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鬼火へ

定より出てふたゝび世に交はりし事 高古堂小幡宗左衛門
                   附やぶちゃん訳注

[やぶちゃん注:明和4(1767)年、京都で刊行された高古堂小幡宗左衛門作の「新説百物語」巻之五より。底本は国書刊行会1993年刊太刀川清校訂「叢書江戸文庫27 続百物語怪談集成」を用い、後ろに私の注と勝手自在な現代語訳を附した。なお、この話のルーツとしての章花堂なる人物の元禄171704)年版行になる「金玉ねぢぶくさ」巻一の「讃州雨鐘(あまがね)の事」や、寛保2(1742)年版行になる三坂春編(はるよし)の「老媼茶話」の「入定の執念」、更にはこれの影響下にあると思われる安永5(1776)年の上田秋成「雨月物語」の「青頭巾」、そうして確信犯的インスパイア作である同人の「春雨物語」の「二世の縁」も用意してある。これらで、一連の入定蘇生譚を楽しまれんことを。]

 

    定(てう)より出てふたゝび世に交(まじ)はりし事

 

 大坂の事なりしが、ある人大屋敷をもとめつゝくり普請などいたして家移りいたしけるが、はるかの地の下に、こん/\と鉦の音いたしける。ふしぎには思ひながら其年もくれて、春になれどもその鉦の音やむときなし。あまりに心すます地の下をほらせければ、およそ一丈ばかりほりて石のからとを掘り出し、ふたを明ければ上には髪(かみ)の毛ばかりにて、其下に骨(ほね)と皮(かは)とばかりなるもの、鉦をたゝきて居たりける。様子をとへども物をもいはず、それより湯などあたへ、そろ/\と白粥(かゆ)などすゝめ、其名をとへども覚へず。時代をとへども覚へず。只あたまの髪ののびたるばかりなり。一月たち二月たち段々にしゝも出来て、後には常の男のごとくなりたり。いたしやうもなければ台所にさしをき火など焼(た)かせける。四五年もすぎてとくと常の行往座臥(きやうぢうざぐわ)におとらぬやうになりけるが、其家の下女と密通して大坂を欠落ちいたしけるとなん。

 

□やぶちゃん注

・定:通常の「入定」(にゅうじょう)は禅定(ぜんじょう)にはいること、即ち、純粋瞑想の中で煩悩を去り、無我の境地入ることを言い、そこから意識がもとの日常の時空間に帰ることを「出定」(しゅつじょう)と言うが、ここでは現世の身体のままで仏となること、即身成仏を指している。これは一般には真言密教の奥義である。即ち、筆者は修行で言うところの「出定」に引っ掛けた皮肉をも述べているのである。

・つゝくり普請:「つゝくり」は「綴(つづ)くり」で修理・修繕の意。

・鉦:鐘鼓。念仏に用いる楽器で、皿に似た形の青銅製の鉦。丁字型をした撞木で打ち鳴らす。

・心すます:「心澄まず」若しくは「心済まず」。

・一丈:約3m

・からと:「からうど」の転で、「唐櫃(からびつ)」のこと。多くは檜の白木で出来た、中国風に四隅に脚のついた大きな櫃(ひつ)を言う。

・只あたまの髪ののびたるばかりなり:これは恐らく、この男が、永い入定この方、ただただ髪を伸ばしたに過ぎなかったこと、男の入定の話にならない無効性と、無能さを、髪が伸びただけであった、と言い捨てているものと思われる。しかし、現代語訳では、そのままでは文章として生硬でうまく機能しないので、これを男が唯一もらす独白(モノローグ)と捉えた意訳を試みてみた。

 

□やぶちゃんの現代語訳

 

    遠い昔の入定から久し振りに出定して再びこの世と女にしっかと交わった話

 

 ……これは、大坂での出来事でございますが……ある人が大きな屋敷を買い求め、大層手を加えて修繕やら増築やらを施しました。

 さて、無事に普請も終って、住み替え致したのでございます……が、その日から、何やら家の地下の深いところで、

「コン――コン――」

と鉦の音が致すので御座います。

 不思議には思ひながらも、その年も暮れて、春になりましたけれども、いっかな、その鉦の音の止むことが御座いません。それがまた、同じ調子で、絶えることなく続きますれば、家人は余りのことに、気も苛立って、心も晴れませなんだ。

 遂に意を決して地面の下を掘らせて見ましたところが、凡そ一丈ばかり掘ったところで、石の唐櫃が出ました。それを掘り出し、蓋を開けてみますると……もじゃもじゃに伸びた髪の毛が上を覆い尽くした、その下に、骨と皮ばかりになった木乃伊(ミイラ)の如き「もの」が――しかし、手だけは生きまま鉦を叩いて居ったのでございます――。

 主がいろいろとものを訊ねてみますが、一切物を言うことは出来ませなんだ。

 されどそれより、湯などを与え、ゆっくりと白粥などもすすめてみますると、生きた人のごと、なって参りました。

 それでも、その名を問うても覚えておりません。入定した時を訊ねても覚えておりません。ただただ、

「頭ノ――髪ガ――伸ビタ――」

と呟くばかりで御座いました――。

 一月経ち、二月経ちして、段々、肉も附いて来て、後には普通の男のようになったので御座いましたが、住所不定、名前も失念となれば、どうにも致し方なく、主は、台所の脇に寝起きさせて、火などを焚く仕事を与えておりました。

 四、五年も過ぎると、日常の生業(なりわい)も普通にしっかり出来るようになりましたが……何でも、その家の下女と密通致いて、大坂から駆け落ち致したということで御座いました、へぇ……。