山神オコゼ魚を好むということ 南方熊楠
[やぶちゃん注:底本は1984年平凡社刊「南方熊楠選集 第三巻 南方随筆」を用いた。文末の「山神絵詞」を除いて、底本文中の編者の校注補訂は省略した(一部、私の注の参考とした)。傍点「丶」は下線に代えた。なお文末の「山神絵詞」の翻刻については、底本の本作品最後に〔 〕書きの注で『右の「山神絵詞」の用字、かなづかいは、湯川功四郎氏所蔵の現物により校訂し、読みにくい箇所には、『東京人類学会雑誌』所載の南方の論文の漢字を〔 〕内に付記した。南方が付した疑問のうち未解決のものは、圏点および括弧内注記の形でそのまま残した。』とあるので、底本そのままの形で電子テクスト化してある。但し、濁点付きの複数踊り字(濁点付きの「/\」)は正字とし、「まいらせそろ」のくずし字は誤読を避けるために送り仮名を付して「参らせ候」にした。なお、「山神絵詞」については、「いくち〔兎唇〕もえくぼにみゆる」等の差別表現が見られる。古文とはいえ、そうしたものへの批判精神をしっかり持って読解されることを希望する。【2022年5月16日追記】正規表現の「南方隨筆」版南方熊楠「俗傳」パートの『山神「オコゼ」魚を好むと云ふ事』(オリジナル注附・PDF縦書版)を公開した。]
山神オコゼ魚を好むということ 南方熊楠
滝沢解の『玄同放言』巻三に、国史に見えたる、物部尾輿(おこし)大連、蘇我臣興志(おこし)、尾張宿禰乎己志(おこし)、大神朝臣興志(おこし)、凡連男事志(おこし)等の名、すべてオコシ魚の仮字なり、と言えり。『和漢三才図会』巻四八に、この魚、和名乎古之(おこし)、俗に乎古世(おこぜ)という、と見ゆ。惟うに、古えオコゼを神霊の物とし、資(よ)ってもって子に名づくる風行なわれたるか、今も舟師山神に風を禱るにこれを捧ぐ。紀州西牟婁郡広見川と、東牟婁郡土小屋とはオコゼもて山神を祭り、大利を得し人の譚を伝う。はなはだ相似たれば、その一のみを述べんに、むかし人あり、十津川の奥白谷(おくしらたに)の深林で、材木十万を伐りしも、水乏しくて筏を出すあたわず。よって河下なる土小屋の神社に鳥居(現存)を献じ、生きたるオコゼを捧げ祈りければ、翌朝水おおく出でてその鳥居を浸し、件(くだん)の谷よりここまで、筏陸続して下り、細民生利を得ることこれ多し。その人これを見て大いに歓び、径八寸ある南天の大木に乗り、流れに任せて之(ゆ)く所を知らず、と。
『東京人類学会雑誌』二八八号二二八頁、山中氏が、柳田氏の記を引きたるを見るに、日向の一村には、今もオコゼを霊ありとし、白紙一枚に包み、祝していわく、オコゼ殿、オコゼ殿、近くわれに一頭の猪を獲させ給わば、紙を解き開きて、世の明りを見せ参らせん、と。さて幸いに一猪を獲たる時、また前のごとく言って、幾重にも包み置き、毎度オコゼを紿(あざむ)きて、山幸を求むる風存すとなり。予が紀州日高郡丹生川の猟師に聞くところは、異にして、その辺の民は、オコゼを神異の物としてこれに山幸を祈ることなく、全くオコゼを餌として、山神を欺き、獲物を求むるなり。その話に、山神、居常オコゼを見んと望む念はなはだ切なり。よって猟師これを紙に裹(つつ)みて懐中し、速やかにわれに一獣を与えよ、必ずオコゼを見せ進(まい)らせんと祈誓し、さて志す獣を獲る時、わずかに魚の尾、また首など、一部分を露わし示す。かくのごとくすれば、山神必ずその全体を見んと、熱望のあまり、幾度誓い、幾度欺かるるも、狩の利を与うること絶えず、と。
上述、日向村民オコゼを紙に包み、もし獲物を与えくれなば、世の明りを見すべしと祈り、獲物ある後も紙を開かず、毎度誓言し、毎度違約するは、不断闇中に霊物を倦苦せしめ、かつこれを紿き通すものなり。『淵鑑類函』巻四四九、「『倦遊雑録』にいわく、煕寧(きねい)中、京師久しく旱(ひでり)す。古えの法令を按ずるに、坊巷にて賓をもって水を貯え、柳枝を挿(さ)し、蜥蜴(とかげ)を泛(うか)べて、小児呼んでいわく、蜥蜴よ蜥蜴、雲を興(おこ)し霧を吐き、雨を降らすこと滂沱(ぼうだ)たれば、汝を放って帰り去らしめん、と。(下略)」。また『酉陽雑俎』巻二に、蛇医(いもり)を水甕中に密封し、前後に席を設け、香を焼き、十余の小児をして、小青竹を執り、昼夜甕を撃って止まざらしめしに、雨大いに降れり、とあり。これまた霊物を倦苦せしめて雨を祈りしなり。しごくけしからぬことのようなれど、すべて蒙昧の民のみならず、開明をもって誇れる耶蘇教国にも、近世まで、鬼神を欺弄し、はなはだしきは脅迫して、利運を求めし例少なからず。仏国サン・クルーの橋の工人これを仕上ぐるあたわず、渡り初むる者の命を与うべしと約して、魔を頼みて竣功し、さて最初に一猫を放ち渡せしかば、魔不満十分ながら、これを収め去れりと伝え(Collin de Plancy, ‘Dictionnaire critique des Reliques et des Images miraculeuses,’tom. ii, p. 446,
二年前、西牟婁郡近野村にて、予が創見せる奇異の蘚(こけ)Buxaumia Minakatae S. Okamuraはその後また見ず。よって昨年末、当国最難所と聞こえたる安堵峰辺に登り、四十余日の久しきあいだ、氷雨中にこれを索めしも得ず。ついに、まことに馬鹿げた限りながら、山人輩の勧めに随い、山神に祈願し、もしこれを獲ばオコゼを献ぜんと念ぜしに、数日の後、たちまちかの蘚群生せる処を見出だしたり。されば山神はともかく、自分の子供に渝誓(ゆせい)の例を示すは父たるの道に背くものと慮り、田辺に帰りてただちにかの魚を購い、山神に贈らんとて乾燥最中なり。その節、販魚婦に聞きしは、山神特に好むオコゼは、常品と異なり、これを山の神と名づけ、色ことに美麗に、諸鰭、ことに胸鰭勝れて他の種より長く、漁夫得るごとに乾しおくを、山神祭りの前に、諸山の民争うて買いに来る。海浜の民は、これを家の入口に懸けて悪鬼を禦ぐ、と。
『東京人類学会雑誌』二七八号三一〇頁[やぶちゃん注:南方熊楠「出口君の『小児と魔除』を読む」を指す。]に、予が、古えわが邦に狼を山神とせる由の考説を載せたり。したがって勘(かんが)うるに、諸種のオコゼ魚、外に刺(とげ)多けれど、肉味美にして食うに勝(た)えたり。もって山神を祭るはその基づくところ、狼が他の獣類に挺(ぬきん)でて、これを啖い好むこと、猫の鼠におけるがごとくなるにやあらん。切に望むらくは、世間好事の士、機会あらば、生きたる狼について実際試験されんことを。
安堵峰辺にまた言い伝うるは、山神女形にて、山祭りの日、一山に生ぜる樹木を総算するに、なるべく木の多きよう算えんとて、二品ごとに異名を重ね唱え、「赤木にサルタに猿スベリ、抹香(まっこう)、香(こう)ノ木、香榊(こうさかき)」など読む。樵夫この日山に入れば、その内に読み込まるとて、懼れて往かず。またはなはだ男子が樹陰に手淫するを好む、と。この山神は、獣類の長として狩猟を司る狩神と別物と見え、すこぶる近世ギリシアの俗間に信ぜらるるナラギダイに似たり。ナラギダイは野原と森林に住み、女体を具し、人その名を避けて呼ばず、美婦人と尊称す。常に群をなして、谷間の樹下、寒流の辺に遊び、好んで桃花の艶色をもって美壮夫を誘い、情事をなす。もし人これを怒らせば、たちまち罰せられて不具、醜貌に変ずという( Thomas Wright, ‘Essays on England in the Middle Ages’ 1846, vol. ii, pp. 283-284)アラチウスいわく、ナラギダイは古ギリシアのネレイダイより訛(あやま)り出づ、と。これニムフスの一部なり。ニムフスはもと童媛の義、下等の自然神、女体にて森林、洞窟、河泉等、住処の異なるに随い部類を別つ。好んで男神と戯れ、また人と媾(まぐわい)す。しかして、その一部ドリャズの存在は、実に樹木盛枯の由るところと言えり( Seyffert, ‘A Dictionary of Classical Antiquties,’ London, 1908, p. 420)。和歌に詠みたる山姫、吉野の柘(やまぐわ)の仙女(『類衆名物考』巻一八と三二ーに出づ)など、古え本邦にニムフス相当の信念行なわれしを証すべく、女形の山神、山婆、山女郎など、今も伝話するはその遺風と見ゆ。
『東京人類学会雑誌』二七八号三一〇頁に述べたる通り、紀州田辺、湯川富三郎氏、屏風一対を蔵す。一方は絵にて土佐風彩色細(くわ)しく、一方は御家風の詞書なり。狼形の山神オコゼ魚を恋い、ついにこれを娶るを、章魚(たこ)大いに憤り、その駕を奪わんとせしも、オコゼ遁れて、ついに狼の妻となる譚(ものがたり)にて、文章ほぼ室町季世の御伽草紙に類せり。前半ばかり存すと報ぜしは予の誤りで、全たき物なり。前日全文を写しえたれば、難読の字に圏点を添え、遼東の豕(いのこ)の譏(そし)りを慮りながら、ここに書きつく。
[やぶちゃん注:底本では一行空き。]
山ざくらは、わがすむあたりの詠(ながめ)なれば、めづらしからずや、春のうらゝかなるおりからは、浜辺こそ見どころおほけれ、めなみおなみ〔雌波雄波〕のたがひにうちかはし、岸のたま藻をあらふに、千鳥の浮しづみて、なく音もさら也、沖ゆく船の、風長閑(のどか)なるに、帆かけてはしる、歌うたふ声かすかに聞えて、思ふことなくみゆるもいとおもしろし、塩やくけぶりの空によこをるゝ(たはる?)は、たが恋ぢにやなびくらん、むかふの山より柴といふものをかりはこぶに、花を手をりてさしそへたるは、心なき海郎(あま)のわざにやさしうもおもほゆるかなと、やまの奥にてはみなれぬことども、山の神あまりの興にぜう〔乗〕じて、一首くはせたり、をかしげなれども心ばかりはかく〔斯〕なん、
塩木とる、海郎のこゝろも、春なれや、
かすみ桜の、袖はやさしも、
とうち詠じて、あそここゝをうそ/\とまどひゆく、
こゝにおこぜの姫とて、魚の中にほたぐひなきやさものあり、おもてのかゝりは、かながしら、あかめばるとかやいふらんものにゝ〔似〕て、ほね〔骨〕たかく、まなこ〔眼〕大にして、口ひろくみえしが、十二ひとえ〔一重〕きて、あまたの魚をともなひ、なみのうへにうかび出つゝ、春のあそびにぞ侍べる、あづま〔東〕琴かきならし、歌うたふ声をきけば、ほそやかなれどもうちゆがみて、
ひくあみの、めごと〔目毎〕にもろき我なみだ、
かゝらざりせばかゝらじと、後はくやしきうれし船かも、
とうたひつゝ、つまをと〔爪音〕たかくきこえ侍べり、
山の神つくづくと立聞て、おこぜのすがたをみるよりも、はやものおもひの種らなみ(ならめ?)、せめてそのあたりへもちかづきてとはおもへども、水こゝろをしらねばそもかなはず、はまべ〔浜辺〕につくまりてこでまね〔小手招〕きしければ、あなこゝろ〔心〕うや、みるものゝありとて、水そこ〔底〕へがば/\とはいりぬ、
さるにても山の神は、ひくやもすそのあからさまなる、おこぜのすがたいま一めみまほしく、たち帰り侍べれども、またも出ず、日もはや夕ぐれになりければ、しほ/\としてやまの奥にたちかへり、ねたりおきたり、ころ〔転〕びをうてども、このおも影はわすられずして、むね〔胸〕ふくれこゝち〔心地〕なやみて、木のみ〔実〕かやのみ〔実〕取くらへども、のど〔喉〕へもいらず、ただ恋しさはまさり草の、露ときえてもとはおもへども、し〔死〕なれもせず、其夜もあけゝればまた浜辺に立いでゝ、もしやさりともうきあがるかと、沖のかたをみやれども、しら波のみうちよせて、その君は影も見えず、山の神はなみだのえだをりにて(を乗りにて?)、うとら/\とまたもとのすみか〔棲家〕に立帰り、いかならむたま〔玉〕たれのひま、も〔洩〕りくる風のたよりもあれかし、せめては思ひのほどをしらせて、なからむ跡までも、かく〔斯〕とだにいひ出し侍べらば、後の世のつみ〔罪〕とがも、すこしはかろ〔軽〕くあるべきを、やまにすむ程のものは水のこゝろをしらず、また水にすむやから〔族〕は山へはきたらず、いかにとかせむことはと、大いき〔息〕つきて思案する、さればこそ、都のうち、因幡堂の軒の口なる鬼甍(瓦?)は、故郷の妻がかほにゝ〔似〕て、都なれども、旅なれば恋しく侍るとて、さめざめとなきけん人の心にて、思出されはべり、こひ〔恋〕ぞせられ侍べる、
かかるところへ獺(かわうそ)かけまゐり、たそやは、山の神のな〔泣〕くは、いかにもして、神の事しろしめしたりしかじかの事侍べり、文ひとつゝかば〔遣〕し侍べらんに、とゞけて給はれといふ、かわうそきいて、其おこぜはきわめてみめわろく侍べり、まなこ〔眼〕大にしてほね〔骨〕たかく、口ひろく色あかし、さすがに山の神などのうれし(かれら?)に恋をさせ給ふなんと、よそのきこ〔聞〕えもをこがましと申せば、山の神、いや〔否〕とよ、女の目にはすゞをはれといふこと有、目の大なるは美女のさう〔相〕也、ほねたかきは又貴人のさう也、口ひろきは知恵のかしこきしるし也、いづくにもけぢめなき姫なれば、誰のみ〔見〕させたまふとも、心をかけずといふことなからん、さや(左様?)にあしくとりざたするは、世のならひぞかしとて、思ひいれたるありさま、まことにゑん〔縁〕あれば、いくち〔兎唇〕もえくぼにみゆるかなと、をかしさばかぎりなし、さらば御文かき給へ、つたへてまいらせんといへば、山の神よろこびつゝ、文かゝむとすれども紙はなし、木のかは〔皮〕を引むしりて、思ひのほどをぞかきたりける。
[やぶちゃん注:以下の山神の消息文は、段落末尾の「参らせ候、」まで、底本ではすべて一字下げ。また、この三ヶ所の「参候」は草書体であるが、漢字にした。]
あまりにたへかねて、御はづかしながら一筆参候(まいらせそろ)、いつぞや浜辺にたち出て、春のながめに海つら〔面〕を見まいらせゝつ〔節〕は、波のうへにうきあがらせ給て、あづま琴をかきならし、歌あそばせし御すがた、花ならば梅桜、たをやかにして、柳の糸の風にみだるゝたとへにも、なをあきたらず、思ひ参候、我身は深山のむも〔理〕れ木の、くちはてゆかむもちから〔力〕なし、おもひの末ののこりなば、君が身の上いかにせん、せめて手ふれししるし〔印〕とて、御返事給はらば、御うれしく参候、
とかきておく〔奥〕に、
かながしら、めばるのをよぐ、波のうへ、
みるにつけても、おこぜ恋しき、
とよみて獺にこそわたしけれ、げにも山かたおくふかくすみけるものとて、文のこと葉もいとゞふつゝかに、さるか可(かた? また歌?)のきたなげさよとて(そ?)、かわうそもこゝろには思ひけらし、
かくて獺は、いとゞはなうそやき(ぶき?)つゝ、浜辺にたち出で、海の底につぶ/\と水練し、おこぜの姫にたいめんして、しかじかとかたりければ、おこぜはこれをきゝて、おもひもよらぬ御事かなとて、手にも文をばとらざりけり、
獺は、あゝつれなの御ことや、藻にすむ虫のわれからと、ぬらすたもと〔袂〕のそのしたにも、なさけは世にすむ身の上に、なくてはいかになら〔楢〕柴の、かりのやどりの契りだに、おもひをはらすならひぞかし、ましてやこれはつねならぬ、後は契りの底ふかく、恋にしづみしそのこゝろを、いかでかたゞにはすごし給はん、しほ〔塩〕やく海士(あま)のけぶりだに、思はぬかたになびくらん、春の青柳風吹ば、かならずなびく枝ごとに、みだれ心のあはれさを、すこしはおぼししらせ給へなと、さまざまに申しければ、おこぜはつくづくとうち聞て、さすがに岩木ならねば、御はづかしく侍べれどもとて、
[やぶちゃん注:以下おこぜの消息文は、段落末尾の「参らせ候。」まで、底本ではすべて一字下げ。なお、表記の通り、ここの末尾は山神の消息文と異なり、句点となっている。]
おぼしめしよりたる水くき〔茎〕のすゑ、御こゝろのほどもあはれに思ひまいらせ候へども、たゞかりそめのうはべばかりに、空なさけかけられまいらせして、秋の草のかれがれに、候はん時は中/\、後にはまくず〔真葛〕が原に風さはぎて、恨み候はんもいかゞにて、御入候、とかくさも候はゞ、おもひすてさせしてたまわり(れ?)かし、あはぬむかしこそはるかのましにて、今のおもひにくらぶればと申すこと〔言〕も、御入候ぞや、まことにかく〔斯〕とおぼしいれさせ給はゞ、我身は青柳の糸、君は春風にて、御入侯ほんとおもひをき参らせ候。
とかきて、
おもひあらば、たま藻の影に、ねもしなん、
ひしきものには、波をしつゝも、
とうち詠じて(熊楠謂う、「ヒジキ」藻を敷物に言い懸けたるなり)、獺にわたしければ、よろこびて立帰り、山の神に見せければ、うれしな〔泣〕きになみだをこぼして、返事ひらき、よみてみれば、我身は青柳の糸、君は春風と書給ひしは、なびき侍らんといふ事なるべし、さらば今宵おこぜの御もとへまいるべし、とて〔迚〕もの御事にみち〔道〕しるべして給はれといふ、やすき御事也、御とも〔供〕申さんといふ、かゝる処にたこ〔蛸〕の入道、このよしをつたへ聞て、さても無念のことかな、それがしおこぜのもとへたび/\文をつかはすに、手にだにもとらず、なげかへ〔投返〕し侍べるに、山の神のをくりし文に返事しけるこそ、やす〔安〕からね、法師の身なればとかくあなどりて、いかやうにやいたすらん、烏賊(いか)の入道はなきか、をしよせてそのおこぜふみころせとぞののしりける、
烏賊の入道うけたまはり、おなじくは御一門めしあつめて、をしよせたまへと申ければ、しかるべしとて、蘆蛸(足長蛸?)、手なが章魚、蛛螵(蛸?)、飯だこ〔蛸〕、あをり烏賊、筒烏賊にいたるまで、使をたてゝめしよせ、はやをしよせむとひしめきたり、
おこぜは此よし〔由〕きゝつたへ、このまゝこゝにあらむよりは、山のおくにもかくればやとおもひつゝ、波のうへにうきあがり、あかめばる、あかう、かながしらをともなひて、山の奥にわけいりければ、おりふし山の神、かわうそをともなひて、浜べら能遣(の去る?)所に候てはつたと行あふ〔逢〕たり、やま神みわあまりのうれしきにうろたへて、おはせて、山々にわおこたりし(?)、山の奥は海の上、川うそをおこせけりと(?)、らちもなきことゞもいひちらし、それよりうちつれて、をの〔己〕がすみか〔住家〕に急場(?)に帰ゑり、連理のかたら〔語〕ひをなしたるとぞきこ〔聞〕えし。
(明治四十四年二月『東京人類学会雑誌』二六巻二九九号)