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和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類へ
和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部へ

和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部へ
和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚へ
和漢三才圖會 卷第五十  魚類 河湖無鱗魚へ
和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚へ
和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔類へ

 

和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚  寺島良安

           書き下し及び注記 copyright 2007-2008 Yabtyan

           完結 2008年2月2日 午前11:30

[やぶちゃん注:本ページは以前にブログに記載した私の構想している「和漢三才圖會」中の水族の部分の電子化プロジェクトの第四弾である。底本・凡例・電子化に際しての方針等々については、「和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部 寺島良安」の冒頭注の凡例を参照されたい。この巻では「魚」の字や(さかなへん)の(れっか)を「火」とする異体字が多くも通られているが、この巻では使い分けに意味が認められないので通用字体で統一した。
 次の目録は底本では巻四十八冒頭に河湖有鱗魚類の目録に付随しているので、前半部の頁の柱は「■和漢三才圖會 有鱗魚 卷四十八目録 ○ 二」であるが、省略した。目録の項目の読みはママ(該当項のルビ以外に下に書かれたものを一字空けで示した。なお本文との表記の異同も認められるが、注記はしていない)。なお、原文では横に3列の罫があり、縦に以下の順番に書かれている。項目名の後の[ ]には、私の同定した和名等を示した。]

 

卷第四十九

 江海有鱗魚〔目録〕

 

鯛(たひ)            [タイ]

黄穡魚(はなをれだひ)      [キダイ]

烏頰魚(すみやきだひ)      [オオクチイシナギ]

海鯽(ちぬだひ) くろだひ    [クロダイ]

鷹羽魚(たかのは)        [タカノハダイ]

方頭魚(くずな) あまだひ    [アマダイ]

金線魚(いとより)        [イトヨリダイ]

錦鯛(ぐそくいを) にしきいを  [キンメダイ]

緋魚(あかを) あこ       [アコウダイ]

血引魚(ちびき)         [ハチビキ]

眼張魚(めばる)         [メバル]

藻魚(もいを)          [メバル]

銅頭魚(かながしら)       [カナガシラ]

保宇婆宇(ほうばう)       [ホウボウ]

古伊知(こいち)         [コイチ]

藻伏魚(もふし)         [コブダイ]

榮螺破魚(さざいわり)      [ネコザメ]

鰭白魚(はたしろ) こせう    [コショウダイ]

鰷身魚(あいなめ)        [アイナメ]

油身魚(あぶらめ) いたちいを  [イタチウオ]

梭子魚(かます)         [カマス]

鱵(さより) はりを       [サヨリ]

啄長魚(だす)          [ダツ]

簳魚(やがら)          [アカヤガラ]

鯒(こち)            [コチ]

惠曾魚(ゑそ)          [エソ]

幾須吾(きすご)         [シロギス]

鮸(ぐち) にべ         [シログチ/ニベ]

墨頭魚              [Garra lamta

■和漢三才圖會 有鱗魚 卷四十八目録 ○ 三

[やぶちゃん字注:「○」の下の空欄はママ。前掲した通り、この目録は巻四十八の冒頭にあるため、「卷四十八」となっているのであって誤りではない。]

佐伊羅(さいら) のうらぎ    [サンマ]

鱰(しいら) ひいを くまびき  [シイラ]

鰣(ひら)            [ヒラ]

鰡(ぼら) なよし        [ボラ]

鱸(すゞき) はね せいご    [スズキ]

鯖(さば)            [サバ]

鰶(このしろ) つなし こはだ  [コノシロ]

鱮(たなご)           [ウミタナゴ]

伊佐木(いさき)         [イサキ]

※1魚              [タラ]

[やぶちゃん字注:※1=「口」(上)+「大」(下)。]

阿羅(あら)           [アラ]

鰤(ぶり) つばす はまち めじろ[ブリ]

鰤※2(しわう)         [カンパチ]

[やぶちゃん字注:※2=「魚」+「王」。]

鰯(いはし)           [カタクトイワシ/マイワシ]

[やぶちゃん字注:「は」はママ。]

潤眼鰯(うるめいわし)      [ウルメイワシ]

鯡(にしん) かど かずのこ   [ニシン]

[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「兆」。]

魚虎(しやち)          [シャチ]

人魚(にんぎよ)         [ジュゴン]

勒魚(ろくぎよ)         [ネンブツダイ?]

[やぶちゃん字注:「勒」の字は底本では「革」の下部の「十」は上部の「口」を貫かず(ただ口の下に「十」が付いているのみ)、従って「廿」にも届いていないが、正字を用いた。]

 

□本文

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷四十九 ○一

 

和漢三才圖會卷四十八

  魚類 
      江海

      有鱗魚

たひ

【音彫】

テヤ゚ウ

 

棘鬛 奇鬛

吉鬛 赤鬃

平魚【延喜式】

  【和名太比】

 

崔禹錫食經云鯛【甘冷】貌似鯽而紅鰭者也

閩書南産志云棘鬛魚似鯽而大其鬛紅紫色或曰奇曰

吉曰赤皆以鬛異于余魚也

△按俗謂扁者稱平【太比者平字訓下畧】本草綱目三才圖會等不

 載之可知中華希有之物也近世淅江寧波海中有之

 蓋春夏唐舩多來朝時鱰【比伊乎又云志比良】附舶來矣秋冬歸

 《改ページ》

 帆時此地鯛附舶多渡唐焉

鯛形似鯽而扁其鱗鬛淡赤白離潮則變赤鬛特紅其肉

白味美最爲本朝魚品之上四時共多諸國皆有種類亦

多也大抵一二尺其小者一二寸名加須吾鯛

攝泉之内海所取者惣稱前之魚賞之播州明石浦之産

亦佳也北國新潟邊之産有大者三四尺西海對馬邊之

産形短眼大也並味不如攝播之鯛也俗傳云西海鯛春

夏越阿波鳴戸入播攝之地者大骨生瘤焉盡然乎否

      新六 行春の堺の浦の櫻鯛あかぬかた見にけふや引らん 爲家

日本紀云彦火火出見尊失兄鉤而後探赤女口而得之

赤女者鯛也【一云鰡也】以赤女魚所以不備供御者此縁也蓋

惟鯛自古供宗廟之祀薦至尊之膳又爲嘉儀之餽贈則

赤女非鯛也

戎鯛 状似藻臥魚而頭大圓肥尾小窄如鯉尾鱗似鯛

 而深赤鰓下有黑雲文口小而露齒甚醜

たひ

【音、彫。】

テヤ゚ウ

 

棘鬛〔(きよくれふ)〕 奇鬛〔(きれふ)〕

吉鬛〔(きつれふ)〕  赤鬃〔(せきそう)〕

平魚【「延喜式」。】

  【和名、太比。】

 

崔禹錫が「食經」に云ふ、『鯛は【甘、冷。】、貌、鯽〔(ふな)〕に似て、紅の鰭(ひれ)ある者なり。』と。「閩書」の「南産志」に云ふ、『棘鬛魚は鯽に似て大に、其の鬛〔(ひれ)〕、紅紫色なり。或は奇と曰ひ、吉と曰ひ、赤と曰ふ。皆、余魚の鬛に異なるを以てなり。』と。

△按ずるに、俗に扁たき者を謂ひて平(たひら)と稱す【太比は平の字の訓の下畧。】。「本草綱目」・「三才圖會」等に之を載せず。知べし、中華に希に有るの物なるを。近世、淅江(せつこう)寧波(ニンパウ)の海中に之有り。蓋し、春夏、唐舩多く來朝の時、鱰(ひいを)【比伊乎、又は志比良〔(しひら)〕と云ふ。】、舶に附きて來る。秋冬、歸帆の時、此の地の鯛、舶に附きて多く渡唐す。

鯛の形、鯽に似て扁たく、其の鱗・鬛、淡赤白、潮を離〔(さか)〕るる時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち赤に變じて、鬛、特に紅なり。其の肉、白く、味、美、最も本朝魚品の上と爲す。四時共に多く、諸國、皆有り。種類も亦、多きなり。大抵、一~二尺、其の小なる者、一~二寸なるを加須吾鯛〔(かすごだひ)〕と名づく。攝〔=摂津〕・泉〔=和泉〕の内海にて取る所の者、惣じて「前の魚」(まへのいを)と稱して、之を賞す。播州〔=播磨〕・明石(あかし)浦の産、亦、佳なり。北國新潟(にひがた)の産、大なる者、三~四尺有り。西海對馬邊の産は、形、短く、眼、大なり。並びに味、攝・播の鯛に如〔(し)〕くならざるなり。俗傳に云ふ、『西海の鯛、春夏、阿波の鳴戸を越えて播・攝の地に入る者、大骨に瘤(こぶ)を生ず。』と。盡く然るや否や

     「新六」行く春の堺の浦の櫻鯛あかぬかた見にけふや引くらん 爲家

「日本紀」に云ふ、『彦-----尊(ひこほゝでみの〔みこと〕)、兄の鉤〔(はり)〕を失ひて後、赤女が口を探りて之を得。赤女なる者は鯛なり【一に鰡〔(いな)〕とも云ふなり。】。赤女魚を以て供御〔(くご)〕に備へざる所以は、此の縁なり。』と。蓋し惟(をもん)みるに、鯛、古へより宗廟の祀〔(まつり)〕に供へ、至尊の膳に薦む。又、嘉儀の餽-〔(をくりもの)〕と爲〔(す)〕る時は[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]、則ち赤女、鯛に非ざるなり

戎鯛(えびすだひ) 状、藻臥(もふし)魚に似て、頭、大きく圓く肥え、尾、小さく窄(すぼ)く、鯉の尾のごとし。鱗、鯛に似て深く赤く、鰓の下に黑雲の文有り。口、小さくして齒を露(あらは)す。甚だ醜し。

[やぶちゃん注:スズキ目スズキ亜目タイ科Sparidaeの魚類の総称及び生体や切り身の肉の見た目や魚肉の味が類似した別科の魚類に用いられる名であるが、やはりここは一番、タイ科マダイ亜科マダイPagrus majorを掲げておきたくなるのが縁起担ぎの日本人の人情というものである。私はそのような私の中の心性を、決して情けないとは思わぬ。

 「延喜式」は、「弘仁式」及び「貞観式」(本書と合わせて三代格式と呼ぶ)を承けて作られた平安中期の律令施行規則。延喜5(905)年に醍醐天皇の勅命で藤原時平らが編纂を始め、延長5(927)年に完成、施行は実に半世紀後の康保4(967)年であった。平安初期の禁中の年中儀式や制度等を記す。三代格式の中では唯一、ほぼ完全に残っている。

 『崔禹錫が「食經」』の「食經」は「崔禹錫食經」で唐の崔禹錫撰になる食物本草書。前掲の「倭名類聚鈔」に多く引用されるが、現在は散佚。後代の引用から、時節の食の禁忌・食い合わせ・飲用水の選び方等を記した総論部と、一品ごとに味覚・毒の有無・主治や効能を記した各論部から構成されていたと推測される。

 「鯽」コイ科コイ亜科フナ属Carassiusの仲間の総称。

 『「閩書」の「南産志」』「閩書」(びんしょ)は、明の何喬遠(かきょうえん)撰になる現在の福建省地方の地誌・物産誌。「南産志」はその中の二巻。

 「吉と曰ひ」中国人にとって古来より赤は最も目出度い色である。

 「淅江」は、華中南東部、現在の淅江省。長江デルタの南岸に位置し、古くから日本や朝鮮等と容易に交易できる中華文明の東の門戸であった。

 「寧波」は、現在の淅江省寧波東部にある。東海交易の最も重要な海港の一つとして古くから知られ、遣隋使・遣唐使の入港地として本邦との繋がりも深い。中国音でルビが振られているため、カタカナとした。

 「鱰」スズキ亜目シイラ科シイラCoryphaena hippurus。後掲の「鱰」の項を参照。

 「舶に附きて來る」を読んだ時、私は心から良安先生に敬意を表した。これを短絡的と笑ってはいけない。良安先生のこの射程の先には、まさにバラスト水に象徴される外来種侵入の問題があるのである。高度経済成長期、一体、誰がバラスト水によって深刻な生態系崩壊が起こると予測していたか? 我々は、我々の無知・無関心を猛省せねばならないと私は思っている。

 「加須吾鯛」は、現在もマダイの幼魚(10cm程度、100g以下の個体)の名称として生きている。「春子鯛」(かすごだい)と書き、語源が本当にそうであるかどうかはやや疑問であるものの、古くから桜の季節の小鯛に用いられた風雅な呼称ではある。

 『「前の魚」』というマダイに与えられた特別な呼称は、狭義には「えべっさん」で著名な兵庫県西宮市にある西宮神社の前の海で獲れたものを「戎様の鯛」と言って縁起物としたことに発する。明石辺りでもこの呼称が用いられる。

 「邊」のルビ位置には「ダッシュ」状の縦線が入っている。これは明らかに意図的に引かれたもので、当初は上の「新潟」の「かた」のルビを繰返せという記号(/\=かた)で「方」の意味かと思ったが、如何にもな訓であるので、やめてそのままとした。

 「盡く然るや否や」と言い、俗伝との断わり書きといい、良安先生はかなり懐疑的だが、これは以下の「徳島ブランド」(株式会社 徳島大水魚市HP内)の「ここがブランド」の叙述を読む限り、生物学的に正しいように思われる(該当頁に「コブ」の写真もあり)。

「鳴門の渦潮」で有名な鳴門海峡で育った鯛は、その早い潮の流れを泳ぐため、骨が疲労骨折するほど全身運動をします。この骨が治癒する際、増強され、このコブが出来るのです。ですから、この骨のコブはよく運動し、身がしまった「鳴門鯛」の証なのです。

但し、真偽を疑う方よ、少なくとも「鯛のコブ」「鯛のこぶ」で検索をかけるのはお薦めしない。「鯛のコブ〆」が多量にヒットするばかりである。

 『「新六」』は「新撰和歌六帖(新撰六帖題和歌)」で、1243年前後に藤原家良・為家・知家・信実・光俊の五人が詠んだ和歌を所載した類題和歌集。藤原為家は定家の次男、というより「十六夜日記」の阿仏尼の夫とした方が分かりがよいか。該当歌は「第三 水」に所収する。この歌の下の句、和歌に暗い私には意味がピンと来ない。どなたかご教授願えれば幸いである。

 『「日本紀」』は「日本書紀」。以下に該当箇所(国史大系本から伝本の違いによる3バージョンを掲載する。J-TEXTを用いたが、可能な限り正字に変換し、一部の句読点等を変更した)の原文・書き下し文・訳を載せる(私は上代は苦手であるから、書き下し文・訳文はご自身で精査されたい)。所謂、海幸彦山幸彦のワン・シーンである。

 

①時彦火火出見尊對以情之委曲。海神乃集大小之魚、逼問之。僉曰。不識。唯赤女【赤女。鯛魚名也。】比有口疾而不來。固召之探其口者、果得失鉤。

②對以情之委曲。時海神便起憐心、盡召鰭廣鰭狹而問之。皆曰。不知。但赤女有口疾不來。亦云。口女有口疾。即急召至。探其口者、所失之針鉤立得。於是海神制曰。儞口女從今以徃、不得呑餌。又不得預天孫之饌。即以口女魚所以不進御者、此其縁也。

③海神召赤女口女問之。時、口女自口出鉤以奉焉。赤女即赤鯛也。口女即鯔魚也。

 

○やぶちゃんの書き下し文:

①時に彦-----尊(ひこほでみのみこと)、情(こころ)の委-曲(かたち)を以て對(こた)ふ。海神(わたつみ)乃ち大小の魚を集め、之逼りて問ふ。僉、曰ふ。「識らず。唯だ赤女(あかめ)【赤女、鯛の魚の名なり。】のみ比ごろ口の疾(やまひ)有りて來らず。」と。固より之を召して其の口を探さば、果して失鉤(ち)を得き。

②情の委曲を以て對ふ。時に海神便ち憐みの心を起し、鰭廣(はたのひろもの)・鰭狹(はたのさしもの)を盡く召して之に問ふ。皆曰ふ。「知らず。但だ赤女のみ口の疾有りて來らず。」と。亦云ふ。口女(くちめ)口疾有り。即ち急(すみや)かに召して至る。其の口を探らば、失する所の針-鉤(ち)の立(ただどころ)に得き。是に於いて海神制して曰ふ。儞(なんぢ)口女今より以て徃(ゆくさき)、餌を呑むを得じ。又天孫(あめみま)の饌(みあへ)に預り得じ。即ち口女の魚を以て御(おほみもの)に進(たてまつ)らざる所以は、此れ其の縁(ことのもと)なり。

③海神、赤女・口女を召して之に問ふ。時、口女、口より鉤を出だして以て奉る。赤女は即ち赤鯛なり。口女は即ち鯔魚なり。

 

○やぶちゃんの現代語訳:

①そこで彦火火出見尊は、その釣針を探しにこの龍宮までやって来たという事情を仔細に答えた。海神は直ちに大小の魚を集めて、問い糾した。すると皆は、「知りません。ただ赤女【赤女とは鯛の名である。】だけ、近頃、口に怪我をしており、ここに来ておりませぬ。」と答えた。即座にその赤女を呼んで、その口を探したところ、まさに失った釣針を見出した。

②そこで彦火火出見尊は、その釣針を探しにこの龍宮までやって来たという事情を詳細に答えた。そこで海神はすぐに憐れみの心を生じ、鰭の大きなものも小さなものも悉くの魚どもを召し寄せて問うた。すると皆は、「知りません。ただ赤女だけ、口に怪我をしており、ここに来ておりませぬ。」と言った。(「日本書記」編者注:又は、別に以下のようにも伝える。)口女が口に怪我をしていた。そこで急ぎ召し出したところ、やってきた。その口の中を探ぐって見たところ、失した釣針を即座に得た。そこで海神は、口女に禁じて言った。「汝、口女よ、今より生きてゆく先、汝は餌を口にすることは出来まい。又、天孫の御膳に加わることも出来まい。」と。今、口女魚を御膳に献上せぬ所以は、まさしくこの所縁に依るものなのである。

③そこで海神は、赤女と口女を召し寄せてこの二尾に問うた。その時、口女はその口より彦火火出見尊が失った鉤を取り出だして差し上げた。赤女とは、まさに現在の赤鯛である。口女は、まさに現在の鯔魚である。

 

さて、③は断片であるが、ここに至って釣針を呑んだのは「鰡魚」=ボラとなり、「赤鯛」(この「赤」は美称の接頭語として取ってよかろう)即ちタイは無実であったという叙述である。①→②→③の変化は、まさに伝承者による「赤女」の冤罪提唱、真犯人は「口女」であるとする過程でもある。そのスライドには、それこそ「即ち口女魚を以て進御せざる所以は、此れ其の縁なり」という古伝承によって、皇族が旨いタイを食うことが忌避されそうになるのを、うまく誤魔化したようにも見えて、甚だ面白いではないか。これは上代に疎い私の勝手気儘な想像であることは断っておく。

 「鰡」はボラ目ボラ科ボラMugil cephalus。ボラは出世魚で、ここに現れる「いな」という呼称は、成魚のボラの前段階を指す。例えば関東方言では、オボコ→イナッコ→スバシリ→イナ→ボラ→トドである。

 「赤女、鯛に非ざるなり」とあるが、現在、和名としての「アカメ」はスズキ亜目アカメ科アカメLates japonicusがいる。しかし、ここに一匹、以上の挿話と極めて素敵な一致を示す別称「アカメ」君がいるのだ。即ちボラ亜系ボラ目ボラ科メナダLiza haematocheilaである。岡山・山口・新潟等極めて広域でメナダはアカメと呼ばれているのである。魚体もボラに似る(頭部がボラに比して鋭角的である)。これで決まりだ!

 「宗廟」は本来は広く祖霊を祀る神聖な建物を言うが、狭義には伊勢神宮と石清水八幡宮を「二所宗廟」と称する。ここは後者か。

 「至尊」は天皇の意。

 「嘉儀の餽-贈」とは、めでたい儀式の際の祝意を示す贈物を言う。

 「戎鯛」エビスダイ 現在の和名ではキンメダイ目イットウダイ科アカマツカサ亜科にエビスダイOstichthys japonicusがいるが、外形の形状の「特に鰓の下に黑雲の文有り」は、鰓上部及びムナビレ基部に黒色斑があるアカマツカサ亜科アカマツカサ属ナミマツカサ Myripristis kochiensisの形状に似ていなくはない。しかし、ここで大きなポイントになるのは「大きく圓く肥え」た頭である。そこで叙述に現れる「藻臥魚」が問題となる。これは字面通りなら藻の下に伏している魚ということで、多くの根付きの雑魚の類のように、一見、見える。例えば現在、京都ではスズメダイ科スズメダイ亜科のスズメダイ属Chromis notataを「モブシ」と呼ぶ。しかし、以下の形状の特異で異形の叙述から、これらは問題にならない。では、名前はどうか? 実はここに地方名として「モブシ」又は「モブセ」、更に実は「エビスダイ」と、これらに贅沢にヒットする魚がいる。スズキ目ベラ亜目ベラ科の巨大魚コブダイ(カンダイ)Semicossyphus reticulatusである。「鰓の下に黑雲の文有り」というのを体側の鱗の文様と捉えるなら、全ての叙述が巨頭醜悪のコブダイに極めてぴったりくるのである。もしかすると、「藻臥魚」と似ていながら、更に頭部が「大きく圓く肥え」ているというのであれば、この「藻臥魚」はコブダイ♀を、「戎鯛」はコブダイ♂を指しているという解釈も可能であろうか。なお、この「藻臥魚」は後掲されるので、更に調査を続行するため、本記述は後に訂正する可能性があることを付記しておく。

 「窄(すぼ)く」は「すぼし」という形容詞で、「末細(すゑほそ)し」の略されたもの。すぼんで細い、狭いの意。]

***

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○二


はなをれだい       出閩書

黄穡魚

ハアン ツアン イユイ  俗云鼻折鯛

 

△按黄穡魚形色似鯛而色淺鼻直而如折故名鼻折鯛

 味劣於眞鯛

笛吹鯛 状似鯛而淡紅色口尖長似吹笛者故名

はなをれだい      【「閩書」に出づ。】

黄穡魚

ハアン ツアン イユイ 【俗に鼻折鯛と云ふ。】

 

△按ずるに、黄穡魚は、形色、鯛に似て、色、淺し。鼻、直にして折れたるごとし。故に鼻折鯛と名づく。味、眞鯛より劣れり。

笛吹鯛 状、鯛に似て、淡紅色。口、尖りて長く、笛を吹く者に似たり。故に名づく。

[やぶちゃん注:タイ科キダイ亜科キダイDentex tumifronsで、「黄鯛」である。他に異名・地方名多く、レンコダイ(連子鯛)・ハナオレダイ(鼻折鯛)・コダイ(小鯛)等がある。福井小浜の名産として有名な「小鯛の笹漬け」の「小鯛」は本種を指す。「黄鯛」の名称は、目から鼻孔の部分と上顎の吻部が黄色く、又背鰭に沿った背部にも三対の黄斑があることが由来である。「黄檣魚」の「黄檣」は「おうしょう」と読み、マダイPagrus majorやチダイEvynnis japonicaに比して鼻孔の周辺部が凹んでおり、口吻が前方に突き出た形になり、その形状が和船の帆を立てた帆柱(檣)に似ているからであろうか。

笛吹鯛 フエフキダイ 和名ではスズキ亜目フエフキダイ科フエフキダイLethrinus haematopterusであるが、釣人のサイトを管見すると、実際に漁獲されるものの多くは同科のハマフエフキLethrinus nebulosusであり、フエフキダイは幻に等しいほどに釣れないという。ちなみに、「WEB魚図鑑」の「フエフキダイ」によれば、フエフキダイはハマフエフキに比して魚体が小さく、セビレの棘条部中央下の側線上方の横列鱗数が5枚(ハマフエフキでは6枚)、ハマフエフキには青色の斑点や斑紋が多いが、フエフキダイにはほとんど見られない点が識別のポイントとする。]

***

すみやきだひ

鳥頰魚

 

【俗云須美

 夜木太比】[やぶちゃん字注:以上二行は、前二行下に入る。]

 

△按鳥頰魚形鱗共似古伊知魚而微帯赤光頰有黑紋

 如墨引大者七八寸肉白脆淡甘美夏秋多出

すみやきだひ

鳥頰魚

 

【俗に須美夜木太比と云ふ。】

 

△按ずるに、鳥頰魚は、形・鱗共に古伊知魚に似て、微かに赤光を帯ぶ。頰に黑紋有りて墨を引くがごとし。大なる者、七~八寸。肉、白く、脆く、淡く、甘美。夏秋、多く出づ。

[やぶちゃん注:スズキ目スズキ科オオクチイシナギStereolepis doederleini

 「古伊知魚」スズキ亜目ニベ科ニベ属コイチNibea albifloraを同定しておく。後掲する「古伊知魚」の項を参照。]

***

ちぬだひ

くろだひ

海鯽

 

尨魚【和名久呂太比】

海鯽【和名知沼】

【和名抄以爲二物矣實此一物也】[やぶちゃん字注:以上三行は、前三行下に入る。]

 

△按海鯽状似鯛而鱗色黑似鯽故名海鯽和名曰黒鯛

 多出於泉州古者泉州稱茅渟故名之凡鯛夏月味劣

 此魚夏月味最勝其鱗鰭色如磨琢鐵鉛其肉有微毒

 破血産後瘡家忌之尾長者名海津【加伊豆】毒甚

日本紀神功皇后自角鹿【越前敦賀】到停田門食於舩上時海

鯽魚聚船傍皇后以酒灑其魚鯽醉而浮之故其處之

魚至于六月常傾浮如醉

島鯛 似海鯽而小不過四五寸許有黑白横紋相次重

 重不混雜

小瀧鯛 鱗色不紅潤而帶微黑形扁長而頭不圓眼色

《改ページ》

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○三

 

鮮明略類海鯽肉柔味不佳此多出於総州小瀧故名

 又泉州淡州出之名知鯛【名義未詳】

ちぬだひ

くろだひ

海鯽

 

尨魚〔(ばうぎよ)〕【和名、久呂太比。】

海鯽〔(かいせき)〕【和名、知沼〔(ちぬ)〕。】

「和名抄」、以て二物と爲す。實は此れ一物なり。】

△按ずるに海鯽、状、鯛に似て、鱗の色、黑く、鯽〔(ふな)〕に似る。故に海鯽と名づく。和名、黒鯛と曰ふ。多く泉州〔=和泉〕に出づ。古へは泉州を茅渟(ちぬ)と稱す。故に之を名づく。凡そ鯛、夏月、味、劣る。此の魚は、夏月、味、最も勝れり。其の鱗・鰭色、磨-琢(と)ぎたる鐵鉛のごとし。其の肉、微毒有り血を破る。産後・瘡家、之を忌む。尾の長き者、海津と名づく【加伊豆。】。毒甚し。

「日本紀」に『神功皇后、角鹿(つのが)【越前敦賀。】より停田門(ぬたのみなと)に到る。舩の上に食(みけ)しぬ。時に海鯽魚、船が傍に聚まり、皇后、酒を以て其の魚に灑(□□)□〔→(そそ)ぎ〕しめ玉ふ[やぶちゃん字注:「玉」は送り仮名にある。]。鯽、醉ひて之、浮かびぬ。故に其處の魚、六月に至り、常に傾(あふの)き浮(と)ふこと、醉ふがごとし。』と。

島鯛 海鯽に似て小さく、四五寸ばかりに過ぎず。黑白の横紋有り、相次ぎて重重混雜せず

小瀧鯛 鱗色、紅潤〔(なら)〕ずして、微かに黑を帶ぶ。形、扁たく長くして、頭、圓からず。眼の色、鮮明なり。略ぼ海鯽に類す。肉、柔かく、味、佳ならず。此れ、多くは総州小瀧に出づ。故に名づく。又、泉州・淡州〔=淡路〕、之を出だす。知鯛と名づく【名義、未だ詳らかならず。】。

[やぶちゃん注:タイ科ヘダイ亜科クロダイAcanthopagrus schlegelii。「尨魚」の「尨」は元来はムク犬を指す語であるが、恐らく別義にあるところの、色が混じる、雑食の、という意味で用いている。

 「鯽」はコイ亜科フナ属Carassiusの中でも、代表格のギンブナCarassius auratus langsdori又はキンブナCarassius auratus subsp.をイメージしていよう。

 『「和名抄」』は正しくは「倭(和とも表記)名類聚鈔(抄とも表記)」で、平安時代中期に源順(したごう)によって編せられた辞書。多出するので以下、注では省略する。

 「古へは泉州を茅渟(ちぬ)と稱す」の由来については、個人の釣人のHP“Fish On 福岡”の中の「なるほどtheチヌ」に「和泉市史」から引用された纏まった記載がある。以下に引用する。

《引用開始》

和泉地方は古くは「チヌ」と呼ばれ、「血沼」「茅渟」「珍努」「珍」と書かれる。「古事記」にその由来を伝えており、「神武天皇が大和の国に攻め入る時に那賀須泥毘古(ながすねひこ)と戦い、敗れて熊野に向かう途中、皇兄五瀬命(いつせのみこと)が矢傷を洗った海を血沼の海と呼ぶようになった」と書かれている。同様のことが「日本書紀」にも伝えられているが史実は定かでない。本居宣長の「古事記伝」に「黒鯛の一種である知奴(ちぬ)が、血沼海の名産であったところから、地名が魚の名称になった」とある。平安初期頃までひろく「チヌ」が使用されていたが、その後は次第に消えていった。

《引用終わり》

「古事記」では「血沼」、「日本書紀」では「茅渟」、「続日本紀」では「珍努」の字が用いられている。なお、この叙述中の本居宣長の「古事記伝」の「一種」という記載があるのは(私は「古事記伝」を所持しないので確認出来ないが)、良安が注意を促しているような、「和名抄」のクロダイとチヌの別種扱いを伝えて面白い。

 「微毒」については、初耳であったが、先の「なるほどtheチヌ」の記にも不詳としながらも記載されている。以下の「世の中のうまい話 黒鯛」のページにも『産卵期の黒鯛の卵巣・精巣には微毒があるとも言われており、昔から、この時期のクロダイは血があれるといって、妊婦には食べさせなかった』という叙述が現れる。「血を破る」は、血を損なう、悪くする、血液を濁らせるといった意味であるから、「血があれる」というのはこれにしっくりくる表現で、血液循環が生命線の妊娠中や出産後の婦人には大いに関係がある。これらの謂いは「和漢三才図会」とは全く別のソースからの記載と考えられるから、単純に「血沼」という呼称からの連想であろう等とスルーできることではないように思われる。例えば江戸川柳に

   食ひやうによつて黑鯛罪になり

   黑鯛をいのちにかけて下女喰らひ

とあるのは、クロダイが堕胎効果を期待される俗伝があったからに他ならないだろう(両川柳は個人のブログ「天真爛漫ちゃらんぽらん 黒鯛の刺身」に記されたものを孫引きした。但し正字正仮名に恣意的に直した)。生物学又は民俗学的にお詳しい方のご教授を願う。

 「瘡家」はできもの(皮膚疾患としての腫瘍全般)を患った人の意。

 「海津」とは、少なくとも現在ではクロダイの中型の個体を呼ぶ。釣人の記載を見ると、関東地方では30㎝以下のクロダイの稚魚を「チンチン」と呼称し、3040㎝大の中型個体を「カイヅ」(又は「カイズ」)、それ以上の成魚・大型個体をクロダイと呼ぶようである。

 「日本紀」(=「日本書紀」)の以下の記載は、巻第八の仲哀天皇二(193)年6月10日の記載にある。J-TEXTより原文(但し、恣意的に正字に変換、句読点の一部を変更、更に文中に「鰤」とあるのを「鯽」に直した)を引用し、書き下し文・現代語訳を以下に示す。

 

夏六月辛巳朔庚寅。天皇泊于豐浦津。且皇后從角鹿發而行之、到渟田門、食於船上。時海鯽魚多聚船傍。皇后以酒灑鯽魚。鰤魚即醉而浮之。時海人多獲其魚而歡曰。聖王所賞之魚焉。故其處之魚、至于六月常傾浮如醉。其是之縁也。

 

やぶちゃんの書き下し文:

夏六月の辛巳(かのとみ)の朔(つひたち)庚寅(ひのえとら)。天-皇(すめらみこと)、豐浦津(とゆらのつ)に泊ります。且(また)、皇-后(きさき)、角鹿(つぬが)より發ちて行-之(いでま)して、渟田門(ぬたのみなと)に到り、船(みふね)の上(へ)に食(みをし)す。時に、海--魚(たひ)、多(さは)に船(みふね)の傍(かたは)らに聚(あつま)れり。皇后、酒(おほみき)を以て鯽魚に灑(そそ)きたまふ。鯽魚、即ち醉(ゑ)ひて浮びぬ。時に、海人(あま)、多に其の魚を獲へて歡びて曰ふ、「聖王(ひじりのきみ)の賞(たま)へる所の魚なり。」と。故に其の處の魚、六月に至るに常に傾き浮ぶこと醉ふがごとし。其れ、是の縁なり。

 

やぶちゃんの現代語訳:

夏の六月の一日は辛巳、その庚寅の十日。仲哀天皇は熊襲征伐のための行宮の置かれた豊浦の津にお泊りになられた。一方、夫と共に征伐へ向かわんと、神宮皇后も、角鹿〔=敦賀〕を出発、渟田門に至り、その船上で御食事をなさった。この時、鯛が御船の傍らに集まって来た。皇后が、それを勝利の予兆と祝し、御酒を鯛にお注ぎになったところ、鯛はたちまち、酔って水面に浮かんで来た。その時、漁師達は、数多、その鯛を獲ることが出来、言祝いでこう言った、「この魚は、貴い皇后様の下さった魚!」と。故に、ここの鯛は六月になると水面に浮かび上がって来て、まるで酒に酔ったような振舞をするのであるが、これがその所縁なのである。

 

これは実際にはまず「角鹿」を何処に比定するかで論争があり(現在の博多とも言う)、同時に「渟田門」も現在の福井県若狭町常神の海峡を称したという説や出雲とする説、沼田(ぬた)郡が置かれた安芸説等がある(安芸説については同郡の置かれた現在の広島県三原市能地でここに示すような浮鯛現象が起きていることを比定の根拠とする記載が以下のページにある)。

 「島鯛」シマダイ これはその呼称(現在も「シマダイ」=「縞鯛」と呼ぶ)及び特徴的な次に注した横紋からも別科であるスズキ亜目イシダイ科イシダイOplegnathus fasciatusの幼体もしくは若魚を指していると考えてよい。

 「相次ぎて重重混雜せず」は、直前の「黑白の横紋有り」を説明している。即ち、この魚には黒と白の横紋があるが、黑横紋の次にくっきりと白の横紋、次にまた整然と黒の横紋という風に整然と重ねられており、幅や色が極端に不規則であったり、グラデーションを示したりしていないということを述べている。

 「小瀧鯛」コダキダイ=「知鯛」チダイ チダイという呼称からは現在のスズキ亜目タイ科チダイ属チダイEvynnis japonicaが浮かぶが、これは実は大きさが小さいだけで、極めてマダイPagrus majorに似ているのである(チダイは鰓蓋に縁が赤いところから「血鯛」とう呼称となったとするが、実際にはここは必ずしも有意に赤くなく、マダイとの区別にはなりにくい。決定打はオビレの後ろの辺縁部分が黒くならないことで、マダイには必ずこの黒い縁取りある)。だとすると疑念が生じる。何故、良安は極めてそっくりな先の「鯛」の項でこれを示さなかったのか? そもそも良安は「紅潤ならずして、微かに黑を帶ぶ」(マダイのように全体に鮮やかな紅色ではなく、体色全体がかすかに黒味を帯びている)とさえ言っているではないか。だからこそ、彼はほぼクロダイの近縁種だとも断言するのであろう。されば、これは現在のチダイではないと考えるべきである。しかし、クロダイの同属で総州(この小瀧なる地名が不明。この「コ(/オ)ダ(/タ)キダ(/タ)イ」の名称では何れも一切ネット検索にかからないので、現在は使われていない可能性が大きい。現在の千葉の上総一ノ宮市にあるが、少なくとも現在は沿岸部の地名ではない)で獲れるとなると、キチヌAcanthopagrus latusぐらいしかいないのだ(そもそもクロダイAcanthopagrus schlegelii自体が、南方系のAcanthopagrus属の中でも例外的に北方まで分布している種なのであるからして)。キチヌはクロダイに比して白っぽいが、それはある意味で「紅潤ならずして、微かに黑を帶ぶ」には当てはまると言えば言えるし、クロダイとの見分けは例の背鰭棘条中央部下にある側線上方鱗の枚数の違いというのだから、「略ぼ海鯽に類す」とも言えるであろう。勿論、同属である必然性はないわけだから、他属の種も候補として挙がってくるであろうとは思うが、私はとりあえず、ここで打ち止めとしたい。――さても最後に。「小滝鯛」検索で唯一釣れた、江戸の蕉門の俳人松倉嵐竹の一句を掲げて、この注を閉じると致そう。

   ひとつでも皿の揃はぬ小滝鯛]

***

たかのは    正字未詳

鷹羽魚    【俗云太

         加乃波】

 

△按形畧似鯛而狹扁大一二尺淡黑帶紫細鱗有文似

 鷹羽故名之頭不團尾似鯛但口異諸魚而肉唇重出

 秋冬有之

たかのは    正字、未だ詳らかならず。

鷹羽魚    【俗に太加乃波と云ふ。】

 

△按ずるに、形、畧ぼ鯛に似て、狹く扁たく、大いさ一~二尺。淡黑、紫を帶ぶ。細鱗、文有りて鷹の羽に似る。故に之を名づく。頭、團からず、尾、鯛に似る。但し、口、諸魚と異なりて、肉の唇、重出す。秋冬、之有り。

[やぶちゃん注:スズキ目スズキ亜目タカノハダイ科タカノハダイ Goniistius zonatus。この魚、異名が強烈で「ムコナカセ」「ショウベンタレ」「ヒダリマキ」「テッキリ」と罵詈雑言の神様みたような名前のパレードである。最後の「テッキリ」はセビレの鋭さからであろうが、「ムコナカセ」は婿を泣かせるほどまずい(又は鱗が皮膚に食い込んでいて食べる際に皮がはぎにくいからとも)、「ショウベンタレ」は生息域や時期によってアンモニア臭がしたり(特に頭部に顕著とする)、磯臭さが鼻につくことから、「ヒダリマキ」に至っては、同属のGoniistius zebraミギマキの反対という分かったような分からないような由来説以外に「新釈魚名考」の榮川省造はまずくて、アンモニア臭がすることから、「大便」のである(これはWEB魚図鑑「タカノハダイvsミギマキ」より孫引き)とまで……。鷹の羽の優雅さのかけらもないが、個体と処理を誤らなければ、なかなか美味しいという情報も多いので、糞度胸をお試しの方には、持って来い!]

***

あまだい   甘鯛

くずな    【阿末太比】

方頭魚  【俗云久豆奈】

《改ページ》

△按方頭魚状鯛似而扁狹口尖鱗鬐淺紅大一尺許

 肉脆白味甘美病人食之無妨

沖津鯛【一名白久豆奈】 大者二尺許色帶白味亦美多出於駿

 州沖津故名之

あまだい   甘鯛

くずな    【阿末太比。】

方頭  【俗に久豆奈と云ふ。】

 

△按ずるに、方頭魚、状、鯛に似て、扁たく狹し。口尖りて、鱗・鬐、淺紅。大いさ一尺ばかり。肉、脆く、白し。味、甘美。病人之を食ふに妨げ無し。

沖津鯛【一名、白久豆奈。】 大なる者、二尺ばかり。色、白(しろみ)を帶ぶ。味、亦、美なり。多く駿州〔=駿河〕沖津より出づ。故に之を名づく。

[やぶちゃん注:スズキ亜目キツネアマダイ科アマダイ亜科アマダイ属Branchiostegus(又はLatilus)に属する魚類(1属5種)の総称であるが、流通ではアカアマダイBranchiostegus japonicusを指すことが多い。アカアマダイ Branchiostegus japonicus、キアマダイ Branchiostegus auratus、シロアマダイ Branchiostegus albusスミツキアマダイBranchiostegus argentatus 、ハナアマダイBranchiostegus sp. の5種。なお、料理界ではグジと言った場合、本来はシラカワ=シロアマダイBranchiostegus albusを指すとする。クズナやグジの由来は分からなかったが、アマダイが肉味が甘いという説より、尼さんが頬被りした様子に似ているからの方に、ミミクリーとしては賛成!

沖津鯛 オキツダイ 現在の清水市の興津で陸揚げされたアマダイを言うかと思いきや、「海の幸ドットネット」のアマダイの項では、『オキツダイは静岡西部近海で獲れたアマダイで、徳川家康に献上した奥女中の名前「興津の局」(おきつのつぼね)に由来するという説があ』るとする。また同じページに、東京に流通するアマダイと若狭で漁獲され京阪で消費されるグジの違いについて、太田魯山人の見解が示されているので孫引きしておく(引用元不明)。

「興津だいという甘だいとぐちといっている日本海の甘だいとは一見同じものだが、色が若狭ものは淡赤く桃色であり、興津だいと称する甘だいは通常のたいと同じくらい赤色を呈している。ぐちの方は鱗ごと焼いても食えるが、興津だいの方は剥がさねば食えない」

興津局も悪くないが、思いつきだけれども、この「沖津」は地名ではなく、駿河湾の湾奥部を指しているのかも知れない。]

***

いとより

金線魚

 

△按金線魚状似鯛而狹長大者不過尺鱗鰭紅自頭後

 至尾耑〔=端〕縱如金線者有四條故名味稍美無毒

いとより

金線魚

 

△按ずるに、金線魚、状、鯛にて、狹長く、大なる者、尺に過ぎず。鱗・鰭、紅。頭の後より尾の端に至るまで縱に金線のごとき者、四條(すぢ)有り。故に名づく。味、やや美なり。毒無し。

[やぶちゃん注:スズキ亜科イトヨリダイ科イトヨリダイNemipterus virgatus。同属のソコイトヨリNemipterus bathybiusは体側の縦縞が3本(イトヨリダイは6~8本)とするが、この4本という数字は微妙。同属には6種いるが、とりあえずよく似ている(市場では区別されずに流通している場面も多いと聞く)この2種を挙げておけばよいか。]

***

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷四十九 ○四

にしきだひ  具足魚

  ぐそくうを

錦鯛

       【二名共

        俗所稱】

 

△按錦鯛状似鯛而肥大鰭鱗紅光如錦又如刀鋒不可

 手近不能切割庖人以刀脊剥鱗肉白味稍美大抵一

 二尺大者六七尺關東亦甚稀焉大坂市廛偶有之予

 亦見之

にしきだひ  具足魚

  ぐそくうを

錦鯛

       【二名共、俗に稱する所。】

 

△按ずるに、錦鯛、状、鯛に似て、肥大、鰭・鱗、紅に光り、錦ごとし。又、刀鋒のごとくして手に近づくべからず。切り割る能はず。庖人、刀-脊(むね)を以て鱗を剥ぐ。肉、白く、味、やや美なり。大抵、一~二尺。大なる者、六~七尺。關東にも亦、甚だ稀なり。大坂の市廛、偶々之有り。予も亦、之を見る。

[やぶちゃん注:現在、ニシキダイという和名はスズキ目タイ科のPagellus erythrinusに与えられているが、これは地中海産のタイで、本邦には産しない。キンメダイ目キンメダイ亜目キンメダイ科キンメダイBeryx splendensをニシキダイと異称し、捕獲時には相当に暴れることから注意を促す釣人の記載や、キンメダイの上顎の吻部手前(目の前方下部)には上方に向いた棘があり、頭部を調理する際には注意を要すとの記載等が、やや本記述との一致を見るようには思われる。キンメダイ目のマツカサウオ科のマツカサウオMonocentris japonicaをグソクウオと呼ぶようであるが、「紅に光り」は、本種にはそぐわない。キンメダイは深海性で、この時代には市場に稀であったとしても不自然ではないように思われる。]

***

あかを

緋魚

フイ イユイ

 

赤魚【俗】

【俗云阿加乎

 又略阿古】[やぶちゃん字注:以上三行は、前三行下に入る。]

 

興化府志云緋魚其色如緋

《改ページ》

△按緋魚状畧似鯛而厚※〔→濶〕眼甚大而突出其大者二三

[やぶちゃん字注:※=「濶」の(つくり)が「闊」。]

 尺細鱗鰭窄尾倶鮮紅如緋肉脆白味甘美關東多有

 各月最賞之攝播希有之以藻魚大者稱赤魚而代之

赤鱒【俗云阿加末豆】 状類緋魚又似鱒色深赤味亦不佳

あかを

緋魚

フイ イユイ

 

赤魚【俗。】

【俗に阿加乎と云ふ。又、略して阿古。】

 

「興化府志」に云ふ、『緋魚、其の色、緋のごとし。』と。

 

△按ずるに、緋魚、状、畧ぼ鯛に似て、厚く濶し。眼、甚だ大にして突出す。其の大なる者、二~三尺。細鱗、鰭、窄〔(すぼ)〕く、尾倶に鮮紅、緋のごとし。肉、脆く白し。味、甘美。關東に多く有り。各月、最も之を賞す。攝〔=摂津〕・播〔=播磨〕、希に之有り。藻魚〔(もいを)〕の大なる者を以て赤魚(あこ)と稱して之に代ふ。

赤鱒(あかます)【俗に阿加末豆と云ふ。】 状、緋魚(あかを)に類して、又、鱒に似たり。色、深赤。味も亦、佳ならず。

[やぶちゃん注:カサゴ目フサカサゴ科メバル属アコウダイSebastes matsubaraeか。スズキ目ハタ科のキジハタEpinephelus akaaraも瀬戸内や大阪地方にあってアコウ又はアカウと呼称されるが、ここは深海から引上げる為に著しく突出する眼球及び全身が極めて赤い色を呈している点等から、前者をとる。

 『「興化府志」』は明の呂一静らによって撰せられた現在の福建省の興化府地方の地誌。

 赤鱒 アカマス スズキ目フエダイ科バラフエダイLutjanus boharをこのように呼称するが、これは南洋系で現在でも小笠原方面から入荷するとあり、同定候補とはならない。これがスズキ目ハタ科のキジハタEpinephelus akaaraか? キジハタには三重県でアズキマスという呼称を持ち、アカハタという異名もあるようだが、「アカマス キジハタ」の検索ではヒットしない。「アカマス」という異名ではカサゴ目フサカサゴ科Sebastiscus marmoratusがいるが、「深赤」は疑問であるし、以下の「藻魚」の項に「笠子魚」が掲げられている以上、除外される。識者の意見を伺いたい。]

***

ちひき   正字未詳

血引魚

 

△按血引魚形鰡似而大者二三尺全體深赤色肉亦如

 血味不美故惡其色食之者少

比女智魚 夏月雜肴中交來於魚市大五六寸形似鰷

 而身過半赤如血肉白柔

ちびき   正字、未だ詳らかならず

血引魚

 

△按ずるに、血引魚、形、鰡(ぼら)に似、大なる者、二~三尺。全體に深赤色。肉は亦、 血のごとし。味、美ならず。故に其の色を惡〔(にく)〕みて、之を食ふ者、少なし。

比女智〔(ひめぢ)〕魚 夏月、雜肴(ざこう[やぶちゃん字注:ママ。])の中に交り、魚市に來る。大いさ、五~六寸。形、鰷〔(あゆ)〕に似て、身、過半は赤く血のごとし。肉、白く柔かなり。

[やぶちゃん注:ハチビキ科ハチビキErythrocles schlegeliiは身が赤(ピンク)をしており、人気がない(しかし高級魚であるとか、美味である、いや、不味いとか、記載も混戦模様)とあり、「チビキ」「アカサバ」の異名を持つ等(私にはボラに似ていないこともないと思える)、とりあえず本種に同定しておく(ハチビキは「葉血引」と表記するが「葉」の由来は不明)。最後に掲げる、同グループと良安が判断している「女智魚」から類推するならば、ヒメジ類とも考えられるが、だとすると見た目の赤色度の強い種として、例えばヒメジ科アカヒメジMulloidichthys flavolineatus (Valenciennes)等が想定されるのだが、実はアカヒメジは生体は全体に黄色い(死後に強く赤色化する)というのが気になってくる。また、現在、ハタ科ヒメコダイChelidoperca hirundinacea を通称「アカボラ」と呼んでいるが、魚体はそれほどボラに似ているとは私には思われない。

 「比女智魚」ヒメジ スズキ亜目ヒメジ科ヒメジUpeneus japonicusを代表種とする魚類群(本邦産のヒメジ科は22種を数える)。]

***

めばる   正字未詳

眼張魚

      【俗云米

       波留】

 

△按眼張魚状類赤魚而眼大瞋張故名之惟口不※〔→濶〕大

[やぶちゃん字注:※=「濶」の(つくり)が「闊」。]

 味【甘平】赤似緋魚春月五六寸夏秋一尺許播州赤石

 之赤眼張江戸之緋魚共得名

黑眼張魚 形同而色不赤微黑其大者一尺余赤黑二

 種共蟾蜍所化也

めばる   正字、未だ詳らかならず。

眼張魚

      【俗に米波留と云ふ。】

 

△按ずるに、眼張魚、状、赤魚に類して、眼、大いに瞋-張(みは)る。故に之を名づく。惟だ口、濶大ならず。味、【甘、平。】。赤く、緋魚に似たり。春月、五~六寸、夏秋、一尺ばかり。播州〔=播磨〕赤石〔=明石〕の赤眼張は、江戸の緋魚と共に名を得。

黑眼張魚 形、同じくして、色、赤からず、微に黑し。其の大なる者、一尺余。赤・黑二種共に蟾蜍〔(せんじよ)=蟇蛙(ヒキガエル)〕の化する所なり。

[やぶちゃん注:カサゴ目メバル科メバルSebastes inermis。磯付きや沿岸域で捕獲されるものは体色が黒く「クロメバル」と言い、沖合で捕獲される比較的深い岩礁の棲息個体は全体に赤味がかって「アカメバル」と呼称される。但し、別種のウスメバル Sebastes thompsoniも、かなり赤色を呈することから「アカメバル」と呼称されることがある。最後の化生説は、何をか言わんや! いやさ、良安! 喝!]

***

もいを

藻魚

 

礒眼張魚

 正字未詳

【俗云毛以乎

 西國俗云以

 曾女波流】[やぶちゃん字注:以上五行は、前二行下に入る。]

《改ページ》

△按藻魚状似眼張魚而眼不大鰭長赤尾亦赤無岐肉

 淡白脂少味【甘平】佳諸病不妨大近于尺冬月其大者

 俗呼曰阿古乎【赤魚之畧言歟】最賞之又有白點者又有淡黑

 點者

黑加羅 藻魚之屬形稍短而黑【或云加良須】

笠子魚 似藻魚黑而頭圓大口尖長鱗麤灰白味稍劣

もいを

藻魚

 

礒眼張魚

 正字、未だ詳らかならず。

【俗に毛以乎と云ふ。西國にては俗に以曾女波流と云ふ。】

 

△按ずるに、藻魚、状、眼張魚に似て、眼、大ならず。鰭、長くして赤く、尾、亦、赤くして岐無し。肉、淡白にして、脂少なし。味【甘、平。】、佳なり。諸病に妨〔さはり=障〕あらず。大いさ、尺に近し。冬月、其の大なる者、俗に呼んで阿古乎〔(あこを)〕と曰ふ【赤魚の畧言か。】。最も之を賞す。又、白點の者有り。又、淡き黑點の者有り。

黑加羅(くろから) 藻魚の屬。形、やや短して黑し【或は加良須〔(からす)〕と云ふ。】。

笠子(かさご)魚 藻魚に似て、黑くして、頭、圓く、大〔いなる〕口、尖り長く、鱗、麤〔(あら)=粗〕く、灰白。味、やや劣れり。

[やぶちゃん注:辞書及び食材の用語としての「藻魚」(もうお)は、広義に、沿海の海藻の生い茂る岩礁海岸に棲息する魚を言い、メバル・ハタ・ベラ・カサゴ等を広範に含むとする。しかしここは、前項の「眼張魚」と全くの同種、カサゴ目メバル科メバルSebastes inermisと同定したい。「眼張魚」で述べた通り、沖合で捕獲される比較的深い岩礁の棲息個体は全体に赤味がかって「アカメバル」と呼称され、磯付きや沿岸域で捕獲されるものは体色が黒く「クロメバル」もしくは「イソメバル」と呼ばれるからである。実際には、磯近くでも鰭や尾の赤色の強い固体は見られるであろうから、必ずしも色記述によってこれを排除する理由にはなるまい。そもそもこの叙述は、鰭と尾を除く部分、本体が赤くないことを示しているようにも読める。ただ、浅海性で赤色度の強いメバル・ハタ・ベラ・カサゴ類の何れかを指している可能性も当然ある。しかし、それらの種をここに列挙する必要は、今は感じない。

 「阿古乎」は発音からは、アコウダイカサゴ目フサカサゴ科メバル属アコウダイSebastes matsubaraeを連想するが、既に「緋魚」で同定候補として挙げてしまったし、これでは体色が真っ赤で、眼も飛び出る(深海性のため)から、埒外であるはずである。しかし、「赤魚」の略であろうか、と良安が言う時、では「藻魚」はやっぱり赤いのか! 良安よ、お前もか!

 と嘆きたくなるような裏切り行為にも読めるのだが、良安が「歟」という疑問の助詞を用いたのは『本体部分が赤くないはずなのに、鰭や尾が赤いから赤魚なのか?』というニュアンスとすれば、ここはとりあえず、素直にメバルSebastes inermisの大型個体としておいた方が、混乱が起こらない気がする。

 黑加羅 クロカラ カサゴ目フサカサゴ科メバル属クロソイSebastes schlegeli。現在でも秋田市周辺でクロカラの名称が通用するという。「加良須」は烏の羽の色のような黒からであろう。かなりピンとくる異名である。

 笠子魚 カサゴ カサゴ目フサカサゴ科カサゴSebastiscus marmoratus。]

***

かなかしら

銅頭魚

 

正字未詳

【俗云加奈

 加之良】[やぶちゃん字注:以上三行は、前二行下に入る。]

 

△按銅頭魚處處多有之冬春盛出大者六七寸頭骨高

 起硬而赤頗似銅色故名之圓身長鰭尾有岐而硬背

 鰭至尾如刺而赤細鱗淺紅而腹白帶黄眼眶淺黄肉

【甘平】世俗子出生家必以此魚供賀膳取堅固之義矣

《改ページ》

■和漢三才圖會 有鱗 卷ノ四十九 ○六

 

如無鮮魚時用乾者

かながしら

銅頭魚

 

正字、未だ詳らかならず。

【俗に加奈加之良と云ふ。】

 

△按ずるに、銅頭魚、處處に多く之有り。冬春、盛に出づ。大なる者、六~七寸、頭骨、高く起り硬くして赤く、頗る銅の色に似たり。故に之を名づく。圓き身、長き鰭、尾に岐有りて硬く、背鰭・尾に至るまで刺のごとくにして赤し。細鱗、淺紅にして、腹、白く黄を帶ぶ。眼の眶〔(まぶた)〕、淺黄。肉【甘、平。】。世俗、子、出生する家、必ず此の魚を以て賀膳に供ふ。堅固の義〔を〕取る。如〔(も)〕し鮮魚無き時は、乾したる者を用ふ。

[やぶちゃん注:カサゴ目ホウボウ科カナガシラ属LepidotriglaにはカナドLepidotrigla guentheri・トゲカナガシラ Lepidotrigla japonica・オニカナガシラ Lepidotrigla kishinouyei等の多くの種(11種)が含まれるが、代表種としてのカナガシラLepidotrigla micropteraを挙げておけば問題ないであろう。]

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ほうぼう   正字未詳

保宇婆宇

 

△按保宇婆宇魚状色氣味共似銅頭魚而大其吻有硬

 鬚而尾鰭有五彩色其鱗細於銅頭魚大者尺餘炙食

 甚甘美肉厚白冬春以賞之

ほうばう   正字、未だ詳らかならず。

保宇婆宇

 

△按ずるに、保宇婆宇魚、状、色・氣味共、銅頭魚〔(かながしら)〕に似て、大。其の吻に硬き鬚有り。尾鰭に五彩の色有り。其の鱗、銅頭魚より細なり。大なる者、尺餘り。炙り食へば甚だ甘美。肉、厚く白し。冬春、以て之を賞す。

[やぶちゃん注:カサゴ目ホウボウ科ホウボウChelidonichthys spinosus

 銅頭魚 カナガシラLepidotrigla microptera。前項「銅頭魚」参照。

 「尾鰭に五彩の色有り」は「胸鰭」の衍字か、誤解であろう。ホウボウはムナビレが大きく美しい。楕円状のムナビレの内側はウグイス色を呈し、辺縁は鮮やかな紫がかった青でくっきりと縁取られる。中のウグイス色の部分には辺縁よりもやや薄いエメラルドグリーンの小さな円状斑点が散らばっている。私は20年程前、石川県は能登半島の東の付け根にある、父御用達の人っこ一人いない磯でのキス釣りで、20cm大のホウボウを釣り上げたことがあった。――釣針がムナビレに引っかかって釣れた。――可愛そうだと感じるほどに、このムナビレの美しさが忘れられない。――一時ほど後、死んだそのムナビレを広げた時、既にその美しさは遥かに色褪せて消え去っていたのだった。――その時、僕は確かに初めて「儚い」という字をつくづくと心に思い浮かべたのを思い出すのだ――あの、25歳の夏の日――]

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こいち    正字未詳

古伊知魚

 

《改ページ》

△按古伊知魚状似鮸而鱗巨於鮸口長於鮸又似烏頰魚

 大五六寸至尺余秋月出焉肉白脆味不佳最下品也

こいち    正字、未だ詳らかならず。

古伊知魚




△按ずるに、古伊知魚、状、鮸(ぐち)に似て、鱗、鮸より巨なり。口、鮸より長し。又、烏頰魚(すみやきだい)に似て、大いさ五~六寸、尺余に至る。秋月、出づ。肉、白く脆く、味、佳ならず。最下品なり。

[やぶちゃん注:スズキ亜目ニベ科ニベ属コイチNibea albiflora

 「鮸」はニベ科ニベNibea mitsukurii。「鮸」の項を参照。

 「烏頰魚」はスズキ目スズキ科オオクチイシナギStereolepis doederleini。前掲の「烏頰魚」の項を参照]

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もふし   正字未詳

藻伏魚  【俗云毛不之】

 

△按藻伏魚状似鯉而肥首大鱗硬尾似鮒色淡黑而鰓

 腴尾帶紅色大抵一尺許大者有二三尺形状醜味亦

 不佳

もふし   正字、未だ詳らかならず。

藻伏魚  【俗に毛不之と云ふ。】

 

△按ずるに、藻伏魚、状、鯉に似て、肥え、首、大にして、鱗、硬く、尾、鮒に似る。色、淡黑にして、鰓・腴・尾、紅色を帶ぶ。大抵、一尺ばかり。大なる者は二~三尺有り。形状、醜し。味、亦、佳ならず。

[やぶちゃん注:この「藻伏魚」と同義と思われる「藻臥魚」については、先の「鯛」の「戎鯛」の注で一度検討した。詳細はそちら参照されたい。地方名としての「モブシ」「モブセ」の共通性及び首が太く、尾が鮒に似ており、全体の下地が灰白色で部分的に紅色を呈し、何よりもその形状が有意に醜いと言う以上、やはり現在のところは、「戎鯛」と同じスズキ目ベラ亜目ベラ科コブダイ(カンダイ)Semicossyphus reticulatusと同定したい。そうして同注で記した如く、本記述は、オスと形状が有意に異なるコブダイSemicossyphus reticulatus♀としておく。検討は続行する。]

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さゝいわり  正字未詳

榮螺破魚

《改ページ》

■和漢三才圖會 有鱗 卷ノ四十九 ○六

 

△按榮螺破魚形色似藻伏魚而頭圓肥脊中有沙其齒

 如河豚魚齒能咬食榮螺故名之春出於西海肉味淡

 甘筑前多有

さゞいわり  正字、未だ詳らかならず。

榮螺破魚

 

△按ずるに榮螺破魚、形・色、藻伏魚に似て、頭、圓く肥え、脊中沙有り。其の齒、河豚(ふくとう)魚のごとし。齒、能く榮螺を咬み食ふ。故に之を名づく。春、西海より出づ。肉の味、淡甘。筑前に多く有り。

[やぶちゃん注:現在、「サザエワリ」の異名を持つ種としては、軟骨魚綱板鰓亜綱ネズミザメ上目ネコザメ目ネコザメ科ネコザメHeterodontus japonicus(私がまず思い浮かべるの断然こっちである。その理由は以下にも記す「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鱣」の項に「猫鱣」を参照されたい)及び軟骨魚綱板鰓亜綱ネズミザメ上目テンジクザメ目オオセ科オオセOrectolobus japonicusである。頭部が丸く肥えているという表現からは、圧倒的に前者ネコザメが一致する(オオセは魚体全体が扁平で、頭部も平たく潰れて横に広い)。但し、ここには食用に供するの記載があり、そうした食用度と言う点では、後者のオオセの方が、現在でも複数の地方で食用とされていることから、オオセに軍配が上がりそうだが、ネコザメも「一日一魚」というHPの「ネコザメ」の項を見ると(リンク連絡の義務を明示しているのでリンクは張らない)、『淡白で刺身に向いている』らしいとし、『川口祐二さんの「サメを食った話」によると、前志摩地方では今でも祝いの席に「さめなます」は欠かせないという。大きな釜に湯を煮立てておいて、そこに生きたままのサメをザブンと入れ、皮をむき、身をうすく細かく切ってさらに湯引きをし、氷水で締め食べるようである。サメの洗いとでもいおうか、湯引きというか、もともと「なます」とは魚の肉を細かく切ったものをいうそうであるから、さめなますは文字通り、サメの刺身である。このさめなますはネコザメに限るという』と記すので、ネコザメに同定したいのであるが、実は良安は「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鱣」の項に「猫鱣」の柱を立てて「大いさ、三~四尺。頭の形、猫に似、扁たく、身、虎斑〔(とらふ)〕の文有り。齒有り。味、佳からず。」と記すことになる(又は先に記した)。それでも、私は「圓く肥え、脊中沙有り」という語が、明白な軟骨魚のネコザメを示すように思えてならないのである。良安は全ての魚種について実見している訳ではなく、聞書が多いと思われる(でなければ稀に見られる「私も見た」風の記述はしないと思われる)。但し、では、
 軟骨魚類のネコザメ=「藻伏魚」=スズキ目ベラ科のコブダイ(カンダイ)
Semicossyphus reticulatus
の等式が成立するのかと迫られると、似ていないと引かざるを得ないのである(共通するのは生息場所ぐらいか)。やはり「藻伏魚」は再考の余地ありか?

 「河豚魚」は硬骨魚綱フグ目Tetraodontiformesフグ科Tetraodontidae。但し、ネコザメの歯は、人の大臼歯状の歯がそれぞれに癒合して石畳様になっており、噛み砕き潰す能力に特化している。フグの場合は、上下各二枚の左右の中切歯状の歯が、それぞれ吻部中央で癒合して裁断機並みの鋭さを呈しており、すっぱりと噛み切るに相応しい形状をしている。ちなみに、フグ目及び科の学名“Tetraodonti- はギリシャ語由来で「4枚の歯を持つもの」の意である。]

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はたしろ

こせう

鰭白魚

 

古世宇【京俗】

【名義正字

 未詳】[やぶちゃん字注:以上三行は、前三行下に入る。]

 

△按旗代魚状畧似藻魚而扁身短首纎鬐其鱗有黑白

 文肉脆白【淡甘】冬春出焉京師不賞之唯以無毒爲佳

はたしろ

こせう

鰭白魚

 

古世宇【京、俗。】

【名義・正字、未だ詳らかならず。】

 

△按ずるに、旗代魚、状、畧ぼ藻魚に似て、扁たき身、短かき首、纎〔(こまか)〕き鬐〔(ひれ)〕・其の鱗に黑白の文有り。肉、脆く白し【淡、甘。】。冬春、出づ。京師、之を賞せず。唯だ毒無きを以て佳と爲す。

[やぶちゃん注:スズキ亜科イサキ科コショウダイPlectorhinchus cinctus。あくまで推測であるが、「はたしろ」という名称は、コショウダイの体側を流れる白い帯状紋が、古来、宮中や戦陣にあって種々の標識やシンボルとして用いられた白い布帛をたらした「幡・旗」と似ているからではないだろうか? またコショウダイは「旗物」の関連から「小姓」の可能性が高いとは思われる(斑点から胡椒鯛は現代ならまだしも時代的に厳しい気がする)。しかし、これについて、この魚の斑紋と似たような装束を貴人に近侍した小姓がしていたという説は如何か? そのような有職故実が確認されればまだしも、時代劇でそんな考証がなされた記憶ものない。私としては、こちらの字義は「未詳」としておきたい。

 「藻魚」は、カサゴ目メバル科メバルSebastes inermis。前掲の「藻魚」を参照。]

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あいなめ

鰷身魚

 

正字未詳

【俗云阿比

 奈女】

似鰷之身故

名【乃與奈通

  美與米通】[やぶちゃん字注:以上六行は、前二行下に入る。]

《改ページ》

△按阿比奈米状似年魚而短身黒硬鱗其鰭稍長而小

 味亦劣於年魚江戸近處海濵多夏秋釣之播攝冬月

 有之人不賞之

あいなめ

鰷身魚

 

正字、未だ詳らかならず。

【俗に阿比奈女と云ふ。】

の身に似る名づけて故〔→故に名づく〕。【乃と奈と通じ、美と米と通ず。】

 

△按ずるに、阿比奈米、状、年魚(あゆ)に似て、短く、身、黒し。硬き鱗、其の鰭、やや長くして、小さし。味も亦、年魚より劣る。江戸近處の海濵に多し。夏秋、之を釣る。播〔=播磨〕・攝〔=摂津〕、冬月、之有り。人、之を賞せず。

[やぶちゃん注:カサゴ目アイナメ亜目アイナメ科アイナメHexagrammos otakii

 「乃と奈と通じ、美と米と通ず。」とは、「阿比奈米」は「阿比乃美」で「鰷(=鮎)の身」の意であることを示す。が、しかし、(次注参照)……

 「鰷」は勿論、キュウリウオ目キュウリウオ亜目キュウリウオ上科アユ科アユPlecoglossus altivelis altivelisなのであるが、何処がアユ似か? アイナメはアユの身の夢を見るか?]

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あふらめ

いたちいを

油身魚

 

鼬魚

【俗云阿布

 良女魚

 又云伊太

 知以乎】[やぶちゃん字注:以上五行は、前三行下に入る。]

 

△按油身魚大八九寸形扁身圓吻有細鬛細鱗褐有光

 頗似油色又似鼬毛色故名之尾無岐肉【淡甘】不美四

 時有之爲下品播州明石浦多取之關東希有之

久佐比魚 形似油身魚而細鱗有光如五彩大六七寸

 四五月出不多

あぶらめ

いたちいを

油身魚

 

鼬魚(いたちいを)

【俗に阿布良女魚と云ふ。又、伊太知以乎と云ふ。】

 

△按ずるに、油身魚、大いさ八~九寸、形、扁たく、身、圓し。吻に細鬛・細鱗有り。褐〔色〕にして光有り、頗る油の色に似、又、鼬(いたち)の毛の色に似たり。故に之を名づく。尾、岐無し。肉【淡、甘。】、美ならず。四時、之有り。下品と爲す。播州〔=播磨〕明石の浦に多く之を取る。關東には希に之有り。

久佐比〔(くさび)〕魚 形、油身魚に似て、細鱗、光り有りて五彩のごとし。大いさ六~七寸。四~五月、出づ。多からず。

[やぶちゃん注:「あぶらめ」は現在、カサゴ目アイナメ亜目アイナメ科アイナメHexagrammos otakiiの別名として定着しているが、既に前項でアイナメは登場しているため、埒外である。アイナメ科のエゾアイナメHexagrammos stelleriは地方名でスナアブラコがいるが良安の叙述の生息域が全く合わない(名前でお分かりの通り、エゾアイナメは純粋な北方種で日本海北部以北)。さすればもう一つの名、「いたちうお」である。これは現在、アシロ目アシロ科イタチウオ属イタチウオBrotula multibarbataの和名として用いられている。口辺部に6本の鬚(針状の突起)を持つ点、体形・体色共に良安の叙述と一致する(尤も、もっとこのトビきりの異形を語っていいと思われ、その点でイタチウオでない可能性も孕んでいる危惧を感じるのである。……私にはどうも、本巻に入ってこの方、良安先生、妙にストイックな感じがしてならない)。なお、前述のエゾアイナメとこのイタチウオは海中では非常に似ているらしい。最後に。幾つかのダイビング・サイトを眺めていたら、この魚をしきりに赤塚不二夫の漫画のウナギイヌと称していた。言い得て妙である。

 「久佐比魚」クサビウオ スズキ目ベラ亜目ベラ科キュウセンHalichoeres poecilopterusを地方名でクサビと呼ぶようである。叙述の「五彩」とも一致する。]

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《改ページ》

■和漢三才圖會 有鱗 卷ノ四十九 ○八

 

かます

梭子魚

ソウ ツウ イユイ

 

魳【音帀】 ※1【音臼】[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「臼」。]

※2【音銑以上

   自古用來】

  【俗云加末

   須】[やぶちゃん字注:以上五行は、前三行下に入る。]

 

△按梭子魚形似鰯而青黑色肚灰白細鱗光澤首尾狹

 尖身圓肥似織梭之形大抵六七寸自備前多爲鮝出

 之其色黄赤者脂多黄白者脂少炙食味美病人食亦

 不敢忌奥州松前之産近于二尺者有

志築※1 形小不過三四寸色淡黑者脂少腸作醢名

 志築自淡路志築始出得名今尾州勢州之産亦佳

※1子 春月自播州多出大二寸灰白色脂多此非梭子

 魚之子實曰以加奈古者也【詳于無鱗魚下】

かます

梭子魚

ソウ ツウ イユイ

 

魳【音、帀〔(さふ)〕。】 ※1【音、臼。】[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「臼」。]

※2【音、銑。以上、古へより用ひ來たる。】

  【俗に加末須と云ふ。】

 

△按ずるに、梭子魚、形、鰯に似て、青黑色、肚、灰白。細鱗、光澤あり、首尾、狹く尖り、身、圓く肥えて、織(はたを)る梭の形に似たり。大抵、六~七寸、備前より多く鮝(ひもの)と爲して之を出だす。其の色、黄赤なる者、脂多く、黄白なる者、脂、少なし。炙り食ふに、味、美なり。病人食ひても亦、敢へて忌まず。奥州松前の産、二尺に近き者有り。

志築※1(しづきかます) 形、小さく、三~四寸に過ぎず。色、淡黑き者、脂、少なし。腸、醢(なしもの)に作〔(な)〕し、志築と名づく。淡路の志築より始めて出だす。名を得。今、尾州〔=尾張〕・勢州〔=伊勢〕の産、亦、佳なり。

※1子 春月、播州〔=播磨〕より多く出づ。大いさ、二寸。灰白色。脂、多し。此れ、梭子魚の子に非ず、實は以加奈古と曰ふ者なり【無鱗魚の下に詳らかなり。】。

[やぶちゃん注:スズキ目サバ亜目カマス科カマス属Sphyraenaは世界で約18種を数えるが、本邦で単純にカマスと呼称した場合はアカカマス Sphyraena pinguisを指すことが多いとする。しかし、良安の総論での叙述では、体色が青黒く、体長は21cm程度としており、これは体色が青っぽく、50㎝にも達するアカカマスに比して25㎝程にしかならないヤマトカマス Sphyraena japonicaと美事に一致する。そうして後述の「黄赤なる者」がアカカマスと同定できる。

 「志築※1」[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「臼」。]「神奈川水産技術センター」のHP「さかなあれこれ」の「カマス」の「7.カマスの塩辛」より引用する(2003年7月三谷 勇氏及び樋田史郎氏責任執筆の明記あり)。

 

 カマスの塩辛は腸を塩漬けにしたもので、室町時代にすでに賞味されていたといいます。江戸時代前期の元禄8年(1695年)に発行された本朝食鑑(小野必大)には、34寸ほどのカマスの黒い腸を塩辛にしたものが珍賞され、尾州(愛知)・勢州(三重)のものが最も上品で、賀州(加賀)・越州(福井)のものはあまりうまくない、と評しています。この塩辛は淡路の志築(しづき)でとれるカマスから作られるので、志築と呼ばれている、と和漢三才図会(正徳2年(1712年)寺島良安編)に記されています。[やぶちゃん注:中略。]

 このように塩辛と干物をみてくると、これらは原料を残すところなく有効に利用しようとする古来からの知恵によって生み出された食品のようにみえます。カマスの細い体から腸を抜き取り、それを志築にして利用し、残りを上品な開き干しにして保存食にする古来伝法の食品には感激を覚えます。

 

「志築」は現在の兵庫県淡路市志筑、淡路島の東岸やや北に位置する。

 「※1子」[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「臼」。] イカナゴ スズキ目イカナゴ亜目イカナゴ科イカナゴAmmodytes personatusである。魚体がカマスに似ているために「カマスゴ」とも呼ばれる。稚魚は地方により「カナギ(南日本での呼称。「カナ」は極めて細いこと、「ギ」は魚を示す接尾語という)」・「コオナゴ(小女子)」・「シンコ(新子)」・「シャシャラナゴ(「玄孫子=曾孫子」であろう)」等と呼び、成長したものを「メロウド(女郎人)」・「フルセ(古背)」等と呼んだりする。大きくなればなるほど安くなる魚である。「ちりめんじゃこ」(=シラス干し)の素材の一種であるが、カタクチイワシ由来の製品に比べると、脂があるせいで、ややクセがある。が、旨い。「釘煮」等、「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「玉筯魚」を参照されたい。]

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《改ページ》


さより

チン

 

同※〔→吮〕魚[やぶちゃん字注:(つくり)の上部の「ム」は「公」。]

姜公魚

針口魚

【和名波利乎

 一云與呂豆

 俗云作

 與利】

本綱鱵生江湖中大小形状並同繒〔→鱠〕殘魚但喙尖有一細

黑骨如鍼爲異耳

三才圖會云針口魚口似針頭有紅點腹两旁自頭至尾

有白路如銀色身細尾岐長三四寸二月間出海中

△按上二説並鱵小者也大抵名眞鱵魚者身七八寸下

 喙三寸許如鐡針黑尖上啄一寸許尖如劔身圓形似

 梭子魚而頭小帶微赤色眼大腹白其鱗極細其骨黑

 色肉潔白味甘淡作膾最佳也東北海者大長二三尺

 者有蓋海中魚其謂出江湖者未審

さより

チン

 

同※〔→吮〕魚〔(どういんぎよ)〕[やぶちゃん字注:(つくり)の上部の「ム」は「公」。]

姜公魚〔(きやうこうぎよ)〕

針口魚

【和名、波利乎〔(はりを)〕。一つに與呂豆〔(よろづ)〕と云ひ、俗に作與利〔(さより)〕と云ふ。】

「本綱」に、『鱵、江湖の中に生ず。大小・形状、並びに鱠殘魚〔(しろいを)〕に同じ。但し、喙、尖り、一つの細黑骨有りて鍼〔(はり)〕のごとくなるを異と爲(す)るのみ。』と。

「三才圖會」に云ふ、『針口魚は、口、針に似て、頭、紅點有り。腹の两旁、頭より尾に至るまで、白路有りて銀色のごとし。身、細く、尾に岐〔あり〕。長さ三~四寸。二月の間、海中より出づ。』と。

△按ずるに、上の二説は、並に鱵の小なる者なり。大抵、眞鱵魚(まさより)と名づくる者は、身、七~八寸にて、下の喙(くちばし)は三寸ばかり、鐡の針のごとく黑く尖り、上の啄は一寸ばかり、尖り、劔〔=剣〕のごとし。身、圓く、形、梭子魚に似て、頭、小さく、微赤色を帶ぶ。眼、大きく、腹、白く、其の鱗、極めて細く、其の骨、黑色。肉、潔白、味、甘淡、膾に作りて最も佳なり。東北海の者、大きく、長さ二~三尺の者有り。蓋し、海中魚、其れ、江湖に出づと謂ふは、未だ審らかならず。

[やぶちゃん注:硬骨魚綱ダツ目ダツ亜目トビウオ上科サヨリ科サヨリHemiramphus sajori。良安は「本草綱目」の淡水域に生息という記述に不審を抱いているが、ウィキペディアの記載などを見ると、80種を越えるサヨリ科の種の中には、純淡水域まで入り込むものもおり(例えば中国・朝鮮半島・本州・九州に分布するクルメサヨリHyporhamphus intermediusは汽水域を主な生息域とするが、純淡水域へも入り込む)、サヨリHemiramphus sajoriも汽水域に入り込むことがあるとする。「鱵」を「大漢和辭典」で引いても、別個な生物の様には記載されず、また、現代中国語でも別種を示しているとは思われない。また、「マサヨリ」という呼称は現在、生き残っていないようであるが、HP『ひょうごの旬のマガジン「ふるさと特産館」』の「食材図鑑」の「サヨリ」のページによると、『江戸時代中期以降にはサンマも「サヨリ」と呼ばれ、サンマをサヨリと偽って売られたということである。これを区分する為に、サヨリを「真サヨリ」と称したという。西日本では今でもサンマを「サヨリ」と呼ぶところがあるという。』とあり、極めて示唆に富む記載と感じられる。

 「鱠殘魚」はキュウリウオ目Osmeriformesシラウオ科 Salangidaeに属するシラウオ類。「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鱠殘魚」を参照のこと。]

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《改ページ》

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○九

だす    正字未詳

啄長魚

     【俗云陀須】

 

△按啄長魚形色似鱵而大長二三尺啄上下均長七八

 寸黑色背正青細鱗骨亦青色而硬其肉白氣腥味不

 美有江海中常游水靣

だす    正字、未だ詳らかならず。

啄長魚

     【俗に陀須と云ふ。】

 

△按ずるに、啄長魚、形・色、鱵〔(さより)〕に似て、大きく、長さ二~三尺。啄〔(くちばし)〕の上下、均しくして、長さ七~八寸、黑色。背、正青。細鱗。骨も亦、青色にして硬し。其の肉、白く、氣、腥さし。味、美ならず。江海中に有りて常に水靣〔=面〕を游ぶ。

[やぶちゃん注:ダツ目ダツ亜目ダツ上科ダツ科 Belonidaeのダツ類。本邦には以下の4属8種がいる。「啄」には「喙」(くちばし)の意がある。

ハマダツ属   ハマダツAblennes hians

ダツ属     ダツStrongylura anastomella

        リュウキュウダツリュウキュウダツStrongylura incisa

ヒメダツ属   ヒメダツPlatybelone argalus platyura

テンジクダツ属 テンジクダツTylosurus acus melanotus

        オキザヨリTylosurus crocodilus crocodiles

釣をしない人には分からないが、このダツは危険な海洋生物には必ずと言っていいほど登場する(死亡例もある)。正の走光性を持ち、光に向って行く上に、海上によくジャンプする。夜間、ヘッドランプを点けた漁師は、それでゆめゆめ海面を照らしてならない……これ以上は語るまい……文字通り、「イタイ」映像だ……]

***

やがら   正字未詳

簳魚

     【俗云也加良】

 

△按簳魚形類鱵而長圓如箭幹故俗呼名簳魚啄長而

 上下均細鱗如紋微赤尾有岐岐中垂紅絲一條肉白

《改ページ》

 【甘温】不美東海駿河伊豆有之患膈噎人用其觜飲食

 則治然徃徃試之不必然

やがら   正字、未だ詳らかならず。

簳魚

     【俗に也加良と云ふ。】

 

△按ずるに、簳魚、形、鱵〔(さより)〕に類して、長く圓く、箭〔(や)=矢〕の幹(から)のごとし。故に俗に呼んで簳魚と名づく。啄、長くして、上下、均し。細鱗、紋のごとくにして微〔(やや)〕赤く、尾に岐有り。岐の中、紅絲一條を垂らす。肉、白し【甘、温。】。美ならず。東海・駿河・伊豆、之有り。膈噎〔(かくいつ)〕を患ふ人、其の觜〔(くちばし)〕を用ひて飲食せば、則ち治すと云ふ。然れども、徃徃に之を試むるに必ずしも然らず。

[やぶちゃん注:これはとりあえずその体色からトゲウオ目ヤガラ科アカヤガラFistularia petimbaとしたい。赤味がほとんどないアカヤガラもおり、味がかなり劣るアオヤガラFistularia commersoniiと区別しにくいようであるが、旨い方を挙げておく。本邦にはヤガラ科はこの2種。「簳」の字は、本来は竹管が細く節間の長いメダケ・ヤダケ類を指す。タケ亜科メダケPleioblastus simoniは女竹(雌竹)で、他にシノダケ・シノ・コマイダケ等とも呼ばれる。ヤダケはタケ亜科ヤダケPseudosasa japonica。幹が細く真直ぐに伸びる竹を総称する語である。弓矢の矢柄(やがら)に使用された。現在は、釣竿等に利用されている。

 「膈噎」は、どちらも食道の飲食物の通過障害による嚥下困難を指し、主に食道の下部に原因があるものを「膈」と言い、食道の上部に原因があるものを「噎」と言う。食道癌や食道アカラシア(“esophageal achalasia”食道壁内の神経の障害による蠕動運動障害。下部食道括約筋が開かなくなり、食道部の飲食物通過障害と異常拡張が起る病気。発症は稀)が疑われるのだが、この最後の物言いは、まさに良安自身が何度も試したことを示しており、この記述、もしかすると人物不詳の寺島良安が膈噎の持病を持っていたという事実を指しているのではなかろうか?

 「云ふ」の「云」の字は翻刻を見ても分かる通り、原文では右側に小さく記されている。これはセオリーから言えば割注であるが、読み易さを考え、本文に挿入して書き下した。]

***

《改ページ》

こち    正字未詳

【俗字】

     【俗云古知】

 

△按鯒状似小鱣而身圓顎大扁口※〔→濶〕下唇重疊最醜鰓

[やぶちゃん字注:※=「濶」の(つくり)が「闊」。]

 後長鬛對生背灰黄色細鱗脊自頸至尾有一道短鬛

 腹白臍以下有一道長鬛尾窄其大者一二尺肉厚白

 爲臛甘美【眼病人忌之】骨鬛甚硬肉中亦有硬骨誤咽鯁則

 難脱庖人從腹斜切則骨少

娑娑良鯒 形相似而腹大有黄赤彪文肉中有硬骨

こち    正字、未だ詳らかならず。

【俗字。】

     【俗に古知と云ふ。】

 

△按ずるに、鯒、状、小鱣(ふか)に似て、身、圓く、顎、大きく扁たく、口、濶く、下唇、重疊し、最も醜し。鰓の後に長き鬛、對生し、背、灰黄色。細鱗、脊(せすぢ)に頸より尾に至る一道の短き鬛有り。腹、白く、臍以下に一道の長き鬛有り。尾、窄(すぼ)く、其の大なる者、一~二尺。肉、厚く白し。臛(にもの)と爲して甘美【眼病の人、之を忌む。】。骨・鬛、甚だ硬く、肉の中にも亦、硬き骨有り。誤りて咽-鯁(ほねた)つれば、則ち脱(ぬ)け難し。庖人、腹より斜めに切る。則ち骨、少なし。

娑娑良鯒(しや/\らこち) 形、相似て、腹、大きく黄赤の彪(とらふ)の文有り。肉中に硬き骨有り。

[やぶちゃん注:カサゴ目コチ亜目コチ科マゴチPlatycephalus sp. 。長く西日本のマゴチは日本の南西諸島及び温帯・熱帯域に広く分布するPlatycephalus indicusと同一種とされていたが、近年の研究で固有種として分離された(学名は未定)。

 「小鱣」は、小さな鮫。

 「眼病の人、之を忌む。」については、「ひょうごの旬のマガジン」の「旬の食材図鑑 コチ」に、『「魚貝能毒品物図考」や「和歌本草」には、コチを食べると眼を患うということが書してある』とし、『確かに、コチの眼は楕円形で丸くない。しかも瞳の形は半月形のやハート形、また枝分かれしたものまである。この眼を見ていると、昔の人が「コチを食らうと眼を患う」といった気持ちもわかるような気がする』と記す。引用文中の後者の書「和歌本草」は、まず一般にこう呼称されものは著者未詳の寛永七(1667)年刊「和歌食物本草」がある。これは、日常食品として利用される約240種を草・木・鳥・魚・虫・菓の部の順に並べ、和歌の形式を借りて、その食品の性質・効能・毒性・食い合わせの禁忌及び食用に適した時期・分量等について述べた本草書。和歌数787首。江戸中期にかけてベストセラーとなった。また、同年には、山岡元隣の編になる「食物和歌本草増補」なるものが出帆されており、有名な医者であると同時に北村季吟の門人でもあった元隣が、本書「和歌食物本草」及び「宜禁本草集要歌」(江戸初期に「和歌食物本草」とは別個に成立した同形式の本草書)の二書より2170首を選び、各品目ごとに「本草綱目」等の諸説を掲げ、自説を加えた注釈書である。恐らくこれらが本記載の良安の割注の元ネタであろう。なお、引用文中の後者の書「魚貝能毒品物図考」は、嘉永2(1849)年刊、青苔園著・高嶋春松画になるもので、大阪の雑喉場鮮魚市(ざこばなまうをいち)に出入する人々を対象に、魚貝の性質・効能・毒性・形状・味の良し悪し・食い合わせ・産地等を記した図入通俗書。初版は天保8(1837)年に「海川諸魚掌中市鑑」という書名で出版されている。(以上の二書の書誌については臨川書店「食物本草大成」書目編成表の解説を参照した)。

 「娑娑良鯒」シャシャラゴチ 記載が少ないのだが、形がマゴチPlatycephalus sp.に似ているが、腹がマゴチに比して有意に大きく(白く)感じられ、(「背」には)黄色・赤色の虎斑模様があり、中骨が硬いという点から、私はスズキ目ネズッポ亜目ネズッポ科ネズッポ属ネズミゴチRepomucenus richardsoniiに同定したい(所謂、通称「メゴチ」と呼称されて一般に知られるものだが、メゴチという和名は全くの別種であるカサゴ目コチ科のSuggrundus meerdervoortiiに与えられているので、注意しなければならない)。なお、この「娑娑良」は恐らくは「ささら」=「細形」(ささらがた)であって、細かい文様の意味である。ネズミゴチの背部は遠目には暗褐色であるが、接近して観察すれば、黄・褐・白色の細かな斑模様であることが分かる。]

***

《改ページ》

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○十

ゑそ   正字未詳

惠曾魚

 

△按惠曾魚状類鯒而灰色帶黄頭畧如蝮蛇鱗硬鬛短

 鱗下有碧線文二三條大五六寸至尺半炙之或爲蒲

 鉾食有微腥氣不佳常游於海濵水汀好食人屍肉【云

 云】蓋以頭形醜而女童不賞之但和州人饗應爲必用

 美肴

ゑそ   正字、未だ詳らかならず。

惠曾魚

 

△按ずるに、惠曾魚、状、鯒に類して灰色に黄を帶ぶ。頭、畧ぼ蝮-蛇(まむし)のごとし。鱗、硬く、鬛、短し。鱗の下に碧線の文、二~三條有り。大いさ五~六寸より尺半に至る。之を炙り、或は蒲鉾(かまぼこ)と爲して食ふ。微〔(やや)〕腥〔き〕氣有りて佳ならず。常に海濵〔の〕水汀に游びて、好んで人の屍肉を食ふ云云〔(うんぬん)〕。蓋し頭形の醜きを以て、女童、之を賞せず。但し、和州〔=大和〕の人、饗應に必用の美肴と爲す

[やぶちゃん注:まず狭義にヒメ目ミズウオ亜目エソ科の仲間は現在、本邦産では以下のような4属23種が知られている。

  ミズテング属Harpadon

    ミズテングHarpadon microchir

    テナガミズテングHarpadon nehereus   etc.

  マエソ属Saurida

    マエソSaurida sp.2

    クロエソSaurida sp.1

    ワニエソSaurida wanieso

    トカゲエソSaurida elongata

    マダラエソSaurida gracilis

    コンデエソSaurida micropectoralis   etc.

  アカエソ属Synodus

    アカエソSynodus ulae

    ホシノエソSynodus hoshinonis

    ヒトスジエソSynodus variegates

    チョウチョウエソ Synodus macrops

    イレズミオオメエソSynodus oculeus

    ミナミアカエソSynodus dermatogenys  etc.

  オキエソ属Trachinocephalus

    オキエソTrachinocephalus myops(一属一種)

更に同じヒメ目には食用として重要な通称メヒカリで知られるアオメエソChlorophthalmus borealisを含むアオメエソ科Chlorophthalmidaeの魚群がおり、これらも挙げておく必要があろう。

    アオメエソChlorophthalmus albatrossis

    マルアオメエソChlorophthalmus borealis

    トモメヒカリChlorophthalmus acutifrons

    ツマグロアオメエソChlorophthalmus nigromarginatus  etc.

試みに広義に「エソ」を俯瞰してみると、分類学上、以下のように実はヒメ目Aulopiformes17科には「エソ」を接尾語とする科が非常に多いことが分かる(「-エソ」でないのは和名のない1科を除くと6科)。

 アオメエソ亜目Chlorophthalmoidei

   アオメエソ科Chlorophthalmidae

   オニアオメエソ科Bathysauroididae

   ナガアオメエソ科Paraulopidae

   チョウチンハダカ科(イトヒキイワシ科)Ipnopidae

   デメエソ科Scopelarchidae

   フデエソ科Notosudidae

   Bathysauropsidae科(和名なし)

 ヒメ亜目Aulopoidei

   ヒメ科Aulopidae

 ボウエンギョ亜目Giganturoidei

   ボウエンギョ科Giganturidae

 ミズウオ亜目Alepisauroidei

   エソ科Synodontidae

   キバハダカ科Omosudidae

    キバハダカOmosudis lowii(一科一属一種) 

   シンカイエソ科Bathysauridae

   ハダカエソ科Paralepididae

   ホタテエソ科Pseudotrichonotidae

    ホタテエソPseudotrichonotus altivelis(一科一属一種)

   ミズウオ科Alepisauridae

   ミズウオダマシ科Anotopteridae

   ヤリエソ科Evermannellidae

ところがここにヒメの仲間とは全くの別種な「エソ」がやはり多数存在するのである。……あなたは懐かしい小学校時代の魚類図鑑で何が記憶に残っておられるか? 僕は断然、奇怪なる深海魚たちと肉鰭綱Sarcopterygiiシーラカンス亜綱Coelacanthimorphaシーラカンス目Coelacanthiformesラティメリア科Latimeriidaeのシーラカンス(現生種2種ラティメリア・カルムナエLatimeria chalumnae とラティメリア・メナドエンシスLatimeria menadoensis)であった。それはどちらも耽溺していた円谷プロが生み出すウルトラ怪獣にも引けをとらない素敵にゴージャスなグロテスクさであったのだ。……そうしてあのフウセンウナギ(サコファリンクス)目Saccopharyngiformesフウセンウナギ(サコファリンクス)亜目Saccopharyngoideiフウセンウナギ(サコファリンクス)科Saccopharyngidaeフウセンウナギ(サコファリンクス・フラジェラム)Saccopharynx flagellum*2

【*2注のための割注:僕はこの「サコファリンクス」という語の妖しい響きとそのおぞましい姿を切り離せぬものとして偏愛してきた。私が幼少の頃、最初に覚えたラテン語の学名は、このサコファリンクスとラティメリア・カルムナエ(当時の図鑑には「チャルムナエ」と記されていた)であったのだ。――いや、それにしても、和名の「フウセンウナギ」とは……何たるセンスのなさであろう! 陳腐にしておぞましくも赤塚不二夫的な侮蔑の響きさえ、ある! この和名を何としても滅ぼしたいと感じるのは、僕だけであろうか。ちなみに“Sacco”はラテン語で「袋」、“pharynx”はギリシャ語由来の「喉・咽頭」の意である。】

と共に、鋸のような歯と寸胴で赤茶けた荒涼とした体色をした*3

【*3注のための割注:私たちが実際には深海生物がバラエティに富んだ色彩を持っていることを知るようになったのは深海探査が始まったつい昨日のことである。これ一つをとって見ても我々は我々自身如何に無知で下劣な思い込みに満足しているかを知るべきである。】

ワニトカゲギス目Stomiiformesの絵! ……そう、やっと本線に戻った。ワニトカゲギス目には

   ギンハダカ科

    ウキエソ属Vinciguerria

    シンジュエソ属Ichthyococcus

    ツマリウキエソ属Woodsia  etc.

   トカゲハダカ科

    フタツボシエソ属Borostomias  etc.

   ホウキボシエソ科

   ホウライエソ科

   ホテイエソ科(150種以上存在し、和名を持つ種は殆んど「-エソ」を名乗る)

   ムネエソ科(60種以上存在し、やはり和名を持つ種は殆んど「-エソ」を名乗る)

   ヨコエソ科

といった「-エソ」野郎がゴマンといるのである。また、ハダカイワシ目 Myctophiformesの魚類群(例えばハダカイワシ属Diaphus等)もその巨大な目・口や脂鰭の存在等の共通性から、かつてはヒメ目と同じ目に分類されていた経緯を持ち、古人がこれらの魚類も一緒くたに「エソ」と認識していたと考えることも出来る。しかし、これらはその殆んどが深海魚であり、良安の埒外のものと考えてよいであろう。――調べ始めると何だか面白くなってきて、大脱線を続けたが、そろそろお後がよろしいようで……。

 さても、この「エソ」の語源についてであるが、ネット上を見ても良安同様に多くが不明とする。ところが、平成十三(2001)年東京堂出版刊の吉田金彦「語源辭典 動物編」には以下のように記すとする記事(以下の抜書ページより孫引き。表記は該当ページの特性を尊重してそのままコピー・ペーストした。後ろの『えつ、齊魚』も同じ)を見つけた。

 

えそ、狗母魚・鱠

ヱソ科の外見上の最大の特徴は、下顎が上顎より長いこと、すなはち下顎の先端が上へ曲ってゐることである。このためヱソの頭部は、人間でいへば笑顏のことき表情を呈する。ヱソのヱは「笑」に通じるものとして『日本國語大辭典』でも一つしか語源説を出してゐない。……

これは苦しい解釋となる。むしろ練り固めて作る食品材としての命名で、魚肉から造る練製品、ウヲソ(魚酥)が語源であらう。

 

面白い説ではある(他に古語の醜いという意であるとか、「エリ」の衍字ではないかとか怪しげな謂いに比べればしっかりした物謂いではある)。ところが、同ページのこの引用部分の直下に、汽水域に棲息するニシン目ニシン亜目カタクチイワシ科エツ亜科エツCoilia nasusの語源説が続いているのであるが、そこには

 

えつ、齊魚

エツで特徴的なのは、その口である。非常に大きく、上顎骨の後端は胸鰭の基底にまで達する。また下顎は上顎に覆はれてしまふほどで、魚の口といふよりは、むしろ「くちばし」を彷彿とさせる。エソの語源は、「鳥のくちばし」を意味するアイヌ語の「エツ」と見たい。

 

とあるのである。この最後の一文の「エソ」は「エツ」の誤植(底本か該当ページ製作者かは不明)であろうと思われるのだが、ここで閃いたのだ。それこそさっきの物謂いではないが、実は「エソ」はもともと「エツ」だったのではないか? それが衍字となって「エツ」になった。従って、「エソ」と「エツ」は同源でアイヌ語の「エツ」(鳥の嘴)あったとするのはどうか? エソだってチョウチョウエソSynodus macropsやアオメエソChlorophthalmus albatrossisの吻部の形状はエツ以上に嘴状ではないか? 私の勝手な思い付きではあるのだが。

 「好んで人の屍肉を食ふ」は興味津々だが、情報が得られない。識者の御意見を伺いたいものである。

 「云云」ここは本文翻刻でお分かりのように割注であるが、「~と言われる。~と伝える。」の意であるから、書き下しでは本文に繋げた。以下、同様部分には注しない。

 「和州の人、饗應に必用の美肴と爲す」について、現在でも奈良県では秋祭りにエソを塩焼きにして食べる習慣があるという(例えば此方の方の「郷土料理百選」の記載等)。]

***

きすご

幾須吾

 

 正字未詳

【其大者名

 古豆乃

 紀州名之

 道保共名

 義正字

 未詳】[やぶちゃん字注:以上七行は、前二行下に入る。]

 

《改ページ》

△按幾須吾魚状似※而黄白身圓頭尖短細鱗大抵四

[やぶちゃん字注:※=「魚」+「臼」。]

 五寸不過八寸尾無岐頭中有二白石肉厚白味【淡甘平】

 炙食爲上品病人無忌秋月於江戸品川芝海濵貴賤

 釣之

川幾須 自江上河者状畧扁小色帶微碧

虎幾須 是亦在川口状圓肥大有黑白虎斑

きすご

幾須吾

 

 正字、未だ詳らかならず。

【其の大なる者を古豆乃と名づく。紀州にて之を道保と名づく。共に名義・正字、未だ詳らかならず。】

 

△按ずるに幾須吾魚、状、※(かます)に似て黄白。身、圓く、頭、尖りて短く、細鱗。大抵、四~五寸〔より〕八寸に過ぎず。尾、岐無く、頭の中に二つの白石有り。肉、厚く白く、味【淡甘、平。】、炙り食ひて上品と爲す。病人に忌むこと無し。秋月、江戸品川芝の海濵に於て、貴賤、之を釣る。[やぶちゃん字注:※=「魚」+「臼」。]

川幾須 江より河に上る者、状、畧ぼ扁たく小さし。色、微碧を帶ぶ。

虎幾須 是れも亦、川口に在り。状、圓く肥大。黑白の虎斑有り。

[やぶちゃん注:キスはスズキ亜目キス科Sillaginidaeの魚類で、シロギスSillago japonica・アオギスSillago parvisquamis・ホシギスSillago aeol・モトギスSillago sihama4種知られるが、単に「キス」と言えば、一般にシロギスSillago japonicaを指す。

 「※」[※=「魚」+「臼」。]はスズキ目サバ亜目カマス科カマス属Sphyraenaのカマス類。前掲の「梭子魚」の項を参照のこと。

 「頭の中に二つの白石有り」は、魚類の内耳にある炭酸カルシウムの結晶である耳石を指している。これは、魚体の平衡感覚及び聴覚に関わる平衡胞の中にある平衡石で、光にかざすと同心円状の輪が見られ、これが年輪となり(見えにくい種もある)、個体の年齢推定に用いられることもある。キスの耳石は米粒型で、大きい個体では1㎝程になる。

 「古豆乃」は「こつの」又は「こづの」と読むか。「ひょうご旬のマガジン」の「旬の食材図鑑 キス」には、「こつの」と読み、播磨・淡路に於いて大型のキスの呼び名とし、『体色と体形が牛の角に似ているため』とする。ここには、良安が未詳とした「キス」の正字も示されており、「キスゴ」は関西以西での呼び名で、キスが『何の飾り気もなく、清楚で性質は温和。味は淡白で「生直(きす)」の字義にピッタリ』であるとして、「生直」という字を掲げている(「ゴ」は魚の名であることを示す一般的語尾とする)。また淡路での方言として特に大きい個体を「ウデタタキ」と呼び、釣り上げると尾で腕を叩く程の大型の力の強いものを言うとしている。これを読んで思い出した地方名がある。私が若い頃住んだ富山県高岡では、15㎝を越える大きなシロギスをテッポウギスと呼んでいた。釣り上げて右手で頭部を掴むと、魚体の下部で腕首をパンパンと叩く(撃つ)程に跳ねるからと聞いた。事実20年以上も前、七尾市の百海(どうみ)の磯で生涯一度きりの父とのキス75匹入れ食いの折、一際大きな20㎝大のシロギスを釣り上げた時、その右腕を打たれた映像と軽い痛みを、眩しい陽射しと共に僕は何故か忘れずにいるのである。なお、「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「波須」の項で、良安はこの波須を「幾須に似たり」とし、最後に「海幾須・川幾須の二種有り。蓋し此れ川幾須の類」であろうとしている(従ってここで波須に言及していないのは不審である)。なお、私はこの波須をコイ目コイ科ダニオ亜科ハスOpsariichthys uncirostrisに同定している。該当項注を参照されたい。

 「道保」は「どうほ」と読むか。現在は廃れた呼称と思われる。

 「川幾須」カワギス これはその体色及び河口部のきれいな湧き水のあるような汽水域の干潟を好む性質からアオギスSillago parvisquamis(ヤギスとも呼ぶようである)に同定したいが、アオギスの成魚はシロギスより大きくなる点で疑義が残る。「カワギス」という呼称は淡水産のコイ目コイ科カマツカ亜科ズナガニゴイHemibarbus longirostrisや同じく淡水産カマツカ亜科カマツカ属Pseudogobio esocinusを混同して呼称する呼び名としても存在している。前者は最大長でも15㎝程度なので、これも同定候補にはなろうが、体色が一致しない。検索では東京湾周辺の釣情報にカワギス=アオギスの名称共通が有意に認められるので、アオギスの幼魚・小型個体を指していると考えてよいようである。本種は本邦固有種と思われるが、北九州の一部に棲息が伝えられるのみで、絶滅寸前である。同定なんぞしてる暇はないんだよね……

 「虎幾須」トラギス 現在、「トラギス」の名が与えられているのは、スズキ目ワニギス亜目トラギス科トラギスParapercis pulchellaであるが、本種は全身が小豆色であり、黒白の斑点は下顎裏側吻部から鰓にかけてあるのみであるから、違う。カモハラトラギスParapercis kamoharai又はクラカケトラギスParapercis sexfasciata又はオグロトラギスParapercis polyophtalma又はワヌケトラギスParapercis millepunctata辺りが同定候補であろう。なお、これらはキス科Sillaginidaeとは上位のタクソンで分かれており、単に形態がキスに似ているだけである(というよりハゼに似ているのだが……キス釣の外道としてよくかかることも影響するのかも知れない)。]

***

くち

にへ

【音免】

メン

 

石首魚  江魚

黄花魚  石頭

【和名仁倍

 一云久智】[やぶちゃん字注:以上四行は、前三行下に入る。]

 

本綱鮸状如白魚扁身弱骨細鱗黄色如金出水能鳴夜

視有光首有白石二枚瑩如玉至秋化爲冠鳧是即野鴨

有冠者也鮸腹中白鰾可作膠【仁倍】毎歳四月來自海洋

其聲如雷海人以竹筒探水底聞其聲乃下網截流取之

《改ページ》

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○十一

澄以淡水皆圉圉無力【合蓴菜作羹開異益氣】

鮝魚 鮸乾者名鮝諸魚之薧皆謂鮝其美不及鮸故獨

 得專稱以白者爲佳若露風則變紅色失味也炙食【甘平】

 能消瓜成水消宿食治暴下痢【甜瓜生者用其鮝骨挿蔕上一夜便熟】

△按鮸四時倶有之略類鮒形長狹色淡黄白鰭長鱗細

 尾無岐肉脆脂少其大五七寸九月爲盛此時味甚佳

阿古【名義未詳】冬月鮸之大者俗呼曰阿古甚賞味之

仁倍 似鮸而少長灰青色首有石其大者六七尺取腹

 中白鰾以爲膠粘物甚固工匠及弓人爲必用物蓋和

 名抄仁倍久知爲一物今俗爲各別

凡首中有石魚鯛鮸幾須吾※魚也皆治淋病【於久里加牟木利同功矣】

[やぶちゃん字注:「口」(上)+「大」(下)。]

ぐち

にべ

【音、免。】

メン

 

石首魚  江魚

黄花魚  石頭

【和名、仁倍。一つに久智と云ふ。】

 

「本綱」に『鮸、状、白魚のごとくにして、扁たき身、弱き骨、細鱗は黄色にして金のごとし。水を出〔でて〕能く鳴く夜、視れば、光有り。首に白石二枚有り。瑩(みが=磨)けば、玉のごとし。秋に至りて、化して冠鳧〔(かんふ)〕と爲る。是れ即ち野-鴨(かも)の冠(〔と〕さか)有る者なり。鮸、腹中の白-鰾(にべ)、膠に作るべし【仁倍。】。毎歳四月、海洋(□〔→を〕き)〔→おき〕より來る。其の聲、雷のごとし。海人、竹の筒を以て水底を探り、其の聲を聞きて、乃ち網を下し、流れを截り、之を取る。澄(す)ますに淡水を以てすれば、皆、圉圉〔(ぎよぎよ)〕として力無し【蓴菜と合はせて羹〔あつもの〕に作る。胃を開き氣を益す。】。

鮝魚〔しやうぎよ〕 鮸の乾(ほ)したる者を鮝と名づく。諸魚の薧(ひもの)、皆、鮝と謂ふ〔も〕、其の美、鮸に及ばず。故に獨り專稱を得。白き者を以て佳と爲す。若し風に露(あらは)す時は[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]、則ち紅色に變じて味を失ふなり。炙り食へば【甘、平。】、能く瓜を消〔(せう)〕して水と成し、宿食を消し、暴下痢を治す【甜瓜の生なる者に其の鮝の骨を用ひて蔕〔(へた)〕の上に挿さば、一夜にして便ち熟す。】。』と。

△按ずるに、鮸、四時倶に之有り。略ぼ鮒に類して、形、長く狹く、色、淡黄白にして、鰭、長く、鱗、細く、尾、岐無し。肉、脆く、脂、少なし。其の大いさ五~七寸。九月、盛りと爲す。此の時、味、甚だ佳なり。

阿古【名義、未だ詳らかならず。】冬月、鮸の大者、俗に呼んで阿古と曰ふ。甚だ之を賞味す。

仁倍(にべ) 鮸に似て、少し長く、灰青色。首に石有り。其の大なる者、六~七尺。腹中の白鰾〔(はくへう)〕を取り、以て膠と爲す。物を粘〔(つ)くるに〕甚だ固し。工匠及び弓人、必用の物と爲す。蓋し「和名抄」に仁倍(〔に〕べ)と久知(ぐち)と一物と爲〔すも〕、今、俗に各〔々〕別と爲す。

凡そ首(かしら)の中に石有る魚は、鯛・鮸・幾須吾(きすご)・※魚(たら)なり。皆、淋病を治す【於久里加牟木利〔(おくりかんきり)〕と功を同じうす。】。

[やぶちゃん字注:「口」(上)+「大」(下)。]

[やぶちゃん注:後述される「仁倍」の条々に記されているように、現在、ニベとグチは別種として記載される。良安の記述が完全一致するかはやや疑問があるものの、とりあえず当てはめてみると、「鮸」の字を良安は「ぐち」と読んでおり、それに相当するのは別名グチと呼ばれる体色の白味が強いニベ科シログチ(イシモチ)Argyrosomus argentatusであり、良安が、鮸(ぐち)に似ている「仁倍(にべ)」と呼称するものはスズキ亜目ニベ科ニベNibea mitsukuriiであるとしておく。ちなみに両者は鰓蓋の上部で見分ける。そこに黒色の斑点があればシログチである。また、体の側面に明瞭な小黒色斑点列があるものはニベであり、特に斑紋が認められないものはシログチである。但し、神港魚類株式会社のHP中の「日本の旬・魚のお話 ニベ」記載等を読む内、解説冒頭の「本草綱目」の叙述は、中華料理でも多用される次の二種、鳴き声が大きく船上でも聞えるというニベ科キグチ属キグチPseudosciaena polyactisか、後述される「トサカ」との関わりから、頭部に特徴的な「トサカ」状骨質突起を持つというカンダリCollichthys lucidusの仲間が疑われるように感じられた。

 「白魚」は、勿論、日本のシラウオでもシロウオでもない。現代中国ではコイ科のAnabarilius属に与えられているが、時珍の言う「白魚」がそれを指すかどうかは不明。

 「水を出でて能く鳴く」は、釣り上げられた際、その発達した浮袋とそれに付随する発音筋を用いて「グーグー」と声を発することを指す。

 「夜、視れば、光有り。」を以って私はこの「鮸」をシログチ(イシモチ)Argyrosomus argentatusと同定した。ニベには体側に体側に小黒色斑点列があるため、白味が弱い。夜間に月光を反射して光るとすれば、シログチの方が相応しいと判断したのである。

 「白石二枚」は前項「幾須」の「「頭の中に二つの白石有り」の注で示した耳石である。もう少し詳述しよう。硬骨魚類には内耳があって人間と同様な一対の三半規管を持っている。前後・左右・水平に直交するリング状の管の中に、それぞれ扁平石(sagitta)・礫石(lapillus)・星状石(asteriscus)と呼称する石がある。この内、扁平石が最も大きく、通常、耳石というと扁平石を指す。これらの石は毛状の組織の上に乗っており、石の微細な移動が伝達され、個体の平衡や外界の水流変化による他個体の行動・外敵の襲来を統御・認知する。耳石の主成分はオクリカンキリと同じく炭酸カルシウムで、年周輪を形成することが多く、この輪紋をその魚の年齢を調べるのに使うことはよく知られていよう(以下はWEB魚類図鑑」「耳石Otolithのページを主に参考にして「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鰕姑」(シャコ)記載したものと同じ)。シログチの通称名イシモチという名は、その耳石が他の魚に比して特に大きいことに由来する。「福井県水産試験場」のHP中の「耳石」を御覧戴きたい。このページの魚長27㎝のシログチの耳石は長径10.2㎜厚さ4.2㎜で、シログチの場合、耳石はほぼ魚長の1/26である。

 「冠鳧」の「鳧」はカモで、カモ目カモ科Anatidaeの鳥類の総称。ここで良安は直後に「冠」「〔ト〕サカ」(「ト」は脱落している)とルビしている。これを狭義に「鶏冠」として例のニワトリやキジ等のオスの頭頂部に見られる肉質の突起物ととると、鳥には暗い私には分からない(ネット検索ではそのようなトサカを持つカモがいないことはないようではある)。しかし、これが単に冠羽の意味であるならば、ユーラシア大陸にひろく分布するカモ目カモ科キンクロハジロAythya fuligula(金黒羽白)が挙げられるが、まあ、トンデモ化生説の同定に汲々とする必要はあるまい。

 「腹中の白鰾、膠に作るべし」は、ニベ膠のこと。コラーゲンを主成分とする浮袋を熱処理して生成する。接着剤として強力であると伝えられ、ご承知の通り、ニベのような接着剤がない→相手が親密に密着しない→素っ気ない・愛想がない、ということで「鰾膠・鮸膠(にべ)もない」という故事成句が出来た。そもそも「ニベ」という和名自体が「に」は「煮る」で、「へ」は「腫れたもの=浮袋=鰾」で、煮た鰾から膠を生成したことに因むという。

 「澄ますに」は、魚体の臭みを取るために、清水に暫く飼うことを言うか。その清水に真水を用いると、直前の活発な運動性が失われて静かになるというのであろう。

 「圉圉として」は、疲れ果ててゆったりしないさま、苦しんでちぢんでいるさまを言う語。後者の意であろう。

 「蓴菜」はスイレン目ハゴロモモ科ジュンサイBrasenia schreberi

 「胃を開き」は、食欲増進や健胃効果を指す。中国語ではaperitifに相当する食前酒のことを「開胃酒」と言う。

 「氣を益す」は精神的肉体的な活性化を促すことで、ここでは消化器系の機能低下から生じる気分の低迷からの脱却を言うのであろう。

 「宿食」とは、胃腸の中に食物が停滞した状態。消化不良・胸焼け・腹部膨満感といった症状を言うか。

 「暴下痢」激しい下痢症状を言うものと思われる。

 「甜瓜」は、スミレ目ウリ科キュウリ属メロンCucumis meloを指す。東洋文庫版ではこれに「まくわうり」のルビが振られるが、メロンの変種であるマクワウリCucumis melo var. makuwaは少なくとも現代中国語では「香瓜」と表記する。所謂、西漸した品種がメロンと呼ばれ、東漸した品種がウリと呼ばれた。

 「阿古」東洋文庫版では「あこ」とルビ。現在、シログチ及びニベに対してこのような呼称は生き残っていないようである。

 「工匠及び弓人、必用の物と爲す」日本画の画材・工芸加工や、強弓を作るために竹を張り合わせる際、ニベ膠が使われたとする。しかし、ネット上の消滅した叙述の中から掬い挙げたある叙述には、小野蘭山述・梯 (かけはし) 南洋校増訂による天保15 1844 刊の「重修本草綱目啓蒙」には、大阪の弓工は鹿ニベ・鮫ニベを用い、京都の弓工は専ら鹿ニベを用い、魚膠は弱いため用いない、という記述があるとする(但し、元本に当っていないので真偽不明)。

 「幾須吾」はスズキ亜目キス科Sillaginidaeのキスの仲間。前掲した「幾須吾」の項、参照。

 「※魚(たら)」[※=「口」(上)+「大」(下)。]は、タラ目タラ亜目タラ科 Gadidaeの魚類の総称。「鮸」の項を参照。

 「於久里加牟木利」はザリガニCambaroides japonicus(これはエビ亜目(抱卵亜目) Pleocyemataザリガニ下目Astacideaの中の本邦北方固有種である極めて厳密な意味でのザリガニ)の胃石(胃の中にできる結石)である。これについては、「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鰕姑」(シャコ)の注(そこでは良安は「於久里加牟木里」と表記している)で、非常に細かい(というか牛の涎のような)考察をしたので、是非そちらを参照されたい。私の注の数少ない自信作の一つである。

 「功を同じうす」についても、上記の「鰕姑」(シャコ)の「於久里加牟木里」注を参照されたいが、簡潔に纏めると、そこで良安は「於久里加牟木里」を『能く五淋を治す、小便を通ず、蠻人の秘藥なり。』と記載しており、「五淋」とは尿路障害で、石淋(尿路結石。排尿障害や強い痛みを伴うことが多いもの)・気淋(ストレスによる神経性の頻尿)・膏淋(尿の濁り)・労淋(過労・性交過多に伴う排尿異常)・熱淋(痛みが激しく時に出血を伴う急性尿路感染症)を言う。「広辞苑」では蘭方医薬として利尿剤として用いられたとある。]

***

       北斗魚

墨頭魚

モツテ゚ウイユイ

 

本綱墨頭魚状類鱓其大者及尺頭黑如墨頭上有白子

二枚常以二三月出漁人以火夜照乂之出於四川嘉州

       北斗魚

墨頭魚

モツテ゚ウイユイ

 

「本綱」に『墨頭魚、状、鱓(あくつうを)に類す。其の大なる者、尺に及ぶ。頭、黑きこと墨のごとく、頭の上、白子二枚有り。常に二~三月を以て出づ。漁人、火を以て夜照らし、之を乂〔(か)〕る。四川の嘉州に出づ。』と。

[やぶちゃん注:恐らくは前掲の「鮸」の記載がある「本草綱目」の「鱗部」44巻の「鱗之三 石首魚」の付録に、本種「墨頭魚」が掲げられているためと思われるが、如何にも本巻に場違いな海のない四川省(嘉州は岷江下流楽山付近)のの淡水魚をここに図入りで掲載している良安の真意が読めない。「墨頭魚」で検索をかけると、現代中国語ではコイ科ラベオ亜科墨頭魚Garra lamtaが見つかる。これは高地に住む渓流魚で、ドジョウのような鈍な頭部で、吻部に二対の鬚があるようだ(日本魚類学会魚類学雑誌29巻3号“Dimensions of the gills of an Indian hill-stream cyprinid fish, Garra lamta. Jagdish Ojha, Narayan C. Rooj and Jyoti S. D. Munshiの図を参照した。但し、リンク先は英文PDFファイルで、記載種はインド産)。ちなみに墨頭魚属Garra(全種に「墨頭魚」が付く)は中国語ウィキの「鯉科」の記載で54種を数える。試みに同属で頭部が図のように有意に黒い種をネット上で探してみたが徒労であった。但し、面白いことにこの墨頭魚属、最近ブレイクした有名な魚種が含まれていることに気づいた。トルコの温泉の中で、入浴している人の皮膚の上皮を突付いて食べている映像を御覧になったことがあるだろう。あれがこの属の通称ドクター・フィッシュ、中国名で淡紅墨頭魚、ガラ・ルファGarra rufaなのだった。

 「鱓」アクツウオ 本字はウナギ目ウツボ亜目ウツボ科Muraenidaeのウツボ類を指すが、「アクツウオ」は不明。「あくつ」が「圷」ならば、河川の低湿地帯のことを言う国字であるから、そうした場所に生息する本邦産の淡水魚を指すであろうが。

 「頭の上、白子二枚有り」は「頭部上部の内側に白い小片が二枚ある」で、前の「石首魚」=「鮸」=イシモチ類の叙述の相似性から耳石と考えてよいであろう。ちなみに淡水魚の耳石は、そこに含まれるストロンチウム等の微量元素や安定同位体を用いて、それぞれの種の発生・遡上・回遊等の解明を目指した研究が行われているらしい。たかが耳石、されど耳石だ。]

***

さいら   乃宇羅岐

のうらき

佐伊羅魚

 

△按佐伊羅魚似馬鮫而狹長背似鱵大者八九寸細鱗

 頷短冬春多出於紀泉及西海脂多取爲燈油或作※

[やぶちゃん字注:※=魚+邑。]

《改ページ》

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○十二

 

 以詐名鱵販之伊賀大和土民好食之魚中之下品也

 故鱵稱眞佐與利別之

さいら   乃宇羅岐

のうらぎ

佐伊羅魚

 

△按ずるに、佐伊羅魚、馬鮫(さはら)に似て、狹長く、背、鱵〔(さより)〕に似る。大なる者、八~九寸。細き鱗、頷、短し。冬春、多く紀〔=紀伊〕・泉〔=和泉〕及び西海より出づ。脂多く、取りて燈油と爲し、或は※(□□□□〔→しほもの〕)と作〔(な)〕し、以て詐〔(いつは)〕りて鱵と名づけ、之を販〔(ひさ)〕ぐ。伊賀・大和の土民、好みて之を食ふ〔も〕、魚中の下品なり。故に鱵を眞佐與利〔(まさより)〕と稱し、之を別つ。

[やぶちゃん字注:※=魚+邑。]

[やぶちゃん注:ダツ目サンマ科サンマCololabis saira、なのである。有象無象が開陳する語源説を有り難く拝読致したのだが、どれも今一つピンとこないのである。どれもピンとこないのはこれと言っていつものこと乍ら、それにしても「佐伊羅」(さいら)は気になるのである。「さいら」何ぞ金輪際使わぬ。何処の名前だ。その使わぬ名前があろうことか天下の学名に用いられている。されば等閑している訳にも行かぬではないか。ここは一番、御用達の「ひょうごの旬のマガジン 食材図鑑 サンマ」を見るに若くはあるまいと合点して覗いて見ると、案の上あった、あった。その薀蓄によると、何でも烏合の衆がわらわらと群れ集まるのを「沢苛」(さわいら)というんだそうだ。葉にごっそりいる毛虫を知らずにそれで腕をさらさらとなで擦ってしまったようで虫唾が走る字面だ。字だけじゃあない、如何にも不愉快な気がしてくる、その「さはいら」というへれへれした音が訛ったんだという。そうして昔は「サヒラ」だったんだろうと言う。それで終わりかと思うたら御丁寧にも屋上屋にメタな付けたりがあって「サヒ」は古語で「細く真直ぐなもの」という意味なんだとのたまう。最後には「細く真直ぐな魚」という意かも知れんともっともらしく言う。フンという気になるが、これくらいしか満足出来る答も見当たらないので、取り合えず掲げておくことにする。序に、吾輩なんぞはこんなけったいな万葉仮名見たようなのは嫌いだ。「三馬」で充分じゃ。我輩の仲間の紅茶猫とか言う御猫様の「秋刀魚」のページを見ると馬鹿正直に「神奈川県水産総合研究所」のサイトからの情報によればと断わって『サンマを水揚げする魚市場では、競りなどでサンマのサの音があまりひびかないことから、ンマ、ウマと呼び、大きなサンマの競りでは世界一のアラビア馬にちなんで「アラビアがあるぞ」と大声を張り上げる』てなことが書かれておる。そうかと思へば続けて今度は別な『日本農業新聞』とやらをソースに『旬のサンマを一匹食べると、三馬力の力がつくから「三馬〈サンマ〉」と書くようになった』と記されているんでもあるそうな。いや我輩の主人の下手な小説を読むより、こりや始原を訪ねて面白かろう。サンマ、ヒヒンと鳴き居れば、サンマん馬力だ! 開け! ウマ! アラビアン・サンマの始まり/\……さて、この「三馬」、どうしてどうして江戸から明治まではサンマの本名である。嘘だと思うんなら我輩が書いた名文句を次に見るがいゝ。今時の「秋刀魚」の字なんざあ、明治終りの大正始め、文弱の佐藤春夫なんぞという奴が「苦いか塩つぱいか」なんどとめめしくも詠いおった頃になってやっとメジャーになった、所詮滅び行く糞ロマン主義の謂いなんデアル……南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……

 

……其内に暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、雨が降て來るといふ始末でもう一刻も猶豫が出來なくなつた。仕方がないから兎に角明るくて暖かさうな方へ方へとあるいて行く。今から考へると其時は既に家の内に這入つてたのだ。こゝで余は彼の書生以外の人間を再び見るべき機會に遭遇したのである。第一に逢つたのがおさんである。是は前の書生より一層亂暴な方で我輩を見るや否やいきなり頸筋をつかんで表へ抛り出した。いや是は駄目だと思つたから眼をねぶつて運を天に任せて居た。然しひもじいのと寒いのにはどうしても我慢が出來ん。吾輩は再びおさんの隙を見て臺所へ這ひ上つた。すると間もなく又投げ出された。吾輩は投げ出されては這ひ上り、這ひ上つては投げ出され何でも同じ事を四五遍繰り返したのを記憶して居る。其時におさんと云ふ者はつくづくいやになつた。此間おさんの三馬を偸んで此返報をしてやつてから、やつと胸の痞が下りた。吾輩が最後につまみ出され樣としたときに、此家の主人が騷々しい何だといひながら出て來た。下女は吾輩をぶら下げて主人の方へ向けて此宿なしの小猫がいくら出しても出しても御臺所へ上つて來て困りますといふ。主人は鼻の下の黒い毛を撚りながら吾輩の顏を暫らく眺めて居つたが。やがてそんなら内へ置いてやれといつたまゝ奧へ這入つて仕舞つた。主人は餘り口を聞かぬ人と見えた。下女は口惜しさうに吾輩を臺所へ抛り出した。かくして吾輩は遂に此家を自分の住家と極める事にしたのである。〔夏目漱石「吾輩ハ猫デアル」明治391906)年より〕


 「馬鮫」はスズキ目サバ科サワラ Scomberomorus niphonius。「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「馬鮫」の項を参照。

 「鱵」はダツ目ダツ亜目トビウオ上科サヨリ科サヨリHemiramphus sajori。前掲の「鱵」の項を参照。

 「伊賀・大和の土民、好みて之を食ふも、魚中の下品なり」については、前掲の「ひょうごの旬のマガジン 食材図鑑 サンマ」が詳しい。その記載を援用させてもらうと、元禄101697)年刊行の『本朝食鑑』に始めて登場し、『梅翁随筆』(著者未詳の寛政年間の記録)によると、明和年間(176472)には「未だ下賤な魚として食べなかったとする。明和9・安永元(1772)年の頃には「安くて長きはサンマなり」と書いて売る魚屋が現れ、庶民の食卓には上るようになったものの、当時の下品魚としてのマグロやイワシと同じく、武士は殆んど食べなかったらしい。その辺りは著名な落語「目黒のさんま」の内容と美事に合致する。落語は、寛政101798)年に初代三笑亭可楽が下谷稲荷神社で寄席を開いたのが最初されるが、この「目黒のさんま」は既に寛政13・享和元(1801)年の文献に現れていると言うから、サンマ食文化のバック・グラウンドの信憑性は極めて高いと言えよう。]

***

しひら

ひいを

くまひき

 

正字未詳

【俗云志比良

 長崎人呼曰

 比以乎

 此鮝名久未

 比木】

 

△按鱰状類鰤而頭圓尾小鱗細味亦似魬大者二三尺

 作鮝名九方疋以其多有之謂乎越中鱰鮝爲上相傳

 云此中華之魚四五月唐船多入朝時來群游矣唐船

 歸帆時九州之鯛慕唐人肉食之腥氣着于船入唐矣

 故夏月鱰多于日本冬月鯛多于中華之湊

 鱰鮝【味 】似梭子魚乾者而無毒病人亦食不忌

[やぶちゃん字注:割注「味」の下は欠字。]

しひら

ひいを

くまびき

正字、未だ詳らかならず。

【俗に志比良と云ふ。長崎の人、呼んで比以乎と曰ふ。此の鮝(ひもの)を久未比木と名づく。】

 

△按ずるに、鱰、状、鰤(ぶり)に類して、頭、圓く、尾、小さく、鱗、細し。味も亦、魬(はまち)に似て、大なる者、二~三尺、鮝(ひもの)と作〔(な)〕し、九方疋(〔くま〕びき)と名づく。其れ、多く有るを以ての謂ひか。越中の鱰-鮝(くまびき)、上と爲す。相傳へて云ふ、『此れ、中華の魚にして、四~五月、唐船多く入朝の時、來つて、群游す。唐船、歸帆の時、九州の鯛、唐人の肉食の腥き氣を慕(した)ひて、船に着きて入唐す。故に夏月は鱰、日本に多く、冬月は、鯛、中華の湊に多し。』と。

鱰鮝(くまびき)【味、 。】梭----者(かますのひもの)に似て、毒無し。病人も亦、食ひて忌まず。[やぶちゃん字注:割注「味」の下は欠字。]

[やぶちゃん注:スズキ亜目シイラ科シイラCoryphaena hippurus

 「鰤」はスズキ目アジ亜目アジ科ブリSeriola quinqueradiata。後掲する「鰤」の項を参照。

 「魬」は出世魚であるブリSeriola quinqueradiataの成長の一段階での呼称。幾つかのネット上の記載を総合すると、現在では関西方面に於いて凡そ3560 cm のブリをハマチと呼ぶ。関西では成長に伴った呼び名の変化は以下のように整理される(途中の呼称が脱落する地域も多い)。

モジャコ(稚魚)

コズクラ・コゾクラ(約15㎝以下)

ワカナ・ツバス・ヤズ(約15㎝以上35㎝以下だが、この呼称内の順位には混乱がある)

ハマチ(約35cm60㎝)

メジロ・メジナ(約6080cm又は1m

ブリ(約80㎝又は1m以上)

但し、天然物を「ブリ」と呼称するのに対して、魚長に関わらず養殖物を「ハマチ」と呼ぶ習慣も流通では行われている。

 「九方疋と名づく。其れ、多く有るを以ての謂ひか」のクマビキという呼称については、良安が推測するように、別名の「十百(トオヒャク)」とか「万匹(マンビキ)」という呼称と並べて「九万匹(クマビキ)」と書き、群れを作っているために次々に釣れることに由来するという説と、更なる別名の「万力(マンリキ)」・「万引(マンビキ)」と並べて「熊引(クマビキ)」と表記し、小型個体でも非常に引きが強いことからの呼称とする説がある。なお、私好みの異名は「死人旗」(シビトハタ)・「死人食」(シビトクライ)である。前者は古式の葬送に用いる三角形の旗に似ているからともするが、後者と合わせて漂流物の下に集まる習性(但しウィキでも言っているように、漂流物があり、それが何らかの生物の遺体であれば、そこに集まるのは多かれ少なかれ一般的な魚類の普遍的性質であろう)から、水死体の下に集まる魚との言い伝えに基づき、シイラ食を忌む地方もあるという。]


***

《改ページ》

ひら     箭魚

【音時】 【俗云比羅】

スウ

 

本綱鰣江中皆有毎四月※1出後即出從海中沂餘月則

[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「齊」。]

無故名鰣形秀而扁微似魴而長白色如銀肉中多細刺

如毛其子甚細膩大者不過三尺腹下有三角硬鱗如甲

其肪亦在鱗甲中自甚惜之其性浮游漁人以絲網沈水

數寸取之一絲罣鱗即不復動出水即死最易餒敗不宜

烹煮惟以筍莧芹之屬連鱗蒸食乃佳亦可糟藏之恨其

美而多刺也肉【甘平】補虚勞【發疳※〔→痼〕】

[やぶちゃん字注:※2=(やまいだれ)+「固」。]

三才圖會云鰣腹下細骨如箭鏃故名箭魚又其味美在

皮鱗之交故不去鱗而食

△按鰣形薄扁【故名比良】

ひら      箭魚

【音、時。】 【俗に比羅と云ふ。】

スウ

 

「本綱」に、『鰣は江の中に皆有り。毎四月、※1(たちうお[やぶちゃん注:ママ。])出でて後、即ち出づ。海中より沂(さかのぼ)る。餘月は則ち無し。故に鰣と名づく。形、秀でて扁たく、微かにに似て、長し。白色、銀のごとし。肉中に細刺多く、毛のごとし。其の子、甚だ細〔かく〕膩〔(あぶら)〕〔多し〕。大なる者、三尺に過ぎず。腹の下に三角の硬鱗有りて、甲のごとし。其の肪〔(あぶら)〕、亦、鱗甲の中に在りて自ら甚だ之を惜しむ。其の性、浮游す。漁人、絲網を以て水に沈□〔→むること〕數寸、之を取る。一絲、鱗に罣(かゝ)れば、即ち復た動かず。水に〔→を〕出づれば、即ち死す。最も-敗(さかり)易し。烹煮するに宜しからず。惟だ筍(たけのこ)・莧(ひゆ)芹(せり)の屬を以て、鱗を連ね、蒸し食ふ時は[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]乃ち佳なり。亦、之を糟-藏(かすづけ)にすべし。恨〔むらくは〕其れ美にして〔→なれども〕、刺多□□〔→きこと〕なり。肉【甘、平。】、虚勞を補ふ【疳・痼を發す。】。』と。

[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「齊」。]

「三才圖會」に云ふ、『鰣、腹下の細骨、箭鏃〔(せんぞく)〕のごとし。故に箭魚と名づく。又、其の味の美、皮鱗の交(あはひ)に在り。故に鱗を去らずして食ふ。』と。

△按ずるに、鰣、形薄く扁し【故に比良と名づく。】。

[やぶちゃん注:骨鰾下区ニシン上目ニシン目ニシン科ニシン亜科ヒラLlisha elongata

*タクソンとしての「区」についての割込注記

今までこのタクソンとしての「区」は意識的に無視してきたが、ここで表記して、説明しておきたい。魚類のタクソンではネット上で最近しばしばこの「区」を目にする。生物の教師に聞いてみたが、彼も知らなかった。しかし彼が探してきてくれた資料によると、どうも最近のものというわけではではないようである。しかし、私は過去に殆んど見たことがないし、普通の辞書の「区」を引いても生物学上のタクソンという記載はない。但し、岩波の「生物学辞典」の「階級」(=生物のリンネ式階層分類に於けるタクソンの階層的位置を言う語)の項には『タクソン間の階層構造を表現するにあたって』『7階級では足りない場合,必要に応じて階級が増やされる.例えば,動物分類では,綱と目の間にコホート(),科と属の間に族,種の下に亜種を設ける』とあった。所謂、一般に知られる基本的な生物の界・門・綱・目・科・属・種の分類階層(上記で言う7階級)では不足の場合に、以下のように用いられる細分化されたタクソンが存在する。但し、理論上のタクソンを並べただけで魚類にこれらのタクソンがすべてあるわけではない。なお、種の前にある「節」というのは理論上存在するようであるが、私は「○○節」なるタクソンを見たことはない。

門・亜門・下門・上綱・綱・亜綱・下綱・上区・区・亜区・大目・上目・系・目・亜目・下目・小目・上科・科・亜科・連・族・亜族・属・亜属・節・種

即ち、「区」=コホート(cohort)は「綱」と「目」の間を更に細分化するタクソンである。現生魚類の場合、硬骨魚綱条鰭亜綱の下に以下のような「区」を見出すことが出来る(後はその「区」に含まれる「目」)。

新鰭区

 真骨亜区

  カライワシ下区  ソトイワシ目(ギス科)・ウナギ目

  ニシン・骨鰾下区 ニシン目・コイ目・ナマズ目

  正真骨下区    (上記外の硬骨魚の目)

というように分類されている。

ヒラに戻る。この「鰣」の字は国字としてはコイ科ダニオ亜科の淡水魚であるハスOpsariichthys uncirostrisを指す(「和名類聚抄」の龍魚部龍魚類に所収する「鰣」の注に「波曾」とある)。ハスについては「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「波須」(ハス)を参照されたい。

 「※1」[※1=「魚」+「齊」。]はサバ亜目タチウオ科タチウオTrichiurus lepturus。「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「※3」(タチウオ)[やぶちゃん字注:※3=「魚」+「齊」。]を参照。

 「魴」について、朱子は「詩経」の「周南」の「汝墳」の「魴」に注して「身広くして薄く、力少(よわ)くして細かき鱗」とする。本底本CD-ROMを発売している長野電波技術研究所の「本草綱目目録」では、「魴魚」にコイ科カワヒラ亜科のParabramisParabramis bramulaを同定している。加納喜光先生の「漢字動物苑(7)鯉」ではコイ科コイ目のダントウボウの仲間であるMegalobrama Megalobrama termilalisに同定されており、更に『日本では古くからオシキウオと読んでいるが、トガリヒラウオが正しい』と注されている。チョウザメで私淑する加納先生のトガリヒラウオMegalobrama termilalisでとる。淡水魚の一種で頭が尖り小さく、魚体は青白い。疲労すると尾が赤くなると伝える(興奮色であろう)。

 「其の肪、亦、鱗甲の中に在りて自ら甚だ之を惜しむ。」という部分はよく意味が分からない。東洋文庫版では『肪も鱗甲の中にあって自ら惜しんで大切にする。』と訳しているが、訳者に失礼ながら、意味が分かって訳しているようには思われない。文脈から推測すると、成魚になっても子の時のように脂が非常に多く、その固い甲のような腹部の鱗の下にたっぷりとあって、魚自身も活動のエネルギーとして極めて大切に保持しているといった意味であろうか。

 「餒敗易し」は、腐りやすい。

 「莧」はナデシコ目ヒユ科ヒユAmaranthus tricolor。莧菜“Een Choi”。中華料理には欠かせない野菜。私は大好きである。

 「芹」はセリ目セリ科セリ属Oenanthe javanica

 「虚勞」は「虚損勞傷」の略で、過労による心身の衰弱を言う。

 「疳・痼」は、とりあえず切り離して考えた。「疳」(かん)は小児に起る慢性消化器障害で、全身が痩せて血色が悪くなり、腹部が著しく膨満して食欲が不定期に進む症状を言う。脾疳(ひかん)とも。また、(痼」(こ)は長く直らない病を言う「痼疾」(後に直らない癖の意ともなる)と同じで、久しく病みこじれて治らない病気の意。加えて本字には小児の口唇部に発生する瘡(かさ)の意もある。従って前者の慢性疾患の意と一致するので「疳痼」の熟語で若年性の消化器不全による全身症状ととってもよいか。ここは、鰣は大人の体力の回復に功があるが、小児に食べさせると時に消化器不全を発症するから注意せよという記載か? 東洋文庫版訳では「疳痼」ととり、注して『なかなかなおらない、食欲だけ増してやせる病、神経症』とある。

「箭鏃」は鏃(やじり)のこと。]

***

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○十三

ぼら

なよし

【音支】

フウ

 

子魚【黑色□〔→曰〕

緇此魚

黑故名緇其

聲訛曰子魚】

【和名奈與之

 俗云保良】

【小者名江鮒

 又云簀走】[やぶちゃん字注:以上八行は、前四行下に入る]

 

本綱時珍曰生東海状如青魚長者尺餘其子滿腹有黄

脂味美獺喜食之呉越人以爲佳品醃爲鮝腊【肉甘平與百藥無忌】

馬志曰生江河淺水中似鯉身圓頭扁骨軟性喜食泥

     山家 たねつくすつぼゐの水の行末に江鮒集る落合のかた 西行

△按鯔日本紀【曰赤女又魚云口女】彦火火出見尊失兄鈎後至海

 神宮探赤女【或云口女】口而得之赤女者則鯔也故以鯔所

 以不備供御者此縁也其小者三四寸在河中名伊奈

 五六寸者在江中畿内名江鮒關東稱簀走俗用鯐字

 三才圖會所謂撥尾魚是也能跳如飛連行成陣倶似

 鯉性喜食泥作鮓甘美八九月稍長大六七寸在江海

 《改ページ》

 之交此時也無泥味脂多而愈甘美色亦黑減如暴洗

 故稱小暴江鮒馬志所説者乃江鮒也

冬春至尺餘者名母羅【俗用※字】以類鯉稱伊勢鯉其肚腹肥

[やぶちゃん字注:※=「諮」-「言」+「魚」。]

大故稱腹太勢州人稱名吉【用奈與志之音義矣】時珍所説者是也

其大小倶腹中有肉塊如臼形炙食【甘微苦】

唐墨 三四月鯔子連胞乾之形似墨而大褐色味甘美

 然勢州土州之鯔有子餘國之産有子者稀也偶取得

 爲珍故多以馬鮫魚子偽之

志久知鯔 形色及腹中之臼皆同鯔以眼黄爲異其大

 者三四尺【關東名女奈太】是乃鯔之老者矣可謂赤目者乎

ぼら

なよし

【音、支。】

フウ

 

子魚【黑色をと曰ふ。此の魚、黑き故、緇と名づく。其の聲、訛りて子魚と曰ふ。】

【和名、奈與之。俗に保良と云ふ。】

【小さき者を江鮒と名づく。又、簀走〔(すばしり)〕と云ふ。】

 

「本綱」に時珍曰ふ、『東海に生ず。状、青魚のごとくして長き者、尺餘り。其の子、腹に滿つ。黄脂有りて、味、美。獺(かはうそ)、喜びて之を食ふ。呉越の人、以て佳品と爲し、醃〔(あん)〕〔じて〕-腊〔(けんそ)=干物〕と爲す【肉、甘く平。百藥と忌むこと無し。】。馬志が曰く、『江河淺水の中に生ず。鯉に似て、身、圓くして、頭、扁たく、骨、軟□□〔→なり〕性、喜んで泥を食ふ』と。』と。

    「山家」たねつくすつぼゐの水の行末に江鮒集〔ま〕る落合のかた 西行

△按ずるに、鯔、「日本紀」に【--魚〔(あかめ)〕と曰ひ、又、口女〔(くちめ)〕とも云ふ。】彦尊〔(ひこほほでみのみこと)〕、兄の鈎を失ひ、後、海神の宮に至り、赤女【或は口女と云ふ。】が口を探りて之を得。赤女は則ち鯔なり。故に鯔を以て供御〔(くぎよ)〕に備へざる所以は此の縁なり。其の小なる者、三~四寸。河の中に在りて伊奈〔(いな)〕と名づく。五~六寸の者、江の中に在りて、畿内には江鮒と名づく。關東にては簀走と稱す。俗に「鯐」の字を用ふ。「三才圖會」に謂ふ所の撥尾魚は是れなり。能く跳ねて飛ぶがごとく連行して陣を成す。倶に鯉に似て、性、喜んで泥を食ふ。鮓と作〔(な)〕すに甘美。八~九月、やや長くして、大いさ六~七寸、江海の交(あはひ)に在り。此の時や、泥味無く、脂、多くして、愈々甘美。色も亦、黑減じて暴(さら)し洗ひたるがごとし。故に小暴(こざらし)江鮒と稱す。馬志が説く所の者は、乃ち江鮒なり。

冬春、尺餘に至る者、母羅(ぼら)と名づく【俗に※の字を用ふ。】。鯉に類するを以て伊勢鯉と稱す。其の肚-腹〔(はら)〕、肥大したる故、腹太(〔はら〕ぶと)と稱す。勢州〔=伊勢〕の人、名吉〔(なよし)〕と稱す【奈與志の音義を用ふ。】。時珍が説く所の者は是れなり。其れ、大小倶に腹中に肉の塊り有りて臼の形ごとし。炙り食ふ【甘、微苦。】。

[やぶちゃん字注:※=「諮」-「言」+「魚」。]

唐墨(からすみ) 三四月、鯔の子、胞を連ねて之を乾す。形、墨に似て大きく、褐色。味、甘美なり。然れども勢州〔=伊勢〕・土州〔=土佐〕の鯔、子有るも、餘國の産、子有る者、稀なり。偶々得て取るを珍と爲す。故に多く馬鮫(さはら)魚の子を以て之を偽る。

志久知鯔(〔しくち〕ぼら) 形・色及び腹中の臼、皆、鯔に同じくして、以て眼黄なるを異と爲す。其の大なる者、三~四尺【關東〔にて〕女奈太と名づく。】是れ乃ち鯔の老する者なり。赤目と謂ふべき者か。

[やぶちゃん注:ボラ目ボラ科ボラMugil cephalus。本記載にもいろいろな呼称が現れるように、成句の「トドのつまり」で知られる出世魚。幾つかのネット上の記載を総合すると、現在、関西では成長に伴った呼び名の変化は以下のように整理される(途中の呼称が脱落する地域も多い)。全国的には、下記に示した以外に良安の記述に現れる「口女」=クチメやイセゴイ(=「伊勢鯉」)・ツクラ・メジロ・マクチ・クロメ・シロメ・チキバクギョ・ホウフツ・コザラシ・トビ等の多彩な地方名・異名(出世名)を持つ。ボラの稚魚・幼魚の呼称に至ってはオボコ・イキナゴ。コズクラ・ゲンプク・キララゴ等、60を越えるとも言う。

ハク(約2㎝~3㎝)≒シギョ

オボコ・スバシリ(約3~18㎝)≒エブナ 

イナ(約1830㎝)≒エブナ・ナヨシ

ボラ(約30㎝以上)=クチメ・コザラシ

トド(特に大型の個体)

ちなみに関東では一般にはオボコ→イナッコ→スバシリ→イナ→ボラ→トドの順となる。加えて表記した通り、同じく情報を総合すると、本文中に現れる「奈與之」=ナヨシはイナの異称、「江鮒」=エブナはスバシリ・イナの異称としてよいようである(勿論、地域や人によってその認識に差はある)。一部地域でボラの川に遡上する個体群を、本文に記される「赤女」「赤目」=アカメと称しているが(ネット上の情報では能登地方でこの呼称があり、遡上しない海洋回遊性の個体の方をシロメと言うとする)、現在、和名としてのアカメは全くの別種であるスズキ亜目アカメ科アカメLates japonicusを指す。但し、このアカメは、ボラを捕食することで知られているから、満更、無縁でもない。更に、ボラ亜系ボラ目ボラ科メナダLiza haematocheila(=「女奈太」)もアカメと呼称されることがある。なお、「シギョ」は以下の注を参照。但し、良安の記述には大きさや呼称の順序にやや不審な点が多い。時代差とも良安の調査不足とも取れる。

 「緇」は音「シ」で黒色の意。「其の聲、訛りて」(その発音が変化して)とあるから、「子魚」は「しぎよ」と読ませるのであろう。但し、現在、「子魚(シギョ)」は「ボラの幼魚」を指す語として用いられている。

 「獺」はネコ目(食肉目)イタチ科カワウソ亜科Lutrinae(7属)のカワウソの仲間。

 「呉越」は現在の江蘇省及び浙江省一帯。ちなみに国家名としての「呉越」(907 978)は、五代十国時代、現在の杭州を首都として現在の浙江省一帯を支配した国を指す。

 「醃」は塩漬けのこと。

 「馬志」は、宋の開宝六(973)~七年(974)に成立した本草書「開宝本草」の作者の一人。道士であった。但し、この引用は良安による「本草綱目」からの孫引きである。ちなみに東洋文庫版の「和漢三才図会 7」巻最後の書名注は、書名を「開元本草」と誤記している。

 「たねつくす……」以下の私の好きな西行の私家集「山家集」の、当該和歌の正しい表記は以下の通りである。

種漬くる壺井の水の引く末に江鮒集まる落合の淀

(たねつくるつぼゐのみづのひくすゑにえぶなあつまるおちあひのわだ)

やぶちゃん訳:

 種を漬ける壺のごとく、小さな小さな水源の噴水の水を、ずうっと引いて引いて、大きな流れとなって流れてゆく、その大河の行く末の、江鮒が沢山群がって泳いでいる河口の、広い入江……

やぶちゃんの語釈:

・「種」は作物の種子で、「種漬くる」は、その種を春に発芽率を高めるために水に漬けることを言う。ここでは「壺」を引き出すための一種の枕詞のように用いられている。
・「壷井」は、岩波大系本に、上部が狭くなっている壺のような形の井戸という注釈がつくが、これは「壺の如き井の戸」であり、この「井戸」は、「井の口」で、湧水や川の流水を汲み取る場所を指し、広義の水源地を指すのであろう。河川の源流のその水源の小さな開口部から、滾滾と水が湧き出している様を言うと注するべきであって、断じて「井戸」ではない。
・「落合」は河川の合流点、引いては川が海に入る所、河口を指すと考えてよい。
・「淀」(わだ)は、「落合」を受けるなら、本来の地形の彎曲した淀みの意ではなく、沿岸の入江の意味となると私は考える。

 「泥を食ふ」というのは流石は時珍老師、デトリタス食性のボラをよく観察しておられる。以下、よく纏まっているウィキの記述を引用する。『食性は雑食性で、水底に積もったデトリタスや付着藻類をおもな餌とする。水底で摂食する際は細かい歯の生えた上顎を箒のように、平らな下顎をちりとりのように使い、餌を砂泥ごと口の中にかき集める。石や岩の表面で藻類などを削り取って摂食すると、藻類が削られた跡がアユの食み跡のように残る。ただしアユの食み跡は口の左右どちらか片方を使うためヤナギの葉のような形であるが、ボラ類の食み跡は伸ばした上顎全体を使うので、数学記号の∈のような左右対称の形をしている。これは水族館などでも水槽のガラス面掃除の直前などに観察できることがある。餌を砂泥ごと食べる食性に適応して、ボラの胃の幽門部は丈夫な筋肉層が発達し、砂泥まじりの餌をうまく消化する』

 『「日本紀」』は「日本書紀」で、以下の所謂、海彦山彦の話については、前掲の「鯛」の項の注を参照されたい。原文その他、細述してある。そこで私はこの「日本書紀」の記載の「赤女」を、ボラ亜系ボラ目ボラ科メナダLiza haematocheilaに、「口女」をボラMugil cephalusに同定した。

 「簀走」とは「洲場走」で浅瀬をちょこまかと軽やかに走る若魚の意であろうか。

 『「鯐」』は国字。

 「撥尾魚」を、はっきりとボラのことだと良安は言っているのであるが、次の「鱸」の冒頭の図を見てもらいたいのである。御覧の通り、「撥尾魚」と記してある。ところが「鱸」の本文には「撥尾魚」はない。但し、極めて類似した意味の呼称ではないか思われる「波禰」「波祢」(はね)がある(これは「撥ねる魚」語源ではないか?)。この「鱸」の冒頭図の上の小さいのは「鯔」の絵で……という解釈は苦しい。どうみてもこの絵の二尾は同じ魚であるように思われる。謎である。

 「小暴江鮒」のコザラシは記載が少ないものの、現在でも、「ボラ」「クチメ」同様、ボラの30㎝以上の大型個体を指す。

 「母羅」の語源は、御用達「ひょうごの旬のマガジン」の「旬の食材図鑑 ボラ(鰡)」の「命名」がコンパクトに纏めているので引用する(改行部分は省略)。『ボラの呼名は全国的な呼称であり、その語源については『大言海』に「ボラとは腹の太き意なり、腹とは広・平・原と同義なり」とある。また『本朝食鑑』や『本草綱目啓蒙』に、ボラは腹太の意とでている。これは、中国の春秋時代の北狹(ほくてき)の用語で、「角笛」を意味する「ハラ」という語の転訛であり、法螺貝(ほらがい)の呼称「ホラボラ」と、同源同義語らしい。ボラの呼称は、魚形が「角笛」に似ていることから、中国の胡語「ハラ」が転じて「ボラ」になったのであろう。ボラの古名には「口女(くちめ)」や「名吉(なよし)」「ツクラ」「ツシラ」などがあり、『日本書記』に「クチメ」「ナヨシ」と出ている。口女とは口に特徴のある魚「口魚」の意。ナヨシは「名吉」。つまり、成長につれて名が変わるので出世魚とされ、正月の祝魚にもされた。』最後の部分で「名吉」(ナヨシ・ミョウキチとも)の由来も分かる。

 「腹太」は、ボラの異称としては特に江戸での呼称のようで、逆転した「太腹」(「ほばら」と読むらしいが、「太」を「ほ」と訓ずるのは余り馴染みがない)が訛って「ぼら」になったというが、如何か?

 「腹中に肉の塊り有りて臼の形ごとし」は『ボラの臍』、ボラの肥厚した胃の幽門部のこと。算盤の珠のような形をしているので「ソロバン」「ソロバン玉」とも呼ばれる。塩焼きにして、こりこりした食感の珍味となる。形状を見るには「ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑」「ボラ」がよい。

 「唐墨」は一般には長崎名産として、ボラMugil cephalusの卵巣の塩漬けしたものを酒につけ、さらに乾燥させたもので珍味として名高い。良安の記載にある通り、現在も香川県ではスズキ目サバ科サワラ Scomberomorus niphoniusの卵巣からカラスミを製造しており、ボラに比して味は濃厚と謳っている。台湾では「烏魚子」(ボラ卵使用)、ヨーロッパでは同様のものを、フランスではブタルグ(Boutargue)、イタリア(サルジニア島)ではボッタルガ(Bottarga)、スペインではウエバ(卵)のサラソン(魚類の塩漬けの乾燥品)等と称して味わう。あちらではマグロ・スズキ・メルルーサ等の多彩な魚卵が使用されている。一言申し上げると、さっと炙るのがカラスミを味わう何よりのコツである。また最近、私はイタリアのグロッサリー“ペック”のボッタルガを、パスタやグリルの際にふんだんにふりかけるのにハマっている。ちょっとオツな風味になって、気持ち、そんなに高くない値段でリッチな気分になれること、請け合いだ。まだ買ったことはないが、「成城石井」にも袋入りのお徳用ボッタルガがある。なお、以上の記載は私の「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「馬鮫」(サワラ)の「唐墨」注を増補改訂したものである。

 「餘國の産、子有る者、稀なり」は、ボラが産卵するために南下する傾向があることと関係があるか。実は現在でもボラの仲間の産卵場所は謎のままである。

 「馬鮫魚」はスズキ目サバ科サワラ Scomberomorus niphonius「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「馬鮫」(サワラ)を参照。

 「志久知鯔」シクチボラ 「シクチ」とは「朱口」の訛ったものらしい。ボラをこう言う地方も多いようだが、良安が掲げる「女奈太」を尊重して、ボラ亜系ボラ目ボラ科メナダLiza haematocheilaと同定しておきたい。ボラはムナビレの基底の上部が青く、体側に数本の暗い縦線が走っているのに対して、メナダはムナビレの基底部分は白く、体側のそれぞれの鱗の基部に暗色点が並んでボラに比して有意に網目模様が明確である。]

***

撥尾魚

[やぶちゃん注:以上は御覧の通り、冒頭図の右上に忽然とある。]

 

すすき

ロウ

 

 四鰓魚

【和名須々木

 小者名波※〔→禰〕

 尚小者名世

 伊古】

[やぶちゃん字注:以上五行は、前三行下にある。※=(しめすへん)+{「稱」-「禾」}。]

《改ページ》

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○十四

 

本綱鱸凡黑色曰盧此魚白質黑章故名之淞江尤盛四

五月方出長僅數寸状類似鱖而色白有黑點巨口細鱗

有四鰓其肝不可食剥人靣〔=面〕皮

肉【甘平】有小毒【然不甚發病但不可多食】中鱸魚毒者蘆根汁解之

                            衣笠内大臣

      新六 夕なきに藤江の浦の入海に鱸釣てふあまの乙女子

川鱸脂多味美海鱸脂少味淡其三四寸者稱世比古

六七寸近尺者名波祢 〔→一〕尺以上至二三尺者名須受岐

[やぶちゃん注:「祢」の下は欠字。続く記載から推定。]

諸國四時共有之雲州松江最多而夏月特賞之

古事紀〔→記〕云天孫降臨之時事代主於出雲國小濵獻天御

饗時櫛八玉釣鱸獻之【云云】

撥尾魚

[やぶちゃん注:以上は冒頭図の右上に忽然とある。]

 

すずき

ロウ

 

 四鰓魚

【和名、須々木。小なる者、波禰〔(はね)〕と名づく。尚を〔→ほ〕小さき者を世伊古〔(せいご)〕と名づく。】

 

「本綱」に、『鱸、凡そ黑色を盧〔(ろ)〕と曰ふ。此の魚、白質黑章、故に之を名づく。淞江(スンコウ)、尤も盛んにして、四~五月、方に出づ。長さ僅かに數寸。状・類、鱖(あさぢ)に似て、色、白く、黑點有り。巨〔(おほ)〕きなる口、細鱗、四つ〔の〕鰓有り其の肝、食ふべからず。人の面皮を剥ぐ。

肉【甘、平。】 小毒有り【然れども甚だしくは病を發せず。但し、多食すべからず。】。鱸魚の毒に中る者〔には〕、-根〔(だいこん)=大根〕汁、之を解く。』と。

     「新六」 夕なぎに藤江の浦の入海に鱸釣りてふあまの乙女子 衣笠内大臣

川鱸は脂多く、味、美なり。海鱸は脂少なく、味、淡し。其の三~四寸なる者、世比古〔(せひご)〕と稱し、六~七寸〔より〕尺に近き者、波祢〔(はね)〕と名づく。一尺以上二~三尺に至る者、須受岐〔(すずき)〕と名づく。諸國・四時共に之有り。雲州〔=出雲〕の松江に最も多くして、夏月、特に之を賞す。

「古事記」に云ふ、『天孫降臨の時、事代主〔(ことしろぬし)〕、出雲國の小濵に於て天御饗〔(あまつみあへ)〕を獻ずる時、櫛八玉〔(くしやだま)〕、鱸を釣りて之を獻じれりと云云。』と。

[やぶちゃん注:スズキ目スズキ亜目スズキ科スズキ属スズキLateolabrax japonicus。魚類の分類を少しでも御覧になった方はご存知と思うが、目レベルでは多くの魚類がスズキ目 Perciformesに含まれ、その数は9000種を越え、脊椎動物(脊椎動物亜門Vertebrata)の「目」の最大グループである。

本魚も出世魚である。関西では成長に伴った呼び名の変化は以下のように整理される。

セイゴ(1年魚・2年魚で体長約30㎝~40㎝程度迄)

ハネ・フッコ(2年魚・3年魚で体長約4060㎝程度迄。但し「フッコ」は関東での呼称とする記載もある)

スズキ(4年魚・5年魚で体長が60㎝を超える個体)

他に稚魚・幼魚をコッパ、逆に巨大な個体をオオタロウ・ニュウドウ等と呼ぶ。序でに言えば、ルアー釣では人気の魚で「シーバス」と呼ばれる。

 「撥尾魚」は前項「鯔」の同「撥尾魚」注を参照されたい。そこでも言ったように、スズキの中型個体を指す「波禰」「波祢」=ハネは「撥ねる魚」由来ではないかと思われ、ここで良安はスズキの意味で(ボラではなく)これを掲示していると考える(この「鱸」の冒頭図の上の小さいのは「鯔」の絵とする解釈は苦しい。どうみてもこの絵の二尾は同じ魚である)。しかし、直前の「鯔」の叙述に「撥尾魚」という名を示しておいて、口の干ぬ間にこの名を直後の「鱸」の別名として頭上にただ投げ出すというのは、緻密な良安にして不審である。

 「四鰓魚」については、中国での「鱸」の別称であるが、これら(「鱸」と「四鰓魚」というよりもこの「本草綱目」の記述自体)は、スズキではない。「廣漢和辭典」にもハゼに似てハゼよりもやや大きい「淡水魚」とし、『口が大きく、うろこは細かい。松江(江蘇省呉淞【ウースン】江)のものは鰓が四つあり、特に美味とされる。』と記し、ネット上でも坂本一男氏の「魚名の由来」によればカサゴ目カジカ科のヤマノカミTrachidermus fasciatus と考えられている旨の記載がある。ちなみに「四つ〔の〕鰓有り」とは、入り組んだ鰓蓋の形状から見誤ったものであろうか。

 「盧」は第一義的には口の小さな甕=飯櫃・炭櫃(すびつ)の意であるが、別に「黒い色」の意がある。

「淞江」は現在の江蘇省を流れる呉淞江。というより、上海市街を貫いている二本の川、蘇州河と黄浦江の、その蘇州河の正式名称と言った方が分かりが良いか。なお、このルビには「淞」の中国音“sōng”が示されているので、特に片仮名表記とした。

「鱖」は、時珍が言う時、これは中国大陸特産種で本邦に産しない淡水魚、スズキ目ケツギョ科のケツギョSiniperca chuatsiである。詳しくは、「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「鱖」の私の注を参照されたい。

「其の肝、食ふべからず。人の面皮を剥ぐ。」というのは、典型的なビタミンA過剰症による中毒症状である。スズキ科のイシナギStereolepis doederleiniの肝臓や、哺乳綱食肉目イヌ亜目クマ下目クマ小目クマ上科クマ科クマ亜科クマ属ホッキョクグマUrsus maritimusの肝臓等でよく知られるように、高濃度のビタミンAは人体に極めて有害である(ホッキョクグマの場合、死に至る場合もあるとし、イヌイットの人々は自分達は勿論、橇を引く犬達にも決して食べさせない)。魚類ではビタミンAの含有量の多い内臓・肝臓を保持する種類は多く、サメ類やクジラ・イルカ類や深海魚全般、一般的なマグロ・ブリ・カンパチ・サワラ・ハタハタ・アコウダイ等(特に成熟した大型個体)でも中毒例が報告されている。これらの肝臓を食用にした場合の症状は、まず、12時間以内に激しい頭痛が発生する(嘔吐・発熱を伴う場合もあるが、これらは比較的早期に回復する)。その後、1~6日後に時珍の記載にあるように、顔の皮膚が剥け始め、一ヶ月のうちにその症状が全身に進行し、皮膚が脱落する。通常はそれで回復するが、慢性的な肝機能不全を起す場合もあり、注意しなければならない。しかし、私も少しある種のそれを食べたことがあるが、×××××……。[やぶちゃん自身注:以下、数行伏字。]

「小毒有り」の謂いも、その割注を見ると、ビタミンA過剰症を言っていると考えてよい。ただ淡水魚のあの小さなヤマノカミTrachidermus fasciatusの内臓に、ビタミンAが高濃度に含まれているのかどうかは確認出来ていない。

「蘆根」の「蘆」は、ビワモドキ亜綱フウチョウソウ目アブラナ科のダイコンRaphanus sativusを指す語。

『「新六」』は「新撰和歌六帖(新撰六帖題和歌)」で、1243年前後に藤原家良・為家・知家・信実・光俊の五人が詠んだ和歌を所載した類題和歌集。「衣笠内大臣」とは衣笠(藤原)家良のこと(仁治元(1240)年10月に内大臣。但し翌二年の4月には上表して辞任している)。藤原定家の門弟。和歌は正しくは、以下の通り。

夕なぎの藤江の浦の入海に鱸釣りてふあまの乙女子

(ゆふなぎのふぢえのうらのいりうみにすずきつるてふあまのをとめご)

この「藤江の浦」は、「万葉集」の「柿本人麻呂が羈旅(きりよ)の歌」(巻3の252)、

荒栲(あらたへ)の藤江の浦に鱸釣る海人(あま)とか見らむ旅行く我れを

で知られる歌枕である(「荒栲の」の「荒栲」は織り目の荒い布のことであるが、素材としてバラ亜綱マメ目マメ科フジ(ノダフジ)Wisteria floribunda等の蔓を繊維として用いたため、「藤」にかかる枕詞となった)。現在の兵庫県の明石大橋の西にある松江海岸とされる。

 「川鱸」及び「海鱸」というのは、本種の広範な生息域に関わるのであって、同一のスズキLateolabrax japonicusを指すことは言うまでもない。以下、生息域についてはウィキが勘所を押さえて纏まっているので当該部分を以下に引用する。『冬は湾口部や河口など外洋水の影響を受ける水域で産卵や越冬を行ない、春から秋には内湾や河川内で暮らすという比較的規則的な回遊を行なう。』『仔魚は成長に伴い湾奥や河口近くに集合する。冬から春に湾奥や河口付近、河川内の各浅所で仔稚魚が見られる。一部は仔稚魚期から純淡水域まで遡上する。仔稚魚はカイアシ類や枝角類、アミ類、端脚類を捕食して成長する。スズキの一部は河川のかなり上流まで遡上する。かつて堰やダムのなかったころは琵琶湖まで遡上する個体もいたらしい。現在でも利根川(100km以上)をはじめ多くの河川で遡上がみられる。一方で、内湾にも多くの個体が存在するが、それらの数と河川の個体の数との比や、相互の移動などについてはよくわかっていない。』ともかくも塩分濃度への適応力の高い魚類である。

 「松江」は勿論、現在の島根県出雲市の松江であるが、前記の中国上海の「松江」(江蘇省呉淞江)がやはり「松江鱸魚」(但し前述の通り全く別種のヤマノカミ)で有名であることの一致には不思議なものを感ずる。これには日本の松江という地名の由来との関係が疑われてはいる。松江市の観光ガイドの一部から引用する(改行部は省略した)。『松江」という地名の由来については古くから諸説あるが、主なものは次の三説である。まず通説としては『懐橘談(かいきつだん)』『雲陽誌』という江戸期の地誌によるもので、松江城を築いた堀尾吉晴が、松江の風景が湖面に美しく映え鱸(すずき)や蓴菜(じゅんさい)を産するところが似ているとして、中国浙江省の淞江府(ずんこうふ)から命名したというものである。次に新井白石の著『紳書』によると、堀尾氏の家臣で松江城の縄張工事にあたった小瀬甫庵(おぜほあん)が「鱸の名所也」として命名したとある。また『雲陽大数録』では円成寺開山春龍和尚の命名とし、「唐土ノ松江、鱸魚卜蓴菜卜有ルカ故名産トス、今城府モ其スンコウニ似タレバ、松江卜称スト云々」と記されている。これらの説にはさまざまな疑問があげられている。「松江」という地名は開府以前からあったともいわれるが、その示す地域も定かではない。昭和53年(1978)、島根大学の入谷仙介教授は地元新聞に次のような推論を発表した。「松江」は呉江県(ごこうけん)の太湖から流れ出る呉淞江(ウースンコウ=川の名)に由来し、命名に苦心していた堀尾吉晴が、渡明の経験のある春龍和尚の進言もあって「松江」を採用したのではないかというものである。』されば、魚種の相違はともかくも、一致して当り前と言えることになる。

 「「古事記」の以下の事跡は、天孫降臨から出雲の国譲りのシークエンスの最後に現れる。事代大神(コトシロヌシ)を始めとした諸神が天神(アマツカミ)への従属を誓った後に(原文の引用は岡島昭浩氏の本居宣長「訂正古訓古事記」より。但し、衍字と判断される漢字表記や句点の一部を変更してある)、

 

於出雲國之多藝志之小濱造天之御舍【多藝志三字以音】、而水戸神之孫櫛八玉神、爲膳夫、獻天御饗之時、禱曰而、櫛八玉神、化鵜入海底、咋出底之波迩【此二字以音】、作天八十毘良迦【此三字以音】、而鎌海布之柄作燧臼臺、以海蓴之柄作燧杵而、鑚出火云、

是我所燧火者 於高天原者 神産巣日御祖命之 登陀流天之新巣之 凝烟【訓凝姻云州須】之 八拳垂麻弖燒擧【麻弖二字以音】 地下者 於底津石根燒凝而 栲繩之 千尋繩打延 爲釣海人之 口大之尾翼鱸【訓鱸云須受岐】 佐和佐和迩【此五字以音】 控依騰而 打竹之 登遠遠登遠遠迩【此七字以音】 獻天之眞魚咋也

故建御雷神、返參上、復奏言向和平葦原中國之状。

 

やぶちゃんによる書き下し文:

出雲國の多藝志(たぎし)の小濱(をばま)に於て天(あめ)の御舍(みあらか)を造り【多藝志の三字、音を以てす。】而して水戸神(みなとのかみ)の孫、櫛八玉神(くしやたまのかみ)、膳夫(かしはで)と爲して、天御饗(あめのみあへ)を獻ずるの時、禱ぎて曰く、――櫛八玉神、鵜(う)と化して海底に入り、底の波迩(はに)【此の二字、音を以てす。】を咋(くは)へ出でて、天八十毘良迦(あめのやそびらか)【此の三字、音を以てす。】を作り、而して海-布(め)の柄を鎌(か)つて燧臼(ひきりうす)が臺に作り、海-蓴(こも)の柄を以て燧杵(ひきりきね)を作りて、火を鑚(き)り出だし云く――、

是れ我が燧れる火は 高天原には 神産巣日御祖命(かむむすびのみおやのみこと)の 登陀流天(とだるあめ)の新巣(にひす)の 凝烟(すす)【「凝烟」は訓じて州須と云ふ。】の 八拳(やつか)垂(た)るまで【「麻弖」の二字、音を以てす。】燒(た)き擧げ 地(つち)の下は 底津石根(そこついはね)に燒き凝らして 栲繩(たくなは)の 千尋繩(ちひろなは)打ち延(は)へ 釣爲(せ)し海人の 口大(くちおほ)の尾翼鱸(おはたすずき)【鱸は訓じて須受岐と云ふ。】 さわさわに【此の五字、音を以てす。】 控(ひ)き依(よ)せ騰(あ)げて 打竹(さきたけ)の とををとををに【此の七字、音を以てす。】 天(あめ)の眞魚咋(まなぎひ) 獻(たてまつ)るなり

と。故に建御雷神(たけみかづち)、返り參り上りて、葦原中國(あしはらのなかつくに)を言向(ことむ)け和平(やは)しつる状(さま)を復奏したまひき。

 

やぶちゃん訳:

(神々の恭順を得たことを言祝ぐために)そこで出雲国の多芸志(たぎし)の小浜に「天の御舎」(あめのみあらか=出雲大社)を造立し、水門神(みなとのかみ)の孫である櫛八玉神(くしやたま)が膳夫(かしわで=神饌を調し進める者)として選ばれ、天御饗(あめのみあえ=神饌)を献上致しましたその折、御言祝ぎを申し上げて、――その時、櫛八玉神は鵜と化してさっと海底(うなぞこ)に潜り、海底のハニ(=赤土)を咥えて戻り、それで天八十毘良迦(あめのやそびらか=沢山の平たい皿)を作り、また海-布(め=海藻)の茎を刈りとって燧臼(ひきりうす=摩擦熱を利用した火起こし器の台に相当する部分か)の台に作り、海-蓴(こも)の茎を燧杵(ひきりきね=上記の火起こし器の回転させる棒状の部分か)に作り、火を鑽(き)り出しながら歌った――

この我が鑽り出した火――

それは高天原では

神産巣日御祖命(かむむすびのみおやのみこと)の

その豪華な新しい御殿にかすかに付く煤(すす)が

長が長がと垂れ下がるまで焚き続ける、火――

地の底では

その地の底の岩の根を固く固く焚き固まらせ続ける、起る火――

楮(こうぞ)で出来た

長い長い繩を

ざっと海へ投げ延ばして

我が海人の釣り上げる

大きな口の尾翼鱸(おはたすずき=精悍巨大な尾鰭の美事なスズキ)!

いや、もうこの鱸がザンザと波音を立てて引き寄せ上げるように――

いや、もうトオントオンと竹で出来たきが音を立てて撓むまでにこの鱸を盛り付けて――

この手によりをかけて御魚料理を献-上(たてまつ)る――

と。さてもこれを以って建御雷神は高天原に急ぎ帰り参上されると、葦原中国(あしはらのなかつくに)に対する「言向け」が功を奏し、美事に平定されたことを上奏した。

 

ちなみに、この最後に出てくる「言向け」とは、言霊(ことだま)即ち言葉の霊力によって対照を服従させたり征服したりすることを言う。言わば呪的糾弾・呪的強迫と言うべきか。魅力的でありながら強烈な嘘臭さを感じさせる言葉である。

 最後に。私は古典作品に登場する鱸というと、すぐに「平家物語」の巻一の「鱸」を思い出すのである(引用はJapanese Text Initiative / Electronic Text Center / University of Virginia Library Heike monogatari [chapter 1]を使用した)。

 

平家かやうに繁昌せられけるも熊野權現の御利生とぞきこえし。其故は、古へ清盛公、いまだ安藝守たりし時、伊勢の海より船にて熊野へまゐられけるに、大きなる鱸の船にをどり入たりけるを、先達申けるは、「是は權現の御利生なり。いそぎまゐるべし。」と申ければ、清盛のたまひけるは、「昔、周の武王の船にこそ白魚は躍入たりけるなれ。是吉事なり。」とて、さばかり十戒をたもちて、精進潔齋の道なれども、調味して家の子、侍ともにくはせられけり。其故にや吉事のみうちつゞいて太政大臣まできはめ給へり。子孫の官途も龍の雲に上るよりは猶すみやかなり。九代の先蹤をこえ給ふこそ目出けれ。

 

やぶちゃん訳:

平家がまずはこのように栄華の限りを尽くされたのも、もとはと言えば熊野権現様の有り難い御利益があればこそとのことで御座いました。……というのは、昔、清盛公が未だ安芸守であられた頃、伊勢の安濃津[やぶちゃん注:現在の三重県津市の南部。伊勢平氏の拠点。]より船出されて熊野参詣をなされた折に、それはそれは大きな鱸が、船中に躍り込んで参りましたが、この度の参詣で先達を務める者が申しますに、「これは熊野権現の御利益に御座います。急ぎお食べになるがよろしゅう御座います。」と申しましたところ、清盛様は加えておしゃるには、「昔、周の聖王武王の船中にはまさに白魚が躍り込んだというぞ。この魚も吉兆である!」とのこと……本来、尊い神仏参詣、仏法の十戒[やぶちゃん注:殺生を初めとした十悪を犯さないこと。]を固く守り、精進潔斎してこその、それほどの特別な途上で御座いましたけれども、(先達や清盛様の言上げから)即座に船上でその鱸を調し、家子郎等、分け隔てなくお食べさせなされたので御座いました。……さても、その験(しるし)でございましょうや、平家には吉事ばかりがうち続き、清盛様は、なんとまあ、太政大臣というお侍さまとしてはこの上なき地位までお極めになられたので御座いました。その御子孫の官途の道も悉く龍の雲に上るよりも速やかで御座いました。斯くなる清盛様とその御子孫の御出世は、まさに平家先祖九代の先例をも軽々と越えまして、まこと、目出度きことに御座いました……。

 

ここに現れた「白魚」(清盛の言は「史記」の「周本紀」に基づく)は、勿論、日本のシラウオでもシロウオでもない。現代中国ではコイ科のAnabarilius属に与えられているが、この「白魚」がそれを指すかどうかは不明である。さて、最後に、何故、「平家物語」をここに引いたか……妙な物謂いであるが、私は何故か、その船に飛び込んだ鱸を遠い昔、実際に船端でそうした郎等の一人として、見たような気が、いつも何処かで、しているのである……当てにならない系図によれば、僕は、源氏の末裔を穢すはずなのだが……]

***

さば   青魚 ※1【大者】

   【和名阿乎左波】

ツイン

[やぶちゃん字注:※1=魚+婁。]

 

《改ページ》

崔禹錫食經云鯖口尖背蒼者也

本綱鯖生江湖間取無時似鯇而背正青色以作鮓其大

者名※1肉【甘平微毒有】服朮人忌之【不可合生胡菜豆藿麥醬同食】其頭中枕

骨蒸令氣通曝乾状如琥珀作酒噐〔=器〕梳箆

五雜俎云食鯖已狂食鮆止驕食※2餘魚不醉食人魚已

癡食黄鳥已妬食※3※4不饑古有斯語未診其然也

[やぶちゃん字注:※2=「竹」(上・かんむり)+「弄」(下)。※3=「爰」+「鳥」。※4=「居」+「鳥」。]

△按鯖形色畧合於本草之説然北海西海多有而未聞

 在湖中未見其枕骨可爲噐〔=器〕者也形類鯇而鱗至細大

 者一尺四五寸背正青色中有蒼黑微斑文或如繩之

 纏尾邊兩兩相對有角刺之鰭其肉【甘微酸】易餒食經宿

 者令人醉但鮮者醋熬食佳能登海上四月中多時數

 万爲浪所漂而不釣不網亦可獲取作※5運送諸國上

 下賞之爲中元日祝用但自背傍骨割開※5之二枚作

 一重謂之一刺其色赤紫者爲上塗鰯油乾則色佳也

 能登之産爲上佐渡越中次之

[やぶちゃん字注:※5=魚+邑。]

さば   青魚 ※1【大なる者。】

   【和名、阿乎左波〔(あをさば)〕。】

ツイン

[やぶちゃん字注:※1=魚+婁。]

 

崔禹錫が「食經」に云ふ、『鯖、口、尖り、背、蒼き者なり。』と。

「本綱」に、『は江湖の間に生ず。取るに時無く、鯇(あめこ)に似て、背、正青色。以て鮓に作る。其の大なる者、※1と名づく。肉【甘、平。微毒有り。】、朮〔(じゆつ)〕を服する人、之を忌む【生胡荽〔(しやうこさい)〕豆藿(まめのは)麥醬〔(ばくしやう)〕と合はせて同食すべからず。】。其の頭の中の枕骨、蒸して氣を通ぜしめ、曝し乾さば、状、琥珀のごとし。酒器・梳箆〔(すきべら)〕に作る。』と。

「五雜俎」に云ふ、『「鯖を食へば、狂を已〔(や)〕め、鮆〔(えつ)〕を食へばを止〔(や)〕む。※2餘魚を食へば醉はず、人魚を食へば癡〔(ち)〕を已む。黄鳥を食へばを已み、※3※4を食へば、饑ゑず。」と。古へより斯〔(か)〕くの語有るも、未だ其の然るを診ざるなり。』と。

[やぶちゃん字注:※2=「竹」(上・かんむり)+「弄」(下)。※3=「爰」+「鳥」。※4=「居」+「鳥」。]

△按ずるに、鯖の形・色、畧ぼ「本草〔綱目〕」の説に合す。然れども北海・西海に多く有りて、未だ湖中に在ることを聞かず、未だ其の枕骨〔をして〕器と爲す者を見ざるなり。形、鯇(あめ)に類して、鱗、至つて細かなり。大なる者、一尺四~五寸。背、正青色の中に蒼黑の微かに〔→なる〕斑文有り。或は繩の纏〔まと〕へるがごとし。尾の邊、兩兩相對して角刺の鰭有り。其の肉【甘、微酸。】、餒〔(あざ)〕り易く、宿を經る者を食へば、人を醉はしむ。但し、鮮〔(あたら)〕しき者、醋にて熬り食へば佳なり。能登の海上に四月中多く、時に數万、浪の爲めに漂(たゞよ)はされて、釣らず網せずしても亦、獲〔(とら)〕ふべし。取りて、※5〔(しほもの)〕と作〔(な)〕し、諸國に運送す。上下、之を賞し、中元の日の祝用と爲す。但し、背より骨に傍〔(そ)〕ひて割り開き、之を※5(しほもの)にして、二枚を一重と作し、之を一刺(〔ひと〕さし)と謂ふ。其の色、赤紫の者、上と爲し、鰯油〔(いわしゆ)〕を塗りて乾かす。則ち色、佳なり。能登の産上と爲し、佐渡・越中、之に次ぐ。[やぶちゃん字注:※5=魚+邑。]

[やぶちゃん注:スズキ目サバ亜目サバ科で、サバ属 Scomber・グルクマ属Rastrelliger・ニジョウサバ属Grammatorcynusがある。通常、単に「鯖」と言えばサバ属のマサバ Scomber japonicusである。但し、以下の中国の引用書の「鯖」はサバではない。そもそも国会図書館蔵の初版金陵万暦181596)刊の「本草綱目」の画像を見ても、そこには良安の記す「鯖」という文字はなく、「青魚」と記されている。これは淡水魚である文字通りのコイ科ソウギョ亜科のアオウオMylopharyngodon piceusなのである。だから、良安先生には悪いが、『鯖の形・色、畧ぼ「本草〔綱目〕」の説に合す』のは偶然であって、鯖は海水魚であって淡水に居るわきゃないし、ソウギョの類のあの巨体には、そりゃああるだろう枕骨(後の注を参照)が鯖にあるわきゃなんだ。良安先生は何で、そこで一歩踏み込んで、中国の「鯖」が本邦の「鯖」じゃあないと言わなかったのか? 次の「鰶」じゃ、ガンガン、指弾してるのに? 形態・体色の一致というだけの思い込みだけに拠っているこの時の先生、何かあってテンション下がってたのかなあ?

 『崔禹錫が「食經」』の「食經」は「崔禹錫食經」で唐の崔禹錫撰になる食物本草書。良安がよく引く「倭名類聚鈔」に多く引用されるが、現在は散佚。後代の引用から、時節の食の禁忌・食い合わせ・飲用水の選び方等を記した総論部と、一品ごとに味覚・毒の有無・主治や効能を記した各論部から構成されていたと推測される。

 「鯇」を良安は「あめこ」と読んでいるが、「あめのいを」=「あまご」の別称である。ではこれはサツキマスOncorhynchus masou ishikawae(サツキマスは降海型・降湖型の名称)の陸封型であるアマゴOncorhynchus masou ishikawae(学名はサツキマスと全く同じ)かといえば、まず良安のルビとしての「あめこ」は、アマゴではなく、現在のサケ目サケ科タイヘイヨウサケ属サクラマス(ヤマメ)Oncorhynchus masou masou 亜種である琵琶湖固有種であるビワマスOncorhynchus masou rhodurusである。そうして面倒なことに、時珍の書いた「鯇」は、アマゴでもサクラマスでもない、コイ目コイ科ソウギョ亜科ソウギョCtenopharyngodon idellusである。混乱してきた人のために、整理する。「本草綱目」の「鯇」は、ソウギョについて書かれている。それが「あめのいを」と訓読されていた結果、それを異名とするアマゴの更なる別名「アメコ」や「アメ」を、良安は軽率にも(というか当然のこととして)ルビで用いたのである。ところが、実は良安が考えていた「アマゴ」は現在のアマゴではなく、現在のビワマスであったと私は考えるのである。なお以上の同定を含めて、「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「鯇」の項を必ず参照されたい。

 「朮」はキク目キク科のオケラAtractylodes japonica。根茎を白朮(びゃくじゅつ)、同属のホソバオケラAtractylodes lanceaの根茎を蒼朮(そうじゅつ)といい、共に健胃整腸効果を持つ。邪気を払うとして屠蘇にも用いられた。

「生胡荽」以下の部分であるが、国会図書館蔵の初版金陵万暦181596)刊の「本草綱目」の画像を見ると「開寶弘景曰不可合生胡荽生葵菜豆藿麥醬同食」と記されており、良安の引用と異なる。これは良安の脱字であろう。さて「生胡荽」の「荽」は香菜“xiāngcài”〔中国〕=パクチー〔タイ〕=コリアンダー、セリ目セリ科の和名コエンドロCoriandrum sativumを指し、「胡菜」とも書く。コリアンダー(和名のコエンドロは如何にもおどろおどろしくて使う気にならないので悪しからず)の生葉にはデカナールC10H20O等の精油成分を含む。漢方では主に乾燥した種子を健胃剤に用いる。良安が落した「生葵菜」は、アオイ目アオイ科のフユアオイMalva verticillataを指す。跡見女子大学学園の嶋田英誠氏の編による「跡見群芳譜 農産譜」「フユアオイ」の項に『また、茎の繊維を麻の代用とし、種子を冬葵子と呼んで利尿解毒剤とし、また全草を冬葵と呼び薬用とする。』とするが、『但し、今日の中国で冬葵子として売られているものは、イチビの種子であるという(『全国中草薬匯編』)。』とも記す。この「イチビ」とは、近年の本邦外来侵入種で爆発的に繁殖する雑草として知られる同じアオイ科のイチビAbutilon theophrasti(シノニム:Abutilon avicennae)である。

「豆藿」は、「黄帝内経素門」の中の臓気法時論篇に「五菜」(他にナス・ニラ・ニンニク・ネギを数える)の一つとして挙げらている「豆叶」である。これは広く良安がルビを振るように豆類の葉を言うが、中国語サイト(簡体字)の「古代“五菜”述略」等によれば、特にエンドウマメ(マメ目マメ科マメ亜科エンドウPisum sativumもしくはその仲間)の葉を指している。これは豆でも莢でもなく、エンドウの若い苗や茎葉と呼ばれる蔓(つる)の先の柔らかな部分、所謂、「豆苗」(とうみょう)を指すと思われる。「豆藿」という語は、他に広く蔬菜を指す語でもあるが、全ての野菜と鯖を同食するなというのはいくらなんでも、不自然に思われる。

「麥醬」は大豆を使用せず、小麦と塩から造った醤油。ちなみに本邦でも江戸時代には盛んに用いられた(現在は規格上、大豆を用いないものに「醤油」は命名出来ないため「白たまり」と称している)。

 「枕骨」とは、人体にあっては外後頭隆起の下を言うようであるが、ここでは鮭の場合と同様(「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「鮭」の項を参照)、特に魚の頭部の、鼻に近い部分を形成するゼラチン質の軟骨を特異的に示している。しかし、ソウギョ亜科ソウギョCtenopharyngodon idellusの頭部にそのような軟骨があるかどうかは確認できなかった。「鯇 枕骨」でかかるのは中国サイトの本草書の引用ばかり、「ソウギョ 枕骨」の検索でかかるのは私のページばかりである。嘘だと思うならやってごらん。

 「梳箆」は梳き櫛。

 『「五雜俎」』は、「五雜組」とも書く。明の謝肇淛(しゃちょうせい)の16巻からなる随筆集であるが、ほとんど百科全書的内容を持ち、日本では江戸時代に愛読された。書名は五色の糸でよった組紐のこと。

「鮆」は一般にはニシン亜目カタクチイワシ科エツ亜科エツCoilia nasusを指す。「山海経」の「第一 二 南次二経」に「苕水出于其陰、北流注于具區。其中多鮆魚。」とあり、郭璞はこれに「鮆魚狹薄而長頭、大者尺餘、太湖中今饒之、一名刀魚。」と注している。

「驕」は、仏教的な謂いとすれば、驕慢であり、煩悩の一つであるが、ここでは一種の操状態を指して言うか。

「※2餘魚」[※2=「竹」(上・かんむり)+「弄」(下)。]の※2は単漢字では、「算」と同字である。即ち、算木、算盤を言うが、この「※2餘魚」=「算餘魚」の正体については、辞書でも全く分からなかった。

「人魚」は後掲する「人魚」の項を参照。

「癡」仏教的な謂いとすれば、煩悩の核心を成す三毒(貪・瞋・癡)の一つであるが、痴者(知的障害)若しくは先の「狂」と同義で用いていると思われる。

「黄鳥」は、日本では「鶯」の別名であるが、中国ではスズメ目コウライウグイス科OriolidaeOriolus属とSphecotheres属の2属)のコウライウグイスの仲間を指す。本邦にはコウライウグイスOriolus chinensis一種のみが、それも旅鳥(たびどり。日本より北で繁殖、日本より南で越冬する渡り鳥を言う)として、対馬や能登の舳倉島、稀に日本海側で見られるに過ぎない。

「妬」は、嫉妬心。一種の精神障害としての関係妄想・被害妄想を言うか。

「※3※4」[※3=「爰」+「鳥」。※4=「居」+「鳥」。]多様な検索をかけてゆくうちに、角川書店の「字源」のXML(文部科学省・学術フロンティア「超表象デジタル研究センター」作成)に行き当たった。その「爰」の部に『○爰居は大いさ馬駒の如き海鳥の名。=雜縣。』と記す。この「雑県」(「※3※4」同様、聞いたことないけど)というどでかい海鳥が、「※3※4」と同一種である可能性は極めて高いと思われる。他の情報では、鳳凰に似て、頭を上げると八尺とも。しかし、ここまでであった。碩学の教えを乞う。ダチョウか、はたまたエピオルニス・マキシムスAepyornis maxinusか?

「未だ其の然るを診ざるなり」とは、そのような謂い(効能)の通りであるかどうかは、まだ実際に調べてみたことはない、という筆者の肇淛の付言であろう。

 「宿を經る者」は、釣れてから日を経たもの、の意。

 「人を醉はしむ」は、アレルギー症状を言う。一般にサバを食べた後に蕁麻疹や腹痛が起きる現象をサバ・アレルギーと称するが、サバそのものがアレルゲンである場合は少ないという説があるので、紹介しておく。サバ科 Scombridaeの魚類に含まれる遊離ヒスチジンHistidineが、時間が経つにつれてヒスチジン脱炭素酵素(HDC)を有する細菌(小桿菌エンテロバクター・アエロゲネスEnterobactor aerogenes等)によりヒスタミンHistamineに変化し、魚肉の中に蓄積され、これを摂取することによってヒスタミン中毒が発生するというのである。但し、ヒシチジンの1g当りの魚肉の含有量は、カツオ550㎎・マグロ580㎎・ブリ490㎎であるのに対して、サバはたった390 ㎎しかない。にも関わらず、サバで有意にアレルギー症状が現れるのかと言えば、それはサバが水圧の低い表層魚であるために、肉質が柔らかくなり、そのために細胞間の水分の移動が激しく、 結果的に「サバの生き腐れ」というように、死後の変質が極めて早いからであるという(本注はHP「しんじょう薬局」の「サバの脂」及び「食材事典 美味探究」の「サバ」他の記載を参照した)。  

 「中元の日」は、上元(正月15日)・中元(7月15日)・下元(1015日)という中国の道教の節句である「三元」の一つ。陰暦7月15日。日本では仏教の盂蘭盆会と習合されて、仏前に供物を捧げ、供養するようになった。

 「一刺」広辞苑の「刺鯖」(さしさば)の項には『サバを背開きにして塩漬けにしたもの。2尾を刺し連ねて1刺しという。盆のおくり物に用いた。』と記して、秋の季語とし、「日本永代」から「盆の刺鯖、正月の鏡餅」を引用している。二尾で一枚というところから、「サバを読む」の語源説の一つともなっている。「はるか鬚G」氏のHP内の「肴噺・魚偏・鯖7」に「刺鯖」について、頗る面白い由来説が記されているので、引用する(一部文字・記号を変更し、改行は省略した)。

 

「関秘録」に「刺鯖の事。俗記にいざなぎ・いざなみ二神、七月望日、海浜を過給ふとき、鯖二蒼交合せしをみたまひて、子孫繁昌のため、今日刺鯖を食ふと云う」という珍説が載っているが、刺鯖は鬼子母神の伝説から生まれたものだと思う。鬼子母神とは、王舎城(インド・マカダ王国の首府)にいた鬼神の娘で訶梨帝母といわれるが、一万人の実子がありながら、他人の子供を奪って食べていたので釈迦は彼女が最も愛していた末子の愛奴(ビャンカラ)を托鉢の鉢の中に隠して母性愛を説教して改心させ、それ以後は安産・育児などの守護神となり、天竺で最初の食物生産者ともなった。そこで釈迦は彼女の可憐な心情を認めて、人肉に似て、魔除けになるインドの吉祥果にも似ている柘椙(ザクロ)を与えたので、彼女は「恐れ入谷の鬼子母神」と恐縮し、人命尊重と敬老の手本を示した。それで大衆も親孝行するようになったから、仏教では鬼子母神を愛子母・歓喜母・功徳天などとよび、食事に先立ち飯の一部を丸めたもの(梵語で婆準または生飯という)を仏前に供えるようになり、この教えから裟婆を鯖と訓み変えて生まれたのが刺鯖の行事であるという。

 

なお引用冒頭の「関秘録」(引用元は「開秘録」とあるが訂正した)は作者不詳の江戸後期の随筆。

「鰯油」はニシン上目ニシン目ClupeiformesのマイワシSardinops melanostictusその他のイワシ類から採られた油で、「大辞林」には『イワシからとった脂肪油。臭気をもち、酸化されやすい。飽和脂肪酸のほか、不飽和度の高い鰯酸などの脂肪酸を含む。硬化油・塗料・医薬品などの原料。』とある。昔は、庶民の行燈の油として普通に用いられた。]

***

《改ページ》

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○十五

このしろ

つなし

【音際】

ツユイ

 

鯯【音制】青鱗□〔→魚〕

鱅【音庸】鱃【音秋】

【和名古乃之呂

 又云豆奈之】

【關東名古波太】

 

本綱鱅處處江湖有之状似鰱而色黑其頭最大有至四

五十斤者味亞于鰱鰱之美在腹鱅之美在頭目傍有骨

名乙禮記曰食魚去乙者是矣又云海上鱅魚其臭如尸

海人食之今以鱅魚尺許者完作淡乾魚都無臭氣魚中

之下品者常以供饈食故曰鱅曰鱃

陸佃云緡隆餌重嘉魚食之緡調餌芳庸魚食之鱅性慵

弱不健故名之魚之不美者也

三才圖會云鰶如鰣而小其鱗青色俗呼青鯽又名青鱗

四聲字苑云鰶【和名古乃之呂】似※1而薄細鱗者也

[やぶちゃん注:※1=「魚」+「脊」。]

        東路のむろの八嶋に立けふりたかこの代につなし燒らん

《改ページ》

△按本草有鱅無鰶今考合之鱅鰶一物也状似鰱及鰣

 而扁其脊蒼腹白光澤眼珠圍紅大抵五七寸未見一

 尺以上者肉中細刺如毛頭小而不應於形然本草謂

 頭最大有至四五十斤者恐是時珍之説不可也【藏噐〔=器〕之説

 爲正】腹中有小肉塊如臼形者似鰡之臼脊中有纎鬛如

 線者其肉作膾胾可食炙之甚臭如屍氣但塗椒未醬

 炙食佳煮食不可俗傳云野州室八嶋有一美女密有

 相思之夫而父母許欲嫁女於彼時州之刺吏〔→史〕強將娶

 之父母及女不肯恐其憤而僞爲女疫死造棺盛數百

 鰶魚荼※2〔=毘〕之經日出奔皆避其難焉因名子代蓋此附

[やぶちゃん注:※2「田」(へん)+「比」(つくり)。]

 會之説矣今其小者曰都奈之【或名小鰭】大者曰古乃之呂

富士山麓江河之交多有鰶人以爲山神所愛故詣富士

人或寅歳生人不可食鰶者愚昧惑説也

木鯯【岐豆奈之】 状似鰶而小鱗大二三寸夏月出有雜肴中

 其肉不柔最下品

《改ページ》

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○十六

 

古人名以魚□〔→者〕徃徃有之如大聖之子名鯉魚之類也

 孝謙帝時有盬屋鯯魚 仁德帝時有吉備雄鮒

 武烈帝時有平群鮪臣 舒明帝時有大伴鯨連

このしろ

つなし

【音、際。】

ツユイ

 

鯯【音、制。】青鱗魚

鱅【音、庸。】鱃【音、秋。】

【和名、古乃之呂。又、豆奈之〔(つなし)〕と云ふ。】

【關東、古波太〔(こはだ)〕と名づく。】

 

「本綱」に、『は、處處の江湖に之有り。状、鰱(たなご)に似て、色黑。其の頭、最も大きく、四~五十斤に至る者有り。味、鰱に亞〔(つ)〕ぐ。鰱の美〔=美味〕、腹に在り、鱅の美、頭に在り。目の傍らに骨有り、「乙」と名づく「禮記」に曰ふ、『魚を食ふに乙を去る。』とは是れなり。又、云ふ、『海上の鱅魚、其れ臭ふこと、尸〔(しかばね)〕のごとし。』海人、之を食ふ。今、鱅魚の尺ばかりの者を以て、完〔(あまね)〕く淡乾魚に作〔るも〕、都〔(すべ)〕て臭さき氣無し。魚中の下品〔なれども〕常に以て饈食〔(しうしよく)〕に供す。故に鱅と曰ひ、鱃と曰ふ。』と。

陸佃〔(りくでん)〕に〔→が〕云ふ、『-隆〔(つりいと)〕の餌、重ければ、嘉魚、之を食ひ、緡-隆〔(つりいと)〕の餌、芳しければ、庸魚、之を食ふ。鱅、性、慵弱にして健ならず。故に之を名づく。魚の美ならざる者なり。』と。

「三才圖會」に云ふ、『鰶は、鰣〔(ひら)〕のごとくして、小さく、其の鱗、青色。俗に青鯽と呼び、又、青鱗と名づく。』と。

「四聲字苑」に云ふ、『鰶【和名、古乃之呂。】※1(ふな)に似て、薄く、細鱗なる者なり。』と。[やぶちゃん注:※1=「魚」+「脊」。]

        東路のむろの八嶋に立つけぶりだかこの代につなし燒くらん

△按ずるに、「本草〔綱目〕」に「鱅」有りて、「鰶」無し。今、之を考へ合はするに、鱅・鰶は一物なり。状、鰱及び鰣に似て、扁たく、其の脊、蒼く、腹、白く、光澤〔あり〕。眼珠の圍(めぐ)り、紅なり。大抵、五~七寸、未だ一尺以上の者を見ず。肉の中の細き刺、毛のごとし。頭、小にして、形に應へず。然るを「本草〔綱目〕」に『頭、最も大きく、四~五十斤に至る者有り』と謂ふは、恐らく是れ時珍の説、不可なり【藏器の説、正と爲す。】。腹中に、小肉の塊の臼の形のごとくなる者有り。鰡〔(ぼら)〕の臼に似たり。脊の中に纎(ほそ)き鬛(ひれ)の線のごとき者有り。其の肉、膾(なます)・胾(さしみ)に作りて食ふべし。之を炙れば甚だ臭く屍(しびと)の氣のごとし。但し椒未醬(さんせうみそ)を塗り、炙り食ひて佳に、煮て食ふは可ならず。俗に傳へて云ふ、『野州〔=下野〕室の八嶋に一美女有り。密かに相思の夫有りて、父母も許して女を彼に嫁せんと欲す。時に州の刺史、強ひて將に之を娶らんとす。父母及び女、肯(うけが)はず。其の憤りを恐れて、僞りて、女(むすめ)、疫死せりと爲して、棺を造り、數百の鰶魚を盛りて之を荼毘(だび)す。日を經て出奔して、皆、其の難を避けり。因りて子の代と名づく。』と。蓋し、此れ、附會の説なり。今、其の小なる者を都奈之と曰ひ【或は小鰭〔(こはだ)〕と名づく。】大なる者、古乃之呂と曰ふ。

[やぶちゃん注:※2「田」(へん)+「比」(つくり)。]

富士山の麓、江河の交〔(あはひ)〕、多く鰶有り。人以て山神の愛する所と爲す。故に富士に詣づる人、或は寅歳の生〔(しやう)〕たる人、鰶を食ふべからずとするは、愚昧の惑説なり。

木鯯(きつなし)【岐豆奈之。】 状、鰶に似て、小さく、鱗、大きく二~三寸にして、夏月、出づ。雜肴〔(ざつかう)=雑魚〕の中に有り。其の肉、柔かならずして最も下品なり。

古人の名、魚を以てする者、徃徃にして之有り。大聖の子、鯉魚と名づくるの類なり。

孝謙帝の時、盬屋〔(しほや)〕の鯯魚(このしろ)と云ふ人有り。

仁德帝の時、吉備の雄鮒(をふな)〔と云ふ人〕有り。

武烈帝の時、平群(へぐり)の鮪(しび)の臣〔(をみ)〕〔と云ふ人〕有り。

舒明帝の時、大伴の鯨連(くじらのむらじ)〔と云ふ人〕有り。

[やぶちゃん注:ニシン・骨鰾下区ニシン上目ニシン目ニシン科コノシロ亜科コノシロKonosirus pumctatus。一般に関東の寿司屋で新子(しんこ)・小鰭(こはだ)と呼ばれるが、本種も出世魚である(命名について後掲するような不吉なマイナス・イメージが付き纏うのでこれを出世魚とは呼ばないという説も見かけたが、現象としては正統な出世魚である)。関西を中心に総合的に見て整理すると、

ツナシ・ナロ・ジャコ(約4㎝~6㎝)=シンコ(寿司屋では新子は4㎝程度を五枚づけ〔5尾で一かん〕・10㎝程度を二枚づけとする)

コハダ(約7~10㎝)

ナカズミ(約1214㎝前後。関東での呼称と思われ、寿司屋ではこの大きさ程度迄が小鰭に用いられ、12㎝程度を丸づけ〔一尾で一かん〕、最大の14㎝は片身づけとする)

コノシロ(約15㎝以上)

と変化する。但し、この魚の場合は、ご承知の通り、旬のシンコやより若いコハダが好まれ、大きくなるに従って市場での値段が安くなってしまうという不思議な海産物である。

「鱅」この「本草綱目」の叙述は、読んでお分かりのように、コノシロではない。ここで時珍の言う「鱅」はコイ科アブラミス亜科コクレンAristichthys nobilisもしくは同科の似た淡水魚を指している。

 「鰱」ここで時珍が用いているこれは、次項の「鰱」(スズキ亜目ウミタナゴ科ウミタナゴDitrema temmincki)とは異なり、淡水魚のコイ科タナゴ亜科Acheilognathinaeに属するタナゴ類のいずれかであろうと思われる。

 「四~五十斤」は25㎏~30㎏。

 『目の傍らに骨有り、「乙」と名づく』は、一説に魚の腸、一説に魚の腮(あご)の骨とするが、本文の叙述は「目の傍ら」と言っており、これはエラとしての「腮」の部分ではなく、正しく頭部の顎骨を指しているように思われる。

 『「禮記」に曰ふ、『魚を食ふに乙を去る。』』は「礼記」の「内則」に

 

不食雛鱉、狼去腸、狗去腎、狸去正脊、兔去尻、狐去首、豚去腦、魚去乙、鱉去醜。

 

とあるのを指す。「鱉」は「鼈」で爬虫綱カメ目潜頸亜目スッポン上科スッポン科スッポン亜科 Trionychinaeのスッポン類又はカメ目カワガメ科のDermatemydidaeのカワガメ類、及び藻を背中につけた蓑亀や淡水産の亀類を言う川亀を意味する。中文サイトを見ると注して「乙:魚腸」「醜:肛門」とある。

 「饈食」の「饈」は「羞」を本字とするとすれば、「羞」には、食物をすすめ供する、またはご馳走の意があり、「羞膳」=「羞饌」で同義であるから、ここは客に出すおもてなし料理の意。

 「故に鱅と曰ひ、鱃と曰ふ」は、「饈」は前注の謂いから、「鱅」の「庸」は、原義が取り上げて用いるの謂いであるから、特に「饈食」として、この魚(コクレン)を客をもてなす料理に、特に取り上げて用いるから「鱅」と言うのである、ということであろう。

 「陸佃」(10421102)は北宋の王安石の影響を受けた政治家・学者。引用は、彼の博物的訓詁学書「埤雅」(ひが)より。

 「緡隆」の「緡」(びん)は釣糸。「隆」は長いの意をとるか。

 「嘉魚」は、サケ目サケ科イワナ属Salvelinusのイワナ類を候補としておく。詳しくは、「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「嘉魚」を参照されたい。

 「慵弱」の「慵」は、ものうい、だるい、なまける、怠るの意であるから、脆弱な性質を言うのであろう。先の「もてなし料理」とは違う語源説である。

 「鰣」は骨鰾下区ニシン上目ニシン目ニシン科ニシン亜科ヒラLlisha elongata。前掲の「鰣」を参照。

 「青鯽」の「鯽」自体はコイ目コイ科コイ亜科フナ属Carassiusを指す。コクレンに対して「青鯽」(青いフナ)と名づけるのは不審。

 『「四聲字苑」』は、「和名類聚抄」によく引用されている中国の字書で、反切等を用いて音を示し、語義を記したものであるらしいが、現在は失われている。

 「東路の」以下の和歌については、まず「慈元抄」に載る。「慈元抄」は1510(永正7)年に書かれたとする孝道に関わる教訓書で、作者は未詳。現在は「群書類従」に所収する形で残る。該当箇所を以下に引用する(「室の八島保存会」のHPの「中世 室の八島」に載るものをもとにして、私の判断で誤字・衍字・送り仮名の省略の類をすべて補正し、さらに正字に換えた)。

 

問ひて曰く、「歌ゆゑに幸にあひたる人ありや。」

答へて曰く、「昔、有馬王子、零(おち)ぶれたまひて、下野國まで下り給ふ。其の國に五萬長者とて富人あり。其(そこ)に立ち寄らせ玉ひて、奉公すべき由を宣(の)ぶ。長者、置き奉る。或る時、酒宴の半ばに巡の舞ありて、皆舞ひけり。彼の若殿原も舞ふべしと長者云ければ、王子やがて立ちて歌をよみ玉ふ。

   いなむしろ川そひ柳行く水に流れおれふしそのねはうせず

と詠じて舞ひ給ひければ、長者、只人にあらずとて、座敷を立ちて御手を引きて上座にをき奉りけるとなむ。其比(そのころ)、長者、獨(ひとり)の娘を持たり。かねては常陸の國司に參らすべきよし、約束有りけるも、彼の王子忍び逢ひ給ひて、程なく懷姙有りければ、國司より催促ありけれど、娘は早死したりとて、喪葬の儀式をなして野邊に送る。棺にはつなしと云ふ魚を入れて燒きて烟を立つ。彼の魚は、燒く匂ひ、人を燒くに似たればなり。其の心を讀める。

   東路の室のやしまに立煙たが子のしろにつなし燒くらん

子の代はりに燒くとよめり。それよりして、このしろと云ふとなむ。是の歌、故に王子も幸に逢ひ給ふ。

 

本伝承の主人公有馬皇子〔舒明十二(640)年~斉明四(658)年〕は孝徳天皇の唯一の子供。

10歳の時、父帝がに難波宮で崩御〔白雉五(654)年〕、孝徳天皇の同母姉宝皇女(たからのひめみこ)が飛鳥板蓋宮に再祚して斉明天皇となった。後、蘇我赤兄(そがのあかえ)に唆されて謀反の謀議を行うが、直後に逆に赤兄に裏切られ、捕縛されて藤白坂(現在の和歌山県海南市内海町藤白)で絞首刑に処せられた。享年十九の若さであった。古来、源義経と並んで人気の高い悲劇の英雄である。

さて、東洋文庫版注では、この歌の後注として「本朝食鑑」の「鯯」の項参照とだけある(私の注もそういう雰囲気になっているので偉そうに言えないが、これらはこの和歌の注とするよりも、後半で語られる名称由来の伝承の注とすべきであろう)。「本朝食鑑」(ほんちょうしょっかん)は元禄81695)年刊の人見必大の記した本草書で、水部以下12部に分類、品名を挙げてその性質・効能・毒性・滋味・食法等を解説する。この引用元の「『室の八島』の歴史(参考文献一覧)にその該当箇所「鯯」の項の挿話が引用されているので以下に使用させてもらう(一部の記号・漢字を変更・補正した)。

 

『曾て聞いた話であるが、昔、野州室の八嶋の市中に富商がおり、一人の美しい娘をもうけた。この娘は、としごろを過ぎたがまだ他に嫁がず、空しく深窓の中に暮らしていた。たまたま市辺に流寓の公子の某(なにがし)というものがおり、常に富商の家にきていつしかしたしい間柄となり、遂に娘と密かに通じるようになった。父母はそうなったことを予め識っていたが、拒む気持ちはなく、内心ではすぐにも娘をその公子に嫁がせ財を分け与え同居させようと考えていた。けれども外部のそしりをはばかってまだ果たさぬうち、州の刺史がその娘の美貌を聞き伝え、娘をお側へさし出すことをもとめてきた。親たちはもとめられてもあたえず、そうこうするうちに刺史は大いにいかって、心中常づね罪をかまえてその家をほうむろうと計画していた。父母は災禍がまさに至らんとするのを察し、世間には『娘はやまいに遭ってにわかに病没いたしました』と表言し、新しく棺おけを造り、その中に鯯魚数百尾を盛り入れて死者のように偽装し、父母と親睦した者たちは、喪服をまとい柩を引き、ともに野に出てあな中に据えて荼毘(だび)にふした。刺史はそのことを聞いて大いに哀嘆した。その後日を経て、父母および公子は娘を携えてひそかに他国へ出ていった。後代の人はこの話を憐れみ、和歌にして悼傷している。それから津那志を子代(このしろ)と呼んで鯯の字をあてるが、それはこの魚が娘の死の身代わりになったためであるという。』

 

なお、この「慈元抄」の方の引用元のページにはコノシロの由来について極めて豊富な資料が示されており、興味深い。その何箇所かを引用する(上の「慈元抄」の引用の直後から。ここでは記号その他すべてをそのままコピーして一切手を加えていない)。

《引用開始》

ということで「それよりして、このしろと云ふとなむ」はデタラメです。歴史上の事件とコノシロ身代わり話とを結びつけた、このような寺社の縁起譚は鎌倉時代以降各地に見られますが、その歴史の過程で、西日本の呼び名であるツナシと東日本の呼び名であるコノシロ()とが一つの縁起譚の中に取り込まれたものと思われます。なおコノシロの呼び名は古くから有り、次に説明しますように[日本書紀]にも出てきます。

(註)ツナシとコノシロ:西日本の呼び名、東日本の呼び名という区別は大雑把な話です。でも少なくとも関東ではコハダあるいはコノシロと言わなければ通じなかったのではないでしょうか?

コノシロ

コノシロの名前は、[日本書紀] 古典篇(その十三)孝徳紀の大化2年(646年)3月条に「塩屋制魚(ルビ:挙能之廬、このしろ)」と出てきます。

一方、ツナシの呼び名の方は、大伴家持の次の歌にあるようです。ただしこれだとツナシの呼び名は西日本の呼び名というより、北陸地方の呼び名ということになってしまいますね。(?)

・[万葉集]巻174011

 大伴家持(718785年)

 放逸せる鷹を思ひ、夢に見て感悦して作る歌一首(大伴家持が越中守在任中の747年の歌)

「大君の 遠の朝廷(みかど)ぞ み雪降る・・・汝(な) が恋ふる その秀(ほ)つ鷹は 松田江の 浜行き暮し 都奈之(ツナシ)とる 氷見の江過ぎて 多古の島 飛びたもとほり・・・」

 [慈元抄]にある「彼の魚(コノシロ)は焼く匂ひ人を焼くに似たればなり。」は、中国の秦の始皇帝の故事から来たようです。始皇帝が真夏の旅先で亡くなったとき、その死を隠すために車に積んだ始皇帝の棺にコノシロを一緒に詰め、その腐臭で死臭をごまかしたそうです。決してこの魚を焼くと人を焼く臭いがするわけではありません。[やぶちゃん注:中略。]

・[塵塚談](ちりづかだん)(1814年)

 小川顕道 著

「河豚(ふぐ)、コノシロのこと

 河豚、コノシロ、われら若年の頃は、武家は決して食せざりしものなり。コノシロは此城(このしろ)を食うというひびきを忌みてなり。河豚は毒魚をおそれてなり。二魚とも卑賤の食物にて、河豚の価一隻銭十二文ぐらい。コノシロは二三銭にてありしが、近歳は二魚とも土人ももてはやし喰うゆえに、河豚は上市(はしり) 一隻二百銅、三百銅にして、賤民の口へは思いもよらず。このしろは今世も士人以上は喰はざれども、魚鮓(すし)にして士人も婦人も賞翫しくらう。河豚も乾ふぐは貴富も少しもおそれず喰う。コノシロのすしに同じ。」

 コノシロの名前は、[慈元抄]の話ではありませんが、「子の代(しろ) 」から来ている可能性は充分あります。かつて出産児の健康を祈ってコノシロを地中に埋める風習や、これに類する風習が各地にあったようです。この風習は中国から来たものでしょうか、コノシロを漢字で「魚偏に祭」と書くのが気になります。

 コノシロは漢字一字で「魚偏に祭」の他に「魚偏に制」などとも書きます(倭名類聚抄)。一般には「魚偏に冬」が用いられていますが、これは「魚偏に祭」の祭がくずし字で書かれていたので見誤って「冬」としたもので、国字だそうです。

 コノシロに関しては、かつて全国各地にいろいろな風習があり、それらの風習を紹介するだけで一冊の本になろうかと思われますが、民俗学関係の本を探しましたが、コノシロの民俗学の本は見つかりませんでした。惜しいですね。今から本にまとめてくれる方はいらっしゃらないのでしょうか?』

《引用終わり》

全く同感である。この方は美事な「智」の旅をされていると思うこと、しきり。

 「今、之を考へ合はするに、鱅・鰶は一物なり」は、まず前提として『「本草綱目」離れて』という条件が必要である。即ち、『「本草綱目」には「鱅」が掲げられているが、「鰶」はない。が、しかし、今、多くの事柄を考え合わせて総合的に推理すると、現在の本邦では「鱅」が示す魚と「鰶」が示す魚は同一の魚であって、それは間違いなく海産魚のコノシロである。』という意味である。

 「藏器の説」の「藏器」人名で、唐代の本草学者、陳蔵器を指す。「本草拾遺」(人肉の薬効を記す文献として知られる)の撰で知られる。ここで良安が言っているのは「本草綱目」の「鱅」の「集解」の冒頭に引く「藏器曰」の部分を指している。以下に国立図書館蔵本画像より起したものを掲げる。

 

陶注鮑魚云令鱅魚長尺許者完作淡乾魚都無臭氣其魚目旁有骨名乙禮記云食魚去乙是矣然劉元紹言海上鱅魚其臭如尸海人食之當別一種也

 

やぶちゃんによる書き下し文:

陶注の鮑魚に云ふ、『令鱅魚、長さ尺ばかり者、完(すべ)て淡乾魚に作り、都(すべ)て臭氣無し。其の魚、目の旁に骨有り。乙と名づく。』と。「禮記」に云ふ、『魚を食ふに乙を去る。』とは是れなり。然るに、劉元紹が言ふ、『海上の鱅魚、其れ臭ふこと、尸〔(しかばね)〕のごとし。海人、之を食ふ。』と。當に別の一種なり。

 

良安の記載とほぼ同じである。「陶」は、六朝時代の博物学者である陶弘景であろう。彼の中国最古の本草書「神農本草経」の注釈書「本草経集注」からの引用であろうか。「劉元紹」は、私には不詳。

 「鰡の臼」は『ボラの臍』、ボラ目ボラ科ボラMugil cephalusの肥厚した胃の幽門部のこと。コノシロもボラ同様にデトリタス食性を持つために発達している。形状その他は前掲の「鯔」の項の注を参照のこと。

 「脊の中に纎き鬛の線のごとき者有り」はセビレの最後の軟条を指す。コノシロの場合、これが長く後ろに糸状に伸びる。良く似たニシン亜科のサッパ(ママカリ)Sardinella zunasiとの区別はここを見る。

 「富士山」前後の伝承については余り食指が動かないのだが、とよた時という方のブログ「山のふみあと日記」に以下のような「コノシロ」伝承を載せるので(所載するページは多いが、単に「富士山 コノシロ」のグーグルの検索のトップということで)、引用させてもらう(但し、空行を省略して詰めた)。

《引用開始》

▼山の伝説エピソード「富士山頂に住む魚・コノシロ(鮗)」

富士山火口内にコノシロ池という池があって、ここにはコノシロという魚がすんでいたといいます。「風俗文選」の(富士山賦)に「絶頂ノ鮗(このしろ)・半腹ノ雀」とあります。「駿河国新風土記」ではその広さ7、8間で、「時ニヨリテ水ノアルコトモアリ。又ナキコトモアリテ、魚ナドノ住ムベキ処ニアラズ」とわざわざあるのは、それほど一般に広く信じられていたのでしょう。古くから富士浅間の氏子は頂上にすむこの魚は食べないという。ある日、風の神が富士山の開耶姫[やぶちゃん注:「コノハナサクヤヒメ」と読む。]に一目惚れしてしまいました。寝ても起きても姫のことばかり。風の神はとうとう開耶姫を妻にしたいと決心。驚いたのは父の大山祇神[やぶちゃん注:「オオヤマヅミノカミ」と読む。]です。断れば風の神がどんな暴風を吹かせて暴れるかも知れません。ところが姫は何を考えたか従者をコノシロ池の魚を捕まえに走らせました。次の日、返事を聞きに風の神がやってきました。庭先ヘ入ってみると、みな泣きはらしています。そしてなんともいえぬ不快な臭いがおそってきました。「姫様がおなくなりに…」という従者の言葉。ではこの臭いは…。風の神は葬儀の煙を見て、ワァ~ッとものすごい声、地だんだを踏み転げ回って悲しみまました。コノシロ池の魚は焼くと人を焼く臭いに似た煙を出すという。こうして風の神に諦めさせたという伝説があります。いくら風の神といえ、ちょっとかわいそうな気もします。

《引用終わり》

本伝承は「譚」としての構造が先の有馬王子伝承と全く同じである。ペルーの砂漠じゃあるまいし、忽然と生じた池に魚、氏子は食べないではなく、幻の魚だから食べられないというところであろう。また本文の方の、寅年生まれはコノシロを食わないというのも今は信じられていない模様である。

 「木鯯」キツナシ これは全くの感触でしかないが、これが形状の非常に良く似たニシン亜科のサッパ(ママカリ)Sardinella zunasiではないだろうか。サッパの名の由来には、いろいろあるようだが、「笹の葉のような雑魚」の謂いというのが私にはしっくりくる。すると、この記述の「雜肴の中に有り」が何だか連動してしまうのだ。ただコノシロに比してサッパの肉が堅く(だから「木のように硬いツナシ」)鱗がでかいかどうかは未だ調べていない。

 「大聖の子、鯉魚と名づくる」の「大聖」は孔子を指す。孔子の息子は名を鯉といい、字(あざな)を伯魚と言った。この子が生まれた時、君主からコイを賜ったことからという伝承が残る。孔子よりも早く没した。子を失った父親の悲しみとつづみの名器天鼓をモチーフとした能楽「天鼓」の冒頭のシテの台詞に、「傅へ聞く孔子は鯉魚(りぎよ)に別れて、思ひの火を胸に焚き。白居易(はつきよい)は子を先だてて、枕に殘る藥を恨む。これみな仁義禮智信の祖師、文道(ぶんとう)の大祖(たいそ)たり。我等が歎くは科(とが)ならじと、思ふ思ひに堪へかぬる。涙いとなき、袂かな」とある。

 「孝謙帝」在位は、まず天平勝宝元(749)年~天平宝字2758)年の第46代と、次ぐ47代の淳仁(じゅんにん)天皇を経ての重祚により、再び第48代の称徳天皇となってからの、天平宝字8764)年~神護景雲4770)年の合わせて15年間に及ぶ。父は聖武天皇。日本史上人目の女帝である。

 「盬屋の鯯魚」は「日本書紀」の大化2(646)年3月辛巳の条にその名を見出すが、前述の孝謙天皇の在位とは合わない。これは「孝謙帝」ではなく、第36代の、軽皇子として知られる「孝徳帝」(在位は孝徳天皇元(645)年~白雉5654)年)の誤りと思われる。


 「仁德帝」第16代。在位は仁徳天皇元(313)~ 87399)年とする。実在は定説とするが、極めて神話的人物である。

 「吉備の雄鮒」は「日本書紀」に現れる。仁徳天皇は自分の皇后の妹である雌鳥皇女(めどりのひめみこ)を妃とすべく、正妻の異母弟隼別皇子(はやぶさわけのみこ)を使者として遣わすが、その隼別皇子と雌鳥皇女が愛しあってしまい、逃避行を企てる。その討伐に遣わされた人物の一人が吉備雄鮒である。ちなみに二人は伊勢国蒋代野(こもしろの。所在不詳)で殺害され、そこの河原に埋められたとする。

 「武烈帝」第25代。在位は仁賢天皇11498)年~武烈天皇8506)年。妊婦の腹を裂いて胎児を見たり、女と馬をつるませる獣姦を見て楽しむ等、殷の紂王同様の極めて猟奇的な逸話に富む天皇である。

 「平群の鮪の臣」は皇太子時代の武烈帝に殺害された人物。小泊瀬鷦鷯尊(おはつせのわかさざきのみこと=後の武烈帝)は物部麁鹿火(もののべのあらかい)の娘の影媛(かげひめ)に言い寄るが、彼女は当時実権を掌握していた大臣(おおおみ)の平群真鳥(へぐりのまとり)の子の平群鮪――「古事記」には志毘臣(しびおみ)――とできていた。海柘榴市(つばいち=現在の奈良県桜井市)での二人の歌垣との歌合戦に敗れた太子は怒り、大伴金村をして鮪を誅殺した。なお、この歌垣については「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鮪」の注を参照されたい。

 「舒明帝」第34代。在位は舒明天皇元(629)~ 舒明天皇13641)年。実権は大臣蘇我蝦夷によって握られていた。

 「大伴の鯨連」は、「日本書紀」の推古三十六(628)年の条に、推古天皇の崩御の後の蝦夷邸での皇嗣問題の諮問の際、天皇の遺命に従って田村皇子(=舒明天皇)の即位を進言する蝦夷の息のかかった人物として登場する。]

***

たなご   鰱

【音序】 【俗云太奈古】

イユイ

 

本綱鱮状如鱅而頭小形扁也細鱗肥腹其色最白失水

易死弱魚好群行相與連故名之肉【甘温多食發瘡疥】

△按鱮状似鮒而扁如鱅口尖白鱗其肉白味不美胎生

 凡魚胎生者有數種 鱣 鮫 鱮 鱝 阿名古魚

 佐加太魚

たなご   鰱

【音、序。】 【俗に太奈古と云ふ。】

イユイ

 

「本綱」に『鱮、状、鱅〔(このしろ)〕ごとくして、頭、小さく、形、扁たし。細鱗。肥たる腹、其の色、最も白し。水を失すれば死に易く、弱魚なり。好く群行し相與(く)みて連なる。故に之を名づく。肉【甘、温。多く食へば瘡疥を發す。】。』と。

△按ずるに、鱮、状、鮒に似て、扁たく、鱅のごとし。口、尖り、白鱗。其の肉、白く、味、美ならず。胎生す。凡そ魚の胎生する者、數種有り。 鱣(ふか) 鮫(さめ) 鱮(たなご) 鱝(ゑい) 阿名古(あなご)魚 佐加太〔(さかた)〕魚

[やぶちゃん注:「鱮」はコイ科タナゴ亜科Acheilognathinaeに属す淡水産タナゴ類の総称であるが(「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「※」[やぶちゃん字注:※=「魚」+「感」。]の注に示した「詩経」の詩「敝笱」(へいこう)を参照)、これは全く別種の海産種であるスズキ亜目ウミタナゴ科ウミタナゴDitrema temminckiである。

 「鱅」はニシン・骨鰾下区ニシン上目ニシン目ニシン科コノシロ亜科コノシロKonosirus pumctatus。前掲の「鱅」の項、参照。

 「瘡疥」は、広く吹き出物から発疹等の種々の皮膚疾患全般を言う。ウミタナゴは現在のアレルゲン食品の一つに掲げられている。

 「胎生す」ウミタナゴの記載を見ていると「胎生」と記すものをよく見かける。最近は生物学的な区別が困難であるという理由から「卵胎生」を用いない傾向があるが、これは、やはり正しくは「卵胎生」というべきであると私は考えている(その昔、生物に興味を持った頃の小学生の私は、逆に「卵」と呼称するものから生まれる以上、すべては卵生だろうと惠子みたようにこだわっていた時期があったのを懐かしく思い出す)。閉じられた栄養系としての「卵」の中で、主にもともとその卵が保持している卵黄等の栄養分のみを用いて発生・成長が生じ、幼体となった個体が「卵」から生まれるものは卵胎生と呼び、卵から発生し成長した幼体がその後の一定期間、母体の一部である特殊な保護・栄養供給システム(臍管や乳頭を備えた育児嚢等)に組み込まれ、成長のための栄養補給や個体保護を受けて成長し、ある程度まで発育した段階で初めて母体から完全に又は段階的に離れるものを胎生と言うのだと思う。但し、有袋上目 Marsupialiaやカモノハシ目 Monotremata等、進化の中でそのそれぞれの中間的若しくは特殊化したシステムを持つ生物がいることはご承知の通りである。

さて、良安はここで6種類の卵胎生魚類を挙げているが、この中で「阿名古魚」というのが不審である。これはウナギ目アナゴ亜目アナゴ科 Congridaeのアナゴ類を指しているのであるが、彼等はウナギ同様、卵は放出型の浮遊卵で、発生したレプトセファルスLeptocephalus幼生は、海中を浮遊しつつ成長する。アナゴ科に卵胎生の種があるというのは、私は聞いたことがない。ウナギ同様、発生や産卵場所が不明であったことや、レプトセファルスが突如群泳して出現すること等がそのような誤解を生じたのだろうか(説得力のない解釈であるが)。

「鱣」・「鮫」・「鱝」とあるように、軟骨魚綱の板鰓亜綱 Elasmobranchiiのサメ・エイ類の多くは卵胎生である。良安が最後に挙げている「佐加太魚」はエイ目サカタザメ亜目サカタザメ科サカタザメ属サカタザメRhinobatos schleliiである。「鮫」の字の「交」は交尾をするからという記載を見たが、解字的には信用できない。なお、サメの中にはメジロザメ目メジロザメ科メジロザメCarcharhinus plumbeusのように、8ヶ月から1年の妊娠期間を持ち、約60㎝大の幼魚を6~13尾も出産する胎生魚もいる(「鱣」と「鮫」はどちらもサメ類であり、生物学的な区別ではないが、その良安の弁別感覚と解説、それへの私の注については「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鱣」と「鮫」のそれぞれの項を参照のこと。また「鱝」(エイ)についても同ページの「海鷂魚」の項を参照されたい。「サカタザメ」についてはかつて数度に亙って考察した結果を、やはり上記の「鱣」の「坂田鱣」の注及び「海鷂魚」の「窓引鱝」の注の両方を合わせて確認されたい)。

次に硬骨魚類であるが、まずはシーラカンスを挙げねばなるまい。

肉鰭綱シーラカンス亜綱シーラカンス目ラティメリア科ラティメリア・カルムナエLatimeria chalumnae とラティメリア・メナドエンシスLatimeria menadoensis(かつての解剖で体内から幼魚が見つかった時の報道写真の衝撃を僕は忘れない。そして昨年、20075月にインドネシアで捕獲された個体の解剖によって、初めて体内に2~3㎝大の卵25個が確認され、更に腹部内部に稚魚が育つための輸卵管も発見された)

カサゴ目メバル科メバルSebastes inermis(雌雄が海面を向いて体をこすりつける形で交尾が行われ、精子は一ヶ月程貯精されて卵子の成熟を待って一気に受精、直後に数千匹の稚魚を産み出す)

カサゴ目フサカサゴ科カサゴSebastiscus marmoratus(フサカサゴ科でもオニカサゴ Scorpaenopsis cirrhosa等は卵生)

そして本種ウミタナゴ、淡水産では

キプリノドン目(カダヤシ目)ポエキリア科(カダヤシ科)カダヤシ亜科ポエキリア属(グッピー)Poecilia reticulata(御存知の通り多様な改良品種がいる。なお、“Guppy”という英名は発見者のイギリスの植物学者Robert John Lechmere Guppyの名)

に代表される卵胎生のカダヤシ科(ポエキリア科)Poeciliidae、卵胎生メダカ類が卵胎生である。但し、この「卵胎生メダカ類」という謂いは、分類学上のタクソンや名称とほとんど一致しなくなっているので注意が必要。現在は分類学上の変更によって、広義の旧メダカ類はこのカダヤシ目に吸収され、我々の馴染みのあのメダカは、棘鰭上目ダツ目アドリアニクチス亜目アドリアニクチス科メダカ亜科Oryziinaeメダカ属 Oryziasスメグマモルフ系トウゴロイワシ亜系メダカOryzias latipesというおどろおどろしくも迂遠な所番地に変わってしまったのである。なお、カダヤシ科 Poeciliidaeのカダヤシ亜科 Poeciliinaeは卵胎生であるが、同科のアプロケイリクティス亜科 Aplocheilichthyinaeプロカトープス属Procatopus及びアプロケイリクティス属 Aplocheilichthys等のように胎生のものもいる。]

***

いさき  正字未詳

伊佐木魚

 

△按伊佐岐状似烏頰魚而淺黑色細鱗背有一黑線文

 大者不過尺味不美夏秋多出

いさき  正字、未だ詳らかならず。

伊佐木魚

 

△按ずるに、伊佐岐は、状、烏頰魚(すみやきだい[やぶちゃん字注:ママ。])に似て、淺黑き色。細鱗。背に一つの黑き線文有り。大なる者、尺に過ぎず。味、美ならず。夏秋、多出す。

[やぶちゃん注:スズキ亜目イサキ科コショウダイ亜科イサキParapristipoma trilineatum

 「烏頰魚」はスズキ目スズキ科オオクチイシナギStereolepis doederleini前掲した「烏頰魚」の項を参照。]

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たら

※1魚【音話】

ハアヽ イユイ

[やぶちゃん字注:※1=「口」(上)+「大」(下)。]

 

鱈【俗字】

大口魚【東醫寶鑑】

 【俗云多羅】

【魚之大口者云※1】

△按※1魚状略類鱸而大口細鱗大頭堅骨頷下有細鬚

 而難見頭中有白石二枚如小棋子端有鋸齒鱗色青

 黄帶白皮薄肉白鰭尾共軟味甘淡佳北海多出之冬

《改ページ》

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○十七

 月采之其大者多※2性喜寒夏月全無故俗作鱈字矣

[やぶちゃん字注:※2=「魚」+「米」。]

 味鮮魚不佳作腌甚佳采時盈盬於口腹則久而不腐

 矣其鯝可煮食或醋浸食亦佳有菊鯝雲鯝共以形色

 名之最賞之其強硬者稱強鯝味稍劣

乾※1魚 白色者爲上帶黄者次之世傳好角力者常嗜

 云多食則其力倍焉自朝鮮國來者肉厚味亦佳

須介黨 似鱈而小色黑帶白其味不佳

たら

※1魚【音、話。】

ハアヽ イユイ

[やぶちゃん字注:※1=「口」(上)+「大」(下)。]

 

鱈【俗字。】

大口魚【「東醫寶鑑」。】

 【俗に多羅と云ふ】。

魚の大口の者を※1と云ふ。

△按ずるに、※1魚、状、略ぼ鱸の類にして、大なる口、細鱗、大頭、堅骨。頷の下に細き鬚有〔るも〕見難し。頭の中に白石二枚有りて、小〔さき〕棋-子〔(ごいし)〕のごとし。端に鋸齒有り。鱗の色、青黄に白を帶ぶ。皮、薄く、肉、白し。鰭・尾、共に軟なり。味、甘、淡にして佳なり。北海、多く、之出づ。冬月、之を采る。其の大なる者、※2〔(こ):卵〕、多し。性、寒を喜ぶ。夏月、全く無し。故に俗にの字に作る。味、鮮魚は佳ならず。腌(しほもの)と作〔(な)〕して甚だ佳し。采〔りたる〕時、盬を口・腹に盈〔(み)たさば〕、則ち久しくして腐らず。其の鯝(わた)煮て食ふべし。或は醋〔(す)〕に浸して食ふに、亦、佳し。菊鯝(〔きく〕わた)・雲鯝〔(くもわた)〕有り。共に形色を以て之を名づく。最も之を賞す。其の強硬なる者、強鯝と稱し、味、やや劣れり。[やぶちゃん字注:※2=「魚」+「米」。]

乾※1魚(ひだら) 白色の者、上と爲す。黄を帶ぶる者、之に次ぐ。世に傳へて、『角力(すまひ=相撲)を好む者、常に嗜(す)く。多く食へば、則ち其の力、倍す。』と云ふ。朝鮮國より來る者、肉、厚く、味、亦、佳なり。

須介黨(すけたう) 鱈に似て、小さく、色、黑に白を帶ぶ。其の味、佳ならず。

[やぶちゃん注:タラ目タラ亜目タラ科Gadidaeの総称で、本邦にはマダラ属Gadus のマダラGadus macrocephalus・スケトウダラ属TheragraのスケトウダラTheragra chalcogramma・コマイ属 EleginusのコマイEleginus gracilisの3属3種が分布する。「多羅」(タラ)の語源は魚体の「斑」(まだら)からか。

 『「東醫寶鑑」』は李氏朝鮮時代の許浚撰になる医学書。朝鮮光海君5(1613)年刊行。中国の本草書や医書を引用しながら、人体の構造・疾患・処方薬品・治療法等を総合的に記した実用的な医学百科となっている。

 「魚の大口の者を※1と云ふ。」[※1=「口」(上)+「大」(下)。]「廣漢和辭典」の「※1」には、原義は大声とし、二番目の意味に大きい口として明代の字書である「字彙」から『※、魚之大口者曰※。』と引用する。

 「白石二枚」は、魚類の内耳にある炭酸カルシウムの結晶である耳石を指している。これは、魚体の平衡感覚及び聴覚に関わる平衡胞の中にある平衡石で、光にかざすと同心円状の輪が見られ、これが年輪となり(見えにくい種もある)、個体の年齢推定に用いられることもある。写真で見るとタラの耳石は長円型で湾曲して浅い舟のようで、良安が言うように辺縁部にギザギザの切れ込みが入っている。大きい個体では1.5㎝以上になるようだ(「神奈川総合教育センター」の以下のページ等を参照されたい)。

 「鱈」という漢字は国字である(但し、現代中国ではタラ類を現わす文字として用いられている)。

 「菊鯝・雲鯝」はタラ類の精巣(白子)を言う。他にミノワタ・キクシラコ・キクコ・タツコ・タダミ・タチ等と呼称する。

 「強鯝」は「こはわた」と読むらしい。現在では俳諧歳時記でしかお目にかからない語のようだ。勿論、冬の季語。

 「乾※1魚」[※1=「口」(上)+「大」(下)。]は「棒鱈」で通常はマダラGadus macrocephalusを用いるが、スケトウダラTheragra chalcogrammaでも作る。棒鱈と力士との関係は不明。何方かのご教授を乞う。

 「須介黨」スケトウ スケトウダラTheragra chalcogramma。「介党鱈」はスケソウダラ(介宗鱈)とも言うが、この不思議な名前の語源としては、佐渡ケ島近海で多く獲れることから「佐(すけ)」+「渡(トウ)」とする説、ごっそりと網に入って舟に揚げるために助っ人が必要なところから「スケットタラ」でそれが訛ったという説、下顎が上顎より、突き出している事を「すけ口」と呼ぶ(確かに現在の歯科矯正学では上顎の前歯に下顎の前歯が覆いかぶさる症状を、すけ口(=受け口)と言う。歯科の専門用語では「下顎前突」と言うようである)ことから、吻部がそうなっているタラにつけた(ということは「すけ相」ということか?)という説等がある。]

***

あら   俗用※字【未詳】

阿羅魚  【又云伊加介】

いかけ

[やぶちゃん注:※=「魚」+「厲」。]

 

△按阿羅魚形色略類鱈而大其口類鱸但頭骨堅鱗鰭

硬味淡不美爲下品三月北海多采之攝泉紀播亦有而

不多乾者細末入産後金瘡之藥能有止血涼血之功

《改ページ》

あら   俗に※の字を用ふ。【未だ詳らかならず。】

阿羅魚  【又、伊加介と云ふ。】

いかけ

[やぶちゃん注:※=「魚」+「厲」。]

 

△按ずるに、阿羅魚、形・色、略ぼ鱈に類して、大なり。其の口、鱸に類す。但し、頭骨堅く、鱗・鰭、硬く、味、淡し。美ならず。下品たり。三月、北海に多く、之を采る。攝〔=摂津〕・泉〔=和泉〕・紀〔=紀伊〕・播〔=播磨〕、亦、有るも、多からず。乾したる者、細末にして産後・金瘡〔:刀傷・切り傷〕の藥に入れて、能く血を止め、血を涼するの功有り。

[やぶちゃん注:スズキ亜目ハタ科ハタ亜科アラ族アラ Nuphon spinosus。アラは他にオキスズキ・アラマス・ホタ・イカケ等という異名を持つ。九州地方ではマハタ属のクエEpinephelus bruneusを普通に「アラ」と呼ぶので注意が必要。

 「血を涼する」は、文字通り、血をきれいにする、血行を良くするという意味であろう。]

***

ぶり     魚師  魬

【音師】  【和名波里萬知

スウ       畧曰波万知】

 

本綱鰤【唐韻云老魚也】大者有毒食之殺人今無識者

△按鰤身圓大而細鱗頭大口尖背蒼腹白肉中有紫血

 色一條内有細刺如鮪鰹之紫血肉倶曰血合也味酸

 甘不美六月其小者五六寸名津波須西國號和加奈

 炙以蓼醋食之九月一尺許者名眼白十月近二尺者

 名魬【波万智】江東称伊奈多爲魚軒和芥醋食最美如鮾

 則令人醉【凡醉者可知有毒河豚魚鰤鰹鯖之類然鮮者不醉】仲冬長三四尺最

 大者五六尺者名鰤削肉去皮作條曝乾者曰鰤筯阿

 蘭陀人賞味之呼曰羅加牟用猪豕油食之

鰤腌 冬春食之脂多味厚過春月則味變不堪食丹後

《改ページ》

和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○十八

 爲上越中及防州瀬戸崎雲州艫島亦佳也此魚自少

 至老時改名初在江海徐出大洋而復自東北海連行

 終西海對州焉以爲出世昇進之物稱之大魚貴賤相

 饋爲歳末之嘉祝【未聞有毒殺人者蓋自對州入中華海則甚大甚老故得老魚師魚之名毒亦甚乎】

ぶり     魚師  魬

【音、師。】 【和名、波里萬知、畧して波万知と曰ふ。】

スウ

 

「本綱」に『鰤【「唐韻」に云ふ老魚なり。】、大なり者、毒有り。之を食へば人を殺す。今、識る者無し。』と。

△按ずるに、鰤、身、圓く大にして、細鱗、頭、大きく、口、尖り、背、蒼く、腹、白し。肉の中に紫血色の一條有りて、内に細き刺有り。鮪・鰹の紫血肉のごとし。倶に血合と曰ふなり。味、酸、甘。美ならず。六月、其の小なる者、五~六寸、津波須(つばす)と名づく。西國〔にては〕、和加奈〔(わかな)〕と號す。炙りて蓼醋〔(たでず)〕を以て之を食ふ。九月、一尺ばかりなる者、眼白(めじろ)と名づく。十月、二尺に近き者、魬(はまち)【波万智。】と名づく。江東には伊奈多〔(いなだ)〕と称す。魚軒(さしみ)と爲して芥醋〔(からしず)〕を和して食ふ。最も美なり。如〔(も)〕し鮾(さか)れば則ち人を醉はしむ【凡そ醉ふ者は毒有りと知るべし。河豚魚・鰤・鰹・鯖の類、然し。鮮しき者は醉はず。】。仲冬、長□〔→くして〕三~四尺、最も大なるは五~六尺の者を鰤と名づく。肉を削り、皮を去りて、條と作〔(な)〕し、曝し乾す者を鰤筯と曰ふ。阿蘭陀人、之を賞味して、呼んで羅加牟(ラカン)と曰ひ、猪-豕〔(ぶた)〕の油を用ひ、之を食ふ。

鰤〔の〕腌〔(しほもの)〕 冬春、之を食ふ。脂、多く、味、厚し。春月を過ぐれば、則ち味、變じて食ふに堪へず。丹後を上と爲し、越中及び防州〔=周防〕の瀬戸崎(せとざき)雲州〔=出雲〕の艫島(ともしま)、亦、佳なり。此の魚、少〔(わか)き〕より老するに至るを、時に名を改む。初めは江海に在りて、徐(ぞろ/\)、大洋に出でて、復た東北の海より連行して、西海の對州〔=対馬〕に終ふ。以て出世昇進の物と爲して之を大魚と稱す。貴賤、相饋〔(おく)り=贈〕て、歳末の嘉祝と爲す【未だ毒有りて人を殺す者を聞かず。蓋し對州より中華の海に入り、則ち甚だ大きく、甚だ老す。故に老魚・師魚の名を得るに、毒、亦、甚だしきか。】

[やぶちゃん注:スズキ目アジ亜目アジ科ブリSeriola quinqueradiata。出世魚。幾つかのネット上の記載を総合すると、関西では成長に伴った呼び名の変化は以下のように整理される(途中の呼称が脱落する地域も多い)。但し、天然物を「ブリ」と呼称するのに対して、魚長に関わらず養殖物を「ハマチ」と呼ぶ習慣も流通では行われている。

モジャコ(稚魚)

コズクラ・コゾクラ(約15㎝以下)

ワカナ・ツバス・ヤズ(約15㎝以上35㎝以下だが、この呼称内の順位には混乱がある)

ハマチ(約35cm60㎝)

メジロ・メジナ(約6080cm又は1m

ブリ(約80㎝又は1m以上)

 「波里萬知」は、良安がよく引用する平安中期成立の字書「和名類聚抄」に載る最古のブリの呼称であるとするが、原義は不明。

 『「唐韻」』は唐の孫愐(そんめん)が撰した韻で引く字書。隋の陸法言の撰になる「切韻」の修訂本であるが、現在には伝わらない逸書。

 「毒有り」「廣漢和辭典」は「集韻」を引いて『鰤、一説、出歴水、食之殺人。』と記す。ブリに致命的な毒性はないし、同定不能であるが「歴水」は淡水の河川名であると考えてよいから、言うまでもないことだが、「本草綱目」の「鰤」は、良安先生、ブリじゃあ、ありんせんよ。

「鰤筯」は「鰤節」(ぶりぶし)と読ませていると思われる。

「羅加牟(ラカン)」は、一種の魚肉ハムのようである。長崎文化振興課の「長崎文化ジャンクション」の文化百選 事始 30 ハムに以下のような記載を見出したので引用する(この記載自体が複数の文献の引用である)。

《引用開始》

もともと長崎のオランダ人や中国人は、パンとともにハムを常食していた。出島のオランダ屋敷では牛の屠殺が行われていたし、郊外でも牛の屠殺はあった。江戸町のコンプラ商人の店には、ごくわずかだが食肉があった。/和漢三才図会(江戸時代の一種の百科事典)の饅頭の項には「阿蘭陀人毎ニ一個ヲ用ヰ常食ト為ス。彼ノ人呼ンデ波牟ト曰フ。之ニ添ヘテ羅加牟ヲ吃フ」とあり、羅加牟とはブリの身に豚の油をつけた干し肉だと説明している。/「羅加牟」は中国語で「臘乾」と書くが、肉を塩漬けにして干し固めたもので「火腿」のことであり、豚肉を材料にすることが多い。材料の点では今日のハムと同じにみられるが、ブリの身に豚の油をつけた干し肉と称しているところをみると、必ずしも同一のものではないようである。(「舶来事物起原事典」その他による)

《引用終わり》

文中の「コンプラ商人」とは出島のオランダ人に日用品を売る特権を与えられた商人のことを言う。後日、ここには「饅頭」の項も翻刻するつもりである。

「防州の瀬戸崎」は現在の山口県長門市仙崎。日本海航路の要衝を占めた港町でもある。

「雲州の艫島」]は現在の島根県大社日御碕にある島。ここにある日御碕神社は和布刈神事(めかりしんじ)で有名である(有名じゃない? 僕には中学一年の時に読んだ松本清張の「時間の習俗」で超お馴染みなんです!)。個人HP「藻知藻愛」の「和布刈神事」について記載されたページにぐっとくる記事があるので引用する。この筆者が日御碕神社の第98代宮司に就任した小野高慶氏から直接聞いた話(ブリと関係ない部分も貴重な談話なので省略せずコピーした)。

《引用開始》

「日御碕神社は、古来出雲大社の奥の院と言われて来ましたが、朝廷側に立って、出雲勢力を牽制していた様です。ここからはワカメ、海苔、艫島(ともしま)ブリを調(ちょう)として朝廷に納めていました。昔は、三重の塔や薬師堂などもありましたが、明治初年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で、仏教関係の建物は総て取り壊されてしまいました。先祖は天葺根命(あめのふきねのみこと)、つまり素戔嗚尊(すさのおのみこと)五代の孫で、一時、日置(ひおき)姓でしたが、奈良時代から小野姓になりました。明治時代には4代の宮司が国から派遣されましたが、その他は小野家が代々宮司を勤めています。社家(しゃけ)も10件ほどありましたが、明治時代に分散して、今は1-2軒残るだけです」。

《引用終わり》

ここのところ、引用が多いとお叱りを受けそうだが、無断借用ではなく、引用元を明記して、僕は僕の「智の旅」をしていると思っている。僕はもともと「智」の自在な連絡をネットに求めているのだ。]

***

しわう  正字未詳

鰤※1

[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「王」。]

 

△按鰤※1状似鰤而畧扁帶淡赤色細鱗白腹夏秋西海

 多出小者二三寸大者三四尺肉味稍勝而可煮可炙

 可作膾

しわう  正字未詳

鰤※1

[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「王」。]

 

△按ずるに、鰤※1、状、鰤に似て、畧ぼ扁たく、淡赤色を帶ぶ。細鱗、白き腹。夏秋、西海に多く出づ。小なる者、二~三寸、大なる者、三~四尺。肉味、やや勝〔(すぐ)〕れて、煮るべし、炙るべし、膾に作るべし。

[やぶちゃん注:ブリに似ているが、ブリよりも有意に扁平な魚体で、全身が淡い赤色を帯びており、鱗が細かく、腹部は白い。夏から秋にかけて西日本で多く獲れ、小さなものは69㎝大、大きくなると90㎝から1m20㎝にもなり、肉の味は、総合的にブリよりも旨く、煮ても炙っても膾にしてもよい魚――スズキ目アジ亜目アジ科ブリSeriola quinqueradiataの大型個体かがまず考えられる。また、扁平であるという特性はブリにそっくりなアジ科ブリ属ヒラマサ Seriola lalandiとも考えうる。が、しかし、「夏秋」を漁獲時期とするという点からはブリ属カンパチSeriola dumeriliが最もマッチする。本種はカンパチとしたい(ここまで来てネット・サーフィンの果てにひょうマガジンで同じ同定を発見し、少し溜飲が下がった)。ちなみに今、ネット検索で釣れる「鰤王」は、鹿児島県東町漁業協同組合養殖の、トレーサビリティ・システム(養殖の履歴開示、出荷した製品にクレームが生じた際の迅速なトレースバック・システム、回収が必要になったときなどのリコールプログラム、漁場・給餌履歴・投薬履歴・作業履歴・安全証明書等がすべてデータ化されたもの)による、EP(エクストルーデッドペレット。魚粉などを配合した粉末を加工し、ペレット状に成型した完全配合飼料で、餌の栄養分が安定しており、給餌者の技術差による魚の個体差が現れ難く、また鮮度保持性がより高い)の単独給餌による「徹底管理」された養殖のブリSeriola quinqueradiataであった。]

***

いわし

【俗字】

 

【和名以和之

 性柔弱故俗

 字從弱訓與

 和之乃相通】[やぶちゃん字注:以上五行は、前二行下に入る。]

 

閩書云鰮似馬鮫而小有鱗大者僅三四寸

△按鰮俗云鰯四方皆有之形似小鯯而圓其鱗細易脱

 背蒼黑腴黄白而脂多小者一二寸大者五六寸群行

 至時海波稍赤漁人預〔→豫〕知下網采之鯨好吃鰯爲所逐

 者數万爲群浪如樓取之作膾可熬可炙又取脂爲燈

 油

鯷【和名比之古以和之】用一二寸許小鰯爲醢造法鮮鰯一升不洗

 鹽三合和三日而後以石壓之【如自初日置壓則破出不佳】或同茄

 子生薑穗蓼番椒等漬亦佳【鯷字未詳】

五万米鰮【正字未詳一名田作又云古止乃波良】  漁家海邊石上或簀上

 擴乾小鰮也阿波之産爲上貯之耐久無脂臭和諸物

 煮食亦佳常爲嘉祝之供與鮑熨斗並用

 [やぶちゃん字注:「熨」の字は(がんだれ)の中に「熨」に似たごちゃごちゃした字が入っているが、正字で採用した。]

干鰯【保之加】 與五万米同乾時不撰地不論大小數万攪

 乾盛筵運送市中用爲田畠培糞諸國多出房州最多

 由良之産頭畧大扁亦得名炙食脂氣酷烈以賤民爲

 食用【痰咳痞滿人忌之産婦小兒不可食】其味美有頭

凡鯨與鰯本朝海中寶也其利用不可計

いわし

【俗字。】

 

【和名、以和之。性、柔弱、故に俗字、弱に從ふ。與和之〔(よわし)〕と訓じて乃ち相通ず。】

 

「閩書」〔(びんしよ)〕に云ふ、『鰮は馬鮫(さわら)に似て、小さく、鱗有り。大なる者、僅かに三~四寸。』と。

△按ずるに、鰮は、俗に鰯と云ふ。四方、皆、之有り。形、-鯯(つなし)に似て、圓く、其の鱗、細かにして脱し易し。背、蒼黑、腴〔(すなずり)〕、黄白にして脂多し。小なる者、一~二寸、大なる者、五~六寸。群行して至る時、海波、やや赤し。漁人、豫〔(あらか)〕じめ知りて、網を下し、之を采る。鯨、好みて鰯を吃〔(く)〕ふ。爲めに逐はるゝ者、數万群れを爲し、浪、樓のごとし。之を取りて膾に作る。熬るべし、炙るべし。又、脂を取りて燈油と爲す。

鯷(ひしこ)【和名、比之古以和之。】一~二寸ばかりの小鰯を用ひて醢〔(しほから)〕と爲す。造法は、鰯の鮮しきを一升、洗はず、鹽三合と和して、三日して後、石を以て之を壓す【如〔(も)〕し初日より壓を置かば則ち破出して佳ならず。】。或は茄子・生薑〔(しやうが)=生姜〕・穗蓼〔(ほたで)〕番椒(たうがらし)等を同じく漬けても亦、佳なり【鯷の字、未だ詳らかならず。】。

五万米鰮(ごまめいはし)【正字、未だ詳らかならず。一名、田作。又、古止乃波良〔(ことのばら)〕と云ふ。】  漁家、海邊の石の上、或は簀〔(すのこ)〕の上に、擴(ひろ)げ乾(ほ)す小鰮なり。阿波の産、上と爲す。之を貯〔ふれば〕久に耐ふ。脂臭無く、諸物に和して煮食ふに亦、佳なり。常に嘉祝の供と爲し、鮑(あはび)の熨斗(のし)と並び用ふ。

干鰯(ほしか)【保之加。】 五万米と同じくして、乾す時、地を撰□〔→ば〕ず、大小を論ぜず、數万、攪〔(か)き〕乾し、筵〔(むしろ)〕に盛り、市中に運送して用ひて田畠の培-糞〔(こゑ)〕と爲す。諸國に多く出づ。房州、最も多し。由良の産、頭、畧ぼ大にして扁たく、亦、名を得。炙り食ふに、脂氣、酷(はなは)だ烈〔(はげ)〕しく、以て賤民の食用と爲す【痰咳・痞滿〔(ひまん)〕の人、之を忌む。産婦・小兒、食ふべからず。】。其の味の美は頭に有り。

凡そと鰯、本朝の海中の寶なり。其の利用、計るべからず

[やぶちゃん注:ニシン・骨鰾下区ニシン上目ニシン目Clupeiformesに属する複数の魚類に対する総称で、食品や広範な各種材料として用いられる場合はこのような広義のイワシとして捉えるべきであるが、本邦では狭義にはニシン目マイワシSardinops melanostictus、ウルメイワシEtrumeus teres、カタクチイワシ科カタクチイワシ Engraulis japonicaの3種を言うが、ウルメイワシは次項にあるので、ここはマイワシ及びカタクチイワシ。

 『「閩書」』は、明の何喬遠(かきょうえん)撰になる現在の福建省地方の地誌・物産誌。

 「馬鮫」はスズキ目サバ科サワラ Scomberomorus niphonius。「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「馬鮫」の項を参照。

 「小鯯」底本はこの二字で(つなし)と訓じている。「鯯」はニシン・骨鰾下区ニシン上目ニシン目ニシン科コノシロ亜科コノシロKonosirus pumctatus。前掲の「鰶」(コノシロ)。の項を参照されたいが、良安はそこでは「小鯯」という表記を用いていない。「コノシロ」の「コ」に引かれての記載と思われるが、このような表記は一般的とは思われない。

 「鯷」については、まずヒシコという名称がカタクチイワシ科カタクチイワシ Engraulis japonicaの別名であることを押さえなくてはならない。実は、カタクチイワシの異名は半端じゃない。ヒシコからの転訛したシコ・シコイワシ(東京)に始まり、ジャミイワシ(「じゃみ」は育ちの悪い、弱い動植物の謂いか。「帰ってきたウルトラマン」の「じゃみっ子」! 注意されたいのは「ウルトラマン」の「ジャミラ」は別語源で、これはシモーヌ・ド・ボーヴォワールとジゼル・アリミの「ジャミラよ 朝は近い」(1963年集英社刊 手塚伸一訳)で知られるアルジェリア独立戦争中の暴行を受けた少女ジャミラ・ブーパシャ Djamila Boupachaの名に由来することは有名。ジャミラに拘るのは教師になった頃の私の渾名だからね)・セグロイワシ(背黒鰯 常磐・房州)・オオカミイワシ(狼鰯 静岡:個人的にはよく分かる美事な命名と感じる)・ハンガン(脹眼 富山)・アオヤマイワシ・カナヤマ(金山 岸和田:二つとも本文の「數万群れを爲し、浪、樓のごとし」やその収益から成る程と思わせる命名だ)・マル(丸 静岡):対してマイワシを「ヒラ(平)」と呼ぶ)・ヒラレ(浜名湖:馬鹿者の御当地言葉。死んだカタクチイワシが大きく口を開いているところからとする)・シラス(白子:稚魚・加工食品にも用いられる)・コシナガ・ドロイワシ・ドロメ(泥目 土佐:稚魚をこう呼び、生のぬたや卵とじのどろめ料理が有名)・カエリ(若魚)等のほか、ヒラレ・エタレ・クロタレ・タレクチ・ホオタレ・ホウタレ・カクハリ・ブト等、またまさにこのヒシコのように加工食品名から実体にフィードバックした感のあるヘシコ(鯖や鰯や鯡等の糠漬)・タヅクリ(田作:後述)、ゴマメ(五万米:後述)・チリメン(縮緬雑魚)等、有象無象、百を越えるのである。

さて、そこで加工食品としてのカタクチイワシの塩辛、「ヒシコ」であるが、どうも現在では「ヒシコ」=「カタクチイワシの塩辛」とする用法は殆んどない。「ヒシコの塩辛」である。そして、「神奈川水産研」の「マイワシあれこれ」の孫引きであるが、「和漢三才図会」の刊行の17年程前の版行になる元禄8(1695)年発行の人見必大(当該ページでは小野姓とするが一般に知られる「人見」をとる)の「本朝食鑑」には、「鰯」をマイワシとし、「鯷」をヒシコと読み、小鰯魚のカタクチイワシを示すと記すとするのである。これは良安の記述に相違して、ヒシコがカタクチイワシの生体を示すものとして、当時既に一般的呼称であったことを示す事実と思われる。字書類でも「鯷」は国字としてヒシコ、ヒシコイワシとし、塩辛の意はない(ちなみに中国語としてはその皮で冠を作るという大鯰〔おおなまず〕の意とある)。

 「穗蓼」とは通常はタデ目タデ科タデ属のイヌタデPolygonum longisetumの穂(赤まんま)を言うのであるが、これは辛くなく食用には向かないので、これは葉から蓼酢を作るヤナギタデPolygonum hydropiperを指していると考えたい。「穂」は単にヤナギタデを穂を持った蓼と言っているのであって、穂を食用に用いるという意味ではあるまい。

 「番椒」はナス目ナス科トウガラシ属トウガラシ(唐辛子)Capsicum annuum。勿論、中国語では「唐辛子」ではなく「辣椒」(là jiāo)であるが、漢方薬としての謂いとして番椒 ( fān jiāo) という。

 「五万米鰮」=田作り=小殿腹。単漢字では「鱓」とする。本来はカタクチイワシの幼魚を素ぼしにしたものを指していたようであるが、後にそれを用いた料理名として用いられるようになった。正月のお節料理の祝い肴三種(「田作り」「かずのこ」「黒豆」)の一つとして欠かせないものである。後述の「干鰯」の中にあるように、田畑の肥料としても用いられるところから豊作を意味する「五万米鰮」の呼称が生まれ、更にその豊作を願って祝い料理としても食べられるようになり、豊作=子孫繁栄から「子殿原」(「殿原」は高貴な身分の男子の複数形)とも言われるようになったと思われる。

 「干鰯」は純然たる製品名で、一般には広くイワシ類から油を搾り取った後に乾燥させた肥料を言う。イワシ類は多量に獲れるものの、生では捌ききれず腐らせてしまうので、このような方法がとられたのであろう。近世初期から専門の干鰯問屋が存在し、近世の農業生産力の向上という観点からも極めて重要な役割を果した。最後の良安の附記は核心を突いている。

 「痞滿」は胸がつかえて塞がったような苦しい症状、もしくは脇腹がしくしく痛んだり、ぎゅっと縛られるような痛みの症状を言う。

 「其の利用、計るべからず」声を大にして言おう。「鯨」だ! 東部エスタリブッシュメントやローマ・クラブの白人優位主義者の意を受けたアメリカや自然保護団体の捕鯨禁止に論理的根拠は全くない! 鯨によって多くの飢えた人々を救うことだって出来る。ミンククジラの過剰による生態系の破壊、その間引きの必要性は、世界捕鯨連盟の、世界の鯨類学者による科学小委員会の絶対多数で是認されたことだ。最後の切り札の動物権なぞという嘘臭い新語を行使する者は、その前に人間権を訴え、イラクで人を殺して儲けているアメリカを一番に批判するがいい!]

***

うるめいわし   正字未詳

潤眼鰯    【俗云宇留女】

 

△按潤眼鰯状似鰯而圓長蒼黑色眼大潤漁人作鮝炙

 食無脂腥氣味美官家亦賞之久見風日肉硬味變澁

《改ページ》

 或以鰯僞之者味邈劣以眼大小可別矣阿州之産爲

 上

うるめいわし   正字、未だ詳らかならず。

潤眼鰯    【俗に宇留女と云ふ。】

 

△按ずるに、潤眼鰯は、状、鰯に似て、圓く長く、蒼黑き色。眼、大にして潤ほふ。漁人、鮝〔(ひもの)〕に作り、炙り食ふ。脂・腥き氣無く、味、美なり。官家にも亦、之を賞す。久しく風日を見れば、肉、硬く、味、變じて澁(しぶ)し。或は鰯を以て之を僞る者、味、邈〔(はるか)〕に劣れり。眼の大小を以て別つべし。阿州〔=阿波〕の産、上と爲す。

[やぶちゃん注:ニシン・骨鰾下区ニシン上目ニシン目ニシン科ウルメイワシ亜科ウルメイワシ属ウルメイワシEtrumeus teres

 「眼、大にして潤ほふ」はボラやニシン・アジ等に見られる脂瞼」である。コンタクト・レンズ様の透明な脂肪質で、眼球及びその周辺を覆うもので、保護の他に視力をアップしているものと思われる。

 「脂・腥き氣無く」ウルメイワシはイワシ類の中では脂分が少ない。]

***

[やぶちゃん注:離れた上部にカズノコと思われる図。]
かど

にしん

※1

[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「兆」。]

 

鰊【音柬】共俗用

【俗云爾之牟

 或云加登】

 

△按※1状似鯯而圓長眼大而赤軟鱗易脱蒼碧色肉白

 脆脂多有細刺味勝於鰯炙食或作鮓藏糟亦佳東北

 海南部津輕蝦夷最多【西南海嘗無之】九十月至春采之大者

 尺餘一網獲數万去頭尾作鮿【名美加木】而販之四方以煮

 食之所去頭尾爲田圃之培【病猫食鯡乃癒】

數子 ※1之子也割腹出鮞乾之黄白色爲上【陳久者色變赤褐】

 臘月歳始及婚家以爲規祝之肴取多子之義同以鰕

 取海老之義矣温暑至則出鮾臭氣不堪食凡用時浸

《改ページ》

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○二十

 

 水四五日換水能洗浄沙垢軟熟【或赤土少許入則速軟】和盬揉

 合浸醤油食味脆甘美未知其法者炙不柔煮之倍硬

 [やぶちゃん注:「法」の(つくり)の上の部分は「土」ではなく「大」であるが、通用字を用いた。]

 浸醋苦澁無奈之何

かど

にしん

※1

[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「兆」。」

 

鰊【音、柬〔(かん)〕。】共に俗用。

【俗に爾之牟と云ふ。或は加登〔(かど)〕と云ふ。】

 

△按ずるに、鯡、状、鯯〔つなし〕に似て、圓く長し。眼、大にして赤し。軟鱗〔は〕脱し易く、蒼碧色。肉、白く脆く、脂多し。細刺有り。味、鰯に勝れり。炙り食ひ或は鮓に作り、糟〔(かす)=粕〕に藏〔するも〕亦、佳なり。東北海の南部・津輕・蝦夷に最も多し【西南海に嘗て之無し。】。九~十月より春に至るまで之を采る。大なる者、尺餘。一網に數万を獲る。頭尾を去りて鮿(ひもの)と作〔(な)〕して【名、美加木〔(みがき)〕。】、之を四方に販〔(ひさ)〕ぐ。以て之を煮食ふ。去る所の頭尾〔は〕田圃の培〔ばい:肥やし〕と爲す【病猫、鯡を食はば、乃ち癒ゆ。】。

數子(かずのこ) ※1の子なり。腹を割き鮞〔(はららご)〕を出だし之を乾かす。黄白色を上と爲す【陳久せる者、色、變じて赤褐。】臘月〔(らふげつ)〕、歳始及び婚家、以て規祝の肴と爲すは、多子の義を取る。鰕を以て海老の義を取るに同じ。温暑、至れば則ち鮾臭の氣、出でて食ふに堪へず。凡そ用ふる時、水に浸〔すこと〕四~五日、水を換へ、能く沙垢を洗浄して軟熟にし【或は赤土を少ばかり入るれば、則ち速やかに軟ず。】、盬を和して揉み合はせ、醤油に浸して食ふ。味、脆く甘美。未だ其の法を知らざる者、炙りて〔も〕柔かならず、之を煮て〔も〕倍〔(ます)/\〕硬く、醋に浸すも苦く澁し。之を奈何〔(いかん)〕ともすること無し。

[やぶちゃん注:硬骨魚綱ニシン・骨鰾下区ニシン上目ニシン目ニシン科ニシン属ニシン Clupea pallasii。「※1」については、私は当初、「非」の衍字と単純に理解していたのだが、確かに良安は確信犯的に「兆」と記している。「サンケイ・スポーツ釣サイト」の塚田國之氏の「春告魚物語」には本稿のこの用字について、『私見であるが』と断わった上で『海岸に押寄せるニシンの多さから兆の字を当て、これが転用されたとの説に組みしたくなる』と記す。成る程!(なおこのページの記載は語源説にしても慎重な考証を行っており、大変興味深い)

 「鯯」はニシン科コノシロ亜科コノシロKonosirus pumctatus。前掲の「鰶」を参照。

 「美加木」は現在の身欠ニシン。元来は単なる「田圃の培」でしかなかったニシンが変貌を遂げるきっかけとなった加工食品である。鰓や内臓をしっかりと除去して洗浄して乾したものは、極めて保存性能が高かったために、内陸まで行き渡る魚肉製品となったのである。

 「陳久」は、古く久しいで、時間が経って古くなった、の意。

 「臘月」陰暦の12月の異名。

 「規祝の肴」は、そのような年始や婚姻祝いの決まった祝いの料理とするのは、の意。

 「鰕を以て海老の義を取る」は「海老」から腰が曲るまでも老いても生きるから、長寿の意を意味かけるのと、という意。

 「鮾臭」は音読みならば「ダイシュウ」。東洋文庫版では二字で「くさり」と訓じているが、これは現代語訳なので当てにならない。意味は、腐ったような臭い。

 「沙垢」は音読みなら「サコウ」、東洋文庫版では「すなごみ」と訓じているが、これは現代語訳なので当てにならない。意味は、付着した砂や塵(ゴミ)。

 「軟熟」は、軟らかくなるまでじっくりと煮込むこと。

 「赤土」戻す時に米の研ぎ汁や灰汁を入れるというのは聞くが、赤土は初見。]

***

しやちほこ

魚虎

イユイフウ

 

土奴魚 鱐【音速】

【俗用鱐字未詳

 鱐乃乾魚之字】

【俗云奢知保古】[やぶちゃん字注:以上四行は、前三行下に入る。]

 

本綱魚虎生南海中其頭如虎背皮如猬有刺着人如蛇

咬亦有變爲虎者又云大如斗身有刺如猬能化爲豪豬

此亦魚虎也

△按西南海有之其大者六七尺形畧如老鰤而肥有刺

 鬐其刺利如釼其鱗長而腹下有翅身赤黑色離水則

 黄黑白斑有齒食諸魚世相傳曰鯨食鰯及小魚不食

 大魚有約束故魚虎毎在鯨口傍守之若食大魚則乍

《改ページ》

 入口嚙斷鯨之舌根鯨至斃故鯨畏之諸魚皆然矣惟

 鱣鱘能制魚虎而已如入網則忽囓破出去故漁者取

 之者稀焉初冬有出于汀邊矣蓋以猛魚得虎名爾猶

 有蟲蠅蝎虎之名非必變爲虎者【本草有變爲虎者之有字以可考】

 鱣鱘鯉逆上龍門化竜亦然矣

城樓屋棟瓦作置龍頭魚身之形謂之魚虎【未知其據】蓋置嗤

吻於殿脊以辟火災者有所以【嗤〔→蚩〕吻詳于龍下】

しやちほこ

魚虎

イユイフウ

 

土奴魚 鱐〔(しゆく)〕【音、速。】

【俗に鱐の字を用ふるは、未だ詳らかならず。鱐、乃ち乾魚の字〔なり〕。

【俗に奢知保古〔(しやちほこ)〕と云ふ。】

 

「本綱」に『魚虎、南海中に生ず。其の頭、虎のごとく、背の皮に猬〔=蝟=彙:はりねずみ〕のごとくなる刺有りて、人に着けば、蛇の咬むがごとし。亦、變じて虎と爲る者有り。又云ふ、大いさ、斗〔:柄杓〕のごとく、身に刺有りて猬のごとし。能く化して-豬(やまあらし)と爲〔(な)〕る。此れも亦、魚虎なり。』と。

△按ずるに、西南海に之有り。其の大なる者、六~七尺。形、畧ぼ老鰤〔(おいしぶり)〕のごとくして、肥いて、刺鬐〔(とげひれ)〕有り。其の刺、利きこと、釼〔(つるぎ)〕のごとし。其の鱗、長くして、腹の下に翅〔(はね)〕有り。身、赤黑色、水を離〔(か)れば〕、則ち黄黑、白斑なり。齒有りて諸魚を食ふ。世に相傳へて曰く、『鯨は鰯及び小魚を食ふも、大魚を食はざるの約束有り。故に魚虎は毎に鯨の口の傍らに在りて、之を守る。若し大魚を食はば、則ち乍〔(たちま)〕ち口に入り、鯨の舌の根を嚙〔(か)み〕斷〔(た)ち〕、鯨は斃(し)するに至る。故に鯨、之を畏る。諸魚、皆、然り。惟だ鱣〔(ふか)〕鱘〔(かぢとをし)〕、能く魚虎を制すのみ。如〔(も)〕し網に入らば、則ち忽ち囓み破りて出で去る。故に漁者、之を取る者、稀なり。初冬、汀-邊〔(みぎは)〕に出づること有り。』と。蓋し猛魚なるを以て虎の名を得のみ。猶ほ蟲に-虎(はいとりぐも)-虎(いもり〔→やもり〕)の名有るがごとし。必〔ずしも〕變じて虎に爲る者に非ず。【「本草」〔=「本草綱目」〕に『變じて虎と爲る者有る』と云ふの「有」の字に以て考ふべし。[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]】鱣(ふか)・鱘(かぢとをし)・鯉(こひ)、龍門に逆(さ)か上(のぼ)りて竜に化すと云ふも亦、然り。[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]

城樓の屋-棟(やね)して、瓦に龍頭魚身の形を作り置く。之を魚虎(しやちほこ)と謂ふ【未だ其の據〔(きよ)〕を知らず。】。蓋し嗤吻(しふん)を殿脊〔(でんせき):屋形の屋根〕に置き、以て火災を辟〔=避〕くと云ふは所-以(ゆへ)有り【蚩吻は龍の下に詳らかなり。

[やぶちゃん注:「本草綱目」の記す「魚虎」は、化生するところは架空の生物であるが、刺の描写や大きさは、カサゴ亜目オニオコゼ科オニオコゼ属オニオコゼInimicus japonicusを筆頭としたカサゴ目の毒刺を有するグループを想定し得るが(「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「※1」[やぶちゃん字注:※1=「舟」+「鮝」。](おこじ:オコゼ)も必ず参照されたい)、後の良安の記すものは、とりあえずクジラ目ハクジラ亜目マイルカ科シャチ属に属するOrcinus orcaと同定してよいであろう。シャチと言えば、私は今でも鮮やかに覚えている、少年時代の漫画学習百科の「海のふしぎ」の巻に、サングラスをかけた小さなシャチが、おだやかな顔をしたクジラを襲っているイラストを……。ちょっとした参考書にも、シャチは攻撃的で、自分よりも大きなシロナガスクジラを襲ったり、凶暴なホジロザメ等と闘い、そこから「海のギャング」と呼ばれる、と書かれていたものだ。英名もKiller whale、学名のOrcinus orcaは「冥府の魔物」という意味でもある。しかし実際には、肉食性ではあるが、他のクジラやイルカに比べ、同種間にあって攻撃的ではないし、多くの水族館でショーの対象となって、人間との相性も悪くない(私は芸はさせないが、子供たちと交感(セラピー)するバンクーバーのオルカが極めて自然で印象的だった)。背面黒、腹面白、両目上方にアイパッチと呼ぶ白紋があるお洒落な姿、ブリーチング(海面に激しく体を打ちつけるジャンピング)やスパイ・ホッピング(頭部を海面に出して索敵・警戒するような仕草)、数十頭の集団で生活する社会性、エコロケーションによる相互連絡やチームワークによる狩猟、じゃれ合う遊戯行動等、少しばかりちっぽけな彼等がシャチの分際で人間の目に付き過ぎたせいかもしれないな。本項の叙述も殆んど切り裂きジャック並みの悪行三昧だ。良安が教訓染みて終えているので、私も一つ、これで締めよう。『出るシャチはブリーチング』。

 「鱐【音、速。】」とあるが、「鱐」の音は示した通り、「シュク」である。「速」は「ソク」で「シュク」と言う音はない。不審である。「鱐」は①ほしうお。ひもの。乾魚。②魚のあぶらと記す。これも良安もわざわざそう記しているように不審である。

 「猬」は哺乳綱モグラ目(食虫目)ハリネズミ科 Erinaceidaeのハリネズミ類。

 「豪豬」はネズミ目(齧歯目)ヤマアラシ上科ヤマアラシ科アメリカヤマアラシ科 Erethizontidaeの地上性のヤマアラシ類。

 「老鰤」スズキ目アジ亜目アジ科ブリSeriola quinqueradiataの大型個体。一応、訓読みしておいた。

 「刺鬐有り。其の刺、利きこと、釼のごとし」はセビレの形状を言うものと考えてよい。♂は成長するにつれてセビレ及びムナビレ(=「腹の下に翅」)が特に目立つようになる。

 「水を離れば、則ち黄黑、白斑なり」とは、水から上がってしまうと、体色の黄身を黄色い部分や黒い部分に白い斑点が現れる、という意味であるが、これはパッチを誤解(聞き取りの誤認)したものと思われ、良安は実体を見ていない可能性が高いように思われる。

 「魚虎は毎に鯨の口の傍らに在りて、之を守る。……」これは、実際、クジラを襲うことのあるシャチへの根拠のない妄想説のように思われるのだが、よく見ると「口の傍らに在りて」及び「口に入り」というのはクジラに付着しているコバンザメ類(スズキ目Perciformesコバンザメ亜目Echeneoideiコバンザメ科Echeneidae)の行動を見、クジラの死亡個体の口腔内からコバンザメを発見した際に(サメやクジラの口腔内を出入りするコバンザメを私は映像で見たことがある。但し、死亡個体の口腔内に有意に彼等を発見し得るかどうかは知らないのであるが)それが「鯨の舌の根を嚙み斷」ったと誤認し、それが実際のクジラに攻撃行動をとるシャチと混同されて生じた伝説ではあるまいか。識者の意見を伺いたいものである。なお「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「舩留魚」(ふなとめ=コバンザメ)の項も参照されたい。

 「鱣」分類学上、フカは軟骨魚綱板鰓亜綱Elasmobranchiiに属するサメと同義。「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鱣」の項、参照。

 「鱘」カジキのこと。カジキはスズキ目メカジキ科 Xiphiidae およびマカジキ科 Istiophoridae の二科に属する魚の総称。「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鱘」の項、参照。

 「蠅虎」シラヒゲハエトリグモ属MenemerusシラヒゲハエトリMenemerus confusus等に代表される(属和名を表記したのはハエトリグモ科の種名が慣習として接尾語のクモを外すため)節足動物門クモ綱クモ目ハエトリグモ科Salticidaeのハエトリグモ類。「蠅狐」「蠅取蜘蛛」とも。次の「蝎虎」と同様、中国語(現在も通用)。

 「蝎虎」現代中国語では蠍座を「蝎虎座」と呼び、「とかげ座」と訳している。爬虫綱有鱗目トカゲ亜目 Sauria(又はLacertiliaのトカゲである。また、ヤモリは「壁虎」で近いし、ネット上には蝎虎を爬虫綱有鱗目トカゲ亜目ヤモリ下目ヤモリ科 Gekkonidaeに属するヤモリ類を言うとする記載が多い。ここで良安は両生綱有尾目イモリ亜目イモリ科 Salamandridaeのイモリとルビを振るが、現代中国語では「蠑螈」で、イモリを蝎虎とする記載はネット上には見当たらない。ヤモリは上位タクソンでトカゲに属し、更にイモリの形状はヤモリに似、日本の古典で、イモリとヤモリを一緒くたに語る(イモリとヤモリの双方向同一物表現)ものを、複数、見たことがある。決定打は、実は「和漢三才図会」の巻四十五にあった。ここに良安は「蠑螈」(ゐもり)=イモリと「守宮」(やもり)=ヤモリを二項続けて記載しており、その「守宮」の項の図下の冒頭の異名の列挙に『蝘蜓(えんてい) 壁宮 壁虎 蝎虎』と記している。序でに言えば、その「守宮」の本文中で良安は

守宮【今云屋守】蠑螈【今云井守】一類二種而所在與色異耳守宮不多淫相傳蛙黽變爲守宮

守宮(やもり)【今、屋守と云ふ。】蠑螈(いもり)【今、井守と云ふ。】一類二種にして所在と色と異なるのみ。守宮(やもり)は多淫ならず、相傳ふに、蛙-黽(あまがへる)變じて守宮と爲る、と。

と記し(ちなみに「多淫ならず」は、前項の「蠑螈」(イモリ)についての記載の『性、淫らにして能く交(つる)む』とあるのを受ける)、イモリもヤモリも棲むところと色が違うだけで同じだあなと、のたもうておる訳で――ここはもう、ヤモリでキマリ!

 「鱣・鱘・鯉、龍門に逆か上りて竜に化す」この「登龍門」の魚の正体については、「鱣」や「鯉」、種々の項で私の考えを語ってきた。結論だけを言う。チョウザメ目チョウザメ科 Acipenseridaeのチョウザメ類が龍門を登る魚の正体である。「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鮪」の項の「王鮪」の注を参照されたい。

 「蚩吻」は「和漢三才図会」の巻四十五の「龍」の項解説に割注を含めてたった八文字(全く以て「詳」ではない!)、以下のようにある。

蚩吻好呑【殿脊之獸】

蚩吻は呑むことを好む【殿脊の獸。】。

いやはやこれでは困るな。さて、大寺院の甍の両端にまさに鯱(しゃちほこ)のような形のものを御覧になった記憶がある方は多いだろう。これを鴟尾(しび)と呼称することも、芥川龍之介の「羅生門」でお馴染みだ。文字の意味は鳶の尻尾なのであるが、これは実は、「蚩尾」で、良安が判じ物のように示した通り、龍の九匹の子供の内の一匹が蚩吻(しふん)と称する酒飲みの龍であり、それが屋根を守ると古くから信じられたようなのである。派手に酒を吹き出して消火してくれるスプリンクラーのようなものか? いや、待てよ! 中国酒はアルコール度数が高いから逆にジャンジャン燃えるんでないの?!

なお、以上の注は「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鯨」の項の「魚虎」の注として作成したものを改訂増補したものである。向うの「魚虎」の記述と一部の注を以下に付しておく。

魚虎〔(しやち)〕と云ふ者有り。其の齒・鰭(ひれ)、剱鉾〔(けんぼこ)〕のごとし【有鱗魚の下に詳し。】。數十毎に鯨の口の傍らに在りて、頰・腮〔(あぎと):あご〕を衝く。其の聲、外に聞こゆ。久しくして鯨、困迷して口を開く時、魚虎、口中に入り、其の舌を嚙み切り、根、既に喰ひ盡して出で去る。鯨は乃ち斃〔(し)=死〕す。之を魚虎切りと謂ふ。偶々之有りて、浦人、之を獲る。海中の無雙の大魚、纔〔(わづ)〕かの小魚の爲に命を絶つ。

 「剱鉾」は、剣や鉾、と読んで問題ないが、魚虎の派手さからは京都祇園御霊会の、神渡御の際の先導を務める悪霊払いの呪具たる「剱鉾」を指している可能性もある。剱鉾」の画像はHP「京都市文化観光資源保護財団」の「特集 京の祭の遺宝 剣鉾」等を参照にされたい)。]

***



[やぶちゃん注:右は大阪中近堂から明治17(1984)~21(1988)年に刊行された「和漢三才圖會」の「人魚」の図で、この版は図が異なり、上半身が底本よりも綺麗なので紹介する。国会図書館本の電子画像を印刷し(画像を直接加工したのではない)、それをスキャンし、画像処理ソフトを用いて汚損除去・補正を加えた。文化庁の著作権には抵触しないと考える。]

にんぎよ   鯪魚

人魚

ジン イユイ

 

和名抄引兼名苑云人魚【一名鯪魚】魚身人靣〔=面〕者也

本綱引稽神録云有謝仲玉者見婦人出没水中腰已下

青魚又有査道者奉使高麗見海沙中一婦人肘後有紅

《改ページ》

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○二十一

鬛二物其是人魚也

推古帝二十七年攝州堀江有物入罟其形如兒非魚非

人不知所名【云云】今亦西海大洋中間有之頭似婦女以

下魚身麄〔=麤〕鱗淺黑色似鯉尾有岐兩鰭有蹼如手而無脚

暴風雨將至時見矣漁父雖入網奇不捕

阿蘭陀以人魚骨【名倍以之牟□〔→禮〕】爲解毒藥有神効其骨作噐〔=器〕爲

 佩腰之物色似象牙而不濃

にんぎよ   鯪魚

人魚

ジン イユイ

 

「和名抄」に「兼名苑」を引きて云ふ、『人魚【一名、鯪魚。】魚の身、人の面なる者なり。』と。

「本綱」に「稽神録」を引きて云ふ、『謝仲玉と云ふ者有り、婦人の水中に出没するを見る。腰より已下〔=以下〕は青魚なり。又、査道と云ふ者有り、高麗に奉使して海沙中に一婦人を見る。肘の後に紅き鬛有りと。二物、其れ、是れ人魚なり。』と。[やぶちゃん字注:「云」は送り仮名にある。]

推古帝二十七年、攝州堀江に物有り、罟(あみ〔=網〕)に入る。其の形、兒のごとく、魚に非ず、人に非ず、名づく所を知らず云云。今も亦、西海大洋の中に間(まゝ)之有り。頭、婦女に似て以下は魚の身。麤〔(あら)=粗〕き鱗、淺黑き色、鯉に似て尾に岐有り。兩の鰭、蹼(みづかき)有りて手のごとくにして、脚無し。暴(にはか)に風雨將に至んとする時、見る。漁父、網に入ると雖ども奇(あやし)みて捕らず。

阿蘭陀、人魚の骨【倍以之牟禮〔(ヘイシンレ)〕と名づく。】を以て解毒の藥と爲す。神効有り。其の骨、器に作り、佩腰の物と爲す。色、象牙に似て、濃〔(のう)〕ならず。

[やぶちゃん注:モデル論では哺乳綱のジュゴン目(海牛目)Sirenia

ジュゴン科Dugongidaeジュゴン亜科ジュゴン属ジュゴンDugong dugon

一属一種が真っ先に挙げられる。しかしさすれば当然、同じジュゴン目のマナティー科Trichechidaeマナティー属Trichechusに属する次の三種

アマゾンマナティーTrichechus inunguis

アメリカマナティーTrichechus manatus

アフリカマナティーTrichechus senegalensis

も挙げねばならないし、更に言えば近代に人類が絶滅させたジュゴン科ステラーカイギュウ亜科Hydrodamalinae

ステラーカイギュウHydrodamalis gigas

も、その我々の愚かな行為を忘れないために、掲げることに異論を挟む方はおるまい(ステラーダイカイギュウについては、私の電子テクストにある南方熊楠の「人魚の話」の私の注13を是非お読み頂きたい)。但し、良安の叙述を虚心坦懐に読むならば、これはネコ目(食肉目Carnivoraのアシカ科 Otariidaeのアシカやオットセイ、アシカ亜目(鰭脚亜目)アザラシ科 Phocidaeのアザラシ等もモデル生物として全然問題ない気はする。附記すると、都市伝説としての人魚伝説は今も健在だ。調査捕鯨の関係者の間で噂されると言い、映像にも撮られた謎の人魚がいるノダ! UMA(未確認生物)のサイトや「ヒトガタ」「ニンゲン」「人型物体」等で検索をおかけになるの一興であろう。閑話休題。先のジュゴン=人魚説の総本山は、先に掲げた南方熊楠の「人魚の話」(初出「牟婁新報」明治431910)年9月)辺りであろう。本作は例によって博覧強記の熊楠が古今東西の人魚伝説を自在に行き来する『智の旅』である。上記の熊楠のテクストに附けた私の注を見て頂ければ、ご理解頂けると思うが、私は昔から「人魚」を愛すること人後に落ちず、何時の日か、その思いの丈けを存分に語りたいとずっと思っていたのだが、そのパッションは残念ながら、彼や、今やネット上の多くの「人魚」愛好家のために奪われた(幾つかの引用文献を用意したが、「人魚 文献」のグーグル検索ヒット数は28000件である)。僕はつい逢はざりし「人魚」の面影を抱いたまま、「死ね」という声を聞きながら淋しく浜辺を去らねばならぬのか……それでも!……。

 「鯪魚」は「山海經」第十二の「海内北經」に 『陵魚人面、手足、魚身、在海中。』とあるのと同一の生物である(但し、「廣漢和辭典」を引くと「鯪」には『大魚の名。また、せんざんこう』、とあるのみで人魚の記載が全くないのは、何故だろう? ちなみに「せんざんこう」とは勿論、「穿山甲」、あの角質の鱗の装甲を持った陸上生物、哺乳類センザンコウ目(有鱗目)センザンコウ科に属する生物である)。康煕6年刊「山海經広注」付図から「鯪魚」の当該図を以下に示す(平凡社1973年刊中国古典シリーズ4「抱朴子 列仙伝・神仙伝 山海経」巻末所収の京都大学人文科学研究所所蔵本挿図より)。


 「兼名苑」は唐の僧侶、釈遠年撰になる名物の呼称についての研究書。

 「稽神録」は北宋の学者、徐鉉(じょげん)撰の志怪小説。徐鉉は文字学者として「説文解字」の校訂者として知られる。第二の例は「徂異記」(宋の聶田撰になるも残欠)に載るとするものと同じである。以下に「徂異記」から引用する(原文のテクストはかつて繁体字中文サイトダウンロードしたものを補正・加工した。失礼ながらダウンロード先は失念)。

待制査道出使高麗、晩上船泊在一山邊。望見沙灘上有一婦人、頭髮薘鬆、穿著紅裙子、袒露兩臂、肘下有鬣。船夫不知道是什麼。査道曰、「是人魚也。」。

やぶちゃんの書き下し文:
待制査道、高麗に出使し、晩上、船、泊して、一山の邊に在り。望見するに、沙灘の上に一婦人有り、頭髮、薘鬆(ほうそう)し、紅裙子(こうくんし)を穿著(せんちよ)し、兩臂(りやうひん)を袒露(たんろ)し、肘下(ちうか)に鬣(ひれ)有り。船夫、知らずして、「是れ、什麼(そもさん)?」と道(い)ふ。査道曰く、「是れ、人魚なり。」と。

やぶちゃん訳:
待制であった査道は、高麗に使者として遣わされた。その途上、ある晩のこと、船が錨を降ろして、とある山の麓の海辺に在った。査道が、碇泊した船上から景色を眺めて見ると、水際の辺りに一人の婦人がおり、髪を振り乱し、紅い裳(も)だけを穿(は)いて、袒(はだぬ)ぎして両の手首(肘から先)を露わにし、そして肘(ひじ=肘から脇の下迄の二の腕)の脇の下には鰭(ヒレ)があった。同船していた船乗りは、全く見たこともない生き物だったので、「さても! あれは一体、何ですか?」と尋ねた。即座に査は答えて言った。「あれが、人魚だ。」と。

やぶちゃん語註:
・待制:唐代の官名で詔勅の筆記や種々の御下問に返答する学識職。
・沙灘:「砂洲」の意多く用いられるが、汀(みぎわ)の意味でよいであろう。
・薘鬆:髪の乱れているさま。

 「推古帝二十七年」以下の叙述は「日本書紀」の推古天皇27619)年7月に現れる条。

秋七月。攝津國有漁父。沈罟於堀江。有物入罟。其形如兒。非魚非人。不知所名。

攝津の堀江は現在の大阪府西区の旧淀川河口域の地名。なお、この文の直前、推古天皇27619)年4月4日の条には、

二十七年夏四月己亥朔壬寅。近江國言。於蒲生河有物。其形如人。

二十七年、夏、四月の己亥(つちのとゐ)の朔(つひたち)の、壬寅(みずのえとら)に、近江國に言(まう)さく、「蒲生河に物有り。其の形、人の如し。」と。

とあるのも、本来なら併記すべき内容であろう。この「其形如人」はやはり人魚である。それが水棲人間の存在を喚起し、7月の条の記載をあらしめたのだと思う。但し、この2件について、南方熊楠は上記の「人魚の話」の中で、両生綱有尾目サンショウウオ亜目オオサンショウウオ科のオオサンショウウオAndrias japonicusであろうと推測している。当該種は岐阜県以西の日本固有種であり、前者近江の発見個体は完全な淡水域でのものであるから、オオサンショウオの可能性が高く、それを受けた(類似性が高いと判断されたから記載されたと読むのが正しいから)摂津堀江の「兒」のような(これに出産直後の胎児のニュアンスを読むならば、ますます)「人魚」は、やはり当該種であると考えてよいと私も思うのである。

 「倍以之牟禮」については、南方熊楠の上記論文で、この良安の記述を載せて『ラテン語ペッセ・ムリエル、婦人魚の義なり』と注している。さてこれについて調べようとしたところが、以前からその膨大な資料に敬意を表しながらも、不勉強ながらろくに読んでいなかった「東京人形倶楽部」(これ自体が「人魚学」の強力なサイトである)の中に、『「せ」は世界の人魚、或いは人魚の世界のセ 坂元大河君の報告――人魚初級講座5 東洋の人魚――』(これが初級では私は母の胎内に戻って生まれ直さねばならぬ!)という、もう私の出る幕はない素晴らしく記載を見つけてしまった。素直に完敗を表明して該当箇所を引用させて頂く(一部の記号・フォントを本ページに合わせて補正したのみで基本的に完全なコピーである)。

《引用開始》

 江戸の人魚文献で注目されるものに、大槻玄沢(磐水)の「六物新志」があります。舶来薬品の考証ですが、下巻の最後で人魚が取り上げられ、「甲子夜話」で「人魚のこと大槻玄沢が六物新志に詳なり」と言われているものです。玄沢は「ヘイシムレル」という人魚の骨が海外からもたらされている所から説き始めます。この物は、貝原益軒「大和本草」では「ベイシムレル」、「和漢三才図会」では「バイシムレ」と言われていますが、玄沢はスペイン語のペセムエール、つまりpez(魚)とmujer(女)の合成語、婦魚=人魚のことだと、その意味をつきとめました。この語源は、小学館『国語大辞典』では、ポルトガル語peixe-mulher(雌の海牛 )とし、南方熊楠はラテン語「ペッセ・ムリエル」(婦人魚)の義としています。
 この骨は象牙のようで、止血(六物新志・長崎聞見録・大和本草・重修本草綱目啓蒙)の効能があるとされています。その他、解毒剤と紹介する文献もあります。「和漢三才図会」、『国語大辞典』、南方熊楠「人魚の話」などです。南方は「三才図会」を引いていますので、寺島良安が解毒剤説を広めているようです。江戸時代で解毒の薬と言えば、ウニコール(一角獣の角)が有名で、偽物が横行し、「うにこーる」と言えば、うそ・いつわりの意味になったほどでした。骨の解毒作用は、漢方の犀角、蛇角で説かれていますので、人魚の骨も毒を制すると思われたのでしょう。中国では孔雀の血が、アフリカではヘビクイワシの肝臓が、毒蛇に噛まれたときに解毒剤として用いられました。ハゲワシの足は、サソリ、蛇の毒に効くと言われていました。人魚の骨も偽物が多く、「山海名産図会」は「甚だ偽もの多し」、「重修本草綱目啓蒙」は「蛮人もち来たる者贋物多し、薬舗に貨する者はアカエイの歯及びトビエイの歯の形状にして斜紋なるものなり、未だ真なる者を見ず」と言っています。
 玄沢は、イタリア人アルドロヴァンディ(15221605)の動物誌、ポーランド人ヨンストン(16031675)の動物図説、18世紀のオランダ人ファレンティンの書から人魚の図を司馬江漢に写させています。このうちヨンストンの動物図説(165053)は銅版図入の図鑑で、その出版後すぐオランダ商館長が将軍家綱に贈っています。また平賀源内も1760年代にはこの書を入手し、知り合いの画家たちに模写させています。蘭学時代には、人魚を表すヨーロッパの言語も知られ、「西洋雑記」に「セヰレデネン、セイメンセン、ゼエ・フロウー」、「六物新志」には「ペセムエール、フロウヒス、メイルミンネン、ゼイウェイフ」の語が紹介されています。また、1403年にオランダでとらえられた人魚のことは「西洋雑記」「和訓栞」に見えます。このオランダの人魚はよほど有名らしく、南方「人魚の話」、ボルヘス『幻獣辞典』にも登場しておりますし、明代中国の書「萬国図説」「坤輿外記」にも言及があります。

《引用終了》

あぁ! 人魚のささやきが聞こえる……「だからね……最初に貴方が感じたように……貴方はおとなしく浜辺を去るべきだったの……]

***

ろくきよ

勒魚

レツ イユイ

本綱勒魚出東海中以四月至漁人設網候之聽水中有

聲則魚至矣状如鰣小首細鱗腹下有硬刺如鰣腹之刺

勒人故名之頭上有骨合之如鶴啄形乾者謂勒鮝甜瓜

《改ページ》

生者用勒鮝骨挿蔕上一夜便熟【石首魚鮝骨亦然】

ろくぎよ

勒魚

レツ イユイ

「本綱」に、『勒魚は、東海の中に出づ。四月を以て至る。漁人、網を設けて之を候〔(ま)つ〕。水中を聽く〔に〕聲有れば、則ち魚至る。状、鰣〔(ひら)〕のごとく、小さき首、細かなる鱗、腹の下に硬き刺有りて、鰣の腹の刺のごとし。人を勒す。故に之を名づく。頭の上に骨有り。之を合すれば鶴の啄〔(くちばし)〕の形のごとし。乾〔したる〕者、勒鮝と謂ふ。甜瓜(まくはうり)の生なる者、勒鮝骨を用ひて蔕の上に挿さば、一夜にして便ち熟す【石首魚〔(にべ)〕の鮝骨も亦、然り。】。』と。

[やぶちゃん注:「勒魚」で検索すると、多いのがシイラ、又、現代中国語でベラを指すという記載なのであるが、シイラは既に前掲した「鱰」で同定してしまっているし、第一、魚体が一昨日来い、である。音を立てるというのであればスズキ目ベラ科のウスバノドグロベラMacropharyngodon moyeri求愛行動の際にパチンという音を立てるという記載を見つけたし、スズキ亜目テンジクダイ科テンジクダイApogon semilineatusも同様に、繁殖期に浅瀬に来た際の求愛行動時や釣り上げられた際に浮袋を収縮させてブツブツとかグーグーと音を立てることは良く知られる(此方の方が叙述には合う気がする)。但し、良安も自己の記載をしていないのは、本邦産に該当種を見出し得なかったからであろうとも思われる。本巻最後なだけにちょと悔しいが、そこまでだ。

 「鰣」は骨鰾下区ニシン上目ニシン目ニシン科ニシン亜科ヒラLlisha elongata。前掲の「鰣」を参照。

 「人を勒す」の「勒」は、ある動きを押しとどめることを言う誤であるから、人がすなずりの部分を手でさすった際に、その硬いハラビレの刺によって手が止まるほどである、という意であろう。

 「頭の上に骨有り」は「之を合すれば」という記載から二つあると考えてよく、まず間違いなく耳石である。耳石については前に掲げた「鮸」(コノシロ/ニベ)の項の「白石二枚」の注を参照されたい。鶴の嘴の形をした耳石を持つ魚を探そう。

 「勒鮝」について実は、以下の中国語「漢典」ページに記載があるのだが、現在種は分からん。ただこれによると、その鶴の嘴の形をした骨(耳石)によって「勒」と呼ぶとあり、これは恐らく「勒」の本来の意味である「おもがい」の意味からであろう。「面繋」(おもがい)とは、轡(くつわ)を飾るために馬の頭部から頰にかけてある紐のことを指す。これは馬の両頬を左右から固く挟むもので、いわばきゅっと締まった鶴の嘴のように見えるとも言えるであろう。しかし、それでは時珍の謂いとは合わないことになる。謎が謎を呼ぶ。五十六億七千万年立てば彌勒菩薩が教えてくれるかな?