やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇へ

鬼火へ

 

冬心 《新・旧全集併載版》   芥川龍之介

 

[やぶちゃん注:本作について、旧全集後記では、『小型版全集によれば、「冬」』『の草稿である』と記し、新全集後記では、『小型版全集では、「冬と手紙と」(「中央公論」一九二七年七月)の「冬」の「別稿」として紹介されている』とある。この謂いの違いについての私の見解は、私の「冬と手紙と」を参照されたいが、私はこれを「冬と手紙と」とは独立した別個な作品として意識し、ここに単独ページとして活字化するものである。底本は正しく原稿から2パートを活字化している新全集をまず採った(但し、私のポリシーに従い、恣意的に正字に直してある)。その後に、小型版全集編者によって、恣意的に接合されたと思しい旧全集版を示した。新全集後記には、旧全集版は『前半はⅠ-bに拠り、』下島(中島)医師の「どうです、體の具合は?」以下のパートは『Ⅰ-aを採用している』とある。この新全集の原稿呼称はそのまま流用し、また、以上の通り、旧全集の原稿接合という恣意的な仕儀の可能性が疑われる関係上、通常は省略している新全集にある、原稿用紙が変わる箇所、著者自身が施したと推定される切り貼りが行われている箇所を示すところの改頁記号を『┓』に変えて、挿入しておいた。新旧全集の表記上の新字正字の違いとは思われない相違点(句の表記違い及び「寐」と「寢」の使用異体漢字の違い、その他、新全集の「才」が旧全集では「歳」となっている、「下島」が「中島」となっている、リーダの点数の違い等々)が一部に認められるが、特に注記はしなかった。本文中に「自分はこの秋も神經衰弱に罹つた」とし、更に「一昨年の秋、支那見物から歸つた後も」とあることから、染筆は大正10(1921)年の中国特派の翌々年、大正12(1923)年の年末と考えられる(それにしては関東大震災の予後が作品から感じられないのはやや不審ではあるけれども)。同時に、本頁に加工を加えた、「冬心」の新全集底本に基づく同原稿用紙推定準拠縦書版も作製した。御覧あれかし。【2011年1月16日】]

 

冬心

 

□新全集版未定稿Ⅰ-a

 

 自分は又神經衰弱になつた。又と云ふのは一昨年の秋、支那見物から歸つた後も、やはり同じ病氣に羅つたことがある。今度のはその時程重いのではない。が、時時狹心症のやうに心臟に異状の起るのには少からず惱され┓た。殊に夜半にこの發作が起ると、カルモチンでも用ひない限り、殆ど一睡も出來なかつた。「赤ときやいとどなきやむ屋根のうら」――自分は寐返りを繰り返しながら、かう云ふ句を作つたこともある。句は善惡はどちらでも好い。兎に角當時の心もちは大體この句趣に似たものだつた。

 自分は隔日に下島さんヘカルシウムの注射をして貰ひに行つた。或は行つたと云ふよりも、行くことにしてゐたと云ふのかも知れな┓い。夜間安眠の出來ない自分は十二時過ぎ迄起きないことがある。すると宅診の時間に間に合はないから、下島さんへ出かけるのはやめにしてしまふ。又行けば行ける時でも、ぷつりと腕の靜脈へ注射針のはびることを想像すると、どうも出かける氣にならない。そんなこんながあるものだから、二日置き、三日置き、――或は彼是二週間も出澁つてしまふと云ふ有樣だつた。

 或風のある朝、自分はやはり何日目かに下┓島さんへ注射に行つた。診察室の寢臺に寐てゐると、硝子窓のずつと上に隣家の棕櫚が二三本、高い梢だけ少し見えた。棕櫚は風を受ける度に、ばさばさした葉を煽るやうにする。同時にその葉の一裂けづつも細かにひらひら震動する。大きい葉全體の動き方から見ると、一裂けづつの動き方は如何にも神經的に感ぜられる。下島さんはこの窓を後ろに、注射器の具合を撿べてゐた。それがやつと注射針にカルシウムの液を吸はせながら、かう自┓分に話しかけた。

 「どうです、體の具合は?」

 「何だか舊態依然としてゐます。」

 下島さんはちよいと默つた後、「注射を續けなけりやいけませんな」と云つた。自分は返事に困つたから、まじまじ棕櫚ばかり眺めてゐた。すると下島さんはもう一度同じことを繰返した。自分は少し反抗的になつた。

 「しかし神經衰弱ぢや死なないでせう?」

 「死にますよ。大死にですよ。營養神經が參┓りやそれつきりです。この間も一人ありましてなア、……」

 下島さんは注射をすませた後、その患者の話をした。それは中里邊に住んでゐる退職官吏の娘だつた。當人は圖畫が得意だつたから、小學校を卒業すると、一途に畫家になりたがつた。が、經濟上の關係もあり、兩親は全然とり合はない。その内に烈しい神經衰弱┓に罹り、一日一日と憔悴し出した。始は不眠が續いたり、亂視が起つたりする位だつた。が、┓おひおひ食慾が衰へ、しまひには、床に就いたぎりになつた。かう云ふ重態に陷つたら、もうどうにも取り返しはつかない。削られるやうに瘦せ細りながら、とうとう昨日の朝死んでしまつた。年はやつと十六才、器量も中中好い方だつたと云ふ。

 「それでも殆ど死に際迄畫ばかり描いて居りましてなあ 又非常に器用なのです。わたしも一二枚貰ひましたから、一つあなたにもお目にかけませうか?」┓

 下島さんはデスクの抽斗から水彩畫や鉛筆畫を出して見せた。畫は成程器用だつた。が、見た儘を描いたと云ふよりも、或畫の型を眞似たものだつた。花を描いた水彩畫などは殊に素直さに乏しかつた。自分は何だか寂しい氣がした。

 下島さんに聞いた話はその後も時時思ひ出した。思ひ出す度に死と云ふものが身近かに來たやうな心もちがした。自分は冬へ押し移る書齋にぼんやり煙草を銜へながら、自分の┓死ぬことを考へたり、子供の死ぬことを考へたりした。自分の死ぬことを考へると、死そのものには恐怖もなかつた。が、子供のことを考へると、いつ死に襲はれるかわからない人間の命は情けなかつた。ゼンマイ仕掛の蠅取器がある。あの砂糖と酢とを塗つた木板の上に止まる蠅は自然と金網の箱に呑まれてしまふ。この「自然と」と云ふところに底深い恐しさのあるやうな氣がした。

 自分は又二三目してから、下島さんへ注射┓に出かけた。下島さんは自分の顏を見ると、「先日お話した娘がなあ」と、もう一度あの患者の話をし出した。娘の父親の退職官吏は生前娘に薄かつた代りに、死後はどうにかしてやりたいと思つた。が、恩給暮らしの貯金位では到底葬式は立派に出來ない。せめては火葬にする時でも、一等の竃にしてやりたいと思つた。ところが火葬場に問ひ合せると、一等は生憎滿員だと云ふ。二等ならばまだ明いてゐると云ふ。父親はとうとう當惑の餘り、一切┓の事情を掛りのものに話した。それからどうか一等の竃を都合してくれと懇願した。掛りのものは弱つたやうに少時帳簿を撿べてゐた。しかししまひには笑ひながら、「では一等の料金をお拂ひなさい。特等の竃にして下げます」と云つた。――下島さんはかう云ふ話をしてから、顏中に滿足らしい色を出した。

 「火葬場も中中感心ですなあ。どうです。こりやちよいと小説じみてゐるでせう?」

 この話は自分にも好い感じを與へた。しか┓し寂しいことは變らなかつた。人間同志の同情は焚き火のやうに暖を與へるかも知れない。が、まはりの冬を思へば餘りに小さい焚き火だと思つた。その小さい焚き火にさへたよらなければならないと云ふのはずゐぶんたまらないことだとも思つた。下島さんから歸る途には墓原に沿つただらだら坂がある。自分はその坂を登りながら、妙にやけ糞な心もちになり、霜解けもかまはず滅茶苦茶に歩いた。┓

 

□新全集版未定稿Ⅰ-b

 

 自分はこの秋も神經衰弱に罹つた。この秋もと云ふのは一昨年の秋、支那見物から歸つた時にも、やはり同じ病の爲に三月ばかり苦しんだことがある。今度のはその時の程重いのではない。が、催眠劑を用ひない限り、眠ら┓れないことは同じだつた。又催眠劑を用ひたにしろ、二時か三時に目が覺めたなり、天明を待つことは稀ではなかつた。「赤ときやいとど鳴きやむ屋根の裏」――自分は寐返りを繰り返しながら、かう云ふ句を作つた覺えもある。

 その間はまだ風流だつた。それがだんだん嵩じると、何をするのも厭になり出した。自分は人にも會はなければ、手紙にも返事を出さないやうになつた。しまひにはとうとう返事どころか、封さへ滅多に切らないやうにな┓つた。手紙は大抵一週間目に黑塗りの亂れ箱に一ぱいになる。自分はその度に女中を呼んでは、みんな風呂の下に燒かせることにした。折角の手紙を煙にするのは勿論自分にも愉快ではない。しかし煙にするより外に仕かたのなかつたことも事實である。

 自分は唯さう云ふ中にも、隔日に近所の中島さんヘカルシウムを注射をして貰ひに行つた。これも行つたと云ふよりは行くことにしてゐたと云ふのかも知れない。夜もおちおち┓眠られない自分は十二時過ぎ迄起きないことがある。すると宅診の時間に間に合はないから、つひ出かけるのを見合せてしまふ。又行けば行ける時でも、ぷつりと腕の靜脈へ注射針のはひることを想像すると、どうも出かける氣にならない。そんなこんなに絡まれる爲に、二日置き、三日置き、――或は彼是一週間も出澁つてしまふことは度たびだつた。

 或野分の烈しい朝、自分はやはり何日目かに中島さんへ注射に行つた。診察室の寢臺に┓寐てゐると、硝子窓のずつと上に庭さきの棕櫚が二三本、高い梢だけ少し見える。棕櫚は風を受ける度に、ばさばさした葉を煽るやうにする。同時にその葉の一裂けづつも細かにひらひら震動する。大きい葉全體の動きかたから見ると、一裂けづつの動きかたは如何にも神經的に感じられる。中島さんはこの窓を後ろに注射器の具合を撿べてゐた。それがやつと注射針にカルシウムの液を吸はせながら、かう自分に話しかけた。┓

 

□旧全集版

 

冬心

 

 自分はこの秋も神經衰弱に罹つた。この秋もと云ふのは一昨年の秋、支那見物から歸つた時にも、やはり同じ病の爲に三月ばかり字苦しんだことがある。今度のはその時の程重いのではない。が、催眠劑を用ひない限り、眠られないことは同じだつた。又催眠劑を用ひたにしろ、二時か三時に目が覺めたなり、天明を待つことは稀ではなかつた。「赤ときやいとど鳴きやむ屋根の裏」――自分は寢返りを繰り返しながら、かう云ふ句を作つた覺えもある。

 その間はまだ風流だつた。それがだんだん嵩じると、何をするのも厭になり出した。自分は人にも會はなければ、手紙にも返事を出さないやうになつた。しまひにはとうとう返事どころか、封さへ滅多に切らないやうになつた。

 手紙は大抵一週間目に黑塗りの亂れ箱に一ぱいになる。自分はその度に女中を呼んでは、みんな風呂の下に燒かせることにした。折角の手紙を煙にするのは勿論自分にも愉快ではない。しかし煙にするより外に仕かたのなかつたことも事實である。

 自分は唯さう云ふ中にも、隔日に近所の下島さんへカルシウムを注射をして貰ひに行つた。これも行つたと云ふよりは行くことにしてゐたと云ふのかも知れない。夜もおちおち眠られない自分は十二時過ぎ迄起きないことがある。すると宅診の時間に間に合はないから、つい出かけるのを見合せてしまふ。又行けば行ける時でも、ぷつりと腕の靜脈へ注射針のはひることを想像すると、どうも出かける氣にならない。そんなこんなに絡まれる爲に、二日置き、三日置き、――或は彼是一週間も出澁ぶるつてしまふことは度たびだつた。

 或野分の烈しい朝、自分はやはり何日目かに下島さんへ注射に行つた。診察室の寢臺に寢てゐると、椅子窓のずつと上に庭さきの棕櫚が二三本、高い梢だけ少し見える。棕櫚は風を受ける度に、ばさばさした葉を煽るやうにする。同時にその葉の一裂けづつも細かにひらひら震動する。大きい葉全體の動きかたから見ると、一裂けづつの動きかたは如何にも神經的に感じられる。下島さんはこの窓を後ろに注射器の具合を撿べてゐた。それがやつと注射針にカルシウムの液を吸はせながら、かう自分に話しかけた。

 「どうです、體の具合は?」

 「何だか舊態依然としてゐます。」

 下島さんはちよいと默つた後、「注射を續けなけりやいけませんな」と云つた。自分は返事に困つたから、まじまじ棕櫚ばかり眺めてゐた。すると下島さんはもう一度同じことを繰返した。自分は少し反抗的になつた。

 「しかし神經衰弱ぢや死なないでせう?」

 「死にますよ。大死にですよ。營養神經が參りやそれつきりです。この間も一人ありましてなあ、………」

 下島さんは注射をすませた後、その患者の話をした。それは中里邊に住んでゐる退職官吏の娘だつた。當人は圖畫が得意だつたから、小學校を卒業すると、一途に畫家になりたがつた。が、經濟上の關係もあり、兩親は全然とり合はない。その内に烈しい神經衰弱に罹り、一日一日と憔悴し出した。姶は不眠が續いたり、亂視が起つたりする位だつた。が、おひおひ食慾が衰へ、しまひには床に就いたぎりになつた。かう云ふ重態に陷つたら、もうどうにも取り返しはつかない。削られるやうに瘦せ細りながら、とうとう昨日の朝死んでしまつた。年はやつと十六歳、器量も中中好い方だつたと云ふ。

 「それでも殆ど死に際迄畫ばかり描いて居りましてなあ。又非常に器用なのです。わたしも一二枚貰ひましたから、一つあなたにもお目にかけませうか?」

 下島さんはデスクの抽斗から水彩畫や鉛筆畫を出して見せた。畫は成程器用だつた。が、見た儘を描いたと云ふよりも、或畫の型を眞似たものだつた。花を描いた水彩畫などは殊に素直さに乏しかつた。自分は何だか寂しい氣がした。

 下島さんに聞いた話はその後も時時思ひ出した。思ひ出す度に死と云ふものが身近かに來たやうな心もちがした。

 自分は冬へ押し移る書齋にぼんやり煙草を銜へながら、自分の死ぬことを考へたり、子供の死ぬことを考へたりした。自分の死ぬことを考へると、死そのものには恐怖もなかつた。が、子供のことを考へると、いつ死に襲はれるかわからない人間の命は情けなかつた。ゼンマイ仕掛の蠅取器がある。あの砂糖と酢とを塗つた木板の上に止まる蠅は自然と金網の箱に呑まれてしまふ。この「自然と」と云ふところに底深い恐しさのあるやうな氣がした。

 自分は又二三日してから、下島さんへ注射に出かけた。下島さんは自分の顏を見ると、「先日お話した娘がなあ」と、もう一度あの患者の話をし出した。娘の父親の退職官吏は生前娘に薄かつた代りに、死後はどうにかしてやりたいと思つた。が、恩給暮らしの貯金位では到底葬式は立派に出來ない。せめては火葬にする時でも、一等の竃にしてやりたいと思つた。ところが火葬場に問ひ合せると、一等は生恰滿員だと云ふ。二等ならばまだ明いてゐると云ふ。父親はとうとう當惑の餘り、一切の事情を掛りのものに話した。それからどうか一等の竃を都合してくれと懇願した。掛りのものは弱つたやうに少時帳簿を撿べてゐた。しかししまひには笑ひながら、「では一等の料金をお拂ひなさい。特等の竃にして上げます」と云つた。――下島さんはかう云ふ話をしてから、顏中に滿足らしい色を出した。

 「火葬場も中中感心ですなあ。どうです、こりやちよいと小説じみてゐるでせう?」

 この話は自分にも好い感じを與へた。しかし寂しいことは變なかつた。人間同志の同情は焚き火のやうに暖を與へるかも知れない。が、まはりの冬を思へば餘りに小さい焚き火だと思つた。その小さい焚き火にさへたよらなければならないと云ふのはずゐぶんたまらないことだとも思つた。下島さんから歸る途には墓原に沿つただらだら坂がある。自分はその坂を登りながら、妙にやけ糞な心もちになり、霜解けもかまはず滅茶苦茶に歩いた。

(大正十二・三年)