芥川龍之介中国旅行関連(『支那游記』関連)手帳(計2冊)
[やぶちゃん注:本篇は芥川龍之介が残した手帖の内、大阪毎日新聞社特派員として中国へ旅した際のメモと思われるもの、具体的には、その多くの記載が芥川の著作『支那游記』群(「自序」の後、「上海游記」を筆頭に「江南游記」・「長江游記」・「北京日記抄」・「雜信一束」の順で構成)の素材となったと思われる二冊について電子テクスト化したものである。底本は岩波版旧全集を用いた。手帳番号は旧全集編者によるものである。本文中の「○」は旧全集編者が読み易さを図るために打ったものである。また、底本の後記には最初の岩波版芥川龍之介全集元版全集(底本はこの本文に依っている)の月報第8号の「編輯者のノオト」の引用があり、そこにはこの総数11冊の手帳の活字化について、『字が非常に汚なく、それらを判讀するのには隨分骨を折つた』が、『それでも不明だつた箇處は少なくない。そのため一センテンスの分からないものは止むを得ず削除し、どうにか意味の分る樣なものはその不明の文字だけ□印をもつて代へた。又、發表の差支へのあるやうな箇處は適當に伏字にして置いた。』とあり、更に全集の容量の問題から『圖は全部省略』とある。手帳「六」は大正10(1921)年大阪毎日新聞社発行上下140㎜・左右67㎜・右開き手帳。本手帳の内容の一部は『支那游記』群の他、大正11(1922)年4月発表の「仙人」、大正9(1920)年発表の「影」、大正15(1926)年発表の「湖南の扇」、大正10(1921)年発表の「奇遇」、未定稿「澄江堂遺珠」の創作に関わっている。手帳「七」は発行年・発行所共に不詳の手帳で、上下124㎜・左右65㎜・左開きと推定されるもの。本手帳「七」の内容の殆んどは「北京日記抄」の叙述の元となっている。以上の書誌と関連創作作品については、底本には書誌記載がないため、岩波版新全集後記記載書誌他を一部参考にした。なお、岩波版新全集の当該手帳部分は、原本の確認(藤沢市文書館所蔵とあるので葛巻義敏の死後寄贈されたものであろう)は出来たものの、破損の度合いが激しく判読不可能の箇所が多いために、私が底本とした岩波版旧全集をそのまま底本としている旨の記載がある。即ち、この「六」「七」の手帳は最初の芥川龍之介全集(元版全集)刊行時に判読されて以来、一度も原本との照合がなされていないことが分かり、従って元版全集の「編輯者のノオト」の注記記載は現在の新全集にあっても有効であるということ、『一センテンスの分からないものは止むを得ず』丸ごと削除されており、『發表の差支へのあるやうな箇處は適當に伏字に』(下線やぶちゃん)され、『圖は全部省略』されている可能性があるということである。従って以下は、現存する原資料の完全な活字化ではないという点を付記しておく。便宜上、表題をそれぞれ「手帳 6」「手帳 7」とした(底本は「手帳」なしで漢数字「六」「七」)。割注は【 】で同ポイント一行で示した。傍点「○」は下線に代えた(そのため「○印は」という一箇所を「下線部は」と読み替える必要がある)。以上の次第を受けて、本篇は資料として掲げることを目的とし、一部の字注や私が今回のテクスト化作業で気になって調べた外国語等を除いて、私にとって訓読を迷う箇所(底本には一部の中国語を除いてルビはない)や仄聞したことのない人名・書名・画題及び読解が不分明な箇所等についても、敢えて注釈を避けた。因みに私の数少ない注をご覧になれば分かる通り、アルファベットの綴りには多くの疑義がある。これは判読時の誤りではなかろうか。
さても、芥川龍之介が何を採って何を捨てたか、実際にはかけ離れた時空間の別々な嘱目を如何に巧みに連結したか、また、「奥の細道」よろしく、どれだけ我々が騙されているか――を探ってみる楽しみに加え、芥川が『支那游記』本篇には記さなかった素朴な感懐や視線、更には自作の新傾向俳句(というより自由律俳句と言うべき様相を呈している)と言い――『支那游記』を読んだ者には、興味が尽きない資料である。いや、私はテクスト化をしながら、『支那游記』をまた一から再読してみたくなった。特に冒頭に並ぶ俳句群は、ここに俳句を記すために特に空けておいて、時系列ではずっと後の嘱目を吟詠して記したのではないかと思われるものが含まれている。その辺り、それぞれの句の作句時間に思いを致すのも面白い。
なお、本手帳に現れる差別的言辞や視点についての私の見解は、既に「上海游記」の冒頭の注記に示しているので、必ず、そちらを御覧頂いた上で本篇をお読み頂きたい。【2009年8月11日】
「人民中国」の北京日本学研究センター准教授秦剛氏「芥川龍之介が観た1921年・郷愁の北京」による新知見により二箇所に注を追加した。【2009年8月20日】
新知見により「高跳動」に注を追加した。【2010年10月16日】
実は私のブログ・カテゴリ「芥川龍之介 手帳」の電子化注は2016年8月31日よりこの「手帳6」に入り、本日、「手帳7」を終了した。正直、そちらの方では遙かに新知見に富んだ詳細な注を附しているので、是非、参照されたい――というよりも――そちらが私のよりよい電子注釈データとなっているのでそちらの閲覧を強くお薦めする。なお、資料上の扱いに違いがあるので、こちらをそれらによって全面的に書き換えることは基本、しない。一部、どうしても不完全で補足が是非とも必要と思われた箇所にのみ、ブログ版の電子化注のものを補ってはおいた。但し、その部分は特に指示明記はしていない。【2018年1月9日を書き換え・2018年1月10日】]
手帳 6
六
〇庭の空に蟬一聲や月明り
○舊事記誦先代之舊辭――古事記
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多田義俊
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太平記未來記の條
○美しきhumour. マダムボヷリイ。
○髻【文覺業平】 久夢日記 天和三年の事
○髮を切つて釈迦に入學試驗を祈る(お百度)。祖母に内證。使に行くと云ふ。髮のぶら下り居るはおのれなり。
○仙人の松に上り登天の話。
○ピアノの鍵盤にnumberをつけ春雨をひく。房子の夫。
[やぶちゃん注:ここから以下の部分が、中国関連の記載となる。]
〇三遊洞。徐霞客遊地。
○Trapist 白雲觀――北京
[やぶちゃん注:“Trapist”は“Trappist”の誤りであるが、トラピストはキリスト教カトリック修道会トラピスト会を指す語で、ここで芥川は白雲観が中国での道教の厳格な修行場として、トラピスト修道会に匹敵するという事前情報を書き込んだものであろうか。]
○船室のリンネルの窓かけに入日
水夫らが甲板を拭ふ椰子の實よ海よ
海上のサルーンに常磐木の鉢ある
支那人のボイが入日を見る額の廣さ
アメリカ人がうつタイプライタアに荒るる
荒るゝ海に鷗とび甲板のラシヤメン
星影に船員が仰ぐ六分儀
水平の赭水紫立つ朝なり
ジヤンクの帆煙るブイの綠靑色
川の病む黃疸、舟の帆の日陰蝶
アンペラ、布帆、丹色の赤、綠、コバルト、藍
藍衣黑衣の支那人、倭寇
船尾に煤けたる日章旗
黃旗、赤布包の棺、ジヤンク四五人、葬をおくる舟
柳、山羊、アンペラ屋根、菜
鴨群、四つ手網(大)
○ゴルフ人に芝生靑々
春日にとぶ首白がらす
花菜畑に灰色煉瓦の墓二つ
紅桃の中に西洋館ある噂啼鴉
○Avenue Joffre
[やぶちゃん注:正しくは“Avenue de Joffre”で、上海のフランス租界にあった通りの名前。現在の淮海路。孫引きになるが、OKA Mamiko氏のHP「亞細亞とキネマと旅鴉」の中の「堀田善衛:『上海にて』」の引用の中に、『旧仏租界の大通りである、中国人たちが法国梧桐(フランス桐)と呼んでいるアカシヤの並木のある霞飛路(上海語でヤーフィロと発音した)は、そのフランス名は、Avenue de Joffre すなわち第一次大戦時のフランスの将軍であったジョッフル元帥の名をとってつけたものであ』る、とある。]
能成に似る印度人の巡査
アカシアの芽匀ふ路ばたのアマ
駁者の一人は眠る白馬なり麥畠
○クーリーの背中の赤十字に雨ふる
緋の幕に金字けむる
赤面の官人の木像かなし錫箔
燈籠ならび線香長し
○鼠色の長褂兄
黑色の馬褂兄
雪毬にうす日さす竹林の前
三階なれば櫻しらじらと(日本よりの)
老爺が火をすりくるる小説の話
世界戰爭後の改造文學の超國家性
黑き門に眞鍮の鐶ある午後
卍字欄に干し物のひるがへる靑空
わが友が小便する石だたみの黑み草疎
雅敍園の茶に玫瑰の花の匀
杏の種をわりて食ふ三人
時事新報社の暗き壁に世界圖
千坎堂
白き驢馬がころがる一匹は行キ(痒いんだよ――M氏)
[やぶちゃん注:「M氏」は恐らく中国滞在中の芥川の世話役であった大阪毎日新聞社上海支局長の村田孜郎(むらたしろう ?~昭和20(1945)年)であろう。烏江と号し、演劇関係に造詣が深く、大正8(1919)年刊の「支那劇と梅蘭芳」や「宋美齢」などの著作がある。後に東京日日新聞東亜課長・読売新聞東亜部長を歴任、上海で客死した。]
○桃色の寶づくしの緞子。○黑の緞子、織紋。
○師友紀談、李元攷○春渚紀聞、何※○梁谿漫志、費袞補之○浩然齋雅談、周密○該餘叢攷、趙翼○池北偶談、王阮亭○姚首源、古今僞書考
[やぶちゃん字注:「※」=(くさかんむり)+「遠」。]
○李人傑
○小有天「道々非常道、天々小有天」○淸道人(造可道非常道)道裝○鄭孝胥もひき立てた由。
○愛春。薄紫に白の織紋(ドン子)。翡翠の蝶(左胸)。眞珠の胸紐。腕時計。耳飾pearl. 髪紐(靑色)。靑磁色の褲子(織紋)。スカホ。
[やぶちゃん注:「スカホ」意味不明。識者の御教授を乞う。]
○時鴻。金と寶石の蝶(右胸)。髮紐(桃色)。木香(左胸)。紫緞子(藍と銀)。江西の人。舊風。紅。指環二つ。pearl のneck-lace. 眞珠の環(右)。時計(左)。
○鏡(金-梅竹)綠のセルロイドの櫛○黑衣の婆、金の腕環、琵琶○黑衣の男、鼠の中折、淺黃の風呂布
○胡弓に合せて唄ふ女、足を重ねて坐す。秦樓、桃色と鋼靑(紺緣)。
○黑。銀緣。腕環(左翡翠、右金銀)。褲サヤガタ。上衣蘭花。引眉。頰紅。平面。背低肥。細目vivid. 贅肉。眶。揉上げなし。口元の皺。白蘭(髮)。櫛(黑)――鼈甲。耳環Diamond. 頸元にdiamondと翡翠の勳章。diamondの指環(財産のall)。手(子供じみたる)。五十八。四十位に見ゆ。眞珠の粉を靑年時代にのむ。不老術。阿片をのむ故老いたり。
○萍郷、京調の黨馬○秦樓、西皮調の汾河灣(胡弓)。○洛娥。貴州省長王文華暗殺。黑衣白蘭。diamondの指環。
○黛玉。1秦腔。胡弓と笛。山西より起る。この調慨慷哀惋悽楚。2昆曲。江蘇省昆山縣より起る。笛。
○天竺。眞珠の首飾。金釧寛。白髻。
○西皮調、武家坡。薛平貴唱 八月十五月光明、藤平貴在月下修寫書文、王寶川唱 我間他好來、薛唱 他到好、王唱 再問他好來、薛唱 倒他安寧、王唱 衣裳破了、薛唱 自有人逢、薛太哥、※幾年、運不通他在那、西涼國、受了苦辛……
[やぶちゃん字注:「※」=「辶」+「文」。]
○章炳麟。東南撲學、章太炎先生――元洪。剥製の鰐。古書。金石索の箱。眉薄く、眼細く、髭髯薄く、顏面黃に、背曲れり。緣なし金メガネ。黑衣。灰色の下着。毛皮をかけし籐椅子。鐵の門(ペンキぬり)。石だたみに水たまる。boy案内す。
○支那車掌。綠色の服。黃筋(二本)の帽。切符に赤鉛筆のlineをひく。
○蘇州へ行つたら目をつぶつてつかんでも美人ですよ。(村田氏の言)
○嘉興。水にのぞむ城壁の廣告。橋。塔。桑畑。
○白沙。堤上。馬鈴。靑袴黑衣。クモ。白壁。ヤモリ。南京虫。闇中の女。轎子。螢。蛙。
○水上のトンボ。浮草の花。水淺し。
○兪樓。碧霞西舍。(白壁、□桐)池。(龍のヒゲ、竹、藻)○曲曲廊。伴坡亭。
○樓外樓(菜館)――孤山(柳、梧、槐)。箸。杖。西瓜。杏。水邊に衣を洗ひ叩く男あり。舟をこぐ支那の女。鷄を洗ふ。鮒を釣る。キヤラメル。赤衣紫袴の小兒二人。西洋セル地の支那服の女二人。
○湖心亭。三潭。支那人、胡弓、笛。支那人、蛇、龜。木に龜。○放鶴亭。女學生(白衣黑袴)。柳絮。梅。柳。鵲。芦。南京藻。菱。
○魚樂園。洗心亭。四角の池。欄。鯉。水、靑黑。茶。○萬竿煙雨。羊。○靈隠寺。栗鼠。支那僧(鼠色衣、エビ茶袈裟)。乞食叩頭拍胸臭脚。大雄寶殿の後。九里松。鳳林寺。
[やぶちゃん注:「乞食叩頭拍胸臭脚」これは「江南游記 十六 天平と靈巖と(上)」に出て来る。蘇州の乞食の様態の会話から先だっての経験を思い出すところで、「靈隠寺の乞食の非凡さは、日本人には到底想像も出來ない。大袈裟にぽんぽん胸を叩いたり、地(ぢ)びたへ頭を續け打ちにしたり、足首のない足をさし上げて見せたり、――まづ、乞食の技巧としては、最も進歩した所を見せる。が、我我日本人の眼には、聊(いささか)藥が利きすぎるから、憐憫の情を催すよりも、餘り仰仰しいのに吹き出してしまふ。」という箇所である。因みに、この「江南游記」の叙述から見ると、「臭脚」は何かおかしい気がする。或いは「擧」辺りの編者の誤判読ではあるまいか?]
○硤石――石山○嘉興、灣江水永、遠水牧童○双嬰孩牌香烟、無敵牌牙粉○仁丹、獅子牙粉
○In Loving Memory of Oyoshi Minae. Beloved wife of W――. Died 26th July 1912 . Aged 39 Years. Gone but not forgotten.
[やぶちゃん注:芥川が嘱目した日本人夫人の墓碑銘であるらしい。]
○孔子廟。門。池。杉。禮門black. 石獅。池。石橋。靑衣、テン足の老婆。女子、アバタ。塔。桑。門。毒ダミノ花。鐘。太鼓(大中小)。廊。煉瓦。廊。大イテフ、二三本。石階、龍。○大成殿。群靑へ白。赤瓦。大廊。黃柱。黃壁。萬世師表。朱金。臭氣。蝙蝠の糞。異臭。
[やぶちゃん注:「○大成殿」は底本では一見行頭に来て改行されているように見えるが、大成殿は孔子廟の正殿であるから、連続したものととった。]
○玄妙觀。觀後の畫□。劍術(四人)。赤毛の槍。手品。秋になると虫の鳴き合せ。
○北寺。七塔。桃色の壁。入口暗し。カンテラの塔。所々の金佛。遙に瑞光寺の癈塔。
○盲人の胡弓。轎子の美人。珠玉商、裝飾商多し。驢上の客。
○ホテル。野雉。三階。胡弓。朝のバラ賣り、靑衣の婆。
○天平山。山羊。犬與日奴不得題壁。高義園。天平地平、人心不平、人心平平、天下泰平。○諸君儞在快活之時不可忘了三七二十一條。
○棗。栗。西瓜。枝豆(茹而干)。貝障。楓二抱。
○泉。白雲泉。盃盂泉。○魚樂。ギボシユ。玫瑰。佛。藻をとる男。○トタンの管。玫瑰の落花。亭。呉中第一水。藻。龍髯。
○窓、燈籠。窓外、藤、竹。萬笏朝天の一部。見山閣○莽蕩河山起暮愁、何來不共戴天仇、恨無十萬橫磨劍、殺盡倭奴方罷休。〇七級塔。
○跨海萬里弔古寺、惟爲鐘聲遠達君。江蘇巡撫程德全。
○途中村落。柳。鵞。鴨。
○虎邱。海陵陳鐵坡重建。古眞孃墓。癈塔傾く。鴉嘸聲。パク。鳥ナリ(九官ノ一種)。御碑亭ト客殿。
○白壁。運河。新樹。蛙。鵲。北寺の塔。暮色。小呉軒。
○酒棧。(京莊花雕)、白瓶(赤瓶上酒)。正方形の卓(タメ塗ハゲタリ)。同じやうな腰かけ。白壁。煤柱。土間。瘦犬。錫。筋(茶碗程の盃、底に靑蓮華)。辮髮の男。黑衣靑袴。深靑衣濃靑袴の杜氏。卓上の菜。電燈。天井比較的高し。豚の腸、胃袋、心臟ヲ賣リニ來ル男。中に醤油瓶アリ。菜は正方形の新聞紙上におく(二錢位)。田螺。梯子(呉城※品、京莊紹酒)驢の鈴。轎子のかけ聲。拳をうつ聲。
[やぶちゃん字注:「※」=「酉」+「靈」。]
○對聯。獨立大道、共和萬歳。文明世界、安樂人家。
○汚水。煉瓦橋。靴を洗ふ女。菜花。家々。新樹。家鴨。鵞。朱欄の木橋(新橋)。城壁をくぐる。左、城壁に蔦、小木。竹林中の茶事。(綠楊村)舟に少女(玫瑰を髮にさせるもの)。牛糞を壁に貼るものあり(鳥打帽)。○勿用日貨(白、城壁)。墓。麥。柳。鳩。橋(大)。大虹橋(勿用日貨)。春柳堤。徐園。(徐寶山)乾の爲一夜ニ作ル。向うに湖心寺。やがて五亭橋。左にラマ寺(塔)。右に釣魚臺。
○姜大公在此間無禁忌。貧民くつ。川。鐘。材木。泥坊。無煙炭。舟(石炭、桐)。江天禪寺。○門(布袋)――堂(大雄)――(藏經抄)
○治隆唐宋(赤壁)。龍。唐草。石龜。大祖像。明太祖高皇帝之位。朱金。臺、龍雲。○西門外に高跳動あり。その爲參詣少し。
[やぶちゃん注:「高跳動」は「高蹻戲」(「高脚戲」とも)のこと。詳しくは「江南游記」「二十八 南京(中)」の該当注を参照されたい。画像も添付してある。]
○コシヤマクレル。トカサ。Saito.
[やぶちゃん注:この“Saito”は「齋藤」で、芥川龍之介の友人西村貞吉の旧姓である。齋藤(西村)貞吉は芥川の府立三中時代の同級生で、東京外国語学校(現・東外語大学)卒業後、各地を放浪の後、中国安徽省蕪湖唐家花園に居を定めていた。このメモは「長江游記」の「一 蕪湖」で生かされている。]
〇天蟾舞臺。Footlight. 床――brick. 胡弓鼓板琵琶(左)。左右ニclock. (一つ止まる)天聲人語(正面)――rose, acanthus. 三階。白亞。籐椅子。半圓形、黃銅の手すり。大きな電燈(3)。右左煙草の廣告。入口――大平門(赤へ白)。幕――蘇州銀行、三砲臺香姻。武松――黑、白――赤面。幕(左右へ)。masklike face. 纏足。譚鑫培――孔明。○布の門。屋外屋内。明暗。馬上。○candle without fire. enameled basin. towel.
[やぶちゃん注:“brick”は煉瓦。“acanthus”は双子葉植物綱ゴマノハグサ目キツネノマゴ科ハアザミ属Acanthusの花の総称であるが、ここでは恐らく観賞用のAcanthus mollisである。“enameled basin”は、これらが聴劇の看客に渡されるものであるとすれば、濡れたタオルを入れておく琺瑯びきの水盤と取れる。]
〇倚陶軒(李鴻章の別莊)。大花園――陶塘。豚。擣衣。柳。水。アカシア。濟良所(蕪湖)。自由廢業。南陽丸。水の差は漢口にても45尺位。桃冲鐵山――荻港。
○小孤。竹樹。白壁。尼寺。――飜陽湖。大孤山。――廬山。――赤土。塔(癈)。柳。紫の家。白壁。――九江。水際の城壁。
○兵士(帶劍、鼠服、白笠赤毛)民(ムギワラ帽、竹の天秤、黑日傘)○韮たば。支那軍艦(和舟)。竹筏。柳。纏足の女(ヌヒトリの靴、足極小)。
○牛糞燃料。牧童。水牛。牛。アカシア、ポプラア。野薔薇。麥黃。○赤塗の椅子(籐の部分殘ス)。Kuling Estate Head Coolie No.(黑へ白。麥藁帽。)
[やぶちゃん注:“Kuling Estate Head Coolie No.”は、「長江游記」の「廬山(上)」にも使われているが、「牯嶺苦力頭○番」の英訳。「牯嶺」は廬山の別荘地クーリンのこと。上記リンク参照のこと。]
○紅白ウツギ。薊。除虫菊。野薔薇。○大元洋行。石。赤ヌリ。窓。日章旗。オイルクロオスに花模樣あるあつし。○憐むべき租界。草。石。禿。家。支那町。ブリキ屋。煙草屋。ランプ屋。酒樓。マアケツト。安貧所。
○香爐峯ニ白樂天、李白。○分門關の瀧。(4 or 5日前虎來り牛小屋の犬をくふ。)○山下。カヤの木。竹。枯カヤを天井にした路。ロバ。豚。
○龍池寺。九江總商會。甘棠湖。○煙水亭。鳶飛魚躍(黑へ金)、――湖山主人。柳。壁に蔦。洗濯女、傘。水上、燕、浮草。〇一小亭。綠識廬山眞面目、且將湖水泛心頭。○湖水、煙亭ヲ遠ザカルト白濁トナル。○小丘。草靑。麥黃。土赤。○天花宮。(柳)煙水亭の正面。廬山。○天花宮前古柳樹(槐)(藍へ金、白壁)漁翁。
○boy 來る――雨――麥黃、柳と民家、――崖赤、草靑――人家の壁白――黃州の城壁――稍遠くに西洋館――川に赤き旗の小蒸汽――夏は水かぶる
○壁靑――帷白――床リノリウム――額山水の畫4、寫眞金黑――香姻廣告の娘々――寢床白キヤノピイ、夏蚊帳――ウアド、紫檀彫、戸に鏡、――椅子(壁側)(小卓を挾む、小卓の下に銀色の啖壺)マホガニイ紛ひ、――大卓(中央)同上、――机(ウと並ぶ)、鏡、置時計、引き出し、――戸靑――戸上に靑――電燈二個――入口に帽子かけ
○露地――南側ノ車――乞食、泥中臥――家口に金の赤の標札、眞珠、西洋庇。(四成里)
○白蘭花眞珠一對づつ兩房、下げず、西洋布(綠卵黃、淡靑卵黃)、金緣色眼鏡、金齒、腕輪、撞板(紫房)、太鼓(金屬)、劉海を分ける
○白壁の町。乞食。交番。――石階。――ラマ塔。赤煉瓦の寫眞屋、昭相館、(惟精顯眞樓)――石階total 4 or 5. 茶館、甘棠茶酒樓(三階)。何とか第一倶樂部。――賣女――醉翁仙、蘇小坡、雲龍子。城壁、長江(漢口、舟、波白)。大別山、山頭樹二三本。禹廟、白壁。向うに煙突見えず、煙。煙突の見えるのも一つ。左手ハ鸚鵡洲、材木置場。その向うは黃麥。――酒樓中へ燕。白羽黑羽の鳥とぶ。鳶。○巡警、白服一、黑服一。boy 靑服。
○電報の爲に苦吟す。南軍々中の學者。○樓上張之洞の寫眞。樓下胡弓の聲。○廉、李鴻章と合はず。排日。後ニ親日。
○古琴臺(金、群靑)の額。舟。支那子供大勢。乞食。太湖石。煙草廣告。双樹――白壁に梧桐。亭――堂。山水清音ノ額。女學生。梧桐。
○兵工局。槍※局。煙突林立。○月湖、アシ、ハス、汚。曇天胡蝶。
[やぶちゃん字注:「※」=「礟」-「爻」+「交」。]
○陸――町――舟(豕聲、芥山)――漢江、泥流に犬の屍骸。
○綠virigianの葡萄。眞珠のneckrace. diamondのring. 腕時計diamond. Medaillon 金鎖、白靴。黑靴下。白ヘ靑(淡)の太筋。メイランフアン風の歌。○鳳蓮。西洋靴(黑)。白靴下。
[やぶちゃん注:“virigian”という綴りの単語は存在しない。これは直前の「綠」を説明しており、葡萄を形容しているとすれば、“verdure”で、滴るような綠色をした、の意味ではあるまいか。]
○上海の子供井戸を知らず。漢口の子供橋を知らず。
○長沙。モオタア(ボイ二人)。水陸洲。橘洲。中ノ島。○女學生――白帽、髮切れる故 ――油紙の傘――寫生道具。○柳並木(切られしまま)。黃蔡(鍔)兩人の墓の爲國費、道を造る。兩側の稻田。犬水中に入る。○自卑亭。黃瓦上ニ黑瓦。
○湘南公立工業學校。惟楚有材、於斯爲盛――白堊號房。○成立大會。○學達性天(コウキ)(靑へ金)○日本國旗。紙旗。紙花。黑ベンチ。白エンダン。○道南正脈、(金へ藍靑)、乾隆(白カベ)。周圍に龍。○教室。hunting Cap. 電氣工學。○米教師二人。○閲書室。實習室(何もなし)。○庭は石ダタミに草。小さキ桐。石上ニハフ鷄。傘(飴色)干さる。○化學藥品室。iron-humonium, iron-salphate. 牡丹花の白瓶、詩あり。
[やぶちゃん字注:「小さキ桐」はママ。“iron-humonium”なる化学物質は存在しない。綴りの誤りと思われる。以下の“, iron-”の綴りが衍字と考えるならば“Iron ammonium sulfate”(硫酸アンモニウム鉄)が考えられる。“iron-salphate”は“iron sulfate”(硫化鉄)の誤りとも考えられる。]
○北海碑(墻門)。石階。筧。雜草。麓山寺碑亭(白かべ)。○劉中丞祠。崇道祠(コノ中ニ朱シアリ)。六君子堂。梧桐。芭蕉。ザクロノ花。○劉人熈。湖南督軍都督。墓――半成。
○愛晩亭。錢南園、張南軒、二南詩刻。○岳麓寺(万壽寺)。古刹重光(赤壁)。設所釋氏佈教ダンモハン養成所。香積齋堂。山路。雲麓宮。望湘亭。
〇二階。白。天窓。三段の書架。35万卷。經史子集。宋、元板は上海に送つた。元板の文選、北宋金刻本の捭雅、南宋本ノ南岳。總勝集、端方贈(巡撫時代の紀念)。○紺ノ馬掛子。金のメガネ。白皙。葉尚農(德輝)。○白壁。甎。天井高し。伽藍ノ感ジ。○板木ニ朱卜黑ト二種アリ。○高イ墻の屋根ニ小サナ木ガ生エテヰル。○入口。門(黑)。石敷。植木鉢。室輿四五(綠色の蔽)。皇帝畫像。
○家ノ大イナルハ木材卜石材多キニヨル。
○大平亂以後十八省ノ巡撫湖南人トナル。ソノ上米ヨク出來ル。故ニ町立派ナリ。學校モ多シ。――古川氏の話。
○湖南長沙蘇家巷怡園。葉。
○張繼堯〔湯(弟)〕ト譚延闓トノ戰の時張の部下の屍骸土を蔽ふ事淺ければ屍骸湘江を流る。
○日淸汽船の傍、中日銀行の敷地及税關と日淸汽船との間に死刑を行ふ。刀にて首を斬る。支那人饅頭を血にひたし食ふ。――佐野氏。
○趙爾巽(前淸巡撫)。關口壯吉(理學士)。赫曦臺も聖廟を毀たんとするに反す。麓岳。
○天心第一女子師範學校。古稻田。white in black. 附屬幼稚園。附屬高等小學校、國民學校。green in wood. 門内はイボタの生垣。右美育園、草花。○縫紉、樂歌、作文、國文、手工。硯墨、石磐、一齊に答ふ。〇二階。裁縫室。圖書室。女子白話旬報(机上)。石膏の果物。圖書少。用器畫の形。一級より二人を出し整理す。○議事會辨公室、董事會辨公室――小學義會。○不要忘了今日。我校的運動會(verse libre)。――小學作文。○自治週刊。文會週報○study, essay, story, poetry. ○私有財産Vermögen――Copy from a book. 新國語(Peking 來)。○寄宿舍。rape があるといけませんから。○蒙養部。白壁四方。柘榴、無花果、ブランコ、遊動圓木(touching)、製作(貼紙)、ダンベル、ボオト、木馬、ブラン(藤の)、砂(大箱中)。
[やぶちゃん注:“verse libre”は“vers libre”で自由詩のことであろう。“Vermögen”はドイツ語で、財産がある、という意味であるから、「私有財産Vermögen」で、私有財産を持っている、保有する、という意味であろう。“touching”はここでは、みすぼらしく哀れな感じのする、の意か。「ブラン」不詳。既に前出している「ブランコ」の衍字か。藤蔓で出来たブランコなら納得がゆく。]
○洞庭。入口は蘆林潭。水中に松見ゆ(冬は河故)。所々に赤壁風の山。帆影。水は濁れどやや綠色を帶ぶ。模糊として山影あり。税關にて造らせし浮標。船中香月氏と聊齋志異を談ず。湖上大筏見ゆ。扁山君山を左舷に望む。(五時)。偏山の上に僧舍あり。遠く岳陽樓を見る(右)。「不潔なり。兵士大勢居り糞を垂る」と云ふ(香月氏)。君山は娥星女英の故地なり。岳州の白壁癈塔見ゆ。岳陽樓。三層。黃瓦に綠卍(最上屋)。樹左右。左に城壁連る。
[やぶちゃん注:「娥星女英」これは中国神話中の女神「娥皇」(姉)と「女英」(妹)の判読ミスであろう。ウィキの「娥皇」によれば、『娥皇(がこう)は、古代中国の伝説上の女性。堯の娘で、妹の女英とともに舜の妻となった。また娥肓、倪皇、後育、娥盲、娥娙とも書かれた。姓は伊祁氏。舜の父母や弟はたびたび舜を死地に置いたが、舜は娥皇と女英の機転に助けられて危地を脱した。舜が即位して天子となると、娥皇は后となり、女英は妃となった。聡明貞仁で天下に知られた。舜が蒼梧で死去すると、娥皇と女英は江湘の間で自殺し、俗に湘君(湘江の川の神)となったと伝える』とあり、位置的も符合する。]
○酒じみの疊に蚊たかり居る空き間。
○西村が文鳥の占を見て貰ふ。
○支那富豪金を銅貨にし(37俵)貯ふ。銀行はつぶるる故。
○鄭州。早川。島田。日華實業協會。災民施療所。(doc. 二人、Nurse 一人)(nurse 二人shankel)トラフオーム、75%(内地は15%)膀胱結石、(二つ、一は大福大)、兵士多し。トラフオームの老婆、一眼紫色、一眼治療前。治療は眶の皮を切り縫ひ上ぐ。for 睫毛内面にむき角膜を磨擦しスリ硝子の如くすればなり。兵士のシャンケル、April-July, 平均300(April-July, 149. 新舊合せて)
[やぶちゃん注:“shankel”はドイツ語の“kranker”、患者・病人の誤りではなかろうか。]
○災童收容所。右胸に姓名を書きし紙札。白服。算、修身、讀本。先生白服。
○乞食、臥老人。夜あひし乞童、全裸體の子供。
○錢舜擧、終南山歸妹圖(鍾馗嫁妹圖)○錢舜擧、蕭翼蘭亭圖(元ノ兪紫文の書)○黃尊古、仿梅道人江山秋色圖○載士醇○蘆鴻滄館○曾國藩。日本畫の猿。安思翁?
○漢口のバンド。プラタナス。アカシア。(支那人不可入)芝生。ベンチ。佛蘭西水兵。印度巡査。路の赤。樹幹の白。垣のバラ。讌月樓。水越ゆる事あり(大正四年?)。Empire
[やぶちゃん注:「Empire
○京漢線。車室――fan. 小卓。ベッドNo3. boyの□。沿道――麥刈らる。靑草に羊群。墓の常綠。牛。驢。土壁。
○穴居門。方形アアチ、方形石積。門ニ對聯。門外ニ塀アリ。屋上即畑。○赤土。草。ポプラア。層。○鞏縣前殊に立派なり。
○洛水。蘇岸の家。舟。偃師縣後風景明媚。――後、洛水に沿ふ。旋風を見る。羊。畑。井戸。麥刈らる。
○忠義神武靈佑仁勇威顯關聖大帝林。(石龜。圍――龍。)建安二十四年洛陽城南。○乾隆三十三年河南府知府李士适。○丹扉。煉瓦壁。丹柵。柏。白馬。白羊。
○睿賜護國千祥庵。碑林。煉瓦門。草長し。○迎恩寺。麥の埃の香。薄暮。路の高低。大寺(タアシイ)だと云ふboy.
[やぶちゃん注:「(タアシイ)」はルビではなく、本文。「大寺」“dàsì”(タス)。]
〇龍門。25淸里。高梁一尺。麥刈らる。麻。驢六(藍)。步四(鼠)。小使二(白)。騾逐ひ(白衣藍袴)。那一邊是龍門(ナイペンシロンメン)○十尸村は泥上の如し(村四つ)。裸の子供、皆指爪をいぢる。立て場の屋前、葭天井あり。刈しままの黍天井あり。燒餠(シヤオピン)。麻餠(マアピン)(汽車中)、糯の中に棗を入れしもの(チマキ式)。茹玉子。魚の油揚。
[やぶちゃん注:「騾」は、奇蹄目ウマ科ウマ属Equusのウマとロバの交配種ラバ(騾馬)Equus asinus♂× Equus caballus♀。因みにラバは不妊である。「(ナイペンシロンメン)」及び「(シヤオピン)」「(マアピン)」は総てルビ。「那一邊是龍門」“nàyībiānshìlóngmén”(ナ イピエン シ ルゥォンメンで、ここら一帯が龍門です、の意。「燒餠」“shāobĭn”、「麻餠」“mábĭn”で、前者はうどん粉を練って薄くのしたものを焼いて表面にゴマをまぶしたもの。後者は甘い餡饅の一種と思われる。]
○洛水の渡し――伊水。對岸に香山寺あり。賓陽三洞(案内人曰中央ハ中央、右ハ右云々)。左の洞に竈あり、燻る事最甚し。洞に至る前もう一洞あり。perhaps 蓮華洞。その洞前水を吐く所あり。石欄。靑石標。樹木。見物人支那人二三人。車にのりし女。乞食と犬と立て場に食を爭ふ。男は梅毒。
○鴻運東棧囘々教。豚を忌む。道士ト店。北京の骨董屋。庭中に大鉢植。醋の匀。マアチヤンの群。星空。吉田博士の宿。アラビヤ字の軸。珈琲。棧房Chan (tsan) fan.
[やぶちゃん字注:「道士ト店」の「ト」は表記通りカタカナ「ト」であるが、ここで格助詞「と」がカタカナになるのはやや不自然にも思える。回教寺院の中に道士と売店の取り合わせというのも妙である。一つの可能性として「道士卜店」で、道士による占いを生業とする店舗という意味ではあるまいか?]
[やぶちゃん注:「マアチヤン」はmerchant(商人)の謂いか。「棧房Chan (tsan) fan」は「棧」の音をウエード式ローマ字で示した“chàn”(拼音“zhàn”:チァン)に、発音しやすい類似音表記である“tsan”を併記し、「房」の音“fáng”(ウエード式・拼音共通:ファン)を簡易表記で示したものであろう。即ち「棧房」の中国音「チャンファン」のメモである。]
○洛陽。停車場――支那町。不潔――石炭場――黑土――左に福音堂(米)、右に城壁――麥黃――乞食。
○鄭州。兵營(grey)。練兵。馬。乞食(臥)。室は白。龍舌蘭二鉢。白い拂子bedにかかる。
○光はうすき橋がかり
か行きかく行き舞ふ仕手は
しづかに行ける楊貴妃の
きみに似たるをいかにせむ
○光はうすき橋がかり
靜はゆうに出でにけり
昔めきたるふりなれど
きみに似たるを如何にせむ
○女ごころは夕明り
くるひやすきをなせめそ
きみをも罪に墮すべき
心強さはなきものを
○遠田の蛙きくときは(聲やめば)
いくたび夜半の汽車路に
命捨てむと思ひけむ
わが脊はわれにうかりけり
○松も音せぬ星月夜
とどろと汽車のすぐるとき
いくたび
わが脊はわれにうかりけり
○墮獄の罪をおそれつつ
たどきも知らずわが來れば
まだ晴れやらぬ町空に
怪しき虹ぞそびえたる
○人食ふ人ら背も矮く、ひそと聲せず、身じろがず。
(手帳 6 完)
手帳 7
七
○赤壁。黃瓦。綠瓦壁(半分)。大理石階。○黃、赤、紫のラマ。黃色の帽(bishop)。○惜字塔(靑銅)。
○和合佛第六所東配殿。繡幔。3靑面赤髮。綠皮。髑髏飾。火焰背。男數手。女兩手。人頭飾(白赤)。手に幡。孔雀羽。獨鈷戟。4女に牛臥せるあり。上に男。牛皮を着たる小男、男に對す。2象首の女をふむもの。1馬に人皮をかけ上にまたがる。人頭逆に垂れ舌を吐しこの神、口に小人を啣。○大熊(半口怪物)。小熊。二武人(靑面、黑毛槍)。○銅鑼。太鼓。赤、金
○法輪殿。兩側ラマ席。黃綠の蒲團。中央に供米。(boy 鯉、波)光背ニ鏡をはめた小像(金面)。正面に繡佛。前に白い法螺貝二つ。壁畫の下に山の如き經文あり。繡佛の後に五百羅漢あり。北淸事變の後本願寺大藏經を寄贈す。
○照佛殿。(地獄極樂圖アリ)○第十四所西配殿。十處綏成殿。九處萬福殿(三階)。第八照佛殿。第七處法輪殿。第六所東配殿。五永祐殿。雍和宮。ラマ説碑。寧阿殿(ラマラツパをふく)。天王殿。(布袋(金)。現妙明心。乾隆。御碑。石獅。槐。)
○萬福。大栴檀木(ウンナン來)、七丈。片手に(右)嗒噠をかく。兩側に珊瑚樹(木製)あり。嗒噠をかく。○背後南海佛陀。龍。龍面人。鬼。鷗。鯉。海老。波。岩。陶佛大一小二。
○綏成殿。壁に千佛。三佛、賣不賣、首を切らると云ふ。萬福殿手前の樓上。馬面多頭の怪物(黃面、白面、靑面、赤面)。右足鳥、人をふみ左足、獸人をふむ。人頭飾。手に手、足、首、弓、鉞。坊主幕をとるにいくらかくれと云ふ。和合佛でないと云ふ。あけてから、指爪があると云ふ。○關帝殿。(途中、石敷、コブシの大葉、赤壁)木像に衣をつくmogol 式。赤舌あり(左)。
[やぶちゃん注:仏像に実際の衣服を着せた着装像のことであるが、“mogol”は、インド古式の(モグール)ムガール式なのか、モンゴル式なのかは不明。もしかすると、ポルトガル語の“mogol”の意味で芥川は用いており、その衣服の素材を言っている可能性もあるかもしれない。所謂、金モールである。ムガール帝国で好んで用いられた絹製紋織物の一種で、縦糸に絹糸を用い、横糸に金糸を使ったものが金モール、銀糸を使ったものが銀モール。]
○ラマ畫師、西藏より來る。(元明)七軒。30 or 40人。永豐號最もよし。(恒豐號へ至る。)一年に一萬二三千元賣れる。蒙古西藏に至る(佛□五萬)。
○大成門。赤。靑綠金天井。南側、石鼓あり。大理石段。欄も然り。碑に李鴻章の物あり。支那人教ふ。黃瓦。赤壁。白石階。
○大成殿。同洽大道(黎元洪)黑へ金。(柱朱)(□壇、朱)至聖先師孔子神位(朱へ金)。左右に四聖賢〔亞孟子、宗曾子、復顏子、述聖孔子(子思)〕。床に棕櫚氈。梁、天井、金綠。靑銅鼎1。燭架2。花瓶2。(大理石臺)。
○乾隆玉座。雅誦於樂(御筆)黑ニ金。○道流仰鏡(咸豐帝)藍ニ金。○誦詠聖涯(蓮光亭)黑ニ金。○國橋教澤(大理石)丹壁。○御碑亭(白大理石、綠黃瓦)。○辟雍、大理石欄。○康熈大學石刻。○十三經石刻。○石時計。
○木、柏のみ。槐二三。朱、黃瓦、綠藍彫。
○古誼忠肝の額。文天祥像。朱と金。宋丞相信國公文公之神位。陶燭臺2。陶香爐一。鐵香爐一。埃滿堂。
○右ニ碑。衣帶ノ賛を上書せし文公像。○劉崧(明)。壁桃色。
○府學胡同育監坊。京師府立第十八國民高等小學校。○厨子内の壁に雲龍を描く。外、萬古綱常、朱柱、靑綠、金なり。右に大棗あり。前は小學教室(grey)
○右の墻(宋劉嶽申撰の文公傳嘉靖二十八年)(重修碑記道元四年彭邦疇書)ニ石はめこみあり。○丞相楡(大)。
○陸軍部衞隊營本部。○鐘庫胡口。
○大明永樂年鑄。共同便所。周圍grey houses. つき當りに門。子供たち遊ぶ。犬二三匹。永樂五鐘一。鐘周土瓦堆積す。
○新聞。一月十錢はよんで返し一日遲れによむものは三十錢但紙共なり。(五百部新聞のタゼイによまる所以)茶館へ新聞を持ち廻るは借すなり。白話報は二人にてよむ爲兩方より逆によむ。北京新聞は多き時50に餘る。これらの配達は走るを得ず。(騷動を生ずるを恐る。)(車を引けば走れる。)故に新聞は十時、十一時おそきは二時。日本人の急ぐものは新聞社へとりに行く。
○十刹海。岸は柳、楡。茶館はアンペラ葺(白布のテエブル、男女は夫婦も別席)。覗き眼鏡。見せ物。(はりねずみ、大蝙蝠)折字、人丹賣り。旗人の妻(禮は膝をかがめ腰をかがめず、右手を垂直ニ下グ。)(ロチを思ふ。)道士と兵士と步く。支那のハイカラ。杏賣り。斜日向うの柳と人家にあり。人力車。驢にのりてすぐるものあり。左側通行を令する巡査。茶館に萬國旗。田に鵲。蓮花未開かず。彈壓署。(巡査がとりしまる所)。
○諷學館。北京大學第三院。柳。河。左折。交番。泰山石敢當。蓮濠。男蓮をとる。燕。北海。團域。牌樓(積翠)。玉蝀橋。蓮池。鵞。パイロウ。(堆雲)
○永安寺。(赤壁、金碧、額は群靑に金、窓緣白)○瓊華山。白塔山。
○善因殿。五彩の瓦(黃、綠、藍、紫)。壁に小佛。塔内靑銅のラマ佛(angry)をまつる、眺望は左に宮城の黃瓦(遠く天壇の樓)、アメリカの無線電信柱。右に中海、大理石橋を二分する壁。更に左に天寧寺の塔。西山は曇る。燕盛にとぶ。塔下白松美し。殿は消防隊瞭望臺なり。景山に石炭を貯へ、大液池(三池)に水を貯ふ。(元の世祖)北淸事變の時景山をほりしも炭なし。○水の流れ方、――玉泉山天下第一泉――昆明湖――三海――護城河――通惠河――白河。
○塔外、北海を見る。洞穴(神仙趣味)。山に沿うて亭。階急。天子女を怕れさす爲か。(中の氏説)戲臺。○北海。藻。蓮。菖蒲。右に先農壇、先蠶壇の赤壁。水に臨む大理石ラン。樓上碧照樓の額。樓下湖天浮玉の額。柳槐間黃瓦赤壁綠瓦。曇天燕飛。○瓊島春陰(乾隆)の碑。右、檜柏。白壁。柳。倚晴樓。
[やぶちゃん注:「ラン」は「欄」。]
○芦山動き出す。實は一輪車。
○天壇。大理石橋――橋下一面の芦。齋宮の1門――大理石橋――2門齋宮は赤壁、綠瓦。門、槐の大木。1門を出ると祈年殿を見る。何とも云へぬ紺色なり。楡槐の上宮はうす雲。
○圓邱。檜林。芦皆片葉。蓬多し。大理石の華表、朱扉朱壁。瓦ハ一種特色のエナメル藍(ルリ)。石道。草。□用の鐵柵。内外壁共華表あり。外は壁方形、内は圓形。天壇は三疊。一疊毎に大理石欄をめぐらす。大蟻。犬の糞。
○皇穹宇――兩廡――宇の石階の下、右邊に立ちて叫べば五聲響く。(反聲境、天聲閤と云ふ)金碧。褐色。ルリ色の瓦。頂上金□。
○祈年殿。祈年門。大理石の欄ある三重圓盤。桂は朱と金唐草。天井は金碧。大理石の壇上に金の龍を彫つた屏風のやうなもの。○廊は埃みつ。廊のこはれ目より出づれば古檜。空地ニ七星石、八つあれど一つは數へず。
○天壇を出れば廣場。死刑をする所。役者が聲を試みる所。ひるね多し。
○城南公園。入場料五錢、籐椅子十錢、木椅子五錢。
○茶店より門二重(赤かべ)。○雲壇。右、地祇壇(正門北面)左、天神壇(正門南面)。○地――大理石の華表、黑瓦、壇方形一重、石龕五(五岳)四(四海)老松美なり、野菊。〇天――石龕五(雲)
○藉田、――親耕臺。黃綠瓦。大理石欄。上に寫眞屋(バラツク)。寫眞は校書のみ。天子藉田親耕を見るの所。
○花木の間を出ればテニスコオト。支人テニスす。左に先農壇(方形)。周圍老檜。鵲。蘇峰哲人皆談る。
○大歳殿。今は忠烈祠。袁世凱造る。今は東西兩廡も巡査教練所なり。簾。鼎。朱柱。金碧簷。側に巡査拳法の形を使ふ。
○陶然亭。古刹慈悲淨林。黑煉瓦の門。大楡。石だたみ。門中江藻の陶然の額。門聯、門外時聞長者東、壷中別有仙家日。○庭――石だたみ――大楡。鉢の杏竹桃。大理石の經塔。庭を挾んで慈悲院あり。鉢植の石榴。文昌閣。城壁。芦。城外の樹木。
○黑窑廠。窑臺。――三門閣。閣下ひるね人多し。芦。北京のクリイ夏は外省へ出稼ぎに行く。その留守の女房賣淫す(15錢位)。芦長き故人目つかず。
○陶然亭樓上。土塀。遼の經塔。塀外柳。芦。窑臺の茶屋。夏天。天井。竹組み。郭公の聲。窓は麻(靑)張り。蔀樣の卍障子。
○宜武門。護城河。柳。西使門。驢。羊。○白雲觀。牌樓。門。橋(石)。鐘樓。鼓樓。(識運戲)○靈宮殿。檜。楡。石牌(龜)、乾隆御筆。一つは蒙古文。○玉皇殿。紫虚眞氣、(藍へ金)(康熈筆)中に玉皇を祭る。燈籠。三十三天王帝君。○老律堂。○丘租殿。長春眞人丘處機。この殿前(惜字爐あり臺は大理石)碑(龜)二つ。右に蓬壺。左に閬苑(朱へ金)。
〇四御殿。樓上三淸閣の額あり。朱欄金碧梁。殿前瓦を敷く。鉢植一つ。石榴。夾竹桃。無花果。殿内西太后の靈位あり。
○雲厨寶鼎の額。「勺水共飮蓬萊客、粒米同餐羽士家。」大煙突。甜瓜の籃。鷄。大釜。大桶。破瓢の杓。變性男子の道士。外に葡萄架。石炭をはこぶ道士。
○明き地。雲溪方丈印德碑記。華俄銀行總領事ト粥を施す。(北淸事件の時)葡萄架。架李。柳芽ふく。
○その内へ入れば、恬淡守一眞人羅公之塔。(刺封)(楡、錢葵の花)三重の石塔。塔前に羅眞人道行碑、康熈年間(碑は光緒十二年)。
○南極殿。眞武殿。○岳雲聳秀の石蔦掩ふ。
○友鶴亭。石。庭をめぐる戲臺。鉢の棕櫚。龍舌蘭。枇杷etc. 戲臺には□中和(黑へ金)。對する殿には綠へ黑く雲集山房。碑二三。庭は瓦じき。
○天寧寺の塔。赤壁。白桶。綠瓦。十三層。燕亂飛。楡。○後魏孝文帝建立、光林寺。隋に宏業寺。唐に天王寺。金、大萬寺。元、未兵戮。明初重修、元寧寺。後ニ天寧寺。乾隆二十年の重修。○塔は隋文帝建立十三級、二十七丈餘。三千四百餘の鐸鈴。下は蓮華臺。佛字彫の壁。塔前廢寺。佛頭瓦をおく。大明弘治十七年(大理石の蓮臺)。天井半なし。
○松筠庵。宣武門外大街。達智橋郵便局橫町。鼠石煉瓦。楊椒山(忠愍)先生故宅。(曹學閔書)これははめこみなり。中に劉石庵の碑。※升山祠あり。祠壁の内外に碑を嵌むるもの多し。祠後更に一祠堂。升山とその妻との靈位あり。祠前瘦犬ねる。○諌草亭。ココニギボシユの鉢植多し。○庭は瓦、岩をつむ。柳、松、蔦、檜、蘭。椒山の「錢肩擔道義、辣手著文章」の碑ランプの臺となる。(廊下)フシン中。入口に君子自重の小便壺。職人往來多し。祠は法源寺後街北第二號。
[やぶちゃん字注:「※」=「石」+(「潔」-「氵」)。]
○謝文節公祠。(黑へ金)黑煉瓦の門。外右四區警察署第一半日學校。綠色の扉にこの札かかる。その右の壁に刻字石をはめし壁。女一人婆一人縫物をしてゐる所をすぐれば庭なり。庭中央。天水壺。○薇香堂。堂。疎檜。蘭。堂は朱柱、黑煉瓦積み。堂中疊山の像。紙錫がぶらさがる。硝子張の燈籠四つ下る。柱聯二三。埃滿堂。
○古木寒泉圖、文衡山。山水、李世偉。山水、雛一柱(淸)。震澤烟樹、唐寅(明)。本仁殿。
○大乙觀泉、王家。萬壑松風、文伯仁(明)。墨竹、張※(明)。煙江疊嶂圖、王原祈。職靑圖、立本(僧)。桐陰玩鶴圖(石田)ノ木の色つよすぎる。芙蓉秋鴨圖、王維烈(明)。沈周藍瑛僞筆。仇英趙子昂。南田の山水、俗。
[やぶちゃん字注:「※」=「音」+「也」。]
○集義殿、南田の牡丹。※維城、泉林雨景のみ。臣何とか繪中よし。王蒙――長松飛瀑圖、僞? 李公麟、十六應眞、俗。
[やぶちゃん字注:「※」=「金」+「義」。]
○浴德堂。煥章殿の奧。黃瓦。赤柱。白大理石。臺の上に銅爐。鉢の柘榴。浴德堂(藍へ金)。雕梁。堂は石階の上。浴室は白煉瓦。天井穹窿。天井頂は硝子。後に井戸。大理椽。花園。葡萄棚。兵士(カーキ)。
○民國八年建。八萬元(經費)。759-300. Pick-pocket (40%) 罰は三日の斷食。數珠をつまぐるもの、小説をよむもの、眠るもの。
[やぶちゃん注:“Pick-pocket”スリ。軽犯罪者矯正施設の描写か。]
○斷密洞(隋唐演義)。瘋僧掃秦。潞安州。淸宋靈。(説岳金傳)落馬湖。連環套(施公案)。摘星樓。
○劉少々。(□報主筆)(法源寺)「思君五十未成家、無限風流罪在花。」劉喜奎。「五十成家無結果、無限風流罪在我。」張勳。袁克文。金少梅。
○辜鴻銘。王風起華夏、喜氣滿乾坤。
○徽宗臨古張僧※。毛延壽、荆浩、顧愷、王維、曹弗、二王。此卷始于崇寧四年八月至大觀元年十一月共得一十七景宣和殿御筆。(緣に龍の模樣あり、肉筆)
[やぶちゃん字注:「※」={(へん)「淫」-「氵」}+{(つくり)「缶」}。]
○郎世寧百駿圖。雍正六年歳次戊申仲春臣郎世寧恭畫。
[やぶちゃん注:「人民中国」の北京日本学研究センター准教授秦剛氏「芥川龍之介が観た1921年・郷愁の北京」によって、これと前項に記された書画を、芥川は、北京西単霊境胡同にあった陳宝陦の家で見ていることが分かった。秦剛氏によれば、陳宝陦は淸朝の遺臣で『溥儀の師匠に当たる人物である。彼自身も書画に長け、書画の収蔵家でもあり、なんと紫禁城内の元乾隆帝の収蔵品まで所有していた。訪ねてきた芥川の前に、陳宝陦は数々の珍品を惜しみなく持ち出して、芥川をすっかり瞠目させた』とあり、そこで芥川が観た作品として『宋徽宗「臨古図」』『郎世寧「百駿図」』を挙げている。更に、どうも芥川の陳宝陦宅訪問は二度あったように思われる。後注参照。]
○途中。南口ホテル。机の上に造花のバラ。外に驢馬。川原を渡る。村。男女とも分らぬ子供耳環にて女と知る。クリスチヤンは耳環をせぬ。羊。黑羊。馬にのりし滿洲夫人。仔馬從ふ。page 一人。
[やぶちゃん注:この“page”は召使いの意。]
○石牌樓。大理石。丹碧かすかにのこる。端方の碑あり。赤壁の家。驢二匹土にころがる。柳幹より芽をふく。子供多し。轎休む。曇天。白光ある雲山端にあり。
○秣陵殿前古松摧。殿中驢馬三頭。埃の臭。蝙蝠の糞。屋上草長ず。○陵前カシハ多し。松、檜もあり。陵のトンネル、漆喰をぬる。成祖父皇帝之陵は紅斑大理石の碑。燕とぶ無數。
○轎を下り川を渡る。路は石磊々。居庸關。民家の土壁。石のアアチの浮彫を半かくす(象にのれる人)。支那同行二人。
〇五柱頭山洞(隧道)の右に彈琴峽。藻の花あり。岩上に廟。栗鼠。蜥蜴。「請勿揳折」の札。門に「居庸外關」の字あり。子供の荷もち。バツタ。虫聲。松葉。百合ノ花。花なきヒアフギ。燕。山はgreen and brown. Wallはgrey. 瓦かけ狼籍。
○Edelweisz (Edelwise) みゆき草。Alpenヘ登る人が持ち歸る草。○山に石灰にて白き線をひきあるは造林の爲なり。
[やぶちゃん注:“Edelweisz (Edelwise)”ドイツ語表記は正しくは“Edelweiß”。中国産はキク亜綱キク目キク科ウスユキソウ属(中文分類名・菊目菊科火絨草屬)Leontopodium sp. で、エーデルワイス(ウスユキソウ)Leontopodium alpinumの亜種と思われる。]
○張家Kalgan. 車の右に陰山山脈見ゆ。山頂低し。西洋人福音書をくばる。蒙古の天晴れ、支那の天黑し。豪雨すぎし後と見えて路川の如し。柳。風強し。馬。
[やぶちゃん注:“Kalgan”カルガンはZhangjiakou(張家口)の旧称。ウィキの「張家口市」によれば、河北省北西部に位置して内モンゴル自治区と境界を接する現在の張家口市は、『古くはモンゴル語で万里の長城の「門」をあらわすハルガhālga またはカルガ kālga(その元の形はkaghalga)から、カルガン(Kalgan)の名でも知られていた。『北京の北門』とも呼ばれ』る。]
○洛陽へゆく汽車は正東西に走る故に南面のみよごれる。西洋へ出る筈。
○大同。土ヤネのHotel. 廣キ庭。三犬。黃先生(ホワンセンシヨン)、英日語ニ通ズト云フ。鳩とぶ。滿目泥色。星明朗。天の河斑々。東花棧。瓦の床。南京虫。蚊なし。
[やぶちゃん注:「(ホワンセンシヨン)」はルビではなく、本文。「黃先生」“huáng xiānshēng”(ホアン シィエンシヲン)。]
○土。石。grey. 草疎。水稀。ゲンゲ風の花――香草(シヤンツアオ)。馬糞ニ甲虫ムラガル。稀ニタンポポ。所々の神道碑。植樹。○臺頭(右)、念佛(左)(門は鼠色レンガ)。門前傾面大樹アリ。楊柳(ヤンリユ)ナリト云フ。
[やぶちゃん注:「(シヤンツアオ)」はルビではなく、本文。「香草」“xiāngcǎo”(シィアンツァオ)。「(ヤンリユ)」はルビで、「楊柳」“yángliŭ”(ヤンリォゥ)。]
○戲臺。門前の石獅上をむく。石佛古寺、(群靑へ金)雲崗堡第六學區區立國民學校の札。右に鐘樓、左に鼓樓。門。堂ノ屋瓦靑。佛籟洞。棺(3)。藁。馬糞。入口のアアチの女。庫裡ノ壁中央マデ黃ニヌリ靑ニテ花ヲ描ク。「山西獨特ダヨ」○穴の中に鳩あり。麥ひき場となり石臼あるあり。民家ノ一部トナルアリ。犬盛ニ吠ユ。碧霞觀アリ。煉瓦の門を二つ三つくぐる。石をつみし塀、枯茨をのせる。○山は皆頂平なり。畑は粟多し。「地しばり」の黃花。
○山西督軍閻錫山、内治につとむ。(太原にあり)その爲大同府内きれいなり。牌樓にその訓諭あり。牛の水まき車をひくあり、人道車道を分てるあり、並木をつくるあり。(閻は日本士官學校出身)
○王煙客、晴嵐暖翠圖。(乾隆慶御印。)〔卷後御題(乾隆)。〕戊申淸和月畫於昆陵舟次王時敏當時年七十有七。○郎世寧の乾隆肖像。世界空華底認眞、分明兩句辯疎親、寰中第一尊臺者、却是憂勞第一人。此予夢中自題小像舊作也。○唐宋元畫册。王維雪溪圖其昌題、(其昌畫禪室藏)李營丘(春夏山水、)○名畫大觀。(無上神品御筆)○趙子昂、瀟湘圖卷。王蒙、松路遷巖。陵天游、丹臺春賞。巨然、江山晩興。范寛、江山蕭寺。黃大癡、山水ト芝蘭室銘の小楷。倪瓚、山水。○丹兵衞九鼎。(衡山の賛あり、)方々壺。(上淸方文)李龍眠、五馬圖、黃魯道題、(toute realiste)。燕文貴、秋山蕭寺、倪、陸の賛。(狩野派と似たり)○唐宋元畫册、煙客老親家題董玄宰爲。○林泉清集、王蒙、紙本、其昌ノ賛。
[やぶちゃん字注:“toute realiste”はフランス語で、非常に写実的、の意。先と同様、「人民中国」の北京日本学研究センター准教授秦剛氏「芥川龍之介が観た1921年・郷愁の北京」によって、ここに記された書画を芥川は北京西単霊境胡同にあった陳宝陦の家で見ていることが分かった。秦剛氏によれば、そこで芥川が観た作品として、ここに記された『李公麟「五馬図」』『王時敏「晴嵐暖翠図」』を挙げているからである。前のメモとの間に、万里の長城・大同・雲崗石窟の記事が挟まっていることからは、芥川は陳宝陦の家を二度目の訪問しているのかも知れぬ(推定とするのは、原手帳に当たることが出来ないからで、原手帳は破損が激しいことから、或いは保存時にページがばらけてしまったものを、その状態で活字に起した可能性、則ち、陳宝陦の家には一度しか訪ねていないが、その一連のメモがたまたま分離されてしまったに過ぎぬという可能性を排除出来ないからである)。]
○上衣(衫)。裙子。褲子。○背心(紐かたし)、木綿、フランネル。褲子、きやらこ(洋布)、フランネル。緊身、きやらこ。
○短褲子。底裙子。(緣レエス)背心。緊身。(底衣衫)夾緊身。(袷)(綿緊身)(冬秋)衣裳。(襟あり)(寒氣に從ひ裏小、中、大毛)。裙子。(襞あり)
○靴。大部分ハ西洋靴(皮靴)。上下共紅は新妻のみ。親戚知人に慶事ある時は裙子のみ紅し。褲のみなるは娘。
○鳳冠。双孖髻、辮子――娘(この髷は皆髮を分く)。
○華絲褐。(緞子に似たり、模樣浮き出づ)唐草色淡靑、冬。
○緞子。水色へ細かに葡萄(實葉)の浮ぶものあり、模樣は桃色、冬。○熟羅。(眞夏)○大紡綢。(初夏)羽二重の如し。○小紡綢。(夏)細き模樣浮き出づ、その模樣銀に似たり、細き茶の線。○夏布。麻也。○官紗。(放花官紗)薄紫の放花官紗、藻と金魚の模樣(小)。○縐紗。靑磁色に木蘭花の模樣を織出す、模樣は皆織。○華絲緞。○華絲羅。黑に波形模樣浮ぶ。○愛國布。〔◦印は冬秋〕○緞子。縐紗。華絲褐。華絲羅。華絲緞。愛國布。紡綢。――裙子。○繭紬は主として夏。縐紗は四季共。寧綢。
[やぶちゃん注:前の条と合わせて、傍点の「○」を下線に代えているので、「〔◦印は冬秋〕」は「〔傍線は冬秋」〕と読み替えられたい。但し、これは本文を読むに実際にはその単漢字につけたマークではなく、「華絲褐」「緞子」「華絲緞」のそれぞれの服を指し、この三種は冬秋用であることを注記している。]
○學校。下宿。(支那人拒絶)警察。新聞。(チヤンコロ)○講堂に日淸戰爭の戰利品をかく。教官支那にかかるものあるかと云ふ。支那人は數學的天才なし。○警察支那人集會をいぢめる。○Opium Den のシネマ辯士チヤンコロと云ふ。
[やぶちゃん注:「チヤンコロ」は中国や中国人を指す軽蔑語。以下、ウィキの「ちゃんころ」より引用しつつ、私の見解を附す。『中国人(中華民族=漢民族)を指す差別的な呼び方。その語源説の一部から、満洲民族(清国人)をも含む差別的呼称とする見解もある』。『江戸時代には銭などの小さくて取るに足らないものの意味で使われたが、語源が違』い、日本語としての使用の正当性が認められるとは言えない。『語源については諸説有るが、清国奴の台湾語読み(白話字:chheng-kok-lô)が、台湾の日本統治時代に訛って日本へ伝わり広まったとする説が有力である。その他に、留学生が用いた清国人(チンクォレン)説、中国人(チュンクォレン)説などもある。』『この「ちゃんころ」という言葉は、日本が中国大陸に積極的に出兵する昭和初期から頻繁に使われるようになる。中国服のことを「チャン服」、中華料理のことを「チャン料」などと形容詞的に略して用いることもあった。当時の日本人には中国人に対する優越意識を持つ人もおり、また日本と中国が戦争状態にあったことから侮蔑的に使われることが多かったため、現在では侮蔑的な言葉』として用いてはならない。芥川の叙述から差別語として既に大正期に現地中国で用いられていたことが分かる。そしてそれが内地人である芥川には如何にも異様な響きでもって感じられたからこそ、これを叙述している点を見逃さないようにしたい。最後の“Opium Den”は一般名詞ならば、アヘン吸飲所・アヘン窟のことであるが、それでは意味が通らない。両単語の頭文字が大文字になっているので、中国の日本租界(上海の他には天津・漢口・杭州・蘇州・重慶に存在した)にあった映画館の館名であったか。既に「手帳」の中国パートは最後に近く、或いはこれはずっと以前の上海の租界での記憶等を記したものかも知れない。帰路の釜山での嘱目の可能性も否定出来ないが、如何せん、北京出立以降の芥川龍之介の帰路は資料が著しく少なく、よく判らない。]
○標札。金屬(金 or 銀)赤字の名。又は額中、刺繡にて字を出すもの。字と共に畫を出すもの。金額札の周圍に電燈をともすもの。人力車に六個の火をともし行く妓あり。○門。(對聯)門房。中庭。房。壁紙(洋風)。Bed 鏡臺。床は瓦。壁上の掛物。啖吐。
○方邱、稚拙愛すべし。唐寅、山水橫卷、北畫の體を學ぶ。新羅、鳥、朱葉鮮。石濤、枯木竹。三王惲、畫册、南田の山水よし。金農、鬼、大小鬼。項易庵(聖模)、墨畫花卉、俊。石濤、花卉山水册、墨竹妙。八大山人の畫。金俊明の梅。錢杜(錢叔美)の花卉册。方若家。
〇一籃の暑さ照りけり巴旦杏
薄埃り立つから梅雨の風
若竹のいつか垣穗を打ちこして
大盃によよと酒もる
燈臺の丁子落ちたるはなやかさ
○Like water under thin ice.
[やぶちゃん注:薄氷を踏む思い、の意。]
(手帳 7 完)