[やぶちゃん注:大正七(1918)年四月発行の雑誌『中央公論』に掲載され、後に『傀儡師』『或日の大石藏之助』に所収された。底本では、章を示す「上」「下」は太字となっている。底本は岩波版級全集を用いた。本作については、本篇に言及した芥川龍之介の「袈裟と盛遠の情交」を参照されたい。各「上」「下」の最初と最後に付くト書き部分(注を付した)が二行にわたる場合は、芥川の考えた組みの上では、すべて一字下げとなると理解されたい。末尾に、芥川が素材・参考としたと思われる「源平盛衰記」巻第十九の「文覚発心」(関連上、その直後の「東帰節女」も合わせて)の原典を附した。更に、岩波版新全集の弟二十一巻の所収する「袈裟と盛遠」草稿(断片)も掲載した。この草稿は断片ながら極めて興味深い。芥川の初期構想は、脚本風の対話形式であったことを示している。それがこのモノローグ形式へと変化した過程は、ブログで記載した私の本作への解釈にとっては、極めて腑に落ちるのである。なお、「下」にある「丁度癩を病んだ犬のやうに」という一文は、当時の芥川龍之介を含む一般人のハンセン病に対する誤った認識や、その患者に対する差別意識を忌まわしく反映しており、批判的な読みを必要とする部分であることを明記しておく(これは翻刻した私自身の自律的な欲求による注記であり、「ためにする」ものではない)。]
袈裟と盛遠 芥川龍之介
上
[やぶちゃん注:以下の一文はト書き。]
夜、盛遠が築土(ついぢ)の外で、月魄(つきしろ)を眺めながら、落葉を踏んで物思ひに耽つてゐる。
その獨白
「もう月の出だな。何時(いつ)もは月が出るのを待ちかねる己も、今日ばかりは明くなるのがそら恐しい。今までの己(おれ)が一夜の中に失われて、明日(あす)からは人殺になり果てるのだと思ふと、かうしてゐても、體(からだ)が震へて來る。この兩の手が血で赤くなつた時を想像して見るが好い。その時の己は、己自身にとつて、どの位呪はしいものに見えるだらう。それも己の憎む相手を殺すのだつたら、己は何もこんなに心苦しい思をしなくてもすんだのだが、己は今夜、己の憎んでゐない男を殺さなければならない。
己はあの男を以前から見知つてゐる。渡(わたる)左衞門尉と云ふ名は、今度の事に就いて知つたのだが、男にしては柔(やさ)しすぎる、色の白い顏を見覺えたのは、何時(いつ)の事だかわからない。それが袈裟の夫(をつと)だと云ふ事を知つた時、己が一時嫉妬を感じたのは事實だつた。しかしその嫉妬も、今では己の心の上に何一つ痕跡を殘さないで、綺麗に消え失せてしまつてゐる。だから渡は己にとつて、戀の仇とは云ひながら、憎くもなければ、恨めしくもない。いや、寧己はあの男に同情してゐると云つても、よい位だ。衣川の口から渡が袈裟を得る爲に、どれだけ心を勞したかを聞いた時、己は現にあの男を可愛く思つた事さへある。渡は袈裟を妻にしたい一心で、わざわざ歌の稽古までしたと云ふ事ではないか。己(おれ)はあの生眞面目(きまじめ)な侍の作つた戀歌を想像すると、知らず識らず微笑が脣に浮んで來る。しかしそれは何も、渡(わたる)を嘲(あざけ)る微笑ではない。己はさうまでして、女に媚びるあの男をいぢらしく思ふのだ。或は己の愛してゐる女に、それ程までに媚びようとするあの男の熱情が、愛人たる己にある種の滿足を與へてくれるからかも知れない。
しかしさう云へる程、己は袈裟を愛してゐるだらうか。己と袈裟との間の戀愛は、今と昔との二つの時期に別れてゐる。己は袈裟がまだ渡に縁づかない以前に、既に袈裟を愛してゐた。或は愛してゐると思つてゐた。が、これも今になつて考へると、その時の己の心もちには不純なものも少くはない。己は袈裟に何を求めたのか、童貞だつた頃の己(おれ)は、明らかに袈裟の體を求めてゐた。もし多少の誇張を許すなら、己の袈裟に對する愛なるものも、實はこの欲望を美しくした、感傷的な心もちに過ぎなかつた。それが證據には、袈裟との交渉が絶えたその後の三年間、成程己はあの女の事を忘れずにゐたにちがひないが、もしその以前に己があの女の體(からだ)を知つてゐたなら、それでもやはり忘れずに思ひつゞけてゐたであらうか。己は恥しながら、然りと答へる勇氣はない。己が袈裟に對するその後の愛着の中には、あの女の體を知らずにゐる未練が可成混つてゐる。さうして、その悶々の情を抱きながら、己はとうとう己の恐れてゐた、しかも己の待つてゐた、この今の關係にはいつてしまつた。では今は? 己は改めて己自身に問ひかけよう。己は果して袈裟を愛してゐるだらうか。
が、その答をする前に、己はまだ一通り、嫌でもかう云ふいきさつを思ひ出す必要がある。――渡邊の橋の供養の時、三年ぶりで偶然袈裟にめぐり遇つた己は、それから凡そ半年ばかりの間、あの女と忍び合ふ機會を作る爲に、あらゆる手段を試みた。さうしてそれに成功した。いや、成功したばかりではない、その時、己は、己が夢みてゐた通り、袈裟の體を知る事が出來た。が、當時の己を支配してゐたものは、必しも前に云つた、まだあの女の體を知らないと云ふ未練ばかりだつた譯ではない。己は衣川の家で、袈裟と一つ部屋の疊へ坐つた時、既にこの未練が何時か薄くなつてゐるのに氣がついた。それは己がもう童貞でなかつたと云ふ事も、その場になつて、己の欲望を弱める役に立つたのであらう。しかしそれよりも、主(おも)な原因は、あの女の容色が、衰へてゐると云ふ事だつた。實際今の袈裟は、もう三年前の袈裟ではない。皮膚は一體に光澤を失つて、眼のまはりにはうす黑く暈(かさ)のやうなものが輪どつてゐる。頰のまはりや顋(あご)の下にも、以前の豐(ゆたか)な肉附きが、嘘(うそ)のやうになくなつてしまつた。僅に變らないものと云つては、あの張りのある、黑瞳(くろめ)勝な、水々(みづ/\)しい眼ばかりであらうか。――この變化は己の欲望にとつて、確かに恐しい打撃だつた。己は三年ぶりで始めてあの女と向ひ合つた時、思はず視線をそらさずにはゐられなかつた程、強い衝動を感じたのを未にはつきり覺えてゐる。……
では、比較的さう云ふ未練を感じていない己が、どうしてあの女に關係したのであらう。己は第一に、妙な征服心に動かされた。袈裟は己と向ひ合つてゐると、あの女が夫の渡に對して持つてゐる愛情を、わざと誇張して話して聞かせる。しかも己にはそれが、どうしても或空虚な感じしか起させない。「この女は自分の夫に對して虚榮心を持つてゐる。」――己はかう考へた。「或はこれも、己の憐憫を買ひたくないと云ふ反抗心の現れかも知れない。」――己は又かうも考へた。さうしてそれと共に、この嘘を曝露させてやりたい氣が、刻々に強く己へ働きかけた。唯、何故(なぜ)それを嘘だと思つたかと云はれゝば、それを嘘だと思つた所に、己の己惚(うぬぼ)れがあると云はれゝば、己には元より抗辯するだけの理由はない。それにも關らず、己はその嘘だと云ふ事を信じてゐた。今でも猶信じてゐる。
が、この征服心も亦、當時の己を支配してゐたすべてではない。その外に――己はかう云つただけでも、己の顏が赤くなるやうな氣がする。己はその外に、純粹な情欲に支配されてゐた。それはあの女の體(からだ)を知らないと云ふ未練ではない。もつと下等な、相手があの女である必要のない、欲望の爲の欲望だ。恐らくは傀儡(くぐつ)の女を買ふ男でも、あの時の己(おれ)程は卑しくなかつた事であらう。
兎に角己はさう云ふいろいろな動機で、とうとう袈裟と關係した。と云ふよりも袈裟を辱めた。さうして今、己の最初に出した疑問へ立ち戻ると、――いや、己が袈裟を愛してゐるかどうかなどと云ふ事は、いくら己自身に對してでも、今更改めて問ふ必要はない。己は寧、時にはあの女に憎しみさへも感じてゐる。殊に萬事が完つてから、泣き伏してゐるあの女を、無理に抱き起した時などは、袈裟は破廉恥の己よりも、より破廉恥な女に見えた。亂れた髮のかゝりと云ひ、汗ばんだ顏の化粧と云ひ、一つとしてあの女の心と體(からだ)との醜さを示してゐないものはない。もしそれまでの己があの女を愛してゐたとしたら、その愛はあの日を最後として、永久に消えてしまつたのだ。或は、もしそれまでの己があの女を愛してゐなかつたとしたら、あの日から己の心には新しい憎しみが生じたと云つても亦差支へない。さうして、ああ、今夜己はその己が愛してゐない女の爲に、己が憎んでゐない男を殺さうと云ふのではないか!
それも完く、誰の罪でもない。己がこの己の口で、公然と云ひ出した事なのだ。「渡を殺さうではないか。」――己があの女の耳に口をつけて、かう囁いた時の事を考へると、我ながら氣が違つてゐたのかとさへ疑はれる。しかし己は、さう囁いた。囁くまいと思ひながら、齒を食ひしばつてまでも囁いた。己にはそれが何故(なぜ)囁(さゝや)きたかつたのか、今になつて振りかへつて見ると、どうしてもよくはわからない。が、もし強ひて考へれば、己はあの女を蔑(さげす)めば蔑む程、憎く思へば思ふ程、益々(ます/\)何かあの女に凌辱を加へたくてたまらなくなつた。それには渡左衞門尉を、――袈裟がその愛を衒つてゐた夫を殺さうと云ふ位、さうしてそれをあの女に、否應(いやおう)なく承諾させる位、目的に協つた事はない。そこで己は、まるで惡夢に襲はれた人間のやうに、したくもない人殺しを、無理にあの女に勸めたのであらう。それでも己が渡を殺さうと云つた、動機が十分でなかつたなら、後(あと)は人間の知らない力が、(天魔波旬(てんまはじゆん)とでも云ふが好い。)己の意志を誘(いざな)つて、邪道へ陷れたとでも解釋するより外はない。兎に角、己は執念(しふねん)深く、何度も同じ事を繰返して、袈裟の耳に囁いた。
すると袈裟は暫くして、急に顏を上げたと思ふと、素直(すなほ)に己の目(もく)ろみに承知すると云ふ返事をした。が、己にはその返事の容易だつたのが、意外だつたばかりではない。その袈裟の顏を見ると、今までに一度も見えなかつた不思議な輝きが眼に宿つてゐる。姦婦――さう云ふ氣が、己はすぐにした。と同時に、失望に似た心もちが、急に己の目(もく)ろみの恐しさを、己の眼の前へ展げて見せた。その間も、あの女の淫りがましい、凋(しを)れた容色の厭(いや)らしさが、絶えず己を虐(さいな)んでゐた事は、元よりわざわざ云ふ必要もない。もし出來たなら、その時に、己は己の約束をその場で破つてしまひたかつた。さうして、あの不貞な女を、辱しめと云ふ辱しめのどん底まで、つき落してしまひたかつた。さうすれば己の良心は、たとへあの女を弄んだにしても、まださう云ふ義憤の後(うしろ)に、避難する事が出來たかも知れない。が、己にはどうしても、さうする餘裕が作れなかつた。まるで己の心もちを見透しでもしたやうに、急に表情を變へたあの女が、ぢつと己の眼を見つめた時、――己は正直に白状する。己が日と時刻とをきめて、渡を殺す約束を結ぶやうな羽目に陷つたのは、完く萬一己が承知しない場合に、袈裟が己に加えようとする復讐の恐怖からだつた。いや、今でも猶この恐怖は、執念深く己の心を捕へてゐる。臆病だと哂ふ奴は、いくらでも哂ふが好い。それはあの時の袈裟を知らないもののする事だ。「己が渡を殺さないとすれば、よし袈裟自身は手を下さないにしても、必己はこの女に殺されるだらう。その位なら己の方で渡を殺してしまつてやる。」――涙がなくて泣いてゐるあの女の眼を見た時に、己は絶望的にかう思つた。しかもこの己の恐怖は、己が誓言をした後で、袈裟が蒼白い顏に片靨をよせながら、眼を伏せて笑つたのを見た時に、裏書きをされたではないか。
ああ、己はその呪(のろ)はしい約束の爲に、汚れた上にも汚れた心の上へ、今又人殺しの罪を加へるのだ。もし今夜に差迫つて、この約束を破つたなら――これも、やはり己には堪へられない。一つには誓言の手前もある。さうして又一つには、――己は復讐を恐れると云つた。それも決して嘘ではない。しかしその上にまだ何かある。それは何だ? この己を、この臆病な己を追ひやつて罪もない男を殺させる、その大きな力は何だ? 己にはわからない。わからないが、事によると――いやそんな事はない。己はあの女を蔑んでゐる。恐れてゐる。憎んでゐる。しかしそれでも猶、それでも猶、己はあの女を愛してゐるせゐかも知れない。」
[やぶちゃん注:以下の三つの文と和歌はト書き。]
盛遠は徘徊を續けながら、再口を開かない。月明。どこかで今樣を謠ふ聲がする。
げに人間の心こそ、無明の闇も異らね、
ただ煩惱の火と燃えて、消ゆるばかりぞ命(いのち)なる。
下
[やぶちゃん注:以下の一文はト書き。]
夜、袈裟が帳臺の外で、燈臺の光に背き乍ら、袖を嚙んで物思ひに耽つてゐる。
その獨白
「あの人は來るのかしら、來ないのかしら。よもや來ない事はあるまいと思ふけれど、もう彼是(かれこれ)月が傾くのに、足音もしない所を見ると、急に氣でも變つたではあるまいか。もしひよつとして來なかつたら――ああ、私はまるで傀儡(くぐつ)の女のやうにこの恥しい顏をあげて、又日の目を見なければならない。そんなあつかましい、邪(よこしま)な事がどうして私に出來るだらう。その時の私こそ、あの路ばたに捨ててある屍骸と少しも變りはない。辱められ、踏みにじられ、揚句(あげく)の果(はて)にその身の恥をのめのめと明るみに曝されて、それでもやはり啞(おし)のやうに默つてゐなければならないのだから。私は萬一さうなつたら、たとひ死んでも死にきれない。いやいや、あの人は必來る。私はこの間別れ際に、あの人の眼を覗きこんだ時から、さう思はずにはゐられなかつた。あの人は私を怖がつてゐる。私を憎み、私を蔑(さげす)みながら、それでも猶私を怖がつてゐる。成程私が私自身を賴みにするのだつたら、あの人が必來るとは云はれないだらう。が、私はあの人を賴みにしてゐる。あの人の利己心を賴みにしてゐる。いや、利己心が起させる卑しい恐怖を賴みにしてゐる。だから私はかう云はれるのだ。あの人はきつと忍んで來るのに違ひない。……
しかし私自身を賴みにする事の出來なくなつた私は、何と云ふみじめな人間だらう。三年前の私は、私自身を、この私の美しさを、何よりも亦賴みにしてゐた。三年前と云ふよりも、或はあの日までと云つた方が、もつとほんとうに近いかも知れない。あの日、伯母樣の家の一間で、あの人と會つた時に、私はたつた一目見たばかりで、あの人の心に映つてゐる私の醜さを知つてしまつた。あの人は何事もないやうな顏をして、いろいろ私を唆(そゝの)かすやうな、やさしい語をかけてくれる。が、一度自分の醜さを知つた女の心が、どうしてそんな語に慰められよう。私は唯、口惜(くや)しかつた。恐しかつた。悲しかつた。子供の時に乳母に抱かれて、月蝕を見た氣味の惡さも、あの時の心もちに比べれば、どのくらいましだかわからない。私の持つてゐたさまざまな夢は、一度にどこかへ消えてしまふ。後(あと)には唯、雨のふる明け方のやうな寂しさが、ぢつと私の身のまはりを取り圍んでゐるばかり――私はその寂しさに震へながら、死んだも同樣なこの體(からだ)を、とうとうあの人に任(まか)せてしまつた。愛してもゐないあの人に、私を憎んでゐる、私を蔑(さげす)んでゐる、色好みなあの人に。――私は私の醜さを見せつけられた、その寂しさに堪へなかつたのであらうか。さうしてあの人の胸に顏を當てる、熱に浮かされたやうな一瞬間にすべてを欺かうとしたのであらうか。さもなければ又、あの人同樣、私も唯汚らわしい心もちに動かされてゐたのであらうか。さう思つただけでも、私は恥しい。恥しい。恥しい。殊にあの人の腕を離れて、又自由な體に歸つた時、どんなに私は私自身を淺間しく思つた事であらう。
私は腹立たしさと寂しさとで、いくら泣くまいと思つても、止め度なく涙が溢れて來た。けれども、それは何も、操を破られたと云ふ事だけが悲しかつた譯ではない。操を破られながら、その上にも卑められてゐると云ふ事が、丁度癩を病んだ犬のやうに、憎まれながらも虐(さいな)まれてゐると云ふ事が、何よりも私には苦しかつた。さうしてそれから私は一體何をしてゐたのであらう。今になつて考へると、それも遠い昔の記憶のやうに朧げにしかわからない。唯、すすり上げて泣いてゐる間に、あの人の口髭(くちひげ)が私の耳にさわつたと思ふと、熱い息と一しよに低い聲で、「渡(わたる)を殺(ころ)さうではないか。」と云ふ語が、囁かれたのを覺えてゐる。私はそれを聞くと同時に、未に自分にもわからない、不思議に生々(いき/\)した心もちになつた。生々した? もし月の光が明いと云ふのなら、それも生々(いき/\)した心もちであらう。が、それはどこまでも日の光の明さとは違ふ、生々した心もちだつた。しかし私は、やはりこの恐しい語のために、慰められたのではなかつたらうか。ああ、私は、女と云ふものは、自分の夫を殺してまでも、猶人に愛されるのが嬉しく感ぜられるものなのだらうか。
私はその月夜の明さに似た、寂しい、生々した心もちで、又暫く泣きつづけた。さうして? さうして? 何時(いつ)、私は、あの人の手引をして夫を討たせると云ふ約束を、結んでなどしまつたのであらう。しかしその約束を結ぶと一しよに、私は始めて夫の事を思出した。私は正直に始めてと云はう。それまでの私の心は、唯、私の事を、辱められた私の事を、一圖にぢつと思つてゐた。それがこの時、夫の事を、あの内氣な夫の事を、――いや、夫の事ではない。私に何か云ふ時の、微笑した夫の顏を、ありあり眼の前に思ひ出した。私のもくろみが、ふと胸に浮んだのも、恐らくその顏を思ひ出した刹那の事であつたろう。何故(なぜ)と云へば、その時に私はもう死ぬ覺悟をきめてゐた。さうして又きめる事の出來たのが嬉しかつた。しかし泣き止んだ私が顏を上げて、あの人の方を眺めた時、さうしてそこに前の通り、あの人の心に映つてゐる私の醜さを見つけた時、私は私の嬉しさが一度に消えてしまつたやうな心もちがする。それは――私は又、乳母と見た月蝕の暗さを思ひ出してしまふ。それはこの嬉しさの底に隱れてゐる、さまざまの物の怪を一時に放つたやうなものだつた。私が夫の身代りになると云ふ事は、果して夫を愛してゐるからだらうか。いや、いや、私はさう云ふ都合の好い口實の後(うしろ)で、あの人に體(からだ)を任(ま)かした私の罪の償ひをしようと云ふ氣を持つてゐた。自害をする勇氣のない私は。少しでも世間の眼に私自身を善く見せたい、さもしい心もちがある私は。けれどもそれはまだ大目にも見られよう。私はもつと卑しかつた。もつと、もつと醜かつた。夫の身代りに立つと云ふ名の下で、私はあの人の憎しみに、あの人の蔑(さげす)みに、さうしてあの人が私を弄んだ、その邪(よこしま)な情欲に、仇を取らうとしてゐたではないか。それが證據には、あの人の顏を見ると、あの月の光のやうな、不思議な生々(いき/\)しさも消えてしまつて、唯、悲しい心もちばかりが、忽ち私の心を凍らせてしまふ。私は夫の爲に死ぬのではない。私は私の爲に死なうとする。私の心を傷けられた口惜(くや)しさと、私の體(からだ)を汚された恨めしさと、その二つの爲に死なうとする。ああ、私は生き甲斐がなかつたばかりではない。死に甲斐さへもなかつたのだ。
しかしその死甲斐のない死に方でさへ、生きてゐるよりは、どの位望ましいかわからない。私は悲しいのを無理にほほ笑みながら、繰返してあの人と夫を殺す約束をした。感じの早いあの人は、さう云ふ私の語(ことば)から、もし萬一約束を守らなかつた曉には、どんなことを私がしでかすか、大方推察のついた事であらう。して見れば、誓言までしたあの人が、忍んで來ないと云ふ筈はない。――あれは風の音であらうか――あの日以來の苦しい思が、今夜でやつと盡きるかと思へば、流石に氣(き)の緩(ゆる)むやうな心もちもする。明日(あす)の日は、必首(かうべ)のない私の死骸の上に、うすら寒い光を落すだらう。それを見たら、夫は――いや、夫の事は思ふまい、夫は私を愛してゐる。けれども私にはその愛を、どうしようと云ふ力もない。昔から私にはたつた一人の男しか愛せなかつた。さうしてその一人の男が、今夜私を殺しに來るのだ。この燈臺の光でさへ、さう云ふ私には晴れがましい。しかもその戀人に、虐(さいな)まれ果ててゐる私には。」
[やぶちゃん注:以下の三つの文はト書き。]
袈裟は、燈臺の火を吹き消してしまふ。程なく、暗の中でかすかに蔀を開く音。それと共にうすい月の光がさす。
――大正七年三月――
■やぶちゃんの参考資料::芥川龍之介が素材・参考としたと思われる「源平盛衰記」原文
[やぶちゃん注:「源平盛衰記」は、平成六(1994)年三弥井書店刊「源平盛衰記(四)」(本書は内閣文庫蔵慶長古活字版を底本とし、ほぼ新字正仮名である。私のコンセプトからは新字体には不本意であるが、「源平盛衰記」は本書しか所持していないので致し方ない)を用いたが、読み易さを考え、カタカナはひらがなに直した。踊り字に「ヽ」の濁音が用いられているが、濁音の関係上、「ゝ」「ゞ」とした。踊り字「/\」の濁音は正字に戻してある。漢文脈の返り点は省略した。本文が連続していない箇所には、「*」を附した。なお、底本では小見出しは頭注部分にある。原本そのものの歴史的仮名遣いの誤りについては、注記を省略した。]
源平盛衰記津巻
文覚発心
文覚道心の起(おこり)を尋れば、女故也けり。文覚がために、内戚の姨母(をば)一人あり。其昔事の縁に付て、奥州衣川に有けるが、帰上て故郷に住(すむ)。一家の者ども衣川殿と云(いふ)。若く盛んなりし時は、みめ形人に勝(すぐれ)、心ばへなども優にやさしかりけるが、今は盛(さかり)過て世中も衰へ、寡(やもめ)にて物さびしき住居也。娘一人あり、名をばあとまとぞ云ける。去共(されども)衣川の子なればとて、異名には袈裟と呼(よぶ)。親に似たる子とて、青黛の眉渡(わたり)、たんくわの口付愛々敷(あいあいしく)、桃李の粧、芙蓉の眸(まなじり)、最(いと)気高(けだかく)して、緑の簪、雪の膚(はだへ)、楊貴妃・李夫人は見ねば不知、愛敬百の媚一も闕ず。さしも厳(いつくしき)女房の、心さへ情深して、物を憐(あはれみ)、咎を恐事不斜(なのめならず)。毛※[やぶちゃん字注:※=(まだれ)+嗇。]、西施が再誕歟、観音勢至の垂跡歟。深窓の内に扶られて既に成人也。軒端の梅の匂(にほひ)と芳(かうばしく)、庭上の花実に細(こまやか)にして、十四の春を迎たり。栄花名聞(みやうもんの)人々我も/\と心を通(かよは)す。其中に並の里に、源左衛門尉渡とて一門也けるが、内外に付て申ければ、恥しからぬ事也とて、これを遣す。互の心不浅してはや三年に成ぬ。女今年は十六也。盛遠は十七に成けるが、其歳の三月中旬に渡辺の橋供養あり。盛遠紺村紺の直垂に、黑糸威の腹巻に袖付て、折烏帽子係にかけ、銀の蛭巻二筋通して巻たる長刀左の脇にはさみ、其日の奉行しければ、辻々固めたる兵士共下知し廻して、橋の上に立渡(たちわたり)、ゆゝしくぞ有ける。供養既に終(はて)て方々へ下向しける中に、北の橋爪より東へ三間隔て有ける桟敷の内より、女房達あまた出て下向しける中に、十六七にもや有らんと見ゆる女房、輿に乗らんとて簾を打挙けるを見れば、世に有難き女也。盛遠目くれ心消(こころぎえ)して、何(いづ)くの者やらん、何(いか)なる人の妻子なるらんと、行末見たく思ければ、輿に付て行程に、並の里に渡と云者が家に見入たり。是は聞えし衣川の女房の女(むすめ)や、過失なき美人なりけり、如何すべきと、春の末より秋の半まで臥ぬ起きぬぞ案じける。思澄して、九月十三日のまだ朝、母の衣川が許に伺行(うかがひゆく)、則(すなはち)刀をぬき、無是非母が立頸(たちくび)を取て腹に刀を指当(さしあ)て、害せんとす。女うつゝ心なし。能々(よくよく)見れば甥の遠藤武者盛遠也。女泣々申けるは、「抑(そもそも)和殿は我には甥、我は和殿に姨母(をば)、此中には殊なる怨くねなし、就中(なかんづく)御辺の母死して後は孫子[ヤブチャン字注:「孤」の衍字か。近衛本では「みなしご」。]なれば、子孫を思様に糸惜(いとほ)し奉る。父とも母とも憑給ふべし。何人か、如何(いかに)と讒言したたれば、角(かく)うき振舞をばし給ふぞ。身に誤ありと覚ず。暫く命を助て怨の通(とほり)を宣へ、晴(はらし)申さん」と手を摺て泣(なく)。盛遠は慈悲なし、目を大に見はりて、「伯母也とても、我を殺んとし給ふ敵なれば遁すまじ。渡辺党の習として、一目なれども敵を目に懸て置ず。すは/\只今指殺(さしころさ)ん」とて、腹に刀をひや/\と差当(さしあて)たり。姨母(をば)は肝魂もなし。わなゝく/\、「誰人の申ぞ、我寡(やもめ)にして夫なし、和殿に於て意趣なし。思ひよらぬ事をも宣ふ物哉。是は何なる事ぞや」と申。盛遠は、「人の申に非ず。袈裟御前を女房にせんと内々申侍りしを聞給はず。渡が許へ遣たれば、此三箇年人しれず恋に迷て、身は蝉のぬけがらの如(ごと)くに成ぬ、命は草葉の露の様に消なんとす。恋には人の死(しな)ぬものかは。是こそ姨母の甥を殺し給なれ。生て物を思(おもふ)も苦しければ、敵と一所に死なんと思ふ也」と云(いふ)。衣川は責ての命の惜さに申けるは、「旁(かたがた)申(まうし)し中に角(かく)とは聞しか共(ども)、さまでの事とも思はず。身貧なれば何方(いづかた)とも思分(わか)ざりしを、渡奪(うばふ)が如して取しかば力なし、加程(かほど)に思給はば安(やすき)事也、刀を納よ、今夕呼て見せん」と云(いふ)。盛遠は等閑(なほざり)に口を竪めては悪(あし)かりなんと思て、「虚言せじ、渡が方へ返忠せじ」など、能々(よくよく)竪めて刀をさし、「今夕参らん」とて帰にけり。衣川は涙を流し如何(いかが)はせんとぞ悲みける。此盛遠が有様、云(いふ)事を聞ずは一定事にあひぬべし、さて又呼て逢せなば渡が怨いかゞせんと思けるが、案廻(あんじめぐら)して娘の許へ文をやる。「此程風の心地候。打臥(うちふす)までの事はなければ、披露までは事々しく候。忍ておはしませ、可申合事侍(はべり)。寡(やもめ)なる身には墓なき事のみ侍り。返々忍て只一人おはしませ」と書たり。娘消息を取上見て、心細き御文の様哉とて胸打騒(うちさおぎ)、女の童一人具して、かりそめに出(いづる)様にて、母のもとに来れり。母つくづくと娘の顔を見て、はら/\と泣て、良(やや)久(ひさしく)有て、手箱より小刀を取出して云けるは、「此を以て我を殺し給へ」とて与ければ、娘大に騒て、「是は何事にか、御物狂はしく成給へるか」とて、顔打あかめて居たり。母が云、「今朝盛遠が来て様々振舞つる事共」、有の儘に云ひつゞけて、「此事いかにも/\盛遠が思の晴ざらんには、我終に安穏なるべし共覚へず。去(され)ばとて渡が心を破らんとにも非ず。由なき和御前故に、武者の手に係(かかり)て亡びんよりは、憂(うき)目を見ぬ前に、和御前我を殺し給へ」とて、さめざめと泣。娘これを聞て、「実に様(ためし)なき事也、心憂(うき)事哉」と不斜(なのめならず)歎けるが、つくづく是を案じて、「親の為には去ぬ孝養をもする習也、御命に代り奉らん。結(むすぶ)の神も哀と思召(おぼしめせ)」とて、口には甲斐/\しく云けれ共、渡が事を思ひ出つゝ、目には涙をこぼしけり。日も既(すでに)暮ぬ。盛遠は独(ひとり)咲(ゑみ)して、鬢をかき髭をなで、色めきてはや来て、女と共に臥居たり。狭夜(さよ)もやう/\更行て、暁方に成ければ、鶏既に啼渡(わたり)、女暇を乞(こふ)。盛遠申けるは、「会(あは)ずば逢ぬにて有べし。弓矢取身と生て、あかぬ女に暇をとらせて恋する習なし。会で思し思(おもひ)は数ならず。何(いか)なる目に合(あふ)とても、暇奉らんとは申まじ。今より後は長き契、是だにあらば何事か有べき」とて、太刀を抜て傍に立たり。「嗚呼(あゝ)今は世の乱ぞ、思儲し事なれば会ぬる後は命くらべ、和御前のためには命も惜からず、和御前の不祥、盛遠が不祥、渡が不祥、三つの不祥が一度に可来宿習にてこそ有りつらめ」とて、惣て思切たる気色也。女良(やや)案じて云けるは、「暇を奉乞は女の習、志の程を知らんとなり。角(かく)申も打付(うちつけ)心の中、末憑れぬ様なれば憚あれ共、何事も此世の事に非(あら)ずと聞侍れば、実(げに)も前世の契にこそ侍らめ、去(され)ば我(わが)思(おもふ)心を知せ奉らん。渡に相馴て、今年三年に成侍けれ共、折々に付て心ならぬ事のみ侍ば思はずに覚て、何(いづち)へも走失(うせ)なばやと思事度々也。去共(されども)母の仰の難背(そむきがた)さに今迄候計(ばかり)也。誠(まことに)浅からず思召事ならば、只思切て左衛門尉を殺し給へ。互に心安からん。去(され)ば謀を構ん」と云(いふ)。盛遠悦(よろこぶ)色限なし。「謀はいかに」と問へば、女が云(いはく)、「我(われ)家に帰て、左衛門尉が髪を洗はせ、酒に酔せて内に入れ高殿に伏たらんに、ぬれたる髪を捜(さぐり)て殺し給へ」と云。盛遠悦て夜討の支度しけり。女暇を得て家に帰、酒を儲、渡を請じて申けるは、「母の労(いたはり)とて忍て呼給し程に、昨日罷て侍しに、此暁よりよく成せ給ぬ。悦遊(よろこびあそび)せん」とて、我身も呑(のみ)、夫をも強(しひ)たりけり。元来(もとより)思(おもふ)中の酒盛なれば、左衛門尉前後不覚にぞ飲酔たる。夫をば帳台の奥にかき臥(ふさせ)て、我身は髪を濡したぶさに取て烏帽子を枕に置、帳台の端に臥て、今や/\と待処(ところ)に、盛遠夜半計(ばかり)に忍やかにねらひ寄、ぬれたる髪をさぐり負(おほせ)て、唯一刀に首を斬、袖に裹て、家に帰、そらふしして思けり。「嗚呼、終(つひ)の禍事、由なく肝もつぶさず鎮ぬるこそ嬉けれ。年来日来諸々の神々廻行(めぐりありき)祈る禱(いのり)の甲斐ありて、本意をとげぬる嬉しさよ。昔も今も神の御利生厳重也、春日・八幡・賀茂下上・松尾・平野・稲荷・祇園に参つゝ、賽(かへりまうし)せん」とぞ悦ける。爰(ここに)郎等一人馳来て申様、「不思議の事こそ候へ。何者(なにもの)の所為やらん、今夜渡左衛門殿の女房の御首を切進(まゐらせ)て侍る程に、左衛門殿は口惜事也とて、門戸を閉て臥沈給へりと披露あり、弔には御渡候まじきやらん」と云ければ、穴(あな)無慙や、此女房が夫の命に代りけるにこそと思て、首を取出して見れば、女房の首也。一目見(みる)より倒伏、音(こゑ)も不惜叫けり。三年の恋も夢なれや、一夜の眤も何ならず。落る涙にかきくれて、身の置所もなかりけり。其日も暮ぬ。盛遠起居て、つくづくと諸法の無常を観(くわんじ)けり。「生ある者は必(かならず)死すればこそ、三世の仏も炎の煙を示し給らめ。会(あふ)事有りて別るればこそ、上界の天人も退没(たいもつ)の雲には悲むらめ、況(いはんや)下界をや、凡夫をや。夫婦の契、前後の怨み、世の習也、人の癖也。されば是は然べき善知識也、非可歎。あかぬ別の妻故にこそ道心を発すためしは多かりけれ。神明三宝の御利生也」と思切(おもひきり)、明(あけ)ければ例よりも尋常に出立ちて、郎等あまた相具して、渡が家へ行たれば門戸を閉て音もせず。門を叩て「盛遠参たり」といはすれば、戸をとぢながら内より答けるは、「御渡(わたり)悦存(ぞんじ)候。但面目なき事なる間、向後は人々に見参せじと云(いふ)願を発(おこ)せり、御帰あるべし」と云。盛遠重て云ける、「女房の御首切て候奴を聞出して、かしこへ打向ひつゝ搦捕て参つる程に遅参仕(つかまつり)候。急ぎ門を開給へ」と云ければ、歎(なげく)中にも嬉て門を開て入れたり。左衛門尉は、頭もなき女房の傍に臥沈たり。盛遠は走寄、「御敵具して参たり。先(まづ)御首御覧ぜよ」とて、懐(ふところ)より女房の首を取出して其の身に指合(さしあはせ)て、腰刀を抜て左衛門尉に与て、「盛遠が所為也。和殿の頸を掻(かく)と思たれば、係(かかる)事をし出(いだ)したり。余に心憂ければ自害せんと思へ共、同(おなじく)は御辺の手に懸りて死なん。さこそ本意なく思給らめ、疾々(とくとく)切給へ」とて、頸を延(のべ)てぞ居たりける。渡は、「刀は我も持たれば、人の刀に依べからず。但加程(かほど)に思はん人の頭を切に及ばず。又自害し給ても其詮なし。是も然べき善知識にこそ有けめ。唯御辺も我も、無(なき)人の後世を弔(とぶらひ)、一仏土の往生こそあらまほしけれ。今生我執を起して来世苦難を招ん事、自他互に由なし。倩(つらつら)是を案ずるに、此女房は観音優婆夷の身を現じて吾等が道心を催し給ふと観ずべし」とて、渡自(みづから)刀を抜て先(まづ)本どりを切てけり。盛遠是を見て、渡を七度礼拝して、是も髪をぞ切てける。此有様を見ける者、男女の間に卅余人ぞ出家しける。衣川の女房も尼に成て真の道に入けれども、恩愛前後の悲はいつ晴べし共覚えず。彼(かの)女房消息細々と書て、手箱に入て形見に留む。是をひらき見れば、「去(さら)ぬだにも女は罪深しと承り侍るに、憂(うき)身故にあまたの人の失ぬべければ、我身一を失候ぬ。独(ひとり)残留御座(おはしまし)て歎おぼしめさん事こそ痛(いたは)しく侍れ。何事も然べき事と申ながら、先立進(まゐらせ)ぬる悲さよ。相構て後の世よく弔て給らん。仏になり侍なば、母御前をも渡をも必(かならず)迎奉べし。よろづ細に申度(たく)侍れども、落(おつる)涙に水茎の跡見へ分(わか)ず」とて、
露深き浅茅が原に迷(まよふ)身のいとゞ暗路(やみぢ)に入るぞ悲しき
と、母これを披見(ひらきみる)に付ても、目もくれ心も消て、悶焦(こがれ)ける有様は、実に無為方(せんかたなく)ぞ見えける。「深淵の底猛き炎の中也とも共に入なんとこそ思ひしに、こは何としつる事やらん。老て甲斐なき露の身を葎の宿に留め置、いかにせよとて残(のこす)らん、昨日を限と知たりせば、などか飽まで見ざるべき。同道に」と口説けども、帰らぬ旅の癖なれば、更に答事なし。せめての事に母泣々、
闇路にも共に迷はで蓬生に独(ひとり)露けき身をいかにせん
と、娘の文に書そへてぞ詠じける。其後母は尼になり、天王寺に参籠して、「唯疾(とく)命を召し浄土に導給へ。救世観音太子聖霊、解を開て無(なき)人の生所を求め、一仏蓮台の上にして再び行合はん」と祈念しければ、次の年十月八日、生年四十五にて目出(めでた)き往生を遂にけり。左衛門尉渡は、僧を請じ剃髪、三聚浄海を受持(じゆぢし)て、俗名に付たりし渡と云文字にて、渡阿弥陀仏とぞ申ける。生死の苦海を渡て、菩提の彼岸に届かん事を志(こころざし)、渡阿弥陀仏とも云けるにや。遠藤武者も入道して、在俗の時の盛遠の盛をとり、盛阿弥陀仏と云けり。失にし女の骨を拾、後園に墓を築(つき)、第三年の間は行道念仏して不斜(なのめならず)弔けるとぞ承る。去(され)ばにや、夢に墓所の上に蓮花開て袈裟聖霊其上に坐せりと見て、さめて後歓喜の涙を流しけり。其後盛阿弥陀仏、日本国を修行して、求法の志最(いと)苦(ねんごろ)也。懸(かかり)しかば智者になり、盛阿弥陀仏を改て文覚と云(いふ)。利根聡明にして、有験世に勝(すぐ)れたり。さる知法効験の時までも、昔の女の事思出て常は衣の袖を絞けり。若(もし)や慰(なぐさむ)とて彼(かの)女の影を移て、本尊と共に頸に懸て、恋しきにも是を見、悲(かなしき)にも是を弔ひけるこそ、責ての事と哀なれ。
[やぶちゃん注:底本では、以下の「東帰節女」の逸話は、全体が二字下げ。なお、芥川の「袈裟と盛遠」を鑑賞するのであれば、以下の逸話は、まずは読まないほうがよいように思われる。]
懸(かかる)ためしは異国にも有けり。昔唐に東帰の節女と云けるは、長安の大昌里人と云者が妻也けり。其夫に敵あり、常に伺けれ共殺(ころす)事叶ず。かたき節女が父を縛て、女を呼びて云(いはく)、「汝が夫は我(わが)大なる敵也。其夫を我に与へずは汝が父を殺さん」と云ひければ、女答(こたへて)曰、「妾(せふ)夫を助ん為に、争(いかでか)生育の父を殺させん。速に汝が為に妾が夫を殺さしめん。妾(せふ)常に楼上に寝ぬる。夫は東首(かしら)に臥(ふし)、妾は西を枕とす。須(すべからく)来て東首(かしら)を切れ」と教て、家に帰つて思はく、「父に恩愛の慈悲深し、夫に偕老の情の浅からず。夫の命を助けんとすれば父の命危し。父が身を育まんとすれば、夫の身亡びなんとす。不如(しかじ)、父を助けんが為に夫を敵に与へつ、我又夫が命に替らん」とて、自(みづから)東首(かしら)に伏して、夫を西に枕せり。敵伺入つて、忽に東首(かしら)を切て家に帰りて、朝に是を見れば非夫首(おつとがくび)して、妻が頭也。敵大に悲て、「此の女父の為に孝あり、夫が為に忠あり、我いかゞせん」と云。終に節女が夫を招て、長く骨肉の眤をなしけり。夫婦が語ひとりびとりなり。彼は今生の契を結び、是は菩提の道に入にけり。
*
[やぶちゃん注:以下は岩波版新全集第二十一巻に所収する『「袈裟と盛遠」草稿』である。但し、底本の新字体は私のコンセプトに反するので、恣意的に正字体に直してある(「亘」は私の判断で、この字体のままにした)。底本の校訂によれば、□は原稿の破損又は汚れによって識別できない字を示し、〔二字不明〕は判読できなかった字を示す。なお、底本では、編者による原稿ナンバーである「Ⅰ」が最初の行頭に示され、草稿全体が一字下げとなっている。]
「袈裟と盛遠」草稿
〔袈裟と盛遠〕
Ⅰ
となされたら 御命にかゝはりますぞよ
衣川 わししも武士の妻ぢや 卑怯な振舞は微塵もせぬから 安心して話すがよい
盛遠 叔母さま 盛遠は三條の橋開きに袈裟にあひました
衣川 あゝ
盛遠 さうぢや 渡邊の亘[やぶちゃん注:ママ。]の妻 裝裟[やぶちゃん注:ママ。]御前にあびましたぞよ
衣川 それは……
盛遠 □□ 叔母樣は〔二字不明〕約束をお破りなされましたな 刀の手前 盛遠は叔母樣の御命を□しうけずには居られませぬ
衣川 そのやうに云ふて下さるな
盛遠 いや申しまする 盛遠が命をかけた女を人にとられて堪忍がなりませうか 廣い世界に袈裟は盛遠が愛した たゞ一人の女でございます 死なうともこの戀にかはりやうはございませぬ
衣川 それもよん所ない譯があつて……
盛遠 言譯けを□□伺ひにまゐつた某ではございません 袈裟が再 盛遠の妻になれば知らず 叔母樣の御命は是非とも御縮め申しますぞよ(再刀を拔かうとする)
衣川 (狼狽して)待て下され、待つて下され 袈裟を亘[やぶちゃん注:ママ。]に添はしたのは 叔母が一生の過りぢや[やぶちゃん注:底本はここに空欄がないが補った。] 叔母甥の仲を思うたら 堪忍のならぬ事もあるまいに 命だけはゆるして下され
盛遠 それなら何故 叔母甥の仲を思うて袈裟を某に下さらなかつたのでございます 袈裟ひとりの爲には百の叔母を殺さうとも 悔いるやうな盛遠だと思召しますか
衣川 さう云はれてとりつく島もないではないか
盛遠 元よりあらう筈もございませぬ 叔母さまを殺せば某も生きゐる所存がございませうか すぐに腹を切つて相果てる心算でございます さあ御稱名なさいまし 袈裟の爲に捨てる命 某は少しも惜くは思ひませぬ