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栗氏千蟲譜 巻十(全)   栗本丹洲

                       訓読・注記 ©2007/2014 藪野直史
[やぶちゃん注:本ページは、「栗氏千蟲譜」の内の海洋生物を翻刻する私的なプロジェクトの一環である。本作の解題は「海鼠 附録 雨虎(海鹿)」を参照されたい。底本は恒和出版昭和57(1982)年刊の江戸科学古典叢書41「千蟲譜」所収の影印本を用い、活字に起した。原本との比較の便宜を考え、翻刻では原本の改行を踏襲している。一部の変体の片仮名については正字片仮名にすることとした。特異な字体については注記した。但し、筆法の書き癖と思われるものは、一々注していない。また、俗字(現行の新字に等しいもの。例:「余」(餘)、「縄」(繩)、「児」(兒)など)も多く用いられ、歴史的仮名遣の誤りも多い。明らかな誤字・濁音脱落についてのみ、後に〔 〕で正字を補い、判読不能の字は□で示した(但し、「蟹」の字は冒頭の「水引蟹」から「蝲蛄」まで、「解」が「鮮」となっているのは、五月蠅くなるので注をせず、総て「蟹」に直した。但し、「金錢蟹」以降は正字となっている)。活字の大きさであるが、柱の生物名は一般に大きく、説明の記載はやや小さくなり、それ以外に本文中で微妙にやや小さな字を用いている箇所があるが、記載内容に関わらない限り、原則として無視し、注記もしていない。なお、今回の判読に際しては、国立国会図書館の所蔵する服部雪斎写本版「千蟲譜」も参照にした(国立国会図書館デジタルコレクション版を用いた)。
 附図の生物種の同定に際しては、下に記す国立国会図書館貴重書画像データベースの底本原色画像を使用した。
 字配りを意識した翻刻(■翻刻)と、適宜句読点を施して読みやすく改訂したもの(■やぶちゃん読解改訂版 字注の一部を省略)を示した2タイプ・テクストとした。
 底本の原本は国立国会図書館蔵
250cm×180cm である。この原本は国立国会図書館デジタルコレクションで全巻を読むことができる。文字を読まずとも、この博物画を見るだけでも心洗われる。是非、ご覧あれ。
 判読不能の字及び誤読している字、及び種の同定の誤りを発見された方は、是非ご教授願いたい。
【2014年10月29日追記】判読ミスを補正、読解改訂版を大々的に改訂(平仮名に変えて漢文部分も強引に訓読、注記を増補した)、また、国立国会図書館の保護期間満了対象の画像使用許可ポリシーの変更に伴い、国立国会図書館蔵の国立国会図書館デジタルコレクションから当該画像(底本と同一の版のもの)をダウンロードして一部トリミングを行い(注で用いた雪斎版の一枚二種の一つを除き、補正処理はしていない)、「■翻刻」「■やぶちゃん読解改訂版」両パートに挿入しておいた。なお、画像の倍率は、一部の画像の下に附した国会図書館のスケールで確認されたい。全体を一枚で見渡せ、しかも細部が分かる倍率で表示した積りである。さらに細部を観察されたい場合は、上記リンク先でJPAG表示100%でダウンロードされたい。私のアップしたものは概ね50%であるが、両帖に跨るものは25%である。特別な倍率のものは画像の注に表示した。但し、参考に附した雪斎の図はそれぞれ異なった縮小をかけてあるので悪しからず。]


■翻刻

栗氏千蟲譜 巻十


《改帖》








[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。最初の画像は見開き25%倍率の、中央の図は右帖の上部の画像をトリミングした50%倍率の、三つ目の図は左帖の甲のみの部分と脚の先端部の描写を見るためにトリミングした100%倍率のもの。]

水引蟹  異品ナリ
 頭上兩鬚高ク起ル其尖リ
 即眼アリ然レハ鬚ニ非ス眼茎
 ノ長ク出ルモノナリ

[やぶちゃん注:節足動物門大顎亜門甲殻綱軟甲亜綱真軟甲下綱ホンエビ上目十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目短尾(カニ)下目ミズヒキガニ科ミズヒキガニ Eplumula phalangium の脚をすべて上方に挙げた状態の腹面図。次の帖に跨って左右に脚を広げた同種の正面図。左帖の中央左には脚を除いた甲の部分図。]

《改帖》

猩々蟹
  越前魚名浦産
此物網ヨリ上ル時ハ脚ハサミヲ疂テ不動
其状図ノ如シ濱沙上ニアレハ左右ニ脚ヲ伸シテ
走ル長踦ニ似タリ走ルコト遅鈍ナリ

[やぶちゃん注:同記載の後に、脚を畳んだミズヒキガニ Eplumula phalangium の正面図があるが、殆ど脚が見えず、やや誇張が過ぎるように思われる。一見、別種の記載のように見えるが、この脚を畳んだ図を見る限り、同種である。「長踦」(「ちょうき」と読む)は、節足動物門鋏角亜門蛛形(クモ)綱クモ目アシダカグモ科アシダカグモ Heteropoda venatoria 及び同属の総称である。なお、現在の和名異名では「ショウジョウガニ」(猩々蟹)というと、短尾下目アサヒガニ科アサヒガニ Ranina ranina が一般的であり、さらに地域によっては短尾下目イワガニ科ショウジンガニ亜科ショウジンガニ Plagusia dentipes を訛ってかく呼ぶこともあるようであるが、本図はこれらとは全く異なる。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]

螃蟹  一名毛蟹  和名ヅガニ  モクズガニ 共 モクソウガニ トモ云

出寧波府志又臺湾府志云毛蟹生溪澗中螫生毛秋後其肥美
 此物山川深流ノ處ニ生ス秋八九月末流ニ下ル蕎麦花サク頃大雨アリ
 テ水漲流ルゝ時多ク下ルノ候トス微毒アリ病人必食ヘカラズ金瘡ニテ筋ノ
 断タルヲ接續スルニ此黄膏ヲ用ユ此蟹甲ヲ破リ黄膏ヲ取土器ニ入陰
 干シ細末トナシ乳汁ニ和シ疵ノ側ニ傅ヘシ又疵ヲ洗フ毎ニ傅ルコソヨシ
 トス貝原翁試タル方ニテ大和本草モ説ヲ出セリ津蟹トカキテアリ
 東都戸田川中川利根川ニ皆アリ又上水ノ長流水中ノ樋筧ノ内ニアル
 事ヲ聞ケリ伯州散ニハ此蟹ヲ用ユヘキナリ

[やぶちゃん注:次の帖にかけて、短尾下目イワガニ科モクズガニ Eriocheir japonica 一個体の背面全図。
「微毒」とは、現在明らかになっている寄生虫による症状を指すものであろう。即ち、モクズガニに特異的に寄生する扁形動物門吸虫綱二生亜綱斜睾吸虫目住胞吸虫亜目住胞吸虫上科肺吸虫科 Paragonimus 属ベルツハイキュウチュウ Paragonimus pulmonalis (Baelz, 1880) による肺結核様症状である。ちなみに、この寄生虫については長く(一部学者は現在も) Paragonimus 属ウェステルマンハイキュウチュウ(肺臓ジストマ)Paragonimus westermanii の3倍体種とされてきた(現在もそう記述するものが事実多い)が、モクズガニ研究の専門家であらあれる小林哲氏の記述に基づき、ここではベルツ肺吸虫の名称を採用する。
「伯州散」は日本古来の民間薬で、化膿性皮膚疾患に効があり、反鼻はんぴ(マムシの皮と内臓を除去した乾燥品)・鹿角ろくかく津蟹しんかい(これが本種)を別々に黒焼きし、等量に配合したものという。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。次の帖にかけて、前に続いてモクズガニ Eriocheir japonica 一個体の腹面全図。所謂、「蟹の褌」、腹節が鋭角を成しているので♂である。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]

藻屑ガニ
 相州小田原海中ニ産スコレヨリ
 大ナルモノアリ惣身毛アリ土泥ナ
 ド付テ至テムサキ形ナリ漁人モク
 ゾウガニト云大ナルモノハ津蟹ト
 同ジ

[やぶちゃん注:モクゾウガニという名称はモクズガニの関東周辺での異名であるようである。但し、説明の下に背面一図が載るが、この甲羅の形状は絶対にモクズガニではない。甲及び脚部に短毛が密生しており、何よりも前側縁の第四歯(甲羅の左右に横に突き出ている部分)の側方突出が頗る顕著であることから私は短尾下目クリガニ科クリガニ属トゲクリガニ Telmessus cheiragonus ではないかと推定するのであるが、如何せん、同種は東京湾以北にしか棲息せず、小田原という採集地が悩ましい。識者の御教授を乞うものである。……でもこれ、そうとしか思えないんだけどなぁ……]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]

虱蟹 マメガニ
 是沙狗ノ小者

[やぶちゃん注:説明の下に大小の「マメガニ」二個体の図。以下は、その下の説明。この同定には幾つかの可能性を考えなければならない。まずはスナガニ上科スナガニ科コメツキガニ亜科スナガニ上科スナガニ科 Ocypodidae のコメツキガニ Scopimera globosa やスナガニ上科ミナミコメツキガニ科 Mictyridae のミナミコメツキガニ Mictyris brevidactylus が考えられるが、「沙狗」が広くスナガニ科 Ocypodidae を指す呼称であることを考えると、同科の、コメツキガニ属 Scopimera sp. やチゴガニ属 Ilyoplax sp. 及びツノメチゴガニ属 Tmethypocoelis sp. も射程に入れる必要があろうか。更に、次に続く叙述からはカクレガニ科 Pinnotheroidea の種群も同時に考慮しなくてはならない(特に上部の右一個体と下部の下方一個体は甲が如何にもピンノ類っぽい)。図が小さく、これ以上の同定は私には出来ない。]


蛤中小蟹潔白透徹与蛤倶食鬆脆淡美又奇品也

[やぶちゃん注:この説明の左にやはり大小の「マメガニ」二個体の図。この叙述からならば、短尾下目カクレガニ科カクレガニ属オオシロピンノ Prinnotheres sinensis やカギツメピンノ Pinnotheres pholadis などを同定候補としてよいであろう。]


溪蟹
 澤蟹辰ノ五月十三日写

 凾関温泉アル處澤アル處

 ニアリ此蟹好テ※菜ヲ啖フ

[やぶちゃん字注:「※」=(くさかんむり)+(下左「火」)+(下右「旱」)。別写本に「※菜」で「ワサビ」とルビを振る。]

 因テ此蟹多キ處ニテワサビ

 ヲ不作ト云此蟹火上ニテ焙

 食ヘハ味美ナリ又湯ニ作テ

 酒媒トス


[やぶちゃん注:下に、短尾下目サワガニ上科サワガニ科サワガニ Geothelphusa dehaani 2個体の図。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]

小蟹胎於蛤腹中者俗呼カニムグリト云土州宿
毛産蛤中各孕小蟹方言サキツト云又薩州久
見崎海中所産ノ蛤十中ニ六ハ腹中ニ小蟹アリ蟹
ト共ニ煮食ハ味極テ美ナリ遠境ノ人甚コレヲ珍重
ス其所産之海濱僅ニ方二町許之處ナリ其他ハ
尋常ノモノニシテ蟹アル事ナシ文化己巳ノ臈薩州榮
翁老矦本國ヨリ東國ニ輸致セシム同僚桂月池國
端ニ贈ラル其中一個ヲ分テ予ニ分恵ス剖開テコレヲ
ミルニ肉ハ瘦セタリト雖モ存活セル事新ニ今海中ヨリ拾
取得タルモノト同シ煮味テ珍賞スルニ餘味感ス
ベシ三四百里程ノ日數ヲ經テ來レルモノニ此小蟹モ
亦活在ス一奇事ナリ後年遺忘セン事ヲ怖ル因テ
コゝニアリノマゝニ其事ヲ識シ同好君子ニ示スノミ
 昌臧按嶺南雑記云剣蚌腹有小蟹任
 昉述異記謂之筋即是也


此蛤東都ノ海中ニ産〔ス〕ル
モノト異ナリ形丸ミアリテ質
堅ク厚シ斑紋モ亦如此

[やぶちゃん注: 異歯亜綱マルスダレガイ科ハマグリ亜科ハマグリ Meretrix lusoria の左右の貝の図。中央右上に描かれた右殻は内側、その左下に描かれた左殻は外側。私は蝶番からの殼の曲線から、この左に描かれた左殻のものは真正の Meretrix lusoria と同定してよいように感じるが、如何か。以上の三行は、その右殻下に記載されているのだが、説明されてある殻の形状とこの右に描かれた右殻の蝶番からの曲線は左殻のそれと一致せず、有意に膨らんでいることから、丹洲が言っている「東都」のハマグリとこの右の右殻のそれはハマグリ属チョウセンハマグリ Meretrix lamarckii である可能性が高いようにも思われる。但し、右殻内側にある套線湾入の右部分の形はハマグリ Meretrix lusoria のようにも見える。不審)。なお、老婆心乍ら、「チョウセンハマグリ」には「朝鮮蛤」という漢字が与えられてしばしば本邦産ではないように誤解されているが、同種は立派な国産種で、「チョウセン」は朝鮮ではなく、水際に棲息する「汀線」である。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]

   此小蟹圖ノ如ナル大サナリ背甲
   白キ三星アリ肚下紋所ノ葵文
   アリムキミノヒラ/\シタル處ヲタス
   キト云ハカマトモ云其タスキノ薄キ
   皮ト肉トノ間ニ此小サキ蟹出入ス
   口ヲ開ク時殻外ヘモ出テ遊フニヤ
   全体入ヘキ餘地ナキ處ナリ

[やぶちゃん注:下に短尾下目カクレガニ科カクレガニ属ピンノ Pinnotheres sp. の背面、加えて不詳の二枚貝(外套膜及び斧足、水管が大きくはみ出している)に半ば姿を隠した図が示されている。ピンノ類は種類が多く、特定の貝に特異的に寄生しているため、この貝の形状の不確かさでは、種の同定が困難である。背の文様から言えば、ハマグリやアサリに寄生するオオシロピンノ Pinnotheres sinensis か、チョウセンハマグリに寄生するマルピンノ Pinnotheres cyclinus かと思われる。因みに、あまり知られていないと思われるので述べておくと、貝に常時寄生しているのは♀だけである。ピンノの代表種については、私のブログの「生物學講話 丘淺次郎 第五章 食はれぬ法 (二)隠れること~(5)」の注を参照されたい。]

《改帖》






[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。上の図は右帖50%、下の図は見開き25%倍率。]

アブラ蟹
 海濵ニ生スカタチ石蟹ニ
 似テ甲薄黑ハサミムラサキ色
 ナリ脚薄黄紫ノ斑紋アリ
 毛モアリ

[やぶちゃん注:右帖下に背面のアブラガニ一個体。同定に困るのはまず、冒頭から類似種を「石蟹」という不詳の対象物で提示している点である。無論、「石蟹」と言ったら現在は短尾下目ワタリガニ科イシガニ Charybdis japonica を指すのであるが、実は後で明らかにイシガニ Charybdis japonica と同定出来るカニの図を丹州は「藻ガニ」と名指しているからである。さらに現在、アブラガニというと抱卵亜目異尾(ヤドカリ)下目ヤドカリ上科タラバガニ科タラバガニ属 Paralithodes platypus の和名(漢字表記「油蟹」)であるが、これは本文とも図とも全く一致しないので完全に除外される。鋏脚の紫色という叙述や「海濱」という条件を考えると、短尾下目イワガニ上科モクズガニ科ハマガニ Paralithodes platypus が候補として挙がるが、図のような銭型紋はない。画像を縦覧してゆくと、背面の凹凸がここに描かれたような紋様に極めて近似した個体を幾つか現認出来る種としては、イワガニ上科モクズガニ科 Varuninae 亜科イソガニ Hemigrapsus sanguineus や、イワガニ上科イワガニ科アカテガニ属クロベンケイガニ Chiromantes dehaani が挙げられる。というより、イワガニ上科の幾つかの種を混淆したような記載及び図のようにも見え、いそうでいない、ちょっとややこしい蟹の図である。]

カサミ  ウミカニ

 正字通曰長尺餘両螯至強曰蝤蛑
 又螯不毛後跪薄濶如櫂曰撥櫂

[やぶちゃん注:短尾下目ガザミ上科ガザミ科ガザミ Portunus trituberculatus の背面一個体。前帖に右四脚がはみ出している。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]

マンヂウ蟹  九州ノ産ナリ関東ニ絶テナキモノナリ

 手脚ハサミ折カゞメテ乾タルモノハ甲上ヨリハミヘズ平クシテマンヂウノ如シ
 因テ名クト云

[やぶちゃん注:短尾下目オウギガニ科マンジュウガニ属スベスベマンジュウガニ Atergatis floridus の腹面前方からの図が上に、下に脚を全て背甲下部に入れ込んだ前面図がある。ちなみに、本種は麻痺性貝毒であるゴニオトキシンやサキシトキシン、ネオサキシトキシン、加えてフグ毒のテトロドトキシンを持つ個体が知られており(摂餌物由来と推測されており、調査個体によっては充分な致死量を含むことが確認されている)、凡そ、あまり食したくは思わない形状をしているが(実際に現在まで本種による公的な食中毒例の報告はないとされている)、取り敢えず誤食には注意を有する。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]

唐人ガニ 佐州方言


蟹譜曰蠞匡長而鋭者
之蠞


セミガニ
 江ノ島海中ニアリ佐州ニテ唐人蟹ト云
 甲堅ク光アリ千人捏ノ一種ノモノナリ

[やぶちゃん注:中央やや上に右側面からの図、左やや中央下に腹面の図、最下部に背面の図がある。これらはずべて同一個体の筆写と判断される。本種は、短尾下目アサヒガニ科トゲナシビワガニ Lyreidus stenops と同定する。理由は、三図のどれを見ても、甲の側縁部分が滑らかで、同アサヒガニ科ビワガニ Lyreidus tridentatus の特徴である左右の一棘が全く見られないからである。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]

蘆虎 猩々ガニ ヘンケイガニ

 臺湾府志沙馬蟹色赤走甚疾
 者即是
  按本綱蟹集鮮〔解〕中※1※2アカガニ
  亦此モノゝ類乎
 正字通云両螯赤不可食云芦虎
[やぶちゃん字注:「※」1=「蟚」の「虫」を(へん)の位置にしたもの。「※2」=「虫」(へん)+「骨」。]

[やぶちゃん注:上部に短尾下目イワガニ上科ベンケイガニ科ベンケイガニ Searmops intermedium 背面一個体の図。]


メクラガニノ図取 目出タガニ トモイフ
  甲戌三月十六日活物ヲ得テ寫ス

[やぶちゃん注:短尾下目エンコウガニ科メクラガニ亜科メクラガニ Typhrocarcinus villosus と思われる(識別できる画像を見出し得なかった)前方からの位置個体の図。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]

タクマエビ 相州小田原方言 シツパタキ 其活者ヲ濵ニ上ル時ハ其尾ニテ沙石ヲハタキ飛事數尺ナリ因テ
此名得ルト云 西国方言 ウチワエビ

[やぶちゃん注:抱卵亜目イセエビ下目イセエビ上科セミエビ科ウチワエビ亜科ウチワエビ Ibacucs ciliatus 背面一個体の図。本図の個体は、頭胸甲の後半部の縁に10を越える棘が確認され、棘が7本の同属のオオバウチワエビ Ibacus novemdentatus と区別されるからである。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]

蟹甲 蛮産

 晴川蟹録引北戸録曰十二點儋州出紅蟹大小殻上作十二點
 深臙脂色亦如鯉之三十六鱗耳其殻與虎蟳堪作※子格物
 總論紫蟹殻似蝤蛑足亦有發棹子但殻上有烟〔臙〕脂斑點不
 比蝤蛑之純青色耳云々
[やぶちゃん字注:「※」=「疂」の(わかんむり)の下を「正」に代える。「疊」の正字「疉」であろう。]

《改帖》

蛮産作酒杯而
為珎奇
 文化丁丑仲夏近藤正斎秘弆
 醫學舘藥品會所排列也

[やぶちゃん注:鮮やかな赤色円紋を驚くほど多数有する蟹の、右の下部に鮮やかな赤色円紋の連続する背甲の前部からの図(尾部が見えていないか若しくは元々欠損している品と思われる)、背甲の内側(甲羅裏面)の図(前帖にもかかっている)及び背部(甲羅表面)全面(尾部も見えている)の図。この二つは前頁の固体の異なる大型個体の、背甲の二様を描いたようにも見受けられる。そうしてこれらは「蛮産」とあって、しかも「醫學舘藥品會所排列也」とあるから、これら三図は総て外国からもたらされた原物(図であったら「排列」とは言うまい)を模写したものと考えてよい。しかも、その描写の著しい円紋の差異とその大きさ及び形から「排列」されたものは大小二品であったと推測される(三品でなかったとは言いきれないが、後者の甲羅の表裏は同一個体であろう)。当初私が底本のモノクロームの画像を見た際には(三十年も昔のことであるが)、まず短尾下目ガザミ科ガザミ属ジャノメガザミ Portunus pelagicus を思い出したが、しかし、あれは黒点を三つしか有さないし、そもそもが大型の図の二枚の甲羅の形状がワタリガニ類とは全く異なるからあり得ない、これは確かに「蛮産」とあるから南洋の変わった種なんだろうと考えた(最後の部分は誤り)。後に原本画像を見ると「本文通り」、目玉のような「點」は「12」もあって、しかもその色は目も醒めるような鮮やかな「臙脂」ではないか! 見開きとなっているこの部分は総て数えると実に二十八箇所に及ぶ(中央位置の甲羅裏面からの描画の四方の端に出る円紋の一部を含む)鮮やかな臙脂の強烈な印象によって、この「栗氏千蟲譜」の原画像を一見した者の脳裏からは、容易に消えない映像であると言ってよい(事実、私がそうであった)。謂わば、この見開き二帖は本「栗氏千蟲譜」に於ける文字通りの「目玉」であると断言してよいと私は考えている。但し、この発色については取り敢えず、ジャノメガザミを料理すると目玉が鮮やかな臙脂になるように煮沸標本処理による発色の可能性や、本文に「作酒杯」とあるように実は人為的な加工附加がなされている可能性をも考慮する必要がある(特に後者については「■読解改訂版」の注の考証で後述する)。
 ともかくも結論から言うと、これら三図は総て、取り敢えずは短尾下目オウギガニ上科アカモンガニ科アカモンガニ Carpilius maculatus であると言ってよい(極めて近縁の同属の異種である可能性は無論、ある)。但し、左右に配された甲羅表面の大小の二図にはすこぶる問題がある。しかもその問題の根は単純ではなく、オキノテヅルモヅルの腕の如く、とんでもなく絡み合っている。但し、その考証は「■読解改訂版」の本注に譲って、まずは本文を読み進めるためにここはこの疑義注を敢えてブレイクさせる。
 アカモンガニ Carpilius maculatus は本邦では紀伊半島以南・伊豆諸島に棲息し、ハワイなど亜熱帯及び熱帯域に広く分布している。甲幅は十五センチメートルほどまで成長し、沿岸域のサンゴ礁や岩場を棲家としている。鋏脚は孰れか一方が相対的に大きくなる。夜行性で日中は珊瑚・岩の隙間や穴の中に隠れており、夜になると活発に活動する。本種は南方では食用とされるが、個体によって毒化(シガテラ毒)したものがあるので注意を要する。]

《改帖》
[やぶちゃん注:底本ではこの帖は画像なしの白紙である。]
《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]

銀ガニ 正字通云薄殻而小青白者
    曰螠篠島ノ濵ニアリ

[やぶちゃん注:「銀ガニ」の一個体背面。記載が少なく図も特定するには簡略に過ぎるものであるが、印象としては短尾下目スナガニ上科スナガニ科コメツキガニ亜科チゴガニ Ilyoplax pusilla または同チゴガニ属ハラグクレチゴガニ Ilyoplax deschampsi (チゴガニとの差異は♂の腹部の中ほどが縊れる点で本邦では有明海奥部沿岸のみに棲息するが、東シナ海・黄海・渤海沿岸に分布するから「正字通」の記載としては候補として外すわけにはいかない)を候補としてよいか。]


招潮
 正字通云売〔殻〕色青白潮欲來出
 穴擧迎之曰― ―
[やぶちゃん字注:このダッシュ状の記号は他の部分には見られない特異な用法である。これは別写本によって「招潮」を省略したことを示したものであることが分かる。以下に、服部雪斎版の復元本文(割注となっている)を示す。

招潮
 正字通云殻色青白潮欲來出
 穴擧迎之曰招潮

この程度のことを面倒がった曲直瀬がちょっと意外である。]
  尾州ノ和多ノ海邉ニ多シ方言
  テンホカニト云

[やぶちゃん注:解説は明らかに短尾下目スナガニ上科スナガニ科スナガニ亜科シオマネキ属 Uca 、しかも♂の鋏脚の描写からハクセンシオマネキ Uca lactea lactea の記述となっている。ところが下部に描かれてある一個体はどうみてもシオマネキ類ではなく(鋏脚の同大のシオマネキのメスでも甲羅の形が全く異なる)、スナガニ科コメツキガニ亜科コメツキガニ Scopimera globosa である(荒俣宏「世界大博物図鑑 1 蟲類」では本箇所の図(但し、別な写本)を引く(一三三頁)が、そこで同定を依頼された武田正倫氏もコメツキガニ Scopimera globosa ? とされており、荒俣氏はキャプションで『説明と図がくいちがった可能性もある』と記しておられる。


望潮
 田打カニ左螯大ナルモアリ
 汐干孔ヨリ出テ手ヲ挙
 テマ子ク形ヲナス故ニ又潮
 マ子キト云

[やぶちゃん注:前項同様、記載はあきらかにシオマネキ属 Uca のものであるが、下部の一個体の図はやはりシオマネキ類ではなく、前の「招潮」の下の一個体と全くの同種にしか見えない。これもスナガニ科コメツキガニ亜科コメツキガニ Scopimera globosa である(やはり荒俣宏「世界大博物図鑑 1 蟲類」で武田正倫氏に従い、『コメツキガニと同定するしかない』として、 Scopimera globosa とされており、やはりキャプションで荒俣氏は、武田氏は『図と説明がなんらかの理由でくいちがったと考えておられる』と記しておられる。


千人捏 閩書南志引宋志云千人擘状
    如小蟹人力劈之不開ト云是也

 本名ハ蚌江
      本綱蟹集鮮〔解〕ニ
      出
[やぶちゃん字注:以上2行は、底本ではポイント落ちで前行の下に割注二行で入る。]
   マメガニ
   コブシガニ 筑紫方言

[やぶちゃん注:短尾下目コブシガニ科 Leucosiidae の背面図(本邦には四亜科二十二属八十七種いる)。比較的普通に偏在する種で、本図に最も近いと思われるのは、「マメガニ」という名からもマメコブシガニ Philyra pisum であると思われる。因みに本種は横這いせず、正しく真っ直ぐに歩行する。]



藻ガニ

[やぶちゃん注:明らかに短尾下目ワタリガニ科イシガニ Charybdis japonica の背面図である。この後の他の部分でよく引用されている「石蟹」であるのにも関わらず記載が全くなく、「石蟹」であることの指名もないのは不審である。栗本が他の種を石蟹と称している可能性をも考慮しておく必要もあるか。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]

蝲蛄
    奥州南部津輕ノ谷川ニ多シ近來
    蝦夷ニ多シ喜テ却行ス故ニサリカニト云
[やぶちゃん字注:[喜て」は「このんで」と読ませていると思われる。以上は2行は、底本ではポイント落ちで前行の下に割注二行で入る。]


大ナルモノ右ノ図ノ如シ蝦夷地ヨリ活スルモノ己巳ノ冬月将來スルモノヲ見タリ冬蟄ノ時ハ遠方モチ來テ
モサノミ痛マズ春ニ至レハ多ハ殞モノナリ蝦夷方言シヤリカニト云冬月蟄スルモノ肚中ニ白石一對アルモノナリ
ナキモアリ是ヲクリカンキリ〔ト云フ〕也
[やぶちゃん字注:「殞」は「しぬ」(死ぬ)。]

[やぶちゃん注:十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目ザリガニ下目ザリガニ Cambaroides japonicus (アメリカザリガニ Procambarus clarkii と区別するためにヤマトザリガニまたはニホンザリガニと呼称されることもある)。上に小さな個体、下に大きな個体。なおザリガニと呼称するものの、彼らは十脚(エビ)目の仲間である。ウィキの「ニホンザリガニ」によれば、『体色は茶褐色で、アメリカザリガニに比べて体や脚が太く、ずんぐりしている』(幼体期は灰色から青っぽい色を呈する。本図はちょっと赤過ぎて頂けないが、別写本も同様で丹州の原画が既に強い赤を呈したものであったらしい。これではまるで、これより後の移入種「マッカチン」アメリカザリガニだ)。『かつては北日本の山地の川に多く分布していたが、現在は北海道、青森県、岩手県及び秋田県の1道3県に少数が分布するのみ』とある。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]

金錢蟹 セニガニ 小紋蟹トモ云フ雜肴ノ中ニ偶交リ上ル後脚平ニシテ杓子ノ如シカザメ〔カサミ〕ノ脚ニ似タリ
甲ノ左右ニ尖刺アリ乾貯テ経年ナルモノハ甲黄白ニシテ赭色ノ豹文ナシテ美ナリ此類ニモ数種アリ

[やぶちゃん字注:冒頭注に記したように、この「金錢蟹」より「蟹」の字は正字となっている。]

[やぶちゃん注:短尾下目キンセンガニ科キンセンガニ Matuta victor の又は「■やぶちゃん読解改訂版」に示す種の背面(上方)、腹面(下方。腹節から♂)の、恐ろしく汚い図二点。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]

鬼面蟹
   タケブンガニ
   ヘイケガニ
シマムラガニ
[やぶちゃん字注:以上は前二行は、底本ではポイント落ちで前行の下に割注二行で入る。実際には次の一行もその続き。]
長州豊前ニテキヨツ子ガニ
蟹譜曰背殻如鬼状
者眉目口鼻分布
明白常宝玩之
九州海中ニアリ西国ヨリ
関東ニハ絶テナシ螯左右大
小アリ匾長ナル四脚
ツキテアリ蟹類
多シト雖トモ此モノ甚
異状ナリ乾枯ノモノ遠ニ
寄セ方物トシテ
珍玩スルモノナリ
臺湾府志所謂
鬼蟹状如傀儡者
即此物ナリ


尾州ニモ此蟹出ル事アリオゾ
サガニ又オサダ蟹トモ云フ
コレ長田ノ庄司ノ亡灵[やぶちゃん字注:灵=霊。]化
スル由ヲ云フ平
家ガニトハ
唱ヘズ長州文字ヶ関
海濵ニノミアリト人々
思ヘリ左ニ非ス中国
ヨリ西海ニハマゝアルモノナリ

[やぶちゃん注:短尾下目ヘイケガニ科ヘイケガニ Heikeopsis japonica (二〇〇八年に新属名として改称)又はその近縁種(「■やぶちゃん読解改訂版」注で後述)の背面図(上方)と腹面図(下方。腹節から♂)。]

《改帖》

長門國阿弥陀寺の什物として有所の平家蟹の讚鹿
園〔苑〕院大相國義満御作のよしその真翰のうつしたる
を見れは
嗚呼悲哉三界流轉の修羅の業跋提河のなかれに落
せられて苦海の波に沈みかゝる蟹の姿と化生せしか
憐無しく過し元暦のいにしへをいまの事よと
あやまたれもろき涙袖にあまるつらし人間盛衰
を案するにたたこれかんたんの一時ねふりにもあら
す平家僅に二十余年の奢りも盛者必衰の夢の
内に來りて終に東夷の武威にくたかれ壽永の
秋の一葉に棹さして西海の波濤にさまよひ
《改帖》
浮沈の流れに身を寄しはいとあはれなりける有さまな
り頃しも元暦二年の春の頃かや官軍所々の
軍に打負てつくしをさして落塩の天子はし
め月卿雲客一蓬の漏露小波となり帆を漂泊の
浪にまかせて豊前國柳ヶ浦に著せたまひてしは
しは君宸襟をやすめたまひしかは官軍一先安堵の
おもひをなせり斯りし處に三月廿二日とかや思はさる
に範賴義經兵舩數千にて押寄せ幡旗を春風
にひるかへし矢を射る事雨のことし櫓械〔櫂〕のうたは
天をふるはし鯢波の声海底を驚かすされは兵は
凶器武は逆德とそいへとも王土に身をよせし武士とも
《改帖》
なさけなくも先帝の御座舩天子の龍顏をもははからす
七重八重に打ちかこむ官軍今を限りと防戰すといへとも
運微にしてたちまち打負け女院いけとられ給ひ
しかは今は是まてと二位の禅尼進み出安德天皇八才
の若君を胸にいたき奉り右の手に寶劔を拔もち
海底にとひ入給へは諸卿百官千司平氏の公達一族一ツ
流れに身を沈め水の泡立時の間に消へて姿もなき跡は
寄來る浪も名殘なり夫々の百官此蟹と化生する
事いかなれば馴ぬ海路の戰に七手八脚手たて盡瞋
恚強情の恨み消やらす弘誓の舩にほたされ随
縁眞如の浪起りて八苦の海にしつみ煩悩の波深に
《改帖》
漂ひて百率〔卒〕の魂魄天源にかへることあたはす終に
水底に流轉してよる所なきまゝ虫と化して此蟹とな
れるものか今是か姿を見しよりも昔の哀れに袖
ぬれて
    過きし世の哀れに沈む君か名を
     とゝめ置きぬる門司もしの關守
    よるへなき身は今蟹と生れきて
     浪のあはれにしつむはかなき〔さ〕

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]

草蝦 蝦夷地方ノ産


此モノ西蝦夷地
 ソーヤタヒシツンベニテ
 捕ル

[やぶちゃん注:一般に「クサエビ」という和名は、現在、「ブラックタイガー」と呼ばれている軟甲(エビ)綱十脚(エビ)目根鰓(クルマエビ)亜目クルマエビ上科クルマエビ科ウシエビ Penaeus monodon の在来個体を示すものであった。しかし、ウシエビは西日本以南から亜熱帯・熱帯に棲息する種であり、ここでは北海道産とあることから、これとは違う。形状から見ると、十脚目コエビ下目タラバエビ科タラバエビ属ボタンエビ Pandalus nipponesis を疑うが、色が余りにも異なる。体色からするとタラバエビ属ホッカイエビ(=ホッカイシマエビ=シマエビ) Pandalus latirostris が近いように思われる。]


拉姑一名哈馬
      清高士奇
      東巡日録
[やぶちゃん字注:以上は二行は、底本ではポイント落ちで前行の下に割注二行で入る。]
           サリガニ
             シサリガニノ
              略語ナリ
[やぶちゃん字注:以上は二行は、底本では前の割注と同じポイントで割注二行のさらに下に左下方へとはみ出る形で記されている。]
一名蝲蛄盛京通志


石蟹ト螃蟹不同形且小其
黄附久不合疽瘡螃蟹横行
石蟹退行此亦一異生渓澗中
 東医宝鑑

[やぶちゃん注:既出の十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目ザリガニ下目ザリガニザリガニ Cambaroides japonicus の尾部を下に曲げた個体背部が右に、左に尾部を伸ばした個体の図。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。本画像に限っては微妙に倍率を変えてある。下段のスケールを参照。]

土蟀 福州府志
 和名ゴカイ 又海ミミズ 潮ノサス処ト河水マミズトノ境ニ
[やぶちゃん注:「マミズ」はママ。]
 生ス泥沙ヲ堀〔掘〕取形扁ニシテ兩辺細々足アリ牙アリ
 人ノ手ヲ咬ム漁人沙糖水ニテ一個ヲ丸呑ニシテ
 淋病ヲ治スト云黑燒ニシテ用テ久シキ淋痛
 瘥ガタキモノニ用テ神効アリト云八九月ノ際
 此物沙中ヨリ出テ浮流ルコトアリ網ニテスク
 ヒ取冬月ヨリ春ニ至ル迄ノ魚ヲ釣餌トス
 其外年中此物ヲ用ユ老イタル者ハ形大ニシテ四五
 寸ニ及フ廷〔延〕レハ長ク縮レハ太ク短シ蛭ノ如シ小毒
                        アリト云

[やぶちゃん注:下部に絡まった形の十数個体の環形動物門多毛綱 Polychaeta ゴカイ類の図。近年、単一種としてのゴカイという概念は修正されたため、サシバゴカイ目ゴカイ超科ゴカイ科カワゴカイ属ヤマトカワゴカイ Hediste diadroma 、又はヒメヤマトカワゴカイ Hediste atoka 、又はアリアケカワゴカイ Hediste japonica (これが旧来の和名「ゴカイ」の学名であった)孰れかということになる。]
《改帖》
[やぶちゃん注:下部右に前帖からのゴカイの図が出っ張る。]
《改帖》








[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。一番下の図は100%ダウンロードで細部を観察するためにカイロウドウケツエビの「オモテ」と「ウラ」の箇所とカイロウドウケツの体幹中央部と一緒にトリミングしたもの。]

海〔偕〕老同穴又海ヘチマハ長州矦領分長州清末キヨスヘ海中所産ニシテ
[やぶちゃん字注:「海ヘチマ」は右側書でここへの挿入指示がある。]
其地ノ方言ナリ蝲蛄サリカニノ異品ニシテ雌雄一所ニ居テ
巣ノ上下ニ竅アリテ出入ス故ニ此称アリ此巣ノ質
ハ海綿ノ如ク蛮名スポンギウスト云モノニ似タリ苧麻
[やぶちゃん注:「蛮名」は割注で右から左に記載。]
絲ニテ織成スモノゝ如シ手ザハリ軟ニシテ俗ニ云メリヤス
ノ如シコゝニ図スル細カキ圏点ノ処ハ盡ク小円竅ナリ
上端ニ絮アリ細毛絨銀色ヲナス試ニ火中ニ投入スルニ
焼焦スルコトナシ質火浣布ニ似タリ是又人ノ識サルモ
ノナリ一体形絲瓜絮ノ如シ故ニ海ヘチマト呼ブ此海
ヘチマハ薬品會ニ出ルコトアリテ偶見ルモノナレドモ此
蝲蛄ノ造レル巣ナルコトヲ知ラス今茲ニ親ク目撃
シテ始テコゝニ一識ヲ博フス此モノ文政壬午秋参政
堀田矦惠贈セラルゝモノナリ 栗丹洲誌
                            ヲモテ

[やぶちゃん注:下部に「カイロウドウケツ」の一個体が以下三帖分に亙って描かれている。本帖の「カイロウドウケツ」の下の左に「カイロウドウケツ」の中に片利共生するエビの「ヲモテ」と記した小さな(「カイロウドウケツ」と同寸と思われる)背面図が描かれている。これは海綿動物門六放海綿綱リッサキノサ目カイロウドウケツ科カイロウドウケツ属ヤマトカイロウドウケツ Euplectella imperialis 、又は同属マーシャルカイロウドウケツ Euplectella marshalli であり、片利共生しているとあるエビは本種群に特化して共生するヒメドウケツエビ Spongicola japonica である。]

《改帖》
                             ウラ
海中産ザリガニノ造成セル巣ナリ或云海中ニ
此物生シテ後ニヱビ雌雄來テ寄居シテ我室トス
此ヱビヲ寄生蝦ヤドリヱビ云フ空殼ノ螺中ニ宿ヲ假借
スル寄居虫ハ其意同シト云ヘリ此巣ハ此雌雄〔ノ〕カニ〔ノ〕
作レルモノト云ヘドモ顧フニ此小蟹巧ニアラサルベシ
友人芝陽ニ見セ評価セシムルニ蝲蛄異品ト云ヘリ
[やぶちゃん注:本帖のカイロウドウケツの下の右にヒメドウケツエビの「ウラ」と記した小さな(前帖と同寸)腹面図が描かれている。]

《改帖》
[やぶちゃん注:カイロウドウケツの下部の毛の束(仮根状の部分)が右下部に描かれている。]
《改帖》
[やぶちゃん注:底本ではこの帖は白紙である。]
《改帖》






[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。下の図は右帖の「紫稍花」を50%でダウンロード、トリミングしたものをブラウザの関係で特に正立させて掲げたものである。]

紫稍花  寛政六甲寅夏月 江刕鸊※1湖産
[やぶちゃん字注:「※1」=「帝」+「鳥」。]

 中心ハ芦莖ナリ紫稍ノ花ハ綱目弔ノ條下ニ
 出近江湖水ノ邉方言カニクソ芦竹枝上ニ着
 ク状蒲槌ノ如シ灰色ナリ陳自明婦人良方云
 紫稍花生湖澤中乃魚蝦生卵子〔于〕竹木之上
 状如糖※2去木用之トアリ
[やぶちゃん字注:「※1」=「帝」+「鳥」。「※2」=(さんずい)+「昔」+(のぶん)。但し、「※2」は、「和漢三才図会」の、同じ陳自明の「婦人良方」の引用を見るに、中央に入っている「昔」は「日」ではなく「目」である(更に言うと「和漢三才図会」では「糖」ではなく「餹」とある)。ところが、本書の字も、「和漢三才図会」の字も、「廣漢和大辞典」には所載しない。「澈」《水が澄み清いの意》や「*」《*=(さんずい)+「敢」:味が薄いの意。》等の誤字とも考えられないことはないが、どなたかお分かりの方は御教授願いたい。ともかくも、この熟語「糖※2」という熟語の読みは不明乍ら、平凡社東洋文庫版島田他訳「和漢三才図会」によって「みづあめ」であることが分かっている。

[やぶちゃん注:下部に紫稍花の全体図(蘆付き)と、右下に同寸の断面図一つ。本文の記載に関わらず、その形状と図から本種がカイメンの一種であることは容易に知れた。而して私は平凡者東洋文庫版訳「和漢三才図会」の「紫稍花」の条にある、訳者注に基づき、本種を淡水産の海綿動物門尋常海綿綱タンスイカイメン科ヨワカイメン Eunapius fragilis と同定しておく。なお、以上の「和漢三才図会」の記載は私の電子テクスト「和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類」の「吉弔きつちやう 弔脂 紫稍花」の項で電子化し、詳細な注も附してあるので、是非、参照されたい(実はそこには私が更に自信を以って本種同定に至った過程も詳述してあるからである)。]


《改帖》

[やぶちゃん注:画像は前に出した。]

章魚 タコ
[やぶちゃん字注:底本では「章」の最終画は、中央の「日」を完全に貫いて、「立」の下についている。以下同じ。]
 タコノ陸地ヲ行クモノ
 前ニ脚ヲ伸テ后身ヲ
 進マシム恰モシヤクトリ虫
 ニ似タリト云

[やぶちゃん注:やや戯画的な一個体の図(前帖の「紫稍花」の蘆の下部が右下に突き出ている)。流石に軟体動物門頭足綱八腕形上目八腕(マダコ)目無触毛(マダコ)亜目マダコ科マダコ亜科マダコ属 Octopus Octopus 亜属までは狭めてよいであろう。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]

肥前天草産
 金章魚 漢名塗蟢

華夷蟲魚考寧波府志及典籍
便覧ニ望湖〔潮〕一名塗蟢ト云モノ是也状
イヒダコニ似テ小サク腹小サク空虚ニシテ飯ナ
シ足細長クシテ蜘蛛ニ似タリ小ナルモノ寸
許丹後但馬越前加賀ニ多クトルモノ也
 拙按ルニクモダコト云モノ章魚ノ初生ナ
 ルヘシ又一種別極テ小ナルモノカ未詳
 四國海濱ニモアリ乾テ四方ニ寄贈ル
 食テ味美ナリ

[やぶちゃん注:下部に「金章魚」三個体の図(右上の一個体は胴部を上にしている。左上は口器を上にしている。最下部の一個体は不分明であるが、腕足の吸盤が左上と同様に比較的くっきり見えており、口器を上にしているか、もしくは多くの腕足を振り上げている状態かと思われる)。
 本種の同定に関しては、明石淡路フェリー株式会社のサイト内の『明石海峡タコだより』の第六号『蜘蛛ダコって?』に以下のように考察がなされており、大いに参考となる(2014年10月追記:2012年に残念なことに会社解散によりサイト自体が消失しているのでリンクを外した)。
 『マダコ、イイダコ、テナガダコの三種類が明石で獲れる主なタコ類』であるが、『時折「クモダコ」という呼び名も耳にする』ことがある。しかし、そう呼称しても『別の種類が目に付くわけでもない』、とする。そこでこの帖の作成者は丹洲同様に、按ずるに『どうやら、胴に黒い筋が入り、金色の丸印を模様とするイイダコがそれらしい。真冬に胴の中ぎっしりと飯粒のような卵を持っていないものをクモダコと呼び分けたのではないだろうか。』と推測し、『本格的に寒くな』れば「飯持ち」になることを述べ、『釣り上げられたイイダコを見ると、袋状の胴体に黒い線が入って、クモの胴のようにも見える。細い足の動きも、どこか昆虫の動きに似て、昔の人はイイダコと別の種類と思ったのだろう。』とさらにフィールド体験からの補強をもしている。
 これはまさに丹洲の考察と美事に一致していると言ってよい。勿論、他の種の幼年個体としても見ておくべきではあるが(特に地方名の場合)、ここでは私は清々しく無触毛(マダコ)亜目マダコ科マダコ亜科マダコ属 Octopus 亜属イイダコ Octopus ocellatus と同定する。]





[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]

職方外記〔紀〕云一種介属之魚僅尺
許有殼六足々有皮如欲他徙則
竪半殼當舟張足皮當帆乘
風而行名曰舡魚
龍威秘書巻九譯史紀餘曰舡

《改帖》

魚六足行殼有皮僅長尺許如
欲他徙則竪半殼當舟張足皮
當帆乘風而去

[やぶちゃん注:腕足の間の膜を帆として掲げている「舡魚」の図。これは次の帖の冒頭に示されているように、欧文の図譜からの転写である。原本は G. Eberhard Rumpf “ D'Amboinsche rariteitkamer ”で、1705年にアムステルダムで刊行された蘭語版の「アンボイナ珍品集成」である。当時日本では、「ラリテート」と呼ばれた。次帖冒頭の『落立茅篤』は「ラリテート」に漢字を当てたものである。「■読解改訂版」の注では原図を示してある。]

《改帖》

舡魚  蛮名 ヒツセナーテ〔チ〕リス 右ノ図蛮書落立茅〔弟〕篤中ニアリ直ニ抄出ス

 本邦俗ニ章魚船ト呼一名貝章魚ト云此介殼ヲ人〔介〕品ニ入ル紀州ニテ葵介ト云小ナル
 ヲ乙姫介ト云諸州ノ海中ヨリ産ス大ナルハ六七寸小ナル者二三寸純白ニシテ形鸚鵡螺
 ノ如ク薄脆玲瓏恰硝子ヲ以テ製造スルモノニ似タリ文理アリテ※瓏ヲナス畧秋海棠
[やぶちゃん字注:※=(がんだれ)の中に「毛」。読みも意味も不詳。因みに「瓏」は明らかなさな、はっきりとしたさま。識者の御教授を乞う。]
 葉ノ紋脉ニ彷彿愛玩スルニ耐タリ中ニ一章魚ノ小ナルモノコレニ寄居ス六手ヲ殼肩ニ出
 シ両足ヲ殻後ニツキハリテ櫂竿ノ象ヲナス海面ヲ游行スルコト自在ナリ真ニ奇物ナリ此
 章魚ハ外來ノモノニ非ス此介ノ肉ナリ徑月大ナルニ随テ此介モ又大ニナルモノ也章魚ノ船ニ
 乘タルニ似タルニ因テ此名アリ徃年津輕海濱ニ此物一日數百群ヲナスコトアリテ寄來ル
 人多クコレヲトル然レドモ怪テ食フモノナシ試ニ煮テ犬ニ與テ喰ハシムルニ皆煩悶苦痛
 ノ体ナリ因テ有毒ノモノト知漁人偶得ルコトアレハ則章魚棄テ殼ノミヲ採リテ以テ珎
 玩トシテ四方ニ寄ス然レドモ其殼モロク碎ケ易ク久シク用ユルニタヘス

[やぶちゃん注:本種は無触毛(マダコ)亜目アオイガイ科アオイガイ(カイダコ) Argonauta argo である。なお、この擬殻を形成するのは♀のみである。

 以上で「栗氏千蟲譜」第十巻の本文は終了している。この後に、後記・跋文・所蔵者曲直瀨愛の識があるが、海洋生物とは無縁なので全て省略する。]


*      *      *


■やぶちゃん読解改訂版
(読みやすさを第一に考えて整序し、殆どのカタカナは平仮名に変えた。漢文部分は我流で訓読してあるので注意されたい(私は専門家でないので誤読が多いと思われるによって注意されたい。また、誤読部分については切に識者の御教授を乞うものである)。字注を大幅に排し、適宜、送り仮名・読み(歴史的仮名遣とした)・推定される意味なども増補してある。誤字も修正して括弧や空欄も用いた。一部は推定字で置き換えた。注の一部も読解用に変えてある

栗氏千蟲譜 巻十








[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。最初の画像は見開き25%倍率の、中央の図は右帖の上部の画像をトリミングした50%倍率の、三つ目の図は左帖の甲のみの部分と脚の先端部の描写を見るためにトリミングした100%倍率のもの。]


水引蟹 異品なり。
 頭上、兩の鬚、高く起こる。其の尖り、即ち、眼あり。然れば鬚に非ず。眼の茎の長く出づるものなり。

[やぶちゃん注:節足動物門大顎亜門甲殻綱軟甲亜綱真軟甲下綱ホンエビ上目十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目短尾(カニ)下目ミズヒキガニ科ミズヒキガニ Eplumula phalangium の脚をすべて上方に挙げた状態の腹面図。次の帖に跨って左右に脚を広げた同種の正面図。和名は通常は概ね第四歩脚を水引の如く上に挙げていることに由来する(ここで殊更に描写するような眼柄ではないので注意)。英名では最後歩脚の羽毛を矢に見立てて“Arrow crab”(アロー・クラブ)と呼ばれる。]

《改帖》

猩々蟹シヤウジヤウガニ
 越前、魚名浦の産。
此の物、網より上がる時は、脚・はさみを疊みて、動かず。其の状、図のごとし。濱沙の上にあれば、左右に脚を伸ばして走る、長踦チヤウキに似たり。走ること遅鈍なり。

[やぶちゃん注:同記載の後に、脚を畳んだミズヒキガニ Eplumula phalangium の正面図があるが、殆ど脚が見えず、やや誇張が過ぎるように思われる。一見、別種の記載のように見えるが、この脚を畳んだ図を見る限り、同種である。なお、現在の和名異名では「ショウジョウガニ」(猩々蟹)というと、短尾下目アサヒガニ科アサヒガニ Ranina ranina が一般的であり、さらに地域によっては短尾下目イワガニ科ショウジンガニ亜科ショウジンガニ Plagusia dentipes を訛ってかく呼ぶこともあるようであるが、本図はこれらとは全く異なる。

「越前、魚名浦」巻九にも頻繁に出るが、位置も浦名も不詳。識者の御教授を乞う。

「濱沙の上」言わずもがなと思われるが、浅瀬の、である。

「長踦」は、節足動物門鋏角亜門蛛形(クモ)綱クモ目アシダカグモ科アシダカグモ Heteropoda venatoria 及び同属の総称である。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]


螃蟹〔一名「毛蟹」。和名「ヅガニ」。「モクズガニ」とも、「モクソウガニ」とも云ふ。〕
「寧波府志」に出で、又、「臺湾府志」にも云はく、『毛蟹、溪澗中に生ず。はさみに毛を生やす。秋の後、其れ、肥して美なり。』と。此の物、山川の深き流れの處に生ず。秋、八、九月末、流れに下る。蕎麦の花さく頃、大雨ありて水、漲り流るる時、多く下るの候とす。微毒あり。病人、必ず食ふべからず。金瘡にて筋の断ちたるを接續するに、此の黄膏を用ゆ。此の蟹の甲を破り、黄膏を取りて、土器に入れ、陰干しし、細末となし、乳汁に和し、疵の側にくるべし。又、疵を洗ふ毎に傅くるこそ、よしとす。貝原翁、試みたるはうにて、「大和本草」も説を出だせり。「津蟹」とかきてあり。東都、戸田川・中川・利根川に皆、あり。又、上水の長流の水中の樋筧の内にある事を聞けり。伯州散には、此の蟹を用ゆべきなり。

[やぶちゃん注:次の帖にかけて、短尾下目イワガニ科モクズガニ Eriocheir japonica 一個体の背面全図。所謂、「蟹の褌」、腹節が鋭角を成しているので♂である。
「寧波府志」明代(一五六〇年編纂)の浙江省寧波地方の地誌。
「臺湾府志」清代(一六九六年刊行)の台湾地誌。
「微毒」とは、現在明らかになっている寄生虫による症状を指すものであろう。即ち、モクズガニに特異的に寄生する扁形動物門吸虫綱二生亜綱斜睾吸虫目住胞吸虫亜目住胞吸虫上科肺吸虫科 Paragonimus 属ベルツハイキュウチュウ Paragonimus pulmonalis (Baelz, 1880) による肺結核様症状である。ちなみに、この寄生虫については長く(一部学者は現在も) Paragonimus 属ウェステルマンハイキュウチュウ(肺臓ジストマ)Paragonimus westermanii の3倍体種とされてきた(現在もそう記述するものが事実多い)が、モクズガニ研究の専門家であらあれる小林哲氏の記述に基づき、ここではベルツ肺吸虫の名称を採用する。
「戸田川」現在の荒川の一部となっている蕨付近の流域の当時の呼称。戸田の渡しがあった辺り(中山道は江戸方から板橋宿と志村の一里塚を過ぎたところにあるこの戸田の渡しを越えなければわらび宿に辿り着けかなかった。以上はウィキの「蕨宿」に拠った)。
「中川」埼玉県及び東京都を流れて東京湾に注ぐ一級河川。利根川水系の支流。利根川東遷事業以前は利根川と荒川の本流であった。江戸初期までは現在の中川下流の川筋に流れ込んでおり、その時には未だ「中川」という川は存在せず、利根川を東に、荒川を西に移す工事が完成した後に残った流れが現在知られる中川となった。江戸期の中川は、元荒川・庄内古川しょうないふるかわふる利根川などの流れが合流した地点から下流を指したが、明治になって庄内古川・島川の流路が本流とされ、遡ってこれらも皆、「中川」と呼ばれるようになった、とウィキの「中川」にある。
「伯州散」は日本古来の民間薬で、化膿性皮膚疾患に効があり、反鼻はんぴ(マムシの皮と内臓を除去した乾燥品)・鹿角ろくかく津蟹しんかい(これが本種)を別々に黒焼きし、等量に配合したものという。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。次の帖にかけて、前に続いてモクズガニ Eriocheir japonica 一個体の腹面全図。所謂、「蟹の褌」、腹節が鋭角を成しているので♂である。]


《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]


藻屑ガニ
 相州小田原の海中に産す。これより大なるものあり。惣身に毛あり。土泥など付きて至て、むさき形なり。漁人、「モクゾウガニ」と云ふ。大なるものは津蟹と同じ。

[やぶちゃん注:「モクゾウガニ」という名称はモクズガニの関東周辺での異名であるようである。但し、説明の下に背面一図が載るが、この甲羅は絶対にモクズガニではない。甲及び脚部に短毛が密生しており、何よりも前側縁の第四歯(甲羅の左右に横に突き出ている部分)の側方突出が頗る顕著であることから私は短尾下目クリガニ科クリガニ属トゲクリガニ Telmessus cheiragonus ではないかと推定するのであるが、如何せん、同種は東京湾以北にしか棲息せず、小田原という採集地が悩ましい。識者の御教授を乞うものである。……でもこれ、そうとしか思えないんだけどなぁ……]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]


虱蟹〔マメガニ。〕
 是れ、沙狗の小さき者。

[やぶちゃん注:説明の下に大小のマメガニ二個体の図。以下は、その下の説明。この同定には幾つかの可能性を考えなければならない。まずはスナガニ上科スナガニ科コメツキガニ亜科スナガニ上科スナガニ科 Ocypodidae のコメツキガニ Scopimera globosa やスナガニ上科ミナミコメツキガニ科 Mictyridae のミナミコメツキガニ Mictyris brevidactylus が考えられるが、「沙狗」が広くスナガニ科 Ocypodidae を指す呼称であることを考えると、同科の、コメツキガニ属 Scopimera sp. やチゴガニ属 Ilyoplax sp. 及びツノメチゴガニ属 Tmethypocoelis sp. も射程に入れる必要があろうか。更に、次に続く叙述からはカクレガニ科 Pinnotheroidea の種群も同時に考慮しなくてはならない(特に上部の右一個体と下部の下方一個体は甲が如何にもピンノ類っぽい)。図が小さく、これ以上の同定は私には出来ない。]


がふ中の小蟹。潔白にして透徹す。蛤の肉に与みし俱に食らふ。にして脆く、淡美なり。又、奇品なり。

[やぶちゃん注:訓読は力技で全く自信なし。ご注意あれ。この説明の左にやはり大小の「マメガニ」二個体の図。この叙述からならば、短尾下目カクレガニ科カクレガニ属オオシロピンノ Prinnotheres sinensis やカギツメピンノ Pinnotheres pholadis などを同定候補としてよいであろう。
「鬆」は「すが入る」の「す」で隙間の多いこと。]


溪蟹

澤蟹。辰の五月十三日に写す。凾関、温泉ある處、澤ある處にあり。此の蟹、好みて※菜わさびを啖らふ。因りて此の蟹多き處にて、わさびを作らずと云ふ。此の蟹、火の上にて焙り食へば、味、美なり。又、湯に作りて、酒のなかだちとす。

[やぶちゃん注:「※」=(くさかんむり)+(下左「火」)+(下右「旱」)。別写本に「※菜」で「ワサビ」とルビを振る。下に、短尾下目サワガニ上科サワガニ科サワガニ Geothelphusa dehaani 2個体の図。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]


小蟹 蛤の腹中に胎する者、俗に呼んで「カニムグリ」と云ふ。土州宿毛どしふすくも産の蛤の中、各々、小蟹を孕む。方言「サキツ」と云ふ。又、薩州久見崎ぐみざきの海中所産の蛤、十中に六は腹中に小蟹あり。蟹と共に煮、食へば、味、極めて美なり。遠境の人、甚だこれを珍重す。其の所産の海濱、僅かに方二町許りの處なり。其の他は尋常のものにして、蟹ある事なし。文化〔己巳つちのとみ〕のらふ、薩州榮翁老矦らうこう、本國より東國に輸致せしむ。同僚、桂月池國端かつらげつちくにあきらに贈らる。其の中、一個を分けて、予に分恵す。剖開して、これをみるに、肉は瘦せたりと雖も、存活せる事、新たに今、海中より拾ひ取り得たるものと同じ。煮、味はひて珍賞するに、餘味、感ずべし。三、四百里程の日數を經て來れるものに、此の小蟹も亦、活在す。一奇事なり。後年、遺忘せん事を怖る。因りてここにありのままに其の事を識し、同好君子に示すのみ。
 昌臧まさよし、按ずるに、「嶺南雑記」に云はく、『剣蚌の腹、小蟹有り。任昉じんぼうが「述異記」に之を謂ひて、「筋」と。即ち、是れなり。』と。

此の蛤、東都の海中に産するものと異なり。形、丸みありて、質、堅く厚し。斑紋も亦、此くのごとし。

[やぶちゃん注:異歯亜綱マルスダレガイ科ハマグリ亜科ハマグリ Meretrix lusoria の左右の貝の図。中央右上に描かれた右殻は内側、その左下に描かれた左殻は外側。私は蝶番からの殼の曲線から、この左に描かれた左殻のものは真正の Meretrix lusoria と同定してよいように感じるが、如何か。以上の三行は、その右殻下に記載されているのだが、説明されてある殻の形状とこの右に描かれた右殻の蝶番からの曲線は左殻のそれと一致せず、有意に膨らんでいることから、丹洲が言っている「東都」のハマグリとこの右の右殻のそれはハマグリ属チョウセンハマグリ Meretrix lamarckii である可能性が高いようにも思われる。但し、右殻内側にある套線湾入の右部分の形はハマグリ Meretrix lusoria のようにも見える。以下に示す雪斎の図も参照されたい(画像は国立国会図書館蔵「千虫譜第2冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より)。




 なお、老婆心乍ら、「チョウセンハマグリ」には「朝鮮蛤」という漢字が与えられてしばしば本邦産ではないように誤解されているが、同種は立派な国産種で、「チョウセン」は朝鮮ではなく、水際に棲息する「汀線」である。
「土州宿毛」土佐国宿毛。現在の高知県南西部に位置し、愛媛県と境を接する宿毛市宿毛。南西に宿毛湾が広がる。
「サキツ」瑣蛣。こうした寄居蟹(寄生・共生性の小型の蟹類)を指す古い漢語で、「山海経せんがいきょう」の注釈者として知られる西晋・東晋の文学者郭璞かくはく(二七六年~三二四年)の代表的文学作品「江賦」や、南北朝の陳代(五五七年~五八九年)の作として本草書で引用される沈懐遠「南越志」(現物は消失)にも出る。
「久見崎」現在の鹿児島県薩摩川内市の大字。旧薩摩郡高江郷久見崎村、薩摩郡高江村大字久見崎、川内市久見崎町。
「味、極めて美なり」とは私は思わない。
「方二町」約二百十八メートル四方。
「文化〔己巳〕」は文化六(一八〇九)年。
「臈」臘と同字で、陰暦十二月の異名、臘月ろうげつのこと。
「薩州榮翁老矦」薩摩藩第九代・島津家二十五代当主島津重豪しげひで(延享二(一七四五)年~天保四(一八三三)年)。栄翁は号。将軍家斉の岳父。「南山俗語考」「島津国史」等の編纂、造士館・明時館等の設立など文化事業を興し、商業政策にも積極的に取り組んだ。蘭学を学び、シーボルト等とも親交があった、所謂「蘭癖大名」の一人。
「輸致せしむ」送り来させる。
「桂月池國端」蘭医桂川甫周かつらがわほしゅう(宝暦元(一七五一)年~文化六(一八〇九)年)。国瑞は名、甫周は通称で月池は号。杉田玄白らと「解体新書」を翻訳したことで知られ、編著に「魯西亜志」「北槎聞略ほくさぶんりゃく」など。
「昌臧」栗本丹州の本名。
「嶺南雑記」清代の康熙年間に呉震方が著した嶺南地方の地誌的随筆。
「剣蚌」二枚貝の一種と思われるが、不詳。
「任昉」中国南北朝時代の南朝梁の文学者。「述異記」は彼の著わしたとされる著名な志怪小説集。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]


此の小蟹、圖のごとくなる大いさなり。背甲、白き三星あり。肚の下、紋所の葵の文あり。むきみの、ひらひらしたる處を、『タスキ』と云ひ、『ハカマ』とも云ふ。其の『タスキ』の薄き皮と肉との間に、此の小さき蟹、出入りす。口を開く時、殻外へも出でて遊ぶにや。全体は入るべき餘地なき處なり。

[やぶちゃん注:下に短尾下目カクレガニ科カクレガニ属ピンノ Pinnotheres sp. の背面、加えて不詳の二枚貝(外套膜及び斧足、水管が大きくはみ出している)に半ば姿を隠した図が示されている。雪斎版の図の質感が頗るいい。掲げておく(画像は国立国会図書館蔵「千虫譜第2冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より)。




 ピンノ類は種類が多く、特定の貝に特異的に寄生しているため、この貝の形状の不確かさでは、種の同定が困難である。背の文様から言えば、ハマグリやアサリに寄生するオオシロピンノ Pinnotheres sinensis か、チョウセンハマグリに寄生するマルピンノ Pinnotheres cyclinus かと思われる。因みに、あまり知られていないと思われるので述べておくと、貝に常時寄生しているのは♀だけである。ピンノの代表種については、私のブログの「生物學講話 丘淺次郎 第五章 食はれぬ法 (二)隠れること~(5)」の注を参照されたい。

「口を開く時、殻外へも出でて遊ぶにや」私は生殖行動時(一部の種で群泳行動が確認されている)を除いて寄生関係に入った後は、その脆弱な上皮(外骨格)から見ても殻外へ出入りしたり、寄生種を変える行動をとることは考え難いと思っている。]

《改帖》






[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。上の図は右帖50%、下の図は見開き25%倍率。]


アブラ蟹
 海濵に生ず。かたち、石蟹に似て、甲、薄黑。はさみ、むらさき色なり。脚、薄黄紫の斑紋あり。毛もあり。

[やぶちゃん注:右帖下に背面のアブラガニ一個体。同定に困るのはまず、冒頭から類似種を「石蟹」という不詳の対象物で提示している点である。無論、「石蟹」と言ったら現在は短尾下目ワタリガニ科イシガニ Charybdis japonica を指すのであるが、実は後で明らかにイシガニ Charybdis japonica と同定出来るカニの図を丹州は「藻ガニ」と名指しているからである。さらに現在、アブラガニというと抱卵亜目異尾(ヤドカリ)下目ヤドカリ上科タラバガニ科タラバガニ属 Paralithodes platypus の和名(漢字表記「油蟹」)であるが、これは本文とも図とも全く一致しないので完全に除外される。鋏脚の紫色という叙述や「海濱」という条件を考えると、短尾下目イワガニ上科モクズガニ科ハマガニ Paralithodes platypus が候補として挙がるが、図のような銭型紋はない。画像を縦覧してゆくと、背面の凹凸がここに描かれたような紋様に極めて近似した個体を幾つか現認出来る種としては、イワガニ上科モクズガニ科 Varuninae 亜科イソガニ Hemigrapsus sanguineus や、イワガニ上科イワガニ科アカテガニ属クロベンケイガニ Chiromantes dehaani が挙げられる。というより、イワガニ上科の幾つかの種を混淆したような記載及び図のようにも見え、いそうでいない、ちょっとややこしい蟹の図である。]


ガサミ ウミカニ
 「正字通」に曰はく、『長さ、尺餘。両のはさみ、至つて強し。「蝤蛑ガザミ」と曰ふ。又、螯、毛あらず。後跪は薄く濶くして櫂のごとく、「撥櫂ハツタウ」とも曰ふ。』と。

[やぶちゃん注:短尾下目ガザミ上科ガザミ科ガザミ Portunus trituberculatus の背面一個体。前帖に右四脚がはみ出している。
「正字通」明の張自烈の撰になる字書。後の「康熙字典」編纂の先例となった。
「蝤蛑」音は「シウボウ(シュウボウ)」であるが、現在も本邦でもガザミをこう書くのでここは例外的に「ガザミ」とルビした。原義は「蝤」が木食い虫(カミキリムシの幼虫)、「蛑」が根切り虫やカマキリの意で如何にも腑に落ちる。
「後跪」の「跪」は特に蟹の足(脚)を指すのに用いられる語である。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]


マンヂウ蟹 九州の産なり。関東に絶えてなきものなり。

 手脚・はさみ、折りかがめて乾したるものは、甲の上よりは、みへず。平たくして、まんじうのごとし。因つて名づくと云ふ。

[やぶちゃん注:短尾下目オウギガニ科マンジュウガニ属スベスベマンジュウガニ Atergatis floridus の腹面前方からの図が上に、下に脚を全て背甲下部に入れ込んだ前面図がある。ちなみに、本種は麻痺性貝毒であるゴニオトキシン( gonyautoxin ; GTX)やサキシトキシン( saxitoxin ; STX)、ネオサキシトキシン( neosaxitoxin ; nSTX)、加えてフグ毒のテトロドトキシン ( tetrodotoxin ; TTX) はを持つ個体が知られており(摂餌物由来と推測されており、調査個体によっては充分な致死量を含むことが確認されている)、凡そ、あまり食したくは思わない形状をしているが(実際に現在まで本種による公的な食中毒例の報告はないとされている)、取り敢えず誤食には注意を有する。
「甲の上よりは、みへず」膨張肥厚した饅頭のようにつるんとした甲羅の上より他は全く見えない、の意。まず、今時の図鑑ではここまで丁寧に解説はしてくれない。これが本草書のあったかさなんだようね!]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]


唐人ガニ〔佐州方言。〕

「蟹譜」に曰はく、『セツ匡長はこながにして鋭なる者。之れを蠞と謂ふ。』と。

セミガニ
 江の島海中にあり。佐州にて、唐人蟹と云ふ。甲、堅く、光あり。千人捏の一種のものなり。

[やぶちゃん注:中央やや上に右側面からの図、左やや中央下に腹面の図、最下部に背面の図がある。これらはずべて同一個体の筆写と判断される。本種は、短尾下目アサヒガニ科トゲナシビワガニ Lyreidus stenops と同定する。理由は、三図のどれを見ても、甲の側縁部分が滑らかで、同アサヒガニ科ビワガニ Lyreidus tridentatus の特徴である左右の一棘が全く見られないからである。
 但し、以下に画像で示すように、国立国会図書館蔵「千虫譜第2冊」(画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」より)の雪斎版の絵の上部には、理学博士伊藤篤太郎による大正三(一九一四)年の鑑定資料が添付されてあり、そこには“ Lyreidus tridentatus De Haan, 1841 ”と同定されてある。下に記されてあるのはやや綴りが粗く一部判読が出来ないが、“Siebold ; Fauna Japonica, Curst..”“t. 35. f. 6”「セミガニ」と記されてある。これは伊藤が同定に用いた、シーボルトが長崎に滞在中に採集した動物標本や日本人絵師が描いた下絵を元に、ライデン博物館の研究者によって一八三三年から一八五〇年までの実に二十七年の歳月をかけて分冊刊行されたシーボルトのFauna Japonica(「日本動物誌」)の書誌データである。思うに判読不能の最後の単語は甲殻亜門を指す“ Crustacea ”かと思われる。伊藤氏が同定に用いたその図の画像は京都大学図書館電子図書館の同書のここで現認出来る(画像の挿入はサイト・ポリシーで禁じられているのでリンクする。右上からから二つ目。当該種の本文頁画像はこちら)。しかし乍ら、私は私の同定を変更するつもりはない(なお、失礼乍ら言わせて頂くと同定者の伊藤氏の専門は植物学であり、彼の判定は伝家の宝刀とは言えないと私は思う。そもそも氏が記している「セミガニ」という和名自体が今では通用しない。というより短尾下目アサヒガニ科アサヒガニ属 Ranina ranina の異名として通用している地域さえある。何より、シーボルト自身、原文で(リンク先を確認されたい)カタカナで「ビワガニ」と書いているのである!)。以下の画像は国立国会図書館蔵「千虫譜第2冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)のもの。上部の個体図(底本では中央左寄りの個体図に相当。底本とは図の配置が全く異なるので注意されたい)は付箋を入れてトリミングした。






「唐人ガニ」この地方名は現認出来ない。
「蟹譜」宋の傅肱撰になる蟹類の博物誌。ネット上に公開された複数の画像を見る限り、本書には付図はないものと思われる。
「佐州」佐渡国。新潟大学理学部附属臨海実験所の採取データに、相川町でのビワガニ Lyreidus tridentatus 二標本が載る。
「千人捏」「せんにんごね」とでも読むか。中文サイトによれば、明の楊慎の「芸林伐山」に、蟹の一種として載り、そこには非常に甲羅が堅く、大の大人が力一杯挟んでも潰し殺すことが出来ないので、俗に千人が押さえ込んでも死なぬ蟹という意味で名づけたとある。目から甲羅。なお、後掲される「千人捏」も参照。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]


蘆虎〔猩々ガニ。ベンケイガニ。〕
 「臺湾府志」に、『沙馬。蟹。色は赤く、走ること甚だ疾き者、即ち是れなり。』と。
 按ずるに、「本綱」の「蟹 集解」の中の『※1※2』〔アカガニ。〕は亦、此のものの類か。
「正字通」に云はく、『両の螯、赤。食ふべからず。芦虎と云ふ。』と。

[やぶちゃん注:「※1」=「蟚」の「虫」を(へん)の位置にしたもの。「※2」=「虫」(へん)+「骨」。上部に短尾下目イワガニ上科ベンケイガニ科ベンケイガニ Searmops intermedium 背面一個体の図。
「食ふべからず」ベンケイガニに毒性はない。]


メクラガニの図を取る。「目出タガニ」ともいふ。
  甲戌きのえいぬ三月十六日、活ける物を得て、寫す。

[やぶちゃん注:短尾下目エンコウガニ科メクラガニ亜科メクラガニ Typhrocarcinus villosus と思われる(識別できる画像を見出し得なかった)前方からの位置個体の図。
「甲戌」文化十一(一八一四)年。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]


タクマエビ 相州小田原方言「シツパタキ」。其の活ける者を濵に上げる時は、其の尾にて沙石をはたき、飛ぶ事、數尺なり。因りて此の名を得ると云ふ。西国方言「ウチワエビ」。

[やぶちゃん注:抱卵亜目イセエビ下目イセエビ上科セミエビ科ウチワエビ亜科ウチワエビ Ibacucs ciliatus 背面一個体の図。本図の個体は、頭胸甲の後半部の縁に10を越える棘が確認され、棘が7本の同属のオオバウチワエビ Ibacus novemdentatus と区別されるからである。
「シツパタキ」頻繁に利用させて戴いている「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の「ウチワエビ」によれば、静岡県沼津市静浦で現在も「ヒッパタキ」の呼称が残る。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]

蟹の甲 蛮産。

 「晴川蟹録せいせんかいろく」の引く、「北戸録」に曰はく、『「十二點」。儋州たんしふの出。「紅蟹」。殻上に大小ありて、十二の點をす。深き臙脂色をなし、亦、鯉の三十六鱗のごときのみ。其の殻、「虎蟳コジン」にくみするに堪へたり。「疉子でふし」にも作る。「格物總論」に、『紫蟹。殻は「蝤蛑ガザミ」に似る。足、亦、發棹子はつたふし、有り。但だ、殻上に臙脂の斑點有り。「蝤蛑」の純青色のみとはひとしからず云々』と。』と。

蛮産。酒杯に作りて珎奇ちんきと為す。
 文化丁丑仲夏、近藤正斎が秘ひきよ、醫學舘藥品會所の排列なり。

[やぶちゃん注:鮮やかな赤色円紋を驚くほど多数有する蟹の、右の下部に鮮やかな赤色円紋の連続する背甲の前部からの図(尾部が見えていないか若しくは元々欠損している品と思われる)、背甲の内側(甲羅裏面)の図(前帖にもかかっている)及び背部(甲羅表面)全面(尾部も見えている)の図。この二つは前頁の固体の異なる大型個体の、背甲の二様を描いたようにも見受けられる。そうしてこれらは「蛮産」とあって、しかも「醫學舘藥品會所排列也」とあるから、これら三図は総て外国からもたらされた原物(図であったら「排列」とは言うまい)を模写したものと考えてよい。しかも、その描写の著しい円紋の差異とその大きさ及び形から「排列」されたものは大小二品であったと推測される(三品でなかったとは言いきれないが、後者の甲羅の表裏は同一個体であろう)。当初私が底本のモノクロームの画像を見た際には(三十年も昔のことであるが)、まず短尾下目ガザミ科ガザミ属ジャノメガザミ Portunus pelagicus を思い出したが、しかし、あれは黒点を三つしか有さないし、そもそもが大型の図の二枚の甲羅の形状がワタリガニ類とは全く異なるからあり得ない、これは確かに「蛮産」とあるから南洋の変わった種なんだろうと考えた(最後の部分は誤り)。後に原本画像を見ると「本文通り」、目玉のような「點」は「12」もあって、しかもその色は目も醒めるような鮮やかな「臙脂」ではないか! 見開きとなっているこの部分は総て数えると実に二十八箇所に及ぶ(中央位置の甲羅裏面からの描画の四方の端に出る円紋の一部を含む)鮮やかな臙脂の強烈な印象によって、この「栗氏千蟲譜」の原画像を一見した者の脳裏からは、容易に消えない映像であると言ってよい(事実、私がそうであった)。謂わば、この見開き二帖は本「栗氏千蟲譜」に於ける文字通りの「目玉」であると断言してよいと私は考えている。但し、この発色については取り敢えず、ジャノメガザミを料理すると目玉が鮮やかな臙脂になるように煮沸標本処理による発色の可能性や、本文に「作酒杯」とあるように実は人為的な加工附加がなされている可能性をも考慮する必要がある
 ともかくも結論から言うと、これら三図は総て、取り敢えずは短尾下目オウギガニ上科アカモンガニ科アカモンガニ Carpilius maculatus であると言ってよい(極めて近縁の同属の異種である可能性は無論、ある)。但し、左右に配された甲羅表面の大小の二図にはすこぶる問題がある。しかもその問題の根は単純ではなく、オキノテヅルモヅルの腕の如く、とんでもなく絡み合っている
 アカモンガニ Carpilius maculatus は本邦では紀伊半島以南・伊豆諸島に棲息し、ハワイなど亜熱帯及び熱帯域に広く分布している。甲幅は十五センチメートルほどまで成長し、沿岸域のサンゴ礁や岩場を棲家としている。鋏脚は孰れか一方が相対的に大きくなる。夜行性で日中は珊瑚・岩の隙間や穴の中に隠れており、夜になると活発に活動する。本種は南方では食用とされるが、個体によって毒化(シガテラ毒)したものがあるので注意を要する。
   *
 以下、本文の語注を記す。
「晴川蟹録」清の孫之騄そんしろくの撰した蟹類の博物誌と思われる。
「北戸録」中文サイトで原典を管見したが、唐の段公路の撰したもので、多分に幻想的な博物誌と思われる。
「儋州」現在の海南島北西部に位置する海南省儋州だんしゅう市。三方を海に囲まれ、三十一平方キロメートルに及ぶ海岸線を持つ(現在は洋浦経済開発区が設置されており、想像するに相当な環境破壊が予想される)。参照したウィキの「ダン州市」によれば、『海南島は古くは流刑地であった。儋州の東坡書院は蘇軾(蘇東坡)がここに流されたことを記念したものである』とある。
「鯉の三十六鱗」コイには体側に三六枚の鱗が並んでいるとされる。事実、コイの側線鱗(側線を覆う鱗。この側線鱗の孔によって種を区別することが可能)は平均で三十六枚ある。そこから「三十六鱗」はコイの異名となった。
「虎蟳」中文サイトの本草書記載を見ると、後に出る「蝤蛑」(短尾下目ガザミ上科ガザミ科ガザミ)と同義とする。「海族志」に『文有虎斑、色如瑪瑙』(文、虎斑有り、色、瑪瑙のごとし)とあるのでガザミ類とみてよかろう。
「格物總論」宋代の類書(百科事典)である「古今合璧事類備要ここんがっぺきじるびよう」別集九十四巻中の各項目の初めに置かれた論で南宋十三世紀末頃の石榴せきりゅうの撰。
「蝤蛑」は「シウボウ(シュウボウ)」であるが、現在も本邦でもガザミ(ワタリガニ)をこう書くので、ここは例外的に「ガザミ」とルビした。原義は「蝤」が木食い虫(カミキリムシの幼虫)、「蛑」が根切り虫やカマキリの意で如何にも腑に落ちる。
「發棹子」ワタリガニ類の第五脚は脚の先が平たく変形した遊泳脚となっている。これを棹(櫂)を発する(動かす)子(小さな物に添える接尾語)と称したものであろう。
「文化丁丑」文化一四(一八一七)年。
「近藤正斎」近藤重蔵じゅうぞう(明和八(一七七一)年~文政一二(一八二九)年)は江戸後期の幕臣で探検家。守重は諱。間宮林蔵や平山行蔵と共に〈文政の三蔵〉と呼ばれる。明和八(一七七一)年に御先手組与力近藤右膳守知三男として江戸駒込に生まれ、山本北山に儒学を師事した。幼児かより神童と賞され、八歳で四書五経を諳んじて十七歳で私塾「白山義学」を開くなど、並々ならぬ学才の持主であった。生涯、六十余種千五百余巻の著作を残した。父の隠居後の寛政二(一七九〇)年に御先手組与力として出仕、火付盗賊改方をも勤めた。寛政六(一七九四)年には、松平定信の行った湯島聖堂での学問吟味に於いて最優秀の成績で合格、寛政七(一七九五)年に長崎奉行手付出役、寛政九(一七九七)年)に江戸へ帰参して支払勘定方・関東郡代付出役と栄進した。寛政一〇(一七九八)年に幕府に北方調査の意見書を提出して松前蝦夷地御用取扱となり、四度、及ぶ蝦夷地へ赴き、最上徳内・千島列島・択捉島を探検、同地に「大日本恵土呂府」の木柱を立てた。松前奉行設置にも貢献し、蝦夷地調査・開拓に従事、貿易商人の高田屋嘉兵衛に国後から択捉間の航路を調査させてもいる。享和三(一八〇三)年に譴責により小普請方となったが、文化四(一八〇七)年にはロシア人の北方侵入(文化露寇ぶんかろこう:文化三(一八〇六)年と文化四(一八〇七)年にロシア帝国から日本へ派遣された外交使節だったニコライ・レザノフが部下に命じて日本側の北方の拠点を攻撃させた事件。事件名は日本の元号に由来し、ロシア側からはフヴォストフ事件と呼ばれる)に伴い、再び松前奉行出役となって五度目の蝦夷入りを果たした。その際、利尻島や現在の札幌市周辺を探索、江戸に帰着後には将軍家斉に謁見を許され、その際には札幌地域の重要性を説いて、その後の札幌発展の先鞭を開いた。文化五(一八〇八)年、江戸城紅葉山文庫(後注で詳述する)の書物奉行となったが、自信過剰で豪胆な性格が咎められて、文政二(一八一九)年に大坂勤番御弓奉行に左遷させられた。因みにこの時、大塩平八郎と会ったことがあり、重蔵は大塩に「畳の上では死ねない人」という印象を抱き、大塩もまた重蔵を「畳の上では死ねない人」という印象を抱いたという。文政四(一八二一)年には小普請入差控を命じられて江戸滝ノ川村に閉居した。重蔵は本宅の他に三田村鎗ヶ崎(現在の中目黒二丁目)に広大な遊地を所有しており、文政二(一八一九)年に富士講の信者たちに頼まれて、その地に富士山を模した山(富士塚)を造園、目黒新富士・近藤富士・東富士などと呼ばれて参詣客で賑い、門前には露店も現れたという。しかし文政九(一八二六)年に上記の三田の屋敷管理を任せていた長男近藤富蔵が、屋敷の敷地争いから町民七名を殺害、八丈島流罪となり、父の重蔵も連座して近江国大溝藩に預けられた。文政十二年六月十六日(一八二九年七月十六日)に逝去、享年五十九。死後の万延元(一八六〇)年になって赦免された。実に数奇な才人である(以上はウィキの「近藤重蔵」に拠った)。
「秘弆」「弆」は蔵する・しまっておくの意。秘蔵。
「醫學舘藥品會所」「醫學舘」は江戸幕府が神田佐久間町に設けた漢方医学校。文化三(一八〇六)年に大火で焼失、浅草向柳原に移転再建された。「藥品會所」はそこが主催した漢方薬に限らず、万国の物産や動物を公開したもので多くの見物人が集まった。
   *
 以下、本図(右下の十一点の円紋を有する甲羅の図)についての考証に入る。
 アカモンガニ Carpilius maculatus は英名を“Seven-Eleven crab”というように円状紋の数は11である(特に目立つ大型の円紋が7個に目立たないものが4個加わって総計11という意味らしい。どこかのコンビニの回し者ではない)。画像は小さいものの、英文サイト“National Institute of Oceanography”Carpilius maculatusが最適と考えるのでリンクしておく。ネットのアカモンガニの画像写真を縦覧すると、そもそも前頭部辺縁(底本右下画像の手前部分。図では円紋が九個もある)にはこんなに円紋は集中しておらず、多くのアカモンガニ Carpilius maculatus は、大中一つずつが左右に一対あるものが殆んどで、甲の中央に大紋が三つ(真ん中のものが左右よりも大きい)と、実は右下部の本図には描かれていない甲背部の方に大きな円紋二つとそのやや側面の脇の方に中位のものが一対あって計11である
 しかも、そうすると今度は、右下のトンデモ「十二點」甲羅とは別に、次帖に出る大きな甲羅のそれが12点もあるのが、これまた問題となってくるのである(これは最後に考証する)。
 さて、栗本丹州の「千蟲譜」の原本は栗本家に伝えられてきたが、関東大震災の折りに惜しくも失われたらしく(底本の小西正泰氏の解説に拠る)、現在、我々が見るものは見ることが出来るものはその総てが写本で、小西氏によれば国立国会図書館にはそのうちの五種が蔵書されている。小西氏はそのうち、幕末昆虫学者として知られた曲直瀬愛(嘉永三(一八五一)年~明治二一(一八八八)年)が原本と校合して補写した、この「栗氏千蟲譜」(全十冊)が、原本の複製に忠実で字が丁寧に書かれてあって読み易い点から底本に選んだと述べておられる。確かに色彩や対象の形状を描写するに際してのポリシーには、特に曲直瀬の専門であった昆虫類の描画に於いてはそうした科学的正確さが発揮されているようには思われる。
 しかし、ここで同図書館が所蔵するところの別写本である服部雪斎写になる旧伊藤圭介所蔵本「千蟲譜」(全三冊)の当該図を見てみよう。当該図はこちらでは見開きではないので、トリミングして示す(同じく「国立国会図書館デジタルコレクション」のもので画像の補正処理は一切行っていない。これが原色である)。


[長谷川雪斎写・伊藤圭介旧蔵本「千蟲譜」第二巻より「蟹甲」]






他の図も縦覧するとはっきりと分かるが、服部雪斎は画師として非常に優れた才能を持っていたと思われ、細部描写がすこぶる上手い(昆虫類は私の守備範囲ではないので分からないが、少なくとも「巻九」のアメフラシなどの海産生物の皮膚質感では科学的にもリアルな描写力を持っている。ということは、失われた原画の丹州自身の描写力はもっと凄かったことを物語る)ただ、絵的な良さを狙って原本の絵に過度の彩色を施した嫌いがないわけではないようにも窺われるのであるが、しかし、この一枚目の画像をよく見て頂きたい。
 曲直瀬の図で円紋が九つも描かれていたのが、この雪斎のそれでは、中央の三つと前頭部の左右の二つの計七つのはっきりとした円紋しか描いておらず、口吻周辺には白抜きの小さな円紋と蛇行した溝のようなものが描いていて、全く異なるのである。
 私は、もし、雪斎が「絵的な良さを狙う」ならば、原本に曲直瀬の描いたような鮮やかな臙脂の円紋がこれでもかと並んだ絵があったとすれば、絶対にそれを忠実に(或いはもっと派手に)描いたに違いなく、それをこのような何だか分からないような、ふにゃふにゃのボカシでもって手抜きをする、お茶を濁すはずがないと思うのである。また、この一見はっきりしない白抜きの箇所は、実はアカモンガニの眼柄部に至る波線のような甲辺縁部及び眼柄の収まる溝部分の忠実な再現だったのである。
 ということは――実は丹州の描いた原本には、この曲直瀬版で12の円紋を有する蟹の甲には――実は臙脂の円紋は雪斎が描いた通り――正しく7つしかなかったのではあるまいか?
 では、何故、曲直瀬は病的と言ってもいいほどに円紋を12も描いて捏造してしまったのか?
 そこで本文である。本文には「北戸録」から『「十二點」。儋州の出。「紅蟹」。殻上に大小ありて、十二の點を作す。深き臙脂色をなし、亦、鯉の三十六鱗のごときのみ』とある。非常に考え難いことではあるが、曲直瀬は、この図のキャプションと判断した叙述と、実は七つしか臙脂の円紋がない本図の齟齬を解消するために、原画の甲前面の眼柄部に至る「ふにゃふにゃ」した溝や一見丸く見える部分が円紋であったと早合点し、勝手に5つを付け加えて描いてしまったのではあるまいか?
 しかし乍ら、普通に考えると、今度は次の大きな甲羅の図との齟齬が生ずることに曲直瀬は容易に気づいたはずである。そこでは甲の後部も描出されそこに円紋があって、それらを総て足すと何と、「十二點」あることに、である(因みに通常のアカモンガニと比べると甲羅の後ろの真ん中にある有意に小さな円紋が余計である。これは後でまた考証する)。
 しかしそこが実はミソなのではあるまいか? 曲直瀬は実はここで、

「……こちらは後ろの方にも円紋が配されてあって計十二の点がある。しかも大きさも全然違う。……ということはだ……これは……前の記述の右下の『十二點』のそれとは多分、別な種類の蟹の甲羅の絵なのだ。……」

と、半ば都合よく納得してしまったのではなかったろうか?
 但し、実際の絵がこの「トンデモ12」でなかったとは断言は出来ない。
 実はこのアカモンガニは見た目が美しいことから古くから飾り物にされてきた経緯がある(荒俣宏「世界大博物図鑑1 蟲類」(一九九一年平凡社刊)のアカモンガニの図のキャプション(一三二頁)にある。因みに、ここで荒俣氏の引いているアカモンガニの図は以下に記すキュビエのものである)。そして、中国の本草書にかくも奇品として『十二點』が記されてある以上、11しか「點」を持たぬアカモンガニの甲羅に、強引に、曲直瀬図のように古書にある通りの臙脂の円紋を捏造して付け加え、縁起物の装飾品や酒盃(ちょっと呑み難そう)などに加工して『十二點』として売っていた可能性は十分あり得るからである。
 しかし、だとすると雪斎の絵の説明がつかなくなると私は思う。私は、雪斎は実に正しく(本文の「十二點」という記載に惑わされることなく)描いている可能性が高い。
 さすればこそ、この図に限っては、やはり曲直瀬(彼は昆虫学者ではあったが、他の海産生物の写図を見るとその方面には疎かったように思われる)が図を捏造したとしか思われないのである。科学者としてはあり得ないのであるが、今だってないものをあるように捏造してしかも平然としている科学者は、これ、ごろごろいるではないか。
   *
 最後に12の円紋を有する左の大きな甲羅の図について考えてみたい。
 これはやはりアカモンガニ Carpilius maculatus の図としては正しくない。
 もし、実際の医学館薬品会に出品されたものが実際にこうであったとすると、それ自体が自然のままの標本ではなく、それこそ前に述べたような人為的に12点に捏造されたものであった可能性がやはり出てくる。特に間違えようのない場所(甲羅後部の中央位置)に余計に誤って描き加えるというのは、普通は如何にも考え難いからである。

 ところが、である。

 ここにかの有名なフランスの生物学者キュヴィエ( Georges Cuvier )の刊行した“Le règne animal distribué d'après son organisation”(「動物界」)の“Carpilius maculatus”の図がある(英文サイトBiodiversity Heritage Library”の同書当該頁よりダウンロードしたものを示す)。




この一番下のアカモンガニ Carpilius maculatus の画像をよく見て頂きたい。

 円紋が何と――13――あるのである。

 こうなると流石の私も実は、今まで問題としてきたものがアカモンガニ Carpilius maculatus なのかどうか、確信がやや揺らいでくるぐらいである。……これは前額部左右に三点一対、背部中央に三点、後部に四点の、13の臙脂の円紋を持つ Carpilius の別種がいるのではないか、とすれば、「千蟲譜」の12点がいたっておかしくはないか……などとである……
 ところが、である。
 このキュヴィエの図、よく見てみると、前額部の左右三個の一対の円紋のそれぞれの真ん中の円紋の中に眼柄があるのである。無論、こういう種がいないと断言は出来ないが、現在、普遍的に棲息し、よく知られているアカモンガニ Carpilius maculatus の眼は前額辺縁二個一対の円紋のさらに先、頭頂部近くの窪みの部分にある。キュヴィエが描いたようなアカモンガニはネットを探っても捕獲出来ないのである。
 則ち、この偉大な博物学者キュビエの描いた、アカモンガニ Carpilius maculatus と比定してよい(荒俣前掲書もそう比定している)美しい図も、実は何と、「トンデモ13」であったということになるである。
 曲直瀬版も雪斎版も12であるから、丹州の原本も恐らく、「トンデモ12」であったに違いない。しかしそれに先立つ御大キュビエでさえも「トンデモ13」だったことがここに判明するのである。
 正確なボタニカル・アートの難しさが思い知らされた気分ではある。しかし、試みにネットのグーグル画像検索「Carpilius maculatusをご覧になられるがよい。写真では眼柄の収まる凹みの部分が光の具合によって、暗く小さな半環のように見えているものがあるのである。まだしもキュヴィエの絵は許される誤り(眼柄が後退しているのは問題であるが)であるという感じが私にはしてくるのである。
 以上は専門家でない私の勝手な推理に過ぎない。是非とも大方の御批判を俟つものである。]

《改帖》
[やぶちゃん注:底本ではこの帖は白紙である。]
《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]


銀ガニ 「正字通」に云はく、『薄き殻にして小さく、青白の者。曰はく、「」。』と。篠島の濵にあり。

[やぶちゃん注:「銀ガニ」の一個体背面。記載が少なく図も特定するには簡略に過ぎるものであるが、印象としては短尾下目スナガニ上科スナガニ科コメツキガニ亜科チゴガニ Ilyoplax pusilla または同チゴガニ属ハラグクレチゴガニ Ilyoplax deschampsi (チゴガニとの差異は♂の腹部の中ほどが縊れる点で本邦では有明海奥部沿岸のみに棲息するが、東シナ海・黄海・渤海沿岸に分布するから「正字通」の記載としては候補として外すわけにはいかない)を候補としてよいか。
「螠」この字は本来は中国で蓑虫を指す。辞書類で蟹を指すという記載は見当たらない。不審。因みに本邦ではユムシ動物門ユムシ目ユムシ科ユムシ Urechis unicinctus を指す。
「篠島」三河湾の湾口部、知多半島師崎と渥美半島伊良湖岬を結ぶ線上に位置する(現在、愛知県知多郡南知多町内)。]


招潮シホマネキ
 「正字通」に云はく、『殻色、青白。潮來らんと欲せば、穴より出で、擧げて迎ふ。之れを「招潮」と曰ふ。』と。
  尾州の和多の海邉に多し。方言、「テンボガニ」と云ふ。

[やぶちゃん注:解説は明らかに短尾下目スナガニ上科スナガニ科スナガニ亜科シオマネキ属 Uca 、しかも♂の鋏脚の描写からハクセンシオマネキ Uca lactea lactea の記述となっている。ところが下部に描かれてある一個体はどうみてもシオマネキ類ではなく(鋏脚の同大のシオマネキのメスでも甲羅の形が全く異なる)、スナガニ科コメツキガニ亜科コメツキガニ Scopimera globosa である(荒俣宏「世界大博物図鑑 1 蟲類」では本箇所の図(但し、別な写本)を引く(一三三頁)が、そこで同定を依頼された武田正倫氏もコメツキガニ Scopimera globosa ? とされており、荒俣氏はキャプションで『説明と図がくいちがった可能性もある』と記しておられる。
 なお、本文の「擧迎之曰」以下は翻刻で示したように『― ―』であるが、このダッシュ状の記号は他の部分には見られない特異な用法で、これは別写本によって写本時に以下の「招潮」を省略したことを示したものであることが分かる。服部雪斎版の本文で復元訓読した。この程度のことを面倒がった曲直瀬がちょっと意外であり、さればこそ捏造疑惑もやはり私は疑う気になったりするのである。
「和多」不詳。直感乍ら、雪斎版も同じであるが、これはもしや「知多」の誤写ではなかろうか?
「テンボガニ」濁点は雪斎版で補った。荒俣宏「世界大博物学図鑑 1 蟲類」の一三三ページに載る、田中芳男編になる「博物館虫譜」(明治一〇(一八七七)年頃成立した未刊行図譜)からの図像に、
桀歩
 テンボウガニ
 シホマネキ
紀州和歌浦ニアリ其右
螯大ニシテ美ナリコレ
望潮ノ一種大ナルモノナリ
其眼長出スルコト他蟹ト
殊異ナリ
        栗本丹洲法眼藏圖
とある。また、この「桀歩」については、「続群書類従」三十二下(雑部)巻九百五十七に所収する、室町期に中国文献及び仏典等の語句を簡略に注した「蠡測集れいそくしゅう」によれば(グーグル・ブックス視認)、
桀ハ夏ノ桀ナリ。シカルニ蟹ハ横行スル者ナリ。桀歩トハ蟹ノ事ナリ。桀、横ナコトヲ専ニシタレバ、如此比シタリ。招潮子ト云モ蟹ノ別名ナリ。常ニスルコトナリ。
とある。なお、寺島良安の「和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部 龜類 鼈類 蟹類」では、
かさめ 桀歩 執火/擁劔蟹〔和名、加散米〕
とあって、現在のガザミに「桀歩」を当てているが、「蠡測集」の記載から見て「桀歩」は、古くから広く蟹を指す語であったことが分かる。それが、大型の蟹であるガザミや♂の片方(右左は決まっていない)の鋏脚が大きくて目立つシオマネキ類に汎用されたと考えてよい。なお「和漢三才圖會 卷第四十六」ではシオマネキに同定し得る蟹は「獨螯蟹」である(リンク先は私の電子テクスト)。
 さて、この「てんぼうがに」「てぼうがに」という異名和名は現在、死語に近い。それでよいとも言える。何故なら、これは差別和名であるからである。即ち、
「手ん棒」=「てんぼう」=「てぼう」
で、
「手亡」
とも書き、これは、怪我などによって手の指や手を欠損している(棒のようになっている)ことを意味する語だからである。かくの如く、異名であって、かつ、自然に消滅しつつあるのであれば、私は問題なく賛同するものである(但し、「イザリウオ」を「カエルアンコウ」と突如、強制改名することが人道的(差別を解消する目的に於いて)であるとする立場を私は支持しない。これについて私は「耳嚢 巻之五 怪蟲淡と變じて身を遁るゝ事」の脱線注で述べておいた。是非、お読み戴きたい)。]


望潮
 「田打ガニ」。左の螯、大なるものあり。汐、干るに孔より出でて、手を挙げてまねく形をなす故に、又、「潮マネキ」と云ふ。

[やぶちゃん注:前項同様、記載はあきらかにシオマネキ属 Uca のものであるが、下部の一個体の図はやはりシオマネキ類ではなく、前の「招潮」の下の一個体と全くの同種にしか見えない。これも短尾下目スナガニ科コメツキガニ亜科コメツキガニ Scopimera globosa である(やはり荒俣宏「世界大博物図鑑 1 蟲類」で武田正倫氏に従い、『コメツキガニと同定するしかない』として、 Scopimera globosa
とされており、やはりキャプションで荒俣氏は、武田氏は『図と説明がなんらかの理由でくいちがったと考えておられる』と記しておられる。因みに、あまり認識されているとは思われないので述べておくと、シオマネキ属の♂の大きい鋏脚は必ずしも左右どちらかに決まっているわけではない。


千人捏 「閩書びんしょ南志」に「宋志」を引いて云はく、『「千人擘」。状、小蟹のごとし。人力、之をくに、開かず。』と云ふ、是れなり。
 本名は「蚌江バウコウ」。〔「本綱」の「蟹 集解」に出づ。〕
   マメガニ
   コブシガニ 筑紫方言。

[やぶちゃん注:短尾下目コブシガニ科 Leucosiidae の背面図(本邦には四亜科二十二属八十七種いる)。比較的普通に偏在する種で、本図に最も近いと思われるのは、「マメガニ」という名からもマメコブシガニ Philyra pisum であると思われる。因みに本種は横這いせず、正しく真っ直ぐに歩行する。
「千人捏」「セミガニ」の既注であるが再掲しておく。「せんにんごね」とでも読むか。中文サイトによれば、明の楊慎の「芸林伐山」に、蟹の一種として載り、そこには非常に甲羅が堅く、大の大人が力一杯挟んでも潰し殺すことが出来ないので、俗に千人が押さえ込んでも死なぬ蟹という意味で名づけたとある。
「閩書南志」「閩書南産志」。明の何喬遠かきょうえん撰になる福建省地方の地方誌である「閩書」の中の第百五十巻及び百五十一巻が「南産志」。
「宋志」南宋の地誌書と思われるが不詳。
「千人擘」「センニンハク」と読んでおく。「擘」はつん裂く・突き破るの謂いであるから、「千人捏」と同義。]


藻ガニ

[やぶちゃん注:明らかに短尾下目ワタリガニ科イシガニ Charybdis japonica の背面図である。この後の他の部分でよく引用されている「石蟹」であるのにも関わらず記載が全くなく、「石蟹」であることの指名もないのは不審である。栗本が他の種を「石蟹」と称している可能性をも考慮しておく必要もあるか。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]


蝲蛄〔奥州南部津輕の谷川に多し。近來、蝦夷に多し。このん却行きやくかうす。故に、「ザリガニ」と云ふ。

大なるもの、右の図のごとし。蝦夷地より、活するもの、己巳の冬月、将來するものを見たり。冬蟄の時は遠方もち來りても、さのみ痛まず。春に至れば多くはしぬものなり。蝦夷方言、「ジヤリガニ」と云ふ。冬月、蟄するもの、肚中に白石一對あるものなり。なきもあり。是を「クリカンキリ」と云ふなり。

[やぶちゃん注:十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目ザリガニ下目ザリガニ Cambaroides japonicus (アメリカザリガニ Procambarus clarkii と区別するためにヤマトザリガニまたはニホンザリガニと呼称されることもある)。上に小さな個体、下に大きな個体。なおザリガニと呼称するものの、彼らは十脚(エビ)目の仲間である。ウィキの「ニホンザリガニ」によれば、『体色は茶褐色で、アメリカザリガニに比べて体や脚が太く、ずんぐりしている』(幼体期は灰色から青っぽい色を呈する。本図はちょっと赤過ぎて頂けないが、別写本も同様で丹州の原画が既に強い赤を呈したものであったらしい。これではまるで、これより後の移入種「マッカチン」アメリカザリガニだ)。『かつては北日本の山地の川に多く分布していたが、現在は北海道、青森県、岩手県及び秋田県の1道3県に少数が分布するのみ』とある。
「却行」後ろに下がること。後退り。
「クリカンキリ」オクリ・カンクリ。ラテン語“ oculi(目) cancri(蟹の) ”。ザリガニが脱皮前に外骨格の炭酸カルシウムを回収して生成した胃石を指す。脱皮後にその胃石を溶かして、新しい外骨格に吸収させて補成分とする。これは、かつて眼病や肺病に効く民間療法薬として使用されていた。東京ザリガニ研究所公式サイト内の「驚異のパワー! ザリガニの胃石オクリカンキリ」が採取法まで解説して素晴らしく詳しい。必見。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]


金錢蟹〔ゼニガニ〕 「小紋蟹」とも云ふ。雜肴の中に偶々交ぢり上がる。後脚、平にして杓子のごとし。「ガザミ」の脚に似たり。甲の左右に尖刺あり。乾かし貯へて経年なるものは、甲、黄白にして、赭色の豹文なして美なり。此の類にも数種あり。

[やぶちゃん注:短尾下目キンセンガニ科キンセンガニ Matuta victor の又は以下に示す種の背面(上方)、腹面(下方。腹節から♂)の、恐ろしく汚い図二点。これははっきり言って服部雪斎の絵の方が遙かに本種の生色を写していると私は信ずる。以下に示す。服部写本では見開きで右帖にキャプションと♂の甲裏の図(これが実に美事)、左帖に上下に二個体の背面個体が描かれてある(画像は国立国会図書館蔵「千虫譜第3冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より、二枚とも裏の図の透過が激しいので補正を施してある。脚の先端部の黄変部分の質感は素晴らしい)。







 ウィキの「キンセンガニ」によれば、側棘を含めた甲幅は♂で五~七、♀雌は四~六センチメートル程度で、カニ類としては中型。『鉗脚は大きく、表面に小さな棘やイボ状突起がありゴツゴツしている。大型個体は挟む力も強く、手などを挟まれると出血に至ることがある』。四対八本の歩脚は『全て鰭状の遊泳脚に変化しており、形は各対で少しずつ異なる。この遊泳脚を巧みに使うことによって、素早く砂の中に潜ったり、高速で泳ぐことができる。生体の体色は黄色で、甲の表面や脚の関節部に紫褐色の斑点が密布する。腹側は白い』。『カニの分類上ではカラッパ類やコブシガニ類に近いとされ、現生カニ類としてはやや原始的な部類に含まれる』とあり、キンセンガニ科 Matutidae の本邦産種としては、アミメキンセンガニ Matuta planipes・コモンガニ Ashtoret lunaris・マダラキンセンガニ Ashtoret miersii・ヒメキンセンガニ Izanami curtispina などが分布するとある。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]


鬼面蟹 〔タケブンガニ・ヘイケガニ・シマムラガニ〕 長州豊前にて「キヨツネガニ」。「蟹譜」に曰はく、『背の殻、鬼のごとき状をなす者なり。眉・目・口・鼻の分布、明白たり。常に宝として之れを玩す。』と。九州の海中にあり。西国より関東には絶えてなし。螯、左右、大小あり。匾長へんちやうなる四脚つきてあり。蟹類多しと雖ども、此のもの甚だ異状なり。乾枯のもの、遠くに寄せ方物として、珍玩するものなり。「臺湾府志」に謂ふ所の、『「鬼蟹」。状、傀儡くわいらいの者のごとし。』とは即ち、此の物なり。尾州にも此の蟹、出づる事あり。「オゾサガニ」、又、「オサダ蟹」とも云ふ。これ、長田の庄司の亡霊が化する由を云ふ。「平家ガニ」とは唱へず。長州文字ヶ関の海濵にのみありと人々思へり。左に非ず。中国より西海には、ままあるものなり。

[やぶちゃん注:短尾下目ヘイケガニ科ヘイケガニ Heikeopsis japonica (二〇〇八年に新属名として改称)又はその近縁種の背面図(上方)と腹面図(下方。腹節から♂)。服部雪斎のものは二匹とも背を向けている。以下に示す(画像は国立国会図書館蔵「千虫譜第2冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。透過を薄くするためにやや補正処理してある)。絵的には鬼面二様ですこぶる面白いが、博物図としては腹面を描かないというのは掟破りである。雪斎は根っからの画狂人の一人であったものと思われる。これもよし。




「西国より関東には絶えてなし」以下で訂正しているように誤り。ヘイケガニ Heikeopsis japonica は北海道南部・相模湾から紀伊半島・瀬戸内海・有明海の他、東アジア沿岸域に広く分布し、近縁種であるヘイケガニ科のサメハダヘイケガニ Paradorippe granulata は北海道から南は台湾まで、同科キメンガニ Dorippe sinica なども東北地方からオーストラリアまでの西太平洋とインド洋に広く分布している。奇体な形状と平家滅亡伝説によって成された風聞によって形成された誤った限定分布説である。
「タケブンガニ」武文蟹。摂津大物だいもつの浦を発祥元とする怪異伝承に基づくヘイケガニ類の別名(辞書その他殆んどが「ヘイケガニの別名」とするが、これは必ずしもヘイケガニ Heikeopsis japonica 一種を指すものではなく、正しい謂いとは言えない)。元徳三(一三三一)年の元弘の乱の際、摂津国兵庫の海で死を賭して主君尊良たかなが親王の妻を守って入水したとされる忠臣秦武文はたのたけぶんの生まれ変わりとされる。元弘の乱の初期、秦武文は主君(尊良親王は元弘の乱勃発直後に父後醍醐天皇と笠置山に赴いたものの、敗れ、父とともに幕府軍に捕らえられて土佐に配流されていた)の妻一宮御息所を配流地土佐に連れ行こうと尼崎から船出しようとするが、そこで彼女を垣間見て一目惚れした土地の武士松浦五郎に御息所を奪われてしまう。私の非常に好きな怪異のシークエンスであり、こちらの話は壇ノ浦平家蟹伝承に比してマイナーな印象があるので、ここで以下、「太平記」巻十八「春宮還御の事付けたり一宮御息所の事」から引いて「武文蟹」を顕彰しておきたい(底本は新潮日本古典集成版を用いたが、恣意的に正字化し、一部に読点と改行を追加してある)。但し、荒俣宏「世界大博物図鑑 1 蟲類」の「カニ」項の「平家蟹」によれば、人見必大の「本朝食鑑」では、これは平家蟹ではなくカブトガニ(鋏角亜門節口綱カブトガニ目カブトガニ科カブトガニ Tachypleus tridentatus )のこととして載せ、『土地の人は武文を憐れんでこれを捕らない』と記しているとある。
   *   *
武文、渚に歸り來たつて、
「その御船、寄せられ候へ。先に屋形の内に置きまいらせつる上﨟を、くがへ上げまゐらせん」
と呼ばはりけれども、
「耳にな聞き入そ」
とて、順風に帆を上げたれば、船は次第に隔たりぬ。また、手繰てぐりする海士の小船にうち乗つて、みづから櫓を押しつつ、なにともして御船に追ひ著かんとしけれども、順風をえたる大船たいせんに、押し手の小舟、追ひ付くべくもあらず。遙かの沖に向つて、扇を擧げ招きけるを、松浦が舟にどつと笑ふ聲を聞きて、
「やすからぬものかな。その儀ならばただ今の程に海底の龍神と成つて、その船をばやるまじきものを」
と怒つて、腹十文字に搔き切つて、蒼海さうかいの底にぞ沈ける。
   *
その後、海は荒れに荒れ、しかも自分に靡かぬに業を煮やした松浦は、水主らの合議もあって、御息所を鳴門の龍神に生贄として捧げようとするが、同船の僧に制止される。
   *
「さらば僧の儀につけて祈りをせよや」
とて、船中の上下、異口同音に觀音の名號を唱へたてまつりける時、不思議の者ども、波の上に浮かび出でて見えたり。
 まづ一番に濃きくれなゐ著たる仕丁じちやうが、長持をきて通ると見へてうち失せぬ。
 その次に白葦毛しらあしげの馬に白鞍しろくら置いたるを、舍人とねり八人して引きて通ると見えてうち失ぬ。
 その次に、大物だいもつの浦にて腹切つて死んだりし右衞門府生秦武文うゑもんのふしやうはだのたけぶん赤糸威あかいとおどしの鎧、同毛の五枚かぶとの緒をしめ、黄月毛きつきげなる馬に乘つて、弓杖ゆんづゑにすがり、皆紅みなくれなゐの扇を擧げ、松浦が舟に向つて、その船留まれと招くやうに見へて、浪の底にぞ入にける。
 梶取かんどりこれを見て、
なだを走る船に、不思議の見ゆる事は常の事にて候へども、これはいかさま武文が怨靈をんりやうと覺え候ふ。そのしるしを御覽ぜんために、小船を一艘下して、この上﨟を乘せまゐらせ、波の上に突き流して、龍神の心をいかんと御覽候へかし」
と申せば、
「この儀、げにも」
とて、小舟を一艘引下して、水手すいしゆ一人と御息所とを乘せたてまつて、渦の波にみなぎつて卷きかへる波の上にぞ浮かべける。
   *
その後、曲折を経た後、遂に目出度く親王と御息所は再会を果たすのである。
   *   *   *

「キヨツネガニ」清経蟹。能の「清経」で知られるナーバスになって入水自殺した平家一門の武将で笛の名手であった平清経の怨念伝承に基づく大分の宇佐地方のヘイケガニ類(前注参照)の別名。平清経(長寛元(一一六三)年~寿永二(一一八三)年四月四日)は寿永二(一一八三)年に平家一門が都落ちした後は、次第に悲観的な考えに取り付かれ、大宰府を元家人である緒方惟義に追い落とされたことを契機として豊前国柳浦にて入水自殺した。享年二十一。「平家物語」の「六道之沙汰」の段の建礼門院による述懐によれば、この清経の死が平家一門の『心憂きことのはじめ』として語られてある。参照したウィキの「平清経」によれば、『清経が入水したのは現在の大分県宇佐市柳ヶ浦地区・駅館川沖合といわれており、これにちなんで駅館川河口付近に小松塚と呼ばれる五輪塔および慰霊碑が建てられている(「小松」の名は清経の父・重盛が小松殿と通称されたことに由来する)。また、小松塚のたもとにある橋(駅館川河口に最も近い)も小松橋と名付けられている』とある。
「匾長」薄く平たく長いこと。
「寄せ方物」「寄せ方」とは都から遠く離れた地方を指し、寄形とも、また安方やすかた(安潟・痩方・卑方)などとも称する。地方から齎される名産品。
「傀儡」操り人形。くぐつ(ここはそのかしら)。
『「オゾサガニ」、又、「オサダ蟹」とも云ふ。これ、長田の庄司の亡霊が化する由を云ふ』この「オサダガニ」は恐らく愛知県知多郡美浜町野間附近を中心に発生した美濃海辺地域でのヘイケガニ類(「タケブンガニ」注参照)の異称である。源頼朝の父である義朝は平治の乱に破れ、落ち延びた野間の長田忠致おさだただむねの館の浴室で、忠致の裏切りにあって殺された。鎌倉幕府開幕後、頼朝は既に自軍に寝返っていたこの長田父子を美濃で処刑したとする(ウィキの「長田忠致」によれば、「保暦間記」によると建久元(一一九〇)年十月の頼朝上洛の際に美濃で斬首されたことになっている。但し、別に処刑されたのでなく治承四(一一八〇)年十月に鉢田の戦いで橘遠茂とともに武田信義に討たれたとする説もある、とある)。その怨霊が蟹の甲羅に憑依したとするものである。
「長州文字ヶ関」現在の福岡県北九州市門司区。ここには古くは「文字ヶ関村」があった(明治二七(一八九四)年の町制施行まで現存した)。なお、ここは「長州」藩ではなく小倉藩であるが、南北朝の頃、周防国の大内氏がこの豊前国と対岸の長門国に進出、関門海峡の両岸を支配した経緯などから見れば、必ずしもとんでもない誤りとは言えないであろう。]

《改帖》

長門國阿弥陀寺の什物として有る所の「平家蟹の讚」、鹿苑院大相國義満御作のよし。その真翰のうつしたるを見れば、
嗚呼ああ悲哉かなしひかな三界さんがい流轉の修羅のごふ跋提河ばつていがのながれに落せられて、苦海くがいの波に沈み、かゝる蟹の姿と化生けしやうせしか。あはれむなしく過し、元暦のいにしへを、いまの事よとあやまたれ、もろき涙、袖にあまる、つらし。人間盛衰を案ずるに、ただ、これ、かんたんの一時、ねぶりにもあらず。平家、僅に二十余年の奢りも、盛者必衰の夢の内に來りて、終に東夷の武威にくだかれ、壽永の秋の一葉に棹さして、西海の波濤にさまよひ、浮沈の流れに身をよせしは、いとあはれなりける有さまなり。頃しも元暦二年の春の頃かや、官軍所々しよしよいくさに打負て、つくしをさして落塩おちしほの、天子はじめ、月卿雲客一蓬げつけいうんかくいつはう漏露らうろ、小波となり、帆を漂泊の浪にまかせて、豊前國柳ヶ浦につかせたまひて、しばしはきみ宸襟しんきんをやすめたまひしかば、官軍一先ひとまづ安堵のおもひをなせり。かかりし處に三月廿二日とかや、思はざるに範賴・義經、兵舩ひやうせん數千にて押寄せ、幡旗はたを春風にひるがへし、矢を射る事、雨のごとし。櫓櫂ろかいのうたは天をふるはし、鯢波げいはの声、海底を驚かす。されば、兵は凶器、武は逆德とぞいへども、王土に身をよせし武士ども、なさけなくも先帝の御座舩ござぶね、天子の龍顏をもはばからず、七重八重に打ちかこむ。官軍、今を限りと防戰すといへども、天運にして、たちまち打負け、女院いけどられ給ひしかば、今は是までと、二位の禅尼、進み出、安德天皇八才の若君を胸にいだき奉り、右の手に寶劔を拔もち、海底にとび入給へば、諸卿百官千司平氏の公達一族、一ツ流れに身を沈め、水の泡立時あはだつときの間に消へて姿もなき。跡は、寄來よせくる浪も名殘なり。夫々の百官、此蟹と化生する事、いかなればなれぬ海路の戰に七手八脚手だてつくし瞋恚強情しんいがうせいの恨み消やらず、弘誓ぐせいの舩にほだされ、随縁眞如ずゐえんしんによの浪起りて、八苦の海にしづみ、煩悩の波深なみぶかに漂ひて、百卒の魂魄、天源にかへることあたはず、終に水底に流轉して、よる所なきまゝ、虫と化して、此蟹となれるものか。今、是が姿を見しよりも、昔の哀れに袖ぬれて、
    過ぎし世の哀れに沈む君が名を
     とゞめ置きぬる門司もじの關守
    よるべなき身は今蟹と生れきて
     浪のあはれにしづむはかなさ

[やぶちゃん注:本記載は特異的に草書体で記されている「千蟲譜」中でも異例に文学的な部分であるので、原文を尊重し、主に誤字の修正と読点の追加及び難読の読み(多くは私の推測による)を附すに留めてある。
 この阿弥陀寺は廃仏毀釈によって、現在、赤間神宮となっている。宝物に本資料があるかどうかは不明。また、本文とほぼ同内容を載せる「鈴木主水榮枯録」(編集人不詳・明治十九(一八八六)年金松堂刊)の巻頭にある「穂積左衞門尉平家蟹の讚を奉つる事」によれば、これは足利義満ではなく、足利義政が家臣の穂積左衛門尉長利に命じて作らせた文であり、最後の二つの歌も、最初が長利の歌で、後が長利のこの讃に「感賞の餘り自ら御筆を染めさせられてその奥へ」記した義政の歌として、誤伝を糾すとしている。しかし、現在でも、前者の歌は足利義満の作と一般に伝承されているようである。
「跋提河」古代インドの拘尸那竭羅クシナガラにあった川の名。この畔りの沙羅双樹の下で釈迦は入滅した。その流れであるから、無常の換喩である。
「元暦のいにしへ」以下に語られる元暦二(一一八五)年三月の壇ノ浦での平氏滅亡を指す。
「かんたんの一時、ねぶりにもあらず」黄粱一炊。邯鄲の夢。
「漏露」良くない物事が少しずつ溢れ出でて露顕すること。
「柳ヶ浦」現在の大分県宇佐市住吉町の周防灘に面した浦辺。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]


草蝦 蝦夷地方の産。此のもの、西蝦夷地「ソーヤタヒシツンベ」にて捕る。

[やぶちゃん注:一般に「クサエビ」という和名は、現在、「ブラックタイガー」と呼ばれている軟甲(エビ)綱十脚(エビ)目根鰓(クルマエビ)亜目クルマエビ上科クルマエビ科ウシエビ Penaeus monodon の在来個体を示すものであった。しかし、ウシエビは西日本以南から亜熱帯・熱帯に棲息する種であり、ここでは北海道産とあることから、これとは違う。形状から見ると、十脚目コエビ下目タラバエビ科タラバエビ属ボタンエビ Pandalus nipponesis を疑うが、色が余りにも異なる。体色からするとタラバエビ属ホッカイエビ(=ホッカイシマエビ=シマエビ) Pandalus latirostris が近いように思われる。
「ソーヤタヒツンベ」宗谷か。北海道森林管理局公式サイト内の記載によると、宗谷の語源は「岸の海中に岩の多い所」を「ソ(又はシュ)・ヤ」と読んでいたことに由来すると言われているとある。「タヒツンベ」は不詳。識者の御教授を乞うものである。]


拉姑ラツコ 一名「哈馬ガウマ」〔清・高士奇「東巡日録」。〕・「ザリガニ」〔「シサリガニ」ノ略語ナリ。〕
一名「蝲蛄ラツコ」〔「盛京通志」。〕

『「石蟹」と「螃蟹」は、形、同じからず、且つ小なり。其の黄なるもの、久しく疽瘡の合はざるに附く。「螃蟹」は横行し、「石蟹」は退行す。此れ、亦一つ、渓澗の中に生ずるも異なれり。』と。〔「東医宝鑑」。〕

[やぶちゃん注:「其の黄なるもの、久しく疽瘡の合はざるに附く」は訓読に自信なし。既出の十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目ザリガニ下目ザリガニザリガニ Cambaroides japonicus の尾部を下に曲げた個体背部が右に、左に尾部を伸ばした個体の図。
「高士奇」清代の浙江省銭塘出身の文学者。科挙に合格出来なかったものの、康煕帝に目をかけられて礼部侍郎にまで至った。詞を得意とし、絵画鑑賞家としても知られた。
「盛京通志」清代に書かれた盛京(瀋陽)を中心とする中国東北部の包括的地誌。
「蝲蛄」現在も本邦ではこれで「ザリガニ」と読む。元来、「蝲」はサソリを、「蛄」はオケラを指す。
「東医宝鑑」トンイボガム。李氏朝鮮時代の許浚ホジュン著になる医書。一六一三年に刊行され、朝鮮第一の医書として評価が高く、中国・日本を含めて広く流布した。日本では享保九(一七二四)年に日本版が刊行されており、寛政一一(一七九九)年にも再版されている(以上はウィキの「東医宝鑑」に拠る)。
「石蟹」及び「螃蟹」は記載が朝鮮の書の中のものであり、解説も私の訓読が誤っているせいか二種の区別と差異が今一つ、分明でない。軽々に同定することが憚られるのだが、叙述からは「石蟹」がザリガニ類を、「螃蟹」が一般的なカニ類を指している(「螃」は現在も中国語で一般的な蟹類を指す)。ザリガニ類を「石蟹」と称しているのは前の「蝲蛄」に出た「クリカンキリ」を保持するからではなかろうか。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。本画像に限っては微妙に倍率を変えてある。下段のスケールを参照。]


土蟀〔「福州府志」。〕

 和名「ゴカイ」。又、「海ミミズ」。潮のさす処と河水まみづとの境に生ず。泥沙を掘り取る。形、扁にして、兩辺、細々と足あり。牙あり、人の手を咬む。漁人、沙糖水にて、一個を丸呑にして淋病を治ずと云ふ。黑燒にして用ゐて、久しき淋痛えがたきものに用ゐて、神効ありと云ふ。八、九月の際、此の物、沙中より出でて、浮き流るることあり。網にてすくひ取り、冬月より春に至る迄の魚を釣る餌とす。其の外、年中、此の物を用ゆ。老いたる者は、形、大にして、四、五寸に及ぶ。延ぶれば長く、縮むれば太く短し。蛭のごとし。小毒ありと云ふ。

[やぶちゃん注:下部に絡まった形の十数個体の環形動物門多毛綱 Polychaeta ゴカイ類の図。近年、単一種としてのゴカイという概念は修正されたため、サシバゴカイ目ゴカイ超科ゴカイ科カワゴカイ属ヤマトカワゴカイ Hediste diadroma 、又はヒメヤマトカワゴカイ Hediste atoka 、又はアリアケカワゴカイ Hediste japonica (これが旧来の和名「ゴカイ」の学名であった)孰れかということになる。
 なお、以下に廣川書店平成六(一九九四)年刊の永井彰監訳 Thomas M.Niesen“ The MARINE BIOLOGY COLORING BOOK ”「カラースケッチ 海洋生物学」の「海産環形動物:多毛類」のレジュメと私が二十数年前に彩色した図のみを以下に掲げてゴカイ類の生態を示しておく。






このゴカイの生体色を色鉛筆で出すのに、画才ゼロの私は結構、苦労した記憶がある。]

《改帖》
《改帖》








[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。一番下の図は100%ダウンロードで細部を観察するためにカイロウドウケツエビの「オモテ」と「ウラ」の箇所とカイロウドウケツの体幹中央部と一緒にトリミングしたもの。]


「偕老同穴」又「海ヘチマ」は、長州矦領分、長州清末キヨスヘの海中の所産にして、其の地の方言なり。蝲蛄ザリガニの異品にして、雌雄一所に居りて、巣の上下に竅ありて、出入りす。故に此の称あり。此の巣の質は海綿のごとく、蛮名『スポンギウス』と云ふものに似たり。苧麻絲からむしにて織り成すもののごとし。手ざはり、軟かにして、俗に云ふ、「メリヤス」のごとし。ここに図する細かき圏点の処は、盡く小円のあななり。上端にわたあり。細き毛絨、銀色をなす。試みに火中に投入ずるに、焼焦せうせうすることなし。質、火浣布くわくわんぷに似たり。是れ又、人の識らざるものなり。一体、形、絲瓜へちまの絮のごとし。故に「海ヘチマ」と呼ぶ。此の「海ヘチマ」は、薬品會で出ることありて、偶々見るものなれども、此の「蝲蛄」の造れる巣なることを知らず。今、茲に親しく目撃して、始めてここに一識をひろふす。此のもの文政壬午みづのえうまの秋、参政堀田矦惠贈せらるるものなり。リツ丹洲、誌す。
                            をもて

《改帖》
                             うら

海中産「ザリガニ」の造成せる巣なり。或ひは云ふ、海中に此の物、生じて後に、ゑび、雌雄來りて、寄居して我が室とす。此のゑびを「寄生蝦ヤドリヱビ」と云ふ。空の殼の螺中に宿を假借する「寄居虫がうな」は、其の意、同じと云へり。此の巣は此の雌雄の「カニ」の作れるものと云へども、顧ふに、此の小蟹、巧みにあらざるべし。友人、芝陽に見せ、評価せしむるに、『「蝲蛄」の異品』と云へり。


[やぶちゃん注:下部に「カイロウドウケツ」の一個体が以下三帖分に亙って描かれている。本帖の「カイロウドウケツ」の下の左に「カイロウドウケツ」の中に片利共生するエビの「ヲモテ」と記した小さな(「カイロウドウケツ」と同寸と思われる)背面図が描かれている。これは海綿動物門六放海綿綱リッサキノサ目カイロウドウケツ科カイロウドウケツ属ヤマトカイロウドウケツ Euplectella imperialis 、又は同属マーシャルカイロウドウケツ Euplectella marshalli であり、片利共生しているとあるエビは本種群に特化して共生するヒメドウケツエビ Spongicola japonica である。ウィキの「カイロウドウケツ」によれば、『カイロウドウケツは円筒状の海綿で、海底に固着して生活している。体長は』五~二十センチメートル程度で、『円筒形の先端は閉じ、基部は次第に細くなって髭状となり接地している。円筒の内部に広い胃腔を持ち、プランクトンなどの有機物粒子を捕食している。分布は』千メートル程の深海に限られ、『砂や泥の深海平原を好む』。『カイロウドウケツはパレンキメラ ( parenchymella ) と呼ばれる幼生を経て発生する。成体となったカイロウドウケツの表皮や襟細胞、柱梁組織(中膠)といった体の大部分はシンシチウム(共通の細胞質中に核が散在する多核体)である』。『カイロウドウケツの骨片は人間の髪の毛ほどの細さの繊維状ガラスであり、これが織り合わされて網目状の骨格を為している。これは海水中からケイ酸を取り込み、二酸化ケイ素へと変換されて作られたものである。このような珪酸化作用はカイロウドウケツに限ったものではなく、他の海綿( Tethya aurantium など)も同様の経路でガラスの骨片を作り、体内に保持している。これらのガラス質構造はSDV( silica deposition vesicle )と呼ばれる細胞小器官で作られ、その後適切な場所に配置される。カイロウドウケツのガラス繊維は互いの繊維が二次的なケイ酸沈着物で連結されており、独特の網目構造を形作っている。ガラス繊維には少量のナトリウム、アルミニウム、カリウム、カルシウムといった元素が不純物として含まれる』とある。服部雪斎版では脱落している
「長州矦領分、長州清末」現在の山口県下関市清末。長州藩の支藩である長府藩のさらに支藩である清末藩(長府新田藩とも称した)が置かれていた。
「スポンギウス」ラテン語“ spongius ”(海綿状の:形容詞)。但し、同種には普通海綿綱の海綿が持つ海綿質繊維(スポンジン)は見られない。
「上端に絮あり。細き毛絨、銀色をなす。試みに火中に投入ずるに、焼焦せうせうすることなし」
「火浣布」原義は古代中国に於いて南方の火山に棲息する「火鼠」毛で作ったとされた耐火性織物。「竹取物語」で知られる「ひねずみのかはごろも」であるが、その実態は石綿を混入して織った不燃性織布で、本邦日本では平賀源内が初めて作ったとされる。
「文政壬午」文政五(一八二二)年。
「参政堀田矦」堀田正敦ほったまさあつ(宝暦五(一七五五)年~天保三(一八三二)年)。近江堅田藩・下野佐野藩藩主。幕府若年寄。陸奥仙台藩主・伊達宗村八男。寛政二(一七九〇)年六月に若年寄となり、以降は当時の老中松平定信の寛政の改革を助けた。和漢の学識に富み、「寛政重修諸家譜」編纂の総裁を務め、また蘭学者を保護するなど学者を厚遇、自らも画期的な鳥類の博物図鑑「禽譜」とその解説書「観文禽譜」を編纂するとともに、「観文獣譜」や貝類の博物書である「観文介譜」の執筆などもしている(以上はウィキの「堀田正敦」に拠った)。
 なお、私は嘗て「生物學講話 丘淺次郎 第五章 食はれぬ法 (二)隠れること~(7) / ドウケツエビの注はちょいと面白いぜ!」の注でカイロウドウケツ及びカイロウドウケツエビについて詳述している。宜しければ、そちらも是非、参照されたい。]

《改帖》

[やぶちゃん注:カイロウドウケツの下部の毛の束(仮根状の部分)が右下部に描かれている。]

《改帖》

[やぶちゃん注:底本ではこの帖は白紙である。]

《改帖》






[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。下の図は右帖の「紫稍花」を50%でダウンロード、トリミングしたものをブラウザの関係で特に正立させて掲げたものである。]


紫稍花しせうくわ  寛政六甲寅きのえとら夏月、江刕鸊※1湖がうしふびはこ産。
中心は芦の莖なり。紫稍の花は「綱目」「テウ」の條下に出づ。近江湖水の邉の方言、「カニクソ」。芦竹あしだけの枝上に着く。状、蒲槌がまのほのごとし。灰色なり。陳自明の「婦人良方」に云はく、『紫稍花。湖澤の中に生ず。乃ち、魚蝦ぎよか、卵を竹木の上に生みたるものにて。状、糖※2みづあめのごとし。木を去りて之れを用ふ。』とあり。

[やぶちゃん注:「※1」=「帝」+「鳥」。「※2」=(さんずい)+「昔」+(のぶん)。但し、「※2」は、「和漢三才図会」の、同じ陳自明の「婦人良方」の引用を見るに、中央に入っている「昔」は「日」ではなく「目」である(更に言うと「和漢三才図会」では「糖」ではなく「餹」とある)。ところが、本書の字も、「和漢三才図会」の字も、「廣漢和大辞典」には所載しない。「澈」《水が澄み清いの意》や「*」《*=(さんずい)+「敢」:味が薄いの意。》等の誤字とも考えられないことはないが、どなたかお分かりの方は御教授願いたい。ともかくもこの熟語「糖※2」という熟語の読みは不明乍ら、平凡社東洋文庫版島田他訳「和漢三才図会」によって「みづあめ」であることが分かっている。
 下部に紫稍花の全体図(蘆付き)と、右下に同寸の断面図一つ。本文の記載に関わらず、その形状と図から本種がカイメンの一種であることは容易に知れた。而して私は平凡者東洋文庫版訳『和漢三才図会』の「紫稍花」の条にある、訳者注に基づき、本種を淡水産の海綿動物門尋常海綿綱タンスイカイメン科ヨワカイメン Eunapius fragilis と同定しておく。なお、以上の「和漢三才図会」の記載は私の電子テクスト「和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類」の「吉弔きつちやう 弔脂 紫稍花」の項で電子化し、詳細な注も附してあるので、是非、参照されたい(実はそこには私が更に自信を以って本種同定に至った過程も詳述してあるからである)。
 なお、服部雪斎版では底本にはない、横断面図のキャプション『中心ハ蘆茎ナリ』がある。以下に示す(画像は国立国会図書館蔵「千虫譜第2冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より)。。




「寛政六甲寅」西暦一七九四年。
「江刕鸊※1湖」「江刕」は「近州」で近江国、「鸊※1湖」はで琵琶湖を指す。「鸊※1」は「鸊鷉」(音は「ヘキテイ」)が一般的用字で、にお、鳥綱カイツブリ目カイツブリ科カイツブリ Tachybaptus ruficollis のことを指す。ご存じのように琵琶湖は「にほの海」と呼ばれていた。因みに古名の「にほ(にお)」は「水に入る鳥」が転じた語とされる。
『紫稍の花は「綱目」「弔」の條下に出づ』「本草綱目」「鱗之一」の「吉吊」(「吊」は「弔」の俗字)の中で時珍は、
孫光憲「北夢瑣言」云、海上人言、龍毎生二卵、一爲吉吊或於水邊遺瀝、值流槎則粘著木枝、如蒲槌狀。其色微青黃、複似灰色、號紫梢花、坐湯多用之。
と書く。これは「和漢三才図会」で、
『孫光憲が「北夢瑣言」に云ふ、『海上の人の言へる、龍、毎に二卵を生ず。一は吉弔と爲り〔状、蛇の頭、龜の身、乃ち龍屬たり。〕多く鹿と游び、或は水邊において遺瀝して流槎うききへば、則ち、粘り着きて木の枝に蒲のの状のごとし。色、微青黄、復た灰色に似て、紫稍花と號す。』と。
と訳されてあるが、更に時珍は、
時珍曰、按、裴、姚二說相同、則吊脂即吉吊脂無疑矣。又陳自明「婦人良方」云、紫梢花生湖澤中、乃魚蝦生卵於竹木之上、狀如糖、去木用之。此說與孫說不同。近時房中諸術、多用紫梢花、皆得於湖澤、其色灰白而輕松、恐非真者。當以孫說為正。或云紫梢花與龍涎相類、未知是否。
と記しており、これは、陳自明(後注参照)の記述する「紫稍花」は淡水産のエビや魚類の卵塊であるというのは「紫稍花」の贋物であって、正しい「紫稍花」はあくまで龍の一種である吉弔の遺精であるに違いないというトンデモ説を述べているのである。
「芦竹」狭義にはこれは単子葉植物綱イネ目イネ科ダンチク亜科ダンチク Arundo donax を指すが、ダンチク(暖竹)は亜熱帯の海岸近くの陸地に生育するので、ここは単に水辺に生えるアシ・ヨシの類い(のやや茎の太く堅いもの)を通称して言っているに過ぎないと思われる。
「蒲槌」単子葉植物綱ガマ目ガマ科ガマ Typha latifolia の穂のこと。
「陳自明」(一一九〇年~一二七〇年)南宋の医師。健康府明道書院医論(現在の国立医大教授)となる。嘉煕元(一二三七)年に中国医史にあって初めての産婦人科学の集成である、本文に引用された「婦人良方(大全)」を完成した。
「糖※2」「糖」は飴の意。「※2」は「廣漢和辭典」には所収せず不詳であるが、既に述べた通り、東洋文庫版では「みずあめ」とルビを振る。水飴。]


《改帖》

章魚 「タコ」。
 「タコ」の陸地を行くもの、前に脚を伸して、后ろに身を進ましむ。恰も「シヤクトリ虫」に似たりと云ふ。

[やぶちゃん注:やや戯画的な一個体の図(前帖の「紫稍花」の蘆の下部が右下に突き出ている)。流石に軟体動物門頭足綱八腕形上目八腕(マダコ)目無触毛(マダコ)亜目マダコ科マダコ亜科マダコ属 Octopus Octopus 亜属までは狭めてよいであろう。]

《改帖》




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]


肥前天草産。
 「金章魚」。漢名「塗蟢トキ」。
「華夷蟲魚考」「寧波府志」及び「典籍便覧」に、『「望潮」。一名「塗蟢」。』と云ふもの、是れなり。状ち、「イヒダコ」に似て小さく、腹、小さく、空虚にして、飯なし。足、細長くして、蜘蛛に似たり。小なるもの、寸許り。丹後・但馬・越前・加賀に多くとるものなり。
 拙、按ずるに、「クモダコ」と云ふもの、章魚の初生なるべし。又、一種、別に極めて小なるものか。未だ詳らかならず。四國海濱にもあり。乾かして四方に寄せ贈る。食ひて味、美なり。

[やぶちゃん注:下部に「金章魚」三個体の図(右上の一個体は胴部を上にしている。左上は口器を上にしている。最下部の一個体は不分明であるが、腕足の吸盤が左上と同様に比較的くっきり見えており、口器を上にしているか、もしくは多くの腕足を振り上げている状態かと思われる)。
 本種の同定に関しては、明石淡路フェリー株式会社のサイト内の『明石海峡タコだより』の第六号『蜘蛛ダコって?』に以下のように考察がなされており、大いに参考となる(2014年10月追記:2012年に残念なことに会社解散によりサイト自体が消失しているのでリンクを外した)。
 『マダコ、イイダコ、テナガダコの三種類が明石で獲れる主なタコ類』であるが、『時折「クモダコ」という呼び名も耳にする』ことがある。しかし、そう呼称しても『別の種類が目に付くわけでもない』、とする。そこでこの帖の作成者は丹洲同様に、按ずるに『どうやら、胴に黒い筋が入り、金色の丸印を模様とするイイダコがそれらしい。真冬に胴の中ぎっしりと飯粒のような卵を持っていないものをクモダコと呼び分けたのではないだろうか。』と推測し、『本格的に寒くな』れば「飯持ち」になることを述べ、『釣り上げられたイイダコを見ると、袋状の胴体に黒い線が入って、クモの胴のようにも見える。細い足の動きも、どこか昆虫の動きに似て、昔の人はイイダコと別の種類と思ったのだろう。』とさらにフィールド体験からの補強をもしている。
 これはまさに丹洲の考察と美事に一致していると言ってよい。勿論、他の種の幼年個体としても見ておくべきではあるが(特に地方名の場合)、ここでは私は清々しく無触毛(マダコ)亜目マダコ科マダコ亜科マダコ属 Octopus 亜属イイダコ Octopus ocellatus と同定する。
「塗蟢」「蟢」は「蟢子」で節足動物門鋏角亜門蛛形(クモ)綱クモ目アシダカグモ科アシダカグモを指す。「塗」には濡れて泥にまみれるの意があるから、実に納得。
「華夷蟲魚考」不詳。推測するに、これは「華夷通商考」の誤りではなかろうか。同書は江戸前期に中国を初めとして諸外国の位置・風土・人口・産物・風俗などを記した海外一般地誌である。上下二巻、長崎通詞で天文学者でもあった西川如見著。オランダ人との接触によって得られた外国事情に関する知識によって書かれたもので、元禄八 (一六九五) 年刊でさらに宝永五 (一七〇八) 年に訂正増補された五巻本が刊行されている(ここまで「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。もしかすると、この後の改訂増補版の中に標記のようなパートがあるのかも知れない。
「寧波府志」は明の張時徹らの撰になる浙江省寧波府の地誌。
「典籍便覧」「典籍作者便覧」。江戸後期の杉野恒編になる近世著者名目録。
「望潮」難語辞典類に「望潮魚」で「いいだこ」と読むとある。「望潮」だけだとシオマネキの方が遙かにポピュラーな読みである。
「クモダコ」現在、この和名は狭義には Octopus 亜属 Octopus longispadiceus に与えられているが、ここは丹州の言うようにタコのかなり幼体、若しくはイイダコの地方名と採ってよいと思われる。ネット上でもイイダコの佐渡方言として今も残ることが確認出来た。]




[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館蔵「栗氏千虫譜第10冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。]



「職方外紀」に云はく、『一種。介属の魚。僅か尺許り。殼、有り。六足の足、有り。皮のごとし。他にうつらんと欲すれば、則ち、半殼を竪てて舟に當て、足の皮を張りて帆に當てて、風に乘りて行く。名づけて「舡魚カウギヨ」と曰ふ。』と。「龍威秘書」巻九「譯史紀餘」に曰はく、『舡魚。六足にて行く。殼有りて、皮は僅かに長さ尺許り。他に徙らんと欲すれば、則ち、半殼を竪てて舟に當て、足の皮を張りて帆に當てて、風に乘りて去る。』と。

《改帖》

舡魚  蛮名「ヒツセナーチリス」。右ノ図は蛮書「落立弟篤ラリテート」中にあり。直かに抄出す。
 本邦、俗に「章魚船」と呼ぶ。一名「貝章魚」と云ふ。此の介殼を介品に入るる。紀州にて「葵介」と云ふ。小なるを「乙姫介」と云ふ。諸州の海中より産す。大なるは、六、七寸、小なる者、二、三寸。純白にして、形、「鸚鵡螺アウムガヒ」のごとく、薄く脆く玲瓏として、恰も硝子を以つて製造するものに似たり。文理もんりありて※瓏をなす。ぼ秋海棠葉の紋脉もんみやくを彷彿させ、愛玩するに耐へたり。中に、一章魚たこの小なるもの、これに寄居す。六手を殼の肩に出だし、ふたつながらら足を殻の後につきはりて、櫂竿のかたちをなす。海面を游行すること、自在なり。まことに奇物なり。此の章魚は、外來のものに非ず、此の介の肉ナなり。月をて、大なるに随ひて、此の介も又、大きになるものなり。章魚の船に乘りたるに似たるに因りて此の名あり。徃年、津輕海濱に、此の物、一日數百、群をなすことありて寄せ來たる。人、多くこれをとる。然れども、怪みて食ふものなし。試みに煮て犬に與へて喰はしむるに、皆、煩悶苦痛のていなり。因りて有毒のものと知れる。漁人、偶々、得ることあれば、則ち章魚を棄て、殼のみを採りて、以つて珎玩ちんぐわんとして四方に寄す。然れども、其の殼、もろく、碎け易く、久しく用ゆるにたへず。

[やぶちゃん注::「※」=(がんだれ)の中に「毛」。読みも意味も不詳。因みに「瓏」は明らかなさな、はっきりとしたさま。識者の御教授を乞う。
 腕足の間の膜を帆として掲げている「舡魚」の図。これは本文で述べているように、欧文の図譜からの転写である。原本は G. Eberhard Rumpf “ D'Amboinsche rariteitkamer ”で、1705年にアムステルダムで刊行された蘭語版の「アンボイナ珍品集成」である。当時日本では、「ラリテート」と呼ばれた。ここでは、“ Biodiversity Heritage Library ”の同書のPDF版から当該画像をトリミングして以下に示した(細部を見易くするために画像処理を施した)。




 本種は無触毛(マダコ)亜目アオイガイ科アオイガイ(カイダコ) Argonauta argo である。なお、この擬殻を形成するのは♀のみである。
「職方外紀」イエズス会士のイタリア人艾儒略( Giulio Aleni 一五八二年~一六四九年)が明で編纂した五巻から成る世界地理書。一六二三年に成立し、同年に杭州で刊行され、一六二〇年代後半に福建で重刊された。福建での重刊の後も幾つかの叢書に収められ、当時の中国の地理知識の発達に寄与した。さらに日本にも渡来し、禁書とされたにも拘わらず、密かに伝写されて鎖国時代の世界地理知識の向上に貢献した書である(以上は明治大学図書館公式サイト内の「蘆田文庫特別展」の「展示資料の詳細表示」の「職方外紀」の解説に拠った)。
「龍威秘書」清の馬俊良の手になる稀覯珍奇な書物を集めた叢書。
「譯史紀餘」清の陸次雲の撰したもので、画像で管見すると一種の類書のようなもののようである。
「ヒツセナーチリス」「ナーチリス」は“ nautilus ”=「ノーチラス」でオウムガイを指す。一般にアオイガイは“ paper nautilus ”=「紙のオウムガイ」と海外で呼称されるのであるが、オランダ語と思われる「ヒツセ」の綴りや意味には辿り着けなかった。
 なお、本記載の内、海上を腕足の間の膜(厳密にはこの膜は第Ⅰ腕が変形したもの)を張って帆走するというのは、全くの誤りである。これは古くアリストテレスの『動物誌』第9巻の記載から始まった誤りである。以下、「ナウティロス」(ギリシャ語で「舟人」)の当該部分を示す(底本は岩波書店一九六九年刊島崎三郎訳「アリストテレス全集8」の「動物誌 下」を用いた。分かり難くなるので訳者の〔 〕による注もそのまま引用する)。
   *
 「フナビト」〔カイダコ〕もタコであるが、本性も習性も一風変わっている。すなわち、海底から上へ上がってきて、海面で帆走するのである。たやすく海面へ上がり貝殻を空にして帆走することができるように、貝殻を下に向けて上がってくるが、海面に出ると向きを変える。〔二本の〕巻腕の間には、水鳥の指の間にあるみずかきのような、一種の組織がある。ただし水鳥のは厚いが、このタコのは薄くてクモの巣状である。そよ風が吹くと、これを帆のように使い、また巻腕の中の或るものを両脇に下ろして櫂にする。物に恐れると、貝殻に海水を満たして沈む。この動物の発生と貝殻の同時生長については、まだ精しく観察されていない。しかし〔この動物は〕交尾の結果として発生するのではなく、他の〔二枚〕貝類のようにひとりでに生えてくるものと思われる。貝殻がとれても生きていられるものかどうか、ということも、まだはっきり分からない。
   *
トンデモ叙述であるが、これは途轍もなく長命を保ち、ルネッサンス期の1553年刊のフランスの博物学者ピエール・ブロン( Pierre Belon 一五一七年~一五六四年:フランス王室侍医も務め、植物学者としても優れていた。比較解剖学の創始者としても知られる)の近代魚類学の先駆的書とされる“ De Aqualilibus ”(「水族誌」)にさえ、この『丹氏千蟲譜』の絵と驚くほど極似した、腕の膜を美しい帆として海上を行く(!)アオイガイの絵が載るのである。更に、この誤伝がかくも19世紀まで信じられたことを考える時、丹洲が転写した『ラリテート』の図版のルーツも、このブロンにまで遡ると考えてよい。では、満を持してブロンの“ De Aqualilibus ”のその実際の画像を見よう。引用元はカンザスシティのリンダ・ホール図書館の公開画像である。




 なお、以上のアオイガイの図版についての考察には、1999年紀伊国屋書店刊の西村三郎「分明の中の博物学(上)」で得た知見を参考にしている。

 最後に私の好きな雪斎の図を掲げて終わりとする(画像は国立国会図書館蔵「千虫譜第2冊」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)より。画像処理を施してある)。




 以上で「栗氏千蟲譜」第十巻の本文は終了している。この後に、後記・跋文・所蔵者曲直瀨愛の識があるが、海洋生物とは無縁なので全て省略する。]