やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇へ
鬼火へ
北條九代記 目次頁 へ戻る
北條九代記 卷第一 へ進む

北條九代記 序   附やぶちゃん注

[やぶちゃん注:本書は頼朝・頼家・実朝の源家三代将軍の事蹟(巻第一から巻第四)及び、北条時政から高時に至る鎌倉幕府を実質支配した北条得宗家九代(時政①・義時②・泰時③・時氏・経時④・時頼⑤・時宗⑧・貞時⑨・高時⑭。名前の後の数字は執権次第で時氏は二十八歳で早世しており執権になっていない)を中心に鎌倉幕府の興亡を物語風に語った記録で、全十二巻からなり、延宝三(一六七五)年に初版が刊行されている。著者は不詳とされるが、江戸前期の真宗僧で仮名草子作家として著名な浅井了意(慶長一七(一六一二)年~元禄四(一六九一)年)が有力な候補として挙げられている(私自身は彼が真の作者だと思っている)。
 底本は昭和四(一九二九)年友朋堂書店刊「友朋堂文庫 保元物語 平治物語 北條九代記」(大阪大学大学院文学研究科国文学東洋文学講座教授岡島昭浩氏作成になるPDF版)を用いたが、読みについては、私が読みが振れると判断したもの、難読と思われるもの及び一般的でない読みをしている箇所についてのみ振った(但し、底本にルビがないものには振らず、必要に応じて注で読みを示した)。句読点(鍵括弧や中黒点等の記号も含む)については、ただの字空けとなっていたり、句読点が逆転している部分などが散見されるため、私の判断で打ち変えたり、追加で打ったりしており、底本には準拠していない。「源頼朝」姓や職名や固有名詞の中に含まれる「の」だけをルビのように外に出したものが多数認められるが、一般常識で「の」を送れると判断されるものの多くは省略してある。但し、「の」の前直前のルビを出した場合はそのルビに「の」を附けて送り、どうしても必要な場合に限っては〔の〕を本文に入れた。「ゲ」の小さな表記の文字が用いられているが現在は一般的でないので「ヶ」と区別せずに総て「ヶ」とした。踊り字「〱」「〲」は正字化した。一部の不審な個所は早稲田大学図書館古典総合データベースにある京都梅村弥右衛門板行の延宝三(一六七五)年版で確認した。
 また、本文記載には、明らかな誤りと思われる箇所があるが、これは後注の中で理由を述べて補正注記した。難語や不審な個所については注を附した。特に本文中の誤りについては、教育社一九七九年刊の増淵勝一訳「現代語訳 北条九代記」(全三巻)を参考にさせて頂いた。
 本テクストは鎌倉地誌「新編鎌倉志」及び「鎌倉攬勝考」の注釈附電子テクストを完成した今(リンク先はそれぞれの第一巻)、鎌倉時代史を面白く読みながら歴覧出来るものを私のHPに加えたいという私の自慰的願望充足を目的として始めたものである。――「たかが」そうしたテクストであり、「されど」それなりのテクストではある。――加えて、ブログ版での先行始動は二〇〇六年五月十八日であったが、2018年6月21日を以ってブログ・カテゴリ「北條九代記」
電子化注を完遂行した。
 このサイト版では読み易さを更に追窮し、句読点やルビ(ブログ版では( )表記)を大幅にブログ版よりも増加させてあるので、より読み易くなっていると思う。ゆるりとお楽しみあれ。藪野直史【二〇一三年三月三十一日】【2018年6月21日追記:「目次」ページに注した通り、諸事情からサイト版はこの「序」と「卷第一」及び「卷第二」のみとする。「卷第三」以降はブログ・カテゴリ「北條九代記」で読まれたい。悪しからず。完遂により、上記冒頭注の一部を書き換えた。】]

北條九代記

北條九代記序

夫文武兩道。天下治世之經緯。國家安民之綱紀也。亂時期良將逞武威。而靜四海於大平之地。治世則明君修道德。而浴萬民於淳化之澤矣。斯故文武如兩輪。又譬二翼。若是缺一。則謬理政一之基。而損敗自淺至深焉。蓋君暗而親侫信讒極奢。臣偸昌其權誇勢奸邪濫上淸廉廢下。流言聞于外。憤恨生於内。禍必起乎蕭墻之本。熒熒既炎炎。遂招于滅亡之患焉。茲以天下國家之興廢如運掌矣。庶幾復仁修德。本義謹深。正義謹深。正禮而行和也。道德即契天理。庶品仰其惠。明時歸日新。六合雲治。四海浪靜。錯宗門戸昌榮。靡草安泰之佳運。以致萬全。以流昌永代言爾。

[やぶちゃん注:以下に私なりに読んだ書き下し文(難読語には私が歴史的仮名遣で読みを振った)を示し、注を附した。

北條九代記序
夫れ文武の兩道は、天下治世の經緯、國家安民の綱紀なり。亂時は、良將、期して、武威を逞しうして、四海をして大平の地に靜めしめ、治世は則ち明君、道德を修めて、而して萬民をして淳化の澤に浴せしむ。斯かる故に文武は兩輪のごとく、又、二翼に譬ふ。若し是れ、一を缺かば、則ち理政をびゆうするの基いにして、損敗、淺より深に至る。蓋し、君、暗にしてねいに親しみ、ざんを信じ、しやを極むれば、臣、其の權をぬすみ、勢を誇り、奸邪かんじや、上をみだして、淸廉、下にすたる。流言、外に聞き、憤恨、内に生じ、わざはひ、必ず蕭墻せうしやうもとを起す。熒熒けいけいは既に炎炎たり。遂に滅亡の患を招く。茲れを以つて、天下國家の興廢、てのひらを運ぶがごとし。庶幾こひねがはくは、仁を復し、德を修し、義をもととして謹んで深め、禮を正して和を行はんや、道德は即ち天理に契り、庶品しよひんは其の惠みを仰ぎ、明時めいじは日新に歸る。六合、雲、治まり、四海、浪、靜かにして、錯宗さくそうの門戸も昌榮しやうえいす。靡草びさうたり、安泰の佳運、以て萬全ばんぜんに致るとは、以つて永代に流るる言のみ。

「蕭牆の本」は細長い垣根状の囲い、転じて身内や一門を指す。災いは必ず身内から起こるという謂い。
「熒熒は既に炎炎たり」「熒熒」は、小さくきらきらと輝くさまであるが、小さなどうとういことにも見えぬ禍いのむらの意で、それがますます「炎炎」、盛んに燃え広がってという意。
「掌を運ぶ」掌を返す、の意であろう。
「庶幾」心から願うこと。
「庶品」あらゆるもの(人々)。
「明時」文明が開化して平和に治まっている太平の世。
「日新」日々、新しく良くなっていくこと。
「六合」天と地と四方。天下。世界。全宇宙。六極。
「錯宗の門戸」「錯宗」は「錯綜」で世に建ち並ぶ民草の家々の謂いであろう。
「昌榮」昌運繁栄。運が向いて高まり、栄えること。
「靡草たり、安泰の佳運」風に従って自然、草が靡くような、順風満帆の安泰の幸運。
「永代に流るる言」永久に変わらぬ謂いである、即ち、真理である、という意味であろう。]