、隣に座った体が小刻みに震えています。
額に手を当てると熱があります。
私は上着を脱いでティナに着せました。日本は二回目という彼女は、まだおぼつかない日本語で私に答えます。すぐに話しは尽き、私はカラオケで歌います。
二時間ほど居て、車に戻り、一眠りしてから帰りました。雨に濡れた子猫のように震える彼女に、ホテルに誘うことすら忘れていました。――
次の土曜、店に電話して、明日会いに行くから昼間会って欲しいと頼み、その日、食事をして、お祭りのような出店のある街を見て周り、何か買ってあげるよと言う私に、シャンプーや、アイラインのスティックなど、いくらにもならないものをねだりました。
分かれたあと、夜になるのを待ちわび、店に行き、私はティナに、
「愛している、結婚して欲しい。」
と、言いました。ティナは困ってしまった様子で返事に窮していました。その日もそれだけで帰って来ました。――
その次の日曜にも会いに行き、英文の簡単な詩を渡しました。ティナは感心したような表情で見ていました。
その日も結婚を迫る私に、言葉を詰まらせるばかりの彼女でしたが、無理矢理うなづかせてしまいました。
帰り際、もう一時間いるつもりだったけれど、その分のお金を君にあげるといって五千円渡すと、抱きついて頬にキスしてくれました。――
東京に行くのと平行して、地元のS市の店にも行っていました。そこには私のお気に入りの、やはり日本は二度目だというジョイがいました。
彼女は大柄でスタイルがよく、騒々しいほど陽気で、そして気性の激しいところが、何よりも私の気に入っていました。
客に触られたと言っては大きな声で怒ります。
十九歳で最初に日本に来た時は年齢を誤魔化していたというジョイを、自分の妹のような気持ちで可愛がっていました。
ティナに会いに行っていることはジョイにはばれていました。
ジョイは私をつついてからかいます。
私が、ティナと結婚の約束をしたと、つい口を滑らせると、ジョイは、顔を歪ませて小さな声で
「ちがう。」
とつぶやきました。――
その数日後、ティナのほうから私に電話が掛かってきました。結婚の約束をした人がいること、相手は日本人だということ、だからもうお店には来ないで、そう簡単に話して電話は切れました。
――結婚の約束? 日本人? どんな男?
私はもちろんまた会いに行きました。
会いに行って、どんな男か聞きました。
フィリピーナも日本に何度も来ているとすれっからしになりますが、一度目や二度目くらいならほんとに純真な子も多いのです。
ティナは私の質問に困ってしまって、つい言ってはまずいことまでしゃべってしまいました。
「あなたも知っている人よ。」
その返事に、考えました。結論は店のスタッフしかありません。
私はS市の店の従業員を思い浮かべて見ました。あの小太りの店長だろうか? 他に誰かいたかな?――
数日後、私はジョイにカマをかけました。
「ティナの相手って、ここの店長なんだってね。」
ジョイは飲みかけのジュースを噴き出して、びっくりした顔で、
「違う、Tさん。」
と言いました。
T? そう言われてもピンと来ません。誰だっけ? そう聞く私に、いつもこの店のアナウンスをしている若い男だと言われて、
――あの男か!
私は即座に顔色が変わったに違いありません。
――あれはダメだ。
「ティナ、ほんとに言ったの?」
そう聞くジョイに、
「ティナはこう言ったんだ、私の知っている人だと。店のスタッフしか考えられないじゃないか。」
私にまんまと騙されたのを知って、ジョイは困った顔をしていました。
Tは、二十歳ちょっとくらいの若い男で、背が高くハンサムで、やさしい顔をしていました。
だからこそ、どう考えてもこいつがフィリピーナと結婚するとは思えないのでした。
フィリピーナと結婚するのは簡単なことではありません。いろいろと厄介なことを背負わなくてはならないからです。そうして、どう見たって女に不自由などしないこの男が、やせっぽちで子供っぽいティナを本気で愛しているとは思えなかったのです。
どうしたものかと思い悩むうちに、新しい店の開店の助っ人として、ティナがまた、S市に戻ってくることをジョイから聞きました。
――こちらに来たら、会って説得してみよう。
そう思い、待つことにしました。
ちなみにその間、ジョイはフィリピンに一度帰り、一月ほどしてまた、店に戻ってきました。――
私はどこの店に行っても「おとなしいね」と言われました。おさわりするでもなく、会話もままならない彼女らのもとに、それでも飽きることもなく通ったのは、カラオケが好きだったからでした。
普通の店では歌えないような、女性の歌やラブソングが、ここでは気兼ねなく歌えました。おもなレパートリーは沢田知加子や今井美紀、あるいは永井真理子のZUTTO。
しかし、私のカラオケのレパートリーのそのほとんどは、彼女らがこれを歌って! とせがんだもので、実は、聞いたこともない歌ばかりなのでした。
私はCDを借りてきては覚え、それを歌いました。
しかし、今思えば、彼女たちが歌ってと望んだ歌は、私が歌いたくなる、いい歌ばかりだったことも、不思議です。――
ティナと再会したのは三月の頃でしたでしょうか。新しい店の開店は七月頃とのことでした。
その少し前、いつもの店に行くと、ジョイがにっこりして言いました。
「ティナ、来てるよ。」
しばらくしてティナが私の席に来ました。
何か恥ずかしそうにおとなしくしています。
私は何も言い出せず、当たり障りのない話をしては、カラオケを歌うばかりでした。――
しばらくして新しい店が開店し、ティナもそちらに移って行きました。
私は毎日ティナのところに通うと同時に、ジョイのところにも時々通うという「二重生活」(?)を続けました。――
ティナのいる新しい店のママは、以前その手の店の「ナンベル・ワン」だったという、まだ若い日本人でしたが(古いほうの店は、日本人が二十人くらい、フィリピーナが八人くらいいたでしょうか)、やせ気味で、私には魅力に乏しいように思えました。しかし、何よりその性格のよさが、「ナンベル・ワン」たる人の秘訣なのかもしれないと思わせる女性でもありました。
ある時、ティナがママに着せてもらったと言って、真っ赤な和服姿の写真を私に見せました。
「かわいいねえ!」
思わず顔がほころびました。
細くて小柄なティナの写真は、どこから見ても七五三の記念写真にしか見えないのでした。 ――
私がティナに言い寄っていることは、二つ店のフィリピーナ全員が知っているようでした。この間、私は彼女にどんなアプローチをしたのでしたか。――
そう、私は彼女に何度も話をしました。できるだけTの悪口陰口にならないように気を遣いながらも、しかし、若い男というものを、それとなくTが女に不自由しないだろうことを、そして日本人の女がTのような男を放ってはおかないだろうといったようなことを。
「ティナ、あなたは日本人の女に勝てないだろう。」
そうした類いのことを、手をかえ、品をかえ、何度となく言い聞かせたのでした。
彼女は神妙な顔をして聞いてはいましたが、どこまで理解したでしょうか? ――
八月の末、ティナがもうじき東京に戻ってしまうという頃、店が終わった後、フィリピーナたちが海岸へ遊びに行くと言って私も誘われました。
私は自分の車で行き、コンビニで食べ物や花火を買い、ティナや合流したジョイを乗せて一緒について行きました。
浜辺ではフィリピーナたちが花火で大はしゃぎして騒いでいましたが、ティナだけは、店で厨房を任されている、年かさのフィリピン人の男になにやら説得されていて、深刻な顔をしていました。
帰りはティナだけが私の車に乗り、その際、そっと近づいてきたその厨房係の男が私に、
――やっちゃいな。
というような意味のピジン・イングリッシュをささやきました。
……しかし私は……助手席に座り、まっすぐ前を向いたまま、フロントガラスの向こうに広がる闇を、じっと見つめ続ける、思いつめた彼女の横顔に、声をかけることさえ出来なかったのです。――
それでも私は店でティナを口説き続けました。
「私にはあなたが必要なんだ。」
「しつよう??……しつこい?」
クソッ、あの小僧、俺のことをティナにしつこい野郎だなんて言ってやがるな!
「チガウ! ヒ、ツ、ヨ、ウ、なんだ! I , need,
You!」
「Oh!……」
彼女は何も答えませんでした。
「あなたは遊ばれているだけなんだ。」
「あの男はあなたに嘘を付いているんだよ。」
と言った時、遂にティナは、怒りを爆発させました。
「嘘じゃない! 結婚の約束、ほんとう! あなた間違っている! Tさん、約束した!……」
……眉を三角に吊り上げて怒るティナ見ながら、私は……バカな女だ、本当にバカな女だ……と心の中でつぶやいていました。――
……私はすべてが終わったことを知りました。目の前の女が自分のものになることは決してない……喪失感が心を切り刻んでいきました。――
「帰るの?」
ジョイのところへ行く、と言い捨てて、私は店を出ました。――
……ジョイの店で、彼女が隣に座ると同時に、私は声を荒らげて、叫びました。
「お前らはなんてバカなんだ! あの小僧が本当にティナを幸せにするとでも思っているのか!」
普段は気の強いジョイなのに、何も言わず私の罵声を、うつむいてじっと聞いていました。
ふと目を上げると、離れたところに立っているTが、頭をそらし、あごを上げて、薄目を開き、じっとこちらをにらんでいるのです。
これは、フィリピン流の「バカにした」仕草なのです。
私はカッとなりました。
――この小僧! どこまでバカなんだ! 俺を怒らして何の得があるって言うんだ!
私は隣のジョイに言い放ちました。
「Tを見てみろ! 俺をにらんでいる!」
しかしジョイはうつむいたままでした。
ティナが、しゃべってしまったことを電話でTに告げ、怒った私が何をするか心配で、Tに連絡したに違いない、と私は悟りました。
私はTをにらみ返しました。
Tもずっと同じ姿勢で、私を見下していました。
無念の思いが心を塗りつぶしていきました。
――このバカな小僧が俺の宝物をおもちゃにする…………
悔しさを通り越して、ただただ悲しかったのです。
――俺はフィリピンの小娘一人、守ってやることが出来ないのか!
私は目をそらして目の前の水割りを見つめました。
怒りを爆発させるわけにはいきませんでした。
――怒ってこの小僧をどうにかしたところで、困るのはティナなのだ。
彼女たちにとって、日本に来れなくなってしまうことは、勿論、一番困ることなのです。
目の前の水割りをぐっと飲み干して、ジョイに言いました。
「Tに言ってくれ。俺が、ティナを幸せにしてやってくれ、そう言っていたと、伝えてくれ。」
ティナのために何かしてやれること、私に出来ることは、もうそれしか残っていなかったのです。
――どうせ捨てられることは分かっている。
――それでも、それまでは夢を見させてやってくれ。
――少しでもやさしくしてやってくれ。――
翌日もティナに会いに行きました。
ティナは、今日はうって変わってはしゃいでいました。
ジョイから私の言葉を聞いたのでしょう。
私はティナの笑顔を見ながら、心の中でさよならを言いました。
ティナへの想いはそれで消えました。出逢ってから半年以上もたっていて、発情期も終わっていたからでしょう。――
しかし、またしても愛を得られなかった痛みが残りました。
その痛みに、ジョイのところに週一度は行って、やけになって恋の歌を歌いました。
このおっさん、何を企んでるんだという猜疑の目を向けるTの眼を、視界のはずれに意識しながら。――
ある時、集客を狙って店が改装され、狭いながら、新しい店は、客と女の子であふれかえっていました。
古い店が改装を終わり、オープンしたとき、店の社長が客席に女の子をはべらせてふんぞり返っていました。いけ好かない野郎でしたが、女の子の扱いはそう悪くはなかったようでした。
いつもはやったことのないフィリピン・ショーをやり、毎日練習したと言っていたジョイも皆と一緒に踊っていました。
私はやけくそではしゃぎ、写真を撮りまくったりしていました。――
社長がいなくなって、私も帰ろうとした時、驚いたことに、Tが、本当に申し訳なさそうな顔をして、私に頭を下げました。――
私は心の底では、水商売の人間を、頭から否定して、省みることなど実は、全くありませんでした。それは今も少しも変わりません。この男も、だから、同様にろくでもない輩だと決め付けておりました。
しかし私は、この男の、この時の、いかにも申し訳なさそうなその顔と、深々と下げたその頭を、不思議に心穏やかに覚えていて、折に触れて、思い出すのです。――
ひと月ほどしてジョイが、尾崎豊の“I LOVE YOU”を歌えと言いました。
知らない歌だったので、次に行く前にCDを借りて聴いてみて、驚きました。
そして店に行ってジョイに、
「この歌は、あいつとティナのことを歌っているようなものじゃないか。それを俺に歌えというのか!」
と、わざと怒ったふりをして言い放ちました。
ジョイは困って、作り笑いをしながら、
「いいよ歌わなくても。」
と言いました。私はさらに美事な怒ったふりで、
「いや絶対歌う! 意地でも歌う!」
と、歌をリクエストしていました。
その日はTの勤務日でした。
Tは私の歌を聞いて、見るからにつらそうでした。
私は、“I LOVE YOU”の、あのリフレインを、鬼のような表情で、Tの顔をにらみつけながら、叩きつけるように歌ったのです。
私は男には、少しばかり意地が悪いようです――
*
――はい、これでお話しようと思っていたことは、まずは終わりです……ただ、すべてが終わった時、私は自分を誉めました……お前はそれでいい、あの痛みの中、お前は男として、人間として、何ひとつ卑怯なまねはしなかった……お前は、お前がなりたい自分になった、それを証明できた、と……そうそう、私はね、世界で一番美しい小説は、二十二の時に読んだ、ドストエフスキーの「白痴」だと思っているんですよ……第一篇の終わり……そのページの余白に、小さな字でびっしり自分で感想を書き込んでいるんです……それほどあの小説からは深い衝撃と感動を受けたな……ほら、これです――
「私は思う、もしここに「公爵」がいなかったら、あの愛に満ちた言葉を投げかけることが無かったなら、あの女は気が狂うことは無かったかもしれないと。そしてあのような最後を遂げることも無かったかもしれないと。もしそれが無かったなら、あの女は成功して、世界をも動かせるような女になっていたかもしれないと。あの「公爵」の愛の言葉ゆえにあの女はより強く自らの罪を意識し、それゆえに苦しまなくてはならなかったのだ。あの言葉ゆえに、彼女は自分が一生懸命押し殺そうとしていた良心、善良な心、やさしさ、それらを呼び覚まされてしまったのだ。『しかし、それは何と美しいことだろう』彼女はどれほどそのような愛の言葉を待っていたことだろう。そしてそれはどれほど長く、彼女に与えられなかったことだろう。そんな時に与えられたその言葉は、それは彼女にとってどれほどうれしく、そしてつらいことだったろう。「公爵」はキリストであり、彼女はあの、「罪の女」であった。彼女は公爵に自己の罪のすべて、苦しみのすべて、悲しみのすべて、それらのすべてを公爵に背負ってもらえばよかったのだ。あの「罪の女」のように、キリストの前に自己のすべてを投げ出せばよかったのだ。しかし、しかし……彼女にはそれが出来なかった。それだからこそ、それだからこそ、……私はその美しさに打たれた。彼女はそうするにはあまりに苦しんでいた。そうするにはあまりにも心に富んでいた。そうするにはあまりにも、人に対する心遣いにあふれていた。そうするにはあまりにも、自分の罪を知っていた。そして、そうするにはあまりにも、『潔白』であった。そして私たちも、あの不条理な神、もしくは不条理な人によって、あるいはキルケゴールの言うところの「逆説」によって、ひとたび心に光を投げかけられたならば、もう一生そこから目をそらすわけにはいかないのだ。しかしそれは、なんと苦しく、つらいことだろう。(1973.7.22)」
(「フィリピーナ・ラプソディー 第一部」 完)
* * *
フィリピーナ・ラプソディー 第二部 井上英作
……もう少しだけ、あの後のことを、お話しましょうか……でも、今度はそう面白そうなところはありませんよ……いや、もともとあなたが前の話をどんな興味でお読みになろうとし、お読みになったのか……私には分かりません……ただ……ただ、私はこの一連の話の中で……私は、「私」の中の人間を、思い出したのです……私という人間が、どんなことがあっても女の人を傷つけて平気でいられるような人間ではないことを、思い出したのです――
*
……それから少しして、また、ジョイはフィリピンに戻って行きました。
今度はすぐには帰って来れないかもしれない、そういって戻っていきました。私はたまに遊びに行っては、ジョイの情報がないかを確めていました。――
いつまで経ってもジョイは戻って来ませんでした。
半年以上経った頃からは、店のママや、Tにさえ聞いてみました。Tは、はたで見て滑稽なほどうろたえて言葉に詰まっていました。
――こいつら俺に何か隠しているな?
そう思いましたが、それを知る手がかりもなく、いつしかフィリピン・パブからも足が遠のいてゆきました。――
このジョイとの最悪の失恋は、結局、私の人生に大きな変調をきたしました。
私はその時、何となく関わっていた新しい会社も辞めてしまって、北海道へ旅に出ました。――
その後、何故かしら、また勤めた会社の近くに住まいを移していました。有名な虐殺されたアナーキストの墓がある墓地の、その隣のアパートでした。
そこに移ってからは、十分ほど歩いたところの飲み屋にたまに行くようになりました。そこの主人がまたフィリピン好きで、女の子が店にいたりしたのですが、私はなるべく関わらないようにしておりました。
……しかし、あれから四年、また悪い虫がうずき出しました。主人に、以前、フィリピン・パブに通っていたことを、つい飲んだ勢いで話してしまいました。
打って響いて、その飲み屋の主人が私を連れて行ってくれたのは、S市の繁華街からはだいぶ離れたフィリピン・パブでした。
そこで性懲りもなく、また、ひと目ぼれをしてしまいました。全く懲りない男です。
今度はまったくタイプの違う女性です。ちょっと下膨れの顔に大きな瞳、私は『ケロヨン』とあだ名をつけました。
初めて彼女を見かけたとき、彼女が客から貰ったチップを、素早くハイヒールから足を浮かせて、その中にしまいこむのを見ました。
――こいつ、場慣れているなあ。
そんな印象でした。
前回のティナはあまりにもお子様だったことの反省から、 今回は大人の判断のできる女性を選んだつもりでした。――
……はい、そうです、反省する所を、間違えていますね……いや、仰る通りだ……
……結局、私は、その彼女――リサに、いいようにあしらわれることになるのです。「大人」はこわいです。
ティナのように、おとなしくて静かな娘も好きですが、ジョイやこのリサのように気が強くて騒々しいタイプも結構、好みでした。
この店は、社長がヤクザで、女の子への締め付けがことのほか厳しく、同伴や指名などといったかなりのノルマがあったように思われます。
ところが、このリサの場合、店で社長とため口をきいてケンカするくらいなので、彼女の「働きぶり」は、仕方なくやっているのではなく、自分の売り上げを伸ばすために自律的にやっているやに見受けられました。
散々っぱら水商売の人々を悪く言っておきながら、性懲りもなく引っ掛ってしまうのは、やはり私のティナやジョイの時の心の傷が、判断を狂わせていたのだとも思います。
しかし、この時が、私のこうした一連の体験の中で、一番面白かった時だとも思え、そんな快感に浸れたのだから、それほどの実害であったとも言えないのかもしれません。ともかくその時は、何しろその気になってしまっていましたので、ちょっと待てよと自分に言い聞かせるのは、土台、無理な相談だったのです。――
一方、その頃、同時に、ジョイを探すことにも力を入れ始めました。
心の痛みを馴染みの女性に癒してもらおうという癖は、やはり治らなかったのです。
ジョイを「一人の女」として意識して見ることがなかったわけではありませんが(ティナの存在を失った時が確かにそうでした)、基本的には、自分の分身のようにさえ感じていたと言ってよいと思います。これも私のどうにもならない、長い年月の中で培われてしまった、心の歪みのせいなのでしょうか。
しかしそうした思いも、周りの人々には理解されるはずもなく、彼らが隠していると思われる情報は、誰一人、教えてはくれませんでした。
それでも、私が始めた仕事の、請負先の社員の一人がフィリピーナと結婚していたことなどもあって、情報を得ることができ、やっと、ジョイが結婚して子供がいること、S市にいること、さらに働いている先までも突き止めることができました。――
私がその店に行くと、四年ぶりのジョイは、私が口説きに来たとでも思ったのか、いかにもよそよそしく他人行儀な客あしらいでしたが、結婚して子供もいることを知っているよ、と話すと、たちまちいつものジョイに戻って、子供の写真まで見せてくれました。
私が亭主のことを聞くと、
「チンピラよ」
と不満げに答えました。
フィリピンに帰ったジョイを、フィリピンにまで追いかけてきて結婚したのだとか言っていました。
あの頃、日本人と結婚したくて躍起になっていたジョイに、私は散々、やめとけ、と言ったのでしたが、問題はあるにしても、若い日本人と結婚できたのだから、それほど悪くもないのではと私は思いました。――
……え? リサの話ですか?……
……彼女は、結局、フィリピンに帰って行きました……あっけないものです……でも、すぐまたリセットして日本に戻ってきて、再会するんですけれど……
……ジョイはすぐに探し当てたその店から、別の店に移りましたが、彼女は気軽に私をそちらにも招待してくれました。
ジョイはじきに雇い主と喧嘩するのか、しょっちゅう店を移っています。そしてそのたびに私は呼ばれるわけです。
お目当てに狂っている時は、毎日のように行っているので、それに比べればたいしたことはないと言えますが、やはりお金が大変です。
突然店をやめてしまって、何の連絡もないこともたびたびでした。
また、どこそこのお店にいるから来て! と言われ行ってみると、その座った姿が、まるでトドみたいに太っていたこともあり、思わず即座に私がダイエットを命じたこともありました。――
たびたび働く店を変えるジョイでしたが、何軒目かの時、色白の小柄な娘を、
「妹分よ」
と言って私に紹介しました。
「“ランナウェイ”よ」
その娘に、私は一発で参りました。
ティナ以上に、魅力的だったのです。――
“ランナウェイ”は、立ち回りがとてつもなく下手で、あっという間に店を移ったり、知らないうちに給料を踏み倒されたりで、大変でした。彼女が追い詰められるたびごとに、私は面倒を見てやっていました。
ある時は、私がアパートを借りてやり、布団やポット・食器など日用品一式を買ってやり、エアコンまで取り付けてやりました。
一度、冗談で水を向けてみたりしたこともしましたが、美事に知らん顔をされました。
冗談だった証拠に、私はジョイと一緒でなければ、彼女の部屋には行かないようにしていましたが、ある時などは、通された彼女の部屋に布団がペアで敷きっぱなしになっていて、思わずあきれたこともありました。ワンルームで、しまう所もないのは分からないでもありませんが、あまりにもあっけらかんで、いやはや、恐れ入ってしまいました。――
さて、その頃からでした、ジョイが私に金を貸してくれと言い出したのは。
最初は十万、また十万、それが三十万を越え、その次には、必ず返すからと、今度は四十万貸して欲しいと言われました。
「前に貸したものさえ全く返していないのに、貸せる分けないじゃないか!」
そう私が言うと、数日してジョイは送金用のカードを見せて、千円、私の講座に送金してある、こうして少しづつ必ず返すから、と言うのでした。
仕方がありません。私は銀行からお金を下ろして渡しました。
ジョイだけは違う、と思いたかったのです。
彼らと付き合い始めた当初、ヴィデオ・レンタルのカードを作ってやったり、携帯を買ってやったりした折に、十分、懲りているはずなのに。彼らが、借りたものを返さないのは、よく分かっていたはずなのに。
今回はさすがに借用書を作らせましたが、結局、戻ってきたのは最初の千円だけでした。
それでも本当に生活に困ってのことならまだ我慢できましたが、どこぞで派手にパチンコをやっているのを見たとか、とかくよからぬ噂ばかりが聞こえてきました。――
そんな私のストレスも溜まった、ある日のこと、私は、ジョイと“ランナウェイ”と三人で外で逢いました。
私が、わざと不機嫌な態度をとってジョイをなじったとき、突然、ジョイの方が爆発しました。
「ギャ! ※ニャン#¢★……(怒)! (怒)! (怒)!」
私が、
「なんでお前が怒るんだよ!??!」
と切り返すと、彼女は、さらにものすごい形相に罵声を加えて、さっさとその場から去ってしまいました。
私と“ランナウェイ”は後に残され、ただ呆然としていました。――
その日を境に、私はジョイの店に行かなくなり、ジョイからも電話は来なくなりました。――
それでも“ランナウェイ”の面倒は見ていました。――
借りてやったアパートを引き払うというときも手伝ってやりました。
例のエアコンも、私がはずしてやりました。
ところがそのエアコンは、どこからか湧いて出てきたフィリピンの男たちが、あっという間に持っていってしまいました。
――それ、俺の物なんだけど。
とも言わず(言うひまもなくというのが正しい文法ですが)、“ランナウェイ”にも、どこへ行くのかとも聞かず、これでやっと彼女とも縁がきれると、妙にせいせいした思いでいたのを、今、思い出します。――
……はい? “ランナウェイ”?……すみません、彼女の名は、昨日から思い出そうとして思い出せないんですよ……あれほど深く関わったのになあ……今の私には、どうしても、思い出せないのです……何故かな……
……こうしてとりあえず縁が切れ、フィリピン・パブには行かなくなりましたが、それでもごくたまにぶらりと寄ることはありました。
またぞろ、リサが戻っていることを聞いて前の店へ行き、何年ぶりかの再会に、大げさにハグしてみたりもしました。
しかし、もう熱を上げることはありません。
が、好きなことに変わりはないのでした。――
何年か経ったある日のことでした。
S市の町工場で電気の配線工事をしていた時、後ろで、
「イノウエさ~ん!」
という黄色い声がしました。
誰だろうか? と振り向くと、ジョイが笑顔で手を振っていました。
この工場でパートで働いていたのです。
――おまえな~あ! 俺にあっけらかんの笑顔で手を振れるような、立場か?
そう怒鳴りたかったけれど、ふんという調子でうなずくと、黙って配線の仕事を続けました。
弁当を早々に食べ終えると、フィリピーナだけ数人でかたまってお昼を食べているジョイのところに行き、
「しばらくぶりだな、元気か?」
と言うと、
「ゲンキよ!」
とまったく屈託がありません。
他の女の子たちに、
「私のお客さんよ! 優しくてとてもいい人!」
などと褒めちぎるのですが、こっちは屈託していますから、うれしくもなんともありません。
それでも、少し話をしてから、
「真面目に働けよ」
と言って別れました。――
半年ほどして、またその工場に仕事に行った時には、ジョイは、もういませんでした。――
それからまた、何年かしてからのことです。
携帯にジョイから電話がありました。
M市の店に勤めたと言う話しで、なにやらいろいろとしゃべくっていますが、つまりは私に来て欲しいということなのでしょう。
昔のジョイから考えると、いかにも遠慮に過ぎる気がしましたが、さっきから私が気のない受け答えしかしないので、言い出せないのでしょう。
そこへ家の方に別な電話が掛かってきて、私はジョイに断って携帯を切りました。
後でまたかかってくるかと思いましたが、それきりでした。――
……そうして……それからまた何年か、それは、去年の六月頃のことでした。
またジョイから電話がありました。
今度はS市の店で、ちいママをしている、遊びに来てくれという話しでした。
しょうがない、行ってやることにしました。――
行ってみると、来てくれるとは思っていなかったのか、いかにも大げさに喜びました。
それはいいのですが、終わってから何か食べに行こうと言って私を待たせておき、あの頃の通りといいますか、店の仲間の女の子二人を連れてきて、四人で食事をおごらされました。食事のあと、タクシーで、帰りが同じ方向の一人を自宅まで送り、次に私の家、そこで、まだ遠いジョイに五千円を渡して降りました。
二週間ほどして、またふらりと寄った際にも、全く同じパターンになりました(いやなら断れよ、俺! ということなんですがね)。
ちょっと懲りて、それでもまたひと月ほど後、店の近くに行った折に、寄ってみようかと電話をしてみると、ジョイは
「もう店はやめた。今は昼間働いている。店には行かないで。」
と言う話です。
――また、雇い主と喧嘩したのか! 幾つになっても変わっていないなあ。
――もうあの歳じゃ雇ってくれるところもないだろうに……。
と思いつつ、あきれながら、携帯を閉じました。――
……はい? それからですか?……それからはミクシイなど始めて……いろいろな新たな私の世界が広がってゆき……その今までに体験したことのない忙しさや思いの中で……フィリピンの店に通うこともなくなりました……ですが……ジョイから何も言ってこないと……なんだかさびしいんですね……二度ほど電話したりしたのですが……もう夜の仕事はやっていないようでした……
……先日久しぶりに電話して……昨日会う約束をしていたのです……が……なぜか何の連絡もありません……帰りたい帰りたいと言っているフィリピンへ帰るだけの金を……彼女の借用書で包み……今日も連絡を待っているなんて……なんて本当にアホな私です……どうせすぐパチンコ屋に消えてしまうかもしれないと思っているのに……そうせずにはいられない私なのです……
……ええ、そうです……とうとうジョイから連絡はありませんでした……だから……彼女の借用書を破り……金は元に戻しました……昨日会っていれば……必ず渡していましたが……
……天は、アホな私に、いいかげん目を覚ませと言っているのかも、知れませんね――
*
……さて、あなたが期待しておられたものとは……きっと違うとは思います、が……これは確かに私の中の、「私」なのです……さて、あなた……これを読み終わった、あなた……そのあなたにも、何か危機的な状況があるのかも知れない……でも……それは……もう、今の私には分かりません……はい……では、随分、ごきげんよう―― (2007.2.6. 3:13)
(フィリピーナ・ラプソディー 完)
[やぶちゃん注:私がこの「フィリピーナ・ラプソディー 第二部」を受信したのは、そのおぞましきミクシイの表示記録によって、上記の最後に記したように2007年2月6日午前3時13分であった。そうして、彼、井上英作氏の生命の停止は、報道記事等によって、そのほぼ30分後の2007年2月6日午前3時45分前後であったと思われる。]