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鬼火へ

[やぶちゃん注:初出未詳。作品集『點心』『梅・馬・鶯』に所収されている。底本後記によると、昭和二(1927)年から刊行された岩波書店の最初の全集では、本作品文末に「(大正七年一月)」とあるとする。『梅・馬・鶯』に於いては「澄江堂雜記」の『三十 「昔」』となっている。底本は岩波版旧全集を用いた。]

 

「昔」   芥川龍之介

 

 僕の作品には昔の事を書いたものが多いから、そこでその昔の事を取扱ふ時の態度を話せと云ふ註文が來た。態度とか何とか云ふと、甚大袈裟に聞えるが、何もそんな大したものを持ち合せてゐる次第では決してない。まあ僕が昔の事を書く時に、どんな眼で昔を見てゐるか、云ひ換れば僕の作品の中で昔がどんな役割を勤めてゐるか、そんな事を話して見ようかと思ふ。元來裃をつけての上の議論ではないのだから、どうかその心算でお聽きを願ひたい。

 お伽噺を讀むと、日本のなら「昔々」とか「今は昔」とか書いてある。西洋のなら「まだ動物が口を利いてゐた時に」とか「ベルトが糸を紡いでゐた時に」とか書いてある。あれは何故であらう。どうして「今」ではいけないのであらう。それは本文に出て來るあらゆる事件に或可能性を與へる爲の前置きにちがひない。何故かと云ふと、お伽噺の中に出て來る事件は、いづれも不思議な事ばかりである。だからお伽噺の作者にとつては、どうも舞臺を今にするのは具合が惡い。絶對に今ではならんと云ふ事はないが、それよりも昔の方が便利である。昔々と云へば既に太古緬邈の世だから、小指ほどの一寸法師が住んでゐても、竹の中からお姫樣が生れて來ても、格別矛盾の感じが起らない。そこで豫め前へ「昔々」とくつ附けたのである。

 所でもしこれが「昔々」の由來だとすれば、僕が昔から材料を採るのは大半この「昔々」と同じ必要から起つてゐる。と云ふ意味は、今僕が或テエマを捉へてそれを小説に書くとする。さうしてそのテユマを藝術的に最も力強く表現する爲には、或異常な事件が必要になるとする。その場合、その異常な事件なるものは、異常なだけそれだけ、今日この日本に起つた事としては書きこなし惡い、もし強て書けば、多くの場合不自然の感を讀者に起させて、その結果折角のテエマまでも犬死をさせる事になつてしまふ。所でこの困難を除く手段には「今日この日本に起つた事としては書きこなし惡い」と云ふ語が示してゐるやうに昔か(未來は稀であらう)日本以外の土地か或は昔日本以外の土地から起つた事とするより外はない。僕の昔から材料を探つた小説は大抵この必要に迫られて、不自然の障碍を避ける爲に舞臺を昔に求めたのである。

 しかしお伽噺と連つて小説は小説と云ふものの要約上、どうも「昔々」だけ書いてすましてゐると云ふ譯には行かない。そこで略時代の制限が出來て來る。從つてその時代の社會状態と云ふやうなものも、自然の感じを滿足させる程度に於て幾分とり入れられる事になつて來る。だから所謂歴史小説とほどんな意味に於ても「昔」の再現を目的(エンド)にしてゐないと云ふ點で區別を立てる事が出來るかも知れない。――まあざつとこんなものである。

 序につけ加へて置くが、さう云ふ次第だから僕は昔の事を小説に書いても、その昔なるものに大して憧憬は持つてゐない。僕は平安朝に生れるよりも、江戸時代に生れるよりも、遙に今日のこの日本に生れた事を難有く思つてゐる。

 それからもう一つつけ加へて置くが、或テエマの表現に異常なる事件が必要になる事があると云つたが、あれには其外にすべて異常なる物に對して僕(我々人間と云ひたいが)の持つてゐる興味も働いてゐるだらうと思ふ。それと同じやうに或異常なる事件を不自然の感じを與へずに書きこなす必要上、昔を選ぶと云ふ事にも、さう云ふ必要以外に昔其ものの美しさが可成影響を與へてゐるのにちがひない。しかし主として僕の作品の中で昔が勤めてゐる役割は、やはり「ベルトが糸を紡いでゐた時に」である、或は「まだ動物が口を利いてゐた時に」である。