やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇へ
鬼火へ

[やぶちゃん注:大正13(1924)年4月発行の雑誌『中央公論』に「三 死」までが、また同雑誌5月発行分に「少年續編」の題で「四 海」以下が掲載され(番号も掲載時は「一 海」「二 幻燈」「三 お母さん」)、後に『黄雀風』に所収された。底本は岩波版旧全集を用いたが、底本の総ルビを読みの振れるものだけのパラルビに改め、傍点「丶」は下線に代えた。幾つかの後注を附した。]

 

少年   芥川龍之介

 

       一 クリスマス

 

 昨年のクリスマスの午後、堀川保吉は須田町の角から新橋行の乘合自働車に乘つた。彼の席だけはあつたものの、自働車の中は不相變身動きさへ出來ぬ滿員である。のみならず震災後の東京の道路は自働車を躍らすことも一通りではない。保吉はけふもふだんの通り、ポケットに入れてある本を出した。が、鍛冶町(かぢちやう)へも來ないうちにとうとう讀書だけは斷念した。この中でも本を讀まうと云ふのは奇蹟を行ふのと同じことである。奇蹟は彼の職業ではない。美しい圓光を頂いた昔の西洋の聖者(しやうじや)なるものの、――いや、彼の隣りにいるカトリック教の宣教師は目前に奇蹟を行つてゐる。

 宣教師は何ごとも忘れたやうに小さい横文字の本を讀みつづけてゐる。年はもう五十を越してゐるのであらう、鐵縁(てつぶち)のパンス・ネエをかけた、鷄のやうに顏の赤い、短い頰鬚のある佛蘭西人(フランスじん)である。[やぶちゃん後注1]保吉は横目を使ひながら、ちよつとその本を覗きこんだ、Essai sur les ……あとは何だか判然しない。[やぶちゃん後注2]しかし内容は兎も角も、紙の黄ばんだ、活字の細かい、到底新聞を讀むやうには讀めさうもない代物である。

 保吉はこの宣教師に輕い敵意を感じたまま、ぼんやり空想に耽り出した。――大勢の小天使は宣教師のまはりに讀書の平安を護つてゐる。勿論異教徒たる乘客の中には一人も小天使の見えるものはゐない。しかし五六人の小天使は鍔の廣い帽子の上に、逆立ちをしたり宙返りをしたり、いろいろの曲藝を演じてゐる。と思ふと肩の上へ目白押しに竝んだ五六人も乘客の顏を見廻しながら、天國の常談を云ひ合つてゐる。おや、一人の小天使は耳の穴の中から顏を出した。さう云へば鼻柱(はなばしら)の上にも一人、得意さうにパンス・ネエに跨つてゐる。……

 自働車の止まつたのは大傳馬町(おほでんまちやう)である。同時に乘客は三四人、一度に自働車を降りはじめた。宣教師はいつか本を膝に、きよろきよろ窓の外を眺めてゐる。すると乘客の降り終るが早いか、十一二の少女が一人、まつ先に自働車へはひつて來た。褪紅色(たいこうしよく)の洋服に空色の帽子を阿彌陀にかぶつた、妙に生意氣らしい少女である。少女は自働車のまん中にある眞鍮の柱につかまつたまま、兩側の席を見まわした。が、生憎どちら側にも空いてゐる席は一つもない。

「お孃さん。ここへおかけなさい。」

 宣教師は太い腰を起した。言葉はいかにも手に入つた、心もち鼻へかかる日本語である。

「ありがたう。」

 少女は宣教師と入れ違ひに保吉の隣りへ腰をかけた。そのまた「ありがたう」も顏のやうに小ましやくれた抑揚に富んでゐる。保吉は思はず顏をしかめた。由來子供は――殊に少女は二千年前(ぜん)の今月今日、ベツレヘムに生まれた赤兒のやうに清淨無垢のものと信じられてゐる。しかし彼の經驗によれば、子供でも惡黨のない譯ではない。それを悉く神聖がるのは世界に遍滿したセンティメンタリズムである。

「お孃さんはおいくつですか?」

 宣教師は微笑を含んだ眼に少女の顏を覗きこんだ。少女はもう膝の上に毛絲の玉を轉がしたなり、さも一かど編めるやうに二本の編み棒を動かしてゐる。それが眼は油斷なしに編み棒の先を追ひながら、殆ど媚を帶びた返事をした。

「あたし? あたしは來年十二。」

「けふはどちらへいらつしやるのですか?」

「けふ? けふはもう家へ歸る所なの。」

 自働車はかう云ふ問答の間に銀座の通りを走つてゐる。走つてゐると云ふよりは跳ねてゐると云ふのかも知れない。丁度昔ガリラヤの湖にあらしを迎へたクリストの船にも伯仲するかと思ふ位である。宣教師は後ろへまはした手に眞鍮の柱をつかんだまま、何度も自働車の天井へ背の高い頭をぶつけさうになつた。しかし一身の安危などは上帝の意志に任せてあるのか、やはり微笑を浮かべながら、少女との問答をつづけてゐる。

「けふは何日だか御存知ですか?」

「十二月二十五日でせう。」

「ええ、十二月二十五日です。十二月二十五日は何の日ですか? お孃さん、あなたは御存知ですか?」

 保吉はもう一度顏をしかめた。宣教師は巧みにクリスト教の傳道へ移るのに違ゐない。コオランと共に劍(けん)を執つたマホメット教の傳道はまだしも劍を執つた所に人間同士の尊敬なり情熱なりを示してゐる。が、クリスト教の傳道は全然相手を尊重しない。恰も隣りに店を出した洋服屋の存在を教へるやうに慇懃に神を教へるのである。或はそれでも知らぬ顏をすると、今度は外國語の授業料の代りに信仰を賣ることを勸めるのである。殊に少年や少女などに畫本(ゑほん)や玩具を與へる傍ら、ひそかに彼等の魂を天國へ誘拐しようとするのは當然犯罪と呼ばれなければならぬ。保吉の隣りにゐる少女も、――しかし少女は不相變編みものの手を動かしながら、落ち着き拂つた返事をした。

「ええ、それは知つてゐるわ。」

「ではけふは何の日ですか? 御存知ならば云つて御覽なさい。」

 少女はやつと宣教師の顏へみづみづしい黒眼勝ちの眼を注いだ。

「けふはあたしのお誕生日。」

 保吉は思はず少女を見つめた。少女はもう大眞面目に編み棒の先へ目をやつてゐた。しかしその顏はどう云ふものか、前に思つたほど生意氣ではない。いや、寧ろ可愛い中にも智慧の光りの遍照した、幼いマリアにも劣らぬ顏である。保吉はいつか彼自身の微笑してゐるのを發見した。

「けふはあなたのお誕生日!」

 宣教師は突然笑ひ出した。この佛蘭西人の笑ふ樣子は丁度人の好(い)いお伽噺の中の大男か何かの笑ふやうである。少女は今度はけげんさうに宣教師の顏へ目を擧げた。これは少女ばかりではない。鼻の先にゐる保吉を始め、兩側の男女の乘客はたいてい宣教師へ目をあつめた。ただ彼等の目にあるものは疑惑でもなければ好奇心でもない。いづれも宣教師の哄笑の意味をはつきり理解した頰笑みである。

「お孃さん。あなたは好い日にお生まれなさいましたね。けふはこの上もないお誕生日です。世界中のお祝ひするお誕生日です。あなたは今に、――あなたの大人になつた時にはですね、あなたはきつと……」

 宣教師は言葉につかえたまま、自働車の中を見廻した。同時に保吉と眼を合はせた。宣教師の眼はパンス・ネエの奧に笑ひ涙をかがやかせてゐる。保吉はその幸福に滿ちた鼠色の眼の中にあらゆるクリスマスの美しさを感じた。少女は――少女もやつと宣教師の笑ひ出した理由に氣のついたのであらう、今は多少拗ねたやうにわざと足などをぶらつかせてゐる。

「あなたはきつと賢い奧さんに――優しいお母さんにおなりなさるでしせう。ではお孃さん、さやうなら。わたしの降りる所へ來ましたから。では――」

 宣教師は又前のやうに一同の顏を見渡した。自働車は丁度人通りの烈しい尾張町の辻に止まつてゐる。

「では皆さん、さやうなら。」

 數時間の後(のち)、保吉はやはり尾張町のあるバラックのカフェの隅にこの小事件を思ひ出した。あの肥つた宣教師はもう電燈もともり出した今頃、何をしてゐることであらう? クリストと誕生日を共にした少女は夕飯(ゆうはん)の膳についた父や母にけさの出來事を話してゐるかも知れない。保吉も亦二十年前(ぜん)には娑婆苦を知らぬ少女のやうに、或は罪のない問答の前に娑婆苦を忘却した宣教師のやうに小さい幸福を所有してゐた。大德院の縁日に葡萄餠(ぶだうもち)を買つたのもその頃である。[やぶちゃん後注3]二州樓の大廣間に活動寫眞を見たのもその頃である。………[やぶちゃん後注4]

「本所深川はまだ灰の山ですな。」

「へええ、さうですかねえ。時に吉原はどうしたんでせう?」

「吉原はどうしましたか、――淺草にはこの頃お姫樣の婬賣が出ると云ふことですな。」

 隣りのテエブルには商人が二人、かう云ふ會話をつづけてゐる。が、そんなことはどうでも好い。カフエの中央のクリスマスの木は綿をかけた針葉の枝に玩具(おもちや)のサンタ・クロオスだの銀の星だのをぶら下げてゐる。瓦斯煖爐(ぐわすだんろ)の炎も赤あかとその木の幹を照らしてゐるらしい。けふはお目出たいクリスマスである。「世界中のお祝するお誕生日」である。保吉は食後の紅茶を前に、ぼんやり卷煙草をふかしながら、大川の向うに人となつた二十年前の幸福を夢みつづけた。………

 この數篇の小品は一本の卷煙草の煙となる間に、續續と保吉の心をかすめた追憶の二三を記したものである。

 

       二 道の上の祕密

 

 保吉の四歳の時である。彼は鶴と云ふ女中と一しよに大溝(おほどぶ)の往來へ通りかかつた。黒ぐろと湛へた大溝の向うは後(のち)に兩國の停車場になつた、名高い御竹倉の竹藪である。本所七不思議の一つに當る狸の莫迦囃子と云ふものはこの藪の中から聞えるらしい。少くとも保吉は誰(たれ)に聞いたのか、狸の莫迦囃子の聞えるのは勿論、おいてき堀や片葉の葭(よし)も御竹倉にあるものと確信してゐた。が、今はこの氣味の惡い藪も狸などは何處かへ逐い拂つたやうに、日の光の澄んだ風の中に黄ばんだ竹の秀(ほ)をそよがせてゐる。

「坊ちやん、これを御存知ですか?」

 つうや(保吉は彼女をかう呼んでゐた)は彼を顧みながら、人通りの少い道の上を指(ゆびさ)した。土埃(つちほこり)の乾いた道の上には可也太い線が一すぢ、薄うすと向うへ走つてゐる。保吉は前にも道の上にかう云ふ線を見たやうな氣がした。しかし今もその時のやうに何かと云ふことはわからなかつた。

「何でせう? 坊ちやん、考へて御覽なさい。」

 これはつうやの常套手段である。彼女は何を尋ねても、素直に教へたと云ふことはない。必ず一度は嚴格に「考へて御覽なさい」を繰り返すのである。嚴格に――けれどもつうやは母のやうに年をとつてゐた訣でもなんでもない。やつと十五か十六になつた、小さい泣黒子のある小娘である。もとより彼女のかう云つたのは少しでも保吉の教育に力を添えたいと思つたのであらう。彼もつうやの親切には感謝したいと思つてゐる。が、彼女もこの言葉の意味をもつとほんたうに知つてゐたとすれば、きつと昔ほど執拗に何にでも「考へて御覽なさい」を繰り返す愚だけは免れたであらう。保吉は爾來三十年間、いろいろの問題を考へて見た。しかし何もわからないことはあの賢いつうやと一しよに大溝の往來を歩いた時と少しも變つてはゐないのである。………

「ほら、こつちにももう一つあるでしやう? ねえ、坊ちやん、考へて御覽なさい。このすじは一體何でせう?」

 つうやは前のやうに道の上を指(ゆびさ)した。成程同じ位太い線が三尺ばかりの距離を置いたまま、土埃(つちほこり)の道を走つてゐる。保吉は嚴肅に考へて見た後(のち)、とうとうその答を發明した。

「何處かの子がつけたんだらう、棒か何か持つて來て?」

「それでも二本竝んでゐるでせう?」

「だつて二人でつけりや二本になるもの。」

 つうやはにやにや笑ひながら、「いいえ」と云ふ代りに首を振つた。保吉は勿論不平だつた。しかし彼女は全知である。云わば Delphi の巫女(みこ)である。道の上の祕密もとうの昔に看破してゐるのに違ひない。保吉はだんだん不平の代りにこの二すじの線に對する驚異の情を感じ出した。

「ぢや何さ、このすぢは?」

「何でしやう? ほら、ずつと向うまで同じやうに二すじ竝んでゐるでせう?」

 實際つうやの云ふ通り、一すぢの線のうねつてゐる時には、向うに横たわつたもう一すぢの線もちやんと同じやうにうねつてゐる。のみならずこの二すぢの線は薄白い道のつづいた向うへ、永遠そのもののやうに通じてゐる。これは一體何のために誰(たれ)のつけた印であらう? 保吉は幻燈の中に映る蒙古の大沙漠を思ひ出した。二すぢの線はその大沙漠にもやはり細ぼそとつづいてゐる。………

「よう、つうや、何だつて云へば?」

「まあ、考へて御覽なさい。何か二つ揃つてゐるものですから。――何でせう、二つ揃つてゐるものは?」

 つうやもあらゆる巫女のやうに漠然と暗示を與へるだけである。保吉はいよいよ熱心に箸とか手袋とか太鼓の棒とか二つあるものを竝べ出した。が、彼女はどの答にも容易に滿足を表はさない。ただ妙に微笑したぎり、不相變「いいえ」を繰り返してゐる。

「よう、教へておくれやう。ようつてば。つうや。莫迦つうやめ!」

 保吉はとうとう癇癪を起した。父さへ彼の癇癪には滅多に戰(たゝかひ)を挑んだことはない。それはずつと守りをつづけたつうやも亦重々承知してゐるが、彼女はやつとおごそかに道の上の祕密を説明した。

「これは車の輪の跡です。」

 これは車の輪の跡です! 保吉は呆氣にとられたまま、土埃の中に斷續した二すぢの線を見まもつた。同時に大沙漠の空想などは蜃氣樓のやうに消滅した。今は唯泥だらけの荷車が一臺、寂しい彼の心の中におのづから車輪をまわしてゐる。………

 保吉は未だにこの時受けた、大きい教訓を服膺(ふくよう)してゐる。[やぶちゃん後注5]三十年來考へて見ても、何一つ碌にわからないのはむしろ一生の幸福かも知れない。

 

     三 死

 

 これもその頃の話である。晩酌の膳に向つた父は六兵衞の盞(さかづき)を手にしたまま、何かの拍子にかう云つた。[やぶちゃん後注6及び7]

「とうとうお目出度なつたさうだな、ほら、あの槇町の二弦琴の師匠も。……」

 ランプの光は鮮かに黒塗りの膳の上を照らしてゐる。かう云ふ時の膳の上ほど、美しい色彩に溢れたものはない。保吉は未だに食物の色彩――鮞脯(からすみ)だの燒海苔だの酢蠣(すがき)だの辣薑(らつきよう)だのの色彩を愛してゐる。尤も當時愛したのはそれ程品の好(い)い色彩ではない。むしろ惡どい刺戟に富んだ、生なましい色彩ばかりである。彼はその晩も膳の前に、一摑みの海髮(うご)を枕にしためじの刺身を見守つてゐた。[やぶちゃん後注8及び9]すると微醺(びくん)を帶びた父は彼の藝術的感興をも物質的欲望と解釋したのであらう、象牙の箸をとり上げたと思ふと、わざと彼の鼻の上へ醤油の匀のする刺身を出した。彼は勿論一口に食つた。それから感謝の意を表する爲、かう父へ話しかけた。

「さつきはよそのお師匠さん、今度は僕がお目出度なつた!」

 父は勿論、母や伯母も一時にどつと笑ひ出した。が、必ずしもその笑ひは機智に富んだ彼の答を了解した爲ばかりでもないやうである。この疑問は彼の自尊心に多少の不快を感じさせた。けれども父を笑はせたのは兎に角大手柄には違ひない。且又家中を陽氣にしたのもそれ自身甚だ愉快である。保吉は忽ち父と一しよに出來るだけ大聲に笑ひ出した。

 すると笑ひ聲の靜まつた後(のち)、父はまだ微笑を浮べたまま、大きい手に保吉の頸すじをたたいた。

「お目出度なると云ふことはね、死んでしまうと云ふことだよ。」

 あらゆる答は鋤(すき)のやうに問(とひ)の根を斷つてしまうものではない。むしろ古い問の代りに新らしい問を芽ぐませる木鋏(きばさみ)の役にしか立たぬものである。三十年前の保吉も三十年後の保吉のやうに、やつと答を得たと思ふと、今度はそのまた答の中に新しい問を發見した。

「死んでしまうつて、どうすること?」

「死んでしまうと云ふことはね、ほら、お前は蟻を殺すだろう。………」

 父は氣の毒にも丹念に死と云ふものを説明し出した。が、父の説明も少年の論理を固守する彼には少しも滿足を與えなかつた。なるほど彼に殺された蟻の走らないことだけは確かである。けれどもあれは死んだのではない。唯彼に殺されたのである。死んだ蟻と云ふ以上は格別彼に殺されずとも、ぢつと走らずにゐる蟻でなければならぬ。さう云ふ蟻には石燈籠の下や冬靑(もち)の木の根もとにも出合つた覺えはない。しかし父はどう云ふ譯か、全然この差別を無視してゐる。………

「殺された蟻は死んでしまつたのさ。」

「殺されたのは殺されただけじやないの?」

「殺されたのも死んだのも同じことさ。」

「だつて殺されたのは殺されたつて云ふもの。」

「云つても何でも同じことなんだよ。」

「違ふ。違ふ。殺されたのと死んだのとは同じぢやない。」

「莫迦、何と云ふわからないやつだ。」

 父に叱られた保吉の泣き出してしまつたのは勿論である。が、如何に叱られたにしろ、わからないことのわかる道理はない。彼はその後數箇月の間、丁度ひとかどの哲學者のやうに死と云ふ問題を考へつづけた。死は不可解そのものである。殺された蟻は死んだ蟻ではない。それにも關らず死んだ蟻である。このくらい祕密の魅力に富んだ、摑(つかま)へ所のない問題はない。保吉は死を考へる度に、或日囘向院の境内に見かけた二匹の犬を思ひ出した。あの犬は入り日の光の中に反對の方角へ顏を向けたまま、一匹のやうにぢつとしてゐた。のみならず妙に嚴肅だつた。死と云ふものもあの二匹の犬と何か似た所を持つてゐるのかも知れない。………

 すると或火ともし頃である。保吉は役所から歸つた父と、薄暗い風呂にはひつてゐた。はひつてゐたとは云ふものの、體などを洗つてゐたのではない。唯胸ほどある据(す)え風呂の中に恐る恐る立つたなり、白い三角帆を張つた帆前船の處女航海をさせてゐたのである。其處へ客か何か來たのであらう、鶴よりも年上の女中が一人、湯氣の立ちこめた硝子(ガラス)障子をあけると、石鹸だらけになつてゐた父へ旦那樣何とかと聲をかけた。父は海綿を使つたまま、「よし、今行く」と返事をした。それから又保吉へ顏を見せながら、「お前はまだはいつてお出(いで)。今お母さんがはひるから」と云つた。勿論父のゐないことは格別帆前船の處女航海に差支へを生ずる次第でもない。保吉はちよつと父を見たぎり、「うん」と素直に返事をした。

 父は體を拭いてしまふと、濡れ手拭を肩にかけながら、「どつこいしよ」と太い腰を起した。保吉はそれでも頓着(とんぢやく)せずに帆前船の三角帆を直してゐた。が、硝子障子のあいた音にもう一度ふと目を擧げると、父は丁度湯氣の中に裸の背中を見せたまま、風呂場の向うへ出る所だつた。父の髮はまだ白い譯ではない。腰も若いもののやうにまつ直である。しかしさう云ふ後ろ姿はなぜか四歳の保吉の心にしみじみと寂しさを感じさせた。「お父さん」――一瞬間帆前船を忘れた彼は思はずさう呼びかけやうとした。けれども二度目の硝子戸の音は靜かに父の姿を隱してしまつた。あとには唯湯の匀に滿ちた薄明りの廣がつてゐるばかりである。

 保吉はひつそりした据え風呂の中に茫然と大きい目を開いた。同時に從來不可解だつた死と云ふものを發見した。――死とはつまり父の姿の永久に消えてしまふことである!

 

       四 海

 

 保吉の海を知つたのは五歳か六歳の頃である。尤も海とは云ふものの、萬里の大洋を知つたのではない。唯大森の海岸に狹苦しい東京灣を知つたのである。しかし狹苦しい東京灣も當時の保吉には驚異だつた。奈良朝の歌人は海に寄せる戀を「大船(おほふね)の香取の海に碇おろしいかなる人かもの思はざらん」と歌つた。[やぶちゃん後注10]保吉は勿論戀も知らず、萬葉集の歌などと云ふものはなおさら一つも知らなかつた。が、日の光りに煙つた海の何か妙にもの悲しい神祕を感じさせたのは事實である。彼は海へ張り出した葭簾張(よしずば)りの茶屋の手すりにいつまでも海を眺めつづけた。海は白じろと赫(かゞや)いた帆かけ船を何艘も浮かべてゐる。長い煙を空へ引いた二本マストの汽船も浮かべてゐる。翼の長い一群の鷗は丁度猫のやうに啼きかはしながら、海面を斜めに飛んで行つた。あの船や鷗は何處から來、何處へ行つてしまふのであらう? 海は唯幾重(いくへ)かの海苔粗朶(のりそだ)の向うに靑(あを)あをと煙(けむ)つてゐるばかりである。………

 けれども海の不可思議を一層鮮かに感じたのは裸になつた父や叔父と遠淺の渚へ下りた時である。保吉は初め砂の上へ靜かに寄せて來るさざ波を怖れた。が、それは父や叔父と海の中へはひりかけたほんの二三分の感情だつた。その後(ご)の彼はさざ波は勿論、あらゆる海の幸を享樂した。茶屋の手すりに眺めてゐた海はどこか見知らぬ顏のやうに、珍らしいと同時に無氣味だつた。――しかし干潟に立つて見る海は大きい玩具箱(おもちやばこ)と同じことである。玩具箱! 彼は實際神のやうに海と云ふ世界を玩具(おもちや)にした。蟹や寄生貝(やどかり)は眩(まば)ゆい干潟を右往左往に歩いてゐる。浪は今彼の前へ一ふさの海草を運んで來た。あの喇叭に似てゐるのもやはり法螺貝と云ふのであらうか? この砂の中に隱れてゐるのは淺蜊と云ふ貝に違ひない。………

 保吉の享樂は壯大だつた。けれどもかう云ふ享樂の中にも多少の寂しさのなかつた譯ではない。彼は從來海の色を靑いものと信じてゐた。兩國の「大平(だいへい)」に賣つてゐる月耕(げつかう)や年方(としかた)の錦繪(にしきゑ)をはじめ、當時流行の石版畫(せいきばんゑ)の海はいずれも同じやうにまつ靑だつた。殊に縁日の「からくり」の見せる黄海の海戰の光景などは黄海と云ふのにも關らず、毒々しいほど靑い浪に白い浪がしらを躍らせてゐた。[やぶちゃん後注11・12・13・14]しかし目前の海の色は――なるほど目前の海の色も沖だけは靑(あを)あをと煙(けむ)つてゐる。が、渚に近い海は少しも靑い色を帶びてゐない。正にぬかるみのたまり水と選ぶ所のない泥色(どろいろ)をしてゐる。いや、ぬかるみのたまり水よりも一層鮮かな代赭色(たいしやいろ)をしてゐる。彼はこの代赭色の海に豫期を裏切られた寂しさを感じた。しかし又同時に勇敢にも殘酷な現實を承認した。海を靑いと考へるのは沖だけ見た大人の誤りである。これは誰でも彼のやうに海水浴をしさへすれば、異存のない眞理に違ひない。海は實は代赭色をしてゐる。バケツの錆に似た代赭色をしてゐる。

 三十年前(ぜん)の保吉の態度は三十年後の保吉にもそのまま當嵌る態度である。代赭色の海を承認するのは一刻も早いのに越したことはない。且又この代赭色の海を靑い海に變えやうとするのは所詮徒勞に畢(をは)るだけである。それよりも代赭色の海の渚に美しい貝を發見しやう。海もそのうちには沖のやうに一面に靑あおとなるかも知れない。が、將來に惝(あこが)れるよりもむしろ現在に安住しやう。――保吉は豫言者的精神に富んだ二三の友人を尊敬しながら、しかもなほ心の一番底には不相變ひとりかう思つてゐる。

 大森の海から歸つた後(のち)、母はどこかへ行つた歸りに「日本昔噺」の中にある「浦島太郎」を買つて來てくれた。かう云ふお伽噺を讀んで貰ふことの樂しみだつたのは勿論である。が、彼はそのほかにももう一つ樂しみを持ち合せてゐた。それはあり合せの水繪具に一々插繪を彩ることだつた。彼はこの「浦島太郎」にも早速彩色(さいしき)を加へることにした。「浦島太郎」は一册の中(うち)に十ばかりの插繪を含んでゐる。彼はまづ浦島太郎の龍宮を去るの圖を彩りはじめた。龍宮は緑の屋根瓦に赤い柱のある宮殿である。乙姫は――彼はちよつと考へた後(のち)、乙姫もやはり衣裳だけは一面に赤い色を塗ることにした。浦島太郎は考へずとも好(い)い、漁夫の着物は濃い藍色、腰蓑は薄い黄色である。唯細い釣竿にずつと黄色をなするのは存外彼にはむづかしかつた。蓑龜も毛だけを緑に塗るのは中中なまやさしい仕事ではない。最後に海は代赭色である。バケツの錆に似た代赭色である。――保吉はかう云ふ色彩の調和に藝術家らしい滿足を感じた。殊に乙姫や浦島太郎の顏へ薄赤い色を加へたのは頗る生動の趣でも傳えたもののやうに信じてゐた。

 保吉は匇匇母のところへ彼の作品を見せに行つた。何か縫ものをしてゐた母は老眼鏡の額(ひた)越しに插繪の彩色へ目を移した。彼は當然母の口から褒め言葉の出るのを豫期してゐた。しかし母はこの彩色にも彼ほど感心しないらしかつた。

「海の色は可笑しいねえ。なぜ靑い色に塗らなかつたの?」

「だつて海はかう云ふ色なんだもの。」

「代赭色の海なんぞあるものかね。」

「大森の海は代赭色ぢやないの?」

「大森の海だつてまつ靑だあね。」

「ううん、ちやうどこんな色をしてゐた。」

 母は彼の強情さ加減に驚嘆を交へた微笑を洩らした。が、どんなに説明しても、――いや、癇癪を起して彼の「浦島太郎」を引き裂いた後さへ、この疑ふ餘地のない代赭色の海だけは信じなかつた。………

「海」の話はこれだけである。もつとも今日の保吉は話の體裁を整える爲に、もつと小説の結末らしい結末をつけることも困難ではない。たとへば話を終る前に、かう云ふ數行をつけ加へるのである。――「保吉は母との問答の中にもう一つ重大な發見をした。それは誰(たれ)も代赭色の海には、――人生に横わる代赭色の海にも目をつぶり易いと云ふことである。」

 けれどもこれは事實ではない。のみならず滿潮は大森の海にも靑い色の浪を立たせてゐる。すると現實とは代赭色の海か、それともまた靑い色の海か? 所詮は我々のリアリズムも甚だ當にならぬと云ふ外はない。かたがた保吉は前のやうな無技巧に話を終ることにした。が、話の體裁は?――藝術は諸君の云ふやうに何よりもまず内容である。形容などはどうでも差支へない。

 

      五 幻 燈

 

「このランプへかう火をつけて頂きます。」

 玩具屋の主人は金屬製のランプへ黄色いマツチの火をともした。それから幻燈の後ろの戸をあけ、そつとそのランプを器械の中へ移した。七歳の保吉は息もつかずに、テエブルの前へ及び腰になつた主人の手もとを眺めてゐる。綺麗に髮を左から分けた、妙に色の蒼白い主人の手もとを眺めてゐる。時間はやつと三時頃であらう。玩具屋(おもちや)の外の硝子戸は一ぱいに當つた日の光りの中に絶え間のない人通りを映してゐる。が、玩具屋の店の中は――殊にこの玩具の空箱などを無造作に積み上げた店の隅は日の暮の薄暗さと變りはない。保吉は此處へ來た時に何か氣味惡さに近いものを感じた。しかし今は幻燈に――幻燈を映して見せる主人にあらゆる感情を忘れてゐる。いや、彼の後ろに立つた父の存在さへ忘れてゐる。

「ランプを入れて頂きますと、あちらへああ月が出ますから、――」

 やつと腰を起した主人は保吉と云ふよりも寧ろ父へ向うの白壁(しらかべ)を指(ゆびさ)し示した。幻燈はその白壁の上へ丁度差渡し三尺ばかりの光りの圓を描いてゐる。柔かに黄ばんだ光りの圓はなるほど月に似てゐるかも知れない。が、白壁の蜘蛛の巣や埃も其處だけはありありと目に見えてゐる。

「こちらへかう畫(ゑ)をさすのですな。」

 かたりと云ふ音の聞えたと思ふと、光りの圓はいつの間にかぼんやりと何か映してゐる。保吉は金屬の熱する匂に一層好奇心を刺戟されながら、ぢつとその何かへ目を注いだ。何か、――まだ其處に映つたものは風景か人物かも判然しない。唯僅かに見分けられるのははかない石鹸玉(しやぼんだま)に似た色彩である。いや、色彩の似たばかりではない。この白壁に映つてゐるのはそれ自身大きい石鹸玉である。夢のやうに何處からか漂つて來た薄明りの中の石鹸玉である。

「あのぼんやりしてゐるのはレンズのピントを合せさへすれば――この前にあるレンズですな。――直(すぐ)に御覽の通りはつきりなります。」

 主人はもう一度及び腰になつた。と同時に石鹸玉は見る見る一枚の風景畫に變つた。もつとも日本の風景畫ではない。水路の兩側に家家の聳えた何處か西洋の風景畫である。時刻はもう日の暮に近い頃であらう。三日月は右手の家家の空にかすかに光りを放つてゐる。その三日月も、家家も、家家の窓の薔薇の花も、ひつそりと湛へた水の上へ鮮かに影を落してゐる。人影は勿論、見渡したところ鷗一羽浮んでゐない。水は唯突當りの橋の下へまつ直に一すぢつづいてゐる。

「イタリヤのベニスの風景でございます。」

 三十年後の保吉にヴェネチアの魅力を教へたのはダンヌンチオの小説である。けれども當時の保吉はこの家家だの水路だのに唯たよりのない寂しさを感じた。彼の愛する風景は大きい丹塗りの觀音堂の前に無數の鳩の飛ぶ淺草である。或は又高い時計臺の下に鐵道馬車の通る銀座である。それらの風景に比べると、この家家だの水路だのは何と云ふ寂しさに滿ちてゐるのであらう。鐵道馬車や鳩は見えずとも好(い)い。せめては向うの橋の上に一列の汽車でも通つてゐたら、――丁度かう思つた途端である。大きいリボンをした少女が一人、右手に竝んだ窓の一つから突然小さい顏を出した。どの窓かははつきり覺えてゐない。しかし大體三日月の下の窓だつたことだけは確かである。少女は顏を出したと思ふと、さらにその顏をこちらへ向けた。それから――遠目にも愛くるしい顏に疑ふ餘地のない頰笑みを浮かべた! が、それは掛け價のない一二秒の間の出來ごとである。思はず「おや」と目を見はつた時には、少女はもういつのまにか窓の中へ姿を隱したのであらう。窓はどの窓も同じやうに人氣のない窓かけを垂らしてゐる。………

「さあ、もう映しかたはわかつたらう?」

 父の言葉は茫然とした彼を現實の世界へ呼び戻した。父は葉卷を啣へたまま、退屈さうに後ろに佇んでゐる。玩具屋の外の往來も不相變人通りを絶たないらしい。主人も――綺麗に髮を分けた主人は小手調べをすませた手品師のやうに、妙な蒼白い頰のあたりへ滿足の微笑を漂わせてゐる。保吉は急にこの幻燈を一刻も早く彼の部屋へ持つて歸りたいと思ひ出した。………

 保吉はその晩父と一しよに蠟を引いた布の上へ、もう一度ヴェネチアの風景を映した。中空の三日月、兩側の家家、家家の窓の薔薇の花を映した一すぢの水路の水の光り、――それは皆前に見た通りである。が、あの愛くるしい少女だけはどうしたのか今度は顏を出さない。窓と云ふ窓はいつまで待つても、だらりと下つた窓かけの後(うしろ)に家々の祕密を封じてゐる。保吉はとうとう待ち遠しさに堪へかね、ランプの具合などを氣にしてゐた父へ歎願するやうに話しかけた。

「あの女の子はどうして出ないの?」

「女の子? 何處かに女の子がゐるのかい?」

 父は保吉の問の意味さへ、はつきりわからない樣子である。

「ううん、ゐはしないけれども、顏だけ窓から出したぢやないの?」

「いつさ?」

「玩具屋の壁へ映した時に。」

「あの時も女の子なんぞは出やしないさ。」

「だつて顏を出したのが見えたんだもの。」

「何を云つてゐる?」

 父は何と思つたか保吉の額へ手のひらをやつた。それから急に保吉にもつけ景氣(けいき)とわかる大聲を出した。

「さあ、今度は何を映さう?」

 けれども保吉は耳にもかけず、ヴェネチアの風景を眺めつづけた。窓は薄明るい水路の水に靜かな窓かけを映してゐる。しかしいつかは何處かの窓から、大きいリボンをした少女が一人、突然顏を出さぬものでもない。――彼はかう考へると、名状の出來ぬ懷しさを感じた。同時に從來知らなかつた或る嬉しい悲しさをも感じた。あの畫(ゑ)の幻燈の中にちらりと顏を出した少女は實際何か超自然の靈が彼の目に姿を現わしたのであらうか? 或は又少年に起り易い幻覺の一種に過ぎなかつたのであらうか? それは勿論彼自身にも解決出來ないのに違ひない。が、兎に角保吉は三十年後の今日(こんにち)さへ、しみじみ塵勞に疲れた時にはこの永久に歸つて來ないヴェネチアの少女を思ひ出してゐる、丁度何年も顏をみない初戀の女人でも思ひ出すやうに。

 

       六 お母さん

 

 八歳か九歳の時か、とにかくどちらかの秋である。陸軍大將の川島は囘向院の濡れ佛の石壇の前に佇みながら、味かたの軍隊を檢閲した。もつとも軍隊とは云ふものの、味かたは保吉とも四人しかゐない。それも金釦の制服を着た保吉一人を例外に、あとはことごとく紺飛白(こんがすり)や目くら縞の筒袖を着てゐるのである。

 これは勿論國技館の影の境内に落ちる囘向院ではない。まだ野分(のわけ)の朝などには鼠小僧の墓のあたりにも銀杏(いてふ)落葉の山の出來る二昔前の囘向院である。妙に鄙びた當時の景色――江戸と云ふよりも江戸のはずれの本所と云ふ當時の景色はとうの昔に消え去つてしまつた。しかし唯鳩だけは同じことである。いや、鳩も違つてゐるかも知れない。その日も濡れ佛の石壇のまはりは殆んど鳩で一ぱいだつた。が、どの鳩も今日のやうに小綺麗に見えはしなかつたらしい。「門前の土鳩を友や樒賣(しきみう)り」――かう云ふ天保の俳人の作は必ずしも囘向院の樒賣りをうたつたものとは限らないであらう。[やぶちゃん後注15]けれども保吉はこの句さへ見れば、いつも濡れ佛の石壇のまはりにごみごみ群がつてゐた鳩を、――喉の奧にこもる聲に薄日の光りを震わせてゐた鳩を思ひ出さずにはゐられないのである。

 鑢屋(やすりや)の子の川島は悠々と檢閲を終つた後(のち)、目くら縞の懷ろからナイフだのパチンコだのゴム鞠だのと一しよに一束の畫札(ゑふだ)を取り出した。これは駄菓子屋に賣つてゐる行軍將棋の畫札である。川島は彼等に一枚ずつその畫札を渡しながら、四人の部下を任命(?)した。此處にその任命を公表すれば、桶屋の子の平松は陸軍少將、巡査の子の田宮は陸軍大尉、小間物屋の子の小栗(をぐり)は唯の工兵、堀川保吉は地雷火(ぢらいくわ)である。地雷火は惡い役ではない。ただ工兵にさへ出合はなければ、大將をも俘(とりこ)に出來る役である。保吉は勿論得意だつた。が、圓(まろ)まろと肥つた小栗は任命の終るか終らないのに、工兵になる不平を訴へ出した。

「工兵ぢやつまらないなあ。やう、川島さん。あたいも地雷火にしておくれよ、やう。」

「お前はいつだつて俘になるじやないか?」

 川島は眞顏にたしなめた。けれども小栗はまつ赤になりながら、少しも怯(ひる)まずに云ひ返した。

「嘘をついてゐらあ。この前に大將を俘にしたのだつてあたいぢやないか?」

「さうか? ぢやこの次には大尉にしてやる。」

 川島はにやりと笑つたと思ふと、たちまち小栗を懷柔した。保吉は未にこの少年の惡智慧の鋭さに驚いてゐる。川島は小學校も終らないうちに、熱病の爲に死んでしまつた。が、萬一死なずにゐた上、幸ひにも教育を受けなかつたとすれば、少くとも今は年少氣鋭の市會議員か何かになつてゐた筈である。……

「開戰!」

 この時かう云ふ聲を擧げたのは表門の前に陣取つた、やはり四五人の敵軍である。敵軍はけふも辯護士の子の松本を大將にしてゐるらしい。紺飛白の胸に赤シャツを出した、髮の毛を分けた松本は開戰の合圖をする爲か、高だかと學校帽をふりまはしてゐる。

「開戰!」

 畫札を握つた保吉は川島の號令のかかると共に、誰(たれ)よりも先へ吶喊(とつかん)した。同時にまた靜かに群がつてゐた鳩は夥しい羽音を立てながら、大まはりに中ぞらへ舞い上つた。それから――それからは未曾有の激戰である。硝煙は見る見る山をなし、敵の砲彈は雨のやうに彼等のまはりへ爆發した。しかし味かたは勇敢にぢりぢり敵陣へ肉薄した。尤も敵の地雷火は凄まじい火柱をあげるが早いか、味かたの少將を粉微塵にした。が、敵軍も大佐を失い、その次にはまた保吉の恐れる唯一の工兵を失つてしまつた。これを見た味かたは今までよりも一層猛烈に攻撃をつづけた。――と云ふのは勿論事實ではない。ただ保吉の空想に映じた囘向院の激戰の光景である。けれども彼は落葉だけ明るい、もの寂びた境内を驅けまはりながら、ありありと硝煙の匀を感じ、飛び違ふ砲火の閃きを感じた。いや、或時は大地の底に爆發の機會を待つてゐる地雷火の心さへ感じたものである。かう云ふ溌溂(はつらつ)とした空想は中學校へはいつた後(のち)、いつの間にか彼を見離してしまつた。今日(こんにち)の彼は戰(いくさ)ごつこの中に旅順港の激戰を見ないばかりではない、むしろ旅順港の激戰の中にも戰ごつこを見てゐるばかりである。しかし追憶は幸ひにも少年時代へ彼を呼び返した。彼はまづ何を措(お)いても、當時の空想を再びする無上の快樂を捉へなければならぬ。――

 硝煙は見る見る山をなし、敵の砲彈は雨のやうに彼等のまはりへ爆發した。保吉はその中を一文字に敵の大將へ飛びかかつた。敵の大將は身を躱(かは)すと、一散に陣地へ逃げこまうとした。保吉はそれへ追ひすがつた。と思ふと石に躓いたのか、俯向(うつむ)けに其處へ轉んでしまつた。同時に又勇ましい空想も石鹸玉(しやぼんだま)のやうに消えてしまつた。もう彼は光榮に滿ちた一瞬間前の地雷火ではない。顏は一面に鼻血にまみれ、ズボンの膝は大穴のあいた、帽子も何もない少年である。彼はやつと立ち上ると、思はず大聲に泣きはじめた。敵味方の少年はこの騷ぎに折角の激戰も中止したまま、保吉のまはりへ集まつたらしい。「やあ、負傷した」と云ふものもある。「仰向けにおなりよ」と云ふものもある。「おいらのせいぢやなあい」と云ふものもある。が、保吉は痛みよりも名状の出來ぬ悲しさの爲に、二の腕に顏を隱したなり、愈(いよ/\)懸命に泣きつづけた。すると突然耳もとに嘲笑の聲を擧げたのは陸軍大將の川島である。

「やあい、お母さんて泣いてゐやがる!」

 川島の言葉は忽ちのうちに敵味方の言葉を笑ひ聲に變じた。殊に大聲に笑ひ出したのは地雷火になり損つた小栗である。

「可笑しいな。お母さんて泣いてゐやがる!」

 けれども保吉は泣いたにもせよ、「お母さん」などと云つた覺えはない。それを云つたやうに誣(し)ひるのはいつもの川島の意地惡である。――かう思つた彼は悲しさにも増した口惜(くや)しさに一ぱいになつたまま、更に又震え泣きに泣きはじめた。しかしもう意氣地(いくぢ)のない彼には誰(たれ)一人好意を示すものはゐない。のみならず彼等は口口(くちぐち)に川島の言葉を眞似しながら、ちりぢりにどこかへ駈け出して行つた。

「やあい、お母さんつて泣いてゐやがる!」

 保吉は次第に遠ざかる彼等の聲を憎み憎み、いつか又彼の足もとへ下りた無數の鳩にも目をやらずに、永い間啜り泣きをやめなかつた。………

 保吉は爾來この「お母さん」を全然川島の發明した譃とばかり信じてゐた。處が丁度三年以前、上海へ上陸すると同時に、東京から持ち越したインフルエンザの爲に或病院へはひることになつた。[やぶちゃん後注16]熱は病院へはいつた後(のち)も容易に彼を離れなかつた。彼は白い寢臺の上に朦朧とした目を開いたまま、蒙古の春を運んで來る黄沙の凄じさを眺めたりしてゐた。するとある蒸暑い午後、小説を讀んでゐた看護婦は突然椅子を離れると、寢臺の側へ歩み寄りながら、不思議さうに彼の顏を覗きこんだ。

「あら、お目覺になつていらつしやるんですか?」

「どうして?」

「だつて今お母さんつて仰有つたぢやありませんか?」

 保吉はこの言葉を聞くが早いか、囘向院の境内を思ひ出した。川島も或は意地の惡い譃をついたのではなかつたかも知れない。

 

■やぶちゃん後注

1:パンス・ネエ

 pince-nez。フランス語で「鼻眼鏡」。

 

2:Essai sur les ……

 フランス語で「……についての試論」または「……についての随想」という書名。

 

3:葡萄餠

 筑摩書房全集類聚版注によると、「干しぶどうを入れた餅菓子」とある。屋台菓子の一種であろう。

 

4:二州樓

 両国橋の西岸にあった老舗の遊郭兼料亭。芥川の頃には、種々の物産陳列会や絵画展、活動写真公開(芥川龍之介「追憶」二十一参照)等の多目的ホールとしての機能も果たしていた。

 

5:服膺

 心にとどめて忘れないこと。胸に刻んで常に実行すること。

 

6:父

 これは勿論、芥川龍之介の実父ではない。養父の芥川道章である。既に「二 道の上の祕密」にもちらと出てきて、この後にも登場する「母」も同様に、養母の芥川儔(トモ)である。

 

7:六兵衞の盞

 筑摩書房全集類聚版注によって、本来、「京都市清水にいた江戸時代の陶工清水六兵衛の焼いた盃。」を指すが、ここは単に「清水焼の異称。」で取るべきであろう。

 

8:海髮

 紅藻類のオゴノリGracilaria vermiculophylla。オゴ、ウゴ、ナゴヤ等の異名を持つ。

 

9:めじ

 メジマグロのこと。メジマグロはクロマグロThunus thynnus orientalisの幼魚が更に少し大きくなった個体に対して用いられる。脂が少なく、江戸庶民には古くから好まれた。

 

10:「大船の香取の海に碇おろしいかなる人かもの思はざらん」

 作者は柿本人麻呂。「万葉集」巻第11の2436番歌で、『柿本人麻呂歌集』から撰された。上三句は「碇(いかり)」から「いかなる(如何なる)」を引き出すための、序詞である。更に言えば初句の「大船の」は「海」の枕詞である。

訳:……琵琶湖の香取の海に舟の碇を私はおろす……いかり……いかなる世の中の人でも、恋に思い悩まぬ人はおるまいなあ、この私でさえ、まさに恋に悩んでいるのだから……

 

11:「太平」

 筑摩書房全集類聚版注に「墨田区両国にあった絵草紙屋の名。」とある。

 

12:月耕

 筑摩書房全集類聚版注に「尾形月耕(1859~1920)。浮世絵画家。明治二十年前後、新聞の挿絵、雑誌の口絵、錦絵などに当世風俗を描き名をはせた。」とある。

 

13:年方

 浮世絵画家、月岡芳年(18591892)のこと。

 

14:黄海の海戦

 日清戦争に於いて日本が実質的な制海権を奪取した海戦。明治27(1894)年9月17日、日本連合艦隊と清国北洋艦隊が正午頃遭遇、交戦状態に入った。戦闘4時間、清国北洋艦隊は4隻が沈没、1隻が擱座(損壊して航行不能に陥ること)し、敗走した。日本側は多く被弾するも、沈没零。

 

15:天保の俳人

 幾つかの語で検索したが、作者不詳。筑摩書房全集類聚版注でも「未詳。」とする。

 

16:處が丁度三年以前、上海へ上陸すると同時に、東京から持ち越したインフルエンザの爲に或病院へはひることになつた。

 本作の脱稿は大正13(1924)年3月20日頃であるが、その丁度3年前である大正10(1921)年3月19日に芥川龍之介は大阪毎日新聞社海外視察員として、中国旅行の旅に出た。ところが、出発時からひいていた風邪が悪化した上に、門司からの船旅も激しくしけて船酔いし、大いに体調を崩した。上陸二日後の4月1日、乾性肋膜炎の診断を受けて上海の日本人経営の里見病院に入院した。退院は4月23日であった。