やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇へ
鬼火へ

和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類へ
和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部へ

和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部へ
和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚へ
和漢三才圖會 卷第五十  魚類 河湖無鱗魚へ
和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚へ
和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔類へ

和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚  寺島良安

               書き下し及び注記 copyright 2007 Yabtyan

 最終校訂2007年12月2日(最終作業2008年2月2日 午後8:23)

[やぶちゃん注:本ページは以前にブログに記載した私の構想している「和漢三才圖會」中の水族の部分の電子化プロジェクトの第三弾である。底本・凡例・電子化に際しての方針等々については、「和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部 寺島良安」の冒頭注の凡例を参照されたい。今回より、注の項目の間に空行を設け、読み易くした。この巻では「魚」の字やや(さかなへん)の(れっか)を「火」とする異体字が多くも通られているが、その注記は有意に使い分けをしていると思われる必要最小限の部分に留め、他は通用字体を用いた。]



■和漢三才圖會 有鱗魚 巻ノ四十八 ○ 一[やぶちゃん字注:「○ 一」の間、一字空け。]

 

和漢三才圖會卷第四十八之九目録

[やぶちゃん字注:「之九」は「四十の九」で四十九巻目の目録も兼ねている意味を示す。]

 

      河湖有鱗魚

  ※1部[やぶちゃん字注:底本では上下の標題はこの下にややポイント落ちで左右に入る。] 

      江海有鱗魚

[やぶちゃん字注:※1=「魚」の(れっか)を「火」に換える。以下、これと「魚」が入り乱れて使われる。]

 

△按魚【和名宇乎俗云伊乎】水中連行蟲之總名也説文云※1字象

 形※1尾與燕尾相似徐氏曰下火象尾而巳非風火之

 火或曰諸※1性屬火故字亦從火乎予曰如下爲火則

 上※2者何乎蓋古製字也天地人本有之物多象形※3

 ※4※5※6※7※8※9以可解疑

[やぶちゃん字注:「予」の字は底本では活字の縦半分の大きさ右に寄っている。※2=「魚」-(れっか)。以下は、象形の原型の右に文字を配する。※3は象形の右に「日」。※4は象形の右に「月」。※5は象形「艸」の右に「草」。※6は象形の右に「木」。※7は象形の右に「鳥」。※8は象形の右に「虫」(「蟲」ではない)。※9は象形の右に「※1」。以下に※3~※9の図を示す。]

五雜俎云凡魚之游皆逆水而上雖至細之鱗遇大水亦

搶而上鳥之飛亦多逆風蓋逆則其鱗羽順順則返逆矣

人之生於困苦而死於安樂亦猶是也或云※1春夏則逆

流秋冬則順流當再考之

廣博物志云鹹水之※1不遊於江淡水之魚不入於海魚

生流水中則脊鱗白生止水中則背鱗黑※1勞則尾赤人

《改ページ》

勞則髪白

 今釣海※1畜之以淡水則速死易鯘河魚※10〔→潅〕鹹水亦然

[やぶちゃん字注:※10=(つくり)の(ふるとり=「隹」)の上の部分が、「備」の(つくり)の「用」の上部。但し、これは「潅」の誤字であると思われる。]

 也播備之漁人多畜魚於船至攝湊者將死魚撰出之

 刺竹針於腴則活着湊者多矣是魚之針治也             行眞

      夫木 むは玉のよ川のふねのかゝりにはもに住魚の隠なき哉

凡生肉曰腥【俗云奈末】腥魚曰鮮【烏〔→鳥〕獸新殺皆曰鮮】老子經云治大國

若烹小鮮【音新】

凡魚肉爛者曰鯘【※11餒並同訓阿左留俗云左加留】論語云魚餒而肉敗

[やぶちゃん字注:※11=「月」+「妥」。]

 不食是也凡魚臭曰鮏【※12同】[やぶちゃん字注:※12=「魚」+「星」。]

凡※1死則浮於水死而經日則沈故自死曰外【阿加留】經日

 惡臭曰降【左加留】其鯘者曰腐

佐越奥羽等北海之魚肥大而味疎也攝泉播備等江海

 之魚堅小而味濃也蓋此困勞與安游之差也矣雖北

 海魚亦如鮭鱒者味最美也此泝於長江困苦也

和漢三才圖會卷第四十八の九目録

 

      河湖有鱗魚

  ※1部[やぶちゃん字注:底本では上下の標題はこの下にややポイント落ちで左右に入る。] 

      江海有鱗魚

[やぶちゃん字注:※1=「魚」の(れっか)を「火」に換える。]

 

△按ずるに魚は【和名、宇乎〔(うを)〕。俗に伊乎〔(いを)〕と云ふ。】水中連行する蟲の總名なり。「説文」に云ふ、『※1の字、形を象〔(かたど)〕る。※1の尾、燕の尾と相似たり。』と。徐氏が曰く、『火、下にする、尾に象(かたど)るのみ。風火の火に非ず。』と。或は曰く、『諸※1の性、火に屬す。故に字、亦、火に從ふか。』と。予、曰く、『如〔(も)〕し下(した)火と爲せば則ち上の「※2」は何ぞや。蓋し古〔(いにしへ)〕に字を製するや、天・地・人、本より之有る物の多くは形に象る。

、以て疑を解くべし。

「五雜俎」に云ふ、『凡そ魚の游、皆、水に逆(さから)ふ。上は至細の鱗(うろくづ)と雖も、大水に遇ふも亦、搶(つ)れて上る。鳥の飛ぶも亦た多くは風に逆らふ。蓋し逆らふ時は[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]、則ち其の鱗羽、順(□□□)□〔(したが)ひ〕、順なれば、則ち返りて逆らふ。人の困苦に生じて、安樂に死するも亦、猶ほ是〔(か)〕くのごときなり。』と。或は云ふ、『※1、春夏は則ち流れに逆らひ、秋冬は則ち流れに順ふ。當に再び之を考ふるべし。』と。

「廣博物志」に云ふ、『鹹水(しほみづ)の※1、江に遊ばず、淡水の魚、海に入らざるを、魚の流水の中に生ずれば、則ち脊の鱗白く、止水の中に生ずれば、則ち背の鱗黑し。※1、勞すれば、則ち尾赤く、人、勞すれば則ち髪白し。』と。

 今、海※1を釣りて之を畜〔(やしな)ふに〕、淡水を以てす□□〔→れば〕、則ち速く死して鯘(あさ)り易し。河魚、鹹水に潅〔(そそ)〕ぐも亦、然るなり。播〔=播州〕・備〔=備前・備中・備後〕の漁人、多く魚を船に畜(いけ)て攝〔=摂津〕の湊に至る者、將に死せんとする魚は、之を撰〔(えら)び〕出だし、竹針を腴(つちづり)に刺し、則ち活〔(いけ)〕しめ、湊に着く者多し。是れ、魚の針治〔(しんぢ)〕なり。

      「夫木」 むば玉のよ川のふねのかゞりにはもに住〔(む)〕魚の隠〔(れ)〕なき哉   行眞

凡て生肉を腥と曰ふ【俗に奈末と云ふ。】、腥魚、鮮(あたらし)と曰ふ【鳥獸新たに殺〔(しし)を〕皆、鮮と曰ふ。】。「老子經」に云ふ、『大國を治むるは、小鮮【音、新。】烹るがごとし。』と。

凡て魚肉の爛るるは、鯘(さが)ると曰ふ。【※11・餒、並びに同じ。阿左留と訓ず。俗に左加留と云ふ。】「論語」に云ふ、『魚餒(あさ)れて肉の敗れたるは食せず。』は是れなり。凡(すべ)て魚-臭(なまぐさ)きを鮏と曰ふ【※12、同じ。】

[やぶちゃん字注:※11=「月」+「妥」。※12=「魚」+「星」。]

凡て※1死すれば則ち水に浮く。死して日を經れば則ち沈む。故に自づから死するを外(あが)ると曰ふ【阿加留。】。日を經て-臭〔(くさ)〕きを降(さが)ると曰ふ【左加留。】。其の鯘る者を腐(くさ)ると曰ふ。

佐〔=佐渡〕・越〔=越前・越中・越後〕・奥羽等、北海の魚、肥大にして、味、疎なり。攝・泉〔=和泉〕・播・備等、江海の魚、堅小にして、味、濃し。蓋し此れ困勞と安游との差なり。北海魚と雖も亦、鮭・鱒のごとき者、味、最も美なり。此長江を泝(さかのぼ)り困苦すればなり。

[やぶちゃん注:魚類の総論。導入としては分かり易く、当時のレベルでの生態学的叙述や観察も、私には好感が持てる。象形の図は特に白文及び訓読の両方に配しておいた。

 『「説文」』は「説文解字」で、漢字の構成理論である六書(りくしょ)に従い、その原義を論ずることを体系的に試みた最初の字書。後漢の許慎の著。多出するので以下、注では省略する。

 「徐氏が曰く」は、五代十国の南唐の徐鍇(じょかい)の撰になる「説文」の注釈書からの引用。

 「風火」は仏教用語としての「四大」(しだい)、万物の構成要素たる地・水・風・火のエレメントを指し、それとは無縁で、ただ火の象形であり、神秘学的な意味はないという訳である。続く以下の「或は曰く」の内容は、いや、逆にそれに密接に関わった字義であるという主張であるが、プラグマティスト良安は、全面的に象形説を支持している。

 『「五雜俎」』は、「五雜組」とも書く。明の謝肇淛(しゃちょうせい)の16巻からなる随筆集であるが、ほとんど百科全書的内容を持ち、日本では江戸時代に愛読された。書名は五色の糸でよった組紐のこと。

 「搶れて上る」の「搶」は、突く、突き当てる、奪う、争い取るの意であるので、水流に突き上げられて浮上するの意味である。しかし、良安はどう見ても「連(つ)る」という動詞として、その水流に連れて、応じてと読んでいるようにしか思われない。

 『「廣博物志」』は明の董斯張(とうしちょう)撰になる奇談蒐集録。


 『「夫木」』は「夫木和歌抄」(1310年頃成立した藤原長清撰になる私撰和歌集)で、当該の和歌はその巻八の「夏二」に所収する。
本歌は「新編国歌大観」番号3157で、そこでは

   元治元年五日無動寺歌合、夜川   行真法師

うばたまのよかはの船のかがりにももにすむいをのかくれなきかな

という前書と表記を持つ。全体に意味を取りやすくするために更に底本表記に漢字を当てるならば、

むばたまの夜川の舟の篝りには藻に住む魚の隠れなき哉

となろう。言わずもがなであるが「むばたまの」は「夜」の枕詞。この詞書に現れる無動寺とは比叡山延暦寺の無動寺を指すか。さすれば「夜川」は比叡山根本中堂のある地名としての「横川」も意識の中にあろうかとも思われる。行真なる人物については不学にして知らないが、比叡山の僧であろうか。

 『「老子經」』は書物としての現在の「老子」と同一。「老子道徳経」若しくは単に「道徳経」とも言う。引用部分はその第六十に現れる。以下にその全文の原文・書き下し文・訳を掲げる。但し、この章は、一部に錯文の疑いがあることを断っておく。

治大國、若烹小鮮、以道莅天下、其鬼不神、非其鬼不神、其神不傷人。非其神不傷人、聖人亦不傷人。夫兩不相傷、故德交歸焉。

やぶちゃんによる書き下し文:大國を治むるは小鮮を烹るがごとし。道を以て天下に莅(のぞ)めば、其の鬼も神ならず。其の鬼の神ならざるに非らず。其の神も人を傷(そこな)はざるなり。其の神の人を傷はざるのみに非らず、聖人も亦た人を傷はず。夫れ兩つながら相ひ傷はず。故に德は交々焉(ここ)に歸す。

やぶちゃん訳:大国を治めるには、小魚を煮るようにするのがよい。(小魚を煮る際に、箸で突付き過ぎれば形が崩れてしまい、味も悪くなるからである。)無為自然の深遠なる宇宙原理である「道(タオ)」を以ってこの世界にのぞむならば、我々が名指すところの「鬼神」も「神」ではない。と同時に、「鬼神」が「神」でないということもないのである。(それは単に名指したに過ぎず、「鬼」も「神」も一如である。)故に、如何なる鬼神も善神も人を傷つけ得る存在でさえないということであり、それは同様に、聖人も又、人を傷つけ得る存在ではないのである。以上、考察したように、世界に存在する一見対立項に見える二つの存在は、必ず互いに補完し合い、互いを傷つけることはないのである。故に、そこから生じる「徳」というものは、その「道(タオ)」とすべての存在自体の無限自在な交感に帰するものなのである。

 「「論語」に云ふ」は、同書「郷黨(=党)第十」にある言葉。ここは通人孔子の食へのこだわりが窺える面白い章である。私の「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の末尾に近い「膾」の注に該当部の原文・書き下し文・訳を掲載してあるので、参照されたい。

 「惡-臭〔(くさ)〕き」の両字を合わせて読むのはあくまで私の推測で、「惡」の字を発音している可能性がある。]


 卷之四十八
  河湖有鱗魚類〔目録〕

[やぶちゃん注:目録の項目の読みはママ(該当項のルビ以外に下に書かれたものを一字空けで示した。なお本文との表記の異同も認められるが、注記はしていない)。なお、原文では横に3列の罫があり、縦に以下の順番に書かれている。項目名の後に私の同定した和名等を[ ]で表示した。]

鯉(こひ)            [コイ]

鮒(ふな)            [フナ]

波長魚(はちよう)        [ワタカ]

※1(たびらこ)         [アカヒレタビラ]
[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「節」。]

※2(みごひ)          [ニゴイ]
[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「蚤」。]

嘉魚(まるたいを)        [イワナ]

鮏(さけ) 干鮏(からざけ)   [サケ]

鱒(ます)            [マス類]

鯇(あめのいを)         [ソウギョ/ビワマス]

波須魚(はす)          [ハス]

鰷(あゆ)            [アユ]

黄鯝魚(わたご)         [ワタカ or タモロコ]

石鮅魚(をいかは) あかもと   [オイカワ]

※3(うぐひ) やまめ      [ウグイ]
[やぶちゃん字注:※3=「魚」+「成」。]

※4(はえ)           [オイカワ(メス)]
[やぶちゃん字注:※4=「魚」+「軰」。]

鯊(かなびしや) じんぞく    [ヨシノボリ]

石斑魚(いしぶし)        [ウキゴリ?]

渡父魚(どんぼ) どんこ     [ドンコ]
[やぶちゃん字注:ここでは「どんぼ」と「ほ」の濁点が明確に打たれている。]

■和漢三才圖會   無鱗魚 卷四十八目録 ○ 二[やぶちゃん字注:「○」の下の空欄はママ。]

番代魚(ばんだい)        [メダカ]
[やぶちゃん字注:「番」は底本では本文同様「番」の一画目がない字体。]

彈塗魚(はぜ)          [ハゼ類]

牟豆魚(むつ)          [カワムツ/ヌマムツ]

金魚(きんぎよ)         [キンギョ]

※5(かん)           [ボウウオ]
[やぶちゃん字注:※5=「魚」+「感」。]

※6(さう)           [施氏銅魚]
[やぶちゃん字注:※6=「椶」の「木」を「魚」に換える。

※7(おこぜ)          [オニヤラミ/オニオコゼ]
[やぶちゃん字注:※7=「舟」+「鮝」。]

鱖(あさぢ)           [ケツギョ/カサゴ]

[やぶちゃん注:以下に卷第四十九の江海有鱗魚の目録も併載されるが、それは実際を考えて卷第四十九の冒頭に移行する。]


□本文


***


■和漢三才圖會 河湖有鱗巻ノ四十八 ○一

和漢三才圖會卷第四十八

 

        攝陽  城醫法橋寺島良安尚順  編

[やぶちゃん注:「攝陽」は摂津(現在の大阪府北西・南西部及び兵庫県東部を含む)の南。良安は大坂高津(こうづ)の出身である。尚順は彼の字(あざな)。「法橋」(ほっきょう)は元々は僧位で、法印・法眼・法橋の順で第三位の称号を指すが、中世以後には僧侶に準じ、医師・絵師・連歌師などに与えられた。良安の事跡は生没年も含め、不明な点が多いが、大坂城の御城入医師として法橋に叙せられたことは分かっている。]

 

 魚類 河湖有鱗魚

こひ

   【和名古比】

唐音[やぶちゃん字注:底本では一字上げ。]

リイ

 

本草綱目云鯉爲魚品上而陰魚故有六六陰數而其脇

一道從頭至尾無大小皆三十六鱗毎鱗有小黑點鱗有

十字文理故名鯉雖困死鱗不反白能神變至飛越江湖

肉【甘平作膾則性温】主治利小便消腫脹其眼飲之能通乳汁但

 生山上水中者有毒【天行病後忌食此再發必死服天門冬硃砂人不可合食】鯉脊

《改ページ》

 上兩筯及黑血有毒【灸鯉不可使烔入目損目光】

三才圖會云鯉不相食故其種易蕃陶朱公畜魚計毎歳

雌雄二十四頭生子七万枚此其験也

五雜俎云俗言鯉能化龍此不必然其性通靈能飛越江

湖如龍門之水險急千仭凡魚無能越者獨鯉能登之故

有成龍之説耳                         光俊

     新六 水船に浮てひれふる池鯉の命待まもせはしなの世や

△按字彙云黑鯉曰※1蓋老則鱗色稍黑也※1乃老鯉乎

[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「卑」。]

 凡鯉【自頭至尾岐長】一二尺許者二年鯉【如三年者尺一二寸如四年者尺三四寸】經

 五年者尺五六寸【六年以上不謂年數稱六須波七須波八須波】其八須波有

 二尺一二寸【毎一年長一二寸】近三尺者希焉三尺有余者呼

 曰尺之鯉有化龍之勢

鯉在水中則勢強能跳動難捕剥鱗投水亦能跳動也庖

人以指塞鯉眼而剥鱗即不敢動若送鯉於遠郷則用古

煤※2〔→藁〕包之乃終日失水亦不死既死者亦不易餒或投茶

[やぶちゃん字注:※2=〔上から下へ〕(くさかんむり)+(まだれ)+「口」+{「一」又は(わかんむり)}+「口」+「示」。]

《改ページ》

■和漢三才圖會 河湖有鱗巻ノ四十八 ○二

於鰓中亦可矣

城州淀川者最良武州淺草川常州箕輪田次之江州琶

湖信州諏訪湖者亦共佳矣奥州北地鮒有而鯉全無

こひ

   【和名、古比。】

唐音

リイ

 

「本草綱目」に云ふ、『鯉は、魚品の上と爲す。而して陰魚〔なり〕。故に六六の陰數有りて、其の脇、一道、頭より尾に至りて、大小と無く、皆、三十六の鱗あり。毎鱗、小黑點有り、鱗に十字の文理有り。故に鯉と名づく。困死〔(こんし)〕すと雖も、鱗、反りて白〔か〕らず。能く神變して江湖を飛び越ゆるに至る。

肉【甘、平。膾に作〔りて〕、則ち性、温。】 主治は小便を利し、腫脹を消す。其の眼、之を飲めば、能く乳汁を通ず。但し山上の水中に生ずる者は毒有り【天行病〔=流行病〕の後、忌む。此れを食ひて再發すれば必ず死す。天門冬〔(てんもんどう)〕硃砂〔(しゆしや)〕を服〔して〕、人、合食すべからず。】。鯉の脊上の兩筯及び黑血、毒有り【鯉を灸るに、烔〔(とう)〕を使ふべからず。目に入らば目の光を損ふ。】。』と。

「三才圖會」に云ふ、『鯉は相食はず。故に其の種、蕃(しげ)り易し。陶朱公、魚を畜〔(か)〕ふ。毎歳、雌雄を計するに、二十四頭、子を生むこと、七万枚、此れ其の験〔(しるし)〕なり、と。』と。

「五雜俎」に云ふ、『俗言、鯉、龍に化す、と。此れ必〔ずしも〕然からず。其の性、に通じ、能く江湖を飛び越ゆ。龍門の水は險急千仭〔(けんきふせんじん)〕なるがごとくにして、凡(なべ)ての魚、能く越ゆる者無し。獨り鯉〔のみ〕、能く之を登る。故に龍と成るの説有るのみ。』と。

     「新六」 水船に浮〔(き)〕てひれふる池鯉の命待〔(つ)〕まもせはしなの世や 光俊

△按ずるに「字彙」に云ふ、『黑鯉を※1と曰ふ。』と。蓋し老する時、[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]則ち鱗色、やや黑なり。※1は乃ち老鯉か。凡そ鯉は【頭より尾の岐に至る長さ、】、一~二尺ばかりの者は二年鯉【三年のごとき者は尺一~二寸、四年のごとき者は尺三~四寸。】五年を經る者、尺五~六寸【六年以上は年數を謂はず、六須波・七須波・八須波と稱す。】、其の八須波二尺一~二寸有り【毎一年、長ずること、一~二寸。】。三尺に近き者、希なり。三尺有余の者を呼んで尺の鯉と曰ふ。化龍の勢有り。[やぶちゃん字注:※=「魚」+「卑」。]

鯉は水中に在りては、則ち勢強く、能く跳動して捕へ難し。鱗を剥ぎて水に投〔ずるも〕、亦能く跳動〔する〕なり。庖人〔(はうじん)〕、指を以て鯉の眼塞ぎて鱗を剥ぐ時は、[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]即ち敢へて動かず。若〔(も)〕し鯉を遠郷に送るに、則ち古煤藁〔(ふるすすわら)〕を用ひて之を包む時は、[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]乃ち終日水を失ふも、亦、死せず。既に死〔せし〕者も亦、餒〔(あさ)〕り易〔から〕ず。或は茶を鰓の中に投〔ずるも〕、亦、可なり。

城州〔=山城〕淀川の者、最も良し。武州〔=武蔵〕淺草川・常州〔=常陸〕箕の輪田、之に次ぐ。江州〔=近江〕琶湖〔=琵琶湖〕・信州〔=信濃〕諏訪湖の者も亦、共に佳なり。奥州北地には鮒は有れども、鯉は全く無し。

[やぶちゃん注:通常の日本人の認識するのはコイ目コイ科コイ亜科コイCyprinus carpioである(世界的にはコイ科だけで7科250属約2500種を数える)。学名の“Cyprinus”はラテン語では「銅の」意だが、ここはギリシャ語由来でkiprinos”=“kypris”即ちギリシャ神話の“Aphrodītē”=ローマ神話の“Venus”を指す(この女神が最も信仰されたのがキプロス“Cyprus”島であたことからこう呼称する)。コイの多産を豊饒の女神に譬えたものとする。種小名の“carpio”は古代高地ドイツ語のコイを示す“karpfo”に由来するという(以上の学名由来は荒俣宏「世界大博物図鑑」のコイの叙述等を参考にした)。……私には、このカルピオという響きがある恋する人の郷愁を呼び起こす。これは確かに、今となってはその人と私だけに分かる、符丁である……

「三十六の鱗あり」とあるのは側線鱗数(側線上にある鱗の枚数)を指し、一般に3336枚と言われる。以下のページによれば、実際には3240とかなりのばらつきがあり、なお且つ体高のある養殖用品種では側線枚数が少ない傾向があるとする。

「困死す」は当初、「困〔(こう)じ)〕死す」と訓読していたが、「廣漢和辭典」を引いたところ、「困死」を見出しとして「こんし」の読み、苦しみ死ぬの意に続いて、何と「和漢三才圖會」の「龍蛇部 蛇皮」を引用していたので、本訓に換えた。

 「鱗、反りて白らず」は、鯉が死んでもその鱗は水分を失って反り返ったり、更に脱色して色を失い白くなったりはしないという意味である(が、鯉の鱗に限ってそんな特別な性質はない、と思う)。

「天門冬」は半蔓性の多年草であるユリ科のクサスギカズラAsparagus cochinchinensisの紡錘形の貯蔵根から製した生薬の名。鎮咳・利尿・通便・強壮作用を持つ。表記のように「冬」を「どう」と濁って読む。

 「硃砂」は、硫化水銀HgSを主成分とする辰砂鉱石Cinnabarを原料とした漢方調剤。鎮静・解熱・解毒作用を持つ。ウィキペディア等では本物質に含まれる水銀は水には難溶性で危険性は低いとするが、長期服用による水銀中毒の危険性はやはり示唆しておくべきである。

 「毒有り」とあるが、一般に鯉の生血については肺結核や肺炎の薬として用いられた歴史がある。扁形動物門吸虫綱二生吸虫亜綱プラギオルキス目後睾吸虫上科後睾吸虫科の肝吸虫(肝ジストマ)Clonorchis sinensis及び同上科の異形吸虫科の横川吸虫Metagonimus yokokawaiさらに線形動物門双線綱センビセンチュウ目(旋尾線虫目)顎口虫科顎口虫属ユウキョクガッコウチュウ(有棘顎口虫)Gnathostoma spinigerumの感染が考え得るが、前二者は多量に感染しない限り、「毒」とするような顕在的症状は現れない。背柱側筋内に多く寄生し、おぞましい皮下移動症状や脳障害・失明等を引き起こす有棘顎口虫Gnathostoma spinigerumを指しているか。

 「烔」は熱い火の意味であるが、要は強い火で炙ると、前述の「特異な」鱗が火を以てはじけ飛び、それが眼に入ると失明するということを述べていると思われる。しかしこれは、鯉の鱗に限ったことでもあるまいし、焼き魚の鱗で失明したという事例を私は知らない。

 『「三才圖會」』は明の王圻(おうき)の撰になる百科事典。本書の規範とした著作。以下、注では省略する。

 「陶朱公」は、中国の春秋時代、臥薪嘗胆の故事で有名な越王勾践(こうせん)に仕えた軍師にして政治家である范蠡(はんれい)。「史記」の「貨殖列伝」に挙げられるように、晩年は陶に移り住み陶朱公と名を変え、巨万の富を築いた。この鯉のエピソードのその折のものであろう。

 『「五雜俎」』は、「五雜組」とも書く。明の謝肇淛(しゃちょうせい)の16巻からなる随筆集であるが、ほとんど百科全書的内容を持ち、日本では江戸時代に愛読された。書名は五色の糸でよった組紐のこと。

 「靈」は、人知を超えた不思議な働き、玄妙な原理。

 「龍門」とは、本来は山の名。山西省河津県と陝西省韓城県の間にある。治水伝説の皇帝である禹が、この龍門山を切り開いて黄河の水を流したとする。急流で、人口に膾炙する「登竜門」の地である。但し、この以下の話の「鯉」は本来はチョウザメ目チョウザメ科 Acipenseridaeのチョウザメ類であったと私は確信している。これについては私の「和漢三才圖會 卷第五十一」の「鮪」の注を是非参照されたい。

 『「新六」』は「新撰和歌六帖(新撰六帖題和歌)」(1243年に藤原家良・為家・知家・信実・光俊の五人の和歌を所載した類題和歌集)のこと。

 「光俊」は通名、葉室光俊(はむろみつとし)で法号を真観という。藤原北家高藤流、権中納言光親(承久の乱で斬首され、本人も十九歳で連座し筑紫に一年間配流された)の子。

 『「字彙」』は、明の梅膺祚(ばいようそ)によって編纂された漢字字典。本文の十二支の巻+首巻・巻末、合わせて14巻。親字数33179字。字典として初めて、現在のように漢字が、画数順に214の部首順に分けられ、各部首内で総画数順に配列されている。

 「※1」音は「ハイ・バイ・ヒ」のいずれかと思われる。

 「須波」というコイの大きさの単位は、現在用いられていないと思われる。「須」には魚の鬚(ヒゲ)の意味があり、コイの特徴的な長短二対のヒゲと関わりがあるか? ご教授を乞う。

 「箕の輪田」については、現在の茨城県土浦市神立町の箕の輪田か。ここはコイ養殖の盛んな霞ヶ浦に近い。また、検索によれば冬の季語に「箕輪田の鯉取」という語も存在する。]

***

ふな   鯽※1※2【三字通用】

[やぶちゃん注:※1=「魚」+「脊」。※2=「魚」+「責」。]

【音附】【和名布奈】

ツウ

 

本綱鮒状似小鯉而色黑而體促肚大而脊隆其旅行則

吹沫如星而相附故曰鮒曰鯽喜偎泥不食雜物故能補

胃冬月肉厚子多其味最美

肉【甘温】諸魚屬火獨鯽屬土有調胃實腸之功【同麦門冬食之害人

 同沙糖食生疳蟲同芥菜食成腫疾】同鷄雉鹿猪食生癰疽

本草必讀云鯽頭春月脳中有蟲此魚原田稷米化生故

肚尚有米色

《改ページ》

      新六 いにしへはいともかしこし堅田鮒包燒なる中の玉つさ

△按鮒江州湖中者爲第一大者一尺許世稱源五郎鮒

 作膾及鮓或炙煮共佳以爲上品深秋其鰭變紅謂之

 紅葉鮒時味最勝

ふな   ※1※2【三字通用。】

[やぶちゃん注:※1=「魚」+「脊」。※2=「魚」+「責」。]

【音、附。】【和名、布奈。】

ツウ

 

「本綱」に『鮒は、状、小鯉に似て色黑し。體〔は〕促〔(そく)し〕、肚〔(はら)〕大にして、脊、隆し。其れ、旅行〔(する時は〕、則ち沫を吹くこと、星のごとく、相附く。故に鮒と曰ひ、鯽と曰ふ。喜びて泥を〔→に〕偎〔(なじ)〕み、雜物を食はず。故に能く胃を補す。冬月、肉厚く、子多し。其の味、最も美なり。

肉【甘、温。】 諸魚火に屬す。獨り鯽は土に屬す。胃を調へ、腸を實にするの功有り【麥門冬〔(ばくもんどう)〕と同〔じくして〕之を食〔へば〕、人を害す。沙糖〔=砂糖〕と同〔じくして〕食〔へば〕、疳の蟲を生ず。芥菜〔(からしな)〕と同〔じくして〕食〔へば〕、腫疾〔=腫物〕と成る。】。鷄・雉・鹿・猪と同〔じくして〕食へば、癰疽〔(ようそ)=悪性腫瘍〕を生ず。』と。

「本草必讀」に云ふ、『鯽の頭、春月、腦の中に蟲有り。此の魚、原〔(もと)〕、田〔の〕-の化生する故、肚に尚、米の色有り。』と。

「新六」 いにしへはいともかしこし堅田鮒包〔み〕燒〔き〕なる中の玉づさ

△按ずるに、鮒は江州〔=近江〕湖中の者、第一と爲す。大いなる者、一尺ばかり。世に源五郎鮒と稱す。膾及び鮓に作り、或は炙り煮る。共に佳し。以て上品と爲す。深秋、其の鰭(ひれ)、紅に變ず。之を紅葉鮒と謂ふ。時〔に〕味、最も勝れり。

[やぶちゃん注:コイ目コイ科コイ亜科フナ属Carassius。「鯽」の音は「セキ・シャク・ショク・ソク」、「※1」及び「※2」の音は共に「セキ」又は「シャク」。

 「體促」の「促」は迫る、狭まる、せせこましいの意であるから、小さな鯉に比して体長が寸詰まって短いことを言っている。

 「雜物を食はず」は勿論、誤り。注の後に記載するゲンゴロウブナを品種改良したヘラブナが植物プランクトン食である以外は、雑食性。

 「獨り鯽は土に屬す」というのはとんでもなく大変な例外と思われるが、理由が判らない。御存知の方は御教授願いたい。

 「麥門冬」はユリ科のジャノヒゲOphiopogon japonicusの塊状根を乾燥した生薬。解熱・消炎・鎮咳・去痰・利尿・強心作用等、鯉の項で注した「天門冬」(てんもんどう)とほぼ同じ効能を持つ。

 「芥菜」はフウチョウソウ目アブラナ科アブラナ属カラシナBrassica junceaを指す。この種子から精製した生薬は芥子(がいし)といい、その粉末を微温湯で練った「芥子泥」(練辛子である)を神経痛・リューマチ・捻挫の患部に、肺炎・気管支炎の際は胸や背部に湿布し、鎮痛薬とする。

「腦の中に蟲有り」とあるが、鯉と同様、扁形動物門吸虫綱二生吸虫亜綱プラギオルキス目後睾吸虫上科後睾吸虫科の肝吸虫(肝ジストマ)Clonorchis sinensis及び同上科の異形吸虫科の横川吸虫Metagonimus yokokawaiさらに線形動物門双線綱センビセンチュウ目(旋尾線虫目)顎口虫科顎口虫属ユウキョクガッコウチュウ(有棘顎口虫)Gnathostoma spinigerumの感染が考え得る。ここでも背柱側筋内に多く寄生し、おぞましい皮下移動症状や脳障害・失明等を引き起こす有棘顎口虫Gnathostoma spinigerumを指しているか。

 『「本草必讀」』という書は、東洋文庫版の後注には『「本草綱目類纂必読」か。十二巻。』とのみあるだけである。中国の爲何鎭なる人物の撰になる「本草綱目」の注釈書であるらしい。

 「稷米」はイネ目イネ科モロコシ(コウリャン)Sorghum vulgareを指すか。音読みならば「しよくまい」又は「しよくべい」、訓読としては「きびのもち」又は「きびまい」、二字で「きび」と読ます可能性もあるが、これら後者の訓読みではイネ目イネ科のキビPanicum miliaceumを指すことになってしまう。

 『新六』は「新撰和歌六帖(新撰六帖題和歌)」(1243年に藤原家良・為家・知家・信実・光俊の五人の和歌を所載した類題和歌集)で、当該歌は藤原定家の門弟であった衣笠家良(きぬがさのいえよし)の歌。この歌は、「宇治拾遺物語」巻十五の一「一八六 清見原天皇と大友皇子と合戦の事」等に記される、大友皇子(弘文天皇)の妃であった十市皇女(ひめみこ)が、壬申の乱にあって、夫の謀叛を父の大海人皇子(天武天皇)に知らせんがために、小さなの書状を書いて、鮒の包み焼きの腹の中に押し入れて送ったという故事を踏まえる。秦恒平の小説「秘色(ひそく)」11から12章にかけてに詳しいが、ウィキペディアの「十市皇女」によれば、『鮒の包み焼きが近江の名物であったことや、話の最後に登場する高階氏が高市皇子の後裔であることから』、これは後世の創作である可能性が高いとする。ほほう、これなら、本項の注にするに相応しいな。

 「源五郎鮒」ゲンゴロウブナ ゲンゴロウブナCarassius cuvieri。全長約40㎝。本来は琵琶湖固有種であったが、鈎魚としての人気から日本各地に放流された。しかし現在、2007年度版環境省レッドデータリストの、近い将来に野生絶滅の危険性が高いことを示す絶滅危惧IB Endangered (EN) に指定されている。なお、ここで良安が言う「紅葉鮒」は、狭義には琵琶湖の西岸に位置する高島町の紅葉浦で獲れる鮒を指して言った。その場合、最も上級であるのは、同じく琵琶湖固有種で鮒鮓で有名な、そうしてやはり絶滅危惧IB Endangered (EN)のニゴロブナCarassius auratus grandoculisであったはずである。

 「時味」は、東洋文庫版では「時味」で「じみ」と読ませているが、どうもしっくりこないので、「時に味(あじ)」とすべて訓読みした。]

***

はちやう   腸香【和太加】

波長魚   【名義正字
        未詳】

 

△按波長魚在湖中形似鮒而頭長鱗細脊黑長五六寸

 大者尺許至秋鰭變紅



はちやう   腸香【和太加。】

波長魚   【名義・正字、未だ詳らかならず。】

 

△按ずるに波長魚は湖中に在り。形、鮒に似て、頭長く、鱗細〔かにして〕、脊黑し。長さ五~六寸。大なる者、尺ばかり。秋に至りて鰭、紅に變ず。

[やぶちゃん注:琵琶湖淀川水系の固有種であるコイ目コイ科のワタカ
Ischikauia steenackeriであろうか。「波長魚」という呼称は既に死に絶えているようである。本種も全国に放流されたが、前項注掲載のフナ類同様、絶滅危惧IB Endangered (EN)に指定されている琵琶湖での減少が著しい。摂餌量の多さから水草抑制効果を期待して増殖の努力が重ねなれている。]

***

■和漢三才圖會 河湖有鱗巻ノ四十八 ○三

たびらこ   妾魚 婢魚

【音節】 【俗云太

        比良古】[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「節」。]

ツイツ

 

本綱※1與鯽同而味不同功亦不及状似鯽而小且薄黑

而揚赤其形以三爲率一前二後若婢妾然故名婢名妾

時珍曰孟詵言※1是櫛化鯽是稷米化成者殊爲謬説惟

鼢鼠化※1※1化鼢鼠霏雪録中嘗書之時珍亦嘗見之此

亦生生化化之理鯽※1多子不盡然爾

△按※1似鯽而脊黑腹白形薄匾而稍團大抵二三寸許

 恰似木葉又似櫛其小者腹近尾處微赤味不美襍鯽

 販之或爲腌食蓋櫛及鼢鼠化成※1之兩説並難信新

 堀〔→掘〕池雨水感春夏陽氣即鯽※1自生有牝牡復一孕生

 數百※2焉鯉鰌亦皆如此[やぶちゃん字注:※2=「魚」+「米」。]

《改ページ》

たびらこ   妾魚〔(せふぎよ)〕 婢魚〔(ひぎよ)〕

【音、節。】 【俗に太比良古と云ふ。】[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「節」。]

ツイツ

 

「本綱」に、『※1〔(たびらこ)〕は鯽〔(ふな)〕と同じくして、味、同からず。功も亦、及ばず。状、鯽に似て小さく且つ薄く黑くして、揚赤。其の形、三つを以て率と爲す。一つは前、二つは後、婢妾〔(ひせふ)〕のごとく然り。故に婢と名づけ、妾と名づく。』と。〔又〕時珍曰く、『孟詵〔の〕、「※1は是れ、櫛の化し、鯽は是れ、稷米の化して成る。」と言ふは殊に謬説〔(べうせつ)〕なり。惟だ鼢鼠(うくろもち)、※1に化し、※1、鼢鼠に化す〔とは〕、「霏雪録」〔(ひせつろく)〕の中に嘗て之を書す。時珍も亦、嘗て之を見る。此れ亦、生生化化の理なり。鯽・※1、子多し。盡く然るにはあらざるのみ。』と。

△按ずるに、※1は鯽に似て、脊黑く、腹白し。形、薄く匾〔(ひらた)〕く、やや團〔(まる)〕し。大抵、二~三寸ばかり、恰(あたか)も木の葉に似、又、櫛に似る。其の小なる者は、腹〔の〕尾に近き處、微赤〔にして〕、味、美ならず。鯽を襍(まじ=混)へて之を販〔(ひさ)〕ぐ。或は腌(しほづけ)に爲して食ふ。蓋し櫛及び鼢鼠化して※1と成るの兩説、並びに信じ難し。新たに池を掘り、雨水、春夏の陽氣を感ずる時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、即ち鯽・※1、自生して、牝牡有り、復た一孕〔(ひとはらみ)〕に數百の※2(こ)を生ず。鯉・鰌〔(どぢやう)〕も亦、皆此くのごとし。[やぶちゃん字注:※2=「魚」+「米」。]

[やぶちゃん注:本種は一応、コイ科タナゴ亜科タナゴ属のアカヒレタビラAcheilognathus tabira subsp.2に同定しておく。なお、ここに記された漢名が差別語であり、その解説の叙述も差別的であることを認識しつつ、お読み頂きたい。

 「揚赤」は意味不明。赤みが勝っているという意味か。繁殖期のオスは尻鰭の外縁が鮮やかな赤紅色に縁取られる。このページの写真が美しい。

 「孟詵」は「もうしん」と読み、唐の則天武后の頃の人。これは、彼の「食療本草」に載るもの。但し、ネット上に見つけた以下のテクストでは「鯽魚」の欄の説明中に現れる。これは、「本草綱目」の「※1」の冒頭部を反転させたもの(「鯽」から叙述した)に極めて似ている。このテクストには明らかに字の脱落や衍字があるが、恐らく※1についての叙述であろうと思われる。以下の引用は、前者は当該部の単純ペースト・コピー、後者は私が脱落や衍字を推測し補正したものである。

(五)又,鯽魚與 ,其狀頗同,味則有殊。 是節化。鯽是稷米化之,其魚肚上尚有米色。寬大者是鯽,背高肚狹小者是 ,其功不及鯽魚。

(五)又、鯽魚與※1魚、其状頗同、味則有殊。※1是櫛化。鯽是稷米化之。其魚肚上尚有米色。寬大者是鯽、背高肚狹小者是※1、其功不及鯽魚。

やぶちゃんの書き下し文:(五)又、鯽魚と※1魚とは、其の状、頗る同じくして、味は則ち殊なりて有り。※1は是れ、櫛、化す。鯽は是れ、稷米、之れ化す。其の魚、肚の上に尚ほ米色有り。寬く大いなる者、是れ鯽、背高く肚狹く小さき者、是れ※1、其の功は鯽魚に及ばず。

「状」の挿入を除いては、この「和漢三才図会」の叙述から推して、そう問題がないように思っている。

 「稷米」は前掲の「鮒」の項の該当注参照。

 「鼢鼠」は哺乳綱モグラ目モグラ科 Talpidae1988年文部省呼称改定により「食虫目」は「モグラ目」となった)のモグラを指す。本件は中国の叙述であるので科に留めておく。

 「霏雪録」は明の鎦績(りゅうせき)撰になる怪奇談を多く所収する随筆。以下の電子テクストでは、該当部を見出せないが、「田鼠」はモグラであるから以下の下りに関わるか(底本は白文。句読点を施した)。

物能復本形者、則言化。月令、鷹化爲鳩、則鳩又化爲鷹。田鼠化爲鴽、則鴽又化爲田鼠。其不能復本形者、則不言化。如腐草爲螢。雉爲蜃、爵爲蛤、皆不言化也。

やぶちゃんの書き下し文:物、能く本の形に復するは、則ち化と言ふ。「月令」に、鷹化して鳩と爲り、則ち鳩、又、化して鷹と爲る。田鼠、化して鴽と爲り、則ち鴽、又、化して田鼠と爲る。其の能く本の形に復さざるは、則ち化と言はず。腐草の螢と爲るがごとし。雉、蜃〔(しん)=おおはまぐり〕と爲り、爵〔(すずめ)〕、蛤と爲る、皆、化と言はざるなり。

この「鴽」(音は、「ジョ」か。小鳥を指すらしい)は明らかに鳥であるし、そもそもこれ自体が「礼記」月令(がつりょう)からの引用である。一応、「礼記」の該当部を引用しておく。季春の月、三月の項である。

桐始華。田鼠化爲鴽。虹始見。萍始生。

やぶちゃんの書き下し文:桐、始めて華さき、田鼠、化して鴽と爲り、虹、始めて見え、萍〔(へう)=浮草〕、始めて生ず。

小人にはこれ以上の言明は出来ない、というか、才能がないのだよ。

 「生生化化」は中国最古の医学書「黄帝内経」の「素問」「天元紀大論篇第六十六」等に現れる語。万物の生成・育成・変化・死滅・転生等に関わる不可知で深遠な哲理を言うようである。

 「盡く然るにはあらざるのみ」とは、この二種にあっては、産卵数がとりわけ多い以上、通常に卵生生育するものが当然多く、全てがそのように(タビラコがモグラになる)化生するわけでは毛頭ない、という意であろう。東洋文庫版では、この前文を「鯽・※1は多子であるが、」と逆接でこれにつなげているため、全く逆の、すべてが卵生なわけではなく、「霏雪録」のように化生するものもいるという意味にとっている。時珍は直前ではモグラ←→タビラコの化生現象を実際に見たと言っているから、このようにも当然読めるわけであるが、私はその直前の「謬説」という時珍の強い謂いを重く見たいのである。それは、後の叙述に見るように、自然発生説を肯定してしまう限界はあるものの、ある種の生態学的観察を重視する良安の姿勢に(解説末は明らかに時珍の謂いを受けているではないか)、それは一致していると思うからである。このような生命現象への基本理念が不一致であったなら、良安はここまで「本草綱目」を自作の記述の基準記載に用いないと、私は思うのである。]

***

みごい

【音騒】   【和名美】

[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「蚤」。]

ツア゚ウ

 

文字集略云※1鯉屬也【字彙云※1似鱣二説大異也】

△按俗稱美鯉者似鯉而身狹長其頭長於鯉鱗細於鯉

 肉有細刺味亦劣湖中多有之【凡鯉與※1之差如鮒與波長】

みごい

【音、騒。】   【和名、美。】

[やぶちゃん字注:※=「魚」+「蚤」。]

ツア゚ウ

 

「文字集略」に云ふ、『※は鯉の屬なり。』と【「字彙」に云ふ、『※は鱣に似る。』と。二説、大いに異なり。】。

△按ずるに、俗に美鯉(みごい)と稱する者は、鯉に似、身、狹長〔(さなが)にして〕、其の頭、鯉より長し。鱗、鯉より細〔かく〕、肉、細き刺有り。味、亦、劣れり。湖中、多く之有り。【凡そ鯉と※との差は、鮒と波長とのごとし。】

[やぶちゃん注:コイ科カマツカ亜科ニゴイHemibarbus barbus。標準和名は鯉に似ていることからついた「似鯉」である。ミゴイは琵琶湖での呼称のようである。ネット上の情報では他にサイ・セイタツボ・サイコロ(以上、東京)、大阪ではキツネゴイと呼称されるらしい。特に後者は後の私の考察に関わって、興味深い。

 『「文字集略」』は梁の阮孝緒(げんこうしょ)撰になる字書。

 『「字彙」』は、明の梅膺祚(ばいようそ)によって編纂された漢字字典。本文の十二支の巻+首巻・巻末、合わせて14巻。親字数33179字。字典として初めて、現在のように漢字が、画数順に214の部首順に分けられ、各部首内で総画数順に配列されている。

 この二書の齟齬は何か。まず、「文字集略」は「屬」と言い、「字彙」が「似る」と言っている微妙な相違点と、良安の「鱣」の決定的な認識の誤り(彼はこれを海水魚のフカ=サメと認識している)を考えるとこれはそう不思議な叙述ではないように思われる。即ち「※」(みごい)=ニゴイはコイ科であるから、当然、コイの仲間であり、その「狹長」なキツネゴイという名を賜わる狐の顔のような感じは、大きさは異なるものの、ちょっと「鱣」の顔に似ていないか。私は本文を読まずに、まずこの良安の「※1」の図を見た時、美事に「鱣」に似ていると思ったのだ。されば「鱣」とは何か。それはチョウザメなのである(私の電子テクスト「和漢三才圖會 巻第五十一」の「鱣」及び「鮪」の注記を必ず参照。序に言えば、そこで問題にした「登龍門」の故事にあってもチョウザメ(鱣)からコイ(鯉)という関係が見出される)。だから、私は、これは良安の言うようには、「二説、大いに異な」っているとは思わないのである。

 「波長」は波長魚で、琵琶湖淀川水系の固有種、コイ目コイ科ワタカIschikauia steenackeri。前掲の「波長魚」参照のこと。]

***

まるたうを  鮇【音味】 拙魚

       丙穴魚

嘉魚     【俗云丸太魚】

キヤアアイユイ

 

本綱嘉魚状似鯉而鱗細如鱒首有黑點大者五六斤肉

白如玉味頗甘鹹其美衆魚莫及之炙食又爲鮓餉遠常

《改ページ》

■和漢三才圖會 河湖有鱗巻ノ四十八 ○四


於丙穴崖石下食乳石漢中蜀中丙穴多二三月隨水出

穴外八九月逆水入其丙穴者穴日向丙故名

△按嘉魚關東有之丸太魚是乎畿内海西未曽有魚也

 蓋丙穴有異説云此魚以丙日出穴也燕避戊巳鶴知

 夜半嘉魚知丙日焉然以向丙方穴爲所在之説可爲

 是矣

まるたうを  鮇【音、味。】 拙魚

       丙穴魚

嘉魚     【俗に丸太魚と云ふ。】

キヤアアイユイ

 

「本綱」に『嘉魚は、状、鯉に似て、鱗細〔かく〕、鱒〔(ます)〕のごとし。首に黑點有り。大なる者、五~六斤。肉は白くして玉のごとく、味、頗る甘鹹〔(あまから)〕、其の美〔(うま)きこと〕、衆魚、之に及ぶこと莫し。炙り食ひ、又、鮓と爲し、遠〔く〕餉〔(おく)る=送る〕。常に丙穴崖石の下に於いて乳石を食ふ。漢中蜀中に丙穴多し。二~三月、水に隨ひ穴を出で、八~九月、水に逆ひて〔穴に〕入る。其れ、丙穴とは、穴の口、丙に向ふ。故に名づく。』と。

△按ずるに、嘉魚は、關東に之有る、丸太魚、是れか。畿内・海西には未曽有の魚なり。蓋し丙穴、異説有りて、云く、『此の魚、丙〔(ひのえ)〕の日を以て穴を出づるなり。』と。〔又、〕『燕(つばめ)は戊巳〔(ぼみorつちのえみ)〕を避け、鶴は夜半を知り、嘉魚は丙の日を知る』と。然れども、丙の方を向く穴を以て所在と爲(す)るの説、是〔(ぜ)〕と爲すべきか。

[やぶちゃん注:サケ目サケ科イワナ属Salvelinusのイワナ類であろうか。「本草綱目」の「首に黑點有り」という叙述は、体側にパーマーク(parr mark:“parr”はサケの幼魚の意)を持つ本邦のヤマメやアマゴに類似した種かとも思われる(但し、パーマークは両体側全面数箇所に及ぶ小判型斑紋で首だけではない)。少なくとも良安の叙述はイワナとっておいてよいと思われる。イワナの名を冠するのはSalvelinus leucomaenisであるが、近縁種であるオショロコマSalvelinus malma等を含め、多くの種がある。「丸太魚」という呼称は現在では廃れたものと思われる。

 「丙穴魚」の「丙」の字は方位で南を指す。随って、本文にあるように「丙穴」とは、南を向いた水中の岩穴のことを指す。なお、イワアナからイワナも魅力的ではあるが、「岩間の魚」から「岩魚」で、「ナ」は一般的な魚を示す接尾語であろう。

 「鱒」は後掲の「鱒」の項のの冒頭注を参照のこと。

 「五~六斤」は約33.5㎏。

 「乳石」は不明。珪乳石(Menilite)ならば、二酸化珪素(SiO2)を主成分する、不純物を多く含んだ蛋白石(Opal)であるし、「鍾乳石」と同義であるならば方解石で、主成分は炭酸カルシウム(CaCO3)であるが、どちらも極めて限定された条件でしか生成されない鉱物である。従ってこれは、ただ単に水中の岩穴の上部から乳状に垂れ下がった土石部分を指しているように思われる(そこに何らかの本種の特性を示唆しようとしているのであろうが、そこまで私は読み込めない)。

 「漢中」は現在の陝西省漢中市を中心とした一帯の名称。

 「蜀中」は現在の四川省と一致。]

***

[やぶちゃん注:図の上部に干しサケの絵。その左に「干鮏」。ここでも本文でも「干」は「亍」の表記であるが、これは音「チョク・トク」で、止まる・佇む・少し歩く・右足の歩み等を指す別字であるので、通常の「干」の字体とした。]

 

さけ

 

年魚【與鰷同名】

鮭【俗用之誤也鮭河豚】

 【和名佐介】[やぶちゃん字注:以上三行は前二行の下に入る。]

 

倭名抄載崔禹錫食經云鮏其子似苺赤光春生年中死

故又名年魚

△按鮏【鯹本字魚臭也正字未詳】状似鱒而圓肥大者二三尺細鱗青

 質赤章腹淡白肉赤有細刺脂多味甚厚美肉色白者

《改ページ》

 味淡次之頭枕骨軟如瑪瑙稱氷頭而味亦佳其子有

 二胞胞中數千粒明透上有一紅點呼曰※【波良良古】經月

[やぶちゃん字注:※=「魚」+「面」。]

 不鮾包稻藁入水中陰處而養之則翌年必鮏多焉連

 胞淹之經一二日剖胞粒粒晒乾収用運送他邦最賞

 之又有筯子甘子者其連胞而淹之東北大河通江海

 處多而畿内西國無之

       昨日たちけふきてみれは衣川すそほころひてさけのぼる也

干鮏【加良佐介】 作法采生鮏去腸投屋上以曝乾又有自腹

 至背連皮割開曝乾者【佐介乃比良岐】其松前秋田多出之

盬引【志保比岐】 作法采生鮏割腹去鱗腮及腸洗淨塡子胞

 封腹口淹盬水一晝夜採出陰乾一兩日待乾又淹盬

 水如初而採出陰乾用稻藁包封陰乾經月餘而収用

 此謂子籠【本朝式所謂内子鮏是也】不塡子者此普通盬引也古稱

 楚割【須波夜利】者今盬引矣

氷頭【訓比豆】 鮏之頭骨如氷澄徹者甘美脆軟也

《改ページ》

■和漢三才圖會 河湖有鱗巻ノ四十八 ○五

背腸【訓美奈和太】 鮏之背腸醢也

 凡鮏【甘温】生北海冬月深雪蟄居爲日用食品充穀然

 畿内人皆云多食之必發小瘡彼地人皆云爲常食未

 聞發瘡者是乃土地之寒温及狎與不狎之差而已獨

 不鮏爾猶山家以芋爲常食不知痞滿者

産後金瘡藥 干鮏 阿羅魚【共黑燒存性】 藜 萍蓬草

 小角豆【去皮生用】 沈香【燒不出煙】 以上六味分量有口傳

さけ

 

年魚【鰷と名は同じ。】

鮭【俗に之を用ふるは誤りなり。鮭は河豚〔(ふぐ)〕なり。】

 【和名、佐介。】

 

「倭名抄」に崔禹錫が「食經」を載せて云ふ、『鮏は、其の子、苺(いちご)に似て、赤〔き〕光〔あり〕。春に生して年中に死す。故に又、年魚と名づく。』と。

△按ずるに、鮏【鯹の本字にして魚-臭(なまぐさき)〔の謂ひ〕なり。正字、未だ詳らかならず。】状、鱒に似て圓く肥ゆ。大なる者、二~三尺。細鱗、青質赤章。腹、淡〔(あは)〕白く、肉、赤く、細き刺有り。脂、多く、味、甚だ厚美なり。肉の色、白き者は、味、淡く、之に次ぐ。頭の枕骨、軟にして瑪瑙〔(めのう)〕のごとし。氷頭と稱し、味、亦、佳なり。其の子、二の胞有り。胞中數千粒、明-透(すきとほ)り、上に一紅點有り。呼びて※(はらゝご)と曰ふ【波良良古。】月を經て鮾〔(あざ)=腐〕れず。稻藁に包み、水中の陰處に入れて之を養〔へば〕、則ち翌年必ず鮏多し。胞を連ね、之を淹〔(しほづけ)〕し、一~二日を經〔へ〕、胞を剖〔(さ)〕き、粒粒、晒し乾して収用し、他邦に運送して、最も之を賞す。又、筯子・甘子(あまご)と云ふ者有り[やぶちゃん字注:「云」は送り仮名にある。]。其の胞を連ねて之を淹す。東北の大河、江海に通ずる處、多し。畿内・西國には之無し。[やぶちゃん字注:※=「魚」+「面」。]

       昨日たちけふきてみれば衣川すそほころびてさけのぼるなり

干鮏(からさけ)【加良佐介。】 作る法、生鮏〔(なまざけ)〕を采り、腸を去り、屋上に投げ、以て曝し乾し、又、腹より背に至るまで皮〔のみ〕連〔ねて〕割き開き、曝し乾す者有り【佐介乃比良岐〔(さけのひらき)〕。】其れ、松前・秋田、之を多く出だす。

盬引【志保比岐。】 作る法、生鮏を采り、腹を割き、鱗・腮〔(あぎと)〕及び腸を去り、洗淨し、子胞を塡〔(つ)〕め、腹口を封じ、盬水に淹〔(しほづけ)〕し〔→すること〕一晝夜、採り出だし、陰乾しすること一兩日、乾くを待ちて、又、盬水に淹し、初めのごとくし、採り出だし、陰乾にして、稻藁を用ひて包封して陰乾し、月餘を經て収用す。此れを子籠(こごもり)と謂ふ【「本朝式」に謂ふ所の内子鮏、是なり。】子を塡めざる者、此れ普通の盬引なり。古へ楚割(すわり)と稱する【須波夜利〔(すはやり)〕。】者は、今の盬引か。

氷頭(ひづ)【比豆と訓ず。】 鮏の頭骨。氷の澄徹〔(ちようてつ)〕する者のごとし。甘美〔にして〕脆軟〔(ぜいなん)〕なり。

背腸【美奈和太〔(みなわた)〕と訓ず。】 鮏の背腸〔(せわた)〕の醢(しほから)なり。

凡そ鮏は【甘く、温。[やぶちゃん字注:珍しく「く」を送っている。]】北海に生ず。冬月、深雪蟄居〔の〕、日用の食品と爲し、穀に充つ。然れども畿内の人、皆、多く之を食へば必ず小瘡を發すと云ふ。彼の地の人、皆、常食と爲して未だ瘡を發する者を聞かずと云ふ。是れ乃ち、土地の寒温及び狎(なれ)ると狎ざるとの差のみ。獨り鮏のみならず。猶ほ山家には芋を以て常食と爲し痞滿〔(ひまん)〕を知らざる者のごとし。

産後・金瘡〔(きんそう):刀傷・切り傷〕の藥 干鮏 阿羅魚【共に黑燒〔にして〕、性を存〔すべし〕。】 藜〔(あかざ)〕 萍蓬草〔(かはほね)〕 小角豆〔(ささげ)〕【皮を去りて生を用ふ。】 沈香〔(ぢんかう)〕【燒〔くに〕煙を出ださず。】 以上、六味、分量に口傳有り。

[やぶちゃん注:広義にはサケ科 Salmonidae全体を指すが、本文中の分布域から、ここでは本州能登半島及び福島以北に分布する北方種のサケ目サケ科サケ(シロザケ)Oncorhynchus ketaを代表種として掲げておく(サクラマス等は九州北部まで分布域が南下する)。それにしても、この良安の慄っとする素敵な図……その「干」のユーモラスなとぼけた顔に対して……妖艶な「プロビデンスの眼」(全知の眼)みたようなアイシャドウの入った眼といい、全身を覆うフルメタル・ジャケットの鱗といい、今にも這い歩きしそうなぶっといしっかりとした胸鰭といい……僕には全く「生きた化石」シーラカンス(肉鰭綱シーラカンス亜綱シーラカンス目Coelacanthiformes)のようにしか、見えないのである……「和漢三才図会」のシーラカンス! いいじゃない!

 「鰷」は、「年魚」と呼ばれるアユキュウリウオ目キュウリウオ亜目キュウリウオ上科アユ科アユ Plecoglossus altivelis altivelisを指している。但し、本字は通常、コイ目コイ科ウグイ亜科ウグイ(ハヤ)Tribolodon hakonensisを指す(希にカサゴ目アイナメ亜目アイナメ科アイナメHexagrammos otakiiを指す場合もある)。意味は本文にある通り、周年生活環が一年であることによる。後掲の「鰷」も参照のこと。

 「鮭は河豚なり」とある通り、「鮭」の字は中国ではフグ目フグ科Tetraodontidaeのフグ類を指し、「さけ」は国訓である。

 「和名抄」は正しくは「倭(和とも表記)名類聚鈔(抄とも表記)」で、平安時代中期に源順(したごう)によって編せられた辞書。多出するので以下、注では省略する。

 『崔禹錫が「食經」』の「食經」は「崔禹錫食經」で唐の崔禹錫撰になる食物本草書。前掲の「倭名類聚鈔」に多く引用されるが、現在は散佚。後代の引用から、時節の食の禁忌・食い合わせ・飲用水の選び方等を記した総論部と、一品ごとに味覚・毒の有無・主治や効能を記した各論部から構成されていたと推測される。

 「鱒」は後掲の「鱒」の項のの冒頭注を参照のこと。

 「青質赤章」は、青い下地に赤い模様がある、という意味で、すべて音読みでよいと思う。

 「厚美」は脂でこってりとして旨い、という意味。

 「枕骨」とは、人体にあっては外後頭隆起の下を言うようであるが、ここでは特に鮭の頭部の、鼻に近い部分を形成するゼラチン質の軟骨を特異的に示している。

 「筯子・甘子」について。先のように魚卵をバラにしたものはバラ子というが、サケの場合、現在は特にイクラ(ロシア語の魚卵を指す“икра”(イクラー)が語源)と呼称する(この呼称は日露戦争以降という)。「筯子」は筋子(スジコ)で、卵巣膜に包まれた状態の加工品を言う。「甘子」という呼称は(薄塩のものを言うか)現在は使われていない模様である。

 「昨日たち……」の歌は、引用元が示されていないが、技巧的でありながら優れた狂歌であると私は思う。「衣」の縁語として「たつ」「きる」「すそ」「ほころぶ」「さく」が美事に配され、「たち」に高館を掛けて、衣川と繋ぐ。且つ、詩想全体は、産卵前後のサケの満身創痍のペーソスをもしっかりと伝えている。

 『「本朝式」』は「延喜式」のこと。「弘仁式」及び「貞観式」(本書と合わせて三代格式と呼ぶ)を承けて作られた平安中期の律令施行規則。延喜5(905)年に醍醐天皇の勅命で藤原時平らが編纂を始め、延長5(927)年に完成、施行は実に半世紀後の康保4(967)年であった。平安初期の禁中の年中儀式や制度等を記す。三代格式の中では唯一、ほぼ完全に残っている。

 「楚割」は「すわやり」で「魚条」とも書く。元来は「すはえわり」の音変化。「楚」(すわえ:木の小枝)の如く細く割ったもの、という意味で、魚肉を細長く切って塩漬けにしたものを干した保存食を指す。削って食した。現在で言う「たれ」であるが、良安の推測は誤っていないと言っていいだろう。本件について、東洋文庫版は後注を附し、人見必大の「本朝食鑑」の「鱗部」の「鮭」の項の記載に、源頼朝が遠江の菊河駅に宿した際、『佐々木盛綱が小刀を鮭の楚割に添えて進めた話をのせ、いまの塩引の類ではなかろうか、と述べている。』と記す。これは編者が、良安は「本朝食鑑」の記載を参考にして、この最後の部分を記載していると考えたことを示している。「本朝食鑑」は元禄8(1695)年の刊行、編纂が約30年の長期に亙った「和漢三才図会」は正徳2(1712)年頃に一応の成立を見ているので、良安がこのベストセラーを管見した可能性は十分考えられる。私は「本朝食鑑」を所持していないが、必大が参照にしたであろう「吾妻鏡」は所持している(実は私は鎌倉史研究を続けている関係上、「吾妻鏡」は守備範囲なのである)。該当部分、建久元(1190)年の十月十三日の条を以下に示す。これは、最早、妖怪としての力を失った後白河法皇と対面、権中納言及び右近衛府大将に任命されるも、すぐ辞退し、名実共に幕府地固めを決定的にした、頼朝上洛の際のエピソードである。原文底本は吉川弘文館昭和541979)年刊「國史大系」版を用いた。難読語には〔 〕で読みを附した。


○十三日甲午。於遠江國菊河宿、佐々木三郎盛綱相副小刀於鮭楚割【居折敷】以子息小童送進御宿。申云、只今削之令食之處。氣味頗懇切。早可聞食歟【云云】。殊御自愛。彼折敷被染御自筆曰。

 まちゑたる人のなさけもすはやりのわりなく見ゆる心さしかな


やぶちゃんの書き下し文:

○十三日 甲午〔ひのえうま〕

 遠江國菊河の宿に於て、佐々木三郎盛綱、小刀を鮭の楚割〔すはやり〕【折敷〔をしき〕に居う。】に相副へ、子息小童を以て御宿に送り進ず。申して云く、「只今、之を削り食せしむるの處、氣味頗る懇切。早く聞こし食すべきか」と云々。殊に御自愛あり。彼の折敷に御自筆を染められて曰く、

 待ち飢(ゑ)たる人の情けもすはやりのわりなく見ゆる心ざしかな

 
やぶちゃんの現代語訳:

○十三日 甲午〔ひのえうま〕

 (頼朝公上洛の途次、)遠江の國の菊河〔:現在の静岡県島田市菊川。〕駅に宿った際、(同行していた)佐々木の三郎盛綱は、小刀を鮭の楚割〔すはやり〕に添えた状態で【小刀は楚割を載せた折敷に据えられていた。】、子息の小童に使いさせて頼朝公の御宿にお送り申し上げ、献上した。その際、盛綱の小童が父の謂いを申し上げて言うことには、「ちょうど今、この鮭の楚割を削って食べましたところ、その風味が、極めて緻密で欠けたところが御座いませなんだ。佐殿〔=頼朝公〕にも是非早速にお食べになられるのがよかろうかと存知まする。」と【いったような主旨であった。】。御自身で小刀を以てお削りになられ、お食べになった頼朝公は、殊の外、これを御賞味されたのであった。さて、お食べになられた後、頼朝公は、その載っていた折敷に御手ずから筆をお染めになられてお書きになった(歌)は、

 待ち飢(ゑ)たる人の情けもすはやりのわりなく見ゆる心ざしかな

  :すっかり腹が減っていたこの私の気持ちをも察して、あっ! と驚くほどに即座にすばやい楚割の献進、勘所を決してはずさぬ誠に殊勝な心掛けであることよ!

 
さて、ここで点数を稼いだ佐々木盛綱は、母は源為義の娘という源家嫡流の血筋を受ける。本名、秀綱。父秀義と東に下り、長兄の定綱と共に若き配流の身の源頼朝に近侍した。頼朝挙兵の端緒となる伊豆目代佐々木兼隆の首級を挙げたのも彼である。ここで盛綱が鮭を献進たのには、直前の長兄定綱の不祥事がらみでの賂とも思われるが、実は彼は源家の故事詳しかったが故の秘密技なのである。この人物及びその後の盛綱流佐々木氏については佐々木哲学校氏なる方のブログの「佐々木三郎兵衛尉盛綱」に詳しい。そこには幾つも興味深い事実が記されているが、次の記述は彼の振舞の巧さと、このサケの出身地が分かる。

『文治元年(1185)の守護・地頭設置で、上野国磯野郷・越後国加地荘などを得るとともに上野・越後・伊予守護に補任。越後・出羽地方を管掌しました(『吾妻鏡』建久2年10月1日条)。建久元年(1190)奥州藤原泰衡を滅ぼし上洛する源頼朝に、盛綱は俣野箭一腰を進上しました。これは源頼義が前九年合戦で勝利して帰洛するときに携えていたものと同様のものでした。盛綱が武家故実に詳しかったことが分かります。建久5年(1194)2月14日に頼朝に生鮭2を献上していますが、これは領地越後加地荘でとれたものでしょう。』

越後加治荘とは、現在の新潟県北蒲原郡加治川村(ここは現在では米のコシヒカリの名産地として有名)で、新潟の塩引き鮭は、現在も特産品の一つである。なお最後の和歌の「待ちゑ」を「待ちえ」と訓読している本(例えば昭和151940)年岩波書店刊龍肅訳注版)やネット・テクストを見受けるのであるが、これは「待ち得」から引かれた衍字のように思われる。あくまで私は動詞「待ち飢(う)」として訓読・解釈した。疑義のある方は、御一報を乞う。

 「氷頭」についてのこの叙述は、前掲の「倭名類聚鈔」の「枕骨」の部分に「色は氷の如く澄徹し、其味、甘味脆軟。」とあるという情報があり、だとすれば、それを引き写した可能性が高い。

 「背腸」は中骨に沿って付着する血腸(腎臓)を塩辛にしたものを言う。紫黒色で、現在は「めふん」という名で知られ、この「みなわた」という呼称は用いられていないようであるし、「みな」という訓も不審である。なお「めふん」はアイヌ語で、シロザケやカラフトマスの血合いの部分を言う。

 「小瘡」とはアレルギー性蕁麻疹を指していよう。魚の主要アレルゲンは、筋肉に含まれれる蛋白質パルブアルブミンparvalbuminとコラーゲンCollagenで、サケはアレルゲンとなりやすい魚類である。

 「痞滿」は胸がつかえて塞がったような苦しい症状、もしくは脇腹がしくしく痛んだり、ぎゅっと縛られるような痛みの症状を言うが、ここは単純な胸焼けである。

 「阿羅魚」はハタ科ハタ亜科アラ族アラ Nuphon spinosus

 「性を存すべし」とは、有効成分がしっかり残るように(失効しないように)せねばならない、の意。

 「藜」はナデシコ亜綱ナデシコ目アカザ科アカザ属シロザChenopodium album(この属名と種名とその変種の名前の関係には吃驚りだ!)の変種であるアカザChenopodium album var. centrorubrum。鎮痛・健胃・歯痛等に効く。

 「萍蓬草」はスイレン科のコウホネNuphar japonicum。根茎からの抽出エキスを「川骨」といい、強壮剤・止血剤とする。

 「小角豆」はマメ目マメ科ササゲVigna unguiculata。腎臓疾患に薬効ありとする。

 「沈香」は、熱帯アジアに産するモクレン綱バラ亜綱フトモモ目ジンチョウゲ科の常緑高木であるジンコウAquilaria agallochaから採取加工した天然香料。特に光沢ある黒色のものを伽羅(きゃら)という。ちなみに「沈」は木質が極めて固く、水に沈むところからの命名。

 「以上、六味、分量に口傳有り」は、以上の6種を配合するに際しての分量については、施療者によってそれぞれの秘伝があり異なる、といった意味。]

***

ます

【音存】

ツヲン

 

鮅【音必】赤眼魚

鰚    腹赤魚

【和名萬須

 又云波良】[やぶちゃん字注:以上四行は前三行下に入る。]

 

本綱鱒似※小鱗亦細於※赤脉〔=脈〕貫瞳身圓長青質赤

[やぶちゃん字注:※=「魚」+「軍」。]

章好食螺蚌善子遁網性好獨行尊而必者【故字從尊從必】

△按鱒景行天皇時從肥後宇土郡長濵貢之【聖武帝時自太宰府

《改ページ》

 貢之毎正月元日有腹赤魚贄云云】今東北國多有其肉【甘温】美於鮏多

 食發瘡

      年中行事初 春の千代のためしの長濵につれるはらかも我君のため

ます

【音、存。】

ツヲン

 

鮅【音、必。】赤眼魚

鰚      腹赤魚

【和名、萬須。又、波良〔(はら)〕と云ふ。】

 

「本綱」に『鱒は※(あめのうを)に似て小さく、鱗、亦、※よりも細かく、赤脈、瞳を貫き、身、圓く長し。青質赤章にして、好みて螺〔(ら)〕蚌〔(ばう)〕を食ふ。子、網を遁げるを善〔くす〕。性、好みて獨行し、尊にして必する者なり【故に字、尊により、必による。】。』[やぶちゃん字注:※=「魚」+「軍」。]

按ずるに、鱒は、景行天皇の時、肥後の宇土〔(うと)〕の郡長濵より之を貢ず【聖武帝の時、太宰府より之を貢ず。毎正月元日、腹赤魚の贄〔(にへ)〕有りと云云。】。今、東北〔の〕國に其肉多く有り【甘、温。】。鮏より美なり。多く食へば、を發す。

     「年中行事」初春の千代のためしの長濵につれる腹赤も我君のため

[やぶちゃん注:「鱒」の指すマスとは、現在でも特定の種群を示す学術的な謂いでは、実はない。ウィキペディア等によれば、サケ目サケ科Salmonidaeに属しながらも和名の最後に「マス」がつく魚、又は、日本で一般にサケ類(ベニザケ・シロザケ・キングサーモン等)と呼称され認識されている魚以外の、サケ科の魚を総称した言い方であるとし、狭義には以下のサケ科タイヘイヨウサケ属の、サクラマスOncorhynchus masou及びサツキマスOncorhynchus masou ishikawae、ニジマスOncorhynchus mykissの三種を指すことが多いとする。また、「ニチロサーモンミュージアム」のQ&Aでは、英語圏では原則的には『淡水生活をおくるものをトラウトtrout(日本語訳はマス)、海に降るものをサーモンsalmon(日本語訳はサケ)と呼び、サケの仲間を区別して』いるとし、『日本語でも、サケ属の中で降海する種にはサケを、サケ科の中で淡水生活をおくる種にはマスと付けた名称が使われてい』るとするのだが、その言葉の直後で、その区別は洋の東西を問わず、かなり曖昧、とも言っている。ここでの良安自身の記載も故事記載に留まっており、同定は不能である。

 但し実は、「本草綱目」のこの「鱒」はマス類の叙述ではなく、コイ目の一属一種であるカワアカメSqualiobarbus curriculusを叙述したものである。古くは漢和辞典の「鱒」の字義には、『鮭の一種。あかめうお(赤目魚)』と記されてさえいたが、最新のものでは、カワアカメに訂正されている。良安の記載が少ないのは、前の「鮏」で語り尽くしてしまったこともあろうが、「嘉魚」「鮏」で「鱒」に似ているというメタな記述をした以上、この記載の少なさは解せない。良安自身、この「本草綱目」の記載が、何となく本邦のマスと違うことに気づいていたのかも知れない。

 「※(あめのうを)」という呼称は現在のサケ目サケ科タイヘイヨウサケ属サクラマス(ヤマメ)Oncorhynchus masou masou 亜種である琵琶湖固有種であるビワマスOncorhynchus masou rhodurusの別名として、またサツキマスOncorhynchus masou ishikawae(サツキマスは降海型・降湖型の名称)の陸封型であるアマゴOncorhynchus masou ishikawae学名はサツキマスと全く同じ)の別名としても通用している。本記述の場合は、記載自体の魚種(即ち李時珍の意味した魚種)は「鱒」自体がマスでないカワアカメである以上、それに似た種というのは同定が難しい(必ずしもコイ科であるとは限らないであろう)。

 「青質赤章」は、青い下地に赤い模様がある、という意味で、すべて音読みでよいと思う。

 「螺」は巻貝即ち腹足類を指す総称で、ここでは捕食魚類が淡水産であるから、腹足綱の新紐舌目カワニナ科Pleuroceridaeや原始紐舌目タニシ科Viviparidaeを指していよう。

 「蚌」は、本邦では狭義にドブガイAnodonta woodianaを指すが、ここでは二枚貝綱古異歯亜綱イシガイ(サンカクガイ)目イシガイ超科イシガイ科Unionidaeにとどめておく。なお、私の電子テクスト「和漢三才圖會 巻第四十七」の「蚌」の項を参照。

「尊にして必する者なり」はよく分からない。当然、直前の、その生態が単独相であることを受けていると考えられるので、その属性を評したものではあろう。ちなみに東洋文庫版では『毅然として迷わず行動する』性質であると訳している。確かに、時珍は時にこうした載道的な解釈を持ち出すが、その謂いはと言えば、分かったような分からない記述(心霊写真のシミュラクラみたようなもの)である。少なくともここは、我々に新たな発見を与えてくれるような天馬空を行くが如き自由な発想ではなく、「獨行」の擬人化から連想される紋切り型の陳腐なものでしかないように思われる。

「按ずるに、……」以下の事蹟の内、まず景行天皇のものは、室町中期に僧行誉(ぎょうよ)のよって篇せられた辞書「※嚢抄」[やぶちゃん字注:※=「土」+「蓋」。](あいのうしょう)の「巻四 二十五」に詳しい。以下、京都大学附属図書館所蔵の「貴重資料画像」ライブラリーの画像を底本としてテクストを起し、語注(該当部分に下線)と現代語訳を附した(書誌によると刊記「正保三(丙戌)暦三條通菱屋町ふ屋 林甚右衛門」。正保3年は1646年)。翻刻では片仮名を平仮名に換え、適宜、濁点等を打った。また、一部を句点様記号を読点に換え、底本のルビは( )、私が補足した字は〔 〕で示した。なお、底本では「様」や「験」は現在の新字体と同じである。

 
 二十五 奏(そう)する氷様(ひのためし)・腹赤(はらか)の御贄(みにえ)の事(こと)

[やぶちゃん注:「にえ」はママ。本来は「にへ」。]

是は宮内省の奏する事也。氷様と申すは、只だ氷り也。去年納めたる所々の氷の様を、今日節會〔せちゑ〕の次に、奏聞〔そうもん〕する也。是を凍〔ら〕する池をば、氷池(ひいけ)と曰〔ふ〕也。延喜式にも、氷池の祭りを註し侍り。喩へば氷の多く生〔ずる〕は聖代は験〔しる〕し、氷の居〔ら〕ざるは、凶年の相也。仍て氷の居〔ら〕ざるは、凶年の相也。仍て氷の御祈とて、大法〔だいほふ〕など行〔は〕るゝ也。様(ため)しとは、寸法程〔ほど〕らひの分際ある故也。仁徳天皇の御宇に額田大中彦(ぬかた〔の〕をほなかびこの)皇子の、始〔め〕て、氷を奉らせ給〔ひ〕し也。其後より、季冬毎に國々に是を接(をさめ)て、氷室(ひむろ)を置〔か〕れしなり。  次に腹赤の魚とて、筑紫(つくし)より奉〔る〕也。昔は節會なんどに、軈〔やがて〕て供しけるにや。腹赤の食様(くひやう)とて、食さしたるを皆取り渡して、食〔ひ〕給ひけるとなん。景行天皇の御時、肥後の國毛宇土(けうと)の郡〔こほり〕長濵にて、此の魚を釣り奉〔る〕を、年毎の節會に、供すべき由、定め置〔か〕れける也。[やぶちゃん字注:「次に腹赤の魚とて」の前の二字空きはママ。]

 
やぶちゃん語注:

・「御贄」とは、神や朝廷に捧げる神聖な食物を指し、「いけにへ」(なまもの)と異なり、調理加工されているものが多い。

・「今日節會」は、元日の小節会を指すか。

・「仍て氷の居らざるは、凶年の相也。」この原文の一文は衍文が疑われる。若しくは「仍て氷の居らざる凶年の相なるや、」(そのように氷が張らずに凶年の占いが出た時には)の意の錯文かもしれない。後者で訳した。

・「食ひ給ひけるとなん」は、意味が今ひとつ通じない。儀式に参加した人々皆で少し食べては回し食いをしたとするが、それを最後に帝がお食べになるというのはやや解せない。神人共食の考え方からすれば、有り得ない話ではないにしても、現実的ではない。そこで『帝=神がお召しになった(ということにした)ということである』という苦しい訳になった。この「給ひ」が「給へ」であれば「食ふ」の謙譲語として「皆で有り難くいただいた」といった意味に取ることができるのであるが。識者の御教授を願う。

・「肥後の國毛宇土郡長濵」は現在の熊本県宇土市。ウィキペディアの「宇土市」によれば『その由来は、宇土半島がもとは島で「浮土」と表したのが転じたという説と、細く長い谷の意味を持つとの説がある。』とする。「毛」は後者の説を補強するものか。またこの宇土の『御輿来海岸は、4世紀に九州遠征の際に立ち寄られた景行天皇が景色の美しさに見惚れて、御輿を止めて、休まれたという伝説が名前の由来である。また、網田には景行天皇がその手を洗われたという御手洗(みたらい)が存在し、現在も綺麗な水が湧き出ている。』という事蹟もあるとする。「長濵」は現在の宇土市長浜肇町。JR九州には肥後長浜という駅名があり、海浜である。

 
やぶちゃん訳:

二十五 帝に上奏する「氷様(ひのためし)」・「腹赤(はらか)の魚」という「御贄(みにえ)」について

これは宮内省が帝に上奏する事物である。「氷様」と言うのは、ただの氷である。去年納められた各所からの氷の状態を、今日の節会の儀式の次に、帝に上奏するのである。(各地の)これら献納するための氷を凍らせる池のことを、氷池(ひいけ)と言う。「延喜式」にも、「氷池の祭り」という注がなされ(その語がはっきりと示されて)います。さて、たとえばその氷が厚くしっかりと張られた時は、その年はことほぐべき良き年という予兆であり、氷が張らない時は、まがまがしい凶の年という予兆なのである。よって、そのように氷が張らずに凶年の占いが出た時には、満を持して、「氷の御祈(おほんいのり)」という密教の厳かな修法(ずほう)等が行なわれ(吉相への回天を図)るのである。「様(ため)し」と呼称するのは、その張った氷の厚さや広さ及びその状態、即ち総合的な氷結の様態に様々な区別が存在する故である。遡れば、仁徳天皇の御世に額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかびこのみこ)が初めて帝に氷を差し上げなさったのである。それからというもの、帝は毎年、冬がやってくるたびに、それぞれの国々にこの氷を納めさせる義務を課せられ、氷室(ひむろ)をお置きになったのである。  さて、次に「腹赤の魚」と言うのは、筑紫より帝に捧げるものである。昔は節会の儀式等に於いて、そのまま調理をせずに供物として生のまま捧げたのでもあろうか。腹赤の魚の食べ方としては、少し食べかけたそれを儀式に参加した人々同士、皆で取っては食い、食っては次に渡すことで、帝=神がお召しになった(ということにした)ということである。景行天皇の御世に、肥後の国の毛宇土(けうと)郡の長浜で、御幸された景行天皇の御為にこの魚を釣り申し上げたところ、(お食べになられて殊の外お喜び遊ばされ、)毎年の元日の小節会には必ずこの魚を上納するようにと、御自らお定めになられたのである。

次に聖武天皇の事蹟についてであるが、これは文政9(1826)年に巌垣松苗(東園)が編纂した「日本国史略」を巌垣杉苗(松苗の子か)が注釈した明治期の刊行本である「増補点注国史略」の聖武天皇の段に、天平15743)年の正月の記事として、

太宰府で始めて腹赤の魚を帝に獻じた。旧説に『景行天皇のが西国に幸巡された際,築紫の宇土郡の人が魚を釣って捕獲しそれを献上した。これがその年の正月の最初の御贄であった。故に後世、元日の小節会にあっては、腹赤の贄を上奏するようになった。』とあり、中国ではこの腹赤の魚を鱒と言う。

との叙述がある(以上は私の現代語訳である)。この二つの文献に現れる「腹赤の魚」とは同一種と見て良いが、良安には悪いが、これは現在ではコイ科ウグイ亜科ウグイTribolodon hakonensisに同定されている。春になると雌雄ともに腹部に鮮やかな三条の婚姻色が現れ(ちなみにこれをサクラウグイと称し、私も食したことがあるが、川魚料理としては絶品の部類に属すと思っている)、アカウオとも呼ばれる。なお、前者の長浜は明らかに海岸であるが、ウグイは降海型が知られており(但し北方系に多い)、齟齬はない。マスとウグイの出現時期はシンクロしているので、呼称が混同しているのかも知れない。

 「瘡」は「鮏」の項の「小瘡」を参照。

 『「年中行事」』は「年中行事歌合」。南北朝の貞治5(1366)年1222日に二条良基が主催し、冷泉為秀を判者とした歌合を基とした歌集。他に今川了俊(貞世)・頓阿等、23名が参加している。年間の公事を歌題とし、判詞の後にその行事の解説が添えられた有職故実的色彩の強い歌合。当該歌の作者については、暇が出来るまで暫らくお待ち下されたし。

 「千代のためし」とは、帝による平和な御代が永遠に続く好個の例、の意であろう。]

***

あめのいを

【※同】[やぶちゃん字注:※=「魚」+「軍」。]

ホヲン

 

鰀【音獲】 草魚

水鮏〔(みづさけ)〕江鮏〔(ゑさけ)〕

【漢語抄】

【和名阿米】[やぶちゃん字注:以上四行は、前三行下に入る。]

 

本綱鯇生江湖中似鱒而大其形長身圓肉厚而鬆状類

青魚有青鯇白鯇二色其性舒緩故曰鯇曰鰀俗名草魚

其食草也

△按鯇江州湖中多有之頗似鮏故漢語抄名水鮏江鮏

 四五月盛出一尺二三寸大者二尺四五寸其小者五

 六寸尺餘也土人稱鱒但扁於眞鱒

肉【甘温】暖胃和中然發諸瘡

《改ページ》

■和漢三才圖會 河湖有鱗巻ノ四十八 ○六

 

膽【苦寒】治喉痺一切骨鯁以酒化二枚温呷取吐

榎葉魚 出於豊後河湖中似鯇

あめのいを

【※、同じ。】[やぶちゃん字注:※=「魚」+「軍」。]

ホヲン

 

鰀【音、獲。】 草魚

水鮏 江鮏

「漢語抄」。】

【和名、阿米。】

 

「本綱」に、『鯇は江湖の中に生ず。鱒に似て大。其の形、長く、身、圓く、肉厚にして鬆〔(ゆる)〕し。状、青魚の類〔にして〕青鯇白鯇の二色有り。其の性、舒緩〔(じよくわん)たり〕。故に鯇と曰ひ、鰀と曰ふ。俗に草魚と名づく。其れ、草を食すればなり。』

△按ずるに、鯇は、江州〔=近江〕、湖〔=琵琶湖〕の中に多く之有り。頗る鮏に似る。故に「漢語抄」に水鮏・江鮏と名づく。四~五月、盛んに出づ。一尺二~三寸より、大いなる者は二尺四~五寸、其の小なる者は五~六寸〔より〕尺餘なり。土人、鱒と稱す。但し、眞鱒より扁(ひら)にあり〔→扁(ひらた)し〕。

肉【甘、温。】 胃を暖め、中を和す。然れども諸瘡を發す。

膽〔=胆〕【苦、寒。】 喉痺〔(こうひ)〕・一切の骨鯁〔(こつかう)〕を治す。酒を以て二枚に化〔(くわ)〕し、温〔めたるを〕呷〔(あを)り〕、吐くを取る

榎葉魚 豊後の河湖の中より出づ。鯇に似る。

[やぶちゃん注:まず、冒頭の「本草綱目」の「鯇」は「あめのうを」ではない。全くの別種であるコイ目コイ科ソウギョ亜科ソウギョCtenopharyngodon idellusである。それでは、良安がここで自認した「鯇」は何であったか。アメノウオという呼称は現在のサケ目サケ科タイヘイヨウサケ属サクラマス(ヤマメ)Oncorhynchus masou masou 亜種である琵琶湖固有種であるビワマスOncorhynchus masou rhodurusの別名として、またサツキマスOncorhynchus masou ishikawae(サツキマスは降海型・降湖型の名称)の陸封型であるアマゴOncorhynchus masou ishikawae(学名はサツキマスと全く同じ)の別名としても通用しているが、ここでは良安の叙述の「江州、湖の中に多く之有り」によってビワマスに同定したい。

『漢語抄』は「楊氏漢語抄」で、柳梅(やまももの)大納言顕直撰になる。平安初期に完成し、漢語に相当する和語を示した一種の字書と思われるが、現存しない。良安がよく引く源順の「和名抄」にはこれがよく引用されており、ここもその孫引き。なお、ここは「水鮏」「江鮏」の二つの和名が「漢語抄」に所載するという意味である(「草魚」は「本草綱目」に載る中国名であるから含めずに考える)。

 「鬆し」は身が軟らかいことを指すか。

 「青魚」とはコイ目・コイ科・ソウギョ亜科のアオウオMylopharyngodon piceusであろうと思われる。

 「青鯇」は現代中国にあって上記アオウオMylopharyngodon piceusの俗称である。

 「白鯇」は現代中国にあって上記ソウギョCtenopharyngodon idelluの俗称である。

 「舒緩」はゆるやか、ゆったりしていることを示す語。極めておっとりとした性質を示す時珍特有の擬人法的表現である。

 「鯇と曰ひ、鰀と曰ふ」とあるのは、「鰀」は「鯇」と音通であることを示していよう。「廣漢和辭典」では、どちらも「あめのいを」指すとする。

 「其れ、草を食すればなり」とあるが、ここで時珍の示すソウギョCtenopharyngodon idellusは文字通り草食性で、淡水性水草以外にもイネ科のヨシPhragmites australisや水辺に生育する雑草などで水面上に垂れ下がったもの等も食べる。歯を持たない代わりに咽喉部に咽頭歯があり、これを用いて貪欲に摂食する。

 「中を和す」とは漢方で言う「中焦」を指していよう。中焦とは胃の上口(噴門部)から下口(幽門部)までの胃部及び上腹部全体と脾臓とを言うようである。脾胃とも呼称し、ここで「和す」とは消化・吸収・排泄の運動を全体の調和を言っていると思われる。

 「諸瘡」は、これもアレルギー性蕁麻疹で、「鮏」の項の「小瘡」と同じである。同注を参照。

 「喉痺」は咽喉部の乾燥感・嚥下不能・疼痛を指す。急性・慢性咽喉炎の症状。

 「骨鯁」は魚類の骨が喉に刺さることを言う。

 「化し」は二枚に捌(さば)き、下(お)ろすといった意味であろう。

 「温めたるを呷(あを)り、吐くを取る」とは、その二枚におろした身を少し暖めたものを一息に飲み込み、即座にそれを嚥下すれば骨が取れるということであろう。後半部、やや訓読がし難い。

 「榎葉魚」は分布域を現在の大分としているので、本州と四国の太平洋側及び九州の瀬戸内海沿岸にまで南下して分布するサツキマスOncorhynchus masou ishikawae(サツキマスは降海型・降湖型の名称)の陸封型であるアマゴOncorhynchus masou ishikawae(学名はサツキマスと全く同じ)に同定する。この「榎葉魚」という呼称はエノハで現在も生き残っている。]

 

***

はす   正字未詳

波須 【俗云波須

     或用鰣字誤

     鰣見海魚下】

 

△按江州湖中在之四五月多出其身圓肉白形色鱗皆

 似幾須大四五寸不適一尺炙食甘平又作鮓亦香也

有海幾須川幾須之二種蓋此川幾須之類矣

はす   正字は未だ詳らかならず。

波須 【俗に波須と云ふ。或は鰣の字を用ゐるは誤りなり。鰣は海魚の下を見よ。】

 

△按ずるに、江州湖中に之在り。四~五月、多く出づ。其の身、圓く、肉、白く、形・色・鱗、皆、幾須〔(きす)〕に似たり。大いさ、四~五寸。一尺を過ぎず。炙り食ひて甘〔にして〕、平なり。又、鮓に作りて亦、佳なり。
海幾須
川幾須の二種有り。蓋し此れ川幾須の類〔ならん〕。

[やぶちゃん注:コイ目コイ科ダニオ亜科ハスOpsariichthys uncirostris。用法を誤まっているとする「鰣」については、良安は巻第四十九の江海有鱗魚の中で取り上げ、「ひら」と訓じている。これは海水魚であるニシン上目ニシン目ニシン科ニシン亜科のヒラLlisha elongataである。

 「幾須」は後述される「海幾須」という表現からもスズキ目スズキ亜目キス科 Sillaginidaeの海水魚類を指すとしか思われないが、ハスのへの字型の口吻といい、側面からの魚体や色彩といい、全く似ていないと私は思うのだが……。

 「海幾須」は一般的なシロギス Sillago japonicaを指すのであろうか? 似てないんだけど……。

 「川幾須」は、河口域に生息し絶滅が危惧されるアオギスSillago parvisquamisを指すとする記述のほかに、現在コイ科カマツカ亜科のカマツカPseudogobio esocinusの別称として、北陸・関西・九州等の広い地域で用いられている(この種はスナホリ・スナモグリ等別称が多い)が、こっちはヒゲはあるし、どう見ても当時だって近縁種にゃあ、見えないんだけど……。]

***

《改ページ》

あゆ

【音條】

チヤ゜ウ

 

※1【音囚】 ※2【音餐】

白鯈     香魚

細鱗魚【日本紀】

年魚銀口魚

【和名安由】

[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「囚」。※2=「餐」の「食」を「魚」に換える。]

 

本綱鰷生江湖中小魚也長僅寸形狹而扁状如柳葉鱗

細而整潔白可愛好羣游最宜鮓葅也肉【甘平】

和名抄載食經云年魚貌似鱒而小有白皮無鱗春生夏

長秋衰冬死故名年魚【和名抄用鮎字俗從之非也鮎者鮧】

日本紀神功皇后征三韓時到火前國松浦縣於玉嶋里

小河祈之曰朕欲求財國若有成事者河魚飲鈎因以擧

竿乃獲細鱗魚時曰希見物也故號其處曰梅豆羅國今

謂松浦訛焉是以其國女人毎當四月上旬以鈎捕年魚

於今不絶但男雖鈎之以不能獲魚

平陽鴈蕩志云香魚【又名記月魚細鱗魚溪鰛】其註最詳

《改ページ》

■和漢三才圖會 河湖有鱗巻ノ四十八 ○七

△按鰷二三月初生在江海之交大一二寸未生鱗骨潔

 白惟見黑眼呼曰小鰷熬食甚甘美不腥三四月大如

 柳葉生鰭及細鱗頭尖嘴白背淡青腹白尾端鰭端有

 微赤色其頭後背前有凝脂味最佳泝流至山川食石

 垢苔藻其潜行甚速五六月四五寸鮓鱠灸煮鮿共甘

 美味無似之者七八月最長近尺此時※3如芥子者滿

[やぶちゃん字注:※3=「魚」+「米」。]

腹其背生漆班〔→斑〕文如刀刄鏽故曰鏽鰷八九月於湍水

 草間生子而後漂泊隨流下死也其子孚生流入鹹水

 徐成長焉其盛衰與鮏同故二物共稱年魚【本綱所言者春夏之

 之小鰷也和名抄所言者夏秋鏽鰷也】諸國谷川續於海處皆有之濃州

[やぶちゃん字注:この冒頭の「之」は前の「之」の衍字であろう。]

 城州【賀茂川桂川】和州【吉野川】紀州【紀川】作州【三升川】阿州【田頭子川】

 越前【福居】遠州【大井川】相州【根府川】武州【築井川】下野【宇都宮川】此

 外九州鰷得名者不少其大者尺有余

鰷※4〔→鱁〕【訓宇留加】 鰷腸鹽藏者灰黑色【甘渋微苦】不襍沙石者爲良

[やぶちゃん字注:※4=「鱁」から(しんにょう)を取り去る。]

 安藝之産爲勝

《改ページ》

     かも川の瀨にすむあゆの腹に社うるかといへる綿はありけれ 小式部

あゆ

【音、條。】

チヤ゜ウ

 

※1【音、囚。】 ※2【音、餐。】

白鯈〔(はくいう)〕 香魚

細鱗魚【「日本紀」。】

年魚・銀口魚

【和名、安由。】

[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「囚」。※2=「餐」の「食」を「魚」に換える。]

 

「本綱」に、『鰷は江湖の中に生ずる小魚なり。長さ僅かに寸〔ばかり〕、形、狹くして扁たく、状、柳の葉のごとし。鱗、細く整ひ、潔白〔にして〕愛すべし。好みて羣游す。最も鮓葅〔(さそ)〕に宜〔(よろ)〕し。肉【甘、平。】。』と。

「和名抄」に「食經」を載せて云ふ、『年魚(あゆ)は、貌、に似て小さく、白皮有りて、鱗無し。春に生まれ、夏に長け、秋に衰へ、冬に死す。故に年魚と名づく【「和名抄」に鮎の字を用ふ。俗、之に從〔ふは〕、非なり。鮎は鮧(なまづ)なり。】。』と。

「日本紀」に、『神功皇后、三韓を征する時、火前の國松浦〔(まつら)〕の縣〔(あがた)〕に到りて玉嶋の里の小河にて、之を祈りて曰〔(のたまは)〕く、「朕、財國を求めんと欲す。若し成る事有らば、河魚、鈎を飲め。」と。因りて以て、竿を擧げて、乃ち細鱗の魚を獲る。時に「希-見(めづら)しき物。」と曰ふ。故に其處を號して梅--羅(めづら)國と曰ふ。今、松浦と謂ふは訛〔(なまり)〕なり。是を以て其の國の女人、毎に四月上旬に當り、鈎を以て年魚を捕ふ。今に於〔けるまで〕絶えず。但し、男は之を鈎ると雖も以て魚を獲る能はず。』と。

「平陽鴈蕩志」〔(へいやうがんたうし)〕に『香魚(あゆ)【又は記月魚・細鱗魚・溪鰛〔(けいをん)〕と名づく】。』と云ひ、其の註、最も詳らかなり。

△按ずるに、鰷は、二~三月初めて生じ、江海の交(あはひ)に在り。大いさ一~二寸、未だ鱗骨を生ぜず、潔白、惟だ黑眼を見るのみ。呼して小鰷と曰ふ。熬り食〔へば〕、甚だ甘美にして腥〔(なまぐさ))〕からず。三~四月、大いさ柳葉のごとく、鰭及び細鱗を生ず。頭、尖り、嘴、白く、背、淡〔く〕青く、腹、白く、尾の端・鰭の端、微赤色有り。其の頭の後・背の前、凝脂有りて、味、最も佳なり。流れに泝〔(むか)ひ=向=逆〕て山川に至りて、石垢〔(いしあか)〕・苔・藻を食ふ。其の潜行〔すること〕、甚だ速し。五~六月、四~五寸、鮓〔(すし)〕・鱠〔(なます)〕・灸〔(あぶりもの)〕・煮〔(にもの)〕・鮿〔(ひもの)〕共に甘美、味、之に似たる者無し。七~八月、最も長く、尺に近し。此の時、※3(こ)〔の〕、芥子(からし)のごとき者、腹に滿ち、其の背、淡〔き〕斑文を生じて、刀の刄(は)の鏽(さび)るがごとし。故に鏽鰷(さびあゆ)と曰ふ。八~九月、湍水〔(たんすゐ)〕の草の間に子を生みて後、漂泊して流れに隨ひ下り、死す。其の子、孚生〔(ふしやう)〕して鹹水〔(かんすゐ)=潮水・海〕に流入し、徐〔(ゆる)〕く成長す。其の盛衰、鮏と同じ。故に二物共に年魚と稱す【「本綱」の言ふ所の者は春夏の小鰷なり。「和名抄」言ふ所の者は夏秋の鏽鰷なり。】。諸國の谷川の海に續く處に皆、之有り。濃州〔=美濃〕・城州〔=山城〕の【賀茂川・桂川。】、和州〔=大和〕の【吉野川。】、紀州の【紀の川。】、作州〔=美作〕の【三升(みほ)川。】、阿州〔=阿波〕の【田頭子(たづ〔ね〕)川。】、越前の【福居。】、遠州〔=遠江〕の【大井川。】、相州〔=相模〕の【根府川。】、武州〔=武蔵〕の【築井川。】、下野の【宇都の宮川。】、此の外、九州の鰷、名を得る者、少なからず。其の大なる者は尺有余。[やぶちゃん字注:※3=「魚」+「米」。]

鰷鱁【訓は宇留加。】 鰷の腸、鹽に藏〔(をさむ)〕る者。灰黑色【甘にして渋、微苦。】。沙石を襍〔(ま)=雜〕ぜざる者、良と爲す。安藝の産、勝れりと爲す。

    かも川の瀨にすむあゆの腹にこそうるかといへる綿はありけれ 小式部

[やぶちゃん字注:※4=「鱁」から(しんにょう)を取り去る。]

[やぶちゃん注:キュウリウオ目キュウリウオ亜目キュウリウオ上科アユ科アユPlecoglossus altivelis altivelis。奄美大島以南に分布するリュウキュウアユPlecoglossus altivelis ryukyuensisは別亜種(但し沖繩本島のそれは絶滅し奄美産を放流)。更に、琵琶湖に生息する陸封型アユPlecoglossus altivelis altivelisは和名でコアユと呼称するが、御覧の通り、同一種である。

さてかつて私は「和漢三才図会」巻第五十一の「鱊」即ち「縐小鰷」(ちりめんこあい)の項で良安の「鰷」の字の使用法について考察した。そこではこの「鰷」が示す本字の読みや意味、現在の同定種について、良安のある種の観察による批判精神を見ようとしていたのであるが、ここで良安は無批判に「鰷」を「あゆ」と訓読している。しかし、そこでも述べたように、現在、「鰷」は訓で川魚のコイ科ウグイ亜科ウグイTribolodon hakonensis(異名ハヤ・ハエ)を指し、音も「チョウ・ジョウ・ショウ」で、「あい」または「あゆ」という読みはその音からも引き出せない。そもそも「廣漢和辭典」の字義には「あゆ」はないのである。今、眼にする魚類関連の文献でも圧倒的に「鰷」はハヤであり、アユではない。だが、「縐小鰷」の用法から、この字を「あゆ」と読む習慣は確かに存在した。そうして良安はこの文字の「あゆ」としての使用を正当と論ずるのであるが、では、どの時点で良安先生のプロパガンダ虚しく、この「鰷」がアユの属性を欠落させ、同時にウグイを指すものとして完全優勢化していったのか? はたまた良安がここで誤用として強烈に排撃する「鮎」(現在では中国語で「マナズ」を指すことは日本でもよく知られている。昔も「瓢鮎図」等を引き合いに出すまでもなく、ある程度は知られていたはずである)が、江戸期に入って一気に市民権を獲得し(良安が生きていた1718世紀の江戸期に於いて誤用を批判しなくてはならない程度、「俗、之に從ふ」と言わざるを得ない程に普及してしまっていたわけだ)、現在まで連綿と続く、アユを表わす正統な文字として席捲してしまうのか? 興味深いところではある。

 「鮓葅」は酢や米に漬け込んだ魚のこと。

 『「日本紀」』は「日本書紀」のこと。

『「食經」』とは、「「崔禹錫食經」で唐の崔禹錫撰になる食物本草書。「倭名類聚鈔」に多く引用されるが、現在は散佚。後代の引用から、時節の食の禁忌・食い合わせ・飲用水の選び方等を記した総論部と、一品ごとに味覚・毒の有無・主治や効能を記した各論部から構成されていたと推測される。

 「鱒」は、前項「鱒」を参照。

 「鮧」=「鮎」で中国ではこれはナマズを総称する(「鮧」は狭義にはオオナマズと解される)。ここは多様な種を産する中国での使用を言うので、ナマズ目ナマズ科Siluridaeに留めておく。

 『「日本紀」に……』以下の事蹟は、「日本書紀」巻第九「気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと) 神功皇后」に現れる。JTEXTより該当部分を引用し、書き下し及び現代語訳を附した(テクストの底本は国史大系本。一部の句読点や文字、改行を加え、恣意的に可能な部分を正字とし、難読語は( )で補った)。このエピソードは西暦200年4月3日のこととする。舞台は、現在の佐賀県東松浦郡浜玉町の玉島川の河口付近と目される。

 
神功皇后攝政前紀仲哀天皇九年四月甲申

夏四月壬寅朔甲辰。北到火前國松浦縣。而進食於玉嶋里小河之側。於是皇后勾針爲鉤。取粒爲餌。抽取裳縷爲緡、登河中石上。而投鉤祈之曰。朕西慾求財國。若有成事者、河魚飮鉤。因以擧竿。乃獲細鱗魚。時皇后曰。希見物也。【希見。此云梅豆邏志。】故時人號其處曰梅豆羅國。今謂松浦訛焉。是以其國女人。毎當四月上旬。以鉤投河中。捕年魚、於今不絶。唯男夫雖釣、以不能獲魚。

 
やぶちゃんの書き下し文:

神功皇后攝政前紀 仲哀天皇九年四月甲申(きのえさる)

夏、四月の壬寅(みづのえとら)の朔(ついたち)、甲辰(きのえたつ)、北のかた、火前國(ひのみちのくちのくに)松浦縣(まつらのあがた)に到り、玉嶋里(たましまのさと)の小河(をがは)の側(ほと)りに進食(みをし)す。是に、皇后、針を勾(ま)げて鉤(ち)に爲(つく)り、粒(いひぼ)を取り、餌(ゑ)にし、裳(みも)の縷(いと)を抽取(ぬきと)り、緡(つりのを)にし、河中の石上(いそのへ)に登り、鉤(ち)を投げ、祈(うけ)ひて曰(のたま)はく、「朕、西のかた、財(たから)の國を求めむと慾(ほつ)す。若(も)し事を成すこと有らば、河の魚(いを)、鉤を飮(く)へ。」と。因りて竿を擧げて、乃ち細鱗魚を獲(え)つ。時に皇后の曰はく、「希-見(めづら)しき物なり。」と【希見とは、此れ、梅豆邏志(めづらし)を云ふ。】。故、時の人、其處を號(なづ)けて梅豆邏國(めづらのくに)と曰(い)ふ。今、松浦(まつら)と謂(い)ふは訛(よこなま)れるなり。是を以て、其の國の女人(をみな)、四月の上旬に當る毎に、鉤を以て河中に投げて年魚を捕ること、今に絶えず。唯し男夫(をのこ)のみは、釣ると雖も、魚を獲ること能はず。

 
やぶちゃんの現代語訳:

神功皇后が攝政であった仲哀天皇九年前半の御世のその四月甲申(きのえさる)の事

夏の四月壬寅一日、その二日後の甲辰三日に、肥前国松浦県の北方に到着、玉嶋里の小川の畔でお食事をなさった。その時、皇后は、針を曲げて釣り針を作り、飯粒を取って餌にし、裳裾の糸を抜き取って釣り糸にし、川の中の石の上に立って、釣り針を投げ入れ、祈っておっしゃられた、「私はこれより、西の方の、我が国のために宝となる国を求めに行こうしている。もしもそれが成就するのであれば、川の魚よ、この釣り針を食いなさい。」と。そうして釣竿を振り上げてみたところが、細かな鱗を持った魚がかかった。時に皇后がおっしゃられたことには、「何と! 珍しい魚であること!」と。【「希見」という語は、まさに「珍しい」という意味である。】。故に時の人々は、その場所を名付けて、「梅豆邏国」と言ったのである。現在、松浦と言い慣わしているのは言葉が訛ったのである。さて、そこで、その昔の梅豆邏国、今の肥前国松浦県の女性達は、毎年、四月上旬になると、釣り針を川に投げ入れて、その細かな鱗を持った魚、即ち年魚を捕る習慣が、今も絶えることなく続いているのである。但し、男だけは、釣り針を垂らしても、その魚を獲ることは出来ないのである。

 
良安の叙述はこの記述にほぼ等しい。ただ、彼は「粒を取り、餌にし、裳の縷を抽取り、緡にし」という部分を記していない。この欠落が私の想像を掻き立てた。そもそも、これが占いであるならば、飯粒を餌として垂らすのは陳腐ではあるまいか? 勿論、それが神人共食に関わることで、彼女の食べ残しの飯粒であってもおかしくはあるまい。自らの衣服から釣り糸を作るのも類感呪術的な意味合いを持つであろう。しかし、これが「三韓征伐」ののっぴきならない覚悟の占いであるとすれば(そのように「日本書紀」の筆者は考えている)、この釣り針には、良安がカットしたように、本来は何も附いていなかったと考えられないだろうか? 餌のない釣り針に魚がかかってこそ、占いは占いたる神秘性を持つ(良安がそのように恣意的にカットしたとすれば、良安は私の美事な共同正犯であるわけだが)。そうして、それが見たこともない魚であることは必須なのだ。さすれば、私の想像は果てしなく広がるのである。もしかすると裳から抜いた糸は、釣り糸ではなく、その釣り針に装着した呪術的な飾りであったのではないか? そうして、それは、まさに現在の疑似針のルーツではなかったか? という勝手な想像なのである。ちなみに、アユの稚魚は空針に食うことがあると、アユのどぶ釣りに命を賭けている父から聞いた。

 さて「古事記」の「中つ巻」の該当部も引用してみよう(JTEXTより。テクストの底本は同じく国史大系本。一部の句読点や文字、改行を加え、恣意的に可能な部分を正字とし、難読語は( )で補った)。

 
亦到坐筑紫末羅縣之玉嶋里而、御食其河邊之時、當四月之上旬、爾坐其河中之礒、拔取御裳之糸、以飯粒爲餌、釣其河之年魚。【其河名謂小河、亦其礒名謂勝門比賣也。】故、四月上旬之時、女人拔裳糸、以粒爲餌、釣年魚、至于今不絶也。

 
やぶちゃんの書き下し文:

亦、筑紫の末羅縣(まつらのあがた)の玉嶋里に到りまして、其の河邊に御食せるの時、まさに四月の上旬なるべし、爾に、其の河中の礒(いそ)にまして、御裳の糸を拔き取り、飯粒を以て餌と爲し、其の河の年魚を釣る。【其の河の名を小河と謂ひ、亦、其の礒の名を勝門比賣(かちどひめ)と謂ふなり。】故に、四月上旬の時、女人、裳の糸を拔き、粒を以て餌と爲して、年魚を釣ること、今に至るまで絶えざるなり。

 
やぶちゃんの現代語訳:

また、〔神功皇后は新羅遠征の途次、〕筑紫の末羅県の玉嶋里にお着きになり、その川辺で食事をされたのは、丁度、四月の上旬のことであったが、そこで、その河中の岩におかれまして、裳裾の糸を抜き取り、飯粒を餌となして、その川の年魚を釣り上げられた【その川の名は「小河」と言い、また、その岩の名を「勝門比売」(かちとのひめ)と言う】。故に〔ここ末羅では〕、四月上旬の頃、女人が裳の糸を抜き取り、飯粒を餌となし、年魚を釣ることが、今に至るまで絶えないのである。

 
ここでは私にとって残念なことに、占いの行為が示されず、「飯粒」は残っている。但し、割注の「其の礒の名を勝門比賣(かちどひめ)と謂ふなり」という名は明白な勝機の門出又は岩戸の意味であろうから、このエピソード全体はやはり占いである。まず、私の勝手な夢想である擬餌針ルーツ説は潔く引っ込めた方がよさそうなのだが、ともかくも、この事蹟が魚で占うということから「鮎」を「あゆ」に転用した有力な語源説になっていることは、周知の通りである。しかしながら、「古事記」も「日本書紀」も、「鮎」の字は用いられていない(「日本書紀」では、「香魚」以外に、例えば巻二十七の天智天皇一〇年(671)十二月癸酉十一日の条に「阿喩」という訓は現れる)。

さすれば、「鮎」の初出は何処か? 個人HP「釣・遊迷人の鮎友釣りページ」の中の「鮎の起源」に以下のように記す(改行を省略した)。

 
「鮎」の漢字が初めて現れるのは承和二年「類聚三代格」(835年)に地名として「鮎河」の「鮎」の字が使われている。「侍中群要」(911年)には「鮎魚」や「鮎」の字が使われ、「鮎」の字が固定化して使われる様になるのは970年以降であるが、これ以降も数多くの当て字が使われている。明治以降から「鮎」の字が常用として使われる様になる。

 
この前者「鮎河」の「鮎」が、ナマズでなく、真にアユを指すことは、以下の厚木市のHP中の「五、水産業(漁業) 鮎川」

 
相模川が鮎川と呼ばれた文献は承和二年(八三五)六月二六日の太政官符に見え「相模国鮎河」に舟橋を架けたことが記録されている。相模川が古くから鮎の多く棲息する川として名高く、後世ここが鮎の名産地となったこともうなずける事であり、アイカワがいつか郡名となり、愛甲郡と文献・文書に記述される様になった。

 
とあることによってほぼ確実である(但し、「類聚三代格」自体の成立は11世紀と推定されている)。しかし、では神功皇后からここまでの六百有余年の間の「鮎」は? 神功皇后の事蹟が漢字の起源であるなら、もっと早い時期に使用が認められねばならないと私は思う。そのミッシング・リンクが発見されなければ「鮎」=占い説は腑に落ちない。私の落ゆく「鮎」の混迷はまだまだ、終わりそうもない。

 『「平陽鴈蕩志」』については、東洋文庫版書名注に「不詳。『平陽府志』のうちの鴈蕩山に関する記事か。浙江省温州府鴈蕩山地方の地方志であろう。」とする。何だか残念だ。よっぽど凄い注がついているはずなのに……良安先生、本当に見たのかなぁ?

 「溪鰛」の「鰛」は、中国では海水魚のサバ亜目サバ科サワラScomberomorus niphoniusに似た小魚を指すとする(国訓ではイワシ又はウルメイワシを指す)。渓谷の、サワラ……には似ていないなぁ。

 「小鰷」は「こあい」か「こあゆ」。「和漢三才図会」巻第五十一の「鱊」即ち「縐小鰷」(ちりめんこあい)の項を参照。長く別種とされたコアユPlecoglossus altivelis altivelis(琵琶湖固有種であるアユの陸封型なので学名は同じ)がいつからの呼称かは分からないが、当時、それと区別するために「こあい」であったと考えるとしっくりくる気もする。

 「※3」は、はららご、メスの卵巣の卵塊のこと。

 「鏽鰷」は、「錆びアユ」で、婚姻色が現れた性成熟した雌雄のアユを指す。背部が黒ずんで、腹部の黄ばみが一層強くなる。

 「孚生」は卵から孵ること。

 「三升川」は不詳。国土地理院の地図で探索中。旭川の異称か。

 「田頭子川」は不詳。国土地理院の地図で探索中。吉野川の異称か。

 「福居」は、現在の福井県で、恐らくは九頭竜川を指示している。

 「築井川」は不詳であるが、これは音の類似からすると、現在の埼玉県比企郡を流れる「都機川」ではあるまいか?

 「宇都の宮川」は不詳であるが、現在の宇都宮市街地を貫通する「田川」であろうか?

 「鰷鱁【訓は宇留加。】」の「鱁」は魚の塩辛を言う。「うるか」という名称の語源は暁川であるとする。珍味の食品加工業者である「金城軒」の「歴史ある東海珍味」のページに、

 
長良川の「ウルカ」は、江戸時代、毎年幕府へ献上されたほどの逸品である。御用ウルカは、「暁川」と呼ばれる秘法で、精製された。アユは、昼のうちに食った砂を夜になってから吐き出す。明け方の腹の中がきれいになったときにとったアユだけ作ったウルカが「暁川」。″早朝の川″という意味である。

 
とあるのだが、待ってくれよ! この「暁川」を古語で「うらかは」又は「うるかは」と読んだということなんだろうが、「暁」にそのような訓も意味もないぞぉ! 分かったような分からん解説じゃ!

 「かも川の……」の歌について。底本の「社」は係助詞「こそ」の当て字である。作者「小式部」は和泉式部の子供として有名な小式部内侍(こしきぶのないし)で、この歌は彼女の母との再会のエピソードとして各地にヴァリエーションがある。標準的な話は以下の通り。橘道貞と婚姻し一女を儲けるが(後の小式部内侍)、恋多き彼女は冷泉帝の第三皇子為尊親王と不倫関係に陥り、娘を捨てる。後に一条帝の中宮彰子に仕えた彼女が、主人の播磨国の書写山参詣に従った折、泊まった長者の娘(実は長者に拾われた小式部内侍)が、綿を摘んでいるのを見て、「その綿を売るか」と聞いた際に詠んだ歌とする。その優れた機知を和泉式部が褒めると、娘はもう一首を即座に詠み返し、その和歌の意味から和泉式部はこれぞ我が子と知るという筋立てである。この話は播磨のみでなく、全国に散在しており、すべての和歌を披見したわけではないが、和歌の言辞は次のものが標準的なものであるようだ。ちなみに、二番目の歌も提示しておいた。

 秋川の瀨にすむ鮎の腹にこそうるかといへる綿はありけれ

 秋鹿の母その柴を折り敷きて生みたる子こそ子女鹿(こめか)とはいへ

言わずもがなであるが、「うるか」と「売るか」、「綿」と「腸」が掛詞である。なお、底本の和歌は、「大和物語」に、

賀茂川の瀨にふす鮎のいをとりて寝でこそあかせ夢に見えつや

という上の句の類似したものが見出される。]

***

わたご

黄鯝魚

ハアン クウ イユイ

 

【俗云和

 太古】

 

本綱黄鯝魚生江湖中小魚也状似白魚而頭尾不昂扁

身細鱗白色※〔→濶〕不踰寸長不近尺可作鮓葅煎炙甚美凡

[やぶちゃん字注:※=(さんずい)+「闊」。]

魚腸曰鯝此魚腸腹多脂漁人煉取黄油然燈甚腥也

△按黄鯝魚状似小鰡而細鱗白光色大五七寸許其腸

 極苦脂多故俗呼曰腸子處處池川與鮒並出江州湖

 中最多而未煉取油但冬月不多出失水易死

毛呂古【正字未詳】 状似黄鯝魚而狹長其腸亦苦江州坂本

川名毛呂古川此魚最多也大津市廛多炙販之

わたご

黄鯝魚

ハアン クウ イユイ

 

【俗に和太古と云ふ。】

 

「本綱」に『黄鯝魚は江湖の中に生ずる小魚なり。状、白魚に似て、頭尾、昂〔(あが)〕らず、扁〔たき〕身、細鱗、白色。濶さ、寸を踰〔(こ)え〕ず、長さ尺に近づかず。鮓葅〔(さそ)〕煎炙〔(せんしや)〕と作〔(な)〕すべし。甚だ美なり。凡そ魚の腸、鯝と曰ふ。此の魚、腸・腹に脂多し。漁人、黄油を煉〔(ね)〕り取る。燈を然〔(とも)すに〕、甚だ腥きなり。』と。

△按ずるに、黄鯝魚は、状、小鰡(えぶな)に似て、細鱗、白光色。大いさ五~七寸ばかり。其の腸、極めて苦く、脂、多し。故に俗に呼んで腸子〔(わたご)〕と曰ふ。處處の池川は鮒と並び出づ。江州〔=近江〕の湖〔=琵琶湖〕の中、最も多し。而〔(しか)〕も未だ油を煉り取らず。但し、冬月、多くは出でず。水を失〔へば〕死に易し。

毛呂古【正字、未だ詳らかならず。】 状、黄鯝魚に似て、狹長〔(さなが)〕。其の腸も亦、苦し。江州坂本の川を毛呂古川と名づく。此の魚、最も多し。大津の市廛〔(してん)〕、多く炙りて之を販〔(ひさ)〕ぐ。

[やぶちゃん注:既に「波長魚」に同定しているが、これもコイ科カワヒラ亜科ワタカIschikauia steenackeriか。別名ツタカ、ワタゴ(本文中の「腸子」由来)と呼ぶ。しかし、「派長魚」が確かにワタカであるとすれば、ここですぐ後にホンモロコが掲げられていることから、これをそれよりもずんぐりた体型のタモロコGnathopogon elongatusとすると、しっくりはくる。なお、「本草綱目」の「黄油」なるものを採取するというそれは、別種と思われるが、不明。ちなみに現代中国語の検索で多く挙がってくるのは「高身鯝魚」(「黄鯝魚」ではヒットしない)で、それならばVaricorhinus alticorpus(属和名なし)。

 「鮓葅」は酢や米に漬け込んだ魚のこと。

 「煎炙」は、訓読するならば「いりやき」。

 「小鰡」の読みの「えぶな」は「江鮒」であり、「小鰡」とは文字通り、海水魚のボラ目ボラ科ボラMugil cephalusの若魚を指す語である。現在でも和歌山県等に於いてボラの幼魚を「エブナ」と呼称している。

 「毛呂古」はコイ科バルブス亜科タモロコ属ホンモロコGnathopogon caerulescensを指していると思われる。ワタカとは別亜科であるが、釣人のブログを管見するとホンモロコとワタカは似ている。更に、ホンモロコの同属のタモロコと比べると、有意にホンモロコの体長がより細長い(ここで言う「狹長」)という記述がある。

 「市廛」は、市(いち)の店舗の意。]

***

■和漢三才圖會 有鱗 巻ノ四十八 ○八

 

をいかは

石鮅魚

シツ ピツ イユイ

 

【俗云乎以加波】

 【又云阿加毛止

  又云夜車地】[やぶちゃん字注:以上三行は、前三行下に入る。]

 

本綱石鮅魚生南方溪澗中長一寸背裏腹下赤以作鮓

甚美其肉【甘平有小毒】

△按石鮅魚右所謂長一寸之一字當作數字背裏之裏

 字亦當作黑恐傳寫誤歟蓋鮅者鱒之一名也此魚岩

 石急流有之状似鮅而小【故名石鮅】背黑而微有班〔→斑〕腹下赤

 斑大四五寸夏月與鰷同時出取之爲鮓味稍劣矣洛

 大井川多有之京俗呼曰乎井加波【大井川之畧言】攝河俗稱

 赤毛止【赤斑之假名下畧以相通名之】夜砂地【名義未詳】

をいかは

石鮅魚

シツ ピツ イユイ

 

【俗に乎以加波と云ふ。】

 【又、阿加毛止〔(あかもと)〕と云ひ、又、夜車地〔(やしやち)〕とも云ふ。】

 

「本綱」に『石鮅魚は、南方、溪-澗(たにがは)の中に生ず。長さ一寸、背裏・腹下、赤く、以て鮓と作〔(な)〕して甚だ美なり。其の肉【甘、平。小毒有り。】。』と。

△按ずるに、石鮅魚の右に謂ふ所の「長さ一寸」の一の字は、當に「數」の字に作るべし。「背裏」の「裏」の字も亦、當に「黑」に作るべし。恐らくは傳寫の誤か。蓋し鮅〔(ひつ)〕は鱒の一名なり。此の魚、岩石の急流に之有り。状、鮅〔(ます)〕に似て小さく【故に石鮅と名づく。】、背黑にして微かに斑有り。腹の下、赤斑なり。大いさ四~五寸、夏月、鰷〔(あゆ)〕と同時に出づ。之を取りて鮓と爲す。味、やや劣れり。洛の大井川に多く之有り。京俗、呼びて乎井加波と曰ふ【大井川の畧言。】攝〔=摂津〕・河〔=河内〕の俗に赤毛止〔(あかもと)〕と稱す【赤斑の假名の下の畧。相通ずるを以て之を名づく。】。夜砂地〔(やしやち)〕【名義、未だ詳らかならず。】〔とも稱す〕。

[やぶちゃん注:コイ科ダニオ亜科オイカワZacco platypus。現代中国語に於いてもズバリ、同種を指している稀有なケースである。それだけに、良安の誤字の指摘はお美事! と快哉を叫びたい。属名Zaccoは日本語の「雑魚」由来、シーボルトの命名である。

 「小毒有り」は不審。川魚全般に危険性がある寄生虫か、ボツリヌス菌による食中毒を指しているか。

 「鮅は鱒の一名なり」については、確かに「鮅」は「本草綱目」では「鱒魚」としている。しかし、時珍の指す「鱒」、良安の言う「鱒」、さらに現代の生物学的に杜撰な「鱒」認識(本頁の「鱒」の項を参照)の三つ巴で、その生物種を特定することは不可能である。

 「大井川の畧言」とは面白いが、ウィキペディアによれば「婚姻色の出たオスを指す琵琶湖沿岸域での呼称」で、「このほかにオスがアカハエ、メスがシラハエとも呼ばれる」とある。

 「赤毛止」のアカモトという別名以外、アカモト、イカダバエ、イロハエ、シラハエ、ハエ(カワムツとの混称)、ニイナ、ニガバエ等、枚挙に暇がない。

 「赤斑の假名の下の畧」は意味不明。「赤斑」の「仮名」読みは「あかふ」「あかまだら」としか読めないが、「あかもと」とは程遠い。以下の「相通ずるを以て」も、何が「相通ずる」のやら分からん。

 「夜砂地」不詳。現在、この別名は生き残っていないと思われる。]

***

《改ページ》

うぐひ

[やぶちゃん字注:※=「魚」+「成」。]

 

※【出處未詳

  恐俗字矣】

 【俗云宇久比

  小者名夜末女】

△按※江州湖中多有之状似鯇而腹赤背黑大者近尺

 肉有細刺作鮓或灸食味淡甘不美豆州箱根豊後處

 處有之

うぐひ

[やぶちゃん字注:※=「魚」+「成」。]

 

※【出處、未だ詳らかならず。恐らくは俗字ならん。】

 【俗に宇久比と云ふ。小者は夜末女〔(やまめ〕と名づく。】

△按ずるに、※は、江州〔=近江〕湖〔=琵琶湖〕中に多く之有り。状、鯇〔(あめいを)〕に似て、腹赤く、背黑し。大いなる者、尺に近く、肉、細き刺有り。鮓に作り、或は灸り食ふ。味、淡甘にして美ならず。豆州〔=伊豆〕箱根、豊後、處處に之有り。

[やぶちゃん注:コイ科ウグイ亜科ウグイ属ウグイTribolodon hakonensis。近縁種として完全淡水型のエゾウグイTribolodon ezoe及び新潟県周辺河川の固有種ウケクチウグイTribolodon nakamurai及び汽水域・内湾等に生息し、産卵の際に河川を遡上するマルタウグイTribolodon brandtiも挙げておく。

 「小者は夜末女と名づく」は誤り。サケ目サケ科タイヘイヨウサケ属陸封型サクラマス(ヤマメ)Oncorhynchus masou masouは全くの別種である。但し、現在では、イワナとヤマメは自然界に於いて交雑が発生し、雑種も生じていると言われる。]

***

はえ

※1[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「軰」。]

            

   ※2【未詳俗字】[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「輩」。]

     【和名波江】

【和名抄以鮠訓波江

 其誤起於以鮎爲鰷

 也鮠詳海中無鱗魚】[やぶちゃん字注:以上五行は、前二行の下に入る。]

 

△按※1處處河湖中多状似鰷而白色背淡黑略帶青色

 性好群集浮游于水上味甘淡稍美而不腥然不及鰷

《改ページ》

■和漢三才圖會 有鱗 巻ノ四十八 ○ 九

 

 之美也性嗜蠅故漁人用馬尾或鯨鬛摸成蠅頭先泛

 炒糠于水上則群※1聚於時投蠅頭于水頻頻釣之手

 熟者一瞬數百或以網亦取之春夏多出其大二三寸

 其行水中至速也故名波江【波夜志訓下畧相通也】            俊賴

       夫木 ふしつけしをとろか下に住はゑの心おさなき身をいかにせん

はえ

※1[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「軰」。]

            

  ※2【未だ詳らかならず。俗字。】[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「輩」。]

    【和名、波江。】

【「和名抄」に鮠〔(なめいを)〕を以て波江と訓ず。其の誤りは、鮎〔(ねん)〕を以て鰷〔(あゆ)〕と爲すに起るなり。鮠は海中無鱗魚に詳らかなり。】

 

△按ずるに、※1は、處處の河湖の中に多し。状、鰷に似て白色、背、淡黑、略ぼ青色を帶ぶ。性、好みて群集して水上を浮游す。味、甘、淡。やや美にして腥〔(なまぐさ)〕からず。然れども鰷の美に及ばざるなり。性、蠅〔(はへ)〕を嗜〔(この)〕む。故に漁人、馬の尾或は鯨の鬛〔(ひげ)〕を用ひ、蠅の頭を摸〔(も)〕し成〔(な)さしめ〕、先づ炒糠〔(いりぬか)〕を水上に泛〔(うか)〕ぶ。則ち群※1、聚〔(あつま)〕る。時に於いて蠅頭を水に投じ、頻頻と之を釣る。手熟〔(てなれ)し〕者は、一瞬數百なり。或は網を以て亦、之を取る。春夏、多く出づ。其の大いさ、二~三寸。其の水中を行く〔や〕、至つて速し。故に波江と名づく【「波夜志」〔(はやし)〕の訓の下畧。相通ずるなり。】。

      「夫木」 ふしづけしをどろか下に住〔(む)〕はゑの心おさなき身をいかにせん 俊賴

[やぶちゃん注:ハエ又はハヤは、コイ科ウグイ亜科ウグイ属ウグイTribolodon hakonensisの別名(主に関東方言)であるが、ここで良安は、明確に前項の「うぐひ」(ウグイ)と区別している。これについて、アユのドブ釣りを嗜む父に尋ねたところ、これは前掲のコイ科ダニオ亜科のオイカワZacco platypusのメスであはないかという。メスがシラハエという呼称であること、魚体がオスに比して有意に小さいこと、婚姻色の現れた派手で大きなオスとは同一種にさえ見えないことからも本記載にマッチすると思われる。

 「鮠〔(なめいを)〕」の「鮠」は、現在、単漢字ではハヤを指すが、良安はそれが誤りであるとし、「鮠」は「なめいを」と訓ずべきだとする。「鮠〔(なめいを)〕」とはクジラ目ハクジラ亜目ネズミイルカ科スナメリ属スナメリ
Neophocaena phocaenoidesである。「和漢三才圖會 巻第五十一」の「鮠(なめいを)」の項を是非参照されたい。

 「其の誤りは、鮎を以て鰷と爲すに起るなり」とは意味不明である。これをそのまま訳すと、この「鮠」という字を「はえ」と読んだ誤りは、「鮎」を「鰷」、即ち「あゆ」と読んだ誤りに起因している、となるが、この因果関係が分からない。これが単に「鮎」を「あゆ」と読んだ誤りと同じだ、というのなら腑に落ちるが、「に起こるなり」は、そのようには読めない。

 「蠅頭」については日本鮎毛バリ釣り団体協議会発行の会報「鮎と毛鉤通信」第18号(実は私の父が編集しているのであるが)に、以下の記載がある。

 
元禄8年《1695年=312年前》の井原西鶴『西鶴俗徒然』の中に、京都の宇治川で蠅頭(初期毛鉤の呼び名)を使って魚を釣る記述がある。また、延宝6年《1678年=330年前の江戸初期》には京都の職業案内『京雀跡追』の中に「魚釣・針屋伊右衛門」の名があるので、自然発生的と推察される渓流のテンカラ毛鉤やハヤ・ウグイの流し毛鉤の中から特定の巻き毛に鮎が反応することを発見し「蝿頭~蜂頭~蚊頭~蚊針~」鮎毛鉤に進化したものと推測される。英国でアイザック・ウォルトンが「釣魚大全」を発表した1653年(享徳2年)とは僅か30~40年程の時間差しかない。

 
ちなみに毛鉤のルーツを西洋のフライの伝承と唱える者もいると聴くが、私の父は、毛鉤は日本で全く独自に発生進化したものと考えており、私も山漁の民の中で世界的に同時多発的発生をしたと考えることに何の抵抗も感じない。民俗学的にはいくらもそのような現象は起こり得るからである。

 『「夫木」』は「夫木和歌抄」(1310年頃成立した藤原長清撰になる私撰和歌集)で、当該の和歌はその巻二十七の「雑九」に所収するもので、歌論書「俊頼髄脳」で有名な源俊頼の歌。「ふしづけ」は、「柴漬け」と表記し、しのづけ・ふしづけ等と言う。冬期に柴を束ねて川や湖などに沈めておき、それに住みついた魚を捕らえる仕掛けを指す。「をどろ」は「棘」(おどろ)で、草木や茨(いばら)等の乱れ茂っている場所やその様を言う。「はゑ」とあるが、魚類のハエの場合は、ア行の「え」で、ワ行の「ゑ」ではない。]

***

かなびしや

じんぞく

【音 】[やぶちゃん字注:音の下は欠字。]

サアヽ

 

鮀魚  吹沙

沙鰛 沙溝魚

【俗云加奈比之也

 又云志牟曾久】[やぶちゃん字注:以上四行は、前四行下に入る。]

 

本綱鮀魚居溪澗沙溝中吹沙而游※沙而食大者長四

[やぶちゃん字注:※=「口」+「匝」。]

五寸其頭尾一般大頭状似鱒體圓似鱓厚肉重唇細鱗

黄白色有黑斑點文背有鬐刺甚硬其尾不岐小時即有

子味頻美俗呼爲阿浪魚【此非海中沙魚也】

△按鯊湖及谷川水庭〔→底〕石間小魚形色其似鯒而小其大

 一二寸有細黑點文其尾不岐京俗曰加奈比志夜【金杓

 之下略乎】四國人曰志牟曾久【名義未考】未見四五寸者

かなびしや

じんぞく

【音 】[やぶちゃん字注:音の下は欠字。「鯊」の音は「サ」又は「シヤ」。]

サアヽ

 

鮀魚〔(たぎよorだぎよ)〕 吹沙〔(すいさ)〕

沙鰛〔(さをん)〕     沙溝魚〔(さこうぎよ)〕

【俗に加奈比之也と云ひ、又、志牟曾久と云ふ。】

 

「本綱」に『鮀魚は、溪澗沙溝の中に居りて沙を吹きて游び、沙を※〔(すす)り=啜り〕て食ふ。大なる者、長さ四~五寸。其の頭尾、一般、大なる頭の状、鱒に似て、體、圓く、〔(せん)〕に似て厚肉、重なれる唇、細鱗、黄白色にして黑斑點文有り。背に鬐刺〔(しし)=棘状のヒレ〕有り、甚だ硬し。其の尾、岐あらずして、小さし〔→さき〕時、即ち子有り。味、頻る美なり。俗に呼んで阿浪魚〔(あらうぎよ)〕と爲す【此れ海中の沙魚に非ざるなり。】。』と。[やぶちゃん字注:※=「口」+「匝」。]

△按ずるに、鯊は湖及び谷川の水底・石間の小魚なり。形色、其れ、鯒〔(こち)〕に似て小さく、其の大いさ一~二寸。細かなる黑點文有り。其の尾、岐あらず。京俗、加奈比志夜と曰ふ【金杓〔(かなびしやく)〕の下略か。】。四國の人、志牟曾久と曰ふ【名義、未だ考へず。】未だ四~五寸の者は見ず。

[やぶちゃん注:スズキ目ハゼ亜目ハゼ科ハゼ亜目Gobioideiはハゼ科Gobiidaeやカワアナゴ科 Eleotridae・ドンコ科Odontobutidae等、8科268属、2100種を越える種に分類され、その中の凡そ200種が淡水産、本邦には約350種が生息する。その他のカジカCottus pollux等を「ハゼ」と呼称している場合もあり、綜合項目としては、淡水産のハゼ科の仲間以上の同定は不能であるように思われる。ところが「じんぞく」がこの種を限定する名前ならば、後掲するように、これは高い確率でヨシノボリの仲間( Rhinogobius sp.)であると思われるのである。

 「沙溝」は砂地の小川の謂いであろう。

 「鱓」はウナギ目Anguilliformesアナゴ亜目Congroideiウミヘビ科Ophichthidaeの一種を指すか、又は形状のやや同じいウナギ目ウツボ亜目Muraenoideiウツボ科 Muraenidaeのウツボの一種を指すかと思われる。爬虫綱 Reptilia有鱗目Squamataヘビ亜目Serpentesウミヘビ科 Hydrophiidaeではない。

 「小さき時、即ち子有り」という叙述が不審であったが、これは恐らく雌雄の大きさが極端に異なることから生じた、観察の誤りであるように思われる。例えばビワヨシノボリRhinogobius sp. BWBiwa Lake type)では以下のFreshwater Goby Museumの当該種の図鑑ページを見ても、メスが抱卵期にあっても有意に小さい(腹部の膨らみも大きくない)という。

 「阿浪魚」は現在、コイ目コイ科のカマツカPseudogobio esocinusを指す。しかし、カマツカのデトリタス食性(底性生物や泥沙中の有機物をそのまま丸ごと口から吸引し、砂だけを鰓蓋から吐き出す)や、「スナモグリ」の異名を持つように、砂の中に潜って目だけを出して身を隠す習性等はハゼと呼びたくなる気もしてくる。

 「鯒」と言う場合、現今、二つのグループを指すが(カサゴ目 Scorpaeniformesコチ亜目Platycephaloidei及びスズキ目Perciformeネズッポ亜目Callionymoidei)ここは典型的なマゴチ Platycephalus sp.等を含む前者ととってよい。言うまでもないが、コチは全種海産である。

 「加奈比志夜」は不詳。現在、呼称としては廃れているものと思われる。よく似た名称の魚に海水魚のスズキ目スズメダイ科オヤビッチャAbudefduf vaigiensis がいる。この語源も確かなことは分かっていないのだが、「綾(模様)が入った」という意味の沖縄方言「アカビカー」という説と、「成熟した親」になっても「びっちゃご(赤ん坊)」と変わらないという説である。ヨシノボリ属の婚姻色等から考えると、前者の雰囲気がないとは言えない気がするのである。「金柄杓」は即物的(いや、良安先生の絵は殊更にそれを意識しているようにも見えるが)で、ロマンはないな。

 「志牟曾久」は「ジンゾク」として現在でも四国(徳島ではジンタと呼称する例あり)で用いられており、ハゼ科ゴビオネルス亜科 Gobionellinaeヨシノボリ属 Rhinogobius sp.を指す。ウィキペディアを見ると、ヨシノボリ属は属内の分類が細分化され、現在14種にも分かれ、どれも非常に似ているとする。従ってジンゾクはカワヨシノボリRhinogobius flumineusと断定する記載、ハゼ亜目ドンコ科ドンコOdontobutis obscuraとする記載、更には欲張りにその両方を一緒くたに「ジンゾク」と呼ぶ記載もあった。「ドンコ」が地方によっては「ハゼ」とほぼ同義に用いられている点、しかし良安が後にドンコを別掲している点等を考慮して、それらの種限定はとらないこととした。蛇足であるが、検索をかけてゆくうちに、このヨシノボリと古異歯亜綱イシガイ目イシガイ超科イシガイ科イシガイUnio douglasiae nipponensisに代表されるイシガイ科の二枚貝には極めて興味深い関係(片利共生)があることを知った。彼等(イシガイの仲間)の孵化したトロコフォラ幼生(であろう)は、主にヨシノボリの鰓やヒレなどに寄生して栄養を吸収し、ベリジャー幼生から稚貝となり、川に着底するというのである。前橋工科大学院の院生の方のイシガイ二枚貝&タナゴ編:愉「貝」な仲間たち!をご覧あれ。]

***

いしふし

石斑魚

 

石礬魚 高魚

【俗云石伏】

※1【和名抄】[やぶちゃん字注:「魚」(へん)+{「頤」-「頁」}(つくり)。]

※2【夫木集用[やぶちゃん字注:「魚」+{「稯」-(のぎへん)}。]

   之非也】[やぶちゃん字注:以上五行は、前二行下に入る。]

 

本綱石斑魚生南方溪澗水石處長數寸白鱗黑斑浮游

水面聞人聲則劃然深入其長者尺餘斑如虎文性婬春

月與蛇醫交犯故其子有毒

△按石斑魚状似彈塗魚而頭大尾細有鬚有硬鬐有細

 鱗如無其背斑文淺黑色腹白大者三四寸常伏石間

 故稱石伏又背腹其黑者呼名談義坊主

    夫木 誰か扨あみのめ見せてすくふへき淵に沈める石ふしの身を 仲正

いしぶし

石斑魚

 

石礬魚〔(せきばんぎよ)〕 高魚

【俗に石伏と云ふ。】

※1【「和名抄」。】[やぶちゃん字注:※1=「魚」(へん)+{「頤」-「頁」}(つくり)。]

※2【「夫木集」に之を用ふは非なり。】[やぶちゃん字注:※2=「魚」+{「稯」-(のぎへん)}。]

「本綱」に、『石斑魚は、南方、溪澗水石の處に生ず。長さ數寸、白鱗、黑斑。水面に浮游し、人聲を聞かば則ち劃然として深く入る。其の長き者は尺餘。斑、虎の文ごとし。性、婬らにして、春月、蛇醫(とかげ)と交-犯(つる)む。故に其の子、毒有り。』と。

△按ずるに、石斑魚、状、--(はぜ)に似て、頭、大きく、尾、細く、鬚〔(ひげ)〕有り、硬き鬐〔(ひれ)〕有り、細鱗有りて〔然れども〕無きがごとし。其の背斑文、淺黑色、腹、白し。大なる者、三~四寸。常に石間に伏す。故に石伏と稱し、又、背腹の其の黑き者を呼んで談義坊主と名づく。

   「夫木」 誰か扨〔(さて)〕あみのめ見せてすくふべき淵に沈める石ぶしの身を 仲正

[やぶちゃん注:「石斑魚」で検索をかければ、日本語サイトも中国語サイトも海産魚のスズキ亜目ハタ科Serranidaeのハタ類がヒットしてしまう。「石伏魚」でやると、「鮴(ゴリ)」と同義でカジカ・ヨシノボリ・チチブの方言名、という記載に始まり、ダボハゼだ、淡水産カジカの巨大種カマキリだとくる。翻って「いしぶし」を辞書で引くと、川底の石の間を住家として伏し沈んでいることから、と言った前振りの後に、

「広辞苑」 川魚ウキゴリの別称。「和名抄十九」

「大辞林」 ウキゴリ、ヨシノボリ、カジカの異名。

「大辞泉」 (1)ウキゴリの別名。(2)ドンコの別名。(3)ヨシノボリの別名。

「角川新版古語辞典」 かわかじか。夏の季語。

といった和名が示される。一番人気はハゼ科ハゼ亜科のウキゴリChaenogobius urotaenia、二番手は淡水産のカジカ亜目カジカ科のカジカCottus polluxであろうか。最後の古語辞典によって「源氏物語・常夏」の「近き川のいしぶしのやうのもの、御前にて調じてまゐらす」というのが引かれて、平安の昔から馴染みの深い魚名ではあったことが分かるが、どうにも収拾がつかない。私の御用達のMANAしんぶん」「真名真魚字典6画」の「※1」[「魚」(へん)+{「頤」-「頁」}(つくり)。]には、この字体に多くのバリエーションがあることを述べて、『それだけ、ハゼやカジカの仲間のなかで、ヨシノボリやカジカをひっくるめて(時にはギギやカマツカも指す場合がある)川にすむ小魚を指す名称である「イシブシ」を見聞きして文章に表現した人々の「雑魚的感覚」が現れている字体ということでもある。』とする。まさしく雑魚の視点からの、目から鱗。このサイトでは更に実は、「雑魚名考―その3 源氏物語にも登場するイシブシとは?」という特集ページもあり、最早、私の出る幕はない。

 いや、そこで私の出る幕を強引に創ろう。当該の「源氏物語」の「常夏」冒頭を見る。底本は渋谷栄一先生の
定家本系大島本であるが、直し得る部分は正字とした。光の私邸、六条院のうだるような夏のある一日。

 

 いと暑き日、東の釣殿に出でたまひて涼みたまふ。中將の君もさぶらひたまふ。親しき殿上人あまたさぶらひて、西川よりたてまつれる鮎、近き川のいしぶしやうのもの、御前にて調じて參らす。例の大殿の君達、中將の御あたり尋ねて參りたまへり。

 「さうざうしくねぶたかりつる、折よくものしたまへるかな。」

 とて、大御酒參り、氷水(ひみづ)召して、水飯(すいはん)など、とりどりにさうどきつつ食ふ。

 風はいとよく吹けども、日のどかに曇りなき空の、西日になるほど、蝉の聲などもいと苦しげに聞こゆれば、

 「水の上無徳なる今日の暑かはしさかな。無禮の罪は許されなむや。」

 とて、寄り臥したまへり。

 「いとかかるころは、遊びなどもすさまじく、さすがに、暮らしがたきこそ苦しけれ。宮仕へする若き人びと堪へがたからむな。帶も解かぬほどよ。ここにてだにうち亂れ、このころ世にあらむことの、すこし珍しく、ねぶたさ覺めぬべからむ、語りて聞かせたまへ。何となく翁びたる心地して、世間のこともおぼつかなしや。」

 などのたまへど、珍しきこととて、うち出で聞こえむ物語もおぼえねば、かしこまりたるやうにて、皆いと涼しき高欄に、背中押しつつさぶらひたまふ。

 

やぶちゃん訳:

 たいそう暑い日のことで御座いました……光の君は六条院の東の対(たい)の釣殿にお出になられて涼みなさいます。中将の夕霧の君もお供されていらっしゃいます。光の君の親しい殿上人の方々も大勢お供され、西川(桂川)から釣り上げられ献ぜられた活きのいい鮎やら、近くの中川(京極川)や鴨川で獲れたばかりの石伏と京俗の申す魚やらを、光の君の御目の前で調へて差し上げます。加えて、いつもの柏木様をはじめとした大殿(義兄内大臣=以前の頭中将)様の公達の方々も、中将の君がおいでになるとのことを伝え聞いて、宴席に参上なさいました。光の君は、

「退屈で眠気さえ催すところであったが、まこと、よい折に見えられた。」

とおっしゃられると、御酒を召されるやら、氷水を御所望になられるやら、さても水飯(乾飯〔(ほしいい)〕の水漬)などやらを、それぞれ賑やかにお召し上がりになられます。

 風は大層気持ちよく吹いておりますものの、夏の日は長く、雲ひとつない空、やっと西日になる頃おい、されど蝉の声さえも大層暑苦しげに耳につきますので、光の君は、

「水の上の釣殿も全くもって役に立たぬ今日の暑さじゃ。無礼の程、お許しあれ。」

とおっしゃられると、物に背をもたせて少し横におなりになります。そうして、

「何とも、このように暑くては、管弦の遊びなども興に乗らぬし、そうは言っても、何もせずに凝っとしておるのもつらいことだ。貴殿ら、宮仕えする若人たちには、なおのこと、堪えがたいことであろうのう、帯さへも解けぬのだから。ま、せめてここでは思う存分寛いでもらって、近頃、巷で起こったことなどの、少し珍しく、また、眠気も覚める如き話を、語ってお聞かせ下さらぬか。近頃は何とのう、年寄染みた心地がして、世間のことにもめっきり疎うなったわ。」

などとおっしゃいますが、座の人々は、珍しいことと言っても、すぐに申し上げられるようなお話も思いつかず、逆に恐縮して緊張なさっている様子、皆、暑いとは申せ、やはり、よそよりも涼しい釣殿のその高欄に背中をもたせながら、まんじりともせず黙って座っていらっしゃいます。

 

私は「源氏物語」を訳す際の自身に課した鉄則がある。まず、それは話者と目される、紫上のお付きの女房が自身の古い記憶を回想するように語ること、従って、丁寧語であることである。現在形を用いて、臨場感を出すことも大切と心得ている。そんな感じが出せていれば、有難い。「常夏」は、この後、うだった暑さの中、内大臣が最近引き取ったという口軽の軽薄娘、近江の君を肴に夕霧をからかう。この帖の前後は「螢」と「篝火」で、玉蔓の美しさが遺憾なく発揮されるのだが、その間にあるこのテンションのダルな下がり具合がかえって玉蔓の美を引き出しているのかも知れない。光三十六歳の夏の、汗のじりつくワン・シーン――

 『「夫木」』は「夫木和歌抄」で、1310年頃成立した藤原長清撰になる私撰和歌集。

 「蛇醫」については、偶然ながら、私の南方熊楠の電子テクスト
「山神オコゼ魚を好むということ」の中で、「酉陽雑俎」巻二から引いて「蛇医」を「いもり」と訓じている。ネット検索をかけると(中国語サイトを含む)、これを「蜥蜴」及び「守宮」の意とするものがあり、水中の石斑魚と「交犯」するものとしては、両生綱である有尾目イモリ亜目イモリ科Salamandridaeのイモリの仲間は、爬虫類の蜥蜴(トカゲ)より至って「自然」であると思われる。イモリでキマリ! 序でに言えば、御存知の方も多いと思うが、イモリにはふぐ毒と同じテトロドトキシンtetrodotoxinを皮膚毒として持つものがいる。「故に其の子、毒有り」だって叙述上は(実際に当該種群に毒がなくても)、ピッタシ、カンカン! じゃあない?

 「彈塗魚」は、スズキ目ハゼ亜目ハゼ科オキスデルシス亜科トビハゼ属トビハゼPeriophthalmus modestusであろう。なお、現代中国でも「彈塗魚」は同種を指す。なお、同種異名のPeriophthalmus cantonensisで記載されるページが散見されることを付け加えておく。

 「談義坊主」という呼称は現在、生き残っていないと思われる。背と腹が黒いという有意性から、淡水魚の専門家の方なら絞った同定が可能かと思われる。ご教授を乞う。

 「夫木和歌抄」の和歌の作者源仲正(仲政とも書く)は平安末期の武士、酒呑童子や土蜘蛛退治で有名なゴーストバスター源頼光の曾孫である。即ち、ひいじいさんの霊的パワーは彼の息子、鵺(ぬえ)退治の源頼政に隔世遺伝してしまい、仲正の存在はその狭間ですっかり忘れ去られている。当該歌は「夫木和歌抄」巻廿七雑九にあるが、以下の通り、

 誰かさは網の目見せて掬ふべき淵に沈める石伏の身を

正しくは初句の部分、「扨(さて)」ではなく、「さは」である。意味上は同様の意味の副詞として重大な変化ではないが、もし、これら「さは(沢)」「網」「掬ふ」「淵」「沈む」「石伏」が「川」の縁語であるならば、これはもう「さは」でなくてはなるまいとは思う。]

***

■和漢三才圖會 有鱗 巻ノ四十八 ○十

 

どんほ

とんこ

渡父魚

 

杜父魚

黄※魚【音公】[やぶちゃん字注:※=「魚」+「幼」。]

舩矴魚

伏念魚

【讀止牟保

 俗云止牟古】[やぶちゃん字注:以上六行は、前三行下に入る。]

 

本綱渡父魚生溪澗中長二三寸状如吹沙魚而短其尾

岐大頭闊口其色黄黑有斑脊背上有鬐刺螫人又見人

則以喙挿入泥中如舩矴也

△按渡父魚處處皆有状如上説

どんほ

どんこ

渡父魚

 

杜父魚〔(とほぎよ)〕

黄※魚【音、公。】[やぶちゃん字注:※=「魚」+「幼」。]

舩矴魚〔(せんてい)〕

伏念魚

【止牟保と讀む。俗に止牟古と云ふ。】

 

「本綱」に、『渡父魚は、溪澗の中に生ず。長さ二~三寸、状、--魚(かなびしや)のごとくして短し。其の尾、岐あり。大頭、闊き口、其の色、黄黑、斑有り。脊背上に鬐刺〔(ひれとげ)〕有りて人を螫〔(さ)〕す。又、人を見れば則ち喙を以て泥中に挿し入れ、舩〔(ふね)〕の矴〔(いかり)〕のごときなり。』

△按ずるに、渡父魚は處處に皆、有り。状、上説のごとし。

[やぶちゃん注:ハゼ亜目ドンコ科ドンコOdontobutis obscura。分布域は愛知県及び新潟県以西の本州、四国、九州(南西諸島を除く)及び大韓民国の巨済島であるから、「本草綱目」のものとは別種。本底本の出版元である長野電波研究所の「本草綱目」目録ではFurcina dabryiとし、シナハゲカジカなる和名を掲げている。この属名はカジカ目カジカ科Cottidaeで、現代中国語でも杜父魚科とはカジカ科Cottidaeを意味する。カジカには少数なから淡水産もいるので、「溪澗の中に生ず」でも一応、不自然ではない。セビレの棘条の描写や底生魚である(流石に口吻をアンカーにするという話は聞かないが)点からもカジカの仲間であろう。問題は、良安が「状、上説のごとし」と言っている点である。良安の掲げる絵は正しくドンコOdontobutis obscuraを意識していると思われるが、本文の記載が、無批判に「本草綱目」と一致すると言い切っているのは、叙述に於いては、良安は本邦に2種が確認されるのみの淡水産のカジカCottus pollux及びウツセミカジカCottus reiniiを意識したのではないかと疑われるのである。

 「吹沙魚」前掲の「鯊」(かなびしや)の項を参照。]

***

ばんだい 正字未詳

番代魚 【俗云波

      牟太伊】

[やぶちゃん注:「番」は底本では標題も本文も「番」の一画目がない字体。]

 

△按番代魚生池澤川流皆有三四月初出九十月不見

《改ページ》

 長一二寸許灰白色脊有緗與柹〔=柿〕色縦文腹白群游水靣〔=面〕

 聞人聲則深入而諸魚與此同迯厺頗如守門者其形

 状本草所謂石斑魚畧相似矣然此魚總無甲乙皆不

 過寸半又不見其※唯濕生者矣人亦不食之

[やぶちゃん字注:※=「魚」+「米」。]

ばんだい 正字、未だ詳らかならず

番代魚  【俗に波牟太伊と云ふ。】

 

△按ずるに、番代魚は池澤川流に生じ、皆、有り。三~四月、初めで出づ。九~十月、見ず。長さ一~二寸ばかり、灰白色、脊に緗(もへぎ)と柿色の縦文有り。腹、白く、水面に群游す。人聲を聞けば、則ち深く入りて、諸魚、此れと同じく迯〔(のが)=逃〕れ厺〔(さ)=去〕る。頗る守門の者のごとし。其の形状、「本草」に謂ふ所の石斑魚〔(いしぶし)〕に畧ぼ相似たり。然も此の魚、總て甲乙無く、皆、寸半に過ぎず。又、其の※〔(こ)=卵〕を見ず。唯だ濕生〔(しつしやう)〕せる者か。人、亦、之を食はず。[やぶちゃん字注:※=「魚」+「米」。]

[やぶちゃん注:「番代魚」という名、全体が灰白色で腹部が白い、水面に群泳し、人の声を聞くとすっと深みに潜る、その形状は「本草綱目」の石斑魚の記載と同じであるが(前掲の「石斑魚」の項を参照。『長さ數寸、白鱗、黑斑。水面に浮游し、人聲を聞かば則ち劃然として深く入る。』の部分を指すのであろう)、大きさは『其の長き者は尺餘』どころか全て1.5cm程度しかないという記載からは、棘鰭上目ダツ目アドリアニクチス亜目アドリアニクチス科メダカ亜科メダカOryzias latipesである。やや苦しいが、『脊に緗と柿色の縦文有り』というのは非常に古くから観賞用に流通しているヒメダカ(緋目高)の体色に似ていないとは言えない(ちなみに緋目高も学名はOryzias latipes)。この色はコイ科ダニオ亜科のオイカワZacco platypusのオスの婚姻色に似ているが、オイカワは既に項目として掲げられており、そもそもこの魚体の小ささでは全くの埒外である。

 「濕生」は、仏教用語で、湿気・腐肉の中から生き物が自然発生すること。一般には昆虫類等がそのように自然発生すると捉えられていた。湿生すると考えられた生物は主に昆虫類(蝶・蛾・蚊・蚋・蚤・虱等)であった。一般的な魚類は蛇や鳥と共に卵生(らんしょう)に属した。

 「食はず」とあるが、うるめっこ(メダカ)料理を新潟県東蒲原郡鹿瀬町で見つけた。『江戸時代から田んぼの側溝に沢山生息していたメダカを捕って冬の蛋白源、カルシウムの補給等にしていました。そのメダカも田んぼが基盤整備されて、住みかを失い、絶滅状態となりました。メダカの珍味も暫くの間、忘れ去られていましたが、幸いにして緋メダカが養殖されており、昔のメダカの味を忘れられない人達がその緋メダカを使って料理したところ、全く変わらない懐かしい味を見つけて、再び江戸時代の珍味を呼び戻したのが、この「鹿瀬のメダカ」です。』『「鹿瀬のメダカ」は、大根おろしと一緒に、お酒、ビールのつまみ、お茶漬けに、最高です。少しほろ苦さがあつて、一度食べたら忘れられない味となります。』とある。佃煮だ。ざざむしも平気な私は、ふ~む、ちょっと食ってみたい気になった。]

***

はぜ  闌胡

彈塗魚 【俗云波世】

タン トウ

 

三才圖會云彈塗魚形似小鰍而短大者三五寸潮退千百

爲群揚鬐跳擲海塗中作穴而居以其彈跳于塗故名

△按彈塗魚川末近海處多有之常潜行水庭〔→底〕釣之以小

 鰕爲餌綸之耑〔=端〕去鉤□〔→三〕寸許處着鉛錘令鉤附于地俟

 微動之響揚竿秋月貴賤以爲遊興之一矣形色似鯒

 而小細鱗體畧滑口濶腮大眼向上斑點帶微黑尾亦

 有小斑無岐春月古宿魚大者五寸腹有子

《改ページ》

■和漢三才圖會 有鱗 巻ノ四十八 ○十一

虎彈塗 状大而有虎斑彪【俗云止良波世】

衲彈塗 有深黑斑頭尾最黑擬浮屠之玄衲【俗云古呂毛波世】

飛彈塗 脇邊有鰭如翼呼曰飛鯊【俗云止比波世】

はぜ  闌胡〔(らんこ)〕

彈塗魚 【俗に波世と云ふ。】

タン トウ

 

「三才圖會」に云ふ、『彈塗魚は、形、小〔さき〕鰍(どじやう)に似て短く、大なる者、三~五寸。潮、退く時[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]、千百、群を爲し、鬐〔(ひれ)〕を揚げ跳びて海に擲〔(なげう)〕つ。塗〔(どろ)〕の中に穴を作りて居る。其れ、塗を彈跳するを以て故に名づく。』と。

△按ずるに、彈塗魚は、川の末、海に近き處、多く之有り。常に水底を潜(くゞ)り行く。之を釣るに、小鰕(ゑび)を以て餌と爲し、綸(つりいと)の端、鉤〔(はり)〕を去ること三寸ばかりの處に鉛の錘(をもり)を着く。鉤をして地に附けしめて、微動するの響きを俟ち、竿を揚ぐ。秋月、貴賤、以て遊興の一と爲す。形・色、鯒(こち)に似て小さく、細鱗、體、畧ぼ滑かにして、口、濶く、腮、大きく、眼、上に向く。斑點、微黑を帶ぶ。尾、亦、小斑有り、岐無し。春月、古宿(ふるせ)の魚の大なる者は五寸、腹に子有り。

虎彈塗(とらはぜ) 状、大にして虎斑(〔とら)〕まだら)の彪(ふ)有り【俗の止良波世と云ふ。】。

衲(ころも)彈塗 深き黑斑有り。頭尾最も黑く、浮屠〔(ふと)〕の玄衲〔(げんなふ)〕に擬す【俗に古呂毛波世と云ふ。】。

(とび) 彈塗 脇の邊、鰭有り、翼のごとし。呼んで飛鯊と曰ふ【俗に止比波世と云ふ。】。

[やぶちゃん注:スズキ目ハゼ亜目に属するハゼの仲間の仲間の中でも、内海の沿岸域及び汽水域に棲息する種を限定していると考えてよい。従って、内湾の砂泥を生息域とする

ハゼ科ゴビオネルス亜科マハゼAcanthogobius flavimanus
   ハゼ亜科ウロハゼGlossogobius olivaceus
   ハゼ亜科ヒメハゼ Favonigobius gymnauchen
   ハゼ亜科ハゴロモハゼ属イトヒキハゼMyersina filifer Valenciennes

等、及び干潟を生息域とする


ハゼ科オキスデルシス亜科トビハゼPeriophthalmus modestus
   オキスデルシス亜科ムツゴロウBoleophthalmus pectinirostris
   ワラスボ亜科ワラスボOdontamblyopus lacepedii
   ゴビオネルス亜科マハゼハゼクチAcanthogobius hasta

等、及び広く汽水域を生息域とする

ハゼ科ゴビオネルス亜科ゴマハゼ属Pandaka sp.
   ゴビオネルス亜科ミミズハゼ属 Luciogobius sp.
   ゴビオネルス亜科シマハゼTridentiger trigonocephalus
   ゴビオネルス亜科アベハゼ Mugilogobius abei

等を挙げておけばよいか。河川と海の回遊型ハゼや岩礁性海岸のハゼ類は、とりあえずはずしておく。
 「鰍」は国字としてはイナダ(アジ科ブリSeriola quinqueradiataの中型の大きさのもの)やカサゴ目カジカ科の淡水魚カジカCottus polluxを意味するが、中国では「鰌」と同字で、コイ目ドジョウ科 Cobitidaeのドジョウの仲間を総称する。

 「海に擲つ」とあり、干潮になると、身体を引いてゆく潮に積極的に投げ打つようにして海に向かって跳ねる、という意味であるが、跳躍が目立つトビハゼPeriophthalmus modestusを例にとると、干潮になると干潟をムナビレを用いて活発に動き回り、そこでは主に採餌及び求愛と闘争が行われ、それは必ずしも「海に擲つ」とは言えない。更に言えば、満潮になると帰巣するが、実は巣穴を持たない個体は逆に陸地に向うため、「海に擲つ」とは逆の現象が見られる。

 「綸の端、鉤を去ること三寸ばかりの處に鉛の錘を着く。鉤をして地に附けしめて、微動するの響きを俟ち、竿を揚ぐ」とは、一般にハゼのミャク釣りと呼ばれる仕掛けである。私はこの「ミャク」(「脈」であろう)の何ともいえない「微動」と音の「響き」にこそ、江戸庶民を魅了したハゼ釣りの魅惑が示されているように思えてならない。

 「鯒」と言う場合、現今、二つのグループを指すが(カサゴ目 Scorpaeniformesコチ亜目Platycephaloidei及びスズキ目Perciformeネズッポ亜目Callionymoidei)ここは典型的なマゴチPlatycephalus sp.等を含む前者ととってよい。

 「古宿(ふるせ)の魚」とは「古背」で、現在、イカナゴやアユの二年魚に用いられている。年を越しても生きている成魚を漠然と指しているようである。

 「虎彈塗」トラハゼ これはハゼではないと思われる。現在でもトラハゼという名称で呼ばれるスズキ目ワニギス亜目トラギス科トラギスParapercis pulchellaまたはスズキ目ワニギス亜目トラギス科トラギス属 クラカケトラギスParapercis sexfasciataを同定候補としておく。

 「衲彈塗」コロモハゼ この呼称は現在生き残っていない模様である。これは、全体に黒っぽく(この黒色は興奮色であるともいう)、頭部の後側に小さな黒斑が点在するハゼ亜科のウロハゼGlossogobius olivaceusではないか。

 「浮屠の玄衲」は、僧侶の黒い僧衣の意。

 「飛彈塗」トビハゼ ハゼ科オキスデルシス亜科トビハゼPeriophthalmus modestus。]

***

むつ

牟豆

 

正字未詳

【※1嚢抄用鱁

 字未審鱁者

 ※2之別名】

[やぶちゃん字注:※1=「嗑」の「口」を「土」に換える。※2=「既」の旧字体の下に「魚」。但し、※1は誤りで、正しくは※1=「土」+「蓋」と書く。なお、以上四行は、前二行下に入る。]

 

△按牟豆魚溪澗空穴中有之又浮游大四五寸似※3而

 畧圓淺黑細鱗硬鰭尾有岐肉柔味不美最下品

[やぶちゃん字注:※3=「魚」+「軰」。]

むつ

牟豆

 

正字、未だ詳らかならず。

「※1嚢抄」〔(あいなうせう)〕に「鱁」の字を用ふ。未だ審らかならず。「」は※2(いるか)の別名〔なり〕。】[やぶちゃん字注:※1=「土」+「蓋」。※2=「既」の旧字体の下に「魚」。]

 

△按ずるに、牟豆魚は、溪澗の空穴(うとろ)の中に之有り、又、浮游す。大いさ四~五寸、※〔(はえ)〕に似て畧ぼ圓く、淺黑く、細鱗、硬き鰭、尾に岐有り。肉、柔かにして、味、美ならず。最下品〔なり〕。

[やぶちゃん字注:※3=「魚」+「軰」。]

[やぶちゃん注:コイ科ダニオ亜科オイカワ属カワムツ(カワムツB型)Zacco temminckii又はヌマムツ(カワムツA型)Zacco sieboldiiである。現在でも、略称して「ムツ」と呼ぶ地方がある。

 「※1嚢抄」[※1=「土」+「蓋」。]は、室町中期に僧行誉(ぎょうよ)のよって篇せられた辞書。

 「鱁」は、「ムツ」の他、アユの内臓の塩辛である「ウルカ」を指す(前掲の「鰷」(アユ)の項参照)の。しかし、以下、良安が言うような哺乳綱獣亜綱真獣下綱ローラシア獣上目鯨偶蹄目ハクジラ亜目Odontocetiの「イルカ」類を指す用例はない。但し、「※2」[※2=「既」の旧字体の下に「魚」。]には確かに「イルカ」の意味がある。良安先生、言っちゃあ何だが、「未だ審らかならず」だ、もしかすると「ウルカ」と「イルカ」を勘違いしなさった、なんてことはないですよねえ?]

***

《改ページ》

きんぎよ

金魚

キン イユイ

 

本綱金魚有鯉鯽鰍※1之數種獨金鯽耐久春末生子於

[やぶちゃん注:※1=「粲」の「米」を「魚」に換える。]

草上好自呑亦易化生初生黑色久乃變紅或變白者名

銀魚又有紅白黑斑相間者食橄欖渣肥※2水即死得白

[やぶちゃん注:※2=「皀」の「ヒ」を「七」に換える。]

楊皮不生蝨也肉【甘鹹平】味短而靭自宋始有畜者今則處

處人家養玩矣

丹魚 抱朴子云上洛縣冢嶺山有丹水入于汋水中出

 丹魚先夏至十夜伺之魚浮水側必有赤光上照若火

 割血塗足可以履水

△按金魚非鯉鮒等之變者是別一種而殊不知鰍鰷之

 變者初自外國來近年玩賞之而無食之者形似鮒而

《改ページ》

■和漢三才圖會 有鱗 巻ノ四十八 ○十二

 

 尾如鰕其大者七八寸筑前及泉州堺多有養之者以

 販于四方毎自三月至十月餌孑孑蟲小蚓又索麪【煮熟

 日乾】亦佳【如餌飯粒則金魚眼突出】至春末生子投杉藻或棕櫚皮泛

 水其欲生時雄頻逐之雌相逼生子於藻中好自啗故

 急撰取其藻養別水槽受日光三五日孚頭尾備放池

 初黑色如小鮒久乃變紅斑經二歳長二三寸爲紅黑

 斑經三歳爲純紅老則又變白如銀名之銀魚本一種

 又有逆振尾游者號獅子共爲珍其尾如鰕又如舟楫

 而不邪斜者良如鮒尾者爲下品最大者一尺價貴其

 頭微尖者雌

きんぎよ

金魚

キン イユイ

 

「本綱」に『金魚は、鯉・鯽〔(ふな)〕・鰍(どぢやう)・※1(あゆ)の數種有り。獨り金鯽久〔(きう)〕に耐〔(た)〕ふ。春の末に子を草の上に生ず。好んで自ら呑み、亦、化生〔(けしやう)〕し易し。初生は黑色、久しくして乃ち紅に變ず。或は白に變ずる者を銀魚と名づく。又、紅・白・黑斑相間(まじ)はる者有り。橄欖〔(かんらん)〕渣〔(さ)〕肥※2〔(ひさう)〕の水を食へば即ち死す。白楊皮を得れば、を生ぜざるなり。肉は【甘鹹、平。】、味、短くして靭(しな/\)す。宋より始めて畜者有り。今は則ち處處の人家、養玩す。』と。

[やぶちゃん注:※1=「粲」の「米」を「魚」に換える。※2=「皀」の「ヒ」を「七」に換える。]

丹魚 「抱朴子」に云ふ、『上洛縣の冢嶺山〔(ちようれいさん)〕丹水有りて汋水〔(しやくすゐ)〕の中に入り、丹魚を出だす。夏至に先〔(さきだ)〕つこと十夜、之を伺ふ。魚、水に浮かぶ側に必ず赤光有り、上照すること火のごとし。血を割〔(さき)〕て足に塗れば、以て水を履〔(ふ)〕むべし。』と。

△按ずるに金魚は鯉・鮒等の變ずる者に非ず。是れ別に一種にして、殊に鰍(どぢやう)・鰷(あゆ)の變ずる者を知らず。初め外國より來り、近年之を玩賞するも、之を食ふ者、無し。形。鮒に似て尾鰕のごとし。其れ、大なる者、七~八寸。筑前及び泉州〔=和泉〕の堺に多く之を養ふ者有り。以て四方に販〔(ひさ)〕ぐ。毎に三月より十月至るまで孑孑(ぼうふり)・蟲(むし)・小き蚓(みゝず)を餌〔(じ)〕とし、又、索麪〔(さうめん)〕【煮熟し日に乾〔したる〕。】、亦、佳し【如〔(も)〕し飯粒を餌とせば、則ち金魚、眼、突出す。】春末に至り、子を生む。杉藻或は棕櫚の皮を投じて、水に泛〔(うか)〕ぶ。其れ、生(こう〔=子産〕)まんと欲するの時、雄、頻りに之を逐ふ。雌、相逼〔(せま)〕りて子を藻中に生む。好んで自ら啗〔(くら)〕ふ故、急〔(にはか)〕に其の藻を撰取し、別の水槽(ふね)に養ふ。日光を受けしむ〔れば〕、三~五日にして孚(か)へり、頭尾備へて、池に放つ。初めは黑色〔にして〕、小鮒のごとく、久しくして乃ち紅斑に變ず。二歳を經て、長さ二~三寸、紅黑斑と爲る。三歳を經て、純紅と爲る。老ゆれば則ち又、白に變じて銀のごとし。之を銀魚と名づく。本〔(もと)〕、一種なり。又、逆(さかしま)に尾を振りて游ぐ者有り。獅子と號す。共に珍と爲す。其れ、尾、鰕のごとく、又、舟の楫(かぢ)のごとくにして、邪-斜(なゝめ)ならざる者、良し。鮒の尾のごとくなる者、下品と爲す。最も大なる者、一尺。價、貴〔(たか)〕し。其の頭、微〔(すこ)〕し尖る者、雌なり。

[やぶちゃん注:コイ目コイ科コイ亜科フナ属キンギョCarassius auratus。フナの一種であるギンブナCarassius gibelio langsdorfiが突然変異を起して、体色が黒色色素を欠落させて赤く変化したヒブナ(緋鮒)を元に、人為交配を重ねて創出した観賞魚。長江下流の浙江省辺りが発祥の地とされ、日本への伝来は室町期とされる。

 「鰍」は国字としてはイナダ(アジ科ブリSeriola quinqueradiataの中型の大きさのもの)やカサゴ目カジカ科の淡水魚カジカCottus polluxを意味するが、中国では「鰌」と同字で、コイ目ドジョウ科 Cobitidaeのドジョウの仲間を総称する。

 「金鯽」に本邦のキンブナCarassius auratus burgeriを同定候補することは、「本草綱目」の記載である以上、噴飯もののようにも思えるが、「キンブナ」という呼称が本邦にあることは、一応、挙げておきたい。

 「久に耐ふ」は、長生きするの意。

 「好んで自ら呑み、亦、化生し易し」とは、この金魚がよく自分の生んだ子供を食べてしまうのを見た時珍が、卵を生みながら、その卵を食うという残忍なる行為に及び、結局、次の世代の子を生じない以上、彼等は卵生の性を持ちながら、実際にはそのおぞましくも測りがたい業によって化生することが多いのだと判断したことを物語っているか。

 「橄欖」その油脂成分が、次の「「肥※2」[※2=「皀」の「ヒ」を「七」に換える。]に共通する点で、ムクロジ目カンラン科カンランCanarium albumに同定する。その実がゴマノハグサ目モクセイ科オリーブOlea europaea同様の利用法をされる故に、オリーブにも「橄欖」の字を当てるが、全く別個な種である。

 「渣」は、水中に沈殿した澱や滓を指す言葉であるが、ここはカンランCanarium albumの実や樹皮が水付けになり、油脂成分が浸潤した水という意味であろう。

 「肥※2」[※2=「皀」の「ヒ」を「七」に換える。]は「肥皀」にも見えるが、「肥皀」は「ひきょう」又は「ひこう」、中国語では“feizao”で、石鹸を指す語である。この場合、「※2」は「皁」の字の俗字である。「皁」の字は、ドングリ・クヌギ・トチ等の実を指すが、「肥皁」(音は「ひそう」)でネット検索をかけると、中国のマメ科の植物で肥皁莢属Gymnocladusというのがヒットする。しかし、試みに「肥皀」で検索するとシャボンサイカチGymnoladus chinensis(トウサイカチという和名もある)という植物に行き当たる。その一前宣正(他者との共著?)著「世界の雑草 II 離弁花類」(不思議な形でネット検索にかかった。その時に以下を目視したのはPDFファイルであったが、その後に同ファイルを確認出来ないので書誌情報は不確かである)には、その果実を「肥皀」と言い、その種子を「肥皀子」と言って洗剤に用いる、とある。界面活性を持つ高級脂肪酸の塩を含んだ植物油脂は、魚類には当然、有害である。私は従って「肥皁」=「肥皀」と断ずるものである。

 「白楊皮」はヤナギ科ヤマナラシ属ハコヤナギPopulus sieboldii。なおヨーロッパでは、古くからこの樹の皮を膀胱炎や老人の排尿困難等に処方してきた歴史があるらしい。それを金魚のいる水に浸せば、その滲出液の持つ薬効成分が前二者とは対照的に、以下の金魚につくウオジラミを退治してくれるという意味である。

 「蝨」は「しらみ」と訓ずるが、これはアゴアシ亜綱エラオ(鰓尾)下綱エラオ(ウオジラミ)目(鰓尾類・チョウ類とも呼称する)ウオジラミ科Argulidaeのウオジラミの仲間である。5㎜以下の極めて小さな甲殻類で、魚体を針を刺して体液を吸い取る寄生虫である。

 「短くして」は、やや劣るという意味であろうか。即ち、金魚の肉は、今一つふにゃふにゃとして美味くないという意味。流石は中国、ちゃんと金魚、食べてるよ。

 「丹魚」は、以下の記載やこの後の注を見ていただけば分かるように、とても同定する気になれない魚である。これは最早、練丹→練金→金魚繋がりとでも言うべきか。

 『「抱朴子」』は東晋の葛洪(かつこう)の著になる神仙・道術書。最も知られる練丹術書である。該当箇所を以下に引用し(良安の引用の頭の部分は現在知られる「抱朴子」には所載していない)、1973年平凡社刊の中国古典シリーズ4「抱朴子 列仙伝・神仙伝 山海経」の本田済訳を附す。ここで言っている「丹」とは、錬金術に於ける賢者の石(ラピス・フィロソフイムlapidis philosophorum)に相当する、最終的に羽化登仙・不老不死に至る段階的霊薬である。なお、この部分はどうも、葛洪が別な作品から引用した部分であるらしく、訳文の底本では「また隠れた丹を採取する法がある。」の次行から最後の「と。」までの間がすべて二字下げになっている。

 

又有取伏丹法云。天下諸水、有名丹者。有南陽之丹水之屬也。其中皆有丹魚。當先夏至十日夜伺之、丹魚必浮於水側。赤光上照、赫然如火也。網而取之可得之。得之雖多、勿盡取也。割其血、塗足下則可歩行水上、長居淵中矣。

 

 また隠れた丹を採取する法がある。

 天下の川には丹という名のついたのがある。たとえば南陽(河南省)の丹水など。その中には必ず丹魚がいる。夏至の十日前の夜に伺っていると、丹魚が必ず川べりに浮いて来る。赤い光が上の方に放射し、火のように明るい。網でこれを取れば手に入る。沢山とれても、とり尽くしてはいけない。その血をしぼって足に塗ると、水の上を歩いたり、いつまでも水底にもぐったりできる。
 と。

 

「上洛縣の冢嶺山」は現在の陝西省にあり、黄河の主要支流の一つである洛水の源流である。但し、上記の南陽の位置とは大きく北にずれる。

「丹水有りて汋水の中に入り、丹魚を出だす」とは、その冢嶺山には丹水という支流があって、その丹水が汋水という主流に合流し、その合流地点に丹魚が生息している、という意味。前に示した洛水との関係は検証していない。なお、現在の地図を見てみると、南陽の南西約150㎞程地点の大河漢水に丹江口(タンチャンコウ)というダムの名を視認できる。

 「魚、水に浮かぶ側に必ず赤光有り」は、前掲の「抱朴子」の引用を見てもらえば分かる通り、良安の引用と返り点双方の誤りである。「魚必ず水側に浮かぶ。赤光ありて……」となるところ。

 「殊に鰍・鰷の變ずる者を知らず」とは、ドジョウやアユが変じて金魚となるなどということがあるはずがない! と激しくお怒りになっている良安先生である。

 「杉藻」は多年生水生植物であるオモダカ目ヒルムシロ科ヒルムシロ属Potamogetonに属するヤナギモPotamogeton oxyphyllus等の仲間のようであるが、スギモではネット上に学名が掲載されていない。正式和名が異なるか。

 「棕櫚」はヤシ目ヤシ科シュロ属ワジュロTrachycarpus fortunei及びトウジュロTrachycarpus wagnerianus

 「三~五日にして孚へり、頭尾備へて、池に放つ。」ここは返り点が脱落しているのではないかと思われる。「三~五日にして頭尾備へて孚へり、池に放つ。」であろう。]

***

かん

※1【音感】[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「感」。]

カン

 

※2【音紺】 鰥[やぶちゃん字注:「魚」+「臽」。]

黄頰魚[やぶちゃん字注:以上二行は、前三行下に入る。]

《改ページ》

本綱※1生江湖中體似※3而腹平頭似鯇而口大頰似鮎

[やぶちゃん字注:「魚」+「宗」。]

而色黄鱗似鱒而稍細大者三四十斤啖魚最毒池中有

此不能畜魚性獨行故曰鰥詩云其魚魴鰥是也

かん

※1【音、感。】[やぶちゃん字注:※1=「魚」+「感」。]

カン

 

※2【音、紺。】 鰥〔(くわん)〕[やぶちゃん字注:※2=「魚」+「臽」。]

黄頰魚

 

「本綱」に『※1は、江湖中に生ず。體、※3に似て、腹、平らにして、頭、鯇(あめのいを)に似て、口、大。頰、に似て、色、黄。鱗、に似て、やや細なり。大なる者、三~四十斤、魚を啖〔(くら)〕ふ。最も毒なり。池の中に有れば、此れ、魚を畜〔(やしな)〕ふ能はず。性、獨行する。故にと曰ふ。「詩」に云ふ、「其の魚、魴鰥」と。是れなり。』と。

[やぶちゃん字注:※3=「魚」+「宗」。]

[やぶちゃん注:「廣井漢和辭典」には「鰥」の項に『大魚の名。=鯤』とし、「正字通」を引いて、『鰥、※2魚之別名。』とする。「鯤」は御存知の通り、「荘子」の冒頭「逍遙遊」に登場する北海に住む途方もなくどでかいものの象徴たる想像上の魚名である。時珍の記載も、鵺(ヌエ)やらキマイラやら見たような叙述だ。「※3」は次項に示した通り、淡水魚で本邦には生息しないカマツカ亜科Coripareius(シノニム:Coreius属のある種であろう。「鯇」は既にコイ目コイ科ソウギョ亜科ソウギョCtenopharyngodon idellusに同定した。「鮎」は時珍の記述であるからナマズ目Siluriformesのナマズを指すことに注意だし、次の「鱒」も総称的マス類を指さず、コイ目の一属一種であるカワアカメSqualiobarbus curriculusを指す(前掲の「鱒」の項の注を参照されたい)。和書では、「※1」や「鰥」に鱈であるとか、山女(「鰥」からは当然というか単純な類推である)であるとか、ナマズ目ギギ科ギバチ属ギギPelteobagrus nudicepsを当てている。敢えて本邦種に近似したものを求めるなら、ナマズ特有の貪欲な魚食性で(「頰、鮎に似て」るものはナマズの仲間と見てよかろう)、更にセビレ・ムナビレの合わせて三本の鋭い棘とその内側の鋸歯状部分で人をも傷つけ、そこには有毒成分も疑われているギギは、強ち的外れとは言えない。但し、流石に本邦産のギギは30㎝を越える大物はあっても、「三~四十斤」(1724㎏)はとっても、ない。しかし、ナマズの類はまさに「鯤」並に想像を絶する大魚がいることも事実。荘周先生も、そんな人知を超えた自然を「自然」と述べておるではないか。――ところが長野電波技術研究所の「本草綱目目録」では、これをウグイ亜科Elopichthys属のElopichthys bambusaに同定している。これは個人のHPHermitage(この響きはいい。ハーンの“JIKININKIに出てくる)のまだ見ぬ垂涎の魚たち~中国編」に写真入りで以下の記載がある(改行は省略した)。

中国北東部やシベリア、アムール河流域を中心に温帯の河川に分布しているらしい。2mに達する大型,魚食性のウグイ亜科の魚で、遊泳性が非常に強く、泳ぎがかなり速い。成魚は主にレンギョなどを捕食していると言えば、そのすごさがわかるだろうか。15kgに達する頃には4kg程度の鯉を丸呑みするそうで、稚魚期から一貫して丸呑みするスタイルのようだ。最大で50kgに達する(以下略)

これは確かにかなりいける感じだ。当初、「最も毒なり」を有毒成分を肉なり棘なりに保持する意味で捉えていた(東洋文庫版でも「大へん毒がある」と訳している)が、これはその貪欲な魚食性が「畜魚」にあって「大毒」であると言っているのであろう。加納喜光先生の「漢字動物苑(7)鯉」でも同じであった。ここではボウウオという和名も発見。潔く此方に投降することにする。結局、ボウウオElopichthys bambusaで決まり!

 「鰥」は、この場合、国訓の「やまお」「やもめ」の意味で、成人して妻のない男又は年老いて妻のない男を指す。

 『「詩」』は「詩経」を指す。当該詩は「齊風」に所載する「敝笱」(へいこう)である。「敝笱」とは破れた魚籠(びく)を言う。この詩は春秋時代初期の齊の君王襄公(じょうこう)が実妹の文姜(ぶんきょう)と長きに渡って近親相姦を続けた(文姜が隣国魯の桓公(かんこう)に嫁入りしてからもその関係が続いたとする)ことを揶揄する詩群の一つで、本詩は、その文姜がおぞましき近親相姦を隠して厚顔にも桓公に嫁いだ際の情景を描いて、その糜爛した関係と権勢の横暴を示した詩であるとする。以下、1958年岩波書店刊の「中国詩人全集 詩経国風 下」等を参照に、原文とやぶちゃんの書き下しとオリジナル注を示す。

敝笱

敝笱在梁  敝(やぶ)れたる笱(びく) 梁(やな)に在り

其魚魴鰥  其の魚 魴と鰥(はうかん)

齊子歸止  齊の子(むすめ) 歸(とつ)ぎしとき

其從如雲  其の從(とも) のごとし

 

敝笱在梁  敝れたる笱の 梁に在り

其魚魴鱮  其の魚 魴と

齊子歸止  齊の子 歸ぎしとき

其從如雨  其の從 のごとし

 

敝笱在梁  敝れたる笱の 梁に在り

其魚唯唯  其の魚 唯唯(いい)

齊子歸止  齊の子 歸ぎしとき

其從如水  其の從 のごとし

 

○やぶちゃん語注:
・敝笱:破れた魚籠では魚を補足出来ない。即ち文姜の夫である桓公が弱気のために妻の実兄とのおぞましい不倫を止めることができないことを揶揄する。私には魚籠の形から、セクシャルなニュアンスもあろうかと思われる。

・梁:「簗」(やな)で、魚を捕らえるために川を少し堰き止めた部分を言う。

・其魚魴鰥:魚籠は破れているので、大魚「魴」と「鰥」は、その梁の近くで悠然と泳いでいるのである。これは夫を夫とも思わぬ文姜とその従者側近を指すとする。「魴」について、朱子は同じ「詩経」の「周南」の「汝墳」の「魴」に注して「身広くして薄く、力少(よわ)くして細かき鱗」とする。長野電波技術研究所の「本草綱目目録」では、「魴魚」にコイ科カワヒラ亜科のParabramisParabramis bramulaを同定している。加納喜光先生の「漢字動物苑(7)鯉」ではコイ科コイ目のダントウボウの仲間であるMegalobrama Megalobrama termilalisに同定されており、更に『日本では古くからオシキウオと読んでいるが、トガリヒラウオが正しい』と注されている。チョウザメで私淑する加納先生のトガリヒラウオMegalobrama termilalisでとる。

・歸:古注に従うなら、冒頭に述べた通り、文姜が桓公に嫁いだ際の情景とし、「嫁ぐ」の意とする。確かに「歸」の第一義は、とつぐ、である。しかし、朱子注ではこれを文姜が魯の国へ嫁に行って後に、何度も故郷の齊に兄と密会を目的として「歸」ることと読む方が、インパクトのある解釈である。そもそも嫁入りの豪奢さは、こと彼女に限ったことではなく、それが揶揄の歌として効果を持つのは、その折だけであろう。それならば、何度にも渡ったであろう文姜の里帰りの折に揶揄された歌なれば、こんなに効果的なことはあるまいと思うのである。

・止:句末に添えて語調を整える助字。訳す必要はない。

・雲=雨=水:何れも、ものの多いこと、盛んなことを言い、文姜の供回りの多勢にして横暴なさまを言う。

・鱮:現在はコイ科タナゴ亜科Acheilognathinaeに属すタナゴ類の総称。

・唯唯:「廣漢和辭典」は第三義として、自由に出入りするさま、一説に、後について行くさまと記し、「敝笱」のこの部分を引用している。両義がからめば、丁度、いい訳になる。]

***

さう

※1【音 】[やぶちゃん注:※1=「椶」の「木」を「魚」に換える。音の下は欠字。]

ツヲン

 

※2【同】[やぶちゃん字注:※2=「魚」+「宗」。]

【夫木集※1訓伊

 之布之者非也】[やぶちゃん字注:以上三行は、前三行下に入る。]

 

本綱※2生江湖中體圓厚而長似※3魚而腹稍起扁額長

[やぶちゃん字注:※3=「魚」+「感」。]

啄口在頷下細鱗腹白背微黄色亦能噉魚大者二卅斤

△按※3※2二種未聞有本朝江湖中

さう

※1【音 】[やぶちゃん注:※1=「椶」の「木」を「魚」に換える。音の下は欠字。]

ツヲン

 

※2【同じ。】[やぶちゃん字注:※2=「魚」+「宗」。]

「夫木集」に※1を伊之布之〔(いしぶし)〕と訓ずるは非なり。】

「本綱」に『※2は江湖中に生ず。體、圓厚にして長し。※3魚に似て、腹、やや起ち、扁たき額、長き啄口、頷の下に在り。細鱗、腹、白く、背、微黄色。亦、能く魚を噉ふ。大なる者、二~卅斤。』と。

[やぶちゃん字注:※3=「魚」+「感」。]

 

△按ずるに、※3・※2の二種は、未だ本朝江湖の中に有ることを聞かず。

[やぶちゃん注:長野電波技術研究所の「本草綱目目録」ではCoripareius styaniに同定している。これはカマツカ亜科Coripareius(シノニム:Coreius)属の魚で、中国名「施氏銅魚」という。

 『「夫木集」』は、良安がよく引用する1310年頃成立した藤原長清撰になる私撰和歌集「夫木和歌抄」。

 「伊之布之」の指すイシブシについては、前掲「石斑魚」の注を参照。

 「※3魚」[※3=「魚」+「感」。]はボウウオElopichthys bambusa前項の注を参照。

 「二~卅斤」は1218㎏。ちなみにこの属名Coripareius イメージ検索となかなかSF映画の潜水艦見たような魚体が並ぶぞ! こりゃあ、「二~卅斤」にはなりそうだわい。]

***

■和漢三才圖會 有鱗 巻ノ四十八 ○十三

おこじ

※1【音滕】[やぶちゃん字注:※1=「舟」+「鮝」。]

テアン

 

【和名乎古之

 俗云乎古世】[やぶちゃん字注:以上二行は、前三行下に入る。]

 

本綱形状居止功用倶與鱖同亦鱖之類也山海經云洛

水多※2魚如鱖居于逵【水中穴道交通者曰逵】[やぶちゃん字注:※2=「月」+「鮝」。]

△按※1鱖謂生於湖水然二物適出魚肆者共此江海之

 産也※1形甚醜故謂醜女譬之其刺螫人【俗云山神好食※1】

おこじ

※1【音、滕〔(とう)〕。】[やぶちゃん字注:※1=「舟」+「鮝」。]

テアン

 

【和名、乎古之。俗に乎古世と云ふ。】

 

「本綱」に『形状・居止・功用は倶に鱖〔(あさじ)〕と同じ。亦、鱖の類なり。「山海經」に云ふ、『洛水に※2魚多し。鱖のごとく逵〔(き)〕に居り【水中の穴道の交通する者を逵と曰ふ。】。』と。[やぶちゃん字注:※2=「月」+「鮝」。]

△按ずるに、※1・鱖は、湖水に生ずると謂ふ。然れども二物適々〔(たまたま)〕魚の肆(いち)に出づる者、共に此れ、江海の産なり。※1、形、甚だ醜し。故に醜女を謂ひて之に譬ふ。其の刺(〔は〕り)人を螫す【俗に山神好んで※1を食らふと云ふ。】。

[やぶちゃん注:標記のように「本草綱目」と良安の記載する字は異なる。国立国会図書館蔵の金陵万暦18(1596)年刊『本草綱目』初版を確認してみたが、良安が引用していない部分でも一貫して時珍は「※2」[※2=「月」+「鮝」]と標記している。良安が言うように海産のオコゼとの混乱も生じているが、ここは「形状・居止・功用は倶に鱖と同じ。亦、鱖の類なり」という時珍の謂いを安直に受けるならば、幼魚に於いて「鱖」と見分けがつきにくく、分類学上も混同されていた種ということで、まさに「鱖」=ケツギョSiniperca chuatsiを発見した「オヤニラミ倶楽部」「オヤニラミの近縁種」に記載されたスズキ目ケツギョ科オヤニラミ属Coreopercaはどうであろう。例えばコウライオヤニラミCoreoperca herziについては『砂礫や転石、岩場の多い清流を好むようであり、やや物陰に潜む傾向が強い』とは、ちょっと「逵」っぽくない↺? 勿論、同ページに載るケツギョ属SinipercaSiniperca chuatsiの仲間であっても構わないわけである(いや、分かってる。大甘の同定、好い加減、淡水魚が飽きてきた私を、どうかお許しあれ)。そうして最後に良安先生の言うオコゼにカサゴ目カサゴ亜目オニオコゼ科オニオコゼInimicus japonicusを同定。勿論、民俗としてのオコゼはカサゴ亜目Scorpaenoideiの多種を指すようには思われるけれど、その辺も、南方先生、文献指示するから、許してチュ♡

 「居止」は、生息域や行動を言う語。

 『「山海經」』は、作者・成立年代未詳の中国古代の地理書。古い記述は秦・漢頃のものとされ、洛陽を中心としながら多分に幻想的な地誌が展開、神話や伝説等も抱え込んだ驚天動地の博物書である。晋の郭璞(かくはく)の注で著名。

 「俗に山神好んで※1を食らふと云ふ」は、私の電子テクスト南方熊楠「山神オコゼ魚を好むということ」を参照のこと。]

***

あさぢ

【音貴】

クー

 

※1魚【※2同】水豚 石桂魚

[やぶちゃん字注:※1=「罽」の「炎」を「魚」に換える。※2=「糸」+「罽」。]

【和名阿

 散知】[やぶちゃん字注:以上四行は、前三行下に入る。]

 

本綱鱖生江湖中扁形※3〔→濶〕腹大口細鱗有黑斑如織※2故

[やぶちゃん字注:※3=(さんずい)+「闊」。]

曰※1色明者爲雄稍晦者爲雌背有鬐鬛刺人其鬛刺凡

十二以應十二月誤鯁害人厚皮緊肉肉中無細刺有肚

能嚼亦啖小魚凡魚無肚而不嚼牛羊有肚故能嚼鱖獨

有肚能嚼也夏月居石穴冬月偎泥罧魚之沈下者也小

者味佳至三五斤者不美【甘平去腹内小蟲益氣力補虚勞】

三才圖會云此魚黄質黑章鬐鬛皆圓特異常魚漁者以

索貫一雄置之谿畔群雌來齧曳之不捨掣而販之常得

數十尾

あさぢ

【音、貴。】

クー

 

※1魚〔(けいぎよ)〕【※2は同じ。】水豚 石桂魚

[やぶちゃん字注:※1=「罽」の「炎」を「魚」に換える。※2=「糸」+「罽」。]

【和名、阿散知。】

 

「本綱」に、『鱖は江湖の中に生ず。扁たき形、腹、濶く、大なる口、細鱗、黑斑有りて織※2〔(しよくけい)=毛織物〕のごとし。故に※1と曰ふ。色の明なる者雄と爲し、やや晦〔(くら)〕き者、雌と爲す。背に鬐鬛〔(しれふ)=鰭〕有りて人を刺す。其の鬛の刺〔(はり)〕、凡そ十二、以て十二月に應ず。誤りて鯁(ほねたつ)る時は[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]、人を害す。厚き皮、緊〔(しま)れる〕肉〔にて、その〕肉の中に〔は〕細なる刺無し。、有りて、能く嚼〔(か)〕む。亦、小魚を啖〔(くら)〕ふ。凡そ魚は肚無して嚼まず。牛・羊、肚有りて、故に能く嚼む。鱖、獨り、肚有り。能く嚼むなり。夏月、石の穴に居り、冬月、泥罧〔(でいりん)〕に偎〔(なづ)〕む。〔泥罧は〕魚の沈下せる者なり。小さき者、味、佳し。三~五斤に至れる者、美ならず【甘、平。腹内の小蟲を去り、氣力を益し、虚勞を補ふ。】。』と。

「三才圖會」に云ふ、『此の魚、黄質黑章、鬐鬛、皆、圓く、特に常魚と異なり、漁者、索を以て一雄を貫き、之を谿畔〔(こくはん):水際〕に置く。群雌來つて之を齧り曳きて捨てず。掣して之を販ぐ。常に數十尾を得。』と。

[やぶちゃん注:東洋文庫版では、この合成に用いた「罽」の字を※1[※1=「罽」の「炎」を「魚」に換える]に用いているが、明らかに「罽」ではない。なお、この「罽」は、魚を獲る網及び毛織物、毛氈の意味であるが、解字を見ると、(あみがしら)を取った下の部分、即ち(がんだれ)の下に「炎」+(りっとう)を組み合わせた字は「鋭い」の意味を持っており、本魚の属性の「人を刺す」という記述との一致を見るのは偶然か。音の表示の「※2に同じ。」の[※2=「糸」+「罽」]にも「罽」の字が現れ、本文でも「織※2のごとし。故に※1と曰ふ」とあることを見れば、「罽魚」の衍字であろう。「※2に同じ。」[※2=「糸」+「罽」]という叙述から、音は「ケイ」と分かる。これは現在も「鱖」と呼ばれる中国大陸特産の淡水魚であるスズキ目ケツギョ科ケツギョSiniperca chuatsiである。ちなみに、この魚、寺の斎(とき:食事)を告げる魚板のモデルでもあるらしい。

 さてケツギョSiniperca chuatsi本邦には産しない。従って、前項での良安が「※・鱖は、湖水に生ずると謂ふ。然れども二物適々魚の肆に出づる者、共に此れ、江海の産なり。」[※=「舟」+「鮝」]言う時、この「鱖」は「鱖」ではない、ということになる。奈良や四国・九州地方では「アサジ」という異称でコイ科ダニオ亜科のオイカワZacco platypus(又はそのオス)を呼ぶが、ここでは明確に海産魚であるとするから、除外される。では、何か? 良安が自身の記述をしていない以上、論拠は一点に絞られる。それは前項の引用部分で「※1」[※=「舟」+「鮝」]と併記している点であろう。それはこの二種の形状が似ていることを示している。さて、残る資料は最早御用達の「真名真魚字典」しか残らない。その「鱖」の部分に記載されている純然たる海水魚の語列は「水産名彙」に載るアイナメ・オコゼ・モウオ・アラカブ・アサチである。この最後はまさに発音でも一致する。アイナメはカサゴ目のアイナメ亜目アイナメ科アイナメHexagrammos otakiiである。モウオは岩礁性海浜の根付きの茶褐色の魚の総称、アラカブは福岡方言でカサゴ亜目のフサカサゴ科フサカサゴ属フサカサゴScorpaena onariaを指す。ここで良安のいう「鱖」は、カサゴ目 Scorpaeniformesのカサゴの仲間と同定しておきたい。自分に引き付ける訳ではないが、どうもここまで読んでくると、良安先生、遂に自身の附言もやめる辺り、「本草綱目」の淡水魚の多くが本邦種と齟齬することに、少々、やる気をなくしているのではないかしらん、私みたいに。

「肚」とは、ここでは魚の「胃」のことを指していると思われる。牛や羊を例に出すところを見ると、時珍は鱖に反芻胃に相当する咀嚼器官があると考えていたらしい。]