やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇へ
鬼火へ
ブログ コメントへ

死後   芥川龍之介

[やぶちゃん注:大正十四(1925)年九月発行の雑誌『改造』に掲載された。底本は岩波版旧全集を用いた。同全集の後記によると、『大正十四年九月十七日の瀧井孝作宛書簡に「「海のほとり」は兎も角も、「死後」は〆切り前一日で書いた。作者の考へによれば、夢でうちへ歸つて來るところから先は甚だ不満だ。本にする時あすこから先を直さうと思つてゐる。」とあり、同年九月二十九日の神崎清宛書簡に「尊臺の「黄色評論」中拙作「死後」の高評あり。あの結末は尊臺の贔屓眼に御らん下され候如く故意に筆を弄したるものには無之、單に〆切りに間に合せんと急ぎたる爲に御座候。本町二丁目の糸屋の娘にして恰も手れん手くだに富めるお職の如く思はるゝは面映ゆくも心外に存候間何とぞ新進の諸大家の傑作に限らず大戰後の西洋の文藝的貨物も大半は小生などの趣味には慊焉たるもののみに御座候」とある』と記す。また、最終文中の「フロイドは――」は、昭和二~四年発行の芥川龍之介全集以降は、この底本で復元されるまでずっと削除されていた。この削除は如何にも不審ではある。]

 

 死後

 

 ………僕は床へはいつても、何か本を讀まないと、寢つかれない習慣を持つてゐる。のみならずいくら本を讀んでも、寢つかれないことさへ稀ではない。かふ言ふ僕の枕もとにはいつも讀書用の電燈だのアダリン錠の罎だのが並んでゐる。その晩も僕はふだんのやうに本を二三册蚊帳の中へ持ちこみ、枕もとの電燈を明るくした。

 「何時?」

 これはとうに一寢入りした、隣の床にゐる妻の聲だつた。妻は赤兒に腕枕をさせ、ま橫にこちらを眺めてゐた。

 「三時だ。」

 「もう三時。あたし、まだ一時頃かと思つてゐた。」

 僕は好い加減な返事をしたきり、何ともその言葉に取り合はなかつた。

 「うるさい。うるさい、默つて寢ろ。」

 妻は僕の口眞似をしながら、小聲にくすくす笑つてゐた。が、しばらくたつたと思ふと、赤子の頭に鼻を押しつけ、いつかもう靜かに寢入つてゐた。

 僕はそちらを向いたまま、説教因緣除睡鈔と言ふ本を讀んでゐた。これは和漢天竺の話を享保頃の坊さんの集めた八卷ものの隨筆である。しかし面白い話は勿論、珍らしい話も滅多にない。僕は君臣、父母、夫婦と五倫部の話を讀んでゐるうちにそろそろ睡氣を感じ出した。それから枕もとの電燈を消し、ぢきに眠りに落ちてしまつた。――

 夢の中の僕は暑苦しい町をSと一しよに歩いてゐた。砂利を敷いた歩道の幅はやつと一間か九尺しかなかつた。それへ又どの家も同じやうにカアキイ色の日除けを張り出してゐた。

 「君が死ぬとは思はなかつた。」

 Sは扇を使ひながら、かう僕に話しかけた。一應は氣の毒に思つてゐても、その氣もちを露骨に表はすことは嫌つてゐるらしい話しぶりだつた。

 「君は長生きをしそうだつたがね。」

 「さうかしら?」

 「僕等はみんなさう言つてゐたよ。ええと、僕よりも五つ下だね、」とSは指を折つて見て、「三十四か? 三十四ぐらゐで死んだんぢや、」――それきり急に默つてしまつた。

 僕は格別死んだことを殘念に思つてはゐなかつた。しかし何かSの手前へも羞かしいやうには感じてゐた。

 「仕事もやりかけてゐたんだらう?」

 Sはもう一度遠慮勝ちに言つた。

 「うん、長いものを少し書きかけてゐた。」

 「細君は?」

 「達者だ。子供もこの頃は病氣をしない。」

 「そりやまあ何よりだね。僕なんぞもいつ死ぬかわからないが、……」

 僕はちよつとSの顏を眺めた。SはやはりS自身は死なずに僕の死んだことを喜んでゐる、――それをはつきり感じたのだつた。するとSもその瞬間に僕の氣もちを感じたと見え、厭な顏をして默つてしまつた。

 しばらく口を利かずに歩いた後、Sは扇に日を除けたまま、大きい罐づめ屋の前に立ち止つた。

 「ぢや僕は失敬する。」

 罐づめ屋の店には薄暗い中に白菊が幾鉢も置いてあつた。僕はその店をちらりと見た時、なぜか「ああ、Sの家は靑木堂の支店だつた」と思つた。

 「君は今お父さんと一しよにゐるの?」

 「ああ、この間から。」

 「ぢや又。」

 僕はSに別れてから、すぐにその次の橫町を曲つた。橫町の角の飾り窓にはオルガンが一台据ゑてあつた。オルガンは内部の見えるやうに側面の板だけはずしてあり、その又内部には靑竹の筒が何本も竪に並んでゐた。僕はこれを見た時にも、「成程、竹筒でも好い筈だ」と思つた。それから――いつか僕の家の門の前に佇んでゐた。

 古いくぐり門や黑塀は少しもふだんに變らなかつた。いや、門の上の葉櫻の枝さへきのふ見た時の通りだつた。が、新らしい標札には「櫛部寓」と書いてあつた。僕はこの標札を眺めた時、ほんとうに僕の死んだことを感じた。けれども門をはいることは勿論、玄關から奧へはひることも全然不德義とは感じなかつた。

 妻は茶の間の緣側に坐り、竹の皮の鎧を拵えてゐた。妻のゐまわりはそのために乾皮(ひそ)つた竹の皮だらけだつた。しかし膝の上にのせた鎧はまだ草摺りが一枚と胴としか出來上つてゐなかつた。

 「子供は?」と僕は坐るなり尋ねた。

 「きのふ伯母さんやおばあさんとみんな鵠沼へやりました。」

 「おぢいさんは?」

 「おぢいさんは銀行へいらしつたんでせう。」

 「ぢや誰もゐないのかい?」

 「ええ、あたしと靜やだけ。」

 妻は下を向いたまま、竹の皮に針を透してゐた。しかし僕はその聲に忽ち妻の譃を感じ、少し聲を荒ららげて言つた。

 「だつて櫛部寓つて標札が出てゐるぢやないか?」

 妻は驚いたやうに僕の顏を見上げた。その目はいつも叱られる時にする、途方に暮れた表情をしてゐた。

 「出てゐるだらう?」

 「ええ。」

 「ぢやその人はゐるんだね?」

 「ええ。」

 妻はすつかり悄氣てしまひ、竹の皮の鎧ばかりいぢつてゐた。

 「そりやゐてもかまはないさ。俺はもう死んでゐるんだし、――」

 僕は半ば僕自身を説得するやうに言ひつづけた。

 「お前だつてまだ若いんだしするから、そんなことは兎や角言ひはしない。唯その人さへちやんとしてゐれば、………」

 妻はもう一度僕の顏を見上げた。僕はその顏を眺めた時、とり返しのつかぬことの出來たのを感じた。同時に又僕自身の顏色も見る見る血の氣を失つたのを感じた。

 「ちやんとした人ぢやないんだね?」

 「あたしは惡い人とは思ひませんけれど、………」

 しかし妻自身も櫛部某に尊敬を持つてゐないことははつきり僕にわかつてゐた。ではなぜさう言ふものと結婚したか? それはまだ許せるとしても、妻は櫛部某の卑しいところに反つて氣安さを見出してゐる、――僕はそこに肚の底から不快に思はずにはゐられぬものを感じた。

 「子供に父と言わせられる人か?」

 「そんなことを言つたつて、………」

 「駄目だ、いくら辨解しても。」

 妻は僕の怒鳴るよりも前にもう袂に顏を隱し、ぶるぶる肩を震わせてゐた。

 「何と言ふ莫迦だ! それぢや死んだつて死に切れるものか。」

 僕はぢつとしてはゐられない氣になり、あとも見ずに書齋へはひつて行つた。すると書齋の鴨居の上に鳶口が一梃かかつてゐた。鳶口は柄を黑と朱との漆に卷き立ててあるものだつた。誰かこれを持つてゐたことがある、――僕はそんなことを思ひ出しながら、いつか書齋でも何でもない、枳殼垣に沿つた道を歩いてゐた。

 道はもう暮れかかつてゐた。のみならず道に敷いた石炭殼も霧雨か露かに濡れ透つてゐた。僕はまだ余憤を感じたまま、出來るだけ足早に歩いて行つた。が、いくら歩いて行つても、枳殼垣はやはり僕の行手に長ながとつづいてゐるばかりだつた。

 僕はおのづから目を覺ました。妻や赤子は不相變靜かに寢入つてゐるらしかつた。けれども夜はもう白みかけたと見え、妙にしんみりした蟬の聲がどこか遠い木に澄み渡つてゐた。僕はその聲を聞きながら、あした(實はけふ)頭の疲れるのを惧れ、もう一度早く眠らうとした。が、容易に眠られないばかりか、はつきり今の夢を思ひ出した。夢の中の妻は氣の毒にもうまらない役まわりを勤めてゐる。Sは實際でもああかも知れない。僕も、――僕は妻に對しては恐しい利己主義者になつてゐる。殊に僕自身を夢の中の僕と同一人格と考へれば、一層恐しい利己主義者になつてゐる。しかも僕自身は夢の中の僕と必しも同じでないことはない。フロイドは――僕は一つには睡眠を得る爲に、又一つには病的に良心の昂進するのを避けるために〇・五瓦のアダリン錠を嚥み、昏々とした眠りに沈んでしまつた。………