やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇へ
鬼火へ
ブログ コメントへ

和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類へ

和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部へ

和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚へ

和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚へ

和漢三才圖會 卷第五十  魚類 河湖無鱗魚へ

和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚へ

和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔類へ

和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部  寺島良安

        書き下し及び注記 ©2007―2023 藪野直史

        (全篇最終校訂     2007年8月15日)

        (最終訂正       2008年2月 2日)

        (一部修正       2021年5月 3日)

        (再校訂・修正・追補開始2023年8月29日午前5:22)

        (再校訂・修正・追補終了2023年9月 2日午前9:58)

[やぶちゃん注:本ページは以前にブログに記載した私の構想している「和漢三才圖會」中の水族の部分の電子化プロジェクトの第一弾である。底本・凡例・電子化に際しての方針等々については、「和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部 寺島良安」の冒頭注の凡例を参照されたい。

 本巻は、何故か、表紙標題・目録部分を含めてすべて「介貝類」となっている(他の巻では「~類」という標記はまま見られるが、目録では「部」とする)が、他の巻との整合性から標題は「介貝部」とした。

 さて全体を通し、誤りを見つけた方、疑義のある方は、是非、御一報あれ。恩幸、之に過ぎたるはない。【二〇二三年八月二十九日追記】私のサイトの古層に属する十五年前の作品群で、当時はユニコードが使用出来ず、漢字の正字不全が多く、生物の学名を斜体にしていないなど、不満な箇所が多くある。今回、意を決して全面的に再校訂を行い、修正及び注の追加を行うこととした。幾つかのリンクは機能していないが、事実、そこにその記載や引用などがあったことの証しとして、一部は敢えて残すこととした。さても……サイト版九巻全部を終えるには、かなり、かかりそうである。]

■和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○   一 [やぶちゃん注:「○」と「一」のスペースはママ。]

和漢三才圖會卷四十七目録

  介貝類

[やぶちゃん注:目次の項目の読みはママ(該当項のルビ以外に下に書かれたものを一字空けで示した。なお本文との表記の異同も認められるが、注記はしていない)。なお、原文では横に三列の罫があり、縦に以下の順番に書かれている。項目名の後に私の同定した和名等を[ ]で表示した。]

(あはび) [アワビ]

真珠(しんじゆ) [貝類体内への異物混入に依り防禦のために生成された物質]

牡蠣(かき ぼれい) [カキ]

(ながたがひ どぶかひ) [ドブガイ]

馬刀(かみそりかひ からすかひ) [カラスガイ]

玉珧(たいらき ゑぼしかひ)  [タイラギ]

海鏡(うみかゞみ) [カガミガイまたはマドガイ?]

(まて) [マテガイ]

𧍧䗯(あこやかひ) [アコヤガイ]

(しゞみ) [シジミ]

文蛤(はまぐり) [ハマグリ]

蛤蜊(しほふき) [シオフキ]

淺蜊(あさり) [アサリ]

阿座蛤(あざかひ) [シャコガイ]

鳥蛤(とりかひ) [トリガイ]

(あかゝひ) 猿頰(サルボ) [アカガイ サルボウ]

やぶちゃん字注:「サルボ」のルビのみ、カタカナ表記。]

車渠(ほたてかひ いたやかひ) [イタヤガイ類

車螫(わたりかひ) [(オオハマグリ)?

貝子(こやすかひ たからかひ) [タカラガイ類]

紫貝(うまのくぼかひ) [ホシダカラ?]

(くつはかひ) [タカラガイ?

貽貝(いのかひ) [ムラサキガイ

馬鹿貝(ばかかひ おふのかひ) [バカガイ]

(みるくひかひ) [ミルクイ]

海蛤(うむのかひ) [斧足(二枚貝)類の貝殻]

香螺(よなき ながにし) [ナガニシ]

蓼螺(にし あき) [アカニシ]

榮螺(さゞえ) [サザエ]

田螺(たにし たつび) [タニシ]

海螄(ばひ) [バイ]

蝸螺(にな みな) [カワニナ]

寳螺(ほらのかひ) [ホラガイ]

鸚鵡螺(あふむかひ[やぶちゃん注:ママ。]) [オウムガイ]

老海鼠(ほや) [ホヤ]

幾左古(きさご) [キサゴ]

錦貝(やこかひ) [ヤコウガイ]

郞君子(すがひ) [スガイ]

海燕(もちかひ) [ヒトデとカシパン]

靈螺子(うに のね) [ウニ]

石蜐(かめのて) [カメノテ]

寄居蟲(かうな かみな) [ヤドカリ類]

貝鮹(かひたこ たこふね) [アオイガイまたはタコブネ]

和漢三才圖會卷第四十七

        攝陽  城醫法橋寺島良安 尚順

   介貝部【蚌類 蛤類 螺類】

[やぶちゃん注:「攝陽」は摂津(現在の大阪府北西・南西部及び兵庫県東部を含む)の南。良安は大坂高津(こうづ)の出身である。尚順は彼の字(あざな)。「法橋」(ほっきょう)は元々は僧位で、法印・法眼・法橋の順で第三位の称号を指すが、中世以後には僧侶に準じ、医師・絵師・連歌師などに与えられた。良安の事跡は生没年も含め、不明な点が多いが、大坂城の御城入医師として法橋に叙せられたことは分かっている。]

 

■和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○一 [やぶちゃん字注:「一」で前ページとダブっている。]


[やぶちゃん注:上部に鰒の殻「表」、下部に鰒の殻「裏」の図。]

あはひ

【音薄】

唐音

 ホツ

 

 石決明

 九孔螺

 殻名千里光

  【和名阿波比】

[やぶちゃん字注:以上四行は、前四行の下に入る。]

 

本艸綱目云鰒形長如小蚌而扁一片無對外皮甚粗細

孔雜雜内則光耀可愛背側一行有孔如穿成者生於石

崖之上海人泅水乘其不意卽易得之否則緊粘難脫也

肉【甘微鹹平】 與殻同功治内障外障瞖痛通五淋

△按鰒諸國海中皆有大四五寸至尺許肉色白微靑者

 爲雄微赤者爲雌其味優於雄凡肉四圍堅薄而蒼黑

《改ページ》

 色謂鰒之耳毎在水中則半出殻外轉運以跋歩肉之

 首尾兩端有二竅如上下口之形其子貝寸許者名止

 古布志爲醢名布久太米

乾鰒 其製有數種延喜式所載諸國貢獻甚多如今串

 貫丸乾之二種多矣隱岐佐渡之者最佳

長鰒 延喜式所載安房伊豫等之長鰒今穪尉斗者是

 也造法生鰒去膓從耳端薄切剥至中肉成條如剥乾

 瓢法暴乾取生乾者引抻〔→伸〕令長復乾之作明白條其短

 鰒亦略同蓋尉斗者申〔→伸〕繒火噐之名也說文云從上按

 下使平曰尉與引抻〔→伸〕雖不同俗用來尚矣以爲賀祝之

 物取長延之義焉以所去膓爲醬味最佳

 一種有用榮螺造之者形色劣矣

鰒殻 以有去翳之功名石决〔=決〕明以有靑白之光名千里

 光磪片可飾漆噐俗云青貝是也

 有鰒殻裏堆畫佛像者人以爲奇異多賣僧所爲也其

《改ページ》 

■和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○二 

 造法用濃墨畫物乾之盛醋經久後拭去墨則跡堆起

 物象鮮明

 

あはび

【音、薄。】

唐音

ホツ

 

 石決明

 九孔螺

 殻を「千里光」と名づく。

【和名、「阿波比」。】

 

「本艸綱目」に云ふ、『鰒は、形ち。長く、小さき蚌〔(どびがひ〕のごとくにして、扁たく、一片にして、對(つい[やぶちゃん字注:ママ。])無し。外の皮、甚だ粗く、細かな孔(あな)、雜雜たり。内は、則ち、光り耀(かがや)き、愛しつべし。背の側(かたはら)、一行(〔ひと〕くだり)に、孔、有り、穿(うが)ち成す者のごとく、石崖の上に生ず。海人、水を泅(をよ)いで[やぶちゃん注:ママ。]、其の不意に乘じて、卽ち、易く之れを得。否(しかざ)れば、則ち、緊-粘(ひつつ)いて、脫し難し。』と。[やぶちゃん字注:「緊-粘(ひつつ)いて」の「いて」はママ。]

肉【甘、微鹹〔びかん:微かに塩辛いこと。〕、平。】  殻と功〔:効能。〕を同じくす。内障(そこひ)・外障(うはひ)・瞖(かす)み痛むを治し、五淋を通ず。

△按ずるに、鰒は諸國の海中に、皆、有り。大いさ、四~五寸より、尺ばかりに至る。肉の色、白くして、微〔(すこ)〕し青き者、雄と爲し、微し赤き者、雌と爲す。其の味、雄〔(をす)〕に優れり。凡〔(すべ)〕て肉の四圍、堅く薄くして、蒼黑色、鰒の耳と謂ふ。毎〔(つね)〕に水中に在りては、則ち、半ば殻の外に出でて、轉運して以つて跋-歩(はひあり)く。肉の首尾、兩端に、二つの竅(あな)、有り、上下、口の形のごとし。其の子貝、寸ばかりの者を「止古布志〔(とこぶし)〕」と名づく。醢(しゝびしほ)と爲し、「布久太米〔(ふくため)〕」と名づく。

乾鰒(くしあはび)  其の製、數種有りて、「延喜式」に載する所、諸國貢獻、甚だ多し。如-今〔(いま)〕は、「串貫〔(くし)〕ぬき)」・「丸乾し」の二種、多し。隱岐・佐渡の者、最も佳なり。

長鰒(のし)  「延喜式」に載する所の安房・伊豫等の「長鰒(ながあはび)」、今、「尉斗(のし)」と稱するは、是なり。造る法は、生〔(なま)〕なる鰒、膓(わた)を去り、耳の端より、薄く切り剥(む)きて、中の肉に至り、條を成し、乾瓢(かん〔ぴやう〕)を剥(は)ぐ法のごとくす。暴〔(さら)〕し乾し、生乾きなる者を、取りて、引き伸ばし、長からしめ、復た、之れを乾かす。明白條〔:真っ白な一筋〕と作る。其の短き鰒(のし)も亦、略〔(ほぼ)〕、同じ。蓋し、「尉斗」とは、繒(きぬ)を伸(の)ばす火噐〔=器〕の名なり。「說文」に云ふ、『上より下に按じて〔:下に向かって押さえつける。〕平らならしむるを「尉」と曰ふ。』と。引伸(ひきの)すと同じからずと雖も、俗に用ひ來たること、尚〔(ひさ)〕し。以つて、賀祝の物と爲すは、「長延〔(ながくのぶ)〕」の義に取る。去る所の膓を以つて、醬〔(ひしほ)〕と爲す。味、最も佳し。

一種、榮螺(さゞい〔→さゞゑ〕)を用ひて、之れを造る者、有り。形色、劣れり。

鰒殻(あはびがら)  翳(かすみ)を去るの功有るを以つて、「石決明」と名づく。靑白の光り有るを以つて、「千里光」と名づく。磪(くだ)きたる片(へん)にて漆噐を飾る。俗に云ふ「靑貝〔=螺鈿細工〕」、是れなり。

鰒殻の裏に、佛像を堆(うづ)め、畫(かく)する者、有り。人、以つて奇異と爲す。多くは、賣僧(まいす)の所爲なり。其の造る法、濃き墨を用ひて物を畫〔(か)〕き、之れを乾かして、醋〔(す)〕を盛りて、久しきを經て後、墨を拭ひ去れば、則ち、跡、堆〔(うづたか)〕く起こり、物の象〔(かた)〕ち、鮮-明(あざや)かなり。

[やぶちゃん注:アワビ自体がミミガイ科アワビ属 Haliotis の総称であるので、国産九種でも、食用種のクロアワビ Haliotis discus discus ・メガイアワビ Haliotis gigantea ・マダカアワビ Haliotis madaka ・エゾアワビ Haliotis discus hannai(クロアワビの北方亜種であるが、同一種説もあり)・トコブシ Haliotis diversicolor aquatilis ・ミミガイ Haliotis asininaまでを挙げておけば、とりあえずは、よいか。なお、昨年二月の仕儀だが、『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 石决明雌貝(アワビノメガイ)・石决明雄貝(アワビノヲカイ) / クロアワビの個体変異の著しい二個体 或いは メガイアワビとクロアワビ 或いは メガタワビとマダカアワビ』が、数多い私のアワビ記事では、最新のもので、梅園の解説及び彼の優れた図、私の注も完備しているので、是非、見られたい。

「本草綱目」は、明の李時珍の薬物書。五十二巻。一五九六年頃の刊行。巻頭の巻一及び二は序例(総論)、巻三及び四は百病主治として各病症に合わせた薬を示し、巻五以降が薬物各論で、それぞれの起源に基づいた分類がなされている。収録薬種千八百九十二種、図版千百九枚、処方一万千九十六種にのぼる。

「一片にして對無し」は注するまでもなく勿論、誤り。アワビは腹足類(巻貝)、「螺」である。その点、冒頭名称中、「九孔螺」は正しい呼び名である(但し、これは次項をご覧になれば分かる通り、実際には、トコブシ Haliotis diversicolor aquatilis を指す)。

「一行に、孔、有り」ついでに述べておくと、一般に、アワビとトコブシの区別としてよく言われるのは、殻背面の孔数で、四~五個がアワビ、六~九個がトコブシとされる(さらに言えば、トコブシでは、孔の背面が管状にならず、背面部と同じ高さである。また、古い孔は、順次、閉塞して塞がっている)。しかし、近年商品として流入してきている外国産のアワビやトコブシの仲間には、これが通用しないものも多い。

「肉の色、白くして、微し青き者、雄と爲し……」とあるが、雌雄については、外見上の区別は不可能(雌雄判断の即物的印象から形態分類した「メガイアワビ」の名称はその名残りであり、誤りである)である。基本的には、内臓の生殖腺の色で判別し、緑色の濃いものが♂、全体に白っぽいものが♀である。しかし、腹足部の色は常食する藻類等によって同種内でも大きく変異するため、普通に視認しただけでは、雌雄の区別は困難である。

「鰒の耳」は外套膜の辺縁部。殊に外側が硬い。が、私の最も好物とするところは、そこである。

「内障」は、「白そこひ」(白内障)・「青そこひ」(緑内障)。「外障」は瞼・両目じり・白目・黒目などに視認できる形で起こる病変疾患を広く指すものであろう。

「五淋」は尿路障害で、石淋(尿路結石。排尿障害や強い痛みを伴うことが多いもの)・気淋(ストレスによる神経性の頻尿)・膏淋(尿の濁り)・労淋(過労・性交過多に伴う排尿異常)・熱淋(痛みが激しく時に出血を伴う急性尿路感染症)を言う。

・「止古布志」は既注のトコブシ。ナガレコ」という通称もよく用いられる。

・「布久太米」は、本記載では「トコブシの塩辛」と読めるが、現在では、良安が「長鰒」の最後で紹介する「アワビの内臓の塩辛」として、三陸に於いて、「福多女」の名で、製造されている。塩辛いが、酒肴の珍味で、私も好物である。四十三年以上も前になるが、ある雑誌で、古くから東北地方において、「猫にアワビの胆(きも)を食わせると、耳が落ちる。」と言う言い伝えがあったが、ある時、東北の某大学の生物教授が、実際にアワビの胆をネコに与えて実験をしてみたところが、猫の耳が炎症を起こし、ネコが激しく耳を掻くために、傷が化膿して、耳が脱落する、という結果を得たという記事を読んだ。現在、これは、内臓に含まれているクロロフィルa Chlorophyll a :葉緑素)の部分分解物ピロフェオフォーバイドa (pyropheophorbide a)や、フェオフォーバイドa (pheophorbide a) が原因物質となって発症する「光アレルギー」(光過敏症)の結果であることが分かっている。サザエやアワビの摂餌した海藻類の葉緑素は分解され、これらの物質が特に中腸腺(軟体動物や節足動消化器の一部。脊椎動物の肝臓と膵臓の機能を統合したような消化酵素分泌器官)に蓄積する。特にその中腸線が黒みがかった濃緑色になる春先頃(二月から五月にかけて)、毒性が最も高まるとする(ラットの場合、五ミリグラムの投与で、耳が炎症を起こして、腐り落ち、更に光を強くしたところ、死亡したという)。なお、何故、耳なのかと言えば、毛が薄いために、太陽光に皮膚が曝されやすく、その結果、当該物質が活性化し、強烈な炎症作用を引き起こすからと考えられる。なお、良安は、この毒性について、「鳥蛤」(トリガイ)の項で述べている。また別に、最後の「貝鮹」(タコブネ)の項も参照されたい。

「延喜式」は、「養老律令」の施行細則を記載した古代の法典。本文が引用するのは、その巻二十四「主計省上」で、ここには、全国への「庸」・「調」等の割り当てが記載されており、当時、全国の農産・漁獲・特産物を知ることが出来る。東洋文庫版の注によれば、献上品の中にアワビが含まれている国は、志摩・安房等、十九ヶ国に及び、『その種類としては、御取鰒・雜鰒・丸鰒・横串鰒・細割鰒・薄鰒・火焼鰒・鮨鰒など約四十種』を数える、とある。

・「長鰒」は、東洋文庫注によれば、「延喜式」で『長鰒を献納する国は三ケ国、安房国・伊予国・肥前国である』とする。

・「說文」は「説文解字」で、漢字の構成理論である六書(りくしょ)に従い、その原義を論ずることを体系的に試みた最初の字書。後漢の許慎の著。成立は西暦一〇〇年。

「尉」について。「のし」は、現在は「熨斗」と記すが、良安の記す「尉」の方が、「火のし」の意味の原字である。ちなみに、そこから、悪しき者を「おさえる」の意となって、軍隊の階級名として採用されたのであった。

去る所の膓を以て、醬〔(ひしほ)〕と爲す」は先の「布久太米」の注を参照。

・「鰒殻の裏に佛像を堆畫する者」とあるが、これは十三世紀頃の中国で始まった技術である。現在でも、鉛で成形した小形の仏像をアワビや、後述のカラスガイの殻内に挿入し、真珠層の表面に形成させた仏像真珠等が、お守りや、護符の土産物としてかの地で売られている。私も見たことがあるが、キッチュながら、いや、なかなか面白いものである。奇蹟の聖物として高額をふっかけられ騙されない限りは、である。

・「賣僧」は、僧形で不法な物品販売をした破戒僧。平然たる孫引き、気分次第のいい加減な注で目眩ましする誰彼や私は、まさに賣僧そのものである。でも、私はこの「まいす」という響き、何だか懐かしい自分の正体を知る気がして、頗る好きである。]

***

しんじゆ

真珠

チン チユイ

 

 珍珠  蚌珠

 𧓍珠

【俗云貝珠】

[やぶちゃん字注:以上三行は、前三行の下に入る。]

 

本綱一曰石决明産也一曰蚌蛤産也中以蚌珠爲真矣

以五分至一寸八九分者爲大品有光彩一邊似度金者

名璫珠次則走珠滑珠等品也南番珠色白圓耀者爲上

廣西者次之北海珠色微青者爲上粉白油黃者下也西

番〔→蕃〕馬價珠爲上色青如翠

凡蚌聞雷則㾭痩其孕珠如懐孕故謂之珠胎中秋無月

則蚌無胎也蚌蛤珠胎與月盈※〔→虧〕也真珠用爲首飾欲穿

[やぶちゃん字注:※=「グリフウィキ」のこれ。]

須得金剛鑚也凡入藥以新完未經鑚綴者【研如粉不細則傷人臟腑】

《改ページ》

真珠【鹹甘寒】  入厥陰肝經故能安魂定魄明目治聾

     龍珠【在頷】蛇珠【在口】魚珠【在眼】

   ○                            皆不及蚌珠也

     鮫珠【在皮】鼈珠【在足】蚌〔→蛛〕珠【在腹】

日本紀允恭天皇獦于淡路而不𫉬一獸故卜矣赤石海

底有真珠其珠祠於島神則當得獸於是海人男狹磯者

腰繫繩入海底差頃之出曰海底有大鰒其處光也亦入

探之抱大鰒而泛出乃息絕而死以繩測海底六十尋既

而割鰒腹得真珠其大如桃子乃祠島神而獦多𫉬獸也

△按真珠以鰒珠爲最上然得之者鮮故今用𧍧䗯淺蜊

 二種而已  蚌珠亦不多依和漢土地有異乎

伊勢真珠  𧍧䗯珠也勢州多取之海西大村亦有其珠

 小者大如猪〔→楮〕實子中者如麻仁大者如黃豆而重五六

 分者爲上至一錢目者未曾有珍寶也皆色潤白有微

 青光華人見之則喜求之價最貴以小者爲藥用

尾張真珠  淺蜊貝珠也尾州多取之近年藝州廣島亦

《改ページ》

■和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○三

 有其珠大小與伊勢真珠不異但無光澤如魚眼玉價

 亦不貴凡真珠藏輕粉中則經年稍長生贅子

 

 

しんじゆ

真珠

チン チユイ

 

 珍珠  蚌珠〔(ばうしゆ)〕

 𧓍珠〔(ひんしゆ)〕

【俗に貝珠と云ふ。】

 

「本綱」に、『一〔(いつ)〕に曰はく、「石决明(あはび)の産なり。」と。一に曰はく、「蚌蛤〔(ばうかう)〕産なり。」と。中にも、蚌〔(どぶがひ)〕の珠を以つて、真と爲す。五分より一寸八、九分〔:一・五~四センチメートル。〕に至る者を以つて、大品と爲す。光彩有りて、一邊、度金に似たる者「璫珠〔(たうしゆ)〕」と名づく。次は、則ち、「走珠」・「滑珠」等の品なり「南番珠」の色、白く、圓く、耀く者を上と爲す。廣西(カンスイ)の者、之に次ぐ。北海の珠は、色、微〔(すこ)〕し青き者を上と爲す。粉白・油黃ある者は、下なり。西蕃〔(せいばん)〕の「馬價珠」を上と爲す。色、青きこと、翠(みどり)のごとし。凡そ蚌、雷を聞くとき、則ち、㾭痩〔(しうさう)〕し、其の珠を孕むこと、懐孕〔(くわいこ):こをいだく〕のごとくなる。故に、之れを「珠胎〔(しゆたい)〕」と謂ふ。中秋に、月、無ければ、則ち、蚌、胎〔(はら)むこと〕無しと云へり[やぶちゃん字注:「云」は送り仮名にある。]。蚌蛤の珠胎、月と與〔(とも)〕に盈虧〔(えいき):満ち欠け〕す。真珠、用ひて、首飾りと爲す。穿〔(うが)〕たんと欲せば、須〔(すべか)〕らく金剛〔:ダイヤモンド〕を得て鑚(も)〔:錐揉みする〕むべし。凡そ、藥に入るるには、新たに完〔(まつた)〕く未だ鑚綴〔(さんてつ):加工され飾りとすること。〕を經ざる者を以つてす【研して、粉のごとく細かならざれば、則ち、人の臓腑を傷〔つく〕。】。』と。

真珠【鹹甘、寒。】  厥陰肝經〔(けついんかんけい)〕に入る。故に、能くを安んじ、〔(はく)〕を定め、目を明にし、聾(つんぼ)を治す。

○龍の珠【頷に在り。】、蛇の珠【口に在り。】、魚の珠【眼に在り。】、鮫の珠【皮に在り。】鼈(すつぽん)の珠【足に在り。】、蛛〔(くも)〕の珠【腹に在り。】、皆、蚌珠に及ばざるなり。

日本紀」允恭(いんぎよう)天皇に、『淡路に獦(かり)し玉ふ。[やぶちゃん字注:「玉」は送り仮名にある。以下、「玉」は同じ。]而れども、一獸をも𫉬り玉はず。故に、卜〔(うらな)〕はしむるに、赤石(あかし)の海底に、真珠、有り。其の珠を、島の神に祠(まつ)らば、則ち、當に獸を得べし。」と。是に於いて、海----磯(あまのをさし)と云ふ[やぶちゃん字注:「云」は送り仮名にある。]者、腰に繩を繫ぎ、海底に入り、差-頃(しばらく)ありて、之、出でて曰はく、「海底に、大鰒、有り。其處〔(そこ)〕、光るなり。」と。亦、入りて、探(かづい[やぶちゃん字注:ママ。]=潜)て、之れ、大鰒を抱〔(いだ)〕く。而して泛(う)き出でて、乃〔(すなは)〕ち、息、絕えて死す。繩を以つて、海底を測るに、六十尋〔:約百八メートル。〕あり。既にして、鰒の腹を割りて、真珠を得。其の大いさ、桃子〔:桃の実。〕のごとし。乃ち、島の神に祠りて、獦(かり)して多く獸を獲るなり。』と。

△按ずるに、真珠は鰒(あはび)の珠(たま)を以て最上と爲す。然れども、之れを得る者は鮮〔(すく)〕なし。故に今、𧍧䗯(あこやがい[やぶちゃん字注:ママ。])・淺蜊の二種を用ひるのみ。蚌珠も亦、多からず。和漢、土地に依りて、異、有るか。

伊勢真珠  𧍧䗯(あこやがひ)の珠なり。勢州に、多く、之れを取る。海西の大村、亦、其の珠、有り。小さき者は、大いさ、楮實子〔(ちよじつし)〕のごとく、中なる者は麻仁〔(まにん)〕のごとく、大なる者は黃豆のごとくにして、重さ五、六分の者を上と爲し、一錢目〔:三・七五グラム。〕に至る者、未だ曾つて有らざる珍寶なり。皆、色、潤白にて、微〔(すこ)〕し、青光り、有り。華人、之れを見れば、則ち、喜び、之れを求む。價(あたい[やぶちゃん字注:ママ。])、最も貴(たか)し。小さき者を以つて、藥用と爲す。

尾張真珠  淺蜊貝の珠なり。尾州に、多く、之れを取る。近年、藝州廣島にも亦、有り。其の珠、大小、伊勢真珠と異ならず。但だ、光澤、無し。魚の眼玉のごときなり。價、亦、貴からず。凡そ、真珠、輕粉(はらや)の中に藏むるに、則ち、年を經る者、稍〔(やや)〕長くして、贅子〔(ぜいし)〕を生ず。

[やぶちゃん注:私は、実は、真珠好きである。その他の宝石には全く興味がないのだが、真珠だけは別物である。しかし、カフスやネクタイピンでは傷がつきやすいために、かえっていいものがなく、身につけようもない。悔しい。小学校六年生の時、なけなしのお年玉を溜めた小遣いで、母の誕生日に傷物を用いた千円の真珠のブローチを買ったのを思い出す。僕は、その時から、真珠に惹かれていたのだと、今、気づいた。ちなみに、“pearl”の有力な語源説としては、pernaという二枚貝を表すラテン語の俗化した(シシリアでとも言われる)“perla”が元とされる。これも貝由来のようだ。

『一に曰はく、「石决明の産なり。」と。一に曰はく、「蚌蛤産なり。」と』の「石決明」はアワビ、「本草綱目」にあっては、「蚌蛤」は、広く、淡海水産二枚貝を指す。東洋文庫版が、これを「はまぐり」と訓じているのは不適切である。「蚌」は、とりあえずドブガイととっておいてよいが、後掲する「蚌」の項で注するように、これは一筋縄ではいかないものなのである。

「一邊、度金に似たる者」の「一邊」は、「全体に」の意味ではなく、「潰れた珠の形」を言っている。次の注の「南越志」を参照されたい。「度金」は金鍍金(きんメッキ)を言う。

「璫珠と名づく。次は……」について、南朝の博物学書である沈懐遠の「南越志」には以下のようにある(書き下し文は私流)。

   *

珠有九品。寸五分以上至寸八九分者爲大品。有光彩、一邊小平似覆釜者名璫珠。璫珠之次名走珠。走珠之次爲滑珠。滑珠之次爲磊砢珠。磊砢珠之次爲官珠雨珠。官雨珠之次爲税珠。税珠之次爲蔥珠。

珠に、九品、有り。寸五分以上、寸八、九分に至る者を大品と爲す。光彩有り、一邊の小さく、平らにして、覆せし釜に似たる者を「璫珠」と名づく。「璫珠」の次、「走珠」と名づく。「走珠」の次、「滑珠」と爲す。「滑珠」の次、「磊砢珠〔(らくらしゆ)〕」と爲す。「磊砢珠」の次、「官珠」・「雨珠」と爲す。「官」・「雨珠」の次、「税珠」と爲す。「税珠」の次、「蔥珠〔(さうしゆ)〕」と爲す。

「南蕃珠」は、後ろの「北海」に対する「南蕃(蠻)珠」であろう。
「廣西」は現在の中国南西部、ベトナムと接する広西壮(チワン)族自治区に相当する。中国音はGuǎngxī(クヴァンスィー)で、ここは中国音をルビとして記載しているので、カタカナとした。

「粉白・油黃」は、粉を吹いたような白色や油のような(もしくはツヤのある)黄色、という意味であろう。

・「西番の馬價珠」は、「西番馬價珠」五字の固有名詞である。即ち、西蕃(チベット。但し、これは中国側からの蔑称)は名馬の産地であり、「その高価な駿馬の西蕃馬一頭分の価格の真珠」という意味である。

「㾭痩」を、東洋文庫版は『縮み痩せる」と訳している。穏当である。

「厥陰肝經」は「足厥陰肝経」で、足の主要な経絡系全体を言う。複数の経絡についての解説から総合すると、足の親指の叢毛部に始まり、胃のそばを通って肝臓までの間に全部で十四箇所のツボを持つ。肝部からの支脈は、横隔膜を通って、上行し、肺に入って、「手太陰肺経」と、つながり、また、本脈は、さらに上がって肋部から、喉の後・鼻・咽喉部に入り、目系(目に関わる器官・組織)と接続し、最後に額から出て、「督脈」(体の後正中線を流れる経絡)と、頭頂に会合する、とする。こうして経絡を追うと、真珠の効能さもありなんという気がしてくるから、不思議。

「魂」と「魄」の違いは、死後、天に昇るものを「魂」とし、死後もその体に残って最後に土に還るものを「魄」とした。具体的には「魂」は肝臓に、「魄」は肺に宿るとし、生命エネルギーの中心である「魂」が過剰になると怒りっぽくなり、五官を支配する「魄」が過剰になると、憂いが増すと考えられた。

「日本紀」は「日本書紀」。以下に同書の「○十四年秋九月癸丑朔甲子」の原文及び私の訳を掲げる(良安の引用は、甚だ省略が多い)。

   *

天皇獵于淡路島。時麋鹿猿猪莫莫紛紛、盈于山谷、焱起蠅散。然終日以不獲一獸。於是獵止以更卜矣。島神祟之曰、「不得獸者、是我之心也。赤石海底有眞珠。其珠祠於我。則悉當得獸。」。爰更集處處之白水郞。以令探赤石海底。海深不能至底。唯有一海人。曰男狹磯。是阿波國長邑之海人也。勝於諸海人好深探。是腰繫繩入海底。差頃之出曰。「於海底有大蝮。其處光也。」。諸人皆曰。「島神所請之珠。殆有是蝮腹乎。」。亦入而探之。爰男狹磯抱大蝮而泛出之。乃息絕以死浪上。既而下繩測海深六十尋。則割蝮實眞珠有腹中。其大如桃子。乃祠島神而獵之。多獲獸也。唯悲男狹磯入海死之。則作墓厚葬。其墓猶今存之。

訳:允恭の帝は、淡路島に狩りにやって来た。その頃、この島には、大鹿や小鹿、猿や猪等の獣が、まことに多く、その気配は、山や谷に満ち満ちていた。

 しかし、一日かけても、一匹の獲物も、ない。

 そこで帝は、狩りを中断して、その理由を占わせてみた。

 すると島神は、とがめて言った。

「獣を捕らえることが出来ないのは、私の意志である。しかし、赤石(あかし)の海底に真珠がある。それを捕って、私に祀(まつ)るならば、すべての獣を得ることが出来るであろう。」

と。

 帝は即座に、各所の海士(あま)達を集め、赤石の海へ潜らせた。

 しかし、海は深く、誰(たれ)一人、海底まで達することが出来ないのであった。

 さて、ここに一人の海士がいた。名を男狭磯(おさし)といった。この男は、阿波国長村(ながむら)の海士である。海に深く潜ることを好み、その潜ることにかけては、他の、どの海人よりも勝っていた。

 呼び出された彼は、早速、腰に長い繩を繋ぎ、海底へと潜っていった。

 暫らくして、浮かび出でて、言った。

「海底に、大鰒(おおあわび)がいる。その辺りが、光っている。」

 人々は、皆、口々に言った。

「まさにそれが島神の求めるところの真珠じゃ。何とまあ、それは鰒の腹の中にあったのか。」

 男狭磯は、再び、入って、深く潜った。

 遂に彼は、大鰒をしっかと抱いて、海中から浮かび上がった。

 しかし、男狭磯は、そのまま波間に息絶えたのであった。

 その折、既に下っていた繩の長さを測ると、海の深さは実に六十尋もあった。そこで、その鰒を割ると、結実した真珠が、その腹の内にあった。

 その大きさはまさに桃の実ほどもあった。

 帝は、直ちに、島神に、その真珠を祀り、再び、狩りに出た。

 すると、沢山の獣を狩ることが出来た。

 しかし、帝は、ただただ、男狭磯が海に入ったことで亡くなったことを悲しんだ。

 そこで帝は、男狭磯のために、墓を造り、厚く弔った。その墓は、今もなお、ある。

    *

なんとこれは、潜函病(急性減圧症候群)の最古の死亡例公式記録ともいうべきか。ちなみに、この墓であるとする「石の寝屋」古墳がある。サイト「淡路島日本遺産」のこちらを見られたい。但し、ウィキの「男狭磯」によれば、『この古墳は』六『世紀代の築造とされており、允恭天皇の時代とは合致しない。また』、『徳島県鳴門市里浦町里浦にある十二神社にも男狭磯の墓とする言い伝えがある』とあった。前者と合せて、コラク氏のブログ「コラクのブログ」の「海人の男狭磯から考察」が、墓の画像と地図が示されているので、見られたい。

「伊勢真珠」という呼称は古くからある。歴史上の真珠の記載について簡単に記述すると、「古事記」の編者である太安万侶の墳墓とされるものの副葬品から既に真珠玉が出土しており、「三国地誌」の「伊勢島風土記」の『伊勢島風土記曰 答志ノ郡伊佐鄕出玉石眞珠/延喜内藏式目 玉一千丸 志摩國所進 臨時ノ增減有/同民部式目 交易雜物志摩國 大凝菜卅四斤 白玉千顆/萬寶全書云 白玉 伊勢眞珠』等という記載からも、奈良時代、既に諸国からの献上物産品として真珠が知られていたことが分かる。寛政一一(一七九九)年の「日本山海名産図会」の真珠の項には、『是は「アコヤ貝」の珠(たま)なり、即ち、伊勢にて取りて「伊勢眞珠」と云(いゝ)て上品(じやうひん)とし、尾州を下品(げひん)とす。肥前大村より出(いだ)すは上品とすれども、藥肆(くすりや)の交易にはあづからず。アコヤ貝は一名「袖貝」といひて、形、袖に似たり。和歌浦(わかのうら)にて「胡蝶貝」と云ひ、大きさ一寸五分・二寸ばかり、灰色にて微黑(びこく)を帶びたるも、あるなり。内、白(しろ)色にして、靑み有(あり)、光りありて、厚し。然れども、貝每(ごと)にあるにあらず。珠は伊勢の物、形、圓(まろ)く、微(すこ)し靑みを帶ぶ。又、圓(まろ)からず、長うして綠色を帶ぶるものは「石決明(あはび)」の珠なり。藥肆に、是を「貝の珠」と云ふ。尾張は、形、正-圓(まろ)からず、色、鈍(ど〔よ〕)みて、光澤なく、尤も少なり。是は蛤(はまぐり)・蜆(しじみ)・淡菜(いかひ)等(とう)の珠なり』との記載がある。なお、ここで参考にしたブログの筆者は、この「伊勢真珠」の伊勢について、『伊勢真珠としているが、伊勢エビと同様産地は志摩とみるのが至当であろう。』と記している(以上の歴史関連記載と引用は個人ブログ「浜島町史をWebで読む」等を参考にし、一部に手を加えた)。なお、私は二〇二一年に「日本山海名物圖會」の全電子化注をブログで終えている。以上の部分の原本に従ったそれは、同書「巻之三」の冒頭「伊勢鰒」である。見られたい。

「海西の大村」は、九州の大村湾(長崎県中央部に位置する海)。現在も真珠養殖で有名。

「楮實子」は、本来、漢方で、クワ科コウゾ属の落葉低木カジノキ Broussonetia papyriferaの成熟果実を指すが、ここではそれよりも一回り小さいコウゾBroussonetia kazinoki (カジノキと誤認されて学名がついてしまった)の実を言っているか。但し、「小さき者」とあるので、雌珠の集合果を構成している一ミリメートル程の一個の実の大きさを言っている。

「麻仁」は、アサ Cannabis の実。直径二~三ミリメートル

「黃豆」は、ダイズ Glycine max の実。直径五ミリメートルから一センチメートル

「尾張真珠」は「アサリ真珠」と称し、本真珠のような光沢がないため、正式には真珠様物質と現在は呼ばれている。私も味噌汁のアサリの中に見出したことが、数度、ある。それでもネット上の情報によれば、八センチメートル程度の大型のアサリから出てくるアサリ真珠は取引価格二百円から五百円(カキの同じ生成物はもう少し値が張って五百円から千円だそうだ。これも、カキ好きの私は、何度も発見したことがある)、あれでも立派に流通するのだなと吃驚した。また、これは、本真珠より安価な漢方薬として売買されたものと思われ、天明年間の大阪の薬種問屋の記録に「尾張真珠 懸目四匁〔:十五グラム。〕ニ付銀壱分宛」という記載がある。

「輕粉」は、伊勢白粉のこと。射和軽粉・伊勢白粉・御所白粉とも。化粧用のおしろいとして知られるが、顔面の腫れ物・血行不良及び腹痛の内服・全般的な皮膚病外用薬、さらには梅毒や虱の特効薬、利尿剤として広く使用された。伊勢松坂の射和で多く生産された。成分は塩化第一水銀Hg₂Cl₂、甘汞(かんこう)であり、塗布でも中毒の危険性があり、特に吸引した場合は急性の水銀中毒症状を引き起こす可能性がある。現在は使用されていない。最後に、この「はらや」といういい響きを持った語の語源、気になるが分からない。何方か情報を求む。

「贅子」は養子を指す語であるが、「贅」には、「いぼ・こぶ」の意味があり、本体に飛び出たそのような形状での「子」という意味で用いているように思われる。白粉の中で増殖するとは、ケサランパサランみたような奴じゃなあ。]

***

かき

牡蠣

メウ ライ

 

  蠔  古賁

  牡蛤 蠣蛤

 【凡蛤蚌之屬

  皆有胎生卽〔→卵〕

  生獨此化生

  純雄無雌故

  名牡】

   和名加木

【和名加木】[やぶちゃん字注:以上八行は、前三行の下に入る。]

 

本綱牡蠣海旁皆有之附石而生磈礧相連如房呼爲蠣

房初生止如拳石四面漸長至一二丈者嶄巖如山俗呼

蠔山毎一房内有肉一塊大房如馬蹄小者如人指靣〔=面〕毎

潮來諸房皆開有小蟲入則合之以充腹海人取者皆鑿

房以烈火逼之挑取其肉當食品更有益【味甘溫】

牡蠣殻 焼爲粉藥入用【味鹹微寒】入足小陰爲耎堅之劑

【以柴胡引之能去脇下硬 以茶爲使能益精止小便

 以大黃引之能消股間腫 以芐引之能消頂上結核】

或以蠣房砌※燒灰粉壁

[やぶちゃん字注:※=「石」+「嗇」。]

《改ページ》

石牡蠣  頭邊皆大小夾沙石真似牡蠣只是圓如龜殻

只丈夫服之令人無髭也其真牡蠣煆過以瑿試之隨

手走起者是也【瑿乃千年琥珀】

△按牡蠣東北海多有之參州苅屋武州江戸近處之産

 大而味美藝州廣島之産小而味佳尾州勢州次之播

 州之産雖大肉硬味不佳凡牡蠣殻其用多矣卑濕之

 家多埋於地下能行水去濕又焼灰爲堊塗壁以代石

 灰【勝於蜆灰】入藥者可用左顧以口在上擧以腹向南視之

 口斜向東則謂之左顧【右顧者不堪用】貝母爲之使【得甘艸牛滕〔→膝〕遠志蛇牀子良惡麻黃】

 

かき

牡蠣

メウ ライ

 

  蠔〔(がう)〕  古賁〔(こふん)〕

  牡蛤〔(ぼかう)〕 蠣蛤〔(れいかう)〕

 【凡そ、蛤蚌〔(かうばう)〕の屬、皆、胎生・卵生、有り。獨り、此れのみ、化生〔(けしやう)〕し、純雄にして、雌、無し。故に「牡」と名づく。】

  【和名、「加木」。】

 

「本綱」に、『牡蠣〔(ぼれい)〕は、海の旁〔(ほとり)〕に、皆、之れ、有り。石に附きて磈-礧〔(かいらい):石のごろごろしているさま。〕と生ず。相連〔(あひつら)〕なること、房〔(ふさ)〕のごとし。呼びて、「蠣房〔(れいばう)〕」と爲す。初生、止(た)ゞ拳-石(こぶし)のごとし。四面、漸〔(やうや)〕く長じて、一、二丈に至るは、嶄巖〔(ざんがん):とがって鋭いさま。〕〔として〕、山のごとし。俗に「蠔山〔(がうざん)〕」と呼ぶ。毎一房の内、肉一塊(〔ひとつの〕かたまり)、有り。大なる房は、馬の蹄(ひづめ)のごとく、小さき者は、人の指の面〔(おもて)〕のごとし。潮來〔(きた)〕る毎〔(ごと)〕、諸房、皆、開く。小さき蟲、有りて、入れば、則ち、之れを合して、以つて、腹に充たす。海人、取る者、皆、房を鑿〔(うが)〕ち、烈火を以つて、之れを逼〔(せま)〕り、其の肉を挑取して、食品に當て、更に、益、有り【味、甘、溫。】。』と。

牡蠣殻(かきがら) 燒きて粉と爲し、藥に入れ、用ふ。【味、鹹、微寒。】足の小陰に入り、堅を耎〔(ぜん/ねん)〔=「柔」。〕にするの劑と爲す。

柴胡(さいこ)を以つて、之れを引きて、能く脇の下の硬〔(しこり)〕を去る。茶を以つて、之れを引きて、能く項上〔(うなじのうへ)〕の結核〔:しこり。〕を消す。大黃〔(だいわう)〕を以つて、之れを引きて、能く股間の腫〔(はれ)〕を消す。芐〔(じわう):地黄。〕を以つて、使〔(つかひ)〕と爲し、能く、精を益し、小便を止む。】。

或いは、蠣房を以つて※〔(しやう):石塀。〕〔を〕砌〔(つみかさ)ねるに〕、灰に焼き、壁に粉〔(ぬ)〕る。

[やぶちゃん字注:※=(くさかんむり)の下に「下」。※2=「石」+「嗇」。]

石牡蠣〔(いはがき)〕  頭〔の〕邊〔(あたり)〕、皆、大小、沙石を夾〔=挾〕む。真に牡蠣に似るも、只だ、是れ、圓く、龜の殻のごとし。只だ、丈夫(をとこ)、之れを服すれば、人をして、髭、無からしむるなり。其れ、真牡蠣は、煆〔=燒〕き過ぎ、瑿〔(えい)〕を以つて、之れを試みるに、手に隨ひ走り起こるは、是れなり【「瑿」は、乃〔(すなは)〕ち、千年の琥珀なり。】。

△按ずるに、牡蠣、東北〔の〕海に、多く、之れ、有り。參州の苅屋、武州江戸近處の産、大にして、味、美なり。藝州廣島の産、小にして、味、佳なり。尾州〔=尾張〕・勢州〔=伊勢〕、之に次ぐ。播州〔=播磨〕の産、大と雖も、肉、硬く、味、佳ならず。凡そ、牡蠣殻、其の用、多し。卑濕の家に、多く地下に埋〔(うづ)〕めば、能く、水を行(めぐ)らし、濕を、去る。又、灰を燒き、堊(しらつち)と爲し、壁を塗りて、以つて、石灰に代ふ【蜆灰〔(しじみばひ)〕に勝れり。】。藥に入るれば〔→入るるには〕、左顧を用ふべし。口を以つて、上に在り、擧げて、腹を以つて、南に向けて、之れを視れば、口、斜めに、東に向かふ。則ち、之れを「左顧」と謂ふ【「右顧」は用ふるに堪へず。】。貝母(ばいも)、之れが使と爲す【甘艸牛膝(ごしつ)遠志(をんじ)蛇牀子(じやしやうし)を得て、良し。麻黄(まわう)に、惡し。】。

[やぶちゃん注:食用種として斧足綱翼形亜綱カキ目イタボガキ亜目カキ上科イタボガキ科マガキ亜科マガキ属マガキ Crassostrea gigas 、イワガキ Crassostrea nippona 、スミノエガキ Crassostrea ariakesis 、イタボガキ科イタボガキ属イタボガキ Ostrea denselamellosa の四種を挙げておく(ヨーロッパヒラガキ Ostrea edulis の移入は近代以降と考えられるので除外する)。独立して挙げられる「石牡蠣」は、現在の岩牡蠣、イワガキ と考えてよく、その続く記述中に、突然、現われる「真牡蠣」も、現在のマガキと同定してよいであろう。さても、私はカキ好きという点に於いて、一度に百七十五個も食ったという鉄血宰相ビスマルクまでは無理としても、かなりの自信がある。ダース食いは、いつものこと、独身時代に、「半分の値段でいいから全部持ってけ。」と魚屋に言われて買った五十個を、一晩で平らげた。ワイン二本を空けて、べろべろに酔いながら、牡蠣割りをし、翌日、両手・蒲団は血だらけ、しっかり下痢したツワモノである。ノロウィルス以来、悪役のカキだが、そもそも、全ての貝は、生食にあって、ウィルスや貝毒のリスクは同程度にあるのであって、カキだけがそれを一手に引き受ける悪人とするのは、極めて不当なのである。ちなみに、僕の最美味の牡蠣体験は、島根県隠岐海士町産の岩牡蠣、「春香(はるか)」と、アイルランドはアラン島へ向かう名も知れぬ漁村で老婆の売っていたヨーロッパヒラガキだ(一つ日本円で二百円弱ぐらいだったけれど、濃厚な旨味にノックアウト! ちなみに、ここのところ、ヨーロッパヒラガキは原因不明の不漁で、二十数年前に、フランスでは、遂に宮城産マガキの種苗を多量に買い入れ、養殖を持ちこたえた。従って、本場フランスで食うカキは、残念ながら、宮城のカキである可能性が高い。何としても、ヨーロッパヒラガキを味わいたい御仁は、頑固にそれにこだわるスペインやポルトガルへ行かれるしかない。但し、数等劣るとされるポルトガルガキ Crassostrea angulata もあるから、よく確認されたい。ポルトガルガキは貝柱痕が紫褐色をしている)。特に前者は驚天動地の名前付き。その可憐な「春香」の名に劣らぬ、素敵な味わい! いわゆる日本のオイスター・バーで食べられる。是非、お薦めする。

「凡そ蛤蚌の屬、皆、胎生・卵生、有り。獨り。此れのみ、化生し、純雄にして、雌無し」の部分は、当初 、私は「凡そ、蛤蚌の屬、皆、胎生、卽〔(あるひ)〕は〔(卵)〕生有り。」と訓読していた。実際に良安の字は、(へん)の部分が「卽」に類似しており、意味としても「卽は」の訓読としては自然であると判断したからなのだが、「本草綱目」を確認して見ると、確かに「卵」となっているので、以上の訓読に換えた。以下、本箇所についての諸注を掲げる。

「胎生」等の呼称については、そもそもが「四生」(ししょう)とは、仏教における生物の成り立ちを説いたもので、「胎生」(たいしょう)は雌の母胎から生まれ出ずるものを(人や獣類等)、「卵生」(らんしょう)は、卵から生ずるもの(鳥類等)を、「湿生」(しっしょう)は、湿気から生ずるもの (昆虫等の虫類)を、「化生」(けしょう)は、以上の現実の理(ことわり)とは違った、自身の前世の業(ごう)によって、忽然と生まれ出ずるものであるとする。仏教的な解説によると、死から転生するまでの中間的霊的存在を表わす等とも言われるが、発生現象を示すものとしては、これ、ぴんとこない。ここでは、「胎生」にも「卵生」にも見えない、現実世界からは断絶した異界から突如として出現するように見受けられ(安部公房の「日常性の壁」の蛇を思い出すね! 教え子諸君!)、雌雄や卵といった位相的生態や段階的生態が見受けられないものを指しているように思われる。

「純雄にして、雌無し。」とは、古来、カキの白い巨大な生殖腺が精巣と考えられ、このような命名となったのであるが(「蠣」の字そのものが「♂のカキ」を示す字である)、一般にカキは雌雄同体である。但し、種によってライフ・サイクルや性転換に変化があり、マガキ・スミノエガキ等の卵生種は、各時期の個体の雌雄が明白で、一見、雌雄異体に見えるが、これは、それぞれの個体の性転換が一斉に起こるのではなく、ある個体は雌が雄に、別個体は雄が雌になるという交代性の雌雄同体であるためである。イタボガキ等の卵胎生種では、体内で卵が受精・孵化して、幼生の形で生まれ出る。厳密には、雌性、または、雄性の強い個体など、種々の段階のものがあり、雌雄は時期や環境によって、雄性が高まったり、雌性が高まったりする。一般に、産卵期は当たり前に雌性優性であるが、産卵後は雄性が強くなり、棲息している水質悪化によっても、雄性が強くなる傾向がある。また、マガキ等の場合、その子供については、産卵前に高栄養を摂取できた個体の卵から孵った子は雌になり、栄養を充分に摂取出来なかった子は雄になるという。

「烈火を以つて、之れを逼り」は、意味が通らない。国立国会図書館蔵「本草綱目」で確認したが、本字である。「逼」を、「おしつける」の意味でとっても、何だかしっくりしない。ちなみに、東洋文庫版では『焙り」と訳している。そのような意味はないので、誤字と判断しているものか。意味は腑に落ちても、これ、注も何もしていないのは、不服である。

「挑取」を、東洋文庫版は『えぐり取って』と訳しているが、やはり、「挑」にそのような意味はない。「挑取」は、「いどみとる・選び取る」の意である。ここは、「(良質の肉の個体を)選び取る」か、原義に基づき、「(牡蠣の殻を)引き跳ね上げて、肉を取る」の意味ではなかろうか。

「小陰」は、経絡の一つ。漢方医学も当然、陰陽五行説に対応しており、夏は陽、冬は陰の季節であり、上半身は陽、下半身は陰となる。例えば、冬は下半身を冷やすと病変が起こる、とする。足の経絡には、陽の経絡としての三つの陽経・陰の経絡としての三つの陰経があり、それぞれ、太陰脾経(たいいんひけい)・厥陰肝経(けついんかんけい)・小陰腎経(しょういんじんけい)と称し、体を温める(それが「堅を耎にする」ことであろう)ためには、この三つの陰経を刺激する。

「柴胡」は、セリ科のミシマサイコ Bupleurum scorzonerifolium の根から作られた生薬。解熱・鎮痛作用を持ち、大柴胡湯・小柴胡湯・柴胡桂枝湯等の著名な多くの漢方薬に配合される薬物である(但し近年、小柴胡湯は、インターフェロンと併用したり、肝硬変・肝癌の患者に投与したりした場合に、間質性肺炎を起して死亡したケースが報告されており、また、慢性肝炎に効くとしながら、投与によっては、逆に、肝機能障害悪化や黄疸が指摘されたりもしていることは、漢方好きの方はしっかり押さえておきたいところである)。

「引きて」は、「漢方としての薬効を引き出す」という意味であろう。

「大黃」は、タデ科のダイオウ Rheum palmatum 、もしくは、その同属種、及び、その雑種の根茎から作られた生薬。消炎・止血・緩下作用を持ち、よく瀉下剤(便秘薬)に配合される。大黄甘草湯・桃核承気湯等、柴胡同様、多くの漢方薬に配合される薬物である。野菜のルバーブ Rheum rhaponticum (タデ科)は、この仲間である。ここまでの「柴胡」・「茶」・「大黃」との調合によって効果があるとする病変箇所は、三つとも、リンパ節の腫脹・結核(ぐりぐり)である点が興味深い。

「地黃」は、ゴマノハグサ科のアカヤジオウ Rehmannia glutinosa 、及び、その近縁種の根から作られた生薬。内服薬として補血・強壮・止血作用、外用薬としては腫れ物の熱を去って、肉芽の形成を促す作用を持つ。六味地黄丸・八味地黄丸等、調合製剤として多用される薬物である。

「只だ丈夫……」以下の叙述は、全くお手上げである。男が岩牡蠣の殻を「服」すると(これを東洋文庫版では、(岩牡蠣の殻を)『身につけると』と訳しているが、「岩牡蠣の本体、または、殻の粉末を食用飲用すれば」という意味にもとれる)、髭がなくなるというのは、全く聞いたことがない。何方かのご教授を切に願う。

「真牡蠣は、煆き過ぎ……」以下の叙述も、不詳である。「瑿〔えい〕」則ち――千年を経た黒い琥珀(「廣漢和辭典」の記載)を用いて、焼き過ぎるぐらい、充分に焼いた真牡蠣の殻(又は軟体部)に接触させると、その接触させた手に隨って、殻(又は軟体部)が自然に動いたり、立ち上がったりする。そのような反応を示す時は、これは確かに真牡蠣である――というのだが、この表現そのものが、何を言いたいのか(マガキの判別法としては余りにも迂遠過ぎる)、良く分からない点に加えて、このような現象自体を全く聞いたことがない。前注に続いて、何方かのご教授を切に願う。

「參州の苅屋」は、現在の愛知県常滑市苅屋。知多半島中央西部に位置する伊勢湾に面した漁港。

「卑濕」は、「土地が低くて湿気が多いこと」を指す。身分の低い者の家ではない。

「左顧」は、口を上にして(殻頂(蝶番部分)を下方にするということであろう)、腹(膨らんでいる現在で言う左殻を言うのであろう)側を南に向けて、これを上から見た時、二枚の殻の間の口が斜めになって東に向かっているのが見える。その東に向かっている方の殻を「左顧」と呼ぶ、という恐ろしく迂遠な判断方法なのであるが、これは、恐らく、現在の、質量も大きい深く膨らんだ左殻の方であろうと思われる。

「貝母」は、国産ではユリ科のアミガサユリ Fritillaria thunbergii の鱗茎を消石灰の粉(この粉を左顧から作るということであろう)をまぶして(これが「使」(媒薬)の意味であろう)、乾燥した生薬。鎮咳・去痰・排膿作用を持ち主として肺疾患に処方する。

「甘艸」は、マメ科のウラルカンゾウ Glycyrrhiza uralensis 及びスペインカンゾウ Glycyrrhiza glabra 又は、その他の同属種の根、及び、ストロンから作られる生薬。鎮静・鎮痙・鎮咳・抗消化性潰瘍・利胆作用等多岐に渡る効能を持つ。安中散を始めとする漢方処方薬の基本的な薬剤。

「牛膝」は、ヒユ科のヒナタイノコズチ Achyranthes fauriei 又はイノコヅチ Achyranthes bidentata の根から作られる生薬。抗アレルギー・抗腫瘍作用を持つ。

「遠志」は、ヒメハギ科のイトヒメハギ Polygala tenuifolia の根から作られる生薬。精神安定・去痰・抗腫瘍作用を持つ。

「蛇牀子」は、セリ科のオカゼリ Cnidium monnieri の成熟果実を乾燥させた生薬。但し、日本と韓国ではヤブジラミ Torilis japonica の果実を指す。抗トリコモナス・抗真菌・性ホルモン作用などが知られ、陰部湿疹・インポテンツ・不妊症等に処方される精力剤。

「麻黃」は、本邦に自生しないマオウ科のマオウ Ephedra sp. の地下茎から作られる生薬。主成分はエフェドリン。気管支喘息に効果があり、一八八五年に長井長義によって発見された(エフェエドリンの長井として有名)。しかし、交感神経興奮剤として、依存性も高く、現在は麻薬として認定されている。]

***

ながたがい[やぶちゃん字注:ママ。]

どぶがい[やぶちゃん字注:ママ。]

【音 】[やぶちゃん字注:欠字。音字の記載なし。]

ポン

 蜯【同】  蠯【同】

 【俗云奈加゛太貝[やぶちゃん字注:本行及び次行では良安は漢字に濁点を振っている。]

  又云止゛布゛貝】

[やぶちゃん字注:以上三行は、前四行の下に入る。]

《改ページ》 

■和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○四

 

本綱蚌與蛤同類而異形長者通曰蚌圓者通曰蛤其字

【从丰从合】象形也其類甚繁江湖渠瀆中有之大者長七寸狀

如牡蠣輩小者長三四寸狀如石決明輩其肉可食【甘鹹冷】

老蚌含珠其殻爲粉成錠市之謂之蚌粉以飾墻壁闉墓

壙如今用石灰也蚌粉【鹹寒】治疳止痢并嘔逆塗癰腫

五雜組云呉陳湖傍有巨潭中産老蚌其大如船一日張

口灘畔有浣衣婦以爲沉船也蹴之蚌閉口而没婦爲驚

仆嘗有龍來取其珠蚌與闘三畫夜風濤大作龍爪蚌於

空中髙數丈復墜竟無如之何

戰國策云川蚌出曝而鷸喙其肉蚌合而拑其喙鷸謂蚌

曰今日不雨明日不雨卽有死蚌蚌謂鷸曰今日不出明

日不出卽有死鷸考此諸說則蛤海中者蚌河湖中者必

△按蚌丼貝之大者江州琶湖多有之【薄狹長者名剃刀厚廣長者名菜刀】

 號奈加太貝者菜刀之下畧乎外色黑内白而有微光

 長六七寸濶二寸許而扁其殻盛醋焼之九次細抹和

 醋塗瘡癤能消散也本艸所謂真珠乃蚌珠也本朝不

 用蚌珠蓋蚌亦雖不少而不如蜮䗯淺蜊之多故取蚌

 珠者希矣【凡用兩力者謂鷸蚌相持也起於戰國策故事】

丼貝【止布加伊】 蚌之小者溝河泥中有之大二三寸殻薄其

 肉味有腥氣不可食其老者頭白禿潮虛水涸則見于

 泥上人取爲飛礫抛於川

 

 

ながたがい

どぶがい

【音 】[やぶちゃん字注:欠字。音字の記載なし。]

ポン

 

 蜯【同じ。】 【同じ。】

 【俗に「奈加゛太貝〔(ながたがひ)〕」と云ふ。又、「止゛布゛貝〔(どぶがひ)〕」と云ふ。】

 

「本綱」に、『蚌〔(ばう)〕と蛤〔(かう)〕と、類を同じくして、形を異とす。長き者を通じて、「蚌」と曰ひ、圓き者を通じて、「蛤」と曰ふ。其の字【「丰〔(ぼう)〕」に从〔(したが)〕ひ、「合〔(がふ)〕」に从ふ。】、形に象〔(かたど)〕るなり。其の類、甚だ繁〔(おほ)〕し。江湖の渠瀆〔(きよとく):みぞ。どぶ。〕の中に、之れ、有り。大なるは、長さ七寸、狀〔(かた)〕ち、牡蠣(かき)の輩〔(うから)〕のごとく、小きは、長さ三、四寸、狀ち、石決明の輩のごとし。其の肉、食ふべし【甘鹹、冷】。老蚌は珠を含む。其の殻、粉と爲し、錠〔(ぢやう):錠剤。〕と成して、之れを市(う)る。之を「蚌粉」と謂ふ。以つて墻〔=牆:土塀。〕壁〔(しやうへき)〕を飾り、墓壙〔(ぼくわう)〕を闉〔(ふさ)〕ぐ。如-今(いま)は石灰を用ふ。蚌の粉【鹹、寒。】は、を治し、并びに嘔逆を止め、癰腫〔(ようしゆ)〕に塗る。

「五雜組」に云ふ。『呉の陳湖の傍〔(かたはら)〕に、巨(こ)なる潭(ふち)、有り。中に老蚌を産す。其の大いさ、船のごとし。一日、灘〔(たん):岸。〕の畔〔(ちか)〕くに口を張りて〔あり〕。衣を浣(あら)ふ婦、有り。以-爲〔(おもへ)〕らく、『沈みたる船なり。』と。之れを蹴る。蚌、口を閉き、没す。婦、爲〔(ため)〕に驚きて、仆(たを)る。嘗つて、龍、有り。來りて、其の珠を取らんとす。蚌と闘(たたか)ふこと三晝夜、風濤、大いに作〔(おこ)〕り、龍、蚌を空中に爪(つか)んで、高さ數丈、復た、墜ち、竟〔(つひ)〕に如何んともすること無し。』と。

「戰國策」に云ふ。『川の蚌、出でて、曝(ひなたふくか:日向ぼっこ。)す。而して、鷸〔(いつ)〕、其の肉を喙ばむ。蚌、合して、其の喙〔(くちばし)〕を拑(はさ)む。鷸、蚌に謂ひて曰はく、「今日、雨ふらず、明日、雨ふらずんば、卽ち、死する蚌、有らん。」と。蚌、鷸に謂ひて曰はく、「今日、出でず、明日、出でずんば、卽ち、死する鷸、有らん。」と。』と。此の諸說を考ふれば、則ち、「蛤」は海中の者、「蚌」は河湖の中の者なること、必〔(ひつ)〕せり。

△按ずるに、「蚌」は、丼(どぶ)貝の大なる者〔なり〕。江州〔=近江〕の琶-湖(みづうみ)に、多く、之れ、有り【薄く狹く長き者を「剃刀〔(そりたち)〕」と名づく。厚く廣く長き者を「菜刀〔(ながたち)〕」と名づく。】。「奈加太貝」と號(なづけ)るは、「菜刀(ながたち)の下畧か。外の色、黑く、内、白くして、微光、有り。長さ六、七寸、濶さ二寸ばかりにして、扁たく、其の殻に醋〔(す)〕を盛り、之れを燒きたること、九次(たび)、細抹を醋に和して、瘡癤〔(さうせつ):皮膚の化膿性疾患。〕に塗り〔→れば〕、能く消散す。「本艸」に所謂る、「真珠」は、乃〔(すなは)〕ち、「蚌」の珠なり。本朝には、蚌珠を用いず[やぶちゃん注:ママ。] 。蓋し蚌も亦、少なからずと雖も、蜮䗯〔(あこや)〕・淺蜊(あさり)の多きに如かざる。故に蚌珠をとることは、希なり【凡そ、兩力を用ふるは、「鷸蚌(〔いつ〕ぼう)相持〔(あひじ)〕す」と謂ふなり。「戰國策」の故事より起こる。】。

丼(どぶ)貝【止布加伊〔(どぶがい)〕。】 蚌の小さき者、溝河泥〔(こうがでい)〕の中に、之れ、有り。大いさ二、三寸、殻、薄く、其の肉味、腥氣〔(せいき)〕有りて、食ふべからず。其の老たる者、頭、白く禿(は)げ、潮虛(しほひ)き、水、涸〔(か)〕るる時は、則ち、泥上に見る[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]。人、取りて、飛-礫(つぶて)に爲して、川に抛〔(はな)〕つ。

[やぶちゃん注:現在のドブガイという種は斧足綱イシガイ目イシガイ科ドブガイ属ドブガイ Anodonta woodiana 。良安が提示している異名の「ナガタガイ」という呼称は、現在は廃れているようである。しかし、ここでの良安の分類は極めていい加減なもので、「△按ずるに」以下で、次項のカラスガイに属する琵琶湖固有亜種イシガイ科イケチョウ亜科カラスガイ属メンカラスガイ Cristaria plicata clessini と思われる(ご丁寧に琵琶湖と指定してしまっている!)ものを掲げ、更に駄目押しで同属カラスガイ Gristaria Plicata の異名である「剃刀」貝(かみそりがい)という古い異名さえも提示してしまっている(私の『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 馬刀(バタウ)・ミゾ貝・カラス貝・ドフ(ドブ)貝 / カラスガイ』を参照されたい)。従って次のカラスガイの項で詳述するように、ここでドブガイ(もしくはその同属種)と同定とすること自体に、殆ど意味がないのである。実際には、イシガイ科 Unionidae に留めておくのが無難であろう。それでも……末尾の「人取りて飛-礫に爲して、川に抛つ」は如何にも、いいね。……そう、水切り遊びに、このイシガイ科の貝のフォルムは、ぴったりだ! さて、君のは何回跳ねるかな? ピッピッピッピッピッピッピピピピピ……

「蚌」の音は「ホウ(ハウ)」または「ボウ(バウ)」であるが、一般的な後者を採っておく。ここで「蚌」が横長の、「蛤」は円い形態の斧足類を言うという大原則はしっかり押さえておきたい。

「蠯」音「ハイ」で、マテガイ・ドブガイを指す古い漢語。

『「丰」に从ひ、「合」に从ふ』は解字である。「蚌」の「丰」は「付」に通じ、「寄る・合う」の意味に従って、「貝殻が合わさる」の意味となり、「蛤」の「合」も同様に、「合う」の意味に従って、「二枚の貝が合わさる」の意味となっているということ。

・「石決明」は、狭義にはクロアワビ Haliotis discus discus を筆頭とするミミガイ科アワビ属(但し、他のミミガイ科 Haliotidae の種も含まれるように思われる)の貝殻及び、本文にあるようなそれを粉末にした漢方薬を指すが、ここでは単純にアワビを指している。

「墓壙」は、被葬者を納める埋葬施設(玄室)を作るための穴で、墳墓に於ける羨道(玄室へのエントランス)部分を指すと思われる。

「疳」は、小児に特異的な症状の総称。五臓(肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓)が乱れ、精神症状(夜泣き・疳の虫・ひきつけ等)や身体的な諸症状(食欲不振・嘔吐・下痢等)の二症状が複合的に発生することを言う。現代の小児医学での消化不良・自家中毒・小児脚気・小児結核・夜驚症・寄生虫感染症等を包括する概念と言える。

「痢」は広く下痢症状を、「嘔逆」は腹部がむかむかして吐き戻しそうな嘔吐感の症状を、「癰腫」は広く皮膚の化膿性の腫脹症状を言い、後に出る「瘡癤」も同様。

「五雜組」は、明の謝肇淛(しゃちょうせい)の十六巻からなる随筆集であるが、ほとんど百科全書的内容を持ち、引用にあるような民俗伝承の記載も多い。日本では江戸時代に愛読された。書名は五色の糸でよった組紐のこと。ここに示される巨大ドブガイのエピソードは、私には初見であるが、かつて高校生の折り、後輩が富山県の某河川の河口付近の泥干潟で発見したドブガイの類の個体は、長径が三十センチメートルにもあるシロモノで、彼自身、「石だと思って持ち上げたら、貝だったんですよ!」という正直な驚愕を想起させるものである。

「戰國策」の話は、教科書にも載る有名な「漁父(ぎよほ)の利」=「鷸(しぎ)と蚌(どぶがい)の争い」の故事。「双方が争っている際、その隙につけこんで、第三者が利益を得ること。」である。これは合従策を唱えた遊説家蘇代が趙の惠文王の燕進攻を抑えさせたエピソード中の寓話であるが、良安の引用は、その比喩部分だけである。原文と一般的な訓読文・私の訳を次に示す。また、良安の割注にある「兩力を用ふる」(互いに争って譲らないこと)という部分的な比喩解釈をしているが、故事成句の解釈としては不可であろう。

   *

 趙且伐燕。蘇代爲燕謂惠王曰、今者臣來過易水。蚌方出曝。而鷸啄其肉。蚌合而箝其喙。鷸曰、今日不雨、明日不雨、卽有死蚌。蚌亦謂鷸曰、今日不出、明日不出、卽有死鷸。兩者不肯相舍。漁者得而幷擒之今趙且伐燕。燕趙久相支、以敝大衆、臣恐强秦之爲漁父也。願王之熟計之也。惠王曰、善。乃止。

 趙、且(まさ)に燕を伐(う)たんとす。蘇代、燕のために惠王に謂ひて曰く、

「今日、臣來り、易水を過ぐ。蚌、まさに出でて曝(さら)す。而して、鷸、その肉を啄(つい)ばむ。蚌、合(がつ)してその喙(くちばし)を箝(はさ)む。鷸曰く、『今日雨ふらず、明日雨ふらざれば、即ち死蚌(しぼう)有らん。』と。蚌も亦鷸に謂ひて曰はく、『今日出でず、明日出でざれば、即ち死鷸(しいつ)有らん。』と。兩者あひ舍(す=捨)つるを肯(がへ)んぜず。漁者、得て之を并(あは)せ擒(とら=捕)ふ。今、趙且に燕を伐たんとす。燕・趙久しくあひ攻むれば、もって大衆を敞(つか=疲)れしめん。臣、彊秦(きょうしん:強大な力を持った秦)の漁父(ぎよほ)と爲らんことを恐るるなり。願はくは王、之を熟計せよ。」と。惠王、曰く、「善(よ)し。」と。乃ち止む。

訳:趙は、今にも燕を攻めようとしていた。

 蘇代は、燕のために趙の恵王に会って言った。

「今日、私めがここへ参ります時に、易水を渡りました。すると、ドブガイが川から出でて、日なたぼっこをしておりました。すかさず、シギが、ドブガイの肉を、嘴で、突っ付きました。ドブガイは、殻を閉じて、シギの嘴を挟みました。そこでシギは言いました。

『今日も雨が降らず、明日も雨が降らなかったら、たちまち死んだドブガイの出来上がりだ。』

と。すると、ドブガイもまた、シギに対して言いました。

『今日も嘴が抜けず、明日も嘴が抜けなかったら、たちまち死んだシギの出来上がりだ。』

と。

 両者とも、互いを放すことを承知しません。

 そこへ、漁師がやって来て、やすやすと、両方、ともに、獲らえてしまいました。

 さて、今、趙は、まさに燕を攻めようとしています。燕と趙とが、永く戦えば、それは人民を大いに疲弊させてしまう結果となりましょう。私めは、強国の秦が、まさに、この漁父となるのではないかと恐れるのです。どうか願はくは、王様、このことを熟慮なさって下さい。」

と。

 恵王は、答えて言った。

「よかろう。」

と。こうして両国の戦いは未然に防がれたのである。

   *

なお、ついでにブログ版の「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鷸(しぎ)」もリンクさせておく。そちらを見て戴ければ、以上の「鷸」を同定することは不可能であることがお判り戴けるであろう。

 「蜮䗯」は、アコヤガイ Pinctada fucata martensii 。本巻該当項を参照。]

***

からすかい[やぶちゃん字注:ママ。]

かみそりかい[やぶちゃん字注:ママ。]

馬刀

マアヽ タウ

 

 馬蛤  蜌𢌆

 蝏䗒 齋蛤

 𤊿岸

 【俗云烏貝

  又云剃刀貝】

 

本綱馬刀生江湖池澤沙泥中長三四寸闊五六分似蚌

而小形狹而長其頭小銳其類甚多長短大小厚薄斜正

雖不同而性味功用大抵則一其肉味同蚌俗穪大爲馬

《改ページ》

其形象刀故名馬刀其殻【辛微寒】有毒

                                       西行

     夫木 浪よするしゝらの濵のからす貝拾ひ安くもおもほゆるかな

△按江海泥中有蚌長四五寸狹細其殻黑冬月出於魚

 市呼曰烏貝【宇加伊一名加良須加伊】最下品也生川澤者殻薄頗

 似剃刀而渉川人傷蹠俗呼名剃刀貝

 疑本名當烏刀【色黑似刀】本艸本經傳寫誤爲馬刀乎此物

 不甚大而無可穪馬之理恐是烏焉馬之誤矣又和名

 抄以馬刀訓萬天【唐音之畧乎】然今云萬天則蟶也

 

 

からすがい

かみそりがい

馬刀

マアヽ タウ

 

 馬蛤 蜌𢌆

 蝏䗒(ていはい)〔→ていはう〕 齋蛤

 𤊿岸(せいがん)〔→てふがん〕

【俗に「烏貝」と云ふ。又、「剃刀貝」と云ふ。】

 

「本綱」に、『馬刀は、江湖池澤の沙泥の中に生ず。長さ三、四寸、闊さ五、六分、蚌に似るも、小さく、形、狹くして、長く、其の頭、小さく、銳〔(とが)れ〕り。其の類、甚だ多く、長短・大小・厚薄・斜正、同じからずと雖も、性味・功用、大抵は、則ち、一つなり。其の肉味、蚌に同じ。俗に大なるを穪〔=稱〕して、「馬」と爲す。其の形、刀に象〔(かたど)〕る。故に「馬刀」と名づく。其の殻【辛、微寒。】、毒、有り。』と。

                                          西行

     「夫木」 浪よするしゞらの濵のからす貝拾ひ安くもおもほゆるかな

△按ずるに、江海の泥中に、蚌、有り。長さ四、五寸にして、狹く、細く、其の殻、黑し。冬の月、魚市に出づ。呼んで「烏貝(うかい[やぶちゃん注:ママ。])」と曰ふ【宇加伊、一名、加良須加伊。】。最下品なり。川澤に生ずる者、殻、薄く、頗る剃刀(かみそり)似て、川を渉る人、蹠(あしうら)を傷(そこな)ふ。俗に呼びて「剃刀貝」と名づく。

疑ふらくは、本名、當に「烏刀」なるべし【色、黑く、刀に似る。】。「本艸」、「本經」傳寫〔するに〕、誤りて「馬刀」に爲〔(つく)〕るか。此の物、甚だ大ならず。而して馬と穪すべきの理〔(ことわり)〕、無し。恐らくは、是れ、烏焉馬(ウヱンバ)の誤りならん。又、「和名抄」に、「馬刀」を以つて、「萬天」と訓ず【唐音の畧か。】。然れども、今云ふ「萬天」は、則ち、蟶〔(まて)〕なり。

[やぶちゃん注:イシガイ科イケチョウ亜科カラスガイ属カラスガイ Gristaria Plicata 、及び、琵琶湖固有種琵琶湖固有亜種メンカラスガイ Cristaria plicata clessini (カラスガイに比して殻が薄く、殻幅が膨らむ)。なお、現在、前項のドブガイとの判別は、その貝の蝶番(縫合部)で行う。カラスガイは左側の擬主歯がなく、右の後側歯はある(擬主歯及び後側歯は、貝の縫合部分に見られる突起)が、ドブガイには左側の擬主歯も右の後側歯もない。しかし、気になるのは、時珍の記述が「蚌に似るも小さ」いと指示し、あろうことか「長短・大小・厚薄・斜正、同じ」でない等とぶっとんでしまっている点、良安も「頗る剃刀に似て」いると言い、掲げる図も前項のドブガイに比して有意にスマートである。こうなると我々の現在のイシガイ科 Unionidae の分類学は全く無効であるように思えてくるのである。
 「夫木和歌抄」(延慶三(一三一〇)年頃に成立した藤原長清撰になる私撰和歌集)の西行の和歌は、「山家集」(下 雑 一一九六番歌)にも所収する。但し、良安は「白良(しらら)の濱」を「しじらの濱」と誤っている。内裏での「貝合せ」の際、ある女房に代わって代作した一首とする。白良の浜は和歌山県西牟婁郡白浜町の鉛山湾沿岸の砂浜の呼び名で、砂に石英が多く白い美しい浜辺である。

 波寄する白良の濱の烏貝拾ひやすくも思ほゆるかな

やぶちゃん訳:爽やかな波の寄せる白良浜、そこの烏の黒羽色の烏貝は、他の場所で拾うよりも、気持ちよく拾いやすいように思われますこと!

『「本艸」、「本經」傳寫するに』は、「本草綱目」の編者である時珍が、「神農本草經」(後漢時代に編纂されたと思われる本草書)から引用転写する際に、という意味である。

「和名抄」は、正しくは「和名類聚抄」で、源順(したごう)撰になる事物の和名字書。全二十巻。

「烏焉馬の誤り」は、「烏焉馬(うえんば)」と読む。「烏」と「焉」と「馬」の三文字漢語は、互いに形が似ており、判読する際に極めて誤り易いところから、「文字の誤まり」という意味となった。それにしても、ここは、それこそ文字通りの烏焉馬の誤りなわけで、良安の「してやったり!」という表情が見えるようではないか。

「蟶」は後出のマテガイ科のマテガイ Solen strictus 等を指す。ところが、困ったことに、現在では、マテガイを、広く一般的に「カミソリガイ」の異名で呼んでおり(辞書や季語でさえ、そうである。日本剃刀に似た形状から言えば、もっともなことと思われるが)、更に面倒なことに、現在の和名の「カミソリガイ」は外国産マテガイの Solen vagina に与えられてしまっているようなのである。和名異名の困ったちゃん大逆噴射である。良安が生きていたら、今度は、さぞかし呆れた表情を浮かべることであろう。]

***

■和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○五

たいらき

ゑほしかい[やぶちゃん注:ママ。]

玉珧

ヨツ チヤ゜ウ

 

  江珧 馬頰

  馬甲

 【俗云太以良木

  又云烏帽子貝】

[やぶちゃん字注:以上四行は、前四行の下に入る。]

 

本綱玉珧形似蚌長二三寸廣五寸上大下小其肉腥靭

不堪食惟四肉柱長寸許白如珂雪以鷄汁瀹食肥美過

《改ページ》

火則味盡也

△按玉珧蚌屬黑色有波浪文而上濶下窄長六七寸似

 烏帽子形又如馬甲故名之其膓不堪食有一肉柱圓

 白如玉故名玉珧其大者徑二寸許味甘美爲上饌但

 本艸謂四肉柱者非也疑四柱之四字當作有矣其殻

 一片以可爲華箕【玉珧一名海月者非也辨見于左】

 

 

たいらぎ

ゑぼしがい

玉珧

ヨツ チヤ゜ウ

 

 江珧〔(かうえう)〕 馬頰

 馬甲

【俗に太以良木と云ふ。又、烏帽子貝(ゑぼうしがひ)と云ふ。】

 

「本綱」に、『玉珧は、形、蚌に似て、長さ二~三寸、廣さ五寸、上、大きく、下、小さし。其の肉、腥(なまぐさ)く、靭〔(じん):硬いこと。〕にして、食ふに堪へず。惟だ、四〔(よつ)〕の肉柱の長さ、寸ばかり、白くして、珂〔(か)のごとく〕、雪のごとし。鷄(たまご)の汁を以つて、瀹(ゆび)き〔:茹でる〕食ふ。肥美なり。火を過ぐさば、則ち、味、盡〔(つ)〕く〔る〕なり。』と。

△按ずるに、玉珧は蚌の屬〔なり〕。黑色、波-浪(なみ)の文〔(もん)〕有りて、上、濶(ひろ)く、下、窄(すぼ)く〔:狭く。〕、長さ六、七寸、烏帽子(ゑぼうし)の形(なり)に似る。又、馬の甲(つめ)のごとし。故に之を名づく。其の膓〔(はらわた)〕、食ふに堪へず。一〔(いつ)〕の肉の柱、有り、圓く白きこと、玉のごとし。故に「玉珧〔(ぎよくたう)〕」と名づく。其の大なる者、徑〔(わた)〕り、二寸ばかり。味、甘く、美〔(うま)〕し。上饌と爲す。但し、「本艸」に四の肉柱と謂ふは、非なり。疑ふらくは、「四柱」の「四」の字、當〔(まさ)〕に「有」に作るべし。其の殻一片、以つて、華-箕(ちりとり)と爲すべし【『玉珧、一名、海月。』とは非なり。辨じて、左に見す。】。

[やぶちゃん注:タイラギについては、長く、イガイ目ハボウキガイ科クロタイラギ属タイラギ Atrina pectinata Linnaeus, 1758 を原種とし、本邦に生息する殻表面に細かい鱗片状突起のある「有鱗型」と、鱗片状突起がなく殻表面の平滑な「無鱗型」を、棲息環境の違いによる形態変異としたり、それぞれを、上記の亜種として扱ってきたが、一九九六年、アイソザイム分析の結果、「有鱗型」と「無鱗型」は全くの別種であることが明らかとなった(現在、前者(旧「有鱗型」)は Atrina lischkeana とする。但し、これは末尾に Clessin, 1891 の学名を持つ古いもので、この別種同定での新学名ではない)。加えて、これら二種間の雑種も、自然界に十%以上、存在することも明らかとなっている(当該ウィキを参照されたい)ため、日本産タイラギ数種の学名は、早急な修正が迫られている。また、ここには、タイラギに似るが、殻が細長く、閉殻筋も小さく、外套膜も薄いハボウキガイ Pinna bicolor 等がいることから、タイラギを含む従来のハボウキガイ科 Pinnidae で留めておくべきではあろう。

「珂」は、「玉石」または「瑪瑙」を指す。

「其の腸、食ふ堪へず」とあるが、実際にタイラギ漁によっては、早々に海上で内臓を捨て去ることもあると聞く。それでもタイラギのヒモ(外套膜)を食用とすることを知っている人は多いが、私はある寿司職人に勧められて、新鮮なキモ(内臓)を焼いて食したことがあるが、なかなか十分うまいものである。騙されたと思って、一度、お試しになることをお勧めする。

『本艸」に四の……』は、貝柱は一つで、「本草綱目」の『四肉柱』という部分は、『有肉柱』、(「肉柱有り」)の誤植であろうという良安の物言いである。しかし実は、タイラギには貝柱(閉殻筋)は二つある。但し、前閉殻筋は殻頂近くにあって小さく、殻中央部の大きな後閉殻筋の方を食用としているのである。こじつければ、左右両殻に切断した大小の貝柱を「四」と言えぬことはない。

「辨じて左に見す」は、以上の『玉珧、一名、海月。』(これは「本草綱目」の記載を指していると思われるが、実は「本草綱目」では、そもそも、見出しを「海月」とし、「(釋名)玉珧……」としている)別名の誤認についての説明は、左(=次項目)の「海鏡」の項で明らかにする、という意味である。次項の「海鏡」を参照されたい。]

***

うみかヽみ

海鏡

 

 鏡魚 瑣𤥐

 膏藥盤

[やぶちゃん字注:以上二行は、前二行の下に入る。]

 

本綱海鏡生南海兩片相合成形殻圓如鏡中甚瑩滑映

日光如雲母内有少肉如蚌胎腹有寄居蟲大如豆狀如

蟹海鏡飢則出食入則海鏡亦飽矣郭璞所謂瑣𤥐腹蟹

水母目鰕卽此也

《改ページ》 

■和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○六

 △按嶺表録曰海月大如鏡白色正圓常死海旁其柱如

 搔頭尖其甲美如玉【海鏡海月恐一物】然以海月爲玉珧者非

 也【海月白色玉珧黑色】時珍亦不改正似有所欠【和名抄海月爲水母者甚非也】

うみかゞみ

海鏡

 

鏡魚 瑣𤥐 膏藥盤

 

「本綱」に、『海鏡は、南海に生ず。兩片、相合〔(あひがつ)〕して、形を成す。殻、圓く、鏡のごとし。中、甚だ瑩滑、日光に映ずるに、雲母(きらゝ)のごとし。内に、少しの肉、有り。蚌胎のごとく、腹に、寄居蟲(がうな)、有り。大いさ、豆のごとし。狀、蟹のごとし。海鏡、飢うれば、則ち、出でて、食らい[やぶちゃん字注:ママ。]、入れば、則ち、海鏡も亦、飽(あ)く。郭璞が所謂〔(いはゆ)〕る、「瑣𤥐が腹には、蟹、水母(くらげ)の目には、鰕(えび)。」と云ふは、卽ち、此れなり。』と。[やぶちゃん字注:最後の「と云ふは」の「云」は送り仮名にある。]

△按ずるに、「嶺表録」に曰はく、『海月は、大いさ、鏡のごとく、白色、正圓、常に海〔の〕旁〔(ほとり)〕に死す。其の柱、搔頭尖〔(さうとうせん)〕のごとし。其の甲、美なること、玉のごとし。』と云へり。【「海鏡」、「海月」、恐らくは、一物〔なり〕。】然るに、「海月」を以つて、「玉珧(たいらぎ)」と爲るは、非なり【「海月」は白色、「玉珧」は黑色〔なり〕。】。時珍も亦、改正せず。欠く所、有るに似たり。【「和名抄」に『海月は水母と爲す。』とは、甚だ、非なり。】

[やぶちゃん注:本種の同定は難しい。本邦に於ける現在のマルスダレガイ科のカガミガイ Phacosoma japonicum は、まさに名にし負はばなのだが、殻の内側は、時珍の言うような「瑩滑」(艶やかな輝きで滑らか)ではない。同じように円形に近く、そのような真珠光沢を持つものとしては、真っ先にナミマガシワ科のマドガイ Placuna placenta が浮かぶ。こちらはそれこそ、その内側が「雲母」様であり、古くから、中国・フィリピン等に於いて、家屋や船舶の窓にガラスのように使用され、現在でも、ガラスとは一風違った風合いを醸し出すものとして、照明用スタンドの笠や、装飾モビール等の貝細工に多用されているのは周知の事実である。しかし、一方、図にも描かれ、記載にもあるカクレガニ類の共生(但し、時珍の言うのとは異なる片利共生)は、カガミガイとの方が一般的であろうかとも思われるのである。記述の最後で、良安が異名について頻りに反論している当時の混乱が、今の私の種同定の困惑とシンクロして、何だか妙に面白い気がする。なお、私の『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類  𧍧䗯(カンシン)・タイラキ / タイラギ』が、お薦めである。

「蚌胎のごとく」の部分は訓点を見る限りでは、こう読むしかないのだが、「ドブガイの体内のように、寄生蟹が、いる。」というのは、おかしい(そのような叙述を「蚌」の中で記載していないし、ドブガイの中に寄生蟹がいることは、寧ろ、稀れであろう)。従って、ここは、前文を修飾していて、「ドブガイのように貝の大きさの割には、軟体部が小さい。」と言いたいのではなかろうか。ちなみに東洋文庫版でもそのように現代語訳している。

「郭璞」は、晋の時代の博物学者で、驚天動地の博物学書「山海経」の最初の注釈者として有名。

「水母の目には鰕」とは、エビクラゲ等の根口クラゲ類に共生(片利共生)するクラゲエビ・クラゲモエビ・タコクラゲモエビや、鉢虫類・ヒドロ虫類のクラゲや、クシクラゲ類の体内深くに寄生するクラゲノミ類、オキクラゲやユウレイクラゲの傘下に寄生するクラゲエボシ等を指すものであろう。郭璞は、私には、どこかトンデモ本の筆者のような怪しげな印象があったが、あの時代にあって、彼の、このクラゲに寄生する節足動物の観察眼、その微小なるものへの客観的な視線は、決して侮れないと感じた。

「搔頭尖」は尖った簪(かんざし)。但し、これは直前の「海旁に死す」を受けた、死貝の貝柱が細く延びきった様子を述べているネクロティクの記載であると思われる。

「嶺表録」は唐の劉恂(りゅうじゅん)撰になる中国南方の風土産物を図入りで説いた風土・物産誌。「嶺表録異」とも呼ばれる。

「玉珧」は、前項参照。]

***


■和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○六

まて

【音稱】

          【俗云萬天】

 

本綱蟶生海泥中小蚌也長二三寸而大如指兩頭開其

形長短大小不一其類多閩人以田種之候潮泥壅沃謂

之蟶田其肉【甘溫】治冷痢及産後虛損【天行病後不可食】

△按蟶殻圓如小竹管而青黑頭有兩巾出殻外謂之蟶

 袴肉似蠣而細長其所在必有小穴用鹽一撮入穴口

 潜窺之則蟶出如聽人聲則深入竟出穴外或掘砂亦

 取之攝州難波堺浦多有之

《改ページ》

眞蟶【一名總角】 蟶之大者也

 凡蟶巾出於殻外貌似小兒埀洟人取其肉爲臛食之

 然不上品

 

 

まて

          【俗に萬天と云ふ。】

【音、稱。】

 

「本綱」に、『蟶は、海泥の中に生ず。小さき蚌なり。長さ二、三寸にして、大いさ、指のごとく、兩頭、開く。其の形ち、長短・大小、一〔(いつ)〕ならず。其の類、多し。人〔(びんじん)〕、田を以つて、之れを種〔(う)〕へ、潮泥・壅沃〔(ようよく)〕を候〔(うかが)〕ふ。之れを「蟶田〔(しやうでん)〕」と謂ふ。其の肉【甘、溫。】、冷痢及び産後の虚損を治す【天行〔(てんかう)〕病の後、食ふべからず。】。』と。

△按ずるに、蟶は、殻、圓く、小さき竹の管(くだ)のごときにして、青黑く、頭〔(かしら)〕、兩巾有りて、殻の外に出づ。之れを「蟶の袴〔(はかま)〕」と謂ふ。肉、蠣〔(かき)〕に似て、細長し。其の所在、必ず、小さき穴、有り。鹽、一撮(つまみ)を用ひ、穴の口に入れて、潜かに之れを窺へば、則ち、蟶、出づ。如〔(も)〕し、人聲を聽けば、則ち、深く入るる〔も〕、竟〔(つひ)〕に、穴の外に出づ。或いは、砂を掘りても亦、之れを取る。攝州難波〔(なには)〕・堺の浦に、多く、之れ、有り。

眞蟶(ままて)【一名、總角(あげまき)。】 蟶の大なる者なり。凡そ、蟶の巾(ひれ)、殻外に出づ〔るは〕、貌〔(かた)〕ち、小兒〔の〕洟(はな)を埀るゝに似たり。人、其の肉を取り、臛(にもの)と爲して、之れを食ふ。然れども、上品ならず。

[やぶちゃん注:斧足綱異歯亜綱マテガイ上科マテガイ科 Solenidae の種を全て含む叙述である。一般的なマテガイ Solen strictus 以外にも、本邦でも、ヒナマテ・ダンダラマテ・エゾマテ・バラフマテ・リュウキュウマテ・オオマテガイ・アカマテガイ等が挙げられる(学名省略。すべて Solen 属である。さらに、日本の新種で沖縄の金武(きん)湾の屋慶名(やけな)、及び、中城(なかぐすく)湾の泡瀬(あわせ)と佐敷(さしき)で確認されたジャングサマテガイ Solen soleneae も挙げておこう。「じゃんぐさ」は沖縄方言で「海藻・海草」の意)。属名が異なるが、タカノハ Ensiculus philippianus や、特に良安によって柱が立てられているアゲマキ Sinonovacula constricta も同科である。後半に叙述される塩による採取法は、小学二年生の折りに漫画図鑑で読んで、わくわくした記憶があるのだが、でもこれは本当に、ものの本に書かれているように、潮が満ちてきたと勘違いして、飛び出してくるのかしら? 四十数年の間、未だに僕は、これが納得できないでいるのだ。誰か、目から鱗、目に塩を入れたぐらい、分かったからやめて! って叫ぶぐらい、納得できる説明を教えてもらいたいのだ。

「閩」は、福州・泉州・厦門等の現在の福建省辺りを指す。
・「潮泥・壅沃を候ふ」というのは、その「蟶田(まてだ)」に、海水及び干潟の泥土を人工的に引き込んでおいて、その田の状態を壅(つちかう=培)沃(そそぐ・こえる=灌漑・肥)、即ち、海水による灌漑と、蟶の生育に適した干潟の土質改良を行って「候(うかが)ふ」、観察し、蟶の生育を待つ、ということを意味していると思われる。

「冷痢」は、七世紀中頃に成立した中国最古の医学全書である「備急千金要方」第十五巻下の「第八冷痢」の項に「冷えて下痢し、腹痛する者」とある。

「産後の虛損」の「虛損」は広く「衰弱」を言う語であるが、産後の虚損と言った場合、その主なる愁訴は、便秘であり、前者の「冷痢」と並ぶ効能のように思われる。

「天行病」は、「流行病・疫病」を指す。

「眞蟶【一名、總角。】」はアゲマキ Sinonovacula constricta 実はマテガイの語源説には、貝殻の前後から出る軟体部を、左右の手に擬えた「真手」(=両手)というのがあるから、それに従えば、これは判じ物のような「真真手」ということなる。]

***

あこやかひ

𧍧䗯

ヒン ツイン

 

 生䗯 𧍧蛤

  【俗云阿古

    夜加比】

[やぶちゃん字注:以上三行は、前三行の下に入る。]

 

本綱𧍧䗯生東海似蛤而扁有毛【或云𧍧䗯河中亦有之與馬刀相似肉頗冷】

△按𧍧䗯生海泥中外黃淡赤色如毛剥之皮毛剥而滑

 其狀畧似車渠而無溝文薄扁稍長殻縫目有齒如蛤

 其肉滿殻所附于石絲青蒼色如苧屑不堪食勢州多

 有之其珠光澤謂之伊勢真珠海西亦有之入眼藥及

 五寶丹中以爲良而大者甚希也但可爲璫玉之真珠

 鰒之珠耳

《改ページ》

 

 

あこやがひ

𧍧䗯

ヒン ツイン

 

 生䗯 𧍧蛤

  【俗に阿古夜加比と云ふ。】

 

「本綱」に、『𧍧䗯は東海に生ず。蛤に似て扁たく、毛有り【或は云ふ、𧍧䗯は、河中にも亦、之れ、有り。馬刀(からすがい[やぶちゃん注:ママ。])と相〔(あひ)〕似る。肉、頗る、冷。】。』と。

△按ずるに、𧍧䗯は、海泥の中に生ず。外、黃淡赤色にして、毛のごとし。之れを剥げば、皮・毛、剥(む)けて、滑(なめら)かなり。其の狀〔(かた)〕ち、畧〔(ほぼ〕、車渠(いたやがひ)に似て、溝文〔(こうもん)〕、無く、薄く、扁たく、稍〔(やや)〕長く、殻の縫目に、齒、有り。蛤〔(はまぐり)〕のごとく、其の肉、殻に滿つ。石に附く所の絲、青蒼色、苧屑(をくず)のごとし。食ふに堪へず。勢州〔=伊勢〕に多く、之れ、有り。其の珠、光澤〔なり〕。之れを「伊勢真珠」と謂ふ。海西〔=九州〕にも亦、之れ、有り。眼藥及び「五寶丹」の中に入るるに、以つて、良と爲すも、大なる者は、甚だ、希れなり。但し、璫-玉(みゝかざり)と爲すべき真珠は、鰒〔(あはび)〕の珠のみ。

[やぶちゃん注: 斧足綱ウグイスガイ目ウグイスガイ科アコヤガイ属アコヤガイ Pinctada fucata martensii 。「本草綱目」の「馬刀」は、良安がルビしている通り、アコヤガイではなく、淡水産の「馬刀」カラスガイ Cristaria plicata の類との誤認である。アコヤガイの殻は三層構造で、外側から殻皮層(層状で剥がれやす)・稜柱層・真珠層からなっており、光沢を持つ真珠層は、外套膜上皮が分泌する真珠質で形成される。この真珠質の分泌は、殻内に侵入した異物の軟体部防御のためにも分泌される。現在の養殖真珠は、軟体部の中央に位置する生殖巣にアコヤガイ自体の外套膜の小切片と核を挿入する挿核手術法によっている。

「車渠」は、後述される同項目で注したように、翼形亜綱イタヤガイ目イタヤガイ上科 イタヤガイ科 Pectinidae の全種を含む表現。

「殻の縫目に、齒、有り」という表現は、読んだ当初、左右の殻の「合わせ目の辺縁部」を指しているように私には思われた。実際に、殻全体の辺縁部では歯車状の凹凸が最も明確に見て取れ、これを「齒」と言うに、ふさわしい。しかし、実際にアコヤガイの殻を手に取り、しみじみ見てみると(別に「しみじみ」見なくてもいいとも言われようが)、「殻の縫目」というのは、最上部の殻皮層を形成しているそれぞれの薄い層の辺縁部(それぞれギザギザにはなっている)も不規則ながら、「縫い目」のようにギザギザしている。最終的には、これはそれを指しているように感じられるようになった。殻の合わせ目ならば、良安はそのように明確に記述するであろう。これは、アコヤガイの殻の最外部を層状に覆っている殻皮の、それぞれの辺縁部を指していると見解を変えることとする。

「石に附く所の絲」は、アコヤガイの足糸を指す。天然のアコヤガイは、この足糸腺から分泌される強い接着物質によって、浅海の岩礁に付着している。なお、その形容である「苧屑」は、カラムシ Boehmeria nivea (イラクサ科の多年生植物)から採取した繊維の「くず」の意味。カラムシは別名、苧麻(ちょま)・青苧(あおそ)、古くは「を」等とも言った。ちなみに、この部分、東洋文庫版では、『苧屑(おくず)のようで、食べられない。』と続けて訳しており、あたかも、海藻に似た足糸部分は、食用にできない、という意味のように解釈しているが、ここは、このアコヤガイの軟体部を含め、一切、食用としない、という叙述と、私は考える。食用となるものには、逐一、それを記している良安が、ここでそれを落としたと見るべきではあるまい。実際には勿論、食用とはなる(但し、旨味は薄い)。

「伊勢真珠」は、「真珠」の同注を参照されたい。

「五寶丹」は、広く咽頭の炎症や梅毒の第三期等に処方される薬物のようである。

 「璫玉」は、「耳璫」(じとう=イヤリング)である。]

***

■和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○七

しゝみ

【音顯】

ヒヱン

 

 𧖙【同蜆】 扁螺

 【和名志々美】

[やぶちゃん字注:以上二行は、前三行の下に入る。]

 

本綱蜆溪湖中多有之小如蚌黑色能候風雨以殻飛殻

内光耀如初出日采也漁人多食之

肉【甘鹹冷】 治時氣下濕氣壓疔瘡通乳取汁洗疔瘡利小

便解酒毒目黃又洗痘癰無瘢痕

△按蜆江河皆有之蚌屬圓小其大者一寸許兩頭上有

 白禿斑小者四五分武州江戸近處多有之者大而味

 佳江州勢多之産亦得名攝州難波蜆川多取之而稍

 小其殻焼灰爲堊以僞石灰與牡蠣殻灰並用

 生蜆連殻煑汁浴之能治黃疸屢試有効

     万えふ 住吉の小濵の蜆あけも見す忍ひてのみや戀わたるらむ

 

 

しゞみ

【音、顯。】

ヒヱン

 

 𧖙【蜆に同じ。】 扁螺

 【和名、「志々美」。】

 

「本綱」に、『蜆、溪湖の中に、多く、之れ、有り。小にして、蚌のごとく、黑色。能く風雨を候〔(うかが)〕ひ、殻を以つて、飛ぶ。殻の内、光り耀く。初めて出づる日の采〔=彩〕のごとし。漁人、多く、之れを食ふ。

肉、【甘鹹、冷。】 時氣を治し、濕氣を下し、疔瘡〔(ちやうさう)〕を壓し、乳を通ず。汁を取り、疔瘡を洗ふ。小便を利し、酒毒・目の黃を解す。又、痘-癰(もがさのより)を洗へば、瘢-痕(あと)、無し。』

△按ずるに、蜆は、江河に皆、之れ、有り。蚌の屬にして、圓く、小さく、其の大なる者、一寸ばかり、兩頭の上に、白く禿(は)げ〔し〕斑(まだら)有り。小さき者、四、五分。武州江戸近き處に、多く、之れ有るは、大にして、味、佳し。江州勢多〔=近江勢田〕の産、亦、名を得。攝州難波蜆川に、多く、之れを取る。而れども、稍〔(やや)〕小さし。其の殻、灰に焼きて、堊(しらつち)と爲し、以つて、石灰に僞〔(かへ)〕る。牡蠣殻〔(かきがら)〕の灰と並用す。

生蜆、殻を連〔(つれ)たる〕煑汁、之れを浴(あ)びて、能く、黃疸を治す。屢々、試み、効、有り。

   「万えふ〔葉〕」 住吉の小濵の蜆あけも見ず忍びてのみや戀わたるらむ

 

[やぶちゃん注:斧足綱異歯亜綱シジミ科シジミ属ヤマトシジミ Corbicula japonica (汽水域種)、マシジミ Corbicula leana (淡水域種)、セタシジミ Corbicula sandai (琵琶湖水系の淡水域種)をすべて数え上げておけば、ストーカー的貝類同好家からも文句も言われまい。

「能く風雨を候ひ、殻を以つて、飛ぶ」というのは、死貝の打上げられた殻の飛ぶさまをいったとするのも無粋であるし、ただの妄説として一蹴してもよいところだが、何故か、気になった。それはヤマトシジミである。大和蜆と書いてもよい。この和名には二種の生物が当たる。一種は先の貝のヤマトシジミ、もう一種は蝶のヤマトシジミ Corbicula japonica である。シジミチョウ科 Lycaenidae の蝶は非常に小型で、閉じた翅の形が、蜆貝の殻の形に良く似ているがゆえの和名であるが、中国大陸には当然、同科の仲間が棲息しているであろう。その「シジミチョウ」の飛翔するさまを、風に乗じて飛ぶ「蜆貝」と見たら……それは、それで、素敵ではないか!……これは僕の勝手な妄想である。
「時氣」とは、「季節の流行病」を言い、「濕氣」は、湿気が体内に貯留した状態で、脾・肺・腎の働きが鈍った状態を言うか。「疔瘡」は、悪性のできもの、特に化膿性炎症である蜂窩織炎(蜂巣炎)等を指す。「目の黃」は黄疸時に、いち早く眼球の強膜(白目)部分現われる黄色化の症状を指す。嘗つて、A型肝炎に罹患し、γ-GTP2000のメーター振り切れを体験した私には、その急変する黄色化現象は強烈な体験であった。「痘癰」(とうよう)は、天然痘等の水疱症状のことを指すのであろう。

「蜆川」は、現在の大阪市北区にあった川で、「曾根崎心中」「心中天網島」の舞台。明治四二(一九〇九)年の大火で、焼けた倒壊家屋の瓦礫が雪崩れ込み、その後に埋められて、現存しない。

「生蜆、殻を連〔(つれ)たる〕煮汁」の部分は訓読が出来ず、苦し紛れである。「生きた蜆を殻のまま煮た、その煮汁を」という意味であることは間違いないのだが。

「黃疸を治す」とあるが、一般にシジミの肝臓への効能は古くから言われる。肝機能保持に必要とされるメチオニンの含有量が多いとか、胆汁分泌を促す利胆作用物質があるなどとも言われるが、科学的な立証は今一つ。但し、カルシウム・ビタミンB及びビタミン12が多く、八種の必須アミノ酸もバランスよく含まれ、鉄分の含有量は特異的で、まさに小粒ながら、栄養食品としての地位は現代でも揺ぎない。

最後の和歌は「万葉集」第六巻の「雜歌」の九九七番歌である。但し、下の句に大きな異同がある。以下に当該和歌白文、訓読(前後の詞書含む)及び私の訳を附す。

   *

 住吉乃 粉濱之四時美 開藻不見 隱耳哉 戀度南

    春三月(やよひ)、難波の宮に幸せる時の歌六首。

 住吉(すみのえ)の粉濵(こばま)の蜆開けも見ず隱(こもり)のみやも戀ひ渡りなむ

   右の一首(ひとうた)は、作者未詳(よみひとしらず)。

○やぶちゃん訳:住吉の粉浜の蜆が、殻を、あけず、ただ、凝っと、籠もっているのと同じように、私は、胸の思いを、相手に打ち明けてみることもなく、ただ、凝っと、心に思いを秘めたまま、あの人を恋い続けることとなるのでしょうか?

粉浜というは、現在の大阪市住吉公園の北、帝塚山(てづかやま)の西の一帯にあった。現在は埋め立てられ、住宅地となっている。

 なお、先にシジミの効能を考察したが、最後にシジミが有毒であることを書いて本注を終える。毒と言っても、本年二〇〇七年四月に淀川下流域で採取された食用シジミから検出されたような、有毒プランクトン由来の麻痺性貝毒なんぞの話ではない。生体のシジミ自体の体液に、通常の貝類では例を見ないタンパク毒があるのである。但し、最初に申し上げておくが、熱によって速やかに分解され、無毒となるので、安心してシジミの味噌汁をお食べ頂いていいのである(当該書でも、それを人々に知ってもらうことが大切である、と記してある)。それでは、所持する成山堂刊の塩見一雄・長島裕二共著「海洋動物の毒」(但し、改訂版ではない平成九(一九九七)年の初版)をもとに解説を始めよう。シジミ生体体液抽出物質の二倍の水抽出液、または、その段階的二倍希釈液を静脈投与(但し、経口投与では毒性が認められない)すると、実験用マウスが死亡する最高希釈倍率(単位名:titer)で、titer64をはじき出す(シジミの軟体部一グラムで体重二十グラムのマウスを九百六十匹殺すことができる毒性に相当する)。具体的には、最小致死量を静脈注射による投与後、よろけた歩行が十分以内に始まり、四肢麻痺から、三十分から十二時間以内に、死に至る。最小致死量の二倍ではマウスは十分以内に死亡した。最も毒性の高いヤマトシジミの検体例では、鰓及び内臓では、無毒なものの、筋肉系組織はすべて有毒、特に足筋の毒性がtiter256の高値を示した(他種では数値や部位に違いがあり、それは生息域の塩分濃度と関係があり、低いと、足筋の毒性が有意に下がるようであるとする)。問題は、この有毒物質をシジミが何ゆえに生合成(プランクトン由来ではない)しているのかが不明な点である。解明はまだまだ続く(というか、金にならない研究は、なかなか進まない、と言うべきか。しかし、テトロドトキシンも医療転用できる時代、シジミ毒も表舞台に出る日がやってくるかも、ね)。――さて、当該本を読んだ十年以上前、この話を授業でしたことを思い出した。その直後に廊下を追いかけてきて、「先生、どれくらいの生のシジミを食わせたら――人は、死ぬんでしょうか?」と真剣に聞きにきた高校二年生の男子生徒がいて、素敵にビビったことを思い出す。その後、彼とは卒業後に一緒に飲んで、どうしようもないへべれけの私が口走ったシジミ、じゃあない、会津のさざえ堂から、更に奇体なトマソン家屋、私が本を贈った二笑亭の研究を経て、今じゃ、いっぱしの建築学を習得、私も触りたい重要文化財に手垢さえ付けられるプロになった。……「シジミと毒と建築家」……新感覚派の横光利一の小説の題名みたいで、これも素敵だ!]

***

はまくり

文蛤

ウヱン タツ

 

 花蛤

 【和名波萬久里

  古云宇牟木】

[やぶちゃん字注:以上は、前三行の下に入る。]

 

本綱文蛤生東海取無時小大皆有紫斑大者圓三寸小

者圓五六分曰文曰花以形名也凡蚌與蛤同類而異形

長者通曰蚌圓者通曰蛤然混穪〔→稱〕蚌蛤者非也

肉【鹹平】治五疳及婦人崩漏利小便止煩渇

                                             西行

      夫木 今そ知る二見の浦のはまくりを貝合せとておほふなりけり

△按文蛤在海濵而形似栗故俗名濵栗大小不一大者

 圓三寸小者五六分灰白色有紫黑文而如花鮮明故

 曰文曰花又有純褐色者名油貝又有純白無文者名

 耳白貝【此二種者少百中一二有】皆殻厚能成對頭肩左短而白右

 長而淺緗色其耑〔=端〕有靑黑色小皮如耳粘着二殻令不

《改ページ》

■和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○八

 

 離如門扉之鍱鋏能開闔其殻上爲陽下爲陰陽貝有

 三牙齒陰貝有竅受之似牝牡交能緊合若亂殻雖千

 万數皆齟齬而不合故堪爲割符又中有一肉柱名蛤

 丁粘殻凡蛤秋冬味勝矣勢州桑名炙蛤得名泉州堺

 浦之産小而味美也阿波之産殻厚扁大有四五寸者

 和石灰煑則殻色鮮明如琢成者以貯膏藥等甚佳又

 撰取極大者裏畫花鳥人物而取合其陰陽以爲女子

 弄遊謂之貝合婚禮必用之象和合之義矣參州之産

 最厚堅工人切磋作碁子

 景行天皇從上総[やぶちゃん字注:ママ。]至淡水門【安房之湊】時聞覺賀鳥之聲欲

 見其形尋而出海仍得白蛉於是磐鹿六鴈【人之名】以蒲

 爲手襁采白蛉爲膾以進之【覺賀者雎鳩也白蛉者蛤也】

 

 

はまぐり

文蛤

ウヱン タツ

 

花蛤

【和名、「波萬久里」。古くは、「宇牟木」と云ふ。】

 

「本綱」に、『文蛤は、東海に生ず。取るに、時、無し。小・大、皆、紫斑、有り。大なる者、圓さ三寸、小なる者、圓〔(まる)〕さ、五、六分。「文」と曰い[やぶちゃん字注:ママ。]、「花」と曰ふは、形を以つて名づくるなり。凡そ、蚌と蛤〔(はまぐ〕りと、類を同じくして、形を異にす。長き者を通じて、「蚌」と曰ひ、圓き者を通じて、「蛤」と曰ふ。然るを、混じて「蚌蛤」と稱するは、非なり。

肉【鹹、平。】五疳及び婦人崩漏を治し、小便を利し、煩渇〔(はんかつ)〕を止む。』 と。

                                          西行

    「夫木」 今ぞ知る二見の浦のはまぐりを貝合せとておほふなりけり

△按ずるに、文蛤は、海濵に在りて、形、栗に似たり。故に、俗に「濵栗」と名づく。大小、一〔(いつ)〕ならず。大なる者、圓〔(めぐ)〕り三寸、小き者、五、六分。灰白色に、紫黑文、有りて、花のごと、く鮮-明(あざや)かなり。、故に「文」と曰ひ、「花」と曰ふ。又、純-褐(きぐろ)色の者、有り油貝と名づく。又、純白にして、無文の者、有り。「耳白貝」と名づく【此の二種は少なく、百中に、一、二、有るのみ。】。皆、殻、厚く、能く對(つい[やぶちゃん字注:ママ。])を成す。頭肩、左は、短かくして、白く、右は、長くして、淺-緗(もゑぎ〔→もえぎ〕)色。其の耑〔=端〕に、靑黑色の小皮、有り。耳(みみ)のごとく、二つの殻に粘着して、離れざらしむ。門-扉(とびら)の鍱-鋏(てうつがひ)のごとく、能く、開闔〔(かいかう)=開閉〕す。其の殻の上を陽と爲し、下を陰と爲す。陽貝に、三つの牙齒、有り。陰貝に、之れを受く、竅〔(あな)〕、有りて、牝牡の交はりに似て、能く、緊合す。若〔(も)〕し、亂殻の〔ある〕時は[やぶちゃん注:「時」は左の送りがなにある。]、千万數と雖も、皆、齟-齬(くひちが)ふを〔→齟齬ひて〕、合はず。故に、割符と爲すに堪へたり。又、中に、一つの肉柱、有り。「蛤丁〔(かうてい)〕」と名づく。殻に粘〔(ねばりつ)〕く。凡そ、蛤、秋・冬、味、勝れり。勢州桑名の炙蛤〔(やきはまぐり)〕、名を得。泉州堺の浦の産、小にして、味、美なり。阿波の産は、殻、厚く、扁たく大□□〔→にして〕、四、五寸の者、有り。石灰を和(ま)ぜて煑れば、則ち、殻の色、鮮-明(あざや)かにして、琢〔(みが)〕き成〔れ〕る者のごとし。以つて、膏藥等を貯ふるに、甚だ、佳し。又、極大なる者を撰び取り、裏に花・鳥・人物を畫〔(ゑが〕きて、其の陰陽を取り合はせて、以つて、女子の弄遊(もてあそび)と爲す。之れを「貝合〔(かひあはせ)〕」と謂ふ。婚禮に、必ず、之れを用ひて、和合の義に象〔(かたど)〕る。參州の産、最も、厚く、堅し。工人、切磋して碁-子(〔ご〕いし)と作(な)す。

景行天皇、上総[やぶちゃん字注:ママ。]より、淡-水-門(あはのみなと)【安房の湊。】に至る。時に覺-賀-鳥(みさごどり)の聲を聞きて、其の形を見んと欲して、尋ねて、海に出づ。仍〔(よ)〕りて白蛉(うむぎ)を得。是こに於いて、磐-鹿-六-鴈(いはかのむ〔つ〕かり)【人の名。】、蒲(がま)を以つて、手-襁(たすき)と爲し、白蛉を采り、膾〔(なます)〕と爲し、以つて、之れを進む【覺-賀(みさご)は雎鳩〔(しよきう)〕なり。白蛉は蛤〔(はまぐり)〕なり。】。

[やぶちゃん注:異歯亜綱マルスダレガイ科ハマグリ亜科ハマグリ属ハマグリ Meretrix lusoria であるが、李時珍が「本草綱目」で語るものは、当然、本種に限ったものではないので、チョウセンハマグリ Meretrix lamarckii 、ミスハマグリ Meretrix lyrata、外来種で本来は本邦には棲息していなかった(自然分布は朝鮮半島西岸・中国・ベトナム北部)シナハマグリ Meretrix petechialis も挙げておく。それにしても、時にとんでもない迷信俗説の類を記載して平気でいる時珍が、プラグマティックに「蚌」「蛤」の混用を怒るというのは、これは当時の分類学が如何にイっちゃってるかを伝えるね。ちなみにハマグリ Meretrix lusoria の学名の基準標本は記述にも現われる「貝合わせ」に用いられたもので、殻の内側に公卿の絵が描かれているという。学名の属名“ Meretrix ”はラテン語で「娼婦・情婦」の意味、種小名“ lusoria ”は、「遊戯している・真面目でない」という意味である。「遊び女(め)の貝」とは、なんて、お洒落な! なお、「チョウセンハマグリ」という和名は私は差別的用法であり、断固として改名すべきものと考えている。本邦では、朝鮮原産でなくても、近代、「似て非なる」種に「チョウセン」と附すことが、まま、あったのである! これについては、『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 蛤蜊(ハマグリ) / ハマグリ(四個体)・チョウセンハマグリ(三個体)』で私の見解を述べているので、是非、参照されたい。

「五疳」は、小児に特異的な症状の総称。五臓(肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓)が乱れ、精神症状(夜泣き・疳の虫・ひきつけ等)や身体的な諸症状(食欲不振・嘔吐・下痢等)の二症状が複合的に発生することを言う。現代の小児医学での消化不良・自家中毒・小児脚気・小児結核・夜驚症・寄生虫感染症等を包括する概念と言える。

「婦人崩漏」とは、婦人科の不正性器出血(月経期以外の時期に出血している状態もしくは月経後に出血が続く状態)を言う。西洋の学名が計らずも漢方の効能を暗示するではないか。

「煩渇」は、激しい口の渇きで、「消渇」(糖尿病)の前駆症状か。

西行の「夫木和歌抄」和歌は続国歌大観番号八三八二番で、「山家集」にも所収し、以下のような詞書がある(底本は岩波日本古典文学大系を用いた)。

    伊勢の二見の浦に、さる樣(やう)なる女(め)の童(わらは)どもの集(あつ)まりて、わざとのこととおぼしく、

    蛤(はまぐり)をとり集(あつ)めけるを、「いふ甲斐(かひ)なき蜑人(あまびと)こそあらめ、うたてきことなり。」

    と申しければ、「貝合(かひあはせ)に、より、人の申させ給ひたれば、選(え)りつつ採(と)るなり。」と申

    しけるに、

 今(いま)ぞ知(し)る二見(ふたみ)の浦のはまぐりを貝合(かひあは)せとて覆(おほ)ふなりけり

○やぶちゃん訳:今こそ私は知った! 侘しい二見の浦のがんぜない卑賤の少女たちが懸命に拾い集めているはまぐりを、我らは、「貝合わせしょ。」と言ふて覆っては、遊び暮らしていたのであったのだなあ……

なお、この歌に現われたものは、単純な女子の貝合わせとしての遊び道具ではなく、中に彩色画を描いた本格的な婚姻儀礼用に作製された豪華な貴族らの用いた貝覆いと考えてよいであろう。

「純褐(きぐろ)色の者、有り」の「きぐろ」は、「黄黒」で、明るい茶褐色を示すかと思われ、全体にその一色を呈する個体があるということであろう。

「油貝」という異名が「アブラガイ」と読むのであれば、現在、北海道北部でバカガイに対して用いられている(「耳白貝」は初「耳」にして不詳)。

「頭肩」は、現在で言う「殻頂から前後の殻の曲線部分」を述べている。ちなみに、この部分は、 Meretrix 属の種を視認分類する時の決定的な相違部分である。

「淺緗(もゑぎ〔→もえぎ〕)色」は、

「靑黑色の小皮」は勿論、靱帯を指す。

「三つの牙齒」は、殻頂の内側にある三つの主歯。ちなみに、本叙述は殻を「上下」と称しているが、現在の分類学では、腕足類を除いて(これは発生学的に前後である)「左右」と呼称する。二枚貝では斧足の出る側が前と考えてよく、殻頂が上。そうして決まった前を下に、後ろを上にして貝殻を左・右とする。それでもよく分からない場合は、殻の内面に刻まれた筋(外套膜及び筋の付着部分)を見て、大きく内側に湾曲した方が普通は「前」と判断してよい。

「覺賀鳥」は、ミサゴ Pandion haliaetus 。タカ目ミサゴ科(ワシタカ科に分類する説もあり)。本邦では繁殖は少数、絶滅危惧種に指定されている。留鳥で、冬季に西日本に多く見られる。大きさはトビほどで、「ウオタカ」「スドリ」の異名がある。中国名、雎鳩(しょきゅう)。海辺に棲息しており、魚類を主に摂餌し、古来、夫婦仲の良いものの象徴ともされる。これはハマグリの民俗との一致が見られて面白い。

「白蛉(うむぎ)」「うむぎ」はハマグリの古名。後出の「海蛤」(うむぎのかひ)を参照。但し、時珍の記載は「白蛤」とすべきところを、「白蛉」と誤記しているとしか思われない。しかし、この誤字は致命的で、実はこの「白蛉」という熟語、現代中国語では、昆虫綱双翅(ハエ)目長角( 糸角・カ)亜目チョウバエ下目チョウバエ科サシチョウバエ亜科 Phlebotominaeのサシチョウバエ(♀は人畜の血を吸い、一部の種は原虫のキネトプラスト綱リパノソーマ目トリパノソーマ科 Trypanosomatidae の原虫リーシュマニアLeishmania の媒介者で、人獣共通感染症であるリーシュマニア症(時に重篤な死に至る疾患である)の感染源とされる)を指すから、とってもハップン、極度にマズいのだ!

「磐鹿六鴈」に関わっては、平安時代初期に編纂された古代氏族の名鑑「新撰姓氏録」左京皇別上に、

   *

膳大伴部(かしはでのおほともべ)。阿倍朝臣と同じき祖。大彥命の孫、磐鹿六雁命(いはかむつかりのみこと)の後なり。景行天皇、東國に巡狩(かり)せしとき、上總國に至り、海路より、淡水門(あはのみなと)を渡り、海中に出でまして「白蛤(うむぎ)」を得たまふ。ここに磐鹿六雁、膾(なます)につくりて進(おく)る。かれ、六雁を、ほめて、膳大伴部を賜ふ。

   *

とある。良安が引用する部分は「日本書紀」景行天皇五十三年冬十月の条で、

   *

景行天皇巡狩東國。至上總國。從海路渡淡水門。出海中得白蛤。於是磐鹿六雁爲膳進之。

   *

に相当する(この景行天皇に関わる引用二件は、すべて、ネット上の複数の箇所から孫引きをし、勝手に正字化したもので、原文校訂はしていない。悪しからず)。]

■和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○八

***

しほふき

          【俗云鹽吹】

蛤蜊

タツ リイ 

 

本綱蛤蜊生東南海中白殻紫唇大二三寸愍閩淅〔→浙〕人以其

肉充海錯亦作爲醬醢其殻火煆作粉

肉【鹹冷】止消渇醒酒〔治〕婦人血塊宜煑食之

△按蛤蜊處處皆有泉州堺浦多春月采之漁人去殻取

 肉販之用芥醋食之俗呼曰醋蛤煑亦佳柔於文蛤其

 大二寸許圓灰白色無花文而紫唇殻薄無光滑橫有

 同色文理其肌如吹出鹽粉故名鹽吹貝焼灰亦不及

 于牡蠣蜆故不堪用其肉亦賤民嗜之不上饌凡蛤蜊

 變成蟹

 

 

しほふき

          【俗に「鹽吹」と云ふ。】

蛤蜊

タツ リイ

 

「本綱」に、『蛤蜊は、東南海中に生ず。白殻、紫の唇、大いさ、二、三寸、閩〔(びん)〕・浙〔(せつ)〕の人、其の肉を以つて、海錯に充つ。亦、醬醢(なしもの:塩辛。)に作り爲す。其の殻、火で、煆〔(や)〕きて、粉と作〔(な)〕す。

肉【鹹、冷。】消渇を止め、酒を醒〔(さま)〕し、婦人の血塊を〔治す〕。宜しく、之れを煑て食ふべし。』と。

△按ずるに、蛤蜊は處處に、皆、有り。泉州堺〔の〕浦に多く、春月、之れを采る。漁人、殻を去り、肉を取りて、之れを販(う)る。芥-醋(からし〔ず〕)を用ひて、之れを食ふ。俗に呼びて「醋-蛤(すはまぐり)」と曰ふ。煑ても、亦、佳し。文蛤〔(はまぐり)〕より、柔らかし。其の大いさ、二寸ばかり、圓く、灰白色。花文、無く、紫の唇。殻、薄く、光滑〔=光沢〕、無く、橫に、同色の文理〔(もんり)〕、有り。其の肌、鹽〔の〕粉を吹き出せるがごとし。故に「鹽吹貝」と名づく。灰を焼きても、亦、牡蠣・蜆に及ばず。故に用ふるに堪へず。其の肉も亦、賤民、之れを嗜み、上饌ならず。凡そ「蛤蜊、變じて、蟹に成る。」と。 

[やぶちゃん注:異歯亜綱バカガイ科バカガイ属シオフキ Mactra veneriformis 。最後に記述されるシオフキの和名由来は意外である。一般には採取した際に、潮水を吹き出す故の呼び名と理解されている。しかし、言われてみれば、殻頂部に向かうほどに白色部が「潮を吹いたように」目立つとも言えるし、そもそも私はバカガイ科 Mactridae に限らず、多くの二枚貝の中で、何ゆえに、この貝だけが「シオフキ」を表名する権利を持っているのか、実は甚だ疑問であった(潮干狩りにあっても、そのように特異的に噴水力があるようには感じたことがなかった故に)。そうして、これについては「史上最強の潮干狩り超人」氏によるシオフキは本当に潮吹き貝なのかのページに、アサリ・バカガイ・シオフキを比較した美事な実験結果が示されており、シオフキの噴出力の情けなさは明白であることが明らかにされている。これによって、従来の解釈は、実は、とんでもない詐称であることが判明したのであるが、さすれば、この良安の由来説は、逆にシオフキの冤罪を証明するものとも言えるのではあるまいか?

「閩・浙」は、「閩」が福州・泉州・厦門等の現在の福建省辺りを、「浙」が杭州・寧波等の現在の浙江省辺りを指す。

「海錯」は、本来は様々な豊かな海産物という意であるが、ここでは単に有用海産物の意味で用いている。

「醬醢」は、本来は「ひしほ」と読んで、米・麦・豆等を発酵させ、それに塩水を混ぜた調味料を言うが、ここでは「なしもの」と国訓して、「塩辛・魚醤(うおびしほ)」の意味でとっている。

「消渇」は、口が渇き、多飲多尿を示す症状で、糖尿病を指すと思われる。

「婦人の血塊」は、生理時の経血に血塊が混じる症状であろう。中国医学では経行発熱等と称す。

・『「蛤蜊變じて蟹に成る」』とは、ピンノ類等の軟甲(エビ)綱十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目短尾(カニ)下目)カクレガニ上科カクレガニ科 Pinnotheridae 寄生蟹の寄生を見誤ったものか。]

■和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○九


あさりのかひ  正字未詳

淺蜊       【俗云阿左利之加比】

△按淺蜊形色似蛤蜊而小其大者一寸小者四五分有

 灰白色有紫斑黑斑花紋之輩處處皆有之惟攝泉播

 州希有爾東海極多爲民間日用之食價亦極賤貫竹

 串暴日鬻他方其腸中有珠謂之尾張真珠近頃藝州

 廣島亦采之帶米粉色而不似伊勢真珠之光耀者功

 用亦劣矣

あさりのかひ  正字、未だ詳らかならず。

淺蜊      【俗に阿左利之加比と云ふ。】

△按ずるに、淺蜊は形色、蛤蜊〔(しほふき)〕に似て、小さし。其の大なる者、一寸、小なる者、四、五分、有り。灰白色、有り、紫斑・黑斑・花紋の輩、有り。處處に、皆、之れ、有るも、惟だ、攝〔=摂津〕・泉〔=和泉〕・播州〔=播磨〕は、希に有るのみ。東海、極めて多し。民間、日用の食と爲す。價〔(あたひ)〕、亦、極めて賤(やす)し。竹串に貫きて、日に暴らし、他方に鬻(ひさ)ぐ。其の腸〔(はらわた)〕の中に、珠、有り。之れを「尾張真珠」と謂ふ。近頃、藝州廣島にても亦、之れを采る。米の粉〔(こ)〕色を帶びて、「伊勢真珠」の光耀なる者に似ず、功用も亦、劣れり。

[やぶちゃん注:マルスダレガイ科アサリ亜科アサリ属アサリ Ruditapes philippinarum 。「民間日用の食」と言いながら、現在でも良く発見できる前掲の寄生蟹の話もせず(他の項では、よく挙げているのに)、どうしたの、良安先生? えらくアッサリとした記述なこと。

「尾張真珠」は、真珠の後注を参照されたい。]

***

あざかひ

阿座貝  正字未詳

 

△按阿座貝琉球國海中有之蛤蜊之屬淡赤白色裏白

 其大者二三尺肉白如鰒味亦甘美其殻厚硬以爲盥

 

あざがひ 

阿座貝  正字、未だ詳らかならず。

△按ずるに、阿座貝は、琉球國〔の〕海中に、之れ、有り。蛤蜊〔(しほふき)〕の屬。淡赤白色、裏、白。其の大なる者、二、三尺、肉、白きは、鰒〔(あはび)〕のごとく、味、亦、甘美〔たり〕。其の殻、厚硬。以つて、盥(たらい〔→たらひ〕)・鉢と爲す。

[やぶちゃん注:マルスダレガイ目ザルガイ上科ザルガイ科シャコガイ科 Tridacnidae 。本邦では六種がいるが、大きさと用途から、オオシャコガイ

Tridacna gigas と、食用に供することの多いヒメジャコガイ Tridacna crocea も、とりあえず、挙げておく。なお、言うのも馬鹿々々しいが、当然ながら、バカガイ科バカガイ属シオフキ Mactra veneriformis の属なんかでは、ない。

***

[やぶちゃん注:上部左に嘴をもった鳥のような斧足部の図に「肉」、下部に「殻」の図。]

とりかひ

鳥蛤

 正字未詳

  【俗云止利

  加比】

[やぶちゃん字注:以上三行は、前二行の下に入る。]

△按鳥蛤形色似蛤蜊而圓肥大三寸許殻薄灰白色有

 縱細理而畧似蚶而白色帶淡紫假令【蚶名瓦屋子車渠名板屋貝】

《改ページ》

 此亦名杮屋子可矣乎内正紅其膓有緗色汁肉狀如

 鳥喙故俗名鳥貝所謂爵入大水化爲蛤者此乎然攝

 州尼﨑多有之冬春盛出未聞有他國漁人去殻販之

 有白丁如指大擣爲魚餅送于他邦其肉炙食甘美煮

 亦佳最下品爲賤民之食無毒但猫食鳥蛤膓則耳脫

 落也又云鳥蛤腹有小蟹大如豆是此瑣𤥐〔→蛣〕之類乎所

 食之蟹乎

とりがひ 

鳥蛤

 正字、未だ詳らかならず。

  【俗に「止利加比」と云ふ。】

[やぶちゃん字注:以上三行は、前二行の下に入る。]

△按ずるに、鳥蛤は、形・色、蛤蜊(しほふき)に似て、圓く、肥ゆ。大いさ、三寸ばかり。殻、薄く、灰白色。縱(たつ)に細き理(すぢ)、有りて、畧〔(ほぼ)〕、蚶(あかゞひ)に似て、白色、淡紫を帶ぶ。假-今(たとへ)ば【蚶を「瓦屋子〔(かはらやね)〕」と名づけ、車渠〔(ほたてがひ)〕を「板屋貝〔(いたやがひ)〕」と名づく。】、此れは亦、「杮-屋-子(こけらやね)」と名づけて可ならんか。内、正紅なり。其の膓〔(はらわた)〕に、緗(もへぎ〔→もえぎ〕)色の汁、有り。肉の狀〔(かたち)〕、鳥の喙〔(くちばし)〕のごとし。故に俗に「鳥貝」と名づく。所謂ゆる、『爵(すゞみ=雀)の大水に入り、化して、蛤と爲る。』とは、此れか。然も、攝州尼崎に、多く、之れ、有りて、冬・春、盛んに出づ。未だ他國に有るを聞かず。漁人、殻を去つて、之れを販(ひさ)ぐ。白-丁(はしら)、有りて、指の大いさのごとし。擣〔(つ)〕きて、魚-餅(かまぼこ)と爲し、他邦に送る。其の肉、炙り食ひて、甘く、美〔(うま)し〕。煮ても亦、佳し。最も下品にして賤民の食と爲す。無毒。但し、猫、鳥蛤の腸を食へば、則ち、耳(みみ)脫け落つ。又、云ふ、鳥蛤の腹に、小さき蟹、有り。大いさ、豆のごとし。是〔れは〕此れ、瑣蛣の類か、食ふ所の蟹か。

[やぶちゃん注:マルスダレガイ目ザルガイ科トリガイ属 トリガイ Fulvia mutica 。ここで良安先生、珍しく、オリジナルの和名を提唱している。

「貝殻の特徴から、蚶(あかがい)を別名で『瓦屋子』(歴史的仮名遣:がをくし/かはらやね)と呼称したり、車渠貝(=帆立貝)を『板屋貝』(いたやがひ)と呼ぶのであるから、これに倣って、鳥貝を『杮屋子』(はいをくし/こけらやね)と名づけてもいいいのではないか?」

と言うのである。いや、良安先生! 私めは、大いに賛同致しましょうぞ! だって、どれも屋根の様式という覚え易い共通性がありますものね! ……しかし……残念ながら、先生の異名は、その後に流行らなかった。ちょっと微笑ましい部分ではある。但し、後に「車渠」で判明してしまうが、良安は、ホタテガイとイタヤガイを同一の種と見做す大ボケツを掘ってしてしまっている。――ちなみに――「こけら」に当たる「杮(こけら)」という字は、よ~く、見られたい(ここでの用法は「こけら板」のことで、「杉・檜・槇等を薄く削(そ)いだ板のこと」を言う。狭義には、「杮」という語そのものは「木材を、鉋などで、ごく薄く削った際に出る「削り屑」「木端(こっぱ)を指す)――

「杮」――は――

「柿」(かき)ではありませんぞ!――

(つくり)は「市」ではなく、縦画が一本で上下を完全に貫いているのです! 二つの字を拡大して下さい。(つくり)の上部の「十字」部分の四時の位置内側に微かな出っ張りがありましょう!

――「杮」(こけら)は音が「ハイ」、木部の四画に入る全くの別字なのです!

……でもね、安心してよろしい。実は、寺島良安も、この字――「柿」と同じ字だと考えていたことが判るのです。

原本を見るとね、実はね、

「杮」

ではなくて、

「柹」

の字になっているからなんだ。この

「柹」

の字は、これ、

「柿」

(かき)の正字・繁体字なのだよ。

「緗色」は、これ

「雀の、大水に入り、化して、蛤と爲る。」は、「雀、海に入って、蛤となる。」で広く知られる迷信であるが(出典は「礼記」や「国語」)、ハマグリは、その殻の模様が、雀と類似していることから称せられたと思われるのだが、ここで、良安先生、

「トリガイの食用の斧足部分が、鳥の喙の形状と類似していることから、或いは、この諺の『蛤』は、ハマグリじゃなくて、このトリガイなんじゃないか?」

……って、う~ん、何だか、かなりおっパズれたヘンな発言じゃあ、ありんせんか? 良安先生?

「未だ他國に有るを聞かず」!? 良安はん! ちょいと待ちなはれ! トリガイが尼崎の限定種やなんて、そないなアホなこと! ありまっかいな!

「猫、鳥蛤の膓を食へば、則ち、耳(みみ)、脫け落つ」については、冒頭の「鰒」(アワビ)の「布久太米」の注や、最後の貝鮹(タコブネ)の項の注を参照されたい。なお、本件はトリガイであるが、以下のヤフーの書き込み記事を披見すると(消失する可能性もあるので(二〇二三年八月三十日追記:やっぱり消失していた。)、一部を引用すると、『ホタテガイの貝柱を加工する工場では、製品に必要ないヒモ(内臓)を捨てることがありますが、それを食べた猫が同様の症状を示し、その工場の周りの猫は皆、耳無し法一状態だったという笑えない事実もあるようです。アカガイの報告は聞いたことはありませんが、貝の内臓は猫に与えるべきではないでしょう。』)、これ、ホタテガイ等でも同様の結果が生じるらしいので、敷衍して事実としてもよいのかもしれない。猫はトリガイを食えなくても生きいけるから、とりあえずは、トリガイの肝もやるのはやめましょう。流石に成分分析の容易な時代、ネコやラットで治験しては、いけませんよ!

「瑣蛣」(本字を訂正した理由は、本巻では既に「海鏡」(カガミガイまたはマドガイ)の別称として「瑣𤥐」を用いているからである)は、「寄居蟹」を指す古語であるが、この場合は勿論、ヤドカリ類ではなく、既に注したピンノ類などの短尾下目(カニ類)のカクレガニ科 Pinnotheridae を示している。]

***

あかゝひ

 

 魁蛤 魁陸

 瓦屋子 伏老

 瓦壟子

   【和名木佐

   俗云赤貝】

[やぶちゃん字注:以上五行は、前二行の下に入る。]

 

本綱魽〔→蚶〕形如蛤而圓厚其大者徑四寸背上溝文似瓦屋

之壟老伏翼化成蚶故名伏老今以近海田種之謂之蚶

田其肉最甘故字从甘炙食益人【過多卽壅氣】治便血止消渇

[やぶちゃん字注:「魽」の字は、厳密には、「魚」は略字の「𩵋」である。]

《改ページ》

△按蚶處處皆有之殻外黑内白而肉正赤煑之倍赤有

 筋膜纏柱其柱大如榛子而白色其膓有黑有赤凡江

 海水淺處數千群生曰之蚶山但攝播之産味勝矣


猿頰【一名馬甲】 蚶之小者而自此一種也殻圓厚溝亦深粗

 大者一二寸肥州長﨑最多

 五雜組云龍蝦大者重二十餘斤鬚三尺餘可爲杖蚶

 大者如斗可爲香爐蚌大者如箕此皆海濵人習見不

 爲異

 

 

あかゞひ

 

 魁蛤 魁陸

 瓦屋子 伏老

 瓦壟子〔(がろうし)〕

  【和名、「木佐〔(きさ)〕」。俗に「赤貝」と云ふ。】

 

「本綱」に、『蚶〔(かん)〕は、形、蛤のごとくして、圓く、厚〔(かう)〕なり。其の大なる者、徑〔(わた)〕り四寸、背の上に溝文〔(こうもん)〕あり。瓦屋(〔かはら〕やね)の壟〔(ろう):丸瓦(半円形瓦)で葺いた屋根瓦が、畝状を成して縦に並ぶ部分。〕に似たり。老-伏-翼(かはもり〔:蝙蝠(こうもり)。〕)、化して、蚶と成る。故に「伏老」と名づく。今、近海の田を以つて、之れを種〔(ま)〕く。之れを、「蚶田」と謂ふ。其の肉、最も甘し。故に字は「甘」に从〔=從〕ふ。炙り食ふに、人に益す【過多なれば、卽ち、氣を壅〔(ふさ)〕ぐ。】。便血を治し、消渇を止む。』と。

△按ずるに、蚶は、處處に皆、之れ、有り。殻の外、黑く、内、白く、肉、正赤なり。之れを煮れば、倍々〔(いよいよ)〕、赤し。筋-膜(ひぼ〔→ひも〕)有りて、柱を纏(まと)ふ。其の柱、大いさ、榛-子(はしばみ)のごとくして、白色。其の膓〔(はらわた)〕、黑、有り、赤、有り。凡そ、江海の水淺き處、數千、群生し、之れを「蚶山」と曰ふ。但し、攝〔=摂津〕・播〔=播磨〕の産、味、勝れり。


猿頰〔(さるぼう)〕【一名、「馬の甲(つめ)」。】 蚶〔(あかがひ)〕の小さき者にして、自(をのづか[やぶちゃん注:ママ。])ら、此れ、一種なり。殻、圓く、厚く、溝、亦、深く、粗し。大なる者、一、二寸。肥州〔=肥前〕長﨑に、最も、多し。

 「五雜組」に云ふ。『龍蝦〔(りゆうか)〕は、大なる者、重さ二十餘斤、鬚三尺餘り、杖に爲〔(す)〕るべし。蚶の大なる者、斗〔(ます)〕のごとく、香爐に爲るべし。蚌の大なる者、箕(みの)のごとし。此れ、皆、海濵の人は、見習ひて、異と爲さず。』と。

[やぶちゃん注:フネガイ目フネガイ科リュウキュウサルボウ属アカガイ Anadara broughtonii 。同属サルボウガイ Anadara kagoshimensis 。両者の判別のポイントは良安言うところの「溝文」にある。アカガイの殻上の肋(凸)の数が四十二本前後であるのに対して、サルボウは三十二本前後と、有意に少ない。また、殻の輪郭がアカガイではすっきりと丸くなっているのに対して、サルボウは船形で開口部がアカガイに比すと直線状になっている。

「五雜組」は「蚌」で既出既注。

「老伏翼」は老成した蝙蝠(コウモリ)のこと。

「消渇」は、口が渇き、多飲多尿を示す症状で、糖尿病を指すと思われる。

「筋膜」は、現今、「ヒモ」と称せられる外套膜と、その辺縁部を指す。「ひほ」という呼称は初見。

「榛子」は、カバノキ科ハシバミ Corylus heterophylla の実を指している。ドングリをやや扁平にした感じで、食用となる。近縁種のセイヨウハシバミ Corylus avellana の実は、へーゼルナッツである。

「龍蝦」は、イセエビ科 Palinuridae の大型の蝦。現代中国語でも同科は「龍蝦科」と表記する。

「二十餘斤」、明代の一斤は五百九十六・八二グラムであるから、凡そ十二キログラム。]

***

[やぶちゃん注:上図に扁平な「面」おもて:左殻)の、下図に膨らみを持った「背」(右殻)の図。]

ほたてかひ

いたやかひ

車渠

 

  海扇

  【俗云帆立貝

   又云板屋貝】

 【玉有車渠者而

  此蛤似之故名】

[やぶちゃん字注:以上五行は、前三行の下に入る。]

 

本綱車渠海中大蛤也大者長二三尺闊尺許厚二三寸

殻外溝壟如蚶殻而深大皆縱文如瓦溝無橫文也凡車

《改ページ》

 

■和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○十一

 

輪之溝曰渠此背文似車溝故名車渠形如扇故名海扇

殻内白皙如玉亦不甚貴番〔→蕃=蠻〕人以飾噐物或作盃注酒滿

過一分不溢試之果然

殻【甘鹹大寒】 治安神解諸毒藥蟲螫【同玳瑁等分磨人乳服之極驗】

△按車渠北海西海多有之外黃白色又有帶紅斑者縱

 有溝其溝淺而濶如以木片作成者彷彿車之渠又似

 板屋葺形俗呼曰板屋貝【和名抄以文蛤訓以太夜加比非也】其殻上一

 片扁而如蓋與蚶蛤之輩不同大者徑一二尺數百群

 行開口一殻如舟一殻如帆乘風走故名帆立蛤小者

 二三寸肉白膓赤然不堪食采殻送于大坂夾竹柄用

 爲杓子

                                           信実

       新六 あやしくそうら珍しきいたや貝とまふくあまの習ならすや

《改ページ》

 

ほたてがひ

いたやがひ

車渠

 

海扇

【俗に云ふ、「帆立貝」。又、云ふ、「板屋貝」。】

【玉〔(ぎよく)〕に「車渠〔(しやきよ)〕」と云ふ者、有りて、此の蛤、之れに似る故に名づく。】[やぶちゃん字注:「云」は「渠」の送り仮名にある。]

 

「本綱」に、『車渠は、海中の大蛤なり。大なる者、長さ二、三尺、闊〔(ひろ)〕さ、尺許〔(ばかり〕、厚さ二、三寸。殻の外〔の〕溝壟〔(こうろう)〕、蚶の殻のごとくして、深く、大なり。皆、文〔(もん)〕、縱(たて)にして、瓦のごとく、溝の橫文〔(わうもん)〕、無きなり。凡そ、車輪の溝を「渠」と曰ひ、此の背の文、車溝に似る故に「車渠」と名づく。形、扇のごとくなる故に、「海扇」と名づく。殻の内、白皙〔(はくせき)〕、玉(たま)のごとし。亦、甚だ、貴からずや。蠻人、以つて、噐〔=器〕物に飾り、或は盃〔(さかづき)〕に作り、酒を注ぐに、滿ち過〔(すご)〕して〔も〕、一分〔(いちぶ)〕も溢(あふ)れず。之れを試みるに、果して、然り。

殻【甘鹹、大寒。】 神を安んじ、諸〔(もろもろ)〕の毒の藥を解し、蟲の螫(さし)たるを治す【玳瑁、同等分、磨〔(ま)〕し、人の乳にて、之れを服せば、極めて驗〔(げん)〕あり。】。』と。

△按ずるに、車渠は、北海・西海に、多く、之れ、有り。外は黃白色、又、紅斑を帶たる者、有り。縱(たつ)に〔縦方向に。〕、溝、有り。其の溝、淺くして、濶く、木の片を以つて、作り成せし者のごとし。車の渠(みぞ)に彷-彿(さもに)たり。又、板屋葺〔(いたやぶき)〕の形に似、俗に呼んで「板屋貝」と曰ふ【「和名抄」は、「文蛤」を以つて「以太夜加比」と訓ず。非なり〔:「文蛤」は、「はまぐり」を意味する故である。〕。】。其の殻〔の〕上の一片は、扁して、蓋(ふた)のごとく、蚶〔(あかがひ)〕・蛤〔(はまぐり)〕の輩〔(やから)〕と同じからず。大なる者、徑一、二尺、數百、群行〔(ぐんかう)〕し、口を開く。一殻は、舟のごとく、一殻は、帆のごとくし、風に乘じて、走る。故に「帆立蛤〔(ほたてがひ)〕」と名づく。小なる者は二、三寸、肉、白く、膓(わた)、赤し。然〔れど〕も、食ふに堪へず。殻を采〔(と)り〕て、大坂に送る。竹〔の〕柄〔(え)〕を夾〔(はさ)=挾〕みて用ひ、杓子〔(しやくし)〕と爲す。

                                           信実

    「新六」 あやしくぞうら珍しきいたや貝とまふくあまの習ひならずや

[やぶちゃん注:本項は翼形亜綱イタヤガイ目イタヤガイ上科 イタヤガイ科 Pectinidae の全種を含む。無論、その主なる記載に近いのは、ホタテガイ Patinopecten yessoensis 及びイタヤガイPatinopecten albicans であるが、他種は言うに及ばず、良安の叙述自体が、ホタテガイとイタヤガイでさえ区別していないのだから、全くのオテアゲである。

「車渠」(車輪の外周を包む箍(たが)を言う)の読みであるが、幾つかの文献が「しゃこ」や「しゃきょう」(現代仮名遣)等と訓読している。ここでは、しかし、正規の音で「しやきよ(しゃきょ)」と読んでおく(「しやご(しゃご)」という読みも可能である)。さて、ところが、そこで気づかれたと思うが、これは現在のシャコガイ Tridacna gigas の「シャコ」と同音同義である。というよりも、現代では、専ら、「シャコガイ」を指す語である。現代中国語(繁体字)では、シャコガイは「大硨磲」と書く。確かに、こちらこそ美事な名にし負うものであろうかとは思う。

「殻の外〔の〕溝壟」の部分は、東洋文庫版現代語訳では「外の溝壟(みぞ)」と、「溝壟」二字を「みぞ」と訓じている。しかし「壟」は盛り上がった部分、「畝(うね)・畦(あぜ)」を指す字であり、正確には、殻の外側の凸凹=肋と、その間の溝すべてを、指している語である。

「玳瑁は、漢方薬剤としてのウミガメのタイマイ Eretmochelys imbricata の甲羅を指す。

・『「和名抄」は、「文蛤」を以つて「以太夜加比」と訓ず。非なり』「和名抄」は 正しくは「和(倭)名類聚抄(鈔)」で、源順(したごう)撰になる事物の和名字書。国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年の版本のこちらで視認し、訓読した(一部を推定で歴史的仮名遣で読みを追加してある)。

   *

文蛤(いたやがひ) 「新抄本草」に云はく、『文蛤は【和名、「伊太夜加比(いたやがひ)」。】表(おもて)に、文(もん)、有る者なり。

   *

「風に乘じて、走る」ことはないが、捕食者から逃れるために、閉殻筋を用いて、左右の殻を、連続的に開閉させ、海水を吹き出しながら、海中を、かなりの距離、泳いで逃げることは、今や、画像でもお馴染みである。但し、この謂いは、そんな好意的解釈を阻む、極めて非科学的な、実際に「海水面に浮かび上がって、殻の片方を舟の帆のように、空へすっくと立て掛けて、海上を走る。」というトンデモ民俗博物学の印象的シークエンスなのである。だから、「帆立て貝」なのだ。

最後の歌は「新撰和歌六帖(新撰六帖題和歌)」(仁治四・寛元元(一二四三)年に藤原家良・為家・知家・信実・光俊の五人の和歌を所載した類題和歌集)に所収する。延享五(一七四八)年板行の西川祐信画になる「絵本貝歌仙」には、「いたや貝」の項があり、本歌を引いて、以下の詞書がある。下手な私の現代語訳より、こっちの方が味わいがある(ちなみに、第一句末が「あやしくも」となっている)。サイト「絵草紙屋」の「絵本貝歌仙」の「中巻」の(11)で同画像を見ることが出来る。]絵に基づいて忠実に翻刻する。

   *

あやし

   くも

うらめづら

    しき

 いたや貝(がい)

  とまふく

     あまの

ならひ

 ならずや

金殿玉樓(きんでんぎよくろう)は

なつ凉(すゞ)しくて

冬(ふゆ)あたゝかなれども

末々(すへずへ)はあつきに

つけさむきにつけて

くるしみおほし

笛竹(ふへたけ)のほそき

たるきあしの葉(は)

にて家(いへ)をふきたる

賤家(しづがや)のいぶせさ

此うたにて

見るべし

   *

***

わたりかひ

車螯

チエヽ カ゜ウ

 

 蜃

 【大蛤總曰蜃

  不專指車螯

  也】

 【又與蛟蜃之

  蜃同名異物】

[やぶちゃん字注:以上六行は、前三行の下に入る。]

 

本綱車螯大蛤也其殻色紫璀粲如玉斑㸃如花海人灸

之取肉食之味似蛤蜊而堅硬此物能吐氣爲樓臺春夏

依約島※〔→淑〕常有此氣其類有數種

[やぶちゃん字注:※=「淑」の中央部分を「余」に換えるものだが、「漢籍リポジトリ」の「車螯」の当該部([108-19b] )の影印本を確認したところ、「淑」と思われ、電子化もそうなっているので、かく、した。なお、この「淑」は本来は「水の畔り」の意である。]

移角似車螯而角不正者 姑勞 似車螯而殻薄者

羊蹄似車螯而小者

△按車螯吐氣也不晴不陰之月夜閒有此氣舩人爲所

 惑矣遲晴則爲晴天速晴則爲風雨西海人謂之渡貝

 北海人謂之狐之茂利太豆流俗以爲奇恠者非也車

 螫自然所吐之氣也

わたりがひ

車螯

チエヽ カ゜ウ

 

蜃〔(しん)〕

【「大蛤〔(おほはまぐり)〕」を、總て、「蜃」と曰ふ。專ら、「車螯〔(しやがう)〕」を指すにあらざるなり。】

【又、「蛟蜃〔(かうしん)〕」の「蜃」と同名なるも、異物なり。】

「本綱」に、『車螯は大なる蛤なり。其の殻、色、紫、璀-粲(たまのひかり)として、玉のごとし。斑㸃、花のごとし。海人〔(あま)〕、之れを灸り、肉を取りて、之れを食ふ。味、蛤蜊〔(しほふき)〕に似て、堅く、硬〔なり〕。此の物、能く、氣を吐きて、樓臺を爲〔(な)〕し、春・夏、島〔の〕淑〔(ほとり)〕に依約して、常に此の氣、有り。其の類、數種、有り。

「移角〔(いかく)〕」は、「車螯」に似て、角〔(かど)〕、正しからざる者なり。 「姑勞〔(こらう)〕」は、「車螫」に似て、殻、薄き者なり。「羊蹄〔(やうてい)〕」は、「車螯」に似て、小さき者なり。』と。

△按ずるに、車螯は、氣を吐くことなり。晴れず、陰(くも)らざるの月夜の閒(まゝ)に、此の氣、有り。舩人〔(ふなびと)〕、爲〔(ため)〕に惑はさる。晴れ遲く〔ば〕、則ち、晴天と爲〔(な)〕り、晴れる時、速く〔ば〕、則ち、風雨と爲る。西海の人、之れを「渡〔(わたり)〕の貝」と謂ふ。北海の人、之れを、「狐の茂-利-太-豆-流(もりたつる)」と謂ふ。俗に、以つて、奇恠〔=怪〕の者と爲〔(す)〕るは、非なり。車螯、自然と吐く所の氣なり。

[やぶちゃん注:本項の記載は生物学的記載ではなく、蜃気楼の民俗記載というべきものである。但し、この「車螫」という語は、清の袁枚(えんばい)の料理書「随園食単」にも「蛼螯」として数種類の調理法が記されている、正式な実在する貝である。そこでは揚州産の記載があるが、これを素朴に大型のシナハマグリ Meretrix petechialis (自然分布は朝鮮半島西岸・中国・ベトナム北部)と同定することは、「移角」・「姑勞」・「羊蹄」等の亜種を感じさせる表現からも、到底、出来ない。中華料理にお詳しい方の教えを乞いたい。……実を言うと私は秘かに、このオオハマグリなるものを、ハマグリ属 Meretrix ではなく、一般に現在オオアサリと称される同じマルスダレガイ科のウチムラサキ Saxidomus purpurata に同定したい誘惑に駆られている(但し、時珍の叙述とは全く一致しない)。嘗つて二十七歳の蜃気楼の彼方に去ったような若い日、傷心をぶら下げて独り訪れた蒲郡の海辺の屋台で、おばさんが焼いてくれた恐ろしく大きなこれを食べた私の忘れ難い思い出としては。

・『「蛟蜃」の「蜃」と、同名なるも、異物なり』というのは、「蜃」は、まず、気を吐いて海上に蜃気楼を出す老成したオオハマグリを指し、別に、蛟(みずち)=龍の一種で、赤い鬣(たてがみ)を持ち、腰以下がすべて逆鱗となっているもの(但し、こちらも気を吐いて蜃気楼を現出させるとする)をも指すことを意味している。

「璀粲」は「さいさん」と読み、本来は「衣擦れの音」、そこから「明るく清らかなもの」を形容して言う。

「島淑に依約して」の部分、東洋文庫版では『島の浦辺と結びついて』と訳している。所謂、「蜃気楼」としての「浮島」や、「海市」としての海岸地帯の海上への投影像を言っているのかもしれない。そう考えると、腑に落ちるからである。

「狐の茂利太豆流」は、越後に於いて、蜃気楼のことを「狐の森」という(改造社「俳諧歳時記」)とあるので、これは「狐の森立つる」であろう。]

***


和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○十二


こやすがひ

たからがひ

貝子【音輩】

[やぶちゃん注:「貝」の象形文字原型の図。]

ポイ ツウ

 

 貝齒  白貝

 海肥

  【俗云子安貝

   又云寳貝】

[やぶちゃん字注:以上四行は「こやすがひ」から「ポイ ツウ」までの下に入る。]

 

本綱貝子貝類之最小者亦若蝸狀長寸許色微白赤有

紫黒者今多穿與小兒戯弄北人用綴衣及氊帽爲飾髭

頭家用飾鑑畫家用砑物其背腹皆白背隆如龜背腹下

兩開相向有齒刻如魚齒其中肉如蝌蚪而有首尾又云

背穹而渾以象天之陽腹平而拆以象地之陰貝字象形

其中二㸃象其齒刻其下二㸃象其垂尾也雲南多用爲

錢貨交易

△按古者未有錢以貝子爲貨故寶貨字皆从貝至秦廢

 貝行錢而後見賤勢州多有之相傳婦人臨産握於掌

 易産故名子易貝【與海馬同功】

《改ページ》

 

 

こやすがひ

たからがひ

貝子【音、輩。】

ポイ ツウ

 

貝齒  白貝

海肥

【俗に「子安貝」と云ふ。又、「寳貝」と云ふ。】

 

「本綱」に、『貝子〔(ばいし)〕は、貝類の最も小さき者、亦、蝸(かたつむり)がごとし。狀〔(かたち)〕の長さ、寸許〔(ばかり)〕、色、微白赤・紫・黒なる者、有り。今、多く穿〔(うが)〕ちて、小兒に與へて、戯弄(もてあそび)とす。北人は、用ひて、衣、及び、氊帽〔(せんばう)〕に綴(つゞ)りて、飾りと爲し、髭頭家〔(しとうか):髪結い・床屋。〕、用ひて、鑑〔(かがみ)〕を飾る。畫家、用ひて、物を砑(す)る。其の背・腹、皆、白く、背、隆(たか)きこと、龜の背のごとく、腹の下、兩〔(ふた)〕つに開き、相向ひて、齒〔の〕刻〔(きざみ)〕、有り。魚の齒のごとく、其の中の肉、蝌蚪(かへるのこ)のごとくにして、首尾、有り。又、云ふ、背、穹(たか)くして、渾〔(すべ)〕て、以つて、天の陽に象〔(かたど)〕り、腹、平〔(たひら)〕にして、拆(くび)れて、以つて、地の陰を象る。「貝」の字、〔(この)〕形を象る。其の中の二㸃、其の齒〔の〕刻に象る。其の下の二㸃、其の垂〔れたる〕尾に象るなり。雲南に、多く用ひて、錢貨と爲し、交-易(うりかい[やぶちゃん字注: ママ。])をす。』と。

△按ずるに、古へは、未だ、錢、有らず、「貝子」を以つて、貨と爲す。故に「寶」・「貨」の字、皆、「貝」に从〔(したが〕ふ。秦に至りて、貝を廃し、錢を行ふ。而して後、賤(いや)しまらる。勢州〔=伊勢〕に、多く、之れ、有り。相傳ふ、婦人、臨産〔→産に臨みて〕、掌〔(てのひら)〕に握れば、産、易し。故に「子易貝〔(こやすがひ)〕」と名づく【海馬と同功〔=効〕を與ふ。】。

[やぶちゃん注:腹足綱直腹足亜綱新生腹足上目吸腔目高腹足亜目タマキビ下タカラガイ超科タカラガイ科 Cypraeidae についての総論的記述である。

「氈帽」は毛織製の帽子。毛織物は、中国の北部及び西部で盛んで、遊牧民族は毛皮や毛織物で作ったこうした帽子を被った。

「海馬と同功を與ふ」という民俗は、タカラガイの形状が女性器に類似していること、また、「海馬」=タツノオトシゴが胎児と似ているからか。フレーザーの言うところの類感呪術の一つである。タツノオトシゴについては、その生態としての♂の育児嚢からの出産から生まれた安産の風習という説は、嘗つて私は、「考えとしては誠に面白いが、古人がそこまでの観察と認識から用いたとは、残念ながら、思えない」とここに記したが、今はそれを完全に破棄する。それは、あり得る。寧ろ、最初に私が述べた胎児との相似性というのは、現代人が、ヒトの胎児の生育過程を科学的に学習した産物によるものであり、却って、近世以前のヒトが、それを知っていた可能性はゼロに近いと考えるに至ったことを述べおくこととした。]

***

うまのくほかひ 文貝 砑螺

紫貝

 

          【和名宇萬

           乃久保加

           比】

[やぶちゃん字注:以上三行は、「紫貝」の左下に入る。中国語音の表記はない。]

 

本綱紫貝生東南海中形似貝子質白如玉紫㸃爲文皆

行列相當大者徑一尺七八寸小者二三寸自然不假外

飾光彩煥爛故名文貝畫家用砑物故名砑螺古人以貝

爲寶貨而紫貝尤貴後世以多見賤藥中希使之

 

 

うまのくぼがひ 文貝 砑螺

紫貝

 

          【和名、「宇萬乃久保加比」。】

 

「本綱」に、『紫貝、東南海の中に生ず。形、貝子に似て、質、白く、玉ごとく、紫の㸃、文〔(もん)〕を爲し、皆、行き列び、相當〔(あひあた)〕る。大いなる者、徑〔(わた)〕り一尺七、八寸、小なる者、二、三寸。自然に〔にして〕、飾〔り〕を外に假(か)らず、光彩煥爛〔(かんらん)=燦爛〕たり。故に「文貝〔(もんばい)〕」と名づく。畫家に、物を砑(す)るに用ひて、故に「砑螺〔(がら)〕」と名づく。古人、貝を以つて、寶貨と爲し、「紫貝」、尤も貴し。後世、多きを以つて、賤〔(いや)し〕まらる。藥中にも、之れ、使ふこと、希〔(まれ)〕なり。』と。

[やぶちゃん注:本種は挿絵からも、タカラガイ科 Cypraeidae の中でも、最も一般的なホシダカラ Cypraea tigris を挙げておくことに異論はないであろう。因みに、「うまのくぼがひ」という呼称の「くぼ」は女性器の古語で、「牝馬の性器に似ている」という意味である。これは「ソソガイ」や「ベベガイ」等と並んで、タカラガイの猥褻名称として一般的なものであるらしい。

「自然にして、飾りを外に假らず」の部分は、訓点が錯綜しており、「自然〔(おのづ)〕と外の飾を假らず」と読んだ方が、しっくりくるような気がするのだが、如何? それにしても、そこまで言うなら、良安先生よ、何故、まさにタカラガイが「外の飾り」を借りることなく、その貝の内部が七色に変化することを、言わないのだ!? そうしたら、私はここで、存分にカメオの注が書けたのに!]

***

くつはかひ

【音軻】

ヲウ

 

 珬【音恤】馬軻螺

 【珂馬勒飾也

 此貝似之故

 名】

[やぶちゃん字注:以上四行は、前三行の下に入る。]

 

本綱珂生南海貝類也大如鰒皮黃黑而骨白堪以爲飾

《改ページ》

■和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○十三

 

其大者圍九寸細者圍七八寸長三四寸

 

 

くつはがひ

【音、軻。】

ヲウ

 

  珬〔(しゆつ/しゆち)〕【音、恤〔(しゆつ/しゆち)〕。】馬軻螺〔(ばから)〕

  【珂は馬の勒(くつわ)の飾〔り〕なり。此の貝、之れに似る。故に名づく。】

 

「本綱」に、『珂は、南海に生ず。貝の類なり。大いさ、鰒(あはび)のごとく、皮、黃黑にして、骨、白く、以つて、飾りと爲すに堪へたり。其の大いなる者、圍〔(かこ)〕み九寸、細き者、圍み七、八寸、長さ三~四寸。』と。

[やぶちゃん注:このクツワガイという和名は、次の次に挙げられるバカガイ Mactra chinensis の異名として知られるが、飾りに用いるという叙述や、バカガイを、すぐ近くで、重複して記載したとは思えない点、本項目が、タカラガイ科の貝と二枚貝との接点に当たる点、更に単純化された上図を見ても、明らかにタカラガイ系統の、螺の巻きの緩んだ腹足類という印象が強い(但し、このような「川」の字の単純なタカラガイは、不学にして、知らない)。「本草綱目」の記載も情報量が少なく、タカラガイ科 Cypraeidae に留めておくしかない。世に多いタカラガイ収集家の方で、お分かりの方は、是非、御教授を乞うものである。]

***

いのかひ  

貽貝

イヽ ボイ

  黑貝

 【和名伊加比】

[やぶちゃん字注:以上二行は、前三行の下に入る。]

△按貽貝參州勢州多有之殻類蚌灰黑色肉類蚶微赤

 海人食之或纎切曝乾以送于他方味不美有微臭氣

 

 

いのかひ

貽貝

イヽ ボイ

 

  黑貝

 【和名、「伊加比〔(いのかひ)〕」。】

 

△按ずるに、貽貝は、參州〔=三河〕・勢州〔=伊勢〕に、多く、之れ、有り。殻、蚌〔(どぶがひ)〕に類して灰黑色、肉、蚶〔(あかがひ)〕に類して微赤。海人、之れを食ふに、或いは、纎(ほそ)く切り、曝し乾し、以つて、他方に送る。味、美ならず。微〔(すこ)し〕、臭氣、有り。

[やぶちゃん注:《本注では部分的に下線を引いている。》本種は、現在、呼称されているイガイとしてのイガイ目イガイ科ムラサキイガイ Mytilus galloprovincialis や、北海道太平洋岸のみに棲息するイガイ中唯一の国産種キタノムラサキイガイ Mytilus trossulus では、ない(そもそも日本全土に棲息域を拡大している前者は、大正期に侵入したものであるし、後者では、棲息域が全く矛盾する)。本種は現在のマルスダレガイ目ニッコウガイ上科シオサザナミ科ムラサキガイ Nattallia japonica を指していると思われる。イガイの名称は、錯綜している上に、ネット上での記載内容も、「帰化動物のイガイ=ムール貝」と「従来のイガイ=ムラサキガイ」の混同によるものと思われるものが少なくない。イガイもムラサキガイも、ともに、アカガイや後述されるミルクイ(はたまたナガニシの軟体部等)と同じく、その殻が、やや開いた形状が女性器に似ている(正直に言うと、ムラサキイガイは若き日の私には、特にそれを連想させなかったのだが)。私は高校二年の時、社会見学で訪れた越前松島水族館の片隅に、液浸標本になった大型個体のムラサキガイが埃をかぶって置かれてあり、そこに――「ニタリガイ」――とラベルに妙に神妙に附してあるものを見たことがある(そこに立ち入ったのは遂に私一人だけであった)。そうしてそれは、その後、成人後のある瞬間に「なるほど!」と合点したものではあった。]

***

ばかがひ

おふのかひ[やぶちゃん字注:ママ。]

馬鹿貝

 

  正字未詳

 【俗云婆

  加加比】

 【馬鹿之故事

  出於秦趙髙】

[やぶちゃん字注:以上五行は、前三行の下に入る。]

 

△按狀類蚌而淡白肉類蚶而淡赤其味靭不可食凡人

 稱頑愚不見用者曰馬鹿此肉亦然故名惟采白丁食

《改ページ》

 之其形如指頭而白色或微赤味甘美也參州大野海

 濵多有之

 

 

ばかがひ

おふのがひ

馬鹿貝

 

正字、未だ詳らかならず。

【俗に婆加加比と云ふ。】

馬鹿の故事、秦の趙高より出づ。

 

△按ずるに、狀〔(かたち)〕、蚌〔(どぶがひ)〕に類して、淡〔(うす)〕白く、肉は蚶〔(あかがひ)〕に類して、淡く、赤し。其の味、靭(しなしな)して、食ふべからず。凡そ、人の頑愚にして、用い[やぶちゃん字注:ママ。]られざる者を稱して、「馬鹿」と曰ふ。此の肉も亦、然り。故に名づく。惟だ、白-丁(はしら)を采りて、之れを食ふ。其の形、指の頭〔(かしら)〕のごとくにして、白色、或いは、微赤。味、甘美なり。參州〔=三河〕大野の海の濵に、多く、之れ、有り。

[やぶちゃん注:異歯亜綱バカガイ上科バカガイ科バカガイ属バカガイ Mactra chinensis

・「おふのがひ」。東洋文庫版では、『おうのがい』とするが、オウノガイという和名は存在しない。私はオオノガイではないかと思った。斧足綱オオノガイ目オオノガイ亜目オオノガイ超科オオノガイ亜科オオノガイ科オオノガイ属セイヨウオオノガイ亜種オオノガイ Mya (Arenomya) arenaria oonogai である。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページを見ると、『海水生。潮間帯の砂泥地に深く潜り込んでいる』。『北海道〜九州。朝鮮半島、中国大陸北西部』に分布するから、バカガイと棲息域はダブる(但し、「吉良図鑑」では『本州中部以南』とある)。また、『干潟に普通にいるが』、『漁業としてなりたたないので、食用とする地域は少なそう』ともあって、本叙述と親和性は強い。さらに、その「地方名・市場名」を見ると、異名に「ウウノガイ」「オウ」「オウガイ」「オーオオガイ」があって、この名との類似性が見受けられる。但し、形状や分類学上ではバカガイとは縁が全くない。ただ、本種は左右の殻の大きさが違うため、完全に閉じることが出来ない点で、ちょっとグロな水管が出っ張るが、バカガイと間違えようは、これ、ない。

「馬鹿の故事、秦の趙髙より出づ。」は、もとより著名なエピソードである。以下に、「史記」の「秦始皇帝本紀」の該当原文と書き下し文と訳を示す。

   *

 八月己亥、趙高欲爲亂、恐群臣不聽、乃先設驗、持鹿獻於二世曰 、「 馬也。」。二世笑曰、「丞相誤邪。謂鹿爲馬。」。問左右、左右或默、或言馬以阿順趙高。或言鹿者。 高因陰中諸言鹿者以法。後群臣皆畏高 。

○やぶちゃんの訓読

 八月己亥(きがゐ/つちのとゐ)、趙高、亂を爲さんと欲するも、群臣の聽かざらんことを恐れ、乃(すなは)ち、先づ、驗(けん)を設け、鹿を持ちて、二世に獻じて曰はく、

「馬なり。」

と。

 二世、笑ひて曰く、

「丞相(じやうしやう)、誤れるか。 鹿を謂ひて、馬と爲す。」

と。

 左右に問ふに、左右、或いは默し、或いは、

「馬。」

と言ひ、以つて、趙高に阿(おもね)り、順ふ。

 或いは、

「鹿。」

と言ふ者あり。

 高、因りて陰(ひそ)かに、諸々(もろもろ)の「鹿」と言ひし者に中(あた)るに、法を以つてす。

 後、群臣、皆、高を畏る。

○やぶちゃん訳

 八月己亥(つちのとゐ)の日のこと、趙高は、内心、自身によるクーデターを画策しつつも、群臣が意に従わない時のことを憂慮した。

 そこで、先ず、姦計を図って、二世皇帝胡亥(こがい)に、鹿を献上して言った。

「陛下、これは馬で御座います。」

と。

 二世は笑いながら答えた。

「丞相よ、お前は何を勘違いしておる? 鹿を馬と言うのか?」

と。

 二世は群臣達に問いかけたところ、ある者は、黙ったまま何も言わず、また、ある者は、

「馬で御座います。」

と答えて、趙高に佞(おもね)って無条件に従った。

 それでもある者は、

「鹿で御座います。」

と正直に答えた。

 趙高は、そこで、秘かに、「鹿」と正直に言った者たちを、合法的に罪に陥れて、処刑してしまった。

 それより、群臣は、皆、 趙高を畏れるようになった。

   *

「參州大野」現在の愛知県常滑市大野町(グーグル・マップ・データ)。

 さて、最後に。バカガイの和名の由来について、一説に、貝柱の旨さに比して、あまりに身が不味いとも言われる。しかし、これは著しく不当な評価である! 私はバカガイの訴訟に特別弁護人として出廷する用意がある! バカガイは私は十全に美味い! と叫ぶ! 暫く、馬鹿命名談義をしよう。私は永く、捕獲時や、弱りかけた固体が斧足を殻内に格納しきれずに、だらしなく舌のように垂らしている様からの差別和名(それが誤伝であっても、こうした解釈がなされてしまう第一級の差別和名である以上、「バカガイ」は「アオヤギ」という響きもよい和名に変更するべきと考えている)と思っていたが、台風の通過や、しばしば、漁にあって極端に多量捕獲されることがあることから、「バカ」を「程度の甚だしい」形容ととって、「やけに、バカ採れする貝」の意味というのも、私の実体験からしても、充分、信じられる(小学三年生の夏の終わり、由比ヶ浜を台風通過の翌日、完膚なきまでに破砕された海の家や、漁船や、漁師小屋の瓦礫の間から、私は驚くべき量の――親族一同で軽くバケツに六杯以上あった――バカガイ・アカガイ・シオフキ・ツメタガイを拾った。本当にバカみたいに簡単に多量に採れたし、バカガイは一様にバカガイらしく、その斧足をダラりと垂らしてもいたのだった。因みに、私はツメタガイの美味さに魅せられて、多量に食い過ぎ、翌日、腹をこわしたことも言い添えておく)。更に江戸期に多く産した江戸湾の馬加(まくはり)〔=現在の幕張〕から「馬加貝」と呼ばれるようなったという説も、本叙述の最後の「大野の海の濵に多く之有り」から「おふのがひ(大野貝)」が、また、同様に多産地であった千葉県青柳村から「アオヤギ」の地方名が生まれているとすれば、強ち、一蹴は出来ない。その他、クツワガイやカムリガイという異名を持つこ奴、どうして、なかなか、一筋縄では名を明かし得ぬ。「たかが馬鹿、されど馬鹿。」である。]

***

みるくひ

海蜌 

    東海夫人

    淡菜 殻菜

   【俗云美留久比】

  【和名抄用水松訓

  美留或用海松字】

[やぶちゃん字注:以上五行は、先頭の二行の下に入る。]

 

本綱生東南海中似珠母一頭小中啣少毛南人好食

味甘美不宜多食焼食卽苦先與少米煑熟後除去毛再

入蘿蔔或紫蘇或冬瓜同煑卽更妙

△按海蜌似蚌而肥黑帶赤色有毛畧比鹿茸其頭生菜

 初微黃赤色味脆甘美老則深青色名之淡菜故呼之

 曰淡菜喰其肉滿殻大者五六寸東海西海皆有之丹

 後切門海多有唯攝播泉紀之南海希矣

《改ページ》

みるくひ

  東海夫人

  淡-菜(みる) 殻-菜(みる)

  【俗に「美留久比」と云ふ。「和名抄」に、「水松」を用ひて、「美留」と訓ず。或いは、「海松」の字を用ひたり。】

「本綱」に、『東南海の中に生ず。珠母に似て、一頭は小さく、中に、少なき毛を啣〔(ふく)〕む。南人、好みて食ふ。味、甘美。多く食ふ〔は〕、宜(よろし)からず。焼〔き〕て食へば、卽ち、苦し。先づ、少なき米と、煮熟〔:十分煮込むこと。〕して後、毛を、除き去り、再び、蘿-蔔(だいこん)、或いは、紫蘇、或いは、冬瓜〔(とうがん)〕を入れて、同〔(とも)〕に煑れば、卽ち、更に妙なり。』と。

△按ずるに、海蜌は、「蚌〔(どぶがひ)〕」に似て、肥黑に、赤色を帶ぶ。毛、有りて、畧ぼ、鹿茸〔(ろくじ)〕に比す。其の頭〔(かしら)〕に、菜、生ず。初め、微黃赤色、味、脆く、甘美。老するときは、則ち、深靑色なり。之れを「淡-菜(みる)」と名づく。故に、之れを呼びて「淡-菜-喰(みるくい[やぶちゃん字注:ママ。])」と曰ふ。其の肉、殻に滿つ。大なる者、五、六寸。東海・西海、皆、之れ、有り。丹後の切れ門(と)の海に、多く、有り。唯だ攝〔=摂津〕・播〔=播磨〕・泉〔=和泉〕・紀〔=紀州〕の南海には希れなり。

[やぶちゃん注:異歯亜綱バカガイ科オオトリガイ亜科ミルクイ属ミルクイ Tresus keenae 。「ミル」は緑藻類のミル Codium sp. を指すが、しかし、勿論、ミルクイはミルを食べているわけでもなく、肥厚し、体外に突出した水管部分に付着生育する海藻も、ミルばかりではない。

「東海夫人」の別称は、その生貝の殻がやや開いた形状が、陰毛を含めた女性器のミミクリーであるからである。

「珠母」は、現代中国語ではシロチョウガイやアコヤガイを含むウグイスガイ目ウグイスガイ科アコヤガイ属 Pinctada sp. を指すようであるが、ミルクイとの殻の相似性があるとは余り思えない。マルスダレガイ科カガミガイ Phacosoma japonicum 等も射程に入れるべきか。

「肥黑」は、「肥」に「薄い」という意味があるので、薄黒いの意か。

「鹿茸」は、漢方で鹿の成長途上の柔らかい角を干したものを言う。

「丹後の切れ門」は、現在の天橋立。]

***

■和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○十四

うむきのかひ

海蛤

ハアイ タツ

 

 【和名宇無

  木乃加比】

【古者呼蛤曰

 宇無木言蛤

 之殻也】

[やぶちゃん字注:以上五行は、前三行の下に入る。]

 

本綱海蛤諸蛤爛殻之總稱不專指一蛤也海邊沙泥中

得之大者如棊子小者如油麻粒黃白色或黃赤相雜乃

諸蛤之殻爲海水礲礪日久光瑩都無舊質蛤類至多不

能分別其爲何蛤故通謂之海蛤修治藥入用【苦鹹】治欬

逆喘息水腫消渇五痔【勿用游波蟲骨真相似只是靣〔=面〕上無光誤餌之令人狂走惟醋解之】

△按海蛤之海字爲諸可見也

 近頃官家競集諸蛤殻凡六百五十種而未盡或有名

 無蛤或有蛤未知名蓋如歌仙蛤源氏蛤等以和歌所

 稱者凡二百余種以翫弄之如有珍品則出貴價得之

 有一貝名縕奥貝【正字未詳】徑三寸許正圓白色帶微紅光

《改ページ》

 耀有二孔相双如眼當潮汐之時自孔吹潮水亦竒異

 也相貝經所謂如碧貝委貝能知雨霽亦不爲妄也【碧貝

[やぶちゃん注:「霽」は下部が「齋」になった字体。同義なのでこれに代えた。次行のそれも同じ。]

 脊上有縷勾唇雨則重霽則輕委貝赤而中圓雨則輕霽則重】其他不可勝計

 

 

うむぎのかひ

海蛤

ハアイ タツ

 

  【和名、「宇無木乃加比」。】

 【古へは、蛤〔(はまぐり)〕を呼びて「宇無木〔(うむぎ)〕」と曰ふ。言ふ心は〔:言わんとするところの意味は。〕「蛤〔(かひ)〕の殻」なり。】[やぶちゃん注:「心」の字は「言」の送り仮名にある。]

 

「本綱」に、『海蛤〔(かいがふ)〕は、諸蛤爛殻の總稱なり。專ら、一蛤を指さざるなり。海邊沙泥の中に、之れを得。大なる者は、棊〔=碁〕-子〔(ごいし)〕のごとく、小なる者は、油-麻-粒(ごまつぶ)のごとし。黃白色、或は黃・赤、相雜る。乃〔(すなは)〕ち、諸蛤の殻、海水の爲めに礲礪〔(ろうれい)〕し、日、久しくして、光瑩〔(くわうえい)〕、都(すべ)て、舊-質(もとのかたち)、無し。蛤の類、至〔(いたつ)〕て多く、其れ、何の蛤と〔→の〕爲〔(な)〕ることを分別すること、能はず。故に、通じて、之れを「海蛤」と謂ふ。修治して、藥に入れ、用ふ【苦、鹹。】。欬逆〔(がいぎやく)〕・喘息・水腫・消渇五痔を治す【「游波蟲〔(いうはちゆう)〕」の骨を用ふること、勿かれ。真〔(まこと)〕に、相〔(あひ)〕似たり。只、是の面〔(おもて)〕の上は、光、無し。誤りて、之れを餌〔(く)〕へば、人をして狂走せしむ。惟だ、醋のみ、之れを解す。】』と。

△按ずるに、「海蛤」の「海」の字を、「諸」と爲す。見つべきなり。

 近頃(ちかごろ)、官家、競(きそ)ひて、諸〔(もろもろ)〕の蛤殻〔(かひがら)〕を集むるに、凡そ、六百五十種にて、未だ、盡きず。或いは、名、有りて、蛤〔(かひ)〕、無く、或いは、蛤、有りて、未だ、名を知らず。蓋し、「歌仙蛤(がひ)」・「源氏蛤」等のごとく、和歌を以つて、稱せらるる者、凡て、二百余種。以つて、之れを翫弄〔(がんろう)=玩弄〕するがごとし。珍品、有れば、則ち、貴價を出〔(いだ)〕して、之れを得。

 一貝、有り。「縕奥(うんをふ[やぶちゃん注:ママ。「うんわう」或いは連声(れんじょう)で「うんのう」が正しい。])貝」と名づく【正字、未だ詳らかならず。】。徑〔(わた)〕り三寸ばかり、正圓にして、白色、微紅を帶び、光り耀き、二孔、有り、相双〔(あひならび)〕て、眼のごとし。潮汐の時に當り、孔より、潮水を吹く。亦、竒異なり。「相貝經」に所謂〔(いはゆ)〕る「碧貝」・「委貝」の、能く雨-霽(あめふるはるゝ)を知るがごときも、亦、妄ならざるなり【「碧貝」、脊上に縷〔(る):糸のように細いすじ〕有り。唇、勾〔(ま)〕がる。雨、則ち、重く、霽、則ち、輕し。「委貝」は、赤くして、中圓。雨、則ち、輕く、霽、則ち、重し。】。其の他、勝〔(あ)〕へて計らふべからず。

[やぶちゃん注:海産の斧足(二枚貝)綱 Bivalvia 。但し、図中左上部には巻貝も含まれている。狭義には「蛤」は斧足類のみを指すのであろうが、実際には摩滅した腹足(巻貝)綱 Gastropoda 類の殻をも含んでの呼名であろう。いや、良安の「縕奥貝」以下の貝殻は、かえってタカラガイ類を感じさせさえするし、また、良安の拠る所の「海」=「諸」々の「蛤」=広義の貝類の輝く貝殻という説に従うならば、淡水産貝類の殼も含まれることになる。

・『古へは、「蛤」を呼びて「宇無木」と曰ふ』の「蛤」のみ「はまぐり」と訓じてよいと考える(本項の良安の解説部では、後は、総て「蛤(かひ)」と訓じたい気がしている)。ハマグリの古名としての「うむぎ」については、先の「文蛤」(ハマグリ)の項を参照されたい。

・「爛殻」は、「光り輝く殻」で、光沢を持つ貝の総称。

・「礲礪」は、本来、「研石(といし)」を指す。そこから、「研ぎ磨くこと」の意で用いたもの。

・「光瑩」は、つやつやと光り輝くこと。

・「修治」は、漢方薬の素材を採集し、洗浄・乾燥させ、その後に加工操作することを言う。

・「欬逆」は、咳によってのぼせること、または、そのような症状を引き起こす咳を指す。

・「消渇」は、口が渇き、多飲多尿を示す症状で、糖尿病を指すと思われる。

・「五痔」は、牡痔(外痔核)・牝痔(内痔核)・脈痔(切れ痔)・腸痔(脱肛)・血痔(血便を伴う内痔核)の五種を指す。

・「游波蟲の骨」は、後述される有毒とするタコブネの殻か、イカの甲等を指すか、もしくは、漢方でサンゴの骨格や軽石を指す「海浮石」かとも疑われるが、毒性を強調しており、不詳である。「游波蟲」をネットで検索しても、以下に当該の原文に近いと思われる(ネット上の繁体字ページ「急救良方」の一部。一部を更に正字化し、記号の一部を代えた)『游波蟲毒、凡食海蛤、愼防游波蟲。其殼骨相似、惟以面上無光可辨。若誤食之、令人狂走欲投水、似有祟狀、惟醋解之立愈。』という記載と、「南北朝時期名醫輩出的徐氏家族」というページの「徐之才」という医師についての叙述の中に「蛤精疾」という病名を記し、『並說這是乘船入海、垂脚水中所致、於是下刀爲患者剖出蛤精子(可能是海中一種叫游波蟲的小動物)二枚、大如楡莢。』と記す二件のみしか掛かってこない。なお、後者は、体色の透明度が高く、刺胞毒の強いクラゲによるクラゲ刺症(最後の『剖出蛤精子二枚、大如楡莢』)は刺傷部に付着した触手(刺胞)体を摘出した臨場感がある)についての記述ではないかと疑われる。アカクラゲ Chrysaora melanaster やカツオノエボシ Physalia physalis 等の刺胞毒強いクラゲの刺胞は、死後も機動性と有毒性を保持することは、アカクラゲの粉砕物を忍者が用い、同種を別名ハクションクラゲと称したりすることで、人口に膾炙しているが、どう考えても、それが貝殻と「真に相似」してはいない。調査続行中。

・「相貝經」(そうばいきょう:現代仮名遣)は、漢の朱仲の撰になる幻想的な貝の博物誌らしい。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の陶宗儀纂の「說郛」(正篇)の巻第九十七の、ここと、ここで、ここに書かれてある内容が視認出来る。

 なお、「縕奥貝」、「碧貝」、「委貝」等も、全くお手上げで(後者の二種は気象庁が是非とも欲しいところであろう)、まさに「其の他、勝へて計らふべからず」(その他の種についての記述は、数え上げて挙げれば、切りがないほどである)、識者の情報を切に願うものである。]

***

よなき

ながにし

香螺

ヒヤン ロウ

 

 流嬴【螺與蠃

    同字】

 【俗云長螺

  一云倍奈太礼】

 【今云夜啼螺

  今云豆布】

[やぶちゃん字注:以上六行は、前四行下に入る。]

 

本綱流螺其厴名甲香生南海處處有之小者爲佳其大

如小拳青黃色長四五寸諸螺之中此肉最厚【甘冷】大者

如甌靣〔=面〕前一邊直𣝊長數寸圍殻岨峿有刺其厴雜衆香

焼益芳獨焼則臭醫家稀用惟合香者用之【沈香白檀龍腦麝香

之類同用之尤佳甲香善管香烟也】

△按香螺狀似辛螺而口長其肉白軟甘美蓋海蠃【和名豆比】

 總名也今人以香螺曰豆布【豆比通音】世俗隱婦人陰戸稱

《改ページ》 

■和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○十五

貝又轉曰豆比亦然

 

 

よなき

ながにし

香螺

ヒヤン ロウ

 

 流嬴〔(りうら)〕【「螺」と「蠃」は同字。】

 【俗に「長螺(ながにし)」と云ふ。一に「倍奈太礼〔(へなたれ)〕」と云ふ。】

【今、「夜-啼-螺(よなき)」と云ふ。今、「豆布〔(つぶ)〕」と云ふ。】

 

「本綱」に、『流螺、其の厴〔(へた)〕を「甲香(かいかう)」と名づく。南海に生ず。處處に、之れ、有り。小さき者、佳と爲す。其の大いさ、小さき拳(こぶし)のごとく、靑黃色、長さ四、五寸。諸螺の中に、此の肉、最も厚し【甘、冷。】。大なる者、甌(わん)のごとく、靣前の一邊、直〔(ぢき)〕に𣝊(をさ)へ、長さ數寸。圍ある殻〔(から)は〕、岨-岨(たかひく)ありて、刺〔(は)〕り、有り。其の厴、衆香に雜(まじ)へて、之れを焼けば、芳〔(はう):芳香。〕を益す。獨り焼く時は[やぶちゃん注:「時」は送りがなにある。]、則ち、臭〔(くさ)〕し。醫家、用ゐること稀れに、惟だ、香を合〔(あは)〕する者、之れを用ふ【沈香〔(ぢんかう)〕白檀〔(びやくだん)〕龍腦〔(りゆうなう)〕麝香〔(じやかう)〕の類と同じく〔:共に〕、之れを用ひて、尤も佳し。甲香、善く香烟〔(かうえん)〕を管する〔:つかさどる、支配する、調整する。〕なり。】。』と。

△按ずるに、香-螺(よなき)は、狀、辛螺(にし)似て、而〔(しか)も〕、口、長く、其の肉、白く、軟かにして、甘美なり。蓋し、海蠃【和名、「豆比〔(つび)〕」。】は總名なり。今の人、香螺を以つて、「豆布」【豆比の通音。】と曰ふ。世俗、婦人の陰戸を隱して〔:隠語で〕、「貝(かい〔ひ〕)」と稱す。又、轉じて「豆比」と曰ふ。亦、然り〔:孰れもその例に倣ったものである。〕。

[やぶちゃん注:腹足綱前鰓亜綱新生吸腔上目新腹足目アクキガイ超科イトマキボラ科ナガニシ亜科ナガニシ属ナガニシ Fusinus perplexus 。但し、本邦で「よなき」と呼称する場合は、コナガニシ Fusinus ferrugineus も含まれる。また、「へなたれ」は「ヘナタリ」で、現在は、全く別種のウミニナの仲間の小型種である腹足綱オニノツノガイ上科キバウミニナ科 Pirenella 属ヘナタリ Cerithidea cingulata の標準和名となっており、「つび」「つぶ」は現在、逆に一般に食用とする腹足類(巻貝)の総明として用いられいる傾向さえある(呼称の先祖返りか?)。「甲香」=「貝香」は、記述中にも現われ、次事項として立てられてもいる「辛螺」=前鰓亜綱新生腹足上目新腹足目アッキガイ上科アッキガイ科チリメンボラ亜科チリメンボラ属アカニシ Rapana venosa の厴(へた)を原料とした保香剤であると一般には理解されている。しかし実際には、以上に記した呼名や、指し示す対象は、現在も非常に混同して用いられており、甲香にしても、広く、本種や、他のニシ、及び、ウミニナの厴も用いられて来たし、現在も用いられていると考える方が自然な状態であるという気がしている。

・「大なる者、甌(わん)のごとく、靣前の一邊、直〔(ぢき)〕に𣝊(をさ)へ、長さ數寸。圍ある殻〔(から)は〕、岨-岨(たかひく)ありて、刺〔(は)〕り、有り。」の部分は、平凡社東洋文庫版では、『肉は大きなものは甌(わん)のようで、面前一辺は真直ぐにのびて長さは数寸、囲殻は岨峿(たかひく)あって刺(はり)がある。」と訳しており、「圍」の判読不能の訓点は訳には表われていない。私は一応「めぐり」と訓じたいと考えている。所謂、螺塔の螺旋状の結節の凸部分の外貌を述べたものである。「甌」は音(オウ)で、小さい鉢・深い椀・口が大きく平たい鉢・小さい甕(かめ)等を指す。

・「沈香」は、ジンチョウゲ科の常緑高木 Aquilaria agallocha 等の生木、または、古木を土中に埋め、腐敗させて製したもの。最優品を伽羅(きゃら)という。

・「白檀」は、ビャクダン科の半寄生性常緑小高木ビャクダン Santalum album から得られる材及び香料の名。材は黄色味がかった白色で、強い芳香を持つ。仏像・美術品・扇子・線香等に使用。白檀油をとり、香料にもする。栴檀(せんだん)は、この白檀の中国名。

・「龍腦」は、樟脳(しょうのう)に似た芳香をもつ無色の昇華性結晶。フタバガキ科リュウノウジュ Dryobalanops aromatica の木材を蒸留、もしくは人工的に樟脳やテレビン油から合成する香料。

・「麝香」は、シカ科ジャコウジカ亜科のヤマジャコウジカ Moschus chrysogaster 等の香嚢(麝香腺)の分泌物を乾燥したもの。香水の原料にしたり、漢方で興奮・強心・鎮痙薬等に用いる。ムスク。]

***

にし

あぎ

蓼螺

リヤ゜ウ ロウ

 

 大辛螺【和名阿木】

 赤口螺【同】

 小辛螺【和名仁之】

 蓼螺【同】

[やぶちゃん字注:以上四行は、前四行の下に入る。]

 

本綱蓼螺紫色有斑文肉味辛辣如蓼

△蓼螺似榮螺而尻尖頭亦一端長尖外色黃白帶微赤

 其厴如田螺厴而外色黃白總殼内赤色肉味【甘】如榮

 螺其膓靑黑味甚辛辣


赤辛螺 殻内外正紅其殻焼灰入藥傳〔→傅〕瘡腫玅或作藥

 鹽其法取辛螺殻盛鹽焼于炭火上采蘩蔞汁頻頻加

 入能焼調去火氣碎末塗牙齒甚佳含口洗眼亦可

凡辛螺榮螺殻有尖角無亦有之若夫牝牡之別乎

《改ページ》 

 

にし

あぎ

蓼螺

リヤ゜ウ ロウ

 

 大辛螺【和名、「阿木」。】

 赤口螺【同。】

 小辛螺【和名、「仁之」。】

 蓼螺〔(れうら)〕【同。】

 

「本綱」に、『蓼螺は、紫色。斑文、有り。肉味、辛辣〔(しんらつ)〕、のごとし。』と。

△蓼螺は、榮螺(さゝい:現行のサザエ。次項参照。)に似て、尻、尖り、頭〔(かしら)〕、亦、一端、長く尖り、外の色、黃白、微赤を帶ぶ。其の厴〔(へた)〕、田螺(たにし)のごとし。厴の外の色、黃白、總〔(すべて)〕、殼の内、赤色。肉味【甘。】、榮螺のごとし。其の膓〔(はらわた)〕、靑黑。味、甚だ、辛辣なり。


赤辛螺(あかにし) 殻の内外、正紅なり。其の殻、灰に焼きて、藥に入れ、瘡腫〔:腫れもの。〕に傅〔(つ)けて〕[やぶちゃん注:ここの送りがなは「フ」にしか見えないが、それでは訓読出来ない。中近堂版(国立国会図書館デジタルコレクション)では、『テ』と振っているのを採用した。]、玅〔=玄妙〕なり。或いは、藥鹽〔(やくえん):治療薬としての塩。〕に作る。其の法、辛螺〔の〕殻を取りて、鹽を盛り、炭火の上に焼く。蘩蔞(はこべ)の汁を采〔(と)〕り、頻頻〔(ひんぴん):絶え間なく。〕に加へ入れ、能く、焼き調へ、火氣を去り、碎末にして、牙齒に塗りて、甚だ、佳し。口に含みて〔も〕、眼を洗ふも、亦、可なり。

凡そ、辛螺(からにし)・榮螺〔の〕殻、尖(とが)り、角(つの)、有り。無きも亦、之れ、有り。若し、夫〔(そ)〕れ、牝牡の別か。

[やぶちゃん注:前鰓亜綱新生腹足上目新腹足目アッキガイ上科アッキガイ科チリメンボラ亜科チリメンボラ属アカニシ Rapana venosa 。「蓼螺」は、古くから、広く、「ニシ」類全体の総称であった。最後にある有角・無角の推論は、無論、誤り。サザエ等は同種であっても、生息域が外洋に面し、波浪が強ければ、有角(管状突起)となり、比較的波の穏やかな内湾のものは無角となる。

・「蓼」はタデ科ヤナギタデ Persicaria hydropiper 。通常、ただ単に「タデ」と言った場合、本種を指す。「蓼食う虫も好き好き」の蓼も本種である。

・「蘩蔞」はナデシコ科ハコベ属 Stellaria の総称。ここに記載されたものは、日本独自の民間療法としての「はこべ塩」と呼ばれるもので、歯茎が腫れて痛む際に、江戸時代までは広く処方された。

***

さゝゑ

     【和名佐左江】

榮螺

 

和名抄載食經云榮螺子似蛤而圓者也

△按蚌長蛤團螺曲尖此物螺之屬而不似蛤體團而尾

 盤曲尖外灰皂色岨峿内白口圓深厴圓厚堅白色有

 細小鮫粒裏赤褐色滑煑之脫厴其肉一端黑一端黃

 而中白尾長盤屈碧色而包膓肉味甘而硬厚去膓尾

 切和醬油再盛殻煑熟之食謂之壺熬攝泉之産小而

 圓殻背不甚麁無角味最勝或生投炭火俟厴開和醬

 酒煑而食膓苦而亦佳謂之苦焼諸螺之中特充上饌

 關東之産殻有角而大

《改ページ》

 

 

さゞゑ

     【和名、「佐左江」。】

榮螺

 

「和名抄」「食經」を載せて云ふ、『榮螺子は、蛤に似て、圓き者なり。』と。

△按ずるに蚌〔(ばう)〕は長く、蛤〔(かう)〕は團く、螺〔(ら)〕は、曲り、尖る。此の物、螺の屬にして、蛤に似ず、體〔(てい)〕、團〔(まる)く〕して、尾、盤-曲(めぐ)り、尖り、外、灰皂〔=黑〕色。岨-峿(たかひく)あり。内、白く、口、圓く、深く、厴(へた)、圓く、厚く、堅く、白色にして、細小なる鮫粒〔:鮫肌のような粒状突起。〕有り。裏、赤褐色、滑かなり。之を煑て、厴を脫〔(のぞ)〕き、其の肉、一端、黑く、一端、黃にして、中、白く、尾、長く、盤-屈(めぐ)りて、碧色にて、膓〔(はらわた)〕を包む。肉味、甘くして、硬く、厚し。腸・尾を、去りて、切りて、醬油を和して、再たび、殻に盛り、之れを煑熟して、食ふ。之れを「壺熬〔(つぼいり/つぼやき)〕」と謂ふ。攝〔=摂津〕・泉〔=和泉〕の産は、小さくして、圓く、殻〔の〕背、甚だ、麁〔(もろ)〕からず。角(つの)、無く、味、最も勝れり。或いは、生ながら炭火に投じて、厴、開くを、俟〔(ま)〕ちて、醬・酒に和して、煑て、食ふ。膓、苦く、而も亦、佳なり。之れを「苦燒〔(にがやき)〕」と謂ふ。諸螺の中、特に上饌に充〔(あ)〕つ。關東の産、殻、角、有りて、大なり。

[やぶちゃん注:前鰓亜綱古腹足目サザエ(リュウテンサザエ)科リュウテン亜科リュウテン属サザエ亜属サザエ Turbo cornutus。なお、最後の有角の話は、前項「蓼螺」の後注の最後を参照されたい。私はここで初めて内蔵を除去したものを「壺焼き」と称するのが正しいことを知った。

・「和名抄」の当該部は、先に示した国立国会図書館デジタルコレクションのここで視認出来る。

「食經」は「崔禹錫食經」で唐の崔禹錫撰になる食物本草書。前掲の「倭名類聚鈔」に多く引用されるが、現在は散佚。後代の引用から、時節の食の禁忌・食い合わせ・飲用水の選び方等を記した総論部と、一品ごとに味覚・毒の有無・主治や効能を記した各論部から構成されていたと推測される。]

***

■和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○十六

たにし

たつび

田螺

テン ロウ

 

 螭螺【田中螺其有稜

 者謂之

 螭螺】

【和名太都比

 俗云太仁之】

[やぶちゃん字注:以上五行は、前四行下に入る。]

 

本綱田螺生水田中及湖瀆岸側狀類蝸牛而尖長青黃

春夏采之肉視月盈※〔虧〕故王充云月毀於天螺消於淵

[やぶちゃん字注:※=「虧」の(へん)を「虚」に換える。]

肉【甘大寒】 煑食通大小便治浮腫搗爛貼臍亦佳取汁搽

 痔瘡脇臭焼研治瘰癧癬瘡

△按田螺二三月膓内抱子一箇有三五子其大可米粒

 而備母形母出半殻則子隨之蠢于泥中土人取之養

 於水盤使泥吐出煑熟肉和蒜味醬食味美也多食令

 人腹痛相傳曰長途行人田螺煑乾貯之毎一箇食則

 令不中於異鄕水飮

 又云用田螺肉爲糊繼破磁噐永不離

《改ページ》

 

 

たにし

たつび

田螺

テン ロウ

 

螭螺〔(ちら)〕【田の中の螺、其の、稜、有る者、之れ、「螭螺」と謂ふ。】

【和名、「太都比(〔た〕つび)」。俗に「太仁之」と云ふ。】

 

「本綱」に、『田螺は水田の中、及び、湖・瀆岸〔(とくがん):大河の岸。〕の側に生ず。狀〔(かたち)〕、蝸牛(かたつふり)に類して、尖り、長く、青黃。春・夏に、之れを采る。肉、月の盈虧〔(えいき):月の満ち欠け。〕に視(なぞら)ふ。故に王充が云ふ。『月、天に毀(か)け、螺、淵に消す。』と。

肉【甘、大寒。】 煑て、食ふ。大小便を通じ、浮腫を治す。搗爛〔(たうらん):搗(つ)いて焼くこと。〕して、臍に貼りて亦、佳し。汁を取りて、痔瘡・脇臭〔(わきが)〕に搽〔=塗〕る。燒き、研(をろ[やぶちゃん注:ママ。])し、瘰癧〔(るいれき)〕癬瘡〔(せんさう)〕を治す。』と。

△按ずるに、田螺は、二、三月、膓〔(はらわた)〕の内に子を抱〔(いだ)〕く。一箇に、三、五子、有り。其の大きさ、米粒ばかり、而れども、母の形を備ふ。母、半殻を出づれば、則ち、子、之れに隨ひて、泥中に蠢(うごめ)く。土人、之れを取りて、水盤に養ひ、泥を吐き出さしめ、煑熟し、肉に蒜〔(のびる)〕・味醬〔(みそ)〕に和して、食ふ。味、美なり。多食せば、人をして腹痛せしむ。相〔ひ〕傳へて曰ふ。「長途の行-人(たびゞと)、田螺、煑乾〔(にほ)〕して、之れを貯へ、毎一箇、食へば、則ち、異鄕の水、飮〔む〕に、中〔(あた)〕らず。」と。

 又、云ふ、「田螺の肉を用ひて、糊〔(のり)〕と爲し、破-磁-噐〔=器〕(われたるやきもの)を繼ぐに、永く離れず。」と。

[やぶちゃん注:日本に棲息する現生種は、前鰓亜綱原始紐舌目タニシ超科タニシ科タニシ属マルタニシ Cipangopaludina chinensis laeta 、オオタニシ Cipangopaludina japonica 、タニシ科ヒメタニシ属ヒメタニシ Sinotaia quadrata histrica 、ナガタニシ Heterogen longispira の四種である(ナガタニシは琵琶湖固有種)。卵胎生の叙述は正しく(タニシ科 Viviparidaeは総てが卵胎生)、実際の水盤での観察に基づくものと思われ、良安の堅実さを感ずる箇所である。……私は少年の頃、裏山を越えた、現在の神奈川県藤沢市村岡東四丁目にある「高谷下公園」(グーグル・マップ・データ航空写真)の位置にあった溜池の下方直近に、ずっと渡内の方へ向かって広がっていた田圃で、マルタニシをよく採って、母に煮て貰い、食べたものだった。ここでは、流れ出る小川で、天然のウナギも獲れた。自然薯や木通(あけび)も、とり放題だった。母とは、この池畔で、セリやノビルも摘んだ。池には、ウシガエルの巨大な蝌蚪(おたまじゃくし)が恐るべき巨大な群れを成し、アメリカザリガニも、わんさと、いた。近くには源頼朝の隠し湯なるものもあった。しかし、それらは総て現存しない。完璧な住宅地と化した。以前、この公園には、よく、二人の娘のアリス(ビーグル犬)を散歩に連れて行ったものだったが、そこで仲良くなった少女に、「ここにはね、昔、池があってね。この先の住宅地は、全部、田圃だったんだよ。」と言い、以上のような生き物がとれたことを語ったら、私を凝っと見つめた後、見事に美しい疑いを含んだ笑みを浮かべつつ、「噓!」と言ったのを思い出す……。「嘘じゃないよ、お嬢さん! 『今昔マップ』の明治時代の地図のここに、ちゃんと、「池」と「田圃」の記号が、あるよ、ほら!……

・「王充」は、後漢の文人・思想家。手厳しい儒教批判で知られる。本文で時珍が引用するのは、東洋文庫版注によれば、彼の代表作「論衡」の一節。無論、これは中国の天文思想による解釈であり、タニシの場合、そんなライフ・サイクルがあるわけではない。

・「搗爛して、臍に貼りて、亦、佳し」については、李氏朝鮮時代の医師許俊(ホ・ジュン)の著わした「東醫寶鑑」に臍風(さいふう)に利く薬として五通膏を挙げ、生地黄(なまじおう:ゴマノハグサ科カイケイジオウの新鮮な塊状根)・生姜・葱白(そうはく:ネギ)・蘿葡子(らいふくし:ダイコンの成熟種子)・田螺肉を搗いて臍の上に貼る、とある。この「臍風」については、江戸の教訓書「をむなかがみ」に、小児の病いとして「はぐきのうへにあはつぶのことくなるものいできないてちをのまざるを臍風」とあり、ヘルペスの一種かと思いきや、初生児破傷風という、おどろおどろしい病名を附す解説もあるようだ。

・「瘰癧」は、頸部リンパ節での結節・腫脹を言うが、おもに結核性のものを指す。

・「癬瘡」は、恐らく、疥癬(かいせん)を言うか。無気門亜目ヒゼンダニ科のヒゼンダニ Sarcoptes scabiei が寄生することによる皮膚感染症。

・「蒜」は「野蒜」で、ユリ科ネギ属ノビル Allium macrostemon を指す。

・最後の下線部分は、民俗伝承としては、「長旅をする人は、故郷で産する田螺(ただの田螺ではなく)を採って、煮て乾したものを携帯し」云々とするのが、正確な記述と思われる。]

***

ばひ

     【俗云波比】

海螄

 

△按海螄生海中小螺也色形似田螺而堅大於田螺春

 夏最多出其肉上黑中白盤曲隨殻有蒼膓去陽煑食

 之【甘鹹】商賣毎除夜及歳始爲必用酒肴言取千倍万

 倍貨殖之祝乎紀州熊野之產大而厚其大者長三寸

 許小兒取其殻打去頭尖令平均纏細苧繩舞之爲戯

 

 

ばひ

     【俗に「波比」と云ふ。】

海螄

 

△按ずるに、海螄は、海中に生ずる小さき螺〔(にな)〕なり。色・形、田螺(たにし)似て、堅く、田螺より、大なり。春・夏に、最も多く出づ。其の肉、上、黑く、中、白く、盤-曲(めぐり)て殻に隨ふ。蒼き膓〔(はらわた)〕有り。腸を去りて、煑て、之れを食ふ【甘、鹹。】。商賈〔(しやうこ):商店。〕、除夜、及び、歳始の毎〔(ごと)〕に、必用の酒肴〔(しゆかう)〕と爲す。言ふ心は[やぶちゃん字注:「心」の字は送り仮名にある。「言わんとするところの意味は」の意。]、千倍、万倍、貨殖の祝〔(いはひ)〕を取るか。紀州熊野の產、大にして、厚し。其の大なる者、長さ三寸許〔(ばか)〕り。小兒、其の殻を取りて、頭〔の〕尖りを、打ち去り、平均ならしめて、細き苧繩〔(をなは)=あさなは〕を纏〔(まと)〕ひて、之れを舞はして、戯〔(たはむ)〕れと爲す。

[やぶちゃん注:前鰓亜綱新腹足目アクキガイ超科バイ科バイ属バイ Babylonia japonica 。南西諸島を除く日本全域・朝鮮半島・中国の一部などに分布する温帯種。内湾から外洋までの沿岸域の浅海の砂泥底に潜って棲息する(沖縄には近縁のウスイロバイ Babylonia kirana がいる)。私はビーチ・コーミングも、食べる方も、好きな種である。後半は、所謂、「ベイゴマ」(「ベーゴマ」。本来は「バイゴマ」「バイマハシ」、「貝獨樂(かひこま)」・「貝𢌞(かひまは)し」と言った)のルーツについて記述されている。Wikipedia」の「バイ」の記述によれば、現在の『鋳鉄製のものにもその名残としてバイの殻を模した渦巻き模様が彫られている。本来の貝独楽は、バイの殻の下半を壊した後、研ぐなどして螺塔部のみを残し、そこに砂や溶けた鉛などを流し込んだあと断面を蝋などで固め塞ぎ、朱などを塗って作ったと言われる』とある。

・「貨殖の祝を取るか」は、「財貨が倍々(ばいばい)に殖えることを願っての祝詞(ことほぎ)の意味に用いるのであろうか?」という意味であろう。

 折角なので、巻十七の独立項「海螺弄」をテクスト化する(体裁は本プロジェクトの書式に従った)。

   *

■和漢三才圖會 嬉戯 卷ノ十七 ○十三

[やぶちゃん注:冒頭の「獨樂」の項は省略。]

ばいまはし[やぶちゃん注:ママ。]

海螺弄

《改ページ》

△按不知始何時田夫野子所弄也用海螺空殻研平頭

 尖摩圓尻尖卷絲繩引舞之席盆中二三螺以爲勝負

 所擊出者爲負其先入者曰伊加後入者曰乃宇如擊

 合同出謂之張張則伊加爲勝凡出於熊野海螺厚堅

 也【詳見于蛤螺下】

ばいまはし[やぶちゃん注:ママ。]

海螺弄

《改ページ》

△按ずるに、何〔(いつ)〕の時より始むることを、知らず。田夫野子〔=田夫野人〕の弄〔(もてあそ)ぶ〕所なり。海-螺〔(ばひ)〕の空-殻(から)を用ひ、平頭の尖〔(とがり)〕を研〔(と)〕ぎ、尻尖〔(しりとが)〕りを、摩(す)り圓(まろ)め、絲繩を卷き、引きて、之れを、席〔(むしろ)〕・盆中に舞〔は〕す。二、三螺を以つて、勝負に爲〔(な)〕す。擊ち出づる所の者を「負〔(まけ)〕」と爲す。其〔(それ)〕、先づ、入る者を「伊加〔(いか)〕」と曰ひ、後に入る者を「乃宇〔(のう)〕」と曰ふ。如〔(も)〕し、擊ち合ひ、同じく出づる〔ときは〕、之れを「張る」と謂ふ。張る時は[やぶちゃん注:「時」は送りがなにある。]、則ち、「伊加」を勝ちと爲す。凡そ、熊野より出づる海螺、厚くして、堅なり【詳しくは「蛤螺〔(かうら)〕」の下を見よ。[やぶちゃん注:ママ。「蛤螺」は「海螄」の誤り。「蛤螺」という項は「和漢三才圖會」自体に存在しない。]】。

[やぶちゃん注:部立の「嬉戯」(きぎ)とは、「楽しそうに遊び戯れること」で、「遊戯」と同義である。

***

みな

にな

蝸螺

クワアヽ ロウ

 

 螺螄【本草】蜷【俗字】

 河貝子【崔氏食經】

 爛殻名鬼眼

 晴

 【和名美奈

  俗云仁奈】

[やぶちゃん字注:以上六行は前四行下に入る。]

《改ページ》

 

■和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○十七

 

本綱蝸螺生溪水中小于田螺上有稜大如指頭而殻厚

於田螺惟食泥水春月人采置鍋中蒸之其肉自出煑食

之清明後其中有蟲不堪用矣此物難死誤泥入壁中數

年猶活也

肉【甘寒】利大小便治水腫黃疸醒酒痔脫肛【小便不通者抹泥敷足心】

 

 

みな

にな

蝸螺

クワアヽ ロウ

 

 螺螄〔(らし)〕【「本草」。】蜷【俗字。】

 河貝子【「崔氏食經」。】

 爛殻を「鬼眼晴〔(きがんせい)〕」と名づく。【和名、「美奈」。俗に「仁奈」と云ふ。】

 

「本綱」に、『蝸螺は溪水の中に生ず。田螺より、小にして、上に、稜、有り。大きさ、指の頭〔(かしら)〕のごとくして、殻、田螺より、厚し。惟だ、泥水を食ふ。春月、人、采りて、鍋中に置きて、之れを蒸せば、其の肉、自づと、出づ。煮て之を食ふ。清明の後は、其の中に蟲有り。用に堪へず。此の物、死に難く、誤りて壁の中に泥-入(ぬりい)るれ□□〔ども〕數年にして猶ほ活すなり。

肉【甘、寒。】 大小便を利し、水腫・黄疸〔を治し〕、酒を醒まし、痔・脱肛を治す【小便通ぜざる者は、抹泥にして足心〔:土踏まずのこと〕に敷く。】。』と。

[やぶちゃん注:腹足綱吸腔目カニモリガイ上科カワニナ科カワニナ属 Semisulcospira sp. (最も一般的なカワニナは和名カワニナSemisulcospira libertina libertina )。但し、本文中で、「爛殻」(つやつやした貝殻)を「鬼眼晴」と名づける、とあるが、「鬼眼晴」という名は、後出する前鰓亜綱古腹足目サザエ科(リュウテンサザエ科)リュウテン亜科 Lunella 属スガイ Lunella correensis (「酢貝」)の別名としての方が一般的である。カワニナは、吸虫綱二生(にせい)亜綱斜睾吸虫(しゃこうきゅうちゅう)目住胞吸虫亜目住胞吸虫上科肺吸虫科 Paragonimus 属ウェステルマンハイキュウチュウ Paragonimus westermanii 、及び、後睾吸虫(こうこうきゅうちゅう)目後睾吸虫上科異形吸虫(いけいきゅうちゅう)科のヨコカワキュウチュウ Metagonimus yokokawai (横川吸虫)等の第一中間宿主となるため(但し、ここから直接人体に感染はしないとされる)、本記載の「清明の後」(旧暦三月の清明祭。現在の四月初旬)には「其の中に、蟲、有り。用に堪へず。」というのが、これらの寄生虫が、カワニナの体表を破って第二中間宿主に移る時期と一致しているとすれば、鋭い観察であると言えるのではあるまいか。寄生虫学の識者の指摘を待つ。

・「本草」私は単に諸本草書という意味に採っていたのだが、この場合、良安は何か特定の本草書を指している可能性がある。東洋文庫の「書名注」の「本草」によれば、『この場合、可能性としては、中国で古くから伝えられてきたとされる『神農本草経』に梁の陶弘景が注解を加えたもの、及び』、『この陶弘景のものに改訂を加えた』、『唐の李勣(りせき)ら』による『奉勅撰』(六五九年)『の『新修本草』がある。後者は奈良時代の日本で読まれているから、この可能性が強い』とあった。しかし、「新修本草」には、ないようである。「神農本草経」も目録をざっと見たが、なさそう。いやいや、この「本草」って、上記本文通りで、「本草綱目」で、ええんでないカイ?

・「崔氏食經」とは、「崔禹錫食經」で唐の崔禹錫撰になる食物本草書。「倭名類聚鈔」に多く引用されるが、現在は散佚。後代の引用から、時節の食の禁忌・食い合わせ・飲用水の選び方等を記した総論部と、一品ごとに味覚・毒の有無・主治や効能を記した各論部から構成されていたと推測される。

***

ほらのかひ  

寶螺

 梭尾螺

【俗云保良

 乃加比】

[やぶちゃん字注:以上三行は、前二行の下に入る。]

 

本綱梭尾螺形如梭今釋子所吹者

△按寶螺狀似海螄而大白黃色有淺紫斑大者一二尺

 小者二三寸五六旋盤屈尾窄尖其肉淡赤味短不食

 人待肉稍出以繩急縳肉則懸屋檐經日螺乾死殻自

 脫取之穿尾尖作口吹之其聲嘹喨用最大者爲本朝

《改ページ》

 軍噐吹之進先鋒之兵修驗行者毎山行吹之爲同行

 之導且防狸狼之害凡非地震而山岳暴有崩裂者相

 傳云寶螺跳出而然也如遠州荒井之今切者處處大

 小有之龍乎螺乎未知其實焉

                              行圓

     夫木 山伏の腰に付たるほらの貝ふくるをまゝの秋のよの月

[やぶちゃん注:「行圓」の「圓」は、原本では、「○」の中に「虫」のような字を入れたひどい崩し字である。正字で示した。]

 

 

ほらのかひ

寶螺

 梭尾螺〔(ひびら)〕

【俗に「保良乃加比」と云ふ。】

 

「本綱」に、『梭尾螺の形、梭〔(ひ)〕のごとし。今、釋子〔:僧侶。〕、吹く所の者なり。』と。

△按ずるに、寶螺は、狀〔(かたち)〕、海螄〔(ばひ)〕に似て、大きく、白黃色、淺紫の斑〔(まだら)〕、有り。大なる者は一、二尺、小き者〔は〕、二、三寸。五、六旋、盤屈して、尾、窄〔(すぼ)〕く、尖り、其の肉、淡赤。味、短〔(とぼし)く〕して、食はれず。人、肉の、稍〔(やや)〕出〔(いづ)〕るを待ちて、繩を以つて、急に、肉を縳り、則ち、屋-檐(のき)に懸け、日を經れば、螺、乾き、死し、殻、自〔(おのづか〕ら、脫す。之れを取りて、尾の尖りを、穿(ほ)り、口を作り、之れを吹く。其の聲、嘹喨〔(りやうりやう)=喨喨:音が、明るく澄んで、鳴り響くさま。〕たり。最も大なる者を用ひて、本朝の軍噐〔=器〕と爲し、之れを吹きて、先鋒の兵を進む。修驗行者〔(しゆげんぎやうじや)〕、毎〔(つね)〕に山行〔(やまぎやう)〕に、之れを吹きて、同行〔(どうぎやう)〕の導(みちび)きを爲し、且つ、狸・狼の害を防ぐ。凡そ、地震に非ずして、山岳、暴(にはか)に崩(くづ)れ裂(さ)くる者〔(こと)〕、有り。相傳へて云ふ。『寶螺、跳り出でて、然〔(しか)〕り。』と。遠州〔=遠江〕荒井の今切〔(いまぎれ)〕のごとき者の處處に、大小の、之れ、有り。龍か、螺か、未だ、其の實〔(じつ)〕を知らず。

                               行圓

    「夫木」 山伏の腰に付たるほらの貝ふくるをまゝの秋のよの月

[やぶちゃん注:吸腔目フジツガイ科ホラガイ属ホラガイCharonia tritonis 。最後のホラガイと山崩れの民俗については、「修験者の用いた法螺貝が、長年、深山幽谷に埋もれ、それが精気を得て、海中に戻り入る時、山崩れが起きる。」という俗信が、実際に、古くから、ある。「佐渡怪談藻鹽草 堂の釜崩れの事」の、本文と、私の注を参照されたい。博物画では、『毛利梅園「梅園介譜」 梭尾螺(ホラガイ)』がお薦めである。

・「梭」は、織機にあって、横糸とする糸を巻いた管を、舟形をした胴部の空所に収めた附属器具。端から糸、を引き出しながら、縦糸の間を左右に、くぐらせる。所謂、「シャットル」( shuttle )のこと。

・「遠州荒井の今切」とは、現在の静岡県湖西市新居町新井同県浜松市舞坂の間の「渡し」の呼称(孰れもグーグル・マップ・データ)。浜名湖は遠州灘と繋がっているが、これは約五百年程前の地震と津波により最南端の地峡が決壊した結果である。この開口部の渡しを「今切の渡」と呼んだ。平凡社「百科事典マイペディア」に拠れば、『東海道舞坂(まいさか)宿(現浜松市)と新居(あらい)宿(湖西市)の間』、『浜名(はまな)湖南部に架けられた渡船場。浜名湖から遠州灘に注ぐ浜名川には橋が架けられていたが』、『戦国期の地震・津波により』、『決壊した。江戸時代』になると、『舞坂・新居間には』、『渡し場が設けられ』、『新居関の役人の管轄下』、『新居宿の住人が』、『船を運航した。渡し船の組織は』、『中世の今川氏時代以来の伝統を有する〈十二座〉を基幹とし』、『船』百二十『艘を』三百六十『人の船頭が』十二『組に分かれて運営した。大通行時には』、『寄せ船制度が適用され』、『周辺村々から』『船が供出された。明治一四(一八八一)年に架橋され、消滅した、とある。

 末尾に記された和歌は「新編国歌大観」(静嘉堂文庫本を使用している)の「夫木和歌抄」に所収せず、現在のところ該当歌や類型歌を他でも見出せていない。行円上人は皮聖(かわひじり:一年中鹿皮の衣を着ていた)と呼ばれた平安中期の天台宗の名僧。「山伏の腰に付たるほらの貝」は「ふく」(吹く)を引き出す序詞で、「ふくる」は、「吹く」と、秋の夜が「更ける・深ける」の掛詞である。「まゝの」は「儘の」で、「どうしようもなくなって、物事を成り行きまかせに放っておく」の意。とりあえず、「士は、秋、哀しむ」の「詩経」に倣って訳しておく。

   *

やぶちゃん訳:山伏が腰に付けている、あの法螺貝、法螺貝を吹く、ああ、どうしようもなく深く更けてゆく、この愁いに満ちた秋の夜の月よ……。

最後に折角なので、巻十九の独立項の「寶螺」をテクスト化する(体裁は本頁の書式に従った)。

   *

■和漢三才圖會 神祭 佛噐〔=器〕 卷ノ十九 ○十一

[やぶちゃん注:冒頭の「木魚」の項の最終八行、及び、後半の「如意」の項前部は省略。]


ほらのかい[やぶちゃん注:ママ。] 法蠃 梵貝

寶螺                海螺

パウ ロウ

 

三才圖會云海螺卽螺之大者吹作波囉之聲蓋彷彿於

《改ページ》

千手經云若爲召呼一切諸天善神者當吹寳螺

△按寶螺即梭尾螺貝也【詳見于介甲類】吹之聲大而軍中用之

 可告士卒進退修驗行者常用之有入山野則吹之避

 狼狸携錫杖逐𧈭蛇共良噐〔=器〕也

                              行圓

     夫木 山伏の腰に付たるほらの貝ふくるをまゝの秋のよの月

ほらのかい[やぶちゃん注:ママ。] 法蠃 梵貝

寶螺                海螺

パウ ロウ

 

「三才圖會」に云ふ、『海螺は、卽ち、螺の大なる者〔なり〕。吹けば、「波囉」(ハウロウ)の聲を作る。蓋し、笳(〔ひ〕ちりき)に彷-彿(さもに)たり。』と。

「千手經」に云ふ、『若〔(も)〕し、一切の諸天善神を、召(よ)び、呼(よ)〔ば〕はんと爲すは、當に寳螺を吹くべし。』と。

△按ずるに、寶螺は、卽ち、「梭尾螺〔(ほら)〕」の貝なり【詳しくは「介甲類」を見よ。】。之れを吹けば、聲、大にして、軍中に、之れを用ひて、士卒の進退を告ぐべし。修驗の行者、常に、之れを用ふ。山野に入ること有らば、則ち、之れを吹きて、狼狸〔(らうり)〕を避く。錫杖〔(しやくぢやう)〕を携(つ)いて、𧈭蛇〔(きだ)〕を逐ふ。共に良器なり。

                              行圓

    「夫木」 山伏の腰に付たるほらの貝ふくるをまゝの秋のよの月

[やぶちゃん注:行円の引用歌は全く同一。

・「波囉(ハウロウ)」は、“bō luó”という中国音を示しているので、カタカナ表記のままとした。意味は不明であるが、擬音語(オノマトペイア)であろう。

・「笳」は篳篥(ひちりき)で、雅楽の管楽器の一つ。奈良初期に、中国から伝来した縦笛の一種。「和漢三才圖會」巻十八「觱篥(ひちりき)」の項に、同義語として「笳管」(かかん)を掲げている。「笳」は、本来は、中国の異民族である胡人の「葦笛」を指す字である。

・「千手經」』は、観世音菩薩の慈悲心を称える「陀羅尼経」で、漢訳本としては、唐の伽梵逹磨(がぼんだるま)のものが著名である。

・「𧈭蛇」この「𧈭」は、「蝮」(まむし)を意味する。両字で広義の毒蛇を指していよう。]


***

あふむかひ[やぶちゃん注:ママ。]

鸚鵡螺

イン ウヽ ロウ

 

本綱鸚鵡螺形如鸚鵡頭其質白而紫也肉常離殻出食

出則寄居蟲入居還則蟲出也肉爲魚所食則殼浮出人

因取之作杯

△按鸚鵡螺希有之形色甚美也以爲鉤花生佳

 

 

あふむがひ[やぶちゃん注:ママ。]

鸚鵡螺

イン ウヽ ロウ

 

「本綱」に、『鸚鵡螺は、形、鸚鵡の頭〔(かしら)〕のごとし。其の質〔(きぢ):下地。〕、白くして紫なり。肉、常に、殻を離れ、出でて、食ふ。出づるときは、則ち、寄居蟲(がうな)、入り居(を)り、還るときは、則ち、蟲、出づ。肉、魚の爲に食(くら)はる。殼、浮き出づ。人、因りて、之れを取り、杯(さかづき)に作る。』と。

△按ずるに、鸚鵡螺は、希に、之れ、有り。形・色、甚だ、美(うつく)し。以つて、鉤花生(つりいけ)と爲〔(す)〕るに、佳し。

[やぶちゃん注:「鸚鵡」の正しい歴史的仮名遣は「あうむ」である。図は拙劣で、実物と大きく隔たるが、現在の「生きた化石」の一つである軟体動物門頭足綱オウムガイ目オウムガイ Nautilus sp. と見てよいであろう。時珍の肉と、寄居蟲の描写は、勿論、誤りではあるものの、死殻ではなく、生態を見たか、若しくは、正しい生態を伝え聞いたかしたものと思われ、多くの触手腕や、帽子状の、その基部、特有の眼球等を、寄居蟲と見た(と思われる)のは、頗る、言い得て妙である。フィリピン・フィジー・パラオ及びパプア・ニューギニア等の南西太平洋からインド洋にかけてのサンゴ礁が発達する熱帯域の水深百五十~三百メートルの範囲に棲息し(深い深海に棲息するという誤ったイメージが広がっているが、誤り。実際には、この殻構造物は、八百メートルを越えると、水圧で潰れてしまう)、日本近海には産しないが、記述通り、死んで殻だけになった際、構造上の浮力のために海上に浮かび上がり、海流に乗って日本の沿岸にも漂着する。私はこのオウムガイのフォルムが大のお気に入りだ。コナン・ドイルの「海底二万哩」は原作も好きだし、映画化されたディズニーの、まさにノーチラス号のあのフォルムも、シビレる!

・「鸚鵡」は、オウム目 Psittaciformes の、オウム科 Cacatuidae に属する鳥の総称である。オウム目の学名の綴りが全く異なるのは、同目がインコ科 Psittacidae とともにオウム目を構成するからである。]

***

■和漢三才圖會   介貝類 四十七   ○十八

ほや

老海鼠  【和名保夜】

 

△按老海鼠【和名抄入魚類以爲海鼠之老者乎】松前津輕海洋中有之引

 網取之形圑大者六七寸周八九寸殼淡赤全躰肬多

 有而如海鼠之肬頭尾等難辨有少裂口從口縱破取

 肉其肉亦淡赤色【甘鹹寒】香似海鼠之氣而有透頂香氣

 味以熬酒食或爲醬送于他邦

[やぶちゃん注:「鼠」の字は、中途半端なもので、項目名での字体は「グリフウィキ」のこれで、それ以外の本文のそれは、上部は「鼠」に等しく、下部は「鼡」の下部の接合された極めて変なものである。しかも私は、この「鼠」の異体変体字が生理的に嫌いなので、特異的に正字とした。]

 

 

ほや 

老海鼠  【和名、「保夜」。】

 

△按ずるに、老海鼠【「和名抄」は魚類に入る。以つて、海鼠〔(なまこ)〕の老いたる者と爲すか。】、松前津輕の海の洋中〔(なだうち)〕に、之れ、有り。網を引きて、之れを取る。形ち、圑〔(まる)〕く、大なる者は、六、七寸、周〔(めぐ)〕り八、九寸。殼、淡赤、全躰〔(ぜんたい)〕に、肬(いぼ)、多く、有りて、海鼠(なまこ)の肬(いぼ)のごとし。頭尾、等しく、辨じ難し。少し、裂けたる口、有り。口より、縱(たつ)に破り、其の肉を取る。亦、淡赤色【甘鹹、寒。】。香、海鼠の氣(かざ)に似たり。而して、「透頂香(とうちんかう)」〔=外郎(ういらう)〕の氣味、有り。熬〔(い)〕り酒を以つて、食ふ。或いは醬(ひしほ)〔:塩辛〕と爲し、他邦に送る。

[やぶちゃん注:脊索動物門尾索動物亜門海鞘綱(=ホヤ綱)壁性目(=側性ホヤ目)褶鰓(しゅうさい)亜目ピウラ科(マボヤ科)マボヤ

Halocynthia roretzi 、もしくは、アカボヤ Halocynthia Aurantium であろう(疣様突起の記述からは前者である可能性が高い)が、叙述中の「頭尾、等しく、辨じ難し」というのは、やや不審な叙述である。ホヤは無脊椎動物と脊椎動物の狭間にいる、分類学的には極めて高等な生物である。オタマジャクシ型の幼生時に、背部に脊索(脊椎の原型)がある。おまけに、目もあれば、口もあり、オタマジャクシよろしく、尾部を振って元気に泳いでいる。しかし、口器部分は吸盤となっていて、その内に岩礁にそれで吸着し、尾部組織は、全て、頭部に吸収され、口器部分からは擬根が生じ、全くの見かけは、植物のように、変身してしまう。ホヤは、また、生物体では、珍しく、極めて高濃度のバナジウムを血球中に濃縮している。バナジウムは、糖尿病に効果があると言うが、ホヤ命の糖尿君の僕にも効くかな? 因みに、私は海産生物中で、最も偏愛しているのが、「マボヤ」を始めとしたホヤ類である。されば、私のマボヤ記載は枚挙に遑がないほどあるが、お薦めは、「博物学古記録翻刻訳注 ■13 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる老海鼠(ほや)の記載」と、『毛利梅園「梅園介譜」 老海鼠』(最も好きな博物画の一つ)、そして、結構、クるものがある、鮮烈な「武蔵石寿「目八譜」の『「東開婦人ホヤ粘着ノモノ」――真正の学術画像が頗るポルノグラフィとなる語(こと)――』であろう。いざ! 見られい!

・「和名抄」の当該部は、先に示した国立国会図書館デジタルコレクションのここで視認出来る。私の好きな「海鼠」(ナマコ)と並んでいるので、一緒に翻刻しておく。漢字の一部は正字化し、一部の送り仮名を推定で歴史的仮名遣で施した。

   *

海-鼠(こ) 崔禹錫が「食經」に云はく、『海鼠【和名は、「古本朝式」に「𤎅」の字を加へて、「伊里古(いりこ)」と云ふ。】蛭(ひる)に似て、大なる者なり。

老海鼠(ほや) 「漢語抄」に云はく、『老海鼠【保夜、俗に、此の「保夜」の二字を用ゆ。】。』と。

   *

・「熬り酒」とは、調味料の一種。一説に、酒・梅干・鰹節・味醂少々加えて煮詰めるといも言い、文化文政期の調合法として「酒二盃・醤油半盃・大梅五つ・鰹節沢山」ともある。醤油にとって代わられるまではかなりポピュラーな調味料であったらしい。

・「透頂香」の成分は麝香・桂皮・丁香・甘草・樟脳・朝鮮人参・連砂・薄荷・阿仙(ある種の木の幹の煮汁)・縮砂(ショウガ科のシュクシャ Hedychium coronarium の種子の塊)で龍角散に似た味がする、一種の気付け薬である。但し、私はこの良く見かけるホヤの匂い・味を比喩した表現には、全く賛同できない(私はナマコとも似ていないと感じる)。ホヤはそんな薬臭いものではない(寧ろ、食後に残る微かな金属臭を、僕は、ずっと感じ続けてきた。それがバナジウムの味だったのかなぁ?)。この表現を選んだ最初の人間は、きっと半腐りのホヤを食ったか、非文学的な輩だったに違いない。]

***

きさご

幾左古  正字未詳

《改ページ》 

△按幾左古狀似蝸牛而厚堅有彩文殼中有蟲如寄居

 蟲伊勢尾張及東海諸濵多土人去蟲洗淨以爲翫具

 

 

きさご

幾左古  正字、未だ詳らかならず。

△按ずるに、幾左古、狀〔(かたち)〕、蝸牛(かたつむり)に似るも、厚く、堅く、彩文、有り。殼の中に、蟲、有り、寄居蟲(がうな)のごとし。伊勢・尾張、及び、東海の諸濵に、多し。土人、蟲を去り、洗淨して、以て翫具〔=玩具〕と爲す。

[やぶちゃん注:腹足綱前鰓亜綱古腹足目ニシキウズ超科ニシキウズガイ科サラサキサゴ亜科キサゴ Umbonium sp. 。ダンベイキサゴ Umbonium giganteum 、イボキサゴUmbonium moniliferum 、キサゴ Umbonium costatum の三種の孰れかであろうが、イボキサゴは、色彩変異が多く、玩具とするという点から、イボキサゴの可能性が高いか。

・「寄居蟲(がうな)」はヤドカリで、そのものであって、「ごとし」ではない。この叙述は一見、キサゴの生体をヤドカリと認識しているように読めるが、後掲の「寄居蟲」の項を参照して頂ければ分かるように、良安は、ヤドカリを、比較的、正しく認識していたと考えてよい。ただ、彼はキサゴの生貝を、実は実見していなかったのかも知れない。

***

 やくかひ

やくのまたらかひ

錦貝

キン ホイ

 

 【和名夜久

  乃斑貝

 【俗云夜古加比

   屋久訛也

[やぶちゃん字注:以上四行は前四行の下に入る。]

 

和名抄云錦貝俗說西海有夜久島彼島所出也

△按錦貝狀類大榮螺而無角大六七寸黃黑色或有斑

 肉爲鱁鮧送他邦其殼工人琢磨彫作物象以爲小刀

 𣠽〔→欛:音「ハ」。「刀剣の柄」の意。〕匙柄等其光耀鮮于鰒貝也本艸所謂老鈿螺光彩

 可飾鏡背者是乎

 如今琉球國多出錦貝而未聞出於屋玖島蓋屋玖者

 薩摩之南海中島與琉球不甚遠也疑古者彼島人携

 來此貝故以爲屋久貝乎近頃不多來

《改ページ》

 

 

やくがひ

やくのまだらがひ

錦貝

キン ホイ

 

【和名、「夜久乃斑貝」。】

【俗に云ふ、「夜古加比」は、屋久(やく)の訛りなり。】

 

「和名抄」に云く、『錦貝、俗說、「西海に夜久の島、有り。彼の島より出〔(いづ)〕る所なり。』と。

△按ずるに、錦貝、狀、大なる榮螺(さゞひ[やぶちゃん字注:ママ。])に類して、角(〔つ〕の)、無く、大きさ六、七寸、黃黑色、或いは、斑〔(まだら)〕、有り。肉、鱁-鮧(しほから)に爲〔(な)〕して、他邦に送る。其の殼、工人、琢磨して、物の象(かたち)を彫り作り、以つて、小刀の欛(つか)・匙の柄等に爲す。其の光-耀(ひかり)、鰒(あはび)貝より、鮮(あざや)かなり。「本艸」〔=「本草綱目」〕に謂ふ所の『老鈿螺〔(らうでんら)〕、光彩、鏡背を飾るべし。』とは、是れか。

如今〔(ぢよこん)〕、琉球國、錦貝を、多く、出〔(いだ)〕す。而れども、屋玖島より出ること、未だ、聞かず。蓋し、「屋玖」は、薩摩の南海中の島、琉球と、甚だ遠からざるなり。疑ふらくは、古(いにしへ)は、彼〔(か)〕の島人、此の貝を携(たづさ)へ來〔た〕る故を以つて、「屋久貝」と爲すか。近頃は、多く來らず。

[やぶちゃん注:現在、「ニシキガイ」というと、斧足綱翼形亜綱イタヤガイ目イタヤガイ上科イタヤガイ科カミオニシキ亜科カミオニシキ属ニシキガイ Chlamys squamata を指すが、勿論、これではない。腹足綱前鰓亜綱古腹足目サザエ科ヤコウガイ Turbo marmoratus である。ヤクガイの名称の考察については、以下の「奄美諸島/史の憂鬱 沖縄タイムス唐獅子③ ヤクガイ」が詳しい。ここでは、屋久島の縄文期以降の貝塚遺跡からヤコウガイがほとんど出土しない点や、古くは『屋久(やく)』という語が、琉球弧全体の呼称として使われていたという考察がなされているが、まさに良安の記述の先見性、驚くべし!

「和名抄」は 正しくは「和(倭)名類聚抄(鈔)」で、源順撰になる事物の和名字書。国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年の版本のこちらで視認し、訓読した(一部を推定で歴史的仮名遣で読みを追加してある)。

   *

錦貝(やくのたからかひ)  「辨色立成」に云はく、『錦貝【夜久乃斑貝、今、按ずるに、本文、未だ、詳かならず。但し、俗說に、「西海に、夜久島、有り。彼(か)の島より出づる所なり。」と。】。』と。

   *

■和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○十九

すがひ

郞君子

ラン キユン ツウ

 

 相思子【本艸】

 小嬴子【和名抄】

 玉蓋【小螺子之盖】

 【和名之太々美

  俗云醋貝】

[やぶちゃん字注:以上五行は前三行下に入る。]

 

本綱【李珣云】郞君子生南海有雌雄狀似李仁青碧色欲

騐眞仮口内含熱放醋中雌雄相逐逡巡便合卽下卵如

粟狀者眞也亦難得之物時珍云相思子狀如螺中實如

石大如豆藏篋笥積歳不壊若置醋中卽盤旋不已此卽

郞君子也婦人難產手把之便生極騐

和名抄云小螺子【和名之太々美】似甲嬴而細小口有白玉之盖

[やぶちゃん字注:「々」は原本では「ケ」の三画目を真っすぐおろした奇体な記号。後も同じ処理をした。]

者也玉盖【和名之太々美乃不太】

△按小螺子狀類榮螺而極小灰白色有小厴如豆而扁

 碧白色名玉盖海人去殻取厴販之入磁噐浸醋卽盤

 旋不已似相逐之貌兒女以爲戯京洛及山人不知螺

《改ページ》

 之盖或以爲有雌雄加之謂生卵者皆憶見焉此貝紀

 州海中多有之毎二月廿二日攝州天王寺聖靈會有

 舞樂飾以大造花其花葩粘小螺子殻寺役人至住吉

 濱拾取之二月十八日暴風吹後必有之稱之貝寄風

 亦一竒也

 

 

すがひ

郞君子

ラン キユン ツウ

 

 相思子【「本艸」〔=「本草綱目」〕。】

 小嬴子(したゞみ)【「和名抄」。】

 玉蓋【小螺子の盖〔(ふた)=蓋〕。】

 【和名、「之太々美」。俗に「醋貝(すがひ)」と云ふ。

 

「本綱」に、『李珣〔(りじゆん)〕云ふ、「郞君子は、南海に生ず。雌雄、有り。狀〔(かたち)〕、李仁[やぶちゃん注:すももの種。又は「杏仁」の誤植か。]に似て、靑碧色、眞仮〔:本種か別種かの区別。〕を騐〔=驗(こころ)〕みんと欲さば、口の内にて、含〔(ふく)みて〕熱し、醋〔(す)〕の中に放ち〔→てば〕、雌雄、相〔(あひ)〕逐ふ。逡巡と〔→しつつも〕、便〔(すなは)〕ち、合し、卽ち、粟の狀のごとき卵を下す者は、眞なり。亦、得難き物なり。』と。時珍が云ふ。『相思子、狀、螺のごとく、中實にして、石のごとし。大きさ、豆のごとく、篋笥〔(けふし)〕に藏(をさ)めて、歳を積んで、壊れず。若し、醋の中に置く時は[やぶちゃん注:「時」は送りがなにある。]、卽ち、盤-旋(めぐり)て、已(や)まず。此れ、卽ち、郞君子なり。婦人の難產に、手に、之れを把(と)れば、便ち、生ず。極めて騐〔=驗(しるし)〕あり。』と。「和名抄」に云ふ、『小螺子。【和名、之太々美。】甲-嬴(つび)に似て、細小。口に、白玉の盖(ふた)、有る者なり。玉盖〔(たまのふた)〕。【和名、「之太々美乃不太」。】』と。

△按ずるに、小螺子は、狀、榮螺(さゞゑ)に類して、極めて小さく、灰白色。小厴(せうへた)、有り。豆のごとくして、扁たく、碧(あを)く、白色。「玉盖」と名づく。海人、殻を去りて、厴(へた)を取り、之れを販〔(ひさ)〕ぐ。磁-噐〔=器〕(やきもの)に入れて、醋〔(す)〕に浸せば、卽ち、盤旋して、已まず。相〔(あひ)〕逐ふの貌〔(かたち)〕に似たり。兒女、以つて、戲〔(たはむれ)〕と爲す。京洛、及び、山人は、螺〔(にな)〕の盖(ふた)なることを知らず、或いは、以つて、「雌雄、有り。」と爲し、加-之(しかのみならず)、「卵を生む。」と謂ふは、皆、憶見〔=憶測〕なり。此の貝、紀州の海中に、多く、之れ、有り。毎二月廿二日、攝州〔=摂津〕天王寺聖靈會(しやうらい〔ゑ〕)に、舞樂、有り、飾るに、大なる造り花を以つてす。其の花-葩(つくりばな)に、小螺子の殻、粘(つ)く。寺の役人、住吉の濱に至りて、之れを、拾ひ取る。二月十八日、暴-風(はやて)、吹きて後〔(の)〕ち、必ず、之れ、有り。之れを「貝寄(〔かひ〕よせ)の風」と稱す。亦、一竒なり。

[やぶちゃん注:俗名とする「スガイ」という和名は、現在、前鰓亜綱古腹足目サザエ科(リュウテンサザエ科)リュウテン亜科 Lunella 属スガイ Lunella correensis (「酢貝」) に与えられている。叙述にあるように、本種の蓋(厳密には褐色のクチクラ層の部分が真の蓋で、盛り上がった石灰質の部分は炭酸カルシウムが二次的に沈着したもの)の外側(半球側)を下にして皿等に入れた酢の中に置くと、酸で炭酸カルシウムが溶解して二酸化炭素が発生、旋回する。これに就いては、私の『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 郎君子(スガイ) / スガイの石灰質の蓋とそれを酢に投入した際の二個体の発泡図!!!』を、まずは見られるに若くはない。「そもそも酢貝なんて知らんぞ!」と言う方は、同じく、『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 相思螺・郎君子・酢貝(スガイ)・ガンガラ / スガイ及びその蓋』の絵を見られたい。実物の写真を見たければ、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の当該種のぺージがよい。二十代の頃、半可通のまま、この現象を起こすのは、サザエの蓋と勘違いしていて、行きつけの親しかった寿司屋の兄貴に「動く!」と吹っかけ、「んじゃ、やってみなよ。」と言われ、目の前に酢入りの皿と、サザエの蓋を出されて、二十分経っても、動かず、兄貴の失笑を買ったのが、懐かしく思い出される。

・「婦人の難產に、手に、之れを把るは、便ち、生ず」(最後は「即座に安産する」の意)とは、先行するタカラガイの民俗(該当項参照)と一致するが、これは直前の「雌雄、相逐ふ。逡巡と、便ち、合し、卽ち、粟の狀のごとき卵を下す」という現象からの類感的信仰からくるのであろうか。識者の助言を求む。

「和名抄」は 正しくは「和(倭)名類聚抄(鈔)」で、源順撰になる事物の和名字書。国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年の版本のこちらで視認し、訓読した(一部を推定で歴史的仮名遣で読みを追加してある)。良安の引用は漢字に異同がある。これは恐らく良安の拠った本の不全と思われる。

   *

小蠃子(したゞみ) 崔禹錫が「食經」に云はく、『小蠃子は【「楊氏漢語抄」に云はく、『細螺之太々美(ほそきらのしただみ)』。】、貌(ばう)、甲蠃(つび)に似て、細く、小口。白玉(しらたま)の盖(ふた)有る者なり。』と。

   *

・「李珣」は海産の漢方薬を詳述した「海薬本草」という本を著わした唐の学者。

・「篋笥」は、竹製の小箱、又は、長持・簞笥(たんす)の類。

・「天王寺聖靈會」は大阪四天王寺の聖霊会(しょうりょうえ)を指す。この寺は推古帝元(五九三)年に聖徳太子が建立したとされる日本最初の官寺である。江戸中期の神沢杜口(かんざわとこう)の随筆「翁草」(おきなぐさ)に以下のように記す。国立国会図書館デジタルコレクションの「翁草」校訂十二(神沢貞幹編・池辺義象校・明治三八(一三〇四)年五車楼書店刊)の当該部を視認した。標題は「貝寄風」。読点と記号を打った。

   *

攝州大坂、二月十五日、六日頃より、二十日頃迄、南風荒く吹くを、鄕俗、「貝寄」と云。此時、必らず、堺、七度濱へ、郞君子(スガイ[やぶちゃん注:ママ。])、數百萬、打寄るの故の稱なり。是を拾ひて、天王寺に贈る。寺僧、兼て、籠を作り置、紙にて張り、幡[やぶちゃん注:「はた」。]の足の如く、紙を、多く下げ、粘して[やぶちゃん注:貼り付けて。]、彼寄貝[やぶちゃん注:「かのよせがひ」。]を、ひしと、つけ、長き竿に飾り、二十二日、舞樂の時、石の舞臺の四隅に立る、これ、古へよりの例となん。

  *

なお、同所では、このスガイは、龍神から聖徳太子への捧げものと信じられていたという。

 最後に、ここで挙げられている「シタダミ」という呼称は、現在の標準和名異名で「シタダミ」と呼ばれる、若しくは、それを名前の一部に持つ種よりも――腹足綱前鰓亜綱古腹足目ニシキウズガイ上科バテイラ科(クボガイ科)コシダカガンガラ属 Omphalius に属するオオコシダカガンガラやコシダカガンガラ、また、バテイラ科クボガイ属 Chlorostoma のクボガイやヘソアキクボガイ等の、小型巻貝の総称と認識した方が、よいように思われる。「甲嬴(つび)」(=ツブ)も同様で、現在でもこれは、一般に食用とする腹足類(巻貝)の流通での通称として知られる。]

***

[やぶちゃん注:二種を示してあるため、本図(上図)に限って、大き目に示した。上図に「陽遂足」の「表」「裏」、下図に「海燕」の「表」「裏」のキャプション記載がある。]

もちかひ

海燕

ハアイ ヱン

 

 海燕

 【俗云餠貝】

 【又云海星】

 陽遂足(たこのまくら)

 【俗云鮹枕】

[やぶちゃん字注:以上五行は前三行下に入る。]

 

本綱海燕出東海大一寸狀扁面圖背上青黑腹下白脆

似海螵蛸有紋如蕈菌口在腹下食細沙口旁有五路正

勾卽其足也

陽遂足 本綱生海中色青黑腹白有五足不知頭尾生

 時躰耎死則乾脆【時珍以陽遂足出於海燕之下卽以一物】

《改ページ》

 

■和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○二十

 

△按海燕陽遂足二種時珍以爲一物混註之者非也

海燕 圓薄扁如馬錢子而大一二寸灰白色有桔梗花

 文其裏正中有一小孔卽是爲口其旁有五路正勾文

 而似彫成幐之具山人見之疑貝石蕈菓器之閒

陽遂足 一身五足如雞冠木葉形而灰白色有細刻文

 大一寸不知頭尾口眼交於雜肴魚中出魚市俗呼曰

 章魚枕【名義未詳】

 

 

もちかひ

海燕

ハアイ ヱン

 

 海燕

 【俗に「餠貝〔(もちがひ)〕」と云ふ。

  又、「海星〔うみぼし〕」と云ふ。】

 陽遂足(たこのまくら)

 【俗に「鮹枕〔(たこのまくら)〕」と云ふ。】

 

「本綱」に、『海燕、東海に出づ。大きさ一寸。狀〔(かたち)〕、扁〔(へん)〕して、面〔(おもて)〕、圓〔(まる)〕く、背の上、青黑。腹の下、白く、脆し。「海-螵-蛸(いかのかう)」に似たり。紋、有り、蕈-菌(くさびら:茸。)のごとし。口、腹の下に在りて、細-沙(こますな)を食ふ。口の旁〔(かたはら)〕に、五路正勾〔(ごろせいこう)〕、有り。卽ち、其の足なり。』と。

陽遂足〔(たこのまくら)〕 「本綱」に、『海中に生ず。色、靑黑。腹、白。五つの足、有り、頭尾を知らず。生〔(いき)〕たる時は、躰〔(からだ)〕、耎〔(せん/ぜん)=柔〕にして、死すれば、則ち、乾き、脆〔(もろ)〕し。』と【時珍は、「陽遂足」を以つて、「海燕」の下に出〔(いだ)〕して、卽ち、一物と以つてす。】。

△按ずるに、「海燕」と、「陽遂足」と、二種なり。時珍は、以つて、一物と爲して、混じて、之れを註するは、非なり。

海燕は、圓く、薄く、扁〔(ひらた)〕く、馬-錢-子(まちん〔し〕)のごとくして、大きさ、一、二寸、灰白色、桔梗〔の〕花〔の〕文、有り。其の裏の正中に、一の小孔、有り。卽ち、是れ、口なり。其の旁〔(かたはら)〕に、五路〔(ごろ)の〕正勾文〔(せいこうもん)〕[やぶちゃん注:五放射の、真っすぐな、鈎(かぎ)型の形を成した(これを私は微細な管足(かんそく)を指していると読む)紋。]有りて、彫り成せる幐(きんちやく)の具に似たり。山人、之れを見て、「貝石」、「蕈(くさびら)」、「菓-噐(くだもの〔の〕うつはもの)」の閒〔(かん)〕を疑ふ。[やぶちゃん注:「山家(やまが)のこれを見知らぬ者は、見て、『貝の化石か? 茸(きのこ)か? 果物を盛る器(うつわ)か?』といったものを想起しては、まるで判らぬのである。」の意。]

陽遂足は、一身・五足、雞-冠(かへで)・木の葉の形のごとくにして、灰白色、細《き》刻文、有り。大きさ一寸。頭尾・口・眼〔まなこ〕を知らず。雜-肴-魚(ざこ)の中に交りて、魚市〔(うをいち)〕に出づ。俗に呼びて、『章魚(たこ)の枕』と曰ふ【名義、未だ、詳かならず。】。

[やぶちゃん注:ここで挙げられた棘皮動物の和名は、甚だ、混乱を呈している。「陽遂足」は、現在、クモヒトデ綱 Ophiuroidea の中国名であり、「海燕」は、広くヒトデ類を指す。愛読書である磯野直秀先生の「タコノマクラ考:ウニやヒトデの古名」によれば、「本草綱目」の「海燕」記述が曖昧なために、和名との齟齬が生じたとする。「海燕」という語がしっくりくるのは、どうみても、ツバメの形態を感じさせるヒトデ類(頭部、及び、二つの主翼、二叉に見える尾翼)である。しかし、考えて見ると、形状の大きく異なる棘皮動物門 Echinozoa の、ウニ綱 Echinoidea のカシパン類(「海燕」)と、同門のヒトデ類(「陽遂足」)を「一物と爲した」時珍は、棘皮動物としての同族性を、鋭く、見抜いていたのである。良安が「二種」と言ったのは、一見、現代の分類学の種レベルでは正しく見えても、全く別個の、縁のない生物というニュアンスの発言に於いて、実は時珍よりも、旧博物学の癌であった、見た目の形態分類学的視点に捉われてしまった誤りと言えるのではなかろうか? さて、同論考では、続けて『江戸時代の「タコノマクラ」はヒトデを指すことが多かった』ともある。そこで、ここでは、とりあえず掲載された図と良安の叙述に基づいて、「海燕」を有ランタン上目タコノマクラ目タコノマクラ亜目 Clypeasterina 若しくは、カシパン亜目 Laganina とし(ひらべったい印象と叙述からは後者である可能性が高い。磯野氏も、同論考では、カシパンに同定しておられる)、「陽遂足」を現在のヒトデ綱 Asteroidea としておく。

・「馬錢子」は常緑高木樹のマチンStrychnos nux-vomica である。種子にアルカロイドのストリキニーネを含む有毒植物・薬用植物で、種小名「ヌックス・フォミカ」から「ホミカ」とも言う。冬に白い花を付け、直径六6~十三センチメートルの橙色の果実をつける。その種子は二~三センチメートルの、中央が凹んだ円盤状をしている。

・「彫り成せる幐(きんちやく)の具に似たり。」は、「巧妙に、人が巾着を絞った口の部分を、その半面に彫刻したかのような感じである。」という意味であろう。

・「雞冠」はムクロジ目カエデ科カエデ属Acer の総称であるが、一般的な我々のイメージするものは、イロハカエデ Acer palmatum である。

***

うに

 のね

靈螺子

[やぶちゃん注:中国語音の表記無し。]

   棘甲螺

   海膽 石榼

   海栗【和俗】

   【和名宇仁

   奥州人呼

   名乃禰

[やぶちゃん字注:以上六行は前三行下に入る。]

 

和名抄云靈蠃子【一名棘甲蠃】

貌似橘而圓其甲紫色生芒角【和名宇仁乃介】者也

閩書南産志云海膽殻圓如盂外密結刺肉有青黃色土

《改ページ》

人以爲醬 石榼形圓色紫有刺人觸之則刺動揺

△按以上所說者共一種也西海大村五島平戸及島津

 之産最佳北海越前福居〔→井〕及奥州岩城之産亦良其狀

 圓似生栗而有※1〔→芒〕刺紫黑色故俗呼曰海栗去※2〔→芒〕殻内

 有白肉不堪食有少膓𡥅取和盬作醬味【甘鹹微澀〔→澁〕】美其色

 黃赤者爲上品黃白者次之有香不腥

[やぶちゃん字注:※1=(くさかんむり)+(「区」から第一画除去)-「メ」+「ヌ」)。※2=(くさかんむり)+(「区」から第一画除去)]

 

 

うに

 のね

靈螺子

   棘甲螺

   海膽。石〔(せきかふ)〕。

   海栗【和俗。】

   【和名は「宇仁」。】

  【奥州の人、呼びて、「乃禰〔(のね)〕」と名づく。】

 

「和名抄」には云く、『靈蠃子〔(れいらし)〕【一名、棘甲臝〔(きよくかふら)〕。】。貌〔(かたち)〕、に似て、圓〔(まる)く〕、其〔の〕甲(から)、紫色。芒角〔(ばうかく)〕を生ずる【和名、「宇仁乃介〔(うにのかひ)〕」。】者なり。』と。

「閩〔(びん)〕書南産志」に云はく、『海膽は、殻、圓くして、盂〔(う)=鉢〕のごとし。外、密にして、刺(はり)を結〔ぶ〕。肉、青黃色、有り。土人、以つて、醬(〔ひ〕し〔ほ〕もの)と爲す。 石榼〔(せきこう)〕、形、圓く、色、紫、刺、有り。人、之れに觸〔る〕れば、則ち、刺(はり)、動搖す。』と。

△按ずるに、以上の所說は、共に、一種なり。西海〔=九州〕の大村・平戸、及び、島津の産、最も佳なり。北海の越前福井、及び、奥州の岩城(〔いは〕き)の産、亦、良し。其の狀〔(かたち)〕、圓く、生-栗(くり)に似て、芒-刺(いが)、有り。紫黑色なり。故に、俗に呼んで、「海栗〔(うみぐり)〕」と曰ふ。芒殻〔(ばうかく)〕を去り、内、白き肉、有り。食ふに堪へず。少し、腸(わた)有り。𡥅(せせ)り取りて、盬を和して、醬(なしもの)に作〔な〕す。味、【甘、鹹、微澁。】美〔(よ)〕し。其の色、黃赤の者、上品と爲す。黃白なる者、之れに次ぐ。香、有り、腥〔(なまぐさ)〕からず。]

[やぶちゃん注:棘皮動物門ウニ綱 Echinoidea 。後半、良安が述べている雲丹の原料として詳述している種は、色と形状から、ムラサキウニ Anthocidaris crassispina と同定してよいであろう。現在、最も美味とされるエキヌス目オオバフンウニ科バフンウニ Hemicentrotus puicherrimus の記載が見られないのは不審。「閩書南産志」に引く「海膽」がバフンウニの仲間を、「石榼」がムラサキウニ、或いは、棘の動かし方から、ガンガゼ Diadema sp. と思いたくなるのは、無脊椎動物好きの私の欲目か。

・「榼」は、「酒樽・水桶」を意味する漢字。

・「和名抄」国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年の版本のこちらで視認し、訓読した(一部を推定で歴史的仮名遣で読みを追加してある)。

   *

靈蠃子 「本草」に云はく、『靈蠃子【「漢語抄」に云はく【「𣗥甲蠃」は「宇仁(うに)」。】、貌(かたち)、橘(たちばな)に似て、圓(まど)かなり。甲、紫色にして、芒角(ばうかく)を生ずる者なり。』と。

   *

・「橘」は、ミカン科ミカン属タチバナCitrus tachibana 。直径三センチメートル程の果実をつける。

・「閩書南産志」は、閩(福州・泉州・厦門等の現在の福建省辺りを指す)の地誌である、明の何喬遠(かきょうえん)撰の「閩書」の中の二巻。]

***

かめのて

石蜐

 

 紫𧉧  紫虈

 龜脚

 【加女乃天】

[やぶちゃん字注:以上三行は前二行下に入る。中国語音の表記無し。]

 

本綱石蜐生東南海中石上𧉻〔→蚌〕蛤之屬形如龜脚亦有爪

狀殻如※〔→蟹〕螯其色紫可食有長八九寸者得春雨則應節

而生花[やぶちゃん字注:※=(上)「觧」+下「虫」。]

《改ページ》

 

 

かめのて

石蜐

 

𧉧[やぶちゃん字注:「𧉧」の字音はネット上では、現代仮名遣で「キョウ」とするが、東洋文庫版現代語訳では、この熟語に『しきよ』と現代仮名遣の拗音なしのルビが振られている。「しきょ」ととってよい。]

紫虈[やぶちゃん字注:「虈」の字音ネット上では、現代仮名遣で「キョウ」とする。東洋文庫版現代語訳では『しきよう』と現代仮名遣の拗音なしのルビが振られている。「しきょう」でよかろう。]

【加女乃天。】

 

「本綱」に、『石蜐〔(せきこふ/せきけふ)〕、東南海中に生ず。石上の蚌蛤の屬。形、龜脚のごとく、亦、爪、有り。狀〔(かたち)〕、殻、蟹の螯(はさみ)のごとし。其の色、紫にて、食ふべし。長さ八、九寸の者、有り。春雨を得れば、則ち、節〔(せつ)〕に應じて、花を生ず。』と。

[やぶちゃん注:節足動物門甲殻類の蔓脚類に属するフジツボ目ミョウガガイ科カメノテ Pollicipes mitella 。私は伊豆下田で、数度、食した。旨い。カメノテ食を伝え聞いていたイタリアのナポリと、佐渡島で探してみたが、残念ながら、お目にかかれて居ない(但し、本当にお勧めなのは、函館で食した大型の同じ蔓脚類のフジツボ類である)。

・「蚌蛤の屬」というのは、誤り。

・「春雨を得れば、則ち、節に應じて、花を生ず。」春雨の時期に応じて花を生ずるというのは、不審。満潮に応じて蔓脚を出す捕食行動か、放精放卵行動を誤認したものであろう。]

***

■和漢三才圖會   介貝類 四十七  ○二十一

  かみな

  がうな

寄居蟲

 

 寄生蟲 𧶺

 【和名 加美奈】

  【俗用蟹蜷

   二字】

[やぶちゃん字注:以上四行は前三行下に入る。中国語音の表記無し。]

 

本綱𭔃〔=寄〕居蟲海邊有之在螺殼閒非螺也候螺蛤開即自

出食螺蛤欲合已還殼中在龜殼中者名曰蝞

南海有一種似蜘蛛入螺殻中負殻而走觸之卽縮如螺

火炙乃出一名𧶺

△按寄居蟲卽寓生文蛤鳥蛤鸚鵡貝海鏡蛤等殼閒形

 似小蟹而白色小於碁石身柔軟蓋與𭔃〔=寄〕生木相類

𧶺 参州遠州處處溪閒山川有之狀似蜘蛛紫身黃膓

 殼似蜷殻灰黑色負殻而走觸之卽縮如螺其前二足

 有螯而似蟹火炙之乃出取之爲鹽漬味香脆美其身

 似蟹殼似蜷故俗呼名蟹蜷【畧曰如〔→加〕美奈仁與美相通】

 

 

 かみな

  がうな

寄居蟲

 

寄生蟲 𧶺〔(てい)〕

【和名、「加美奈」。】

【俗に「蟹蜷」の二字を用ふ。】

 

「本綱」に、『寄居蟲、海邊に、之れ、有り。螺の殼(から)の閒に在りて、螺に非ず。螺蛤の開くを候(うかゞ)ひ、即ち、自〔(みづか)〕ら、出て、食ふ。螺蛤、合〔(あは)〕はんと欲すれば[やぶちゃん注:貝が閉じようとすると。]、已に、殼の中に還る。龜〔の〕殼の中に在る者を、名づけて、「蝞〔(び)〕」と曰ふ

南海に、一種、有り。蜘蛛に似て、螺殻の中に入り、殻(から)を負ひて走り、之れに觸るれば、卽ち、縮(ちぢ)みて、螺のごとし。火にて炙れば、乃〔(すなは)〕ち、出づ。一名、𧶺。』と。

△按ずるに、寄居蟲は、卽ち、文蛤(はまぐり)・鳥蛤(とりがい[やぶちゃん字注:ママ。])・鸚鵡貝〔(あうむがひ)〕・海鏡〔(うみかがみ)〕・蛤〔(はまぐり)〕等の殼の閒に寓(やど)り、生(しやう)ず。形、小さき蟹に似て、白色、碁石より、小さし。身、柔-軟(やはら)かなり。蓋し、寄生木〔(やどりぎ)〕と相類〔(あひるゐ)〕す。

𧶺は、參州〔=三河〕・遠州〔=遠江〕の處處の溪閒・山川に、之れ、有り。狀〔(かたち)〕、蜘蛛に似、紫身、黃膓。殼、蜷の殻に似、灰黑色。殻を負ひて、走る。之れに觸れば、卽ち、縮み、螺のごとし。其の前の二足に、螯(はさみ)有りて、蟹に似たり。火にて、之れを炙れば、乃〔(すなは)〕ち、出づ。之れを取りて、鹽漬と爲す。味、香〔(かうば)〕しく、脆く、美なり。其の身、蟹に似て、殼、蜷に似たる故に、俗に呼んで、「蟹蜷(かににな)」と名づく【畧して、「加美奈」と曰ふ。「仁」と「美」と、相通ず。】。

[やぶちゃん注:図はまさに節足動物門甲殻類異尾類のヤドカリ上科Paguroidea であるが、叙述の中には、明らかにピンノ類などの短尾下目(カニ類)のカクレガニ科 Pinnotheridae も含んでいるが、後述するように、棲息域にあり得ない大不審がある。

・「海鏡」は、既に項で出ているが、その記載は種に不審があったので、戻って確認されたい。

・「寄生木」は、ビャクダン目ビャクダン科オオバヤドリギ科ミソデンドロン科 Misodendraceae の寄生植物の総称。樹木の幹や枝の中に根を食い込ませた植物で、寄生とは言うものの、葉緑素を持った葉を持っているものが殆んどであるので、半寄生と見做される。

・「參州・遠州の處處の溪閒・山川」という淡水記載は極めて不審。汽水域に棲息するものはいるが、本邦本土の「溪閒・山川」というのは絶対にあり得ない。これは、何らかの淡水産頭足類が軟体部を殼孔から出して蠢くのを誤認しているとしか思われない。

・「龜の殼の中に在る者を、名づけて、「蝞〔(び)〕」と曰ふ」は、これがどのような種を指すのか不明であるが、この「蝞」という漢字、大修館の「廣漢和辭典」で調べてみると、「山海經」辺りに出ており、後の註から、『亀の甲羅の中に寄生する蝦(えび)に似た小虫。人がこれを食べると、顔が、美しく、愛らしくなるという』という意味の記載があった。思わず笑ってしまった。そんなんなら、私も食いたいガニ!

・「之れを取りて、鹽漬と爲す」これも食いたい。似たものに、有明海のスナガニ科シオマネキ属 Uca の♂の肥大した鋏脚を塩漬けにした「がんづけ」があるが、現在では、最早、中国産の材料を用いており、往時の味を味わう術(すべ)は、なく、残念だ。]

***

かひたこ

たこふね

貝鮹[やぶちゃん字注:原本では「鮹」の「魚」は「𩵋」である。以下同じ。]

おとひめかひ

 

 章魚舟

 乙姬貝

[やぶちゃん字注:以上二行は「かひたこ」及び「たこふね」「貝鮹」の下に入る。なお、「姬」の字は「グリフウィキ」のこの異体字である。中国語音の表記無し。]

 

△按貝鮹津輕處處北海有之不時多出或全不出其螺

 大者七八寸小者二三寸黃白或純白形似鸚鵡螺之

 輩畧如秋海棠之葉有文理可愛中有一小章魚出兩

 手於殻肩出兩足於殻後爲櫂竿之象游行故名章魚

[やぶちゃん字注:底本では「殻」は(つくり)が(のぶん)。以下同じ。]

 舩一歳津輕海濵數百成群𭔃〔=寄〕來焉人多捕之而恠無

 食之者試煑之食犬其犬爲煩悶因知有毒物棄章魚

 取殻以爲珍噐然其殻薄脆不堪用

 

 

かひだこ

たこぶね

貝鮹

おとひめがひ

 

章魚舟(たこぶね)

乙姫貝(おとひめがひ)

 

△按ずるに、貝鮹、津輕の處處の北海に、之れ、有り。不時に〔:時期を定めずに。〕、多く、出づ。或いは、全く出でず。其の螺の大なる者、七、八寸、小なる者、二、三寸。黃白、或いは、純白(ましろ)にして、形、鸚鵡螺〔(あうむがひ)〕の輩に似、畧〔ほぼ〕、秋海棠(しうかいだう)の葉のごとし。文理〔(もんり):紋と肌理(きめ)。〕、有り。愛しつべし。中に、一〔(いつ)〕の小〔(ちい)さ〕き章魚(たこ)有りて、兩手を、殻の肩に出だし、兩足を殻の後に出だし、櫂竿(かひさほ)の象〔(かたち)〕を爲して、游行〔(いうかう)〕す。故に「章魚舩(たこ〔ぶね〕)」と名づく。一歳〔=或年〕、津輕の海濵に、數百、群〔(むれ)〕を成して、寄せ來〔(きた)〕る。人、多く、之れを捕ふるも、恠〔(あや)=怪〕しんで、之れを食ふ者、無し。試みに、之れを煮て、犬に食はしむれば、其の犬、爲〔(ため)〕に、煩悶す。因りて、有毒の物と知り、章魚を棄て、殻を取り、以つて、珍噐〔=器〕と爲す。然〔(しか)れども〕、其の殻、薄く、脆(もろ)く、用〔ふ〕るに、堪へず。

[やぶちゃん注:記載の中の大型で白色とするのは、頭足綱八腕形上目八腕(タコ)目無触毛亜目アオイガイ上科アオイガイ科アオイガイ属アオイガイ Argonauta argo を、小型で黄白色(飴色)とするのは、アオイガイ属タコブネ Argonauta hians 、又は、チヂミタコブネ Argonauta boettgeri を指すと考えてよい。一般に食用としないが、科 : アオイガイ科Argonautidae に毒性があるというのは初耳である(逆に、確認情報ではあるが、青森ではカイダコを食用にしたという話もある。因みに、いいねえ! この学名! 「アルゴ船の船乗り」じゃあないか!)。ただ、ヒトの稀れなウィルソン病( Wilson disease :常染色体劣性遺伝に基づく先天性銅代謝異常症(先天性銅中毒))と類似した銅蓄積症を先天的に持つ犬種の場合、ヘモシアニンを多量に含んだイカ・タコが有毒物となることは、ある、とは聞く。犬猫にイカは禁物であるとよく言われるが、但し、これには決定的な科学的根拠はないようである。しかし、生イカの内臓には、ビタミンBを分解する酵素チアミナーゼが含まれおり、犬猫が、イカの内臓を食べることによって、体内のビタミンBが破壊され、ビタミンB欠乏症となる場合があってもおかしくはない。ビタミンB欠乏と言えば、脚気が有名だが、歩行運動失調を示すウェルニッケ脳症( Wernicke's encephalopathy )等も引き起こすそうだ。さすれば、「猫がイカ食って腰を抜かす」ことも充分、考えられるわけである(以上の一部に就いては、ブログ「はぐれ獣医純情派」『「猫がイカを食ると腰が抜ける」を特捜せよ!』を参考にした)。更に、冒頭の「鰒」(アワビ)の「布久太米」の後注、及び、「鳥蛤」(トリガイ)の後注も参考にされたい、私の愛する亡き二人の娘アリス(ビーグル)に繋がる犬や猫のために。

「秋海棠の葉」の秋海棠は、双子葉植物綱ビワモドキ亜綱スミレ目シュウカイドウ科シュウカイドウ Begonia evansiana 。ベゴニアなどを含む球根性の草本が多いグループで、一千種を越える。葉の形は、例えば、岡山理科大学生物地球学部生物地球学科の「旧植物生態研究室(波田研)」のこのページの葉の写真などを参照されたい。形、似てるわ。