やぶちゃんの電子テクスト 心朽窩 新館へ

鬼火へ


TABLETTES D'ÉLOI 1894 Jule Renard

エロアの控え帳 ジュウル・ルナアル 岸田国士訳

 

[やぶちゃん注:本篇は1894年に「にんじん」の出版に次いで、同名の題で「土地の便り」及び「ぶどう畑のぶどう作り」の二篇と合わせてメルキュール・ド・フランスから刊行された(300部限定。1901年に増補再版されている)。底本は、1973年岩波書店刊の岩波文庫「ぶどう畑のぶどう作り」(第10刷改版。初版は1938年刊)を用いた傍点「ヽ」は下線に代え、私の注を一部に附した(その際、臨川書店1995年刊「ジュール・ルナール全集」の柏木隆雄訳「葡萄畑の葡萄作り」の注を一部参考にした)、が、その際、原文はフランス版ウィキペディアの“Jules Renard”にリンクされたテクスト・サイト“Gallica”のPDFファイル版“LE VIGNERON DANS SA VIGNEを参照した。

 さて、芥川龍之介を愛されており、しかし、本篇を初見の方は、特に後半の「榛(はしばみ)のうつろの実」「エロア対エロア」に読み進むにつれて驚愕し、そして最後の「文学者」を読むに及んで驚天動地の境へと導かれると確信する。そこに展開されるルナールの思索は、あの芥川の「侏儒の言葉」(「侏儒の言葉」は、大正121923)年1月1日発行の雑誌『文藝春秋』から大正141925)年11月1日発行の同誌に30回に亙って、毎号の巻頭に掲載された。単行本としての完全版は、没後の昭和2(1927)年に文藝春秋出版部より出版されている)。等のアフォリズムに、その使用する語句に至るまで通底してゆく(これは岸田氏の訳がそのような似せ方をさせているのではないことを後述する)。「文学者」を読む者は、芥川龍之介の遺稿「闇中問答」を読むがよい。そこには想像を絶した魂の交感がある。多くを語るよりも各人がルナールと芥川の一連のアフォリズムを合わせ読み、「文学者」と「闇中問答」をイメージの中で二重写しにするに若くはない。

――忠告しておく、私は芥川が剽窃したなんどと、既に何処ぞの研究者が鬼の首を取ったような三番煎じをしようというのでは、毛頭、ない――私はここに、二人の詩人――心象(イマージュ)の狩人たちの、稀有な魂の共時性(シンクロニティ)を感じずにはいられないと言っているのである――そんな私の謂いを冷笑される方は、直ちにこの頁から去られることを望む――

 臨川書店
1995年刊「ジュール・ルナール全集」第4巻の解説の中で、本篇を翻訳された柏木隆雄氏は、日本の大正から昭和にかけての危機の中にあった作家達が如何に強いルナールのエスプリの影響下にあったかを、芥川龍之介・太宰治・高見順の例を挙げながら美事に解き明かしている。是非、お読み戴きたい。中でも、私は芥川龍之介との絡みの中で本篇をテクスト化した関係上、その素晴らしい記載をここに引用する誘惑に勝てない。少し長くなるがそのまま引用する(当該書392p。但し、文中の芥川龍之介「闇中問答」の引用部だけは、新字である上に中略がなされていたりするため、私のポリシーから私の電子テクストのものを引いた。勝手な変更を加えたことを柏木氏にお詫びする)。

   (引用開始)

芥川龍之介がルナールを愛読したこともよく知られている。たしかに彼の「ルナール風の短文」や「青蛙」の句を引く人は多いが、そればかり言うと芥川は「恐らくルナールの心境からは遠い心境によって」そういう文を綴ったという岸田の言(『文藝春秋』昭和二年九月芥川龍之介追悼号)を裏付けることになるであろう。しかし芥川のルナール体験は『葡萄畑の葡萄作り』の「博物誌」的なものもさることながら、むしろ「エロワの控え帳」にこそ切実な共感を得たはずなのだ。岸田の先の文が掲載された、その同じ号に芥川の遺稿として発表された『闇中問答』(したがってこの時岸田は未読)は、「エロワの控え帳」中の『文学者』への深い思い入れなしには考えられない。そのことは『闇中問答』と『文学者』を次のそれぞれの末尾、

 僕 (一人になる。)芥川龍之介! 芥川龍之介、お前の根をしつかりとおろせ。お前は風に吹かれてゐる葦だ。空模樣はいつ何時變るかも知れない。唯しつかり踏んばつてゐろ。それはお前自身の爲だ。同時に又お前の子供たちの爲だ。うぬ惚れるな。同時に卑屈にもなるな。これからお前はやり直すのだ。

 と、

 エロワ(唯一人になって) 「弱気になっては駄目だ、エロワよ! お前は一番幸福な男なんだぞ!」

を並べてみるだけで十分だろう。文学者の〈業(ごう)〉を公然と表白するルナールの強靭な精神を、危機にあった芥川は目をみはる思いで読んだに違いない。

   (引用終わり)

岸田国士訳の「葡萄畑の葡萄作り」は大正131924)年48日春陽堂から刊行されている。この月と翌月、芥川は「少年」を脱稿しているが、他には「寒さ」4月)、續芭蕉雜記」(5月)、『ルナール風の短文』である「春の日のさした往來をぶらぶら一人歩いてゐる」ルナールの「ぶどう畑のぶどう作り」の「囁き」に似せた「新緑の庭」(6月)、「續々芭蕉雜記」「桃太郎」(7月)、そして、7月28日頃、軽井沢で運命の『越し人』片山廣子(松村みね子)と出逢う。ちなみに8月10日の「十円札」の脱稿以降、この年末まで、彼は一篇の小説も発表しない。翌大正141925)年1月に「大導寺伸輔の半生」、2月14日には『明星』に「越びと 旋頭歌二十五首」を投稿(三月号に掲載)、6月号『新潮』にあの美しくも哀しい相聞歌一篇「沙羅の花」が載る。同年9月「海のほとり」「死後」。翌大正15・昭和元(1926)年1月にはもう「年末の一日」が発表され、書簡等でしきりに不眠症を訴え始めている。「追憶」(4月連載開始、翌年2月迄)――芥川龍之介の魂は既に自殺の日付に向かって着実に時を刻んでいた――小穴隆一によればこの年4月15日、彼を下宿に訪ねた芥川は自殺の決意を伝えている。【2009年1月1日記。以上の「侏儒の言葉」から「追憶」に至るものは全て私のテクストにリンクしている。】]

 

     散歩

 

 路の上で、わたしがまず擦(す)れちがったのは、肩と肩とを並べてあるいている男の子と女の子とであった。二人は腕を組んではいなかった。なぜなら、女の子が身振りをするために両手が必要だったからである。彼女は威勢よく話した。まず上手に話すと言っていい。ただ、アという音のかわりに、やたらにオという音を入れる、それだけが疵(きず)である。

 「そりョ、うるソいの、オトしのおっコソん。日曜日に、オトしがオんトとおどるのをいヨゴるのよ。もう、オコんぼじョノいのに、オトし、ねえ、オんト」

 つぎに、二人の女が通った。一方は若く、一方は年を取っている。新しい黒地の着物を着て、二人とも膨(ふく)れた袋を手に提げている。急いでいた。話をするのに、めいめいが、交(かわ)る交る相手の意見に賛成することしか考えていない。

 「それもね」――年を取ったほうの女が言う――「それもね、なにかあの人たちのためになるならいいんだけれど、そうじゃないんだから、あっちじゃ、なんでもないことを、わざわざ、おもしろがってぶつくさ言うんだろう」

 「そうよ」――と若いほうが答える――「ああいうふうなのよ、あの人たちは。何もかも嫌(いや)だ嫌だって言い張るのよ。だからしようがないでしょう。まあ、いいの、公証人のとこで話をつけるから」

 二人の女が姿を消したと思うと、今度は、二人の紳士に出遇(であ)った。相当の年配である。裕福らしい身なりをして、熱のない歩き方をしている。絶えず右側を通ることを忘れない。しかつめらしい顔をしたほうが立ち止まって、手を挙げた。そして、音綴を句切ってこう言葉をかける。

 「ねえ、君、わかるだろう、吾輩(わがはい)が黙っているのは、あいつにいっさいの罪を負わせてやろうと思うからさ。まあ待ち給え、今にわかるよ」

 彼は努めて笑おうとした。すると、連れの男は、まだまだ生きていられるんだから、今にわかるのはあたりまえだという顔つきをして、頭をゆすぶった。

 なるほどね、こうわたしは心の中で言った。今まで路で出遇った人間という人間は、みんな苦労をさせられている人間だ。みんなお互いに苦労をさせ合い、そして、人に苦労をさせている人間だ。苦労は普(あまね)く行きわたっている。おればかりがもっているんではない。

[やぶちゃん注:「ただ、アという音のかわりに、やたらにオという音を入れる、それだけが疵(きず)である。」は、原文では“sauf qu’elle mettait trop souvent des o à la place des a et des e.”となっており、以下の彼女の台詞は“a”と綴るところが多く斜体の“o”で綴られている。これは通常の母音の“a”の多くの部分を鼻音“ɔ̃”で発音していることを示す。また、この原文によれば“e”と綴られる部分にあっても多くを鼻音めいて発音していることを指すのであろう(全部をそう発音すると恐らく意味が取れなくなる)。一見、如何にも読みにくい岸田氏の訳は、そうした雰囲気を伝えようとしている。]

 

 

 

     無益な慈善

 

 今度は戸口でつかまった。わたしが出ようとすると彼がはいって来た。で、二人は鼻と鼻を突き合わせた。

 すぐに、彼は妹の話をしだす。どうも容態がはかばかしくないというのである。

 どこで遇(あ)っても、またどんなに長く会わなかった後でも、彼は、わたしの顔を見さえすれば、いつでもおなじ悪い便りを伝えるのである。もう何年も前から彼女は病気なのである。

 彼は低い声で訴える。わたしにだけなんでも打明ける。彼の眼には、わたしが親切に見えるというのである。

 わたしはできるだけのことはする。彼のいうことは聴(き)いていない。なぜなら、この世の中に、自分の利益に関する問題がある。わたしにはわたしの病人がある。が、しかし、わたしは彼のいうことに耳を藉(か)しているようなまねをしている。

 わたしは頭を振ったり、口を開いたりする。彼が歎息したり、薬屋の勘定が嵩(かさ)ばったりすると、自分も眼をつぶるのである。時として、わたしの鼻の穴は「芥子膏(からしあぶら)、灸(きゅう)」などという言葉ですぼみ、時としては、相手のいうことを聞き直したりする。

 たしかに、こういう偽善者の態度はわたしを疲れさす。彼を騙(だま)すためには、かなり骨が折れる。で、もしこっちが返答しなければならないという段にでもなれば、それこそ万事休すである。

 しかし、彼は、わたしの督促を待たずに、どんどんしゃべる。自分の苦労を、ぶつぶつ語り続けるのである。同じことをなんべんでも繰り返す。ちょっとしたことを言い忘れたというので、また初めからやり直すかも知れない。それもそのはず、彼の生涯はもう生涯という名さえつかない。

 ベそをかくならかくがいい、そして自分で自分を慰めるがいい。これも慈善だ、人のために尽くすという行為に自ら誇りを感じながら、わたしは彼の言葉をさえぎろうとしない。この風の吹き通すところで、突っ立ったまま凍えるぐらい覚悟の上だ。

 そこで、わたしは、にわかに木からでも落ちたようにわれにかえる。わたしはなにやら口の中でつぶやく。というのは、かわいそうな兄が、私に向かってやるせなさそうにこう言ったからである――「すみません、エロアさん、妹のことで、わたしがこんなことをいうのが、さぞうるさいでしょう」

 

     肖像

 

 自然なポーズをとるために、わたしはまず平生通り腰をかける。右の足を伸ばし、左の足を曲げたままにして置く。一方の手をひろげ、もう一方の手を振って膝の上に置く。わたしはからだじゅうに力を入れ、七分三分に構えて一点を見つめ、そして笑顔を作る。

 「どうしてお笑いになるんです」――写真師がいう。

 「あんまり早過ぎるかね、笑うのが」

 「誰が笑って下さいといいました」

 「言われない先にやってあげたんだ。わたしは習慣を心得ている。初めて写真を撮るんではないんだ。わたしはもう子供じゃない。子供なら、――さ、こっちをごらん、可愛いコッコが出るよ――こういうところだ。わたしは自分一人で笑っているんだ、予めね。こうして長い時間、笑顔を作っておれる。別段、疲れもしない」

 「それはそうですが」――写真師はいう――「あなたがお望みになるのは、ほんとうの写真なんでしょう。特徴のない、ぼんやりした姿ではないんでしょう。それを見て、口の上手な手合いが、お世辞のつもりで、――なるほど、どこか似ている――などとしか言わないような写真じゃないんでしょう」

 「わたしは、総てが現われている、つまり、よく似ていて、活(い)き活きした、ひと目見てこれはと思うような、今にも話し出しそうな、叫び出しそうな、縁(ふち)から抜け出しそうな、まあそういったような写真が欲しいんだ」

 「あなたがまあどういう方であろうと」――写真師は言う――「笑うことはお止めなさい。最も幸福な人間は、好んで顰(しか)め面(つら)をします。苦しいと顔を顰める。退屈すると顔を顰める。それから仕事にかかると顔を顰めます。愛するものに向かっても、嫌っているものに向かうと同様顰め面をします。そして嬉しいとまた顔を顰めるのです。なるほど、あなたは時として他人に笑顔をお見せになることがあるでしょう。また、その辺に誰もいないことがたしかであれば、鏡に顔をうつして笑ってみるようなこともあるでしょう。しかし、あなたの身内の方々、それから、近しいお友達は、あなたが仏頂面(ぶっちょうづら)をしている時しか、あなたを見たことがないのです。で、もし、あなたが、わたくしの保証する肖像を、そういう方々にお上げになりたければ、わるいことはいいません、顰め面をなさい」

[やぶちゃん注:「さ、こっちをごらん、可愛いコッコが出るよ」原文は“regarde le petit oiseau”で、実際に「さ、こっちを見て! ちっちゃな鳥が出てくるよ!」といった意味である。私は高校時代にここを読んだ時、フランスでもこんな風に言うのかしらと疑りつつ、昔を思い出していた――僕は左肩関節の結核性カリエスを一歳半に発症し、五歳になる前に固定治癒した。だから僕は就学前に半端じゃない数のレントゲン撮影を受けてきた。新宿の東京女子医大付属病院にかかっていたが、僕は今でも最早存在しない病院のレントゲン室に眼をつむって行くことが出来る。そうしていつもそこでは、眼鏡をかけた痩せた技師が、前の四角い何の変哲もない黒いスピーカーから、「はい、坊や、前にある四角い箱をじっと見てご覧! ハトポッポが出るよ!」と人を馬鹿にして言ったものだ。それは彼が喋ってるスピーカーそのもので、鳩なんか出て来ないんだから。それを毎回僕に言うこのおじさんが――優しい人だったけれど――何だか許せない気がした。僕はレントゲン室で大人を信じなくなったのである。]

 

 

 

     海

 

 海を眺める時、海というもののどんなところが、まずわれわれの心をうつかと言えば、それは彼女がなんら驚くに足るべきものをもっていないことである。(敷衍(ふえん)するを要す)

 

 海を観賞する方法は人によって違う。あるものはひとり離れた一隅を選び、あるものは腹這(はらば)いになる。またあるものは立ったまま、くっきりと上体を水平線から現わし、身動きもせず、もの思わしげに、やがて見えなくなるまで海を見つめる。

 水浴びする人々の間を行き来して、こういうこともできる。

 「この海は大洋を思い起こさせる」と。

 もし子供を腕に抱いているなら、そしてその子が泣き出したら、こういってやるといい――「こわくはない、しつかりつかまえていてあげる」

 もし犬を連れていたら、その犬を撫でてやるがいい、静かにせよと命じながら。

 馬に乗っているなら、試みにその気高い動物を波に向かって騎(の)り入れ、おそろしさに足掻(あが)くのを見るもよかろう。

 わたしは、わたしの癖がある。軽い装束(しょうぞく)で、巻煙草(たばこ)をくわえ、両手を背に組んで、庭の中にいるように、静かに海の方に進んで行く。すると海が向こうから近づいて来る。

 

 「潮の満干(みちひ)を司るのはあの月だとすれば……」――毎日こういう。さて徐(おもむ)ろに空を見上げて、まだ出ない月を探す。そして、そのへんと思うあたり、微笑(ほほえみ)を月におくる。

 嫉(そね)みを買わないように、またこうもいう――「美しい夕陽だ」――。しかし、突然あたまを振って、つまり自分は騙さ(だま)れてはいない、寝に行く太陽――寝(ね)に行くざまとはどんなものか、それくらいのことは知っている、そこを見せて置く。

 

 その婦人は波にからだを浮かせている。からだのどの部分も水平の上に出ていない。

 その婦人は笑っている。あまり笑って、一滴の水を海の中に落とす。

 「や、海の上に莫しい珊瑚(さんご)の環(わ)が」

 「あたしの口よ、それは。指をどけてちょうだい」

 もう一人はからだを陽(ひ)に乾している。罎(びん)に一杯塩が取れる。

 「海を見てると眼が痛くなるわ」――一方が言う――「じっと見ていられないの。新婚旅行で瑠璃が浜(コォトダジュウル)を通る時は、ずっと海に背中を向けてたのよ」

 「あたしはね、もうきまってるの」――もう一方のが言う――「壮大な海の眺めにぶつかると、一週間あれが早くなるの」

 

 ところで、これはまた犬儒学派の哲学者である。厳かな手つきで、あくまで荘重に、粗大な衣布の襞(ひだ)を掻き上げ、胸へとって肩からうしろへ投げかける。素足で歩く練習をする。その指は曲りくねった木の板を思わせる。みすぼらしい頭髪がまばらにひょろひょろと渦を巻いている。彼らは人間の情熱の内海をこの海にたとえ、海底の砂粒を以て永遠を計るのである。

 黒衣を纏(まと)った若い女が、ただ一人、岩の上で夢想に耽(ふけ)っている。

 おそらくは、この世をはかなんで、再生の日を送るべき一つの星を選んでいるのであろう。彼女はすでにこれと思う星を探しあてて、その世界に住み込んだ。彼女は運がわるい。その星はたちまち飛んで行く。

 「しかし……」

 「そうさ、わかってるとも、星が飛ぶもんか」

 

 海月(くらげ)に用心しなければならない。古代の伝説がわれわれに教えるそれには及ばずとも、また、第二のペルセエがすでに無くなっている頭を斬ることはできないにしても、彼女らはその妹分たる陸の蕁麻(いらぐさ)と同様刺(とげ)をもっている。それにまた、ねばりねばりと粘(ねば)りつく。水浴する男は、彼女に抱きつかれると、浜辺を指して逃げて来る。罎詰めの糊をくっつけて逃げて来る。

 わたしはいろいろの型の船に乗って海へ出歩いた。船暈(ふなよい)の研究をするためである。

 食事をせずに行くと、一回目には嘔いた。二回目は嘔かなかった。しかし三回目には嘔いた。

 わざわざ食ったシャンパンづきの御馳走を三度嘔いた。二度は納まった。

 船首にいて嘔いた。船尾にいては嘔かなかった。しかし、真中で嘔いた。しかもフランネルの腹巻きをしていた。もっともあまり締め過ぎたかも知れない。ともかく、海へ出る時には、からだの軽い、気分の爽やかな日を選ぶ。そして、描いたような水平線を見つめながら、健全な、雄壮な思索によって心を紛らそうと努めるのである。それで、ある時は、平気であるが、ある時は、何もかも戻してしまう。

 

 今朝着いたボルネ夫妻は、もう海岸を歩き、小さな港を一周し、小石を拾い、風に鼻をすすった。

 昼食をする。食堂の窓から海が見える。

 「あなた、おなかがすいてらしたの、もう大丈夫?」――細君が尋ねる。

 「いくらかなおった」――ボルネ氏は言う――「とても治るまいと思った。ひどいもんだね、腹をえぐるよ、海の空気ってやつは」

 彼はハンケチを畳んで、消化を助ける準備をする。その時、船頭の神さんが、魚を売りに来る。

 彼女はみじめな形(なり)をしている。ことに色の褪(あ)せた靴下が、焦げた靴の上にだらしなく下っているので、なおさらその感が深い。

 「かわいそうな女」――ボルネ夫人は言う――「なんていう生涯だろう。ありや、どうかすると、たしかに、魚の骨をしゃぶってるわね。それも人に売った魚の骨が路に捨ててあるのを拾って来るんだわ。あの女を見ると、あたし変になるの。自分の境遇と比べて見るの。で、あたしたちがよくぐちをこぼしたりなんかすることを考えるの。あの女の持ってるものったら何があるでしょう。それに、あたしたちは、ないものったらない。あたし、なんでもないことに涙を流してみたりする人間は嫌いよ。だけど、物事があんまり不公平なので、つい腹が立つの。自分が絶えず幸福だということが、なんだかおそろしいわ」

 「なるほど、あの女を見て一種の感動を受けることは、わたしもお前と変りはない」――ボルネ氏は言う――「しかしながら、考え直してみよう。昼食をすまして、襦袢(じゅばん)一つになると、乱れた胸の底から、溜め息がうっかり出て来るものだ。あの女の欲望はお前の欲望とはまた違うと、わたしは思う。あの憐れっぽい身なりだけで、心の苦しみを判断しようとするお前は騙(だま)されている。ああいう女は、単純で、理想などというものはなくってもいいんだ。ところが、お前にはいつでもそれが一つはなくっちゃならない。お前は、暇さえあれは空想を描いている。あの女は、そうじゃない、食うことしか考えていないんだ。生きているから食う。それがあの女だ。この海岸に生れ、そこで死ぬときまっている船頭の妻だ。食べものは僅かでいい。そうだろう、ひどいもんだからね、腹をふくらすよ、海の空気ってやつは」

 

 

 

     ニイスの旅

 

 「僕の案内記を持って行きたまえ。そうしてホテルの番頭に、コンチ氏の紹介で来たと言いたまえ」

 「それより、こう言ったほうがいい」――エロアは言う――「おれはひと息にこうどなってやる――コンチ君とジョアンヌ君とベデカア君の紹介で来た――って」

 「どうぞおはいり下さい」――ホテルの主人は頭を地べたへつけるように跳んで、おれに言う。――「おうちにおいでになるつもりで、どうぞ。万事家族的にお願い致します。ようこそいらして下さいました、お金をお忘れにならずに」

 「礼儀正しいということがどれだけこっちの役に立つんだ」――イギリス人は考える――「フランス人の馬鹿は、お互い二人ぶんだけそれをやってくれている。どうかすると、おれの荷物を置くじゃまにならないように、片方の尻で腰を掛けるかも知れん」

[やぶちゃん注:臨川書店版「ジュール・ルナール全集」注によれば、ルナールは1894年2月4日~19日までニースに出かけている、とし、「コンチ君」はHenry A. de Contyアンリ=A・ド・コンティという実用的なガイド・ブック出版で成功を収めた広告業者(ルナールの友人であったか。この注、彼の生年を1898とするがこれは誤植であろう)を指し、「ジョアンヌ君」はAdolphe Joanneアドルフ・ジョアンヌ(18131881)という当時フランスで知られた地理学者を、「ベデカア君」はKarl Baedekerカール・ベデカー(18011859)、19世紀前半のドイツの出版社の経営者で、彼の作ったヨーロッパ各地の旅行ガイドは20世紀に至るまでベスト・セラーであったと記す。なお、原文では「……お金をお忘れにならずに」の台詞の後に空行があり、明らかに『「礼儀正しいということがどれだけこっちの役に立つんだ……片方の尻で腰を掛けるかも知れん」』は独立したものとしてある。続けて読むと、何だかやはり違和感がある。]

 

 ヴァランスにて。――もうすでにがっかりした。蜜柑(みかん)が一つもない、楽しみにしていた蜜柑が。

 

 アルルにて。――おや、蝿(はえ)が一匹。

 ラ・ブリュイユニルの百姓はもう同族のものを見分けることができないだろう。

 誰が、邪念なく、進歩を否認することができよう。

 彼は歩む。彼は歩む、百姓は。

 野を通ると、まだ、黒く日にやけた獰猛(どうもう)な獣を見ることは見る。祖先と同じように、彼は終日執念深く、耕された畑の上に腰を屈めている。

 しかし、少くとも彼は、汽車が通ると頭をもちあげる。

[やぶちゃん注:「ラ・ブリュイユニルの百姓」のJean de La Bruyèreジャン・ド・ラ・ブリュイエール(16451696)は“Les Caractères”「カラクテール」で知られるフランスの思想家。臨川書店版「ジュール・ルナール全集」注によれば、これは彼の「人さまざま」(1688)の中の有名な一節を踏まえる、とする。「人さまざま」を未読の私には、残念ながらそれからどのような場面を用いてウィットを利かしているかはよく分からない。]

 

 翼がほしいという欲望をもっているにかかわらず、われわれは遂に空を飛ぶことはできないであろう。結局仕合せだ。さもなければ、空気はやがて吸うに堪えなくなるだろう。

 

 君たちは考える。――エロアは自由なからだで、ああして旅行ができるとは仕合せだ。行くさきざきで風景を賞し、美しい幻象(イメージ)の貯えができると。

 どうしてどうして。おれは、今まで与えたチップ、これから与えようとするチップのことを考えている。あの給仕は、おれの外套(がいとう)を頭の上から被(き)せかけた。とんでもないところへ袖を通させる。彼は満足していない。今晩、チップはハンケチの下へ隠して置こう。

 それに、おれをシナ船に乗せたあの船頭、あれで十分だったろうか。たくさんだろう。おれならあれでたくさんだ。

 それから、あの男、物を尋ねたのに、言うことが、こっちに一語も通じない、それでも「は、は、ありがとう、ありがとう」と言ってやった、あの男、あいつは喉(のど)を渇(かわ)かしていた。開いて見なくってもわかる。

 なお、あのマンドリン弾(ひ)きに窓から銭を投げてやった。弾くのをぱったりやめて、丸めた紙を拾い取る。中をあけて見て、何かどこかへ転がり落ちたのではないかと思って探す。あてがはずれてまた弾き始める。なかなかそれくらいのことで黙りはしない。

 なんだ、あの冷やかな、横柄な、がむしゃらな御者(ぎょしゃ)は。貴様がおれを乗せて歩いている間、おれはのべつに計算をしている。とても貴様に金を払う気はしない。もう降りないでいたほうがましだ。一生貴様の馬車に乗っていてやる。世界の果てまで行け。

 貴様はなんだ、貴様は。自分の面(つら)でも殴れ。うるさい奴だ、しよつちゅう後(うしろ)から、戸に頭をぶつけてまで、「あのう、並の食卓で召し上りますか、それとも、別にお一人分の食卓に致しましょうか」――黙れ、さもなけりゃ、おれは餓え死をしたほうがいいんだ。「あのう、何週間もこちらに御逗留(とうりゅう)でございますか」――いいや、もう発つ。勘定を持って来い。貴様の分もそれで払ってやる。さ、行け、行け、おれの毛布を分捕品のようにして下へ持って行け。いくらでもお辞儀をしろ。いくらでも世辞笑いをしろ。そんなことで、おれがへこたれるものか。もっと穿(うが)ったことをやってやる、堂々とな。玄関の蹈段(ふみだん)の上に突っ立って、貴様がもう冷たくなった面を曝(さら)しながら、眼の色を失くしている間に、おれは、ポケットの中へ手を差し込み、蟇口(がまぐち)を探す。そして空(から)っぽの手を引き出して見せるんだ。

 よく見ているがいい、事務所の法官。おれは天国の元首然たる落ち着きを以て馬車に乗り込む。扉を邪慳(じゃけん)に締めるなら締めろ。そんなことは平気だ。窓ガラスを透して、頰髯(ほおひげ)を生やした貴様の支配人面(づら)が、眉をもぐもぐさせているのを一瞥(いちべつ)する。もちろん、貴様が「しみったれの駱駝(らくだ)野郎」と言う声は、おれの耳にはいる。口惜(くや)しがってくたばれ。勝った嬉しさで、こっちもくたばりそうだ。

[やぶちゃん注:『「あのう、並の食卓で召し上りますか、それとも、別にお一人分の食卓に致しましょうか」』というのは、ホテルマンではなく、御者がエロアに聞いているのである。臨川書店版「ジュール・ルナール全集」注によると、『旅行客をホテルに案内する御者は、ホテルの食事の注文も聞いた。』とある。]

 

 マルセイユにて。――わたしが学校にいるころはフランス第三の都会。それからずいぶんわたしは大きくなったものだ。

[やぶちゃん注:「マルセイユ」は19世紀後半以降、港湾施設の充実と工業化によって飛躍的に成長し、現在人口82万人を擁するパリに次ぐフランス第二の都市(この時、すでにリヨンを抜いてそうなっていたのであろう)にしてフランスは勿論、地中海最大の港湾都市でもある。ニースやカンヌを含むProvence-Alpes-Côte d'Azurプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏(PACA)の首府でブーシュ=デュ=ローヌ県の県庁所在地でもある。]

 

 一人のふとった婦人が、彼女の印象と、わたしの印象とを一緒にして約言する。

 「プラド、プラドつて、人を馬鹿にしてる。ただ聞いていると、まるでオベリスクみたいだわ」

[やぶちゃん注:「プラド」は“Prado”でこれは本来、大きな並木道を示すスペイン語である。謂わば大道髪の如きというわけで、大袈裟な感じがエジプトの神殿に立つオベリスクのようだというのであろうか。もっとも、オベリスクの語源はギリシア語obelosで、串(くし)の意味である。当初、「プラド」をスペインのプラドと思い、そういえばオベリスクを見た記憶もあって、いろいろ調べる内、1840年にマドリードのプラド美術館の北Plaza de Lealtad忠誠広場の中央にスペイン独立戦争の殉教者Obelisco del Dos de Mayo52日オベリスク」というものが1840年に完成しているのであるが、恐らく無関係であろう。]

 

 新しく部屋を取るごとに、わたしは面倒でもアルメニヤの紙を焼き棄(す)てる。後から来る人もそうなさい。

[やぶちゃん注:「アルメニヤの紙」はアルメニアペーパーのこと。イタリアの世界で最も歴史の古い薬局の一つであるサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局(ルーツは修道院)が発売する紙製の御香。小さな厚紙に特殊な香料をしみ込ませてあり、財布や本に挟んだり、火にくべて燻らせるたりする。]

 

 ツウロンにて。檣(ほばしら)、檣の森。そして、もう飾りをつけたのが一本もない。来かたが遅かった。お祭は済んでいた。

 赤銅色(しゃくどういろ)の大きな艦(ふね)が、海上に焰を投げている。

 あれは、噴水だ。

 また噴水か。

 おや、銅像がある。誰の像だ? 誰が作ったんだ。

 

 サン・ラファエルにて。――私が夜中に着く時刻を電報で知らせたので、皇族か公爵が変名で旅行をしているとでも思ったのだろう、ホテルはありったけの明りを点(つ)ける。一番いい馬が二頭、停車場へ出迎えをするために曳(ひ)き出される。総員出揃いでわたしを待ち受けている。一人の先生が馬車の扉を開(あ)ける。もう一人が荷物を受け取るために腕をひろげる。すると御者(ぎょしゃ)がわたしの手提(てさ)げを投げる。

 わたしは、一番肥(ふと)ったのに、部屋が明いているかを尋ねる。彼は、サロン付きの部屋が準備してあると答え、ろうそくを高々と掲げて、こちらへという合図をする。百九十八号へ連れて行く。

 「何か召し上りますか」

 「湯たんぽを一つ頼む……」

 わたしが半長靴を戸口に出すと、明りが消える。わたしの用を弁じるためにさきを争うどころでなく、給仕どもはみんな寝てしまう。

 わたしは独りぼっちになる。この屋根の下、ひっそりした部屋の中、空虚な響きを伝える二つの部屋に挾まれて、わたしは独りぼっちになる。

 

 ホテルの部屋で眠るためにはあまりに疲れきっている旅行者こそ仕合せである。彼は、鞄を開き、刷毛や上履きを包んでいる紙が、欠伸(あくび)をしながら、こそこそ話をするのを聴(き)いていることができる。

 二つの赤い岩が見える。一つは「海の獅子」と呼ばれている。なぜなら、アルフォソス・カアルの言うところに従えば、その岩は獅子が寝ている形を現わしているからである。もう一つは「陸(おか)の獅子」と呼ばれている。魚の形をしている。

[やぶちゃん注:「アルフォソス・カアル」Alphonse Karrアルフォンス・カール(18081890)詩人・小説家。著名な新聞“Le Figaro”『フィガロ』の編集長を務め、風刺月刊誌「雀蜂」(Les Guêpes)を40年の長きに渡って刊行した。1851年のナポレオン三世のクーデタ後、第2帝政下は南仏に隠棲した。「100年前のフランスの出来事」の記載によれば、このサン・ラファエルに、ルナールが訪れた10年後の1906年4月8日(日)に、彼の胸像が立てられている。]

 

 カンヌ(料理店ラ・クロアゼット)にて――エロアはそしらぬ顔で、彼の封筒を一枚机の下に落とした。あとで、給仕どもが、よそから来た人たちにこう言えるようにである。

 「エロアがここで食事をした」と。

[やぶちゃん注:「料理店ラ・クロアゼット」臨川書店版「ジュール・ルナール全集」の柏木隆雄氏の訳ではただ「ラ・クロアゼット」とあり、注で、『カンヌの海岸にある有名な散歩道の名前。』とある。]

 

 おお、月を見てなんの感じも起こさない地中海よ、お前は決して動かない。そして、蒼白い眉で、人間の粉が交(まじ)った無味乾燥な砂を永久に吸っている。

 

 それから、お前、帆立貝の猿股(さるまた)を穿(は)いた象の脚、剃刀(かみそり)入れ、元禄袖、模範煙突(えんとつ)、羽根箒(はねぼうき)、これは踪欄(しゅろ)の木、失敬。

[やぶちゃん注:「元禄袖」はよく意味が分からない。原文は“manche à gigot”で、“manche”には「袖」以外に「柄・棹」の意があり、その中に飛行機の操縦桿の俗語からの派生語で、「羊の股の肉についている大腿部の骨」のことを言う。臨川書店版「ジュール・ルナール全集」の柏木隆雄氏の訳でもそのようにとっており、次の「模範煙突」原文“tuyau de cheminée modèle”も同訳は『現代風暖炉の煙突』と分かり易い。]

 

 これら庭園の緑樹は刃物屋の店先きのごとくわたしの眼を楽しませる。尖った梢に、一つ一つ環(わ)を投げかけて見たい。

 

 贋金(にせきん)の果実をつけて得々たる南部地方(ミディイ)の蜜柑の樹、お前は降誕祭の飾り樹に似ている。ただお前はそれよりも貧弱だ。あの枝の中には小さなリキュウルの罐(びん)がある。

[やぶちゃん注:「南部地方(ミディイ)の蜜柑の樹」原文は“oranger du Midi”。通常は定冠詞を伴って“le Midi”で南フランスを指す。]

 

 「ああ、ここへ来てせいせいした」

 「そうだろう、ここの気候は腺病患者にもってこいだ」

 

 今宵、夕陽は薄ぎたない黄色を呈している。卵を食ったんだと言うかも知れない。

 

 アンチイブにて。――新聞フィガロの創立者ヴィルメッサン氏は、宏壮雄大なヴィラ「太陽荘」を築かせた。氏の考えでは、これを文学者の隠退所にあてるつもりであった。しかし、実際は、下宿屋になっている。とはいえ、文学者が泊るのは差し支えない。

[やぶちゃん注:「ヴィルメッサン氏」Jean Hippolyte de Villemessantジャン=イッポリット・ド・ヴィルメッサン(18101879)のこと。1854年に週間新聞“Le Figaro”を創刊(1866年日刊化)、1875年まで社主であった。]

 

 ニイスにて。――夕方はあれほど雑沓(ざっとう)する英人遊歩道路(プロムナド・デ・ザングレエ)に、人影がない。

 たった一台の車、乳屋の車。

[やぶちゃん注:「英人遊歩道路(プロムナド・デ・ザングレエ)」は“promenade des Anglais”で、ニースの美しいアンジェ湾の海岸線に数キロに渡って続く遊歩道。観光スポットで、今も昔も特に英国人専用な訳ではない。]

 

 これらの綺麗(きれい)な驢馬(ろば)の腹を足で蹴(け)やぶれ。ポンポンが飛び出るにきまっている。

 

 それに、いつものあの黒い服の擦(す)れる音、暴利の白粉(おしろい)で白くなったように、そこかしこ光っている黒い服。

 宿のあるじが、われわれの眼の前で注文の蝦(えび)を釣り上げる。しかし、それをわれわれのうしろへ投げすてる。彼が客に出したのは、きのう死んだので、もう煮えている。

[やぶちゃん注:原文は「……そこかしこ光っている黒い服。」で改行し、空行が入る。ここまでは前の驢馬を受けているように読める点からも、独立させるべきであろう。また「蝦」は原文“la lagouste”で、これはイセエビのことを指す。「蝦」の字では私には如何にもシュリンプ風の大きさにしか見えない。「伊勢海老」か、せめて「海老」として欲しいところである。]

 

 「ニイスをどう思います」と、フランス人が国際的微笑をもって問いかける。

 「あんまりフランス人が多すぎる」と、イギリス人が答える。

 

 「本物(ほんもの)の」青年が一人、小川のほとりに横たわって、「青銅の」筧(かけひ)から流れ落ちる泉に喉(のど)をうるおしている。

 思いつきは結構、眼を欺くに十分。毎日曜日の午後三時、青年にそれをやらせることにする。

[やぶちゃん注:臨川書店版「ジュール・ルナール全集」の注によると、『フォアセン広場にある噴水のこと。そこに述べられているようなギリシャの彫刻がある。』と記すが、ニースのフォアセン広場の所在地が分からない。また柏木隆雄氏は冒頭を『小川のほとりに寝そべっている、「自然のまま」の青年が、「ブロンズ製の」筧(かけい)からちょろちょろ流れる水を飲んでいる。』とし、最後を「毎日曜、三時にこの青年は取り替えられる。」と訳しているが、前者は岸田氏より分かりやすいが、私は馬鹿なのか、「取り替えられる」というのは、どんなことを意味するのかよく分からない。ニースにお詳しい方の御教授を願う。]

 

 やれやれ、なんという暑さだ。おれの額の上に蜥蜴(とかげ)がいるんではないか。

 

 ペストのように避けて通る――ローマ浴場の廃址、「若干のいい画を蔵する」博物館、珍無類の彫刻、ファサアドが、何百何年とやらに造られ、大祭壇がなんとやらの教会堂。

 

 「顔を海の方に向けて、右へ進むのです。そうして市役所を左へやっておしまいなさい」

 「大丈夫です」

 

 ガリバルジの銅像の前で、もし、あなたが馬車に乗っているなら、一度降りて見なければなりません。

 ――いやいや。

[やぶちゃん注:「ガリバルジ」はGiuseppe Garibaldiジュセッペ・ガリバルディ(18071882)は赤シャツ隊で知られる軍人・イタリア王国統一の英雄であるが、生まれは当時イタリア領であったニースであったため、彼の銅像がある。]

 

 なるほど穏やかな天気だ。窓を開(あ)け放って顔を洗う。

 しかし、わたしは絶えず、パリでは雨が降っている、氷が張る、こう言っていなければならない。ところが、今朝、フィガロを読むとこう書いてある――昨日はとびきりの上天気。張り合いが抜ける。

 この皮のむけた土地が緑色になるのはいつのことだ。

 軽いいでたちで、わたしの田舎(いなか)、自分の田舎を散歩するころは、麦が芽をふく。

 ここは、冬の暖炉と鉢植えの木を入れた温室だ。

 

 モナコにて。――汽車中。あの品の好(よ)い外国人は、長い袋から何を引っぱり出すのだろう。切符なしで連れて来た家族の一人か。

 

 宿料を聞き忘れた。なんという部屋だ。一晩に千フラン取られるかも知れない。眠れない。

 

 毎日、二時から四時までの間に、アルべエル一世が、男らしい気持のいい頭の上に太公の冠と学者の冠とを戴いて、古い館(やかた)の十字窓を開(あ)け――ポオル・ポカアジュは言う――そして、税を払わないでいい幸福なモナコ公国民の頭越しに、自分の領土外に唾(つば)を吐きかけるのを見ることができる。

[やぶちゃん注:「アルべエル一世」Albert 1er de Monacoアルベール一世(18481922)。モナコ公在位18891992。航海術と海洋学に造詣が深く、彼が創った世界最古の海洋博物館・水族館は、知る人ぞ知る循環システム「モナコ式水槽」等、水族館のメッカである。「ポオル・ポカアジュ」は臨川書店版「ジュール・ルナール全集」の注によると、Paul Bocageポール・ボカージュ(18221887)で、フランスの劇作家という。]

 

 モンテ・カルロにて。――わたしは、ほんとうの勝負好きだろうか、狡猾(こうかつ)な博打(ばくち)うちだろうか、済度し難い賭博狂(見ただけでぞっとする手合)だろうか。

 

 後に言うが、わたしはモンテ・カルロで博打を打つ。モンテ・カルロでさえ、勝負には強い。で、賭け金と一緒に儲(もう)けを掻き集めるとき、番台の男に笑いかける。しかし、無表情な秣掻(まぐさ)きはわたしの笑顔に応えてもくれない。で、わたしが、嬉しさのあまり、ピストルで脳天を撃(う)ち貫(ぬ)いたところで、彼はびくともしないだろう。

 

 鳩猟。――一つの箱が開(あ)く。一羽の鳩が飛び立つ。そして、ばったりと落ちる。その場は、よく神話を知らないと見えて「希望」のように、じつとしていない。犬が走って行って、上手に口でくわえる。しかるに、鳩を殺した男は、決して姿を見せない。隠れている。そうしないわけに行くまい。なんと言う撃ち方をする奴だ。酔いどれが拳を振り挙げて、子供の小さな口を擲(なぐ)るように立派だ。

[やぶちゃん注:「鳩猟」を臨川書店版「ジュール・ルナール全集」で柏木隆雄氏は『鳩撃ち場(ティール・オ・ピジョン)』と訳してルビを振っている。そうして、その注でこれはモンテ・カルロの『ベルリオーズ記念碑とフォシアナナPocianana岬の間にある場所の通称。』と記している。原文は勿論、“Tir aux pigeons”である。これは実景だろうか? 如何にもな感じである。恐らくモンテ・カルロのルナールなりのイメージにその地名に引っ掛けてエスプリとし、それにギリシャ神話の「パンドラの箱」のウィットを利かせたのであろうか。残念ながら、私にはそれを分かりやすく解釈する能力がなにのであるが。]

 

 ラ・コルニシュにて。――ごらんなさい、海の上の二艘(そう)の小舟を。誰だ、海で古靴を失くしたのは。

[やぶちゃん注:「ラ・コルニシュ」は原文“la Corniche”で、“corniche”は一般名詞で庇や柱の上部縁取・軒蛇腹(のきじゃばら)、敷衍して雪庇(せっぴ)・崖っぷちの道を意味するが、ここでは特にニースからイタリアのジェノヴァ方向へ向かうリヴィエラ海岸の切り立った海岸線上の道路を言う固有名詞として用いている。]

 

 路ばたで物乞いをしているあの老婆は、へりくだった口の利き方をしない。

 「どうぞ、お慈悲を」

 彼女は恐ろしい剣幕で呪いの文句を浴せかける。それだのに人は、石をぶつけるかわりに、銭を投げる。

 

 元気を出して、ずんずん登った! ここでは何も見えないだろう。その斜面を攀(よ)じ登るんだ。そら、もうお前の鼻の先と水平線との間に、少くとも広大無辺な限界が開けている。

 もうひと息、最後の一歩。

 止まれ! 早く、額の汗が乾かないうちに、眼を空に転じ、胃の腑(ふ)から眩暈(めまい)がやってくる前に、崇高な思念を喚(よ)び起こすことを努めろ。

 その後で、息をつけ。

 

 マントンにて。――五分間停車。わたしのステッキを地に挿す時間。帰りに抜き取って行こう。それはそうと、さぞびっくり仰天することだろう、わたしのステッキが小さな樹になっていて、葉のついた若い枝に覆われ、なお、もしかして、その枝の一本に、旅の渇(かわ)きを癒(いや)すため、ステファヌ・マラルメが愛(め)でた果実、「理想の苦(にが)みに味つけられた黄金色(こがねいろ)のシトロン」をちぎる悦びをもつとしたら。

 土地の娘たちはシトロンをたべない。しかし彼女らは、それを籠いっぱいに積み上げ、頭へ載(の)せて運ぶ練習をする。シトロンが決して落ちないようにするには、常に行儀よくしていればいい。

 彼女らのからだつきとその身持ちとは、そこから来る。

[やぶちゃん注:「マントン」Mentonフランス南東部イタリア国境に近いプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏アルプ=マリティーム県にあるリゾート地。レモンやオレンジが特産。旧モナコ公国領、1860年にフランス領となった。「ステファヌ・マラルメが愛でた……」以下の「理想の苦みに味つけられた黄金色のシトロン」は、臨川書店版「ジュール・ルナール全集」の注によるとStéphane Mallarméステファン・マラルメ(18421898)の詩“Le Guigono”「不遇」の一節からの引用であるとする。]

 

 ヴァンチミルにて。――そこまでちゃんと合っていたわたしの時計が、そこから四十七分遅れていることになる。じゃけんな風と三角同盟に買収された土地の子供らとが、わたしの後から吹いたりどなったりする。われわれの美しいフランス、その郵便局でなら十スウも払えばすむ電報を、ここでは六十スウも払わされる。これ以上は言うまい。わたしはイタリアがどんなところか知っている。千古不滅の雪に最後の一瞥(いちべつ)を与え、疲れ果てて、そこここの温泉町を眼に泛(うか)べながら、帰路に着く。

[やぶちゃん注:「ヴァンチミル」はジェノヴァ湾に面したフランスと接するイタリアの国境の町Ventimigliaヴェンティミリアのフランス語読み。リヴィエラの観光地として有名。「そこから四十七分遅れていることになる」は時差の謂い。現在は中央ヨーロッパ時間で統一されているが当時はイタリアとフランスで異なっていたものらしい。「三角同盟」は1882年ドイツ・オーストリア=ハンガリー・イタリアの間で結ばれたフランスを孤立化させることを目的としたドイツ帝国主導の三国同盟のこと。]

 

 

 

第一歩

 

 わたしは、それでも、ある偉人とある名士とに連れ立って、大通りを散歩する光栄を担った。

 偉人は顔をあげて、漠然たる様子で、規則正しく歩みを運んだ。その渇仰者は、彼を注視するために立ちどまった。あるものは、ほとんど親しげに通路を擁し、あるものは恭しく過ぎ去った後を見送った。

 彼は誰一人に眼をくれないように見えた。時として樹木の枝に笑いかけた。おそらく、いっさい無関心で、歩道の真中を歩くということしか考えていなかったろう、群集がひとりで道を開くままに。

 しかるに、彼の右側には、名士が、入魂(じっこん)のものに挨拶をし、差し出される手を握り、一口二口、機智に富んだ、または情を寵(こ)めた言葉を投げかけていた。彼は、わざわざ人に道を譲らないにしても、臂(ひじ)をぶつけて、すぐに断わりを言えば、べつだん腹を立てない。彼は偉人と陳列棚との間を行ったり来たりした。時には、自由な若々しい気持から、ただパリにいる、その住人たちと一緒にその建物に取り囲まれているという幸福を味わっていた。時としてはまた、しかつめらしく、栄達の夢を繰り返し、いつかこの偉人さえも足下に見下し得るような力を、ひそかに自分のうちに感じていた。

 わたしは、未来ある少年、溝の縁を伝っていた。一言も口を利かなかった。何も聞こえない。それもそのはず、群集にもまれて、絶えず前に出過ぎるか、後へ退(さが)りすぎるかした。のべつに新聞の売店や、街燈の柱や、花売り小屋にぶつかって廻り路をした。なんべんとなく、二人の先輩を見失おうとするので、息をきらして、一方の足は歩道の上に、一方の足は木を敷いた草道の上に、からだの中心をとるひまもなく、びっこをひきひきその後について歩いた。

[やぶちゃん注:「ある偉人とある名士」は臨川書店版「ジュール・ルナール全集」の注によると、劇作家トリスタン・ベルナールとその義弟ピエール・ベルナールではないかという説を提示している(根拠は該当書を参照されたい)。Tristan Bernard18661947)は知れたが、Pierre Bernardの事蹟は不詳。]

 

 

 

     朗読

 

 夕食は簡単に片付けた。というのが、エロアは、二人の客、詩人ウイレムとその細君に予めそう言って置いたのである。

 「簡単な食事を用意させたのだ。いかにも、君たちの胃袋にお礼を言ってもらうのを当てにしてるようでいけないから」

 「じゃ、始めてくれたまえ」――ウイレムが言う。

 「ほんとうに、あたくし、楽しみにしていたんですのよ」――ウイレム夫人は言う。

 「いや、あなた方がなんておっしゃるか、もうわかっています。あなた方は、ほんとうのことをおっしゃるには、あまりに御親切です」

 「われわれはほんとうのことを言うよ」――ウイレムがきっぱり言う――「お互いに同年輩だ。君に向かって手心を加える必要はない。もし君の脚本がまずければ、こりゃもうなんともいたしかたがない」

 「うまいにも、まずいにも、誇張しないでくれ」

 「聴(き)かせてもらおう」

 エロアは急がない。彼はまず聴衆にしっかり用意をさせようとする。彼は、自作の脚本を読む前に、短い、気の利いた序文というようなもので、その解説をして置こうと思うのだが、まあ、二三思いついた、それも月並みな予告をする。

 「わたしはこの劇の価値が、どれほどのものかということは知っています。これはわたしの手始めです。いわば、開幕劇に等しいものです。たいした問題にはならないのです」

 そして、彼はついに余計なことまでしゃべる。詩人ウイレムは書物のページを繰っているようなふりをし、ウイレム夫人は、鏡を出して、髪の毛をあちこち押えてみたりする、この様子だと、彼らはその瞬間、朗読のあることを忘れているとしか思えない。

 エロアの細君はどうしているかというと、彼女は二言もしゃべらない。避け難い危急が切迫しているかのように心を戦(おのの)かせながら、珈琲(コーヒー)を注いでまわる。小さい丸い水滴りが光を反射し、そして、茶碗の中で湯気を立てる。

 突然、独りで、エロアが決心をする。

 「席に着いてくれたまえ。始めるよ」

 相手はまだぐずぐずしている。ウイレム夫人は、自由で真直ぐなただの椅子よりも、肱掛椅子の底に埋っていたほうが楽ではないかと考えている。

 「後へ退(さが)って下さい」――エロアはいう――「近くでは工合いがわるい」

 詩人ウイレムは華奢(きゃしゃ)な脚を組み合わせ、肱をつき、指を口髭(くちひげ)にあて、やがて、のべつにそれを(ひね)捻るのである。顔を影に向けて眼をつぶる。

 「もう一言(ひとこと)」――ウイレム夫人が言う――「黙っていなくっちゃいけないんですか。それとも、朗読の間、感じたことを申し上げてもようござんしょうか」

 「黙っていて戴いたほうが結構です」

 エロアは、こういって、なお、意気地なくつけたす。

 「もっとも、どうにも我慢がおできにならないというような場合は、こりゃ別ですがね」

 「黙っていましょう。さあ、どうぞ」――ウイレム夫人は言う。

 エロアの細君は見えない。彼女は戸棚の横に隠れている。彼女は両手を胸に当てて、息苦しさに悩んでいる。

 エロアはウイレム夫妻の顔を見て、卑怯にも微笑を送る。ランプの傘を下げる。呟払(せきばら)いをする。それから、潰(つぶ)れたような、どこから出るともわからない、子供が読本の拾い読みをするような声で、弔辞を読むような声で、彼は原稿を読み始める。

 まず作者の名、その住所、それから標題、それから人物の名、背景、こう読んで行く。それだけでもう息が切れそうになる。誰かが一言励ましてくれればいいと思うほど、ぐったりする。

 彼は陰険な敵の前で最初の数句を読み上げる。しばらくの間、彼の声は、乞食女のように、行から行をたどる。

 が、やがて、彼は耳を欹(そばだ)てる。

 ひとしきり座が動揺した。そうだ、ウイレム夫人が動いた。そして溜め息をつく。彼女の口から、ひと声漏(も)れる。どんな意味だったろう。エロアはそれが好ましいものであることを望むばかりである。彼は読み続ける。半分は原稿に、半分は聴衆に気を取られながら読み続ける。間もなく、さらに感歎の叫びが聞こえる。ウイレム夫人の唇からそれが漏れる。今度こそは、もう疑う余地はない。彼女の気に入ったのだ。彼女ははっきり、こう言う。

 「こりゃどうして、たいしたもんだわ」

 直ちにエロアは、力を得て、調子を変える。細かい味をみせる。声という声は残らず出す。ウイレム夫人にさえ気に入れは、それでいいではないか。彼はもう恐れるところはない。で、彼は、彼女のほうに向き直り、これからは、彼女のために、この優しい頼みがいのある婦人のために読むのである。彼女はしきりに感興の抑え難きを示し、「おお」とか「ああ」とか「まあ、いい」とか「申し分なし」とかを連発する。

 それは嬉々として舞い上る放鳥の群れである。

 エロアの一言一句はことごとく効果を生む。二人は戦う。彼の一撃また一撃に、彼女は讃歎の叫びを以て応ずるのである。

 しかるに、ほかのものはどうか。もう一人は、詩人は、批判者は、彼はどう考えているか。

 エロアは朗読を中止する。そして言う。

 「ちょっとひと息つかしてくれたまえ。一杯水を飲ましてくれたまえ。喉が渇いた」

 そして、ウイレムに、眼で問いかける。

 詩人は口髭を捻りまわしている。ぶらりと下った一方の脚で拍子を取っている。わからない、まるでわからない。彼は眠っているように見える。

 「どうだね」――エロアは言う。

 「親愛なるエロア君」――詩人はようやく重々しい口調で言う。

 「僕が詩人で、君が散文家であることは、僕にとって仕合せだ。さもないと、僕は非常に苦しい立場にあるわけだ。君は散文を書く。僕は韻文を作る。われわれは、だから競争者ではない。で、僕は少しも嫉妬を感じないで、こう言うことができる――心(しん)の心(しん)まで使い古された言葉を使わなければならないが、今聴(き)いているのは、確かに傑作だ」

 彼は口を喫(つぐ)む。エロアは、そう言う場合の常として、抗議を申し立てない。彼は草稿を卓上に置く。彼の手は顫(ふる)えているからである。かれの細君は隠れ場所から出て来て、尼さんのような足取りで彼に近づき、彼の額に唇をあてる。

 一同の生命は極度に緊張する。おそらく、他の人々の命が、ここで吸収されて、外では縮められているかもしれない。

 エロアは綴った紙を取り上げる。

 公園の柵の真中にいた山羊(やぎ)が、見物人の合図に、何事かと物珍らしそうに柵の方に走って来る、ちょうどそれのように、一同の顔が彼に近づく。その顔はエロアのにおいを嗅(か)いでいる。彼はそれを見て顔が火のようにほてる。

 彼は、安らかな気持で、地の底から湧くような、そして熱情に満ちた声で、終りまで読む。彼は一同の満足に身を委(ゆだ)ねる。ここぞと思う科白(せりふ)を空(そら)で言って見る。ウイレム夫人の輝かしい顔に絶えず感謝の微笑を送る。彼女は瞼(まぶた)で聴いている。その口と、すっきりした鼻の孔(あな)で聴いている。遠くのほうにある耳は、この場合なんの役にも立たない。エロアの眼に、彼女はあらゆる詩的表現を超越した美しさをもっているように見える。彼は、無限に開ける限界を前にして、何人(なんぴと)も、沈思黙考、形容の辞を求めようとしてしかも求め得ない、ある山の頂上に登りつめた、そういう気持で、意気揚々と朗読を終った。

 一同は起(た)ち上った。

 「いじってごらんなさい。あたくしの手、こんなに汗」――ウイレム夫人は言う――「何度、大きな声が出そうになったかわかりませんわ。好(い)いだの、非常に好いだの、そんなことじゃないの。すてき! ただそれだけ」

 詩人ウイレムは書斎の中を行ったり来たりしている。彼はそわそわしている。そして、誰にともなく話しかける。

 「そこには、才能以上のものがある。そこにはほとんど……。想像していたよりもずっといいものだ。先生が下らないものを書くとは思ってはいなかった。陽気な、機智に富んだ、気の利いたものだぐらいに思っていた。胸を抉(えぐ)るような感動、そういう特質があるとは、夢にも知らなかった。それにさ、読み方も手に入ったものだ。ほかのものなら、もっと頭で行くところだ。もっと派手に行くところだ。山気を出すところだ。先生は、魂全体で読んでいる。自然だ。人間の言葉だ」

 「偉大な人間の」――ウイレム夫人が言う。

 「批評にうつろう」――エロアが言う。

 「批評すべき何ものも認めない」――詩人ウイレムは言う――「一つ留保をして置こう。それも、はっきりそうだとは言えない。僕は標題が内容をうまく伝えていないと思う。少し言い表わす範囲が狭いと患う。用心し過ぎていると思う。いじけていると思う。もっとそれが、旗印のように広く、堂々としているほうがいいと思う。つまりそれは、これからの模倣者に路をさえぎることにもなり、君が決定的に実現したものを、再び繰り返そうという無法な欲望を頓挫させることにもなるのだ。が、それは僕が間違っているかもわからない、約束は小さく実行は大きいほうがいいかもわからない。そのほうが目覚ましい驚歎を喚び起こすかもわからない」

 「考え直してみよう」――エロアは言う――「や、どうもありがとう。それだけ友情を示してくれれば、あとのことは甘んじてうけいれる。僕は君たちを信じている。君たちは、そういう調子で、僕を嬲(なぶ)るようなことはしないと思う。僕は疑わない。僕は夢を見ているのだとは思わない。僕はこういう自分を滑稽だとも思わない。心の底から、満足しきった男の心の底から、君たちに感謝する」

 「もう一度、どこか一番面白いところを読んで下されはいいのに」――ウイレム夫人は言う。

 「いや、それではせっかくの興が醒(さ)めます」

 彼はもう足が地につかない。彼は宙に舞い上る。空を飛ぶ、満身に日光を浴びながら。それでも、いくらか寂(さび)しい気がする。なぜなら、また地上に降りて来なければならない。忘れ難き瞬間の後に、暗い瞬間が来ることを考えたからである。そして、一つの傑作は、次の傑作を呼び、求め、遂に際限がないことを考えたからである。

 「あたし、どんなに肩身が広いでしょう」――細君は彼に言う――「そんな偉い方のそばについていて、恥かしくないようにするには、あたし、どうしたらいいかしら」

  「お前か、可愛いお前か、そうさな、まず第一に、そんなに泣かないこった。馬鹿だな、さあ、そんなに泣かないこった」

[やぶちゃん注:臨川書店版「ジュール・ルナール全集」の注で柏木隆雄氏は『おそらく彼の戯曲『別れも愉し』を友人のエドモン・ロスタンEdomond Rostand18661918)とその妻ロズモンドRosemondeの前で朗読した時のことを書いたものではないか』と推理され、従って1896年末から1897年初頭頃の出来事と絞り込んでおられる(根拠は該当書の注を参照のこと。「ウイレム」のある動作がロスタンの癖と一致するという考証等、情景が髣髴として興味深い)。]

 

 

 

     榛(はしばみ)のうつろの実

 

 みんな、わたしのようだろうか。わたしは一人の女と悶着が起こると、その女が死んでしまえばいいと思う。

 

 時として人を窓から突き落としたい。また時として、自分自身を投げ出したい。

 

 今日は何曜だろう。写真の種板(たねいた)にも感光しないような人物を見る。ガラスの眼玉でものを読む。舌を垂れて、一語一語の問に草が生(は)えるような文句をしゃべる。嵌木(はめぎ)の床(ゆか)でもこするように自分の額をさする。嚔(くしゃみ)をする。鼻をすする。咳をする。……

 

 一生涯われわれが、めいめい、二人の幸福に身を委ねたなら、われわれは、めいめい、二倍だけ幸福なわけだ。つまり一倍だけ多過ぎるわけだ。

 

 予め見越しをつけたことで、それのあたった例(ため)しがない。愉快な不意打ちばかりくおうと思えば、いやな計画をいくつも立てておけばいい。

 

 わたしは生活とその煩累(はんるい)を遁(のが)れ、人の言う、夢の世界に隠れ家を求めようとする。わたしは、終夜、帽子を根気よく探す夢を見た。

 

 友情は、二人の気分が長短相助け合う間しか続かないものだ。

 

 癪(しゃく)にさわらない雷というものをわたしは知らない。

 

 厭(いや)なものが厭(いや)なほど、好きなものが好きではない。

 

 怨(うら)むことはできるが、わたしはどうしても復讐することができない。だから、怨んでもなんにもならない。おとなしくしているほうがましだ。

 

 フランス語こそ情けない言葉――Tournureという語は、同時に、女の尻と男の頭に使われる。

[やぶちゃん注:「Tournure」は、①(1)【金属加工用語】旋盤で加工したものの丸味。(2)旋盤の削り屑。②(1)体つき・様子・恰好・風采。(2)上品な様子。(3)物の概観・形・事態の局面。(4)Tournure d’espritで、性向・性質。(5)詩句や文章の言い回し。(6)性行・運び具合。③【古語】婦人服のスカートを広げるために腰の後ろに付けた腰当、といった意味を持つ(以上は1975年大修館刊の「スタンダード仏和辞典」を参照した)。]

 

 奥さん、わたくしはあなたにこの社交界風俗研究をお薦(すす)めします。著者は、まぎれもない貴公子文学者、手袋をはめ、ブウロニュの森で、馬に乗って書いたのです。

 

 あなたは、本棚の中で、書物が自分で位置を換(か)え、ドオデが一冊、ゾラの上へ攀(よ)じのぼったりなにかするのにお気づきですか。

[やぶちゃん注:Alphonse Daudetアルフォンス・ドーデ(18401897)とÉmile Zolaエミール・ゾラ(18401902)はご覧の通り同年で、友人関係にあった。作家ゾラはまさに自然主義思潮の理論家であり、その作品の構成力も緻密で定評がある。ドーデは通常、自然主義の作家とされるが、その優しい視線はまさに印象派の絵画のよう「魅惑的」(ゾラ評)であった。ゾラは主に自然主義の牙城を文壇に認めさせるためにAcadémie françaiseアカデミー・フランセーズ会員就任に執着したが(遂に実現せず)、ドーデはアカデミー・フランセーズそのものに批判的であった。ドーデはまた、喧嘩っ早いことでも知られ、何度か決闘もしている。文学史的にはゾラの膝下にドーデは配されるであろう。]

 

 わたしは、自然によらなければ書かない。わたしは、生きた尨犬(むくいぬ)の背中でペンを拭う。

 

 日が暮れた、地球はまた一転した。夜の隧道(トンネル)の下を、ゆるやかに、物事が通って行こうとする。

 

 なんだ、なんというあやふやなかっこうをした樹(き)だ。嘘をつく女の鼻のように、葉が北風に揺れている。

 

 樹の生茂(おいしげ)った中を歩いていたら、わたしの長靴は泥の塊りで重くなった。私はそれを取りのけようと思った。わたしは、森の中でひとかけの木片(きぎれ)を見出(みいだ)すことが、どんなにむつかしいかを知った。

 

 乗合馬車で、わたしは奥のほうに腰をかけた。最初のうち、席を譲るまいとして、馬の臀(しり)を睨んでいた。一人の若い女が車掌台に昇る。可愛らしい、健康そうな女。彼女は立っていて差し支えない。ついで、年を取った婦人、上品で金持らしい。どうして馬車を傭わないんだ。その先に、子供と籠を抱えた貧しげな仕事女がいる。善行を行なおうという考えがわたしを誘惑する。しかし、あの籠をどこへ置くか。それに馬車の中にはわたしより若い男子諸君がいくらもいる。いきなり、別に理由もなく(というのは、この最後に乗り込んで来た女は、年寄りでもなく若くもない、好(よ)くもなくわるくもない。まして、わたしに何も請求したわけではない。人の顔を穴のあくほど見据(みす)える、例の図々(ずうずう)しい女でもない。彼女は中を覗(のぞ)いても見ない)わたしは起(た)ち上る。足と膝との二重の障害を押し分ける。そして、厳かな調子で言う――「お神さん、さ、わたしの席をお譲りしましょう」――。すると、この婦人は「いいえ、ありがとう」と、丁寧な潤いのない返事をする。そうだ、断わられたのだ。それは彼女の権利だ。返す言葉もない。わたしは、敵意をもった膝の間へ、しょんぼりとまた腰をおろすより仕方がない。だが、降りたほうがましだ。

 

 今日は、わたしに取って、人道的気まぐれの日と見える。またしても、哀れな老人が歩道から歩道へ車道を横ぎるのを助けてみたくなる。ところで、この老人は、わたしにしがみついて、「すみません」と「ありがとう」と濫発し、わたしに彼の祝福を与え、なお神の祝福を約束し、それが、人を鼻で嗤(わら)ってるような群集の視線を浴びながらである。わたしは、中途で、通りの真中へ彼を置き去りにした。

 

 おれが二スウもっていれば、二人で分けよう。十スウあれば五スウはお前にやる。だが、兄弟、こんなふうにして、十万フランまでは、半分わけにするんだと思ったら間違いだ。われわれの共有財産は懐金(ふところがね)に限るんだ。それはそうと、おれはまだなんにもない。みんなお前が取ってもいい。

 

 もし、婚礼の日、指輪を新婦の指に嵌(は)めるかわりに、その輪を鼻へ通すのであったら、離婚は無用になるだろう。

 

 ××さん、あなたがわたしをほんとうに愛して下さる時、わたしは量(はか)ってみました。その時、あなたの眼の輝きは、四十燭光でした。

 

 女というよりも花、花のようにしなやかで、花のように香(かぐ)わしいあなたは、花の言葉で話をなさった――もし花が方言を使うなら。

 

 一人の女を愛している時――君は言う――その女に贈物をする日は、決して予め選んだ日ではない。その前日に渡さないではおられない。

 

 わたしは、わたしの愛する女に言う――「おれは、よく、自分はどういう気持なのかわからないことがある。馬鹿になるんじゃないかと思うことがある」

 「なによ、あんた、つまらない、お馬鹿さんね」と、彼女が言う。

[やぶちゃん注:原文は以下の通り。

 Ie dis à ma chérie:(( Souvent,je ne sais ce que j’ai et je crois que je deviens fou.))

 ――Voyons,mono pauvre ami,tu es fou,me dit-elle.

言わずもがなであるが、この場合、「わたし」の言う“fou”は文字通りの「気違い・狂人」の謂いであるが、「女」の答えの“fou”は、日本人もよく用いるところの、女の、がんぜない子供や、男に対する一種の愛情表現で、「あなたって、可愛い子供みたいなお馬鹿さんなんだから」の謂いである。]

 

 わたしの好きな好きな××さん、あなたはもうわたしを愛してはいませんね。ずっと以前には、わたしが長くあっちにいると、あなたはそっと戸をたたきに来る。そして、心配そうに、わたしに尋ねたものです――「おかげんがおわるいんじゃないの、あなた」

 今では、わたしがあっちで死のうとしていても知らん顔をしているでしょう。

[やぶちゃん注:これも言わずもがなであるが、「あっち」とはトイレットのことである。]

 

 今夜、寝る前に、わたしは空の星を算(かぞ)える。星はことごとくそこに在(あ)る。それで、わたしは、人生について、自分でも腑(ふ)に落ちないと思われるほど、きわめて下らない考察をめぐらす。

 それから、習慣に従って、子供の時のように、自分の行ないを反省して見る。夜具の中で十字を切る勇気はない。で、情けなく思う。自分を軽蔑する。うんと自分を叱って見る。自分で自分が擲(なぐ)りたくなる。

 まあ、まあ、気を落ちつけろ。鼾(いびき)をかけ。徳操はお前の鼻と関係はない。

 

 自分も人間でありながら、その人間がわたしを人間嫌いにする。

 

 

 

    エロア対エロア

 

――お前は、今日も、昨日言ったことを残らず言った。

――お前は、最初の男に言った、「君の秘密を守る」と。お前は次の男に言った、「固く秘密を守る約束で、君にだけこのことを打明ける」と。そして、お前はそれと同じことを誰彼になく言った。

――お前は、接吻さえしたいと思うものに邪慳(きゃけん)なことを、憎みおそれているものに優しいことを言った。

 ――お前は、一般論として言った――「女という女はすべて、間抜けだ」と。そして、それらの一人一人に向かっては、特別に、彼女はほかの女よりも勝れていると言った。

 ――お前は、ある婦人に不躾(ぶしつけ)なことを言った――「これは、あなたに言うのではありません」

 そういう予防線を張りながら。

 ――お前は、お前の女の誕生日に、女に言った、「お前にあげるものを買うんだから一緒においで。お前がいれば、おれに無闇なこともさせまいから」

 ――お前は、平生避けている人間に、偶然出遇(であ)ってこう言った、「やあ、これはお珍らしい、好(よ)いところでお目にかかりました。世の中は全く変なものですね、いいかげんな交際(つきあい)はうるさいほどあるのに、最も親しい友達には決して会えないものです」

 ――お前は、人が話をしていると、それを途中でさえぎり、それから一句一句の接ぎ目でこう言った、「そうでしょう、そこでこうです、わたしは、まあ早い話が……」と。

 ――お前は、こう言った、「人非人だよ、政治家なんて奴は」――。そうしてお前はさも得意らしく一人の元老院議員を識っていると言った。

 ――お前は言った、「フランスは事業家の掌中にある」と。そう言ったかと思うと、その口で、「事業がうまく行くわけはないじゃないか」と言った。

 ――お前は言った、「おれは塩をひとつまみ後(うしろ)へ投げる……冗談(じょうだん)に」と。「おれは零(こぼ)れたぶどう酒で頭をこする……冗談に」と。「おれは司祭を見て剣を鳴らす……冗談に」と。「おれに庖丁をくれるものがあったら一スウやる……冗談に」と。お前は鶸(ひわ)のように陽気だ。

 ――お前はいった、「わたしは新聞なんか読まない」と。そう言うしりから、「それは新聞に出ていた」と。

 ――お前は批評壇の明星(ブランス・デ・クリチック)は馬鹿爺だといった。それでお前は、彼の批評が出る新聞を買いに、はやばやと新聞の売店へ出掛けた。

 ――お前は、お前の敬愛する先生に、若い時代の原稿をみんな焼いてしまったと言った。それでもまだトランク一杯残っていると言った。幸いに、お前の先生はお前の言うことを聴(き)いていなかった。

 ――お前は流派に囚われないことをしめすために、お前が感心している作家の悪口を言った。

 ――お前はなにくわぬ顔をして作者に言った、「あなたの最近の作については何も言いますまい。なにしろ、わたしがあなたをどう思っているかは、前から御承知のはずです」

 ――お前はいった、「こう言うと生意気なようですが……」そして、お前はやっぱりそう言った。

 ――お前は、気前よくお前の抽斗(ひきだし)を開(あ)けながら、こう言った、「さ、持って行きたまえ」。ところが、お前はびっくりした。抽斗は空(から)だった。

 ――お前は、借りた金を返しに来た男に、「なあに、ちっとも急ぎゃせん」と言った。それに、その金を貸した後は眠れなかった。

 ――お前は、弁済する能力のない債務者について、こう言った、「貸したことを悔むんじゃない。金が惜しいだけだ」。それが、うっかり口を滑らしてあべこべを言ったわけではない。

 ――お前は、芸術家に向かって言った、「われわれは干李(ほしすもも)を売るんではない」。ところで、お前は、一緒に馬車に乗って国道を散歩したブウルジュアに言った、「そりゃなんですよ、ここだけの話だけれど、わたしもこう見えて、底を割ればブウルジュアなんですよ」

 ――お前は、芸術家は貧しい暮らしをし、俗界を離れて一生を送らなければならないと言った。それに、お前は、大根畑の縁で、「ああ、この大根の数ぐらい、おれに千フランの紙幣(さつ)があるとなあ」こう言った。

 ――お前は言った、「田舎(いなか)へ来ないとせいせいしない」。それは、お前か、お前の魂で、町の中の宮殿を買うことができないからだ。

 ――お前は、さもそれがなにげなく口から出たように、「理想をもっていなければならない」と言った。

 ――お前は滑稽にも、むきになってこう言った、「義務を尽くすこと、正しい人間としての単純な義務を尽くすこと、われわれが顳顬(こめかみ)の辺にもっている小さな虫が、満足してわれわれを安眠させるように努めること、そして、そのほかのことはいっさい顧(かえり)みない、それだけのことができればまあいい」

 ――お前は言った、「危険を冒さないで打克(うちか)つ、それは名誉の伴なわない勝利だ。だからさ、冗談じゃない、それだけはよしたまえ」と。

 ――お前は言った、「家族とは名ばかりのものだ」と。そしてまた、「母親はやっぱり母親だ」と。

 ――お前は、老人が「工合いが悪い、もういけません」と言うのに、うっかり、「それはまあ結構」といった。

 ――お前は、ユダヤの漂浪者に、きっとこう言うだろう、「歩くのは薬だよ」と。

 ――お前は葉巻を口に銜(くわ)えて、こう言った、「全く君は考えてるよ、煙草を喫(す)わないなんて」

 ――お前はお前の妻に言った、「この世で、お前の務(つと)めは、子供を一人こしらえることだ」。そしてまた、言った、「一人ぐらい子供があったって、無いと同じことだ」

 ――お前は、犬と猫とを比較してこう言った、「猫のほうが気位が高い。犬のほうが忠実だ。猫は人の御機嫌を取らない。犬は誰の手でも舐(な)める。猫は清潔だ。犬には蚤(のみ)がいる。それからまた、猫はこう、犬はこう……」と。

 ――お前は、出版業者は自分の職をわきまえていないと言い、医者は医者の心得を呑(の)み込んでいないと言い、人は値打ちだけのものしか得られないと言い、自分は宿命論者だと言い、今は好(よ)い時機だと言い、シナ人はもうこっちの茶を飲んだと言い、英国人は旅行中座席を独りで占領すると言った。

 ――お前は路(みち)ばたの見知らぬ乞食に、ほんとかどうかわからないという口実の下(もと)に「否(ノン)」と言った。そして、お前は、慈善会の事務所で、寄付を募っている尼さんや、後援者たる貴婦人や、修道院の院長に、こう言った、「わたしは、自分で施しをしている貧乏人があります」。いったい、その貧乏人はどこにいるのだ。

 ――お前は言った、「戦争をやるならやれ。おれは、そんなことは知らん。おれの行李(こうり)はちゃんとできている。長靴は磨いてある」と。それというのは、今朝(けさ)、ちょっと面白くないことがあったからだ。恋のいざござ、さもなければ、素気(すげ)ない便りでもあったからだ。心持のうえか、懐のかげんかで、アメリカへでもつっ走らなければならないわけがあったからだ。

 ――お前は言った、「おれはこわくない。ただいらいらするだけだ。胸がどきどきするだけだ」と。

 ――お前は、死去の報知を受け取って、こう言った、「気の毒なのは死んで行くものではない。生き残ったものだ」と。それはそうと、自分は、生き残ったほうがいいのだ。

 ――お前は言った、「わたしが、君たちより先に死んだら、死体は鴉(からす)に食わせてくれ」と。間もなく、お前は言った、「死者を尊べ」と。間もなくまた、お前は言った、「もっとも、君たちみんなの葬式はわたしが引き受ける」と。

 

 ――お前は、屋根の上で、大声に否定した神に向かって、秘かに言った、「神よ、わたくしは冗談(じょうだん)に言ったのです。わたくしの心底を見届けておいでになるあなたは、わたくしがあなたを信じていることは御存じのはずです。わたくしがどんなにあなたの地位を高く見、どんな恐怖からわたくしの信仰が作られているかを、あなたは御存じのはずです」

 

 ――お前は、今日一日で、お前が昨日すでに言ったことを残らず言った。お前はそれを、明日もまた言うだろう。

 

[やぶちゃん注:「 ――お前は路(みち)ばたの見知らぬ乞食に、ほんとかどうかわからないという口実の下(もと)に「否(ノン)」と言った。そして、お前は、慈善会の事務所で、寄付を募っている尼さんや、後援者たる貴婦人や、修道院の院長に、こう言った、「わたしは、自分で施しをしている貧乏人があります」。いったい、その貧乏人はどこにいるのだ。」の項で、原文には「わたしは、自分で施しをしている貧乏人があります」の台詞の直前に“et à Séverine:”という語句が入っているが、岸田氏は省略している。ここは、尼さん・後援者たる貴婦人・修道院院長、「そして、セヴリーヌに」となるところである。この「セヴリーヌ」なり女性は、臨川書店版「ジュール・ルナール全集」の注によると、『本名カロリーヌ・レミCaroline Rémy18551929)ジャーナリストで社会主義者。ジュール・ヴァレスに協力して多くの記事を書き、『民衆の叫び』を主宰した。』と記し、ルナールは彼女に小説“L’Écornifleur”『ねなしかずら』贈呈している、とある。Jules Vallès ジュール・ヴァレス(18321885)は左派のジャーナリストにして作家。“La Commune de Paris”「パリ・コミューン」(1871)の作者として著名である。」

 

 

 

     文学者

 

友――おれをダシに使っていろんなことを書きちらすのは、もういいかげんにしないか。

エロア――それよりまず、自分で嗤(わら)われないようにしろ。

友――君に秘密を明かすと、おれが背中を向けるが否や、すぐに、そいつを手帳に書きつけるんだ。

エロア――秘密というやつは、どうも記憶に残らない。

友――すると、やがて、その話が、エロアと署名した小話の中に出て来るんだ。

エロア――君の協力は感謝する。

友――おれを裸にして、君のうちの窓口へ曝(さら)すんだ。

エロア――また、どこかへ行ってシャツを着替えて来い。

友――もう君に用はない。君の友達はことごとく君に愛想をつかしている。

エロア――おれにはまだ本がうんとある。君たちは十人足らずだ。おれの最も盛んな時代にそうだ。おれの忠実な書物は、もう三千になっている。

友――おれも文学者だ。だが、おれは触れてはならないものに触れないことを誇りとしている。

エロア――もし君がほんとうの文学者なら、おれのように、向こう見ずに、なんでもやるはずだ。

友の群れの合声――あいつは自分にさえ手心を加えない。

エロア――予防だ。おれは、おれの魂に、ただ気まぐれから泥を塗ろうとするやつ、そう言うやつらの先手(せんて)を打つんだ。不孝な子、邪慳(じゃけん)な夫、薄情な兄弟、それから何、それから何、それがおれの魂だ。まあ聴け……。

母親――いいから。あたしはお前が、自分の母親の名誉を傷けるようなことを書いたあの本の中で、これがあたしだということはすぐわかった。

エロア――それはあなたが先に始めたんだ。お父さんにお訊きなさい。

父親――こいつの前では何も言えない。お母さんは尊敬しないとしても、せめて、お父さんは尊敬しろ。正しい道によって一家の財産を作ろうとしているお父さんを。

エロア――わたしの前では、何ひとつ盗むことができないでしょう。

父親と母親――お前には財産を譲らない。

エロア――わたしは家族の罪悪をもう一つ知っているわけだ。大した金になる。

父親と母親――お前を呪(のろ)ってやる。

エロア――どうぞ……。あんなに急がないで。わたしのペンはあなた方の罵詈(ばり)の流れについて行けません。

兄弟――黙らないと横面をひっぱたくよ。

エロア――おれはなんでもうけいれる。さ、ひっぱたけ。それでまた喧嘩小説でもこさえよう。

姉妹――どうしてあたしたちを悲しい目に遭(あ)わせるの。こんなに優しく、親切で、あんたを心から愛してるあたしたちを。

エロア――――どうしてって……おれは、感じのいい人間を求めているからさ。

老僕――あの人はわしを食わしてくれてるんだ。

エロア――おれはお前を家族の一人と見なしている。

親類の人々――あれの小さい時のことを知っているわれわれを、今では馬鹿にしている。

エロア――わたしが、いつまでもそんなに小さいことを望んでおいでなのですか。

隣家の人々――この猫かぶりめ、あいつはよく家へ夜なべをしに来た。麻を切る手伝いをしに来た。黙って、ほかのものに話をさせていた。あいつのことを、みんなこう言っていた、「律義な男だ、無邪気なもんだ。意地の悪いことはしそうもない……」

エロア――つまり、お人好(ひとよ)しというわけだ。よろしい。だからその仕返しをしてやる。

エロアの同郷人――医者、公証人、郵便電信局の女局長、あいつが本に書いたそういう連中は、腹を立てている。訴訟を起こすと言っている。

エロア――しめた。すてきな広告だ。

薬剤師――わたしのことなら、エロアさん、いくらでも本の中へお書き下さって差し支えありません。わたしはいっこうかまいません。

エロア――遺憾ながら、ホメエ君、君はわたしの専門じゃない。もっと上の、フロオベエルのところへ行きたまえ。

放浪者――おれは、夜中に、墓地で誰かが墓を発(あば)いているのを見た。

エロア――おれだ。死骸と一緒に埋めてある手紙の束を掘り出していたんだ。本に書こうと思っているんだ。

妻女――親類だとか、近所の人だとかは、いわば他人です。だけど、あたしは、神聖な妻ですよ。そのあたしが、迷惑するようなことをなさるのね、今度は。あたしは、あなたを抱いて可愛がってあげることもできませんわ。あたしの愛の言葉が、またそのまま原稿になるんですもの。

エロア――得難い原稿だ。お前は、それでも、暮らしが立ち行くようにしなければならないと、いつも言うではないか。

妻女――あたしは、明りを消して、寝台の幕を引くと、自分が町の広場にいるような気がするんです。翌日、通りの真中で、人に指をさされるにきまっている。恥かしくて死んでしまうかも知れませんわ。

エロア――心配することはない。そうなったら、おれが甦(よみがえ)らせてやる。お前を不滅なものにしてやる。

子供――父ちゃん、あたい、父ちゃんのそばにいてもいい? いたずらはしないから。

エロア――坊や、しやべれ、おれはそれを書きつける。泣け、お前の涙を受けてやる。病気になれ、お前の苦しみもがく様子をおれは描こう。もしおれが、お前を失う苦痛を知ったら、おれに委せて置け、おれはすばらしい冒瀆(ぼうとく)の言葉を神に叫ぼう――おとなしく引っ込んでいるように。

一の読者――厚顔無恥、唾棄(だき)すべき奴だ。

二の読者――あいつは病気だ。

三の読者――愉快な奴だ。

四の読者――あれでどこか面白いところがあるんですか。

五の読者――自分を、少し悪者にしすぎる。

六の読者――おれの頭はどうしたんだ。何を言ってるんだろう?

批評家の一人――吾輩(わがはい)にはよくわかる。

エロア――ありがたく思え。

憤(いきどお)った情の厚い男――君、君、僕の言うことをひとつ聴いてくれたまえ。君は、元来、誰も愛してはいないんだ。

エロア――おれは、おれ自身を愛している。

自然――それに、自然を愛している。樹を愛している……。

エロア――なんという瘠(や)せ方だ、今年の冬、あの樹は。

自然――それから、わたしの牧場を、わたしの小川を愛している……。

エロア――おれの手が水の上で字が書けるように軽いといいんだがなあ。

自然――それからまた、わたしのはかない靄(もや)を……。

エロア――靄、彼女は日が暮れて生れる。夜の間生きている。そして朝がた死んでしまう、おれの夢のように。

自然――けれど、どうしてわたしの泥をこねかえし、わたしの積(つ)み肥料(ごえ)をひっくりかえすんだ……。

エロア――その積み肥料は、梶棒を離れた馬のように、畑で煙を立てている。

自然――お前は、あまり深く掘り過ぎる。地の女神シベエルの御機嫌を損じ、自然の神バンの怒りを買う。

エロア――そんなものは知らない。

生活のために必死に闘っている老人――何を言うのだ。世の中へは生きるために来たのだ。他人の生き方を見に来たのではない。お前さんは人生を眺めているに過ぎないんだ。生きているんじゃない。

エロア――それなら、おれは生れてからこの方(かた)、何をしているんだ。

一人の婦人――あの人はお酒を飲まないわ。

エロア――飲みたくないからだ。

一人の婦人――あの人は煙草(たばこ)を喫(す)わないわ。

エロア――煙がうるさい。

一人の婦人――あの人は勝負事をしないわ。

エロア――あなたは狡(ずる)いことをするだろう。

一人の婦人――あの人にはなにひとつ慰みがないのよ。

エロア――どういたしまして。ときどき、一人で踊ります。

美しい女――あの人は女を作らないのね。

エロア――わたしは結婚している。

美しい女――あたしがなんとか言ったら?

エロア――お気の毒さま。あなたはひどい目に遭うだろう。わたしは髪の根でだけものを感じる男だ。

美しい女――あれは男じゃないわ。

エロア――文学をやる男だ。文学者だ。

一同――文学者! 文学者! 文学者!

エロア――そうだ。文学者だ。まぎれもない文学者だ。おれは死ぬまで文学者だ……。文学で死ねば本望だ。万一、おれの生命が永遠であるなら、おれは永遠に文学をやる。決して疲れるようなことはない。どこまでも、おれは文学をやる、ほかのことはどうでもいい、日光と酒の香(か)に酔いながら、律義者の渋面と嘲罵(ちょうば)をよそに、ぶどう酒桶の中で跳ね踊るぶどう作りのように……。おれが文学に夢中になればなるほど、おれは水平線の上で頭を持ち上げるのだ。

遠い声――文学者! 文学者! 文学者!

エロア(独りになる)――しっかりしろ、エロア。お前は一番幸福な人間だ。

[やぶちゃん注:「エロア」の台詞「遺憾ながら、ホメエ君、君はわたしの専門じゃない。もっと上の、フロオベエルのところへ行きたまえ。」の「ホメエ君」とは、臨川書店版「ジュール・ルナール全集」の注に『フローベール『ボヴァリー夫人』に登場する薬屋。俗物ブルジョワの典型とされる。』とある。また、「自然」の台詞「お前は、あまり深く掘り過ぎる。地の女神シベエルの御機嫌を損じ、自然の神バンの怒りを買う。」に現われる「シベエル」と「バン」(現在、通常は「パン」と表記される)は、何れもギリシャ神話の神名。Cybèleシベール(キュベーレ)は一種の太母で、木と大地(実りと豊穣・多産)の女神。ゼウスの母とされる。Panパンはご存知の半獣神、牧人と家畜の神で、その名は「養うもの」の謂いである。]