やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇
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北條九代記 附やぶちゃん注 目次頁

[やぶちゃん注:本書の梗概及び電子テクスト化の動機及び底本について、更に細かな私の電子化ポリシーは「序」の冒頭注を参照されたい。各巻の頭に附した期間は、誤りや誤認の多い原目録のものではなく、より正確を期すために増淵勝一氏訳の教育社新書「北条九代記」の解説を参考にして附した。
 このサイト一括版では、序と巻第一と巻第二のみを公開しているが、ブログ公開版(ブログ・カテゴリ「北條九代記」)では
既に全篇の電子化注を完了、総て公開した。なお、巻第三以降はHTML版の作成を行わない。これは、ルビやリンク作業が煩瑣に過ぎ、ソフトの不具合からルビ・タグの書き換え不具合が頻繁に発生することによる。されば、第三巻以降はブログ版を読まれたい。悪しからず。なお、目次中、底本ではポイント落ち右寄せの「付」(「つけたり」と読む)及び「竝」(「ならびに」と読む)は同ポイントとした。藪野直史【ブログ・カテゴリ始動:2012年10月29日 / ブログ版完結:2018年6月21日】]

鎌倉 北條九代記

  


 
卷第一 〔自治承四(一一八〇)年八月 至正治元(一一九九)年正月〕
  本朝將帥の元始
  右大將賴朝創業
  鎌倉草創 付 來歷
  鶴ヶ岡八幡宮修造遷宮
  鎌倉新造の御館
  平氏東國討手沒落
  瀧口三郎經俊斬罪を宥めらる
  木曾義仲上洛 付 平家都落
  賴朝腰越に出づる 付 榎島辨才天
  勝長壽院造立
  淸水冠者討たる 付 賴朝の姫君愁歎
  義經の妾白拍子靜
  西行法師賴朝談話
  伊豫守義經自殺
  賴朝卿奥入 付 泰衡滅亡
  無量光院の僧詠歌
  賴朝上洛 竝 官加階 付 惣追捕使を申賜る
  富士野御狩 付 曾我兄弟夜討
  範賴勘氣を蒙る 付 家人當麻太郎
  南都大佛殿供養 付 賴朝卿上洛
  右大將賴朝卿薨去

 
第二卷 〔自正治元(一一九九)年正月 至同二(一二〇〇)年十一月〕
  賴家卿御家督 付 宣下 竝 吉書始
  賴朝卿中陰 付 後藤左衞門尉守護職を放たる
  姫君病惱 付 死去
  問注所を移し立てらる
  新田開作
  賴家安達彌九郎が妾を簒ふ 付 尼御臺政子諫言
  諸將連署して梶原景時を訴ふ
  梶原平三景時滅亡
  勝木七郎生捕らる 付 畠山重忠廉讓
  和田義盗侍所の別當に還補す
  梶原叛逆同意の輩追捕
  壽福寺建立 付 榮西禪師の傳
  念佛禁斷 付 伊勢稱念房奇特
  芝田次郎自害 付 工藤行光郎等兄弟働
  太輔房源性異僧に遇ふ算術の奇特 付 安倍晴明が奇特
  柏原彌三郎逐電 付 田文の評定

 
第三卷 〔起建仁元(一二〇一)年正月 至元久二(一二〇五)年閏七月〕(ブログ版終了
  改元付城四郎長茂狼藉 付 城資盛滅亡 竝 板額女房武勇
  坂額女房鎌倉に虜り來る 付 城資永野干の寶劍
  紀内所行景關東下向 付 北條泰時傷歎
  江馬太郎泰時德政
  尼御臺政子御鞠を見給ふ 付 判官知康醉狂
  白拍子微妙尼に成る 付 古郡保忠祖逹房を打擲す
  判官知康落馬 付 鶴ヶ岡塔婆造立地曳
  伊東崎大洞 付 仁田四郎富士人穴に入る
  將軍賴家卿御病惱 付 比企判官討たる 付 比企四郎一幡公を抱きて火中に入りて死す
  太輔房源性一幡公の骨を拾ふ 付 賴家卿近習衆禁獄 竝 將軍家叛逆仁田忠常誅せらる
  賴家卿出家流罪 付 千幡公家督 竝 元服
  實朝讀書始 付 勢州の一揆對治
  賴家郷薨去 付 實朝の御臺鎌倉に下向
  北條政範死去
  武蔵前司朝雅畠山重保と喧嘩 竝 畠山父子滅亡
  北條時政出家 付 前司朝雅伏誅

 
第四卷 〔自元久二(一二〇五)年九月 至建保七・承久元(一二一九)年正月〕(ブログ版終了
  朝親新古今集を進ず 付 八代集撰者
  賴家卿の子息善哉鶴ヶ岡御入室
  黑谷源空上人流罪 付 上人傳記
  實朝卿和歌定家卿批點 付 鬪鷄
  吾妻四郎靑鷺を射て勘氣を許さる
  熊谷小次郎上洛 付 直實入道往生 竝 相馬次郎端座往生
  和田義盛上総國司職を望む
  賀茂長明詠歌
  千葉介阿靜房安念を召捕る 付 謀叛人白狀 竝 和田義盛叛逆滅亡
  長沼五郎太輔房重慶を討つ 付 長長沼實朝卿の政道を罵る
  將軍實朝民部大夫が家に渡御 付 行光馬を獻する歌
  北條時政入道の卒去 付 榎島參籠の奇瑞
  宋人陳和卿實朝卿に謁す 付 相摸守諫言 竝 唐船を造る
  禪師公曉鶴ヶ岡の別當に補す 付 實朝卿歌
  尼御臺政子上洛 付 三位に叙す
  鎌倉怪異 付 北條義時藥師堂建立供養
  實朝公右大臣に任ず 付 拜賀 竝 禪師公曉實朝を討つ

 
第五卷 〔自承久元(一二一九)年二月 至承久(一二二一)年六月〕(ブログ版終了
  鎌倉將軍家居らるべき評定 付 阿野冠者沒落
  賴經公關東下向
  右馬權頭賴茂父子生害
  信濃前司卒去 付 鎌倉失火 竝 五佛堂造立
  二位禪尼を評す
  鎌倉變災 付 二位禪尼御夢想
  北面西面の始 付 一院御謀反の根元 竝 平九郎胤義仙洞に參る
  德大寺殿諫言 付 西園寺右大將父子召籠めらる
  伊賀判官光季討死
  院宣 付 推松使節 竝 二位禪尼評定
  鎌倉軍勢上洛
  大炊渡軍 付 御所燒の太刀
  株瀨川軍 付 關東勢手賦
  蒲原の殺所謀 付 北陸道軍勢攻登る

 
第六卷 〔自承久(一二二一)年六月 至寛喜二(一二三〇)年二月〕(ブログ版終了
  宇治川軍敗北 付 土護覺心謀略
  京方武將沒落 付 鏡月房歌 竝 雲客死刑
  本院新院御遷幸 竝 土御門院配流
  後嵯峨新帝踐祚 付 能登守秀康誅せらる
  鎌倉天變地妖
  太上法皇崩御 付 富士淺間御遷宮
  優曇花の説 付 下部女房三子を産む
  大魚死して浦に寄する 付 旱魃雨請
  北條義時死去
  武藏守泰時執權 付 二位禪尼三浦義村を誡めらる
  義時の後室 同兄弟 竝 實雅中將流罪
  武藏守泰時廉直
  疫癘流行 付 鎌倉四境鎭祭
  泰時仁政 付 大江廣元入道卒去
  二位禪尼逝去
  三浦義村彌陀來迎粧を經營す
  將軍家濱出 付 遊君淺菊
  勝木七郎子息則定本領安堵
  鎌倉騷動 付 武州計略靜謐

 
第七卷 〔自寛喜二(一二一九)年六月 至寛二(一二二一)年十二月〕(ブログ版終了
  雷震 付 將軍家御退居問答勘例
  夏雪 付 勘文 竝 北條修理亮時氏卒去
  降霜石降冬雷 付 將軍家御臺所御輿入
  天變地妖御祈禱
  名越邊狼籍 付 平三郎左衞門尉泰時を諫む
  鎌倉失火
  貞永式目を試む 付 關東飢饉
  下河邊行秀法師補陀洛山に渡る 付 惠蕚法師
  武藏守泰時監察 付 博奕禁止
  泰時政務 付 奉行頭人行跡評議
  御臺卒去 付 明石の神子
  六月祓 付 將軍家御疱瘡
  春日の神木 付 興福寺の衆徒蜂起
  北條時賴元服 付 弓矢評論
  將軍家御上洛 竝 鎌倉御下向
  諸寺の供僧を評せらる 付 僧侶の行狀
  泰時奇物を誡めらる
  火柱相論 付 泰時詠歌 竝 境目論批判
  北條泰時逝去 付 左近大夫經時執權
  將軍家佐渡前司が亭に入御
  將軍賴經公職位を讓る


 第八卷 〔自寛元二(一二四四)年四月 至正嘉二(一二五八)年十月〕(ブログ版終了

  將軍賴嗣御家督
  武藏守經時卒去 付 越後守光叛逆流刑
  前將軍賴經入道御歸洛
  三浦式部大夫流鏑馬を射る
  御所追込の狼藉
  由比濱血に變ず 付 大魚死す 竝 黃蝶の怪異
  三浦泰村權威 付 景盛入道覺地諷諫
  將軍家御臺逝去 付 左近大夫時賴泰村が館を退き歸る 竝 時賴泰村和平
  三浦泰村家門滅亡
  上總權介秀胤自害
  筑後左衞門次郎知定勸賞に漏るゝ訴
  西園寺家繁榮 付 時賴相撲守に任ず
  光明峯寺道家公薨す 付 五攝家相分る
  宗尊親王關東御下向 付 相撲
  陸奥守重時相摸守時賴出家 付 時賴省悟
  伊具入道射殺さる 付 諏訪刑部入道斬罪
  相模の守時賴入道政務 付 靑砥左衞門廉直

 第九卷 〔自文応元(一二六〇)年二月 至文永二(一二六五)年七月〕(ブログ版終了
  御息所御輿入 付 殺生禁遏
  日蓮上人宗門を開く
  時賴入道、靑砥左衞門尉と政道閑談
  時賴入道、諸國修行 付 難波尼公、本領安堵
  律師良賢斬罪 付 讚岐局靈と成る
  奉行頭人政道嚴制 付 北條重時卒去
  將軍家和歌の御會 付 時賴入道逝去
  時宗執權 付 御息所御産祈禱
  武藏守平長時死去 付 將軍家若君御誕生
  將軍家童舞御覽
  高柳彌次郎、縫殿頭文元と訴論
  無量壽院法會 付 大雨洪水
  山内御山莊に於て喧嘩

 
第十卷 〔自文永三(一二六六)年正月 至建治元(一二七五)年九月〕(ブログ版終了
  天變祈禱 付 彗星土を雨す等の勘文
  甲乙人等印地停止
  將軍家叛逆 付 松殿僧正逐電
  鎌倉騷動 付 北條教時別心 竝 將軍家御歸洛
  宗尊親王御出家 付 薨去
  惟康親王御家督 付 蒙古大元來歷
  蒙古牒書を日本に送る
  將軍惟康源姓を賜る 付 大元使を日本に遣 竝 北條時輔逆心露顯
  一院崩御 付 天子二流 竝 攝家門を分つ
  北條政村卒去 付 山階左大臣薨去
  龜山院御讓位 付 蒙古の賊船退去 竝 東宮立
  改元 付 蒙古の使を追返さる 竝 一遍上人時宗開基
  主上東宮御元服
  蒙古の使を殺す 付 蒙古日本を伐たむ事を企つ

 
第十一卷〔自弘安四(一二八一)年正月 至延慶元(一三〇八)年八月〕(ブログ版終了
  蒙古襲來 付 神風賊船を破る
  北條時宗卒去 付 北條時國流刑
  惠蕚入唐 付 本朝禪法の興起
  准后貞子九十の賀
  城介泰盛誅戮
  伏見院御卽位
  胤仁親王東宮に立つ 付 將軍惟康歸京
  久明親王征夷將軍に任ず
  淺原八郎禁中にして狼藉
  中院本院御落飾 付 西園寺實兼太政大臣に任ず
  筑紫探題の始め 付 鎌倉大地震 竝 賴綱入道果圓叛逆
  北條兼時卒去 付 吉見孫太郎叛逆
  囘國の使私欲非法 付 羽黑山伏の訴
  寧一山來朝
  後伏見院御讓位
  貞時出家 付 北條宗方誅伐
  貞時入道諸國行脚 付 久我通基公還職
  後宇多上皇御出家 付 將軍久明親王歸洛

 
第十二卷〔自延慶元(一三〇八)年二月 至元弘三(一三三三)年六月〕(ブログ版終了

  後二條院崩御 付 花園院御卽位
  北條師時頓死 付 怨靈
  北條相撲守貞時卒す 付 高時執權家督 竝 北條凞時病死
  金澤家譜 付 文庫
  後醍醐帝踐祚
  三位殿局 付 東宮立
  安藤又太郎叛逆
  渡邊右衞門尉 竝 越智四郎叛逆
  後醍醐帝御謀叛
  相摸守高時出家 付 後醍醐帝南北行幸
  主上笠置御籠城 付 師賢登山 竝 楠旌を擧ぐ
  先帝配流 付 赤坂城軍
  楠正成天王寺出張 付 高時人道奢侈
  赤松圓心蜂起 付 金剛山の寄手沒落 竝 千劍破城軍
  先帝船上皇居軍 付 赤松京都に寄す
  足利高氏上洛 付 六波羅沒落
  新田義貞義兵を擧ぐ 付 鎌倉滅亡
  相摸太郎邦時誅せらる 付 公家一統