やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇へ
鬼火へ


「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版)

[やぶちゃん注:「侏儒の言葉」の正字正仮名遣完全版である(★2006年7月15日「〔アフオリズム〕」及び『「侏儒の言葉」草稿』を追補。★2007年2月11日『(「侏儒の言葉」続篇 草稿 「一 ある鞭」及び「二 唾」』を追補。)。「侏儒の言葉」は、大正12(1923)年1月1日発行の雑誌『文藝春秋』から大正14(1925)年11月1日発行の同誌に30回に亙って、毎号の巻頭に掲載された。単行本としての完全版は、没後の昭和2(1927)年12月6日に文藝春秋出版部より出版された。本やぶちゃん版では、「侏儒の言葉」は岩波版旧全集第七巻を、『「侏儒の言葉」の序』及び「侏儒の言葉(遺稿)」は同第九巻を、更に同第十二巻の「雑纂」に所収している「〔アフオリズム〕」、新全集二十一巻「草稿」の『「侏儒の言葉」草稿』をそれぞれ底本として(但し、新全集はすべて旧字体に恣意的に変えてある)、合成したものである。このうち、「〔アフオリズム〕」は「侏儒の言葉」と名指していないし、未定稿でもあるが、稿の最後にある、先行する元版全集の編者によるものであろう『(大正十二年――大正十四年)』の記載は、「侏儒の言葉」の連載と完全に一致しており、その内容も「侏儒の言葉」の未定稿と見なし得る。『「侏儒の言葉」の序』「侏儒の言葉」「〔アフオリズム〕」『「侏儒の言葉」草稿』『(「侏儒の言葉」続篇 草稿 「一 ある鞭」及び「二 唾」)』「侏儒の言葉(遺稿)」の順(一応の推定編年順)で並べてある。傍点「丶」は下線に換え、各作品の間に「*」の記号を配した。
2008年4月19日追記】なお、ここの「侏儒の言葉」に興味を持たれた方は、是非、知人TK氏による「侏儒の言葉(もう一つの完全版)」(恐縮なことにこの「もう一つの」は先行した私のこのページを意識された命名である)をも閲覧されたい。真摯な校訂と表記表示のバリエーションが美事な、確かに「もう一つの完全版「侏儒の言葉」なのである。
★【2016年5月22日追記:2016年6月14日一部改】今回、幾つかのタイプ・ミスを補正した(この当時は実際に純然たる手打ちで入力していたため、妙なミスが散見する)。底本の中で一部誤っている歴史的仮名遣については恣意的に訂正を施した(ここは注を附さない電子テクストである以上、そうするのが読者には親切と判断したからである)。さらに、説明が漏れていたが、これ以外に芥川龍之介が「侏儒の言葉」に準じてその代替物という明記で書かれたものが三篇存在し、これらも狭義の「侏儒の言葉」に準ずるものと考えねばならぬ。私はそれらをとうに電子化しているので遙かに遅ればせながら、以下にリンクしておく。
「侏儒の言葉――病牀雜記――」(大正14(125)年10月発行『文藝春秋』に初出。後の作品集『侏儒の言葉』には不載)
「澄江堂雜記――「侏儒の言葉」の代りに――」(大正14(1925)年12月及び翌15年1月発行『文藝春秋』に初出、後の『侏儒の言葉』に所収)
「病中雜記――「侏儒の言葉」の代りに――」(大正15(1926)年2月及び3月発行『文藝春秋』に初出、後の『侏儒の言葉』に所収)
ところが、そうなると一つの問題が生ずる。それは上記の「澄江堂雜記」の一篇の存在である。実は龍之介には同じ「澄江堂雜記」と称するものがこれ以外に三種存在(便宜上、私は「澄江堂雜記(1)」同「(2)」同「(3)」として遥か昔に電子化している)し、それらもアフォリズム形式で広義の「侏儒の言葉」群に含み得るものだからである。しかし、それらも総て「侏儒の言葉」に含ませるとなると、龍之介が同様のアフォリズム群として単行本「梅・馬・鶯」(大正15(1926)年12月新潮社刊)で「澄江堂雜記」のアフォリズム群とともに併載した概ね独立小品として発表した「放屁」「袈裟と盛遠の情交」「後世」『「昔」』「德川末期の文藝」の諸篇も(リンク先はやはり私の古い電子テクスト。以下も同じ)、更には同じアフォリズム形式で、「侏儒の言葉」と共時的に発表された「野人生計事」(大正12(1924)年1月6日及び同月13日発行の『サンデー毎日』初出)や遺稿「十本の針」、いやさ、「侏儒の言葉」に三年も先立ってしまう擬古文アフォリズムの「骨董羹―壽陵余子の假名のもとに筆を執れる戲文―」(大正9(1920)年4・5・6月発行『人間』初出。これには私の暴虎馮河の現代語訳版もある)をも、広義の「侏儒の言葉」ということにせねばならなくなるが、しかし乍ら、それは恐らく誰一人として賛同者を得られないものと考えるので、このリンクに留めおくこことする(なお、「澄江堂雜記――「侏儒の言葉」の代りに――」以外の三種の「澄江堂雜記」のアフォリズム群の読み方(読む順序)については、私がブログで解説したリンク附のものがあるので、是非、参照されたい)。また、先日(2016年5月16日)より、
ブログ・カテゴリ『芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈)』
を始動している。こちらも是非、御愛顧の程、お願い申し上げるものである(なお、そこでは最初に述べた歴史的仮名遣の誤りもそのまま再現し、注で指示しておいた)。【2016年6月20日追記】『芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈)』
を完遂した。
★【2016年6月11日追記】芥川龍之介にとっての「侏儒の言葉」と、それと他の芥川龍之介の文章を『文藝春秋』巻頭に「侏儒の言葉」と称して掲載し続けた社主にして盟友であった菊池寛の考えた「侏儒の言葉」と、当時、『文藝春秋』巻頭の芥川龍之介の文章を漫然と読み続けた大方の大衆の考えていた「侏儒の言葉」の三つは自ずと異なっていた。それについて、ブログの『芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 作家(十一章)』の最後に注しておいたので是非、お読み戴きたい。]

 

 

 

「侏儒の言葉」の序

 

 

 

 「侏儒の言葉」は必しもわたしの思想を傳へるものではない。唯わたしの思想の變化を時々窺はせるのに過ぎぬものである。一本の草よりも一すぢの蔓草(つるくさ)、――しかもその蔓草は幾すぢも蔓を伸ばしてゐるかも知れない。

                                                          芥川龍之介

                                                                                 

 

 

 

侏儒の言葉

 

 

 

       星

 

 太陽の下に新しきことなしとは古人の道破した言葉である。しかし新しいことのないのは獨り太陽の下ばかりではない。

 天文學者の説によれば、ヘラクレス星群を發した光は我我の地球へ達するのに三萬六千年を要するさうである。が、ヘラクレス星群と雖も、永久に輝いてゐることは出來ない。何時か一度は冷灰のやうに、美しい光を失つてしまふ。のみならず死は何處へ行つても常に生を孕んでゐる。光を失つたヘラクレス星群も無邊の天をさまよふ内に、都合の好い機會を得さへすれば、一團の星雲と變化するであらう。さうすれば又新しい星は續々と其處に生まれるのである。

 宇宙の大に比べれば、太陽も一點の燐火に過ぎない。況や我我の地球をやである。しかし遠い宇宙の極、銀河のほとりに起つてゐることも、實はこの泥團の上に起つてゐることと變りはない。生死は運動の方則のもとに、絶えず循環してゐるのである。さう云ふことを考へると、天上に散在する無數の星にも多少の同情を禁じ得ない。いや、明滅する星の光は我我と同じ感情を表はしてゐるやうにも思はれるのである。この點でも詩人は何ものよりも先に高々と眞理をうたひ上げた。

   眞砂なす數なき星のその中に吾に向ひて光る星あり

 しかし星も我我のやうに流轉を閲すると云ふことは――兎に角退屈でないことはあるまい。

 

       鼻

 

 クレオパトラの鼻が曲つてゐたとすれば、世界の歷史はその爲に一變してゐたかも知れないとは名高いパスカルの警句である。しかし戀人と云ふものは滅多に實相を見るものではない。いや、我我の自己欺瞞は一たび戀愛に陷つたが最後、最も完全に行はれるのである。

 アントニイもさう云ふ例に洩れず、クレオパトラの鼻が曲つてゐたとすれば、努めてそれを見まいとしたであらう。又見ずにはゐられない場合もその短所を補ふべき何か他の長所を探したであらう。何か他の長所と云へば、天下に我我の戀人位、無數の長所を具へた女性は一人もゐないのに相違ない。アントニイもきつと我我同樣、クレオパトラの眼とか唇とかに、あり餘る償ひを見出したであらう。その上又例の「彼女の心」! 實際我我の愛する女性は古往今來飽き飽きする程、素ばらしい心の持ち主である。のみならず彼女の服裝とか、或は彼女の財産とか、或は又彼女の社會的地位とか、――それらも長所にならないことはない。更に甚しい場合を擧げれば、以前或名士に愛されたと云ふ事實乃至風評さへ、長所の一つに數へられるのである。しかもあのクレオパトラは豪奢と神祕とに充ち滿ちたエヂプトの最後の女王ではないか? 香の煙の立ち昇る中に、冠の珠玉でも光らせながら、蓮の花か何か弄んでゐれば、多少の鼻の曲りなどは何人の眼にも觸れなかつたであらう。況やアントニイの眼をやである。

 かう云ふ我我の自己欺瞞はひとり戀愛に限つたことではない。我々は多少の相違さへ除けば、大抵我我の欲するままに、いろいろ實相を塗り變へてゐる。たとへば齒科醫の看板にしても、それが我我の眼にはひるのは看板の存在そのものよりも、看板のあることを欲する心、――牽いては我々の齒痛ではないか? 勿論我我の齒痛などは世界の歷史には沒交渉であらう。しかしかう云ふ自己欺瞞は民心を知りたがる政治家にも、敵狀を知りたがる軍人にも、或は又財況を知りたがる實業家にも同じやうにきつと起るのである。わたしはこれを修正すべき理智の存在を否みはしない。同時に又百般の人事を統べる「偶然」の存在も認めるものである。が、あらゆる熱情は理性の存在を忘れ易い。「偶然」は云はば神意である。すると我我の自己欺瞞は世界の歷史を左右すべき、最も永久な力かも知れない。

 つまり二千餘年の歷史は眇たる一クレオパトラの鼻の如何に依つたのではない。寧ろ地上に遍滿した我我の愚昧に依つたのである。哂ふべき、――しかし壯嚴な我我の愚昧に依つたのである。

 

       修  身

 

 道德は便宜の異名である。「左側通行」と似たものである。

         *

 道德の與へたる恩惠は時間と勞力との節約である。道德の與へる損害は完全なる良心の麻痺である。

         *

 妄に道德に反するものは經濟の念に乏しいものである。妄に道德に屈するものは臆病ものか怠けものである。

         *

 我我を支配する道德は資本主義に毒された封建時代の道德である。我我は殆ど損害の外に、何の恩惠にも浴してゐない。

         *

 強者は道德を蹂躙するであらう。弱者は又道德に愛撫されるであらう。道德の迫害を受けるものは常に強弱の中間者である。

         *

 道德は常に古着である。

         *

 良心は我我の口髭のやうに年齡と共に生ずるものではない。我我は良心を得る爲にも若干の訓練を要するのである。

         *

 一國民の九割強は一生良心を持たぬものである。

         *

 我我の悲劇は年少の爲、或は訓練の足りない爲、まだ良心を捉へ得ぬ前に、破廉恥漢の非難を受けることである。

 我我の喜劇は年少の爲、或は訓練の足りない爲、破廉恥漢の非難を受けた後に、やつと良心を捉へることである。

         *

 良心とは嚴肅なる趣味である。

         *

 良心は道德を造るかも知れぬ。しかし道德は未だ甞て、良心の良の字も造つたことはない。

         *

 良心もあらゆる趣味のやうに、病的なる愛好者を持つてゐる。さう云ふ愛好者は十中八九、聰明なる貴族か富豪かである。

 

       好  惡

 

 わたしは古い酒を愛するやうに、古い快樂説を愛するものである。我我の行爲を決するものは善でもなければ惡でもない。唯我我の好惡である。或は我我の快不快である。さうとしかわたしには考へられない。

 ではなぜ我我は極寒の天にも、將に溺れんとする幼兒を見る時、進んで水に入るのであるか? 救ふことを快とするからである。では水に入る不快を避け、幼兒を救ふ快を取るのは何の尺度に依つたのであらう? より大きい快を選んだのである。しかし肉體的快不快と精神的快不快とは同一の尺度に依らぬ筈である。いや、この二つの快不快は全然相容れぬものではない。寧ろ鹹水と淡水とのやうに、一つに融け合つてゐるものである。現に精神的教養を受けない京阪邊の紳士諸君はすつぽんの汁を啜つた後、鰻を菜に飯を食ふさへ、無上の快に數へてゐるではないか? 且又水や寒氣などにも肉體的享樂の存することは寒中水泳の示すところである。なほこの間の消息を疑ふものはマソヒズムの場合を考へるが好い。あの呪ふべきマソヒズムはかう云ふ肉體的快不快の外見上の倒錯に常習的傾向の加はつたものである。わたしの信ずるところによれば、或は柱頭の苦行を喜び、或は火裏の殉教を愛した基督教の聖人たちは大抵マソヒズムに罹つてゐたらしい。

 我我の行爲を決するものは昔の希臘人の云つた通り、好惡の外にないのである。我我は人生の泉から、最大の味を汲み取らねばならぬ。『パリサイの徒の如く、悲しき面もちをなすこと勿れ。』耶蘇さへ既にさう云つたではないか。賢人とは畢竟荊蕀の路にも、薔薇の花を咲かせるもののことである。

 

       侏儒の祈り

 

 わたしはこの綵衣を纏ひ、この筋斗の戲を獻じ、この太平を樂しんでゐれば不足のない侏儒でございます。どうかわたしの願ひをおかなへ下さいまし。

 どうか一粒の米すらない程、貧乏にして下さいますな。どうか又熊掌にさへ飽き足りる程、富裕にもして下さいますな。

 どうか採桑の農婦すら嫌ふやうにして下さいますな。どうか又後宮の麗人さへ愛するやうにもして下さいますな。

 どうか菽麥すら辨ぜぬ程、愚昧にして下さいますな。どうか又雲氣さへ察する程、聰明にもして下さいますな。

 とりわけどうか勇ましい英雄にして下さいますな。わたしは現に時とすると、攀ぢ難い峯の頂を窮め、越え難い海の浪を渡り――云はば不可能を可能にする夢を見ることがございます。さう云ふ夢を見てゐる時程、空恐しいことはございません。わたしは龍と鬪ふやうに、この夢と鬪ふのに苦しんで居ります。どうか英雄とならぬやうに――英雄の志を起さぬやうに力のないわたしをお守り下さいまし。

 わたしはこの春酒に醉ひ、この金鏤の歌を誦し、この好日を喜んでゐれば不足のない侏儒でございます。

 

       神 祕 主 義

 

 神祕主義は文明の爲に衰退し去るものではない。寧ろ文明は神祕主義に長足の進步を與へるものである。

 古人は我々人間の先祖はアダムであると信じてゐた。と云ふ意味は創世記を信じてゐたと云ふことである。今人は既に中學生さへ、猿であると信じてゐる。と云ふ意味はダアウインの著書を信じてゐると云ふことである。つまり書物を信ずることは今人も古人も變りはない。その上古人は少くとも創世記に目を曝らしてゐた。今人は少數の專門家を除き、ダアウインの著書も讀まぬ癖に、恬然とその説を信じてゐる。猿を先祖とすることはエホバの息吹きのかかつた土、――アダムを先祖とすることよりも、光彩に富んだ信念ではない。しかも今人は悉かう云ふ信念に安んじてゐる。

 これは進化論ばかりではない。地球は圓いと云ふことさへ、ほんたうに知つてゐるものは少數である。大多數は何時か教へられたやうに、圓いと一圖に信じてゐるのに過ぎない。なぜ圓いかと問ひつめて見れば、上愚は總理大臣から下愚は腰辨に至る迄、説明の出來ないことは事實である。

 次ぎにもう一つ例を擧げれば、今人は誰も古人のやうに幽靈の實在を信ずるものはない。しかし幽靈を見たと云ふ話は未に時々傳へられる。ではなぜその話を信じないのか? 幽靈などを見る者は迷信に囚はれて居るからである。ではなぜ迷信に捉はれてゐるのか? 幽靈などを見るからである。かう云ふ今人の論法は勿論所謂循環論法に過ぎない。

 況や更にこみ入つた問題は全然信念の上に立脚してゐる。我々は理性に耳を借さない。いや、理性を超越した何物かのみに耳を借すのである。何物かに、――わたしは「何物か」と云ふ以前に、ふさはしい名前さへ發見出來ない。もし強いて名づけるとすれば、薔薇とか魚とか蠟燭とか、象徴を用ふるばかりである。たとへば我々の帽子でも好い。我々は羽根のついた帽子をかぶらず、ソフトや中折をかぶるやうに、祖先の猿だつたことを信じ、幽靈の實在しないことを信じ、地球の圓いことを信じてゐる。もし噓と思ふ人は日本に於けるアインシユタイン博士、或はその相對性原理の歡迎されたことを考へるが好い。あれは神祕主義の祭である。不可解なる莊嚴の儀式である。何の爲に熱狂したのかは「改造」社主の山本氏さへ知らない。

 すると偉大なる神祕主義者はスウエデンボルグだのベエメだのではない。實は我々文明の民である。同時に又我々の信念も三越の飾り窓と選ぶところはない。我々の信念を支配するものは常に捉へ難い流行である。或は神意に似た好惡である。實際又西施や龍陽君の祖先もやはり猿だつたと考へることは多少の滿足を與へないでもない。

 

       自由意志と宿命と

 

 兎に角宿命を信ずれば、罪惡なるものの存在しない爲に懲罰と云ふ意味も失はれるから、罪人に對する我我の態度は寛大になるのに相違ない。同時に又自由意志を信ずれば責任の觀念を生ずる爲に、良心の麻痺を免れるから、我我自身に對する我我の態度は嚴肅になるのに相違ない。ではいづれに從はうとするのか?

 わたしは恬然と答へたい。半ばは自由意志を信じ、半ばは宿命を信ずべきである。或は半ばは自由意志を疑ひ、半ばは宿命を疑ふべきである。なぜと云へば我我は我我に負はされた宿命により、我我の妻を娶つたではないか? 同時に又我我は我我に惠まれた自由意志により、必ずしも妻の注文通り、羽織や帶を買つてやらぬではないか?

 自由意志と宿命とに關らず、神と惡魔、美と醜、勇敢と怯懦、理性と信仰、――その他あらゆる天秤の兩端にはかう云ふ態度をとるべきである。古人はこの態度を中庸と呼んだ。中庸とは英吉利語の good sense である。わたしの信ずるところによれば、グツドセンスを待たない限り、如何なる幸福も得ることは出來ない。もしそれでも得られるとすれば、炎天に炭火を擁したり、大寒に團扇を揮つたりする瘦せ我慢の幸福ばかりである。

 

       小  兒

 

 軍人は小兒に近いものである。英雄らしい身振を喜んだり、所謂光榮を好んだりするのは今更此處に云ふ必要はない。機械的訓練を貴んだり、動物的勇氣を重んじたりするのも小學校にのみ見得る現象である。殺戮を何とも思はぬなどは一層小兒と選ぶところはない。殊に小兒と似てゐるのは喇叭や軍歌に皷舞されれば、何の爲に戰ふかも問はず、欣然と敵に當ることである。

 この故に軍人の誇りとするものは必ず小兒の玩具に似てゐる。緋縅の鎧や鍬形の兜は成人の趣味にかなつた者ではない。勳章も――わたしには實際不思議である。なぜ軍人は酒にも醉はずに、勳章を下げて步かれるのであらう?

 

       武  器

 

 正義は武器に似たものである。武器は金を出しさへすれば、敵にも味方にも買はれるであらう。正義も理窟をつけさへすれば、敵にも味方にも買はれるものである。古來「正義の敵」と云ふ名は砲彈のやうに投げかはされた。しかし修辭につりこまれなければ、どちらがほんたうの「正義の敵」だか、滅多に判然したためしはない。

 日本人の勞働者は單に日本人と生まれたが故に、パナマから退去を命ぜられた。これは正義に反してゐる。亞米利加は新聞紙の傳へる通り、「正義の敵」と云はなければならぬ。しかし支那人の勞働者も單に支那人と生まれたが故に、千住から退去を命ぜられた。これも正義に反してゐる。日本は新聞紙の傳へる通り、――いや、日本は二千年來、常に「正義の味方」である。正義はまだ日本の利害と一度も矛盾はしなかつたらしい。

 武器それ自身は恐れるに足りない。恐れるのは武人の技倆である。正義それ自身も恐れるに足りない。恐れるのは煽動家の雄辯である。武后は人天を顧みず、冷然と正義を蹂躙した。しかし李敬業の亂に當り、駱賓王の檄を讀んだ時には色を失ふことを免れなかつた。「一抔土未乾 六尺孤安在」の雙句は天成のデマゴオクを待たない限り、發し得ない名言だつたからである。

 わたしは歷史を飜へす度に、遊就館を想ふことを禁じ得ない。過去の廊下には薄暗い中にさまざまの正義が陳列してある。靑龍刀に似てゐるのは儒教の教へる正義であらう。騎士の槍に似てゐるのは基督教の教へる正義であらう。此處に太い棍棒がある。これは社會主義者の正義であらう。彼處に房のついた長劍がある。あれは國家主義者の正義であらう。わたしはさう云ふ武器を見ながら、幾多の戰ひを想像し、おのづから心悸の高まることがある、しかしまだ幸か不幸か、わたし自身その武器の一つを執りたいと思つた記憶はない。

 

       尊  王

 

 十七世紀の佛蘭西の話である。或日 Duc de Bourgogne Abbé Choisy にこんなことを尋ねた。シヤルル六世は氣違ひだつた。その意味を婉曲に傳へる爲には、何と云へば好いのであらう? アベは言下に返答した。「わたしならば唯かう申します。シヤルル六世は氣違ひだつたと。」アベ・シヨアズイはこの答を一生の冐險の中に數へ、後のちまでも自慢にしてゐたさうである。

 十七世紀の佛蘭西はかう云ふ逸話の殘つてゐる程、尊王の精神に富んでゐたと云ふ。しかし二十世紀の日本も尊王の精神に富んでゐることは當時の佛蘭西に劣らなさうである。まことに、――欣幸の至りに堪へない。

 

       創  作

 

 藝術家は何時も意識的に彼の作品を作るのかも知れない。しかし作品そのものを見れば、作品の美醜の一半は藝術家の意識を超越した神祕の世界に存してゐる。一半? 或は大半と云つても好い。

 我我は妙に問ふに落ちず、語るに落ちるものである。我我の魂はおのづから作品に露るることを免れない。一刀一拜した古人の用意はこの無意識の境に對する畏怖を語つてはゐないであらうか?

 創作は常に冐險である。所詮は人力を盡した後、天命に委かせるより仕方はない。

  少時學語苦難圓 唯道工夫半未全 到老始知非力取 三分人事七分天

 趙甌北の「論詩」の七絶はこの間の消息を傳へたものであらう。藝術は妙に底の知れない凄みを帶びてゐるものである。我我も金を欲しがらなければ、又名聞を好まなければ、最後に殆ど病的な創作熱に苦しまなければ、この無氣味な藝術などと格鬪する勇氣は起らなかつたかも知れない。

 

       鑑  賞

 

 藝術の鑑賞は藝術家自身と鑑賞家との協力である。云はば鑑賞家は一つの作品を課題に彼自身の創作を試みるのに過ぎない。この故に如何なる時代にも名聲を失はない作品は必ず種々の鑑賞を可能にする特色を具へてゐる。しかし種々の鑑賞を可能にすると云ふ意味はアナトオル・フランスの云ふやうに、何處か曖昧に出來てゐる爲、どう云ふ解釋を加へるのもたやすいと云ふ意味ではあるまい。寧ろ廬山の峯々のやうに、種々の立ち場から鑑賞され得る多面性を具へてゐるのであらう。

 

       古  典

 

 古典の作者の幸福なる所以は兎に角彼等の死んでゐることである。

 

       又

 

 我我の――或は諸君の幸福なる所以も兎に角彼等の死んでゐることである。

 

       幻滅した藝術家

 

 或一群の藝術家は幻滅の世界に住してゐる。彼等は愛を信じない。良心なるものをも信じない。唯昔の苦行者のやうに無何有の砂漠を家としてゐる。その點は成程氣の毒かも知れない。しかし美しい蜃氣樓は砂漠の天にのみ生ずるものである。百般の人事に幻滅した彼等も大抵藝術には幻滅してゐない。いや、藝術と云ひさへすれば、常人の知らない金色の夢は忽ち空中に出現するのである。彼等も實は思ひの外、幸福な瞬間を持たぬ訣ではない。

 

       告  白

 

 完全に自己を告白することは何人にも出來ることではない。同時に又自己を告白せずには如何なる表現も出來るものではない。

 ルツソオは告白を好んだ人である。しかし赤裸々の彼自身は懺悔錄の中にも發見出來ない。メリメは告白を嫌つた人である。しかし「コロンバ」は隱約の間に彼自身を語つてはゐないであらうか? 所詮告白文學とその他の文學との境界線は見かけほどはつきりはしてゐないのである。

 

       人  生

        ――石黑定一君に――

 もし游泳を學ばないものに泳げと命ずるものがあれば、何人も無理だと思ふであらう。もし又ランニングを學ばないものに駈けろと命ずるものがあれば、やはり理不盡だと思はざるを得まい。しかし我我は生まれた時から、かう云ふ莫迦げた命令を負はされてゐるのも同じことである。

 我我は母の胎内にゐた時、人生に處する道を學んだであらうか? しかも胎内を離れるが早いか、兎に角大きい競技場に似た人生の中に踏み入るのである。勿論游泳を學ばないものは滿足に泳げる理窟はない。同樣にランニングを學ばないものは大抵人後に落ちさうである。すると我我も創痍を負はずに人生の競技場を出られる筈はない。

 成程世人は云ふかも知れない。「前人の跡を見るが好い。あそこに君たちの手本がある」と。しかし百の游泳者や千のランナアを眺めたにしろ、忽ち游泳を覺えたり、ランニングに通じたりするものではない。のみならずその游泳者は悉く水を飮んでをり、その又ランナアは一人殘らず競技場の土にまみれてゐる。見給へ、世界の名選手さへ大抵は得意の微笑のかげに澁面を隱してゐるではないか?

 人生は狂人の主催に成つたオリムピツク大會に似たものである。我我は人生と鬪ひながら、人生と鬪ふことを學ばねばならぬ。かう云ふゲエムの莫迦々々しさに憤慨を禁じ得ないものはさつさと埒外に步み去るが好い。自殺も亦確かに一便法である。しかし人生の競技場に踏み止まりたいと思ふものは創痍を恐れずに鬪はなければならぬ。

 

       又

 

 人生は一箱のマツチに似てゐる。重大に扱ふのは莫迦々々しい。重大に扱はなければ危險である。

 

       又

 

 人生は落丁の多い書物に似てゐる。一部を成すとは稱し難い。しかし兎に角一部を成してゐる。

 

       或自警團員の言葉

 

 さあ、自警の部署に就かう。今夜は星も木木の梢に涼しい光を放つてゐる。微風もそろそろ通ひ出したらしい。さあ、この籐の長椅子に寢ころび、この一本のマニラに火をつけ、夜もすがら氣樂に警戒しよう。もし喉の渇いた時には水筒のウイスキイを傾ければ好い。幸ひまだポケツトにはチヨコレエトの棒も殘つてゐる。

 聽き給へ、高い木木の梢に何か寢鳥の騷いでゐるのを。鳥は今度の大地震にも困ると云ふことを知らないであらう。しかし我我人間は衣食住の便宜を失つた爲にあらゆる苦痛を味はつてゐる。いや、衣食住どころではない。一杯のシトロンの飮めぬ爲にも少からぬ不自由を忍んでゐる。人間と云ふ二足の獸は何と云ふ情けない動物であらう。我我は文明を失つたが最後、それこそ風前の燈火のやうに覺束ない命を守らなければならぬ。見給へ。鳥はもう靜かに寐入つてゐる。羽根蒲團や枕を知らぬ鳥は!

 鳥はもう靜かに寢入つてゐる。夢も我我より安らかであらう。鳥は現在にのみ生きるものである。しかし我我人間は過去や未來にも生きなければならぬ。と云ふ意味は悔恨や憂慮の苦痛をも甞めなければならぬ。殊に今度の大地震はどの位我我の未來の上へ寂しい暗黑を投げかけたであらう。東京を燒かれた我我は今日の餓に苦しみ乍ら、明日の餓にも苦しんでゐる。鳥は幸ひにこの苦痛を知らぬ、いや、鳥に限つたことではない。三世の苦痛を知るものは我我人間のあるばかりである。

 小泉八雲は人間よりも蝶になりたいと云つたさうである。蝶――と云へばあの蟻を見給へ。もし幸福と云ふことを苦痛の少ないことのみとすれば、蟻も亦我我よりは幸福であらう。けれども我我人間は蟻の知らぬ快樂をも心得てゐる。蟻は破産や失戀の爲に自殺をする患はないかも知れぬ。が、我我と同じやうに樂しい希望を持ち得るであらうか? 僕は未だに覺えてゐる。月明りの仄めいた洛陽の廢都に、李太白の詩の一行さへ知らぬ無數の蟻の群を憐んだことを!

 しかしシヨオペンハウエルは、――まあ、哲學はやめにし給へ。我我は兎に角あそこへ來た蟻と大差のないことだけは確かである。もしそれだけでも確かだとすれば、人間らしい感情の全部は一層大切にしなければならぬ。自然は唯冷然と我我の苦痛を眺めてゐる。我我は互に憐まなければならぬ。況や殺戮を喜ぶなどは、――尤も相手を絞め殺すことは議論に勝つよりも手輕である。

 我我は互に憐まなければならぬ。シヨオペンハウエルの厭世觀の我我に與へた教訓もかう云ふことではなかつたであらうか?

 夜はもう十二時を過ぎたらしい。星も相不變頭の上に涼しい光を放つてゐる。さあ、君はウイスキイを傾け給へ。僕は長椅子に寐ころんだままチヨコレエトの棒でも囓ることにしよう。

 

       地

 

 地上樂園の光景は屢詩歌にもうたはれてゐる。が、わたしはまだ殘念ながら、さう云ふ詩人の地上樂園に住みたいと思つた覺えはない。基督教徒の地上樂園は畢竟退屈なるパノラマである。黃老の學者の地上樂園もつまりは索漠とした支那料理屋に過ぎない。況んや近代のユウトピアなどは――ウイルヤム・ジエエムスの戰慄したことは何びとの記憶にも殘つてゐるであらう。

 わたしの夢みてゐる地上樂園はさう云ふ天然の温室ではない。同時に又さう云ふ學校を兼ねた食糧や衣服の配給所でもない。唯此處に住んでゐれば、兩親は子供の成人と共に必ず息を引取るのである。それから男女の兄弟はたとひ惡人に生まれるにもしろ、莫迦には決して生まれない結果、少しも迷惑をかけ合はないのである。それから女は妻となるや否や、家畜の魂を宿す爲に從順そのものに變るのである。それから子供は男女を問はず、兩親の意志や感情通りに、一日のうちに何囘でも聾と啞と腰ぬけと盲目とになることが出來るのである。それから甲の友人は乙の友人よりも貧乏にならず、同時に又乙の友人は甲の友人よりも金持ちにならず、互ひに相手を褒め合ふことに無上の滿足を感ずるのである。それから――ざつとかう云ふ處を思へば好い。

 これは何もわたし一人の地上樂園たるばかりではない。同時に又天下に充滿した善男善女の地上樂園である。唯古來の詩人や學者はその金色の瞑想の中にかう云ふ光景を夢みなかつた。夢みなかつたのは別に不思議ではない。かう云ふ光景は夢みるにさへ、餘りに眞實の幸福に溢れすぎてゐるからである。

 附記 わたしの甥はレムブラントの肖像畫を買ふことを夢みてゐる。しかし彼の小遣ひを十圓貰ふことは夢みてゐない。これも十圓の小遣ひは餘りに眞實の幸福に溢れすぎてゐるからである。

 

       暴  力

 

 人生は常に複雜である。複雜なる人生を簡單にするものは暴力より外にある筈はない。この故に往往石器時代の腦髓しか持たぬ文明人は論爭より殺人を愛するのである。

 しかし亦權力も畢竟はパテントを得た暴力である。我我人間を支配する爲にも、暴力は常に必要なのかも知れない。或は又必要ではないのかも知れない。

 

       「人間らしさ」

 

 わたしは不幸にも「人間らしさ」に禮拜する勇氣は持つてゐない。いや、屢「人間らしさ」に輕蔑を感ずることは事實である。しかし又常に「人間らしさ」に愛を感ずることも事實である。愛を?――或は愛よりも憐憫かも知れない。が、兎に角「人間らしさ」にも動かされぬやうになつたとすれば、人生は到底住するに堪へない精神病院に變りさうである。Swift の畢に發狂したのも當然の結果と云ふ外はない。

 スウイフトは發狂する少し前に、梢だけ枯れた木を見ながら、「おれはあの木とよく似てゐる。頭から先に參るのだ」と呟いたことがあるさうである。この逸話は思ひ出す度にいつも戰慄を傳へずには置かない。わたしはスウイフトほど頭の好い一代の鬼才に生まれなかつたことをひそかに幸福に思つてゐる。

 

       椎

 

 完全に幸福になり得るのは白痴にのみ與へられた特權である。如何なる樂天主義者にもせよ、笑顏に終始することの出來るものではない。いや、もし眞に樂天主義なるものの存在を許し得るとすれば、それは唯如何に幸福に絶望するかと云ふことのみである。

 「家にあれば笥にもる飯を草まくら旅にしあれば椎の葉にもる」とは行旅の情をうたつたばかりではない。我我は常に「ありたい」ものの代りに「あり得る」ものと妥協するのである。學者はこの椎の葉にさまざまの美名を與へるであらう。が、無遠慮に手に取つて見れば、椎の葉はいつも椎の葉である。

 椎の葉の椎の葉たるを歎ずるのは椎の葉の笥たるを主張するよりも確かに尊敬に價してゐる。しかし椎の葉の椎の葉たるを一笑し去るよりも退屈であらう。少くとも生涯同一の歎を繰り返すことに倦まないのは滑稽であると共に不道德である。實際又偉大なる厭世主義者は澁面ばかり作つてはゐない。不治の病を負つたレオパルデイさへ、時には蒼ざめた薔薇の花に寂しい頰笑みを浮べてゐる。……

 追記 不道德とは過度の異名である。

 

       佛  陀

 

 悉達多は王城を忍び出た後六年の間苦行した。六年の間苦行した所以は勿論王城の生活の豪奢を極めてゐた祟りであらう。その證據にはナザレの大工の子は、四十日の斷食しかしなかつたやうである。

 

       又

 

 悉達多は車匿に馬轡を執らせ、潜かに王城を後ろにした。が、彼の思辨癖は屢彼をメランコリアに沈ましめたと云ふことである。すると王城を忍び出た後、ほつと一息ついたものは實際將來の釋迦無二佛だつたか、それとも彼の妻の耶輸陀羅だつたか、容易に斷定は出來ないかも知れない。

 

       又

 

 悉達多は六年の苦行の後、菩提樹下に正覺に達した。彼の成道の傳説は如何に物質の精神を支配するかを語るものである。彼はまづ水浴してゐる。それから乳糜を食してゐる。最後に難陀婆羅と傳へられる牧牛の少女と話してゐる。

 

       政治的天才

 

 古來政治的天才とは民衆の意志を彼自身の意志とするもののやうに思はれてゐた。が、これは正反對であらう。寧ろ政治的天才とは彼自身の意志を民衆の意志とするもののことを云ふのである。少くとも民衆の意志であるかのやうに信ぜしめるものを云ふのである。この故に政治的天才は俳優的天才を伴ふらしい。ナポレオンは「莊嚴と滑稽との差は僅かに一步である」と云つた。この言葉は帝王の言葉と云ふよりも名優の言葉にふさはしさうである。

 

       又

 

 民衆は大義を信ずるものである。が、政治的天才は常に大義そのものには一文の錢をも抛たないものである。唯民衆を支配する爲には大義の假面を用ひなければならぬ。しかし一度用ひたが最後、大義の假面は永久に脱することを得ないものである。もし又強いて脱さうとすれば、如何なる政治的天才も忽ち非命に仆れる外はない。つまり帝王も王冠の爲におのづから支配を受けてゐるのである。この故に政治的天才の悲劇は必ず喜劇をも兼ねぬことはない。たとへば昔仁和寺の法師の鼎をかぶつて舞つたと云ふ「つれづれ草」の喜劇をも兼ねぬことはない。

 

       戀は死よりも強し

 

 「戀は死よりも強し」と云ふのはモオパスサンの小説にもある言葉である。が、死よりも強いものは勿論天下に戀ばかりではない。たとへばチブスの患者などのビスケツトを一つ食つた爲に知れ切つた往生を遂げたりするのは食慾も死よりは強い證據である。食慾の外にも數へ擧げれば、愛國心とか、宗教的感激とか、人道的精神とか、利慾とか、名譽心とか、犯罪的本能とか――まだ死よりも強いものは澤山あるのに相違ない。つまりあらゆる情熱は死よりも強いものなのであらう。(勿論死に對する情熱は例外である。)且つ又戀はさう云ふもののうちでも、特に死よりも強いかどうか、迂濶に斷言は出來ないらしい。一見、死よりも強い戀と見做され易い場合さへ、實は我我を支配してゐるのは佛蘭西人の所謂ボヴアリスムである。我我自身を傳奇の中の戀人のやうに空想するボヴアリイ夫人以來の感傷主義である。

 

       地  獄

 

 人生は地獄よりも地獄的である。地獄の與へる苦しみは一定の法則を破つたことはない。たとへば餓鬼道の苦しみは目前の飯を食はうとすれば飯の上に火の燃えるたぐひである。しかし人生の與へる苦しみは不幸にもそれほど單純ではない。目前の飯を食はうとすれば、火の燃えることもあると同時に、又存外樂樂と食ひ得ることもあるのである。のみならず樂樂と食ひ得た後さへ、腸加太兒の起ることもあると同時に、又存外樂樂と消化し得ることもあるのである。かう云ふ無法則の世界に順應するのは何びとにも容易に出來るものではない。もし地獄に墮ちたとすれば、わたしは必ず咄嗟の間に餓鬼道の飯も掠め得るであらう。況や針の山や血の池などは二三年其處に住み慣れさへすれば格別跋渉の苦しみを感じないやうになつてしまふ筈である。

 

       醜  聞

 

 公衆は醜聞を愛するものである。白蓮事件、有島事件、武者小路事件――公衆は如何にこれらの事件に無上の滿足を見出したであらう。ではなぜ公衆は醜聞を――殊に世間に名を知られた他人の醜聞を愛するのであらう? グルモンはこれに答へてゐる。――

 「隱れたる自己の醜聞も當り前のやうに見せてくれるから。」

 グルモンの答は中つてゐる。が、必ずしもそればかりではない。醜聞さへ起し得ない俗人たちはあらゆる名士の醜聞の中に彼等の怯懦を辯解する好個の武器を見出すのである。同時に又實際には存しない彼等の優越を樹立する、好個の臺石を見出すのである。「わたしは白蓮女史ほど美人ではない。しかし白蓮女史よりも貞淑である。」「わたしは有島氏ほど才子ではない。しかし有島氏よりも世間を知つてゐる。」「わたしは武者小路氏ほど……」――公衆は如何にかう云つた後、豚のやうに幸福に熟睡したであらう。

 

       又

 

 天才の一面は明らかに醜聞を起し得る才能である。

 

       輿  論

 

 輿論は常に私刑であり、私刑は又常に娯樂である。たとひピストルを用ふる代りに新聞の記事を用ひたとしても。

 

       又

 

 輿論の存在に價する理由は唯輿論を蹂躪する興味を與へることばかりである。

 

       敵  意

 

 敵意は寒氣と選ぶ所はない。適度に感ずる時は爽快であり、且又健康を保つ上には何びとにも絶對に必要である。

 

       ユウトピア

 

 完全なるユウトピアの生れない所以は大體下の通りである。――人間性そのものを變へないとすれば、完全なるユウトピアの生まれる筈はない。人間性そのものを變へるとすれば、完全なるユウトピアと思つたものも忽ち不完全に感ぜられてしまふ。

 

       危

 

 危險思想とは常識を實行に移さうとする思想である。

 

       惡

 

 藝術的氣質を持つた靑年の「人間の惡」を發見するのは誰よりも遲いのを常としてゐる。

 

       二

 

 わたしは小學校の讀本の中に二宮尊德の少年時代の大書してあつたのを覺えてゐる。貧家に人となつた尊德は晝は農作の手傳ひをしたり、夜は草鞋を造つたり、大人のやうに働きながら、健氣にも獨學をつづけて行つたらしい。これはあらゆる立志譚のやうに――と云ふのはあらゆる通俗小説のやうに、感激を與へ易い物語である。實際又十五歳に足らぬわたしは尊德の意氣に感激すると同時に、尊德ほど貧家に生まれなかつたことを不仕合せの一つにさへ考へてゐた。……

 けれどもこの立志譚は尊德に名譽を與へる代りに、當然尊德の兩親には不名譽を與へる物語である。彼等は尊德の教育に寸毫の便宜をも與へなかつた。いや、寧ろ與へたものは障碍ばかりだつた位である。これは兩親たる責任上、明らかに恥辱と云はなければならぬ。しかし我々の兩親や教師は無邪氣にもこの事實を忘れてゐる。尊德の兩親は酒飮みでも或は又博奕打ちでも好い。問題は唯尊德である。どう云ふ艱難辛苦をしても獨學を廢さなかつた尊德である。我我少年は尊德のやうに勇猛の志を養はなければならぬ。

 わたしは彼等の利己主義に驚嘆に近いものを感じてゐる。成程彼等には尊德のやうに下男をも兼ねる少年は都合の好い息子に違ひない。のみならず後年聲譽を博し、大いに父母の名を顯はしたりするのは好都合の上にも好都合である。しかし十五歳に足らぬわたしは尊德の意氣に感激すると同時に、尊德ほど貧家に生まれなかつたことを不仕合せの一つにさへ考へてゐた。丁度鎖に繫がれた奴隷のもつと太い鎖を欲しがるやうに。

 

       奴  隷

 

 奴隷廢止と云ふことは唯奴隷たる自意識を廢止すると云ふことである。我我の社會は奴隷なしには一日も安全を保し難いらしい。現にあのプラトオンの共和國さへ、奴隷の存在を豫想してゐるのは必ずしも偶然ではないのである。

 

       又

 

 暴君を暴君と呼ぶことは危險だつたのに違ひない。が、今日は暴君以外に奴隷を奴隷と呼ぶこともやはり甚だ危險である。

 

       悲  劇

 

 悲劇とはみづから羞ずる所業を敢てしなければならぬことである。この故に萬人に共通する悲劇は排泄作用を行ふことである。

 

       強  弱

 

 強者とは敵を恐れぬ代りに友人を恐れるものである。一擊に敵を打ち倒すことには何の痛痒も感じない代りに、知らず識らず友人を傷けることには兒女に似た恐怖を感ずるものである。

 弱者とは友人を恐れぬ代りに、敵を恐れるものである。この故に又至る處に架空の敵ばかり發見するものである。

 

       S・Mの智慧

 

 これは友人S・Mのわたしに話した言葉である。

 辯證法の功績。――所詮何ものも莫迦げてゐると云ふ結論に到達せしめたこと。

 少女。――どこまで行つても淸冽な淺瀨。

 早教育。――ふむ、それも結構だ。まだ幼稚園にゐるうちに智慧の悲しみを知ることには責任を持つことにも當らないからね。

 追憶。――地平線の遠い風景畫。ちやんと仕上げもかゝつてゐる。

 女。――メリイ・ストオプス夫人によれば女は少くとも二週間に一度、夫に情欲を感ずるほど貞節に出來てゐるものらしい。

 年少時代。――年少時代の憂欝は全宇宙に對する驕慢である。

 艱難汝を玉にす。――艱難汝を玉にするとすれば、日常生活に、思慮深い男は到底玉になれない筈である。

 我等如何に生くべき乎。――未知の世界を少し殘して置くこと。

 

       社  交

 

 あらゆる社交はおのづから虛僞を必要とするものである。もし寸毫の虛僞をも加へず、我我の友人知己に對する我我の本心を吐露するとすれば、古への管鮑の交りと雖も破綻を生ぜずにはゐなかつたであらう。管鮑の交りは少時問はず、我我は皆多少にもせよ、我我の親密なる友人知己を憎惡し或は輕蔑してゐる。が、憎惡も利害の前には鋭鋒を收めるのに相違ない。且又輕蔑は多々益々恬然と虛僞を吐かせるものである。この故に我我の友人知己と最も親密に交る爲めには、互に利害と輕蔑とを最も完全に具へなければならぬ。これは勿論何びとにも甚だ困難なる條件である。さもなければ我我はとうの昔に禮讓に富んだ紳士になり、世界も亦とうの昔に黃金時代の平和を現出したであらう。

 

       瑣  事

 

 人生を幸福にする爲には、日常の瑣事を愛さなければならぬ。雲の光り、竹の戰ぎ、群雀の聲、行人の顏、――あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。

 人生を幸福にする爲には?――しかし瑣事を愛するものは瑣事の爲に苦しまなければならぬ。庭前の古池に飛びこんだ蛙は百年の愁を破つたであらう。が、古池を飛び出した蛙は百年の愁を與へたかも知れない。いや、芭蕉の一生は享樂の一生であると共に、誰の目にも受苦の一生である。我我も微妙に樂しむ爲には、やはり又微妙に苦しまなければならぬ。

 人生を幸福にする爲には、日常の瑣事に苦しまなければならぬ。雲の光り、竹の戰ぎ、群雀の聲、行人の顏、――あらゆる日常の瑣事の中に墮地獄の苦痛を感じなければならぬ。

 

       神

 

 あらゆる神の屬性中、最も神の爲に同情するのは神には自殺の出來ないことである。

 

       又

 

 我我は神を罵殺する無數の理由を發見してゐる。が、不幸にも日本人は罵殺するのに價ひするほど、全能の神を信じてゐない。

 

       民  衆

 

 民衆は穩健なる保守主義者である。制度、思想、藝術、宗教、――何ものも民衆に愛される爲には、前時代の古色を帶びなければならぬ。所謂民衆藝術家の民衆の爲に愛されないのは必ずしも彼等の罪ばかりではない。

 

       又

 

 民衆の愚を發見するのは必ずしも誇るに足ることではない。が、我我自身も亦民衆であることを發見するのは兎も角も誇るに足ることである。

 

       又

 

 古人は民衆を愚にすることを治國の大道に數へてゐた。丁度まだこの上にも愚にすることの出來るやうに。――或は又どうかすれば賢にでもすることの出來るやうに。

 

       チエホフの言葉

 

 チエホフはその手記の中に男女の差別を論じてゐる。――「女は年をとると共に、益々女の事に從ふものであり、男は年をとると共に、益々女の事から離れるものである。」

 しかしこのチエホフの言葉は男女とも年をとると共に、おのづから異性との交渉に立ち入らないと云ふのも同じことである。これは三歳の童兒と雖もとうに知つてゐることと云はなければならぬ。のみならず男女の差別よりも寧ろ男女の無差別を示してゐるものと云はなければならぬ。

 

       服  裝

 

 少くとも女人の服裝は女人自身の一部である。啓吉の誘惑に陷らなかつたのは勿論道念にも依つたのであらう。が、彼を誘惑した女人は啓吉の妻の借着をしてゐる。もし借着をしてゐなかつたとすれば、啓吉もさほど樂々とは誘惑の外に出られなかつたかも知れない。

 註 菊池寛氏の「啓吉の誘惑」を見よ。

 

       處

 

 我我は處女を妻とする爲にどの位妻の選擇に滑稽なる失敗を重ねて來たか、もうそろそろ處女崇拜には背中を向けても好い時分である。

 

       又

 

 處女崇拜は處女たる事實を知つた後に始まるものである。即ち卒直なる感情よりも零細なる知識を重んずるものである。この故に處女崇拜者は戀愛上の衒學者と云はなければならぬ。あらゆる處女崇拜者の何か嚴然と構へてゐるのも或は偶然ではないかも知れない。

 

       又

 

 勿論處女らしさ崇拜は處女崇拜以外のものである。この二つを同義語とするものは恐らく女人の俳優的才能を餘りに輕々に見てゐるものであらう。

 

       禮  法

 

 或女學生はわたしの友人にかう云ふ事を尋ねたさうである。

 「一體接吻をする時には目をつぶつてゐるものなのでせうか? それともあいてゐるものなのでせうか?」

 あらゆる女學校の教課の中に戀愛に關する禮法のないのはわたしもこの女學生と共に甚だ遺憾に思つてゐる。

 

       貝

 

 わたしはやはり小學時代に貝原益軒の逸事を學んだ。益軒は嘗て乘合船の中に一人の書生と一しよになつた。書生は才力に誇つてゐたと見え、滔々と古今の學藝を論じた。が、益軒は一言も加へず、靜かに傾聽するばかりだつた。その内に船は岸に泊した。船中の客は別れるのに臨んで姓名を告げるのを例としてゐた。書生は始めて益軒を知り、この一代の大儒の前に忸怩として先刻の無禮を謝した。――かう云ふ逸事を學んだのである。

 當時のわたしはこの逸事の中に謙讓の美德を發見した。少くとも發見する爲に努力したことは事實である。しかし今は不幸にも寸毫の教訓さへ發見出來ない。この逸事の今のわたしにも多少の興味を與へるは僅かに下のやうに考へるからである。――

 一 無言に終始した益軒の侮蔑は如何に辛辣を極めてゐたか!

 二 書生の恥ぢるのを欣んだ同船の客の喝采は如何に俗惡を極めてゐたか!

 三 益軒の知らぬ新時代の精神は年少の書生の放論の中にも如何に潑溂と鼓動してゐたか!

       或

 

 或新時代の評論家は「蝟集する」と云ふ意味に「門前雀羅を張る」の成語を用ひた。「門前雀羅を張る」の成語は支那人の作つたものである。それを日本人の用ふるのに必ずしも支那人の用法を踏襲しなければならぬと云ふ法はない。もし通用さへするならば、たとへば、「彼女の頰笑みは門前雀羅を張るやうだつた」と形容しても好い筈である。

 もし通用さへするならば、――萬事はこの不可思議なる「通用」の上に懸つてゐる。たとへば「わたくし小説」もさうではないか? Ich-Roman と云ふ意味は一人稱を用ひた小説である。必ずしもその「わたくし」なるものは作家自身と定まつてはゐない。が、日本の「わたくし」小説は常にその「わたくし」なるものを作家自身とする小説である。いや、時には作家自身の閲歷談と見られたが最後、三人稱を用ひた小説さへ「わたくし」小説と呼ばれてゐるらしい。これは勿論獨逸人の――或は全西洋人の用法を無視した新例である。しかし全能なる「通用」はこの新例に生命を與へた。「門前雀羅を張る」の成語もいつかはこれと同じやうに意外の新例を生ずるかも知れない。

 すると或評論家は特に學識に乏しかつたのではない。唯聊か時流の外に新例を求むるのに急だつたのである。その評論家の揶揄を受けたのは、――兎に角あらゆる先覺者は常に薄命に甘んじなければならぬ。

 

       制  限

 

 天才もそれぞれ乘り越え難い或制限に拘束されてゐる。その制限を發見することは多少の寂しさを與へぬこともない。が、それはいつの間にか却つて親しみを與へるものである。丁度竹は竹であり、蔦は蔦である事を知つたやうに。

 

       火  星

 

 火星の住民の有無を問ふことは我我の五感に感ずることの出來る住民の有無を問ふことである。しかし生命は必ずしも我我の五感に感ずることの出來る條件を具へるとは限つてゐない。もし火星の住民も我我の五感を超越した存在を保つてゐるとすれば、彼等の一群は今夜も亦篠懸を黃ばませる秋風と共に銀座へ來てゐるかも知れないのである。

 

       Blanqui の夢

 

 宇宙の大は無限である。が、宇宙を造るものは六十幾つかの元素である。是等の元素の結合は如何に多數を極めたとしても、畢竟有限を脱することは出來ない。すると是等の元素から無限大の宇宙を造る爲には、あらゆる結合を試みる外にも、その又あらゆる結合を無限に反覆して行かなければならぬ。して見れば我我の棲息する地球も、――是等の結合の一つたる地球も太陽系中の一惑星に限らず、無限に存在してゐる筈である。この地球上のナポレオンはマレンゴオの戰に大勝を博した。が、茫々たる大虛に浮んだ他の地球上のナポレオンは同じマレンゴオの戰に大敗を蒙つてゐるかも知れない。……

 これは六十七歳のブランキの夢みた宇宙觀である。議論の是非は問ふ所ではない。唯ブランキは牢獄の中にかう云ふ夢をペンにした時、あらゆる革命に絶望してゐた。このことだけは今日もなほ何か我我の心の底へ滲み渡る寂しさを蓄へてゐる。夢は既に地上から去つた。我我も慰めを求める爲には何萬億哩の天上へ、――宇宙の夜に懸つた第二の地球へ輝かしい夢を移さなければならぬ。

 

       庸  才

 

 庸才の作品は大作にもせよ、必ず窓のない部屋に似てゐる。人生の展望は少しも利かない。

 

       機  智

 

 機智とは三段論法を缺いた思想であり、彼等の所謂「思想」とは思想を缺いた三段論法である。

 

       又

 

 機智に對する嫌惡の念は人類の疲勞に根ざしてゐる。

 

       政 治 家

 

 政治家の我我素人よりも政治上の知識を誇り得るのは紛紛たる事實の知識だけである。畢竟某黨の某首領はどう言ふ帽子をかぶつてゐるかと言ふのと大差のない知識ばかりである。

 

       又

 

 所謂「床屋政治家」とはかう言ふ知識のない政治家である。若し夫れ識見を論ずれば必ずしも政治家に劣るものではない。且又利害を超越した情熱に富んでゐることは常に政治家よりも高尚である。

 

       事  實

 

 しかし紛紛たる事實の知識は常に民衆の愛するものである。彼等の最も知りたいのは愛とは何かと言ふことではない。クリストは私生兒かどうかと言ふことである。

 

       武

 

 わたしは從來武者修業とは四方の劍客と手合せをし、武技を磨くものだと思つてゐた。が、今になつて見ると、實は己ほど強いものの餘り天下にゐないことを發見する爲にするものだつた。――宮本武藏傳讀後。

 

       ユウゴオ

 

 全フランスを蔽ふ一片のパン。しかもバタはどう考へても、餘りたつぷりはついてゐない。

 

       ドストエフスキイ

 

 ドストエフスキイの小説はあらゆる戲畫に充ち滿ちてゐる。尤もその又戲畫の大半は惡魔をも憂鬱にするに違ひない。

 

       フロオベル

 

 フロオベルのわたしに教へたものは美しい退屈もあると言ふことである。

 

       モオパスサン

 

 モオパスサンは氷に似てゐる。尤も時には氷砂糖にも似てゐる。

 

       ポオ

 

 ポオはスフインクスを作る前に解剖學を研究した。ポオの後代を震駭した祕密はこの研究に潜んでゐる。

 

       森 鷗 外

 

 畢竟鷗外先生は軍服に劍を下げた希臘人である。

 

       或資本家の論理

 

 「藝術家の藝術を賣るのも、わたしの蟹の鑵詰めを賣るのも、格別變りのある筈はない。しかし藝術家は藝術と言へば、天下の寶のやうに思つてゐる。あゝ言ふ藝術家の顰みに傚へば、わたしも亦一鑵六十錢の蟹の鑵詰めを自慢しなければならぬ。不肖行年六十一、まだ一度も藝術家のやうに莫迦莫迦しい己惚れを起したことはない。」

 

       批 評 學

        ――佐佐木茂索君に――

 或天氣の好い午前である。博士に化けた Mephistopheles は或大學の講壇に批評學の講義をしてゐた。尤もこの批評學は Kant Kritik や何かではない。只如何に小説や戲曲の批評をするかと言ふ學問である。

 「諸君、先週わたしの申し上げた所は御理解になつたかと思ひますから、今日は更に一步進んだ『半肯定論法』のことを申し上げます。『半肯定論法』とは何かと申すと、これは讀んで字の通り、或作品の藝術的價値を半ば肯定する論法であります。しかしその『半ば』なるものは『より惡い半ば』でなければなりません。『より善い半ば』を肯定することは頗るこの論法には危險であります。

 「たとへば日本の櫻の花の上にこの論法を用ひて御覽なさい。櫻の花の『より善い半ば』は色や形の美しさであります。けれどもこの論法を用ふるためには『より善い半ば』よりも『より惡い半ば』――即ち櫻の花の匂ひを肯定しなければなりません。つまり『匂ひは正にある。が、畢竟それだけだ』と斷案を下してしまふのであります。若し又萬一『より惡い半ば』の代りに『より善い半ば』を肯定したとすれば、どう言ふ破綻を生じますか? 『色や形は正に美しい。が、畢竟それだけだ』――これでは少しも櫻の花を貶したことにはなりません。

 「勿論批評學の問題は如何に或小説や戲曲を貶すかと言ふことに關しています。しかしこれは今更のやうに申し上げる必要はありますまい。

 「ではこの『より善い半ば』や『より惡い半ば』は何を標準に區別しますか? かう言ふ問題を解決する爲には、これも度たび申し上げた價値論へ溯らなければなりません。價値は古來信ぜられたやうに作品そのものの中にある譯ではない、作品を鑑賞する我我の心の中にあるものであります。すると『より善い半ば』や『より惡い半ば』は我我の心を標準に、――或は一時代の民衆の何を愛するかを標準に區別しなければなりません。

 「たとへば今日の民衆は日本風の草花を愛しません。即ち日本風の草花は惡いものであります。又今日の民衆はブラジル珈琲を愛しています。即ちブラジル珈琲は善いものに違ひありません。或作品の藝術的價値の『より善い半ば』や『より惡い半ば』も當然かう言ふ例のやうに區別しなければなりません。

 「この標準を用ひずに、美とか眞とか善とか言ふ他の標準を求めるのは最も滑稽な時代錯誤であります。諸君は赤らんだ麥藁帽のやうに舊時代を捨てなければなりません。善惡は好惡を超越しない、好惡は即ち善惡である、愛憎は即ち善惡である、――これは『半肯定論法』に限らず、苟くも批評學に志した諸君の忘れてはならぬ法則であります。

 「扨『半肯定論法』とは大體上の通りでありますが、最後に御注意を促したいのは『それだけだ』と言ふ言葉であります。この『それだけだ』と言ふ言葉は是非使はなければなりません。第一『それだけだ』と言ふ以上、『それ』即ち『より惡い半ば』を肯定してゐることは確かであります。しかし又第二に『それ』以外のものを否定してゐることも確かであります。即ち『それだけだ』と言ふ言葉は頗る一揚一抑の趣に富んでゐると申さなければなりません。が、更に微妙なことには第三に『それ』の藝術的價値さへ、隱約の間に否定してゐます。勿論否定してゐると言つても、なぜ否定するかと言ふことは説明も何もしてゐません。只言外に否定してゐる、――これはこの『それだけだ』と言ふ言葉の最も著しい特色であります。顯にして晦、肯定にして否定とは正に『それだけだ』の謂でありませう。

 「この『半肯定論法』は『全否定論法』或は『木に緣つて魚を求むる論法』よりも信用を博し易いかと思ひます。『全否定論法』或は『木に緣つて魚を求むる論法』とは先週申し上げた通りでありますが、念の爲めにざつと繰り返すと、或作品の藝術的價値をその藝術的價値そのものにより、全部否定する論法であります。たとへば或悲劇の藝術的價値を否定するのに、悲慘、不快、憂鬱等の非難を加へる事と思へばよろしい。又この非難を逆に用ひ、幸福、愉快、輕妙等を缺いてゐると罵つてもかまひません。一名『木に緣つて魚を求むる論法』と申すのは後に擧げた場合を指したのであります。『全否定論法』或は『木に緣つて魚を求むる論法』は痛快を極めてゐる代りに、時には偏頗の疑ひを招かないとも限りません。しかし『半肯定論法』は兎に角或作品の藝術的價値を半ばは認めてゐるのでありますから、容易に公平の看を與へ得るのであります。

 「就いては演習の題目に佐佐木茂索氏の新著『春の外套』を出しますから、來週までに佐佐木氏の作品へ『半肯定論法』を加へて來て下さい。(この時若い聽講生が一人、「先生、『全否定論法』を加へてはいけませんか?」と質問する)いや、『全否定論法』を加へることは少くとも當分の間は見合せなければなりません。佐佐木氏は兎に角聲名のある新進作家でありますから、やはり『半肯定論法』位を加へるのに限ると思ひます。……」

         *   *   *   *   *

 一週間たつた後、最高點を採つた答案は下に掲げる通りである。

 「正に器用には書いてゐる。が、畢竟それだけだ。」

 

       親  子

 

 親は子供を養育するのに適してゐるかどうかは疑問である。成程牛馬は親の爲に養育されるのに違ひない。しかし自然の名のもとにこの舊習の辯護するのは確かに親の我儘である。若し自然の名のもとに如何なる舊習も辯護出來るならば、まづ我我は未開人種の掠奪結婚を辯護しなければならぬ。

 

       又

 

 子供に對する母親の愛は最も利己心のない愛である。が、利己心のない愛は必ずしも子供の養育に最も適したものではない。この愛の子供に與へる影響は――少くとも影響の大半は暴君にするか、弱者にするかである。

 

       又

 

 人生の悲劇の第一幕は親子となつたことにはじまつてゐる。

 

       又

 

 古來如何に大勢の親はかう言ふ言葉を繰り返したであらう。――「わたしは畢竟失敗者だつた。しかしこの子だけは成功させなければならぬ。」

 

       可能

 

 我々はしたいことの出來るものではない。只出來ることをするものである。これは我我個人ばかりではない。我我の社會も同じことである。恐らくは神も希望通りにこの世界を造ることは出來なかつたであらう。

       ムアアの言葉

 

 ジヨオヂ・ムアアは「我死せる自己の備忘錄」の中にかう言ふ言葉を挾んでゐる。――「偉大なる畫家は名前を入れる場所をちやんと心得てゐるものである。又決して同じ所に二度と名前を入れぬものである。」

 勿論「決して同じ所に二度と名前を入れぬこと」は如何なる畫家にも不可能である。しかしこれは咎めずとも好い。わたしの意外に感じたのは「偉大なる畫家は名前を入れる場所をちやんと心得てゐる」と言ふ言葉である。東洋の畫家には未だ甞て落欵の場所を輕視したるものはない。落欵の場所に注意せよなどと言ふのは陳套語である。それを特筆するムアアを思ふと、坐ろに東西の差を感ぜざるを得ない。

 

       大  作

 

 大作を傑作と混同するものは確かに鑑賞上の物質主義である。大作は手間賃の問題にすぎない。わたしはミケル・アンヂエロの「最後の審判」の壁畫よりも遙かに六十何歳かのレムブラントの自畫像を愛してゐる。

 

       わたしの愛する作品

 

 わたしの愛する作品は、――文藝上の作品は畢竟作家の人間を感ずることの出來る作品である。人間を――頭腦と心臟と官能とを一人前に具へた人間を。しかし不幸にも大抵の作家はどれか一つを缺いた片輪である。(尤も時には偉大なる片輪に敬服することもない訣ではない。)

 

       「虹霓關」を見て

 

 男の女を獵するのではない。女の男を獵するのである。――シヨウは「人と超人と」の中にこの事實を戲曲化した。しかしこれを戲曲化したものは必しもシヨウにはじまるのではない。わたくしは梅蘭芳の「虹霓關」を見、支那にも既にこの事實に注目した戲曲家のあるのを知つた。のみならず「戲考」は「虹霓關」の外にも、女の男を捉へるのに孫呉の兵機と劍戟とを用ひた幾多の物語を傳へてゐる。

 「董家山」の女主人公金蓮、「轅門斬子」の女主人公桂英、「雙鎖山」の女主人公金定等は悉かう言ふ女傑である。更に「馬上緣」の女主人公梨花を見れば彼女の愛する少年將軍を馬上に俘にするばかりではない。彼の妻にすまぬと言ふのを無理に結婚してしまふのである。胡適氏はわたしにかう言つた。――「わたしは『四進士』を除きさへすれば、全京劇の價値を否定したい。」しかし是等の京劇は少くとも甚だ哲學的である。哲學者胡適氏はこの價値の前に多少氏の雷霆の怒を和げる訣には行かないであらうか?

 

       經  驗

 

 經驗ばかりにたよるのは消化力を考へずに食物ばかりにたよるものである。同時に又經驗を徒らにしない能力ばかりにたよるのもやはり食物を考へずに消化力ばかりにたよるものである。

 

       ア

 

 希臘の英雄アキレスは踵だけ不死身ではなかつたさうである。――即ちアキレスを知る爲にはアキレスの踵を知らなければならぬ。

 

       藝術家の幸福

 

 最も幸福な藝術家は晩年に名聲を得る藝術家である。國木田獨步もそれを思へば、必しも不幸な藝術家ではない。

 

       好 人 物

 

 女は常に好人物を夫に持ちたがるものではない。しかし男は好人物を常に友だちに持ちたがるものである。

 

       又

 

 好人物は何よりも先に天上の神に似たものである。第一に歡喜を語るのに好い。第二に不平を訴へるのに好い。第三に――ゐてもゐないでも好い。

 

       罪

 

 「その罪を憎んでその人を憎まず」とは必しも行ふに難いことではない。大抵の子は大抵の親にちやんとこの格言を實行してゐる。

 

       桃  李

 

 「桃李言はざれども、下自ら蹊を成す」とは確かに知者の言である。尤も「桃李言はざれども」ではない。實は「桃李言はざれば」である。

[やぶちゃん注:「ざれば」は原文では傍点「丶」。]


       偉  大

 

 民衆は人格や事業の偉大に籠絡されることを愛するものである。が、偉大に直面することは有史以來愛したことはない。

 

       廣  告

 「侏儒の言葉」十二月號の「佐佐木茂索君の爲に」は佐佐木君を貶したのではありません。佐佐木君を認めない批評家を嘲つたものであります。かう言ふことを廣告するのは「文藝春秋」の讀者の頭腦を輕蔑することになるのかも知れません。しかし實際或批評家は佐佐木君を貶したものと思ひこんでゐたさうであります。且又この批評家の亞流も少くないやうに聞き及びました。その爲に一言廣告します。尤もこれを公にするのはわたくしの發意ではありません。實は先輩里見弴君の煽動によつた結果であります。どうかこの廣告に憤る讀者は里見君に非難を加へて下さい。「侏儒の言葉」の作者。

 

       追

 

 前掲の廣告中、「里見君に非難を加へて下さい」と言つたのは勿論わたしの常談であります。實際は非難を加へずともよろしい。わたしは或批評家の代表する一團の天才に敬服した餘り、どうも多少ふだんよりも神經質になつたやうであります。同上

 

       再追加廣告

 

 前掲の追加廣告中、「或批評家の代表する一團の天才に敬服した」と言ふのは勿論反語と言ふものであります。同上

 

       藝  術

 

 畫力は三百年、書力は五百年、文章の力は千古無窮とは王世貞の言ふ所である。しかし敦煌の發掘品等に徴すれば、書畫は五百年を閲した後にも依然として力を保つてゐるらしい。のみならず文章も千古無窮に力を保つかどうかは疑問である。觀念も時の支配の外に超然としてゐることの出來るものではない。我我の祖先は「神」と言ふ言葉に衣冠束帶の人物を髣髴してゐた。しかし我我は同じ言葉に髯の長い西洋人を髣髴してゐる。これはひとり神に限らず、何ごとにも起り得るものと思はなければならぬ。

 

       又

 

 わたしはいつか東洲齋寫樂の似顏畫を見たことを覺えてゐる。その畫中の人物は綠いろの光琳波を描いた扇面を胸に開いてゐた。それは全體の色彩の效果を強めてゐるのに違ひなかつた。が、廓大鏡に覗いて見ると、綠いろをしてゐるのは綠靑を生じた金いろだつた。わたしはこの一枚の寫樂に美しさを感じたのは事實である。けれどもわたしの感じたのは寫樂の捉へた美しさと異つてゐたのも事實である。かう言ふ變化は文章の上にもやはり起るものと思はなければならぬ。

 

       又

 

 藝術も女と同じことである。最も美しく見える爲には一時代の精神的雰圍氣或は流行に包まれなければならぬ。

 

       又

 

 のみならず藝術は空間的にもやはり軛を負はされてゐる。一國民の藝術を愛する爲には一國民の生活を知らなければならぬ。東禪寺に浪士の襲擊を受けた英吉利の特命全權公使サア・ルサアフォオド・オルコツクは我我日本人の音樂にも騷音を感ずる許りだつた。彼の「日本に於ける三年間」はかう言ふ一節を含んでゐる。――「我我は坂を登る途中、ナイティンゲエルの聲に近い鶯の聲を耳にした。日本人は鶯に歌を教へたと言ふことである。それは若しほんたうとすれば、驚くべきことに違ひない。元來日本人は音樂と言ふものを自ら教へることも知らないのであるから。」(第二卷第二十九章)

 

       天  才

 

 天才とは僅かに我我と一步を隔てたもののことである。只この一步を理解する爲には百里の半ばを九十九里とする超數學を知らなければならぬ。

 

       又

 

 天才とは僅かに我我と一步を隔てたもののことである。同時代は常にこの一步の千里であることを理解しない。後代は又この千里の一步であることに盲目である。同時代はその爲に天才を殺した。後代は又その爲に天才の前に香を焚いてゐる。

 

       又

 

 民衆も天才を認めることに吝かであるとは信じ難い。しかしその認めかたは常に頗る滑稽である。

 

       又

 

 天才の悲劇は「小ぢんまりした、居心の好い名聲」を與へられることである。

 

       又

 

 耶蘇「我笛吹けども、汝等踊らず。」

 彼等「我等踊れども、汝足らはず。」

 

       譃

 

 我我は如何なる場合にも、我我の利益を擁護せぬものに「淸き一票」を投ずる筈はない。この「我我の利益」の代りに「天下の利益」を置き換へるのは全共和制度の譃である。この譃だけはソヴイエツトの治下にも消滅せぬものと思はなければならぬ。

 

       又

 

 一體になつた二つの觀念を採り、その接觸點を吟味すれば、諸君は如何に多數の譃に養はれてゐるかを發見するであらう。あらゆる成語はこの故に常に一つの問題である。

 

       又

 

 我我の社會に合理的外觀を與へるものは實はその不合理の――その餘りに甚しい不合理の爲ではないであらうか?

 

       レ ニ ン

 

 わたしの最も驚いたのはレニンの餘りに當り前の英雄だつたことである。

 

       賭  博

 

 偶然即ち神と鬪ふものは常に神祕的威嚴に滿ちてゐる。賭博者も亦この例に洩れない。

 

       又

 

 古來賭博に熱中した厭世主義者のないことは如何に賭博の人生に酷似してゐるかを示すものである。

 

       又

 

 法律の賭博を禁ずるのは賭博に依る富の分配法そのものを非とする爲ではない。實は唯その經濟的ディレツタンティズムを非とする爲である。

 

       懷 疑 主 義

 

 懷疑主義も一つの信念の上に、――疑ふことは疑はぬと言ふ信念の上に立つものである。成程それは矛盾かも知れない。しかし懷疑主義は同時に又少しも信念の上に立たぬ哲學のあることをも疑ふものである。

 

       正  直

 

 若し正直になるとすれば、我我は忽ち何びとも正直になられぬことを見出すであらう。この故に我我は正直になることに不安を感ぜずにはいられぬのである。

 

       虛  僞

 

 わたしは或譃つきを知つてゐた。彼女は誰よりも幸福だつた。が、餘りに譃の巧みだつた爲にほんたうのことを話してゐる時さへ譃をついてゐるとしか思はれなかつた。それだけは確かに誰の目にも彼女の悲劇に違ひなかつた。

 

       又

 

 わたしも亦あらゆる藝術家のやうに寧ろ譃には巧みだつた。が、いつも彼女には一籌を輸する外はなかつた。彼女は實に去年の譃をも五分前の譃のやうに覺えてゐた。

 

       又

 

 わたしは不幸にも知つてゐる。時には譃に依る外は語られぬ眞實もあることを。

 

       諸  君

 

 諸君は靑年の藝術の爲に墮落することを恐れてゐる。しかしまづ安心し給へ。諸君ほどは容易に墮落しない。

 

       又

 

 諸君は藝術の國民を毒することを恐れてゐる。しかしまづ安心し給へ。少くとも諸君を毒することは絶對に藝術には不可能である。二千年來藝術の魅力を理解せぬ諸君を毒することは。

 

       忍  從

 

 忍從はロマンテイツクな卑屈である。

 

        企  圖

 

 成すことは必しも困難ではない。が、欲することは常に困難である。少くとも成すに足ることを欲するのは。

 

       又

 

 彼等の大小を知らんとするものは彼等の成したことに依り、彼等の成さんとしたことを見なければならぬ。

 

       兵  卒

 

 理想的兵卒は苟くも上官の命令には絶對に服從しなければならぬ。絶對に服從することは絶對に批判を加へぬことである。即ち理想的兵卒はまづ理性を失はなければならぬ。

 

       又

 

 理想的兵卒は苟くも上官の命令には絶對に服從しなければならぬ。絶對に服從することは絶對に責任を負はぬことである。即ち理想的兵卒はまづ無責任を好まなければならぬ。

 

       軍

 

 軍事教育と言ふものは畢竟只軍事用語の知識を與へるばかりである。その他の知識や訓練は何も特に軍事教育を待つた後に得られるものではない。現に海陸軍の學校さへ、機械學、物理學、應用化學、語學等は勿論、劍道、柔道、水泳等にもそれぞれ專門家を傭つてゐるではないか? しかも更に考へて見れば、軍事用語も學術用語と違ひ、大部分は通俗的用語である。すると軍事教育と言ふものは事實上ないものと言はなければならぬ。事實上ないものの利害得失は勿論問題にはならぬ筈である。

 

       勤

 

 「勤儉尚武」と言ふ成語位、無意味を極めてゐるものはない。尚武は國際的奢侈である。現に列強は軍備の爲に大金を費してゐるではないか? 若し「勤儉尚武」と言ふことも痴人の談でないとすれば、「勤儉遊蕩」と言ふこともやはり通用すると言はなければならぬ。

 

       日 本 人

 

 我我日本人の二千年來君に忠に親に孝だつたと思ふのは猿田彦命もコスメ・テイツクをつけてゐたと思ふのと同じことである。もうそろそろありのままの歷史的事實に徹して見ようではないか?

 

       倭  寇

 

 倭寇は我我日本人も優に列強に伍するに足る能力のあることを示したものである。我我は盜賊、殺戮、姦淫等に於ても、決して「黃金の島」を探しに來た西班牙人、葡萄牙人、和蘭人、英吉利人等に劣らなかつた。

 

       つれづれ草

 

 わたしは度たびかう言はれてゐる。――「つれづれ草などは定めしお好きでせう?」しかし不幸にも「つれづれ草」などは未嘗愛讀したことはない。正直な所を白狀すれば「つれづれ草」の名高いのもわたしには殆ど不可解である。中學程度の教科書に便利であることは認めるにもしろ。

 

       徴  候

 

 戀愛の徴候の一つは彼女は過去に何人の男を愛したか、或はどう言ふ男を愛したかを考へ、その架空の何人かに漠然とした嫉妬を感ずることである。

 

       又

 

 又戀愛の徴候の一つは彼女に似た顏を發見することに極度に鋭敏になることである。

 

       戀愛と死と

 

 戀愛の死を想はせるのは進化論的根據を持つてゐるのかも知れない。蜘蛛や蜂は交尾を終ると、忽ち雄は雌の爲に刺し殺されてしまふのである。わたしは伊太利の旅役者の歌劇「カルメン」を演ずるのを見た時、どうもカルメンの一擧一動に蜂を感じてならなかつた。

 

       身 代 り

 

 我我は彼女を愛する爲に往々彼女の外の女人を彼女の身代りにするものである。かう言ふ羽目に陷るのは必しも彼女の我我を却けた場合に限る訣ではない。我我は時には怯懦の爲に、時には又美的要求の爲にこの殘酷な慰安の相手に一人の女人を使ひ兼ねぬのである。

 

       結  婚

 

 結婚は性欲を調節することには有効である。が、戀愛を調節することには有効ではない。

 

       又

 

 彼は二十代に結婚した後、一度も戀愛關係に陷らなかつた。何と言ふ俗惡さ加減!

 

       多  忙

 

 我我を戀愛から救ふものは理性よりも寧ろ多忙である。戀愛も亦完全に行はれる爲には何よりも時間を持たなければならぬ。ウエルテル、ロミオ、トリスタン――古來の戀人を考へて見ても、彼等は皆閑人ばかりである。

 

       男  子

 

 男子は由來戀愛よりも仕事を尊重するものである。若しこの事實を疑ふならば、バルザツクの手紙を讀んで見るが好い。バルザツクはハンスカ伯爵夫人に「この手紙も原稿料に換算すれば、何フランを越えてゐる」と書いてゐる。

 

       行  儀

 

 昔わたしの家に出入りした男まさりの女髮結は娘を一人持つてゐた。わたしは未だに蒼白い顏をした十二三の娘を覺えてゐる。女髮結はこの娘に行儀を教へるのにやかましかつた。殊に枕をはづすことにはその都度折檻を加へてゐたらしい。が、近頃ふと聞いた話によれば、娘はもう震災前に藝者になつたとか言ふことである。わたしはこの話を聞いた時、ちよつともの哀れに感じたものの、微笑しない訣には行かなかつた。彼女は定めし藝者になつても、嚴格な母親の躾け通り、枕だけははづすまいと思つてゐるであらう。……

 

       自  由

 

 誰も自由を求めぬものはない。が、それは外見だけである。實は誰も肚の底では少しも自由を求めてゐない。その證據には人命を奪ふことに少しも躊躇しない無賴漢さへ、金甌無缺の國家の爲に某某を殺したと言つてゐるではないか? しかし自由とは我我の行爲に何の拘束もないことであり、即ち神だの道德だの或は又社會的習慣だのと連帶責任を負ふことを潔しとしないものである。

 

       又

 

 自由は山巓の空氣に似てゐる。どちらも弱い者には堪へることは出來ない。

 

       又

 

 まことに自由を眺めることは直ちに神々の顏を見ることである。

 

       又

 

 自由主義、自由戀愛、自由貿易、――どの「自由」も生憎杯の中に多量の水を混じてゐる。しかも大抵はたまり水を。

 

       言

 

 言行一致の美名を得る爲にはまづ自己辯護に長じなければならぬ。

 

       方  便

 

 一人を欺かぬ聖賢はあつても、天下を欺かぬ聖賢はない。佛家の所謂善巧方便とは畢竟精神上のマキアヴエリズムである。

 

       藝術至上主義者

 

 古來熱烈なる藝術至上主義者は大抵藝術上の去勢者である。丁度熱烈なる國家主義者は大抵亡國の民であるやうに我我は誰でも我我自身の持つてゐるものを欲しがるものではない。

 

       唯

 

 若し如何なる小説家もマルクスの唯物史觀に立脚した人生を寫さなければならぬならば、同樣に又如何なる詩人もコペルニクスの地動説に立脚した日月山川を歌はなければならぬ。が、「太陽は西に沈み」と言ふ代りに「地球は何度何分𢌞轉し」と言ふのは必しも常に優美ではあるまい。

 

       支  那

 

 螢の幼蟲は蝸牛を食ふ時に全然蝸牛を殺してはしまはぬ。いつも新らしい肉を食ふ爲に蝸牛を麻痺させてしまふだけである。我日本帝國を始め、列強の支那に對する態度は畢竟この蝸牛に對する螢の態度と選ぶ所はない。

 

       又

 

 今日の支那の最大の悲劇は無數の國家的羅曼主義者即ち「若き支那」の爲に鐵の如き訓練を與へるに足る一人のムツソリニもゐないことである。

 

       小  説

 

 本當らしい小説とは單に事件の發展に偶然性の少ないばかりではない。恐らくは人生に於けるよりも偶然性の少ない小説である。

 

       文  章

 

 文章の中にある言葉は辭書の中にある時よりも美しさを加へてゐなければならぬ。

 

       又

 

 彼等は皆樗牛のやうに「文は人なり」と稱してゐる。が、いづれも内心では「人は文なり」と思つてゐるらしい。

 

       女 の 顏

 

 女は情熱に驅られると、不思議にも少女らしい顏をするものである。尤もその情熱なるものはパラソルに對する情熱でも差支へない。

 

       世 間 智

 

 消火は放火ほど容易ではない。かう言ふ世間智の代表的所有者は確かに「ベル・アミ」の主人公であらう。彼は戀人をつくる時にもちやんともう絶緣することを考へてゐる。

 

       又

 

 單に世間に處するだけならば、情熱の不足などは患はずとも好い。それよりも寧ろ危險なのは明らかに冷淡さの不足である。

 

       恒  産

 

 恒産のないものに恒心のなかつたのは二千年ばかり昔のことである。今日では恒産のあるものは寧ろ恒心のないものらしい。

 

       彼  等

 

 わたしは實は彼等夫婦の戀愛もなしに相抱いて暮らしてゐることに驚嘆してゐた。が、彼等はどう云ふ訣か、戀人同志の相抱いて死んでしまつたことに驚嘆してゐる。

 

       作家所生の言葉

 

 「振つてゐる」「高等遊民」「露惡家」「月並み」等の言葉の文壇に行はれるやうになつたのは夏目先生から始まつてゐる。かう言ふ作家所生の言葉は夏目先生以後にもない訣ではない。久米正雄君所生の「微苦笑」「強氣弱氣」などはその最たるものであらう。なほ又「等、等、等」と書いたりするのも宇野浩二君所生のものである。我我は常に意識して帽子を脱いでゐるものではない。のみならず時には意識的には敵とし、怪物とし、犬となすものにもいつか帽子を脱いでゐるものである。或作家を罵る文章の中にもその作家の作つた言葉の出るのは必ずしも偶然ではないかも知れない。

 

       幼  兒

 

 我我は一體何の爲に幼い子供を愛するのか? その理由の一半は少くとも幼い子供にだけは欺かれる心配のない爲である。

 

       又

 

 我我の恬然と我我の愚を公にすることを恥ぢないのは幼い子供に對する時か、――或は、犬猫に對する時だけである。

 

       池 大 雅

 

 「大雅は餘程呑氣な人で、世情に疎かつた事は、其室玉瀾を迎へた時に夫婦の交りを知らなかつたと云ふので略其人物が察せられる。」

 「大雅が妻を迎へて夫婦の道を知らなかつたと云ふ樣な話も、人間離れがしてゐて面白いと云へば、面白いと云へるが、丸で常識のない愚かな事だと云へば、さうも云へるだらう。」

 かう言ふ傳説を信ずる人はここに引いた文章の示すやうに今日もまだ藝術家や美術史家の間に殘つてゐる。大雅は玉瀾を娶つた時に交合のことを行はなかつたかも知れない。しかしその故に交合のことを知らずにゐたと信ずるならば、――勿論その人はその人自身烈しい性欲を持つてゐる餘り、苟くもちやんと知つてゐる以上、行はずにすませられる筈はないと確信してゐる爲であらう。

 

       荻

 

 荻生徂徠は煎り豆を嚙んで古人を罵るのを快としてゐる。わたしは彼の煎り豆を嚙んだのは儉約の爲と信じてゐたものの、彼の古人を罵つたのは何の爲か一向わからなかつた。しかし今日考へて見れば、それは今人を罵るよりも確かに當り障りのなかつた爲である。

 

       若  楓

 

 若楓は幹に手をやつただけでも、もう梢に簇つた芽を神經のやうに震はせてゐる。植物と言ふものゝ氣味の惡さ!

 

       蟇

 

 最も美しい石竹色は確かに蟇(ひきがへる)の舌の色である。

 

       鴉

 

 わたしは或雪霽の薄暮、隣の屋根に止まつてゐた、まつ靑な鴉を見たことがある。

 

       作  家

 

 文を作るのに缺くべからざるものは何よりも創作的情熱である。その又創作的情熱を燃え立たせるのに缺くべからざるものは何よりも或程度の健康である。瑞典式體操、菜食主義、複方ヂアスタアゼ等を輕んずるのは文を作らんとするものの志ではない。

 

       又

 

 文を作らんとするものは如何なる都會人であるにしても、その魂の奧底には野蠻人を一人持つてゐなければならぬ。

 

       又

 

 文を作らんとするものの彼自身を恥づるのは罪惡である。彼自身を恥づる心の上には如何なる獨創の芽も生へたことはない。

 

       又

 

 百足 ちつとは足でも步いて見ろ。

 蝶 ふん、ちつとは羽根でも飛んで見ろ。

 

       又

 

 氣韻は作家の後頭部である。作家自身には見えるものではない。若し又無理に見やうとすれば、頸の骨を折るのに了るだけであらう。

 

       又

 

 批評家 君は勤め人の生活しか書けないね?

 作家 誰か何でも書けた人がゐたかね?

 

       又

 

 あらゆる古來の天才は、我我凡人の手のとどかない壁上の釘に帽子をかけてゐる。尤も踏み臺はなかつた訣ではない。

 

       又

 

 しかしああ言ふ踏み臺だけはどこの古道具屋にも轉がつてゐる。

 

       又

 

 あらゆる作家は一面には指物師の面目を具へてゐる。が、それは恥辱ではない。あらゆる指物師も一面には作家の面目を具へてゐる。

 

       又

 

 のみならず又あらゆる作家は一面には店を開いてゐる。何、わたしは作品は賣らない? それは君、買ひ手のない時にはね。或は賣らずとも好い時にはね。

 

       又

 

 俳優や歌手の幸福は彼等の作品ののこらぬことである。――と思ふこともない訣ではない。

 

 

 〔アフオリズム〕

 

 

 

       風  流

        ――久米正雄、佐藤春夫の兩君に――

 

        *

 「風流」とは淸淨なるデカダンスである。

        *

 「風流」とは藝術的涅槃である。涅槃とはあらゆる煩惱を、――意志を掃蕩した世界である。

        *

 「風流」もあらゆる神聖なるものと多少の莫迦莫迦しさを共有してゐる。

        *

 「風流」は意志か感覺か? ――兎に角甚だ困ることは感覺とか官能とか云ふと同時に、忽ちアムプレシオニストの油畫のありありと目の前に見えることである。

        *

 「風流」の享樂的傾向、――黃老に發した道教は王摩詰の藝術を與へた外にも、猥褻なる房術をも與へたのである。

        *

 「風流」の一つの傳統は釋迦に發する釋風流である。「風流」のもう一つの傳統は老聃に發する老風流である。この二つの傳統は必ずしもはつきりとは分かれてゐない。しかし釋風流は老風流より大抵は憂鬱に傾いてゐる。たとへば沙羅木の花に似た良寛上人歌のやうに。

        *

 「風流」を宗とする藝術とはそれ自身にパラドツクスである。あらゆる藝術の創作は當然意志を待たなければならぬ。

        *

 百年の塵は「風流」の上に骨董の古色を加へてゐる。塵を拂へ。塵を拂へ。

 

       所謂内容的價値

 

 藝術は表現であるとは近來何人も云ふ所である。それならば表現のある所には藝術的な何ものかもある筈ではないか?

 藝術はその使命を果たす爲には哲學をも宗教をも要せぬであろう。しかし表現の伴ふ限り、哲學や宗教は知らず識らず藝術的な何ものかに縋るのである。シヨウペンハウエルの哲學の如き、藝術的敍述を除き去つたとすれば、(事實上それは困難にしても)我我の心に訴へる所は減じ去ることを免れまい。

 いや、藝術的な何ものかは救世軍の演説にもあり得る。共産主義者のプロパガンダにもあり得る。況や薄暮の汽車の窓に蜜柑を投げる少女の如き、藝術的なのも當然ではないか?

 是等の例の示す通り、他にあり得ると云ふことは必しも藝術の本質と矛盾しない。わが友菊池寛の内容的價値を求めるのは魚の水を求めるのと共に、頗る自然な要求である。しかしその内容的價値を藝術的價値の外にありとするのには不贊成の意を表せざるを得ない。わたしの所見を以てすれば、菊池寛は餘りに内氣であり、餘りに藝術至上主義者である。もつと人生に忠でなければいかん。

 

       理  解

 

 會得するのは樂しい事である。僕に一番會得し易いのは、小説や戲曲の可否である。その次は俳句の内容である。その次は、――何とも云ふ事は出來ない。詩歌、書畫、陶磁器、蒔畫等、理解し足らぬものはまだ澤山ある。そんな事を思へばいやが上にも樂しい。淸少納言は樂しい事の中に、「まだ見ぬ草紙の多かる」を數へた。草紙は讀めば盡きるかも知れぬ。理解する樂しさは盡きる時があるまい。

 

       井原西鶴

 

 西鶴に自然主義者を見るのは自然主義的批評家の色眼鏡である。西鶴に滑稽本の作家を見るのも大學の先生連の色眼鏡である。

 西鶴は恐るべき現實を見てゐた。しかもその現實を笑殺してゐた。西鶴の作品に漲るものはこの圖太い笑聲である。天才のみが持つ笑聲である。かのラブレエを持たない事は必しも我我の不幸ではない。我我は西鶴を持つてゐる。堂堂と娑婆苦を蹂躙した阿蘭陀西鶴を持つてゐる。

 

       或  幻

 

 われ夢にトルストイを見たり。躓き倒れたるトルストイを見たり。われは立ち、トルストイは匍匐す。憐むべきかな、トルストイ! われトルストイを嘲笑ふ。しかも見よ、這へるトルストイは步めるわれよりも速かなるを。われは疾驅し、トルストイは蛇行す。されどわれトルストイに及ぶ能はず。トルストイは天外に匍匐し去れり。トルストイよ! 偉いなる芋蟲よ! 

 

       善い藝術家

 

 善い藝術家以上の人間でなければ、善い藝術を作ることは出來ない。このパラドツクスを呑込まない限り、「藝術の爲の藝術」は永久に袋露路を出られないであらう。

 

       信  條

 

 作家は誰も信條通り、小説を書いてゐるのではない。その外に書きやうを知らないのである。それをまづ信條があり、その次に創作があるやうに云ふ。云ふものは畢竟人が惡いか、蟲が好いかどちらかである。

 

       修  身

 

 辯難攻擊が盛だつた古雑誌を一册保存するが好い。さうして氣の屈した時にはその中の論文を讀んでみるが好い。如何に淺はかな主義主張は速かに亡んでしまふものか、それをしみじみと知る事は何人にも大切な修身である。

 

       評 家 病

 

 リアリズムを高唱するものは今の世の批評家先生である。しかし何等かの意味に於ては、ロマン的傾向の作家と雖も、リアリズムを奉じてゐぬものはない。これに反して批評家先生は悉稀代のロマン派である。

 

       今  昔

 

 昔帝國文庫本の「三國志」や「水滸傳」を讀んだ時、十何才かの僕は「三國志」よりも「水滸傳」を好んだものである。これは年の長じた後もやはり昔と變らなかつた。少くとも變らないと信じてゐた。が、この頃何かの拍子に「三國志」や「水滸傳」を讀んで見ると、「水滸傳」は前よりも面白みを減じ、「三國志」はその代りに前よりもはるかに面白みを加へてゐる。

 「水滸傳」は及時雨宋江だの、智多星呉用だのと云ふ、特色のある性格を描いてゐる。けれどもそれらの性格はスコツトの作中の性格と大差あるものとは思はれない。それだけに面白みを減じたのであらう。「三國志」は三國の策士の施した種種の謀計を描いてゐる。その又謀計は人間と云ふものを洞察した知慧の上に築かれてゐる。殊に少時神算とも鬼謀とも更に思はなかつたものほど、一層惡辣無雙なる策士の眼光を語つてゐる。これは或は「三國志」の作者の手柄と云ふよりも、寧ろ史上の事實そのものの興味に富んでゐる爲かも知れない。が、兎に角「三國志」の今の僕に面白いのはかう云ふ面白みの出來た爲である。僕は昔政治家などの所業に少しでも興味を感ずることは永久にないものと信じてゐた。しかし今の調子ではもうそろそろ久米正雄の所謂床屋政治家の域にはひりさうである。

 

       愛 國 心

 

 我我日本國民に最も缺けてゐるものは國を愛する心である。藝術的精神を論ずれば、日本は列強に劣らぬかも知れぬ。又科學的精神を論ずるにしても、必しも下位にあるとは信ぜられまい。しかし愛國心を問題にすれば、英佛獨露の國國に一儔を輸することは事實である。

 愛國心の發達は國家的意識に根ざすものである。その又國家的意識の發達は國境の觀念に根ざすものである。けれども我我日本國民は神武天皇の昔から、未だ嘗痛切に國境の觀念を抱いたことはない。少くとも歐羅巴の國國のやうに、骨に徹するほど抱いたことはない。その爲に我我の愛國心は今日もなほ石器時代の蒙昧の底に沈んでゐる。

 ルウル地方の獨逸國民はあらゆる悲劇に面してゐる。しかも彼等の愛國心は輕擧に出づることを許さぬらしい。我我日本國民は李鴻章を殺さんとし、更に又皇太子時代のニコライ二世を殺さんとした。もしルウルの民のやうに、たとへば鄰邦たる支那の爲に食糧等を途絶されたとすれば、日本に在留する支那人などは忽ち刺客に襲はれるであらう。同時に日本はとり返しのつかぬ國家的危機に陷るであらう。

 けれども我我日本國民は愛國心に富んでゐると信じてゐる。――いや、或は富んでゐるかも知れぬ。あらゆる未開の民族のやうに。

 

       強  盜

 

 社會は金を出さない限り、我我の生存を保護しない。これは強盜の「有り金を渡せ、渡さなければ命をとる」と脅迫するのも同じことである。すると強盜とは何かと云へば、つまり社會の行ふことを個人の行ふことと云はれるであらう。ではなぜ強盜は罰せられるか? 社會は夙に團體的強盜のパテントを取つてゐるからである。

 

       或 問 答

 

 「君は破壞しに來たのか?」

 「いいえ。」

 「建設しに來たのか?」

 「いいえ。」

 「では君は何をしに來たのだ?」

 「どちらにすれば好いか考へる爲に。」

 

 

  「侏儒の言葉」草稿

[やぶちゃん注:Ⅰ~Ⅵの記号は新全集編者による推定排列であって芥川の草稿にあるものではない。]

 

 

 

    〔侏儒の言葉〕

 

Ⅰ     奴  隷

 奴隷廢止と云ふことは唯奴隷たる自意識を廢止すると云ふことである。我々の社會は奴隷なしには一日も安全を保し難いらしい。現にあのプラトオンの共和國さへ、奴隷の存在を豫想してゐるのは必しも偶然ではないのである。

 

      又

 

 暴君を暴君と呼んだ爲に鼎鑊爐火の苦を受けたのは我々の知らぬ昔であ[やぶちゃん注:底本新全集ではここで切れていることを示す鉤記号あり。]

 

Ⅱ     悲  劇

 

 悲劇とはみづから羞づる所業を敢てしなければならぬことである。この故に萬人に共有する悲劇は排泄作用を行ふことである。

 

     ラツサレの言葉

 

 「未來は聰明の不足を咎めない。咎めるのは情熱の不足だけである。」

 これはラツサレの言葉である。が、この言葉の當嵌まるのは必しもひとり未來ばかりではな[やぶちゃん注:底本新全集ではここで切れていることを示す鉤記号あり。]

 

Ⅲ     強  弱

 強者とは敵を恐れぬ代りに友人を恐れるものである。一擊に敵を打ち殺すことには何の痛痒も感じない代りに、知らず識らず友人を傷けることには兒女に似た恐怖を感ずるものである。

 弱者とは友人を恐れぬ代りに敵を恐れるものである。この故に又至る處に架空の敵ばかり發見するものである。[やぶちゃん注:底本新全集ではここで切れていることを示す鉤記号あり。]

 

 

Ⅳ     SMの知慧

 これは友人のSMの僕に話した言葉である。

 辯證法の功績――所詮何ものも莫迦げてゐると云ふ結論に到達せしめたこと。

 少女――どこまで行つても淸冽な淺瀨。

 早教育――ふむ、知慧の悲しみを知ることにも責任を持つには當らないからね。

 自己――結局は自己にかへることかね。その醜い裸體の自己と向かひ合ふのも一興だらうさ。[やぶちゃん注:底本新全集ではここで切れていることを示す鉤記号あり。]

 

Ⅴ[やぶちゃん注:底本では、次行の頭にこのⅤのローマ数字が配されているが、文字組み上、ずらした。即ち、以下のアフォリズムは、Ⅳの続きではない可能性があり(Ⅳには原稿の切れを示す鉤記号がある)、別なアフォリズムの断片である可能性もあるということである。]

 武者修業と云ふことは修業の爲ばかりの旅だつたであらうか? 僕は寧ろ己自身以外に餘り名人のゐないことを確める爲だつたと思つてゐる。少くとも武者修業の甲斐があつたとすれば、それはたとひ偶然にもせよ、餘り名人のゐないことを發見した爲だつたと思つてゐる。

 

       天  才

 

 天才は羽根の生へた蜥蜴に似てゐる。必しも空ばかり飛ぶものではない。が、四つん這ひになつた時さへ、不思議に步みの疾いものである。

 

       飜  譯

 偉大なる作品はたとひ外國語に飜譯したにしろ、原作の光彩を失はないさうである。僕は勿論かう云ふ放言に餘り信用を置いたことはない。[やぶちゃん注:底本新全集ではここで切れていることを示す鉤記号あり。]

 

Ⅵ[やぶちゃん注:底本では、次行の頭にこのⅥのローマ数字が配されているが、文字組み上、ずらした。内容的に以下のアフォリズムは、Ⅴの続きではない。なお冒頭の「萩生徂徠」の「萩」は底本岩波新全集のママ。]

 萩生徂徠は炒豆を嚙んで古人を罵るを快とせし由、炒豆を嚙めるは儉約の爲か、さもなければ好物の爲なりしなるべし。然れども古人を罵れるは何の爲なるかを明らかにせず。若し強いて解すべしとせば、妄りに今人を罵るよりはうるさからざりし爲ならん乎。我等も罵殺に快を取らんとせば、古人を罵るに若くはなかるべし。幸ひなるかな、死人に口なきことや。

 

 

(「侏儒の言葉」続篇 草稿 「一 ある鞭」及び「二 唾」)

 

[やぶちゃん注:明白な「侏儒の言葉」の続篇の断片草稿である。但し、現存する「侏儒の言葉」には、この「二 唾」のような、先行するアフォリズムを引用しての補正的アフォリズムは見当たらず、極めて特異なものと思われる。底本は、岩波版旧全集の第十二巻所収のものを用いた。底本では〔断片〕と編者の表題が付く。後記記載も一切なく、出所等も一切不明。文末に(大正十五年?)の編者記載があるのみである。私は本稿は、小穴隆一に自殺の決意を告げたとされる大正15(1926)年4月15日から遡る三箇月前の1月から、自死の直前までが執筆範囲であろうと考える。]

 

       一 あ る 鞭

 

 僕は年少の時、硝子畫の窓や振り香爐やコンタスの爲に基督教を愛した。その後僕の心を捉へたものは聖人や福者の傳記だつた。僕は彼等の捨命の事蹟に心理的或は戲曲的興味を感じ、その爲に又基督教を愛した。即ち僕は基督教を愛しながら、基督教的信仰には徹頭徹尾冷淡だつた。しかしそれはまだ好かつた。僕は千九百二十二年来、基督教的信仰或は基督教徒を嘲る爲に屢短篇やアフォリズムを艸した。しかもそれ等の短篇はやはりいつも基督教の藝術的莊嚴を道具にしてゐた。即ち僕は基督教を輕んずる爲に反つて基督教を愛したのだつた。僕の罰を受けたのは必しもその爲ばかりではあるまい。けれども僕はその爲にも罰を受けたことを信じてゐる。

 

       二 唾

 僕は嘗かう書いた。――「全智全能の神の悲劇は神自身には自殺の出來ないことである。」恰も自殺の出來ることは僕等の幸福であるかのやうに! 僕はこの苦しい三箇月の間に屢自殺に想到した。その度に又僕の言葉の冷かに僕を嘲るのを感じた。天に向つて吐いた唾は必ず面上に落ちなければならぬ。僕はこの一章を艸する時も、一心に神に念じてゐる。――「神の求め給ふ供物は碎けたる靈魂なり。神よ。汝は碎けたる悔いし心を輕しめ給はざるべし。」

 

 

 侏儒の言葉(遺稿)

 

 

 

       辯  護

 

 他人を辯護するよりも自己を辯護するのは困難である。疑ふものは辯護士を見よ。

 

       女  人

 

 健全なる理性は命令してゐる。――「爾、女人を近づくる勿れ。」

 しかし健全なる本能は全然反對に命令してゐる。――「爾、女人を避くる勿れ。」

 

       又

 

 女人は我我男子には正に人生そのものである。即ち諸惡の根源である。

 

       理  性

 

 わたしはヴォルテェルを輕蔑してゐる。若し理性に終始するとすれば、我我は我我の存在に滿腔の呪咀を加へなければならぬ。しかし世界の賞讚に醉つた Candide の作者の幸福さは!

 

       自  然

 

 我我の自然を愛する所以は、――少くともその所以の一つは自然は我我人間のやうに妬んだり欺いたりしないからである。

 

       處 世 術

 

 最も賢い處世術は社會的因襲を輕蔑しながら、しかも社會的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。

 

       女

 

 「永遠に女性なるもの」を崇拜したゲエテは確かに仕合せものの一人だつた。が、Yahoo の牝を輕蔑したスウィフトは狂死せずにはゐなかつたのである。これは女性の呪ひであらうか? 或は又理性の呪ひであらうか?

 

       理  性

 

 理性のわたしに教へたものは畢竟理性の無力だつた。

 

       運  命

 

 運命は偶然よりも必然である。「運命は性格の中にある」と云ふ言葉は決して等閑に生まれたものではない。

 

       教  授

 

 若し醫家の用語を借りれば、苟くも文藝を講ずるには臨床的でなければならぬ筈である。しかも彼等は未だ嘗て人生の脈搏に觸れたことはない。殊に彼等の或るものは英佛の文藝には通じても彼等を生んだ祖國の文藝には通じてゐないと稱してゐる。

 

       知

 

 我我は我我自身さへ知らない。況や我我の知つたことを行に移すのは困難である。「知慧と運命」を書いたメエテルリンクも知慧や運命を知らなかつた。

 

       藝  術

 

 最も困難な藝術は自由に人生を送ることである。尤も「自由に」と云ふ意味は必ずしも厚顏にと云ふ意味ではない。

 

       自由思想家

 

 自由思想家の弱點は自由思想家であることである。彼は到底狂信者のやうに獰猛に戰ふことは出來ない。

 

       宿  命

 

 宿命は後悔の子かも知れない。――或は後悔は宿命の子かも知れない。

 

       彼

 

 彼の幸福は彼自身の教養のないことに存してゐる。同時に又彼の不幸も、――ああ、何と云ふ退屈さ加減!

 

       小 説 家

 

 最も善い小説家は「世故に通じた詩人」である。

 

       言  葉

 

 あらゆる言葉は錢のやうに必ず兩面を具へてゐる。例へば「敏感な」と云ふ言葉の一面は畢竟「臆病な」と云ふことに過ぎない。

 

       或物質主義者の信條

 

 「わたしは神を信じてゐない。しかし神經を信じてゐる。」

 

       阿  呆

 

 阿呆はいつも彼以外の人人を悉く阿呆と考へてゐる。

 

       處世的才能

 

 何と言つても「憎惡する」ことは處世的才能の一つである。

 

       懺  悔

 

 古人は神の前に懺悔した。今人は社會の前に懺悔してゐる。すると阿呆や惡黨を除けば、何びとも何かに懺悔せずには娑婆苦に堪へることは出來ないのかも知れない。

 

       又

 

 しかしどちらの懺悔にしても、どの位信用出來るかと云ふことはおのづから又別問題である。

 

       「新生」讀後

 

 果して「新生」はあつたであらうか?

 

       トルストイ

 

 ビユルコフのトルストイ傳を讀めば、トルストイの「わが懺悔」や「わが宗教」の譃だつたことは明らかである。しかしこの譃を話しつづけたトルストイの心ほど傷ましいものはない。彼の譃は餘人の眞實よりもはるかに紅血を滴らしてゐる。

 

       二つの悲劇

 

 ストリントベリイの生涯の悲劇は「觀覽隨意」だつた悲劇である。が、トルストイの生涯の悲劇は不幸にも「觀覽隨意」ではなかつた。從つて後者は前者よりも一層悲劇的に終つたのである。

 

       ストリントベリイ

 

 彼は何でも知つてゐた。しかも彼の知つてゐたことを何でも無遠慮にさらけ出した。何でも無遠慮に、――いや、彼も亦我我のやうに多少の打算はしてゐたであらう。

 

       又

 

 ストリントベリイは「傳説」の中に死は苦痛か否かと云ふ實驗をしたことを語つてゐる。しかしかう云ふ實驗は遊戲的に出來るものではない。彼も亦「死にたいと思ひながら、しかも死ねなかつた」一人である。

 

       或理想主義者

 

 彼は彼自身の現實主義者であることに少しも疑惑を抱いたことはなかつた。しかしかう云ふ彼自身は畢竟理想化した彼自身だつた。

 

       恐  怖

 

 我我に武器を執らしめるものはいつも敵に對する恐怖である。しかも屢實在しない架空の敵に對する恐怖である。

 

       我  我

 

 我我は皆我我自身を恥じ、同時に又彼等を恐れてゐる。が、誰も卒直にかう云ふ事實を語るものはない。

 

       戀  愛

 

 戀愛は唯性慾の詩的表現を受けたものである。少くとも詩的表現を受けない性慾は戀愛と呼ぶに價ひしない。

 

       或

 

 彼はさすがに老練家だつた。醜聞を起さぬ時でなければ、戀愛さへ滅多にしたことはない。

 

       自  殺

 

 萬人に共通した唯一の感情は死に對する恐怖である。道德的に自殺の不評判であるのは必ずしも偶然ではないかも知れない。

 

       又

 

 自殺に對するモンテェエヌの辯護は幾多の眞理を含んでゐる。自殺しないものはしないのではない。自殺することの出來ないのである。

[やぶちゃん注:下線「しない」及び「出來ない」は原文では傍点「丶」。]

 

       又

 

 死にたければいつでも死ねるからね。

 ではためしにやつて見給へ。

 

       革  命

 

 革命の上に革命を加へよ。然らば我等は今日よりも合理的に娑婆苦を嘗むることを得べし。

 

       死

 

 マインレンデルは頗る正確に死の魅力を記述してゐる。實際我我は何かの拍子に死の魅力を感じたが最後、容易にその圈外に逃れることは出來ない。のみならず同心圓をめぐるやうにぢりぢり死の前へ步み寄るのである。

 

       「いろは」短歌

 

 我我の生活に缺くべからざる思想は或は「いろは」短歌に盡きてゐるかも知れない。

 

       運  命

 

 遺傳、境遇、偶然、――我我の運命を司るものは畢竟この三者である。自ら喜ぶものは喜んでも善い。しかし他を云々するのは僭越である。

 

       嘲けるもの

 

 他を嘲るものは同時に又他に嘲られることを恐れるものである。

 

       或日本人の言葉

 

 我にスウィツルを與へよ。然らずんば言論の自由を與へよ。

 

       人間的な、餘りに人間的な

 

 人間的な、餘りに人間的なものは大抵は確かに動物的である。

 

       或 才 子

 

 彼は惡黨になることは出來ても、阿呆になることは出來ないと信じてゐた。が、何年かたつて見ると、少しも惡黨になれなかつたばかりか、いつも唯阿呆に終始してゐた。

 

       希 臘 人

 

 復讐の神をジユピタアの上に置いた希臘人よ。君たちは何も彼も知り悉してゐた。

 

       又

 

 しかしこれは同時に又如何に我我人間の進步の遲いかと云ふことを示すものである。

 

       聖  書

 

 一人の知慧は民族の知慧に若かない。唯もう少し簡潔であれば、……

 

       或

 

 彼は彼の母に孝行した、勿論愛撫や接吻が未亡人だつた彼の母を性的に慰めるのを承知しながら。

 

       或惡魔主義者

 

 彼は惡魔主義の詩人だつた。が、勿論實生活の上では安全地帶の外に出ることはたつた一度だけで懲り懲りしてしまつた。

 

       或

 

 彼は或瑣末なことの爲に自殺しようと決心した。が、その位のことの爲に自殺するのは彼の自尊心には痛手だつた。彼はピストルを手にしたまま、傲然とかう獨り語を言つた。――「ナポレオンでも蚤に食はれた時は痒いと思つたのに違ひないのだ。」

 

       或左傾主義者

 

 彼は最左翼の更に左翼に位してゐた。從つて最左翼をも輕蔑してゐた。

 

       無 意 識

 

 我我の性格上の特色は、――少くとも最も著しい特色は我我の意識を超越してゐる。

 

       矜  誇

 

 我我の最も誇りたいのは我我の持つてゐないものだけである。實例。――Tは獨逸語に堪能だつた。が、彼の机上にあるのはいつも英語の本ばかりだつた。

 

       偶  像

 

 何びとも偶像を破壞することに異存を持つてゐるものはない。同時に又彼自身を偶像にすることに異存を持つてゐるものもない。

 

       又

 

 しかし又泰然と偶像になり了せることは何びとにも出來ることではない。勿論天運を除外例としても。

 

       天

 

 天國の民は何よりも先に胃袋や生殖器を持つてゐない筈である。

 

       或仕合せ者

 

 彼は誰よりも單純だつた。

 

       自 己 嫌 惡

 

 最も著しい自己嫌惡の徴候はあらゆるものに譃を見つけることである。いや、必ずしもそればかりではない。その又譃を見つけることに少しも滿足を感じないことである。

 

       外  見

 

 由來最大の臆病者ほど最大の勇者に見えるものはない。

 

       人 間 的 な

 

 我我人間の特色は神の決して犯さない過失を犯すと云ふことである。

 

       罰

 

 罰せられぬことほど苦しい罰はない。それも決して罰せられぬと神々でも保證すれば別問題である。

 

       罪

 

 道德的並びに法律的範圍に於ける冐險的行爲、――罪は畢竟かう云ふことである。從つて又どう云ふ罪も傳奇的色彩を帶びないことはない。

 

       わ た し

 

 わたしは良心を持つてゐない。わたしの持つてゐるのは神經ばかりである。

 

       又

 

 わたしは度たび他人のことを「死ねば善い」と思つたものである。しかもその又他人の中には肉親さへ交つてゐなかつたことはない。

 

       又

 

 わたしは度たびかう思つた。――「俺があの女に惚れた時にあの女も俺に惚れた通り、俺があの女を嫌ひになつた時にはあの女も俺を嫌ひになれば善いのに。」

 

       又

 

 わたしは三十歳を越した後、いつでも戀愛を感ずるが早いか、一生懸命に抒情詩を作り、深入りしない前に脱却した。しかしこれは必しも道德的にわたしの進步したのではない。唯ちよつと肚の中に算盤をとることを覺えたからである。

 

       又

 

 わたしはどんなに愛してゐた女とでも一時間以上話してゐるのは退窟だつた。

 

       又

 

 わたしは度たび譃をついた。が、文字にする時は兎に角、わたしの口ずから話した譃はいづれも拙劣を極めたものだつた。

 

       又

 

 わたしは第三者と一人の女を共有することに不平を持たない。しかし第三者が幸か不幸かかう云ふ事實を知らずにゐる時、何か急にその女に憎惡を感ずるのを常としてゐる。

 

       又

 

 わたしは第三者と一人の女を共有することに不平を持たない。しかしそれは第三者と全然見ず知らずの間がらであるか、或は極く疎遠の間がらであるか、どちらかであることを條件としてゐる。

 

       又

 

 わたしは第三者を愛する爲に夫の目を偸んでゐる女にはやはり戀愛を感じないことはない。しかし第三者を愛する爲に子供を顧みない女には滿身の憎惡を感じてゐる。

 

       又

 

 わたしを感傷的にするものは唯無邪氣な子供だけである。

 

       又

 

 わたしは三十にならぬ前に或女を愛してゐた。その女は或時わたしに言つた。――「あなたの奧さんにすまない。」わたしは格別わたしの妻に濟まないと思つてゐた訣ではなかつた。が、妙にこの言葉はわたしの心に滲み渡つた。わたしは正直にかう思つた。――「或はこの女にもすまないのかも知れない。」わたしは未だにこの女にだけは優しい心もちを感じてゐる。

 

       又

 

 わたしは金錢には冷淡だつた。勿論食ふだけには困らなかつたから。

 

       又

 

 わたしは兩親には孝行だつた。兩親はいづれも年をとつてゐたから。

 

       又

 

 わたしは二三の友だちにはたとひ眞實を言はないにもせよ、譃をついたことは一度もなかつた。彼等も亦譃をつかなかつたから。

 

       人  生

 

 革命に革命を重ねたとしても、我我人間の生活は「選ばれたる少數」を除きさへすれば、いつも暗澹としてゐる筈である。しかも「選ばれたる少數」とは「阿呆と惡黨と」の異名に過ぎない。

 

       民  衆

 

 シエクスピイアも、ゲエテも、李太白も、近松門左衞門も滅びるであらう。しかし藝術は民衆の中に必ず種子を殘してゐる。わたしは大正十二年に「たとひ玉は碎けても、瓦は碎けない」と云ふことを書いた。この確信は今日(こんにち)でも未だに少しも搖がずにゐる。

 

            

 

 打ち下ろすハンマアのリズムを聞け。あのリズムの存する限り、藝術は永遠に滅びないであらう。 (昭和改元の第一日)

 

            又

 

 わたしは勿論失敗だつた。が、わたしを造り出したものは必ず又誰かを作り出すであらう。一本の木の枯れることは極めて區々たる問題に過ぎない。無數の種子を宿してゐる、大きい地面が存在する限りは。 (同上)

 

       或夜の感想

 

 眠りは死よりも愉快である。少くとも容易には違ひあるまい。 (昭和改元の第二日)