やぶちゃんの電子テクスト 心朽窩 新館へ
鬼火へ
ブログ・コメント(ブログ130000アクセス記念テクスト)へ

Касьян с Красивой мечи
   Иван Сергеевич Тургенев


クラシーワヤ・メーチャのカシヤン

   ――イワン・ツルゲーネフ原作 中山省三郎譯

 

[やぶちゃん注:これは

Иван Сергеевич ТургеневIvan Sergeyevich Turgenev

Записки охотника”(Zapiski okhotnika

イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ(18181883)の「猟人日記」(18471851年に雑誌『同時代人』に発表後、一篇を加えて二十二篇が1852年に刊行されたが、後の70年代に更に三篇が追加され、1880年に決定版として全二十五篇となった)の中の

 Касьян с Красивой мечи”(Kasyan s Krasivoy mechi

の全訳である(1851年『同時代人』初出。これが同誌で発表された「猟人日記」シリーズの掉尾となった)。底本は昭和311956)年角川書店刊の角川文庫のツルゲーネフ中山省三郎譯「獵人日記」の上巻の、平成2(1991)年再版本を用いた。なお、本文中、中間部の印象的な、主人公とカシアンの森の中の休養のシーンに現れる二箇所の鶉の鳴き声の「ちっちっ」、及び終曲の焼けた軸が水を浴びて立てる音の「シューシュー」の拗音はママである。巻末にある訳者注を作品末に示し(但し、文中にある注記号「*」はうるさいので省略した)、末尾に私に気になった表現についてのオリジナルな注を附した(本来は動植物の名が多く登場する本篇ではそれらも一々挙げて種同定を試みたいところだが、今はそうした精神的なゆとりがないので後日に回したい)。訳者である故中山省三郎先生への私のオードは「生神樣」の冒頭注を参照されたい。なお、一部判読不能・明白な誤字部分は、同テクストを用いたと思われる昭和141939)年岩波書店刊の岩波文庫のツルゲーネフ中山省三郎譯「獵人日記」を参照して、補正したが、その部分については特に断っていない。【2008年10月4日】一部誤植を訂正し、私の注を追加した。【2008年10月18日及び22日】]

 

   クラシーワヤ・メーチャのカシヤン

 

 私は小さなガタ馬車に乘つて獵から歸るところであつた、夏の曇り日の息づまるやうな暑さに惱されて、(御承知のやうに、こんな日の暑さはどうかすると、好く晴れた日よりも却つて堪へ難いものである、わけても風のない日には)私はうつらうつら居眠りをし、干割(ひわ)れてギイギイと軋む車輪のために荒された道から、絶え間なく立ち上る眞白な薄埃りを身に一ぱい浴びるのをいやな氣持で我慢しながら搖られて行つた。すると不意に、馭者の一通りならぬ不安な樣子と、物に驚いたやうな身振りに私は心を奪はれた。その刹那まで馭者は私よりも盛んに居眠りをしてゐたのである。彼は手綱を絞つて、馭者臺にあわてふためき、一聲かけて馬をあふつたが、そのあひだにも始終どこか一方の方ばかり見つめてゐた。私はあたりを見まはした。私たちは廣々とした耕地を通つてゐるのであつた。その上には低い、同じやうに耕された丘が、かなりに傾斜して、波のやうにうねりながら馳せ下つてゐた。およそ五露里(り)ばかりの荒涼たる野づらが一目(ひとめ)に見える。遙か遠くの方の小さな白樺の林の圓味をもつた鋸の齒のやうな梢だけが、殆んど直線を引く地平線に變化を與へてゐた。いくつかの細い小徑が野づらを走り、窪みにかくれたり、丘をめぐつてうねつたりしてゐる。五百歩ばかりのところで、私たちの行く手を横切つてゐる一つの小徑に、何か行列のやうなものを私は認めた。馭者はこれを見つめてゐたのである。

 それは葬式であつた。先頭には一頭立の小さな馬車を靜々と曳かせながら導師が乘つて、導師のわきには役僧が坐つて、馬を御してゐる。馬車のうしろには、四人の百姓が、帽子もかぶらず、白い布で蔽うた柩を荷ひ、二人の農夫が柩のあとをついて來る。その中の一人の細い悲しげな聲が聞こえて來た。耳を傾けると泣きながら挽歌(ひきうた)をうたつてゐるのである。この氣のぬけたやうな、單調な、やるせなく傷ましい歌の調べは、寂しい野原に物悲しく聞こえる。馭者は馬に一鞭あてる。この行列の先を越さうとしたのである。道で死人と出合ふのは縁起の惡いことになつてゐた。馭者は柩がまだ本道へ出ない前に、小徑のところを首尾よく乘り越えたが、そこから百歩も離れないうちに、忽ち私たちの馬車は激しくぐらついて、一方に傾き、今にもひつくり返りさうになつた。馭者は勢ひづいた馬を引き留め、手綱を放して唾を吐いた。

 「どうしたんだ?」と私は訊いた。馭者は默々として、急ぎもせずに馬をおりる。

 「一體、どうしたんだ?」

 「心棒が折れちやつたんでさ……腐つちやつて」馭者は澁々かういつて、添馬の尻帶を馬がわきへよろめくほど業腹立てて直したが、馬はそれでもそのままに立つてゐて、鼻を鳴らし、からだをゆすぶり、落ちつき拂つて前足の膝の下のところを齒で掻き始めた。

 私は馬車を降りて、暫く道に佇(た)つてゐた。どうしたらいいのか分からないといふ不愉快な感情に浸りながら。右側の車輪は殆んど全く馬車の下敷にされてしまつて、物言はぬ絶望の思ひをこめて轂(こしき)を上に向けてゐるやうに見える。

 「さあ、どうしたもんだらう?」たうとう私は訊ねる。

 「あの、あいつが惡いんでさ!」馭者は、もう本道に移つて私たちの方へ近づいて來る行列を鞭で指しながらかういつた、「私はもう、しよつちゆう氣をつけて見てたんですが」なほも言葉をつづけて、「これあ本當の縁起ですよ――死人に出會へばつていふのは……ええ」

 それから親方が不機嫌で嚴しいのを見てとつて、じつと落ちついてゐることに覺悟をきめ、ただ時をり愼ましやかに尾を振つてゐる添馬を彼はまた苛めた。私は一寸ぶらついて、また車輪の前に立ちどまつた。

 そのうちに柩は私達に追ひついた。靜かに本道を離れて草原に入り、物悲しい行列は、私達の馬車の傍を過ぎて行つた。馭者と私は脱帽して導師に挨拶し、柩かつぎの人達と顏を見合はせた。彼らは柩が重いので、やつと歩いてゐる。廣い胸を張つて。柩に蹤いて來た二人の女の一人は、かなりの年寄りで蒼ざめてゐる。その落ちついた顏つきは、悲しみゆゑにひどく醜くはなつてゐるが、なほしつかりした嚴肅な犯し難い面影をとどめてゐる。そして時をり瘦せ細つた手を、薄い落ち込んだ唇のところへ持ちあげながら默々と歩いてゐる。もう一人の二十五くらゐの若い女は、眼を赤く涙に濡らして、顏をすつかり泣き脹らしてゐた。私たちの側を通る時には、さすがに歌ふのをやめて、袖で顏をかくした。……けれど、死人が私たちのところを通り過ぎて、再び大道に出たときには、この女の物悲しげな、胸を突くやうな歌ごゑがまた聞こえて來た。帽子をとつて搖れてゆく柩を馭者は默つて見送つてゐたが、やがて私の方を振り向いた。

 「あれは大工のマルティンの葬ひでさ」彼は言ひ出した、「あのリャバーヤ村の」

 「どうして分かるんだい?」

 「あの女共で分かりました。年寄つたのが阿母(おふくろ)で、若い方は女房です」

 「病氣だつたのかね?」

 「ええ……、熱病でしてね……、一昨日は差配が醫者殿(いしやどん)を呼びにやつたんですけれど、あいにくと醫者殿(いしやどん)は留守でがした……なかなか好い大工でして、ちつとばかり酒は飮んだけんど、好い大工でしたよ。あれ、ごらんなせえ、嬶があんなに悲しがつてますよ……まあ、それはさうと、分かり切つたことぢやござんせんか、女どもの涙は安つぽいもんでしてな。女どもの涙と來たら、水みてえなもんで……全く」

 馭者は身を屈めて、添馬の牽綱(ひきづな)の下を這ひ拔け、兩手で馬の頸に渡した軛(くびき)をつかんだ。

 「それにしても、」と私はいふ、「どうしたもんだらうな?」

 馭者は先づ軸馬の肩に膝で凭りかかつて、二度ばかり軛(くびき)をゆすぶり、鞍數(くらしき)を直し、それからまた添馬の牽綱の下を這ひ出し、這ひ出しぎはに鼻面を一つ食はして、車輪の方へ行つた。そこへ行つて、じつと車輪に眼を据ゑながら、悠々と上衣(カフタン)の裾をまくり、中から煙草函を出して、悠々と革紐のついた蓋を開け、悠々と肥つた二木の指を煙草函に差しいれて(二本の指で函が殆んど一ぱいになる)、嗅煙草を散々捏ねまはし、鼻を先づ歪めたかと思ふと、とぎれとぎれに匂ひを嗅いで、その度ごとに長い呻き聲を出した。それから痛々しげに眼を細くし、涙のたまつた眼を瞬きながら、深い瞑想にふけつた。

 「さあ、どうだ?」私はつひに言ひ出した。

 馭者は煙草入れを丁寧にかくしへ仕舞ひ込んで、手を使はずに、頭だけを動かして、帽子を前のめりに眉のところまで持つて來て、物思はしげに馭者臺に上つた。

 「どこへ行くんだ?」私はややおどろいて訊ねる。

 「まあ坐つて下せえ」落ちついてかう答へて、彼は手綱を拾ひ上げた。

 「一體、どうやつて車を出すんだ?」

 「いや、大丈夫、出して御覧に入れますよ」

 「だが、軸は……」

 「まあ、坐つてて下せえ」

 「だつて、軸が折れちやつて……」

 「折れるにや折れましたけんど、まあ飛地(とびち)まで行きやんせう……ゆるゆると、仕方がねえから。あの林の向ふの右手に飛地(とびち)がありましてな、ユーヂヌイつていふんでさ」

 「そこまで行けるつもりか?」

 馭者は返事をしてくれなかつた。

 「俺は歩いた方がいい」と私はいふ。

 「そんならお好きなやうに……」といつて、鞭を振る。馬は歩き出した。

 私たちは飛地(とびち)へ着くには着いた、尤も右の前の車輪はやうやく保(も)つて、甚だ妙な工合にまはつてゐた。或る小山の上では、それが今にも落ちさうになつたが、馭者は大聲をあげて呶鳴り散らし、私たちはどうにかかうにかそこを下りた。

 飛地(とびち)の村ユーヂヌイは建ててからまだ永くはないらしいのに、もうたわいもなく横へ傾いてしまつてゐる六軒の低い小さな小舍から成り立つてゐる。どこの屋敷にも籬などを繞らしてはゐない。この飛地(とびち)へ乘り込んではみたが、ただ一人の人間にも出會はなかつた。通りには鷄一羽、犬一匹も見うけられぬ。ただ一匹、私たちが近づくと、尻尾を切つた黑い犬がすつかり乾き切つた餌槽(ゑさぶね)の中から一目散に飛び出した。おそらく喉が渇いて堪らないままにその中に這入りこんでゐたのであらう。すぐに吠えもしないで、そそくさと門の下へ駈け込んだ。私は取附(とつつき)の小舍へ行つて、玄關の戸を開けて、主人を呼んだ、――誰も返事をする者がない。もう一度大聲で呼んでみた。すると猫のひもじさうな鳴き聲が別の戸のかげから聞こえる。足で戸を押し開けると、瘦せた猫が碧い眼を暗やみにきらつかせながら私の傍(わき)をうろうろと走まはる。頭を部屋へ差し込んで、部屋を見まはすと、暗く、煙たく、がらんとしてゐる。庭へ行つたが、そこにも矢張り誰もゐない。圍ひの中に仔牛が鳴いてゐた。びつこの、鼠色の鵞鳥がわきの方へよろよろと歩いて行く。次の小舍へ行つてみる。次の小舍にも人つ子ひとりゐない。庭へ行つてみる。

 日の明るく照る庭のまん中、俗にいふ『日面(ひおもて)』に、顏を地面におしつけ、百姓外套を頭からかぶつて、男の子らしいものが寢てゐる。それから數歩はなれた藁葺の檐の下に、瘦せた小馬が、ぼろぼろの馬具をつけて、みすぼらしい荷馬車のそばに立つてゐる。陽の光りは古ぼけた屋根の細い裂け目をちらちらと洩れて來て、むくむくした、焦茶色の馬の毛なみに、こまかな、明るい斑模樣を織つてゐる。そこにある高い椋鳥の巣箱には、椋鳥が空の小さな住家(すみか)から物珍しげに下を瞰おろしながら囀つてゐる。眠つてゐる男のところへ行つて、私は起こししにかかつた……。

 彼は頭を上げて私を見ると、すぐに飛び起きた……「何、なに御用で? どんな?」と、半ば眠つたまま呟いた。

 私はすぐには答へなかつた。それほど私は彼の樣子におどろかされてしまつたのである。先づ小さな薄い皺の寄つた顏に尖つた鼻で、茶色の、やつとわかる位な眼をし、菌(きのこ)の笠のやうに小つぽけな頭に所狹く生えてゐる縮れた濃い黑い髮をして、年は五十くらゐの小人(こびと)を想像していただきたい。からだ全體がひどく弱々しく瘦せてゐて、眼つきの珍無類なことといつたら、とても言葉ではお傳へすることが出來ない。

 「何御用で?」と又しても私に訊ねる。そこで私は事情を話してやつた。彼はゆつくりと瞬きしながら眼を離さずに、こちらの話を聽いてゐた。

 「かういつた譯なんだが、新しい軸を讓つてもらへまいか?」私はつひにかういつた、「金は文句なしに拂ふから」

 「一體、おめえさん方、どんな人なんですけ? 獵師け、え?」と、彼は私の足の先から頭の先まで吟味して訊ねる。

 「獵をする者だ」

 「お前さん方、罪とがのねえ空とぶ鳥を撃つんでがせう、きつと?……森の獸(けだもん)も?……一體、神樣の鳥を殺したり、罪科(つみとが)もねえものの血を流したりして、惡くはねえんですかね?」

 奇妙な爺さんは、實にまだるつこく話してゐた。その聲色(こわいろ)がまた私をおどろかした。そこには老いぼれたところは少しもなくて、びつくりするほどその聲は美しく、若々しくつて、殆んど女の聲かと思はれるほど優しかつた。

 「俺(わし)んとこにや軸はありましねえ」しばらく默つてゐた後で附け足した、「あいつぢや、お前さんの方に間には合ふめえし(自分の馬車を指さして)、お前さん方のは、きつと大(でけ)え馬車なんでせうからな」

 「この村で見つかるかしら?」

 「ここを村だなんて飛んでもねえ!……ここぢや誰も持つてませんね……何せ家にも誰もゐねえんで、みんな仕事に出てやんしてね、もつと先さ行つて御覽なせえ」だしぬけに言ひ放つて、また地べたに寢てしまつた。

 私はこんな風にあつさり片づけられようとは思ひもよらなかつた。

 「ねえ、爺さん!」と肩に手をかけて私は言ひ出した、「世話してくれよ、一肌脱いで」

 「さつさと行つて下せえ! わしはくたぶれてんだ、町へ行つて來たで」といつて、頭から百姓外套をかぶつてしまつた。

 「だらうけども、世話しておくれよ」と私は言葉を繼いだ、「私……私はそれだけの金は拂ふからね」

 「お前(めえ)さんの金なんざ要らねえよ」

 「まあどうか、爺さん……」

 彼は半ば身をおこして、細い足を組んで坐つた。

 「それぢや開墾地(あらく)さ連れてこかな。商人(あきんど)どもが來て、ここの林(やま)買つたんで――罰當り奴が、林(やま)伐りやがつて。事務所なんぞ建てて、あの罰當り奴が。あそこさ行けば、軸あつらへても、出來合ひ買つてもよかんべ」

 「結構だ!」と私は嬉しまぎれに叫んだ、「そいつは結構! では行かう」

 「槲の木の軸のいい奴を」彼は起きあがりもせずに、こんなことをいつてゐる。

 「その開墾地(あらく)までは遠いのかね?」

 「三露里(り)だ」

 「うん、よし、そんならお前の馬車で行ける」

 「いや、なあに……」

 「さあ、行かう」私はいふ、「行かうよ、爺さん! 馭者が通りで待つてるんだから」

 老爺は澁々と立ちあがつて私に蹤いて通りへ出た。馭者はいらいらしてゐた。馬に水をやらうとしたが、井戸に水はかなり少く、おまけに味がよくなかつたからである。つまり、水をやることは馭者たちの言ひ草ではないが、一番大切な務めなので……。しかし、馭者は老爺を見ると、にやりとして、うなづき、かう叫んだ。

 「いよう、カシヤヌゥシカ! 今日(こんち)は!」

 「今日(こんち)は、律義者のエロフェー!」と、カシヤンが氣のぬけた聲で答へる。

 私は早速、爺さんの申し出を馭者に傳へた。エロフェーはすぐに承知して庭へ車を乘り入れた。そしてせつせと馬具をとりはづしてゐると、その間、爺さんは門に倚りかかつて立つてゐて、面白くもなささうに馭者を見たり、私を見たりした。爺さんは何だか狐につままれてゐた樣子で、どうやら私の見たところでは、不意に私たちがやつて來たのをあまり喜んでゐないらしかつた。

 「それぢや、おめえも宿がへさせられたのかい?」エロフェーは軛(くびき)をはづしながら、だしぬけに訊ねる。

 「うん」

 「へえ!」馭者は口の中でいふ、「知つてるだろ、あの大工のマルティンがよ……知つてるぢやねえか、あのリャバーヤのマルティンを?」

 「知つてるよ」

 「おい、あれは死んだよ。俺らは今、あれの棺箱に出つくはしたんだ」

 カシヤンは身ぶるひした。

 「死んだと?」といひざま、うつむいてしまつた。

 「さうよ、死んだんだよ。何でまた、癒してやんなかつたんだ、え? おめえ、病氣なほすつて話ぢやねえか、おめえは醫者樣ぢやねえのかよ」

 馭者は明かに面白がつて、爺さんをからかつてゐたのである。

 「ところで、おい、こいつはお前の車かい?」肩で車の方をさしながら、彼は言ひ足した。

 「さうよ」

 「ふん、車か……大した車だ!」とくりかへし、轅(ながえ)を取つて、殆んど引つくりかへさんばかりにした……「これでも車だ!……一體まあ何に曳かして開墾地(あらく)さ行くんだ?……この轅ぢや俺(おん)らの馬はつなげめえ、こつちの馬は大(でか)いからな、この轅は何だつていふんだ?」

 「知りましねえ、何に曳かして行くんだか」カシヤンが答へる。さうして溜息まじりに附け加へる、「そこにゐる畜生にでも曳かせるんでなけりや」

 「これで?」エロフェーはさへぎつて、カシヤンのやくざ馬のところへ行き、右手の中指で蔑むやうに馬の頸をたたいた。「見ろ」と咎めるやうに附け加へた、「眠つてやがる、薄野呂!」

 私はエロフェーに出來るだけ早く馬車を仕立てさせた。私はカシヤンと一しよに自分で開墾地へ行かうと考へた。そんな所にはよく松鷄(えぞやまどり)が渡つて來てゐる。馬車の用意がすつかり出來て、やうやく犬と一しよに私がそりかへつた木の皮張りの席に着き、またカシヤンがすつかり小さくなつて、相變らず浮かぬ顏つきをしながら、前の板にやはり腰を下ろしたところへ、エロフェーがやつて來て、妙な顏をして私の耳にささやいた。

 「旦那さま、よろしうございましたよ、彼奴(あれ)と一しよにお出かけなさいまして、あなた。あいつはあんな奴で、キ印ぢやありませんか、綽名は蚤つていひましてね。私はあなたが彼奴をどうお思ひになつたんだかわかりませんが……」

 私はエロフェーに、カシヤンが今までのところでは自分にはかなり物わかりのいい男と考へられるといふことを話してやりたかつた。けれど馭者は直ぐさま同じ調子でいひつづけた。

 「ただ、まあ、どこへ彼奴がお連れ申すか、お氣を附けなせえましよ。それに軸は御自分でお擇(よ)んなせえまし、うまくいい軸を採つて下せえ……おい、蚤公」と聲高らかに附け足して、「おめえんとこの麺麹切れを貰つてもいいかえ?」

 「搜さつせ、あるかも知んね」カシヤンは答へて、手綱を曳くと、車はごろごろと動き出した。

 私がほんとに驚いたことには彼の小馬はなかなかよく走つた。道中カシヤンは頑固にだんまりをつづけてゐて、物を訊くと切つて附けたやうな氣乘りのしない返事をした。間もなく馬車は開墾地へ着いて、やがてそこの事務所へ辿り着いた。事務所といふのは高い小舍で、ぞんざいに堤防で水を食ひ止められて池になつてゐる小さな谿のうへに、ぽつつり立つてゐる。行つてみると、この事務祈には、齒が雪のやうに眞白く、きれいな眼をして、言葉づかひがきれいで、はきはきした、氣持のいいお世辭笑ひをする若い二人の番頭がゐた。私はここで軸の値段をきめて開墾地へ出かけた。カシヤンは馬のところにゐて、私を待つてゐるだらうと思つてゐたのに、不意に彼は私のところへやつて來た。

 「あのう、鳥を撃ちに行くんですけ? え?」と彼はいひ出した。

 「うん、もし見つかつたら」

 「俺(おら)も一しよに行きやんせう……いいだかね?」

 「いいとも、いいとも」          .

 そこで一しよに出かける。伐り拂はれた所は全部で一露里(り)ほどある。私は正直のところ、自分の犬よりもカシヤンの方をよけいに見まもつてゐた。なるほど、蚤と綽名されたのも宜なる哉である。黑い、何一つ冠らない小さい頭(尤も髮の毛が大切な帽子の代りにはなつてゐる)が、ここかしこの籔かげにちらちら見える。實に彼は足が早くて、まるで跳ねるやうにしていつも歩いてゐる、絶えず前屈みになつて、何かの草を摘んでは懷(ふところ)へねぢ込み、ぶつぶつ獨りごとをいひ、始終、私と犬とを、ちよいちよい見るのであるが、それも、かなり物好きさうな妙な眼つきで見るのである。低い灌木のなか、『小物(こもの)』のなかや、開墾地にはよく灰色の小鳥がゐて、朝から晩まで木から木へ飛びうつり、ふつと飛び立つては、きい、きいと啼いてゐる。カシヤンはその聲を眞似て、鳥の聲に合はせる。若い鶉がちっちっと鳴きながら足許から飛び立つと、カシヤンもまた、ちっちっと後をつづける。雲雀が翼をふるはし、朗かに歌をうたひながら彼のうへに下りかかると、カシヤンもその歌のあとをつける。ところが私には一言(ひとこと)も話しかけないのである……。

 天氣はよく、前よりは一層よくなつて來たが暑さは少しも和らがなかつた。澄み渡つた空には、春晩くまで殘つてゐる雪のやうに薄雲が高く黄ばんだ白い色をして、平らに下ろされる帆のやうに長い楕圓形をなしてかすかにかすかに漂つてゐる。絮毛(わたげ)のやうにやはらかなふんはりしたその縁(へり)はおもむろに眼に見えて、一瞬ごとに變つてゆく。いつか、これらの雲も溶け消えて、そこからは影も落ちない。私はカシヤンと永いこと開墾地をぶらついた。まだ三尺と伸びない蘖(ひこばえ)が、なよなよした滑らかな莖で黝ずんだ低い切株を取り卷いてゐる。鼠色の縁(へり)をした海綿苔(かいめんごけ)が、これを煮て火口(ほくち)をつくるあの海綿苔がこれらの切株にくつついてゐる。白花蛇苺(しらはなのへびいちご)がそのうへに薔薇色の蔓を卷きつけ、又そこには菌(きのこ)がぎつしり種子のやうに生えてゐる。足は絶えず強烈な日光を思ひのままに受けた長い草にまつはり絡まる。どこを向いても赤味がかつた若葉の強い金屬性の光に眼がちらちらする。一面に野豌豆の青い總生(ふさなり)や、琉金花(りゆうきんくわ)の小さな金盃や、半ばは薄むらさきに、半ばは黄色い繼子菜(イワン・ダ・マリヤ)の花が、色とりどりに見うけられる。そこはかとなく、荒れた小徑に赤い小さな草が筋をつけてゐるのは轍の跡であるが、かうした小徑のほとりには雨風にさらされて黑くなつた薪が七尺(サージエン)づつに組まれて積み上げられてゐる、薪からは歪んだ長方形の淡い影が落ちてゐるが、見るかぎり、ほかには何の影もない。輕いそよ風が立つかと思へば、また收まる。不意に顏へまともに吹いて來て、ああ風が出て來たなと思ふと、――あらゆる物が愉しさうにそよいで、頭をゆすり始め、あたりに動き出し、しなやかな蕨の葉末がなよなよとゆれる――そこでほつと息をつく、……と思ふ間に風はまた息絶えて、何もかもがもとの靜寂にかへる。ただ、きりぎりすが一せいに、いきどほろしげに鳴きしきる、……この絶え間ない、すつぱく乾き切つた鳴きごゑはもの憂い。この聲は眞晝のしつこい暑さにふさはしい。この聲は眞晝の暑さによつてうまれ、赤熱せる大地の中から呼び出されたかのやうだ。

 ただ一羽の雛にも突き當たらずに私たちはたうとう別に新しい開墾地に着いてしまつた。そこにはつい近ごろ伐り倒された白楊(やまならし)が草や柴を押しつけて、物悲しげに地面にふんぞり返つてゐる。中には葉がまだ青々してゐるが、心(しん)はもう枯れてしまって動かない枝から力なく垂れさがつてゐるのもあり、また中にはすつかり乾枯らびて反(そ)つてゐるのもある。みづみづしい金色がかつた白い木屑(こつぱ)は、光る樹液にぬれてゐる切株のほとりにうづ高くなつてゐて、一種特別な、極めて心地のよい強い香ひを放つてゐる。はるか向ふの林に近いあたりには、斧の音が幽かに響いて、時をり鬱蒼たる樹木が恰も禮拜し、手をひろげるかのやうにして、嚴かに靜かに倒れる……。

 永いこと一羽の鳥にも出逢はなかつたが、つひに若檞の廣い繁みから、あたりに生えてゐる苦蓬を横切り、水鷄が一羽飛び出した。私は撃つ。鳥は空中にもんどり打つて落ちる。彈丸(たま)の音を聞くとカシヤンは直ぐに眼に手をおしあてて、銃に私が裝塡し、水鷄を拾ひ上げるまで、身じろぎだにもしなかつた。私がどんどん歩いて行くと、彼は撃たれた鳥の落ちたところへ行つて、いくらか血の滴の散つてゐる草に身を屈め、頭をふつて、おづおづと私の方を見た……それから呟くのが聞えた、「罪だ!……ああ、本當に罪なこつた!」

 暑さが酷くてやり切れないので、私たちは林に入る。胡桃の高い繁みのかげに私は身を投げる。繁みのうへには若い、すんなりした楓が輕い枝を美しく擴げてゐる。カシヤンは伐り倒された白樺の太い端に腰をかけた。私は彼を見まもる。樹の葉は高いところにかすかに動いて、薄みどりをふくんだ影が、辛うじて暗い色の百姓外套(アルミヤク)につつまれてゐる瘦せた身體(からだ)や、小さな顏の上を靜かにあちこちとぬめつてゐる。彼は頭を上げない。私は相手が默つてゐるので退屈して、仰向けに寢そべり、はるかに遠く輝く空を背景にして、もつれ合ふ樹の葉の靜かな戲れに見とれかかつた。森の中に仰向けに寢て、天上を眺めるのはとても愉快なことである! 底ひの知れない海のなかを覗くやうな氣がする、海は廣々と自分の下に擴がつてゐるやうに思はれ、樹木は地から生えてゐるのではなく、まるで巨きな植物の根のやうに地から垂れて、鏡のやうに澄み渡つた波の上に眞直ぐに落ちて行くやうに見え、樹々の葉はエメラルドのやうに透きとほるかと思へば、濃くなつて金色を帶び、殆んど黝ずんだ緑に見える。どこか遠くに、ほつそりした小枝が出て、その端に一枚の葉が透明な空の水淺葱いろの一ところに、じつと動かずに浮き出して見える。わきにはもう一枚の葉が動いて、魚の尾の動きをしのばせながらゆれてゐる、それもひとりで動いてゐるので風のせゐで動いてゐるのだとは思はれない。圓い白雲が魔法の島のやうに靜かにうかんで靜かに通り過ぎる、と見る間に、この海に、この眩(まばゆ)い空氣も、日の光り浴びたこの枝も葉も、何もかもが流れ始め、さつと閃く光りのやうにふるへ出して、爽かな、うちふるへる囁き、にはかにおしよせて來たうねり波の絶え間のない細かな水音のやうな囁きが起こる。身動きもしないで眺めてゐる。すると胸の中がどんな嬉しく、靜かに、愉しくなつて來ることか、とて言葉ではいひあらはせなくなる。ただ眺めてゐる、深く澄んだ空の青い色を見てゐると、その色のやうにあどけない微笑みがおのづから唇にうかんで來る。空を行く雲のやうに、また雲のまにまに過ぎてゆくかのやうに、樂しい思ひ出のかずかずが魂(こころ)の内を次から次へと靜かにゆき過ぎる。眸はいよいよ遠く去つて行つて、あの安らかな、光りを放つ無限の世界に人を曳き入れ、あの高い空から、あの深い海から離れることができないかのやうに思はれる……。

 「旦那、あの、旦那!」と不意にカシヤンがよく徹る聲で口を出した。

 私はびつくりして身を起こした。この時まで私がいかに物を訊いても殆んど返事をしなかつたのに、今はだしぬけに向ふから話しかけたのである。

 「何だ?」と私が訊ねる。

 「あのう、何のためにお前さん、鳥を殺したんで?」私の顏をまともに見つめながら、やり出した。

 「何のためつて?……水鶏は野の鳥だよ、食(く)へるんだ」

 「それで殺したんぢやねえでがせう、旦那、何で食(く)ふもんですかね! 氣保養(きほよう)で殺したんだ」

 「うん、だがね、お前だつて大抵、例へば鵞鳥だとか、鷄だとかを食ふだらう?」

 「ああいふ鳥は、神樣が人間につてお決めなすつたもんですけんど、水鷄は森にゐる野放しの鳥だ。何も水鷄ばかしぢやねえ、まあだたくさん、森(やま)だの、野つ原だの、川だの、沼だの、草つ原だの、高い所(とこ)だの低い所(とこ)にゐる奴がうんとゐる。それを殺すなあ罪だ。もつて生まれた壽命のあるうちはこの世に生かしとくがいい……。人には人で食物(くひもの)が別に決まつてるで、人には別の食物(くひもの)もあるし飮み物もあるんだ。神樣の下すつた麺麭だの、天から降る水だの、昔々の先祖樣から傳はつて來た家畜(かひもの)がゐるんだ」

 私は呆然として、カシヤンを見た。彼の言葉はすらすらと流れ出た。別に言葉をさがしもせず、時をり眼を瞑ぢながら靜かに氣を引き立てながら、素直に恭しく話してゐた。

 「ぢやあ何だね、お前のいふやうにすると、魚を殺すのも罪なんだね?」と私は訊いた。

 「魚は血が冷(つめ)てえ」ときつぱり答へる、「魚は口きかねえ。怖(おつかな)がもしねえし、嬉しがりもしねえ、魚あ聲も出さねえ。魚あ感じもしねえ、そん中の血は生きちやあゐねえ……血つてもんは」ちよつと言葉を切つて、まだ續ける、「血つてもんは聖(たつと)いもんだ! お天道さまは血を御覧にならねえ。血は明るみへ出せましねえ。血を日の目に曝すなあ、とんでもねえ罪で、いや、でけい罪で、怖ろしいこつた。ああ、とんでもねえ!」

 カシヤンは溜息をついて、うなだれてしまつた。私は白状するが、全く腰をぬかして妙な老人を見つめたのである。彼の言葉は百姓の言葉のやうには響かなかつた。普通の人ではあんなに話せるものではない。口のかなりに達者な人でもあんなには話せないものだ。話は瞑想的で、莊重で、奇拔である……私は今までにこんな話を開いたことがない。

 「ねえ、カシヤン」いくらか紅潮を呈した彼の顏から眼を離さずに私は言葉をかける、「お前の商賣は何だね?」

 彼は直ぐには私の問ひに應じなかつた。彼の眼は一瞬の間、不安げに動いてゐた。

 「ただ紳樣の御心どほりに生きてまさ」とやつと口を開いた、「いやその、商賣といつて、何も別にやつてはゐねんです。子供ん時から、あんまり利口ぢやねえんでして。働ける時だけ働くんでさ、けんど、やくざな手間取りでして……手間取りなんてとんでもねえ? 何せ身體は惡(わり)いし、手は無器用(ぶきつちよ)だし。うん、春になると、鶯を捕(と)りまさ」

 「鶯を捕(と)るつて?……それぢや、お前、森や野や、そのほかのとこにゐる生物に決して觸つてはならんなんて、どうして言つたんだ?」

 「そらあ殺しちやなんねえ、ほんとに。殺さなくつたつて、死ぬ時が來りや、死ぬんだから。大工のマルティンを御覧なせえ、大工のマルティンは生きてはゐたけんど長生きもしねえで死んぢやつた。あれの女房は今頃は亭主のことを考(かんげ)えたり、小せえ餓鬼どものことを考(かんげ)えて、胸一杯になつてるんだ……人間だつて畜生だつて、死ぬのはごまかしはつかねえ。死神(しにがみ)は別に駈けて來るわけでもねえけんど、逃げるわけにも行かねえ。また人間がそれに手傳ひしちやなんねえ……だから俺あ、鶯だつて殺しやしねえ、そんなことあ、眞つ平だ! 鳥を苦しめたり、命をとつたりするのに捕(と)るんぢやねえ、人を喜ばせるために、慰めたり樂しましたりしるために俺あ捕るんだ。」

 「クゥルスクの方へも捕りに行くのかね?」

 「クゥルスクへも行けば、時と場合ぢや、もつと遠くへも行きまさ。沼地で夜明かしもしれば、森(やま)かげの空地だの、野つ原だの、森の眞ん中で、夜明かししる。夜明かししてると、そこらに鷸(しぎ)がきいきい啼いてたり、兎が喚(な)いてたり、野鴨が囀つてたり……。俺あ、夕方、氣を附けといて、夜明けに鳴きごゑを聽き澄まして、空が明るくなるころ籔の上さ網投げるんで……。さうすつと、しをらしい聲で鶯が鳴いてる、いい聲で……ほんたうにしをらしい……」

 「お前、それを賣るのかね?」

 「氣だてのいい人に讓るんでさ」

 「それからほかに何してるのかね?」

 「どうしてる?」

 「仕事は何だつていふのさ?」

 老人は暫く默つてゐた。

 「この通り、何もしてゐねんで…。何しろやくざ人足(にんそく)でがしてね。そいでも、讀み書きは出來るんでがす」

 「お前、讀み書きが出來るつて?」

 「讀み書きは出來るんでがす。神樣と他人樣(ひとさま)のおかげで」

 「どうだ、お前、家族(うち)はあるのかね?」

 「いんえ、ありましねえ」

 「どうして?……みんな死んぢやつたのかい、え?」

 「なあに、さうぢやねえんでさ、運が向いて來なかつたんです。けんど、そらあみんな神樣のなさるこんだ。人ちふもんは、誰でも神樣の御意のままに暮らすもんだ。だから、人は律義でなくちやなんねえ、――ほんとに! 神樣の御意に副(そ)はなくちやなんねえ」

 「それで、お前にや身内もないのかね?」

 「あります……え……まあ……」老人は口ごもつた。

 「うん、さうさう、聞かしてくれよ」と私はいひ出した、「うちの馭者がお前に、なぜマルティンを癒してやらなかつたつて訊いてたやうだね。お前、ほんとに病氣が癒せるのかえ!」

 「おめえさんの馭者は律義者だ」とカシヤンは物思はしげに答へる、「けんど、やつぱり罪がねえとは言へねえ。俺あ醫者樣つて言はれるけんど……とんでもねえ醫者樣だ! 一體、誰が病氣(あんべい)なんぞ癒せべえ? 癒せるのはみんな神樣のせゐだ。先づ、……草がある、花がある、そんなものがたしかに效く。それ、例へば狼把草(たうこぎ)みていなもんでも人には大事な草だし、まあ、車前草(おほばこ)もやつぱしさうだ。こんな草の話をしたつて恥にやならねえ。きれいな草は神樣のもんだから。さあ、ところが、別のやつは、さうぢやねえ、效くには效いても、惡いんだ、そんなやつの話をすれば罪になる。けんどお祈りしてからだと……。いや、むろん、こんな言葉もあることだから、……信ずる者は救はれむ」と聲をおとして、彼は附け足した。

 「お前、マルティンになんにもやらなかつたのか?」と私は訊ねる。

 「聞きやうが遲かつたんで」と老人は答へた、「それでなくつたつてどうなる! 人の運なんちふもんは初めつから決まつてるもんでさ。マルティン大工は永(なげ)えことはなかつたんでさ、この娑婆にや永(なげ)えことはなかつたんでさ、さういふ風に、もう出來てたんですよ。いや、もう人間がこの娑婆に生きられねえつてことになると、お天道さまも、他の者(もの)みてえに温(あつた)めちや下さらねえし、麺麭の一きれだつて身の養(やしな)ひにやならねえし、――何かが、はあ、召び寄せてるやうなもんでさ……おう、神樣、あれの魂をお鎭め下せえ!」

 「お前たちがこつちへ引つ越しさせられたのは大ぶん前かね?」私は少々默つてゐたあとで訊いてみた。カシヤンは身ぶるひした。

 「いんえ、ついこの頃で、四年ほどになりまさ。大旦那樣ん時には、いつも元つからん所(とこ)に暮らしてたんですけんど、後見人になつてから追ひ出されちやつたんで。わしらの大旦那樣は、親切な、おだやかな方(かた)だつたがなあ――天國にいらつしやいまし! いや、後見人だつて律義に斟酌したこたああるんで、――確かにさうしなくちやなんなかつたでせう」

 「ところで以前にはお前たちはどこに住んでたんだね?」

 「クラシーワヤ・メーチャの者(もん)でがす」

 「ここから、よつぽどあるのかね?」

 「百露里(り)ばかし」

 「何かね、向ふぢや今よりよかつたのかね?」

 「良うござんしたよ……ええの位(くれえ)ぢやねえ。向ふは、所はのびのびしてゐて、川のあるとこでしてね、わしらの古巣は。ところがここは窮屈で、水氣(みづけ)もねえ……ここぢや俺らも旅の者だ。在所のクラシーワヤ・メーチャさ行けあ、丘へでも登りや、登るとなあ、いや、もう、どうでせう? え?…‥河がある、草つ原がある、森がある、それに教會堂がある、またその向ふに草つ原がある。ずつと遠くの方まで見(め)える、ずつと遠く。まあ何て遠くまで見えるこつた……見(め)える、見(め)える、ああ、全くだ! いや、ここはまた、確かに土は向ふよりあ良い。粘土(ねばつち)ふくんでて、百姓らがいふ上等の粘(ねば)つ土(ち)で、おらが穀物はどこさでもぐんぐん生えてくれるんでしてね」

 「それぢや、爺さん、正直にいつたら、また生まれ故郷へ行きたいだらうね?」

 「はあ、行つてみてえ。尤も、どこでも結構でさ。おらあ家族(うち)もねえ身だし、落ちついてゐられねえ男だもん。けんど、どうですね、あんた、家にばかりじつとしてて、どんなもんですね? まあ見さつせえ、歩いてれば、それ、歩いてれば」と彼は聲を一段と高くしてつづける、「實際、氣が輕くもなる。お天道さまが照らせば、神樣もようく見てて下さる。それに歌も一そう調子よく歌ひたくなる。それ、そこに草も生えてる、さあ、それを眺めて、それを摘む。水が流れてゐる、例へば、泉の水だ、聖い永だ、源泉(みなもと)だ、それを飮む、また眺める。空の小鳥が歌ふ……クゥルスクを越えると曠い野原だ、あんなに曠い野原だ。それ、びつくりする、ああ、とてもの樂しみだ、何てえ氣樂なことだらう、何てえ神樣のお惠みだらう! 話に聞けば、曠い野原は温(あつた)けえ海の際(きは)まで續いてて、そこにはガマユーンていふ、好い聲の鳥がゐて、冬でも秋でも木から葉つぱが落ちることはなく、金色の林檎が銀色の枝になつてて、そこに住む人はみんな何不足なく、律義に暮らしてるつち話だ……だからそこまで行つてみてえ……今までだつていい加減に歩いてみたんぢやねえか! ロミョンへも行つたし、榮(はえ)あるシンビリスクの町へも、金の圓頂閣(まるやね)のあるモスクワへも行つたし、乳母のオカ河へも、鳩のツナ河へも、お母(ふくろ)のヴォルガへも行つたし、たくさんの人たち、人の好い信者たちにも會つたし、立派な町も訪ねたし……さうさう、あそこヘ行きたい……うん、あそこへも……罪の深(ふけ)えのはおれ一人ぢやねえ、……ほかの信者たちも何の皮沓を穿いて行くんだ、乞食して歩くんだ、眞理(まこと)をさがして……さうだ!……それに家にばかりゐてどうなんです、え? 人間にや律義なんちふことはねえんだ……そりやさうだ……」

 この最後の言葉をカシヤンは殆んど聞きとれぬ位に早口にいつた。それから何だか私にさつぱり聽きとれもしないやうなことをいつた。それに甚だ妙な表情が顏にうかんだので、私はゆくりなくも「キ印(じるし)」といふ名稱を思ひ起こしたほどであつた。彼はうつむいて、咳払ひをして、再び我にかへつたかのやうに見える。

 「何ちふお天道さまだらう!」と低い聲で呟いた、「や、有難いこつた! 森(やま)ん中の、まあ温(あつた)けえことちつたら!」

 彼は兩肩をゆすぶり、口をつぐんで、ぼんやりとあたりを見まはし、靜かに歌をうたひ出した。長く引つぱる歌の文句は全部は聞きとれなかつたが、こんな文句が耳に入つた。

   わしの名前はカシヤンなれど

   蚤と申すは綽名でござる……

 『おや!』と私は考へた、『こいつは奴の即興だ……』するうちに、不意に森の繁みの方をじつと見まもりながら身ぶるひして、歌をやめてしまつた。ふりかへつて見ると、淺黄の袖無し(サラフアン)を着て、碁盤縞のハンカチを頭にかぶり、日に焦けた、むき出しの手に編籠を持つた、年の頃は八つぐらゐの小さな百姓娘がゐるのであつた。娘は確かに私たちに逢はうなどとは夢にも思つてゐなかつたらしい。娘はいはば私たちに『ぶつかつた』のである。緑の胡桃の叢林(はやし)の蔭深い草地に、おづおづと黑い眼を私の方に注ぎながら、じつと佇(た)つてゐる。私がやうやく見屆けたかと思ふ間に、娘は樹のうしろにかくれてしまつた。

 「アンヌゥシカ! アンヌゥシカ! こつちさ來(こ)うよ、おつかながんぢやねえよ」と老人はやさしく言葉をかけた。

 「おつかねえ」と細い聲が聞える。

 「おつかながんぢやねえ、おつかながんぢやねえ。俺がとこさ來(こ)うよ」

 アンヌゥシカは默々と隠れてゐた所を出て、靜かにぐるつと廻つた、――小さい子供の足は、群草(むらぐさ)の中にも殆んど音を立てなかつた――やがて叢林(はやし)を出、老人の傍へ來た。よく見ると、最初に私が小さな身の丈から推して想像したやうに七つやそこいらの娘ではなくて、十三か四の娘であつた。身體(からだ)全體が小づくりで瘦せぎすではあるが、よく調和がとれてゐて、輕快で、綺麗な小さな顏は著しくカシヤンの顏に似てゐた、尤もカシヤンは一向美男子ではなかつたけれど。同じやうに鋭い顏だち、同じやうに奇妙な、惡かしこげに、打ち解けて、物思はしげで、人を射るやうな眸、それにまた素振りも同樣で……。カシヤンは娘をちらと見た。娘はその傍に佇つてゐる。

 「どうだ、茸(きのこ)とつてたのか?」と彼が訊ねる。

 「うん、茸(きのこ)」娘は羞かしさうに、微笑みながら答へる。

 「いつぱい見(め)つけたか?」

 「うん」(ひよいとカシヤンを見て、また微笑んだ)

 「白いのもあるか?」

 「うん」

 「どう、見(め)して、見(め)して……(娘は手から籠をおろして、茸をかぶせて置いた大きい牛蒡の葉を半分ばかり持ちあげた)あれ!」籠のうへに身を屈めて、カシアンがいふ、「まあ、何て素晴らしいんだ! うまくやつたな、アンヌゥシカ!」

 「これは、カシヤン、お前の娘かい、え?」と私は訊いてみる。(アンヌゥシカの顏は仄かに赧らんだ)

 「えんえ、なあに、身内の者(もん)で」カシヤンは平氣を裝うて答へる、「さあ、アンヌゥシカ、歸(かえ)れ」と直ぐに附け加へる、「怪我しねえで歸(けえ)れよ……。ようく氣をつけて……」

 「何だつて歩かせるのさ?」私は口を挾んだ、「一しよに連れてつてやらうよ……」

 アンヌゥシカは粟のやうに眞赤になつて、兩手で籠の手をつかみ、恐る恐る老人の方を見た。

 「いんえ、大丈夫ですよ」と彼は相も變らず無頓着に大儀さうな聲で答へる、「何が心配なもんですか?……ひとりで大丈夫、行けますつて……さあ歸(けえ)れ」

 アンヌゥシカは急ぎ足で森の中へ去つて行つた。カシヤンは後を見送つてゐたが、やがて、うつむいて微笑んだ。この抑へ切れぬ微笑みのうちにも、アンヌゥシカに言つたわづかな言葉のうちにも、また娘と言葉を交はした時の彼の聲のあの輝きにも、言ひ知れぬ強い愛情と優し味がこもつてゐた。彼は再び娘の行つた方を眺め、又ひとりで微笑んだ。そして顏を撫でながら、幾たびかうなづいた。

 「何だつて、あの子をあんなに急いで追ひ立てたんだ? あの茸を買ひたかつた……」

 「あんなものは貴方(あなた)、同(おんな)じこつてさ、御所望ならば家で買つても」と彼は初やて『貴方』といふ敬語を用ひて答へる。

 「お前の子はほんとに可愛らしい」

 「いんえ……なあに……その…‥」と彼は表面(うはべ)だけは嫌々さうに答へたが、それつきり、前と同じやうに默りかへつてしまつた。

 どんなに手を盡しても、もう一度話をさせることは出來ないと見て取つたので、私は開墾地の方へ出かけて行つた。そのうちに、暑さもいくらか薄らいだけれど、やはり不調法、わたしたちの仲間が俗にいふ『蹴違(けちが)ひ』が續いたので、私は水鷄一羽と新しい軸だけ持つて新開地へ引返した。丁度、車を屋敷へ乘り入れた時、カシヤンは不意に私の方を振り向いた。

 「旦那、あの、旦那」といふ、「俺あ、濟まねえことをしたんだけどな、何(なん)にも獲れねえやうに禁厭(まじなひ)したんで」

 「どうしてそんなことが?」

 「そんなことはちやんと心得てまさ。それ、旦那の犬は達者な、良い犬だけんど、あれにや何(なん)にも出來かつた。それ思ふと人間なんてものはどうです、人間なんてもんは、ねえ? 畜生だつて、畜生だつて思ふやうに使(つけ)えねえぢやありませんか?」

 カシヤンに向つて獲物に『禁厭(まじなひ)をする』ことの不可能を説きつけても無益だと思つたから私は何とも考へなかつた。そのうちに、直きに門の方へ廻る。

 アンヌゥシカは小舍の中にはゐなかつた。もう家へ歸つて、茸の入つた籠を置いてどこかへ行つたのである。エロフェーは先づ新しい軸を頭からひどくけなし、愚痴をこぼしてから車に取りつけた。それから一時間して、私はそこを發(た)つた。發(た)ちぎはにカシヤンに少しばかりの金をやると、最初は受取らなかつたが、やがてちよつと思案して、掌のうへにのせてから、懷ろの中へしまひ込んだ。この一時間のあひだ、老人は殆んど一言も口をきかなかつた。相變らず門に凭れて佇つてゐて、馭者に惡態をつかれても口を返さず私にも甚だ冷淡に別れ告げた。

 歸つて來るや否や、私はわがエロフェー先生が又しても不機嫌でゐるのに氣がついた。實際、この村で彼には何一つ食べる物が見當らなかつたし、馬の水呑場も惡かつたのである。馬車は出かける。エロフェーは、頭のうしろの邊にさへも見られるほどの不滿をいだいて馭者臺に坐つてゐたが、私に何とかして話をしかけようとしきりにあせつてゐた。しかも私が何か問ひかけるのを待ち侘びながら、自分は聲低くぶつぶつと獨り言をいつたり、馬に向つては、いひ聞かせるやうな、時には毒々しい文句を並べたりするばかりであつた。「何だつて!」含み聲でいひ出した。

 「あれで村だもねえもんだ! クワスを一杯くれろつていへば――クワスもねえ……ああ、馬鹿にしてけつかる! それに水つていへば――水なんていへるもんぢやねえ、べつ!(聞えるやうに唾を吐く)胡瓜もねえし、クワスもねえ――なんにもねえ……おい、こら」と、右の添馬の方を向いて聲高く附け加へた、「知つてるぞ、この食はせもの奴! こいつ奴、懶けるのが大好きなんだな、きつと……(さういつて一鞭くらはした)畜生、すつかりずるけちめえやがつた、もとは隨分いふことを聽く野郎だつたぢやねえか、……ほい、ほい、氣をつけろい!……」

 「おい、エロフェー」と私は話しかけた、「あのカシヤンて、一體どんな人間だね?」

 エロフェーは直ぐには答へなかつた。大體が、この男は考へ深い、あわてない男である。けれども、私がかう訊いたのでエロフェーが陽氣になり、安心もしたのを直ぐに私は見て取るつた。

 「蚤のこつてすかね?」たうとう手綱をぐんぐん引つばりながら話し出した、「奇態な奴でさ、本當にキ印(じるし)でして、あんな奇態な奴はちよつくら搜したつて又と見つかりさうもねえです。まあ、喩へてみると、ここにゐる栗毛みたいなもんぢやござんせんか、何をさしても打つちやらかしてしまふ……何といっても、何仕事でも。まあ、無論手間取りなんかになれるもんですか、あいつが――やつとの事で生きてるんで――けんど、やつぱし……。あいつは子供ん時から哀れなんですからね、最初は自分の叔父貴について荷方をやつてて、仲間は三人あつたんですけんど、すつかり倦きちやつて止してしまつたんでさ。それから家で暮らしを立てようとしたんですが、家にもじつとしてゐらんねえで。あんな落ちつかねえ奴ですからね――いや、もう全くの蚤でさね。その中に、旦那にめぐり會はして、都合よく、氣だてのいい旦那で、無理なことはさせませんでしたよ。ところがそれから、やつぱり野放しの羊みてえに、ぶらついてばつかりゐるんです。何てつても誰にも呑み込めねえ變り者(もん)で、切株みてえにむつつり默りこんでるかと思ふと、いきなり喋り出す――ところが何を喋つてんのか、さつばり呑み込めねえ。あれが當り前(めえ)なんでせうか? まあ、あたりめえぢやねえでせう。實際、とんちんかんな男ですよ。けども歌はなかなか上手でしてね。まあ、こんなことが取り立てていふことで、大した事はねえんです、何も」

 「それぢや、病氣を癒すつて、本當かね?」

 「病氣を癒すですと!……まあ、とんでもねえ! あいつはあんな奴だ。そりあ、わしの瘰癧(るゐれき)を癒すにや癒しましたがね……」といつてちよつと口を噤んでから、「とんでもねえ! 何てつても、頓馬ですよ」と附け足した。

 「お前はずつと前から知つてるのかね?」

 「ええ。大ぶん前から。クラシーワヤ・メーチャではスィチョーフカで隣り同志だつたんで」

 「あの、森ん中で出つくはしたアンヌゥシカつていふ娘は何かね、彼の身内かえ?」

 エロフェーは頸をねぢ向けて私を見かへり、相好をくづして笑つた。

 「へへ!……さうでさ、身内でさ。あれは孤兒(みなしご)で女親がねえんです。けんど誰があれの女親だか、それもわかんねえんで。まあ、身内にや違えねえでせう、あんまりよく似てますからね……とにかく、奴んとこに暮らしましてね。はしこい娘(こ)で申分がねえ、よく出來た娘(こ)で、あの老爺(ぢぢい)にして見りや眼に入れても痛くねえ、よく出來た娘(こ)でして。それから、彼(あれ)は何ですよ、きつと本當にしなさるめえが、あれはアンヌゥシカに讀み書きを教(をせ)ようと思(も)つてるんですよ。まあまあ、その位のことはありますよ、何しろ妙ちきりんな男ですからねえ。とても浮氣で、おまけに賴りない男で……どう、ど、ど!」不意に馭者はわれとわが言葉をさへぎつて、馬をとどめ、片方へ身をかしげて大氣の匂ひを嗅ぎ始める。「焦げ臭いぢやありませんか? きつとさうだ! あの新しい軸だ……油を塗つたやうな氣がするけんど……。水のある所まで漕ぎつけなくちやなんねえ、うん、丁度いい所(とこ)に池がある」

 エロフェーは徐ろに馭者臺から降りて、手桶を解いて池へ行つた。歸つて來ると、車の栓が不意に水をかけられてシューシュー鳴るのを、さも滿足げに聞いてゐる……。凡そ十露里(り)ばかりが間に、彼は熱くなつた軸へ六囘ほども水をかけなければならなかつた。かうして私たちが家に歸つた時には、もう日はとつぷり暮れてゐた。

 

 

 

■訳者中山省三郎氏による「註」(注記ページ表記を外し、私のテクスト注記に準じた表示法をとった)及びやぶちゃん注(私の注は新字・現代仮名遣とし、冒頭に「◎」を附して全体を〔 〕で括った)

〔◎クラシーワヤ・メーチャのカシヤン:この“Красивой мечи”という地名は、ロシア語で「美しき剣(複数形)」という意味である。〕

〔◎「心棒が折れちやつたんでさ……腐つちやつて」:昭和271952)年新潮社刊の米川正夫訳及び昭和331958)年岩波書店刊の佐々木彰訳では、ここを前者は「心棒が折れたんでございます‥‥燒けきれたんで。」、後者は「心棒が折れちまったんですよ‥‥燒け切れて。」と訳す。原文は“перегорела”で、これは「焼き切れる、焼け爛れてだめになる」という意味で、作品のエンディング、新しい軸がやはり焼けてあわてて馭者が池の水で冷やすというシーンとの対応を作品全体の額縁と考えれば、米川訳や佐々木訳のように私は心棒が焼き切れてしまったというシチュエーションをここに示すのがよいと考える。〕

〔◎それから親方が不機嫌で嚴しいのを見てとつて、じつと落ちついてゐることに覺悟をきめ、ただ時をり愼ましやかに尾を振つてゐる添馬を彼はまた苛めた。:この一文は日本語としては「それから親方が不機嫌で嚴しいのを見てとつて、じつと落ちついてゐることに覺悟をきめ、ただ時をり愼ましやかに尾を振つてゐる」の部分がすべて「添馬」を修飾している極めて頭でっかちの文章である。失礼ながらこれが高校生の書いた小説であるならば私なら

「親方の様子が不機嫌で嚴しいのを見てとつた添馬は、じつと落ちついてゐることに覺悟をきめ込んだのだが、それでもその後も彼は愼ましやかに尾を振つてゐるその馬を時をり苛めてゐた。」

とでも添削してしまうところである。この部分の原文は

И  он опять обеспокоил пристяжную,  которая,  видя его нерасположение и суровость,   решилась  остаться  неподвижною  и  только  изредка  и  скромно помахивала хвостом
.

であるが、これをロシア語の出来る友人がネットの自動翻訳機の英訳を参考に、補正してくれたものが以下である(この友人は京都大学出身の数学の先輩教師で、大学でロシア語を語学選択した方である)。

“And he again perturbed outrunner, which, seeing his hostile attitude and severity, he decided to remain fixed and only rarely he is modest it waved by tail.”

この英訳から見ると、中山氏の訳文は一文となっている原文の構文上(内容に於ける時系列の行動様式ではなく)は確かに忠実ではあるようには思えるのだが、後代の訳文を見ても、米川訳では

『かう云ひながら、彼はまた脇馬に八つ當りした。親方が不機嫌で難かしい顔をしてゐるのを見た馬は、ぢつと身動きもしないで事に肚を決めて、たゞ時々つゝましやかに尾を振つてゐたのである。』

とし、佐々木訳では

『それから彼はまた副馬にあたった。馬は親方が不機嫌でじゃけんなのを見ると、じっと動かずにいることに肚を決めて、たゞ時折りつつましやかに尾を振っている。』

と、どちらも訳文を二文に分けている。時系列の情景として自然なのは佐々木氏の訳であると私は思うし、その先輩も佐々木訳が正しいと思うと請けあってくれた。〕

〔◎飛地:地主が持っている地続きの本領地に対して遠隔地に分散している本領地と繋がらない不連続な孤立した領地。飛び知。他の訳者は「出村」等と訳している。原文は“
выселки”という単語で、博友社のロシア語辞典でこれに近い綴りの“выселoк”という単語には「移住民部落」という訳語が当てられている。そこで“выселки”を自動翻訳機にかけて英訳させると“the settlements”となり、これは英語で「植民地・移民団」の意味である。〕

〔◎開墾地(あらく):この「あらく」というルビは、主に関東や東北地方で、荒地又は新しく開いた畑や山畑のことを呼称する語である。〕

・キ印:ここでは信心に凝って氣の變になつた手合を指す。[やぶちゃん注:原文は“юродивец”という単語と思われるが、これは自動翻訳機では訳が出来ない。しかし、博友社のロシア語辞典でこれに近い綴りの“юродивый”という単語があり、これには「瘋癲(ふうてん)行者」という訳語を与え、「弊衣をまとい奇行をこととする行者」という説明が附されている。まさにカシヤンにぴったり! 米川氏も佐々木氏も共に『神がかりみたいな』奴(やつ)と訳す。とりあえずここでは中山氏のように軽蔑的な訳によって、しかしこの「註」を附して実は軽くはないぞという読ませ方の方が読者には適切であると私は思う。]

〔◎『小物』:原文は“"в мелочах"”で、“мелочеь”は名詞で、小さなもの・小間物・雑貨の意、“в”は「中(へ)」であるから、低い灌木よりも更に背丈の低い下草の八重葎(やえむぐら)を言うハンター用語なのであろう。些細なこととであるが、であるとすれば「低い灌木のなか」は「低い灌木のなかや」としたいところである。そうしないと読み方によっては「低い灌木のなか」の言い換えが「『小物』のなか」であると誤読される虞れがある。〕

〔◎鶯:原文では“
Соловьев”(これは変化形で基本形は“Соловьей”)で、これは次の中山氏の注により、我々の知るところの三鳴鳥の一であるスズメ目ウグイス科ヨシキリ亜科のウグイス
Cettia diphoneではなく、スズメ目ヒタキ科ヒタキ亜科ノビタキ族のLuscinia属に属するサヨナキドリ(小夜啼鳥)Luscinia megarhynchosを指すことが分かる(ロシア語の“Соловьев”。これはナイチンゲールNightingaleの英名の方が良く知られており、異名でセイヨウウグイスとも呼ばれるほどに囀りが美しい。ヨーロッパとアフリカを往来する渡鳥である。〕

・クゥルスク:クゥルスクの鶯(夜うぐいす)は聲がよいので珍重される。[やぶちゃん補注:現在のロシア南西部のクルスク州Курская областьの首都クルスクКурск。]

・「いんえ、ありましねえ」:カシアンは、當時かなりの勢力を持つてゐた遊行宗とも名づくべき宗派に歸依する異教徒なので、法律に認められてゐない結婚の話を未知の人の前ですることを憚る。

〔◎氣保養:「きぼよう」とも読む。楽しんだり、のんびりしたりして心を休めること。気休め。気散じ。気晴らし。〕

〔◎さあ、ところが、別のやつは、さうぢやねえ、效くには效いても、惡いんだ、そんなやつの話をすれば罪になる。けんどお祈りしてからだと……。いや、むろん、こんな言葉もあることだから、……:ここの部分、「惡い」「罪」「お祈り」「こんな言葉」の意味が少し分かり難い。米川訳では『ところが、そのほかのやつは、どつこい、さうはゆかねえ。效くにや效くけれど、不淨な草だ。そんなやつの話をするのも罪になるくらゐだ。でも、お祈りして唱へながら使へば、まあ……そりや、もう、淨めの言葉があるからな……』とし、佐々木訳では『ところがそうでないものもある。効くには効いても、使うことはなんねえ。話をするさえ罪なことだ。そりゃお祈りをしてからなら……。むろん、そんな言葉がちゃんとあるだ……』とする。これらから、カシヤンの言う意味が明確となる。即ち薬草の中には、本来は不浄なものであって薬用に用いてはいけないものがあるが、それらもちゃんとしたお祈りを唱えて、更にその穢れを取り除く特別な呪文を唱えてから用いれば、副作用を齎さずに有効に用いることが出来るというのである。〕

〔◎いや、ここはまた、確かに土は向ふよりあ良い。粘土(ねばつち)ふくんでて、百姓らがいふ上等の粘つ土で、おらが穀物はどこさでもぐんぐん生えてくれるんでしてね:ここは私にはやや不自然に思われる。それは、「ここ」が現在カシヤンが居住している飛地ユーヂヌイを指すことになるからである。最初に主人公が描写する部分や作品の最後に描写されるこの飛地の描写は、如何にも痩せて荒廃した土地としか見えないからである。「何かね、向ふぢや今よりよかつたのかね?」という主人公の問に始まり、「良うござんしたよ……ええの位(くれえ)ぢやねえ。向ふは、……」というクラシーワヤ・メーチャの肥沃で魅力的な土地柄がカシヤンによって語られ、それを受けて主人公の「それぢや、爺さん、正直にいつたら、また生まれ故郷へ行きたいだらうね?」が受け、カシヤンの「はあ、行つてみてえ。」と繋がる時、ユーヂヌイは劣悪な地であることが、自然にイメージされる。ところが、ここで最後にユーヂヌイが如何にも豊かな穀倉地帯だという附けたしでは、クラシーワヤ・メーチャの良さが極度に減衰してしまうし、話の流れとしてもおかしいように思われるのである。しかし米川訳を見ると『ところが、こゝは土地は確かに土は向うより上等だ。粘り氣があつて、百姓どもの云ふ上等のねばつちで、俺の作物だつてどこさででも、しこたま獲れるよ。』とあって、中山訳と変わらない。ところが佐々木訳は『それに、土地も確かによい。ねば土で、百姓どもの言う、上等のねばつちでなあ。おらのとこからだつて、穀類がどこからでもしこたま獲れたもんよ。』と訳す。ロシア語が読めない私であるが、その私にとってはこの佐々木訳こそ目から鱗なのである。是非、ロシア語に堪能な方の御意見を伺いたい次第である。〕

〔◎乳母のオカ河へも、鳩のツナ河へも、お母(ふくろ)のヴォルガへも行つたし:勿論、これがそれぞれの河を称える比喩であることは間違いないが、「母なるヴォルガ」は人口に膾炙するのでよいとして、前の二つは日本語に直すと如何にも奇異な感じがするのは私だけか。佐々木訳では『乳母なるオカ河へも、いとしのツナ河へも、母なるヴォルガへも行ったし、』とし、米川訳は『多くの人を養ふオカ河へも、可愛らしいツナ河へも、河の母と云はれるヴォルガへも行つて、』とする。ややくだくだしい部分もあるが、ここでは米川訳の確信犯的意訳の方がよいように思われる。〕

〔◎やはり不調法、わたしたちの仲間が俗にいふ『蹴違(けちが)ひ』:まず、この「やはり不調法」を米川氏は『けれど、私の間の惡さ』、佐々木氏は『けれども私の不首尾』とする。私にすんなりくるのは佐々木氏の語である。また、所謂、猟師仲間の間で俗に言うところの、『蹴違ひ』というのも、如何にも耳慣れない語(「蹴り違える」「蹴った結果、足の筋をちがえる」という意味で辞書にはあるが私は51年間このような語を使ったことはない)。この原文は“незадача”という単語と思われるが、これは口語の「不成功・不首尾」の意味で、後続の米川氏は『さんりんぼう』(う~ん、裏技! これは日本の旧暦の注の一つで、一般にはその日に家を建てると、その家は火事を起こして近隣三軒にまで被害が及ぶとされ、棟上や起工をすることを忌んだ。なお、歴史的仮名遣いを用いている米川訳からするとここは「さんりんばう」となるべきところ)と意訳し、佐々木氏はシンプルに『へま』と訳す。私は後のカシアンの「禁厭」の語に対するものとしては、佐々木氏の「へま」が最もいいように思われる。〕

〔◎車の栓:原文は“втулка колеса”で、博友社のロシア語辞典では“втулка”が①軸套・ブッシュ・嵌め輪・套管、②栓・プラグとある。“колеса”は車輪の意味である。米川氏は『轂』、佐々木氏は『軸套』(これは辞書にもあり、おそらく正しく厳密にその部分を言う言葉なのであろうが、機械や自動車工学及び専門職間での特殊な用語としか思われず、一般人には馴染みがないので私には頂けない訳である)とする。「栓」という日本語には、確かに、穴の口をふさぐもの・臍(ほぞ)という意味もあるから、轂及びその周辺部を指すとしても誤りではないであろうが、やはり読んでいてちょっと立ち止まってしまう。米川氏の「轂」の訳で、私は問題なくすんなりと読めるように思われる。ここは、読みを澱(よど)ませたくないところなのである。〕