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鬼火へ

和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類へ

和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部へ

和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部へ

和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚へ

和漢三才圖會 卷第五十  魚類 河湖無鱗魚へ

和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚へ

和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔類へ

 

和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚  寺島良安

           書き下し及び注記 © 2007―2023 藪野直史

           (原型最終校訂     2008年 2月 2日 午前11:30

           (再校訂・修正・追補開始2023年 9月 7日 午後12:15)

           (再校訂・修正・追補終了2023年 9月15日 午前10:16)

[やぶちゃん注:本ページは以前にブログに記載した私の構想している「和漢三才圖會」中の水族の部分の電子化プロジェクトの第四弾である。底本・凡例・電子化に際しての方針等々については、「和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部 寺島良安」の冒頭注の凡例を参照されたい。

 なお、次の「目錄」は底本では卷四十八冒頭に河湖有鱗魚類の「目錄」に続けて付随しているので、前半部の頁の柱は「■和漢三才圖會 有鱗魚 卷四十八目祿 ○ 二」(「祿」はママ)であるが、省略した。但し、以下には「目錄」の文字がないので、〔 〕で挿入しておいた。項目の読みはママ(該当項のルビ以外に下に書かれたものを一字空けで示した。なお、本文との表記の異同も認められるが、注記はしていない)。なお、原文では横に三列の罫があり、縦に以下の順番に書かれている。項目名の後の[ ]には、私が同定した和名等を示した。【二〇二三年九月七日追記】私のサイトの古層に属する十五年前の作品群で、当時はユニコードが使用出来ず、漢字の正字不全が多く、生物の学名を斜体にしていないなど、不満な箇所が多くある。今回、意を決して全面的に再校訂を行い、修正及び注の追加を行うこととした。幾つかのリンクは機能していないが、事実、そこにその記載や引用などがあったことの証しとして、一部は敢えて残すこととした。さても……サイト版九巻全部を終えるには、かなり、かかりそうである。

 

卷第四十九

 江海有鱗魚〔目録〕

 

(たひ) [タイ]

黃穡魚(はなをれたひ) [キダイ]

烏頰魚(すみやきたひ) [オオクチイシナギ]

海鯽(ちぬたひ) くろたひ [クロダイ]

鷹羽魚(たかのは) [タカノハダイ]

方頭魚(くずな) あまたひ [アマダイ]

金線魚(いとより) [イトヨリダイ]

錦鯛(くそくいを) にしきいを [キンメダイ或いはエビスダイ]

緋魚(あかを) あこ [アコウダイ]

血引魚(ちひき) [ハチビキ]

眼張魚(めはる) [メバル類]

藻魚(もいを) [メバル類]

銅頭魚(かなかしら) [カナガシラ]

保宇婆宇(ほうばう) [ホウボウ]

古伊知(こいち) [コイチ]

藻伏魚(もふし) [コブダイ?]

榮螺破魚(さゝいわり) [不詳]

鰭白魚(はたしろ) こせう [コショウダイ]

鰷身魚(あいなめ) [アイナメ]

油身魚(あふらめ) いたちいを [イタチウオ]

梭子魚(かます) [カマス]

(さより) はりを [サヨリ]

啄長魚(だす) [ダツ]

簳魚(やがら) [アカヤガラ]

(こち) [コチ]

惠曾魚(ゑそ) [エソ]

幾須吾(きすご) [シロギス]

(くち) にべ [シログチ/ニベ]

墨頭魚 [ Garra lamta

■和漢三才圖會 有鱗魚 卷四十八目祿 ○ 三

[やぶちゃん字注:丁の中央の柱罫にある標題。「祿」はママ。前掲した通り、この目録は巻四十八の冒頭にあるため、「卷四十八」となっているのであって誤りではない。]

佐伊羅(さいら) のうらき [サンマ]

(しいら) ひいを くまひき [シイラ]

(ひら) [ヒラ]

(ほら) なよし [ボラ]

(すゞき) はね せいこ [スズキ]

(さば) [サバ]

(このしろ) つなし こはた [コノシロ]

(たなこ) [ウミタナゴ]

伊佐木(いさき) [イサキ]

㕦魚(たら) [タラ]

阿羅(あら) [アラ]

(ぶり) つはす はまち めしろ [ブリ]

鰤𩵭(しわう) [カンパチ]

(いはし) [マイワシ/カタクチイワシ]

[やぶちゃん字注:「は」はママ。]

潤眼鰯(うるめいわし) [ウルメイワシ]

(にしん) かど かすのこ [ニシン]

魚虎(しやちほこ) [シャチ]

人魚(にんきよ) [ジュゴン]

勒魚(ろくきよ) [ネンブツダイ?]

[やぶちゃん字注:「勒」の字は原本では「革」の下部の「十」は上部の「口」を貫かず(ただ、口の下に「十」が付いているのみ)、従って、その上の「廿」にも届いていないが、正字を用いた。]

 

□本文

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○一

 

和漢三才圖會卷四十八

      江海

  𩵋類

      有鱗魚

たひ

【音彫】

テヤ゚ウ

 

 棘鬛 奇鬛

 吉鬛 赤鬃

 平魚【延喜式】

   【和名太比】

[やぶちゃん注:以上四行は前野三行の下に入る。]

 

崔禹錫食經云鯛【甘冷】貌似鯽而紅鰭者也

閩書南產志云棘鬛魚似鯽而大其鬛紅紫色或曰奇曰

吉曰赤皆以鬛異于余魚也

△按俗謂扁者稱平【太比者平字訓下畧】本草綱目三才圖會等不

 載之可知中華希有之物也近世淅江寧波海中有之

 蓋春夏唐舩多來朝時鱰【比伊乎又云志比良】附舶來矣秋冬歸

 《改ページ》

 帆時此地鯛附舶多渡唐焉

鯛形似鯽而扁其鱗鬛淡赤白離潮則變赤鬛特紅其肉

白味美最爲本朝魚品之上四時共多諸國皆有種類亦

多也大抵一二尺其小者一二寸名加須吾鯛

攝泉之内海所取者惣稱前之魚賞之播州明石浦之產

亦佳也北國新潟邊之產有大者三四尺西海對馬邊之

產形短眼大也並味不如攝播之鯛也俗傳云西海鯛春

夏越阿波鳴戸入播攝之地者大骨生瘤焉盡然乎否

      新六 行春の堺の浦の櫻鯛あかぬかた見にけふや引らん 爲家

日本紀云彥火火出見尊失兄鉤而後探赤女口而得之

赤女者鯛也【一云鰡也】以赤女魚所以不備供御者此緣也蓋

惟鯛自古供宗廟之祀薦至尊之膳又爲嘉儀之餽贈則

赤女非鯛也

戎鯛 狀似藻臥魚而頭大圓肥尾小窄如鯉尾鱗似鯛

 而深赤鰓下有黒雲文口小而露齒甚醜

たひ

【音、彫。】

テヤ゚ウ

 

 棘鬛〔(きよくれふ)〕 奇鬛〔(きれふ)〕

 吉鬛〔(きつれふ)〕  赤鬃〔(せきそう)〕

 平魚【「延喜式」。】

   【和名、「太比」。】

 

崔禹錫が「食經」に云はく、『鯛は【甘、冷。】、貌〔(かたち)〕、鯽〔(ふな)〕に似て、紅〔(くれなゐ)〕の鰭(ひれ)ある者なり。』と。

「閩書」の「南產志」に云はく、『棘鬛魚は、鯽に似て、大に、其の鬛〔(ひれ)〕、紅紫色なり。或は「奇」と曰ひ、「吉」と曰ひ、「赤〔(しやく)〕」と曰ふ。皆、余魚の鬛に異なるを以つてなり。』と。

△按ずるに、俗に、扁たき者を謂ひて「平(たひら)」と稱す【「太比〔(たひ)〕」は、「平」の字の訓の下畧。】。「本草綱目」・「三才圖會」等に、之れを載せず。知るべし、中華に希れに有るの物なるを。近世、淅江(せつこう)寧波(ニンパウ)の海中に、之れ、有り。蓋し、春夏、唐舩〔(からぶね)〕、多く來朝の時、鱰(ひいを)【「比伊乎」、又は「志比良〔(しひら)〕」と云ふ。】、舶に附きて來る。秋冬、歸帆の時、此の地の鯛、舶に附きて、多く、渡唐す。

鯛の形、鯽に似て、扁たく、其の鱗・鬛、淡赤白、潮を離〔(はな)〕るる時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、赤に變じて、鬛、特に紅なり。其の肉、白く、味、美〔(よ)く〕、最も本朝魚品の上と爲す。四時共に多く、諸國、皆、有り。種類も亦、多きなり。大抵、一、二尺、其の小なる者、一、二寸なるを「加須吾鯛〔(かすごだひ)〕」と名づく。攝〔=摂津〕・泉〔=和泉〕の内海にて取る所の者、惣じて「前の魚」(まへのいを)と稱して、之れを賞す。播州〔=播磨〕・明石(あかし)浦の產、亦、佳〔(よ)〕し。北國新潟(にいがた)の產、大なる者、三、四尺、有り。西海の對馬邊の產は、形、短く、眼〔(まなこ)〕、大なり。並びに、味、攝・播の鯛に如〔(し)〕くならざるなり。俗傳に云ふ。『西海の鯛、春夏、阿波の鳴戸を越えて、播・攝の地に入る者、大骨に瘤(こぶ)を生ず。』と。盡く、然るや否や

     「新六」行く春の堺の浦の櫻鯛あかぬかた見にけふや引くらん 爲家

「日本紀」に云はく、『彥-----尊(ひこほゝでみの〔みこと〕)、兄の鉤〔(はり)〕を失ひて後、「赤女〔(あかめ)〕」が口を探りて、之れを得。「赤女」なる者は「鯛」なり【一に「鰡〔(いな)〕」とも云ふなり。】。「赤女魚」を以つて、供御〔(くご)〕に備へざる所以は、此の緣なり。』と。蓋し、惟(をもん[やぶちゃん注:ママ。])みるに、鯛、古へより、宗廟の祀〔(まつり)〕に供へ、至尊の膳に薦む。又、嘉儀の餽-〔(をくりもの)〕と爲〔(す)〕る時は[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、「赤女」、鯛に非ざるなり

戎鯛(えびすだひ) 狀〔(かたち)〕、「藻臥(もふし)魚」に似て、頭〔(かしら)〕、大きく、圓〔(まろ)〕く肥え、尾、小さく、窄(すぼ)く、鯉の尾のごとし。鱗、鯛に似て、深く赤く、鰓〔(えら)〕の下に、黒雲〔(くろくも)〕の文〔(もん)〕、有り。口、小さくして、齒を露(あらは)す。甚だ醜し。

[やぶちゃん注:スズキ目スズキ亜目タイ科 Sparidae の魚類の総称。及び、生体や、切り身の肉の見た目や、魚肉の味が類似した別科の魚類にも、現在も用いられる名であるが、やはりここは一番、タイ科マダイ亜科マダイ Pagrus major を掲げておきたくなるのが、縁起担ぎの日本人の人情というものである。私はそのような私の中の心性を、決して情けないとは思わぬ。

・「延喜式」は、「弘仁式」及び「貞観式」(本書と合わせて三代格式と呼ぶ)を承けて作られた平安中期の律令施行規則。延喜五(九〇五)年に醍醐天皇の勅命で藤原時平らが編纂を始め、延長五(九二七)年に完成、施行は実に半世紀後の康保四(九六七)年であった。平安初期の禁中の年中儀式や制度等を記す。三代格式の中では唯一、ほぼ完全に残っているものである。

・『崔禹錫が「食經」』の「食經」は「崔禹錫食經」で、唐の崔禹錫撰になる食物本草書。前掲の「倭名類聚鈔」に多く引用されるが、現在は散佚。後代の引用から、時節の食の禁忌・食い合わせ・飲用水の選び方等を記した総論部と、一品ごとに味覚・毒の有無・主治や効能を記した各論部から構成されていたと推測される。

・「鯽」コイ科コイ亜科フナ属 Carassius の仲間の総称。

・『「閩書」の「南產志」』「閩書」(びんしょ)は、明の何喬遠(かきょうえん)撰になる現在の福建省地方の地誌・物産誌。「南産志」は、その中の二巻。

・『「吉」と曰ひ」中国人にとって、古来より赤は最も目出度い色である。

・「淅江」は華中南東部、現在の淅江省。長江デルタの南岸に位置し、古くから日本や朝鮮等と容易に交易できる中華文明の東の門戸であった。

・「寧波」は、現在の淅江省寧波東部にある。東海交易の最も重要な海港の一つとして古くから知られ、遣隋使・遣唐使の入港地として本邦との繋がりも深い。中国音でルビが振られているため、カタカナとした。

・「鱰」スズキ亜目シイラ科シイラ Coryphaena hippurus 。後掲の「鱰」の項を参照。

・「舶に附きて來る」を読んだ時、私は心から良安先生に敬意を表した。これを短絡的と笑ってはいけない。良安先生の、この射程の先には、まさにバラスト水に象徴される外来種侵入の問題が遠く呼応しているからである。高度経済成長期、一体、誰がバラスト水によって深刻な生態系崩壊が起こると予測していたか? 我々は、我々の無知・無関心を猛省せねばならないと私は思っている。

・「加須吾鯛」は、現在もマダイの幼魚(十センチメートル程度、百グラム以下の個体)の名称として生きている。「春子鯛」(かすごだい)と書き、語源が本当にその表記にあるかどうかは、私はやや疑問であるものの、古くから桜の季節の小鯛に用いられた風雅な呼称ではある。

・「前の魚(まへにいを)」というマダイに与えられた特別な呼称は、狭義には「えべっさん」で著名な兵庫県西宮市にある「西宮神社」の社「前の海」で獲れたものを「戎様の鯛」と言って縁起物としたことに発する。明石辺りでも、この呼称が今も用いられている。

・「邊」のルビ位置には「ダッシュ」状の縦線が入っている。これは明らかに意図的に引かれたもので、当初は上の「新潟」の「かた」のルビを繰返せという記号(踊り字「〱」で=「かた」)で。「方」の意味かと思ったが、如何にもな訓であるので、やめて、そのままとした。

・「盡く、然るや否や」と言い、俗伝との断わり書きといい、良安先生はかなり懐疑的だが、これは以下の「徳島ブランド」(株式会社 徳島大水魚市HP内)の「ここがブランド」の叙述を読む限り、生物学的に正しいように思われる。この「コブ」は鳴門の速い潮流に揉まれて、一度は骨が疲労骨折したものの治癒した痕とされ、「鳴門骨」とも呼ぶ。グーグル画像検索「鳴門鯛 ブランド 骨折 鳴門」をリンクさせておく。但し、真偽を疑う方よ、少なくとも「鯛のコブ」「鯛のこぶ」で検索をかけるのはお薦めしない。「鯛のコブ〆」が多量にヒットするばかりであるから。

・「新六」は「新撰和歌六帖(新撰六帖題和歌)」で、仁治四・寛元元(一二四三)年成立。藤原家良・為家・知家・信実・光俊の五人が詠んだ和歌を所載した類題和歌集。藤原為家は定家の次男、というより「十六夜日記」の阿仏尼の夫とした方が分かりがよいか。該当歌は「第三 水」に所収する。この歌の下の句、和歌に暗い私には意味がピンと来ないが、成就もしないのに、その祈りのために、春日大社なんどへお供えするため、海士どもは飽きもせず、網を曳いては桜鯛を捕っておるわ、というクソ公家(私は為家は大嫌いだからね)の呟きか。

・「日本紀」「日本書紀」。以下に該当箇所(国史大系本から伝本の違いによる三バージョンを掲載する。J-TEXTを用いたが、可能な限り、正字に変換し、一部の句読点等を変更した)の原文・書き下し文・訳を載せる(私は上代は苦手であるから、書き下し文・訳文はご自身で精査されたい)。所謂、海幸彦山幸彦のワン・シーンである。

   *

①時彥火火出見尊對以情之委曲。海神乃集大小之魚、逼問之。僉曰。不識。唯赤女【赤女。鯛魚名也。】比有口疾而不來。固召之探其口者、果得失鉤。

②對以情之委曲。時海神便起憐心、盡召鰭廣鰭狹而問之。皆曰。不知。但赤女有口疾不來。亦云。口女有口疾。即急召至。探其口者、所失之針鉤立得。於是海神制曰。儞口女從今以徃、不得吞餌。又不得預天孫之饌。卽以口女魚所以不進御者、此其緣也。

③海神召赤女口女問之。時、口女自口出鉤以奉焉。赤女卽赤鯛也。口女卽鯔魚也。

 

○やぶちゃんの書き下し文

①時に彥尊(ひこほでみのみこと)、情(こころ)の委曲(かたち)を以つて、對(こた)ふ。海神(わたつみ)、乃(すなは)ち、大小の魚を集め、之れに逼(せま)りて問ふ。僉(みな)、曰(い)ふ。「識らず。唯だ、赤女(あかめ)【「赤女」、鯛の魚の名なり。】のみ、比(このごろ)、口の疾(やまひ)有りて、來らず。」と。固(もと)より、之れを召して、其の口を探さば、果して、失へる鉤(ち)を得き。

②情の委曲を以つて對ふ。時に、海神、便(すなは)ち、憐みの心を起こし、鰭廣(はたのひろもの)・鰭狹(はたのさしもの)を、盡(ことごと)く召して、之れに問ふ。皆、曰ふ。「知らず。但だ、赤女のみ、口の疾有りて、來らず。」と。亦、云ふ。口女(くちめ)、口、疾、有り。卽ち、急(すみや)かに召して至る。其の口を探らば、失へる所の針-鉤(ち)の立(ただどころ)に得き。是に於いて、海神、制して曰(のたま)ふ。「儞(なんぢ)、口女、今より以つて徃(ゆくさき)、餌を吞むを得じ。又、天孫(あめみま)の饌(みあへ)に預り得じ。」と。卽ち、口女の魚を以つて、御(おほみもの)に進(たてまつ)らざる所以は、此れ、其の緣(ことのもと)なり。

③海神、赤女・口女を召して、之れに問ふ。時に、口女、口より鉤を出だして、以つて奉る。赤女は、卽ち、赤鯛なり。口女は、卽ち、鯔魚なり。

○やぶちゃんの現代語訳:

①そこで、彦火火出見尊は、その釣針を探しに、この龍宮までやって来たという事情を仔細に答えた。海神は、直ちに大小の魚を集めて、問い糾した。すると皆は、「知りません。ただ赤女【赤女とは鯛の名である。】だけ、近頃、口に怪我をしており、ここに来ておりませぬ。」と答えた。即座にその赤女を呼んで、その口を探したところ、まさに失った釣針を見出した。

②そこで彦火火出見尊は、その釣針を探しにこの龍宮までやって来たという事情を詳細に答えた。そこで海神(わたつみ)は、すぐに憐れみの心を生じ、鰭の大きなものも、小さなものも、悉くの魚どもを召し寄せて、問うた。すると皆は、「知りません。ただ、赤女だけ、口に怪我をしており、ここに来ておりませぬ。」と言った。(「日本書記」編者注:又は、別に以下のようにも伝える。)口女が口に怪我をしていた。そこで、急ぎ、召し出したところ、やってきた。その口の中を探ぐって見たところ、失った釣針を、即座に得た。そこで海神は、口女に禁じて言った。「汝、口女よ、今より生きてゆく先、汝は、餌を口にすることは出来まいぞ。又、天孫の御膳に加わることも、出来まいぞ。」と。今、口女魚を御膳に献上せぬ所以は、まさしく、この所縁に依るものなのである。

③そこで海神は、赤女と口女を召し寄せて、この二尾に問うた。その時、口女は、その口より、彦火火出見尊が失った鉤を取り出だして差し上げた。赤女とは、まさに現在の赤鯛である。口女は、まさに現在の鯔魚である。

   *

さて、③は断片であるが、ここに至って、釣針を呑んだのは「鰡魚」=ボラとなり、「赤鯛」(この「赤」は美称の接頭語として取ってよかろう)即ち、「タイは無実であった」という叙述となっている。①→②→③の変化は、まさに伝承者による「赤女」の冤罪提唱、真犯人は「口女」であるとする過程でもある。そのスライドには、それこそ「卽ち、口女魚を以つて進御せざる所以は、此れ、其の緣なり」という古伝承によって、皇族が旨いタイを食うことが忌避されそうになるのを、うまく誤魔化したようにも見えて、甚だ面白いではないか。これは上代に疎い私の勝手気儘な想像であることは断っておく。

・「鰡」はボラ目ボラ科ボラ Mugil cephalus 。ボラは出世魚で、ここに現れる「いな」という呼称は、成魚のボラの前段階を指す。例えば関東方言では、オボコ→イナッコ→スバシリ→イナ→ボラ→トドである。

・「赤女、鯛に非ざるなり」とあるが、現在、和名としての「アカメ」は悪党面をしたスズキ亜目アカメ科アカメ Lates japonicus がいる。しかし、ここに一匹、以上の挿話と極めて素敵な一致を示す別称「アカメ」君がいるのだ。即ち、ボラ目ボラ科メナダ Liza haematocheila である。岡山・山口・新潟等極めて広域で「メナダ」は「アカメ」と呼ばれているのである。魚体もボラに似る(頭部がボラに比して鋭角的である)。ここは「メナダ」で決まりだ!

・「宗廟」は本来は広く祖霊を祀る神聖な建物を言うが、狭義には伊勢神宮と石清水八幡宮を「二所宗廟」と称する。まあ、前者でよかろう。

・「至尊」は天皇の意。

・「嘉儀の餽-贈」とは、めでたい儀式の際の祝意を示す贈物を言う。

・「戎鯛」エビスダイ 現在の和名ではキンメダイ目イットウダイ科アカマツカサ亜科にエビスダイ Ostichthys japonicus がいるが、外形の形状の「特に鰓の下に黒雲の文有り」は、鰓上部及びムナビレ基部に黒色斑があるキンメダイ目アカマツカサ亜科アカマツカサ属ナミマツカサ Myripristis berndti の形状に似ていなくはない。しかし、ここで大きなポイントになるのは「大きく圓く肥え」た頭である。そこで叙述に現れる「藻臥魚」が問題となる。これは字面通りなら、藻の下に伏している魚ということで、多くの根付きの雑魚の類のように、一見、見える。例えば、現在、京都ではスズキ目ベラ亜目スズメダイ科スズメダイ亜科のスズメダイ属 Chromis を「モブシ」と呼ぶ。しかし、以下の形状の特異で異形の叙述から、これらは問題にならない。では、名前はどうか? 実は、ここに地方名として「モブシ」又は「モブセ」、更に実は「エビスダイ」と、これらに――実に贅沢に――ヒットする魚がいる。ベラ亜目ベラ科コブダイ属の巨大魚コブダイ(カンダイ) Semicossyphus reticulatus である。「鰓の下に黒雲の文有り」というのを、これ、体側の鱗の文様と捉えるなら、全ての叙述が、巨頭醜悪のコブダイに極めてぴったりくるのである。もしかすると、「藻臥魚」と似ていながら、更に頭部が「大きく圓く肥え」ているというのであれば、この「藻臥魚」はコブダイ♀を、「戎鯛」はコブダイ♂を指しているという解釈も可能であろうか。なお、この「藻臥魚」は後掲されるので、更に調査を続行するため、本記述は後に訂正する可能性があることを付記しておく。

・「窄(すぼ)く」は「すぼし」という形容詞で、「末細(すゑほそ)し」の略されたもの。「すっとスマートで、細く狭い」の意。]


***

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○二

はなをれだい       出閩書

黃穡魚

ハアン ツアン イユイ  俗云鼻折鯛

 

△按黃穡魚形色似鯛而色淺鼻直而如折故名鼻折鯛

 味劣於眞鯛

笛吹鯛 狀似鯛而淡紅色口尖長似吹笛者故名

はなをれだい      【「閩書」に出づ。】

黃穡魚

ハアン ツアン イユイ 【俗に「鼻折鯛」と云ふ。】

 

△按ずるに、黃穡魚は、形色、鯛に似て、色、淺し。鼻、直にして、折れたるごとし。故に「鼻折鯛」と名づく。味、眞鯛より劣れり。

笛吹鯛 狀〔(かたち)〕、鯛に似て、淡紅色。口、尖りて、長く、笛を吹く者に似たり。故に名づく。

[やぶちゃん注:タイ科キダイ亜科キダイ Dentex tumifrons で、「黄鯛」である。他に異名・地方名多く、レンコダイ(連子鯛)・ハナオレダイ(鼻折鯛)・コダイ(小鯛)等がある。福井小浜の名産として有名な「小鯛の笹漬け」の「小鯛」は本種を指す。「黄鯛」の名称は、目から鼻孔の部分と上顎の吻部が黄色く、又背鰭に沿った背部にも三対の黄斑があることが由来である。「黃檣魚」の「黃檣」は「わうしやう(おうしょう)」と読み、マダイや、マダイ亜科チダイ属チダイ Evynnis japonica に比して、鼻孔の周辺部が凹んでおり、口吻が前方に突き出た形になり、その形状が和船の帆を立てた帆柱(檣)に似ているからであろうか。

「笛吹鯛」「ふえふきだひ」は和名ではスズキ亜目フエフキダイ科フエフキダイ Lethrinus haematopterus であるが、釣人のサイトを管見すると、実際に漁獲されるものの多くは、同科のハマフエフキ Lethrinus nebulosus であり、フエフキダイは幻に等しいほどに釣れないという。ちなみに、「WEB魚図鑑」の「フエフキダイ」と「ハマフエフキ」によれば、フエフキダイはハマフエフキに比して魚体が小さく、セビレの棘条部中央下の側線上方の横列鱗数が通常は五枚(ハマフエフキでは通常は六枚)とあった。また、ハマフエフキには青色の斑点や斑紋が多いが、フエフキダイにはほとんど見られない点が識別のポイントという記載も嘗つてはあった。]

***

すみやきだひ

鳥頰魚

 

 【俗云須美

  夜木太比】

[やぶちゃん字注:以上二行は、前二行下に入る。]

 

△按鳥頰魚形鱗共似古伊知魚而微帯赤光頰有黒紋

 如墨引大者七八寸肉白脆淡甘美夏秋多出

すみやきだひ

鳥頰魚

 

【俗に「須美夜木太比」と云ふ。】

 

△按ずるに、鳥頰魚は、形・鱗、共に「古伊知魚〔(こいちうを)〕」に似て、微かに赤光を帯ぶ。頰に、黒紋、有りて、墨を引くがごとし。大なる者、七、八寸。肉、白く、脆く、淡く、甘美。夏秋、多く出づ。

[やぶちゃん注:スズキ目スズキ科オオクチイシナギ Stereolepis doederleini 。鮮度がよければ、鍋が一番だが、刺身でも美味い。但し、肝臓には多量のビタミンAが含まれているので、食べるべきではない。ごく少量を料理人の仕儀で頂戴したことがあるが、危険を冒して敢えて食べるほどの旨さではなかった。ビタミンA中毒は侮れないもので、急性・慢性中毒でには普通、頭痛及び発疹が起こる。急性中毒は頭蓋内圧亢進を引き起こし、眠気・易刺激性・腹痛・悪心及び嘔吐が、頻繁に見られ、概ね、皮膚剥離が続いて起こる。私はその症例写真を見たが、上半身の多くの皮膚がべろりと剝がれて発赤していた)。

・「古伊知魚」スズキ亜目ニベ科ニベ属コイチ Nibea albiflora を同定しておく。後掲する「古伊知魚」の項を参照。]

***

ちぬだひ

くろたひ

海鯽

 

  尨魚【和名久呂太比】

  海鯽【和名知沼】

 【和名抄以爲

  二物矣實此

  一物也】

[やぶちゃん字注:以上の五行は、前三行下に入る。]

 

△按海鯽狀似鯛而鱗色黒似鯽故名海鯽和名曰黒鯛

 多出於泉州古者泉州稱茅渟故名之凡鯛夏月味劣

 此魚夏月味最勝其鱗鰭色如磨琢鐵鉛其肉有微毒

 破血產後瘡家忌之尾長者名海津【加伊豆】毒甚

日本紀神功皇后自角鹿【越前敦賀】到停田門食於舩上時海

鯽魚聚船傍皇后以酒灑其魚鯽醉而浮之故其處之

魚至于六月常傾浮如醉

島鯛 似海鯽而小不過四五寸許有黒白橫紋相次重

 重不混雜

小瀧鯛 鱗色不紅潤而帶微黒形扁長而頭不圓眼色

《改ページ》

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○三
 

鮮明略類海鯽肉柔味不佳此多出於総州小瀧故名

 又泉州淡州出之名知鯛【名義未詳】

ちぬだひ

くろだひ

海鯽

 

尨魚〔(ばうぎよ)〕【和名、「久呂太比」。】

海鯽〔(かいせき)〕【和名、「知沼〔(ちぬ)〕」。】

「和名抄」、以つて、二物と爲す。實は、此れ、一物なり。】

△按ずるに、海鯽、狀〔(かたち)〕、鯛に似て、鱗の色、黒く、鯽〔(ふな)〕に似る。故に「海鯽」と名づく。和名、「黒鯛」と曰ふ。多く泉州〔=和泉〕に出づ。古へは、泉州を「茅渟(ちぬ)」と稱す。故に、之れを名づく。凡そ、鯛、夏月、味、劣る。此の魚は、夏月、味、最も勝れり。其の鱗・鰭〔の〕色、磨-琢(と)ぎたる鐵・鉛のごとし。其の肉、微毒、有り血を破る。産後・瘡家、之れを忌む。尾の長き者、「海津」と名づく【加伊豆。】。毒、甚し。

「日本紀」に、『神功皇后、角鹿(つのが)【越前敦賀。】より、停田門(ぬたのみなと)に到る。舩の上に食(みけ)しぬ。時に、海鯽魚、船が傍〔(かたはら)〕に聚まり、皇后、酒を以つて、其の魚に、灑(した)〔=灑(そそ)ぎ:滴(したた)ら。〕しめ玉ふ[やぶちゃん字注:「玉」は送り仮名にある。]。鯽、醉ひて、之れ、浮かびぬ。故に、其處の魚、六月に至り、常に傾(あふの)き浮〔(うか)〕ふこと、醉〔(ゑひ)〕たるごとし。』と。

島鯛 海鯽に似て、小さく、四、五寸ばかりに過ぎず。黒白の橫紋、有り、相次〔(あひつ)〕ぎて、重重、混雜せず

小瀧鯛 鱗色、紅潤〔(なら)〕ずして、微かに黒を帶ぶ。形、扁たく長くして、頭〔(かしら)〕、圓〔(まろ)〕からず。眼〔(まなこ)〕の色、鮮明なり。略〔(ほぼ)〕、海鯽に類す。肉、柔かく、味、佳ならず。此れ、多くは、総州小瀧に出づ。故に名づく。又、泉州・淡州〔=淡路〕、之れを出だす。「知鯛」と名づく【名義、未だ、詳らかならず。】。

[やぶちゃん注:タイ科ヘダイ亜科クロダイ Acanthopagrus schlegelii 。「尨魚」の「尨」は、元来は「ムク犬」を指す語であるが、恐らく別義にあるところの、「色が混じる・雑食の」という意味で用いているように私には思われる。

・「鯽」はコイ亜科フナ属 Carassius の中でも、代表格のギンブナ Carassius auratus langsdori、又は、キンブナ Carassius auratus subsp.をイメージしているように私には思われる。

・「和名抄」は正しくは「倭(和とも表記)名類聚鈔(抄とも表記)」で、平安時代中期に源順(したごう)によって編せられた辞書。多出するので以下、注では省略する。「卷十九」の「鱗介部第三十」「龍魚類第二百三十六」で続けて並んで出る。国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)の版本)のこちらと、次のページを視認して訓読して電子化する(一部の読みは推定)。

   *

尨魚(くろたひ) 崔禹錫が「食經」に云はく、『尨魚【和名、「久呂太比」。】は鯛と相ひ似て、灰色なり。

海鯽(ちぬ) 「辨色立成」に云はく、『海鯽魚は【「知沼鯽(ちぬぶな)」の下の文に見ゆ。】と。』と。

   *

正直、後者は意味がよく判らぬ。「辨色立成」は散佚した本邦の辞書(八世紀成立)であり、既に順自体がよく判らずに断片を引用していると考えた方がいいように思われる。

・『古へは、泉州を「茅渟(ちぬ)と稱す』の由来については、個人の釣人のHP“Fish On 福岡”の中の「なるほどtheチヌ」に「和泉市史」から引用された纏まった記載がある。以下に孫引きさせて戴く。

   《引用開始》

和泉地方は古くは「チヌ」と呼ばれ、「血沼」「茅渟」「珍努」「珍」と書かれる。「古事記」にその由来を伝えており、「神武天皇が大和の国に攻め入る時に那賀須泥毘古(ながすねひこ)と戦い、敗れて熊野に向かう途中、皇兄五瀬命(いつせのみこと)が矢傷を洗った海を血沼の海と呼ぶようになった」と書かれている。同様のことが「日本書紀」にも伝えられているが史実は定かでない。本居宣長の「古事記伝」に「黒鯛の一種である知奴(ちぬ)が、血沼海の名産であったところから、地名が魚の名称になった」とある。平安初期頃までひろく「チヌ」が使用されていたが、その後は次第に消えていった。

   《引用終了》

「古事記」では「血沼」、「日本書紀」では「茅渟」、「続日本紀」では「珍努」の字が用いられている。なお、この叙述中の本居宣長の「古事記伝」の「一種」という記載があるのは(私は「古事記伝」を所持しないので確認出来ないが)、良安が注意を促しているような、「和名抄」のクロダイとチヌの別種扱いを伝えていて、面白い。

・「微毒」については、初耳であったが、先の「なるほどtheチヌ」の記にも「チヌ料理のレシピ」に『地方によっては「卵巣に毒がある」「クロダイの肉は妊産婦の血を荒らす」と言われていたが』、『根拠は定かではない』とあり、以下の「世の中のうまい話 黒鯛」のページにも『産卵期の黒鯛の卵巣・精巣には微毒があるとも言われており、昔から、この時期のクロダイは血があれるといって、妊婦には食べさせなかったとか』という叙述が現れる。「血を破る」は、血を損なう、悪くする、血液を濁らせるといった意味であるから、「血があれる」というのは、これにしっくりくる表現で、血液循環が生命線の妊娠中や、出産後の婦人には、大いに関係がある。これらの謂いは「和漢三才圖會」とは全く別のソースからの記載と考えられるから、単純に「血沼」という呼称からの連想であろう等とスルーできるレベルの話ではないように思われる。例えば、江戸川柳に

 食ひやうによつて黒鯛罪になり

 黒鯛をいのちにかけて下女喰らひ

とあるのは、クロダイには堕胎効果を期待される俗伝があったからに他ならないように思われる。ここは江戸時代の民俗社会にお詳しい方の御教授を願うものである。

・「瘡家」はできもの(皮膚疾患としての腫瘍全般)を患った人の意。

・「海津」とは、少なくとも現在では、クロダイの中型の個体を呼ぶ呼称である。釣人の記載を見ると、関東地方では三十センチメートル以下のクロダイの稚魚を「チンチン」と呼称し、三十~四十センチメートル大の中型個体を「カイヅ」(又は「カイズ」)、それ以上の成魚・大型個体を「クロダイ」と呼ぶようである。

・「日本紀」(=「日本書紀」)の以下の記載は、巻第八の仲哀天皇二(機械換算一九三年)年六月十日の記載にある。前と同じく原文(恣意的に正字に変換、句読点の一部を変更、更に文中に「鰤」とあるのを「鯽」に直した)を引用し、書き下し文・現代語訳を以下に示す。

   * 

夏六月辛巳朔庚寅。天皇泊于豐浦津。且皇后從角鹿發而行之、到渟田門、食於船上。時海鯽魚多聚船傍。皇后以酒灑鯽魚。鰤魚卽醉而浮之。時海人多獲其魚而歡曰。聖王所賞之魚焉。故其處之魚、至于六月常傾浮如醉。其是之緣也。

 

○やぶちゃんの書き下し文

 夏六月の辛巳(かのとみ)の朔(つひたち)庚寅(ひのえとら)。天皇(すめらみこと)、豐浦津(とゆらのつ)に泊ります。且(また)、皇后(きさき)、角鹿(つぬが)より、發ちて、行-之(いでま)して、渟田門(ぬたのみなと)に到り、船(みふね)の上(へ)に食(みをし)す。時に、海--魚(たひ)、多(さは)に、船(みふね)の傍(かたは)らに聚(あつま)れり。皇后、酒(おほみき)を以つて、鯽魚に灑(そそ)きたまふ。鯽魚、卽ち、醉(ゑ)ひて浮かびぬ。時に、海人(あま)、多いに其の魚を獲(とら)へて、歡びて曰ふ。「聖王(ひじりのきみ)の賞(たま)へる所の魚なり。」と。故に其の處の魚、六月に至るに、常に傾き浮かぶこと、醉ふがごとし。其れ、是の緣(えん)なり。

 

○やぶちゃんの現代語訳

 夏の六月の一日は辛巳、その庚寅の十日。仲哀天皇は熊襲(くまそ)征伐のための行宮(あんぐう)の置かれた豊浦(とゆら)の津(つ)に、お泊りになられた。

 一方、

「夫帝とともに、征伐へ向かわん。」

と、神宮皇后も、角鹿〔=敦賀〕を出発、渟田(ぬた)の門(みなと)に至り、その船上で、御食事をなさった。

 この時、鯛が御船の傍らに集まって来た。

 皇后が、それを、

「勝利の予兆。」

と祝(ことほ)ぎされ、御酒を鯛に、お注ぎになったところ、鯛は、たちまち、酔って、水面に浮かんで来た。

 その時、漁師達は、数多、その鯛を獲ることができ、言祝(ことほ)いで、こう言った。

「この魚は、貴い皇后様の下さった魚!」

と。

 故に、ここの鯛は、六月になると、水面に浮かび上がって来て、まるで酒に酔ったような振舞をするのであるが、これが、その所縁なのである。

   *

これは実際には、まず、「角鹿」を何処に比定するかで論争があり(現在の博多とも言う)、同時に、「渟田門」も、現在の福井県若狭町常神の海峡を称したという説や、出雲とする説、沼田(ぬた)郡が置かれた安芸説等がある(安芸説については、同郡の置かれた現在の広島県三原市能地でここに示すような浮鯛現象が起きていることを比定の根拠とする記載が、嘗つてはネット上にあった)。

・「島鯛」これは、その呼称(現在も「シマダイ」=「縞鯛」と呼ぶ)及び特徴的な次に注した横紋からも、別科であるスズキ亜目イシダイ科イシダイ Oplegnathus fasciatus の幼体、若しくは、若魚を指していると考えてよい。

・「相次ぎて、重重、混雜せず」は、直前の「黒白の橫紋、有り」を説明している。即ち、この魚には、黒と白の横紋があるが、黒横紋の次にくっきりと白の横紋、次にまた、整然と、黒の横紋という風に整然と、順次、重ねられており、幅や色が極端に不規則であったり、グラデーションを示したりしていないということを述べている。

・「小瀧鯛」(こだきだひ)=「知鯛」(ちだひ)という呼称からは、現在のスズキ亜目タイ科チダイ属マダイ亜科チダイ属チダイ Evynnis japonica が浮かぶが、これは実は大きさが小さいだけで、極めてマダイ Pagrus major に似ているのである(チダイは鰓蓋に縁が赤いところから「血鯛」とう呼称となったとするが、実際には、ここは必ずしも有意に赤くなく、同じ大きさの場合、マダイとの区別には、実は、なりにくい。決定打はオビレの後ろの辺縁部分が黒くならないことで、マダイには、必ず、この黒い縁取りがある)。さて、しかし、だとすると、疑念が生ずる。何故、良安は、極めてそっくりな先の「鯛」の項で、これを示さなかったのか? そもそも良安は「紅潤ならずして、微かに黒を帶ぶ」(マダイのように全体に鮮やかな紅色ではなく、体色全体が、かすかに黒味を帯びている)とさえ言っているではないか? だからこそ、彼は、ほぼクロダイの近縁種だとも断言するのであろう。されば、これは現在のチダイではないと考えるべきである。しかし、クロダイの同属で総州(この小瀧なる地名が不明。この「コ(/オ)ダ(/タ)キダ(/タ)イ」の名称では何れも一切ネット検索にかからないので、現在は使われていない可能性が大きい。現在の千葉の上総一ノ宮市にあるが、少なくとも現在は沿岸部の地名ではない)で獲れるとなると、キチヌ Acanthopagrus latus ぐらいしかいないのだ(そもそもクロダイ Acanthopagrus schlegelii 自体が、南方系のクロダイ属 Acanthopagrus の中でも、実は、例外的に北方まで分布している種なのであるからして)。キチヌはクロダイに比して白っぽいが、それはある意味で「紅潤ならずして、微かに黒を帶ぶ」には、当てはまると言えば、言えなくはないし、クロダイとの見分けは、例の背鰭棘条中央部下にある側線上方鱗の枚数の違いというのだから、「略ぼ海鯽に類す」とも言えるであろう。勿論、同属である必然性はないわけだから、他属の種も候補として挙がってくるであろうとは思うが、私はとりあえず、ここで打ち止めとしたい。――さても最後に。「小瀧鯛」の検索で、唯一、釣れた、江戸の蕉門の俳人松倉嵐竹の一句を掲げて、この注を閉じることと致そう。

   ひとつでも皿の揃はぬ小瀧鯛

では、また。]

***

たかのは    正字未詳

鷹羽魚    【俗云太

         加乃波】

 

△按形畧似鯛而狹扁大一二尺淡黒帶紫細鱗有文似

 鷹羽故名之頭不團尾似鯛但口異諸魚而肉唇重出

 秋冬有之

たかのは    正字、未だ詳らかならず。

鷹羽魚    【俗に「太加乃波」と云ふ。】

 

△按ずるに、形、畧〔(ほぼ)〕、鯛に似て、狹く、扁たく、大いさ一、二尺。淡黒、紫を帶ぶ。細〔き〕鱗、文、有りて、鷹の羽に似る。故に、之れを名づく。頭〔(かしら)〕、團〔(まろ)〕からず、尾、鯛に似る。但し、口、諸魚と異なりて、肉の唇、重出〔(かさねてい)だす〕。秋冬、之れ、有り。

[やぶちゃん注:スズキ目スズキ亜目タカノハダイ科タカノハダイ Goniistius zonatus 。この魚、異名が強烈で、「ムコナカセ」・「ショウベンタレ」・「ヒダリマキ」・「テッキリ」と、罵詈雑言のデパートみたような異名の堆積である。最後の「テッキリ」は、恐らくはセビレの鋭さからであろうが、「ムコナカセ」は、婿を泣かせるほどまずい(又は、鱗が皮膚に食い込んでいて食べる際に皮がはぎにくいから、とも)、「ショウベンタレ」は、生息域や時期によってアンモニア臭がしたり(特に頭部に顕著とする)、磯臭さが鼻につくことからで、「ヒダリマキ」に至っては、同属のミギマキ Goniistius zebra の反対という、分かったような分からないような由来説以外に、「新釈魚名考」の榮川省造は、まずくて、アンモニア臭がすることから、「大便の左巻き」の意という説がある(これはWEB魚図鑑「タカノハダイvsミギマキ」より孫引き)とまで……。鷹の羽の優雅さの欠片(かけら)もないが、個体と処理を誤らなければ、なかなか美味しいという情報も多いので、糞度胸をお試しの方には、持って来いだ!]

***

あまたい   甘鯛

 くずな   【阿末太比】

方頭魚  【俗云久豆奈】

《改ページ》

△按方頭魚狀鯛似而扁狹口尖小鱗鬐淺紅大一尺許

 肉脆白味甘美病人食之無妨

沖津鯛【一名白久豆奈】 大者二尺許色帶白味亦美多出於駿

 州沖津故名之

あまだい   甘鯛

くずな    【阿末太比。】

方頭  【俗に久豆奈と云ふ。】

 

△按ずるに、方頭魚、狀、鯛に似て、扁たく狹し。口尖りて、小〔(ちさき)〕鱗〔と〕鬐〔は〕、淺紅。大いさ、一尺ばかり。肉、脆く、白し。味、甘美。病人、之れを食ふに、妨〔(さまた)〕げ、無し。

沖津鯛【一名、「白久豆奈〔(しろくずな)〕」。】 大なる者、二尺ばかり。色、白(しろみ)を帶ぶ。味、亦、美なり。多く、駿州〔=駿河〕沖津より出づ。故に、之れを名づく。

[やぶちゃん注:スズキ亜目キツネアマダイ科アマダイ亜科アマダイ属 Branchiostegus に属する魚類(一属五種)の総称であるが、流通ではアカアマダイ Branchiostegus japonicus を指すことが多い。他に、キアマダイ Branchiostegus auratus 、シロアマダイ Branchiostegus albus 、スミツキアマダイ Branchiostegus argentatus 、ハナアマダイBranchiostegus sp. の五種である。なお、料理界では「グジ」と言った場合、本来は「シラカワ」=シロアマダイ Branchiostegus albus を指すとする。「クズナ」や「グジ」の由来は分からなかったが、アマダイが肉味が甘いという説より、「尼さんが頬被りした様子に似ているから」の方に、ミミクリーとしては、大々賛成! 私は昔から、『あの女性の顔はアマダイに似てるな』と思わず感ずる瞬間が何度もあるからである。

・「沖津鯛」「オキツダヒ」は、現在の清水市の興津で陸揚げされたアマダイを言うかと思いきや、「海の幸ドットネット」のアマダイの項では、『オキツダイは静岡西部近海で獲れたアマダイで、徳川家康に献上した奥女中の名前「興津の局」(おきつのつぼね)に由来するという説があ』るとする。また同じページに、東京に流通するアマダイと、若狭で漁獲されて京阪で消費されるグジの違いについて、太田魯山人の見解が示されているので孫引きしておく(引用元不明)。

   *

「興津だいという甘だいとぐちといっている日本海の甘だいとは一見同じものだが、色が若狭ものは淡赤く桃色であり、興津だいと称する甘だいは通常のたいと同じくらい赤色を呈している。ぐちの方は鱗ごと焼いても食えるが、興津だいの方は剥がさねば食えない」

   *

興津局も悪くないが、思いつきだけれども、この「沖津」は地名ではなく、駿河湾の湾奥部を指しているように私は思えてならないのだが。時に、先般、電子化注した「譚海 卷之五 駿州興津鯛の事」では、かの静岡の興津の海食洞の中に閉じ込められた巨大な化け物と化した鯛が「興津鯛」だという怪奇談まであるんだわさ!]

***

いとより

金線魚

 

△按金線魚狀似鯛而狹長大者不過尺鱗鰭紅自頭後

 至尾耑〔=端〕縱如金線者有四條故名【味稍美無毒】

[やぶちゃん注:最後の四時は、本文より小さいが、二行割注として明らかに大きい。悩んだが、東洋文庫版に従い、割注と採った。]

いとより

金線魚

 

△按ずるに、金線魚、狀〔(かたち)〕、鯛にて、狹〔く〕、長く、大なる者、尺に過ぎず。鱗・鰭、紅〔(くれなゐ)〕。頭〔(かしら)〕の後〔(うしろ)〕より、尾の端に至るまで、縱に金線のごとき者、四條(《し》すぢ)、有り。故に名づく。味、稍〔(やや)〕美なり。毒、無し。

[やぶちゃん注:スズキ亜科イトヨリダイ科イトヨリダイ Nemipterus virgatus 。同属のソコイトヨリ Nemipterus bathybius は体側の縦縞が三本(イトヨリダイは六~八本)とするが、この四本という数字は微妙で、同属には六種いるが、取り敢えず、よく似ている(市場では区別されずに流通している場面も多いと聞く)。まず、この二種を挙げておけばよかろうか。私は好物の魚である。]

***

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷四十九 ○四

にしきたひ

  くそくうを

錦鯛

       具足魚

       【二名共

        俗所稱】

[やぶちゃん注:以上三行は前の三行の下に入る。]

 

△按錦鯛狀似鯛而肥大鰭鱗紅光如錦又如刀鋒不可

 手近不能切割庖人以刀脊剝鱗肉白味稍美大抵一

 二尺大者六七尺關東亦甚稀焉大坂市廛偶有之予

 亦見之

にしきだひ

  ぐそくうを

錦鯛

       具足魚

       【二名共、俗に稱する所。】

 

△按ずるに、錦鯛、狀〔(かたち)〕、鯛に似て、肥大、鰭・鱗、紅〔((くれなゐ)〕に光り、錦のごとし。又、刀〔(かたな)〕〔の〕鋒〔(みね)〕のごとく〔にして〕、手に近づくべからず。切り割る能はず。庖人、刀-脊(むね)を以つて、鱗を剝(は)ぐ。肉、白く、味、稍〔(やや)〕美なり。大抵、一、二尺。大なる者、六、七尺。關東にも亦、甚だ稀れなり。大坂の市廛〔(いちみせ)〕、偶々〔(たまたま)〕、之れ、有り。予も亦、之れを見る。

[やぶちゃん注:現在、ニシキダイという和名は、スズキ目タイ科の Pagellus erythrinus に与えられているが、これは地中海産のタイで、本邦には産しない。最近、すっかりメジャーになったキンメダイ目キンメダイ亜目キンメダイ科キンメダイ Beryx splendens を「ニシキダイ」と異称し、捕獲時には相当に暴れることから、注意を促す釣人の記載や、キンメダイの上顎の吻部手前(目の前方下部)には上方に向いた棘があり、頭部を調理する際には注意を要するとの記載等が、やや本記述との一致を見るようには思われる。キンメダイ目のマツカサウオ科のマツカサウオ Monocentris japonica を「グソクウオ」と呼ぶようであるが、「紅に光り」は、古代魚みたような銀ギラの異形の同種には、全く、そぐわないから、違う。キンメダイは深海性で、この時代には市場に稀であったとしても不自然ではないように思われるので、取り敢えず、それに同定しておく。但し、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」では、これをキンメダイ目イットウダイ科アカマツカサ亜科エビスダイ属エビスダイ Ostichthys japonicus に同定されておられる(こちらを参照されたい)。稀な種という点では、こちらも有力候補ではある。]


***

あかを

緋𮫬

フイ イユイ

 

  赤魚【俗】

 【俗云阿加乎

  又略阿古】

[やぶちゃん字注:以上三行は、前三行下に入る。]

 

興化府志云緋魚其色如緋

《改ページ》

△按緋魚狀畧似鯛而厚𤄃〔=濶〕眼甚大而突出其大者二三

 尺細鱗鰭窄尾俱鮮紅如緋肉脆白味甘美關東多有

 冬月最賞之攝播希有之以藻魚大者稱赤魚而代之

赤鱒【俗云阿加末豆】 狀類緋魚又似鱒色深赤味亦不佳

あかを

緋𮫬

フイ イユイ

 

  赤魚【俗。】

 【俗に「阿加乎」と云ふ。又、略して「阿古」。】

 

「興化府志」に云ふ、『緋魚、其の色、緋のごとし。』と。

 △按ずるに、緋魚、狀〔(かたち)〕、畧〔(ほぼ)〕、鯛に似て、厚く、𤄃く、眼、甚だ、大にして、突出す。其の大なる者、二、三尺。細〔き〕鱗。鰭、窄〔(すぼ)〕く、尾、俱〔(とも)〕に鮮紅〔にして〕、緋のごとし。肉、脆(もろ)く、白し。味、甘美〔たり〕。關東に、多く有り。冬月、最も之れを賞す。攝〔=摂津〕・播〔=播磨〕、希れに、之れ有り。「藻魚〔(もいを)〕」の大なる者を以つて、「赤魚(あこ)」と稱して、之れに代〔(か)〕ふ。

赤鱒(あかます)【俗に「阿加末豆」と云ふ。】 狀、緋魚(あかを)に類して、又、鱒に似たり。色、深赤。味も亦、佳ならず。

[やぶちゃん注:カサゴ目フサカサゴ科メバル属アコウダイ Sebastes matsubarae か。スズキ目ハタ科のキジハタ Epinephelus akaara も、瀬戸内や大阪地方にあって、「アコウ」又は「アカウ」と呼称されるが、ここは深海から引上げる為めに、著しく突出する眼球、及び、全身が極めて赤い色を呈している点等から、前者をとる。

・「興化府志」は明の呂一静らによって撰せられた現在の福建省の興化府地方の地誌。初版は弘治 (こうち)年間(一四八八年~一五〇五年)刊。

・「赤鱒」「アカマス」は、スズキ目フエダイ科バラフエダイ Lutjanus bohar をこのように呼称するが、これは南洋系で、現在でも小笠原方面から入荷するとあり、同定候補とはならない。仕切り直すと、これは、スズキ目ハタ科のキジハタ Epinephelus akaara か? キジハタには三重県で「アズキマス」という呼称を持ち、「アカハタ」という異名もあるようだが、「アカマス キジハタ」の検索ではヒットしない。「アカマス」という異名では、カサゴ目フサカサゴ科カサゴ Sebastiscus marmoratus が、それ持つものの、「深赤」というのは、疑問であるし、以下の「藻魚」の項に「笠子魚」が掲げられている以上、除外される。識者の意見を伺いたい。]

***

ちひき   正字未詳

血引魚

 

△按血引魚形鰡似而大者二三尺全體深赤色肉亦如

 血味不美故惡其色食之者少

比女智魚 夏月雜肴中交來於魚市大五六寸形似鰷

 而身過半赤如血肉白柔

ちびき   正字、未だ、詳らかならず。

血引魚

 

△按ずるに、血引魚、形、鰡(ぼら)に似、大なる者、二、三尺。全體に深赤色。肉〔は〕亦、血のごとし。味、美〔(よ)から〕ず。故に、其の色を惡〔(にく)〕みて、之れを食ふ者、少〔な〕し。

比女智〔(ひめぢ)〕魚 夏月、雜肴(ざこう:「雜魚(ざこ)」に同じであろう。)の中に交〔(まぢ)〕り、魚市〔(うをいち)〕に來〔(きた)〕る。大いさ、五、六寸。形、鰷〔(あゆ)〕に似て、身、過半は赤く、血のごとし。肉、白く、柔かなり。

[やぶちゃん注:スズキ目スズキ亜目ハチビキ科ハチビキ Erythrocles schlegelii は、身が赤、或いは、赤がかったピンクで、人気がない(しかし「高級魚である」とか、「美味である」、「いや、不味い」とか、ネット上の記載も混戦模様)とあり、「チビキ」「アカサバ」の異名を持つ等(私にはボラに似ていないこともないと思える)、取り敢えずは、本種に同定しておく(ハチビキは「葉血引」と表記するが、「葉」の由来は不明。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページには、『和歌山県田邊でハチビキ又はニセチビキ』と呼び、この『和歌山県田邊での呼び名』の『血引は』、『身が血のように赤いという意味。古くは単にチビキだったが、同県でヒメダイを「本チビキ」というのに対して』、『ハチビキ、ニセチビキと呼ばれてもいたので、「チビキ」をヒメダイ』(スズキ亜目フエダイ科ヒメダイ属ヒメダイ Pristipomoides sieboldii )『にあて、本種に「ハチビキ」を当てた。「端物」もしくは「半端なチビキ」の意味でヒメダイ(チビキ)よりも劣るという意味合いである可能性があるが』、『いずれにしても意味がわからない』と述べておられる)。最後に掲げる、同グループと良安が判断している「女智魚」から類推するならば、可愛い鬚で知られるスズキ亜目ヒメジ科 Mullidae のヒメジ類とも考えられるが、だとすると、見た目の赤色度の強い種としては、例えば、ヒメジ科アカヒメジ属アカヒメジ Mulloidichthys valenciennes 等が想定されるのだが、実はアカヒメジは生体は全体に黄色い(死後に強く赤色化する)というのが気になってくる。また、現在、ハタ科ヒメコダイ Chelidoperca hirundinacea を、通称で「アカボラ」と呼んでいるが、魚体はそれほどボラに似ているとは私には思われない。

・「比女智魚」「ヒメジウヲ」で、スズキ亜目ヒメジ科ヒメジ Upeneus japonicus を代表種とする魚類群(本邦産のヒメジ科は二十二種を数える)。]

***

めばる   正字未詳

眼張魚

      【俗云米

       波留】

 

△按眼張魚狀類赤魚而眼大瞋張故名之惟口不𤄃大

 味【甘平】赤似緋魚春月五六寸夏秋一尺許播州赤石

 之赤眼張江戸之緋魚共得名

黒眼張魚 形同而色不赤微黒其大者一尺余赤黒二

 種共蟾蜍所化也

めばる   正字、未だ詳らかならず。

眼張魚

      【俗に「米波留」と云ふ。】

 

△按ずるに、眼張魚、狀〔(かたち)〕、「赤魚」に類して、眼、大いに瞋-張(みは)る。故に之を名づく。惟だ口、𤄃大〔(かつだい)〕ならず。味、【甘、平。】。赤く、「緋魚」に似たり。春月、五~六寸、夏秋、一尺ばかり。播州〔=播磨〕赤石〔=明石〕の赤眼張は、江戸の緋魚と共に名を得。

黒眼張魚 形、同じくして、色、赤からず、微に黒し。其の大なる者、一尺余。赤・黒二種共に、蟾蜍〔(せんじよ)=蟇蛙(ヒキガエル)〕の化する所なり

[やぶちゃん注:まず、カサゴ目メバル科アカメバル Sebastes inermis 。永く、あらゆるメバル群を個体変異として、磯付きや沿岸域で捕獲されるものは、一般に体色が黒いことから、「クロメバル」(本文の「黒眼張魚」)と言ったが、現行では、これは独立種として、クロメバル Sebastes ventricosus となった。さらに、沖合で捕獲される、比較的深い岩礁の棲息個体は、全体に赤味がかっているものを「アカメバル」と呼称されたが、これも別種のウスメバル Sebastes thompson とされている。但し、ウスメバルも個体によっては、かなり強い赤色を呈することから、「アカメバル」と呼称されることがあり、市場では、明確に区別されているとは思われない。さらに、俗称「青」「青地(あおじ)」で、「シロ」と名にし負うも、体色は、黒か、灰色が一般的で、時に薄い横縞が出るところの、内湾の岩礁域を好む群も、現行では、シロメバル Sebastes cheni として、独立種に数えられ、都合、四種に分離されている(それ以外に、本邦には、タケノコメバル Sebastes oblongus ・トゴットメバル Sebastes joyner ・キツネメバル Sebastes vulpes がいるが、これらを含めると煩瑣になるばかりなので、それらは、ここでは取り敢えずは問題しないこととする)。以上の内、私が代表種と考える四種に就いては、「大和本草卷之十三 魚之下 目バル (メバル・シロメバル・クロメバル・ウスメバル)」でかなりリキを入れて注しておいたので、参照されたい。

・「赤魚」「緋魚」先行する「緋魚」で、合せて、取り敢えずはカサゴ目フサカサゴ科メバル属アコウダイ Sebastes matsubarae を比定候補とした。但し、ここで良安が「赤魚」というのは、漠然とした「赤い魚の群」の意で用いている可能性もある。

・「蟾蜍〔(せんじよ)=蟇蛙(ヒキガエル)〕の化する所なり」この化生(けしょう)説は、何をか言わんや! いやさ、良安! 喝! やめてけれ! ズビズバ!!!]

***


もいを

藻魚

 

  礒眼張魚

   正字未詳

 【俗云毛以乎

  西國俗云以

  曾女波流】

[やぶちゃん字注:以上五行は、前二行下に入る。]

《改ページ》

△按藻魚狀似眼張魚而眼不大鰭長赤尾亦赤無岐肉

 淡白脂少味【甘平】佳諸病不妨大近于尺冬月其大者

 俗呼曰阿古乎【赤𩵋之畧言歟】最賞之又有白㸃者又有淡黒

 㸃者

黒加羅 藻魚之屬形稍短而黒【或云加良須】

笠子魚 似藻魚而頭圓大口尖長鱗麤灰白味稍劣

もいを

藻魚

 

礒眼張魚〔(いそめばる)〕

 正字、未だ、詳らかならず。

【俗に「毛以乎」と云ふ。西國にては、俗に「以曾女波流」と云ふ。】

 

△按ずるに、藻魚、狀〔(かたち)〕、眼張魚に似て、眼、大ならず。鰭、長くして、赤く、尾も亦、赤くして、岐〔(また)〕、無し。肉、淡白にして、脂〔(あぶら)〕、少なし。味【甘、平。】、佳なり。諸病に妨〔さはり=障〕あらず。大いさ、尺に近し。冬月、其の大なる者、俗に呼んで「阿古乎〔(あこを)〕」と曰ふ【「赤𩵋」の畧言か。】。最も之れを賞す。又、白㸃の者、有り。又、淡き黒㸃の者、有り。

黒加羅(くろから) 藻魚の屬。形、稍〔(やや)〕、短くして、黒し【或いは「加良須〔(からす)〕」と云ふ。】。

笠子(かさご)魚 藻魚に似て、頭〔(かしら)〕、圓〔(まろ)〕く、大〔いなる〕口、尖り、長く、鱗、麤〔(あら)=粗〕く、灰白。味、稍、劣れり。

[やぶちゃん注:辞書及び食材の用語としての「藻魚」(もうお)は、広義に「沿海の海藻の生い茂る岩礁海岸に棲息する多数の魚種」を指し、メバル・ハタ・ベラ・カサゴ等を広範に含む。しかし、ここは、前項の「眼張魚」と全くの同じ、カサゴ目メバル科 Sebastidae の四種とダブル同定したい。「眼張魚」で述べた通り、アカメバルが、沖合で捕獲される比較的深い岩礁に棲息するからと言って、「藻魚」から排除されるのは、どう考えても、生態学的にも不当である。アカメバルが、強烈な棲み分けをしているとは私は考えない。時に沿岸の藻場に回遊してくることもあろう。クロメバル・イソメバル・シロメバルと標準和名で呼ばれるからといって、絶対に赤くないかと言えば、これ、磯近くでも鰭や尾の赤色の強い固体は見られる、必ずしも色記述によってこれを排除する古典的な見かけの古い博物学的な形態分類は、通用しないと言ってよいのである。そもそもこの叙述は、鰭と尾を除く他の部分は、全体に赤くないことを示しているように読める。さらに言えば、「藻魚」なのだから、浅海性で、赤色度の強いメバル以外のハタ・ベラ・カサゴ類の何れか、或いは、メバルを含めてその総体を指している可能性も、当然の如くあるわけで、だからと言って、それらの種を、ここに悉く列挙する必要は、私は感じないのである。そもそもが、良安が「眼張魚」の項の後に配したこと、挿絵が左右反対にしてあるものの、酷似していることからも、私は彼もそうした親和性を強く感じている証拠であると思われるのである。敢えて差別化したい方は、アカメバルを除く三種とされれば、よかろう。但し、前項の注でちらりと出した、タケノコメバル Sebastes oblongus であるが、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページには、ちょっとメバルの仲間にしては、如何にもおとろしけない魚画像が載るのだが、そこの『漢字・学名由来』の中に『藻魚』とあって、『和漢三才図会などにある藻魚である可能性がある』とあって、びっくりした! これは特に挙げておく必要があろう。但し、そこには、『ただし』、『本種はどちらかというと』、『個体数の少ない魚で、旬などは一般的に語られることはないと思う』と述べられており、良安がそれを認識していたかどうかは、微妙に留保したい気はするのである。

・「阿古乎」は発音からは、アコウダイカサゴ目フサカサゴ科メバル属アコウダイ Sebastes matsubarae を連想するが、既に「緋魚」で同定候補として挙げてしまったし、これでは、体色が真っ赤で、眼も飛び出る(深海性のため)から、埒外であるはずである。しかし、「赤魚」の略であろうか、と良安が言う時、では「藻魚」はやっぱり赤い個体群でなくてはならぬのか! 良安よ! お前もか!?! と嘆きたくなるような裏切り行為にも読めるのだが、良安が「歟」という疑問の助詞を用いたのは、『本体部分が赤くないはずなのに、鰭や尾が赤いから、「赤魚」なのか?』というニュアンスとすれば、ここはとりあえず、素直にアカメバル Sebastes inermis の大型個体としておいた方が、混乱が起こらない気がする。

・「黒加羅」「クロカラ」は、カサゴ目フサカサゴ科メバル属クロソイ Sebastes schlegeli 。現在でも、秋田市周辺で「クロカラ」の名称が通用するという(「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページに拠る)。「加良須」は、烏の羽の色のような黒からであろう。かなりピンとくる異名である。

・「笠子魚」「カサゴ」はカサゴ目フサカサゴ科カサゴ Sebastiscus marmoratus 。]

***

かなかしら

銅頭魚

 

  正字未詳

 【俗云加奈

  加之良】

[やぶちゃん字注:以上三行は、前二行下に入る。]

 

△按銅頭魚處處多有之冬春盛出大者六七寸頭骨高

 起硬而赤頗似銅色故名之圓身長鰭尾有岐而硬背

 鰭至尾如刺而赤細鱗淺紅而腹白帶黄眼眶淺黃肉

[やぶちゃん注:「黄」と「黃」の混用はママ。]

 【甘平】世俗子出生家必以此魚供賀膳取堅固之義矣

《改ページ》

■和漢三才圖會 有鱗 卷ノ四十九 ○六

 如無鮮魚時用乾者

かながしら

銅頭魚

 

  正字、未だ詳らかならず。

 【俗に「加奈加之良」と云ふ。】

 

△按ずるに、銅頭魚、處處に、多く、之れ、有り。冬・春、盛〔(さかん)に〕出〔づ〕。大なる者、六、七寸、頭骨、高く起り、硬くして、赤く、頗る、銅の色に似たり。故に、之れを名づく。圓〔(まろ)〕き身、長き鰭、尾に岐〔(また)〕有りて、硬く、背鰭・尾に至るまで、刺のごとくにして、赤し。細〔き〕鱗、淺紅にして、腹、白く、黄を帶ぶ。眼の眶〔(まぶち)〕、淺黃〔(あさぎ)〕。肉【甘、平。】。世俗、子、出生する家、必ず、此の魚を以つて、賀膳に供ふ。「堅固」の義〔を〕取る。如〔(も)〕し、鮮魚、無き時は、乾したる者を用ふ。

[やぶちゃん注:カサゴ目ホウボウ科カナガシラ属 Lepidotrigla には、カナド Lepidotrigla guentheri (「金戸・金胴」か?)・トゲカナガシラ Lepidotrigla japonica ・オニカナガシラ Lepidotrigla kishinouyei 等の多くの種(十一種)が含まれるが、代表種としてのカナガシラ Lepidotrigla microptera を挙げておけば問題ないであろう。]

***

ほうばう   正字未詳

保宇婆宇

 

△按保宇婆宇魚狀色氣味共似銅頭魚而大其吻有硬

 鬚而尾鰭有五彩色其鱗細於銅頭魚大者尺餘炙食

 甚甘美肉厚白冬春以賞之

ほうばう   正字、未だ詳らかならず。

保宇婆宇

 

△按ずるに、保宇婆宇魚、狀〔(かたち)〕、色・氣味共〔(とも)〕、「銅頭魚〔(かながしら)〕」に似て、大なり。其の吻〔(くちさき)〕に、硬き鬚、有り。尾鰭に、五彩の色、有り。其の鱗、「銅頭魚」より、細〔(ほそき)〕なり。大なる者、尺餘り。炙り食へば、甚だ、甘美〔なり〕。肉、厚く、白し。冬・春、以つて、之れを賞す。

[やぶちゃん注:カサゴ目ホウボウ科ホウボウ Chelidonichthys spinosus

・「銅頭魚」カナガシラ Lepidotrigla microptera 。前項「銅頭魚」参照。

・「尾鰭に、五彩の色、有り」は「胸鰭」の衍字か、聴き誤りである。ホウボウは胸鰭が大きく、生時は非常に美しい。楕円状の胸鰭の内側はウグイス色を呈し、辺縁は鮮やかな紫がかった青でくっきりと縁取られている。中の鶯色の部分には、辺縁よりも、やや薄いエメラルド・グリーンの小さな円状斑点が散らばっている。私は三十九年前、石川県は能登半島の東の付け根にある、父御用達の人っこ一人いない磯(父は「どうみ」と呼んでいた)でのキス釣りで、二十センチメートル大のホウボウを釣り上げたことがあった。――釣針が胸鰭に引っかかって釣れた。――可愛そうだと感じるほどに、この胸鰭の美しさが忘れられない。――数分経って後、死んだその胸鰭を広げた時、既にその美しさは遥かに色褪せ――完全に――消え去っていたのだった。――その時、僕は確かに初めて「儚(はかな)い」という字をつくづくと心に思い浮かべたのを思い出すのだ――あの、二十五歳の夏の日の哀しい思い出――]

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こいち    正字未詳

古伊知魚

 

《改ページ》

△按古伊知狀似鮸而鱗巨於鮸口長於鮸又似烏頰魚

 大五六寸至尺余秋月出焉肉白脆味不佳最下品也

こいち    正字、未だ、詳らかならず。

古伊知魚

△按ずるに、古伊知、狀〔(かたち)〕、「鮸(ぐち)」に似て、鱗、「鮸」より、巨〔(おほき)〕なり。口、鮸より、長し。又、「烏頰魚(すみやきだい)」に似て、大いさ五、六寸、尺余に至る。秋月、出づ。肉、白く脆く、味、佳〔なら〕ず。最下品なり。

[やぶちゃん注:スズキ亜目ニベ科ニベ属コイチ Nibea albiflora

・「鮸」はニベ科ニベ Nibea mitsukurii 。後の「鮸」の項を参照。

・「烏頰魚」はスズキ目スズキ科オオクチイシナギ Stereolepis doederleini 。前掲の「烏頰魚」の項を参照。]

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もふし   正字未詳

藻伏魚  【俗云毛不之】

 

△按藻伏魚狀似鯉而肥首大鱗硬尾似鮒色淡黒而鰓

 腴尾帶紅色大抵一尺許大者有二三尺形狀醜味亦

 不佳

もふし   正字、未だ、詳らかならず。

藻伏魚  【俗に「毛不之」と云ふ。】

 

△按ずるに、藻伏魚、狀〔(かたち)〕、鯉に似て、肥え、首〔(かうべ)〕、大にして、鱗、硬く、尾、鮒に似る。色、淡黒にして、鰓・腴〔(すなずり:「水底の土を磨 (す) る」の意から、魚の腹の太った部分を言う。〕・尾、紅色を帶ぶ。大抵、一尺ばかり。大なる者は、二、三尺、有り。形狀、醜し。味、亦、佳ならず。

[やぶちゃん注:この「藻伏魚」(もふしうを・もぶしうを)と同義と思われる「藻臥魚」に就いては、先の「鯛」の「戎鯛」の注で、一度、検討した。詳細は、そちらを参照されたい。地方名としての「モブシ」「モブセ」の共通性、及び、大型で、首が太く、尾が鮒に似ており、全体の下地が灰白色で、部分的に紅色を呈し、何よりも、その形状が有意に醜いと言う以上、やはり、現在のところは、「戎鯛」と同じ、スズキ目ベラ亜目ベラ科ベラ亜目ベラ科コブダイ属コブダイ(カンダイ) Semicossyphus reticulatus と同定したい。そうして同注で記した如く、本記述は、♂と形状が有意に異なる(性的二型)コブダイ♀としておく。検討は続行する。]

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さゝいわり  正字未詳

榮螺破魚


《改ページ》

■和漢三才圖會 有鱗 卷ノ四十九 七六

△按榮螺破魚形色似藻伏魚而頭圓肥脊中有沙其齒

 如河豚魚齒能咬食榮螺故名之春出於西海肉味淡

 甘筑前多有

さゞいわり  正字、未だ詳らかならず。

榮螺破魚

 

△按ずるに、榮螺破魚、形・色、「藻伏魚」に似て、頭〔(かしら)〕、圓〔(まろ)〕く、肥え、脊中、沙、有り。其の齒、「河豚魚(ふくとう〔ぎよ〕)」のごとし。齒、能く、榮螺〔(さざい)〕を、咬み、食ふ。故に之れを名づく。春、西海より出づ。肉の味、淡甘。筑前に、多く、有り。

[やぶちゃん注:現在、「サザエワリ」の異名を持つ種としては、軟骨魚綱板鰓亜綱ネズミザメ上目ネコザメ目ネコザメ科ネコザメ Heterodontus japonicus (私がまず思い浮かべるの、断然、こっちである。その理由は以下にも記す「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鱣」の項にある「猫鱣」を参照されたい)、及び、軟骨魚綱板鰓亜綱ネズミザメ上目テンジクザメ目オオセ科オオセ Orectolobus japonicus である。頭部が丸く肥えているという表現からは、圧倒的に前者ネコザメが一致する(オオセは魚体全体が扁平で、頭部も平たく潰れて横に広い)。但し、ここには食用に供する記載があり、そうした食用度と言う点では、後者のオオセの方が、現在でも複数の地方で食用とされていることから、オオセに軍配が上がりそうだが、ネコザメも「一日一魚」というHPの「ネコザメ」の項を見ると(リンク連絡の義務を明示しているのでリンクは張らない)、『淡白で刺身に向いている』らしいとし、『川口祐二さんの「サメを食った話」によると、前志摩地方では今でも祝いの席に「さめなます」は欠かせないという。大きな釜に湯を煮立てておいて、そこに生きたままのサメをザブンと入れ、皮をむき、身をうすく細かく切ってさらに湯引きをし、氷水で締め食べるようである。サメの洗いとでもいおうか、湯引きというか、もともと「なます」とは魚の肉を細かく切ったものをいうそうであるから、さめなますは文字通り、サメの刺身である。このさめなますはネコザメに限るという』と記すので、ネコザメに同定したい気持ちが動くのであるが、実は、良安は、「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鱣」の項に「猫鱣」の柱を立てて「大いさ、三、四尺。頭の形、猫に似、扁たく、身、虎斑〔(とらふ)〕の文、有り。齒、有り。味、佳からず」と記すことになる(又は、先に記した)。それでも、私は「圓く肥え、脊中沙有り」という語が、明白な軟骨魚のネコザメを示すように思えてならないのである。しかし、挿絵は、鱗、びっちりで、鯉に似て、ネコザメとは、これ、似ても似つかない。良安は全ての魚種について実見している訳ではなく、聴き書きが多いと思われる(でなければ、稀れに見られる「私も見た」風の記述はしないと思われる)。但し、では、「またしても、軟骨魚類のネコザメに似て兇悪な面構えで、サザエを噛んで粉砕して食う暴魚『藻伏魚』と同じとして、スズキ目ベラ科のコブダイ(カンダイ) Semicossyphus reticulatus が限定同定比定出来るとでも思っているのか!?」と迫られると、「ネコザメとコブダイは、とてものことに、全然、似てやしないさ……」と下を向かざるを得ないのである(共通するのは棲息場所ぐらいか)。だいたい、ネコザメを「江海無鱗魚」の「鱣」の項に「猫鱣」を出す(出した)良安が有鱗魚部には、まんず、同じものをここに入れることは、百%ないということである。……さても、しかし……やはり、「藻伏魚」の方は、再考の余地ありかなぁ?……

・「河豚魚」は硬骨魚綱フグ目Tetraodontiformesフグ科Tetraodontidae。但し、ネコザメの歯は、人の大臼歯状の歯がそれぞれに癒合して石畳様になっており、噛み砕き潰す能力に特化している。フグの場合は、上下各二枚の左右の中切歯状の歯が、それぞれ、吻部中央で癒合して、裁断機並みの鋭さを呈しており、すっぱりと噛み切るに相応しい形状をしている。因みに、フグ目及び科の学名“Tetraodonti- ”はギリシャ語由来で、「四枚の歯を持つもの」の意である。猛毒のフグ毒テトロドキシン(tetrodotoxin, TTX は、フグが持つ毒素ということで後付けなので、注意されたい。]

***

はたしろ

こせう

鰭白魚

 

 古世宇【京俗】

 【名義正字

  未詳】

[やぶちゃん字注:以上三行は、前三行下に入る。]

 

△按旗代魚狀畧似藻魚而扁身短首纎鬐其鱗有黒白

 文肉脆白【淡甘】冬春出焉京師不賞之唯以無毒爲佳

はたしろ

こせう

鰭白魚

 

 古世宇【京、俗。】

 【名義・正字、未だ、詳らかならず。】

 

△按ずるに、旗代魚、狀〔(かたち)〕、畧〔(ほぼ)〕「藻魚」に似て、扁たき身、短かき首、纎〔(こまか)〕き鬐〔(ひれ)〕、其の鱗に黒白の文、有り。肉、脆く、白し【淡、甘。】。冬・春、出づ。京師、之れを賞せず。唯だ、毒、無きを以つて、佳と爲す。

[やぶちゃん注:スズキ亜科イサキ科コショウダイ Plectorhinchus cinctus 。あくまで推測であるが、「はたしろ」という名称は、コショウダイの体側を流れる白い帯状紋が、古来、宮中や戦陣にあって、種々の標識やシンボルとして用いられた白い布帛を垂らした「幡・旗」と似ているからではないだろうか? また、コショウダイは「旗物」の関連から「小姓」の可能性が高いとも思われる(斑点から「胡椒鯛」というのは、現代なら、まだしも、時代的に厳しい気がする)。しかし、これについて、この魚の斑紋と似たような装束を貴人に近侍した小姓がしていたという説は如何か? そのような有職故実が確認されれば、まだしも、時代劇でそんな考証がなされた記憶も、私には、ない。私としては、こちらの字義は「未詳」としておきたい。

・「藻魚」は、カサゴ目メバル科 Sebastidae の四種とする。前掲の「藻魚」を参照。]

***

あいなめ

鰷身魚

 

 正字未詳

 【俗云阿比

  奈女】

 似鰷之身故

名【乃與奈通

  美與米通】

[やぶちゃん字注:以上六行は、前二行下に入る。]

《改ページ》

△按阿比奈米狀似年魚而短身黒硬鱗其鰭稍長而小

 味亦劣於年魚江戶近處海濵多夏秋釣之播攝冬月

 有之人不賞之

あいなめ

鰷身魚

 

 正字、未だ詳らかならず。

 【俗に「阿比奈女」と云ふ。】

 「鰷」の身に似、名づけて故〔→故に名づく〕。【「乃」と「奈」と通じ、「美」と「米」と通ず。

 

△按ずるに、阿比奈米、狀、年魚(あゆ)に似て、短く、身、黒し。硬き鱗、其の鰭、やや長くして、小さし。味も亦、年魚より劣る。江戸近處の海濵に多し。夏秋、之を釣る。播〔=播磨〕・攝〔=摂津〕、冬月、之有り。人、之を賞せず。

[やぶちゃん注:カサゴ目アイナメ亜目アイナメ科アイナメ Hexagrammos otakii

・『「乃」と「奈」と通じ、「美」と「米」と通ず。』とは、「阿比奈米」は「阿比乃美」で「鰷の身」の意であることを示す。既に嗅がせて有る通り、「鰷」は「年魚」で、キュウリウオ目キュウリウオ亜目キュウリウオ上科アユ科アユ Plecoglossus altivelis altivelis なのであるが、何処がアユ似か? これは「本朝食鑑」(医師で本草学者であった人見必大(ひとみひつだい 寛永一九(一六四二)年頃?~元禄一四(一七〇一)年:本姓は小野、名は正竹、字(あざな)は千里、通称を伝左衛門といい、平野必大・野必大とも称した。父は四代将軍徳川家綱の幼少期の侍医を務めた人見元徳(玄徳)、兄友元も著名な儒学者であった)が元禄一〇(一六九七)年に刊行した本邦最初の本格的食物本草書である。「本草綱目」に依拠しながらも、独自の見解をも加え、魚貝類など、庶民の日常食品について和漢文で解説している)の「鮎魚女(アヒナメ)」の「釋名」によれば(国立国会図書館デジタルコレクションの元禄一〇(一六九七)年の版本のここ)(訓読の読みは一部に手を加えた)、

   *

形、年魚に似たり。故に名づく。「女」を稱して、年魚の雄に非ず、年魚、河に生れ、鮎魚女、海に生ず。孕䱊(はらご)も亦、殊(こと)なり。「日本紀」及び「萬葉集」に、「魚」を「奈」と稱するなり。

   *

とあり、ここにこそ、ヒントが隠れている。必大は、「元気な成体の鮎の♀と、アイナメは、似ている」と限定して言っている点である。そして、必大は、突然、それぞれの成熟した卵巣は異なる、と言うのである。これは実は「異なる」ことを指示するというよりも、「アイナメと鮎が似ている」時期と、「腹に子を持つ時期」の「外見が似ている」ということを実は示唆しているのである。これは、そこまではまだ、両者は似ていないことを言っているのだ! 則ち、アユの♀が「落ち鮎」となり、遂には、産卵後、ぼろぼろの駝鳥ならぬ「錆(さび)鮎」になって、肌がざらざらになり、生涯を終える。そのぼろぼろの鮎が、ざらざらした鱗に覆われて斑紋のある体表を持つアイナメのそれと似ていることから、「鮎魚女」「鮎並」の字が当てられたようなのである。]

***

あふらめ

いたちいを

油身魚

 

  鼬魚

 【俗云阿布

  良女魚

  又云伊太

  知以乎】

[やぶちゃん字注:以上五行は、前三行下に入る。]

 

△按油身魚大八九寸形扁身圓吻有細鬛細鱗褐有光

 頗似油色又似鼬毛色故名之尾無岐肉【淡甘】不美四

 時有之爲下品播州明石浦多取之關東希有之

久佐比魚 形似油身魚而細鱗有光如五彩大六七寸

 四五月出不多

あぶらめ

いたちいを

油身魚

 

  鼬魚(いたちいを)

 【俗に「阿布良女魚」と云ふ。又、「伊太知以乎」と云ふ。】

 

△按ずるに、油身魚〔(あぶらめ)〕、大いさ八、九寸、形、扁たく、身、圓〔(まろ)〕し。吻〔(くちさき)〕に、細〔き〕鬛、細〔き〕鱗、有り。褐〔色〕にして、光、有り、頗る、油の色に似、又、鼬(いたち)の毛の色に〔も〕似たり。故に、之れを名づく。尾、岐〔(また)〕、無し。肉【淡、甘。】、美ならず。四時、之れ、有り。下品と爲す。播州〔=播磨〕明石の浦に、多く、之れを取る。關東には、希れに、之れ、有り。

久佐比魚〔(くさびうを)〕 形、「油身魚」に似て、細〔き〕鱗、光り、有りて、五彩のごとし。大いさ六、七寸。四、五月、出づ。多からず。

[やぶちゃん注:「あぶらめ」は現在、カサゴ目アイナメ亜目アイナメ科アイナメ Hexagrammos otakii の別名として定着しているが、既に前項でアイナメは登場しているため、埒外である。アイナメ科のエゾアイナメ Hexagrammos stelleri は、地方名で「スナアブラコ」があるが、良安の叙述の生息域が全く合わない(名前でお分かりの通り、エゾアイナメは純粋な北方種で日本海北部以北)。さすれば、もう一つの名、「いたちうお」である。これは現在、アシロ目アシロ科イタチウオ属イタチウオ Brotula multibarbata の和名として用いられている。海水魚であるが、ナマズのように見え、口辺部に三対六本の鬚(針状の突起)を持つ点、体形・体色ともに、良安の叙述と一致する(尤も、もっとこのトビきりの異形をもっと語っていいと思われ、その点でイタチウオでない可能性も孕んでいる危惧を感じなくもない。……私にはどうも、本巻に入ってこの方、良安先生、妙に記載がストイックな感じがしてならないのである)。なお、前述のエゾアイナメとこのイタチウオは海中では非常に似て見えるらしい。最後に。幾つかのダイビング・サイトを眺めていたら、この魚をしきりに赤塚不二夫の漫画の「ウナギイヌ」と称していた。言い得て妙ではある。

・「久佐比魚」「くさびうを」は、スズキ目ベラ亜目ベラ科キュウセン Halichoeres poecilopterus を、地方名で「クサビ」と呼ぶようである。叙述の「五彩」とも一致する。キス釣りの外道として嫌がられ(五色の派手さも逆にアダとなり)、富山では、棄てられているのも、よく見かけたが、私は白身はクセがなく、特に味噌汁にして非常に旨いと、今も、思っている。]

***

《改ページ》

■和漢三才圖會 有鱗 卷ノ四十九 ○八

かます

梭子魚

ソウ ツウ イユイ

 

 魳【音帀】 𩶧【音臼】]

 𩶤【音銑以上

   自古用來】

  【俗云加末

   須】[やぶちゃん字注:以上五行は、前三行下に入る。]

 

△按梭子魚形似鰯而青黒色肚灰白細鱗光澤首尾狹

 尖身圓肥似織梭之形大抵六七寸自備前多爲鮝出

 之其色黄赤者脂多黃白者脂少炙食味美病人食亦

[やぶちゃん注:「黄」「黃」の混用はママ。]

 不敢忌奥州松前之產近于二尺者有

志築𩶧 形小不過三四寸色淡黒者脂少膓作醢名

 志築自淡路志築始出得名今尾州勢州之產亦佳

𩶧子 春月自播州多出大二寸灰白色脂多此非梭子

 魚之子實曰以加奈古者也【詳于無鱗魚下】

かます

梭子魚

ソウ ツウ イユイ

 

 魳【音、帀〔(さふ)〕。】 𩶧【音、臼。】

 𩶤【音、銑。以上、古へより、用ひ來たる。】

  【俗に「加末須」と云ふ。】

 

△按ずるに、梭子魚、形、鰯に似て、青黒色、肚、灰白。細〔き〕鱗、光澤あり。首尾、狹く、尖り、身、圓〔(まろ)〕く肥えて、織(はたを)る梭(ひ)の形に似たり。大抵、六、七寸、備前より多く鮝(ひもの)と爲して、之れを出だす。其の色、黄赤なる者、脂、多く、黃白なる者、脂、少なし。炙り食ふに、味、美なり。病人、食ひても、亦、敢へて忌まず。奥州松前の產、二尺に近き者、有り。

志築𩶤(しづきかます) 形、小さく、三、四寸に過ぎず。色、淡黒〔(あはぐろ)〕き者、脂、少なし。膓〔(はらわた)〕、醢(なしもの:塩辛。)に作〔(な)〕し、「志築」と名づく。淡路の志築より、始めて出だす。名を得。今、尾州〔=尾張〕・勢州〔=伊勢〕の產、亦、佳なり。

𩶧子(かますご) 春月、播州〔=播磨〕より、多く、出づ。大いさ、二寸。灰白色。脂、多し。此れ、梭子魚(かます)の子に非ず、實は、「以加奈古〔(いかなご)〕」と曰ふ者なり【「無鱗魚」の下に詳らかなり。】。

[やぶちゃん注:スズキ目サバ亜目カマス科カマス属 Sphyraena は世界で約十八種を数えるが、本邦で単純に「カマス」と呼称した場合はアカカマス Sphyraena pinguis を指すことが多いとされる。しかし、良安の総論での叙述では、体色が青黒く、体長は二十一センチメートル程度としており、これは、体色が青っぽく、五十センチメートルにも達するアカカマスに比して、二十五センチメートル程にしかならないヤマトカマス Sphyraena japonica と美事に一致する。そうして後述の「黄赤なる者」が、アカカマスと同定出来るのである。

・「志築𩶧」「神奈川水産技術センター」のHP「さかなあれこれ」の「カマス」の「7.カマスの塩辛」より引用する(二〇〇三年七月三谷勇氏、及び、樋田史郎氏責任執筆の明記あり)。

   《引用開始》 

 カマスの塩辛は腸を塩漬けにしたもので、室町時代にすでに賞味されていたといいます。江戸時代前期の元禄8年(1695年)に発行された本朝食鑑(小野必大)には、34寸ほどのカマスの黒い腸を塩辛にしたものが珍賞され、尾州(愛知)・勢州(三重)のものが最も上品で、賀州(加賀)・越州(福井)のものはあまりうまくない、と評しています。この塩辛は淡路の志築(しづき)でとれるカマスから作られるので、志築と呼ばれている、と和漢三才図会(正徳2年(1712年)寺島良安編)に記されています。[やぶちゃん注:中略。]

 このように塩辛と干物をみてくると、これらは原料を残すところなく有効に利用しようとする古来からの知恵によって生み出された食品のようにみえます。カマスの細い体から腸を抜き取り、それを志築にして利用し、残りを上品な開き干しにして保存食にする古来伝法の食品には感激を覚えます。

    《引用終了》 

「志築」は現在の兵庫県淡路市志筑(グーグル・マップ・データ)、淡路島の東岸やや北に位置する。

・「𩶧子」「いかなご」。スズキ目イカナゴ亜目イカナゴ科イカナゴ Ammodytes personatus である。魚体がカマスに似ているために「カマスゴ」とも呼ばれる。稚魚は地方により「カナギ」(南日本での呼称。「カナ」は極めて細いこと、「ギ」は魚を示す接尾語という)・「コオナゴ(小女子)」・「シンコ(新子)」・「シャシャラナゴ」(「玄孫子=曾孫子」であろう)」等と呼び、成長したものを「メロウド(女郎人)」・「フルセ(古背)」等と呼んだりする。大きくなればなるほど、安くなる魚である。「ちりめんじゃこ」(=シラス干し)の素材の一種であるが、カタクチイワシ由来の製品に比べると、脂があるせいで、ややクセがある。が、旨い。「釘煮」等、「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「玉筯魚」を参照されたい。]

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《改ページ》

さより

【音針】

チン

 

  銅吮※〔→吮〕魚

  姜公魚

  針口魚

 【和名波利乎

  一云與呂豆

  俗云作

  與利】

[やぶちゃん字注:※=(つくり)の上部の「ム」は「公」。以上の七行は、前の三行の下方にある。]

本綱鱵生江湖中大小形狀並同繒〔→鱠=膾〕殘魚但喙尖有一細

黒骨如鍼爲異耳

三才圖會云針口𩵋口似針頭有紅㸃腹两旁自頭至尾

有白路如銀色身細尾岐長三四寸二月閒出海中

△按上二說並鱵小者也大抵名眞鱵魚者身七八寸下

 啄三寸許如鐡針黒尖上啄一寸許尖如劔身圓形似

 梭子魚而頭小帶微赤色眼大腹白其鱗極細其骨黒

 色肉潔白味甘淡作膾最佳也東北海者大長二三尺

 者有蓋海中魚其謂出江湖者未審

さより

【音、針。】

チン

 

同吮魚〔(どういんぎよ)〕

姜公魚〔(きやうこうぎよ)〕

針口魚

【和名、「波利乎〔(はりを)〕」。一つに「與呂豆〔(よろづ)〕」と云ひ、俗に「作與利〔(さより)〕」と云ふ。】

「本綱」に、『鱵、江湖の中に生ず。大小・形狀、並びに「膾殘魚〔(しろいを)〕に同じ。但し、喙〔(くちばし)〕、尖り、一つの細〔き〕黒骨、有りて、鍼〔(はり)〕のごとくなるを異と爲(す)るのみ。』と。

「三才圖會」に云ふ、『針口𩵋は、口、針に似て、頭〔(かしら)〕、紅㸃、有り。腹の两旁〔(りうやうばう)〕、頭〔(かしら)〕より、尾に至るまで、白〔き〕路〔(すぢ)〕有りて、銀色のごとし。身、細く、尾に岐〔(また)あり〕。長さ三、四寸。二月の閒、海中より出づ。』と。

△按ずるに、上の二說は、並びに、鱵の小なる者なり。大抵、「眞鱵魚(まさより)」と名づくる者は、身、七~八寸にて、下の喙(くちばし)は三寸ばかり、鐡の針のごとく黒く尖り、上の啄は一寸許〔(ばかり)にして〕尖り、劔〔(つるぎ)〕のごとし。身、圓〔(まろ)〕く、形、梭子魚〔(かます)〕に似て、頭、小さく、微赤色を帶ぶ。眼〔(まなこ)〕、大きく、腹、白く、其の鱗、極めて細く、其の骨、黒色。肉、潔白、味、甘淡、膾〔(なます)〕に作りて、最も佳なり。東北〔の〕海の者、大きく、長さ二、三尺の者、有り。蓋し、海中の魚、其れ、江湖に出づと謂ふは、未だ、審らかならず。

[やぶちゃん注:硬骨魚綱ダツ目ダツ亜目トビウオ上科サヨリ科サヨリ Hemiramphus sajori 。良安は「本草綱目」の淡水域に棲息するという記述に不審を抱いているが、ウィキペディアの記載などを見ると、八十種を越えるサヨリ科の種の中には、純淡水域まで入り込むものもおり(例えば中国・朝鮮半島・本州・九州に分布するクルメサヨリ Hyporhamphus intermedius は汽水域を主な生息域とするが、純淡水域へも入り込む。また、。タイ・マレーシアなどに棲息するダツ目コモチサヨリ科デルモゲニー属デルモゲニー Dermogenys Kuhl のように一生を淡水で終わる純淡水種もいる)、サヨリも汽水域に入り込むことがあるとする。「鱵」を「大漢和辭典」で引いても、別個な生物の様には記載されず、また、現代中国語でも別種を示しているとは思われない。また、「マサヨリ」という呼称は現在、生き残っていないようであるが、「神港魚類株式会社」のサイト内の「日本の旬・魚のお話」の「細魚(サヨリ)」のページによると、『江戸時代中期以降にはサンマも「サヨリ」と呼ばれ、サンマをサヨリと偽って売られたということである。これを区分する為に、サヨリを「真サヨリ」と称したという。西日本では今でもサンマを「サヨリ」と呼ぶところがあるという』とあり、極めて示唆に富む記載と感じられる。

・「鱠殘魚」は条鰭綱新鰭亜綱原棘鰭上目キュウリウオ目シラウオ科 Salangidaeに属するシラウオ類。「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鱠殘魚」を参照のこと。]

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《改ページ》

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○九

だす   正字未詳

啄長魚

     【俗云陀須】

 

△按啄長魚形色似鱵而大長二三尺啄上下均長七八

 寸黑色背正青細鱗骨亦青色而硬其肉白氣腥味不

 美有江海中常游水靣〔=面〕

だす   正字、未だ、詳らかならず。

啄長魚

     【俗に「陀須」と云ふ。】

 

△按ずるに、啄長魚、形・色、鱵〔(さより)〕に似て、大きく、長さ二、三尺。啄〔(くちばし)〕の上下、均しくして、長さ七、八寸、黑色。背、正青。細〔き〕鱗。骨も亦、青色にして、硬し。其の肉、白く、氣〔(かざ)〕、腥〔(なまぐさ)〕し。味、美ならず。江海中に有りて、常に水靣に游ぶ。

[やぶちゃん注:ダツ目ダツ亜目ダツ上科ダツ科 Belonidae のダツ類。本邦には以下の四属八種がいる。「啄」の字には「喙」(くちばし)の意がある。

ハマダツ属  ハマダツ Ablennes hians

ダツ属    ダツ Strongylura anastomella

       リュウキュウダツリュウキュウダツ Strongylura incisa

ヒメダツ属  ヒメダツ Platybelone argalus platyura

テンジクダツ属テンジクダツ Tylosurus acus melanotus

       オキザヨリ Tylosurus crocodilus crocodiles

なお、釣をしない人には分からないが、このダツは、危険な海洋生物には必ずと言っていいほど登場する(死亡例もある)。正の走光性を持ち、光に向って行く上に、海上によくジャンプする。夜間、ヘッドランプを点けた漁師は、それで、ゆめゆめ、海面を照らしてならないのである……これ以上は語るまい……文字通り、「イタイ」映像だ……]

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やがら   正字未詳

簳魚

     【俗云也加良】

 

△按簳魚形類鱵而長圓如箭幹故俗呼名簳魚啄長而

 上下均細鱗如紋微赤尾有岐岐中垂紅絲一條肉白

《改ページ》

 【甘溫】不美東海駿河伊豆有之患膈噎人用其觜飮食

 則治然徃徃試之不必然

やがら   正字、未だ、詳らかならず。

簳魚

     【俗に「也加良」と云ふ。】

 

△按ずるに、簳魚、形、鱵〔(さより)〕に類して、長く、圓〔(まろ)〕く、箭〔(や)=矢〕幹(がら)のごとし。故に、俗に呼んで「簳魚」と名づく。啄〔(くちばし)〕、長くして、上下、均し。細〔き〕鱗、紋のごとくにして、微〔(やや)〕赤く、尾に岐〔(また)〕有り。岐の中〔(なか)〕、紅絲一條を垂らす。肉、白し【甘、溫。】。美ならず。東海・駿河・伊豆、之れ、有り。膈噎〔(かくいつ)〕を患ふ人、其の觜〔(くちばし)〕を用ひて飮食せば、則ち、治すと云ふ。然れども、徃徃〔(わうわう)〕、之れを試むるに、必ずしも然らず。

[やぶちゃん注:これは、取り敢えず、その体色からトゲウオ目ヤガラ科アカヤガラ Fistularia petimba としたい。赤味がほとんどないアカヤガラもおり、味がかなり劣るアオヤガラ Fistularia commersonii と区別しにくいようであるが、旨い方を挙げておく(私はアカヤガラの刺身を食したことがあるが、非常に旨い)。本邦にはヤガラ科 Fistulariidae は、この二種のみである。「簳」の字は、本来は竹管が細く節間の長いメダケ・ヤダケ類を指す。単子葉植物綱イネ目イネ科 タケ亜科メダケ Pleioblastus simoni (女竹・雌竹)で、他に「シノダケ」「シノ」「コマイダケ」等の異名でも呼ばれる。ヤダケは標準和名ではタケ亜科ヤダケ Pseudosasa japonica を指すが、実際には「幹が細く真直ぐに伸びる竹」を総称する語としてもある。弓矢の矢柄(やがら)に使用された。現在は、釣竿等に利用されている。

・「膈噎」のそれぞれの漢字は、孰れも、食道の飲食物の通過障害による嚥下困難を指し一般にはそれを指す熟語として用いられるが、漢方医学では、主に食道の下部に原因があるものを「膈」と言い、食道の上部に原因があるものを「噎」と言う。食道癌や食道アカラシア(esophageal achalasia:食道壁内の神経の障害による蠕動運動障害。下部食道括約筋が開かなくなり、食道部の飲食物通過障害と異常拡張が起る病気。発症は稀れである)が疑われるのだが、この最後の物言いは、まさに良安自身が医師として何度も試してみたが、必ずしも効果があるとは限らないと、やや懐疑的な感想を漏らしているのである。

・「云ふ」の「云」の字は翻刻を見ても分かる通り、原文では右側に小さく記されている。これは本書の書き方から言えば、割注相当であるが、読み易さを考え、本文に挿入して書き下した。但し、この小文字表記は通常の江戸時代の文書では「」で「うんぬん」とあるのが普通である。ここも、その脱字であるような気がしてならない。]

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《改ページ》

こち    正字未詳

【俗字】

     【俗云古知】

 

△按鯒狀似小鱣而身圓顎大扁口𤄃下唇重疊最醜鰓

 後長鬛對生背灰黃色細鱗脊自頸至尾有一道短鬛

 腹白臍以下有一道長鬛尾窄其大者一二尺肉厚白

 爲臛甘美【眼病人忌之】骨鬛甚硬肉中亦有硬骨誤咽鯁則

 難脫庖人從腹斜切則骨少

娑娑良鯒 形相似而腹大有黃赤彪文肉中有硬骨

こち    正字、未だ、詳らかならず。

【俗字。】

     【俗に「古知」と云ふ。】

 

△按ずるに、鯒、狀〔(かたち)〕、小〔(ち)いさき〕鱣(ふか)に似て、身、圓〔(まろ)〕く、顎、大きく、扁たく、口、𤄃〔(ひろ)〕く、下唇、重疊〔(ちやうでふ)〕し、最も醜し。鰓の後に、長き鬛、對生し、背、灰黃色。細〔き〕鱗、脊(せすぢ)に、頸より尾に至る一道の短き鬛、有り。腹、白く、臍以下に、一道の長き鬛、有り。尾、窄(すぼ)く、其の大なる者、一、二尺。肉、厚く、白し。臛(にもの)と爲して甘美【眼病の人、之れを忌む。】。骨・鬛、甚だ硬く、肉の中にも、亦、硬き骨、有り。誤りて咽-鯁(ほねた)つれば、則ち脫(ぬ)け難し。庖人〔(はうじん)〕、腹より、斜めに切る。則ち、骨、少なし。

娑娑良鯒(しやしやらこち) 形、相〔(あひ)〕似て、腹、大きく、黃赤の彪(とらふ)の文、有り。肉中に、硬き骨、有り。

[やぶちゃん注:カサゴ目コチ亜目コチ科マゴチ Platycephalus sp. 。長く西日本のマゴチは、日本の南西諸島及び温帯・熱帯域に広く分布する Platycephalus indicus と同一種とされていたが、近年の研究で固有種として分離された(学名は未定)。同属種の種々の種及び「~ゴチ」と呼ばれる似て非なる種は、ウィキの「コチ」に詳しいので見られたい。

・「小鱣」は、「小さな鮫」の意。

・「眼病の人、之れを忌む。」については、「神港魚類株式会社」のサイト内の「日本の旬・魚のお話」の「鯒(こち)」、『「魚貝能毒品物図考」や「和歌本草」には、コチを食べると眼を患うということが書してある』とし、『確かに、コチの眼は楕円形で丸くない。しかも瞳の形は半月形のやハート形、また枝分かれしたものまである。この眼を見ていると、昔の人が「コチを食らうと眼を患う」といった気持ちもわかるような気がする』と記す。引用文中の前者「魚貝能毒品物図考」は、嘉永二(一八四九)年刊で、青苔園著・高嶋春松画になるもので、大阪の雑喉場鮮魚市(ざこばなまうをいち)に出入する人々を対象に、魚貝の性質・効能・毒性・形状・味の良し悪し・食い合わせ・産地等を記した図入通俗書である。初版は天保八(一八三七)年に「海川諸魚掌中市鑑」という書名で出版されている。また、後者の書「和歌本草」は、まず、一般にこう呼称されものの中では、著者不詳の寛永七(一六三〇)年刊「和歌食物本草」のことを指すと考えてよい。これは、日常食品として利用される約二百四十種を、「草」・「木」・「鳥」・「魚」・「虫」・「菓」の部の順に並べ、和歌の形式を借りて、その食品の性質・効能・毒性・食い合わせの禁忌、及び、食用に適した時期・分量等について述べた本草書。和歌数七百八十七首。江戸中期にかけてベストセラーとなった。また、同年には、山岡元隣の編になる「食物和歌本草増補」なるものが出版されており、有名な医者であると同時に北村季吟の門人でもあった元隣が、本書「和歌食物本草」及び「宜禁本草集要歌」(江戸初期に「和歌食物本草」とは別個に成立した同形式の本草書)の二書より二千百七十首を選び、各品目ごとに「本草綱目」等の諸説を掲げ、自説を加えた注釈書である。恐らく、後者のこれらが、本記載の良安の割注の元ネタの一つであったのでろうとも推定される。なお、以上の二書の書誌については臨川書店「食物本草大成」書目編成表の解説を参照した。

・「娑娑良鯒」「しやしやらごち(しゃしゃらごち)は、記載が少ないのだが、形がマゴチに似ているが、腹がマゴチに比して、有意に大きく(白く)感じられ、(「背」には)黄色・赤色の虎斑模様があり、中骨が硬いという点から、私は、コチちらざるところの、スズキ目ネズッポ亜目ネズッポ科ネズッポ属ネズミゴチ Repomucenus richardsonii に同定したい(所謂、通称「メゴチ」と呼称されて一般に知られるものだが、メゴチという和名は全くの別種であるカサゴ目コチ科の Suggrundus meerdervoortii に与えられているので、注意しなければならない)。なお、この「娑娑良」は、恐らくは「ささら」=「細形」(ささらがた)の転訛であって、「細かい文様」の意味である。ネズミゴチの背部は遠目には暗褐色であるが、よく観察すれば、黄・褐・白色の細かな斑模様であることが分かる。このネズミゴチはキス釣りの外道の中でも最も忌み嫌われる。体表に粘液が多く、独特の腥ささがあり、両鰓孔の横に棘があって、引っ掛けると痛い。さらに釣り針を呑込んでんでしまうケースが多く、掛かったものを外すのに往生するからである。これもキュウセン同様、棄てられて干からびているのをよく見かけたものだ。しかし、私はこのネズミゴチの味噌汁が、まっこと�好きだった。今は食べるすべもないが。]

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《改ページ》

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○十

ゑそ   正字未詳

惠曾魚

 

△按惠曾魚狀類鯒而灰色帶黃頭畧如蝮蛇鱗硬鬛短

 鱗下有碧線文二三條大五六寸至尺半炙之或爲蒲

 鉾食有微腥氣不佳常游於海濵水汀好食人屍肉

 蓋以頭形醜而女童不賞之但和州人饗應爲必用

 美肴

ゑそ   正字、未だ、詳らかならず。

惠曾魚

 

△按ずるに、惠曾魚、狀〔(かたち)〕、鯒〔(こち)〕に類して、灰色に黃を帶ぶ。頭〔(かしら)〕、畧〔(ほぼ)〕、蝮-蛇(まむし)のごとし。鱗、硬く、鬛、短し。鱗の下に、碧〔(みどり)の〕線の文、二、三條有り。大いさ、五、六寸より、尺半に至る。之れを炙り、或いは、蒲鉾(かまぼこ)と爲して食ふ。微〔(やや)〕腥〔(なまぐさ)き〕氣〔(かざ)〕有りて、佳ならず。常に海濵〔の〕水汀〔(みぎは)〕に游びて、好んで、人の屍肉を食ふ云云〔(うんぬん)〕。蓋し、頭〔(かしら)の〕形の醜きを以つて、女・童〔をんな・わらは〕、之れを賞せず。但し、和州〔=大和〕の人、饗應に必用の美肴と爲す

[やぶちゃん注:まず、狭義に条鰭綱新鰭亜綱ヒメ目ミズウオ亜目エソ科の仲間は現在、本邦産では以下のような四属で、二十三種が知られている。主なものを示すと、

  ミズテング属 Harpadon

    ミズテング Harpadon microchir

    テナガミズテング Harpadon nehereus  etc.

  マエソ属 Saurida

    マエソ Saurida sp.2

    クロエソ Saurida sp.1

    ワニエソ Saurida wanieso

    トカゲエソ Saurida elongata

    マダラエソ Saurida gracilis

    コンデエソ Saurida micropectoralis   etc.

  アカエソ属 Synodus

    アカエソ Synodus ulae

    ホシノエソ Synodus hoshinonis

    ヒトスジエソ Synodus variegates

    チョウチョウエソ Synodus macrops

    イレズミオオメエソ Synodus oculeus

    ミナミアカエソ Synodus dermatogenys  etc.

  オキエソ属 Trachinocephalus

    オキエソ Trachinocephalus myops(一属一種)

更に同じヒメ目 Aulopiformes には、食用として重要な通称「メヒカリ」(私の大好物!)で知られる、アオメエソを含むアオメエソ科 Chlorophthalmidae の魚群がおり、これらも挙げておく必要があろう。

    アオメエソ Chlorophthalmus albatrossis

    マルアオメエソ Chlorophthalmus borealis

    トモメヒカリ Chlorophthalmus acutifrons

    ツマグロアオメエソ Chlorophthalmus nigromarginatus  etc.

試みに、広義に「エソ」を俯瞰してみると、分類学上、以下のように実はヒメ目十七科には「エソ」を接尾語とする科が非常に多いことが分かる(「-エソ」でないのは和名のない一科を除くと六科)。

 アオメエソ亜目 Chlorophthalmoidei

   アオメエソ科 Chlorophthalmidae

   オニアオメエソ科 Bathysauroididae

   ナガアオメエソ科 Paraulopidae

   デメエソ科 Scopelarchidae

   フデエソ科 Notosudidae

 ミズウオ亜目 Alepisauroidei

   エソ科 Synodontidae

   シンカイエソ科 Bathysauridae

   ハダカエソ科 Paralepididae

   ホタテエソ科 Pseudotrichonotidae

    ホタテエソ Pseudotrichonotus altivelis (一科一属一種)

   ヤリエソ科 Evermannellidae

ところが――ここに――別に――ヒメの仲間とは――全くの別種な「エソ」が――やはり、多数存在するのである。……あなたは懐かしい小学校時代の魚類図鑑で何が記憶に残っておられるか?――僕は断然、奇怪なる深海魚たちと、肉鰭綱シーラカンス亜綱シーラカンス目ラティメリア科 Latimeriidae のシーラカンス(現生種二種ラティメリア・カルムナエ Latimeria chalumnae とラティメリア・メナドエンシス Latimeria menadoensis )であった。それは、どちらも、耽溺していた円谷プロが生み出すウルトラ怪獣にも引けをとらない、素敵にゴージャスなグロテスクさであったのだ。……そうして、あのフウセンウナギ(サコファリンクス)目フウセンウナギ(サコファリンクス)亜目フウセンウナギ(サコファリンクス)科フウセンウナギ(サコファリンクス・フラジェラム) Saccopharynx flagellum *2とともに、鋸のような歯と寸胴で赤茶けた荒涼とした体色をした*3ワニトカゲギス目 Stomiiformes Phosichthyidae の絵! 

【*2:僕はこの「サコファリンクス」という語の妖しい響きと、そのおぞましい姿を切り離せぬものとして偏愛してきた。私が幼少の頃、最初に覚えたラテン語の学名は、このサコファリンクスとラティメリア・カルムナエ(当時の図鑑には「チャルムナエ」と記されていた)であったのだ。――いや、それにしても、和名の「フウセンウナギ」とは……何たるセンスのなさであろう! 陳腐にして、おぞましくも、赤塚不二夫的な侮蔑の響きさえ、ある! この和名を何としても滅ぼしたいと感じるのは、僕だけであろうか。ちなみに“Sacco”はラテン語で「袋」、“pharynx”はギリシャ語由来の「喉・咽頭」の意である。】

【*3:私たちが実際には深海生物がバラエティに富んだ色彩を持っていることを知るようになったのは深海探査が始まったつい昨日のことである。これ一つをとって見ても我々は我々自身如何に無知で下劣な思い込みに満足しているかを知るべきである。】

……そう、やっと本線に戻った。ワニトカゲギス目には、

   ギンハダカ科 Phosichthyidae

    ウキエソ属 Vinciguerria

    シンジュエソ属 Ichthyococcus

    ツマリウキエソ属 Woodsia   etc.

   ワニトカゲギス科トカゲハダカ亜科 Astronesthinae

    フタツボシエソ属 Borostomias  etc.

           ホウキボシエソ亜科 Malacosteinae

           ワニトカゲギス亜科ホウライエソ族ホウライエソ属 Chauliodus

           ホテイエソ亜科 Melanostomiinae(百九十一種存在し、和名を持つ属は殆んど「-エソ」を名乗る)

           ムネエソ亜科 Sternoptychinae(三十四種存在し、やはり和名を持つ種は殆んど「-エソ」を名乗る)

   ヨコエソ科ヨコエソ科 Gonostomatidae

といった「-エソ」野郎が、ゴマンといるのである。また、ハダカイワシ目 Myctophiformes の魚類群(例えばハダカイワシ属 Diaphus 等)もその巨大な目・口や脂鰭の存在等の共通性から、かつてはヒメ目と同じ目に分類されていた経緯を持ち、古人がこれらの魚類も一緒くたに「エソ」と認識していたと考えることも出来るのである。しかし、これらは、その殆んどが深海魚であり、良安の埒外のものと考えてよいであろう。――調べ始めると何だか面白くなってきて、大脱線を続けたが、そろそろお後がよろしいようで……。

 さても、この「エソ」の語源についてであるが、ネット上を見ても、良安同様、多くが不明とする。ところが、平成一三(二〇〇一)年東京堂出版刊の吉田金彦「語源辭典 動物編」には以下のように記すとする記事(以下の抜書ページより孫引き。表記は該当ページの特性を尊重してそのままコピー・ペーストした。後ろの『えつ、齊魚』も同じ)を見つけた。

   * 

えそ、狗母魚・鱠

ヱソ科の外見上の最大の特徴は、下顎が上顎より長いこと、すなはち下顎の先端が上へ曲ってゐることである。このためヱソの頭部は、人間でいへば笑顏のことき表情を呈する。ヱソのヱは「笑」に通じるものとして『日本國語大辭典』でも一つしか語源説を出してゐない。……

これは苦しい解釋となる。むしろ練り固めて作る食品材としての命名で、魚肉から造る練製品、ウヲソ(魚酥)が語源であらう。

   *

これは、面白い説ではある(他に古語の「醜い」という意であるとか、「エリ」の衍字ではないかとか、怪しげな謂いに比べれば、しっかりした物謂いではある)。ところが、同ページのこの引用部分の直下に、汽水域に棲息するニシン目ニシン亜目カタクチイワシ科エツ亜科エツ Coilia nasus の語源説が続いているのであるが、そこには、

   * 

えつ、齊魚

エツで特徴的なのは、その口である。非常に大きく、上顎骨の後端は胸鰭の基底にまで達する。また下顎は上顎に覆はれてしまふほどで、魚の口といふよりは、むしろ「くちばし」を彷彿とさせる。エソの語源は、「鳥のくちばし」を意味するアイヌ語の「エツ」と見たい。

   * 

とあるのである。この最後の一文の「エソ」は「エツ」の誤植(底本か該当ページ製作者かは不明)であろうと思われるのだが、ここで閃いたのだ。それこそ、さっきの物謂いではないが、実は「エソ」はもともと「エツ」だったのではないか? それが衍字となって「エツ」になった。従って、「エソ」と「エツ」は同源で、アイヌ語の「エツ」(鳥の嘴)あったとするのはどうか? エソだってチョウチョウエソ Synodus macrops や、アオメエソ Chlorophthalmus albatrossis の吻部の形状は、エツ以上に嘴状ではないか? 私の勝手な思い付きではあるのだが。

・「好んで、人の屍肉を食ふ」は興味津々だが、情報が得られない。識者の御意見を伺いたいものである。このおぞましい謂いからは「エソ」の「エ」は「ヱ」で「穢」の意の可能性も出て来るか?

・「云云」ここは本文翻刻でお分かりの通り、定番の「~と言われる。~と伝える。」の意の「うんぬん」であるから、書き下しでは本文に繋げた。以下、同様部分には注しない。

・「和州の人、饗應に必用の美肴と爲す」について、現在でも奈良県では、秋祭りにエソを塩焼きにして食べる習慣があるという(例えば此方の方の「郷土料理百選」の記載等)。]

***


きすご

幾須吾

 

  正字未詳

 【其大者名

  古豆乃

  紀州名之

  道保共名

  義正字

  未詳】

[やぶちゃん字注:以上七行は、前二行下に入る。]

 

《改ページ》

△按幾須吾魚狀似𩶧而黃白身圓頭尖短細鱗大抵四

 五寸不過八寸尾無岐頭中有二白石肉厚白味【淡甘平】

 炙食爲上品病人無忌秋月於江戸品川芝海濵貴賤

 釣之

川幾須 自江上河者狀畧扁小色帶微碧

虎幾須 是亦在川口狀圓肥大有黒白虎斑

きすご

幾須吾

 

正字、未だ、詳らかならず。

【其の大なる者を「古豆乃」と名づく。紀州にて、之れを「道保」と名づく。共に名義・正字、未だ、詳らかならず。】

 

△按ずるに幾須吾魚、狀、𩶧(かます)に似て黃白。身、圓〔(まろ)〕く、頭〔(かしら)〕、尖りて、短く、細〔き〕鱗。大抵、四、五寸〔より〕八寸に過ぎず。尾、岐〔(また)〕、無く、頭の中に、二つの白石〔(しろいし)〕、有り。肉、厚く、白く、味【淡甘、平。】、炙り食ひて、上品と爲す。病人に忌むこと、無し。秋月、江戸品川芝の海濵に於いて、貴賤、之れを釣る。

川幾須〔(かはぎす)〕 江〔(え)〕より、河に上る者、狀、畧〔(ひぼ)〕、扁たく、小さし。色、微〔(やや)〕、碧〔(あを)〕を帶ぶ。

虎幾須〔(とらぎす)〕 是れも亦、川口〔(かはぐち)〕に在り。狀、圓く、肥大。黒白の虎斑〔(とらふ)〕、有り。

[やぶちゃん注:キスはスズキ亜目キス科 Sillaginidae の魚類で、シロギス Sillago japonica ・アオギス Sillago parvisquamis ・ホシギス Sillago aeol ・モトギス Sillago sihama の四種が知られるが、単に「キス」と言えば、一般にシロギスを指す。

・「𩶧」はスズキ目サバ亜目カマス科カマス属のカマス類。前掲の「梭子魚」の項を参照のこと。

・「頭の中に、二つの白石、有り」は、魚類の内耳にある炭酸カルシウムの結晶である「耳石」(じせき)を指している。これは、魚体の平衡感覚及び聴覚に関わる平衡胞の中にある「平衡石」で、光にかざすと、同心円状の輪が見られ、これが年輪となり(見えにくい種もある)、個体の年齢推定に用いられることもある。キスの耳石は米粒型で、大きい個体では一センチメートル程になる。実物を何度も見たことがある。

・「古豆乃」は「こつの」又は「こづの」と読むか。「神港魚類株式会社」のサイト内の「日本の旬・魚のお話」の「鱚(きす)」のページには、「こつの」と読み、播磨・淡路に於いて、大型のキスの呼び名とし、『体色と体形が牛の角に似ているため』とする。ここには、良安が未詳とした「キス」の正字も示されており、「キスゴ」は関西以西での呼び名で、キスが『何の飾り気もなく、清楚で性質は温和。味は淡白で「生直(きす)」の字義にピッタリ』であるとして、「生直」という字を掲げている(「ゴ」は魚の名であることを示す一般的語尾として、現在でも、よく使用される)。また、淡路での方言として特に大きい個体を「ウデタタキ」と呼び、釣り上げると、尾で腕を叩く程の大型の力の強いものを言うとしている。これを読んで思い出した。私が若い頃住んだ富山県高岡では、十五センチメートルを越える大きなシロギスを「テッポウギス」と呼んでいた。釣り上げて右手で頭部を摑むと、魚体の下部で腕首をパンパンと叩く(撃つ)程に跳ねるからと聞いた。事実三十五年以上も前、七尾市の百海(どうみ)の磯で生涯一度きりの父とのキス七十五匹入れ食いの折り、一際(ひときわ)大きな二十センチメートル大のシロギスを釣り上げた時、その右腕を打たれた映像と軽い痛みを、眩しい陽射しとともに僕は何故か忘れずにいるのである。なお、「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「波須」の項で、良安はこの波須を「幾須に似たり」とし、最後に「海幾須・川幾須の、二種、有り。蓋し、此れ、川幾須の類」であろうとしている(従って、ここで「波須」に言及していないのは、或いは、良安lはこちらを先に書いているからか)。なお、私はこの「波須」をコイ目コイ科ダニオ亜科ハス Opsariichthys uncirostris に同定している。該当項注を参照されたい。

・「道保」は「どうほ」と読むか。現在は廃れた呼称と思われる。

・「川幾須」「かはぎす」は、その体色、及び、河口部のきれいな湧き水のあるような汽水域の干潟を好む性質から、アオギス Sillago parvisquamis (「ヤギス」とも呼ぶようである)に同定したいが、アオギスの成魚は、シロギスより、大きくなる点で疑義が残る。「カワギス」という呼称は、淡水産のコイ目コイ科カマツカ亜科ズナガニゴイ Hemibarbus longirostris や、同じく淡水産カマツカ亜科カマツカ属カマツカ Pseudogobio esocinus を混同して呼称する呼び名としても、現在、存在している。前者は最大長でも十五センチメートル程度なので、これも同定候補にはなろうが、体色が一致しない。検索では、東京湾周辺の釣情報にカワギス=アオギスの名称共通が有意に認められるので、アオギスの幼魚・小型個体を指していると考えてよいようである。本種はウィキの「アオギス」によれば、『現在、国内では瀬戸内海西端の周防灘のうちの大分県、山口県沿岸、また』、『鹿児島県の一部にのみ、わずかに生息する』とある。同定なんかしてるより、絶滅しないように何とかすることが、大切だね……

・「虎幾須」トラギス 現在、「トラギス」の名が与えられているのは、

スズキ目ワニギス亜目トラギス科トラギス Parapercis pulchella

であるが、本種は全身が小豆色であり、黒白の斑点は下顎裏側吻部から鰓にかけてあるのみであるから、違う。

カモハラトラギス Parapercis kamoharai

クラカケトラギス Parapercis sexfasciata

オグロトラギス Parapercis polyophtalma

ワヌケトラギス Parapercis millepunctata

辺りが同定候補であろう。なお、これらはキス科Sillaginidaeとは上位のタクソンで分かれており、単に形態がキスに似ているだけである(というよりハゼに似ているのだが……キス釣の外道としてよくかかることも影響するのかも知れない)。]

***

くち

にへ

【音免】

メン

 

 石首魚  江魚

 黃花魚  石頭

 【和名仁倍

  一云久智】

[やぶちゃん字注:以上四行は、前四行下に入る。]

 

本綱鮸狀如白魚扁身弱骨細鱗黃色如金出水能鳴夜

視有光首有白石二枚瑩如玉至秋化爲冠鳧是卽野鴨

有冠者也鮸腹中白鰾可作膠【仁倍】毎歲四月來自海洋

其聲如雷海人以竹筒探水底聞其聲乃下網截流取之

《改ページ》

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○十一

澄以淡水皆圉圉無力【合蓴菜作羹開異益氣】

鮝魚 鮸乾者名鮝諸魚之薧皆謂鮝其美不及鮸故獨

 得專稱以白者爲佳若露風則變紅色失味也炙食【甘平】

 能消瓜成水消宿食治暴下痢【甜瓜生者用其鮝骨挿蔕上一夜便熟】

△按鮸四時俱有之略類鮒形長狹色淡黃白鰭長鱗細

 尾無岐肉脆脂少其大五七寸九月爲盛此時味甚佳

阿古【名義未詳】冬月鮸之大者俗呼曰阿古甚賞味之

仁倍 似鮸而少長灰青色首有石其大者六七尺取腹

 中白鰾以爲膠粘物甚固工匠及弓人爲必用物蓋和

 名抄仁倍久知爲一物今俗爲各別

凡首中有石魚鯛鮸幾須吾㕦魚也皆治淋病【於久里加牟木利同功矣】

ぐち

にべ

【音、免。】

メン

 

 石首魚  江魚

 黃花魚  石頭

 【和名、「仁倍」。一つに「久智」と云ふ。】

 

「本綱」に『鮸〔(ぐち)〕、狀〔(かたち)〕、白魚のごとくにして、扁たき身、弱き骨、細〔き〕鱗は、黃色にして、金のごとし。水を出〔でて〕能く鳴く夜、視れば、光、有り。首に、白石、二枚、有り。瑩(みが=磨)けば、玉〔(ぎよく)〕のごとし。秋に至りて、化〔(け)〕して、「冠鳧〔(かんふ)〕」と爲る。是れ、卽ち、「野-鴨(のがも)」の冠(〔と〕さか)有る者なり。鮸〔(ぐち)〕、腹中の白-鰾(にべ)、膠〔(にかは)〕に作るべし【仁倍。】。毎歲四月、海洋(つむ)より來〔(きた)〕る。其の聲、雷〔(かみなり)〕のごとし。海人〔(あまびと)〕、竹の筒を以つて、水底を探り、其の聲を聞きて、乃〔(すなは)〕ち、網を下〔(おろ)〕し、流〔れ〕を截〔(き)〕り、之れを取る。澄(す)ますに、淡水を以つてすれば、皆、圉圉〔(ぎよぎよ)〕として、力、無し【蓴菜と合はせて、羹〔あつもの〕に作る。胃を開き氣を益す。】。

鮝魚〔(しやうぎよ)〕 鮸〔(ぐち)〕の乾(ほ)したる者を「鮝」と名づく。諸魚の薧(ひもの)、皆、鮝と謂ふ〔も〕、其の美、鮸に及ばず。故に獨り專稱を得。白き者を以つて、佳と爲す。若〔(も)〕し、風に露(あらは)す時は[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、紅色に變じて、味を失ふなり。炙り食へば【甘、平。】、能く瓜を消〔(せう)〕して、水と成し、宿食を消し、暴下痢を治す【甜瓜〔(てんくわ)〕の生なる者に、其の鮝の骨を用ひて、蔕〔(へた)〕の上に挿さば、一夜にして、便〔(すなは)〕ち、熟す。】。』と。

△按ずるに、鮸〔(ぐち)〕、四時、俱〔(とも)〕に、之れ、有り。略〔(ほぼ)〕、鮒に類して、形、長く、狹〔(せば)〕く、色、淡黃白にして、鰭、長く、鱗、細く、尾、岐〔(また)〕、無し。肉、脆く、脂〔(あぶら)〕、少なし。其の大いさ、五、七寸。九月、盛りと爲す。此の時、味、甚だ佳なり。

阿古〔(あこ)〕【名義、未だ、詳らかならず。】冬月、鮸〔(ぐち)〕の大者、俗に呼んで「阿古」と曰ふ。甚だ、之れを賞味す。

仁倍(にべ) 鮸〔(ぐち)〕に似て、少し長く、灰青色。首に、石、有り。其の大なる者、六、七尺。腹中の白鰾〔(はくへう/にべ)〕を取り、以つて、膠〔(にかは)〕と爲す。物を粘〔(つ)くるに〕、甚だ、固し。工匠及び弓人、必用の物と爲す。蓋し、「和名抄」に、『仁倍(〔に〕べ)と久知(ぐち)と一物』と爲〔すも〕、今、俗に各〔々〕、別と爲す。

凡そ、首(かうべ)の中に、石、有る魚は、鯛・鮸〔(ぐち)〕・幾須吾(きすご)・㕦魚(たら)なり。皆、淋病を治す【「於久里加牟木利〔(おくりかんきり)〕」と功を同じうす。】。

[やぶちゃん字注:「口」(上)+「大」(下)。]

[やぶちゃん注:後述される「仁倍」の条々に記されているように、現在、ニベとグチは別種として記載される。良安の記述が完全一致するかは、やや疑問があるものの、取り敢えず、当てはめてみると、「鮸」の字を良安は「ぐち」と読んでおり、それに相当するのは、別名「グチ」と呼ばれる体色の白味が強い、

★スズキ亜目ニベ科シログチ(イシモチ) Argyrosomus argentatus

であり、一方、良安が、「鮸(ぐち)」に似ている「仁倍(にべ)」と呼称するものは、

☆ニベ科ニベ Nibea mitsukurii

であるとしておく。因みに、両者は、鰓蓋の上部で見分ける。そこに黒色の斑点があれば、シログチである。また、体の側面に明瞭な小黒色斑点列があるものは、ニベであり、特に斑紋が認められないものは、シログチである。但し、神港魚類株式会社のHP中の「日本の旬・魚のお話 ニベ」記載等を読む内、解説冒頭の「本草綱目」の叙述は、中華料理でも多用される次の二種、鳴き声が大きく船上でも聞えるという、

○ニベ科キグチ属キグチ Pseudosciaena polyactis

か、後述される「トサカ」との関わりから、頭部に特徴的な「トサカ」状骨質突起を持つという、

●ニベ科カンダリ属カンダリ Collichthys lucidus

の仲間が疑われるようにも感じられた。

・「白魚」は、勿論、日本のシラウオでもシロウオでもない。現代中国ではコイ科の Anabarilius 属に与えられているが、時珍の言う「白魚」がそれを指すかどうかは不明である。

・「水を出でて能く鳴く」は、釣り上げられた際、その発達した浮袋とそれに付随する発音筋を用いて「グーグー」と声を発することを指す。

・「夜、視れば、光、有り」これを以って、私は、この「鮸」をシログチ(イシモチ) Argyrosomus argentatus と同定した。ニベには、体側に小黒色斑点列があるため、白味が弱い。夜間に月光を反射して光るとすれば、シログチの方が相応しいと判断したのである。

・「白石二枚」は前項「幾須」の「頭の中に、二つの白石、有り」の注で示した「耳石」である。もう少し詳述しよう。硬骨魚類には内耳があって人間と同様な一対の三半規管を持っている。前後・左右・水平に直交するリング状の管の中に、それぞれ「扁平石」(sagitta)・「礫石」(lapillus)・「星状石」(asteriscus)と呼称する石がある。この内、扁平石が最も大きく、通常、「耳石」というと、「扁平石」を指す。これらの石は毛状の組織の上に乗っており、石の微細な移動が伝達され、個体の平衡や、外界の水流変化による他個体の行動・外敵の襲来を、統御・認知しているのである。耳石の主成分は最後に注する「オクリカンキリ」と同じく、炭酸カルシウムで、年周輪を形成することが多く、この輪紋を、その魚の年齢を調べるのに使うことはよく知られていよう(「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鰕姑」(シャコ)の記載も参照されたい)。「シログチ」の通称名「イシモチ」という名は、その耳石が、他の魚に比して特に大きいことに由来する。「福井県水産試験場」のHP中の「耳石」を御覧戴きたい。このページの魚長二十七センチメートルのシログチの耳石は長径十・二ミリメートルで、厚さは四・二ミリメートルであった。シログチの場合、耳石は、ほぼ魚長の二十六分の一に当たるそうである

・「冠鳧」の「鳧」はカモで、カモ目カモ科Anatidaeの鳥類の総称。ここで良安は直後に「冠」「〔ト〕サカ」(「ト」は脱落している)とルビしている。これを狭義に「鶏冠」として例のニワトリやキジ等のオスの頭頂部に見られる肉質の突起物ととると、鳥には暗い私には分からない(ネット検索ではそのようなトサカを持つカモがいないことはないようではある)。しかし、これが単に冠羽の意味であるならば、ユーラシア大陸にひろく分布するカモ目カモ科キンクロハジロ Aythya fuligula (金黒羽白)が挙げられるが、まあ、トンデモ化生(けしょう)説の同定に馬鹿正直に正面からまともに真面目に拘る必要は、これ、あるまい。

・「腹中の白鰾、膠に作るべし」は、「ニベ膠(にかわ)」のこと。コラーゲンを主成分とする浮袋を熱処理して製造する。接着剤として強力であると伝えられ、ご承知の通り、「ニベのような強い接着剤がない」→「相手が親密に密着して呉れない」→「素っ気ない・愛想がない」、ということで「鰾膠・鮸膠(にべ)もない」という故事成句が出来た。そもそも「ニベ」という和名自体が、「に」は「煮る」の「に」で、「へ」は「腫れたもの=浮袋=鰾」(歴史的仮名遣の音「ヘウ」)で、煮た鰾から膠を作る過程に因むという。

・「澄ますに」は、魚体の臭みを取るために、清水に、暫く、飼養することを言うか。その清水に真水(淡水)を用いると、直前の活発な運動性が失われて、静かになるというのであろう。

・「圉圉として」は、「疲れ果ててゆったりしないさま、苦しんでちぢんでいるさま」を言う語。後者の意であろう。

・「蓴菜」はスイレン目ハゴロモモ科ジュンサイ Brasenia schreberi 。私が偏愛する水草。

・「胃を開き」は、食欲増進や健胃効果を指す。中国語ではaperitifに相当する食前酒のことを「開胃酒」と言う。

・「氣を益す」は精神的肉体的な活性化を促すことで、ここでは消化器系の機能低下から生じる気分の低迷からの脱却を言うのであろう。

・「鮝魚〔(しやうぎよ)〕」どうも、この音は気に入らない。民草がこんな硬い音を使うはずもないからであるが、さらに言えば、この二字の右手の間には「チ」らしき文字が見えるからである。しかし、干物に相当するそうした語を知らないので、仕方なく、かくした。或いは、識者の御教授を戴ければ幸いである。

・「宿食」とは、胃腸の中に食物が停滞した状態。消化不良・胸焼け・腹部膨満感といった症状を言うか。

・「暴下痢」激しい下痢症状を言うものと思われる。

・「甜瓜」は、スミレ目ウリ科キュウリ属メロン Cucumis melo を指す。東洋文庫版ではこれに「まくわうり」のルビが振られるが、メロンの変種であるマクワウリ Cucumis melo var. makuwa は少なくとも現代中国語では「香瓜」と表記する。所謂、西漸した品種が「メロン」と呼ばれ、東漸した品種が「ウリ」と呼ばれた。

・「阿古」東洋文庫版では「あこ」とルビ。現在、シログチ及びニベに対してこ、のような呼称は生き残っていないようである。

・「工匠及び弓人、必用の物と爲す」日本画の画材・工芸加工や、強弓を作るために竹を張り合わせる際、ニベ膠が使われたとする。しかし、ネット上の消滅した叙述の中から掬い挙げたある叙述には、小野蘭山述・梯 (かけはし) 南洋校増訂による天保一五(一八四四)刊の「重修本草綱目啓蒙」には、大阪の弓工は「鹿ニベ」・「鮫ニベ」を用い、京都の弓工は、専ら、「鹿ニベ」を用い、「魚膠」は弱いため、用いない、という記述があるとする。

・「幾須吾」はスズキ亜目キス科Sillaginidaeのキスの仲間。前掲した「幾須吾」の項、参照。

・「㕦魚(たら)」は、タラ目タラ亜目タラ科 Gadidaeの魚類の総称。後の「㕦魚」の項を参照。

・「於久里加牟木利」はザリガニCambaroides japonicus(これはエビ亜目(抱卵亜目) Pleocyemataザリガニ下目Astacideaの中の本邦北方固有種である極めて厳密な意味でのザリガニ)の胃石(胃の中にできる結石)である。これについては、「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鰕姑」(シャコ)の注(そこでは良安は「於久里加牟木里」と表記している)で、非常に細かい(というか牛の涎のような)考察をしたので、是非そちらを参照されたい。私の注の数少ない自信作の一つである。

・「功を同じうす」についても、上記の「鰕姑」(シャコ)の「於久里加牟木里」注を参照されたいが、簡潔に纏めると、そこで良安は「於久里加牟木里」を『能く五淋を治す、小便を通ず、蠻人の秘藥なり。』と記載しており、「五淋」とは尿路障害で、石淋(尿路結石。排尿障害や強い痛みを伴うことが多いもの)・気淋(ストレスによる神経性の頻尿)・膏淋(尿の濁り)・労淋(過労・性交過多に伴う排尿異常)・熱淋(痛みが激しく時に出血を伴う急性尿路感染症)を言う。「広辞苑」では蘭方医薬として利尿剤として用いられたとある。]

***

       北斗魚

墨頭魚

モツテ゚ウイユイ

 

本綱墨頭魚狀類鱓其大者及尺頭黒如墨頭上有白子

二枚常以二三月出漁人以火夜照乂之出於四川嘉州

       北斗魚

墨頭魚

モツテ゚ウイユイ

 

「本綱」に、『墨頭魚、狀、鱓(あくつうを)に類す。其の大なる者、尺に及ぶ。頭、黒きこと、墨のごとく、頭〔(かしら)〕の上、白子二枚、有り。常に二、三月を以つて、出づ。漁人、火を以つて、夜、照らして、之れを乂〔(か)〕る。四川の嘉州に出づ。』と。

[やぶちゃん注:恐らくは前掲の「鮸」の記載がある「本草綱目」の「鱗部」四十四巻の「鱗之三 石首魚」の付録に、本種「墨頭魚」が掲げられているためと思われるが、如何にも本巻に場違いな、海のない四川省(嘉州は岷江下流楽山付近)の淡水魚を、ここに図入りで掲載している良安の真意が読めない。「墨頭魚」で検索をかけると、現代中国語ではコイ科ラベオ亜科墨頭魚属墨頭魚 Garra lamta が見つかる。これは高地に住む渓流魚で、ドジョウのような鈍な頭部で、吻部に二対の鬚があるようだ(日本魚類学会魚類学雑誌29巻3号“Dimensions of the gills of an Indian hill-stream cyprinid fish, Garra lamta. Jagdish Ojha, Narayan C. Rooj and Jyoti S. D. Munshi(PDF)の図を参照した。但し、リンク先は英文で、記載種はインド産)。ちなみに墨頭魚属 Garra (全種に「墨頭魚」が付く)は中国語ウィキの「墨头鱼属」(=墨頭魚属)の記載で百二十二種を数える。試みに同属で、頭部のみが、図のように有意に黒い種をネット上で探してみたが、徒労であった。但し、面白いことに、この墨頭魚属、最近、ブレイクした有名な魚種が含まれていることに気づいた。トルコの温泉の中で、入浴している人の皮膚の上皮を突付いて食べている映像を御覧になったことがあるだろう。あれが、この属の通称ドクター・フィッシュ(Doctor fish)、中国名で淡紅墨頭魚、ガラ・ルファ Garra rufa なのだった。私も、この温泉に入って経験した。

・「鱓(あくつうを)」本字はウナギ目ウツボ亜目ウツボ科Muraenidaeのウツボ類を指すが、「アクツウオ」は不明。「あくつ」が「圷」ならば、「河川の低湿地帯」のことを言う国字であるから、そうした場所に生息する本邦産の淡水魚を指すであろうが。

・「頭の上、白子、二枚、有り」は「頭部上部(の内側)に白い小粒が二二個ある」で、前の「石首魚」=「鮸」=イシモチ類の叙述の相似性から「耳石」と考えてよいように私は思う。因みに、淡水魚の耳石は、そこに含まれるストロンチウム等の微量元素や安定同位体を用いて、それぞれの種の発生・遡上・回遊等の解明を目指した研究が行われているらしい。たかが耳石、されど耳石だ。]

***

さいら   乃宇羅岐

のうらき

佐伊羅魚

 

△按佐伊羅狀似馬鮫而狹長背似鱵大者八九寸細鱗

 頷短冬春多出於紀泉及西海脂多取爲燈油或作䱒

《改ページ》

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○十二

 以詐名鱵販之伊賀大和土民好食之魚中之下品也

 故鱵稱眞佐與利別之

さいら   乃宇羅岐

のうらぎ

佐伊羅魚

 

△按ずるに、佐伊羅、狀〔(かたち)〕、馬鮫(さはら)に似て、狹〔(せば)くして〕長く、背、鱵〔(さより)〕に似る。大なる者、八、九寸。細き鱗、頷、短し。冬春、多く、紀〔=紀伊〕・泉〔=和泉〕、及び、西海より出づ。脂〔(あぶら)〕、多く、取りて、燈油と爲し、或は䱒(しほもの)と作〔(な)〕し、以つて、詐〔(いつは)〕りて、「鱵」と名づけ、之れを販〔(ひさ)〕ぐ。伊賀・大和の土民、好みて、之れを食ふ〔も〕、魚中の下品なり。故に「鱵」を「眞佐與利〔(まさより)〕」と稱し、之れを別〔(わか)〕つ。

[やぶちゃん注:これ――ダツ目サンマ科サンマ Cololabis saira ――なのである。……しかし、有象無象が開陳する語源説を有り難く拝読したのだが、どれも、今一つ、ピンとこないのである。どれもピンとこないのは、これと言っていつものこと乍ら、それにしても「佐伊羅」(さいら)は、吾輩、気になるのである。「さいら」何ぞ、金輪際、使われぬ。何処の名前(なめえ)だ。その使われぬ名前が、あろうことか、天下の種小名に用いられているのだ。されば、等閑している訳にも行かぬではないか。ここは一番、御用達の「神港魚類株式会社」のサイト内の「日本の旬・魚のお話」の「秋刀魚(さんま)」のページを見るに若くはあるまいと合点して覗いて見ると、案の上あった、あった。それによると、何でも、「烏合の衆がわらわらと群れ集まる」ことを「沢苛」(さわいら)と言うんだそうだ。葉の上にに、「さわ」にいる毛虫を知らずに、それで、腕を、さらさらとなで擦ってしまって、膚が「イラクサ」にふれたように、カイカイになったようで、虫唾が走る字面だぞ! 字だけじゃあない、如何にも不愉快な気がしてくるところの、その「さはいら」という、へれへれした音が訛ったんだとも言うのだ。そうして昔は「サヒラ」だったんだろう、と言う。それで終わりかと思ったら、御丁寧にも屋上屋にメタな付けたりがあって、「サヒ」は古語で「細く真直ぐなもの」という意味なんだと宣う。最後には、「細く真直ぐな魚」という意かも知れん、と、あった。ちょっと、『本当かね?』という気にもなるが、これくらいしか、満足出来る答えも見当たらなかったので、取り敢えず、掲げておくことにしたのじゃ。序でに、吾輩なんぞは、こんなけったいな万葉仮名みたようなのは、大嫌いじゃ。「三馬」で充分じゃ。吾輩の仲間の「紅茶猫」と称される御猫様の「秋刀魚」のページを見ると、「神奈川県水産総合研究所」のサイトからの情報によれば、と断わって、『サンマを水揚げする魚市場では、競りなどでサンマのサの音があまりひびかないことから、ンマ、ウマと呼び、大きなサンマの競りでは世界一のアラビア馬にちなんで「アラビアがあるぞ」と大声を張り上げる』てなことが書かれてある。そうかと思へば、続けて、今度は、別な『日本農業新聞』とやらをソースに、『旬のサンマを一匹食べると、三馬力の力がつくから「三馬〈サンマ〉」と書くようになった』と記されてある。いや、我輩の主人の下手な小説を読むより、こりゃ、始原を訪ねるが、面白かろうぞ。サンマ、ヒヒンと鳴き居れば、サンマん馬力じゃ! 開け! ウマ! アラビアン・サンマの始まり、始まり!……さて、この「三馬」、どうしてどうして、江戸から明治までは「サンマ」の本名だったんである。嘘だと思うんなら、我輩が書いた名文句を次に見るがいゝ。今時の「秋刀魚」の字なんざぁ、明治終りの大正始め、文弱の佐藤春夫なんぞという奴が「苦いか塩つぱいか」なんどと、めめしくも詠いおった頃になって、やっとメジャーになったんじゃ。所詮、滅び行く糞ロマン主義の謂いなんデアル……南無阿彌陀佛、南無阿弥陀佛……

   *

……其内に暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、雨が降て來るといふ始末でもう一刻も猶豫が出來なくなつた。仕方がないから兎に角明るくて暖かさうな方へ方へとあるいて行く。今から考へると其時は既に家の内に這入つてたのだ。こゝで余は彼の書生以外の人間を再び見るべき機會に遭遇したのである。第一に逢つたのがおさんである。是は前の書生より一層亂暴な方で我輩を見るや否やいきなり頸筋をつかんで表へ抛り出した。いや是は駄目だと思つたから眼をねぶつて運を天に任せて居た。然しひもじいのと寒いのにはどうしても我慢が出來ん。吾輩は再びおさんの隙を見て臺所へ這ひ上つた。すると間もなく又投げ出された。吾輩は投げ出されては這ひ上り、這ひ上つては投げ出され何でも同じ事を四五遍繰り返したのを記憶して居る。其時におさんと云ふ者はつくづくいやになつた。此間おさんの三馬を偸んで此返報をしてやつてから、やつと胸の痞が下りた。吾輩が最後につまみ出され樣としたときに、此家の主人が騷々しい何だといひながら出て來た。下女は吾輩をぶら下げて主人の方へ向けて此宿なしの小猫がいくら出しても出しても御臺所へ上つて來て困りますといふ。主人は鼻の下の黑い毛を撚りながら吾輩の顏を暫らく眺めて居つたが。やがてそんなら内へ置いてやれといつたまゝ奧へ這入つて仕舞つた。主人は餘り口を聞かぬ人と見えた。下女は口惜しさうに吾輩を臺所へ抛り出した。かくして吾輩は遂に此家を自分の住家と極める事にしたのである。(夏目漱石「吾輩ハ猫デアル」明治三九(一九〇六)年より)

   *

・「馬鮫」はスズキ目サバ科サワラ Scomberomorus niphonius 「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「馬鮫」の項を参照。

・「鱵」はダツ目ダツ亜目トビウオ上科サヨリ科サヨリ Hemiramphus sajori 。前掲の「鱵」の項を参照。

・「伊賀・大和の土民、好みて、之をれ食ふも、魚中の下品なり」については、前掲の「秋刀魚(さんま)」が詳しい。その記載を援用させてもらうと、元禄一〇(一六九七)年刊行の『本朝食鑑』に始めて登場し、『梅翁随筆』(著者未詳の寛政年間の記録)によると、明和年間(一七六四年~一七七二年)には、未だ下賤な魚として食べなかったとする。明和九・安永元(一七七二))年頃には「安くて長きはサンマなり」と書いて売る魚屋が現れ、庶民の食卓には上るようになったものの、当時の下品魚としてのマグロ(脂の強いものは江戸っ子は大嫌いだった)やイワシと同じく、武士は殆んど食べなかったらしい。その辺りは、著名な落語「目黒のさんま」の内容と、美事に合致する。落語は、寛政一〇(一七九八)年に初代三笑亭可楽が下谷稲荷神社で寄席を開いたのが最初されるが、この「目黒のさんま」は既に寛政一三・享和元(一八〇一)年の文献に現れていると言うから、サンマ食文化のバック・グラウンドの信憑性は極めて高いと言えよう。]

***


しひら

ひいを

くまひき

 

  正字未詳

 【俗云志比良

  長崎人呼曰

  比以乎

  此鮝名久末

  比木】[やぶちゃん注:以上の六行は前の四行の下に入る。]

 

△按鱰狀類鰤而頭圓尾小鱗細味亦似魬大者二三尺

 作鮝名九方疋以其多有之謂乎越中鱰鮝爲上相傳

 云此中華之魚四五月唐船多入朝時來群游矣唐船

 歸帆時九州之鯛慕唐人肉食之腥氣着于船入唐矣

 故夏月鱰多于日本冬月鯛多于中華之湊

鱰鮝【味 】似梭子魚乾者而無毒病人亦食不忌

[やぶちゃん字注:割注「味」の下は欠字。]

しひら

ひいを

くまびき

 正字、未だ、詳らかならず。

【俗に「志比良」と云ふ。長崎の人、呼んで、「比以乎」と曰ふ。此の鮝(ひもの)を「久末比木」と名づく。】

 

△按ずるに、鱰、狀〔(かたち)〕、鰤(ぶり)に類して、頭〔(かしら)〕、圓〔(まろ)〕く、尾、小さく、鱗、細し。味も亦、魬(はまち)に似て、大なる者、二、三尺、鮝(ひもの)と作〔(な)〕し、「九方疋(〔くま〕びき)」と名づく。其れ、多く有るを以つての謂ひか。越中の鱰-鮝(くまびき)、上と爲す。相傳へて云ふ、『此れ、中華の魚にして、四、五月、唐船、多く入朝の時、來つて、群游す。唐船、歸帆の時、九州の鯛、唐人の肉食の腥〔(なまぐさ)〕き氣〔(かざ)〕を慕(した)ひて、船に着きて、入唐す。故に、夏月は、鱰、日本に多く、冬月は、鯛、中華の湊に多し。』と。

鱰鮝(くまびき)【味、 。】「梭----者(かますのひもの)」に似て、毒、無し。病人も亦、食ひて忌まず。[やぶちゃん字注:割注「味」の下は欠字。]

[やぶちゃん注:スズキ亜目シイラ科シイラ Coryphaena hippurus

・「鰤」はスズキ目アジ亜目アジ科ブリ Seriola quinqueradiata 。後掲する「鰤」の項を参照。

・「魬」は「出世魚」であるブリの成長の一段階での呼称。幾つかのネット上の記載を総合すると、現在では関西方面に於いて凡そ三十五~六十センチメートルのブリを「ハマチ」と呼ぶ。関西では、成長に伴った呼び名の変化は以下のように整理される(途中の呼称が脱落する地域も多い)。

「モジャコ」(稚魚)

「コズクラ」・「コゾクラ」(約十五センチメートル以下)

「ワカナ」・「ツバス」・「ヤズ」(約十五センチメートル以上で三十五センチメートル以下だが、この呼称内の順位には地域に異同がある)

「ハマチ」(約三十五~六十センチメートル

「メジロ」・「メジナ」(約六十~八十センチメートル、又は、一メートルとも

「ブリ」(約八十センチメートル、又は、一メートル以上)

但し、天然物を「ブリ」と呼称するのに対して、魚長に関わらず養殖物を「ハマチ」と呼ぶ習慣も流通ではよく行われている。

・「九方疋と名づく。其れ、多く有るを以つての謂ひか」の「クマビキ」という呼称については、良安が推測するように、別名の「十百(トオヒャク)」とか「万匹(マンビキ)」という呼称と並べて、「九万匹(クマビキ)」と書き、群れを作っているために、次々に釣れることに由来するという説と、更なる別名の「万力(マンリキ)」・「万引(マンビキ)」と並べて「熊引(クマビキ)」と表記し、小型個体でも非常に引きが強いことからの呼称とする説がある。なお、私好みの異名は「死人旗」(シビトハタ)・「死人食」(シビトクライ)である。前者は、古式の葬送に用いた三角形の旗に似ているからともするが、後者と合わせて、漂流物の下に集まる習性(但し、当該ウィキでも言っているように、漂流物があり、それが何らかの生物の遺体であれば、そこに集まるのは、多かれ少なかれ、一般的な多く群れを作る魚類の普遍的性質であり、『動物の遺骸が海中に浮遊していた場合、それを突っつきに来ない魚の方がむしろまれであることは留意する必要がある』とあるのは、すこぶる正しい見解である)から、「水死体の下に集まる魚」とする言い伝えに基づき、シイラ食を忌む地方もあるという。]

***

《改ページ》

ひら     箭魚

【音時】 【俗云比羅】

スウ

 

本綱鰣江中皆有毎四月鱭出後卽出從海中沂餘月則

無故名鰣形秀而扁微似魴而長白色如銀肉中多細刺

如毛其子甚細膩大者不過三尺腹下有三角硬鱗如甲

其肪亦在鱗甲中自甚惜之其性浮游漁人以絲網沈水

數寸取之一絲罣鱗卽不復動出水卽死最易餒敗不宜

烹煑惟以筍莧芹之屬連鱗蒸食乃佳亦可糟藏之恨其

美而多刺也肉【甘平】補虚勞【發疳痼】

三才圖會云鰣腹下細骨如箭鏃故名箭魚又其味美在

皮鱗之交故不去鱗而食

△按鰣形薄扁【故名比良】

ひら      箭魚

【音、時。】 【俗に「比羅」と云ふ。】

スウ

 

「本綱」に、『鰣は、江の中に、皆、有り。毎四月、「鱭(たちうを)」出でて後、卽ち、出づ。海中より沂(さかのぼ)る。餘月は、則ち、無し。故に「鰣」と名づく。形、秀でて、扁たく、微かに「魴」に似て、長し。白色、銀のごとし。肉中に、細〔き〕刺〔(はり)〕、多く、毛のごとし。其の子、甚だ、細〔かく〕膩〔(あぶら)〕〔多し〕。大なる者、三尺に過ぎず。腹の下に、三角の、硬〔き〕鱗、有りて、甲のごとし。其の肪〔(あぶら)〕、亦、鱗甲の中に在りて、自〔(おのづか)〕ら、甚だ、之れを、惜しむ。其の性、浮游す。漁人、絲網を以つて、水に沈□〔むる〕こと、數寸、之れを取る。一絲、鱗に罣(かゝ)れば、卽ち、復た、動かず。水に〔→を〕出づれば、卽ち、死す。最も-敗(〔あ〕ざかり)易し。烹煑(ほうしや)するに、宜しからず。惟だ、筍(たけのこ)・莧(ひゆ)芹(せり)の屬を以つて、鱗を連ね、蒸し食ふ時は[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]、乃〔(すなは)〕ち、佳なり。亦、之れを糟-藏(かすづけ)にすべし。恨〔むらくは〕、其れ、美にして〔→なれども〕、刺、多きごとし。肉【甘、平。】、虚勞を補ふ【疳・痼を發す。】。』と。

「三才圖會」に云ふ、『鰣、腹下の細き骨、箭鏃〔(せんぞく)〕のごとし。故に「箭魚」と名づく。又、其の味の美、皮〔と〕鱗の交(あはひ)に在り。故に、鱗を去らずして、食ふ。』と。

△按ずるに、鰣、形、薄く、扁たし【故に「比良」と名づく。】。

[やぶちゃん注:骨鰾下区ニシン上目ニシン目ニシン科ニシン亜科ヒラ Llisha elongata

   *

*タクソンとしての「区」についての割込注記

【今までこのタクソンとしての「区」は意識的に無視してきたが、ここで表記して、説明しておきたい。魚類のタクソンでは、ネット上で、最近、しばしば、この「区」を目にする。生物の教師に聞いてみたが、彼も知らなかった。しかし、彼が探してきてくれた資料によると、どうも最近のものというわけではではないようである。しかし、私は過去に殆んど見たことがないし、普通の辞書の「区」を引いても、生物学上のタクソンという記載はない。但し、岩波の「生物学辞典」の「階級」(=生物のリンネ式階層分類に於けるタクソンの階層的位置を指す生物学用語)の項には(ピリオド・コンマを句読点に代えた)、『タクソン間の階層構造を表現するにあたって』、七『階級では足りない場合、必要に応じて階級が増やされる。例えば、動物分類では、綱と目の間にコホート(区)科と属の間に族,種の下に亜種を設ける』とあった。所謂、一般に知られる基本的な生物の界・門・綱・目・科・属・種の分類階層(上記で言う七階級)では不足の場合に、以下のように用いられる細分化されたタクソンが存在する。但し、理論上のタクソンを並べただけで、魚類に、これらのタクソンが、総て、あるわけではない。なお、種の前にある「節」というのは、理論上は存在し、植物ではしばしば見かけるものの、私は魚類で「○○節」なるタクソンを見たことは、殆んど、ない。

門・亜門・下門・上綱・綱・亜綱・下綱・上区・区・亜区・大目・上目・系・目・亜目・下目・小目・上科・科・亜科・連・族・亜族・属・亜属・節・種

即ち、「区」=コホート(cohort)は「綱」と「目」の間を、更に細分化するタクソンである。現生魚類の場合、硬骨魚綱条鰭亜綱の下に以下のような「区」を見出すことが出来る(後はその「区」に含まれる「目」)。

新鰭区 Neopterygii

 真骨亜区 Teleostei

  カライワシ下区 Elopomorpha

   ソトイワシ目・ソコギス目・ウナギ目

  ニシン・骨鰾下区 Otocephala

   ニシン上目ニシン目・骨鰾上目前骨鰾系 Otophysi ネズミギス目・骨鰾系コイ目及び同骨鰾系ナマズ目

  正真骨下区Euteleostei

   (上記外の硬骨魚の目)

というように分類されている。

   *

「ヒラ」に戻る。注意が必要なのは、この「鰣」の漢字は、国字としては、コイ科ダニオ亜科の淡水魚であるハス Opsariichthys uncirostris を指すことである(「和名類聚抄」の龍魚部龍魚類に所収する「鰣」の注に「波曾」とある)。ハスについては「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「波須」(ハス)を参照されたい。

・「鱭」この場合は「タチウヲ」のルビ通りで、サバ亜目タチウオ科タチウオを指す「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鱭」(タチウオ)を参照。ところが、この漢字、中国語では、ニシン目ニシン亜目カタクチイワシ科エツ亜科エツ Coilia nasus を指す漢字でもあるので、注意が必要である。

・「魴」について、朱子は「詩経」の「周南」の「汝墳」の「魴」に注して「身、広くして、薄く、力、少(よわ)くして、細かき鱗」とする。本底本の発売元の「長野電波技術研究所」の「本草綱目目録」では、「魴魚」にコイ科カワヒラ亜科 Parabramis Parabramis bramula を同定している。加納喜光先生の「漢字動物苑(7)鯉」では、コイ科コイ目のダントウボウの仲間である Megalobrama 属トガリヒラウオ Megalobrama termilalis に同定されており、更に『日本では古くからオシキウオと読んでいるが、トガリヒラウオが正しい』と注されている。チョウザメで私淑する加納先生のトガリヒラウオでとる。淡水魚の一種で、頭が尖り小さく、魚体は青白い。疲労すると、尾が赤くなると伝える(興奮色であろう)。

・「其の肪、亦、鱗甲の中に在りて自ら甚だ之を惜しむ。」という部分はよく意味が分からない。東洋文庫版では『肪も鱗甲の中にあって自ら惜しんで大切にする。』と訳しているが、訳者に失礼ながら、意味が分かって訳しているようには思われない。文脈から推測すると、成魚になっても子の時のように脂が非常に多く、その固い甲のような腹部の鱗の下にたっぷりとあって、魚自身も活動のエネルギーとして極めて大切に保持しているといった意味であろうか。

・「餒敗易し」は、「腐りやすい」の意。

・「莧」はナデシコ目ヒユ科ヒユ Amaranthus tricolor 。莧菜“Een Choi”。中華料理には欠かせない野菜。私は大好きである。

・「芹」はセリ目セリ科セリ属セリ Oenanthe javanica 。

・「虚勞」は「虚損勞傷」の略で、過労による心身の衰弱を言う。

・「疳・痼」は、とりあえず切り離して考えた。「疳」(かん)は、小児に起る慢性消化器障害で、全身が痩せて血色が悪くなり、腹部が著しく膨満して食欲が不定期に進む症状を言う。「脾疳」(ひかん)とも言う。また、「痼」(こ)は、「長く直らない病」を言う「痼疾」(後に「直らない癖」の意ともなった)と同じで、久しく病みこじれて、治らない病気の意。加えて本字には「小児の口唇部に発生する瘡(かさ)」の意もある。従って、前者の慢性疾患の意と一致するので、「疳痼」の熟語で、若年性の消化器不全による全身症状ととってもよいか。ここは、鰣は大人の体力の回復に功があるが、小児に食べさせると、時に消化器不全を発症するから注意せよという記載か? 東洋文庫版訳では「疳痼」ととり、注して『なかなかなおらない、食欲だけ増してやせる病、神経症』とする。・「箭鏃」は鏃(やじり)のこと。]

***


■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○十三

ぼら

なよし

【音支】

フウ

 

子魚【黒色曰

 緇此魚

黒故名緇其

聲訛曰子魚】

【和名奈與之

 俗云保良】

【小者名江鮒

 又云簀走】

[やぶちゃん字注:以上八行は、前四行下に入る]

 

本綱時珍曰生東海狀如靑魚長者尺餘其子滿腹有黃

脂味美獺喜食之呉越人以爲佳品醃爲鮝腊【肉甘平與百藥無忌】

馬志曰生江河淺水中似鯉身圓頭扁骨軟性喜食泥

                                 西行

       山家 たねつくすつほゐの水の行末に江鮒集る落合のかた

△按鯔日本紀【曰赤女又魚云口女】彥火火出見尊失兄鈎後至海

 神宮探赤女【或云口女】口而得之赤女者則鯔也故以鯔所

 以不備供御者此緣也其小者三四寸在河中名伊奈

 五六寸者在江中畿内名江鮒關東稱簀走俗用鯐字

 三才圖會所謂撥尾魚是也能跳如飛連行成陣俱似

 鯉性喜食泥作鮓甘美八九月稍長大六七寸在江海

 《改ページ》

 之交此時也無泥味脂多而愈甘美色亦黒減如暴洗

 故稱小暴江鮒馬志所說者乃江鮒也

冬春至尺餘者名母羅【俗用𫙩字】以類鯉稱伊勢鯉其肚腹肥

大故稱腹太勢州人稱名吉【用奈與志之音義矣】時珍所說者是也

其大小俱腹中有肉塊如臼形炙食【甘微苦】

唐墨 三四月鯔子連胞乾之形似墨而大褐色味甘美

 然勢州土州之鯔有子餘國之產有子者稀也偶取得

 爲珍故多以馬鮫魚子僞之

志久知鯔 形色及腹中之臼皆同鯔以眼黃爲異其大

 者三四尺【關東名女奈太】是乃鯔之老者矣可謂赤目者乎

ぼら

なよし

【音、支。】

フウ

 

子魚【黒色を「緇」と曰ふ。此の魚、黒き故、「緇」と名づく。其の聲、訛りて「子魚」と曰ふ。】

【和名、「奈與之」。俗に「保良」と云ふ。】

【小さき者を「江鮒」と名づく。又、「簀走〔(すばしり)〕」と云ふ。】

 

「本綱」に時珍曰ふ、『東海に生ず。狀〔(かたち)〕、靑魚のごとくして、長き者、尺餘り。其の子、腹に滿つ。黃〔の〕脂〔(あぶら)〕、有りて、味、美〔なり〕。獺(かはうそ)、喜びて、之れを食ふ。呉越の人、以つて佳品と爲し、醃〔(あん)〕〔じて〕-腊〔(けんそ)=干物〕と爲す【肉、甘く、平。百藥と忌むこと、無し。】。馬志が曰はく、『江河淺水の中に生ず。鯉に似て、身、圓〔(まろ)〕くして、頭〔(かしら)〕、扁たく、骨、軟なり。性、喜んで、泥を食ふ』と。』と。

    「山家」たねつくすつぼゐの水の行末に江鮒集〔ま〕る落合のかた 西行

△按ずるに、鯔、「日本紀」に【「赤--魚〔(あかめ)〕」と曰ひ、又、「口女〔(くちめ)〕」とも云ふ。】、彥火火出見尊〔(ひこほほでみのみこと)〕、兄の鈎〔(はり)〕を失ひ、後、海神〔(わたつみ)〕の宮に至り、「赤女」【或いは「口女」と云ふ。】が口を探りて、之れを得。「赤女」は、則ち、鯔なり。故に、鯔を以つて、供御〔(くぎよ)〕に備へざる所以は此の緣なり。其の小〔(ちいさ)〕き者、三、四寸。河の中に在りて、「伊奈〔(いな)〕」と名づく。五、六寸の者、江〔(かは)〕の中〔(うち)〕に在りて、畿内には、「江鮒」と名づく。關東にては、「簀走」と稱す。俗に「鯐」の字を用ふ。「三才圖會」に謂ふ所の、「撥尾魚」は、是れなり。能く跳ねて飛ぶがごとく、連行〔(れんかう)〕して、陣を成す。俱に、鯉に似て、性、喜んで、泥を食ふ。鮓〔(すし)〕と作〔(な)〕すに甘美〔なり〕。八、九月、稍〔(やや)〕長くして、大いさ六、七寸、江海の交(あはひ)に在り。此の時や、泥〔の〕味、無く、脂〔(あぶら)〕、多くして、愈々、甘美〔たり〕。色も亦、黒、減じて、暴(さら)し洗ひたるがごとし。故に「小暴(こざらし)江鮒」と稱す。馬志が說く所の者は、乃〔(すなは)〕ち、江鮒なり。

冬・春、尺餘に至る者、「母羅(ぼら)」と名づく【俗に𫙩の字を用ふ。】。鯉に類するを以つて、「伊勢鯉」と稱す。其の肚-腹〔(はら)〕、肥大〔し〕たる故、「腹太(〔はら〕ぶと)」と稱す。勢州〔=伊勢〕の人、「名吉〔(なよし)〕」と稱す【「奈與志」の音義を用ふ。】。時珍が說く所の者は、是れなり。其れ、大小俱に、腹中に、肉の塊り、有りて、臼〔(うす)〕の形のごとし。炙り食ふ【甘、微苦。】。

唐墨(からすみ) 三、四月、鯔の子、胞〔(ふくろ)〕を連ねて、之れを乾す。形、墨に似て、大きく、褐色。味、甘美なり。然れども、勢州〔=伊勢〕・土州〔=土佐〕の鯔、子、有るも、餘國の產、子、有る者、稀れなり。偶々〔(たまたま)〕、得て、取るを、珍と爲す。故に、多く、「馬鮫魚(さはら〔うを〕)」の子を以つて、之れを僞〔(いつは)〕る。

志久知鯔(〔しくち〕ぼら) 形・色、及び、腹中の臼、皆、鯔に同じくして、以つて、眼〔(まなこ)〕、黃なるを、異と爲す。其の大なる者、三、四尺【關東〔にて〕「女奈太〔(めなだ)〕」と名づく。】是れ、乃〔(すなは)〕ち、鯔の老する者なり。「赤目」と謂ふべき者か。

[やぶちゃん注:ボラ目ボラ科ボラ属ボラ Mugil cephalus 。本記載にも、いろいろな呼称が現れるように、成句の「トドのつまり」で知られる出世魚。幾つかのネット上の記載を総合すると、現在、関西では成長に伴った呼び名の変化は、以下のように整理される(途中の呼称が脱落する地域も多い)。全国的には、下記に示した以外に良安の記述に現れる「口女」=「クチメ」や、「イセゴイ」(=「伊勢鯉」)・「ツクラ」・「ヅグラ」・「メジロ」・「マクチ」・「クロメ」・「シロメ」・「チキバクギョ」・「ホウフツ」・「コザラシ」・「トビ」等の多彩な地方名・異名(出世名)を持つ。ボラの稚魚・幼魚の呼称に至っては、「オボコ」・「イキナゴ」・「コズクラ」・「ゲンプク」・「キララゴ」等、六十を越えるとも言う。

ハク(約二~三センチメートル)≒シギョ

オボコ・スバシリ(約三~十八センチメートル)≒エブナ

イナ(約十八~三十センチメートル)≒エブナ・ナヨシ

ボラ(約三十センチメートル以上)=クチメ・コザラシ

トド(特に超大型の個体)

因みに、関東では、一般には、オボコ→イナッコ→スバシリ→イナ→ボラ→トドの順となる。加えて表記した通り、同じく情報を総合すると、本文中に現れる「奈與之」=「ナヨシ」は「イナ」の異称、「江鮒」=「エブナ」は「スバシリ」・「イナ」の異称としてよいようである(勿論、地域や人によってその認識に差はある)。一部地域で、ボラの川に遡上する個体群を、本文に記される「赤女」「赤目」=「アカメ」と称しているが(ネット上の情報では能登地方でこの呼称があり、遡上しない海洋回遊性の個体の方を「シロメ」と言うとする)、但し、現在、和名としての「アカメ」は全くの別種であるスズキ亜目アカメ科アカメ属アカメ Lates japonicus を指す。但し、このアカメは、ボラを捕食することで知られているから、満更、無縁でもない。更に、ボラ目ボラ科メナダ属メナダ Liza haematocheila (=「女奈太」)も「アカメ」と呼称されることがある。なお、「シギョ」は次の注を参照。但し、良安の記述には、大きさや呼称の順序にやや不審な点が多い。時代差とも良安の調査不足とも取れる。

・「緇」は音「シ」で「黒色」の意。「其の聲、訛りて」(その発音が変化して)とあるから、「子魚」は「しぎよ」と読ませるのであろう。但し、現在、「子魚(シギョ)」は「ボラの幼魚」を指す語として用いられている。

・「獺」はネコ目(食肉目)イタチ科カワウソ亜科Lutrinae(七属)のカワウソの仲間。

・「呉越」は現在の江蘇省及び浙江省一帯の広域地名。ちなみに国家名としての「呉越」(九〇七年~九七八年)は、五代十国時代、現在の杭州を首都として現在の浙江省一帯を支配した国を指す。

・「醃」は塩漬けのこと。

・「馬志」は、宋の開宝六(九七三)年から同七年に成立した本草書「開宝本草」の作者の一人。道士であった。但し、この引用は良安による「本草綱目」からの孫引きである。因みに、東洋文庫版の「和漢三才図会 7」巻最後の書名注は、書名を「開元本草」と誤記している。

・「たねつくす……」以下の私の好きな西行の私家集「山家集」の、当該和歌の正しい表記は以下の通りである。

 種漬くる壺井の水の引く末に江鮒集まる落合の淀

(たねつくるつぼゐのみづのひくすゑにえぶなあつまるおちあひのわだ)

○やぶちゃん訳

 種を漬ける壺のごとく、小さな小さな水源の噴水の水を、ずうっと引いて引いて、大きな流れとなって流れてゆく、その大河の行く末の、江鮒が、沢山群がって泳いでいる河口の、広い入江……

○やぶちゃんの語釈

・「種」は作物の種子で、「種漬くる」は、その種を春に発芽率を高めるために水に漬けることを言う。ここでは「壺」を引き出すための一種の枕詞のように用いられている。

・「壺井」は、岩波大系本に、上部が狭くなっている壺のような形の井戸という注釈がつくが、これは「壺の如き井の戸」であり、この「井戸」は、「井の口」で、「湧水や川の流水を汲み取る場所」を指し、広義の水源地を指すのであろう。河川の源流の、その水源の小さな開口部から、滾滾と水が湧き出している様さまを言うと注するべきであって、断じて「井戸」ではない。

・「落合」は河川の合流点、引いては、川が海に入る所、河口を指すと考えてよい。

・「淀」(わだ)は、「落合」を受けるなら、本来の地形の彎曲した淀みの意ではなく、「沿岸の入江」の意味となると、私は、考える。

・「泥を食ふ」というのは、流石は時珍老師、デトリタス食性のボラをよく観察しておられる。以下、よく纏まっている当該ウィキの記述を引用する。『食性は雑食性で、水底に積もったデトリタスや付着藻類をおもな餌とする。水底で摂食する際は細かい歯の生えた上顎を箒のように、平らな下顎をちりとりのように使い、餌を砂泥ごと口の中にかき集める。石や岩の表面で藻類などを削り取って摂食すると、藻類が削られた跡がアユの食み跡のように残る』。但し、『アユの食み跡は口の左右どちらか片方を使うため』、『ヤナギの葉のような形であるが、ボラ類の食み跡は』、『伸ばした上顎全体を使うので、数学記号の∈のような左右対称の形をしている。これは水族館などでも水槽のガラス面掃除の直前などに観察できることがある。餌を砂泥ごと食べる食性に適応して、ボラの胃の幽門部は丈夫な筋肉層が発達し、砂泥まじりの餌をうまく消化する』(最後は後注参照)とある。

・『「日本紀」』は「日本書紀」で、以下の所謂、海彦山彦の話については、前掲の「鯛」の項の注を参照されたい。原文その他、細述してある。そこで私はこの「日本書紀」の記載の「赤女」を、ボラ亜系ボラ目ボラ科メナダ属メナダ Liza haematocheila に、「口女」をボラ属ボラ Mugil cephalus に同定した。

・「簀走」とは「洲場走」で、浅瀬を、ちょこまかと軽やかに走るように泳ぐ若魚の意であろうか。

・「鯐」は国字。

・「撥尾魚」を、はっきりとボラのことだと良安は言っているのであるが、次の「鱸」の冒頭の図を見てもらいたいのである。御覧の通り、「撥尾魚」と記してある。ところが「鱸」の本文には「撥尾魚」はない。但し、極めて類似した意味の呼称ではないか思われる「波禰」「波祢」(はね)がある(これは「撥ねる魚」語源ではないかと思われる)。この「鱸」の冒頭図の上の小さいのは「鯔」の絵で……という解釈は苦しい。どうみても、この絵の二尾は同じ魚であるように思われる。謎である。

・「鮓」これは現在の「鮨」(刺身の握り)以外に、酢で締めたもの、或いは、「馴れずし」で、魚を塩と米飯と混ぜて乳酸発酵させたものをも指す。]

・「小暴江鮒」のコザラシは記載が少ないものの、現在でも、「ボラ」「クチメ」同様、ボラの三十センチメートル以上の大型個体を指す。

・「母羅」の語源は、御用達の「神港魚類株式会社」のサイト内の「日本の旬・魚のお話」の「鰡(ぼら)」のページの「命名」がコンパクトに纏めているので引用する(改行部分は省略)。『ボラの呼名は全国的な呼称であり、その語源については『大言海』に「ボラとは腹の太き意なり、腹とは広・平・原と同義なり」とある。また『本朝食鑑』や『本草綱目啓蒙』に、ボラは腹太の意とでている。これは、中国の春秋時代の北狹(ほくてき)の用語で、「角笛」を意味する「ハラ」という語の転訛であり、法螺貝(ほらがい)の呼称「ホラボラ」と、同源同義語らしい。ボラの呼称は、魚形が「角笛」に似ていることから、中国の胡語「ハラ」が転じて「ボラ」になったのであろう。ボラの古名には「口女(くちめ)」や「名吉(なよし)」「ツクラ」「ツシラ」などがあり、『日本書記』に「クチメ」「ナヨシ」と出ている。口女とは口に特徴のある魚「口魚」の意。ナヨシは「名吉」。つまり、成長につれて名が変わるので出世魚とされ、正月の祝魚にもされた』とある。最後の部分で「名吉」(ナヨシ・ミョウキチとも)の由来も分かった。

・「腹太」は、ボラの異称としては、特に江戸での呼称のようで、逆転した「太腹」(「ほばら」と読むらしいが、「太」を「ほ」と訓ずるのは余り馴染みがない)が訛って「ぼら」になったというが、如何か?

・「腹中に、肉の塊り、有りて、臼の形ごとし」は所謂、「ボラの臍」で、ボラの肥厚した胃の幽門部のことを指す。算盤(そろばん)の珠のような形をしているので、「ソロバン」「ソロバン玉」とも呼ばれる。塩焼きにして、こりこりした食感の珍味となる。確かに旨い。形状を見るには、「ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑」「ボラ」がよい。

・「唐墨」は、一般には、長崎名産として、ボラの卵巣の塩漬けしたものを酒につけ、さらに乾燥させたもので珍味として名高い。良安の記載にある通り、現在も、香川県では、スズキ目サバ科サワラ Scomberomorus niphonius の卵巣からカラスミを製造しており、ボラに比して味は濃厚と謳っている。台湾では「烏魚子」(ボラ卵使用)、ヨーロッパでは同様のものを、フランスではブタルグ(Boutargue)、イタリア(サルジニア島)ではボッタルガ(Bottarga)、スペインではウエバ(卵)のサラソン(魚類の塩漬けの乾燥品)等と称して味わう。あちらではマグロ・スズキ・メルルーサ等の多彩な魚卵が使用されている。一言申し上げると、さっと炙るのがカラスミを味わう何よりのコツである。また、最近、私はイタリアのグロッサリー“ペック”のボッタルガを、パスタやグリルの際にふんだんにふりかけるのにハマっている。ちょっとオツな風味になって、気持ち、そんなに高くない値段で、リッチな気分になれること、請け合いだ。「成城石井」にも袋入りのお徳用ボッタルガが置かれてある。なお、以上の記載は、私の「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「馬鮫」(サワラ)の「唐墨」注を増補改訂したものである。

・「餘國の產、子、有る者、稀なり」は、ボラが産卵するために南下する傾向があることと関係があるか。実は、現在でも、ボラの仲間の産卵場所は謎のままである。

・「馬鮫魚」は前掲したスズキ目サバ科サワラ「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「馬鮫」(サワラ)を参照。

・「志久知鯔」「シクチボラ」の「シクチ」とは「朱口」の訛ったものらしい。ボラをこう言う地方も多いようだが、良安が掲げる「女奈太」を尊重して、ボラ亜系ボラ目ボラ科メナダ属メナダ Liza haematocheila と同定しておく。ボラは胸鰭の基底の上部が青く、体側に数本の暗い縦線が走っているのに対し、メナダは、胸鰭の基底部分は白く、体側のそれぞれの鱗の基部に、暗色点が並んで、ボラに比して有意に網目模様が明確である。]

***

撥尾魚

[やぶちゃん注:以上は御覧の通り、冒頭図の右上に忽然とある。]

 

すゝき

ロウ

 

   四鰓魚

 【和名須々木

  小者名波𥚳〔→禰〕

  尚小者名世

  伊古】

[やぶちゃん字注:以上五行は、前三行下にある。]

《改ページ》

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○十四

本綱鱸凡黒色曰盧此魚白質黒章故名之淞江尤盛四

五月方出長僅數寸狀類似鱖而色白有黒㸃巨口細鱗

有四鰓其肝不可食剥人靣〔=面〕皮

肉【甘平】有小毒【然不甚發病但不可多食】中鱸魚毒者蘆根汁解之

                            衣笠内大臣

        新六 夕なきに藤江の浦の入海に鱸釣てふあまの乙女子

川鱸脂多味美海鱸脂少味淡其三四寸者稱世比古

六七寸近尺者名波祢 尺以上至二三尺者名須受岐

[やぶちゃん注:「祢」の下の欠字はママ。]

諸國四時共有之雲州松江最多而夏月特賞之

古事紀〔→記〕云天孫降臨之時事代主於出雲國小濵獻天御

饗時櫛八玉釣鱸獻之

撥尾魚

[やぶちゃん注:以上は冒頭図の右上に忽然とある。]

 

すずき

ロウ

 

 四鰓魚

【和名、「須々木」。小なる者、「波禰〔(はね)〕」と名づく。尚を〔→ほ〕、小さき者を「世伊古〔(せいご)〕」と名づく。】

 

「本綱」に、『鱸、凡そ、黒色〔なる〕を、「盧〔(ろ)〕」と曰ふ。此の魚、白質黒章、故に、之れを名づく。淞江(スンコウ)、尤も盛んにして、四、五月、方〔(まさ)〕に出づ。長さ、僅かに數寸。狀〔(かたち)の〕類〔(るゐ)〕、「鱖(あさぢ)」に似て、色、白く、黒㸃、有り。巨〔(おほ)〕きなる口、細〔(き)〕鱗、四つ〔の〕鰓、有り其の肝〔(きも)〕、食ふべからず。人の面皮〔(めんぴ)〕を剥〔(は)〕ぐ。

肉【甘、平。】 小毒、有り【然れども、甚だしくは、病ひを發せず。但し、多食すべからず。】。鱸魚の毒に中〔(あた)〕る者〔には〕、-根〔(だいこん)=大根〕汁、之れを解く。』と。

                              衣笠内大臣

     「新六」 夕なぎに藤江の浦の入海に鱸釣りてふあまの乙女子

川鱸は、脂、多く、味、美なり。海鱸は、脂、少なく、味、淡し。其の三、四寸なる者、「世比古〔(せひご)〕」と稱し、六、七寸〔より〕尺に近き者、「波祢〔(はね)〕」と名づく。 〔一〕尺以上、二、三尺に至る者、「須受岐〔(すずき)〕」と名づく。諸國、四時共に、之れ、有り。雲州〔=出雲〕の松江に、最も多くして、夏月、特に、之れを賞す。

「古事記」に云ふ、『天孫降臨の時、事代主〔(ことしろぬし)〕、出雲國の小濵に於いて天御饗〔(あまつみあへ)〕を獻ずる時、櫛八玉〔(くしやだま)〕、鱸を釣りて、之れを獻じれりと云云』と。

[やぶちゃん注:スズキ目スズキ亜目スズキ科スズキ属スズキ Lateolabrax japonicus 。魚類の分類を少しでも御覧になったことのある方はご存知と思うが、目レベルでは、多くの魚類がスズキ目Perciformes に含まれ、その数は九千種を越え、脊椎動物(脊椎動物亜門Vertebrata)の「目」の最大グループである。

 本魚も出世魚である。関西では、成長に伴った呼び名の変化は以下のように整理される。

セイゴ(一年魚・二年魚で体長約三十~四十センチメートル程度まで)

ハネ・フッコ(二年魚・三年魚で体長約四十~六十センチメートル程度まで。但し、「フッコ」は、関東での呼称とする記載もある)

スズキ(四年魚・五年魚で体長が六十センチメートルを超える個体)

他に稚魚・幼魚を「コッパ」、逆に巨大な個体を「オオタロウ」・「ニュウドウ」等と呼ぶ。序でに言えば、ルアー釣では、人気の魚で、「シーバス」と呼ばれる。

・「撥尾魚」は前項「鯔」の同「撥尾魚」注を参照されたい。そこでも言ったように、スズキの中型個体を指す「波禰」「波祢」「ハネ」は「撥ねる魚」由来ではないかと思われ、ここで良安はスズキの意味で(ボラではなく)これを掲示していると考えられる(この「鱸」の冒頭図の上の小さいのは「鯔」の絵とする解釈は苦しい。どうみても、この絵の二尾は同じ魚種である)。しかし、直前の「鯔」の叙述に「撥尾魚」という名を示しておいて、口の干ぬ間に、この名を直後の「鱸」の別名として頭上に、ただ、投げ出すというのは、緻密な良安にして不審である。

・「四鰓魚」については、中国での「鱸」の別称であるが、これら(「鱸」と「四鰓魚」というよりも、この「本草綱目」の記述自体)は、スズキではない。「廣漢和辭典」にも、ハゼに似て、ハゼよりもやや大きい「淡水魚」とし、『口が大きく、うろこは細かい。松江(江蘇省呉淞【ウースン】江)のものは鰓が四つあり、特に美味とされる』と記し、ネット上でも坂本一男氏の「魚名の由来」によれば、カサゴ目カジカ科ヤマノカミ属ヤマノカミ Trachidermus fasciatus と考えられている旨の記載がある。脱線だが、私は幾つかの「山入り」の儀式の映像を見た際、ちらりとカメラに見せた、あるケースでは、海産のカサゴやオニカサゴではなく、このヤマノカミではないかと思わせるものがあった。個人的にも名にし負う点、不細工な面構えから、充分に有り得ることと思っている(海から遠く隔たった山間の場合、カサゴ類を調達するよりも、遙かに容易いからでもある)。

・「四つ〔の〕鰓有り」とは、入り組んだ鰓蓋の形状から、見誤ったものであろう。

・「盧」は第一義的には、口の小さな甕=飯櫃・炭櫃(すびつ)の意であるが、別に「黒い色」の意がある。

・「淞江」は現在の江蘇省を流れる呉淞江。というより、上海市街を貫いている二本の川、蘇州河と黄浦江の、その蘇州河の正式名称と言った方が分かりが良いか。なお、このルビには、「淞」の中国音“sōng”が示されているので、特に片仮名表記とした。

・「鱖」は、時珍が言う時、これは中国大陸特産種で、本邦に産しない淡水魚、スズキ目ケツギョ科ケツギョ属ケツギョ Siniperca chuatsi である。詳しくは、「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「鱖」の私の注を参照されたい。

・「其の肝、食ふべからず。人の面皮を剥ぐ」というのは、典型的なビタミンA過剰症による中毒症状である。既に述べた通り、スズキ科オオクチイシナギ Stereolepis doederleini の肝臓や、哺乳綱食肉目イヌ亜目クマ下目クマ小目クマ上科クマ科クマ亜科クマ属ホッキョクグマ Ursus maritimus の肝臓等でよく知られるように、高濃度のビタミンAは人体に極めて有害である(ホッキョクグマの場合、死に至る場合もあるとし、イヌイットの人々は、自分達は勿論、橇を引く犬達にも決して食べさせない)。魚類ではビタミンAの含有量の多い内臓・肝臓を保持する種類は多く、サメ類やクジラ・イルカ類や、深海魚全般、一般的なマグロ・ブリ・カンパチ・サワラ・ハタハタ・アコウダイ等(特に成熟した大型個体)でも中毒例が報告されている。これらの肝臓を食用にした場合の一般的症状は、まず、十二時間以内に激しい頭痛が発生する(嘔吐・発熱を伴う場合もあるが、これらは比較的早期に回復する)。その後、一~六日後に、時珍の記載にあるように、顔の皮膚が剥け始め、一ヶ月のうちに、その症状が全身に進行し、皮膚が脱落する。通常は、それで回復するが、慢性的な肝機能不全を起こして重症化する場合もあり、注意しなければならない。しかし、私も、少し、ある種のそれをちゃんとした料理人の安全保証附きの分量で、食したことがあるのだが、それはそれは、☓☓☓、☓☓ものだった。[やぶちゃん自身注:伏字は意図的。]

・「小毒、有り」の謂いも、その割注を見ると、上記のビタミンA過剰症を言っていると考えてよい。ただ、例えば、淡水魚のあの小さなヤマノカミの内臓に、ビタミンAが高濃度に含まれているのかどうかは確認出来ていない。

・「蘆根」の「蘆」は、ビワモドキ亜綱フウチョウソウ目アブラナ科のダイコン Raphanus sativus を指す語。

・「新六」は既出既注。

・「衣笠内大臣」とは衣笠(藤原)家良のこと(仁治元(一二四〇)年十月に内大臣。但し、翌二年の四月には上表して辞任している)。藤原定家の門弟。和歌は正しくは、以下の通り。

 夕なぎの藤江の浦の入海に鱸釣りてふあまの乙女子

 (ゆふなぎのふぢえのうらのいりうみにすずきつるてふあまのをとめご)

この「藤江の浦」は、「万葉集」の「柿本人麻呂が羈旅(きりよ)の歌」(巻三/二五二番)、

 荒栲(あらたへ)の藤江の浦に鱸釣る海人(あま)とか見らむ旅行く我れを

で知られる歌枕である(「荒栲の」の「荒栲」は、「織り目の荒い布」のことであるが、素材として、バラ亜綱マメ目マメ科フジ(ノダフジ) Wisteria floribunda 等の蔓を繊維として用いたため、「藤」にかかる枕詞となった)。現在の兵庫県の明石大橋の西にある松江海岸(グーグル・マップ・データ)とされる。

・「川鱸」及び「海鱸」というのは、本種の広範な棲息域に関わるのであって、スズキと同一種を指すことは言うまでもない。以下、棲息域については、当該ウィキが勘所を押さえて纏まっているので、当該部分を以下に引用する。『冬は湾口部や河口など』、『外洋水の影響を受ける水域で産卵や越冬を行ない、春から秋には』、『内湾や河川内で暮らすという比較的』、『規則的な回遊を行なう』。『仔魚は成長に伴い』、『湾奥や河口近くに集合する。冬から春に』、『湾奥や河口付近、河川内の』『浅』い場『所で仔稚魚が見られる。一部は』、『仔稚魚期から純淡水域まで遡上する。仔稚魚は』、『カイアシ類や枝角類、アミ類、端脚類を捕食して成長する。スズキの一部は』、『河川のかなり上流まで遡上する。かつて堰やダムのなかったころは』、『琵琶湖まで遡上する個体もいたらしい。現在でも利根川(百キロメートル以上の上流域)をはじめ』、『多くの河川で遡上がみられる。一方で、内湾にも多くの個体が存在するが、それらの数と』、『河川の個体の数との比や、相互の移動などについては』、『よくわかっていない』とある。ともかくも、純淡水への適応力の高い魚類である。私は戸塚駅の直近の柏尾川で何度も、三十センチメートル大のスズキの大群が遡上するのを何度も見ている。

・「松江」は勿論、現在の島根県出雲市の松江であるが、前記の中国上海の「松江」(しょうこう:江蘇省呉淞江)が、やはり「松江鱸魚」(但し、前述の通り、全く別種のヤマノカミ)で有名であることの一致には不思議なものを感ずる。これには日本の松江という地名の由来との関係が疑われてはいる。「島根県の県庁所在地(松江)の由来は何ですか?」(PDF)の一部から引用する(改行部は省略した)。『松江」という地名の由来については古くから諸説あるが、主なものは次の三説である。まず通説としては『懐橘談(かいきつだん)』『雲陽誌』という江戸期の地誌によるもので、松江城を築いた堀尾吉晴が、松江の風景が湖面に美しく映え』、『鱸(すずき)や蓴菜(じゅんさい)を産するところが似ているとして、中国浙江省の淞江府(ずんこうふ)から命名したというものである。次に新井白石の著『紳書』によると、堀尾氏の家臣で松江城の縄張工事にあたった小瀬甫庵(おぜほあん)が「鱸の名所也」として命名したとある。また『雲陽大数録』では円成寺開山春龍和尚の命名とし、「唐土ノ松江、鱸魚ト蓴菜ト有ルカ故名産トス、今城府モ其スンコウニ似タレバ、松江卜称スト云々」と記されている。これらの説にはさまざまな疑問があげられている。「松江」という地名は開府以前からあったともいわれるが、その示す地域も定かではない。昭和53年(1978)、島根大学の入谷仙介教授は地元新聞に次のような推論を発表した。「松江」は呉江県(ごこうけん)の太湖から流れ出る呉淞江(ウースンコウ=川の名)に由来し、命名に苦心していた堀尾吉晴が、渡明の経験のある春龍和尚の進言もあって「松江」を採用したのではないかというものである』とある。されば、魚種の相違はともかくも、一致して当り前と言えることになる。

・「古事記」の以下の事跡は、天孫降臨から出雲の国譲りのシークエンスの最後に現れる。事代大神(ことしろぬし)を始めとした諸神が天神(あまつかみ)への従属を誓った後に(原文の引用は岡島昭浩氏の本居宣長「訂正古訓古事記」より。但し、一部の漢字は恣意的二正字化し、衍字と判断される漢字表記や句点の一部を変更してある)、

   * 

於出雲國之多藝志之小濱造天之御舍【多藝志三字以音】、而水戶神之孫櫛八玉神、爲膳夫、獻天御饗之時、禱曰而、櫛八玉神、化鵜入海底、咋出底之波迩【此二字以音】、作天八十毘良迦【此三字以音】、而鎌海布之柄作燧臼臺、以海蓴之柄作燧杵而、鑽出火云、

是我所燧火者 於高天原者 神三巢日御祖命之 登陀流天之新巢之 凝烟【訓凝姻云州須】之 八拳垂麻弖燒擧【麻弖二字以音】 地下者 於底津石根燒凝而 栲繩之 千尋繩打延 爲釣海人之 口大之尾翼鱸【訓鱸云須受岐】 佐和佐和迩【此五字以音】 控依騰而 打竹之 登遠遠登遠遠迩【此七字以音】 獻天之眞魚咋也

故建御雷神、返參上、復奏言向和平葦原中國之狀。

 

○やぶちゃんによる書き下し文

 出雲國の多藝志(たぎし)の小濱(をばま)に於いて、天(あめ)の御舍(みあらか)を造り【「多藝志」の三字、音を以つてす。】、而して水戶神(みなとのかみ)の孫、櫛八玉神(くしやたまのかみ)、膳夫(かしはで)と爲して、天御饗(あめのみあへ)を獻ずるの時、禱(ことほ)ぎて曰はく、

「櫛八玉神、鵜(う)と化して、海底に入り、底の波迩(はに)【此の二字、音を以つてす。】を咋(くは)へ出でて、天八十毘良迦(あめのやそびらか)【此の三字、音を以つてす。】を作り、而して海-布(め)の柄を鎌(か)つて、燧臼(ひきりうす)が臺に作り、海-蓴(こも)の柄を以つて燧杵(ひきりきね)を作りて、火を鑽(き)り出だし云はく、

是れ、我が燧(ひき)れる火は 高天原には 神產巢日御祖命(かむむすびのみおやのみこと)の 登陀流天(とだるあめ)の新巢(にひす)の 凝烟(すす)【「凝烟」は、訓じて「州須」と云ふ。】の 八拳(やつか)垂(た)るまで【「麻弖」の二字、音を以つてす。】燒(た)き擧げ 地(つち)の下は 底津石根(そこついはね)に燒き凝らして 栲繩(たくなは)の 千尋繩(ちひろなは)打ち延(は)へ 釣(つり)爲(せ)し海人(あま)の 口大(くちおほ)の尾翼鱸(をはたすずき)【「鱸」は訓じて「須受岐」と云ふ。】 さわさわに【此の五字、音を以つてす。】 控(ひ)き依(よ)せ騰(あ)げて 打竹(さきたけ)の とををとををに【此の七字、音を以つてす。】 天(あめ)の眞魚咋(まなぎひ) 獻(たてまつ)るなり

と。

 故(かれ)、建御雷神(たけみかづち)、返り參り上りて、葦原中國(あしはらのなかつくに)を言向(ことむ)け、和平(やは)しつる狀(さま)を、復(ま)た、奏したまひき。

 

○やぶちゃん訳

 神々の恭順を得たことを言祝(ことほ)ぐために、出雲国の多芸志(たぎし)の小浜に「天の御舎」(あめのみあらか=出雲大社)を造立し、水門神(みなとのかみ)の孫である櫛八玉神(くしやたま)が、膳夫(かしわで:神饌を調し進める者)として選ばれ、天御饗(あめのみあえ:神饌)を献上致しましたその折り、御言祝ぎを申し上げて、

――その時、櫛八玉神は、鵜と化して、さっと海底(うなぞこ)に潜り、海底のハニ(:赤土)を咥えて戻り、それで、天八十毘良迦(あめのやそびらか:沢山の平たい皿)を作り、また、海-布(め:海藻)の茎を刈りとって、燧臼(ひきりうす:摩擦熱を利用した火起こし器の台に相当する部分か)の台に作り、海-蓴(こも)の茎を燧杵(ひきりきね:上記の火起こし器の回転させる棒状の部分か)に作り、火を鑽(き)り出しながら歌った――

この我が鑽り出した火――

それは高天原では――

神産巣日御祖命(かむむすびのみおやのみこと)の――

その豪華な新しい御殿にかすかに付く煤(すす)が――

長が長がと垂れ下がるまで焚き続ける――火――

地の底では――

その地の底の岩の根を固く固く焚き固まらせ続ける――起こる火――

楮(こうぞ)で出来た――

長い長い繩を――

ざっと海へ投げ延ばして――

我が海人の釣り上げる――

大きな口の尾翼鱸(おはたすずき=精悍巨大な尾鰭の美事なスズキ)!――

いや――もう――この鱸がザンザと波音を立てて引き寄せ上げるように――

いや――もうトオントオンと竹で出来たきが音を立てて撓むまでに――この鱸を盛り付けて――

この手によりをかけて御魚料理を献上(たてまつ)る――

と。

 さても、これを以って、建御雷神は、高天原に、急ぎ、帰り参上されると、葦原中国(あしはらのなかつくに)に対する「言向(ことむ)け」が功を奏し、美事に平定されたことを上奏した。

   *

 ちなみに、この最後に出てくる「言向け」とは、言霊(ことだま)即ち言葉の霊力によって対照を服従させたり征服したりすることを言う。言わば呪的糾弾・呪的強迫と言うべきか。魅力的でありながら強烈な嘘臭さを感じさせる言葉である。

 最後に。私は古典作品に登場する鱸というと、すぐに「平家物語」の巻一の「鱸」を思い出すのである(引用はJapanese Text Initiative / Electronic Text Center / University of Virginia Library Heike monogatari [chapter 1]を使用したが、一部の漢字を正字化した)。

   * 

平家かやうに繁昌せられけるも熊野權現の御利生とぞきこえし。其故は、古へ淸盛公、いまだ安藝守たりし時、伊勢の海より船にて熊野へまゐられけるに、大きなる鱸の船にをどり入たりけるを、先達申けるは、「是は權現の御利生なり。いそぎまゐるべし。」と申ければ、淸盛のたまひけるは、「昔、周の武王の船にこそ白魚は躍入たりけるなれ。是吉事なり。」とて、さばかり十戒をたもちて、精進潔齋の道なれども、調味して家の子、侍ともにくはせられけり。其故にや吉事のみうちつゞいて太政大臣まできはめ給へり。子孫の官途も龍の雲に上るよりは猶すみやかなり。九代の先蹤をこえ給ふこそ目出けれ。

 

○やぶちゃん訳

 平家が、まずは、このように栄華の限りを尽くされたのも、もとはと言えば熊野権現様の有り難い御利益があればこそとのことで御座いました。……というのは、昔、清盛公が、未だ、安芸守であられた頃、伊勢の安濃津(あのつ)[やぶちゃん注:現在の三重県津市の南部。伊勢平氏の拠点。]より船出されて、熊野参詣をなされた折に、それはそれは、大きな鱸が、船中に躍り込んで参りましたが、この度(たび)の参詣で先達(せんだつ)を務める者が申しますに、

「これは! 熊野権現の御利益に御座います。急ぎ、お食べになられるがよろしゅう御座います。」

と申しましたところ、清盛様は加えておしゃるには、

「昔、周の聖王武王の船中には、まさに、白魚(しらうお)が躍り込んだというぞ。この魚も吉兆である!」

とのこと。

 本来、尊い神仏参詣、仏法の十戒[やぶちゃん注:殺生を初めとした十悪を犯さないこと。]を固く守り、精進潔斎してこその、それほどの特別な途上で御座いましたけれども、先達や、清盛様の言上(ことあ)げから、即座に、船上で、その鱸を調し、家子(いえのこ)郎等、分け隔てなく、お食べさせなされたので御座いました。

 さても、その験(しるし)でございましょう、平家には、吉事ばかりが、うち続き、清盛様は、なんとまあ、太政大臣というお侍さまとしては。この上なき御位まで、お極めになられたので御座いました。その御子孫の官途の道も、悉く、龍の雲に上るよりも速やかで御座いました。斯くなる清盛様と、その御子孫の御出世は、まさに、平家先祖九代の先例をも、軽々とお越えましまして、まっこと、目出度きことに御座いました……。

   * 

ここに現れた「白魚」(清盛の言は「史記」の「周本紀」に基づく)は、勿論、日本のシラウオでも、シロウオでもない。現代中国では、コイ科の Anabarilius 属に与えられているが、この「白魚」がそれを指すかどうかは不明である。さて、最後に、何故、「平家物語」をここに引いたか……妙な物謂いであるが、私は何故か、その船に飛び込んだ鱸を、遠い昔、実際に、船端で、そうした郎等の一人として、見たような気が、いつも何処かで、しているのである……当てにならない系図によれば、僕は、源氏の末裔を穢しているはずなのだが……]


***

さば   青𩵋 䱾【大者】

   【和名阿乎左波】

ツイン

 《改ページ》

崔禹錫食經云鯖口尖背蒼者也

本綱鯖生江湖間取無時似鯇而背正青色以作鮓其大

者名䱾肉【甘平微毒有】服朮人忌之【不可合生胡菜豆藿麥醬同食】其頭中枕

骨蒸令氣通曝乾狀如琥珀作酒噐〔=器〕梳箆

五雜俎云食鯖已狂食鮆止驕食筭〔=算〕餘魚不醉食人魚已

癡食黃鳥已妬食鶢鶋不饑古有斯語未診其然也

△按鯖形色畧合於本草之說然北海西海多有而未聞

 在湖中未見其枕骨可爲噐〔=器〕者也形類鯇而鱗至細大

 者一尺四五寸背正青色中有蒼黒微斑文或如縄之

 纏尾邊兩兩相對有角刺之鰭其肉【甘微酸】易餒食經宿

 者令人醉但鮮者醋熬食佳能登海上四月中多時數

 万爲浪所漂而不釣不網亦可𫉬取作䱒運送諸國上

 下賞之爲中元日祝用但自背傍骨割開䱒之二枚作

 一重謂之一刺其色赤紫者爲上塗鰯油乾則色佳也

 能登之產爲上佐渡越中次之

さば   青𩵋 䱾【大なる者。】

   【和名、「阿乎左波〔(あをさば)〕」。】

ツイン

 

崔禹錫が「食經」に云はく、『鯖、口、尖り、背、蒼き者なり。』と。

「本綱」に、『は江湖の間に生ず。取るに、時、無く、鯇(あめこ)に似て、背、正青色。以つて、鮓〔(すし)〕に作る。其の大なる者を、「䱾」と名づく。肉【甘、平。微毒、有り。】、朮〔(じゆつ)〕を服する人、之れを忌む【生胡荽〔(しやうこさい)〕豆藿(まめのは)麥醬〔(ばくしやう)〕と、合はせて同食すべからず。】。其の頭〔(かしら)〕の中の枕骨〔(まくらぼね)〕、蒸して氣を通ぜしめ、曝〔(さら)〕し乾さば、狀〔(かたち)〕、琥珀のごとし。酒噐・梳箆〔(すきべら)〕に作る。』と。

「五雜俎」に云はく、『「鯖を食へば、狂を已〔(や)〕め、「鮆〔(えつ)〕」を食へば、驕〔(けう)〕を止〔(や)〕む。餘魚〔(さんよぎよ)〕を食へば、醉はず、人魚を食へば、癡〔(ち)〕を已む。黃鳥〔(わうてう)〕を食へば、を已み、鶢鶋〔(ゑんきよ)〕を食へば、饑ゑず。」と。古へより、斯〔(か)〕くの語、有るも、未だ、其の然るを診〔(しら)べ〕ざるなり。』と。

△按ずるに、鯖の形・色、畧〔(ほぼ)〕「本草〔綱目〕」の說に合す。然れども、北海・西海に、多く、有りて、未だ、湖中に在ることを聞かず。未だ、其の枕骨〔をして〕噐〔(うつわ)〕と爲す者を見ざるなり。形、「鯇(あめ)」に類して、鱗、至つて、細やかなり。大なる者、一尺四、五寸。背、正青色の中に、蒼黒の微かに〔→なる〕斑文、有り。或いは縄の纏〔まと〕へるがごとし。尾の邊〔(あたり)〕、兩兩〔(りやうりやう)〕相對〔(あひたい)〕して、角〔(つの)の〕刺〔(はり):小骨。〕の鰭、有り。其の肉【甘、微酸。】、餒〔(あざ)〕り易く、宿〔(しゆく)〕を經る者を食へば、人を醉はしむ。但し、鮮〔(あたら)〕しき者、醋〔(す)〕にて、熬〔(い)〕り食へば、佳なり。能登の海上に、四月中、多く、時に、數万、浪の爲めに漂(たゞよ)はされて、釣らず、網せずしても、亦、𫉬〔(とら)〕ふべし。取りて、䱒〔(しほもの)〕と作〔(な)〕し、諸國に運送す。上下〔(かみしも)〕、之れを賞し、中元の日の祝用と爲す。但し、背より、骨に傍〔(そ)〕ひて、割り開き、之を䱒(しほもの)にして、二枚を一重〔(ひとへ)〕と作し、之れを「一刺(〔ひと〕さし)」と謂ふ。其の色、赤紫の者、上と爲し、鰯油〔(いわしゆ)〕を塗りて、乾かす。則ち、色、佳なり。能登の產、上と爲し、佐渡・越中、之れに次ぐ。

[やぶちゃん注:スズキ目サバ亜目サバ科で、サバ属 Scomber・グルクマ属 Rastrelliger ・ニジョウサバ属 Grammatorcynus がある。通常、単に「鯖」と言えばサバ属マサバ Scomber japonicus である。但し、以下の中国の引用書の「鯖」は「サバ」ではない。そもそも国会図書館蔵の初版金陵万暦一八(一五九六)刊の「本草綱目」の画像を見ても、そこには良安の記す「鯖」という文字はなく、「青魚」と記されている。これは淡水魚である文字通りの、コイ科ソウギョ亜科クセノキプリス亜科 Oxygastrinae アオウオ属アオウオMylopharyngodon piceus なのである。だから、良安先生には悪いが、『鯖の形・色、畧、「本草〔綱目〕」の說に合す』のは見かけ上の偶然でしかなく、鯖は海水魚であって。淡水に居るわきゃないし、ソウギョの類のあの巨体には、そりゃあ、あるだろう枕骨(後の注を参照)が、鯖にあるわきゃ、なんだ。良安先生は何で、そこで、一歩、踏み込んで、中国の「鯖」が、本邦の「鯖」じゃあない、と言わなかったのか? 次の「鰶」じゃ、ガンガン、指弾してるのに? 形態・体色の一致というだけの思い込みだけに拠っているこの時の先生、何かあって、テンション、下がってたのかなあ?

・『崔禹錫が「食經」』の「食經」は「崔禹錫食經」(さいうしゃくしょくきょう)で、唐の崔禹錫撰になる食物本草書。良安がよく引く「倭名類聚鈔」に多く引用されるが、現在は散佚。後代の引用から、時節の食の禁忌・食い合わせ・飲用水の選び方等を記した総論部と、一品ごとに味覚・毒の有無・主治や効能を記した各論部から構成されていたと推測される。

・「鯇」を良安は「あめこ」と読んでいるが、「あめのいを」=「あまご」の別称である。ではこれはサツキマス Oncorhynchus masou ishikawae (サツキマスは降海型・降湖型の名称)の陸封型であるアマゴ(学名はサツキマスと全く同じ)かといえば、まず、良安のルビとしての「あめこ」は、アマゴではなく、現在のサケ目サケ科タイヘイヨウサケ属サクラマス(ヤマメ) Oncorhynchus masou masou の亜種である琵琶湖固有種であるビワマス Oncorhynchus masou rhodurus である。そうして面倒なことに、時珍の書いた「鯇」は、アマゴでもサクラマスでもない、コイ目コイ科ソウギョ亜科ソウギョ Ctenopharyngodon idellus である。混乱してきた人のために、整理する。「本草綱目」の「鯇」は、ソウギョについて書かれている。それが「あめのいを」と訓読された結果、それを異名とするアマゴの更なる別名「アメコ」や「アメ」を、良安は軽率にも(というか当然のこととして)ルビで用いたのである。ところが、実は良安が考えていた「アマゴ」は現在のアマゴではなく、現在のビワマスであったと私は考えるのである。なお以上の同定を含めて、「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「鯇」の項を必ず参照されたい。

・「朮」はキク目キク科オケラ属オケラ Atractylodes japonica 。根茎を漢方で「白朮」(びゃくじゅつ)、同属のホソバオケラ Atractylodes lancea の根茎を「蒼朮」(そうじゅつ)といい、ともに健胃整腸効果を持つ。邪気を払うとして屠蘇にも用いられた。

・「生胡荽」以下の部分であるが、国会図書館蔵の初版金陵万暦一八(一五九六)刊の「本草綱目」の画像を見ると、「開寶弘景曰不可合生胡荽生葵菜豆藿麥醬同食」と記されており、良安の引用と異なる。これは良安の脱字であろう。さて、「生胡荽」の「荽」は香菜“xiāngcài”〔中国〕=パクチー〔タイ〕=コリアンダー、セリ目セリ科コエンドロ属コエンドロ Coriandrum sativum を指し、「胡菜」とも書く。所謂、「コリアンダー」のことである(和名のコエンドロは如何にもおどろおどろしくて使う気にならないのだが)。生葉にはデカナールC10H20O等の精油成分を含む。漢方では、主に乾燥した種子を健胃剤に用いる。良安が落した「生葵菜」は、アオイ目アオイ科ゼニアオイ属フユアオイ Malva verticillata を指す。跡見女子大学学園の嶋田英誠氏の編による「跡見群芳譜 農産譜」「フユアオイ」の項に、『茎の繊維を麻の代用とし、種子を冬葵子と呼んで利尿解毒剤とし、また全草を冬葵と呼び』、『薬用とする』とするが、『但し、今日の中国で冬葵子として売られているものは、イチビの種子であるという(『全国中草薬匯編』)』とも記す。この「イチビ」とは、近年の本邦外来侵入種で、爆発的に繁殖する雑草として知られる同じアオイ科イチビ属イチビ Abutilon theophrasti である。

・「豆藿(まめのは)」は、「黄帝内経素門」の中の「臓気法時論篇」に「五菜」(他にナス・ニラ・ニンニク・ネギを数える)の一つとして挙げらている「豆叶」である。これは、広く良安がルビを振るように「豆類の葉」を言うが、中国語サイトの「古代“五菜”述略」等によれば、特にエンドウマメ(マメ目マメ科マメ亜科エンドウ Pisum sativum 若しくは、その仲間)の葉を指している。これは豆でも、莢でもなく、エンドウの若い苗や茎葉と呼ばれる蔓(つる)の先の柔らかな部分、所謂、「豆苗」(とうみょう)を指すと思われる。「豆藿」という語は、他に広く「蔬菜」を指す語でもあるが、全ての野菜と鯖を同食するなというのは、いくらなんでも、不自然に思われる。

・「麥醬」は大豆を使用せず、小麦と塩から造った醤油。ちなみに本邦でも江戸時代には盛んに用いられた(現在は規格上、大豆を用いないものに「醤油」は命名出来ないため「白たまり」と称している)。

・「枕骨」とは、人体にあっては外後頭隆起の下を言うようであるが、ここでは、鮭の場合と同様(「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「鮭」の項を参照)、特に魚の頭部の、鼻に近い部分を形成するゼラチン質の軟骨を特異的に示している。しかし、コイ目コイ科ソウギョ亜科ソウギョ Ctenopharyngodon idellus の頭部に、そのような軟骨があるかどうかは確認出来なかった。「鯇 枕骨」でかかるのは、中国サイトの本草書の引用ばかり、「ソウギョ 枕骨」の検索でかかるのは、私のページばかりである。嘘だと思うなら、やってごらんな。

・「梳箆」は梳き櫛。

・「五雜俎」は「五雜組」とも書く。明の謝肇淛(しゃちょうせい)の随筆集であるが、殆んど百科全書的内容を持つといってよい。全十六巻(天部二巻・地部二巻・人部四巻・物部四巻・事部四巻)。書名は元は古い楽府(がふ)題で、それに「各種の彩(いろどり)を以って布を織る」という自在な対象と考証の比喩の意を掛けた。主たる部分は筆者の読書の心得であるが、国事や歴史の考証も多く含む。一六一六年に刻本されたが、本文で、遼東の女真が、後日、明の災いになるであろう、という見解を記していたため、清代になって中国では閲覧が禁じられてしまい、中華民国になってやっと復刻されて一般に読まれるようになるという数奇な経緯を持つ。日本では江戸時代に愛読された。書名は「五色の糸でよった組紐」の意である。

・「鮆」は一般にはニシン目ニシン亜目カタクチイワシ科エツ亜科エツ Coilia nasus を指す。「山海経」の「第一 二 南次二経」に「苕水出于其陰、北流注于具區。其中多鮆魚」とあり、郭璞はこれに「鮆魚狹薄而長頭、大者尺餘、太湖中今饒之、一名刀魚」と注している。

・「驕」は、仏教的な謂いとすれば、驕慢であり、煩悩の一つであるが、ここでは一種の操状態を指して言っているように思われる。

・「筭餘魚」「筭」は単漢字では「算」と同字である。即ち、「算木・算盤」を言うが、この「筭餘魚」=「算餘魚」の正体については、辞書でも全く分からなかった。識者の御教授を乞うものである。・「人魚」は後掲する「人魚」の項を参照。

・「癡」仏教的な謂いとすれば、煩悩の核心を成す三毒(貪・瞋・癡)の一つであるが、痴者(知的障害)若しくは先の「狂」と同義で用いていると思われる。

・「黃鳥」は、日本では「鶯」の別名であるが、中国ではスズメ目コウライウグイス科 Oriolidae Oriolus 属と Sphecotheres 属の二属)のコウライウグイスの仲間を指す。本邦にはコウライウグイス Oriolus chinensis 一種のみが、それも旅鳥(たびどり。日本より北で繁殖、日本より南で越冬する渡り鳥を言う)として、対馬や能登の舳倉島、稀れに日本海側で見られるに過ぎない。

・「妬」は、嫉妬心。一種の精神障害としての関係妄想・被害妄想を言うか。

・「鶢鶋」多様な検索をかけてゆくうちに、角川書店の「字源」のXML(文部科学省・学術フロンティア「超表象デジタル研究センター」作成)に行き当たった。その「爰」の部に、『○』爰『居は大いさ馬駒の如き海鳥の名。=雜縣。』と記す。この「雑県」(「鶢鶋」同様、聞いたことないけれど)という、どでかい海鳥が、「鶢鶋」と同一種である可能性は極めて高いと思われる。他の情報では、鳳凰に似て、頭を上げると八尺とも。しかし、ここまでであった。碩学の教えを乞う。ダチョウか、はたまた、アフリカのマダガスカル島に十七世紀頃までは棲息していたと考えられている地上性鳥類である、史上最大重量(推定四百〜五百キログラム)の鳥とされる鳥綱エピオルニス目エピオルニス科エピオルニス属エピオルニス・マキシムス Aepyornis maxinus か?

・「未だ、其の然るを、診ざるなり」とは、「効能が、その通りであるかどうかは、まだ実際に調べてみたことはない。」という筆者の肇淛の附言であろう。

・「宿を經る者」は、「釣れてから一晩を経たもの」の意。

・「人を醉はしむ」は、アレルギー症状を言う。一般にサバを食べた後に蕁麻疹や腹痛が起きる現象をサバ・アレルギーと称するが、サバそのものがアレルゲンである場合は少ないという説があるので、紹介しておく。サバ科 Scombridae の魚類に含まれる遊離ヒスチジンHistidineが、時間が経つにつれてヒスチジン脱炭素酵素(HDC)を有する細菌(プロテオバクテリア門γプロテオバクテリア綱エンテロバクター目腸内細菌科クレブシエラ属クレブシエラ・アエロゲネス Klebsiella aerogenes 等)により、ヒスタミンHistamineに変化し、魚肉の中に蓄積され、これを摂取することによって、ヒスタミン中毒が発生するというのである。但し、ヒシチジンの一グラム当たりの魚肉の含有量は、カツオで五百五十ミリグラム、マグロで五百八十ミリグラム、ブリで四百九十ミリグラムであるのに対して、サバはたった三百九十ミリグラムしかない。にも関わらず、何故、サバで、有意にアレルギー症状が現れるのかと言えば、それは、サバが、水圧の低い表層魚であるために、肉質が柔らかくなり、そのために細胞間の水分の移動が激しく、 結果的に「サバの生き腐れ」というように、死後の変質が極めて早いからであるという(本注はHP「しんじょう薬局」の「サバの脂」、及び、「食材事典 美味探究」の「サバ」他の記載を参照した)。  

・「中元の日」は、旧暦の上元(正月十五日)・中元(七月十五日)・下元(十月十五日)という中国の道教の節句である「三元」の一つ。本邦では、仏教の盂蘭盆会と習合されて、仏前に供物を捧げ、供養するようになった。

・「一刺」広辞苑の「刺鯖」(さしさば)の項には、『サバを背開きにして塩漬けにしたもの。二尾を刺し連ねて一刺しという。盆のおくり物に用いた』と記して、秋の季語とし、「日本永代蔵」から「盆の刺鯖、正月の鏡餅」を引用している。なお、「二尾で一枚」という数え方から、「サバを読む」の語源説の一つともなっている。「はるか鬚G」氏のサイト内の「肴噺・魚偏・鯖7」に「刺鯖」について、頗る面白い由来説が記されているので、引用する(一部文字・記号を変更し、改行は省略した)。

   《引用開始》

開秘録に「刺鯖の事。俗記にいざなぎ・いざなみ二神、七月望日、海浜を過給ふとき、鯖二蒼交合せしをみたまひて、子孫繁昌のため、今日刺鯖を食ふと云う」という珍説が載っているが、刺鯖は鬼子母神の伝説から生まれたものだと思う。鬼子母神とは、王舎城(インド・マカダ王国の首府)にいた鬼神の娘で訶梨帝母といわれるが、一万人の実子がありながら、他人の子供を奪って食べていたので釈迦は彼女が最も愛していた末子の愛奴(ビャンカラ)を托鉢の鉢の中に隠して母性愛を説教して改心させ、それ以後は安産・育児などの守護神となり、天竺で最初の食物生産者ともなった。そこで釈迦は彼女の可憐な心情を認めて、人肉に似て、魔除けになるインドの吉祥果にも似ている柘椙(ザクロ)を与えたので、彼女は「恐れ入谷の鬼子母神」と恐縮し、人命尊重と敬老の手本を示した。それで大衆も親孝行するようになったから、仏教では鬼子母神を愛子母・歓喜母・功徳天などとよび、食事に先立ち飯の一部を丸めたもの(梵語で婆準または生飯という)を仏前に供えるようになり、この教えから裟婆を鯖と訓み変えて生まれたのが刺鯖の行事であるという。

   《引用終了》

なお、引用冒頭の「開秘録」とあるが、これは「関秘録」の誤りで、作者不詳の江戸後期の随筆である。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第三期第五巻(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊のこちらで、正規表現で「○刺鯖の事」で読める。

・「鰯油」はニシン上目ニシン目ニシン科マイワシ属マイワシ Sardinops melanostictus その他のイワシ類から採られた油で、「大辞林」には、『イワシからとった脂肪油。臭気をもち、酸化されやすい。飽和脂肪酸のほか、不飽和度の高い鰯酸などの脂肪酸を含む。硬化油・塗料・医薬品などの原料』とある。昔は、庶民の行燈(あんどん)の油として普通に用いられていた。]

***


《改ページ》

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○十五

このしろ

つなし

【音際】

ツユイ

 

  鯯【音制】青鱗魚

  鱅【音庸】鱃【音秋】

 【和名古乃之呂

   又云豆奈之】

 【關東名古波太】

 

本綱鱅處處江湖有之狀似鰱而色黒其頭最大有至四

五十斤者味亞于鰱鰱之美在腹鱅之美在頭目傍有骨

名乙禮記曰食魚去乙者是矣又云海上鱅魚其臭如尸

海人食之今以鱅魚尺許者完作淡乾魚都無臭氣魚中

之下品者常以供饈食故曰鱅曰鱃

陸佃云緡隆餌重嘉魚食之緡調餌芳庸魚食之鱅性慵

弱不健故名之魚之不美者也

三才圖會云鰶如鰣而小其鱗青色俗呼青鯽又名青鱗

四聲字苑云鰶【和名古乃之呂】似𩺀而薄細鱗者也

        東路のむろの八嶋に立けふりたかこの代につなし燒らん

《改ページ》

△按本草有鱅無鰶今考合之鱅鰶一物也狀似鰱及鰣

 而扁其脊蒼腹白光澤眼珠圍紅大抵五七寸未見一

 尺以上者肉中細刺如毛頭小而不應於形然本草謂

 頭最大有至四五十斤者恐是時珍之說不可也【藏噐〔=器〕之說

 爲正】腹中有小肉塊如臼形者似鰡之臼脊中有纎鬛如

 線者其肉作膾胾可食炙之甚臭如屍氣但塗椒未醬

 炙食佳煑食不可俗傳云野州室八嶋有一美女密有

 相思之夫而父母許欲嫁女於彼時州之刺吏〔→史〕强將娶

 之父母及女不肯恐其憤而僞爲女疫死造棺盛數百

 鰶魚荼毗〔=毘〕之經日出奔皆避其難焉因名子代蓋此附

 會之說矣今其小者曰都奈之【或名小鰭】大者曰古乃之呂

富士山麓江河之交多有鰶人以爲山神所愛故詣富士

人或寅歲生人不可食鰶者愚昧惑說也

木鯯【岐豆奈之】 狀似鰶而小鱗大二三寸夏月出有雜肴中

 其肉不柔最下品

《改ページ》


■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○十六

古人名以魚者徃徃有之如大聖之子名鯉魚之類也

 孝謙帝時有盬屋鯯魚 仁德帝時有吉備雄鮒

 武烈帝時有平群鮪臣 舒明帝時有大伴鯨連

このしろ

つなし

【音、際。】

ツユイ

 

  鯯【音、制。】青鱗魚

  鱅【音、庸。】鱃【音、秋。】

  【和名、「古乃之呂」。又、「豆奈之〔(つなし)〕」と云ふ。】

 【關東、「古波太〔(こはだ)〕」と名づく。】

 

「本綱」に、『は、處處の江湖に、之れ、有り。狀〔(かたち)〕、「鰱(たなご)」に似て、色黒。其の頭〔(かしら)〕、最も大きく、四、五十斤に至る者、有り。味、鰱に亞〔(つ)〕ぐ。鰱の美〔=美味〕、腹に在り、鱅の美、頭に在り。目の傍らに、骨、有り、「乙」と名づく「禮記〔(らいき)〕」に曰ふ、『魚を食ふに、乙を去る。』とは、是れなり。又、云ふ、『海上の鱅魚、其れ、臭〔(にほ)〕ふこと、尸〔(しかばね)〕のごとし。』〔と〕。海人、之れを食ふ。今、鱅魚の尺ばかりの者を以つて、完〔(あまね)〕く、淡乾魚と作〔(な)すも〕、都〔(すべ)〕て、臭〔(く)さ〕き氣〔(かざ)〕、無し。魚中の下品〔なれども〕、常に以つて、饈食〔(しうしよく)〕に供す。故に「鱅」と曰ひ、「鱃」と曰ふ。』と。

陸佃〔(りくでん)〕が云はく、『-隆〔(つりいと)〕の餌〔(ゑ)〕、重ければ、「嘉魚」、之れを食ひ、緡-隆の餌、芳〔(かんば)し〕ければ、庸魚、之れを食ふ。鱅、性、慵弱にして、健ならず。故に、之れを名づく。魚の美ならざる者なり。』と。

「三才圖會」に云はく、『鰶は、鰣〔(ひら)〕のごとくして、小さく、其の鱗、青色。俗に「青鯽」と呼び、又、「青鱗」と名づく。』〔と〕。

「四聲字苑」に云はく、『鰶【和名、「古乃之呂」。】𩺀(ふな)に似て、薄く、細鱗なる者なり。』〔と〕。

        東路のむろの八嶋に立つけぶりたがこの代につなし燒くらん

△按ずるに、「本草〔綱目〕」に、「鱅」、有りて、「鰶」、無し。今、之れを考へ合はするに、鱅・鰶は、一物〔(いちぶつ)〕なり。狀〔(かたち)〕、「鰱」及び「鰣」に似て、扁たく、其の脊、蒼く、腹、白く、光澤〔あり〕。眼珠〔(めだま)〕の圍(めぐ)り、紅〔くれなゐ)〕なり。大抵、五、七寸、未だ、一尺以上の者を、見ず。肉の中の細き刺〔(はり):小骨。〕、毛のごとし。頭〔(かしら)〕、小にして、形に應〔(おう)〕ぜず。然るを、「本草〔綱目〕」に、『頭、最も大きく、四、五十斤に至る者、有り』と謂ふは、恐らく、是れ、時珍の說、不可なり藏噐の說、正と爲す。】。腹中に、小肉の塊の、臼の形のごとくなる者、有り。「鰡〔(ぼら)〕」の臼〔(うす)〕に似たり。脊の中に、纎(ほそ)き鬛(ひれ)の線のごとき者、有り。其の肉、膾(なます)・胾(さしみ)に作りて、食ふべし。之れを炙〔(あぶ)〕れば、甚だ、臭〔(くさ)〕く、屍(しびと)の氣〔(かざ)〕のごとし。但し、椒未醬(さんせうみそ)を塗り、炙り食ひて、佳し。煑て食ふは、可ならず。俗に傳へて云ふ、『野州〔=下野〕室の八嶋に、一美女、有り。密かに相思の夫〔(をとこ)〕、有りて、父母も許して、女を彼に嫁せんと欲す。時に、州の刺史〔(しし):長官。〕、强ひて、將に之れを娶〔(めと)ら〕んとす。父母、及び、女〔(むすめ)〕、肯(うけが)はず。其の憤りを恐れて、僞りて、「女(むすめ)、疫死せり。」と爲〔(な)〕して、棺を造り、數百の鰶魚を盛りて、之れを、荼毗(だび)す。日を經て、出奔して、皆、其の難を、避けり。因りて、「子〔(こ)〕の代〔(しろ)〕」と名づく。』と。蓋し、此れ、附會の說なり。今、其の小なる者を「都奈之」と曰ひ【或いは「小鰭〔(こはだ)〕」と名づく。】大なる者を「古乃之呂」と曰ふ。

富士山の麓、江河[やぶちゃん注:入江と川。]の交〔(あはひ)〕、多く、鰶、有り。人、以つて、「山神の愛する所。」と爲す。故に、「富士に詣づる人、或いは寅歲〔(とらどし)〕の生〔(しやう)〕たる人、鰶を食ふべからず。」とするは、愚昧の惑說なり。

木鯯(きつなし)【岐豆奈之。】 狀、鰶に似て、小さく、鱗、大きく二、三寸にして、夏月、出づ。雜肴〔(ざつかう)=雑魚(ざこ)〕の中に有り。其の肉、柔かならずして、最も下品なり。

古人の名、魚を以つてする者、徃徃にして、之れ、有り。大聖の子、「鯉魚」と名づくるの類〔(たぐひ)〕なり。

 孝謙帝の時、「盬屋〔(しほや)〕の鯯魚(このしろ)」と云ふ人、有り。

 仁德帝の時、「吉備の雄鮒(をふな)」〔と云ふ人〕、有り。

 武烈帝の時、「平群(へぐり)の鮪(しび)の臣〔(をみ)〕」〔と云ふ人〕、有り。

 舒明帝の時、「大伴の鯨連(くじらのむらじ)」〔と云ふ人〕、有り。

[やぶちゃん注:骨鰾(ニシン)下区ニシン上目ニシン目ニシン科コノシロ亜科コノシロ属コノシロ Konosirus pumctatus 。一般に関東の寿司屋で、ごく小さな幼魚を「新子(しんこ)」、大きくなったものを「小鰭(こはだ)」と呼ぶが、本種も出世魚である(命名について後掲するような不吉なマイナス・イメージが付き纏うので、これを出世魚とは呼ばない、という説も見かけたが、現象としては正統な出世魚である)。関西を中心に総合的に見て整理すると、

ツナシ・ナロ・ジャコ(約四~六センチメートル)=シンコ(寿司屋では新子は四センチメートル程度を五枚づけ〔五尾で一かん〕・十センチメートル程度を二枚づけとする)

コハダ(約七~十センチメートル

ナカズミ(約十二~十四センチメートル前後。関東での呼称と思われ、寿司屋では、この大きさ程度までが小鰭に用いられ、十二センチメートル程度を丸づけ〔一尾で一かん〕、最大の十四センチメートルは片身づけとする)

コノシロ(約十五センチメートル以上)

と変化する。但し、この魚の場合は、ご承知の通り、旬のシンコや、若いコハダが好まれ、大きくなるに従って、市場での値段が恐ろしく安くなってしまうという不思議な海産物である。

・「鱅」この「本草綱目」の叙述は、読んでお分かりのように、コノシロではない。ここで時珍の言う「鱅」は、コイ科クセノキプリス亜科ハクレン属コクレン Hypophthalmichthys nobilis 、若しくは、同科か同亜科の似た淡水魚を指している。

・「鰱」ここで時珍が用いているこれは、次項の「鰱」(スズキ亜目ウミタナゴ科ウミタナゴ Ditrema temmincki )とは異なり、淡水魚のコイ科タナゴ亜科 Acheilognathinae に属するタナゴ類のいずれかであろうと思われる。

・「四、五十斤」は二十五~三十キログラム

・「恐らく、是れ、時珍の說、不可なり」これは、言わずもがな、時珍の指す「鱅」がコクレンであることの、絶対的証拠であると言ってよい。コクレンは全長一・二メートルにも及び、体重は、二〇一七年に、湖北省で、野生個体で三十二キログラムの大物が獲れている。

・『目の傍らに骨有り、「乙」と名づく』は、一説に魚の腸、一説に魚の腮(あご)の骨とするが、本文の叙述は「目の傍ら」と言っており、これはエラとしての「腮」の部分ではなく、正しく頭部の顎骨を指しているように思われる。

・『「禮記」に曰はく、『魚を食ふに、乙を去る。』』は、「礼記」の「内則」に、

   * 

不食雛鱉、狼去腸、狗去腎、狸去正脊、兔去尻、狐去首、豚去腦、魚去乙、鱉去醜。

   * 

とあるのを指す。「鱉」は「鼈」で爬虫綱カメ目潜頸亜目スッポン上科スッポン科スッポン亜科 Trionychinae のスッポン類、又は、カメ目カワガメ科の Dermatemydidae のカワガメ類、及び、藻を背中につけた蓑亀や、淡水産の亀類、広く「川亀」(かわがめ)を意味する漢語である。中文サイトを見ると、注して、「乙:魚腸」、「醜:肛門」とある。

・「饈食」の「饈」は「羞」を本字とするとすれば、「羞」には、「食物をすすめ供する」又は「ご馳走」の意があり、「羞膳」=「羞饌」で同義であるから、ここは客に出すところの「おもてなし料理」の意である。

・『故に、「鱅」と曰ひ、「鱃」と曰ふ」は、「饈」は前注の謂いから、「鱅」の「庸」は、原義が「取り上げて用いる」の謂いであるから、特に「饈食」として、この魚(コクレン)を客をもてなす料理に、特に取り上げて用いるから、「鱅」と言うのである、ということであろう。

・「陸佃」(一〇四二年~一一〇二年)は北宋の王安石の影響を受けた政治家で学者。引用は彼の博物的訓詁学書「埤雅」(ひが)より。しばしば、「本草綱目」に引用されている。

・「緡隆」の「緡」(びん)は釣糸。「隆」は「長い」の意をとるか。

・「嘉魚」は、サケ目サケ科イワナ属 Salvelinus のイワナ類を候補としておく。詳しくは、「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「嘉魚」を参照されたい。

・「慵弱」の「慵」は、「ものうい・だるい・なまける・怠る」の意であるから、脆弱な性質を言うのであろう。先の「おもてなし料理」とは違う語源説である。

・「鰣」は骨鰾下区ニシン上目ニシン目ニシン科ニシン亜科ヒラ Llisha elongata 。前掲の「鰣」を参照されたい。

・「青鯽」の「鯽」自体はコイ目コイ科コイ亜科フナ属 Carassius を指す。コクレンに対して、「青鯽」(青いフナ)と名づけるのは、不審である。

・「四聲字苑」は、「和名類聚抄」によく引用されている中国の字書で、反切等を用いて音を示し、語義を記したものであるらしいが、現在は散佚して現存しない。

・「東路の」以下の和歌については、まず、「慈元抄」に載る。「慈元抄」は永正七(一五一〇)年に書かれたとする孝道に関わる教訓書で、作者は未詳。現在は「群書類従」に所収する形で残る。該当箇所を以下に引用する(「室の八島を名所にする会」のサイト内の、「中世 室の八島」に載るものをもとにして、私の判断で誤字・衍字・送り仮名の省略の類をすべて補正し、さらに正字に換えた)。

   * 

問ひて曰く、「歌ゆゑに幸にあひたる人ありや。」

答へて曰く、「昔、有馬王子、零(おち)ぶれたまひて、下野國まで下り給ふ。其の國に五萬長者とて富人あり。其(そこ)に立ち寄らせ玉ひて、奉公すべき由を宣(の)ぶ。長者、置き奉る。或る時、酒宴の半ばに巡の舞ありて、皆舞ひけり。彼の若殿原も舞ふべしと長者云ければ、王子やがて立ちて歌をよみ玉ふ。

   いなむしろ川そひ柳行く水に流れおれふしそのねはうせず

と詠じて舞ひ給ひければ、長者、只人にあらずとて、座敷を立ちて御手を引きて上座にをき奉りけるとなむ。其比(そのころ)、長者、獨(ひとり)の娘を持たり。かねては常陸の國司に參らすべきよし、約束有りけるも、彼の王子忍び逢ひ給ひて、程なく懷姙有りければ、國司より催促ありけれど、娘は早死したりとて、喪葬の儀式をなして野邊に送る。棺にはつなしと云ふ魚を入れて燒きて烟を立つ。彼の魚は、燒く匂ひ、人を燒くに似たればなり。其の心を讀める。

   東路の室のやしまに立煙たが子のしろにつなし燒くらん

子の代はりに燒くとよめり。それよりして、このしろと云ふとなむ。是の歌、故に王子も幸に逢ひ給ふ。

   *

本伝承の主人公有馬皇子〔舒明一二(六四〇)年~斉明四(六五八)年〕は孝徳天皇の唯一の子供で、十歳の時、父帝が難波宮で崩御〔白雉五(六五四)年〕、孝徳天皇の同母姉宝皇女(たからのひめみこ)が飛鳥板蓋宮に再祚して斉明天皇となった。後、蘇我赤兄(そがのあかえ)に唆されて謀反の謀議を行うが、直後に逆に赤兄に裏切られ、捕縛されて藤白坂(現在の和歌山県海南市内海町藤白)で絞首刑に処せられた。享年十九の若さであった。古来、源義経と並んで、人気の高い悲劇の英雄である。

 さて、東洋文庫版注では、この歌の後注として「本朝食鑑」の「鯯」の項参照とだけある(私の注もそういう雰囲気になっているので偉そうに言えないが、これらはこの和歌の注とするよりも、後半で語られる名称由来の伝承の注とすべきであろう)。「本朝食鑑」(ほんちょうしょっかん)は元禄八(一六九五)年刊の人見必大の記した本草書で、水部以下十二部に分類、品名を挙げて、その性質・効能・毒性・滋味・食法等を解説している、日本初の食用本草書である。この引用元の「『室の八島』の歴史(参考文献一覧)に、その該当箇所「鯯」の項の挿話が引用されているので以下に使用させて貰った(一部の記号・漢字を変更・補正した)。

   《引用開始》

『曾て聞いた話であるが、昔、野州室の八嶋の市中に富商がおり、一人の美しい娘をもうけた。この娘は、としごろを過ぎたがまだ他に嫁がず、空しく深窓の中に暮らしていた。たまたま市辺に流寓の公子の某(なにがし)というものがおり、常に富商の家にきていつしかしたしい間柄となり、遂に娘と密かに通じるようになった。父母はそうなったことを予め識っていたが、拒む気持ちはなく、内心ではすぐにも娘をその公子に嫁がせ財を分け与え同居させようと考えていた。けれども外部のそしりをはばかってまだ果たさぬうち、州の刺史がその娘の美貌を聞き伝え、娘をお側へさし出すことをもとめてきた。親たちはもとめられてもあたえず、そうこうするうちに刺史は大いにいかって、心中常づね罪をかまえてその家をほうむろうと計画していた。父母は災禍がまさに至らんとするのを察し、世間には『娘はやまいに遭ってにわかに病没いたしました』と表言し、新しく棺おけを造り、その中に鯯魚数百尾を盛り入れて死者のように偽装し、父母と親睦した者たちは、喪服をまとい柩を引き、ともに野に出てあな中に据えて荼毘(だび)にふした。刺史はそのことを聞いて大いに哀嘆した。その後日を経て、父母および公子は娘を携えてひそかに他国へ出ていった。後代の人はこの話を憐れみ、和歌にして悼傷している。それから津那志を子代(このしろ)と呼んで鯯の字をあてるが、それはこの魚が娘の死の身代わりになったためであるという。』

   《引用開始》 

なお、この「慈元抄」の方の引用元のページには、コノシロの由来について極めて豊富な資料が示されており、興味深い。その何箇所かを引用する(上の「慈元抄」の引用の直後から。ここでは記号その他すべてをそのままコピーして一切手を加えていない)。

   《引用開始》

ということで「それよりして、このしろと云ふとなむ」はデタラメです。歴史上の事件とコノシロ身代わり話とを結びつけた、このような寺社の縁起譚は鎌倉時代以降各地に見られますが、その歴史の過程で、西日本の呼び名であるツナシと東日本の呼び名であるコノシロ()とが一つの縁起譚の中に取り込まれたものと思われます。なおコノシロの呼び名は古くから有り、次に説明しますように[日本書紀]にも出てきます。

(註)ツナシとコノシロ:西日本の呼び名、東日本の呼び名という区別は大雑把な話です。でも少なくとも関東ではコハダあるいはコノシロと言わなければ通じなかったのではないでしょうか?

コノシロ

コノシロの名前は、[日本書紀] 古典篇(その十三)孝徳紀の大化2年(646年)3月条に「塩屋制魚(ルビ:挙能之廬、このしろ)」と出てきます。

一方、ツナシの呼び名の方は、大伴家持の次の歌にあるようです。ただしこれだとツナシの呼び名は西日本の呼び名というより、北陸地方の呼び名ということになってしまいますね。(?)

・[万葉集]巻174011

 大伴家持(718785年)

 放逸せる鷹を思ひ、夢に見て感悦して作る歌一首(大伴家持が越中守在任中の747年の歌)

「大君の 遠の朝廷(みかど)ぞ み雪降る・・・汝(な) が恋ふる その秀(ほ)つ鷹は 松田江の 浜行き暮し 都奈之(ツナシ)とる 氷見の江過ぎて 多古の島 飛びたもとほり・・・」

 [慈元抄]にある「彼の魚(コノシロ)は焼く匂ひ人を焼くに似たればなり。」は、中国の秦の始皇帝の故事から来たようです。始皇帝が真夏の旅先で亡くなったとき、その死を隠すために車に積んだ始皇帝の棺にコノシロを一緒に詰め、その腐臭で死臭をごまかしたそうです。決してこの魚を焼くと人を焼く臭いがするわけではありません。[やぶちゃん注:中略。]

・[塵塚談](ちりづかだん)(1814年)

 小川顕道 著

「河豚(ふぐ)、コノシロのこと

 河豚、コノシロ、われら若年の頃は、武家は決して食せざりしものなり。コノシロは此城(このしろ)を食うというひびきを忌みてなり。河豚は毒魚をおそれてなり。二魚とも卑賤の食物にて、河豚の価一隻銭十二文ぐらい。コノシロは二三銭にてありしが、近歳は二魚とも土人ももてはやし喰うゆえに、河豚は上市(はしり) 一隻二百銅、三百銅にして、賤民の口へは思いもよらず。このしろは今世も士人以上は喰はざれども、魚鮓(すし)にして士人も婦人も賞翫しくらう。河豚も乾ふぐは貴富も少しもおそれず喰う。コノシロのすしに同じ。」

 コノシロの名前は、[慈元抄]の話ではありませんが、「子の代(しろ) 」から来ている可能性は充分あります。かつて出産児の健康を祈ってコノシロを地中に埋める風習や、これに類する風習が各地にあったようです。この風習は中国から来たものでしょうか、コノシロを漢字で「魚偏に祭」と書くのが気になります。

 コノシロは漢字一字で「魚偏に祭」の他に「魚偏に制」などとも書きます(倭名類聚抄)。一般には「魚偏に冬」が用いられていますが、これは「魚偏に祭」の祭がくずし字で書かれていたので見誤って「冬」としたもので、国字だそうです。

 コノシロに関しては、かつて全国各地にいろいろな風習があり、それらの風習を紹介するだけで一冊の本になろうかと思われますが、民俗学関係の本を探しましたが、コノシロの民俗学の本は見つかりませんでした。惜しいですね。今から本にまとめてくれる方はいらっしゃらないのでしょうか?』

   《引用終了》

全く同感である。この方は美事な「智」の旅をされていると思うこと、しきり。

・「今、之を考へ合はするに、鱅・鰶は一物なり」は、まず、前提として『「本草綱目」離れて』という条件が絶対の必要条件である。即ち、『「本草綱目」には「鱅」が掲げられているが、「鰶」はない。が、しかし、今、多くの事柄を考え合わせて総合的に推理すると、現在の本邦では「鱅」が示す魚と「鰶」が示す魚は同一の魚であって、それは間違いなく海産魚のコノシロである』という意味である。

・「藏噐の說」の「藏器」人名で、唐代の本草学者、陳蔵器を指す。「本草拾遺」(人肉の薬効を記す文献として知られる)の撰で知られる。ここで良安が言っているのは「本草綱目」の「鱅」の「集解」の冒頭に引く「藏器曰」の部分を指している。以下に国立図書館蔵本画像より起したものを掲げる。

   * 

陶注鮑魚云令鱅魚長尺許者完作淡乾魚都無臭氣其魚目旁有骨名乙禮記云食魚去乙是矣然劉元紹言海上鱅魚其臭如尸海人食之當別一種也

○やぶちゃんによる書き下し文

 陶注の「鮑魚」に云ふ、『令鱅魚、長さ、尺ばかり者、完(すべ)て淡乾魚に作り、都(すべ)て、臭氣、無し。其の魚、目の旁らに、骨。有り。「乙」と名づく。』と。「禮記」に云ふ、『魚を食ふに、乙を去る。』とは、是れなり。然るに、劉元紹が言ふ、『海上の鱅魚、其れ、臭ふこと、尸〔(しかばね)〕のごとし。海人、之れを食ふ。』と。當(まさ)に別の一種なり。

   * 

良安の記載と、ほぼ同じである。「陶」は、六朝時代の博物学者である陶弘景。彼の中国最古の本草書「神農本草経」の注釈書「本草経集注」からの引用であろう。「劉元紹」は、私は不詳。

・「鰡の臼」は『ボラの臍』、ボラ目ボラ科ボラ Mugil cephalus の肥厚した胃の幽門部のこと。コノシロもボラ同様にデトリタス食性を持つために発達している。形状その他は前掲の「鯔」の項の注を参照のこと。

・「脊の中に、纎き鬛の線のごとき者、有り」は。背鰭の最後の軟条を指す。コノシロの場合、これが長く後ろに糸状に伸びる。良く似たニシン亜科のサッパ(ママカリ) Sardinella zunasi との区別は、ここを見る。

・「富士山」前後の伝承については余り食指が動かないのだが、とよた時という方のブログ「山のふみあと日記」に、以下のような「コノシロ」伝承を載せるので(所載するページは多いが、単に「富士山 コノシロ」のグーグルの検索のトップということで)、引用させてもらう(但し、空行を省略して詰めた)。

   《引用開始》

▼山の伝説エピソード「富士山頂に住む魚・コノシロ(鮗)」

富士山火口内にコノシロ池という池があって、ここにはコノシロという魚がすんでいたといいます。「風俗文選」の(富士山賦)に「絶頂ノ鮗(このしろ)・半腹ノ雀」とあります。「駿河国新風土記」ではその広さ7、8間で、「時ニヨリテ水ノアルコトモアリ。又ナキコトモアリテ、魚ナドノ住ムベキ処ニアラズ」とわざわざあるのは、それほど一般に広く信じられていたのでしょう。古くから富士浅間の氏子は頂上にすむこの魚は食べないという。ある日、風の神が富士山の開耶姫[やぶちゃん注:「コノハナサクヤヒメ」と読む。]に一目惚れしてしまいました。寝ても起きても姫のことばかり。風の神はとうとう開耶姫を妻にしたいと決心。驚いたのは父の大山祇神[やぶちゃん注:「オオヤマヅミノカミ」と読む。]です。断れば風の神がどんな暴風を吹かせて暴れるかも知れません。ところが姫は何を考えたか従者をコノシロ池の魚を捕まえに走らせました。次の日、返事を聞きに風の神がやってきました。庭先ヘ入ってみると、みな泣きはらしています。そしてなんともいえぬ不快な臭いがおそってきました。「姫様がおなくなりに…」という従者の言葉。ではこの臭いは…。風の神は葬儀の煙を見て、ワァ~ッとものすごい声、地だんだを踏み転げ回って悲しみまました。コノシロ池の魚は焼くと人を焼く臭いに似た煙を出すという。こうして風の神に諦めさせたという伝説があります。いくら風の神といえ、ちょっとかわいそうな気もします。

   《引用終了》

本伝承は、「譚」としての構造が、先の有馬王子伝承と全く同じである。忽然と生じた池に、魚が出現する。氏子は、食べないではなく、幻の魚だから、食べられない、というところであろう。また、本文の方の、寅年生まれはコノシロを食わないというのも、今は信じられていない模様である。

・「木鯯」(キツナシ)は、全くの感触でしかないが、これが形状の非常に良く似た、先に出したサッパ(ママカリ)ではないだろうか? サッパの名の由来には、いろいろあるようだが、「笹の葉のような雑魚」の謂いというのが、私には、しっくりくる。すると、この記述の「雜肴の中に有り」が何だか連動してしまうのだ。ただ、コノシロに比して、サッパの肉が堅く(だから「木のように硬いツナシ」)、鱗が、でかいかどうかは未だ調べていない。

・「大聖の子、鯉魚と名づくる」の「大聖」は孔子を指す。孔子の息子は名を「鯉」といい、字(あざな)を「伯魚」と言った。この子が生まれた時、君主からコイを賜ったことからという伝承が残る。孔子よりも早く没した。子を失った父親の悲しみと、つづみの名器天鼓をモチーフとした能楽「天鼓」の冒頭のシテの台詞に、「傅へ聞く孔子は鯉魚(りぎよ)に別れて、思ひの火を胸に焚き。白居易(はつきよい)は子を先だてて、枕に殘る藥を恨む。これみな仁義禮智信の祖師、文道(ぶんとう)の大祖(たいそ)たり。我等が歎くは科(とが)ならじと、思ふ思ひに堪へかぬる。淚いとなき、袂かな」とある。

・「孝謙帝」在位は、まず、天平勝宝元(七四九)年~天平宝字二(七五八)年の第四十六代と、次ぐ四十七代の淳仁(じゅんにん)天皇を経ての重祚により、再び第四十八代の称徳天皇となってからの、天平宝字八(七六四)年~神護景雲四(七七〇)年の、合わせて十五年間に及ぶ。父は聖武天皇。日本史上六人目の女帝である。

・「盬屋の鯯魚」は「日本書紀」の大化二(六四六)年三月辛巳の条にその名を見出すが、前述の孝謙天皇の在位とは合わない。これは「孝謙帝」ではなく、第三十六代の、軽皇子として知られる「孝徳帝」(在位は孝徳天皇元(六四五)年~白雉五(六五四)年)の誤りと思われる。

・「仁德帝」第十六代。在位は仁徳天皇元(三一三)~ 同八七(三九九)年とする。実在は定説とするが、極めて神話的人物である。

・「吉備の雄鮒」は「日本書紀」に現れる。仁徳天皇は自分の皇后の妹である雌鳥皇女(めどりのひめみこ)を妃とすべく、正妻の異母弟隼別皇子(はやぶさわけのみこ)を使者として遣わすが、その隼別皇子と雌鳥皇女が愛しあってしまい、逃避行を企てる。その討伐に遣わされた人物の一人が吉備雄鮒である。因みに、二人は伊勢国蒋代野(こもしろの。所在不詳)で殺害され、そこの河原に埋められたとする。

・「武烈帝」第二十五代。在位は仁賢天皇一一(四九八)年~武烈天皇八(五〇六)年。妊婦の腹を裂いて胎児を見たり、女と馬をつるませる獣姦を見て楽しむ等、殷の紂王同様の極めて猟奇的な逸話に富む天皇である。

・「平群の鮪の臣」は皇太子時代の武烈帝に殺害された人物。小泊瀬鷦鷯尊(おはつせのわかさざきのみこと=後の武烈帝)は物部麁鹿火(もののべのあらかい)の娘の影媛(かげひめ)に言い寄るが、彼女は、当時、実権を掌握していた大臣(おおおみ)の平群真鳥(へぐりのまとり)の子の平群鮪――「古事記」には志毘臣(しびおみ)――とできていた。海柘榴市(つばいち=現在の奈良県桜井市)での二人の歌垣との歌合戦に敗れた太子は怒り、大伴金村をして、鮪を誅殺した。なお、この歌垣については「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鮪」の注を参照されたい。

・「舒明帝」第三十四代。在位は舒明天皇元(六二九)年舒明天皇一三(六四一)年。実権は大臣蘇我蝦夷によって握られていた。

・「大伴の鯨連」は、「日本書紀」の推古三六(六二八)年の条に、推古天皇の崩御の後の蝦夷邸での皇嗣問題の諮問の際、天皇の遺命に従って田村皇子(=舒明天皇)の即位を進言する蝦夷の息のかかった人物として登場する。

 なお、私の「南方熊楠 西曆九世紀の支那書に載せたるシンダレラ物語 (異れる民族間に存する類似古話の比較硏究) 6」の「古え鮪、鰹、目黑、鯛、鮒、「ヲコゼ」、「コノシロ」、鯖(玄同放言卷三)」の注で、同書の魚類関連の上古の本邦の人名を連ねた部分を電子化してあるので、参照されたい。]

***

たなご   鰱

【音序】 【俗云太奈古】

イユイ

 

本綱鱮狀如鱅而頭小形扁也細鱗肥腹其色最白失水

易死弱魚好群行相與連故名之肉【甘溫多食發瘡疥】

△按鱮狀似鮒而扁如鱅口尖白鱗其肉白味不美胎生

 凡魚胎生者有數種 鱣 鮫 鱮 鱝 阿名古魚

 佐加太魚

たなご   鰱

【音、序。】 【俗に「太奈古」と云ふ。】

イユイ

 

「本綱」に『鱮、狀、鱅〔(このしろ)〕ごとくして、頭〔(かしら)〕、小さく、形、扁たし。細〔き〕鱗。肥〔(こえ)〕たる腹、其の色、最も白し。水を失すれば、死に易く、弱〔き〕魚なり。好く群行し、相與(〔あひ〕く)みて連なる。故に、之れを名づく。肉【甘、溫。多く食へば、瘡疥を發す。】。』と。

△按ずるに、鱮、狀〔(かたち)〕、鮒に似て、扁たく、鱅のごとし。口、尖り、白鱗。其の肉、白く、味、美ならず。胎生す。凡そ、魚の胎生する者、數種、有り。 鱣(ふか)・鮫(さめ)鱮(たなご)鱝(ゑい)阿名古(あなご)魚佐加太〔(さかた)〕魚

[やぶちゃん注:「鱮」はコイ科タナゴ亜科 Acheilognathinae に属する淡水産タナゴ類の総称であるが(「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「鱤」の注に示した「詩経」の詩「敝笱」(へいこう)を参照)、これは全く別種の海産種であるスズキ亜目ウミタナゴ科ウミタナゴ Ditrema temmincki である。

・「鱅」は骨鰾(ニシン)下区ニシン上目ニシン目ニシン科コノシロ亜科コノシロ属コノシロ Konosirus pumctatus 。前掲の「鱅」の項を参照のこと。

・「瘡疥」は、広く、吹き出物から、発疹等の種々の皮膚疾患全般を言う。ウミタナゴは、実際、現在のアレルゲン食品の一つに掲げられている。

・「胎生す」ウミタナゴの記載を見ていると「胎生」と記すものをよく見かける。最近は生物学的な区別が困難であるという理由から「卵胎生」を用いない傾向があるが、これは、やはり正しくは「卵胎生」というべきであると私は考えている(その昔、生物に興味を持った頃の小学生の私は、逆に「卵」と呼称するものから生まれる以上、すべては卵生だろうと惠子(けいし:「荘子」で荘子にちゃちゃを入れる役で知られる一種の詭弁学派であった名家(めいか)の一人)みたように拘っていた時期があったのを懐かしく思い出す)。閉じられた栄養系としての「卵」の中で、主に、もともと、その卵が保持している卵黄等の栄養分のみを用いて発生・成長が生じ、幼体となった個体が「卵」から生まれるものは「卵胎生」と呼び、卵から発生し成長した幼体が、その後の一定期間、母体の一部である特殊な保護・栄養供給システム(臍管や乳頭を備えた育児嚢等)に組み込まれ、成長のための栄養補給や個体保護を受けて成長し、ある程度まで発育した段階で初めて母体から完全に又は段階的に離れるものを「胎生」と言うのだと私は思う。但し、有袋上目 Marsupialia やカモノハシ目 Monotremata 等、進化の中で、そのそれぞれの中間型、若しくは、特殊化したシステムを持つ生物がいることは、ご承知の通りである。

 さて、良安はここで六種類の卵胎生魚類を挙げているが、この中で「阿名古魚」というのが不審である。これはウナギ目アナゴ亜目アナゴ科 Congridae のアナゴ類を指しているのであるが、彼等はウナギ同様、卵は放出型の浮遊卵で、発生したレプトセファルス Leptocephalus 幼生は、海中を浮遊しつつ、成長する。アナゴ科に卵胎生の種があるというのは、私は聞いたことがない。ウナギ同様、発生や産卵場所が不明であったことや、如何にも胎児染みた親と似ないレプトセファルスが、突如、群泳して出現すること等が、そのような誤解を生じたのだろうか(説得力のない解釈であるが)。

・『「鱣」・「鮫」・「鱝」』とあるように、軟骨魚綱の板鰓亜綱 Elasmobranchii のサメ・エイ類の多くは卵胎生である。良安が最後に挙げている「佐加太魚」はエイ目サカタザメ亜目サカタザメ科サカタザメ属サカタザメ Rhinobatos schlelii である。「鮫」の字の「交」は交尾をするからという記載を見たが、解字的には信用出来ない。「上下の牙(きば)を交えて、剥き出す魚」という説を支持する。なお、サメの中にはメジロザメ目メジロザメ科メジロザメ Carcharhinus plumbeus のように、八ヶ月から一年の妊娠期間を持ち、約六十センチメートル大の幼魚を六~十三尾も出産する胎生魚もいる(「鱣」と「鮫」は、どちらもサメ類であり、生物学的な区別ではないが、その良安の弁別感覚と解説、それへの私の注については、「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鱣」と「鮫」のそれぞれの項を参照されたい。また、「鱝」(エイ)についても同ページの「海鷂魚」の項を見られたい。「サカタザメ」についてはかつて数度に亙って考察した結果を、やはり、上記の「鱣」の「坂田鱣」の注、及び、「海鷂魚」の「窓引鱝」の注の、両方を、合わせて確認されたい)。

 次に硬骨魚類であるが、まずはシーラカンスを挙げねばなるまい。

肉鰭綱シーラカンス亜綱シーラカンス目ラティメリア科ラティメリア・カルムナエ Latimeria chalumnae と、ラティメリア・メナドエンシス Latimeria menadoensis (かつての解剖で、体内から幼魚が見つかった時の報道写真の衝撃を僕は忘れない。そして、二〇〇七月、インドネシアで捕獲された個体の解剖によって、初めて体内に、二~三センチメートル大の卵二十五個が確認され、更に腹部内部に稚魚が育つための輸卵管も発見された)

カサゴ目メバル科メバル Sebastes inermis (雌雄が、海面を向いて、体をこすりつける形で交尾が行われ、精子は一ヶ月程貯精され、卵子の成熟を待って、一気に受精、直後に数千匹の稚魚を産み出す)

カサゴ目フサカサゴ科カサゴ Sebastiscus marmoratus (フサカサゴ科でもオニカサゴ Scorpaenopsis cirrhosa 等は卵生)

そして本種ウミタナゴ、淡水産では、

キプリノドン目(カダヤシ目)ポエキリア科(カダヤシ科)カダヤシ亜科ポエキリア属(グッピー) Poecilia reticulata (御存知の通り、多様な改良品種がいる。なお、“Guppy”という英名は、本種を発見したトリニダード島居住のイギリス人博物学者ロバート・ジョン・レッチミア・グッピー(Robert John Lechmere Guppy)の名を捧げたもの)

に代表されるカダヤシ科カダヤシ亜科 Poeciliinae の一部の種を除く総てと、卵胎生メダカ類が卵胎生である。但し、この「卵胎生メダカ類」という謂いは、分類学上のタクソンや名称と、殆んど一致しなくなっているので注意が必要である。現在は分類学上の変更によって、広義の旧メダカ類はこのカダヤシ目 Cyprinodontiformes に吸収され、我々の馴染みのあのメダカは、棘鰭上目ダツ目アドリアニクチス亜目アドリアニクチス科メダカ亜科メダカ属 Oryzias という、「ホンマかいな?」と言いたくなる迂遠なるタクソンに変わってしまったのである。なお、既に述べた通り、カダヤシ亜科 Poeciliinae殆んどは卵胎生であるが、同科のアプロケイリクティス亜科 Aplocheilichthyinaeプロカトープス属 Procatopus 、及び、アプロケイリクティス属 Aplocheilichthys 等のように胎生のものもいる。]

***

いさき  正字未詳

伊佐木魚

 

△按伊佐岐狀似烏頰魚而淺黒色細鱗背有一黒線文

 大者不過尺味不美夏秋多出

いさき  正字、未だ、詳らかならず。

伊佐木魚

 

△按ずるに、伊佐岐は、狀、烏頰魚(すみやきだい[やぶちゃん字注:ママ。])に似て、淺黒〔き〕色、細〔き〕鱗。背に、一つの、黒き線文、有り。大なる者、尺に過ぎず。味、美ならず。夏・秋、多〔く〕出〔(いだ)〕す。

[やぶちゃん注:スズキ亜目イサキ科コショウダイ亜科イサキ Parapristipoma trilineatum

・「烏頰魚」はスズキ目スズキ科オオクチイシナギ Stereolepis doederleini 。前掲した「烏頰魚」の項を参照。]

***

たら

㕦魚【音話】

ハアヽ イユイ

 

  鱈【俗字】

  大口魚【東醫寶鑑】

  【俗云多羅】

 【魚之大口者云㕦】

△按㕦魚狀略類鱸而大口細鱗大頭堅骨頷下有細鬚

 而難見頭中有白石二枚如小棋子端有鋸齒鱗色青

 黃帶白皮薄肉白鰭尾共軟味甘淡佳北海多出之冬

《改ページ》

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○十七

 月采之其大者多䱊性喜寒夏月全無故俗作鱈字矣

 味鮮魚不佳作腌甚佳采時盈盬於口腹則久而不腐

 矣其鯝可煮食或醋浸食亦佳有菊鯝雲鯝共以形色

 名之最賞之其强硬者稱強鯝味稍劣

乾㕦魚 白色者爲上帶黃者次之世傳好角力者常嗜

 云多食則其力倍焉自朝鮮國來者肉厚味亦佳

須介黨 似鱈而小色黒帶白其味不佳

たら

㕦魚【音、話。】

ハアヽ イユイ

 

  鱈【俗字。】

  大口魚【「東醫寶鑑」。】

  【俗に「多羅」と云ふ】。

 【魚の大口の者を「㕦」と云ふ。

△按ずるに、㕦魚、狀、略〔(ほぼ)〕鱸の類にして、大なる口、細〔き〕鱗、大〔なる〕頭〔(かしら)〕、堅〔き〕骨。頷〔(あご)〕の下に、細き鬚、有〔るも〕、見難し。頭の中に、白石、二枚有りて、小〔さき〕棋-子〔(ごいし)〕のごとし。端に、鋸齒、有り。鱗の色、青黃に白を帶ぶ。皮、薄く、肉、白し。鰭・尾、共に軟〔(やはら)か〕なり。味、甘、淡にして、佳なり。北海、多く、之れ、出づ。冬月、之れを采る。其の大なる者、䱊〔(こ):卵。〕、多し。性、寒を喜ぶ。夏月、全く無し。故に、俗に「鱈」の字に作る。味、鮮魚は、佳ならず。腌(しほもの)と作〔(な)〕して、甚だ、佳し。采〔りたる〕時、盬を、口・腹に盈〔(み)たせば〕、則ち、久しくして、腐らず。其の鯝(わた)、煮て食ふべし。或いは、醋〔(す)〕に浸して食ふに、亦、佳し。「菊鯝(〔きく〕わた)」・「雲鯝〔(くもわた)〕」有り。共に、形色を以つて、之れを名づく。最も之れを賞す。其の强硬なる者、「強鯝」と稱し、味、稍〔(やや)〕劣れり。

乾㕦魚(ひだら) 白色の者、上と爲す。黃を帶ぶる者、之れに次ぐ。世に傳へて、『角力(すまひ:=相撲)を好む者、常に嗜(す)く。多く食へば、則ち、其の力、倍す。』と云〔へり〕。朝鮮國より來たる者、肉、厚く、味、亦、佳なり。

須介黨(すけたう) 鱈に似て、小さく、色、黒に、白を帶ぶ。其の味、佳ならず。

[やぶちゃん注:タラ目タラ亜目タラ科タラ亜科Gadidnaeの総称で、本邦には、マダラ属マダラ Gadus macrocephalus・スケトウダラ属スケトウダラ Theragra chalcogramma・コマイ属コマイ Eleginus gracilis の三属三種のみが分布する。「多羅」(タラ)の語源は、魚体の「斑」(まだら)からか。

・「東醫寶鑑」は李氏朝鮮時代の許浚撰になる医学書。朝鮮光海君五(一六一三)年刊行。中国の本草書や医書を引用しながら、人体の構造・疾患・処方薬品・治療法等を総合的に記した実用的な医学百科となっている。

・「魚の大口の者を㕦と云ふ。」「廣漢和辭典」の「㕦」には、原義は「大声」とし、二番目の意味に「大きい口」として、明代の字書である「字彙」から『㕦、魚之大口者曰㕦』と引用する。

・「白石二枚」は、魚類の内耳にある炭酸カルシウムの結晶である「耳石」を指している。これは、魚体の平衡感覚、及び、聴覚に関わる平衡胞の中にある平衡石で、光にかざすと、同心円状の輪が見られ、これが年輪となり(見えにくい種もある)、個体の年齢推定に用いられることもある。写真で見ると、タラの耳石は、長円型で湾曲して浅い舟のようで、良安が言うように辺縁部に、ギザギザの切れ込みが入っている。大きい個体では一・五センチメートル以上になるようだ(グーグル画像検索「タラの耳石」をリンクさせておく)。

・「鱈」という漢字は国字である(但し、現代中国では、タラ類を現わす文字として逆輸入して用いられている)。

・「菊鯝・雲鯝」はタラ類の精巣(白子)を言う。他にミノワタ・キクシラコ・キクコ・タツコ・タダミ・タチ等と呼称する。

・「強鯝」は「こはわた」と読むらしい。現在では俳諧歳時記でしかお目にかからない語のようだ。勿論、冬の季語。

・「乾㕦魚」は「棒鱈」で、通常はマダラを用いるが、スケトウダラでも作る。棒鱈と力士との関係は不明。何方かのご教授を乞う。

・「須介黨」「スケトウ」はスケトウダラのこと。「介党鱈」は「スケソウダラ」(介宗鱈)とも言うが、この不思議な名前の語源としては、佐渡ケ島近海で多く獲れることから「佐(すけ)」+「渡(トウ)」とする説、ごっそりと網に入って、舟に揚げるために「佐(すけ)っ人」が必要なところから「スケットタラ」でそれが訛ったという説、下顎が、上顎よりも突き出している事を「すけ口」と呼ぶ(確かに現在の歯科矯正学では上顎の前歯に下顎の前歯が覆いかぶさる症状を、「すけ口」(=「受け口」)と言う。歯科の専門用語では「下顎前突」と言うようである)ことから、吻部がそうなっているタラにつけた(ということは「すけ相」ということか?)という説等がある。]

***

あら   俗用鱱字【未詳】

阿羅魚  【又云伊加介】

いかけ

 

△按阿羅魚形色略類鱈而大其口類鱸但頭骨堅鱗鰭

硬味淡不美爲下品三月北海多采之攝泉紀播亦有而

不多乾者細末入産後金瘡之藥能有止血凉血之功

《改ページ》

あら   俗に「鱱」の字を用ふ。【未だ、詳らかならず。】

阿羅魚  【又、「伊加介」と云ふ。】

いかけ

△按ずるに、阿羅魚、形・色、略〔(ほぼ)〕、鱈に類して、大なり。其の口、鱸に類す。但し、頭骨、堅く、鱗・鰭、硬く、味、淡し。美ならず。下品たり。三月、北海に多く、之れを采る。攝〔=摂津〕・泉〔=和泉〕・紀〔=紀伊〕・播〔=播磨〕、亦、有るも、多からず。乾したる者、細末にして、産後・金瘡〔:刀傷・切り傷〕の藥に入れて、能く血を止め、血を、凉するの功、有り。

[やぶちゃん注:スズキ亜目アラ科アラ亜科アラ属アラ Nuphon spinosus 。アラは他にオキスズキ・アラマス・ホタ・イカケ等という異名を持つ。九州地方では、全く異なる種であるスズキ亜科ハタ科ハタ亜科アカハタ属クエ Epinephelus bruneus を普通に「アラ」と呼ぶので、注意が必要。

・「血を凉する」は、文字通り、「血をきれいにする・血行を良くする」という意味であろう。]

***

ぶり     魚師  魬

【音師】  【和名波里萬知

スウ       畧曰波万知】

 

本綱鰤【唐韻云老魚也】大者有毒食之殺人今無識者

△按鰤身圓大而細鱗頭大口尖背蒼腹白肉中有紫血

 色一條内有細刺如鮪鰹之紫血肉俱曰血合也味酸

 甘不美六月其小者五六寸名津波須西國號和加奈

 炙以蓼醋食之九月一尺許者名眼白十月近二尺者

 名魬【波万智】江東称伊奈多爲魚軒和芥醋食最美如鮾

 則令人醉【凡醉者可知有毒河豚魚鰤鰹鯖之類然鮮者不醉】仲冬長三四尺最

 大者五六尺者名鰤削肉去皮作條曝乾者曰鰤筯〔=筋〕阿

 蘭陀人賞味之呼曰羅加牟用猪豕油食之

鰤腌 冬春食之脂多味厚過春月則味變不堪食丹後

《改ページ》

和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○十八


 爲上越中及防州瀬戸崎雲州艫島亦佳也此魚自少

 至老時改名初在江海徐出大洋而復自東北海連行

 終西海對州焉以爲出世昇進之物稱之大魚貴賤相

 饋爲歲末之嘉祝【未聞有毒殺人者蓋自對州入中華海則甚大甚老故得老魚師魚之名毒亦甚乎】

ぶり     魚師  魬

【音、師。】 【和名、「波里萬知」、畧して「波万知」と曰ふ。】

スウ

 

「本綱」に『鰤【「唐韻」に云ふ老魚なり。】、大なる者、毒、有り。之れを食へば、人を殺す。今、識る者、無し。』と。

△按ずるに、鰤、身、圓大〔(ゑんだい)〕にして、細〔き〕鱗、頭〔(かしら)〕、大きく、口、尖り、背、蒼く、腹、白し。肉の中に、紫血色の一條、有りて、内に細き刺〔(はり)〕、有り。鮪・鰹の紫血肉のごとし。俱に「血合(〔ち〕ひ)」と曰ふなり。味、酸、甘。美ならず。六月、其の小なる者、五、六寸、「津波須(つばす)」と名づく。西國〔にては〕、「和加奈〔(わかな)〕」と號す。炙りて、蓼醋〔(たでず)〕を以つて、之れを食ふ。九月、一尺ばかりなる者、「眼白(めじろ)」と名づく。十月、二尺に近き者、「魬(はまち)」【波万智。】と名づく。江東には、「伊奈多〔(いなだ)〕」と称す。魚-軒(さしみ)と爲して、芥醋〔(からしず)〕を和して、食ふ。最も美なり。如〔(も)〕し、鮾(さか)れば、則ち、人を醉はしむ【凡そ、醉ふ者は、毒、有り、と知るべし。河豚魚・鰤・鰹・鯖の類、然り。鮮〔(あたら)〕しき者は醉はず。】。仲冬、長〔く〕して、三、四尺、最も大なるは、五、六尺の者を「鰤」と名づく。肉を削り、皮を去りて、條と作〔(な)〕し、曝し乾す者を「鰤の筯」と曰ふ。阿蘭陀人、之れを賞味して、呼んで「羅加牟(ラカン)」と曰ひ、猪-豕〔(ぶた)〕の油を用ひ、之れを食ふ。

鰤〔の〕腌〔(しほもの)〕 冬・春、之れを食ふ。脂、多く、味、厚し。春月を過ぐれば、則ち、味、變じて、食ふに堪へず。丹後を上と爲し、越中、及び、防州〔=周防〕の瀬戸崎(せとざき)雲州〔=出雲〕の艫島(ともしま)、亦、佳なり。此の魚、少〔(わか)き〕より、老するに至るを、時に名を改む。初めは、江海に在りて、徐(ぞろぞろ)〔と〕大洋に出でて、復た、東北の海より、連行〔(れんかう)〕して、西海の對州〔=対馬〕に終〔(を)〕ふ。以つて、出世昇進の物と爲して、之れを「大魚」と稱す。貴賤、相饋〔(〔あひ〕おく)り=贈〕て、歲末の嘉祝〔(かしゆく):目出度い祝い。〕と爲す【未だ毒有りて人を殺す者を聞かず。蓋し對州より中華の海に入り、則ち、甚だ大きく、甚だ、老す。故に、老魚・師魚の名を得るに、毒、亦、甚だしきか。】

[やぶちゃん注:スズキ目アジ亜目アジ科ブリ Seriola quinqueradiata 。出世魚。幾つかのネット上の記載を総合すると、関西では成長に伴った呼び名の変化は以下のように整理される(途中の呼称が脱落する地域も多い)。但し、天然物を「ブリ」と呼称するのに対して、魚の大きさに関わらず、養殖物を「ハマチ」と呼ぶ習慣も流通では広く行われている。

モジャコ(稚魚)

コズクラ・コゾクラ(約十五センチメートル未満)

ワカナ・ツバス・ヤズ(約十五センチメートル以上、三十五センチメートル以下だが、この呼称内の順位には混乱がある)

ハマチ(約三十五~六十センチメートル)

メジロ・メジナ(約六十~八十センチメートル、又は、一メートルまで

ブリ(約八十センチメートル以上、又は、一メートル以上)

・「波里萬知」は、良安がよく引用する平安中期成立の字書「和名類聚抄」に載る最古のブリの呼称であるとされるものだが、原義は不明である。

・「唐韻」は唐の孫愐(そんめん)が撰した、韻で引く字書。隋の陸法言の撰になる「切韻」の修訂本であるが、現在には伝わらない逸書である。

・「毒、有り」「廣漢和辭典」は「集韻」を引いて『鰤、一説、出歴水、食之殺人。』と記す。ブリに致命的な毒性はないし、同定不能であるが、「歴水」は淡水の河川名であると考えてよいから、言うまでもないことだが、「本草綱目」の「鰤」は、良安先生、ブリじゃあ、ありんせんよ。

・「鰤筯」の「筯」は「筋」の異体字であるが、ここは加工法から見て、所謂、「鰤節」(ぶりぶし)と読ませていると思われる。

・「羅加牟(ラカン)」は、一種の魚肉ハムのようである。長崎文化振興課の「長崎文化ジャンクション」の文化百選 事始 30 ハムに以下のような記載を見出したので引用する(この記載自体が複数の文献の引用である)。

   《引用開始》

もともと長崎のオランダ人や中国人は、パンとともにハムを常食していた。出島のオランダ屋敷では牛の屠殺が行われていたし、郊外でも牛の屠殺はあった。江戸町のコンプラ商人の店には、ごくわずかだが食肉があった。/和漢三才図会(江戸時代の一種の百科事典)の饅頭の項には「阿蘭陀人毎ニ一個ヲ用ヰ常食ト為ス。彼ノ人呼ンデ波牟ト曰フ。之ニ添ヘテ羅加牟ヲ吃フ」とあり、羅加牟とはブリの身に豚の油をつけた干し肉だと説明している。/「羅加牟」は中国語で「臘乾」と書くが、肉を塩漬けにして干し固めたもので「火腿」のことであり、豚肉を材料にすることが多い。材料の点では今日のハムと同じにみられるが、ブリの身に豚の油をつけた干し肉と称しているところをみると、必ずしも同一のものではないようである。(「舶来事物起原事典」その他による)

   《引用終了》

文中の「コンプラ商人」とは出島のオランダ人に日用品を売る特権を与えられた商人のことを言う。「コンプラ」とはポルトガル語の「コンプラドール(comprador)」に由来するもので、「仲買人」という意。十七世紀前半頃、長崎の商人たちは「金富良社(こんぷらしや)」という組合を作り、東インド会社を介して、日本製品の輸出を行っていた。

・「防州の瀬戸崎」は現在の山口県長門市仙崎(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。日本海航路の要衝を占めた港町でもある。

・「雲州の艫島」は現在の島根県出雲市大社町(たいしゃちょう)日御碕(ひのみさき)にある艫島(ともしま)。この東の本土にある日御碕神社は「和布刈神事(めかりしんじ)」で有名である(有名じゃない? 僕には中学一年の時に読んだ松本清張の「時間の習俗」で超お馴染みなんですよ!)。個人サイト「藻知藻愛(藻食文化を考える会)」の「和布刈神事」について記載されたページにぐっとくる記事があるので引用する。この筆者が日御碕神社の第九十八代宮司に就任した小野高慶氏から直接聞いた話(ブリと関係ない部分も貴重な談話なので、省略せず、コピーした)。

《引用開始》

「日御碕神社は、古来出雲大社の奥の院と言われて来ましたが、朝廷側に立って、出雲勢力を牽制していた様です。ここからはワカメ、海苔、艫島(ともしま)ブリを調(ちょう)として朝廷に納めていました。昔は、三重の塔や薬師堂などもありましたが、明治初年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で、仏教関係の建物は総て取り壊されてしまいました。先祖は天葺根命(あめのふきねのみこと)、つまり素戔嗚尊(すさのおのみこと)五代の孫で、一時、日置(ひおき)姓でしたが、奈良時代から小野姓になりました。明治時代には4代の宮司が国から派遣されましたが、その他は小野家が代々宮司を勤めています。社家(しゃけ)も10件ほどありましたが、明治時代に分散して、今は1-2軒残るだけです」。

《引用終わり》

ここのところ、引用が多いとお叱りを受けそうだが、無断借用ではなく、引用元を明記して、僕は僕の「智の旅」をしていると思っている。僕はもともと「智」の自在な連絡をネットに求めている。真のユビキタスは、双方向に引用の自由が可能となってこそ実現する。日本のサイトに限って、引用する場合は連絡を要求する古典的な旧「知識人」が多過ぎる。そんなことに汲々としていると、ぽっくり行って、あっという間にネットから消滅してしまうのが、オチだ。実際に、今回の大改訂では、サイトやブログの痕跡さえないものも多い。私のサイトやブログも、そうなる運命であることは、どうということはないのだ。私は現存在の私自身の知的欲求によってのみ電子化注をしているのであって、それ以上でも、それ以下でも、ないからである。]

***

しわう  正字未詳

鰤𩵭

 

△按鰤𩵭狀似鰤而畧扁帶淡赤色細鱗白腹夏秋西海

 多出小者二三寸大者三四尺肉味稍勝而可煑可炙

 可作膾

しわう  正字未詳

鰤𩵭 

△按ずるに、鰤𩵭、狀、鰤に似て、畧〔(ほぼ)〕扁たく、淡赤色を帶ぶ。細〔き〕鱗、白き腹。夏・秋、西海に多く出づ。小なる者、二、三寸、大なる者、三、四尺。肉味、稍〔(やや)〕やや勝〔(すぐ)〕れて、煑るべし、炙るべし、膾〔(なます)〕に作るべし。

[やぶちゃん注:ブリに似ているが、ブリよりも有意に扁平な魚体で、全身が淡い赤色を帯びており、鱗が細かく、腹部は白い。夏から秋にかけて西日本で多く獲れ、小さなものは六~九センチメートル、大きくなると九十センチメートルから1メートル二十センチメートルにもなり、肉の味は、総合的にブリよりも旨く、煮ても炙っても膾にしてもよい魚――スズキ目アジ亜目アジ科ブリ Seriola quinqueradiata の大型個体が、まず、考えられる。また、扁平であるという特性は、ブリにそっくりなアジ科ブリ属ヒラマサ Seriola lalandi とも考えうる。が、しかし、「夏秋」を漁獲時期とするという点からはブリ属カンパチ Seriola dumerili が最もマッチする。本種は私はカンパチとしたい(ここまで来てネット・サーフィンの果てに「神港魚類株式会社」のサイト内の八(かんぱち)で同じ同定を発見し、少し溜飲が下がった)。ちなみに今、ネット検索で釣れる「鰤王」は、鹿児島県東町漁業協同組合養殖の、トレーサビリティ・システム(養殖の履歴開示、出荷した製品にクレームが生じた際の迅速なトレースバック・システム、回収が必要になったときなどのリコール・プログラム、漁場・給餌履歴・投薬履歴・作業履歴・安全証明書等がすべてデータ化されたもの)による、EP(エクストルーデッド・ペレット。魚粉などを配合した粉末を加工し、ペレット状に成型した完全配合飼料で、餌の栄養分が安定しており、給餌者の技術差による魚の個体差が現れ難く、また鮮度保持性がより高い)の単独給餌による「徹底管理」された養殖のブリ Seriola quinqueradiata であった。]

***

いわし

【俗字】

 

 鰮

 【和名以和之

  性柔弱故俗

  字從弱訓與

  和之乃相通】

[やぶちゃん字注:以上五行は、前二行下に入る。]

 

閩書云鰮似馬鮫而小有鱗大者僅三四寸

△按鰮俗云鰯四方皆有之形似小鯯而圓其鱗細易脱

 背蒼黒腴黃白而脂多小者一二寸大者五六寸群行

 至時海波稍赤漁人預〔→豫〕知下網采之鯨好吃鰯爲所逐

 者數万爲群浪如樓取之作膾可熬可炙又取脂爲燈

 油

鯷【和名比之古以和之】用一二寸許小鰯爲醢造法鮮鰯一升不洗

 鹽三合和三日而後以石壓之【如自初日置壓則破出不佳】或同茄

 子生薑穗蓼番椒等漬亦佳【鯷字未詳】

五万米鰮【正字未詳一名田作又云古止乃波良】 漁家海邊石上或簀上

 擴乾小鰮也阿波之產爲上貯之耐久無脂臭和諸物

 煑食亦佳常爲嘉祝之供與鮑熨斗並用

 [やぶちゃん字注:「熨」の字は(がんだれ)の中に「熨」に似たごちゃごちゃした字が入っているが、異体字にも見えないので、正字で採用した。]

干鰯【保之加】 與五万米同乾時不撰地不論大小數万攪

 乾盛筵運送市中用爲田畠培糞諸國多出房州最多

鰯䱒 豫州宇和島常州水戸之產爲上肥前松浦丹後

 由良之產頭畧大扁亦得名炙食脂氣酷烈以賤民爲

 食用【痰咳痞滿人忌之產婦小兒不可食】其味美有頭

凡鯨與鰯本朝海中寳也其利用不可計

いわし

【俗字。】

 

【和名、「以和之」。性、柔弱、故に俗字、「弱」に從ふ。「與和之〔(よわし)〕」と訓じて、乃〔(すなは)〕ち、相〔(あひ)〕通ず。】

 

「閩書」〔(びんしよ)〕に云ふ、『鰮は馬鮫(さわら)に似て、小さく、鱗、有り。大なる者、僅かに三、四寸。』と。

△按ずるに、鰮は、俗に「鰯」と云ふ。四方、皆、之れ、有り。形、「小-鯯(つなし)」に似て、圓〔(まろ)〕く、其の鱗、細かにして、脱し易し。背、蒼黒。腴〔(すなずり)〕、黃白にして、脂〔(あぶら)〕、多し。小なる者、一、二寸。大なる者、五、六寸。群行して至る時、海波、稍〔(やや)〕赤し。漁人、豫〔(あらか)〕じめ、知りて、網を下〔(おろ)〕し、之れを采る。鯨、好みて、鰯を吃〔(く)〕ふ。爲めに逐〔(お)は〕るゝ者、數万〔(すまん)〕、群れを爲し、浪、樓のごとし。之れを取りて、膾〔(なます)〕に作る。熬〔(い)〕るべし、炙〔(あぶ)〕るべし。又、脂を取りて、燈油と爲す。

鯷(ひしこ)【和名、「比之古以和之」。】一、二寸ばかりの小鰯を用ひて、醢〔(しほから)〕と爲す。造法は、鮮〔(あたら)しき〕鰯を一升、洗はず、鹽三合と和して、三日して後、石を以つて、之れを壓す【如〔(も)〕し、初日より壓を置かば、則ち、破〔れ〕出〔(いで)〕て佳ならず。】。或いは、茄子・生薑〔(しやうが)=生姜〕・穗蓼〔(ほたで)〕番椒(たうがらし)等を、同じく漬けても、亦、佳なり【「鯷」の字、未だ、詳らかならず。】。

五万米鰮(ごまめいはし)【正字、未だ、詳らかならず。一名、「田作〔(たづくり)〕」。又、「古止乃波良〔(ことのばら)〕」と云ふ。】 漁家、海邊の石の上、或いは、簀〔(すのこ)〕の上に、擴(ひろ)げ乾(ほ)す小鰮なり。阿波の產、上と爲す。之れを貯〔ふれば〕、久〔(ひさしき)〕に耐ふ。脂臭〔(あぶらくささ)〕無く、諸物に和して、煑〔て〕食ふに、亦、佳なり。常に嘉祝〔(かしゆく)〕の供〔(そなへ〕と爲し、鮑(あはび)の熨斗(のし)と、並び用ふ。

干鰯(ほしか)【「保之加」。】 「五万米」と同じくして、乾〔(ほ)〕す時、地を撰ら〔ば〕ず、大小を論ぜず、數万、攪〔(か)き〕乾し、筵〔(むしろ)〕に盛り、市中に運送して、用ひて、田畠の培-糞〔(こゑ[やぶちゃん注:ママ。])〕と爲す。諸國に、多く、出づ。房州、最も多し。

鰯〔の〕䱒(しほもの) 豫州宇和島・常州水戸(みと)の產、上と爲す。肥前の松浦(まつら)・丹後の由良の產は、頭、畧〔(ほぼ)〕大にして、扁たく、亦、名を得。炙〔り〕食ふに、脂〔の〕氣〔(かざ)〕、酷(はなは)だ烈〔(はげ)しくして〕、以つて、賤民の食用と爲す【痰咳・痞滿〔(ひまん)〕の人、之れを忌む。產婦・小兒、食ふべからず。】。其の味の美は、頭〔(かしら)〕に有り。

凡そ、と鰯、本朝の海中の寳なり。其の利用、計〔(かぞ)〕ふべからず

[やぶちゃん注:ニシン・骨鰾下区ニシン上目ニシン目 Clupeiformes に属する複数の魚類に対する総称で、食品や広範な各種材料として用いられる場合は、このような広義の「イワシ」として捉えるべきであるが、本邦では、狭義には、

ニシン目マイワシ Sardinops melanostictus

ニシン目ウルメイワシ科ウルメイワシ Etrumeus teres

ニシン目カタクチイワシ科カタクチイワシ Engraulis japonica

の三種を言うが、ウルメイワシは次項にあるので、便宜上、ここはマイワシ及びカタクチイワシとしておく。

・「閩書」は、明の何喬遠(かきょうえん)撰になる現在の福建省地方の地誌・物産誌。

・「馬鮫」はスズキ目サバ科サワラ Scomberomorus niphonius 「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「馬鮫」の項を参照。

・「小鯯」底本はこの二字で(つなし)と訓じている。「鯯」はニシン・骨鰾下区ニシン上目ニシン目ニシン科コノシロ亜科ココノシロ Konosirus pumctatus 。前掲の「鰶」(コノシロ)の項を参照されたいが、良安はそこでは「小鯯」という表記を用いていない。「コノシロ」の「コ」に引かれての記載と思われるが、このような表記は一般的とは思われない。

・「鯷」については、まず、「ヒシコ」という名称が、カタクチイワシ科カタクチイワシの別名であることを押さえなくてはならない。実は、カタクチイワシの異名は半端じゃない。「ヒシコ」からの転訛した「シコ」・「シコイワシ」(東京)に始まり、「ジャミイワシ」(「じゃみ」は育ちの悪い、弱い動植物の謂いか。「帰ってきたウルトラマン」の「じゃみっ子」! 注意されたいのは、「ウルトラマン」の「ジャミラ」は別語源で、これはシモーヌ・ド・ボーヴォワールとジゼル・アリミの「ジャミラよ 朝は近い」(一九六三年集英社刊・手塚伸一訳)で知られる「アルジェリア独立戦争」中に暴行を受けた少女ジャミラ・ブーパシャ Djamila Boupacha (一九三八年二月九日~)の名に由来することは有名。ジャミラに拘るのは、教師になった頃の私の渾名だからね。肩が張って首がないように見えたからである)・「セグロイワシ」(背黒鰯:常磐・房州)・「オオカミイワシ」(狼鰯:静岡・個人的には。よく分かる美事なミミクリー命名と感じる)・「ハンガン」(脹眼 富山)・「アオヤマイワシ」・「カナヤマ」(金山・岸和田:二つとも本文の「數万、群れを爲し、浪、樓のごとし」や、その収益から、成る程と思わせる命名である)・マル(丸:静岡。なお、これに対して、「マイワシ」を「ヒラ(平)」と呼ぶ)・「ヒラレ」(浜名湖:「馬鹿者」を意味する御当地言葉。死んだカタクチイワシが、大きく口を開いているところからとする)・「シラス」(白子:稚魚・加工食品にも用いられる)・「コシナガ」・「ドロイワシ」・「ドロメ」(泥目:土佐・稚魚を、かく、呼び、生のぬたや、卵とじの「どろめ料理」が有名である)・「カエリ」(若魚)等のほか、「ヒラレ」・「エタレ」・「クロタレ」・「タレクチ」・「ホオタレ」・「ホウタレ」・「カクハリ」・「ブト」等、また。まさに、この「ヒシコ」のように、加工食品名から実体にフィード・バックした感のある「ヘシコ」(鯖や鰯や鯡等の糠漬)・「タヅクリ」(田作:後述)、ゴマメ(五万米:後述)・チリメン(縮緬雑魚)等、有象無象、百を越えるのである。

 さて、そこで加工食品としてのカタクチイワシの塩辛、「ヒシコ」であるが、どうも現在では「ヒシコ」=「カタクチイワシの塩辛」とする用法は、これ、殆んどない。「ヒシコの塩辛」である。そして、「神奈川水産研」の「マイワシあれこれ」の孫引きであるが(その後、以下の訳本を購入・確認した)、「和漢三才図会」の刊行の十七年程前の版行になる元禄八(一六九五)年発行の人見必大(当該ページでは小野姓とするが、一般に知られる「人見」をとる)の「本朝食鑑」には、「鰯」を「マイワシ」とし、「鯷」を「ヒシコ」と読み、小鰯魚の「カタクチイワシ」を示すと記す、とするのである。これは、良安の記述に相違して、「ヒシコ」が「カタクチイワシ」の生体を示すものとして、当時、既に一般的呼称であったことを示す事実と思われる。字書類でも、「鯷」は、国字として「ヒシコ・ヒシコイワシ」とし、「塩辛」の意はない(ちなみに、中国語としては、その皮で冠を作るという「大鯰」(おおなまず)の意とある)。

・「穗蓼」とは、通常は、タデ目タデ科タデ属のイヌタデ Polygonum longisetumの穂(通称の「赤まんま」の方がよく知られる)を言うのであるが、これは辛くなく食用には向かないので、これは葉から蓼酢を作るヤナギタデ Polygonum hydropiper を指していると考えたい。「穂」は単にヤナギタデを穂を持った蓼と言っているのであって、穂を食用に用いるという意味ではあるまい。

・「番椒」はナス目ナス科トウガラシ属トウガラシ(唐辛子)Capsicum annuum 。勿論、中国語では「唐辛子」ではなく「辣椒」(là jiāo)であるが、漢方薬としては「番椒」 (fān jiāo) という。

・「五万米鰮」=「田作り」=「小殿腹」。単漢字では「鱓」とする。本来は、カタクチイワシの幼魚を素ぼしにしたものを指していたようであるが、後に、それを用いた料理名として用いられるようになった。正月のお節料理の祝い肴三種(「田作り」「かずのこ」「黒豆」)の一つとして欠かせないものである。後述の「干鰯」の中にあるように、田畑の肥料としても用いられるところから、豊作を意味する「五万米鰮」の呼称が生まれ、更に、その豊作を願って、祝い料理としても食べられるようになり、豊作=子孫繁栄から「子殿原」(「殿原」は、高貴な身分の男子の複数形)とも言われるようになったと思われる。

・「干鰯」は純然たる製品名で、一般には、広くイワシ類から油を搾り取った後に乾燥させた肥料を言う。イワシ類は多量に獲れるものの、生では捌ききれず腐らせてしまうので、このような方法がとられたのであろう。近世初期から専門の干鰯問屋が存在し、近世の農業生産力の向上という観点からも極めて重要な役割を果した。最後の良安の附記は核心を突いている。

・「痞滿」は胸がつかえて塞がったような苦しい症状、若しくは、脇腹がしくしく痛んだり、ぎゅっと縛られるような痛みの症状を言う。

・「其の利用、計るべからず」声を大にして言おう。「鯨」だ! 東部エスタリブッシュメントやローマ・クラブの白人優位主義者の意を受けたアメリカや自然保護団体の捕鯨禁止に論理的根拠は全くない! 鯨によって多くの飢えた人々を救うことだって出来るのだ。ミンククジラの過剰による生態系の破壊、その間引きの必要性は、世界捕鯨連盟の、世界の鯨類学者による科学小委員会の絶対多数で是認されたことだ。最後の切り札の動物権なぞという嘘臭い新語を行使する者は、その前に人間権を訴え、イラクで人を殺して儲けているアメリカを一番に批判するがいい!]

***

うるめいわし   正字未詳

潤眼鰯    【俗云宇留女】

 

△按潤眼鰯狀似鰯而圓長蒼黒色眼大潤漁人作鮝炙

 食無脂腥氣味美官家亦賞之久見風日肉硬味變澁

《改ページ》

 或以鰯僞之者味邈劣以眼大小可別矣阿州之產爲

 上

うるめいわし   正字、未だ、詳らかならず。

潤眼鰯    【俗に「宇留女」と云ふ。】

 

△按ずるに、潤眼鰯は、狀〔(かたち)〕、鰯に似て、圓〔(まろ)〕く、長く、蒼黒き色。眼〔(まなこ)〕、大にして、潤ほふ。漁人、鮝〔(ひもの)〕に作り、炙り食ふ。脂、腥〔(なまぐさ)〕き氣〔(かざ)〕無く、味、美なり。官家〔(くわんけ)〕にも、亦、之れを賞す。久しく風日を見れば、肉、硬く、味、變じて、澁(しぶ)し。或いは、鰯を以つて、之れを僞る者、味、邈〔(はるか)〕に劣れり。眼の大小を以つて別〔(わか)〕つべし。阿州〔=阿波〕の產、上と爲す。

[やぶちゃん注:ニシン・骨鰾下区ニシン上目ニシン目ニシン科ウルメイワシ亜科ウルメイワシ属ウルメイワシ Etrumeus teres

・「眼、大にして潤ほふ」はボラやニシン・アジ等に見られる「脂瞼」である。コンタクト・レンズ様の透明な脂肪質で、眼球、及び、その周辺を覆うもので、保護の他に視力をアップする効果もあると思われている。

・「脂、腥き氣、無く」ウルメイワシはイワシ類の中では、実は、脂分が少ない。]

***

[やぶちゃん注:離れた上部にあるのは、「カズノコ」と思われる図である。]

かど

にしん

 

鰊【音柬】共俗用

 【俗云爾之牟

  或云加登】

 

△按鮡狀似鯯而圓長眼大而赤軟鱗易脱蒼碧色肉白

 脆脂多有細刺味勝於鰯炙食或作鮓藏糟亦佳東北

 海南部津輕蝦夷最多【西南海嘗無之】九十月至春采之大者

 尺餘一網𫉬數万去頭尾作鮿【名美加木】而販之四方以煑

 食之所去頭尾爲田圃之培【病猫食鮡乃癒】

數子 鮡之子也割腹出鮞乾之黃白色爲上【陳久者色變赤褐】

 臘月歲始及婚家以爲規祝之肴取多子之義同以鰕

 取海老之義矣溫暑至則出鮾臭氣不堪食凡用時浸

《改ページ》

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○二十

 水四五日換水能洗淨沙垢軟熟【或赤土少許入則速軟】和鹽揉

 合浸醬油食味脆甘美未知其㳒〔=法〕者炙不柔煮之倍硬

 浸醋苦澁無奈之何

かど

にしん

 

鰊【音、柬〔(かん)〕。】共に俗用。

【俗に「爾之牟」と云ふ。或は「加登」と云ふ。】

△按ずるに、、狀〔(かたち)〕、「鯯〔つなし〕」に似て、圓〔まろ)〕く、長し。眼〔(まなこ)〕、大にして、赤し。軟〔かなる〕鱗〔は〕脱し易く、蒼碧色。肉、白く、脆〔(もろ)〕く、脂、多し。細〔き〕刺〔(はり)〕、有り。味、鰯に勝れり。炙り食ひ、或いは、鮓〔(すし)〕に作り、糟〔(かす)=粕〕に藏〔(ざう)するも〕亦、佳なり。東北海の南部・津輕・蝦夷に、最も多し【西南海に、嘗つて、之れ、無し。】。九、十月より、春に至るまで、之れを采る。大なる者、尺餘。一網に、數万〔(すまん)〕を獲る。頭・尾を去りて、鮿(ひもの)と作〔(な)〕して【名、美加木〔(みがき)〕。】、而〔(しか)〕して、之れを四方に販〔(ひさ)〕ぐ。以つて、之れを、煮て食ふ。去る所の頭尾〔は〕、田圃の培〔ばい:肥やし。〕と爲す【病猫、鯡を食はば、乃〔(すなは)〕ち、癒ゆ。】。

數子(かずのこ) 鮡の子なり。腹を割〔(さ)〕き、鮞〔(はららご)〕を出だし、之れを乾かす。黃白色を上と爲す【陳久せる者、色、變じて赤褐。】臘月〔(らふげつ)〕、歳始、及び、婚家、以つて、規祝の肴と爲すは、「多子」の義を取る。鰕を以つて、「海老」の義を取るに同じ。溫暑、至れば、則ち、鮾臭の氣、出でて、食ふに堪へず。凡そ、用ふる時、水に浸〔すこと〕四、五日、水を換へ、能く沙垢を洗淨して、軟熟にし【或いは、赤土を少し許〔(ばか)り〕入るれば、則ち、速やかに軟ず。】、鹽を和して、揉み合はせ、醬油に浸して、食ふ。味、脆〔(もろ)〕く、甘美。未だ、其の㳒〔=法〕を知らざる者、炙りて〔も〕、柔かならず、之れを煮て〔も〕、倍〔(ますます)[やぶちゃん注:原本では後半の部分の踊り字「〱」のみがある。]〕硬く、醋に浸すも苦く、澁し。之れを、奈何〔(いかん)〕ともすること、無し。

[やぶちゃん注:硬骨魚綱骨鰾(ニシン)下区ニシン上目ニシン目ニシン科ニシン属ニシン Clupea pallasii 。「鮡」については、私は当初、「非」の衍字と単純に理解していたのだが、確かに良安は確信犯的に「兆」と記している。「サンケイ・スポーツ釣サイト」の塚田國之氏の「春告魚物語」には本稿のこの用字について、『私見であるが』と断わった上で『海岸に押寄せるニシンの多さから兆の字を当て、これが転用されたとの説に組みしたくなる』と記す。成るほど!(なお、このページの記載は語源説にしても慎重な考証を行っており、大変興味深い)

・「鯯」はニシン科コノシロ亜科コノシロ属コノシロ Konosirus pumctatus 。前掲の「鰶」を参照。

・「美加木」は現在の「身欠鯡」(みがきにしん)のこと。元来は単なる「田圃の培」(肥料)でしかなかったニシンが変貌を遂げるきっかけとなった加工食品である。鰓や内臓を、しっかりと除去し、洗浄して、乾したものは、極めて保存性能が高かったために、内陸まで行き渡る魚肉製品となったのである。

・「陳久」は、「古く久しい」で、「時間が経って古くなった」の意。

・「臘月」陰暦の十二月の異名。

・「規祝の肴」は、「そのような年始や婚姻祝い等の決まった祝いの料理とするのは」の意。

・『鰕を以つて、「海老」の義を取る』は、「海老」から、「腰が曲るまで老いても元気に生きる」の意から、「長寿」の意を意味をかけるのとっ同様である、という意。

・「鮾臭」は音読みならば「ダイシュウ」(現代仮名遣)。東洋文庫版では二字で『くさり』と訓じているが、これは現代語訳なので、当てにならない。意味は、「半ば腐ったような臭い」の意。

・「沙垢」は、音読みなら「サコウ」、東洋文庫版では『すなごみ』と訓じているが、これは同前で当てにならない。意味は、「付着した砂や塵(ごみ)」の意。

・「軟熟」は、軟らかくなるまでじっくりと煮込むこと。

・「赤土」戻す時に、米の研ぎ汁や、灰汁(あく)を入れるというのは聞くが、赤土は初見。]

***

しやちほこ

魚虎

イユイ フウ

 

  土奴魚 鱐【音速】

 【俗用鱐字未詳

  鱐乃乾魚之字】

  【俗云奢知保古】

[やぶちゃん字注:以上四行は、前三行下に入る。]

 

本綱魚虎生南海中其頭如虎背皮如猬有刺着人如蛇

咬亦有變爲虎者又云大如斗身有刺如猬能化爲豪豬

此亦魚虎也

△按西南海有之其大者六七尺形畧如老鰤而肥有刺

 鬐其刺利如釼其鱗長而腹下有翅身赤黒色離水則

 黃黒白斑有齒食諸魚世相傳曰鯨食鰯及小魚不食

 大魚有約束故魚虎毎在鯨口傍守之若食大魚則乍

《改ページ》

 入口嚙斷鯨之舌根鯨至斃故鯨畏之諸魚皆然矣惟

 鱣鱘能制魚虎而已如入網則忽囓破出去故漁者取

 之者稀焉初冬有出于汀邊矣蓋以猛魚得虎名爾猶

 有蟲蠅蝎虎之名非必變爲虎者【本草有變爲虎者之有字以可考】

 鱣鱘鯉逆上龍門化竜亦然矣

城樓屋棟瓦作置龍頭魚身之形謂之魚虎【未知其據】蓋置嗤

吻於殿脊以辟火災者有所以【嗤〔→蚩〕吻詳于龍下】

しやちほこ

魚虎

イユイ フウ

 

 土奴魚 鱐〔(しゆく)〕【音、速。】

 【俗に「鱐」の字を用ふるは、未だ、詳らかならず。鱐、乃〔(すなは)〕ち、「乾魚」の字〔なり〕。

  【俗に「奢知保古〔(しやちほこ)〕」と云ふ。】

 

「本綱」に『魚虎、南海中に生ず。其の頭〔(かしら)〕、虎のごとく、背の皮に猬〔=蝟=彙:はりねずみ〕のごとくなる刺〔(とげ)〕有りて、人に着けば、蛇の咬むがごとし。亦、變じて、虎と爲る者、有り。又、云ふ、大いさ、斗〔:柄杓〕のごとく、身に、刺、有りて、猬のごとし。能く化〔(け)〕して-豬(やまあらし)と爲〔(な)〕る。此れも亦、魚虎なり。』と。

△按ずるに、西南海に、之れ、有り。其の大なる者、六、七尺。形、畧〔(ほぼ)〕、「老鰤〔(おいしぶり)〕」のごとくして、肥えて、刺鬐〔(とげひれ)〕有り。其の刺、利きこと、釼〔(つるぎ)〕のごとし。其の鱗、長くして、腹の下に、翅〔(はね)〕、有り。身、赤黒色。水を離〔(はな)るれば〕、則ち、黃黒、白斑なり。齒、有りて、諸魚を食ふ。世に相傳へて曰く、『鯨は、鰯、及び、小魚を食ふも、大魚を食はざるの約束、有り。故に、魚虎は、毎〔(つね)〕に、鯨の口の傍らに在りて、之れを守る。若〔(も)〕し、大魚を食はば、則ち、乍〔(たちま)〕ち、口に入り、鯨の舌の根を嚙〔(か)み〕斷〔(た)ち〕、鯨は斃〔(し)〕するに至る。故に、鯨、之れを畏る。諸魚、皆、然り。惟だ、鱣〔(ふか)〕鱘〔(かぢとをし)〕、能く、魚虎を制すのみ。如〔(も)〕し、網に入らば、則ち、忽ち、囓み破りて、出で去る。故に漁者、之れを取る者、稀れなり。初冬、汀-邊〔(みぎは)〕に出づること、有り。』と。蓋し、猛魚なるを以つて、「虎」の名を得《うる》のみ。猶ほ、蟲に-虎(はいとりぐも)-虎(いもり〔→やもり〕)の名有るがごとし。必〔ずしも〕、變じて虎と爲る者に非ず。【「本草」〔=「本草綱目」〕に『變じて、虎と爲る者、有る』と云ふの「有」の字、以つて、考ふべし。[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]】鱣(ふか)・鱘(かぢとをし)・鯉(こひ)、龍門に逆(さ)か上(のぼ)りて竜に化すと云ふも亦、然り。[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]

城樓の屋-棟(やね)して、瓦に、龍頭魚身の形を作り置く。之れを「魚虎(しやちほこ)」と謂ふ【未だ、其の據〔(きよ)〕を知らず。】。蓋し、「嗤吻(しふん)」を殿脊〔(でんせき):屋形の屋根〕に置き、以つて火災を辟〔=避〕くと云ふは、所-以(ゆへ[やぶちゃん注:ママ。])有り【「蚩吻」は「龍」の下に詳らかなり。

[やぶちゃん注:「本草綱目」の記す「魚虎」は、化生するところは架空の生物であるが、刺の描写や大きさは、カサゴ亜目オニオコゼ科オニオコゼ属オニオコゼ Inimicus japonicus を筆頭としたカサゴ目の毒刺を有するグループを想定し得るが(「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「䲍」(おこじ:オコゼ)も必ず参照されたい)、後の良安の記すものは、とりあえずクジラ目ハクジラ亜目マイルカ科シャチ属シャチ Orcinus orca と同定してよいであろう。シャチと言えば、私は今でも鮮やかに覚えている、少年時代の漫画学習百科の「海のふしぎ」の巻に、サングラスをかけた小さなシャチが、おだやかな顔をしたクジラを襲っているイラストを……。ちょっとした参考書にも、シャチは攻撃的で、自分よりも大きなシロナガスクジラを襲ったり、凶暴なホホジロザメ等と闘い、そこから「海のギャング」と呼ばれる、と書かれていたものだ。英名もKiller whale、学名はローマ神話の『死の神「オルクス」に属する者』、或いは「死者の王国の者」という意味でもある。しかし。実際には、肉食性ではあるが、他のクジラやイルカに比べ、同種間にあっては、攻撃的ではないし、多くの水族館でショーの対象となって、人間との相性も悪くない(私は芸はさせないが、子供たちと交感(セラピー)するバンクーバーのオルカが極めて自然で印象的だった)。背面、黒、腹面、白、両目上方に「アイ・パッチ」と呼ぶ白紋があるお洒落な姿、ブリーチング(海面に激しく体を打ちつけるジャンピング)やスパイ・ホッピング(頭部を海面に出して索敵・警戒するような仕草)、数十頭の集団で生活する社会性、エコロケーションによる相互連絡やチームワークによる狩猟、じゃれ合う遊戯行動等、少しばかり、ちっぽけな彼等が、人間の目に付き過ぎたせいかもしれないな。本項の叙述も殆んど、「切り裂きジャック」並みの悪行三昧だ。良安が教訓染みて終えているので、私も一つ、これで締めよう。『出るシャチはブリーチング』。

・「鱐【音、速。】」とあるが、「鱐」の音は、示した通り、「シュク」である。「速」は「ソク」で「シュク」と言う音はない。不審である。「鱐」は「ほしうお・ひもの・乾魚」或いは「魚のあぶら」を意味する。これも、良安、わざわざそう記しているように、何となく、不審である。これは、実は実際のシャチの実物を全く見ていない彼の弱みが聴き書きを必死で書き込んだ痕跡のように、私には思われるのである。

・「猬」は哺乳綱モグラ目(食虫目)ハリネズミ科 Erinaceidaeのハリネズミ類。

・「豪豬」はネズミ目(齧歯目)ヤマアラシ上科ヤマアラシ科アメリカヤマアラシ科 Erethizontidaeの地上性のヤマアラシ類。

・「老鰤」スズキ目アジ亜目アジ科ブリ Seriola quinqueradiata の大型個体。一応、訓読みしておいた。

・「刺鬐、有り。其の刺、利きこと、釼のごとし」はセビレの形状を言うものと考えてよい。シャチの♂は、成長するにつれて、セビレ、及び、ムナビレ(=「腹の下に翅」)が特に目立つようになる。

・「水を離れば、則ち黃黒、白斑なり」とは、水から上がってしまうと、体色の黄身を黄色い部分や黒い部分に白い斑点が現れる、という意味であるが、これはパッチを誤解(聴き取りの誤認)したものと思われ、やはり、良安は不十分にして偽りの多い知ったか振りの半可通の話を無批判に記した可能性が高いように思われる。

・「魚虎は、毎に。鯨の口の傍らに在りて、之れを守る。……」これは、実際、クジラを襲うことのあるシャチへの根拠のない妄想説のように思われるのだが、よく見ると、「口の傍らに在りて」及び「口に入り」というのは、クジラに付着しているコバンザメ類(スズキ目Perciformesコバンザメ亜目コバンザメ科Echeneidae)の行動を見、クジラの死亡個体の口腔内からコバンザメを発見した際に(サメやクジラの口腔内を出入りするコバンザメを私は映像で見たことがある。但し、死亡個体の口腔内に有意に彼等を発見し得るかどうかは知らないのであるが)それが「鯨の舌の根を嚙み斷」ったと誤認し、それが実際のクジラに攻撃行動をとるシャチと混同されて生じた伝説ではあるまいか。識者の意見を伺いたいものである。なお、「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「舩留魚」(ふなとめ=コバンザメ)の項も参照されたい。

・「鱣」分類学上、フカは軟骨魚綱板鰓亜綱Elasmobranchiiに属するサメと同義。「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鱣」の項、参照。

・「鱘」カジキのこと。カジキはスズキ目メカジキ科 Xiphiidae およびマカジキ科 Istiophoridae の二科に属する魚の総称。「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鱘」の項、参照。

・「蠅虎」節足動物門クモ綱クモ目ハエトリグモ科シラヒゲハエトリグモ属シラヒゲハエトリ Menemerus confusu 等に代表される(ハエトリグモ科の種和名は慣習として接尾語のクモを外す)のハエトリグモ類。「蠅狐」「蠅取蜘蛛」とも。次の「蝎虎」と同様、中国語(現在も通用)。私の数少ない大好きな「虫」の一つである。

・「蝎虎」現代中国語では蠍座を「蝎虎座」と呼び、「とかげ座」と訳している。爬虫綱有鱗目トカゲ亜目 Lacertilia のトカゲである。また、ヤモリは「壁虎」で近いし、ネット上には蝎虎を爬虫綱有鱗目トカゲ亜目ヤモリ下目ヤモリ科 Gekkonidae に属するヤモリ類を言うとする記載が多い。ここで良安は、両生綱有尾目イモリ亜目イモリ科 Salamandridae の「イモリ」とルビを振るが、現代中国語では「蠑螈」で、イモリを蝎虎とする記載はネット上には見当たらない。ヤモリは上位タクソンでトカゲに属し、更にイモリの形状はヤモリに似、日本の古典で、イモリとヤモリを一緒くたに語る(イモリとヤモリの双方向同一物表現)ものを、複数、見たことがある。決定打は、実は「和漢三才圖会」の卷四十五にあった。ここに良安は「蠑螈」(ゐもり)=イモリと、「守宮」(やもり)=ヤモリを、二項、続けて、記載しており、その「守宮」の項の図下の冒頭の異名の列挙に『蝘蜓(えんてい) 壁宮 壁虎 蝎虎』と記している。序でに言えば、その「守宮」の本文中で良安は、

   *

守宮【今云屋守】蠑螈【今云井守】一類二種而所在與色異耳守宮不多淫相傳蛙黽變爲守宮

守宮(やもり)【今、屋守と云ふ。】蠑螈(いもり)【今、井守と云ふ。】一類二種にして、所在と色と、異なるのみ。守宮(やもり)は多淫ならず、相傳ふに、蛙-黽(あまがへる)、變じて、守宮と爲る、と。

   *

と記し(ちなみに「多淫ならず」は、前項の「蠑螈」(イモリ)についての記載の『性、淫らにして能く交(つる)む』とあるのを受ける)、イモリもヤモリも棲むところと色が違うだけで同じだあなと、のたもうておる訳で――ここはもう、ヤモリでキマリ!

・「鱣・鱘・鯉、龍門に逆か上りて竜に化す」この「登龍門」の魚の正体については、「鱣」や「鯉」、種々の項で、私の考えを語ってきた。結論だけを言う。チョウザメ目チョウザメ科 Acipenseridaeのチョウザメ類が龍門を登る魚の正体である。「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鮪」の項の「王鮪」の注を参照されたい。

・「蚩吻」は「和漢三才圖會」の卷四十五の「龍」の項の解説に割注を含めてたった八文字(全く以つて「詳」ではない!)、以下のようにある

   *

蚩吻好吞【殿脊之獸】

蚩吻は吞むことを好む【殿脊の獸。】。

   *

「殿脊」は「でんせき」と読み、「屋形の屋根」の意。いやはや、これでは困るな。大寺院の甍の両端に、まさに鯱(しゃちほこ)のような形のものを御覧になった記憶がある方は多いだろう。これは「鴟尾(しび)」と呼称することも、芥川龍之介の「羅生門」でお馴染みだ。文字の意味は「鳶の尻尾」なのであるが、これは実は、「蚩尾」で、良安が判じ物のように示した通り、龍の九匹の子供の内の一匹が「蚩吻」(しふん)と称する酒飲みの龍であり、それが屋根を守ると、古くから信じられたようなのである。派手に酒を吹き出して、消火してくれるスプリンクラーのようなものか? いや、待てよ! 中国酒はアルコール度数が高いから逆にジャンジャン燃えるんでないの!?!

 なお、以上の注は「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鯨」の項の「魚虎」の注として作成したものを改訂増補したものである。向うの「魚虎」の記述と一部の注を以下に付しておく。

   *

魚虎〔(しやち)〕と云ふ者、有り。其の齒・鰭(ひれ)、剱鉾〔(けんぼこ)〕のごとし【「有鱗魚」の下に詳し。】。數十〔(すじふ)〕、毎〔(つね)〕に、鯨の口の傍らに在りて、頰・腮〔(あぎと):あご〕を衝〔(つ)〕く。其の聲、外に聞こゆ。久しくして、鯨、困迷して口を開く時、魚虎、口中に入り、其の舌を嚙み切り、根、既に喰ひ盡して出で去る。鯨は乃〔(すなは)〕ち、斃〔(し)=死〕す。之れを「魚虎切り」と謂ふ。偶々、之れ、有りて、浦人〔(うらびと)〕、之れを獲る。海中の無雙の大魚、纔〔(わづ)〕かの小魚の爲に、命を絕つ。

   *

・「剱鉾」は、剣(つるぎ)や鉾(ほこ)と読んで問題ないが、魚虎の派手さからは、京都祇園御霊会の、神輿渡御の際の先導を務める悪霊払いの呪具たる「剱鉾」を指している可能性もある。「剱鉾」の画像はグーグル画像検索「祇園祭 剣鉾」をリンクさせておく。]

***



[やぶちゃん注:左は東洋文庫版のもので、右は大阪中近堂から明治一七(一九八四)~二一(一九八八)年に刊行された「和漢三才圖會」の「人魚」の図で、この版は図が異なり、上半身が底本よりも綺麗なので紹介する。国立国会図書館デジタルコレクションの保護期間満了の画像を印刷し(画像を直接加工したのではない)、それをスキャンし、画像処理ソフトを用いて汚損を除去し、補正を加えたものである。]

にんぎよ   鯪魚

人魚

ジン イユイ

 

和名抄引兼名苑云人魚【一名鯪魚】魚身人靣〔=面〕者也

本綱引稽神錄云有謝仲玉者見婦人出没水中腰已下

皆魚又有査道者奉使高麗見海沙中一婦人肘後有紅

《改ページ》

■和漢三才圖會 江海有鱗 卷ノ四十九 ○二十一

鬛二物其是人魚也

推古帝二十七年攝州堀江有物入罟其形如兒非魚非

人不知所名今亦西海大洋中間有之頭似婦女以

下魚身麄〔=麤〕鱗淺黒色似鯉尾有岐兩鰭有蹼如手而無脚

暴風雨將至時見矣漁父雖入網奇不捕

阿蘭陀以人魚骨【名倍以之牟礼】爲解毒藥有神効其骨作噐〔=器〕爲

 佩腰之物色似象牙而不濃

にんぎよ   鯪魚

人魚

ジン イユイ

 

「和名抄」に「兼名苑」を引きて云ふ、『人魚【一名、鯪魚。】魚の身、人の面〔(おもて)〕なる者なり。』と。

「本綱」に「稽神錄」を引きて云はく、『謝仲玉と云ふ者、有り、婦人の水中に出没するを見る。腰より已下〔=以下〕は、皆、魚なり。又、査道と云ふ者、有り、高麗に奉使して、海沙中に一婦人を見る。肘の後〔(うしろ)〕に紅き鬛、有りと。二物、其れ、是れ人魚なり。』と。[やぶちゃん字注:「云」は送り仮名にある。]

推古帝二十七年、攝州堀江に、物、有り、罟(あみ〔=網〕)に入る。其の形、兒のごとく、魚に非ず、人に非ず、名づく所を知らず云云〔(うんぬん)〕。今も亦、西海大洋の中に、間(まゝ)、之れ、有り。頭〔(かしら)〕、婦女に似て、以下は、魚の身。麤〔(あら)=粗〕き鱗、淺黒〔(あさぐろ)〕き色、鯉に似て、尾に、岐〔(また)〕、有り。兩の鰭、蹼(みづかき)、有りて、手のごとくにして、脚、無し。暴(にはか)に、風雨、將に至〔(いた)ら〕んとする時、見る。漁父、網に入ると雖ども、奇(あやし)みて、捕らず。

阿蘭陀、人魚の骨【「倍以之牟礼〔(ヘイシンレ)〕」と名づく。】を、以つて、解毒の藥と爲す。神効、有り。其の骨、噐〔(うつわ)〕に作り、佩腰〔(はいえう)〕の物と爲す。色、象牙に似て、濃〔(こ)くは〕ならず。

[やぶちゃん注:モデル論では、

哺乳綱ジュゴン目(海牛目)Sirenia ジュゴン科 Dugongidae ジュゴン亜科ジュゴン属ジュゴン Dugong dugon

一属一種が真っ先に挙げられる。しかし、さすれば当然、「人魚学」的には、中国・日本を度外視して、同じジュゴン目の

マナティー科 Trichechidae マナティー属 Trichechus

に属する次の三種

アマゾンマナティー Trichechus inunguis

アメリカマナティー Trichechus manatus

アフリカマナティー Trichechus senegalensis

も世界的には候補として挙げねばならないし、更に言えば、近代に人類が絶滅させてしまった

ジュゴン科ステラーカイギュウ亜科 Hydrodamalinae ステラーカイギュウ Hydrodamalis gigas

も、その我々の愚かな行為を忘れないために、掲げることに異論を挟む方はおるまい(ステラーダイカイギュウについては、私の電子テクストにある南方熊楠の「人魚の話」の私の注13を、是非、お読み頂きたい【二〇二三年九月十五日追記】私の『南方熊楠「人魚の話」(正規表現版・オリジナル注附き)』の「海牛(シーカウ)」の注が決定版である)。但し、良安の叙述を虚心坦懐に読むならば、これは、

食肉(ネコ)目イヌ亜目鰭脚下目アシカ科 Otariidaeのアシカやオットセイ

及び、

鰭脚(アシカ)下目アザラシ科 Phocidaeのアザラシ

等も、モデル生物として、全然、問題はない気がする。附記すると、都市伝説としての人魚伝説は、今も健在だ。調査捕鯨の関係者の間で噂される「ヒトガタ」(人型)と言い、映像にも撮られた謎の人魚がいるノダ! 未確認生物(UMA:UFOにあやかって日本人の好事家がでっち上げた和製英語で、本邦以外では通用しないので注意されたい)のサイトや「ヒトガタ」「ニンゲン」「人型物体」等で検索をおかけになるのも一興であろう。

 閑話休題。先のジュゴン=人魚説の正統な博物学的総本山は、先に掲げた南方熊楠の「人魚の話」(初出「牟婁新報」明治四三(一九一〇)年九月【二〇二三年九月十五日追記】私の『南方熊楠「人魚の話」(正規表現版・オリジナル注附き)』が決定版)を嚆矢とするであろう。本作は、例によって、博覧強記の熊楠が、古今東西の人魚伝説を自在に行き来する『智の旅』である。上記の熊楠のテクストに附けた私の注を見て頂ければ、ご理解頂けると思うが、私は昔から「人魚」を愛すること、人後に落ちず、何時の日か、その思いの丈けを存分に語りたいとずっと思っていたのだが、そのパッションは残念ながら、彼や、今やネット上の多くの「人魚」愛好家のために奪われた(幾つかの引用文献を用意したが、「人魚 文献」のグーグル検索ヒット数は二万八千件である。【追記:以上の数字は原型公開の二〇〇八年の数字。今、調べると、一万四千五百件に減っていた。だんだん、正統な人魚愛者も減っているようだ)。伊東静雄風に言うなら、僕は、つい逢はざりし「人魚」の面影を抱いたまま、「死ね」という声を聞きながら、淋しく浜辺を去らねばならぬのか……それでも!!!……!!!……

・「鯪魚」は「山海經」(せんがいきょう)第十二の「海内北經」(かいだいほっきょう)に 『陵魚、人面、手足、魚身、在海中』とあるのと同一の生物である(但し、「廣漢和辭典」を引くと、「鯪」には、『大魚の名。また、せんざんこう』、とあるのみで、人魚の記載が全くないのは、何故だろう? ちなみに「せんざんこう」とは、勿論、「穿山甲」、あの角質の鱗の装甲を持った陸上生物、哺乳類有鱗(センザンコウ)目鱗甲科 Pholidota に属するセンザンコウ類である)。清の康煕六(一六六七)年刊「山海經廣注」の付図から「鯪魚」の当該図を以下に示す(所持する平凡社一九七三年刊中国古典シリーズ4「抱朴子 列仙伝・神仙伝 山海経」巻末所収の京都大学人文科学研究所所蔵本挿図よりトリミング補正したもの)。


・「兼名苑」は唐の僧であった釈遠年撰になる、名物の呼称についての研究書。

・「稽神錄」は北宋の学者徐鉉(じょげん)撰の志怪小説。徐鉉は文字学者として「説文解字」の校訂者としても知られる。第二の例は「徂異記」(宋の聶田撰になるものだが、散佚して、引用で残るのみ)に載るとするものと同じである。以下に「徂異記」から引用する(原文のテクストは、嘗つて繁体字中文サイトのものをダウン・ロードしてストックしていたものを補正・加工した。失礼ながら、ダウンロード先は失念した)。

   *

待制査道出使高麗、晩上船泊在一山邊。望見沙灘上有一婦人、頭髮薘鬆、穿著紅裙子、袒露兩臂、肘下有鬣。船夫不知道是什麼。査道曰、「是人魚也。」。

○やぶちゃんの書き下し文

 待制の査道、高麗に出使し、晩上(くれがた)、船、泊して、一つ山の邊りに在り。望見するに、沙の灘(なだ)の上に、一婦人、有り。頭髮、薘鬆(ほうそう)し、紅裙子(こうくんし)を穿著(せんちよ)し、兩臂(りやうひん)を袒露(たんろ)し、肘下(ちうか)に、鬣(ひれ)、有り。船夫、知らずして、

「是れ、什麼(そもさん)?」

と道(い)ふ。

 査道、曰はく、

「是れ、人魚なり。」

と。

○やぶちゃん訳

 待制であった査道は、高麗に使者として遣わされた。

 その途上、ある夕方のこと、船が錨を降ろして、とある山の麓の海辺に在った。

 査道が、碇泊した船上から景色を眺めて見ると、砂浜の水際の辺りに一人の婦人がおり、髪を振り乱し、紅い裳(も)だけを穿(は)いて、袒(はだぬ)ぎして、両の手首(肘から先)を露わにし、そして肘(ひじ:肘から脇の下までの二の腕)の脇の下には、鰭(ひれ)があった。

 同船していた船乗りは、全く見たこともない生き物だったので、

「さても!?! あれは一体、何ですか?」

と彼に尋ねた。

 即座に、査は、答えて言った。

「あれが、人魚だ。」

と。

○やぶちゃん語註

・待制:唐代の官名で、詔勅の筆記や、種々の御下問に返答する学識職。

・「沙灘」「砂洲」の意で多く用いられるが、砂浜の汀(みぎわ)の意味でよいであろう。映像としては、孰れでも、いい感じである。

・薘鬆:髪の乱れているさま。

   *

・「推古帝二十七年」以下の叙述は「日本書紀」の推古天皇二七六一九)年七月に現われる条。

   *

秋七月。攝津國有漁父。沈罟於堀江。有物入罟。其形如兒。非魚非人。不知所名。

   *

攝津の堀江は、現在の大阪府西区の旧淀川河口域の地名。なお、この文の直前、推古天皇二七(六一九)年四月四日の条には、

   *

二十七年夏四月己亥朔壬寅。近江國言。於蒲生河有物。其形如人。

 二十七年、夏、四月の己亥(つちのとゐ)の朔(ついたち)壬寅(みづのえとら)に、近江國に言(まう)さく、

「蒲生河(がまふがは)に物有り。其の形、人のごとし。」

と。

   *

とあるのも、本来なら併記すべき内容であろう(「蒲生河」は現在の鳥取県岩美(いわみ)郡岩美町(いわみちょう)を流れる蒲生川(がもうがわ:グーグル・マップ・データ)。この「其形如人」は、やはり人魚である。それが水棲人間の存在を喚起し、七月の条の記載をあらしめたのだと思う。但し、この二件について、南方熊楠は上記の「人魚の話」(【二〇二三年九月十五日追記】私の『南方熊楠「人魚の話」(正規表現版・オリジナル注附き)』が決定版)の中で、両生綱有尾目サンショウウオ亜目オオサンショウウオ科のオオサンショウウオ Andrias japonicus であろうと推測している。当該種は岐阜県以西の日本固有種であり、前者の近江の発見個体は完全な淡水域でのものであるから、オオサンショウオの可能性が高く、それを受けた(類似性が高いと判断されたから記載されたと読むのが正しいから)摂津堀江の「兒」のような(これに出産直後の胎児のニュアンスを読むならば、ますます)「人魚」は、やはり当該種であると考えてよいと私も思うものである。なお、初回公開以降の公開記事の内、「人魚」関連のお勧めを掲げておく。一押しは、精巧に作られた「人魚」を真面目に描いた、

 毛利梅園「梅園魚譜」 人魚

で、後は、本篇と対比して貰うために、

「大和本草卷之十三 魚之下 人魚 (一部はニホンアシカ・アザラシ類を比定)」

「大和本草附錄巻之二 魚類 海女 (人魚)」

「大和本草附錄巻之二 魚類 海人 (人魚その二)」

である。因みに、私はとっくの昔に、ブログ・カテゴリ『貝原益軒「大和本草」より水族の部』を完遂している。良安の記載と対比して読むと、面白い。

・「倍以之牟礼」については、南方熊楠の上記論文で、この良安の記述を載せて『ラテン語ペッセ・ムリエル、婦人魚の義なり』と注している。さてこれについて調べようとしたところが、以前からその膨大な資料に敬意を表しながらも、不勉強ながらろくに読んでいなかった「東京人形倶楽部」(これ自体が、本邦の「人魚学」の最も強力なサイトである)の中に、『「せ」は世界の人魚、或いは人魚の世界のセ 坂元大河君の報告――人魚初級講座5 東洋の人魚――』(これが「初級」では、私は母の胎内に戻って生まれ直さねばならぬ!)という、もう私の出る幕はない素晴らしく記載を見つけてしまった。素直に完敗を表明して該当箇所を引用させて頂く(一部の記号・フォントを本ページに合わせて補正したのみで基本的に完全なコピー・ペーストである)。

   《引用開始》

 江戸の人魚文献で注目されるものに、大槻玄沢(磐水)の「六物新志」があります。舶来薬品の考証ですが、下巻の最後で人魚が取り上げられ、「甲子夜話」で「人魚のこと大槻玄沢が六物新志に詳なり」と言われているものです。玄沢は「ヘイシムレル」という人魚の骨が海外からもたらされている所から説き始めます。この物は、貝原益軒「大和本草」では「ベイシムレル」、「和漢三才図会」では「バイシムレ」と言われていますが、玄沢はスペイン語のペセムエール、つまりpez(魚)とmujer(女)の合成語、婦魚=人魚のことだと、その意味をつきとめました。この語源は、小学館『国語大辞典』では、ポルトガル語peixe-mulher(雌の海牛)とし、南方熊楠はラテン語「ペッセ・ムリエル」(婦人魚)の義としています。

 この骨は象牙のようで、止血(六物新志・長崎聞見録・大和本草・重修本草綱目啓蒙)の効能があるとされています。その他、解毒剤と紹介する文献もあります。「和漢三才図会」、『国語大辞典』、南方熊楠「人魚の話」などです。南方は「三才図会」を引いていますので、寺島良安が解毒剤説を広めているようです。江戸時代で解毒の薬と言えば、ウニコール(一角獣の角)が有名で、偽物が横行し、「うにこーる」と言えば、うそ・いつわりの意味になったほどでした。骨の解毒作用は、漢方の犀角、蛇角で説かれていますので、人魚の骨も毒を制すると思われたのでしょう。中国では孔雀の血が、アフリカではヘビクイワシの肝臓が、毒蛇に噛まれたときに解毒剤として用いられました。ハゲワシの足は、サソリ、蛇の毒に効くと言われていました。人魚の骨も偽物が多く、「山海名産図会」は「甚だ偽もの多し」、「重修本草綱目啓蒙」は「蛮人もち来たる者贋物多し、薬舗に貨する者はアカエイの歯及びトビエイの歯の形状にして斜紋なるものなり、未だ真なる者を見ず」と言っています。

 玄沢は、イタリア人アルドロヴァンディ(15221605)の動物誌、ポーランド人ヨンストン(16031675)の動物図説、18世紀のオランダ人ファレンティンの書から人魚の図を司馬江漢に写させています。このうちヨンストンの動物図説(165053)は銅版図入の図鑑で、その出版後すぐオランダ商館長が将軍家綱に贈っています。また平賀源内も1760年代にはこの書を入手し、知り合いの画家たちに模写させています。蘭学時代には、人魚を表すヨーロッパの言語も知られ、「西洋雑記」に「セヰレデネン、セイメンセン、ゼエ・フロウー」、「六物新志」には「ペセムエール、フロウヒス、メイルミンネン、ゼイウェイフ」の語が紹介されています。また、1403年にオランダでとらえられた人魚のことは「西洋雑記」「和訓栞」に見えます。このオランダの人魚はよほど有名らしく、南方「人魚の話」、ボルヘス『幻獣辞典』にも登場しておりますし、明代中国の書「萬国図説」「坤輿外記」にも言及があります。

   《引用終了》

……あぁ! 人魚のささやきが聞こえる!……「だからね……最初に貴方が感じたように……貴方はおとなしく浜辺を去るべきだったのに……。」と……]

***

ろくきよ

勒魚

 レツ イユイ

本綱勒魚出東海中以四月至漁人設網候之聽水中有

聲則魚至矣狀如鰣小首細鱗腹下有硬刺如鰣腹之刺

勒人故名之頭上有骨合之如鶴啄形乾者謂勒鮝甜瓜

《改ページ》

生者用勒鮝骨挿蔕上一夜便熟【石首魚鮝骨亦然】

ろくきよ

勒魚

 レツ イユイ

「本綱」に、『勒魚は、東海の中に出づ。四月を以つて、至る。漁人、網を設けて、之れを候〔(ま)つ〕。水中を聽く〔に〕、聲、有れば、則ち、魚、至る。狀〔(かたち)〕、鰣〔(ひら)〕のごとく、小さき首〔(かうべ)〕、細〔か〕なる鱗、腹の下に、硬〔き〕刺〔(はり)〕、有りて、鰣の腹の刺のごとし。人を勒〔(ろく)〕す。故に之れを名づく。頭〔(かしら)〕の上に、骨、有り。之れを、合〔(あは)〕すれば、鶴の啄〔(くちばし)〕の形のごとし。乾〔(ほ)したる〕者、「勒鮝〔(ろくしやう)〕」と謂ふ。甜瓜(まくはうり)の生〔(なま)〕なる者、勒鮝骨を用ひて、蔕〔(へた)〕の上に挿さば、一夜にして、便〔(すなは)〕ち、熟す【「石首魚〔(にべ)〕」の鮝骨も亦、然り。】。』と。

[やぶちゃん注:「勒魚」で検索すると、多いのが、「シイラ」、又、現代中国語で「ベラ」を指すという記載が見つかるのであるが、シイラは既に前掲した「鱰」で同定してしまっているし、第一、魚体が、「一昨日来い!」である。音を立てるというのであれば、スズキ目ベラ科ノドグロベラ属のウスバノドグロベラ Macropharyngodon moyeri 求愛行動の際にパチンという音を立てるという記載を見つけたし(但し、この種は一九七八年に発見された新種で、伊豆諸島の三宅島から得られた極めて稀な種であるから、同定候補にはなり得ない)、親魚(♂と推定されている)が受精卵を孵化するまで口の中に銜えて保護する、所謂、「マウスブルーダー」を行うことで知られるスズキ亜目テンジクダイ科ツマグロイシモチ属テンジクダイApogon semilineatus も同様に、繁殖期に浅瀬に来た際の求愛行動時や釣り上げられた際に浮袋を収縮させてブツブツとかグーグーと音を立てることは良く知られる(此方の方が叙述には合う気がするが、この種も、通常は百メートル程の砂泥底に棲息し、通常の人が見かけることは少ない)。但し、良安も自己の記載をしていないのは、本邦産に該当種を見出し得なかったからであろうとも思われる。本巻最後なだけにちょと悔しいが、そこまでだ。

・「鰣」は骨鰾下区ニシン上目ニシン目ニシン科ニシン亜科ヒラ Llisha elongata 。前掲の「鰣」を参照。

・「人を勒す」の「勒」は、 「おさえる・ひかえる・制御する」で、「ある動きを押しとどめる」ことを言う漢語である。されば、「この魚を、獲って、人が、その『すなずり』の部分を手で軽くさすった際でも、その硬い腹鰭の刺(とげ)によって、手が自ずと、止まってしまうほどである。」という意であろう。

・「頭の上に骨有り」は「之を合すれば」という記載から二つあると考えてよく、まず間違いなく、「耳石」である。耳石については、前に掲げた「鮸」(コノシロ/ニベ)の項の「白石二枚」の注を参照されたい。鶴の嘴の形をした耳石を持つ魚を探そう!

・「勒鮝」について、実は、中文サイトにそれらしい記載があるにはあるのだが、現在種は分からない。ただ、それに拠れば、その鶴の嘴の形をした骨(耳石)によって「勒」と呼ぶ、とあり、これは恐らく「勒」の本来の意味である「おもがい」が語源であろう。「面繋」(おもがい)とは、轡(くつわ)を飾るために馬の頭部から頰にかけてある紐のことを指す。これは馬の両頬を左右から固く挟むもので、いわば、きゅっと締まった鶴の嘴のように見えるとも言えるであろう(グーグル画像検索「面繋」をリンクさせておく)。しかし、それでは時珍の謂いとは合わないことになる。謎が謎を呼ぶ。五十六億七千万年立てば彌勒菩薩が教えて呉れるかなぁ?……