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芥川龍之介作品集『傀儡師』やぶちゃん版(バーチャル・ウェブ版)へ

『傀儡師』版 芥川龍之介「蜘蛛の糸」

[やぶちゃん注:大正7(1918)七月発行の雑誌『赤い鳥』(これが同雑誌の第一巻第一号であった)に掲載、後に『傀儡師』『沙羅の花』『芥川龍之介集』に所収された。本テクストの底本は昭和551980)年ほるぷ社『特選 名著復刻全集 近代文学館』で復刻された大正8(1919)年新潮社刊の『傀儡師』を用いた。普及版全集を底本とする岩波版旧全集版との多岐に渡る校異注記を別ページに提示した。なお、岩波版は総ルビであり、その有無はいちいち挙げていない。何故、これ程激しい異同があるかについては、岩波版旧全集の注記に次のように言う。『元版全集の「月報」第二號の「校正を了へて(小島政二郎)」に「「蜘蛛の糸」は、これまで単行本にはひつてゐるものとは大分文章、行の變へ方、文字などが變つてをります。元来この話は、私が「赤い鳥」の編集を手傳つてゐた時に書いて貰つた原稿で、全部鈴木三重吉氏が「赤い鳥」流の文字遣ひに直したついでに、――雜誌と云ふ奴、插繪を入れて頁一杯に收まるやうにしたがるもので、原文よりも餘計にパラグラフを拵へたのだと覺えてゐます。しかし、それだけなら私も芥川さんにすぐ打ち明けて話が出來たのですが、文章にまで手がはひつてゐるので、とう/\亡くなられるまで、私は芥川さんにこのことを話さずにしまひました。申譯ない次第で。――幸ひ原稿が手許に保存してあつたので、原稿通り素へ戻しました。」とある、とする。又、続いて大正7年5月16日付小島政二郎宛書簡を引用し、本作に言及した芥川の『御伽噺には弱りましたあれで精ぎり一杯なんです但自信は更にありませんまづい所は遠慮なく筆削して貰ふやうに鈴木さんにも賴んで置きました』とある、とする。この言に従えば、現在のテクスト校訂の本流からは、本作については私の岩波版旧全集を底本とした同作品テクストの方が、芥川龍之介の「決定稿」プロトタイプであるということになる。但し、私は幼年の読者を想定した場合、テクストとしてこの「決定稿」のみが正しく生き残るべきものであるという、狭隘な「決定稿」絶対主義に対しては、微妙に留保したいと思う人間であることを表明しておく。]

 

□やぶちゃんによる岩波版全集との校異へ

 

蜘蛛の糸 大正七年四月

        芥川龍之介

 

       一

 

 或日の事でございます。お釋迦樣は極樂の蓮池のふちを、獨りでぶらぶら御歩きになつていらつしやいました。

 池の中に咲いてゐる蓮の花は、みんな玉のやうにまつ白で、そのまん中にある金色の蕊(ずゐ)からは、何とも云へない好い匂(にほひ)が、絶間(たえま)なくあたりへ溢れて居ります。

 極樂は丁度朝なのでございました。

 やがてお釋迦樣はその池のふちに御佇みになつて、水の面(つら)を蔽つてゐる蓮の葉の間から、ふと下の容子を御覽になりました。

 この極樂の蓮池の下は、丁度地獄の底に當つてをりますから、水晶のやうな水を透き徹して、三途の河や針の山の景色が、まるで覗(のぞ)き眼鏡(めがね)を見るやうに、はつきりと見えるのでございます。

 するとその地獄の底に、犍陀多(かんだた)と云ふ男が一人、外の罪人と一しよに蠢(うごめ)いてゐる姿が、お眼に止まりました。

 この犍陀多(かんだた)と云ふ男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろ/\惡事を働いた大泥坊でございますが、それでもたつた一つ、善い事を致した覺えがございます。と申しますのは、或時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛が一匹、路ばたを這つて行くのが見えました。

 そこで犍陀多(かんだた)早速足を擧げて、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違ひない。その命を無暗にとるといふ事は、いくら何でも可哀さうだ」と、かう急に思ひ返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやりました。

 お釋迦樣は地獄の容子を御覽になりながら、この犍陀多には蜘蛛(くも)を助けた事があるのを、御思ひ出しになりました。さうしてそれだけの善い事をした報には、出來るならこの男を地獄から救い出してやらうと御考へになりました。幸側を御覧になりますと、翡翠(ひすゐ)のやうな色をした蓮の葉の上に、極樂の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけてをりました。


 お釋迦樣はその蜘蛛の糸をそつと御手に御取りになりました。さうしてそれを、玉のやうな白蓮(しらはす)の間から、遙か下にある地獄の底へ、まつすぐにそれをお下しなさいました。

 

        二

 

 こちらは地獄の底の血の池で、ほかの罪人と一しよに浮いたり沈んだりしてゐた犍陀多(かんだた)でございます。

 何しろどちらを見ても、まつ暗で、たまにそのくら闇からぼんやり浮き上つてゐるものがあると思ひますと、それは恐しい針の山の針が光るのでございますから、その心細さと言つたらございません。その上あたりは墓の中のやうにしんと靜まり返つてゐて、たまに聞えるものと言つては、たゞ罪人がつく微な嘆息(ためいき)ばかりでございます。


 これはこゝへ落ちて來る程の人間は、もうさまざまな地獄の責苦に疲れはてて、泣聲を出す力さへなくなつてゐるのでございました。

 ですからさすが大泥坊の犍陀多も、やはり血の池の血に咽びながら、まるで死にかかつた蛙のやうに、唯もがいてばかりをりました。

 ところが或時の事でございます。何氣(なにげ)なく犍陀多が頭を擧げて、血の池の空を眺めますと、そのひつそりとした闇の中を、遠い遠い天の上から、銀色の蜘蛛の糸が、まるで人目にかゝるのを恐れるやうに、一すぢ細く光りながら、するすると、自分の上へ垂れて參るではございませんか。

 犍陀多はこれを見ると、思はず手を打つて喜びました。この糸に縋りついて、どこまでものぼつて行けば、きつと地獄からぬけ出せるのに相違ございません。

 いや、うまく行くと、極樂へはいる事さへも出來ませう。さうすれば、針の山へ追ひ上げられることもなくなれば、血の池に沈められる事もある筈はございません。

 かう思ひましたから犍陀多は、早速その蜘蛛の糸を、兩手でしつかりと摑みながら、一生懸命に上へ上へと、たぐりのぼり始めました。元より大泥坊の事でございますから、かういふ事には、昔から、慣れ切つてゐるのでございます。

 しかし地獄と極樂との間は、何萬里となくございますから、いくら焦(あせ)つて見た所で、容易に上へは出られません。稍しばらくのぼる中に、とうとう犍陀多もくたびれて、もう一たぐりも上の方へは、のぼれなくなつてしまひました。

 そこで仕方がございませんから、先(まづ)一休み休むつもりで、糸の中途にぶら下りながら、遙かに目の下を見下しました。

 すると、一生懸命にのぼつた甲斐があつて、さつきまで自分がいた血の池は、今ではもう何時の間にか、暗の底にかくれて居りました。それからあのぼんやり光つてゐる恐しい針の山も、足の下になつてしまひました。この分でのぼつて行けば、地獄からぬけ出すのも、存外わけがないかも知れません。

 犍陀多は兩手を蜘蛛の糸にからみながら、こゝへ來てから、何年にも出した事のない聲で、

「しめた。しめた。」と笑ひました。

ところがふと氣がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、數限(かずかぎり)もない罪人たちが、自分ののぼつた後をつけて、まるで蟻の行列のやうに、やはり上へ上へと一心によぢのぼつて來るではございませんか。

 犍陀多はこれを見ると、驚いたのと恐しいのとで暫くは唯、莫迦(ばか)のやうに大きな口を開いた儘、眼(め)ばかり動かして居りました。

 自分一人でさへ斷(き)れさうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人數の重みに堪へる事が出來ませう。

 もし萬一、途中で斷れたと致しましたら、折角こゝへまでのぼつて來た、この肝腎な自分までも、もとの地獄へ逆落しに落ちてしまはなければなりません。そんな事があつたら、大變でございます。


 が、さういふ中にも、罪人たちは何百となく何千となく、まつ暗な血の池の底から、うよ/\と這ひ上つて、細く光つてゐる蜘蛛の糸を、一列になりながら、せつせとのぼつて參ります。今の中にどうかしなければ、糸はまん中から二つに斷(き)れて、落ちてしまふのに違ひありません。

 そこで犍陀多は大きな聲を出して、

「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一體誰に尋(き)いて、のぼつて來た? 下りろ。下りろ。」と喚(わめ)きました。

 その途端でございます。

 今まで何ともなかつた蜘蛛の糸が、急に犍陀多のぶら下つている所から、ぷつりと音を立てゝ斷れました。

 ですから犍陀多もたまりません。あつと云ふ間もなく風を切つて、獨樂(こま)のやうにくる/\まはりながち、見る見る中に暗の底へ、まつさかさまに落ちてしまひました。

 後には唯極樂の蜘蛛の糸が、きら/\と細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れてゐるばかりでございます。

 

        三

 

 お釋迦樣は極樂の蓮池のふちに立つて、この一部始終をぢつと見ていらつしやいましたが、やがて犍陀多が血の池の底へ石のやうに沈んでしまひますと、悲しさうな御顏をなさりながら、又ぶらぶら御歩(ある)きになり始めました。

 自分ばかり地獄からぬけ出さうとする、犍陀多の無慈悲な心が、さうしてその心相當な罰をうけて、もとの地獄へ落ちてしまつたのが、お釋迦樣のお目から見ると、淺間(あさま)しく思召されたのでございませう。

 しかし極樂の蓮池の蓮(はすいけ)は、少しもそんな事には頓着致しません。

 その玉のやうな白い花は、お釋迦樣のお足(みあし)のまはりに、ゆら/\と萼(うてな)を動かしてをります。

 そのたんびに、まん中にある金色の蕋からは、何とも云へない好(よ)い匂(にほひ)が、絶間なくあたりへ溢れ出ます。

 極樂ももう午(ひる)に近くなりました。



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