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[やぶちゃん注:大正八(1919)年七月二十七日の『東京日日新聞』に初出。後に『點心』『梅・馬・鶯』等の作品集に所収された。底本は岩波版旧全集を用いた。文中の注記記号は私が挿入したもので、末尾にそれぞれの注を加えた。本作は『梅・馬・鶯』に於いては、「澄江堂雜記」の「二十九 後世」となっている。]

後世   芥川龍之介

 私は知己を百代の後に待たうとしてゐるものではない。

 公衆の批判は、常に正鵠を失しやすいものである。現在の公衆は元より云ふを待たない。歴史は既にペリクレス(注1)時代のアゼンス(注2)の市民や文藝復興期のフロレンス(注3)の市民でさへ、如何に理想の公衆とは縁が遠かつたかを教へてゐる。既に今日及び昨日の公衆にして斯くの如くんば、明日の公衆の批判と雖も、亦推して知るべきものがありはしないだらうか。彼等が百代の後よく砂と金とを辨じ得るかどうか、私は遺憾ながら疑ひなきを得ないのである。

 よし又理想的な公衆があり得るにした所で、果して絶對美なるものが藝術の世界にあり得るであらうか。今日の私の眼は、唯今日の私の眼であつて、決して明日の私の眼ではない。と同時に又私の眼が、結局日本人の眼であつて、西洋人の眼でない事も確である。それならどうして私に、時と處とを超越した美の存在などが信じられやう。成程ダンテの地獄の火は、今も猶東方の豎子(注4)をして戰慄せしむるものがあるかも知れない。けれどもその火と我々との間には、十四世紀の伊太利なるものが雲霧の如くにたなびいてゐるではないか。

 況んや私は尋常の文人である。後代の批判にして誤らず、普遍の美にして存するとするも、書を名山に藏する底の事(注5)は、私の爲すべき限りではない。私が知己を百代の後に待つものでない事は、問ふまでもなく明かであらうと思ふ。

 時々私は廿年の後、或は五十年の後、或は更に百年の後、私の存在さへ知らない時代が來ると云ふ事を想像する。その時私の作品集は、堆い埃に埋もれて、神田あたりの古本屋の棚の隅に、空しく讀者を待つてゐる事であらう。いや、事によつたらどこかの圖書館に、たつた一册殘つた儘、無殘な紙魚の餌となつて、文字さへ讀めないやうに破れ果てゝゐるかも知れない。しかし――

 私はしかしと思ふ。

 しかし誰かゞ偶然私の作品集を見つけ出して、その中の短い一篇を、或は其一篇の中の何行かを讀むと云ふ事がないであらうか。更に蟲の好い望みを云へば、その一篇なり何行かなりが、私の知らない未來の讀者に、多少にもせよ美しい夢を見せるといふ事がないであらうか。

 私は知己を百代の後に待たうとしてゐるものではない。だから私はかう云ふ私の想像が、如何に私の信ずる所と矛盾してゐるかも承知してゐる。

 けれども私は猶想像する。落莫たる百代の後に當つて、私の作品集を手にすべき一人の讀者のある事を。さうしてその讀者の心の前へ、朧げなりとも浮び上る私の蜃氣樓のある事を。

 私は私の愚を嗤笑(注6)すべき賢達の士のあるのを心得てゐる。が、私自身と雖も、私の愚を笑ふ點にかけては、敢て人後に落ちやうとは思つてゐない。唯、私は私の愚を笑ひながら、しかもその愚に戀々たる私自身の意氣地なさを憐れまずにはゐられないのである。或は私自身と共に意氣地ない一般人間をも憐れまずにはゐられないのである。」



[やぶちゃん注]

注1 ペリクレス

Periklēs(BC495頃~BC429頃)アテネの民主政治を完成した政治家。彼は、両親ともにアテナイ人である者の子にのみ市民権を与え、ポリスそのものの堅固な構築を図り、諸ポリス間の貨幣及び度量衡の統一さえ目したがスパルタの反対にあって実現されていない。ペロポネソス戦争においては、アテネのエーゲ海に於ける支配権をスパルタに誇示することが目的だあったが、作戦上の無理からペストの流行を招き、彼自身、ペストで没した。弁論に長じた彼の政策には、友人のソフィストらから吸収した時代の新思想の影響が大きいが、そのあまりの進歩性ゆえにアリストファネスの喜劇の中では悪評を買ったりもしている。貧困市民のための政策は都市大衆を堕落させてしてしまったという批判があるが、大衆に対しての彼は主神ゼウスに比較され、民主政治とは名ばかりの独裁政治であったとも言われる。しかし彼の没後にクレオンを始めとする、群小政治家によってアテネが全くの衆愚政治に堕してしまったことを考えれば、少なくともアテネの一エポックを飾った政治家と言える。



注2 アゼンス

Athens 英語のアテネ(アテナイ)。



注3 フロレンス

Florence 英語のフィレンッエ。言うまでもなく、イタリア・ルネッサンス期の黄金時代の文化・政治の中心。



注4 豎子

孺子とも書き、「じゅし」と読む。若輩者・未熟者に対する軽蔑語。青二才。若造。



注5 書を名山に藏する底の事

司馬遷「報任少卿書」に、「亦欲以究天人之際、 通古今之變、成一家之言。草創未就、會遭此禍、惜其不成。已就極刑、而無慍色。僕誠以著此書、藏諸名山、傳之其人、通邑大都、則僕償前辱之責、雖萬被戮、豈有悔哉。然此、可爲智者道、難爲俗人言也。」とあるのを踏まえる。そこで司馬遷は、自信に満ちた「史記」の抱負を述べ、完成後、山中に隠して後世の真の知識人に残したいと語る。「底」は「てい」で、程度、程の意。



注6 嗤笑

「ししょう」と読む。嘲笑。