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生物學講話 丘淺次郎 はしがき 附藪野直史冒頭注を読む

生物學講話 第六章 詐欺
第六章 詐欺
 一 色の僞り

 二 形の僞り
 三 擬態
 四 忍びの術

 五 死んだ眞似

   第六章 詐 欺

 敵を攻めるに當たつても、その攻撃を防ぐに當たつても、敵の眼を眩して、自分の居るのを悟らしめぬことは頗る有利である。敵が知らずに居れば、不意にこれを攻めて容易く討ち取ることも出來る。敵が知らずに通り越せば、全く危難を免れることが出來る。いづれにしてもこの位、都合の好いことはないから、生物界に於ては、詐欺は食ふためにも食はれぬためにも極めて廣く行はれて居る。そして瞞して暮す動物は代々瞞すことに成功せねば生活が出來ず、その相手の動物は代々瞞されぬことに成功せねば餓死するを免れぬから、一方の瞞す手際と他方の瞞されぬ眼識とは、常に競爭の有樣で相伴つて益々進んで行く。恰も器械師が精巧な錠前を造れば、直に盗賊がこれを開く工夫を考へ出すから、更になほ一層巧妙な錠前を造らねばならぬのと同じである。されば精巧な錠前は盗賊が造らせるといひ得る如く、動物界に見る巧な詐欺の手段は、皆その敵なる動物が進歩發達せしめたといふことが出來よう。即ち詐欺の拙いものは、代々敵が間引き去つてくれるから、巧なもののみが代々後に殘つて、終に次に述べる如きものが生じたのであらう。

    一 色の僞り


[樹皮に似た蛾]

 動物の色が、その生活する場所の色と同じいために頗る紛らはしい例は、殆ど際限なくある。綠色の「いなご」が綠色の稻の葉に止まつて居るとき、黄色い胡蝶が黄色い菜の花に休んで居るとき、土色の雀が土の上に下りて居るとき、鼠色の蛾が鼠色の樹の幹に留まつて居るときなど、いづれも餘程注意せぬと見落し易い。また潮干に海へ行つて見ると、淺い底の砂の上に「かれい」・「こち」・「はぜ」・「かに」などが居るが、いづれも砂色で砂のやうな斑紋があるので、靜止して居ると少しも見えぬ。それ故、ときどき知らずに「がざみ」などを蹈んで、急に匍ひ出されて大いに喫驚びつくりすることがある。アジヤ・アフリカ等の廣い砂漠に住む動物は獅子・「らくだ」・「かもしか」〔アンテロープ〕などの大きな獸から鼠・小鳥などに至るまで、さまざまの種類の異なつた動物が、殘らず淡褐色の砂漠色を呈して居る。これと同樣に年中雪の絶えぬ北極地方へ行くと、狐でも熊でも全身純白で雪の中では殆ど見別が附かぬ。
[やぶちゃん注:「鼠色の蛾が鼠色の樹の幹にと留まつて居る」挿絵がそれであるが、絵の方はチョウ目スズメガ科 Sphingidae スズメガ亜科 Sphinginae の仲間であろうか。おや? この“Sphingi”はラテン語の“sphīnx”(スフィンクス)の女性形“Sphīngis”じゃねえか? なるほど! スフィンクスたぁ、翼のある怪物だぁな! 目から蛾!
「こち」これは生物学的には甚だ困った呼称で、「コチ」(鯒)は、『上から押し潰されたような扁平な体と比較的大きな鰭を持った、海底に腹這いになっていることが多い(従ってベントス食性であるものが多い)海水魚を総称する』語で、参照したウィキの「コチ」によれば、どれも外見は似ているが、目のレベルでは異なる二つの分類群から構成される、とする。但し、丘先生がここに「こち」を用いるのは極めて正しく、この種によっては全く縁遠い俗称群でありながら、『腹側は白っぽいが、背中側の体色は周囲の環境に合わせた保護色となっている』点で「色の僞り」に相応しい生物群であることに変わりはないのである。まず大きな「コチ」群は、カサゴ目コチ亜目 Platycephaloidei に含まれる。
 カサゴ目コチ亜目
  アカゴチ科 Bembridae
  ウバゴチ科 Parabembridae
  ヒメキチジ科 Plectrogehiidae
  コチ科 Platycephalidae(代表種で真正和名とも言える本邦近海産のマゴチ Platycephalus sp. はここに含まれる)
  ハリゴチ科 Hoplichthyidae
なお、マゴチの学名が“sp.”となっているのは複数存在するからでは、ない。ウィキの「マゴチ」によれば、これは最近まで『奄美大島以南の太平洋、インド洋、地中海に分布する Platycephalus indicus と同一種とされていたが、研究が進み別種とされるようになった。ただし、まだ学名が決まっていないので、学名は"Platycephalus sp. "( コチ属の一種)という表現が』なされているためである。属名“Platycephalus”は“Platys”(平たい)+“kephalē”(頭)の意である。
もう一つの「コチ」群は、スズキ目ネズッポ亜目 Callionymoidei に属するもので、
 ネズッポ科 Callionymidae
 イナカヌメリ科 Draconettidae
釣り人が「メゴチ(女鯒)」と称するのは、圧倒的にこのネズッポ科ネズミゴチ(鼠鯒)Repomucenus richardsonii であるが、天麩羅にして旨い「コチ」はこれであったり、先のカサゴ目コチ科メゴチ Suggrundus meerdervoortii であったりする(「メゴチ」という標準和名は後者に与えられている)ので、ややこしや、である(但し、生体ならばネズミゴチなどのネズッポ類は体表が粘液に覆われていること、下向きのおちょぼ口で有意に小さいこと、頭部の骨板がないこと、鰓蓋に太い棘があることで全くの別種であることは容易に分かる)。魚の一般人の分類への関心が低い欧米では“gurnard”と呼び、コチ亜目ホウボウ科ホウボウ Chelidonichthys spinosus と一緒くたになってさえいるのである。
「はぜ」条鰭綱スズキ目ハゼ亜目 Gobioidei に分類される魚の総称。漢字では「鯊」「沙魚 」「蝦虎魚」など書く。ウィキの「ハゼ」によれば、『運動能力の低い底生魚ゆえ、体色は砂底や岩の色に合わせた保護色となっているものが多い。ただし温暖な海にはキヌバリ、イトヒキハゼ、ハタタテハゼなど派手な体色をもったハゼも生息する。シロウオなど透明な体色のものもいる』とある。丘先生のイメージしておられる可能性が最も高いと思われるのはゴビオネルス亜科マハゼ Acanthogobius flavimanus であろう。属名“Acanthogobius”はギリシャ語の“akantha”(棘)+“gobius”(ラテン語の「ハゼ」、荒俣宏氏の「世界大博物図鑑2 魚類」では、所謂、利用価値のない雑魚の類いを意味するギリシア語“kōbios”から派生したラテン語“gobio”による、とされる)で、種小名の“flavimanus”はラテン語の“flavus”(黄色い)+“manus”(手)で、鰭の辺縁部に黄色を呈することに由来するものと思われる。
「がざみ」甲殻綱十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目短尾(カニ)下目ワタリガニ科ガザミ Portunus trituberculatus。「ワタリガニ」という別名でもよく知られる。属名“Portunus”はローマの港や門の神ポルトゥヌス、種小名は“tri-”(三つの)+“tuberculum”(突出するもの)で、本種の前額部にある三棘の突起に由来するものと思われる。
「かもしか〔アンテロープ〕」かく本文注記で示したように、この呼称には注意を要する。まず、
「カモシカ」という語は現在、広義には哺乳綱獣亜綱偶蹄(ウシ)目反芻(ウシ)亜目ウシ科ヤギ亜科に属するヤギ族以外のサイガ族・シャモア族・ジャコウウシ族の三族を総称し、我々に馴染みの深いカモシカ属ニホンカモシカ Capricornis crispus など八属十種で構成される生物群(シカの名が入っているものの、シカの属するシカ科ではなく、ウシやヤギと同じウシ科に属する。従ってシカとは違ってウシ科のほかの種同様、角は枝分かれせず、生えかわりもない)を指す
が、ここで丘先生は
「アジヤ・アフリカ等の廣い砂漠に住む」
と規定されており、これは
現在のレイヨウ(羚羊)又はアンテロープ“Antelope”を指していると考えるのが妥当である
ように思われる。そうして大事な点は、後述するように
現在はこれらを「かもしか」とは呼称しない
という点である。以下参照したウィキの「レイヨウ」から引用する(アラビア数字を漢数字に代え、段落を省略、記号の一部を改変した。下線部はやぶちゃん)。『ウシ科の大部分の種を含むグループ。分類学的にはおおよそ、ウシ科からウシ族とヤギ亜科を除いた残りに相当し、ウシ科の約一三〇種のうち約九〇種が含まれる。「レイヨウ」は分類群ではない。レイヨウと呼ばれる生物は、ウシ科の多くの亜科(ヤギ亜科以外の全て)に分かれて存在する。多くはレイヨウ同士より、それぞれがウシかヤギにより近い関係にある。多くの異なる種があり、大きさも、小型のものから非常に大型化する種まで、さまざまである。古くは「カモシカ」と呼ばれることもあった。「カモシカのような足」というときの「カモシカ」は、本来はレイヨウのことである。しかし現在いうカモシカはヤギ亜科に含まれ、レイヨウには含まれない。なお、レイヨウの亜科のひとつにアンテロープ亜科(ブラックバック亜科)があるが、このアンテロープは Antelope ではなく、模式のブラックバック属 Antilope のことである。アンテロープ亜科はアンテロープの中の一亜科であり、オリックス、インパラなど代表的なレイヨウの多くが別亜科である。アンテロープ共通の特徴は、基本的に、ウシ科共通の特徴にほぼ一致する。つまり、生え変わりや枝分かれのない中空の一対の角、草食、小さい二股の蹄、短い尾などである。ウシ科全体の特徴ではないアンテロープの特徴としては、家畜種が含まれない、主にアフリカに生息する、などがある。また、ウシ族はウシ科で最大級の種も含まれる大型種のグループであり、ヤギ亜科は小型ながらも頑丈な四肢を持つが、それらに対しレイヨウは、軽量で優雅な姿をし、細身で、優美な前後脚を持っている。多くのレイヨウには強力な大腿四頭筋があり、驚くとまるで巨大なウサギが地上で弾んでいるかのように、この筋力による独特の跳躍ストライドで走る。いくつかの種では、この跳躍は時速一〇〇キロメートルに達し(チーターの一〇〇~時速一一五キロメートルに匹敵し、しかも持久力では勝る)、陸上で最速の生き物の一つでもある。』また、文化史的記述として、『レイヨウの角は、多くの地域で医学と魔術の象徴として尊重される。コンゴでは、魂を閉じ込めると考えられる。キリスト教のイコン解釈学は、キリスト教徒が持っている二本の霊的な武器(旧約聖書と新約聖書)のシンボルとして、レイヨウの二個の角を使用することがある。また、レイヨウの速く走る能力は、風を連想させる。例としては、「リグ・ヴェーダ」におけるマルトの軍馬と風の神ヴァーユなどである』とある。なお、“Antelope”(アンテロープ)の語源について、荒俣宏氏は「世界大博物図鑑5 哺乳類」のアンテロープに似たウシ科プロングホーン亜科の「プロングホーン」の項で、キュヴィエによれば、“Antelope”という名はギリシア語の“anthos”(花)+“ops”(目)に由来し、恐らくはアンテロープの美しい目に因んだ名称だという、とある。――これで美しく注を終えることが出来た。]

[らいてう]
[(上)冬の羽毛 (下)夏の羽毛]

 右に似て稍々面白いのは、日本の東北地方に居る「えちご兎」や高山の頂上に住む「らいてう」である。これらは冬雪の積つて居る頃は純白で雪と紛らはしく、夏雪のない頃は褐色で地面の色によく似て居る。周圍の色の變る頃には、そこに住む鳥獸の毛も拔け換つて同樣に變化するのも、やはりかやうに變化せねば敵に攻められて生存が出來ぬからであらうが、さてかかる性質はもと如何にして起り、如何にして完成したかは、頗る困難な問題で容易に説明は出來ぬ。しかし假に外界の色は幾分づつか動物の色に影響を及ぼすもので、その上、冬は雪の色に最も似たもの、夏は地面の色に最も似たものだけが代々生き殘るものと想像すれば、以上の如き事實は必然生ずべき理窟と思はれる。
[やぶちゃん注:「らいてう」鳥綱キジ目ライチョウ科ライチョウ Lagopus muta (シノニム Lagopus mutusTetrao mutus)。属名“Lagopus”はギリシア語の“lagōs”(野ウサギ(のように))+“pous”(足のある)の意で、冬期の白い羽毛に覆われているその脚部に由来する。種小名“mutamutus”はラテン語の、物言わぬ、無言の意(以上は荒俣宏氏の「世界大博物図鑑4 鳥類」及び東海大学出版会二〇一二年刊の平嶋義宏氏の「学名論―学名の研究とその作り方」を参考にした)。ライチョウは低い声でしか鳴かないことに由来するという。私も何度も出逢ったが、鳴き声の記憶が殆んどないが、ネット上で聴くと、♂はくぐもった「ガァァォォー」というしわがれた声で(正直、品が悪い)、♀は「クックックッ」(結構、大きい)と鳴くようだ。和名の由来についてはイヌワシを恐れて悪天候の時に姿を現わす習性に由来する(前掲の荒俣氏の記載。但し、氏は以下の霊鳥についての詳しい記載もなさっておられる)というのを山屋仲間からも聞いたことがあるが、一説には「雷鳥」と当てられるようになったのは江戸時代以降とし、元は山岳信仰の場でもあった高山の「霊の鳥」「霊鳥れいちょう」で、その転訛だとする考え方もある。確かに季節による全く異なった姿などを見ると、それもありかも、と思わせる鳥ではある。]


[をびくらげ]

 海の表面に浮游して居る動物には、無色透明なものが頗る多い。これを集めて見ると、殆どあらゆる種類の代表者があつて、中にはかかる動物にも透明な種類があるかと驚くやうなものも少くない。「くらげ」には全く透明なものが幾らもあるが、「をびくらげ」と稱する帶狀の「くらげ」などは、長さが六〇糎、幅七糎近くあるものでも、餘り透明なために慣れぬ人には眼の前に居ても見えぬことがある。但しある角度の處から眺めると、薄い虹色の艷が見えて頗る美しいから、ヨーロッパではこの「くらげ」のことを「愛の女神ヴェヌスの帶」と名づける。また貝類は普通は不透明なものばかりであるが、海の表面に浮かんで居る特別の種類になると、身體が全く無色透明で甚だ見出し難い。大きなものは長さ三〇糎にも達するが、普通の貝類とは餘程外形が違ふから、知らぬ人はこれを貝類と思はぬかも知れぬ。「たこ」の仲間でも「くらげだこ」と稱する一種の如きは全身殆ど無色透明で、たゞ眼玉二つだけが黑く見えるに過ぎぬから、そこに「たこ」が居ることには誰も氣が附かぬ。正月の飾に附ける「いせえび」は、生では栗色、煮れば赤色になつて、いづれにしても不透明であるが、その幼蟲時代には全く體形が親とは違つて、水面に浮かんで居る。そしてその頃には全く無色透明で、硝子で造つた如くであるから、餘程注意せぬと見逃し易い。
[やぶちゃん注:「をびくらげ」は我々が通常認識している「クラゲ」類とは全く異なる生物で、有櫛ゆうしつ動物 Ctenophora クシクラゲと呼ばれる動物群に含まれるクラゲ様生物である。ただ、本書が執筆された時代はクラゲ類を含む刺胞動物と合わせて腔腸動物と呼ばれ、腔腸動物門として扱われていたため、丘先生の謂いを誤りとするわけにはゆかない。有櫛動物の多くは体色素を持たず、ほぼ無色透明で、しかも組織の殆んどが水分からできている点ではクラゲ類と同じであるが、決定的な違いは刺胞動物と異なり、刺胞を持たず、粘着性に富む膠胞こうほうという器官を持っている点である。形状もクラゲのような傘状ではなく、球形や楕円形、また、それらを引き延ばしたような形に近いものが多い。体幹下端に口器が開く。更にもう一つの大きな特徴が体表面の周囲を放射状に取り巻いている光る八列の筋、櫛板列くしいたれつを持つことである。櫛板列には微細な繊毛が融合して出来た櫛の歯に相当する櫛板くしいたが並んでおり、この櫛板の繊毛を波打つように順次動かすことによって、かなり素早く移動ことが可能である。この櫛板列の発光は化学的物質による発光ではなく反射によるものであるが、櫛板の運動に伴って虹色の帯になって輝くさまは非常に美しい。ここで丘先生が挙げたオビクラゲは、従来は
有触手綱オビクラゲ目 Cestida
に分類されているが、近年の新しいものでは、
環体腔綱オビクラゲ目 Cestida
に分類されている。代表種の和名オビクラゲ Cestum amphitrites は帯のように扁平で細長い形をしており、長さは数十センチメートルのことが多いが、時には一メートル以上に達する個体もある。体の中央下部に口器があり、その両側に各一本ずつの短い触手が出ている。体表面の八つの櫛板列の内で細長い体に沿った縦の四列が極めて長く、体中央部の横の四列は逆に極めて短い。他のクシクラゲ同様これらの櫛板列の繊毛の運動に加えて、帯状の体全体を波状に屈曲させることによってかなり速やかな体移動を行う。世界中の温水域に広く分布しており、本邦でも暖流の影響の大きい沿岸部などで観察出来る。英名は丘先生が述べられているように“Venus's girdle”である。因みに属名“Cestum”(ケストゥム)はラテン語の“cestus”(帯)に、種小名“amphitrites”はギリシア神話の海の神ポセイドーンの妃アムピトリーテー“Amphitrite”(大地を取り巻く第三のものの意。生物の母たる海の神格化である)に由来する。学名でも「母なる海の神アムピトリーテーの帯」の意という訳である(以上の内、生物学的記載はウィキの「有櫛動物」及び小学館「日本大百科全書」の「オビクラゲ」の記載を参考にした。Cestum amphitrites”のグーグル画像検索一覧はこちら)。
「海の表面に浮かんで居る特別の種類になると、身體が全く無色透明で甚だ見出し難い」これは恐らく軟体動物門腹足綱前鰓亜綱中腹足目ゾウクラゲ科 Carinariidae の仲間を指しているものと思われる。小学館「日本大百科全書」の、私の尊敬してやまない奥谷喬司先生のゾウクラゲ Carinaria cristata の項によれば、『軟体動物門腹足綱ゾウクラゲ科の巻き貝。クラゲの名がついているが、腔腸こうちょう動物ではなく、体が透明な寒天質で海中を泳ぐためにこの名がある。世界の暖水域表層に広く分布する。殻は小さい烏帽子えぼし状で薄く、ほぼ体の中央背側にあって、ここに内臓が収まっているが、体全体を殻の中に引っ込めることはできない。体は細長く最長』六〇『センチに達し、前端には歯舌をもった口が開き、その背側に一対の目と触角がある。体の中央腹側には、一枚の団扇うちわ状に変形した足があり、これを上にして泳ぐ。この足の後縁には吸盤がある。尾部はしだいに細くなり、背部に冠状のひれがある』。以下、日本近海にはこの外、
ラマルクゾウクラゲ Carinaria lamarcki
ヒメゾウクラゲ Carinaria japonica
カブトゾウクラゲ Carinaria galea
の三種を産する、とあり、『いずれも黒潮系水域などの暖流域に分布し、海表面を遊泳している。鋭い歯舌で小形の甲殻類を食べ、自身は魚類やアカウミガメのえさになっていることがある』と記されておられる。英名は“glass nautilus”、「ガラス製のオウムガイ」である。属名の“Carinaria”は、恐らくはその象の鼻のように湾曲した形状若しくはその烏帽子状の特異な殼の形から、“carīna”(船の龍骨、キール)に似た、の意であろうと思われる(グーグル画像検索一覧“Carinaria cristata”)。
「くらげだこ」頭足綱鞘形亜綱八腕形目マダコ亜目クラゲダコ科 Amphitrethidae の仲間。通常は全長約一〇センチメートルの釣鐘形の浮遊性のタコで、体は透明な寒天質で表皮は厚くゼラチン状で、その中に蛸がくるまれているように見える。腕は長く、吸盤は一列、眼球は筒状に伸びて赤緑色を呈する。クラゲのように腕を開閉して遊泳する。太平洋・インド洋の深海に棲息し、本邦では相模湾や浦賀水道などに見られる。標準種はクラゲダコ Amphitretus pelagicus。属名“Amphitretus”はギリシア語の“amphitrētos”(貫かれた)に由来し(透明なもののことを言うか)種小名“pelagicus”はラテン語で「海の」の意(グーグル画像検索一覧“Amphitretus pelagicus)。
「いせえび」「その幼蟲時代」甲殻亜門軟甲(エビ)綱軟甲亜綱ホンエビ上目十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目イセエビ下目イセエビ上科イセエビ科イセエビ Panulirus japonicas の孵化した幼生はフィロソーマ幼生(Phyllosoma)又は葉状幼生と呼ばれ、広葉樹の葉の如き透明な体に長い遊泳脚を持っていて、成体とは似ても似つかぬ体型をしている。イセエビの研究で博士号を持っておられる井上誠章氏のHPの「イセエビの謎 イセエビの子供フィロソーマはどこに?」をご覧あれ。因みに、イセエビの属名“Panulirus”(パルリルス)は一筋繩ではいかない。何故ならこれは、欧州産イセエビ属Palinurus(パリヌールス)のアナグラム(anagram)だからである。平嶋義宏先生の「学名論―学名の研究とその作り方」によれば、『この語源はギリシア伝説に由来』し、パリヌールス Palinurus とはトロイアの勇士アイネイアス Aeneas が『トロイアからイタリアへ渡る時の船の舵取りの名で』、『Lucania 沖で眠りの神に襲われ、海に落ちて、三日三晩会場に漂ったのち、南イタリアに、打ち上げられ、そこの住民に殺された』人物に由来するのだが、そのスペルをわざと組み替えて作ったのが、本邦のイセエビの属名“Panulirus”(パルリルス)という訳なのである(引用文中のカンマを読点に変更した)。しかも何と、アフリカ東岸から日本・ハワイ・オーストラリアまで、インド洋と西太平洋の熱帯・亜熱帯海域に広く分布するイセエビ上科イセエビ科 Palinuridae のハコエビ属 Linuparus(リヌパルス)も、実はこれ、Palinurus のアナグラムなのである。平嶋先生によれば、『このこのアナグラムはの属名はどちらも Gray という学者が』一八四七年(本邦では弘化四年)『に創設した』ものであり、『このPalinurus, Panulirus, Linuparus の三つの属名を正確に覚えて区別するのは一苦労することは請け合いである』と述べておられる。如何にも――しかし、これでは平嶋先生の著作に出逢うことなく、私が学名に色気を持ち始めて羅和辞典をひっくり返したとしていたとしても……これ、語源は到底、分からなかったということなのだ。先生の著作に出逢えて、私は本当に幸せであった、ということになる。因みに――先生は一九二五年のお生まれ――既に八十七歳におなりになる。いやさかを言祝ぎたくなり申しました。まっこと、有り難く存じます!]

 魚類にも、往々無色透明なものがある。「うなぎ」「あなご」などの幼魚は多くは海の底に近く住んで居るが、網に掛つたものを見ると、極めて透明で水の中では到底見えぬ。魚類でも鳥類・獸類で血は赤いものと定まつて居るが、「うなぎ」類の幼蟲では血も水の如くに無色である。それ故、人の眼に見える部分はたゞ頭にある一對の小さな眼玉だけに過ぎぬ。漁夫は昔からこの魚を見ては居るが、「うなぎ」類の幼魚とは知らず、別種の魚と見做して「ビイドロ魚」と名づけて居る。
[やぶちゃん注:「うなぎ」「あなご」ウナギは、条鰭綱新鰭亜綱カライワシ上目の、
ウナギ目ウナギ亜目ウナギ科ウナギ属 Anguilla
に含まれる種の総称、アナゴは、
ウナギ目アナゴ亜目アナゴ科 Congridae
の属する種の総称で、体型はいずれも細長い円筒形だが、アナゴには鱗がない点で異なる(しばしば誤解されるがウナギの体表は粘膜に覆われてぬるぬるしているものの、皮下に非常に小さな鱗をちゃんと持っている。因みに、ユダヤ教では鱗のない魚を食べてはならないという戒律があり、私はかつてイスラエル人の友人に「だったらウナギはゼッタイ食べていいんだよ!」と力説してみたが、笑って相手にして呉れなかった。今でも彼はウナギは鱗がないと思い込み、蒲焼の匂いに垂涎しながらも食わずにいる(彼が鮨屋でアナゴを食って「旨い!」と言った時には、実は私は黙っていたのだが)。――ユダヤ教徒よ! ウナギをお食べなさい! ヤハウェは必ずや、お許しになられるから――。ウナギの属名“Anguilla”(アングィルラ)はラテン語でウナギの謂いであるが、その語源は“anguis”(蛇)である。また鮨屋でお馴染みのマアナゴ Conger myriaster の属名やアナゴ科の科名にある“Conger”はギリシア語でアナゴのこと。このように魚の分類の曖昧な西洋で、古来からウナギとの差別化がなされいていたのは、アナゴは海産、ウナギは淡水産として厳然と区別して認識されていたからであろうか。因みに、東宝怪獣のアンギラス(英語綴り“Anguirus”)は作中(初登場は監督小田基義・特技監督円谷英二「ゴジラの逆襲」昭和三〇(一九五五)年。因みにこの映画は我らが円谷英二が初めて特技監督という肩書で記名された記念すべき作品であった)では、中生代白亜紀後期(約七四〇〇万~六七〇〇万年前)の現北アメリカ大陸に生息した植物食恐竜の一種である爬虫綱双弓亜綱主竜形下綱恐竜上目鳥盤目装盾亜目曲竜下目アンキロサウルス科アンキロサウルス属 Ankylosaurus の一種が水爆実験の影響で目覚めたものとされるが、これ、どう見てもウナギの属名“Anguilla”由来であろう(但し、ウィキの「アンギラス」には、『名前は東宝内部で社員公募された。この映画にも出演している俳優の土屋嘉男は「ギョットス」という名前を考えて公募したことを、佐原健二、高島忠夫との対談で明らかにした』とあって、この文脈からは実は「アンギラス」は、吃驚して「あんぐりとす」辺りが語源であったという都市伝説が生まれそうな気配がある。面白い!)実際、私の好きなスペイン料理、ウナギの稚魚のニンニク・オリーブオイル煮のシラスウナギのことをズバリ、“Angulas”(アンギラス)と言うのである。残念ながら最近の稚魚漁獲の激減によって、これ、なかなか食べることが難しくなっている。
『「うなぎ」類の幼蟲では血も水の如くに無色』ウナギやアナゴの稚魚の血液が無色透明なのは何故かは調べ得なかったが、これは稚魚の時期の血液にはヘモグロビンが殆んど含有せず、鮮緑色を呈するという血漿成分が勝っているからででもあろうか? 識者の御教授を乞うものである。なお、昔から知られているようにウナギ・アナゴ類のこの血漿中にはタンパク質の毒素イクチオトキシン(ichthyotoxin)とが含まれている。多量に飲用すると下痢や吐き気などの中毒症状を、目に入った場合は激しい結膜炎を引き起こし(これは江戸の時代小説などでウナギ屋の職人が裂いている最中に誤って……というシーンに使われる)、外傷部に入ったりしてもひどく炎症を起こす(私はさるウナギ屋の職人の方から、ちょっとした切り傷から入ってとんでもないことになったという話を聴いたことがある)。但しタンパク質であるため、六〇・五℃程度の加熱によって無毒化する。
「ビイドロ魚」これは流石に最早、死語のようで、ネット検索でも引っ掛からない。しかし、風流な名だ。残したい。]


[かつをのえぼし]

 海岸から少しく沖へ出て、鰹などの取れる邊まで行くと、海の表面に「かつをのえぼし」と名づける動物が澤山に浮いて居る。その一つを拾ひ上げて見ると、恰も小さな空氣枕の下へふさを附けた如き形のもので、水上に現れて居る部分は白色、水中に浸つて居る部分は濃い藍色である。總の如くに見えるものは實は珊瑚や「いそぎんちやく」に似た動物個體の集まりで、常に小さな魚類などを食つて居るが、これを捕へるために伸縮自在な長い紐を幾本となく水中に垂れて居る。この紐には處々に特殊の毒刺があつて、人間の皮膚にでも觸れると、そこだけ赤くなつて劇しく痛む位であるから、小さい魚などはこれに遇ふと忽ち殺され、引きずり上げられて食はれてしまふ。されば、この動物が小魚を捕へるには水中に見えぬことが必要であるが、黑潮の水の中で濃い藍色をして居るのは、そのためには最も都合が宜しい。また水面上に現れて居る部分が白色であるのは、浪の泡立つて居るのと紛らはしくて、上から見ては容易に區別が出來ぬ。この外に「かつをのかむり」〔カツオノカンムリ〕と名づける動物も、同樣の處に住み同樣の生活をして居るが、外形が稍々異なるに拘らず、やはり水上の部は白色、水中の部は濃藍色である。
[やぶちゃん注:「かつをのえぼし」は、海棲動物中で思いつく種を一つ挙げよ、と言われたら、私がまず真っ先に思い浮かべる種といってよい。それほど海産無脊椎動物フリークの私がマニアックに好きな生き物なのである(以下の記載も数十冊の私の所持するクラゲ関連書等を勘案して記したものである)。従ってここでは詳細な学名を示しておきたい。
刺胞動物門 Cnidaria ヒドロ虫綱 Hydrozoa クダクラゲ目 Siphonophora 嚢泳亜目 Cystonectae カツオノエボシ科 Physaliidae カツオノエボシ属 Physalia カツオノエボシ Physalia physalis(Linnaeus, 1758)
である。英名は“Portuguese Man O' War”(単に“Man-Of-War”とも)他に“Bluebottle”・“Bluebubble”などと呼ぶ。本邦では所謂、刺毒の強烈なクラゲの謂いとして「電気クラゲ」があり、これは多くの記載で種としては箱虫綱箱虫目アンドンクラゲ科アンドンクラゲ Carybdea rastoni 及びカツオノエボシ Physalia physalis を指すと明記するのであるが、クラゲ類はその殆んどが強弱の差こそあれ、刺胞を持ち、毒性があるから、「電気クラゲ」でないクラゲは極めて少数と言ってよいし、感電的ショックを受けるというのなら、二種とは異なる、
鉢虫綱旗口クラゲ目オキクラゲ科ヤナギクラゲ属 アカクラゲ Chrysaora pacifica
や、同じ旗口クラゲ目の、
ユウレイクラゲ科ユウレイクラゲ Cyanea nozakii
及び
オキクラゲ科アマクサクラゲ Sanderia marayensis
カツオノエボシと同じ嚢泳亜目に属する繩状の、
ボウズニラ科ボウズニラ Rhizophysa eysenhardtii
なんぞは彼らに優るとも劣らぬ強烈なる「電気クラゲ」である。即ち、「電気クラゲ」とは、実際には『夏期の海水浴場で刺傷するケースが圧倒的に多い』アンドンクラゲ Carybdea rastoni 及びその仲間(最強毒を保持する一種として知られるようになった、沖縄や奄美に棲息する箱虫綱ネッタイアンドンクラゲ目ネッタイアンドンクラゲ科ハブクラゲ Chironex yamaguchii ――本種も私の偏愛するクラゲであるが――大雑把に言えばアンドンクラゲを代表種とするアンドンクラゲを含む立方クラゲ目(Cubomedusae)に属し、科名を見てもお分かりの通り、アンドンクラゲの仲間であると言って差し支えないのである)が「電気クラゲ」として広く認識されている傾向が寧ろ強いと言ってよいと私は思っている。
 話を戻す。カツオノエボシ Physalia physalis の属名“Physalia”(フィサリア)はギリシア語で「風をはらませた袋」の意で烏帽子状の気胞体の形状に基づき、英名の“Portuguese Man O' War”や“Man-Of-War”の「(ポルトガルの)軍艦」とは、気胞の帆を張ったポルトガルのキャラベル船(三本のマストを持つ小型の帆船であるが高い操舵性を有し、経済性・速度などのあらゆる点で十五世紀当時の最も優れた帆船の一つとされ、主にポルトガル人・スペイン人の探検家たちが愛用した)のような形状と、本種の発生源がポルトガル沿岸でそれが海流に乗りイギリスに漂着すると考えられた(事実どうかは不明)ことに由来する。“Bluebottle”(青い瓶)や“Bluebubble”(青い泡)も気胞由来。和名「カツオノエボシ」は鰹が被っていた烏帽子で、鰹漁の盛んな三浦半島や伊豆半島では、本州の太平洋沿岸に鰹が黒潮に乗って沿岸部へ到来する時期に、まずこのクラゲが先に沿岸部に漂着、その直後に鰹が獲れ始めるところから、その気胞を祝祭的に儀式正装の烏帽子に見たて、カツオノエボシと呼ぶようになった。また、今直ぐに掘り出せないのであるが、かつて読んだ本に、地中海で(イタリアであったか)、本種を採って引っ繰り返したその形状が女性の生殖器にそっくりであるところから、漁師たちはそうした猥雑な意味での呼称(呼称名を思い出せない。「海の婦人」だったか、もっと直接的な謂いだったか)をしている、という外国の文献を読んだ。当該呼称が確認出来次第、掲載したい(因みに今調べていたらイタリア語の隠語では男性器を「鰹(カツオ)」(!)と言うらしい)。
「水上に現れて居る部分は白色、水中に浸つて居る部分は濃い藍色である」「小魚を捕へるには水中に見えぬことが必要であるが、黑潮の水の中で濃い藍色をして居るのは、そのためには最も都合が宜しい。また水面上に現はれて居る部分が白色であるのは、浪の泡立つて居るのと紛らはしくて、上から見ては容易に區別が出來ぬ」の部分こそが、本章「色の僞り」の眼目で、青魚などと同様のブルー・バック効果である。
「動物個體の集まり」丘先生は説明し出すと本章から離れるために、これで済ませておられるが、これを十全に読者が理解出来ているとは思われない。カツオノエボシの個体は実は四つの性能を特化したポリプ集団(刺胞動物の着生性適応の形態で一般には塔状の触手を伸ばした形状を持つ)が集合して一つの生物種を構成している、丘先生もおっしゃるようにサンゴなどと同じ群体である。
第1のポリプは海上に突出している気胞体
で主に二酸化炭素の入った浮き袋によって海面に浮遊する(但し、この気胞は必要に応じて萎むことが出来、一時的に沈降する場合もある)。気胞には三角形をした帆のような部分があって、風を受けて移動する(カツオノエボシ自身は殆んど遊泳力を持たない)。この中空の軸上部分総体が各群体の支持部分に当たり、かんと呼ぶ。カツオノエボシはクダクラゲ目の中ではこの幹が著しく短いのが特徴である。
第2ポリプは気胞体の下端(幹の基部)にある栄養体
で、垂れ下がる触手を出芽させて発達させる部分で、群体クラゲであるクダクラゲ目の中でもカツオノエボシはこの部分が著しく発達している。
第3のポリプはそこから海面下に長々と垂れ下がって周囲の海中にも展開する触手体(感触体)
で、細長い巻き髯状で、平均でも一〇メートル程度、長いものでは約五〇メートルにも達する。触手は表面に毒を含んだ刺胞に覆われており、各個虫は口は持たず、獲物の小魚や甲殻類を殺して摂餌する機能(触手は筋肉を使って獲物を消化を行うことに特化したポリプである食体へと導く)及びそれによって外敵から身を守る強力な防禦器官に特化しているが、その触手群は刺胞叢と呼ばれる独特で複雑な構造を有している。
第4のポリプは栄養体などと一緒に幹部分に発達する触手を欠く生殖体
で次代の生殖の役割を担うが、カツオノエボシでは一部のクラゲに見られるようなライフ・サイクルの中で当該部がクラゲとして独立することはなく、子嚢である。
群体とはいってもそれぞれか独立して生活を営むことは出来ず、以上の個虫は互いに融合して体壁は一続きになっており、内部には栄養や老廃物などを運搬するための共有する空洞が形成されている。
「この紐には處々に特殊の毒刺があつて、人間の皮膚にでも觸れると、そこだけ赤くなつて劇しく痛む」刺胞動物の刺胞は百分の一ミリメートル程のカプセル状のもので、内部は毒液で満たされていると同時に刺糸と呼ぶ中空の管が巧妙に小さく巻き込まれており、何らかの刺激を受けると、刺胞の内外を反転させるように一瞬にして発射されるようになっている。これらは現在二十三種のタイプに分類されるが、一種のクラゲであっても、生活史の時期や成体の部位によって異なったタイプの刺胞を持つ場合もある。発射の刺激については詳細は必ずしも明らかではないが、最初は接触による物理的発射がなされ、刺さった対象の傷口から放出されるグルタチオンなどのタンパク質に、今度は化学的に反応して一斉に刺糸が射出されることが分かっている。カツオノエボシの毒性はコブラの持つ毒の七五%相当と言われ、成分は未だ解明されていないが、活性ペプチドや各種酵素、その他の因子からなる多成分系の総合作用により、神経系や呼吸中枢に作用し(刺毒による致死性は低くても海産危険動物にありがちな刺傷による意識喪失による溺死というリスクが高まる)、皮膚壊死性や心臓毒性も認められ、アナフラキシー・ショックの危険性も指摘される厄介なものである。海面に一個体の気胞を発見したら、その二十メートル圏内に侵入すると危険とも言われ(水面下で触手が四方へ広がっている可能性があるため)、漂着個体は勿論、干からびた個体や触手の断片であっても刺糸は発射されるので注意を有する。沖縄の修学旅行では、イノー観察の際、教え子が、小さなビニール風船と間違って(中にはコンドームと確信して――いや――実際に私は廃棄されたコンドームを由比ヶ浜の和賀江島で見つけたことがあるが――実に――ようく似ている)意気揚揚と持ってきては私の眼前に棒の先に附けたそれを突きつけた男子生徒もいたが、私の説明に、それこそカツオノエボシのように真っ蒼になって捨て放ったのが懐かしい思い出である。いや、実は三十数年前、私は台風一過の由比ヶ浜でビーチ・コーミングをしていたのだが、そうした一センチに満たない本種の小個体が幾つも打ち上がっているのを見つけた。数十メートル先でふざけ合っている男子中学生の一群がいたが、中の一人が突然のたうち回り始めて、救急車で搬送されていったことがある。おそらくはやはり、これにやられたものであろう。――コンドームを玩んでは……なるまいぞ……。
 なお、このカツオノエボシや以下のカツオノカンムリの体を限定して食らい、且つ、あろうことか、その刺胞を発射させずに(!)飲み込んで、体内にそのまま吸収、背中にそれを蓑のように貯えて、ちゃっかり自分の防禦システムに用いているという(盗刺胞という)、トンデモ生物がいる。消化管内に気泡を生じさせて浮遊する、美しい軟体動物門腹足綱裸鰓目アオミノウミウシ Glaucus atlanticus である。この話をし出すと盗刺胞から藻類の核情報を盗み出して「葉緑体さん! 私はウミウシじゃあなくってよ! 藻なのよ!」と言って、葉緑体を盗み取って光合成させてそのエネルギを横取りしているらしい(盗葉緑体ははっきりしているが、盗核については一仮説段階ではある。しかし実際に盗核システムは一部で確認されているのである)といった大脱線へと向かってしまうので、ここは私のブログ「アオミノウミウシと僕は愛し逢っていたのだ」「盗核という夢魔」をお読み頂くことにして、そろそろ、このやめたくない注も、お開きと致さねばなるまい。
「かつをのかむり」ヒドロ虫綱花クラゲ目盤泳亜目ギンカクラゲ科カツオノカンムリ Velella velella。カツオノエボシと同じく暖海性外洋性の群体クラゲの一種で、黒潮海域に棲息し、鍋蓋状の気胞体(水辺板・盤部とも呼び、キチン質で出来ており、辺縁部分は鮮やかな青藍色で中央は無色透明、やはり丘先生の言う通りのブルー・バック機能を持つ)の上に三角形の帆があってこれで風を受けて移動する。やはり鰹の群れと一緒に見つかり、その気胞体が長径約五センチメートルの平たい楕円形を成すため、烏帽子ならぬ冠の名を冠する。下面には摂餌専用の個体である栄養体、周縁には餌捕獲を行なう触手状の青く短い感触体がある。気胞体の年輪様模様の中内部に気体が入っており、それで浮遊する。主に参照したウィキの「カツオノカンムリ」によれば(以下の引用もそれ)、群体個体の大きさからすると、感触体(触手体)が短いため、完全に水面を突き抜けて気中に顔を出している部分が結果として多くなり、これは他のクラゲには殆ど見られない本種固有の特徴と言える。多くの子供向けの図鑑等ではその特異な形態を面白く語っているだけのものが多いが、触手の刺胞毒はそれなりに強い(私は常々、子供向けのものだからこそ、傷害や毒性の少しでもある海洋生物には必ずその取扱いの注意を明記すべきであると考えている。特にこれらの死滅個体でも刺胞が有効であるものは猶更である)。『なお、このクラゲは群体性であるため、管クラゲ類に所属するものと考えられて来た。しかし、生殖個体として小さなクラゲを作る事から、クラゲに見えるのは、浮きをもつ、群体性ポリプであるとの判断となった。浮きをもつ固着性動物の群体というのは奇妙に見えるが、現世ではともかく、古生代のフデイシやウミユリには似た例が多く知られている。現在では生殖個体の形質から花クラゲ目に移されている』とある。なお、学名(属名と種小名が同じ私の好きなタイプである)“Velella”(ヴェレラ)は、荒俣氏の「世界大博物図鑑 別巻2 水生無脊椎動物」によれば、ラテン語の“vēlum”(帆・帆布)と“ellum”(小さな)の合成である、とある。]


[カメレオン]

[アフリカの北部に産する「やもり」の類の一種にして、常に樹上に住み、昆蟲を見れば急に長き舌を延ばしその先端を粘著せしめて捕へ食ふ。隨意に體色を變じてその居る處と同色と成るを以て有名である。]

[やぶちゃん注:この挿絵ページは国立国会図書館の近代デジタルライブラリーにある原書の画像では何故か飛んでおり、原本の二〇三頁の右に裏側から透けて見えるだけである。この裏からの反転の不鮮明な透けと講談社版のキャプション(前者と比較すると表記だけでなく表現の一部も明らかに違うことが分かる)を参考に可能な限り、推定再現したものである。「長き」は「長い」かも知れない。]

 以上はいづれも動物の色が常にその住む場處の色と同じであるために、そこに居ながら恰も居らざる如くに裝うて、食ふこと及び食はれぬことに便宜を得て居るものであるが、或る動物では體の色が行く先先で變つて、どこへ引越しても相變らず留守を使ふことが出來る。この點で最も有名なのは「カメレオン」の類である。皮膚の中にある種々の色素が或は隱れ或は現れるために、その混合の程度に從つて實にさまざまの色が生ずる。そして、その色はいつも自分の居る場處の色と同じにすることが出來て、綠葉の間に居れば全く綠色となり、褐色の枝の上では褐色となり、白紙の上に置けば殆ど白に近い淡い灰色となり、炭の上に載せれば極めて濃い暗色となるから、いつも外界の物と紛らはしくて見附け難い。一體この動物は樹の枝に留まつて、飛んで來る昆蟲を待つて居るもので、それを捕へるときには極めて長い舌を急に延ばし、恰も子供が、とりもちで「とんぼ」を取る如くにして捕へるが、身體の色がいつも周圍と同じであるから、蟲は何も知らずにその近邊まで飛んで來る。常には長い舌を口の中に收めて居るから、下顎の下面は半球形に膨れ、且左右の眼も別々に動かすから、容貌が如何にも奇怪に見える。身體の色が周圍の色と同じであることは、昆蟲を驚かしめぬための外に、敵の攻撃を免れるの役にも立つであらうから、これは食ふためにも、食はれぬためにも至極有利なことであらう。我が國に産する雨蛙なども、居る場處次第で隨分著しく色を變へるもので、綠葉に止まつて居る間は鮮やかな綠色でも、枯木の皮の上に來ればこれに似た褐色になる。なほその他、體の色を種々に變ずる動物の例は幾らもあるが、多くは周圍の色に紛れて身を隱すためである。
[やぶちゃん注:爬虫綱有鱗目トカゲ亜目イグアナ下目カメレオン科 Chamaeleonidae に属する九(若しくは十)属約二百種の総称。模式属はカメレオン属 Chamaeleo。荒俣氏の「世界大博物図鑑3 両生・爬虫類」によれば、カメレオンの名は古代ギリシア時代からこの動物を指す語として用いられており、語源的にはギリシア語の“khamai”(地上の、又は小人の意)と“leōn”(ライオン)の意であるとある。以下、ウィキの「カメレオン科」によれば(引用箇所ではアラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した)、主にアフリカ大陸・マダガスカルに分布し、最長種はフサエカメレオン属ウスタレカメレオン Furcifer oustaleti で全長六九センチメートル、最小種はヒメカメレオン属ミクロヒメカメレオン Brookesia micra で体長は最大でも二九ミリメートル程度しかない(二〇一二年二月現在で世界最小の爬虫類とされる種で、ウィキの「ミクロヒメカメレオン」にマッチ棒の先にちんまりする画像がある。これ、凄い。……それにしても「ミクロヒメ」という和名はなんとかならんかったんかのぅ……)。『種にもよるが気分や体調により体色を限定的ながら変色させることができる。例を挙げると』
黒ずむ―体調不良。体温が低い(色を黒くすることで熱を吸収しやすくなる)
白くなる―体温が高い(日光を反射させる)
派手になる―興奮している時
種により変色の幅は異なり、ほとんど変色しない種もいる。体色による性的二型が顕著な種もいる一方で、雌雄で体色があまり変わらない種もいる。一般にはカメレオンは周囲の色に合わせて自在に体色を変えられるという誤った俗説があるが、種によって変わる色は決まっている』(これは本書の叙述からみても恐らく丘先生も誤解しておられる。しかし我々の多くも近年までそう誤解していた)。『頭部には、前方に角が生える種もいる。左右の目を三六〇度、別々に動かすことができる。近い位置に獲物を見つけると顔と両目を獲物に向けて立体視をおこない、狙いを定める。舌は蛇腹状、またはゴムの様に筋肉が収縮している。舌骨を押し出すことで縮んでいた筋肉が急激に弛緩し、前方に射出される。舌は粘着質で覆われており、獲物を付着させることができる』。『趾指は五本だが、前肢は内側の三本の指と外側の二本の指、後肢は内側の二本の趾と外側の三本の趾が癒合し二股になっている。これにより木の枝を掴むことができる。趾指の先には爪があり、枝に食い込ませることで体を支えることができる』。『主に森林に生息』し、『食性は動物食で主に昆虫類や節足動物、大型種は小型爬虫類、鳥類、小型哺乳類も食べる』。『繁殖形態は主に卵生だが、カメレオン属には卵胎生の種もいる』。ウスタレカメレオン属ラボードカメレオン Furcifer labordi『は、約九か月間を卵で過ごした後、孵化して二か月で成熟して繁殖し、四~五か月で死ぬ。これは二〇〇八年時点で知られている四肢動物としては最も短い寿命といわれる』とある。]

    二 形の僞り


[木の葉蟲]

 色や模樣のみならず身體の形までが何か他物に似て居れば、敵の眼を眩ますには無論更に都合が宜しい。琉球の八重山邊に産する「木の葉蝶」が枯葉に似て居ることや、内地に普通に見る桑の「枝尺取り」〔エダシャク〕が桑の小枝にそのまゝであることは、小學讀本にも出て居て餘り有名であるから、こゝには略して二、三の他の例を擧げて見よう。東印度に産する「木の葉蟲」などはその最も著しいもので、「いなご」の類でありながら身體は扁たくて木の葉の如く、六本の足の節々までが各々扁たくて小さな葉のやうに見え、翅を背の上に疊んで居ると、翅の筋が恰も葉脈の如くに見える。そして全身綠色であるから、綠葉の間に居ると誰の目にも觸れぬ。印度コロンボの博物館には、玄關の入口に生きた「木の葉蟲」が澤山飼うてあつたが、その眞に綠色の木の葉に似て居ることは誰も驚かぬ者はない。この蟲に限らず、およそ他物に酷似するには、色も形もともにその物と同じでなければならぬから、形の似て居る場合には無論色も極めてよく似て居る。
[やぶちゃん注:「木の葉蝶」鱗翅(チョウ)目アゲハチョウ上科タテハチョウ科タテハチョウ亜科コノハチョウ族コノハチョウ Kallima inachus Boisduval, 1846。インド北部からヒマラヤ・インドシナ半島・中国・台湾・先島諸島から沖縄諸島・奄美群島の沖永良部島と徳之島にかけて分布し、コノハチョウ属(Kallima 属)の中では最も広い分布域を持つ。分布域内で幾つかの亜種に分かれており、日本に分布するものは亜種 Kallima inachus eucerca Fruhstorfer, 1898 とされ、宮崎県以南で見られる。但し、参照したウィキの「コノハチョウ」には、『翅の裏側が枯葉に似るため、擬態の典型例としてよく知られた昆虫だが、疑問を呈する向きもある。もしも枯葉に似せた姿を擬態として用いるならば、枯葉を背景に羽根の裏を見せるか、枯れ枝に葉のような姿で止まるべきだと考えられるが、この蝶は葉の上で翅を広げるか、太い幹に頭を下に向けて止まるため、枯葉に似せる意味がないだろう、と云う説による』とある。種小名“inachus”はギリシア神話のイナコス河の神でオケアノスの子、イオの父で、彼は、
Pakicetus inachus パキケトゥス・イナクス(約五三〇〇万年前の新生代古第三紀始新世初期のイーペル期(Ypresian ヤプレシアン)の水陸両域に棲息していた四足哺乳動物で、現在知られる限りで最古の原始的クジラ類の化石種であるパキケトゥス属の一種)
や、
短尾下目 Majoidea 上科 Inachidae 科 Inachus 属(和名はヨツバイソガニか)
の属名など多くの使用例があって好まれる名であるらしい。属名の意味は遂に分からなかった。
「枝尺取り」昆虫綱チョウ目シャクガ科 Geometridae の幼虫の総称であるシャクトリムシの内、特にエダシャク(枝尺)亜科 Ennominae にこの和名がある。ウィキの「シャクトリムシ」によれば、『シャクガの幼虫は、他のイモムシと比べて細長いものが多い。通常のイモムシは体全体にある足と疣足を使い、基物に体を沿わせて歩くが、シャクトリムシは体の前後の端にしか足がない。そこで、まず胸部の歩脚を離し、体を真っ直ぐに伸ばし、その足で基物に掴まると、今度は疣足を離し、体の後端部を歩脚の位置まで引き付ける。この時に体はU字型になる。それから再び胸部の足を離し、ということを繰り返して歩く。この姿が、全身を使って長さを測っているように見えることから、「尺取り虫」と呼ばれる』とあり、『エダシャク亜科には、木の枝に擬態するシャクトリムシがいる。そのような種では、体表が灰褐色の斑など、樹皮に紛らわしい色をしている。そうして、自分より太い木の枝の上で、後端の疣足で体を支え、全身を真っ直ぐに緊張させ、枝の上からある程度の角度を持って立ち上がり、静止すると、まるで先の折れた枯れ枝にしか見えなくなる。昔、農作業の際、茶を土瓶に入れて持参し、枯れ枝のつもりでこのようなシャクトリムシに引っ掛けると、当然ながら引っ掛からずに落ちて土瓶が割れる。それで、この様なシャクトリムシを「土瓶落とし」と呼んだという』とあるので、丘先生が尺取虫とせずに『枝尺取り』としたのは極めて正確であることが分かる。亜科名“Ennominae”はギリシア語の“ennomos”(法にかなった)で、いやこりゃもう、謂い得て妙である。
「木の葉蟲」ナナフシ目コノハムシ科 Phyllidae の昆虫で、熱帯アジアのジャングルに広く分布しており、二十種ほどが確認されている。ウィキの「コノハムシ科」によれば、『草食性で、メスは前翅が木の葉のようになっており、翅脈も葉脈にそっくりで、腹部や足も平たく、飾りのための平たい鰭もあり、木の葉に擬態することができる。一方、オスは細長い体型で、腹部のほとんどが露出しているため木の葉に似てないが、後翅が発達していて飛ぶことが出来る。周囲の色によっては、黄色や茶色の個体も見られる』とある。科名“Phyllidae”はギリシア語で「葉」を意味する“phyllon”に由来する。]


[木の葉かまきり]

 同じく「いなご」類のものに「七節なゝふし」といふ昆虫がある。これは體が棒狀に細長く、足を前と後とに一直線に延ばすと、全身が恰も細い枝の如くに見えて頗る紛らはしい。中央アメリカに産する「七節」の類には、體の表面から苔の如き形の扁平な突起が澤山に出て居るが、常に苔の生えて居るやうな場所に住んで居るから、見分けることが特に困難である。「かまきり」の類にも巧みに木の葉を眞似て居るものがある。内地産の普通のものでも色が綠または枯葉色であるから、綠葉や枯草の間に居ると容易には分らぬが、東インドに産する一種では胴の後半も扁平であり、後足の一節も扁たくなつて居るので、灌木の枝に止まつて居ると、その葉と紛らはしくて到底區別が出來ぬ。更に巧なのは、らんの花に似たものである。これも印度の産であるが、身體の各部がそれぞれ蘭の花の各部に似て、全部揃ふと形も色も蘭の花の通りになる。胸部は幅が廣くて上向きの花瓣の如く、腹部も扁たくて下向きの花辨の如く、前翅と後翅は兩側に出て居る花瓣の如くで、且常にこれを左右に開いて居るから、餘程注意して觀察せぬと蟲か花か識別が出來ぬ。この「かまきり」はかく花に紛らはしい形をして、花に交つて居ると、多くの昆蟲が花と誤つて近よつて來るから、容易に捕へて食ふのである。


[蘭の花かまきり]

[やぶちゃん注:「七節」節足動物門昆虫綱ナナフシ目 Phasmatodea(又は Phasmida)に属する昆虫の総称。草食性昆虫で木の枝に擬態した姿が特徴的である。「七」は単に多いの意で実際に体節を七つ持っているわけではない。目の学名は幽霊の意のギリシア語“phasma”に由来。英名“stick-incect”・“walking-stick”、仏名にある“baton du diable”(バトゥン・ド・ジャブル)は「悪魔の棒」、独名“Gespenstschrecken”(ゲシュペンスト・シュレッケン)は“Gespenst”(幽霊)+“schrecken”(驚かす)。中文名「竹節虫」(以上は、ウィキの「ナナフシ」及び荒俣宏氏の「世界大博物図鑑1 蟲類」を一部参考にした)。
『中央アメリカに産する「七節」の類』形状からするとユウレイナナフシ Extatosoma tiaratum 若しくはその仲間か。ネット上の複数画像を見ると、大型の枯葉そっくりのものの他に、緑色の突起物を体中から生やした、まさに緑色の苔そのものとしか見えない個体などを見ることが出来た(後者には「中央アメリカ」のタグが附されていた)。しかしながら、Extatosoma tiaratum英語版ウィキの分布域にオーストラリアの“Queensland and New South Wales”及び“New Guinea”とあるので、この緑色のものは本種ではないようだ。識者の御教授を乞う。
『「かまきり」の類にも巧みに木の葉を眞似て居る』「東インドに産する一種」は、カマキリ目Mantidae 科 Deroplatyinae 亜科 Deroplatyini 族カレハカマキリ Deroplatys spp. の類を指していると考えられる。掲げられた図の種はかなり特徴的で専門家なら同定出来そうだが、昆虫の苦手な私にはここまでである。因みに、カマキリ目の学名“Mantidae”(マンティダエ)はギリシア語“mantis”(占いの仕方)を意味するが。これは元来は“Mantwv”(マントー)という名の女予言者(「月から啓示を受けた者」の意)で、古代テーバイにおいて神託を告げた巫女たちの称号であったという(TOMITA_Akio氏のHP「バルバロイ!」のこちらのページに拠る)。そこには『マントーのように魔力を持っていた人物の霊魂は、再び人間となって生まれ変わるまで、昆虫の姿をとると考えられていた』とあり、前脚を振り上げて左右の鎌を合わせる習性が神託を得るために祈禱を捧げている占い師の姿に見えたのであろう。
「かまきり」「蘭の花に似たもの」これはしばしば華麗な擬態として映像で見ることのあるハナカマキリ Hymenopus coronatus である。以下、ウィキの「カマキリ」の当該種の記載によれば、分布は東南アジアで、一齢幼虫は花には似ておらず、赤と黒の二色で同地域のカメムシの一種に似ており、ベイツ型擬態(自己防衛を目的として他の有毒種に擬態すること。名称はイギリス人博物学者ヘンリー・ウォルター・ベイツ(Henry Walter Bates 一八二五年~一八九二年)が一八四九年頃に南米大陸を訪れた際にドクチョウに似たシロチョウの仲間に気付いたことに由来する)と見られる。二齢幼虫は脚の腿節が水滴型に平たくなり、体色もピンクや白で、ラン科の花に体を似せており、英名も“Orchid Praying Mantis”(蘭を装うカマキリ)と呼ばれ、擬態をしている昆虫として代表的な種である。但し、成虫になると体が前後に細長くなってカマキリらしくなり、あまりランの花には似なくなる。ヒメカマキリ科だが日本のヒメカマキリとは性質が大きく異なり、共食いもする。オスは体長三センチメートルほどで、メス(約七センチメートル)の半分にも満たない、とある。属名“Hymenopus”は恐らくラテン語の婚礼の神“Hymen”(これは処女膜の語源でもある)由来、種小名“coronatus”は“corona”(花環・古代ローマで戦勝を祝して授けた花の冠。無論、太陽のコロナも同語源)であろう。]


[「蟻 ぐ も」
   右側の葉の上部に居るのは「蟻」に
   似た「くも」。下部に居るのは眞の
   「蟻」]

 「くも」の類にも巧に他物を眞似て餌を捕へるものが幾つもある。庭園の樹の葉の上には往往頗る蟻に似た「くも」が走り歩いて居るが、これは「蟻ぐも」と名づけて常に蟻を捕へて食ふ種類である。一體ならば蟻には足が六本あり「くも」には足が八本あつて、身體の形狀も大いに違ふ筈であるが、「蟻ぐも」では胴の形も色も全く蟻の通りであるのみならず、一番前の足は蟻の觸角のやうに前へ差出して恰も物を探る如くに動かし、殘りの六本の足で匍ひ廻るから、擧動が如何にも蟻らしく見える。これはアフリカの土人が砂漠で「だてう」を捕へんとするに當つて、まづ「だてう」の皮を被り、その擧動を眞似て驚かさぬやうに「だてう」に近づき、急に矢を放つてこれを殺すのと同じ趣向で、頗る巧妙な詐欺である。また草原には往々綠色で細長い「くも」が居るが、これは四本の足を前へ、四本の足を後へ、一直線に揃へて延すと、全身が細長い緑色の棒の如くになつて、篠などの若芽と殆ど區別が出來ぬ。かやうに「くも」類には種種他物を眞似るものがあるが、その中でも一番振つて居るのは、恐らく鳥の糞に似た種類であらう。これに就いては熱帶地方を旅行した博物學者の面白い報告が幾らもある。ある一人は終日大形の蝶を捕へようと搜し廻つた末、樹の葉の上に鳥の糞に一疋止まつて居るのを見附け、大喜びで拔足差足これに近づいたところが、蝶は一向逃げる樣子もないので、靜に指でこれを捕へた。しかるに蝶の胴は半分に切れて、一方は鳥の糞に附著したまゝで離れなかつたから、不思議に思つて指で觸れて見た所が、今まで鳥の糞であると思つたものは、實は一疋の「くも」であつて、背を下にし、腹側を上に向け、足を縮めて居たのである。新に落ちた鳥の糞は、中央の部は厚くて純白と黑色との交つた斑紋があり、周邊の部は少しく流れて薄い半透明の層が出來るが、この「くも」は絲を以て木の葉の表面に適宜の大きさの薄い層を造り、その中央に背を下にして滑らぬやうに足の鉤で身を支へながら、終日靜止して蝶の來り近づくのを待つて居る。かやうな計略があらうとは夢にも知らぬから、蝶はいつもの通り鳥の糞と思つて「くも」の上に止まり、忽ち捕へられ血を吸はれるのである。
[やぶちゃん注:「一體ならば」は「一体」を副詞的に用いた表現で、概して、の意。
「蟻ぐも」節足動物門鋏角亜門クモ綱クモ目クモ亜目ハエトリグモ科アリグモ属 Myrmarachne のクモの総称。この擬態についてはその後、隠蔽的擬態(ベイツ型擬態)説へと修正が加えられている。以下、ウィキの「アリグモ」によれば(アラビア数字を漢数字に代えた)、確かに『アリに非常によく似た姿と大きさをしている。全身ほぼ黒で、若干の模様が腹部にある場合がある』。『頭胸部はハエトリグモ類としては細長く、頭部は丸く盛り上がり、胸部との間にわずかにくびれがある。腹部は円筒形で、後方に狭まるが、前方は丸く、少し後方が多少くびれる。歩脚はハエトリグモとしては細く、長さもそこそこ。第一脚はいつも持ち上げて構える』。『頭部と胸部が分かれて見えること、腹部にも節があるように見えることから、その姿は非常にアリに似ていて、生きて歩いている場合にはよく見なければ区別できない。また、場合によっては腹部に矢筈状の斑紋があるが、これも腹部の節を強調するように見え、違和感がない』とある。『あまりにアリに似ていることから、擬態しているものと考えられる。擬態の目的として、「アリを捕食するため」の攻撃的擬態という説と「アリに似せることで外敵から身を守るため」という隠蔽的擬態(ベイツ型擬態)であるとの説があった』が、本書の記載のように『当初は「アリを捕食するため」という説が主流であった。つまり、アリの姿をしていると、アリが仲間と間違えて寄ってくるので、これを捕食するのだというのである。これはかなり広く普及していた考えのようで、日本のごく初期のクモ類の文献の一つである湯原清次の「蜘蛛の研究」(一九三一)にも、このことが記されており、さらに、「あるものは巣穴に入り込んで幼虫や蛹を担ぎ出す」というとも聞いている旨が記されている』。『しかし、その後次第にこの見解は揺らぐこととなる。一九七〇年代頃の関連書籍では、上記のような観察について、その確実な実例がほとんどないこと、また、実際に観察すると、アリの群れのそばでアリグモを見ることは多いものの、アリグモがアリを捕食することは観察されず、むしろ避けるような行動が見られることなどが述べられている。一九九〇年代には、攻撃的なアリ(アリはハチの仲間であり、基本的には肉食の強い昆虫であり、外敵に対し噛み付いたり、蟻酸を掛けたりする攻撃をする)に似せて外敵を避けるための擬態であるといわれるようになった。さらにはアリグモがアリを捕食した観察結果は皆無であるとの記述も見られるが、これはまたあらためて確認の必要があるであろう』。実際に『アリを捕食するクモとして、同じハエトリグモ科のアオオビハエトリがいる』が、『こちらも第一肢を持ち上げ、触角のように見え』、捕食のための擬態をしているようにも見えるからである。この属名“Myrmarachne”(ミルマラクネ)自体が、ギリシア語のアリを意味する“myrmos”+クモの意の“arachne”なのである。
「だてう」鳥綱ダチョウ目ダチョウ科ダチョウ Struthio camelus。属名“Struthio”(ストルティオ)はラテン語でダチョウの意、種小名“camelus”(カメルス)はラクダの意で、ラクダのようなダチョウという鳥――そもそも駱「駝鳥」――激しく目から鱗!
『綠色で細長い「くも」』ヒメグモ科オナガグモ Ariamnes cylindrogaster を指している。ウィキの「オナガグモ」によれば、『丸っこくふくらんだ腹部に細長い脚、というのが普通のヒメグモ科の中で、一見かけ離れた姿のクモである。腹部は後方へ細長く伸び、ほとんど一本の棒のようになっているが、これはヤリグモなどのような腹部後方背面の突出部が極端に伸びたことによる』。習性も変わっており、『網らしい網は張らず、枝先の間に数本の糸を引いただけ、というものである。これが他種のクモをもっぱら襲っていることが知られるようになったのは』、実は二〇世紀も末のことである。体長は♀で三〇ミリメートル『近いものもあり、これはオニグモやコガネグモに近く、長さだけなら日本では大型の部類にはいる。ただし幅は狭いので、そういう印象はない。体色には二型があり、緑色のものと褐色のものがあるが、どちらの場合も全身がほぼ同じ色で斑紋は見られない』。♂は体長二五ミリメートル『までと一回り小さいが、それ以外にはさほど違いが見られない』。『頭胸部は幅に見合った長さなので、小さく見える。形の上ではやや円筒形に近い。歩脚は、第一脚と第四脚が同じくらい長く、後者は腹部の後端近くに届』き、『腹部は頭胸部とほぼ同じ幅で、後ろに長く伸び、先端は次第に細まる。この腹部はくねるように変形させることが出来る』。『木立の枝先の間に数本の糸を引いただけの網を張り、それに止まっているのが見かけられる。静止しているときは前二脚を前方に真っ直ぐ伸ばし、後ろ二脚を腹部に添え、腹部を後方に真っ直ぐに伸ばしており、この状態では全身がほぼ一直線の細い棒状である。刺激を受けると歩脚を曲げて移動し始め、その際には腹部は背面側、実際には下側にやや弓なりに曲げる形となることが多い』。『獲物とするのは他種のクモである。クモが糸を伝ってやってくると、後肢で粘球のある糸を投げかけるようにして絡め取り、噛みついて殺すことが観察されている』。以下、擬態について、『このクモは静止時には細長い針状の形であり、全くクモに見えない。その形については、松葉に擬態していると言われることがある。これは確かにそう見えるが、空中に松葉の姿でいる必然性はないであろう。もちろん、松葉がクモの網にかかっていても不思議はないが。ただし、特に松林に多いわけではなく、松葉でなければならない必然性はない』(この辺りの叙述、拘りがあって私好みである)。『しかし、とにかくクモに見えないのは確かで、その意味では擬態は完全と言ってよいレベルである。面白い形のクモであるから、観察会などで紹介する機会が多いが、近づいて指先で示しても一般の人間は気づかないことが多く、クモだと言ってもまず納得してくれない。実際にふれて動き出して初めてわかってもらえるのが常である』とその空遁の術を美事に解説されておられる(ウィキにしては珍しく筆者の風貌が見えてくる好ましい筆致である)。属名“Ariamnes”はアリアドネーの糸の“Ariadne”由来か? 種小名“cylindrogaster”は“cylindrus”(シリンダー・円筒)+“gaster”(腹)である。
「鳥の糞に似た」「くも」コガネグモ科トリノフンダマシ(鳥の糞騙し)属 Cyrtarachne。これも擬態については攻撃型擬態は現在否定されているので、ウィキの「トリノフンダマシ類」から引用したい(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した)。因みに以下に見るように本邦にも同類は棲息する。『熱帯系のクモの仲間であり、日本ではトリノフンダマシ属が約五種、近縁のサカグチトリノフンダマシ属が三種類知られている。いずれも興味深い姿をしている』。『最も普通に見られるのは、トリノフンダマシである。本州中部以南に分布し、それほど珍しい種ではないが、一般には目にすることはほとんどない。 雌は体長が一センチメートル程度、腹部はハート形で、白っぽい。ハートのくぼんだ部分の下側に頭胸部がつながる。頭胸部と歩脚は薄い褐色で、足を折り曲げて、頭胸部に添えると、背面からは腹部に隠れて見えにくくなる。昼間に観察すれば、低木や草の葉の裏面に、足を縮めた姿でじっとしているのが見つかる』。『腹部はほぼ白色で、両肩に当たる部分が軽く盛り上がる。その部分に白と灰色のまだらがある。腹部の表面は非常につやがあり、一見するとまるで濡れて光っているかのように見える。特に白と灰色のまだらの部分は、尿酸が流れたようになった鳥の糞にも見える。これが鳥の糞騙しの名の由来である』。『他の種では、オオトリノフンダマシとシロオビトリノフンダマシが鳥の糞に似ている。オオトリノフンダマシはトリノフンダマシによく似ており、腹部がやや黄色みを帯びることと、腹部の形等が異なる。シロオビトリノフンダマシは横に長い楕円形の腹部で、中央に白い帯、その後部に黄褐色の部分がある。いずれもつやがあって、濡れた糞に見える』。『それ以外の種は、糞には見えない。クロトリノフンダマシは真っ黒で、糞から出た種子に見えると言う人もいる。腹部後方が赤くなる個体があり、かつてはソメワケトリノフンダマシと呼ばれた。アカイロトリノフンダマシは、真っ赤な腹部に白い水玉模様が並び、腹部の横両端に黒い斑点が一つずつ出る』。『近縁のものに、サカグチトリノフンダマシ属があり、国内に三種が知られている。サカグチトリノフンダマシは、丸い腹部が黄色で、白い水玉模様がある。ツシマトリノフンダマシは赤に黒の水玉模様である』。以下、「外見の意味」から。『鳥の糞に似た外見は、一齢のチョウの幼虫等に多く見られるのと同じく隠蔽型擬態であると考えられる。鳥の糞を好んで食べるクモの捕食者はいないからである』。『これに対し、攻撃型擬態とする説もあった。チョウやハエなどには、糞の汁を吸うために鳥の糞に近寄ってくるものがある。鳥の糞に似た外見を持つことによって、そのような習性を持つ昆虫をおびきよせて捕まえている、と考えられたのである』。『後で述べるように、トリノフンダマシは夜行性で、夜に網を張ることが判明したので、攻撃型擬態との判断は、現在では考えられて』おらず、この説には元々『疑問が多かった。まず、トリノフンダマシは葉の裏面に止まっていることが多い。これでは糞に擬態した意味がない。また、コガネグモ科は普通は網を張って餌をとる仲間であるので、そのような匍匐性のクモのような餌の取り方をするのも妙である(そのような例がない訳ではないが)』という点であった(後にトリノフンダマシ類が実は夜行性で夜になると網を張ることが分かったのは一九五〇年代のことであった。丘先生は知る由もなかった訳である)一方でベイツ型擬態説が大きく浮上してきた。『特にオオトリノフンダマシの腹部には、カマキリの頭部の複眼、触角の基部、顎に似た模様がある。生態的な意義は証明されていないが、クモを捕らえる小型のハチをカマキリが捕食する事は事実で』、『アカイロトリノフンダマシやサカグチトリノフンダマシについては、テントウムシ類に擬態している可能性がある。テントウムシ類には、悪臭のある液を出すものがある上、派手な色は警戒色である可能性があるから、それに擬態するものがあって不思議はない』。一方で、実際に鳥の糞の姿で攻撃的擬態しているとされるクモが本邦にも棲息する。本州・四国・九州・南西諸島などに分布するも希少種であるカニグモ科ツケオグモ属カトウツケオグモ Phrynarachne katoi『で、体はでこぼこで刺が生え、腹部もでこぼこだらけだが、つやがある。体色は黒っぽいオリーブ色で、あちこちに白い部分がある。草の葉の上面にとまっていると、鳥の糞に見えなくもない』とある。因みにトリノフンダマシの属名“Cyrtarachne”は、ギリシア語の“kyrtos”(曲った)+蜘蛛に変身させられた女神アラクネー“Arákhnē”の合成か。]


[木の葉がに]

 海産動物にも他物を眞似て敵の眼を眩すものが隨分澤山にある。「かに」でも運動の遲い種類はなにかの方法で敵の攻撃を逃れようと務めるが、「木の葉がに」と名づける蟹では、甲の兩側から不規則な平たい突起が出て、恰も海藻の如くに見えるから、海藻の上に止まつて居るときは殆ど見分けが附かぬ。また「石ころがに」では甲が石塊の如き形で、その裏面には足や鋏が丁度嵌るやうになつて居るから、足を縮めて居ると全身が丸で小石の通りになる。魚類の中でも「たつのおとしご」や「やうじうを」などが褐色の藻の間に居ると、頗る紛らはしくて見出し難いものであるが、オーストラリヤ邊の海に産する「海藻魚」〔リーフィー・シー・ドラゴン〕のごときは、身體の各部から海藻のやうなびらびらしたものが生じ、これが水に搖られて居るから、海藻の間に靜止して居るときは、そこに魚が居らうとは到底誰にも氣が附かぬ。


[海藻魚]

[やぶちゃん注:「木の葉がに」十脚目抱卵(エビ)亜目短尾(カニ)下目クモガニ上科モガニ科コノハガニ Huenia heraldica 若しくは、その近縁種(挿絵のものはその甲羅の形状から、Huenia heraldica に同定するには、やや躊躇を感じる)。水深三~一四〇メートルの珊瑚礁・岩礁・砂礫底などの藻類又は海草が生えている場所に棲息。甲長は約三センチメートル。体色は緑・褐・紅色と様々。額や甲に海藻を付着させている場合もあって(附着させている海藻は緑藻植物門アオサ藻綱イワヅタ目サボテングサ属 Halimeda のものであることが多い)、藻類や海草に擬態している。♂♀では甲の形が異なる(♂は二等辺三角形)。主に夜間に活動(以上は主にウィキの「コノハガニ」を参照した)。
「石ころがに」こういう現在和名の蟹はいない。ガザミなどと一緒に「渡り蟹」のポピュラーな名で知られるワタリガニ科イシガニ(石蟹)Charybdis japonica がいるが、これは本記載に一致しない(因みにこの属名“Charybdis”(カリュブディス)は渦潮を擬人化したというメッシーナ海峡に住む海の魔物でオデュッセウスの行く手を阻んだギリシア神話の怪物の名そのものである)。「甲が石塊の如き形で」、「その裏面には足や鋏が丁度嵌るやうになつて居」り、「足を縮めて居ると全身が丸で小石の通りになる」という記載からは、私には丘先生はカラッパ上科カラッパ科カラッパ属 Calappa を指しているように思われる。例えば、トラフカラッパ Calappa lophos・ヤマトカラッパ Calappa japonica・メガネカラッパ Calappa philargius などで、他に種が大きく異なるが、形状からはオウギガニ科マンジュウガニ属 Atergatis の仲間、例えばスベスベマンジュウガニ Atergatis floridus 等も挙げ得るであろう。これを挙げるのは無論、形状が石に似ている点からだが、今一つ、カラッパ類が古くは和名で「マンジュウガニ」と呼ばれていた(この共通性は見た目の類似性を示している)ことからの連想も働いたからである。因みに私はカラッパ類の和名の語源である属名の“Calappa”を日本語だとずっと思っていたが、どうもカラッパというのは新ラテン語による造語で、情報元が未確認であるが、インドネシア語で「ヤシの実」を意味する“kelapa”(クラパ)が語源らしい(形状が似ていると言えば似ている)。が目から鱗ならぬ、椰子から蟹!
「たつのおとしご」条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目トゲウオ目ヨウジウオ亜目ヨウジウオ科タツノオトシゴ亜科タツノオトシゴ属 Hippocampus。ヨウジウオ科のタツノオトシゴ属は一属のみでタツノオトシゴ亜科 Hippocampinae を構成し、世界で約五〇種類ほどが知られる。泳ぐ時は胸鰭と背鰭を小刻みにはためかせて泳ぐが、動きは魚にしては非常に鈍い。その代わりに体表の色や突起が周囲の環境に紛れこむ擬態となっており、海藻の茂みなどに入り込むと発見が難しい。食性は肉食性で、魚卵、小魚、甲殻類など小型の動物プランクトンやベントスを吸い込んで捕食する。動きは遅いが捕食は速く、餌生物に吻をゆっくりと接近させて瞬間的に吸い込んでしまう。また微細なプランクトンしか食べられないと思われがちだが意外に獰猛な捕食者で、細い口吻にぎりぎり通過するかどうかというサイズの甲殻類でも積極的に攻撃し、激しい吸引音をたてて摂食する(この点からは防禦型だけでなく採餌用の攻撃型擬態とも言えよう)。タツノオトシゴ属の♂の腹部には育児嚢という袋があり、ここで♀が産んだ卵を稚魚になるまで保護する。タツノオトシゴ属の体表は凹凸がある甲板だが、育児嚢の表面は滑らかな皮膚に覆われ、外見からも判別出来る。そのためこれがタツノオトシゴの雌雄を判別する手掛りともなる。繁殖期は春から秋にかけてで、♀は輸卵管を♂の育児嚢に差し込み、育児嚢の中に産卵、育児嚢内で受精する。日本近海産のタツノオトシゴ Hippocampus coronatus の場合、♀は五~九個を産卵しては一休みを繰り返し、約二時間で計四〇~五〇個を産卵する。大型種のオオウミウマ Hippocampus kelloggi では産出稚魚が六〇〇尾に達することもあるという。産卵するのはあくまで♀だが、育児嚢へ産卵されたオスは腹部が膨れ、ちょうど妊娠したような外見となる。このため「オスが妊娠する」という表現を使われることがある。種類や環境などにもよるが、卵が孵化するには一〇日から一ヶ月半程、普通は二~三週間ほどかかる。仔魚は孵化後もしばらくは育児嚢内で過ごし、稚魚になる。♂が「出産」する際は尾で海藻などに体を固定し、体を震わせながら(見た目はかなり苦しそうである)稚魚を産出する。稚魚は全長数ミリメートル程と小さいながらも既に親とほぼ同じ体型をしており、海藻に尾を巻き付けるなど親と同じ行動をとる。ヨウジウオ科ヨウジウオ亜科にもタツノイトコ Acentronura gracilissima やリーフィー・シー・ドラゴン Phycodurus eques (次注参照)などの類似種が多いが、首が曲がっていないこと、尾鰭があること、尾をものに巻きつけないことなどの差異でそれぞれタツノオトシゴ属とは区別出来る(以上は主にウィキの「タツノオトシゴ」及びそのリンク先に拠った)。属名“Hippocampus”(ヒッポカンプス)はギリシア語の“hippos”(馬)+“kampos”(海の化け物)で、元来、ギリシア神話に登場する半馬半魚の海馬“hippokampos”の名ヒッポカンポスを指す。体の前半分は馬の姿であるが、鬣(たてがみ)が数本に割れて鰭状になり、前脚に水掻きがあり、胴体の後半分は魚の尾になっている。ノルウェーとイギリスの間の海に棲み、ポセイドンの乗る戦車を牽くことでも知られたが、この神獣名のラテン語を、実は全くそのままに(頭文字を大文字化して)学名に転用したものである。
「やうじうを」トゲウオ目ヨウジウオ科ヨウジウオ Syngnathus schlegeli。本種もタツノオトシゴ及び類似種同様、♂が出産する。属名“Syngnathus”(シングナトゥス)はギリシア語の“syn”(合わさった)+“gnathos”(顎・口)で、本種の窄(すぼ)んだ口吻に由来する。
「海藻魚」私はこれを上記注に出たヨウジウオ科ヨウジウオ亜科 Phycodurus 属リーフィー・シー・ドラゴン Phycodurus eques に同定する(挿絵の種も本種に同定出来ると思われる)。英名“Leafy sea dragon”とは「葉の生い茂った海の龍」で「海藻魚」という丘先生の和名と一致する。また、細かいことであるが、丘先生は本種を、タツノオトシゴの仲間の、とは言っておられないところにも着目したい(リーフィー・シー・ドラゴンは近年では水族館でよく見かけ、知る人も多いが、前注で示した通り、「タツノオトシゴ属ではない」ということを認識されている方は少ないと思う)。流石は丘先生である。因みに……この属名……“Phycodurus”……これって……“psychedelic”……じゃね?]

     三 擬 態

 以上述べた如く、動物には敵の眼を眩すために、色も形も他物に似たものが頗る多く、たゞ色だけが周圍の色に一致して居るものは、殆ど枚擧に遑ない程であるが、またその反對に周圍とは著しく色が違つてそのため、格段に眼立つて見える動物がないこともない。かやうなものは大抵昆蟲などの如き小形のもので、しかも味が惡いか、惡臭を放つか、毒があるか、針で螫すか、何か一角の護身の方法を具へて居る種類に限る。例へば蜂の如きはその一例で、家の軒に巣を造る普通の黄蜂でも、樹木の高い枝に大きな巣を拵へる熊蜂でも、身體には黄色と黑との入り交じつた著しい模樣があつて、遠方からでも直にその蜂であることが知れる。これは前に述べた種々の動物が、詐欺の手段によつて、相手の眼を眩すのと違つて、却つて敵の注意を引いて損である如くに思はれる。が、この場合には少し事情が違ふ。即ち蜂には鋭い針があつて、これに螫されると頗る痛いから、一度懲りた鳥は決して再びこれを捕へようとはせぬ。特に熊蜂の如き大きな蜂は螫すことも劇しくて、子供などは往々そのために死ぬことさへある。先年京都帝大の文科の先生達が山へ遠足に出掛け、途中に山蜂の巣を見附けて擲いた所が、數百疋の蜂が飛び出して攻め掛つたので皆々大に狼狽したとの記事が新開に出て居たが、豪い人々でも閉口する位であるから、大抵の動物がこれを敬して遠ざけるのは尤もである。そして敬して遠ざけられるためには、まづ以て他と容易く識別される必要があるが、著しい色彩を具へて居るのはそのためには頗る都合が宜しい。昆蟲などの如き小形の動物で、特に目立つやうな色のものは、多くはかやうな理屈で、生存上他と識別せられることを利益とする種類に限るやうである。
[やぶちゃん注:ここでは擬態の説明に入る前に、枕として実際の危険生物が持っている“Warning colouration”(「警戒色」の訳語で人口に膾炙しているが、よく考えると、「警戒」というのはおかしい。現在では生物学の訳語としては「警告色」が正しいとされている)についての解説が示される。次の段で、この話を事実を踏まえてベイツ擬態(後注する)が語り出されるのである。
「黄蜂」現在、通常「黄蜂」というと、昆虫綱膜翅(ハチ)細腰(ハチ)亜目スズメバチ上科スズメバチ科スズメバチ亜科 Vespinae に属するスズメバチ類(オオスズメバチは特に「大黄蜂」と言う)を総称する語であるが、ここで丘先生は「家の軒に巣を造る普通の」とおっしゃっておられるところから、私はこれをスズメバチ科アシナガバチ亜科 Polistinae に属するアシナガバチ類やスズメバチ亜科スズメバチ属キイロスズメバチ Vespa simillima xanthoptera に同定したいと思うのである。同様に先生の言っておられる「熊蜂」についても、現在の北海道から九州にかけて広く分布するミツバチ科クマバチ族クマバチ属クマバチ(キムネクマバチ)Xylocopa appendiculata circumvolans ではなく、これこそがかの最強のスズメバチであるスズメバチ亜科スズメバチ属オオスズメバチ Vespa mandarinia に同定するのである。これはいずれも「身體には黄色と黑との入り交じつた著しい模樣があ」ると丘先生が記述している点で、クマバチ Xylocopa appendiculata circumvolans には胸部に細かい黄色の毛が密生するが、これを私は勿論、誰も「黄色と黑との入り交じつた著しい模樣」と表現しないからである。更に言えば、実はオオスズメバチ Vespa mandarinia は地方によって「くまんばち」と呼称する。実際に私は鹿児島や富山の在の人がオオスズメバチ Vespa mandarinia を指して「クマンバチ」と呼称している場面に出逢ったことがある。これについて、ウィキの「クマバチ」には、『"クマ"とは動物の熊のほか、大きいもの強いものを修飾する語として用いられる。このため、日本各地の方言においてクマンバチという地域が多数あるが、クマンバチという語の指す対象は一つではなく、クマバチ・オオスズメバチ・マルハナバチ・ウシアブほかを指す、多様な含みを持つ語である。 "ン"は熊と蜂の橋渡しをする音便化用法であり、方言としても一般的な形である』とあり、クマバチ Xylocopa appendiculata circumvolans は『大型であるためにしばしば危険なハチだと解されることがあり、スズメバチとの混同がさらなる誤解を招いている。スズメバチのことを一名として「クマンバチ(熊蜂)」と呼ぶことがあり、これが誤解の原因のひとつと考えられる。花粉を集めるクマバチが全身を軟らかい毛で覆われているのに対して、虫を狩るスズメバチ類はほとんど無毛か粗い毛が生えるのみであり、体色も大型スズメバチの黄色と黒の縞とは全く異なるため外見上で取り違えることはまずない』。『かつて、少年・少女向けのアニメ「みつばちマーヤの冒険」において、蜜蜂の国を攻撃するクマンバチの絵がクマバチになっていたものがあったり、「昆虫物語 みなしごハッチ」の』第三十二話『で略奪を尽くす集団・熊王らがクマバチであった。この様に、本種が凶暴で攻撃的な種であるとの誤解が多分に広まってしまっており、修正はなかなか困難な様子である』(この誤りは児童向け作品として重篤で致命的な誤りである)。『蜂類の特徴的な「ブーン」という羽音は、我々にとって「刺す蜂」を想像する危険音として記憶しやすく、特にスズメバチの羽音とクマバチの羽音は良く似た低音であるため、同様に危険な蜂として扱われやすい。クマバチは危険音を他の蜂類と共有することで、哺乳類や鳥類に捕食されたり巣を狙われたりするリスクを減らしている、という説もある』と記す(但し、最後の仮説には要出典要請が掛かっている)。因みに、クマバチがミツバチやミツバチの巣を襲うことはあり得ない。『体が大きく、羽音の印象が強烈なために獰猛な種類として扱われることが多いが、性質はきわめて温厚である。ひたすら花を求めて飛び回り、人間にはほとんど関心を示さない。オスは比較的行動的であるが、針が無いため刺すことはない。毒針を持つのはメスのみであり、メスは巣があることを知らずに巣に近づいたり、個体を脅かしたりすると刺すことがあるが、たとえ刺されても重症に至ることは少ない(アナフィラキシーショックは別)』とある。クマバチ、実は私は彼らをクマンバチと今も呼ぶのであるが、小学校の低学年の時、とある老生物学者の先生からこのことを私は教えて貰い、おしなべて昆虫が苦手な私は、このクマバチだけは怖いとは全く思わないのである。私が児童作品として重篤にして致命的、と言った理由はここにあるのである。なお、生物学者の丘先生が、そのような生物学的には誤った「黄蜂」(別種であるアシナガバチとキイロスズメバチを混称している点)や「熊蜂」(オオスズメバチの標準和名として正しくないものを用いている点)に疑義を抱かれる向きもあろうが、これは学術論文ではなく、一般大衆の生物の初学者に向けた読本としては、大正期の一般読者が正確にそれらの昆虫をイメージ出来る語を選ぶに若くはないのである。そういう点で、この謂いは瑕疵がないとも言えるように思われるのである。
「山蜂」スズメバチ亜科 Vespinae に属するスズメバチ類の別名。
「京都帝大の文科の先生達」「豪い人々」丘先生の中にもあったのであろう、東京帝大との学閥の対立及び文科の学術性への根深い猜疑が感じられて、何ともはや皮肉な表現ではある。しかし、面白い。]


[すかしば]

 しかるに不思議なことには、味も惡くはなく、惡臭も放たず、毒もなく螫しもせぬ昆蟲で、しかも著しい色彩を有するものが幾種類かある。これらは、よく調べて見ると、必ず同じ地方に産して鳥類などに敬して遠ざけられて居る種類のいづれかに頗るよく似て居る。例へば蛾の類に「すかしば」〔スカシバガ〕と名づけるものがあるが、他の蛾類が通常灰色かまたは鼠色で一向目立たぬに反し、體には黄色と黑との横縞があつて頗る著しい。一體、蝶・蛾の類は鱗翅類というて、翅は一面細かい鱗粉で被はれて不透明であるのが規則であるに、この蛾は蛹の皮を脱ぐや否や翅を振つて鱗粉を落とし捨てるから、例外として全く透明である。その上他の蛾類は晝は隠れ夜になつて飛び廻るものであるが、この蛾は晝間日光の當つて居る處を好んで飛んで居る。かくの如く白晝身を現すことを少しも恐れぬが、その飛んで居る所を見るとまるで蜂の通りであるから、蜂と見誤られて敵の攻撃を免れることが出來る。外見が蜂に似て居れば、敵の攻撃を逃れる望みが多いから、「すかしば」の外にも一寸、蜂に似た昆蟲は幾らもあるが、かやうに敵に食はれぬために、他種類に似ることを擬態と名づける。
[やぶちゃん注:以下、ベイツ擬態の解説に入ってゆく。ベイツ擬態とは、無毒で比較的脆弱な生物が有毒種や獰猛な危険種などの真似をすることを言う(既に述べられた被摂餌種の天敵でない安全種に真似て眼を晦ましておいて捕食するところの――これは同じく既に述べられたように自分の自己天敵からの防衛にも用いられる――隠蔽型もこれに含まれる)これはイギリスの探検家ヘンリー・ベイツ(Henry W. Bates 一八二五年~一八九二年)が一八四九年頃から南米大陸を訪れて調査した際、有毒なドクチョウに似た無毒のシロチョウの仲間に気付いたのが始まりで、以来、 “Batesian Mimicry”(ベイツ型擬態)と呼ばれるようになった。
「すかしば」チョウ目 Glossata 亜目 Heteroneura 下目スカシバガ上科 Sesioidea スカシバガ科 Sesiidae に属するスカシバガの仲間。私は真っ先にコシアカスカシバ Scasiba scribai が頭に浮かぶ。これは文句なしにキイロスズメバチ Vespa simillima xanthoptera に似ている。いや、大型個体は私はかの恐ろしきオオスズメバチ Vespa mandarinia に似てさえいると思っている(嘘だと思うなら、御用達の「みんなで作る日本産蛾類図鑑」のここをどうぞ。但し、私に輪をかけて昆虫系がおしなべて駄目な人はクリックするべからず)。日光沢や恐山の露天風呂では、こいつが一匹、周囲を飛び回っていて、「コシアカスカシバ」だよな、と分かっていながら(これが分かるようになったのは三十過ぎであるので、最早、オオスズメバチの恐怖のオペラント学習附けが消去出来ないのである)、大騒ぎをして走り廻ってしまったのを思い出す。]

 桑の木に附く「虎かみきり」も頗る蜂に似て居る。これは甲蟲で、名前の通り「かみきりむし」の一種であるが、他のものとは違ひ、體に黄色と黑との粗い横縞があるから、餘程蜂と紛らはしい。その上、頭・胸・胴などの大きさの割合や、その間の縊れ具合いなども、普通の「かみきりむし」とは異なり、却つて蜂の外形に近い。蜂に似て居る昆蟲は蛾の類、甲蟲の外にもなほ幾らもある。蠅と同じ仲間の昆蟲にも、飛んで居る姿が恰も蜂の通りに見えるものが少くない。それ故かやうな種類は、子供などは常に蜂類と混同して恐れて居る。
[やぶちゃん注:「虎かみきり」鞘翅(コウチュウ)目カブトムシ亜目ハムシ上科カミキリムシ科 Cerambycidae のトラカミキリ Xylotrechus chinensis。Fukutomi design office の島根県「福光村・昆虫記」の「トラカミキリ/トラフカミキリ(虎天牛/虎斑天牛)」によれば、『トラカミキリは、クワの害虫として知られ、トラフカミキリとも呼ばれています。体は黒色で、全体に黄褐色から赤褐色と、黒色の短毛で被われています。頭部と胸部前側が黄色く、上翅にハや八の字の黄色い紋があります。この黒と黄色の虎模様から名が付けられています』。『全体はハチによく似ていますが、上翅の模様には少し無理がある様です。しかし頭部側から見ると、黄色い複眼の感じ,胸部前側の黄色の斑,短めの触角など大型のスズメバチに見えます。上翅中央から斜めに延びる黄色い紋はもう少し似ていて良い気がしますが、前側を細く見せる模様でしょうか? そう考えるとセグロアシナガバチに少し似て見えます』(一部の読点を消去した)とあり、画像もある。……ああ、だめだ、こりゃ! 蜂にしか見えんて。……なお、同リンク先にリンクされている同HP内の「ハチ,アリ,毒のある仲間などに擬態している昆虫(標識的擬態)」の画像類も本章の読解に極めて有益である。必見!]

 擬態の最も面白い例は外國産の蝶類にある。蝶類の中には飛翔が速で、巧に敵から逃げるもの、色や形が他物に似て敵の注目を免れるもの、味が頗る惡いために鳥の方で避けて啄まぬものなどがあるが、味の惡い種類は特に鮮な色を呈し、ゆらゆらと遲く飛ぶ癖がある。しかるに南アメリカ産の蝶などを調べると、味の惡くない類であるのに自分等の仲間とは翅の形も色も著しく違つて、却つて味の惡い種類と見分けの附かぬ程に似て居るものが幾種も見出される。翅の形や色は如何に變化しても翅の脈は容易に變らぬから、かやうな蝶も翅の脈を檢査せられては素性を隱すわけには行かぬが、これなどは實に擬態の模範ともいふべきもので、見誤らせて敵の攻撃を免れることに成功して居るのである。
[やぶちゃん注:「味の惡い種類は特に鮮な色を呈し、ゆらゆらと遲く飛ぶ癖がある」アゲハチョウ上科タテハチョウ科ドクチョウ亜科 Heliconiinae に属するドクチョウの仲間の多くはそれぞれが毒を保有しているが、これら六十~七十種もいるドクチョウは、全く違う種であるにも関わらず、互いに非常によく似た派手な警告色の羽模様を持っており、おしなべてゆっくりと飛翔する。これは例えば、一種類の蝶が鳥一羽に対し一頭の蝶が犠牲を出さなければならないのに対して、五種類の蝶が同じ様な模様を共有することによって、どれか一種類の蝶が一頭犠牲になることでひいては他の四種の蝶類四頭の生命が救われるという非常に効率の良いシステムとなっている。これは、本現象をドクチョウで発見したドイツ人博物学者ヨハン・フリードリヒ・テオドール・ミューラー(Johann Friedrich Theodor Müller 一八二一年~一八九七年)に因み、「ミューラー型擬態(Mullerian Mimicry)」と呼ばれる。但し、これらの蝶類は、実際に各種が実際に毒を持って自己防衛行っているのであるから、本来の「擬態」の定義からすれば、ミューラー型擬態は「擬態」とは言えない。むしろ、ミューラー型模倣とか、ミューラー型類擬態とするべきではないかと私は思う(以上は、白岩康二郎氏の「蝶の百科ホームページ プテロン・ワールド」「擬態について:ミューラー型」を参考にさせて戴いた)。
「しかるに南アメリカ産の蝶などを調べると、味の惡くない類であるのに自分等の仲間とは翅の形も色も著しく違つて、却つて味の惡い種類と見分けの附かぬ程に似て居るものが幾種も見出される」これは自己防衛を目的として、無毒種が他の有毒種に擬態しているので、既出の典型的なベイツ型擬態である。]

 なほ次に圖を掲げたのは、皮が堅くて食へぬ蟲と、味が惡くて食へぬ蟲とこれらに似た他の昆蟲類の擬態である。下の段に竝べたのはいづれも甲蟲類で、極めて皮の厚い「こくざうむし」と、味の惡い「てんたうむし」、また上の段のは、これらに似た「かみきりむし」と「いなご」とであるが、その中でも、「いなご」の類は甲蟲とは全く別の組に屬するにも拘らず、恰も「こくざうむし」や「てんたうむし」の如くに見えるやうに、體の形狀が全く變化して居る。「いなご」の中には蟻の通りに見える種類があるが、これなどは身體が眞に蟻の如き形になつて、胸と腹との間に縊れが出來たのではなく、彩色によつて巧に蟻の姿を眞似て居るにすぎぬ。また南アメリカに産する蟻の一種で常に木の葉を嚙み切つて一枚づつ銜へて歩くもののあることは前に述べたが、この蟻に交つて歩く一種の「ありまき」類の昆蟲は、背から綠色の扁たい突起が縱に生じて、恰も蟻が緑葉を銜へて居る如くに見える。これなどは擬態の中でも最も巧妙なものの例で實に驚くの外はない。

[昆蟲の擬態]

[やぶちゃん注:「こくざうむし」鞘翅(コウチュウ)目多食亜目ゾウムシ上科オサゾウムシ科オサゾウムシ亜科コクゾウムシ族コクゾウムシ Sitophilus zeamais
「てんたうむし」鞘翅(コウチュウ)目カブトムシ亜目 Cucujiformia 下目ヒラタムシ上科テントウムシ科 Coccinellidae に属する小型甲類の総称であるが、ウィキの「テントウムシ」によれば、テントウムシ類は全般に『幼虫・成虫とも強い物理刺激を受けると偽死(死んだふり)をし、さらに関節部から体液(黄色の液体)を分泌する。この液体には強い異臭と苦味があり、外敵を撃退する。体色の鮮やかさは異臭とまずさを警告する警戒色といえる。このため鳥などはテントウムシをあまり捕食しない』とある。
「かみきりむし」鞘翅(コウチュウ)目カブトムシ亜目ハムシ上科カミキリムシ科 Cerambycidae に属する甲虫の総称。
「いなご」直翅(バッタ)目バッタ亜目イナゴ科 Catantopidae に属するバッタ類の総称。ここで示されたものは典型的な、しかも目レベルで遠く隔たった種間のベイツ型擬態である。
「蟻の一種で常に木の葉を嚙み切つて一枚ずづつ銜へて歩くもの」ハチ目ハチ亜目有剣下目スズメバチ上科アリ科 Formicidaeフタフシアリ亜科ハキリアリ族 Attini に属するハキリアリ族。「第三章 生活難」の「三 餌を作るもの」で既注済み。
『この蟻に交つて歩く一種の「ありまき」類の昆蟲は、背から綠色の扁たい突起が縱に生じて、恰も蟻が緑葉を銜へて居る如くに見える』「ありまき」は有翅亜綱半翅(カメムシ)目腹吻亜目アブラムシ上科 Aphidoidea に属する「アブラムシ」類でアリマキ(蟻牧)とも呼ぶ。本種は私もNHKの映像で見たことがあるが、ネット上では種の同定は出来なかった。識者の御教授を乞う。なお、コロ氏のHP「多様性を求める旅」の「ハキリアリ」のページには、ハキリアリは刈り取った葉を巣に持ち帰って特殊なキノコをつくる肥料として農園(菌園)を営む。ハキリアリが育てている菌はアリタケと呼ばれ、ハキリアリの巣の中以外ではみつからない。ハキリアリはアリタケの胞子から栄養分としての糖分を貰っており、また、アリタケは他の菌などの外敵からハキリアリに守ってもらっているという相互共生(mutualism)が成り立っているとされた上で、『ハキリアリはアブラムシも巣の中に飼っている。これも相互共生という形で形成されている。アブラムシは植物の汁を吸って、糖分が含まれている汁を分泌する。これがハキリアリにとって餌になる。そしてハキリアリはアブラムシを天敵から守ると同時に、アブラムシの卵を巣の中で育てることもする。このため、ハキリアリは農園だけでなく牧場も経営するなどと表現する場合がある』と解説しておられる。]

     四 忍びの術


[いさごむし]

 動物の中には、敵の眼を眩すために他物を以て身體を蔽ふものがある。庭園の樹木などに澤山に付く簑蟲みのむしはその一例で、樹の皮や枯葉の破片を寄せ集めて小さな筒を造り、その中に身を潜めて居るから、容易に生體が見えぬ。簑蟲は皆小さな蛾類の幼蟲で、常に木の葉を食する害蟲であるが、蠶などと同じく幼時には口から絲を出すことが出來るから、これを用いてさまざまな物を繫ぎ合せて筒を造るのである。また蛾とは全く別の昆蟲類でその幼蟲が他物を集めて筒を造るものがある。これは「いさご蟲」と名づけるもので、幼蟲が水の中に住み、絲を以て細かい砂粒などを繫ぎ合せ、その中に身體を入れ、頭と足だけを出して水中を匍匐し食物を探して歩く。枯葉の軸や樹の皮の筋などを集めて、恰も陸上の簑蟲と同じやうな筒を造るものは、溝の中にも普通に居るが、石粒を集めるものであると、筒の形が幾分か人形らしくなることもある。岩國の錦帶橋の邊で土産に賣つて居る「人形石」と稱するものは、この類の幼蟲の住んだ筒である。これらの幼蟲は生長すると水上に出て皮を脱ぎ、「とんぼ」に似た蟲となつて空中を飛ぶが、幼時にはかくの如く他物を以て身を蔽ひ、敵の眼を眩して居る有樣は陸上の簑蟲と少しも異ならぬ。
[やぶちゃん注:「簑蟲」鱗翅(チョウ)目ミノガ科 Psychidae 一般には、その中でもオオミノガ Eumeta japonica の幼虫を指す。以下、ウィキの「ミノムシ」によれば、バラ科・カキノキ科などの果樹や、サツキ等の葉を、特に七月から八月の梅雨後の夏期に食害する害虫で、幼虫は摂食後の枯れ葉や枯れ枝に粘性の糸を絡め、袋状の巣を作って枝からぶら下がることで有名。わらで作った雨具「蓑(みの)」に形が似ているために「ミノムシ」と呼ばれるようになった。オオミノガは蓑の内部で終令幼虫(八令)のまま越冬するため、枯れ枝の間で蓑が目立つ。四月から六月にかけて蛹化し、六月から八月にかけて羽化する。蛾の形になるのは雄に限られる(雌は幼体成熟)。この時、雄は口が退化しており、花の蜜などを吸うことは出来ない。雄蛾の体長は三〇~四〇ミリメートル、幼体成熟する雌は無翅・無脚で、形は小さい頭に小さい胸、体の大半以上を腹部が占める形(雄同様に口が退化している)のまま、蓑の内部の蛹の殻の中に留まる(生殖器以外に雌雄の差を明確に区別出来る性的二形である)。雄は雌のフェロモンに引かれて夕方頃に飛行して、蓑の中の雌と交尾する。この時、雄は小さな腹部を可能な限り伸ばして蛹の殻と雌の体との間に挿し入れ、蛹の殻の最も奥に位置する雌の交尾孔を自分の交尾器で挟んで挿入器を挿入して交尾を果たし、その後、雄は死ぬ。雌は自分が潜んでいた蓑の中の蛹の殻の中に一〇〇〇個以上の卵を産卵、卵塊の表面を腹部の先に生えている淡褐色の微細な毛で栓をするように覆う。雌は普通は卵が孵化するまで蛹の殻の中に留まっており、孵化する頃に簑の下の穴から出て、地上に落下して死ぬ。幼虫は二十日前後で孵化し、蓑の下の穴から外に出て、そこから糸を垂らし、多くは風に乗って飛散、葉や小枝などに着地した一齢幼虫は直ちに小さい簑を造り、摂餌行動を開始、六月から十月にかけて七回の脱皮を繰り返し、成長するにつれて簑を拡大改変、小枝や葉片を付け足して大きくし、終令幼虫となる。秋に簑の前端を細く縊って、小枝などに環状になるように絹糸を吐いてこれに結わえ付け、越冬に入る。越冬後は通常、摂餌せずにそのまま蛹化する。但し、近年はオオミノガに特異的に寄生する外来種の双翅(ハエ)目短角(ハエ)亜目ハエ下目ヒツジバエ上科ヤドリバエ科ヤドリバエ亜科オオミノガヤドリバエ Nealsomyia rufella の幼虫による寄生によって生息個体が激減しており、各自治体のレッドリストで絶滅危惧種に選定されるようになってきている。因みに、オオミノガヤドリバエはオオミノガの終令幼虫を見つけると、摂食中の葉に産卵、卵は葉と共にオオミノガに摂食されるが、口器で破壊されなかった卵はオオミノガの消化器に達して体内で孵化する。一個体に付き、平均十羽程度のオオミノガヤドリバエが羽化するという。なお、丘先生が言う同様な蓑を造るケースについては『同じように糸で体を包んで、移動する巣を作るガは他にもある。家屋内ではイガが小さいながらも同じような巣を作る』とあり、丘先生の謂いと同様に、『また、トビケラ類の幼虫は水生昆虫であるが、多くの種が同じような巣を作る』と付け加えられているのには少し吃驚した。以上、私は五十五歳になって初めて具体なミノムシのライフ・サイクルを正しく知った。「枕草子」の虫尽くしの段で解説するためにそれなりの知識はあったつもりではあったが、この子細は、正直、驚きであった。ウィキの筆者に感謝するとともに、何か、不思議に胸打たれるものがあったことを記しておきたい。
「いさご蟲」毛翅上目毛翅(トビケラ)目 Trichoptera に属するトビケラ類の幼虫を指す。属する種の殆どで翅が刺毛に覆われており、全世界で四十六科一二〇〇〇種以上が認められており、本邦にはその内、二十九科四〇〇種以上の生息が認められている。成虫は管状で長い糸状の触角を持ち、羽根を背中に伏せるようにして止まる姿は一部の蛾の類に似て見える。以下、参照したウィキの「トビケラ」より引用する(一部のコンマを読点に変更した)。『完全変態をする。幼虫はほとんどが水生で、細長いイモムシ状だが胸部の歩脚はよく発達する。頭胸部はやや硬いが、腹部は膨らんでいて柔らかい。また、腹部に気管鰓を持つものも多い。砂や植物片を自ら出す絹糸に絡めて円筒形その他の巣を作るものが多い。巣の中で蛹になる。羽化の際は、蛹自ら巣を切り開き、水面まで泳ぎ上がり、水面や水面上に突きだした石の上などで成虫になる。この様な羽化様式が多いが、クロツツトビケラなどでは、水中羽化も報告されている。『また、トビケラは種による差が認めにくいものがあるために同定は難しいものも多い。幼虫は巣の形で属レベルの同定が可能なものもある。成虫については、翅に明瞭な斑紋や色彩を持つ種もあるが、地味なものが大部分で、雌雄の生殖器の構造を見ることが必要になる』。『トビケラ類の幼虫はいさご虫(沙虫)と呼ばれ、水中生活で、多くが巣を作る事で有名である。巣は水中の小石や枯れ葉などを、幼虫の出す糸でかがって作られる』。巣の型には大きく分けて携帯型(移動可能なもの)のものと固定型の二種があるが、『もっとも一般的なのは、落葉や砂粒・礫などを綴り合わせて作られる鞘状や筒状の巣で、携帯巣(けいたいそう)、筒巣(とうそう)あるいはケーシング(casing)と呼ばれる。体がぴったり入る大きさで、前方から頭胸部を出して移動したり採餌したりするもので、言わば水中のミノムシ状態である。水中の植物質を餌とするものが多く、礫で巣を造るニンギョウトビケラなどが有名である』。『これに対して、シマトビケラやヒゲナガカワトビケラなど「造網性」と呼ばれる種類の作る巣は、渓流などの石に固定されており、その一部に糸による網が作られ、ここにひっかかった流下微粒子を食べる』。以下、シマトビケラ科やヒゲナガカワトビケラ科等では、『乱雑な巣を植物片や小礫で』、ヒゲナガトビケラ科では『砂粒や植物片などさまざまな材料を用い』、トビケラ科では『植物片をらせん状などに編』み、キタガミトビケラ科は『円錐形の巣の末端を石などに固定』した造巣をするとある。最後に「人間とのかかわり」の項には、まさに丘先生の指摘されておられる、『ちょっと特殊な利用例として、山口県岩国市の錦帯橋付近ではニンギョウトビケラの巣を土産物として販売している。この種は筒巣の両側にやや大きめの砂粒を付け、蛹化する際には前後端に砂粒をつけて蓋をする。この後端の石を頭に見立て七福神や大名行列を作る』とまで記されていて、何だか、丘先生の肉声が聞こえて来るようで、言いようもなく楽しくなってきたことを告白しておく。
「人形石」上記注に出るように、トビケラ目ニンギョウトビケラ科ニンギョウトビケラ Goera japonica の幼虫の棲管で、砂粒で作った巣の両翼には大きめの砂粒を三対附ける(成虫の体長は約一〇~一二ミリメートルで、触角は黄褐色で太く、体長とほぼ同長)。「岩国石人形資料館」が詳しい。天然の棲管の画像は同資料館のここにある。]

 樹木の幹の凹んだ處を探すと、「やにさしがめ」と名づける蟲が往々居るが、これは體の表面に脂のようなもので砂の粒を澤山に著けて居るため、足を縮めて靜止して居ると、砂の粒だけの如くに見えて、蟲の居ることは一寸知れない。また海岸の岩石に多數に附著して居る「いそぎんちやく」にも、體の表面に砂粒を著けて居るものが頗る多い。口を閉じ體を縮めて居ると、たゞ砂ばかりに見えるから、目の前に「いそぎんちやく」が澤山居ても大抵の人は知らずに通り過ぎる。嘗て房州館山灣の沖の島で、一米四方の處に、百疋以上も算へたことがあるが、かやうに多數に居る處でも、たゞ表面を見ただけでは少しもこれに氣が附かぬ。
[やぶちゃん注:「やにさしがめ」半翅(カメムシ)目異翅(カメムシ)亜目トコジラミ下目サシガメ上科サシガメ科ヤニサシガメ Velinus nodipes。丘先生は「脂のようなもの」とおっしゃっておられるが(講談社学術文庫版は編者によって「あぶら」とルビを振るが、これは「やに」「ヤニ」と訓ずるべきところである)と、これは「旧埼玉県立自然史博物館サイトアーカイブ」の野沢雅美氏の「体にヤニを装うカメムシ」によれば、正真正銘の松の「やに」であることが分かる。丘先生の時代には、体内合成されるものと考えられていたようである。以下、その部分を見ると、『これまでヤニサシガメの体を覆うヤニ物質は、脚にある結節状の膨らみから分泌されていると言われてき』たが、『飼育観察の結果、与えていたアカマツの枝や葉の切口から分泌されるマツヤニを前脚でこすりとり、その脚で体全体に順序よく、ヤニをこすりつける行動が観察された』(一九七二年)。『その後も飼育状態で、この事実を何度となく観察することができ』た、とある。その方法は
(1)前脚によるヤニこすりとり
(2)前脚による中脚へのこすりつけ
(3)中脚から後脚へのこすりつけ
(4)後脚による腹部および背面へのこすりつけ
によって行われ、『こうした一連の行動は、マツの枝や葉を換えるたびに大部分の個体に見られ、いずれの場合にも切口に集合し、前脚を使ってこすりとりが行われ』た。以上のヤニサシガメの習性は、一九七六年になって『静岡県磐田市で、クロマツのヤニをこすりとる野外での観察例が、初めて報告され』、『ヤニのこすりとりの習性は、まちがいのないことが確かめられた』とある。以下、原文の敬体のまま引用する。『では、体を覆うヤニは一体どのような意味があるのでしょうか。まず、越冬期における幼虫の集団越冬に関係することが考えられます。ヤニサシガメの幼虫は、樹幹の低位置で越冬する個体ほど集団化する傾向があり、ヤニでお互いの体を付着させながら、塊りになって越冬することです。集団越冬は、体温の低下が少なく、寒さから身を守るのには都合がよいのかもしれません。中には、土粒や葉片をつけている集団も観察されました』。『次に摂食行動に関係していることがあげられます。体のヤニに脚をとられて、動けなくなったハエの体液を吸収していたという報告もあります。飼育実験でも、体に餌となる昆虫をつけるとよく付着し、ついには刺殺するのが見られます』。『このほか、天敵に対する防御手段や体の乾燥防止などの効果が考えられますが、これといった決め手はありません。ヤニサシガメの体を調べると、野外の個体は飼育個体よりも光沢が強く、粘着性も強いことがわかります。活発に動き回るものほどつやもよくベトベトしています。光沢を失った個体は次第に衰弱し、ついには死んでしまいます』。『ヤニサシガメの体を覆うヤニは、こすりとり行動のほか、マツヤニの分泌部に口吻(こうふん)を刺し込んで吸収する事実もあることから、体内に取り込んだマツヤニを使って体から分泌しているのかも知れませんが、内部組織学的な調べが必要です』。『マツ林が枯れ、ゴルフ場などの造成によって、ヤニサシガメの棲む環境が急速に失われています。どこにでも見られた普通種ヤニサシガメは、しだいに希な昆虫になりつつあります』と最後を括っておられる。ヤニサシガメ……確かに、遠い昔に見たことがあるような気がする。
『「いそぎんちやく」にも、體の表面に砂粒を著けて居るものが頗る多い』代表的な種は花虫綱六放サンゴ亜綱イソギンチャク目 Actiniaria のウメボシイソギンチャク科ヨロイイソギンチャク Anthopleura japonica である。体壁の直径は三~五センチメートル。干潮線の砂や小石の中、岩礁海岸の潮間帯の岩の割れ目などに吸着して棲息しているが、常に多数の小石や貝殻片を体表に附着させており(特に上部の疣状吸盤に顕著)、縮むと体壁は殆んど見えなくなる。和名はこの鎧(よろい)状の吸着物に由来する。体色は淡褐色から濃褐色で個体変異に富む。本州~九州に分布するが、本邦に多くの棲息すると考えられている Anthopleura 属中、本種はその中でも体壁の吸着疣の発達が最も著しい種である(以上は主に西村三郎「原色検索日本海岸動物図鑑[Ⅰ]」(保育社)の記載を参照した)。因みにイソギンチャク目の“Actiniaria”は、ギリシア語“aktis”(光・放射線)に由来し、ヨロイイソギンチャクの属名“Anthopleura”はギリシア語“anthos”(花)+“pleura”(肋骨・側面)で、触手の花に、鎧状の表皮を、ごつごつした肋骨に譬えたものででもあろうか。
「房州館山灣の沖の島」千葉県館山市館山湾の南端に位置している島(現在の海上自衛隊館山航空基地の西)で、南房総国定公園の一つである沖ノ島。以前は 五〇〇メートル沖合にあった島嶼であったが、関東大震災による隆起などによって現在は陸繋島(トンボロ)となっている周囲約一キロメートルで島内はヤブニッケイやタブノキなどの温暖帯海岸林で覆われ、海岸性動植物が共存する。東岸は海藻の群落が目立ち、西岸は貝類の採集に向き、南岸は比較的水深が浅い。北岸は水深二メートル以深に世界最北の珊瑚棲息域を観察出来る(以上は館山市観光協会の「沖ノ島」の記載に拠った)。丘先生が観察された頃は陸繋島化の前である。因みに、私は漱石の「こゝろ」の注釈テクスト「(八十二)」で、この島をKと先生との房州行でのロケ地の同定地候補の一つと考えている。是非、私の注をお読み戴きたい。……丘先生は……あのKと先生とに……出逢っていたのかも知れない……]


[平家蟹]

 「へいけがに」は甲の表面に凸凹があつて、それが恰も恨み怒つて居る人の顏の如くに見えるので名高いが、これも姿を隱すことが頗る巧い。普通の「かに」は走るときには四對の足を悉く用ゐるが、「へいけがに」では、四對ある足の中で前の二對だけが匍ふのに用ゐられ、後の二對は上向きに曲つて、常に空いた介殼を支へる役を務める。それ故この「かに」が海の底で靜止して居るときは、恰も死んだ「はまぐり」の介殼が一枚離れて落ちて居る如くに見えて、下に「かに」の隱れ居ることは一寸分らぬ。かやうに「へいけがに」は年中介殼を脊負つて歩き、自身の甲を露出することがないが、常に保護せられて居る體部が次第に弱くなるのは自然の規則であると見えて、他の「かに」類に比べると甲が稍薄くて、内部にある種種の器官の位置が表面から明に知れる。普通の「かに」では甲は厚くて、その表面は平滑であるが、「へいけがに」では筋肉の附著して居る處などが著しく凹んで、心臟のある處、胃のある處、鰓のある處、肝臟のある處が、皆判然と境せられ、その形が偶然人の怒つた顏に似て居るので、平家の人々の怨靈をんりやうであるなどとの傳説が仕組まれた。但し、この「かに」は決して平家一同の討死した壇の浦邊に限り産するものではなく、日本沿岸にはどこにも居るであらう。現に東京灣でも、網を引くと幾らも掛つて來る。また前の二對の足は匍行に用ゐられるから、普通の「かに」の足と同じ形狀であるが、後の二對は役目が違ふから形も餘程違つて短く小さく、且尖端の爪は介殼を保つことの出來るやうに半月形に曲つて居る。その上、根元の位置も甲の上面の方へ移つて、甲の後端に近い處から恰も牙が生えて居る如くに左右へ突出して居るので、顏の相が益々鬼らしく見える。この「かに」は生のときは泥のやうな色であるが、「かに」でも「えび」でも煮ると、他の色素は分解して赤色のものが殘るから、一度茹でたら、先年帝劇で平家蟹という外題の狂言に澤山出したやうな赤いものとなるであらう。
[やぶちゃん注:「へいけがに」丘先生の謂いから考えると、甲殻亜門軟甲綱十脚目短尾下目ヘイケガニ科ヘイケガニ Heikeopsis japonica 及び同属の仲間は勿論、ヘイケガニの近縁種で甲羅が同様の人面や鬼面様を呈する種(後述)をも含んだものと考えられる。以下、ウィキの「ヘイケガニ」を参照・引用(引用ではアラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した)する。ヘイケガニ Heikeopsis japonica の体色は一様に褐色をしており、甲幅・甲長とも二〇ミリメートル程度。甲は上から押しつぶされたように平たい丸みを帯びた台形で、甲は筋肉がつながる位置に明白な溝があって、内臓及び体節の各区域をはっきりと仕切っている。甲羅を上方から見た時、吊りあがった目(鰓域前部)、団子鼻(心域)、固く結んだ口(甲後縁)といった人の怒った表情に確かに見える。第二・第三歩脚は甲と同じく扁平で、甲幅の二倍以上の長さがある。鋏脚は小さいが、♂の鋏脚は右が僅かに大きい。歩脚の後ろ二対は小さな鉤状で、先端に小さな鋏を持つ。本邦の北海道南部・相模湾から紀伊半島・瀬戸内海・有明海、朝鮮半島・中国北部・ベトナムまで東アジア沿岸域に広く分布し、水深一〇~三〇メートル程度の、貝殻が多い砂泥底に棲息する。短い歩脚で二枚貝の貝殻や、棘皮動物門ウニ綱タコノマクラ目カシパン亜目スカシカシパン科 Astriclypeus 属スカシカシパン Astriclypeus manni 等のカシパン類の生体及び死殼、海綿類などを背負って身を隠す習性を持つ。長い脚で水を掻いて泳ぐことも出来るが、この際には腹部を上に向けて背泳ぎをする。産卵期は夏から秋にかけてで、この時期には抱卵したメスが見られる。同様の形状を持つ近縁種としては、
サメハダヘイケガニ Paradorippe granulata
甲幅は約二五ミリメートル。ヘイケガニに似るが大型で、和名通り、体がザラザラしている。また、♂の鋏脚上面に毛が生える。北海道から台湾までの東アジア沿岸域に分布し、水深二〇~一五〇メートル程度の砂泥底に棲息する。福島県いわき市周辺では、貝殻を被った姿を股旅姿に見立てて「サンドガサ」と呼ぶ。
キメンガニ Dorippe sinica
甲幅約三五ミリメートル。サメハダヘイケガニよりも更に大型で、甲羅には人面に似た凹凸に加え、毛や疣状突起があり、さらに「彫り」が深く、「目」の部分が大きく見開かれ、その外辺部に角のような棘もあって、鬼面に見えるとこから和名がついた。東北地方からオーストラリアまでの西太平洋とインド洋に広く分布し、水深七〇メートル程度まで棲息する。
カクヘイケガニ Ethusa quadrata
甲幅約一〇ミリメートルの小型種。「目」の外辺部に棘があり、甲の形は長方形に近い。相模湾から東シナ海南部にかけて分布し、水深三五~二〇〇メートル程度まで棲息する。
マルミヘイケガニ Ethusa sexdentata
甲幅約三五ミリメートル。「目」の外辺部の棘は短くて前向きである。和名は他種に比べて歩脚の断面が丸みを帯びることに由来する。犬吠埼・対馬以南から鹿児島県沿岸までと、アンダマン海にも分布している。水深四〇~三六〇メートル程度まで棲息する。
イズヘイケガニ Ethusa izuensis
甲幅一二ミリメートルの小型種。「目」の外辺部の棘は大きいが、それよりも四つに分岐した額角が前に出るのと、全身に短毛が生えるが特徴。相模湾から東シナ海南部まで分布し、水深三〇~一一五メートル程度まで棲息する。
などが挙げられる。以下、「甲羅の模様の人為選択説」の項。『ヘイケガニの甲羅の溝が怒った人間の顔に見えることは、明治時代から幾人かの科学者の興味を呼び起こしてきた。 一九五二年に進化生物学者ジュリアン・ハクスレー(Julian Huxley)はライフ誌でヘイケガニを取り上げ、この模様が偶然にしては人の顔に似すぎているため、人為選択による選択圧が作用したのではないかと述べている。この人為選択説では甲羅の模様の成因を、それが顔に似ている程、人々が食べることを敬遠し、カニが生き残るチャンスが増えたため、ますます人の顔に似て来たのだと説明する』。これは、『一九八〇年に天文学者カール・セーガンも、テレビ・シリーズ「コスモス」と同名の著書の中で、このヘイケガニの人為選択について取り上げている。彼は、平氏の亡霊が乗り移ったという伝説が、人間の怒った顔に似た模様が出ている甲羅を持つカニを漁獲するしないの選択に作用しているならば、その伝説が色濃い瀬戸内海、特に壇ノ浦に近いところほど、漁師がこのカニを捕まえるのを嫌がったかもしれず、そうすれば壇ノ浦からの距離が近いほどより人間の顔に近い模様になっているのではないかという仮説を提唱した』(提唱とあるが、これはハックスリーの仮説のまんまである)。『この説については甲殻類学者酒井恒が著書「蟹―その生態の神秘」の中で触れており、ヘイケガニやその近縁種は日本以外の北西太平洋にも分布し人の顔に見える特徴は変わらないこと、化石の段階で既に人間の顔をした模様が認められること、ヘイケガニは食用にならないため捕獲の対象とされないことなどの理由で否定している』とある。これについて、荒俣宏氏は「世界大博物図鑑別巻2 水生無脊椎動物」で詳述されており(そこではハックスレーはこの人為選択説を柳田国男を通して酒井に伺いをたてたとある)、ところが、それでもハックスレーはそれでも『自説を捨てきれなかったらしく』、一九五四年八月の「ライフ」『誌上にヘイケガニの繁栄にまつわる記事を寄せている』とある(ハックスレーは二度「ライフ」にこの人為選択説を載せたらしい)。これについて、酒井氏は著書「蟹―その生態の神秘」(一九八〇年講談社刊)の中で次のように述べているとして引用、「平家蟹」の項を擱筆されておられる。この引用が実にいい。カンマ・ピリオドを句読点を変更して引用し、本注の最後としたい。――『へいけがにの面相が動物形態学の上でどのような意味をもつものであるか、またへいけがにの海底における生活がどうであるか、人間生活との関係がいかなるものかを知らないで人間だけの想像力で判断していくと、自然に対してとんだ結論をおしつけることにならないともかぎらない。』――
「先年帝劇で平家蟹という外題の狂言に澤山出した」明治の末年、明治四五(一九一二)年に初演された岡本綺堂作の「平家蟹」。梗概は個人のHP「じゃわ's じゃんくしょん」の「平家蟹」を参照されたい。]

 足で他物を支へて身體を隱す「かに」は、「へいけがに」の外にも幾種もある。その中で最も普通なものは海綿を脊負つて居る「かに」であるが、やはりこの類でも、四對の足の中、後の二對は短くて上向きになり、その先端の鉤狀の爪で常に海綿を引懸けて離さぬやうにして居る。そして海綿の方には、また丁度「かに」の丸い甲の嵌まるだけの凹みがあり、相重なつて、居るときはその間に少しも空隙がない。その上面白いことには、この凹みの内面の兩側には二つづつ小さな穴があつて、足の爪がこれに掛るやうに出來て居る。されば、この「かに」はどこへ行くにも海綿を脊負つたまゝで、若し危いと思ふと、忽ち靜止し、足や鋏を引き込めて恰も海綿だけの如き外觀を裝ひ、巧に敵の攻撃を免れるのである。
[やぶちゃん注:『海綿を脊負つて居る「かに」』軟甲綱真軟甲亜綱ホンエビ上目十脚目抱卵亜目短尾下目クモガニ科カイメンガニ Chlorinoides longispi 及びその仲間。彼等は、海綿動物門 Porifera の多様なカイメン類だけでなく、刺胞動物門花虫綱八放サンゴ亜綱ウミトサカ目 Alcyonacea のウミトサカ類や同八放サンゴ亜綱ヤギ目イソバナ科イソバナ属 Melithaea 等を、かなり贅沢且つ派手に粉飾して擬態している。画像は例えば、チーさんのブログ「一日一歩」の「海の藻屑」の写真がよい。]

 「へいけがに」でも「海綿がに」でも、足を用ゐてわざわざ他物を背の上に支へて居るのであるが、或る「かに」類は海草や海綿などを自身の甲や足の表面に直に植ゑ附けて姿を隱して居る。海の淺い處で網を引くと、かやうな「かに」は幾らも掛つて來るが、海草などに混じて居ると殆ど眼に附かぬ。「かに」類は昆蟲などと同じく成長する間に度々皮を脱ぐが、脱ぎ換へた當座は無論皮は綺麗である。しかるに外國の水族館で飼育した實驗によると、この類の「かに」は脱皮後直に適當な海草や海綿を選んで、自身でこれを甲に粘著せしめ、暫時の後には再び全身が殆ど見えぬ程に、他物を以て被はれてしまふ。
[やぶちゃん注:「海草」はアマモ等の海産の顕花性の種子植物を指すので、ここは「海藻」(若しくは「海藻や海草」)とすべきところ。
『或る「かに」類は海草や海綿などを自身の甲や足の表面に直に植ゑ附けて姿を隱して居る』短尾下目クモガニ上科クモガニ科クモガニ亜科モクズショイ Camposcia retusa に代表される、クモガニ類に多く見られる、藻や屑を体に貼り付けカムフラージュをしているカニ類。そのシュールでエッシャー的な世界はグーグルの画像検索「モクズショイ」をご覧あれ!]


[熊坂貝]

 卷貝の中にも「熊坂貝」と名づけるものがあるが、これも同樣の手段で身體を隱して居る。この貝は摺鉢を臥せたやうな丈の低い卷貝であるが、介殼の外部には一面に他の介殼または小石などを著けて居るから、海底に靜止して居るときには、そこに生きた貝が居るとは到底見えぬ。小石や介殼の破片などが、この貝の介殼の表面に附著して居る有樣は、恰もセメントで固めた如くであるから容易には離れぬ。この貝を澤山集めて見ると、その中には小石のみを著けたもの、小さな卷貝の殼のみを著けたもの、主として二枚貝の破片のみを著けたものなどがあるが、これはいづれもその住んで居る海の底に落ちて居る物が、場處場處によつて同じでないから、各々自分の居る處に普通な物を取つて附けて居るのであらう。
[やぶちゃん注:「熊坂貝」盤足目クマサカガイ科クマサカガイ Xenophora pallidula。和名は平安時代の伝説上の大盗賊熊坂長範くまさかちょうはんに由来する。実際には室町後期の幸若舞「烏帽子折」や同名の謡曲及び「熊坂」などで創作されたピカレスク。クマサカガイの、やっぱりシュールでエッシャー的な世界はグーグルの画像検索「クマサカガイ」をご覧あれ!……しかし、最後の部分、その個体の生息域が、小石から二枚貝から巻貝からあらゆるものが吹き寄せられてくる吹き溜まりであったら、あらゆるものをサイケデリックに附着させている個体がもっとあってよいのに――というより、そうした吹き溜まりである方が多いはずであるのに――画像を見ても、丘先生のおっしゃるように、選択的に、巻貝だけ、二枚貝だけ、それらの中でも特定種だけ、小石だけを選んでいるように見える。これは「各々自分の居る處に普通な物を取つて附けて居る」ようには私には思われないのであるが……? 貝類学の識者に御教授を乞うものである。]

   五 死んだ眞似

 エソップ物語の中に、大の友達が森の中で熊に出遇うたとき、逃げ後れた一人が地上に横たはり、死んだ眞似をして無事に助かつたといふ話があるが、實際動物の中には死んだ餌は食はぬものがある。かやうな動物に出遇うたときは、動くことは頗る危險で、一時死んだ眞似をして居ればその攻撃を免れることが出來る。小さな動物には、常にこの方法を用ゐて食はれることを免れて居るものが決して少くない。昆蟲類を採集する人は誰も知つて居るであらうが、甲蟲などにも指で摘むと忽ち足を縮めたまゝで、轉がしても落しても少しも姿勢を改めず、全く死んだ通りに見せるものが幾らもある。また「くも」の類にも捕へると直に死んだ眞似をして、足を縮めて動かぬものが頗る多い。これらは、いづれも捕へられさうになつても、逃げもせず隱れもせず單に靜止するだけであるから、採集者の方からいふとこの位都合のよいことはない。
[やぶちゃん注:この知られたイソップの「熊と旅人」の寓話について、ウィキの「熊と旅人」には以下のようにある。二人の男が旅をしていた。ある大きな森の中の道を歩いていると、目の前に一頭の熊が現われた。一人の男はすぐに近くの大木に攀じ登ったが、もう一人の男は逃げ遅れ、仕方なく地面に倒れて死んだふりをした。熊はその男の耳元に口を当てていたが、しばらくすると森の奥に姿を消した。木の上の男は、安心したので降りて、逃げ遅れた男に「熊は君の耳に何か囁いていたようだが、何て言っていたんだね?」と訊ねたところ、男は答えた。「ああ、言っていた。危ない時に友達を捨て、自分だけ逃げるような薄情な相手とはもう別れろ、とね」。これは『友人は大切にせよ、自分だけいい目を見ようとするな』という教訓が主眼で『旅人が死んだふりをして熊をやり過ごす逸話は、単なる設定にしか過ぎなかった』。『それにもかかわらず、後世、本来の教訓は忘れられ、「熊に出会ったら、死んだふりをすると助かる」、という誤解が一人歩きするようになった。このために死傷した例も報告されている。熊は肉食獣であり死体も食べるため、熊の前で死んだまねをするのは自殺行為と言える』とある。一般に、死んだふりは論外であるが、では何故、これほどまでにそうした俗信が広まったかについては、知られた本話以外の要因もあるようだ。「エキサイトニュース」の二〇〇八年十一月十六日附の『「熊にあったら死んだフリ」はなぜ広まったのか』という記事に、『NPO日本ツキノワグマ研究所代表の米田一彦さんに聞いてみたところ、「なかなか良い質問です」として、その回答があるという『生かして防ぐ クマの害』(農山漁村文化協会)を紹介してくれた』とあって、当該書(米田一彦氏著一九九八年刊)に熊による殺傷事件は北海道の開拓時代には沢山あり、そのうち、歴史上で日本最大の事件が、大正四(一九一五)年に起こった北海道の苫前村で起こったものだという。これは、一頭のヒグマが、二晩のうちに胎児を含めて七人を殺し、三人に重軽傷を負わせ、しかも、犠牲者の多くを食ったという事件で、ヒグマが何度も襲ってくるなか、六日目でようやく射殺されたのだ。ところが、この事件では無傷で生き残った十一歳の男子と六歳の女子がいたという。以下のような記述があるという(以下、記事からの孫引き)。「男の子は積んであった俵の間に潜って難を逃れたが、女の子は布団の中で、事件を知らずに眠っていたのだ。小さな女の子に命を残したのは、神の気まぐれだったのだろうか。クマに敵愾心もいだかず恐怖心も与えず、身動きしなかったことが、女の子が助かった理由だろうか」「熊には、自分が倒した自分の獲物に執着し、その獲物を妨げる者を『排除』しようとする習性が強い。そのことが犠牲者を追跡したり、遺骸から離れない執拗さとなって現れるのだ」(以下は記事からの引用。「/」は改行部)。『つまり、たまたま何の抵抗もなく眠っていた女の子が、熊の被害から逃れたというエピソードが広まり、迷信を生むきっかけの1つになったということは十分考えられるよう。/実はこれに近い事件が、明治から昭和初期まで数多くあったともいう』。『歴史的には、「眠っていて助かった子がいた」という記録は確かにあった。とはいえ、やはり「死んだフリ」は有効手段でないのは紛れもない事実。/改めて、「死んだフリ」は危険なので、絶対にやめましょう』とあった。この凄惨な事件は三毛別羆(さんけべつひぐま)事件(又は六線沢熊害(ろくせんさわゆうがい)事件・苫前(とままえ)羆事件とも)と呼ばれ、大正四年十二月九日から十四日にかけて北海道苫前郡苫前村三毛別(現在の苫前町古丹別三渓)の六線沢で発生した、吉村昭の小説「羆嵐(くまあらし)」のモデルとして知られる国内最大の獣害事件である(事件の詳細はウィキの「三毛別羆事件」を参照されたいが、かなり凄惨であるので閲覧に注意を要する)。なお、それでは具体的な熊に遭遇した際の有効性のある対策を北海道野生動物研究所(所長門崎允昭氏)のHPの「もし、熊に遭ったら、どうする!本当の熊対策」(講談社発行、アウトドア雑誌「FENEK」二〇〇六年十月号掲載記事)から引用しておく(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・追加した)。
 1 必ず鉈を携帯する(武器として実用的な物であること)。
 2 音の出る物(ラジオや鈴など)で常時音を立てて歩くと、辺りの音の異常が感知し難いので、要注意である。それよりも、時々声を出すか、笛を吹いた方がよいと思う。
 3 辺りを充分注視しながら進む。見通せる範囲はもとより、その先の死角部分では、特に歩調をゆっくり遅めて、注視すること。
 4 万が一熊に出会ったら(二〇メートル以上距離がある場合)、走らないで、熊の様子を窺いながら、熊から離れること。
 5 距離が一〇数メートルないし数メートルしかない場合は、その場に止まりながら、話しかけること(最初は普通の音声で、それからは大声で)。そして熊が立ち去るのを待つ。自分も少しずつ、その場から離れてみる。
 6 (私は未経験だが、)側にのぼれる木があればのぼり逃げる。襲ってきたら死にものぐるいで鉈で熊の身体のどこでもよいから叩く。
とある。2のラジオや鈴は一般的にはよく言われるが、このように指摘されてみると、その通りという気がする。ネット記載には他にも、熊の顎の辺りを凝っと見ながら静かに後退するとか、自分が持っているものを熊の目の前に投げて熊がそれに気を取られているうちに逃げるのも有効、とあるが……いざとなったら、「熊の顎の辺りを凝っと見ながら静かに後退する」なんどというのは、これは、なかなか難しいわい。……]

 かやうな動物が實際何程まで敵の攻撃を免れ得るかは、自然の生活狀態を詳しく觀察しなければ分らぬことであるが、相手となる動物に就いて實驗して見ても大體の見當は附く。昆蟲類を主として食ふ「ひきがへる」で實驗して見るに、何でも動くものには直に注目するが、動かぬものは少しも顧みない。小さく丸めた紙片も、卷煙草の吸殼でも、絲で吊して上下に動かして見せると、忽ち近づいて來て一口に嚥んでしまふが、毛蟲や甲蟲の如き日頃最も好んで食ふものでも、死んで動かぬやうになつたのは知らずに居る。また「とんぼ」なども常に昆蟲類を食つて居るものであるが、殆ど頭の全部をなす程の大きな眼は所謂複眼であって、幾萬の小單眼が集まつたもの故、動く物體を識別するには特に有功である。博覧會や共進會へ行つて見ても、腦漿を絞つて工夫した巧妙な器械の前には見物人が少くて、單に人形が首を振つて居るだけの下らぬ廣告の周圍には、人が黑山の如くに集まつて居る所から考へると、普通の人間も「ひきがへる」と同樣に、たゞ動くものにのみ注意するやうであるが、死んだ眞似をして居れば、かかる性質の敵からは見逃される望が多い。また小鳥類などは鋭い眼で、絶えず注意して昆蟲を搜して居るから、その攻撃を免れることは容易でないが、中には嘴で觸れて見て、匍ひ出せばこれを啄み、動かなければ死んだものと見做して、捨てて顧みぬものもあるから、死んだ眞似をするものの幾割かは無事に助かることにならう。いづれにしても、この方法は護身のために功を奏する場合が決して少なくない。
[やぶちゃん注:「共進會」明治前期における政府の殖産興業政策の一つ。明治政府の工業化政策は明治六(一八七三)年の内務省設置以後、財政難や貿易収支の悪化によって工部省の直営事業に対する批判が高まり、民業の育成が緊急の課題として強調されるようになったことから大きく変化した。試験場・学校の経営、民業助成などに当った勧業寮(明治一〇(一八七七)年に勧農局と改称)や各種博覧会事務局が内務省内に設けられ、明治一〇年秋には第一回内国勧業博覧会が上野公園で開催された後、各地方の代表的な物産や技術を一堂に集め、一般の観覧に供するとともに生産者・販売者に優劣を競わせて品質改良・産業振興を図る目的で明治一二(一八七九)年、横浜で開かれた製茶共進会及び生糸繭共進会が最初で、特に殖産興業政策の一環として生糸・茶・織物などを中心に各地で催された。競進会とも(以上は平凡社の「世界大百科事典」と「マイペディア」の記載をカップリングして示した)。]

 死んだ眞似をするものは、昆蟲や「くも」のやうな小さな動物のみに限るわけではない。獸類の中でも、狸などは昔から死んだ眞似をするので有名なもので、生捕られてから打たれても擲かれても少しも動かず、少々皮を剝がれても知らぬ顏で我慢するとまでいひ傳へられて居る。そして敵が油斷すれば、その隙を窺つて遽に躍ね起き逃げ出さうとする。「狸寢入り」といふ言葉は、恐らくこれから起つたのであらう。猛獣の中には生きたものでなければ食はぬといふ習性のものもあらうから、狸の計略が功を奏して、巧に助かることも屢々あり得ることと思はれる。
[やぶちゃん注:本段に記されたタヌキの擬死現象について、まず、ウィキの「タヌキ」には、『死んだふり、寝たふりをするという意味の「たぬき寝入り(擬死)」とよばれる言葉は、猟師が猟銃を撃った時にその銃声に驚いてタヌキは弾がかすりもしていないのに気絶してしまい、猟師が獲物をしとめたと思って持ち去ろうと油断すると、タヌキは息を吹き返しそのまま逃げ去っていってしまうというタヌキの非常に臆病な性格からきている。同様の習性を持つことから、擬死を指す表現として英語圏では fox sleep(キツネ寝入り)、それよりさらに一般的なものとして playing 'possum(ポッサムのまねをする)という言いまわしがある』とある。同じウィキの「擬死」には、『ニホンアナグマやホンドタヌキ、エゾタヌキなど、主に哺乳類における擬死の利点』についての項があり、そこには、「擬死の機構」として『動物は自らの意志で擬死(死にまね。death feigning, playing possum)をするのではなく、擬死は刺激に対する反射行動である。哺乳類では、タヌキやニホンアナグマ、リス、モルモット、オポッサムなどが擬死をする。擬死を引き起こす条件や擬死中の姿勢、擬死の持続時間は動物によって様々である』とし、『イワン・パブロフは脊椎動物の擬死の機構を』『不自然な姿勢におかれた動物がもとの姿勢に戻ろうとしたときに抵抗にあい、その抵抗に打ち勝つことができない場合にはニューロンの過剰興奮を静めるための超限制止がかかってくる』と説明している、とある。次に「擬死を引き起こす刺激」として、『拘束刺激は擬死を引き起こす刺激の一つである。カエルやハトなどは強制的に仰向けの姿勢をしばらく保持すると不動状態になる。また、オポッサムはコヨーテに捕獲されると身体を丸めた姿勢になって擬死をする』とある。以下、これらの哺乳類の「擬死の利点」の項。『本種が擬死を行うことによる利点として、身体の損傷の防止と捕食者からの逃避が考えられる。擬死は捕食者に捕えられたときなどに起こる。捕食者から逃げられそうにない状況下で無理に暴れると疲労するだけでなく、身体を損傷する危険がある。捕食者は被食者』『が急に動かなくなると力を緩める傾向がある。このような時に捕食者から逃避できる可能性が生まれる。この機会を活かすためには身体の損傷を防ぐ必要がある』とある。最後に「擬死の特徴」として、『擬死中の動物は、ある姿勢を保持したまま不動になる。その姿勢は動物により様々である。ただ、不動状態のときの姿勢は普段の姿勢とは異なる不自然な姿勢である。 動物は外力によって姿勢を変えられると、すぐに元の姿勢を維持しようして動作する。この動作を抵抗反射(resistance reflex)という。しかし、擬死の状態では抵抗反射の機能が急に低下して、不自然な姿勢がそのまま持続する。このような現象をカタレプシー(catalepsy)という。カタレプシーは擬死中の動物すべてにあてはまる特徴である。 擬死の持続時間は、甲虫類以外は数分から数十分で、擬死からの覚醒は突然起こる。擬死中の動物に対して機械的な刺激(棒で突つくなど)を与えると覚醒する(甲虫類は逆に擬死が長期化する)。 擬死中は呼吸数が低下し、また、様々な刺激に対する反応も低下する。 擬死中の動物の筋肉は通常の静止状態の筋肉と比較してその固さに違いがあり、筋肉が硬直している。そのため、同じ姿勢を長時間維持することが可能となる』と記す。このようなタヌキなどの持つ特異な生態を広義の生体防御システムと捉えるならば(勿論、私はそう考える)、丘先生の、古来、人を化かすと言われた「狸の計略が功を奏」す、「敵が油斷すれば、その隙を窺つて」という見かけ上の謂いも、人間さまが擬死を本当の死として「油斷」しているのであるから、これ、強ちおかしな謂いとは言えない。]

 死んだ眞似をすることは、危險に身を曝して僥倖を待つのであるから、必ずしも安全な方法とはいへぬが、或る種類の相手に對しては、最も容易なしかも勞力を要することの最も少い經濟的な護身の方法である。譬へば、言論の自由を許されぬ國で、新思想家が沈默によつて刑罰を免れて居るのと理窟は變らぬ。但し自分が慥に死んで居るか否かを確めるために敵がさまざま檢査する間、少しも生活の徴候を現さずに堪へ忍ぶことは、大なる苦痛であると同時に大なる冐險であるから、どの種類の動物でもこれを行つて利益があるといふわけには行かず、たゞこの方法によって有功に敵の攻撃を免れ得べき望のある若干の種類だけが、專門にこれを行つて居るに過ぎぬ。
 以上種々の異なつた例を擧げて述べた通り、相手を欺くといふことは自然界には極めて廣く行はれて居る。色や形を他物に似せて、自分の居ることを相手に心附かさぬことは、餌を取るに當つても敵を防ぐに當つても同樣有功であるが、これを十分有功ならしめるには、それぞれこの目的にかなうた特殊の習性を具へねばならぬ。例へば、菜の花の色と同じ黄色の蝶が、平氣で赤い牡丹の花に止まるやうでは何の役にも立たず、如何に桑の「枝尺取り」が桑の小枝に似て居ても、枝と一定の角度をなして止まり、體を眞つ直ぐにして少しも動かずに居るといふ習性がなければ、到底敵の眼を眩すことはことは出來ぬ。それ故、このやうな動物を見ると、恰も皆、故意に敵を欺くことを努めて居るかの如くに思はれる。また擬態の如きも、十分功を奏するには種々の條件が具はらねばならぬ。例へば、如何に巧にある味の惡い蝶に似て居ても、その蝶が普通に居らず、隨つて鳥類がその蝶味の惡いことを知らぬといふやうな地方では無論何の功もない。また擬態せられる蝶よりも、これを擬態する蟲の方が多くなれば、この場合にも無功になる虞がある。なぜかといふに、飢に迫つて冐險的になつた鳥、または經驗の乏しい若い鳥が、この蝶を啄むとき、まづ擬態の方を食ひ當てれば、その味の惡くないことを覺えて、悉くこれを食はうとするから、忽ち擬態する蟲も擬態せられる蝶も、共に恐慌を來すに至るからである。なほその他の場合に於ても、詐欺が完全に行はれるには種々の事情がこれに適して居なければならぬが、適當な事情の下に於ては、詐欺は食ふためにも食はれぬためにも、頗る有功な方法である。
 要するに、動物は餌を食ふため、敵に食はれぬためには、あらゆる手段を用ゐて居る。一種毎に就いていへば、或は速力によるもの、或は堅甲によるもの、または勇氣によるもの、囘復力によるものなど、各種に最も適する方法を取つて居るが、全部を通覽すると殆ど如何なる方法でも用ゐられ、生きるといふ目的のためには決して手段を選ばぬ觀がある。そして詐欺はたゞその中の一部分に過ぎぬ。人間社會では武器を以て正面から戰ふのは立派なこと、詐欺で相手を陷れるのは卑劣なことと見做し、その間には雲泥の相違がある如くに感ずるが、全生物界を見渡せば、いづれも同一の目的を達するための異なつた手段に過ぎず、決して甲乙を論ずべきものではない。即ち詐欺で敵の眼を眩すのも、堅い甲で敵の牙を防ぐのも理窟は全く同じことで、詐欺の巧なものと甲の厚いものとは生存し、詐欺の拙なものと、甲の薄いものとは共に亡びる。騙し得たものと騙されなかつたものとが代々助かつて生き殘り、騙し得なかつたものと騙されたものとが飢ゑて死ぬか殺されるかするのは、恰も水が高い處から低い方へ流れるとか、天秤の一方が上れば一方が下るとかいふのと同じく、殆ど自明の理の如くに思はれる。ただ團體を造つて生活する動物では、同一團體の内の個體の間に詐欺が盛に流行したならば、その結果として協力一致が行はれず、全團體の戰鬪力が減じ、敵なる團體に對抗することが困難になつて、終に團體の維持生存ができなくなるが、團體が亡びれば、無論その中の各個體は共に滅亡を免れぬ。全生物界の中で詐欺を行つたために罰の當たるのは、かやうな場合に限ることである。