[やぶちゃん注:小学館新版日本古典全集版を底本としたが、岩波書店日本古典文学大系版も参照、新字は正字とし、漢字や表記の一部はこちらを採用した。また、繰り返される読みや誤読しようのない読みがうるさいので、一部を省略した。また、私のオリジナルな括弧も挿入した。]
雨月物語 卷之五
靑 頭 巾(あをづきん)
むかし快庵禪師(くはいあんぜんじ)といふ大德(だいとこ)の聖(ひじり)おはしましけり。總角(わかき)より敎外(けうぐわい)の旨(むね)をあきらめ給ひて、常に身を雲水にまかせたまふ。美濃の國の龍泰寺(りやうたいじ)に一夏(いちげ)を滿(みた)しめ。此秋は奧羽のかたに住むとて、旅立ち給ふ。ゆきゆきて下野の國に入給ふ。
富田といふ里にて日入りはてぬれば、大きなる家の賑(にぎ)ははしげなるに立ちよりて一宿(ひとよ)をもとめ給ふに、田畑(たばた)よりかへる男等、黃昏(たそがれ)にこの僧の立てるを見て、大きに怕(おそ)れたるさまして、
「山の鬼こそ來りたれ。人みな出よ」
と呼(よび)ののしる。家の内にも騷ぎたち、女童は泣さけび展轉(こいまろ)びて隈々(くまぐま)に竄(かく)る。あるじ山枴(やまあふこ)をとりて走り出で、外(と)の方を見るに、年紀(としのころ)五旬(いそぢ)にちかき老僧の、頭(かしら)に紺染(あをぞめ)の巾(きん)を帔(かづ)き、身に墨衣の破(やれ)たるを穿(き)て、裹(つつみ)たる物を背におひたるが、杖をもてさしまねき、
「檀越(だんゑつ)なに事にてかばかり備へ給ふや。遍參の僧、今夜ばかりの宿をかり奉らんとてここに人を待しに、おもひきやかく異(あや)しめられんとは。瘦法師の强盗などなすべきにもあらぬを、なあやしみ給ひそ」
といふ。莊主(あるじ)枴を捨てて手を拍(うつ)て笑ひ、
「渠等(かれら)が愚(おろか)なる眼より客僧を驚(おど)しまゐらせぬ。一宿を供養して罪を贖(あがな)ひたてまつらん」
と禮(ゐや)まひて奧の方に迎へ、こゝろよく食をもすゝめて饗(もてな)しけり。
莊主かたりていふ。
「さきに下等(しづら)が御僧を見て鬼來りしとおそれしもさるいはれの侍るなり。こゝに希有の物がたりの侍る。妖言(およづれごと)ながら人にもつたへ給へかし。此の里の上の山に一宇の蘭若(てら)の侍る。故(もと)は小山氏の菩提院にて、代々(よよ)大德の住み給ふなり。今の阿闍梨(あじやり)は何某(なにがし)殿の猶子(ゆうじ)にて、ことに篤學修行の聞えめでたく、此の國の人は香燭(かうしよく)をはこびて歸依したてまつる。我莊(いへ)にもしばしば詣で給うて、いともうらなく仕へしが、去年(こぞ)の春にてありける。越の國へ水丁(くはんぢやう)の戒師にむかへられ給ひて、百日あまり逗(とど)まり給ふが、他(かの)國より十二三歲なる童兒(わらは)を倶してかへり給ひ、起臥(おきふし)の扶(たすけ)とせらる。かの童兒が容(かたち)の秀麗(みやびやか)なるをふかく愛(めで)させたまうて、年來(としごろ)の事どももいつとなく怠りがちに見え給ふ。
さるに茲年(ことし)四月(うづき)の比(ころ)、かの童兒かりそめの病に臥(ふし)けるが、日を經ておもくなやみけるを痛みかなしませ給うて、國府(こうふ)の典藥のおもだたしきまで迎へ給へども、其のしるしもなく終(つひ)にむなしくなりぬ。ふところの璧(たま)をうばはれ、挿頭(かざし)の花を嵐にさそはれしおもひ、泣に淚なく、叫ぶに聲なく、あまりに歎かせたまふままに、火に燒(やき)、土に葬る事をもせで、臉(かほ)に臉をもたせ、手に手をとりくみて日を經給ふが、終に心神(こゝろ)みだれ、生(いき)てありし日に違(たが)はず戲(たはふ)れつつも、其肉の腐り爛(ただる)るを吝(をし)みて、肉を吸(すひ)骨を嘗(なめ)て、はた喫(くら)ひつくしぬ。
寺中の人々、
『院主(ゐんじゆ)こそ鬼になり給ひつれ』
と連忙迯(あはただしくにげ)さりぬるのちは、夜々(よなよな)里に下りて人を驚殺(おど)し、或は墓をあばきて腥々(なまなま)しき屍(かばね)を喫ふありさま、實(まこと)に鬼といふものは昔物がたりには聞きもしつれど、現(うつゝ)にかくなり給ふを見て侍れ。されどいかがしてこれを征し得ん。只戶(いへ)ごとに暮をかぎりて堅く關(とざ)してあれば、近曾(このごろ)は國中(くになか)へも聞えて、人の徃來(いきき)さへなくなり侍るなり。さるゆゑのありてこそ客僧をも過(あやま)りつるなり」
とかたる。
快庵、この物がたりを聞かせ給ふて、
「世には不可思議の事もあるものかな。凡(およそ)人とうまれて、佛菩薩の敎(をしへ)の廣大なるをもしらず、愚なるまま、慳(かだま)しきままに世を終るものは、其愛慾邪念の業障に攬(ひか)れて、或は故(もと)の形をあらはして恚(いかり)を報ひ、或は鬼となり蟒(みづち)となりて祟りをなすためし、往古(いにしへ)より今にいたるまで算(かぞ)ふるに尽しがたし。又人活(いき)ながらにして鬼に化(け)するもあり。楚王の宮人は蛇(をろち)となり。王含(わうがん)が母は夜叉(やしや)となり、呉生が妻は蛾となる。
又いにしへ、ある僧卑(あや)しき家に旅寢せしに、其夜雨風はげしく、燈(ともし)さへなきわびしさにいも寢られぬを、夜ふけて羊の鳴(なく)こゑの聞えけるが、頃刻(しばらく)して僧のねふりをうかがひてしきりに齅(かぐ)ものあり、僧『異(あや)し』と見て、枕におきたる禪杖をもてつよく撃(うち)ければ、大きに叫んでそこにたふる。この音に主(あるじ)の嫗(うば)なるもの燈を照し來るに見れば、若き女の打たふれてぞありける。嫗泣くなく命を乞ふ。いかがせん。捨てて其家を出しが、其ののち又たよりにつきて其の里を過しに、田中に人多く集(つど)ひてものを見る。僧も立ちよりて、
『何なるぞ』
と尋ねしに、里人いふ。
『鬼に化したる女を捉へて、今土に瘞(うづ)むなり』
とかたりしとなり。
されど、これらは皆女子(をんなご)にて、男たるもののかかるためしを聞かず。凡そ女の性(さが)の慳(かだま)しきには、さる淺ましき鬼(もの)にも化するなり。又男子にも隨の煬帝の臣家に麻叔謀といふもの、小兒の肉を嗜好(このみ)て、潛(ひそか)に民の小兒を偸(ぬす)み、これを蒸(むし)て喫(くら)ひしもあなれど、是は淺ましき夷(ゑびす)心にて、主(あるじ)のかたり給ふとは異なり。
さるにても、かの僧の鬼になりつるこそ、過去の因緣にてぞあらめ。そも平生(つね)の行德(ぎやうとく)のかしこかりしは、佛につかふる事に志誠(まごころ)を盡せしなれば、其童兒(わらは)をやしなはざらましかば、あはれよき法師なるべきものを。一たび愛慾の迷路に入りて、無明(むみやう)の業火(ごふくわ)の熾(さかん)なるより鬼と化したるも、ひとへに直(なほ)くたくましき性(さが)のなす所なるぞかし。『心放(ゆる)せば妖魔となり、收(をさ)むる則(とき)は佛果を得る』とは、此法師がためしなりける。老衲(らうなふ)、もしこの鬼を敎化(けうげ)して本源(もと)の心にかへらしめなば、こよひの饗(あるじ)の報ひともなりなんかし」
と、たふときこころざしを發(おこ)し給ふ。莊主頭(かふべ)を疊に摺(すり)て、
「御僧この事をなし給はば、此國の人は淨土にうまれ出たるがごとし」
と、淚を流してよろこびけり。山里のやどり貝鐘(かひがね)も聞えず、廿日あまりの月も出でて、古戶の間(すき)に洩(もり)たるに、夜の深きをもしりて、
「いざ休ませ給へ」
とておのれも臥戶に入りぬ。
山院人とゞまらねば。樓門は荊棘(うばら)おひかかり、經閣(きやうかく)もむなしく苔蒸ぬ。蜘(くも)網をむすびて諸佛を繫ぎ、燕子(つばくら)の糞(くそ)護摩の牀(ゆか)をうづみ、方丈廊房すべて物すざましく荒(あれ)はてぬ。日の影申(さる)にかたふく比(ころ)、快庵禪師寺に入(いり)て錫(しやく)を鳴(なら)し給ひ、
「遍參の僧、今夜(こよひ)ばかりの宿をかし給へ」
と。あまたたび叫(よべ)どもさらに應(こたへ)なし。眠藏(めんざう)より瘦槁(やせがれ)たる僧の漸々(よはよは)とあゆみ出で、咳(からび)たる聲して、
「御僧は何地(いづち)へ通るとてここに來るや。此の寺はさる由緣(ゆゑ)ありてかく荒はて、人も住まぬ野らとなりしかば、一粒(いちりふ)の齋糧(ときりやう)もなく、一宿(ひとよ)をかすべきはかりごともなし。はやく里に出よ」
といふ。
禪師いふ。
「これは美濃の國を出て、みちの奧(く)へいぬる旅なるが、この麓の里を過(すぐ)るに、山の靈(かたち)水の流(ながれ)のおもしろさにおもはずもここにまうづ。日も斜(ななめ)なれば里にくだらんもはるけし。ひたすら一宿(ひとよ)をかし給へ」
あるじの僧云ふ。
「かく野らなる所はよからぬ事もあなり。强(しひ)てとどめがたし。强てゆけとにもあらず。僧のこころにまかせよ」
とて復(ふたた)び物をもいはず。こなたよりも一言(こと)を問はで、あるじのかたはらに座をしむる。
看々(みるみる)日は入果(いりは)て、宵闇の夜のいとくらきに、燈(ひ)を點(あげ)ざればまのあたりさへわかぬに、只澗水(たにみづ)の音ぞちかく聞ゆ。
あるじの僧も又眠藏に入りて音なし。
夜更(よふけ)て月の夜にあらたまりぬ。影玲瓏(れいろう)としていたらぬ隈もなし。
子(ね)ひとつともおもふ比(ころ)、あるじの僧、眠藏を出でて、あはたゞしく物を討(たづ)ぬ。
たづね得ずして大いに叫び、
「禿驢(右注:とくろ/左注:くそばうず)いづくに隱れけん。こゝもとにこそありつれ」
と禪師が前を幾たび走り過ぐれども、更に禪師を見る事なし。堂の方に駈(かけ)りゆくかと見れば、庭をめぐりて躍りくるひ、遂に疲れふして起き來らず。
夜明けて朝日のさし出ぬれば、酒の醒(さめ)たるごとくにして、禪師がもとの所に在(いま)すを見て、只あきれたる形に、ものさへいはで、柱にもたれ長噓(ためいき)をつぎて默(もだ)しゐたりける。
禪師ちかくすすみよりて、
「院主(ゐんじゆ)、何をか歎き給ふ。もし飢(うへ)給ふとならば、野僧(やそう)が肉に腹をみたしめ給へ」
あるじの僧いふ。
「師は夜もすがらそこに居させたまふや」
禪師いふ。
「ここにありてねふる事なし」
あるじの僧いふ。
「我あさましくも人の肉を好めども、いまだ佛身の肉味をしらず。師はまことに佛なり。鬼畜のくらき眼(まなこ)をもて、活佛(くはつぶつ)の來迎(らいがう)を見んとするとも、見ゆべからぬ理(ことわ)りなるかな。あなたふと」
と頭を低(たれ)て默(もだ)しける。
禪師いふ。
「里人のかたるを聞けば、汝一旦(ひとたび)の愛慾に心神(こゝろ)みだれしより、忽ち鬼畜に墮罪したるは、あさましとも哀しとも、ためしさへ希(まれ)なる惡因なり。夜々(よひよひ)里に出て人を害(わざわひ)するゆゑに、ちかき里人は安き心なし。我これを聞て捨つるに忍びず。恃(わざわざ)來りて敎化(きやうげ)し本源(もと)の心にかへらしめんとなるを、汝我(わが)をしへを聞くや否や」
あるじの僧いふ。
「師はまことに佛なり。かく淺ましき惡業を頓(とみ)にわするべきことわりを敎(をしへ)給へ」
禪師いふ。
「汝聞(きく)とならばここに來れ」
とて、簀子(すのこ)の前のたひらなる石の上に座せしめて、みづから帔(かづ)き給ふ紺染(あをぞめ)の巾(きん)を脫(ぬぎ)て僧が頭(かうべ)に帔(かづか)しめ、證道(しやうだう)の哥(うた)の二句を授(さづけ)給ふ。
江月照松風吹 (かうげつてらしせうふうふく)
永夜淸宵何所爲 (えいやせいせうなんのしよゐぞ)
「汝ここを去(さら)ずして徐(しづか)に此句の意(こころ)をもとむべし。意(い)觧(とけ)ぬる則(とき)はおのづから本來の佛心に會ふなるは」
と、念頃(ねんごろ)に敎へて山を下り給ふ。
此のちは里人おもき灾(わざはひ)をのがれしといへども、猶(なほ)僧が生死をしらざれば、疑ひ恐れて、人々、山にのぼる事をいましめけり。
一とせ速くたちて、むかふ年の冬十月(かみなづき)の初旬(はじめ)快庵大德(だいとこ)、奧路(あうろ)のかへるさに又ここを過ぎ給ふが、かの一宿(ひとよ)のあるじが莊(いへ)に立(たち)よりて、僧が消息を尋ね給ふ。莊主(あるじ)よろこび迎へて、
「御僧の大德(だいとく)によりて、鬼、ふたたび山をくだらねば、人皆(ひとみな)、淨土にうまれ出でたるごとし。されど、山にゆく事はおそろしがりて、一人としてのぼるものなし。さるから消息をしり侍らねど、など今まで活(いき)ては侍らじ。今夜(こよひ)の御泊(とま)りに、かの菩提(ぼだい)をとふらひ給へ。誰(たれ)も隨緣(ずいえん)したてまつらん」
といふ。
禪師いふ。
「他(かれ)善果に基(もとづき)て遷化(せんげ)せしとならば、道に先達(せんだち)の師ともいふべし。又活てあるときは、我(わが)ために一個(ひとり)の徒弟なり。いづれ消息を見ずばあらじ」
とて、復び山にのぼり給ふに、いかさまにも人のいきき絕(たえ)たると見えて、去年(こぞ)ふみわけし道ぞとも思はれず。
寺に入て見れば、荻(をぎ)尾花のたけ、人よりもたかく生茂(おひしげ)り、露は時雨(しぐれ)めきて降りこぼれたるに。三(みつ)の徑(みち)さへわからざる中に、堂閣の戶、右左に頽(たふ)れ、方丈庫裡(くり)に緣(めぐ)りたる廊(らう)も、朽目(くちめ)に雨をふくみて苔むしぬ。
さてかの僧を座(を)らしめたる簀子(すのこ)のほとりをもとむるに、影のやうなる人、僧俗ともわからぬまでに髭髮(ひげかみ)もみだれしに、葎(むぐら)むすぼほれ、尾花おしなみたるなかに、蚊の鳴(なく)ばかりのほそき音(こゑ)して、物とも聞えぬやうに、まれまれ唱(とな)ふるを聞けば、
「江月照松風吹
永夜淸宵何所爲」
禪師見給ひて、やがて禪杖を拿(とり)なほし、
「作麼生何所爲(そもさんなんのしよゐ)ぞ」
と、一喝して他(かれ)が頭を擊(うち)給へば、忽ち氷の朝日にあふがごとくきえうせて、かの靑頭巾と、骨のみぞ、草葉にとどまりける。現(げ)にも久しき念のここに消じつきたるにやあらん。たふときことわりあるにこそ。
されば禪師の大德、雲の裏(うら)海の外にも聞えて、
「初祖の肉いまだ乾かず」
とぞ稱歎しけるとなり。かくて里人あつまりて、寺内を淸め、修理(しゆり)をもよほし、禪師を推(おし)たふとみて、ここに住(すま)しめけるより、故(もと)の密宗をあらためて、曹洞(さうたう)の靈場をひらき給ふ。今なほ御(み)寺はたふとく榮えてありけるとなり。