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芥川龍之介作品集『傀儡師』やぶちゃん版(バーチャル・ウェブ版)へ


袈裟と盛遠   芥川龍之介

[やぶちゃん注:大正7(1918)年4月発行の雑誌『中央公論』に掲載され、後に『傀儡師』『或日の大石藏之助』に所収された。本テクストの底本は昭和551980)年ほるぷ社『特選 名著復刻全集 近代文学館』で復刻された大正8(1919)年新潮社刊の『傀儡師』を用いた。同底本による岩波版旧全集版(異同は他の同作品集所収の作品に比しても有意にほとんど認められない。そこで同書後記にある初出との異同も今回は記した)との校異注記を作品末に提示した。また、本作については、「源平盛衰記」巻第十九の「文覚発心」(関連上、その直後の「東帰節女」も合わせて)の原典、更に、岩波版新全集の弟二十一巻の所収する「袈裟と盛遠」草稿(断片)も掲載した私の岩波版旧全集版テクスト及び芥川龍之介が本作について語った「袈裟と盛遠の情交」も合わせて参照されたい。なお、「下」にある「丁度癩を病んだ犬のやうに」という一文は、当時の芥川龍之介を含む一般人のハンセン病に対する誤った認識や、その患者に対する差別意識を忌まわしく反映しており、批判的な読みを必要とする部分であることを明記しておく(これは翻刻した私自身の自律的な欲求による注記であり、「ためにする」ものではない)。]

 

袈裟と盛遠   大正七年三月

           芥川龍之介

 

        

 

 夜、盛遠が築土(ついぢ)の外で、月魄(つきしろ)を眺めながら、落葉を踏んで物思ひに耽つてゐる。

       そ の 獨 白

「もう月の出だな。何時(いつ)もは月が出るのを待ちかねる己も、今日ばかりは明くなるのがそら恐しい。今までの己(おれ)が一夜の中に失われて、明日(あす)からは人殺になり果てるのだと思ふと、かうしてゐても、體(からだ)が震へて來る。この兩の手が血で赤くなつた時を想像して見るが好い。その時の己は、己自身にとつて、どの位呪はしいものに見えるだらう。それも己の憎む相手を殺すのだつたら、己は何もこんなに心苦しい思をしなくてもすんだのだが、己は今夜、己の憎んでゐない男を殺さなければならない。

 己はあの男を以前から見知つてゐる。渡(わたる)左衞門尉と云ふ名は、今度の事に就いて知つたのだが、男にしては柔(やさ)しすぎる、色の白い顏を見覺えたのは、何時(いつ)の事だかわからない。それが袈裟の夫(をつと)だと云ふ事を知つた時、己が一時嫉妬を感じたのは事實だつた。しかしその嫉妬も、今では己の心の上に何一つ痕跡を殘さないで、綺麗に消え失せてしまつてゐる。だから渡は己にとつて、戀の仇とは云ひながら、憎くもなければ、恨めしくもない。いや、寧己はあの男に同情してゐると云つても、よい位だ。衣川の口から渡が袈裟を得る爲に、どれだけ心を勞したかを聞いた時、己は現にあの男を可愛く思つた事さへある。渡は袈裟を妻にしたい一心で、わざわざ歌の稽古までしたと云ふ事ではないか。己(おれ)はあの生眞面目(きまじめ)な侍の作つた戀歌を想像すると、知らず識らず微笑が脣に浮んで來る。しかしそれは何も、渡(わたる)を嘲(あざけ)る微笑ではない。己はさうまでして、女に媚びるあの男をいぢらしく思ふのだ。或は己の愛してゐる女に、それ程までに媚びようとするあの男の熱情が、愛人たる己にある種の滿足を與へてくれるかも知れない。

 しかしさう云へる程、己は袈裟を愛してゐるだらうか。己と袈裟との間の戀愛は、今と昔との二つの時期に別れてゐる。己は袈裟がまだ渡に縁づかない以前に、既に袈裟を愛してゐた。或は愛してゐると思つてゐた。が、これも今になつて考へると、その時の己の心もちには不純なものも少くはない。己は袈裟に何を求めたのか、童貞だつた頃の己(おれ)は、明らかに袈裟の體を求めてゐた。もし多少の誇張を許すなら、己の袈裟に對する愛なるものも、實はこの欲望を美しくした、感傷的な心もちに過ぎなかつた。それが證據には、袈裟との交渉が絶えたその後の三年間、成程己はあの女の事を忘れずにゐたにちがひないが、もしその以前に己があの女の體(からだ)を知つてゐたなら、それでもやはり忘れずに思ひつゞけてゐたであらうか。己は恥しながら、然りと答へる勇氣はない。己が袈裟に對するその後の愛着の中には、あの女の體を知らずにゐる未練が可成混つてゐる。さうして、その悶々の情を抱きながら、己はとうとう己の恐れてゐた、しかも己の待つてゐた、この今の關係にはいつてしまつた。では今は? 己は改めて己自身に問ひかけよう。己は果して袈裟を愛してゐるだらうか。

 が、その答をする前に、己はまだ一通り、嫌でもかう云ふいきさつを思ひ出す必要がある。――渡邊の橋の供養の時、三年ぶりで偶然袈裟にめぐり遇つた己は、それから凡そ半年ばかりの間、あの女と忍び合ふ機會を作る爲に、あらゆる手段を試みた。さうしてそれに成功した。いや、成功したばかりではない、その時、己は、己が夢みてゐた通り、袈裟の體を知る事が出來た。が、當時の己を支配してゐたものは、必しも前に云つた、まだあの女の體を知らないと云ふ未練ばかりだつた譯ではない。己は衣川の家で、袈裟と一つ部屋の疊へ坐つた時、既にこの未練が何時か薄くなつてゐるのに氣がついた。それは己がもう童貞でなかつたと云ふ事も、その場になつて、己の欲望を弱める役に立つたのであらう。しかしそれよりも、主(おも)な原因は、あの女の容色が、衰へてゐると云ふ事だつた。實際今の袈裟は、もう三年前の袈裟ではない。皮膚は一體に光澤を失つて、眼のまはりにはうす黑く暈(かさ)のやうなものが輪どつてゐる。頰のまはりや顋(あご)の下にも、以前の豐(ゆたか)な肉附きが、嘘(うそ)のやうになくなつてしまつた。僅に變らないものと云つては、あの張りのある、黑瞳(くろめ)勝な、水々(みづ/\)しい眼ばかりであらうか。――この變化は己の欲望にとつて、確かに恐しい打撃だつた。己は三年ぶりで始めてあの女と向ひ合つた時、思はず視線をそらさずにはゐられなかつた程、強い衝動を感じたのを未にはつきり覺えてゐる。……

 では、比較的さう云ふ未練を感じていない己が、どうしてあの女に關係したのであらう。己は第一に、妙な征服心に動かされた。袈裟は己と向ひ合つてゐると、あの女が夫の渡に對して持つてゐる愛情を、わざと誇張して話して聞かせる。しかも己にはそれが、どうしても或空虚な感じしか起させない。「この女は自分の夫に對して虚榮心を持つてゐる。」――己はかう考へた。「或はこれも、己の憐憫を買ひたくないと云ふ反抗心の現れかも知れない。」――己は又かうも考へた。さうしてそれと共に、この嘘を曝露させてやりたい氣が、刻々に強く己へ働きかけた。唯、何故(なぜ)それを嘘だと思つたかと云はれゝば、それを嘘だと思つた所に、己の己惚(うぬぼ)れがあると云はれゝば、己には元より抗辯するだけの理由はない。それにも關らず、己はその嘘だと云ふ事を信じてゐた。今でも猶信じてゐる。

 が、この征服心も亦、當時の己を支配してゐたすべてではない。その外に――己はかう云つただけでも、己の顏が赤くなるやうな氣がする。己はその外に、純粹な情欲に支配されてゐた。それはあの女の體(からだ)を知らないと云ふ未練ではない。もつと下等な、相手があの女である必要のない、欲望の爲の欲望だ。恐らくは傀儡(くぐつ)の女を買ふ男でも、あの時の己(おれ)程は卑しくなかつた事であらう。

 兎に角己はさう云ふいろいろな動機で、とうとう袈裟と關係した。と云ふよりも袈裟を辱めた。さうして今、己の最初に出した疑問へ立ち戻ると、――いや、己が袈裟を愛してゐるかどうかなどと云ふ事は、いくら己自身に對してでも、今更改めて問ふ必要はない。己は寧、時にはあの女に憎しみさへも感じてゐる。殊に萬事が完つてから、泣き伏してゐるあの女を、無理に抱き起した時などは、袈裟は破廉恥の己よりも、より破廉恥な女に見えた。亂れた髮のかゝりと云ひ、汗ばんだ顏の化粧と云ひ、一つとしてあの女の心と體(からだ)との醜さを示してゐないものはない。もしそれまでの己があの女を愛してゐたとしたら、その愛はあの日を最後として、永久に消えてしまつたのだ。或は、もしそれまでの己があの女を愛してゐなかつたとしたら、あの日から己の心には新しい憎しみが生じたと云つても亦差支へない。さうして、ああ、今夜己はその己が愛してゐない女の爲に、己が憎んてゐない男を殺さうと云ふのではないか!

 それも完く、誰の罪でもない。己がこの己の口で、公然と云ひ出した事なのだ。「渡を殺さうではないか。」――己があの女の耳に口をつけて、かう囁いた時の事を考へると、我ながら氣が違つてゐたのかとさへ疑はれる。しかし己は、さう囁いた。囁くまいと思ひながら、齒を食ひしばつてまでも囁いた。己にはそれが何故(なぜ)囁(さゝや)きたかつたのか、今になつて振りかへつて見ると、どうしてもよくはわからない。が、もし強ひて考へれば、己はあの女を蔑(さけす)めば蔑む程、憎く思へば思ふ程、益々(ます/\)何かあの女に凌辱を加へたくてたまらなくなつた。それには渡左衞門尉を、――袈裟がその愛を衒つてゐた夫を殺さうと云ふ位、さうしてそれをあの女に、否應(いやおう)なく承諾させる位、目的に協つた事はない。そこで己は、まるで惡夢に襲はれた人間のやうに、したくもない人殺しを、無理にあの女に勸めたのであらう。それでも己が渡を殺さうと云つた、動機が十分でなかつたなら、後(あと)は人間の知らない力が、(天魔波旬(てんまはじゆん)とでも云ふが好い。)己の意志を誘(いざな)つて、邪道へ陷れたとでも解釋するより外はない。兎に角、己は執念(しふねん)深く、何度も同じ事を繰返して、袈裟の耳に囁いた。

 すると袈裟は暫くして、急に顏を上げたと思ふと、素直(すなほ)に己の目(もく)ろみに承知すると云ふ返事をした。が、己にはその返事の容易だつたのが、意外だつたばかりではない。その袈裟の顏を見ると、今までに一度も見えなかつた不思議な輝きが眼に宿つてゐる。姦婦――さう云ふ氣が、己はすぐにした。と同時に、失望に似た心もちが、急に己の目(もく)ろみの恐しさを、己の眼の前へ展げて見せた。その間も、あの女の淫りがましい、凋(を)れた容色の厭(いや)らしさが、絶えず己を虐(さいな)んでゐた事は、元よりわざわざ云ふ必要もない。もし出來たなら、その時に、己は己の約束をその場で破つてしまひたかつた。さうして、あの不貞な女を、辱しめと云ふ辱しめのどん底まで、つき落してしまひたかつた。さうすれば己の良心は、たとへあの女を弄んだにしても、まださう云ふ義憤の後(うしろ)に、避難する事が出來たかも知れない。が、己にはどうしても、さうする餘裕が作れなかつた。まるで己の心もちを見透しでもしたやうに、急に表情を變へたあの女が、ぢつと己の眼を見つめた時、――己は正直に白状する。己が日と時刻とをきめて、渡を殺す約束を結ぶやうな羽目に陷つたのは、完く萬一己が承知しない場合に、袈裟が己に加えようとする復讐の恐怖からだつた。いや、今でも猶この恐怖は、執念深く己の心を捕へてゐる。臆病だと哂ふ奴は、いくらでも哂ふが好い。それはあの時の袈裟を知らないもののする事だ。「己が渡を殺さないとすれば、よし袈裟自身は手を下さないにしても、必己はこの女に殺されるだらう。その位なら己の方で渡を殺してしまつてやる。」――涙がなくて泣いてゐるあの女の眼を見た時に、己は絶望的にかう思つた。しかもこの己の恐怖は、己が誓言をした後で、袈裟が蒼白い顏に片靨をよせながら、眼を伏せて笑つたのを見た時に、裏書きをされたではないか。

 ああ、己はその呪(のろ)はしい約束の爲に、汚れた上にも汚れた心の上へ、今又人殺しの罪を加へるのだ。もし今夜に差迫つて、この約束を破つたなら――これも、やはり己には堪へられない。一つには誓言の手前もある。さうして又一つには、――己は復讐を恐れると云つた。それも決して嘘ではない。しかしその上にまだ何かある。それは何だ? この己を、この臆病な己を追ひやつて罪もない男を殺させる、その大きな力は何だ? 己にはわからない。わからないが、事によると――いやそんな事はない。己はあの女を蔑んでゐる。恐れてゐる。憎んでゐる。しかしそれでも猶、それでも猶、己はあの女を愛してゐるせゐかも知れない。」

 盛遠は徘徊を續けながら、再口を開かない。月明。どこかで今樣を謠ふ聲がする。

 げに人間の心こそ、無明の闇も異らね、

 ただ煩惱の火と燃えて、消ゆるばかりぞ命(いのち)なる。

 

        

 

 夜、袈裟が帳臺の外で、燈臺の光に背き乍ら、袖を嚙んで物思ひに耽つてゐる。

     そ の 獨 白

「あの人は來るのかしら、來ないのかしら。よもや來ない事はあるまいと思ふけれど、もう彼是(かれこれ)月が傾くのに、足音もしない所を見ると、急に氣でも變つたではあるまいか。もしひよつとして來なかつたら――ああ、私はまるで傀儡(くぐつ)の女のやうにこの恥しい顏をあげて、又日の目を見なければならない。そんなあつかましい、邪(よこしま)な事がどうして私に出來るだらう。その時の私こそ、あの路ばたに捨ててある屍骸と少しも變りはない。辱められ、踏みにじられ、揚句(あげく)の果(はて)にその身の恥をのめのめと明るみに曝されて、それでもやはり啞(おし)のやうに默つてゐなければならないのだから。私は萬一さうなつたら、たとひ死んでも死にきれない。いやいや、あの人は必來る。私はこの間別れ際に、あの人の眼を覗きこんだ時から、さう思はずにはゐられなかつた。あの人は私を怖がつてゐる。私を憎み、私を蔑(さげす)みながら、それでも猶私を怖がつてゐる。成程私が私自身を賴みにするのだつたら、あの人が必來るとは云はれないだらう。が、私はあの人を賴みにしてゐる。あの人の利己心を賴みにしてゐる。いや、利己心が起させる卑しい恐怖を賴みにしてゐる。だから私はかう云はれるのだ。あの人はきつと忍んで來るのに違ひない。……

 しかし私自身を賴みにする事の出來なくなつた私は、何と云ふみじめな人間だらう。三年前の私は、私自身を、この私の美しさを、何よりも亦賴みにしてゐた。三年前と云ふよりも、或はあの日までと云つた方が、もつとほんとうに近いかも知れない。あの日、伯母樣の家の一間で、あの人と會つた時に、私はたつた一目見たばかりで、あの人の心に映つてゐる私の醜さを知つてしまつた。あの人は何事もないやうな顏をして、いろいろ私を唆(そゝの)かすやうな、やさしい語をかけてくれる。が、一度自分の醜さを知つた女の心が、どうしてそんな語に慰められよう。私は唯、口惜(くや)しかつた。恐しかつた。悲しかつた。子供の時に乳母に抱かれて、月蝕を見た氣味の惡さも、あの時の心もちに比べれば、どのくらいましだかわからない。私の持つてゐたさまざまな夢は、一度にどこかへ消えてしまふ。後(あと)には唯、雨のふる明け方のやうな寂しさが、ぢつと私の身のまはりを取り圍んでゐるばかり――私はその寂しさに震へながら、死んだも同樣なこの體(からだ)を、とうとうあの人に任(まか)せてしまつた。愛してもゐないあの人に、私を憎んでゐる、私を蔑(さげす)んでゐる、色好みなあの人に。――私は私の醜さを見せつけられた、その寂しさに堪へなかつたのであらうか。さうしてあの人の胸に顏を當てる、熱に浮かされたやうな一瞬間にすべてを欺かうとしたのであらうか。さもなければ又、あの人同樣、私も唯汚らわしい心もちに動かされてゐたのであらうか。さう思つただけでも、私は恥しい。恥しい。恥しい。殊にあの人の腕を離れて、又自由な體に歸つた時、どんなに私は私自身を淺間しく思つた事であらう。

 私は腹立たしさと寂しさとで、いくら泣くまいと思つても、止め度なく涙が溢れて來た。けれども、それは何も、操を破られたと云ふ事だけが悲しかつた譯ではない。操を破られながら、その上にも卑められてゐると云ふ事が、丁度癩を病んだ犬のやうに、憎まれながらも虐(さいな)まれてゐると云ふ事が、何よりも私には苦しかつた。さうしてそれから私は一體何をしてゐたのであらう。今になつて考へると、それも遠い昔の記憶のやうに朧げにしかわからない。唯、すすり上げて泣いてゐる間に、あの人の口髭(くちひけ)が私の耳にさわつたと思ふと、熱い息と一しよに低い聲で、「渡(わたる)を殺(ころ)さうではないか。」と云ふ語が、囁かれたのを覺えてゐる。私はそれを聞くと同時に、未に自分にもわからない、不思議に生々(いき/\)した心もちになつた。生々した? もし月の光が明いと云ふのなら、それも生々(いき/\)した心もちであらう。が、それはどこまでも日の光の明さとは違ふ、生々した心もちだつた。しかし私は、やはりこの恐しい語のために、慰められたのではなかつたらうか。ああ、私は、女と云ふものは、自分の夫を殺してまでも、猶人に愛されるのが嬉しく感ぜられるものなのだらうか。

 私はその月夜の明さに似た、寂しい、生々した心もちで、又暫く泣きつづけた。さうして? さうして? 何時(いつ)、私は、あの人の手引をして夫を討たせると云ふ約束を、結んでなどしまつたのであらう。しかしその約束を結ぶと一しよに、私は始めて夫の事を思出した。私は正直に始めてと云はう。それまでの私の心は、唯、私の事を、辱められた私の事を、一圖にぢつと思つてゐた。それがこの時、夫の事を、あの内氣な夫の事を、――いや、夫の事ではない。私に何か云ふ時の、微笑した夫の顏を、ありあり眼の前に思ひ出した。私のもくろみが、ふと胸に浮んだのも、恐らくその顏を思ひ出した刹那の事であつたろう。何故(なぜ)と云へば、その時に私はもう死ぬ覺悟をきめてゐた。さうして又きめる事の出來たのが嬉しかつた。しかし泣き止んだ私が顏を上げて、あの人の方を眺めた時、さうしてそこに前の通り、あの人の心に映つてゐる私の醜さを見つけた時、私は私の嬉しさが一度に消えてしまつたやうな心もちがする。それは――私は又、乳母と見た月蝕の暗さを思ひ出してしまふ。それはこの嬉しさの底に隱れてゐる、さまざまの物の怪を一時に放つたやうなものだつた。私が夫の身代りになると云ふ事は、果して夫を愛してゐるからだらうか。いや、いや、私はさう云ふ都合の好い口實の後(うしろ)で、あの人に體(からだ)を任(ま)かした私の罪の償ひをしようと云ふ氣を持つてゐた。自害をする勇氣のない私は。少しでも世間の眼に私自身を善く見せたい、さもしい心もちがある私は。けれどもそれはまだ大目にも見られよう。私はもつと卑しかつた。もつと、もつと醜かつた。夫の身代りに立つと云ふ名の下で、私はあの人の憎しみに、あの人の蔑(さげす)みに、さうしてあの人が私を弄んだ、その邪(よこしま)な情欲に、仇を取らうとしてゐたではないか。それが證據には、あの人の顏を見ると、あの月の光のやうな、不思議な生々(いき/\)しさも消えてしまつて、唯、悲しい心もちばかりが、忽ち私の心を凍らせてしまふ。私は夫の爲に死ぬのではない。私は私の爲に死なうとする。私の心を傷けられた口惜(くや)しさと、私の體(からだ)を汚された恨めしさと、その二つの爲に死なうとする。ああ、私は生き甲斐がなかつたばかりではない。死に甲斐さへもなかつたのだ。

 しかしその死甲斐のない死に方でさへ、生きてゐるよりは、どの位望ましいかわからない。私は悲しいのを無理にほほ笑みながら、繰返してあの人と夫を殺す約束をした。感じの早いあの人は、さう云ふ私の語(ことば)から、もし萬一約束を守らなかつた曉には、どんなことを私がしでかすか、大方推察のついた事であらう。して見れば、誓言までしたあの人が、忍んで來ないと云ふ筈はない。――あれは風の音であらうか――あの日以來の苦しい思が、今夜でやつと盡きるかと思へば、流石に氣(き)の緩(ゆる)むやうな心もちもする。明日(あす)の日は、必首(かうべ)のない私の死骸の上に、うすら寒い光を落すだらう。それを見たら、夫は――いや、夫の事は思ふまい、夫は私を愛してゐる。けれど 私にはその愛を、どうしようと云ふ力もない。昔から私にはたつた一人の男しか愛せなかつた。さうしてその一人の男が、今夜私を殺しに來るのだ。この燈臺の光でさへ、さう云ふ私には晴れがましい。しかもその戀人に、虐(さいな)まれ果ててゐる私には。」

 袈裟は、燈臺の火を吹き消してしまふ。程なく、暗の中でかすかに蔀を開く

 音。それと共にうすい月の光がさす。

 

□バーチャル・ウェブ版芥川龍之介作品集『傀儡師』の次篇「或日の大石藏之助」へ

 

■やぶちゃんによる校異

 

   上

 

・岩波版では上の後のト書風部分は全体が一字下げと思われる。以下、ト書きが二行に渡るものを見ると、すべてが岩波版ではそのように組まれているからである。以下、ほかと異なる最後のト書きを除き、いちいちその注はしない。また、以下、特に注しないものは岩波版旧全集との異同である。

・そ の 獨 白→そ 白:時間は岩波版では半角。また、岩波版ではこの前後は一行弱空きが入っている。

・「もう月の出だな。何時もは月が出るのを待ちかねる己も、今日ばかりは明くなるのがそら恐しい。……:冒頭は一字空け。なお、この部分、初出は「もう日が暮れるな。何時もは日が暮れるのを待ちかねる己も、今日ばかりは暗くなるのが殘り恐しい。」となっている。

・愛人たる己にある種の滿足を與へてくれるかも知れない。→愛人たる己にある種の滿足を與へてくれるからかも知れない。:岩波版注記によれば作品集『或日の大石内藏助』では「愛人たる己にある種の滿足を與へてくれるのかも知れない。」であるとし、初出に従ったとする。

・己が憎んてゐない男を殺さうと云ふのではないか!→己が憎んてゐない男を殺さうと云ふのではないか!:「で」の誤植。

・あの女を蔑(さけす)めば→あの女を蔑(さげす)めば:「げ」の誤植。

・その袈裟の顏を見ると、今までに一度も見えなかつた不思議な輝きが眼に宿つてゐる。:岩波版注記によれば初出は「その袈裟の顏には、今までに一度も見えなかつた不思議な輝きが眼に宿つてゐる。」であるとする。

・凋(を)れた容色の→凋(しを)れた容色の:「し」の脱字。

・よし袈裟自身は手を下さないにしても→岩波版注記によれば、初出は「よし袈裟自身が手を下さないにしても」であるとする。

・盛遠は徘徊を續けながら、再口を開かない。月明。どこかで今樣を謠ふ聲がする。:このト書部分、初出は丸括弧付で「(盛遠は腕を拱きながら、徐に立ち上る。どこかで今樣を謠ふ聲がする。)」とする。これは大きく異なる。

・げに人間の心こそ、無明の闇も異らね、

 ただ煩惱の火と燃えて、消ゆるばかりぞ命(いのち)なる。:岩波版はこの二行全体が三字下げ(このト書に限定すれば一字下げであるので、二字下げということになる)。また、岩波版注記によれば、最終部分の初出は「消ゆるばかりぞたのみなき。」であるとする。

 

   

 

・「あの人は來るのかしら、……:冒頭は一字空け。

・あの人の口髭(くちひけ)が→あの人の口髭(くちひげ)が:誤「げ」の誤植。

・何故と云へば、その時に私はもう死ぬ覺悟をきめてゐた。さうして又きめる事の出來たのが嬉しかつた。しかし泣き止んだ私が顏を上げて、あの人の方を眺めた時:岩波版注記に依れば初出は「何故と云へば、その時に夫の顔を考へながら、永續きはしなかつた。泣き止んだ私が顏を上げて、あの人の方を眺めた時、」とあるとする。これは大きく異なる。

・夫は私を愛してゐる。けれど 私にはその愛を→夫は私を愛してゐる。けれども私にはその愛を:空白の一マスは、「も」の脱字もしくは読点の脱落かとも思われる。

・袈裟は、燈臺の火を吹き消してしまふ。程なく、暗の中でかすかに蔀を開く

 音。それと共にうすい月の光がさす。:このト書のみ、底本では明らかに全体が一字下げとなっていおり、岩波版全集と同じ組み方を示している。それが分かるように、ここのみ底本と同じ位置の「蔀を開く」の部分で改行した。