やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇へ

鬼火へ

和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類へ

和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部へ

和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部へ

和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚へ

和漢三才圖會 卷第五十  魚類 河湖無鱗魚へ

和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚へ

和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔類へ

和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚  寺島良安

        書き下し及び注記 © 2007―2023 藪野直史

        (原型最終校訂     2007年12月 2日

        (原型最終作業     2008年 2月 2日 午後 8:23)

        (再校訂・修正・追補開始2023年 9月 2日 午前10:15)

        (再校訂・修正・追補終了2023年 9月 6日 午後 8:32)

[やぶちゃん注:本ページは以前にブログに記載した私の構想した「和漢三才圖會」中の水族の部分の電子化プロジェクトの第三弾である。底本・凡例・電子化に際しての方針等々については、「和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部 寺島良安」の冒頭注の凡例を参照されたい。【二〇二三年九月二日追記】私のサイトの古層に属する十五年前の作品群で、当時はユニコードが使用出来ず、漢字の正字不全が多く、生物の学名を斜体にしていないなど、不満な箇所が多くある。今回、意を決して全面的に再校訂を行い、修正及び注の追加を行うこととした。幾つかのリンクは機能していないが、事実、そこにその記載や引用などがあったことの証しとして、一部は敢えて残すこととした。さても……サイト版九巻全部を終えるには、かなり、かかりそうである。【二〇二三年九月六日追記】なお、本巻の再校訂版の全終了公開は、二〇〇六年五月十八日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、私のブログ「Blog鬼火~日々の迷走」が、先ほど、遂に2,000,000アクセスを突破した記念として公開することとした。

■和漢三才圖會 有鱗魚 巻ノ四十八 ○ 一[やぶちゃん字注:「○ 一」の間、一字空け。]

 

和漢三才圖會卷第四十八之九目錄

[やぶちゃん字注:「之九」は「四十の九」で、四十九巻目の目録も兼ねている意味を示す。]

 

      河湖有鱗魚

  𮫬部[やぶちゃん字注:原本では、上下の標題は、この下にややポイント落ちで左右に入るが、同じポイントで敢えて配した。] 

      江海有鱗魚

[やぶちゃん字注:「𮫬」は「魚」の異体字。以下、これと「魚」が入り乱れて使われている。]

 

△按魚【和名宇乎俗云伊乎】水中連行蟲之總名也說文云𮫬字象

 形𮫬尾與燕尾相似徐氏曰下火象尾而巳非風火之

 火或曰諸𮫬性屬火故字亦從火乎曰如下爲火則

 上※1者何乎蓋古製字也天地人本有之物多象形※2

 ※3※4※5※6※7※1以可解疑

[やぶちゃん字注:以下に象形文字に右に漢字を附した画像を示す(所持する平凡社東洋文庫版からOCRで読み込んだ)。※1=「魚」-(れっか)。※2は象形の「○」の中に「一」で右に「日」の字を打つ。※3は象形の右に「月」。※4は象形「艸」の右に「草」。※5は象形の右に「木」。※6は象形の右に「鳥」。※7は象形の右に「虫」(「蟲」ではない)。※1は象形の右に「𮫬」。]

五雜爼云凡魚之游皆逆水而上雖至細之鱗遇大水亦

搶而上鳥之飛亦多逆風蓋逆則其鱗羽順順則返逆矣

人之生於困苦而死於安樂亦猶是也或云𮫬春夏則逆

流秋冬則順流當再考之

廣博物志云鹹水之𮫬不遊於江淡水之魚不入於海魚

生流水中則背鱗白生止水中則背鱗黑𮫬勞則尾赤人

《改ページ》

勞則髪白

 今釣海𮫬畜之以淡水則速死易鯘河魚灌鹹水亦然

[やぶちゃん字注:「灌」は原本では「グリフウィキ」のこれ。正字で示した。]

 也播備之漁人多畜魚於船至攝湊者將死魚撰出之

 刺竹針於腴則活着湊者多矣是魚之針治也             

                              行眞

      夫木 むは玉のよ川のふねのかゝりにはもに住魚の隱なき哉

凡生肉曰腥【俗云奈末】腥魚曰鮮【烏〔→鳥〕獸新殺皆曰鮮】老子經云治大國

 若烹小鮮【音新】

凡魚肉爛者曰鯘【※8餒並同訓阿左留俗云左加留】論語云魚餒而肉敗

[やぶちゃん字注:※=「餒」の(へん)を「月」にした字。]

 不食是也凡魚臭曰鮏【鮾同】

凡𮫬死則浮於水死而經日則沉故自死曰升【阿加留】經日

 惡臭曰降【左加留】其鯘者曰腐

佐越奥羽等北海之魚肥大而味疎也攝泉播備等江海

 之魚堅小而味濃也蓋此困勞與安游之差也矣雖北

 海魚亦如鮭鱒者味最美也此泝於長江困苦也

和漢三才圖會卷第四十八の九目録

 

      河湖有鱗魚

  𮫬部

      江海有鱗魚

 △按ずるに魚〔(うを)〕は、【和名、「宇乎〔(うを)〕」。俗に「伊乎〔(いを)〕」と云ふ。】、水中連行する蟲の總名なり。「說文」に云ふ、『の字、形を象〔(かたど)〕る。𮫬の尾、燕の尾と、相似〔(あひに)〕たり。』と。徐氏が曰はく、『「火〔(くわ)〕」〔を〕下にする〔は〕、尾に象(かたど)るのみ。風火〔(ふうくわ)〕の「火」に非ず。』と。或いは曰はく、『諸𮫬の性、「火」に屬す。故に字、亦、「火」に從ふか。』と。予、曰く、『如〔(も)〕し、下(した)「火」と爲せば、則ち、上の「※1」は何ぞや。蓋し、古〔(いにしへ)〕に字を製するや、天・地・人、本〔(もと)〕より、之れ、有る物の多くは、形に象る。

、以つて、疑〔(うたがひ)〕を解くべし。

「五雜爼」に云ふ、『凡そ、魚の游〔(およぐ)や〕、皆、水に逆(さから)ふ。上は、至細の鱗(うろくづ)と雖も、大水に遇ふも、亦、搶(つ)れて、上〔(のぼ)〕る。鳥の飛ぶも、亦た、多くは、風に逆らふ。蓋し、逆らふ時は[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、其の鱗羽、順順(したがふ〔→したがひ〕、したがふ)なれば、則ち、返りて、逆らふ。人の困苦に生〔(しやう)う〕して、安樂に死するも、亦、猶ほ、是〔(か)〕くのごときなり。』と。或いは云ふ。『𮫬〔(うを)は〕、春・夏は、則ち、流れに逆らひ、秋・冬は、則ち、流れに順ふ。當〔(まさ)〕に、再び、之れを考ふべし。』と。

「廣博物志」に云ふ。『鹹水(しほみづ)の𮫬、江〔(かは)〕に遊ず、淡水の魚、海に入らざるを、魚の、流水の中に生ずれば、則ち、背の鱗、白く、止水の中に生ずれば、則ち、背の鱗、黑し。𮫬、勞すれば、則ち、尾、赤く、人、勞すれば、則ち、髪、白し。』と。

 今、海𮫬〔(うみうをぎよ)〕を釣りて、之れを畜〔(やしな)ふに〕、淡水を以つてするに、則ち、速く、死して、鯘(あざ)り易し。河魚〔(かはうを)〕、鹹水に灌〔(そそ)〕ぐも亦、然るなり。播〔=播州〕・備〔=備前・備中・備後〕の漁人、多く、魚を船に畜(いけ)て攝〔=摂津〕の湊に至る者、將に死せんとする魚は、之を撰〔(えら)び〕出〔だし〕、竹〔の〕針を腴(つちずり)に刺し、則ち、活〔(いけ)〕しめ、湊に着く者、多し。是れ、魚の針治〔(しんぢ)〕なり。

                                            行眞

      「夫木」 むば玉のよ川のふねのかゞりにはもに住〔(む)〕魚の隱〔(れ)〕なき哉

凡て、生肉を「腥〔(せい)〕」と曰ふ【俗に「奈末〔(なま)〕」と云ふ。】。腥魚〔(せいぎよ)〕、「鮮(あたらし)」と曰ふ【鳥獸、新たに殺〔(ころ)ししを〕皆、「鮮」と曰ふ。】。「老子經」に云はく、『大國を治むるは、小鮮〔(こざかな)〕【音、「新」。】を烹るがごとし。』と。

凡て、魚肉の爛るるは、「鯘(さが)る」と曰ふ。【「※8」・「餒」、並びに同じ。「阿左留〔(あざる)〕」と訓ず。俗に「左加留〔(さがる)〕」と云ふ。】「論語」に云はく、『魚、餒(あざ)れて、肉の敗れたるは、食せず。』〔とは〕、是れなり。凡(すべ)て、魚-臭(なまぐさ)きを「鮏」と曰ふ【「鮾」、同じ。】

[やぶちゃん字注:※=「餒」の(へん)を「月」にした字。]

凡て、𩵋、死すれば、則ち、水に浮く。死して、日を經れば、則ち、沈む。故に、自〔(おのづか)〕ら死するを、「外(あが)る」と曰ふ【「阿加留」。】。日を經て、惡-臭〔(わるくさ)〕きを「降(さが)る」と曰ふ【「左加留」。】。其の鯘〔(あざ)〕る者を、「腐(くさ)」ると曰ふ。

佐〔=佐渡〕・越〔=越前・越中・越後〕・奥羽等、北海の魚は、肥大にして、味、疎〔(うと)〕し[やぶちゃん注:以下の対比から「味わいがあっさりとして薄い」「大味である」という意か。]。攝・泉〔=和泉〕・播・備等、江海の魚、堅小にして、味、濃し。蓋し、此れ、困勞と安游との差なり。北海魚と雖も、亦、鮭・鱒のごとき者、味、最も美なり。此れ、長〔〕き江〔(かは)〕を泝(さかのぼ)り、困苦すればなり。

[やぶちゃん注:魚類の総論。導入としては分かり易く、当時のレベルでの生態学的叙述や観察も、私には好感が持てる。象形の図は、特に白文及び訓読の両方に配しておいた。

・「說文」は「說文解字」で、漢字の構成理論である六書(りくしょ)に従い、その原義を論ずることを体系的に試みた最初の字書。後漢の許慎の著。西暦一〇〇年の成立。多出するので、以下、注では省略する。

・「徐氏が曰く」は、五代十国の南唐の徐鍇(じょかい 九二一年~九七五年)の撰になる「說文」の注釈書からの引用である。

・「風火」は仏教用語としての「四大」(しだい)、万物の構成要素たる「地・水・火・風のエレメントを指す。ここでは「それとは無縁であって、ただ、「火」の本来の漢字の象形に過ぎず、神秘学的な意味はない。」という謂いである。しかし、続く「或いは曰はく」以下の内容は、「いや、逆にそれに密接に関わった字義である」という主張であるが、プラグマティスト良安は、全面的に前者の象形文字説を支持している。

・「五雜爼」(「爼」は「俎」と同字)は、「五雜組」とも書く。明の謝肇淛(しゃちょうせい)の随筆集であるが、殆んど百科全書的内容を持つといってよい。全十六巻(天部二巻・地部二巻・人部四巻・物部四巻・事部四巻)。書名は元は古い楽府(がふ)題で、それに「各種の彩(いろどり)を以って布を織る」という自在な対象と考証の比喩の意を掛けた。主たる部分は筆者の読書の心得であるが、国事や歴史の考証も多く含む。一六一六年に刻本されたが、本文で、遼東の女真が、後日、明の災いになるであろう、という見解を記していたため、清代になって中国では閲覧が禁じられてしまい、中華民国になってやっと復刻されて一般に読まれるようになるという数奇な経緯を持つ。日本では江戸時代に愛読された。書名は「五色の糸でよった組紐」の意である。

・「搶(つ)れて上る」の「搶」は、「突く・突き当たる」、「奪う・争い取る」や「集まる」の意であるので、ここは、水流に突き上げられて浮上する(則ち、それは何故かと言えば、「流れに逆らっている」からで、この叙述とマッチするのである。しかし、私は、良安はどう見ても、「連(つ)る」という動詞として、「その水の流れに連れて=応じて=反して、泳ぐ」と読んでいるように思われてしかたがない。

・「廣博物志」は明の董斯張(とうしちょう)撰になる奇談蒐集録。

・「夫木」は延慶三(一三一〇)年頃に成立した藤原長清撰になる私撰和歌集「夫木和歌抄」。当該の和歌はその巻八の「夏二」に所収する。

本歌は「新編国歌大観」の三一五七番で、そこでは、

   元治元年五日無動寺歌合、夜川   行眞法師

うばたまのよかはの船のかがりにももにすむいをのかくれなきかな

という前書と表記を持つ。全体に意味を取りやすくするために更に底本表記に漢字を当てるならば、

烏羽玉(むばたま)の夜川の舟の篝りには藻に住む魚の隱れなき哉

となろう。言わずもがなであるが、「烏羽玉の」は「夜」の枕詞。この詞書に現れる無動寺とは比叡山延暦寺の無動寺を指すか。さすれば、「夜川」は比叡山根本中堂のある地名としての「橫川(よかは)」も意識の中にあろうかとも思われる。行真なる人物については不学にして知らないが、比叡山の僧であろうか。

・「老子經」は、書物としての現在の「老子」と同一。「老子道德經」若しくは単に「道德經」とも呼ぶ。引用部分は、その第六十に現れる。以下にその全文の原文・書き下し文・訳を掲げる。但し、この章は、一部に錯文の疑いがあることを断っておく。

治大國、若烹小鮮、以道莅天下、其鬼不神、非其鬼不神、其神不傷人。非其神不傷人、聖人亦不傷人。夫兩不相傷、故德交歸焉。

○やぶちゃんによる書き下し文

 大國を治むるは、小鮮を烹るがごとし。道を以つて、天下に莅(のぞ)めば、其の鬼(き)も、神ならず。其の鬼の神ならざるに非らず。其の神も、人を傷(そこな)はざるなり。其の神の人を、傷はざるのみに非らず、聖人も亦た、人を傷はず。夫れ、兩(ふた)つながら、相ひ傷はず。故に德は、交々(こもごも)、焉(ここ)に歸す。

○やぶちゃん訳

 大国を治めるには、小魚を煮るようにするのが、よい。(小魚を煮る際に、箸で突っつき過ぎれば、形が、崩れてしまい、味も悪くなるからである。)無為自然の深遠なる宇宙原理である「道(タオ)」を以ってこの世界に臨むならば、我々が名指すところの「鬼神」も「神」ではない。と同時に、「鬼神」が「神」でないということも、ないのである。(それは単に「名指した」に過ぎず、「鬼」も「神」も「一如(いちにょ)」なのである。)故に、如何なる鬼神も、善神も、人を傷つけ得る存在でさえ、ないということであり、それは同様に、聖人も、又、人を傷つけ得る存在ではないのである。以上、考察したように、世界に存在する、一見、対立項に見える二つの存在は、必ず、互いに補完し合い、互いを傷つけることは、ないのである。故に、そこから生じる「徳」というものは、その「道(タオ)」と、総ての存在自体の無限自在な交感に帰するものなのである。

・『「論語」に云はく』は、同書「鄕黨第十」にある言葉。ここは通人孔子の食へのこだわりが窺える面白い章である。私の「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の末尾に近い「膾」の注に該当部の原文・書き下し文・訳を掲載してあるので、参照されたい。

 卷之四十八

  河湖有鱗魚類〔目錄〕

[やぶちゃん注:標題には「目錄」がないので、〔 〕で加えた。目録の項目の読みはママ(該当項のルビ以外に下に書かれたものを一字空けで示した。なお、本文との表記の異同も認められるが、注記はしていない。清濁もママである)。なお、原文では、横に三列の罫があり、縦に以下の順番に書かれている。項目名の後に私の同定した和名等を[ ]で表示した。なお、この項目の内の(さかなへん)のを持つ漢字の(へん)は、これ、実は、総てが、「𮫬」の字形なのだが、そこは流石に「魚」の表示の漢字に代えた。]

(こひ) [コイ]

(ふな) [フナ]

波長魚(はちやう) [ワタカ]

(たひらこ) [アカヒレタビラ]

[やぶちゃん字注:「䲙」は、厳密には(つくり)は「節」である。]

(みごひ) [ニゴイ]

[やぶちゃん字注:「鰠」は、厳密には(つくり)の上部の「又」の中の「ヽ」は、ない。]

嘉魚(まるたいを) [イワナ]

(さけ) 干鮏(からさけ) [サケ]

(ます) [マス類]

(あめのいを) [ソウギョ/ビワマス]

波須魚(はす) [ハス]

(あゆ) 𫙠(うるか) [アユ]

黃鯝魚(わたご) [ワタカ或いはタモロコ]

石鮅魚(をいかは) あかもと [オイカワ]

(うぐひ) やまめ [ウグイ]

𫙰(はえ) [オイカワ(メス)]

(かなびしや) じんそく [ヨシノボリ]

石斑魚(いしぶし) [ウキゴリ?]

渡父魚(どんぼ) どんこ [ドンコ]

■和漢三才圖會   有鱗魚 卷四十八目祿 ○ 二

[やぶちゃん注:折り丁の中央罫の柱の「祿」はママ。]

畨代魚(ばんだい) [メダカ]

[やぶちゃん字注:「畨」は「番」の異体字。]

彈塗魚(はぜ) [ハゼ類]

牟豆魚(むつ) [カワムツ/ヌマムツ]

金魚(きんぎよ) [キンギョ]

(かん) [ボウウオ]

(さう) [施氏銅魚]

(おこぜ) [オニヤラミ/オニオコゼ]

(あさち) [ケツギョ/カサゴ]

[やぶちゃん注:以下に卷第四十九の江海有鱗魚の目録も併載されるが、それは実際を考えて卷第四十九の冒頭に移行する。]

□本文


***

■和漢三才圖會 河湖有鱗巻ノ四十八 ○一

和漢三才圖會卷第四十八 

        攝陽  城醫法橋寺島良安 尚順

 

 魚類 河湖有鱗魚


こひ

 鯉【音里】   【和名古比】

唐音

 リイ

 

本草綱目云鯉爲魚品上而陰魚故有六六陰數而其脇

一道從頭至尾無大小皆三十六鱗毎鱗有小黒㸃鱗有

十字文理故名鯉雖困死鱗不反白能神變至飛越江湖

肉【甘平作膾則性温】主治利小便消腫脹其眼飮之能通乳汁但

 生山上水中者有毒【天行病後忌食此再發必死服天門冬硃砂人不可合食】鯉脊

《改ページ》

 上兩筯及黒血有毒【灸鯉不可使烔入目損目光】

三才圖會云鯉不相食故其種易蕃陶朱公畜魚計毎歲

雌雄二十四頭生子七万枚此其驗也

五雜爼云俗言鯉能化龍此不必然其性通靈能飛越江

湖如龍門之水險急千仭凡魚無能越者獨鯉能登之故

有成龍之說耳

                               光俊

     新六 水舩に浮てひれふる池鯉の命待まもせはしなの世や

△按字彙云黑鯉曰䱝蓋老則鱗色稍黑也䱝乃老鯉乎

 凡鯉【自頭至尾岐長】一二尺許者二年鯉【如三年者尺一二寸如四年者尺三四寸】經

 五年者尺五六寸【六年以上不謂年數稱六須波七須波八須波】其八須波有

 二尺一二寸【毎一年長一二寸】近三尺者希焉三尺有余者呼

 曰尺之鯉有化龍之勢

鯉在水中則勢强能跳動難捕剥鱗投水亦能跳動也庖

人以指塞鯉眼而剥鱗卽不敢動若送鯉於遠郷則用古

煤※〔→藁〕包之乃終日失水亦不死既死者亦不易餒或投茶

[やぶちゃん字注:※=〔上から下へ〕(くさかんむり)+(まだれ)+「口」+{「一」又は(わかんむり)}+「口」+「示」。諸本を確認し、「藁」の異体字と断じた。]

《改ページ》

■和漢三才圖會 河湖有鱗巻ノ四十八 ○二


於鰓中亦可矣

城州淀川者最良武州淺草川常州箕輪田次之江州琶

湖信州諏訪湖者亦共佳矣奥州北地鮒有而鯉全無

 こひ

 鯉【音、里。】   【和名、「古比」。】

唐音

 リイ

 

「本草綱目」に云はく、『鯉は、魚品の上と爲す。而して陰魚〔なり〕。故に、六六の陰數、有りて、其の脇、一道、頭より、尾に至りて、大小と無く、皆、三十六の鱗あり。毎鱗、小黑㸃、有り。鱗に「十字」の文理、有り。故に「鯉」と名づく。困死〔(こんし)〕すと雖も、鱗、反〔(そ)〕りて、白〔か〕らず。能〔(よ)〕く神變して、江湖を飛び越ゆるに至る。

肉【甘、平。膾〔(なます)〕に作〔りて〕、則ち、性、温。】 主治〔は〕小便を利し、腫脹を消することを〔:「ることを」は不要。〕。其〔の〕眼、之れを飮めば、能く、乳汁を通ず。但し、山上の水中に生ずる者は、毒、有り【天行病〔=流行病〕の後〔(あと)〕、忌む。此れを、食ひて、再發すれば、必ず、死す。天門冬〔(てんもんどう)〕硃砂〔(しゆしや)〕を服〔して〕、人、合食〔(あはせくふ)〕べからず。】。鯉の脊上の兩筯〔(りやうすぢ)〕、及び、黑血、毒、有り【鯉を灸るに、烔〔(とう)〕を使ふべからず。目に入らば、目の光を損ふ。】。』と。

「三才圖會」に云ふ、『鯉は相〔(あひ)〕食はず〔:共食いをしない。〕。故に、其の種、蕃(しげ)り易し。陶朱公、魚を畜〔(か)〕ふ。毎歲、雌雄を計するに、二十四頭、子を生むこと、七万枚、此れ、其の驗〔(しるし)〕なり、と。』と。

「五雜爼」に云ふ、『俗言、「鯉、龍に化す。」と。此れ。必〔ずしも〕然からず。其の性、に通じ、能く江湖を飛び越ゆ。龍門の水は、險急千仭〔(けんきふせんじん)〕なるがごとくにして、凡(なべ)ての魚、能く越ゆる者、無し。獨り、鯉〔のみ〕、能く、之れを登る。故に龍と成るの說、有るのみ。』と。

     「新六」 水舩〔(みづぶね)〕に浮〔(うき)〕てひれふる池鯉〔(いけごひ)〕の命待〔(まつ)〕まもせはしなの世や 光俊

△按ずるに、「字彙」に云ふ、『黑鯉をと曰ふ。』と。蓋し、老する時、[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]則ち、鱗〔の〕色、稍〔(やや)〕、黑なり。䱝は、乃〔(すなは)〕ち、老鯉か。凡そ鯉は【頭より尾の岐〔(また)〕に至る長さ。】、一、二尺ばかりの者は、二年鯉【三年のごとき者は尺一、二寸、四年のごとき者は尺三、四寸。】、五年を經る者、尺五、六寸【六年以上は年數を謂はず、「六須波」・「七須波」・「八須波」と稱す。其の八須波、二尺一、二寸有り【毎一年、長ずること、一、二寸。】。三尺に近き者、希なり。三尺有余の者を呼んで「尺の鯉」と曰ふ。化龍の勢〔(いきおひ)〕有り。

鯉は、水中に在りては、則ち、勢、强く、能く、跳動して、捕へ難し。鱗を剥ぎて、水に投〔ずるも〕、亦、能く、跳動〔する〕なり。庖人〔(はうじん)〕、指を以つて、鯉の眼を塞ぎて、鱗を剥ぐ時は[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]、卽ち、敢へて動かず。若〔(も)〕し、鯉を遠郷に送るに、則ち、古煤藁〔(ふるすすわら)〕を用ひて、之れを包む時は[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]、乃ち、終日、水を失ふも、亦、死せず。既に死〔せし〕者も、亦、餒〔(あざ)〕り易〔(やす)から〕ず。或いは、茶を鰓の中に投〔ずるも〕、亦、可なり。

城州〔=山城〕淀川の者、最〔も〕良〔し〕。武州〔=武蔵〕淺草川・常州〔=常陸〕箕の輪田、之れに次ぐ。江州〔=近江〕琶湖〔=琵琶湖〕・信州〔=信濃〕諏訪湖の者も亦、共に佳なり。奥州北地には、鮒は有れども、鯉は、全く、無し。

[やぶちゃん注:通常の日本人の認識するのは顎口上綱硬骨魚綱条鰭亜綱新鰭区骨鰾(ニシン)下区骨鰾上目骨鰾系コイ目コイ科コイ亜科コイ Cyprinus carpio である(世界的にはコイ科だけで七科二百五十属約二千五百種を数える)。学名の“ Cyprinus ”はラテン語では「銅の」意だが、ここはギリシャ語由来で kiprinos ”=“ kypris ”、即ち、ギリシャ神話の“ Aphrodītē ”=ローマ神話の“ Venus ”を指す(この女神が最も信仰されたのがキプロス“ Cyprus ”島であったたことから、こう呼称する)。コイの多産を豊饒の女神に譬えたものとする。種小名の“ carpio ”は古代高地ドイツ語のコイを示す“ karpfo ”に由来するという(以上の学名由来は荒俣宏「世界大博物図鑑」のコイの叙述等を参考にした)。……私には、このカルピオという響きが、ある恋する人への郷愁を呼び起こすのだ……。これは確かに……今となっては……その人と私だけに分かる……符丁なのである……

・「三十六の鱗あり」とあるのは、側線鱗数(側線上にある鱗の枚数)を指し、一般に、実際、三十三枚から三十六枚とされる。但し、信頼出来る古いネット記載によれば、実際には、三十二枚から四十枚と、かなりのばらつきがあり、なお且つ、体高のある養殖用品種では、この枚数が少ない傾向を示すとあった。

・「困死す」は、当初、「困〔(こう)じ)〕死す」と訓読していたが、「廣漢和辭典」を引いたところ、「困死」を見出しとして「こんし」の読み、「苦しみ死ぬ」の意に続いて、何と「和漢三才圖會」の「龍蛇部 蛇皮」を引用してあったたので、本訓に換えた。

・「鱗、反りて白らず」は、鯉が死んでもその鱗は水分を失って反り返ったり、更に脱色して色を失い白くなったりはしないという意味である(が、鯉の鱗に限ってそんな特別な性質はない、と思う)。

・「天門冬」は半蔓性の多年草であるユリ科のクサスギカズラ Asparagus cochinchinensis の紡錘形の貯蔵根から製した生薬の名。鎮咳・利尿・通便・強壮作用を持つ。表記のように「冬」を「どう」と濁って読む。

・「硃砂」は、硫化水銀HgSを主成分とする辰砂鉱石 Cinnabar を原料とした漢方調剤。鎮静・解熱・解毒作用を持つ。ウィキペディア等では本物質に含まれる水銀は、水には難溶性で、危険性は低いとするが、長期服用による水銀中毒の危険性は、やはり示唆しておくべきである。

・「毒有り」とあるが、一般に鯉の生血については、肺結核や肺炎の薬として用いられた歴史がある。扁形動物門吸虫綱二生吸虫亜綱プラギオルキス目後睾吸虫(こうこうきゅうちゅう)上科後睾吸虫科の肝吸虫(肝ジストマ) Clonorchis sinensis 及び同上科の異形吸虫科の横川吸虫Metagonimus yokokawai 、さらに、線形動物門双線綱センビセンチュウ目(旋尾線虫目)顎口虫科顎口虫属ユウキョクガッコウチュウ(有棘顎口虫) Gnathostoma spinigerum の感染が考え得るが、前二者は、なかなか、ここで良安が言うような急性の致死性の「毒」とするような、症状は現れ難い。但し、背柱側筋内に多く寄生し、おぞましい皮下移動症状や脳障害・失明等を引き起こす有棘顎口虫症は、治療薬がなく、感染する根治は難しいから、何時起動するか判らない地獄の時限爆弾的には「毒」とは言えようか。

・「烔」は「熱い火」の意味であるが、要は、強い火で炙ると、前述の「特異な」鱗が火を以つて、はじけ飛び、それが眼に入ると、失明するということを述べているものと思われる。しかしこれは、鯉の鱗に限ったことでもあるまいし、焼き魚の鱗で失明したという事例を、少なくとも、私は、知らない。

・「陶朱公」は、中国の春秋時代、臥薪嘗胆の故事で有名な越王勾践(こうせん)に仕えた軍師にして政治家であった范蠡(はんれい)のこと。「史記」の「貨殖列伝」に挙げられるように、晩年は、陶に移り住み、「陶朱公」と名を変え、巨万の富を築いた。この鯉のエピソードも、その折のものであろう。

「靈」は、「人知を超えた不思議な働き・玄妙な原理」の意。

・「龍門」とは、本来は、山の名。山西省河津県と陝西省韓城県の間にある。治水伝説の皇帝である禹が、この龍門山を切り開いて黄河の水を流したとする。急流で、人口に膾炙する「登龍門」の地である。但し、この以下の話の「鯉」は、本来は、チョウザメ目チョウザメ科 Acipenseridae のチョウザメ類であったと私は確信している。これについては私の「和漢三才圖會 卷第五十一」の「鮪」の注を是非参照されたい。

・「新六」は、正式名称「新撰和歌六帖(新撰六帖題和歌)」で、仁治四・寛元元(一二四三)年成立。藤原家良・為家・知家・信実・光俊の五人の和歌を所載した類題和歌集。

・「光俊」は通り名、葉室光俊(はむろみつとし)で、法号を真観という。藤原北家高藤流、権中納言光親(「承久の乱」で斬首され、本人も十九歳で連座し、筑紫に一年間、配流されている)の子。

・「字彙」は、明の梅膺祚(ばいようそ)によって編纂された漢字字典。本文の十二支の巻と、首巻・巻末、合わせて十四巻からなり、親字数は三万三千百七十九字。字典として初めて、現在のように漢字が、画数順に二百十四もの部首順に分けられ、各部首内で、総画数順に配列されてあるものである。

・「䱝」音は「ハイ・バイ・ヒ」の孰れか。

・「須波」というコイの大きさの単位は、現在用いられていないと思われる。「須」には魚の鬚(ひげ)の意味があり、コイの特徴的な長短二対の感触突起と関わりがあるか? ご教授を乞う。

・「常州箕の輪田」については、現在の茨城県土浦市神立町(かんだつまち)箕の輪田であろう。地図上では地名が出ないが、確かにこの箇所を「箕の輪田」とする住所データがある。ここはコイ養殖の盛んな霞ヶ浦に近い。また、検索によれば、冬の季語に「箕輪田の鯉取」という語も存在するのである。]

***

ふな     鯽 𩺀 鰿【三字通用】

【音附】  【和名布奈】

ツウ

 [やぶちゃん注:「𩺀」は原本では、厳密には(つくり)は「脊」。この三字は「通用」とあるので、それぞれが「ふな」を指すことから、間を半角空けた。]

本綱鮒狀似小鯉而色黒而體促肚大而脊隆其旅行則

吹沫如星而相附故曰鮒曰鯽喜偎泥不食雜物故能補

胃冬月肉厚子多其味最美

肉【甘溫】諸魚屬火獨鯽屬土有調胃實膓之功【同麦門冬食之害人

 同沙糖食生疳蟲同芥菜食成腫疾】同雞雉鹿猪食生癰疽

本草必讀云鯽頭春月腦中有蟲此魚原田稷米化生故

肚尚有米色

《改ページ》

      新六 いにしへはいともかしこし堅田鮒包燒なる中の玉つさ

△按鮒江州湖中者爲第一大者一尺許世稱源五郞鮒

 作膾及鮓或炙煮共佳以爲上品深秋其鰭變紅謂之

 紅葉鮒時味最勝

 ふな      𩺀・鰿【三字、通用。】

【音、附。】   【和名、「布奈」。】

ツウ

 

「本綱」に、『鮒は、狀〔(かたち)〕、小鯉に似て、色、黒くして、體〔は〕、促〔(そく)し〕、肚〔(はら)〕、大にして、脊、隆〔(たか)〕し。其れ、旅行〔する時は〕、則ち、沫を吹くこと、星のごとく、相〔(あひ)〕附く。故に、「鮒」と曰ひ、「鯽」と曰ふ。喜びて、泥を〔→に〕偎〔(なじ)〕み、雜物を、食はず。故に、能く、胃を補す。冬月、肉、厚く、子、多し。其の味、最も美なり。

肉【甘、溫。】 諸魚、「火」に屬す。獨り、鯽は、「土」に屬す。胃を調へ、膓を實〔(じつ)〕にするの功、有り【麥門冬〔(ばくもんどう)〕と同〔じくして〕、之れを食〔へば〕、人を害す。沙糖〔=砂糖〕と同〔じくして〕食〔へば〕、疳の蟲を生ず。芥菜〔(からしな)〕と同〔じくして〕食〔へば〕、腫疾〔=腫物〕と成る。】。鷄・雉・鹿・猪と同〔じくして〕食へば、癰疽〔(ようそ)=悪性腫瘍〕を生ず。』と。

「本草必讀」に云はく、『鯽の頭、春月、腦の中〔(うち)〕に、蟲、有り。此の魚、原〔(もと)〕、田〔の〕-の化生する故、肚に、尚、米の色、有り。』と。

「新六」 いにしへはいともかしこし堅田鮒包〔み〕燒〔き〕なる中の玉づさ

△按ずるに、鮒は江州〔=近江〕湖中の者、第一と爲す。大いなる者、一尺ばかり。世に「源五郞鮒」と稱す。膾〔(なます)〕、及び、鮓〔(すし)〕に作り、或いは、炙り煮る。共に、佳し。以つて、上品と爲す。深秋、其の鰭(ひれ)、紅〔(くれなゐ)〕に變ず。之れを「紅葉鮒」と謂ふ。時〔に〕味、最も勝れり。

[やぶちゃん注:コイ目コイ科コイ亜科フナ属 Carassius 。「鯽」の音は「セキ・シャク・ショク・ソク」、「𩺀」及び「鰿」の音は、ともに「セキ」又は「シャク」である。

・「體促」の「促」は「迫る」・「狭まる」・「せせこましい」の意であるから、小さな鯉に比して、体長が寸詰まって短いことを言っているのであろう。

・「雜物を、食はず」は勿論、誤り。注の後に記載するゲンゴロウブナを品種改良した養殖個体を指すヘラブナが、主に植物プランクトン食である以外は、雑食性である。

・『獨り、鯽は「土」に屬す』というのは、とんでもなく大変な例外と思われるが、理由が判らない。御存知の方は御教授願いたい。

・「麥門冬」はユリ科のジャノヒゲ Ophiopogon japonicus の塊状根を乾燥した生薬。解熱・消炎・鎮咳・去痰・利尿・強心作用等、鯉の項で注した「天門冬」(てんもんどう)とほぼ同じ効能を持つ。

・「芥菜」はフウチョウソウ目アブラナ科アブラナ属カラシナ Brassica juncea を指す。この種子から精製した生薬は芥子(がいし)といい、その粉末を微温湯で練った「芥子泥」(練辛子である)を神経痛・リューマチ・捻挫の患部に、肺炎・気管支炎の際は胸や背部に湿布し、鎮痛薬とする。

・「腦の中に、蟲、有り」とあるが、鯉と同様、扁形動物門吸虫綱二生吸虫亜綱プラギオルキス目後睾吸虫(こうこうきゅうちゅう)上科後睾吸虫科の肝吸虫(肝ジストマ) Clonorchis sinensis 及び同上科の異形吸虫科の横川吸虫Metagonimus yokokawai 、さらに、線形動物門双線綱センビセンチュウ目(旋尾線虫目)顎口虫科顎口虫属ユウキョクガッコウチュウ(有棘顎口虫) Gnathostoma spinigerum の感染を指しているか。

・「本草必讀」東洋文庫版の書名注には、『「本草綱目類纂必読」か。十二巻。』とのみあるだけである。中国の爲何鎭なる人物の撰になる「本草綱目」の注釈書であるらしい。

・「稷米」はイネ目イネ科モロコシ(コウリャン) Sorghum vulgare を指すか。音読みならば「しよくまい」又は「しよくべい」、訓読としては「きびのもち」又は「きびまい」、二字で「きび」と読ます可能性もあるが、これら後者の訓読みでは、イネ目イネ科のキビ Panicum miliaceum を指すことになる。

・「新六」は「新撰和歌六帖(新撰六帖題和歌)」で既出既注。この歌は、「宇治拾遺物語」巻十五の一「淸見原天皇と大友皇子と合戰の事」等に記される、大友皇子(弘文天皇)の妃であった十市皇女(ひめみこ)が、「壬申の乱」にあって、夫の謀叛を、父の大海人皇子(天武天皇)に知らせんがために、小さな書状を書いて、鮒の包み焼きの腹の中に押し入れて送ったという故事を踏まえる。ウィキペディアの「十市皇女」によれば、『鮒の包み焼きが近江の名物であったことや、話の最後に登場する高階氏が高市皇子の後裔であることから』、これは後世の創作である可能性が高いとする。ほほう、これなら、本項の注にするに相応しいな。

・「源五郞鮒」ゲンゴロウブナ ゲンゴロウブナ Carassius cuvieri 。全長約四十センチメートル。本来は琵琶湖固有種であったが、鈎り魚としての人気から、日本各地に放流された。しかし現在、二〇一四年度版「環境省レッドデータリスト」の、近い将来に野生絶滅の危険性が高いことを示す絶滅危惧IB Endangered (EN) に指定されている。なお、ここで良安が言う「紅葉鮒」は、狭義には、琵琶湖の西岸に位置する高島町の紅葉浦で獲れる鮒を指して言った。その場合、最も上級であるのは、同じく琵琶湖固有種で鮒鮓で有名な、そうしてやはり絶滅危惧IB Endangered (EN)のニゴロブナ Carassius auratus grandoculis であったはずである。

・「鮓」これは現在の「鮨」(刺身の握り)以外に、酢で締めたもの、或いは、「馴れずし」で、魚を塩と米飯と混ぜて乳酸発酵させたものをも指す。

・「時味」は、東洋文庫版では「時味」で『じみ』と読ませているが、どうもしっくりこないので、「時に味(あじ)」とすべて訓読みした。]

***

はちやう   膓香【和太加】

波長魚   【名義正字

        未詳】

[やぶちゃん注:「膓」は、原本では「グリフウィキ」のこれに近く、(つくり)の上部の左縦画が真っすぐになったものである。本書での使用頻度が有意に高い「膓」に代えた。]

 

△按波長魚在湖中形似鮒而頭長鱗細脊黒長五六寸

 大者尺許至秋鰭變紅

はちやう   膓香【和太加。】

波長魚   【名義・正字、未だ、詳らかならず。】

 

△按ずるに、波長魚は、湖中に在り。形、鮒に似て、頭〔(かしら)〕、長く、鱗、細〔かにして〕、脊、黒し。長さ五、六寸。大なる者、尺許〔(ばかり)〕。秋に至りて、鰭、紅〔(くれなゐ)〕に變ず。

[やぶちゃん注:琵琶湖淀川水系の固有種であるコイ目コイ科のワタカIschikauia steenackeri であろうか。「波長魚」という呼称は、既に死に絶えているようである。調べたところ、和名の漢字表記は「腸香」で、西野弘章氏のサイト「房総爆的通信」の「ワタカ【腸香】 生態編」によれば、『ワタカという名の語源は、腹に子をたくさん持つことから「腸子=ワタコ」からきた説、内臓の風味がいいことから「腸香=ワタカ」からきた説、ワタは大きな湖という意味の古語なので、大きな湖=琵琶湖に棲息する魚という意味である説などがある』。『奈良県ではウマウオと呼ばれている』とあった。本種も前種と同様に、全国に放流されたが、前項注掲載のフナ類同様、絶滅危惧IB Endangered (EN)に指定されている琵琶湖での減少が著しい。摂餌量の多さから、水草抑制効果を期待して増殖の努力が重ねられている。]

***


■和漢三才圖會 河湖有鱗巻ノ四十八 ○三

たびらこ     妾魚 婢魚

【音節】   【俗云太

          比良古】

ツイツ

[やぶちゃん字注:「䲙」は原本では、厳密には「節」は「節」。割注の「音」の「節」はママ。本文も同じ。]

 

本綱䲙與鯽同而味不同功亦不及狀似鯽而小且薄黑

而揚赤其形以三爲率一前二後若婢妾然故名婢名妾

時珍曰孟詵言䲙是櫛化鯽是稷米化成者殊爲謬説惟

鼢鼠化䲙䲙化鼢鼠霏雪録中嘗書之時珍亦嘗見之此

亦生生化化之理鯽䲙多子不盡然爾

△按䲙似鯽而脊黑腹白形薄匾而稍團大抵二三寸許

 恰似木葉又似櫛其小者腹近尾處微赤味不美襍鯽

 販之或爲腌食蓋櫛及鼢鼠化成䲙之兩說並難信新

 堀〔→掘〕池雨水感春夏陽氣即鯽䲙自生有牝牡復一孕生

 數百䱊焉鯉鰌亦皆如此

《改ページ》

たびらこ     妾魚〔(せふぎよ)〕 婢魚〔(ひぎよ)〕

【音、節。】  【俗に「太比良古」と云ふ。】

ツイツ

 

「本綱」に、『䲙〔(たびらこ)〕は鯽〔(ふな)〕と同じくして、味、同からず。功も、亦、及ばず。狀〔(かたち)〕、鯽に似て、小さく、且つ、薄く、黑くして、揚赤。其の形、三つを以つて、率〔そつ〕と爲す[やぶちゃん注:この場合の「率」は、「割合・一定の程度」の意で、「本種が、自然界に於いて生きるために、三尾を以って、一つの大切な集団生態の単位としていることを言う。]。一〔いつ〕は、前、二は、後、婢妾〔(ひせふ/はしため)〕のごとく、然り。故に「婢」と名づけ、「妾」と名づく。』と。〔又、〕時珍曰はく、『孟詵〔の〕、「䲙は、是れ、櫛の化し、鯽は、是れ、稷米の化して、成る。」と言ふは、殊に謬說〔(べうせつ)〕なり。惟だ、鼢鼠(うくろもち)、䲙に化し、䲙、鼢鼠に化す〔とは〕、「霏雪錄」〔(ひせつろく)〕の中に、嘗つて、之れを書す。時珍も、亦、嘗つて、之れを見る。此れ、亦、生生化化の理〔(ことわり)〕なり。鯽・䲙、子、多し〔と雖も〕、盡〔(ことごと)〕く、然るには、あらざるのみ。』と。

△按ずるに、䲙は鯽に似て、脊、黒く、腹、白し。形、薄く、匾〔(ひらた)〕く、稍〔(やや)〕團〔(まる)〕し。大抵、二、三寸ばかり、恰(あたか)も、木の葉に似、又、櫛に似る。其の小〔なる〕者は、腹〔の〕尾に近き處、微赤〔にして〕、味、美ならず。鯽を襍(まじ=混)へて、之れを販〔(ひさ)〕ぐ。或いは、腌(しほづけ)に爲して食ふ。蓋し、「櫛」、及び、「鼢鼠」、「化して䲙と成る」の兩說、並びに、信じ難し。新たに池を掘り、雨水、春・夏の陽氣を感ずる時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、卽ち、鯽・䲙、自生して、牝牡、有り、復た、一孕〔(ひとはらみ)〕に、數百の䱊(こ)を生ず。鯉・鰌〔(どぢやう)〕も亦、皆、此くのごとし。

[やぶちゃん注:本種は、取り敢えず、コイ科タナゴ亜科タナゴ属のアカヒレタビラ Acheilognathus tabira subsp.2 に同定しておく。和名の漢字表記は「赤鰭田平」。なお、ここに記された漢名が女性差別に基づく差別語であり、その解説の叙述も、差別的であることを、批判的な視点でお読み頂くよう、お願いするものである。

・「揚赤」は意味不明。「赤みがかっている」という意味か。東洋文庫版では『その上にほんのりと赤がかかっている』と訳している。繁殖期のオスは婚姻色で、尻鰭の外縁が、普段にも増して、鮮やかな赤紅色に縁取られる。

・「孟詵」は「もうしん」と読み、唐の則天武后の頃の人。これは、彼の「食療本草」に載るもの。中文サイト「中華古詩文古書籍網」のこちらで見つけた電子化されたものでは、「鯽魚」の欄の説明中に現れる。これは、「本草綱目」の「䲙」の冒頭部を反転させたもの(「鯽」から叙述した)に極めて似ている。このテクストには、明らかに、字の脱落や衍字があるように見受けられるが、恐らくは、この「䲙」についての叙述であろうと判断出来る。以下の引用は、①は、当該部の単純コピー・ペーストしたもの、②は、私が、脱落や衍字を推測し、字体を補正したものである。

   *

①(五)又,鯽魚與 ,其狀頗同,味則有殊。 是節化。鯽是稷米化之,其魚肚上尚有米色。寬大者是鯽,背高肚狹小者是 ,其功不及鯽魚。

②(五)又、鯽魚與䲙魚、其狀頗同、味則有殊。䲙是櫛化、鯽是稷米化之。其魚肚上尙有米色。寬大者是鯽、背高肚狹小者是䲙、其功不及鯽魚。

○やぶちゃんの②の書き下し文

(五)又、「鯽魚」と「䲙魚」とは、其の狀、頗る同じくして、味は、則ち、殊なりて、有り。䲙は、是れ、櫛が化し、鯽は、是れ、稷米、之れ、化すなり。其の魚、肚(はら)の上に、尙ほ、米の色、有り。寬(ひろ)く、大きなる者、是れ、鯽。背、高く、肚、狹く、小さき者、是れ、䲙。其の功は、鯽魚に及ばず。

   *

「狀」の挿入を除いては、この「和漢三才圖會」の叙述から推して、そう問題がないように思っている。

・「稷米」は、前掲の「鮒」の項の該当注を参照されたい。

・「鼢鼠」は哺乳綱モグラ目モグラ科 Talpidae (一九八八年の文部省呼称改定により、「食虫目」は「モグラ目」となった)のモグラを指す。本件は中国の叙述であるので、科に留めておく。

・「霏雪錄」は明の鎦績(りゅうせき)撰になる怪奇談を多く所収する随筆。「中國哲學書電子化計劃」では、該当部を見出せないが、「田鼠」はモグラであるから、影印本のこちらの三行目以下の下りに関わりがあるか(底本は白文。句読点を施した)。

物能復本形者、則言化。月令、鷹化為鳩、則鳩又化為鷹。田鼠化為鴽、則鴽又化為田鼠。其不能復本形者、則不言化。如腐草為螢。雉為蜃、爵為蛤、皆不言化也。

○やぶちゃんの書き下し文

 物、能く本(もと)の形に復するは、則ち、「化」と言ふ。「月令(がつりやう)」に、『鷹、化して、鳩と為(な)り、則ち、鳩、又、化して、鷹と為る。田鼠、化して、鴽と為り、則ち、鴽、又、化して、田鼠と為る。其の、能(よ)く、本の形に復さざるは、則ち、化と言はず。腐草の、螢と為るがごとし。雉、蜃〔(しん)=おおはまぐり〕と為り、爵〔(すずめ)〕、蛤と爲る、皆、「化」とは、言はざるなり。

この「鴽」(音は「ジョ」か。小鳥を指すらしい)は明らかに鳥であるし、そもそも、これ自体が「礼記」(らいき)の「月令」(がつりょう)からの引用である。一応、「礼記」の該当部を引用しておく。季春の月、三月の条である。

   *

桐始華。田鼠化爲鴽。虹始見。萍始生。

○やぶちゃんの書き下し文

 桐、始めて、華(はな)、さき、田鼠、化して、鴽と爲り、虹(こう)、始めて見え、萍〔(へう)=浮草〕、始めて、生ず。

この「虹」は「虹」を龍一種と認識した古代人の龍の一種の名である。小人である私には、これ以上の超自然的な解説は出来ない、というか、才能が、ない、のだよ。

・「生生化化」は中国最古の医学書「黄帝内経」の「素問」「天元紀大論篇第六十六」等に現れる語。万物の生成・育成・変化・死滅・転生等に関わる不可知で深遠な哲理を言うようである。

・「盡く然るには、あらざるのみ」とは、「この二種にあっては、産卵数がとりわけ多い以上、通常に卵生生育するものが、当然、多く、全てが、そのように(タビラコがモグラになるように)化生(かしょう)するわけでは、これ、毛頭ない。」という意であろう。東洋文庫版では、この前文を「鯽・䲙は、多子であるが、」と逆接でこれにつなげているため、全く逆の、すべてが卵生なわけではなく、「霏雪録」のように化生するものもいる、という意味にとっている。時珍は、直前ではモグラとタビラコの相互化生現象を実際に見たと言っているから(ホンマかいな?)、このようにも、当然、読めるわけであるが、私は、その直前の「謬說」という時珍の強い謂いを重く見たいのである。それは、後の叙述に見るように、自然発生説を肯定してしまう限界はあるものの、ある種の生態学的観察を重視する良安の姿勢に(解説末は、明らかに、時珍の謂いを受けているではないか)、それは一致していると思うからである。このような生命現象への基本理念が不一致であったなら、良安は、ここまで、「本草綱目」を自作の記述の基準記載には用いな買ったに違いないと、私は信ずるものである。]

***

みごい

【音騒】   【和名美】

ツア゚ウ

 [やぶちゃん字注:「鰠」は原本では、厳密には(つくり)の第三画(「又」の内の「ヽ」)はない。但し、以下の本文では、総てに、ちゃんと「ヽ」が入っている。

文字集略云鰠鯉屬也【字彙云鰠似鱣二說大異也】

△按俗稱美鯉者似鯉而身狹長其頭長於鯉鱗細於鯉

 肉有細刺味亦劣湖中多有之【凡鯉與鰠之差如鮒與波長】

みごい

【音、騒。】   【和名、「美」。】

ツア゚ウ

 

「文字集略」に云ふ、『は鯉の屬なり。』と【「字彙」に云ふ、『は鱣に似る。』と。二說、大いに異なり。】。

△按ずるに、俗に「美鯉(みごい[やぶちゃん注:ママ。])」と稱する者は、鯉に似、身、狹長〔(さなが)にして〕、其の頭、鯉より、長し。鱗、鯉より、細〔かく〕、肉、細き刺〔(とげ)〕、有り。味、亦、劣れり。湖中、多く、之れ、有り。【凡そ、鯉と鰠との差は、鮒と波長とのごとし。】

[やぶちゃん注:コイ科カマツカ亜科ニゴイ Hemibarbus barbus 。標準和名は「鯉に似ている」ことからついた「似鯉」である。「ミゴイ」があるが、これは同種の琵琶湖での呼称のようである。ネット上の情報では、他に「サイ」「セイタツボ」「サイコロ」(以上、東京)、大阪では「キツネゴイ」と呼称されるらしい。特に後者は、後の私の考察に関わって、興味深い。

・「文字集略」は、梁の阮孝緒(げんこうしょ)撰になる字書。

・「字彙」は、明の梅膺祚(ばいようそ)によって編纂された漢字字典。本文の十二支の巻+首巻・巻末、合わせて十四巻。親字数は三万三千百七十九字。字典として、初めて、現在のように漢字が、画数順に二百十四の部首順に分けられ、各部首内で、総画数順に配列されている。

 さて。この二書の齟齬は何か。まず、「文字集略」は「屬」と言い、「字彙」が「似る」と言っている微妙な相違点と、良安の「鱣」の決定的な認識の誤り(彼はこれを海水魚のフカ=サメと認識している)を考えると、これはそう不思議な叙述ではないように思われる。即ち、「(みごい)」=ニゴイはコイ科であるから、当然、コイの仲間であり、その「狹長」な「キツネゴイ」という名を賜わるように、狐の顔のような感じは、大きさは異なるものの、ちょっと「鱣」の顔に似ていないか? 私は本文を読まずに、まずこの良安の「」の図を見た時、『美事に「鱣」に似ているなあ!』と思ったのだから。「お前の言ってる、『鱣』ってえのは、何じゃい?」ってか? それはね、「チョウザメ」なのだよ(私の電子テクスト「和漢三才圖會 巻第五十一」の「鱣」及び「鮪」の注記を、必ず、参照。序でに言えば、そこで問題にした「登龍門」の故事にあっても、チョウザメ(鱣)からコイ(鯉)という転移関係が見出されるのである)。だから、私は、これは良安の言うようには、「二說、大いに異な」っているとは、さらさら思わないのである。

・「波長」は波長魚で、琵琶湖淀川水系の固有種、コイ目コイ科ワタカ Ischikauia steenackeri 。前掲の「波長魚」参照のこと。]

***

       鮇【音味】 拙魚

まるたうを

       丙穴魚

嘉魚    【俗云丸太魚】

キヤアヽ イユイ

 

本綱嘉𩵋狀似鯉而鱗細如鱒首有黒㸃大者五六斤肉

白如玉味頗甘鹹其美衆魚莫及之炙食又爲鮓餉遠常

《改ページ》

■和漢三才圖會 河湖有鱗巻ノ四十八 ○四

於丙穴崖石下食乳石漢中蜀中丙穴多二三月隨水出

穴外八九月逆水入其丙穴者穴日向丙故名

△按嘉魚關東有之丸太魚是乎畿内海西未曽有𩵋也

 蓋丙穴有異說云此魚以丙日出穴也燕避戊巳鶴知

 夜半嘉𩵋知丙日焉然以向丙方穴爲所在之說可爲

 是矣

       鮇【音、味。】 拙魚

まるたうを

       丙穴魚

嘉魚    【俗に丸太魚と云ふ。】

キヤアヽ イユイ

 

「本綱」に『嘉魚は、狀〔(かたち)〕、鯉に似て、鱗細〔かく〕、鱒〔(ます)〕のごとし。首に、黒㸃、有り。大なる者、五、六斤。肉は白くして、玉のごとく、味、頗る甘鹹〔(あまから)〕、其の美〔(うま)きこと〕、衆魚、之れに及ぶこと、莫し。炙り食ひ、又、鮓と爲し、遠〔くへ〕餉〔(おく)る=送る〕。常に、丙穴〔の〕崖石の下に於いて乳石を食ふ。漢中蜀中に、丙穴、多し。二~三月、水に隨ひ穴を出で、八~九月、水に逆ひて〔穴に〕入る。其れ、丙穴とは、穴の口、丙に向ふ。故に名づく。』と。

△按ずるに、嘉魚は、關東に之有る、丸太魚、是れか。畿内・海西には未曽有の魚なり。蓋し丙穴、異説有りて、云く、『此の魚、丙〔(ひのえ)〕の日を以つて、穴を出づるなり。』と。〔又、〕『燕(つばめ)は戊巳〔(つちのえみ)〕を避け、鶴は、夜半を知り、嘉魚は、丙の日を知る。』と。然れども、丙の方を向く穴を以つて、所在と爲(す)るの說、是〔(ぜ)〕と爲すべきか。

[やぶちゃん注:サケ目サケ科イワナ属 Salvelinus のイワナ類であろうか。「本草綱目」の「首に、黒㸃、有り」という叙述は、体側にパー・マーク(parr mark:“parr”は「サケの幼魚」の意)を持つ本邦のヤマメやアマゴに類似した種かとも思われる(但し、パー・マークは両体側全面数箇所に及ぶ小判型斑紋であって、首だけでは、ない)。まあ、しかし、少なくとも良安の叙述は、良心的に見るなら、イワナとっておいてよいと思われる。イワナの名を冠するのは、 Salvelinus leucomaenis であるが、近縁種であるオショロコマ Salvelinus malma 等を含め、多くの種がある。「丸太魚」という呼称は、現在では、廃れたものと思われる。

・「丙穴魚」の「丙」の字は方位で「南」を指す。随って、本文にあるように「丙穴」とは、南を向いた水中の岩穴のことを指す。なお、「いはあな」からイワナが出るというのも魅力的ではあるが、「岩間の魚」から「岩魚」で、「ナ」は一般的な「魚」を示す接尾語であろう。

・「鱒」は後掲の「鱒」の項の冒頭注を参照のこと。

・「五、六斤」は約三~三・五㎏。

・「乳石」は不明。珪乳石(Menilite)ならば、二酸化珪素(SiO2)を主成分する、不純物を多く含んだ蛋白石(Opal)であるし、「鍾乳石」と同義であるならば方解石で、主成分は炭酸カルシウム(CaCO3)であるが、どちらも極めて限定された条件でしか生成されない鉱物である。従ってこれは、ただ単に水中の岩穴の上部から乳状に垂れ下がった土石部分を指しているように思われる(そこに何らかの本種の特性を示唆しようとしているのであろうが、そこまで私は読み込む力は、ない)。

・「漢中」は現在の陝西省漢中市を中心とした一帯の名称。

・「蜀中」は現在の四川省と一致。]

***

[やぶちゃん注:図の上部に開いて吊るした「干し鮭」の絵。その左に「干鮏」のキャプション。下に、生きた鮭。御覧の通り、ここでも、本文でも、「干」は「亍」の表記であるが、これは音「チョク・トク」で、「止まる・佇む・少し歩く・右足の歩み」等を指す全くの別字であるので、通常の「干」の字体とした。]

 

さけ

音星】 

 年魚【與鰷同名】

 鮭【俗用之誤也鮭河豚】

  【和名佐介】

[やぶちゃん字注:以上三行は前二行の下に入る。]

 

倭名抄載崔禹錫食經云鮏其子似苺赤光春生年中死

故又名年魚

△按鮏【鯹本字魚臭也正字未詳】狀似鱒而圓肥大者二三尺細鱗青

 質赤章腹淡白肉赤有細刺脂多味甚厚美肉色白者

《改ページ》

 味淡次之頭枕骨軟如瑪瑙稱氷頭而味亦佳其子有

 二胞胞中數千粒明透上有一紅㸃呼曰鮞【波良良古】經月

 不鮾包稻藁入水中陰處而養之則翌年必鮏多焉連

 胞淹之經一二日剖胞粒粒晒乾収用運送他邦最賞

 之又有筯子甘子者其連胞而淹之東北大河通江海

 處多而畿内西國無之

       昨日たちけふきてみれは衣川すそほころひてさけのぼる也

干鮏【加良佐介】 作法采生鮏去膓投屋上以曝乾又有自腹

 至背連皮割開曝乾者【佐介乃比良岐】其松前秋田多出之

盬引【志保比岐】 作法采生鮏割腹去鱗腮及膓洗淨填子胞

 封腹口淹盬水一晝夜採出陰乾一兩日待乾又淹盬

 水如初而採出陰乾用稻藁包封陰乾經月餘而収用

 此謂子籠【本朝式所謂内子鮏是也】不填子者此普通盬引也古稱

 楚割【須波夜利】者今盬引矣

氷頭【訓比豆】 鮏之頭骨如氷澄徹者甘美脆軟也

《改ページ》

■和漢三才圖會 河湖有鱗巻ノ四十八 ○五

背膓【訓美奈和太】 鮏之背膓醢也

 凡鮏【甘溫】生北海冬月深雪蟄居爲日用食品充穀然

 畿内人皆云多食之必發小瘡彼地人皆云爲常食未

 聞發瘡者是乃土地之寒溫及狎與不狎之差而已獨

 不鮏爾猶山家以芋爲常食不知痞滿者

産後金瘡藥 干鮏 阿羅魚【共黑焼存性】 藜 萍蓬草

 小角豆【去皮生用】 沉香【焼不出煙】 以上六味分量有口傳

さけ

音、星。】 

 

 年魚【鰷(あゆ)と、名は、同じ。】

 鮭【俗に、之れを用ふるは、誤りなり。「鮭」は「河豚〔(ふぐ)〕」なり。】

  【和名、「佐介」。】

 

「倭名抄」に、崔禹錫が「食經」を載せて云ふ、『鮏は、其の子、苺(いちご)に似て、赤〔き〕光〔あり〕。春に生じて、年中に死す。故に又、「年魚」と名づく。』と。

△按ずるに、鮏【「鯹」の本字にして、「魚-臭(なまぐさき)」〔の謂ひ〕なり。正字、未だ、詳らかならず。】狀〔(かたち)〕、に似て、圓く、肥ゆ。大なる者、二、三尺。細〔き〕鱗、青質赤章〔あり〕。腹、淡〔(あは)〕白く、肉、赤く、細き刺、有り。脂、多く、味、甚だ、厚美なり。肉の色、白き者は、味、淡く、之れに次ぐ。頭〔(まくらぼね)〕の枕骨、軟にして、瑪瑙〔(めのう)〕のごとし。「氷頭〔(ひづ)〕」と稱し、味、亦、佳なり。其の子、二〔(ふたつ)〕の胞〔(はら)〕有り、胞〔の〕中〔(うち)〕、數〔(す)〕千粒、明-透(すきとほ)り、上に、一紅㸃、有り。呼びて「鮞(はらゝご)」と曰ふ【「波良良古」。】月を經て、鮾〔(あざ)=腐〕れず。稻藁に包み、水中の陰處に入れて、之れを養〔へば〕、則ち、翌年、必ず、鮏、多し。胞を連ね、之を淹〔(しほづけ)〕し、一~二日を經〔へ〕、胞を剖〔(さ)〕き、粒粒、晒し乾して、収用し、他邦に運送して、最も之れを賞す。又、「筯子」・「甘子(あまご)」と云ふ者、有り[やぶちゃん字注:「云」は送り仮名にある。]。其の胞を連ねて、之れを淹〔(しほづけ)〕す。東北の大河、江海に通ずる處、多し。畿内・西國には、之れ、無し。

       昨日たちけふきてみれば衣川すそほころびてさけのぼるなり

干鮏(からさけ)【「加良佐介」。】 作る法、生鮏〔(なまざけ)〕を采り、膓〔(はらわた)〕を去り、屋上に投げ、以つて、曝し乾し、又、腹より、背に至るまで、皮〔のみ〕連〔ねて〕、割〔(わ)り〕開き、曝し乾す者、有り【「佐介乃比良岐〔(さけのひらき)〕」。】其れ、松前・秋田、之れを、多く出だす。

盬引【「志保比岐」。】 作る法、生鮏を采り、腹を割り、鱗・腮〔(あぎと)〕、及び、膓を去り、洗淨し、子胞〔(こはら)〕を填〔(つ)〕め、腹〔の〕口を封じ、盬水に淹〔(しほづけ)〕し〔→すること〕一晝夜、採り出だし、陰乾しすること、一兩日、乾くを待ちて、又、盬水に淹〔(あん)〕じ、初めのごとくして、採り出だし、陰乾しにして、稻藁を用ひて、包封して、陰乾しし、月餘を經て、収用す。此れを「子籠(こごもり)」と謂ふ【「本朝式」に謂ふ所の「内子鮏〔(うちこざけ)〕」、是れなり。】。子を填めざる者、此れ、普通の盬引なり。古へ、「楚割(すわり)」と稱する【「須波夜利〔(すはやり)〕」。】者は、今の盬引か。

氷頭(ひづ)【「比豆」と訓ず。】 鮏の頭骨。氷の澄徹〔(ちようてつ)〕する者のごとし。甘美〔にして〕、脆軟〔(ぜいなん)〕なり。

背膓【「美奈和太〔(みなわた)〕」と訓ず。】 鮏の背膓〔(せわた)〕の醢(しほから)なり。

凡そ、鮏は【甘く、溫。[やぶちゃん字注:珍しく「く」を送っている。]】北海に生ず。冬月、深雪蟄居〔の〕日用の食品と爲し、穀に充つ。然れども、畿内の人、皆、多く、之れを食へば、必ず、小瘡を發すと云ふ。彼〔(か)〕の地の人、皆、常食と爲〔(な)〕して、未だ、瘡を發する者を聞かず、と云ふ。是れ、乃〔(すなは)〕ち、土地の寒・溫、及び、狎(なれ)ると、狎ざるとの差、のみ。獨り、鮏、のみならず。猶ほ、山家〔(やまが)〕には、芋を以つて、常食と爲し、痞滿を知らざる者のごとし。

産後・金瘡〔(きんさう):刀剣による傷・切り傷。〕の藥 「干鮏〔(かんせい)〕」・「阿羅魚〔(あらぎよ)〕」【共に、黑燒〔にして〕、性を存〔すべし〕。】・藜〔(あかざ)〕萍蓬草〔(かはほね)〕小角豆〔(ささげ)〕【皮を去りて、生を用ふ。】・沈香〔(ぢんかう)〕【燒〔くに〕、煙を出ださず。】、以上、六味、分量に、口傳、有り。

[やぶちゃん注:広義には魚上綱硬骨魚綱サケ目サケ科 Salmonidae 全体を指すが、本文中の分布域から、ここでは、本州能登半島、及び、福島以北に分布する北方種のサケ目サケ科サケ(シロザケ) Oncorhynchus keta を代表種として掲げておく(サケ科タイヘイヨウサケ属サクラマス Oncorhynchus masou 等は、九州北部まで分布域が南下するが、良安は、「東北の大河、江海に通ずる處、多し。畿内・西國には、之れ、無し」と断言しており、同種が意識の範疇にないことは明らかである)。それにしても、この良安の慄っとする素敵な図……その「干」のユーモラスなとぼけた顔に対して……妖艶な「プロビデンスの眼」(全知の眼)みたようなアイシャドウの入った眼といい、全身を覆うフルメタル・ジャケット感の鱗といい、今にも這って歩きし出しそうな、ぶっといしっかりとした胸鰭といい……僕は……全く「生きた化石」シーラカンス(肉鰭綱シーラカンス亜綱シーラカンス目 Coelacanthiformes )のようにしか、見えないのである……「和漢三才圖會」のシーラカンス!!! いいじゃない!

・「鰷」は、「年魚」と呼ばれるアユキュウリウオ目キュウリウオ亜目キュウリウオ上科アユ科アユ Plecoglossus altivelis altivelis を指している。但し、本字は通常、コイ目コイ科ウグイ亜科ウグイ Pseudaspius hakonensis を指す(稀れに地方名で、海産のカサゴ目アイナメ亜目アイナメ科アイナメ Hexagrammos otakii を指す場合もあるので注意が必要)。意味は本文にある通り、周年生活環が一年であることによる。後掲の「鰷」も参照のこと。

・『「鮭」は「河豚」なり』とある通り、「鮭」の字は中国ではフグ目フグ科 Tetraodontidae のフグ類を指し、「さけ」は国訓である。

・『崔禹錫が「食經」』の「食經」は「崔禹錫食經」で唐の崔禹錫撰になる食物本草書。前掲の「倭名類聚鈔」に多く引用されるが、現在は散佚。後代の引用から、時節の食の禁忌・食い合わせ・飲用水の選び方等を記した総論部と、一品ごとに味覚・毒の有無・主治や効能を記した各論部から構成されていたと推測される。

・「鱒」は後掲の「鱒」の項の冒頭注を参照のこと。

・「青質赤章」は、青い下地に赤い模様がある、という意味で、すべて音読みでよいと思う。

・「厚美」は脂でこってりとして旨い、という意味。

・「枕骨」とは、人体にあっては外後頭隆起の下を言うようであるが、ここでは特に鮭の頭部の、鼻に近い部分を形成するゼラチン質の軟骨を特異的に示している。

・「筯子・甘子」について。先のように魚卵をバラにしたものは「バラ子」というが、サケの場合、現在は、特に「イクラ」(ロシア語の「魚卵」を指す“икра”(イクラー)が語源)と呼称する(この呼称は「日露戦争」以降という)。「筯子」は筋子(スジコ)で、卵巣膜に包まれた状態の加工品を言う。「甘子」という呼称は(薄塩のものを言うか)、現在は使われていない模様である。

・「昨日たち……」の歌は、引用元が示されていないが、技巧的でありながら優れた狂歌であると私は思う。「衣」の縁語として「たつ」「きる」「すそ」「ほころぶ」「さく」が美事に配され、「たち」に「高館」を掛けて、「衣川」と繋ぐ。且つ、詩想全体は、産卵前後のサケの満身創痍のペーソスをも、しっかりと伝えている。

・「本朝式」は「延喜式」のこと。「弘仁式」及び「貞観式」(本書と合わせて「三代格式」と呼ぶ)を承けて作られた平安中期の律令施行規則。延喜五(九〇五)年に醍醐天皇の勅命を受けて、藤原時平らが編纂を始め、延長五(九二七)年に完成、施行は、実に、半世紀後の康保四(九六七)年であった。平安初期の禁中の年中儀式や制度等を記す。三代格式の中では唯一、ほぼ完全に残っているものである。

・「楚割」は「すわやり」で、「魚条」とも書く。元来は、「すはえわり」の音変化。「楚」(すわえ:「木の小枝」の意)の如く細く割ったもの、という意味で、「魚肉を細長く切って、塩漬けにしたものを干した保存食」を指す語である。削って、食した。現在で言う「たれ」であるが、良安の推測は誤っていないと言っていいだろう。本件について、東洋文庫版は後注を附し、人見必大の「本朝食鑑」の「鱗部」の「鮭」の項の記載に、源頼朝が遠江の菊河駅に宿した際、『佐々木盛綱が小刀を鮭の楚割に添えて進めた話をのせ、いまの塩引の類ではなかろうか、と述べている。』と記す。これは編者が、良安は「本朝食鑑」の記載を参考にして、この最後の部分を記載していると考えたことを示している。「本朝食鑑」は元禄八(一六九五)年の刊行、編纂が約三十年の長期に亙った「和漢三才圖會」は正徳二(一七一二)年頃に、一応の成立を見ているので、良安が、このベストセラーを管見した可能性は十分考えられる。私は「本朝食鑑」を所持しているが、必大が参照にしたであろう「吾妻鏡」も複数の出版物で全巻を何冊も所持している(実は私は、大学以来、鎌倉の郷土史研究を続けている関係上、「吾妻鏡」は守備範囲なのである)。該当部分、建久元(一一九〇)年の十月十三日の条を以下に示す。これは、最早、「妖怪」としての力を失った後白河法皇と対面、権中納言及び右近衛府大将に任命されるも、すぐに辞退し、名実ともに幕府地固めを決定的にした、頼朝上洛の際のエピソードである。基礎底本は吉川弘文館昭和五四(一九七九)年刊「國史大系」版を用いた。難読語には〔 〕で読みを附した。

   *

○十三日甲午。於遠江國菊河宿、佐々木三郞盛綱相副小刀於鮭楚割【居折敷】以子息小童送進御宿。申云、只今削之令食之處。氣味頗懇切。早可聞食歟【云云】。殊御自愛。彼折敷被染御自筆曰。

 まちゑたる人のなさけもすはやりのわりなく見ゆる心さしかな

■やぶちゃんの書き下し文

○十三日 甲午〔ひのえうま〕 遠江國菊河の宿に於いて、佐々木三郞盛綱、小刀を鮭の楚割〔すはやり〕【折敷〔をしき〕に居〔す〕ふ。】に相副〔あひそ〕へ、子息小童を以つて、御宿に送り進ず。申して云はく、

「只今、之れを削り食せしむるの處、氣味、頗る、懇切たり。早く、聞こし食〔め〕すべきか。」と云々。

 殊に御自愛あり。

 彼〔か〕の折敷に、御自筆を染められて曰はく、

 待ち飢(ゑ)たる人の情けもすはやりのわりなく見ゆる心ざしかな

■やぶちゃんの現代語訳

○十三日 甲午〔ひのえうま〕 (頼朝公上洛の途次、)遠江の国の菊河〔:現在の静岡県島田市菊川。〕駅に宿った際、(同行していた)佐々木の三郎盛綱は、小刀を鮭の楚割〔すはやり〕に添えた狀態で【小刀は楚割を載せた折敷に添えられていた。】、子息の小童に使いさせて、頼朝公の御宿にお送り申し上げ、献上した。その際、盛綱の小童が父の謂いを申し上げて言うことには、

「ちょうど今、この鮭の楚割を削って食べましたところ、その風味が、極めて緻密で、欠けたところが、これ、御座いませなんだ。佐殿〔=頼朝公〕にも、是非、早速に、お食べになられるのがよかろうかと、存知まする。」

と【いったような主旨であった。】。御自身で、小刀を以って、お削りになられ、お食べになった頼朝公は、殊の外、これを御賞味されたのであった。

 さて、お食べになられた後、頼朝公は、その載っていた折敷に御手ずから筆をお染めになられてお書きになった(歌)は、

 待ち飢(ゑ)たる人の情けもすはやりのわりなく見ゆる心ざしかな

(すっかり腹が減っていたこの私の気持ちをも察して、あっ! と驚くほどに、即座に、すばやい楚割の献進、勘所を、決して、はずさぬ、誠に殊勝な心掛けであることよ!)

   *

さて、ここで点数を稼いだ佐々木盛綱は、母は源為義の娘という源家嫡流の血筋を受ける。本名、秀綱。父秀義と東に下り、長兄の定綱とともに、若き配流の身の源頼朝に近侍した。頼朝挙兵の端緒となる伊豆目代佐々木兼隆の首級を挙げたのも、彼である。ここで盛綱が鮭を献進したのには、直前に起った長兄定綱の不祥事絡みでのヨイショとも思われるが、実は、彼は、源家の故事に詳しかったが故の、秘密技(わざ)であったのである。この人物、及び、その後の盛綱流佐々木氏については佐々木哲学校氏なる方のブログの「佐々木三郎兵衛尉盛綱」に詳しい。そこには、幾つも、興味深い事実が記されているが、次の記述は彼の振舞の巧みさと、このサケの出身地が分かる。

『文治元年(1185)の守護・地頭設置で、上野国磯野郷・越後国加地荘などを得るとともに上野・越後・伊予守護に補任。越後・出羽地方を管掌しました(『吾妻鏡』建久2年10月1日条)。建久元年(1190)奥州藤原泰衡を滅ぼし上洛する源頼朝に、盛綱は俣野箭一腰を進上しました。これは源頼義が前九年合戦で勝利して帰洛するときに携えていたものと同様のものでした。盛綱が武家故実に詳しかったことが分かります。建久5年(1194)2月14日に頼朝に生鮭2を献上していますが、これは領地越後加地荘でとれたものでしょう。』

越後加治荘とは、現在の新潟県北蒲原郡加治川村(ここは現在では米のコシヒカリの名産地として有名)で、新潟の塩引き鮭は、現在も特産品の一つである。なお最後の和歌の「待ちゑ」を「待ちえ」と訓読している本(例えば昭和一五(一九四〇)年岩波書店刊龍肅訳注版)や、ネット・テクストで見受けるのであるが、これは「待ち得」から引かれた衍字のように思われる。あくまで私は動詞「待ち飢(う)」として訓読・解釈した。疑義のある方は、御一報を乞う。

・「氷頭」についてのこの叙述は、前掲の「倭名類聚鈔」の「枕骨」の部分に「色は氷の如く澄徹し、其味、甘味、脆軟。」とあるという情報があり、だとすれば、それを引き写した可能性が高い。

・「背膓」は、中骨に沿って附着する血腸(腎臓)を塩辛にしたものを言う。紫黒色で、現在は「めふん」という名で知られ、この「みなわた」という呼称は用いられていないようであるし、「みな」という訓も不審である。なお「めふん」はアイヌ語で、「シロザケやカラフトマスの血合いの部分」を言う語である。

・「小瘡」とはアレルギー性蕁麻疹を指していよう。魚の主要アレルゲンは、筋肉に含まれれる蛋白質パルブアルブミン parvalbumin とコラーゲン Collagen で、サケは、まさにアレルゲンとなりやすい魚種なのである。

・「痞滿」は、「胸がつかえて塞がったような苦しい症狀」、若しくは「脇腹がしくしく痛んだり、ぎゅっと縛られるような痛みの症狀」を言うが、ここは「単純な胸焼け」の可能性も高いか。

・「阿羅魚」はハタ科ハタ亜科アラ族アラ Nuphon spinosus

・「性を存すべし」とは、有効成分がしっかり残るように(失効しないように)せねばならない、の意。

・「藜」はナデシコ亜綱ナデシコ目アカザ科アカザ属シロザ Chenopodium album の変種であるアカザ Chenopodium album var. centrorubrum 。鎮痛・健胃・歯痛等に効く。

・「萍蓬草」はスイレン科のコウホネ Nuphar japonicum 。根茎からの抽出エキスを「川骨」といい、強壮剤・止血剤とする。

・「小角豆」はマメ目マメ科ササゲ Vigna unguiculata。腎臓疾患に薬効ありとする。

・「沈香」は、熱帯アジアに産するモクレン綱バラ亜綱フトモモ目ジンチョウゲ科の常緑高木であるジンコウ Aquilaria agallocha から採取加工した天然香料。特に光沢ある黒色のものを伽羅(きゃら)という。ちなみに「沈」は木質が極めて固く、水に沈むところからの命名。

・「以上、六味、分量に口傳有り」は、以上の六種を配合するに際しての分量については、施療者によって、それぞれの秘伝があり異なる、といった意味。]

***

ます

【音存】

ツヲン

 

  鮅【音必】赤眼魚

  鰚    腹赤魚

 【和名萬須

  又云波良】

[やぶちゃん字注:以上四行は前三行下に入る。]

 

本綱鱒似鯶而小鱗亦細於鯶赤脉〔=脈〕貫瞳身圓長青質赤

章好食螺蚌善子遁網性好獨行尊而必者【故字從尊從必】

△按鱒景行天皇時從肥後宇土郡長濵貢之【聖武帝時自太宰府

《改ページ》

 貢之毎正月元日有腹赤魚贄云云】今東北國多有其肉【甘溫】美於鮏多

 食發瘡

      年中行事 初春の千代のためしの長濱につれるはらかも我君のため

ます

【音、存。】

ツヲン

 

 鮅【音、必。】赤眼魚

 鰚       腹赤魚

【和名、「萬須」。又、「波良〔(はら)〕」と云ふ。】

 

「本綱」に、『鱒は鯶(あめのうを)に似て小さく、鱗、亦、鯶よりも細かく、赤脉、瞳を貫き、身、圓く、長し。青質赤章にして、好みて螺〔(ら)〕蚌〔(ばう)〕を食ふ。子、網を遁げるを善〔くす〕。性、好みて獨行し、尊にして必する者なり【故に、字、「尊」により、「必」による。】。』

按ずるに、鱒は、景行天皇の時、肥後の宇土〔(うと)〕の郡長濵より、之れを貢ず【聖武帝の時、太宰府より、之れを貢ず。毎正月元日、腹赤魚の贄〔(にへ)〕有りと云云。】。今、東北〔の〕國に、其肉、多く有り【甘、溫。】。鮏より、美なり。多く食へば、を發す。

     「年中行事」初春の千代のためしの長濵につれる腹赤も我君のため

[やぶちゃん注:「鱒」の指すマスとは、現在でも、特定の種群を示す学術的な謂いでは、実はない。ウィキペディア等によれば、サケ目サケ科 Salmonidae に属しながらも、和名の最後に「マス」がつく魚、又は、日本で一般にサケ類(ベニザケ・シロザケ・キングサーモン等)と呼称され認識されている魚以外の、サケ科の魚を総称した言い方であるとし、狭義には、以下のサケ科タイヘイヨウサケ属の、サクラマス Oncorhynchus masou 及びサツキマス Oncorhynchus masou ishikawae 、ニジマス Oncorhynchus mykiss の三種を指すことが多いとする。また、「ニチロサーモンミュージアム」のQ&Aの「鮭なんでも辞典」の「サケとマスは、どう違うのですか?」では、英語圏では原則的には『淡水生活をおくるものをトラウトtrout(日本語訳はマス)、海に降るものをサーモンsalmon(日本語訳はサケ)と呼び、サケの仲間を区別して』いるとし、『日本語でも、サケ属の中で降海する種にはサケを、サケ科の中で淡水生活をおくる種にはマスと付けた名称が使われてい』るとするのだが、その言葉の直後で、その区別は洋の東西を問わず、かなり曖昧、とも言っている。ここでの良安自身の記載も故事記載に留まっており、同定は不能に見える。但し、実は、「本草綱目」のこの「鱒」、よく調べてみると、マス類の叙述ではなく、コイ目の一属一種であるカワアカメ Squaliobarbus curriculus を叙述したもののように推定されるのである。古くは、漢和辞典の「鱒」の字義には、『鮭の一種。あかめうお(赤目魚)』と記されてさえいたが、最新のものでは、この「カワアカメ」に訂正されているのである。良安の記載が少ないのは、前の「鮏」で語り尽くしてしまったこともあろうが、「嘉魚」「鮏」で「鱒」に似ているというメタな記述をした以上、この記載の少なさは、解せない。良安自身、この「本草綱目」の記載が、何となく本邦のマスと違うことに気づいていたのかも知れない。

・「鯶(あめのうを)」という呼称は、現在のサケ目サケ科タイヘイヨウサケ属サクラマス(ヤマメ)Oncorhynchus masou masou 亜種にして琵琶湖固有種である
ビワマス
Oncorhynchus masou rhodurus の別名として、またサツキマス Oncorhynchus masou ishikawae (サツキマスはサクラマスの河川残留型・陸封型の名称で「アマゴ」とも呼ぶ。但し、アマゴは別種とする方もいるようである)の別名としても通用している。本記述の場合は、記載本体の魚種、即ち、ここでは李時珍が指したところの「鱒」自体が、マスでないカワアカメである以上、それに似た種というのは、同定が難しい(必ずしもコイ科であるとは限らないであろう)。

・「青質赤章」は、青い下地に赤い模様がある、という意味で、すべて音読みでよいと思う。

・「螺」は、巻貝、即ち、「腹足類」を指す総称で、ここでは、捕食魚類が淡水産であるから、腹足綱の新紐舌目カワニナ科 Pleuroceridae や、原始紐舌目タニシ科 Viviparidae 類等を指していよう。

・「蚌」は、本邦では狭義にドブガイ Anodonta woodiana を指すが、ここでは二枚貝綱古異歯亜綱イシガイ(サンカクガイ)目イシガイ超科イシガイ科 Unionidae にとどめておく。なお、私の電子テクスト「和漢三才圖會 卷第四十七」の「蚌」の項を参照。

・「尊にして必する者なり」は、よく分からない。当然、直前の、その生態が単独相であることを受けていると考えられるので、その属性を評したものではあろう。因みに、東洋文庫版では『毅然として迷わず行動する』性質であると訳している。確かに、時珍は、時に、こうした載道的な解釈を持ち出すが、その謂いはと言えば、分かったような分からない記述(心霊写真のシミュラクラみたようなもの)である。少なくともここは、我々に新たな発見を与えてくれるような天馬空を行くが如き自由な発想ではなく、「獨行」の擬人化から連想される紋切り型の陳腐なものでしかないように思われる。私は一見して、釈迦の「唯我独尊」を想起した。

・「按ずるに、……」以下の事蹟の内、まず景行天皇のものは、室町中期に僧行誉(ぎょうよ)のよって篇せられた辞書「壒囊抄」(あいのうしょう)の「巻四 二十五」に詳しい。以下、京都大学附属図書館所蔵の「貴重資料画像」ライブラリーの画像を底本として視認してテクストを起し、語注(該当部分に下線)と現代語訳を附した(書誌によると、刊記「正保三(丙戌)暦三條通菱屋町ふ屋 林甚右衛門」。正保三年は一六四八年)。翻刻では片仮名を平仮名に換え、適宜、濁点等を打った。また、一部を句点様記号を読点に換え、底本のルビは( )、私が補足した字は〔 〕で示した。なお、底本では「様」や「験」は現在の新字体と同じである。

   *

 二十五 奏(そう)する氷様(ひのためし)・腹赤(はらか)の御贄(みにえ)の事(こと)[やぶちゃん注:「にえ」はママ。本来は「にへ」。]

是は宮内省の奏する事也。氷様と申すは、只だ氷り也。去年納めたる所々の氷の様を、今日節會〔せちゑ〕の次に、奏聞〔そうもん〕する也。是を凍〔ら〕する池をば、氷池(ひいけ)と曰〔ふ〕也。延喜式にも、氷池の祭りを註し侍り。喩へば、氷の多く生〔ずる〕は、聖代は験〔しる〕し、氷の居〔ら〕ざるは、凶年の相〔さう〕也。仍て氷の居〔ら〕ざるは、凶年の相也。仍て氷の御祈とて、大法〔だいほふ〕など行〔は〕るゝ也。様(ため)しとは、寸法程〔ほど〕らひの分際ある故也。仁德天皇の御宇に額田大中彥(ぬかた〔の〕をほなかびこの)皇子の、始〔め〕て、氷を奉らせ給〔ひ〕し也。其後より、季冬每に國々に是を接(をさめ)て、氷室(ひむろ)を置〔か〕れしなり。  次に腹赤の魚とて、筑紫(つくし)より奉〔る〕也。昔は節會なんどに、軈〔やがて〕て供しけるにや。腹赤の食様(くひやう)とて、食さしたるを皆取り渡して、食〔ひ〕給ひけるとなん。景行天皇の御時、肥後の國毛宇土(けうと)の郡〔こほり〕長濵にて、此の魚を釣り奉〔る〕を、年每の節會に、供すべき由、定め置〔か〕れける也。[やぶちゃん字注:「次に腹赤の魚とて」の前の二字空きはママ。]

○やぶちゃん語注:

・「御贄」とは、神や朝廷に捧げる神聖な食物を指し、「いけにへ」(なまもの)と異なり、調理加工されているものが多い。

・「今日節會」は、元日の小節会を指すか。

・「仍て氷の居らざるは、凶年の相也。」この原文の一文は衍文が疑われる。若しくは「仍て氷の居らざる凶年の相なるや、」(そのように氷が張らずに凶年の占いが出た時には)の意の錯文かもしれない。後者で訳した。

・「食ひ給ひけるとなん」は、意味が今ひとつ通じない。儀式に参加した人々、皆で、少し食べては、回し食いをしたとするが、それを最後に、帝がお食べになるというのは、やや解せない。神人共食の考え方からすれば、有り得ない話ではないにしても、現実的ではない。そこで『帝=神がお召しになった(ということにした)ということである』という苦しい訳になった。この「給ひ」が「給へ」であれば、「食ふ」の謙譲語として「皆で有り難くいただいた」といった意味に取ることができるのであるが。識者の御教授を願う。

・「肥後の國毛宇土郡長濵」は現在の熊本県宇土市。ウィキペディアの「宇土市」によれば『その由来は、宇土半島がもとは島で「浮土」と表したのが転じたという説と、細く長い谷の意味を持つとの説がある』とする。「毛」は後者の説を補強するものか。また、この宇土の『御輿来海岸は、4世紀に九州遠征の際に立ち寄られた景行天皇が景色の美しさに見惚れて、御輿を止めて、休まれたという伝説が名前の由来である。また、網田には景行天皇がその手を洗われたという御手洗(みたらい)が存在し、現在も綺麗な水が湧き出ている』という事蹟もあるとする。「長濵」は現在の宇土市長浜肇町。JR九州には肥後長浜という駅名があり、海浜である。

○やぶちゃん訳:

二十五 帝に上奏する「氷様(ひのためし)」・「腹赤(はらか)の魚」という「御贄(みにえ)」について

 これは、宮内省が、帝に上奏する事物である。「氷様」と言うのは、ただの氷である。去年納められた各所からの氷の狀態を、今日の節会の儀式の次に、帝に上奏するのである。(各地の)これら献納するための氷を凍らせる池のことを、「氷池(ひいけ)」と言う。「延喜式」にも、「氷池の祭り」という注がなされ(その語がはっきりと示されて)いる。さて、たとえば、その氷が、厚くしっかりと張られた時は、その年は、ことほぐべき良き年という予兆であり、氷が張らない時は、まがまがしい凶の年という予兆なのである。よって、そのように氷が張らずに凶年の占いが出た時には、満を持して、「氷の御祈(おおんいのり)」という密教の厳かな修法(ずほう)等が行なわれ(吉相への回天を図られ)るのである。「様(ため)し」と呼称するのは、その張った氷の厚さや、広さ、及び、その狀態、即ち、総合的な氷結の様態に、様々な区別が存在する故である。遡れば、仁徳天皇の御世に、額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかびこのみこ)が、初めて、帝に氷を差し上げなさったのである。それからというもの、帝は、毎年、冬がやってくるたびに、それぞれの国々に、この氷を納めさせる義務を課せられ、氷室(ひむろ)をお置きになったのである。

 さて、次に「腹赤の魚」と言うのは、筑紫より帝に捧げるものである。昔は節会の儀式等に於いて、そのまま、調理をせずに、供物として生のまま捧げたのでもあろうか。腹赤の魚の食べ方としては、少し食べかけたそれを、儀式に参加した人々同士、皆で、取っては食い、食っては次に渡すことで、帝=神がお召しになった(ということにした)ということである。景行天皇の御世に、肥後の国の毛宇土(けうと)郡の長浜で、御幸された景行天皇の御為に、この魚を釣り申し上げたところ、(お食べになられて、殊の外、お喜び遊ばされ、)

「毎年の元日の小節会には、必ず、この魚を上納するように。」

と、御自ら、お定めになられたのである。

   *

次に聖武天皇の事蹟についてであるが、これは文政九(一八二六)年に、巌垣松苗(東園)が編纂した「日本国史略」を巌垣杉苗(すぎなえ:松苗(まつなえ)の子か)が注釈した明治期の刊行本である「増補点注国史略」の聖武天皇の段に、天平一五(七四三)年の正月の記事として、

   *

太宰府で始めて腹赤の魚を帝に獻じた。旧説に『景行天皇のが西国に幸巡された際、築紫の宇土郡の人が、魚を釣って、捕獲し、それを献上した。これがその年の正月の最初の御贄であった。故に後世、元日の小節会にあっては、腹赤の贄を上奏するようになった。』とあり、中国ではこの腹赤の魚を鱒と言う。

   *

との叙述がある(以上は私の現代語訳である)。この二つの文献に現れる「腹赤の魚」とは、同一種と見て良いが、良安には悪いが、これは現在ではコイ科ウグイ亜科ウグイ Pseudaspius hakonensis に同定されている。春になると雌雄ともに腹部に鮮やかな三条の婚姻色が現れ(ちなみにこれを「サクラウグイ」と称し、私も富山で食したことがあるが、川魚料理としては絶品の部類に属すと思っている)、「アカウオ」とも呼ばれる。なお、前者の長浜は明らかに海岸であるが、ウグイは降海型が知られており(但し北方系に多い)、齟齬はない。マスとウグイの出現時期はシンクロしているので、呼称が混同しているのかも知れない。

・「瘡」は「鮏」の項の「小瘡」を参照。

・「年中行事」は「年中行事歌合」。南北朝の貞治五(一三六六)年十二月二十二日に二条良基が主催し、冷泉為秀を判者とした歌合を基とした歌集。他に今川了俊(貞世)・頓阿等、二十三名が参加している。年間の公事を歌題とし、判詞の後に、その行事の解説が添えられた有職故実的色彩の強い歌合せである。当該歌の作者は不詳。同書の六番目にはいされてある。

・「千代のためし」とは、帝による平和な御代が永遠に続く好個の例、の意であろう。]

***

あめのいを

【※同】[やぶちゃん字注:※=「魚」+「軍」。]

ホヲン

 

鰀【音獲】 草魚

水鮏〔(みづさけ)〕江鮏〔(ゑさけ)〕

【漢語抄】

【和名阿米】[やぶちゃん字注:以上四行は、前三行下に入る。]

 

本綱鯇生江湖中似鱒而大其形長身圓肉厚而鬆狀類

青魚有青鯇白鯇二色其性舒緩故曰鯇曰鰀俗名草魚

其食草也

△按鯇江州湖中多有之頗似鮏故漢語抄名水鮏江鮏

 四五月盛出一尺二三寸大者二尺四五寸其小者五

 六寸尺餘也土人稱鱒但扁於眞鱒

肉【甘溫】暖胃和中然發諸瘡

《改ページ》

■和漢三才圖會 河湖有鱗巻ノ四十八 ○六

 

膽【苦寒】治喉痺一切骨鯁以酒化二枚温呷取吐

榎葉魚 出於豊後河湖中似鯇

あめのいを

【鯶、同じ。】

ホヲン

 

  鰀【音、獲。】 草魚

  水鮏 江鮏

 【「漢語抄」。】

 【和名、「阿米」。】

 

「本綱」に、『鯇は。江湖の中に生ず。鱒に似て、大。其の形、長く、身、圓く、肉厚にして、鬆〔(ゆる)〕し。狀〔(かたち)〕、靑魚の類〔にして〕、「靑鯇」「白鯇」の、二色、有り。其の性、舒緩〔(じよくわん)たり〕。故に、「鯇」と曰ひ、「鰀」と曰ふ。俗に「草魚」と名づく。其れ、草を食すればなり。』

△按ずるに、鯇は、江州〔=近江〕、湖〔=琵琶湖〕の中に、多く。之れ、有り。頗る鮏〔(さけ)〕に似る。故に、「漢語抄」に、「水鮏」・「江鮏」と名づく。四、五月、盛んに出づ。一尺二、三寸より、大いなる者は二尺四、五寸、其の小なる者は、五、六寸〔より〕尺餘なり。土人、「鱒」と稱す。但し、眞〔(まこと)の〕鱒より、扁(ひら)みあり。

肉【甘、溫。】 胃を暖め、中を和す。然れども、諸瘡を發す。

膽〔(きも)=胆〕【苦、寒。】 喉痺〔(こうひ)〕・一切の骨鯁〔(こつかう)〕を治す。酒を以つて、二枚に化〔(くわ)〕し、温〔めたるを〕、呷〔(あを)りて〕、吐くを、取る

榎葉魚 豊後の河湖の中より出づ。鯇に似る。

[やぶちゃん注:まず、冒頭の「本草綱目」の「鯇」は「あめのうを」ではない。全くの別種であるコイ目コイ科ソウギョ亜科ソウギョ Ctenopharyngodon idellus である(本邦では外来種)。それでは、良安がここで自認した「鯇」は何であったか。アメノウオという呼称は、現在のサケ目サケ科タイヘイヨウサケ属サクラマス(ヤマメ) Oncorhynchus masou masou の亜種である琵琶湖固有種である ビワマス Oncorhynchus masou rhodurus の別名として、またサツキマス Oncorhynchus masou ishikawae (サツキマスは降海型・降湖型の名称)の陸封型であるアマゴ(学名はサツキマスと全く同じ)の別名としても通用しているが、ここでは良安の叙述の「江州、湖の中に多く之有り」によってビワマスに同定したい。

・「漢語抄」は「楊氏漢語抄」で、柳梅(やまももの)大納言顕直撰になる。平安初期に完成し、漢語に相当する和語を示した一種の字書と思われるが、現存しない。良安がよく引く源順の「和名抄」にはこれがよく引用されており、ここもその孫引き。なお、ここは「水鮏」「江鮏」の二つの和名が「漢語抄」に所載するという意味である(「草魚」は「本草綱目」に載る中国名であるから含めずに考える)。

・「鬆し」は身が軟らかいことを指すか。

・「青魚」とは、中国の「四大家魚」の一つに挙げられるコイ目コイ科クセノキプリス亜科アオウオ属アオウオ Mylopharyngodon piceus であろうと思われる。本邦では外来種と考えられている。

・「青鯇」は現代中国にあっては、上記のアオウオの俗称である。

・「白鯇」は現代中国にあって上記のソウギョの俗称である。

・「舒緩」は「ゆるやか・ゆったりしていること」を示す語。極めて、おっとりとした性質を示す、時珍特有の擬人法的表現である。

・「鯇と曰ひ、鰀と曰ふ」とあるのは、「鰀」は「鯇」と音通であることを示していよう。「廣漢和辭典」では、どちらも「あめのいを」指すとする。

・「其れ、草を食すればなり」とあるが、ここで時珍の示すソウギョは、名にし負う如く、草食性で、淡水性水草以外にも、イネ科のヨシや、水辺に生育する雑草などの内、水面上に垂れ下がったもの等も食べる。歯を持たない代わりに、咽喉部に咽頭歯があり、これを用いて、貪欲に摂食する。

・「中を和す」とは、漢方で言う「中焦」を指していよう。中焦とは、胃の上口(噴門部)から下口(幽門部)までの胃部及び上腹部全体と脾臓とに相当する、架空の臓器である。「脾胃」とも呼称し、ここで「和す」とは、消化・吸収・排泄の運動全体の調和を言っているものと思われる。

・「諸瘡」はアレルギー性蕁麻疹で、「鮏」の項の「小瘡」と同じである。同注を参照。

・「喉痺」は咽喉部の乾燥感・嚥下不能・疼痛を指す。急性・慢性咽喉炎の症状。

・「骨鯁」は魚類の骨が喉に刺さることを言う。

・「化し」は「二枚に捌(さば)き下(お)ろし」といった意味であろう。

・「温めたるを、呷(あを)り、吐くを、取る」とは、その二枚におろした身を、少し暖めたものを、一息に飲み込み、即座に、それを嚥下すれば、骨が取れる、ということであろう。後半部、やや訓読がし難い。

・「榎葉魚」は、分布域を現在の大分としているので、本州と四国の太平洋側及び九州の瀬戸内海沿岸にまで南下して分布するサツキマスの陸封型であるアマゴに同定する。この「榎葉魚」という呼称は、「エノハ」として、現在も同種の異名として生き残っている。]

***

はす   正字未詳

波須 【俗云波須

     或用鰣字誤

     鰣見海魚下】

 

△按江州湖中在之四五月多出其身圓肉白形色鱗皆

 似幾須大四五寸不適一尺炙食甘平又作鮓亦香也

有海幾須川幾須之二種蓋此川幾須之類矣

はす   正字は、未だ、詳らかならず。

波須 【俗に「波須」と云ふ。或いは、「鰣」の字を用ゐる〔も〕、誤りなり。「鰣(ひら)」は「海魚」の下を見よ。】

 

△按ずるに、江州湖中に、之れ、在り。四、五月、多く出づ。其の身、圓く、肉、白く、形・色・鱗、皆、幾須〔(きす)〕に似たり。大いさ、四、五寸。一尺を過ぎず。炙り食ひて、甘〔にして〕、平なり。又、鮓〔(すし)〕に作りて、亦、佳なり。海幾須〔うみぎす)〕川幾須〔かはぎす)〕の、二種、有り。蓋し、此れ、川幾須の類〔ならん〕。

[やぶちゃん注:コイ目コイ科ダニオ亜科ハス Opsariichthys uncirostris 。用法を誤まっているとする「鰣」については、良安は巻第四十九の江海有鱗魚の中で取り上げ、「ひら」と訓じている。これは海水魚であるニシン上目ニシン目ニシン科ニシン亜科のヒラ Llisha elongata である。

・「幾須」は後述される「海幾須」という表現からもスズキ目スズキ亜目キス科 Sillaginidae の海水魚類を指すとしか思われないが、ハスのへの字型の口吻といい、側面からの魚体や色彩といい、全く似ていないと私は思うのだが……。

・「海幾須」は一般的なシロギス Sillago japonica を指すのであろうか? くどいが、似てないんだけど……。

・「川幾須」は、河口域に生息し絶滅が危惧されるアオギス Sillago parvisquamis を指すとする説のほかに、現在のコイ科カマツカ亜科カマツカ属カマツカ Pseudogobio esocinus の別称として、北陸・関西・九州等の広い地域で用いられている(この種は「スナホリ」・「スナモグリ」等、異名が多い)が、こっちはヒゲはあるし、どう見ても当時だって、近縁種にゃあ、見えないんだけど……。]

***

《改ページ》

あゆ

【音條】

チヤ゜ウ

 

 鮂【音囚】 䱗【音餐】

 白鯈 香魚

 細鱗魚【日本紀】

 年魚 銀口魚

 【和名安由】

[やぶちゃん注:以上の五行は、前の三行の下に入る。]

 

本綱鰷生江湖中小魚也長僅寸形狹而扁狀如柳葉鱗

細而整潔白可愛好羣游最宜鮓葅也肉【甘平】

和名抄載食經云年魚貌似鱒而小有白皮無鱗春生夏

長秋衰冬死故名年魚【和名抄用鮎字俗從之非也鮎者鮧】

日本紀神功皇后征三韓時到火前國松浦縣於玉嶋里

小河祈之曰朕欲求財國若有成事者河魚飮鈎因以擧

竿乃𫉬細鱗魚時曰希見物也故號其處曰梅豆羅國今

謂松浦訛焉是以其國女人毎當四月上旬以鈎捕年魚

於今不絶但男雖鈎之以不能𫉬魚

平陽鴈蕩志云香魚【又名記月魚細鱗魚溪鰛】其註最詳

《改ページ》


■和漢三才圖會 河湖有鱗巻ノ四十八 ○七

△按鰷二三月初生在江海之交大一二寸未生鱗骨潔

 白惟見黒眼呼曰小鰷熬食甚甘美不腥三四月大如

 柳葉生鰭及細鱗頭尖嘴白背淡青腹白尾端鰭端有

 微赤色其頭後背前有凝脂味最佳泝流至山川食石

 垢苔藻其潜行甚速五六月四五寸鮓鱠灸煮鮿共甘

 美味無似之者七八月最長近尺此時䱊如芥子者滿

 腹其背生漆班〔→斑〕文如刀刄鏽故曰鏽鰷八九月於湍水

 草間生子而後漂泊隨流下死也其子孚生流入鹹水

 徐成長焉其盛衰與鮏同故二物共稱年魚【本綱所言者春夏之

 之小鰷也和名抄所言者夏秋鏽鰷也】諸國谷川續於海處皆有之濃州

[やぶちゃん字注:この冒頭の「之」は前の「之」の衍字であろう。]

 城州【賀茂川桂川】和州【吉野川】紀州【紀川】作州【三升川】阿州【田頭子川】

 越前【福居】遠州【大井川】相州【根府川】武州【築井川】下野【宇都宮川】此

 外九州鰷得名者不少其大者尺有余

鰷𫙠〔→鱁〕【訓宇留加】 鰷膓鹽藏者灰黒色【甘渋微苦】不襍沙石者爲良

 安藝之產爲勝

《改ページ》

        かも川の瀨にすむあゆの腹に社うるかといへる綿はありけれ 小式部

あゆ

【音、條。】

チヤ゜ウ

 

 鮂【音、囚。】 䱗【音、餐。】

 白鯈〔(はくいう)〕 香魚

 細鱗魚【「日本紀」。】

 年魚・銀口魚

 【和名、「安由」。】

 

「本綱」に、『鰷は、江湖の中に生ずる小魚なり。長さ、僅かに寸〔ばかり〕、形、狹くして、扁たく、狀〔(かたち)〕、柳の葉のごとし。鱗、細く、整ひ、潔白〔にして〕愛すべし。好みて羣游す。最も鮓葅〔(さそ)〕に宜〔(よろ)〕し。肉【甘、平。】。』と。

「和名抄」に「食經」を載せて云はく、『年魚(あゆ)は、貌〔(かたち)〕、に似て、小さく、白皮、有りて、鱗、無し。春に生まれ、夏に長〔(た)〕け、秋に衰へ、冬に死す。故に「年魚」と名づく【「和名抄」に「鮎」の字を用ふ。俗、之れに從〔ふは〕、非なり。「鮎」は「鮧(なまづ)」なり。】。』と。

「日本紀」に、『神功皇后、三韓を征する時、火前〔→肥前〕の國松浦〔(まつら)〕の縣〔(あがた)〕に到りて、玉嶋の里の小河にて、之れを祈りて曰〔(のたまは)〕く、「朕、財國を求めんと欲す。若し、成る事、有らば、河魚、鈎〔(はり)〕を飮め。」と。因りて以つて、竿を擧げて、乃〔(すなは)〕ち、細鱗の魚を𫉬る。時に「希-見(めづら)しき物。」と曰〔(のたまは)〕ふ。故に、其處を號して「梅--羅(めづら)の國」と曰〔(のたまは)〕ふ。今、松浦〔(まつら)〕と謂ふは、訛〔(なまり)〕なり。是を以つて、其の國の女人、毎〔つね〕に四月上旬に當〔りて〕、鈎を以つて、年魚を捕ふ。今に於〔いて〕、絶えず。但し、男は之れを鈎ると雖も、以つて、魚を獲る能はず。』と。

「平陽鴈蕩志」〔(へいやうがんたうし)〕に『香魚(あゆ)【又は「記月魚」・「細鱗魚」・「溪鰛〔(けいをん)」〕と名づく】。』と云ひ、其の註、最も詳らかなり。

△按ずるに、鰷は、二、三月、初めて生じ、江海の交(あはひ)に在り。大いさ、一、二寸、未だ、鱗骨を生ぜず。潔白、惟だ、黒眼を見るのみ。呼んで、「小鰷」と曰ふ。熬り食〔へば〕、甚だ、甘美にして、腥〔(なまぐさ))〕からず。三、四月、大いさ、柳葉のごとく、鰭、及び、細鱗を生ず。頭〔(かしら)〕、尖り、嘴、白く、背、淡〔く〕青く、腹、白く、尾の端・鰭の端、微赤色、有り。其の頭の後〔(うしろ)〕、背の前、凝脂、有りて、味、最も佳なり。流れに泝〔(むか)ひ=向=逆〕て、山川に至りて、石垢〔(いしあか)〕・苔・藻を食ふ。其の潜行〔すること〕、甚だ、速し。五、六月、四、五寸。鮓〔(すし)〕・鱠〔(なます)〕・灸〔(あぶりもの)〕・煮〔(にもの)〕・鮿〔(ひもの)〕、共〔(とも)〕に、甘美。味、之れに似たる者、無し。七、八月、最も長く、尺に近し。此の時、䱊(こ)〔の〕、芥子(からし)のごとき者、腹に滿ち、其の背、淡〔き〕斑文を生じて、刀〔(かたな)〕の刄(は)の鏽(さび)るがごとし。故に「鏽鰷(さびあゆ)」と曰ふ。八、九月、湍水〔(たんすゐ)〕の草の間に、子を生みて後〔(のち)〕、漂泊して、流れに隨ひ下り、死す。其の子、孚生〔(ふしやう)〕して鹹水〔(かんすい)=潮水・海〕に流入し、徐〔(ゆる)〕く、成長す。其の盛衰、鮏〔(さけ)〕と同じき故に、二物、共に「年魚」と稱す【「本綱」の言ふ所の者は、春夏の小鰷なり。「和名抄」言ふ所の者は、夏秋の鏽鰷なり。】。諸國の谷川の、海に續く處に、皆、之れ、有り。濃州〔=美濃〕・城州〔=山城〕の【賀茂川・桂川。】、和州〔=大和〕の【吉野川。】、紀州の【紀の川。】、作州〔=美作〕の【三升(みほ)川。】、阿州〔=阿波〕の【田頭子(たづ〔ね〕)川。】、越前の【福居。】、遠州〔=遠江〕の【大井川。】、相州〔=相模〕の【根府川。】、武州〔=武蔵〕の【築井川。】、下野の【宇都の宮川。】、此の外、九州の鰷、名を得る者、少なからず。其の大なる者は、尺有余。

鰷鱁(うるか)【訓は「宇留加」。】 鰷の膓、鹽に藏〔(をさむ)〕る者、灰黒色【甘にして、渋、微苦。】。沙石を襍〔(ま)=雜〕ぜざる者、良と爲す。安藝の產、勝れりと爲す。

        かも川の瀨にすむあゆの腹にこそうるかといへる綿〔(わた)〕はありけれ 小式部

[やぶちゃん注:キュウリウオ目キュウリウオ亜目キュウリウオ上科アユ科アユ Plecoglossus altivelis altivelis 。奄美大島以南に分布するリュウキュウアユ Plecoglossus altivelis ryukyuensis は別亜種(但し、沖繩本島のそれは絶滅し、奄美産を放流した)。更に、琵琶湖に生息する陸封型アユは和名で「コアユ」と呼称するが、アユと同一種である。

さて、嘗つて私は、「和漢三才図会」巻第五十一の「鱊」、即ち、「縐小鰷」(ちりめんこあい)の項で、良安の「鰷」の字の使用法について考察した。そこでは、この「鰷」が示す本字の読みや意味、現在の同定種について、良安のある種の観察による批判精神を見ようとしていたのであるが、ここで良安は、無批判に「鰷」を「あゆ」と訓読している。しかし、そこでも述べたように、現在、「鰷」は、訓で川魚のコイ目コイ科ウグイ亜科ウグイ Pseudaspius hakonensis (異名「ハヤ」・「ハエ」)を指し、音も「チョウ・ジョウ・ショウ」で、「あい」又は「あゆ」という読みは、その音からも引き出せない。そもそも「廣漢和辭典」この字義には、「あゆ」は、ないのである。今、眼にする魚類関連の文献でも圧倒的に「鰷」は「ハヤ」類であり、「アユ」ではない。だが、「縐小鰷」の用法から、この字を「あゆ」と読む習慣は確かに存在した。そうして良安は、この文字の「あゆ」としての使用を正当と論ずるのであるが、では、どの時点で、良安先生のプロパガンダも虚しく、この「鰷」が、アユの属性を欠落させ、同時にウグイを指すものとして完全優勢化していってしまったのか? はたまた、良安がここで誤用として強烈に排撃する「鮎」(現在では中国語で「マナズ」を指すことは日本でもよく知られている。昔も禪の公案に基づく「瓢鮎圖」等を引き合いに出すまでもなく、ある程度は知られていたはずである)が、江戸期に入って、一気に市民権を獲得し(良安が生きていた十七~十八世紀の江戸期に於いて、良安が誤用を批判しなくてはならない程度、「俗、之に從ふ」と言わざるを得ない程に普及してしまっていたわけだ)、現在まで連綿と続く、アユを表わす正統な文字として「鮎」は未来永劫、席捲し続けてしまうのか? 興味深いところではある。

・「鮓葅」は酢や米に漬け込んだ魚のこと。

・「食經」とは、「崔禹錫食經」で唐の崔禹錫撰になる食物本草書。「倭名類聚鈔」に多く引用されるが、現在は散佚。後代の引用から、時節の食の禁忌・食い合わせ・飲用水の選び方等を記した総論部と、一品ごとに味覚・毒の有無・主治や効能を記した各論部から構成されていたと推測される。

・「鱒」は、前項「鱒」を参照。

・「鮧」=「鮎」で、中国では、これはナマズを総称する(「鮧」は狭義には、オオナマズと解される)。ここは多様な種を産する中国での使用を言うので、ナマズ目ナマズ科 Siluridae に留めておく。

・『「日本紀」に……』以下の事蹟は、「日本書紀」巻第九の「氣長足姬尊(おきながたらしひめのみこと) 神功皇后」に現れる。「菊池眞一研究室」の「日本書紀」より該当部分を使って恣意的に正字化し、書き下し及び現代語訳を附した(使用データのテクストの底本は『国史大系』本。一部の句読点や文字、改行を加え、難読語は( )で補った)。このエピソードは旧暦四月三日のこととする(機械換算で西暦二〇〇年)。舞台は、現在の佐賀県東松浦郡浜玉町の玉島川の河口付近と目される。

   *

神功皇后攝政前紀仲哀天皇九年四月甲申

夏四月壬寅朔甲辰。北到火前國松浦縣。而進食於玉嶋里小河之側。於是皇后勾針爲鉤。取粒爲餌。抽取裳縷爲緡、登河中石上。而投鉤祈之曰。朕西慾求財國。若有成事者、河魚飮鉤。因以擧竿。乃獲細鱗魚。時皇后曰。希見物也。【希見。此云梅豆邏志。】故時人號其處曰梅豆羅國。今謂松浦訛焉。是以其國女人。每當四月上旬。以鉤投河中。捕年魚、於今不絕。唯男夫雖釣、以不能獲魚。

○やぶちゃんの書き下し文(段落を成形した)

神功皇后攝政前紀 仲哀天皇九年四月甲申(きのえさる)

 夏、四月の壬寅(みづのえとら)の朔(ついたち)、甲辰(きのえたつ)、北のかた、火前國(ひのみちのくちのくに)松浦縣(まつらのあがた)に到り、玉嶋里(たましまのさと)の小河(をがは)の側(ほと)りに進食(みをし)す。

是に、皇后、針を勾(ま)げて鉤(ち)に爲(つく)り、粒(いひぼ)を取り、餌(ゑ)にし、裳(みも)の縷(いと)を抽取(ぬきと)り、緡(つりのを)にし、河中の石上(いそのへ)に登り、鉤(ち)を投げ、祈(うけ)ひて曰(のたま)はく、

「朕、西のかた、財(たから)の國を求めむと慾(ほつ)す。若(も)し、事を成すこと有らば、河の魚(いを)、鉤を飮(く)へ。」

と。

 因りて、竿を擧げて、乃(すなは)ち、細鱗魚を獲(え)つ。

 時に、皇后の曰(のたま)はく、

「希-見(めづら)しき物なり。」

と【「希見」とは、此れ、「梅豆邏志(めづらし)」を云ふ。】。

 故(かれ)、時の人、其處(そのところ)を號(なづ)けて、「梅豆邏國(めづらのくに)」と曰(い)ふ。今、「松浦(まつら)」と謂(い)ふは、訛(よこなま)れるなり。

 是を以つて、其の國の女人(をみな)、四月の上旬に當る每(ごと)に、鉤を以つて、河中に投げて、年魚(あゆ)を捕ること、今に絕えず。唯し、男夫(をのこ)のみは、釣ると雖も、魚を獲ること、能はず。

○やぶちゃんの現代語訳

 神功皇后が攝政であった仲哀天皇九年前半の御世の、その四月甲申(きのえさる)の事

 夏の四月壬寅(みづのえとら)一日、その二日後の甲辰(かのえたつ)三日に、肥前国松浦県の北方に御到着なされ、玉嶋の里の小川の畔(ほとり)で、お食事を召された。

 その時、皇后は、針を曲げて、釣り針を作り、飯粒(めしつぶ)を取って餌にし、裳裾の糸を、抜き取って、釣り糸にし、川の中の石の上に立って、釣り針を投げ入れ、祈って仰せられることには、

「私は、これより、西の方の、我が国のために宝となる国を求めに行こうしておる。もしも、それが成就するのであれば、川の魚よ、この釣り針を食いなさい。」

と。

 そうして釣竿を振り上げてみたところが、細かな鱗を持った魚がかかった。

 時に皇后が仰せられたことには、

「何と! 珍しい魚であること!」

と。【「希見」という語は、まさに「珍しい」という意味である。】。 故に、時の人々は、その場所を名付けて、「梅豆邏国」と言ったのである。現在、松浦と言い慣わしているのは、その言葉が訛ったものである。

 さて、そこで、その昔の梅豆邏国、今の肥前国松浦県の女性達は、毎年、四月上旬になると、釣り針を川に投げ入れて、その細かな鱗を持った魚、即ち、年魚を捕る習慣が、今も絶えることなく続いているのである。但し、男だけは、釣り針を垂らしても、その魚を獲ることは出来ないのである。

   *

良安の叙述は、この記述にほぼ等しい。ただ、彼は「粒を取り、餌にし、裳の縷を抽取り、緡にし」という部分をカットしている。この欠落が私の想像を掻き立てた。そもそも、これが占いであるならば、飯粒を餌として垂らすのは陳腐ではあるまいか? 勿論、それが、神人共食に関わることで、彼女の食べ残しの飯粒であってもおかしくはあるまい。自らの衣服から、釣り糸を作るのも、類感呪術的な意味合いを持つであろう。しかし、これが「三韓征伐」の、のっぴきならない覚悟の占いであるとすれば(そのように「日本書紀」の筆者は考えている)、この釣り針には、良安がカットしたように、本来は何も書かれいなかったと考えられないだろうか? 餌のない釣り針に魚がかかってこそ、占いは占いたる神秘性を持つ(良安がそのように恣意的にカットしたとすれば、良安は私の美事な共同正犯であるわけだが)。そうして、それが見たこともない魚であることも、また、必須なのだ。さすれば、私の想像は果てしなく広がるのである。もしかすると、裳から抜いた糸は、釣り糸ではなく、その釣り針に装着した呪的な意味を持つ飾りであったのではなかったか? そうして、それは、まさに現在の「疑似針」のルーツではなかったか? という勝手な想像なのである。因みに、アユの稚魚は、空針に食うことがあると、アユの「ドブ釣り」に命を賭けている父から聞いた。

 さて、「古事記」の「中つ巻」の該当部も引用してみよう(同前の加工データで、仕儀も同じ)。

   *

亦到坐筑紫末羅縣之玉嶋里而、御食其河邊之時、當四月之上旬、爾坐其河中之礒、拔取御裳之糸、以飯粒爲餌、釣其河之年魚。【其河名謂小河、亦其礒名謂勝門比賣也。】故、四月上旬之時、女人拔裳糸、以粒爲餌、釣年魚、至于今不絕也。

○やぶちゃんの書き下し文

 亦、筑紫の末羅縣(まつらのあがた)の玉嶋里に到りまして、其の河邊(かはべ)に御食(おめし)せるの時、まさに四月の上旬なるべし。

 爾(ここ)に、其の河中(かはなか)の礒(いそ)にまして、御裳(みも)の糸を、拔き取り、飯粒を以つて、餌と爲し、其の河の年魚(あゆ)を釣る【其の河の名を小河と謂ひ、亦、其の礒の名を勝門比賣(かちどひめ)と謂ふなり。】。故に、四月上旬の時、女人、裳の糸を拔き、粒を以つて餌と爲して、年魚を釣ること、今に至るまで絕えざるなり。

やぶちゃんの現代語訳

 また、〔神功皇后は新羅遠征の途次、〕筑紫の末羅県の玉嶋の里にお着きになられ、その川辺で食事をされたのは、丁度、四月の上旬のことであったが、そこで、その河中の岩におかれまして、裳裾の糸を抜き取り、飯粒を餌となして、その川の年魚を釣り上げられた【その川の名は「小河」と言い、また、その岩の名を「勝門比売(かちとのひめ)」と言う。】。故に〔ここ末羅では〕、四月上旬の頃、女人が裳の糸を抜き取り、飯粒を餌となし、年魚を釣ることが、今に至るまで絶えないのである。

   *

ここでは、私にとっては残念なことに、占いの行為が示されず、「飯粒」は残っている。但し、割注の「其の礒の名を勝門比賣(かちどひめ)と謂ふなり」という名は、明白な「勝機の門出」、又は、神話に於けるかの重要なアイテムたる「岩戸」の意味であろうから、このエピソード全体は、やはり、占いである。まず、私の勝手な夢想である擬餌針ルーツ説は、潔く引っ込めた方がよさそうなのだが、ともかくも、この事蹟が、魚で占うということから、「鮎」を「あゆ」に転用した有力な語源説になっていることは、周知の通りである。しかしながら、「古事記」も「日本書紀」も、「鮎」の字は用いられていない(「日本書紀」では、「香魚」以外に、例えば、巻二十七の天智天皇一〇年(六七一)十二月癸酉十一日の条に「阿喩」という訓は、現れる)。さすれば、「鮎」の初出は何処か? 個人HP「釣・遊迷人の鮎友釣りページ」の中の「鮎の起源」に以下のように記す(改行を省略した)。

   《引用開始》

「鮎」の漢字が初めて現れるのは承和二年「類聚三代格」(835年)に地名として「鮎河」の「鮎」の字が使われている。「侍中群要」(911年)には「鮎魚」や「鮎」の字が使われ、「鮎」の字が固定化して使われる様になるのは970年以降であるが、これ以降も数多くの当て字が使われている。明治以降から「鮎」の字が常用として使われる様になる。

   《引用終了》

この前者「鮎河」の「鮎」が、ナマズでなく、真にアユを指すことは、以下の厚木市のHP中の「五、水産業(漁業) 鮎川」に、

   《引用開始》

相模川が鮎川と呼ばれた文献は承和二年(八三五)六月二六日の太政官符に見え「相模国鮎河」に舟橋を架けたことが記録されている。相模川が古くから鮎の多く棲息する川として名高く、後世ここが鮎の名産地となったこともうなずける事であり、アイカワがいつか郡名となり、愛甲郡と文献・文書に記述される様になった。

   《引用終了》

とあることによってほぼ確実である(但し、「類聚三代格」自体の成立は十一世紀と推定されている)。しかし、では、神功皇后からここまでの六百有余年の間の「鮎」は? 神功皇后の事蹟が漢字の起源であるなら、もっと早い時期に使用が認められねばならないと私は思う。そのミッシング・リンクが発見されなければ、「鮎」=占い説は、腑に落ちないのである。私の落ちゆく「鮎」の混迷は、まだまだ、終わりそうもない。

・「平陽鴈蕩志」については、東洋文庫版書名注に『不詳。『平陽府志』のうちの鴈蕩山に関する記事か。浙江省温州府鴈蕩山地方の地方志であろう』とする。何だか、残念だ。よっぽど凄い注がついている本のはずなのに……良安先生、本当に見たのかなぁ?

・「溪鰛」の「鰛」は、現代中国語では、海水魚のサバ亜目サバ科サワラ Scomberomorus niphonius に似た小魚を指すとする(国訓ではイワシ又はウルメイワシを指す)。渓谷の、サワラ……には似ていないなぁ。

・「小鰷」は「こあい」か「こあゆ」。「和漢三才圖會」巻第五十一の「鱊」即ち「縐小鰷」(ちりめんこあい)の項を参照。長く別種とされたコアユ(琵琶湖固有種であるアユの陸封型なので学名は同じ)が、いつからの呼称かは分からないが、当時、それと区別するために「こあい」「こあゆ」であったと考えると、しっくりくる気もする。

・「䱊」は、はららご、メスの卵巣の卵塊のこと。

・「鏽鰷」は、「錆びあゆ」で、婚姻色が現れた性成熟した雌雄のアユを指す。背部が黒ずんで、腹部の黄ばみが、一層、強くなる。

・「孚生」は卵から孵ること。

・「三升川」は不詳。国土地理院の地図で探索中。旭川の異称か。

・「田頭子川」は不詳。国土地理院の地図で探索中。吉野川の異称か。

・「福居」は、現在の福井県で、恐らくは九頭竜川を指示している。

・「築井川」は不詳であるが、これは音の類似からすると、現在の埼玉県比企郡を流れる「都機川」ではあるまいか?

・「宇都の宮川」は不詳であるが、現在の宇都宮市街地を貫通する「田川」であろうか?

・「鰷鱁【訓は宇留加。】」の「鱁」は「魚の塩辛」を言う。「うるか」という名称の語源は「暁川」であるとする。珍味の食品加工業者である「金城軒」の「歴史ある東海珍味」のこちらのページに、

   《引用開始》

長良川の「ウルカ」は、江戸時代、毎年幕府へ献上されたほどの逸品である。御用ウルカは、「暁川」と呼ばれる秘法で、精製された。アユは、昼のうちに食った砂を夜になってから吐き出す。明け方の腹の中がきれいになったときにとったアユだけ作ったウルカが「暁川」。″早朝の川″という意味である。

   《引用終了》

とあるのだが、この「暁川」を、古語で「うらかは」又は「うるかは」と読んだということなんだろうが、「暁」にそのような訓も意味もないない。今少し、その辺を解説下され!

・「かも川の……」の歌について。底本の「社」は係助詞「こそ」の当て字。作者「小式部」は和泉式部の子供として有名な小式部内侍(こしきぶのないし)で、この歌は彼女の母との再会のエピソードとして各地にヴァリエーションがある。標準的な話は以下の通り。――橘道貞と婚姻し、一女を儲けるが(後の小式部内侍)、恋多き彼女は冷泉帝の第三皇子為尊親王と不倫関係に陥り、娘を捨てる。後に一条帝の中宮彰子に仕えた彼女が、主人の播磨国の書写山参詣に従った折り、泊まった長者の娘(実は、長者に拾われた小式部内侍)が、綿を摘んでいるのを見て、「その綿を売るか。」と聞いた際に詠んだ歌とする。その優れた機知を和泉式部が褒めると、娘は、もう一首を、即座に詠み返し、その和歌の意味から、和泉式部は、これぞ我が子と知る、という筋立てである。この話は播磨のみでなく、全国に散在しており、すべての和歌を披見したわけではないが、和歌の言辞は、次のものが標準的なものであるようだ。ちなみに、二番目の歌も提示しておいた。

   *

 秋川の瀨にすむ鮎の腹にこそうるかといへる綿はありけれ

 秋鹿の母その柴を折り敷きて生みたる子こそ子女鹿(こめか)とはいへ

   *

言わずもがなであるが、「うるか」と「売るか」、「綿」と「腸」が掛詞である。なお、底本の和歌は、「大和物語」では、

   *

賀茂川の瀨にふす鮎のいをとりて寝でこそあかせ夢に見えつや

   *

という上の句の類似したものが見出される。]

***

わたご

黃鯝魚

ハアン クウ イユイ

 

 【俗云和

  太古】

[やぶちゃん注:以上の二行は前の三行の下にある。]

 

本綱黄鯝魚生江湖中小魚也狀似白魚而頭尾不昂扁

[やぶちゃん注:この本文内では「黃」ではなく、「黄」が使用されてある。]

身細鱗白色𤄃〔=濶〕不踰寸長不近尺可作鮓葅煎炙甚美凡

魚腸曰鯝此魚腸腹多脂漁人煉取黄油然燈甚腥也

△按黄鯝魚狀似小鰡而細鱗白光色大五七寸許其膓

 極苦脂多故俗呼曰膓子處處池川與鮒並出江州湖

 中最多而未煉取油但冬月不多出失水易死

毛呂古【正字未詳】 狀似黄鯝魚而狹長其膓亦苦江州坂本

川名毛呂古川此魚最多也大津市廛多炙販之

わたご

黃鯝魚

ハアン クウ イユイ

 

【俗に「和太古」と云ふ。】

 

「本綱」に『黄鯝魚は、江湖の中に生ずる小魚なり。狀〔(かたち)〕、白魚に似て、頭尾、昂〔(あが)〕らず、扁〔たき〕身、細鱗、白色。𤄃さ、寸を踰〔(こ)え〕ず、長さ尺に近づかず。鮓葅〔(さそ)〕煎炙〔(せんしや)〕と作〔(な)〕すべし。甚だ美なり。凡そ魚の腸、鯝と曰ふ。此の魚、腸・腹に脂多し。漁人、黃油を煉〔(ね)〕り取る。燈を然〔(とも)すに〕、甚だ腥きなり。』と。

△按ずるに、黃鯝魚は、狀、小鰡(えぶな)に似て、細鱗、白光色。大いさ五~七寸ばかり。其の腸、極めて苦く、脂、多し。故に俗に呼んで腸子〔(わたご)〕と曰ふ。處處の池川は鮒と並び出づ。江州〔=近江〕の湖〔=琵琶湖〕の中、最も多し。而〔(しか)〕も未だ油を煉り取らず。但し、冬月、多くは出でず。水を失〔へば〕死に易し。

毛呂古【正字、未だ詳らかならず。】 狀、黃鯝魚に似て、狹長〔(さなが)〕。其の腸も亦、苦し。江州坂本の川を毛呂古川と名づく。此の魚、最も多し。大津の市廛〔(してん/いちみせ)〕、多く炙りて之を販〔(ひさ)〕ぐ。

[やぶちゃん注:既に「波長魚」に同定しているが、これもコイ科カワヒラ亜科ワタカ Ischikauia steenackeri か。別名ツタカ、ワタゴ(本文中の「腸子」由来)と呼ぶ。しかし、「派長魚」が確かにワタカであるとすれば、ここですぐ後にホンモロコが掲げられていることから、これをそれよりもずんぐりた体型のタモロコ Gnathopogon elongatus とすると、しっくりはくる。なお、「本草綱目」の「黃油」なるものを採取するというそれは、別種と思われるが、不明。因みに、現代中国語の検索で多く挙がってくるのは「高身鯝魚」(「黃鯝魚」ではヒットしない)で、それならば、コイ科コイ目コイ科ハエジャコ亜科 Varicorhinus 属のVaricorhinus alticorpus (和名なし。ある学術論文では『台湾モロコ』とあった)である。

・「白魚」現代中国語では、東アジアに広域に分布する(本邦にはいない)コイ科クセノキプリス亜科カワヒラ属カワヒラ Chanodichthys erythropterus とするが、果して時珍もそれを指しているかどうかは、判らない。そうかも知れぬと候補に挙げるに留める。

・「鮓葅」は酢や米に漬け込んだ魚のこと。

・「煎炙」は、訓読するならば、「いりやき」。

・「小鰡」の読みの「えぶな」は「江鮒」であり、「小鰡」とは、文字通り、海水魚のボラ目ボラ科ボラ Mugil cephalus の若魚を指す語である。現在でも和歌山県等に於いて、ボラの幼魚を「エブナ」と呼称している。

・「毛呂古」はコイ科バルブス亜科タモロコ属ホンモロコ Gnathopogon caerulescens を指していると思われる。一つ、似た形態の淡水魚に、別種だが、コイ科クセノキプリス亜科ワタカ属ワタカ Ischikauia steenackeri がいる。複数の釣人のブログの画像を比較してみると、ホンモロコとワタカは確かに似ている。更に、和名がややこしい、似て非なる種であるコイ科カマツカ亜科タモロコ属タモロコ Gnathopogon elongatus と比べると、有意にホンモロコの体長が、より細長い(ここで言う「狹長」に当たる)という記述がネット上にあった。

・「市廛」は、市(いち)の店舗の意。]

***

■和漢三才圖會 有鱗 巻ノ四十八 ○八

 

をいかは

石鮅魚

シツ ピツ イユイ

 

 【俗云乎以加波

 【又云阿加毛止

  又云夜車地】

[やぶちゃん字注:以上三行は、前三行下に入る。]

 

本綱石鮅魚生南方溪澗中長一寸背裏腹下赤以作鮓

甚美其肉【甘平有小毒】

△按石鮅魚右所謂長一寸之一字當作數字背裏之裏

 字亦當作黒恐傳寫誤歟蓋鮅者鱒之一名也此魚岩

 石急流有之狀似鮅而小【故名石鮅】背黒而微有班〔→斑〕腹下赤

 斑大四五寸夏月與鰷同時出取之爲鮓味稍劣矣洛

 大井川多有之京俗呼曰乎井加波【大井川之畧言】攝河俗稱

 赤毛止【赤斑之假名下畧以相通名之】夜砂地【名義未詳】

をいかは

石鮅魚

シツ ピツ イユイ

 

 【俗に「乎以加波〔(おいかは)〕」と云ひ、又、「阿加毛止〔(あかもと)〕」と云ひ、又、「夜車地〔(やしやち)〕」とも云ふ。】

 

「本綱」に『石鮅魚は、南方、溪-澗(たにがは)の中に生ず。長さ一寸、背裏・腹下、赤く、以つて鮓〔(すし)〕と作〔(な)〕して、甚だ、美なり。其の肉【甘、平。小毒、有り。】。』と。

△按ずるに、石鮅魚の、右に謂ふ所の「長さ一寸」の一の字は、當〔(まさ)〕に「數」の字に作るべし。「背裏」の「裏」の字も亦、當に「黒」に作るべし。恐らくは、傳寫の誤りか。蓋し、鮅〔(ひつ)〕は鱒の一名なり。此の魚、岩石の急流に、之れ、有り。狀〔(かたち)〕、鮅〔(ます)〕に似て、小さく【故に「石鮅」と名づく。】、背黒〔(せぐろ)〕にして、微かに、斑〔(まだら)〕、有り。腹の下、赤斑なり。大いさ四、五寸、夏月、鰷〔(あゆ)〕と同時に出づ。之れを取りて、鮓と爲す。味、稍〔(やや)〕劣れり。洛の大井川〔(おほゐがは)〕に、多く、之れ、有り。京俗、呼びて「乎井加波」と曰ふ【大井川の畧言。】。攝〔=摂津〕・河〔=河内〕の俗に「赤毛止〔(あかもと)〕」と稱す【赤斑の假名の下の畧。相〔(あひ)〕通ずるを以つて、之れを名づく。】。夜砂地〔(やしやち)〕【名義、未だ、詳らかならず。】〔とも稱す〕。

[やぶちゃん注:所謂、「ハヤ」と呼ばれるグループの一種である、コイ科クセノキプリス亜科 Oxygastrinae ハス属オイカワ Zacco platypus 。現代中国語に於いても、ズバリ、同種を指している稀有なケースである。それだけに、良安の誤字の指摘は、お美事! と快哉を叫びたい。属名の Zacco は、日本語の「雑魚」由来、シーボルトの命名である。なお、「ハヤ」については、ここで語っておく。通称の複数の種を含む「ハヤ」類(「ハエ」「ハヨ」とも呼ぶ)で、これは概ね、

コイ科ウグイ亜科ウグイ属ウグイ Pseudaspius hakonensis

コイ科ウグイ亜科アブラハヤ属カラアブラハヤ(アムールミノー)亜種アブラハヤ Rhynchocypris logowskii (日本固有亜種)

コイ科ウグイ亜科アブラハヤ属コウライタカハヤ(チャイニーズミノー)亜種タカハヤ Rhynchocypris oxycephalus jouyi (日本固有亜種)

コイ科クセノキプリス亜科 Oxygastrinae ハス属オイカワ Zacco platypus

コイ科クセノキプリス亜科カワムツ属ヌマムツ Nipponocypris sieboldii (日本固有亜種)

コイ科クセノキプリス亜科カワムツ属カワムツ Nipponocypris temminckii

の六種を指す一般の通称総称であると考えてよい。漢字では、「鮠」「鯈」「芳養」等と書き、要は、日本産のコイ科 Cyprinidae の淡水魚の中で、成魚の通常個体が中型の淡水魚で、細長いスマートな体型を有する食用になる種群の、釣り用語や、各地での方言呼称として用いられる総称俗称であって、「ハヤ」という「種」は存在しない。以上の六種の内、ウグイ・オイカワ・ヌマムツ・アブラハヤの四種の画像はウィキの「ハヤ」で見ることができる。タカハヤカワムツは、それぞれのウィキ(リンク先)で見られたい。なお、この内、カワムツは、長く、ヌマムツと同種として考えられていた種であったが、ごく最近の二〇〇三年になって、初めて別種として新種認定された種である。

・「小毒、有り」は不審。川魚全般に危険性がある寄生虫か、ボツリヌス菌による食中毒を指しているか。

・「鮅は鱒の一名なり」については、確かに「鮅」は「本草綱目」では「鱒魚」としている。しかし、時珍の指す「鱒」、良安の言う「鱒」、さらに現代の生物学的に杜撰な「鱒」認識(本頁の「鱒」の項を参照)の三つ巴で、その生物種を特定することは不可能である。本草書に対する考証では、この「鮅」には、「ます」・「おしきうを」に当てている。後者は、中国に棲息するコイ科魴(中文属名)属トガリヒラウオ Megalobrama amblycephala の異名である。

・「洛の大井川」大堰川(おおいがわ)のこと。京都府中部の川名で、淀川水系の一部。丹波山地の東部付近に源を発し、西流した後、南東へ転じて、亀岡盆地を貫流、亀岡盆地の出口から下流は知られた「保津川」となり、さらに嵐山からは「桂川」となるのである。

・「大井川の畧言」とは面白いが、同種のウィキペディアによれば、『婚姻色の出たオスを指す琵琶湖沿岸域での呼称』で、『このほかにオスがアカハエ、メスがシラハエとも呼ばれる』とある。

・「赤毛止」の「アカモト」という別名以外、「イカダバエ」・「イロハエ」・「シラハエ」・「ハエ」(但し、カワムツとの混称)・「ニイナ」・「ニガバエ」等、これ、異名に枚挙に遑がない。

・「赤斑の假名の下の畧」は意味不明。「赤斑」の「仮名」読みは「あかふ」「あかまだら」としか読めないが、「あかもと」とは程遠い。以下の「相通ずるを以て」も、何が「相通ずる」のやら分からん。

・「夜砂地」不詳。現在、この別名は生き残っていないと思われる。]

***

《改ページ》

うぐひ

 

 鯎【出處未詳

   恐俗字矣】

 【俗云宇久比

  小者名夜末女】

[やぶちゃん注:以上の四行は前二行の下に入る。中国語音の表記はない。]

△按江州湖中多有之狀似鯇而腹赤背黒大者近尺

 肉有細刺作鮓或灸食味淡甘不美豆州箱根豊後處

 處有之

うぐひ

 

 【出處、未だ、詳らかならず。恐らくは、俗字ならん。】

 【俗に「宇久比」と云ふ。小者を「夜末女〔(やまめ)〕」と名づく。】

△按ずるに、は、江州〔=近江〕湖〔=琵琶湖〕中に多く之有り。狀〔(かたち)〕、鯇〔(あめいを)〕に似て、腹、赤く、背、黒し。大いなる者、尺に近く、肉、細き刺、有り。鮓〔(すし)〕に作り、或いは、灸り食ふ。味、淡甘にして、美ならず。豆州〔=伊豆〕箱根、豊後、處處に、之れ、有り。

[やぶちゃん注:前項で述べた通り、コイ科ウグイ亜科ウグイ属ウグイ Pseudaspius hakonensis (中朝国境の白頭山に源を発し、中華人民共和国・朝鮮民主主義人民共和国・ロシアの国境地帯を東へ流れ。日本海に注ぐ水系にも棲息する)。近縁種として、完全淡水型(下線の上流・中流域)のエゾウグイ Pseudaspius ezoe (サハリン・北海道・東北地方に棲息)、及び、新潟県周辺河川の固有種ウケクチウグイ Pseudaspius nakamurai、及び、汽水域・内湾等に棲息し、産卵の際、河川を遡上するマルタ Pseudaspius brandti (本州中北部(東京湾以北で富山湾以北)・北海道・サハリンから沿海州・朝鮮半島東岸に棲息)、及び、ごく最近、マルタから分離されたジュウサンウグイPseudaspius brandtii brandtii も挙げておく。本種を含む「ハヤ」類については、先の「石鮅魚」を参照されたい。

・『小者は「夜末女」と名づく』は誤り。サケ目サケ科タイヘイヨウサケ属陸封型サクラマス(ヤマメ) Oncorhynchus masou masou は、全くの別種である。但し、現在では、イワナとヤマメは自然界に於いて交雑が発生し、雑種も生じていると言われる。]

***

はえ

𫙰

            

  𫙰【未詳俗字】

     【和名波江】

 【和名抄以鮠訓波江

  其誤起於以鮎爲鰷

  也鮠詳海中無鱗魚】

[やぶちゃん字注:以上五行は、前二行の下に入る。]

 

△按𫙰處處河湖中多狀似鰷而白色背淡黒略帶靑色

 性好群集浮游于水上味甘淡稍美而不腥然不及鰷

《改ページ》

■和漢三才圖會 有鱗 巻ノ四十八 ○ 九

 之美也性嗜蠅故漁人用馬尾或鯨鬛摸成蠅頭先泛

 炒糠于水上則群𫙰聚於時投蠅頭于水頻頻釣之手

 熟者一瞬數百或以網亦取之春夏多出其大二三寸

 其行水中至速也故名波江【波夜志訓下畧相通也】

                                  俊賴

       夫木 ふしつけしをとろか下に住はゑの心おさなき身をいかにせん

はえ

𫙰

            

  𫙰【未だ詳らかならず。俗字。】

   和名、「波江」。

【「和名抄」に鮠(なめいを)を以つて、「波江」と訓ず。其の誤りは、「鮎〔(ねん)〕」を以つて、「鰷〔(あゆ)〕」と爲すに起こるなり。「鮠」は、海中無鱗魚に詳らかなり。】

 

△按ずるに、𫙰は、處處の河湖の中に、多し。狀〔(かたち)〕、鰷に似て、白色、背、淡黒、略〔(ほぼ)〕、靑色を帶ぶ。性、好みて群集して水上を浮游す。味、甘、淡。稍〔(やや)〕、美にして、腥〔(なまぐさ)〕からず。然れども、鰷の美に及ばざるなり。性、蠅〔(はへ)〕を嗜〔(この)〕む。故に、漁人、馬の尾、或いは、鯨の鬛〔(ひげ)〕を用ひ、蠅の頭を摸〔(も)〕し成〔(な)さしめ〕、先づ、炒糠〔(いりぬか)〕を、水上に泛〔(うか)〕ぶ。則ち、群𫙰、聚〔(あつま)〕る。時に於いて、蠅〔の頭を水に投じ、頻頻〔(ひんぴん)〕と、之れを、釣る。手熟〔(てなれ)し〕者は、一瞬、數百なり。或いは、網を以つて、亦、之れを取る。春・夏、多く出づ。其の大いさ、二、三寸。其の水中を行く〔や〕、至つて、速し。故に「波江」と名づく【「波夜志〔(はやし)〕」の訓の下畧。相〔(あひ)〕通ずるなり。】。

                                         俊賴

      「夫木」 ふしづけしをどろか下に住〔(む)〕はゑの心おさなき身をいかにせん

[やぶちゃん注:ハエ、又は、ハヤは、コイ科ウグイ亜科ウグイ属ウグイ Pseudaspius hakonensis の別名(主に関東方言)であるが、ここで良安は、明確に前項の「うぐひ」(ウグイ)と区別している。これについて、アユの「どぶ釣り」を嗜む父に尋ねたところ、これは前掲のコイ科ダニオ亜科ハス属オイカワ Zacco platypus の♀ではないかと言う。♀が「シラハエ」という呼称であること、魚体が、♂に比して、有意に小さいこと、婚姻色の現れた派手で大きなオスとは、同一種にさえ見えないことからも、本記載にマッチするとは思われる。本種を含む「ハヤ」類については、先の「石鮅魚」を参照されたい。

・「鮠(なめいを)」の「鮠」は、現在、単漢字では「ハヤ」類を指すが、良安は、それを誤りとし、『「鮠」は「なめいを」と訓ずべきだ。』と主張する。実は通常、「鮠(なめいを)」は、魚類ではなく、水棲獣類のクジラ目ハクジラ亜目ネズミイルカ科スナメリ属スナメリ Neophocaena phocaenoides を指す語なのである。「和漢三才圖會 卷第五十一」の「鮠(なめいを)」の項を参照されたい。

・『其の誤りは、「鮎」を以つて、「鰷」と爲すに起こるなり』とは意味不明である。これを、そのまま訳すと、『この「鮠」という字を「はえ」と読んだ誤りは、「鮎」を「鰷」、即ち、「あゆ」と読んだ誤りに起因している。」となるが、この因果関係が分からない。これが、単に「鮎」を「あゆ」と読んだ誤りと同じだ、というのなら、腑に落ちるが、「に起こるなり」は、そのようには、読めない。

・「蠅頭」については、日本鮎毛バリ釣り団体協議会発行の会報「鮎と毛鉤通信」第十八号(実は私の父が編集しているのであるが)に、以下の記載がある。

   *

元禄8年《1695年=312年前》の井原西鶴『西鶴俗徒然』の中に、京都の宇治川で蠅頭(初期毛鉤の呼び名)を使って魚を釣る記述がある。また、延宝6年《1678年=330年前の江戸初期》には京都の職業案内『京雀跡追』の中に「魚釣・針屋伊右衛門」の名があるので、自然発生的と推察される渓流のテンカラ毛鉤やハヤ・ウグイの流し毛鉤の中から特定の巻き毛に鮎が反応することを発見し「蝿頭~蜂頭~蚊頭~蚊針~」鮎毛鉤に進化したものと推測される。英国でアイザック・ウォルトンが「釣魚大全」を発表した1653年(享徳2年)とは僅か30~40年程の時間差しかない。

   *

ちなみに毛鉤のルーツを西洋のフライの伝承と唱える者もいると聴くが、私の父は、毛鉤は日本で全く独自に発生進化したものと考えており、私も、山漁の民の中で、世界的に同時多発的発生をしたと考えることに何の抵抗も感じない。平行進化である。民俗学的には、いくらもそのような現象は起こり得るからである。

・「夫木」は「夫木和歌抄」(既注)。当該の和歌は、その巻二十七の「雑九」に所収するもので、歌論書「俊頼髄脳」で有名な源俊頼の一首である。「ふしづけ」は、「柴漬け」と表記し、「しのづけ」(篠漬)・「ふしづけ」(罧・柴漬)等と言う。冬期に、柴を束ねて、川や湖などに沈めて置き、それに住みついた魚を捕らえる仕掛けを指す。「をどろ」は「棘」(おどろ)で、草木や茨(いばら)等の乱れ茂っている場所や、そのさまを言う。「はゑ」とあるが、魚類の「はえ」(はや)の場合は、ア行の「え」で、ワ行の「ゑ」ではない。]

***

かなびしや

じんぞく

【音 】[やぶちゃん字注:音の下は欠字。]

サアヽ

 

 鮀魚  吹沙

 沙鰮 沙溝魚

【俗云加奈比之也

  又云志牟𭦌〔→曾〕久】

[やぶちゃん字注:以上四行は、前四行下に入る。]

 

本綱鮀魚居溪㵎沙溝中吹沙而游咂沙而食大者長四

五寸其頭尾一般大頭狀似鱒體圓似鱓厚肉重唇細鱗

黃白色有黒斑㸃文背有鬐刺甚硬其尾不岐小時卽有

子味頻美俗呼爲阿浪魚【此非海中沙魚也】

△按鯊湖及谷川水庭〔→底〕石閒小魚形色其似鯒而小其大

 一二寸有細黒㸃文其尾不岐京俗曰加奈比志夜【金杓

 之下略乎】四國人曰志牟曽[やぶちゃん注:ママ。]久【名義未考】未見四五寸者

かなびしや

じんぞく

【音 】[やぶちゃん字注:音の下は欠字。「鯊」の音は「サ」又は「シヤ」。]

サアヽ

 

 鮀魚〔(たぎよだぎよ)〕 吹沙〔(すいさ)〕

 沙鰮〔(さをん)〕     沙溝魚〔(さこうぎよ)〕

【俗に「加奈比之也」と云ひ、又、「志牟曾久」と云ふ。】

 

「本綱」に『鮀魚は、溪澗沙溝の中に居りて沙を吹きて游び、沙を咂〔(すす)り=啜り〕て食ふ。大なる者、長さ四、五寸。其の頭尾、一般、大なる頭〔(かしら)〕の狀〔(かたち)〕、鱒に似て、體、圓く、鱓〔(せん)〕に似て、厚〔き〕肉、重なれる唇、細鱗、黃白色にして、黑斑點〔の〕文、有り。背に、鬐刺〔(しし)=棘状の鰭〕有り、甚だ、硬し。其の尾、岐〔(また)〕あらずして、小さし〔→さき〕時、卽ち、子、有り。味、頻〔(すこぶ)〕る美なり。俗に呼んで「阿浪魚〔(あらうぎよ)〕」と爲す【此れ、海中の沙魚〔(はぜ)〕に非ざるなり。】。』と。

△按ずるに、鯊〔(はぜ)〕は、湖、及び、谷川の水底・石閒の小魚なり。形・色、其れ、鯒〔(こち)〕に似て、小さく、其の大いさ一、二寸。細かなる黒㸃〔の〕文、有り。其の尾、岐、あらず。京俗、「加奈比志夜」と曰ふ【金杓〔(かなびしやく)〕の下略か。】。四國の人、「志牟曽久〔(しんぞく)〕」と曰ふ【名義、未だ、考へず。】未だ、四、五寸の者を見ず。

[やぶちゃん注:条鰭綱スズキ目ハゼ科ハゼ亜目 Gobioidei はハゼ科 Gobiidaeや、カワアナゴ科Eleotridae ・ドンコ科 Odontobutidae 等、八科二百六十四属、二千百種を越える種に分類され、その中の凡そ二百種が淡水産、本邦には約三百五十種が生息する。その他のスズキ目カジカ科カジカ属カジカ Cottus pollux 等を「ハゼ」と呼称しているケースもあり、綜合項目としては、淡水産のハゼ様(よう)魚類の仲間という以上の同定は、不可能であるように思われる。ところが、「じんぞく」が、この種を限定する名前ならば、後掲するように、これは高い確率でヨシノボリの仲間( Rhinogobius sp. )であると思われるのである。

・「沙溝」は「砂地の小川・小流れ」の謂いであろう。

・「鱓」は魚類の「海蛇」であるウナギ目アナゴ亜目ウミヘビ科 Ophichthidae の一種を指すか、又は、形状が、ややそれら同じいウナギ目ウツボ亜目ウツボ科 Muraenidae のウツボの一種を指すかと思われる。真正の爬虫綱有鱗目ヘビ亜目ウミヘビ科 Hydrophiidae ではない。「和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類」には「水蛇 みづくちなは」の項があるが、私は、そこからも、最後の真正のウミヘビ類を最終的には候補からは外している。

・「小さき時、卽ち、子、有り」という叙述が不審であったが、これは、恐らく、雌雄の大きさが極端に異なることから生じた、観察の誤りであるように思われる。例えば、ハゼ亜目ハゼ科ゴビオネルス亜科 Gobionellinae ヨシノボリ属ビワヨシノボリ Rhinogobius sp. BW( Biwa Lake type )(琵琶湖固有種)では、サイトFreshwater Goby Museumの当該種の図鑑ページを見ても、メスが抱卵期にあっても、有意に小さい(腹部の膨らみも大きくない)ことが判る。

・「阿浪魚」は現在、コイ目コイ科のカマツカ Pseudogobio esocinus を指す。しかし、カマツカのデトリタス食性(底性生物や泥沙中の有機物をそのまま丸ごと口から吸引し、砂だけを鰓蓋から吐き出す)や、「スナモグリ」の異名を持つように、砂の中に潜って、目だけを出して身を隠す習性等は、これ「ハゼ」と呼びたくなる気もしてくるのである。

・「鯒」「コチ」と一般通称として使用する場合は、現今、二つのグループを指す(カサゴ目コチ亜目 Platycephaloidei 、及び、スズキ目ネズッポ亜目 Callionymoidei )が、ここは典型的なマゴチPlatycephalus sp. 等を含む前者ととってよいかと思う(良安がネズッポ類を知っていたかどうかという辺りが怪しいからである)。言うまでもないが、コチは全種、海産である。

・「加奈比志夜」は不詳。現在、呼称としては廃れているものと思われる。よく似た和名の魚に、海水魚のスズキ目スズメダイ科オヤビッチャ Abudefduf vaigiensis がいる。この語源も確かなことは分かっていないのだが、「綾(模様)が入った」という意味の沖縄方言「アカビカー」という説と、今一つ、「成熟した親」になっても、「びっちゃご(赤ん坊)」と変わらない、という語源説がある。この後者の説は、何とも言えず、ハゼ類に親和性があるようにも思われるのである(前のビワヨシノボリのケースなど)。「金柄杓」は即物的(いや、良安先生の絵は殊更にそれを意識しているようにも見えるが)で、ロマンはないが、才槌頭の異形(いぎょう)の魚の語源としては、残すべき価値はあろう。。

・「志牟曾久」は「ジンゾク」として、現在でも四国(徳島では「ジンタ」と呼称する例がある)で用いられており、ハゼ科ゴビオネルス亜科ヨシノボリ属 Rhinogobius sp. を指す。当該ウィキペディアを見ると、ヨシノボリ属は属内の分類が細分化され、現在、少なくとも十四種にも分かれ、どれも非常に似ているとする。従って、ジンゾクを、カワヨシノボリRhinogobius flumineus と比定する記載、ハゼ亜目ドンコ科ドンコ Odontobutis obscura とする記載、更には欲張りにも、その両方を一緒くたに「ジンゾク」と呼ぶとする記載もあった。「ドンコ」が地方によっては「ハゼ」とほぼ同義に用いられている点、しかし、良安が、後にドンコを別掲している点などを考慮し、それらの種限定比定は採らないことにした。蛇足であるが、検索をかけてゆくうちに、このヨシノボリと、古異歯亜綱イシガイ目イシガイ超科イシガイ科イシガイ Unio douglasiae nipponensis に代表されるイシガイ科の二枚貝とは、極めて興味深い関係(片利共生。個人的にはこの語には強い違和感がある。そもそも片方には利益も不利益もないと、ただの視認観察から導き出したそれは、真実とは言い難い。嘗つて、かく呼ばれた寄生形態の場合でも、後に寄生されることで寿命が短くなっているケースや、個体によっては寄生行為をされることを厭がるような行動をとるケースが見出されているからでる。単に私は「寄生」と言うべきだと考えている)があることを知った。彼等(イシガイの仲間)の孵化したトロコフォラ幼生(であろう)は、主にヨシノボリの鰓や、ヒレなどに寄生して、栄養を吸収し、ベリジャー幼生から稚貝となり、川に着底するというのである。前橋工科大学院の院生の方のイシガイ二枚貝&タナゴ編:愉「貝」な仲間たち!をご覧あれ!]

***

いしふし

石斑魚

 

 石礬魚 高魚

 【俗云石伏】

 䱌【和名抄】

  【夫木集用

   之非也】

[やぶちゃん字注:以上五行は、前二行の下に入る。]

 

本綱石斑魚生南方溪澗水石處長數寸白鱗黒斑浮游

水面聞人聲則劃然深入其長者尺餘斑如虎文性婬春

月與蛇醫交犯故其子有毒

△按石斑魚狀似彈塗魚而頭大尾細有鬚有硬鬐有細

 鱗如無其背斑文淺黒色腹白大者三四寸常伏石閒

 故稱石伏又背腹其黒者呼名談義坊主

                                 仲正

      夫木 誰か扨あみのめ見せてすくふへき淵に沈める石ふしの身を

いしぶし

石斑魚

 

 石礬魚〔(せきばんぎよ)〕 高魚

 【俗に「石伏」と云ふ。】

 䱌【「和名抄」。】

 鯼【「夫木集」に之れを用ふは、非なり。】

「本綱」に、『石斑魚は、南方、溪澗〔の〕水石の處に生ず。長さ數寸、白鱗、黒斑。水面に浮游し、人聲を聞けば、則ち、劃然として、深く入る。其の長き者は、尺餘。斑〔(まだら)〕、虎の文〔の〕ごとし。性、婬らにして、春月、蛇醫(とかげ)と交-犯(つる)む。故に、其の子、毒、有り。』と。

△按ずるに、石斑魚、狀〔(かたち)〕、--(はぜ)に似て、頭〔(かしら)〕、大きく、尾、細く、鬚〔(ひげ)〕有り。硬き鬐〔(ひれ)〕有り。細鱗、有りて〔→れども〕、無きがごとし。其の背〔〕の斑文、淺黒色。腹、白し。大なる者、三、四寸。常に石閒に伏す。故に「石伏」と稱し、又、背・腹の其の黒き者を、呼んで、「談義坊主」と名づく。

                                 仲正

   「夫木」 誰〔たれ〕か扨〔(さて)〕あみのめ見せてすくふべき淵に沈める石ぶしの身を

[やぶちゃん注:「石斑魚」で検索をかければ、日本語サイトも中国語サイトも、海産魚のスズキ亜目ハタ科 Serranidae のハタ類がヒットしてしまう。「石伏魚」でやると、「鮴(ゴリ)」と同義で、カジカ・ヨシノボリ・チチブの方言名、という記載に始まり、「ダボハゼだ」の、淡水産「カジカ」の巨大種「カマキリだ」と喧しい。翻って、「いしぶし」を辞書で引くと、川底の石の間を住家として伏し沈んでいることから、と言った前振りの後に、

「広辞苑」→川魚ウキゴリの別称。「和名抄十九」

「大辞林」→ウキゴリ・ヨシノボリ・カジカの異名。

「大辞泉」→①ウキゴリの別名。②ドンコの別名。③ヨシノボリの別名。

「角川新版古語辞典」→かわかじか。夏の季語。

といった具合だ。一番人気は、

スズキ目ハゼ亜目ハゼ科ゴビオネルス亜科 Gobionellinae ウキゴリ属ウキゴリ Gymnogobius urotaenia

で、ウキゴリは、幼魚期を海で過ごす「通し回遊」を行うのが普通だが、湖沼などで成長する陸封型もいる。二番手は淡水産の、

スズキ目カジカ科カジカ属カジカ Cottus pollux

のようである。最後の古語辞典によって「源氏物語」の「常夏」の帖を思い出す。「近き川のいしぶしのやうのもの、御前にて調じてまゐらす」というのが引かれて、平安の昔から馴染みの深い魚名ではあったことが分かるが、どうにも、これ、収拾がつかない。私が、しばしば御世話になるMANAしんぶん」「真名真魚字典6画」「䱌」には、この字体に多くのバリエーションがあることを述べて、『それだけ、ハゼやカジカの仲間のなかで、ヨシノボリやカジカをひっくるめて(時にはギギやカマツカも指す場合がある)川にすむ小魚を指す名称である「イシブシ」を見聞きして文章に表現した人々の「雑魚的感覚」が現れている字体ということでもある』と解説しておられる。まさしく雑魚の視点からの、目から鱗である。このサイトでは更に実は、「雑魚名考―その3 源氏物語にも登場するイシブシとは?」という特集ページもあり、最早、私の出る幕はない。

 いや、そこで、私の出る幕を、強引に、創ろう。当該の「源氏物語」の「常夏」冒頭を見る。底本は渋谷栄一先生の定家本系大島本であるが、直し得る部分は正字とし、読点や読みも追加した。光の私邸、六条院のうだるような夏のある一日。

   *

 いと暑き日、東の釣殿に出でたまひて涼みたまふ。中將の君もさぶらひたまふ。親しき殿上人、あまたさぶらひて、西川より、たてまつれる鮎、近き川のいしぶしやうのもの、御前(おほんまへ)にて、調じて參らす。

 例の大殿の君達、中將の御あたり尋ねて參りたまへり。

「さうざうしくねぶたかりつる、折よく、ものしたまへるかな。」

とて、大御酒參り、氷水(ひみづ)召して、水飯(すいはん)など、とりどりに、さうどきつつ、食ふ。

 風は、いとよく吹けども、日、のどかに、曇りなき空の、西日になるほど、蟬の聲なども、いと苦しげに聞こゆれば、

「水の上、無德なる今日の暑かはしさかな。無禮の罪は許されなむや。」

とて、寄り臥したまへり。

「いとかかるころは、遊びなどもすさまじく、さすがに、暮らしがたきこそ、苦しけれ。宮仕へする若き人びと、堪へがたからむな。帶も解かぬほどよ。ここにてだに、うち亂れ、このころ、世にあらむことの、すこし珍しく、ねぶたさ覺めぬべからむ、語りて聞かせたまへ。何となく翁(をきな)びたる心地して、世間のことも、おぼつかなしや。」

などのたまへど、珍しきこととて、うち出で聞こえむ物語もおぼえねば、かしこまりたるやうにて、皆、いと、涼しき高欄に、背中、押しつつ、さぶらひたまふ。

○やぶちゃん訳

 たいそう暑い日のことで御座いました。……光の君は、六条院の東の対(たい)の釣殿にお出になられて、涼みなさいます。

 中将の夕霧の君も、お供されていらっしゃいます。

 光の君の親しい殿上人の方々も、大勢、お供され、西川[やぶちゃん注:現在の桂川。]から釣り上げられ、献ぜられた活きのいい鮎やら、近くの中川[やぶちゃん注:京極川。]や鴨川で獲れたばかりの石伏と、京俗の申す魚(さかな)やらを、光の君の御目の前で、調へて差し上げます。

 加えて、いつもの柏木さまを初めとした大殿[やぶちゃん注:義兄の内大臣。以前の頭中将。]さまの公達(きんだち)の方々も、中将の君がおいでになるとのことを伝え聴いて、宴席に参上なさいました。

 光の君は、

「退屈で眠気さえ催すところであったが、まこと、よい折りに見えられた。」

とおっしゃられると、御酒を召されるやら、氷水(ひみず)を御所望になられるやら、さても、水飯[やぶちゃん注:乾飯(ほしいい)の水漬け。]などやらを、それぞれ、賑やかにお召し上がりになられます。

 風は、大層、気持ちよく吹いておりますものの、夏の日は長く、雲ひとつない空、やっと西日になる頃おい、されど、蟬の声さえも、大層、暑苦しげに耳につきますので、光の君は、

「水の上の釣殿も、全くもって、役に立たぬ今日の暑さじゃ。無礼の程、お許しあれ。」

と、おっしゃられると、物に背をもたせて、少し、横におなりになります。そうして、

「何とも、このように暑くては、管弦の遊びなども興に乗らぬし、そうは言っても、何もせずに凝っとしておるのもつらいことだ。貴殿ら、宮仕えする若人(わこうど)たちには、なおのこと、堪えがたいことであろうのう、帯さへも解けぬのだから。まあ、せめて、ここでは思う存分、寛いでもらって、近頃、巷(ちまた)で起こったことなどの、少し、珍しく、また、眠気も覚めるような話を、一つ、語ってお聴かせ下さらぬか。近頃は、何とのう、年寄り染みた心地がしてきて、世間のことにも、これ、めっきり、疎うなったわ。」

などとおっしゃいますが、座の人々は、珍しいことと言っても、すぐに申し上げられるようなお話も思いつかず、逆に恐縮して、緊張なさっている様子。

 皆、暑いとは申せ、やはり、よそよりも涼しい釣殿の、その高欄に背中をもたせながら、まんじりともせず、黙って座っていらっしゃいます。

   *

 私は「源氏物語」を訳す際の自身に課した鉄則がある。まず、それは話者と目される、紫上のお付きの女房が、自身の古い記憶を回想するように語ること、従って、丁寧語であることである。現在形を用いて、臨場感を出すことも大切と心得ている。そんな感じが出せていれば、有り難い。「常夏」は、この後、うだった暑さの中、内大臣が、最近、引き取ったという口軽の軽薄娘、近江の君を肴に、夕霧をからかう。この帖の前後は「螢」と「篝火」で、玉蔓の美しさが遺憾なく発揮されるのだが、その間にあるこのテンションのダルな下がり具合が、かえって、玉蔓の美を引き出しているのかも知れない。――光三十六歳の夏の、汗の、じりつく、ワン・シーン――である

・「蛇醫」については、偶然ながら、私の南方熊楠のオリジナル注電子テクスト山神「ヲコゼ魚」を好むと云ふ事(「南方隨筆」底本正規表現版・オリジナル注附・一括縦書ルビ化PDF版・1.85MB・28頁)』の中で(10コマ目。なお、ブログ版はこちら)、「酉陽雑俎」巻二から引いて、「蛇醫」を「いもり」と訓じている。ネット検索をかけると(中国語サイトを含む)、これを「蜥蜴」及び「守宮」の意とするものがあるが、水中の石斑魚と「交犯」するものとしては、両生綱である有尾目イモリ亜目イモリ科 Salamandridae のイモリの仲間は、爬虫類の蜥蜴(トカゲ)より至って「自然」であると思われる。イモリでキマリ! 序でに言えば、御存知の方も多いと思うが、イモリには、フグ毒と同じテトロドトキシンを皮膚毒として持つものがいる。「故に其の子、毒、有り」だって、民俗伝承上の幻想博物学に於いてはは、ピッタシ、カンカン! じゃあない?

・「彈塗魚」は、スズキ目ハゼ亜目ハゼ科オキスデルシス亜科 Oxudercinae ビハゼ属トビハゼPeriophthalmus modestusであろう。なお、現代中国でも「彈塗魚」は同種を指す。

・「談義坊主」という呼称は現在、生き残っていないと思われるが、私の「大和本草卷之十三 魚之下 杜父魚 (カジカ類)」の末尾で、益軒が「杜父魚(トホギヨ)」に似た魚として、京都の方言で『ダンギボフズ』(ママ)という名を記しており、これと同じであろう。私は、そちらで、この「杜父魚」を、まさにカジカ Cottus pollux に同定している。背と腹が黒いとあるが、カジカ、及び、カジカの仲間は、体色の色彩変異が多いから、特に問題はない。

・「夫木」は延慶三(一三一〇)年頃に成立した藤原長清撰になる私撰和歌集「夫木和歌抄」。源仲正(仲政とも書く)は生没年未詳の平安後期の武人で歌人。源頼綱の子で、源頼政の父。摂津(多田)源氏の武士団の棟梁で、下総守を経て、晩年には兵庫頭(のかみ)となった。保延六(一一四〇)前後に、七十余歳で没したとみられる。歌は「金葉和歌集」以下の勅撰集に十五首入集している。彼は平安末期の武士で、酒呑童子や土蜘蛛退治で有名なゴースト・バスター源頼光の曾孫である。即ち、ひい爺さんの霊的パワーは、彼の息子、鵺(ぬえ)退治の源頼政に隔世遺伝してしまい、仲正の存在は、その狭間ですっかり忘れ去られている。当該歌は「夫木和歌抄」巻二十七の「雜九」にあるが、以下の通り、

 誰かさは網の目見せて掬ふべき淵に沈める石伏の身を

で、正しくは初句の部分、「扨(さて)」ではなく、「さは」である。意味上は同様の意味の副詞として重大な変化ではないが、これが「さは(沢)」で、以下、「網」「掬ふ」「淵」「沈む」「石伏」が「川」の縁語である可能性が強く、されば、これは、もう、「さは」でなくてはなるまいとは思う。]

***

■和漢三才圖會 有鱗 巻ノ四十八 ○十

 

どんほ

とんこ

渡父魚

 

 杜父魚

 黄䱂魚【音公】

 舩矴魚

 伏念魚

【讀止牟保

 俗云止牟古】[やぶちゃん字注:以上六行は、前三行下に入る。]

 

本綱渡父魚生溪澗中長二三寸狀如吹沙魚而短其尾

岐大頭闊口其黄黒有斑脊背上有鬐刺螫人又見人

則以喙挿入泥中如舩矴也

△按渡父魚處處皆有狀如上說

どんほ

どんこ

渡父魚

 

  杜父魚〔(とほぎよ)〕

  黃䱂魚【音、公。】

  舩矴魚〔(せんてい)〕

  伏念魚

 【止牟保と讀む。俗に「止牟古〔(どんこ)〕」と云ふ。】

 

「本綱」に、『渡父魚は、溪澗の中に生ず。長さ二、三寸、狀〔(かたち)〕、「吹--魚(かなびしや)」のごとくして、短し。其の尾、岐〔(また)〕あり。大頭、闊き口、其の色、黄黒、斑〔(まだら)〕、有り。脊-背〔(せ)〕上に、鬐刺〔(ひれとげ)〕有りて、人を螫〔(さ)〕す。又、人を見れば、則ち、喙〔(くちばし)〕を以つて、泥中に挿し入れ、舩〔(ふね)〕の矴〔(いかり)〕のごときなり。』

△按ずるに、渡父魚は、處處に、皆、有り。狀、上說のごとし。

[やぶちゃん注:ハゼ亜目ドンコ科ドンコ Odontobutis obscura 。分布域は愛知県及び新潟県以西の本州・四国・九州(南西諸島を除く)、及び、大韓民国の巨済島(コジェとう:グーグル・マップ・データ)であるから、「本草綱目」のものとは別種である。本底本の出版元である「長野電波研究所」の「本草綱目」目録では Furcina dabryi とし、シナハゲカジカなる和名を掲げている。この属名はカジカ目カジカ科 Cottidae で、現代中国語でも杜父魚科とはカジカ科を意味する。カジカには少数ながら、淡水産もいるので、「溪澗の中に生ず」でも一応、不自然ではない。セビレの棘条の描写や底生魚である(流石に口吻をアンカーにするという話は聞かないが)点からも、時珍の言うのも、カジカの仲間であろう。問題は、良安が「狀、上說のごとし」と言っている点である。良安の掲げる絵は正しくドンコを意識していると思われるが、本文の記載が、無批判に「本草綱目」と一致すると言い切っているのは、叙述に於いては、良安は本邦に二種が確認されるのみの淡水産のカジカ Cottus pollux 及びウツセミカジカ Cottus reinii を意識したのではないかと疑われるのである。

・「吹沙魚」前掲の「鯊 かなびしや」の項を参照。]

***

ばんだい   正字未詳

畨代魚   【俗云波

        牟太伊】

[やぶちゃん注:「畨」は「番」の異体字。]

 

△按畨代魚生池澤川流皆有三四月初出九十月不見

《改ページ》

 長一二寸許灰白色脊有緗與柹〔=柿〕色縱文腹白群游水靣〔=面〕

 聞人聲則深入而諸魚與此同迯厺頗如守門者其形

 狀本草所謂石斑魚畧相似矣然此魚總無甲乙皆不

 過寸半又不見其䱊唯濕生者矣人亦不食之

ばんだい  正字、未だ、詳らかならず。

畨代魚  【俗に「波牟太伊〔(ばんだい)〕」と云ふ。】

 

△按ずるに、畨代魚は、池澤・川流〔れ〕に生じ、皆、有り〔:本邦のどこの淡水域にも棲息する。〕。三、四月、初めて、出づ。九、十月、見ず。長さ一、二寸許〔(ばかり)〕。灰白色。脊に、緗(もへぎ)と柹色〔(かきいろ)〕の縱〔の〕文、有り。腹、白く、水靣に群游す。人聲を聞けば、則ち、深く入りて、諸魚、此れと同じく、迯〔(のが)=逃〕れ厺〔(さ)=去〕る。頗〔(すこぶ)る〕守門の者のごとし。其の形狀、「本草」に謂ふ所の「石斑魚〔(いしぶし)〕」に、畧ぼ、相〔(あひ)〕似たり。然〔(しか)〕も、此の魚、總て、甲乙、無く、皆、寸半に過ぎず。又、其の䱊〔(こ)=卵〕を見ず。唯だ、濕生〔(しつしやう)〕せる者か。人、亦、之れを食はず

[やぶちゃん注:「畨代魚」という魚、全体が灰白色で、腹部が白い、水面に群泳し、人の声を聞くと、すっと、深みに潜る、その形狀は「本草綱目」の「石斑魚」の記載と同じであるが(前掲の「石斑魚」の項を参照。『長さ數寸、白鱗、黒斑。水面に浮游し、人聲を聞かば、則ち、劃然として深く入る』の部分を指すのであろう)、大きさは『其の長き者は尺餘』どころか、全てが、一・五センチメートル程度しかない、という記載からは、もう、お馴染みの棘鰭上目ダツ目アドリアニクチス亜目アドリアニクチス科メダカ亜科メダカ Oryzias latipes である。やや苦しいが、『脊に、緗と、柹』(=柿)『色の縦文有り』というのは、非常に古くから観賞用に流通している突然変異個体である品種ヒメダカ(緋目高)の体色に似ていないとは言えない(ちなみに「緋目高」も学名はメダカに同じ。この色はコイ科クセノキプリス亜科 Oxygastrinae ハス属オイカワ Zacco platypus のオスの婚姻色にも似ているが、オイカワは既に項目として掲げられており、そもそも、この魚体の小ささでは、全くの埒外である。

・「濕生」は、仏教用語で、湿気・腐肉の中から生き物が自然発生すること。一般には昆虫類等がそのように自然発生すると捉えられていた。湿生すると考えられた生物は主に昆虫類(蝶・蛾・蚊・蚋・蚤・虱等)であった。一般的な魚類は、民俗社会では、蛇や鳥とともに「卵生(らんしょう)」に属した。

・「食はず」とあるが、うるめっこ(メダカ)料理を新潟県東蒲原郡鹿瀬町で見つけた。『江戸時代から田んぼの側溝に沢山生息していたメダカを捕って冬の蛋白源、カルシウムの補給等にしていました。そのメダカも田んぼが基盤整備されて、住みかを失い、絶滅状態となりました。メダカの珍味も暫くの間、忘れ去られていましたが、幸いにして緋メダカが養殖されており、昔のメダカの味を忘れられない人達がその緋メダカを使って料理したところ、全く変わらない懐かしい味を見つけて、再び江戸時代の珍味を呼び戻したのが、この「鹿瀬のメダカ」です』。(中略)『「鹿瀬のメダカ」は、大根おろしと一緒に、お酒、ビールのつまみ、お茶漬けに、最高です。少しほろ苦さがあつて、一度食べたら忘れられない味となります』とある。佃煮だ。ざざむしも平気な私は、ふ~む、ちょっと食ってみたい気になった。]

***

はぜ    闌胡

彈塗魚  【俗云波世】

タン トウ

 

三才圖會云彈塗魚形似小鰍而短大者三五寸潮退千百

爲群揚鬐跳擲海塗中作穴而居以其彈跳于塗故名

△按彈塗魚川末近海處多有之常潜行水庭〔→底〕釣之以小

 鰕爲餌綸之耑〔=端〕去鉤三寸許處着鉛𨪰令鉤附于地俟

 微動之響揚竿秋月貴賤以爲遊興之一矣形色似鯒

 而小細鱗體畧滑口濶腮大眼向上斑㸃帶微黒尾亦

《改ページ》

■和漢三才圖會 有鱗 巻ノ四十八 ○十一

 有小斑無岐春月古宿魚大者五寸腹有子

虎彈塗 狀大而有虎斑彪【俗云止良波世】

衲彈塗 有深黒斑頭尾最黒擬浮屠之玄衲【俗云古呂毛波世】

飛彈塗 脇邊有鰭如翼呼曰飛鯊【俗云止比波世】

はぜ   闌胡〔(らんこ)〕

彈塗魚 【俗に「波世」と云ふ。】

タン トウ

 

「三才圖會」に云ふ、『彈塗〔(はぜ)〕は、形、小〔さき〕鰍(どじやう)に似て、短く、大なる者、三、五寸。潮、退〔(ひ)〕く時[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]、千・百、群〔(むれ)〕を爲し、鬐〔(ひれ)〕を、揚げ、跳びて、海に擲〔(なげう)〕つ。塗〔(どろ)〕の中に、穴を作りて、居〔(を)〕る。其れ、塗〔の中〕を彈跳〔(とびはね)るを〕以つて、故に、名づく。』と。

△按ずるに、彈塗魚は、川の末、海に近き處、多く、之れ、有り。常に水底〔(みなそこ)〕を潜(くゞ)り行く。之れを釣るに、小鰕(ゑび)を以つて、餌と爲し、綸(つりいと)の端、鉤〔(はり)〕を去ること、三寸ばかりの處に、鉛の𨪰(をもり[やぶちゃん注:ママ。])を着く。鉤〔(はり)〕をして、地に附けしめて、微動するの響きを俟〔(ま)〕ち、竿を揚ぐ。秋月、貴賤、以つて、遊興の一〔(ひとつ)〕と爲す。形・色、鯒(こち)に似て、小さく、細鱗、體〔(からだ)〕、畧〔(ほぼ)〕、滑かにして、口、濶く、腮〔(あぎと)〕、大きく、眼〔(まなこ)〕、上に向く。斑㸃、微黒を帶ぶ。尾、亦、小斑、有り。岐〔(また)〕、無し。春月、古宿(ふるせ)の魚の大なる者は、五寸、腹に、子、有り。

虎彈塗(とらはぜ) 狀〔(かたち)〕、大にして、虎斑(〔とら)〕まだら)の彪(ふ)、有り【俗の「止良波世」と云ふ。】。

衲(ころも)彈塗 深き黒斑、有り。頭尾、最も黒く、浮屠〔(ふと)〕の玄衲〔(げんなふ)〕に擬す【俗に「古呂毛波世」と云ふ。】。

(とび) 彈塗 脇の邊〔(あたり)〕、鰭、有り、翼のごとし。呼んで「飛鯊」と曰ふ【俗に「止比波世」と云ふ。】。

[やぶちゃん注:スズキ目ハゼ亜目目 Gobioidei に属するハゼの仲間の中でも、内海の沿岸域、及び、汽水域に棲息する種を限定していると考えてよい。従って、内湾の砂泥を棲息域とする、

ハゼ科ゴビオネルス亜科マハゼ Acanthogobius flavimanus

   ハゼ亜科ウロハゼ Glossogobius olivaceus

   ハゼ亜科ヒメハゼ Favonigobius gymnauchen

   ハゼ亜科ハゴロモハゼ属イトヒキハゼ Myersina filifer

等、及び、干潟を棲息域とする、

   ハゼ科オキスデルシス亜科トビハゼ Periophthalmus modestus

   オキスデルシス亜科ムツゴロウ Boleophthalmus pectinirostris

   ワラスボ亜科ワラスボ Odontamblyopus lacepedii

   ゴビオネルス亜科マハゼハゼクチ Acanthogobius hasta

等、及び、広く汽水域を棲息域とする、

   ハゼ科ゴビオネルス亜科ゴマハゼ属 Pandaka sp.

   ゴビオネルス亜科ミミズハゼ属 Luciogobius sp.

   ゴビオネルス亜科シマハゼ Tridentiger trigonocephalus

   ゴビオネルス亜科アベハゼ Mugilogobius abei

等を挙げておけばよいか。河川と海の回遊型ハゼや岩礁性海岸のハゼ類は、取り敢えず、はずしておく。

・「鰍」は国字としてはイナダ(アジ科ブリ Seriola quinqueradiata の中型の大きさのもの)や、カサゴ目カジカ科の淡水魚カジカ Cottus pollux を意味するが、中国では「鰌」と同字で、コイ目ドジョウ科 Cobitidae のドジョウの仲間を総称する

・「海に擲つ」とあり、干潮になると、身体を引いてゆく潮に、積極的に投げ打つようにして、海に向かって跳ねる、という意味であるが、跳躍が目立つトビハゼ Periophthalmus modestus を例にとると、干潮になると、干潟を、胸鰭を用いて、活発に動き回り、そこでは、主に採餌及び求愛と闘争が行われ、それは必ずしも「海に擲つ」とは言えない。更に言えば、満潮になると、帰巣するが、実は巣穴を持たない個体は、逆に陸地に向うため、「海に擲つ」とは逆の現象が見られ、叙述とは矛盾する。

・「綸の端、鉤を去ること、三寸ばかりの處に、鉛の錘を着く。鉤をして、地に附けしめて、微動するの響きを俟ち、竿を揚ぐ」とは、一般にハゼの「ミャク釣り」と呼ばれる仕掛けである。私はこの「ミャク」(「脈」であろう)の何ともいえない「微動」と音の「響き」にこそ、江戸庶民を魅了したハゼ釣りの魅惑が示されているように思えてならない。

・「鯒」と言う場合、現今、二つのグループを指すが(カサゴ目コチ亜目 Platycephaloidei 、及び、スズキ目ネズッポ亜目Callionymoidei )ここは典型的なマゴチ Platycephalus sp. 等を含む前者ととってよい。

・「古宿(ふるせ)の魚」とは「古背」で、現在は、イカナゴやアユの「二年魚」に用いられている。年を越しても生きている成魚を、漠然と指しているようである。ハゼ類の寿命は一~三年までで、三年生きる個体は少ない。

・「虎彈塗(トラハゼ)」は、ハゼではないと思われる。現在でもトラハゼという名称で呼ばれるスズキ目ワニギス亜目トラギス科トラギス Parapercis pulchella 、又は、スズキ目ワニギス亜目トラギス科トラギス属クラカケトラギス Parapercis sexfasciata を同定候補としておく。

・「衲彈塗」「コロモハゼ」という呼称は、現在、生き残っていない模様である。これは、全体に黒っぽく(この黒色は興奮色であるともいう)、頭部の後側に小さな黒斑が点在するハゼ亜科ウロハゼ Glossogobius olivaceus ではなかろうか?

・「浮屠の玄衲」は「僧侶の黒い僧衣」の意。

・「飛彈塗」「トビハゼ」は、ハゼ科オキスデルシス亜科トビハゼ Periophthalmus modestus 。]

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むつ

牟豆

 

  正字未詳

 【壒嚢抄用鱁

  字未審鱁者

  鱀之別名】

[やぶちゃん字注:「鱀」は原本では、厳密には「既」は「既」。以上四行は、前二行下に入る。]

 

△按牟豆魚溪澗空穴中有之又浮游大四五寸似𫙰而

 畧圓淺黒細鱗硬鰭尾有岐肉柔味不美最下品

むつ

牟豆

 

   正字、未だ詳らかならず。

 【「壒嚢抄」〔(あいなうせう)〕に「鱁」の字を用ふ。未だ、審らかならず。「」は「鱀(いるか)」の別名〔なり〕。】

 

△按ずるに、牟豆魚は、溪澗の空穴(うとろ)の中に、之れ、有り。又、浮游す。大いさ四、五寸、𫙰〔(はえ)〕に似て、畧ぼ圓く、淺黒く、細鱗、硬き鰭、尾に、岐〔(また)〕、有り。肉、柔かにして、味、美ならず、最下品〔なり〕。

[やぶちゃん注:コイ科クセノキプリス亜科カワムツ属カワムツ Nipponocypris temminckii 、及び、最近、そこから分離された、カワムツ属ヌマムツ Nipponocypris sieboldii (日本固有亜種)である。現在でも、略称して「ムツ」と呼ぶ地方がある。所謂、「ハヤ」類の二種。先行する「石鮅魚」の注を参照のこと。

・「壒囊抄」は室町中期に僧行誉(ぎょうよ)のよって篇せられた辞書。

・「鱁」は、「ムツ」の他、本邦では、アユの内臓の塩辛である「ウルカ」を指す(前掲の「鰷」(アユ)の項参照。私は特異的に苦手な塩辛である)が、別に、中国語で、哺乳綱獣亜綱真獣下綱ローラシア獣上目鯨偶蹄目ハクジラ亜目ハクジラ小目ヨウスコウカワイルカ科ヨウスコウカワイルカ属ヨウスコウカワイルカ Lipotes vexillifer を指す。中文の同種のウィキペディア(「維基文庫」)の「白鱀豚」を見られたい。決して、「ウルカ」が「イルカ」になったわけではないので、ご注意あれ。]

***


《改ページ》

きんぎよ

金魚

キン イユイ

 

本綱金魚有鯉鯽鰍䱗之數種獨金鯽耐久春末生子於

草上好自吞亦易化生初生黒色久乃變紅或變白者名

銀魚又有紅白黒斑相間者食橄欖渣肥皂水卽死得白

楊皮不生蝨也肉【甘鹹平】味短而靭自宋始有畜者今則處

處人家養玩矣

丹魚 抱朴子云上洛縣冢嶺山有丹水入于汋水中出

 丹魚先夏至十夜伺之魚浮水側必有赤光上照若火

 割血塗足可以履水

△按金魚非鯉鮒等之變者是別一種而殊不知鰍鰷之

 變者初自外國來近年玩賞之而無食之者形似鮒而

《改ページ》

■和漢三才圖會 有鱗 巻ノ四十八 ○十二

 

 尾如鰕其大者七八寸筑前及泉州堺多有養之者以

 販于四方毎自三月至十月餌孑孑蟲小蚓又索麪【煑熟

 日乾】亦佳【如餌飯粒則金魚眼突出】至春末生子投杉藻或棕櫚皮泛

 水其欲生時雄頻逐之雌相逼生子於藻中好自啗故

 急撰取其藻養別水槽受日光三五日孚頭尾備放池

 初黒色如小鮒久乃變紅斑經二歲長二三寸爲紅黒

 斑經三歲爲純紅老則又變白如銀名之銀魚本一種

 又有逆振尾游者號獅子共爲珍其尾如鰕又如舟楫

 而不邪斜者良如鮒尾者爲下品最大者一尺價貴其

 頭微尖者雌

きんぎよ

金魚

キン イユイ

 

「本綱」に、『金魚は、鯉・鯽〔(ふな)〕・鰍(どぢやう)・䱗(あゆ)の數種、有り。獨り、金鯽〔(きんぶな)のみ〕久〔(きう)〕に耐〔(た)〕ふ。春の末に、子を、草の上に生ず。好んで、自ら吞み、亦、化生〔(けしやう)〕し易し。初生は黒色、久しくして、乃〔(すなは)〕ち、紅〔(くれなゐ)〕に變ず。或いは、白に變ずる者を「銀魚」と名づく。又、紅・白・黑〔の〕斑〔(まだら)〕、相間(〔あひ〕まじ)はる者、有り。橄欖〔(かんらん)〕渣〔(さ)〕肥皂〔(ひさう)〕の水を食へば、卽ち、死す。白楊皮を得れば、蝨〔しらみ〕を生ぜざるなり。肉は【甘鹹、平。】、味、短くして、靭(しやくしやく)す。宋より始めて、畜〔(か)ふ〕者、有り。今は、則ち、處處の人家、養玩す。』と。

丹魚 「抱朴子」に云はく、『上洛縣の冢嶺山〔(ちようれいさん)〕、丹水、有りて、汋水〔(しやくすゐ)〕の中に入り、「丹魚」を出だす。夏至に先〔(さきだ)〕つこと十夜、之れを伺〔へば〕、魚、水に浮かぶ側〔そば〕に、必ず、赤光〔(しやくかう)〕、有り、上〔を〕照すこと、火のごとし。血を割〔(さきと)り〕て、足に塗れば、以つて、水を履〔(ふ)〕むべし[やぶちゃん注:水上を徒歩で歩くことが出来る。]。』と。

△按ずるに、金魚は、鯉・鮒等の變ずる者に非ず。是れ、別に、一種にして、殊に、鰍(どぢやう)・鰷(あゆ)の變ずる者を、知らず。初め、外國より來り、近年、之れを玩賞するも、之れを食ふ者、無し。形、鮒に似て、尾、鰕〔(えび)〕のごとし。其れ、大なる者、七、八寸。筑前及び泉州〔=和泉〕の堺に、多く、之れを養ふ者、有り。以つて、四方に販〔(ひさ)〕ぐ。毎〔(つね)〕に、三月より、十月〔に〕至るまで、孑孑蟲(ぼうふりむし)・小き蚓(みゝず)を餌〔(ゑ)〕とし、又、索麪〔(さうめん)〕【煮熟し、日に乾〔したる〕。】、亦、佳し【如〔(も)〕し、飯粒を餌とせば、則ち、金𩵋、眼〔(まなこ)〕、突出〔す〕。】春〔の〕末に至り、子を生む。杉藻或いは棕櫚の皮を投じて、水に泛〔(うか)〕ぶ。其れ、生(こ、う〔=子産〕)まんと欲するの時、雄、頻りに、之れを逐〔(お)〕ふ。雌、相逼〔(あひせま)〕りて、子を、藻〔の〕中に生む。好んで、自ら啗〔(くら)〕ふ故、急〔(にはか)〕に其の藻を撰取〔(えらみと)り〕、別の水槽(みづふね)に養ふ。日光を受ければ、三、五日にして、孚(か)へり、頭尾、備へて、池に放つ。初めは、黒色〔にして〕、小鮒のごとく、久しくして、乃〔(すなは)〕ち、紅斑に變ず。二歲を經て、長さ二、三寸、紅〔と〕黒〔の〕斑と爲る。三歲を經て、純紅と爲る。老ゆれば、則ち、又、白に變じて、銀のごとし。之れを「銀魚」と名づく。本〔(もと)〕、一種なり。又、逆(さかしま)に尾を振りて游ぐ者、有り。「獅子」と號す。共に珍と爲す。其れ、尾、鰕のごとく、又、舟の楫(かぢ)のごとくにして、邪-斜(なゝめ)ならざる者、良し。鮒の尾のごとくなる者、下品と爲す。最も大なる者、一尺。價〔(あたひ)〕、貴〔(たか)〕し。其の頭〔(かしら)〕、微〔(すこ)〕し尖る者、雌なり。

[やぶちゃん注:コイ目コイ科コイ亜科フナ属キンギョ Carassius auratus 。フナの一種であるギンブナ Carassius gibelio langsdorfi が突然変異を起して、体色が、黒色色素を欠落させて、赤く変化したヒブナ(緋鮒)を元に、人為交配を重ねて創出した観賞魚。長江下流の浙江省辺りが発祥の地とされ、日本への伝来は室町期とされる。

・「鰍」は国字としては、イナダ(アジ科ブリSeriola quinqueradiata の中型の大きさのもの)や、スズキ目カジカ科カジカ属の淡水魚であるカジカ Cottus pollux を意味するが、中国では「鰌」と同字で、コイ目ドジョウ科 Cobitidae のドジョウの仲間を総称する。

・「金鯽」に本邦のキンブナ Carassius auratus burgeri を同定候補することは、「本草綱目」の記載である以上、噴飯もののようにも思えるが、「キンブナ」という呼称が本邦にあることは、一応、挙げておきたい。

・「久に耐ふ」は「長生きする」の意。

・「好んで、自ら、吞み、亦、化生し易し」とは、この金魚が、よく自分の生んだ子供を食べてしまうのを見た時珍が、卵を生みながら、その卵を食うという残忍なる行為に及び、結局、次の世代の子を生じない以上、彼等は卵生の性を持ちながら、実際には、そのおぞましくも測りがたい業(ごう)によって化生(かしょう)することが多いのだ、と判断したことを物語っているか。

・「橄欖」その油脂成分が、次の「肥皂」に共通する点で、ムクロジ目カンラン科カンラン Canarium album に同定する。その実がゴマノハグサ目モクセイ科オリーブ Olea europaea と同様な利用法がされる故に、オリーブにも「橄欖」の字を当てるが、この二種、全く縁のない別個な種である。かく言う私も、若い頃は、橄欖=オリーブと誤認していた。

・「渣」は「水中に沈殿した澱や滓」を指す言葉であるが、ここは、カンランの実や樹皮が、水漬けになって、その油脂成分が浸潤した水という意味であろう。

・「肥皂」は「肥皀」にも見えるが、「肥皀」は「ひきょう」又は「ひこう」、中国語では“feizao”で、「石鹸」を指す語である。この場合、「皂」は「皁」の字の俗字で、「皁」の字はドングリ・クヌギ・トチ等の実を指すが、「肥皁」(音は「ひそう」)でネット検索をかけると、中国のマメ科の植物で肥皁莢属 Gymnocladus というのがヒットする。しかし、試みに「肥皀」で検索すると、シャボンサイカチ Gymnoladus chinensis (トウサイカチという和名もある)という植物に行き当たる。竹松哲夫・一前宣正共著「世界の雑草Ⅱ 離弁花類」(一九九三年全国農村協会刊。不思議な形でネット検索にかかった。その時に以下を目視したのはPDFファイルであったが、その後に同ファイルを確認出来ないのでリンクは張れない)には、その果実を「肥皀」と言い、その種子を「肥皀子」と言って洗剤に用いる、とあった。界面活性を持つ高級脂肪酸の塩を含んだ植物油脂は、魚類には当然、極めて有害である(「毒揉み」がそれ)。従って、私は「肥皁」=「肥皂」=「肥皀」と断ずるものである。

・「白楊皮」はヤナギ科ヤマナラシ属ハコヤナギ Populus sieboldii 。なお、ヨーロッパでは古くから、この樹の皮を膀胱炎や、老人の排尿困難等に処方してきた歴史があるらしい。それを金魚のいる水に浸せば、その滲出液の持つ薬効成分が、前二者とは対照的に、以下の金魚につくウオジラミを退治してくれる、という意味である。

・「蝨」は「しらみ」と訓ずるが、これはアゴアシ亜綱エラオ(鰓尾)下綱エラオ(ウオジラミ)目(鰓尾類・チョウ類とも呼称する)ウオジラミ科 Argulidae のウオジラミの仲間である。五ミリメートル以下の極めて小さな甲殻類で、魚体を針を刺して体液を吸い取る寄生虫である。

・「短くして」は、「やや劣る」という意味であろうか。即ち、金魚の肉は、今一つ、ふにゃふにゃとして美味くないという意味。流石は中国、ちゃんと金魚、食べてるよ。私は嘗つて、冗談で中華料理屋で出された飲み物の中に、紅色の金魚が悠々と泳いでいて、馬鹿正直にごっくんと飲み込んだことはあるが……。

・「丹魚」は、以下の記載や、この後の注を見ていただけば分かるように、とても同定する気になれない魚である。これは最早、練丹→練金→金魚繋がりとでも言うべきか。

・「抱朴子」は東晋の葛洪(かつこう 二八三年~三四三年)の著になる神仙・道術書。最も知られる練丹術書である。該当箇所を以下に引用し(良安の引用の頭の部分は現在知られる「抱朴子」には所載していない)、所持する一九七三年平凡社刊の中国古典シリーズ4「抱朴子 列仙伝・神仙伝 山海経」の本田済氏の訳を附す。ここで言っている「丹」とは、錬金術に於ける「賢者の石」(ラピス・フィロソフイム: lapidis philosophorum )に相当する、最終的に羽化登仙・不老不死に至る段階的霊薬である。なお、この部分はどうも、葛洪が別な作品から引用した部分であるらしく、訳文の底本では「また隠れた丹を採取する法がある。」の次行から最後の「と。」までの間がすべて二字下げになっている。

   * 

又有取伏丹法云。天下諸水、有名丹者。有南陽之丹水之屬也。其中皆有丹魚。當先夏至十日夜伺之、丹魚必浮於水側。赤光上照、赫然如火也。網而取之可得之。得之雖多、勿盡取也。割其血、塗足下則可步行水上、長居淵中矣。

   * 

 また隠れた丹を採取する法がある。

 天下の川には丹という名のついたのがある。たとえば南陽(河南省)の丹水など。その中には必ず丹魚がいる。夏至の十日前の夜に伺っていると、丹魚が必ず川べりに浮いて来る。赤い光が上の方に放射し、火のように明るい。網でこれを取れば手に入る。沢山とれても、とり尽くしてはいけない。その血をしぼって足に塗ると、水の上を歩いたり、いつまでも水底にもぐったりできる。

 と。

   *

 ・「上洛縣の冢嶺山」は現在の陝西省にあり、黄河の主要支流の一つである洛水の源流である。但し、上記の南陽の位置とは、大きく、北にずれる。

・「丹水有りて汋水の中に入り、丹魚を出だす」とは、その冢嶺山には丹水という支流があって、その丹水が汋水という主流に合流し、その合流地点に丹魚が生息している、という意味。前に示した洛水との関係は検証していない。なお、現在の地図を見てみると、南陽市の南西約百五十キロメートル程の地点の大河である漢水に丹江口(タンチャン)市を確認出来る(グーグル・マップ・データ)。

・「魚、水に浮かぶ側に、必ず、赤光、有り」は、前掲の「抱朴子」の引用を見てもらえば、分かる通り、良安の引用と、返り点双方に誤りがある。「魚、必ず、水側に浮かぶ。赤光ありて……」となるべきところである。

・「殊に鰍・鰷の變ずる者を知らず」とは、ドジョウやアユが変じて、金魚となるなどということが、あるはずがない! と激しくお怒りになっている良安先生である。

・「杉藻」は多年生水生植物であるオモダカ目ヒルムシロ科ヒルムシロ属ヤナギモ Potamogeton oxyphyllus 等の仲間のようであるが、スギモではネット上に学名が掲載されていない。正式和名が異なるか。

・「棕櫚」はヤシ目ヤシ科シュロ属ワジュロ Trachycarpus fortunei 、及び、トウジュロ Trachycarpus wagnerianus

・「三、五日にして、孚へり、頭尾、備へて、池に放つ。」ここは返り点が脱落しているのではないかと思われる。「三、五日にして、頭尾、備へて、孚へり、池に放つ。」であろう。]

***

かん

【音感】

カン

 

 𩹴【音紺】 鰥

 黃頰魚

[やぶちゃん字注:以上二行は、前三行下に入る。]

《改ページ》

本綱生江湖中體似鯮而腹平頭似鯇而口大頰似鮎

而色黃鱗似鱒而稍細大者三四十斤啖魚最毒池中有

此不能畜魚性獨行故曰鰥詩云其魚魴鰥是也

かん

【音、感。】

カン

 

 𩹴【音、紺。】 鰥〔(くわん)〕

 黃頰魚

 

「本綱」に『鱤は、江湖中に生ず。體、に似て、腹、平らにして、頭〔(かしら)〕、鯇(あめのいを)に似て、口、大〔(おほ)きく〕、頰、に似て、色、黃〔なり〕。鱗、に似て、稍〔(やや)〕細〔き〕なり。大なる者、三、四十斤、魚を啖〔(くら)〕ふ。最も、毒あり。池の中に有れば、此れ、魚を畜〔(やしな)〕ふ能はず。性、獨行〔(どくかう)〕する故〔に〕、「鰥〔(くわん)〕」と曰ふ。「詩」に云ふ、「其の魚、魴鰥〔(はうくわん)〕。」と。是れなり。』と。

[やぶちゃん注:「廣漢和辭典」には「鰥」の項に『大魚の名。=鯤』とし、「正字通」を引いて、『鰥、𩹴魚之別名』とする。「鯤」は御存知の通り、「荘子」の冒頭「逍遙遊」に登場する北海に住む途方もなくどでかいものの象徴たる想像上の魚の名である。時珍の記載も、鵺(ヌエ)やらキマイラやらみたような叙述だ。「鯮」は、次項に示した通り、淡水魚で本邦には棲息しないカマツカ亜科 Coripareius 属の或る種であろう。「鯇」は、既にコイ目コイ科ソウギョ亜科ソウギョ Ctenopharyngodon idellus (本邦では外来種)に同定した。「鮎」は時珍の記述であるから、ナマズ目ナマズ科 Siluridae のナマズを指すことに注意し、次の「鱒」も、総称的マス類を指さず、コイ目の一属一種であるコイ目の一属一種であるカワアカメ Squaliobarbus curriculus に指すことも既に注した(前掲の「鱒」の項の注を参照されたい)。和書では、ろくな根拠も示さずに、「鱤」や「鰥」を、「鱈」であるとか、「山女」(「鰥」という漢字からは、当然というか、単純脳味噌ツルツルの阿呆類推である)であるとか、ナマズ目ギギ科ギバチ属ギギ Pelteobagrus nudiceps を当てている。敢えて本邦種に近似したものを求めるなら、ナマズ特有の貪欲な魚食性で(「頰、鮎に似て」るものはナマズの仲間と見てよかろう)、更にセビレ・ムナビレの合わせて三本の鋭い棘とその内側の鋸歯状部分で人をも傷つけ、そこには有毒成分も疑われているギギは、強(あなが)ち、的外れとは言えないと思う。但し、流石に本邦産のギギは三十センチメートルを越える大物はあっても、「三~四十斤」(十七~二十四キログラム)は、とっても、ありえない。しかし、ナマズの類は、まさに「鯤」並に想像を絶する大魚がいることも事実である。荘周先生も、そんな人知を超えた自然を「自然」と述べておるではないか。――ところが――「長野電波技術研究所」の「本草綱目目録」では、これをウグイ亜科 Elopichthys 属の Elopichthys bambusa に同定している。これは個人のHPHermitage(この響きはいい。ハーンの“JIKININKIに出てくる)のまだ見ぬ垂涎の魚たち~中国編」に写真入りで以下の記載がある(改行は省略した)。

   《引用開始》

中国北東部やシベリア、アムール河流域を中心に温帯の河川に分布しているらしい。2mに達する大型,魚食性のウグイ亜科の魚で、遊泳性が非常に強く、泳ぎがかなり速い。成魚は主にレンギョなどを捕食していると言えば、そのすごさがわかるだろうか。15kgに達する頃には4kg程度の鯉を丸呑みするそうで、稚魚期から一貫して丸呑みするスタイルのようだ。最大で50kgに達する[やぶちゃん注:以下、略。]

   《引用終了》

これは確かにかなりいける感じだ。当初、「最も毒なり」を有毒成分を、肉なり、棘なりに、保持する意味で捉えていた(東洋文庫版でも『大へん毒がある』と訳している)が、これは、その異常なまでの貪欲な魚食性が、「畜魚」にあって「大毒」であると言っているのであろうと考えを変えた。加納喜光先生の「漢字動物苑(7)鯉」でも同じであった。ここではボウウオという和名も発見。潔く此方に投降することにする。結局、コイ目コイ科クセノキプリス亜科 Elopichthys 属ガンユイ(中国語繁体字では「鱤魚」和名ボウウオ) Elopichthys bambusa で決まりとする。だって、当該ウィキによれば、『ロシア極東から中国・ベトナムの河川に分布』し、『最大で』体長二メートル、体重四十キログラムになり、『体は紡錘形で細長い。体色は銀白色で、全体に金色の光沢を持つ。特に頭部はその傾向が顕著で、英名の』“Yellowcheek”『(黄色い頬)」は』、『この特徴に由来する。成魚の胸鰭、腹鰭、尻鰭はオレンジ色になる』。『魚食性であるため、コイ科としては頭骨の構造がかなり特殊化して』おり、『前上顎骨・主上顎骨が癒合する。歯骨は長く頑丈で中央に突起があり、前上顎骨と噛み合う』等とあり、『肉食性』で、『水中を高速で遊泳し、他の魚を追い回して捕食する。成魚はハクレン、コクレン、カワヒラを主食とする』。『成長が速く』、『美味であり、中国では重要な食用魚である』が、『養殖池に混入すると』、『中の魚を食い荒らしてしまうので、養殖業者からは大変恐れられている』とあるので、文句のつけようがないのだ! 幸い、本邦には侵入していないようである。

・「鰥」は、この場合、国訓の「やまお」「やもめ」の意味で、成人して妻のない男、又は、年老いて妻のない男を指す。

・「詩」は「詩経」を指す。当該詩は「齊風」に所載する「敝笱」(へいこう)である。「敝笱」とは、「破れた魚籠(びく)」を言う。この詩は、春秋時代初期の齊の君王襄公(じょうこう)が実妹の文姜(ぶんきょう)と、長きに渡って、近親相姦を続けた(文姜が隣国魯の桓公(かんこう)に嫁入りしてからも、その関係が続いたとする)ことを揶揄する詩群の一つで、本詩は、その文姜が、おぞましき近親相姦を隠して、厚顔にも桓公に嫁いだ際の情景を描いて、その糜爛した関係と権勢の横暴を示した詩であるとされる。以下、一九五八年岩波書店刊の「中国詩人全集 詩経国風 下」等を参照に、原文と、私の書き下しと、オリジナル注を示す。

   *

敝笱

敝笱在梁  敝(やぶ)れたる笱(びく) 梁(やな)に在り

其魚魴鰥  其の魚 魴と鰥(はうかん)

齊子歸止  齊の子(むすめ) 歸(とつ)ぎしとき

其從如雲  其の從(とも) のごとし

 

敝笱在梁  敝れたる笱の 梁に在り

其魚魴鱮  其の魚 魴と

齊子歸止  齊の子 歸ぎしとき

其從如雨  其の從 のごとし

 

敝笱在梁  敝れたる笱の 梁に在り

其魚唯唯  其の魚 唯唯(いい)

齊子歸止  齊の子 歸ぎしとき

其從如水  其の從 のごとし

 

○やぶちゃん語注

・「敝笱」:破れた魚籠(びく)では魚を捕えることは出来ない。即ち、文姜の夫である桓公が、弱気のために、妻の実兄とのおぞましい不倫を止めることが出来ないことを揶揄する。私には魚籠の形から、セクシャルなニュアンスも嗅がせてあろうかとも思われる。

・「梁」:「簗」(やな)で、魚を捕らえるために川を少し堰き止めた部分を言う。

・「其魚魴鰥」:魚籠は破れているので、大魚「魴」と「鰥」は、その梁の近くで悠然と泳いでいるのである。これは、夫を夫とも思わぬ文姜とその従者側近を指すとする。「魴」について、朱子は、同じ「詩経」の「周南」の「汝墳」の「魴」に注して、「身広くして薄く、力少(よわ)くして細かき鱗」とする。長野電波技術研究所の「本草綱目目録」では、「魴魚」にコイ科カワヒラ亜科 Parabramis Parabramis bramula を同定している。加納喜光先生の「漢字動物苑(7)鯉」ではコイ科コイ目のダントウボウの仲間である Megalobrama Megalobrama termilalis に同定されておられ、更に『日本では古くからオシキウオと読んでいるが、トガリヒラウオが正しい』と注されている。チョウザメで私淑する加納先生の、このトガリヒラウオ Megalobrama termilalis でとる。

・「歸」:古注に従うなら、冒頭に述べた通り、文姜が桓公に嫁いだ際の情景とし、「嫁ぐ」の意とする。確かに「歸」の第一義は「とつぐ」である。しかし、朱子注では、これを、文姜が魯の国へ嫁に行って後に、何度も故郷の齊に兄と密会を目的として「歸」ることと読んでおり、実にインパクトのある解釈である。そもそも嫁入りの豪奢さは、こと彼女に限ったことではなく、それが揶揄の歌として効果を持つのは、その折りだけであろう。それならば、何度も成された、おぞましい兄妹相姦のための文姜の里帰りの折り折りに揶揄された歌なれば、こんなに効果的なことはあるまいと思うのである。

・「止」:句末に添えて語調を整える助字。訳す必要はない。

・雲=雨=水:何れも、ものの多いこと、盛んなことを言い、ここは「文姜の供回りの多勢にして横暴なさま」を言う。

・鱮:現在はコイ科タナゴ亜科 Acheilognathinae に属すタナゴ類の総称。

・「唯唯」:「廣漢和辭典」は第三義として、「自由に出入りするさま」、一説に、「後について行くさま」と記し、「敝笱」のこの部分を引用している。両義がからめば、丁度、いい訳になる。

   *]

***

さう

【音 】[やぶちゃん注:「音」の下は欠字。]

ツヲン

 

   鯮【同】

 【夫木集訓伊

  之布之者非也】

[やぶちゃん字注:以上三行は、前三行下に入る。]

 

本綱鯮生江湖中體圓厚而長似鱤魚而腹稍起扁額長

啄口在頷下細鱗腹白背微黃色亦能噉魚大者二卅斤

△按鱤鯮二種未聞有本朝江湖中

さう

【音 】[やぶちゃん注:「音」の下は欠字。]

ツヲン

 

    鯮【同じ。】

 【「夫木集」に「鯼」を「伊之布之〔(いしぶし)〕」と訓ずるは非なり。】

「本綱」に、『鯮・鱤は、江湖中に生ず。體、圓厚にして、長し。鱤魚に似て、腹、稍〔(やや)〕起ち、扁たき額、長き啄-口〔(くちばし)〕、頷〔(あご)〕の下に在り。細鱗、腹、白く、背、微黃色。亦、能く、魚を噉〔(くら)ふ〕。大なる者、二、卅斤。』と。

 

△按ずるに、鱤・鯮の二種は、未だ、本朝、江湖の中に有ることを聞かず。

[やぶちゃん注:この「鯼」魚を、「長野電波技術研究所」の「本草綱目目録」では、 Coripareius styani に同定している。これはコイ科カマツカ亜科 Coripareius 属の魚で、中国名「施氏銅魚」という。本邦には侵入していないようである。

・「伊之布之」の指すイシブシについては、前掲「石斑魚」の注を参照。

・「鱤魚」はボウウオ。前項の注を参照されたい。

・「二~卅斤」は十二~十八キログラム。ちなみにこの属名でこの属イメージ検索となかなかSF映画の潜水艦見たような魚体が並ぶぞ! こりゃあ、「二~卅斤」にはなりそうだわい。]

***

■和漢三才圖會 有鱗 巻ノ四十八 ○十三

おこじ

【音滕】

テアン

 

 【和名乎古之

  俗云乎古世】

[やぶちゃん字注:以上二行は、前三行下に入る。]

 

本綱形狀居止功用俱與鱖同亦鱖之類也山海經云洛

水多鰧魚如鱖居于逵【水中穴道交通者曰逵】

△按䲍鱖謂生於湖水然二物適出魚肆者共此江海之

 産也䲍形甚醜故謂醜女譬之其刺螫人【俗云山神好食䲍】[やぶちゃん字注:「䲍」・「鰧」(異体字で同字)が混在しているので注意されたい。]

おこじ

【音、滕〔(とう)〕。】

テアン

 

【和名、「乎古之」。俗に「乎古世」と云ふ。】

 

「本綱」に『形狀・居止・功用は俱に鱖〔(あさじ)〕と同じ。亦、鱖の類なり。「山海經」に云ふ、『洛水に鰧魚〔(とうぎよ)〕多し。鱖のごとく逵〔(き)〕に居り【水中の穴道〔(けつだう)〕の交通する者を「逵」と曰ふ。】。』と。

△按ずるに、䲍・鱖は、湖水に生ずると謂ふ。然れども、二物、適々〔(たまたま)〕魚の肆(いち)に出づる者、共に此れ、江海の産なり。䲍、形、甚だ、醜し。故に醜女を謂ひて、之れに譬〔(たと)〕ふ。其の刺(〔は〕り)人を螫す【俗に、山神〔(やまのかみ)〕、好んで䲍を食らふと云ふ。】。[やぶちゃん字注:「䲍」・「鰧」(異体字で同字)が混在しているので注意されたい。]

[やぶちゃん注:標記のように、実は「本草綱目」と、良安の記載する字は異なる。国立国会図書館蔵の金陵万暦一八(一五九六)年刊「本草綱目」初版を確認してみたが、良安が引用していない部分でも、一貫して、時珍は「鰧」と標記している。良安が言うように、海産のオコゼとの混乱も生じているが、ここは「形狀・居止・功用は俱に鱖と同じ。亦、鱖の類なり」という時珍の謂いを無批判に受けるならば、幼魚に於いて、「鱖」と見分けがつきにくく、分類学上も混同されていた種ということで、まさに「鱖」=スズキ目ケツギョ科ケツギョ Siniperca chuatsi 当該ウィキで見つけた。奇天烈のダンダラ模様(棲息環境に応じた保護色らしい)と、突き出た口吻、背鰭の激しい棘が、悪党っぽい面構えだ(本邦には侵入していないようである)。しかも、この種なら、『中国大陸東部沿岸の黒竜江省(アムール川)から広東省にかけての各水系に分布するが、華南よりも華北に多い。本来、海南島などの島嶼部や雲南省などの内陸部には分布しない』とあるので、時珍が知っていても、何らおかしくはない。さて、次に、「䲍」の棲息場所特異点たるタイプ種群「逵」だが、「オヤニラミ倶楽部」「オヤニラミの近縁種」に記載されたスズキ目ケツギョ科オヤニラミ属 Coreoperca はどうであろう。この内、淡水魚でなかなかのゴッツい姿で、実際に闘争性が強いオヤニラミ Coreoperca kawamebari を、本邦での「䲍」に比定してはどうだろう? 当該ウィキによれば、本邦では、桂川水系・由良川水系以西の本州・四国北東部・九州北部に棲息し、朝鮮半島南部にもいる。さらに、コウライオヤニラミ Coreoperca herzi については、『砂礫や転石、岩場の多い清流を好むようであり、やや物陰に潜む傾向が強い』とは、ちょっと「逵」っぽくない↺? ただ、この種も朝鮮半島固有種で、時珍が実際に見ることは、ちょっとあり得ないのだが。勿論、先に言った通り、オヤニラミ属ではなく、ケツギョ属の仲間であっても構わないわけである(いや、分かってる。大甘の同定、好い加減、淡水魚が飽きてきた私を、どうかお許しあれ)。そうして、最後に良安先生の言うオコゼは、私の大好物である(一匹丸揚げが最高じゃて!)カサゴ目カサゴ亜目オニオコゼ科オニオコゼ Inimicus japonicus と同定してよかろう。但し、民俗社会に於いての「オコゼ」は、実際には、カサゴ亜目 Scorpaenoidei の多種を指す。実際に私は何度か、違った林業や猟師の「山入り」の映像を見たが、そこで見たオコゼは、オニオコゼでは、絶対になかったからである(チラ見なので、種までは同定出来なかった)。まあ、その辺も含めて、私の注でも考察しているので、本項の最後に南方熊楠先生の論考を最後に示するから、許してチュ♡♡♡

・「居止」は、生息域や行動を言う語。

・「山海經」は既出既注だが、最後が近いので、再掲すると、作者・成立年代未詳の中国古代の地理書。古い記述は秦・漢頃のものとされ、洛陽を中心としながら多分に幻想的な地誌が展開、神話や伝説等も抱え込んだ驚天動地の博物書である。晋の郭璞(かくはく)の注で著名。

 「俗に山神好んで䲍を食らふと云ふ」は、私の電子テクスト南方熊楠「山神オコゼ魚を好むと云ふこと」を参照のこと。三種、私の電子化を用意してある。正規表現版オリジナル注附きは、携帯なら、ブログ版がよいが、出来れば、サイトのPDF縦書版をパソコンで見られることを強くお勧めする。また、正字・歴史的仮名遣が苦手の方は、古いものであるが、新字新仮名の「山神オコゼ魚を好むということ」もある。但し、それには注は施していない。]

***

あさぢ

【音貴】

クー

 

 ※1魚【同】𦇧水豚

 石桂魚

 【和名阿

  散知】

[やぶちゃん字注:※1=「罽」の「炎」を「𩵋」に換える。以上四行は、前三行下に入る。]

 

本綱鱖生江湖中扁形𤄃〔=濶〕腹大口細鱗有黒斑如織𦇧故

[やぶちゃん字注:※2=(さんずい)+「闊」。]

曰※1色明者爲雄稍晦者爲雌背有鬐鬛刺人其鬛刺凡

十二以應十二月誤鯁害人厚皮緊肉肉中無細刺有肚

能嚼亦啖小魚凡魚無肚而不嚼牛羊有肚故能嚼鱖獨

有肚能嚼也夏月居石穴冬月偎泥罧魚之沈下者也小

者味佳至三五斤者不美【甘平去腹内小蟲益氣力補虚勞】

三才圖會云此魚黃質黒章鬐鬛皆圓特異常魚漁者以

索貫一雄置之谿畔群雌來齧曳之不捨掣而取之常得

數十尾

あさぢ

【音、貴。】

クー

 

 ※1魚〔(けいぎよ)〕【「※2」は同じ。】水豚 石桂魚

 【和名、「阿散知」。】

[やぶちゃん字注:※1=「罽」の「炎」を「魚」に換える。※2=「糸」+「罽」。] 

「本綱」に、『鱖は、江湖の中に生ず。扁〔(ひら)たき〕形、腹、𤄃〔(ひろ)〕く、大なる口、細〔き〕鱗、黒斑、有りて織※2〔(しよくけい)=毛織物〕のごとし。故に「※1」と曰ふ。色の明〔(あきらか)〕なる者、雄と爲し、稍〔(やや)〕晦〔(くら)〕き者、雌と爲す。背に鬐鬛〔(しれふ)=鰭〕有りて、人を刺す。其の鬛の刺〔(はり)〕、凡そ十二、以つて、十二月に應ず。誤りて鯁(ほねたつ)る時は[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]、人を害す。厚き皮、緊〔(しま)れる〕肉〔にて、その〕肉の中に〔は〕、細〔(こまか)〕なる刺、無し。、有りて、能く嚼〔(か)〕む。亦、小魚を啖〔(くら)〕ふ。凡そ、魚は、肚、無〔なく〕して、嚼まず。牛・羊、肚、有りて、故に能く嚼む。鱖、獨り、肚、有り。能く嚼むなり。夏月、石の穴に居り、冬月、泥罧〔(でいりん)〕に偎〔(なづ)〕む。〔泥罧は〕、魚の沈下せる者なり。小さき者、味、佳し。三~五斤に至れる者、美ならず【甘、平。腹内の小蟲を去り、氣力を益し、虚勞を補ふ。】。』と。

「三才圖會」に云ふ、『此の魚、黃質黑章、鬐鬛、皆、圓く、特に常魚と異なり、漁者、索を以て一雄を貫き、之を谿畔〔(こくはん):水際〕に置く。群雌來つて之を齧り曳きて捨てず。掣して、之れを取る。常に數十尾を得。』と。

[やぶちゃん注:東洋文庫版では、この合成に用いた「罽」の字を※1[※1=「罽」の「炎」を「魚」に換える]に用いているが、明らかに「罽」ではない。なお、この「罽」は、「魚を獲る網」及び「毛織物・毛氈」の意味であるが、解字を見ると、(あみがしら)を取った下の部分、即ち、(がんだれ)の下に「炎」+「刂」を組み合わせた字は「鋭い」の意味を持っており、本魚の属性の「人を刺す」という記述との一致を見るのは、本種の記載と一致はする。音の表示の「※2に同じ。」の[※2=「糸」+「罽」]にも「罽」の字が現れ、本文でも「織※2のごとし。故に※1と曰ふ」とあることを見れば、「罽魚」の衍字であろう。「※2に同じ。」[※2=「糸」+「罽」]という叙述から、音は「ケイ」と分かる。これは現在も「鱖」と呼ばれる中国大陸特産の淡水魚である、前項の注で示したスズキ目ケツギョ科ケツギョ Siniperca chuatsi である。ちなみに、この魚、寺の斎(とき:食事)を告げる魚板(ぎょばん)のモデルでもあるらしい。

 さて、ケツギョ前項で述べた通り、本邦には棲息しない。従って、前項での良安が「・鱖は、湖水に生ずると謂ふ。然れども、二物、適々、魚の肆に出づる者、共に此れ、江海の産なり。」と言う時、この「鱖」は「鱖」ではない、本邦産の魚であるということになる。奈良や四国・九州地方では「アサジ」という異称で、コイ科クセノキプリス亜科 Oxygastrinae ハス属オイカワ Zacco platypus (又は、その♂)を呼ぶ地方があるが、ここでは、明確に海産魚であるとするから、除外される。では、何か? 良安が自身の記述をしていない以上、論拠は一点に絞られる。それは、前項の引用部分で「」と併記している点であろう。それはこの二種の形状が似ていることを示している。さて、残る資料は、最早、何時も御世話になる「真名真魚字典」しか残らない。その「鱖」の部分に記載されている純然たる海水魚の語列は「水産名彙」に載る「アイナメ」・「オコゼ」・「モウオ」・「アラカブ」・「アサチ」である。この最後は、まさに発音でも一致する。「アイナメ」は、カサゴ目のアイナメ亜目アイナメ科アイナメ Hexagrammos otakiiである。「モウオ」は「藻魚」で岩礁性海浜の根付きの茶褐色の魚の総称、「アラカブ」は福岡方言でカサゴ亜目のフサカサゴ科フサカサゴ属フサカサゴ Scorpaena onaria を指す。ここで良安のいう「鱖」は、強力な棘から、カサゴ目 Scorpaeniformes のカサゴの仲間と同定してよいと考える。自分に引きつける訳ではないが、どうも、ここまで読んでくると、良安先生、遂に自身の附言も、やめている辺り、「本草綱目」の淡水魚の多くが、本邦種と齟齬することに、少々、やる気をなくしているのではないかしらん、今の私みたいに。

・「肚」とは、ここでは魚の「胃」のことを指していると思われる。牛や羊を例に出すところを見ると、時珍は、鱖に、反芻胃に相当する咀嚼器官があると考えていたらしい。

・「冬月、泥罧に偎む。〔泥罧は〕、魚の沈下せる者なり。」東洋文庫版では、『冬月は泥罧(りん)に身を寄せている。泥罧とは魚の沈下してできる泥である』とある。]