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富永太郎詩集 第三部 翻訳詩異同(やぶちゃん版)

やぶちゃん注:以下の詩は、私のポリシーから家蔵版の旧字を生かし、且つ思潮社版の異同によって該当部分を書き換えたものである。異同部分を含む一文又は句、単語を赤字で示した。また、思潮社版通りの繰り返し記号に変えた(但し、詩想に大きな変更を齎すものと思えず、また煩瑣になるので、それを異同として示してはいない)。即ち、家蔵版の旧字表記を信頼した上での、校訂テクストということになり、完全なオリジナルと同じであるかどうかは、疑問の余地はある。しかし、その校訂上のリスクは致命的なものとは思われない。同時に家蔵版のページを開いて、対比されたい。

 

 

 

或るまどんなに          ボードレール

西班牙風の奉納物

 

 わたくしのつかへまつる聖母さま、おんみの爲に、わたくしの悲しみの奧深く、地下の神壇を建立(こんりふ)したい心願にござります。
 わたくしの心のいと黒い片隅に、俗世の願ひ、また嘲けりの眼(め)の及ばぬあたり、おんみのおごそかな御像(みすがた)の立たせまするやう、紺と金との七寶の聖盒をしつらへたい心願にござります。
 懇ろに寶石の韻をちりばめた、純金屬の格子細工のやうに、琢(みが)きあげたわたくしの詩(うた)で、おんみの御頭(おつもり)の爲に、大寶冠を造るでござりませう。
 またわたくしの嫉妬の布地(きぬぢ)で、永遠(とこしへ)ならぬ聖母さま、おんみの爲に、外套(まんとお)を裁(た)つでござりませう。仕立ては品あしく、ぎごちなく、不恰好で、なほまた裏地は疑ひの心でありまする故、隱處(かくれが)のやうにおんみのあでやかさを包み隱すでござりませう。縁も眞珠ではござりませぬ、ありとあるわたくしの涙の玉で縁(ふち)どりまする。
 おんみの聖衣(みころも)は打慄へて波をうつわたくしの欲望(ねがひ)で造りまする。わたくしの欲望(ねがひ)は高くまた低く、皺襞(ひだ)の高みでは打搖(ゆら)ぎ、谷間(あひ)では鎭まりまするが、白と薔薇色のおんみの御體(みからだ)を一樣に接吻(くちづけ)で被(おほ)ひまする。
 わたくしは神々しいへりくだつた御(おん)足の爲に、わたくしの敬(うやま)ひの心で美しい繻子の御(おん)靴を造りまする、善い鑄型が形(かた)を守る如く、しつくりと御(おん)足を抱き裏(つつ)みまするやう。
 丹精こめた効(かひ)もなく、銀(しろがね)の月を鏤(き)つて御(み)足の臺とすることがかなひませぬならば、わたくしの腸(はらわた)を噛む蛇(くちなは)を御(み)かかとの下に置くでござりませう、いとさはに罪を贖ひたまふ、榮光(さかえ)ある女王さま、憎惡と唾液とに脹れあがつたこの妖怪をおんみの踏み弄びまするやう。
 處女たちの女王(きみ)のゐます、花飾りした神壇の前の大蝋燭のやうに、立ち列ぶわたくしのもろもろの想念が、星のやうに空色の天井に照り映えて、燃ゆる眼で飽かずおんみを凝視(うちまも)るをみそなはすでござりませう。
 わたくしの内なるものは、なべておんみを慈しみ、讚めたゝへまする故、なべては安息香となり、沈香となり、乳香、沒藥となるでござりませう。
 また、暴風雨(あらし)のやうに立ち騷ぐわたくしの精靈は、霧となつて、まつしろな雪の峯なるおんみの方(かた)へ、絶え間なくたち騰るでござりませう。

 

 さておんみが瑪利亞の役を完うし、かつはまた、おんみかぐろい快樂(けらく)よ、七戒を破る蠻氣をいとしさに混ぜ合はさうとて、悔恨に滿ちたわたくし死刑執行人は、七本の刄(やいば)を研ぎすまし、いと深いおんみの愛をとつて柄(つか)となし、ひくひくと鼓(う)つおんみの心の臟に、啜り泣くおんみの心の臟に、血を噴き上ぐるおんみの心の臟に、奇術師の無感覺もて七本ながら立てゝしまふでござりませう。

 

やぶちゃん注:原本では、題名の「まどんな」に傍点「丶」があるが、ここでは下線とした。
やぶちゃん校訂注:繰り返し記号以外の異同はない。

 

 

 

藝術家の告白祈祷(コンフイテオール)          ボードレール

 

 秋の日の暮方は何と身に絡み入ることだ。苦しいまでに身に沁みる。何故と言つて、朧ろげではあるが強さには事缺かぬ、えも言はれぬ或る感覺があるものだから。また、「無窮」の刄くらゐ鋭い刄はないものだから。
 空と海との無限の中にわが眼を滴らせる味ひ! 孤獨、沈默、蒼空の類ない純潔! 地平線上にぶるぶる顫へながら、その微小と孤獨とでもはや如何ともしがたい私の生活をかたどつてゐる白帆、また、波の單調な旋律、これらすべてのものは私に依つて思考してゐる。もしくは、私がそれらのものに依つて思考してゐる(といふのは、夢想の宏大さの中では、「われ」は速かに消失するからだ!)。かれらは思考する、と私は言ふ、それは音樂的に、繪畫的に、理屈拔きに、三段論法も、演繹法も無しにだ。
 これらの想念は、私から生ずるか、もしくは物象から逸出するや否や、必ず、あまりに強烈になる。快樂中に存するエネルギーが、一種の不快、一種の確實な苦惱を創り出す。あまりに張りきつた私の神經は、かん高い、苦しげな顛動をするのみだ。
 今や空の深さが私を自失せしめる。空の透明さが私をいら立たせる。海の無感覺、風景の不動が私を裏切る。あゝ、いつまでも惱まなければならぬのか。いつまでも美から逃れなければならぬのか。自然よ、無情の魔女よ、恆に勝ちほこつた敵よ、私を放してくれ! 私の願望と私の誇りとを唆かすのを止めてくれ! 美の研究は一つの決鬪だ、そこに藝術家は、打ち敗かされる前に怖れの叫びを擧げてゐるのだ。

やぶちゃん校訂注:新字体採用の思潮社版が、最後の「恒」を「」とした意図は、正直言って、私には不分明である。

 

 

 

道化とヸナス          ボードレール

 

 何といふすばらしい日だ! 廣大な公園は、愛神(アムール)の支配の下にある若者のやうに、太陽のぎら/\した眼(まなこ)の下に悶絶してゐる。
 なべての物にあまねき此の有頂天を示す物音とてはない。河の水さへ眠つたやうである。ここには人の世の祭とは遙かに事かはつた、靜寂の大饗宴があるのだ。
 不斷に増しつゝある光はます/\物象を輝かせてゐるやうだ。上氣した花は、其の色の勢力を、空の瑠璃色と競はうとする慾望に燃えてゐる。そして熱は、香(かをり)を目に見えるものにして、烟のやうに、かの天體の方へと立ち昇らせてゐる。 
 とはいへ、私はこの萬有の快樂の中に、一つの悲しんでゐる存在のあるのを知つてゐる。
 巨大なヸナスの足許に、王達が「悔恨」や「倦怠」に惱まされるとき、彼等を笑はせるのを務めとする、かの人工の馬鹿、故意の道化の一人が、けば/\しい馬鹿げた衣(ころも)を身に纏(まと)ひ、鈴附きの角(つの)形帽子を戴いて、臺石のもとにうづくまり、涙に滿ちた眼(まなこ)で永遠の女神を見上げてゐる。
 かくて、彼の眼(まなこ)は云ふ――「私は愛と友情とを奪はれた、人間の中で一ばん下等な、一ばん孤獨なものでございます。この點では、私は動物の中の最も不完全なものにも劣つて居ります。それでも――私でもやはり、永遠の美を味はつたり、感じたりするやうに造られて居るのです。ああ、女神(かみ)さま! 私の悲しみと熱狂とを憐んで下さいまし。」
 しかし假借することを知らぬヸナスは、その大理石の眼で、私にはどことも知れぬ遠い方(かた)を眺めてゐる。

 

やぶちゃん注:題名を含めたすべての「ヸナス」の「ヸ」の字体は、「井」の字に濁点であるが、通常の字体「ヸ」を用いた。

 

 

 

午前一時に          ボードレール

 

 やつと獨りになれた! 聞えるものはのろくさい疲れきつた辻馬車の響ばかり。暫くは靜寂が得られるのだ、安息とは行かないまでも。暴虐をほしいまゝにした人間の顔もたうたう消え失せた、俺を惱ますものはもう俺自身ばかりだ。
 やつと俺にも闇に浸つて疲を休めることが許されたのだ! まづ、扉の鍵を二度まはす。かうして鍵をまはすと、俺の孤獨が増すやうだ。現在この世から俺を隔てゝゐる城壁が固くなるやうだ。
 怖ろしい生活だ! 怖ろしい都會だ! 今日一日にしたことを數へ上げてみようか。五六人の文士に會つた。その一人は俺に陸路を通つてロシアへ行けるだらうかと訊くんだ、(あの男はきつとロシアを島だと思つてゐたにちがひない)。或る新聞の主筆を手ひどくやつつけた。あいつはいひわけをするたんびに一々「何しろこゝは立派な人たちがやつてゐるのですから」と言つたつけ。ほかの新聞はみんなならずものがやつてゐるといふつもりなのだ。二十人ばかりの人にお辭儀をした。そのうち十五人は知らない人だ。同じくらゐの割合で萬遍なく握手をした。それも、手袋を買ふときほども身を入れないで。驟雨(にはかあめ)のあひだひまつぶしに踊り子のところに上りこんでゐたら、ヹニユストルの衣裳圖案を描いてくれと頼まれた。劇場の支配人のところへ敬意を表しに行つたら、俺に暇を出すと言ひ渡してこんなことを言つた、「Zのところへ行つてみたらいゝでせう。あの男はここの作者のなかでも一ばんぐづで、一ばん馬鹿で、一ばん評判がいゝんだから、あすこへ行つたら何とかなるでせう。まあ行つてごらんなさい、そしてまた會ひませう。」俺はしたこともない悪事を自慢して話した。(なぜなんだらう?)。それでゐて、喜んでやつたほかのわるさは卑怯にも否定してしまつた。見え坊から出た咎だ、世間への氣兼ねかろ出た罪だ。或る友人に譯もない用事をしてやるのを拒んで、根つから下らない男に推薦状を書いてやつた。ウフツ、それもすつかりおしまひかい?
 何人にも滿足のできない、自分にも滿足のできない俺は、夜の靜寂と孤獨の中ですつかり自分のからだになつて少しいゝ氣になりたいのだ。俺の愛した奴らの魂よ、俺の歌つたやつらの魂よ、俺を強くしてくれ、俺を支へてくれ、いつはりと此の世の瘴氣とを俺から遠ざけてくれ。それから、あなたは、あゝ主なる神様! 私が一ばん劣等な人間でないことを、自分の軽蔑した人たちにも劣つた者でないことを私自身に證(あかし)するために、數篇のよき詩を書くことを許させたまへ。

 

やぶちゃん注:原本では、三段落目の「ぐづ」に傍点「丶」があるが、ここでは下線とした。

 

 

 

計畫          ボードレール

 

 彼は淋しい大きな公園を散歩しながら獨言つた、「あの女が襞の一杯ついてゐる贅を盡した宮廷服を着て、美しい黄昏(たそがれ)の中を、廣い芝生と泉水に向つた宮殿の大理石の石段を降りて來たらどんなに美しいだらう! なぜといつて、あの女は生れつき王女の風があるからな。」
 少し經つて或る街(まち)を通りかゝつたとき、彼は一軒の版畫店の前に立止まつた。そして紙挾の中に熱帶地方の風景の版畫を見付けて獨言つた、「いや! 私があの女の尊い生命を自分のものにしたいところは宮殿の中などではない。そんなところではくつろいだ氣持になれはしない。おまけに、あの金をちりばめた壁はあの女の肖像を懸ける場所ではない。あの業々しい畫廊にはしつくりした場所が一つもないのだ。たしかに、私が私の生命の夢を育てようと思ふなら、住むべき處はあそこだ。」
 そして、その版畫の細部を仔細に檢べながら心の中でかう續けた、「海岸(うみぎし)には、何といふ名だか忘れてしまつたが、奇妙なつやつやした木に圍まれた、丸木造りのきれいな小屋……空中には、人を醉はすやうな何とも言へない香(かをり)……小屋の中には、薔薇と麝香のさかんな匂(にほひ)、一寸離れて私たちの小さな屋敷の後ろには、波のうねりで搖れてゐるマストの端が見える……私たちのまはりには、窓掛を透してくる薔薇色の光に輝らされて、瀟洒(しや)れた花茣蓙と頭へ來るやうな香りの花で飾られた部屋――重い眞黒な材で造つた葡萄牙ロコゝ風の珍らしい長椅子がある(その上で彼女は、輕く阿片を混ぜた煙草を吸ひながら、靜かに、よく扇がれて坐るだらう!)。床材のむかうには、光に醉つた鳥のはばたき、小さな黒奴(くろんぼ)女のさざめき……夜になれば、私の夢の伴奏をしようとて、音樂的な木立どもが、憂鬱な木麻黄(フイラオス)が、物悲しい歌をうたふ! さうだ、たしかに、私の欲しい飾りはあそこにあるのだ。宮殿などは何で私にかゝはりがあらう。」
 それから大きな竝木道を歩いて行くと、一軒の小奇麗な旅籠屋が眼についた。印度模樣の窓掛で飾つたそこの窓に二つの頭が笑ひながらよりかゝつてゐる。忽ち彼は獨言つた、「こんな近くにあるものを、あんなに遠くまで探しに行くなんて、私の考へはよほどごろつき性(しやう)にちがひない。歡樂と幸福は一番手近かな旅籠屋にあるのだ――行きあたりばつたりの旅籠屋が、こんなに快楽に富んてるのだ。大きな爐、けばけばしい陶器、どうにか食へる夜食、澁い葡萄酒、少々ごはごははしてゐるがさつばりした敷布のかかつた馬鹿に大きな寢臺――それで澤山だ。
 かくて、「智慧」の忠言がもはや外面の生活のざわめきに壓へつけられなくなつた頃、彼はただ獨り家に歸つて獨言つた、「私は今日(けふ)夢に、同じ樣な樂しみのある三つの棲處(すみか)を得たのだ。私の魂はこんなに輕々と旅をするのに、なぜ私の身體(からだ)の居場所を變へなければならないのだらう! 計畫だけでも充分な快樂だのに、何でその計畫をやり遂げようとするのだらう?」

 

やぶちゃん注:原本では、二箇所の「あそこ」に傍点「丶」があるが、ここでは下線とした。

 

 

 

醉へ!          ボードレール

 

 常に醉つてゐなければならない。ほかのことはどうでもよい――ただそれだけが問題なのだ。君の肩をくじき、君の體(からだ)を地に壓し曲げる恐ろしい「時」の重荷を感じたくないなら、君は絶え間なく醉つてゐなければならない。
 しかし何で醉ふのだ? 酒でも、詩でも、道徳でも、何でも君のすきなもので。が、とにかく醉ひたまへ。
 もしどうかいふことで王宮の階段の上や、堀端の青草の上や、君の室の陰慘な孤獨の中で、既に君の醉ひが覺めかゝるか、覺めきるかして目が覺めるやうなことがあつたら、風にでも、波にでも、星にでも、鳥にでも、時計にでも、すべての飛び行くものにでも、すべての唸くものにでも、すべての廻轉するものにでも、すべての歌ふものにでも、すべての話すものにでも、今は何時だときいてみたまへ。風も、波も、星も、鳥も、時計も君に答へるだらう。「今は醉ふべき時です! 『時』に虐げられる奴隸になりたくないなら、絶え間なくお醉なさい! 酒でも、詩でも、道徳でも、何でもおすきなもので。」


やぶちゃん校訂注:赤字段落全体が、改行されており、「風にでも、」の直前にあった「そのときは」が削除、「時計も君に答へるだろう」の後が読点から句点に変わっている。

 

 

 

          ボードレール

 

 開いた窓の外からのぞき込む人は決して閉ざされた窓を眺める人ほど多くのものを見るものではない。蝋燭の火に照らされた窓にもまして深い、神祕的な、豐かな、陰鬱な、人の眼を奪ふやうなものがまたとあらうか。日光の下(もと)で人が見ることの出來るものは、窓ガラスの内側で行はれることに比べれば常に興味の少ないものである。此の黒い、もしくは明るい空の中で、生命が生活し、生命が夢み、生命が惱むのである。
 波のやうに起伏した屋根の向ふに一人の女が見える。盛りをすぎて既に皺のよつた、貧しい女である。いつも何かに寄りかゝつてゐて、決して外へ出掛けることがない。私は此の女の顏から、衣物から、擧動(ものごし)から、いや殆んど何からといふことはなく、此の女の身の上話を――といふよりは、むしろ傳説を造り上げてしまつた、そして私は時々涙を流しながら、この話を自分に話して聞かせるのである。
 これが若し憐れな年とつた男であつたとしても、私は全く同じ位容易に彼の傳説を造りあげたであらう。
 それから私は他人の身になつて生活し、苦しんだことを誇りに思ひながら床に就くのである。
 諸君はかう云ふかも知れない、「その話しが事實だといふことは確かゝね?」私の外(そと)にある眞實がどんなものであらうと何の關りがあるものか――若しそれが、私が生活する助けとなり、私が自分の存在してゐることと、自分が何であるかといふことを感ずる助けとなつたものならば。

やぶちゃん校訂注:繰り返し記号以外の異同はない。

 

 

 

          ボードレール

 

 港は人生の鬪に疲れた魂には快い住家(すみか)である。空の廣大無邊、雲の動搖する建築、海の變りやすい色彩、燈臺の煌き、これらのものは眼をば決して疲らせることなくして、樂しませるに恰好な不可思議な色眼鏡である。調子よく波に搖られてゐる索具(つなぐ)の一杯ついた船の花車(きやしや)な姿は、魂の中にリズムと美とに對する鑑識を保つのに役立つものである。とりわけ、そこには、出發したり到着したりする人々や、慾望する力や、旅をしたり金持にならうとする願ひを未だ失はぬ人々のあらゆる運動を、望樓の上にねそべつたり、防波堤の上に頬杖ついたりしながら眺め、好奇心も野心もなくなつた人間にとつて、一種の神祕的な貴族的な快樂があるものである。


やぶちゃん校訂注:後半の「頬杖ついたりしながら眺め」に続いていた「やうとする」が削除。

 

 

 

射的場と墓地          ボードレール

 

 墓地見晴し御休處(やすみどころ)――「妙な看板だな」――と我が散策者は獨言つた――「それにしても、あれを見ると實際喉が渇く樣に出來てゐる! きつとこゝの主人は、オラースや、エピキユールの弟子の詩人たちぐらゐは解つてゐるにちがひない。事によつたら、骸骨か、何か人生のはかなさを示す徴(しるし)がなくては宴會が出來なかつた、古代挨及人程ひどく凝り性なのかもしれない。」
 彼は入つて行つて、基地に向つて一杯のビールをのみ、それからゆつくりとシガーを一本吸つた。すると、幻想が彼を驅つて墓地の中へと降りて行かせた。そこの草は、そんなに丈が高く、そんなに人を誘ふやうだつたのだ、そこには、そんなに豐滿な太陽が權威を振つてゐたのだ。
 實際光と熱とは其處を煮えくり返して居た。まるで陶醉した太陽が、破壞作用の爲に肥え太つた太陽が、すばらしい花の絨毯の上をのたうち廻つてゐるやうであつた。おびただしい生命の囁きが――限りなく微細なものの生命の囁きが空中を滿たしてゐた――ひそやかシンフオニーのざわめきの中に、丁度シヤンパンの栓が拔けるやうな音をたてゝ、隣りの射的場から響いて來る小銃の音が、一定の合ひ間ごとにそれを斷ち切つてゐた。
 此の時、彼は彼の腦髓を燃え立たせてゐる太陽の下に、燒けつくやうな「死」の臭ひに滿ちてゐる大氣の中に、彼の坐つてゐる墓の下でさゝやく聲を聞いた。その聲は云つた、「お前達の標的(まと)も小銃も呪はれろ、地下のものと、其の神聖な休息とのことを少しも考へぬ、騷々しい生物(いきもの)よ! お前達の野心も、計畫も呪はれろ、『死』の聖殿(みや)の側で、殺人の術を學ばうとする我慢のならぬ人間共よ! 如何に報酬が得易いか、如何に目的が達し易いか、また『死』を除いては、すべてが如何に空しいものだかを知つたなら、お前運はそんなに疲れきつてはゐなからうに、勤勉な生物(いきもの)よ、そしてずつと以前に『目的』を――厭ふべき人生の唯だ一つの眞實の目的を達してゐる人達の眠りをこんなに度々妨げることはなからうに!」

 

 

 

  ANY WHERE OUT OF THE WORLD          ボードレール

 

 人生は一つの病院である。そこに居る患者はみんな寢臺を換へようと夢中になつてゐる。或るものはどうせ苦しむにしても、せめて煖爐の側でと思つてゐる。また或るものは、窓際へ行けばきつとよくなると信じてゐる。
 私はどこか他の處へ行つたらいつも幸福でゐられさうな氣がする。この轉居の問題こそ、私が年中自分の魂と談し合つて居る問題の一つなのである。
「ねえ、私の魂さん、可哀さうな、かじかんだ魂さん、リスボンに住んだら何うだと思ふね? あそこはきつと暖かいから、お前は蜥蜴みたように元氣になるよ。あの町は海岸(うみぎし)で、家は大理石造りださうだ。それからあの町の人は植物が大嫌ひで、木はみんな引き拔いてしまふさうだ。あすこへ行けば、お前のお好みの景色があるよ、光と鑛物で出來上つた景色だ、それが映る水もあるしね。」
 私の魂は答へない。
「お前は活動してゐるものを見ながら靜かにしてゐるのが好きなんだから、オランダへ――あの幸福な國へ行つて住まうとは思はないかい。畫堂にある繪でよくほめてゐたあの國へ行つたら、きつと氣が晴々するよ。ロツテルダムはどうだね。何しろお前は檣(マスト)の林と、家の際に舫(もや)つてある船が大好きなんだから。」
 私の魂はやつぱり默つてゐる。
「バタビヤの方が氣に入るかも知れない。その上あそこには熱帶の美と結婚したヨーロツパの美があるよ。」
 一言(こと)も言はない。――私の魂は死んでゐるのだらうか?
「ぢあお前は患(わづ)らつてゐなければ面白くないやうな麻痺状態になつてしましまつたのかい? そんなになつてゐるなら、「死」にそつくりな國へ逃げて行かう――萬事僕が呑み込んでゐるよ、可哀さうな魂さん! トルネオ行きの支度をしよう。いやもつと遠くへ――バルチク海の涯(はて)まで行かう。出來るなら人間の居ないところまで行かう。北極まで住まう。そこでは太陽の光はただ斜に地球をかすつて行くだけだ。晝と夜との遲(のろ)い交替が變化を無くしてしまふ。そして單調を――虚無の此の半分を増すのだ。そこでは長いこと闇に浸つてゐられる。北極光は僕等を樂しませようと思つて、時々地獄の花火の反射のやうに薔薇色の花束を送つてくれるだらう。」
 遂に、突然私の魂は口を切つた。そして賢くもかう叫んだ、「どこでもいゝわ! 此の世の外なら!」

 

 

 

饑餓の饗宴          ランボー

 

 俺の饑(うゑ)よ、アヌ、アヌ、

  驢馬に乘つて 逃げろ。

  

俺に食氣(くひけ)が あるとしたら、

食ひたいものは、土と石。

ヂヌ、ヂヌ、ヂヌ、ヂヌ、空氣を食はう、

岩を、火を、鐵を。

 

俺の饑(うゑ)よ、廻れ、去れ。

  音(おん)の平原!

旋花(ひるがほ)のはしやいだ

  毒を吸へ。

 

貧者の碎いた 礫を啖へ、

 教會堂の 古びた石を、

 洪水の子なる 磧の石を

くすんだ谷に 臥てゐる麵麭(パン)を。

 

俺のは、黒い空氣のどんづまり、

 鳴り響く蒼空!

――俺を牽くのは 胃の腑ばかり、

  それが不幸だ。

 

地の上に 葉が現はれた。

饐えた果實の 肉へ行かう。

畝(うね)の胸で 俺が摘むのは、

野萵苣(のぢしや)に菫。

 

 俺の饑よ、アヌ、アヌ、

 驢馬に乘つて逃げろ。