やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇へ

鬼火へ

和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類へ

和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部へ

和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部へ

和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚へ

和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚へ

和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚へ

和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔類へ

和漢三才圖會 卷第五十 魚類 河湖無鱗魚  寺島良安

           書き下し及び注記 ©2008―2023年 藪野直史

           (原型最終校訂     2008年 2月25日 午後 9:00

           (再校訂・修正・追補開始2023年 9月16日 午前 4:55)

           (再校訂・修正・追補終了2023年 9月17日 午前11:28)

[やぶちゃん注:本ページは以前にブログに記載した私の構想している「和漢三才圖會」中の水族の部分の電子化プロジェクトの第五弾である。底本・凡例・電子化に際しての方針等々については、「和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部 寺島良安」の冒頭注の凡例を参照されたい。なお、良安は、時に(へん)「魚」を「𩵋」と記す。例えば、目次のそれは総て「𩵋」であるが、これは一々断るのは馬鹿々々しいので、(へん)の場合の「𩵋」は再現しないし、注もしない。【二〇二三年九月二日追記】私のサイトの古層に属する十五年前の作品群で、当時はユニコードが使用出来ず、漢字の正字不全が多く、生物の学名を斜体にしていないなど、不満な箇所が多くある。今回、意を決して全面的に再校訂を行い、修正及び注の追加を行うこととした。幾つかのリンクは機能していないが、事実、そこにその記載や引用などがあったことの証しとして、一部は敢えて残すこととした。さても……サイト版九巻全部を終えるには、かなり、かかりそうである。


■和漢三才圖會 〔河湖〕無鱗魚 巻ノ五十目録 ○ 一

[やぶちゃん字注:「〔河湖〕」は脱落。「○ 一」の間、一字空けはママ。]

和漢三才圖會卷第五十之一目録

[やぶちゃん字注:「之一」は「四五十の一」で五十一巻目の目録も兼ねている意味を示す。目録の項目の読みはママ(該当項のルビ以外に下に書かれたものを一字空けで示した。なお本文との表記の異同も認められるが、注記はしていない)。なお、原文では横に三列の罫があり、縦に以下の順番に書かれている。項目名の後に私の同定した和名等を[ ]で表示した。]

  卷之五十

   河湖無鱗魚

[やぶちゃん字注:底本では「五十」が前の「卷之」に比してやや小振りであるが、同ポイントとした。標題の「河湖」はポイント落ちで、小さく右手に入る。] 

(なまず) [ナマズ]

黃顙魚(ごり) かじか [ウツセミカジカ/アユカケ/ギギ]

𫙬𮈔魚(ぎゝ) [ギギ]

[やぶちゃん字注:「𮈔」は「絲」「糸」の異体字。]

(さんせういを) [オオサンショウウオ]

鰻鱺(うなぎ) [ウナギ]

(やつめうなぎ) [ヤツメウナギ]

(きたご) あぶらこ [タウナギ]

泥鰌(どじやう) [ドジョウ/シマドジョウ]

𩵖(ひを) あまさき [アユ(稚魚・幼魚)]

[やぶちゃん注:以下に卷五十一の江海無鱗魚及びその巻末に附録する「魚之用」の目録も併載されるが(次ページ「■和漢三才圖會 〔河湖〕無鱗魚 巻〔ノ〕五十目録 ○ 二」の最後まで及ぶ)、それは既に卷第五十一の冒頭に掲示してあるので、省略する。]

□本文


***


■和漢三才圖會 河湖無鱗魚 巻ノ五十 ○一

和漢三才圖會卷第五十

        攝陽 城醫法橋寺島良安 尚順

 𩵋類【河湖中無鱗𩵋】

和漢三才圖會卷第五十

        攝陽 城醫法橋寺島良安 尚順

 𩵋類【河湖の中〔の〕無鱗𩵋。】


***

 なまづ

 鮎【音黏】

唐音

 子ン

 鮧【音夷】 𩻖【音偃】

 鯷【音題】

  奈末豆

 鯰【俗】 魸【二字未詳】

[やぶちゃん字注:以上四行は、前四行下に入る。「偃」の字は原本では、(へん)と(つくり)の間に独立した縦画が一本入っている異体字だが、通用字とした。]

本綱鮎大首大口其額平夷低偃【故名鮧偃】其涎黏滑【故名鮎】

鮠身鱧尾大腹有胃有齒有鬚生流水者色靑白生止水

者色青黃大者亦至三四十斤凡食鮎鮠先割翅下懸之

則涎自流盡不粘滑也【鮎目赤鬚赤無腮者有大毒食之殺人】不可合鹿肉

食【令人筯〔=筋〕甲縮】反荆〔=荊〕芥蓋其肉【甘溫】作臛治水腫利小便又治

《改ページ》

五痔下血肛痛【同葱煑食】

△按鮎處處池川皆有之形狀如上說相傳云近江湖中

 大鮎多有而中秋月明夜百千爲群跳于竹生島之北

 洲沙上蓋此辨才天所愛也未知其據也又古語曰鮎

 上竹者竹滑鮎粘故决〔=決〕無可上之理反謂耳

なまづ

【音、粘。】

唐音

 ネン

 鮧〔(い)〕【音、夷。】 𩻖〔(えん)〕【音、偃。】

 鯷〔(てい)〕【音、題。】

  奈末豆

 鯰【俗。】魸【二字、未だ、詳らかならず。】

「本綱」に『鮎は、大なる首、大なる口、其の額(ひたい[やぶちゃん注:ママ。])、平-夷(ひらた)く、低-偃(うつむ)く【故に「鮧」・「𩻖」と名づく。】其の涎(よだれ)、黏(ねば)り滑(ぬめ)る【故に「鮎」と名づく。】「鮠(なめのいを)」の身、「鱧〔(やつめうなぎ)」〕の尾、大なる腹、胃、有り、齒、有り、鬚、有り。流水に生ずる者は、色、靑白。止水に生ずる者は、色、青黃なり。大なる者、亦、三、四十斤〔:十八~二十四キログラム。〕に至る。凡そ、鮎・鮠〔(はや)〕を食ふには、先づ、翅〔:胸鰭。〕の下を割〔(さ)〕き、之れを懸ければ、則ち、涎〔(よだ)〕れ、自〔(おのづか〕ら流れ盡きて、粘(ねば)り滑(ぬま)づかざるなり【鮎の、目、赤く、鬚、赤く、腮〔(あぎと)〕無き者は、大毒、有り。之れを食へば、人を殺す。】。鹿肉と合はせて食ふべからず【人をして、〔(すぢ)=筋〕・甲〔(かふ)=爪〕を縮めしむ。】。芥〔(けいがい)〕に反す。蓋し、其の肉【甘、溫。】、臛(にもの)に作〔れば〕、水腫を治〔(ぢ)〕す。小便を利す。又、五痔・下血・肛痛を治す【葱と同じくて煑て食ふ。】。』と。

△按ずるに、鮎は、處處の池川に、皆、之れ、有り。形狀、上說のごとし。相〔(あひ)〕傳へて云ふ、『近江の湖(みづうみ)の中に、大鮎、多く有りて、中秋の月、明〔(あきら)か〕なる夜、百千、群〔(むれ〕を爲して、竹生島の北の洲(す)の沙〔の〕上に跳ぶ。蓋し、此れ、辨才天の愛する所なり。』と。未だ、其の據〔(よりどころ)〕を知らざるなり。又、古語に曰はく、『鮎、竹に上る。』とは、竹、滑(ぬめ)り、鮎、黏(ねば)る故に、決して上るべくの理〔(ことわり)〕、無し。反して、謂ふのみ。

[やぶちゃん注:硬骨魚綱ナマズ目Siluriformesの魚類を総称する名称であるが、本邦の場合は同目ナマズ科ナマズ属マナマズ Silurus asotus を指す。本邦には他には琵琶湖固有種である同属のビワコオオナマズ Silurus biwaensis ・イワトコナマズ Silurus lithophilus の合わせて三種が在来種である。但し、近年、嘗つて養殖用に移入したナマズ目アメリカナマズ科のチャンネルキャットフィッシュ(アメリカナマズ) Ictalurus punctatus 特定外来侵入種として全国的に棲息域を広げており、在来のマナマズに対する圧は大きい。

・「鮠」これは時珍の叙述であるから、勿論、「ハヤ」類ではないのである。クジラ目ハクジラ亜目ネズミイルカ科スナメリ属に属する小型イルカであるスナメリ Neophocaena phocaenoides である。その私の同定については、「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鮠」(なめいを)の項の注を参照されたい。

・「鱧」これは、やはり、時珍の叙述であるから、勿論、「ハモ」ではない。読みを振った通り、これは後掲される「鱧」項(やはり「本草綱目」から引いて「鱧」の字を用いている)と同種でなくてはならないのである。私の同定では、無顎上綱ヤツメウナギ目ヤツメウナギPetromyzontidaeに属するヤツメウナギの仲間である。後掲する「鱧」(ヤツメウナギ)の項を参照されたい

・「滑(ぬま)つかざる」底本を見る限り、ルビは「ヌマツカ」と振られているように見える。良安の書き癖で「メ」ではないかとも思ったが、他の箇所の「メ」及び「マ」を比較するに、明らかに「マ」である。しかし、「ぬまつく・ぬまづく」という「ぬめる」という動詞は聞いたことがない。やはり「ぬめつく」の衍字と考えるべきか。それにしても、「ぬまつく」――「沼つく」か? 発音としては、何となく、生理的に分かるし、現在、誰かに「ナマズって、ぬまつく、あの感じが嫌だよね」と言われたら、あんまり変な感じがしないかも。

・「鮎の、目、赤く、鬚、赤く、腮、無き者は、大毒、有り。之れを食へば、人を殺す。」腮(えら)がない? んなもん、いるんかい? アマゾンの人体食い込み進入殺人ナマズ、ナマズ目トリコミュクテルス科ヴァンデリア亜科のカンディル(カンジール)Vandellia cirrhosa(昔、民放のドキュメンタリーで初めて見たが、被害者の太股に貫入した孔の跡とか、キョーレツ! 傷跡は勿論、尿道・肛門・膣等、何処からでも侵入して、内臓に「サンダーバード」の「ジェット・モグラ」並みに、キリモミして食い入る小さなナマズは、マジ、エグイぞ!!)なら知ってるけど、中国にはおらんだろ?――一つ、考え得るのは、線形動物門双線綱センビセンチュウ(旋尾線虫)目顎口虫科顎口虫属ユウキョクガッコウチュウ(有棘顎口虫) Gnathostoma spinigerum の感染である。背柱側筋内に多く寄生し、おぞましい皮下移動症状や、脳障害・失明等を引き起こすのだが、食って必殺とは言い難いなぁ……巷で農薬入り餃子で騒いでいるこの時期にこんなもん読むと、これ自体が中国食品への理不尽な謀略か、神経症的記述のように見えてくるから、不思議(因みに、つい先日購入した仙台の老舗の高級牛タンも、回収リストに挙がっていたが、返すつもりはないし、美味しくいただいた。そんなに重篤な急性・慢性障害を引き起こす毒性のあるものが広範囲な輸入食品に長期に亙って広く混入していたら、さぞかし日本の人口は適正な値まで有意に減っていたはずだ)。

・「荊芥に反す」の「荊芥」は、シソ科のケイガイ Schizonepeta tenuifolia の花穂、及び、その茎・枝で、漢方薬として、風邪や出血性疾患や皮膚病に効果がある。「反す」はこの場合、荊芥を処方として用いている場合には、合わない、と注意を喚起していると読んだが、東洋文庫版の訳では「荊芥」に「ねずみぐさ」というルビを振り、香草という割注を入れているので、専ら食物の食い合わせとして訳しているように思われる。勿論、医食同源の中国、薬膳料理として「鮮拌荊芥」(荊芥と胡瓜の生野菜サラダ)といったメニューもあるから、そうかも知れない。

・「五痔」は、牡痔(外痔核)・牝痔(内痔核)・脈痔(切れ痔)・腸痔(脱肛)・血痔(血便を伴う内痔核)の五種を指す。

・「肛痛」肛門痛、及び、直腸周縁疾患や、脱肛による痛みを包括する謂いであろう。

・「近江の湖の中に、大鮎、多く有りて、……」竹生島の宝厳寺本堂に祀られている弁天様は日本三大弁才天(私は江ノ島と安芸の宮島とここと認識している)の一つ。同島は神仏習合の地であり、竹生島の神は現在の都久夫須麻(つくぶすま)神社の祭神である浅井姫命(あざいひめのみこと)であるが、同時に、宇賀福神や、竹生島龍神を祀るのを見ても、彼女が水神としての女神であること、更には、彼女が、龍や鯰に纏わる伝承を持つことから、それが直に仏教系の弁才天と習合したのであろうことは容易に想像がつく。承平元(九三一)年成立の「竹生島縁起」によれば、難波の海にいた弁財天の化身である龍が、更に、大鯰に変身して、宇治川を遡って竹生島へ来臨し、後にやはり同じルートを遡ってきた大蛇と、ここで戦って、湖中に引き引きずり込んで勝利を収めたという伝承を記す。これらは、後に、能の「竹生島」等に生かされていることからも明らかである。なお、竹生島周辺に於いては、突然変異によるアルビノ黄色個体のイワトコナマズ Silurus lithophilus (琵琶湖には在来三種が棲息するが、アルビノの発生率が有意に高いのはイワトコナマズである。勿論、他の二種の場合もあるではあろう)を「弁天鯰」と呼んで、「弁天様のお使い」として大事にされてきたという(獲った漁師は。すぐに水に放したといい、嘉永七・安政元(一八五四年に彦根藩士藤井重啓が記した「湖中産物図證」にも描かれている)。

・「反して謂ふのみ」を東洋文庫版は『間違ったことである』と、とっても真っ正直に訳している。いや、そうかも知れない。良安は石部金吉みたような人だった可能性は高いし、こうした言い回しを良安は、確かにする。しかし、これは、竹は、つるっる、鯰は、ねばねばの、ぬるっぬる、つるつるに、ぬめぬめ、ねばねばの、ぬるぬるが、上れる理屈がある訳がない=理不尽なこと=現実に反したありえないこと、現象のことを比喩的に言うに過ぎない下らん謂いだ、という風に私は読んだのだが……「藪野君、それこそ『鯰、竹に上る。』だよ。」……あっ、そ。お後がよろしいようで……]

***

ごり

かじか

黃顙魚

ハアン サンイユイ

  黃顙魚

  黃鱨魚

  黃䰲

  䱀䰲

 【俗云吾里

  一名加之加】

[やぶちゃん字注:以上六行は、前四行下に入る。]

本綱黃顙魚無鱗魚也身尾似小鮎腹下黃頰骨正黃背

上青黃腮下有二橫骨兩鬚有胃群游作聲如軋軋性最

難死魚之有力能飛躍者也其膽春夏近上秋冬近下亦

是一異也肉【甘平微毒】利小便消水腫【多食發瘡疥反荊芥害人】

△按和名抄載崔氏食經云䱩【和名加良加古】似鮔而頰著鉤者

《改ページ》


■和漢三才圖會 河湖無鱗魚 巻ノ五十 ○二

 也今賀州淺野川多有之其聲如吾里吾里夏秋人群

 集握餌掬水呼吾里則魚多入掌中又奥州鳥海山麓

 川多有此魚皆一目也傳云鎌倉景政洗眼川也其外

 處處谷川有之賀越人賞之作鮓多食

ごり

かじか

黃顙魚

ハアン サンイユイ

  黃顙魚〔(くわうさうぎよ)〕

  黃鱨魚〔(くわうしやうぎよ)〕

  〔(くわうあつ)〕

  䱀䰲〔(あうあつ)〕

 【俗に「吾里〔(ごり)〕」と云ふ。一名、「加之加〔(かじか)〕」。】

「本綱」に、『黃顙魚は無鱗魚なり。身・尾、小さき鮎〔(なまづ)〕に似て、腹〔の〕下、黃にして、頰の骨、正黃。背の上、青黃。腮〔(あぎと)〕の下に、二つの橫骨、有り。兩〔(ふた)つ〕の鬚、胃〔のところに〕有り。群游して聲を作〔(な)〕し、「軋軋〔(あつあつ)」と云ふがごとし[やぶちゃん字注:「云」の字は送り仮名にある。]。性、最も死し難〔(がた)〕く、魚の、力、有りて、能〔(よ)〕く、飛び躍(をど)る者なり。其の膽〔=胆〕、春・夏は、上に近く、秋・冬は、下に近し。亦、是れ、一異なり。肉【甘、平。微毒あり。】小便を利し、水腫を消す【多く食へば、瘡疥〔(さうかい)〕を發す。荊芥〔(けいがい)に反し、人を害す。】。)と。

△按ずるに、「和名抄」崔氏が「食經」を載せて云はく、『䱩は【和名、「加良加古〔(からかこ)〕」。】「鮔(いしぶし)」に似て、頰に鉤〔(かぎ)〕を著〔(つ)〕くる者なり。』と。今、賀州〔=加賀〕の淺野川に、多く、之れ、有り。其の聲、「吾里吾里〔(ごりごり)〕」と云ふがごとし[やぶちゃん字注:「云」の字は送り仮名にある。]。夏・秋、人、群れ集まりて、餌〔(ゑ)〕を握り、水を掬〔(きく):すくう。〕して『吾里〔(ごり)〕』と呼べば、則ち、魚、多く、掌〔(てのひら)〕の中〔(うち)〕に入る。又、奥州の鳥の海山の麓、川、多く、此魚、有り、皆、一目なり。傳へて云ふ、『鎌倉の景政、眼を洗ひし川なり。』と。其の外、處處の谷川、之れ、有り。賀〔=加賀〕・越〔=越前・越中・越後〕の人は、之れを賞し、鮓(すし)に作り、多く食ふ。

[やぶちゃん注:「ゴリ」という呼称は、ハゼ型をした(頭部が他の通常の魚種に比して大きい)淡水魚に広く用いられるが、本邦産に限定した上で(「本草綱目」の方は無視して)、且つ、多産地として現在の石川県金沢の浅野川を良安が最初に持ってきていること、あんまり関係ないが、富山県に居住したことのある私には、ゴリとくれば、この金沢の「ゴリ料理」が昔から有名であったことから、ここは淡水産カジカ類である、

カサゴ目カジカ科カジカ属カジカ Cottus pollux

カジカ属ウツセミカジカ Cottus reinii (カジカ小卵型)

カジカ属アユカケ Cottus kazika

を、まず、挙げておきたい。さて、では「本草綱目」の叙述するものの正体であるが、一読、「軋軋」の車の軋(きし)る時の音、少なくともこれは擬音語としては『キーキー』・『ギーギー』(中国音は“yà yà”であるが)で、この叙述は、釣り上げた際にハラビレの棘とそれを支えている基底部分の骨をこすり合わせて、ギーギーと低い音を出す、次項に掲げられるナマズ目ギギ科ギバチ属ギギに近い仲間(本邦で知られるギギ Pelteobagrus nudiceps は日本固有種であるから、ギバチ属 Pelteobagrus の中の種というのが正確に相応しい。そうしてこの正当性は、以下の注に示したように、以下の、ここの冒頭に並ぶ「黃顙魚」以下の漢語の考証でも呆れるぐらい、皆、「ゴリ」ではなく、「ギギ」類を指すことが明らかになったのである。また、付け加えるならば、この「吾里」(ごり)という呼称は、もしかすると、「ギギ」の音を聞き違えたものかとも思われる。いや、そもそも、この「吾里吾里(ごりごり)」というオノマトペイア自体は、「加之加」(かじか)の異物同名異名ともなり、その声と混同されもしたと思われるところの、両生綱無尾目カエル亜目アオガエル科カジカガエル亜科のカジカガエル Buergeria buergeri 等の鳴き声を誤認したものではないかとも思われるのである。

・「黃顙魚」の「顙」の意は、①額。②頭。③頰。④お辞儀をする。中国で最も最上の礼法とされる「額を地につけて礼をする」の意である。この場合、『頰の骨、正黃』という叙述が最も一致するように思えるが、実はあのハゼ類の頭部の大きさと仕草(動きが目立つ・川底や石に吸盤状になったハラビレで吸着する様子)から、④の意味でも用いているのではあるまいか。但し、これは本邦では、既に示した次項の日本固有種ナマズ目ギギ科ギバチ属のギギを指す語であり、次の注の「黃鱨魚」も同じである。これらの漢名のそれは中国産のギギの近縁種であるコウライギギ Pelteobagrus fulvidraco である。

・「黃鱨魚」の「鱨」は、日本語の辞書には、前掲の「黃顙魚」と同じで、ギギを指す語とする。漢語としては上記コウライギギ。

・「黃も同前でコウライギギ。本邦ではギギ。

・「䱀䰲」も同前。「䱀」「䰲」の単漢字でも中国ではコウライギギを指すのである。

・「其の膽、春・夏は、上に近く、秋・冬は、下に近し。亦、是れ、一異なり。」とは、「時期によって肝臓(であろう)の魚体内の位置が上下するのは、確かな事実の一つとして不思議なことである。」と言っているのであるが、これは肝臓が成熟すること、若しくは、肝臓に脂がのって肥大してくること(これは他の魚類でも同じことであるが)を意味するか。ゴリにそのような現象が特異的にある(他の魚類と比して、秋冬に優位に肥大するとか、内臓全体が垂下する(ゴリの体型からはなんとなく腑に落ちる私の想像)とか)というような解剖学的知見をお持ちの方は、是非お教え戴きたいものである。

・「瘡疥」は、広く吹き出物から発疹等の種々の皮膚疾患全般を言う。

・「荊芥に反し」の「荊芥」は、シソ科のケイガイ Schizonepeta tenuifolia の花穂、及び、その茎枝で、漢方薬として風邪や出血性疾患や皮膚病に効果がある。「反し」はこの場合、荊芥を処方として用いている場合には、合わないと注意を喚起しているように思われる。前掲の「鮎」の「荊芥に反す」の注も参照のこと。

・「和名抄」は正しくは「倭(和とも表記)名類聚鈔(抄とも表記)」で、平安時代中期に源順(したごう)によって編せられた辞書。多出するので以下、注では省略する。

・『崔禹錫が「食經」』の「食經」は「崔禹錫食經」で唐の崔禹錫撰になる食物本草書。前掲の「倭名類聚鈔」に多く引用されるが、現在は散佚。後代の引用から、時節の食の禁忌・食い合わせ・飲用水の選び方等を記した総論部と、一品ごとに味覚・毒の有無・主治や効能を記した各論部から構成されていたと推測される。

・「加良加古」「カラカコ」は、ギギ、又は、ゴリ・カジカ類の古称と思われるが、原義不詳。

・「鮔」この一番候補はハゼ科ハゼ亜科ウキゴリ属ウキゴリ Chaenogobius urotaenia 、二番手は淡水産のカジカ亜目カジカ科カジカ属カジカ Cottus pollux としておく。詳しくは「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「石斑魚」の項の注を参照。

・「頰に鉤を著くる」は腮蓋に棘を持った種を指し、カジカ Cottus pollux や、アユカケ Cottus kazika 等の同定種と合致する。アユカケの呼称は、この棘を用いて、アユカケ自身が鮎(アユ)を引っ掛けて捕食するという伝承からの命名(勿論、そんなことはあり得ない)。

・「鳥の海山」(とりのうみやま)は山形と秋田県境に位置する鳥海山(ちょうかいさん)。山名の訓読みについて不審に思われる方もあると思うが、こちらの方が古い呼び名であることが、個人のHP「庄内三代目碧水の館」(奇しくもこの方は釣師でもあり、メインは海釣のページである)の「鳥海山」の「3.山名の由来」で証明しておられる。少し引用すると、『鎌倉時代の第八十三代後鳥羽天皇の時、清原良業の作と伝えられている「和論語」の中に初めて「鳥海(とりのうみ若しくはとりうみ)大明神」と出ているのが鳥海という漢字の表現始である。この頃はとりのうみ若しくはとりうみであって、まだ「ちょうかい」ではない。』とされて、最初に『前九年の役を引き起こした奥州阿倍氏の直系で九州大宰府に流されたという鳥海三郎宗任、鳥海弥三郎家任(両者とも三郎、弥三郎との本もある)の兄弟の子孫が秋田の由利郡に舞戻り由利氏を滅ぼした。その姓であった鳥海(トリノウミ)がいつしか音読みとなり鳥海となったと云う。その子孫と称する鳥海(トリノウミ)氏は今でも秋田県側と山形県側の蕨岡地区の神仏分離令の時坊を営んでいた阿部氏(=中世に鳥海姓だったのを先祖の阿倍氏を名乗っていたという)、藤原氏を名乗っていた人達が鳥海氏に改姓し今に至っている。』という説をまず挙げられ、次に『新山ができる前の火口であった火口湖の鳥の海(トリノウミ)に由来するとしている説』以下、数説を示しておられる。

・「此魚有り、皆、一目なり。傳へて云ふ、……」鎌倉権五郎景政は源義家に従い、「後三年の役」に十六歳で従軍した屈強の若き武将。この事蹟は「奥州後三年記」に見える。以下、該当部分を「J-TEXT」の群書類従本版を元に、一部表記を正字漢字にし、句読点を増やす等の加工をして引用する(なお、ここでは「景正」と表記する。私の施した読みは〔 〕で示した)。

   *

將軍のつはもの、疵をかうぶるもの甚だし。相模の國の住人、鎌倉の權五郞景正といふ者あり。先祖より聞え高きつはものなり。年わづかに十六歲にして、大軍の前にありて命をすてゝたゝかふ間に、征矢〔そや〕にて右の目を射させつ。首を射つらぬきてかぶとの鉢付〔はちつけ〕の板に射付られぬ。矢をおりかけて、當〔たう〕の矢を射て敵を射とりつ。さてのちしりぞき歸りてかぶとをぬぎて、景正、「手負ひたり。」とて、のけざまにふしぬ。同國のつはもの三浦の平太郞爲次といふものあり。これも聞え高き者なり。つらぬきをはきながら、景正が顏をふまへて、矢を拔かんとす。景正、臥しながら、刀を拔きて、爲次がくさずりを捕へて、あげざまに突かんとす。爲次、驚きて、「こはいかに、などかくはするぞ。」といふ。景正がいふやう、「弓箭〔ゆみや〕に當りて死するは、つはものののぞむところなり。いかでか、生〔いき〕ながら、足にて、つらをふまるゝ事、あらん。しかじ、汝をかたきとして、われ爰〔ここ〕にて死なん。」といふ。爲次、舌をまきて、いふ事なし。膝をかゞめ、顏を、をさへて、矢を拔きつ。多くの人、是れを見聞き、景正が高名、いよいよならびなし。

○やぶちゃんの語注

・「鉢付の板」:兜の部分名称で、錏(しころ:首・襟部分を防備するために小札(こざね:鉄又は皮製の小さな板)、又は、帯状の鉄板を、三段から五段に下げて付けたもの)の鉢に接する第一枚目の板を言う。

・「當の矢」:射られた矢に匹敵するだけの返しの矢という意味であろう。

・「つらぬき」:「貫」「頰貫」と書き、戦時や狩猟時に履く毛皮製の靴を言う。

・「くさずり」:「草摺」と書き、主に馬上にあって、腰部から大腿部を守る武具(前後左右四枚)で、小札(こざね)を五段に下げたものが一般的。

   *

以上の話に、もう少し史実や伝承される話(「奥羽合戦」時ではなく、後のこととする説を採用する)を継ぎながらストーリーを記すと、奥羽での戦勝後、故郷(相模国鎌倉郡)への帰途、景政は、島田台(現在の茨城県牛久市桂町周辺)で「奥羽の合戦」に敗れた清原家衡の残党鳥海弥三郎(前記注を参照)の奇襲を受けた。景政は右目を矢で射抜かれたが、射抜かれた矢をそのままに、鳥海弥三郎を追撃、遂に討ちとめる。その後、景政は、地に仰向けになって部下の三浦為嗣(「奥州三年記」では「爲次」と表記)に眼に刺さった矢を抜かせようとするのだが、容易に抜けない。そこで為嗣は、景政の額に足をかけ、ふんばって抜こうとしたところ、突然、横たわった景政は、刀を抜き、為嗣を切ろうとした。驚いた為嗣に、景政は「弓矢に当って死するは武士の本懐。されど、武士として、どうして土足で顔を踏まれるなどということがあろうか、それは武士の恥辱以外の何ものでもない。その恥の仇として、お前を殺して、ここに自害するに若(し)くはない。」と言い放った。その覚悟に舌を巻いた為嗣は、膝を頰に当てて矢を抜いたというのである。

 鎌倉権五郎景政は後にそのパワー故に御霊信仰の対象となり、鎌倉長谷の奇祭面掛け行列で有名な御霊神社等に祀られることとなる。私は鎌倉の郷土史研究の中で、この御霊神社については特に興味を抱いて調べた過去がある。ついては、従って御霊としての景政については、もっと話したいのであるが、ゴリを忘れた明らかな大脱線となるので、またの機会に譲ることと致す。なお、以上、片目のゴリ及び同類伝説については、個人HP「水生生物雑記帳」の作者が「一ノ目潟、片目の魚」に、何故片目になるかという生物学的説明(釣魚的というべきか)があり、「片目」の民俗学的考察もまさに「目」から「鱗」の非常に優れた見解を纏めておられるので、一読をお薦めする。]

***


ぎゝ

𫙬𮈔 【俗云岐岐】

[やぶちゃん字注:「𮈔」は「絲」の異体字]

食物本草云𫙬𮈔魚生諸溪河中黄褐色無鱗𤄃口有細

齒如鋸腮下有硬刺骨亦硬善吞小魚肉薄味短

△按𫙬𮈔魚形色似鮎而口𤄃其尾有小岐大者七八寸

 有聲如蛙鳴人捕之則哀聲如曰五紀五紀又似曰岐

 岐肉不美爲野人食也有鬐刺螫人葢非魚之螫其在

 石穴處人暗握之手自中刺也

ぎゞ

𫙬𮈔 【俗に「岐岐」と云ふ。】

「食物本草」に云はく、『𫙬𮈔は、諸溪河の中に生ず。黄褐色、無鱗。𤄃〔(ひろ)〕き口、細かなる齒、有り。鋸(のこぎり)のごとく、腮(あぎと)の下に硬き刺(はり)、有り。骨も亦、硬く、善く小魚を吞む。肉、薄く、味、短かし。

△按ずるに、𫙬𮈔魚の形・色、鮎〔(なまづ)〕に似て、口、𤄃く、其の尾、小さき岐(また)有り。大なる者、七、八寸。聲、有り、蛙(かへる)、鳴くがごとし。人、之れを捕へれば、則ち、哀しむ聲、「五紀五紀〔(ごきごき)〕」と曰ふがごとし。又、「岐岐〔(ぎぎ)〕」と曰ふに似たり。肉、美ならず。野人の食と爲〔(せ)〕り。鬐刺〔(ひれとげ)〕、有りて、人を螫〔(さ)〕す〔も〕、葢〔(けだ)〕し、魚の螫すに非ず、其の石穴に在る處、人、暗〔やみ〕に、之れを握る手-自(てづか)ら、刺(はり)に中〔(あた)〕るなり。

[やぶちゃん注:ナマズ目ギギ科ギバチ属ギギ Pelteobagrus nudiceps

・「食物本草」は全四巻の明代の本草書。著者名としては、最も古い版本は薛己(せっき)、以下、盧和(ろわ)・汪頴(おうえい)・銭充治(せんじゅうち)の名を撰者とする、ほぼ同系列の諸本がある(東洋文庫版後注は汪頴の名のみ掲げる)。食用・薬物となる三百八十六種を水・穀・菜・果・禽・獣・魚・味の八類に分類し、彩色図像も掲載している。

・「𫙬𮈔魚」この鰓の下、恐らくは鰓蓋の下部が、複数箇所、棘状に突出して鋸(のこぎり)状になっているという観察的叙述は、ギギの胸鰭の単棘の描写ではない。実はギギは日本固有種であるから違って当然なのである。私は、この魚=「食物本草」の筆者の言う「𫙬𮈔魚」は、ギバチ属ではない全くの別種ではなかろうかと考えている(本邦では「大和本草」以下、「𫙬𮈔魚」を無批判にギギとしているが。なお、本初回電子化の後に作製したブログ版の「大和本草卷之十三 魚之上 𫙬𮈔魚 (ギギ類)」では、「𫙬𮈔魚」に就いて、テツテ的にディグした注を附しておいたので、是非、読まれたい)。

・「味、短かし。」は、(肉も薄くて)味わいには乏しいの意

・「鮎」は硬骨魚綱ナマズ目Siluriformesのナマズ。アユではない。前掲の「鮎(なまづ)」の項を参照されたい。

・「聲、有り、蛙、鳴くがごとし。」は、前掲の「黃顙魚」(ごり)の注で述べたように、ギギは実際に釣り上げたり網で掬った際に、ハラビレの棘とそれを支えている基底部分の骨をこすり合わせて、威嚇音かと思われる「ギーギー」という低い音を出すのであるが、そこから、渓流での両生綱無尾目カエル亜目アオガエル科カジカガエル亜科のカジカガエル等のカエル類の鳴き声も、このような魚が鳴く声と誤解したのではなかろうか。それは、例えば「岐岐」(ギギ)が、正真正銘のギギの発する音としていいとしても、「本草綱目」の「黃顙魚」の立てる音を言う「軋軋」=「車の軋(きし)る時の音」である「キーキー」、「ギーギー」、又、中国音の“yà yà”=「ヤーヤー」(これは発音すると蛙の声の擬声に私には、充分、聴こえる)、ゴリの鳴き声とする「吾里吾里」(ゴリゴリ)、そうして「五紀五紀」(ゴキゴキ)という哀しそうな声とは、如何にも「ケロケロ」「ゲロゲロ」「コロコロ」「グェルグェル」「グェログェロ」「グゥエログゥエロ」「グワッグワッ」(ちなみにこの「グワッグワッ」は中国語のカエル=「青蛙」の鳴き声=「叫」の擬声語=「呱呱」、中国音“guā guā”に近い)の音写に近いと思うからである。

・「鬐刺、有りて、人を螫すも、……」ギギは背鰭に一本、胸鰭に一対の計三本の大きな棘を備えている。この棘には毒がある(嘗つては「毒があるともされる」であったが、現在は、タンパク質の毒成分と認定されている)。淡水有棘毒魚の代表見たように昔の学習図鑑には書かれていたもんだ。だから読んだ当初は如何にも言わずもがなのことを、と感じたのであるが(多くの有棘の魚類はアクティヴにショットする訳ではないと思うし、潜んでいる場所に急に手を突っ込んだら、刺されて当り前という感覚)、The watere surface explodesという個人ページ少年の日の思い出としてギギのことを記し、『たとえばギギの鰭には毒があるが、どんな痛みかは刺されないと分からない。実際に刺されてみろと言うわけではないが、私は岩の下を探っていて実際に刺されてのた打ち回ったことがある。これで私は岩の下をさぐってもギギらしき時は素早く手を引くようになった。そうすることによってそれ以降、刺されることはなくなった』とあるのを読み、ああっ、と腑に落ちた。良安の叙述は尤もであり、そうして、あるべき叙述であったのである。]

***

さんせういを

【音倪】

  魶【音納】 鰨【音塔】

  鯢【與鯨同名異物】

  人魚【以有四足名之

  與海中之

  人魚不同】

 【俗云山椒魚】

[やぶちゃん字注:以上六行は、前二行下に入る。]

本綱鯢魶有二種【溪澗中者名鯢江湖中者名䱱】形色如鮎又似獺四足

腹重墜如嚢身微紫色無鱗與鮎相類嘗剖視之中有小

蟹小魚小石數枚也但腹下翅形似足能上樹其聲如兒

啼【故又有䱱之名】其膏燃之不消耗肉【甘有毒】

△按鯢洛之山川及丹波但馬處々有之頭靣〔=面〕似鮎身似

 守宮蟲畧有山椒氣故名山椒魚【傳云食之能治膈噎未試】

 日本後紀云延曆十六年八月掖庭溝中𫉬魚長尺六

 寸形異常魚或云椒魚在深山澤中

さんせういを

〔(げい)〕【音、倪。】

  魶〔なふ〕【音、納。】 鰨〔たふ〕【音、塔。】

  鯢【鯨と同名異物。】

  人魚【四足、有るを以つて、之れを名づく。海中の「人魚」と、同じからず。】

  【俗に「山椒魚」と云ふ。】

「本綱」に、『鯢・䱱〔(ていだい)〕、二種、有り【溪澗中の者を「鯢」と名づけ、江湖中の者を「䱱」と名づく。】。形・色、「鮎〔(なまづ)〕」のごとく、又、「獺(かはうそ)」に似、四つ足。腹、重く墜〔(お)〕ち、嚢(ふくろ)のごとく、身、微〔(わづ)かに〕紫色。鱗、無く、鮎〔(なまづ)〕と相〔(あひ)〕類す。嘗つて、剖〔(さ)〕きて、之れを視れば、中に、小蟹・小魚・小石數枚、有るなり。但し、腹の下翅〔(したびれ)〕の形、足に似て、能く、樹に上る其の聲、兒〔(こ)〕の啼くがごとし【又、故に「」の名有り。】其の膏〔(あぶら)〕、之れを燃(とも)して、消-耗(へ)らず。肉【甘。毒、有り。】。』と。

△按ずるに、鯢は洛の山川、及び、丹波・但馬、處々、之れ、有り。頭〔(かしら)〕・面〔(おもて)〕、鮎〔(なまづ)〕に似て、身、--蟲(いもり[やぶちゃん注:ママ。])に似たり。畧〔(ほ)〕ぼ、山椒の氣(かざ)、有り。故に「山椒魚」と名づく【傳へて云ふ、「之れを食へば、能く、膈噎〔(かくいつ)〕を治す。」と。未だ、試みず。】

 「日本後紀」に云はく、『延曆十六年八月、掖庭(をほうち[やぶちゃん字注:ママ。])の溝の中に魚を獲る。長さ、尺六寸〔:約四十八・五センチメートル。〕、形、常の魚に異なり。或いは云ふ、「椒(さんせう)魚、深山の澤の中に在り。」と。』と。

[やぶちゃん注:両生綱の有尾(サンショウウオ)目サンショウウオ亜目 Cryptobranchoidea に属する本邦産のサンショウウオ類は約20種を数えるが、本記載のメインは、図、重く垂れて嚢のような腹、微かに紫色を呈すること、視力が低いために口に近接するものに噛みつくこと(強力な顎で食いついた餌は離さないとよく言われるが、ウィキの「オオサンショウウオによれば、一日の摂食量は小さな魚一匹程度で、それで、何故、あそこまで巨大化出来るかは不明とする。しかし平凡社一九九〇年刊の荒俣宏「世界大博物図鑑3 両生・爬虫類」の同項には、生駒義博「日本ハンザキ雑記」(「ハンザキ」は、「二つに裂いても死なない」というオオサンショウウオの異名)から引用して、岡山県真庭郡新庄村の私人が明治二三(一八八九)年より飼っていたそれは、食欲の旺盛な時には三十センチメートル大の鯉を一度に五匹も食べた、と記す。因みに、この個体は推定で百十六歳で、現在も津山科学教育博物館に液浸標本として残るとする)等々、更に「日本後紀」の記載にある全長が五十センチメートルになんなんする点、同目のオオサンショウウオ科 Cryptobranchidae オオサンショウウオ Andrias japonicus と同定してよい。但し、後半の食用記載については、小型種のサンショウウオ類と見て差し支えない。

・「鯢【鯨と同名異物。】」は、「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鯨」に『雄を鯨と曰ひ、雌を鯢と曰ふ。』とある通り、「鯢」にはサンショウウオ以外に、別に「雌鯨(めくじら)」、「♀のクジラ」の意がある(それ以外にも、「小魚」の意や、「老人の歯」の意を持つ)。「爾雅注」等を見ると、『大者八九尺』とあり、これがオオサンショウウオの仲間であることは言を待たない。

・「人魚【四足、有るを以つて、之れを名づく。海中の人魚と、同じからず。】」とあるが、良安が「和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚」の「人魚」で引用した「日本書紀」の「人魚」は、そちらの注で示したように、南方熊楠も「人魚の話」で、あるケースをオオサンショウウオに同定しており、私もそれに全面的に賛成である。されば、この謂いは厳密な有効性を持たない。但し、ここで良安が示したい定義は、「海産人魚」は上半身(又は下半身)が人、下半身(又は上半身)が魚体のもので四肢の内、上肢か下肢の一方が欠損していることが条件であることを示し、ここで言う「淡水産人魚」はオオサンショウウオのことで、彼ら「淡水産人魚」には四足があるが故に「人魚」と呼称するのだということである。さすれば、機械的な組み合わせを考えるならば、上半身が鮪のようで、下半身が人の下腹部から足であるようなマグリット的人魚がいることになる。「和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚」の「人魚」の注に示した康煕六(一六六七))年刊「山海經広注」付図の「鯪魚」の図はかなり不気味である。また、志怪小説の中にも、そのような人魚を犯し交わったとする奇譚を読んだ記憶がある。ウィキの「半魚人」には、このような場合は「人魚」と呼称せず、「魚人」と言うとまことしやかに記されているが(その典型例として、そこには有名なラブクラフトの「インスマスの影」に現れる呪われた魚族の伝承を持つインスマスの町の、顔が魚形を示す『インスマス顏』を掲げているが、あれは、見た目が完全に人間であり、それが顔から魚妖に変性してゆくのであって、やや定義として出すには不自然に思われる――と真剣に反論するのはラブクラフト好きだからである)、そのような分類が古くから行われていたとは考えにくい(そもそも、その場合も人間的な上肢があったりなかったりするようで、かえって有効性は疑問なものの、良安の分類法の方が分かり易い)。なお、ソロモン諸島には上半身がサメで下半身が人という形態を持つ精霊がいると信じられているという。やはりマグリット的人魚も、強ち、新手ではないように思われる。また、荒俣氏の上記著作等に記されるように、スイスに於いて一七二六年に初めて化石として発見されたオオサンショウウオが、ノアの洪水で溺れ死んだ古えの罪深い人間の遺骨であるとされ、“ Homo tristes deluvi testes ”(大洪水を目撃した哀れな人類)と命名されたことは、本種が「人魚」と呼ばれる皮肉な聖書ルーツ染みて興味深い。

・「䱱」は、「山海經」の「中山經」にも現れる。「廣漢和辭典」の同字の同書からの引用を見るに、「距足白」(大きい足は白い)とあり、こちらは必ずしもオオサンショウオではなく、広義のサンショウウオ目の仲間の叙述と取れなくもない気はする。サンショウウオ類は、その産卵場所によって渓流の流れの弱い場所及び伏流水中に産する種(「溪澗中」→「鯢」)、流れのない止水域に産卵する種(「江湖中」→「䱱」)に大別できるとするから、この時珍の分類は決して好い加減なものではない。

・「鮎」は硬骨魚綱ナマズ目 Siluriformes のナマズ。アユではない。前掲の「鮎」(なまづ)の項を参照。うっかり「あゆ」と読みそうなので、いちいち読みを振った。

・「獺」哺乳綱ネコ目(食肉目)イタチ科カワウソ亜科 Lutrinae の仲間の総称。言われてみると、オオサンショウウオは、似てる!

・「腹の下翅の形」とあるが、これは下肢のみを言ったのではなく、体幹の左右の腹部下部にある四つの鰭=四肢(魚類ととっているから当然、「鰭」となるである)が、それぞれ、四つの脚に似ているというのである。

・「能く樹に上る」ウィキのサンショウウオの記載によれば、オオサンショウウオは、繁殖期に川を遡上する際以外は、生涯の殆んどを、水中で過ごすが(但し、繁殖期や棲息域を変える場合は、陸を這って異同もする)、広義のサンショウウオ上科のサンショウウオの『他の種類は陸上生活を送ることが多く、森林の落ち葉の下やモグラやネズミが掘った穴の中や、川近くの石の下などに生息する』とあり、これも、強ち、イモリやヤモリの誤認ではないのである。

・「其の聲、兒の啼くがごとし」は中国の古書にも記載があり、よく言われることであるが、オオサンショウウオの保護活動をされている専門家の方のインタビューで、「鳴き声を聞いたことは残念ながらない。」と答えておられるのをニュースで記憶している。前掲の荒俣宏「世界大博物図鑑3」には、やはり前掲した研究家の生駒義博氏の体験談として(一部の記号を変えた)、『鳥取県東長田村の生田益一村長宅で、びんに入れた25㎝くらいのオオサンショウウオが鼻を水面に出してキュキュというような音を発するのを、1度だけだが実見している』と記すが、私にはこれは自発的な発声とは思われないし、その道の専門家が一度というのでは、これ、なんとも心もとない。やはり、これは前の「黃顙魚」(ゴリ)や「𫙬𮈔魚」の注で考察した如くカジカ類等の他の生物の鳴き声を誤認したものとすべきであろう。

・「其の膏、之れを燃して、消-耗(へ)らず」は面白い記載であるが、関連記事を確認出来ない。ただ、オオサンショウウオに「油魚」(アブラメ)という異名があるのは、これと関わるか。

・「守宮蟲」は、「いもり」のルビや、サンショウウオ類との類似から、両生綱有尾目イモリ亜目イモリ科 Salamandridae の仲間ととってよいが、「守宮」は爬虫綱有鱗目トカゲ亜目ヤモリ下目ヤモリ科 Gekkonidae を指す語である。「和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚」の「魚虎」(シャチ)の「蝎虎」の注で考察したように、どうも、良安先生、イモリもヤモリも、一緒くた!

・「膈噎」は、どちらも食道の飲食物の通過障害による嚥下困難を指し、主に食道の下部に原因があるものを「膈」と言い、食道の上部に原因があるものを「噎」と言う。食道癌や食道アカラシア(“esophageal achalasia”食道壁内の神経の障害による蠕動運動障害。下部食道括約筋が開かなくなり、食道部の飲食物通過障害と異常拡張が起る病気。発症は稀)が疑われるのだが、さて、「和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚」の「簳魚」(ヤガラ)にも同様の「膈噎を患ふ人、其の觜を用ひて飲食せば、則ち治すと云ふ。然れども、徃徃に之を試むるに必ずしも然らず。」という叙述があったのを思い出して戴きたい。この最後の物言いは、やはり、まさに良安自身が何度も試したことを示しており(それ程に深刻であったこと、医師である自身が、病因を特定できず、癒す薬もなかったということも示すのである)、この記述、もしかすると、事績が詳しくは伝わらぬ寺島良安自身が、実は重篤な膈噎の症状(それは悪性の食道癌であったかも知れない)を持っていたという可能性を示唆しているのではなかろうか? とも私は思い始めているのである。

・「日本後紀」は「続日本記」に続く平安時代の嵯峨天皇勅撰の編年体の史書。藤原冬嗣らによって編纂され、承和七(八四〇)年に完成。この記載は巻六の逸文中に、『己巳。掖庭溝中獲魚。長尺六寸、形異常魚。或云椒魚、在深山澤中。』とあり、延暦一六年八月十六日(グレゴリオ暦換算七九七年九月十五日)の出来事である。

・「掖庭」の「掖」は、本来は「宮中正門脇の小門」を言い、「掖庭」では「後宮」を指すとするが、ルビは「をほうち」(正しくは「おほうち」)とあるので、広く「宮中」の意と取ってよい。当時は内裏の中にまでサンショウウオ(十六センチメートルであるから、現在の分布域から見ると、カスミサンショウウオ Hynobius nebulosus 辺りであろうか。但し、鴨川や桂川の上流域には現在でもオオサンショウウオの生息が確認されており、幼形個体でないとは言い切れない)が入り込む程には自然が保たれていたことが、何か懐かしい。

 さて、天然記念物であるオオサンショウウオは、多くの記載がネット上にあり(今回の再改訂に際し、縦覧したところでは、ブログ「東広島自然研究会」の「日本オオサンショウウオの会」会長で広島市安佐動物公園前副園長であられる桑原一司氏の「オオサンショウウオの現在」が素晴らしかった)、実物の野生種を直に見たことがない私には、あまり出る幕もそうないように思われるのだが、少しだけオリジナルの薀蓄を垂れておく。オオサンショウウオは、古くから、結核や下痢に効く薬餌とされたり、山間部の貴重なタンパク源として普通に食用にされてきたといった記述、更にお詳しい向きには、北大路魯山人が「魯山人味道」で、その食味を高く評価し、『すっぽんと河豚(ふぐ)の合いの子』のような味だ、と記していること等も、ご存知であろう。流石に私は食ったことはない。じゃあ、何だということになるのだが、流石に、ごく普通にオオサンショウウオを食べた知人を、知っている方は、まあ、少なかろう。彼(私より五歳年長の高校教師であった)は、さる山陰地方の山間奥地の出身である。少年の頃は、時折、父親が素手で川岸の洞(ほら)を探って四十五十センチメートル大のオオサンショウウオを捕まえてきては、一家で食ったそうである。大鍋に湯を沸かして、生きたオオサンショウウオを投げ込む。大暴れの釜茹でで、同時に家中にもの凄い匂いが充満したそうだ(魯山人の記述を知っていたので、「それは、山椒の匂いに近かったですか。」と聞くと、「そんなもんじゃあない! 鼻が曲ってゲロが出る程気持ちの悪い臭いだった。」と答えられた)。数分で揚げると、頭に包丁を入れて、でれでれした気持ちの悪い皮を一気にペロっと剥ぐ。すると、ややピンクがかった白身の肉が現れる。それを刺身にしたり、油で揚げたりして食ったそうである。「身は、全く臭みがなく、実に甘みのある大層旨いもんだったよ。」と懐かしそうに彼は話された。「人には、言えないけど、今でも、食うよ。何にもないところだけど、もし良かったら訪ねてくれれば、何時でもご馳走するよ。」……私はナチュラリストじゃあ、ない。いつか、彼の故郷を訪ねてみたいと、心底、思っている――私の先輩には、そうした驚天動地の人々が多くいるのだ。若き日に登った立山山系で雷鳥の子供を一網打尽にし、焚き火で焼いて食ったその醍醐味を豪語する山屋のとっさんとか……又、いつか、お話しよう――]

***

■和漢三才圖會 河湖無鱗魚 巻ノ五十 ○三

うなぎ

鰻鱺【滿里】   白鱓 蛇魚

マン リイ     【宇奈木】

本綱鰻鱺狀如蛇背有肉鬐連尾無鱗有舌腹白大者長

數尺脂膏多善穿深穴有雄無雌以影漫於鱧鱺則其子

皆附于鱧鬐而生故名鰻鱺【鱺與鱧同音里】凡鰻鱺焼𤇆〔=烟〕熏蚊令

[やぶちゃん注:「𤇆」の「烟」の異体字の字体は、原本では(つくり)の部分の「囙」の「コ」の字型の上に左右の縦画に接する横画が入った字体である。]

化爲水熏氊〔=氈〕及屋舎竹木斷蛀蟲置骨於衣箱斷諸蟲

肉【甘平有毒】 治傳尸病兒疳勞殺其虫也小者可食重四五

 斤及水行昂頭者不可食【四目者殺人背有白㸃無腮者不可食】姙娠食

 之令胎有疾

△按鰻鱺冬春蟄泥穴至五月游出此時味勝四五月生

 子纎而長三四寸如𦬆〔=芒〕針謂之針鰻鱺漸長行于川上

 然漫影於鱧魚而生子之說未審無鱧之處亦多有之

《改ページ》

 又有薯蕷久所濕浸而變化鰻鱺者自非情成有情者

[やぶちゃん字注:底本では「薯」は下部が「署」ではなく「暑」であるが補正した。]

 是亦不必盡然也凡性滑利潜泥中故難捕以曲反鉾

 暗突泥中取之鰻毎向陽朝向東暮向西漁人考之横

 ※〔=搔〕之甚滑而難握添紙握則不能脫去江州勢田城州

[やぶちゃん注:「※」「グリフウィキ」のこれ。「搔」の異体字。]

 宇治并得名作鮓甚美其鮓飯中誤入糯米則鮓不成

 豆州三島明神前有小川其鰻幾千万不可計俗云此

 明神之使魚也

眞鰻鱺 背有黃脉味最美但大者味不佳

蟹喰鰻 狀肥長而口中赤好噉小蟹故名味次之

馥焼 用中分鰻鱺裂去膓切爲四五叚〔→段〕貫串傳醬油或

[やぶちゃん注:「叚」では意味が通じない。国立国会図書館デジタルコレクションの大阪中近堂刊活字本「和漢三才圖會」で補正した。]

 未醬炙食味甘香美或有蘸蓼醋食者多食之煩悶至

 死但得酸鰻肉膨張於腹中也

うなぎ

鰻鱺【〔音、〕滿里。】   白鱓〔(はくせん)〕 蛇魚

マン リイ         【「宇奈木」。】

「本綱」に、『鰻鱺、狀〔(かたち)〕、蛇のごとく、背に肉の鬐(ひれ)有り。尾に連なり、鱗、無く、舌、有り。腹、白し。大なる者、長さ數尺、脂-膏(あぶら)、多し。善く、深き穴を穿つ。雄、有りて、雌、無し。影を以つて、「鱧鱺〔(やつめうなぎ)〕」漫〔(みだら)〕し、則ち、其の子、皆、鱧〔=鱧鱺(やつめうなぎ)〕の鬐〔(ひれ)〕に附きて、生ず。故に「鰻鱺」と名づく【「鱺」と「鱧」とは同音。「里」。】凡そ、鰻鱺〔の〕焼く烟りにて、蚊を熏(ふすぶ)れば、化〔(け)〕して、水と爲〔な〕る〔→爲らしむ〕〔(まうせん)〕、及び、屋-舎(いゑ[やぶちゃん字注:ママ。])の竹木〔(ちくぼく)〕を熏れば、蛀-蟲(むしくふこと)を斷つ。骨を、衣の箱に置けば、諸蟲を斷つ。

肉【甘、平。毒、有り。】 傳尸〔(でんし)〕病〔の〕兒〔(こ)〕の疳勞〔(かんらう)〕を治し、其の虫を殺せばなり。小さき者、食ふべし。重さ四、五斤〔:二・四~三キログラム。〕、及び、水行するに頭〔(かしら)〕を昂〔(あ)ぐる〕者、食ふべからず【四つ目の者、人を殺す。背に、白㸃、有りて、腮〔(あぎと)〕無き者、食ふべからず。】妊娠〔せるもの〕、之れを食へば、胎をして、疾〔(やまひ)〕、有らしむ。』と。

△按ずるに、鰻鱺は、冬・春は泥の穴に蟄〔(ちつ)〕し、五月に至りて、游〔(およ)〕ぎ出づ。此の時、味、勝〔(よ)〕し。四、五月、子を生む。〔子は〕纎(ほそ)くして、長さ三、四寸、𦬆-針(はり)のごとし。之を「針鰻鱺〔(はりうなぎ)〕」と謂ふ。漸やく、長じて、川上(〔かは〕かみ)に行く。然るに、『影を鱧魚〔=鱧鱺(やつめうなぎ)〕に漫〔(みだら〕して、子を生む』の說、未-審(いぶか)し。鱧〔=鱧鱺(やつめうなぎ)〕、無きの處〔にも〕亦、多く、之れ、有り。又、「-蕷(やまのいも)、久しく濕浸〔(しつしん)〕されて、變じて、鰻鱺に化する者、有り。」〔と云ふ〕。〔然れども、〕非情より有情〔(うじやう)〕と成る者、是れ亦、必ずしも盡〔(ことごと)〕く〔は〕、然るには、あらざるなり。凡て、性、滑(なめ)らかにして利(と)く、泥(どろ)の中を潜(くゞ)る。故に、捕へ難し。曲(まが)り反(そ)りたる鉾〔(ほこ)〕を以つて、暗〔(あん)〕に、泥中を突きて、之れを取る。鰻、毎〔(つね)〕に陽に向かふ。朝には、東に向かひ、暮には、西に向かふ。漁人、之れを考へて、横より、之れを、搔く。甚だ、滑らかにして握り難し。紙を添へて握らば、則ち、能く脫け去らず。江州〔=近江〕の勢田・城州〔=山城〕の宇治、并びに名を得。鮓〔(すし)〕に作りて、甚だ、美なり。〔但し、〕其の鮓の飯の中に、誤りて、糯米〔(もちごめ)〕を入るれば、則ち、鮓、成らず。豆州〔=伊豆〕三島明神の前に、小川、有り、其の鰻、幾千万、計〔(かぞ)〕ふべからず。俗に「明神の使はしめし魚なり。」と云ふ。

眞鰻鱺(まうなぎ) 背に黃-脉(きなるすぢ)有り。味、最も美なり。但し、大なる者、味、佳ならず。

蟹喰鰻(かにくいうなぎ[やぶちゃん字注:ママ。]) 狀、肥長〔(ひちやう)〕して、口の中、赤く、好んで、小さき蟹を噉(〔く〕ら)ふ。故に名づく。味、之れ〔=眞鰻鱺〕に次ぐ。

馥焼(かばやき) 中分の鰻鱺を用ひて、裂(さ)きて、膓を去り、切りて四、五段と爲し、串に貫き、醬油、或いは、未-醬(みそ)を傳(つ)けて、炙り食ふ。味、甘く、香(かふば)しく、美なり。或いは、蓼醋〔(たでず)〕に蘸(ひた)して食ふ者、有り。之れを多く食へば、煩悶し死に至る。但だ、酸を得て、鰻肉、腹中に膨張すればなり。

[やぶちゃん注:条鰭綱ウナギ目ウナギ亜目ウナギ科ウナギ Anguilla japonica 。後半に掲げられる「眞鰻鱺」(マウナギ)は同一種を指す。「眞鰻鱺」には「背に黃脉有り」とあるが、ウナギ Anguilla japonica の体色(体側・背部)は、黒色から黄褐色まで、個体変異が多い。本項の記載時、良安は体の具合が悪かったか、若しくは、ウナギに対する何らかのトラウマがあったのではなかろうか? 誤字や、通常ならば書かない字体が原本に有意に見られるのである。

・「白鱓」の「鱓」は音「せん」で、一般には、硬骨魚綱ウナギ目ウツボ亜目ウツボ科 Muraenidae のウツボ類を指す漢語。宋の万國鼎撰の「陳旉農書校註」「六種之宜篇第五」の鰻鱺魚の注に「鰻鱺魚體長如圓筒、多黏液。簡稱鰻魚、亦名白鱓。」とあるが、この総ての条件を十全に満たすのは、ウツボではなく、ウナギである。

・「雄、有りて、雌、無し」は淡水域にあってはやや正しく、産卵期の海に下る(下った)大型個体について言うならば逆であると言える。ウナギはある大きさまでは、雌雄両性の生殖器官の原器を保持している。体長六~九センチメートルでは、そうした中性期、その後に十~十四センチメートルのやや♂(雄性)が優位な時期が来て、十八~三十センチメートル以上、丁度、川に遡上する頃に至って、雌雄の区別を起こす個体が有意に発生し始める。但し、そのバランスは極めて不均衡で、天然物の中で性差が生じたものは、♂が優位に多く、養殖物の性差が生じたものに至っては殆んどが♂であるという。淡水域での生活は、五年から十年に及ぶが、「淡水域では、すべて、♂。」等という、言い切った記載さえ見かける以上、この時期の成魚は、♂の個体が殆んどを占めるということであろう。ということは、河川の大型個体は少数で、さらにそれが正真正銘の♀という風に解釈するしかない。夏から秋に産卵のために海へ下るが、その際の♀は大型で一キログラムから、二キログラムもあるのに対し、♂は五百グラムから七百グラムと優位に、小さく、軽い、性的二型を呈する。魚長から言うと、ウナギ Anguilla japonica では六十センチメートル越えの個体の殆んどは♀で、♂は五十センチメートルを越えるものさえ、稀れであるという。因みに、ウナギの性別は胸鰭で見、♀の成熟個体の胸鰭は♂よりも短い(以上は信頼出来る複数のサイトの記載を突き合わせて矛盾のないものを記載したが、体長と雌雄同体から性差の発生に至る説明は、全くブラック・ボックスのメカニズムも含めて、どの記述も、実は、今一つすっきりしないと感じた。

・「鱧鱺」(ヤツメウナギ)は脊椎動物亜門無顎上綱(円口類=無顎類) 頭甲綱ヤツメウナギ目ヤツメウナギ科 Petromyzontidaeに属する生物。体制が似ているために「ウナギ」の呼称がつくが、生物学的には、タクソン上、魚上綱に含まれないため、魚でさえないとする見解があるほど、特異な存在である。要は原始的で「生きた化石」の類なのである。次項参照。

・「漫(みだら)し、」は、「交接し、」ということであるが、影とコイツスするというのは、ど~ゆ~ふ~にするんだろ~? ぬ~るぬるべ~たべたきょ~みし~んしん、たれかヤり方、教せ~て! 閑話休題。これや前記の「雄、有りて、雌、無し。」、後述される「山芋、変じて、鰻と化す。」の化生説も結局、根底にあるのは、ウナギの生態や繁殖の謎に基づくものであろう。産卵場所でさえも、つ二〇〇六年になって、やっとスルガ海山と確定されたばかりである。

・「鰻鱺の焼く烟りにて蚊を薫れば化して水と爲らしむ」以下は、ウナギを焼く煙の除虫効果を謳った内容であるが、初耳。特に、この、蚊を薫煙すると、蚊は水になる、というのは面白い。民俗学的な探究が望まれる。

・「氊」は毛織物。毛氈(もうせん)。

・「傳尸病」一般には結核を意味するが、字面は、広く重い感染症によって死亡した患者の遺体から、二次感染する現象を指すおどろおどろしい印象である。

・「疳勞」は「傳尸病兒」とセットになって、結核に罹患した小児の結核性慢性腹膜炎を言う。体重減少・慢性的腹痛・閉塞及び下痢の症状を呈す。なお、東洋文庫版では、ここを、『傳尸病(肺病)・小児の疳労』と訳しているが、これは、たとえば、以下の「虫」原因説を受けて「疳勞」を疳の虫が強いために、瘦せ衰える症状の意味でとっているのであろうが、私は誤訳であると思う。何故なら、底本を見ると「傳尸--兒」と、熟語を示すダッシュが「傳尸」と「病」及び「兒」の間に打たれ、これが四字熟語であることを示しているからである。

・「四つ目の者」ヤツメウナギの誤りか? 同定不能。

・「背に、白㸃、有りて、腮、無き者」は、白い斑点を持つウナギ目のホオジロゴマウミヘビ Apterichtus flavicaudus 等を想起するが、腮がないという決定打は、真正の爬虫綱有鱗目ヘビ亜目ウミヘビ科 Hydrophiidae のウミヘビ類が疑われるか。同定不能。

・「胎をして、疾、有らしむ」は「胎児に悪影響がある」という意。

・「針鰻鱺」レプトセファルス(レプトケファルス) Leptocephalus 幼生のこと。ウナギ目のみでなく、カライワシ目・ソコギス目等のカライワシ上目に属する魚類に見られる幼生で、透明で、細長い平板状で、五センチメートル以下で、成体とは極端に異なった形態である。「のれそれ」の市場名で知られる。私の好物の一つである。

・「薯蕷」は、ひねこびた形の芋のユリ目ヤマノイモ科ヤマノイモ Dioscorea japonica を指していると思われる。所謂、「ヤマイモ(山芋)」「自然薯」のことだが、正式和名はヤマイモではなく、「ヤマノイモ」である。但し、「薯蕷」は、本来は、あの円柱状のヤマノイモ属ナガイモ Dioscorea batatas を指す語。こちらは中国原産で、本邦の場合、山野に自生することは、ない。

・「濕浸」は、土中で、地下水や池の浸透水等によって湿気を受けることを言うのであろう。

・「非情より、有情と成る者、是れ亦、必ずしも、盡くは、然らざるなり。」とは「植物や鉱物や岩石のような感情を持たない非情な物質が有情(この場合は生物でも動物を限定した謂い)の生き物となるという現象は、これも又、必ずしも全てのものが、ことごとくそうであるわけではない。」の意。この場合は、ウナギの全てが、ヤマノイモの化生(けしょう)したものと考えることは、馬鹿げていると、良安は言っているのである。「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「紅鰕」(イセエビ)の項の注でも、本項のこの部分を引用して述べたのだが、「必ずしも盡くは」の部分にこの噴飯ものの化生説への消極的肯定は見えるものの、良安の観察による視線には、今の我々が敬意を表してよい、当時の良質で堅実な科学者の目があると私は思う。

・「鮓に作りて、甚だ、美なり」の鮨については、「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の巻末の「魚の用」の「鮓」の「宇治丸」の注で考察した。以下に引用しておく。『「宇治丸」という宇治川で捕れる鰻を用いた料理名は、室町時代の記述に現れるらしいが、それ炙り物で、鮓ではない。文政一三(一八三〇)年刊の喜多村節信(ときのぶ)の「嬉遊笑覧」には、鰻の鮓という記述が出て来る。これはどうもウナギ Anguilla japonica の酒漬であるらしいが、それ以上のことは不明である。生ウナギの「熟れ鮓」は、べろべろになった皮とか……う~、流石の私も、ちょっと引いちゃうかも。炙ったものを、漬け込んだものではあるまいか』。なお、続く部分で、もち米を用いると、鮨にならない=発酵しないとあるのだが、これは事実なのか? それとも、粘り気の強い「もち米」と鰻の粘り気との類感的想像なのか? 鰻の鮨に挑戦してみる勇気自体を持たない私としては、食えないかもしれない実験をする気にちょっとならない。何方かのご教授を乞う。

・「江州の勢田」は現在の滋賀県瀬田。「日本書紀」には「瀬田」とあるが、「延喜式」や「倭名類聚抄」等では「勢田」が用いられており、有名な橋は「勢多の大橋」と記すものが多いらしい。かなり自由な混用が行われていたものと思われる。

・「豆州三島明神」は現在の三島市にある三島大社。三島大社の祭神は大山祇命(おおやまづみのみこと)であるが、良安が記すように、ウナギはその御使いとして意識されていた(根拠は不明)。民俗学的にはウナギは一種のトーテムとして見なされる傾向があり、私も実際に鰻を一切食べないという集落を、複数、知っている(妙な偏見を持たれるのは不本意なので村名は明かさない)。三島大社の氏子は鰻を食べないとか、三島では江戸時代まで鰻を食用としなかったという記載もネット上で見かける。最後に。水のせいか、三島の鰻は、確かに、旨い。私ら夫婦の御用達だ。

・「蟹喰鰻」(カニクヒウナギ)は別名「カニクイ」・「カニクイウナギ」・「アカウナギ」と呼ばれるオオウナギ Anguilla marmorata 。「大鰻」で分かるように、成体は有意に巨大。以下、ウィキの「オオウナギ」の項から引用する(段落は/で示した)。『最大で全長2m・体重20kgに達する。背中側は黄褐色の地に黒褐色のまだら模様があり、腹側は黄白色をしている。若い個体はウナギと同様細長い体型をしているが、大型個体は胴回りが丸太のように太くなり、ウナギとは別種であることがわかる。若い個体は体表にまだら模様があるのでウナギと区別できるが、個体によっては模様が薄く、判別が難しい場合がある。またタウナギは胸びれがなく、体表のまだら模様もまばらである。/太平洋とインド洋の熱帯・亜熱帯域に広く分布し、ウナギ科全18種類のうちで最も分布が広い。日本では利根川以西・長崎県以南の暖流に面した地域に生息地が点在するが、南西諸島ではウナギよりも多い普通種である。/川の流れが緩い場所や湖、池、マングローブなどに生息する。昼は岩や植物の隙間に隠れて休み、夜になると泳ぎ出て獲物を探す。雨の日には、特に若い個体が水場を抜け出て他の水場へ移動することがある。食性は肉食性で甲殻類、小魚、カエルなどいろいろな小動物を捕食する。特にカニ類を好むといわれ、「カニクイ」という地方名もある』とある。この上陸して移動する様子は、東南アジアの何処かの国で(あったように思うが、失念)、TVのドキュメンタリー番組の動画中に見たことがあるが、かなり長い距離を蛇のように(やや、ぎこちないが)移動する驚きの映像であった。良安の「口の中が赤い」という情報は未確認だが、異名にあるように、体色は赤味を帯びる個体が多いものと思われる。食べたことがあるが、味は Anguilla japonica には(遥か) 及ばぬ。「次ぐ」では、毛頭、ない。

・「之れを、多く食へば、煩悶し、死に至る。但だ、酸を得て、鰻肉、腹中に膨張すればなり。」これは! あの「鰻と梅干」の食い合わせと通底しているではないか! 胃酸によって、ウナギの肉が膨張して閉塞を起こす、という医師良安先生の科学的薀蓄である! 勿論、「鰻と梅干」は全く問題がない。こんな現象も起こらない。却って脂っこい鰻に梅干を添えるのはさっぱりとしてよいと私は思う。いや、私自身、実際に合わせて食ってみて、問題はなかったのである。]

***


■和漢三才圖會 河湖無鱗魚 巻ノ五十 ○四

やつめうなき

【音里】

 リイ

  鮦【音同】 蠡魚

  文魚    黒魚

  玄鱧    鳥鱧

  【八目宇奈岐】

[やぶちゃん字注:以上四行は、前二行下に入る。]

本綱鱧生江池澤取無時形長軆圓頭尾相等細鱗玄色

有斑㸃花文頗類蝮蛇有舌有齒有肚背腹有鬛連尾尾

無岐形狀可憎氣息鯹惡食品所卑也頭斑㸃有七作北

斗之象夜則仰首向北朝北斗有自然之禮故字从禮省

與蛇通氣色黒北方之魚故有玄黒烏之諸名

肉【甘寒小毒】 療五痔下大小便消浮腫

膽【甘平】   諸魚膽苦惟此膽甘【臘月收取陰乾】治喉痺將死者㸃

 入少許卽瘥

浴兒免痘 除夕黃昬〔=昏〕用鱧一尾【小者用二三尾】煑湯浴兒遍身

 七竅不可嫌鯹以淸水洗去也若不信但留一手或一

《改ページ》

 足不洗遇出痘時則未洗處偏多也

△按鱧北國川澤多有之大抵尺許大者二三尺背蒼黒

 有光腹色稍淺其首不尖口不裂而圓齒細小如針鋒

 兩眼後各有七㸃如目如星如錐孔與目八數故名八

 目鰻【然多有七數撰八數者入藥用】冬月破堅氷取之三四月盛出吮

 着於物難脫土人食之味勝於鰻鱺河州橿原川亦有

 之皆小無過五六寸者色亦不黒但以八月辨之耳人

 以爲有治疳眼之功作魥多送于京師恰似蝮蛇

 俗以鱧訓波無以鱓訓八目鰻也出於倭名抄之誤而

 于今不改者何耶

  鱧【和名波無】 鱣【無奈木】  鰻鱺【和名波之加美伊乎】 鮎【和名阿由】

  鮠【和名波江】 鱏【和名衣比】 鯷【和名比之古以和之】

 此等倭名抄之訛也詳于各條

 醫書有以鱔【或鱓】爲鱧入疳藥中者非也治疳之功八目鰻

 而已鱔卽俗云木太古【見于後】

やつめうなぎ

【音里】

 リイ

  鮦〔(とう)〕【音、同。】 蠡魚〔(れいぎよ)〕

  文魚          黑魚

  玄鱧〔(げんれい)〕   鳥鱧〔(うれい)〕

  【八目宇奈岐。】

「本綱」に『鱧は、江・池・澤に生ず。取るに、時、無く、形、長く、軆〔(からだ
〕、圓く、頭〔かしら〕・尾、相〔(あひ)〕等(ひと)し。細かなる鱗、玄〔(くろ)〕き色、斑㸃〔の〕花文、有り。頗る
-蛇(はみ)に類して、舌、有り、齒、有り、肚〔(はら)〕、有り。背・腹に、鬛、有りて、尾に連なり、尾に岐〔(また)〕無く、形狀、憎むべし。氣息、鯹-惡(なまぐさ)く、食品の卑(いやし)む所なり頭の斑㸃、七つ、有り、北斗の象〔(かたち)〕を作〔(な)〕す夜は、則ち、首を仰(あをむ[やぶちゃん注:ママ。「あふむけ」が正しい。])け北に向ひて、北斗に朝〔(てう)〕す、自然の禮、有る故、字、「禮」の省(はぶ)くに从ふ蛇と氣を通じて、色、黑く、北方の魚なる故、「玄」・「黒」・「烏」の諸名有り。

肉【甘、寒。小毒あり。】 五痔を療し、大小便を下し、浮腫を消す。

膽〔(きも)〕【甘、平。】 諸魚の膽は、苦し。惟だ、此の膽〔のみ〕甘し【臘月〔(らふげつ)〕、收〔(をさ)〕め取りて、陰乾す。】。喉痺〔(こうひ)〕〔にて〕、將に死せんとする者を治し、少しばかり㸃じ入れば、卽ち、瘥〔(い)=癒〕ゆ。

兒〔(こ)〕を浴(ゆあ)みさせてを免る 除-夕(としこし)の黃-昬(ゆふぐれ)に、一尾を用ひて【小さき者は二、三尾を用ふ。】、湯に煑て、兒の遍身七竅を〔→に〕浴(あび)せる。鯹きを嫌ひて、淸水を以つて、洗ひ去るべからざるなり。若し信ぜずして、但だ、一手、或いは、一足を留めて、洗はざれば、出痘〔(しゆつとう)〕の時に遇〔(ふに)〕、則ち、未だ洗はざる處、偏へに多し。』と。

△按ずるに、鱧〔(やつめうなぎ)〕は、北國の川澤に、多く、之れ、有り。大抵、尺ばかり、大なる者、二、三尺。背、蒼黒く、光、有り。腹の色、稍〔(やや)〕淺し。其の首、尖〔(とが)〕らず、口、裂けずして、圓く、齒、細かく、小さく、針の鋒〔(さき)〕のごとし。兩眼の後(しりへ)に、各々、七㸃、有りて、目のごとく、星のごとく、錐の孔のごとし。目とともに八數〔(やつかず)たり〕。故に、「八つ目鰻」と名づく【然れども、多くは、七數、有り。八數の者を撰みて、藥に入れ、用ふ。】冬月、堅き氷を破りて、之れを取る。三、四月、盛んに出づ。物に吮〔=吸〕(す)ひ着きて、脫し難し。土人、之れを食ふ。鰻鱺より、味、勝れり河州〔=河内〕橿原(かしはら)の川にも亦、之れ、有〔(るも)〕、皆、小さく、五、六寸に過ぐる者、無し。色、亦、黒からず。但し、八つ目を以つて、之れを辨ずるのみ。人、以つて、疳眼〔(かんがん)〕を治するの功、有りと爲す。魥(ひもの)に作〔りて〕、多く、京師に送る。恰〔(あたか)〕も、-蛇(へび)に似たり。

俗に、「鱧〔(レイ)〕」を以つて、「波無〔(はむ:ハモ。)〕」と訓じ、「鱓〔(セン)〕」を以つて、「八目鰻」と訓ずること、「倭名抄」の誤りより出でて、今に于〔(おい)〕て、改めざるは、何ぞや。[やぶちゃん注:以下は読み易さを考え、個々に改行した。]

  鱧(やつめうなぎ)【和名、波無〔(はむ)〕。】

  鱣(ふか)【無奈木〔(むなぎ)〕。】

  鰻鱺(うなぎ)【和名、波之加美伊乎〔(はじかみいを)〕。】

  鮎(なまづ)【和名、阿由〔(あゆ)〕。】

  鮠(なめいを)【和名、波江〔(はえ)〕。】

  鱏(かなどをし)【和名、衣比〔(えひ)〕。】

  鯷(なまづ)【和名、比之古以和之〔(ひしこいわし)〕。】

此れ等は、「倭名抄」の訛〔(あやまり)〕なり。各條に詳らかなり。

醫書に、「鱔〔(セン)〕」【或は「鱓」。】を以つて、「鱧(やつめうなぎ)」と爲して、〔の〕藥の中に入るる者、有〔(れど)〕、非なり。疳を治するの功、八つ目鰻のみ。「鱔」は、卽ち、俗に云ふ「木太古〔(きたご)〕」〔なり〕【後に見ゆ。】。

[やぶちゃん注:脊椎動物亜門無顎上綱(円口類=無顎類) 頭甲綱ヤツメウナギ目ヤツメウナギ科 Petromyzontidae に属する生物。体制が似ているために「ウナギ」の呼称がつくが、生物学的には、タクソン上、魚上綱に含まれないため、「魚ではない」という見解があるが、では、その習性から、魚に付着して体液を吸引する寄生虫とするのも、私には馴染まない気がする。要は原始的で「生きた化石」である魚類寄生に特化した淡水産で寒冷水域を主な棲息域とする(現生種)水棲生物なのである。複数種が知られるが、本邦の場合、食用有益種としては、

同科ヤツメウナギ亜科カワヤツメ属カワヤツメ(ヤツメウナギ) Lethenteron japonicum

及び、

スナヤツメ Lethenteron reissneri

である。ヤツメウナギ類はウナギ類のレプトセファロス(Leptocephalus)同様に、幼生が成魚と大きく異なった形態をしており、アンモシーテス“Ammocoetes”と呼ばれる。幼生は、目が、皮下に埋没していて、無眼に見え(但し、負の走光性を示すので感覚器としては機能していると思われる)、口吻も、ロート状、又は、頭巾状(成魚は吸着吸引に特化したかなりエグい吸盤状を呈する)で、川床の泥中に四年間ほど(ある記載では一~七年と幅が広い)底棲している。変態後(変態後は開眼する)は海に下り、魚類に吸着して体液を吸う(ヤツメウナギ目には降河しない種がおり、彼等は産卵まで餌を全くとらないという)、二~產年後(スナヤツメでは、この期間が短く、半年程度であるらしい)に、産卵のために、再び、川に遡上する。その際には、もう、摂餌をせず、目も消化管とともに退化してしまい、体長もアンモシーテス期より逆に小さくなるともされる。再び、盲(めし)い、飲まず食わずで、身を細らせての、皮つるみ、そして死――ドラキュラのごとく忌み嫌われる彼等も、確かな生物の厳粛な営みの中にいる(後半のアンモシーテス幼生とライフ・サイクルについては幾つかの記載を総合的に参照したが、特に「月光川の魚乃出版会/川魚紳士録」の「アンモシーテス幼生」に関わる2ページから多大な智を得た)。

・「蠡魚」の「蠡」の字義には「むしばむ・はげる」・「木喰虫」・「瓢簞」・「蝸牛」・「蜷」・「法螺貝」等の多様な意味があるが、どれもしっくりこない。魚類の体液を吸い取る習性から「むしばむ」とするか? 昆虫綱甲虫目多食亜目(=カブトムシ亜目)ゾウムシ上科 Curculionoidea のキクイムシ等が蚕食した木の内部の穿孔痕と形が似ているからか? これはちょっとありそうもないが、一番似ていると私が感じるのは、海のキクイムシとも言うべき二枚貝綱真弁鰓目フナクイムシ科テレド属フナクイムシ Teredo navalis japonica 等のフナクイムシ類か?……どれも牽強付会を免れそうもない。

・「蝮蛇」は、通常、爬虫綱有鱗目へビ亜目クサリヘビ科マムシ亜科マムシ属 Gloydius のマムシの仲間を総称する。後述の良安の「蝮蛇」は、ルビでは「ヘビ」としているものの、「本草綱目」の方に「ハミ」のルビを振っている。「ハミ」は「咬む(はむ)」が訛った語で、古くからのマムシの異名であるから、やはり良安の念頭にはニホンマムシ Gloydius blomhoffii があったもの考えてよい。

・「食品の卑む所なり」「食用としては極めて下級なものである」というのである。後文で、良安も「土人、之れを食ふ」と言うのであるが、しかし、その直後に「鰻鱺より、味、勝れり。」と述べているのはどういうことか? 賤しい食い物であるが、実はウナギより旨い、というのは解(げ)せない。これは、「土人、之を食ふに、『鰻鱺より、味、勝れり。』と。」で、「土着の賤民は、この奇体なヤツメウナギを常食し、且つ、『味はウナギに勝って、旨い。』と言っている(が、怪しいもんだ)。」の意味ではなかろうか? 良安が実地に食してみて、「ウナギより旨かった」と言っているようにも取れなくはないが、どうも、その他の部分の叙述を見る限りに於いて、良安が自律的に食の発見をしたようには読めない。ヤツメウナギについての食味の叙述は、ここだけで、時珍も良安も、専ら、薬餌としての記述に偏している。思うに、実は、時珍は、蛇が嫌いだったのではないか? 旨いが、蛇のような形態から「食品の卑む所なり」と捉えられているとも言えるかもしれない(但し、中華料理では普通に蛇を食うことは周知の通りで、良安個人の生理的嫌悪感という意味でではある)。因みに、私は、ヤツメウナギ、何度か食べたが、堅さと、独特のあの脂っこさから、あまり好きな味ではない。断然、鰻の方が旨いことは言うまでもない。

・「頭の斑㸃、七つ、有り、北斗の象を作す」ヤツメウナギは体側の目のやや後方に七つの鰓孔を持つところから、眼をその数に入れて、かく、命名された。但し、鰓孔は、後部に向って、体に平行に等間隔で開いており、北斗星の形等には、なっていない。これはその直後に記される事項注の辛気臭い時珍の載道的生態行動解釈を引き出すためのだけのものであると私は断ずるものである。

・『夜は、則ち、首を仰(あをむ)け、北に向ひて、北斗に朝す、自然の禮有る故、字、「禮」の省(はぶ)くに从ふ」野生の八目鰻と親しくしたことはないから確証を持っては言えないが、このような実際の生態行動はないであろう。北斗星は、中国では、古来より時刻・季節の推移を予兆する星として重要視され、後に道教で「北斗神君」などとして神格化され、寿命・禍福を司るものとして信仰された。また、この「朝す」とは「拜む・礼拝する」の意である。即ち、「八目鰻は、夜になると、首を仰向けにして、常に北に向けて、神聖な北斗神君のシンボルであるところの北斗星を『禮』拝し、自然の礼をとり行う故に、その漢字は「禮」を省略して(「示」を「魚」に換えて)「鱧」という字に造るのである。」という意味である。

・「蛇と、氣を通じて」とは、私には、先の「鰻鱺」の項で「影を以て鱧鱺に漫〔(みだら)〕し」と同工異曲であるように思われる。即ち、「八目鰻は、蛇と、気を通じて、交接することが出来、」という意味でとりたい。

・「五痔」は、牡痔(外痔核)・牝痔(内痔核)・脈痔(切れ痔)・腸痔(脱肛)・血痔(血便を伴う内痔核)の五種を指す。

・「臘月」は旧暦の十二月。「臘」は、「獣を狩って、先祖を祀る祭り」を指す語で、この時期に、この儀礼を行ったことからの命名とする。

・「喉痺」は咽喉部分の乾燥感・疼痛、嚥下時の違和感や不具合、現在で言う急慢性咽喉炎の症状を総称するが、この場合は咽喉部が激しい炎症を起して食物の嚥下が全く不能なために栄養摂取が出来ず、飢餓状態にある重症患者(だから死にかかっている。最悪で咽頭癌か)と考えてよいであろう。

・「痘」は天然痘(痘瘡)。二〇〇五年刊行の「国際ウィルス分類委員会報告書 第8版」によると、天然痘ウィルスは以下のように分類される。

 第1Group I2本鎖DNAを持つグループ

  ポックスウイルス科Poxviridae

   チョルドポックスウイルス亜科Chordopoxvirinae

    オルトポックスウイルス属ワクシニア亜群Orthopoxvirus, Vaccinia Subgroup

     痘瘡ウイルスVariola virus

但し、「痘瘡ウィルス」を示す場合、現在でも Poxvirus variolae と示している記載も多く、また亜群の Orthopoxvirus は「オルソポックスウイルス」と読むものもある。更に臨床的には二十~五十と比較的致死率の高い Variola major 、及び、致死率一%以下の variola minor にも分けられるが、この二タイプは、その増殖時の温度差以外に、ウィルス学的な性状は区別出来ないとする。一九八〇年五月八日、WHOは「天然痘根絶宣言」を行った(これは人類史上唯一の人為的な感染症撲滅の宣言でもある)(以上の記載については、「健康NAVI質疑応答集」のこのページを参照した)。なお、天然痘は人類史上最初の生物兵器であったという話も読んだことがある。アレクサンダー大王の東方遠征で敵地に天然痘患者の着た衣服を送って戦わずして勝ったとか言うのがそれだ。

・「然れども、多くは、七數、有り、八數の者を撰みて、藥に入れ用ふ。」は「しかし、実際には、八目鰻の目と孔は数えてみても、多くは七個であって、正しく八個あるもののみを、処理して、薬用とする。」というのだが、鰓は、通常、七つあり、この記載は一見不審だが、これは遡上した成魚はなく、川床のアンモシーテス幼生のことを言っているのだと思う。目が皮下に閉塞しているために七つなのだ。

・「河州橿原川」現在の大阪府に橿原川という名の川はない。大和川水系の大和川の上流に奈良県内と通じる原川という川がある。ここは奈良の橿原とも近いので、この川の古名であろうか。識者のご教授を願う。

・「小さく、五、六寸に過ぐる者、無し。色、亦、黒からず。但し、八つ目を以つて、之れを辨ずるのみ」これは「魚体が小さく、十五~十八センチメートルを超えるものはいない。色も、知られる八目鰻のように、黒くない。ただ、八目鰻と同じく、目と鰓の穴を合わせて八つあることから、これを八目鰻の仲間であると判別出来るばかりである。」という意味である。これはカワヤツメよりも遥かに小さく(カワヤツメは成魚の体長は四十~五十センチメートル。カワヤツメはアンモシーテス幼生から変態した直後は十四~十九センチメートルで、先に記したように産卵期に入ると摂餌を止め、第二次性徴の結果、体が縮小してしまい、十三~十六センチメートルになってしまう)、色も黒くない(アンモシーテス幼生は赤みがかった明るい肌色で、成魚は茶褐色)スナヤツメ Lethenteron reissneri と見て間違いない。

・「疳眼」は充血(赤目)・目脂(めやに)・角膜乾燥症・水疱様小結節(フリクテン“phlycten”=目星)の生じるフリクテン角結膜炎等の結膜アレルギーによる眼病。

・「鱓」は音「せん」で、一般には硬骨魚綱ウナギ目ウツボ亜目ウツボ科 Muraenidaeのウツボ類を指す字である(国字としてはカタクチイワシの干物を謂う「ごまめ」の字でもある)。

・「波無」(ハム)はウナギ目アナゴ亜目ハモ科ハモ Muraenesox cinereus 「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「海鰻」の項を参照されたい。

・「鱣」(フカ)はサメの別称。軟骨魚綱板鰓亜綱Elasmobranchiiに属する魚類の中で、原則として鰓裂が体側に開くものの総称である。「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鱣」の項を参照されたい。良安は「鱣」と「鮫」を別種として区別しているので、同巻の「鮫」も参照されたい。

・「無奈木」(ムナギ)は条鰭綱ウナギ目ウナギ亜目ウナギ科ウナギ Anguilla japonica 。本邦でのウナギの古名。但し、「廣漢和辭典」の「鱣」の項には「一」として『①こいの一種。②大魚の名かじきに似て、肉は黄色。』とし、「二」として、即ち、中国での意義の別な一つとして、『魚の名。うなぎに似た淡水魚。=うみへび⇒鱓。』というウナギみたような淡水魚でウミヘビだあという意味不明の記述が見られる(「鱓」という字は前の注を参照)。但し、「白鱓」ならば、既に見た通り、ウナギの中国での別称である。前項「鰻鱺」の「白鱓」の注を参照されたい。

・「鰻鱺」(ウナギ)は同前でウナギ Anguilla japonica

・「波之加美伊乎」(ハジカミウオ)の「ハジカミ」はミカン科のサンショウ(山椒) Zanthoxylum piperitum の古名(但し、サンショウに味が似ることから、ショウガ科のショウガ Zinziber officinale をも、「ハジカミ」と呼称するのは、食材で御存知と思うが、注意が必要である)。サンショウウオ両生綱の有尾(サンショウウオ)目サンショウウオ亜目 Cryptobranchoidea に属するサンショウウオを広く指す語であるが、良安のイメージは同目のオオサンショウウオ科 Cryptobranchidae オオサンショウウオ Andrias japonicus と考えてよい。前項の「鯢」(オオサンショウウオ)をサンショウされたい。チャン、チャン!

・「鮎」(ナマズ)は鮎ではなく、硬骨魚綱ナマズ目 Siluriformes の魚類を総称する漢名称。前掲の「鮎」(ナマズ)の項を参照。

・「阿由」(アユ)はキュウリウオ目キュウリウオ亜目キュウリウオ上科アユ科アユ Plecoglossus altivelis altivelis 「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「鰷」(アユ)の項を参照。

・「鮠」(ナメウオ)はクジラ目ハクジラ亜目ネズミイルカ科スナメリ属スナメリ Neophocaena phocaenoides 「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鮠(なめいを)」の項を参照。

・「波江」「ハヤ」又は「ハエ」とは、通称の複数の種を含むもので、これは概ね、

コイ科ウグイ亜科ウグイ属ウグイ Pseudaspius hakonensis

コイ科ウグイ亜科アブラハヤ属カラアブラハヤ(アムールミノー)亜種アブラハヤ Rhynchocypris logowskii (日本固有亜種)

コイ科ウグイ亜科アブラハヤ属コウライタカハヤ(チャイニーズミノー)亜種タカハヤ Rhynchocypris oxycephalus jouyi (日本固有亜種)

コイ科クセノキプリス亜科 Oxygastrinae ハス属オイカワ Zacco platypus

コイ科クセノキプリス亜科カワムツ属ヌマムツ Nipponocypris sieboldii (日本固有亜種)

コイ科クセノキプリス亜科カワムツ属カワムツ Nipponocypris temminckii

の六種を指す一般の通称総称であると考えてよい。漢字では、「鮠」「鯈」「芳養」等と書き、要は、日本産のコイ科 Cyprinidae の淡水魚の中で、成魚の通常個体が中型の淡水魚で、細長いスマートな体型を有する食用になる種群の、釣り用語や、各地での方言呼称として用いられる総称俗称であって、「ハヤ」という「種」は存在しない。以上の六種の内、ウグイ・オイカワ・ヌマムツ・アブラハヤの四種の画像はウィキの「ハヤ」で見ることができる。タカハヤカワムツは、それぞれのウィキ(リンク先)で見られたい。なお、この内、カワムツは、長く、ヌマムツと同種として考えられていた種であったが、ごく最近の二〇〇三年になって、初めて別種として新種認定された種である。而して、狭義には、主に関東方言で、「コイ科ウグイ亜科ウグイ属ウグイ Tribolodon hakonensis の別名でもあるが、良安は、「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「𫙰(ハエ)」で、明確にその同巻の前項にある「鯎」のウグイと区別している。これは、私はコイ科ダニオ亜科のオイカワ Zacco platypus の♀ではないかと思っている。その同定過程は、「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「𫙰」を参照されたい。

・「鱏」(カナドオシ)これは通称「カジキマグロ」と言われるスズキ目メカジキ科 Xiphiidae およびマカジキ科 Istiophoridae の二科に属する魚の総称である。「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鱘」(カジキ)を参照。

・「衣比」(エイ)軟骨魚綱板鰓亜綱 Elasmobranchii に属する魚類の中で、鰓裂が体の下面に開くものを便宜的に総称する語。「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「海鷂魚」(エイ)を参照。

・「鯷」(ナマズ)で前掲注「鮎」同前。中国では本字は確かに「鯰」・「大鯰」の謂いである。

・「比之古以和之」(ヒシコイワシ)は、カタクチイワシ科カタクチイワシ Engraulis japonica 「和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚」の「鰯」(イワシ)の項の「鯷(ひしこ)」の注を参照。国字の意味として「廣漢和辭典」に所載する。

・「鱔【或は「鱓」。】」「廣漢和辭典」に「鱔」は「鱓」の俗字とする。「鱓」は前の注に掲載した通り。

・「疳」は、小児に特異的な症状の総称。五臓(肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓)が乱れ、精神症状(夜泣き・疳の虫・ひきつけ等)や、身体的な諸症状(食欲不振・嘔吐・下痢等)の二症状が複合的に発生することを言う。現代の小児医学での消化不良・自家中毒・小児脚気・小児結核・夜驚症・寄生虫感染症等を包括する概念と言える。

 ・「木太古」キタゴ タウナギ目タウナギ科タウナギ Monopterus aibus 。本種は、ウナギ類に形状が似ているため(私は似ているとは実は思っていないが)、「ウナギ」という呼称が入るが、所謂、ウナギ目とは全く関係がない。以下の「木太古」(タウナギ)の項を参照。]

***

■和漢三才圖會 河湖無鱗魚 巻ノ五十 ○五

きたご

 あふらこ

【鱔同】

チヱン

  黃

  【俗云木太古】

  【西國人呼名阿布良古】

[やぶちゃん字注:以上三行は、前四行下に入る。]

本綱鱓生水岸泥窟中似鰻鱺而細長亦似蛇而無鱗有

靑黄二色黃質黒章體多涎沫大者二三尺夏出冬蟄

一種有蛇變者名蛇鱓【有毒害人】以缸貯水畜數百頭夜以燈

照之其蛇化者必項下有白㸃遍身浮水上卽棄之或以

蒜瓣投於缸中則群鱓跳擲不已亦物性相制也

肉【甘大溫有毒】 時行病後食之多復也多食發諸瘡損人壽

△按鱓西國水岸泥中多有之狀似鰻鱺而畧扁其大者

 二三尺口尖齒細眼小亦似蛇而無鬐深黃色有小黒

 文多涎沫自尾剥皮肉白而肉中有毛刺煑食之

三才圖會云鱓性好𪾶今鬻者必寘鰌其中使之動撓不

《改ページ》

然徃徃𪾶死

きたご

 あぶらこ

【鱔、同じ。】

チヱン

   黃

   【俗に木太古と云ふ。】

   【西國の人、呼んで阿布良古と名づく。】

「本綱」に、『鱓は、水岸泥窟の中に生ず。鰻鱺(うなぎ)に似て、細長く、亦、蛇に似て、鱗、無し。靑・黄の、二色、有り。黃質黑章、體〔(からだ)〕に、-沫〔(よだれ)〕、多し。大なる者、二、三尺、夏、出でて、冬、蟄〔(こ)〕もる。

一種、蛇の變ずる者、有りて、蛇鱓〔(だせんだぜん)〕と名づく【毒、有りて、人を害す。】。缸〔(かう)〕を以つて、水を貯へ、數〔(す)〕百頭を畜す。夜、燈を以つて、之れを照すに、其の蛇の化〔(け)〕したる者は、必ず、項〔(うなじ)〕の下に、白き㸃、有りて、遍身、水上に浮〔(ただよ)〕ふ。卽ち、之れを棄つ。或いは、蒜〔(ひる)〕の瓣を以つて、缸〔(かめ)の〕中に投ずれば、則ち、群鱓、跳擲〔(てうちやく)〕して已(や)まざるも亦、物性〔(ぶつせい)〕、相〔あひ〕制すればなり

肉【甘、大溫。毒、有り。】 時行病〔(はやりやまひ)〕の後に、之れを食へば、多くは、復(みか)へるなり。多く食へば、諸瘡を發し人の壽を損ず。』と。

△按ずるに、鱓は、西國の水岸泥中に、多く、之れ、有り。狀〔(かたち)〕、鰻鱺に似て、畧〔(ほぼ)〕扁たく、其の大なる者、二、三尺。口、尖り、齒、細かに、眼〔(まなこ)〕、小さく、亦、蛇に似て、鬐(ひれ)、無し。深黃色。小さき黑文、有り。涎-沫〔(よだれ)〕、多く、尾より、皮を剥ぐ。肉、白くして、肉の中に、毛刺〔(けばり)〕、有り。煑て、之れを食ふ。

「三才圖會」に云はく、『鱓の性、睡〔(ねむ)〕るを好みて、今、鬻〔(ひさ)〕ぐ者、必ず、鰌〔(どじやう)〕を其の中に寘〔(い)=入〕れて、之れをして、動撓〔(どうだう)〕せしむ。然らざれば、徃徃にして、𪾶〔(ねぶ)〕りて、死す。』と。

[やぶちゃん注:中華料理には欠かせない食材の一つであるタウナギ目タウナギ科タウナギ Monopterus aibus である。本邦にも西日本の各所に棲息するが、在来種であるかどうかは、現在のところ、不明である。私は大陸や朝鮮半島からの移入種である可能性が高いように思うが、当該ウィキによれば、少なくとも、『南西諸島に分布する個体群は、東南アジアのものとも』、『中国・日本のものとも』、『異なる系統に属している』『ため、中国・日本の系統からは』五百七十『万年以上前に分岐したと推定され』ており、従って、『人為的移入は考えにくく、琉球には固有の在来タウナギ類が生息しているということになる』『ため、保護の必要性が指摘されている』とあった。なお、「鱓」は音「セン」又は「ゼン」で、前掲の「鱧」(ヤツメウナギ)の注でも示した通り、現在、一般には、硬骨魚綱ウナギ目ウツボ亜目ウツボ科 Muraenidaeのウツボ類を指す字としても用いられ、国字としては、食品の「カタクチイワシの干物」を謂う「ごまめ」を指す漢字でもある。但し、「白鱓」と書くと、「ウナギ」を指すと思われる(前掲の「鰻鱺」の「白鱓」の注参照)。

・「涎沫」は音ならば「センマツ」であるが、他所で良安は二字で「よだれ」と訓じているので、それに従う。所謂、粘り気の強い体液を指す。

・「缸」は、十升は入るという素焼きの大きな甕(かめ)を指す。「もたい」とも呼ぶ。

・「蒜の瓣」の「蒜」はユリ目ユリ科ネギ属ノビル Allium macrostemon 、若しくは、同属のニンニク Allium sativum を指す(東洋文庫版では「にら」のルビを振るが、従わない)。「瓣」は「弁」に吸収された字の一つで、「蜜柑や大蒜などの草体の一片」・「花びら」の意であるが、どちらとも決し難い。しかし、以下の「物性、相制すればなり」という叙述からすれば、どちらでも同じ現象が起るはずであるように思われる。

・「跳擲」は「飛び跳ねる」こと。難読語によく出る「打擲」(ちょうちゃく)と音が一緒だが、こちらは「殴打すること」で意味が違う。

・「物性、相制すればなり。」は「それぞれの物の根本的な性質が、互いを相い制するからである。」で、「そのように相互に反発するのは、生成要素に基づく属性に因る。」と言っているのである。

・「時行病」は「時疫」「疫癘」等とも言い、流行病、「はやりやまい」、悪性の伝染病のこと。

・「復(みか)へる」は、当初、「復(〔(よ)〕みか(が))へる」というふうに「よ」が脱落したと考えて訓を補っていたが、流行病に罹患した予後の不具合から、「蘇る」という言い方は、少し、おかしいと気づいた。これは「回復する」の意味であるから、文字通り、「身返(みかへ)る」であろうと思い、表記のようなルビのママとした。

・「諸瘡を發し」は、広くアレルギー性の皮膚疾患の発症を言う。

・「人の壽を損ず」程の毒性は、これ、タウナギには、ないよねぇ、と思った……が――ネット検索をかけていると、現代版の「人の壽を損ず」程のとんでもない養殖タウナギの毒性が語られているのを発見した。――いやいや! それは、原型公開の二年前に、厚労省が中国産タウナギから検出したという「食べても健康への影響はない」と宣うた合成抗菌剤エンロフロキサシンとシプロフロキサシン――では、ない、のだ! タウナギの生態に関する中文の新聞記事や、個人のブログ記載等を綜合すると、タウナギはウナギ目ウナギ亜目ウナギ科の真正のウナギ Anguilla japonica と少し似て、基本的に中性で生まれ、孵化後三年ほどすると、二十五~三十センチメートル大の♀の成熟個体が出現し、その後に更に♂が出現するという。この♀の個体を早く出現させて商品化するために、人間の用いる避妊薬=女性ホルモン剤(エストロゲンと黄体ホルモン)をタウナギに投与することで、成長を促すのだそうである。実際にタウナギは、それを投与すると、早く体重が増えるという。しかし、投与された個体は、体内に、当然、そのホルモンが蓄積し、生体濃縮されるのではないか?! 一定量以上の女性ホルモンが、人体への多様な障害の素因になることは、よく知られている(乳癌発生率の上昇・流産や不妊症の惹起・女児の二次性徴早期発生・男児の女性化等々)。これが事実ならば、環境ホルモン何ぞ、遥かに突き抜けているではないか!! 私は特定の国へのパッシングに加担する積もりは全くない(そもそも、そういうことにメクジラを立てる君は、クジラはおろか、タウナギなんぞは当然、食べんだろうからな。僕はクジラもタウナギも、食べるよ)。こうした水面下の怖ろしい事実は、どこの国でもあり得ることを、我々は胆に命じねばならないということである。

・「毛刺」は、「細い毛の針ように多くの針状の小骨がある」の意。

・「鰌」は、本書のお手本、明の王圻(おうき)の「三才図会」の記述であるから、硬骨魚綱コイ目ドジョウ科 Cobitidae のドジョウ類で止まりだ。次項参照。

・「動撓せしむ」とは、「タウナギ売りは、活発に動き回る鰌を、タウナギの生簀に入れておくことで、タウナギを、びっくりさせて、ぐるぐると動き回らせるようにする。」という意である。そうしないと、眠ることが性(さが)であるタウナギは、眠ったまま、死んじゃうんだっていうのは、勿論、泥も入れてあったであろう生簀の中の溶存酸素がなくなって、窒息するんだろうという理屈なんだけど、何とも、魅力的――眠ったまま誰か首を絞めてくれる者はいないか――という芥川龍之介まがいの僕としては、素敵な性(さが)じゃあないか!――]

***


どじやう

泥鰌

  鰍【同】 鰼【同】

  【俗云止之也宇

   泥鰍字音

   之訛也】

[やぶちゃん字注:以上四行は、前二行下に入る。]

本綱泥鰌生湖池長三四寸沉於泥中狀微似鱓而小銳

首肉身靑黒色無鱗以涎自染滑疾難握與他魚牝牡生

沙中者微有文采劙去脊骨作臛食甚美也燈心煑鰌甚

妙也性酋健好動善優故名

肉【甘平】 暖中益氣醒酒解消渇收痔

海鰌 生海中極大

江鰌 生江中長七八寸

△按沙中鰌頭背連尾有紋淡黒斑微似鷹彪故名鷹羽

 鰌味美江州水口造鰌臛鬻之甚佳今人溝渠中入馬

《改ページ》

■和漢三才圖會 河湖無鱗魚 卷ノ五十 ○六

 糞畜鰌者肥大繁生然骨硬味不如于流水自長者也

どじやう

泥鰌

  鰍【同じ。】 鰼【同じ。】

  【俗に云ふ「止之也宇」は「泥鰍(でいしう)」の「字」の「音」の訛りなり。】

「本綱」に『泥鰌は、湖池に生ず。長さ三、四寸。泥中に沉〔(しづ)〕む。狀〔(かたち)〕、微〔(かす)〕かに「鱓〔(きたご)〕」に似て、小さく、銳くして、首〔(かうべ)の〕肉の身、靑黒色。鱗、無く、涎〔(よだれ)〕を以つて、自〔(みづから)〕、染む。滑(ぬめ)りて、疾(と)く握り難し。他の魚と、牝牡〔(ひんぼ)〕す。沙中に生ずる者は、微〔(わづ)かに〕、文采〔(ぶんさい):模様。〕、有り。脊骨を劙〔(わ)り〕去つて、臛(にもの)と作〔(なさ)〕しめ、食ふ。甚だ、美なり。燈心にて、鰌を煑れば、甚だ、妙なり。性、酋健〔(しうけん)〕にして、好みて、動き、善く、優〔(たはむ)〕る。故に名づく。

肉【甘、平。】 中〔(ちゆう)〕を暖め、氣を益し、酒を醒(さ)まし、消渇〔(しやうかつ)〕解し、痔を收〔(をさ)〕む。

海鰌〔(かいしう)〕 海中に生ず。極めて大なり。

江鰌 江中に生ず。長さ七、八寸。』と。

△按ずるに、沙中の鰌、頭・背、尾に連りて、紋、有り。淡黒の斑(まだら)微かに鷹の彪(ふ)に似る。故に「鷹羽鰌〔たかのはどじやう)〕」と名づく。味、美なり。江州〔=近江〕水口(みなぐち)にて鰌臛(〔どじやう〕じる)を造りて、之れを、鬻〔(ひさ)〕ぐ。甚だ、佳し。今〔(いま)〕、人、溝渠〔(こうりやう)〕の中〔に〕、馬糞を入れ、鰌を畜(やしな)ふは、肥大にして、繁生〔(はんじやう)〕す。然れども、骨、硬くて、味、流れ水に、自〔(おのづか)〕ら長ずる者に、如(し)かざるなり。

[やぶちゃん注:本邦にはドジョウ科 Cobitidae に三属二十六種・亜種が棲息するが、我々が本邦に於いて一般にドジョウと認識し食べている正統な種のは、

コイ目ドジョウ上科ドジョウ科ドジョウ属ドジョウMisgurnus anguillicaudatus

である。但し、最後に「△」以下で良安の記載するドジョウは、その特徴的な斑紋から、多数の種がおり、学名も確定していない種も多い、

ドジョウ科シマドジョウ属シマドジョウCobitis sp.

であると思われる。なお、私の偏愛する名店「駒形どぜう」で知られる「どぜう」という表記は、歴史的仮名遣としては、明白な誤りである。由来としては、「どじやう」が四(し)文字で、縁起を気にした江戸商人が、同音の三文字に変えたものとも言うが、不詳である。

・「鱓」はタウナギ目タウナギ科タウナギ Monopterus aibus 。前項参照。

・「涎を以つて、自ら、染む。」「体表から出す粘液によって、自身の体を染色している。」という意であるが、ドジョウの体色は粘液によるものではなかろう。ちなみに、この多量の粘液は、水分がないと、多量に分泌されて、ドジョウの生存をある程度まで保持する効果がある。呼吸を助ける成分が粘液中に含まれている可能性があると思われる。

・「疾く」は「すばしっこい」の意。

・「他の魚と牝牡す」とは、他種の魚と交尾をする、の意。淡水魚類の生殖的隔離は進んでおらず、異種間でも受精することは事実である。例えば、コイ亜科フナ属ギンブナ Carassius gibelio ドジョウの精子で受精することが知られている。

・「劙」この字は「廣漢和辭典」にも所収しない。「蠡」には、「分ける」「わかつ」の意があるので、仮に「わる」と訓じておいた。ちなみに、東洋文庫版では、この字を、「(さ)く」と訓じている。

・「燈心」はトウシンソウの異名を持つイグサ目イグサ科イグサJuncus effusus var. decipens を指すか。このような調理法は未見。

・「酋健」の「酋」は「豪」に通ずるので、「豪健」=「剛健」で、性質・体力共に強いこと。

・「善く優〔(たはむ)〕る」の部分、東洋文庫版現代語訳は「大へんすなおである」と訳すのであるが、どうにも納得出来ない。ここは鰌がしばしば群れをなし、又、ごっそりと多数を樽等で飼い売る時、相互にぬたくっている様を見て、男女がふざけて交わりあう様に擬えて「元気に、よくまあ、皮つるみするように戯れる」の意で取った。御批評があれば乞う。

・「中」は漢方で言う消化器官の総称。

・「消渇」は、口が渇き、多飲多尿を示す症状で、糖尿病を指すと思われる。

・「解し」は、緩解させる、の意。病勢が治まり、快方に向うこと。

最後に。私はどぜう鍋が三度の飯より好きな変わり者である。何より何処より「駒形どぜう」の丸(まる)に限る! 本店の座敷の炭火がベストだが、新しくなった渋谷店(センター街の先から、JRの道を隔てた井の頭線渋谷駅の向かって左側のビルの4階に店舗を移動したのでよろしく)(コロナ下で閉店してしまった! 連れ合いが、二年ほど前に両股関節人工関節手術を受け、杖も忘れるほど若返ったのだが、座敷の方には座ることが出来なくなった。向後、ガスで我慢せねばならぬ。少し寂しい)。お前は回し者か? ってか? おう、自主的回し者とお取りになって一向鎌輪ぬ倭異!

・「海鰌」は想像しにくいと思うが、ホントに「極めて大」なんである! これは哺乳綱クジラ目Cetaceaのクジラ類の総称、若しくは、もっと限定すれば、ヒゲクジラ亜目セミクジラ科セミクジラ Eubalaena japonica を示す語なんである。嘘ではない。これは時珍の叙述であるが、「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」冒頭の「鯨」の項に良安も、至極、真面目に、『其の狀、畧(ほぼ)鰌に似る。故に「海鰌」と名づく』と記している。参照されたい。

・「江鰌」は通常のドジョウに比して有意に大きい。本邦にはいない別種と判断して、同定は回避する。検索の中で、中文サイトから探り当てた古い漢名は「鰌魛(qiú dāo)」「和刀魚」である。中国語の識者の情報を挨つ。多分、中文の「維基文庫」のこの中に、ドジョウ属であるなら、いると思うんだが。

・「鷹羽鰌」シマドジョウ属シマドジョウCobitis sp.の別名。

・「江州水口」は現在の滋賀県甲賀市水口町(みなくちちょう:グーグル・マップ・データ)。東海道の宿場町で、その鰌汁は江戸時代、有名であった。

・「溝渠」は、「みぞ・どぶ」。

・「馬糞」に関わって、実はここに「馬糞鰌(ウマノクソドジョウ)」なるドジョウを掲げておく。フクドジョウ亜科ホトケドジョウ属ホトケドジョウ Lefua echigonia の別名である。松森胤保(文政八(一八二五)年生まれ。庄内藩鶴岡生。松山藩家老。明治期まで生きた博物学者)の私の大好きな「兩羽圖譜」(りょううはくぶつずふ)には、

   *

   鰌𩵋(とじやう)類    鰻鯰屬類別四類之第三類

    馬糞鰌(むまのくそとじやう)種  鰌魚類種別三種之第一種

馬糞土鰌(とじやう)は、昔より我が土に生するものなり。然れども、人、其〔の〕名を悪〔(にく)〕んで、之を食はざるものとなすもの多し。緩流の溝梁等に於て、徃々之を𫉬〔(とら)ふ〕ること、あり。全く、通常の土鰌〔(どじやう)〕に似て、甚〔だ〕、短し。故に、又、鹿蜂に類似す。

   *

という記載がある(以上は「酒田市立図書館ホームページ」「両羽図譜の世界」画像該当ページ(馬糞鰌の図も見れるよ! この本、翻刻したい!)を用いて独自に翻刻した(該当HP内にも翻刻があるが、表記等に、多少、疑問があるため、参考にはしなかった)。その際、片仮名を平仮名にし、一部に読みやすくするため、濁点を振った(「とじやう」という読み方は特異だが、「じ」はルビに濁点があるため、そのまま「と」とし、「どじやう」とはしなかった)。「鹿蜂」は不詳。ドジョウの一種とは思うのだが。識者の御教授を乞うものである。]

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ひを   氷魚

 𩵖   【俗云比乎】

和名抄云𩵖白小魚名似鮊而一二寸者也今称氷魚

△按氷魚狀類白魚大寸許自秋末至冬初聚魚簗以攩

 網取之古者江州田上川城州宇治川多取之今勢州

 參州及駿遠最多以竹串貫眼作魥味甚美

                                  衣笠内大臣

      新六 氷魚のよるを江の海も風さへ〔→さえ〕ぬ田上川や網代うつらん

 若州湖中有小魚似小鰷而細長土人呼名阿末左幾

 自仲冬至初春出味甘美此亦氷魚屬矣

ひを   氷魚

 𩵖   【俗に「比乎」と云ふ。】

「和名抄」に云ふ『𩵖は、白き小魚の名〔なり〕。「鮊(しろいを)」に似て、一、二寸ある者なり。今、氷魚(ひを)と称す。』と。

△按ずるに、氷魚は、狀〔(かたち)〕、白魚〔(しろいを)〕の類にして、大いさ、寸ばかり。秋の末より、冬の初めに至るまで、魚簗(やな)に聚〔(あつ)〕まり、攩網(すくひたま)を以つて、之れを取る。古(いにし)へは、江州〔=近江〕の田上川城州〔=山城〕の宇治川に、多く、之れを取る。今は、勢州〔=伊勢〕・參州〔=三河〕、及び、駿〔=駿河〕・遠〔=遠江〕に、最も多く、竹串を以つて、眼を貫き、魥(めざし)と作〔(な)〕す。味、甚だ、美なり。

                                  衣笠内大臣

「新六」 氷魚の寄る近江の海も風さえぬ田上川〔(たなかみかは)〕や網代うつらん

若州〔=若狭〕の湖中に小魚有り、「小鰷〔(こあゆ)〕」に似て、細長し。土人、呼んで「阿末左幾〔(あまさき)〕」と名づく。仲冬より、初春に至るまで、出づ。味、甘美なり。此れも亦、氷魚の屬〔なり〕。

[やぶちゃん注:私は当初、これを、条鰭綱スズキ目ハゼ亜目ハゼ科ゴビオネルス亜科 Gobionellinae シロウオ属シロウオ Leucopsarion petersi に同定しようと考えていた。それは「本草綱目」を引かない点から、分布域が、本邦と朝鮮半島のみであり、体長が有意に小さい(条鰭綱新鰭亜綱原棘鰭上目キュウリウオ目シラウオ科シラウオ属シラウオ Salangichthys microdon は、成魚が十センチメートル程度であるのに比して、シロウオは最大六センチメートルで、五センチメートル程度が標準的である)、無鱗(シロウオは無鱗なのに対し、シラウオ♂には鰭の部分に十六~十八個の鱗が並ぶ(シラウオ♀は無鱗))等の点からであった。しかし、更に読み進めると、明らかな淡水系水域(河川の中流域や湖)で、簗や網代による伝統漁法、竹串で眼を貫いて目刺とする、最後に、もろに「小鰷」も出てきては、これはもう、確かに、アユの稚魚・幼魚しかあり得ない。

キュウリウオ目キュウリウオ亜目キュウリウオ上科アユ科アユ Plecoglossus altivelis altivelis (奄美大島以南に分布するリュウキュウアユ Plecoglossus altivelis ryukyuensis は別亜種。但し、沖繩本島のそれは絶滅し、奄美産を放流)の稚魚・若魚

に同定する。因みに、琵琶湖に棲息する陸封型アユは和名で「コアユ」と呼称するが、アユと同一種である。既に「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」に「鰷」として、成魚としてのアユは挙げられているので、そちらも参照されたい(以上の注は「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鱠殘魚」の注で用いたものを増補改訂したものである。「鱠殘魚」も参照されたい)。

・「氷魚」現在でも、琵琶湖ではアユの稚魚のことを「氷魚」(「ひお」又は「ひうお」)と呼称する。稚魚は、氷の如く、透き通って見えることに由来するとする。ただ、琵琶湖厳冬期の漁でもあり、そうした意味での、「氷」の張るような寒い時期の二年魚以降の個体群を指すものでもあるのかも知れない。

・「𩵖」の音は「ショウ」(現代仮名遣)。「真名真魚辞典」の当該字の項の和名には、『(1)ヒイオ(集覧「水産俗字解」)。(2)ヒイラ・モロコ・ヌメラ・コオリイオ(同「水産名彙」)。(3)イサザ・ヒウオ(図解)』とある。

・「鮊」は、国字として、キュウリウオ目シラウオ科シラウオ Salangichthys microdon を指すと思われるが、この時代に、スズキ目ハゼ亜目ハゼ科ゴビオネルス亜科シロウオ Leucopsarion petersi が厳密に区別されていたとは、ちょっと疑問があるので、シロウオも挙げておく必要がある。現在でさえも、二つの呼称は、地方によって双方向誤用されている。先に述べた通り、実際には拡大してみると、相応に異なる形態をしてはいるのだが。なお、本字は、中国では、正体不明の無鱗・尾鰭有岐・肉は不味い正体不明の海水魚、及び、コイ目コイ科カマツカ亜科のニゴイ Hemibarbus barbus を指し、国字としては、シラウオ以外に、軟骨魚綱エイ目ガンギエイ科ガンギエイ Raja kenojei をも指す。

・「魚簗」の「やな」は、広く、河川に設けて川魚を獲る仕掛けを言うが、琵琶湖では、高度に特殊化した定置網漁業が行われており、その追い込み型の定置網漁を「エリ漁」と呼称する(漢字表記は「魞」。勿論、国字)。これは、水の流れと、魚類の習性から考案されたもので、湖岸から張られた誘導用の「簀(す)」という竹で編んだ筵(むしろ)の沖合の先端に、左右に「返し」のように張られた「エリ」(この部分を限定して「エリ」と呼称する。全体の形は岸から見ると「↑」のような形になる)からなる。そのエリの巻き込んだ内側の先端部分に設けられた壺状の網をたぐり、魚体を傷つけないように笊(ざる)(本文の言う「攩網」(スクイタマ))を使って汲み上げる。これを「エリ汲み」と呼ぶ(エリの構造や歴史的変遷については「琵琶湖博物館」「エリはなぜ琵琶湖で進化したのか」が詳しい)。

・「江州の田上川」現在の滋賀県大津市田上町を流れる大戸川(だいとがわ・だいどがわ(グーグル・マップ・データのここで、中流で大きく西に曲がって瀬田川に合流する)。古くは田上川(たながみがわ)と呼ばれたが、宝永四(一七〇七)年に上田上の牧村・中野村に於いて、河道が、現在の田上山地の山裾に付け替えられて以降、呼称変更が起こったとする。信楽盆地の最南、高旗山を水源とし、甲賀市信楽町から大津市を貫通して瀬田川に合流する。次の和歌にも見るように、網代の名所(「田上網代」と呼ばれ、そこで獲れた川魚は、内裏に運ばれて公家の食膳を飾ったのである)として歌枕にもなっている。

・「城州の宇治川」京都府宇治市から京都盆地へと向う河川で、琵琶湖を源とする。「淀川」は、上流で「瀬田川」(前注参照)、中流で「宇治川」、京都・大阪の両府の府界付近で「桂川」と呼称し、その下流で木津川と合流した後は、「淀川」と呼ばれて、大阪湾に注ぐ。「宇治川」は「淀川」の通称といってよい。琵琶湖を水源として流出するのはこの川だけである。

・「竹串を以つて、眼を貫き」は以下のページなど参照。現在は「小鮎の浜焼串」と呼ぶらしい。

・「新六」は、正式名称「新撰和歌六帖(新撰六帖題和歌)」で、仁治・寛元元(一二四三)年成立。藤原家良・為家・知家・信実・光俊の五人の和歌を所載した類題和歌集。「衣笠内大臣」とは、衣笠(藤原)家良のこと(仁治元(一二四〇)年十月に内大臣となった。但し、翌二年の四月には上表して辞任している)。藤原定家の門弟。

・「小鰷」以上のアユの稚魚・若魚。

・「若州の湖」は三方五湖の幾つかを指すか。三方五湖とは、福井県三方郡美浜町、及び、同県三方上中郡若狭町に跨って位置する五つの湖の総称で、三方湖(みかたこ)・水月湖(すいげつこ)・菅湖(すがこ)・久々子湖(くぐしこ)・日向湖(ひるがこ)。福井県の発表では、汽水湖である菅湖、及び、久々子湖、淡水湖の三方湖でワカサギ(次注参照)釣れるとするが、塩分濃度に広い適応性を持つ種であるから、汽水湖の水月湖は、勿論、海水湖である日向湖に棲息していても、おかしくない。勿論、その他の現在の福井県内の多くの湖を漠然と指していると解しても、何ら問題はない。

・「阿末左幾」(アマサキ)これはキュウリウオ目キュウリウオ科ワカサギ属ワカサギ Hypomesus nipponensis である。現在でも山陰地方で「ワカザギ」のことを「アマザキ」と呼称する。私が面白く思ったのは、若狭(わかさ)で公魚(わかさぎ)って洒落?! 勿論、これは偶然。語源としては、「わかさぎ」の「わか」は「湧く」で、「サギ」は、「多い」の意、そこから、「沢山、湧くようにいる魚。」という意とする説、また、「ワカ」は「若い・弱々しい」の意で、「サギ」は、白い色のものや、小さな魚を表わす語で、「白い、如何にも、弱々しい感じの小魚。」という意とする二説がある。漢字表記の「公魚」とは、現在の茨城県の霞ケ浦、及び、北浦の一部を治めていた麻生藩が、徳川家斉に、同地の名産であるワカサギを収めていたことから、「公儀御用達の魚」の意味で当てられたとする。なお、「氷魚の屬」という謂いは、アユもキュウリウオ科であるから、決して誤りとは言えない。

・「仲冬」は陰暦十一月の異名。]