やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇へ
鬼火へ

入定の執念   三坂春編

[やぶちゃん注:三坂春編(みさかはるよし 
1704?~65)が記録した会津地方を中心とする奇譚を蒐集したとされる寛保二(1742)年の序を持つ「老媼茶話」(ろうおうさわ)巻七から。底本は1992年国書刊行会刊の「叢書江戸文庫26 近世奇談集成[一]」を用いたが、高校生にも読めるように、原典の送り仮名や読み及び漢字表記・句読点全てに亙って改めた(従って厳密な原典に当たりたい方は必ず底本に拠って頂きたい)。その際、漢字の読みも底本に準じて(凡例に記載がないが底本は原典にないルビを補足した際に現代仮名遣を用いている)現代仮名遣に徹した。但し、送り仮名を私が本文として送った部分では、歴史的仮名遣を用い、読みを除いた本文上での齟齬は避けてある。
 更に私のオリジナルな注と勝手自在な現代語訳を附した。訳文ではシチュエーションや場面転換を意図して恣意的な改行を加えてある(本訳は
2008年に私がブログでしたものがあるが、それに多少手を加えてある)。従って、以下の注と現代語訳には私の著作権を主張するものである。
 なお、この話のルーツとしての
章花堂なる人物の元禄171704)年版行になる「金玉ねぢぶくさ」巻一の「讃州雨鐘(あまがね)の事」や、更なるインスパイア作である上田秋成「雨月物語」の「青頭巾」も以上の通り、用意してある。御興味のある方はお読み頂きたい。また、この作品を読んで、円谷プロの1973年放映開始の「恐怖劇場アンバランス」の、あのヌーヴェル・ヴァーグ風の第一作「木乃伊(ミイラ)の恋」(原作・円地文子『二世の縁拾遺』/脚本・田中陽造/監督・鈴木清順)を連想される方は、2008年10月19日附の僕のブログ「入定の執念」と「木乃伊(ミイラ)の恋」等の僕の呟きなどをも御笑覧あれ。【2009年藪野直史】
【2017年12月24日藪野直史追記】ブログ・カテゴリ「怪奇談集」で本「入定の執念」の原文正字正仮名版・リニューアル注を公開した。そちらも合わせてお読み戴きたい。
【2018年2月5日藪野直史追記】ブログ・カテゴリ「怪奇談集」に於いて本篇原典「老媼茶話」の全電子化注を完遂した。そちらも合わせてお読み戴きたい。]

 

   入定(にゅうじょう)の執念

 

 大和国(やまとのくに)郡山(こおりやま)高市(たかいち)の郡(こおり)、妙通山清閑寺観音堂の守(も)り坊主に恵達(えたつ)といふ出家、「観音夢相(むそう)の告有り。」と云ひて、承応元年壬辰(みずのえたつ)三月廿一日、阿弥陀ヶ原といふ処にて深く穴を掘り、生きながら埋まる。恵達、年(とし)六拾壱なり。しかるに恵達、入定の年より宝永三年迄、年数五拾五年に及ぶ迄、塚の内にて鉦鼓(しょうご)をならし、念仏申す声きこゆ。是れに依りて阿弥陀ヶ原の念仏塚と名付け、壇を築(つ)き、印(しるし)に松を植ゑたり。其の松、年経(ふ)りて大木と成り、卒塔婆(そとば)苔むして、露深々(しんしん)草茫々たる気色なり。

 宝永三年秋八月、大風吹きて念仏塚の松を根こぎに吹き倒しける。村人共(ども)打ち寄り、その内にこざかしき百姓申けるは、「人に七魂(しちこん)有りて、六魂(ろっこん)からだをはなれ、一魂死骨(しこつ)を守るといへり。弘法の入定、末代(まつだい)の不思議なり。其の外の凡僧(ぼんそう)の及ぶべき事にあらず。幸ひ、此の塚を崩(くず)し内を見るべし。」といふ。「尤も也。」と、てん手に鋤(すき)鍬(くわ)を持ちて、石をのけ、土を引き、石郭(せきかく)の蓋(ふた)をとれば、棺の内に、恵達、髪髭(かみひげ)、銀針(ぎんしん)のごとく、炭の折れの様にやせつかれ、首にかけたる鉦鼓をならし、念仏申し居(い)たりけるが、人声を聞きて目をひらく。庄屋(しょうや)源右衛門といふもの、恵達に近付き申す様(よう)、「汝、決定(けつじょう)往生、即身成仏(そくしんじょうぶつ)の願ひを立て、承応の始め入定す。いままで何ゆへに此の世に執念をとゞめて往生せざる。」。恵達申すやう、「我、元(もと)備前児嶋のもの。七歳より同国大徳寺にて剃髪(ていはつ)して、十九才の春より諸国修行して山々嶽々(さんざんがくがく)の尊(たっと)き霊仏霊社を拝み廻り、高野へ七度(しちど)、熊野へ七度、吉野の御嶽(みたけ)へ七度詣でて、浅間のたけにて現在地獄をまのあたり見てより、尚々(なおなお)此世の仮(かり)なる事を厭(いと)い、はやく極楽浄土弥陀の御国へ参らん事をいそぎ、入定せしむる砌(みぎり)、此の事、聞き及び、回向(えこう)の貴賤、近郷よりつどひ來り、十念(じゅうねん)授(さず)くる。数万人押し合ひ、もみ合ひ、我が前に進みよる。其の内、十八、九の美女、群集(ぐんじゅ)の人を押し分け、我が前へ来(きた)り、衣の袖にすがり、ほろりと泣きて十念を望む。我、此の折り、此の女に念をとゞむる心有り。定めて此の故に成仏をとぐる障(さわ)りと成りしものなるべし。」といふ。

 庄屋、其の折り、生き残りし老人に尋ぬるに、老人申すは、「その折、近郷の美人と沙汰致し、そのうへ後生願(ごしょうねが)ひにて候ふは、米倉村庄八郎娘に『るり』と申せしにて候ふべし。今、幸ひ、存命仕つる。つれよせ給へ。」といふ。庄屋、「その女、爰元(ここもと)へつれ来(きた)るべし。」といふに、やゝ有りて壱人の古姥(ふるうば)をつれきたる。髪は雪をいたゞき、荊(おどろ)を乱し、目はたゞれくぼみ入り、歯は壱枚もなく、腰は二重に曲がり、漸(ようよう)人に助けられ、杖にすがり、坊主が前によろぼひ来(きた)る。庄屋、恵達に申すは、「此の姥(うば)こそ、汝、入定の砌(みぎり)に執念をとゞめし米倉村庄八が娘『るり』といひし美女なり。其の節は十九、今、七十三歳なり。是れを見て愛着(あいじゃく)の心あらんや。妄念・愛執(あいしゅう)をはなれ、はやく仏果(ぶつか)に至るべし。」と示しければ、恵達、此の姥をつくづくと詠(なが)めけるが、朝日に向ふ霜のごとく、皮肉(ひにく)、忽(たちま)ち消え失せて、一具(いちぐ)の白骨斗(ばか)り残りたり。誠に人の執心(しゅうしん)程おそろしきものはなし。

 

 

 

●やぶちゃん注(copyright 2009 Yabtyan

・大和国郡山高市の郡:現在、奈良県北部の大和郡山市と南部の高市郡は全く別な行政区域である。ここでは旧高市村、現在の明日香村(あすかむら)一帯を指すか。なお、正式な地名読みとしては現在でも「たかいち」であり、「たけち」はそれが変化したものであるので、正式名を読みとした。原作者は「たけち」と読んでいるかも知れない。

・妙通山清閑寺:未詳。このような山号・寺名は該地区には現存しないようである。

・承応元年:西暦1652年、徳川家綱の治世。但し、3月21日の時点ではまだ慶安五年である。この年の9月18日に承応元年と改元されている。この年の出来事としては承応の変が知られる。これは、牢人の別木(べっき)庄左衛門が同士数人とともに徳川秀忠夫人崇源院の27回忌が営まれる増上寺に放火して金品を奪い、更に老中を討ち取ろうとした事件で、由井小雪の慶安の変に続き、大名お取り潰しに伴う浪人の急増に伴う、不満分子の騒擾である。

・阿弥陀ヶ原:未詳。

・宝永三年:西暦1706年、徳川綱吉の治世の末期(1709年に綱吉没)。この時期では、翌年の宝永4(1707)年10月の遠州灘・紀州灘を中心とする宝永の大地震が知られる(マグニチュード8.4、死者は2万人を超え、倒潰家屋6万、津波等による流出家屋2万戸に上ったと推定されている)。 また、翌11月には、年号を冠する宝永山で有名な現在までの富士山最後の大噴火に当たる宝永の大噴火があった。

・鉦鼓:原典本文は平仮名書き「せうご」。勤行の際に叩く円形の青銅製のかね。

・人に七魂有りて……:このような霊魂説を私は仏教では聞いたことがない。これは道教で言う「三魂七魄」説の誤解ではなかろうかと思われる。三魂七魄とは、「三魂」が、死して天へと昇る天魂・地下に去る地魂・墓所に留まる人魂を指し、「七魄」について物の本には、喜び・怒り・哀しみ・懼れ・愛・憎しみ・欲を指す等とまことしやかに書かれているが、この辺りの名数はあまり当てにならないと私は思う。

・決定往生:疑いなく極楽に往生すること。

・即身成仏:現世の身体のままで仏となること。一般には真言密教の奥義。

・備前国児嶋:現在の岡山県倉敷市の南東部、海に面した児島半島を中心にした一帯。

・大徳寺:未詳。このような寺は岡山県内には現在は存在しない模様である。

・現在地獄:浅間山等の火山帯上で、硫黄を含んだ火山性有毒ガスや熱水・泥水・水蒸気等を噴き出している場所を、地獄を目の当たりに見るようであるとしてこう称する。

・回向:原典本文は平仮名書き「ゑかう」。仏事を営んで死者の成仏を祈ること。ここでは恵達の即身成仏を祈念すること。

・近郷:底本「近江」。次段落の老人の台詞では正しく「近郷」とあるので、改めた。

・十念:十念称名。南無阿弥陀仏の名号を十回唱えること。ここでは恵達の即身成仏を祈念する衆生にそれを授けることで、祈念する人の往生を逆に確かなものとすることを言う。

・米倉村:未詳。現明日香村の近在では、現高取町(たかとりちょう)内にあった船倉村というのがこの名に近いか。

・後生願ひ:ひたすら来世の極楽往生を願うこと、または、その人を指し、特に仏道への帰依の念が厚いことを言う。

 

 

 

○入定の執念 やぶちゃん訳(copyright 2009 Yabtyan

 

 大和の国、郡山の高市(たかいち)郡にあった妙通山清閑寺観音堂の堂守りの僧で、恵達(えたつ)という出家が、

「観音菩薩様の夢のお告げがあった。」

と言って、承応元年三月壬辰(みずのえたつ)三月二十一日、阿弥陀ヶ原という所で穴を掘って入り、気の通う穴をのみを残して、生きながらに埋まり、即身成仏の行に入った。恵達、時に六十一歳――

 

――しかしその後、入定の年より宝永三年に至るまで、実にその年五十五年を経ても、その入定塚の中にあって鉦鼓(しょうご)を鳴らし、念仏を唱える恵達の声が聞こえ続けた――

 ――故に人々はそこを阿弥陀ヶ原の念仏塚と名付け、数年の後、土を盛って祭壇を築き、印の松を植えた。その松は更に年経て大木となり、当初は年々になされていた供養の卒塔婆もすっかり朽ち果てて苔蒸し、辺り一面露繁き、草茫々たる凄蒼な気配の地とはなったのであった――

 

 さて、宝永三年の秋八月のこと、大風が吹いて、この念仏塚の松を根こそぎ吹き倒してしまった。村人どもが集まってきて何やかやと言い合っているうちに、その中にいた一人の如何にも小賢しい百姓が、

「人には七つの魂があって、そのうちの六つの魂は体を離れるが、ただ一つの魂だけは残って死者の遺骸を守るとは聞く。じゃが、それは弘法大師様の御入定にのみ語られてきた即身成仏の末代までの不思議じゃ。大師様以外の凡僧の及ぶような境地では、ない。その不審を明らめるに、これ幸い、この塚を崩して中を見るに若(し)くはなかろう。」

と言う。人々も

「もっともなことじゃ。」

とて、手に手に鋤鍬を持って、石を除け、土を退かして、石棺の蓋を取る、と――

 

――棺の内に、座った恵達が、いる――

――髪も髭も銀の針のように真っ白になって、炭の木っ端の如くに痩せ衰え、それでもなお首にかけた鉦鼓を鳴らしながら、念仏を唱えている――

――と、恵達は人々の声に目を開く――

 

 庄屋の源右衛門という者が恐る恐る恵達に近づき、次のように語りかけた。

「そなたは決定(けつじょう)往生即身成仏の願を立て、承応の初めに入定した。にも拘わらず、何故に今まで、このようにこの浮世から離れられぬ執念を残して、往生せずにおるのじゃ?」

 

――恵達は答えて言う――

「……私はもと、備前の国、児島の生まれ。……七歳にして同国大徳寺にて剃髪、十九の春より諸国行脚の旅に出で……あの山この峯と、尊い多くの寺社仏閣を拝み廻り……高野へ七度、熊野へ七度、吉野の御嶽金峰山へ七度詣でた……そうして浅間の山では噴き出だすおぞましき現在地獄の有様を目の当たりに見るやいなや……いよいよこの世は誠に仮の宿りであることを悟って厭うこと頻り……早う極楽浄土の弥陀の御国に参りたいと心せくようになった……さても、そうして、観音のお告げを受け、いざ入定せんとする、その砌(みぎり)……私の即身成仏の噂を聞き及んだ人々が、私の入定祈念の回向のためと称して貴賤を問わず大勢集まって参った……私は十念称名(じゅうねんしょうみょう)をそれらの人々に授ける……実に数万の者が押し合いへし合い、私の前に称名を受けようと進み寄ってくる……と、その時……その中に十八、九の美しい娘が一人……群衆の中を押し分けてやって来る……そして、私の前へやって来ると……私の、この衣の裾にすがりつき……ほろりと、涙して……

『十念をお授け下さいまし』

と……願うた…………………

――我は、この時……この娘に……心、奪われた……

――定めて、その執心が……未だ成仏の妨げと、なっておるのであろう……」

と。

 

 庄屋は、ちょうどそこに来合わせていた、五十五年の昔から未だに生き永らえておった老人にその頃のことを尋ねてみたところ、その老人は、

「その頃、この近郷で美人と噂され、加えて信心深かった者と申せば、米倉村の庄八郎の娘『るり』と申す者にございましょう。今も、幸いして、存命で御座りまする。さても、ここにその者をお連れなさるがよろしいでしょう。」

と言う。庄屋が

「うむ、では、その女を、ここへ連れてくるがよい。」

と言ったところ、やがて命ぜられた者が、一人の老婆を介添えしてやって来た。

 

――老婆はすっかり真っ白になった髪をぼさぼさに乱して、目は醜く爛れ窪み、歯に至っては一枚も残らず抜け落ち、腰は二重(ふたえ)にひね曲がって、やっとのことで人に助けられ、杖にすがって、恵達の前によぼよぼと寄って来る――

 

 庄屋が、恵達に言う。

「この老婆こそ、そなたが入定の砌、執念を留めたと申す、米倉村庄八郎の娘『るり』、といった『美女』であるぞ。その頃は十九、今は七十三。この姿を見ても、そなたには『るり』への愛着の心があると申すか! 妄念たる愛の執着を離れ、速やかに成仏するがよい!」

と老婆を指さしたところ――恵達は、この醜く老いさらばえた老婆をつくづくと眺めていたが――あっという間に、朝日に霜の消えるが如く、皮も肉も忽ち消え失せて、そこには一揃いの白骨のみが残るばかりであった……まこと、人の執念ほど、恐ろしきものは、ない……